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#美濃縞伝承会
terumiyokoyama · 1 year
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今日の装い・・。 伝承会の皆さんに敬意を込めて・・。 岐阜市福祉ふれあい会館で開催されていた「美濃縞伝承会作品展」に行ってきました。 3年ぶり?もっとかな? 木綿の手紡ぎ手織の、素晴らしい作品が今年も並んでいました。 こちらの会は平成6年に美濃縞を復活させるために公民館講座として始まりました。 「手づくりで伝統織物をつくろう」と佐貫尹先生、美奈子先生のご指導のもと、 明治・大正の道具類を使い、今では綿を栽培し、紡ぎ、草木で染めて織っていらっしゃいます。 1年目の方は紡績糸を経糸に自分で紡いだ糸を緯糸にして小品を・・。 だんだん紡ぐ量も増やし、数年後には経緯紡いだ糸で織っていかれます。 先輩から学び、またそれを伝えていく・・まさに伝承がとてもうまく 考えられていて、皆さんが着実に上達していかれてるのを感じます。 25年以上前から紡ぎや染織の情報交換をしていた お友達も日本民藝館展で入選!! 素晴らしいです。心からおめでとうございます。 美しい25番手の糸を拝見したときには感動して泣けてきました。 素晴らしいお品を拝見できて嬉しかったです。 ありがとうございました。 #きもの睦月 #着付け教室森田空美先生の着方をお伝えしております #きものコーディネート #おしゃれ #ファッション #美しい布 #キモノセレクトショップ #きもののお話致しましょう #kimono #着物 #仁平幸春 #手紡ぎ手織木綿着物 #美濃縞伝承会 https://www.instagram.com/p/CpchESuL9MZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nitsubonome · 2 years
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Ψ #綿を育ててみるi
緑の綿の種を頂いたので、「綿繰り」してきました。 美濃縞伝承会 | Facebook https://www.facebook.com/minojima/ 羽島市に江戸時代から伝わる木綿織物「美濃縞」 https://hashimakanko.jp/store/minojima/ はしま観光交流センター「ぐるっと羽島」 https://hashimakanko.jp/store/%E3%81%90%E3%82%8B%E3%81%A3%E3%81%A8%E7%BE%BD%E5%B3%B6/
緑綿の種をくださったのは神村さん。 Home | Mysite(神村 泰代) https://www.kamimurayasuyo.com/ 2021 町を紡ぐ 景色を織る 日々を縫う(@hibi365_plus1) https://www.instagram.com/hibi365_plus1/
※茶綿は数年前に私が栽培した種(育つ...かなぁ...。)
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yukiosa-progress · 5 years
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30th Dec. 2018, Sunday
PLPロンドン_15週目_Yuki OSA
《旅の備忘録》
12/22 05:55 LTN → 09:50 BRI
N16のバスに乗って、旧市街手前で降ろしてもらう。バスの中の譲り合いや、チケットの受け渡しに南伊の人々の暖かさを感じる。
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歩いて15分ほどで大通り沿いにある宿の近くまで着いたが、Googleマップの場所に宿がなく、右往左往。近くのビルの警備員の人に聞いてみたところ、その人もわからず、一緒に探してくれる。キオスクの友人に聞いてくれたりして、地図のポイントがワンブロックずれていることが判明。御礼を言って別れる。
宿の中は旧式のエレベーター。それを取り囲むように階段が螺旋状に上がっている。エレベーターは少し乗るのが気が引けて、階段で登る。
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4階の宿に着く。両開き扉が狭い。片側だけ開いていて、肩幅ぎりぎりで荷物が引っ掛かる。
中には宿のおばさんと招き猫の人形が腕を振っている。受付前に立つイタリア人らしい長髪に少しパーマのイケメンがおばさんと話している。挨拶をするとその人もなんとフローレンスで学んだ建築家らしい。今晩エンジニアの友人とご飯を食べるけど一緒に来て語らわないかと言われたが、アルベロベッロに経つのでいけなかった。誘ってくれるだけで嬉しいと伝えた。またマテイラに行くことも伝えたら、マテイラは来年ヨーロッパのカルチャー首都に2019からなるという情報を教えてくれた。
