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#神仏混淆
yamada50 · 1 year
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花岡八幡宮の閼伽井坊塔婆多宝塔 花岡八幡宮手水舎横に藤原鎌足が創建したと伝わる「八幡宮日本十六塔」の一つの多宝塔が目を見張ります 現存している多宝塔は国の重要文化財に指定されていますが、この二重塔は室町中期に再建された三間多宝塔杮葺で須弥壇には金剛界大日如来が祀られ神仏混淆の姿を今に遺します ちなみにこの多宝塔は旧別当の閼伽井坊(あかいぼう)の持ち物ですが閼伽井坊は花岡八幡宮の社坊九ヶ寺の内現存する唯一の寺で参道入口にある真言宗御室派の寺院です 合わせて参拝するのもよいと思います ちなみに藤原鎌足の「八幡宮日本十六塔」はここの他は一切不詳なんだとか #花岡八幡宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 花岡八幡宮(はなおかはちまんぐう) 鎮座地:山口県下松市末武上400 主祭神:誉田別命、市杵嶋姫命、田心姫命、多岐都姫命、息長足姫命 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #閼伽井坊#多宝塔#閼伽井坊多宝塔 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#temple#寺#仏教#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#下松市 (花岡八幡宮) https://www.instagram.com/p/CnUR523PN1g/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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dempameat · 11 months
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『番神さま』 とは 仏教の法華宗(今の日蓮宗)独特の三十番神信仰のことで、神さまと仏さまが はっきりと分けられていなかった時代(神仏混淆時代)のものです。 1か月の30日を 30柱の神さまが、毎日交代で守って下さるというものです。
御由緒(大泉天神北野神社)
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bonguri · 1 year
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20230429 Okazaki 5
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20230429 Okazaki 5 by Bong Grit Via Flickr: 少し山の方へ移動して弥勒神社。神社の名前からして昔は神仏混淆だったのかな? @Miroku shrine, Okazaki city, Aichi pref. (愛知県岡崎市 弥勒神社)
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medickalmalpractice · 11 months
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■ 「越境する文化」 とは何か 02 「越境する文化 (transculturalité)」 という現象についてお話ししたいと思います。 異なる文化間にはさまざまなコミュニケーションがあるものですが、 それは 「文化」 対 「文化」の影響関係にとどまるものではありません。 文化は交流、 合体、影響を繰り返し、 新しいものを創出したり、 すでにある文化をより豊かにしてきました。 たとえば、 「絹の道」 を介した東アジアとヨーロッパとの文化的交流は、ギリシャ風の仏教芸術というギリシャ美術とも伝統的な仏教美術とも異なるまったく新しい文化を生み出したのでした。
03
ヨーロッパの文明や文化において、 「越境する文化」 という現象は新しいもの ではありません。 18世紀のパリに生まれた啓蒙思想や19世紀のイエナに誕生したロマン主義はヨーロッパ全域に広まりました。 シュールレアリスムはヨーロッパの枠を超えて世界に広まっていきました。 今日、「越境する文化」 という現象は「地球の文化」というものを生み出そうともしています。
04
西洋の帝国主義を批判的に分析したカール・マルクスは、文学について 「国や 04地方に属する固有な文学がやがて普遍的な世界文学を生み出す」と予見しました。普遍性のある文学とはどういうことでしょうか。 世界中の人々が同じ文学を読むということではありません。 それは、西洋人が日本や中国の小説、アフリカや中南米の小説を読み、 中南米の人々も自分の属する地域以外の文学を読む���このような相互の交流によって、 ある 「地方」 に生まれた文学が 「普遍性のある世界の 文学」となっていくということを意味します。
05 音楽においてもグローバル化の現象は存在しています。 まず、西洋音楽が世界 に広まりました。 日本人の指揮者やニューカレドニア出身の歌手が活躍するように、西洋音楽は世界中で演奏されています。 一方、最近の傾向として、ヨーロッパは、アラブ、インド、 日本、 中南米、アフリカなど、世界中の音楽に門戸を開き、受け入れるようになってきました。
06
