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uzurakoromo · 2 months
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年上の男嫌い(※あくまでフィクションの話に限る)
 個人的な話。私はフィクションにおける、年上男性キャラがずっと苦手である。
 単体(言い方……)というよりは、「年上の男性と年下の女性」という組み合わせが非常に苦手である。それは、兄妹という関係でも同様である。
 何故なら、妹しか知らない私にとっては歪な関係性に見えたのだ。
 家族なのに、同じ人間なのに、「年上の男」だからというだけで「上下関係」が出来てしまっているような、あの不平等な感じ。当然、下になるのは女の方で、上司関係において「年上の男上司と年下の女部下」という組み合わせも殆どであったのも、現実にも通じる「男女差別」を感じて嫌だった。
 フィクション内での「兄」や「年上の男」は、力任せに年下の女を押し倒し、傷つけ、放っとき、精神性優位性をずっと保ったままでふんぞりかえる。だから、言葉も粗暴になって平気で「お前」呼びしてくる。けれど年下の女は「妹」、「後輩」、「部下」という立場から逆らえられずにおびえたり、自省ばかりでもどかしく、男のちょっとした優しさにすぐ絆されてしまう。骨肉の争いを繰り返してきた妹との関係しか知らない私にとっては、納得のいかないことばかりであった。
 しかし、私の少女時代は不幸なことに、そうした「年上の男と年下の女」との恋愛や絆が、凄くもてはやされたいた時代だった。(妹キャラという言葉もとても流行っていた)
 男性にとっては「若い女を手なづけられる」疑似体験を感じて気持ち良いのだろうが、私が分からなかったのは――、女性側も年上の男性に憧れを持っていたことだ。年上の男性とのチャットにハマり、エロや下ネタに大盛り上がりしたクラスメイトもいたし、「男は30代になってから」と豪語する同級生もいたりした。
 確かに、精神年齢は女子の方が早熟するという風にも言われ、「うちのクラスの男子なんてサルでしょ? それよりは……」と蔑んで斬り捨てる風潮があった。それが私には納得がいかなかったのだ。私は斬り捨てるよりは、もっとぶつかって話し合い、折り合いをつけていきたいと思っていたし、共学である以上男子と無関係であるわけにもいかず、文化祭やレクリェーションなどの活動にそういう人ほど、誰かに役割を押し付けるのを知っている。そして、押し付けられる側が大概「私」だったのだから、それに対する恨みもあったのだろう。
 また、先生に憧れるというフィクション内での設定にも、私は魅力を感じられなかった。小中高時代全て、20~30代だった男性教師の覚えが全くないのだ。マジで誰一人思い当たらない。これは逆に珍しかったのだろうか……。
 よく「忍たま乱太郎」の土井先生が初恋泥棒とも言われるが、私は「へー、よくまあ、あんな年上の人と……」と思うのが正直な感想である。否定こそしないが私の方はやはり、同世代の「きり丸」が気になる性質(たち)だった。
 それは、私には小1の頃から「年上の男子」に対する不信感を培っていたからもあろう。当時、同じアパートの住人で、同じ小学校に通う5つも年上の男子がいたが、それがもう本当に嫌な奴だった。
 親同士や先生が、なんとか彼と自分を「幼馴染」として引き合わせようとしたのだが、彼はカマキリのような三角顔でむすーっと不貞腐れるだけだった。プールの競争でも5歳差でも遠慮なくクロールをかまし、帰り道も私を放っといてさっさと帰ってしまう。すれちがっても挨拶さえせず、背後から乱暴に私を追い抜いて荒々しく自宅のドアを締める音を立てる。
 5つも年上だったのに、私の方が「小6にもなって気遣いのひとつも見せないのか。ガキくせえヤツだな」と思ってしまい、彼の存在はないものとしてふるまった。やがて彼は2年位で引っ越してしまい、後から来た年下の子どもたちの世話は結局、私が担うことになってしまうのだった。
 しかし、「男子より、女子の方が早熟」って本当なんだろうか。あの「ガキくさかった」男子でも、思い出せば小6として当然な態度だったとも考えている。子どもに子どもの世話を押し付けるのは大人の身勝手であり、彼がそれに反抗したのは懸命ではあったかもとも少し思う。それでも私が世話をしてしまったのは、また、女子が男子をサルだと思ってしまうのは、「女子」の方がいち早く大人になるように「厳しく躾けられてしまう」のではないかとも思うのだ。
 単に言えば男子の方が「甘やかされて」しまっている。だとしたら、「女子が年上の男性に憧れる」構図には、先に言った通り深い「男女差別」の構造があるのではないかと勘繰ってしまう。なおのこと私は支持できないのだ。
 とはいえ、私も業が深いもので、中学校で初めて「異性の後輩」ができ、年下の男子から丁重にされたときには、密な喜びを覚えたのは確かである。先輩や同級生のようにほっといたり、暴れたり、恫喝したり、暴言を吐かない男子(私もちゃんと言い返したのでトラウマにはなっていないが……)の存在を初めて知って、「これが当然なんだよな」と、ようやく思うようになったのだ。
 なので、我ながら恥ずかしいこととは自覚しているものの――、「年下、後輩、部下の男子」が好みだったりする。
それは自分の優位性を立てるというよりは、どうしようもない男女の格差の中で、男子が少し下がる立場になって初めて「平等」になれると思うからだった。
 また、年下の男に対してだからこそ、気兼ねなくなる女性キャラのあどけない笑顔も好きなのだ。困り顔より、慌て顔より、泣き顔より、やはりそういうときの顔の方が、私はずっとずっとずっと好きである。
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uzurakoromo · 1 year
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掌編小説 『未来の視線』
 過去へと行けるタイムマシンが開発されてから、数年が経った。その間、私たち歴史調査隊は、タイムマシンを順調に活かし、歴史の真実を紐解いていったのであるが、その中で少し、不可解なことが起こっていた。
「やっぱり、感じます……?」 
「あなたも思っていたなんて……」
  今日の業務を終え、珈琲片手に語る仲間たちは困惑に声を落として俯く。それに私も心当たりに湯気を見つめながら、改めてその不可解な現象を言葉にして皆に伝えた。
 「私は三年くらい前かな……平安時代の子どもに自分の姿を捉えられた」
 「僕は去年、江戸時代の武士に」
 「��たしは、明治時代の女工に……」
