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#消波ブロック
koshigurajumy · 3 months
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Jumy-M Sea View / 海の景色
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easyroute · 2 months
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onyomugan34 · 1 year
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2017年7月16日11:27
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ifunwoo · 1 year
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#沖浪裏 ft. #消波塊
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zigen-itsukushimi · 27 days
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 観光地化された京都の伊根の舟屋のようには華やかではない。国道8号線の走る崖下にあるので気に留める人は多くはないだろう。
 消波ブロックと壊れかけた防波堤。そして崩れかけの舟屋群。
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 かつては小さな木造船で漁に出ていたが、やがて船が大型化して舟屋に収まらなくなった。近くに大型化した漁船用の港が造られ、
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そしてこの漁港の役目は終えた。
 日本各地にはこんな漁師町の原風景があったのだろう。
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alaephoenicis · 1 year
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第二部:統合のプロセス】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/ikfg2YCk7H0
公開日:2023年2月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram:https://t.me/alaephoenicis
➡第一部🔗
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第二部のテーマは、分離された魂の統合プロセスです。
最初に、過去生について触れるのは、多くの場合、トラウマは過去生に起こっているからで、「トラウマを癒やすために、過去生で何があったか思い出さなければならないのですか?」という質問がよく寄せられるからです。
いいえ、過去生を思い出すことは必然ではありません。
もし、思い出すことが役に立つ場合は、魂はそれに関する情報を与えてきます。それは、大抵は「パズルのピース」や「側面的な一部」という形です。
なぜかというと、過去生のトラウマを癒やすために、今生でも同じトラウマとなる出来事を体験しているからで、過去生で起こったことを思い出さなくても、今生の体験をベースに癒やしのプロセスを経ることが出来ます。時には、過去生で背負ったトラウマまで思い出すのは害になることもあります。なぜかというと、過去の物語に理解が偏って、感情移入しすぎてしまうことで、「癒やしのプロセス」難しくなることがあるからです。
この統合プロセスは魂によって制御・監視されています。そうやって魂は、その時に処理できる程度の記憶や感情が放出されるように調整しています。統合プロセスではまさに、元々トラウマになったものを処理できることが課題だからですが、例えば幼い頃に虐待に遭うと、それがインナーチャイルドの魂の一部となっているので、その視角からは癒やしをもたらすことが出来ません。ですから、ある程度の精神的な成熟度・意識のグレードに達している必要があります。
分離された魂が日常にどのような影響として現れてくるのかというと、それは身体的なブロックであったり、もしくは生活状況、特定の生活領域にも現れることがあります。なかなかうまく行かないこと、努力が実らず、それが辛い感情と結び付いているのは、どの分野でしょうか。
まず、これらは「引き寄せ」の法則として現れてきます。トラウマを内に抱えていると、そのエネルギーは「似通ったもの」を引き寄せます。しかしそれは、無意識下に追いやられ、気づけなかったトラウマが何なのか、を知らせてくれるものでもあります。
その他、「被害者意識」「無力感」といった信念構造に、影響が現れて来る場合もあります。トラウマを体験することで、いったんは「被害者」の立場になるわけなので、この経験によって生じる信念構造というのがあります。
身体的に現れるものとしては、病気、もしくは特に敏感な身体の部分や臓器があります。例えば胃、呼吸器官、その部位特有の病気など。エネルギー的にはその起源はトラウマで、それと関連した身体部分に弊害が出てきます。エネルギー的な刻印は、もともとの状況からきているのです。
例えば、ナイフで刺されたとします。するとその部分にはエネルギー的な刻印が残されたりします。ナイフによって傷つけられたという事実と、傷口にもそれが残るのです。
このトラウマにより、神経系に緊張感が現れたりします。トラウマを背負うと、神経系が警戒態勢に入ります。そして、このトラウマと関連していて、解消されていない全てが神経系に警戒態勢を布きます。つまり、その人はストレス状態にとても敏感となる、もしくはすぐにストレス状態に陥り易くなります。例えば、大したことのない情報によって簡単に生命が脅かされるほどの負担を感じます。それは神経系が、そのような警戒態勢にあるからです。
不眠症となることもあります。そうなるとリラックスできなくなり、悪夢を見る傾向があると尚更です。
不合理な行動にでることもあり、その人が特定の状況になぜ過剰反応するのか、外からはそれが説明できませんが、この場合トラウマが背景にあったりします。
ありがちなのは、この世に留まりたくない、生きていなくない、という感情です。その理由は、トラウマによって基本的な信頼や安心感が酷く損なわれているからで、魂はこの体に留まりたくないと感じていますが、特に下部のチャクラがトラウマの影響を受け、支障をきたすので、魂はそのエネルギーを下部のチャクラ���で通せないのです。このような影響は、比較的よくあるケースとなります。
よくある傾向として次に述べられるのは、麻痺感覚、ある種の感情的な麻痺で、これはうつ病へ向かっていくことがあります。
第一部でお話したように、トラウマを受けた流れが主流から切り離されてしまった状態です。主流に流れている本来の感覚から切り離されると、こうした麻痺感が現れます。
あまりの痛みで、切り離されていた支流の水はしかし、主流へと少しずつ流れ込んできます。しかし、それを扱うにはまだ未熟だと感じている魂は潜在意識下へその水を押しやってしまいます。そうやって「一部の感情」に蓋をするようにしていると、その他の感情も蓋されてしまうので、全体が麻痺して感じられなくなってしまうのです。まさに多くの感情を抑圧し続けることで、「うつ病」に発展していくのです。
トラウマによる魂の分離の結果、日常に現れる更なる傾向は、自信の欠如です。これがどのように統合されていくのかというと、最初の兆候は、再度トラウマとなる出来事が繰り返されることで起こる圧迫感である反面、魂自体が「川の水」のように流れているため、トラウマで閉塞されると自然の流れではなくなっているところに圧力が生じます。こうして、魂の一部が作り出した感情や信念構造といったものを徐々に無視できなくなってくるのです。魂はこうやって、統合プロセスに協力するよう、意識に呼びかけてきます。
