Tumgik
tamanine · 1 month
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私は自分の母親がいる空間のことを、甘えられる場所ともリラックスできる場所とも安心できる場所とも思っていなかった(思っていない)ので、同じ家に暮らしている小学生が、私の穴のあいたスウェットの膝をニコニコしてつつきに来ることとか、大きいクッションでリラックスしていることとか、甘えることに躊躇のない姿勢を見ると嬉しくなる、安全な場所だとごく自然に思っていてくれたら良いなと思う。言葉にしなくて良いくらいに。家庭というものが安全な領域だというのが私にはあまりよく分からなくて、誰にも見られていない状態が一番の安全だと思っていたから。
機能不全家族の本を読むのが長年の趣味なので、家庭の機能についてよく考える。
信田さよ子先生の本をたくさん読んで、依存症の本も趣味でたくさん読んでいるので、昨日YouTubeに上がっていた信田さよ子先生の対談動画を見て改めて思い出したことがあって。
本屋さんで新しい本探してみよう。
父はまだ、「なんだか悲しい顔をしていたから」って隠し持っていたポテトチップをそっとくれたり、古書店で買い溜めしておいてくれた「あさりちゃん」を渡してくれたり、私が苦しんでいる時に思いやりのまなざしをくれたこともあったが、母は「そんな暗い顔をしているから嫌われるのよ」と追い討ちをしてくる人だったため、私はあのような言葉を絶対に若年者にあびせたくない。
母があのようにストレスを溜めていたのが、父の問題であったり、激烈な女性差別が原因であったことも確かだと思うけど、私には責任のないことだよ。女性差別について母と少し話をしたこともあり、良い対話だったが、母は私には「私を攻撃してくる人」でもある。
今は距離をとったままでいたい。いつか「理解すればよかった」と後悔するだろうか?さらに何度も嫌なことを言われて、もっと致命的にどうしようもなくなることもあるだろうか?
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tamanine · 2 months
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2024年の1月1日のことを考える、あれから私は自分の生活を生きて、2ヶ月を送ってきた。でもまだ車中泊をしている家族もいるだろうし、「生活に戻れない」疲労や悲しみのなかで時間が過ぎるのがとても遅いまま暮らしているかたのことを思う。
裏金の問題や、大阪万博のことよりも、もっと生活の見通しを明確にたててあげるべきなのに、裏金の問題を洗いざらい国民にオープンにしない国会議員たちが悪く、大阪万博をなにがなんでもグダグダとやろうとする状態が悪く、問題を追及する方の問題ではない。
でも暮らしている町の水道管や道路の問題や、来年の暮らし、2年後の子供の進級のことなどを考えるには、国や地方自治体からのビジョンや意気込みが見えていなそうな気がする。
寒さや疲労の中で2ヶ月を過ごすのは大変だろうなと思う。
13年前の悲しみやショックがとても大きかった人だって、「元の生活に戻る」という形ではないまま日々を生きていくときに、笑ったり楽しく暮らしたりしながら、生き続けるためには楽しいあたたかい時間を重ねながら、でも悲しみやあの時の重い疲労がどこかに残っているかもしれない。
13年を生き続けるための日々のあたたかさがあるだろう、2ヶ月を生き続けている時間にも笑顔や親密さがあるだろうけど、でもまだ疲れが続いているだろうと思う。
なんのために税金を取られているのか虚しくなる。あたたかくて、時間が過ぎるのが早いような、なんでもない時間を、誰か好きな人か心地の良い孤独か、どちらでもかまわない、過ごせますように。
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tamanine · 4 months
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2023年に行った美術館
好きだった展示と行った展示全部、今年は西洋美術館・山口晃さんのおかげでセザンヌに入��できたぞ!
140字以内で好きだった展示、でも楽しい展示ばかりでした
内藤礼/すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している2022、ダムタイプ remap、山口晃/ここへきてやむに止まれぬサンサシオン、ゴッホと静物画
1月
内藤礼/すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している2022 神奈川県立近代美術館葉山
六本木クロッシング2022展:往来オーライ 森美術館
2月
エゴン・シーレ展 東京都美術館
ヴォルフガング・ティルマンス/MOMENTS OF LIFE エスパスルイヴィトン東京
3月
クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ 東京都現代美術館
4月
ダムタイプ|2022:remap アーティゾン美術館 (坂本龍一さんの音)
5月
マティス展 色、形、線、冒険のはじまり 東京都美術館
デザインに恋したアート アートに嫉妬したデザイン 中之島美術館
ALBERT GIACOMETTI エスパスルイヴィトン大阪
6月
須田悦弘/補作と模作の模索 ギャラリー小柳
横尾忠則 銀座番外地 ggg
7月
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語算数理科社会 森美術館
(ミヤギフトシ/オーシャンビューリゾート、宮永愛子/Root of steps がすごく良かったです)
蔡國強/宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる 国立新美術館
モエレ沼公園(イサムノグチ!)
