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#漫画編集
8kaichi · 9 months
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「日本短編漫画傑作集 Vol.1」、読み終えた。
以前読んだつげ義春の「無能の人」の話をしたら友人が貸してくれたもの。半分くらい知らない人だしあんまりわかんないかなと思いきや、どれも結構面白かった。
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それぞれ短いながらもいろんなストーリーの作品になっている中、つげ義春の「海辺の叙景」はこれといって特別なことは起こらないんだけど、なんだかよかった。このコマ、多分人物が立っているのは砂浜で、海に鳥がいるっていうことだと思うんだけど、なんだか人物が浅瀬に立っているようにも見えて不思議な感じ。
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手塚治虫はタイトルがかっこいい。
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bambirock · 1 year
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🐺 久しぶりに漫画、 狼なんて怖くない!! 面白い‼︎ #狼なんて怖くない #冨樫義博 #短編集 #漫画 #オカルト探偵団 #HORRORANGEL #とんだバースディプレゼント #ぶっとびストレート https://www.instagram.com/p/CpsMiCKv1gW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#編めば編むほどわたしはわたしになっていった #三國万里子 #文藝春秋  新潟出身のニットデザイナー、Miknits代表、三國万里子さん初のエッセイ集。 幼い頃の新潟での思い出や息子さんとのこと、妹さんであるなかしましほさんとのエピソードなどなど。 読者の"あの頃"を甦らせるようなリンクするような、追体験をしているような。 ゆかりのある新潟の方だからかな。 LIS摂田屋2F(@lis_nagaoka )にて販売中📚 ・ ・ ・ #ブックスはせがわ #書店 #本屋 #移動本屋 #移動販売 #移動販売車 #bookknock #LIS摂田屋 #雑誌 #書籍 #写真集 #文庫 #漫画 #絵本 #児童書 #エッセイ #小説 #magazine #book #新潟県 #長岡 #bookstore (Food & Lifestyle Store LIS) https://www.instagram.com/p/CmLgUErLvD4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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thecardswell · 2 years
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女装作家
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ryotarox · 3 months
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(【漫画】たまに取り出せる褒め 投稿編 5 書籍発売開始! | オモコロから)
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関連
https://ryotarox.tumblr.com/post/168891770525
ひたすら相手のいいところを見つけて言葉で肯定し続ける、 その積み重ねは自信になって、その自信はわたしがいなくなっても わたしの大切なひとをつらいことから守る盾になってくれると思っています。
他人の良い点を見つけて言葉にして伝えるのは大事。
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https://ryotarox.tumblr.com/post/724558134504570880/ryotarox-masatanz-漫画たまに取り出せる褒め-オモコロ
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本になってる
Amazon.co.jp: たまに取り出せる褒め : 室木 おすし, オモコロ編集部: 本
描きおろしには絵本作家・ヨシタケシンスケ氏と TVプロデューサー・佐久間宣行氏の“褒めの記憶”エピソードを収録!
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dolphinrocket · 2 years
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今まで書き溜めた漫画をAmazonでまとめて見れるようにしました。
無料なので、お時間のある時にでもどうぞご覧ください。
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lilliput-army · 2 months
