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#ケソン市
hanaoetepice · 1 year
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久々の投稿です。 とりあえず、1年契約をしたお部屋に引越しました‼️ そして、まだ会社で働いていない🤣 いや、働けないのです。許可証が出るまでのルールが変わったらしい…。 つまり、お給料も出ないので、ちんまり暮らしてます。 * 家具付きではあるけれど、Wi-Fiはなく、収納家具や掃除用品等もなく…教えてもらってネットショッピング(密林のサービスはフィリピンではビデオのみでした…😳)で少しずつ必需品から物を揃えているところです。 * ちなみにペット可物件なので、お庭が毎日ドッグランみたいです。 こちらの人気No.1ブリードは、見ているとシーズーの感じ…。フィズをじっと見てくる人が多い〜。 * 働けないので、当然お給料も出ず😰 引きこもりか?と言う感じで、時間はあるのでコンドミニアムのジムに行ったりプールに行ったり、ここ数年で更に失った筋力と体力を取り戻す努力をしています。 フィリピン、本当に若い人がいっぱい。赤ちゃんも子供もいっぱい。 わんずだけでなく、私達も体力つけとかないといかんです💦 * 東向きの部屋なので、毎朝朝日に叩き起こされてますよー。 * We moved into a condo that we signed a one year lease on. It has a large balcony, and Dogu seems to like it. It is a furnished condo, but we are going to make it our own little by little by signing up for Wi-Fi, buying cleaning supplies, etc. I can't work yet because I can’t get a work permit yet. I can't wait to work and get paid! Now we live sober every day. * Have a good day 😊 #犬かわいい #犬がいないと生きていけません #元保護犬 #ミントとフィズとプリュノ #マルヨーキー #シーズー #ミックス犬 #わんず #フィリピン生活 #移住2ヶ月目 #ケソン市 #doglovers #ilovedogs #nodognolife #malyorkie #mintandfizzandpruneau #rescueddog #mixdog #newadventure #newlife #philippineslife #quezon #shitzu #malyorkie #residenceatcommonwealth https://www.instagram.com/p/CqA10eKvYpR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oshimatakuronews · 10 months
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The Listening Biennial Second Edition, Inter-Asia Plus
【展示、パフォーマンス、トーク/ Exhibition, Performance, Talk】
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https://listeningbiennial2023.dayangyraola.com/
Date:2023/07/06~2023/08/08 Place:UP College of Fine Arts, University of the Philippines Diliman
The Listening Biennialは、世界中のアーティスト、ミュージシャン、研究者、そして施設やコレクティブが参加し、リスニングに関する疑問や経験を育む国際的なグループです。The Listening Biennialは、グローバルなプロジェクトとして構想され、共有された共鳴と多声的な表現というキュレーターの構成を目指しています。これには、オーディオ作品の展示、実験的なパフォーマンス、そしてリスニングとローカリティが強調され、文化的特異性がより大きな注意の生態系に貢献するような、協力する施設や会場の組み合わせで行われる言説のイベントが含まれています。批評的なストーリーテリング、実験的なノイズ、音楽の歓喜から、音響ケア、種族間の接触、音のある物質の環境まで、The Listening Biennialは聴く世界を育むことを目的としています。 2回目の開催となるThe Listening Biennialでは、2つの展覧会企画と、シンポジウムやトークセッション、サマーキャンプなど様々なプログラムが実施されます。
“use your ears”と題した展覧会では、ビエンナーレのディレクターであるブランドン・ラベルと、The Listening Biennial 2nd editionの4人のキュレーターが選んだリスニングのための作品を展示しています。これらの作品は、7月6日から8月8日まで、東京のポルトガル文化センター(Camões- Cultural Centre of Portugal)で展示されます。また、7月8日から8月8日まで、フィリピン大学ディリマン校(ケソン市)のPAROLA-UP Fine Arts Galleryのギャラリー1階ロビーにて、試聴端末で展示される予定です。
また“there is no sound artists, just sound art”と題した展覧会では、ソニック・マニラ・リサーチを通じて、マニラにおけるサウンドアートのあり方を理解しよ��とするものです。こちらも7月8日から8月8日まで、フィリピン大学ディリマン校のPAROLA-UP Fine Arts Gallery、UP College of Fine Artsで実施されます。こちらの展示企画に招聘作家としておおしまたくろうが出展予定です。
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秋田で発表したパフォーマンス作品「滑琴狂走曲in秋田!(カッキン・ラプソディー)」に関わってくださった方のご紹介で、フィリピンで開催されるビエンナーレに出展することになりました。私は“there is no sound artists, just sound art(サウンドアーティストはいない、サウンドアートがあるだけ)”と題した展覧会に招聘されました。世界各地で実施されるイベントなので、なかなか全容がつかめないところもありますが、出たとこ勝負ではじめての海外での活動に挑戦してきます〜
