Tumgik
#つまみ細工教室
rada25 · 6 months
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本日の中級Bクラス。つまみ細工のかわいらしい二兎のうさぎ。娘が大喜びでさっそく机に飾らせていただきました。
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xf-2 · 8 months
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
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【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
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【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Aigis short story scan and transcription.
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人の心、アイギスの心
わたしは、人型戦術兵器アイギス。桐条グループ のラボで開発された、対シャドウ決戦兵器であります。現代の軍事技術の最先端であり、長年に渡るシャドウ研究の結晶。機械の身でありながら、人間と同様の精神性をも併せ持ち、世界で最も火力の充実したペルソナ使い。とくに頑強さにおいては定評があり、わたしの名前のもととなったギリシャ神 話---イージスの盾の逸話どおり、まさに不敗、鉄壁、無敵の存在。
そう。無敵のはずでした。
ですが、現在わたしが身を置いている月光館学園、その学生生活において、この優れた兵器としてのスペックはいっかな発揮する場を得られず、ゆかりさんを始めとする性別女性のクラスメイトの方々の口調を借りて言うなら、ちょっとブルー?なんかウツ入ってる?といった感じなのであります。
「······それじゃあ、今日は4日だから······ひの ふのみで、えっとアイギスさんか。このときの “私” の気持ちを要約して言ってちょうだい」
あ、そういえば、いまは授業中なのでありました。鳥海先生がわたしに回答の発言を要求しているであります。先ほどまで思考作業を行なっていたわたしですが、最先端の人型戦術兵器たるわたしの中枢は、並列処理が可能なので質問も聞き逃すことはありません。ありませんが······。
「どうしたの?やっぱ帰国子女には現代文は難しい?そんな深く考えなくていーのよ?」
現在のテキストは、夏目漱石という人物の創作による『こころ』という小説。わたしには、この “こころ” というものに対する理解が、まだまだ足りないようなのです。32秒あまりの沈黙ののち、鳥海先生はわたしに正解への手がかりを与えようというつもりでしょうか、やや演技過剰と認識される様子で話しかけてきます。
「自分が親友Kを差し置いてプロポーズした結果、その友達は何と自殺してしまう······さあ、そんなときアイギスさんなら、どう思う!?」
「わたしなら······友達が自殺してしまったなあと、思うであります」
「······まんまじゃないの。もちょっと捻りなさいよ!捻りなさい!」
「もしや······自殺に見せかけた殺人?」
「なんでよっ!これは漱石なのっ!純文の名作を江戸川乱歩ミステリにしないでっ!」
「動機の面では “お嬢さん” がもっとも疑わしくありますが······現場不在証明を確認する必要が······」
「聞いてよっ!私の話を聞いてっ!!」
いつものように鳥海先生がはじけてしまい、間を置かずに終業のチャイムが鳴りました。これがもし “私” が “お嬢さん” を親友Kから奪うための、要人略取作戦の立案であれば容易なのでありますが······。ペルソナさえ召喚できる精神を持つわたしでも、この “こころ” というものへの理解は、一筋縄ではいかないのであります。
「まあ、オレらは生身の人間だけどさ、それでもなかなか人の気持ちなんてわかんねえもんさ。そこまで悩まなくていいんでないの?」
順平さんの言葉に、わたしの大切なあの方もこくこくとうなずいてくださいました。いまは昼休み、屋上であります。現在、わたしが直面する問題を解決する参考意見を聴取するため、おふたりにご足労願ったのであります。
「しかし······現実問題として、わたしの学園生活には “人間らしさ” は必須のスキルであります。民間人の方々とのコミュニケーションが何らかの原因で阻害されれば、それはすなわち、わたしの任務も阻害されるということであります」
「でもよ、けっこうクラスの連中ともうまくやってるみたいじゃん」
「いえ、いわゆる “ジョシコウセイ” という集団において、わたしはひどく浮いているように思えます。携帯メールによる情報伝達すら、満足に理解できないありさまで······」 「へ?どーゆーこと?」
例えば、とわたしは前置きして携帯を取り出し、先日ゆかりさんから受け取ったメールをおふたりに見せました。そこには「桐条SP に遅くなるって伝えて (^_^)」と書いてあります。
「これが?」
「通常、SPといえば要人の身辺警護を行なう、いわゆるボディガードを指します。ですので、わたしは桐条グループの警備部に、その日のゆかりさんの帰宅が遅くなる旨を伝えました」
「い?そ、そりゃあ······」
「なぜか、変な顔をされたであります」
「だろうな」
「その夜、ゆかりさんからSPとは先輩の略だと聞き、 わたしは大きく落ち込みました。それだけではありません。別のメールで “H/K” という記述があり、それが “話は変わって” の略だと理解するまでに、3日を要しました。もしこれが “H&K” ならば、ドイツの銃器メーカー ヘッケラー&コッホの略だとわかるのですが」
「それこそ一般人にゃわかんねえよ······」
「だいたい、ギャル文字というのも何でありますか。“†ご” で “た” と読ませたり、“(十” で “さ” と読ませたり、1バイトで済む情報量をわざわざ2バイトに増加させるなど、理不尽であります。非効率的であります」
「まあまあまあ。それがジョシコーセーってもんだよ。つか、そんな形にとらわれなくたって、アイちゃん十分人間らし······あ、そーだ」
突然、順平さんが何かを思いついたように立ち上がりました。
「どうなさったのでありますか?」
「とりあえず、そういう相談ならさ、やっぱ本職に教えてもらうのが一番だと思うわけよ」
そう言って、順平さんは嬉しそうに笑顔を見せます。こういう人間らしい笑顔は、人間のジョシコウセイという擬装に必須で、それでいてわたしに足りないもの。こんな笑顔を、私も身につけることができるのでしょうか······?
