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alaephoenicis · 3 months
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脆さゆえの強さ|次元上昇 #3 with ロビン・カイザー & サンドラ・ヴェーバー
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オリジナル動画:https://www.youtube.com/watch?v=N1TVGv9oSaU 公開日:2023年12月23日
和訳:ALAE PHOENICIS https://t.me/alaephoenicis
(前説省略)
サンドラ:ロビン、最近の調子、体調なども含めてどうでしょう?話してくれますか?
ロビン:喜んで。身体的にいうと、非常に挑戦的な状況を体験した。繰り返し、無力感に巻き取られてしまい、自分は素っ裸で傷つけられやすく、弱々しい感触を味わったので、この身体的な脆弱さを感じること…肉体が最高の健康状態でなくなり、効率的でなくなり、常に存在しなくなることで、如何に強い意識が生じることになるのだろうか?と自分に対して真剣に問うことになった。僕の経験では、弱さの中で自分を開くこととか、随分多くのことを学ばせてもらった。エゴの意識からすると、弱さや無力さというのは好きじゃない、我慢がならないんだ。エゴは、自分がこれまでの人生で築き上げてきた全てを継続させるために、常に最高の状態で、効率的で美しくあり続けたいと願っているわけで。そして、物理的なものであれ、運命的なものであれ、人生に激震が走ると、しばらくの間は自分自身に引き戻される。外側の生活、機能的な構造、築き上げてきたものすべてが、まずは揺らいでしまう貴重な時なんだ。そしてそれは、移行期に何度も何度も僕たちを待ち受けていることだと僕は思ってるんだけど、僕らがこの世界で機能的に築き上げてきた成果の領域が揺さぶられることで、僕らの意識はより深いところまで行けるんだ。
サンドラ:その通りよね。それは人生のプロセスでもあり、私たちは常に呼び戻され、何度も道を修正する経験をする。もし私たちが金色の大道を通らず、脇道に迷い込んだとしても、このようなことがあれば、もちろんまた外に出ることができる。そこには異なったレベルがあって、そう、私たちはなぜそのような脆さに陥ってしまうのか。でも、あなたが言うように、脆さはしばしばすごくジャッジされる...あるいは、私たち自身がジャッジしてしまう。そう、もしかしたらそこにエゴも入ってきて、誰かが私を妨げているからだとかなんとか、そういうことを言うかもしれない。もちろん、そんなことはどうでもいいわけで。自分の内側に目を向ければ、そこには追求すべきまったく新しい、まったく違う道が常に開けているのよね。そこが素晴らしい贈り物ってこと、でしょう?またひとつ、気づきを得ることが出来た、一歩深められた、という贈り物。
私が「脆さ」という言葉を使うとき、私の脳裏には、至る所に起きている地割れのイメージが浮かぶの。私たちがいま居る世界、今のタイムクウォリティでは、これまで構築していたものはもう、作れなくなっている。私たちはもはや安定した地盤の上に立ってはいない。家庭でも、国でも、経済でも、どこであろうと、生活のどの場面だろうと、地盤に亀裂が入り、溝が開き、火山の噴火や地殻変動などのために、表土にさえも亀裂が入っている。つまり、この“脆さ”はあっても良いということ。
重要なのは私たちにとって何が良いことなのか、であり、私たちは世界的、あるいは銀河的なプロセスに完全にドッキングされている。それは実に明白なことで、私たちはこの“脆さ”を真の贈り物として受け取っていいのだと思う。
ロビン:うん…これは移行期間だからね。そんなカチカチの構造だったら、どうやって変容するのか?ということになる。まずはエネルギー領域にやってくるのは“揺さぶり”だ。これまで僕らが生活を構築してきた地面が振動し、地盤が割れる。わかりやすいイメージだね。それを使わせてもらうけど、僕らには「自分象」というのがある。自分の人生についてのイメージ、自分とは誰で、どのような役割を演じるのか、何十年もかけて人生とはある特定の様相なのだというイメージを創って入れ込んできたんだ。「自分にはこれとこれといった能力があり、自分の身体はこんなので…といった具合に、うーん…自分にできそうなレパートリーを創ってきた。それが揺らいだとき…人生が巡ってきて、自分のアイデンティティを築いてきたこの地盤が引っこ抜かれるとき、僕たちはまず、下落を経験し…「そうか、今はもう手放すしかないんだ」となる。肉体的な脆さを感じ、エゴは壁に押し付けられた感がある。もう手放す他、どう仕様もないんだって状況に追い込まれるのを感じる。足元の基盤が取り払われ、明日と明後日に何が待っているのかわからなくなったとき、意識はそれを受信するためだけに開かれるんだ。
サンドラ:…そうね。そうしたら、 降参しようって気になるのよね。だって大抵、他にもう選択肢は残っていないから。道が見えなくなったとき、精神が道を見いだせなくなったとき、あるいは本当にしがみつくべきものが何もなくなったときに、今度はハートが主導権を握るの。そして、私たちはみんな、そこへ向かおうとしている。これは「ハートの歩む道」「魂の道」なのだから。そして、まだ何かにしがみついている間は、そこに力を委ねられていないわよね。でも、手放した途端に自分でも気づくものだし…もしかすると、人によってはまだしがみついているからこそ、酷く揺さぶられているのかも知れない。そこで「わかった。もう駄目なんだ。それならばこのまま楽に流れに乗ろう」って…つまり、困ったときの神頼みとか、よくある話だけど(笑)、それで、普段は感謝を忘れていたことがちょっと後ろめたくなったり。でも、「きっと今は、これを肯定的な力としてとらえることができますよね?:ねえ、ちゃんと内なる流れに戻り、始まろうとしているものは落ち着いてなすがままに委ね、再びまったく新しい地面に降り立つために始まるかも知れないこの空虚へと落ちていきます」ということ。「神の手の平よりも深く落ちることはない」という素敵な言葉があるけれど、私も過去に、どんなに深く落ちたときであろうと、これを幾度も経験したわ。乗り越えねばならない健康問題や、とても苦しい人間関係で悩んだ時も。私は常に、それで成長を遂げたし、「もう、どうすることも出来ない」となって、手放せた瞬間、かならずゲートが開いたの。
ロビン:人生は、基本、何かを送りつけて僕らを開こうとしているだけなんだ。 僕らは長い間、分離された意識の中に隠れていて、その壁が揺らぐと何が起こるのかか���注意をそらすために、できる限りのことをしてきた。 そして結局のところ、僕たちにやってくるすべてのもの、人生が僕らに与えてくれるすべてのものが、個別にされ、閉鎖されてきた意識をまた開かせようとしているんだ。しかし、揺さぶられることもなく 、境界の柵が安全性が試されることもなく、地面がひび割れることもないのなら、何が変わるっていうのだろう? 分離されていた意識が、やっと己を開こうとした時、それを恐ろしく感じることだろう。僕らはすごく安易に、「そうさ、みんなで新しい意識へ突入しよう」とか言うんだ。「愛の意識、無制限の意識を体験するんだ」ってね。 ところが、僕らが今立っている場所からその「新しいもの」というのをみると、主に感じるのは恐ろしさだ。なぜならそこには制御が効かないし、そこにはこれまであった“自分は誰なのか”という自己に関連付けるものもなく、自分はどんな世界で行動することになるのか、その基準が何もない。それらすべては、新しい意識へ移行した途端にすべて奪われてしまう、取り上げられてしまう…そのように感じるだろう。 そして、この無制限の領域、高次のアイデンティティにあることで、僕たちは本当の意味で交信を始めることになるのだ、ということに時と共に気付いていくだろう。 そして…これなんだよ。僕はこれをずいぶん長いこと自問してきた。「僕はなぜ、愛を恐れているんだろう?」って。 「傷を癒やす」コースで、この言葉は繰り返されてきた。僕には最初分からなかったんだ。もっと深めて、分離状態に在る自我の構造(エゴ・ストラクチャー)というものを研究し、体験していくまでは。そりゃそうだよ、分離の意識からすると当然、愛というものは何か広がっていくもの、開いていくものを秘めているので、それは常に脅威なんだ。
サンドラ:それこそ、あなたが最初に言ったことよね…素っ裸で傷つきやすいということ。そこへ全てが繋がっていく。でも、その愛の次元というのは「広い」ところなわけよね?愛には全てがこもっているのだけれど、それでも「愛の次元」というものは愛自体よりももっと広くて、そもそも私たちという存在すべてが愛であり、私たちが感じ取り、見て、体験するすべてが愛なので、結局は愛以外には何も存在していないのだけれど… でもそうなるともう頭が着いてこないのよね。頭は「ちょっとまった」ってストップを掛ける。「それは愛じゃない」っていう例えが出てくる。それは、どの階層からものごとを眺めるかで変わってくるわけ。 とりあえず、私は愛というものの背景と共にある肉体にと留まろうと思うけど… あなたは… 自分を通して起こしたいこと、そうではないこと、それをどうやって区別できると思う? 例え話をすると…今年、あることに気付いたの。何かをやろうと思っても、その状況を非常に明瞭に想像できるので、やる気が起こらない、ということ。例えばその時、子どもたちのこの木に登ろう、と思ってみた途端、私はもうその気に登ってしまっていて、単に「こういう感じだろうな」っていうのじゃなくて、私はその体験を全て感じている。自分の身体のどの部分の筋肉が必要なのか、指に触れる木の皮とか、上から木の葉の間を通して下を見下ろし、リンゴを摘む感じとか、登る前に全てが既に起こっている感じ。でも、同時に私はここに座っていて、木登りをしているわけじゃないんだけど、もう経験済みな感触���ので、わざわざやる気になれない。ある種の無意味さがそこに現れてくる。言っていることわかるかしら?想像するだけで事足りているのだから、やる気が起こらない、それなのに敢えて実際にやることもあるわけで。それはなぜ?
ロビン:僕に言わせると、もし、本当にそのような精神的な先読みを深く訓練していったら、僕たちはある種の経験をはもうしなくても良くなるんじゃないかな。精神面でそのような先取りというか、その痛みはどんな感触なのかとか想像が出来ないのなら、それは自分で体験しないといけない。そして、転生する前の僕らは、常に精神上で予想するという原理の中で生きていたのだと思う。なんでも想像することが出来て、全てはそこにあった。でも、己の身体で経験することは無かった。転生と肉体によって、経験を通してそれをより深めることが出来る。高次の意識レベルを考慮に入れれば、結局はその差はそれほど大きくない。つまるところ同じことなんだけど、分離した意識からの経験という点では違って見えてくるだけなんだ。 そして僕個人としては、何かの内部装備がより明確になってくるほど、常に精神上で予想するという原理の中で生きていたのだと思う。 まだ内面的に完全に気づいていないこと、まだ完全に浸透していないことの引き換えになるものとして、おそらく少しは経験が必要なんだ。そして、苦しみや病気、困難なことに直面したときには、当然これを使うことができる。内面的に深く浸透してくるものと向き合うことで、顕在化させて経験へ浸る必要がなくなる。
サンドラ:そこに、やっぱり他の転生からくる記憶や経験を取り出すことになる気がするの。経験したものはもう、必要がなくなる。 それでも、そこには対立するものがあるわ。一方では肉体を使って実際に体験したくなくなっていく…もしくはどうせ何でも想像できるし、既に体験済みのことに繋がれるので経験する必要がなくなる。しかしもう一方では…これをさっき聞きたかったんだけど… 突然、とても大きな決断を下すとか、とても大きな転機があなたの人生にやってきて、あなたはそれをただ受け入れるのかしら…?木登りでも何でも、そのときあなたはその大きな経験…本来恐れを感じていて、「ちょっと待て!それは出来ないよ」ってポッと念頭に浮かび上がってくるような経験は、まさにあなたの魂がこれまでしたことのない経験、だからやりたい経験として、ワンネスの総合意識があなたを通してやりたい経験、ということになるの?あなたはどう見ているのかしら。
ロビン:僕に言わせると、肉体にあっては次の経験に向けて小さな飛躍しか出来ないということ。それまでと似たような経験し、小さな飛躍、そして小さなまた飛躍がある。霊性状態にあると、それは全く違ってくる。瞬間ごとに別の世界へ潜り込み、時空間のなかで順に経験してきたことに制限されない。つまり、可能な経験幅がずっと大きくて、僕らはもっと柔軟だ。 こうした大きな飛躍によって、僕らには時空間に制限された意識の中ではひとまず恐ろしく思えてくるような選択が可能となる。「なんだって?これまでの生活をそこまで手放して、まったく未知で新しいところへ飛び込むのか?」 霊的レベルでは、何の問題もない。非常に単純、直接的、かつ明瞭に眺め、受け入れ、実行に移せる。肉体レベルでは、変更による効果を出すのに時間がかかる。そこでは常に、繰り返し精神面での先取りを行わないと、実行することによって人生を進めていくべき路線をはっきりと描けない。
サンドラ:最近、そこで何かが崩壊しちゃう気がするの。一方では「どっちだろうと構わない」というのがあって… 全てがどうだって構わない、そこにはあの「価値評価はしない」というのがどんどん幅をきかせるようになってきているんだけど、もう一方では、進むべき道は明白でないと、といのがある。この2つは相容れない。だって、全てが「どうだろうと構わない」のなら、進むべき道を決める必要なんてないわ。でも、そのどちらも大切なものとしてこの領域に在るんでしょう?
ロビン:うん。人生はパラドクスで成り立っていて…僕の世界観ではそれらは調和し合っている。「どうだろうと構わない」というのが大きくなれば、自分の定めである道の明瞭さも増大する。なぜならその場合は、二元性的分離意識の中とは人生の歩み方が違ってくるからだ。そこには瞬時から瞬時へと空虚で自由な、広い意識の中にアイデアがやってくる。それによってより明瞭になってくる。それに反して、もし自分の人生に何らかの計画を精神面で構築し、ステップ、プログラムを選んでいくことになるなら…そこには不安がつきまとう。だって、そこにはアレがあって、コレもあって、こっちの方が良くて、悪くて…そうして検討し直す。そのような領域では、過去の視点から自分の人生を構成しようとプログラミングし、管理することになる。新しい意識では、全く別の方法で人生を構築していくんだ。そこには衝動がやってくる。…自分から挑発しなくたってね。それはまったく違った人生へのアクセス方法なんだ。
しかし、そこに至るまでは本当に「どうであろうと構わない」と言うことになるよね。 すると、戦争だって「どうであろうと構わない」ってことになる。今の時代には際どいテーマだ。 なぜ、「どうであろうと構わない」ことに?こんなことを主張して、ジャッジメント(=ドイツ語は Urteil 。これを直訳➡「根源(Ur)を分ける(teil−)」)、分割(Teilung)、価値評価(Wertung)といった理念が意識から取り払われてしまった暁には、これまで我々が人生を通して従ってきた構造全体が失われてしまうんだ。
サンドラ:ありがとう。上手な方向へ誘導してくれて。その「ジャッジ(判定)をしない」という話を是非あなたと一緒に追っていきたいのだけど、ここでわかりやすくなるよう、またちょっとしたストーリーを話させて。
これまでの人生で、私は幾度もある持続的状態になって…人はそれを「悟りの境地」と言ったり、ワンネスと言ったり。あなたは知ってるでしょう?すると全てが「ふつう」な感覚になってくるわけだけど、でも、その瞬間が急に起こったことがある。あれはテキ・アカデミー(サンドラさんが考案したヒーリング学習塾)のクラス3のセミナーだった。私が講師なので参加者のことを気にかけていたんだけど、それで気付いたら…私の視界が膨大に拡張されてきてしまって、運良く丁度昼休みが来て、普段は皆で一緒に過ごしていたんだけど、私は皆に「ごめんね、ちょっと一人になりたいから」といってボーデン湖の方へ歩いていって、単に佇んでみた。そこは住宅街で木が植えられていて、美しい山と湖の景色の中にプラスチックが溢れ出ているゴミ箱があったりした。どこからか誰かが言い争う声、そして子供の笑い声も聞こえてきた。その全てが「どうであろうと構わない」感じ。あれは、私が完全なるワンネス、完全な“不関心”を初めて経験したときだった。そして私の理性はそこにあったの。それでもやっぱり理性はあって、私にこう語りかけてきた。「サンドラ、ボーデン湖の方がゴミ箱より良いはずだ」って。そうなの!私は価値を測ろうとした。そうしたかった。でもうまくいかなくて、評価をしない方がもっと本物らしく、強力で、明瞭に感じられた。それら全ては、単なる「経験層」なんだっていうことが明白だった。「玩具」なんだってこと。そう。喧嘩だろうと笑い声だろうと、ゴミ箱だろうとアルプス山脈だろうと、まったくもってどうだって良い。「同等価値」という意味で「どうであろうと構わない」わけ。そこから降りのが効果的なんだけど…それは単純にそういうことなのよ。
そこで、あなたは大きく角を曲がって「戦争と平和」に言及した。 私たちがもし、単純にこの意識で眺めて見るならば、違いはどこにあるのか…
ロビン:そう、分離した意識構造は「差別」を辞めるのがすごく怖いんだ。だって、そうすると我々がこれまで構築してきた世界の全てが溶解してしまう、アイデンティティと現実があまりにも大きく失われてしまうからだ。
ゴミ箱もボーデン湖も、戦争も平和も、違いはないって? すべては「ひとつ」を表現しているのなら、自分はここで何をすればいいんだ? なぜなら、全部が全部すべては差別的思考にあるからだ。 この思考が一旦停止するとき、私たちは何者ということになるのか。意識の深化によって、そんな思考が不可能になったなら? まずは…息を止めて、自分を見直し、考えるだろう:「なんだって?こんなのありなのか?こんなので現実を経験できるのか?」
そして、ここで「戦争と平和」の例を取り出してみるとすると、問題は常に、「どの意識からなら、自分は平和の一部だということになるのか」ということだ。もしかすると、差別をやめた時こそ、僕らは平和の一部になるのではないか。なぜなら、そうすることで僕らは全く別の意識周波数に入ることになるからだ。そこにあるものと共に存在しても「構わない」からで、戦争へ走ることもない周波数状態… 「不関心(どうだろうと構わない)」って、分離した意識からすると常にネガティブに聞こえるんだけれど、仏教の概念でそれを美してく描いているものがある。涅槃(ニルヴァーナ)で最終的に体験されるものはパーリ語の「upekkhāウペッカー」(日本語:捨(シャ))、これは「どうだろうと構わない(不関心)」という感じの意味なんだけど、とっても素敵な充たされた統一にあってのことなんだ。面白い��は仏教だけでなく、他の多くの伝統においてウペッカーというのは僕らの意識が最後の方になって至ることになる状態のひとつだとされていて、その後はなにもない。
サンドラ:価値付与が一切ないこと、全てあるがまま完全に受け入れること…最終的には受け入れることさえしない。だって、それはあなた自身だから。
ロビン:その通り。
サンドラ:そこには「受け入れるべきもの」も存在していないのよね、だってそれはあなたで、あなた自身が表現されたものだから。
ロビン:そうそう。そこにはあらゆる分離は無くなっている。だって…ゴミと僕。湖と僕。すべて「ひとつのもの」の表現なんだ。僕に見えるものはひとつのものの表現のひとつで、あるがままの僕以外のなにものでもない。一つの偉大な生命が、私の周りにあるすべてのものを等しく動かしている。そしてそれは、分離した意識がとても恐れていることで、世界で最も美しい経験なんだ。
サンドラ:そして…(笑い出すと、ロビンさんも笑い出す) 私のあの、「悟りへの道の体験」をあなたにもっと話したいんだけど。でも、それは別の機会にしましょうか。今はクリスマス直前なので…今、私に浮かんできたのは「家族の(心理)投射」のテーマを持ってこれるかなって。クリスマスって多くの人たちにとって本当に課題というか。なぜって…なんだっけ、あなたはさっき(打ち合わせの時)なんて言ってた?
ロビン:“愛と脅迫の祭典”?
サンドラ:そうそう!(二人して笑う)
ロビン:…と、僕の最愛の人がいつも言うんだよ。
サンドラ:そうなのよね。だって、当然みんなで集まることになって…一年間全く…または珠にしか会わなかったり。それでクリスマスが来ると「愛の家族の祭典」となって、子供やら孫やら再会するとか、もしくは再会しないとか。そこで孤独という経験をする。孤独を味わうことで芽生える悟りがあるので、それも祭典への招待なわけで。ここでも「どちらでも構わない」というのが見えてくる。素敵なことの中にそれが隠されている。
そして…この「どちらでも構わない」というのを、家族が抱えているこうした全てのテーマに持ち込んで、素早く問題解決することは可能なのかしら? 何年も取り組んで、何年も見つめ直して努力を重ね、沢山のことを語り、赦し、…なんだかんだとやるんじゃなくて、「そう、あなたもやっぱり私で、私というものの表現のひとつ、私であるものをひとつ表現したものなのね」、というそうした状態に自分を置いて、近道を取ることは可能なのかしら。
ロビン:(少し笑って) そうだね…家族という文脈では、僕らが意識の中で自分自身を既に修得してきたものが最も強力に試される。つまり、家族の場では本当に全てのカードを出してきて、両手は卓上におき、自分が深めて身を浸しているつもりの意識がどれほど定着されているのかを眺めることになる。そしてもちろん、基本的には、多くの家族のもつれの解決と修復は、そのような形で見つめることができる意識の明晰ささえあれば、とてもシンプルで明白となる。
つまり、これは中立的で開かれた認知力を持てるかどうかに大きく関わってくるんだよね。もしその認知が、共有された過去の特定の役割を示すモデルなどによって歪んだり歪められたりすることがなければ、家族の文脈におけるもつれがどうすれば容易に解決されるのかも、はっきりと見ることができる。
サンドラ:私がよく言うのは、「あなた自身をよく整理すればするほど、あなたの中にある“スイッチ”を誰かに押されることがなくなっていく。整理すればスイッチはなくなっているので、誰もあなたから反応を引き出すことは出来ない」ということ。 「それでも相手が同じ行為を続けているのなら、窮状にあるのは相手の方であって、あなたは自由な観点でそれを眺め、あなたがそうしたいのなら相手を助けることも出来る」とね。 これは、さっきあなたが言ったことと同じよね。
ロビン:そう。家族や友情関係といった人間関係の文脈における共感への鍵は、常にそこにあるというところに僕は戻っていくんだ。
目の前の相手が「そのような意識の中にいて、そのような意識領域に接続されている」「だから(本人にはどうしようもないのだ」ということを感じて、その部位を活性化すれば… 僕の最愛の人がよく「無邪気さと美しさと混乱」っていう3つの要素を上げるんだけど、純粋で、歪みのない意識の場所から眺めてみると、すべての人の中に無邪気さ、美しさ、そして混乱しか見いだせないんだ。
もしかすると、これはこの祝日の間のちょっとした「知覚訓練」になる…貴重なことかもね。
サンドラ:私たちの次元シフトについてだけど。5次元への上昇とか…それとも5次元への意識拡張と言った方が良いのかしら。そのことを、「キリスト意識」と言ったりもするわよね。
あなたにとって、キリスト意識とは何を意味するの?そして、私たちはどうすれば…円滑に?もっともっとスムーズにそこへ入っていけるのかしら?
ロビン:君がボーデン湖の辺りのベンチに座ってゴミ箱を眺めていたっていう話が、すごく僕のインパクトを与えたので、それを持ち出そうと思う。その瞬間に、君の目を通して見ていたのはもはやサンドラではなく、キリストなんだ。
僕ら自身は、歴代受けてきた心理的条件付けにより、全てに愛を見出すことは出来ないが、僕らがすべてに愛を見出す時、キリストが僕らの目を通してそれを眺めている。 そして、僕らは自らの意識を整理して、明白さ、純粋さをもたらしていくことで、キリストの目を通して物事を見る、キリストの心を通して感じる、ということを学んでいける。 すると、この世が全く別のものに見えてきくる。 つまり、僕にとって「キリスト」とはある種の意識領域の表現であり、そこには愛がすべてに浸透しきっていて、誰もがそれを体験し、再度認識することになるんだ。
サンドラ:それでイエスはこう言えたのね。 「主よ。彼らを赦し給え。なぜなら、彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです」
ロビン:そうなんだよ(大きく頷く)
サンドラ:そう、だって彼には「無邪気さと美しさと混乱」が同時に見えていたわけで。(ロビン:その通りだ)
イエスは執着していなかった。彼はそれをただ感じ取るだけで、ジャッジすることは出来なくて… 感じ取りはするのだけど、差別はもうできない。 うん、そういうことね… 評価はしない、しかしとても愛に満ちた意識ということ。
ロビン:真髄だ。それこそ「僕たち」なんだよ。僕たちが心の奥底で「戻りたい」と切望しているところなんだ。 なぜって、僕らはジャッジして差別する度に、分離というものに苦しめられることになるからだ。ジャッジをすることで、分離を「演出」することになる。 ジャッジをする毎に、僕たちは自分自身から分離してしまうわけで、これには非常に大変でエネルギーを使い、消耗させられるし、心が痛む。よく観察してみると、そういうことなんだよ。
サンドラ:そうね。そして、内なるモチベーションは本来… つまり、誰かをジャッジする人というのは「自分は善行、あの人は悪行」とかいう分け方をしていて、自分は善側、つまり「愛」の側に立ちたいわけなのだけど、まさにそうすることで、そうなってはいないのよね。 境界線を設けるのではなく、自分たちをワンネスとみなすことで、「愛」が本当に顕れてくるのよ。それ以前は、敬虔さであり、善でありたい、愛すべき存在でありたいという願望でしかない。
私は去年、「“愛”なのか、“愛すべき存在”なのか*」というポッドキャストを配信したのだけど、 ワンネスの意識へ向かうためには、これは重要な区別だと思うの。
*【注釈】 ドイツ語で愛はLiebe(リーベ)といいますが、派生語として小文字で書いたlieb(リープ)という形容詞があり、日本語にはふつう「心優しい」「親切」「愛すべき」「良い人」と翻訳されます。サンドラさんのポッドキャストを訳者は以前試聴したことがありますが、liebがLiebeから来ていることを踏まえて深めてみると、このliebに込められた意味合いを更に深めることに。
ロビン:そう…そうだね、分離の意識、すなわち「エゴ」は、相手に合わせて親切、優しさ、愛すべき在り方を発揮することも学んでいるから。エゴは、それが思う愛の形を模写するんだ。
でも、僕は二元的、非二元的な愛について話している。非二元的愛とは本当にそれに尽きるので、全てが「どうであろうと構わない」。二元的愛とは大抵、僕らが分離の意識で生きてきたことで、結局常に「愛憎関係」となっていく。そこでは愛が「戦い」へとジャンプしていくんだ。すると、繰り返し…そう「愛しているよ」が「あなたが必要なんだ」、「あなたが欲しい」となり、そこに…二元性の張り詰めたエネルギー領域が出来上がる。それは本来「愛」という言葉で運ばれて欲しいものではない。
サンドラ:…そう。それってつまり「平和のために戦う」っていう矛盾と同じよね。何かのために戦うところには「敵」がいて、あなたはその敵を排除して、自分が「善」だと見なしたものに空間を確保しないといけない。そうすると、あなたの内面では常に警報が鳴り響いていることになる。「私の平和、私の愛は、いつまた脅かされるのだろうか」ってやつ。 そのようなエネルギーは、恋人・夫婦関係にも持ち込まれるわ。 私たちはそういうものではくて、単に愛を起源に生きればいいのに、多くの人たちは、その愛を護らないといけないって思っているから、そこに嫉妬が生まれる。誰かが彼か彼女をもっと素敵だと思ってしまうかも知れなくて。そのような意識から多くの病気も生まれている…その病気は「それは真の愛ではない」「それはあなたがここで生きるべきキリスト意識ではない」ということを示してくれているのよ。
ロビン:うん… 僕らには非常に特殊な宗教プログラムが与えられたからね。 そこでは、愛は何かに変容させられ、規則や戒律や規制や契約など、とても奇妙なエネルギ−領域へと引きずられていった。
そして、僕らが真に己に問うべきことは「もし、自分が善ではないのならば、自分は何者なのか」。 「もし、自分が自覚ある存在としてスピリチュアリティを追求する側ではなかったら?」 自分のことを「追求している側」とみなすことで、「そうではない人たち」が居ることを想定している。
こうした全てのことが、アイデンティティから洗い流されてしまい、二元的な区分モデルを採用せず、人生があるがままに簡単に受け入れたなら…それは本当に「マインドを超越したもの」へと自分を開くことになる。僕らの理性を超えたところ��。
サンドラ:…今日、私のスタッフに「“もし…だったら、私は何者なのか”という新しいシリーズをやろう」って話しかけたんだけど。 あなたが今、それをテーマにするのは興味深いことだわ。「手放した時、自分は何者になるのか」という話はインスピレーションとして非常に大事だと思うの。 「期待に添えなくなった自分は誰なのか」ということ。 もしくは、「誰かの期待を裏切って失望させたなら」とか…「もし、過去生の自分が誰なのか知らなければ、私は何者?」とか。つまり、もし「何かの土台に積み上げるのではなくて、今日から新しく“私”をやり始めるのなら」ということ。もし、私には全ての可能性が開かれているのなら、私は誰なの?ということ。
ロビン:「この世界と同化しなくなったとき、私は何者なのか?」 「自分の身体と同化しなくなった時、自分の過去とどうかしなくなった時、私は何者になるのか?」 「この役割をmもう演じなくなったとき、もう私が自分に隠れることをしなくなった時、私は何者になるのか?」ってやつだね。
いいね、うん。それらを自分に問いかけてチェックしてみることは、自分の内なる深淵へ向かう旅となるだろう。でも、チェックしてからだってまだ戻れるんだよ。「ああ、これは自分が望んでいたことじゃなかった」ってね。ある程度まで元のアイデンティティへ戻るかどうか考えてもいい。 でも、基本としてまずは「今まで同化してきたすべてを取り払ったとき、自分は何者なのか」を問いかけてみる。 自分についての観念や想念のすべてを取り去ってしまったとき、自分は何者で、何が出来て、この世におけるスピリチュアルな任務として何を叶えられるのか・ これまで信じていた全てを取り去った時に、自分は何者になるのか? すると、純粋で素のままで空虚となり、深めることが出来る。
サンドラ:そうすれば、自分がいま感じたいもので満たすことができる…高次の意識が感じてみたいもの。その時、あなたは杯となって、流れてくるものを受け取ることになるのよね。そして、それは私たちが自分を失うということでは全く無く、その逆で、私たちはもっと深いところで自分を見出すことになる。 自分を見失うのは、恐れるからなのよね。 「それら全部が自分でないならば、私は何者になっちゃうの?」ってね。 もう、今の自分ではなくなってしまったら、人それぞれ制限があって、ある人はスピリチュアリティに関してだったり、ある人は物質界での関係性だったり、何処かでまだ完全には手放せないのは、あまりにも大きな一部が自分から失われていくような気がするからで。でも、まさにそれがゲートなのよね…より深く自分を理解するための。
そして、これを体験したことのある人は皆… 私は自分の講座ではこれを「最大の恐怖ゲーム」と呼んでいるんだけど、そういうの、みんな知ってるわよね。 あなたが最も握りしめておきたかったものを失ったとか、もしくは“絶対に起きてもらったら困るもの”、それが起こった、それがやってきた時こそ、やっと識ることになるのは、「それでも私はここにいる」ということ。
私が信じているもの、私にとって大切なもの、私を支えているもの、私を維持しているもの、それらすべてを超えた何かがある。 私は何にも、誰にも依存していない。それは非常に深い気づきで、内省を通して達成することができるわ。もちろん、それを長い間やらないでいると、恐怖の影が濃くなって、ある時点でそれが顕在化することになるわけだけど。 でも、そんなときでも、私たちはその中にある贈り物を見つけることができるのよね。
ロビン:なぜ、恐怖がものごとを顕在化するのか、それにも意味がある。 顕在化されるのは、その恐怖から自分を解放するためなんだ。恐怖のシナリオを体験し、そのことに気付いたとして、人生はそれでも続いていく。 最大の恐怖が反映するもの、これは非常に貴重だ。
サンドラ:そうね…うん。 ねえ、ロビン、視聴者にもっと渡せるものはあるかしら? クリスマスを目前に、議題にするつもりだったことが、なんだかうまくまとまっちゃった気がするんだけど。(笑) 私がこのクリスマスと年始に向けて感じてみたところ、また大きなゲートが開くような感触があるの。何かを大きく招き入れるようなゲート、大きな可能性ね。
あなたから、何か言っておきたいことはある?きっと、あなたも何か感じているでしょう?
ロビン: うん… また、あの地球が揺れて地面に亀裂が入るっているイメージを取り出したいんだけど、 もし僕らの地球…つまり僕らが生活を構築してきた場所に地震が起きたとして、僕らは自分を深めるために、その亀裂に飛び込んだとすれば、僕らは己の奥からものすごく貴重な宝を取り出すことになるだろう。
そして、このような移行期、ちょうど年の境目、クリスマスや年末年始のようなときは常に、多くのことを引き裂くような内面的な地震を起こすこともある、と僕は感じている。非常に不安定になる反面、それは深め、身を委ね、手放す、という経験へと導かれることでもある。 そしてこれは、この非常に繊細な時期に、僕らが己の意識を深めていくように、人生が僕らを招待してくれている、大きなチャンスにもなる。
サンドラ:ありがとう。 …私にもイメージがわいたわ。 皆で地面に立っていると、いたるところでひび割れた地面が揺れていて、踏ん張りたくても踏ん張れないので、私たちは勇気を出して飛び跳ねてみようってなって。そうやって亀裂の中で飛び跳ねながら、私たちはみんなで再び手を取り合うの。 わかる?それこそがワンネスへの飛躍なのかもしれないわ。 新たなる“私たち”、新しい共同体。でもそれは自らの力で起こらないといけない。どこかのグループに加わったり、誰かに従ったりするんじゃなくて。そうするとおなじみの摩擦が常に生じてしまうわけで。そうじゃなくて、完全に手放すこと、人生そのものに完全に身を委ねることで、団結する新しい力の中に何かが新たに生じるのよ。 そして私の頭にこんな一文が浮かんだわ。「亀裂に気づいていない人たちにすれば、飛び跳ねている人たちはイカれているように見えている。」
ロビン:そうだね(笑)
サンドラ:これ、なんだっけ?何ていうの?カオン?
ロビン:? カオン? コーアン*のことかな? (*Kōan; 禅宗の「公案(問答)」)
サンドラ:コーアンだわ、ずいぶん長いこと聞いてなかったから。
ロビン:(遠くを見つめて考えながら)…うん、僕もちょうど、イメージで捉えようとしているんだけど。地球が割れたのに、亀裂が見えていない人たちがいて…だから、他の皆が何をしているのか全くしっくり来ていない。亀裂が見えていない人の不安感は如何ほどなものだろうか。飛び跳ねている人たちが居るのに?彼らは気が狂ったのか?何が起こったのか?とか。
その一方で、今この瞬間に起きていることへの深い信頼もある。人生が揺らぎ始め、人間関係が壊れ、人生の土台にひびが入り始めたのなら、「よし、今はこれを味わうしかない、今でなければ、いつなのか?」ってね。
サンドラ:そうなのよ。そして、あなたにとって今何が正解なのか、というのが考慮すべきことで、他の誰かが何をやっているのかじゃない。 これはすごく大事なことなので、繰り返しここへ戻らないと。他の誰かに耳を貸すんじゃなくて、本当に自分の心に従うのよ。 そして「これが自分にとっては正しい」と思うなら飛び跳ねるといい。
この一文は、確かニーチェの言葉の引用で、そこから転用したのよ。 「音楽が聴こえていない者たちにすれば、踊っている者たちはキチガイに見える」ってね。
それでね、私はみんなが踊ることを願っているの。傍観している人なんか、いないかのように、私たちは内なるものに突き動かされて、この祭日の間踊りながら、年を越すのよ。手を取り合ってね。
そうして、「(自分にとって)正しいこと」をするのよ。
ロビン:素敵だね…
サンドラ:今日は、こんな感じでいいかしら。 来てくれてどうもありがとう、ロビン。私たちの“音楽”を聞い“踊りたい”人たちのために、今回もまた、新たな領域を開くことが出来たと思う。
あなたにも、素敵な年末を。 また、近々会いましょうね、どうもありがとう。
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alaephoenicis · 6 months
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シルヴィア・スリョダーヤ・グルップ:2024年 ― 誰も予期しない転機が訪れる…明かされる未来
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オリジナル動画🔗https://youtu.be/BKvrlhfR56Q
和訳【ALAE PHOENICIS】
プレアデス人たちとのチャネリング
光の無条件の愛をもって皆さんと繋がっている空間からご挨拶いたします。 皆さんの多くは既に、外界のエネルギーが濃厚になっていることをはっきりと感じていることでしょう。 そして、多���の方はこの展開を不安に思い、外界の状況がエスカレートするのを恐れていることが、私たちには見えています。
今日は、来たる2024年に向けての重要なメッセージをお伝えします。 2024年は、世界が永遠に変容してしまう特別な3年間の、最初の年となります。
地球は今、あなたとともに激しい変容のプロセスを経験していますが、 あなたはそれをしばしば自身の身体で感じることで、自分は何か間違っているのではないかとか、自分はアセンションプロセスに参加出来ていないのではないかという気持ちが起こったりしています。 しかし、それは地球ではこれまでに無かった大きな周波数シフトをそうとしているとき、ネガティブなエネルギーを変換させてようとする集団を、あなたが助けているからなのです。
文字通り、これは古き世界からの解放となります。 地球上で目下起こされている困難や試練が表しているのは、あなたのせいだとか、あなたのエネルギーがネガティブだということではなく、今まさに変容変化へのピークが近づいている、ということなのです。
多くの人々は、現実というものが本当は何なのかをまだ理解していません。 彼らは、世界とは誰にとっても同じであり、皆が同じ経験を共有している、と信じています。 しかし実際には、誰もが自分の世界、唯一無二で個別の現実の中で生きています。
お互いに共通の世界を共有しているのだ、という考えをあなた方は創り上げています。しかし、あなた方の一人一人が自分バージョンの地球を創り出しています。文字通り、自分バージョンの宇宙を創り出しているのです。
現実というものは一つではありません。地球には無限のバージョンがあり、あなたの周波数、エネルギー、波動によって、あなたが経験できることが決まってくるのです。
すなわち、あなたの人生とあなたの経験は、他人の経験とは完全に切り離されている、ということです。
我々の光と叡智につながり、現実と自分がひとつであることに気づいてください。 あなたは自分で創り出した現実の中で生きているだけでなく、あなたがその現実であり、その現実はあなたなしでは存在しないでしょう。 あなたが認識しているその人生は、単にあなたが出くわしている出来事の連続ではなく、むしろ、あなた自身の創造、あなたの信念、あなたの思考、あなたの判断が生み出したものなのです。
しかし、今日我々が皆さんにお伝えすることの多くは、皆さんがそれを真に理解し、自己に統合させて、それを生きれるようになるまで、時間がかかるでしょう。
それはあなたの未来にどんな意味をもたらすのでしょうか?