映画について、アメリカ映画が世界の映画市場を支配していることを指摘するだけでは充分とは言えません。 たとえば、フランスをはじめとしてヨーロッパでは、インドや日本、中国などの映画が配給されるようになってきています。 こうした 「トランスカルチュラル」な市場の成立は、それぞれの国や地域から生まれた固有の文化として映画を守るだけでなく、あらたな映画製作の可能性を広げることにも貢献しています。 黒澤明の映画はフランスや他の西欧諸国の映画文化に受け入れられ、新しい市場を見出したことにより、黒澤はさらに映画を撮り続けることができたわけです。 また、アンダルシア地方の固有な文化であるフラメンコをはじめとして、世界に無数に存在する地方に根付いた芸術表現や芸術様式の多くが、そのオリジナルのスタイルは遠く離れた異国のアマチュア愛好家によって守られているという現象もあります。
07
思想や学問、文明などの動きはきわめてゆっくりしたものです。 ヨーロッパで『易経』や『バガヴァッド・ギーター』 (インドの古典『マハーバーラタ』の一章) などアジアの古典文献が翻訳され、非西洋地域の文明についての研究が始まったのは19世紀になってからのことです。 20世紀に入ると文明史の研究が進み文学作品も紹介されるようになり、20世紀末には東洋の思想や宗教のいくつかの要素が欧米に入り込んで影響を与えるようにもなってきました。 たとえば、 仏教はアメリカやヨーロッパにも信者を得て、 その思想がよりよく理解されるようになりました。 東洋医学も認知され、 鍼治療はヨーロッパの大学の医学部や病院に導入されています。 西洋哲学は非西洋の哲学よりもすぐれており、支配的な立場にあって当然である、 というような考えはたしかにまだ残っています。 しかしながら、「越境する文化」の時代をむかえ、ヨーロッパは世界の中心ではなく、理性や真理を独占的に所有しているわけでもないことが理解されてきています。 要するに、ヨーロッパもこの地球上の一つの地方にすぎないと認識するようになってきたわけで、これは重大な転換と言わなければなりません。
8 産業化される文化— 「生産」 と 「創造」 の葛藤
09 今度は「越境する文化」という現象について、 メディア文化や大衆文化の視点から考えてみたいと思います。 この分野でも普遍化への大きな流れが認められますが、それは標準化、あるいは画一化、単純化が勝利したことを意味するのでしょうか。たしかにそういう面はありますが、それだけではありません。映画を例に説明しましょう。実に多くの要素で構成される映画は、俳優、音楽家、装飾家、衣装係など、さまざまなアーティストが参加する共同作業で作品ができあがるもので、芸術製作の方法という点で大きな革命を引き起こしました。 一方、ハリウッドでは、最大利益の追求という論理のうえに映画産業なるものが発展しましたが、その過程で作品を画一的にそして凡庸なものにしてしまうことも少なくありません。そして、ここにもパラドクスが生じています。つまり、文化産業というものは独創性や個性、あるいは才能と呼ばれるものを排除することはできない、むしろ必要としているということです。映画を作ることと自動車や洗濯機を作るこは同じではありません。 何らかの標準的な製作方法によって構想された映画であっても、やはり個性、独創性、独自性というものがあるはずです。 文化産業に属するものはすべて映画がその典型例と言えますがその中核部分に絶えざる対立があり、しかもその対立は相互補完的でもあります。 すなわち、 「創造(création)」 という個別的で芸術的なものと、 「生産 (production)」という産業的で商業的なものが対立すると同時に互いに補い合う関係にあるのです。 この対立は時として 「生産」 が 「創造」 を抑圧したり、押しつぶしたりする事態を招き、その結果、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムやオーソン・ウェルズのようにハリウッドから立ち去ることを余儀なくされた映画人もいます。 しかしながら、一方では芸術的創造性ゆたかな作品が絶えることなく作られてきました。 もちろん、 ステレオタイプで画一的な作品も存在しますが、 それでもステレオタイプをほとんど神話のようなアーキタイプ (原型となる作品) に変えてしまうような力のある作品があることもやはり事実です。 たとえば、ジョン・フォードによる西部劇の名作はそのような神話性をもったアーキタイプと考えられると思います。
10 文化産業は、 創造性や芸術の可能性を破壊すると同時に呼びさますという矛盾 を抱え、しかもこの内なる矛盾によって活力を与えられています。 この矛盾は一方で集中型で官僚的、 資本主義的な組織体制で文化を 「生産」 し、 また一方で 「生産」される作品には独創性や創造性が要求されるという対立に進展します。 この意味において、 「生産」 は 「創造」を必要としているわけです。 同じような対立は文化を受容し、 消費する一般の人々にも見出すことができます。 標準化された作品に満足する人々が多いことは事実ですが、 文化を受容する方法や形態の個別化も進んでいます。これはメディア文化に顕著である「トランスカルチュラル」な現象と考えてよいでしょう。 このようにグローバル化や普遍化のプロセスは画一化や均質化だけでなく、創造性や多様性や個別化をともなうものです。 そして、この対立と葛藤がある限り、文化的な活力は保たれるのだと思います。
●地球のフォークロア
12 文化が普遍化していく過程で地球規模のフォークロアが成立します。 地球の フォークロアというのはアメリカ映画の神話性のある作品だけではなく、フランスで言えば 『三銃士』 のような冒険活劇小説、ローマ帝国の伝説や神話、あるいはその他の地域の冒険譚などを土台に、つまりある地域の文化を基盤に作品や文化の無数の出会いによって形成されていくものです。世界各地に広まった地球のフォークロアの例として、ニューオリンズを基点としながら、さまざまなスタイルに枝分かれしたジャズがまず挙げられます。 他にも、ブエノスアイレスの港湾地区で生まれたタンゴ、キューバ発祥のマンボ、ウィーンのワルツ、アメリカ生まれのロックなども地球のフォークロアと言えるでしょう。 とくにロックは、インドのラヴィシャンカールのシタール、ウム・カルスームのアラブ歌謡、アンデス地方のワイノなどを取り込み、地球のフォークロアとして一層豊かなものになりました。
