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andyoucosme · 1 year
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「ほうれい線がクッキリ!マスク外すの怖い…」美顔器×美容液がこれ1本のネコロコロアッパー。30秒!コロコロするだけで口元がピンっ。猫の肉球デザインも可愛すぎ。動画もチェック👉 #Repost @eimyflower ・・・ #有吉ジャポン で錦鯉さんが紹介!#Amazon 1位#クマクラッシャー が大人気の#ビズゴールド から新登場したほうれい線用美顔器×美容液 🐈‍⬛ ビズゴールド 王様のネコロコロアッパー🐈‍⬛ 気になるほうれい線をコロコロすると、美容液が出てくるのでそれを上に持ち上げるようにコロコロマッサージするよ。 ひんやりして、お風呂上がり気持ちいいよ❤️ 目元や眉間にもおすすめー👍 美容液と美顔器がいっしょになっているから使いやすい😊 #ユニセックス で使えるアイテム。 マスクを外す時も怖れなくていいようにケアしましょ🐈‍⬛💗 #ほうれい線 #集中ケア #美顔器 #美容液 #マッサージ #口元 #ハリ #ビズゴールド #ネコロコロアッパー #王様のネコロコロアッパー #猫コスメ #肉球 #コロコロ #ロールオン #ローラー #猫に癒される #シェアコスメ #アンドユー https://www.instagram.com/p/CoevcMFp3mg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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easysnapjapan · 2 years
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thehisashi · 1 year
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ニキビにお悩みの方におススメ!エステのエルセーヌ - フェイシャル!集中ケア体験コース|
今回ご紹介するのは、ニキビ集中ケア体験コース1,000円(税込)です! なにはともあれ、まずは体験してみるのが一番ですね。 いにしえから、百聞は一見に如かずとも言われていますから是非とも 体験して見てはいかがでしょうか? そして、エルセーヌはエステのほかに「食事指導」「生活習慣の改善指導」も 行っているんすね。   こんなお悩みのある方には必見です ニキビが治らない ニキビ痕が気になる 赤み、ボコボコのないツルっとした肌になりたい 憧れのツルっと肌を目指そう!ニキビ集中ケアのポイントは3つ   ブルー&イエローの光 表皮のケアにはブルーの光を! ニキビやニキビ痕にはブルーの光でケアしましょう。 毛穴の開きや黒ずみが気になる方にもオススメ! 肌の奥に働きかける イエローの光 シミ・しわ・たるみなど肌の奥からくるトラブルには、波長の長い イエローの光が幅広い年齢の方から人気を得ています!…
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harikyuindan · 2 years
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@harikyuindan @vi.pulas 目元まわり最近、気になるあなたへ❗ 目の下のたるみやシワ 40代になった途端、こんなたるみなかったにマスク生活だから余計に気になる😢 触ってみて、今話題の再生美容体験した後の肌❗ 只今、6月ご予約殺到プランが15名様限定追加致しました。 〒899-2505 🏠️鹿児島県日置市伊集院町猪鹿倉461-16 再生美容サロンだん ☎️09045198173 #目元まわり #目元のたるみ #目元のシワ #目元の集中ケア #たるみ毛穴 #ニキビケア #ニキビ跡改善 #再生美容体験 #ヒト幹細胞 #水玉リフティング #美容鍼 #ブライダルエステ #美意識高い方と繋がりたい #きれいになりたい https://www.instagram.com/p/CfsJ1YovSIA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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chikuri · 6 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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jaguarmen99 · 7 months
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熊を駆除するなという熊森協会はこうした被害のケアもしてあげてくださいね。 昨日の記事で書き忘れていましたが、熊森協会は捕獲された熊を引き取るとして入手、その後熊森協会は「市より放獣の確約を得た」と虚偽の内容をHPで公表し、約5ヶ月ほどの飼育のあとに南魚沼市の山中にこの熊を放獣したという過去があります。 熊森協会は「一度飼育した個体でも人里には戻ってこない」という根拠の無い主張もして放獣を正当化しています。 【南魚沼の親子グマは山に放しても戻ってこん  ーークマ放獣の実績者が断言ーー】(2020/1/13 くまもりnews 人からの餌、人のにおいを覚えた熊は楽にエサが手に入ると人里に下りてくる可能性が跳ね上がります。熊森協会が如何に無責任な団体であるかの実例と言えると思います。 さらに言うと熊森協会に賛同する議員ってのもいまして維新の串田誠一とかいう方です。 維新の人材って立民から逃げ出したか、自民からあぶれたかそういう人が多く集まっています。串田誠一議員も元民主党です。
中国の手の届くところに居ること自体がリスク | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
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kennak · 7 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなけれ��寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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ymkc · 5 months
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わたしではなく、わたしのなかの…… 
人と出会うこと、人と話すことそれじたいが祈りなんではと、もしくはそうであってほしいと思う、本が出たばかりの、それも展示中の日々、神さまではなく目の前のあなたに声をかける、気にかける、そうしたケア-フルなありかたに神が宿る、霊が降りる、シュタイナーじゃないけれど、この先きっとそういう世界になるんじゃないかと思ったりする。