テート美術館展 光 ターナー、印象派から現代へ 国立新美術館
mimom/絵が在る展 ニュースペース パ
近藤聡乃/ニューヨークで考え中 ミヅマアートギャラリー
8月
西洋美術館展 常設展・美術館の悪いものたち 国立西洋美術館
9月
デイヴィッド・ホックニー展 東京都現代美術館
山口晃/ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン アーティゾン美術館
ケリス・ウィン・エヴァンス 「L>espace)(…」 エスパスルイヴィトン東京
エマイユと身体 メゾンエルメス
10月
イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル 国立新美術館
11月
目[mè]/さいたま国際芸術祭2023「わたしたち」 
ゴッホと静物画 伝統から革新へ SOMPO美術館(隣のビルに立入検査が入っていたけど良い展示でした、ありがとうございました…)
ポンピドゥーセンター キュビスム展 美の革新 国立西洋美術館
大巻伸嗣/「真空のゆらぎ」 国立新美術館
エコロジー:新たな生 銀座メゾンエルメス
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tamanine · 4 months
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2023年ベスト10
①ザ・ホエール
②ガール・ピクチャー
③アフターサン
④クライムズ・オブ・ザ・フューチャー
⑤ファースト・カウ
⑥SEA SAID
⑦ソウルに帰る
⑧首
⑨ベネデッタ
⑩フェイブルマンズ
昨年の映画祭/あしたの少女
⚫︎番外⚫︎
THE COCKPIT
スカイライト
エゴイスト
ウーマン・トーキング
⭐︎楽しかった〜〜〜!!⭐︎
パーフェクト・ドライバー/成功確率100%の女
マジックマイク ラストダンス
イコライザー3
ジョンウィック:コンセンサス
⭐︎今年見て良かった⭐︎
The Son/息子(個人的にタイムリーで…)
ヴォルテックス(介護についてきちんと考えないと…)
生きる(カズオイシグロ脚本リメイク、こんなに良い映画だとは)
さらば、わが愛(名作とはこういう映画のことか)
◆配信で見て良かった映画!!
イコライザー1!!!!!!!
イコライザー2!!!!!!!
PIG(良い映画〜〜、ニコラス・ケイジ)
デュアル(小さいSF映画の中で素晴らしい形)
テイク・ディス・ワルツ(配信じゃなくてディスクを入手、ウーマントーキングの監督)
カード・カウンター
⭐︎ベスト・ウインク
枯れ葉
◆配信で見た良いドラマ
デッドロック〜女刑事の事件簿〜(prime)クィア!!!口の悪い女大好き!!!最高!
Somebody Somewhere(U-NEXT)クィア!!!!!素晴らしかった〜〜〜〜〜
D.P. s2(Netflix)つらいけど、良いドラマ、入隊のニュースを見る私たちは知らなくてはいけない
リディア・ポエットの法律(Netflix)フェミニズム!!!衣装も美術も本当に素敵〜〜
キラー・ビー(prime)面白かった、ビリーちゃんの演技も上手…
◆2023年に劇場で観た映画(全52回)
ケイコ 目を澄ませて(ユーロスペースでの監督とのQAで、「ボクシング、始めてみてね!」に「はい!」と答えた約束、キックボクシングになったけど少し果たしました)
SEA SAID(年に一回でいいからテレビで放送して欲しい…、みんな見てください)
イニシェリン島の精霊(シネクイントホワイトの空調のカタカタ音は直りましたか?)
