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#西鉄バスの車窓から
rezagrats · 2 years
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Watanabedori intersection in Tenjin, Fukuoka city #渡辺通四丁目交差点 #渡辺通四丁目 #tenjin #fukuokatenjin #fukuokacity #fukuokacitystreetscape #fukuokawalker #福岡散歩 #渡辺通り #西鉄バスの車窓から #西日本新聞ビルディング #博多大丸 #大丸福岡天神店 (at 博多大丸 福岡天神店) https://www.instagram.com/p/ChM-hVDvQKm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poddyshobbies · 6 months
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GO WEST 西九州新幹線に乗り放題(14)嬉野温泉駅 その2
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嬉野市を鉄道が通る(鉄道駅ができた)のは新幹線が初めてです。
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券売機は自由席券のみ(指定席券は窓口へ ~ ただし営業時間内)
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駅は町はずれにあり、嬉野温泉街やバスセンター(嬉野温泉バスセンター)からはやや離れてます。JRバスと祐徳バスが乗り入れてます。
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西口(温泉口)駅前広場のイベント会場
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「あらら、こわれてる?」
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嬉野温泉駅(10分)… イベント会場の様子
嬉野温泉→新大村(14分)… デッキの車窓から
つづく
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shirasuphoto · 1 year
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2022年 八景シリーズBest5
新幹線、保存車両、モノレール。様々な鉄道を八景シリーズで紹介し、今年は制作数271作品、総掲載枚数1000枚以上を突破した。
今年から「鉄道の利用風景」を中心としたテーマを設けてみた。あるときは80年代や90年代を想像するような作品にしたり、あるときは普段使いを意識した作品にしたり、毎回テーマを設けて安直にならないように心掛けた。撮影はテーマを意識した場面を考え、撮影後に作品構成を決めたらレタッチでよりイメージに近いもの実現しようと細かく調整をしてみた。
アーカイブで確認も出来るが、せっかくなのでランキング形式で5作品をピックアップ。Tumblrでは紹介できなかったちょっとした裏話も入れつつ、今年を振り返ろうかと。
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第5位 No.412 湘南八景 空中バス-湘南モノレール
(12/23投稿)
モノレールや新交通システムの登場が多かった。それぞれ「未来」を土台とし、どんな未来なのかより深掘りしたテーマを考えてみた。湘南モノレールでは「昭和の未来」がパッと浮かび上がり、それに合いそうなものを撮影した。
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例えば平成の車両だがこのボックスシートはどこか古臭さがあり、窓の映り込みを利用し自然体な乗車風景を撮影した。広告の色味が邪魔なのもそうだが、この形をよりダイレクトに伝えたいと、モノクロにトーンダウンし古いイメージが先に来るようにした。
未来をテーマにした中では好評だったようでピックアップした。
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第4位 No.272 多摩八景 ありがとう8631F
(6/16投稿)
来月引退予定の東急8500系。今年は7作品(No.144、No.272、No.286、No.318、No.353、No.361、No.410)で登場し、引退間地かの日常風景を紹介している。
「他人とは違う写真をつくりたい」。そんなことを考え始めたのが、この電車がきっかけだったとか。八景シリーズが始まる前は、この車両をSNSやブログで掲載したりするが、たまにSNSに出す友人の1枚がうまくて、あの作風に憧れたのを思い出す。
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投稿の大半は8637Fだが、今回は8631Fの作品をチョイス。やはりスタンダードな車両を好んでいた人間としては、この編成の引退でひとつの歴史が終わったような気分である。
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第3位 No.340 湘南八景 Everyday 江ノ電
(10/2投稿)
きっかけは江ノ電の写真だった。江ノ電は作品でもたびたび登場しているが、朝の江ノ電は撮ったことがない。いつも混んでいる江ノ電が、日が出ている時間帯でも空いているのは見たい。そんな好奇心で朝6時に鎌倉からスタートしていた。
内容は生活感を重視したいため、海沿いを走る区間は外し、鎌倉の狭い住宅地 を中心に絞った。生活感の中にもちょっとした珍しさを入れたいと思い、朝の連結や夜の分割を入れた。作品ではおまけ程度の登場だが、連結と分割は一つの作品にしたいと考えNo.341を作成した。
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構成だが、当初は「朝」、「昼」、「夜」と段々と変わる構成だった。ただいつも通りで、つまらないと感じていた。変えるにしてもどう変えよう、「毎日って何?」、「生活感ってどう表現する?」ともう一度根本的なところから考えてみた。
そこでふと思った。毎日は1日だけではない、何度でも来る。当たり前だが、このことに気づかされた。構成を一度白紙にし、「朝」、「昼」、「夜」、「朝」、「昼」とコロコロ変わるようにした。一つずつ伝えるのではなく、作品全体を伝えることを意識しよう、そんなきっかけになった作品だったかと。
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第2位 No.348 武蔵四景 旧型 西武2000系
(10/10投稿)
西武といえば黄色い。その残党も主要路線では2000系を残すのみで、西武へ行く度に記録していた。 “No.348”では記録したものを寄せ集めし、作成作品数を増やそうと水増ししたような作品とか。たまにアクション数(リブログといいねを合わせた数)がちょっと伸びる程度で、11月には完全に忘れ去られるぐらいの勢いだった。
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転機は12/7のことだった。いつもはたまに来る程度だったアクティビティの通知が、急に異様な盛り上がり、しかもこのNo.348だけ。何があったと思ったら、tumblr 日本語スタッフ( @nihongo)で紹介されたようで、ちょっとしたコメントを残してくれた。それをきっかけに拡散され、しばらくはいいねの通知が続いている。
影響力のあるアカウントからの紹介、改めて凄い。おかげで他の作品にもいいねを貰えて、ささやかではあるが嬉しさを感じていた。改めてtumblr 日本語スタッフ( @nihongo)に感謝申し上げます。
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西武を象徴する西武2000系だが年々数を減らし、見かける機会が減ったようにも思える。80~90年代の映画やアニメの舞台を再現するに��必要な車両だが、その舞台と共に遠ざかろうとしている。
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第1位 No.363 横浜八景 静→動-京急金沢文庫増結
(10/30投稿)
技術者達も驚愕。かつて京急に部品提供を行っていたドイツのシーメンス社の人たちが現地視察した際、そんな逸話を残した朝の金沢文庫増結。この光景を一度は見たいと、朝早くに向かった。
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なんでも5分ごと、多いときは2線同時に作業が行われる。乗客の列は作業途中の動いている電車に近づき始め、それも増結を行うたびに同じ動きをする。日本の朝ラッシュは嫌なほど知っているが、増結作業と慣れた乗車光景が平然と行われることに、日本人でも異様な光景に思えた。 写真は明暗のバランスを均等にして修正しやすいようにと考えたが、そんな暇はなかった。目まぐるしく変わる作業、瞬時にアイディアを出し、それをすぐ形にする。ファインダー越しを信じ、ひっきりなしに行われる増結作業を、無我夢中で撮影していた。
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構成は目まぐるしく行われている様子をイメージして、増結、合図を次々と変わるように盛り込んだ。もう少し様々な内容を詰めたかったが、増結シーンは8枚の制約で1つの構成に仕上げた。あまりたくさん詰め込むより、一つの作品で目まぐるしさを大切にした。
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その代わり、Instagramでは出せなかったシーンを中心に投稿してみた。それがかなり好評だったようで、投稿するたびに盛り上がりがあり、過去最高の反応もあったとか(ドア開 11/22投稿)。 tumblrでは大人しいリアクションだったものの、あの光景の凄さとInstagramの盛り上がりが印象的で、今回トップにした。
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いかがでしょうか。まだまだ紹介出来ていない作品も多くあり、それを眺めるだけでも正月の暇つぶしにはなりそうかと。 来年もシリーズを継続しつつ、何か新しいことが出来たらいいですね。それではよいお年を。
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yotchan-blog · 16 days
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2024/4/23 12:01:19現在のニュース