トラウマを思い出させる類似状況が繰り返されることで「もう沢山だ!」となり、その人は意識して「どうすれば良いのか、一体どういう仕組みになっているのか」など、考えるようになります。これは、実はそうした統合プロセスに取り組むよう、魂に促されているのです。「癒やされたい、克服したい、状況を変えたい」という願いが強くなり、統合プロセスに対して心を開くようになります。
この統合プロセスに意識的に取り組めるよう、魂は元のトラウマに似せたあらゆるトリガーを使います。人間関係だったり、似たような状況、場所だったり、または生活の中のあるシーンで何かに導かれるように特定の行動を取ろうとしても、あまりの閉塞感、不安や疑念が出てきて出来なかったりします。
その時、真っ先に反応するのは「身体」です。体には全ての記憶が振動周波数として保存されているので、トリガーがもたらす振動に反応します。
光の周波数を上昇させることによって、この統合プロセスを促進させます。
高い振動数の光が体に流れて込んであふれることで周波数は高まりますが、体の何処かに痛みが走ったりするのは、切り離されていた魂の部位に光が当たったときです。これによって統合プロセスがブーストされ、浄化が始まります。
これは、真っ暗闇で懐中電灯を点けたときと似ていて、突然光が差し込むことで何かが見えてくることがあります。急に認識したり、記憶が蘇ったり、身体に痛みが走ったりします。閉塞されていた場所でエネルギーが詰まったような感じになるわけです。
こうして分離されていた魂の部位の癒やしとは、様々なレベルで起こります。感情面、精神面、身体面、そしてエネルギー面です。
つまり、辛かった感情や展開された信念などがチャクラを詰まらせ、エネルギーや情報が身体を健全に流れなくなるので、全体に統合されるには上述の其々のレベルで癒やしを必要とします。
感情面:
「感情」は癒やしへとガイドしてくれる最も重要な鍵となります。つまり、統合のプロセスではどのような感情であろうと、全て「ひと通り感じる」必要があります。「感じる」ということを通して、手放すことが可能になるからです。この「感じる」ということが解毒になり、主流に戻ることが出来るからです。しかし「感じる」だけでは不十分です。「何故そう感じているのか」を理解することが必要です。
傾向として、私たちはそこにある感情をジャッジしてしまい、否定し、拒否してしまいがちです。そのように条件反射するよう、学習させられています。特に「その感情は自分に何を語りかけているのか」を理解することが大切です。ここで、感情が癒やしへのガイド役をするのです。
また、感情とは常に、私たちの欲求を表現してくれている、ということも大切な点です。
例えば、恐怖とパニックという感情は、安全への欲求が満たされていないことを示しているわけです。
ここで、「では安全ではないと思わせるのはどのような状況なのか」と問いかけ、その状況を避けてもいいですし、もしくはどうやって安心感をもたらして欠けている欲求を満たせば良いのかを考えることも出来ます。
精神面:
これは、経験によって構築してきた信念・信条と強く関わってきます。これを変容させるためにはまず、よく認識・自覚せねばなりません。思考が変わらなければ同じ信条を掲げ続けることになり、従って同じ感情を引き起こすので、破れない悪循環の中に閉じ込められることとなります。
あなたの信念・信条が結局、変化を阻止します。
例えば、「自分は罪深いのだ」「自分には価値がない」などと思っていれば、そこから身動きが取れません。だから、同じことばかり繰り返し体験してしまうのです。精神はあなたの内側を外側に向かって投影するので、あなたが被害者意識からそのように信じていれば、その通りのことをあなたは体験するのです。その意味で、精神面の癒やしも非常に重要な部分です。
被害者意識の仕組みは、自分に集中して自分を中心軸に持っていかず、「あなたのせい」と考えることです。これも癒やしのプロセスを妨げます。つまり、感情・思考というのは、自分が自分で展開したものなので、それらに対して自分で責任を担う、というのが非常に大事なポイントです。
身体・エネルギー面:
結局のところ、全てが「エネルギー」として総括できるので、この2つは纏めました。意識のエネルギー領域は質的に微細ですが、身体というのもエネルギーで、ただ質的にはより粗雑です。
このに種類のエネルギーは互いに依存しあっています。
また、感情と思考もエネルギーですが、これらは身体に「記録保存」されていて、魂の部位とつながり合っています。
トラウマに関する思い出と情報は、身体、エネルギーシステムの両方に記録されています。
身体とエネルギー体の動きは一致しているため、両者は依存しあっています。すると、エネルギーの不調和は、エネルギーシステム全体において、感情的にも思考的にも調和の取れた流れを阻止し、同時に身体のエネルギーシステムをも害します。
これは大抵、チャクラと経絡に障害をもたらし、エネルギーが上手く流れず、行き渡らない身体部分は痛みや強張り、もしくは病気で反応します。そうやって可視化することで、魂は「ここを見て!様子が可怪しいよ!」と語っています。
ヒーラーとしての私の経験では、トラウマを経験すると、大抵下部3つまでのチャクラに関わって来ます。これらのチャクラは、私たちの地上での存在の仕方に大きく関わってくるからです。これ対し、上部のチャクラは高次の存在、自分のハイヤーセルフ(魂)と繋がっています。
トラウマというのはある種の「ショック(衝撃)」であり、急激なものと長期に渡って刻まれるものがありますが、これらは下部のチャクラに淀むため、身体的にはその位置に症状が出ます。これは閉塞部分の鏡であり、エネルギー的・身体的に解毒し、健全な流れを取り戻すことで統合され、癒やされます。
分離された魂の統合プロセスは、下記の二つの領域に分けることが出来ます。
片方の領域では、魂が統合プロセスを制御し、監視するとともに、上述したように意図的にトリガーとなる状況を創り出して分離された魂を統合させようとします。
もう一方の領域は、私たちが内側へ働きかける部分です。つまり、統合プロセスは勝手に進むわけではなく…「私の魂が勝手にやっておいてくれる」というわけではありません。私たちは自覚をもって、いわゆる「シャドー・ワーク」をしなければなりません。この時、魂が担うのは繰り返し渡されるダウンロードを受け取ることです。魂によって、トリガーや、そこから気付きももたらされたりしますが、周波数が魂から肉体へと流し込まれ、それが支流へと分離されていた魂の部位へと染み渡っていきます。
これは、トラウマに関連するエネルギーを意識上に持ってくるためと、更に、思い出を徐々に解明して不調和の全てを浄化するためです。
私たちが取り組むべきシャドー・ワークは、これまで無意識下にあったこと、そしてそこにある「傷」に気づくことで、心を開いてその部分を直視します。自分の影の部分を認めるのです。これはなかなかの挑戦です。なぜならこれは感情的な痛みを伴うからで、思い出すのが辛いからです。
また、トラウマを思い出すと、「被害者意識」も自動的に戻って来てしまいます。
本人は自らをジャッジし、自らの感情や特定の行動の仕方を否定する傾向を、もうなんども繰り返し学習してきてしまっていて、こうしたジャッジや否認をし続けている間は、癒やされません。
ここで「中庸の精神」が大事になってきます。中庸をもって、自らの影を直視し、ジャッジしたりせずに、自分に問いかけるべきことは、「何故、こんな目にあったのか?どんな意味を成すのか?これは、私に何を見せようとしているのか?」などです。
ここで、「感情面」が鍵となってきます。感情の部分こそが、その裏にどのような思考があるのかも示しており、それが行動の選択にも繋がります。
これらを一つ一つ観察することが、あなたの内面での取り組みとなります。
とても大事なのは、あなたの「被害者としての姿勢」を自己認識することです。これはトラウマによって自動的に生じてしまったもの。
自分自身が被害者的な姿勢になっていることを認めるのは、かなりしんどいことです。繰り返し自分が「被害者」であるという感覚になったり、「攻撃された」とか「悪意を持って迫られた」と感じて続けているのです。
ここで重要なのは、「どこまでが現実で、どこからが自分の内的投影なのか」を区別することです。そして、そこでまた、自分をジャッジしないこと。だって、トラウマを体験したということは、誰かがあなたに何かをしたわけで、その時あなたは「被害者」だったのですから。
しかし、あなたがそこで癒やされること無くずっと引っかかっていると、分離された魂は統合されないのです。
