Tumgik
aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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休店の継続のお知らせ
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諸事情があり、しばらくお休みを継続します。
申し訳ありません。
本日は怪奇Drip5周年の日でした。
七夕でした。
目処がつき次第、再開致しますので
もうしばしお待ちいただければと思います。
あおい珈琲https://aoicoffee.tumblr.comは通常通り運営しております。
皆様と再びお会いできる日を楽しみにしております。
またお会いできる日まで。
さよなら。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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怪奇Drip一時休店のお知らせ
こんばんは。 毎度ご来店ありがとうございます。 あおい珈琲マスターです。 昨日、メインの『あおい珈琲』の方でも書かせていただきましたが 小説の投稿をしばらくお休みさせていただこうと思います。 第一に、日常が多忙ということ。 以前はそれでも無理矢理出すという自分ルールがあったのですが、コミケ出店の製本作業の際に過去作を読み直しをしてみると、やはり納得いかない部分が多々ありました。 自分の力量不足もさることながら、自分のやっつけ感を感じることもありました。 それを書いている時期、自分がどうだったかは自分が一番よく知っています。 とても後悔しています。 第二に、環境が悪いということ。 私はパソコンを持ち出し、外で小説を書くことが多いです。 家だと考えがまとまらないことが多く、ぼんやりと、だらだらとしてしまう。 喫茶店や電車の中、ショッピングモールのフードコート、図書館。 そのときの気分で、書きたい場所で執筆作業をしていました。 小説なのに外で、と思われるかもしれませんが。 それが私のライフスタイルでした。 今はそれも叶いません。 書きたい怪奇はあります。 しかし、どうしても今は万全で書くことができません。 ですので、少し時間をください。 先月も更新できず、申し訳ないと思いながら本日を迎えております。 本当に申し訳ありません。 次回更新時期は7月7日を予定しております。 怪奇Dripの5周年の日。 思い入れのある日です。 私のわがままですが、何卒ご理解いただければと思います。 改めて、本日はご来店誠にありがとうございました。 また2ヶ月後にまたお会いしましょう。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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お詫び
こんばんは。
あおい珈琲マスターです。
今月の投稿を少し延期させてください。
22日更新を目指します。
申し訳ありません。
宜しくお願い申し上げます。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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『モビール』
「あ! あなた見て見て! 目が開いたわ」
「おぉ! 可愛いなぁ、目はお前似か?」
「え〜 そうかな? あなたに似てない?」
「いやいや、垂れてるところなんてお前にそっくりだよ」
「そうかしら。あ、キョロキョロしてるわ〜 ママはこっちよ〜 それで、こっちがパパよ」
「パパだよ〜 ってこっちの方見やしない」
「私の方も見ないわ。何か気になるものがあるかしら?」
「そりゃ生まれて初めての光景だろ? 驚いているんじゃないか?」
「そうね。これからいっぱいいろんなところ連れてってあげるからね〜 はじめちゃん」
やっと目を開けることができた。
ここはどこだ? この目の前にいる男と女は誰だ?
はじめちゃん? 誰だ? その弱そうな名前のやつは。
儂か? 儂はそんな名前ではない。儂にはちゃんと源十郎(げんじゅうろう)という名がある。
「だ〜、ばぅ〜だ〜」
なんだ? うまく喋れん。痺れ薬でも盛られたか? くっ、体が動かない。
儂は首を動かそうと必死にもがくが…… 何か特殊な拘束具か? くそっ、こんなこと初めてだ。
「ほらあなた。記念に写真撮らなきゃ」
「そうだな。スマホ持ってくる」
男が儂の視界から消える。
写真だと? 写真とはあれか、魂を吸って紙に写し込むと言う噂の機械兵器のことか?
ぐ、このままでは魂を取られてしまう…… しかし、逃げようにも体が思うように動かんぞ。
「ほ〜らはじめちゃん。こっち見て」
そう言い、目の前の女が鉄の板をこちらに向ける。
よく見えんがそこには赤ん坊と、目の前にいる男女が写り込んでいた。
な、なんだ? なにがはじまる。お、おいっ、やめろ!!
「おいおい、暴れるなよ」
「いい子にして〜 はい、ちーず」
  カシャッ
な、なに?
なんだ今の音は、初めて聞いた音だが。
「撮れたか?」
「見せて。いいじゃない! はじめちゃんもちゃんとこっち向いてるわ」
混乱した儂に、その女は先ほどの鉄の板を見せてきた。
その板に写っていたのは。
「ほら、可愛く撮れてるわよ」
な、なんだ!? これは!!
鉄の板に、この2人が写っているではないか! これは鏡か? いや、鏡ならこうはならないはずだが……
それに、この真ん中にいる赤ん坊は……
「だ〜、だ〜」
「お、喜んでるぞ」
「よかったね〜」
こ、この不細工な赤ん坊は。
儂、なのか? 儂の名は北辺(きたべ)源十郎。
重度の結核になり、療養所で余生を送っていた。
家族とももう当分会っていない。
肺の痛みに耐え、寝るばかりの生活。
それがもう数ヶ月続いたある日の夜。
肺の痛みが急に無くなり、体に重くのしかかっていたものも無くなった。
楽になった、その表現が正しいだろう。
その代わりに、体は全く動かなくない。
何も聞こえず、何も言えない。
これは死んだか。
そう思った。しかし、意識はあった。暗闇の中でしばらく格闘し、ようやく目を開くとことができたのだ。
気がつけば儂は、知らぬ女に抱きかかえられていた。
そして、気づかされた。
儂は今赤ん坊になっている。
きっと儂は、生まれ変わったのだ。 「ほらはじめちゃん! ここが我が家よ」
窮屈な拘束具が外され、儂の体を女が持ち上げる。
そこには西洋風の白壁の建物があった。
これがこやつらの家か? 2階建てとは、まさか金持ちなのか?
「だ〜、だ〜」
「お、はじめも気に入ったみたいだな」
男が嬉しそうに言う。
く、喋られないというのはこんなにも不便なのか。
文句の一つも言えやしない。
儂の不満など知る由もなく、男は扉を開けた。先にある薄暗い廊下には何個も扉がある。
一つの部屋に入り、儂の体はまた柔らかい何かの上に置かれた。
かすかに見える視界の端には檻が見える。
赤ん坊を檻に放り込むとは、なんと鬼畜な親だ。
しかし、寝心地は良いぞ。もしや、そういうものなのか?
ここは儂が知っている時代よりも、随分違った印象を受ける。
こやつらの服装も、室内の雰囲気も儂の生きておる頃とまるで違う。
ここで儂は生きていけるのか?
そんな疑問と不安を抱えていると。
目の前に何かぶらぶらとゆれる何かが吊るされた。
そして……
  カチッ
「ちょっとおとなしく寝ててね〜」
目の前に浮いている何かがクルクルと回りはじめた。
なんだ? この面妖な人形は。
熊に、魚か? なんだこの笑った顔は…… 動物がこのように笑うわけないだろうが。
「だ〜 だ〜」
虚しく響く儂の声。
止まらず回り続ける人形。
そして、それとともになる穏やかな音楽。
く、鬱陶しい!
しかし、逃げることはもちろん、首すら動かすことができない。
儂は目の前のそれをじっと見つめることしかできない。
次第に。
儂の瞼が重くなる。
なんだ、急に眠気が。
これは……
ねむ……
…… だ〜 だ〜 だ〜
あば、ぶ〜ば
ば、あ、が……
あ、なんだ。眠っていたのか。わしは……
目を覚ますと、部屋は暗く、電気が落ちている。
「だ〜 だ〜」
く、まだ声は出ないか。
くそ。このままあの2人に飼われるなど、とても耐えられない。
しかし、今のわしは赤ん坊。わしの想像通りなら、あやつらの子どもとして産まれてきた���だろう。それなら、嫌でもこの生活に慣れるしかあるまい。
生れ変りなど聞いたことはあったが、本当にあるのだな。
このまま成長して話せるようになれば、あの2人にわしのことを説明できるんだが……
信用してもらえるか? わしが、えっと……
なんだったか?
そうだ。わしの名が源十郎で、はじめなどという名ではないと。
「う〜 だぁ、ば」
しかし自分でも情けない声だな。
もう少しシャキッと喋れんのか。
「あら、はじめちゃん? 起きちゃったの?」
女の顔がぬっと現れ、わしを見下ろし立っていた。
わしの背に手を入れ、ぐいっと持ち上げる。
「ほら、よしよし」
そう言いながら、体を上下に揺らす。
ぐ、目が回る。
き、気安く触るな! 女!
「だ〜 だ〜」
「お、喜んでる喜んでる」
違う! 離せといっているんだ!!
わしの言葉が届くはずもなく、女はしばらくわしを揺らし続けていた。
あ〜、わかった。わかった。
もう喋らんから揺らさないでくれ。
静かになったわしに安心したのか、女はわしを再び柔らかいところへ戻した。
「はじめちゃん泣かないから偉いわ」
そして……
  カチッ
目の前で、まためんような人形が回りはじめた。
くるくると、ゆっくりと。
鈴の音が響く。
くっ、うっとうしいな。
あぁ、いかん。これを見ていると眠くなる。
思わず目を閉じる。
それでも、耳をふさぐことはできない。
いやでも聞こえる心地よい音。
く、そ…… 眠気が……
だめだ、ねむい……
ば……
…… だぁ〜 だぁ〜 だぁ〜
あぶ、ばぶば
ば、ば、だ
だぁ〜 だぁ〜
だ……
「ほら〜 はじめちゃん。ママがいるから安心してね〜」
目をさますと、わしは女に抱きかかえられていた。
体が上下に揺らされる。
く、また気やすく触りよって!
「だ〜 だ〜」
必死にこうぎするが、口からは情けない声しか出ない。
くそっ、わしはいつになったらしゃべれるんだ!!
「お、すぐ泣き止んだ。はじめちゃん偉いぞ〜」
そう言い、わしの頭をくしゃくしゃとなでる。
なにを言う! わしは泣いてなどおらん!
女の前で泣くなど、そんなはじをさらすわけにはないだろう!
くそっ…… しゃべれるまで、こんなはじかしめが続くのか…… そう考えるとぞっとするぞ。
「よし。大丈夫かな? ママごはんの準備するから、ちょっとねんねしててね〜」
そう言い、わしはまた檻に入れられた。
そして。
  カチッ
またか。
目の前で踊る人形たち。
ゆらゆらと、クルクルと。
はりついた笑顔のどうぶつたち。
くそ、こんなおぞましいものを見てねむるなんて……
ぅ、うっとうしい……
なぜ、ねむくなるんだ?
やめろ、やめてくれ。
あぁ、いかん。
もう……
…… だぁ〜! ばぶっ、だぁ
あぶぶ、あぶば
ばぶ
ばぁ〜 だぁ〜
だ…… あ……
だ、だめだ。
こ、このままでは。
「どうしたの、はじめちゃん。また起きちゃったの? 怖い夢でも見たの?」
さいきんめがさめると、いつもこのおんなにだかれている。
そして、あやされているのだ。
おきてだかれるまでのきおくは、わしにはない。
「だぁ〜 だぁ〜」
「あら泣き止んだ。早くて助かるわ〜 でも最近夜泣きの回数は増えたかもね…… これから大変そう」
わしはないてなどいない。
ないているキオクなどないのだ。
どういうことだとかんがえだしたときには、もうおそかった。
いまのわしは。
なまえがおもいだせない。
はじめとかいうよわよわしいなまえではなかったはずだ。
しかし、なのるなまえがほかにおもいだせない。
わしは…… わしは……!!
ぐっ、おもいだせん。
「じゃあ、またねんねしててね」
  カチッ
わしのめのまえでゆれる、このニンギョウ。
や、やめろ!
おんがくとともにクルクルとまわるそれが、わしのねむけをさそう。
ねむればまたじぶんがじぶんでなくなる。
もうなんども。なんども。
ていこうができない。
あ、いかん。また。
また、ねむけが。
た、たすけて。
わしはまだ、きえたくな……
い……
…… 「ぎゃー!! だーーー!!」
「あ〜、ほらほら、はじめちゃんよしよし。ほら〜 泣かないで〜」
「これが本格的な夜泣きか、大変だな」
「そうね。帰ってきて数日はそうでもなかったのに、最近ひどいのよ。いったいどうしたのかしら〜」
「まるで人が変わったみたいだな」
「赤ちゃんに人が変わるもないでしょ!! 呑気なこと言ってないで、あなたも手伝って」
「お、おう」
「ぎゃぁぁあああああ!!」
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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#45『蔦』
「……広がってる」
私は鏡に映る自分の姿をじっと睨みつける。
ブラも外し、パンツだけ。
自分でも不健康だなと思うほどにガリガリで、真っ白な肌。
そこに浮かぶ。
蔦(つた)。
蔦と言っても��本当に植物が生えている訳ではない。
黒い痣(あざ)のような、沁(し)みのような。
そんなものが私の体に浮かんでいる。
左指でスっと撫でてみても指は滑らかに肌を滑り、凹凸(おうとつ)はない。
触っても、触れれない。
まるで影のよう。
初めはホクロかと思った。
しかし、それは右肩から広がり、次第に右腕の半分と右胸の膨らみまで蔦が這っている。
蔓(つる)だけかと思いきや、最近は楓(かえで)のような手の形をした葉っぱまで生えてきた。
ただの肌に浮かんでいるだけだから服を着ていれば見えないけど、でも……
「私、どうなっちゃうの?」
そんな疑問を鏡の中の私へぶつける。
この痣ができて、一週間。
雫(しずく)と出かけるまであと三日。
私は、絶望の淵に立たされていた。 「無気力の子たち、意識が戻ったんだって!」
学校の帰り道。
冬の冷気の気配をかき消すかのように、雫は嬉しそうにそう話す。
雫の友だちである梶千夏(かじちなつ)さん、尾上美鈴(おのえみすず)さん。
クラスでも明るく人気だった2人は1ヶ月くらい前に『無気力症候群』になった。
最近までこの町で流行っていた病気のようなもので、原因は不明。
わかっていることは、かかった人がただ無気力になるという恐ろしい病気だ。
ご飯を食べ、排泄し、眠る。
生きるだけの人形になる。
予防方法はなく、老若男女問わず急に発症する病気だった。朝起きればそんな状態になっており、結果的に『無気力症候群』と診断される。
治療法はなかった。
だけど。
その病人たちが一昨日から急に意識を取り戻したらしい。意識というか、気力が戻って普通に活動していると聞いた。
今までの症状がまるで嘘のように。
治った原因も不明でみんな不思議がっていたけど、家族や友だちたちには関係のない話だ。
元に戻ってくれればなんでもいい。
雫もそんな1人だった。
しかし。
「そう、なんだ」
私の心中は複雑だった。
だって、それは。
この平和な日常を、壊してしまうかもしれないんだから。
「千夏ちゃんはまだわからないけど、美鈴ちゃんは今すぐでも学校行きたい! って言ってるけど。でも、期末試験も終わってもうすぐ冬休みなのにね。どうするんだろう」
雫は心配そうにそう言う。
どうするっていうのは、体のこと? 単位のこと?
それとも、この帰り道のこと?
勝手に気まずくなり、私は雫から目を逸らす。
逸らした先には、灰色のブロック塀が映る。
その灰色を塗りつぶすかのように黒い蔦が張り巡らされており、それはずっと先まで続いていた。
壁に寄生しているのか。
乗っ取ろうとしているのか。
それとも、共依存なのか。
私にはわからない。
私は言葉を選びながら、雫にゆっくりと言う。
「もう少し様子を見た方がいいんじゃないかな? 病み上がりなんだし」
「そうだよね。アタシもそう思うよ」
心配を装いながらも、この関係を延命させたい。
腹黒いなと、自分でも思う。
でも、せめて……
「やっぱり実里(みのり)と話してると安心するよ」
私の黒い思惑を切り裂くその言葉。
私は内心ドキリとする。
嬉しい、でも。
その言葉に、きっとそれ以上の意味はない。
だから私はこのままでいい。
折角舞い込んできたチャンスが、少しでも長く続けばいいと。
そう思い願うのだ。 朝。
まだまだ布団に潜(もぐ)っていたい気持ちを跳ね除け、私はパジャマを脱ぎ捨て制服に着替える。
台所には母親が準備してくれたパンが一つ置いてあった。
私はそのパン無造作に頬張(ほおば)る。中から緑色のジャムが溢(あふ)れ出、べちゃと音をたてお皿に落ちた。
色は毒々しいが甘くて美味しい。
蓬(よもぎ)のジャムパン? 初めて食べたけど、悪くない。
「はぁ〜」
私の口から、甘くて苦いため息が漏れる。
その原因はもちろん昨日のことだ。
……
雫とは小学4年のとき友だちになった。
家は遠かったけど、休みの日にたまに遊び、2人で映画を見るぐらいの仲良しだった。
どっちかと言うと内気な私を、雫は受け入れてくれた。
だから私も雫と一緒にいるのが好きだった。
でも……
中学生になりクラスも離れしまい、一緒にいる時間が減った。
いや違う。無くなったのだ。
私はそれが本当に悲しかった。
でも、中学3年でやっと同じクラスになれた。
あのときみたいに楽しくおしゃべりできると思っていた。
でも……
たった2年で、交友関係は変わるもの。
雫は梶さん、そして尾上さんとずっと3人で一緒にいた。
いわゆるグループだ。
いつも3人で雫の机に集まって、ごはんを食べたり、勉強したりしているのを私は遠くから見ていた。
私は、1人だった。
別に虐められているわけではない。
友だちはいるし、学校が苦ではない。
でも……
あの2人が羨ましい。
あの2人ととって代わりたい。
そう思っていた矢先。
2人が無気力で学校に来なくなった。
その結果、雫は孤立した。
原因不明の病気、その感染者が雫のグループの2人なのだ。
口には出さないけど『間宮(まみや)雫と一緒にいると無気力になる』そんな嫌な雰囲気が間違いなくあった。
だから。
私は雫に声を掛けた。
チャンスだと思った。
これは神様がくれた最後のチャンスなのだと。
無気力の2人を心配しながらも、私は雫と一緒にいる時間を楽しんでいた。
不謹慎かもしれないけど、こんな時間が長く続いてくれればいいと思っていた。
それが……
私はスマホの画面を見る。
そこには小学校のときの私と雫が映し出されていた。
懐かしい記憶。
昔の話。
今じゃ、ない。
今が……
もう、終わる?