  私に続いて、皆がそぞろに例をあげる。本来それは絶対にありえないことだった。過去へと繋ぐ仕組みは、いわば、過去の次元に透明なレイヤーを重ね、その狭間に私たちが紛れ込む、と、いう形だ。だから、過去の者たちに私たちの姿は捉えられないはず。だからこそ、私たちは過去に介入することなく、調査を進めることが出来るのだ。だが、次第に例外が現れるようになった。
 そう、過去の次元において、必ず誰かが、調査隊の誰かの姿に気づいて、こちらを睨むのである。彼からすれば、ヘンテコな様相をした者が急に現れたというのだから、当然そうするであろうが。
  私も、多くの人が目を合わせることもなく通り過ぎる朱雀通りの脇で、浅葱色の水干を着た一人の子どもだけが、ススキの穂を地べたに付けて自分を見つめていたときの、あの辿るような目線を思い出し、口を覆う。
  なんだろうか、あの異様なほどに感じる不気味さは。
  他にも経験した彼らの証言を聞く限り、その「見つめる者」という存在には、パターンがあることが分かった。
 一つ、「見つめる者」は各時代ごとにランダムに、性別も身分も一切関係なく、非常に稀ながら、一人、または二人出てくるということ。そして彼らもまた、調査隊の中で一人だけの隊員を捉えているということだ。私はリーダーとして、不可解な現象を開発部に報告し、調査を依頼した。すると、原因は不明であったが、大きな事実が判明しだのた。それを皆に報告すると、彼らは全員一斉に口を開き、更にざわつき始めた。
 「え、見つめる者は、見られた隊員の祖先、または親戚だった、と?」
  私は報告資料を片手に大きく頷いた。
 「ええ、それに例外はなかったみたい。だから、結果論としてそういうことだろって」
 「つまり、何です。それこそ次元を超えて、私たちと先祖様は出会っていたというのですか?」
「それが、いわゆる縁とか、運命とかというものかもしれませんね」 「そうね。また、昔から伝わる怪奇現象や、心霊スポット、冥土と言われる場所も、巡り合わせば、私たちとの遭遇場所とも一致しているらしいわよ」 「……僕らを幽霊か祖霊とか見間違えたご先祖様が、今へと述べ伝えたのかもしれないね……」 「先祖が未来の子孫を祖霊と間違えるとか……不思議なこともあったものね」  と、仲間たちはその巡り合わせを悟り、驚きつつもやがて、安堵のため息を漏らした。この結果に対し、政府は「今までの調査の成果に比べれば、噂や奇譚に関わるくらいの介入は微々たるもの」とし、歴史調査はそのまま進められることになった。  しかし、私は、私だけは、この事実を何か異様な前触れとして穏やかな心地がしなかった。それから数ヶ月後、嫌な予感は当たることになる。ある日、私の後輩が泣き叫びながら調査から戻ってきたのである。 「目が合った! 目が合ってしまったんです!」 静止しようとする仲間を振り払い、彼女は髪の乱れた頭を抱えて叫んだ。私は問いかける。 「どうしたの、落ち着きない。誰と目が合ったですって?」 「新宿のバーにいたDJです! 調査で通りかかっただけなのに……間違いない! 彼は、間違いなく私を見た! でも、なんでなんです!? あの……私を見たあの瞳は……! 青色、だった……!金色の髪、高い背丈……彼は外国人だったんですよ!」  周りは騒然となった。何故なら、今、床に突っ伏せて叫ぶ彼女は、とても海外の先祖がいるような見た目ではなかったからだ。 「待ちなさい。落ち着きない。先祖が遠いと遺伝に反映しないことだってあるわ」  私は彼女の背中に手をついて慰めるも、それにますます荒ぶれて、彼女は首を振った。 「いいえ、いいえ! ありえません!ありえません! だって私が飛んだのは令和時代、祖父母の時代なんですよ!? でも、私、あの人知らない! 他の親戚にもあんな人いない! じゃあ、今まで知っていたおじいちゃん、おばあちゃんは違ったっていうんですか!? それとも、私が、私が違うとでも言うんですか!?」  そうして、自分の出自が揺らいだ衝撃に、彼女は泣き伏してしまった。しばらく私たちが慰めてきたものの、開発部からの報告は改めて、『例外』は彼女しかないと無情に諭し、孤独に苛まれた彼女は、心当たりがないという家族との諍いの中でやがて人間不信を起こし、調査隊を辞めてしまった。  それから数年後。歴史調査隊が海外の申請を受け、遂に海外への進出を決めるようになったとき、私は久しぶりに彼女から手紙を受け取った。眩い研究所に晒された真っ白な手紙には、可愛らしい文字でこう��られていた。 『私は今年、結婚することになりました。療養のために訪れた北海道で、出会ったのです。ひと目見た瞬間、私はこのひと以外ありえないと思いました。正に運命だと、それ以外にないと思ってしまいました』  と、かつての調査隊エースらしからぬ、情動的な綴りに戸惑いつつ、同封されていた写真を見て、私は珈琲のカップを落としてしまう。甲高い音が青空に響き渡る中、震える私の瞳には、金髪に青い瞳を持つ女性が彼女と腕を組んで笑い合っていたのだ。 『そして、彼女は言いました。彼女の祖父は若かりしり頃、新宿でDJをしていたことがあると。なんということでしょう。私と目が合ったその男は、実は未来に会うパートナーの家族だったのです。それを知ったとき、私はすべてを悟りました。私は未来に見られていたんだと』  写真の中で彼女は、円満の笑顔を見せていた。 『かつて私が所属していた歴史調査隊は、”過去の事実を見極める”ことをモットーにしていましたが、今にして思えば、なんて傲慢であったことでしょう。いいえ、私たちは本当はそういう立場ではなかったのです。深淵を覗けば深淵もお前を覗く。お前たちもまた、過去の人々の視線の行く先に、自分の現在を、そして未来を見られているのだ、と。いずれ私たちは子を成すのでしょう。繋がりがあって過去の者と目が合うのであれば、それが道理になるでしょう。そう、たとえ……』  私はそれ以上、続きを読まなかった。写真には白いウェディングドレスを並べて笑い合う二人がいる。現在においても、同性同士の生殖が成功していた例はない。しかし、きっと、二人が子を為せる未来は来るのだ。
 それを何十年前の視線は辿っていた。私たちは過去から、未来を見られていたのだ。  事実への決着をつけられないまま、海外への歴史調査が始まってしまった。衝撃にしばらく眠れないまま、目の下にクマをこさえて捉えるのは、初めての海外の景色。そして、その海を仰ぎ見たとき、そこで私も見てしまったのだ。
 煌めく海の背後に、こちらを凝視する、黒い影の中に浮かぶ白い眼光を私は叫び、膝を落とした。周りの声も遠くに掻き消え、ただ、その目と見つめ合っていた。
  そんな……、この時代に、ここであの人と目が合ってしまったら、いずれ私は……! そしてこの国は……!