でもこのクリスマス・イヴの夜、いちばんに思うのは、まずは自分のことを、たったひとりの「わたし」のことだけは放っておかないこと、(金曜にトークをさせていただいた)中村佑子さんの新著の言葉を借りるなら、「自分への批評性」を失わないことが、他者への、世界へのやさしさにつながるんじゃないか……ということで、でもそれはセルフケアやご自愛だけじゃない、自分をぎゅっと抱きしめるだけじゃない、もっと、それこそ宮沢賢治のような透明なつめたい目でもって自分を見つめることでもあって…… 中学生のころ、どうして戦争(そしていま起きていることは戦争というよりジェノサイドじゃないのか)はなくならないの?と聞いた、そのときの答えが「お金儲けになるから」だった、そのことに心底がっかりして絶望してむかついて、でも大人になったいま、自分もまったく無関係ではないのだと何度も突きつけられている。だからそこには、見つめなくてはいけない「わたし」には、とうぜん消費行動をする自分のことも含まれている。ある部分では開かれていて、でも別の部分ではぐっと閉じてしまう、閉じているつもりでもあちこちに穴が空いていて、それでも気づかぬうちに誰かを排除しているかもしれないわたしのことも。
そんなふうに、ここにいる自分のことを、あらゆる意味で放っておかないこと、とくにクリスマスの時期には、とにかくそんなことが必要な気がしていて、大切にしたいと思うんです。
*
(そのうえで、ほんとにそのうえでこそ、オルガ・トカルチュクのこの言葉がひびいてくる:「文学は自分以外の存在への、まさに優しさの上に建てられています」。
トカルチュクのいう「優しい語り手」=閉じられた個人の一人称ではない「第四人称の語り手」のことをこの夏からずっと考えている。「あらゆるちいさなかけらに存在を与え」、「べつの存在、つまり『私』ではないものを注意ぶかく集中して」見ることのできる語り手。そしてシュタイナーのいう「高次の自我」、ずっとよくわからなかったけれど、まさにこの優しい語り手なんじゃないかって思ったり、ね……)
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hibikore-archives · 8 months
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.118 (2023/10/11 + 10/18 )
2023   11th + 18th october  
M1 my love is like a red red rose (Eddi Reader)
  M2 秋 (Szaloki Agi)     M3 my betterhalf (Bobby McFerrin)
  M4 natural affection (Alice Babs)     M5 les feuilles (Austine)     M6 a quoi ca sert? (Francoise Hardy)     M7 an hini a garan (Denez Prigent)       M8 sous les ponts de Paris (Juliet Greco & Melody Gardot)  
< 好日の素…秋バラを愛でること >  
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  いつもは5月に バラの話をしている わたしなのですが、 この秋は 今までになく 庭のバラたちが 元気になっているものですから、 話さずにはいられない!ということで、 秋バラのことをテーマにした次第です。   というのも、 毎年5月のハイシーズンの後は 我が家のバラたちは 病害虫の問題が発生しやすく、 元気に秋を迎える、ということが ほとんどなかったのです。 加えて引っ越しや この夏の大変な暑さで、 期待していなかったところに 復活したものですから…。 つまり、初めての秋バラ!なわけです。   バラはざっくり分けて 5月ごろにだけ咲くものと 繰り返し咲くものがあり、 秋に咲くのは後者。 なんですが、この秋は 季節を間違えて 5月にだけ咲くものが花をつけていたりも。   傷んだ枝を思い切って しっかりめに剪定したり、 鉢の中の除草をこまめにしたり、といった ケアが功を奏した、と言ってもいいのかな。 バラはお世話をしたらしただけ、応えてくれる、という ご近所さんのことばは本当だな、と あらためて感じました。   ひとつ育て始めると その愛らしさとたくましさに ハマってしまい、 ロザリアンになっていく方も 少なくないのでは? 行楽シーズンでもありますし、 バラ園を訪ねてみたり、 園芸店でお気に入りを選んで 育ててみるのもいいかもしれません。      
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< 日々是食べたい! … クイニー・アマン >
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  前回に引き続き こちらもまた 好みのものに出会えていない ジプシー案件なのです、クイニー・アマン。   フランスはブルターニュの 伝統的なお菓子。 ブルトン語で クイニーはケーキ、アマンはバターをさすそう。 その昔、小麦が不足していた時代に パン屋さんの失敗から生まれた おいしいものだとのこと。 
ベーカリーや洋菓子店のものから スーパーマーケットや コンビニで販売されているものまで、 見かけたら買って食べる、を 繰り返しています。 隣県から友人が 買ってきてくれたこともありました。   生地の食感や カラメルの部分のカリカリ感、 ほんのりバターの塩味、 そして ほどよい大きさなど、 好きなあんばいの クイニー・アマンに まだめぐりあえていないのです。   出会えていないなら…と 過去に一度だけ じぶんで作ろうと チャレンジしてみたこともあるのです…! これが、見事に失敗! 以来、買って食べるものの カテゴリーに入っています。   しかし、最近買った古本の フランス菓子のレシピ集に クイニー・アマンのレシピが 載っており… ほら、失敗から生まれたお菓子だって言うし… い、いや、やめておきなさいね、と じぶんを諫めるこの頃���す…苦笑。 THE ハイカロリー、ではありますが やっぱり魅力的なお菓子のひとつ。 現地ブルターニュでは プロポーズの際に贈った、というお話も あるそうで、 おいしい上に ロマンチックだなんて!と ますます気になる一品なのです。
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seafood-33 · 2 years
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2013-03-17
Javier try to steal Yuzuru's small medal in WC 2013.
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Javier talk about Yuzuru in Canon interview after WC 2013
With Yuzuru coming, hard practice became fun, and even on days when I wanted to go home, Yuzuru was working hard so I didn't go home.
ユヅルが来たことでハードな練習も楽しくなったし、もう帰りたいなっていう日でもユヅルが頑張っているので帰らない。
The amount of practice has increased, and since we practice with the belief that we can't lose to each other, our concentration has also improved.