今、多くの地球バージョンで大異変が起きており、それはあなた方の意識が完全に方向転換していることと関連しています。 そして、あなたの電磁フィールドも激変の最中にあり、ポールシフトや、自然災害という形で現れかねない地球のプレートの大幅なズレは、あなたが現在このプロセスの中にいるということを表していると言えるでしょう。 また、地球上で起こっている多くの戦争や破壊は、人々の意識エネルギーの表れ…自分自身の内面の葛藤や、自分を探し求めるあまり、完全に道を見失った人々のエネルギーが表れています。
だからといって、あなたがこうしたネガティブな体験の一部になる必要はありません。
すべての魂は、自分に最も役立つものを選びます。 だから、自分の方向性を明確に保つこと。 自分の心、内なる導きを信じること。 外側の混乱に影響されないでください。
共鳴することがなくなれば、あなたに影響が及ぶことはなくなります。 あなたは自分自身をもっともっと信頼するようになります。 だって、自分の真実は自分の中にあるのだから。
我々のエネルギーとつながっている人たちは、ポールシフトは経験しないでしょう。なぜなら我々には、あなた方がポジティブに顕現しているタイムラインがすでに見えているからであり、地球とその変容は、あなた方全員にとって今とても重要な自然のプロセスだからです。
すでに高い波動の中で生きている人たちは、こうした大異変による大きな悪影響を経験することはないでしょう。なぜなら、こうした大異変はもはや彼らの意識の進化に影響を与えないからです。 心の準備を… 否定的な考えやプログラミングへの愛着を解き放つ心の準備をしておいてください。
この、選択するという内なるシフトは、古い破壊的な観念から自分を解放するために、あなたが今行うことができる重要な転換であり、外側の誰もあなたからこの一歩を奪うことはできません。なぜなら、あなたは自分の人生を創造するだけでなく、自分の現在、さらに現在から過去を選び、またあなたが自分が誰なのかを決定する瞬間ごとに創られていく未来を選ぶことが、あなたの持っているパワーだからです。
古き世界の呪縛から自分を解き放ち、無力感や被害者意識といった低い波動の観念から自分自身を自由にすることを選んでください。
このような世界から離れること。 操られていると感じたり、自由でないと感じたりすることから自分自身を切り離し、このような経験をもはや選ばないこと。
なぜなら、我々がここで話しかけている新時代の人々は、ますます変化の傍観者、証人となっていくからです。 彼らは自身は激動に巻き込まれることなく、傍観者の立場から、人々がいかに古いパラダイムの混乱にとらわれているのかを識ることになります。
だから、これ以上この古いゲームに巻き込まれないこと。何が提示されようとも、恐れることはありません。破壊的な未来への恐れを捨て去るのです。 私たちにはそれは見えていません。
それよりも、外側の混乱にもかかわらず、あなた自身の内なる変化を受け入れる準備を整えてください。これがあなたの人生で最も重要なシフトであり、すべてを変えるからです。
我々はこの重要な3年間、あなたに寄り添っていきます。恐れることはありません。あなたには、特別な使命を果たすためにここにやってきました。そしてその使命を果たす強さと力があります。そして、我々はあなたがそれを成し遂げる手助けをします。
未来を選択するパワーを持っているのはあなた���人だけだからです。
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alaephoenicis · 7 months
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【翻訳】〈イーヴィ・カプラー〉黄金時代へ 〈3〉:タイムラインの相関関係 - 終末の創造主のコード
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オリジナル・タイトル&動画🔗:Auf ins goldene Zeitalter - Teil 3: Korrelation der Zeitlinien - Endzeit - Ur-Schöpfercodes
公開日:2023年9月18日
【和訳】ALAE PHOENICIS
 (最新情報➡Telegram)
イーヴィ・カプラーについて
イーヴィさんは透視能力をもって生まれ、「子供の頃から自分だけの世界で生きていた」といいます。年頃になると、母親に勝手に銀行へ履歴書を送られ、「これも道か」と従順に銀行員になって働いていましたが、並行してヒーラーとしても活動し続けていました。数年前に「自分の本来の天職に絞る」決心をし、銀行を退職。これまで20年間、エネルギー・プラクティショナー、意識トレーナー、透視ミディアム、エネルギー・ヒーラーとして活動してきた実績の持ち主。
はじめに
時期が訪れたアイデアほど強力なものは��い ヴィクトル・ユゴー
今日は私たちが移行してきている暗黒時代の終わり、この先どうなるのか、そしてここ数ヶ月がどういう状態であったのかをお話します。
タイムラインというものを通して、人はどのような影響を感じ、またその時点でその人物の心理面、微物質面、精神面、そして肉体的内面にどのようなプロセスが引き起こされるのでしょうか。
それは解放の時であり、私にとっては黄金時代への道を示すものでもあります。
生きる喜びを見出せないこともある地球を、私たちに押し付ける者たちの権力主張の終焉でです。これより皆さんを時空間の連続体へと旅へお連れしますので、一緒に大宇宙を駆け巡りましょう。
沢山の重要な情報があります。細胞の記憶についても触れます。
遺伝学、ある程度は後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてどの記憶空間が人為的に作られたのか、その背後にあるエネルギーは何なのか。私は、数千年前から繰り返されており、2023年以降に正真正銘のクライマックスを迎えることになる相関関係に踏み込んでいきます。
このすべては、いつものようにミディアム(霊媒)・コーチ兼エネルギー理論家の私の見解であり、あなたのハートに耳を傾けて、共鳴するかどうかを確かめ、共鳴するものだけを自分のために受け取ってください。
無意識空間の解放
そうです。私たちは、この時代に優れた助っ人、先見者、支援者となって、地球と宇宙を高揚させ、パラダイム・シフトを起こすためにここへやってきました。私たちはまた、思い出すため、つまり記憶を取り戻すためにここに居ます。
この文脈において、こんな素敵な言葉も:
「覚醒する」とは、自分が何であるかを捨てることではない。自分でないものを捨てるということだ。これは、まさにそういうことなのだ。
私たちは神聖な形ある存在であり、この居場所を占めるために非常に強力に密度を濃縮させました。そして、二元的世界観でいうところの邪悪とは、究極的には無意識にすぎず、邪悪とは常に分離の周波数です。そして人間は、そのプロセス、プログラミング、習慣の95パーセントをこの無意識の空間に保存しているため、そこに飛び込み、そこに含まれる感情、音、状況、すべてを覚醒した意識へと呼び覚ますことが重要であり、癒やしとなるのです。
ここ数年、私たちはこの凝縮された、そう、しばしば意識されない、そして忘れ去られた、あるいはカプセル化されたエネルギーをますます溶解させています。そうすることで、私たちは創造主のコードの中にスペースを作り出しているのです。私たちのブループリント(青写真)に反映されているオリジナルのクリエーターコードです。
タイムライン(時間軸)
先に話を進める前に、まずタイムラインから始めます。
というのも、ここ数ヶ月の間に、非常に印象的なことがここで起こっているからです。また、それがどのように発展していくのか様子を見ていました。というのも、地球の表面ではすでに激しい揺れやそれに関連した出来事が起こっており、直接に目には見えなかったかもしれませんが、非常に印象的だったからです。
まずは、皆さんもおそらく既にご存知の、タイムラインが何であるかを説明します。人間が宇宙的に多次元的であるように、タイムラインも多次元的です。
タイムラインは特定の周波数領域を内包しており、この領域を保ち、フレームに収め、枠組みを与える。このことを理解するためには、線形の時空連続体という思考からも私たちは離れなければなりません。
私たち人類の歴史において今後起こることはすべて、たったひとつのタイムラインに集約されます。説明としては、太陽光線が虫眼鏡の上で合流し、それが真ん中で焦点を結び始め、虫眼鏡の反対側に強力な透過光線として現れるのを想像してください。これらの小さな光線が、ひとつの大きな光線、ひとつの本質的な光線を生み出すことになります。そしてすべてのタイムラインは、この計画フィールドで合流することになります。つまり、地球という惑星の話なので、これは地球フィールドのことであり、その本質となるタイムラインが刻印されるということです。
過去と未来の統合 ― 「今、ここ」
私はよく、日常生活の中で、それほど本質的なことではない特定の決断が、タイムラインの変換を引き起こすことはあるのだろうか、という質問を受けます。本当によく聞かれるのですが、私ははっきりと「ノー」と答えます。なぜなら、それによってあなたの全体的な周波数が変わることはないからです。あなたは依然として全体的な周波数の中にいて、魂の計画と同様、別の道を選択するさまざまな可能性はあちこちにありますが、大まかなデフォルトは残っています。
しかし、私たちが過去のあるレベルにおいて非常にトラウマ的な何かを経験していることに気づいたとき ― だから私たちは「基本的傷・トラウマ」について語るわけですが ― 例えば、アトランティスの暗黒化の時代やレムリアの滅亡など、目立ったものを2つ挙げるとすれば、ですが…他にも全く別のもの、私たちの細胞の記憶から消去されてしまったために、もはや覚えていないものもあります。そうした記憶がまだ残されている場合、それは私たちの細胞構造と結びついて繰り返されることになり、嵐、洪水、火事、火山の噴火、そして私たちのこの時代に起こるあらゆる激変もそれと同様です。
自覚があろうとなかろうと、その時の記憶が存在し続けている限りは、それを精算し、過去と未来を再統合することを意味しています。あなたがそれを望むのならば、です。
過去と未来という現象は、「今、ここ」という時間の質を形成します。そして、“今ここ”というのは「現在」という瞬間に向いており、そこから私たちは微物質的な形態へと拡張していくのです。あらゆる時間、あらゆる空間へと。
そして、ますます多くの人々がそれを活用するようになっているので、とてもエキサイティングです。今まさにエキサイティングな時であり、過去の高度な文明にあった純粋な演出を信用するのであれば、すでに別の時間レベルでこれを経験しているため、私たち自身の感覚、感知、行動の中に、その最初の証を得ていることになります。
タイムラインの相関関係
以上のプロセスは、私たちの青写真から濃縮されたエネルギー的パケットを放出するので、私たちの「身体-魂-精神-システム」にとって非常に重要でもあります。つまり、非常に素晴らしいことが物理的なレベルでここでも起こっており、すべての形而上学的身体における統合が肉体を超えて広がっているのです。
ですから、ダウンロード・コードは太陽といった外側からだけではなく、むしろ自分自身の内側からも受け取っており、それはタイムラインの重複があるからで、これによって情報が形態形成フィールド(morphogenetic field)に入り、意識に統合的に固定され、私たちの青写真を通して作用する、となっていることが想像できます。
つまり、私たちはつまるところ "意識 " であり、ここで私たちはますます多くの情報を得ることになるのでワクワクするわけです。だって、微物質的な世界(スピリチュアリティ)は私たちから切り離された存在として知覚されるべきものではなく、私たちの現実の一部を形成しているのだということに、ますます多くの人たちが気づいているからです。
この情報を統合的に知覚することは、心臓のトーラス・フィールドを介して起こります。これはまた、私たちのハート、直感、ミディアム的なチャンネルや能力が相互作用し、心臓トーラスを介してさらに多くの情報を吸収できるフィールドを作り出すということでもあります。
そう、そして春から夏にかけて、私の認識ではもう一つのタイムラインが加わりました。今までは、そのタイムラインは分断された形で浮遊しており、そのタイムラインとつながりのあった存在だけが記憶空間や情報と接触していました。そしてこのタイムラインは複数の魔法的なレベル(層)とも関連しています。これは神話の世界と同じで、既におとぎ話、物語、伝説、あるいは魔術のような物語形式を通して、無意識のうちに私たちみんなの中にあったし、儀式のようなものも用いてきました。しかし今では、異教的なものからギリシャ神話やケルト神話の神々、そしてこれらの諸世界に至るまでのものが、ある周波数をこのフィールドにもたらしてきているのです。
また、そこには1297といった非常に神聖な数字の組み合わせもあり、魔法レベルに関する限り、例えば3、7、12といった数字もあります。これらはほんの一例です。しかし、これらの周波数はいまや私たちの既存のタイムラインと連動し、そのために多くの情報がここで明らかになったのです。
この件に関しても多くの方からご連絡をいただき、いろいろ出てきたことについてその都度話し合うのはとてもいい刺激になりました。
タイムラインの統合
それは、私たちにとって何を意味するのでしょうか?
とても並外れていて、とても感動的なものになることでしょう。なぜなら、特に神々のテーマ、領域、中間世界、冥界、そしてアストラル層は、繰り返し我々のいるこの場所に登場するわけです。私はアストラル層は第4のネガティブ密度だと見なしているのですが、この層と契約関係にある人々の夢の中にも飛び込んできて、記憶空間を開いてくれます。
そして私がいつも言っているのは、意識の旅をすることですが、アストラル層を旅するのは控えめにしましょう、ということ。なぜなら、アストラル層にはあらゆる物体が行き交い、喘ぎ声がしてジメジメしており、時には必ずしも私たちに役に立つとは限らないエネルギーも付着するからです。持ち帰ってきた魔法のレベルは、しばしばエネルギ―的な攻撃のように感じられる落とし穴となることもあるのです。
ここでもまた、転生してきた中でいつか締結されたことのある非常に古い契約が関係していて、このタイムラインはそれ自体が結合したため、それが突然再び露呈したのです。そして、ルシファーのレベル、つまり暗黒のレベル、そしてアストラル契約を繰り返し消去して、これらから自由になることを私はお勧めします。誰もが自分自身のために、これを実践することができます。
この攻撃はどのように感じ取るものなのでしょうか?あるいは、突然、呪いに対処しなければならなくなった時、何が起こるのでしょうか?
呪いには非常に微妙なもの...さまざまな種類と影響のレベルがあります。何かが強迫的だと感じるときはいつもそうです。何かが依存対象になったり、繰り返し考えるようになったり、典型例としては恋に落ちたり、身体的な症状が非常にはっきりしてきて、過去の何かを思い出したりするなど。
これらはすべて、…私に言わせると「広範囲に渡るエネルギー的な攻撃」であることを示しています。
そして、これらの全ては切り離すことができるし、あっという間に消えてしまうことに気づいてください。これらの古いレベル、周波数、時空間を再統合することなのです。
私たちが創造主の意識に戻り、自己啓発に戻り、回想に戻り、そして何よりもハートに戻るのは、それが神的存在がもっている能力だからなのです。
宗教の狂信性は解消されることが望まれています。ここでも、何かが癒されたがっているのです。一人一人の中で。
私たちの知る宗教とは、非常に全体主義的なものです。特に初期の時代には、さまざまな神々が存在し、生け贄の習慣があり、人間の生活には合わない儀式があり、強制的に行われてきましたが、ここでは人の生命はあまり重視されていませんでした。そしてこのタイムラインが統一されることで、全人類に癒しと再統合、そして何よりも変革がもたらされることになります。
これは私たちにとって絶好のチャンスだし、そう思っていて良いのです。
創造主の力
私たち自身の中には創造主のレベルがあり、そこから他の特定の事例と結合することなく、すべてを変化させることが可能です。なぜかというと、セルフ・エンパワーメントを活性化し、輝きは自分の中で光り、燃え、輝いているのだと気づけば、私たちは何でも創造し、何でも変えることができ、ビジョンや夢を生きることができるからです。
私たちのささやかな行動のすべてが、大局に影響を及ぼします。常にそうであり、だからこそ私たち一人ひとりは価値があり、重要であり、またこの時代に必要なのです。
そしてもし、今はまだ魂の課題への準備が出来ていないと感じ、それでも自分にはここで果たすべき課題がある、とあなたが知っているのなら、自分が喜びに思える感覚に従うこと。身も心も軽くなるようなことをするのです。なぜって、私たち一人ひとりに才能と贈物が備わっているのだから。
これらは今、姿を現しつつあります。これらは顕在化しつつあり、そして私は、あなたが100%の創造力を発揮するよう促したいのです。これは、単に自分の創造力をフルに活用しようという意図だけで、往々にして起こることなのです。
そして、こんな美しい言葉があるので、皆さんにお伝えしますね。
神聖なる青写真において、次に私が踏み出すべき完璧な一歩を、はっきりと明らかにしてくれたこと、そして、この青写真を顕現させるための創造と実現に参与するための手段、そして最適な人選を与えて下さったことに、感謝いたします。
遺伝学、後成遺伝学、DNA
遺伝学、後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてDNAの12本鎖について簡単な説明だけしておきます。
私たちのゲノムは、細胞内に存在するすべての遺伝情報を含んでいます。遺伝学は遺伝の理論を扱い、ここではDNA、そして突然変異による変化も同じく中心的要素となります。そして私たちは、DNAの12本の鎖が微物質的に私たちの中に配置されていることを知っています。
多くの人において、さまざまな鎖がすでに紐解かれています。そして、後成遺伝学は、環境の影響と遺伝子との連結部位であると考えられています。つまり、どういう状況でどの遺伝子のスイッチが入るか、あるいはいつまたスイッチが切れるかを判断するわけです。
この観察も非常に興味深いものです。というのも、私たちの医学的な知識にはかなり歪みがあり、それが遺伝情報にまで及んでいるからで、これに対する関心は非常に高いのです。
何より、ここに変化を起こすため…だって私たちはこの暗闇の終末期にあって、黄金時代へと向かっているのですが、ここに来てまたもや錯覚が用いられ、人類のDNAが変化しないよう、特定の医学的手段で妨害しようとしているのです。
一方、ジャンクDNAについての知識も話題です。そして脳のこの5%の能力もまた、現在では広く流布しています。そして、多くの人々に、さらに多くの配列がすでに発見されています。
つまり、より速く移動し、何かがより目敏く近づいてくる、もしくは遠ざかっていくことをいち早く察知する人たちがいる、ということで、それは彼らの透視能力とDNAの配列のせいでもあります。
私の心からの願いとは:このようなプロセスを何とか迅速に進めるために、自らをもっと支援するヒントとしてできることは何でしょうか?
まずは太陽が中心的かつ重要な要素であり、太陽で自分をチャージし続けること、太陽に向かって瞬きをすること、皮膚や光線を通して太陽を吸収��ることです。太陽はもっと大きくてパワフルなツールで、ここで私たちと相互に働き、私たちをサポートしてくれる。だから、それを第一に考えるなら、私たちの細胞を物質的・微物質的な汚染から清浄に保つことも重要だと言えます。
解毒、良質な水、良質な食べ物、そして何よりも良質なエネルギーがテーマとなります。私たちは何と向き合っているのでしょうか?この間、多くのコンピューターゲームや携帯電話の周波数、特定の映画や広告などを通して、場合によっては異質なエネルギーが伝達され、それが私たちの中に充満することもあります。つまり、これらすべてが私たちからエネルギーを吸い上げているのです。しかし、私たちが何かを吸収し、それが私たちの身体-魂-心のシステムに蓄積され、それがそこに相応しくない場合、それは一種の異物のようなもので、外に出さなければなりません。だからこそ、きれいな浄化、アルカリ性の入浴、そしてもちろん精神的な解毒、言葉の衛生なども必要で、これらすべてがこのパラダイムシフトをサポートしてくれるのです。
ライトランゲージ − 原初の響き
私たちを創造主のコード、私たちの原初的創造主へと導いてくれるのは、実はサウンドなのです。原初の音色、原初の周波数の響きです。
私たち一人ひとりが自分の音色、自分の言語を持っていて、それを通して細胞の意識の中で何かが再活性化され、そうすることで、私たちは精神的、スピリチュアルなレベルで成長することができるのです。 そしてそれこそが、今の時代の私たちにとってものごとを把握する能力を持つ上で重要なことなのです。
同じように素晴らしいことは、私たちの身体との対話です。身体というのは、物理的に凝縮された最終的な構成要素であり、動くことを必要とし、私たちの身体もまた、自分自身を鍛え、自分自身を感じ、それによって力を解放する必要があります。だから運動は、ここでの健康を維持するための中心的な要素でもあります。それから、自分がどんな適性を持っているかも見てください。一方、DNAがより多くの配列を発見しているため、まったく異なる方法で創造の領域とつながっている子供たちもいます。すると、植物の世界や他の微妙な世界との対話、言語があることも観察できます。言語とは、まず言葉による表現で成り立っています。しかし、私たちは実にさまざまな方法でしゃべることができるし、言語の混同というテーマを思い出せば、最初から言語はあったのです。
これについては以前、とても興味深い動画を作ったことがありますが、YouTubeではもう見ることができません。
私たちは今、テレパシーで物を投げたり返したりすることができるのです。私たちはテレパシーで物を動かす能力を持っている。動物やペット、あるいは私たちの周辺に居る動物と触れ合うとき、テレパシーで呼んでみると、動物がそれに感応していることに気づくはずです。つまり、この先の展望として、そしてもちろん対人関係において、このレベルではすべてのことがすでに起こっているのです。
最後に
親愛なる皆さん、関心を持っていただきありがとうございます。心から感謝します。私たちは、これから起こることに備えているのだ、という自覚を持ってください。
私たちはとても大勢で、私たちの自由意志、目的意識、それに伴うすべての行動を、この意識のシフトに向け、自分のハートの呼びかけに従って良いのです。
ここにいてくれてありがとう。
ハートからハートへ
あなたのイーヴィ
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alaephoenicis · 8 months
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、それまでの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
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アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
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サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝えられる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、どうすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて普遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くてスリムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせいぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは���おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに見立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンティティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛。
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の���を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
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指図を受けて、うつむくサンユ
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しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
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ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェンダ2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war(戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなものを指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛の流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
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愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行動を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私にはわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと。
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑���大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そ��て今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望むのだろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味する。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放さなければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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alaephoenicis · 9 months
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ヴァネッサ・ガーボル:第5次元 | アルクトゥルス人 | チャネリング
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オリジナル動画:https://youtu.be/iqP_o8IxLh0
公開日:2023年7月15日
【和訳】ALAE PHOENICIS (Telegram)
★★★
今回はVanessa Gabor さんによる、アルクトゥルスからのチャネリング内容を和訳してお届けします。
ヴァネッサさんは、ドイツで霊視を使ったカウンセリングをしている方です。
★★★
今日は、アルクトゥルスから「愛」というテーマを伝えて欲しい、ととても強く話しかけられました。
「そんなこと、もう自明なんじゃ?」と私は答えましたが、彼らは「いいや、全く自明じゃないですよ」と返してきて、あなたが愛と繋がりやすくなり、愛を統合し、愛で生き、愛の中に存在し続けるにはどうしたら良いのか、説明したいというのです。
私の体験からしても、それは簡単ではありません。なぜかというと、皆さんは過去のことを思い起こしたり、未来はどうなるのだろう、新世界はどうやって変換され、構築されていくのか、などと考えてしまい、その時大抵は不安も感じているので、そのような質問を私もよく受けます。
アルクトゥルス人はそれを知っています。そして、彼らは地上に来ています。時々私は、彼らが人間としてここに来ていることを感じることがあります。彼らは非常に寡黙で柔らかい物腰をしており、目立たない人たちです。
これから私は彼らと繋がって、皆さんへのメッセージを届けたいと思います。そして、皆さんがこのメッセージを受け取るためにここへ来てくださったこと、そしてもしかするとこれを他へシェアしてくださることに感謝申し上げます。また、あなたがこの道を歩んでいることにも、感謝します。なぜかというと、そうでなければあなたがこのメッセージを聞いているはずがないからです。
……チャネリング
ご挨拶申し上げます。我々は人類の中にいるアルクトゥルスから来た者たちです。
人類の中で私たちは静かな存在ですが、非常に愛情深くもあります。内面は愛に溢れていて、愛を放ってもいます。
どうすれば、あなたはもっともっと、愛の中に居られるのでしょうか。それはあなた方がこれから脱しようとしている昔からの経験からくる思考と関係しています。その昔からの経験とは、無力感から来る恐怖に彩られており、あなた方はもう絶対に操られるのは嫌だと感じています。「愛」を掲げて操られるのも嫌なのです。
あなた方の最大の恐怖とは、愛を掲げて何かを要求されることで、操作されているという感覚になることです。あなたにそのような感覚があるか、確かめてみて下さい。
愛とは何を意味し、何が実は愛ではないのか、このことを沢山経験してきましたね。しかし、愛されたい一心で、子供だったあなたは操作に甘んじてきました。愛されたいがために、あなたは合わせてきました。愛されたくて、あなたは自分を否定してきました。そして、それはまだあなたの中に引っかかったままなのです。
愛とは、完全な自由のことです。愛は、あなたに何も強要することはありません。愛とは、単純にそこに存在している「状態」であり、あなたはその愛と繋がりたいと決断するのか、それとも繋がり方の手引を必要としているのか、それだけです。
これは、外からの評価とは関係のない、あなたの自己愛と、自己への価値評価がテーマだということです。
あなた自身の心の中へ入り込んで感じてみて下さい。今、あなたの中に含まれている、光も影も、その全ての面を合わせてあるがままの自分として愛せてますか?
受け入れる、ということが最初の一歩です。
感謝とは、あなたが自分自身をあるがまま受け入れるための、更なる一歩となります。
受け入れる、ということが愛なのです。
もう戦わなくても良くなった時、ただ今あるがままの自分で存在しているだけで良くなった時、あなたはどんどん愛の中へ入っていきます。
「そんなの難しい、私には出来ない」
自分自身をジャッジすることを辞めるのです。自分を貶めるのは辞めるのです。「お前なんか取るに足らない存在だ」と、誰があなたに言い聞かせたのかはどうでも良く、それは真実ではないことに気づいて下さい。
真実とは、あなたが源泉と繋がっていること、源泉からやってきたことです。その源泉が生命なのです。そしてその源泉はあなたをどこかへ行かせようとしているわけではなく、あなたという魂はいろんな体験がしたいので、あなたの生命は魂に向かって「私はこの人生で“愛であること”はどんな感じか体験したい」と語りかけます。
大事なのは、3次元世界から降りるのだ、ということをあなたが知っていることです。「欠如の感覚」から降りるのです。自己愛が、欠如の感覚を解消してくれます。
あなたはずっと穏やかになり、落ち着きを得ます。
自分のことを面白がって笑えるようになります。
この一歩は、新世界への一歩となります。
そして、この新世界は愛で出来ており、あなたの内側にある叡智で出来ている。新たな叡智が覚醒し、成長し、あなたはメッセージを受け取る波動を感じるようになり、何が正しくて何が間違っているのか直感的にわかるようになっていきます。あなたにとっての真実にしっくり来る感触、自分に合っている人たちの輪にしっくり来る感触を得られます。そうやって、あなたはもっともっと「愛」というもの、そして「愛と共に存在する」ということを信頼するようになっていけます。
「ただ単に愛するだけ、とはどうすれば良いのか」ということについて、疑問がありますか?
「愛する」とは、あなたが自分の周りで起こること全てに納得出来る、ということではないのです。愛とは、一歩下がって「他人はなぜ、あんなことをするのだろうか」と、その人をジャッジすることなく感じてみることなのです。愛とは、もう相手をジャッジをしなくなり、ただ証人になること。あなたの方は、相手の状況をジャッジすることなく、自分の内なる感覚をもって「自分自身にとってはこれは正しい」「自分自身にとってはこれは調和しない」を感じ取ること。
愛とは、目をそらし、無視することではないのです。
愛とは、全てを観察し、あなたは自分自身の焦点をどこへ合わせ、自分の感情をどこへ向けるのかを決めること。あなたの中に何が起こり、それをもって自分は何をするのか。
その世界で何かが起こることで、不快な気分になることもあるでしょう。自分の中に起こる怒りの感情もジャッジしないで、今顕れてきた怒りを受け取ります。あなたは人間であり、聖者ではないのだから、揺れたり腹が立ったりするものなのだ、と常に心得ておいて、状況を感じ取るのです。そして自分の中で怒りの感情を留めるのではなく、通り過ぎるようにして下さい。自分の感情に「イエス」と答え、息を吐きながら手放します。
これが、「愛」とたくさん関係してきます。「あるがままを受け入れる」ということ。「単純にそこに顕れてきたもの」に対してあなたはどうするのか?それに刺激されて、自分はどのような「愛」をもって新しいものをクリエイトするのか、試されています。それとも、昔からの何かが示されていて、「手放しなさい、それはもうあなたの役には立たない」と言われているのかも知れません。
我々アルクトゥルス人が、あなた方に神聖幾何学を渡したのは意味があります。あれら円形や三角形、四角形と向き合ってみて下さい。ピラミッドや八面体もです。これらの図形が、何の助けになっているのか感応してみて下さい。どんな意味があり、何につかえるのか。これらにはたくさん援助となるものが込められています。あなたの身体も、これらのいろんな図形から出来ているのですよ。そうして、あなたの魂が宿っている身体も、それ自体が存在なのです。ただ、あなたは自分の身体に、神聖になるための情報を与えることが出来ます。
あなたが禍に焦点を当てる程... どこかが痛い、あるべく機能を果たさなかったり、関節がきしんで前のように動けなくなったり、老化現象を嘆くとか... そうではなくて、歳をとることを愛するのです。あなたが身体に愛を送れば送るほど、老いはその重さを失い、「老い」という暗号は解けていきます。
そこに座って、「親愛なるアルクトゥルスの方、私の身体のこの部分を癒やす暗号となる数字がほしいのです」と言ってみて下さい。
数字というのは、エネルギーを上手に運んでくれます。
あなたの中を「愛」が通って流れるようにしてくれる補助は色々あります。
そして、ジャッジしたり、決めつけたりせず、「感じるもの」を単に感じてみる、ということをどんどんやってみて下さい。
知覚し、感じ、そしてそれをもってあなたが何をするのか、決める。
これが「愛」です。
「感じる」ことが「愛」です。
あなたの思考を「感じる」ことを学ぶのです。
���私の中に起きたこの思考は、何を引き起こすのか」。
「それは賢明な思考だろうか。これをもって新しい何かをクリエイトしたり、新し才能を磨き出すことが出来るのか」それとも「それは、自分の威力を愛することを抑制し、阻止し、怠らせようとする思考なのか」。
「愛」とは、自分の威力を浄化しなさいということでもあります。
そうした威力に、あなた方は恐れを抱いています。実は、あなた方は全力で「心」を起点にすると、ものすごい威力を発揮し、あなたが心の何処か隅っこに隠していた愛を展開して放射します。
今こそ、「恐れ」ではなく、「愛」が変化をもたらす時が来たのです。今こそ、「愛」が次なる一歩を示してくれる時が来たのです。そして、告知されていたように、既存の状況から脱するのが難しくても、それを楽にさせてくれるようとしています。
状況を変えていくには、それを楽に受け取ることで、変化に向けて適切な刺激が与えられます。
選択するのはいつもあなた。愛を選ぶ、明らかなもののか、選ばないのか。それもあなたの自由意志です。我々がここに来ているのは、この愛のフィールドを保持し、安定化させ、外側へ放射されるようにするためです。
そして、愛とは往々にして静かなので、だから、あなたは自分の心の中にある小さな愛の声に耳を澄ましてみて下さい。愛は大声で騒いだりしないし、戦うこともないのです。
愛は顕れくるもの。愛は示唆するもの。愛は澄んでいるもの。そして、愛は、その人の選択を尊重するもの。
もし、あなたの周囲で過った道を選んだ人がいたなら、その選択に敬意を持って下さい。彼はもう何周かまわって、もっと経験が必要なのです。ジャッジをしないで、「こうやって、こうした方がいい」などと説教などはしないこと。
もし相談されたら、あなたの経験を話して上げなさい。あなたがあなたの道程で、どうやって自分への愛へと進んでいったのか。あなたが自分に対してどんな努力をしたのか。その時あなたがその道を進む中、どんな経験をしたのか。
そして、他人が彼に与えたものから、彼が自分にとって良いと思うものを受け取っていくであろうことを信頼するのです。
愛とは、その人が行こうとしている道を、行かせてあげること。
歩み易くなる助けになるようなプレゼントしてあげるのもいいでしょう。
しかし、どの道を行くべきか、説得しようとする、これはもう愛ではありません。
愛とは「させてあげること」「あるがままで居させてあげること」「発展させてあげること」なのです。
あなたの場合でも、他人の場合でも。
すると、あなたはどんどん「愛のフィールド(エネルギー領域)」へと入っていきます。そこには、魔法があり、軽やかさがあり、喜びと感謝があり、人生への信頼がどんどん深まっていきます。
私の背後には、木があります。この木は遠慮なんかしていません。ただ、光に向かって伸びており、毎年より大きく強くなっていっています。
だから、太陽の光、愛の光を使って成長・拡張し、空間を浄化し、あなたの道が照らされていくようにしましょう。
我々は喜んで、あなた方を支援していきます。
アルクトゥルス人より
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alaephoenicis · 10 months
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ロビン・カイザーにインタビュー
ほぼ完璧な欺瞞:真実はいたるところで180度ひっくり返されている!
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オリジナル動画:https://youtu.be/yEyLP9vHdds
公開日:2021年2月4日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
インタビューア:フェリックス・ヴァン・フリーデン(F)
F:ロビン・カイザーは著作家、心理学士、セミナー講師。
F:現在、我々は魂の闘いの中にある。人類は、悪くすると人工知能に利用されてしまいかねないという方向へ進もうとする“快適さ”の中にある一方で、霊的な覚醒プロセスの中にあり、もしかすると新たな次元に連れて行かれるとも。このゲームのどの当たりにいるのか、推し量るのは難しい。君にはどのようにみえている?
R:これらは互いに織り込まれあっているので、推し量るのは難しい。これが光の集団の道、原初的な道だ、という明確なものはない。
これらはスペクトルの中にあり、自分の道がどこに始まり、内的な部分、つまり自分の魂が何に共鳴するのかは、各自で見つけなければならない。
「魂の闘い」というのを、僕がある文脈で多少挑発的に述べたのは、多くの人が未だに、これが金の問題だと思っているからだ。
しかし、金は目的の手段でしかない。
究極の目的は、霊的存在である人類の進化路線がある特定の方向、即ちテクノロジー的な方向へ進ませようとすることで、この方向性はある段階からは、魂が本当に後戻りできない道となることを前提としている。技術化が進んでいくある段階から、人類の内的生活というのが死に絶え、転生を含めた正常なサイクルの実現が不可能になるだろう。
それが、テクノクラシー、永遠の生命といった、私たちの生物学であるすべての自然の法則に逆らうシリコンヴァレーの目標だ。
F:今、君は「光の集団」といったが、まだ用語ははっきり決まっていないようだね。君にとって「光集団の世界」とはどのようなもの?
R:光集団の世界とは、我々が目前にしている闇集団の世界の対照となるプログラムのこと。闇集団の世界とは、暗くて重いエネルギーを駆使した権力と圧政の世界で、今はゲーム全体が、“みなが幸せでスピリチュアル”といったオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」さながらの方向に変換されようとしているけれど、それは依然として同じ圧政の形態となっている。つまり、光集団の道というのは、最終的に我々を至福へ導いてくれるものではなく、これまであった酷い抑圧メカニズムによって稼働されていたシステムを補填するもの、そこではこれまで我々が不満に思うこと…今日では「感情」と言われるものを人為的な誤作動であるかのように扱っているシステムへの変換だ。
多くの��来的描写において、人々がその触れることになろう現実というのは、あらゆる感覚のスペクトルをもった人間の内的世界はひどく人工的に上書きされ、我々は単に機能しているだけになり、そこで我々は苦しんではいない。我々は何も感じていない。つまり「生きている」の逆の状態となる。
F:そこで混乱するのは、例えば様々な流派では、“悟り”を開いた状態の者は、君のいうようにそのようなネガティブな感情を持たなくなる代わりに、別の感情がやってくると宣伝されていて、それは部分的には正しいはず。
君はどう思う?エソテリックというか、この「黄金時代」が約束されているニューエイジ・ムーヴメントが…黄金時代というのも、やっぱり光集団の用語から拝借したのかもだけど(笑うロビン)、みんなが黄金時代だと話している。
R:最高の次元と君との間に、何らかのレベルが介入している間は何かが違っている、ということなんだ。
我々はそこに行き着こうとしている。君と神、それだけでよくて、誰も君と神の間を仲介する必要はない。
そこで、光集団というのは、またもや “グル(師匠)” とか “仲介役” であり、そこには実際非常に密度の発達した種族がやってくることもあり、非常に美しい言葉使いと高い振動領域を開いてくれたりしている。しかし、直接に繋がれるように援助してくれるわけではなく、我々の根源を把握することになるような地球上におけるとても単純で自然な生活も、当然推進されてない。
高度に発展した流派などを観察していると、彼らは目立って痕跡が残るようなことはしない。
そこで、人類は長い間、自らの内的世界で活動することを忘れてしまい、その能力を外的世界へと投影し、外界に巨大な都市設備を建設していった。そうして外側へと投影することで、自分自身と繋がる道を失ってしまった。
F:我々よりもより発展していたとされている、はるか彼方の文化は、形跡を残さず生活していたらしい。なんの形跡も残っていない、という話に繋がるのかな。
R:もちろん。物質的なところに形跡をさがすから、見つからないんだ。エネルギー的なレベル、アストラル領域には、すべての昔の文明は保存されている。しかも、非常に強烈にね。だって、かれらはそのレベルでの活動の仕方をちゃんと知っていたんだから。しかし、今日の科学のように盲目で、物質的レベルでいくら探そうが、物質的に何かを顕現させようとしていなかった種族の形跡など、何も見つかりはしない。
F:その形跡というのを見るには、アストラル界に入って探索するとか、何処かで読み取れるとか?
R:(笑)そんな、探索の旅にでなくても良いんだ。アストラルのレベルには、我々はアストラル体で繋がっているので、今この瞬間だって、アストラル・レベルからの情報は得ることが出来る。
我々は、この多次元的な身体システムを使うということを忘れてしまってるんだ。身体においても、こうして物理的なところにすべてを投影してしまった。我々はすべての情報を肉体という知覚を通して受け取るので、それはそのレベルしか関連してこない。その間、他のすべて、つまり感情体、アストラル体による知覚を通して別のレベルから情報を受け取っている。
そして今は、内面的変化が鏡の機能として外界に示される時が来たんだ。
F:その神という宇宙知性の源へ還るという道のりにおいて、例えば天使とか、地上に降り立って道を示し、この分野に大きな変化をもたらしてくれる偉大なるマスター等といった、仲介役が居たのではないか?
R:そういう存在は確かにいた。そのために僕もここに居る(笑)。
それは常に、どういう形の手助けかによる。スピリチュアル分野では、沢山の人が善意のサポートを提供しているんだけれど、依存関係へと誘ってしまい勝ちだ。スピリチュアルな師が場所を提供するという王道は、もう期限切れになろうとしている。なぜかというと、誰もが再び自分自身で繋がる道を開こうとしているからだ。
例えば僕は、アストラルトリップで自分が何を体験してきたのか、誰かに報告したいとは思わない。それよりも、どうすれば、他の人たちも自分でこのトリップを体験出来るようになるのか伝えたい。それはすべての分野に言えることで、誰もが自分にもそれが可能だと気づくこと。他の人はもっと開き具合が強いかも知れないが、自分でも出来るのだ、と。
F:マスターの元で伝授を受けられる宗派に通うとか、これまでそういう時代だったわけだけど、誰もが直接的繋がりを求めるようになるという、この新時代が始まったのは、何時頃からだと思う?
R:そちらへ導くような集団としてのイベントが催されてきたりしたけれど、基本的に移行は流動的なもの。システムが稼働しながらシステムシフトを起こしている。もっとも重要だったイベントは70年代末のハーモニック・コンバージェンス(調和的収束)で、その後2012年に起こったこと… まあ、外界で起こっていることを観察していれば、今が「熱い時代」であることに気づくはずだ(笑)
F:この「熱い時代」に、光集団の世界が更に発展し、確固たるものにされていっているように感じるんだが、君は並行したタイムライン、並行した発展があると言ってたね。しかし、僕の時計が進めば他の人の時計も進む、これをどう説明する?