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philippines-study · 10 years
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ドゥマゲテのケソンパークの名前の由来
ドゥマゲテの中心にある公園のケソンパーク。この名前は、初代市長の名前のケソンから来てるらしい。マニラのケソンと紛らわしい。
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ari0921 · 4 years
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高山 正之氏の論考をシェアさせていただきます。
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【変見自在】学者の不勉強
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台湾総督府土木課員の八田與市は大正5年、南部の嘉南を視察した。
東京23区の倍はある田園は水利に恵まれずしばしば旱魃に見舞われていた。
八田は東側の山地にダムをつくり灌漑を施せば壮大な穀倉地帯になり得ると総督府に具申した。
総工費5400万円。黒部ダムなら三つはできる巨額だが、大日本帝国は32歳の土木技師の意見を入れてOKを出した。それが台湾の明日に有用なら、と。
八田は10年をかけて烏山頭(うさんとう)ダムと用水路網を完成させた。今、嘉南大?(たいしゅう)と呼ばれる沃野がそれだ。
八田は台湾の対岸、福建省の水利についてもアドバイスをしている。
そこを仕切る陳儀は日本と敵対する蒋介石配下の軍人だが、元日本留学組という誼(よしみ)があった。台湾もよく訪れ、八田の偉業を知って福建に招聘した。
日本は多少のいさかいがあっても支那の民生には指導を惜しまなかった。
八田は陥落したばかりのフィリピンでの灌漑事業も国から託された。
当時、米傀儡政権のケソンは国外に逃げ、ホセ・ラウレルや40年前の対米独立戦争を戦ったアギナルド将軍らが新政府を作り上げつつあった。
日本軍は新政府を手助けした。その一つとして、灌漑整備を八田に頼んできた。
しかし彼が乗船した大洋丸は昭和17年5月8日、五島列島沖で米潜水艦に雷撃され、沈没。八田と一緒にフィリピンの民生に尽くそうとした多くの技術者が帰らぬ人となった。
日本は戦争中の支那でも民生に力を注いだ。
外務省は昭和11年、北京に華北産業科学研究所を設立し、支那の農林畜産の改良に人材を投入した。
世界的な品種となった多収穫小麦「農林10号」やコシヒカリの原種「農林1号」を開発した稲塚権次郎もこの時に派遣された。
同じ年、支那では西安事件が起きる。米国に助けられた蒋介石はその意に従って日本に上海事変を仕掛け、泥沼戦争に引き込んでいったが、稲塚はその間も黙々と支那の穀物改良に取り組み、成果を上げた。
戦後は支那に拘束されて2年間苦役させられた。恩を仇で返す。蒋介石は文在寅みたいな一面があった。
アジアの民生に尽くしたのは民間人だけではない。大日本帝国陸軍もまた現地民の生活を顧慮した。
南京陥落後、重慶に逃げた蒋介石軍は日本軍の追及を恐れ、花園口で黄河の堤防を決壊させた。
日本軍は現地に入ると進軍を止め、堤防の補修をし、糧食を市民に与えた。
タイからビルマに向かった第55師団は北部タイに道を開き、途中の河川に橋を架けて進軍した。
川幅が200メートルを超えるパーイ川にも本格的な永久橋を架け、先代のプミポン国王は日タイ友好の証として保存させている。
欧米軍ならポンツーン(浮き橋)を使うか地元民を駄馬代わりにするか。「戦地で永久橋」は日本軍が史上初めてだ。
泰緬鉄道も同じだ。やがて来る戦後にビルマとタイを結ぶ鉄道がどれほど両国民の発展に寄与するか。
日本軍は二つの鉄道連隊を軸に1万2000人の部隊を投入。お手伝いに連合軍捕虜を使ってあの戦争のさなかに全長415キロの鉄道を開通させた。
白人は「死の鉄道」とか様々な悪評を捏造し、タイには廃線を命じたが、国王は無視し、今もタイ領内で泰緬鉄道を走らせている。
国王はまた在位60周年の答礼に泰緬鉄道を走ったC-56のレプリカを日本に贈った。
日本軍が何をしたか。これ以上ない証だ。
習近平はコロナを流行らせ、世界経済を失速させて御免でもない。
おまけに黄色いシャイロックのように小国の領土を高利のカタとして奪い、ウイグルの民を圧殺する。
その畜生道を朝日新聞「論座」メンバーの中島岳志東工大教授は「『大日本帝国化』する中国」(「月刊日本」)と言う。
まだ習近平の方が日帝よりましだと。
もうちょっとお勉強した方がいいんじゃないかな。
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jaguarmen99 · 4 years
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北朝鮮の国営朝鮮中央通信(KCNA)は26日、国内で新型コロナウイルスの感染疑い例が発生したと伝えた。新型コロナウイルスのパンデミ��ク(世界的な大流行)が北朝鮮に到達した可能性があると同国が認めたのは初めて。  KCNAは、「この悪性ウイルスに感染したと疑われる人物は違法に境界線を越え、7月19日に戻ってきた」と伝えた。しかし韓国では、境界線を越えて北朝鮮に入った人物がいるという報告はない。  北朝鮮政府は、隣国の中国で新型コロナウイルスの感染が拡大したことを受けて今年1月下旬に国境を封鎖。数千人の国民を隔離する厳しい制限措置も取り、国内に新型コロナウイルス感染症患者は一人もいないとしていた。しかし専門家の間では、北朝鮮が新型コロナウイルス感染を免れたとは考えにくいとみられていた。韓国では現在、1日当たり40~60人の新規感染者が記録されている。  KCNAは、感染が疑われる人物は「3年前韓国に行った逃亡者」で、韓国との軍事境界線沿いにある北朝鮮側の都市、開城(ケソン、Kaesong)市で発見されたと伝えた。氏名は公表されていない。
北朝鮮で初のコロナ感染疑い例、開城市を完全封鎖 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
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xf-2 · 5 years
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米中韓露各国はすでに米朝首脳会談の成功を見込んで、北朝鮮の経済開発への投資競争の準備に入っている。中国の投資領域が最も大きいが、中朝は激しい葛藤を抱えている。アメリカは北をカードに対中牽制ができるか?