練習量も増えたし、お互いが負けないぞって思って練習しているので集中力も高くなりました。
I was happy when I heard Yuzuru was coming to Toronto. He's a great player and he just trains. Being together is stimulating, and I practice hard too.
ユヅルがトロントにくると聞いたときは嬉しかったです。 彼はすごい選手だし、とにかく練習する。 一緒にいることで刺激になるし、僕も練習を頑張っている。
There are coaches other than Brian, and everyone takes good care of me, so I don't have any problems with coaches. I feel that just by riding on the same ice, we've definitely improved each other's levels.
ブライアン以外のコーチもいて、皆がしっかりケアしてくれるのでコーチの問題も一切ありません。 同じ氷に乗っているだけで、お互いのレベルは確実に上がったと感じています。
Until now, I lacked the strong feeling that I am a medal-winning athlete. This year, more than technical things, I became able to always be realistically conscious that Yuzuru is in front of me and we are aiming for an Olympic medal.
これまで自分には、メダルを獲れる選手なんだっていう強い気持ちが欠けていました。 今年は技術的なことよりも、ユヅルが目の前にいて、僕達は五輪のメダルを目指しているっていうことを常に現実的に意識できるようになった。
I could finally feel that I was in the top group instead of 10 programs. In that sense, Yuzuru is an important colleague and inspiration, and I think the current team environment is wonderful.
僕は10番組じゃなくて、トップグループにいるんだって、やっと思うことができた。 そういった意味で、ユヅルは大切な仲間だし、刺激になっているし、今のチーム環境が素晴らしいと思っています。
Source
Worlds 2013 men small medal ceremony
CANON ハビエル・フェルナンデス選手インタビュー (野口美恵)
Full list from 2011 to present
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andyoucosme · 1 year
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ほうれい線がクッキリ!マスク外すの怖い… あなたへ。容器はプラスチックじゃなく高級感のあるガラス。美容液はベタベタせずサラッとしっとり「ネコロコロアッパー」。 #Repost @tanachu03 ・・・ 。 。 HELLO👓 。 。 。 有吉ジャポンで錦鯉さんが紹介!Amazon1位「クマクラッシャー」が大人気のビズゴールドから新登場したほうれい線用美顔器×美容液。 。 。 @andyoucosme 。 。 欲しい方はAmazon等で「ネコロコロアッパー」で検索してみて! 。 。 ★「美顔器と美容液がこれ1本で便利!」 ★「毎日たった30秒コロコロするだけ」 。 。 。 #ほうれい線 #集中ケア #美顔器 #美容液 #マッサージ #口元 #ハリ #ビズゴールド #ネコロコロアッパー #王様のネコロコロアッパー #猫コスメ #肉球 #コロコロ #ロールオン #ローラー #猫に癒される #シェアコスメ #アンドユー https://www.instagram.com/p/Cn1jbYxJeDM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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easysnapjapan · 2 years
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シャンプーやトリートメントのサンプルパウチってお風呂場で濡れた手だと開けにくいですよね。 片手でパキッと開封できるイージースナップ だと超簡単。新しい商品でも思わず試したくなりますよね。 デザインも自由なのでこんなおしゃれなボタニカルな製品にもぴったり。化粧品開発展でも大好評でした✨ ●詳しくは「イージースナップ」で検索 ●プロフィールのリンクをクリック↓ @easysnap_hirokawa https://hirokawa.holdings/easysnap/ #イージースナップ #EASYSNAP #片手でパチっと #廣川 #美容好き #美容好きな人と繋がりたい #コスメマニア #コスメ好きさんと繋がりたい #コスメ好き #コスメ垢 #コスメ#スキンケア紹介 #スキンケア好きな人と繋がりたい #美容垢さんと繋がりたい #スキンケア #集中ケア #コスメ #美容に興味ある人と繋がりたい #化粧品容器 #化粧品メーカー #化粧品oem #化粧品サンプル #化粧品開発 #化粧品企画 #化粧品開発展 #オリジナル容器 https://www.instagram.com/p/Cj43fB4rHFH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ryotarox · 4 months