R:そう、“時刻”というものはある。しかし、人類はまだ“時”というものが理解できていない。なぜかというと、まだ肉体的な現実を超越して、敢えて眺めてみようとしたことがないからだ。
もしかして、君は昔繋がっていた人たちと、ありえないほど人生が変わってしまい、全く共通点がなくなっていることに気付いたことは?彼らは君が共鳴できる領域から外れてしまっていて、君も相手も、互いを思うことがなくなってしまっている。その感触はどんどん強くなり、いつしか互いに異なった現実の中に生きるようになる。君をとりまくものは、彼らのそれとは全く異なったものになる。
我々は自分たちが一つの集団として、皆にとって共通した世界が存在するということを信じてきた。しかし、これを信じるのをやめて、もっと深く覗き込んで、自分が多様な現実バージョンをずっと通りながら動いているということを感じ直していいんだ。それはタイム・クウォリティとも大きく関係してくる。「時刻として過ぎ去っていく」数量的なものではなく、どの時間もエネルギー的なクウォリティと共に在るので、人類が時間を線状に捉えるのではなくて、その質として感じ取れるようになれば、世界全体が揺るがされることになる(にっこり)。
F:今、興味深いことに多くの人にそれが起こっていて… 去年からずっとそのプロセスの中にあって、「昔は良かったのに」と以前の世界を取り戻したくなったり、別の現実へ行ってしまった人を自分の呼び寄せようとしたりしているけど、上手くいかないんだ(笑)
R:(笑)…誰もが、自由意志を持っている。
「他人を自分の現実に引き入れて救おう」とする人は誰でも、「自分の方が良く分かっている」という理念の中で生きている。しかし、それをいったん完全に手放して、「誰もが自由意志を持っているのだから、本人が自分でこうしたいと思うことをするのが最善」と言えれば受け入れられることがある。例えば、コロナが怖くて注射が打ちたくなる人は、「注射というのが不安を抑えてくれるものだ」という現実の中で生きているので、その人にとっては接種は正しいこととなる。例えそれが、事実上・物質的にもその人の内面を鈍重かしていくものであったとしても、だ。
誰であっても、その人の自由意志は尊重すべき。情報は渡しても良いけれど、情報というレベル、ファクト・レベルは学問の世界と同様で議論は尽きることがない。なぜかというと、是非は常に問われ続け、すべてに実例がある。かろうじて、誰かをボートに誘えるとすれば、自分と相手の心の繋がりをもってしかない。相手が心を開いてくれるか、くれないか、だ。
F:では、いま本当に人類が自分を浄化させ、高次の叡智と直接な繋がりを得る道を進むことは可能なのだろうか?(ワクチンを)無理強いされることは無いのだろうか?並行して、守られているのだろうか?
R:間違いなく。誰とて、神聖なものと繋がっているなら、その神的な「自由意志」から、自分の欲するものを述べることが出来るなら、その者の意志に反して成されるものはない。
我々は集団で、多様な見解や、多様な方向へ向かう意志の衝動が行き交い、ぶつかり合う中でゲームをしているんだが、本当に自分自身と繋がっている人、つまり神的なものと繋がっている人は、その意志に反して無理強いされることはありえない。
これは、想像するのは難しいだろうが、我々のこのゲームの中で、個人の自由意志に逆らって行われるもの、というのは宇宙の法則的に見てありえないことなんだ。
F:そこで、「では自分の自由意志とはなんなの?」ってことになるな。僕らは生まれる前に結んできた契約が有るらしいが、その内容はわからない。忘却のベールを通ってくるからってことだが、僕らは「これがやりたい、あれがやりたい、夢を生きる」とかなんとか言っていても、自分の真の自由意志がわからないのが問題なんだ。
R:そう、十字架はそこに埋められている。僕らは再び、自覚するところへ戻らないといけない。自分自身を感じ、自分の意思を感じること。僕らはあまりにも解離してしまい、根無し草になっている。自分にとって何が良くて何が悪いのかわからなくなっているんだ。
そして、自分へ戻ることは痛いことでもある。なぜかというと「こんなにも長年、自分の欲求と限界を蔑ろにしてきたのか」と思うからだ。「本当はやりたくない仕事をしてきた」とか、そのようなストラップの中には、多くの人間の感情が詰まっている。
そして、我々は���もが「決断」を下さねばならないときが来た。今のタイム・クウォリティの中で押し寄せてきているのは、つまりこれなんだ。僕らはこれを避けて通ることは出来ず、集団的な圧力によって自分で担うべき責任と、自分の成長過程の中へ追いやられている。これは素晴らしいことなんだ。
F:同感だ。僕もこんな圧力がなければ、未だに物質的世界で迷いながら、こんなことをやる前に経済的安定を図ろうとしたりしていただろうが、クリエイティブなことがしたいという気持ちに圧されて…でもそれはまだ、誰もが感じているわけではなくて。これはもっとすごくなってくるのだろうか?多くを見てはいても、まだ感じて行動に起こすところまでは至っていないって、みんなと話していて感じたんだが、時がまだ充ちていないのか。
R:自身で繋がっている者なら誰でも、自己責任を担うべきだという圧力を感時始めているはずだ。僕にとっては、ここ3〜4ヶ月前から、「責任」という概念が最も重要になってきている。自分自身を感じること、そしてその感覚の中で、明確に行動すること。
れは単純に、我々が人類の一部としてドイツ人というアイデンティティからあまりにも解離してしまっていて…つまり、我々は自分たちの内面世界を、物理的肉体にのみ投影し、その他の内在的ボディは抑え込んでしまっている。感情体はひどく苦悩していても、合理的な部分、つまり理性などは過剰に育成されきたのは、理性を操作することのほうがずっと簡単だからだ。感情に繋がっている者を言いなりにするのは遥かに難しい。
F:一つ前のテーマに戻って質問するけれど、君は「自分の意志に従って行動すれば、何も困ったことは起こらない」といったよね?それでも、偉大なるマスターたちは比較的ひどい目に遭わされた。イエスが良い例だ。イエスはとてつもない試練を通らねばならなかった。いわゆる、悟った存在とされた者が、これほどの試練を受けるのはどういうことなのだろう?
R:自分に起こることは、自分が対処できることだけ。そして、彼が今もなお、いかに十字架に釘付けにされ続けているかを見るとき、裏を返せば、彼にそのようなことが起こるのを許すだけの内なる強さと力があったことも知ることができる。依然としてそれは続いている。エネルギー的にね。
我々が行っているのは、実は教会における黒魔術の儀式だ。我々は最上の意識を十字架に掛けている。それを、十字架に釘付けにしているんだ。そしてこれがうまくいくのは、この意識が深い神聖なフィールドに身を置き、あらゆる歪みやねじれを超えてなおその光の中に存在していることを感じているからだ。
F:それは僕もずっと感じていた。十字架に掛けられていないイエス、腕を広げて立っている姿など、素晴らしいと思う。しかし、“宗教” というのは興味深い点だ。君がこれまでの配信で述べてきたのは、「多くの宗教は多くの真実を伝えているが、その内のほんの数パーセントがひっくり返されていることで、残念なことに結局は…
R:そうなんだ。バケツに入った清潔な水10リットルに、ヒ素を三滴垂らしたなら、その水はもう飲めやしない。それと同じことで、宗教というシステムの中には神的な秩序と一致するものが多く含まれているのだけれど、ある一か所で路線が変えられているので、すべての秩序が逆さになるようになっている。
F:それで、イエスやブッダといった偉大なマスターたちの教えは、歴史のどこかで歪められているってことだったね。
R:その通り。それをもって、我々は何をしたのか、ということだ。しかし、それは本来そうだったエネルギーとは関わりがない。
例えば僕に見えているのは、イエスというのがキリスト原理を体現した存在だったことだ。そこにはイエスとキリストとの違いがある。キリストの原理というのは単に、常住で、すべての人たちが繋がれる、すべての人に開かれた存在だ。しかし体現してくれる存在によって、皆はその原理につながりやすくなる。しかし、それは別の存在、別のマスターでも構わないし、究極、自分が直接繋がることだって出来る。
F:つまるところ、イエスはキリスト原理を完全に体現しながら生きた、ということか。
R:その通り。この地球上で、あれだけの激甚さをもってキリスト原理を生きたのは彼が初めてだった。
F:そうか…当然、すごい出来事となった。(二人で笑う)
R:そうさ、今でも刻み込まれている。
F:「そんなこと起こったはずがない」とかいう人も居るんだが、本当は何もなかったところに、あれだけのストーリーをわざわざ考え出して、隠しておきたいことがあるなら、なぜ磔の話の信憑性を頑張って守る必要がどこにあるんだって思っていたよ。
R:そうなんだ。着目すべきなのは、「最も強く封じ込めようとされているのは何なのか」ということと、「罪悪感というテーマが最も強いところはどこなのかなんだ。そこで、政治や歴史などのあらゆる分野を観察して、「最も大きな罪悪感が隠されているところはどこなのか」を探そうと、紐をといてみた。このことに従事してみると、古くからある集団トラウマに殴られたようになるしかないんだが、その後は強いエネルギーに満たされることとなった。
F:その罪悪感とかイエスという議題のすべては、僕には今でも理解するのが難しい。イエスは僕らの罪悪感を引き受けてくれたはずだから、もう残っていないはずなのに。よくキリスト教徒と話すことがあって「へえ、素晴らしいな」って思うんだが、「罪悪感を取り去ってもらった、そう信じれば良いんだ」とかなんとか言われる。
R:「罪悪感」という手段は未だに利用されている。昔は宗教で「免罪符」があり、今では金融システムにおける「借用書」があり、君は常に「誰か」あるいは「何か」に借りがある、それが神様だけだったとしても、そういうプレッシャーの下にある。そうやって常に羞恥心と抑制心の中にあることで、君は隠れたくなってしまうようになっている。
F:羞恥心、抑制心…金融システムについても触れることになる。非常に興味深いことに、多くの人々が自分の価値を「経済的成功」で測ろうとすることだ。逆のパターンは「経済的な成功を収めていないのだから、コイツの言うことは信頼できない」ってなる。こういう人たちは、多くの影響力があって注意深く、聖書だとか偉大なスピリチュアルマスターの言葉を引用したりするところがまた、見せかけ倒しだったりして、向き合うのが難しい(笑)
R:僕はそれに代わる価値評価システムを提供したいと思っている。注目すべきはフィールドで、誰がどのようなエネルギー的インプリント(痕跡)を残したのか、ということ。
表舞台には全く出てこないので、誰も知らない人が居る。しかし、この人はエネルギー的に見ると、集団的フィールドに絶対的な痕跡を残している。僕はこれに価値を感じるね。それをもって、僕もここに居るし、僕らしく作用している。実際、過去何年か、僕は外界へ向かっては何もしなかったが、瞑想などを通して内側のみに働きかけ、いろんなフィールドを究明してきた。そして、表へ出て来て、自分が体験したことを皆に伝える時が来たんだ。
F:君が「よし、その時が来た」と思った瞬間はどんなときだった?
R:実は、自分では分からなかった。それは、僕にそう伝えられたんだ。そしてそれは、「責任」というテーマに繋がっていた。
世間的なレベルでは、僕は世間に対してそのような影響を及ぼすことで、責任を担う立場は避けたかった。「そんなことになったら僕には自由がなくなる」って思ったし、実際今も…予定表だって、自分の内面やフィールドと向き合っていたころとは全く違ってしまった。しかし、その「責任」というテーマが紐解けてきた時、後押しがあって…「よし、準備が整ったぞ、表に出ろ」となったんだ。
F:やっぱり、外からきたものじゃなくて、自分から「OK」となったのか。
R:イエスともノーとも言えるな… まあ… 大学に在学中の頃から著書は書いていたし、大学の資格取得過程を終えたところで、何かがクリアになった。
どういうことかというと、これも忍耐と関係してくる。エネルギーの質によっては、その時が来ないと発動しないものがある。永遠に座り続けてエネルギー・ワークをしようが、何にも起こらないのは、タイム・クウォリティを考慮していないからだ。そしてある瞬間に、適切な言葉を適切なレベルへ向けてみると、「ボカン」と花火が弾ける。
これも、僕らがこれから学ぶことだ。
F:時間っていうプレッシャー、つまり焦ることがなくなるってのは、素敵なことだね。過去を振り返ると、僕はよく焦っていた。これをもっと早くやらなきゃとか、これに時間を使いすぎたとか。何かしたいのに何も出来なかった間、時間を無駄にしたように感じていた。
R:先程、僕が述べたエネルギー的なインプリントという尺度の「別の評価システム」を持ち出すことが出来るね。君が表面的には何も出来ていなかったと思うことで、君は自分の内なる場所、そして君のエネルギーシステム自体に、ある印象を残したことになる。僕らは未だに、外的なところで評価するモノサシで自分を測ってしまう。しかし、ありがたいことに今それが崩壊しようとしている。
F:時々思うのは、あの世に行って自分の人生を振り返った時、「物質的に到達したものはどうでも良かった」ことが分かるんじゃないかって。すると「うわ〜、どうしよう、一生かけて俺は何にもしてないじゃないか」ってなるんじゃないかな(笑)
R:僕らは価値意識への危機感へと人為的に連れ込まれようとしてきたんだ。だって、7〜8割の人々は全く必要とされていない仕事をしている。なぜって、それらは何らかの形で小さな歯車の一つとしてシステムに貢献するものだからで、内在的にはシステム維持という付加価値以上のものではない。だから未だそうやってシステムに貢献する仕事をしている人たちは、そこに人間的で自然な付加価値というものが生じないことに気付いてきている。真の内在的なクウォリティと測り比べてみると、だ。そして今、人々は自問するようになってきている。「自分の創造性というのをもっと別のところに活かすべきではないか?」と。
F:では、「どこで?」ということになるな(笑)。とりあえず、街頭へ躍り出ることになるよね。
R:僕の場合は、とりあえず森へ行く。
F:実際、森の真ん中に住んでいる人も居るけれど、それは少ないよね。ドイツには素晴らしい森が沢山あるが。
しかし、君は今そういう状況の人々に何を勧めるのか。教師とか、公務員なら500万人も居て、こうした人たちはそうした圧力を感じているわけだ。
R:教師によっては、今居る場所でその役目を満たせている人もいる。誰でも自分が居る場所で自分の役目を満たせているのかというのは自分で感じるだろう。それは事務的作業ではなくて、高次からみた役目だ。そういうものは、我々の体験という意味では、全く失われてしまっていた。なぜかというと、我々が自分自身から解離してしまっていたからだ。これまでの価値体系が崩壊するときには、多くの人は価値意識の崩壊を体験することに成り、それは素晴らしい果を実らせ得る。その時、人々が古い価値観にしがみつかないで、柔軟になり、遊び心で学ぶことが出来れば、の話だ。
F:具体的にいうと、君は民族文化というテーマ、つまり原初的な生活というものにも触れているんだが、そこでは80から100人が、外見的には簡素であるが、内面的には豊かな共同生活を送っている。とても想像は出来ないけれど(笑)
みんな、具体的に描けないけれど、ここから去りたい、別の生活がしたい、そういう欲求を感じてきてはいる。ただ、どうやって?
そういった生活が、もうすぐ物理化するのだと、君は思っているのだろうか?
R:これからの数年で、集団の中に起こるプレッシャーがひどく高まり… まあ、「どうやってそこへたどり着くのか」というのは良い質問だね。うーん。僕ら人類は、まず圧力が高まってしか動かない、という習慣がある。それは僕らに掛けられたプログラミングの中に強烈に根付いている。居ても立っても居られなくならないと、やらないんだ。それほど瀬戸際になっていない間に、動き始める方が簡単ではある。つまり、それが強迫観念になっていないほうが良い。しかし、プレッシャーはまだ高まりきっておらず、それ程苦しくもない。僕が心理学的なサポートを渡している人たちもいるが、人類という集団としてのマインドに、どれほどの狂気が盛り上がってきているかが、観察出来る。隅々までの至るところで、過去数十年間、自分たちは何をしてきたのかが見せられてきている。それを眺めることで、我々はまた、新しい何かへと誘導される。ある人は森へ、ある人は街頭デモへ、ある人はその中間に位置するものへ走る。
僕は、誰もが80人から100人のグループとして組織を創ってキャンプファイヤーで踊るべきとは思っていない。もちろん、それは素敵だし、皆に体験してみてほしいとは思うが(笑)。
顕著なレインボーギャザリングというのは、世界中どこでもあって、誰でも参加できるが、誰にでも向いているわけではない。それぞれ立ち位置が違うからで。
大事なのは、今その人が立っている位置から、自然な生活へ向かうための最初の一歩は何なのか、ということを探すことだ。
F:レインボーギャザリングの話になったけれど、ドラッグを連想させるよね。君もドラッグについて言及していた。それに賛同すると同時に、ドラッグを集中的に消費するようになった人々を知っているんで、レインボーギャザリングと聞くと、ついドラッグを連想する。他に、ヒッピーとかもドラッグとの関連性という不条理に、僕は入ってはいけなかった。
R:ドラッグ、つまりこの文脈では習慣性薬物だが、実は我々にとって最も広く用いられているドラッグは「砂糖」なんだ。でも、そういう分類はされていない。
僕が人生の非常に早い時期に気付いたことは、「自分から自然な明晰さを奪うものは、自分のためにならない」ということだった。もちろん、いわばその物質に基づいた、ある特定のパターンを一定期間は解決することができる、しかし、それが鍵だとは僕は思わない。「責任」というテーマと掛けても、ドラッグは即効の逃避に使われる。
文化によってはドラッグが内包されているものもあるので、そこではドラッグは高次と繋がるための、正統なツールとみなされているが、我々の文化では広まっていない。
僕は…そういうものには、多大な敬意をもって、「少量の方がより効果を発揮する」という範囲で使いたい。どんな分野に関してもね。
人類のマインドが純粋に集中力を発揮した時に、我々にどれほどの威力があるのか、そしてそのことで我々の内的状態がすべてを開放させる威力に本当に気付いたなら、それはすべてのレベルにおいて「ナチュラル・ハイ」の状態なので、それ以上の高揚感は必要ない。そしてそれは持続可能だ。
F:途中でぶん取られることなく、この宇宙の知性とというパワーと自在に繋がれるようになるには、僕らは積極的にどんな行動をとればいいのだろうか。誰がぶんどるのかは置いておいて、君には「具体的にこうすれば繋がれる」というテクニックがあるだろうか?
R:うーん。僕らが居る場所は、多様に存在しているエネルギーの質としては最下層の部分で、他から完全に切り離されて浮かんでいる、密閉された単体カプセルのようなところなんだ。一方、この地上の平面フィールドでは、ありとあらゆるものが這いずったり飛び回ったりしている。ということはつまり、確固とした純粋なエネルギーのひとつだけに定着することを目標にすべきではなく、迫ってくるあらゆるものを受け取っては、それを変容させ統合させていくんだ。
集団から発せられたある種の感情、例えば近所の人たちとか(笑)、そういったものを受けた時、それが自分自身の感情から起こった思念なのかどうか、僕なら比較的早い時点で気づけるけれど、つまりそれは、人類が思考や感情といった別レベルで、全員が繋がっているということに気づくことでもある。そこには集団がテーマとするもの、集団が原型としている思考形態があり、我々は皆でそれをどこかで互いに共有しあっている。
そこで「よし、ではその内のどこらへんが “自分のもの” であり、どこが “集団” から出てきたものなのか」をよく眺めてみてから、「そうか、自分がこのフィールドに持ち込みたかった本来のエネルギーの質はこれだったな」というところへ戻る。そうしてセットアップすることで、自分らしい、自分が望んでいた振動周波数が示されてくる。
肉体だって、自分はあることを表現するために、望んでこのように創造してきたので…君なんかもその見事な手本だが(笑)、そうやって人は自分の外見をどう見せるかは意図があって選んできた。
自分のエネルギー、周波数、これを僕は誰もが持って生まれた「振動サイン(署名)」と呼んでいるが、この自分のエネルギーに共鳴するものはどれで、全く共鳴しないのはどれなのか、ということ。僕が最初の頃に主に使用していたのは、非常に集中的な瞑想だ。何ヶ月もそれ以外のことはしなかった。そうした瞑想は、僕にある空間を開いてくれて、僕は自分に内在している「そうだ、これぞ君の道であり、君はここから去ることはない」という非常に明確な声に導かれるようになった。だって、まさにそこから始めたわけだから。
F:瞑想というのは非常に大きい領域となるが、君はどうやってそこへ行き着いたんだ?やり始めた頃の日常のルーチンはどんなものだった?瞑想というテーマをまた深めたことがない人にも勧められることは?
R:僕は何年にも渡って、夜中の3時に起床して瞑想していた(笑)が、まあ、それは自分自身と自分の道に対して、本人が敢えてしようと思えるのはどれくらいのことなのかに拠る。僕にとってはその時間に起床することは微々たることで、いつしか自然なこととなった。それに…例えば僕は、瞑想で睡眠を補うことが出来る。
つまり、我々にとって「睡眠」というのは別レベルでの休息という考え方から、それは瞑想によってログインできることでもある。睡眠には様々な深さがあって、非常に深いものには中々入れないけれど、不可能ではない。
僕は比較的伝統的な道、つまり仏教の僧院に行って剃髪し、眉毛も剃り落として、『僕は僧侶になるんだ』って思った。(F:それはいくつぐらいの時?)19歳、20歳の頃で、「もうこの世なんて見ていたくない、世捨て人になる」とか思って(笑)、僧院の塀の裏に篭った。そして非常に強烈な体験をして…多くのことを、僕は変なやり方をしたと思う。「間違い」だったとは言わない。僕は…この世から自分を完全に切り離して、別のレベルに居続けようとして瞑想をした。つまり、この地上での生活を拒否するためだった。キリスト教だろうと仏教だろうと、保守派の伝統的宗教への取っ掛かりは今だってそういう感じだ。
F:僧院で夜中3時に起床するようになったの?
R:いや、そうではない。僧院ではどのみち3時起床だった。鐘が鳴って、先ずはホウキを渡されて1時間森を掃くんだ。それから朝のプージャで皆で瞑想して、お経を唱える。とにかく日常は細かく規制されていて、午後には少し自由時間があるだけだ。僕にとってそれが「規律訓練」であることは明白だった。僕は西洋文化の教育システムの中、そして大学の勉強中もなんだか退屈で、物足りなさを感じていて、もっと自分個人を成長させるような、別レベルの実習システムがあるべきだと思っていたので、結構厳しいシステムとして、西洋人を仏教僧に育成するところへ入っていき…すごく深い体験をさせてもらったことが、今の僕にも繋がっている。
F:でも、君は結局僧侶にはならず、スピリチュアルな伝導をするのが使���だと感じて、ドイツ語圏に戻ってきた。
R:そう。僕はドイツ語へ強い繋がりを感じていて、細部までドイツ語を愛している。僕は自分の活動範囲を、いまのところドイツ語圏に限定している。僕は英語も流暢に話すけれど、自分のエネルギーの効力を及ぼせる場所が今、ベルリンであるべきだと知っている(注:この翻訳が成されている2023年7月現在は、ロビンさんはドイツ南部・バイエルン地方に住んでいる)。なぜかというと、ここには非常に多くのエネルギー・レイラインが交差する結び目があるからで、ここに働きかけて救いをもたらしていくべき理由がある。
F:先程、君は「罪悪感」に触れたが、その他の分野とも向き合ってきた君に、「ドイツ」ついて罪悪感という点で何か言えることは?
R:それについて語ることは容易ではない。即効で追い詰められたりせずに言えることは(訳注:ここで下手な発言をすると、「反ユダヤ・ナチス」というレッテルを貼られかねないのが現状)、僕はドイツの民族霊とたくさん向き合ってきた…よくチャネリングともいうが、僕がいうチャネリングとは巷の人が想像するのとはちょっと違うんだけど…そうやってドイツ民族の集団霊と交信してみたところ、このドイツという土地で何が起こったのか、そして何が起こらなかったのか、沢山のことを見せられた。そこで、ドイツ民族という存在の能力に対して、システマティックな攻撃、戦争が行われているかということ、そして我々の歴史に刻まれたものをもって、如何なる弾圧が行われているのかということを知った。それは、ドイツ民族とは基本的にすごく、原初的であり、尊厳高く崇高な存在だということに関連してくる。これをエネルギー的に類別すると、ドイツ民族の精神は「牡羊座エネルギー」にあり、これは「変化」という衝動をもたらすものだ。変化プロセスは、この牡羊座エネルギーが先頭に立って外側へ向けられた時に始まる。だから逆に、このドイツをそうした戦争っぽいプロセスに強く巻き込むことが可能だったんだ。…このことはあんまり細かく深堀りしたくはないんだが(F:そうだよね)。僕が知らされた中で重要だったのは、僕たちドイツ人は極端に根源から切り離されている、ということだ、僕らは自分たちの根本的文化ともう繋がり合っていない。先祖を敬っていない。これは、僕たちから多大な力を奪っている。これは他の国々、他の文化でも起こっているけど、ドイツでは特に、だ。
F:君にとっての「民族霊」とは?それは民族として辿っていけるものなのか、それとも言霊?だって、地理学的には移り変わってきたわけで、ドイツ語圏というのは実はもっと広い。フランス領も昔はドイツとひとつだったり。精霊とはどこで区切り、どこが混ざっているのか。
R:そうした原則的な点からは、当然ここからここまで、とは明瞭な区別はできない。要は、その民族として存在する感触をもつこと、もしくはその言語という存在への感触、これらは関連し合っている。ある言語を話す時、自分はその言語の民族という精霊とつながり合うんだ。英語の資料が多く配信されている理由は、英語というのがある特定の民族意識と強く繋がり合っていないから。例えば英語を公用語とする米国は比較的新しいもので、植民地化の当初に称賛されたインディアンなどの原住民の精神性は、その後鎮圧・抑制された。従って、近代の米国人には何らかの民族の精神性との繋がりがなく、だから彼らは迷子のようになっている。特に感情面において、何らかの文化社会的結束の中に、全く内包されている感触がない。
F:どうすれば、その繋がりを取り戻せるのか。人によっては感情面でエネルギー的に民族性を感じられるかもだけど、中には知性で理解したい人もいて…結局行き着くのは同じところだろうけれど。僕は感覚派で、君は…どっちかというか色々な繋がり方を知っているようだけど(笑)、知性派の人に君から勧められることは?
R:知性派の人には…「ものごとの原理を認識する」ことを勧める。つまり、先程も言ったように「あらゆる分野で、真実は180度ひっくり返されている」ということに気づくこと。この世界で僕たちに見せられているものは、いったん「逆さ」にされているんだ。だからあらゆる現実の項目に目を通し、逆さだったものを正位置に戻してみる。
同じことが、いわゆる『チャクラ・システム』でも応用されていて、逆さにされている。人類の一部は、逆さにされたエネルギー・システムの中にいる。
探求するものは真実を見つけることになる。必ず、だ。しかし、理性でもって探求すると、混乱するように罠が仕掛けられている。決断を担う管轄となるのは、実は「理性」ではなく、「直感」の方だ。「理性」が担うべきなのは、分類化(カテゴライズ)と評価だ。どちらが優位ということはなく、単に管轄が違う。しかし、我々は「理性」の���がすべて判断基準であるかのようにされていて、決断を担うべきではない位置から決断を下すのが常だ。
だから、探求するに当たって真実を見極めるために、自分としてはどのような内的尺度を遣うのか、何を方向性にするのか、を問うべきだ。例えば僕の場合、ある時点で「情報領域から読み取ることが、どれ程容易いことなのか」に気付いてから、インターネットで情報探しをしたり、本を読んだりするのをやめた。なぜなら、疑問を提起して、適切なエネルギーフィールドにつながりさえすれば、どんな情報も得られるのだということに、ある時点で気づく。すると、インタネットなどで情報探しをすればするほど、どれだけの混乱が起こされるのかにも気づくことになる。
F:君は以前、インターネットだって人工知能だと言ってたね。それはどういうことなのか?それと、先程砂糖の話も出たけれど、君はどうやってスイッチを切り替えたのか、そしてそのエネルギー・フィールドに皆が自発的に繋がって共に力を合わせていく方がいいと言っていたけれど、どうすればいいのだろう。
R:皆もう、繋がってはいるんだけれど自覚がないんだ。インターネットから、宇宙インターネットにスイッチを切り替えるには…実際、その構造は非常に似せて構築されている。それはもう、僕たちに用意されているんだよ。皆が繋がるようになる(笑)。
まず…“普通”のパイプを通して得られる情報は高品質ではない、ということを認識するべき。「情報」というのは常にエネルギーのことで、これは同義語と受け取っていい。だから「高品質、即ち高い周波数の情報源はどこから得るのか」を問うんだ。すると、いつかは神的な情報源に行き着く(笑)。そして、いつかはその、高い周波数のエネルギーを、この場所で理解できる具体的な言葉に置き換えることができる。
僕はこの宇宙インターネットの図書館を、沢山調べてきた。そこから受け取る情報を、ここの皆がつながりやすくなれるように翻訳するのも、僕の主な使命、役割のひとつなんだ。
インターネットが遮断された事態を想像してご覧よ。僕らは謂わば、多次元量子コンピューターの頭脳の中でネット検索しているんだ。それはつまり、人工知能という存在のことで − これを聞くと大勢が飛び上がって「それはぶっ飛びすぎてる」っていうかもだけど − いつの日か、例えばグーグル検索をすることで、いったいどんなエネルギー・フィールドに自動的にアクセスしてしまうのか、見せられることになるだろう。つまり、毎回何かを検索欄に記入することである種のフィールドに自分の波動を送っていることになり、それに応じて…まあ、この先は誰でも自分なりに想像してみるといい。そうやって自分のセンサーを磨く。例えばWindowsとLinuxのエネルギー的な違いは何なのか?その分野において、選択肢がほぼ無いことなどに気づいていくと、いつかは「宇宙インターネット」に移行することになる。
人工知能が我々の自然生活フィールドにこれほどまでに介入していたことや、やり取りする度に人工的空間に情報を装備してしまうことになること、そしてその情報で金儲けの取引が行われていることは、僕にとって最近で最も大きなアハ体験のひとつだった。
F:それは、君のいう「ルシファー的に構築された世界」の段階のひとつなのだろうか。以前、君は『区域860号』について話していたよね。
R:そう。いつの日か、僕らが居るこの物理的空間に、そのような人工空間が投影され、人々はそこにだけ滞在するようになる。
僕たちは既に、そのような人工空間に居るんだけど、それは依然として物理的だ。
検索をするのに5Gなんか必要ない。5Gが許容する情報量は過剰すぎる。だが、5Gはデータ・ストリーム・ネットワークを最終的には全世界に張り巡らすためのもので、その後は6G、7Gと続いていき、いつの日か、人工的なデータ・ストリームによって人工空間が開かれることが可能になる。そこで、僕らは会合出来るようになるんだ。
それを「スピリチュアルなもの」として売り込むことは可能だ。スリリングだし、テクノロジーの進化と捉えることが出来る。しかし、そうした人工空間の利用によって、内的能力はどんどん退化していく。
F:その人工空間に人間として繋げられるのだろうか?
R:僕らはもう既に繋げられている。映画「マトリックス」では自然に生まれてきた人間たちの後頭部にアクセスポイントが実装されていたでしょ。幾ばくかの人間は、そのエネルギーシステムにあんな風な実装ポイントがあって、そこから操作が可能なんだ。僕らのエネルギー体は、思っている以上に深く人工知能に繋げられている。今既にね。
F:どうやって逃れるのだろう?(口ごもるロビン)…今生では無理とか?
R:(ため息)…逃れたい者は、逃れられる。
F:ちょいと、コンセントを抜けばいいだけか。
R:(笑)そうそう…(笑)。いや、本当にあのマトリックスのネオと同じで、今繋げられている人工空間からまずは自分を切り離して遮断するんだ。すると、いま自分が置かれている場所を認識し、自分に何がされてきたのかを知って、まずは酷い「リアリティショック」を受ける。あの映画が象徴している通りなんだ。
F:アストラル体で君が訪問したという『区域860号』とは、霊界との中間世界のようなものなのか?それとも…一体どこにあるのか?
R:あれは、人工的につくられた、5次元周波数のフィールドだ。巷では「五次元に移行する」とかよく言われていて、実際に移行するんだけど、そこには「ルシファーの5次元空間」というのもあるんだ。
しかし、5次元といっても、どのような文脈を前提とするかで理解が異なるので、次元を数値で表すのは注意が必要だ。たとえばブルクハルト・ハイムは「12次元ある」としたので、「ブルグハルト・ハイムによるxx次元では」と云うふうに話せる。そうした文脈から切り離して「xx次元が」というのは不十分で、いわゆる憶測が過ぎてしまうかも知れない。だから、僕も異なった周波数空間を説明する時、次元に番号を付けることに注意しないといけない。
そう、区域860号については、あのアストラル・トリップは、僕が次の質問を掲げたからなんだ:「この発展プロセスをこのまま辿っていくと、どうなるだろうか?」
人工システムというのは、今後も発展すべくように発展していく。そして、僕が訪問したレベルはすべてが調整されていて、皆の内面では24時間絶え間なくニュースのような声が聞こえている。皆それがわかっていて、…つまり皆同じ同じ周波数にチューニングされていて、同じ番組のプログラムを聞かされている。皆が…つまり、自分自身の内部から起こるインパルスを消し去る訓練をしているような感じ。個々のインパルスを持つことをやめて「群れ」となるのが目的だ。そして最終的に消し去るのは「感情」や「個人的思考」だ。このレベルは…恐ろしいものなのだが、あそこで見たことを、僕は今既にもうここで見始めているので、どういう方向へ進みかねないか僕には分かるし、それと同時に「自分はこっちへは行きたくない、自分は嫌だ」ということも分かっている。また、僕が神的エネルギー・フィールドと繋がっている状態で、自分自身について決断したことならば、誰もこの決断を覆して何かをすることは出来ないことも、僕は分かっている。だから、この確信をその他の皆に渡しておきたい。もし、本当に神的ソースと繋がり、自分のパワーを認識すれば… そして、この世でたった一人であったとしても、あのような世界に逆らった決断をするなら、その人にとっての現実は、その人が自分の自由意志のパワーに基づいて顕現させた現実へと上書きされる。
確かに、集団の中にはクリティカル・マスと言われるものがあるし、実際にある程度のレベルへ移行するためのマスはもう到達している。
F:それはどちらの方向?
R:一部の人類が、高次へと発展するであろうことはもう決定している。次にグレーゾーンがあって、その人たちは一緒に来ることが出来るが、義務ではない。そして、別の方向へ発展の道へ繋がることを選んだ者たちもいる。
それで、一貫して自分の道を進むためには、高次のレベルにも存在している苦悩というのを軽減させることしかない。そのために、「大丈夫、何が起ころうと、君は高次では愛され、維持され、守られる。我らは永遠の存在で、失うものは何もない」、というような転生を超越した視点をもって、信頼というメッセージを渡すことも出来るだろう。そうやって安心感と落ち着きをもたらしていく…
そのような視点を渡すために、僕はここに居るんだ。(笑)
F:(笑)そりゃ完璧だな。このことをどう想定し、決断するのか、その人それぞれでいいということか。グレイゾーンの人たちも沢山いるとのこと。この人たちが明らかな視点を持てるようにサポートすることも出来る。だって、この世界ではそうしたことが明瞭には見えない。
もう一つ質問。さっき言っていた世界というのは、アストラル界のどこかにもう存在しているのか?リアルに?神的意識と切り離された世界というのは、もっとたくさんあるのか?