京阪中之島線の延伸「IR事業者の撤退リスクや収支など考慮し慎重判断」…京阪ホールディングス・加藤好文会長CEO([B!]読売新聞, 2024/4/23 11:57:14) ガザの現状に思い寄せて 医学生通して描く記録映画 東京などで上映(毎日新聞, 2024/4/23 11:56:24) 伊賀鉄道の「まかないカレー」 販売宿泊勤務の味、レトルトに(毎日新聞, 2024/4/23 11:56:24) 「大西洋の楽園」に観光客押し寄せ 「受け入れ限界」島民がデモ(毎日新聞, 2024/4/23 11:56:24) 企業口座に200万円振り込み? 銀行窓口でパート職員はピンときた(朝日新聞, 2024/4/23 11:49:10) 訓練中の消防士の水死「組織の危機管理意識の甘さ」 第三者委が指摘(朝日新聞, 2024/4/23 11:49:10) 「議会の修正予算は法律違反」 広島・安芸高田市長が審査申し立て(毎日新聞, 2024/4/23 11:49:03) RIZAP営業損益改善へ 24年3月期、チョコザップ会員増 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 11:42:31) 首相、リフィル処方箋の普及指示 医療現場で活用低迷 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 11:42:31) PayPay、中高年層取り込みへ布石 送金上限30万円に引き上げ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 11:42:31) ヤマト運輸・アマゾン・パタゴニア…非正規社員や個人労働組合の闘い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 11:42:31) 文豪が子どもに送った「絵本のような」手紙 直木賞作家がひもといた(朝日新聞, 2024/4/23 11:41:47) 【関西の力】だし(2)どん兵衛が東西で味が違う理由-「境界線」は天下分け目の関ケ原、異例の工夫(1/3ページ)([B!]産経新聞, 2024/4/23 11:36:15) 極超音速のレールガン、実用化へ連射・電源小型化の壁 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/23 11:36:08) 総務相、選挙妨害「処罰の対象になりうる」 東京15区補選巡り(毎日新聞, 2024/4/23 11:34:45) 人を襲う凶暴オオメジロザメ、宮崎市の河口付近で釣り上げられる…専門家「見たら水辺から離れて」([B!]読売新聞, 2024/4/23 11:34:29) 衆院3補選、立憲先行 島根は自民苦戦 東京・長崎、維新追う 共同通信 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/23 11:33:52) 見沼の介護施設 3人死傷事故 窪島被告に実刑判決 地裁「重要な注意義務怠った」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/23 11:33:35) 品川に移動後、別グループと接触 車の血痕、女性と一致 栃木2遺体(朝日新聞, 2024/4/23 11:33:20) 使った核燃料の中間貯蔵施設建設、調査始まる 山口・上関、懸念も(朝日新聞, 2024/4/23 11:33:20) 牧之原園児バス置き去り死、前園長らが業過致死罪認める 静岡地裁で初公判(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/23 11:32:37)
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kachoushi · 7 months
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各地句会報
花鳥誌 令和5年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年7月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あぢさいや錆ゆくときもずぶ濡れて 光子 雨に白く汚されてゐる木下闇 緋路 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 見覚えのビルはもう無くサルビアに いづみ 夏草のつぶやくやうな雨であり 和子 鉄条網梅雨の蝶さへ寄せつけず 同 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 飛石をぬらと光らせ五月雨 久 その人は梅雨に沈みながら来る 順子 五月闇不穏な波の来るといふ はるか
岡田順子選 特選句
列車音遠ざかるとき浜万年青 はるか 庭石は梅雨のものとて黄泉のもの 俊樹 サイレンも街騒もまだ梅雨の底 久 鉄骨が叩く鉄骨濃紫陽花 緋路 雨の日の桔􄼷のうしろすがたかな 美紀 萱草のそびらに恩賜なりし闇 光子 潮入りのみづは昔や通し鴨 いづみ 支へ切れぬ天へ石柱梅雨深し 昌文 瞬ける雨粒蜘蛛の囲の銀河 緋路 雨に白く汚されてゐる木下闇 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鹿の子啼く隠れの島に入日濃く 修二 たはむれの莨にむせし桜桃忌 久美子 寂しさを下から崩すかき氷 朝子 茉莉花の別れ際こそ濃く匂ふ 美穂 不如帰久女の夢と虚子の夢 修二 首の無きマネキン五体暑き日に 愛 蟬生る瓦礫の闇の深きより かおり ひまはりの花と育ちて銃を手に 朝子 バレエ団の窓へブーゲンビリア満つ 愛 蔓薔薇をアーチに育て隠居せる 光子 うつし世のものみな歪み金魚玉 かおり バス停のバスまで覆ふ夏木かな 勝利 梅雨空にジャングルジムがひつそりと 修二 襖絵の孔雀の吐息寺炎暑 勝利 君嫁して香を失へり花蜜柑 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
らつぱ隊香り奏でる百合の花 さとみ 風鈴が相づちを打つ独り言 都 香水に縁の無き身や琥珀色 同 身ほとりの置き所無き土用の入り 同 滴りの奥にまします石仏 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
黒塀や蔵してをりし八重葎 宇太郎 ふりかへる砂丘の海の線は夏 同 葛切や玻璃にスプンの当る音 同 夏草の中の林道下りけり 同 ソーダ水斜めに建ちし喫茶店 同 向ひ風麦藁帽を光背に 同 白服を吊りたる明日の再会に 悦子 浜昼顔一船置きし沖を恋ふ 同 白南風旅の鞄をコロコロと 美智子 足跡や巡礼のごと砂灼けて 栄子 紫陽花やうた詠むくらし悔もなく すみ子 玫瑰の咲くや砂丘の果の路 益恵 躊躇なく風紋踏んで白い靴 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
早苗饗や手足を伸ばす露天の湯 幸風 はらからや薄れゆく過去心太 百合子 一品を後からたのむ心太 秋尚 青楓雄々しく抱ける年尾句碑 三無 天草の歯ごたへ確と心太 文英 朝顔に護符つけ市の始まりぬ 幸子 朝顔のつぼみ数へて市を待つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
西日射す鏡に海女の手櫛かな 昭子 兜山古墳を包む大夕焼 ただし 良き事の有りや無しやの今朝の蜘蛛 信子 信州に梅雨のかけらの雨が降る 三四郎 石も又涼しきものの一つかな 昭子 香水や周囲の心独り占め みす枝 梅雨寒や口を預けて歯科の椅子 信子 うなだれて少年の行く片かげり 昭子 僧逝きて久しき寺の夏椿 英美子 猛暑日や万物すべて眩しめり みす枝 天近き牧牛の背や雲の峰 時江 コップ酒あふる屋台の日焼顔 英美子 サングラス外し母乳を呑ませをり みす枝 かぶと虫好きな力士の名をつけて 昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芋焼酎醸す香りの満つる街 三無 団扇さし出かける孫の下駄の音 ことこ それぞれが里の焼酎持ち寄りて あき子 老媼の団扇頷きつつ動く 和魚 児に送る団扇の風のやはらかく ます江 店先で配る団扇の風かすか ことこ 泡盛の味覚えたりこの良き日 同 団扇手に風のざわめき聞く夕べ 廸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
沖縄の鳳梨乾いた喉癒す 裕子 青空や収穫の日の夏野菜 光子 夕暮れは車窓全開青田風 紀子 貝釦一つ無くした夏の暮 登美子 まだ聴けるカセットテープ夏深し 同 雲の峰送電線は遥かなり 令子 夕焼に路面電車が揺れてゐる 裕子 鐘を撞く寺は山上雲の峰 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月11日 萩花鳥会
透き通る海は自慢よ海開き 祐子 救助士の臀筋たくまし海開き 健雄 夏草や一対すべて青の海 俊文 生ビール久方ぶりや子とディナー ゆかり 引く波に砂山崩る海開き 恒雄 天の川点滅飛機の渡りゆく 美惠子
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令和5年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
羅を纏ひしものの身の一つ 世詩明 天国も地獄も自在孟蘭盆会 同 風の盆男踊りの笠深く 幹子 盆の供華華やいでゐる村の墓地 同 ギヤマンの風鈴揺れる蔵の街 嘉和 古団扇思ひ出の新しき 雪 縁側に男冥利の裸かな みす枝 ナツメロを口ずさみつつ草を引く 富子 蓮開く様自力とも他力とも やす香 神主の大きな墓を洗ひけり ただし 在りし日のままに夏帽吊し置く 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
田舎家の土間のだんまり朝曇 要 炎帝の遣はす鴉黒く群れ 千種 会釈する日傘に顔をなほ深く 同 夫恋ひの歌碑を見てより秋近し 炳子 飴色に枯れ空蟬の垂れ下がる 久子 古民家の故郷の匂ひ壁に黴 経彦 三猿の酔ふ草いきれ庚申塔 眞理子 古民家の茅屋根匂ふ炎天下 三無
栗林圭魚選 特選句
蓮花の水面の余白空の青 亜栄子 カラフルな浮輪乗り合ふ市民バス 久 じやぶじやぶと揃ひのティーシャツ水遊び 三無 咲き足せる泰山木の真白かな 秋尚 森少し膨らませをり蟬しぐれ 慶月 水音に誘はれつつ灼くる道 眞理子 惜しげなく涼しさ放つ水車小屋 要 ひとときの静謐滝に対峙して 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
マッカーサーパイプ咥へてアロハシャツ 千加江 遠雷や織部の茶碗非対称 泰俊 二業地に一の糸鳴る夜涼かな 同 悠久の光り湛へて滴れり 同 青田風満目にして夕仕度 清女 脱ぎ様のまことしやかに蛇の衣 雪 退屈をもて余しゐる古団扇 同 洗ひ髪訪ふ人も無く待つ人も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月21日 さきたま花鳥句会
沢蟹の渡る瀬石に日の名残り 月惑 空蟬や辞書に挟まる紙兜 八草 家眠る厨にひと���バナナ剥く 裕章 山の水集め男滝の帯となる 紀花 どら猫にまさる濁声夏の風邪 孝江 炎天に心字の池面雲動く ふゆ子 打水や土の匂ひの風生まる 康子 行くほどに街路華やぐ百日紅 恵美子 睡蓮の葉を震はせて鯉の道 みのり 八の字を書きて茅の輪を潜りけり 彩香 誘蛾灯今は無人の故郷駅 静子 枇杷熟るる眷属訃報また一人 良江
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令和5年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
半夏生何処が嫌ひと云はれても 雪 蛇にまで嫌はれさうな蛇苺 同 何処をどう突いてみても蟇 同 お隣りは今はの際と虎が雨 一涓 師の友は文教場址合歓の花 同 守宮まづ招き入れくれ舎入門 同 忘れじの人今も尚蛍の夜 同 入道雲天下制する勢あり みす枝 藍浴衣片方だけにピアスして 昭子 サングラス外して妻は母となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年7月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
空蟬や地中の記憶あるらしく 要 靖国の坂みんみんの急くに急く 昌文 炎天に零戦仰角三十度 佑天 鳥居へとまぬがれがたき炎天を はるか その日近付き靖国の灼けてをり 慶月 みんみんの高鳴く魂の声として はるか
岡田順子選 特選句
熱き骨ぽきぽきたたみ日からかさ 眞理子 真白な祢宜の出て来し木下闇 政江 笛の音の遠くに生まれ夏の果 光子 零戦を撮る少年の夏休み 慶月 下乗せし老女紅濃く夏詣 同 英霊に七日の魂の蟬時雨 政江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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niwanoki · 8 months
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2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東��の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