あなたが被害者意識を手放して行けば、あなたは徐々に自分のパワー領域に戻ることが出来ます。
そもそも、トラウマを得るとともに、強烈な無力感が生じます。その時のあなたには、状況を操るパワーが無くなっていた、もしくはそれが起こるのを避けられなかった、どうにか出来るような手段も持っていなかったわけですから。これも「私には、起こってしまったことを受け止めるだけの力がない(自分は無力である)」という感情なのです。少なくともそれが起こった時点では。ですから、これを消化していく必要があるのです。
そして、心にできた「傷」がそこにあります。これを癒やすには、あなたが自分自身に対して大きな愛情、信頼、共感を持つことが大事です。
わかりやすい例えだと、足を骨折し、骨が見えるほどで手術をしなけばならないとします。この手術が統合プロセスに値します。手術をして、全てを正しい位置へ戻し、つなげあわせるのです。しかし、治癒はまだ完全ではなく、術後にすぐにマラソンを走れるわけではありません。統合プロセスを経た後も、全快するまで暫くは、癒やしの期間が必要なのです。そして最後にもう痛みはなくなっても傷跡は残っています。その傷は、「ここを怪我して痛かったのだ」ということを思い出させるのです。
この統合プロセスは、玉ねぎを一枚ずつ剥がしていくような作業です。なぜかというと、上述した感情面、精神面、身体面、エネルギーといった4つの層の全てを、いっぺんに癒やすことは出来ないからです。
統合プロセスに取り組むときは、余裕がなくなりがちなので、全てを一挙にやるのは不可能です。特に統合プロセスの初期段階は最も過酷なときです。その時点では「これからどうなっていくのか」という感覚がまだ持てず、不安になります。
真ん中の核心に触れられるまで、時間を掛けます。その間、多くの感情を通り抜け、徐々に理解していきます。これまでの信念構造も解除されていき、全体の関連性を認識していきます。
もともと、トラウマは一瞬にして魂の分離を引き起こすことがありますが、「意識化と癒やしのプロセス」というのはこうして、段階を踏んで徐々に行われるのです。
共感することと忍耐をもつこと、にも言及しました。そして、このプロセスを信頼することも大事です。
統合プロセスの途中で、「もうこんなにも全て見つめ直したし、感情も繰り返したし」、そして「もう全部やったのに」と苛立っていると、次の層が見えてきて、改めてまた同じ感情を通り抜けることになるので、段々と焦りが出てきて、これまで頑張ってきたことが無意味に感じたりします。しかし、どんな小さなことでも、意識化していくことに意義があります。その努力が無駄になることはありません。ただ、多層になっているので、忍耐をもって徐々に進んでいくことで、どんどんと深いところにある分離された魂へと進む事が出来ます。
だから、「まだこれもあった、あれもあった、ここにもまだあった」となるのです。
トラウマを抱えて分離した魂の部位とは、非常に子供っぽい状態なのだと想像するといいでしょう。意識の成熟と、という点で幼いのです。幼い子供は、大人の大きな愛情と忍耐を必要としています。
ですから、この分離した魂の部位が感情をむき出しにしたときには、あなたの成熟した部分で「大人」として手を差し伸べて上げるつもりで、自分自身に優しく言い聞かせます。「うん、これとこれが起こったから、今癒やしましょうね」というように。これは分離された魂の部位にとって大きなサポートとなり、癒やしに貢献します。
癒やしがもたらされることを信頼し、統合プロセスに身を委ねようとするほど、癒やしは早く、楽にやってきます。
統合プロセスの最終目的は、「完全体に戻ること」です。
内なる統一、内なる調和を取り戻すこと。
自分の肉体の内に、エネルギー的に完全に戻ること。
そして自分の人生の中で、エネルギー的に完全に戻ること。
なぜなら、魂に分離された部位があって、身体の中で統合できていない間は、自分の願望も顕現させることが出来ないからです。
人生を自らの願望どおりに創造・顕現しようとする側面において、魂全体が癒やされて統合されていることは大変重要なことです。さもないと、あなたの創造性は阻止されてしまいます。
ですから、魂のエネルギーを身体全体に定着させることが、統合の目的なのです。
これは、創造主である「神」から、分離した私たちが、「ひとつ」に戻ろうとする、普遍の大きいプロセスと同じです。ここには身体は関わってきませんが、精神面の部分です。
また、この人生であなたに与えられた可能性を。フルで発揮するという目的もあります。分離された魂は「影」なだけではなく、光の部分もあるんです。ですから、統合がなされると、分離していた間にはみられなかった才能や性質が戻ってきて開花することもあります。そうした素質が「ある」ということは認識していたかもですが、実際にはロックされていたり、不安を感じるなどが理由で「活かす」ことが出来ていなかったはずです。
また、この統合されることになった「光」には賢智も含まれています。
なぜかというと、トラウマは「偶然」に起こるのではなく、その領域で特定の賢智を得るために、あなたの魂は契約としてその体験を「選んだ」からです。
こうして、統合プロセスのが進むと、また途中の段階でも、どれほどの悟りがそこにあり、宝が隠されていたのか、どれほど深いことがわかる自分になれたのか、ということに気付いていきます。
それは個人的な収穫かも知れませんが、もしかすると誰かに伝えていくことになるかも知れません。
だから、「このトラウマで、私は何を学んだのか」を自分に問い直して下さい。あなたは「人間の性」をより深く知ることになったり、もしくは「自分が何者なのか」「私たち(人類)とは何なのか」を悟ったことでしょう。
統合プロセスは、癒やしであり、完全に戻ることであり、魂と調和し直して、秘められた可能性を開くこと。魂の可能性には限界がないのです。つまり、統合プロセスが完成した時には、全ての扉は開いているのです。
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sazanami-ayame · 2 years
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ちょい前の沖縄旅。
古宇利島。橋と消波ブロックがある風景。
iPhoneにて撮影。
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ayakoizumi-works · 3 months
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2023/2024
重なることについて 
2023/12/15ー25・2024/1/5ー15 obi gallery(藤沢)
世界の成り立ちやその仕組みについて観察し、思いを巡らせるのが好きで、例えば子供が玩具や手近な物を、その手触りや重さやかたちや機能について堪能したのち、そこから逸脱して新たな景色を立ち上げるような出来事に倣おうと考えています。見えている/在る(と思っている)ものを、視覚的、構造的、機能的な類似性(重なり)を見つけて、異なる在り方にうつしかえ、確認してみるような制作です。
