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#ランディングの瞬間から現実に戻る運命
lisaris42 · 3 years
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ビジネスクラスは最高の〆♩ #ランディングの瞬間から現実に戻る運命 #ターミナルに入った瞬間耳に入る自動アナウンスが更に引き寄せてくる #けど日常がある幸せを痛感するこの一瞬 #花束を片手に迎える人 #安定した幸せは私の一生モノ (記録:何か今回はどうでもいいことも含め色々あって、初めて『大人し目な』滞在になったと自分で感じた。自分自身が断続的に体調も悪かったりもが一因か積極的になれなかったり。反省。時間は限られてるって肝に銘じて行動すると言い聞かせた。) https://www.instagram.com/p/CVx6YYsAkLK/?utm_medium=tumblr
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sarahofaugust · 6 years
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デニス・テン(カザフ)は、オリンピックシーズンの準備期間に怪我と闘う (ISU公式サイト、2017年9月27日の記事より)①
お断り
当記事は、あくまでも趣味の範囲で翻訳したものです。
多少の誤訳と意訳、及び諸々の細かいミスには目を瞑って頂ける方のみ、ご覧下さい。
(訳注:序文省略。以下インタヴュアー=I、デニス=D)
I: 8月に独自インタヴューを行った直後、右足首の酷い怪我に見舞われましたね。現在は何処におられるのですか?
D: スポーツの怪我を専門に扱う、(韓国はソウルの)総合医療センターでリハビリを受けています。ここに一緒に居る「仲間」達は、殆どがサッカー選手ですが、病院ではフィギュアスケートを含む、他のスポーツ出身のアスリート達も治療を受けています。当初は、去年の12月に疲労骨折を負ったパク・ソヨンも、僕の戦友(訳注:病院での、という意味か)でした。
韓国は、僕にとって外国ではありません。この国では非常に居心地の良さを感じます、道を歩けば僕が楽々と群衆に溶け込める事に始まり、史実上の故国への果てしない好奇心でもって終わるような(テンは韓国系である)。
僕の韓国訪問は、2018年のオリンピックと関係があったんです。2018年の平昌のプログラムでのショーは、 高陽市で計画されていましたし、このイヴェントに招いてもらって光栄でした。これがどんなに象徴的な事か、おわかりになるでしょうか? 本番の前に、オリンピック開催国を訪問してシーズンをスタートさせる事が。まさにこのショーで、僕はフリープログラムをお披露目したかったし、 初めてオリンピック用のプログラムを、取り分けその構成を、故国の氷上で見せたかったんです。然しながら、屡々起こる事のように、全部が全部計画通りにはいきませんでした。そのショーには、松葉杖でしか姿を見せられなかった。それでもなお、少なくとも話し手として、僕は出演すべきであると決断しました、韓国のファンの為だけでなく、特に日本や中国からやって来てくれた、その忠誠心を無視するのは躊躇われるファン達の為に。そんな状況について僕がどう感じたか、言葉では言い表せません。まるで風刺みたいでしたよ――闘う気満々で韓国にやって来といて、結局負傷兵みたいになって終わるなんて。それはさておき、ステージには初めて松葉杖無しで上がったんです。この件で僕は自信をもらいました、リハビリを先延ばしにせず、且つ怪我した脚は使わずに、トレーニングを続けようと。
I: 何が起きたのでしょうか?
D: その事件自体は、リンクの外で起きました。怪我をした時、それが酷い状態だったので、僕にはこの世の終わりがやって来たように思えました。幾つかの病院の異なる医師の許を訪ねては、これでもかと気味の悪い診断をされた時の事を憶えていますけど、こう思ったものです、「最高のタイミングだ、何だって今シーズンに起こるんだ!」と。
その前にも、怪我とは闘っていました。というか、このドミノ倒しは既に2017年から始まっていました。よく憶えています、というのも、いつもこの時期には万全の体調を備えているものなんです。然しその一方で、様々な事が積み重なり過ぎました――腰も、背中も、両足首も(訳注:其々の怪我という意味か)、日程も、予定が少し狂ってしまって。その夏(2016年)の終わりまでには、身体的な不慮の出来事が山積みになっていました。何とも間の悪い贈り物でしたよ。
けれども、深く考えてみれば、不運な出来事に理想のタイミングなんて無いですからね。起こる時は起こる。出来るのは、事実を受け止め、先へ進む事だけ。折に触れて、人生は僕に天候を思い起こさせてくれます、晴天が雷雨に変わった時、そして雷雨が過ぎ去った時、一本の虹が光り輝く事を。だからって、明日雪が降らない保証はありませんけど。
どうやらこれが僕の運命らしいです、晴天ではなく、主として幾つも襲い来る嵐の中、舵を取るのがね。
I: どうやって、その楽観主義を維持できているのですか?