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今回で言えば、周りがこんなにSNSなどで騒がなければ、テレビ局側と原作者側の両者で話し合いをして「次回は気をつけましょう」で終わったはずだ。原作者も作り手もあれだけファンや視聴者が騒げば「不安」になる。その不安をかき立てすぎた可能性があるのではないだろうか。 しかし、ここまでネットが発達している社会において、「騒ぐな。黙っておこう」と言うのは無理があるし、それはかえって火に油を注ぐことになる。「誉める人」がいれば「けなす人」も出てくるのがいまの世の中だ。
だから日テレは「セクシー田中さん」を改変した…なぜか原作通りにはならない「テレビドラマのジレンマ」 テレビが越えられなかった「4項目」とは (8ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
プロデューサー陣は、CP(チーフ・プロデューサー)が1人、局Pが1人、プロダクションPが1人。少なすぎる……。これでは、作業を遂行するのがやっとで、原作者や脚本家との細かな意思疎通、ケアがどれだけできていたのかと疑問を抱かずにはいられない。マネタイズ、人材不足、Pもテレビ局の構造的欠陥の「被害者」なのではないかと思えてくる。
例えば、レギュラードラマ11回分の脚本を全部作り上げようと思うと、3カ月ほどかかる。それを待っていられるかということだ。今回の「セクシー田中さん」の場合は、6月に原作者と合意したとのことだが、それから全話の脚本を作っているととうてい10月の放送には間に合わない。撮影後に放送までの「ポスプロ」と呼ばれる編集や音の作業、色調整などには最低でも1カ月はかかるからだ。 また、もし脚本化をしても原作者側との合意に至らなかった場合は、脚本をドブに捨てることになる。1本あたりの1時間ドラマの脚本料は、脚本家のランクにもよるが、だいたい100万円前後であるから、ボツになれば11回分の計1100万円を無駄にする。さらに、原作を押さえておくための「オプション契約」にかかるお金もある。 オプション契約とは、原作者に対価(オプション料)を支払うことで、一定期間(オプション期間)、映像化の権利を担保する契約のことである。
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ichinichi-okure · 5 months
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起き���いて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
【2】
ニ 五月 米屋陽介(と出水公平)
 そして、入学式が始まる前の教室である。クラス分けの発表があったばかりだ。
 期待と緊張が入り交じり、ざわめく教室の中で三輪は誰にも声をかけられずにいた。そもそも誰がボーダーかもわからない。提携校なのだから石を投げれば当たるほどいると聞いていたが、皆が皆違うように思えた。本部で会っている者もいるはずだが、人の顔を覚えるのも三輪の苦手な分野だった。
 クラスの中でボーダー隊員であるとわかっているのは、一人だけだ。
 入学式当日に、すでに友人らしき人物と楽しげに話している陽キャを見つめた。
 出水公平である。
 三輪にとって彼は、太刀川隊の天才シューターである。ボーダー隊員のなかでもずば抜けたセンスと圧倒的なトリオン量を誇る。合成弾の開発者でもある。これにより、東隊のA級一位の立場も最後のシーズンにはひっくり返された。悔しい。その後、先輩二宮が頭を下げて教えを請うた人物だ。
 それだけではない。人なつこく明るい性格で、コミュニケーション能力が高い。
 こういう人物が隊長向きではないだろうか。三輪は我が身を省みた。月見の指摘が思い返される。
 出水の横にいる友人とおぼしき人物は、入学式というのにカチューシャで長い前髪をあげていて、やはりコミュ強者という風格だった。
 米屋陽介である。
「出水、何ビビってんの?」
 米屋陽介がちらりと三輪に視線をやった。
「しぃぃっ、視線あわすと噛みつかれるぞ」
「なにそれ」
 一方の出水は三輪の強い視線を受けて、内心戦慄していた。
 彼にとっての三輪は、東隊の狂犬アタッカーである。最近は銃も使う。その鉛弾が叩き込まれると厄介だ。容赦はない。弧月でぶった切られるときの鋭い目つきに明確な殺意を感じる。格上にも平気で挑み、勝てば当然といいたげな涼しい顔、負ければギリギリと歯ぎしりしそうな様子で悔しがっている。よく太刀川に噛みついている。迅、嵐山と誰もが好感しかいだかないであろう人物にも恐ろしいほどに攻撃的だ。何、怖い、この子。
 なんでそこまでと思うが、誰も気にしていないので、出水も空気を読んでそっとしておくことにしていた。そういえば、同い年だったなという認識だ。同じクラスになったのか。
「めっちゃ、お前のこと見てんじゃん。あいつ、知ってる。解散した東隊だった奴だろ」
 米屋とはボーダー本部のブースで知り合った。目が合うなり、いきなり個人戦に挑まれたが、それからよくつるんでいる。ノリが合うのだ。入隊は最近らしいが個人戦を重ねてあっという間にB級にあがった。とはいえ、上昇志向とは無縁で単に戦うのが好きという戦闘狂だ。米屋は無理やり思い出すようにこめかみに指を当てた。
「…確か隊員を募集してたな」
 知らなかった。
「へえ、あいつも隊を作んのか」
「『も』?」
「ああ」
 三輪は狂犬だったが、優秀な猟師にしつけられた猟犬でもあった。指揮官が描いた盤面を猟犬たちが静かに展開し、敵を次々と屠っていく様は見事なものだった。彼らの追い詰める獲物とは自分たちのことであったが、毎回、テキストをすすめるように替わる戦術と戦局を楽しみにしていたのだ。
 二宮、加古に続き、三輪までも隊を立ち上げようと動いている。