ずっと我慢してたのに、もう終わっちゃうの?
私は、どうしたらいいの?
いつの間にかパンは無くなり、残されたのは真っ白なお皿と緑色のジャムの塊。
私はぽつんと取り残されたドロドロの液体が部屋の熱で形を溶かしていくのを、静かに睨みつけていた。 「結局、美鈴ちゃんも千夏ちゃんも学校来るのは年明けだって」
「そっか。でも、その方がいいよ」
無理しちゃいけないって。
内心を悟られないよう、雫に優しく声を掛ける。
私たちは学校からの帰路をゆっくりと歩く。
2人きりで。
冬の風が肌に痛く染みる。
しかし、私にとって今はとても幸せ時間だった。
これで3学期の初めまでは私の平穏が保たれる。
私は安堵していた。
それに、もうすぐ冬休みだ。
クリスマスに大晦日にお正月。
2人だけで遊べる。
家族もいるし、全部ってわけにはいかないだろうけど、それでも考えただけでも気持ちが弾む。
中学生の私たちにとって、別に特別なものではないイベント。
でも、私にはとても意味がある。
雫はどう思っているかは知らないけど、それでも私にとっては重要な日々。
私は楽しみにしていた。
準備とか何もしてないけど、昔みたいに映画見たり、初詣へ出かけたり。
そんな幻想をぼんやりと抱(いだ)いていたとき。
雫から思いがけない提案があった。
「ねぇ実里。来週の土曜予定ある?」
「え!?」
私は驚く。
クリスマスにはまだ早いけど、それでもまさか雫の方から誘ってくれるなんて!!
嬉しい……
私はそんな感慨に浸(ひた)る。
「買い物つきあって欲しいんだけど」
「いいよ! どこでもつきあう!」
反射的に声が出る。
どこでもいい! 雫とどこかへ行きたい!
気持ちがどんどん前にいく、鼓動が次第に早くなっていくのが自分でもわかった。
こんな日は来るなんて夢にも思わなかった!!
しかし……
私の希望は一瞬で絶望に変わった。
「晴(はる)くんにプレゼント買わないといけないから」
……
え?
はるくん?
誰? え?
くんってことは、男?
バキバキと。
私の幸せな気持ちが、壊れる音がした。 「なんで教えてくれなかったのよ!!」
私はクッションを投げつける。
壁にペシンとぶつかったそれは、力なく床に落ちた。
それに猫のワサビが飛びつき、無邪気にじゃれ始めた。
私の気持ちも知らないで……
今は遊んであげる気分じゃないよ。
私は制服のままベッドの隅で三角座り状態になっていた。
体に挟むものがなくなりできた空間を、自分の体でできる限り無くそうとする。
空間があると不安なんだ。
ぽっかりと空いた穴を、塞がないと。
ギュと、腕に力を込める。
ギリギリと、体は悲鳴をあげる。
いたい、でも。
今の私には、この痛みが心地いい。
うそだ。
うそうそうそ。
そんな言葉を脳みそに投げ続けるが、消えない雫の告白。
  晴くん真面目だから、実里と好きなもの合いそう。だから、選ぶのつきあってくれない?
  え? 晴くんは男の子だよ?
  夏ぐらいからつきあってて、同じ受験生だし会う約束とかしてないけどプレゼントぐらい準備した方がいいかな〜って。
  え? うん。彼氏、だよ。
  あれ?
  言ってなかったっけ?
「うそだ!!!」
抱えた膝に言葉が乱暴にぶつかり、できた空間に反響する。
私の中から、雫の声が消えない。
目を背けたいのに、消し去りたいのに。
消えない。
なんで……
「雫……」
ぽつんと吐いた言葉。
私を苦しめる。
それに誰よ? はるくん? 一体何者?
うちの学校には、そんな名前の男いないから…… じゃあ他の学校? なんの繋がりなの?
変な虫じゃないよね?
大丈夫だよね?
私のこと、蔑(ないがし)ろにしないよね??
不安が不安を呼ぶ。
一番安心できるはずの自室には、私の不安���充満していた。
ブツブツと、不安の種から芽が生える。
自分じゃどうしようもないことに、取り返しのつかない過去に。
もう為す術がない。
「……着替えよ」
私は我に返る。
これ以上は制服がしわになる。
それに大丈夫。来週の土曜日まで10日もあるのだから。
なんとかなるかも。
私は少しでも前向きにと自分に言い聞かせながら、制服を脱いだ。
ブレザーをハンガーに掛け、シャツのボタンを外し脱ぎ捨てる。
鏡の前に立ち自分を見ると、泣き顔でひどいものになっていた。
これもなんとかしないと……
……ん?
「あれ?」
ふと、私の目にとまる体の異変。
肩に見慣れないものが見えた。
1センチほどの痣。
ホクロ? にしては大きいし、色も薄い。
触ってみてもぶつや違和感は感じない。
沁み、かな?
そのときはさして気にしていなかったその沁み。
そして1週間が経過し。
私は絶望の淵に立たされた。 「このままじゃ、雫に会えない……」
私は鏡の前で私の姿を目の当たりにしていた。
右半身の半分以上が蔦で黒くにマダラに染まっている。
蔦の成長は日に日に増し、いつの間にか指先まで影が広がっていた。
顔まで伸びていないのが幸いだけど、もう手は手袋でもしないと隠せない。
いよいよ明日だっていうのに……
「一体なんなのよ!!」
鏡に映る醜い体に罵声を浴びせる。
自分の体のはずなのに、まったくそんな感じはしない。
いや、未だに信じたくない。
薬を塗ってもまったく効かない。
皮膚科に行っても、炎症もなく痛みがないなら大丈夫では? と初見診察のみだった。
匙を投げられた、私の体。
私は途方に暮れていた。
いや、違う。
本当は私の体なんてどうでもいい。
こんな醜い姿で、雫と買い物に行くなんて……
「絶対…… いや……」
私は両方の手のひらを見つめる。
真っ白な左手と、黒く染まりつつある右手。
こんなの、人間じゃない……!!
「ニャー」
気がつくと足にワサビがまとわりついていた。
きっと遊んで欲しいだけ…… だけど、今の私にとって、その愛くるしさは癒しになった。
「ワサビ…… 私、どうしよう」
「ニャー」
私はワサビを持ち上げ、その真っ白な毛をぎゅっと抱きしめる。
ジタバタと暴れるワサビを無視し、私はそのあたたかい肌に頬を埋める。
「ニャー!」
あまりのことにびっくりしたのか、ワサビは私の手からスポッと抜け飛び出てしまった。
部屋の隅で私を警戒している。
「はは、ごめんって」
て。
あれ?
私はワサビを見て。
鳥肌がたった。
ワサビの、白い体に。
黒い影が広がってた。
まるで蔦のような模様。
それがここ何日間も見続けたもの同じもの。
さっきまでなかったのに!?
これって。
「まさか、感染(うつ)るの?」
どういう原理? 感染るにしてもこんな色が移るみたいになるなんて聞いたことない!
これじゃ余計に危ないじゃない!!
私はすぐに服を着て手袋をする。
影を隠す。
このままじゃ、お母さんやお父さんも同じになっちゃう。
服で覆われた肌を見て、私は普通の体を取り戻した気持ちになった。
しかし、もう私は……
普通じゃないのかもしれない。
「ニャー」
そんなこと気にせず、擦り寄ってくるワラビ。
無邪気に鳴くその体に見える沁み。
それを見て。
あれ?
私の中に浮かぶ、一つの思惑。
黒い、黒い。
悪い思惑。
この蔦が感染るってことは。
もしかして。
雫に感染せる?
同じになれる?
お揃いになれる?
「いけない、いけない! そんなこと…… ば、バカじゃないの!?」
そう言いながら首を横に振る。
悪い自分を消そうと必死に、必死に。
  パシンッ
私は顔を叩き、鏡の中の自分を見つめた。
切り替えよう。切り替えよう。
でも……
鏡に映った自分の顔は。
うっすらと笑っていた。
「……雫」
一回はじまった思考は。
簡単には止まらない。 「実里! お待たせ〜」
駅前のロータリー。私の方に雫が駆け寄ってきた。
いつもの制服とは違う為か、なんだか雰囲気が違う気がする。
なんだか暑い。着込んでるせい?
「いいよ。行こ」
私は右手を差し出す。
もちろん、手袋をしたままだけど。
気がつかなかったのか雫はそれをするっと躱し、歩き始めた。
手を繋ぐは失敗、か……
私は自分のスマホのメモを確認する。
そこには。
『どうやったら蔦を感染せるか』
いろんなシチュエーションが並んでいた。
どうにかして雫に触らないと。
バレないように。
そして……
「雫も、一緒」
私とお揃い。
ふふふっ
私をぐっと手を握る。
ほとんど黒に染まった私の右手。
首の方にも徐々に蔦が伸びている。
今はそれらを手袋とマフラーで隠しているけど。
室内では不自然に思われるかもしれない。でもこれだけ寒ければどうとでも言い訳できる。
それに……
きっと、雫は私を疑わない。
「さ、行こう」
そう言って雫はおもむろに私に腕を伸ばす。
えっ……
またとないチャンスに呆気にとられたけど、伸ばされた手にはいつの間にか白い手袋に包まれていた。
「う、うん」
残念。でも、まだチャンスはある。
私の手には、黒い手袋。
私はそのまま雫の手を掴む。
繋がれる黒と白。
私は。
私はそれを黒で染めたい。
その気持ちを隠したまま、私は手袋越しに彼女の温もりを感じていた。 「どっちのマフラーがいいと思う?」
「えっと、私はこっちが好きかな?」
私は雫が右手に持つマフラーを適当に指差す。
「こっちかぁ〜 ガラは良いんだけど、手触りがなぁ〜」
雫は真剣に悩んでいた。
かれこれ20分になる、そろそろ決めてほしい。
今日まで雫の言うはるくんとやらを全く知らなかったが、ここに来るまでにいろいろ教えてもらった。
浅池晴(あさいけはる)。
私たちと同級生。
歩三津姫(ふみつき)中学校所属。
雫とは同じ塾に通う。
水無月高校を目指している。
お姉さんが2人いる。
痩せてる。
優しい。
お人好し。
スマホ中毒。
たまになに考えてるかわからない。
などなど……
私はそれを興味がないふりをしてインプットする。
それが必要と感じたのだ。だって、そいつが。
私から、雫を奪ったのだから。
「よし! やっぱりこっちにする! ちょっと待ってて」
「わかったよ、外で待ってる」
そう言い、雫は私が選んだものとは逆のマフラーを持ってレジへ走っていった。
「ふぅ……」
私はショップの外にあるベンチに座る。
そして。
  ズル
おもむろに、自分の手から手袋を外した。
黒い手袋の下から出てきた、黒い手。
少し濃くなったかな? もう手袋を外しても違いがよくわからない。
手の平から爪の先まで黒一色だ。
それなら……
私は思い出す。
雫はマフラーの手触りを確認していたときに。
手袋を外していた。
今もきっと外している。
だからきっと。
今なら自然に手に触れられる。
さっき雫がやったみたいに「行こう」って手を伸ばせば、雫もそのまま手を握ってくれるはずだ。
雫にやっと。
これを感染せば……
私はゴクリと唾を飲む。
背徳感と高揚感。
心臓の鼓動がスピードをあげる。
雫が帰ってくるのを、ぎゅっと手を握り待ちわびていた。
刹那。
  ピピピピピ
一瞬、心臓がドキリと大きく鳴る。
なになになに? ビックリした……
……電話?
え、でも知らない番号。
誰だろう?
私は不信に思いながらも、着信の文字を押す。
「もしもし?」
「柵間(さくま)実里さんでよろしいですか?」
礼儀正しい女性の声。
抑揚があって聞き取りやすい。まるでアナウンサーのように。
機械のように。
淡々とした口調。
私は小さく「はい」と答える。
「はじめまして。わたしはリリィです」
リリィ?
誰? 偽名?
でもなんか聞いたことあるような、ないような……
私がその名前を思い出そうとして、思考を巡らせていた。
そのとき。
「あなたを危険因子と判断しました」
「は?」
き、危険、因子?
なにそれ?
私は驚き、思わずスマホをその場に落としてしまった。
硬い床に弾むスマホ。ピシッと斜めのヒビが入った。
その割れた画面の中。
そこには見たことのないエンブレムが浮かび上がっていた。
真っ黒の画面に、白い円と白い模様。
なになになに!? こんな画面見たことないけど!!?
その画面から静かな声が流れ。
私の耳に入ってきた。
「すべてはハル様のため」
ハル、様?
刹那。
スマホの画面から白い何かが生えてきた。
それは、腕だった。
痩せ細った長い真っ白な腕がズズズと伸びていく。
それが、その手が。
私の頭をガチリと掴んだ。 「実里! お待たせ〜 包装してもらうのに手こずっちゃって って、あれ? 実里?」
どこ行ったのかな? トイレ?
アタシは辺りを見渡すが、それらしい姿は見えない。
実里が座っていた場所には、実里が嵌(は)めていた黒い手袋が片方落ちていた。
それと……
「あれ? これ、落し物?」
そのベンチ近くに落ちているスマホを拾い上げる。暗い画面に斜めに入ったヒビ。
起動してみると待ち受けには、小学生の頃アタシと実里の2人で撮った写真が映し出された。
これ、実里のスマホだ。
懐かしい…… よく残ってたね。
「あとでもらおっと」
そう言い、手袋とスマホを持ってアタシはベンチに座る。
それと……
「実里、気に入ってくれるかな」
アタシの横に置いてある紙袋。
その中には包装されたマフラーが、二つあった。
晴くんのと、実里の。
実里がさっき選んでたやつ。
千夏ちゃんと美鈴ちゃんが無気力になって寂しかったときに、実里は声を掛けてくれた。
とても嬉しかったし、とても元気になれた。
「だから、今日こそお礼言わないと」
あのとき、声掛けてくれてありがとうって。
やっと素直にお礼が言えると思うとなんだか嬉しい。
アタシはマフラーを取り出し、優しく撫でる。
「実里早く帰ってこないかな」
手持ち無沙汰になり、アタシはまた実里のスマホの画面をつける。
アタシと実里の笑顔の写真が、アタシの視界を癒した。
そのスマホのヒビがアタシと実里を綺麗に分断していることを。
アタシは気がつかなかった。
Tumblr media
あたたかな火が燃える暖炉が橙色の光を灯す。
窓から差し込む光も白く明るい。その自然的な照明が部屋の輪郭を形作る。
もう冬の真っ盛りではあるが、それでもこの店の中はあたたかい。
  コポコポコポコポッ
ポットの中でお湯が踊る音が聞こえる。
カウンターの中、ボブカットの黒髪に不健康そうな白い肌。そして、黒いエプロン姿の女性。
縁(よすが)あおいはコンロの火を調整しながら、お湯が沸くのをじっと待っていた。
  ゴリゴリゴリゴリッ
その横には珈琲ミルのハンドルを一定の速度で回す。縁と同じく黒いエプロン姿の男性。
時雨晶(ときさめあきら)はリズムを乱すことなく、その音を楽しんでいた。
温度調整されたお湯と挽き立て珈琲。
開店前にそれらでドリップした珈琲を飲むのが、この二人の日常だった。
変わることのない、いつもの風景。
無表情な縁はさておき、時雨は嬉しそうだ。
たまに綻ぶ頬が、その気持ちを代弁する。
白い神社から帰還して一週間。
無事に戻ってきたいつもの朝。
時雨はそれが本当に嬉しかったのだ。
しかし……
  ブブブブブ
縁のスマホが震えた。
その音にピクリと反応した縁は、コンロの火を止めおそるおそるスマホを起動する。
それを時雨はじっと待っている。
先程までの明るい表情は、そこにはない。
縁はしばらく画面を見つめたのちに、短いため息とともにスマホを置いた。
縁は時雨から珈琲ミルを奪い、用意してあったドリッパーに乱暴に珈琲の粉を入れる。
「なにか想う気持ちは、狂気です」
唐突に、縁は言葉を紡(つむ)ぎはじめた。
きっと意味はない。それでも誰かに向けたメッセージ。
縁の世迷言(よまいごと)。
彼女はしっとりと力を込めて言葉を吐く。
「でもそれは当たり前のことです。人は誰しも狂気を持ちながらも、力がないから狂気的な行動をとらない。それが『普通』です」
  コポコポコポッ
沸いたお湯をゆっくりとドリッパーに落とす。
広がる香りは、ほんのり苦い。
ドロッとした重たい空気。
時雨はそれを何も言わず見守る。
「でも、もし」
  コポコポコポッ
黒い液体がサーバーに溜まる。
丸い泡が水面を踊り、弾ける。
サーバーは熱で曇りだし、次第に中が見えなくなった。
見えるのは、ぼんやりとした黒い影だけ。
「うっかり力を手にしてしまったら」
お湯が注がれた黒い粉がドリッパーの上で大きく膨らむ。
それがゆっくりと萎(しぼ)み、またお湯を入れると、膨らむ。萎む。
膨らみ、萎む。膨らみ、萎む。
その繰り返し。
しかし。
縁は珈琲の堰が切れるギリギリまで、お湯を注ぐ。
その黒色が大きく広がり、次第に茶色く雑なものに染まっていった。
「その狂気は暴走してしまう」
それを見届け、縁はドリッパーを外し流しへ置く。
徐々に膨らむが萎み、ついには黒い塊になった。
それを縁は悲しそうに見つめている。
「成功しようが失敗しようが、その行動には犠牲が伴う」
サーバーに残った、香り高い珈琲。
流しに捨てられた、珈琲の残骸。
元は同じものだったそれらが。
今ここにふたつに分かれていた。
「だから、力なんていらないんです」
縁はサーバーを持ち上げ、珈琲カップに珈琲を注ぐ。
苦い香りがより一層強くなった。
注がれたカップの一つを「どうぞ」と言われ、時雨は受け取った。
黒い水面に映る縁の顔は。
「私はこの悲しみに耐えられません」
どこか寂しそうだった。
その顔を潰すように、一口。
  ズズズ
珈琲が口に含まれる。
  ブブブブブ
「あぁ、美味しい」
スマホのバイブ音をその遜色ない言葉が塗りつぶす。
縁は気づいていないのか、それとも気づいていて無視しているのか。
わからない。
しかし、どちらにせよ。
今は触れない方がいい。
時雨もまた、わざとらしく音を立て、珈琲を啜った。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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#44(後半)『神代わり』
正殿広間に立つ万月(よろづき)さくらは、凛と私たちに対峙する。
その眼差しはまっすぐと私たちに向けられ、これ以上入ってくるなと、そう言いたそうであった。
さくらの独白に、私は戸惑いを隠せない。
さくらが、さくらじゃない?