〈終〉
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uzurakoromo · 1 year
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掌編小説 『SAWAKO』
 人狼。普段は穏やかな人の姿と化しながら、夜になると本性を表し、狼となって人を喰う怪物。我々人類は、恐怖に怯えながら歴史を紡いできた。  けれど、そんな日も今日で終わり。私は瞳の奥に憎悪を忍ばせて、ラボラトリーの天井を仰いだ。その天辺にまで聳え立つのは、細長い鉄の巨塔。幾重もの回線の影を浮かばせ、銀色のシートに覆われたそれに向かって、私は両腕を広げて叫んだ。 「SAWAKO! 私の命令を聞いて!」  それは十年前、人狼に喰い殺された母の名前。そして、復讐を誓った父が生前に作り上げた人工知能の名。父が仕込んでくれたおかげで、科学者でない私でもそれなりに意思の疎通が出来る。 「これから、私の身体をサンプリングして、全人類の人狼を見極め、抹殺してちょうだい!」 「承知しました」  懐かしい母の声で、SAWAKOは言った。 「しかし、主よ。貴女の身体を元に、どうやって人類と人狼を見極めましょうか」 「人狼である限り、どんな姿で紛れようとも決して人間にはなりえないわ!」  私は、自らの胸の頂を掌で押し付けて答えた。 「私は紛れもなく人間! なら、人狼には必ず、人間とは違う構造を持っているはず! それを探し出してほしいの!」
「承知しました」
 やがて、無機質な機械音と共に、私の身体は赤いレーザービームに覆われた。そこからSAWAKOの優秀な検知機能は、私とは違う人狼を衛星で使って探し出し、脇の画面からリストアップしていく。けれど私はあえて見なかった。余計な罪悪感に囚われて、躊躇する気持ちを持たないためだ。  今宵、狼を倒すは鬼であれ。鬼になる覚悟を決め、血の脈を帯びる私の瞳は、天井窓からのぞく月を見上げた。  ああ、弟も今、同じ月を見ているのだろうか。幼い頃に事故に遭い、ずっと寝込んでいる、たった一人の家族。彼には両足がない。襲われたりでもしたら逃げることも出来ず、なすがままに喰い殺されてしまう。もう二度と、人狼に家族を殺させない。例え私が罰せられて処されようとも。 「リストアップは終わりました。結構な数になりましたが、それでも構わないですか?」 「是非に及ばずよ!」  冷徹なSAWAKOの声と共に、私はやがて水平に腕を振り、山上の展望台で命令を下す。 「やるならば、徹底的に! 地下に潜る暇など与えないくらいに!」 「承知しました」  アラーム音が鳴り響いた。これからSAWAKOと連動している殺戮兵器が、ミサイルの光を為して、今宵の空を駆け廻るのだろう。  爆音が鳴った。激しい地響きが続く最中で、どこか遥か遠くでも爆発音が弾いた。私は目を閉じ、耳で聞くことによって、全てが終わるときを待っていた。
 それからどれくらい経ったことだろう。うっすらと目を開くと、深夜の山の峰々がぼんやりとした明かりに灯り、幾つもの煙の筋を引いていた。山向こうの街は今、酷い惨状にあるんだと悟りつつ、私は安堵のため息をついた。 「これでやっと……弟に……」  街が灰燼に潰えようと、これでようやく人狼のいない外に出られる。街が消えた空の方がきっと広く、青く見えることだろう。私はやがて、弟のいる方角を見た。すると、向かって右の中腹あたりが赤く燃えているではないか。 「え……?」  そこは弟が暮らしている別荘あたりだ。馬鹿な、あそこには今、弟しかいないはずなのに。 「SAWAKO、どういうこと……? あそこに人狼はいたの……?」 「ええ、いましたよ。最初から一人きりで」  背筋に戦慄が走る。馬鹿な、弟は私と血を分けている紛れもない人間だ。���れなのに――、
「ああ、そういえば、改めてお伝えするべきでしたね」  私が考えを巡らす前に、母の声が耳に張り付く。 「私がどうやって人狼を特定したのか、お教えしましょう。貴女の身体をサンプリングして、他の人間と照らし合わせたとき、『人間』と人狼の明らかな違いが分かったのです。そこから一つの例外もなく、排除しました」  三日月が浮かぶ夜空の下に、轟々と燃え盛る赤い炎。唇は震え、息を継ぐことも出来なくなっていく中で、SAWAKOは、母は言った。 「なんと人狼には、『人間』にはない臓器を持っていたのですよ。俗に言う、『男』ってやつがね」 〈終〉
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uzurakoromo · 1 year
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それぞれ、2020年~2023年までのお正月絵です。その年が忙しかったりなかったりで、毎年絵柄もキャラクター(版権またはオリジナル)も違っています。(そしてクオリティも……orz)
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uzurakoromo · 2 years
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首都 TOKOYOへようこそ ~ことりっぷでもブラタモリでもない私のための東京案内~ 「上野編」
上野で初めて行ったところは忘れもしない、小学校四年生のときの「東京国立博物館」である。自由にテーマを決めてそれについて調べよう、という総合学習の授業で、私はそれで何に気を触れたのか、そのときおしゃまに「国宝」をテーマにしていた。それなら、国内髄一の国宝館ともいえる東京博物館に行かないとね、と、いうことで連れて行って貰えたのだった。
 私は、学校の授業の中で総合が一番嫌いだったが、その上野に行ったときだけが鮮明に覚えている。そう、あのときから上野の奇妙さを感じていた。「なんか、ここ、おかしくない?」と。
『上野編』
※私がここで、そしてこれからも書く「東京案内シリーズ」は、批判的意見も多いこともあります。ご注意ください※
 東京都台東区上野。
 位置的には下町地域にありながら「上野」という不思議な名前だが、上野は武蔵野台地の文脈にあたる上野台地の先端にあり、実は「小高い」ところにある。山上には徳川幕府の菩提寺、「寛永寺」があり、江戸時代からの要所であった。やがて幕末には佐幕派(旧幕府側)の拠点の一つとなり、明治時代には幕府を淘汰した明治政府によって、皇室から受け賜った公園、上野恩賜公園という体を為すこととなった。(なんという悍ましい当てつけであろうか……明治政府怖い)
 その背景もあってか、上野には様々な江戸と近現代の要所が入り乱れている。寛永寺の門前町として年中屋台が広がってお祭りのような賑わいを見せる一方で、公園に建てられた東京国立博物館をはじめ、東京都美術館、そして世界遺産に登録された国立西洋美術館などの美術館が充実し、他にも東京科学博物館、都内で唯一パンダが見られる上野動物園に訪れる人での賑わいもある。(驚くべきことに、どれもこれも都内一級の美術館・博物館であり、さほど広くない範囲内ですべて回れる。これほどの特殊性は上野以外ないのではないか)また、上野公園は江戸時代から桜も見もの。ここまでぎゅっといろんな要所がまとまった公園も、そうそうないのであろうか。
 しかし一方で、台地を下った山下の方では――、映画、「ALWAYS 三丁目の夕日」にある通り、「北側にある東京の玄関口」としての、昭和期からの賑わいが色濃く残っている。(映画中で東北出身の六子ちゃんが上野に降り立ったのはそのため)そこの賑わいは山上とは結構趣が違うのである。  アメ横はその代表格とされる。また、戦後からの賑わいということで、純喫茶という、古い喫茶店も多い。テレビでよく撮影される、「丘」と「古城」も上野の山下にある。また、それだけでなく、北の玄関口ということで、歓楽街としての趣も深く、当時は駅前で男女問わず風俗業に関わる人もいた。その影響か、ストリップ劇場や風俗店も多いのだ。また上野といえば、かつて戦災孤児たちが社会問題化した場所であったことも忘れてはならない。