13 このフォークロアのより深いところで何が起こっているかというと、それは文化の「混淆・異種交配 (métissage) 」 と 「共生 (symbiose) 」 です。 たとえば、 ジャズはアフリカ系アメリカ人のハイブリッドな音楽としてニューオリンズに誕生しました。 その後、 さまざまに変容を繰り返しながらアメリカ全土に広まりますが、新しいスタイルのジャズがそれ以前のスタイルを消去してしまうことはありませんでした。 やがて、 黒人だけでなく白人もジャズに耳を傾け、踊り、そして演奏するようになり、 黒人と白人とが共有する音楽となったのです。 こうして次々と新しいスタイルのジャズが世界中に広まり、 演奏される一方で、 発祥の地で忘れられていたニューオリンズの古いスタイルが外国から里帰りをするということもありました。 ジャズにみられるような現象は数多く、 世界中に広まっているロックはまさに 「越境する文化」 を実現してきたと言えます。 一例を挙げれば、 ロックと北アフリカの音楽とが出会い、両者の混淆を経てライという新しいジャンルが生まれました。 さらに、 ワールドミュージックと呼ばれるジャンルになると、単に複数の音が混ざり合うだけでなく、世界各地のリズム、 主題、 音楽性が出会い、予期せぬ結びつきから新しい芸術が生まれます。 こうした結びつきは好ましくない結果を生じることもありますが、多くは素晴らしい結果を生み出して、世界の音楽文化は地球時代の申し子であることには気が付かぬままに互いに豊かになっていくのです。
●文化の独自性を守りながら、 雑種性・混淆を促すこと
15 これまで述べてきたグローバル化のさまざまな現象が進行すると同時に、自らの根源、ルーツに回帰しようという動きも生じています。 その現象は音楽の分野でとりわけ顕著に認められるものです。 フラメンコについてお話ししましょう私はジャズだけではなく、フラメンコの大ファンでもあるので個人的な思い入れがたいへん強いのです。一時期フラメンコはその発祥の地であるアンダルシア地方で消滅しかけていましたが、自分たちのアイデンティティを守ろうとする若い世代によって復活することになりました。 さらに、CDや公演の国際マーケットがこの「復活」を後押しして、世界中でフラメンコ愛好家が倍増しました。 パリには倉庫を改造したフラメンコ・クラブがあり、スペインからフラメンコ舞踊団がやって来て上演しますが、その後彼らはヨーロッパ各地を巡業して回ります。こうした経験がフラメンコ自体にあらたな活力を与え、フラメンコは本来の芸術として活性化され、 復活する一方で、 異なる音楽形式とも結びつき、 源泉への 「回帰」と「混淆」という対立しているかにみえるけれども、 実は相互補完的なプロセスを体現しています。 ヨーロッパではバスクやケルトなど、そしてアフリカやアジアにおいても、 若い世代が伝統的な音楽を、 楽器を、 歌を守ろうと必死になっています。 ここでも 「トランスカルチュラル」な市場はそれぞれの音楽の伝統を守る運動を支えながらも、 同時に音楽的な多様性を育んでいるのです。
16 固有の文化を守らなくてはならないが、同時に文化は世界に向かって開かれな ければならないこのように、 私たちが直面する文化の問題はきわめて複雑なものです。 この問題を考えるにあたって、いかなる文化もその起源においては純粋なものではないということをまず理解しなくてはなりません。 いかなる文化も、その起源においては接触や結合や融合や混淆があり、純粋なものではありません。また文化というものは異質な要素を自らのうちに取り込み、同化させることができますが、これは充分な活力を持った文化であればの話です。 活力が充分でない文化は、より強い文化に同化し、支配され、 そして自らは解体してしまうこともあるでしょう。 文化というものはすべからく豊かなものですが、 不完全なものでもあります。 ちょうど人間と同じで、よいところもあれば欠点も欠陥もあり、常に突然の死を迎えるかもしれない危険とともに生きているのです。
17
私たちには二つの相矛盾する複雑な至上命令が下されています。 その矛盾を解消することはできませんが、この矛盾こそが諸文化の生命には必要だとも思います。 その二重の命令にしたがって、 私たちは諸文化の独自性を守ると同時に混淆や雑種性を促していかなくてはなりません。 文化的アイデンティティを守ること、雑種的でコスモポリタンな普遍性を押し進めること雑種性が個々の文化のアイデンティティを破壊する可能性があったとしても、この二つを結びつけなくてはならないのです。
18 どうすれば、 「解体」することなく 「統合」 することが可能なのでしょうか。この問題はアマゾン・インディアンやイヌイットのような少数民族にとっては深刻な問題を投げかけています。 というのは、彼らにとって 「統合」 はポジティブなものではなく、むしろ文化あるいは社会そのものの解体を意味することにもなるからです。 技術や医学など、 現代文明から有益なものを取り入れてもらうことは望ましいと思いますが、同時に彼らが代々伝えてきた民間療法、シャマニズム、狩猟の技術、 自然についての知恵などを守っていけるように支援しなくてはなりません。 伝統と近代、 文化と文化の架け橋が必要になるわけですが、人種的混血だけではなく、むしろ文化的に混血の人々がその架け橋の役割を果たすことができるではないかと私は考えています。