「これは面白いぜ、きっと」
「あ」
 本部である。
 三輪は現在隊に所属していないので、防衛は混成チームに参加して当たっている。誰かスカウトできないか目を光らせておけと優秀オペレーターの厳命に従い、なるべく参加しているが、彼と一緒になったのは初めてであった。
「米屋」
 カチューシャの彼はニヤリと笑った。同じクラスで、出水の友達だ。クラスの中でもとてもニュートラルな人間である。というのが、人間観察術を身につけようと努力する三輪の見立てである。誰に対しても偏見がない。無愛想で距離を置かれがちな三輪にも気軽に接してくれる人物でもある。
「米屋はボーダーだったのか」
「なんだよ。知らなかったのかよ」
 みんな知ってるぜと米屋はあきれた顔をした。
 すでに五月も中旬である。クラスでのスカウト活動は進展していない。積極的でないのもある。この一ヶ月近くは、月見に戦術をスパルタでたたき込まれている。人間観察はその修行の一端だ。鉈でざくざくと自信が削りとられていくような厳しさに、すでに三輪のライフはゼロに近い。目の下には隈が出来ている。いまだに隊員の応募もない。
 米屋はネイバーの口元にある急所にスコーピオンを叩き込んだ。
「いっちょ、あがりっと」
 軽口だがやっていることはすごい。
 防衛任務を共にこなして、三輪は米屋の強さに驚いている。二人一組で哨戒に当たっているところに門が開いたのだ。
 強い。トリオン量が少ないと言っていたが、それを補う高い技量を持っている。スコーピオンの使い方も独特で彼のセンスを伺わせた。これほど強いのなら、どんどん結成されている新しい隊に声をかけられているのではないだろうか。
 その疑問を口にすると、米屋は直接答えず、逆に問うた。
「うーん、三輪はさあ、どうしてボーダーになったんだよ」
 ボーダーではよく聞かれる質問だ。
 三輪の答えによどみはない。誰にどんな場面で聞かれても、こう答えてきた。
「近界民に殺された姉さんの仇をとりたいんだ」
「へえ」
 米屋は片眉をあげて三輪を見た。珍獣に出くわした表情だ。それもそうだろう。ボーダーに志願する者で近界民侵攻の遺族は不思議なほど少ない。逆にアンチ・ボーダーに傾く者が多かった。いまやボーダーは街を守る存在として憧れの存在だ。失ったものが多い人間には眩しすぎるのかもしれなかった。
 米屋はシンプルな感想を口にした。
「しんどくね?」
「わかってる」
 三輪は何の感慨もなく、うなづいた。よくわかっている。
「近界民をこの世から抹殺する。それが俺の目標だ」
 そのために強くなりたい、こう言うと、大抵の隊員はひきつった顔をする。憧れの隊員は誰? 好きなランク戦動画は?などという話の流れを一気に破壊する迷惑な代物であることはわかっている。だから、三輪は必要以上に隊員と交わらない。現在、隊員を募集するうえでそれが裏目に出ているわけだ。
 しかし、米屋はひるまなかった。かわりに、ははっと笑った。
「おっも」
「ああ」
「三輪って真面目そうって思ってたけど、ほんと重いのな、いつも? いつもそうなの?」
「ああ。うん、いや」
 三輪は首をひねって口ごもった。改めて聞かれると少し違う。
「なんだよ」
「いつもってわけじゃない…かもしれない。それじゃ、勝てないから」
 冷徹な戦局に復讐心は不似合いだ。邪魔になる場面は何度もあった。
「普通に強くないと勝てない…かな」
「普通ってなんだよ」
「普通は普通だ。…米屋はどうなんだ? ボーダーに入った理由。お前、強いじゃないか」
「俺?」
んん、と唸って、米屋は顎をグーでこすった。
「俺は楽しければそれでいいかな。強い奴と戦えればそれで」
「近界民でもか?」
「近界民でもさ」
 これ普通ってこと?と米屋が笑った。
「そうか」
 しばらく沈黙が落ちる。
「ふざけてるって、怒んねえの」
「お前が普通だって言うなら普通だ。そうだな、お前が、俺が重いって怒ったら怒ることにする」
「まあ、俺は楽しければ何でもいいからな」
「……前を向けって言われるのが一番こたえる」
 侵攻で生き残った者に対するケアを専門にするカウンセラーには何度も言われたことだ。前をむきなさい。このままだと悲しみに殺されるよ。それがお姉さんののぞむこと? 復讐なんて考えないで。
「しんどくね?」
 米屋はもう一度言った。
 そこに、
『門が開きました』
 このタイミングで、本部オペレーターからの指示が飛ぶ。
「んじゃ、『抹殺』しに行きますか?」
「そうだな」
 応えると、唐突に米屋が話を変えた。
「俺、応募してもいいぜ」
「は?」
「お前の隊に。募集してんだろ。本部で見たぜ」
「本当か」
 どうしてこういう流れになったかわからない
「嘘言ってどうするよ」
 三輪は弧月を抜いた。ぶうんと不吉な音をたてて、白い大きな怪物が現れる。
「詳しい話はこいつらを片付けてからだ」
「マジ? 三輪んとこ入るの?」
 本部のロビーである。
 月見との顔合わせで、米屋と待っているところを出水に声をかけられた。
「お、おお、そうなんだ。米屋をよろしく頼むぜ」
 三輪を向いて、手をあげる出水は少々テンパっている。米屋はひひひと笑った。
「こいつ、三輪が怖いからビビってんだぜ」
「おま、ここでそれを言う?」
 三輪は瞠目した。知らなかった。
「あー、何度もぶった切られてるからさ」
「…それは悪かったな。でも、俺は出水のほうが怖いと思う」
「な、なんで」
「強いから」
 思わぬタイミングでやってくる圧倒的な光の束を目の前にした絶望感がどれほどのものか出水は知らないのか。
 出水はびっくりした顔をしたあと、にへへと顔を崩した。
「早くA級にあがってこい���」
 もちろんだと請け負う。
「すぐに追いついて、太刀川隊をボコボコにするつもりだ」
「三輪、おもしれえ」
「いやいや、三輪、これ本気でしょ」
「もちろん、本気だ」
 冗談でいうことではない。東隊最後のランク戦の恨みも忘れていない。
 出水は気が抜けてため息をついた。
「やっぱ、怖いわ」
【3】に続く
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kennak · 1 month