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2023年1月19日(木) 出張旅行記その51 【1月13日】 ホテルへピックアップに来てくれたタクシードライバーは,店主の大きなカバン2つを見て,びっくりしていました。タクシーはセダンタイプ。今日は店主の他に4人の客が乗ると言います。他の客の荷物を乗せることができるか心配なようです。 必然的に体の小さな店主は後部座席へ。次のホテルで西洋人男女の4人が乗り込んできました。後部座席になんとか4人並び,出発。体をさらに小さくして詰める店主に,大丈夫だよ,と声をかけるお兄ちゃん。気さくな4人組のようです。 店主が抱えているSaxケースを見て,それは何?と声をかけるお姉ちゃん。Saxだと知ると,ワォ!じゃあ,今日のバスの中では,あなたのSax演奏を聴けるわけね!と嬉しいことを言ってくれます。 プロじゃない,趣味だからとは言っておきましたが,4人の期待値が上がりすぎているのではないかと心配です。どうか,彼らの前で吹くチャンスが訪れませんように。40年前に生存していたという,陸サーファーのような気持ちの店主。沈黙は賢って,こういうことでしょうか。 バスターミナルに着き,店主の大きな荷物も屋根に上げてもらいます。万が一を考えて,リュックには防水シートも兼ねたパックをします。これは,空港に荷物を預ける際にベルトが邪魔にならないようにかけるカバーで,リュックに付属していた逸品です。3年前にあった,防水カバーをかけたのに天地反対向きに置かれて意味がなかったという事態を避けることができます。ある程度。 ノンキァゥのバスターミナルから歩いてホテルを探すのも面倒だったので,とりあえずの宿を一泊,ネットで押さえます。バスに乗りながらそれができるというのが,本当に便利です。ネット環境バンザイ! 途中休憩でタイのオロナミンC,いや,リポビタンD的存在のM-150を発見。ここラオスでも,多くの人におじさまたちに愛されています。長いバス旅や体調を崩した時によくお世話になりました。今回もゲット! 水は,ビアラオ会社の出す飲料水です。安心のブランド。5,000キープは,もしかすると18年前と値段が変わっていないかも。あれ?当時は3,000キープだったかな?(自信ない) ルアンパバーンを離れる道中で鉄橋を見ます。これは,ウドムサイに続く路線ですね。やがてはルアンナムター,そして中国へとつながる予定です。 メコン川が肥沃な濁流であるのに対し,特に北部の小さな川は青い川が多いです。南部に住んでいた店主からすると,珍しい光景に思えます。そびえ立つ山々も南部には少ないので,これまた珍しく思います。 途中,巨大なダムを見ました。ラオスには,現在たくさんのダムが建設され,水力発電を行っていると聞きます。電力を売るという巨大な市場を生み出す一方で,環境の激変は免れず,その影響はいかなるものか。心配は尽きません。もちろん,自然環境に関する問題は,ラオスだけでなく日本も,世界中のどこの国においても重大な問題となっています。 可愛らしい犬の親子を見かけました。ラオスでは犬も猫も基本放し飼いです。お金持ちがペットとして飼う場合に首輪をつけることがありますが,ほとんどが自由です。その代わり,狂犬病の心配も高く,さすがの店主もできる限り犬には近づかないようにしています。 マイクロバスはエアコンが利いていませんが,気温は涼しいし,窓を開けていればすこぶる快適です。しかし,舗装道路の状態が悪いと,前の車が巻き上げた砂埃が入ってきます。 おまけに,日差しの強いこと!半袖だと腕が痛い!日本から持ってきた夏用の袖カバーだけでは防御しきれなかったので,ジャンパーを前後反対向きに着て袖を守ります。帽子をかぶっていたのですが,日差しの向きが変わると帽子のつばだけでは防ぎきれず,ついに前布を取り付けます。イメージは,風の谷のナウシカのユパさまです。隣の西洋人のお姉ちゃんも,Nice!と笑ってくれました。このような細かな努力の継続が,老化を防ぐんですよ。いや,これホント。 途中うたた寝をしたり、記事を書いたり。4時間もするとバスは目的地ノンキァゥに着きました。あまり苦労した感じはしません。 ついに新天地に着きました。 【お知らせ】 ベトナム,ラオスへの買い付け旅行のため,しばらくの間休業いたします。ご迷惑おかけしまして申し訳ありません。 2023年1月28日(土) 19時からの営業再開を予定しています。 ご来店,お待ちしております。 【身体のセルフケア】 2023年2月4日(土),3月11日(土)の開催を予定しております。 16:30~18:30 上福島コミュニティーセンターにて 詳細、お申込みはメッセージにてご連絡ください。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #ラオスの旅 #バスの旅 #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CnlgATkSLf7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poddyshobbies · 2 years
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2022.9.19(祝)~ 福岡市
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6:50 ~ 灰色一色の空
心配していた台風14号は今日の朝方に飯塚市付近を通過して山口県方面へ進みました。昨晩は日付が変わる頃に時より風がうなる音がしたのですが、正直に言って台風と言った感じではありませんでした。眠りに着くまでに窓ガラスが心配になることもありませんでした。結果として、雨や風の音、建物の揺れなどで眠りを妨げられることなく朝まで眠れました。ただ、晩も朝も緊急車両のサイレンは良く聞こえてきました。
直撃時間帯の福岡市は雨も風も小康状態が続き、台風通過後の10時20分ころから雨が降り始めました。その時点で吹き返しの風も吹き始めましたがまだ強くありません。→ 1時間たって、時より唸りながら強い風が吹きはじめました。雨は小降り。→ 13時半頃、一旦鎮まる。→ 14時40頃から、今までで一番強く吹く。台風の中心は島根県の海沿い付近。(風の通り道が日本海上に出た=朝鮮半島で遮られない。)→ 16時過ぎても強風が治まらず、17時を過ぎてから落ち着いてきました。結局、通過後の方が荒れた台風でした。(日中で且つ、窓ガラスを心配するほどでなかったのでよかったです。)
今日は西鉄バスも朝から止まってます。JR もですが、いつも使ってるアプリ「どれどれ」の画面では列車が表示されてました。昨日の最終で(?)更新が停まっているようでした。
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7気象機関の台風予測進路 … Integrated Multi-Agency Tropical Cyclone Forecast(日本時間・気象庁 19日 9:00)
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米軍合同台風警戒センター(JTWC)より(日本時間 19日 3:00)
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Windy.com : Wind map & weather forecast … 欧州中期予報センター(ECMWF)モデル・「風」の画面(日本時間 19日 16:00)
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気象庁
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komogomo-blog · 2 years
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逃避旅行 Pt2
電話越しに居たのはイクちゃんとマユちゃん。元気そうだった。自分がポルトガルのど田舎に居ると伝えると驚きつつも何故先に言わなかったのかと文句を言われた。事前に言ってれば、一緒に旅行出来たらしい。自分もそっちのほうが良かったかもと、浅はかだった自分の考えを呪った。 取り敢えず、自分の状況をだいたい説明しどう帰れるかを調べてもらう。毎度この感じで助けてもらってばかり。
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色々案は出て来る。リスボンまで行って飛行機(150€)。ポルトからバスか、電車か(200€以上)、若しくはヒッチハイクか。「大通りか高速近くのガスステーションで車を捕まろ」とマユちゃん。初めは自分もヒッチハイクで行こうかと模索していた。ただこの疲労困憊の中、どっちの方向に進めばいいのかも分からぬこの土地で十キロの荷物を背負い、車を乗り継ぎ、ドイツまで行くのは無理だと絶望していた。 そこでイクちゃん。「飛行機、リスボンからベルリン四日後に安いのあるよ」と。それで行こうと思ったのも束の間、四日もどこで何をすればいいのか考えた。やはりそれも自分にはしんどく思われた。簡単なお金を使う旅行が楽しめない自分は四日も独りで知らない都市にいることが辛く思われた。他にも案を色々と出してくれるがどれも値段が高かったり、めんどくさそうだったり、第一お土産が沢山あり、飛行機で国境を超えるのが怖かった。そして気付くと携帯の充電が10パーセントを下回っていた。 そのことを伝えると「取り敢えず、移動しやすい近くの町に行きなさい」ということになりその会場から出ているシャトルバスで移動することにした。 移動前、お土産を持って行くの行かないのか悩み、取り敢えず今少しでも消費することに。 バス移動では爆睡。
一時間後、静かな町、Castelo Brancoに到着。 また前回も寄った軽食屋でビール二杯とサンドイッチを頂く。今回はお土産の影響で苦しかった。 お残しは絶対に許してくれないおじちゃんに頼み、携帯を充電させていただく。 またイクちゃんに電話を掛ける。その頃、色々とどうでもよくなっていたのもあり、ポルトガルの第二の街、ポルトでゆっくり休もうと考えだしていた。その報告をし、ネットでチケットを取る。 おじちゃんに心からお礼を申し、バス停に向かう。「また次回もおいで」優しく言葉をもらった。
バス停では人がちらほら待っていた。その中の一人の女性と目が合う。その人もBoom仲間で、何故か自分も隣に腰掛ける。「ジョイント持ってない?」彼女からもらった第一声。「チョコならあるよ」と自分は返す。直ぐに一本巻き一緒に思い出話をしながら吸う。Boomのブレスレットにより仲良くなった自分らはそれぞれの過ごしたお祭りを話し合った。 Boomは本当にお祭りだった。音楽のジャンルは日本のイメージする祭りとかけ離れてるが、人々の持つ楽しい雰囲気や作り出すエンターテイメントは楽園そのものだった。一週間の共同生活により一体感はより強固で皆家族の様に思えた。 彼女はリスボン行きのバスに乗り込み、自分はその次にやってきたバスに乗り込んだ。
先ず三時間後に着いたバスはリスボン。そこで30分の待機。直行で行ってくれると思っていた自分は、退屈しのぎにまた幾らかお土産を消費。ポルトに向かうバスで盛大に後悔した。かなり気分は悪いし、携帯の充電は切れてるし、ホステルも予約できていない。ポルトに到着するのは深夜0時。心の中は盛大にパニック。見知らぬ土地で独り、どこで寝ればいいのかもわからないし、そもそも変に警察の御厄介にならないかも心配になってきていた。取り敢えず精神統一を心掛け、寝ることに集中した。
ポルトに着くと、取り敢えず、手当たり次第に安い宿が無いか聞きまくる。パニックが焦りを加速させる。英語も通じにくいポルトガルの深夜。携帯の充電スポットを教えてもらい、充電しながら近くの安い宿を調べ、そこまで向かう。 何もかもがめちゃくちゃで、何とかバス停に着き、バスを待つ。途中胃から込みあがる液体を道路の排水口に吐き出す。 地元の不良共もちらほらと現れだしてきて、余計に怖くなってくる。バスが来た。かなりの急スピードで角から現れたかと思いきや、そのまま速度落とさず、目の前を通り過ぎ、出て来た角をドリフト決めながら滑っていく。あっけにとられ、開いた口が塞がらなかった。もう仕方がなく、タクシー運転手のおじちゃんに連れて行ってほしいとお願いする。 ポルトもリスボンと同じように上下に起伏が激しい地形だった。その坂をおじちゃんは猛スピードで上がり、下りはそれよりも早く車を転がす。体感三分でホステルに到着。受付を済まし、横になった一時前。 泥のように眠った。