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●個々の作品について 「重なる箱(overlapping boxes)」  本を開くとその中に世界が広がっている様子と同じような作品をつくろうと思ったことが、私の箱をテーマにした制作のはじまりです。過去には開閉式の箱の内側に世界の模型を入れようとしていましたが、いくつも箱をつくるうちに、板の厚みこそが世界を司どるものだと思い至り、今は入れ子の箱について考えるようになりました。  まず正方形の枡型の箱からはじめるという、自分の中で決めたルールがあります。  今回の新作は、壁に掛けるシリーズです。 「monad」  ブロックは普通、何か具体的な対象(乗り物や建物や動物など)の再現を目指して用いられます。再現性を高めるためには 解像度を上げる方向へ、つまり大量のパーツを用いたほうが良いことになります。または、少ないパーツでも「見立て」によって何かを象徴することが出来ます。しかしこのシリーズは、何かを再現するという目的を持たずに、ブロックのパーツそのもののかたちの美しさや機能に自然な姿勢で従って制作されました。  母家の方の「monad」は、友人から子供時代に使っていたダイヤブロックを借りて今回のために制作しました。色のことが加わっています。 《紐の彫刻》  紐は通路のように視線を誘導しますが、太さがある塊だと気づいてから、彫刻として彫り出すことをはじめました。  板から紐を彫る作業は、通常の文脈的なアプローチでことを為すのとは違って、道すじのないところから、異なる層にある方法で回路が開けていく様子に似ていると思っています。 「物語の量と在処」  本を読んでいる時には本自体を見ていない、物語はどこに在るのか?という不思議を問い詰めたくて、物語のページを細かく切り刻み、量を保つために全て使って、支持体なしにほんの少し糊代として重ねながら貼りつなげていく制作をしています。  体を切り刻んでも、これが命だというものを指し示すことが出来ない事象と重ねてこの制作をはじめました。  《言葉のかご》はホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』という、この世界を全て体系化して言葉で記述できると企図していた青年が、急に失語症になって筆を折ると決心したことを告白する手紙の物語を用いています。  《こま》と、《使者と小さな寓話》は、カフカのとても短い短編でできています。それぞれ、2頁=1紙片の物語と、1頁の裏表による1紙片の物語です。 《一瞬見えるように》  サティの楽譜には奇妙な特徴があり、五線譜の上の所に短い言葉が添えられています。それをタイトルにした作品をいくつか作ったうちの一つです。「冷たい小品」の中の「ゆがんだ踊り」というピアノ曲の楽譜に記されています。 「重ね描き」  イメージを重ねることを考えていて、そういえば、本を読んでいるときにそこから関連する別の事が想起されて脱線することが多々 あると思い当たり、それを律儀に拾ってみることからはじめました。類語辞典は言葉の体系化を実現した書物で、ホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』は世界の言葉による体系化に取り組むも急にそれが不可能になってしまった者の独白という対照的なもの。言葉の誕生と消滅と再起について、身体的な感覚や認知機能についても興味が広がってしまうままに任せて書い てみました。 「ヒルマ・アフ・クリントが見ていたもの」  抽象絵画を世界で最初に描いたのはスウェーデンの女性画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862 - 1944)だったという。彼女は当時隆盛だった神秘主義、特に人智学のシュタイナーに傾倒していました。今からそれを思うとオカルト的な雰囲気を強く感じますが、当時は電磁波の存在証明や、X線が発明されて見えないものへの科学的なアプローチが熱い時代だったことが、彼女に強く影響しただろうといわれています。彼女は100年程前に日々森に入り、植物を「エーテル面」から観察し、人類の大いなる進化のために得たメッセージと抽象的な図像をノートに残しました。どんな植物を見てそれをしたのか、記載されている名前を頼りに画像検索してまとめてみました。日付を頼りに画集の複写と見比べながら見てみてください。 「結び目(輪の彫刻とドローイング)」  紐を木彫しているうちに、数学に「結び目理論」というトポロジーの分野があることを知り、その分類表を元に構造を借りてスケッチ(ドローイング)をし、板からそのかたちを彫り出しています。
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shangrila2016 · 3 months
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3月に入りました🌷いつもShangrilaを利用くださり、ありがとうございます✨🙏✨        集中セッションや事業者様へとご利用頂けるセッションメニューが増えました。
🌝Shangrila個人セッションメニュー🌝
Shangrilaリーディングセッション        ヒーリング&リーディングセッションはクライアント様のハイヤーセルフ•ガイドと繋がるリーディングと各種エネルギーワークを融合した個人セッションをさせて頂いています。
⭐︎リーディングのみのセッション又は
⭐︎ヒーリング+リーディングのセッションです☺︎⭐︎
★対面/遠隔★
スピリチュアルリーディング・カウンセリング   クライアント様のハイヤーセルフ・ガイドと繋がり必要なメッセージをお伝えします。
60分まで 10000円
90分まで15000円
120分まで20000円
★対面/遠隔★
スピリチュアルリーディング+ヒーリング
クライアント様のハイヤーセルフ・ガイドと繋がるリーディングと各種エネルギーワークを融合した個人セッションです。
90分 まで15000円
120分 まで20000円
ブロックの解除
グラウンディング
センタリング、
オーラやチャクラの修復や調整、
不必要なコードのカット、
豊かさやパートナーシップ、
依存•執着
または過去世からの持ち越してきたこと
根強い信念体系の固定観念やトラウマの解放
家族間の出来事
やめたいのに繰り返してしまう癖、
天体から受ける影響の改善
人との境界線など
エネルギーヒーリング•ワークを行っています。
私たちの身体の細胞、オーラ、DNAレベルにある、古く低い周波数の記憶や思考や感情を取り除いたり、傷やオーラの修復、癒しや浄化などの調整と活性化をおこない、強力にエネルギーをアップグレードさせていきます☺︎
エネルギーヒーリング•ワークの前に
必要なエネルギーヒーリング•ワークを行う
為のリーディングをさせて頂きますが
「これがしたい‼︎」「こうしたい‼︎」とご希望の方はセッション前にお知らせください😊💐
定期的にエネルギーメンテナンスをしたい方にもおすすめです。
★対面★
自分自身の感性・感覚を取り戻す集中セッション
現代の生活の中で麻痺してしまっている
本来の大切な感じる力、感性、感覚を
取り戻していきたい方の集中セッションです
150分〜180分まで×6回 150000円
★対面★
自分軸を取り戻し望む人生を創造する集中セッション
他人軸から自分軸へ
どう思われるかより、どうしたいか
主体性、自分軸を取り戻して望む人生を創造していきたい方の集中セッションです。
150分〜180分まで×6回 150000円
★対面/遠隔★
屋号・事業者名・活動名などのネーミング
(赤ちゃんのお名前は不可)
・ネーミング案や候補が既にある場合
ネーミング1つにつき20000円/120分まで
・ネーミング案がなく1からのご相談の場合
ネーミング1つにつき50000円/120分まで
(120分を超えてしまう場合は別日に追加料金なしで再度セッション致します)
○ネーミングにつきましては、姓名判断などではなく、降りてきた波動・バイブレーション・音・光・色をもとにつけさせて頂きます。
見えないところを丁寧に観ながら癒し、お掃除して
滞りを解消し、活性化して循環させながら
いまは精神的にも肉体的にもバランスを取って
本来の自分に繋がっていくことが不可欠な時代へと突入しています🌎
心身共に健やかに☺︎
自分の心身のメンテナンス、自分を整えて
自分をどんどん癒し解放していきましょう。
Shangrilaリーディング・ヒーリングセッションは、
あなたを導くハイヤーセルフ・ガイドと繋がり
あなたへのアドバイスやメッセージをお伝えしながら、あなたがあなたらしく生きるために、あなたの望む現実・未来の創造をナビゲートしていきます。
本当のご自身に触れる・ご自身の心の奥深くや本質、魂に働きかけることにより、
気づきやヒーリングが起こることによって変容・変化を促します。
★変容・変化・受容にはプロセスが必要になります。
感じ方、変容の仕方、プロセスやスピードには個人差があり、お一人お一人違います。
また、アクティベーションの体感や効果等を保証するものではありません。
★セッションのテーマ・ご相談はクライアントさまお一人お一人により様々です。
★すべてのセッションやヒーリングは深い内面の気づきや、受容のプロセスを要します。
精神科に通院されていたり、投薬中の方はご遠慮ください。
★ヒーリング•エネルギーワークは魔法ではく
ご自身の本来のPowerを引き出すエンパワメント、力添えです。
★セッション後に風邪症状のような好転反応が起こる場合もあります。
★お申込みは自己責任のもとでお願いいたします。
