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#萬字醤油屋本店
masanpo-biyori · 1 year
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. #萬字醤油屋本店 で #ちゃーはんセット  #サンピアザ で うちの社長と二人で #ランチ となると高確率でここ! 安定の旨さと納得のボリューム おばちゃん達の優しさもいい! また来ちゃうんだろなw #マサランチ #まさんぽ日和  #人生は予算オーバー #楽しく飲ろうぜ #北海道ランチ #おっさんぽ #夜のまさんぽ (萬字醤油屋本店 サンピアザ店) https://www.instagram.com/p/CneUuYSJ9Ab/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 2 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
……………………………………………………………… 令和3年11月と12月 立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
御会式太鼓の響き寺小春 ただし 神々し雪の白山神還る 同 一夜にて大樹痩せるや神渡し 輝一 近松忌マスクの下の紅濃ゆく 清女 近松忌重ね重ねて木の葉髪 同 冬銀河せせらぐ音の聞こゆ宿 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月5日 立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
煩悩の奥に仄めく除夜の鐘 世詩明 冬めけるものの一つに乱れ髪 同 越前の水仙海岸風岬 同 風立つや母は幼くなりにけり 同 篝火の参道険し除夜詣 ただし 初夢や虎が千里を駆けめぐる 同 枯菊の土の堅さの極まりて 同 雨降りし雲間に鳩や雀どち 清女 鐘の音に百五十人初諷経 同 皸の手に教本の修行僧 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月6日 うづら三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
幼き日姉妹一律お年玉 由季子 初明り古希半ばにも皓々と 同 人混みに雑念ばかり初詣 さとみ 初仕事揃ひそろりと店の番 同 のど飴を一つふふみて冬の道 都 恐ろしや今宵の予報雪女郎 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月8日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
二人居の軋む廊下や寒に入る 百合子 冬の鳥餌ある小枝あやまたず 美枝子 減りてまた増える家族や雑煮椀 三無 鉦の音に紅濃ゆく照る実万両 同 母偲ぶ味に近づく雑煮かな 瑞枝 二日目は妻の故郷の雑煮かな 秋尚 初句会目出度き菓子も添へられて 和代 寒の入り俯きて歩す寺の猫 美枝子 初句会遥か中子師としあつ師 ゆう子 寒雀陽子の墓碑に集ひ来ぬ 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月8日 零の会
坊城俊樹選 特選句
人日の真昼ひとりの神谷バー 久 ロック座の淑気まみれの昼の闇 順子 頰垂れし観音の背の冬日かな 小鳥 おとつひの雪の骸を蹴り上ぐる 久 並ぶ列間口小さく冬灯し 三郎 今半の香り留めて鳥総松 三郎 喰積に飽きて六区の立飲みに はるか
岡田順子選 特選句