「という訳で、特別講師の岳羽です」
「じょ、助手の山岸です」
「つかさ、順平。あんた結局さ、アイギスの相談ごとをダシに、自分が遊びたかっただけなんじゃないの?」
状況が理解不能であります。
その後、わたしたちはゆかりさん風花さんと合流し、なぜかポロニアンモールのカラオケマンドラゴラ店内にいるであります。
「ま、ま、ま、細かいことは気にしない!学校帰りに友達とカラオケなんて、女子高生の定番じゃん?やっぱ形から入るのも重要だと思うわけよオレは」
「そうなのでありますか?ジョシコウセイは下校途中にカラオケ······了解であります。あ、ですがそうなると、美鶴さんもお誘いすべきではないでしょうか?」
「き、桐条先輩は一般的女子高生の見本にするには······その、ちょっと違うかな、と」
「······?」
詳細は不明ですが、奥が深いであります。
「よっし、んじゃ早速アイちゃんからな。何歌う?何でもいいぜ」
「歌、でありますか?初めての経験でありますが······奮励努力するであります」
「よっしゃ、頑張れー!」
「想定外の事態でありました」
「ま、まだ頭がクラクラするわよ······」
「私は······鼓膜が破れるかと······」
「ま、まあしゃあねえや、な?」
不幸な事故でありました。わたしが敵おうとマイクのスイッチをオンにした瞬間、すさまじい不協和音が発生したのであります。わたしの駆動機関が発する電磁波とスピーカーとが共鳴を起こす。いわゆるハウリングという現象。それは、音響爆弾もかくやという威力で���りました。ドリンクのグラスはすべて破壊され、隣室のカラオケ機器にも影響が出たということであります。
「中枢部の電磁波シールは完璧だったはずでありますが、各関節部の駆動モーターまでは考えが回りませんでした······」
これは、落胆という感情なのでしょうか?やはり兵器であるわたしには、普通のジョシコウセイとしての能力を身につけることは無理なのでしょうか?そんなわたしの思考を断ち切るように、順平さんが相変わらず明るく言います。
「んじゃ、気を取り直して女子校生の定番、その2!プリクラ行ってみようぜ!」
「ぶり······くら······でありますか?」
メモリにない言葉に、わたしは少し警戒心を呼び起こされます。ですが、せっかくの順平さんの立案です。わたしははっきりと肯定しました。
「行ってみる······あります!」
「よっし!んじゃゲームパニックにゴー!」
「で······ぷりくらとは、何でありますか?」
順平さんが盛大に転倒しました。
「これが、ぷりくら······プリント倶楽部でありますか。なるほどなー」
順平さんによると、数人で撮った写真をシール状に加工するための機器ということでありました。これで友人同士で写真を撮り、そのシールを分け合うというのが、ジョシコウセイの基本だとか。その意図はよく理解できませんが、この行動が作戦に必要ならば、わたしは逃げられません。敵前逃亡は銃殺刑でありますから。
「では、行きます」
「よし、ゆかりッチと風花も一緒にな。えっと、背景はコレ······フレームはコレでと······おし、スタートボタン押すぜ」
「ほらアイギス、ポーズとって」
「ポーズ、でありますか?」
「そうそう、笑顔笑顔」
「え、 笑顔······?」
状況を認識する間もなく、バシャというカメラのシャッター音に似た効果音が響き、さほど時間を置かずに下の受け取り口からシールが排出されました。それを見るや、順平さんが。
「う······ちょ、ちょっと笑顔が堅い、かな?」
「つかさ、笑ってないじゃん」
ゆかりさんの言うとおり、シールになったわたしの表情は、いわゆる無表情というものでした。兵器としてのわたしには、感情に応じて表情を変えるという仕様はありません。
「も、もう一度やってみようぜ?」
「その試みは無駄かと思われます。笑顔や泣き顔を表現できないということは、わたしの仕様ですからしょうがないのであります」
と、わたしのその言葉に、皆さんが一様に顔を見合わせたかと思うと、一斉に爆笑されました。
「何ごとでありますか?」
わたしの疑問に答えることもなく。否、答える余裕がないように、皆さんは笑い続けています。
「な、何ごとって······くっくっく······あ、アイちゃん、さすがあの幾月さんにメンテ受けているだけはあるな。ぶふっ」
「く、苦しい······何よ今のダジャレ。“しようだからしょうがない” って。あははっ」
「幾月さんが言うとアレだけど、アイギスが言うと愛嬌があっていいよね」
「あ······」
理解しました。意図したことではありませんが、わたしの発言がいわゆる洒落、似た音の言葉で一連の文章を作る、もじり言葉あるいは掛け言葉といわれるものになっていたようです。少々、困惑してしまいつつも、皆さんが喜んでくださったことは、わたしにとっても喜びであります。
「あれ?できるじゃん、笑顔」
「え?」
突然の順平さんの指摘に、わたしは驚きました。
「笑って、いましたか?」
「うん、私も見たよ」
風花さんも、順平さんに同意します。そうですか、わたしは笑っていましたか。
「そうそう。そこの無愛想な現場リーダーよりも、いい笑顔だったよ」
「······」
ゆかりさんの指摘に、あの方は別にどうでもいい、といった風にそっぽを向きました。そういえば、この方はあまり気持ちを表情には出さない方です。それでも、立派にリーダーとしての役割をこなしていますし、友人の方々ともうまくやっていらっしゃるようです。わたしは、ふと、ひとつのことに思い至り、発言しました。
「わたしは、お役に立てていますか?」
「へ?どうしたんだよ突然」
「わたしは、いわゆるジョシコウセイの方々のように振舞うことができません。カラオケもプリクラもうまくできません。人間の方の、“心” というものが理解できません。それでも、皆さんの仲間として、特別課外活動部所属の一員として、この場所にいてもいいのでしょうか?」
「あ------ったりまえじゃん!!」
順平さんが、大声で答えました。
「何、アイギスそんなこと悩んでたの?」
ゆかりさんも呆れたような口調で言います。それに続いて風花さんも言いました。
「アイギス、不安だったんだね?」
「不安······そう、そうかもしれません」
わたしのなすべきことは、皆さんとともにシャドウを倒すこと。そしてあの方を守ること。ジョシコウセイらしくできないわたしは、その任務に不適格なのではないか、皆さんの期待に応えられていないのではないか?そういう想いが、わたしの処理を不安定にしていたことに、いまようやく自分でも気づいたようでした。
ポロニアンモールからの帰り道、風花さんがわたしのそばに寄ってきて言いました。
「あのね、私思うんだけど、周りの人が自分をどう思ってるかわからなくて不安になる、それって立派に心があるってことじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
もしそうなら、わたしは嬉しく思います。心を理解できないことで悩んでいたわたしが、理解しがたいことで悩むのが心なのだと、逆説的なことを知って安心しています。
「人の心とは、摩訶不思議でありますね」
「みんな一緒、そう思ってるよ」
みんな一緒······それは何だか嬉しいことであります。わたしはふと、ポケットから携帯を取り出して、そこに貼られた先ほどのプリクラを眺めます。