今まで私は彼女を『さくら』と呼んでいた。
でもそれが。
消えた姉の名前で。
彼女は、私はおろか妹からも、親から、そう呼ばれ続けていた。
復讐心に燃えながら、罪悪感に苛(さいな)まれながら。
ずっと、一人で。
ずっと、耐えていた。
彼女は……
5歳からこの気持ちを封じて生きていたのか。
それが本当だとすれば。
私には、想像もつかない。
「こいつはさくらを連れて行き、そして妹のゆりも連れて行った」
ゆり。
おそらく、あやめちゃんの双子の片割れ。
その子も消されていたのか。
万月の呪いに。
如月町の闇に。
「だから私は、この神様(悪魔)を殺し、二人を連れ帰ります」
長い刀身はさくらの強い意思が込められ、まっすぐと未来ちゃんに向けられる。
切っ先が狐面に触れる。
未来ちゃんの表情は見えない。
しかし。
空間は全て、さくらの手中にあった。
「安心してください。あなたが死んだときのために代わりの新しい神様を準備したんですから」
なにも心配いりませんよ?
そんな凶悪な笑み。
こんな顔のさくら見たことない。
私も、樹くんも、一歩たりとも動けない。
すると。
未鏡ノ妃(みかがみのきさき)の、未来ちゃんの。
静かな声が響く。
「私が死ぬのは構いませんが、それではあなたは救われない」
「命乞いはやめて」
  ピシッ
狐面にヒビが入る。
しかし、未来ちゃんは逃げようとしない。
お面で隠された眼差しが、さくらじっと見つめている。
「信じてもらうのは無理でしょう。でも、私は初めから」
  ピシッ ピシッ
その目は、凶悪なさくらとしっかり向き合っていた。
「死ぬ気でここに来ました」
死ぬ気。
その神様の言葉に。
さくらが支配していた空気が震える。
神様が、死ぬ?
そんなこと許されていいはずがない。
「しかし。あなたの意思を聞き、気持ちが変わりました。私が死んでも、あなたは救われない」
「勝手なこと言わないで!!」
刹那。
  パキッ
お面が真っ二つに割れた。
それは地面に落ち、粉々に霧散した。
そして……
えっ?
「私の顔、忘れちゃった?」
神様の素顔。
見せてはならない、そのお面の下。
そこには。
さくらの顔を幼くしたような、瓜二つの顔が現れた。
「なっ、なんの冗談!?」
声を荒げ取り乱す。
切先はまだ未来ちゃんに向いている。
しかし。
震えで定まっていない、迷いのある刀を。
恐れる神様などいない。
「私は、私の意思でここにいるの」
着物姿の少女。
そこには神様としての威厳も、オーラも。
今はない。
「いつも命令ばかりしてごめんね、■■」
え?
今のは……
私の耳にうまく入ってこなかったその単語。
しかし。
「そ、その名を呼ぶな!!」
さくらは動揺していた。
振り下ろされる刀を、未来ちゃんはスルリと躱す。
露わになったその顔は。
とても、悲しそうなものだった。
「『未来ちゃんを殺したい』だけなら、私が死ねば終わっていた。でも■■は私を連れ帰ろうとしている」
ノイズがかかって、聞こえない言葉。
きっとそれが、さくらの本当の名前。
この世から消えて無くなった名前。
その名を未来ちゃんは。
確かめるように何度も言う。
「それは、もう無理なの。ごめんね? ■■」
悲しそうに。
辛そうに。
神様はさくらに言葉をかける。
さくらは……
 カランッ カランッ
「や、やめて」
刀を落とし、両手で顔を覆う。
溢(あふ)れ出そうな感情を必死にせき止めながら、さくらはそのままその場にしゃがみ込み、動けなくなった。
後悔、懺悔。
手を覆う両手から、涙が零(こぼ)れる。
それを。
「■■、ごめん。でもこれが……」
未来ちゃんはゆっくりと抱きしめる。
「私の今のお役目だから」
立ったままの未来ちゃんと、しゃがみこんでいるさくら。
元々は同じ身長であった二人が。
しかし、今の見た目では子どもと大人。
離れてしまった体格。
それでも。
二人は紛れもない、双子だった。 さくら。
さくらの姉。
万月家。
呪い。
御魂渡(みわた)し。
黄泉送り。
神代わり。
如月町。
神様の口からすべてが語られる。
それを私とさくら、そして樹くんは静かに聞く。
この町はおかしい。
そんな言葉じゃ片づかないほどに、この町は。
歪んでいる。
「神様(私)が消えたらどうなるかわからない。もっと怪奇が溢れるのか、もっと普通になるのか、今まで通りなのか」
未来ちゃんは、ゆっくりと目を閉じ。
「そこの未来は見えない」
見えない未来を見ていた。
静まりかえる広間。
誰もなにも、答えなどない未来に不安を感じながら、次に誰かが口を開くのを待っている。
沈黙が続く。
そこに。
「神様もわからないなら仕方ないね」
あっけらかんと、間の抜けた言葉が響く。
横を見ると、八白樹はヘラヘラと笑顔を浮かべる。
この状況を打開するためか、ただ楽しんでいるだけか。
でも。
「そうですね。それに、まだ終わりではありません」
私はぽつりと言葉を漏らす。
そうだ。
さくらと争う理由がなくなったのは良かったが、それでは終わらない。
造ってしまった脅威を、どうにかしなければ。
この町から、また人がいなくなる。
「さくら。私はあなたをさくらとしか呼ぶ気はありません」
私はさくらに呼びかける。
すっかり憔悴しきったさくらは、私を見つめる。
いつかと同じ、優しい目。
私が知っている、さくらの目。
「あなたは私の友人の、万月さくらです」
それにさくらは、コクンと頷く。
「さくら、あなたの作った神様は今どこに?」
そう。
この怪奇の根源。
この空間の神様。
さくら(創造主)の意思が変わったからといって、簡単に消えるわけがない。
「この、奥の間にいます」
そう言い、奥の扉を指す。
変哲もない、古い木でできた戸。
そこから溢れる、不気味なオーラ。
すべてを塗りつぶす、真っ白なオーラ。
言われるまで気がつかなかったが、知ってしまえば分かるその異常さ。
「あなたの力では、もうどうしようも無いのですよね?」
その問いかけに、さくらはバツが悪そうに言う。
「これが終われば、私は消える予定でしたから」
「はぁ…… あなた方ご姉妹は……」
さくらも、神様も。
消えればいいなんて、簡単に言わないでほしい。
「いいですか? お二人とも助けます」
私はさくらと未来ちゃんの肩に手を置く。
体温のない二人の体。
果たして、それをどうにかできるのかわからないけど。
私は、自分に言い聞かせるように、世迷言(よまいごと)を吐いた。
「それが、私がここにきたお役目です」 目に飛び込んでくる穢(けが)れなき白色。
その部屋だけ、今までの雰囲気とは違う。
近未来的な光に包まれた真っ白な部屋。
どこまでが床で、どこからが壁かもわからない。
そこに、一つ。
ノートパソコンが置いてあった。
その画面には、黒い文字が永遠と流れている。
「これがこの町の人々の願い」
さくらが言う。
「このネットで書き込まれた、良い願いと、悪い願い」
  【学校に行きたくない】
  【みんな死ね】
  【もうつかれた、死にたい】
音も立てず、何の前触れもなく。
そんな悪い願いが次々と画面を流れる。
「それが、神様の存在を強くする」
神様は信仰によって生かされる。
私がいつか吐いた言葉。
その現実を目の当たりにした。
そして……
「リリィが、神様に知識を与える」
さくらのスマホには、黒い画面に百合のエンブレムが浮かぶ。
「アプリ使った人々がリリィと会話をすることでリリィに人格を与え、それを神様が食らう」
人工知能アプリ『リリィ』
人工知能と言えば聞こえがいいが、要はタルパに似た儀式。
簡単にイマジナリーフレンドが作れるアプリ。
それが食われ、食われた人々は無気力になる。
食ったものは、その知識と人格を得ることができる。
その食っているものが。
未鏡ノ妃に代わろうとしている、白い神なのだ。
恐ろしく効率的で、恐ろしく凶悪なシステム。
この短期間で、さくらの神様が力を手に入れた理由。
私は、自分の中に赤いイメージを浮かべる。
この白い空間を、真っ赤に染めるイメージ。
「消します」
「ダメ」
機械音が聞こえた。
刹那
白い空間が一瞬で変わる。
目など離していない、まばたきなどしていない。
私は驚き、空間を見渡す。
先ほどとはうって変わり、ダークトーンの落ち着いた空間。
JazzのBGM。
暖炉に灯る朱色の火。
窓から差し込む陽の光。
そして、珈琲の香り。
ここは……
「私の、店?」 気がつけば、そこには私一人だった。
さくらも未来ちゃんも樹くんも子羊たちもいない。
世界から取り残されたような感覚。
普通なら不安に感じる、しかし目の前に広がる光景にどこかその緊張感はない。
「なんで、帰ってきたの?」
何年と変わっていない店の雰囲気を私は記憶している。
だから、ここは私の店であることに間違いない。
テーブルの配置も、壁に残る木目のシミも、陽で焼けた床も。
私が知っているお店だ。
「あ、マスター!」
声がした方を向く。
そこには時雨(ときさめ)晶(あきら)が立っていた。
両手に買い物袋を持ち、いつものエプロン姿で。
笑顔で私の方へ向かってくる。
「よかった。無事だったんですね! お疲れでしょう。ちょっと待っていてください。珈琲淹れますから」
そう言うと、時雨さんは買い物袋を無造作にテーブルへ置き、カウンター裏へ吸い込まれていく。
私は呆気に取られていると、サイフォンガラスを持ってくる時雨の姿が見えた。
サイフォン……?
「時雨さん、あなたまだサイフォンは使えないでしょ?」
「そうだったんですけど、この人に教えてもらいました」
この人?
私が疑問に思っていると、カウンター奥の扉がギィと音を立てて開く。
「マ、マスター!?」
「やぁ、あおちゃん。元気だった?」
長い黒髪に、キリッとした目つき。スラッとした長身。
手に持つタバコには火がついており、白い煙とともに不快な匂いが漂う。
四方乃(よもの)梓(あずさ)がそこへいた。
「彼がどうしてと言うから教えてやったよ。味は私が保証する」
懐かしい声に、目頭が熱くなる。
もう二度と会えないと思っていたマスター。
なんで? どうして?
私は混乱してその場から動けない。
「あおちゃん疲れただろ? とりあえず座りなよ」
「は、はい」
私はおずおずとカウンターへ座る。
アルコールランプの芯が焦げる香り。
ポコポコと音を立て踊る透明なお湯。
学生時代に見ていた私の密かな幸せの光景。
私の思い出。
カウンター裏の光景に気を取られていると、急に横の椅子が引かれた。
「紗季さん?」
「へへ、来ちゃいました。時雨さんのサイフォン珈琲楽しみですね〜」
コートを着た夢乃(ゆめの)紗季(さき)が頬を赤く染め座る。
外がそんなに寒かったのだろうか。
「夢乃さん、使ってゴメンけど冷蔵庫にドーナツ入ってるからチンしてもらっていいかな?」
「あ、はい! わかりました」
紗季さんはコートを脱ぎ、カウンターへ入っていく。
「あ、私やりますよ」
「マスターは座っててください!」
そう言われ、カウンターの中には入れてもらえなかった。
これではいつもの逆。
居心地が悪く、なんだかそわそわしてしまう。
「なんだ、私がいた頃より賑やかしい」
気がつけばカウンターの向こう側にマスターが立っていた。
私に気遣いながらタバコの煙を手で逃がす。
そんなことするなら吸わなきゃいいのにと思う私。
そんなこと思うのも、懐かしい。
「よかったな、あおちゃん」
笑顔のマスターに、私は静かに頷く。
「お待たせしました〜 って言っても、私はチンしただけですけど」
「珈琲もできました。自信作です」
二人に運ばれてきた珈琲とドーナツ。
どちらも良い香りがする。
油分の浮いた黒い珈琲に、しっとりとしたドーナツ。
紗季さんは横へ座る。どうやら、私に先に飲んで欲しそうだ。
時雨さんも、マスターも、私が飲むのを待っている。
なんだか恥ずかしい。
そう思い、私は珈琲カップを持ち上げる。
鼻腔に広がる苦い香り。
いい香り。
揺れる黒い水面。
映る私は、とても嬉しそうだ。
私は。
「ダメですね、いっそこのままでいいと思ってしまいました」
カップをソーサーに置く。
無情にカチャと音が響く。
私は。
笑顔の三人に、世迷言を吐く。
「消えたものは、二度と帰ってきません」
きっと幸せだっただろうこの風景は。
もうどうやっても……
手に入れることはできない。
「消えてください」
  ジジジジジジジジジジ 気がつくとそこはまだ白い空間だった。
混濁した意識を反芻(はんすう)させる。
さっきのは、幻覚?
ここの神様が見せた夢?
だとしたら、こんな甘い幻想……
「こんな偽物、見せるなんて……」
許さない。
ふと。
目の前にあるノートパソコンが暗転する。
そこからヌッと。
白い腕が伸びるのが見えた。
「あおいさん! 離れて!!」
さくらが私の体を引くと、私がさっきまでいた場所をその手が通過していった。
何が起こったのか理解が追いつかない。
しかし……
  ジジジジジジジジジジ
そんなことお構い無しに。
ノートパソコンから白い神様(怪物)が姿を現した。
目のない真っ白な顔に、三日月のように裂けた赤い口。
一本足で、体から伸びる長い長い腕。
そして何メートルあるのかもわからない、その白い体躯。
見た目では到底神様とは呼べない、その不気味な姿。
数えきれないほどの願いを見届け成長した、白い神様。
これを、消す。
目の前にある強い圧を感じながら、赤いイメージを膨らませていると、未来ちゃんがすっと前に出る。
「赤神(あかがみ)を造ったあなたと言えど、あれだけ膨れた神を消すのは無理です」
「それはあなたも同じです。信仰を無くし、弱った神様ではこの現実は変えられません」
そう言うと、未来ちゃんは私の方へ微笑む。
その笑顔はとても。
辛そうだった。
「ええ。だから私はここで、この神様と消えます」
「えっ」
思わず、さくらは声が漏らした。
先ほどまで殺そうとしていたその神様の告白に、戸惑いは隠せないようだ。
かくゆう私も驚いている。
しかし。
未来ちゃんは、あくまで冷静に言う。
「だからあのとき、私は■■から役目を奪った」
「奪ったって……」
まさか、この子。
さくらの代わりに……
神様は間違ってこの子を隠したわけじゃなくって。
この子にお願いされたから。
「��も、今は私の未来」
未来。
未来を見る神様の、未来。
誰も知りたくない、自分の消える未来。
しかし、そうなったら一体誰がこの神様を引き継ぐのだろう。
私の思考を読むかのように、未来ちゃんは言葉を続ける。
「私の代わりは、もういる」
「神様の代わり……」
神様の代わりなんて、そう簡単には誰でも務まらない。
……いや。
一人いる。
造られた神ではなく、他からの神でもなく。
万月家で。
未鏡ノ妃を継承できるもの。
「まさか」
「ええ、そのための、ゆりです」
そのための、ゆり。
そのための……
「そんな」
このときのために、何年も前から神様に隠され、備えていたというの?
そのために、わざわざ子を授かったというの?
その理不尽を、この神様は。
耐えているというの?