寒手水鉢に中村萬之助 佑天 厳寒の六区を歩く有頂天 小鳥 寒鴉きて鴟尾の屋根歌ふなり 俊樹 白息の俥夫は晴着の女引く きみよ 松過ぎのすき焼屋へと別嬪も 俊樹 恵方より白き鳥舞ふ隅田川 はるか 観音へ祈りあえかに雪女郎 眞理子 人日の真昼ひとりの神谷バー 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月10日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
寒雀空をすぼめて帰りけり 世詩明 初詣磴の􄼪にある情け みす枝 雪が来て滑る都の大騒ぎ 三四郎 難解な軸の字にある淑気かな 上嶋昭子 駅伝の歩幅の広し息白し みす枝 どんど火に古き句帳を投げ入るる 信子 去年今年零時貫く目出たさよ 三四郎 鍛冶始主従の音に跳ぶ火花 みす枝 凍蝶に動くもの皆影を曳く ただし 菓子屋の灯交番の灯やクリスマス 上嶋昭子 寝正月すればと夫に言はれても 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月10日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
寒暁や鳥の鳴く声透き通る 史空 薔薇色の富士燦然と初御空 美貴 初雪や音も気配も葉に積もる 迪子 初刷や届きし記事に暗き影 エイ子 大鳥居仰ぎ淑気の只中に 三無 梢より初日の温みとどきをり ます江 若水を存分に汲み気の溢る 貴薫 ひとり居のくぐもる声や初電話 美貴 方寸の一人の居にも初日満つ 怜 デイの朝御慶の挨拶一としきり 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月11日 萩花鳥句会
回遊の初鯉に餌を恵みけり 祐子 元気かとやはらかき筆初便 美恵子 越すや直ぐ離縁家庭の寒灯下 健雄 初寅や父の辿りしけもの道 吉之 元旦や厨に火入れす男の手 陽子 虎年の吾と息子と年迎ふ ゆかり 初便みんな余生のことばかり 克弘
………………………………………………………………
令和4年1月13日 花鳥さゞれ会
坊城俊樹選 特選句
旅終へし如く置く筆去年今年 雪 様々な寒���重ねてゐる故山 かづを 若衆も花札も古り小正月 匠 神慮秘し清しかりける初鴉 数幸 此の出刃で鱈をさばきし妣のこと 清女 碧空に白雲一つ淑気満つ 啓子 境内を静に浄め寒の雨 希 雪傘にかくれし女薄化粧 天空 合掌し春待つ石の仏たち 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月14日 さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
一切のスイッチを押し初仕事 登美子 ラッセル車がうがう唸る午前五時 裕子 弾初の駅のピアノの美美しけり 登美子 冬の日の部屋深くまで届くかな 紀子 旭日と餅花ゆらぐ床として 令子 初旅を終へていつもの歩幅かな 登美子 初御空いろんな鳥の生き生きと 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月14日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
初雪や朝刊だけの靴の跡 悦子 霜の刃を踏みてナースの夜勤明 悦子 知らぬ間に上座にゐたり嫁が君 益恵 雪しまくぐつと地軸を傾がせて 都 盤屈の松に響かせ初太鼓 宇太郎 押し車引きつ若菜を摘みにけり すみ子 寒鴉降りて野の黙深くなる 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月16日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
寒菊を供へよその名隠すまで 和子 逆光の毛帽子二人戻り来る 和子 寒晴の少しづつ伸ぶ女坂 慶月 寒菊の色とりどりを抱く地蔵 和子 裏門を固く鎖して冬薔薇 久 歪なるまま土を上げ霜柱 貴薫 綿虫を連れて一山参りたる 和子 隠れゐし青女とらふる山日かな 千種 ゆつくりと天を目指してゐる冬芽 久 おほどかに傾ぐ石仏冬ぬくし 和子 悴める指先包む手のありて 貴薫 蝋梅の香に絡まれて石仏 三無 満目の凍て山陰の黝し 千種