「おそろいであります」
わたしがそう言ったとき、前を歩いていた順平さんとあの方が、少し驚いた顔をしました。
今度はわたしも自覚していました。こういうときに、人間は笑うのであります。
わたしは人型戦術兵器アイギス。人間の心が理解できずにときどき悩んだりもするけれど、それでも大切にしてくださる人がいる、幸せな对シャドウ決戦兵器なのであります。
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ari0921 · 5 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタ��ルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこ��に集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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oka-akina · 8 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書く��なら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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nenbutsushuart · 3 days
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴  三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子���御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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nyantria · 3 months
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目���した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
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junichimitsubori · 1 year
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yaasita · 10 months
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2023-06-12 ■賃貸マンションに入れてはいけない客・外国人と老人編 賃貸マンションに入れてはいけない客 https://anond.hatelabo.jp/20230609174500 賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編 https://anond.hatelabo.jp/20230610122156 ↑を書いた元増田です。 kappa_ycさんの「この文章をきっかけに読み手のステレオタイプが拡大され同様の行動に至ればそれは立派な差別の助長」という理性的な批判コメントは俺の琴線に触れた…。なるほど理解できる…。 それなら俺の書いた記事を公開したままにしておくのは良くないな。 ただ、前記事で外国人と老人について書いたところは俺の力が足りず、大きく誤解されていたように感じたので、補足を入れたい。その周知期間として2、3日とり、その後はこの記事も含め適当なタイミングで削除する。 ⚫︎外国人について まず俺が入居を断る外国人はビジネスレベルの日本語ができない外国人を指している。悪いけど俺は日本語しかできねえんだよ。だから日本語わかってくれないとビジネスができねえ。 でも、在日二世とかの日本で教育を受けた外国人は国籍が日本じゃないっていうだけで日本語はネイティブと変わらん。そういうお客さんを断る必要はないだろ?むしろ歓迎するよ。実際に入居してくれてる人やもう引越したけど以前入居してくれてた人も沢山いる。 つまり、俺は国籍を理由に断ることはしない。別の言い方をするなら、ビジネスレベルの日本語ができないなら日本人でも断る。 なので、kashur2さんが載せてくれた、差別で外国人が入居を断られたという判例集、俺にもその家主が入居を断った理由がわからん。 中には弁護士をやってる韓国人が国籍を理由に入居断られたっていうのもあった。司法試験を通過できる能力のある人ならそこらへんの日本人よりよっぽど日本語堪能だろ。 何がダメだったんだろう?タトゥーがあったのか? ただ、ビジネスレベルの日本語ができない外国人についても、できたらなんとかしてやりたいという気持ちはずっと持っている。 俺は慣れない日本に来て一生懸命頑張っている外国人を尊敬しているし、応援している。最近じゃうちの物件のエアコン取り付け工事なんてベトナム人の兄ちゃんが来るぜ。丁寧に仕事するよ。日本語はカタコトだけどな。 確かに日本人の若者はこういう仕事やらなくなってるもんなあ。俺が逆の立場だったら、ベトナムでエアコン取り付け工事の仕事する根性ねえよ。お前らすげえよ。 外国人を入居させると汚されるしゴミ置場が荒れるイメージがあるが、それは前記事でも触れたように、日本語のできない外国人に対して入居後のアフターフォローを継続的にできるような、高い語学力とホスピタリティのある優秀な人材が不動産業界にいないからだと思っている。 日本語のできない奴がクソみたいにルールの細かくてしがらみの多い日本社会で、カギだけ渡してあとはよろしくねって、そんなん問題なく暮らしていけるわけないだろ。そこは日本人に対する接客と同じにしたらダメだ。 多分、うまく意思疎通ができたらいいお客さんになるような気がするんだよな。ゴミはこういう風に分別して、この時間までに出せよな、とか、暗くなってから大人の男、特にお前らみたいな外国人が住宅街で集まって立ち話してるとどうしても危なっかしい印象を与えるから、おしゃべりしたいならファミレス行けよ、とか。 こういう、日本でトラブルなく暮らすための機微をうまくそいつの母国語で説明してバックアップしてやれたら、いい客になるんじゃないかと思ってる。 だが、俺の運営体制ではそういう難しいお客さんをそこまでフォローしてやれる時間と能力がない。そうすると入居してもらってもお互い不幸になるだけなので、今は断らざるを得ない。 というのを一言で言い表したのが、前記事の「外国人を断ることについて俺に差別っていう意識はなく、賃貸ビジネスとして難易度が極めて高いので辞退させて頂きたい、っていう感覚」だったのだが、これは差別なのか、選別なのか、みたいな感想が多く、真意は全く伝わらなかった印象。さすがに説明を端折り過ぎたな。 ビジネスレベルの日本語がどうのとか偉そうに言っときながら俺の日本語が一番ダメっていうオチ。 すまんな。 ⚫︎老人について 老人については、今は室内で孤独死された場合の事業リスクがでかすぎて断らざるを得ない。いわゆる「事故物件」をまとめたホームページとかあるしな。あんなんに載ったらヤバイって。 だが、極端な事を言うなら、室内で死ななければいいというだけの話なので、異変が起きたときに速攻で病院に担ぎ込める体制がうまく担保できれば、お客さんとしては全然アリ。調べてないからわかんないけど、警備会社とかに問い合わせたらそういう設備を物件に組み込むサービスは既にありそう。 身の回りのことがある程度自分でできる老人向けの賃貸物件はめちゃくちゃニーズがあるのよ。俺が持ってる物件は老人向けにできてねえし、万が一の孤独死対応に割くリソースがないから入居を断ってるっていうだけで、うまくやれば老人をお客さんにできる可能性はあると思ってる。 たとえば、物件の1階だけ老人向けにしたら階段登り降りしなくていいしなんとかなるかもな、みたいな感じ。 ただ、このジャンルは物件数も日に日に充実してきている印象があって、今から素人の俺が知恵絞ったところで、他社にはコスト面、ノウハウ面で絶対勝てねえなっていう気はしてる。 なので、コメントの中には賃料を気にする向きもあったが、そのうち供給量がどんどん増えて値下がりしてくるはずなので、心配しなくて大丈夫だと思うよ。 というのを一言で言い表したのが前記事の「老人についても差別してるつもりはなく、賃貸ビジネスとして難易度が高いから辞退しているという認識」だったのだが、これも全く真意が伝わらなかった。 ⚫︎終わりに 最後に、Koubokuさんの「逆に実は優良顧客みたいな属性ってある?」という質問に答えて締めにしたい。これは面白い質問だった!!! 考えたことなかったので、この機会に考えてみた。 意外性があるかは別として、一番理想なのは、大卒の新社会人が就職と同時に初めての一人暮らしで、うちの物件を選んでくれた、っていうパターンかな。これはスーパー優良入居者。このパターンで入ったお客さんはほぼトラブルないと思う。 あと意外性のありそうなところでは、離婚することになって、持ち家は元奥さんの手に渡ってしまった、ダンナは家を出ることになり、離婚後の一人暮らしの住まいとしてうちの物件を選んでくれたっていうパターンかな。このパターンで入ったお客さんもほぼトラブルなしだと思う。 というわけでここまでにしておくな。 この仕事、不労所得だなんてとんでもないって事が伝わっていたらうれしい。 不動産の仕事は人を見る目が嫌でも養われる。そんな俺から見て、ゴミの分別がきっちりできる奴は人間としてのレベルがかなり高いと思っている。TOEIC800点くらいの難易度だと思う。人間レベルを高める修行だと思ってぜひ協力してほしい。 あとファッション感覚でタトゥーを入れるのはやめておけ。俺みたいな奴がどこかで見ていて、お前の人生に不利益をもたらす。 ここまで読んでくれてありがとう。色々勉強になったぜ! (あとがき) 早速読んでくれた人ありがとう。 ちなみに俺は客を差別しないとは言っていないし、差別する大家だと思われることも気にしていない。事実、タトゥーを入れている奴は明確に差別している。 ただし、外国人と老人については話が別だ。何とか工夫して受け入れたいという意思がある。現状の俺の事業体制が貧弱であるため仕方なくお断りさせてもらっているのが実情で、内心申し訳ないと思っている。 なので、俺的にはマジで外国人と老人を差別している意識はなく、前回の俺の書き方が悪くて外国人や老人に対する差別を助長することになったら心外だと思ったため、今回の補足記事を書いた。 それでも差別だとお前が思うならもうしょうがねえな。まあそうなんだろうよ。お前の中ではな。
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kennak · 8 months
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今、中国では川端康成文学の出版ラッシュが続いています。その人気ぶりはまるで一つの社会現象が起きていると言っても過言ではありません。長年、中国と日本の双方で著述や翻訳などを続けている私も少し驚いているほどです。先日、中国から日本を訪れてきた約二十人の観光客を、大阪の茨木市にある川端康成文学館にご案内いたしました。みなさんは日本文学の愛読者で、川端ゆかりの地を巡るツアーに参加している人々でした。文学館の館長先生も「ブームのおかげでたくさんの中国の方々が来るようになった」と言いました。しかし、なぜ今になって、中国で川端文学がブームになったのでしょうか。これは実に興味深いものがあります。 その理由はいくつかありますが、ひとつは今年、川端康成の死から五〇年を迎えたということで彼の作品の著作権保護期間が切れたためでした。 著作物の保護期間については、日本や中国を含む主要国が加盟する「ベルヌ条約」で作者の死後50年としています。しかし、実際のところ、国によって定めている期間は異なります。欧米では70年が主流です。日本は旧著作権法で50年としてきましたが、環太平洋パートナーシップ協定発効に伴う同法改正により、2018年12月、70年に延長されました。保護期間が切れると、著作物は「パブリック・ドメイン」となり、許諾を受けたり使用料を払わなくても、原則的にだれでも利用できるようになります。 ここでは、50年とする中国の著作権法では「著作者の死後50年目の12月31日に満了する」と定めています。川端康成は1972年4月16日に逝去したため、日本では保護期間内が続いていますが、中国では今年1月からパブリック・ドメインとして扱われるようになりました。 そして、各社が競うように川端作品を出版し始めたのです。翻訳本としてこれだけ一気に噴き出すのは、稀なことです。その中でもっとも多く刊行されたのは名作『雪国』で、私が知っている限りでは、もう二〇以上の中国語訳バージョンが激しく競い合っています。 中国の書籍販売サイトで検索すると今年1月に入ってから、川端作品の出版点数は今後の予定を含め80冊を超えています。 実をいいますと、2021年に三島由紀夫が没後50年を迎えた時も、やはり三島ブームが起こりました。しかし今回の川端ブームはその比ではありません。この差はかならずしも二人の作品の優劣といったようなことではなく、現在の中国の社会情勢に大きく関係していると、私は考えています。 中国では2013年の習近平政権誕生以来、言論政策における統制色が強まってきました。出版物に対する管理の厳しさも増す一方で、特に海外からの書籍などは今まで以上に細かく検閲されています。その影響で、民間の出版プロダクションや国営の出版社も含めて、さまざまなジャンルの作品を選定するのに神経を使います。いかにして検閲を通すのか、あるいは内容的にダメだという自己規制で諦めるのか、いろいろと工夫をしなければなりません。 最近、私が翻訳したある日本の学術書も過激な主張はないにもかかわらず、なんだかの理由で出版することができませんでした。しかし川端康成の文学は、「世離れ」をしています。日本の大正から昭和にかけての、戦争がない平和な期間を舞台にしているものが多い。作品の多くが反体制運動や戦争をテーマにしていないので、検閲に通りやすいのです。 