「全ては、この土地のため」
万月家。
この家は。
どれだけ自分たちを犠牲にすればいいの?
「未来は絶対です」
そのときの未来ちゃんの決意の目は。
表情は。
言葉とは裏腹に、悲しみに満ちていた。
刹那。
「この世に絶対なんてないよ」
うしろから聞こえる澄ました声。
「樹くん……」
腕組みをし、彼は笑顔を浮かべている。
しかし、彼の言葉にはどこかトゲがあった。
いつもの文字だけの戯言(ざれごと)ではない、意味のある言葉。
彼は言葉を強く吐いた。
「つまらない絶対とか意味わからない固定概念とか、気に入らないものを消す。現実的に不可能でもどう考えても御都合主義でも、心の底から欲しいものを与える。そのための王様(キングさま)だよ」
王様。
彼の学校で流行る、不思議なおまじない。
「わがままでいいんだよ」
腕を広げ、彼は高らかに言う。
この町の神様に対して。
理不尽に苛まれている少女に対して。
「はぁ〜 なんだかマスターと桃子(とうこ)さんの手のひらでダンスパーティしている気分だ。終わったらしこたま甘いものが要求したいところだよ。もちろんだよね? それぐらいもらう権利あるよね? あ、一応確認しとくけど、もうボクの出番でいいよね?」
一変し、いつもの雰囲気に戻る樹くん。
樹くんの出番。
私が頼った、学校のおまじない。
本当は頼りたくなかった、悪魔のような存在。
彼のことは、今も苦手だけど。
味方として、これだけ頼もしいものはなかった。
「甘いものはここを脱してから検討します」
「はぁ…… 手紙受け取ったし仕方ないなぁ。じゃあ頑張ろうか」
彼の足を掴んで離さない羊角の生えた2匹の子ども。
その子たちの頭を、樹くんは優しく撫でる。
「他人の創造した神様を消すなんて二度とない機会だからね。しっかり見て、キミたちの勇姿を桃子さんに教えてあげないと」
「ケケケッ」「キキキッ」
撫でられて嬉しいのか、笑う二匹。
まるで本当の親子のような微笑ましい姿。
しかし。
私はあの異形の正体を知っている。
あれが良くないものだと、知っている。
「なにが欲しいの?」「なにがいらないの?」
悪魔の囁き。
その問いに、樹くんはためらいなく答える。
「このお姉さんをこの世に戻して欲しい。あの神様はいらない」
その言葉に、二匹は臨戦態勢に入ったのか。さっきまでの子どものような雰囲気はなく、ギザギザの牙をむき出しに笑う。
不気味に。
凶悪に。
しかし……
その言葉を樹くんが吐いたとき。
良くない雰囲気が、少しだけ無くなった。
「頼むよ。ヨウ、シイナ」
樹くんの不意な言葉に。
異形の小羊たちは再び樹くんを見て、子どものように首を傾げる。
「あれ? 気に入らない? 最終決定は桃子さんだけど、ボクもずっとずっとずーっと考えてたんだぞ?」
頭を掻きながら、どこか恥ずかしそうに目をそらす。
「キミたちの名前だ」
名前。
それの意味を、私は一番知っている。
その重要性も、その制約性も。
その力も。
「キミがヨウで、キミがシイナだ」
手を差し出し、それぞれを呼ぶ。
理解できないのか、2匹の顔はぽかんとしている。
「よろしく」
そう笑い、両手を2匹に伸ばす樹くん。
その手を。
2匹の小さな手がぎゅっと掴んだ。
「ケケケッ」「キキキッ」
「改めて言う。ヨウ、シイナ」
樹くんは真面目に。
2匹に向けて言い放った。
「『万月さくら』が欲しい。『さくらの神様』はいらない」
その瞬間。
ヨウと呼ばれた小羊はテテテと歩き、さくらの手を掴んだ。
そして……
  バキバキ
シイナと呼ばれた小羊は。
「ガガァァァぁぁぁぁぁぁぁぁあアアア!!!」
巨大な灰色の化物と成った。 ギィと音が鳴り、私たちの後ろにある戸が開いた。
そこには森中(もりなか)八千流(やちる)が肩で息をして立っていた。
額から流れる汗を拭きながら、森中さんはこの部屋を見渡している。
しかし、ここにはもう……
なにもない。
「お姉さん、もう終わったよ」
「え!?」
驚く森中さんに樹くんは静かに言う。
樹くんの背中ではシイナと呼ばれた小羊は眠っていた。
ヨウと呼ばれた小羊は、子どものように樹くんの制服の裾を掴んでいる。
そう。
樹くんの出番は、早々に終わったのだ。
戦闘なんてそんなまどろっこしいものではなかった。
私たちに残る記憶。
理(ことわり)も、規律も、倫理もない。
白い神様はこの小さな小羊に爪で引き裂かれ、手で千切られ、拳で潰された。
圧倒的な暴力を前に、なすすべなく消えて無くなった。
さくらの神様は消えた。
欲する力と、消す力。
その相反する力がこの2匹の強さなら。
きっと、もっと……
恐ろしい存在になる。
……
私の目の前にはへたりこんださくらと未来ちゃんがいた。
この惨状が理解できず、放心状態になっているようだ。
しかし。
ぼーっとしている時間は私たちには残されていない。
「森中さん、九道(くどう)さんに電話してもらっていいですか?」
私は森中さんにスマホを投げる。
「え? でもここは圏外じゃ、ってあれ? 店長のスマホ繋がってる?」
「降りたところへ、早めに来てくださいとお伝えください」
「はぁ…… また来た道戻るのか……」
ため息交じりに、森中さんが言う。
「お姉さんが遅いのが悪いんでしょ?」
「うるさい。こっちもいろいろあったのよ」
「ボクらだっていろいろありました」
白い空間に騒がしい声が反響する。
その騒音の中で。
  ピシッ
かすかだが、嫌な音が響きはじめた。
神様がいなくなったこの空間が、壊れる。
「急いでください。時間がありません」
「わかった。ほら、行くよガキ」
そう言い放ち、森中さんがまた来た道を戻っていった。
あの様子だと、黛(まゆずみ)という男の件も片付いたのだろう。
これで、残る問題は一つだけ。
「一つ……」
私は、自分の手の平を見る。
血の気のない真っ白な手。
それでも私は生きて、今ここにいる。
私にしかできない役目。
そうすれば、私は、さくらは……
「……」
ここへ来る前には迷いはなかったのに、それでも私は。
まだ決心が揺らいでいた。
「マスターは行かないんですか?」
ふと。
樹くんが、私の顔を覗いていた。
心配そうに。
手伝いたそうに。
私の答えを待っていた。
私は薄い笑みを浮かべ、首を横に振る。
自分の中にある、甘い迷いを振りほどく。
これは私の役目だ。
私がやらなきゃ。
「先に行っていてください。私はまだやることがあります」
「わかりましたよ。甘いもの、忘れたら許さないですから」
そう言って、彼も森中さんの後を追って消えていった。
きっと彼なりの気遣いだろう。
別に私がここで消えるわけではないのに。
保険をかけてきた。
本当は甘いもの食べたいだけかもしれないけど。
さて。
これから。
死ぬより辛いことがはじまる。
「さくら、そして未鏡ノ妃」
二人が私の方を向く。
目の前に座る、見た目に差ができてしまった双子。
本来なら、ずっと二人一緒だったはずの姉妹。
ここにはいない、妹たちもそう。
彼女らは皆、この町の犠牲者たちだ。
私は。
この二人を、万月家を救わなければいけない。
万月家の呪いを、上書きする。
それが、私にしかできない私の役目。
万月家をこの役目から抜け出させること。
全て元どおりとはいかないけど、できる限り。
もうこれ以上……
この家、いや私の大切な友人に。
何かを背負わせてはいけない。
「お二人とも、耳を貸してください」
誰よりも自分勝手でわがままな、私の呪い(願い)。
私の意図など気づかぬまま、素直に耳を傾ける二人。
言葉とは違う、私の本音が心で言葉になる。
  さくら
それが、私の最後の人間性。
  今までありがとう
私は。
友人に呪いをかけた。 「ここは、どこ?」
目を覚ますと、そこには見たことのない天井だった。
家の古い木ではない、人工的な白い板。
起き上がろうとするが、体中に走る痛みがそれを遮る。
イテテッ
体が重い、うまく力が入らない。
私は起き上がることを放棄して、今までの記憶をゆっくりと辿る。
えっと……
さくら姉さんがいなくなって、そして家に帰ったら刀を持った姉さんが母さんと私を……
……
「じゃあ、ここは病院のベッドの上か、それか天国か、か」
死んだのに痛みがあるなんて信じたくないから、病院なんだろうけど、こんな暗い室内じゃなにも確認できない。
誰か来るのを待つしかない。
さくら姉さん。
私はあの時の姉さんの姿を思い出す。
見たことのないダークスーツに刀を振るう姉。
今まで見たことのないほどの悲しい表情。
何かの間違いで欲しかった。
  私は神を殺す
姉さんの残したメモ。
それと、姉さんの部屋にあったお役目の古記録。
お役目の……
え? あれ?
なんだっけ?
なんかの儀とか、土地とか、そんな…… あれ?
思い出せない。
なんだろう、とても大事な。
「思い出せない……」
なんだろう。このモヤモヤした感じ。
気持ち悪い……
  ガラガラガラ
「!」
誰か、入ってきた!?
私は布団を被り、入ってきた人を薄目で見る。
「あやめ? 起きている」
その人物は電気をつけた。
そこには。
失踪していたはずのさくら姉さんがいた。
「さくら姉さん! イッ!!」
私は怪我のことを忘れて思わず飛び上がる。
体が悲鳴を上げる。
それを見て、姉さんは駆け寄ってきた。
「ゴメン、あやめ。私、あなたと母さんにひどいことを」
涙を流しながら、そう言う。
今はあのときのような異様さはなく、私の知る姉さんのそのものだった。
「姉さん……」
「私からもゴメンなさい」
? 誰の声?
私は目線を下にする。
そこには。
さくら姉さんを幼くしたような姿の和服の少女がいた。
その子の背中には。
私に似た少女が眠っていた。
……誰?
え、待って、違う。
私、この寝てる子のこと……
知ってる?
「……ゆり、ちゃん?」
ゆりだ。
私の双子の妹だ。え、でも、あれ?
今までなんで、忘れてて……
どうして、今思い出すの?
急なことに頭が沸騰する。
鼓動がうるさく、うまく息ができない。心臓が私の体を揺らす。
「あやめ、落ち着いて。母さんが目を覚ましたらちゃんと話すから」
パニックになっている私を、さくら姉さんはゆっくりと寝かしつける。
優しい顔に戻った、いつもの姉さん。
私はそれを見て少し安心した。
呼吸が静かになり、私はゆっくりと深呼吸をした。
事情はよくわからないけど、とりあえずみんな帰って来たってこと、ね。
「なんだかんだ言っても、あのマスターうまくやったんだ」
私はあのときの神社の前に現れたエプロン姿の女性を思い出す。
初めて見たとき関わってはいけない人と思ったけど、それでも姉さんに話を聞いたことがあった。
ある喫茶店のマスターで、多分この町の誰よりも信頼できる専門家。
分からず屋だけどって。
頼って良かった、と心からそう思った。
しかし……
「マスター?」
私は。
その姉さんの言葉に違和感を覚えた。
私はその違和感を、さくら姉さんにぶつける。
「あの喫茶店のマスターに助けてもらったんじゃないの?」
私はその喫茶店知らないけど、でも。
姉さんがよく楽しそうに話していたじゃない!
あおいさん、あおいさんって。
私はそんな記憶を呼び覚ましていた。
「あやめ、わかるの?」
しかし、そのときのさくら姉さんの顔には。
いつもの冷静さはなく。
とても苦しそうだった。
「誰かに助けてもらったはずなのに、思い出せない。みんなのことはわかっても、なんでここに無事でいるのかわからない。私がしたことはわかるのに、その動機がわからない。断片的な記憶はあるのに、一番肝心なことが思い出せない。それに同窓会って? 私は誰と同窓会すればいいの?」
溜め込んでいた不安が、一気に吐き出される。
みるみる崩れていく姉さんの悲痛に満ちた表情。
「あやめ、教えて。私は……」
大粒の涙が頬を流れた。
「誰に助けてもらったの?」
Tumblr media
昼間の喫茶店には、エプロン姿の二人以外誰もいない。
JazzのBGMが静かに響き、暖炉の火はパチパチと弾ける。
そこに漂(ただよ)う珈琲の香りは、程よく、その厳(おごそ)かな空間に落ち着きをもたらした。
縁(よすが)あおいはカウンターへ座り、店内にあるものを眺めていた。
何か特定のものを見るわけではなく、ぼんやりと。
その空間を記憶するように、ゆらゆらと。
その様子を、時雨(ときさめ)晶(あきら)はカウンターの中からじっと見つめている。
その表情はどこか憂いを帯びていた。
そして。
縁はようやく口を開いた。
「また、忘れられてしまいました」
ぽつりと零(こぼ)れる、その悲しい世迷言(よまいごと)。
椅子から伸びる足が、フラフラと空を蹴る。
「こんなことなら、毛嫌いせず誘われた時に行けばよかったですね、同窓会」
悲しそうな、でもどこか諦めているような、その表情。
縁は目を閉じている。
自分の思い出に浸るように。
彼女との記憶を確かめるように。
いつかの泣き出しそうなものではない。
俯き加減ではあるが、穏やかなものだった。
きっと覚悟は決まっていたのだ。
それがわかっていて、助けたのだ。
そんな静寂な空間に、ぽつりと。
「マスターのこと、ボクは忘れませんよ」
言葉が落ちた。
「……時雨さん」
いつになく真剣な表情で縁を見ている。
「ボクはすでに死んでいますから、きっと呪いなんて関係ないです」
皮肉めいたそのセリフに、縁の表情が崩れる。
強がっていたその顔が、みるみる悲しいそれに変わる。
しかし。
縁は気丈に笑う。
「ありがとうございます」
右目から流れた一筋の涙が、頬を伝う。
精一杯の笑顔。それを見て、時雨は何か言いたそうにしていた。
しかし、言葉が見つからないのかあたふたと何か考え込んでいるようだ。
それを見て、縁は目を閉じ、静かに言った。
「時雨さん。少し、私のわがままを聞いてくれますか?」
縁の申し出に、時雨はコクコクと首を縦にふる。
生真面目な彼のその反応に、縁は嬉しそうにそのわがままを言った。
「サイフォンで珈琲を淹れてくれませんか?」
「えっ!? サイフォンでですか!?」
「失敗してもいいので」
「ぇ、えー…… わ、わかりました。けど、絶対助けてくださいね?」
縁はコクンと頷く。
それ見て、頭を掻きながらサイフォンの準備をする時雨。棚を眺めながら、何が必要なのかと首を傾げている。
その困った様子を縁はなにも言わず眺めていた。
嬉しそうに眺めていた。
万月家という家を救う代わりに。
未来ちゃんは神様として形だけの存在になり、万月家は神家としての力を失った。
そして。
縁は大切な友人を失った。
それでもきっと、生きていれば。
奇跡が起きるかもしれない。
この町の神様の力が弱くなり、何が起こるかはまだわからない。
しかし。
こういう小さな平穏がぽつぽつと続くのがきっと平和な日常なんだと。
縁は心からそう信じていた。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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[C97]怪奇Drip〜5杯目〜書籍化についてのお知らせ
こんばんは。
ご来店ありがとうございます。
あおい珈琲マスターです。
現在C97への出店に向け準備を進めております。
新刊予定の『怪奇Drip 〜5杯目〜』ですが
#44『神代わり』まで書籍化する予定です。
それに伴い、今回の#44(後半)『神代わり』の掲載を
年明け1月7日にさせていただきます。
掲載延長、誠に申し訳ございません。
また、各本には書き下ろし短編も載せております。
このページでは読めないものです。
是非、お手にとってもらえればと思います。
よろしゅうお願い申し上げます。
年の瀬も近く、余裕の無い日々が続きますが
ご来店いただいている皆様方におかれましては
お身体にお気をつけて。
またのご来店、お待ちしております。
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aoicoffee-kaikidrip · 4 years
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#44(前半)『神代わり』
ギアが軋む音とともに、タクシーは止まった。
何もない真っ白な空間にポツンと立つ不気味な朱色の鳥居。
この世でも、あの世でもない。
ここはどこでもない場所。
そして……
私が来たかった場所。
「ここが、さくらのいる神社」
「それは知りませんが、ここはあなたの言った目的地ですよ?」
運転席に座る九道(くどう)さんが言う。
片手がトントンとハンドルを叩く。冷静さをよそに、実は何かを感じているのかもしれない。
目的地。
そう。
ここが、私たちの目的地。
「来る前も言いましたが、帰りは約束できません。ご用命はお電話で。もっとも繋がる保証なんてありませんが」
「はい。お気遣いありがとうございます」
私は会釈をし、トートバックから財布を出そうとした。
それを、九道さんは手を振って止める。
「願掛けです。お代は帰り道にまとめてもらうことにします」
そう言った。
お金を払わないと開くはずのないドアがギィと開く。
開かれたドアから覗く白い地面は、文字通り別世界。
果たしてそこに地面があるのかさえわからないほど純白なそれが、ここが異常な場所であることを物語っていた。
タクシーの中までが、この世の境界線。
そんな空気さえ感じる。
「では、私も願掛けをしましょう」
私は、タクシーから一歩外に出た。
白い地面に踏みしめ、自分の位置を確認する。
空いたドアから見える、九道さんの顔。
黒い制帽で目元ははっきりと見えないが、健康そうには見えない顔。そして、暗い表情。
そんな彼に私は精一杯笑いかける。
「今度、私の珈琲をご馳走します」
「フッ、それは楽しみだ」
その言葉とともに、ドアがバタンッと閉まった。
その瞬間。
黒いタクシーは消えて無くなっていた。
まるではじめから無かったかのように。
そこには、相反する真っ白な空間だけがシンと残る。
「き、消えた!?」
右目に眼帯をつけ、パンツスーツ姿の女性が声をあげる。
森中(もりなか) 八千流(やちる)。