部屋から若い女性がチェックアウトをして出て行く。
支払いを済ませると、おばさんが入浴用タオルを貸してくれた。優しい。お茶も飲まないかと言われたが、アルベロベッロ行きの電車が迫っていたので、丁寧に断った。
宿泊用の荷物を置き、手提げだけ持ちバーリの駅まで徒歩で向かう。10分ほどだが碁盤の目状の道はとても長く感じる。
駅に着いてみると掲示板に乗る予定の電車がなく焦る。駅員のおじさんに聞くと、違う駅だから地下を歩いて左に行けと言われたが、行ってみても何もない。引き返し通行人のおばさんに聞くがイタリア語でわからず。そうこうしているうちに、時間が迫りのこり3分。焦っていたところ、駅員の若い女性が地下に潜り反対側の車線のところが違う駅なのだと教えてくれる。ややこしい。
また地下に潜り反対側の車線まで走ってなんとか間に合うことができた。
12:03 Bari central→ 14:05 Alberobello
プッティガーノに着くとバス停があり、そこで待機。待つこと30分ようやくバスが来る。そこでもタバコを吸ったおばさんに助けられる。南伊の優しさに感謝。
アルベロベッロに到着。するも新市街に降ろされ場所不明。Wi-Fiもないので右往左往。ガソリンスタンドの売店のおじさんに教えてもらう。
トゥルッリの地域着。石積みのとんがり屋根状の家々が建ち並ぶ丘陵の眺めに感動。
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インフォメーションセンターを探していると、美味しそうなパン屋。朝から何も食べていなかったので、プンチャをオーダー。15cmほどの温められた丸く薄べったいパンに、トマト、モッツァレラチーズ、ベーコンが挟まっている。美味。
バンダナっぽい旧式の帽子を被ったパン屋のダンディなおじさんに、インフォメーションセンターの場所を聞くと、何しに行くんだと聞かれ、地図をもらいにと答えると、うちにもあるからちょっと待ってろ、と引き出しを開けて地図を取り出すと、名所や巡った方が良いところを丁寧に教えてくれた。感謝。
プンチャを片手に食べながらトゥルッリの街並みを登る。石積みの狭い階段の両脇は、観光客向けの店で犇めいている。お土産には興味がないが、トゥルッリの内部が気になるのでいくつか入ってみる。とんがり屋根の裏側上部まで塗装されているところが多いが、石積みをそのまま見せているところも。円形の平面を長い二本の木製の梁が流れる。
観光店通りを離れ、住居群を歩くと、屋根の補修工事現場にあたる。しばらく眺めていると、その場で石を砕き、丁寧に石を積み上げていく技術はまさに職人技。1273年から続く技術の伝承。厚さ大きさの違うライムストーンを使い分け積み上げていく。分厚く大きな石は円形の壁に使われ1.3~1.8mほどよ壁を形成する。その上に木製の梁を二本流しつつ、屋根が上に乗る。屋根は三層構造で、まずはじめに屋根の構造となる20cmほどの少し厚めの石を内部空間側の斜め状の角度に合わせカットしながらとんがり状に積んでいく。この角度には緩やかさ加減を徐々に変えて、長年の構造に耐えうる知識が詰まっているらしい。次に隙間を埋めるための砕けた細かい砂礫を詰め込んで、最後に薄い石板を瓦状に積んでいく。屋根の最上部には、十字架だけではなくユニークなシンボルが、キリスト教の様々な願いや想いを込めた形豊かなかたちで表現されていると同時にキーストーン同様の役割も持ち、屋根全体のアーチ構造の重しにもなっている。外壁を白く塗装するようになったのはいつからか不明だが、1つの家が同じ素材で出来上がっていく光景は感嘆に値する。しかもその素材は、同じ地域から産まれた石なのだ。風景に対して相性が良く感ずるのはそういう事由であると感心。
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17時過ぎに日が暮れて、そこからは夜のバスまでの6時間をどうするか考える。最近の色々な悩みなどを抱えつつ、思索に耽りながら直線上に歩き続けていると、大きなバシリカ様式の教会にあたる。中世の都市構成の誘導的意図を感じる。
中へ入り、お祈りなどをしつつ、座っていると、子供のためのクリスマス礼拝が始まる。賑やかな子供達が礼拝を済ませ帰っていく。
どれくらい座っていただろうか。気がつくと今度は大人たちのクリスマス礼拝が始まっていた。壮大なパイプオルガンの音や賛美歌の音、僧侶の聖書を読む声などが、幻想的に礼拝堂内に響き渡り、目を閉じて耳を澄ませる。
教会に滞在すること3時間半。とても心が落ち着いていた。
あてもなく夜の街を歩く。
夜のトゥルッリは、昼とは違った趣を見せる。月明かりと街灯に照らされた影の陰影が深いためか。
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子供達が夜にもかかわらず大人も伴わず出かけていく。街角には井戸水の蛇口があり、そこへ首を傾けて口を近づけ飲んでいる。私も飲んでみようか。
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20分ほど歩くと、広場にでる。広場はとても賑わっており、様々な店舗が出ている。