さらに、こうした規制による不自由な社会で、人々は川端文学の美しく詩的な情景描写に「癒し」を求めはじめています。元々、中国では川端康成の類まれな表現力について評価が高く、2012年ノーベル文学賞を受賞した作家の莫言さんも『雪国』の美しい描写に大きな影響を受けたと公言していました。そして書き上げたのが後に、映画にもなった小説『白い犬とブランコ』でした。1999年の秋、莫言さんははじめて日本を訪れてきた時に、川端康成が執筆した宿に泊まりたいと言いました。私は彼を伊豆の天城湯ケ島温泉の旅館までご案内いたしました。とても喜んでいました。 現在の中国は、例えば、軍のスローガンをネタにしただけで、コメディアンに二億円の罰金が課されるなど、小説よりも現実社会のほうがもっとも魔術的で、エキサイティングな出来事が次々と起こるような社会です。残念ながら、小説がそのような現実の刺激には勝てないのです。そのため、人々は文学に物語の筋立てというよりむしろ、川端文学のように心を豊かにし、生活に潤いを与えるような美しい言葉を求めています。彼らは文学をまるで「癒しグッズ」のように消費するということで、日々の不満や生きづらさを解消しようとしているのです。 また、優れた若手翻訳者が多くいるという点も、ブームに拍車をかけていると言えます。最近、言論空間がますます厳しく制限され、作家を志す才能がある人でも言論統制による出版禁止や、場合によっては逮捕されるそのリスクまで考えなければなりませんから、ものを書くことを避ける人が多くなりました。彼らの中には、海外文学の翻訳者に転身する人も少なくありません。元々は作品を生み出す能力がある人ですから翻訳のクオリティは高く、大勢のファンがついている翻訳者もいます。さらに、若い彼らはソーシャルメディアを駆使した作品のアピールにも長けていて、翻訳者兼プロモーターの役割を積極的に果たしているのです。 そして今回の川端ブームは、中国の出版社の戦略勝ちという側面も大きいでしょう。日本の出版社と比べて中国の出版社は非常にビジネスに対して貪欲で、著作権保護期間が切れることや、検閲を通りやすい作品が多いことを見越し、準備を進めていたのです。私もある中国の出版社から数年前に川端作品の翻訳を頼まれたことがありました。 さらに、中国の出版社は装丁のデザインやノベルティといった、本の中身以外にも力を入れています。中国の書店には質感の高いデザイン性を誇る本が並び、コーヒーカップやトートバッグとセットで売られている本もあります。その力の入れようは、私にはやや病的にも思えるほどですが、多くの人々がスマートフォンやタブレット端末で本を読む今現在、逆に紙の本に求められているというのは、それを持っているだけで自分の価値を高めてくれるものと信じ込んでいるからです。川端ブームに乗っている人の中には、作品は大して読まず、流行の川端文学を手に持つことで時代の最先端をいく自分を演出する人もいます。 川端文学が素晴らしいことは言うまでもありませんが、現在の中国では、教養のためというより、心を癒し生活の質を向上させるために川端作品が選ばれているのです。
毛丹青「川端ブーム」広がる中国 NHK解説委員室
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akikohatase · 9 months
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
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ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
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水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
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水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
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キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
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二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
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苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
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トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
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収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
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ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
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車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
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思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
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美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
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美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
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そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
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完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は��ほぼ北海道産です!