金正恩が描く投資競争勢力図
現状では、日本を除いた「米中露韓」各国は、米朝首脳会談がうまく行った場合の自国の勢力と存在感を最大化するために、すでに着々と準備作業に入っている。中露が北朝鮮側に付くだろうことを想定して、金正恩(キム・ジョンウン)委員長はアメリカに近づき、中露を刺激して投資競争を行なわせようとしている。韓国は放っておいても対北融和政策で自ら近づいてくることは分かっている。
そこで、現状における勢力図と、とりわけ中朝が抱えている葛藤を見てみよう。
中国と約束した4大拠点
5月7日~8日における第2回目の中朝首脳会談で、金正恩委員長は習近平国家主席に以下の4か所を拠点とする経済協力を要請したことがわかった。
1.平壌(ピョンヤン)のインフラ建設
2.西海岸の南浦港(ナムポハン)(ピョンヤンよりやや南)
3.中朝国境地帯の新義州(シンウィジュ)と黄金坪(ファングムピョン)・威化島(ウィファド)
4.東海岸の清津(チョンジン)港(北端に近い港)
「3」の新義州開発区は今年5月2日のコラム<「中国排除」を主張したのは金正恩?――北の「三面相」外交>や5月7日のコラム<中国、対日微笑外交の裏――中国は早くから北の「中国外し」を知っていた>に書いたように、中朝の利害が衝突してきた経済開発区で、何度も失敗している。
そこに再挑戦するのは冒険だが、今度は中国としてもアメリカに負けられないという思いがあるし、北朝鮮としては最初からアメリカと競争させて、何としても非核化による損失の埋め合わせをしなければ国家存亡に関わるので、真剣度がこれまでと違うだろう。
注目すべきは咸鏡南道(ハムギョンナムド)の端川(ダンチョン)市を中心とした豊富な地下資源埋蔵地域の開発投資を、どうやら中国と検討しているらしいということだ。
北朝鮮の経済開発の主たる価値はレアメタルやレアアースなどの地下資源にあり、その埋蔵量は広大な中国大陸を遥かに上回るとされている。世界のレアメタルやレアアースの約90%を中国が独占していたが、種類によってはその10倍以上の埋蔵量があの狭い北朝鮮の地下に眠っていると予測されていることから、各国の目の色が変わる一因ともなっている。
もっとも、対北経済制裁をする遥か前から、実は北朝鮮の地下資源に関する争奪戦は始まっており、数百社に近い世界の企業が既に手を付けている。その最たる国は、なんと、イギリスだ。1840年代のアヘン戦争時代における列強のアジア進出の発端を切ったのがイギリスであったことを、ふと想起させる。国連安保理による制裁により関係各国は手を引いているが、北の非核化プロセスが明確になれば、真っ先に進出するのは、今度はアメリカかもしれない。
中朝関係を決定的に険悪化させた羅先(ラソン)開発区
中国が上記4大拠点に、これまで投資してきた羅先(ラソン)開発区を入れてないということは非常に重要だ。
羅先というのは、ロシアに隣接する「羅津(ラジン)+先鋒(ソンボン)」地域を指し、最初の一文字ずつを取ってくっつけた経済開発区を意味する。
1990年7月に吉林省長春市で開かれた国際会議で提案され、91年10月に第二の香港あるいはシンガポールを建設する方針が決定された。
トウ小平は中国の改革開放が進むにつれて、北朝鮮にも「改革開放をしろ」と迫り続けてきたが、それを受けて91年10月5日、金日成(キム・イルソン)主席は訪中しトウ小平と会って具体的に着手し始めたのが、この羅先開発区(当初は羅津・先鋒自由経済貿易地帯)である。 
2010年12月、中国による羅津港の利用が開始された。
問題は2012年8月に中国企業の共同事業体が、羅津港の第1埠頭から第3埠頭までを開発して50年間租借し、さらに第4~第6埠頭までの3基をも建設するという、羅先経済貿易地帯の事実上の接収を北朝鮮と合意したことだ。おまけに、そのときの北朝鮮側の担当者が当時の朝鮮労働党行政部長の張成沢(チャン・ソンテク)(金正恩の叔父)だったことが大きい。
2013年12月12日、張成沢は処刑されるが、その罪状の中の一つに「50年間の期限で、外国に羅先経済貿易区の土地を売った売国罪」というのがある。中国のネットではこの罪に関して北朝鮮の軍事法廷が「千古の逆賊」と断罪したことに注目して、「この"外国"って、中国だよね!」「なんと、中国は遂に売国行為の"買い方"に昇格したぞ!」などという書き込みが氾濫した。
羅津港はロシアにも50年間の使用権を提供したと言われているが、ロシアが恨まれずに中国が恨まれたのは、2015年2月25日のコラム<周永康、北朝鮮に国家機密漏えいか?――張成沢処刑は周永康が原因>にも書いたように、周永康が関係していると思われる。
2012年8月17日、張成沢は人民大会堂で当時の国家主席・胡錦濤と二人だけで密談した(通訳一人)。張成沢はこのとき胡錦濤に「金正日の跡継ぎは、金正恩ではなく、金正男(キム・ジョンナム)にさせるべきだ」と話している。胡錦濤は黙ったまま何も答えなかったが、周永康はこの密談の内容を全て盗聴録音して、金正恩に密告。自分が捕まりそうなので、いざという時には北朝鮮に逃げようかと思っていたらしい。
張成沢への「千古の逆賊」としての恨みは、ここにもあったようだ。
このような経緯から、羅先が今回の4大拠点からは外されたものと思うが、これは「中朝友好」の危なさと虚構を象徴していると言っていいだろう。
ロシアは
その羅先はロシアに隣接しているので、今後、おそらくロシアが投資して経済協力していくことになるだろう。 6月5日のコラム<北が米朝蜜月を狙う理由――投資競争はすでに始まっている>に書いたように、ロシアのラブロフ外相は5月31日に訪朝し、金正恩委員長と会談してプーチン大統領の親書を手渡した。
4月29日にプーチン大統領は文在寅大統領と電話会談して、「ロシアの鉄道や天然ガス、電力などが朝鮮半島を経てシベリアに連結すれば、朝鮮半島の安定と繁栄に貢献するだろう」として、露朝韓3か国のインフラや経済協力の重要性を強調している。
9月11日にロシアのウラジオストクで開催される国際会議「東方経済フォーラム」に金正恩委員長を賓客として招きたいとプーチン大統領は言っている。6月9日から山東省の青島(チンダオ)で始まる上海協力機構首脳会議に参加するため、その前に北京を訪問したプーチン大統領は、「東方経済フォーラム」では露朝首脳会談を行うだけでなく、習近平国家主席とともに中露朝3ヵ国会談を行いたいと言った。
韓国は
韓国に関してはもう、言うまでもないだろう。
今年4月27日に開催された南北首脳会談で既に東海(トンヘ)線および京義(キョンウィ)線鉄道と道路を連結することに合意している。京義線はソウルと新義州を結ぶ鉄道路線で、北朝鮮の西側国境沿いを走っている。東海線は釜山(プサン)から北朝鮮の安辺(アンビョン)を連結する東海岸沿いの路線だ。京義線は線路が老朽化しており、東海線は途中で途切れているため南北連結が難しい。これを南北連結させて民族経済を発展させていくとのこと。板門店宣言にも、そのことが謳われている。
もちろん、開城(ケソン)工業団地を復活させることは喫緊の課題だろう。
アメリカは