パーフェクト・ドライバー(面白かった〜〜〜〜)
エゴイスト(いい映画だった、グッときました)
ベネデッタ(盛り上げが凄い、流石ポールバーホーベン)
ボーンズアンドオール(ごめんなさいなんにも合いませんでした)
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(スイスアーミーマンの監督がアカデミー作品賞とると思わないじゃないですか、テーマが真摯)
マジックマイク ラストダンス(流れるようなフェミニズム、性的な��意って色っぽいことだよ)
アラビアンナイト 三千年の誓い(あまりよくわからなかったけどフュリオサにはクマちゃんぶら下げて初日に行きます)
フェイブルマンズ(面白かった〜〜〜〜、スピルバーグで一番好きかもしれない、大きな声を出すデヴィッドリンチ、あのラストの軽やかさ)
エンパイア・オブ・ライト(手を洗って欲しい)
The Son/息子(タイミング的にバチっと来てしまい、慄きながら楽しく見ました、楽しい映画ではない)
マッシブ・タレント(みんな元気で嬉しいね)
生きる LIVING(カズオイシグロ脚本リメイク、すごい良かった、こんな映画なんだ…)
knock at the cabin(全然好きじゃなかった、最悪の陰謀論に近すぎる、どうしたのシャマラン、気をつけて!)
AIR(よくできてた、AIRMAX履いて行ったよ)
ガール・ピクチャー(ティーンの恋愛ものの中で今までで1番好き、家族映画としてもいい、クィア映画としても素晴らしい)
ザ・ホエール(かなり警戒して見に行ったけど何故か好きだった)
ザ・ホエール(どこが好きなのか確かめに行ってまだよくわからないけど好きだと思う、なんでだろう?)
それでも私は生きていく(待つ女方向のレア様)
TAR/ター(よくこれを男性主人公でやろうとしてたな?無理だよ、ハラスメントってしている間は何にもわからないわけ?)
THE COKPIT(早稲田松竹、三宅唱監督、8年ぶり2度目、素晴らしい)
MEGAN(ごきげんなホラー)
ウーマン・トーキング(素晴らしい映画)
トゥ・レスリー(アルコール依存症は気合いや愛では治らないので、専門家にきちんと相談して欲しい。あんなやり方ができると思わせるのは少し危ない)
小説家の映画(監督は楽しそうだが、あの映画内映画に本当に出て良かったと主人公が思っているのか、釈然としない)
ヴァチカンのエクソシスト(ごきげんな映画であった9
君たちはどう生きるか(期待していなかったので楽しく見た、元気だな!インコ世界愛らしかった)
イノセンツ(北欧の童夢。私は「クロニクル」の方が好きです)
バービー(ゴズリン楽しそうだったね)
ソウルに帰る(アイデンティティになるものを私は最初から手にしていたのだけど、もう一回考えたくなった)
さらば、わが愛/覇王別姫(新宿の高高109にて。新宿駅から遠過ぎ、地上からも遠過ぎ、スクリーンは流石に良い。文化大革命のことをもっと知りたい)
クライムズ・オブ・ザ・フューチャー(レア様最高、クローネンバーグの自由さに感銘を受けた、フェティッシュがある映画って素晴らしい)
エリザベート1878(映像良かった)
あしたの少女(足に差し込む光の、死の誘惑)
ジョン・ウィック:コンセンサス(最高!!!!)
ハント(イ・ジョンジェさん、成功おめでとう���ざいます)
イコライザー3(最高!!)