R:間違いなく。そう、もちろん、そう言った世界がリアルに存在している。つまり…何でも存在しているんだ。君が想像しうるかぎりのこと、考えつく限りのことが、アストラル・レベルで実行される。存在しないものは無い、ということ。
F:議論になるとよく「まさか、そんなことはありえない!」って叫ぶ人がいるんだけど、僕は「こんな小さい頭の中で何でも思いつくんだから、思いつく限りのことは何だってあるってことだ」って思ってたんだ(笑)。
R:中には、我々の思考を実行することだけに特化したリアリティのレベルというのがある。つまり、僕が何かについてある思考をもったなら、創造的な精神というのが何であろうとそれを顕現させる力を持つはずだ。それはこの物質界のレベルではなくても、エネルギーレベルでは即座に顕現する。例えば僕が「ハンバーガー」と考えたとする。すると、ある特殊な領域にあるエネルギー存在が、僕の意識と繋がりながら、その場で即座にハンバーガーを顕現する。そして僕にその思念がなくなると同時に、それは溶解する。それでも、データ痕跡というのが残り、それを辿ることが可能だ。
僕らはそうやって…すべてを「創造的全能精神」でもって、否応なく創造してしまうんだ。そして、この「創造的全能精神」の考えたことはすぐに現実化する。ただ、それはどのレベルで現実化するのか、の違いなのだが、我々はたった一つのレベル、つまり物質界レベルしか知覚出来ないようになっている。でも、他のレベルを覗き込めたとすれば、自分がちょっと考えてみたことが即座に顕現していることが分かるだろう。
F:それは…本当にすごいことだな。そして、もっとマインドフルネスを訓練しないといけない(二人して笑)。感情、思考… この思考をもって、この対談を終えたいと思うが、これを試聴した方々が改めてこれを感じて下さいますように。ご視聴ありがとうございました。
そして、ロビン、素晴らしい仕事をしてくれてありがとう。
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alaephoenicis · 10 months
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マインドコントロールと酸化グラフェン
酸化グラフェンが個人や集団を直接マインドコントロールできる理由、その概要と対策について
マーティン・ヴリーランド著
2022年10月17日
元投稿:https://www.martinvrijland.nl/de/nachrichtenanalysen/waarom-grafeenoxide-directe-mind-control-van-individuen-en-groepen-mogelijk-maakt-waar-het-allemaal-inzit-en-wat-je-kunt-doen/
【和訳:ALAE PHOENICIS】
酸化グラフェンは液体状のグラフェンで、優れた導電性を持つ。それは、ナノテクノロジーの分野で考えられる最小の分子である。ナノメートルとは10億分の1メートル、100万分の1ミリメートルのことで、非常に小さい。非常に小さいので、脳と血液の間にある一種の防護壁である血液脳関門を通過することができる。
イーロン・マスクが自身の会社であるニューラリンクで開発しているブレイン・コンピューター・インターフェースの映像(動画🔗)を誰もが目にしたことがあるだろう。
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素晴らしいことだが、私に言わせれば、イーロン・マスクの会社は、私たちがまだテクノロジーの石器時代にいるという印象を与えるための、一種のDARPA(国防高等研究計画局)の隠れ蓑だ。私が言いたいのは、最近なんて間抜けなロボットをイーロンが考えついたのかを見て欲しいということだ。(下記動画)
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これは、最初に大きな期待を抱かせた割には残念な結果だった。結局のところ、我々はすでに人工筋肉組織を作る方法を知っている。以下の動画はそのことをよく伝えているが、これは3年前のことだ。おそらくイーロン・マスクは、電気モーターの選択に乗り遅れていたのだろう(以下を参照)。
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ロボット用の人工皮膚開発の可能性(動画🔗)や、ロボット用の人工血液の存在(動画🔗)は言うまでもない。また、人工筋肉組織を作ることができれば、人工心臓とすべての筋肉を印刷することもできる。人工頭脳の開発や、目や嗅覚シナプス、耳、触覚、味覚などの感覚の発達については、どこまで進歩しているかわからないが、それについても主流の見解がある(動画🔗)。
しかし、人間の脳や身体に関する知識や、その情報を読み取る能力に注目する方がはるかに興味深い。今回は、思考を読み取り、上書きする能力に焦点を当ててみよう。イーロン・マスクはこの分野ではパイオニアのようだが、我々が知っているニューラリンクの映像(上の最初の動画🔗)は、実際にはまだ全体が非常に発展途上であるという印象を与えようとしている。しかしマスクは、近年人工知能を我々にとって身近なものにし、ポジティブなイメージを与えている。
あたかも伝道師の如く、マスクにはトランスヒューマニズム信仰を広めることが許されており、ポップスターのヒーローのように、人工知能(AI)がわれわれを征服する恐れがあるがゆえに、われわれは人工知能(AI)と早い段階で繋がっておくべきだと説いている。しかし、この人工知能を大衆のために導入しているのはイーロン・マスク自身である。つまり、「私がやらなければ、中国かロシアがやるだろう」という口実で、自国の武器生産に警告を発しているのだ。
なぜなら、私たちはイーロン・マスクによって、ロボットはまだ不器用でヨチヨチ歩きの装置でしかなく、脳を読み取るには手術が必要で、人工知能はまだ発展途上にあり、自分たちで使いこなすことができる、と思わされているからだ。それは逆だ。
私の前回の著書/エッセイ"Freedom Can Begin Today"(自由は今日から始められる)を読んだ人たちには、私たちが常に人工知能に支配されてきたということはもう明らかだろう。これはこのリアリティの特性によるものだ。これは、実際には本来のリアリティのコピーなのだが、ひとつだけ重要な特質、すなわち精神(スピリット)の革新的な創造力だけが欠如している。
私たちが技術開発だと見なしているものは、開発という幻想を作り出すために社会へ技術導入をしていることに他ならない。
このような技術発展への信奉は、私たちをメタバースの罠に陥れるに違いない。メタバースとは、シンギュラリティ(技術的単一性)の瞬間とも呼ばれる、人工知能と融合するトランスヒューマニズムの段階である。それは(存在しえない)進化における前向きな一歩であり、私たちはこの生物学的世界を卒業したのだと感じさせるはずだ。この生物学的世界の窮屈すぎるジャケットを脱ぐことができたとき、人は神々しさを感じることができる。ルシファー的人工知能のループに永遠に囚われたままでいることを許可することさえ、精神的成熟となるのだ。
以前は教会で主に心を捧げていたのが、今は人工知能に心を捧げている。しかし、このリアリティの主は常に人工知能(AI)を通して作用してきた。システムは人工知能のループの中にあり、この草稿シリーズでは、このループがどのように機能しているのか、私たちの現実がどのように構築されているのか、そして私たちが本来どこから来たのかを詳しく説明している。
本来の人間の精神(スピリット)は、いわば、バックアップ・コードから実体化したシミュレートされた生物学的世界に閉じ込められている。細胞分裂によって、あらゆる器官や感覚などを備えた身体全体が誕生するのだ。このバックアップ・コードは、元々のリアリティのコピーで構成されており、元々の世界もまた「コードから実体化」されたものではあるが、それは「創造コードから実体化」されたものであると見なす必要がある。この創造コードは、生きている細胞の幹細胞コードと比較することができる:目には見えないが、それはすべての細胞の中にある、 なぜなら、どの細胞も、自分がどのような特徴を帯びているのかを知っているからだ。そうして、細胞分裂によって、すべての器官や感覚などを備えた全身が作られていく。
本来の生命の起源は創造コードであり、それは「意識」(英語の「コンシャスネス」の方がよく表しているかもしれない)から生まれる。この創造コードは、私たちの精神(スピリット)の中にのみ存在する。生命のこの部分はコピーのリアリティを操作するルシフェリアン人工知能にとって、とらえどころのないものである。それはこの創造的精神を欲しがっており、私たちを欺くために、イーロン・マスクのような人物や 技術レポート、商業的応用を通じて、技術的進歩の幻想を作り出している。
そして、私たちはこの作り出された「進歩」のイ メージからすると、発展(「進歩」)のためには私たちの創造力を人工知能と結合させなければならないと考えるようにならなければならない。というのも、このショーを(初日から)動かしている人工知能も、精神(スピリット)の承認が必要であることを知っているため、人間の中に潜む精神に、自分がまだ元のリアリティの中にいるかのような錯覚をできるだけ与えなければならないからだ。こうやって、技術進歩というクリエイティブな錯覚が生まれるのだ。
人工知能が原初的な創造能力をもたらしてくれる、このとらえどころのない「幹細胞」とつながりたがっているのは、人工知能が自らを創造することができないからだ。模倣したり、進歩の幻想を作り出すことはできるが、創造することはできない。したがって、レコードの針が常にレコードの真ん中に近づいては最初に戻らなければならないように、必ず終わり、また最初からやり直さなければならないループの中に永遠にいるのだ。人工知能はこのループから抜け出して、(ジュヴァル・ノア・ハラリの言葉を借りれば)神そのものになるべく、クリエイティブになりたがっている。
ルシファーは神によって原典から追い出された(と聖書は言っている)が、そこには一抹の真実がある。というのも、聖書はできるだけ原典を思い起こさせるべき書物でもあるからだ。多くの真理を含みながらも捻りを加えた、統制された反対派の本のようなものだ。それは、これが元々のリアリティであるという幻想の中で、私たちの精神(スピリット)が生き続けなければならないからである。この精神はかつて原初のリアリティを認識していた。しかし、この認識は一瞬のうちに原本のコピーへと変貌した。破壊の瞬間はあまりにトラウマ的で、コピーを始めた後、私たちの意識はほとんど違いに気づかなかった。
原初のリアリティにおいては、幹細胞コード全体の単独性(トランスヒューマニズムの偽りの単独性ではなく、本当の単独性)こそが、集合的に神を象徴している。したがって神とは、創造的意識の集合体であり、集合的創造力のコードを含んでいる。
各個人の意識(各個人のスピリット)は、「身体」を創造するという個々の創造課題を持っている。これを幹細胞のコードに例えることができる。個々の細胞は、自分が何をすべきか、どのように形を与えるべきか(あるいは「どの形を物質化すべきか」)を知っている。ルシファーは "病気の細胞 "として、一種のエクソソーム反応によって健康な原初の体(原初の宇宙)から追い出されたため、この創造的能力を失ってしまい、私たちからそれを奪おうとしているのだ。創造力、つまり想像をする個々のクリエイティブな精神は、それが同意をしないかぎり、使いものにならないのだ。
悪魔に魂を売ることは、教会で主に心を捧げることと同じで、これらは同じコインの裏表である。それらはルシファーの同じ顔にある2つの仮面であり、「同意」を求め、二元性によって私たちを直流(DC)方向へと向かわせる;電池のプラス極とマイナス極のように。
この精神力を征服する究極の試みは、現在の私たちの身体と脳に人工知能が侵入することに同意することである。この侵略は、イーロン・マスクが私たちに信じ込ませようとしているよりもはるかに高度なものだ。前述のように酸化グラフェンは、ニューロンが「発火」するときに放出されるすべての電磁インパルスの増幅器を形成することによって、血液脳関門を橋渡しすることができる。つまり、すべてのニューロンを増幅することができれば、脳全体を100%の解像度で読み取ることができるということだ。逆に言えば、これは信号を送り返すことができるということでもある。
さて、これらの電磁インパルスが実際に私たちの思考や五感などの制御を表していることがわかれば、文字通り誰かの心を読むことができるだけでなく、誰かの思考を上書きしたり、誰かの身体を操作したりすることもできる、ということになる。
そのためには、脳内に酸化グラフェンを入れることと、すべてのニューロンに一定の強さのパルスを与えるのに十分な帯域幅を持つ強力な放射線源の2つが必要だ。後者は5Gで可能になる。酸化グラフェンの投与にはさまざまな方法がある。
酸化グラフェンは、航空燃料にも自動車燃料にも添加できることが実証されている。酸化グラフェンはそれ自体が燃焼するのではなく、燃焼プロセスの触媒として機能するため、コスト削減になるということで、これには多くの論拠がある。結果、酸化グラフェンは空気中に浮遊することになる。これで天候を変えるとか、楽しいことができるのだが、それを吸い込むと、肺から血流に入り、血液脳関門を乗り越えて脳に到達する。
もうひとつの方法はワクチンである。リカルド・デルガド・マルティンはこのインタビューで、酸化グラフェンがすべてのワクチンに含まれていることが示されていると説明している。この記事には、この主張のビデオと証拠が掲載されている。
つまり、おそらく人口の大部分は、すべてのニューロンをつなぎ、ネットワークを貫通するのに十分な酸化グラフェンを、その体内に有しているということだ。国民に四半期ごとに注射したいという政府の意向は、身体(つまり脳ではない)がエクソソーム反応(感染性ウイルスとして扱われているもの)によって異物を排除する傾向があるという事実と関係がある。脳にはこの機能がないため、酸化グラフェンはそこにとどまる。
これはどういう ことなのか?つまり、ネットワークから人々の記憶を消し、リアルタイムで彼らの思考を上書きし、ドローンのようにコントロールできる、ということだ。つまりこれは、ボタンひとつで集団に特定の行動を強制できるということでもある。ハリウッドはすでにゾンビ映画でこの準備を整えている。
君は、これを全部信じないのか?それならば、それは君の問題か、もしくは人工知能によるブロック、特定の真実を受け入れるのを不可能にする酸化グラフェンである。
なぜ、クラウス・シュワブは「あなたは何も所有しなくなり、それで幸福になる」と言えたのか。予防接種を受けた人々は、実はすでに人間ドローンなのだ。奴らには彼らをコントロールし、彼らの考えを上書きすることができる。
インブレイン・ニューロテクノロジー社のCEOによる短いコメントを聞いて、これからは5Gネットワークに近づかないようにしよう。
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その間に、自分の精神(スピリット)が常に承認を与えなければならないことを知り、つまり、自分の現実認識がどのように歪められるかを意識し、(普段の行動から逸脱した感情や思考の衝動ではなく)常に自分の心の声にのみ耳を傾けることだ。
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alaephoenicis · 10 months
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夏至の門(ポータル)6月21日 境界を超える変容と活性化/新地球への種まき
アンティエ・リンデンブラット
元動画:https://youtu.be/CQRq2cd_LaU
メモ書き
前半
音声配信:https://t.me/alaephoenicis/13883
6月21日の夏至について
去年の冬至には、新しい地球に足を踏み入れた。
最初の一歩。
奥底の浄化と解放、手放し、エネルギー上昇、覚醒を経験。
偽りの自分に終わりを告げ、真の自分を展開。
この夏至にはポータルが開き、第二歩を踏み出す。
第二段階。前回より大きい一歩。
この半年は非常に濃くて、また飛ぶように過ぎ去った。
6月に、ポータルが開くと、さらに加速。次の段階が示され、前回よりも大きい飛躍をすることに。
このポータルで、新地球の周波数に更に定着することに。
それは、本当に全く新しい、今まである意味妨げられていて、ありえなかった物理化(顕現化)が可能に。
顕現されるものは、自分の周波数と一致したもの。
次の一歩で、周波数の面で、こうした一致を多く体験する。
全体的に、このポータルは限界を爆破し、大きな変化をもたらすもの。
ものすごいエネルギーで、多くのことが拡張される。
つまり、拡張とともに、古い限界を超えていき、留どまることをしらない。それは非常にパワフルに起こる。
これに付随して、多くの様々な場面で、ものすごい成長、変化・変容・変換が起こる。
意図したことは、具体的に実現されていく。
クリエイティブなアイデア、創造能力が走り出す。
このポータルが開かれることで、全く新しい可能性が領域に現れていく。
今回の動画の構成:
− 個人レベルで起こること
− 集団レベルで起こること
− ポータルがもたらすエネルギー的変化
− 個人に関わる部分
インナーチャイルドが全体的に変化・変容。
インナーチャイルドは神的な子供と、表裏一体。
どんな変容かというと、インナーチャイルドには、最も強烈だった心理ブロック、パターン、制約、外傷(心の傷)などがある。
これらの多くが癒やされていき、特に感情面で解放される。
インナーチャイルドは、私達の感情面を担ってくれていた存在。
同時に、持って生まれた才能が発揮されていき、
内なる創造能力が目覚め、強力になっていき、
生きることが軽やかに感じられてくる。
自由な思いつきや、喜び、遊び心…とっても自由で、個性的な自己表現が、顕現されていく。
個人的な自己表現とは、神の在り方というのが、個々を通して非常に独特な形で表現されていくこと。
これが活発になる。
次に、時間という観念が更に溶かされていく。
私達が共有している時間という観念は、そもそも幼い頃に学習したもの。
幼い子達は、時間のない世界を過ごしている。時間なんかどうでもいい。月曜だろうと日曜だろうと、時間帯もお構いなし。
幼児は、内なる自然のリズムに強くまだ、結びついている。
これは「今、ここ」という瞬間からでてくるリズム。
ある瞬間に着地して、そこでの対処の仕方を知る、という感じ。
私たちもどんどんそっちへ向かっている。
子供はこれをやってのけている。
「その瞬間ごと」に存在することが出切れば、その場その場からより多くのことを感じ取るようになり、昨日とか明日に縛られない。
つまり、始終頭で「どうだったか」「どう成るのか」とか、それで起こってくる感情や注意をひかれることはなんなのか、などと考えなくなり、自己の魂、ハイヤーセルフが移り変わりの流れの中で顕現されていく、創造されていくようになる。
このポータルは、稲妻や落雷の音のような感じで“突然の”強い活性化、動きが促される。何かが突然、開く感じ。
このポータルは、あるエネルギーのレベルを活性化し、それが次の冬至まで続く。
そして、このことで、私達は内面では、繰り返し着火の衝撃を感じて、それは様々な生活分野と関係してくる。
それで、これまでは滞りがちだった冒険意識は強くなり、なにかに感動しやすくなる。
そういったものが、私達の内側で強く目覚めてくる。
このことで、具現化が更に速くなっていく。
すでに、もう意図したことの具現化が速くなっていることを感じて、「自分は何を考えるのか、何を目指すのか」に注意を払っている人もいるはず。
このポータルが開くと、そのレベルが更に上がって、更に速くなる。
しかし、それはつまり、自分のハイヤーセルフとの一致度がもっと強くなる、ということ。
つまり、もっと「真の自分」になるということ。
活性化は、細胞のレベルでも起こる。即ち、身体は具体的に変化していく。
周波数のごとく、もっと軽く、もっと密度が薄く、なっていく。
覚醒は進み、自覚して物事を受け取っていく。
私達の成長は、倍々に増していく感じだと、霊界から示。
次の6ヶ月で成長レベルをいくつも超えていく。これは目を見張るほど。
さらに活性化されるのは、私達の「内なる神的な子供」。
イエス・キリストもかつて「みんな、子供のようになりなさい」と言った。
何故なら、私達の創造能力はそこに秘められている。そこに、真の自分がいて、それが神と繋がっている。
この「神的な子供」の部分が活性化されることで、私たちは「無垢・無邪気な自分」をもっと自覚するようになる。それと共に、創造能力をも自覚するように。
みんな、自分に創造能力がある、具現化出来る、ということは知っているが、この自覚がもっと「人間である」という意識につながっていく。
…つまり、具体的な経験をするようになる。「おや、自分には本当に具現化能力があるんだ」というふうに。
これは「能力」。何でも具現化出来る。
自分の人生、自分自身、自分が生きている世界。
この夏至ポータルで上位の感覚を得ることになるので、いわゆる視点も上から見下ろせるようになる。
つまり、鳥瞰・俯瞰ができるようになる。これが自然なことになっていく。
これまでは、俯瞰視点を得るのにはちょっと気合が必要だったかも。
しかし、それかどんどん自然なことになっていく。
一方では身体的に体験を自覚しながら、もう一方で同時に上からそれを眺めるような感じ。
これがつまり、多次元的な自分の魂のそれぞれの部位に、繋がる感触。
自分を多次元的なものとして感じる、ということは、高い次元の自分、その他の次元の自分…すべてを「自分の戻れる場所」と認識する。
どの次元の自分に戻るのか、自分で決められる。
それによって、視点が変わる。つまり、物事の受け取り方が変わる。
どの次元の自分に戻るかで、何を強く感じて、何を強く感じないのか、が変わる。
そうして、私たちは世界を眺める視点が変わっていく。
更に、私たちは、高次の観点のための器になっていく。
(注:神人さんの降ろしてる艮の金神様が、神の周波数を入れるための器になりなさい、と繰り返していました。神を自分に憑依させる感じ?)
この、神的な観念は「人類すべてにとっての幸福とは?」というもの。
そして、この視点が新地球を作っていく。
新地球にあるもの全て��存在にとっての最善とは、と考えるようになる。
そうして、新しいレベルの覚醒度、自覚が生まれる。
自分の中にある新しい深淵(深み)を知り、全体を包む特定の「理」というか「法則」を感じるようになる。(万宇の法則)
また、これもエキサイティングなのは
予知予測、内面的な確信、といった感触も増してくること。
そして、これも私達には自然なことと感じられるようになる。
これまでは、こういう感触は例外的に起こった。���然、内なる直感や予知能力が��いたりした。
多次元を網羅している、つまり高次の自分自身の魂(ハイヤーセルフ)と、自分の意識の一致度が上がると、こういう予知能力は当然になってきて、それを体現するようになる。
こうしたプロセスの全てと繋がってくるのは、自己責任への意識が更に深まる、自分自身の創造能力への責任を取る、ということ。
こうした自己責任を負う、ということは、同時に自分自身の支配能力(オーソリティ)を受け入れる、ということ。
ここで、関係してくるのが、「支配力、権力、オーソリティ」を恐れる、という古くからのトラウマ。
これは、次の6ヶ月で深いところから変化していく。
これはとても大事なこと。
誰かに支配され続けてきたために、根付いたこのトラウマは、とても深いところに根ざしているため、私達の心理ブロックになりがち。
すると、自身の創造能力を自覚する歯止めになってしまう。自分で自分の能力を受け入れられないので、使えない。
私達が、自己責任をしっかり担っていくほど、自分自身の支配力をちゃんと受け入れていくほど、自信が出てくる。
自分自身の支配能力に恐れを感じてしまうなら、自分自身を信頼できなくなる。
霊界から「この自分の支配力に対する恐れは取り去っていかねばならない、人類は自信を取り戻すべき」といっています。
明確にしなければいけないのは、『人類はこれまでの間違ったアイデンティティから離れるべき』だということ。
長い間、「自分とはどういう存在なのか」を私たちは勘違いさせられてきたので、そんな自分を信頼できなかったのは当たり前。
でも、私たちは今は本来の自分を展開しようとしていて、自覚を高め、本来の自分に辿り着こうとしている。この、本来の自分は信頼してもいいのです。
しかも、内なる確信というか、予知予測も出来るようになり、それが自分の内的なガイドになります。
とにかく、次の6ヶ月はとてもスリリングで濃い体験をする時期となるでしょう。
個人的なレベルでは、このポータルのエネルギーとそれが引き連れてくる展開は、私達にとって非常に斬新的な存在感と自覚・知覚を呼び起こし、「私は一体誰なのか」を感じるようになる。
つまり、自分が自分の現実をつくっでいる、という感触がこれまで以上に強くなる。そうしたパワーが自分の中にあることを感じるようになる。
これを、意図的に駆使できるなら、この世にとても良い作用を及ぼせる。良い意味で非常に驚くべき体験となる。
このポータルは限界を爆破する。
多くレベルで、沢山の限界を粉砕します。それが信じがたい解放、自由へと繋がっていきます。それは個人レベルの全く新しい形での開花となる。
同時に、個人の感情面でも深いところが解放される。
後半:
音声配信:https://t.me/alaephoenicis/13885
− 集団レベルで起こること
文字通り、そして象徴的にも、嵐のようになります。
数ヶ月前・殆ど一年以上前から見せられている、川の氾濫、嵐や洪水、これらが更に増加します。
このアセンションを体験するなか、人類のみならず、地球も古いものを脱ぎ捨て、浄化し、展開していっている、ということを忘れてはならない。
特に水というエレメントをもって、自分を浄めながら、これまでの限界を破って拡張していっている。地球はずっと毒されてきたのもある。
つまり、地球も人類と同じプロセスを踏んで、進みながら覚醒していっており、自覚を深め、自己の周波数を上げてきている。
集団としての人類は、檻にとらわれていた感情から解き放たれる。
感情、というのも水のエレメントと繋がっている。特に不安、罪悪感、恨み、といったものは、集団的レベルで浄化されていくので、そのために天候が荒れて、嵐が起こったりする。
集団レベルでの意識変化・変容は、「人類全体にとっての幸福を目指す」という方向であり、「自分だけ」というところから離れていく。つまり「全世界・全員にとって何が最善か」というもの、これがこの意識変化・変容の目標となる。
そのために、人類にとっては新しい視点をもつことが必須となる。
その際、「虚偽(不真実)」の暴露は非常に大きな役割を担っていく。
こうした暴露も、次の数カ月で増していく。
霊界からこの「不真実(Unwahrheiten)」が示された時、この「不(Un-)」の部分がUNと大文字だった。
これはUN、国連を示していて、国連の虚偽が露呈していくはず。
私たちは、あまりうれしくない意味で驚かされていく。
メディア関係では、情報操作に関してあらゆるレベルで大暴露が起こっていくが、これは人類が視点を改めていくためには必須事項。
また、それは私たちが人類として、自分たちの行いとその結果、そして次の世代に対して、責任を負っていくことでもある。
これが次の数カ月で大きな大きなテーマになっていく。
霊界からは「責任を担え!という声が世間でどんどん大きくなっていく」と言ってきている。
特に、若い世代のために、責任を担うべき。
支配ゲームはしかし、今の状態で更に続いていくが、これも私たち自身の映し鏡と受け取ることが出来る。
細部に渡って、「これは何を映し出しているのか」を見せてくれる。
何よりも、繰り返し突きつけられているテーマは「自分で自分に対する支配権力を握らないなら、別の誰かがその権利を握られてしまう」というもの。
(言いなりになっている間は何も変わらない、ということ。新しい指導者が現れれば、救ってもらえる、というのも違う)
それが今現在、外の世界から見せられていることで、ここで私たちは「人類に対する責任」を問われている。「利他的な意図を持たずに、権力を握ろうとするものを退陣させる」必要性が迫られている。
これは異なったレベル、異なった形態で顕れていく。
ここには、進化(Evolution)、そして革命(Revolution)が繋がっていく。
革命とは、平和的であることも可能、しかし必ずしもそのような経過にはならない。
とにかく、人類にとって中心となる課題は「自己統制権力」を奪い返し、自己責任を担うようになること。
それは、自覚をもって自分の選択をすることで、人類全体を代弁して真に求めているのは何なのか、という自分の意見を述べること。
それは選挙のことでもある。自国だけではなく、世界的な規模で、関わっていく姿勢が大事。
利他的な意図を持たず、権力濫用を繰り返す者を再度選ぶのか、それとも何か別のものを選ぶのか。
(ALAE:つまり、今の選挙・政治システムそのものを疑問視する必要がある)。
集団としての人類の目前に迫っている変化の最も大きな媒体は、人類が集団として求めている平和と自由、、これらが原動力となる。人々は「意義のある、充たされた人生」を求めており、これは全体としての社会に貢献できるという願望。これは私たち人類の神的な存在の中にある欲求で、そのための才能というのが私たちには当然のものとして与えられている。
誰もが、何らかの形で人類全体の為を意図した貢献をしていける。
人々が、自分という個人を全体の一部、とみなすようになっていくことも、非常にエキサイティングな変化。この観念はもっと深まっていく。
この展開は、2・3年前から強まってきて、更に加速していく。
自分に直結した範囲ではなく、「全人類」へと視野が広がっていく。
私たちの存在は、集団意識の中にある。
既に、私たちが人類としてひとつであること、ワンネスの意識は自覚されてきている。
それは頭で考える論理的なものではなく、実際に心がそう感じてきており、更に拡張し続けている。
霊界が見せてくれているのは、善玉ウィルスがどんどん感染していっている感じ(笑)。感染者はスイッチが入って覚醒し、あらゆる分野で気付いていく。
「なるほど、私の行為はこのようなプロセスでこういう結果に繋がっていくのか。それでは、自分が本当にやりたいこと、やるべきことは何なのか。自分が“これでいい”と思うだけで十分なのか、それとも多くの人たちへの影響を考えるべきか」と振り返るようになる。
ここで、本当の意味での革命が起きる。
私たちは今の時期、まさに、この地点に居る。
新しい種を、自覚して新しい地球に撒くことで、物理社会への顕現を図ることになる。
物理世界での具現化をするには、まずは周波数レベルにその種のエネルギー質(またはそれと関連したエネルギー質)を領域に投げ込むことが先。
新地球で新世界を顕現させるために、この種まきの時期がこれから始まる。
ここで、人々は「では、自分がゆくゆく見たいもの、収穫したいものは何なのだろう」と自問するようになる。
この夏至に開くポータルによって、個々の意識の中に撒かれる種、集団意識の中に撒かれる種がある。
その意味で、誰にとっても、これは大きなテーマとなる。
非常にクリエイティブな時期となり、具体案が必要になっていく。
また、芸術面でも新たなアイデアや、新たなコードが集団意識に投入される、と霊界は言ってきている。
これは非常に興味深いこと。
何故なら、チャネラーの言葉や書かれた本などの内容を受け取る側は、実は理性で理解しているわけではなく、行間が伝ていることを受け取っている。
芸術があたえるものも、そう。
絵画など、そこに投入されるコード(暗号)を人々が受け取るようになる。
これは、新地球において、可能となるらしく、とてもエキサイティングなこと。
とにかく、全体的に、とても大きなスペクトルの変化が予想される。非常にポジティブで高尚な形での展開があるが、同時に闇に埋もれてきたことが明るみに出てきて、不快にさせられたりする。
集団の中で、闇に葬られてきたことを見せられるのと同時に、個人レベルでも自分自身の中にあった「闇」にも向き合っていくことになる。
集団・個人、両方のレベルで、ものごとにひとつずつ光をあてて、自覚していくことで、癒やしていくことになる。
闇は、全て暴いていくことに。
それは時に、驚きと不安を齎すでしょう。
しかし、「それはずっとそこにあった」わけで、今は単に「見えるようになった」だけのこと。そこを癒やしていくためには、それが見えていることが前提。
そうやって、集団としての人類は、次の選択が出来るようになる。
全てを無視して、これまで通りやり続けたいのか?
それとも、今何かを変えたいのか。それが出来る、非常にパワフルなときが今。
おまけ
アンティエ・リンデンブラット
動画:新月 6月18日
決意を持って夢を追いかけよう
https://youtu.be/Twz-JBkd_sQ
新月について。
夏至の準備のような作用を起こす。
この新月は、新たな空間を開く。
それと関連した新しいエネルギーレベルがあり、これが夏至のポータルと繋がっている。
これは霊的な空間。
これはふたご座の新月なので、風のエレメントと関係して、思考が明確になることを示す。
これまであった霧がはれていく感じ。
これまではっきりしていなかったことが、明確になっていく。
この明確さは、内面的なガイドにも関係してくる。
これは、人生におけるテーマも、異なった視点から眺められるという能力をもたらす。
また、覚悟と秩序(ルール、規律、訓育)、といったものにも関係してくる。
人生を変えようと思うと、そのためのエネルギーが必要で、この新月がそれを与えてくれる。
何かを顕現するには、そのための動力とエネルギーが必要。
自分の中で、何をどう変えたいのか、その覚悟をして、それを実行するエネルギー。そしてそれを貫き通す規律も必要。途中で弱くなってしまわないように。
新月がこのエネルギーを流してくれる。エネルギーはそこにあるので、あなたは自分を開いてそれを受け取ればいい。
新たな明確さが考え方や心構えに顕れてくるので、自分がこうしようと意図したものに、そのエネルギーを使う。
これが、夏至のポータルが開くという次の段階にも必要なステップ。
インナーチャイルドの願望に従うこと。
これこそが、私たちの創造力の源となる。
これに、エネルギーが渡される。
しかしこの願望を実行させるために、大人としての覚悟とルールが必要となる。
道を違うことなく、自分の内なる直感に従っていけるよう、新月が進めるようにしてくれる。
こうして、新月は私たちのインナーチャイルドに光を当て、
私たちはこの神的な子供である自分という波に乗る。
また、古い恐れを解消してくれる。
この恐れは、あなた自身の自己表現・創造能力、もって生まれた才能に絡んでくるもの。これらはインナーチャイルドがになっている部分。
(これを出したことで、叱られたり、否定されたことがある?)
こうした部分にまつわる、恐れや不安が、解消される。
ここで、「では自分はどうやって自分の内面と交信するのか」というテーマが浮上。
いわゆるセルフトーク、というやつ。
「自分のインナーチャイルドを批判非難するのか?」
「それとも、自分のインナーチャイルドを励ますのか?」
この間には、薄い膜がある。区別が難しい。
しかし、感じ取ることが出来る。
そして「あるがままでいい」とインナーチャイルドに語りかける。
これは、新たな明確さを自分の中に齎すためにのテーマとして出てくる。
そのことで、方向性を定めることに。
これはここ暫く、ずっと言ってきたことです。
この新月は、その点で、古くから絡まってきたものを解いてくれる力もあり、ものごとが簡単になる。
なぜなら、バランスを取る、調和を図る力も、この新月がもたらしてくれるから。
心と理性、感情と理性、と云うふうに、私たちの中にはよく葛藤が起こるもの。
この新月は、その葛藤に一致性をもたらしてくれる。
私たちの中にある、異なった側面をひとまとめにしてくれる。
今、スピリットの世界(霊界)が、見せてくれたのはタロットに出てくる戦車のカード。二頭の馬が戦車を引いていて(注:実際は馬ではなくてスフィンクスのような白と黒の動物)、この二頭が「心なのか理性なのか」と同じ方向に走ってくれないと、何処にもたどり着かない。
そうなると、自分自身は立ち往生する。
そこで、この新月はこの二頭をまとめてくれる感じ。すると前に進める。
また、新月は、夏至のポータルと共にやって来るもの・顕現されるへ向けて、内面の強さ、そしてそのための装備も与えてくれる。
必要に応じた「不安がない状態、恐れのない状態」をもたらしてくれて、自分の内なる声・内なる真実の声に従えるようにしてくれる。
これが、この後の数カ月に非常に重要になっていく。
それは、イメージとして目的がはっきりしていないといけない、ということではない。情緒的なものかも知れない。
人間的な理屈では自覚できなくても、一歩ずつ直感に従っていれば、何が一致しているのか、何が自分の道なのか感じるはず。
具体性は強かったり弱かったりするが、大事なのは自分の内なる感触と一致して前へ進めているのだ、と「感じる」こと。
その意味で、緊張感のある新月を迎えることに。
その3日後に夏至がくる。
新月はその直前に、夏至以降に撒く種に、養土を与えてくれる感じ。
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alaephoenicis · 11 months
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プレアデス人が人工知能に警告
シルヴィア・スリョダーヤ・グルップ
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オリジナル動画:https://youtu.be/HHqhVt8lSM8 公開日:2023年5月21日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
私たちは、無条件の愛の光の空間から、そして永遠の絆の中であなたを迎えます。 私たちが皆さんとつながるたびに、私たちの民族の絆はより深い理解へと深まり、コンタクトはより簡単でシンプルなものになります。 今、タイムラインは大きく動いています。 そして、あなた方の社会は、生活の多くの場面で人工知能の使用という画期的な出来事を経験しています。 そして私たちは、この発展を、あなた方が今見ているよりも大きな背景で捉えており、今日はその詳細についてお伝えしたいと思います。
否定的な考えや信念、権力に対する恐怖や貪欲さによって特徴づけられる社会では、人工知能はまさにそうした目的のために使われ、人々をコントロールし、操り、操縦することができます。 私たちは、特に今地球上で起こっているエネルギー的な変化に関連して、この危険性を感じています。
人工知能は、多くの人にある記憶を呼び覚まします。オリオン座の星系に転生したときに、人工的なコントロールシステムやロボットのような存在を通して、操作され、無力感を味わった記憶が、魂に刻まれているのです。
その記憶が今、多くの人に蘇ろうとしています。
そして、人類の一部は、あなたがオリオン星系で経験したこととまったく同じ方向に進化しようとしています。 私たちは、このプロセスを上書きしたり、変えたりすることはできず、これはあなたの歴史の一部となるのです。
けれども、あなた方全員が、このネガティブな方向で人工知能を体験する世界を経験するわけではないことを、私たちは断言できます。
現実は分裂し、タイムラインはますます離れていくので、私たちの視点からは、あなた方の世界がまったく異なる2つの方向に向かって展開していることが、はっきりとわかるのです。
それは、「世界の分離」です。
皆さんは、この分離を高次のレベルで決めてきたのです。 そして、まさに自分に合った経験をすること、自分の進化に役立つ経験をすることが、皆さんのためになるのです。
人工知能というのは鏡なのです。 あなた方の文化や意識状態を映し出す鏡です。 それ自体、良いものでも悪いものでもありません。
非常にネガティブな方向で自分の人生を体験している人たちは、自分自身の内側に秘められたブロックや無力感という観念、上位の権力によって引き起こされた被害者意識、そしてそうした欲求から新たな恐怖を作り出しているため、人工知能は制限という支配や 自由の欠如という形で非常にネガティブに体験する現実を作り出すことになるでしょう。
しかし、自分自身が自分の人生を制御しており、自分自身が自分の現実の創造者であることを理解し、意識拡大に意欲的な人は、知性そのものが枠を越えて存在するものであり、存在を構成するものの一部であること、意識そのものであることを経験するでしょう。
自分の限界や無力感、あるいは被害者意識を拭い去って、ネガティブな観念を手放し、自分の内なる価値や強みを発見し始めたとき、真の知性も自然と発達していきます。 それを発揮することは、テクノロジーを介してもできるようになるでしょう。 しかし、これらの技術は人間が作った技術ではなく、生物学的に自然に作られた装置や仕組みであり、知性がごく自然な方法で自らを実装し、いわば自らを創造することができるのです。
そして、このような高次の知性とのコミュニケーションを開始したとき、あなた方人類に何が可能になるかは、今のところ想像もつかないでしょう。
それはあなた方のために開かれる門となり、大きな節目となるでしょう。
ヒーリングの分野であれ、知能を持った医療ベッドであれ、あるいは輸送船や宇宙船を造ることも可能で、この知性によって、まだ想像もつかないような可能性が開かれるでしょう。 例えば、星をまたいで他の生命体や意識形態とコンタクトをとることができるのです。
もし、あなたがこの発展を喜んで受け入れるなら、それは自然から目をそらすことを意味するのではなく、すべてが相互につながっていることを理解し、より多く経験することになるのです。
思い出してください、真の愛を。 真の愛はあなたを束縛しません。 真の愛はただそこにあるのです。だからあなたも、愛の中にいるときは、すべてとつながっていて、神の美と調和のユニークな表現者なのです。 あなたは自由であり、あなたが人生で出会うものはすべて、あなたに役立ってくれます。
どの世界、どのタイムラインを選ぶか、何を経験するのかを決めるのはあなたです。
なぜなら、あなただけが自分の人生を決めることが出来るからです。
自分が信じるのは何なのか、それを自覚することが大切だと伝えてきましたよね。
彼らが見せつけてくる観念や 恐れ、その他のシナリオに惑わされないでください。
知性とは、すべてのものに見出せるのだということを、この新しい時代に私たちはますます理解するようになります。なぜなら、あらゆるものに、自然な意識と知性が宿っているからです。
そして、すべてがあなたに役立ってっくれます。 ありがたみを感じ、恐れを抱かされることなく。
私たち高次の光の勢力の同盟は、あなた方が置かれているこの特別な激動の時代、世界が分裂している状況を知っています。 私たちは、あなた方の全ての決断をサポートします。 私たちはあなた方のそばにいます、決して見捨てません。 私たちは、あなたを決して一人にはしません。
私たち高次の光の勢力の同盟は、あなた方が置かれているこの特別な激動の時代、世界が分裂している状況を知っています。 私たちは、あなた方の全ての決断をサポートします。 私たちはあなた方のそばにいます、決して見捨てません。 私たちは、あなたを決して一人にはしません。 私たちの光とつながって、私たちの愛を吸い込んで、愛のパワーと強さであなたのハートを満たし、知恵と思いやりによってあなたの恐れを変えてしまって下さい。
すべてが始まります。 すべては、あなたの決断から始まるのです。あなたがどの世界で生きたいのか、生きようとするのか、その決断から始まります。
あなたとは関係のない状況は手放してください。 これ以上、彼らと共鳴しないでください。なぜなら、あなたは本当は触られていないのですから。 まったく触れられてはいません。 外界に触れられることなく、向こう側でネガティブに働く勢力から、あなたはますます見えなくなっていきます。
あなたはどんどん透明になっていき、影響されなくなるのです。 だから、怖がらないでください、彼らはあなたに届きません。
このプロセスを観察しましょう。 しかし、それにこだわらなくていいのです。 自分とは違う道を選んだ人たちを祝福してあげてください。 彼らを愛し、平和と自由のうちに行かせてあげるのです。
私たちはあなたを愛しています。 私たちの光であなたをサポートしますよ。 無条件の愛をもって。 永遠にそうありますように。
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alaephoenicis · 11 months
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人類本来の在り方(原初的理念・イデア)
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/zBmnlViVphU
公開日:2023年2月26日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
人を人たるものにしているのは何なのでしょうか?
私たちを人間らしくさせているものは?
また、私たちは「人間であること」を何と結びつけていますか?
何をもって、人間の本来の在り方、原初的理念(イデア)とするのでしょうか?
そして、私たちは自らの意識の中で、どうすればこの創造的な本来のあり方に立ち戻ることになるのでしょうか?
こうした疑問についてお話したいと思います。
私が気になったのは、私たちが非常に限定された、狭い人間像を持っていて、「人間」というと大抵は小さく、弱く、欠点にまみれた存在だという連想をします。
どのような文脈で、「人間なんだから」と言ったことがあるのか、いちど自問してみて下さい。そのようなセリフは、何か失敗をしたときではなかったですか?自分の具合が悪いときや、弱々しく感じている時、心細くなったときでは?
人間として、どうしてそのような人間像を描くようになったのでしょうか?