 上野公園があるため、空襲を受けたときの避難先ともなっていた上野は、その際にはぐれたり、また親が亡くなり、身寄りがなくなった子どもたちが行き場をなくし、駅前であることを鑑みてそこに寝て暮らしていたのだ。後々、私は大人になって、その戦災孤児がたくさん籠っていたという地下通路も残っているのを知ったが、それを知る前から、私も通りかかる度にその地下通路の入口から何かを不気味に感じていたものである。戦災孤児たちがどういう扱いを受けていたかは、「火垂るの墓」を見ている人はよく知っているであろう。そのようなほの暗い歴史が、あの賑わいの中にあるのだ。
 そして、たった十数メートルの高低差の、その山上と山下の微妙にすれ違う歴史と賑わいが、どのように絡んでいるといえば、それもまた奇妙なのであった。
 例えば、山下にある、上野で有名な某組紐店。そこは江戸時代からの老舗店であるが、そんな由緒ある店でありながら、その通りは風俗店が無遠慮に並んでいるのだ。以前、偶然に、組紐に憧れた外国人女性が訪れて組紐を学ぶ……という番組が見たのだが、彼女が円満の笑みで初めての着物と共に、店の前で写真を撮影していたその辺りには、猥雑なイラストや看板が広がっていたと思うと何ともいえなくなる。(どう考えても、老舗店が先に建っていたのだろうから、どうして区や風俗店はそこを考慮してくれなかったのだろう……ちなみに、この例は一つだけではないのだ……)  実は私も、風俗店の狭間にある会社への転職活動のために、昼にそこを回ったことがあった。が、客引きの黒服の男たちがそぞろに道の脇を歩き、ぎらぎらした目で女の私を見定めたり、また冷やかしだと思って睨みつけたりして、実に気分が悪かった。
 また、不忍池。観光名所としても有名だが、私はここは苦手である。きれいな蓮池も季節が過ぎれば枯れた蓮に羽虫が飛んで汚いし、その脇にある公衆トイレはよく「臭う」。その側に建つ「台東区下町風俗資料館」は、当時の民衆がどういう暮らしをしていたのがを見せる展示品が充実しているものの、その公衆トイレの臭いを引きずっていくと、その生々しさが割り増しなのだ。よくフィクションとして見る「大正もの」は、一部of一部の人の暮らしだったのだと、思い知らされる。
 世界遺産、風俗店、徳川幕府の寛永寺、明治政府がぶんどった恩賜公園、パンダ、佐幕派を淘汰した西郷隆盛像という当てつけ、枯れた蓮の花、江戸時代から続く老舗、戦災孤児、桜の名所、羽虫、都内一級の美術館、ストリップ劇場……。
 本来、交わってはいけないものが、狭い範囲内で全然整理されていない。それが上野だと私は思う。しかし、それがまた、東京を象徴する風情であるような気もする。上野は兎にも角にも、西東京住まいの私に初めて教えてくれた、「ミニ��ュアの東京」であった。
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uzurakoromo · 2 years
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ある難しい男の話しを書こうとしている
 いづれ、「本編」を書き終えたとき、もっと公のところで語ろうとしていること。
 私は今、とある長編小説を書いている。NYや世界を舞台にしたハチャメチャガンアクションものの一方で、その中でも人種問題、男女差別、貧困格差、地域格差、戦争・紛争・治安維持問題など、現代に通じる社会問題を取り上げつつ、一方で、個人が抱える問題――、虐待、毒親問題、精神疾患、発達障害、先天性疾患も複雑に絡む話を書いている。
 その中で、日本人の主要人物である日椴敬之(ひとどまつ たかゆき)の問題を取り上げることについて、改めて身構えているのであった。
 彼個人の抱える問題とは、虐待、その中でも、性的虐待に伴うセックス依存症である。
 
 彼は、NYのプレイボーイとして男女問わず、淫らな生活を送っている人物だが、それは幼少期に父親から受けた「初体験」が「とても気持ち良く」て、「ハマってしまった」と、思い込む心理から為されているものだ。
 本当は父親から受けた虐待にとても傷ついているし、本当はそんなことをされたくなかった本心をひた隠しにしている。そうでも誤魔化ないと、自尊心の根本を、よりによって命を与えてくれた父親に「無茶苦茶にされた」という訳の分からなさから、とっくに壊れてしまうからだ。
 だから彼は、自分はどんなセックスも大好きだと思いこんで、危ないプレイも難なく受け入れてしまう。そうしている内は何もかも忘れられるからだ。また、いっそのこと死んでしまえばいいという、微かな希死念慮もそれに伴っている。
 一方で、何もない夜の日は、父親に迫られた悪夢と、惨めで弱い自分に打ちひしがれるのが怖くて怖くて気が狂いそうになり、そこでまた人のぬくもり(と、セックスが大好きだという夢想の自分)を求めてしまう。
 それが彼の事情であるが、私は、彼の苦しみはその過去自体に留まらないところに注目したい。それは、彼があくまで「自分は虐待を受けていない」という心理にハマっている、その泥沼についてである。
 当然、虐待の被害を受けるということは、惨めだ。辛いことだ。それはまた、認めることも同様なのである。
 殊に男性はそれをひた隠しにする傾向があるという。そのケアに努めるのではなく、事実を拒否するためにどんどん捻じ曲がっていく方を選んでしまう、と。だから、彼は虐待を受けていたという証拠をも、「認めたくない」という心理から、彼自身が消し去ってしまうのである。それがもう二度と、父親を告発することが出来ないリスクになることも知らずに。
 その上で――、��こでオリキャラの名前を少し取り上げるが、主人公のキティや、高珊(コウシャン)など、「勘が鋭く、彼の過去を見透かしそうな女性」には、「男女問わず誰とも寝る」はずの日椴は徹底的に拒否をするし、読み取りそうな相手も突き飛ばし、「俺を誤解している」、「可哀そうぶって優越感に浸りたいだけ」と、相手が悪だと意固地になって、彼らとの付き合いを急にシャットダウンしたりする。
 プレイボーイとしているための不自然な行為が、皮肉なことに彼がプレイボーイであることの「嘘」を暴いてしまうのである。
 当時、彼のキャラクター設定を考えていたときは、私は刹那的に生きる彼を、自分と違って何にも縛られていないカッコイイ人、と、いう憧れも含めて描いていたし、そういう人を(フィクション内ではあるが)好きになっていたりもした。
 しかし、次第に精神疾患に関する本や資料、記事、そして動画が開かれていく中で、現実を学んでいく。
 刹那的に生きるというのは、過大なストレスから生じる精神疾患の「一症状」としてままあるということ、そのままにしておくと治癒の余地もなく、重い精神疾患になって入院人生を送ることになったり、危険なプレイによる事故や、人間関係のトラブルの事件や殺人に巻き込まれて、悲惨な死を迎えることが多いということ(また、加害者となって縛られない人生どころか、囚われの身となる)、そして何より私が衝撃的だったのは、「診察を受けた限りの私観、という前提ではありますが、自殺をするリスクは、刹那的に生きる人と、うつ病の人とは変わりないと思います」という精神科医の言葉であった。
 そして、うつ病経験者として私は、日椴はそういう背景を持っている人として、描写せざるを得なくなった。勿論、中には「そうでない人」はいるだろう。しかし、「そうでない人」キャラとして出すというのは、「そうである人」をいなかったことにする。それは、小説を書く上で絶対に許せないことだったから書いている。たとえ、彼が作者の私にも拒否することがあったとしても。