さて、アメリカだが、<北が米朝蜜月を狙う理由――投資競争はすでに始まっている>に書いたように、金正恩委員長は既にトランプ大統領に、北朝鮮が完全かつ迅速な非核化に乗り出す代わりに、まずはアメリカ独自の金融制裁の解除を求め、金正恩肝いりの元山(ウォンサン)観光地のカジノ事業などへの投資を要請した。トランプ大統領がカジノ好きであることを研究し尽くしているのだろう。
元山は金正恩の祖父であり北朝鮮の創設者である金日成(キム・イルソン)が、建国のために旧ソ連から落下傘部隊として上陸した港である。それもあるのか、元山への思い入れはひとしおで、金正恩経済の目玉としている。
一方、トランプ大統領は「アメリカはお金をあまり出さない」と言っており、これでは米朝が親密になっても対中牽制にはならないだろうと考えてしまうかもしれない。しかしトランプ大統領が言った「アメリカ」は「アメリカ政府」のことで、民間企業にまで「出させない」とは言っていない。
もっとも、これも北の非核化プロセスが明確になってからの話となろうが、中露は既に警戒態勢に入っている。
習近平国家主席、プーチン大統領に「友誼勲章」
6月8日午後、習近平国家主席は人民大会堂の「金色の大ホール」で、プーチン大統領に中華人民共和国の初めての「友誼勲章」を授与した。あまりに華麗であまりに厳かに執り行われたその式典に関して、元中国政府高官は筆者に「アメリカが、そうさせたのさ」と苦笑いをした。「追い込んだのだ」と解釈してもいいだろう。
6月10日午後、金正恩委員長はシンガポール飛行場に降り立ったが、搭乗していた飛行機は中国国際航空のボーイング747型機。中国はこういったところにチャイナ・マネーを注ぎ込んで金正恩委員長を中国側に向かせようと必死だ。
裏を返せば、トランプ大統領が北朝鮮をカードとして使い対中牽制をしていることが効を奏している何よりの証拠と言えるのかもしれない。
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nemosynth · 5 years
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうず���れる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて���礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを���が憂うことは、主体を重んじる人々にとって���おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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brickirengahead · 3 years
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HISオンライン体験「「近くて遠い国」をめぐり考える、朝鮮 ピーススタディツアー」
2021年7/10。参加人数は40名ほど。
■北朝鮮の概要 北朝鮮という名称は現地ではNG(「朝鮮」と呼べばOK)。日本は朝鮮半島にある国家は韓国のみとして国家承認していないが、意外にも164ヶ国が国家承認している。ヨーロッパでも承認していないのはフランスくらい。人口は日本の半分が韓国、韓国の半分が北朝鮮。 小学校の廊下の壁に過去の日本軍の残酷な行いの絵が描かれているなど、反日教育を徹底している。 基本的に、一般市民はネットを使えない。政府高官など使える人にしても、使用金額がとても高い。メールやアプリゲームはできるが、インターネットは使えない。 コロナの状況はというと、ガイドさん曰く「報道されている通り感染者0人なのかは不明だが、防疫は本当に厳しいのだと思う。独裁政権はこういうときのトップダウンが素早く働く」
■観光 北朝鮮に、行こうと思えば行ける。国家承認していない日本では大使館もないのでビザが下りないが、北朝鮮と国交のある国に行ってビザを発行してもらえば行ける。成田→中国・北京→平壌ルートが主。他ルートはウラジオストク経由など。かつては日本でも、新潟から船が出ていたが、現在は経済制裁で止まっている。受け入れ先が必要になるので個人旅行は×、団体ツアーのみ。 行こうと思えば行けると言っても、日本では渡航自粛要請が出ている。ガイドさん(日本国際ボランティアセンター=JVC所属)が初めて北朝鮮へ行くことになったとき、渡航前に外務省から警告の電話がかかり、渡航後に外務省に呼び出されて苦言と共に北朝鮮の様子を訊かれたという。ガイドさん「外務省の人が「わけのわからない国」と言っていたことが悲しかった」人道支援目的でも北朝鮮に持ち込める金銭は10万円まで。外務省に相談して許可を得られれば金額を上げられることも。 高麗航空の飛行機内で飲めるジュースは水で薄めてある感じ。CAの制服がミニ丈ノースリーブ。 海外から北朝鮮に観光目的で訪れる人は意外といる。一番多いのは中国人、ドイツなどヨーロッパからや、エジプトのYouTuberなど。
□主な名所・観光地 ガイドさんが実際に2017年に現地に行った際の、平壌の風景や様子がわかる写真・動画を見せてもらった。 「万寿台」…歴代総書記の像が立ち、試験の合格祈願や嬉しいことがあったとき訪れる神社のような場所と化している。夜は像がライトアップされて、ちょっと怖い。 「金日成(キムイルソン)広場」…広場でする遊びはバドミントン、バレーボールが人気。 「ユギョン(柳京)ホテル」…ガラス張りの三角形の塔のような外観。プロジェクションマッピングも行われる。 釣り堀やローラースケート場もあり、レジャーとして人気。 「平壌動物園」…トラの口から入る大きな動物園。マルチーズなどの「犬」もいるのが面白い。 北朝鮮でも、若者は普通にデートしてキャッキャ言っている。遊園地にオフ日の軍人の一団が遊びに来る。 「開城(ケソン)」…高麗時代の首都。現在は観光地、京都っぽい所。高麗博物館があり、時代物韓ドラの世界。宮廷料理も食べられる。ガイドさん曰く、建築の色使いなどが琉球文化と似ている? 「板門店(バンムンディ)」…有名な南北軍事境界線。観光用ツアーバスがあるが、徒歩で行くのはNG。人気観光地。記念撮影スポットもあり、案内係の兵士は気さく(「休戦協定」なので、アメリカが「勝っていないのは負けたと同じ」と旗を残していった、という伝説を熱く話してくれるが…)。
□交通 最近では電動自転車が出て来た(といってもバイクに近いもの)。 車は、タクシーなどを見ると中国車に近い型。 信号がない場所に交通整理の人が立っているのは平壌名物。日本でも昔見かけた光景。 平壌の地下鉄は、日本の大江戸線より深く長い。なぜかというと、対ソ連のシェルターとしての役割もあったため。ガイドさんが初めて渡航した2014年には安定していたようだが、それ以前には平壌も電力不足で停電が多く、地下鉄も真っ暗に… 現在では静かな日本の地下鉄と比べ、なんだかなつかしい音がうるさい地下鉄。