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン(私はスコセッシほど悪いおじさんのこと好きじゃないよ)
哀れなるものたち(東京国際映画祭、女性の売春については価値観が合わないかも、デフォーさん好き)
首(すげえ面白かった、劇場で時代劇見る最後になってもいい)
GIFT(フィルメックス、上映時のミスが致命的、運営がひどかった)
PHANTOM/ユリョンと呼ばれたスパイ(パク・ソダムって最高)
首(父を連れて2度目、「胸がいっぱいでお腹がへってないよ」と言われたのでお茶を飲みました、劇場で観れて良かった)
枯れ葉(劇場でカウリスマキ見たの初めて、良い映画だった、まさかあのジム・ジャームッシュ作品が出てくるとは)
ヴォルテックス(クリスマスイブの朝からギャスパー・ノエに付き合ってくれてありがとう、友達…。露悪的なのは公式HPの監督近影だけ。ギャスパー・ノエはゴダールの正統な後継者だと思うんだけど)
ショーイング・アップ(閃光のような芸術の先も、作り続けていくことの)
ファースト・カウ(首の虚無と真反対の、小さな小屋の中にあった未来と時間と牛乳と蜂蜜の甘い香り)
スカイライト(ナショナルシアターライブ、ビル・ナイ&キャリーマリガン、「赦されたい」男、もう自分の人生を生きていて許される必要なんてない女)
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tamanine · 8 months
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キックボクシングへ行き帰ってきたので今夜は眠れると思う
さっき習ったコンビネーションで人を蹴った
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tamanine · 8 months
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血を流して鎮痛剤を飲みながら死にたくなっているがきっと今夜は死なないだろう。
同じ家に暮らしている子どもが好きなローストビーフを注文しておいてこのまま死んだりしたら皆意味がわからないと思う。もしも死ぬならあと10万円分くらい注文しても良いのだけど、多分冷凍庫に入らなかったりする。
血を流して鎮痛剤を飲みながらサスペンス映画を見て、ソフトクリームを食べようか迷っていた。歯をまた磨きフロスをするのが面倒でやめたのだ。きっと死ぬ方が手間がかかるだろう。今からどこへ行く気だ。
血を流して鎮痛剤を飲みながら、ジンを炭酸で割ろうか迷っていた。明日の夕方キックボクシングへ行きたいのでだるいと困るのでやめた。死ぬかキックボクシングへ行くかで迷うような悪い体調、というのも意味不明だ。しかもグローブも買ったくせに、血を流して鎮痛剤を飲んでローストビーフの注文をしてジムにグローブも届いているのにいきなり死んだら意味がわからないだろう。
でも意味がわからないことの方がおもしろいからな。
血を流して鎮痛剤を飲み、視界の周囲が暗くなっている。貧血で体調が悪いのだ。でもきっと今夜は死なないまま、副作用が「悪夢」の薬を飲むか飲まないかして眠るのだ。クローネンバーグの映画を観た後に「悪夢」の副作用がある薬を飲んだが、紅茶を飲み続ける夢だけで助かった。
血を流して鎮痛剤を飲み、副作用が「悪夢」の薬を飲むか迷って、多分今夜は死なないはず
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tamanine · 9 months
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tamanine · 9 months
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあった。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私にはあれらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる。国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド���を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と扱われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかも��れないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
宮崎駿のオブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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tamanine · 10 months