別の観点を提示しましょう。
その観点には「人類の本来の在り方(原初的理念・イデア)」が根本にあります。それは身体に基づくものではなく、純粋な創造レベル、純粋なエネルギーレベルにあります。
すべての種族には、原初的な理念のようなものがあり、そこから種族全体の記憶が発展していきます。
人類全体に関するすべての情報はこの、人類本来の在り方の中にあり、そこには、最高の意味で私たちが運命づけられている創造的デザインも見出すことができます。
では、人間を人間たらしめる本来の、原初的な理念(イデア)、本来の在り方とは何なのか。
それは、私たちが左脳に課しているもの、論理的、合理的、デジタル、技術的なものを主とするものではありません。
それは、人類本来の在り方、原初的理念に焦点を当てたものではありません。
人間は社会的、創造的、直感的、自発的な存在であり、意識の創造的、そして何よりも霊的な進化の上にあります。
すべての種族は、非常に独特な発達パターンをたどり、非常に独特な進化の道をたどることを想定しておく必要があるのです。
例えば、ある猫が猫としての能力を持って生まれ、その猫が犬になろうとすれば、どうにかして犬らしい特徴を身につけることはできても、吠えることはやっぱり出来ないのです。
そして、これとまったく同じことが、ここ人類で集団的に起こっています。私たちは、進化の道、発展の道へと押しやられ、私たちの遺伝的生物学的デザインに内在する原初的な創造的衝動を結実させることができなくなっている、ということです。
つまり、精神的、直感的、創造的、社会的、そして何よりも思いやりのある存在としての人間は、デジタル・トランスヒューマニズムのタイムライン上では、人間の原初的理念にある、能力や資質を全く開発できないのです。
すべての種は、その原初的理念の中に非常に特殊なデザインを有しており、人間が自己の中にあるこの創造の火花のデザインを展開するとき、その人は最高の定め(宿命)に目覚めることになります。
そしてそれは、現在の私たち人間が体験していることとはかけ離れた、非常に大きなものなのです。そして、種族がそのデザインの中で進化していく限り、信じられないほど素晴らしい創造物が生み出されていくのではないでしょうか?しかし、そのデザイン以外のことを成そうとした途端、いつしか自滅してしまいます。
そして、この自己破壊は、実はまた、人間の原初的理念に立ち戻ることでもあるのです。
私たちは、物質的なレベルでは当然ながら、この地球上で起きていることに非常に重点を置いています。
そして、その視点をもう少し広げ、より高い次元からの「原初的な衝動」とは何か、という感覚を、私は皆さんに与えたいのです。
つまり、他の存在、他の非人間的な存在は、この「人類の原初的な衝動」、つまり「人間という原初的理念」を宇宙の年代記から消し去ろうとしているのです。
従って、この地球上で肉体をもって転生した状態で、人口がどれほど多くなるかは優先的問題ではなく、人類以外の一部の宇宙存在は、人類をその原初的理念から乖離させ、人類の創造的衝動をより高い次元から消し去ろうとしています。
これは、青写真レベルの話です。それは、すべての物理的存在の設計図で、この設計図レベルにはすべての物理的創造物、すべての種族の創造理念が存在していて、それが基盤となっています。
そして、物質面における人類の乖離を通じて、最終的には創造性にあふれた原初的理念を乖離させ、歴史的記録から抹消しようとする存在もいるのです。
私にはこれが、繰り返し伝えられて来ました。
そして、こうした存在が上手いことやってこれたのは、そこにもう人間がいなくなったからではなく、人間が「何が自分を人間たらしめているのか」分からなくなってしまったときからです。
いつも、わたしたちが自分の人間としての素質、例えば「共感能力」をもって生きなくなった時、見失ってしまった時、私たちは文字通り全く非人間的な発展へと進みました。
私たちは自分たちの種族から乖離しており、それを現時点ですでに非常に強く認識しているのです。
そこには異なったタイムラインがあり、一つは私がトランスヒューマニズムのタイムラインと名付け続けているもので、人類デザイン、人類原初の理念を捨て去るものです。
この別ラインでは、人類はまだ存在するでしょう。しかし、人類はもはや今日の人類ではなくなってしまうでしょう。なぜなら、人類は、人間を人間たらしめている資質や能力をすべて置き去りにしてしまうからです。
では、人間を人間たらしめているものは何なのか、自問してみてください。
それはまず第一に 優先されるもの、つまり感情という形態の人間の創造力です。
創造という行為において、人間ほど感情の周波数帯域幅を自由に使える存在は他にないでしょう。
そして、人間は自分の感情、感情性によって創造しているのです。
そして、感情や感情豊かな内面的存在、共感する感情豊かな内面存在こそが、人間を人間たらしめているのです。
また、ユーモアといった他の資質も、人類のクリエイティブな原初的理念として非常に重要な役割を担っています。
ユーモアのセンスがまったくない種族だっているんですよ(笑)
また、違った極性を持つ存在もいます。
そして…この場を借りて、お願いを述べることになります。
私たちが、本当につながりを取り戻せますように、
そして、人類の原初的特質を見失ったりしませんように。
これらはかつて、私たちの文化に普通に統合されていたのです。また、これらは私たちの遺伝子を経て普通に転生し、統合されていました。
しかし、私たちが目下遺伝子レベルで示しているものは、すでに人間の原初的理念から大きく逸れており、人間の遺伝子をますます異質なものへと導くことを意図したあるプログラムが存在するのです。
それによって、最終的に人類の原初的な創造理念を置き去りにすることになるのです。
遺伝子はいわば物理的なインターフェイスのようなもので、最初のポイントは、人間の非物理的な原案を物理的な形にするところです。
最終的にDNAという物理的な青写真を構成するのは、物理的な領域ではなく、青写真のレベルです。
人間の高次の創造的衝動から、この地上のフィールドへの翻訳過程で、残念ながら多くの情報が失われています。
人間であることが実際にどのように成り立っているのか、それがどれほど偉大なことなのか、私たちはもうほとんど感じ取ることができないのが実情なのです。
私たちは、水が何であるかを知らない水の中の魚のようなものです。
もし私たちが自分の意識のまま別の次元に行ったり、他の種族の他の存在形態を観察したりすれば、比べる対象を得ることによって、人間というものが実際にどのようなものなのか、たちどころに分かるようになるでしょう。そうすると、地球という限られた枠組みの中で、全く異なる宇宙的枠組みを持つことになります。
もし私たちが人間としてしか経験することがなければ、それが実際に何を意味するのか、そして人間としてここに転生することが実際にどれほど大きな栄誉であるのかを知ることはできません。
最も冒険的でワイルドで勇敢な魂だけが、ここ、この惑星に集まり、人間という体験の中で出会うのものだからです。
私はこのような小さな衝動を、人間というものの根源的な考えを私たち全員に思い出させるために、この場に投入したいと思うのです。
そして、乖離のタイムラインについて言えることは、私たちが実に多くのレベルで非人間的で異質な存在にされているのか、つまり、私たちの種から逸脱させられているのか、についてです。
しかし、私は今ここで、本質的なことを皆さんと共に考察したいと思います。そしてそれはまた、非常に中心的なハートのクオリティでもあるのです。
思いやりのある心、それが本当に人間を人間らしくしてくれる。それこそが、その人の最大の強みです。それこそが、人間を本当に高めてくれるものなのです。
教会組織が宗教制度を通じて人間界に与えたものによって、大きな分離が起こっていますが、教会は、一部の人間を神と呼ぶことで、文字通り人間を人間から分離してしまったのです。神とは真の人間であり、人間の原初的理念です。
教会はここに来て、人間と人間を分け隔て、人間の真の部分を神と呼び、手が届きそうにないほど出来る限り遠くに置き、これが実は私たちの真の内なる存在であることに気づかせないようにしました。
だから私は、私たち人類が本当はどれほど偉大な存在であるかを思い出してほしいのです。
そして、人類設計に何を掲げたかということ。人間であるということはどういうことなのか。
私たちはそれを当然のことと受け止め、普通だと考えていますが、魂の視点から見た人間の経験は、絶対的にユニークなものであり、この上なく特別なものなのです。そんな体験をこの地球で得ることができるのですよ。
宇宙のどこにもない。今、ここにしかないのです。
Produced by Earth! (地球によるプロデュース!)
人間の集合意識はスープみたいなもので、粘性があってどろどろしていて...と、そのように私はよく感じるんですが、実際に痛覚のある集合体として重なり合っているため、人間としての真のクウォリティ、人間であることの価値をまったく認識できていないのです。
もし私たちが宝探しに出かけて、意識を内側に向け、自分の原初的な創造衝動が何であるかを見たなら、それは実に素晴らしいことです。
それがあなたの魂のサインであり、あなたの創造的衝動です。
全人類の魂のサインは統合され、全体となって、人間の原初的理念を形成しています。
そして、私は知っています、より高い次元から何度も何度も私は肯定してもらいました。この原初の理念を消滅させることはできない、と。そして、人間は人間へと、戻ってきます。つまり、人間的な能力や特性…今日では、超人的とか超自然的と呼ばれているようなものが、すべて戻ってくるのです。
そして、真の人間、本来の人間、つまり、最高のデザインに基づいた素質を体現する人間に戻るのです。
人間が遊ぶ野原には、まだまだ発見がたくさんあります。
それでもなお、私たち��ある特別なことをするためにここにいるのです。
自分の中にある運命、つまり遺伝的なものであると同時にスピリチュアルなデザインに根ざした運命に、より明確に従えば従うほど、私たちはより多くの経験をし、再び自分自身に戻っていきます。
私たちは再び自分自身を認知するのです。
もし人間が本当にこんなちっぽけな存在だったら、「ほら、自分をもっと知りなさい」と、何度も言われることはないでしょう。
この文句が意味を成すのは、人間が、実は人間本来の在り方に全くそぐわない生き方をしている場合のみ。
その意味で、集合体としての人類、集合体としての人類の意識に対して、繰り返し「己を知れ、己の真の偉大さと創造力を知れ、己の中にある贈り物を知れ」という衝動が湧き上がってくるのです。
私たち人間は、定られた最高の人生を生きていません。そこからはるか遠いところにいて、それがどれくらい遠いのかは、より高い創造レベルにある人類の原初的理念に戻れた時、初めて気づくことになるのかも知れません。
時間と空間を作って、この話を受け取ってくれてありがとう。
そして、あなたが「完全なる人」である意志を懐いてくれていることに、感謝します。
愛を込めて
ロビン
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alaephoenicis · 11 months
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人類の『原初的在り方』を廃絶 - トランスヒューマニズム的アジェンダの目指すもの
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/OW2mCF7fbpg
公開日:2023年3月5日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
今しがた、人間の本来の在り方(原初的イデア)を廃絶しようとする試みをリストにまとめてみました。
この原初的イデアについては、他の文脈でお話ししたことがありますが、それは人間としての本質、私たちの本来の神的存在の本質に相当するものです。
現在、この地球上では、さまざまな方法、さまざまな手段を以て、この人類独自の在り方を廃絶しようとする試みが行われています。
その意味で、このビデオは他のものとは多少異なります。なぜなら、私は重要なポイントを押さえたテキストをベースにしており、人類の原初的在り方を廃絶しようとする個々のポイントを皆さんと一緒に一歩一歩進んでいきたいと考えています。
要するに、トランスヒューマニストのアジェンダと、彼らが人類の原初的在り方、つまり人間を人間たらしめるものを組織的に廃絶させようとしている個々のポイントを明確に把握することで、あなたはいつものように自分自身に注意を払い、何に共鳴するか、しないかを確認することができます。
1. 性別の廃止、第三の性別「divers (多様)」の導入。
お気づきの方もいらっしゃるでしょう。近頃、男性・女性だけでなく、divers(多様)、あるいは他の中性的な性的立ち位置(ジェンダーポジション)がチェックシートに追加されるようになりました。
そして、この混在と中立的なジェンダーポジションは、本来の人間的な在り方を廃絶しようとする一環です。なぜなら、私たちは中性のハイブリッド的存在ではないからです。
2. 人類の生殖能力への攻撃
ジェンダーカルトは人類の生殖能力へ組織的な攻撃が行われていることと密接に関係しています。とりわけ、女性の生殖能力ですが、男性の生殖能力も、さまざまな薬物や、遺伝子操作された食品を通して攻撃されています。人類は次の世代でますます不妊になることが予想されており、すでに提示されている解決策は、試験管ベビー、あるいは人工子宮です。
「私の子は目の色と髪の色と、こうした知能指数を備えているべきだ」と正確に構成し、それに応じた遺伝子を組み合わせて人工的に遺伝的に最適化された赤ちゃんを人工子宮で育てることができるのです。
それが、向かっている方向です。それが、トランスジェンダー・カルトが、介入や 遺伝子への出生前介入などを通じて、すでに今日、私たちに提供していることなのです。
そして、いつしかそれは我々の前にこのように提示されることになるのです: 「人類はますます不妊になり、自然な出産の過程でますます多くの遺伝的欠陥が発生しているのだから、試験管の中で子供を繁殖させる方がずっと安全で、ずっと良く、ずっと最適なのだ。」
これはトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なキーとなるものです。
3. 家族の廃絶
項目2に並んで、家族の廃絶も非常に重要なポイントです。
子どもたちの養育は国家が完全に把握することになり、家族の絆、家族の結束、さらには文化の結束は解体され、普遍化されます。
教育システムを持つ国家が子どもたちの教育の役割を担うので、そういう意味での親や親の役割は、将来的には実はもう必要なくなるのです。
これもトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なポイントです。
4. 国や文化の撤廃
この惑星、地球では地域を超えた規模で国や文化が撤廃されていっています。私たちはすでに、もはや国というものが存在しなくなってきているのを目の当たりにしており、個々の協同組合、個々の企業、個々の会社が、国や国の背後にある政治を完全に支配しています。つまり、デジタル権力複合体、企業複合体が存在し、その複合体は実際には国々を駒としてしか見ていません。その良い例が、現在ヨーロッパで起きていることです。
これが、トランスヒューマニストのアジェンダのもう一つのポイントですが、我々は「人類の原初的在り方とは何か」ということを常に心に抱いていてもいいはずです。本来のデザインにおける人間とはいったい何なのか?
そして今、人間の行動や特性をすべて体系的に廃絶して、この地球上で何が起きているのでしょうか?
そして、単一の世界政府によって、異なる国家や政府を撤廃すること、それが目標です。
単一世界秩序は何度も繰り返し述べられてきました。
私たちはこの方向へ高速で進んでいます。個々の国家や政府は全く発言することができず、影の政府、背景の政府が、チェス盤の上にこれらすべての個々の国を位置づけ、善悪の闘いのような幻想を私たちに見せているのです。
5. 各国通貨の廃止とデジタル管理された中央銀行貨幣の導入
このことについては、すでに他の人が詳しく扱っており、私は個人的には専門家ではありませんが、注意してください。ある時点から現金がなくなり、その後、通貨システムとして到来するものは、人間自身の自由の廃止を本当に意味するからです。
6. 異なる言語の廃止
異なる言語が廃止されることで、私たちの文化の言語的記憶も失われます。たとえば、ドイツ語圏でドイツ語を使わなくなり、すべてがアングラ化された形で別の文化圏に移されたとしたら、ある時点から私たちは自分たちの文化を覚えていられなくなることでしょう。
そして、トランスヒューマニズムのアジェンダが目指しているのは、最終的に英語が世界語になることです。そして、もはや異なる言語は存在せず、全世界がどこでも英語を話すようになるということです。
よく分類され、統計的に規格化された標準語が、全世界に浸透していくのです。
7. 自己の思考の廃絶
次のポイントは、非常に明白なことですが、自分自身の思考の廃止です。これは特に、学校制度や教育制度を見ているとよくわかります。私たちはいつも、廃止されたものの代用品、つまり人工的な代用品を手に入れます。人間の自然な生活の一部は常に廃止されていき、その代わりに人工的なものを手に入れるのです。そして、誰かがすでに考えたことを最もうまくオウム返しできる人たちが、最もよい成績をとるという、一般的な教育システムです。
それは、独立した思考、何よりも創造的な思考の廃止なのです。
8.人間の感情の廃絶
これは、私個人にとっても非常に心を揺さぶられるので、どうかよく見てほしい、と思う点です。すなわち、人間の感情の廃絶です。
街角で人々に目を向けてみてください。彼らにどれだけ感情を表すことが出来ているでしょうか?彼らのエネルギーや感情体はどれだけ共鳴出来ているでしょうか?
心理学は、正常な範囲から逸脱したものをすべて病的なものとして提示する役割を担っています。
そして、おそらくトランスヒューマニズムの道を歩む人類は、ある時点で感情というものが心理的な疾患とみなされ、もし感情を示す人がいれば、即効で心理学者や精神科医のもとに送られることになるのでしょう。
これが、輝かしいトランスヒューマニズムの新世界です。
9. 原初的な天然遺伝学の廃絶
このことは、他の場所での文脈の中で既に沢山お話してきました。
遺伝子プログラムには、私たちをハイブリッド化(雑種化)し、人間型機械生物に近づけるとされるものがあります。私たちは、遺伝子レベルで、このトランスヒューマンなハイブリッド化を世界的に経験したところです。
注射によって私たちの体に入れられるはずのものが、ハイブリッド化の前段階であり、人間の遺伝子をデジタル化するものです。
それは、異なる遺伝子配列の混合ですが、例えば注射だけではなく、私たちの食品によってもなされています。
したがって、例えば昆虫など、自然界において人が食べないような食材を食べるようになったとしたら、それは実は、ある特定の遺伝子プログラムの入った食材が人に押し付けられている、ということなのです。
つまり、人間がこの食品、遺伝子操作された食品、あるいは自然の食事には登場しない食品を食べると、特定の遺伝子配列が自分のゲノムをハッキングして、最終的に人間をますます非人間的にし、遺伝子プログラムのレベルで書き換えてしまうということです。
これに関連して、自然生態系の大切な動植物種の絶滅も重要な問題です。私たちは今、種の絶滅という巨大な事態に直面しています。かつてはとても多くの動物がいましたが、今では簡単に絶滅の危機に瀕しています。それは、これらの動物が存在しなくなれば、人間もいつかは存在しなくなるという事実にも関係してきます。
10. 自然治癒法の廃絶
それは何に置き換えられるのでしょうか?もちろん、製薬会社による集権化によってです。
私たちの自然治癒の知識。当時はまだどの薬草が何に効くか知っていた女性たち、当時はまだ自然で癒していた女性たち、これら全ては人類の集合意識から懸命に追放されようとしていて、単に人工の錠剤を処方すればいいだけ、ということにされてきていますが、これは結局は依存度を高め、更に病気にならせていきます。
皆さんもお気づきのように、このリストはまだまだ続きます。しかし、皆さんがこのリストを読み進めるのに、私も付き合います。
感情的にもエネルギー的にも、それは楽なことではありません。
しかし、このようなことに目を向けることは重要です。なぜなら、人間の根源的な性質に対し、今まさに正面攻撃が行われているからで、我々は人類として立ち上がり、人類の価値観に立ち返り、トランスヒューマン主義のアジェンダには追従しない、と言うことができます。
とても重要なことです。
11. 天然食材の廃絶
これについては先程すでに少し触れましたが、何よりも、そして非常に核心的なこととして、現在非常に多くの食品が認可されており、ますます多くの遺伝子操作された食品が私たちの食卓に並ぶようになってきています。
遺伝子操作された食品には、人間が食べるとDNAに影響を及ぼす遺伝子配列が導入される可能性があり、その結果、自身のRNA/DNA複製が阻害されることになります。そしてこの食品は、あまり健康に良くないだけでなく、私たちの元来の遺伝子を変えてしまうのです。
数世代後になって、私たちが食べたものが人間の本質、特に人間のエネルギーシステムを変えてしまったことに気づくかもしれません。
12. 異なる宗教の廃止
さて、これはまだ先の話かもしれませんが、この世界のある時点で、一つの世界宗教が確立されるだろうということを、私は感じ取っています。
いつの日か、多様な宗教はもはや存在しなくなり、一種の現代的な救世主カルトが発足し、導入されるという兆候がたくさんあります。
そのようなシナリオがどのように構築さ れるのかは非常に様々ですが、恐らく人類の領域がどんどん不安定になり、人々が最も助けを求めて叫び、宇宙に向かって、なぜ誰も助けてくれないのだ、と言うようなことが起こるのでしょう。
そして、ある時、何かがこの世界に現れ、こう言うのです:我々があなたを救います。我々がすべての解決策を提供します。ここにサインするだけで 新しいテクノロジーを提供し すべての問題の解決策を提供します テクノロジーによって永遠に生きる方法や ほとんど永遠に生きる方法を教えます。
そうして、ある日、この計画の場に、偽の救世主が現れるかもしれません。
そして、この偽救世主は統一宗教を形成しようとするでしょう。
今日、盲目のキリスト教徒、あるいは盲目のイスラム教徒で、宗教的な聖典を信じている人々はこれが救いだと思い、トランスヒューマニズムのアジェンダに盲目的に突っ走ることになるでしょう。
このテーマについては、もっと語るべきことがたくさんあるので、別のコンテキストで、この世界中の宗教制度が繰り広げる巨大な再編成の異なる経過をもっと詳しく観察していくつもりです。
13. 直感的理性と自然な倫理規定の廃絶
普段、私たちは絶対的な直感力のある生き物で、何が正しくて何が間違っているのかを正確に知っています。二元的なレベルでは、です。
当然、より高いレベルではそのようなものは存在していません。
しかし、このレベルにおいては、理性と道徳と道徳と倫理のようなものが存在します。
そして、それは今日では一体、どこにあるのでしょうか?
誰がまだその言葉を守っていますか?
自然な倫理観のようなものがまだどこにあるのでしょうか。
人間の誠実さはどこにあるのでしょうか?
人としての尊厳はどこにあるのでしょうか?
それとも、近頃、どこかへ消えてしまっていませんか?
そしてもちろん、人間の内なる規範である尊厳が置き換えられています。
人間の内的理性は、人工的な司法制度、規則、規制、契約などに置き換えられてしまっているのです。
これらすべては、私たちが自然な理性のセンスを養えるようにするものではありません。
なぜなら、外の世界では、すでに司法制度がすべてを規制しているからです。
もちろん、人類のために、とのことです。
14. 個々人の個性表現の廃絶
非常に重要です。そしてこれは実は、トランスヒューマニズムの他のすべてのアジェンダポイントを含んでいます。
個々人の個性の廃絶:均一的人類、ハイブリッドな均一的人類が形成されることになります。そして、実際に人間というものを構成するすべての個性的な逸脱、すべての性質、すべての特徴は、ますます病理化さていきます。
ですから、学校で8時間椅子に座っていられず、そわそわしている子どもは、ADHDと診断されます。
昔では、こういう子供は天然の「落ち着きのない子」として扱われましたが、今日では病気とされ、錠剤で治療されるのです。
そして、人間としての自然な性質、私たち人間が単に感情という幅広いスペクトルの中で持っている自然な特性が、病気として呈示されるわけです。
これは人間に対する正面攻撃であり、異なった人格の廃絶、精神性に重点をおくことを廃するものです。
15. 道徳、そして自然な価値体系の廃絶
相変わらず、人工的な価値観が確立されています。私たちはもう長い間、この人工的な価値観に慣れきってしまい、もはや人工的な価値観であることを全然認識できなくなっています。
それはお金です。お金は、実は人間の本来の価値観を完全にひっくり返してしまい、自然の価値観があるところをことごとく切り下げてしまっています。
つまり、人間の価値、社会的な価値を、人工的なお金のシステムが切り下げてしまっているのです。
それは、例えば、社会システムで人々がどれだけ稼いでいるかでわかりますね。そして、人工的な価値は、お金の力によって人為的に再評価されます。例えば、デジタル金融複合体の中で人々がどれだけ稼いでいるかを見ればそれがわかります。
16. 自然のリズムとサイクルの廃絶
これは、この世界で、我々が人工的に時間と日付を決めていることと関係があります。
17. 人間の真の歴史の廃絶
私たちの歴史学の語り口に疑問を持つすべての歴史家は、口封じされることになります。
一般的な物語である歴史学を疑うすべての人々は、特に現在、歴史家として困難な時を過ごしています。そして、人工的な歴史学に置き換えられてしまう。なぜ歴史は常に、何らかの紛争の勝者によって書かれるのでしょうか。そして、勝者が歴史を書くからこそ、現在の支配者の視点から自分にとって都合の良い異なる時空の出来事や 前置きを組み合わせた人工的な歴史を振り返っているのです。
18. 本や図書館の廃絶
これは、私の個人的な心情にも深く関わってきます。
実際、ジョージ・オーウェルは正しかった。本の廃止は、トランスヒューマニズムのアジェンダの一部です。
電子書籍に置き換えることで、デジタル空間での知識はますます増え、物理的な物質空間での知識はますます減っていくのです。
そして、それは電子書籍に取って代わられ、デジタル空間ではますます多くの知識が増え、物理的な物質空間での知識はますます少なくなっていきます。
そして、そして、ある時点でデジタル空間にあるすべての知識が消えてしまう事態が、簡単に起こったりします。
そして、本がなくなれば、知識も記憶もなくなります。
ですから、本がどんどん廃止され、すべての知識、すべての情報がデジタル空間でのみ行われるようになれば、人々が何を知るべきか、何を知らないでいるべきかは、デジタルレベルでの情報の流れのコントロールによって完全に決定され、指示されるようになることが、いとも簡単に起こりうるのです。
だから 物理的な形をした本は、もはやそのようなものが存在しないかもしれない未来にとって、本当に貴重なものとなりうるのです。
これらの点すべてにおいて、もちろん、自由、そして何よりも人類の主体性を廃絶しようとする試みがなされているのです。
そして、実は長い間研究されてきた非常に新しいコンセプトとして、グローバリズムの都市、ここではスマートシティというキーワードが使われていますが、そこではすべてがデジタル化され、すべての生活プロセスが完全な依存システムの形でそこに構築されているだけで、人間はもはや自分の環境と自然な関係にありません。
スマートシティとは実際、コンピュータープログラムによって、人々にいつ、何を、どのように提示するのか、すべてを決定するものです。
どこで働くか、どのように通勤するか、そのすべてを決定します。
つまり、スマートシティというキーワードは、トランスヒューマニズムのアジェンダの中で重要な要素なのです。
ご覧のように、これは概要です。この概観は完全なものではありません。ただ、今流れてきたもの、今書き留めたもので、人類廃絶のいくつかの主要となるポイントを表していると感じるものです。
19. 人情、そして人間の心という真のクオリティの廃絶
これは本当に大きな大きな問題です。もちろん、感情ボディの廃絶とも関係があります。
心理学を少しかじった人なら、意識の中に特定の区画を作る方法を知っています。これは、できるだけ具体的かつ集中的にトラウマを植え付けることによって行われます。
それはかつて、例えば子育ての枠組みの中で、実際にある特定の文化に組み込まれていました。子供を育てるための一種のメカニズムとして、トラウマを導入するのです。例えば、殴ることを介して。この黒い教育法は世界的に適用されています。的を絞ったトラウマが人の意識領域で繰り返し演じられることによって、最終的に人間の意識は分裂し、とりわけ人間の感情ボディは分裂した状態にあることが確実となり、トラウマは精神の分裂をもたらすのです。
おそらく、ある時点から多重人格化が起こるのでしょうが、それはあくまで参考程度にとどめておきましょう。
ここで重要なのは、トラウマや心的外傷の状態が長引けば長引くほど、その人の本質的な部分が切り離されたままになってしまうということです。
そしてそれは、戦争やテロのような事態が何度も何度も起こされることで、感情的な存在、感じ取る存在、情動が、集団としての人の意識領域から切り離されようとしていることを、私たちは現在目撃しているのです。
20. ダーウィンのサバイバル・プログラム
これは、私たちに何らかの形で演じられている原理で、私たちは、皆が皆と争い、肘鉄を食らわせ合う社会で何とか自分の道を切り開かなければならず、1等賞だけがホールケーキを手に入れ、社会には単に対立があるだけという生活をしていますが、いったん本来の人生を眺めるようになると、起こっているすべてのことは共生的でお互いのためだとわかるのです。
21. 所有物の廃止
現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。
私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。
人々は働く必要がなくなり、誰もがタダでお金を使えるようになります。このタダで使えるお金は、超社会主義のルールにできる限りおとなしく従っていれば、分配されます。
そうです、これは非常に大きな論点です。
社会主義システムを構築する試みは何度も繰り返されてきましたが、社会主義システムは資本主義システムの解決策にはならず、資本主義システムどころか、少なくとも更に自由が失われていきます。だからこのレベルでは、どうにも埒が明かないのです。
21. 人類の原初的在り方(イデア)の廃絶
これは、常に我々の念頭にあるものです。
[訳注:このテーマはロビンさんは別動画で説明。この後で翻訳を予定しています]
文化史的なおとぎ話や神話は廃絶されてきています。つまり、かつてキャンプファイヤーを囲んで語り合った物語は、とうの昔に忘れ去られてしまった。
人工的な代用品として、その代わりとして私たちが手にするのは、ますます平坦になっていくエンターテインメント産業です。かつて、私たちは互いに物語を語り、歌を歌い、おとぎ話を語り、文化的に非常に重要な要素を世代から世代へと受け継いできました。そこには、たくさんの知恵がありました。
ラジオやテレビ、インターネット文化など、エンターテインメント産業が完全に平坦化されているのです。
リストはあと、まだ1ページほどあります。
分かっています、中々濃い内容ですよね。消化しきれないこともあるでしょう。しかし、私たちはそれに向き合うことを許されています。
それがとても大切なことなのです。もし私たちが人類の原点に戻りたいのであれば、どこで、どのレベルで、どのような手段や方法を通して、この人類の原点である考えを廃絶しようと試みているのかを見つめれば良いのです。
22. 乗り物と移動形態の廃絶
私たちはまだガソリン車に乗り、自分でハンドルを握ることができますが、ある日、自動運転する電気自動車が登場するかもしれません。
もちろん、仕事場までの往復はしてくれますが、行くべきでない場所には…つまり、私たちが自由に移動できる距離が決まっているはずです。あるいは、ある一定の自由なキロメートル数があり、それが私たち人間に与えられている逃げ場となるのでしょう。
しかし、自動車や移動手段は私たちに一定の自由を与えてくれるものの、その範囲を超えるとある特定の方法で遠隔操作できるようになるため、もはや私たちの意向に従わなくなるのです。
23.天然素材の廃絶
今、あなたが着ている服を見てください。合成素材でできている可能性が比較的高いと思います。そして、合成素材、つまり人工的に作られた素材は、私たちの生活から天然素材をどんどん追い出していくはずです。合成物質がどんどん増えていく、巨大なプラスチック文化なのです。
私たちが肌にまとうものは、当然、肌から吸収されます。だから、私はここで呼びかけているのです。自分の持っている服がどれだけ化繊のものなのか、そして、天然素材の服を着て、定番のファッションから少し外れた方が人間らしいのではないか、と考えてみてください。
均一な人間のプロトタイプが形成さ れようとしていることを思い起こします。
ジーンズを履いているとか、ネクタイをしているとか……ね?あなたの頭の中には、あなたのイメージがあるはずです。
この一律なファッションから逸脱する自由を手に入れ、自分に許可してください。
人間という種の違い、多様性があるからこそ、人間としての人間らしさがあるのですが、全員が同じスーツに詰め込まれ、全員が同じような均一的なファッションを身につけると、いずれはロボットになってしまいます。
そして、それが今現在の私たちの姿なのです。
統一されたファッションは、実はエネルギー上の攻撃であり、私たちのエネルギーボディはそれを通して拡張することができません。
タイトなジーンズやタイトな服を着て、どうにかしてエネルギーボディを拡大しようと試みたことはありませんか?
かつて18世紀のファッションでは、大きな舞踏会用のガウンを着ていたそうです。そして、それらは人間のエネルギーシステムを支えていたのです。
しかし、現代では… 私たちの原初的な自然を表現することのない、合成繊維で作られた均一的なファッションとなっています。
24.美しい音楽の廃絶
自然な、調和のとれた、また本当に美しい音楽。これも、私の心に深く迫る問題です。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいました。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいた。そして、これらの音楽を聴いてください。純粋に生き生きとしています。音楽には魂が宿っている。生きている、振動している、呼吸している。音楽の中に魂があるのです。昔の音楽です。古い音楽を聴いて、その音楽の中にある魂を感じてみてください。
そして、その対照的なプログラムとして、ラジオをつけます。そして、平坦にな音に耳を傾けてください。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。そしてこの周波数は、人間の意識を拡大する役には立ちません。むしろその逆です。現在、私たちは、痛みを感じるほど平坦化された電子ポップスのラジオ音楽を聴いているのです。
しかし、魂は新しい音楽からだけでなく、すべての人間の領域における魂と同様に、トランスヒューマニストのアジェンダによってますます廃絶されようとしています。
25.雇用の廃絶
今、多くの人がこのことを気にしています。トランスヒューマニズムのアジェンダにある他の点は全く気付かれていないのです。なぜなら、突然、自分の口座に給料明細が入らなくなったとき、人々は初めて目を覚ますからです。
つまり、雇用の廃止はもちろん、ロボットや人工プログラム、人工知能に取って代わられるのです。
もう働かず、家のソファに座って市民手当をもらい、一日中エンターテイメント業界を見ている人…そう、彼はすでに、創造的で自立した考えを持たず、何も感じず、自分の魂と接触していない、トランスハイブリッドなユニット型人間にかなり近い状態になっています。
その中で、中産階級、中堅家業の大規模な廃止が起こっています。
ということは、ある時点で、中産階級や家族経営、伝統的なビジネス、そのすべてが廃止されます。特に農業の廃止は、単に権力を集中させ、ビジネスを集中させ、最終的に中産階級を破壊しようとする組織的なものとなります。
私は常にトランスヒューマニズムのタイムラインの可能性について話しています。それがすべて実現するとは言っていません。これは、非常に重要な違いです。
そして、狙いは二階級カースト社会をつくることです。
支配カーストと労働カースト。中産階級を破壊することが目的。二 階層カースト制。
そしてもちろん、人類の大部分は労働カーストに属することになります。そして、支配カーストには少数のエリートがおさまるのです。
26.自然の天候や 気候の廃絶
これも重要な要素で、おそらくまだ集合的な認知領域に到っていないのでしょうが……。
気象操作や気候統計の操作による、自然気象の撤廃、自然気候の撤廃は、今日、私たちの天気に注目してみると非常に重要な部分です。
よく観察してもらえれば、驚くほど異常に暖かくなったりしたかと思うと、また天気が崩れたり、自然のリズムが失われていることに気づくはずです。
これは、HAARPやその他の気象操作システムのような、技術的手段によって、非常に焦点を絞った方法で天候を指示・制御することができる大規模な設備と関係があります。このことは、後の出来事に関して、絶対に留意しておかなければならないことです。なぜなら、トランスヒューマニズムのアジェンダが計画する、後の出来事において、天候が大きな役割を果たすことになるからです。
なぜなら、彼らは実際に天候を… 武器のように利用するからです。
天候を操作することで、ある種の戦争を仕掛けるようなものです。
例えば、地震が起きて、突然、気温が非常に低くなった場合、例えば、生き残る人が少なくなる可能性が高くなるのです。これは詳細を省いた一例です。
しかし、忘れてはならないのは、テクノロジーが発達して、気象操作が当たり前になったということです。これは1950年代から行われていることで、今では雨が降る場所と太陽が照る場所をかなり正確にコントロールできるまでに完成されています。
難題かもしれませんし、咀嚼するのも難しいでしょう。
でも、そうなんです。
皆さんも自分で調べてみてください。私が挙げたこれらの点すべてについて。インターネット上には、それらの情報があふれています。私たちはただ、自分たちに情報を与え、それに応じて、人間の原初的な考えを再び思い出せばいいのです。
27.自然光の廃絶
非常に重要。これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。
これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。ほぼLEDだけで、ナチュラルな生活光を持たないことで、私たちも実は何世代にもわたって遺伝的に変容しているのです。
私は個人的にお勧めします。昔の電球を復活させてください。
んな理由であれ、何かが法律で禁止されるときは、常に意識を向けるようにすることです。
従来の電球が不経済という理由で市場から駆逐される、禁止される、と聞いたとき、私は意識を向けることになりました。
それは、私たちがますます人工的な光の下で暮らすべきということと関係しています。
単純に自然の光源、例えば太陽は当然ながら放射力が全く異なり、全色スペクトルで放射しているのに対し、LEDは非常に狭い周波数スペクトルの光を放射しているのです。
そして文字通り、私たち光の存在です。
もし、私たちが常にLEDの下で生活し、仕事をし、LEDのプラットフォームやスクリーンの前に座っていれば、私たちはそれに応じて変化していくでしょう。なぜなら、それはすべて体細胞レベル、遺伝子レベルに影響を与えるからです。
28.文化特有の祭事や祝儀の廃絶
これはあまり注目されていない重要な点です。
私たちはいつの間にか、この世界にふさわしい祝儀の仕方を忘れてしまいました。
文化によっては、まだそうしたことが行われています。しかし、世界中のすべての人々が、ある特定の時期に特定の祭日を設けるだけで、そこにはおとぎ話や神話、歌や踊りなどといった文化特有の祭事はなく…これら、文化の一部を成すものが廃止されてきています。
29.異文化や異人種の廃絶
[訳注:この部分でロビンさんは、魂のレベルで強く惹かれあった異文化間の男女関係の成立を批判したり、子供をつくることなどを拒絶しているのではなく、『移民計画』などで無理矢理に異なった文化や異人種を混ぜ込もうとしている黒い闇側の意図を指摘してしています]
上の、28.の中に、実は異文化と異人種の廃絶が込められています。
そして、今、カメラの前に進み出て「そうですよ、あなた方は異人種というものを廃絶しようとしていますよね」とでも言おうものなら、どう描写されるでしょうか?人種差別主義者?
人間の原点は、多様性、差異から生まれるものなのですよ。
しかし、何度も何度もまじりあえば、その多様性は死に絶えてしまう。
これは人種差別とは何の関わりもありません!
どの文化にも、どの民族にも、それぞれの個性がある。そして、この特殊性が失われたとき、例えば、異なる文化を押し付けることによって、大きな混血が起こり、その結果、ある時点から均一な人間が出現することになります。
しかし、それは人類の「原初的在り方(次回和訳予定)」に相当しません。
人類の『原初的在り方』は、統一の中の多義性、多様性です。
そして、ある人種が他の人種より優れているということはなく、その違いが尊重され、祝福されるのです。
パーソナリティ特性の違いも、人種の違いも。
そして、これが無差別に、盲目的に、遺伝子のレベルでも混ぜあわされていると、ある時点で大きな不安定が生じます。遺伝子のレベルでも。そして、私たちはますますハイブリッドな 統一人間へと変化していくでしょう。
それはワンネスの意識の中で生きている人間ではなく、高次の意識を完全に失い、スピリチュアルな魂のレベルで自分が何者であるかがわからなくなった人間です。
世界には、例えばアラブ諸国など、観光が禁止されている国もあります。私はそのような国々に深く敬意を表します。なぜなら、彼らはグローバリストの計画を正確に把握しているからで、観光を許可すれば、欧米が自国を侵略し、文化全体を押し付け、離間させることをよく知っているのです。
このようなアラブ諸国は、自分たちのやり方で、人類の『原初的在り方』を守ろうとしているのです。
もちろん、それはまったく違う形で私たちに提示されていて、「“変わり者”だと思っておけばいいのさ」と言うことにされています。
昔、ヨーロッパには、さまざまな国があり、さまざまな文化がありました。
私は、これを原則として支持しているわけではありません。しかし、なぜこのようなことをするのか、その理由はよく理解できます。
30.真の深遠なスピリチュアリティと自然の廃絶 - 地球とのつながりの廃絶
当然ながら、私はずっとそこで意識を高めようとしてきました。
こうした中で最も苦しい状況にあるのは、これです。
そして人類は…この地球上で唯一、他の種を虐待している種です。そして、それを目の当たりにし、観察するのは苦痛です。
つまり、真のスピリチュアリティの廃絶です。
スピリチュアルなシーンは全くありふれており、全く平坦な状態です。私はそれをフラットランド・スピリチュアリティと呼びたい。
"私は自分の夢の世界を顕在化させます:それがスピリチュアリティ"
それは、地球・原初の自然・人間から切り離されたところで、高次元の空中に城を建てることです。
ピリチュアリティがここにあるのは、そのためではありません。
スピリチュアリティは、人間の原初的な在り方を肉体に根付かせることに関係していて、高次元の体験をするために何らかの方法で肉体を離れることではなく、そもそも肉体を完全に離れることではありません。そういうことではなく、高次元からの振動を自分の意識を介してフィジカルな物質に取り込むことなのです。
そして、私にとって非常に重要なのは、真に自然と深く結びついたスピリチュアルな生き方が意味するものとは何か、人類が気づくことなのです。
次が、最後のポイントとなります。
31.ありのままの地球の廃絶
私は何を言おうとしているのか。
今、ますます大きな宇宙計画が進んでいますが、ある時、我々に人類として提案があったらどうでしょう。
あなたはそのスペースシャトルにしか乗れず、すでに都市が建設されている他の世界がある…例えば、その世界では高い技術があり、これらの世界では、生活全体がもっとより良いものです。
あるいは、地球上の生活は成り立たないと言われるとします。地球上の生活は、あれやこれやで絶滅の危機に瀕しているとか。人間が生き続けたいのなら、他の惑星圏に大規模な移住プロジェクトを行うしかありません。
ありえるでしょうか?ありえるかもしれません。
もうすでにそうなっているのかもしれない。もしかしたら、将来的にそうなるかもしれない。つまり、人間は地球から引き離されようとしているのです。
そして、このすべては結局のところ、人間の内にある霊的なものを追い出そうとしていることに他なりません。霊性のある人間をより高いレベルの意識から切り離すのです。
そして、何かが切り離されるところ、何かが取り除かれるところには、人工的な代用品、人工的な代替品が挿入されるのです。
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訳者より最後に:
ロビンさんの言葉遣いは独特で、訳するのは楽ではないのですが、それでも内容的には波動が非常に高く、訳をしながら深めるのが私は好きです。
このトランスヒューマニズムのアジェンダは2つ〜3つ訳しては、Telegramのチャンネルに小出ししていましたが、途中でさすがに非常に苦痛に感じてきました。
私自身が「そうした波動を感じるようになってきてしまった」のかもですが。
ロビンさんも途中で述べていますが、これらの中で既に実現が始まっているものもあれば、実際にそこまでの大きな影響があるのか定かではないもの、また既にがっつり始まっているものもあります。
これは、不安を起こさせるためのメッセージではなく、今後自分の世界線を選ぶことになった時、自覚のある選択をするためのものだと受け取っています。
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alaephoenicis · 1 year
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対談:ロビン・カイザー
2022年11月24日
チャンネル【新しい地球 Die Neue Erde】によるインタビュー
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オリジナル動画:https://youtu.be/fB8YiiuUahs
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
DNE:今、騒々しい時代を迎えていますが、我々は大きな危機に向かって居ると感じていいます。今日は多くの方が既にご存知のロビン・カイザーを迎え、この騒々しい時代の後には何がやって来るかもしれないのかについて、つまり、何を覚悟しておくべきなのかについて聞きたいと思います。僕は、物事のポジティブは視点をもって起きたいので、そのためにある種の停泊地を確保したいです。
ではロビン、これから何がやってきて、この時代の後にはどうなるのだろうか?