□食べ物 韓国料理より辛くない。サムゲタンなども、韓国とちょっと違う味。 平壌冷麺のレストラン「玉流館」は大人気。ガイドさんはここで平壌大学の日本語学部の学生たちと交流した。
■北朝鮮の人々 歌を歌う子や、真顔でキレのあるダンスを披露する子など、かわいらしくも芸達者な子どもたちの動画を見せてもらう。 人々は歌と踊りが大好き(世界共通)。道ばたで大音量で音楽を流してダンスしている人もよく見られる。おばさんがおしゃべり好きなのも世界共通。有名な「マスゲーム」のため、ダンス(舞踊)は学校で習うので、みんな踊れる。 カラオケが好きな昭和のサラリーマンのようなおじさんは、テドンガンのほとりにいた奥さんをナンパして結婚したという。「綺麗な人には声を掛けなきゃ失礼」という、イタリア人のようなラテン気質。北朝鮮の人々の意外な一面。 同性間の距離が近いのは民族性か? 韓国人より北朝鮮人の方が距離が近め。
□平壌外国語大学の日本語学部の学生たち 生徒たちは日本の大学生と何も変わらない普通の若者たち。 日本語を勉強するのを選んだ理由は、「日本語が朝鮮語と似てるから簡単だと思った」という声が多い。しかし国交もないため、勉強しても生かせる職業はない。日本語の勉強を続けるか悩む学生も多い。 日朝国交正常化を目指す女子学生は、日本に親しみを覚えながらも、「過去の清算はさせたい」という。 日本語学科には、日本人の先生はいない。基本的に日本で勉強した翻訳が専門の現地の人が先生なので、発音には弱い。在日コリアンの人がひとりいるくらい。 日本で言う東大にあたる金日成(キムイルソン)大学にも日本語学科がある。 トラさんやコナンなど、日本のドラマやアニメも教材になる。 よく言われるのが「日本政府は嫌いだけど日本の人々は好き」。特に交流した生徒たちは「日本は友達がいる国になりました」とも言ってくれる。一方、対アメリカのときは「アメリカ人とは絶対に仲良くなれない」と若者でも激しく言う。今の若者にとっては、南北分断のきっかけの憎い国はアメリカなのか。世代によって価値観・認識が違うのはどの国も同じ。
■平壌(ピョンヤン) 首都・平壌は特別に豊かで発展しているが、地方に住む人々は平壌に入ることもなかなかできないという。しかしナンパエピソードのおじさんは地方出身、よほどデキる人なのだろうと思われる。平壌とそれ以外の都市の格差は大きい。 現在の平壌空港は近代化し、床もピカピカ。道路が広くなったのもつい最近のこと。
■日朝交流 北朝鮮への人道支援活動は、日本では理解が得られないのが現状だが、1996年から静かに続けられていた。 相互理解が大切、互いを知るための行事が必要だと、絵を交換したり…(絵画交換の始まりは1999年から。のちに「南北コリアと日本のともだち展」という絵画展が2001年スタート)。 2012年から日朝大学生交流が始まった。当初は大反対もあったが、2019年には平壌大学の学生から「どういう世界がいい?」という議題で、「ビザを手に入れアジアの国々を訪ねたい」という、これまでなかった前向きな意見が出るなど、大きな変化があった。「平和が一番」だと、若者の意識は近付いているのかも。「話し合う意味があるのか」と大反対していた人物(大学教授)は、2019年、「意味があった」「大きな成果になる」と認めた。 平壌大学の学生はどうせエリートなんだろう?と言われるが、それは確かにそう、しかし最近北朝鮮の外務省に一人、日本交流の経験者が引き抜かれた。これは日朝国交正常化のための大きな一歩では?髪の毛一本ほどの希望だが… 
■ガイドさんのエピソード 北朝鮮で手に入れたビールの蓋で何か作れないか、とたくさん日本に持ち帰ろうとしたら空港で金属チェックに引っかかった。変な目で見られたが許された。 ツアー時間内で答えきれなかった質問を、後日答えてくれたメールの文中で印象的だったガイドさんの言葉「北朝鮮にも普通に毎日を過ごしている人々がいるはずなのに、日本にいるとその人たちの顔が想��できない、のっぺらぼうのように顔が見えない、それが問題だと思っています。戦争を望む人なんていないはずなのに。2015年に38度線で南北が緊張状態になり、「準戦時体制」となったとき、平壌大学の学生は「いざというときは国を守る」と言っていたものの、最後は正直に「怖い」と言っていました」
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harumukotan · 3 years
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フィリピンの道路・自転車事情について【自転車ツーリング走行記録】
新しいブログを投稿しました!『フィリピンの道路・自転車事情について【自転車ツーリング走行記録】』https://dtman.info/?p=17516
フィリピンの自転車事情について書きます 道路・交通について 右側交通の国、アジアの中では珍しいアメリカ植民地の国だもんね、今でも、あの超大国の影響は大きそうだな 島国なので、ちょっと走る>フェリーにのって次の島に行く>ちょっと走る みたいな印象がある そういう意味で走行するのには向いてない国な印象 都市部や街ならともかく、郊外、それもケソン島やセブ島以外でなら交通量は少ない 人口は多いはずだが、それほど混雑してた印象がないな そして、そういう場所は信号機も少ない 風景 島国ということで、海岸線沿いの道ばかり・・・というわけでもないけど、やっぱり海の印象は強い 島内内側は山で、街と街を繋ぐ道はジャングルや村を通るけど、町は海沿いにあった気がする 自転車屋について セブやマニラみたいな都市部なら立派な自転車屋がある 大きな街でもスポーツサイクルを扱ってる店を見かけたことがある それなり ガ…
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hanaoetepice · 1 year
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今日も排気ガスのない所を目指して、排気ガス吸いながらお出かけしました😅 * 今日行ったのは、名門フィリピン大学ディリマン校。アカシアの並木道が続く素敵なキャンパスです✨ 誰でも入れて、ジョギングしたりサイクリングしている人達がたくさんいました。 アカシアってあんなに太く大きくなるもんなんだなー😳 ハスの花が数輪咲いてました。もっと増やせばいいのに…とちょっと思った。シーズン外れなのかな? アカシアは1年中茂っているんだそうです。 * 今日も帰りは、トライシクル(バイクのサイドカー)で大きな道まで乗って帰路につく。 フィズがニコニコ嬉しそうだな。動画を見るまでわかりませんでした🤣 * そして、今日は初めて、地元の人が買うようなスーパーではないお店で野菜を買ってみた。 きっと外国人仕様価格でボラれた気がするけど、ほんの少しの上乗せ。それでもスーパーより安いし、何よりピカピカ新鮮✨ お店の娘さんがカタコト英語がいけたけど、値段交渉するほどでなく、やっぱりサバイバル・タガログ語を覚えないとなー。 大きなマーケットに行くのは、もう少し落ち着いてからだなぁ。 * We went to the university of Philippines Diliman. It was a lovely campus with large acacia tree-lined avenues. We walk along the exhaust-intensive streets in search of a quiet, exhaust-free place. We have found finally that it is better to take a taxi or something to get there and back😑 * Have a good day. #犬かわいい #犬がいないと生きていけません #元保護犬 #ミントとフィズとプリュノ #マルヨーキー #ミックス犬 #わんず #フィリピン生活 #始まったばかりです #ケソン市 #お散歩 # フィリピン大学ディリマン校 #doglovers #ilovedogs #nodognolife #malyorkie #mintandfizzandpruneau #rescueddog #mixdog #newadventure #newlife #philippineslife #quezoncity #walkingdog #universityofphilippinesdiliman https://www.instagram.com/p/CpiQ939v1HD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yo-yo-yasuda · 3 years
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Koganecho Bazaar 2020 Artists and Communities vol.2
"Koganecho Bazaar" is an art festival based in the Koganecho area in Yokohama. As part of Koganecho's revitalisation plans, we hold an "Artist in Residence (AIR)" programme where artists live and create work in the town. Koganecho Bazaar 2020 will be held in two volumes. The first will present the works of 42 artists who are engaged in the Koganecho AIR programme; the second will exhibit the works of 9 artists who will be selected through an open call and invited for a residency. 「⻩⾦町バザール」は横浜・⻩⾦町を舞台に 2008 年から毎年開催しているアートフェスティバ ルです。黄金町では「アートによるまちづくり」の一環として、アーティストがまちに滞在して作品を制作する「Artist in Residence(AIR)」を展開しています。第1部は黄金町AIR参加アーティストから42組、第2部は国内外のゲストアーティスト約9組が、黄金町の「街」を舞台に滞在制作と作品展示を行います。 黄金町バザール2020−アーティストとコミュニティ 第2部 会期|2020年11月6日(金)〜11月29日(日) 開場時間|11:00〜19:00 休場日|木曜日(10/8を除く) 会場|京急線日ノ出町駅・⻩金町駅間の高架下スタジオ/周辺のスタジオ/地域商店/屋外空地ほか アクセス|京急線「日ノ出町駅」または「黄金町駅」から徒歩5分 ※会場駐車場はございません。公共交通機関または近隣の有料駐車場をご利用ください。 第2部参加アーティスト| RL+NM(クアラルンプール、マレーシア) アルフィア・ラッディニ(バンドン、インドネシア) カオ・ツネヨシ(クアラルンプール、マレーシア) トン・ウェンミン(童文敏)(重慶市、中国) 藤田淑子(東京都、日本) ホアン・グッガー(コルドバ、アルゼンチン) 安田 葉(神奈川県、日本) 山田 悠(東京都、日本) ラルフ・ルムブレス(ケソン市、フィリピン)
KOGANECHO BAZAAR 2020 OFFICIAL SITE
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thefunkychicken · 4 years
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16日の東京外国為替市場で、円相場は3営業日ぶりに小反発した。17時時点では前日の同時点に比べ3銭の円高・ドル安の1ドル=107円32~33銭で推移している。日米の株高を受けて投資家心理が改善し、「低リスク通貨」とされる円には売りが出た。だが、夕方にかけて北朝鮮情勢の緊迫化を警戒した円買い・ドル売りが次第に優勢となった。
円相場は夕方にかけてじりじりと上昇した。韓国統一省は16日、北朝鮮が開城(ケソン)にある南北共同連絡事務所を爆破したと明らかにした。北朝鮮は韓国の脱北者団体が体制批判ビラをまいたことに反発して事務所の破壊を予告していたが、実際に爆破したことで北朝鮮情勢の混迷が増すとの警戒感が高まり円買い・ドル売りが広がった。
円相場は107円63銭前後まで下落する場面もあった。ブルームバーグ通信が16日、関係者と話として「トランプ米政権が1兆ドル規模のインフラ計画の提案を準備している」と伝えた。景気先行きへの期待から米株価指数先物の上げにつれて、日経平均株価は1000円あまり急伸した。日本時間16日の取引で米長期金利が上昇し、日米の金利差拡大を見込んだ円売り・ドル買いも出た。
9~17時時点の円の高値は107円24銭近辺で、値幅は39銭程度だった。
円は対ユーロで4営業日ぶりに反落した。17時時点では同77銭の円安・ユーロ高の1ユーロ=121円48~50銭で推移している。日米の株高を材料に対ユーロでも低リスク通貨とされる円を売る動きが優勢だった。
ユーロは対ドルで3日ぶりに反発した。17時時点は同0.0076ドルのユーロ高・ドル安の1ユーロ=1.1320ドル前後で推移している。日米の株式相場が上昇し、ユーロに対しては円とともに投資資金の調達通貨とされるドルを売る動きが出た。
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metal-japan · 5 years
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[manila-shimbun.com] ボクサーのパッキャオ上院議員が仮想通貨「パックトークン」の ...