19 今日の文化のグローバル化の進展はメディアネットワークや再生技術 (DVDやCD)の世界的普及と分かちがたい関係にあり、インターネットとマルチメディアがすでに述べたような多様性や、競合 対立するプロセスすべてを加速し、 増幅させていくことは間違いありません。 しかしながら、 私は書物が消滅してしまうとは思いませんし、映画がテレビに圧倒されて消滅するとも思っていません。書物は思索と孤独と再読の友として、映画は映画館の暗がりのなかで共感をもたらすものとして、つまりは文化として生き残り、それぞれへの回帰現象すら起こるように思います。
20 画一化や利益追求のプロセスは急激に進展していますが、にもかかわらず多様化のプロセスと個人化・個別化への要求によって逆向きの運動も起こっています。
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sawworld · 1 year
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摩訶耶寺にて。平安末期から鎌倉初期の築庭を遺す庭園だそうな。石組が素晴らしい。 東京のアパートの大家さんは作庭家だとは聞いていたが昨日アパートを出る時立ち話にて浜松泊と言ったら、奥浜名湖の摩訶耶寺に昔調査に行ったと勧められた。寺内には神社もあり神仏混淆の古い日本が感じられ、神社の境内からは東名高速が見えたり、まだ神様は普通にこういう場所にいるのかもしれないと感じた。 #摩訶耶寺 #バイク旅 https://www.instagram.com/p/CqHNBxyBfEU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 2 years
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射水神社/富山県高岡市【越中国一宮】高岡城跡に鎮座する神社
射水神社とは 射水神社(いみずじんじゃ)は、富山県高岡市古城(とやまけんたかおかしこじょう)にある越中国一宮だ。 射水神社はもともと、霊山である二上山そのものを祀る社であったと考えられています。古記録に、当社のご祭神は「二上神」と記されており、神仏混淆(しんぶつこんこう)が主流だった江戸時代までは、「二上山大権現(ふたがみやまだいごんげん)」として人々に崇敬されてきました。その後、明治時代には政府による神仏分離令を受け、二上神は瓊瓊杵尊として祀られるようになりました。 射水神社について | 越中総鎮守一宮 射水神社 から引用 射水神社 富山県高岡市古城1−1 0766-22-3104 (more…)
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bambi-xlcr · 3 years
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. Memories of shorttrip⛩🚗³₃³₃ 御岩神社全域で、188柱の神様がいる…… そりゃスゴいハズだよね✨ 明治以前の約1000年間は、神仏を一緒に祀っている状態のほうが、日本では圧倒的にスタンダードだったそう。 こゆとこに来るといつも 詳しく人に教えてもらいたくなる… とにかく今まで行ったことのある神社の中では、なかなか相性が良さそうで…(๑′ᴗ‵๑) とにかくまた来たい!!!! というか絶対行く!!!! 🚗 ³₃ #japan #shrine #shoutout #unknownjapan #japaneseculture #japanesestyle #instagood #fslc #picoftheday #temple #photooftheday #shorttrip #specialday #amnesty #picoftheday #lovers_nippon #神社仏閣 #御岩神社 #賀毗禮神宮 #常陸国最古の名社 #神仏混淆 #斎神社回向殿 #薩都神社中宮 #立速日男命 #権現 #母倉日 #開運日 #1日参り #登拝 #縄文時代 https://www.instagram.com/p/CTL8yrwpCvV/?utm_medium=tumblr
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ijimamasato · 3 years
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#神仏混淆 https://www.instagram.com/p/CLK5_qpgKSQ/?igshid=m3jfrptqsuvt
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misasmemorandum · 3 years
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『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』 小山聡子
中公新書。
ま、こういうものに関心があるから読んでみた。
モノノケは9世紀半ばから記録に残ってて、今一般的に考えられているもののけとは違うものだったそうだ。終章の最後のまとめを要約したものを下に書く
古代から中世にかけて:モノノケは病や死をもたらす死霊。また、虐げられ怨念を抱いて死んでいく人間に、死後の復讐という希望を与える。それによってモノノケは共同体の不調和を是正する役割も担っていたことだろう。
近世:幽霊や妖怪と混淆。主に文学作品の中で語られ、娯楽化。実在は否定されつつも、比較的平和な自打であったが故に刺激が求められ、語られた。
近代から現代:西洋文化の影響を受け、モノノケの意味が多様化。人間に取り憑く例としての性質も残しつつ、自然を守る神としての意味合いまで。妖怪と重ね合わせて捉えられる傾向が強まり、キャクター化され、人間に寄り添い、時には人間には持ち得ないパワーで人間を助けるものとされるようになっていった。
(以上pp251−252)
以下には読みながら私が書いたものを