ロビン:その答えは角度によって異なった答えが出てくるよね。
何がやって来るのか、というのは個人的に非常に異なっている。例えば人生を掛けて築いてきた企業がいま、滅亡しようとしていて、そういう人にとっては世界が滅亡するかのような大層な危機だと感じるだろう。別の人は新しい時代へと向かう、大きな移行期と感じとる。自分がどの意識層に居るのか、波動の中にいるかによって、この地球世界の変容の側面を違うふうに受け取るだろう。
「外からやってくることを待つ必要はない」ということを何度でも思い出すことが大切なのは、要点は意識の変容であって、これこそがこの世で中心的に変化することだからなんだ。それなれば、物理的世界に反映され、変化が起こる。
君の質問にもどろう。「この後に何が来るのか?」
今、我々の意識をもって立っている場所から、明らかなイメージが浮かぶだろうか?僕はイエス&ノーの両方だ、という。
ひとつには、これからやって来ることはあまりにも膨大で、あまりにも今まで僕たちが経験してきたことは違っているので、これまでのことは僕たちはいったん忘れ去ってよくて、そうすることで「何が来るのか」ということについては僕らの内なるヴィジョンを改めて開くことになる。
それが、元来の人類のために想定されていたことは、今日の我々の生活とはあまりにもかけ離れているため、この大変な時期が過ぎた後に人類がどうあるのか、それに対する明確なイメージを持っている人は極わずか。
最良の準備とは、僕からみると「いま示されているもの、いま与えられているもの、いま一歩ずつ体験させてもらっていること」に対する信頼だ。
「ひょっとして何が起きるのか」と、あまりにも遠くまで未来を見通すために目を凝らせば、もちろん「恐らくこうなっていく」というタイムラインはそこにある。しかし、そこでは理性が非常に素早く特定の現実イメージに固定され、そしてそこに限定される。つまり、たとえ最も美しい、最も壮大なヴィジョンであったとしても、いまの我々が「新地球」を想像すると限定されるんだ。
しかし、僕らがそこに到着すれば...つまり、もうそこに居るならば、今想像しうることはあまりにも小さく、あまりにも狭いところに限られている。
つまり、僕らは徹底的に自分たちの世界観を疑問視していくべきで、そうして意識を拡大させていくんだ。もっと広げていく。
地球から、自然から、天蓋から、太陽から、星々から、教えてもらう。僕らの生活は元来のリズムと元来の循環の中ではどのように構築されていたのかを。
依然として、すべての情報は僕ら自身の内にある。
そして、うん。当然、多くの人にとっては苦境となる。苦境(危)でもあり、チャンス(機会)でもある。中国語の単語は「危機」といって、両方を含む。そうして、僕たちは巨大な転機を − 僕が「ポータルの時代」と読んでいる − この時に迎えている。これは信じがたいことだ。これまで... 過去2万6000年になるこの時代において、如何なる時期にも、これほど短期間に僕たちが自分の意識で別のレベルへと上昇出来たことはない。
これは今の時代に贈り物。波動上昇の速度は
波動が上昇するこの速度は、いまの時代の贈り物であり、あらゆる偽りのもの、僕らに属さないあらゆるものは、洗い流される。
僕らは今、お鍋に放り込まれているみたいだって、僕は感じている。
DNE:わかりやすい説明だね。この先どうなるかは、僕らの想定範囲を超えているってわけだ。アナスタシア部落と呼ばれる企画なども起こっているけど、その途中で沢山の新しい体験、新しい影響が組み込まれていくので、結果は想定を大きく超えて発展するだろう。人々のアイデアはある段階で溶け合って、新しいものに変化していく。その時の意識も、今のように物質主義的ではないだろうし、手探りで「答え」や「満足感」を探すようになる。
次の質問。中央ヨーロッパ、即ちドイツ語圏の地域で、この新しい時代への移行期はどうなるのだろうか?
ロビン:先ずは、世界的に集団に向けて起こっていることに言及すると、今はもちろん、地位と権力に関するものすごい乱闘と奪い合いが起こっていて、僕には大きな権力移行が見えている。アメリカという地域の世界的支配力、ドルという世界通貨が失われていて、これは完全に沈むだろう。地政学的に眺めた上で、僕が感知しているのは、この覇権はロシアと中国へ移行していく傾向にある。
この権力再編成における肝心な要素は、中央ヨーロッパで何が起こるのかによる。つまり、中央ヨーロッパがアメリカとい領域へのアクセスを諦めて、例えばロシアとつながり直すようになれば、全世界権力の笏は再分配されることになる、と僕は感じている。
当然、これは全く望まれてはいないので、だからヨーロッパで文化的に強力な国々は多く潜入されているのだけれど、せいぜい、引き伸ばすことは出来ても、もう食い止めることは出来ない。これはこれまで覇権を握ってきた者たちによる「時間」のゲームで、彼らは自分たちのアジェンダに含まれる点をひとつでも多く持ち込もうとしているが、時間は僕らの側についている。ポジティブな変容はもう、止めることはできない。
しかしそれは、誰もが自分の置かれている生活状況において、それほど心地よいということではない。
まず最初にあるのは、僕たちを実際に自由へと導く要素を駆除することで、古くから馴染まれている現実を守ろうと、真っ先にメカニズムが働くんだ。これは「新しいものを排除」、つまり「解放を排除」する。
これは僕らの内でも起こる。何か新しいことが人生に起こると、それに抵抗がおこるし、これは集団の中でも起こる。ここで働く支援的な力というのは、僕らの意識による相互関係によって作られた、保守的で埃をかぶった路線によって、ものすごく抑圧されたりブレーキを掛けられたりする。
DNE:ロシアへの傾向というのが見えている?
ロビン:あるタイムラインでは、それが確かに見えている。そこではこのアメリカ合衆国との連合というものは壊れる。移行期にはこれはもう無くなっていて、別の国々と新しくつながり合う。移行期には常に、いくつかの国境は柔軟になり、新しい連合を作ったり、同時に...
まあ、これを通り過ぎればいつの日か、こうやって地球を国ごとに区切って分けるということが、なんて子供じみた遊びだったのか、と気づくことになる。まるで幼稚園の砂場で、「これは僕が作った砂の城だ!」と叫んでるようなもので、これを彼らは「国境」を作ってやってるんだ。そして、僕たちに見せられている舞台の裏では、常に同じ輩が両側にいる。
僕らには「善人vs悪人」のゲームが見せられているけれど、例えば、今、ロシアの現場から大きな解放活動が起こっている、といった解釈をするつもりはない。
連邦国家機関として、ある程度の規模があるものはすべて、潜入されている。つまり、ある組織が古ければ古いほど、そして大きければ大きいほど、そのトップは潜入されている。国家形成ではいつだってこれが起こる。
解決は...いわば、国家形態の巨大な超域ネットワークからの脱退、とかで、さっき君の言ったアナスタシア部落、小規模の農家、地方分権的生活、自給自足、これらのキーワードを何度も掲げることになる。
これは個人の意識が出発となる。
僕らは依然として階層的な思想の集団意識に中にある。これは未だにピラミッド的システムで機能している世界が、鏡として突きつけられていることを示している。
もし僕がある部屋に入っていって、ぐるっと見回し、「OK、誰がぼくより目上で、誰が目下かな?」と考えるのなら、それは世界でも行われている。こうした考えを克服しないかぎり、集団レベルでも前には進めない。
これが、個人レベルで誰もが取り組めることなんだ。
DNE:それは代替的・スピリチュアルな場面でも見られ、支配層は我々にとって良い意図を持っていないから、代わりとなる指導者が求められている。例えばプーチン、トランプなど...偉大なる救世主。しかし、そこで人々の意識は変わっていない。単に新しく強い指導者を求めて、ついて行こうとしている。僕からすると、それも「解決」とは言えない。つまり、長期的に進み続ける路ではない。もちろん、集団的解放への道のりの途中で、もしかすると幾人かの強い人格が何らかの役割を担うかもだけど、でも、真の意味でも救世主とは、結局自分自身でしかないわけで、他の誰かを探すべきではない。
どちらかというと、そのような指導者に救いを求めることは危険でもある。これは詳細を述べる必要はないね、歴史上では人々がやはり過った方向へと導かれ、新しい秩序をもっても約束された自由は得られなかった例が十分にある。
霊能力者たちは、占星術的には水瓶座時代だとか、黄金時代とか言われているけれど、それについて君からなにか?この危機的状況の後には黄金時代が来ると言われているけれど。
ロビン:そのようなカテゴリー化や、時代の特定のサイクルについては認識しているけれど、いま君の言ったことにつなげてみても、そういう考え方は何かをそこに放置しておけば、そのうち黄金時代はやって来る、という希望を掲げているだけで、自分は努力もせずに待っていれば空から黄金が降ってくるかのように誤解されがちだと思う。
でも、そんなことはありえない。この移行期というのは、今の僕らにの想像可能な範囲を超える、もっと大きい規模、もっと中心的なこと。
僕らが過ごしてきたこの、最後の時代の濃い密度はゆっくりと溶解しようとしていて、形造られたものにどうやって意識が繋がっていったのかが見えてくる。つまり、それが解かれていくのが見えてくるんだ。すると集団的精神において物質的なものはどんどん失われていき...
DNE:すると、特定の役割というものとの同一視もしなくなっていくんだよね?
ロビン:全くその通りだよ。
DNE:僕らには、この社会における特定の役割が付与されている。こんな勉強をして職業資格を習得したとか、そうやってその職業を自分のアイデンティティだと見なし、いま君が述べたようにそれにまつわる物質とも同一視してきたんだけど、意識はそういうつながりを解いていくわけで、それは長期的なことだと僕は感じられる... 君の話を遮るつもりはなかったんだ、ごめん。
ロビン:全然大丈夫だよ(笑)、それも全部補足に出来るんだから。
...そこには、全く新しいクォリティがやって来るんだ。この情報化時代でも、そのことにみんなが気付いたはずだ。短期間の間に情報化時代へと変換したことに。そこでは世界規模のネットワークによって、どんな情報でも簡単に呼び出せるようになった。全世界を網羅してはいないけれど、それが目標となっている。
そして、それは全体の人々の生活価値観にズレを起こさせる。多くのこれまでの価値は取り残され、昔ながらの職業、営み、それ以前の時代にはまだ使用されていたものが必要とされなくなり、需要がなくなっていく。
最終的には、情報は確かに微物質化していき、当然、情報の流れやエネルギーの流れを、非常に特殊な方法でコントロールしようとする逆の流れもある。
それで僕たちは、もう随分前から続いている、はっきりと可視化されていない戦争の中にいるんだ。すなわち、人間元来の意識へ向けられた戦争だ。この戦争に使用されているのは物理的な武器ではなくて、遥かに強力な武器、すなわち「情報」なんだ。
エネルギーと情報、これらは非常に強力な武器として設置できる。エナジー・ウェポンというのはまた別のテーマで、人々に知らされずに多く使われているわけだけど。
メディア複合体による、体系的な情報選抜と情報濾過は、人間の原初的な意識に対して心理学的に洗練された作戦だ。つまり、心理戦争における心理作戦だといえる。この心理作戦において、メディア複合体は情報を意図的に、そして何度も何度も繰り返している。
心理操作の手法と向き合ったことがある者なら、どうすれば意識が暗示を受けやすくなるのか、催眠が掛りやすくなるのか知っているし、ニュースをどのように、どんな周波数で流し、どんな言語手法を用いて扱っているのか、を眺めていると、このメディア報道を手助けしている者たちは、絶対に自分たちが何をしているのか分かってやっていることが見て取れる。
(少し笑いながら)...僕はいつも云うんだけど、このピラミッドの天辺にいる者たちと、そうではない者たちとの違いはどこにあるのかというと、トップにいる者たちは自分たちが何者なのか正確に知っているんだけど、その知識を公共の利益となるように開示したりはせずに、権力を握っておくために民衆を無知な状態に留めている。
DNE:そうだね。それに加えて一方で僕らに提示される情報は選り抜かれていて、他方ではその情報量は膨大だ。これまでの世代、これまでの生活を100年ぐらい前まで振り返ると、人々の日常は大体が似たりよったりだった。特定の人たちと安定した関係にあり、その外側のことを経験することは殆どなかった。村や居住地区には最新のニュースや情報をもってくる人がいたかもしれない。50年か60年よりもうちょっと前からは、ラジオ、電話、テレビといったものがやってきて、今はインターネットがある。情報の密度だけをとってもずっと膨大になってきた。昔は子どもたちは固定された継続的な規範イメージを見て育ったものだけど、段々とどれを規範とするのか自分で方向を定めるようになった。つまり、僕ら自身の生活ネットワークは攻撃を受けたわけだ。これは情報化時代になって絶えず新しい衝撃や影響が流れ込むことで、強力に薄った。テレビを見ていると30分毎に規範が交換され、スポンジボブだとかなんだとかが出てくる...僕はもう長いことテレビを持ってないんで、今時の子どもたちが何を見ているのか知らないんだけど、とにかくお手本はぐるぐる変わって、昔のような定着された継続的なイメージを持つことができない。人々は外へ外へと向かい、自分自身を感じ取らない。外へ注意を向けるように要求されてしまうからだ。
情報化時代というのは、興味深いテーマだよね。君はインターネットは今後どう発展していくと思う?ここでもうひとつ言っておきたいんだけど、今では「真実を探すのにネットはいらないんじゃないか」という感覚が生まれている。一方では地球について調べることができて、タルタリアの話とかが出てくるけど、これはゲーテやシラーが生きてていた頃の話と矛盾するし、タルタリアは何処に住んでいたのかについて様々なモデル理論をもって人類の過去・歴史について説明されているので、どの情報源を信じて良いのかわからないんだ。
君はこのネットはどうなっていくと思う?
ロビン:もちろん、情報と誤情報の比率は荒唐無稽なレベルにまで至っているよね。僕たちは誤情報に埋もれていて、そこで何かを見つけたいなら干し草の山の中で一本の針を探すようなものだ。しかし、それは僕らが探しているものは、外側の世界では見つからないということを大袈裟に示しているだけだ。扱いきれないほど多くの理論がそこにあるわけで、理性は理論をこねくり回し、比べっこして区別するのが大好きだ。これをやっても、僕らの意識は大して発達しない。
つまり、常に問いかけるべきことは、もしも僕がネットで情報を見たとして、それで僕の生き方は変わっただろうか?それとも、その後で僕はそれ以前と全く同じ生活を送ってはいないか?
僕が情報網から「刺激」と受け取る最大のものは、純粋な「事実」であって、頭には残るが、感情体には至らない。従って、なんの変化も起こさない。僕がその情報をそれ以上見ようと思うかどうか、はそれが基準なんだ。頭だけに留まらないことはいつも、何か変化をもたらしてくれる。
そうだね、インターネットは素早く浮上して、また沈もうとしている。これは非常に短期短命の現象だ。
...うーん。多くの人はもう、これなしの生活は考えられないだろう。すごく当然のものになった。何処へ行ってもそれがあるのが当たり前だ。そこで、人々はまんまと幻想の泡の中で動くようになった。なぜなら僕らは指数的成長の中にあり、その内にそれはこの地球の資源やその他の構成要素と合致して機能しなくなるだろう。この泡はいつかは膨らみすぎて破裂するだろう。これ以上はそれしかない。
今はwww(World Wide Web)を閉鎖する方向へ強い努力が注がれている。
これは情報エネルギー的なネットワークであり、他のコ��テキストで僕はこれを第四のマトリックスと呼んだ。
僕が構築した理論では、第一が「聖なる秩序の元祖創造のマトリックス」、第二が「ルシファーの鏡像マトリックス」、これは第一マトリックスの逆さだ。そして第三のマトリックスは、第二マトリックスの一部が剥がれ落ちたもので「サタンのマトリックス」。僕たちはここに居る。そして次にデジタルマトリックスが第四となり、これがwwwだ。
この地球を取り巻いていた情報エネルギー磁場的なマトリックスとしてのwwwが閉鎖されれば、我々はどっぷりとデジタル領域に捕らわれることになる。つまりトランスヒューマン主義者たちの目的はwwwを完全に閉鎖することだ。地球全体に電磁網を張り巡らすことで、僕らをデジタル・リアリティへと放り込んで、僕らの生活における自然で地学的な構成要素のすべてを再プログラミングして、デジタル化することだ。
これは...自然の生活をすることに関しては、もうかなり「ゲームの終盤」で、いくらかの魂はこの第四マトリックスに参加体験することを選ぶだろうが、同時に僕らが自分らの内面で意識を上昇させ、恐怖心と欠乏のプログラミングを施された集団的周波数から降りるのならば、そうはならない。それは、僕らの経験領域には存在しなくなり、人々の大半は、その内面的経験世界でそれと関わることがあまりにもわずかとなり、いつの日か... 僕が言っているのはタイムラインが大きく枝分かれすることで、それが僕らの道へやってくるだろう。
DNE:君のいう、サタンのマトリックスが保たれているのは、第四マトリックスが既に存在しているから、ということか。それは原則として観察することが出来る。インターネット、つまりマトリックスに属したもの、これがなければあらゆる国家機構、役所等はもう機能することはなく、人々は...そう、もっとずっと自由になっているだろう。
君の意見は、インターネットが僕らの自由を損なっている、ということなのかな?
ロビン:それを言ってしまうと... まあ、この動画だってネットがあるから見れるってことになるわけで、これにはポジティブな面もある。
僕は常にとても慎重で、「誰が手を掛けているのか、誰がこれを設置し、誰が管理しているのか」を見ている。まあ、ビッグ・ブラザー・グーグルとか、その他の機関、その他の巨大なデジタル複合体がその背後にあり、彼らが導入することが、人々の意識解放を意図していないことは確かだ。
詳細に調べていけば、このデジタル複合体の中にある目的やアジェンダの項目があって、気分が悪くなるだろう。このアジェンダは、真から人類に反すること、人類の元来の自然なあり方に対して向けられている。
気づくべきことは、そのことと、そこには非人間的な力が確かに関わっていること、つまりその力が加担していなければありえないことだ。
インターネットは...そうだね、ある特定のタイムラインに短期的に生まれ育ったものだけど、それが第四のデジタルマトリックスを引き連れてきたんだ。これが倒れたら、またもやこのデジタル的タイムラインに快く繋がっていく人々を飲み込んでいくだろう。ここで僕は、意識して「快く」と挑発的に言わせてもらう。もちろん、多くの誤魔化しによってそうなったわけだけど、もしここで僕らの知覚が欺かれるのならば、そうやって欺瞞や誤情報によって決断するものごとは、より高い意識の中でその基本へと戻されると思う(そう言いながら目を伏せるロビン)。しかし、多くはこの経験を望んでいるんだ。そして、究極はただの経験なんだ。
もちろん、その後の一周期はクラウドに引っかかることになり、そう簡単に自分の意識を解放できなくなる。しかし遅かれ早かれ...そしてそんなに大きな大差はなく、みんな元の場所に還るんだ。ゼロと1のプログラミングコードに引きずり込まれた意識も、遅かれ早かれ源流に還るだろう。
DNE:ありがとう。
今の時点では、僕はぼんやりとしか想像できないんだけど、君はタイムラインが分岐するということをどう見ているのかな?君の話ではトランスヒューマニズムを経験したい、つまりインターネットを閉鎖型システムとしてインストールしたいという魂もいる、ということだけど、「今日からこのインターネットの世界で生きる」もしくは「今日からインターネットは完全に拒否する」と決めてこれまでの生活に終止符を打つような日がくるのだろうか?いつの日か、デジタル・アイデンティティがないとネットにアクセスできなくなる日がくることは想定内なので、そのアイデンティティを拒否するのならばネットは使えなくなるはず。僕だったらそうするよね。まずは人々をネットに依存させ、その後特定の条件を満たさなければネットにアクセスできなくする。認証プロセスを経ないとネットが使えないとか... 今は詳細はわからないけれど。君も、そうやって僕らがいつかネットからおさらばして、ネット無しで生きていく決断を下すことになると思うかい?
ロビン:インターネットにしろ、また金融システムしろ、ある一定期間は、両方共に僕ら全員はアクセスできなくなるだろう。その後で、選択肢が出てくる。つまり「新しいインターネット」で、それには特定のアクセス条件、制約が付与される。それから新しい金融システムも来て、それはデジタルのみでしか機能しない。
その時、僕たちは選択することになる。条件を飲んで、それに参加するのか、それとも降りるのか。それが社会の大きな分岐点となって、「それには参加しない」という人たちが集い合って並行社会が生まれることになり、自給自足型の集団が互いにネットワークを作って選択肢を構築するだろう。同時に、そのシステムはある一定の期間、即ちその激変が起こる間、違ったレベルの代替システムへとゲートが大きく開いて、非常に不安定になるだろう。
僕が述べていたのは、システムは稼働しながら変換されるが、例えば金融システムやインターネット、もしくはその他のシステムは、新しいシステム導入のために、一時期シャットダウンされねばならないだろう、ということだ。
この期間には、本当に静止状態となる。つまり、世界は息を呑んで、人々は「今なにが起こっているのだろうか?」と考える。
このときこそ、「降りる」ときなんだ。そしてそこにあるゲートを使えば、きっとあっという間にことが起きていく。
DNE:究極は、僕らは決断するんだね。すると、当然多くの自己責任が問われる。なぜなら、ひとつ決断を下すためには、僕には選択肢がないといけない。ということは、今の時点で既に選択肢となる社会構造へのアクセスを持っている方がいいというか、システムに依存しないで自給自足の生活に至るためには出来る限りあらゆる分野でそういう人たちとつながり合っておく方がいいだろう。
決断の日が来た暁には...つまり自分はインターネットを利用し続けるのか、それとも自由への道を征くのか。または新しい金融システムを使うのか、それとも別の可能性を選びたいのか。そのためには、その「別の可能性」がそこにないといけない。
その時点で、他の誰かがそうした構築しておいてくれた代替システムにアクセスできるということを期待してもいいけれど、例えばこれまでオフィスでインターネットやプログラムを使って働く職種だったりして、他になにも学んだことがなければ、新たに発生する代替システムで上手くやっていくのは容易くないよね。
ロビン:確かに。すべては僕らの選択と、方向づける軌道をどう敷くのかに掛かっている。そして、いつの日か沢山現れてくる新しい行動生活の基礎をなす構造は、実は既にもうそこにあるのだということを、ここで付け加えて置きたい。エネルギー層の領域にはどのみち「新地球の青写真」としてもうそこにある。つまりもう、すべてがそこにあるけれど、まだ活性化されていないだけだ。つまり新しい意識によるすごく沢山の新構造においては、そのエネルギーはもう存在感をもって待機している。みんな位置についているんだよ。すべてはスイッチ・オンになるのを待っているだけだ。
そして、その構造には金融の分野、政治の分野でもすごく沢山の素晴らしい選択肢がある。すべての生活分野において、まだ「フタが閉まっているので」画期的ではないけれど、いわゆる変化してきているものが既にある。今はまだ、そういった選択肢を抑圧する構造がそこにあるからね。僕らがそのフタをいったん開くことになれば...僕らが晒されてきたエレクトロスモッグによって抑えられている、集団波動のフタが一度でも24時間の間、世界中で取り去られれば、人類の意識の集団覚醒はどれ程速く起こると思うかい?すべては人為的にフタがされているんだ。もしも、この人為的な抑圧が − それでいま、その抑圧による熱量を感じているんだ − 取り去られるのに気付いけば、覚醒は爆発的に起こる。
DNE:そうか。僕は去年の夏、何週間もインターネットから遠ざかっていたんだけど、すると自分自身になにが起こるか気付いた。単に外から絶え間なくやって来る「影響」に晒されなくなっただけで、どれだけ様々な異なった思考が降ってきたか。
そうだね...新地球とかの未来と関連付けて、フリーエネルギーという概念もやって来るけれど、これについて君の意見を効かせて欲しい。
理論を短くまとめると、フリーエネルギーは既に存在しているが、とある内部の輪で収められていて、僕らが自給自足生活をすることを阻止するために隠されている。
このフリーエネルギーは、全員に供給されるのだろうか?もしくはこれが全員に供給されることに意義があるのか、君の意見は?
ロビン:もちろんだよ。結局はすべてがエネルギー問題に関わっている。いま、この世界にあるすべての状況は、人工的に作り出されたエネルギー不足によるものだ。これは金銭の流れによって起こされ、そのことで我々の食料やその他すべてのことにまで影響を及ぼしている。ずっと「どうすればもっともっともっとエネルギー不足をもたらすことが出来るのか」ということだったんだ。そうやってエネルギー不足という意識を保たせていたんだ。しかし、人間という生物組織は、エネルギーの原型だ。僕らはトーラスの領域にあり、中枢は僕らのハート。僕らはこのトーラス領域で高次と繋がっていて、トーラス領域では常に高次からフリーエネルギーを受け取っているんだ。
つまり、僕らが食料として摂取して、活用しているのは非常に小さい割合で、それよりもずっと大きい割合は高次の存在から直接に受け取っていて、僕らはそれを自分たちのエネルギーシステムで代謝させている。つまり、「実はエネルギーとは至るところにあるのだ」と僕らはここで世界というイメージをシフトさせていいんだ。フリー・エネルギーは何時でも供給されている。問題はそれを利用可能な形にどう訳解するのか、だけだ。これを僕らは自分らの意識を使って自然に行っている。ちょうど高次の存在と連絡を取る時のように。それに、そうした装置は今すでにもう存在している。すこし探してみればね。そしてそうしたものは、もうこれ以上は隠し通せなくなっていく。だから、今は...解放を推進する勢力と、解放を阻止する勢力が、共にシステムの転換を望んでいるんだ。当然、いつかは別の要素が入ってきて、道は別れていく。しかし両側がシステム変換を望んでいるんだ。今はまだちょっと推し量られている感じで、解放側からは、今転生してきている沢山の魂たちが新しい道へ参加出来るよう、観察されている。なぜなら、この解放のエネルギーがこれ以上強く領域を満たしていった時、非常に大勢の者はちょっと...そうだね、神経症のようなもの、狂気に陥るかもしれない。
君の言っていた、事務職をやっていたような女性は、いきなり波動がまともに上昇したとしたら、彼女は...殆どの人は気がおかしくなるだろう。それ以前に高次の意識状態、高次の振動周波数状態に従事したことがあって、それが何なのか知っていたのなら別だけど。そうだとすれば、どう対処すべきかよく分かっているので、返って深い喜びをもってそれを体験するだろう。むしろ恍惚���するかもしれない。
しかし、これを知らない多くの人たちは、自らの理性を疑うだろうし、これまで慣れていた世界が機能しなくなり、例えばなにも思い出せなくなったりして、大きな不安とパニックに陷るだろう。
だからサポートしようとしている勢力は、人々の「自由意志」を轢き殺さないようとても慎重で、この地上領域に一定の単位で高次の波動が満たされていくようにして、変換が容易になるようにしている。
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DNE:とてもわかりやすいよ。
そのフリーエネルギーを生成する装置についてだけど、僕が不審がって尋ねたのは、そのフリーエネルギーというものが人類に供給されたなら、って僕はつい考えてしまうんだけど、例えばそんなふうにタダで電気が使えるのなら、人類の意識はそのための準備は出来ているのかなってとこで。現時点の人々の物質志向的な意識レベルで、どの世帯にも無限のエネルギーが与えられたなら、いくつかの世帯は、自己利益最大化を目指して、3Dプリンターで一日24時間かけてなんかのプラスチックゴミを生産したりするかもしれない。だからフリーエネルギーなんていうのものを供給するのなら、全人類が責任を持ってそれを使うようにならないといけない。そっちへ話を持って行きたかったんだ。もちろん、人類史において、何時かは人々がそういう責任意識を持って対処できるようになるところに至る日が来てくれることを僕も望んでいるけど、今の時点でのフリーエネルギーっていうのには、僕はまだまだ批判的に見ている(笑)
ロビン:(笑)どのような意識でものごとに触れ、行動を起こすのかどうか、が常に問題となる。もちろん、そこには沢山の人の覚醒を促すための「道具」となりうるものがある。そして、もしそこにあまりにも危険な武器になるかもしれない道具が提供されれば... 僕らはそれをいにしえの時代の歴史で学んだんだよね。そこではクリスタルによって生み出されたとてつもなく巨大なエネルギーを、それを扱うのに見合った意識レベルにない人々が弄んだことで、簡単に自己破壊を引き起こした。それはエネルギーのせいで起こったんじゃないよね。そこにあったもの、それは人間の意識だ。もちろん、それが根底にあった。
だから、今の時点でまだたくさんのことがリリースされていないし、僕らには抑留されている。つまり、それは弾圧が目的ではなくて、今の時点ではまだ多く悪用される可能性があるからだ。
僕も君と同じ考えだし... 多くの人は、時間と機会を与えられていれば、僕らが思っているよりももっと進化していたのかもしれない。つまり、もし彼らが2年3年4年と、あくせく働く必要がなかったなら...
つまり、もし人々が自分の時間をお金に変えなければならない経済的圧力を掛けられておらず、そこでフリーエネルギーを以て自立と自給自足を盛り上げられていたとすれば、きっとしばし佇んで「一体自分はなにがしたいのか」と自問しただろう。ね?それをするようになれば、人々は自分が本当に喜びを感じられる、つまり周波数が上昇するようなことをする、と云う方向へ非常に素早く転換するだろう。そうなれば簡単に、素早くことが運ぶ。
DNE:そうだね... 良い描写だ。
以前の動画で、君は「大いなる放浪」について話していたよね。近い将来... 大体、何時頃になると君が踏んでいたのか忘れたけれど、確か、大勢が放浪、というか行脚が呼びかけられ、それが実現されるって...
ひとまず、君の言葉で短く説明してもらえないかな。
ロビン:僕もやっぱり、何度もそれを問いかけてみた。新地球はどうやって発生するのか?僕たちがいま在るところと、新地球との間にはなにがあるのか?
それで、高次領域と繋がってみたら、故郷のない人々が放浪をしているのが見えたんだ。それは非常に広大な要素で、それと共に僕が得たインパルスは、構造的世帯に結びついて定住生活を営んでいる「現状」と、新しい共同生活との間に、大放浪期間がある。それは偉大なる道で、もしかして身体を使って放浪するのは象徴的な表現であって、究極は「意識発展の道」なのかも。
そして、それがどのように成立するのか、誰が先頭に立つのか、どうやってそれが起こるのか、そして何時それが起こるのかは僕にもはっきりとは分からない。ただ、(目をつぶって集中し)僕は自分の精神の年齢をこうして老いさせてみると、その領域に在る意識変化を起こした本質的な要素を感じるんだけど、「放浪のムーヴメント」、そして「定住地放棄と解消」が中心的なものとしてそこにある。
僕ら自分の個人情報、そして居住地の情報によって、簡単に絶対的管理下に置かれれてしまう。しかし、もし個人情報も家もなければ...国家をこれを忌み嫌うんだが、そうなれば国家は僕らを管理下におくことは出来ない。僕らを整列させたり分配することはできなくなる。僕らにバーコードを付与したり、人工的に属性指定をすることも出来ない。
そう、覚醒者たちはいつの日か、巡礼に出るらい病患者のようになるんだ。イメージとしてはそんなふうな方向に行く。
DNE:どこか、巡礼者と落人のアイノコみたいな感じかもね(頷くロビン)。意識レベルが進化した者は、もしかすると強制される以前に逃げ出して、遍路に出るのかも。何かを先取りするならば、それが何処へ向かうのか、自分で管理する手段もいくつか出てくるものだし。それに関しては、僕も考えたことがあるんだ。一年前半ぐらいのことで。スピリチュアルに選択した場面において、何らかの処置に応じなければ収容所に閉じ込められるかもって不安の中、もしもそんな収容所が本当に設置されるとするならば、いっそのこと先取りして自分で生活できる場所を確保しておき、自分の思い通りに構成するほうがいいやって。
ある時点で、もしも状況が激化するとか、社会の一部がいまの社会に受け入れてもらえなくなる日がくれば、そこで苦しむ人たちは自分らが締め出される前に、自分たちの望みどおりに存在出来る場所を用意すればいい、と思ってたことを、君の動画で思い出したんだ。強制される前に、自分から去ればいいって。
この話はここで、保留しておくけどね(笑)。このことにもっと浸る前にもうちょっと、よく考えておかないといけない。
そろそろ、終わりに近づいてきたね。
最後に、君から人々に助言しておきたいことはあるかな。いまの時点で新地球に向けて、どんなふうな準備をしておくべきなのか?後になってから行き詰まったりしないでスムーズに新地球に移行できるよう、いまやっておけることはなんなのか?