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他人との関わりを持たなければ、自分がとても薄汚く貧相な人格を持った人間だと気付かずにすむのに。
努力が足りない、そしてそれを認められない人間であると、気が付かないでいられたらいいのに。
知り合いには何人か、とても大らかで優しく、明るく、賢い人がいて、この人の周りにたくさんの人がいるのはとてもよく分かるなぁと思う人がいる。
私はきっと、人に気を使わせてしまう。大らかで賢くて優しい人は、私が神経質で嫌な人間であるということを思い出させないで近くにいてくれる。元々の気質が素敵なんだろうなと思う。(後天的な素晴らしさももちろんとてもあると思う)
数の少ない(けれど素晴らしい)友人は、きっと私のことを嫌いではないと思う。
他人との関わりを減らせば、自分のことを嫌いになり鬱々とする時間が多くなくて済む。
他者は別の美しい宇宙のように無限で面白いけれど、私はかなり最近まで私自身のことが全然好きではなかったので、手の届かない渇望で悲しくなってしまう宇宙。
あんなふうに生きていけていたら、小さい頃の家がこうでなければ、あんなふうな骨格で生まれていたら、あんなふうな繊細な服が似合う人間だったら、あんなふうに明るく大きくいられたら。
今日はバーベキューに誘ってもらえていたのだけど、賑やかな場所で微妙な量の「やるべきこと」が散在し、既に誰かと誰かが仲の良い場所で、曖昧に笑っているとわけがわからないほど落ち込んでしまうので行かなかった。
こんなに暑い日に屋外で訳が分からなくなってしまったら何日も立ち直れないと思う。
私は今までの人生で何度も何度も、「こいつ思っていたより変なやつだ」と弾かれたことがある。
全然バランスが取れておらず、どんなに努力をしてもどこかでリズムが狂い、距離をとられる。
本職の一部分だけは、そこまでの努力をしなくても一般的な価値観に合うらしい。ギリギリセーフだ。
でも他の部分はダメだ。仕事相手の人たちは本当にいい人が多い。安心して仕事ができる。でもお昼の時間に自分ばっかり話しすぎてしまったことをクヨクヨと後悔している。私は本当に他者の話を聴けていたんだろうか。本当の優しさなんて持っていたんだろうか。私は本当は誰かの優位に立ちたくてしょうがない、貧相な人間なんじゃないだろうか。
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tamanine · 1 year
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am2:00
コンビニに行きたくなってコンビニに行く。
大通りを空車のタクシーがバンバン通る。
切羽詰まった気持ちで数週間に一度深夜のタクシーに飛び乗っていたころがあった。
今だって飛び乗れるだろう。
どこへだっていけるんだ、と思う。
家を出てすぐに、空車のタクシーがバンバン通る、少しのお金で朝まで飲みに行けて、空港へ行くバスだってもうすぐ走り出すだろう。
どこへだっていけるんだ、どこへだっていけるんだ、
コンビニのATMで残高を見る、どこへだっていけるだろう
夜中の道は、昼間の道よりもどこへだっていけるんだ
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tamanine · 1 year
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2023.4.2の日記
ビル・ナイ主演、カズオ・イシグロ脚本「生きる LIVING」を見に行く。黒澤明の方を見てる人にはネタバレはないと思う。
朝から体調は悪く、家の物理的なあれこれに関するやり取りの担当者さんが間が抜けていて数字のチェックのため寝不足であり、映画館のチケットは直前のキャンセルもできるため映画に行くかどうか迷う。
だけどずっと家にいてもろくなことがなく、自転車でどこかに出かけてもこの調子の場合はあまりうまくいかなかったことがあり、体調が微妙な時に大したメイクも服もかためずに一人で暗闇に座っていられる映画館はわりといい。
家を出る直前に、観に行く映画の座席の埋まり具合を見ても二つ空き以上のゆとりで見られそうで、渋々出かけた。
自分で決めて自分のペースだけで行く映画館でも渋々、としか言いようのない気持ちになることがある。でも一人だから大丈夫、ムッとしたまま、映画も合わなければ誰にも何の感想も言わないままムッツリと帰ったっていいのだ。だから渋々、少しだけ電車に乗る。
「生きる LIVING」、黒澤明の元作は見ていない。
カズオ・イシグロのことは好きだけれど予告で見た、年配男性が若い女性に慰められていそうな場面が引っかかって見るかどうか迷っていた。