徐々に子供の数が減っていき夜も更ける。
23:25 Alberobello → 00:40 Bari
バスの中で寝過ごさないか心配であったが、なんとか宿に到着。
STAY@ Bari “MoViDa CaVour”
12/23
カフェでバスを待つ。本場のカプチーノは濃い。
クロワッサンも密度あり。
7:25 Bari → 8:35 Matera
マテーラに到着する。が、徒歩30分程度離れた新市街にて降ろされる。
途方に暮れていたところ、同じバスでバーリから来た、2人の若いカップルに話しかける。2人ともバーリで法律を学んでいて、来年就職らしい。今日はクリスマスイブ前日のワンデートリップにマテーラまで来たと言う。彼女の方は日本に二回も行ったことがあるらしく、話が弾む。旧市街広場までは道のりが同じで、一緒にローカルバスに乗り向かう。
旧市街着。カップルと別れる。
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別れ際に教会になぜドクロが彫り込まれているのかについて少し話した。
南伊では結構多いらしい。
STAY@ Matera “L'Ostello dei Sassi”  
宿着。荷物を置く。荷物といってもA4サイズのリュックだが、一日中担ぐのは応える。
15分ほど待つと受付の人が出勤してきたので、荷物を置いて良いかと聞くと、チェックインもできるということなので、そうする。イタリアのユースは一泊16ユーロくらいが相場で、どこも安い。
今回泊まるところは、マテーラ特有のサッシと呼ばれる岩窟住居をホステルに改装したところ。
荷物を置き、街へ出る。
光と影のコントラストが素晴らしい。街全体がどこを切り取ってみても彫刻作品として成���立つのではないか。
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階段の折り重なる迷路のような街路を歩き、散策する。
サンタルチア教会を前に、殉難をあらわす聖杯のシンボルを目にする。この土地の人々が受けてきた、耐え抜いてきた苦悩や災難を思う。私事の悩みが小事に思える。
農家の家の跡、復元などを見つつ、土地の特性に合わせて工夫された生活様式を学ぶ。雪を貯めるシステムなども面白い。
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歩き続け、登り続け、大聖堂手前の高台の道の途中にあるカフェで立ち止まる。
昼もとうに過ぎていた。
喉がとても乾いていたため、カフェアメリカーノを頼むと、バシリーカ州産のクッキーを一緒に出してくれた。とても美味しい。
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1時間ほど座りながら景色を眺め、考え事をする。
続きの坂道を登ると、大聖堂があり、その眼下のもう1つの集落が見渡せる高台に着く。
日も上りきり15時くらいにはなっていたかと思うが、高台広場にあるベンチで、鞄を枕に横になる。
とても心地よい。
太陽と、風と、温湿度が最高のバランスでミックスされた感じ。
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その後は当てもなく歩き続け、日も傾き、そろそろ帰ろうかという気持ちがよぎった時に、ダリの作品である彫刻が見えた。
どうやら、サルバドール・ダリの美術館が岩窟住居の跡地に整備されているようだ。
ダリの天邪鬼というべきか、すべてに対する反骨主義の徹底した作品コンセプトに感銘を受ける。
時間の速度は個人の感情や心の景色、触感、聴感、嗅感、立場であったり、周りの環境であったり、すべてに触発されて、まったくもって安定したものではない。不合理、不条理という言葉を久しぶりに目にした気がする。合理的なものと非合理的なものの狭間。不条理は時に災難もあれば、圧倒的な美を生み出す時もある。それを取り持つ合理的な知性といったところであろうか。
また、女性の秘める美しさに対する彫刻表現にも驚嘆した。シュールレアリズムの作家についてはほかにあまり知らないが、コンセプトはとても強い不条理に対するメッセージやイデオロギーを持ち合わせているが、その反面コンセプトと作品自体の一貫性はとても強く感じると思う。これほど説明を聞いて、なるほど、と感じる芸術作品はあまりないと思った。
だいぶ遠くに来ていたのか、帰路がかなり長く感じる。
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旧市街を出ると、新市街との境界沿いの細長い広場に出る。そこを東の端にある宿まで、歩いていく。
途中で突然名前を呼ばれ、誰かと思い振り向いたら、今朝のバーリから来た法律を学ぶ学生カップルであった。どうやら彼らは30分後のバスでバーリへ帰るらしい。一日中誰とも話していなかったからか、珍しくとても話したい気分ではあったが、彼らのバスの時間もあるため、惜しみつつお別れをした。
宿に荷物を置き、寒さに耐えられる服を着込み、夜の街へ再び出かける。