 私とて、うつ病経験者として、「うつ病でも、死にたいと思わない人もいるんだよね」なんて、事実だったとしても、絶対に思ってほしくないから。
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uzurakoromo · 2 years
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オリキャラのらくがき。
 大学生時代から、今にかけて書いている長編小説の登場人物たち。
 最初はNY市警を舞台にしたハチャメチャガンアクションかと思ったら、次第に世界が舞台となり、第二次世界大戦から引きずる社会問題に巻き込まれ、それぞれ決意と決別を諮りながら、その問題に立ち向かう話となっていきます。 
 それも、もうすぐ書き納め。これからは日本を舞台にする話になるので、ここまで外国人が多く関わる話は二度と書かないんだろうなあ。
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uzurakoromo · 2 years
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団地 悲奇交々
https://www.youtube.com/watch?v=saehM0Fr2tM
団地への招待 (1960)【高画質・公式完全版】
 東京都西東京市にある巨大な団地、ひばりが丘団地。その建設当時の貴重な映像が公式動画として、Youtubeにあげられていた。1960年、今からもう62年も前。今年還暦を迎えた私の父もまだ、生まれていない時代である。
 こうして取り上げておいて、早速言うのも憚るが、私は実は幼少期から団地が苦手である。その胃の竦むような思いをした団地が、今から60年も前だとこんなにもキラキラ✨した、憧れの生活だと見なされていたのがショックであった。
 私も本当は、あくまで「団地」が苦手であって、住んでいる人は関係ない……と、良識のあることを書きたいが、私の経験したことは、その良識や罪悪感をも遥かに超える住人とのトラウマがあるので、今回はそれをあえてそぞろに呟かせていただく。
 まず、団地の嫌だったところは、そう、住人の話――、私にとってそこは、「大人にしょっちゅう、もの凄く怒られる所」だったということだ。動画にもある通り、団地に住む子どもたちのために付近に学校が作られ、私も当時そういう学校に通っていた。そして同級生(友だちとは言わない)も団地住まいの人が多く、彼らの家に遊びにいくこともあり、団地は放課後の遊び場の一つであった。
 そして、その度に滅茶苦茶怒られたのだ。公園で大声あげる度、裏庭で遊ぶ度、同級生の部屋で笑う度、「うるさい」「入るな」「黙れ」「しゃべるな」。何のための公園なのだろう、何のための部屋なのだろう。
 自分の住む独立アパートでは、まずありえない理由で怒られていたから、頭が混乱する毎日だった。と、いうのも、今ではよく知られていることだが、団地の壁、床はとても薄く、ものすごく簡単に音が届いてしまうのだ。
 60数年前はまだ環境問題も、住宅問題も「思いも寄らぬ」時代で、そういう騒音問題をも全く考慮に入れられない構造がザラにあり、(また技術の限界もあった)公園で遊んでいただけなのに、向かい団地の住人に怒られるという頓珍漢なこともままあったのだ。(動画でも、「わあ、凄い音!アパートって随分反響するんだな。赤ちゃんのいるウチなんか困っちゃうわね!」と、微笑ましく言っているが、それが後々住宅トラブルになる可能性は考えられなかったのか、貴女もそこで子どもが生まれる未来も充分考えられるのに……と、何とも言えない気分になってくる)
 一番記憶に残っているのは、人口川に放流されていた金魚を眺めていたとき、「税金で買ったやつに手を出すんじゃない、ドロボーが!」と、言われたことである。自転車で通り過ぎる間際に言われたので、言い返す暇がなかったが、そのタボタボの薄汚れた黒いTシャツの男を見ながら、小学校3年生にして、「ばっっっかじゃねえの????」と、初めて大人を軽蔑した。そして、小学校3年生にして「下品」という感覚を下ネタ以外で痛感したのだった。税金を引き合いに出すとか、本当に下品だと今でも思う。
 そういう事情もあり、私は外で遊ばなくなってしまった。そして今でも絶賛インドア中である。そこから閉じこもっていたお陰で、まだ花粉症とは無縁であるのは有難いが……。
 また、60数年前に建てられた団地は、その30年後には既に老朽化が進んでおり、照明も壁も、手すりも天井も階段も薄汚れ、蜘蛛の巣も張っていた。また、夜になるとまるで墓標のようで不気味で、公園の遊具もペンキが剥がれかけ、錆びた鉄がむき出しになっては恐怖を引き立たし、冬の6時に鏡の割れるような古めかしい音を立て、眩しい街灯がつく瞬間は嫌な気持ちになった。(今ではホラーでしか見ない演出だ)
 そして、60数年後となった「今」は、より悲惨である。団地のゴーストタウン化は進み、廃墟となってチェーンで締め切られ、戸板で嵌め殺しにさせられた団地はあまりにも景観が悪すぎるし、当時としては画期的だった団地も今や狭すぎて若者は皆飛び出し、当時から住むご老人しか残っていなくて、活気がないのが目に見えている。それは、動画のひばりが丘団地からそう遠くない団地近くに数カ月前まで仕事で通っていたから、その住人と接客した立場としても、陰鬱な雰囲気を実感としているのだ。
 30年後、そして60年後を通して、その動画からの未来を知る私は、憂鬱な目を伏せてしまうのだった。そして、私の今住んでいる部屋も、そして、私が愛する建物も、30年後、60年後となれば同じ末路を辿るのだろうか。どうやら今は、タワマンも同じ状況に差し掛かって来たらしい。あれも、バートストライク、ビル風などの住宅問題を全く鑑みない構造であった。ちなみに私は今、その近くに勤めており、もろその風当りを受けている(とても寒い!)。
 団地も廃れ、いずれタワマンも廃れ、そして一戸建て住宅願望もこの総貧困時代において廃れた今、この先の未来の建物とはどうなっていくのだろうが……。それだけは全く想像がつかない。まず一つとして言えることは、これからますます、耐震基準が厳しくなっていくことくらいだろうか。
 そしたら、耐震のために団地やタワマンもリノベーションされて、変わっていくのかもしれない。そういえば、あの忌まわしいと思っていた団地も久しぶりに寄ってみたら、今どきの暖色な街灯に切り替わっていた……。
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uzurakoromo · 2 years
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とうらぶで呪術廻戦パロディ。博多藤四郎と陸奥守吉行。
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uzurakoromo · 2 years
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ペリリューー楽園のゲルニカーで、ヤマザキ春のパン祭りパロディ。
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uzurakoromo · 3 years
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小説同人誌の表紙絵が出来たので、ここにも載せます。
