Tumgik
#高島藩主諏訪家墓所
harasatoshi1977 · 2 years
Photo
Tumblr media
皆さまこんにちは。 昨日から姉妹都市の長野県諏訪市議会議員交歓研修会に参加してまいりました。 そのようすは本日の『長野日報』にも新聞記事📰として掲載されておりました。 初日は『国史跡の高島藩主諏訪家墓所と文化財保護』を2時間確りと学ばせていただきました。 私の質問にも確りとお答えいただいた学芸員の資格をお持ちの諏訪市文化財係長に感謝いっぱいです。 2日目は駅前交流テラス『すわっチャオ』や諏訪市役所の『議場』『乾式オフィスペーパーラボ(紙の再利用)』そして、諏訪高島城(写真は高島城の城壁です)諏訪市博物館を見学し、諏訪大社 上社本宮にて両市の発展をお祈りしてまいりました。 間もなく秦野に到着です。 #姉妹都市 #長野県諏訪市 #議会議員交歓研修会 長野日報 #掲載 #国史跡 #高島藩主諏訪家墓所 #!文化財保護 #学芸員の資格 #諏訪市文化財係長 #感謝 #駅前交流テラス #すわっチャオ #諏訪市役所 #乾式オフィスペーパーラボ #紙の再利用 #諏訪高島城 #城壁 #諏訪市博物館 #諏訪大社 #上社本宮 https://www.instagram.com/p/CfqWzuKv8UB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
mabumaro · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
少林山 頼岳寺
■開創  曹洞宗(禅宗)に属し、本山は永平寺(福井県)と総持寺(神奈川県)である。開創は江戸時代初期の寛永八年(一六三一)で開山(初代住職)は大通関徹(群馬県双林寺第十三世)、開基は高島藩初代の諏訪頼水である。頼水は諏訪大社上社にまつられる健御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で、諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主として君臨し、江戸時代は高島藩三万石の大名であった。
■上原城周辺  寺の右側の金比羅山(九七八メートル、甲州街道からの比高はおよそ二〇〇メートル)には上原城があった。この城は諏訪頼満の時代、諏訪惣領家の居城として築城され、政満・頼満・頼隆・頼重が板垣平(頼岳寺の南方)に居館をおいて諏訪を統治した。天文十一年(一五四二)武田信玄に攻略されたのちも、武田氏が城代をこの城において諏訪を治め、以後岡村(上諏訪)に政庁が移るまで諏訪の政治・経済の中心地であった。上原には城下町が経営され反映された。とくに城下には鎌倉五山にならって上原五山と呼ばれた五ヶ寺があった。永明寺(頼岳寺の前身)・極楽寺・金剛寺(廃寺)・法明寺・光明寺(この二ヶ寺はのちに合併して法光寺となり上諏訪に移る)があり、上原八幡社もこの時代に建立された。
 上原五山のうち永明寺は向富山と号し、現在の頼岳寺よりおよそ五〇〇メートル南方にあった曹洞宗の寺である。開創は永正年間(一五〇四-一五二一)で、開山は慈山永訓(静岡県真珠院第二世)。開基は諏訪頼水の曽祖父にあたる頼満(永明寺殿西周宗昌大居士)である。永明手寺は以後七代一三〇年間続いたが、寛永七年(一六三〇)同寺に駆け込んだ科人の引渡しを拒否したことから。頼水の命により炎上破却された。永明寺の頼忠夫妻(頼水の両親)の墓、本尊釈迦如来、什器などは翌年建立された頼岳寺に移された。なお永明寺の跡地には「永明寺跡」の記念碑が建っている。
■頼岳寺の沿革  開創以来この地方の中心的勢力を保ち、江戸時代には寺領一〇〇石を賜り、末寺は十四ヶ寺である。古くから修行寺として知られ、常に数十名の雲水が参集した。さらに第三十二世狐峰智餐璨は明治十年以来五十年間にわたる在住中に。人材の育成、伽藍の整備に尽力し、のち頼岳寺の祖本寺にあたる神奈川県大雄山最乗寺の住職を経て、大本山総持寺独住第十八世円応至道禅師となった。
■境内と文化財  本堂(間口十四間)とその後方の開山堂は大正六年、本堂右の庫院は明治三十五年の建立である。山門の額「鵞湖禅林」は頼岳寺の別名で、鵞湖は諏訪湖を指す。山門と鐘楼は昭和二十七年の建立で、山門にいたる杉並木は樹齢三〇〇年で、茅野市文化財に指定されている。開山堂後方の座禅堂は昭和五十三年の建立で、一般にも公開されている。最近になって庫院の増築、墓地の増設などが行われた。
 本堂右後方にある御廟(市指定史跡)には、開基の諏訪頼水(頼岳寺殿昊窓映林大居士)と頼水の父頼忠(永明寺殿昊山宗湖大居士)、頼水の母(理昌院殿玉英貞珠大姉)をまつる。文化財としては諏訪頼忠の念持仏(虚空蔵菩薩)、頼水が徳川家康から拝領した琥珀観音(聖観音)、吉山明兆(きちざんみんちょう)の十六羅漢が市の指定文化財である。国道わきの石柱「少林山頼岳寺」と総門額「少林山」は江戸時代の中国僧東皐心越(とうこうしんえつ)の書による。本堂正面の欄間彫刻は、天保十五年(一八四四)立川流二代和四郎冨昌の作である。境内八十二アール、山林約六ヘクタールは金比羅山一帯に拡がっている。
■貞珠山 理昌院  曹洞宗に属し、頼岳寺の末寺である。頼岳寺第十八世尊応教堂が開山、開基は諏訪頼水の弟諏訪頼雄(二ノ丸家初代)で、母(理昌院玉栄貞珠大姉)のために開創した。はじめ上原城本丸下の曲輪(理昌院平)にあったが頼岳寺開創後に現在地に移る。本尊は聖観世音菩薩、諏訪霊場百番札所の中一番。
0 notes
masu2202 · 4 years
Photo
Tumblr media
「諏訪紅葉三山めぐり」(〜11/10) 温泉寺さん裏手のお庭に出店しております! 縁側に座ってのんびり秋を楽しんで下さいませ。 #諏訪紅葉三山めぐり #温泉寺 #カフェ #bluelinegaragecafe18 #出店 #カフェラテ #諏訪カフェ (高島藩主諏訪家墓所 (温泉寺)) https://www.instagram.com/p/B4YvmQjB1O8/?igshid=q3if5jfsdvx0
0 notes