ラビオリを食べる。
量は少ないが、黒トリュフの香りがとてもよい。
旧市街へ再び行き、今朝とは違うルートで歩く。
満月である。
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ふと、隙間風を感じる。
崖沿いの厚さのある石積みの手摺に腰をかけ、崖に足を投げる。
12/24
08:35 Matera → 12:20 Naples
朝起きて、30分程度歩く。
バスを待つ。
ナポリへ向かう。
マテーラは高木と呼べる木々がとても少なく、そのために岩窟住居が発展していったのかもしれないが、西へ向かうにつれて、風景が変化し、木々が増えていく。
太陽の照らす芝に寝そべる牛を見る。
ナポリに昼に到着する。
いつものようにインフォメーションセンターで地図を貰うべく、探すが一向に見つからない。
昼も食べてから宿に行こうかと思っていたが、仕方なく、歩き始める。
街が汚い。
パリ北駅などの治安の悪さと同質の雰囲気を感じる。
足早に歩き続ける。
いつのまにか道幅がとても狭い旧市街へ。
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歩いていると、上の方から名前を呼ぶ声が聞こえる。ユースホステルを利用して、こんなことは今までなかったから正直驚いた。
むしろ、呼んでもらえなかったら入口を見つけられなかった、と後から思う。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
3階に上がり、ジョバンニの家に入る。
70過ぎの小太りな優しいお爺さんといった印象だ。
奥の方で、1人の青年が手作りパスタを、丁寧にトレイの上に並べている。
ジョバンニ曰く、今からこのパスタを茹でて、宿泊している皆んなとランチを食べるという。
もちろんお前も食べるよなと言われ、驚く。
状況が読めない。
奥の青年は誰なのか。
ジョバンニは荷物をとにかくロビーにおいて、キッチンに来いと言う。
バシリーカ州特有の、とてもシンプルなパスタを作ると言う。Stracinati con i peperoni cruchi e mollica と言うパスタのようだ。ドライチリペッパーと乾燥したパン屑を使うガーリックとオリー���オイルの効いた素材の味がわかるパスタ。
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その後、シンガポール人の2人が宿に帰ってきて、さっきパスタを並べていた青年(ブラジル人のジョアオと言うらしい。彼も私の2時間ほど前に到着し、突然パスタ作りを手伝わされたと言う)と、ジョバンニと私のその日宿にいたメンバー全員で出来上がったパスタを頂く。
とても美味しい。
話が弾み、全員の距離がぐっと縮まる。
今日がクリスマスイブであることを忘れていた。
その後、ジョアオとともに、ジョバンニからのナポリレクチャー(とても歴史に対しても話が深く、地理学的な観点から、火山の種類、彫刻芸術、現代建築家の作ったメトロの駅まで話が及ぶが、とにかく話が長い。)を聞く。
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16時前になっていた。
ジョアオとともに街に出る。
ジョバンニお勧めの教会や円形競技場が住宅に変化したところ、地下通路などを探してみるが、どこもクリスマスイブのため閉まっていた。
途中雨が降ってきた。
やたらとジョアオはセルフィを撮っている。
彼からすれば私はやたらと路地を撮っている、と思っただろうか。
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旧市街はどこも開いていないから、海でも見に行こうと言うことになり、海岸沿いの城や広場などを眺めつつ歩く。
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彼とビールを片手に海沿いで飲む。
In to the wildの映画の話で盛り上がる。
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さておき、彼はなんと19歳。私より10歳も若い。political science の中のstates sienceという、地方行政のマネジメント、デモクラシー、それらの歴史を学んでいるという。特に中世が好きらしい。シンガポール人にあとでブラジルの政治は酷いよねとからかわれていたが、そんな事はない、夢のある学問だと思う。
12/25
8:30 Naples → 10:00 Amalfi
アマルフィ着。
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クリスマスなのでナポリにいても仕方がないと思いアマルフィに来たが、ここもほぼ閉まっている。
一件だけ海岸沿いに開店しているカフェを見つける。
とりあえずエスプレッソ。
海と崖と集落の奏でる光景が素晴らしい。
1時間ほど座りながら景色を眺める。
ガラガラだった周りの席も、客で賑わいを見せる。そろそろかと思い、立ち上がる。