彼女は怪奇専門の刑事ではあるが、やはりそこまで慣れてはいない。彼女の右目で見れば、タクシーがどんなルートで来ているのかも見ることができるだろうが、でもきっと彼女は見ないだろう。
見えないものは、見えない方がいい。
きっとその考えが、彼女に理性を保たせている。
そして……
「面白い! なんだあのタクシー!! いやぁ〜、まだまだボクの知らないことがたくさんあって、この世もまだまだ捨てたもんじゃないですね! それになんだここ!! 写メ撮りたいけど、どーせ撮れないんだろうし、こんなに白かったらピントを合わせられないよね? どうなんだろ? こんなことならスマホじゃなくて、ちゃんとしたカメラ持ってきた方が良かったかな?」
  ケケケッ キキキッ
水無月(みなづき)高校の制服を着た男子生徒と2匹の小羊たちは、この不可思議な状況を目一杯楽しんでいた。
八白(やしろ) 樹(いつき)。
そして、名も無い悪魔たち。
ただの好奇心旺盛な高校生と、彼に従う願いを叶える悪魔たち。本当は連れてきたくなかったし、手を貸して欲しくもなかった。
しかし、状況が状況。
悪魔であろうと、最悪であろうと。
今の状況を打開するためであれば、なんだってする。
「もう後戻りはできません」
目の前にそびえ立つ、大きな鳥居。
人々の願いを喰い、大きく大きく育った偽物の神社。
本物の神をも殺そうとする偽物の神が、ここにいる。
気がつけば、私は自分の両手の平を見ていた。
真っ白で、血が通っていないような私の手。
私。
頭にジンと、痛みが走る。
記憶が、よみがえる。
消せない赤。
過去の私と、今の私。
できること、できないこと。
間違って、失うこと。
役目。
逃避。
何もない。
私は……
頭を振り、考えを飛ばす。
マスターに、時雨(ときさめ)さんに、さくらに、黒谷(くろたに)さんに。
いろんな人に助けられた、この命。
私は両手をぎゅっと握る。
「今、できることをします」
鳥居の先をまっすぐと見つめる。
私が、やらないと。
「行きましょう」
私は大きな一歩で、神社の境界を潜(くぐ)った。 赤い鳥居を潜ると、そこには白い空間が続いていた。
遮蔽物(しゃへいぶつ)も何もない真っ白な空間を、ただただ石畳に沿って歩く。
何分なのか、何時間なのか、すでにわからないくらい時間を進んでいる。しかし、まだ何も見えてこない。
何もないからこそ不安になる。急に何かあるんではないかと緊張感が抜けない。
そんな最中。
「それでそれで? ボクは何をすればいいの?」
緊張感がない人が一人、私に声をかける。
二ヘラと笑い、私の表情を伺う彼。
樹くんは、この状況をものともしない。
「焦らないでください。別に戦争しようなんて考えはありません」
「え? そうなの?」
「さくらが無事に未来ちゃんを返し、ご自分でリリィを破壊してくれれば問題ありません」
「それができないって、話じゃないの?」
「……」
そう。
今回の最悪は、さくらの作った神様なのだ。
みんなの願いを全て叶え、人格を喰らう神。
リリィ。
あれが全ての元凶。
あれさえいなければ、きっと。
これ以上の被害は止む。
しかし、さくらがあれを産んだ理由が未来ちゃんなら。
さくらの問題を解決しなければいけない。
私は、それがなんなのか知らない。
「ちょっと、黛(まゆずみ)君も忘れないで」
森中さんが声を荒げて言う。
黛 潤一(じゅんいち)。
森中さんの同僚で、ある日を境に失踪者となっていた。
そんな彼が、先日見つかったのだ。
最悪な場面で。
彼が未来ちゃんをここへ攫(さら)った。
  この町を変える。
森中さんが見つけた彼の手紙。
それがさくらの利害と一致したのであれば、彼の問題も解決しないといけない。
そう、2人を説得しなければ。
今やろうとしていることが、無意味であるということを。
私は、凛と森中さんに言う。
「それはあなたの問題です。あなたで解決してきてください」
「は!? 手伝ってくれないの?」
「手は貸しますし案も出しますが、考えるのはあなた自身です。森中さん」
私は、その黛という男を知らない。
ただ、理路整然(りろせいぜん)では納得しないということは、一連の行動でわかっている。
だからこそ。
彼を一番知っている森中さんに説得してもらうしかない。
「あなたが助けるんです」
「そう言われると、なんか腹が立つ……」
森中さんは自分の頬を撫でた。
先日、彼と対面したときに殴られた場所。
彼女は目を閉じ、そして言った。
「わかった。とりあえず、考えます」
「お姉さん。それができないから困ってマスターを頼ってるんじゃないの?」
「ガキは黙ってて」
空気を読まず喋る樹くんを、森中さんは軽くあしらった。
少し緊張感が解けたと思った。
刹那。
「あおいさん、やはり来てしまうんです���」
気がつくと。
目の前に、背の高い女性が立っていた。
長い黒髪に、ダークスーツに身を包み。
手には日本刀。
「!」
森中さんが銃を構える。
私はそれを片手で諌(いさ)めた。
そう、彼女こそ。
私が救いたい人。
万月(よろづき) さくら。
「さくら…… あなたは一体何をやっているんですか?」
「正面鳥居から正々堂々とやってきた客人を出迎えています」
そんな軽口を吐きながら。
日本刀の切っ先が、私の頭へ向く。
数歩進めば、そのまま頭を貫くと言わんばかりに。
さくらが睨みを利かせる。
「あれが、万月さくら?」
「へぇ〜、あれは…… 怖いね」
後ろの2人は口々と言う。
私と、さくらの目は合ったまま。
ピクリとも逸れることはない。
「お帰りください」
「嫌です」
私は毅然と言う。
刹那。
切っ先が一歩、私に近づく。
黒い刀身が鈍く光る。
「これは私の問題です。いろんなところへ飛び火していることは謝りますが、これも神を殺すため。致し方が無いことです」
「さくらの問題は、私には関係ありません」
その言葉に、さくらの顔が歪(ゆが)む。
私の額(ひたい)に、冷たいものが当たる。
顔をかすかに伝う、あたたかい液体。
顎(あご)の先から零(こぼ)れたそれが、真っ白な地面をポツポツと赤く染める。
私は動じない。
「私は町ではなく、あなたを心配しています」
凛と言葉を吐いた。
私は額にある刀身を掴み、力づくでそれを逸らす。
ボタボタと、手から血が零れ落ちた。
見えるさくらの顔は、驚いた表情になっていた。
私はさくらに助けられた。
だから、今度は私の番。
「同窓会、するんでしょう?」
私は優しくさくらに語りかける。
その一瞬、さくらの顔が。
私の知っている顔に戻った。
「まったく、あおいさんはつくづく頑固です」
そんな言葉が目の前に落ちる。
気がつけば。
目の前には誰もいなくなっていた。
石畳が続く先に、さっきまでは無かった建物が小さく見えた。
「どうぞ。本殿をお入りになってください。そこでお話ししましょう」
空から聞こえる声。
幽霊だったのか、幻覚だったのかわからない。
しかし……
私は手から溢れる血を握る。
痛い。
この痛みは、本物。
私は、生きている。
地面に落ちた血。
私はそれを踏みつけ、さらに一歩前へ進んだ。
さくらのいる、本殿へ。 さくらが現れてから数分もしないうちに、私たちは本殿の前の広場までたどり着いた。
そこもまた何も無い、白い伽藍堂だった。
右を向けば、おみくじがたくさん結んである何かの木。
左を向けば、無数の絵馬が吊るされている絵馬所。
そして。
まっすぐ行った先には本殿へと続く階段があった。
その入り口にある、大きな賽銭箱。
そこの上に。
「……黛くん」
黛潤一が座っていた。
本来ならとても無作法なその態度だが、きっと今の彼にはそんなこと関係ない。
拳銃を握り、ここは通さないと言わんばかりに私たちをギッと睨む。
メガネの中に浮かぶ眼光は鋭い。
「通してください。ここの主からの許可は得ています」
「ああ、勝手にどうぞ」
拳銃を持たない左手をヒラヒラとさせる。
言葉とは裏腹に、そんな雰囲気は微塵も感じることができない。
しかし、本殿へ行くにはここを通らないと進めない。
さくらに会わなければ。
「では、お構いなく」
私はスッとそこの横を抜けようとした。
刹那。
  パーンッ
銃声が響く。
音に驚き横を見ると、黛の拳銃がこちらを向いていた。
しかし、撃った形跡はない。
「あんた、もしかして善良な一般人を撃とうとした?」
振り返ると森中さんの銃口から薄い煙が上がっていた。
見ると黛くんの座る賽銭箱に風穴が開き、そこから白い煙が上っている。
森中さんが発砲したのだ。
私を撃とうとした黛を止めるために。
「善良……?」
その言葉に。
銃口の向く先が変わる。
「この世に善良なんて無いよ」
  パーンッ
「森中さん!!」
私は声を上げる。
しかし、森中さんは平然とそこへ立っていた。
「平気よ。こいつ、わざと軌道外してるもの」
森中さんの立つ前の地面が抉れていた。
「黛くん、少しお話ししましょう」
森中さんが拳銃をその場に捨てた。
そして。
姿勢を低くし、拳を構えす。
「ああ、その方が良さそうだ」
黛も拳銃を投げ捨てる。
そのまま賽銭箱から飛び降り、森中さんの方へ駆けていく。
彼の拳が、彼女の顔面めがけて飛ぶ。
「構わず行って、ここからは」
森中さんは。
その拳を腕で受け、軌道を逸らした。
「私の問題だから!」
その言葉を聞き、私は樹くんの手を引く。
「行きますよ」
「えっ? でも、あのお姉さん大丈夫?」
「行きます!」
ここにいても、私たちには何もできない。
そして、何かできたとしても。
彼を説得できるのか、彼女しかいない。
どうか、無事で。
私は心の中でそう祈る。
拳と体を打つ音が、背後に響く。
私たちは、振り向かず。
本殿への扉を力任せに閉めた。
  バタンッ 私たちは本殿の廊下をおそるおそる進む。
一本道なので、迷うことはないようだけど、それでも。
なにが出てくるかわからない。
なにもない闇の道をちろちろとロウソクの灯りだけが揺れる。
私たちの足音と。
「ちょっと、お前ら。あんまり引っ張るなよ」
樹くんの小言が、廊下を駆け抜ける。
どうやら、樹くんの両足に2匹の小羊がまとわりついているみたい。
そのせいで歩みは遅い。
構わない、いっそそれくらい慎重な方がいい。
ここからは、何があるかわからない。
私はなるべく歩幅を合わせた。
そんな中。
「それはそうと、マスター。そろそろ教えてください」
樹の声が響く。
「マスターは今回、なにが正解だと思ってるんですか?」
不安で満ちた空間で、彼は思いがけない言葉を吐いた。
「町の人々の人格を喰いつぶしている神様を消すことか、無慈悲な神様を殺そうとしている友だちを止めることか、帰らないって駄々こねるバカな友だちを無理やり連れて帰ることか」
初めて会ったときと変わらない、彼の残酷な戯言。
答えなどないことを知っていながら、探究心を捨てられない。
私は彼が苦手だ。
「人々の人格はもう戻らない。無慈悲な神は慈悲深くなれない。バカは死んでも治らない」
私は振り向かない。
きっと彼の顔は今。
楽しそうに笑っているから。
「ボクは、そう思いますよ?」
「……」
これから行うことが、どれほど無意味で、どれほど残酷なことか。
改めて……
それが私の自己満足であると。
彼は私に言っているようだ。
それでも。
私は。
「それでも私は」
私の意思は揺るがない。
どれだけ犠牲を払おうとも。
どれだけ咎(とが)めを受けようとも。
「さくらを、私の友だちを連れて帰ります」
私は、私の言葉を吐いた。
そのとき。
……ギィ
廊下の先で音がした。
闇の先がかすかに光る。
そこには、大きな扉が開かれていた。
そこには。
「来ましたね」
さくらが。
万月さくらが立っていた。
さっきと同じダークスーツに身を包み、日本刀を携え。
凛と、正殿広間に立っていた。
その奥には、和装に狐面を被った少女が見える。
どうやら、未来ちゃんも無事のようだ。
「はじめに一つ、私はあおいさんに謝らないといけません」
不意にはじまる、さくらの言葉。
私は。
その言葉に、言葉を失った。
「私は万月さくらではありません」 私は、焦っていた。
「はぁ、はぁ、そろそろ、諦めなさいよ」
「はっ! まだだ」
二人っきりになった、本殿前。
私たちは決定打のないまま、ただただ殴り合いを続けていた。
手が痺れる。
腕が痛い。
足が重い。
急所は全て防いでいるけど、それでも疲労は溜まる。
でも、それは黛くんも同じなはず。
「神様殺したところで、どうにもならないことぐらい、あんたにもわかっているでしょうが!」
「殺(や)ってみなきゃわからんだろ!」
黛くんの拳が私の顔面に飛ぶ。
私はそれをすんでのところで躱(かわ)す。
すれ違う黛くんの脇腹を狙い、拳を繰り出す。
しかし、それも腕でガードされる。
さっきから、それの繰り返しだ。
クソッ、このままじゃいけない。
肉体派ではないとは言え、黛くんも警察の訓練は受けている。
女の私より、体力は相当あるはずだ。
この調子じゃ、追い込まれるのは私の方。
「森中だって分かるだろ? この町はおかしい。黒谷さんだって、他の人だって大勢消えてる。これは、異常だ」
黒谷さんもよく言っていた。
ただの自殺に見えて、自殺じゃない。
ただの失踪に見えて、失踪じゃない。
ただの殺人に見えて、殺人じゃない。
この町はおかしい。
この町で起こる出来事は全て疑え、と。
「その原因が、この町を治める神のせいなら! 代(か)えるしかない!」
代える。
神様を、代える。
でも……
「そのために、何人の人がおかしくなったと思ってるの!?」
そう。
今回の件での犠牲者、いわゆる無気力患者数は100名を超える。
たった数ヶ月で、だ。
このペースでいけば��この町の全員が無気力になるまで、時間はかからない。
「神を殺す、力のある神を造るためだ、仕方がないことだ!」
「警察官がそんなこと言っちゃダメでしょ!」
私は勢いに任せて、拳を振るう。
刹那。
その腕が、黛くんに掴まれた。
「しまっ」
私の体は宙に浮き、背中から石畳に叩きつけられた。
全身に走る衝撃。
「ゴホッ、ゴッ」
頭は打っていないが、息ができない!
意識が朦朧とする。
  カチャッ
気づくと黛くんが私を見下ろし、いつの間にか拾った私の拳銃を構えていた。
「!!」
私は思わず右目を触る。
眼帯が外れさらけ出された光景に、私は戸惑いを隠せない。
「森中の言うことは正しい。しかし、正しいだけじゃ何も救えないんだ」
彼の指が引き金にかかっていた。
人差し指一つで、命を奪う悪魔の武器。
「黛、くん……」
「悪く思わないでくれ」
しかし。
私はそんなこと、どうでもよかった。
だって黛くんの後ろに。
「阿呆が」
声とともに、拳銃が吹き飛ぶ。
呆気にとられた黛くんの体が宙に浮く。
さっきの私と同じように。
そのまま、背中から思いっきり石畳へ叩きつけられた。
  ゴンッ
鈍い音が響き、黛くんは動かなくなった。
その横。
見たことのあるスーツを着た男性。
目つきは悪く、背が高い。
トレードマークのコートは、今はない。
だって、それは唯一の残されたものだったから。
そこには。
失踪したはずの、黒谷柳次郎(りゅうじろう)が立っていた。
「く、黒谷さん?」
「ふん。お前ら弛(たる)み過ぎだ」
大きい手が差し伸べられる。
私はそれを掴む、その手は、とても冷たい……
私は右目を閉じる。
そこには。
何も映らない。
「黒谷さん、あなた……!」
「もう無くすなよ?」
右目を開けると、そこには拳銃を返そうとするかつての上司だった。
誰よりも正義感に溢れ、誰よりも部下想いで、誰よりも優しい。
みんなの憧れの存在。
助けに来てくれた。
思わず……
涙が溢れそうになる。
「さっさと行け、あのバカな店長を助けてやれ」
そう言い、本殿の方を後ろに指差す。
私は涙を抑え、拳銃を受け取る。
重みのある拳銃を。
私は頷き、本殿の扉まで走った。
扉まで行きふと振り返る。
広場には残されているのは……
倒れている黛くんだけだった。
他には何も映らない。
幻覚? いや、違う。
「また、会えますよね?」
私はポツンと言葉を残し、重たい扉をゆっくり閉めた。
Tumblr media
「私たちは仲の良い双子でした。
「どこでも一緒へ行き、なんでも分け合い、なんでも想い合う。お互いのことを自分のことのように。今思えば、異常かもしれません。
「ある日、5歳の誕生日を迎える1週間前。
「私は母に呼ばれました。
「私だけが呼ばれました。
「母は言いました『あなたを神様に差し出します』と
「これが、万月家の呪い。
「その内容を他言してはいけない。そう言われました。
「たとえ、家族でさえ、双子の姉さえ。
「そして、私は言いつけ通り黙っていたんです。
「さよならも言えない。その状況に悩みはしましたが、これも役目と諦めました。
「それなのに。
「私の、いえ、私たちの誕生日の朝。
「私は布団で目を覚ましました。
「目を覚ましたら、横の布団は空っぽでした。
「神様は間違えたのです。
「私と、私の姉を
「だから。
「私は取り返すだけです。
「さくらを」
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#43『うしろ』
「3名様でよろしいでしょうか?」
「えっ?」
レストランでの入り口で、店員からそう声をかけられたとき。私の心臓は張り裂けそうになった。
だって、ここには私と娘の七海(ななみ)、2人しかいないのだから。
「あ、失礼しました。2名様ですね。おタバコは?」
「……いえ、吸いません」
機嫌を損ねたと思ったのか、店員の対応が一層明るくなった。
別に私は機嫌が悪くなったのではない。
ただとても、不安を感じただけだ。
「ではこちらへどうぞ」
店員は満面の笑みで私と娘をテーブルへ案内する。
ここは如月(きさらぎ)町にある普通のファミリーレストランだ。家族連れや勉強中の学生集団、なにやら怒りながら電話をかけているビジネスマンと同じ空間にいろんな人が集っている。
私たちはただ、普通にごはんを食べに来ただけなんだけど。
最近それも嫌になっていた。
私たちがソファーに腰掛けると、先ほどと同じ店員がメニューを運んでくる。
笑顔を絶やさない。
バイトなんだろうか?