栗林圭魚選 特選句
梅探る退くに退けざる道となり 千種 何もない空に富士嵌め寒の晴 秋尚 つと掴む霜の手摺りや昇り坂 久子 裏門を固く鎖して冬薔薇 久 綿虫を連れて一山参りたる 和子 笹鳴や我が影長く落す坂 久子 隠れゐし青女とらふる山日かな 千種 城跡のことども語る榾火守 兎生
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月19日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
児雷也の蟇踏んまへし飾り凧 雪 水仙がお負けに付いてゐやうとは 同 初夢に一喝されし声の主 同 大晦日夫の長湯につき合はず 和子 どんどの火大切なもの燃やしをり 令子 生涯を黒子に徹し去年今年 清女 お降りに笏谷石の青極む 笑子 家族にも姿勢正して御慶述ぶ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月 九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
吾に触るる汝は盲や冬の蝶 桂 鬼太郎も旅人なりし冬銀河 喜和 モンローの丸き唇寒の紅 吉田睦子 凍蝶を包む此の世の光かな ひとみ 産院へ陽は柔らかく小豆粥 かおり 古井戸に凍蝶の空あると云ふ 同 寒月の野良となりたる猫の上 光子 誰が鳴らす阿蘇の谷間に鐘冴ゆる 千代 初鴉黒きを誇り羽撃けり 同 初旅や臣虚子の碑に見えんと 古賀睦子 日に怒り月に吼えたる冬の海 同 寒卵神の光のごと生る 同 寒夕焼的なき海に石を投ぐ 由紀子 避雷針の光寒鴉の孤高 勝利 スカーフに包む土耳古の冬日差 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年1月30日 花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
��屯の鳥居は冬を支へきる 月惑 鰹木に千木に淑気の名残かな 要 冬ざるる空に父待つ母子像 て津子 十字架もアンテナも春待つ空に 要 日溜まりにふくらむ少女竜の玉 順子 寒き坂無音の貌とすれ違ふ 順子 冬帝と交はらぬまま鳥空へ 和子
岡田順子選 特選句
鰹木に千木に淑気の名残かな 要 さまざまな蓮を弔ふ枯蓮 俊樹 靖国へ旅の名残の雪沓で はるか 煮凝を仕込むひとりのミサの夜 俊樹 弟はいちごの絵なり凧揚ぐる 千種 薄氷を纏へば錦鯉となり 俊樹 水仙を手向けて若き友送り 美明 冬帝と交はらぬまま鳥空へ 和子
栗林圭魚選 特選句
枯蓮の水の深きへビル刺さる 千種 竜の玉探る物欲しさうな指 千種 凍濠のみしりともせぬ渕昏し 俊樹 寒鯉や神池の底に穢れなく 月惑 裏庭の秘め事めける梅見かな 千種 リノリウムの廊下濡らしてゐる冬灯 和子 寒卵子金の口より醤油さす 千種 寒き坂無音の貌とすれ違ふ 順子
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geniusbeach · 6 years
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海南島記
一日目
海南の空は螺鈿色に湿っていた。私が海口(ハイコウ)に到着したのは夕暮れ時で、それは街が最も騒がしくなる時間帯であった。空港から延びる道路にはわずかの隙間も空けずに車が並び、クラクションがひっきりなしに鳴らされる。私が乗る車も同様、運転手がそれに負けじと鳴らす、詰める、怒鳴る。その横を、日本で言う「原付」型の電動自転車が列をなして通り過ぎ、屋台では店番の女が電話に向かって何事か喚き散らす。笠を被って自転車に乗る果物売り、地べたに座り込む男たち、商店の前で遊ぶ子ら、通りを行き交う人々、その生活のすべてが喧騒に満ちていた。ただ、亜熱帯特有のねっとりとした甘ったるい空気と、何とも言えない暖色の空がそれらを包み込むことで、雑多な街にも不思議な円みがあった。