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uzurakoromo · 3 years
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希死念慮に対する、哀しい程に冷徹な自己分析に対し、多大なる敬意を示して。
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uzurakoromo · 3 years
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藤本タツキ 「ルックバック」に見る、藤野キョウのどうしようもない狂気
 少年ジャンプの人気漫画「チェンソーマン」の作者、藤本タツキ氏が新たに描き下ろした新作読み切りが今、Twitterで物議を醸している。
 その名も『ルックバック』。
(参照URL:https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355)
この作品は、私含めてTwitterに多く存在する漫画、また小説を手掛ける創作者の心に刺さる話であった。しかし、同じ創作者の中でも、否定的な意見があるのも当然。その中で最も理路整然とした意見を出されたのは、コピーライターとしてTwitterでも名高い風倉氏である。彼の意見は以下の動画に詳しい。
(参照URL:https://www.youtube.com/watch?v=IZcJKknJQwI)
 その中には、ファンだった私でも納得するものがある一方(クラスメイトのリアリティの無さとか)で、「これはこうだと思うんだけどな~」と、反論したい所もあった。
 それを纏めようとした所、やがてある一つの解釈に行き着き、そこから、藤野、もとい創作者として生きとし生ける者の哀しい性について、向き合う事になったのだった。最終的にはそれについて取り上げる。
 まず反論したい所として、「藤野の頓珍漢な自責の念」、「パラレル展開の不自然さ」についてをそれぞれ取り上げる。
 京本が美大で通り魔に襲われて死亡した事で、藤野は「私が彼女を部屋から出してしまったのが原因なんだ」と、自分を責めるシーンがあるが、それを風倉氏は、有体に言えば「頓珍漢で、意味不明だ」という。しかし、私は決してそうは思わない。彼女の精神状態を考えれば、むしろ当然だと思うのだ。
 風倉氏にも本当は心当たりはないのだろうか。人は急に強いストレスやショックを受けた時、頭が真っ白になり、普段ではありえない悪手を取る事があるのを。私も仕事や将来に悩みうつ病になった時、Twitterで「私って馬鹿だよね」って呟きを見ただけで、「自分が馬鹿」だと思い込み、それから生きている事の罪悪感に苛まれて絶望し、マンションから飛び降りかけた事がある。
  精神的に疲弊すると考え方が極端にもなるし、自分を責める筋道を立てる為に、色んな事柄を滅茶苦茶に結び付けてしまうものなのだ。訳の分からない理不尽や哀しみをそのまま受け入れるより、どんなに頓珍漢でも、それがたとえ自責とて、「原因」を突き止め、一瞬の納得を得る方に縋ってしまうあの瞬間。本当に風倉氏は、それを知らないと言うのだろうか。以上をもって私は、藤野が自責の念に駆られるのは、無理もないと思うのだ。
 もう一つの反論としては、自責の念に悩む藤野が思い馳せる「自分が漫画の道を誘わなかった」パラレル展開に対する「脈絡のなさ、不自然さ、舞台性」についてなのだが、私は実は、それ自体には同意している。
 しかし、その不自然さや張りぼての様な舞台設定が、その「背後」に潜む可能性を見いだせないだろうか。あのパラレル展開は、あくまで藤野の「物語」であるという可能性を。
 パラレル展開など有りえなかった。京本は藤野と出会い、別れた後に美大に通い、殺される。そういう人生以外、有りはしなかった。
(通り魔が美大を襲うか?という意見もあるが、当時とて、通り魔が学校やアニメーション会社に襲いかかるなんて思いも寄らなかったものだ)
 しかし、そんな理不尽を受け止めきれない藤野は、自分を責めると同時に、あの四コマ漫画を破り捨てながらも、そこでもまた滅茶苦茶に僅かな手がかりを搔き集めて思い描いてしまうのだ。京本が自分と出会わなかった人生(物語)を。
 例え自分と出会わなかったとしても、京本が美大に行くというルートは、今まで藤野が見てきた京本のクリエイティブ精神への敬意だと見て取れるし、通り魔を空手で撃退しようとするシーンは、自分が小学校の時に少し空手やっていた事を思い出し、それを設定にして、一瞬の内に組み込ませた展開なのだろう。そして、藤野が最後に受け取る四コマもきっと、パラレルの京本が描いたものではあるまい。あの面白い味は紛れもなく藤野のものだ。
 だからあの四コマも、彼女の思い描く物語のイメージとして現れていたに過ぎないのだ。それでも、彼女はそれによって救われる。そう、最後まで、彼女は「自分(で考えた物語)」で「自分」を救うだけなのだ。
 なので、多少の不自然さがあっても問題はなかろう。いや、それでもクオリティの高いパラレル(物語)だ。現に多くの読者に「本当にあったパラレル」として魅せているのだから。
 どんなに苦悩しても、落ち込んでも、泣いても、藻掻いても、考える事を止められない。本人の意思をも追い越してしまう才能を持ってしまった藤野。
 紛れもない、彼女は天才だ。鬼才だ。藤野キョウのキョウは、狂人のキョウだ。だが、それがどうしようもなく、苦く、哀しい。
 と、「藤野キョウ謳歌譚」となってしまったが、このままだと、「京本の存在意義とは?」という風倉氏の批判が後に響く。しかし、それも実の所、京本自体も存在しなかったのではないかと思えば、これもまた辻褄が合う。展開の不自然を考えるなら実は、「京本の存在」が一番不自然なのだから。
 小学生というのは、ストーリーのうまさよりも圧倒的に絵のうまさの方を支持する。むしろ絵のクオリティ以外は認めず、それ以外を詰り捨てる傾向が圧倒的に高い。(私も当時それで散々蔑まれた)なので、小学生の京本が、ストーリーは面白くとも絵がイマイチな藤野のファンになるのは、あまりにも早熟していると私は思うのだ。
 私達にも当時いなかった様に、藤野にも本当は、京本はいなかったのかもしれない。そして、私達がそうであった様に、僅かな心当たりを縁にして、自分で京本を思い描くしかなかったのかもしれない。自分の作品の一番のファンは自分しかなかった。その妄執ともいえるものが、彼女の漫画家としての成功を導いた。だとすれば、彼女の背中(バックグラウンド)にはどれだけのものがあったかと思うと、これも自分の妄想ながら、涙が出そうになるのだ。自分の人生がどこまで本当か嘘か分からない。人生をも物語とごちゃまぜにさせてしまう傾向が、藤野キョウの様な才能の持ち主にはままあるのだ。
 さて、数ある創作者の中で、どれだけの人が「藤野キョウ」であるだろう。彼女は成功しているから何とかなったが、狂人と評している通り、それはまた身の破滅も意味する。そんな恐ろしい才能に、皮肉にも恵まれてしまっている創作者は、どれ位いるだろうか。
 筆を折る事はすなわち、死を意味する者。
 何度失敗してもどうしてもどうしてもどうしても諦められない者。
 周りに誰もいなくなり、泣きながらもその涙と血で作る者。
 どうしようもなく、どうしようも、なく。
 そんな、それぞれの「藤野キョウ」に幸あらん事を。
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uzurakoromo · 3 years
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今更ながら、2年前に公開された刀剣乱舞の実写映画版を見た~私の推し、田貫はあそこで何を思っただろう~