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・手塚治虫 「ちょっと上手すぎるよね」「彼は僕の後継者」 ・荒木飛呂彦 「鳥山先生の絵は、漫画家からするとちょっとした発明のようなもの」 ・井上雄彦 「鳥山先生の絵は漫画家からすると魅力的すぎるんですよね。マネしたくなる気持ちもわかります」 ・冨樫義博 「嫉妬するほど上手い」 ・いしかわじゅん 「漫画としての絵という意味で言えば、鳥山以上に上手い漫画家はいない」 ・夏目房ノ介 「漫画界には大友・鳥山以前と大友・鳥山以後が存在する」 ・尾田栄一郎 「神様。ディズニーより上手い」 ・ジョージ・ルーカス 「彼のイラストを見た時は驚いたよ。素晴らしい。本当に日本人が描いた絵なのかと思った」 ・ジェームズ・キャメロン 「鳥山明のファンなんだ。彼の絵を見るとワクワクするんだ」 ・シド・ミード 「鳥山のセンスは素晴らしい。世界中探してもこれだけのデフォルメセンスを持つイラストレーターはいない」 ・トッド・マクファーレン 「鳥山の何が一番凄いのかと言えば、あの色彩センスと画材選択の素晴らしさだ」 ・ エミネム 「ドラゴンボールの作者に俺のアルバムジャケットを手がけてほしい」 ・アンソニー・キーディス(レッド・ホット・チリ・ペッパーズの VO) 「日本に言った時に欲しかったドラゴンボールの画集を買ったんだ。満員電車にも乗りたかった」 ・鳥嶋和彦(元ジャンプ編集長) 「彼の絵に関して「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」 「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」 「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」
【特集】 死去の鳥山明さん 「アラレちゃん」「孫悟空」「スライム」数々の名キャラ生み出し… [朝一から閉店までφ★] [chaika]
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amarough · 4 months
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下巻分では上巻の子たちとはまったく違うカップルの子たちをがんばって描いているところです 
上巻分の子たちはフーンなるへそだったけど下巻分の中にはかわいい子見つかるかもしれないし 上巻の子たちを気に入ってくれた人には下巻の子たちはビミョいかもですが
本当は蛍火上巻分だけで終わるところを編集さんのご厚意でもう少し描かせて貰えることになったので イメージとしては上巻+αくらいの気持ちです
下巻は今年中に…出せたら…
ずっと罪悪感はある まだ破り捨てたくなる時はあるけど それでもクソ人間なんでしつこく 描いています 歴史漫画も感動ポルノも描いてないただポルノを描いている ひどい
どうでもいんだけど去年3枚もハンカチを失ったのでわたしが好きそうなハンカチを見つけた人は応援がてら送ってください
(タオル地でないコンパクトなのが良)
ハンカチが足りない 今のわたしには
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jaguarmen99 · 4 months
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1990年代に少年サンデー(小学館)で執筆した高橋功一郎さんは「すごいな。作家側には絶対立たないその姿勢。自分がサンデーいた30年前と何も変わらない」と数十年前から作家を尊重しない社風だったと明かし、「ぶれないね!」と皮肉を込めた。また、「大手は全般的に守ってくれない?」という質問に対しては、「ほとんどの大手は守ってくれると思いますよ。自分的な感覚では小学館だけかなり特殊な印象です」と小学館の特殊性を強調し、「逆に良かったのは秋田書店。最高の編集さん、編集部でした」と付け加えた。
小学館、詳細説明なしに漫画家憤りの声「ありえない」「30年前と何も変わらない」「忘れないからな」社風批判も 芦原妃名子さん急死経緯、明らかにせず - ライブドアニュース
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lastscenecom · 2 months
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『ドラゴンボール』は最初の頃、あまりに人気が弱くて、打ち切り寸前の状態になってしまったの。 で、どこに問題があるのかを徹底的にチェックしたら、悟空のキャラが立っていないのが原因だと分かったんだね。 そこで、もう既に出ていた亀仙人だけ残して、全てのキャラクターを一度鳥山さんに捨ててもらった。それで、悟空と対照的なキャラとしてクリリンというのを引っ張りだして、3人で修行をさせるところからやり直したの。 次にそのキャラを引き立てるために持ちだしたのが、「天下一武道会」だったの。 実は『Dr.スランプ』の末期に鳥山さんが苦しまぎれに運動会で話数を稼いだら、それが大好評で『北斗の拳』を抜いて1位になったという事件があって、僕も「日本人は甲子園みたいなトーナメントが、やっぱり好きなんだな」とは思ってたのよ。
【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話
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eieneie · 5 months