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2020年3月、横浜市の中学校に通っていた女子生徒が自殺したことについて、市の第三者委員会は、クラスメートから女子生徒に対するいじめがあったことを認定した上で、いじめと自殺に因果関係があったことを認める報告書をまとめました。報告書の内容と、第三者委員会の会見、遺族側弁護士の会見を詳しく伝えます。 ※自殺した年を訂正しました。 悩みを抱えている人たちの相談窓口です。 ▽文部科学省「24時間子供SOSダイヤル」 0120-0-78310。休日を含む24時間・通話無料。 ▽横浜市「学校生活あんしんダイヤル」 045-624-9081。火曜~金曜・午前9時~午後5時。 このほかの自治体の問い合わせ先も、文部科学省のホームページで確認することができます。 いじめと自殺に因果関係 左:第三者委員会の栗山委員長 調査を行った第三者委員会は、3月8日午後、横浜市役所で記者会見を開きました。 報告書の中では、中学2年生の時に、複数の男子生徒によるからかいと、SNSのやりとりについていじめと認定しています。 その上で、「いじめやいじめによる孤立感が強く影響して自殺したといえる」として、因果関係があったと指摘しています。 また、女子生徒から相談を受けていた学校側の対応について、学校の「いじめ防止対策委員会」で生徒についての情報は共有されていたものの、いじめとして認知されなかったことや、生徒が自殺した事実を伏せたまま聴き取りを行ったことなどに問題があったと指摘しています。 一方、市の教育委員会をめぐっては、学校側が行った基本的な調査の報告書の案には、当初、「いじめ」という文言が入っていたにも関わらず、教育委員会がそれらをすべて削除するよう指示していたことから、そうした対応の経緯について「誤っているというほかない」と厳しく指摘しています。 命守れず 痛恨の極み 右:鯉渕教育長 横浜市教育委員会の鯉渕信也 教育長は、「かけがえのない生徒の命を守れず痛恨の極みです。生徒とご遺族の皆様に心からのお悔やみを申し上げるととともに、おわび申し上げます。誠に申し訳ありませんでした」 と謝罪しました。 認定されたいじめの内容は 以下、第三者委員会の報告書の内容を詳しく伝えます。 まず認定されたいじめの内容です。中学2年生の時に受けた具体的な2つの行為がいじめにあたるとしています。 ▼複数人からのからかい 1つ目は、女子生徒に対して、複数の生徒によるからかいが2019年6月以降、継続していたとしています。 ニックネームについてからかったり、行動を実況したりといった行為が繰り返されたということです。 ▼SNSめぐるやりとり 2つ目は、別の生徒によるSNSでのやりとりができないようにした行為だとしています。 生徒は夏休み明け以降、体調不良を何度も訴えて、欠席するようになりました。 保護者に対し、「クラスのみんなが嫌っているように感じる」などと伝え、保護者が10月に学校に相談したということです。 そして翌2020年2月には、ノートの表紙に「遺書」と書いて、いじめがつらかったことなどを記していて、3月の修了式の翌日に自殺したということです。 報告書では「不登校になった要因は、生徒に関する継続的ないじめやいじめによる孤立感だったことは明らかだ。いじめやいじめによる孤立感が強く影響して自殺したと言える。いじめと自殺の因果関係を認めるべきだ」としています。 学校側の対応は 第三者委員会は報告書のなかで、学校側の対応について「事実を確認する方法や内容は極めて不十分である。自殺したあとも事実関係を可能な限り明らかにしようとする姿勢を欠いていたと評価せざるをえない」と厳しく指摘しています。以下まとめてお伝えします。 いじめ発覚までの対応 ▼生徒からの聞き取り方法について 担任は自殺した生徒からいじめの相談を受けた翌日、複数の男子生徒を一度に集めて話を聞いていたということです。 第三者委員会はこうした方法について問題だと指摘して、「友人の面前で真実や本音を話しにくく、誰が主導的な役割を担ったかどうかなどの点は、友人関係を意識して話すのをためらうことも十分に考えられる。個別に呼び出して聴取する方法をとるべきだった」としています。 また、いつどこで、何をしたのかという具体的な事実を十分に聴き取れなかった点も、問題だと指摘しています。 いじめに複数の人が関わっている場合、具体的に誰がどのような関わり方をしたのかについて、力関係などを意識しながら聴取すべきであり、複数の男子生徒を1つのまとまりとして捉えていて、誰がどのような言動をしたのかについて意識した聴き取りができていないとしています。 ▼教職員間の情報共有が不十分 担任が行った事実確認の具体的な内容が、学年の職員の間で共有はされたものの、その問題性は指摘されないまま事実確認を終えることになっていて、こうした対応について「事実を確認する方法や内容は極めて不十分である」と指摘しています。 いじめの認知せず 生徒のいじめについての情報は学校の「いじめ防止対策委員会」で共有されましたが、いじめとして認知されませんでした。これについて報告書では「認知されていれば組織的な対応につながることから、クラス内での苦しみについてより寄り添った対応をすることが期待できた」と指摘しています。 ▼いじめに関わった生徒への指導 事実関係が十分に明らかにされないまま、名前を挙げた生徒に対して一律に指導が行われていたということです。 第三者委員会は、「事実の確認と指導が一体となっていて問題だ。正しく事実関係を把握することが、事実に見合った適切な指導をするための前提だ。いじめを行った側の心情についても聴き取って指導することが望ましい」としています。 ▼不登校後の経過観察 担任は2019年10月に保護者と面談し、「嫌われているように感じる」「こそこそ話が聞こえる」といった悩みを聞いて、いじめが継続している可能性を把握していたとしています。 しかし、自殺した生徒から事実や気持ちを確認してなかった ということです。 