古代中国:魂(こん)は精神を、魄(はく)は肉体を司る霊(p6)
物化(もののけ):『古事記』によると「物体のみではなく、神や霊などもさす」(p10)
『万票集』では鬼を「もの」と読ませた歌あり(p11)
「霊や鬼が発し、目に見えず漂う性質を持ち、触れると病や死をもたらすもの」(p16)伝染病みたいやね
現在の表記法である「物(の)怪」は、8−9Cは不思議な出来事。12C〜超自然的存在が怒りや不快の念を抱いていることを告げ知らせる変異、あるいは、後に大きな禍が起こることを予行するための変異(pp19−20)
怨霊(正体がわかるもの):鎮撫 
モノノケ:調伏(ちょうぶく)、「屈服させて正体などを、白状させること(p35)」(p23)
ヨリマシ(霊媒)、女性や女の子ども(p44) でもなんでやろ?精通のない男の子どもってのもどっかの何かで読んだことあると思うが、、、
モノノケの社会的役割:
 モノノケは、人間に病や死をもたらすとして非常に恐れられていた。それと同時に、他者を木津つける横暴な言動を自重させる装置にもなり、釈迦の均衡を保つ役割も担わされていた。この点は、怨霊と同様である(山田雄司『跋扈する怨霊ーー祟りと鎮魂の日本史』)。例は、単に恐怖心を煽るのではなく、社会の中で必要とされていたからこそ意識されていたのだろう。(pp67−68)
三本指は鬼の特徴!! 11Cから だから妖怪人間の指は3本なんだな。
囲碁や双六、占いに端を発する(p105)。中国では、囲碁盤は大地、碁石は天体を象徴(p108)
高貴な人物やその霊は「聖霊(しょうりょう)」であって幽霊ではない(p139)
明治になっての神仏分離令や修験道廃止令などの先陣で、全国の陰陽師が表舞台から去る。(p197) はて、陰陽師って、今もいるのかな?
で、今のもののけのイメージが何故こうなったか、
モノノケという語は、古めかしいと考えられたからか、幽霊や妖怪ほどにはイメージが定まっておらず、本来持っていた姿を幽霊や妖怪に侵食され、新たな性質を付与されやすかった。それもあって、西洋文化の受容にともない、山中に棲むイメージで捉えられたり、西洋の「goblin」と一体化させられたり、西洋を舞台とする話にも登場したりするなど、多様な場面で使われたのだろう。(p225)
そして、現代人の言語感覚から、モノノケは、「もの/物/者」の気配、化身、気(き)などなどと自由に想像、連想されるようになったんだろうと思う。
登山に関する下に出てきた小泉武栄の『登山の誕生ーー人はなぜ山に登るようになったのか』を借りて読もうと思う。登山は嫌いなんだけど、気になるから。
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kasa51 · 4 years
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smoke of incense
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smoke of incense by kazu saito Via Flickr: 鎌倉の銭洗弁天宇賀福神社、神社でお線香は珍しいのでは?弁財天という名称ですからもともとは仏教色もあるのでしょうか?神仏混淆なんでもありの日本ですしね。
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keistidbits · 7 years
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グルジェフ
グルジェフ周りの情報収集をしていますが、グルジェフの主著の一つである『注目すべき人々との出会い』日本語訳をされた黒川氏のあとがきが、取り組みを始めるに当たってとてもよい手ほどきとなったので要約してみます。 G.I.グルジェフの名は、「日本でもオカルト研究者や神秘学にかかわる人々の間ではかなり古くから知られ、近年精神療法や瞑想ブームの台頭とともに、しばしば耳にするようになった。にもかかわらず、彼の人となり、その教えや技法に関しては、一部の同好的グループを除いて、本格的な紹介がされないまま今日にいたっている。(中略)従来日本でのグルジェフの取り上げ方は、必要以上に秘教的、魔術的で、ある種の偏向なしには接近しがたかったのではなかろうか。」とありますが、1981年当時と、現在(2017年)の状況は変わっていないように思います。
グルジェフの名は、80年代後半、カウンセリングの勉強をはじめと当初から聞き知っていました。日本でも当時、トランスパーソナル心理学が流行し、その背景に、「アメリカを中心とする、人間性心理学、潜在能力開発通動など、新しい精神変革の流れに、グルジェフがいかに寄与し(中略)、フロイト、ユング、アサジオリといった近代心理学の開拓者たち、そして東の禅、ヨーガ、ヴェーダーンタ、道(タオ)、西の神秘キリスト教、カバラ、錬金術といった古来の知識、実践体系と並んで、グルジェフは、人間の変成と進化を追求する現代の「意識の革命家」たちに多大な影響を与えてい」たことで、私の耳にもはいってきたのでしょうが、あまりにも正直、その真価はまったく分からずじまいでした。当時出会ったもう一つの難読書、道元の『正法眼蔵』にはその後長らく、挑戦しては挫折しつつ取り組んできましたが、ここへ来てグルジェフの世界観と合い通じるものを感じ、心機一転取り組むことにしました。
グルジェフは「1877年12月28日(異説あり)、現在はソビエト連邦に含まれるコーカサスのアレキサンドロポルに生まれ(中略)、多様な文化環境のもとに育つ。この地域はトルコとの国境を間近にひかえ、古くから無数の民族と文化が混淆していた。自然、宗教的にも錯綜をきわめ、キリスト教(ギリシア正教)、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、土俗シャーマニズムなどが、入り混じって、独特の宗教的風土をかもしだしていた。生来感性の豊かな、好奇心の旺盛な少年が、そうした中で超自然的なもの、さらには超越的なものへ目覚めてゆく。」