渋滞とともにのろのろと市街中心部へ移動し、ホテルにチェックインする。その後レストランで夕食だ。円卓でイノブタ、ハト、ガチョウ、アヒル、空心菜、牡蠣、麺など様々な中華料理を食べた。アヒルが一番うまかった。小ぶりな茶碗に入った白飯は日本のものと大差なかったが、箸は先が尖っておらず、さながら細い木の棒のようだった。たらふく食べた後はしばし町をぶらついた。ぎらつくネオンが私の目を刺す。やはり中国だ。見慣れない漢字が多く、一部は読めるが発音ができない。サービスセンターを意味する「服務中心」など、簡単なものだけわかった。まるでパラレルワールドに迷い込んだかのような感覚に陥る。幹線道路沿いを歩いていったが、ほとんどの店が夜遅くまで開いていた。というより、商売っ気がなく売れないので、起きている間中開けているというべきか。店内の黄色がかった薄暗さは、ちょうどそこで働く人の肌の色に似ていた。なんとなく遠い昔を思わせるような、谷崎潤一郎が言うところの「玉(ぎょく)」の色だろうか。その前を電動自転車が歩道も車道も関係なく我が物顔で走り回る。さらに逆走もする。無音なので普通に危ない。そういえば昼間には子供が三人乗りしていた。もちろんバイクも走ってはいるが、それに比べて数が少ない。この電動自転車の普及のせいで、島民の肥満化も問題になっているとか。
ホテルに戻った。ナントカ大酒店という名前だ。中国のホテルは飲食屋でもないのに「飯店」とか「酒店」とかいう。食事は「菜」というそうだ。部屋はかなり広かった。バスルームも綺麗だ。そのぶん値段も高いが。煙草を吸ってから、中に置いてあった「椰树」という名のかすかに甘いミネラルウォーターを口に含み、バスローブにくるまって寝た。
二日目
ホテルの朝食はバイキング形式だった。色々食べたが、フォーのような麺が一番気に入った。言えばその場で茹でてくれる。パクチーやピーナッツ、味噌、細切り肉を入れて食べるのだが、うまいので2回もおかわりした。この日は会合に陪席してから、レクチャーの記録写真撮影を行った。同行者、というよりも随行させていただいている方々とともに壇上で紹介されたのは想定外で、分不相応の扱いに緊張をする。昼飯を済ませ、会議を継続。仕事を終え、地域の様子を見に行く。巨大なアパートの共用部分で麻雀やおしゃべりに興じる老人たち。なかなか活気があった。しばらく歩き、萬緑園という緑地公園へ。民主・富強・文明・和谐・自由……というスローガンが書かれた看板や文字のモニュメントを道中のあちこちで見かけた。主張が強い。道には、おそらく春節用に建てられた大きなオブジェが打ち捨てられていた。赤地に黄色い文字。読めそうで読めない。張りぼてがむき出しになっている。そこには何か私を強く惹きつけるものがあった。置いてけぼりになるのも構わず、しばらくじっと眺めていた。そしてふと周りを見渡せば、街中の色んなものが赤かった。共産主義社会を肌で感じた午後だ。
夕食を取るため、小さな島に渡る。めちゃくちゃに広いレストランだった。歓迎会などというやさしい表現で済めばよかったのだが、やはり例によって白酒の洗礼を受けることに。乾杯の発声と同時に全員のショットグラスが空になる。一瞬、咽喉が焼けるように熱くなるが、後味に不思議な爽やかさがある。乾杯はこれで終わりではない。今度は全員の席を回り、向こうは歓迎の挨拶代わりに、こちらは謝意を込めて一杯また一杯と飲み干す。そして、隣り合った人々とはこれを気の済むまで繰り返し、会話の折々に煙草を勧め合うのだ。私は下戸なのでこの儀式にはほとほと参ったが、なんとか六~七杯で勘弁してもらい、青島啤酒に切り替えて難を逃れた(逃れてない)。そうして一息入れようと、もらった煙草に火を付けた。フィルターには「珍品」と書かれていた。