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手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
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まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会 運営・企画 HERB & COOKING KINA
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wagashi-sweets · 1 year
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2023.3.9 ◎季節の練りきり mimosa~ミモザ~ 葉っぱの切り口をアップで見たいー! とご希望がありましたので 切り口拡大バージョンです この葉っぱは針きりで描いています 皆さま針切りに興味深々なのか、針切りの細工にはお問合せが多いです 現在U rond で行っている針切りを使ったレッスンは 「JSA練り切りアートマスター講座」です そのうち簡単な単発レッスンも出来たらいいなぁ、、、と思いつつ なかなかそこまで手が回っておりせん💦 すでに針きりの技術を学んでいる皆さま 指で摘むことなくこのピンッと尖った先端作れていますか? ・摘まなくては尖らない ・先が割れちゃう ・粉がふいたようにボロッとなる そんな方は針の使い方を見直してみた方がいいかもしれません 「針は引くのではなく押して切る」 これを意識するだけでグッと変わってきますよ マスター講座の基礎となる ◎JSA練りきりアート認定講師講座 3/28日よりスタートします 3/28, 4/1, 4/8 の3日間 一緒に始めてみませんか? 3月17日までお申込いただけます ❁⃘*.゚-----------------------❁⃘*.゚ 名古屋お菓子教室 U rond~ゆーろんど~ 新栄駅から徒歩5分 詳細やブログはトップページから ご予約・お問い合わせはLINE🆔813equzi よりお気軽に ❁⃘*.゚-----------------------❁⃘*. #JSA練りきりアート認定講師講座#jsa練りきりアート講師#名古屋練りきり#名古屋練りきり教室#練りきりレッスン#名古屋お菓子教室#Japanesesweets#名古屋市中区#お菓子作り初心者#和菓子好きな人と繋がりたい#おうちカフェ#おうちスイーツ https://www.instagram.com/p/CpkK4REyHuk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book pages 23-24 scan and transcription.
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■月光館学園 全体図
天文台
中等部校舎
高等部校舎
ポートアイランド駅
初等部校舎
生活感溢れる、月光館学園の下足箱。よく見ると、靴下以外の私物らしきものも散乱している。
左の写真は、学園内の壁に貼ってあるポスター。火の用心のポスターらしいが、写っている人はいったい······?右は音楽室にあるピアノ拡大図。メーカー名はYAMADA、だとか。
Q月光館学園の、デザイン的なモデルはありますか?オシャレなんですけど、いかにも現実にありそうな感じがする学校なので。
順 お、よくぞ聞いてくれました!とデザインリーダーの和田さんや横路さんが喜んでるぜっ!
チ 誰それ?
順 デザイン全般を手がけた開発スタッフの人さ。月光館学園はな~、築10年っていう新しい建物のイメージと、実際にユーザーが普段見ている使い込まれた学校のイメージとに差を感じさせないよう、色々と試行錯誤してデザインされてんだって。最初はかなり悩んだらしい。なんだか冷たいつーか、人がその中で活動している雰囲気がどうしても出なかったみてえなんだ。それがあるとき、ひとりのスタッフのナイスなアイディアで見事に解決ってわけ。
チ どういうこと?
順 チドリは見たかどうかわかんねえけど、玄関入ってすぐのところに下足箱があるんだわ。その上に、脱ぎ捨てた靴下を置いてみたらしい。
チ うわ、汚っ!
順 いや、その工夫のおかげで、いきなり学校に生活感が出る出る。それ以降は、同じ要領で学校中に細かいオブジェクトを増やしていって、学園生活が営まれている匂いをつけていったってことだな。
チ ふ······ん、小さいことでずいぶん変わるものなのね。
順 あとデザイン的に気をつけたのは、ペルソナのデザインモチーフがギリシャ神話が元になってるのがほとんどだろ?だからそれとイメージを合わせるため、玄関ホールや中庭の渡り廊下に、ギリシャ風の柱を配置しているんだと。色々と細かく気を使う作業だよなあ。
Q月光館学園の細かい構造が知りたいです。例えば教室は2年E組とF組しか行けませんけど、それしかないってことはないですよね?