見た結果、年配男性が若い女性に勝手に慰められている場面には引っ掛かりはするものの、ビル・ナイなのでかなりギリギリ好きが嫌いかの境界にあった。
あのウサギのぬいぐるみかわいいね、でもとても歳上の人が若い人にあまりにも重い話をすると緊張してしまう。
映画、黒澤明のあらすじも知らなかったので、「そういう映画なんだ」「え、そんな映画なんだ」「へぇ、そんな映画なんだ」「そういう映画なのか!」が重なり、最後のひとつ以外の「そんな映画」はそんなに好きな展開ではなかったのだけど、最後のシーンに虚を衝かれた。
とても有名なこの映画はこんな話なのか。
もとの映画でも同じ気持ちになるんだろうか。
彼は一般的なシス男性的夜遊びにそこまでの生きがいを感じず、仕事をサボってもサボりかたもあまりおぼつかず、息子のことも好きなのに話をきちんと打ち明けることもできない。(それが息子にも影になる)
最後の彼の幸福、小さい頃の心残りや寂しさと、今の彼の虚しさを満たしてくれるブランコ。
夜、坂本龍一さんの訃報を知る。
大きくて美しい神宮の木の伐採、完成しない辺野古、きっとまた事故を起こす原発、戦争を避けようとしない自公政権。
坂本龍一さんのラジオを聴いていて、落ち込んだ時に聞くライブのBlu-rayがあって、いつも軽やかで、ずっとかっこよくて、そして尊敬できる大人。いつもなにかを面白がりながら、美しいものを知っていて、政治の発言も大きくして、ご自分の思う美しい次の音を見つけようとしてくれてた。
映画の中のビル・ナイのラストシーンみたいに、ご自身のための美しいものを取り出せる人。
フィクションの中の人よりももっと魅力的だけれど、同じ日付に重なる景色。
2009年のWORLD HAPPINESS に行ってYMOの音楽を聴いたよ。音楽を聴いたあとの夜の道、音楽を記憶に残したままずっと
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tamanine · 1 year
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今回の体調不良、コロナではなかったのだけど、
正直ここしばらく話のややこしいことに巻き込まれており、毒気にあてられた、という感じがする。
イニシェリン島の精霊みたいな、「いやもうほっとけば話終わりじゃん」的なあれやこれやで相当うんざりしており、
変な話の濃縮のさせ方をする人、というのが死ぬほど苦手だということがわかった。
好きだ嫌いだとかは、あの映画のこと好きだ嫌いだくらいで、生身の人間の「好きじゃないな」は放っておけばいいではないか。いったいなんなんだあれは。
お互い嫌いみたいだから距離を取ろう!win-win!おしまい!にしてくれ、毒気〜〜〜
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tamanine · 1 year
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体調を崩してしまい、何もできないため、今までできていた「つまんない映画を梯子してしまった」とか、一旦ヘラヘラと美術館に行くとか、あれは健康の特権であったことよと噛み締めている。
後遺症の残らない病であることが判明しているため、うわぁ体調が悪いとぼんやりしているが、後遺症に怯える方の病であったら、今の心持ちも全然違うんだろうと思う。
近所のお医者さんが良い人だから、バリバリと検査をしてくれ、結果に合わせて「効くはず!」と薬を処方してくれたので、ラッキーなんだと思う。ものすごくいつも忙しそうなのに、時間の限界まで患者を診てくれて、薬をきちんと飲めたか確認してくれる声がけは、根っこが優しいんだろうなと敬意を抱く。
昨年同じ家に暮らしている人が発熱をした際も、バリバリと検査をしてくれる病院が歩いてすぐのところにあったため、治療にきちんとあたることができたのだ。それがただの「運」によっていることは恐ろしいことではある。運が良かっただけ。いつ運が悪い方になってもおかしくない。
全部、運が良かっただけ。
運が悪かったこともあるけれど、大変なこともあるけれど、致命的ではなかったのだ。ただ今まで、運が良かった。致命的でなか���ただけ。でもそれにも理由がないのだ。
スカート(ソロプロジェクト名/バンド名的な)の澤部さんがアシタノカレッジ(TBSラジオ)で話していた、悲しい目に遭った人への寄り添いを、たまに思い出す。
運が良いことにも悪いことにも理由があまりないから、悲しい目に遭った人にとても冷たい自己責任論を暴力的に押し付けて、自分は運が悪くなることはない・理由がないからだと思い込みたくなる。
いつも理由はない。ほとんどない。悲しくて辛いことだけど、理由はない。
できれば他者にとって攻撃的な存在になりたくない、差別的な人間になりたくない、できれば優しい方の選択をして、しかし感謝を述べられないと気が済まなくなるほどになるバランスにはなりたくないので線を見極めながら、