ちなみに、こちらでは食事の初め、各々の小皿に醤油を注ぎ、輪切りの唐辛子、パクチー、刻んだニンニクを入れ、金柑のような小さい柑橘類を搾って好みの調味料をつくる。味の足りないものはそれで補うのだ。ウズラのまる茹でやら海藻入りのすっぱいスープやら、ヤギ、豚、鶏、特産のピーナッツ等が出てきた。全部うまかったが、酒を飲んで以降は味もヘッタクレもなかった。赤くなった私の顔を見て、皆は���きりにスープを飲めと言った。帰りのことは良く覚えていない。とにかく酔っていた。日本人には酒が飲めない人が多いらしいね?と聞かれ、それは私だと返す。白酒はきついが花のような香りがしたと言うと褒められた。ホテルに戻って「中華」という煙草を買い、部屋で吸った。うまくはないが、旅行中はこれで足りるだろう。腹が膨れて苦しかったが、落ち着くために茶を一杯飲んで寝た。
旅について思う。自分をポケットに入れて旅に出る。旅する身体には普段とは違った意識が宿る。というのも、見知らぬ土地を歩く時、 人は積極的に自身の位置を探ることで、次なる一歩、それもその場において適切な一歩を踏まねばならないからだ。個人的な目的を設定し、それを達成するために地図を広げ、標識を読み、道を尋ね、馴染みのない言語文化に全身を投じて彷徨う。それはまだ見ぬ自分への巡礼なのだ。……
三日目
朝に海南島の田舎、澄萬(チェンマイ)に移動。昼から飲むことに。横に座った男がやたらと酒を勧めてきたが、聞けば現地の医者だという。飲めないという言い訳はなぜか通じない。野郎ばかりの狭くむさくるしい部屋で豚とヤギの鍋をつついた。あまりに大量の肉。山ほどパクチーを食べ、ビールも飲んだ。途中、福山(フーシャン)珈琲に立ち寄ってブレイク。コンデンスミルクを大量に入れて飲むのが東南アジア流だ。少々粉っぽく、八ツ橋のような味がした。亜熱帯気候の海南は日中ずっと暑いので、昼休みが2時間半ほどもあるらしい。そのせいか、福山珈琲館にいた客はしばしの休憩でくつろいでいると言うよりも、椅子の上にグダーっと伸びてひたすらダラダラしている印象を受けた。
ここの環境は良い意味で適当で大らかだ。どこでもタバコが吸えたり、店員がお釣りをちょろまかしたり、交通警官が飲酒運転を黙認していたり、原付が歩道を走っていたり、日本で生活している自分からするとありえないことが多い。しかし、人々は皆楽しそうで、私自身も日本のように気疲れすることは少なかったように思う。なんというか、町中に散らばった漢字の看板も相まって、そこには古き良き時代という言葉がぴったりな気がした。人々と同じように、ほんの少しだけ歩く速度をゆるめるだけで、普段とは違った景色や時間の流れを味わえることに気づく。せかせかした日々を送る私たちだが、ふと立ち止まって空を見上げたり、仕事中でも遠くの緑を眺めたりしてみるといいのかもしれない。忙しくとも気持ちだけはゆっくりいこう。
次の目的地までの移動中トイレに立ち寄ったが、小便器の前にはこう書かれていた。「向前一小歩 文明一大歩」。世界中どこでもメッセージは同じなのだ。ちなみにこちらのトイレでは紙を流してはいけないことになっている。簡単に詰まるからだ。使用済みのものは目の前のくずかごに入れる。紙がない場合、シャワーヘッドが壁にかかっていることがあるが、言わずもがなそれで洗えという意味だ。そして、紙もシャワーもない場合は、単に絶望だ。一度そういうトイレに遭遇したが、同行者からティッシュをもらって助かった。日頃からカミに感謝しよう。
昼過ぎに、福山近くの黄竹村へ。家々の扉には旧正月の名残で倒福がかかっていた。家の前でおしゃべりをする高齢の女性たち。子供もおり、のどかな雰囲気だった。しばしの滞在の後、海南島の最高峰である五指山近くの町へ向かう。午後四時。運転手が中華ポップをガンガンかけながら飛ばすので車内からは悲鳴に近い声が上がったそうだが、私は心地よく眠っていたので知らない。目を覚ますと山道に入るところだった。道幅が狭くなるものの、相変わらず運転は荒い。と、右前方の道端で巨大なタンクローリーが横倒しになっているのが見えた。崖がごっそりとえぐれており、デペイズマンかと思うほどすごい絵だった。警察はまだおらず、運転手と見られる男が乗員とともに困り果てた顔をしていた。これは大事故だ。と思う間もなく、私たちはビュンと通り過ぎた。運転手はあまり驚いていなかった。きっと日常茶飯なのだろう。私たちは無事に山を越えられるだろうか。