十九世紀末から今世紀前半にかけたこの時期は「世界的な精神の危機状況で(中略)、科学技術の発達と新しい領土、資源の開発にともなって、既成の均衡が破れ、西欧文明は大きく揺れた。グルジェフの後半生は、第一次世界大戦とそれに引き続くロシア革命、ナチスの台頭、そして第二次世界大戦と近代の大動乱をすべて目のあたりにしている。グルジェフが「人類の周期的精神病」と呼ぶこれらの破局に対して、人間の内なる可能性、神性を発見し開発しようとする動きが、時期を同じくして興隆する。狂気と正気のバランスを保とうとする、集合意識の働きと見ていいかもしれない。H・P・ブラヴァツキーの神智学、ルドルフ・シュタイナーの人智学をはじめヨーロッパは近代まれにみる精神運動の高まりを迎えた。グルジェフと「人間の調和的発展協会」も、そうしたコンテクストの中でとらえる」。
グルジェフの著作では「登場するいくつかの特殊な単語や概念は、彼の教理体系を支えるコスモロジーを多少とも知らなければ、非常にわかりにく」く、「グルジェフ自身、直接の弟子たちに対しては、まず著作の第一集である大著『一切何もかも―孫に与えるベルゼバブの物語』を三度読み通してから、第二集の本第にはいるよう指示していた。(中略)第一集が、彼いわく「読者の心になじみのない思考の流れを起こすことにより、何世紀にもわたって人間の頭脳と感覚に根をおろしてきた信条や見解を無情に破壊する」とともに、より雄大かつ精緻な宇宙観に親しませる機能を持っているからである。そのうえで『注目すべき人々との出会い』が、「新しい世界の感覚を生み出すのに必要な素材」を提供することになっていた。第一集、第二集、そして「人間の思考と感覚の中に、現在知覚している架空の世界ではなく、本物の世界の真の発現が起こるのを助長する」第三集、『人生は私が在ってはじめて本物(リアル)である』という読書序列は、いまでも正統的なグルジェフ・グルーブの中では遵守されている。」
グルジェフ自身の著作については、現在日本語訳で出版されている、『ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判』��注目すべき人々との出会い』『生は「私が存在し」て初めて真実となる』を読めば全体像を勉強できるのかなと思います。 「グルジェフは、一度もはっきりとしたかたちで彼の宇宙論をまとめたことがな」いようで、体系だった理論がないようですが、このあとがきには、以下のようなポイントが上げてあります。
宇宙には絶対神から降下する生物学的展開(involution)の流れと、それに逆行して造物主へ還る真の進化(evolution)の上昇とがあり、後者には、ある意味で神の裏をかく狡猾さと超努力が必要であること。
宇宙は、受動、能動、中和(和解)の「三の法則」と、オクターブの「七の法則」という二つの根本法則によって支配されているということ。
人間に生まれながらの魂はなく、一生のうちに適切な努力によって魂を発達させ、永遠の生に到達しなければ、死後肉体は塵芥に帰し、精神エネルギーは法則に従って宇宙的環境に吸収されてしまうこと。
現代においてこの努力を実践するには、伝統的な行者の道、ヨーガの道よりも、世間にいながらにして世間を超越する、怜悧な「第四の道」がふさわしいこと。
人間の身体には知性、感情、運動―本能―性をはじめとするいくつかの低次センターがあり、本来それぞれ異なった機能を担っているが、現代人においてはエネルギーの配分と流れに混乱があること。そして、この混乱は学習や自覚によって正すことができ、それが、さらなる発達につながる仕事(ワーク)の第一目標であること。
通常の人間は、地上に存在することの真の意味である、右に上げたような可能性に対して完全に眠りこけていること。
訳者、黒川氏の理解は、「グルジェフ自身(とくに晩年)の教えの骨子は、持続的な「自己留意(self-remembrance)」と外的内的な対象に対する「非同化」を通したエネルギーの昇華にあり、さまざまな奇説は、理性や幼年期からの社会的、文化的条件づけの呪縛を解く、一種の方便であったように思われる。オカルト的色彩が付与されがちなのは、それらの方便を呑みにすることから来るもので、本質的には、彼の言う「自己にかかわる仕事」とは、⑴自覚的な動き(conscious labor)、つまり自己留意を伴った行為と、(2)自主的な苦しみ(voluntary suffering)、すなわち、自ら進んで困難や摩擦を選ぶこと、の二つにもとづいた、古今東西変わらぬシンプルな修行体系なのではなかろうか。グルジェフの役目は、その種を欧米の処女地に播くことにあったのである。」
特に、第四の道の系譜について、「ゲシュタルト療法をはじめとする人間性心理学、超個(transpersonal)心理学、またE・S・Tやアリカなどの新しい成長運動の触媒ともなっ」ており、もっと注目されるべきかと思っています。
「グルジェフ・システムの中ではグループ作業が重要視される。それは、個々人ではとうてい達成できないような難事(真理の探求や身心の錬金術的変成はその好例である)も、共同で力を合わせれば逹成できる望みがあるという考えにもとづく。目的を同じくする小グループ内の切磋琢磨の意義は、古くから認められてきたものである。(中略)〈仕事=ワーク〉 はまず、経験を積んだ教師のもとで、グループに参加することから始まるのだ。」のあたり、今日のグループワークへ通じるものです。
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yamada50 · 1 year