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クリスマスで唯一開いているのは教会。アラブシシリア様式の縞模様の入った列柱廊のある大聖堂に繋がる大階段を登る。
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天気が良い。
太陽がクリスマスを祝福している。
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教会に入るとミサの最中であった。
アルベロベッロの経験でクリスマスミサの流れや、お祈りの仕方なども分かっていたので、参加する事にした。
特に隣の人々と握手をして、隣人を愛し助け合うことを確認することがとても良い。
太陽の差し込む礼拝堂と、とても美しい歌声に、本当に自分でも驚いたが、涙が止まらなかった。
ハンカチで顔をふく姿が周りの人々には不思議だったかも知れないが、感動したのだから仕方がない。
ミサの後、街に出た。
観光客の姿が朝よりも増えている。朝閉まっていた店もぽつぽつと開いていた。2割弱の開店率といったところか。
中央通りを登っていくと紙に関する美術館があるとの情報を得たので登っていくが、見当たらず。当然のように閉まっていて見つけられなかっただけなのか。
その代わり、その道を登り続け、途中から獣道に変わる。
渓谷が深くなってゆく。
地元の人がBBQをした跡などがあったが、基本山道で枝を避けながら進んでいく。
渓谷の反対側は陽があたり、レモン畑が傾斜地に並んでいる。
どうにか反対側へ行く事はできないかと思い、渡れる橋を探すが見当たらない。
まっすぐ行くと、唯一昔の水道橋のような廃墟が現る。入口手前まで歩いて行ったが、昼にも関わらず、先が見えない暗闇。
仕方なく引き返す事にする。
アマルフィの街は、渓谷の中央に車が一台通れるくらいの幅の一本の道が海岸まで貫通していて、基本的にその道沿いに商店や薬局、クリニック、教会、ホテルなど小さいながらに隣りあいながら並んでいる印象だ。その道から一つ脇に入ると渓谷の両側に登るような感じで入り組んだ階段状の通路が張り巡らされている。通路の幅は人1人が歩ける程度なので80センチくらいだろうか、すれ違うのは肩を傾けなければいけない。とにかくこの通路が面白い。階段を登っては等高線に並行に歩き、また登る、を繰り返す。陽が当たるところもあれば、洞窟状に家々の下をくぐり抜けるものもある。
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どのくらい登っただろうか、階段の両脇は家や高い壁で囲われているので、自分のいる場所を把握するのが難しい。
谷側の廃墟の壁の柵状の開口部から、明るく漏れる光があった。
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覗くと廃墟の中には陽が溢れんばかりに入り込み、青々と茂る草の上に寝そべる一匹の猫がいた。最初警戒していたが、やがて堂々と再び寝そべりこちらを眺める。こちらも優しく見つめ返す。
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猫を側に、頭をあげて目の前を見ると、廃墟の谷側の壁は崩れほぼ在らず、アマルフィ全体の街並みが見渡せた。
先程のクリスマスミサを受けた教会やその塔も見える。渓谷の反対側の家々もよく見渡せる。
足元にはレモン畑も広がっている。
そこからは素晴らしい景色が続いていて、等高線状に歩みを進める。
テラスがあり、そこの手摺に腰掛ける。
誰も来ない。
洗濯物を干しているおばさんが家の中の誰かと話をしている。
犬が吠える。
猫が足元のレモン畑をこっそりと通り抜ける。
波の音がざわざわと耳に届く。
すべての音が陽の光と調和しているように感じる。
傾斜地の家々が開けている狭い通路をそれらの音が風に乗って通り抜けてくるかのような感触。
もちろん陽で暖められた風の音だから、気温は寒いが暖かく感じる。
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夕日が沈み、中央広場に行く。
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16:45 Amalfi → 18:15 Naples
待ち合わせ時間の15分前に運転手が来ていた。
礼をいい、ナポリまで乗せてもらう。
途中アマルフィ側では沈んでいたように見えた太陽が山を越えると、まだそこにいて、ナポリの街を紅く照らしていた。
ヴェスーヴィオ火山の稜線が綺麗に浮かび上がっていた。
尾根と谷側をぐるぐると回りながら降りていくので、同じ景色を微妙な高さの違いと、刻一刻と太陽が下がっていく時の変��を感じながら降りるのが面白い。
STAY@ Naples “Giovanni's Home”
ナポリの中央駅で降ろしてもらい、宿まで30分ほど歩いて帰ると、パスタ(ペンネアラビアータ)を全員分の量をまとめて料���している最中だった。