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ファンら約2000人の前でラブソングを歌うパッキャオ上院議員=1日、首都圏ケソン市で撮影(EPA=時事) フィリピンの国民的英雄でボクシング世界チャンピオンのパッキャオ上院議員(40)が、仮想通貨「パックトークン」の発行開始を無料 … [manila-shimbun.com]
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eizou-musabi · 7 years
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「and Action! Asia 映画・映像専攻学生交流プログラム」 (主催:国際交流基金アジアセンター 2017. 2/27~3/9)
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「and Action! Asia 映画・映像専攻学生交流プログラム」(主催:国際交流基金アジアセンター 2017. 2/27~3/9)
全国映画教育協議会の派遣で視察参加。フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、日本の学生&教員がケソン市の巨大学園都市に集結し、混合チームによる短編映画の制作ワークショップが行われた。
フィリピンの映画文化に敬意を込めたファンタジー「Kelly and the TV Head」、国による宗教や食文化の違いを題材とした「Taste of Life」、トランスジェンダーのテーマを象徴的色光で描く「RED」。3様の協働現場で、各国の学生達は、感性、思考、美意識の違いをすり合わせて意思の疎通を図り、互いの文化背景を認識、高揚のうちにコミュニケーション力を鍛え、キャリアと制作力をダイナミックに習得する。
英語力の不足も、タブレット・スマホなどのモバイル機器や白板を介し、略図、参照写真&映像、翻訳アプリなどを駆使して補い、スピードと密度のある柔軟で能動的なやりとりが展開された。
1000人規模の映画館で上映しディスカッション、敬愛すべき映画人たちの講義・講評、華やかな映画祭にも参加し、第3黄金期と言われるフィリピン映画の隆盛を体感した。
映像学科 教授 小口 詩子 担当:映画
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afroninja · 6 years
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マニラのインディーズ映画潜入ルポ
今、フィリピンのインディーズ映画が一番面白い!と思っているのですが、その秘密を探りにマニラに行ってきました。
空港に着いたら事前に予約していたポケットWi-Fi(1週間で1,700円!)を受け取り、Uberでマカティのホテルへ(8km、20分ほどの乗車で300円!)。まずTies That Bindのクラスメートで「Speed, Glue & Shinki」というドキュメンタリー映画を一緒に作っているBradley Liew監督と会った場所がこんな小洒落たカフェ。ここでマニラのイメージが一変しました。
カフェの隣のアジアン・フージョンレストランで夕食後、ホテルで「Speed, Glue & Shinki」のポスプロの打ち合わせ。
それから秘密の作戦会議をして、初日は終わり。
2日目は時間に余裕があったので、観光がてら城塞都市イントラムロスへ。思ったより綺麗な道路に驚き。というか、マニラは汚くて危険だという事前情報はかなり古いのかも知れない。商社で働いていた時に何度も行ったインドに比べると全然ましだ。
世界遺産サン・アグスティン教会に置かれている狛犬のような石像がなんとも不思議。どうやら中国から送られた獅子らしいですが、カトリック教会を守る狛犬は世界でもここだけではないでしょうか。インドの寺院でも似たようなものを見た記憶があるので、ルーツはきっとインドに違いない。
イントラムロスの中はまるでヨーロッパのよう。色んな国々を旅しましたが、今までヨーロッパ以外でこんなにヨーロッパっぽいとこは見たことない。
フィリピンにまさかこんな立派な大聖堂があるとは思ってもいませんでした。ヨーロッパの厳重に管理された古い教会とは違って、管理が甘いというか、生々しく身近に展示物等見れるので、面白い体験でした。
その後、「Speed, Glue & Shinki」のPepe Dioknoプロデューサーがお勧めのアートスペース HUB: Make Labへ。マニラにもこんな場所があるんですね。
そしてUberで1時間半かけてケソン・シティへ。その日はマニラでASEAN会議が開かれていた為、Uberのドライバーも人生でこんなに渋滞した事ないと言っていました。メトロ・マニラの人口は1,155万人で、その中でも一番人口が多く、面積が広いのがケソン・シティ。インディペンデントの映画関係社が多く住んでるのもケソン・シティらしい。下の写真はのケソン・シティの散髪屋さん。
夜はMikhail Red監督にDohtonboriというお好み焼き屋さんに連れて行ってもらいました。大阪から来てすぐにお好み焼きかよ!と思ったのですが、大阪で僕が連れて行ったお好み焼きがあまり美味しくなかったので、こっちの方が旨いというのを証明したかったようです… Mikhail Redは「Birdshot」がアカデミー賞外国語映画賞ノミネートのフィリピン候補に選ばれた為、翌日からアメリカに旅立ったのですが、わざわざ会いに来てくれました。
3日目の朝、テレビをつけるとCNNに「Speed, Glue & Shinki」のPepe Dioknoプロデューサーが!彼が作っている旅行番組のようです。
その日は昼頃にSheron Dayoc監督が迎えに来てくれて、Milo Sogueco監督のマンションへ。昼間から夜までずっとウィスキー飲んでたので、かなり酔っ払いましたが、こうやって才能のあるfilmmaker達が集まるのが、面白い作品が続々と出て来る源泉なのだと感じました。そしてみんなポジティブな内容の会話が多いのが、気持ちいいです。うらやましい環境だ。マニラに引っ越したくなりました。
酔っ払ったまま夜はフィリピンの若手監督達が集まるポスプロスタジオへ。翌日からCinema One Originalという映画祭が始まる為、知り合いのfilmmaker達を何人か見かけました。
こういう部屋がいくつかあるのですが、こういうのを今僕が住んでいる大阪のボロアパートでやりたい!僕がイメージしていた理想のインディペンデント映画のポスプロスタジオがここにあったので、感激!
ここは安価に編集やグレーディングができて、みんなが集まる場所になっています。ビルのオーナーの本業はソーセージらしいので、1階の冷凍庫からソーセージをもらえるそうです。悲しいかな日本のインディーズ映画は海外のインディーズ映画に比べてポスプロのクオリティの低さをよく言われます。日本の映画が海外の映画祭になかなか選ばれないのは、画質や音が映画ではなくテレビっぽいからだとよく言われます。日本の場合は人件費もかなり高いですし、スタジオもテレビやCMの仕事をメインにこなしているので、仕方ない事だとは思いますが、こういうインディペンデント映画に特価したスタジオを大阪に作れば、日本のレベルもアップするのかなと思っています。フィリピン映画から低予算でレベルの高い作品がたくさん生まれて来るのは、このように若者が集まって作業できる場があるのが大きいのではないでしょうか。
4日目、Cinema One映画祭会場へ向かう途中、話題のミニシアターCinema 76に立ち寄る。友人のBabyruth監督の「Sunday Beauty Queen」が公開中だった。
中に入ってみると、今一緒に企画を進めているSheron Dayoc監督の「Women of the Weeping River」とMikhail Red監督の「Birdshot」のポスターが!この映画館を運営するTBAという会社が両作品に出資しているからのようですが、フィリピンではTBAという会社がキーのようです。元々別の事業で儲けていた会社がインディペンデント映画にも出資するようになったらしいのですが、他の国と違うのは、インディペンデント映画が結構ヒットしてしまったようです。別の会社の作品ですが、大阪アジアン映画祭でも上映されたインディペンデント映画の「Kita Kita」は制作費2千万円で、興行収入は6億円を突破しました。日本ではインディーズ映画がそれなりの規模で公開される事はありえないですが、フィリピンではインディペンデント映画の興行収入が商業映画を抜いてしまったそうです。今では、フィリピンの20代や30代のインディペンデントのプロデューサーや監督は日本で言う東宝のような大手のスタジオに出資してもらって映画を作っています。なぜ、フィリピンはそんなに熱いのかというと、日本は高齢化社会なのに対し、フィリピンは若い人口が多いからだと思います。監督やプロデューサーは20代〜30代が多く活躍していて、出資者も若く、配給会社の担当者も若く、劇場の担当者も若く、観客も若いという形態が世界でも稀に見るいいビジネスモデルを形成しているのだと思います。
そして Cinema One映画祭のオープニング会場で、3年前に一番最初に知り合ったフィリピン人監督のGiancarlo Abrahanと再会。新作の「Paki」がコンペに出ていたけど、観れなくてごめん!大阪アジアン映画祭で観たい!!