次の日、あの何処かで聞いた事のある町ポルトにやってきた自分は、辺りを歩き回った。歩いて歩いて歩いて歩き回った。途中でお土産のワイン五本セットを買い、宿に戻る。実はずっと旨い魚介が食べたくてレストランにも入ってみたかった。それでも中々入る勇気が出ない自分。至る所でレストランを見つけても入れず素通りしてしまう。心の中では、今はいらないとこの先絶対に入らないぞと叫んでいるのに、足は止まらない。歩き続けて五・六時間後、一軒おじちゃんとおばちゃんが営む小さな軽食屋を見つけ、顔だけ入れてみる。雰囲気は良好、おじちゃんも優しそうだった。取り敢えずビールを飲み、何か食べる物はあるかと訊いてみる。生憎タコはなかった。メニューで見る限り、美味しそうだった。砂肝の煮込み料理を食べ、もう一杯飲む。 ポルトガルに在るビールは比較的甘いような気がした。そして飲み屋で出てくるつまみも安く旨い。いい国だった。そこでイクちゃんに電話をもう一度掛けた。メールで新たな策が見つかったようだった。 聞いてみるとヨーロッパ中で使えるチケットがあるらしく、電話で買ってもらえないかお願いする。
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ネットで手続きを済まし宿で荷造り。翌日の早朝には北に、スペイン側の国境の町Vigoに向かう。シャワーを浴び、早めに眠り旅を続行する気力を蓄える。本当は一日歩いただけだが、疲れ切っていた。レストランに入って美味しいご飯を綺麗なポルトガル女性と食べてるわけでもないし、観光みたいなことは何一つしていないし、あんまり住んでみないと実感出来ないことが多い。
翌日、八月1日。ポルトを八時13分に出発、北へスペインに入る。Vigoという町で二時間暇つぶし。 国境沿いの街だと出てこないものかと思ったが、ビールと一緒にタパスが出てくる。スペインかと感じた。
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Ourenseという町で、電車を乗り換えマドリードへ。マドリードで一泊。 やはりマドリードでもビールを頼み、タパスを食べた。タパスは何処でも美味しい簡単なものが出てくる。パクパク食べるのを見て、これも食べろと色々と貰った。 マドリードを七時30分に、からバルセロナに向かい、バルセロナから、フランスに入り、国境から一時間ぐらいの町、Narbonneという街へ。ここで寝台列車を待つ。 小さな通りがそこらにあり可愛らしい店が多かった。そこを抜けて中心地に向かうと、川が真ん中を流れていた。その川沿いにバーやカフェが立ち並んでいた。 このNarbonneは比較的いい雰囲気を持っている町だった。時間はゆっくり流れているし、昔ながらの風景も持ち合わせている。いい休暇だった。 その時、ジョージアから連絡が。 連絡内容は大したことのないことだったし、自分も寝台列車の時間が迫っていたのもありあまり気にしなかった。川沿いのお兄ちゃんらがやってるカフェに入り、充電させてもらいながらビールを二杯頂いた。
夜行列車の窓から西に沈んでいく太陽を眺めていた九時半。 急に孤独を心が引き締められる感覚で認識させられる。「自分はここで何をしているのだろうか」気付きたくなかった事実を急に突きつけられる。ジョージアから逃げ出してきて、自分の町じゃないところで独り。とにかく早くドイツに着いて皆に会いたかった。 西の空は赤黒く変色していく。暗い夜がやってきた。そんな中、乗り合わせたフランス人からお菓子をもらいながらパリへと進んでいく。隣りの部屋からは若者の賑やかなフランス語が聞こえてくる。 ただジョージアから逃げだしたくて、こんなところまでやって来て孤独でさみしがってる自分にも腹が立つ。手帳には旅行が苦手な自分への恨みが綴られている。「お金は目減りしていくし、何をするのも一人ってのは面白みに欠ける。行き先を決めるのも一苦労だし、決断力の欠如。加え、美味しい物を一つも食べずに移動してきた」美味しい物食べてこなかったのは少し残念だった。 運命共同体を今回は作れなかった。作ることがめんどくさ過ぎだったし、移動に関してもめるのも嫌だった。結局孤独を選んだ自分の責任だった。
起きたらもうパリだった。朝七時。パリでは取り敢えず、ドイツ行きの便を予約し、そこからLeipzigまで行く予定を組んだ。そこからジョージアに居る渡辺さんに連絡しパリにいることを伝え、何を見たらいいのかを聞き出す。渡辺さんはおフランスの人間で、新たにフランスを見る人間がいる事について少し嬉しそうだった。行けば良いと言われた指令は、セーヌ川超えてノートルダムを見ろとの事。地下鉄で近くの駅まで向かい、町ブラ開始。道中BOOKOFFを見つけた。看板には「日本書紀」の文字もあり、寂しかった自分は飛び込んだ。探せど見当たらず、店員さんに聞くと違う店舗だとの事。ここから二、三十分歩いたところだと。 先ずノートルダムを見ることに決め、川を渡り、ノートルダムを正面から拝む。でかい。そして中学の頃に遊んでいたPS4のゲーム「アサシンクリード」の世界を思い出していた。 そこから一時間、色んな人に尋ねながら練り歩きようやくBOOKOFFにたどり着く。その辺りは日本食屋も数多あったし、ラーメン屋の数も多かった。店内の雰囲気も作り込んである様で、日本さながらなようだった。本を買う頃には自分はもう疲れ果てており、小さなおじさんがやっているカフェでゆっくり休ませてもらった。もちろんビールを飲みながら。
もうすぐドイツと思うだけで幾分か楽な気持だった。パリはとてもきれいな町だった。お洒落な建物にお店。でも途中で飽きてしまう。10キロのリュックを背中に練り歩いた。一度、挫けそうだったが何とかなった。 ドイツLeipzigまではフランクフルトを越えて朝九時に着く予定だった。 お土産を一服しながら、夜のホームで電車を待った。
朝九時、ホームから降り立ちLeipzigの中央駅を目前にすると、帰ってきた安心感でいっぱいだった。直ぐにトラムに乗り、Eisenbahn通りがある東側へ。 EisenbahnとHelmanの十字路でエスターとばったり会う。よく世話を焼いてくれる姉さんだ。 この時、遂に来たかLeipzig、と嬉しかった。
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読んでわかる通り、ヨーロッパ中ドイツまでの道のりを電車を乗り継いで移動しただけでした。面白いハプニングはあまりなかった。ただ思考を遮るように歩き続けた様に思う。この時、寂しさやイクちゃん、マユちゃんに会いたさだけで移動していた。ジョージアの事も考えたくなかった。なぜこんな所にいるのかなんて絶対に考えたくなかったし、戻ることもまだ頭に入れたくなかった。旅は苦手です。
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kamigata · 1 year
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平戸を歩く Hirado, Nagasaki 2018.12.31 平戸城、木造家屋、崎方公園、幸橋(オランダ橋)、平戸桟橋バスターミナル
平戸中心部のイラストマップ(Stroly): https://viewer.stroly.com/1619770826/ https://stroly.com/maps/1619770826/ 松浦鉄道 佐世保中央→佐々→たびら平戸口 鉄軌道 日本最西端の駅へ 2018.12.31 日本の鉄軌道で一番西の駅 たびら平戸口駅 すれ違い MR-600形603 伊万里行&レトロン号 MR -500形501 佐世保行 西肥バスで平戸大橋を渡る たびら平戸口から平戸へ 松浦鉄道 たびら平戸口駅 MR-600形606 伊万里行。佐世保行 604とすれ違い→出発 松浦鉄道 MR-600形606 伊万里行 たびら平戸口駅→松浦→伊万里車窓 佐世保駅バスターミナル 西肥自動車&させぼバス 1990年代製バスが健在! まとめて 2018.12.31 <プレイリスト> 九州のウォーキング 展望地 Viewing Spot 九州の観光地 Kyushu Tourism Spot 海の風景 Sea 商店街 Shop Street 城下町 日本の公園 Japanese Parks 日本の城2012- Casle, Japan 2018~2019年末年始 西九州旅行 九州地区のバス Japanese Bus 路線バス2016-2018 バスターミナル Bus Terminal -2019
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atrain-syumijin · 2 years
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平成24年3月21日(水)岐阜に行ってみることにした。
岐阜への行路は、最も早いのが新幹線で名古屋まで、そして、東海道線に乗り換えて岐阜駅へとなる。 青春18きっぷの時期だから、早朝に自宅を出て、東海道線を西へと各駅停車の旅をすれば、余裕で岐阜に向かうことができる。
しかし、東海道線各駅停車の旅は、たびたび行っていて、さらに青春18きっぷの時期はとても混雑する。特に、熱海~豊橋の間は、列車の編成が短いものがあり、沼津の乗り換えや、浜松の乗り換えはラッシュ並みとは言わないが、地下道やホームはとても混雑した記憶がある。
さらに、熱海~豊橋の区間は、沼津~浜松は完全にロングシート車。空いていればまだしも、先のように青春18きっぷを使って、のんびり?長距離旅行をする人、グループがたくさんいると、3両編成の列車はかなりの立席客が出る状態で、とてもゆっくり外の景色を見るような状況では無い。
従って、東海道線の利用は、時期によっては基本的には避たいと考えている。
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そんなこともあって・・・というか、以前、青春18き��ぷで、十日市場~東神奈川~横浜~沼津~静岡~浜松~豊橋~名古屋~中津川~塩尻~甲府~八王子~十日市場という、各駅停車(甲府~八王子を除く)の旅を考えた。 ところが、東海道線が先に記したように、長距離利用客で混雑。浜松からの列車が運良く豊橋以西直通列車で、編成が長かったにもかかわらず立ち客が出るほどの混雑。 グループ客の中には京都まで行くと見られる人たちも・・・お仲間と大きな声で会話されるので、行き先がなんとなくわかった・・・そんなこんなで、名古屋に着いたら疲れ果てて、昼食を食べて人心地ついたところでギブアップ。 まだ、ぷらっとこだまが当日購入が可能だったので、新横浜まで新幹線で戻ることに・・・これがひとり旅の良さかもしれません。
こだまに乗るまで時間があったので、時刻表と首っ引きになって、弥富まで往復する時間があることを確認。 快速・みえを往復利用して、弥富に行ってみることにしました。
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昔の話はともかく、今回の岐阜行きは、その時のリベンジともなる中央西線完乗を目指し、それも青春18きっぷを使ってということを目論んでのプランニング。
十日市場からだと横浜線で八王子が、中央線への最短ルートだが、トクトクきっぷは新宿からになっているので、新宿へ向かって乗車することにした。
十日市場▶【横浜線】▶東神奈川▶【京浜東北線】▶横浜▶【湘南新宿ライン】▶新宿▶【スーパーあずさ】▶上諏訪▶【中央東線】▶塩尻▶【中央西線】▶中津川▶【セントラルライナー】▶名古屋▶【東海道線】▶岐阜(泊)新岐阜▶名鉄▶新名古屋・・・名古屋▶【こだま】▶新横浜▶【横浜線】▶十日市場
1泊2日の行路。
古い歌ではあるが「あずさ2号」の8時ちょうどというのは魅力的ではあるが、ラッシュ時間帯であり新宿までで疲れてしまいそう。 それだけでなく、新宿の時間は自由に決められない。何故ならば、中央西線・塩尻~中津川の各駅停車が、日中時間帯も含めて非常に本数が少ない。この区間の列車に合わせて、新宿を発車するあずさを予約しないと、この行路はうまく岐阜までたどり着けない。
そういうわけで、塩尻~中津川の各駅停車の時間に合わせて、新宿発のあずさの時間が決まり、遡って十日市場発の時間を決めることにした。
最初は、新宿への最短ルート、横浜線・町田・小田急線もしくは田園都市線・渋谷・山手線という手も考えた。せっかくの青春18きっぷなので、時間はたくさんあるし、予定のある旅でもないので、18きっぷを有効?に使うことにして、横浜経由にすることに決定!!!