第三者委員会は「十分な聴き取りを行っていじめの継続の有無など事実関係を調査するべきであった。不登校になったあとであっても生徒から直接悩みを聞き取ることは必要であり、いじめの継続が原因で登校しにくくなっているのかどうかを明らかにし、仮にそうであるならば直ちに状況の改善に努め、再び登校できる環境を整える必要があったがそのような確認はされなかった」と指摘しています。 自殺後の対応は ▼初動の基本調査が不十分 学校側が行った基本調査については、自殺の事実を伝えて聴取をするかを遺族に打診しなかったことや、ほかの生徒への聴き取りの目的や対象範囲について、いずれも問題だと指摘しています。 ▼自殺と伝えずに聴取 学校は自殺からまもない時期に、生徒が自殺したことを、ほかの生徒たちには伝えないと決めていたということです。 その後教育委員会から派遣されたアドバイザーから「自殺であることを伝えて聴き取りを行う必要がある」と助言されたものの、学校は方法を再検討したり、遺族の意向を再度確認したりする手続きをとらなかったということです。 第三者委員会は「自殺した生徒に関する事実関係をほかの生徒から聴取する場合、調査の目的や対象、方法などを遺族に対して説明するとともに、自殺の事実を伝えて聴取をするかを遺族の意向を踏まえて検討する必要がある。自殺の事実を伝えない中での聴き取りには制約が伴い、背景事実に関する情報を十分に収集できない可能性があることを事前に説明することは遺族に選択の機会を与えるためにも必要だ」としています。 ▼事実明らかにする姿勢を欠く ほかの生徒への聴き取りについても問題点があったとし、具体的には、早く情報を収集するという目的に沿って行うべきだったにも関わらず、こころのケアが目的となっていたことや、本来は対象を広く検討すべきだった聴き取りの対象についても、5人のみに限定していたことを挙げています。 また広く情報を集めることができるアンケート調査を行ったものの、通常の教育相談のものであり、自殺した生徒に関わる項目は含まれていなかったとしています。 こうした対応について「そもそも事実関係を可能な限り明らかにしようとする姿勢を欠いていたと評価せざるをえない」と厳しく指摘しています。 教育委員会の対応は 調査報告書では、横浜市教育委員会の対応についても、「誤っているというほかない」と厳しく指摘しています。 ▼いじめの文言を削除 学校側が行った基本的な調査の報告書の案には、当初、「いじめ」という文言が入っていました。 しかし、市の教育委員会は、学校の「いじめ防止対策委員会」でいじめの認知がなされていなかったことを理由に、学校側に「いじめ」の表記をすべて削除するよう指示していました。 こうした対応の背景には、市の教育委員会が、基本的な調査の目的が事実の情報収集であることを認識していたはずだったにもかかわらず、はき違えて目的の設定をしていたことがあったといいます。 具体的には、基本的な調査の報告書の目的を「学校が生徒をしっかり見守っていたことが遺族に伝わる」ということに設定したということです。 ▼調査の目的逸脱 対応誤っている 結果として、遺族に学校がいじめの事実に向き合っていないという印象を与え、不信を抱いたとしても不思議ではないとして、報告書では、市の教育委員会に対し、「調査の目的を逸脱し、誤っているというほかない」と厳しく指摘しています 遺族代理人会見 第三者委員会の会見に続き、遺族の代理人を務める 石田達也弁護士が会見しました。 石田弁護士は冒頭、死亡した生徒が書き残した遺書のノートを掲げ、女子生徒の遺書を読み上げました。 石田弁護士 女子生徒の遺書 『迷惑をかけてしまった皆さん、本当にごめんなさい。なぜ死んだかというと、いじめが辛かったからです。世の中の人たちにはいじめと判断してもらえないようなことだと思います。それでも私には辛かった』 続いて、遺族のコメントを読み上げました。 遺族のコメント(抜粋、全文は文末に掲載) 娘は絵を描くこ���が大好きで、アートに興味を持っていました。娘はいつも寝る前になると、ドアをノックして顔をのぞかせ、“おやすみ”と声をかけてくれました。そのときの優しい表情・声、いまでも忘れることはできません。誰に対しても優しく、本当に優しすぎるくらい心の優しい娘でした。 娘が亡くなってすぐ学校の報告書をうけとりましたが、「いじめ」というの文字が一つも無く、学校で何があったのか私たちには分かりませんでした。闇から闇に葬られるのではないか、そんな強い不信感を抱きました。 しかし今回第三者委員会の報告書の中で娘が訴えていたいじめが認められ、自死との因果関係も認められました。学校で何がおきていたのかなにに苦痛を感じていたのか、いじめの問題から目をそらすこと無くできるかぎりの調査がつくされたものと受け止め、評価をしています。 暴力を伴わないいじめでも子どもを深く傷つけ追い詰めるという認識が、1人でも多くの先生に広がることを願っています。 その上で、石田弁護士は、「家族や本人から学校へのSOSは繰り返し発されていたのに、いじめの認知すらしてもらえなかった。また、指導のあり方についても孤立している子にさらに孤立する不登校という選択肢を提示するなど、子どもの苦痛を本当の意味で解消しようとする視点が欠けていた」と述べました。 そして、「今回の調査結果は遺族も評価していて、今後に生かせる再発防止策が得られたと考える。場当たり的な対応でなく教訓としてずっと残して風化させないで欲しい」と訴えていました。 専門家「学校全体で対応を」 いじめ問題に詳しい上越教育大学、いじめ・生徒指導研究センターの高橋知己センター長に聞きました。 女子生徒が友人関係がうまくいかずに不登校になったと単純に受け止めて、いじめではないと判断してしまったと感じられる。 中学校は教科担任制なので、1人の生徒に関わる先生が多く、多角的に生徒にアプローチすることができたはずなのに、報告書には担任と養護教諭以外の先生がどんなアプローチをしたのか全く書かれていなかった。 