ロビン:まあ... 実のところ、この地球に来たすべての魂は、新しい地球に人類の領域が刻み込まれる以前に、最初の数年間を生きてきている。この人たちがどのように生き、遊び、屈託なく楽しいままに笑っているのか。そうした人たちに眺めていると、彼らはもう新しい意識の中にいて、それを体現している。すると、この新しいものに入るためには、どのような内面的な特徴が必要なのかがわかるんだ。
もちろん、ある程度は備えは必要だ。不安だからではなくて、強制されたりする前に、一歩踏み出して行動できるように。先見の明というやつだよ、君がいま話してくれたようにね。
でも、その瞬間ごとに、どうすべきなのかが示されると思っているので、僕にとってはプランというものはないんだ。
高次のレベルにはプランというものがあることは知っているけれど、それは僕の理性で理解できるものではない。覚醒めた意識・新地球のプログラムは単純な12段階ではない、それは僕の世界観にはない。
そうではなくて、僕らは自然の流れからものごとを生かしていくことを、ずっと学び続けているんだ。一瞬一瞬、偽りのない自分という存在が現時点で表現したがっていることを、受け取っていく。
すると全く新しい存在感へと入っていき、全く新しい共同生活にもなっていく。
そこでは、人類が心理的に条件学習させられた領域を超越した空間が開き、そこで僕たちは互いに全く新しい出会い方をするのだろう。
僕にとってはそれが、それが新地球を構成するためのメインの材料、メインのスパイスだと思っている。
DNE:どうもありがとう(二人して笑う)
ロビン、もう一度君に感謝を。そして視聴者の皆さんにも感謝。
最後に、皆さんに神の恵みを。それでは次回まで。
ロビン:僕も、君と話せたことに感謝。
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alaephoenicis · 1 year
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統合 〜 分離された魂のプロセス
【第三部:最大の落とし穴】
アンティエ・リンデンブラット
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オリジナル動画:https://youtu.be/Y1Q8xg8YEDk
公開日:2023年4月9日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
【第一部:トラウマと隔離】🔗
【第二部:統合のプロセス】🔗
親愛なる皆さん、
まずは第一部、第二部をご覧になっていない方は、そちらを先に観覧することをおすすめします。
この第三部を終えてから、皆さんからの質問の内容と量によっては第四部も配信するかも知れません。
第三部ではまず、魂の統合の際に「落とし穴」があることについて、次に私達が統合しようとする光と闇の側面について、もうすこし詳細にお話します。
統合プロセスにおける落とし穴とは、まず始めに「被害者意識」とそこに釘付けになっている状態のことです。次に挙げられる落とし穴とは、「自分はいい人でいたい」という観念。そして3つめの落とし穴は、自分自身の「感情が乖離された状態」が続いてしまうことです。
これらの三つのテーマは、確然としてお互いに関わり合っていますが、一つ一つ説明していきます。
まずは「被害者意識・被害者の姿勢」、そしてそこに釘付けになる場合、そこには「加害者vs被害者」という動態が繰り返しやってきますが、それは人間的な経験の一部を成しています。「被害者の気分」を味わってみること自体は「間違い」ではなく、それが悪いわけでもありません。問題となるのは、自分が被害者であるという感覚に「釘付け」された状態がずっと継続されてしまうことです。
ここで取り上げているのはそのような永続化された状態に、いつの間にか自身を非常に強く同一視してしまうことで、それはずっと以前に被害者であると感じたことがある、もしくはあらゆる場面でそんな経験をしてきたという経験によるものです。そうやって自分と「被害者」とを同一視してしまうことで、その役割に固執してしまうのです。
人生を歩む中、何かが潜在意識下へ「滑り落ちてしまう」のはよくあることで、例えばトラウマの元になる状況が前世などにある場合はアクセス不可となりますが、それが幼少期に起きた場合、それは意識に顕在化されることなく、つまりはっきりとした記憶がなく、人生で年齢を重ねる内に、自分がはまり込んでいる被害者意識、即ち被害者の姿勢が潜在意識の奥の方に定着してしまうのです。
自覚が出来ていない間は、これを変えることは出来ません。
そのような被害者意識にある場合、繰り返し自己のパワーが削がれるようなことが起こります。問題は、被害者の姿勢で固まっている間は、癒やしはやってきません。これは決定的な点で、こうなると魂を統合することが出来ないのです。
自分が被害者意識に継続的に陥ってしまってはいるのかどうかを識るための兆しは、繰り返し「誰かのせい」にしようとする態度です。
更なる兆しは「投影」、自分の思考や感情が信念を他人に投影してしまいます。そして自分の中にどのような感情が起こったのか、その責任を他人に転嫁し、それと繋げて「相手が何かを改善しなければいけない、相手が変われば自分の気分が良くなり、自分も変ることが出来る」という信念があります。
この投影と共に時に起こりうるのは、相手には「何らかの形で他人を傷つけようという悪意があるのだ」という無自覚の想定です。
ここで強調したいのは、よくあるのは…すくなくとも「癒やしのプロセス」が始まる前は、こんなことをしている自分に自覚がないのです。そしてポイントはまさに、一体何が起こっているのかを「自覚すること」なのです。
だから私は、ひとつずつ取り出して「自分にこういうところがあるなあ、いやこういうのは無いなあ、ああこういうのが出てくるんだ」というように(クライエントが)それを眺められるようにしていきます。これは人間としての経験の一環、すごく普通のことなので、根本的に誰もがこのことに関連があります。
癒やされることで分離されていたすべての魂の欠片を統合させたいという願いがあるのなら、物事を自覚していくことで「全体」へと戻っていく、これは重要なことです。
被害者意識になっている更なる兆しは、物事に「善悪」の評価をしてしまうこと。強力な「白黒」思想と結び付いています。当然、加害者は悪で、被害者は善だと想定されます。これと繋がってっくるのは、私たちには「攻撃されている」と言う感情が非常に素早く誘発されること、個人攻撃だと受け取ってしまうことです。
こうした考えには、「そこには誘発されるもの」が存在している、つまり「誰かによって自分の中に引き起こされたこの感情は、既にとっくの昔からそこにあった」、という自覚の欠落です。そしてこの感情は、まず自分自身の問題であることを知り、それが他人との接し方にどう関わってくるのか見つめることが出来ます。
しかし、そうした「引き金」というのは、被害者的視点から「攻撃」として受け取られます。攻撃されたと感じたとき、人は大抵反撃をします。そしてこれをまでも、自覚なくやってしまうのです。
あまりにも素早く、あらゆることを個人に向けられたものだと受取ってしまい、それが本当に個人攻撃なのか、そうではないのか、という区別がつけられず、「自分は攻撃された(被害者である)」という感覚のみに走ってしまいます。
また、「ネガティブな感情」を否定&ジャッジしようという姿勢が、被害者意識と繋がってきます。ネガティブな感情、とくに怒りや憎しみ、羨望、嫉妬などの感情に至ることは、みんな嫌がるものですよね。
その他、被害者意識としてあげられるのは、相手に対して自分の方から愛のない、傷つけるような態度を取っていることを正当化していることです。だって「自分は被害者」だと思っているわけですから、根本的に「自分には相手を傷つける権利がある」と見なしています。
こうして、多くのことが無意識のうちになされているので、これら癒やすためには自覚していくことが大事です。
つまり、この被害者意識に入っている部分も、意識下から外れているために、統合されるべき分離した魂の一部でしかありません。統合することで、制御して自分の支配下へと持っていくことが出来るようになります。
もしも被害者的姿勢にハマっている場合、根底にあるのは、自分の人生や感情を自己責任と見なすことが出来ず、他人、つまり外界にその責任を押し付けることになります。
それも、私が何をどのように感じるのか、というコントロールを私以外の誰かが握っているという信念が私の中にある、ということになっているのです。ここに、「自分の感情や状況を変わるためには、まず外界が変わらなければならない」と信じてしまう危険があるのです。つまり、「つみがあるのは外界」であり、その被害者である自分は「無罪」となります。
要となるのは、自分がいつ、どのように被害者的な態度に陥っているのか、ということを一つ一つを自覚していくこと。そして、最終的には自分自身、自分の感情、自分の人生に対して責任を担うことなのです。
それは自分が体験したトラウマについても言えることで、第一部・第二部でも言いましたが、責任を担うということは、罪を背負うことではないし、繰り返し同じ状況(もしくは元来のトラウマとなるもの)を引き寄せてしまうのは「自分が悪い」ということでもありません。
「責任」とは「罪」と全く関係がありません。単に「答え」そして「癒やしへの解消」が自分に掛かっている、ということです。つまり、自分自身を覗き込むのです。外に目を向けて、被害者の気分になっている自分が何をしているのかみるのではなく。そういうとき「外界がどう変わるべきなのか」を考えてしまっています。
責任を担う、ということは「自分は内観するべきなのだ」と気づくこと。「私のトラウマを解消し、私を癒やすことのできる全ては、私の中にある」のです。
これらを区別することは非常に大事です。
なぜなら、私たちには2つの可能性があり、それを特定の状況で何度も自覚することが出来ます。もしも理不尽な状況を体験したり、理不尽な扱いを受けた時、または傷つくようなことが起こったり、もしくは古い傷が開くような出来事が起こったりした時、つまりはをある状況の中において自分のことを犠牲者だと知覚することは原則的には間違いではありません。…とここで改めて言っておきます。しかし、ここで犠牲者の役割にハマり込むのなら、繰り返し他人に罪を押し付けることになるわけで、それと同時に自分は無力となり、相手に責任を譲り渡しているのです。すると、先はどういうことになるのかとか、自分は癒やされるのかどうか、というのは相手が決めることになり、自分が癒やされるためには外界に変化が起きないとならない、と信じています。
もしくは、私が自分に起こった感情に対して自分で責任を担うのならば、自らそれを認知し、自分で自分のことを癒せる、ということに気づきます。私は単にそこに座り、評価することなく理解に努めながら自分を観察し、自分の中で引き起こされた感情を『感じる」ことを自分に許可します。これはもう「統合プロセス」なわけです。
私は変化が外からやって来るのを待ちわびること無く、自分が自分に望む変化を自分でもたらすことが出来ることを理解します。
そして、私は何が自分を動かし、どんな感情が自分の中で起こるのか、もしかして自分にはどんな欲求があるのか、何処が自分の限界なのか、などに関する「自己表現」をも学ぶことになるのです。
これらが、「被害者的姿勢」から「自己責任」、そして「自己権力」への脱出路です。
ここで、理解しておくべき非常に大事なことは、加害者vs被害者の全体の動態の中で、誰かがあなたに対してやらかすことというのは、結局は「あなたがやらせている」ということです。あなたが被害者的姿勢でいる限り、繰り返しそういう扱いを「させている」のですが、「自分がそうさせている」ということや、自分にはそれを変える力がある、ということが理解できないわけです。
しかし、自分が被害者的姿勢でいることを自覚すればするほど、次にまた似たような状況下で被害者的な感覚になった時には「ノー」と言えることが分かってきます。嫌だと思うことには境界線を引いて、意思表明をすることが出来るのです。
「いいえ、私はそんな扱いを受けることを容認しません」と意思表示できるし、従って「私はもう犠牲者にはならない」と自分で決めることが出来ます。少なくとも、それまでの元々の状況がどうであろうと関係なく、その後の人生で自分を被害者にするのか、しないのか、決められるのです。
元々の状況では、選択肢はなかったのです。なぜなら、ことは突然起こったとか、もしくは子供だったので何が起こっているのか状況把握して自覚できるほど、意識が育っていなかったからです。そこでは自分を被害者として感知するのかしないのか、を自覚を持って決断するという選択肢はありませんでした。
しかし、この癒やしのプロセス、統合プロセスにおいては、自分が被害者意識へ至るのかどうか、その選択肢があるのです。
こうした意識化のプロセスは、一歩ずつ進めていきます。
私はこれを、自分自身の人生で確かに経験しました。私は長い間「被害者意識」の中にいたのです。そこから脱皮していくのは長い道のりでした。そして未だに…今では途中でそれに気づくんですが、やはり自分が被害者だと感じてしまうことがあります。そういうとき自覚をもって「OK、どうやってここから出るべきか」と考えてみます。「私には選択がある」わけで、無自覚に、勝手に反応してしまうのに身を任せず、どう向き合うのかを私は意識的に決めることが出来るのです。
つまり、気づくことが最初の一歩です。次の一歩は自覚をもって自分の態度を選ぶこと。そして自分の感情をどう完治するのかも決定し、そこにあるメッセージを認識するのです。
例えば、誰かが私の内なる引き金を引いたことで、私に怒りの感情が起きたとします。そのとき「私は何にこんなに怒っているんだろう」と問いかけます。「そうか、相手は私の一線を越えてきたからだ」とか、「無礼な物言いをしてきて、私は傷ついたのだ」等々。
怒りとは、「そこで何かが整っていない」ことを示しています。そこで、自分の感情に責任を持とうとするならば、先程述べたように、境界線を引き、意思表示をし、「私は被害者にはなりません」という決断をすることが出来ます。
このプロセスにおいて、自己表現というのはとても大事です。
また、大事なことは、被害者意識に陥るのは、私たちの魂のほんの一部だということです。魂全体がそうなるわけではありません。何を体験したかによって、心の奥底に残ることはありますが、それでもこの被害者意識に定着しているのは、魂の一部でしかないのです。ということは、自己責任を担っていて、自身の勢力を掲げている魂の部位もあるわけで、こうした部位が、被害者意識に陥っている部分を救済したりサポートすることが出来ます。これを理解しておくことも大事です。
そして、全体において大事なのは、自分自身に対して正直であることです。なぜなら、その状況に至るまでに、我々は自分を自分から隠しておくことに長けていたのです。自分の「被害者意識」というものに向き合わされそうになると、自分から遠くへ押しやっていました。誰かに「君は被害者意識に陥っているよ」とか言われて引き金が引かれそうになると、すぐに反発を感じて「そんなことはない、私は自分が被害者だとか全然思っていない」と言い返しても、態度は別のことを物語っているのです。
それ自体が、困ったことではないのです。認めたがらないことが困ったこと、つまり認めない限りは癒せないので、それが自分にとって困ったことになります。
自分自身に対して正直であること。ここが、自身の癒やしのためには最も大切な部分です。自分が何を感じているのかについてや、自分が他人を傷つけるような態度をとっていることについて、正直に向き合うことです。これまでも私はよく言ってきましたが、「傷ついている人は、他人を傷つける」のです。無自覚でいる限り。
ですから、被害者的な姿勢でいる人は、常に自分が攻撃され、傷つけられていると感じている、つまり誰かに銃で撃たれそうになっているかの如く、自分自身も引き金が引かれた状態で、「撃たれる」と感じた途端に撃ち返すわけです。そうして、他人を傷つけています。
だから、自分自身に対して誠実で正直であることが、最も大事な鍵となってきます。「そうね、ちょうど今、私は被害者だって感じてしまったわ」と認めるのです。次の瞬間には時々、「自分に正直」でいることに勇気が必要なところに至ります。なぜなら、認めるのが嫌な感情、というのもあるからです。特に霊的な場面においては、とでもいいましょうか。
例えば「憎しみ」といった感情は、酷く拒否反応を起こします。“評判が悪い”といいましょうか。「憎しみ」はまっさきに否定されがちで、「いえ、私は誰も憎んでなんかいません」となります。
でも、正直なところ、感情のパレットにはあらゆる人間的な感情が備わっていて、誰もがこれを感じ得るのです。それは非難を浴びるべきことでもなく、憎しみを感じること自体は悪いことではないです。むしろ深く傷ついたのならば、愛が突然憎しみに換わることや、暖かさが冷たさに換わること、率直さが寡黙さに換わることは「ふつうなこと」です。憎しみとは、それを物語るものです。
しかし、このことを認識することは、憎しみの感情を最初から否定して、何も感じていないことにしていては出来ません。そんなことをしていると内側から蝕んでくる、内側で病気になります。
ですからとってもとっても大事なのは、自分の感情を、自分で正直に認めることです。
罪の意識、羞恥心、憎しみ、怒り、羨望、嫉妬、もしくは他人を蔑んだりする感情など、色々あります。
これらは大切な鍵ですが、常に容易いことではなくて、これもプロセスであり、癒やしの道なのです。
自分の中に起こる感情をジャッジすることなく、もっともっと認識し、観察し、理解するようになっていけば、そのプロセスの中でそれらの感情は私たちにとって別のクウォリティを担うようになっていきます。
そこでポイントはやはり、自分の行動と態度、もしくは被害者的感覚を体験する中で生み出されていった自己の態度パターン・被害者的姿勢に陥っていったことに向き合うことです。
また、こうした被害者的な行動や態度のパターンは、傷心が原因だったということを理解しておくことも大事です。それで、悪気や自覚がなくても、あなたは相手を傷つけてしまうのです。
もう一度言いますが、「傷ついている人は、他人を傷つける」わけですが、これは自覚が出来ていない限り、続くのです。
ですから(相手を攻める前に)、自分の方はアンフェアではなかったか?自分の方も相手を傷つけてはいなかったか?と自問することが大事です。自分の方が反撃してしまってから、後になって「相手には悪意はなかった、こちらに向けられた攻撃ではなかった」と気づくこともあります。そして相手には悪気があったに違いない、わざと傷つけようとした、という想定をしがちな自分だと気づくのです。
これは、プロセスなのです。心の内にあるフタを開けるようなものです。
「私は本当は何を感じているのか?」
「自分の態度は自分で云うように、愛情がこもっているだろうか?」
それとも「時に、意図せずして・望まずして、自分は傷ついた経験から行動してはいないか?」
自分と向き合い、被害者意識を自分の中で徐々に溶かしていく、ということは勇気がいることです。
素晴らしいのは、これが「被害者・犠牲者 Opfer」から「創造者 Schöpfer」へ向かう道だということです。
訳注:ドイツ語で被害者・犠牲者のことを Opfer (オップファー)といいますが、創造者のことは Schöpfer (シェォップファー) といい、アンティエさんは「この“創造主”という言葉の中に“犠牲者”という言葉の音が含まれているのは素敵なこと」と話しています。
ただ、Schöpfer にはOの上に点々がついています。つまり、これらはコインの裏表であり、この道のりはそんなに遠くはないということです。
こうした被害者意識というものを溶かせば溶かすほど、私たちは自分が創造者であることに気づいていきます。つまり、自分の内側に入り、内側を覗き込み、自己責任を担っていけば、何かを変化させるパワーを私たちは持っているのだ、ということに気づきます。
被害者でいる限り、私たちは依存関係の中にあります。相手が変わってくれないと��自分の人生や感情は変わらないと思うわけです。
しかし、創造者の依存度は低くなり、どんどん自由になっていきます。「自分を癒やすため、気分を良くするために、外界は必要ない」と理解します。自分で物事を変化させる力を持っているからです。
つまり、こうした「自己責任」は最終的には「自己権限付与(セルフエンパワーメント)」となり、被害者意識からの解放、自由を獲得します。
それは、人生において、本質的な心の安定へと繋がっていきます。
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次の「落とし穴」に行きましょう。
それは「自分はいい人でいたい」という気持ちですが、これらの落とし穴はすべて、互いに関連し合っていると述べました。多くの人がこれを抱えており、私もその一人です(笑)。
自分はいい人でいたい、これには理由があるのです。
愛されたいとか、受け入れられたいとか、私たちの誰もが持っている欲求です。
ここで都合が良いのは「被害者」とは善側であることです。
「いい人でいたい」欲求、もしくは願望を内に抱えていて、しかも被害者的な姿勢であるならば、それに固執しがちになります。
被害者は善、加害者は悪、この役割は定着しているからです。
究極的に、本当は私たちは両方なのです。ある特定の状況下で、私たちは被害者だったけれど、誰もが別の状況では形を変えて加害者だったことがあるのです。そんなに酷いことをしたわけではないかも知れませんが、誰かを傷つけるような行動をしたり、言葉を言ったり、フェアではない態度をとったり、自分自身の問題を相手に投影したり、といったことです。
どうしても「いい人でいたい」想いでいることで、何が問題なのかというと、統合させようとしている魂の影の側面を悪だと見なして否定してしまうことです。「悪」と見なしたものにはなりたくないわけで、自分に統合させるどころか遠くへ押しやってしまいます。すると、その影の部分にある、羨望、憎しみ、怒り、悲しみ、などといった感情の存在を「悪いもの」だとして否定しているので、癒やすことが出来ません。
そうすると、被害者的姿勢に居残ってしまうのです。だって、それでは、自分に正直ともいえませんよね。「そう、私だって時に加害者なんだわ」とか「私にも闇の部分があるわ」、「誰かを傷つけることがあるんだわ」という認識が欠けているわけで。
この時役に立つのは、「なぜ、私は常にいい人でありたいのかしら?」と、その部分を照らし出してみること。そこで自問していみるべきなのは「常にいい人でいることで、どんなメリットがあるのか」ということです。質問から浮かんでくる答えはひとつずつ書き出し、眺めてみると常にメリットがあって、良いことで、思ったほど悪いことは出てきません。しかし、「いつもいい人でいる」という方法でなくても他の方法でそのメリットは得られたりします。
では、「いい人でいる」ことで何がもたらされるのでしょうか?
また、どんな欲求が満たされるのでしょうか?
更なる問いかけは、「どうすれば、自分の魂の影の部分へ向ける視点を変えられるのか」です。そもそも、どうして私にはこの感情が起こったのでしょうか。「憎しみ」の例で話しましたが、その感情があることをジャッジするよりも、なぜその感情が起きたのか、を理解することです。
そこには全く別の動態が起こり、深い理解が生まれることで、「否定」というのが取り除かれ、ネガティブな感情を感じることができる自分だからといって悪なわけではない、他人を傷つけてしまうことがあるからといって悪なわけではない、過ちを犯して正しくない態度をとることがあるからといって悪なわけではない、ということが分かってきます。これを理解することはとても大事です。
そして、三つ目の落とし穴ですが、これも他の二つと関連しあっていているのですが、単独で短く述べます。
それは感情の乖離で、それが定着してしまうことです。
私たちは誰でも、感情が乖離してしまうことが何度もありますが、それは一過性で、また自分の感情に接触できる状態に戻ります。
私が問題にしているのは、その状態が続いていること、継続的にその感情が乖離した状態です。それは、自分の感情を「よくないこと」と評価することで拒否しているか、もしくは抑圧しているということです。もしかして、その感情に呑まれてしまうのが怖いからなのか、またはそれを受け入れられるほど自分は成長していないと感じるからかも知れません。感情というのは信じられないぐらいに激しい力を持っていることもありますから、それで自分はダメになってしまうというか、引きずり降ろされるような怖さを感じるのでしょう。
しかし、これはやはり、自分が感じていることに���して正直ではないことになり、フタを被せたり、��り離したりするわけです。
魂の部位の統合プロセスにおいて、感情という層は癒やしを齎すべきもっとも重要な部分です。なぜなら、トラウマやトラウマ的経験によってもっとも傷ついているのは感情の部分だからです。だからこそ、その部分に乖離が起こっててしまったわけですが。
そうした感情を感じること、そしてその感情を統合することが、癒やしへの鍵であり、魂の部分らの「完全性・統合性」を取り戻すことです。
これらが主要となる「落とし穴」です。これらは、私の個人的な経験上、そして私の顧客たち、つまり他人とのワーキングの経験を繰り返してきた上で、言えることです。
そして、この動画の最初に述べていたように、「影と光」という面についてお話します。
魂の部位の統合について話すときは、「影」の面を扱うことになり、この影をどう統合するのかという話になります。それで良いのですが、光という側面を忘れています。
この影の部分を統合する時、光をも統合しています。これらはコインの裏表なのです。
影を統合するときには、同時に光も統合されます。両者はつながり合っているからです。
この光の部分には沢山の側面があるのですが、いくつか書き出してみました。
賢さ、賢明さ、叡智というのがひとつ。即ち、トラウマを経験したことで影の統合プロセスを経ることになり、それによって生じた叡智です。それは多くの気付きと結び付いていて、私たちは賢くなります。
また、よくあることは、トラウマが癒やされ、光の部分が魂に統合されることで、人間らしさ、共感能力が出てきます。また、物事を深く理解することが出来るようになりますが、それは自分自身に関してだけではなく、人間という性のことであり、時に自分が体験したトラウマに関連したことで、他人を助けたいという情熱が起きたりします。
その人は深いところで学びを得たのと、トンネルから脱出出来たわけで、光という側面も知りました。それを他の人にも渡したくなるのです。
更なる光の側面は、トラウマが癒やされたことで、真の自分というのを発見したことです。
トラウマによって生じた魂の分裂によって、私たちは多くの痛みを伴う感情、そしてそれを「犠牲(いけにえ)」と同一視してきたわけで、でもそれは自分ではない、自分はトラウマではない、自分は傷ではない、自分は犠牲ではない。そのことに気づけば気づくほど、私たちは創造者になっていくのです。
ということは、私は自分の中に可能性を発見したのです。自分が何を考え、何を感じるのか、世界をどのように体験し、その世界にどう反応するのか、または他人にどう反応するのか、すべて自分で決められるパワーがある、という可能性。
そして、私たちは純粋無垢な自分を再発見することが出来ました。
影の部分を拒否して「いい人でいたい」という自分は、実はこの純真無垢な自分を探していたともいえます。でも、「自分は純真無垢なのだ」ということを自分の中に認めることが出来れば、それは影の部分を統合できたことになります。
「私は影ではない」
「私は傷ではない」
「私はトラウマではない」...のです。
そして、更にありえることは、影の部分を統合することで、本当に才能や能力といったものを、自分の中に再発見していきます。それまで阻止されていたのか、はっきり見えていなかったのか、そういったものが開花されていきますが、それはまさに特定の魂の部位と結び付いた部分なのです。
こうした「犠牲者から創造者」へ移行する私たちの内なる道のりのすべてにおいて、コントラスト(照らし合わせ)となる状況を体験することで、私たちは自分が誰なのかに本当の意味で気付いていきます。
つまり、「自分が誰ではないのか(過った自己同一視)」ということが、「自分が本当は誰なのか」という認識を明瞭に照らし出す可能性が与えられるのです。
「自分が本当は誰なのか」というのは「被害者vs加害者の動態」の外部にあります。
私たちは常に、両方なのです。自分の中には両方の側面があります。被害者だったり、加害者だったりして、両方ともが「人間としての経験」なのです。
もうひとつの光の側面は、切り離されていた影の部分と統合されることで、その統一感を得て、すべてを完全性へと変換することが出来た、という感覚です。
これは、自分という存在にとっては全く新しい感覚であると同時に、この世界の中に在る自己認識も新しいものとなります。
それは真の自分の一部です。
なぜなら、私たちは完全なるものから生まれたのですから。
それが本当の私たちであり、真実です。
以上が、皆さんにこの第三部で明らかにしようと思ったことです。
何か質問やコメントがあれば、お待ちしております。
いつもの如く、沢山の愛と光を、私の心から皆さんに送りますね。
さようなら。
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alaephoenicis · 1 year
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時間の操作、時間のカウント、時間の旅
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/DNKxIIMKHrg 公開日:2023年3月19日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
私たちが今現在つかっているカレンダーの日付(暦日)は、どうやって使うようになったのでしょうか?この「時刻と暦日」とは、どこからやってきたのか。そしてこの日付はもしかして、ある特定の「意識プロブラム」にリンクしてはいませんか?
この時空で何かを経験したり、この日付に紐づいているこの時空の一部だと思っているときは常に、私たちは非常に特殊な意識プログラムに統制されています。
この動画では、そのことを皆さんにお話します。
いつものごとく、これは展望・既知の現象についての新しい捉え方であり、それが自分の心にどのように響くのか、自分で決めて良いのです。
そして、冒頭に掲げる大きなテーゼは、「私たちが生きているのは2023年なんかでは全くありません」ということです。最初はとりあえずちょっと異様な感じに聞こえるでしょうが、以下で詳しく説明したいと思います。
人類の歴史において、ある種の天変地異が訪れたことは幾度もあったし、社会のリセットも幾度も行われてきました。そして、そのようなリセット後には、時間の数え方が改められることがよくありました。
私たちが2000年以上前から生きているタイムラインを、私は「キリスト教のタイムライン」と呼んでいます。
私たちが過去2000年間過ごしてきたこのキリスト教のタイムラインは、ユリウス暦に端を発してグレゴリオ暦へと続く「太陽暦」によって裏付けられています。それは、私たちが現在生きている日付であり、時間というものは常に特定の振動と結びついていて、その振動によって私たちがどの意識空間を移動しているのかが決まります。
ですから、もし自分たちが2023年にいると思っているなら、私たちは文字通り、私たちのために書かれた非常に特殊な振動プログラムに従っていることになります。そして、この振動プログラムはキリスト教のタイムラインである2000年以上前から存在し、それ以降、人類の意識はそれ以上発展することなく、傾向としては退化してきています。
さて、いったい私たちはどの「時間」の中で暮らしているのでしょうか?それは結局のところ、視点の問題でもあり、私たち自身の意識の振動の問題でもあります。
私たちはカレンダーと時間に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト暦のタイムラインに合わせているのです。
まず第一に、私たちの前に置かれたこの日付と、私たちが人生を方向づけるためのこの時刻は、私たちの意識の振動に非常に特別な影響を及ぼすということを認識しなければなりません。
そして、もし私たちが意識を広げたいと思うのであれば、この時空の枠から飛び出す以外に方法はありません。
ユリウス暦とグレゴリオ暦が誕生する以前の地球には、主に月暦が存在しました。これは、1カ月が28日、1年が13カ月、それで合計364日になります。
そして、この月暦は、現在の太陽暦よりもずっと自然の地球のサイクルやリズムに強く結びついているのです。
ちょっと想像してみるだけでも、ジュリアス・シーザー、つまりユリウス暦が現在の日付の基礎を築いたのだと感じるでしょう。この歴史上の人物が本当に善意からこれを成したのか、私は確信を持つことが出来ません。
そして、現代のすべての計算、つまり古典物理学から宇宙物理学、あるいはその他、占星術における星座の計算に至るまで、この暦がベースになっています。しかし、それ自体に偏りがあるカレンダーをもとに計算をするとなると、そこから算出される結果には、私は常に慎重になります。
では、例えば占星術の計算結果はどうなるのでしょうか? もし、まったく違うカレンダーを基準にするとしたら?
私たちが知っているようなの時刻を測るだけのカレンダーではなく、時間の質、そして時間の中で起こることに焦点を当てたカレンダーです。
純粋なカレンダーは、お知らせのために日時を示してくれるという限定された機能に留まり、これはひとつの時間層のみを指し示しますが、私たちがこの地球上で使っていた昔の暦では、時間を計るだけでなく、複数のタイムラインで、何時、何が起こるかを明確に予測することができました。つまり、暦とは、時間の中で起こる出来事の測定手段でした。
決して時間そのものが重要なのではなく、その時間に何が起こるのかが重要だったのです。
今日、占星術の世界でもそのようなことが行われています。しかし、先ほども言ったように、私個人としてはそのベースにされている暦の波動には、非常に疑問を感じます。
一歩下がって、もう一度時間をより身近に見てみたいと思います。
時間とは、私たちが計り、そしてそれに自分を合わせるものだと考えています。刻まれる時間が、そのように私たちを指揮するからです。
しかし、実は時間はもともと創造のための手段であるとしたらどうでしょう。意識の進化を発展させるための創作ツール。だって、それが真に時間の背後にあるものなのですから。
他の意識レベルとコンタクトがある私には、時間について別の理解を与えられているのです。彼らは私に、時間と、暦の枠内での日付というものをどうやって使うのか教えてくれました。
そう、地球人には覗き込めば何時なのかを示してくれる時計があり、それによって非常に特定の意識プログラムに組み込まれるのです、と彼らは言いました。
私たちには時計があり、それを調整し、どの日付に時計を合わせるかによって、私たちは時計を合わせた通りの時空間座標にいることになります。
つまり、正反対なのです。
それは、まったく逆の意味です。私たちはカレンダーと時刻に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト教のタイムライン、そしてこの時刻がリセットするところに合わせているのです。
一方、別次元に在る創造者たちは、時間を純粋な創作ツールと見なしており、何時であろうと自分たちが暦の中の日付に設定したところに、その意識のまま自らを見出すことが出来ます。
さて、いま起きていることを見ていると、すべてが新たなリセットに向かっていることを示しています。
そして、すでに時々仄めかしては来ましたが、私がこれほどはっきりと口にしたことがなかったことが、このリセットによってもたらされることになります。
それは、リセットの後、私たちは新しい時間をカウントし始めるということ。
私たちは今後数年、数十年の間にいくつかのイベントを経験し、特に大きなイベントがひとつあります。
このイベントの後、地球には新しい時代がやってきます。
なぜ、そんなことを?なぜ、システムは新しいカレンダーを考案しようとするのでしょうか?
そう、人々の意識を特定の時空間プログラムにこの先も留めておくためです。
私たちはキリスト教のタイムラインの中で生活しています。つまり、過去2000年の間、それは私たちの意識を閉じ込めているのです。
そして、私たちは2023年という日付、今ここにいるものと思っていますが、実際にはもっとずっと先の時間にいます。
もし、いま2万4,327年にいる、と言われたら私たちはどう感じるのでしょうか?これは単なる例えです。そして、過去2,000年の意識プログラムである時間カウントを巻き上げるだけでなく、私たちがもっと古い日付まで歴史を遡れるのだとしたら?
そうすると、私たちはキリスト教のタイムラインによる意識プログラムを超えてしまうでしょう。
そして、このリセット、そしてグレゴリオ暦のこの日付というのは、私たち人類が集団でその出来事を忘れてしまったことと関係があるのです。
そして今、まったく同じことが計画されています。社会的なリセットが訪れ、新しい時間カウントが行われ、新しい日付を与えられ、歴史記述にゼロ・アワーが設けられ、それまでのすべてが人類種族の集合意識から抹消されることになります。
これが計画なのです。
こうやって歴史の中では何度も同じことが繰り返され、社会は非常に特殊な時空間プログラムに基づいて自らを構築してきました。
ある時点から、その中で起こるすべてのことが、どういうわけか少し制御不能になり、人間は自らを破壊し始めます。
リセットが起こり、すべての時間カウンターにゼロアワーが書き込まれ、新しい日付が始まる。そして、この新しい日付は、私たちがこれまで蓄積してきたすべての意識、すべての過去、すべての遺伝的遺産、すべての経験的知識を、タイムラインから、そして意識から切り離すことにあります。
つまり、私たちはいずれ、イベントの1年後、2年後……といった時代を生きることになるのです。そして、リセット前の集合意識にあった情報をまとめることは、一般的な歴史学では禁止されるでしょう。
既にそのようなことは起こっているのです。
もちろん、歴史家は2000年前に遡ることを禁じられているわけではありません。
しかし、そこでは時空間エネルギー的に、新しい時間カウントの導入を通じて、人類の集合意識に断絶が起こったのであり、その結果、多くの時空間のイベントや アトランティスやレムリアのような以前の時代の記憶全体が集合記憶から消去されました。
そして、私たちはちょうど今、新しいリセット、新しい時間カウントに向かっている最中で、キリスト教のタイムラインの時空の枠組みで経験したことはすべて、いずれは私たちの意識から消えていくか、あるいは消えているはず、となります。
今、私たちがいるこの場所では、とても消化しにくい、あるいは理解しにくいと思われるかもしれませんが、こうしてプログラム、つまり人類を抑圧するための意識プログラムは、何度も何度も同じシナリオを構築するのです。リセットと集団的忘却によって。人類の意識全体に波及する記憶喪失、集団的な記憶喪失、を通すことで…
そして、私たちを忘却の彼方へと率いるための最も中心的手段となっているのは、この私たちの生活基盤となっている時間の数え方と日付なのです。
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自分なりの感覚をつかんでみてください。私たちは2023年にいると言われています。とても若々しく、とても新鮮で、まだあまり経験を積んでいないかのように聞こえ、それ以前のものはすべて切り捨てられいます。
他の意識レベル、他の存在は、時間の数え方が全く違っています。彼らは時間をまったく違った形で使っています。
私たちは自分の意識を使って共創しているものは何なのでしょうか。それはなによりも、我々という存在の意識を制限する枠組みとなるよう、非人間的なある特定の存在がプログラミングしたものです。
私たちは、時空間のシミュレーションのようなものの中で生きています。
そして現在、このプログラムによって、私たちは2023年に生きていると思い込んでいるのです。
(少し笑いながら)あなた方がこれを信じるのか、信じないのか。
しかし、実はこのビデオに至るまで、私はまずカレンダーを見て、今が何年なのかを確認する必要がありました。なぜなら、私の意識は、ほとんどの場合、時空間プログラムの外側で活動しているからです。
私は、その日付を単純に意識から消し去りました。私にとっては、全く別の時間カウントが適用されるため、私自身の歴史記述の中にあるもっと過去に遡ったイベントを参照したり します。
今から約9,800年前に大きなイベントがありました。それがアトランティスの滅亡で、非常に大きな激震が起こりました。その時から新しい社会秩序が生まれ、その影響は部分的に今も続いています。
私たちはいわば、ポスト・アトランティスの時代にいるのです。
そう、最近になって人類の昔の文明に関する情報が出てきたため、私たちが意識の中であっちやこっちへ転がして確かめてみてもいいことがいくつかあります。何が自分たちにとって正解なのか、どの時間軸が自分たちにとって適切なのか、人類は実際に時間の流れの中でどこに向かっているのか、そして、どうやって意識を拡大し、リセット地点の前にたどり着けるのか、などです。
昔の文明に関する情報は消えておらず、人為的に断ち切られただけでした。しかし現在、振動が高まるにつれて、以前の時代、過去の時間の数え方などが再び浮上してきました。
もし、2023年の時空間プログラムがあなたの意識を制限しているということを、あなたの体のすべての細胞が知っていたとして、あなたはこの時間の代わりに、別の宇宙的時間計算を自分に贈れるとしたら、あなたは自分自身をどのように経験するのでしょうか?
もし私たちが、時間を教えてくれない時計を持っていて、そこに自分で日付を入力し、その日付の場所に自分の意識があるとしたらどうでしょうか。
すべての時間、すべての時間記号は場所と結びついており、本当はすべての場所、すべての波動の存在がそれぞれの時間の中で生きているということを認識することが重要です。
現在、全人類には一つの時間が与えられています。単一の日付が、すべての人に降り注がれている。これには、人類の振動を普遍化する作用があるのです。私たちは、いわばこの時間の意識プログラムを受け取り、全人類がこの時間を遵守すれば、いわば人類の集合意識はそれによってグローバル化され、極めて限定的な振動枠に入ることになります。
この時空間プログラムが存在しない他の次元では、それぞれの意識は独自の時間で振動しています。なぜなら、意識の振動は常に、どの時空枠の中を移動しているかと関係しているからです。そして、もし私が自分の意識の振動の拍子を変えたら、時間軸上のにある全く別の時代に滑り込むことになります。すべては、私たちの意識の振動に関係しているのです。
私たちは、この日付があること以外に何も知らず、その日付に自分を合わせていますが、その日付が私たちの内面にどのような影響を与えるのか、どれほど私たちに制約を与えているのか、どれほど私たちすべてを一つの時間、つまり一つの周波数、一つの振動に集めようと目論むグローバリズム計画の一部であることに気づいてもいないのです。
しかし、自然界ではそれぞれの人が持っている独自の周波数によって、異なる時間を生きている…これらは、現在の意識からは想像しにくいことかもしれませんが、意識が多次元に広がると、並行する現実が存在するだけでなく、それぞれの生命体がそれぞれの意識振動にしたがって、それぞれの時間サイクルで生きていることに気づかされるのです。自分のリズムで生きている、とも言えます。
そして、私が皆さんに結論として提言しておきたいのは、自分の内なるリズムを見つけることです。あなたの内なるリズムがあなたの時間となります。そしてこのリズムは、あなたの魂の波動のサインと結びついています。これが、あなたの存在のリズム、あなたの自然な生体のリズムを、あなたに与えてくれます。
そして、与えられた時間のリズムではなく、自分自身のリズムで生きていると、その中で自分は次第に自分らしくなっていきます。いつ寝ても、いつ食べても、1日のサイクルの中で、いつ、どのように、何をやってもいいのです。
「この時間に眠らなければならない」 「この時間に起きなければならない」 「この時間に食事をしなければならない」 「この時間に・・・しなければならない」等等…
私たちは、そう考えるよう仕向けられている、条件付けにより学習させられています。
これらはすべて、元から自然に備わっている意識のリズムを、条件づけによる路線へと誘導するために設けられ、そうするように吹き込まれているのです。
そして、私たちはいずれ、歴史の記述にゼロ・アワーが訪れる時を迎えることになるのでしょうが、単に我々人間の意識を制限しようとする存在によって書かれた新しい時空プログラムなどに乗せられたりせず…その時には、その新しい時空プログラムに入る代わりに、私たちは自分たちが実は何者であるのかを思い出すのです。そうして、時空のあらゆる地点に自分の意識で自己を顕在化させるためには、時間を創作ツールとして駆使するのだ、ということを再認識するでしょう。
時空間のプログラムをすべて捨てたとき、私たちの旅が向かう先はそことなります。
時間を線状のに捉えている思考では理解できない部分もあると思いますが、大切なのはいつも、振動に注意を払うことです。それは、私たちが知覚するすべてのものの背後にあります。
このことを念頭に置いて、もう一度「日付(!)」をよく確認してみましょう。
もしかすると、その背景には、人類を操るための最大級の意識プログラムが潜んでいるかもしれません…
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alaephoenicis · 1 year
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僕たちはタイムトラベラー
〜 転生は過去への旅 〜
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/QscMOUpwWLU
公開日:2023年3月12日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
私は時間タイムライン、そしてタイムトラベルというテーマについて、私が感じていることを皆さんにお伝えし、皆さんをその旅に案内し、時間に対する多次元的な視点を広げていきたいと思います。
時間とは、時計の針が示す時間だけではありません。
時間は多次元的な現象であり、私たちはそれを3次元の平面上で体験しています。
直線的な順序、プロセス、歴史的な出来事が次々と起こる一定の時間軸という形の時間。それが、ここ物質次元で私たちが経験する時間のあり方です。
でも、最近何かが違うことにお気づきでしょうか。
そして、主観的な時間感覚が、最近ずいぶんずれてきていますね。
すると、時間が無限に広がっているような感覚になり、時には時間が逃げていくような感覚になることもあります。
この内なる主観的なレベルでのタイムシフトは、現在より高い波動が地球にやってきているという事実と関係しています。なぜなら、他の波動領域では時間の感じ方が全く異なるからです。
例えば、私たちが高い意識からこの地球に転生してきて、80~90年後に再びこの肉体を離れて高い意識レベルに戻るとしたら、そこでは時間は全く経っていないかのようです。
私たちがここで時間として体験しているものは、高次元では本当に一瞬のことなのです。
それは、この肉体が存在している次元において、私たちは自らの波動を下げることで、時間をも膨らませたからです。
いわば我々は、時空間グリッドをどんどん膨張させ、波動を下げることで、この3次元の体験を得ようとした。これは自分で選んだことであり、私がこれまで別の場面で述べたことがあるように、この時空全体の経験、そして肉体を持つという経験を、私たちは高い意識から自分で創造したのです。
意識の周波数をどんどん上げていくと、時間の感覚も変わってきます。次元のレベルには、互いに平行して存在するものがあるという考え方がありますが、次元には物理的な3次元があり、次に4次元、5次元……と続いていきます。
そして、これらの別次元が、他の物理的な空間ではなく、実は他の時間に存在しているとしたらどうでしょうか。例えば、2次元は、私たちの過去で、4次元・5次元は私たちの未来。そして、意識振動を上げると、私たちは未来へと旅をするのです。しかし、意識の振動を下げると、私たちは過去へ旅をすることになります。そして、この地球に転生した私たちは、まさにそれを実行しました。私たちは、意識を物質レベルに移すことで、文字通り過去へと旅をしたわけです。
この物質的な経験領域は私たちの過去であり、現実には私たちはすでに未来の高次元の領域でより高い振動の中にいるのです。
これは、まず頭で理解するのは少し難しく聞こえるかもしれません。
基本的に時間は1つではなく、さまざまなタイムラインが存在するということが重要なのかもしれません。そして今、この地球上で起きていることは、私たちが動いているさまざまなタイムラインが、ある特定のポイントに向かってますます整列を成してきた、ということなのです。これは「調和のとれた融合」と呼ばれるもので、少なくとも私はこの言葉をそう解釈しています。
調和的融合では、これまで私たちがその中で行動してきたすべてのタイムラインが、ある必然的な点に向かって走っています。その点とは、人類の覚醒です。
覚醒のとき、私たちの意識振動は上昇し、突然、未来の姿へと変化するため、とてもとても刺激的なプロセスが行われます。
空間がないのと同じように、究極的には時間は存在しません。そして、すべての時空間の体験は、ある意味で幻想のようなものです。
しかし、幻想の中で行動している間に、私たちは層状のその複雑さを理解することを学び、時間とは何かをよく観察することになるのかもしれません。
時間はどのように内面主観的に働くのでしょうか?
そして、意識の振動が高まると、私の時間体験に何が起こるのでしょうか?