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Happy New Year!あけましておめでとうございます!2024年だ!!!!!!!!! 年末年始の風習…っていうと広すぎるけど、国どころか地域が少し違うだけでも食べるものが全然違うのすごくいいなって思うんだよな 日本だとお雑煮の違いがよく話題になるような奴… リンバス世界…ってか都市でもなんかそういうのあるんだろうか クリスマス祝う風習は割と浸透してるぽいから、あの世界もシュトーレン食べたりチキン焼いたりすんのかな… 裏路地は裏路地の文化あったりすんのかな…気になる~ ーーーーーー メールフォームにコメントくださった方ありがとうございました! 以下お返事です。 >最近LCとLORをプレイしてめちゃくちゃハマっている者です。 pixivで2次創作を検索していた時に、よのさんの作品を見つけあまりのドツボな絵柄と内容に感動しながら~ → めちゃ嬉しい…!LCとLOR!!!!!めっちゃ面白いですもんね!!!!!ハマった方に楽しんでいただけたならばなによりです~~…本当に面白いですもんね…私もクリアした後もちょこちょこ立ち上げてやるくらい…好きです… >特にホドとアンジェラの漫画が大好きです、切ないながらも心が暖かくなる内容で何度も読み返しています! → ホドとアンジェラのマンガ、読んでいただきありがとうございます。 最初らへんのループあたりのアンジェラとセフィラの友人めいた関係性の衝撃が大きすぎて描いた漫画で、あの時の思い出はアンジェラの中にしか残っていないことは取り返しようがないけど、それでもこれからの思い出を作っていってほしい…し、作っていってくれるはず…で描いたのを思い出しました。読み返していただけるなんて本当嬉しいです!ありがとうございます。 >またゲームをプレイしていた時にアンジェラとマルクトの関係が何かいいな〜って思っていたので、 → うわーーっ嬉しい…!あの二人、いいですよね…いいですよね…クトジェラめっちゃ可愛いと思っています…最初にマルクトがアンジェラに真っ向から喧嘩を挑んだことに関係性発展の隙があるとみています… >LOR同人誌も買いたいなと思ったのですが、全て完売でDL販売もしていないとのことで少し絶望しています…。 いつかDL販売やLOR総集編などを出していただけると大変ありがたいです…!! 最後になりますが、よのさんの作品を読むのをこれからも楽しみにしています!! → 同人誌にまで興味持って頂きありがたいです、それと同時に今在庫なく申し訳ない…! DL販売も総集編も今のところ予定はないのですが、やるとしたらなんかのタイミングで再販…か、物によっては数冊手元にあるものもあるので、イベント参加するときに持っていくこともある…かもしれないです。その時はまたブログでお知らせしますね! (あとはたまにBOOTH倉庫に入れることがあるので、通知設定?してもらえるといいかもしれないです…) LCもLORも大好きなゲームなので、新しくハマられた方がいるという嬉し��ににっこりしてしまいました。あとアンジェラとマルクトのCPにも触れて頂きめっちゃ嬉しかったです…!クトジェラかわいいよ… 改めて、メッセージ送ってくださりありがとうございました!
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koch-snowflake-blog · 5 months
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青井 春は、日本のグラビアアイドル、タレント。大阪府出身。太田プロダクション所属。2022年2月時点で、太田プロでは唯一のグラビアアイドル。 ウィキペディア
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出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1998年3月26日 (年齢 25歳)
身長: 164 cm
カップサイズ: I
スリーサイズ: 90 - 55 - 83 cm
デビュー: 2017年
事務所: 太田プロダクション
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6歳からモデルとして雑誌やファッションショーに出ていたが、地元ファッションメディアに出演したところ、漫画雑誌『週刊ヤングマガジン』(講談社)の編集者の目に止まり、表紙と巻頭グラビアを依頼され、2017年2月に「はるかぜ.」名義でグラビアアイドルとしてデビュー。その後、2019年末までは同名義で活動していたが、学業による休業を経て2020年8月に「青井春」に改名し、活動を再開した。
なお、2023年3月に写真週刊誌『FLASH』(光文社)のインタビューで明かしたところによれば、先述の休業はSNSに一部のフォロワーからセンシティブな動画が送られてくるようになったためでもあり、帰阪していた時期はモデルを目指す後輩たちに歩き方や立ち方を教えたり、趣味が高じてヘアメイクをさせてもらったりしていたが、待ってくれていたファンに応えて活動を再開したとの旨を答えている。
  
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katsu0073 · 2 months
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『ハルタ112号』表紙イラストを担当。