順 うわ、出たよ!重箱の隅をつつくよーな質問!もう、これだから熱烈ファンは彦るぜ~。
岳羽ゆかり (以下「ゆ」) こーら順平!お客様に何失礼なこと言ってんのよ!質問には誠心誠意答える、それがプロってもんでしょ?
順 げ、さらにうるさいのが出······ぐげほっ!
ゆ ······殴るよ?
順 殴ってから言うんじゃねえっ!
チ ま、お約束ってことで。
順 つか、ゆかりッチ!いきなりオレらのラブラブ空間に乱入するんじゃね······うげろっ!
チ ラブラブ······違うから。
順 ち、チドリンまで······。
ゆ どーせ順平は、学校の構造なんて覚えてないでしょ?帰宅部の上に、図書室もまともに行ったことがないんだから。私に任せなって。えーとですね、まず月光館学園高等部の本館は、冒頭のムービーで確認できる通り3階建てになってます。設定として確実なのは、1学年につきAからFまでの6クラス、3学年分で計18クラスが存有します。
順 でもゲームの中でさ、2階から階段昇っていくと、いきなり屋上に行っちゃうぜ?
ゆ あれは演出です。
順 え?
ゆ 立ち寄る必要がない3階部分を、サクッとすっ飛ばして見せていないだけなのです······いやマジで。
チ ああ、なるほど。
ゆ それにゲーム中は開けられない扉も一杯あるでしょ?あそこの先にはまだ見ぬ校舎が······。
順 な、何かウソくせえ~。
チ 大人の事情、ってヤツよ順平。察しなさい。
ゆ ただ企画担当の田中氏も、「高等部の校舎に関しては、通路の形状と鳥瞰の概形がだいたい一致するようになっていたと思いますが···。建物ごとの正確な教室配置までは流石に設定が無い (苦笑)。この辺で勘弁してください···」と仰ってました。ま、さっきの説明で納得してよ、ね?あ、ちなみに中等部はクラス数に関してだけ設定があって、AからDの4クラスなんだって。つまり高等部は、外部からの入学生が全体の3分の1ってことがわかるわね。
Q学校敷地内にあるという天文台って、何か意味がある建物なの?
順 あー、ありゃ完全に幾月が儀式のために作った建物らしい。つまり字生には、端から解放するつもりなんて全然なしってわけ。
ゆ 何それ、アッタマくる~。
チ しかも、その儀式自体間違ったやり方だったわけだし、無駄の上に無駄を重ねてたってことね。
順 そーいうこと。そもそも、天文台って名目だけど、要はある程度以上の高さを持つ建物なら、何でもよかったらしいぜ。あと、見つけにくい敷地の端っこに建てられている理由は、学校がタルタル化するときに巻き込まれないようにするためだ。
ゆ なんか天文台を必死に調べてた男の子いたけど、今度会ったら諦めろって言ってあげなきゃね。
Q月光館学園の部活について、詳しく教えてください。
ゆ 確か部活の総数が、同好会まで含めると······60くらいあったはず。私は弓道部だけど、運動部はどこもなかなか強いと思うよ。ちょっとランクが下がる、途中で部員募集してたいくつかの運動部でも、部長やー部の選手だけなら、地区大会では上位に入るし全国大会に出る人もいるみたい。ただ、なんか別の学校にすんごいエリート選手がいて、その人にはどうしても勝てないみたいね。あ、あと層がイマイチ薄いから、団体戦ではちょっち弱いかもね。
チ 文化部の方はどうなの?
順 お、オレは帰宅部だから······。
ゆ しょーがないわね。あ、風花~、ちょっとおいでよ~。
山岸風花 (以下「風」) ん?どうしたの、ゆかりちゃん?
ゆ かくかくしかじかで、文化部の様子を聞きたいのよ。
風 うーん、うちの部が参考になるかどうかわからないけど······。私が入ってる部はね、部長がすごくのんびりした人だから、コンクールを目指した活動はしたことがないの。だから、対外成績はなしってことになるのかな?あ、でもこの前、顧問の先生がしつこく応募を勧めてきて、部長がなんと入選しました!えへへ、ちょっとすごいでしょ?
チ 運動部と文化部の······温度差がすごいわね。
順 いいんだよ、楽しけりゃな。
ゆ お一お一、帰宅部のくせにえっらそーに。
順 あいにくと、今は帰宅部じゃねえんだよな、これが。
風 え?順平くん部活入ったの?
順 よくぞ聞いてくれた!オレの部活は、チドリとスケッチ部だ!
チ ······走員のため新入部員は募集しておりません。あしからず。
順 くうぅ~、コミュ作成失敗。続編があれば、ぜひチドリコミュを!