宿泊する人が昨日の3人から6人に増えている。
全員男。
バーリで農業を学ぶイラン人、アメリカ人、耳の聞こえないフィンランド人だった。
夕食は筆談で盛り上がり、さすがアメリカ人はデリカシーないこともずばすば聞くんだなと、思いながらも夜は更けた。
普段はお酒が禁止なホステルだが、今日はクリスマスだからと、解禁してみんなで瓶ビールを開けた。
即席の旅のチームを結成し、明日のポンペイ日帰り計画の予定を立てている。どうやらみんなは明日7:30の列車に乗るらしい。早起きなのにこの時間まで起きていて大丈夫か。
私はすでに別行程で予約を取っていたので、フィンランド人と筆談を続ける。
12/26
朝10:20のバスだったので、8時頃には宿を出て、ナポリの街を散策することにした。
朝起きた時には即席チームメンバーの姿はなかったので、無事起きれたのであろう。
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8時半からカペラ・サンセベッロがオープンするということなので、行ってみた。
噂には聞いていたが、とても地味な路地裏にチケット売り場と入口がある。
フリーメイソンの集会所としての教会でもあったらしい。
路地裏に着くとまだ10分くらい時間があったので、周辺をふらついていると、お馴染みのペペロンキーホルダーを大量に持ったおじいさんがいたので、五つお土産用に購入することにした。
ペペロン=チリペッパーはナポリの特産品であることを、ここに来て初めて知った。
カペラ・サンセベッロに入ると、教会としてはかなり小振りな側廊もなく、長方形の中廊のみがある小さな空間であったが、中は至極の彫刻であふれていた。時間を忘れて作品の前に立ち尽くす。
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他にナポリでは古代地下通路なども見てみたかったが、時間が無いため諦める。
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Half day Pompeii tour from 10:20
ポンペイ着。
ギリシャ人達がクリスチャンニズム以前に神達を祀っていた神殿がバシリカといい、それがローマ人によって教会として使われるようになったという話を聞く。
他にも2度のヴェスーヴィオ火山の噴火の話、2万人いた都市の4千人しか遺体が見つかっていない話、都市の1/3は未だ地中に眠っていること、ローマ人の円形劇場の一日の使い方、パン窯がシェルター兼保存食置場になっていたこと、ローマ人は朝7時から13時までの6時間しか働かず、その中に1時間の昼食時間が含まれており、ロバの馬車で渋滞を作りながら、商店のカウンターに並んだ話、商店の昼食のテイクアウト皿はパンで出来ていて、それを奴隷達に食べ終わった後に与えていてそれがピザになったのでは説の話、仕事が終わるとスパに並び、風呂に入り家に帰っていた話、風呂場のトイレのお尻を拭くスポンジは一つしかなく、遅くいくと他の人が使ったやつで尻を拭かなければいけないことからsomeone’s spongeということわざができた話、下水処理設備が無かったため、道路の車道を垂れ流しで、膝高さ程度の歩道が整備されて道を渡るときは飛び石が使われていた話、その飛び石はロバ二匹に馬車を引かせていて120センチの車輪幅でそれが今でもヨーロッパの鉄道規格として使われている話、娼婦館のレッドライトの起源の話など、いろいろ驚くべき話を英語フランス語スペイン語を使い分けるガイドから聞き、ポンペイで半日過ごす。
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フロリダに家族を置いて一人旅をしているお爺ちゃんのジョンと仲良くなる。
ジョンが奥さんにハート型のお土産を買っている。
ナポリに到着。
PLPで同僚のマリアと15時に海岸沿いのピザ屋で待ち合わせ。
時間通りに着くが、一向に現れず。
30分ほど待ち、仕方がないので道行く子供連れのピンク色のダウンジャケットを着たお母さんに、iPhoneのネットワークをシェアしてもらい、WhatsAppでマリアに連絡する。
どうやら車で来ており、駐車場が激混みで見つからないとのこと。
マリア到着。
まだ駐車場が見つからないらしい。
車に移動。
マリアの妹のリザが助手席に座っている。
リザめちゃくちゃ美人。
2人ともナポリ生まれで、クリスマスに合わせ実家に帰省しているとのこと。
リザはマドリードでエクスペディアでイタリア担当の企画マネジメントをしているらしい。
ファッションも好きで、将来は自主ブランドを立ち上げたいらしい。確かにオシャレ。
車を止めて、ピザ屋を探す。
当初の行こうとしていた店はすでにいっぱい。
ウェイティングリストも一杯で名前をかけないほどの人気店。
仕方なく、3人で海沿いを歩く。
雲ひとつない快晴の天気だ。
時間は4時を回り、太陽はすでに夕日と呼べるほど空を紅く染めている。
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リザが足を止め、店のウェイターに声をかける。