わからないけど、人が良さそうな女の子だった。
私は意を決して聞いてみる。
「ちょっと聞いてみるんですけど、さっき何故3人だと思ったんですか?」
私の問いに、彼女の笑顔が凍りつく。
固まった顔が徐々に崩れ、俯き加減に、しどろもどろに言う。
「いや、えっと…… 一瞬、うしろに男性が見えたんで、ご家族かと思ったんです。けど誰もいませんでした。きっと見間違いです。すみません」
「変なことを聞いてごめんなさい。気にしないで」
気にしないで。
聞いた私の方こそ申し訳ない気持ちでいっぱいだったからだ。
「見間違いは誰にだってありますから」
そう言うと、その女の子は少し安心したように席を離れていった。
はぁ……
私は聞こえないようにため息を吐く。
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な〜」
七海は私のモヤモヤなど知る由もなく、メニューを楽しそうに選んでいる。
ホント、無邪気。
この笑顔だけが唯一の救い。
だから……
七海に心配をかけてはいけない。
私が守らないと。
  うしろに男性が見えたんで
さっきの店員さんが言った言葉だ。
きっとそれは見間違いではないのだろう。
だって。
「これでもう8度目」
思わず言葉が漏れる。
七海がこちらの世界に帰って来て、もう半月。
たった半月。
私は確信している。
私たちのうしろに、誰かがいる。 深夜2時。
眠ることができない私は、旦那、柳次郎(りゅうじろう)の部屋に残された捜査資料を読みあさっていた。
刑事であり、現在失踪しているうちの旦那。そんな彼は怪奇事件専門の刑事で、どうやらたくさんの事件に関わっていた。
私も最近まで知らなかったけど……
彼の携(たずさ)わった怪奇事件のファイル。それはこの世のものとは思えないほどに非現実的なものばかりだった。
飽きることのない、終わることのない、そんな物語たち。
そもそも捜査資料を自宅に持ち帰って良いのだろうか? と疑問に思ったこともあったが、それは気にしないようにしている。
もし、相談して警察の人たちにこの部屋を荒らされたら。
それはとても嫌なことだから。
私は一冊の資料を読み終え、別のものを取り出そうとしていたそのとき。
  ギィ
ゆっくりと重い音を立て、扉が開く。
そこには七海が立っていた。
パジャマ姿で虚ろ目の我が娘が、ぼんやりと私を見つめている。
寝ぼけている、訳ではない。
これは……
「こんばんは」
年齢にそぐわない、大人びた話し方。
未来ちゃん。
未来を教える代わりに、未来を奪う神様。
七海はこの神様に隠され、柳次郎のおかげでようやく助け出された。
その代わり、柳次郎が失踪してしまったのだ。
七海を私に託して。
だからこそ、私は七海を守らないといけない。そして、忌まわしい呪縛からようやく解放され、普通の生活が手に入る。
そのはずだったのに……
「早く…… 七海から出ていってよ」
七海はこの神様に取り憑かれている。
私は七海を…… 未来ちゃんを睨みつける。
しかし……
「ごめんなさい」
「……」
そうなのだ。
未来ちゃんはいつも私にごめんなさいと言う。
神様なのに。
どうしてそんなこと言うの? 七海の顔でそんなこと言われたら。
絶対許せない存在のはずなのに……
……
あのとき。
  助けてください
初めて七海に降りてきたあのとき、神様はそう言った。
事情は話してくれない。
しかし、未来ちゃんが現れて2週間ほど。
私たちに害がないことはわかった。
だから……
 しばらく、七海ちゃんに隠れさせてください
私はその言葉を、拒否することができなかった。
七海を隠した神様が、今は七海に隠れている。
一体どういうことなのか、私にはわからないけど。
私はこの状況を受け入れていた。
そうした方が良いと、私は思ったのだ。
私は七海を…… いや、未来ちゃんを無視し、捜査資料を読み続ける。
未来ちゃんはいつも通り背もたれのある柳次郎の椅子に三角座りをし、私のことをずーっと眺めている。
いつもなら、このまま5時まで無言が続き、「おやすみなさい」と言って部屋に戻って行くのだ。
何事もなかったかのように。
しかし。
今日は、違った。
「うしろの誰かは幽霊ではありません」
「!」
私は思わず持っていたファイルを手から落とす。
床に落ちた衝撃でバラバラに飛んだ資料を拾うことなく、私は未来ちゃんの方を見た。
未来ちゃんは私をまっすぐ見つめていた。
うしろの誰か。
ここしばらく続く、謎の現象。
未来ちゃんも、日中のこと見ていたの?
私は、意を決して未来ちゃんと対話をする。
「なにか知ってる?」
「幽霊ならわかります。あれは違う存在」
幽霊じゃない?
幽霊だと言われるのも怖いけど、でも……
神様が言う、違う存在。
その方がよっぽど恐ろしい気がする。
嫌な汗が、背中を伝う。
「幽霊じゃないなら、あれは何?」
「生き霊か、式神か。でも根本的に違う、それに似た何かです。私の世界には存在しない、新しい存在」
新しい存在。
何それ? 一体どういうこと?
未来ちゃんの言葉に、不安が加速する。
それに追い打ちをかけるように
未来ちゃんは続ける。
「心当たりはありませんか?」
無表情で首を傾げる未来ちゃん。
その七海の顔は、何歳も大人びて見えた。
「心当たりなんて……」
神様が知らないのに、私にわかるわけがない。
ここ何十年。薫子と梓のせいで不思議なことには巻き込まれたけど、こんな幽霊につけられる心当たりなんて……
いや。
1つだけある。
「丹尾(にお)さん?」
私たちを保護している、国の機関の人。
怪奇関係の行政組織。
この町から出て行くなと言ったあの男なら……
私たちを監視している可能性は十分にある。
「彼は専門家ですから、痕跡は残しません」
「え?」
その言葉に、背筋が凍る。
痕跡を残さないって…… だとしたら、この状況も見られているかもしれないってこと?
七海との生活。
柳次郎の遺したもの。
未来ちゃんと対話。
それも全て筒抜け?
「安心してください。今は勤務時間外ですから」
凛と、未来ちゃんは言う。
まるで私を諭すように、導くように。
未来ちゃんは、コホンと咳払いをし、話を続ける。
「あれが何なのかわかりません。だからこそ、用心してください」
姿は子どもだが、大人びたその存在は。
最後に、子どもじみたことを言った。
「私は怖いです」
三角座りのまま震える、七海に取り憑いている神様。
早くこの呪縛から解き放って欲しい、でも……
この神様は、一体何から隠れているの?
一体これから、何が起こるの?
私は複雑な想いで、無事な日々が続くことを祈っていた。 「誰かに後をつけられている、ですか?」
「えぇ……」
警察署のロビー。
私は七海を連れ、柳次郎の部下である森中(もりなか)さんのところへ来ていた。
定期的に現状を報告しなくちゃいけないのだ。今までは自宅に来てくれることが多かったが、最近森中さんも忙しいらしく、私たちで来ることも増えてきた。
森中さんは記録をつける。
が、その顔はとても疲れて見えた。
「姿は見えないんすが…… でも、幽霊ではない、みたいです」
「それは、また私たちの仕事が増えそうな案件ですね」
ペンで頭を掻きながら、森中さんは目を閉じている。
片目は眼帯で見えないが、見えているもう片方の目。
その下の隈がひどい。
もう何日も休めていない。そんな雰囲気だった。
森中さんは、ハッと我に還り頬をペチペチ叩く。
「すみません。失言でした。忘れてください。」
「いえ、私は全然。森中さんこそ、大丈夫ですか?」
いつもならハキハキとした人なんだけど、今日はまるで別人だ。
顔色も悪い。
しかし、スイッチが入ったのか彼女は笑顔で私に言う。
「平気です。ちょと同期が突然いなくなってしまって…… 単純な人員不足なので、奥様は気にしないで」
「でも……」
「ほら、笑顔ですよ。七海ちゃんも心配しちゃいますから。ね〜」
「ね〜!!」
七海は森中さんの呼びかけに笑顔で答える。
オレンジジュースをもらいご満悦な七海は不安など感じていなさそうだが。
逆に気を遣わせてしまった……
私が解決できる問題なら力になりたいんだけど、それはきっと無理だし。
それなら私はなるべく、心配かけないようにしないと。
「それ以外で、なにか変わったことはありますか?」
「……」
私は昨日の、未来ちゃんとの対話を思い出す。
よくよく考えれば、私は神様と交流を持ったのだ。
未来ちゃんが七海に取り憑いているなんてこと、言えばどうなるんだろう。
七海が拘束されるかもしれない。
なにより、森中さんの仕事が増える。
そもそも、未来ちゃんはそんなこと望んでいない。
きっとこの情報は誰も平和にしない。
「何もありません」
私は嘘をついた。
森中さんは、じっと私を見ている。
刑事らしいその鋭い眼。
私は手をぎゅっと握る。
「そうですか。七海ちゃんは学校の方は?」
「ええ、ちゃんと通ってます。今のところ、年齢のことも問題なさそうです」
「それなら良かったです」
ニコッと笑顔を見せる森中さん。
疲れていても、きっと私たちを気にしてくれているんだろう。
柳次郎の遺した私たちを。
森中さんはファイルを閉じる。どうやら今日はこれで終わりみたい。
「今日は以上です。ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
「ごちそうさまでした!」
オレンジジュースを飲み干した七海が勝手に出口へ走っていく。
「こら、七海! 待ちなさい」
私が七海を追いかけようと席を立つ。
そのとき。
「黒谷(くろたに)さん」
うしろから、声がする。
ドキッとして振り返ると。
森中さんが私の方を見つめていた。
見える片目は。
「なにかあれば、言ってくださいね」
とても物悲しそうだった
その言葉がズキリと私に刺さる。
私は会釈をし、その場から逃げるように立ち去った。 警察署からの帰り道。
すっかり日が落ち、世界が夕闇に染まっていた。
私たちはある喫茶店の前にいる。
とは言っても、七海はこの店のことを知らない。私が一方的に連れてきただけだ。
朱汐(あかしお)公園の近くにある、レトロな雰囲気の喫茶店。
私と、薫子(かおるこ)、梓(あずさ)が学生の頃よく通っていたお店。
その梓がかつて働いていたお店。
そして、今は。
七海を未来ちゃんから連れ戻すのを手伝ってくれた女性が働くお店。
……柳次郎の最後を知る女がいる店。
……
私が目を覚ましたとき、七海と一緒にその女性がいた。
そこで柳次郎が七海を助けるため失踪したことを知らされた。
それから、この女性とは会っていない。
会ったときから、その女性がこの店で働いていた店員さんだったと思い出して、すぐにでもお礼を言わなくちゃいけなかったのに。
でも。
「……会いたくない」
きっとどうしようもなかったんだと、今ならわかる。
しかし、それでも。
なぜ、柳次郎が消えなくちゃいけなかったのか。
助けることができなかったのか。
見捨てられたんじゃないか。
……なぜ、消えるのが彼女じゃなかったのか。
そんなどす黒い本音。
「ママァ?」
ここで立ち止まる私の横には、今は七海がいる。
柳次郎が文字通り命をかけて助けたこの子がいる。
それでも、私は。
この扉を開くことができない。
「帰ろっか」
「うん!」
私は七海の手を強く握る。
強く、強く。
二度と離さないように。
そう、誓っていた。 「あの喫茶店、入らないんですか?」
「え?」
深夜3時を過ぎた頃。
未来ちゃんはいつも通り、三角座りで椅子の上にいる。
突如飛んでいたその言葉に、私は驚きを隠せなかった。
そっと未来ちゃんを見る。大人びたその表情は、じっと私を睨んでいる。
怒ってるの?
それに、あの喫茶店って……
「夕刻に訪れていたあの喫茶店です」
「……」
未来ちゃんは、あの喫茶店を、あの店員さんを知っている?
なんで?
あ、そうか。そもそも七海を助けるときに、未来ちゃんとあの店員さんが対面している可能性がある。
それなら、この七海を連れてあの店に入らない方が賢明だったのかもしれない。
そんな自己完結をさせようとしたとき。
未来ちゃんは意外なことを言った。
「あの人に会いに行きませんか?」
「……あなたと敵対してるんじゃないの?」
私の率直な疑問。しかし、未来ちゃんは首を振る。
「あの人は第三者です。あのときは、ただ守るものが同じだっただけです」
第三者。
その言葉の意味を、私は正直理解することができない。
それでも、未来ちゃんがこんな言葉を口にするなんて思わなかった。
あの店員さんに会う?
それがどんな意味を示すのか。
私は理解したくなかった。
「きっと力になってくれます。私は苦手ですが」
力になってくれる。
神様が頼りにしている?
どういうことなんだろう。
あの店員さんは一体何者?
梓の店の子だからきっと、普通の子ではないとは思うけど……
でも、私は。
会いたくない。
そう思っていた。 「お水…… 2つで良いですよ?」
「え? わ!! し、失礼しました」
まただ。
私は笑いながら、片づけられる水のグラスを見つめていた。
どんな容姿に見えているんだろう。
いや、きっとそれもわからないんだろうな。
それにわかったところで……
どうしようもない。
あぁ、うしろにいる誰かさんが柳次郎なら良いのに。
でも、きっとそんな都合の良い話はない。
私の読んでいる捜査資料も、そんな物語ばかりだった。
ハッピーエンドなんて、現実ではそうそう迎えることができないんだ。
「ママァ? また怖いお顔になってるよ?」
「あ、うん。ごめんね」
「いいよ!」
いけない、いけない。
最近うしろの誰かのことを考え過ぎだ。
七海を不安にさせちゃいけない。
「おうどんまだかな〜」
この子は、巻き込んじゃいけない。
私は不安を振り切り、七海と一緒にうどんが来るのを待つ。
七海はそんなに食べられないから、私のを分けてあげるつもりだ。
きつねうどん。
お揚げの取り合いになるかもしれないけど、私はあれが一番好きだ。
好きな食べ物のことを考えると、幸せになれると信じている。
そんなことを考えながら、気分を切り替える。
ほどなくしてお盆が運ばれて、私たちの前に置かれた。
「……これって」
「ご注文はお揃いでしょうか?」
笑顔で応対する店員。
私は。
そんな気分の切り替えなど、無意味だと知る。
どれだけ振り切っても。
いつまでもつきまとう。
呪いは呪い。
きっと永遠に抜け出せない。
だって……
お盆には、きつねうどんのどんぶり鉢と。
取り皿が3つのせられていた。 私は七海の手を繋ぎ、とぼとぼと帰路を歩いていた。
日はだんだんと陰り、私と七海の影が私たちの前に伸び立ち塞がっている。
日々のこともあるのに、少し疲れてしまった。
私がしっかりしないといけないのに、足取りが重い。
七海は気を遣ってか、私に歩調を合わせてくれる。
何も言わず、私の横をゆっくりついてくる。
日頃はあれだけ賑やかなのに、私の気持ちを察してくれているのかしら?
だとしたら、この子は成長したのかな?
私も、しっかりしないと。
……
もう無理。
柳次郎、助けて。
「!」
だ、ダメだ。
こんな弱気になってはダメ。
早く家に帰ろう。
私は七海の手をしっかり握る。
七海は私の手を握り返す。
そこに言葉はなかったけど、それで十分だった。
私たちは帰路を急ぐ。
朱色に染まったコンクリートの道が続く。
あのときも、こんな夕暮れ時だったな。
七海が未来ちゃ��に連れ去られたあのときも。
こんな夕暮れどきだったな。
そんなことを考えていた。
そのとき。
  ピピピピピピピ
携帯電話が鳴った。
何世代も前のガラケー。
私は慣れない手つきで携帯をパカリと開き、画面を見る。
知らない番号だ。
私はおそるおそる、その電話に出た。
「もしもし?」
刹那。
  ジジジジジジジジジジ
ノイズ音とともに世界の雰囲気が変わった。
「!?」
見た風景は変わらないけど、空気が重し、耳鳴りがする。
空は真紅に染まっていた。
咄嗟にここが普通じゃないことは理解できた。
もしかしてここがあの店の女性が言っていた、もう1つの町?