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフ��、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、��では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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yukinotrinko · 2 years
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友人からの電話、
「いま仕事探してたりしない? ペンキを剥がす簡単作業でお金も結構いいんだけど」
神様がいるとは思わないけど、金欠で仕事を探してると友人に相談していたので、何かに察しられかのように突如目の前に現れる偶然にはいつも驚かされる。
それで詳細もろくに聞かず二つ返事で仕事を引き受けた。
翌朝6時半に熱海駅に集合。現場を共にする三人が車で迎えに来てくれた。和彫の刺青が入った舐達磨みたいな三人組だった。現場に着くまでの車内では浜崎あゆみとEXILEが延々と流れていた。移動中500mlのレッドブルを勢いよく胃に流し込む三人組とは結局一言も喋らず現場に到着。
本日の現場が有名人の別荘だとは聞いていたが、大きな敷地の一軒家だと想像していた建物は、エレベーターがゴンドラで30階建ての、熱海を一望できる超豪華タワーマンションだった。
どうやら迎えにきてくれた三人のうちの一人が、昨日作業中に足を滑らせ、床にペンキをぶちまけてしまったそうで、僕と友人と舐達磨を含めた計5人で、乾いて床に癒着したペンキを溶かして剥がす作業を行うそうだ。
床に劇薬を撒き、少ししたら水で流しながらタワシで擦り綺麗にしていく。かなり地味な作業だったがこれがかなりキツかった。一つのタイルを綺麗にするのに15分くらい掛かった。昼ごろになると炎天下になって、すぐに汗でTシャツが水浸しになった。
高所作業用の足場に立ち続け、下でペンキをせっせと剥がす我らを監視する現場監督に突然「君は雑工?」と聞かれ、適当に はい と答えてしまったが、それが何なのか分からず、不安になって隙を見て携帯で調べた。
《雑工》
雑務や職人の補助、清掃や養生と言った作業のこと。
知らないより知っている方が良いもの、言葉。そう自分に言い聞かせながら携帯をポケットの中にしまった。
お昼休憩になって控室に行くと、塗装や建築を担当している大勢の作業員たちがお昼ご飯を食べていた。肌黒く屈強な身体、誰も無駄話せず黙々とご飯を食べ進め、時間になると全員が所定の場所に戻っていった。
床を強く擦り過ぎてタワシが原型を留めなくなり、太陽に体力も精神力も吸い取られ、あと少しで倒れそうだった頃、舐達磨の一人が洗浄水圧機のホースを持ってきて、勢いよく水を床に噴射した。するとみるみるペンキは剥がれ落ちて、それを傍観する我々の体力と精神力もみるみる回復していった。
夕方4時ごろ、ようやく全てのペンキを剥がし終え作業終了。せっかく熱海に来たということで現場から駅まで歩くことにした。
作業を共にした友人は、舐達磨似の三人組が無愛想だったことや、彼らの広がりがない人生を想像して嘆いていたが、僕はその全く逆のことを考えていた。
アートがどうたら、これが良いだの悪いだの、自分が信じるコミュニティーが一歩外に出れば何も通用しないのである。現場で汗水垂らして働く彼らにとって重要なことは、動けるか動けないか、何時に帰れるか何時まで続くのか、今晩の飯が美味いか不味いかなのだ。
彼らに認められたいわけじゃないし、彼らのために活動をしているわけでもない。しかしこの大きな世界の小さなコミュニティーにいることを理解することで、より多様な世界を持って誰かに何かを伝えられるかもしれないと思った。
夕食は豪快に洋食屋さんでミックスフライ定食を注文。気をよくして統一教会のヤバさを熱弁し続けていたら、友人にドン引きされた。
窓の外に熱海の海が見えた。濁っていて綺麗とは言えなかったが、海はずっとずっと先まで続いていた。
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junichimitsubori · 2 years
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菓道一菓流七周年記念企画! 「手型煉切百八種 技法教材動画キット」 を発売します🎊 予約販売開始についての詳細は明日の 投稿にてまた改めて投稿させて頂きます! 今回は内容をザックリと! タイトルの通り、手型煉切108種の HOWTOビデオをオンライン有償動画 にて販売致します。 その付属キットとして、 初めての方でも簡単にすぐ始められる様に、 なんと! 樹脂製の簡易手型煉切細工棒セット🎊 をなんと今回作っちゃいました✨🎉 従来の和菓子教室さんなどでは主にマジパンスティックセット等を用いてレッスンをされている方々がほとんどだと思いますが、 やはり「マジパンスティック」は 「マジパン用」ですので、 煉切細工に適した形状のモノは 中々ありませんでした。 しべ押し棒なども特殊な彫刻が施されているものが多く、一つ一つ木製品手作りのモノが主な為、「やってみたいけど専用道具を揃えるのは高価」と言った敷居の高さもありました。 先日の投稿では専用の「木製品御道具セット」も予約発売しておりますが、 今回!さらに!さらに‼️敷居を下げた 「樹脂製入門用御道具セット」として、 HOWTOビデオとセットでの 予約発売開始となります‼️ 道具の形状は写真の通りですが、 色が「黒」と「白」の2種類あります。 コレは今回予約開始となる動画セット 「月影」「星霜」の中に同梱されているバージョンのみが「限定黒モデル」となります。 動画は不要、または道具だけを複数ご希望の方へは、「白モデル」での発売となります。 ※「白モデルの発売開始は来年1月以降の発売開始予定です。 今回リリースされるシリーズは 「A モデル(月影同梱)」 「Bモデル(星霜同梱)」 となっております。 予約開始の詳細は、 明日の投稿をお楽しみにお待ち下さい🙇‍♂️ #和菓子 #wagashi #煉切 #ねりきり #技法 #作り方 #HOWTOVIDEO #動画 #教則動画 #movie #light_nikon #nikon #zcreators #z7ⅱ #profoto #art #artist #artwork #artworks #stillshooting #stillart #lightsharping #photostudio #artiststudio #artistsatwork https://www.instagram.com/p/CkVfLffBFT0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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