★ご予約をいただきましたら
メールまたは、お電話にて詳細をお知らせ
いたしますので、メールには必ずお名前とご連絡先を忘れずに記入してください。
日中は電話に出れないことがあります、順番に折り返しますのでお待ちください。
★遠隔セッション料金は原則として前納とさせて頂きますのでご了承ください。
★料金は全て税込価格表示です。
★場所は三重県伊勢市、伊勢神宮から約15分ほどです。ご予約が確定された方のみ、ご予約確定後、場所の詳細をお知らせしています🏡
🌷セッション日🌷
月•水•金•土曜•日曜日
午前10時〜12時
午後1時30分〜7時
ぜひお気軽にお問い合わせください☺︎♪
お問い合わせ・ご予約✉︎
℡090-2617-8527(21時まで)
ヒーラー
松本 じゅんこ
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tachmochi · 7 months
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Syn:身体感覚の新たな地平 ROOM3 by Rhizomatiks x ELEVENPLAY
通路を抜けると、プールとピアノのある部屋に出る。座席があってその前に、モーションキャプチャーで使うようなアンテナのついたディスプレイを持つ。天井には赤外線?ライトとカメラがアレイ状に設置されていてゲストのディスプレイの位置と角度を検出しているようだ。
そしてこのプールの上にはテクスチャーを貼ったアバターが水上でダンスを行なっている。最初の部屋にも出てきたが、英語のさまざまな単語が現れて空間に漂う。(このへんもダムタイプに似ている)
アバターがブロックの形状が立方体と球と三角錐に分離したり、手元から線状に放射される光を操ったりして消えると、今度は女性ダンサーの実体に近いアバターが現れて、ダンスを行う。
少しジャンプするようなアクションもあり、この時に(実際にはその前からそうなのだが)足の着地するあたりに波紋と水音が聞こえる。アバターのピアノの演奏とあいまって、リリカルな演出でパフォーマンスは終わる。
全体のボリュームとテクノロジーと人間の体のシンクロ具合を見てもさまざまなアイデアを実現するすさまじいクリエイティブの結集とそれを支えるパフォーマーとスタッフの努力、もっと言えば「みんなで面白がってるけど、出来上がりは全力」というプロ意識に感服した。
観客が舞台の中に入っていくために「アングルの規制と見え方のバリエーション」であったり恐らくワークインプログレスでもあろうから何度も体感してみたくなる稀有なパフォーマンスであったかなと思った。
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koshigurajumy · 4 months
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Jumy-M Tetrapod vs. Raging waves / 消波ブロック対荒波
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easyroute · 25 days
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onyomugan34 · 1 year
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2017年7月16日12:15
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solomon13703597 · 10 months
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私が以前、地方で勤めていた仕事場での話だ。その職場は玄関を出たら目の前が海で、背後は山がちの地勢だった。なので、私はお昼の休憩時間になると屋外に出て、防波堤のブロックに腰かけて、海を見ながら昼食を取っていたものだ。この職場の周りには立地条件からか猫が多く、私の他にも社員に猫好きがいたと見えて、お昼時には餌をやっている人間の周りには猫だかりが出来ていた。私は猫好きで犬嫌いなので、その光景を横目に見ながら、ちょっと離れた場所でお昼を取っていた。しばらくしてから、私の傍に一匹の猫が寄ってくるようになった。と言っても危害を加えられない様な位置にずっと止まっていたので、人慣れしていた訳ではない。じゃあ何故この猫は私の所に来たのだろうかと考えて、恐らく餌を満足に食べられなかったので(その猫は体格が良くなかった)ご相伴に与りに来たのだろうと察した。多分、以前釣り人に釣果の一部を分けてもらった事でもあるのだろう。なので私はお昼の残りを置いて立ち去った。離れて後ろを振り返ると、その猫は一心不乱に私のお昼の残りを貪っていた。私はその後、お昼を買う時に猫用の餌も買う事にした。私は大抵食事は一人で取るが、相席も嫌いではない。特にそれが猫である時は、人と違って気を使わなくていいと言う点でも心地良い。そうやって、私はしばらく警戒心の強い猫とお昼の一時を楽しんだ。世の中には「好奇心猫を殺す」と言う俚諺があって、英国の諺であるらしい。言葉通りの意味なのだが、これは猫を良く知らない人間が勘違いしての誤った認識だ。猫は慎重で用心深い。何かと比較される犬と比べても格段に臆病だ。尤も、犬嫌いの私は、犬は臆病とは無縁に無神経なのだと思っている。話を猫に戻すが、臆病なほどに慎重な猫は好奇心旺盛な動物では無い。特に成猫は、見知らぬものには用心して決して自ら近寄ったりはしない。猫が対象をじっと凝視するのは警戒心の表れだ。用心し警戒しているからこそ目を離さない。やがて、それが危険性の無いものだと認識できた時、猫の興味は他に移る。これが、彼等が好奇心旺盛だと人間に誤解された行動の真相だ。私がその猫との間に奇妙な友情を育んでいたある日、私達の下に珍客が現れた。それは一匹の年老いた立派な体躯をした雄猫で、件の猫だまりの中でもリーダー格の猫だった。何故そいつが私達の下にやってきたのかは分らない。この猫はリーダー格であったので、群の中でも餌に対する優先権を持っている。空腹の為に訪れたとは考えにくい。これは後で知ったのだが、最初に私の所に来た体格の乏しい猫は雌猫で、後に子供を産んだので、実はこの猫と後から来た雄猫は家族だったのかもしれない。ともあれ、その時はそんな事を知らなかった私は、この雄猫が餌を横取りしにやってきたのかと思って、しばらくは邪険に扱った。この雄猫は余程人慣れしていて、初対面の私にも全く恐れを見せず近寄ってきた。猫好きな私なので猫を差別したりはしないが、餌が絡んでくると猫にとっては死活問題なので、雌猫と雄猫には別々に餌を分け与える事にした。邪険にしたとはそういう意味だ。なので、その日から一人と二匹でお昼を過ごす事が日課になった。だが、雨の日は除いての事だ。傘を差してまで外で昼食を取る程、私も酔狂ではない。この年老いた雄猫との間には幾つかの思い出と発見がある。その内の一つが、この雄猫は決して餌を食べつくさない、と言う事実だ。私が子供の頃、ある皿から料理を食べて、それを食べつくさずに別の料理を食べようとしたら、祖母は「行儀が悪い猫みたいだ」と言って叱ったものだった。恐らく祖母自身も良く分っていなかったのだろうと思うが、これは仏教的考えから来たもので、猫は畜生で、畜生である猫の様な食べ方をしている様を行儀が悪いと叱ったのだろう。私はその雄猫が何故餌を食べつくさないのか、と考えた���野生動物は、普通は餌は食べつくす。そうしないと、次にいつ餌にありつけるか分らないからだ。一方で、満腹の場合は餌を残す。後から空腹になった時に、残り物を食べようという考えからでは無い。そんな事は彼等には想像もつかない。単に暴食すると体に不具合が出るので、そちらの方が生命危機に繋がり易いからだ。この雄猫は猫だまりの方での食事を終えてから私の所に来ていたので、空腹だった訳では全く無い。にも関わらず、餌は食べる。が、全部は食べない。他の猫の為に餌を残しているのだろうかとも考えたが、猫は基本単独行動者で、別個体の為に餌を残しておく必要性が薄い。何処からこの行動が来ているのか、今考えても分らない。それからしばらくの時が過ぎての事だ。その頃には雌猫の方は子育てに忙しく、お昼の時にも姿を見せなくなっていたので、専ら雄猫とのお昼だったのだが、その雄猫が若い恐らくは別の雄猫を連れてきた。