『映画 刀剣乱舞 ―継承―』。私は2年経ってようやく(しかもアマゾンプライムで載っていたから)見る事が出来た。
 私は、「刀剣乱舞」というゲームは大好きであるが、いわゆる刀剣乱舞のアニメ、2.5次元やミュージカルというのはかじらなかった。
 決して俳優や作画がうんぬん……という訳ではなく、私はこつこつと築き上げた「自分の本丸のメンバー」のイメージを大事にしていたため、それがなかった事にされるのが虚しかっただけなのだ。(ストーリーが面白かったら見ていたが、乙女ゲームや艦これのトラウマもあり、ゲームのアニメ化、舞台化は色んな層に良い顔をしようとして、どっちにも中途半端になるものという思いもあった)
 私にとって、田貫の相棒は鯰尾であり、骨喰ではない。だって骨喰、私の部隊では鯰尾よりずっと遅かったのだから。「刀集めより、顕現早めで強いメンバーを一定数揃え、ひたすらレベルアップ」、「大阪城より何より、本戦場で戦いボス戦を勝ち取る」事を至上とするオルレアン部隊では、脇差の中で最も古株である鯰尾が重宝されていた。なのに、2.5次元を元にした回想では、頑張ってくれた鯰尾をほっといて、何故か一度もうちでは戦場に出した事のない骨喰と、田貫が唐突に語り合っているのだ。
 それはまるで、私の部隊が全てなかった事にされたみたい。私はそれから、回想を回収する事もなくなった。
 2.5次元やアニメは「ある本丸」と考慮しているというが、そう語る彼らは、制作者は所詮、大和国の端っこにひっそりといる、「オルレアン部隊」なんて知りやしないのだ。それほどまで理解(わかって)くれないと、私にとっては「考慮してくれている」なんてとても言えない。だから見なかった。
 しかし、数あるメディアの中でも、この「実写映画版」は殊更に評判が良かった。中でも、数多の良作アニメを産んだ小林靖子氏の脚本というので、アニメ好きとしての期待度は高かった。(私も、彼女が担当した進撃の巨人やどろろは好きであった)そして当時は絶賛の嵐。その影響を受けると共に、それを推していた友人と久しぶりに会う事もあり、話のタネになればと思い、ようやく見る事が出来たのだ。(それでも2週間はかかった)
 結果としては、面白かったと思う。絶賛された内容には同意した。俳優さんは格好良かったし、演技も素敵だった。かつて見て楽しんだ、特撮技術ふんだんの殺陣や爆発シーンには心躍った。また、小林氏の真骨頂であるシナリオは納得のいくものであり、テンポの良さは私の大好きなハリウッドアクション映画に通じて、とてもワクワクした。
 しかし一方で、懐疑点もそれなりにあった。まず、審神者の服のデザインや小物がだっせえ。← まるでBAN●AIのおもちゃみたいだった。そこまで「特撮」っぽくしなくても良かったのではないか。また、これもよく言われるが、男士達の服装や髪型が滅茶苦茶浮いていた。例えるなら、草の色まで艶やかになった「麒麟が来る」の映像を見ている様だった。そこはポスターの様に、色も暗めに、またもっと汚れをつけても良かったのではなかったと思う。それ以外の信長、秀吉、その他足軽たちはリアルだっただけに、そこは本当に残念だと思った。
 そして、これは当時も論争の一つにもなった話で――、最後の審神者の代替わりの際、新しい審神者が「物言わぬ少女」だった、という所だ。
 微笑む少女ににこやかになる男士にはきゅんとはくるし、彼女の周りを取り囲んで児戯に興じる男士達にはほのぼのとはするが、一方で滅茶苦茶こえーなともその絵面を見て思う。少女といっても、彼女は歴とした女性である。女の子1人に対して大の男が十数人だけの世界(本当にそれしかいない)。それだけでもなかなかに恐ろしい。いや、男士達は勿論何もしないだろうが、いざ、命狙う敵が本丸襲う描写もあった映画内の世界で、そこに少女を一人だけをぽんっと行かせる政府の対応は、紛れもなくネグレクトである。そも、未成年に「審神者」という役割を担わせる事自体、彼女の権利を侵害しているのだ。
 小林氏は「歴史が深く絡む話なのに、男性ばかりなのはどうしても不自然。そこには紛れもなく女性もいたのだから、どうしても女性を出したかった」という思いがあったらしい。それには納得する。だったら、成人で意見をしっかり言う女性の審神者を出すべきだった。または、武将の側にいる家族(妻、娘、姉妹)や女中、または戦で逃げ惑う民の女性でも良かった。そうしなかったのは、刀剣乱舞を乙女ゲームとしてみなす層と、自分の意志を同時に叶えようとした結果だったのだろうか。だとしたら、これが皮肉にも、私がメディア化に対して最も懸念する、「中途半端」な部分になってしまったとも思う。
 
 せめてもの救いといえば、最後の最後で私の推し、同田貫正国が大広間に出てくるシーンで、少女の姿を見ても一切表情を変えなかった所だろうか。顔立ちの綺麗な俳優さんが、その絶妙な演技をしてくれたのだが、まず、胡坐を掻いた「田貫」は少女を見た時、「え、こいつが審神者……!?」と言いたげにその大きな眼を開いていた。しかし、目だけである。他の男士にあった様な、唇の動きや身体の動きは一切示さない。そんな彼の豪胆さが窺える仕草が良い。三日月はその後、慈父の眼差しを少女に向けたが、田貫はそのギラついた目で彼女を見上げるばかりである。
 そして、微笑む男士達をよそに、笑う事も、眉を顰める事もどちらもしないで、淡々と頭を下げて近従の言葉に従う場面で終わった。 
 当然、彼女の戯れに付き合う男士の中にも入らない。それがとても「良い……」と惚れ惚れしてしまう自分がいた。そうだ、政府にも、また制作者への思いにも寄らない田貫はそういう男だった。と、思わせる良い場面であった。
 さて、この実写映画版を推す友人とはどこまで語れば良いのであろう。それが今度は楽しみであり、また不安な所である。
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uzurakoromo · 3 years
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太宰治「女性徒」より
 けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。
 ほって置くよりしようのない、ハシカみたいな病気なのかしら。でも、ハシカで死ぬる人もあるし、ハシカで目のつぶれる人だってあるのだ。放って置くのは、い��ないことだ。
 私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。
 そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ。
 私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しのがまんだ、あの山の山頂まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。
 きっと、誰かが間違っている。
 わるいのは、あなただ。
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uzurakoromo · 3 years
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太宰治の桜桃忌前日に向けて(当日は仕事なので)
桜桃忌 灰の御前に向かうまで 誰に見せるや 紅を差す我
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uzurakoromo · 3 years
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自分の精神疾患と向き合う ~単極性傾向大うつ病というもの~