できれば優しい方の選択をして、
人生の生産性に興味が無く、どうせ人は優しさか美しさしか残していけないのだからとどこかで信じている。
遠く遠くの星が輝いて、何年も前の輝きが眼球に届くまで、そこに「光」が存在している、その届くか届かないかの光程度のものだけを、生きてる間に存在させて、そして全部終わる。
モデルの山口小夜子さんとセルジュ・ルタンスが、「我々は美にくべられる薪だ」と言っていたことを思い出す。
そこまでの美しさの追求は(才能として)できなくとも、美にくべられる薪 以外の価値がよく分からない。
おべんちゃらとご寵愛獲得に必死になっている人、というのに今まで全然縁がなかったため(あっても目に入っていなかっただけかもしれない)、初めて会うその生態に衝撃を受けている。毒気にあてられた感しかない。毒気。
デザインはいいよな、プレゼンに勝てば上司とか部下とか関係なく勝ちでオッケーだもんな〜という、ぼんやりとしたままのイメージでいたが、もっともっとややこしいことがたくさんあるのだった。
おべんちゃら、そしてご寵愛、だからなんなんだ、あれは一体なんなんだ。
愛、せめて個人的な愛がいい。
人生をめちゃくちゃにするような愛は、社会的立場と全然関係がなくて個人的でなんの理由も無くて生産性もゼロで得も損も何もかもないようなやつが良い。
よくわからない。一体なんなんだ。
愛に翻弄されるならせめて個人的な巨大な切実な愛情であってくれ。ああいう人はとてもとても個人的な、なんの役にも立たない数年前に光ったらしい星の光を見つめたりしないのか。
結局全部、「個人的な」、自分にとってだけ大事なもの以上の大事なものなんてないのにね。
できれば優しい方の選択をしたい、どうせ人は優しさか美しさしか残していけないのだからと、どこかで信じている。
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tamanine · 1 year
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悪意。悪意のことを認識してはいるが、どこかよくわからない。
イニシェリン島の精霊、ちょっと映画館の空調がずっとガタガタとうるさかったせいで(ホワイトシネクイント、あれは酷かった、直ったと確認できるまで絶対に行かない)集中できなかったため映画のことがきちんと見えておらず、
いやほんとにそれは距離をとりなって、ねぇ、と思い、あと私はマーティン・マクドナーの寓話とリアリティのバランスが合わないことがスリー・ビルボードと合わせてもう分かったので批評をする権利すらもないのだが、
もう関わってもどうしようもないのに関わろうとしたり、ものすごく情熱的に人を貶めたり裏をかこうとしたり、仕事上のご寵愛獲得に異様なおべんちゃらだけを延々と述べる人の軽薄さが、わからない。
悪意の部分だけ見ようとすることも、論理が成り立たないことも、よくわからない。(自民党、思想と論理と倫理が無いので嫌ですね。岸田は「差別」の基礎知識も無いと国会で宣言したも同然のニュースを今日見た、怖い、政治家は人権と差別の勉強くらいしてくれよマジで、新しい知識でな)
私は人間が、愛や執着や欲望や切なさでめちゃくちゃになるのは肯定派なのだが、それは「アデル、ブルーは熱い色」(監督には問題があるが)で、アデルがエマ(レア・セドゥ様!!!)に人生をメチャクチャにされるのは全肯定(私の人生がリアルなレアセドゥ様に出会ったことでめちゃくちゃになったら、もうそれは構わないではないか。人生はそのようなものにくべられる為にあるのだ)してしまうようなものだ。
役に立たなくて、優しくて、美しくて、切ないものに人生を燃やすべきで、
役に立つ、生産性だけが高く、合理的なものだけに人生をかけたら、そこに何が残るのか、私には分からないのだ。
これは人生観の問題なんだろう。
私はデザインとか美術、文学や映画や音楽が好きなので、人に優しい記憶を残したり、美しい瞬間に時の概念を消されたりすることに価値を置いていて、
役に立つ役に立つ生産性生産性、という価値観が根っから分からないのだ。
でもそうじゃ無い人がいっぱいいるらしい。
デザインの界隈、デザインが好きだけど根っこの部分では他人のことへの興味が薄い(君のデザインは僕には作れないタイプのものだし君にとっても僕はそうであろうし、各々好きに生きようや、と理解しているから?)人も多いため、まぁ君の人生は君の人生だからな!と思うタイプの人が多かったからかしら?と私は勝手に思っていたのだが、
単に私が薄ぼんやりしていて、「君の人生は君のものだからな」の気持ちがもしかしたら強い方なのかもしれない。分からない。
あなたにとって、あなたの視界に入る人の人生は、「それはあなたの人生だから、あなたが好きにしたらいいっす」と心底は思っていないものなんだろうか?
本当にそう思ってないの?
マジの実務の部分以外って、「君の人生だからな〜」って思っているものではないの?思ってないのか…?ほんとに?