でもなんで!?
電話に出たから?
まさかそれだけで!?
「そんなことって……」
「ママァ、ここどこ!? 怖い!!」
私はしゃがみ、七海を抱きかかえる。
この子だけは守らないと。
絶対、絶対……
そのとき。
「やっと会えた」
うしろから、声が聞こえた。
どこか懐かしい声に、私は思わず振り返る。
「!」
狐目のムスッとした顔。
背はひょろっと高く、ボサついた髪。
見た目は怖いけど、不器用で優しい人。
「柳、次郎?」
そこには、失踪していた私の旦那が立っていた。
長い影が、私たちまで伸びている。
私は声を張り上げた。
「あなた、無事なの? 今までどうして」
「すまん。事情があってまだそっちには帰れない」
会いたかった顔が、ゆっくり私たちに近づいてくる。
少し老けたかしら? シワも白髪も増えた気がする。
そうよね。だって4年も経ってるんだから。
4年…… ひとりで頑張ってきたんだから。
「あまり時間がないんだが、七海の無事な姿が一目見たくてな」
柳次郎はそう言う。
しかし、七海は私の腕の中で震えていた。
この世界に何か感じるんだろうか。さっきから私をぎゅっと掴んで離さない。
「七海! パパ帰ってきたよ!」
「七海、パパのこと忘れちゃったのか?」
しかし、七海は柳次郎の方を向かない。
柳次郎だって、時間がないのにこんなのって……
ちょっと、七海! いい加減にしなさい!
そう言おうとした、そのとき。
捜査資料が、脳裏に過(よぎ)る。
不意に湧く言葉。
私は。
その言葉を口から吐いた。
「あなたは、誰?」
「なんだ? お前も俺の顔忘れたのか?」
本当はこんなこと言いたいわけじゃない。
本当はすぐにでも抱きしめたい。
でも、でも!
私は読んでいる。
怪奇に巻き込まれた人たちの最後を。
家族の末路を。
何件も、何十件も、何百件も!
だから。
柳次郎が帰ってくるなんて、そんな現実が。
簡単に手に入るわけがない!!
「あんたは柳次郎じゃない」
その瞬間。
柳次郎の目つきが変わる。
決して私たち家族には見せない、威圧的なものになる。
そして、その手には。
拳銃が握られていた。
怖い、でも。
私は言葉を吐き続ける。
「あなたが本当の柳次郎なら、たとえ会いたくても」
銃口が私たちに向けられる。
こいつは柳次郎じゃない、こいつは柳次郎じゃない!
だってあの人は……
私は目の前の知らない男に。
言葉をぶつけた。
「こんな不気味な世界を私たちに見せたりしない!!」
刹那
  パーン
一発の銃声が、世界を割った。 気がつけばそこは、いつもの道。
いつもの夕焼け空は広がっていた。
しかし、そこには。
眼帯を外した森中さんと。
どこかで見たことのある男が肩を抑え、森中さんを睨んでいる。
「私の目はごまかせない」
森中さんはその男に銃口を向けている。
「黛(まゆずみ)くん」
そうだ。
この男の人、森中さんと一緒に私をお見舞いに来たことがある刑事さんだ。
森中さんと同じ、旦那の部下。
失踪している同僚って、この人?
え? でも、だったらなんでこの人が、柳次郎に化けて私を襲うの?
「『町を変える』って、怪奇に関わった人全員殺すってこと?」
「え!?」
私はその言葉に耳を疑う。
確かにさっき銃を構えた瞬間の殺意は本物だった。
でもまさか。
刑事さんがそんなことって……
私は七海をきつく抱く。
七海はさっきから恐怖で動かない。
こう着状態が続く。
そして。
「……違う」
低い声が、辺りに響く。
肩から溢(あふ)れる血を抑えつつ、男は私を睨みつける。
その狂気に満ちた目。
「僕の目的は、その子だ」
「え?」
「理由、聞きましょうか?」
森中さんは、男に銃口を近づける。
威嚇のためだろう。いつでも発砲できるという意思表示に見える。
ジリジリと距離を詰めている。
刹那。
「その子に隠れている奴だよ!」
大声とともに、男の拳が森中さんの顔面を捉(とら)えた。
予想打にしなかった攻撃に、森中さんの体は無抵抗に宙を舞う。
地面に倒れこんだ彼女は、ピクリとも動かない。
「はぁ、はぁ…… 僕は、この町を変えたいだけ、なんだ」
殴った拳から血が滲む。
その赤色がドロドロと流れ、地面に落ちていった。
そして。
その血塗られた銃口が私へ向けられた。
「邪魔すんな」
殺される。
に、逃げなきゃ。
でもダメ。
森中さんが殴られた瞬間がフラッシュバックする。
この人、本気だ。
きっと躊躇(ためら)いもなく、引き金を引くだろう。
この子もきっと殺す。
誰も助けてくれない。
いやだ、逃げなきゃ。
でも、体が動かない。
そのとき。
「待ってください」
私のうしろから声が聞こえる。
おそるおそる振り向く。
そこには。
和装に白い狐面の少女が立っていた。
「あなたの目的が私なら、もうその2人には手を出す必要はありません」
「み、未来ちゃん?」
その姿はあのとき。七海を隠したときと同じ姿だった。
でも、どうして?
なんで出てきたの?
なんで神様が私たちを助けてくれるの?
疑問が疑問を呼び、頭の整理が追いつかない。
「なんだ、案外すんなり出てきたな。見張ってても一切出てこないから、本当は入ってないんじゃないかと思っていた」
「行きましょう。私に恨みがあるものの元へ」
未来ちゃんは男の方へ歩く。
私の横を通り過ぎるとき。
小さな声が響いた。
  匿(かくま)ってくれてありがとう
「え?」
気のせいかもしれないほど、小さな声。
その言葉が、私の心を抉る。
気がついたときには、未来ちゃんは男のそばにいた。
そして。
凛として言った。
「さよなら」
神様の声聞こえた瞬間。
男と未来ちゃんは消えていた。
眠っている七海と、倒れている森中さん。
私は…… 一体どうしたらいいの?
途方に暮れ、しゃがみ込んでいた。そのとき。
「大丈夫ですか?」
いつの間にかエプロン姿の女性が、うしろに立っていた。 「状況はわかりました。しかし、神様が連れ去られた今、一刻の猶予もありません」
レトロな喫茶店の中には重たい空気が広がっていた。
私たちは店員さんに保護され、今現状を整理している。
あれほど入りたくなかった喫茶店。しかし、昔と何も変わっていないその内装にどこか心が落ち着いていた。
なにより、今はここが一番の安全地帯なのかもしれない。
私は椅子に座り、放心していた。
傍(かたわ)らで眠る七海。その寝顔が愛くるしく私は癒される。
もう未来ちゃんはいない。
この子は自由だ。
しかし。
あのとき、未来ちゃんが出てきてくれなければ、私たちは殺されていたかもしれない。
だから、未来ちゃんは出てきた。
私たちを逃がすために。
私たちにこれ以上危害が加わらないように、と。
そう思った。
神様なのに。
ありがとう、と言ったのだ。
私たちが感謝しないといけないのに……
どうしてこんなことに。
私の目からは涙がとめどなく溢れでてきた。
「行く方法はあります。あとは救う方法だけです」
救う方法……
一体何が起こっているの?
そもそも救うって……
私の知らないところで、この町では何かが起こっていたんだろう。
店員さんは真剣そのものだった。
「神様を救うなんて烏滸(おこ)がましいですが、これ以上さくらの好きにはさせません」
拳を握り、真剣に怒っている。
横にいる男性の店員が心配そうに見守っていた。
そこへ。
「私も連れて行って」
森中さんの声がする。
あのあと私たちに運ばれた彼女は奥のテーブルで横になっていた。
氷でほっぺたを冷やしながら、彼女は言った。
そんな森中さんに、店員さんは辛辣(しんらつ)な言葉をかける。
「大丈夫ですか? ここからは一瞬の躊躇いで帰れなくなりますよ?」
「気遣いありがとう。でも、あいつのおかげで目が覚めた」
頬をさすりながら、森中さんは悪態をつく。
赤く膨れた頬。それは彼が相当な力で彼女を殴った証拠。
だから、森中さんは。
乱暴にこう言ったのだ。
「黛くんは、私がぶん殴ってでも連れ帰る」
Tumblr media
12月に入り寒さが一段と増した如月の町。
いつも厳(おごそ)かな喫茶店の中が、今日は珍しく賑やかしい。
しかし、別に活気があるわけではない。どちらかと言えば、その逆。
皆が真剣に夜の闇を見つめていた。
店のカウンターの中に2人。
縁(よすが)あおい。
この喫茶店のマスターである彼女は、いつもと変わらない…… 何事もないかのように無表情でポットに入った珈琲をタンブラーへ移している。タンブラーから漏れる香りがほんのりと空間を彩っている。
時雨(ときさめ)晶(あきら)。
縁の傍らに立つ彼は、サンドイッチをトートバッグに詰めている。まるでピクニック前のようなその光景だが、実際本人の表情は不安に満ちていた。その不安に呼応するように、首元で光る鈴がチリンと鳴る。
そして、カウンターに座り、珈琲を飲む女性が1人。
森中(もりなか)八千代(やちよ)。
パンツスーツ姿の彼女。その右目は眼帯で隠されていた。目を閉じ、落ち着いた様子で珈琲を静かに飲んでいる。時折開く片目は真剣なその眼差しで、固い決意に満ちていた。
そして、端のテーブルに2人と2匹。
八代(やしろ)樹(いつき)。
結城(ゆうき)桃子(とうこ)。
そして、角が生えた異形の小羊たち。
水無月(みなづき)高校の制服に身を包んだこの男女は、外を見つめならポツリポツリと言葉を漏らしていた。
「それでどうすれば良いんですか? 王様(キングさま)?」
「その呼び方やめてよ。とりあえず行ってから考えるつもりだよ。ところで念のため聞くね。まさかと思うけど桃子さんは来る気じゃないよね? まさかと思うけど」
「え!? 樹の気持ち察してここまでまとめたのうちだよ?」
「ここまでまとめてくれたことには感謝するよ。ホント感謝しても仕切れない。でもこれ以上はダメだ。君のご両親に申し訳がたたない」
「あったこともない両親を引き合いに出すのはやめて。行く」
「絶対ダメ」
「行く!」
「ダメだって…… 桃子さんはボクの帰りを待っててよ」
「うわっ、その言い方ズルい……」
桃子は目を伏せ、珈琲をズズズと飲む。
大きいため息と一緒に、口を開く。
「わかった。ここで待っててあげるけど、樹にお願いがあるの」
「連れて行く以外のことなら、なんでも言って」
そのまま樹に耳打ちをする桃子。
それを聞いて、樹は驚きの表情を浮かべた。
「え? マジ?」
「寝ずに考えたんだから、しっかりね」
「んん…… 善処するよ」
そんな2人の和やかな会話の横。
  ケケケッ キキキッ
2匹の異形がギザギザの歯を見せ笑っていた。
そして。
時が来た。
「マスター、準備できました。タクシーも来る頃合いです」
「時雨さん。ありがとうございます」
縁は時雨からトートバッグを受け取る。
その中には先ほどの珈琲が入ったタンブラーと、サンドイッチ。
あと、諸々の儀式めいた道具が入っていた。
「もっとちゃんとしたカバンの方が良いんじゃないですか?」
「いえ、これでいいんです」
縁はトートバッグを肩に掛ける。
「これぐらいの方が、コンビニへ行くぐらいの軽い気持ちでいられますから」
軽い気持ち。
しかし、その言葉とは裏腹に、その表情は真剣そのものだった。
「マスター、必ず帰ってきてください」
「ええ、約束です」
ニコッと微笑むマスター。
それにつれられ笑う時雨。
「黒谷親子と結城さんはお任せします」
「わかりました」
そんな会話の終わりを見計らったのように。
店の外が明るくなった。
それはタクシーのヘッドライト。
外へ出ると、一台の黒いタクシーが止まっていた。
助手席の窓がジジジと開く。
「九道(くどう)さん。ありがとうございます」
「前も言いましたが、帰りは迎えに行けるかわかりませんよ?」
「その時は、なんとかします」
「はぁ…… わかりました。どうぞ乗ってください」
そう言い終わると、後部座席のドアが自動で開いた
そこへ森中と八代、そして小羊たちが順々に乗る。
「定員オーバーじゃない?」
「お姉さんが下りればいいじゃないですか」
「私は黛くんをぶん殴らないまで帰らないから」
「好きなんですか?」
「そんなわけないでしょ!!」
  ケケケッ キキキッ
五月蝿(うるさ)い後部座席
「なかなか賑やかなパーティですね」
「今回ばかりはこれぐらいが良いのかもしれません」
鬱陶(うっとう)しがる九道を、縁は笑顔で諌める。
そして。
「では、行きましょう」
未来ちゃんを助けだし、
黛(まゆずみ)潤一(じゅんいち)の目を覚まさせ、
万月(よろづき)さくらを救い出す。
そんな途方のない物語が、はじまる。
「全員、連れ戻します」
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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コミケ出店により、今月の怪奇Dripはお休みです。
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『Menu 〜C96〜』
こんばんは。 あおい珈琲マスターです。 次日曜日(8/11)に開催されるコミクマーケット(コミケ)のMenuが完成致しました。
◉創作※セット割引あり(画像参照) 【新刊小説】怪奇Drip    4杯目   ¥1,000- 【既刊小説】怪奇Drip  1���3杯目  各¥1,000- 【既刊写真集】Menu 〜青空〜      ¥1,000- 【既刊写真集】Menu 〜茜空〜      ¥1,000-
◉二次創作(グリモア) 【新刊小説漫画】眠る二人に祝福の鐘を ¥500-(合同誌) 【既刊小説】結城聖奈の裏帳簿     ¥500- 【既刊小説】鳴海純の裏ワザ集     ¥500- 【既刊小説】結城聖奈の裏帳簿〜粉飾編〜¥500-
怪奇Drip 4杯目 は#29〜#36+書き下ろしです。 怪奇Drip1〜3杯目と同様。後味は悪く、ざらりとした舌触りです。 ご賞味の際はくれぐれもご注意を。 眠る二人に祝福の鐘を はソーシャルゲーム:私立グリモワール魔法学園(グリモアA)の二次創作です。今回は合同誌となっております。 若干重めの仕上がりですが、お楽しみいただけると思います。 既刊については割愛致します。 ご質問があれば遠慮なくお願い致します。 是非、多くの方にご賞味いただきたいと思っております。 商品に限りはありますが、どうぞお気軽に。 ご来店、お待ちしております。 C96出店に伴い、今月の怪奇Dripはお休みとさせていただきます。 申し訳ございません。 来月は投稿できるよう頑張ります。
【コミケサークルページ】
https://webcatalog.circle.ms/Perma/Circle/10403888/
【詳細】 コミックマーケット96 日時:2019/8/11(日) 10時〜16時 場所:東京ビックサイト 西館4F 西4内 サークル名:あおい珈琲 サークル場所:西C56a
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#42『メサイア』
「なんだか、静か」
水無月(みなづき)高校の校舎中、その外れた一室。
図書室の書庫でうちはポツリと言葉を落とした。
その言葉に、樹(いつき)…… 八白(やしろ)樹は反応する。
しかし、口だけ。
その目は今も本の活字を追っている。
「なんだいなんだい? 桃子(とうこ)さんは図書館の、しかも書庫に対して喧騒を求めているのかい? おかしな話だね、図書館では静かにしなさいって習わなかった? ボクは習わなかったけど、教養として、ここでは騒いではいけないって知っているよ」
いつも通りの戯言(ざれごと)が繰り広げられる。
うちの話なんて、それは本気で聞く気がない証拠だ。
ま、もう慣れたけど。
  ケケケッ キキキッ
樹のマシンガントークに呼応するかのように。
2匹の異形の小羊たちが、静かに笑う。
ギザギザな牙をむき出しに、無邪気に。
2匹は静かに、そこらへんに散らばった文庫本でトランプタワーを作っていた。
有害に見える無害な異形の子たちと、無害に見える有害な人間の高校生。
うちは彼らと同じ空間にいる。
はぁ……
うちは、静かに続ける。
「いや、そうじゃなくて。最近、学校にいる人自体が少ないから、なんか静かに感じるだけ」
「そうだけどさ。静かな方が良くない?」
「うん。そうなん、だけどね……」
うちが言いたいのは、そう言うことじゃないんだよな。
首を摩(さす)りながら、うちは最近数ヶ月であった奇怪な出来事を思い返す。
王様(キングさま)。体育館の火事。バスケ部員の失踪。ピンクのくま。灰島柚子(はいじまゆず)と里崎(さとざき)先生。そして、眠り続けている三浦(みうら)先生。
夏休みを挟んで、ここ数ヶ月で一変した世界。
こんなにも、この世界は異常に満ちていた。
うちにとっての非日常も、すでに日常と化していた。
だからうちも、多少の奇妙な出来事には動じなくなっている。
しかし。
最近のこれは、やっぱりおかしい。
「なんか無気力症候群ってのも流行ってるみたいだし、なんかネットでは変な噂もあるし、自殺者も多いって聞いたし。それ以上に失踪したままの人も……」
うちの脳裏には、いつかの吊り輪が思い浮かぶ。
死に引き込まれる感覚。
消えてなくなりたいと、輪に向かった瞬間。
……怖い。
確信がない、ぼんやりとしている情報の数々。
またあんなことに巻き込まれるかもしれない。
うちは肩が、かすかに震えたのがわかった。
……
今のこの情報が本当なら、実際に問題は起こっているはずなのに、原因も解決策も、そして妥協案も見つからない。
そしてなにより。
これだけのことが身近で起こっているはずなのに、全く実感がない。
不安と隣り合わせのはずなのに、なにもないのだ。
そんな不安を、うちはまとめて樹にぶつけた。
「なんか、最近おかしくない?」
最近思っている率直な疑問。
「……」
樹は読んでいる本を静かに閉じた。
そして、じっとうちの方を見つめてくる。
いつもの陽気な雰囲気は、ここにはない。
その目からは、若干の不安が読み取れた。
珍しい…… 目も合わさず、またずっと戯言を吐き続けるものだと思っていたけど、どうした?