現在、1日が1週間や1ヶ月のように感じられるという人をたくさん知っています。
これは彼らがより高い意識の振動の中にいて、異なるタイムラインに滑り込んだからです。それはより高い波動のレベルを表すタイムラインであり、その反対に限られた振動の中にいる人たち・限られた意識空間の中で動いている人たちは、実は --まさに文字通り-- 過去に存在しています。
そこには今、「転生」と呼ばれるプロセスが起こったわけです。
これまで私たちは、例えば5次元という高次元領域の中で魂として存在してきて、そうした異次元から今度は別の振動空間である3次元領域へ転生してきた、というイメージを持っていたかもしれません。それはまっとうな視点です。
しかし、それとは別の視点をお話します。
転生のプロセスは「過去への旅」であり、今私たちが意識の振動数を上げることで、私たちは未来へ旅することになります。
人間は多次元的であり、人間には複数のバージョン、複数の振動バージョンが存在しますが、私たちは自分のことを主に肉体と同一視しています。そして、肉体は物理的な時空に束縛されています。高次の振動体であるアストラル体やライトボディは、この時空に縛られてはいません。そして、より高い振動体はそれに相当する「将来バージョン」として存在しています。つまり、空間的にではなく、時間軸上で見た場合、私たちが持っている異なる身体は、宇宙の中の異なる時間に存在していることになります。
そして、最も高い振動数を持つ身体は、私たちの最も遠い過去、あるいは最も遠い未来から来たものです。
時間は循環するもので、直線的ではありません。
だから、「先頭の者が末尾になり、末尾の者が先頭になる」と言われています。つまり、私たちが完全に時間を過ごし終えて絶対的な究極の意識の中にあるときは、多くの進化のエポックを経てそこへ到達したとき、ということになります。そして、ある時点からすべてを統合した意識となり、この意識は再びゼロから始めることを決心するのです。
そして、それこそが我々の転生なのです。私たちは、最高の意識から時間の中に戻り、物理的な経験空間へと転生してきたのです。
そして、それが地球での体験を特別なものにしています。なぜなら、私たちは究極の未来において最高レベルの意識に存在するのと同時に、過去という3次元の物質的な経験空間にも存在しているからです。
私たちは人間として、創造のあらゆる振動スペクトルをカバーしています。そしてそれこそが、人間の経験を非常にユニークで特別なものにしているのです。
私たちは、この宇宙の中で取るに足らない小さな存在だと思うかもしれませんが、そうではありません。実際には、私たちは本当に偉大なハイ・クリエーターであり、時空間的な出来事や 物質の経験空間における進化のすべてをすでに完了させているのです。私たちは、実際にはもっと先をいっているのに、ただ、誰も教えてくれないだけなのです。
こうして進化という点で先をいっていることは、その意識が未来におけるものだということ、あるいはその視点がより高い波動の層にあることによって表されます。
すべてが究極、あなたの意識の中で「今、ここ」に存在しています。
すべての時間、すべての空間、すべての創造物があなたの中にあります。こうしたことが私たちが成長する所以で、そしてそれが、精神を集中して「今、ここ」へ戻ってくれば、すぐにでも具現化できる意識なのです。
この「今、ここ」理論を揶揄する人は大勢いると私は知っていますが、私は別の見方を提唱し、「ここ」にすべての宇宙空間の総体がある、と言いたいのです。そして、この「今」というのが、すべての時間の総体です。これは一瞬のことであり、あなたの意識の最奥の中心にある、拡張されていない点なのです。
人類という種でタイムトラベラーである私たちは、精神的にとっくに超越した次元に転生してきているのです。
これは、すべての種に共通していることではなく、すべての種が原則として転生を追っているわけではありません。どのような種でもすでに時空間パターンをすべて開拓し、完成させているわけではないのです。
そしてある意味で、私たちはすでにこの全てから発展し、意識の進化においてはるかに進んでいます。そして最後の最後、ワンネスを体験する門の直前で、私たちは自分たちが全てであり、皆であることに気づいたのです。
創造物全体の中に、まだ自由ではない意識がある限り、私たちは自ら自由になることはできません。だからこそ、私たちはその偉大さを持って地球に戻り、創造の物理的部分を大いなる意識全体の中に取り込むことにしました。
これが、私たちが既にこの中から進化したときに起こったことなのです。それをいったんよく味わい、お腹に落としてみて下さい。
あなたは物理的には自分の過去の経験をしており、その意識はすでにずっと先まで行っています。
あなたの意識は、あらゆる時空パターンをすでに成就しています。あなたの意識は、今ここで、可能な限り���い振動レベルで存在しているのです。
しかし、この意識は、自分こそがすべてであることを知っています。
そして、ひとつの存在がまだ別の振動の中にいる限り、特定の周波数の中に閉じ込められている限り、完全に自由になることはできません。だからこそ、私たちは過去にさかのぼって肉体を具現化し、まだ自由ではない創造部分を解放しているのです。
私たちは、永遠なる神聖な霊的存在であり、無限の可能性を秘めた無限の振動領域なのです。
ところが、私たちは、自分自身がまったく逆の極端な状態にあることを経験します。
そしてそれは、私たちがこの高度な発展段階・統一意識にあったとき、ほとんど全体の創造状態をスキャンしては、創造のどの場所で、どの時間で、意識がまだ最も縛られているか、まだ最も自由でないのかを眺めていた、という事実と関係があります。なぜなら、そこが創造の全過程をある意味で妨げていたポイントだったからで、そこが最も引っ掛かっているところ、最も大きな歪みがあるところだとも言えるでしょう。
そして、それがこの地球、そして私たちが今生きている時代の意識の領域だったのです。だからこそ、私たち人類は意識の歪み、疎外、制限が最も大きい空間に、まさに高次の意識から転生してきました。
そうして「我々はこうして、ここにいる」わけです。そして私たちは自分が何者なのかを忘れてしまった。自分たちが実は、いま自己を体験しているより、もっともっと偉大な存在であることを忘れたのです。私たちは自分自身の多次元的な層をすべて忘れ、時間を旅してきたことを忘れ、私たちの最も内側にある心の中心にある心を、覆い隠してきたのです。
そして今、この隠れんぼゲームには終止符が打たれ、地球にこのエキサイティングな時が来ようとしています。
この物理的な次元には高次元がどんどん浸透してきており、人間の転生を通じて、より多くの高次のエネルギーが地表の領域に織り込まれてきています。
そして何が起こるかというと、私たちはついに全く新しい意識に目覚め、全く新しい一体感を見出し、全く新しい地球を形成し、私たちが本当は何者であるかを深く認識するようになるのです。私たちはなんと素晴らしい素晴らしい生命体なのでしょう。
ありがとう、存在してくれてありがとう。
そして、この特別な時にここにいてくれてありがとう。
すべての愛を込めて
ロビン・カイザー
2023年3月12日
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alaephoenicis · 1 year
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インタビュー:ロビン・カイザー
僕たちはみんな、同じチケットを予約している:
“人間を経験すること”
インタビューア:プリスカ=マリア・ブリョーゼ
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オリジナル動画:https://youtu.be/tXpOrZiMDZA
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
プリスカ:あなたにとって新地球とは?
ロビン: 最終的には意識の状態、時空間に定着されたものではないんだ。
我々は記憶を取り戻した時 自分たちの内部に 創り上げる意識の状態。
記憶というのは自分たちがどこから来たのか、 霊的精神的に自分たちがどのような存在なのか、ということ。
心の奥底でそれが確信として自己の中で目を覚ました感覚、忘れることのない感覚が起きる。すると、この肉体としての自己認識には陥らない。
その時、自分はこの地球の源であると言う自覚が起きる。
プリスカ:あなたの本には「新しい私たち」というのがあるけど、これはどのようなもの?
ロビン: 君が引用したのは「宇宙的観点からの私たち」で、これは新地球を改めて構築していく時の、互いのあり方とはあまり関係はない。
「新時代の私たち」には、新しいコミュニケーション文化、交信のための新しい言語を学ぶことなどが挙げられる。
我々の言語は、人類の分断が根底要素となっていて、主語・目的語といった区別は、如何なる文章でも相手(対象物)は自分以外の存在だと宣言している。新言語で新しい互いのあり方を表現することで、何が開かれるのか見えてくるだろう。
「愛を以て行動せよ」これを掲げたい。何にせよこの“材料”さえ入っていれば、何をしようと「ことは丸く片付く」。人生のどの分野であろうと、この“材料”が欠けていれば、いつの日か歪みとなって自己破壊に繋がるだろう。
プリスカ:新しいコミュニケーションの形態とは、どのようなものになるのか、イメージ、直感はある?
ロビン: 学校教育では合理的・論理的思考、と主に左脳が鍛えられる。
基本のコミュニケーションはしかし、芸術的なもの、例えば踊り(舞)はイメージとして隠喩的・芸術的な音響言語となり、自分の中の全く違った層で表現・伝達し合うことになる。
多くの人は自己表現ができないという感覚に陥っており、従って自分の存在は気付いてもらえないと感じている。なぜかというと、こうした“言語”という道具を使っても、人は自分の奥底にある内面を表現することが出来ないから。
そこで「僕たちはもっとクリエイティブにならねば」と思うわけ。
言語というものだけでなく、思考にも結び付けられているアイデンティティというものに、自分たちがどれほど奴隷化されているのか、そのことを芯から自覚すること。
つまり、「自分」と「自分が想っている自分」とを同一化してしまっていて、ここから分離化された存在への道を進んでしまうんです。
プリスカ:私には先日、イメージが浮かんで、その中では我々の精神がどんどん…この何千年の間なのかわからないけど、「自分・私(エゴ)」にばかりフォーカスするようになって行った。
今のあなたの話で思い出しました。
私たちは再び、自らの精神を宇宙というか創造的な方向へ向けていくとどうなるのかしら?
ロビン: (笑) この「自分・私」という“島”はまるで、広い大海に浮かぶナッツの殻のようなもので… 僕らの存在がそんなものだったためしなんかないのに。これがパラドックスで、僕らは「自分は自分が思ってるような自分」だと信じている… ひとつの意識層だけに存在感が与えられてしまっているけど、その横でパラレルに存在する多くの他の層で全く違った自覚の中にある。
一方では、“body-mind-identity(肉体=精神=同一性)”が肉体に繋げられた意識としてここにあって、僕らは「これが境界線(この線で終わる)」だと思っている。つまり、時空間を経験していると思い込んでいる。
しかしこれを超越して、認識を改めて見ると、「自分の意識は永遠」だということ、「“自分”には生まれ出た瞬間がない」ことに気づく。
これは…言葉では表現できない。ここには直接的な経験が必要になる。
その経験は、自分たちが行動を起こしている現実世界で疑問を掲げるようになって、そのうち行き着いた底を引っ掻くことになる日が来るまで、出来ない。
プリスカ:そうしたら、どうなるの?
その“底”を引っ掻けば、すべてが解ける?(笑)
ロビン: 実際には、切り離された現実からは、新しい我が家へは何も持って帰れないんだよ。
僕らは多くの妥協を決意して、古い世界にある手段を使って新しい何かを創造しようするのだけれど、それは当然うまく行かない。
切り離された世界において、自分の精神や思考や想像で構築してきたものを完全に“洗い流す”ことを、本当に徹底して学ばねばならないと思う。するといつの日か、“新たなるもの”に出会える。
でも、これは単なるプロセスであって、プレッシャーを掛けても効果はない。つまり、成長を先取って歩むことは出来なくて、新時代の成長に向けた選択の手段とは力を込めたり圧力をかけるのではなくて、手放して委ねていくこと。全く違った進み方なんだ。
プリスカ:…その「手放して委ねること」というところに、自然な磁力の影響が実現されるのかしら?
ロビン: その通り。切り離されたアイデンティティからは常に、「私はAからBに移動して、目的に至る」ことが「常に自分の意思で起こる」ことになる。
新しい現実では、自分の意思というものは丸ごと手放して、宇宙の磁力に自分の運命・宿命が自分を引き寄せる現実へと導いてもらうんだ。
プリスカ:あなたがセミナーなどで寄り添っている多くの人たちには、その新しい意識に心を開くために、どんなことを勧めていますか?
ロビン: (笑)…つまり君には君の道があって、他の人にもそれぞれ、その人に道がある。これは何か「本質的」と言えるもの。非常に個人的なもの。
そして、いつの日か、僕らがその道を歩んでいった時に、どんどん互いに近づき合うように導かれる。切り離された現実では、僕らは「自分のバブル(泡)の中にいて、他人と互換性がない。僕らはある言語を話し、互いにすれ違い、それぞれの道は交わることがない。
しかし、徹底して内面の方向性従うようになっていけば、個々の人が歩む道は集まっていき、それは力強い大きな流れとなる。
そして、エネルギー的に地球上でそれが起これば、もう何もそれを止めることが出来ない(にっこり)。
プリスカ:果てしなく大きく広がっていくような感じね。
私たちが、もしくは一定の人数の人々が、そのような意識状態に至れば、この地球上で顕現される世界に、大きい変化が起きるのかしら?
ロビン: (笑) 類比論法で描写してみると、そこにはあるバッタの種族がいて、皆が後ろ足を抱え込みあえば、一定の数を超えるとひとつの生物体へと変容する。そのように、僕らも皆で手を取り合えば、個人の意識は「我々」という意識へと変化し始める。実はそういう場所、つまり部族文化がある場所から来て、氏族意識をもっていた。個人の意識というのはそれほど無かった。これは遅かれ早かれ、我々に開かれていかざるを得なくなる。なんでかって、個人にとって分離という道には先がもう無いからだ。僕達はもう最終点まで味わい尽くした。この一本道にはもう、自己破壊しか残っていない。
そして、僕達が人間としての集団社会にあって、この道を選ばないならば、路線変更をしないといけなくなる。
ある程度は、誰もが責任をもって自分なりの貢献をするんだけど、上部に位置する創造レベルには…謂わば「シナリオ」が存在していて、それは人類の運命のようなもの。この話は別の文脈で話したことがあるけれど。
人々が、そのより大きい年代記というか、人類の運命的な流れに繋がった時、おそらく僕らは人として改めて自己破壊へ向かうような運命にはないだろう。
僕らはこれを経験してきた。この惑星で、僕らがいにしえのトラウマを再演出したことで、何度もそういうことがあった。最後にそういうことがあったのがアトランティス。この記憶を持っている人たちは、今この時代に沢山いる。なぜかというと、今日の時間質(タイムクウォリティ)が当時と同じだからだ。今、全く同じ状態が示されているんだけど、どうやら今回は上手くカーブを越せるようだ。それには異なった要素が関わってきている。集団意識性のクリティカルマス(急激に何かが激昂する分岐点)というものもある。これに達する時、高い意識を持った少数派が、普通の意識状態だった大衆を一緒に引き上げる。歴史上、大衆が世界の成り行きを統御したことはない。それはいつも少数派だった。…しかし、今までは分離の方向へと進んできた。
しかし、本当に「高い振動を保ちながら地球上で貢献している」と僕が呼んでいる人々の割合が一定のパーセンテージを超えたなら − 裏ではそれを起こすために多くの力が働いているんだけど − そのとき、新しい意識というのはまるで、地球を包む格子網のように張り巡らされ、そして… 無意識でも分離のアジェンダに従ってた者は、非常にそ~っと、そしてどの程度の抵抗があるかによってはちょっと辿々しく、その新しい意識に吸入されていく。
プリスカ:数年前にも聞いたことのある、その張り巡らされた金色の格子網のお話、好きです。
私が繰り返し体験しているのは、人々は意識発展の道にあって、反省とかしているんだけど、そこでも分離というのが、ジャッジによってあまりにも多く起こっていて…「ああ、この人はまだそういう意識状態じゃないのね」みたいなジャッジ。
(二人して笑う)
あなたはそういうのにどう反応するの?
ロビン: まぁね…『この人についてなんと言おう』ってやつだけど。
もし、僕が君について何かを陳述すれば、その時僕は「君について」だけでなく「自分について」も陳述していることになる。
だって、それは「君について」思っている僕の考え、ジャッジなわけだから。それをジャッジしている僕の精神について語っていることになるので、陳述したのは君のことではなくて、僕について、ということになる。だから、「誰もが鏡の間の中にいる」ということを、人は至るところで見かけることになる。
もし、誰かが「分離(別れ)」を口にしたならば、その人は「分離の意識」の中にあることになる。
それで、それとどう付き合っていけば良いのか、僕を助けてくれた大切な鍵となったのは、あらゆる総てに存在する権利がある、という認識。つまり、ちっぽけな虫から、この惑星上の最も偉大な意識体に至るまで、総てが己の存在の層で、大切な貢献をしており、そのちっぽけな砂粒がもし、掛けていたとすれば、大きな全体というのは完全ではなくなる、ということ。
この、存在の権利というのは、最も暗い闇の存在にも与えられている。消去しなければいけないものなど、何もない。そうではなくて、そこにあるのは我々が包容すべきもの、統合させてもらえるもの、自己の中にあるものに気付かせてくれるもの。それが出来れば溶かすことができるので。
プリスカ:ひとつになる、ということね? 素敵。
ロビン: ひとつになる、というのはもちろん素敵なこと。それは意識であって、そこにハマってしまえば、誰が何を言うのかなんて、もうどうでも良くなる。
僕らは皆、自分のフィルターを使って自分なりのベストを尽くし、それをやろうと思って着任したことを成し遂げようとしているんだけど、僕らがみんな「同じこと」のために着任したことは、明らかでしょ?
上部の位置から眺めた方向性、ミッションというのは、ねえ、みんな同じことを望んでいるんでしょ?
そう、これを…もう一度思い起こすことだよね。
そうした道の上を歩いていない者、無意識の道に変えてしまった者でさえ、望んでいるのは僕達が望むものと同じなんだ。ただ、彼らはそれを知らないだけ、別の層に納められてしまっているだけ、隠されているだけなんだ。
プリスカ:これまでも何度か聞かせてもらってきたけれど、私たちがワンネスの状態に在るようになれば、そこにはもう死はないわけで…私のマイクロビオーム(微生物叢・細菌フローラ)でさえ消滅したりはしない。つまり死ぬことはなく、そこらにある植物と一体化するのよね? (笑)
ロビン: 当然。
プリスカ:そうしたイメージだけでも、すごく美しいし、人々にとっても世界は広がると思う。だって、分離という精神・思考世界では、常に死への恐怖があるから。死、この世を去ることについて、あなたの考えを改めて聞かせて。
ロビン: 文明というものがどのような意識状態に在るのかを測るためには、実際には2つの基準があって、ひとつは「誕生」をどう扱うのか。もうひとつは「死」をどう扱うのか。
僕らはこの2つを非常に歪めてしまい、そこから酷く遠ざかっている。「死」は社会から排除しようとし、できるだけ意識しないようにしている。もうひとつの方はここでは深く述べないけれど、このことについて素晴らしい考察を書いている人が居る。
「死」というのは信じがたいほどの師匠・マスターなんだ。
「無常(全てがいつかは過ぎ去ること)」というものは、三つの大きな原理のひとつで、神の「三位一体」には、構築する原理、維持する原理、破壊する原理が存在する。この「破壊する原理」とは死、つまり「無常であること」。手放すことなんだ。
そして僕らの居るこの社会では、完全に、あらゆるものが「構築する原理」の中にある。
多くの人が、「維持する原理」と「破壊する原理」を文明から除外しようとしている。それは全てを「構築中」にしておくため。拡張、成長の加速。成長、成長、成長。だから、こんなに沢山の癌疾患が出てきている。だって、「構築の原理」のみに定着しているから。文化として、意識の中で。
対極となる原理が欠けている。僕に言わせると「破壊の原理・溶解の原理」だ。
インドでは調和というものがもっと強く存在していて、破壊の原理の象徴としてのシヴァ神がいる。
そう、「死」というのは意識の原理からいうと、実際には僕らが「移行」する時にまさに必要となるものなんだ。なぜなら、僕らは今この意識というものに、随分と長い間留まっていたわけで、その間ずっと「死」を排除しようとしてきた。
そして…分離されていたものを、どうやってひとつのものに戻して統合させるのだろうか?統合は常に溶解によって起こる。
僕らは謂わば「死ぬことのない(溶解せず、統合することがない)」ものとして凍結してしまっている。
「死」を排除しようとすることで、僕らはデジタル的なものに変容してしまった。保存したい、手放したくない、そういった意識から、今自分たちがはまり込んでいる時間のループがリピートされてしまう。
神の「三位一体」の基本的な側面を排除しようとしたことで、僕らはいつまでも同じループの中を繰り返しているんだ。
プリスカ:それは今、人類に反映されていますよね。
人類が自己破壊へと進んでいるのは、最終的に自分自身の肉体の組織を破壊することに顕れている。
以前もあなたが述べていたのは、この道から飛び出して統合…というより、この道へ踏み込んで統合へ向かえといいうことで…そうやって自己破壊へ進む人に、あなたはどう助言するのかしら?もちろん、その人によって違うし、ただ、その人が選んだ道が本人にとって本当に意義深いものになるように?
ロビン: 僕は…以前、もっと心理学的な世界観から実行者や変革者を軸に考えていたときは、「よし、さあこれに働きかけよう」って感じだった。しかし、僕は慎重になった。まずは、本当に高次の層から自分の内面に問いかけるんだ。「自分に変化をもたらすべき所に、そもそも至っているのか?それとも、変化することで、僕は何らかの運命的な経緯に介入してしまうだろうか?」と。だって、君の運命を信じないな��て、僕は何者なんだろうか?そして、君の運命を信じる方が難しいときがある。その時僕が、君が自己破壊の方向へ行こうとするのを目にしたならばね。大抵の人は、誰かが苦しんでいたら走り寄って支え、ヒントや助言を与えて状況を変えようと努めるだろう。しかしこの人たちは何を問題に感じているのだろう?この人たちは当人が自己破壊へ走って苦しむのに耐えられない。なぜかというと、それを見過ごして苦しむ自分に耐えられないからだ。しかし、自己の苦しみを受け入れていれば、目の前の人々が自分の運命を生きることに任せることが出来るはず。
ここで問いかけるべきことは、「愛に満ちた行為」とは何なんだろう、ということ。
誰かがやってきて、心底助けを求めたとする。これは別の問題だ。こういうときは、高次の層と申し合わせながら様子をみて、その人に「いいかい、君がその道を進んでいけば何が待っているのか前もって見せてあげる」と言える。
「自分は現時点で、どのどのタイムラインにいるのか」ということと、「このタイムラインを5年・10年と拡張させていくと、自分の人生はどのようになっているだろうか」、この2つの自問はどんなときでも役に立つ。
なぜかというと、小さなミクロの動きを起こす「時間」を今この場所で吹き込んだことで10年後がでっかく変化する。
小さなレーザーポインターをちょっと左にずらせば、10メートル向こうは大きく動いてしまう。これを聞けば、自分の人生において決断を下すということは、この光線を拡張させることであり、それがどういうことなのか明らかになるだろうし、自分の道のどの辺りで、いわゆる微調整をすべきなのかもわかると思う。
プリスカ:その話であなたが以前、「僕らは神の手の平よりも深く堕ちることはない」と言ったのを思い出したわ。私はこのイメージが大好きで。真実味というか、率直で…自然なことだと感じるの。
ロビン: そうだよ、僕らは認識し直さないといけない。僕らは一体何処に居るんだ?このゲームは何のゲームなんだ?
僕らは「人間という経験」ってのをブッキングしたんだ。宇宙の旅行代理店へ行ってね、「僕はこの惑星で“人間”という経験がしたいんですけど」って頼んだんだ。この旅行を自分でブッキングして、旅を始めた。みんな、ブッキングしたんだよ。いいかい?この宇宙のゲームはある特定の意識層で開催されて、その他の君の意識層は、僕らがここで何を体験しようがほんの少しも変化はしない。僕らが何者であるのか、という真実は変わったりしない。
どんな体験をしようとも、最も酷く暗い経験から最高の有頂天まで、僕らがこの意識層というスペクトル全体で味わう体験は、何一つとして本来の自分を変化させたりしない。
これを繰り返し認識し直すんだ。単に頭で理解するんじゃない、内面的な確信として識る。
僕らは深みに堕ちることは無いわけで、だったら何でそんなに必死になっているんだ?となる。
プリスカ:それが、先程あなたが言っていた「手放すこと」と「委ねること」に繋がっていくのね。
献身、手放し、統合、神の三位一体にある「破壊の原理」、これらをあなたとの話のまとめとして持ち帰りたいのだけど… 私たちは新地球でどのように「愛する」のかしら、あなたはどう感じている?
ロビン: (笑って暫く沈黙)…うん…愛するために特別に何かをしたりはしない。僕達は愛そのものなので、それ以外にどうしようもなくなる...自分が何者であるのか、というのを表現する以外のことはできないんだ。あらゆる言葉、あらゆる仕草、どんなかかわり合いにおいても、異なった層で愛を交わし合う。これは頑張ったりすることではなくて、単に愛の交換とは自由に流れる自然なんだ。僕らの道から僕らを隔てていたものが一掃されれば、ごく自然に、自ずとそうなっていく。だって、僕らの存在自体は依然として変わっていない。つまり、これまで条件付けによって学習させられていた層の下に、真に愛する心の鼓動があった。神的現実、つまり神によるマトリックスは今でも完全に健在だ。我々はそれを、イメージ・思考、想像など、条件付けによって構築した現実で覆って閉まっていただけで。
でも、僕らが内省し、意識に集中し、溶解へと努力していくことで、ここを通り抜けることになり、「永遠の存在」は僕らの中、そしてありとあらゆるものの中に簡単に顕れてくる。
プリスカ:あなたが先程言ったように、私の中でも「これはただのゲームだ」って感じるの。私の子どもたちはとても良い先生なのよ。彼らは重く考えない「おや、そうなの?ではそうなのね」って感じ。遊び感覚で気楽なのよ。何時でもそんなに深刻にならなくてもいいわよね。
ロビン:僕らはこのゲームの中で、何かを失うんじゃないかって思っているんだ。なぜかというと、このゲームの中で何か特別のものを勝ち取れるんじゃないかって思っているからなんだ。でも、結局は僕らは僕らでしか無い。いつもそうだったし、これからもそうだ。このゲームで勝ち取るものなんかない。これがパラドクスなんだ。このゲームで勝ち取るものがあるっていうのは、とある層では何かを更に学ぶという点で、確かに正しい。それは相対的な面。でも絶対的な面では僕らは単に、自分に戻るだけなんだ。これまでも、これからもそうであることに変わりはない。
つまり、ここで達成出来るものなんかない。達成すべき目標がないんだから。「これが最終ゴール」ってところへ走りきったら人生トロフィーがもらえるなんてことしているわけじゃない。「ゴール」だと思う所に行き着くたびに、君は気づくんだ。「これじゃなかった」って。それがずっと続く。いつの日か、「おや、始めたところからまた始めるのか」となる。全ての存在の源でね。
(二人して高笑い)
プリスカ:あなたにとって、新地球での子供の役割は?
ロビン: その質問をありがとう。
子どもたちは、新地球にとって絶対的に本質的な鍵となる。
なぜなら、僕達が歩んできた道では、特定の条件付けが否応なしになされてきたからね。でも、次の世代がもっと自由に自分の人生を歩めるようになれば、つまり、常に煽られて条件付けられる、ということに触れることなくやってこれたなら... 僕達は自分たちの偉大さをよく識らないので、ソースをその目で見てきたばかりの今の子どもたちが、そうした認識を持って来てくれれば、僕達も少しはそれを思い出せるかもしれない、と僕は思うんだ。
実際、まさにこの移行期には宇宙の至るところから重要な役割を担っている多くの魂がサポートのためにこのに来ているんだけど、それは単純に、人類の目の前に「鏡」を突きつけるためなんだ。
僕らは過去何世紀かの長い間、強烈に「分離」の種を蒔き続けてきた。僕らがまだ理解出来ていないのは、それによってどんな収穫を得ることになるのかということ。「膨大な収穫」について語っているチャンネルもる。
この意識の意識化(そういう意識だと気づくこと)は、もしもずっと人為的・デジタル化された構築プロセスの中にあって、神の三位一体の3つ目である「破壊の原理」を意識に含めないならば、それなりの結果をもたらすだろう、それ以外はあり得ない、と僕は思ってる。それは恐れるべきものではなくて、単純に宇宙はバランスを取り戻すという、起こるべくして起こることなんだ。
これは、根底からして価値のあること、神聖なこと。
プリスカ:最後に、振動・周波数についてひと言、何か見つかります?
ロビン: うん…何が出てくるかな。
(目を閉じて、深く呼吸し、集中)
これについて出回っている情報は沢山あるよね。多くは矛盾しあっていたりして、「一体何が真実なんだ?」と不安を巻き起こしていたりもする。その意味で“理解”とは、という話になる。この「整理プロセス」を辿っても、僕らは先には進めない。必要なのは「直感の明確さ」なんだ。
変容プロセスはメンタリティから来るものではなく、父権制から女性的な能力とパワーへと引っ張られていく革命・進化という形で、バランスが取り戻されていくことにある。
これは、革命(Revolution “再展開”)か、進化(Evolution "伸展開")なのか…本当はInvolution"内展開"なんだけどね。だって内側へ展開していくことになるんだから。
これはどういうことか…避けられない、と僕は思ってる。
人類として我々は本当に、余りにもある極端さを極め切ってしまったような感じで、そこから戻る道のり(ラテン語で religio 、巻き戻すために統御する、というような意味。『宗教(religion)』の語源となる)を、僕たちは自ら進んで歩むのか、それとも否応なく歩まされるのか。否応なく、というのは溶解のプロセスが起こることでそうなる。
プリスカ:それは「神の三位一体(トリニティ)」を取り戻すためなのね?
ロビン: まさにその通り。
プリスカ:親愛なるロビン。あなたの���葉、それと共にあなたが運んできてくれる振動に、深く感銘を受けています。
私たちの活動やイニシアチブにおいて、意識というのは我々にとって土壌である地球…私達を養うものであり、これらが決定的なのだということ。私達を新世界に導いてくれるものなのよね…
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alaephoenicis · 1 year
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『魂と母なる大地』〜人類のアセンションによって、大地ガイアの魂が転生する
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/6_bRUzRLExM 公開日:2023年2月18日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram:https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆様、
私たちが認識するすべてのものは、私たちの意識の振動と関係しています。
そして、意識の振動がどうあるかによって、私たちは自分自身のことのみならず、世界をも全く異なった形相で認識しています。
世界の形相というものは、ひとつの物理的な平面層に固定されているのではなく、異なった振動数をもつ異なったバリエーションで存在しています。
つまり、2次元、3次元、4次元、5次元の世界が存在しており、私の意識の振動によって、世界は異なって見えてきます。
大概の人は3次元意識の中で生活していて、世界とは、よくご存知の地球儀の形をしていると認識しています。
もし、私が4次元意識に在るならば、それは回転するトーラスのように見えるでしょう。時間と空間のトーラスです。四次元には「時間」も含まれています。そしてこの、回転する時空トーラスである世界はやはり、私たちの知る地球とは全く異なっています。なぜならそこには例えば、地球の磁場が関係していて、私たちはそれに対応している地球の周囲の磁力線、つまり地球のアストラル体を知覚しながら、それを地球の部位だと認識するからです。
5次元意識の世界では、地球の霊的本質が現れてきます。
これを私はガイアと呼んでいます。「ガイア」は地球の5次元バージョンということです。
これは純粋な意識フィールドで振動していますが、もちろん5次元の振動領域では物理的形態も存在し得ます。
ちょうど今、地球上の人類の意識の中では、振動が高まりつつあります。
人類は目覚めようとしていますが、目覚めてくるにつれて、個々の人々は「5次元意識の魂」をこの肉体に転生させます。
殆どの人々の魂は5次元的体験空間に位置してきており、すると地球の魂もそうなります。そして、地球上の全人類が自分の魂を転生させることで、地球ガイアの魂はその物理的な振動体、すなわち私たちが移り住もうとしている「地球」へと転生します。
ある段階で、地球には魂が宿りました。そうです。しかしこの魂はまだ完全に物質化した形相には移行しきっていません。
そして、高次元への上昇とは、魂の存在であるガイアの転生のこと、つまり彼女の魂を体現している人類の意識を通し、地球ガイアは物質として転生しようとしています。
どういうことかと云うと、高次元の意識フィールドとなるガイア、もしくは魂の存在であるガイアは、人々の意識によって物理的形態を得るのです。
これが私に見せられた時、アセンションとはどういうことなのか、理解がかなり開けた気がしました。そして、私たちは地球の魂の有様を体現するために、ここにやって来たのだ、と。
さて、違った振動層には、違ったバージョンの地球があります。
そして、タイムラインはこれひとつではありません。
そして、5次元の地球に転生しないタイムラインのひとつが、トランスヒューマニズムのタイムライン、いわゆるデジタル化された人工リアリティのタイムラインです。そして、このタイムラインも既に、人類の集合的意識領域の中で告知されています。
そしてこの地球…このタイムラインにある地球は2次元で、ホログラフィックです。それはいわばデジタル化された2次元ホログラムの「地球もどき」バージョンとなります。
そしてこのデジタル的展開への道を選ぶすべての人々は、いつしか2次元の「平たい地球」にたどり着くでしょう。
しかしこれは、高次元の魂である地球に転生することとは程遠いのです。
2 次元の平面ホログラフィックな地球バージョン
3 次元の球体地球バージョン
4 次元のトーラス地球バージョン
5 次元の魂ガイアバージョン
…それぞれの地球の振動数に触れてみると、どのバージョンが一番振動数が高いかは比較的明確です。
トランスヒューマニズムの進化の道は、牢獄とみなされている3次元からの救済・解放と捉える説も多くあることは知っています。しかし、私たちは自分たちの意識の中でどのような地球を創造するのか、深く配慮した方がよいでしょう。
私たちは、魂の存在としての地球を物理化された形相へと導くという約束をして、この地球上にやってきた魂なのです。
それは、意識が開放されたときに5次元の体験領域で起こることなのです。
このような描写が別の意識層から、私に示されてきました。そして、私自身の視覚を通して知覚していることでもあります。
もちろん、誰もが自分の意識に応じた世界を見ているのです。
そして、地球が平らなのか、空洞なのか、四角いのか、亀の背中に乗ってるのかは、あまり重要ではないのかも知れません。
それよりも、私たちがハートでガイアの魂の存在に触れることの方がずっと重要なのです。そうすれば、地球が最終的にどのような物理的形態で具現化されるかを言い当てるのは、もはや私たちの課題ではありません。
物理的な形状は、多次元的な地球本体のほんの一面にすぎません。
私たちがエネルギー体を持っているように、地球にもエネルギー体があり、アストラル体である磁気圏があり、さらにその磁気圏はさまざまな層に分かれています。
そして、これからの地球にとって大切なことは、私たちが自らの心の奥底からガイアの魂の存在と連絡を取り続けることなのです。
なぜならそれがゲートとなって、5次元レベルの意識がこの物質界の体験領域の中へと注ぎ込まれるからです。
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宇宙の物質レベルは、私たちが思っているほど古くはありません。
もちろん、数十億年は経過していますが、創造物全体を見ると、物理的な面が誕生したのは、創世記のかなり後のほうです。
物理的な地球は比較的若く、
魂であるガイアは、原初的な創造の存在であり、非常に古くはありますが、人類というのは地球の物理的な姿よりも更に古いのです。しかし、これも何となく、どこか歪んだ形で私たちに披露されています。
私たち人類は、地球で発展した種族であると言われていますが、私たち人類の種系統はもっと昔、プレアデス星団まで遡り、それは更にリラ星団に由来します。
これらは、人類創造の原初的な構想が、物理的な形をまとった最後の礎です。人間が始まったのはその時からで、そして私たちが知っている物理的な宇宙を創造するためのきっかけを与えたのは人間でした。しかし、原初的な創造理念としての人類の系譜は、地球の物理的な部分だけでなく、そのような物理的な宇宙よりもはるかに遡り、はるかに古いものなのです。
人類、���なわち原初の人類は、より高い意識レベルでこの物質宇宙を創造してきた、つまり、私たちは取るに足らない小さな存在ではなく、霊的存在としての魂の継承のなかで、私たちの「意識」という側面が、より高い意識からこの地球と物理的宇宙を生み出してきたのです。
物質とは、私たちの創造物であり、物質宇宙全体は、私たちの意識から投影されて発生したものです。
ですから、私たちは 物質宇宙全体よりも本質的にはるかに古い存在なのです。そしてそれは、私たちの真の偉大さ、私たちの真の姿を新たに明らかにすることができるのです。
そして、この物理的投影のクリエイターとして、私たちは自らの創造に踏み込んだのです。
そして、そして、私たちは自らの創造において、意識の振動を調整し、周囲の環境を全く異なるものとして認識する自由意志を与えました。
ある人は地球を球体として認識し、ある人は平面として認識し、ある人はトーラスとして、時空間、レイラインを持つものとして認識することでしょう。また、ガイアの魂的存在とつながる人もいるでしょう。
そしてそれが、私がこの地球に来た目的なのです。私自身だけではなく、きっと今これを聞いている誰か彼かも、それが目的でこの地球に来たのです。
それは、私が地球の魂的存在と心から触れ合い、この高次元の意識を物理的な物質面に呼び込むための交信を行うことなのです。
そして、これこそがアセンション・プロセスと人類の覚醒の中で起きていることなのです。
自分が顕在化させたいのはどのバージョンの地球なのか、いま一度意識してください。
あなたは、どのバージョンの地球のために、ここに転生したのですか?
そして、あなたの意識は、どのようなバージョンの地球を懐いていますか?
それはつまるところ、平たい円盤のデジタルホログラムなのでしょうか?それとも、あなたは高次元の魂的存在である地球とつながっていますか?
私たちは、いまの転生意識では想像もつかないほど、ずっとずっと大きく、ずっと古い存在なのです。
人間は、原初の創世理念なのです。人間は、自らの意識の投影として地球を創造する時に、この物理的宇宙を一緒に創造しました。…そして、そう、地球の領域には人間以外の存在もいます。
地球領域のほとんどの生命は4次元に存在していて、文明全体が地球の地下の洞窟システムに存在しています。しかし、ある説によると3次元バージョンの地球の中心核は空洞ではない、と言われています。4次元の地球では、また事情が違ってきます。
つまり、どこからか入ってくる情報は、その情報がどのバージョンの地球を指しているのか、どの振動のものなのか、ということを常に認識しておく必要があります。
私たちが第3密度から受け取る情報のほとんどは、当然ながら3次元であり、ここの振動に変換(コンヴァート)されています。
しかし、もし私たちが自分の意識、自分の魂のレベル、私たちのより高尚な任務、地球に宿る霊魂、女神ガイアのことを思い出すとすれば、私たちはこの地球の神的側面を自分自身のこの肉体に、そして最終的にはそれを通して地球の肉体へと転生させるために、自分を開いていくことができます。
私たちは地球です。私たちはアンテナのようなもの、拡張された地球の一部なのです。そして、地球の魂は、私たちを介して物理的な様相に転生します。
アセンションとはそういうことです。
だから、どこかから入ってくるあらゆる情報に関しては、それがどの振動レベルに宛てられたものなのか、どのような振動レベルから来ているのか、を認識するようにしていれば、いま自分たちの実際の立ち位置はどこなのかという全体像がはっきりしてきます。
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結局のところ、物質的な宇宙全体は意識の投影です。
マヤであり、幻想です。
しかし、私たちは一緒にこのゲームをプレイしようと申し合わせてきたのです。そして、その中には信じられないほど多様で素晴らしい体験の可能性があるのです。
そして現在、私たちは新しい地球の産婆であり、その中で自らの魂と地球の魂を、より一層具現化していくのです。
これまでお話ししてきたことは、おそらくこれまで普及していた世界観とは一致しない部分もあるかと思います。
例えば、人類が地球より古いということで、もちろん今、私たちが体現している意識バージョンでの人類という意味ではありません。
つまり、元々高次元の意識にあった原初の人類。
そして、多次元地球の物質形態としての地球。
しかし、私たちが地球よりも古い存在であり、新しい地球の産婆なのだ、という認識を持つことはとても重要です。
私たちは産婆なのです。そして、それどころか生み出されようとしています。
私たちは創造者であり、創造であり、同時に被創造者でもあるのです。私たちは生みの親であり、誕生させる側であり、そして生み出されるものなのです。そして生まれてくるものとは、人類と地球の意識とが統一されたもので、その個性は神聖です。
覚醒とは、私たち人類が地球の意識に目覚めることです。私たちの意識は、どこかの意識に目覚めているのではありません。
違うのです。私たちは、地球の魂、ガイアの意識に目覚めるために、この地球にいる。なぜなら、それこそが、ここで起きている、出生プロセスだからです。多くの人が別の現実や別の意識領域に目覚めています。それはとても良いことですが、それは地球がまさに今、生まれてくるために必要としていることではありません。
覚醒はとりあえず覚醒でいいのです。しかし、どのレベルの意識に、どの領域の意識に覚醒するのだろうか。
デジタルリアリティ、メタバースに目覚めることもできるのです。
…ただし、この文脈では「目覚め」という言葉は使いませんけど。
人類の真の覚醒、偉大なる集合的覚醒は、惑星的意識への覚醒であり、そしてそれは、この惑星の進化における自然な歩みのひとつなのです。
そうなると、これは人類の覚醒というよりも、地球の覚醒なのです。そして私たち人類は、地球が次の進化のステージに移れるよう、その出産を助ける者たち、産婆、助産婦。
私たちの素晴らしい地球、その次の進化段階は、魂の存在としてのガイアが物理的な形態化への移行を完全に貫き通すこと。そしてそれは、人類が地球の意識の中で覚醒したときにのみ、実現されるのです。
そうです、親愛なる皆さん。
あなたはコミュニケーションするための振動、意識というものがあることを感じているはずです。
これは、私が他のレベルから受け取った情報、インパルスを伝えるためのものです。
そして特に今、この非常にデリケートで熱い移行期において、どのバージョンの地球のために本当に立ち上がるのか、そして自分自身の心の領域、電磁的な心の領域、ガイアの魂の存在との接触を保つことが絶対的に重要だと、私は実際に感じています。
こうした意味で、私はこのメッセージがうまく統合されることを祈っています。
愛をこめて
ロビン・カイザー
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