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tamanine · 1 year
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朝とも言えないのんびりとした時間に起きると、気持ちが軽くなっている。
周囲の世界は昨日と何も変わっていない。
変わったのは私の心持ちだけだ。
一昨日吐露できた、積み重なって苦しくなっていた酷い言葉たち。
私が苦しめられていたのは、あのことを言っていた人の方が不適切な言葉を選んでいたからだった。
勘違いではなかった、私には苦しむ理由があった。
承服しかねる思想で踏みつけられ、脅されていた。
ぱっと見そのような暴力を振るう人には見えないのだが、嘘も重なり敬意のか���らもない言葉を使い、踏みつけるような人だったのだ。
私はとても苦しく思っていたし、苦しいのだと人に共有することを許され、本気で受け取ってもらいながら、そんなことが!?とゲラゲラ笑い合うことすらできた。
でもこれらの痛みを受け止めてもらえたことが確かで、
朝とも言えないのんびりとした時間に起きると、気持ちが軽くなっていた。
世界は変わっておらず、でも私は今明るくて自由な気持ちを持っている。
世界は何にも変わらないのに。
世界は変わらないまま、でも今確かに持っているこのふわふわした光のような気持ちが、未来のための力になるんだろう。
何年も苦しんでいたことだったのかも。
でももう苦しまないでいられるかもしれない。
世界は変わっていないのに、ふわふわの気持ちを抱えている。
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tamanine · 1 year
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ふせったーバックアップ
スーパーノヴァ、ラストをぼかしているから途中からの小さな懸念が大きくならなくてよかった。認知症と介護がメインの話ではなく、2人が今まで築いた愛し合う時間の映画なんだなと捉えました。
広い星空や美しい湖の風景、森の中を進む車、ピアノの音がとても素敵なので、是非劇場で。
暗闇の中で見るのとても素敵です。
ファーザーは「父と娘」、病の悲しみとそれでも残るもののだったし、認知症に対してとても向きあう姿勢の映画(元は戯曲)だったし素晴らしかった、
スーパーノヴァは多分全然違う映画で、
遠い日に出会った2人が一緒に居続けることを選択し続け愛し合い時を重ねる話のように感じた。
認知症のテーマですごい傑作を見てしまった直後なので少し引っかかってしまうけど、テーマが違うんだろうなとあのラストを見て思った。
ラストをはっきりさせてしまうと病へのジャッジが生まれてしまい、それはかなり倫理的な問題(今病気と向き合っている人へ冷たいメッセージになりかねない)をはらんでしまうけれど、綺麗な良い終わりだった。
2人が長い時間を過ごした素敵なおうちがあるはずなのに、映画の中心はそこでは起きず、小さなキャンピングカーや妹の家が映される。
鏡を使った演出が丁寧で、1人の所作が写るときにもうひとりがすぐ隣にいるように見える。
知的な会話、2人にしか通じない冗談、2人の生活の中で100回も200回も繰り返されてきた動作が、2人の家以外の場所で繰り返される。
生活の蓄積した家以外に小さな荷物で行ったとしても、2人から発生する時間は、かけがえがなく2人の時間として再発生する。
人が人に出会いその人と自分が融合し、永遠にその人が自分の中で拡大する。出会うことは不可逆で、時を重ねれば重ねるほど、あなたに出会った自分は生きた体の中から忘れられることはない。
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tamanine · 1 year
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ふせったーバックアップ
ライトハウス、映画館用の映画だなぁと思い、見て良かったです。映画を見終わって帰ろうとしたら豪雨により建物を出られず、ここから出してくれよ と思いました。煮詰められた人間関係は危うい、人間関係は煮詰めない方がいい
人のぬくもり→いらだち→お戯れ→
生理的嫌悪→コミュニケーションの楽しみ→
暴力の発露→ぬくもり 
の繰り返しと蓄積される肉体的疲労、
ワンオペ育児のやばくなるやつみたいだな、と途中少し思いながら見ました。
(映画の出来がいいので途中から現実の色々なことは遠くなりますが)
パンフレットなど読むとあの労働の押し付けは主婦・奴隷のように扱う
男性性のマウンティングでもあるようなので、
そこまで的外れな気持ちでもなかったのかもしれないし、
雨の中でぐしゃぐしゃになる体験、幼児の送迎時に自転車で「修行かよ、これは徳が積まれるのか?」と思いながら大荷物で雨に打たれていたのでそれが想起されたのかもしれない。
でもお料理を作るのはトーマスで、彼が料理について感情的になる部分が面白かった。
予告でのイメージより2人はきちんと交流しており、セックスシーンのようなタイミングで殴り合う。そのようなタイミングの暴力は時折見かけるけれど、この映画では何故か新鮮に見えた。
ロバート・パティンソンはとても綺麗な人だけれども、そことはまた別の要素で妙な軽さの出る人で、このような映画でも見ていて陰鬱した気持ちにならない。
マスターベーションの最中に差し込まれる雑念あたりからドライブがかかり、面白い から すごく面白い!!「なった。実に邪魔そうな雑念で凄く良い。
後半でイーフレイムがウホウホ!みたいな動作で手を叩くシーンがあり、動きに意表をつかれ、本当に魅力的だし独特の映画だなと思った。
人魚の造形も良かったし、柔らかくきれいな肌への渇望も感じられた。
灯台は少しオラファーエリアソンみがあった。
モノクロで、血の赤の鮮烈さが無い点も面白かった。
灯りの陰影、肌や顔の質感の方が血よりも鮮明に残っている。
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