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横浜線・十日市場駅までバスで10分。東急田園都市線・青葉台駅までバスで20分。徒歩圏内ではないけれど、バスの便が良いところに住んでいるので、街の雰囲気もグリーンタウンと名付けられてたとおりの環境の良い場所ではあった。
十日市場駅までバスに乗り、横浜線に乗り換えて東神奈川へ、ラッシュ時間帯をはずれていたので、電車もそれほど混んでいることも無かった。 桜木町行きの直通が日中はほとんどだが、この日は記録によると東神奈川で乗り換えていた。 横浜からは湘南新宿ライン、なぜかこの路線に乗るときは、グリーン車に乗ることにしている。2階席からの眺めが楽しいので、必ず乗るようにしている。 他の路線でも2階建てG車が連結されていると、思わず乗ってしまうのが習慣化している。
新宿までなのにと、自分でも思いながらも、2階席からの景色は、いつ乗車しても視点が異なるからか新しい発見をすることがある。そして、それを期待して乗車することが多い。
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列車は新宿始発なのだが、以前、新宿から特急列車を利用したときに、まだ改良工事終了前のことだったためか、中央線特急列車の発着ホームが、とんでもない場所にあって、あやうく乗り遅れるかと思ったことがあった。 そんなこともあって、少し余裕を持って出かけることにしたので、思ったより早く新宿に着いてしまった。 乗車列車の発車番線は9番線で、乗換に不便を強いられることはなく、時間を持て余すことになってしまったので、あれこれ気ままに写真を撮ることに・・・。
いつもは通り過ぎるばかりの新宿駅、のんびりと人や電車の往来を眺めるというのも、昭和55年3月の大改正直前に、同級生といっしょに新宿駅、東京駅を巡った時以来かも?!
お先にトクだ値きっぷは、とてもお得なきっぷで、自由席より安いかもしれない。ネットで座席まで指定できるので、自分の好みの席を選べるのもうれしい。
この日は、進行方向右側窓席を予約した。隣席は空いているはずなのだが、席に着いたら隣に座る人が?! 列車は停車駅ごとに乗降客があるので、発車時間前までなら予約は可能なので、ネットで確かめてもその時にならないと実際はわからない。 ところが、隣席の乗客?お弁当を食べたら席を立ち、そのままずっと戻ってこなかった???
なんだか不思議なというか、不審な隣席者が戻ってこないままスーパーあずさは定時に新宿駅を発車。
中央快速線を一路松本へと向かって走りはじめた。
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発車すればスピードをグイグイ上げて、特急らしい走りを見せるかというと、ここは東京、中央快速線、三鷹までは路線別複々線で、その先は高尾まで通勤電車が走っている。 通勤時間帯では無いとはいえ、快速、特快がかなりの本数走っている。なので、八王子まで無停車の特急とは言え、前に走っている列車を追い越せる駅が限られているため、快走とはちょっと言えない走り出しとなってしまっている。
武蔵小金井、立川、豊田と段落ちするので、八王子に近づくに従って、少しずつではあるがスピードが上がっている感じはする; 元々は、立川あたりまで高架複々線化の計画があったが、諸般の事情で高架化のみで終わってしまった。
立川を過ぎて多摩川橋梁を渡っている時に、車窓から富士山を見ることが出来て、なんとか1枚だけ写真に収めることが出来た。実に中央線の東京都内では、初めて見る車窓からの富士山だった。
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八王子を過ぎれば、高尾までは通勤路線になっているが、日中の通勤電車の本数は少なくなっているので、最初の山登りもあることから、グイグイとスピードを上げて次の停車駅甲府へと加速して行く。
強制振り子の車両なので、カーブの手前で車体を強制的に傾斜させて、カーブが終わった先で戻すという動作のくり返し。最低限の改良で、最高速度を上げて、乗り心地を良くして、そんな結果がこの車両となった。 カーブにもよるが、車体の傾斜がすごい!と思うくらいに傾くこともある。それも、スピードを落とす事も無く・・・。
スーパーあずさに乗るたびに思うのだが、駅通過も減速することなく過ぎてしまうので、甲府までの主要駅、大月駅通過をいつも見逃してしまう。 大体、笹子トンネルを通って、甲府盆地が見えると・・・あれれ・・・いつ大月駅通過したんだろうというのが定番になっている。 この日も確認しようと思ったが、いつの間にか通過して、いつもどおり長い笹子トンネルを通ってしまっていた。
進行方向右側なので、大月駅の目印となる富士急線を見ることが出来ないので、確認するのは難しいと思っていたのが、その通りになってしまった。
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中央東線での車窓風景、笹子峠を越えてからの甲府盆地の眺め、これは東線のいくつかの絶景のひとつと言えよう。 しかし、この日は右側だったので、その景色は見る事無く、甲府盆地へと高度をグイグイと下げて、気がつけば甲府停車。
甲府から先は、塩嶺越えまでは山岳路線とはいっても、どちらかというと、南アルプスと奥秩父・八ヶ岳にはさまれた山の姿が美しい車窓となる。
甲府を出て直ぐ、竜王駅を通過したら奥秩父の山々が、雪を冠して美しい姿を見せた。 山越えという感じでは無いが、高速で高度を上げて行くという感覚が得られる。 小海線の分岐駅・小淵沢を高速で通過・・・小海線の築堤が、グイグイと高度を上げながら野辺山方面へと別れていった。 車窓は、奥秩父の山々から八ヶ岳へ、沿線は平地は残雪は見られず、天気にも恵まれていたので、高原にも春が来ているという雰囲気いっぱいという感じであった。
中央東線は、山岳路線ということもあって、スイッチバックの停車場が数多くあった。客車列車、貨物列車が走っていた時代は、各駅停車なら必ずスイッチバックしながら駅へと向かっていた。今は数少ない貨物列車も直行タイプ。各駅停車も電車になってしまったので、勾配上でも停車可能になったので、スイッチバック旅客駅として残っている駅は皆無になってしまった。
春の息吹を感じながら、さすがにスーパーの名を冠するだけある特急列車。気がつけば上諏訪着のアナウンス。
あっという間の中央東線、特急列車の旅でした。
なんで上諏訪下車なのか・・・塩尻からの各駅停車に都合の良いのがこの列車。塩尻に停車してくれないので、うまい具合に各駅停車に乗り継げて、塩尻からも待ち合わせ時間少なく乗り換えられるということでありました。
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上諏訪到着。
スーパーあずさは、終着松本に向かいササッと走り去って行きました。さて、次に乗る列車は・・・はるか後方に停車中。
その前に、とは言っても楽しむわけで無く、未だあるかなくらいの気持ちで1番線の方を見たら。あるにはありましたが、足湯になっていました。 その昔、上諏訪に来たときには、足湯では無く入浴できるようになっていました。駅構内、駅ナカにある温泉というので有名でしたが、やはり入浴するのはちょっとという感じだったのでしょうね。
さて、駅弁でも買ってから接続列車に乗って、のんびり塩尻までの車窓を楽しんで・・・とんでもありませんでした。はるか後方に停車している理由は、当然ですがローカルの各駅停車ですから3両編成で短いのです!