 私は精神疾患、単極性傾向大うつ病にかかっている。
 表向きでは新卒で入った会社のセクハラ、パワハラ、過労が原因だと言っているが、実は、医者からはうつ病にかかった理由は「原因不明」だと言われている。
 そも、うつ病という診断自体が、「原因不明」とセットで名付けられる症状なのだ。(原因がはっきりしている場合は適応障害という)
私「原因不明……え?だってこんなに思い当たる節があるのに……?」
医者「はい。原因のある適応障害だったら、その環境から離れた途端に持ち直す事が多いものですが」
私「(そりゃそうだな……)」
医者「ですが、貴女の場合、その最悪な支社から離れて、本社に戻ってしばらく落ち着いたというのに、うつ病の症状が止まないんですよね」
私「そうなんですよ……それが不思議で不思議で……」
医者「なので、それが直接的な原因ではないと判断しました。セクハラ・パワハラはあくまできっかけとしか言えないと思います。そして、今までの証言を見る限り、貴女はそれ以前にも、高校生時代にも軽いうつ病にかかっていた可能性が高いとも見えました」
私「え……!?」
医者「貴女は実は、高校生の時から病的のまま過ごしてきたのです。そして社会人でのストレスがきっかけとなって遂に重い症状が現れ、今までの我慢が爛れ爛れて、適応障害をも越える症状を起こしてしまったのでしょう。しかし一方で、私の経験を見る限り、高校生時の悩み(進路の不安、先生への不満)では、うつ病に罹る直接的な原因としては足りない様な気がします」
私「え、ええ。憂鬱だったのはむしろ小、中学生時代ですし、高校の時は自分の努力不足だと……だから、うつ病に罹っていたとも、夢にも思っていなかったのですが……」
医者「そう、そこでも時期がズレている。しかし、要因がなくとも、貴女が当時起こった症状の羅列は間違いなく軽いうつの症状なのです。要因がないのにうつになった、不思議ですよね。じゃあ、そこから辻褄を合わせると、貴女はそれ以前よりもうつに罹りやすい因子を持っていたとも言えるのです。貴女のうつ病の「原因」はそこにある。おそらく、貴女の生まれた時からあるずっとずっと根本的な「何か」。本来、それ程のものでないと、「原因」だと断言する事は出来ないのですよ」
 今思えば、仕事と縁の引きは凄く悪かったものの、医者の引きは凄く良かった様に思える。(皮肉すぎる)
 案の定、先生は凄く評判の良いおじいちゃんで、寛解した後は、あっという間に予約も一杯になり、今ではもう診察をお願いする事が出来なくなってしまった。
 ちなみに、私が高校時からうつ病と指摘された症状は、軽い順に並べて以下の通りである。
①素ではあまり元気がない(でもそれが一番リラックスしている状態)
②美味しいというあまり気持ちが分からない(だから食事シーンや場面に他の人と比べてあまり興味がわかない、ご飯ツイートも滅多にしない)
③生まれたくなかったと常に思う、自分の誕生日が大嫌い(Twitterを始めた11年前からある)
④すごく落とし物、無くし物が多い(何度駅や会社に電話かけたか分からない)
⑤自責の念、罪悪感、
⑥それの反動による怒り、憎悪の蓄積
⑦頭痛
⑧倦怠感、疲労感、
⑨判断力の低下、語彙力の不足、パニック
⑩過眠(よく不眠がうつ症状の症状とされるが過眠も実は症状の一つであ���)
⑪食欲減退(②の重いver、ちなみに過食もうつ病の症状である)
⑫無感情(どんなグロ画像を見ても何も思わない位)
⑬セルフネグレクト、自傷行為(こめかみを無理くり引っ搔いて血を流した事がある)
⑭希死念慮
⑮自殺未遂
 その中でも①~⑦は高校生の時から慢性的に、⑧、⑨はストレスがかかる度に起こり、⑩~⑮は症状が重くなった時に起こる。しかし一方で、更に強いストレスがかかると、色んな過程すっ飛ばして⑬、⑭、⑮だけが突発的に表れる事もままある。それは、うつ病と診断された後の寛解後に始まった事だ。私は一度重いうつ病に罹ってから、実は結構取返しのつかない所まで行ってしまったらしい。(高校生の時、きちんと治療を受けていればこういう事にはならなかったんだろうな……)
 一方④は「性格の問題では……?」とは思ったが、先生曰く、それでは他の検査結果との辻褄が合わないから、うつの症状と捉えるのが妥当との事。さいですか。
 私の場合、生まれつき持っているうつ病の直接的原因である「何か」を持ち(心の中にある風船)、それがネガティブ、几帳面、完璧主義、HSP(非常に感受性が強く敏感な気質)と呼応して膨張し(空気)、それがストレス(仕事、プライベート)(針)のために爆発し、それにビックリして心が止まる、また共に破裂すると言うのだろう。それを薬やカウンセリングで空気を抜き、針の先を丸め、萎ませ続けているのが今の状況という訳である。しかし、風船は何度でも表れて死ぬまで消える事はない。つまり、永遠に治る事はない病気なのだ。
 以上をふまえ、私の精神疾患は「単極性傾向大うつ病」と見なされている。「傾向」とあるのは、単極性なのは有りえない!全てのうつは双極性だ!という見方もあるんだそうから。(それ位、精神疾患の形は曖昧で、まだまだ研究の余地があるのだ) 
 単極性傾向というので、私はいわゆる躁状態( 極端に調子がよくなって活発になる時期)を経験した事はない。人からよく「変わらないね」と言われる通り、ホントマジで、性根は一年中いつも疲れている、いつも悩んでいる。いつも憂鬱でいる。 それは年齢も関係ない。高校生の時からずっとそうだった。
 頑張っている時は「ああ、頑張ってんな」と自覚して、それが終わった後はきっちり疲れて��込むし、テンション上がり続けるのも3日(1日の前後もなく)が限界。
 妹が、友だちが、誰かと外に出て遊び、また恋を育んで将来への道を歩み続けている間、私はずっと醒めない夢を見続けていた。起きれない。どうしても、起きれなかったのだ。
 一度でも良い、どんなに後からどんなに後悔しても苦しくても良い、クスリでもキメて起き上がって、外に出れる時が欲しかった。この時初めて薬物に手を出す人の気持ちが分かった。しかし、皮肉にもそう願う時は、死を願う時と同じ様に、それがどうしても出来ない、動けない時に限ってしまう。
 願っても願っても、それでも目を覚ます度に気づくのは、鉛の様に重たくて動かない身体、食べる気の起きないへこんだお腹。
 私には終ぞ「その時」は来なかった。今も来ない。きっと永遠に来ない。これからも私には、元気のない日々が続くのだ。
 しかし一方で、月経と関係がないのもまた、私のうつの不思議な傾向である。私にはPMS症状は皆無で、月経痛は初日のみ(薬を飲めば必ず収まる)、腰痛は2、3日目(こちらもシップを貼れば何ともない)までと比較的安定している。仕事の日はともかく、休みの日だった場合は心情的に何も変化は起こらない。生理よりはやはり仕事が私にとって一番のストレスらしい。(そらそうか)
 そして、統合失調症の症状でもある幻聴は経験した事はない。「お前は死ぬべきだ」という言葉の反復が頭に響く事はあるが、声ではない事は断言でき、自分の心の声である事は自覚している。それも幻聴の一つと言えるのだろうか。  
 また、幻視や感覚過敏も経験がない。むしろ鈍感になって景色はいつも霞んで暗がっているし、感覚もまるで夢を見ている様にぼんやりとしている。(しかし、健康診断で一切異常がないのホント不思議、やっぱメンタルなんだな)特に味に対して実感が湧かない傾向がある。
 この通り、うつ病といっても様々な症状の隔たりがある、そも、うつ病の原因が分かっていないのだから、そうした波があるのも無理はなかろう。こうして、この不思議で不可解で不気味な自分の症状と向き合い、少しずつ形を明らかにしていきたい。
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