目次、背表紙イラストも担当しております。
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cmk-k · 3 months
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2/19は両澤千晶さんのご命日でしたね。 新装版ジエッジのお仕事をしていたここ半年ほどは、両澤さんの事を色々と思い出していました。
以下、個人的な思い出話を少し。 ↓↓↓
↓↓↓
私が実際にお会いしたのは、DESTINYの放映が始まった直後、連載前に一度ご挨拶を…と、関係者様が集まるお食事の席に同席させて頂いた時。そしてEDGE完結後、番外編Desireが始まった頃の2回です。(他、何かの場でご挨拶の機会なく同席させて頂いた事はあったかも) 最初にお会いした時は、私自身が商業漫画連載初めて…というド新人であり、そういう場に出席することも慣れていない状態だったため、まずは皆さんの歓談を大人しく聞いて…という感じだったのですが、隣に座っていた両澤さんが「ちょっと、これ聴いてみて」と、突然イヤホンを差し出してきて、まだ情報が出ていなかった「Quiet Night C.E.73」を聴かせてくれたのを憶えています。思わず笑って(?)しまいましたが、たぶん緊張気味だった私の気分をほぐそうとしてくれたんだと思います。両澤さんは苦笑いしながら「これ、怒る人いると思う!」と話されていました。漫画もとてもお好きだという事で、漫画関連のお話も少しだけさせて頂きました。 後日、担当編集さん経由で「両澤さんが『あの子なら大丈夫よ』と言ってたって」と聞きました。 その時の私は、驚きありがたく思いつつも、正直あんな短時間で何がどう大丈夫なのか分からないだろうに…優しい方だなあ…などと思っていました。 色んな方に「お母さんみたい」と言われていた(という評判を聞いていた)両澤さんですから、本当に何気ない一言、ただのリップサービス(もしくは担当の計らい込み?)的な言葉だったのだと思います。 けれど、その一言は結果的に、私の大きな支えになりました。 連載中「ガンダム漫画なんて、やはり無理だったのでは」の壁に何度もぶち当たりましたが、ギリギリに追いつめられた時(作品の大きさや原作ファンの数などを考えたら潰れそうだからあえて考えないようにしていた時)、ただシンプルに「信じてくれた人を裏切りたくはない」というのは大きかったんです。 EDGE完結後、Desire連載中に再度お会いした後は、お電話で話す機会も何度か頂いて、作品作りについて具体的なお話もさせて頂きました。 アカデミー時代の話を描く時、本編でほとんど描かれていない部分だし、発売済みのスーツCDの内容に合わせた方が良いのか悩んでいる…と話したら「スーツCDは無視して好きに描けばいい。あなたの作品なんだから」と即答されて、懐の深さに驚きました。 そしてネームも見て頂いて、いくつか細かいセリフの監修を頂いたりもしました。(監修頂いた部分は憶えているのでまた語る機会があれば…) 基本的には私の主張を尊重して下さって「ああしろこうしろとは言わない。私はシリーズ構成という立場だし、色々言ってしまうとパワハラになるからね 笑」と、当時まだそこまで馴染みのなかったパワハラという言葉を使ってお気遣い頂いていたのが印象的でした。 何気ない、小さな台詞を大事にする事で、キャラが生きるという事。 両澤さんの脚本で表現されている事を、具体的な実例で教えて頂けた貴重な体験でした。 ・・・ Desireが無事終わった後は、色々な事情でご挨拶の機会がないまま、時は過ぎ…… 亡くなられた2016年当時、私はセインティア翔(聖闘士星矢のスピンオフ作品)を連載中で、また壁にぶち当たっていた頃でした。 星矢のお仕事では、ある意味SEEDとは真逆の方法論を求められていて(私的には共通点はあると思っているんですが、双方取り入れるバランスの取り方は手探り真っ最中でした)、両澤さんならどうするだろう…?などと考えることもありました。 両澤さんは、物語を描くことはキャラとともに旅をする事だと仰っていました。一緒に悩んで答えを探していくんだと。 EDGE〜Desireの時の経験が、その後の漫画のお仕事の大きな支えの1つになっていた事は間違いありません。
・・・
両澤さんにとって私は、数多く関わったお仕事関係者の内の1人に過ぎなかったでしょう。それでも当時未熟だった私にとっては、色々と大切な事を教えて頂いたとても有り難い方でした。 映画の大ヒット、本当におめでとうございます。 DESTINYの後の彼らの物語を観せて頂けたこと、作り上げて下さった福田己津央監督と制作者の方々には本当に感謝です。 映画の各所で、両澤さんの言葉がキャラクターの台詞を通して伝わってきた気がしました。 でも、いつも両澤さんはご自身の作品=キャラについて、ある意味客観的な感想や考えをたくさんお持ちの方でした。 ついつい、両澤さんならこの部分をどう言うかな?と、今も思いを馳せてしまっています。 もっと色々お話してみたかったです。 両澤千晶さんのご冥福をお祈りしたします。
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細���く具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「��宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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