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菅原道真公誕生お屋敷の伝承地 菅原梅ノ木天神 丑の年の丑の日の丑の刻に生まれたといわれる菅原道真公の生誕地ははっきりとしたことが分かっていなくて諸説ある中のひとつ出雲国の菅原教会です 元は近隣の菅原天満宮の別当職でしたが明治維新後は教会を設立して遺蹟保存につとめました 伝承では道真公の父是善が遠祖野見宿禰の故地を訪れたとき、当地の山田邑を開いた外宮神職も務めた藤原相元の家に泊まりました その際相元の娘の春才姫と契られその後丑鹿児丸、後の道真公が生まれ、道真公が6歳の時に母の春才姫とと��に上京し是善と対面したと伝わります 境内は道真公お手植え「花繰梅」や「菅原観音」など神仏混淆ながらもゆったりのんびりな境内でした #菅原梅ノ木天神大教会 #梅木天神 #神社たくさん巡るひと @jmj_jp 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 菅原梅ノ木天神大教会(すがわらうめのきてんじんだいきょうかい) 鎮座地:島根県松江市宍道町上来待2182 主祭神:菅原道真 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip#狛犬#狛犬好き#狛犬巡り#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #島根県 #松江市 #学問の神様 #日本三大怨霊 (菅原梅ノ木天神) https://www.instagram.com/p/CqLFaplPAAn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ken416 · 3 years
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☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 新型コロナウイルス感染防止の取り組みについて 当館では館内の除菌の徹底はもとより、従業員のマスクの着用、アクリル板や仕切り設置等、そしてお越しになられました、お客様全員の検温、除菌にご協力頂いております。 当館、従業員全てコロナワクチン接種2回終了致しました。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ みなさ~~ん🎵 おはよーゴザイマス~~🎵 私は湖泉閣吉乃屋 四代目 館主 植村賢一です🎵 体温36.1℃です‼️ あなた様はどなたですか⁉️ いつもありがとうございます🎵(★^賢^★) 今日の十津川温泉は晴れスタートでございますよ~‼️ 一週間の始まり🎵始まり~🎵\(^賢^)/ 今週もどうぞ湖泉閣吉乃屋をよろしく哀愁郷ひろみでございます~~(V)o賢o(V) さて 皆様‼️ 今日の朝は涼しいというか、ちょっと寒い感じな十津川温泉でございます‼️(^賢^;) 北海道では雪が降ったみたいで、そろそろ涼しいから寒いに変わっていくんでしょうね~~(V)o賢o(V) 逆に暑かった日中が涼しい感じになってくるんでしょうね~~(V)o賢o(V) さてさて 皆様🎵 昨日、お客様が神様に呼ばれないとたどり着けない神社、世界遺産、玉置(たまき)神社へ行かれたんですが、大人気で駐車場満タンで凄いひとでだったみたいです🎵(★^賢^★) 是非とも皆様も玉置(たまき)神社へチャレンジしませんか~~(V)o賢o(V) ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 玉置神社ホームページより 玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し神武天皇御東征の途上として伝承されています。 創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため 早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。 古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えました。 江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。その後、慶応四年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、更に玉置神社となり現在に至っています。 境内には樹齢三千年と云われる神代杉を始め天然記念物に指定されている杉の巨樹が叢生し、平成十六年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。 さてさてさて🎵(笑) 当館ではお客様に安心安全にお越し頂きますよう、gotoキャンペーンの再調査も済み🎵 奈良県認証制度も調査が終了して後は認証シールを待つだけです‼️(★^賢^★) そして‼️そして‼️そして‼️(笑) gotoキャンペーンとまでは、いきませんが、当館、湖泉閣吉乃屋独自の激安プ��ンを下記にてご案内致しておりますので、是非ともご利用下さいませ🎵 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 只今当館大人気プランが 水車復活プラン&25周年記念プランのコラボレーションプランがオススメでございます🎵(V)o賢o(V) マジでヤバいっす‼️(★^賢^★) ~~~~~~~~~~~~~ このプラン限定の特典 ・定番プランが通常価格から3,300円OFF! ・スパークリングワインをグループに一本プレゼント ~~~~~~~~~~~~~ Twitterでバズったと言われてます、(株)ショウワさんの国産マスクを1人1枚プレゼント(マスクは無くなり次第終了いたします) 急げ~~!!