他にも列を作り並んでいる客がいるにも関わらず、即座にテラスの座席に案内してくれる。
これが美人の力か。
男一人旅にはありえない光景を目の当たりにする。
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マリアが赤ワイン大好きなので、MOIO57(モイオ チンクエットセッタ)という赤をボトルで頼む。
運転大丈夫?と聞きつつ、イタリアはいいのよ、と自慢気。
ダメだろ、と思いつつ聞き流す。
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ここまでパスタしか食べておらず(ラビオリ、ストラッシナーティ、パスタグリル、タッリアテッレ、ペンネアラビアータ、トルティーニといった感じ)、ようやくピザを食べることができた。
1人ひとつづつ注文し、みんなで分ける。
3時に遅い昼飯をブランチ的に食べようと言っていたのが、もはや夜飯も兼ねることに。
定番のマルゲリータは最高。
シシリアーナピザは旧シチリア王国の南イタリアならではのピザで、マルゲリータと同じトマトベースだが、茄子や諸々地域の野菜が使われていて美味。
そしてホワイトベースのサルシッチャ&フリィアリエーリ パンナ プロスキュート エ マイスは、リザの好物らしく、スパイシーなソーセージと青物の葉とチーズが相まってとても美味しい。
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そのあと店を変えて、リモンチェッロを3つ食後酒としてみんなで飲んで、お別れ。
バスの出発時刻に遅れそうで走ることになったが、なんとか間に合いローマ行きのバスに乗る。
21:00 Naples → 23:30 Rome
ローマ23:30着。
バスターミナルなのでタクシーなども見当たらず、ローカルバスもこの時間だけに止まっている。宿までの地図も分からず、仕方なしにターミナルの誘導員の黄色いジャケットを着たおじさんに、タクシー乗り場知らないかと聞いてみると、まってろといい、バスターミナル外の柵側の暗闇にひたすら誰かの名前を呼び続ける。
そういうシステムか、と思いつつ、暗闇から現れたタクシーもどき運ちゃんらしき人を紹介される。
まぁ他に手段がないから仕方ないと思い、値段と行き先を交渉する。一応値切り交渉は成功。
英語があまり喋れないらしく、なぜかフランス語で道中会話。ローマの治安情報や、ローカルバスの乗り方や、オススメのレストランなどを聞く。
宿に到着。
STAY@ Rome “The Yellow”
イエローホステルは受付ロビーと宿泊部屋、バー、などが普通の二車線道路を向かい側に挟んで、道路やテラス席などを取り囲むように構成されている。
先程まで暗く治安が悪そうに感じたローマの街がこの道の中央の一画だけ明るくかつWi-fiも飛び、人で溢れ、とても安全に感じた。
6人部屋の二段ベットの下に荷物を置き、バーで1人IPAを飲みながら、明日の飛行機までの時間とルートを考える。
プライベートな悩みも相まってすこし孤独モード。
周りはパーティらしく、おそらく知らない人同士が出会い話し盛り上がっているが、混ざる気になれず、地図を眺める。
1時半に就寝。
12/27 
8時前にチェックアウトをし、荷物を預け街に出る。
道端の地元民が行きそうなカフェでエスプレッソを飲む。
パンテオンに向かう。
30分程度の道のりを50分程度かけて歩く。
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途中トレビの泉をたまたま通り過ぎたが、朝にもかかわらず、観光客が中央でセルフィーを撮らんと押し合いしている。
昔は泉の水の循環システムってどうしていたんだろうか、などぶつぶつ考えながら通り過ぎる。
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パンテオン着。
9時開館と書いてあったが、すでに開いている。
人少なめ。
1時間以上滞在する。
太陽の動きを見る。
想像していたよりスケールがとても大きく感じた。
重機ない時代にどうやって施工したんだろうか。
そして幾何学の床モチーフ含め、厳格な構成美を体感する。
あとで帰り道にもまた来よう、陽の光がどう動いているのか確かめようと思い、パンテオンを出る。
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人通りの少ない裏路地やノヴァ広場、駐車場などを抜けて、エンジェル橋を渡りながらバチカンに到着。
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サン・ピエトロ広場は確かに大きいが思っていたよりもヒューマンスケールよりかな、と感じつつ列に並ぶ。
途中のインド人らしき自称ガイドが、列に並ぶと数時間入れないけど、ガイドツアーチケット(75€)買えば並ばずに入れるよ、と言っていて胡散臭いなと思っていたが、案の定、何のことない30分ほど並べばセキュリティゲートに着き、無料で入れるではないか。