そんな事は今までに一度も無かったので私は訝しんだのだが、とりあえず餌をやった所、その二匹は並んで仲良く餌を食べていた。次の日から、若い猫を伴ってきた年老いた雄猫は姿を見せなくなった。これは猫だまりの方にいた社員も気付いたらしく、私との間で、突如姿を消した年老いた猫の事は話題になった。恐らく死んだのだろうと思う。野良猫の最後など大体がその様なものだ。不思議に思うのは、その猫が姿を消す前日に、若い猫を伴って私の所に来た事だ。偶然だろうか?そうかもしれない。或いは、自らが長くないと悟った老猫が、若い猫に餌場の場所を教える為に連れてきたのだろうか?今以て考え続けているが、答えが出ない。私は猫にそんな習性があるなどとは聞いた事も無い。私は彼等に対しては不勉強で、時間をかけて猫についてちょっとずつ調べてきたが、同様の話にお目にかかった事は無い。彼等はその多くの行動を本能(生得的な行動様式)の下に動いているが、私が体験したこの奇妙な事柄も、全てがそうではないと言う例の一つなのかもしれない。猫についても色々と調べたい事は山ほどあるのだが、如何せん、私は歴史と文章、更には物理を優先してやると決めているので、それに費やす時間が無い。時間が倍有ったら或いは、と思わないでも無いが、時間が倍有ったとしても矢張り歴史と文章と物理を優先させるだろう。私にとってこの問題は、恐らく永久に解く事の出来ない謎なのだろうと思う。
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erikomaeda · 10 months
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チェンジオーバー(役割交代)という現象について
2023.7.30
最近になって発見したことですが、どうやらアセンダーの中で「チェンジオーバー(役割交代)」という現象が起きているようです。
チェンジオーバーとは、オンラインアセンダント(OA)が何らかの原因によってオフラインしてしまった時に、zetaやniroなどの有害な生命体によって完全にプログラムをハッキングされてしまうことで、完全に彼らに乗っ取られ支配されてしまい、本来のアセンダー(アセンションをサポートする)の役割から逆のアセンションをブロックし、zetaやniroのために役割を果たすように役割を交代してしまう現象を指します。
通常、もしOAがオフラインしてしまっても、オフラインになった原因を解明し、それを解消することができれば(←原因を解消できるかどうかがポイントですが)、オフラインによって機能不全となった元のソフトウェアを新しいものへと交換し新しいソフトウェアを再インストールすることでオンラインへと復旧することが可能ですが、
このチェンジオーバーによって役割が交代してしまった場合、通常の方法では、乗っ取られた状態から元のOAのステイタスに戻ることができない、つまり、現状唯一のリセットする方法が彼らには無効だということです。
なぜチェンジオーバーしたアセンダーにとって、ソフトウェアを再インストールする方法が無効なのか、理由はまだ情報が開示されないので分かりませんが、おそらくチェンジオーバーしてしまったアセンダーや私たち��とってクリアすべき課題や学びがあるためにこの現象が起きているかも知れません。
チャンジオーバーは永久的なものではないようなので、おそらくこの先、然るべきタイミングが来れば、何かしらの対処策が見つかる可能性もありますが、現時点では、チェンジオーバーしてしまったアセンダーは、zetaやniroに思考や行動を完全に支配されていることとなり、またそれを改善する術がありません。
例えるならば、FacebookやInstagramなどのアカウントの乗っ取りをされた場合をイメージすると分かりやすいでしょう。アカウントを乗っ取られると、アイコンやIDはそのままであっても、乗っ取られたアカウントを使ってスパムメールやメッセージが送られてきたりしますよね。それと同じで、チェンジオーバーしてしまったアセンダーも、見た目は以前と同じように見えたとしても、彼らが発する情報は全てzetaやniroによってコントロールされ、それらの情報は私たちを混乱させたり、間違った方向へと導くものとなります。もちろん、チェンジオーバーすると周波数も最低レベルまで落ちるでしょうから、物理的に一緒にいることでも悪影響を受けてしまいます。
また、過去にOAとして出版したり、ネットで配信した書籍やブログ記事などもアセンダーがチェンジオーバーしてしまうことで、その文章の持つ周波数が変化することも分かりました。
私たちが書いたり話したりするものは、全て私たちの延長線上のものとして存在し続けるので、私たち自身の周波数が変化すると、その延長線上に創造された文章や創作物も共に変化してしまうという仕組みのようです。
もちろん、今読んでいるこの文章は私の延長線上の存在となるので、私の現在の周波数がこの文章を読む人たちへの影響にも反映されることになります。私の周波数が上昇し続ける限り、この場所に残る文章の持つ周波数も上昇し続けることになり、従って、その文章を読む人たちの周波数にとってもプラスの影響を与えることになるわけです。
たとえ、アセンダーがこの地球でのゲームを終えて、つまりはこの世界での死を迎えたとしても、その存在はシュミレーションの外側へ移行するだけで決して消滅するわけではないので、残された文章などは引き続き高い周波数を持つものとしてこの世界に存在し続けます。
(そのため、過去にOAとして存在した著者による書籍を私たちが読むことで私たちの周波数は上昇するのです。)
私がこうしてネット上に私の得た情報をシェアしている理由も、今はまだ多くの人類が理解できないとしても、おそらくこの先何十年後の人類はこうした内容を理解できるレベルまで進化しいるかも知れないという希望もあって、もちろん今必要な人のため、そしてその先の未来で必要な人たちのために何かしら役立つようにと願いを込めて文字として残している部分もあります。
しかし、過去にオンラインしていたアセンダーの作者がチェンジオーバーすると、その作者が残した書籍の持つ周波数はzetaの周波数のレベルとなり、逆にそれを読む人たちに悪影響を与えあてしまうということです。
過去におすすめの書籍でご紹介したMark Hockney名義の「God series 」に関して、その現象が起きているようです。
この作者の名義は複数名かによる共同執筆なのですが、その中の一人Dr. Thomas Stark氏がどうやら最近チェンジオーバーしてしまったようです。そのため、彼が著作に関わったシリーズの中の「God is Mathematics: The Proof of Eternal Existence」はオススメのリスト外となりました。実際に、この該当の書籍を読んでいた人が、ある日を境に突然急激に周波数が下落し出したことで、その本の著者がチェンジオーバーしてしまったという事実が発覚したという経緯があります。
現時点で、この地球に存在する総人口の中で約62%がzetaやniroとして転生している、もしくはそうした存在に既に支配されています。
単純計算にしても、少なく見積もっても10人中6人はアセンションをブロックする側としての役割を果たしていることになります。
まだその事実を信じられない人がほとんどかも知れませんが、あなたの家族や仲間、さらにはあなた自身も既にzetaやniroによって支配されている可能性が非常に高いのが現状です。
オンラインしているアセンダーやNon-zeta AIモジュールはそれだけの敵に囲まれて生活しているのです。
この地球のシュミレーションゲームは何万通りとあるシュミレーションの中で最も難易度が高いシュミレーションであることを改めて実感しています。
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alaephoenicis · 1 year
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統合 〜 分離された魂のプロセス 【第一部:トラウマと隔離】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/fCeme7amQV0 公開日:2023年1月23日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