(笑)\(^賢^)/ 水車復活&25周年記念プラン ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ https://www.yadoken.jp/plan?hotel_id=yk102620&plan_id=59 また、十津川村周遊観光バスも只今無料運行しておりますのでご利用くださいませ(^_^)/□賢□\(^_^)(要予約) 詳しくは下記をご覧くださいませ🎵 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/blog/index.php?c=blog_view&pk=1632197573 レッツゴー🎵十津川村~~🎵(V)o賢o(V) さあ今日も一日喜愛と根性と情熱でしまって行こうぜ~~🎵 ピリオドの向こうへ🎵(V)o賢o(V) 湖泉閣吉乃屋 四代目 館主 植村賢一 #湖泉閣吉乃屋 #対話する旅 #心身再生の郷 #旅館 #蘇りの地 #源泉かけ流し #十津川温泉 #美容と健康 #神様に呼ばれないとたどり着けない神社 #吊り橋 #寿命 #デトックス #美肌効果 #世界遺産 #熊野古道 #パワースポット #インスタ映え  #玉置神社 #ガン予防 #囲炉裏 #卓球 #美人の湯 #十津川村 #十津川映え #居酒屋 #ジビエ料理 #ジビエ #日本一 (湖泉閣吉乃屋) https://www.instagram.com/p/CVJtP26ve9I/?utm_medium=tumblr
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koji-yoshioka · 3 years
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… グランディ軽井沢 森泉コース @ 軽井沢 秋の那須高原、蓼科高原と続く、山岳コースのゴルフ合宿に備えて、久々に訪れた山岳コース。 昔、リゾートトラストレディースの開催されたトーナメントコースではありますが……ティーショットの落とし処が狭い……ということで、前半(in)で6個、後半4個のボールを、森や池に奉納して帰って参りましたあ。 まあ、下界は雨と雷の天気のなかで、この場所は曇り…時折、陽もさす天候に恵まれ、何の言い訳も御座いません。 ただただ楽しませて頂き、煩悩を払って帰ってきた次第で御座います。 南無……(神仏混淆) #ゴルフは修行 #ゴルフ部 #ゴルフ #Golf #Golf部 #グランディ軽井沢ゴルフクラブ森泉コース https://www.instagram.com/p/CTcRtecl-xM/?utm_medium=tumblr
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onibi-onibi · 6 years
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井尻氏はかく言う。  「信長が、キリスト教という一神教に関心と好意を懐いたのは何故か。一つの仮説は信長が一神教の神学に信仰ではなく、合理主義を発見した、ということである。(中略)その合理性に比べるに、我が国の当時の宗教界は神仏混淆で、はなはだ合理性を欠いていた。というよりも、そもそも合理性というものにさしたる価値を見なかったのである。それに室町期に隆盛した禅宗文化は直感と飛躍と閃きにこそ価値を見いだすのであって、いわゆる合理性には価値を置かない」のだ。  「神なき合理主義がほとんどニヒリズム(虚無主義)と紙一重だということに」、日本の哲学者、歴史かの多くが気づかなかった。あるいは意図的に軽視した。それが信長評価を過度に高めてきたのである。  かくて正親町天皇に対して不敬にも譲位を迫り、誠仁親王を信長は京の自邸(二条御所)に囲い、あろうことか征夷大将軍しか許されない東大寺の「蘭奢待」を切り落として伝統と権威をないがしろにした。 天皇と公家を威圧するために二度にわたる馬揃えを展開し、覇者への野心を目ざす。これを諫めようとした荒木村重一族を想像を絶する残虐さで虐殺し、ついに知識人が信長打倒で、ひそかに連合し、光秀をたのみ、とうとう正統を護るために光秀は義挙に立ったという経過を辿る。  従来の解釈とは、光秀の遺作「ときはいま天が下しる五月かな」の「とき」は土岐だろうという推定だったが、そうではなく、また『天』は野心を秘めた光秀の天下取りの「天」ではなく、井尻氏は「天皇が統める国」、すなわち明智の意図は、正統に戻す、国体を護るための決意をのべた句であるとする。 『古今和歌集』の一節に遡及して、「かかるに、いま、天皇の天下しろしめす」にこそが源流で、「天」は天皇、下は「民草」、しるは「領る」、ないし「統治」と解釈される。  尊皇保守主義の復権を目指した光秀の行動と重ねると、一切の符帳はあう。
宮崎正弘の国際ニュース・早読み <<書評 呉座勇一『陰謀の日本中世史』 (2018年05月17日発行) | 宮崎正弘の国際ニュース・早読み - メルマ!
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orion3sta · 4 years
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観光ボランティアガイド研修視察 山中には食事処がほとんど無いので、事前に下見をしてオススメの、うな重や���肉定食を予約しておきました! 午後は、神仏混淆のパワースポットと人気がある、御岩神社境内のあちこちの社や仏閣を70分かけて拝観してきました! #iPhone日記 #うな重 #焼肉定食 #名馬里ドライブイン #御岩神社 #かびれ神宮 (御岩神社) https://www.instagram.com/p/CGz3RwFHW4q/?igshid=1flzla4azeu0j
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