D: 自分を勇気づける為、僕はいつも韓国に長期滞在したいと思っていました、この場所を一層深く探求しようと。無論、現在僕がここで小休止している理由は、ここに留まりたいと思っていた理由からはかけ離れていますが、それにも拘わらず、医師に言ったジョークがあって、「僕の夢は、どうやら実現しちゃう癖があるみたいだね」って。この次は、より具体的な計画を練ってから、夢を見るようにしますよ。
I: 回復の状況はどうでしょうか、そして次のプランは?
D: そろそろ、ハードなリハビリによって、足首がしっかり強くなってきたところです。右脚を使ってのジャンプは出来ませんが、慎重なランディングはもう出来るようにな���ています。既に子供の頃、軽度の痛みに関しては自分で学んできたので、ですから、僕は痛みは怖くありませんし、怪我が引き起こす不快感も克服出来ます。
嘗ての精確な足の動きが戻り、筋肉量も回復するには、少し時間が要るでしょう。その為に僕らは取り組んでいます。然し何より大事なのは、進展があった事。僕はロステレコム・カップで戦いたい。毎年、GPSの初戦をスキップするという事が、最早僕の悪しき伝統になってしまっています。元々は、今シーズンはもっと試合に出たいと思っていたし、その考えを捨ててはいないんです。
多分、今週ロスへ戻ります(フランク・キャロルの許へ)。その後で、僕のプランはより明確になるでしょう。でも、諦めたりへこたれたりする気はありませんよ。
I: では、独自インタヴューに戻りましょう。昨シーズンを振り返ると、あなたにはGPSフランス大会の銀メダルや、ユニヴァーシアードの勝利といった山もありましたが、怪我の問題による谷もありました。昨シーズンについては、どう感じていますか?
D: 楽なシーズンではありませんでしたが、同時に有益でもありました。昨シーズン、僕は新しいエキスパート達と仕事をする機会を得、また新しい知識と経験を得ました。母国(カザフスタン)でのユニヴァーシアードや、フランスのGP(パリ)といった忘れ難い幾つかの瞬間もあり、とびきり不成功に終わったやや憂鬱なイヴェントもありました。
ファンの皆さんや、フィギュアスケートを恐らく初めて観に来てくれた人達をがっかりさせた事、そして今僕が、演じたいスケートのレヴェルをお見せ出来ない事を残念に思います。然しながら、他方では、上達するためには学習し、ミスを乗り越える必要があります。この事はあらゆるスポーツのキャリアにとっても、あらゆる人生にとっても、その一環なのですから。
昨シーズン、僕は探求していました。新しい自分と、スポーツに於ける新鮮なモチヴェーションを探求していたのです。割と実験的な年でしたけれど、現に、僕は沢山のものを得ました。異なるトレーニングプランにも挑戦しました���、何が僕にとってより良いか、結論に達する事が出来ました。
I: 世界選手権の後、どんな対策をしていますか?
D: 失敗の改善に取り組む事は、日頃からしている事の延長です。かなりきめ細かな自己分析は、不振な大会の後では最重要事項です、苦い経験を再現してしまい、且つそこから教訓を引き出すべく措置を取る事が重要であるならば。前回の世界選手権に関しては、非常に複雑な心境で居ます。フリーの後、どうやってリンクから降りたか、今でも憶えています。あの日は、沢山の事が僕に作用しなかった。でも更衣室へ向かう途中で、IOC会長のトーマス・バッハが僕に会いたがってると聞かされました。僕らはとても意欲的な会談をしました。アルマトイの2022年五輪への名乗りを憶えていてくれた事に加え、会長は優秀なアスリートとして、貴重な教訓を共有させてくれたのです。僕はとても感動し、触発されましたが、同時に、僕は不調のうちにシーズンを終えた事で、自分に対して怒っていました。それが僕を強くしました。早くもその二週間後には、総合的な体調と、その年の間中ずっと僕を煩わせた慢性的な怪我の改善の為、サマートレーニングキャンプに出発しましたから。
I: 今シーズンへの準備はどうですか? 何か変化した事は?
D: オフシーズンの間、実質的に世界中を旅しました。種々のトレーニングプログラムの一環で、ロシアと、イタリアと、カナダ、それからアメリカに行きました。そののち、日本と韓国のアイスショーで演技する為、アジアにも。去年、僕は異なるスタイルのスケーティングと、新鮮なアプローチでのトレーニングに挑戦する機会がありました。けれども、このオリンピックシーズンに向けては、僕のキャリア全てをかけて集めた知識の、その本質を見せるつもりです。更なるトレーニングの為、ロスに戻りはしますが、確実に今の僕は、以前の僕とは違います。
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