スーパーあずさが発車した余韻?を楽しむのもそこそこに、電車に向かってダッシュはせずに早足で向かいました。
さて、乗車しようと思ったらドアが閉まっています。まぁ、これは地方の寒冷地なら良くある半自動ドアですから、停車中は自分でドアを開閉しなくてはなりません。 線区によっては、車内外に開閉ボタンがある車両がありますが、なんと車両は古い古い115系。改造もされていないので、ドアの小さなへこみに手を入れて、グイッと橫へ滑らせる・・・なんだかとても重い・・・なんとか開いて車内に入ることが出来��したが、改造もせずにずっと走らせていたものだと、正直あきれました。
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車内に入ると、なんだか混雑していて、空席どころか立客でいっぱい。なんとか荷物を荷棚に置いてホッとする始末。駅弁を買っていたらと思うと、すぐに列車に向かって正解だったと感じました。
ここから塩尻までは各駅停車の旅。十日市場から青春18きっぷを使ったので、改札口に行かずにそのまま乗車を続けられて良かったと思いました。
各駅停車は満員の乗客を乗せて、諏訪湖湖畔をグルッと走り、岡谷を通り塩嶺越えに向かいます。昔は大八回りと呼ばれた辰野を通っていましたが、今は普通列車も塩嶺越え経由ばかりになり、大八回りは単行の電車が行ったり来たりしています。
新線なので峠も一気にトンネルで越えて、さほど時間もかからずに塩尻に到着。途中駅でも若干の乗客を拾って、列車はそのまま松本に向かって行きました。
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さて、次の電車には少し時間があるので、駅弁を手に入れて・・・跨線橋から眺めると、なんと乗ると思われる電車が止まっています。 これは大変と、駅弁よりも座席をキープしないと・・・松本行の電車が混んでいたので、次の電車も混んでる・・・勝手な妄想が浮かんでかなり焦ってしまいました。
そんな訳で、階段を降りて少し離れた所に、停車している電車に向かってみるとガラガラでした。 まだまだ出発時間には余裕がありますので、進行方向右側窓席をキープして、肝腎の昼食・駅弁を確保・・・と思ったらホームには売店が無い?!
塩尻駅は島式ホームが3本。新宿・名古屋方から見ると、左のホームが中央西線。右のホームが中央東線。中のホームが両線ローカルとなっているみたいで、中央西線ホームに売店が見えたので、そこへ行ってみることにしました。
なんとか幕の内弁当を確保。電車に戻れば発車を待つばかりなのですが、まだ出発時間には余裕があります。 特にすることも無いので、昼食を食べることにして・・・食べ終わっても発車する気配無し・・・それでも、少しずつ席が埋まって来たところで発車。
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北アルプスを望む松本平の南端を走り、木曽路へと向かって列車(これまで電車と記してきましたが、列車の方が旅している感じがするので変えることにします)は走って行きます。
『木曽路はすべて山の中』と島崎藤村の本にあるように、確かに松本平が終わると、山を分け入るように線路は進んで行きます。 浅学な自分は、てっきり木曽路と呼ばれるのは、鳥居峠を越えてからのことだと思っていました。後に旅行記事を書く機会があり、調べたところ松本平を離れたところから、木曽路は始まっていることがわかりました。
この時は知りませんでしたが、贄川、奈良井と松本側の二駅は木曽路の宿場の一つでもありました。
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列車はひと駅、ひと駅と停車しながら、行楽客を少しずつ乗せたり降ろしたりして、路を進めて行きます。
中央東線もそうですが、中央西線も全線複線化されていません。両線合わせて中央本線。東線、西線というのは通称ですが、運行形態がかなり昔から完全に分離しているだけでなく、西線部分はJR東海エリアになっているので、車両は乗り入れ列車以外はほぼ別運用の状況になっています。
普通列車よりも特急列車の多い中央西線。単線区間が点在するために、複線区間の終端で思わぬ交換待ちを強いられます。各駅停車の宿命と言ってしまえばそれまでですが、特急列車の通過待ちを何度かくり返したり、下りの普通列車との交換待ちもあります。 複線化というのは、全線を複線化しないで単線区間を残しておくと、一時的には良いのですが、その後ダイヤ改正が行われて運用が変われば、その効果が失われてしまうことがある訳です。 普段は特急列車を利用していると、一応特急列車は最優先されますので、そのような事を余り感じることはありません。 急がない旅なので、待ち合わせもノンビリ駅周辺や遠望を楽しめるので、これも旅の楽しみと感じることができます。
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先の『木曽路はすべて山の中』のとおり、両側に山が迫って、空は真上だけという感じがするのが木曽路です。
かつては鳥居峠越えのD51が多数いた木曽福島を過ぎて、木曽谷奥深くまで入り込んでいた森林鉄道の起点の一つ上松を過ぎると、特急列車なら案内があるかも知れない寝覚めの床もいつの間にか過ぎて、列車は木曽路を少しずつ下って行きます。
この山にはさまれた狭い谷、厳しい自然の中を、昔の人たちは生活し、旅していったと思うと大変だったろうと思うばかり。
そんなことを思いながらも列車は、終点中津川へと歩みを進めて行きます。
落合川駅、駅の脇はダム湖になっていて、なんだかこれまでの雰囲気と違った感じがしました。木曽路と呼ばれているのは落合川駅の近くにある落合宿までを指しているので、なんとなく行く先の雰囲気が違うように感じたのも納得?!
定刻通りに終着中津川に到着した2両編成の各駅停車から、思った以上の乗客が下車して名古屋方面への接続列車を待ちます。 自分は接続の快速ではなく、1本あとになるセントラルライナーに乗車するつもりでした。
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改札口からセントラルライナーの指定席券を手に入れるために出て、次の列車の指定席を無事に購入。しかし、なんだか時間が一杯あり過ぎる。暇つぶしのために町に出るには時間が少ない。
ちょっと迷ったものの、まだ快速電車の発車時刻にはなっていないので、セントラルライナーの車両には興味があったものの、先を急ぐことにして快速への乗車を決意。
2両編成から今度は8両だったと思うが、とにかく編成が長くなったので、遅く乗車してもまだ十分に空席があった。
中津川を過ぎれば木曽路とは完全にお別れ、車窓の雰囲気もどちらかというと山勝ちではあるものの、地方の農村地帯という感じになった。
快速列車とは言え多治見駅までは各駅停車。さすがに、車窓を眺めるのも飽き始めたところで、多治見到着のアナウンスと乗換案内。 太多線経由岐阜行普通列車という案内を聞いた瞬間、名古屋からの東海道線は混むだろうし・・・でも、中央西線完乗が出来なくなる・・・太多線ってどんな路線だろうか?それに、美濃太田~岐阜は高山本線の未乗区間だからと、いろいろな考えが浮かんで来たが、迷っているほどに時間は無いので、乗り換えて岐阜へ直行することに決定!!
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太多線経由、岐阜行のDC列車に乗り込むと、ちょうど下校時刻だったようでちょっと混んでる感じだったが、それでもなんとか空席があった。 さて、太多線というのはどんな車窓が見られるか、そして、美濃太田~岐阜は・・・。
太多線は美濃太田と多治見を結ぶローカル支線。駅間距離は思ったより短く小まめに停車して行く感じ。車窓は取り立てて特徴のあるものでは無かった。
そして、美濃太田からは高山本線。本線とは言っても実際は非電化単線のローカル線で駅間距離も長く、途中の鵜沼からは名鉄各務原線が平行しているので、昔ながらの姿をしているのも当然と言えば当然。
太多線よりも駅間距離が長くなり、途中の交換待ちも長めになり、いくら三角形の一辺を走って、ショートカットしたとは言え、長閑すぎる岐阜行DCの光景でありました。
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長閑な走りをしながら、無事に岐阜駅に到着。長いホームにそぐわない短い2両編成の気動車は、本線とはいえローカル線なんだなぁと思いました。
岐阜駅を通ることは、新幹線開業後は2・3回はあったかも知れませんが、その時の印象は地平時代のものだったと思われます。
立派な高架駅となっていますが、なんだか殺風景だなという感じがしました。ターミナル駅らしい賑やかさ、人通りが見られません。
とにかく翌日のぷらっとこだまのチケットを確保しないと、平成第一阿房列車の行路を無事終えることが出来ません。 JR東海ツアーズの窓口に向かってチケットを購入しようと席に座っていたら、いつまで経っても声を掛けて貰えません。どうも反対側の入口にある整理券を取らないと行けなかったようです。 疲れていたこともあり、注意力が欠けていたのか、自分が入ったところには整理券についての案内が無かったような??? 係員の対応に苛っとしながらも、チケットが目的ですので、手早く手続きをして無事に購入。そして、スマホの地図を道案内にして、この日の宿泊先、ダイワロイネットホテル岐阜へと向かいました。
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ダイワロイネットホテル岐阜にチェックイン。
言わずと知れた宿泊特化型のチェーンホテル(ビジネスホテル)。 なんと言ってもホテルで宿泊というのは、この時までは両手で数えられるほどだったので、���テルに関連する知識は皆無に近い状態だった。 たまたま、前泊で新横浜のダイワロイネットホテルを利用したところコスパがとっても良くて、ビジネスホテルも良いものだと感心したことから、今回の旅先でも利用することにした。
内田百間先生は、名士であらせられるので、若干の例外がいくつかあるものの、阿房列車の旅先ではそれ相応の旅館に宿泊されていた。
自分はそんなお偉い方では勿論無いので、身分相応、それでも少しでも快適な宿泊先を選びたいと思うのは無理もない話。 ダイワロイネットホテルは、基本的にはシングルルームでも18㎡以上。ベッドもセミダブルはあるのでゆったり。アメニティもそれ相応、レベルは並以上。さらに浴室、浴槽もゆったりしているので、旅の疲れを休めるには打ってつけと言って良いと思う。
ダイワロイネットホテルの会員には、既に新横浜で利用した時に登録済み。そうすればチェックイン、精算も簡単にできるし、会員証がカードキーになるので、これもまた便利。
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荷物を置いてひと心地ついて、さて、今夜のプランは・・・呑んべも歩けば旨い酒に当たる・・・ではないが、この旅の楽しみは、行き先までの行路だけでなく、その県の銘酒にお気に入りがあれば、そのお酒を適正価格で提供してくれるお店を探して、さらに新しいお酒を知ることと美味しい肴を楽しむこと。
旅館での宿泊だと、今では素泊まりというもかなり多くなっているが、どうしても2食付きや2人以上というのが原則のようで、独り旅には使いにくい。 その点、宿泊特化型ホテルは素泊まり基本なので、街に出かけて美味しいお酒と肴を探す楽しみもある。
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さて、岐阜と言えば小左衛門がお気に入り。そこで、ネットでこのお酒を提供しているお店を検索。いくつかヒットするが、自分が適正価格(売価×2~3以内)とするお店が見つかった。