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並んでいる途中、そのチケットを買ったであろう人が列を抜かして行ったが、セキュリティゲートの手前で止められて結局並ばされていた。詐欺なのか。騙されなくて良かった&よく教皇のいるバチカンの目の前で詐欺ができるもんだ、と感心しながら並ぶ。
広場と反対に教会の建物自体は若干のオーバースケール感を感じた。ただ中の光の取り入れ方は計算され尽くしているように感じ、来場者が神秘性を感じるように光の移動と芸術品の配置や側廊のリズムなどが決められているように感じた。
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ただアマルフィで感じたような涙は出なかった。権力的な威圧感も同時に感じたからだろうか。
建築が言葉なくも語りかける空間の性格みたいなものに、この旅の中で敏感になっているように感じた。
クーポラに登る。
ひたすら螺旋階段をあがり、最上部に到着。サン・ピエトロ広場だけでなく、ローマ全体が見渡せる。素晴らしい都市軸。
すべての道はローマに通ずという言葉があるけど、正確にはローマのどこを目指しているのだろう、バチカンか、でもそうも見えなかったなぁ、などとぶつぶつ言いながら螺旋階段を降りる。
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帰り道パンテオンに立ち寄る。
正午過ぎの光。
奥まで入り込んでいたが、不思議なことに、朝よりも全体が暗く感じた。
なぜだろうか。
コントラストを強く表現して、神秘性を高める効果を狙っているのだろうか。
ちなみに中央の屋根のガラスはもともとガラスだったのだろうか、勉強不足だからあとで調べよう、などと思いつつ宿へ荷物を取りに帰る。
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昼食をとりつつ、空港までのバスを待つ。ローマはFCO空港まで1時間ほどかかる。
遠いいが、国際線なので早めに到着。
18:00 Rome FCO → 20:40 Croatia ZAG
STAY@ Zagreb “Hotel Central”
クロアチアの首都ザグレブに着��。
22時前にホテルに着き、MJS同���2人と待ち合わせ。
3人で夜の広場を巡る。
三ヶ月振りの再会で、近況を話し合う。
やはり楽しい。
12/28 Zagreb
朝からマーケットや旧市街を巡る。チェッダーチーズというヨーグルトを固めたようなチーズが有名らしく、同じ商品を10人くらいのお爺さんお婆さんがそれぞれ違う屋台を出して、売っている。買う人はどこを選べばいいのやら。
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クロアチアの伝統料理を食す。サルマという名のロールキャベツうまし。
チーズと薄肉ポークのハムカツにチェッダーチーズをすこし付けて食べる料理もうまし。まさにハムカツだよね、といって盛り上がる。
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午後4時のバスでプリトヴィッツェ国立公園へ向かう。
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12/29 Plitvice Lake,  Dubrovnik
朝8時15分に宿の主人に車で国立公園第二入口まで送ってもらう。
5時間歩く。
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虹鱒の唐揚げが有名らしいが、食べることができなかった。
ザグレブ経由で、ドブロブニクへ向かう。
ドブロブニクの宿23時着。
夜の城壁で囲われた街を散策。
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12/30 
朝、日の出を海岸沿いから眺める。
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カフェで朝食を食べ、城壁を巡る。
一周するのに約2時間。天然の要塞と人工の石積みと自然の美しさを兼ね備える素晴らしい都市である。
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その後ロープウェイで山頂まで登り全体を見渡す。
クロアチアの国旗が快晴の空をはためいている。
旅もここまで。
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ドブロブニク特有の海鮮料理をみんなで食し、お別れ。
次会うのは9ヶ月後になるか。
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後ろ髪引かれる思いの中、空港へ向かう。
ロンドンへ向かう。
16:30 DBV → 20:45 LHR
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