日が暮れてきた。相変わらずくねくねとした山道だが、車同士が容赦ないスピードですれ違う。出発から二時間が経とうとしていた。さっきから少し車のスピードが落ちてきたように思う。安全運転にシフトチェンジしたのかと安心するも、何か変な音がすると運転手が言い出す。確かに坂続きで馬力がなくなってきているようだ。そうこうするうちにヘッドライトの先だけが道となり、不安を抱えたまま夜へと乗り入れる。なんとかなるだろうと思っていたものの、いよいよ異音が大きくなる。そうして急カーブに差し掛かったところで、車は静かに止まった。一度降りて様子を見るのかと思いきや、最初の悪い予感が的中する。どうやら故障したようだ。同乗者がすぐに助けを呼んでくれたが、町からは相当な距離がある。途方にくれた。とりあえずあたりの木の枝を折って車の周辺に置くことで停止表示板の代わりにし、安全確保のため路肩に避難する。蚊がぶんぶんとうるさい。聞けば、ここらへんの蚊は昔マラリアを持っていたらしい。今ではもう終息したそうだが、やはり気は抜けない。手を振り回したり、煙草を吸って身体に吹きかけたり、タイガーバームを塗ったりした。そんな絶望的状況から約一時間半後に救援車が到着。なんとか闇のジャングルから脱することができたが、運転手はレッカーを待たねばならない。後から聞けば、彼が帰着できたのは午前零時を超えてからだったそうだ。
さて、私たちが五指山麓の町に着いたころには午後九時を回っていた。出発してからざっと五時間以上かかったことになる。ホテルにチェックインして部屋のカードキーを受け取ったが、錠の反応がなかった。フロントで入れない旨を伝えようとしたが、スタッフは困った顔をしている。仕方なく紙とペンで偽中国語筆談を試みようとしたところ、英語の通じるスタッフが一人いたのでなんとか解決できた。こちらではほとんど英語が通じない上に、たいてい中国人と勘違いされるせいで怪訝な顔をされる。海外からの観光客が少ないせいか。
レストランで遅い夕食を取る。ここでもやはり白酒だ。終わることのない乾杯に、謝謝!と杯で応える。もうどうにでもなれといった感じだ。だがやはり途中で青島に変え、限界がきたので最後には茶を飲んでいた。薬酒のような茶色い酒も飲んだが、口に合わなかった。料理は、薄いオムレツ、ヤギ、鶏、菜心、ピーナッツなどが出た。炒め物を口にした時、ゴリッという音がしたので出してみると、それは鶏の頭だった。くちばしも付いている。トサカだけ噛みちぎって食べた。脂っぽい。食べられるものは何でも食べるんだなと思った。こちらに来てからは毎食、食べきれないほどの量で料理が出てくる。残すのは嫌なので無理にでも詰め込もうとしたが胃袋には限界というものがある。食後にしゃっくりが止まらなくなった私に、同行者は、これはもてなしの表現であり中国の文化であると教えてくれた。また、皆食事中に煙草を吸い、互いに勧め合っていたが、それも慣習であることを知った。灰皿がない席では、吸い殻は床に捨てていた。相手方のうち一人が酔いつぶれたので、助っ人にホテルまで送ってもらった。べろべろになりながらも、貰った煙草に火を点け、人間の生について考えた。
四日目