マルコさんというお店。所在地は長良川の向こう側にあるので、市内中心部からは離れている。取り敢えず予約の電話を入れてから出かけることにする。
地理不案内なので、タクシーをつかって出向くことにした。
夕暮れ時の岐阜市内中心部を通り抜け、鍵型に大通が曲がっていて???と思いながら、この辺に岐阜城があるんだろうと・・・長良川を渡るとなんだか住宅街のような雰囲気になり、表通りから1本入った所に目指すお店があった。
まだ早い時間帯だったので先客はなし。
旅先だということを話して、メニューを見てみると、ちょっと量が多めと、お値段が・・・独り客より、2人で来てくつろぐ隠れ家的なお店の感じ。
お店の方はとても感じの良い方で、独りなので半分量でも出せるということだったので、それでお願いすることにした。もちろんお酒は小左衛門。
少しずつお客さんが増えてきて、やはり常連さんで2人という方達が多い。場所的にも感じた通りのお店。ちょっと自分が場違いな感じがしてきたので、ひと区切りしたところでお店を後にする。
ちょっと物足りなさを感じたけれども、小左衛門と美味しい料理を楽しめたので、それなりの満足感を感じながらお店を出てさてどうしよう・・・ホテルに帰るのに、どうやって帰るか・・・まだ時間が早いのでバスで帰るかと考えた。
またまたマップの登場。今でもそうだが、基本的にはGoogleMapを利用している。表示が柔らくて見やすいので愛用している。
調べれば表通りの近くにバス停マーク。これなら直ぐに行けると歩いて向かう。バス停の時刻表を眺めると、思った以上にバスの本数が多く、差ほど待つこともなくバスがやって来た。
行きのタクシーが2000円弱だったので、帰りはいくらかかるか、地方の場合は均一性で無く、区間制を取っているところが多いので・・・ちょっと不安・・・ところが、最寄りバス停で下車時に払った運賃は、180円?! うぅ~む。10分の一とは、いくら何でも金額が違い過ぎる。これからは、しっかり公共交通機関を調べるか、徒歩で行けるならそうしようと固く決意?をしました。
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往路があれば復路が必ずある。一泊二日の旅は、ある意味あっけないもので、目が醒めたら帰ることしか考えない。とても味気ない感じがする。 *************** さて、翌日になれば当然、帰りの行路となる訳で、ぷらっとこだまの時間に合わせて、名古屋に着いていないといけない。 時間を逆算して、ホテルのチェックアウト時間を確かめて、そう言えばダイワロイネットホテルはチェックアウト時間が11時と、一般的な宿泊特化型ホテルよりゆったりしている。1時間の違いは、朝の時間の使い方にけっこう影響するものだ。 *************** チェックアウトして名鉄の名鉄岐阜に向かう。この駅は、元々別の鉄道だった会社が、合併して名鉄になったという歴史がある。そのためだろうか、名鉄本線と各務原線のホームが直角に近い角度になっているので、別の駅だった名残がハッキリわかる。 東急蒲田駅も目蒲線(多摩川線)と池上線が並んで発着しているが、その昔はライバル会社だったこともあり、直角で各線のホームが配置されていた歴史がある。 荷物があるので特急列車のミューチケットを購入。一般車と併結されているが、客室のレベルは料金以上に差があると思う。 発車までかなり時間があるが、ホームに出てみれば列車は入線していた。荷物を荷棚にあげて、ポカポカ天気ということもあるので、ホームで時間つぶしをすることに・・・。 *************** 駅の雰囲気はなんだか長閑なのだが、さすがに名鉄名古屋本線の終着駅。思ったより列車の出入りが多く、特急以外の列車がそこそこ発着している。 列車がやって来るのをなんとなく見ていたら、どうもJRの高架橋前後が単線になっているみたい?! 出発列車待ちで停車している姿が見えるので、これは確かに単線になって、駅場内に入る所で再び4本に分岐している。 うぅ~む・・・確かに、配線としては合理的?かも知れないが、発着に支障が起きることも間違いない。定時に走っていれば問題無いが、遅れが生じれば運転整理が大変だと思う。 どうしてJR高架化の時に複線にしなかったのか、短区間だしそれほどの発着頻度では無いという判断か??? しかし、岐阜駅、名鉄岐阜駅周辺は、県庁所在地の玄関とは思えないほどに長閑。街の中心はもっと北になるのだが・・・かつて路面電車が走っていた頃に、日中は駅までの区間が運休となっていたのもわかる感じがする。 *************** 名鉄特急の特別車両で名鉄名古屋に向かう。名鉄は犬山線に乗車したくらいで、この区間は当然はじめての乗車になる。 そうは言っても、広い濃尾平野を快走するのだから、思ったより変化に乏しい。名鉄一宮(尾張一宮と併設)付近でJRに寄り添うと、また離れて走り続ける。 ほぼJR東海道線との並行路線だが、微妙に距離を保っているので、並走という感じは余りない。 駅間距離が短いので、どんどん駅を通過し、JRをアンダークロスするとまもなく新名古屋のアナウンス。 定時で新名古屋到着。 *************** さて、次はこだまで新幹線各駅停車の旅。名古屋~新横浜は2時間20分ちょっと。のぞみが1時間30分なので、遅いのは確かだが、急がない旅でG車なのだから、ゆったりのんびり、退避時間も楽しんで行くのがモットー。 名古屋も大ターミナルだから、おみやげはもちろん駅弁も豊富。新大阪だと八角弁当、御堂筋弁当が昔からのお気に入り。 名古屋のお気に入りは三段弁当の「なごや三昧」。おかずが2段に、鶏そぼろご飯が1段という名古屋ならではの豪華?弁当。 名古屋が食事時ならまずこれを食べる。 ぷらっとこだまは、個人旅行クーポン形式のチケットで、飲み物��チケットも着いているので、お茶はこ���を使えば良い。 2時間20分の長くも短い旅。最大3本の速達列車に抜かれる鈍行新幹線。しかし、設定は3本だが季節によっては、空退避もけっこうある。 さっそく三河安城でちょっと長めの停車。さらに豊橋では長い停車・・・ちょっと駅探策・・・時間があるので調子に乗って改札口脇の売店まで遠征。豊橋名物のちくわがあったかどうか記憶にございませんが、次の機会に見つけたら買って帰ろうか・・・どうしようか?? 長い停車時間は、ホーム散策が出来るので、それほど退屈しない。 浜松、掛川、静岡と過ぎて、新富士でまた長い停車。1時間のダイヤパターンが最大10-2-2となっていて、鈍行のこだまがのんびりではなく必死に走っているのだから、駅についたら息切れが・・・ほぼ所要時間が1時間余分なので12本に抜かれることになる。 あとから画像を見て気がついたのだが、富士山を眺めるためのお立ち台?があるのを後で気がついた。 三島でも退避して、熱海はさっさと出発。小田原でも退避すれば次は下車駅新横浜。昔の新横浜を知っている者にとっては、時代の移り変わりの凄さが良くわかる。 昭和50年代になるまでは、見事な都会の中の田舎駅。新幹線の駅なのでみどりの窓口があるものの、利用者が少ないので繁忙期の予約の穴場。 今はのぞみが全列車停車するようになったし、ビジネス街になったので、新幹線の駅と表側は、当時の面影が全く無い。でも、横浜線側の雰囲気はそれほど変わっていない感じがする。 のんびりゆったりぷらっとこだまの旅を終えて、乗換改札を通って横浜線ホームへと・・・やっぱり落差を感じてしまう。 それでも、無事に平成第一阿房列車は終着駅十日市場に到着・・・\(^O^)/
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rezagrats · 4 years
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my popular images #バスの車窓から #天神バス #香椎 #kashii #三日月山 #立花山 #千早 #博多湾 #東浜 #西鉄バス #西鉄バス天神急行 #福岡都市高速 (at 香椎) https://www.instagram.com/p/CD8Ec4EJhsF/?igshid=1e7hwt64niuwe
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kachoushi · 2 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年7月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
観音の御手炎天にやはらかく 佑天 跡地へと想ひありしか夏の蝶 三郎 白あぢさゐ少し離れて年尾句碑 和子 病院も看護記録も夏草に いづみ 小さく深き緑蔭が抱く年尾句碑 和子 息荒く仏へ寄りし暑さかな 光子 日盛の祠に生れし真の闇 和子 みづからを菩薩に添うて空蟬に いづみ
岡田順子選 特選句
面影は西日晒しの看板に はるか 夏草や記憶の中のナース服 三郎 朝涼の鎌倉よりの風頰に 慶月 息荒く仏へ寄りし暑さかな 光子 五輪塔とは緑蔭のただの石 俊樹 元禄も享保の墓も灼けをれり 佑天 暑き日を年尾の句碑のふところに はるか 観音は水の色して大酷暑 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月7日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
浮き沈み女三代夏のれん 都 空つぽの香水びんの残り香よ 同 長茄子の悩ましきかな曲線美 同 パナマ帽明治の父の伊達姿 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月7日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
白と云ふ色たゞならぬ半夏生 雪 前山の雪崩るる如く青嵐 同 やゝに老いやゝに夏痩せして在す 同 炎帝のどかりと座りたる越路 かづを 滝音に鳥語人語も呑まれたり 同 九頭竜と対峙し流る天の川 同 静もりて明智が墓碑に沙羅の花 笑 能登半島掻き消してゐる青嵐 千代子 悠久の光を抱へ滴れる 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
子等見つつ弁当番や海の家 宇太郎 屠場へと曳かれるやうに炎天へ 都 死者送り窓に吹き込む青田風 すみ子 川に還す一夜を共にせし蛍 美智子 次の子に少し短かき古浴衣 宇太郎 病窓に影の騒ぎて青嵐 悦子 風紋は海へ傾れて雲の峰 宇太郎 先輩の墓碑に献杯原爆忌 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
戦なき広き空欲し雲の峰 三無 風ひたと止んで初蟬響きくる 百合子 夏蝶のげに句碑守のごと飛びぬ 同 雲の峰草の匂ひに樹の匂ひ ゆう子 アルプスを小さく見せて雲の峰 白陶 菜園の胡瓜ピカソの絵に似たり 多美女 句碑に影落し戻り来黒揚羽 三無 供へればくらりと揺るる甜瓜 ゆう子 炎天に浄き閼伽水陽子墓所 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
七夕や竹切る音のとよもせり 時江 夏潮にロシア軍艦越境す 世詩明 うしろから八つ裂きに来る稲光り 信子 鷺草や鎮守の杜を結界に 時江 七変化寡黙な夫のいつもゐて 信子 生きる意義考へてゐる山椒魚 上嶋昭子 花擬宝珠通夜の灯うるみ傾きぬ 中山昭子 青田もう何も映さず靡きをり みす枝 浴衣の娘女工哀史のこと知らず 世詩明 風鈴を気楽な人と聴いてをり 上嶋昭子 黒南風や酒場は白きピアノ置き 同 見馴れたる山を見飽きず端居かな 中山昭子 昼寝人濁世を忘れ仏顔 みす枝 水打つて日本の地震を鎮めをり 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