映画祭のオープニングで上映開始が大幅に遅れているにも関わらず、歌を歌い出す司会のお姉さん。こんなノリのいい映画祭は初めてですが、僕がもし映画祭をやるなら、こんなノリでやりたい。日本の映画祭は堅苦しい映画祭が多いので、一つくらいこういう映画祭があってもいいのでは。
ちなみに、オープニング上映の作品は「スリー・ビルボード」というマーティン・マクドナー監督のハリウッド映画でした。これが思いがけなく、かなり良かったです。先月釜山国際映画祭で観た「シェイプ・オブ・ウォーター」がここ数年でダントツに一番面白いハリウッド映画だと思っていたのですが、「スリー・ビルボード」も負けず劣らず面白いです。2つともぶっ飛んでいて面白い。「スリー・ビルボード」は今までで観たブラックコメディで一番面白いかも知れません。来年のオスカーの他の候補は観てないので分かりませんが、現時点での勝手な僕の予想です。
作品賞:シェイプ・オブ・ウォーター 監督賞:マーティン・マクドナー(スリー・ビルボード) 主演男優賞:ウディ・ハレルソン(スリー・ビルボード) 主演女優賞:フランシス・マクドーマンド(スリー・ビルボード) 助演男優賞:サム・ロックウェル(スリー・ビルボード) 脚本賞:スリー・ビルボード 美術賞:シェイプ・オブ・ウォーター 撮影賞:シェイプ・オブ・ウォーター 編集賞:スリー・ビルボード 視覚効果賞:シェイプ・オブ・ウォーター 衣裳デザイン賞:シェイプ・オブ・ウォーター
当たったら誰か飯おごってください(笑)
そして、映画を堪能した後、ローカルフードに初挑戦。この焼きそばみたいなのがかなりいける。昔LAで食べたフィリピン料理がまずかったので、フィリピン料理はまずいと思っていましたが、本場の飯は旨い!しかもたらふく食って100円位だそうです。Martika監督がおごってくれました。大阪での暮らしは毎晩納豆ご飯というひもじい思いをしていますが、マニラの方が、安くて、上手くて、たらふく食えます!笑い事ではなく、生活費が安いというのは、アーティストにとっては重要な事です。東京ではまずお金を稼がなくては生きていけません。マニラにはお金はなくても、クリエイティブな事に専念する環境が整っていると感じました。
5日目は初めて電車に挑戦。ガイドブックには遅くて、汚くて、危ないから絶対乗るなと書いてあったが、意外と普通。片道40円と激安だが、Uber使っても2〜300円なのでよっぽど渋滞していない限りはUberの方がいいかな。
その日の夜はFatrick Tabada/Rae Red共同監督でBianca Balbuenaプロデューサーの「Si Chedeng at si Apple」を鑑賞。心温まるコメディで、フィリピン人と一緒に劇場で大笑いしました。これは大阪アジアン映画祭にふさわしい作品です。暉峻さん、よろしくお願いします!
上映後のパーティー会場がまたおしゃれで、しかも飯が旨い!アップスケールなフィリピン料理屋さんで、オーナーは映画のプロデューサーもやってるようです。
6日目、一緒にMikhail Red監督の企画を進めているMicah Tadenaプロデューサーが働くポスプロスタジオに見学に行って来ました。ついたらまずはランチ。これがまた旨い。
インテリアのセンスがいい。創作意欲がわきます。
ADRが出来る部屋。手作り感があっていいですね。
スタジオのオーナーがグレーディングをする部屋。ここで、「Birdshot」、「Kita Kita」、「Die Beautiful」、「Sunday Beauty Queen」等の名作がグレーディングされました。映画のグレーディングはオペレーターというよりは、アーティストという感じです。そんなアーティストの哲学を短時間で見せてもらいました。僕も次回作はここでグレーディングをお願いしたい。
そして、オーナーの旦那さんはこの部屋でサウンドのミックスをします。フォーリーもできる。わくわくしてきますよね。羨ましい環境です。
その後、映画祭の会場の一つであるCinematheque Centre Manilaへ。
昔学校で使った懐かしいMoviola等の機械が。
劇場の中はこんな感じで綺麗。
帰りに、新しくできたミニシアター、Black Mariaに立ち寄る。
マニラにはミニシアター(彼らはmicrocinemaと呼んでいる)が最近増えて来ており、若手の監督をサポートしているようです。ミニシアターが増えている、インディペンデント映画を観る若い客が増えている、ってのは本当に羨ましい環境です。
隣はカフェ。
そんな感じでその日がマニラ最後の夜となりました。下の写真はフィリピン名物のジプニー。映画ではジプニーに乗ってる人が全員殺されたりするのですが、現実ではそんな事はないらしいです。
初めてのマニラでしたが、友達がたくさんいたせいか、初めてな感じが全くしませんでした。日本から近く、飛行機代は安く、現地の滞在費も安いので、これから頻繁に行きたいと思います。むしろフィリピンに移住したいくらい。現地で世話してくれた、Bradley, Pepe, Bebs, Bianca, Sheron, Jericho, Mikhail, Micha, Pamela, Giancarlo, Milo, Babyruth, Ria, Martika, Ruel, Carlo, etc.みんな、ありがとう!
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ganimaly · 5 years
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【旅ごはん|レチョン カワーリ】ケソンの料理教室で
【旅ごはん|レチョン カワーリ】ケソンの料理教室で #manila #マニラ #ケソン #quezon
マニラと言っても、 「メトロマニラ」なら近郊までを含んだ、 マニラの都市圏。 単に「マニラ」というと、 旧市街の狭い地域を指します。
「ケソン」は、 マニラの中心部からならちょっと北東。 MRTでも20分ほどの住宅街です。
土曜日の朝、 ケソンに住むフードスタイリストのお宅へ、 料理を習いに行きました。
道すがら、 バスケットボールを楽しむ子供たち。 サンダルだったり、裸足だったりで、 のんびりした雰囲気です。
レチョンをはじめ5品ほど。 どれも、とてもシンプルな調理法と、 素直な味付けで、 特に酢の使い方が面白い。 マンゴの酢、カラマンシー(小さいライム)、 ココナツの酢など、 いろんな酸味を楽しみます。
教えてくれたのは、 フードスタイリストのIsiさん。 メディアや調味料のプロデュースで活躍しています。 フィリピンの都市部の、 一般的な家庭料理でした。
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