朝、ホテル近くの市場を見に行く。果物を売っていたり、路上で占いをしていたりと、活気がある。道では放し飼いにされた犬がじゃれあっていた。檳榔売りもいて、歩道にこびりついた血のような赤い点々はそれが吐き捨てられた跡だった。町を出発し、五指山中へ。五指山市は中国で唯一の貧困都市で、特に山間部の村が貧しいということを聞く。途中で車を降りると、山頂が雲に隠れているのが見えた。少数民族である黎族(リー族)の村へ赴く。同行者が、土地の名物だという竹筒入りの炊き込みご飯を村人から買っていた。熱帯植物の生い茂る山道を進む。家々の扉には未だ福(倒れていない福)の赤い紙が掛かっている。途中、飯屋に立ち寄りイノブタと菜心を食べる。村は最近観光開発が進んだことで、麓と展望台をバスがひっきりなしに往復しており、ラフティング等のアトラクション施設もあった。鶏は放し飼いにされていて至る所にいたが、人の姿はほとんどなかった。仕事のために山を降りているのだろうか。家の前には農具が散らばっていたり、材木や乾物、ぼろぼろのトラックが置かれていたりする。乱雑ではあるが、今の日本が忘れてしまった、アジアの穏やかな昼間があった。
山を降り、昨夜と同じレストランで夕食。白酒はそこそこにして、後はビールで勘弁してもらえた。こちらの熟鮓を食べさせてもらう。少々クセはあるが、日本のものと似ている。日本酒があればいいのにと思った。豚のしゃぶしゃぶのようなものと海藻入りのスープを食べる。スープは酸っぱく、辛い。しかしトムヤムクンとはまた違う。味わったことのない味。料理は全体的に油が多く、それでコクを出しているといった印象だ。日本でいうダシの代わりだろうか。食後、オーナーのトウさんが身振り手振りで電話番号を教えろと言ってきた。また連絡するから、とのこと。連絡をくれたとしてもどうやってコミュニケーションを取れば良いのかわからなかったが、なんとなく面白かったので、番号を名刺に書いて交換した。トウさんは人の良さそうな兄ちゃんで、たぶん同い年くらいだ。奥さんも子供もいて、手伝い半分世話半分で店内をうろうろしていた。
腹ごなしに町をぶらつく。最初に比べ、黄色い街灯やネオンも心地良くなった。明日で最後かと思うと少し寂しい。カバン一つで来たが、叶うなら滞在を延長したいと思った。名残惜しさを噛み締めつつ、橋から川を眺める。紫、赤、白、黄の灯りが水面に反射し、サイケデリックに揺らめいていた。
五日目
朝、昨日買った竹筒入りのご飯と鳥の足の唐揚げを食べる。うまい。五指山からまたも五時間かけて海口へ戻り、海口の旧市街を見に行く。石畳が敷いてあり、ヨーロッパの古い都市を思わせる町並みに驚く。ここは文革でも破壊を免れたそうだ。洋風の建物を良く見ると、その壁に書かれた文字が全て中国語なので不思議な印象を受ける。中洋折衷だ。なぜか道端のいろんな場所にココナッツが置いてあった。特産超市(スーパー)には民芸品とともにドリアンが並んでいた。資料館で町のジオラマや歴史年表を見た後、昼飯に豚の内臓入りの麺を食べた。地元ではポピュラーな料理だ。こちらに来てから食べ過ぎのせいで顔がむくんだ。体重も2kg増えた。しかし飯がうまいのだから仕方ない。好き嫌いが少なくて良かったと思う。
海南の気温は2月でも30℃近くあったが、この日は雨が降り10℃台まで冷え込んだ。私はシャツにジャケットを羽織って終日過ごしたが、町ではダウンを着た人をよく見かけた。どうやら、一年中春のような気候のせいで海南人は寒さにかなり敏感なようだ。滞在初日、厚手の服を売っているお店の前を通りがかった時には、こんなもの一体誰が買うんだと思っていたが、案外需要があるもんだなとそこで納得した次第だ。
さて、もう日本に帰らねばならない。海口の空港で土産を買った。真空パック入りのサラダチキンのような鳩肉と鶏足の揚げ物だ。店員に英語で値段を聞くとなぜか爆笑された。無言でレジに表示された数字を指差す。別の店で煙草も買ったが、無愛想なジェスチャーで釣りがないと言われた。面倒なのでいらないと答える。行きと同じく広州経由の便に乗る。海南よ、さようなら。飛行機の中で、萬緑園に放置されていた、夢の跡のような春節の残骸を思い出した。
後記
この旅行記は、平成29年2月20日~24日の出来事を、約一年の期間を経てから綴ったものである。旅の主な目的は仕事であったため、内容には多少のフィクションも含まれている。
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