武蔵野の風に目覚めし合歓の花 三無 羅や近より難き気を纏ひ 同 艶やかに羅笑みて同窓会 同 金魚鉢洗ふ役目の誇らしげ 貴薫 金魚掬ひ父の背中の逞しき 有有 旅先で出合ひて嬉し合歓の花 貴薫 慎ましく生きる姿の合歓の花 史空 羅の似合ふ真砂女に恋多き あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
七夕の雨に濡らしてハイヒール 登美子 片恋のラジオ相談星の秋 同 玉葱を貰へば娘吊るしをり 令子 夏座布団友の数だけ広げけり みえこ 天道虫後ろ姿の子らを撮る 裕子 たばこ屋の小窓に覗く扇風機 実加 忠霊場若きの墓は盆静か 令子 老いらくの母の見入れる天の川 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月15日 さきたま花鳥句会
炎天の小江戸の街や車夫の愚痴 月惑 老いてなほ一鞭入れて草を引く 八草 空蟬や何も語れず逝きし友 裕章 夏空へ磴駆け上る柔道部 とし江 厳かにお祓ひ後の心太 ふじ穂 紅芙蓉誉め合ふ笑みの立ち話 恵美子
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令和4年7月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
此の先は教へぬつもり道をしへ 雪 野地蔵も息をひそめる炎天下 英美子 日盛りに息をひそめてゐる地蔵 同 母の影盆灯の後見え隠れ 山田和子 羅やさらりとまとひ香の立つ 真喜栄 バス降りて一人一人の夏終る 世詩明 短夜や夢幻の如くなる 同 めまとひを払ひて無人切符買ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
大���の車輪のごとく駆け抜けし 久子 炎天の武蔵野の底滑る蝶 三無 変ること厭ふ白紫陽花の白 久 水光り羽黒蜻蛉は神の使者 慶月 古座敷や行くあて知れぬ茄子の馬 軽象 水音を真中に抱きて森涼し 慶月 大蟻も小蟻も参ず地蔵塔 眞理子 夏空を映す水たまりを蹴上げ 久 天牛の角ふりかざす古戦場 眞理子 紫陽花の絞り出したる終の藍 圭魚 甘味屋の蓮を描きし夏暖簾 同 民家古りただ現し身の黒揚羽 千種 森深く闇に添ひゆく黒揚羽 斉
栗林圭魚選 特選句
水音を真中に抱きて森涼し 慶月 ハケの家夏炉の湿る匂ひかな 要 大蟻も小蟻も参ず地蔵塔 眞理子 紅蓮の今日崩れゆく命かな 久子 夏空を忽ち縮め潦 斉 みがかれし床に朝採り茗荷の子 久子 式台に雨跡ありて風涼し 同 茅葺きの土間の暗がり死蛾美しき 炳子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月19日 萩花鳥会
みちのくの吾娘が来たるや月見草 祐子 炎帝や必殺狙撃動天す 健雄 一面の葉に見え隠れはすの花 恒雄 夏山はこれで十分梅むすび 俊文 夏料理語り尽くして持て成さる ゆかり 駄々つ子の泣きやんだらし夏の雨 陽子 痛風の足を投げ出し夏の月 吉之 頭垂れ雨乞ひしたるや庭の花 明子 法螺貝の響く城下や雲の峰 美恵子
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令和4年7月20日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
もくもくと九頭竜のぼる雲の峰 千代子 七夕や笹は願ひに撓るほど 千加江 幼きを呼び戻したる天瓜粉 同 かの人の垣根に高く酔芙蓉 昭子 三人の遺影の部屋も梅雨湿り 清女 七夕に女心の糸結ぶ 啓子 小石踏む音の近づく夏館 泰俊 夕立や濡れて礎石の薄明り 同 面も手も己れ矜恃の日焼かな 数幸 穴を出し蚯蚓一糸も纏はざる 雪 裸火に想ひの丈を飛べる火蛾 同 水の如く又火の如く人涼し 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月21日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
風鈴の欲しいと思ふ風が今 洋子 右衛門に隣る左衛門夏構 同 鉈の音山の地肌に万緑に 同 賽銭を打つ音までも黴臭き 同 万緑や山相いよよ文殊山 雪 祭帯器用に結びくれし母 同 その人とカンカン帽に気付く迄 同 盆の月家系図のこと何もしらず 昭中山子 炎天に近道すれば転びけり 同 子が囃す夜空の証や地蔵祭 ただし 鳳仙花姉妹の話途切れ無し みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月24日 月例会 坊城俊樹選 特選句
零戦に少年口を閉ざす夏 和子 靖国へ四方より迫る雲の峰 要 夏蝶は翅で息して歩みたる 和子 空蟬の祈る形に落ちにけり 同 蓮花へと極楽の風触れて過ぐ 政江 静脈の巻きつく手首白日傘 和子 羅を纏ひかの世の話など はるか
岡田順子選 特選句
目の前を突然蟬の木となれり 千種 絵日傘のシスターの行く九段坂 眞理子 大きさの合はざる蟬の殻と穴 千種 礼拝の黙を蓮の解かれゆく 炳子 羅を纏ひかの世の話など はるか 炎帝の子の鉄棒や大鳥居 小鳥 見巧者の折紙付きや泥鰌鍋 幸風
栗林圭魚選 特選句
零戦に少年口を閉ざす夏 和子 熱砂踏む雀らの影ゆらゆらと 順子 横顔の考へてゐる団扇かな 同 病葉となるや社の奥に降り 眞理子 空蟬は拾ひ奉仕の竹箒 順子 最短の空行く鴉街灼くる 千種 大鳥居溽暑の穢土を寄せつけず 月惑 能舞台しづかに進む蝸牛 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年7月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
大鍋のたぷんたぷんと一夜酒 愛 悪童の頃瓜番に追はれしと 同 瓜番の灯りを返す獣の眼 同 この辺り魔法使ひの夜店らし ひとみ 甘酒のとろみも憂さも呑み込みぬ 久恵 蟬時雨遠くに聞けば海凪ぎて 桂 逆転か球は外野へ峰雲へ 由紀子 夕雲はマグマ色して浜万年青 久恵 咲き疲れてゐるかも知れぬ水中花 ひとみ 丁寧にハンカチ畳み恋語り さえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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hitoritabitabi · 3 years
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1️⃣中国地方乗り鉄旅(新山口~徳山)
2021.09.05
今回の乗り鉄旅は18きっぷを使って4日間、中国地方の廃線になりそうな路線を中心に巡る。観光・グルメとか無し。ただ、乗って、乗り継いで、車窓からの風景を眺めるだけ。 こんな酔狂なプランに友達二人が参加希望。二人ともこちらと同じ乙女座で、同じく鉄道の旅が好きだが、決して「鉄オタ」ではない♪ 東京を出発したのは9月2日(木)、21:50東京駅発のサンライズ出雲。これで終着駅、出雲市まで行き、そこから18きっぷ利用開始。木次(きすき)線、芸備線、姫新(きしん)線を乗り継ぎ、初日は岡山県の津山泊。 2日目は津山から因美線で鳥取、山陰本線で松江へ戻り、ここから出雲市までは既にサンライズ出雲で昨日も通過しているので、一畑電鉄に乗り換えるという素敵なプランで出雲市へ戻る。そして再び山陰本線に乗り換えるも、8月の豪雨の影響で江南~田儀は代替バスに乗り換えて歴史ある温泉地、温泉津(ゆのつ)に宿泊。 3日目は山陰本線を更に西へ向かって益田へ。山口線に乗り換えて新山口へ。ここで同行の友人とお別れ。一人は福岡空港から、もう一人は宇部空港から当夜のうちに帰京。 ってことで、「独り旅」となる新山口駅からの投稿~~
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新山口駅は2003年までの駅名だった小郡(おごおり)駅のほうが馴染がある。
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右は岩国行きでこちら乗車。 左は下関行きで二人が乗車。 どちらもいい顔だ♪
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瀬戸内海~
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日本海とはちょっと違う
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徳山駅で15分停車
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山陰・裏日本から来ると随分、都会に見える。 友達の話によるとJR各社の協議が行われていて、今度、JR東日本、JR西日本から一部切り離して、「JR裏日本」という儲からない路線の会社を作るそうだ、うひゃ!
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すぐそこは徳山の港
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駅ピアノ
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駅ふぐ
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駅図書館
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの���要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意し��くれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今���、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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poddyshobbies · 2 years
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福岡市内路線バスから ~ 車窓動画3本
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↑ 吉塚営業所(2022.7.24)
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吉塚営業所~明治通り~城内~六本松(32分)… 日曜日の昼過ぎ、後部座席からの映像です。(→ ※)
西鉄グランドホテル前~明治通り~吉塚駅前(17分)… 出勤時間も過ぎた平日の10時前、後部座席からの映像です。
博多駅~国体道路~六本松~梅光園入り口(29分)… 平日の正午過ぎ、運転席後ろの座席から右車窓の映像です。
福岡城址の蓮の花(※)
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バス車内から(2022.7.24)
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自然は季節とともに進みます。
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