生徒をケアすべき人たちが、十分に機能していなかったことが伺える。学校全体として対応できなかったことが一番の問題だと思う。 遺族コメント(全文) 「迷惑をかけてしまった皆さん本当にごめんさい。なぜ死んだかというといじめが辛かったからです。世の中の人たちにはいじめと判断してもらえないようなものだと思います。それでも私には辛かった」。娘はこう書き残して短い人生を終えてしまいました。いじめ自殺という言葉はニュースを通じて以前から耳にしたことはありました。しかし、まさか我が子に起きるとは夢にも思いませんでした。娘は絵を描くことが大好きでアートに興味を持っていました。人気アニメの大ファンでグッズを揃えるのを楽しみにしていました。 中学1年生の頃は特に気になる様子もなく、楽しそうに学校に通っていました。様子が変わってきたのは中学2年5月、連休明けの頃だったと思います。娘は学校から帰ってくると「みんなが自分のことを嫌っている。仲間はずれにされている」こう話すようになりました。表情にはいつもの元気はなく、悲しそうな表情を見せるようになりました。体調が悪くなり、病院でみてもらうと学校生活で何かストレスがあるのではないかということを言われました。夏休み前のころになるとはっきり「学校にいきたくない」というようになりました。クラスを変えてもらうか、転校しようか親子で話し合ったこともあります。そのころ娘はもう疲れ切っている。そんな様子でした。 夏休み中、娘は比較的元気に過ごしていました。が、2学期に入ると娘は「死んだ方がまし」「疲れた」という言葉を繰り返すようになりました。またしきりに「体調が悪い」と訴えるようになりました。10月に入って家族みんな心配になりました。なんとかならないかという気持ちで学校と連絡を取って、面談をすることになりました。意地悪されている、嫌なことされている、いじめられているみたい、娘が学校で悩んでいることを先生に率直にお話しをし、クラス替えや転校について相談しました。でも事態はよくなりませんでした。 娘のつらそうな様子を見かねて、無理に学校に行かせて、問題が起きるのはよくないので、学校から提案があったようにしばらく学校���休ませますと連絡をいれました。そのとき、仲間はずれとか変なこと言われたりとか、何か意地悪されているらしいのでということも付け加えました。それから学校に行くことができなくなりました。しかし、娘は元気を取り戻したようにみえることもありました。 11月には母親の実家に帰省し、とても楽しそうに過ごしていました。そのときの娘は笑顔でした。1週間ほど滞在して横浜に帰るとき、娘は寂しそうな様子でした。 そして2020年3月、「もうすぐ学校か」娘は暗い表情でまた話すようになりました。そんなある日の夕方、「出かけてくるね」という娘の声が聞こえてきました。どこいくのと訪ねると「コンビニに行く」といいました。「気をつけてね」と声をかけました。返事はありませんでした。それが娘との最後の会話、永遠の別れになってしまいました。娘はいつも寝る前になると、ドアをノックして顔をのぞかせ、おやすみと声をかけてくれました。そのときの優しい表情・声、いまでも忘れることはできません。本当に優しい娘でした。誰に対しても優しく、本当に優しすぎるくらい心の優しい娘でした。 娘が亡くなってすぐ、学校の報告書を受け取りました。しかし、「いじめ」という文字が一つもなく、学校で何があったのか、私たちはわかりませんでした。闇から闇に葬られるのではないかそんな強い不信感を抱きました。 そして今回第3者委員会の報告書の中で、娘が訴えていたいじめが認められ、自死との因果関係も認められました。学校で何が起きていたのか、何に苦痛を感じていたのか、いじめの問題から目をそらすことなく、できる限りの調査が尽くされたものと受け止め評価をしています。ニックネームでからかう、笑う、仲間はずれにする。そういった暴力を伴わないいじめでも、娘にとってはたえられないほどつらいものでした。 今回報告書で示された教訓を元に、暴力を伴わないいじめでも子どもを深く傷つけ追いつめてしまうことがある。そういう認識が一人でも多くの先生に広がることを願っています。学校は関係した生徒に注意し、指導することで、いじめは解消した解決したと考えていたのかもしれません。しかし、そのあとも娘は学校に行くことができませんでした。学校をひどく恐れ、ストレスを感じ続けているようでした。いじめは表面上解決したように見えても、被害者に苦痛を与えていて、その苦痛が本当の意味で解消されるまでいじめは続いている。そこに盲点があったのではないか。そう思わずにはいられません。 「世の中の人たちにはいじめと判断されないようなものだと思います」と、娘はこう書き残しました。悩みや葛藤、そして苦痛を自分で抱え込んでしまったのかもしれません。自分で解決しようと思っても子どもには限界があります。学校で孤立を深める中、悩みや葛藤を相談できる相手、信頼できる先生はいなかったのでしょうか。学校で早い段階でいじめとして認知し、娘のつらい気持ちを理解して、苦痛の解消に動いていてくれいたら、と思うと残念でなりません。 大津のいじめ事件をきっかけに法律ができ、この法律が子どもたちを守ってくれるものだと思っていました。現場ではいじめ以外でも様々な仕事に追われる教職員の皆様にとって大変な時代になったと思うこともあります。しかし、それでも学校でいじめから子どもたちを守ることができるのは先生しかいません。 今回の報告書を出発点として、次の世代にも引きつぐ。そして、子どもたちをはじめから守り抜くための教訓として、これを大切にしていただければと願っています。 最後になりましたが、長い時間をかけて熱心に、本当に熱心に調査に取り組んでくださった第三者委員会の皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。
横浜市の中学生がいじめで自殺 第三者委員会の調査結果【詳報】 | NHK
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