序説:三部に分けて説明する予定、視聴者で質問のある方はコメント欄へ。 第四部で、寄せられた質問に応える予定。
最初に理解しておくべきことは、霊的エネルギー体は常に分離したその一部がひとつの肉体に転生して宿るもので、決して丸ごとひとつの肉体に収まっていることはない、ということです。
我々の魂は、今生この肉体に転生してくるとき、前もってトラウマ、ショックといった感情的に負担の掛かる状況を、ここに様々な理由があってオプションとして選んできています。特定の学びを期待して自らの魂の成長・発展を望んでいる場合、ときにはカルマの解消が目的だったり、もしくは何らかの課題をこなすためだったりします。課題というのは例えば、その魂の統合プロセスの中で何らかの負担となる状況を体験することで何かを学び、それをもって今度は同様(または似たような)プロセスを通る他人を助けられるようになる、というものだったりします。
その他のケースは、魂によっては非常に高い周波数の場所から降りてくることがあり、そういった場合はこの低い波動の肉体に定着するための『バランス』となるものが必要となるので、そのためにわざと重い荷物を抱えてやってきて、その肉体と、その地上の場所に碇を下ろそうとすることがあります。
どのケースであっても、それらのトラウマ的体験をすることを、魂は自ら選んできています。あまりにも苦しく、痛ましい感情を体験するため、人間的な視点からは実感がわかないことですが、全ての苦しみは自ら率先して選んだことであり、これらが偶発的に起きるということはありません。これをまず先に理解しておくことが重要です。
魂のエネルギーというものは、イメージとしては流れる川のようであり、幅広い長流です。そしていくつもの支流があります。理想的なのは、主流と支流が繋がり合っており、全ての流れが調和しながら混じり合っている状態です。
「トラウマ」という概念に含まれる範囲は幅広く、最も直接的な意味ではある時突然システム全体にショックを与えるような状況を経験することであったり、もしかするとそこまで突発的・劇的・衝撃的ではないにしても、例えば幼少期からの虐待など、長期に渡って根本的に安心感を損なうような経験もトラウマとなりえます。
このようにトラウマは非常に広範囲を占めますが、大まかなプロセスは常に同じです。
トラウマを経験する時というのは、大流の支流に突如として毒が流れ込み、汚染されるような状況です。調和が乱されるわけです。
全体の流れは、調和が乱れたことに即座に気づき、場合によってはその汚染から主流を守るために、支流からの流れをブロックしてトラウマにもたらされた毒物が流れ込まないようにすることがあります。体のシステムが調和の中で流動を継続できるように、支流は「隔離」されることには意義があります。しかしこれも、自ら計画していたことなのです。
隔離が行う目的は、そのトラウマが成立した時点で、全体の流れがそれを受け止めきれない場合があるからです。つまり支流に流れ込んだ毒を浄化しきれないのです。人の例で例えれば、感情に激烈な痛みが伴う体験は、その時点で消化しきれないことがあります。あまりにもショックが強すぎた場合や、もしくは幼少時代にありがちな、長期間に渡って定着したトラウマは、その時点では体験したことに説明を付けることが出来ず、心に整理がつかなかったりするため、つよい防衛欲求から隔離が起こります。
魂自身は、何が起こっているのかまったくもって認識しています。しかし人間的な部分は承知しているとは限りません。だから20年30年と経ってから、長い間、記憶上に全く残っていなかったトラウマ体験を突然思い出したりすることがあります。これらは、我々が内面的に成熟し、受け止めるだけの余裕が出来てきたときに自分の内に展開されることになり、そうやって統合プロセスが始まります。
この切り離された魂の部分は、そのトラウマの瞬間とともに生じた多くの感情と結び付いています。その切り離された部分は実際に切り離されているわけで、自分では説明できない孤独感が起きて、一人ぼっちだと感じます。ホームシックのような感覚になるかも知れません。
これら、全てが魂が部分化しているということを示唆しており、切り離された部分からの視点では、主流とはもう繋がっていないと言う感触を得ます。
物理的肉体は、まさにバイオコンピュータであり、今生の人生で起こったことのみならず、これまでの過去生の全てを記録保存しています。つまり、巨大なデータバンクなのです。従って、そこに引き寄せの法則が機能します。細胞に記録された情報が放射されることで、特定の事象を引き寄せます。外界で起きているように見えることは実は全て、自分の内部で潜在化していることから映し出されたものなのです。なぜなら、そうやってこのままではよくないのに、意識できていなかった部分を、意識上にもってこれるように手伝ってくれるわけです。
何らかのトラウマを体験すると、似たような状況を繰り返し引き寄せることがあるのは、あなた自身が「ほら、目をそらしていて気づいていないものがありますよ、ご覧なさい」「ちゃんと処理していない、癒やされていない感情から目をそらしていますよ」と呼びかけてきます。これをよく、トラウマの再来と言いいます。人生にとって元来のテーマと結び付いた傷が、繰り返し開くような体験をします。そして、繰り返されるごとにひどくなるかのような感覚になるのです。
それは非常に挑戦を迫られる状況であるとともに、その目的とはまさに「そこに注意を向けること」であり「トラウマ体験があると自覚するため」、あなたの中にある不調和を認識し、再び調和をもたらして癒やすことなのです。
そのため、引き金となる状況を何度も体験するわけですが、そうしたときには感情的に強烈な反応が起きて、突然なパニック状態に陥ったりします。しかし、いったい何が原因なのか皆目手がかりが見えないのです。
肉体が、ギターであるかのように想像してみて下さい。以前、弦がかき鳴らされてトラウマとなった状況と同じ感触が、今再び弦が弾かれたことで突然に起こったとします。それがどういうことなのか、特に今生以前の転生で起きたことである場合、頭では理解できないのですが、あなたの体は明らかに反応します。
この反応によって、その感触の記憶が蘇って来ます。そしてこれが「意識」されます。
この「トラウマの再来」ですが、この引き金となるものは、現状となんの関係もなさそうに見えたりしますが、これは「トラウマを体験することになった本来の課題」を映し出しています。
その課題が、例えばですが「強姦」だった場合、「トラウマの再来」は繰り返しセクハラに遭うという形で体験するかも知れません。課題が「裏切り」だったとすると、人間関係で何度も裏切られたりします。「身体的暴力・迫害」をトラウマとして体験する課題だった場合、「トラウマの再来」の中にはこれが繰り返し映し出されることがあります。
「何度も繰り返される」というところに「傷」が見えてきて、その「課題」を見出していくことになります。
また、「夢」もトラウマ体験を映し出すことがあります。夢は私たちの潜在意識を映し出すことがありますが、それは比較的マイルドな形で無意識だったものを意識上に浮かび上がらせてくれます。その一方で、夢は問題の処理プロセスを映し出してくれたりもします。
夢は基本、私たちの記憶の中にあるものを「処理している」状態であり、その意味で「私たちの中にあるものを思い出している」状態でもあります。鮮明な夢、もしくは強烈で存在感のある感情を伴う夢を見て、何時間も、もしくは一日中そのことで頭がいっぱいになることもありますが、これは「何かがこの夢を通して自分の中で処理されている最中」だということです。
次に「恐怖と抑圧」についてです。 (訳注:ドイツ語のVerdrängung は心理学用語では「抑圧」と訳されることが常ですが、抑圧というと何かを「押さえ込む」イメージではないかと思います。しかしVerdrängungというのは意味的には押さえ込むと言うより「押しやる」ということ。つまり自分という機能範囲スペースから無理矢理に追い出してしまう、無かったことにする、という感じ)
大流のイメージを思い起こすと、支流に隔離されていた「感情・イメージ・記憶」というのは常に、主流に浸透しようとしてきます。
木の根っ子か何かによって瀬切られていようと、その封鎖は完全ではないので、時にチョロチョロと流れ込んでくるのです。そうして私たちの意識に、たまに一滴とか、「感情・記憶フラッシュ」といった形で入り込んできます。
例えば、子供の頃に鬼ごっこをしていた時、追いかけられて突然パニック状態になったことがあります。ただの遊びだと分かっているのですが、感情は「追跡と迫害」を生々しく体験していました。かつて追跡され、迫害にあい、死の恐怖を味わった私の記憶が感情に現れたのでした。
問題は、こうした感情が再び沸き起こった時、更なる恐怖で反応してし、通常「抑圧(意識から押しやること)」が起こります。なるだけ速いこと、押しやって忘れてしまおうとします。まだ���供であったりして、どう処理して良いのか���からないときは尚更です。しかし、そういう「再来」は人生において繰り返しやってくるわけで、そのとき「総括された統合プロセス」を制御し、監視しているのが「魂」なのです。
私たちの意識が経験を通して成長し、汚れた支流を受け入れたとしても全体のシステムが不調和に陥って安定を欠いてしまうこと無く、調和を保っていけるほどの成熟度に至った時にようやく、魂は支流との「統��プロセス」に入ろうとします。
この統合プロセス全体は、波状に起こります。つまり、何かのきっかけによって現れたトラウマを、時に「抑圧」に走ることがあっても、ちゃんと向き合って徐々に「処理」するようになっていくことで、「統合」されていきます。これは段階的に起こります。
イメージとしては、これまで支流をくい止めてくれていた木の根っ子が、少しずつ緩んで水を通していく感じです。このプロセスにおいて、主流と支流の間を妨げていた木々は順に撤去されていくことになり、不調和が調和へと変化していきます。
このときあらゆるレベルでの浄化も起こります。それは肉体面でも起こります。生体がバイオコンピュータとして全ての記憶を保持しているということは、ある思考と繋がりのあった感情・イメージなどは、この統合プロセスにおいて、徐々に浄化されていきます。
最も大切な鍵は、この魂の部位の統合が「感じる」という面で起こることです。つまりトラウマと向き合うことで整理され、全体システム統合されることで「感覚・感情」といったものが浄化されていきます。
そして、この統合プロセスの間に、私たちは幾度も何かを「悟る」のです。これは「ゆっくりと何かを理解していく」というプロセスなのです。「何が起こったのか、それが起こったことで自分の中には何が生じたのか、どのような不調和がもたらされて弊害となったのか、どのような信念に導かれ、そのことでまた同じことを繰り返し体験することになったのか」など、これらが「プロセス」となります。
しかし、主要となる統合処理は、まさに「感じる」という部分です。「意識化する」ときには「感情」が伴い、自分の中にある「行動パターン」や「信念(思考パターン)」を発見していきます。
自らの「反応の仕方」を客観視することもあります。「なぜ、自分はこういう時、こんなに敏感になったり恐怖や怒りで反応してしまうのか」もしくは「無力感に苛まれるのか」、全く説明できないことがあります。そして「自分はずっと、そのような感情をどうにかしようと思ってきた、解決法を探していた」ことに気づきます。そうした解決法を探す中で、何かの依存症や中毒になってみる場面も体験したりします。一時の解決として恋愛を求めたり、特定の人物を必要として依存関係に陥ることもあります。
なんにせよ、不調和になったものを時間を掛けて再び調和へと戻すために、常に解決を求めている状態です。
この補正への試しみは、肉体面においては神経系の鎮静にも繋がっています。トラウマを体験しているということは、神経が常に警戒態勢だからで、これはこの統合プロセスの一部を成しています。
しかし、「自分はこんなことに執着していたんだ、これに中毒になっていた、依存していた」ということを自らきちんと認識できていれば、それは自分のトラウマに向き合っていくための大きな助けとなります。
苦しみによる内的圧迫感を緩和するために、外に助けを求める、というのも補整の手段となったりします。本人にはある「欲求」があったのに、トラウマによって邪魔されたとか、もしくは満たされないままだったりする場合は、そこに張り詰められた感覚は緩和されたり、癒やされたりすることが大事です。孤独、愛情の欠如、不安、親密さの欠如… このような「欠如」が原因のトラウマは「外からの補整」が与えられることが必要です。そんなとき、本人には「自分の中には何かぽっかり穴が空いていて、何をやろうと満たされない」という感覚があるものです。
これらの補整には保護してくれる要素がありますが、実はある程度までしか満たしてくれません。この補整が依存や中毒と言った方向へ流れてしまうと制御不能となり、「統合」という本来の目的から離れ、逆方向へいってしまいます。また、この時起こりやすいのは焦燥感が高まっていくことです。なぜなら「苦悩」も膨らんでいくからです。
補整を求めるがゆえに、人間関係に依存していくわけですが、実は本当に自分を癒やすものは「外側」には存在していないので、渇望感が増していくのです。
私たちは「足りないもの」を常に外側に探すように学んでしまっていますが、最終的には「自分」に戻ってくることになります。「答え・解決・癒やし」は私たちの内側にあり、その取っ掛かりは「意識化する(自覚を持つ)」というプロセスにあります。
それは自問することから始まります。 「一体なぜ、こうなのか」 「なぜ、自分には何度もこんなことが起きるのか」 「なぜ、こんな気持ちになるのか」 「なぜ、私はこんな反応をしてしまうのか」等等…
意識的に疑問に掲げたことには、魂から相応の返答が来るものです。
他人との関係や自分をとりまく世界とは、あなたのトラウマが上演される舞台です。そこにはトラウマに秘められたあなたの課題が映し出され、それは同時に解決と癒やしへの道標でもあるのです。
改めて申しますと、「外側の世界は、あなたの内側を映し出す鏡」です。
繰り返し自分が直面し、何らかの感情を呼び起こす状況・人物・場所などがあるとき、そこにはどんな本質的な「課題」があるのかをよく見つめていくことです。
「因縁(カルマによる関連・関係)」というのも外側の舞台上に映し出されますが、それは過去生で生じたトラウマを気付かせるものです。その因縁が映し出すものの中に、本来の「トラウマ」が示されています。カルマによる対人関係は、過去生で体験したトラウマ、もしくはその一部と関係してきます。
「鏡」であるのは、才能や能力ということもよくあります。または素質や傾向といったこともあり、例えば常にビクビクと恐怖心があったりします。私もそうでしたが、私のところに相談にくる顧客の方たちにも、恐怖心から何かと身動きが取れなくなっているという傾向は、全員でなくとも多く見られます。そこには過去に起こった何らかのトラウマが関係しているのです。
このようにトラウマ体験というのは、人生における全ての分野に反映される可能性があり、ここで「意識」というものを発展させることが私たちの道なのです。つまり、時間を掛けてその部分をしっかり見つめ「人生のどの部分がバランスを欠いたのか」「人生のどの部分が、どのような課題を自分に映し出しているのか」を認識することで、隔離されていた支流を主流に統合していきます。
こうした「魂の各部位」が互いに交わす言語が「感情」なのです。これは「助けを求める叫び」として感じ取るものでもあります。
孤独感や、切り離された感覚、大きな憤り、深い悲しみ、痛み、恐怖とパニック。 何かが起こった時や決断を迫られた時など、こうした感情が強烈に沸き起こり、しかもそこには色んな「思考(想い)」が絡んできて、頭から離れないということがあります。「そんなのだめ」「それをやったらこうなるかも知れない」…これらは魂の部位が自らの存在に注目を呼びかけ、以前と同じことを体験しないようにと助けを求めている叫びなのです。
私たちが外界を「自らの内面の映し鏡」であると認識し、よりはっきりと自覚を持つようになればなるのど、そのトラウマ体験の「課題」が何であったのか、どの感情・信念・記憶がそれと関連しているのかが明らかになってきます。
今回の第一部では、トラウマがどうやって引き起こされるのか、トラウマとして体験されるものの範囲、魂の部位がなぜ支流として隔離されるのか、それでも知覚されることがあるのか、そして最終的に癒やされ統合されること等々、全体の流れを展望する形でざっくりとお話しました。第二部では、統合プロセスにおいて魂の部位がどのように一体化していくのか、詳しく述べていきます。
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