うちが言い出したことなのに、どこか恐縮してしまう。
「桃子さんも、そう思うかい?」
樹は真面目な表情で言う。
「いや、桃子さんが言うから確信に変わったよ。やっぱり、ちょっとこれは異常すぎる」
異常すぎる。
樹から零された意外な言葉に、うちの背中に冷たい汗が流れた。
言葉を選び、うちは樹におそるおそる聞く。
「どういうこと?」
「おかしいって思ってても、おかしいって言えなかった。だって大概ボクもおかしい奴だからさ、普通の人がおかしいって感じていることがよくわからなかったんだ」
おかしいって言えなかった。
いったい、いつから樹はこの状況の異常さを感じていたんだろう。
そして、いつから黙っていたんだろう。
誰にも言えず、疑問に思っていたんだろう。
少し、寂しいな。
一瞬でもそう思った。
「でも、面白くないな」
思ったうちが間違いだった。
面白くない? って言った?
「なにが?」
あっけにとられながら、うちはとっさに返す。
その反応に、樹はニィと笑みを零す。
不適な笑みを。
戯言を吐く。
「知らないうちに、何かが起こって、何かが終わってる。これほど面白くないことはないよ」
樹は言った。
「だから桃子さん。ちょっと首突っ込みに行こうよ」
悪意に満ちたその笑みでそう言う樹に。
うちは思った。
やっぱり、こいつも普通じゃない。
でも…… 一番……
まともかもしれない。
うちはそんな真意を悟られないよう、笑いながら言った。
「あんたが首をつっこむと、ロクなことにならないよ」
「と言うわけで、この町で何か起こってますか?」
厳(おごそ)かな喫茶店内に、好奇心に満ちた溌剌した声が響く。
それの質問を受けたマスターは、一瞬表情を崩した。
嫌な沈黙が、店内に漂う。
うちはその中で、我(われ)関せずと言わんばかりに珈琲を啜る。
あー、美味しい。
「知りません」
キッパリと。
マスターはなにも答えない。
「そんなわけないですよ。何か隠してますよね?」
「知りません」
マスターは辛辣に、なにも言わない。
「マスター頼みますよ〜 マスターだけが頼りなんです。ボクの友だちにも被害が出てて、ボクの力なんかじゃもうどうしようもないんです。八方塞がり四面楚歌って状況です。どうせ何かしてらっしゃるんでしょう? お手伝いさせてください。ボクの力なんて大したものじゃないですが、そこらへんの人よりはマシでしょ? お願いしますよ〜」
いつも通りの、飄々(ひょうひょう)とした樹。
それに対して、いつもよりどう見ても顔色が悪いマスター。
本当に、何か隠しているようだった。
  ズズズ
うちは珈琲を啜る。
いつもより、苦い。そんな気がする。
樹のまっすぐな悪い眼差しを、マスターはそっと目を逸らす。
そのまま静かに、お皿を拭く作業へ戻ってしまった。
カウンターの中から出てくる様子はない。
結果無視された樹は不機嫌そうに、角砂糖を噛む。
  ガリッ
塊が潰れる音。
もう少しで角砂糖のビンが空になる。
それでも、マスターはなにも答えない。
「樹、今日はもう帰ろうよ…… マスター困ってるよ」
「仕方ないなぁ〜」
うちの気遣いに、樹は納得したのかしてないのか、よくわからない返事をする。
樹は砂糖とミルクまみれの珈琲を一気に飲み干す。
  カンッ
空になった珈琲カップが、ソーサーに上に乱暴に置かれたら。
そして……
樹は言った。
いらない一言を。
「それじゃあ桃子さんと一緒に無気力患者の方々へ会いに行きますか」
「ダメです!」
声を荒げるマスター。
うちはビックリしてマスターの方を見る。
そこには、今まで見たことのない怖い顔をした女性が立っていた。
警告というより、恫喝の方が正しいだろう。
いつもと違う、オーラのようなものを感じる。
赤い、赤い、そんな凶悪なオーラ。
うちの足が、ガクッと震えた。
マスターは、樹に言う。
「あなたも、結城(ゆうき)さんも、このことについて知るべきではありません。知ってしまって、あなたに得になるようなこと、なに一つないんです」
マスターは言う。
今までにない、強い口調。
この人は、いったい……
なにを知っているの?
なにを抱えているの?
うちの中に広がる、不安。
いつも頼りになるこの人は、いったい何者なの?
空気は暗い。
それに対し、樹は。
「だから、そんなに切羽詰まっているなら手伝いますって」
軽々しく、そんなことを言った。
  ガッシャーン
お皿が割れる音。
マスターの手から、お皿が消えていた。
カウンターの裏で、お皿はきっと粉々になっているんだろう。
でも、それをここからは見ることができない。
カウンターの裏がどうなっているか、知ることができない。
うちは立ち上がり、カウンターに入ろうとした。
が。
マスターの手が伸び、うちの行動を静止する。
入ってくるな。
そう言わんばかりの雰囲気で、うちの方を見る。
その目は。
「あなたの、いえ、最悪である悪魔の手は借りません」
とても悲しそうに見えたのだった。
「ちょっと樹、空気読めなすぎ」
うちは樹に文句を言う。
当の樹は悪びれる様子も反省する様子もなく、ただただ、舗装された道の上をスタスタと歩く。
さっさと歩くその後ろを、テテテと小羊たちがついていき、うちが続く。
奇妙な行列が、赤い夕日に照らされ、影となった。
結果的に追い出されるようになったうちらは、喫茶店近くの公園、朱汐(あかしお)公園を意味もなく歩いていた。
樹の後ろ姿。
うちは言葉を投げつける。
「なんであんなこと言ったの? あんたらしくもない」
その言葉に、ピクッと樹の肩が動く。
「いつもの樹だったら、あんな直接的なこと言わないでしょ?」
そうなのだ。
  無気力患者の方々へ会いに行きますか
  そんなに切羽詰まっているなら手伝いますって
いつもの性格の悪い樹なら、もっとじわじわ不安を煽(あお)るはずなのに。
今回は、違ったようにそう聞こえたのだ。
マスターからの、言葉を、本音を求めていた。
樹は立ち止まり、うちの方へ振り返る。
その顔に、いつもの余裕は感じられなかった。
「あはは。バレた? いや〜 桃子さんには敵わないなぁ」
笑う顔に、覇気は無い。
いつもなら意味もなく笑っている小羊たちも樹の足に隠れてじっと樹の顔を見上げていた。
うちもうちで、思いも寄らないその表情に動揺を隠せないでいた。
樹は、続ける。
「ゴメン。ちょっとね、イラっとしちゃったんだよ。マスターにも、自分自身にも」
そう力無く笑う樹。
一体どうしちゃったの?
そんな不安を感じながら、うちは何も言えない。
「桃子さんには本当のことを言っておくね。今回首を突っ込みたいって言ったのは好奇心じゃない。いや、はじめは好奇心だったけど、さっきマスターに会ってから気持ちが変わったんだ。この異常事態に何かできないかなって親切心。いや違うな、どちらかって言うとマスターに頼られたいって感覚的な感情からなんだと思う」
煮え切らない、整理の付いていない言葉を樹は吐く。
戯言では無い、選ばれていない言葉たち。
樹の表情は暗い。
「会った瞬間、マスターに何かあったんだろうことは明白だったよ。マスターとはそれなりの付き合いだし、見てる限り今回は当事者って感じだったし、だから何か力になりたいって思ったんだ。だから、ちょっと強引なこと言っちゃったよ。反省してる」
樹の口から出た、反省の言葉。
その言葉に偽りはなさそうだ。
「だけど、あそこまで拒絶されると、正直凹む」
  あなたの、いえ、最悪である悪魔の手は借りません
マスターはそう言った。
樹が悪魔? それとも、この小羊たち?
どちらにせよ。
マスターは最悪と、そう言った。
それが樹の心を折ったのだろう。
巻き込みたくないマスターと、頼られたい樹。
相容れない感情がこの結果を生んだ。
どちらも優しさからなんだろうけど。
どちらも傷つけた。
  友だちになって、一緒に試験勉強しよう
うちは数ヶ月で、樹に救われた。
うちは樹の優しさに助けられた。
だから……
うちは、自分の首筋を摩る。
その優しさで傷ついている樹に対して。
うちは、何も言うことができなかった。
「はぁ〜、珍しく落ち込んでたな、あいつ」
肩を落とした樹に結局なんて言葉を掛けたらいいか分からずそのまま別れ、うちはとぼとぼと一人夜道を帰っていた。
街灯もあり、欠けた月が白く照らした道は明るく安心感もあるはずなんだけど、どうにも気分が晴れない。
いつも自信たっぷりのあいつが、ああも凹んでいると、調子狂う。
「優しさ、か……」
どちらも良いことのはずなのに、こうも相容れないのは、うちとしても悲しい。
でも、両方の意見もわかるんだよな。
だからこそ……
「分からないよね、答えなんて」
歩く夜道、ぽつんとうちの独り言が落ちる。
その声はただ、うちの心に響くだけだった。
  ピピピピピピピピピピ
「ん? 電話?」
誰からだろ……
ディスプレイを見ると、そこには知らない番号が表示されていた。
誰だろ……
うちは、ゆっくりと通話ボタンを押して答えた。
「もしもし」
声を出す。
刹那。
  ジジジジジジジジジジ
強烈なノイズ音とともに。
世界が一変した。
「えっ? えっ!?」
見える風景は、さっきまでと同じアスファルトの地面と、ブロック塀。
しかし、街灯の灯はルビーに似た深紅色に光り。
何より、先ほどまで白く光っていた月が、鈍(にび)色に色づいていた。
え!? なに? ここどこ?
全身から汗が噴き出す。
いつかと同じ。
直(なお)を助けたときの、あの学校と同じ。
そんな不快な空気がねっとりと肌にまとわりつく。
それに、人がいる雰囲気がまるでない。
ここがさっきまでの町と違うことは、明白だった。
なに? さっきの電話のせい?
うちはスマホの画面を見る。
すると、そこには知らないマーク。
百合のようなマークが表示されていた。
その画面からタップしても、ホームボタンを押しても変、そのマークは消えない。
故障? それとも……
他の、なにかが。
  ジ ジジ
「え? なに?」
音が聞こえる。
さっき通話口から聞こえた電子音。
それが夜の闇のどこからか響きわたる。
このノイズ音、どこから?
いや、違う。
「逃げなきゃ」
今までの経験が、本能が、そう告げる。
うちは来た道を走る。
そうだ!
どこから来ようが関係ない。
この音が聞こえないところまで逃げないと。
きっと、なにかが。
出る。
赤く染まった夜の道を必死に走る。
が。
  ジジ  ジジジ
音が消えない。
消えるどころか、音がどんどん大きくなっていく。
くそっ!!
早く早く早く!
うちは走る。
幸いなことに、道は変わっていないみたいだ。
だったら、マスターの喫茶店もある、はず。
ここがいつもの町とは違うってわかっているけど、それでも、なんでもないところへ逃げるよりは良いはずだ。
今のうちは��その可能性に賭けるしかない。
そう考えていた。
刹那。
  ジジジジジジジジジジ
音とともに、ぐいんっと空間が歪む。
目の前の空間から、ずずずと白い腕のようなものが伸び、その手がうちの方へ向かってくる。
「!!」
うちはそれをすんでで躱す。思わず転こけそうになったが、持ち前の脚力でなんとか体勢を戻した。
あぁ! バスケやっててよかった。
そんな余裕を感じ。
うちは思わず、避けた腕の方を見てしまったのだ。
「!」
うちは、振り向いたことを後悔した。
そこには。
白い化け物が立っていた。
赤の空間に浮く、白い体。
一本足に長い長い腕。
そして、口だけのパックリ割れた顔。
目のない顔でじーっとうちの方を見る。
逃げた獲物を、捕らえるように。
あれは、やばい。
全身から溢れる悪寒。
その原因が、もう一つ。
その白い化け物が。
うちが走ってきた道に、無数に湧いていた
  ジジジジジジジジジジ
夜道に響くノイズ音。
それが、うちの不安をさらに増大させる。
一人、一人、意思も持ってうちの後ろを追ってきていた。
「嘘でしょ!?」
捕まったら死ぬ。
そんな確信。
うちは走る。
がむしゃらに、思いっきり、地面を蹴る。
一歩でも、いや、半歩でもいい。先に進むことを考える。
誰か、助けて!
しばらくして見えた、マスターの喫茶店。
「よかった! ちゃんとあった!」
うちは店のドアを開こうとする。
が……
  ガチャガチャガチャ
ドアが開かない。
ドアノブを捻っても、ドアが開かないのだ。
押してもダメ、引いてもダメ。
「嘘、なんで!?」
鍵が掛かってる? そんな!
  ガチャガチャガチャ
ここまで逃げてきたのに、開かないなんて!
「お願い! 開いて!」
  ガチャガチャガチャ
ドアは固く閉ざされてる。
ドアを突き破る? でも、そんなことをしたらあいつらが!
うちはあいつらの方を見る。
無数の白い腕が、徐々に徐々に迫ってくる。
早くなんとかしないと!
刹那。
  ジジジジジジジジジジ
「!」
店の横の空間が、裂けた。
そこから、ずずずと。
白い腕が伸びる。
「開け! 開け! 開け!!」
  ドンッ ドンッ ドンッ
うちは乱暴にドアを殴る。
もう逃げ場はここしかない。
誰かがいるとも限らないここが、最後の砦なんだ!
「ダメだ、蹴破って、バリケードして…… でも、そんなんでなんとかなるかな?」
考えている間も無く。
腕がどんどん迫ってくるのが見えた。
「えい! もう一か八か!」
うちは覚悟を決める。
助走をつけ、扉に肩から向かっていく。
お願い!
刹那。
  ガランッ ガランッ
体と扉が当たる瞬間、その扉が開かれた。
「え! ちょっと、うわっ!!」
そのままうちは店内に転げ込む。
思いっきり頭を打った。
「いてててて」
  ガチャッ
  ドンッ ドンッ ドンッ
  ドンッ ドンッ ドンッ
ドアの鍵が閉まると同時に聞こえる、ドアを殴る音。
窓の外を見ると、白い化け物が闊歩しているのが分かる。
しばらく乱暴な音が続いたが、諦めたのだろうか。いつしか音が減り、ついには聞こえなくなった。
音が聞こえなくなるまで。
ドアの前には女性が立っていた。
左半身しか見えないけど、長い黒髪で、タバコを咥えた女性。
それにエプロンらしきものをしていた。
マスターと同じやつ。
ここは、あの喫茶店なの?
それともやっぱり全く違う場所?
「やっと終わったか。しつこい奴らだ」
その女性はため息混じりにそう言った。
それを見届けたように、タバコの火を点け、深い深い息を吐く。
白いそれが辺りに漂い、霧散していった。
「キミは大丈夫か?」
「!」
うちは、思わず、言葉を失った。
うちを助け、心配してくれている、その女性は。
笑顔で語りかけてくれているその女性は。
体の右半分が、真っ黒の異形に染まっていた。
「キミには、ここの珈琲は出せないんだ。すまない」
そう言い、目の前の女性は自分の目の前にだけ珈琲を準備する。
真っ黒に染まった右手で持つ白い珈琲カップ。
そのカップから口へ運ばれる真っ黒な珈琲。
黒い部分から、もやもやと黒いオーラが溢れ、空中で霧散している。
漏れる黒いオーラ。
タバコの白い煙。
白いマグカップ。
黒い珈琲。
怖い。
だんだんと、そんな暗い感情で心が満ちる。
「い、いえ。お構いなく」
精一杯の強がり。
悪い人には見えない。むしろ、良い人なんだろう。
しかし。
その半身異形と化したその女性に、うちは負の感情を隠せないでいた。
「その反応は正しい。こっちでは、常に警戒しておいた方がいい」
そう笑顔で言いながら、珈琲を啜る女性。
「あなたは…… 何者なんですか?」
「私も自己紹介を頼む」
女性はそう言い、うんんと咳払いをする。
そして…… 一拍。
「私は四方乃梓(よものあずさ)。見ての通り喫茶店のマスターだ。元、だけど。少しこっちに染まり過ぎているが、キミに危害を与えるつもりはない」
両手をヒラヒラさせ、害がないことをアピールする。
黒いオーラがフヨフヨと漂う。
「う、うちは結城桃子です。水無月高校の高校三年生です」
簡単な自己紹介。
しかし、四方乃さんはじーっとうちを見つめる。
他の答えを待っている。そんな様子だった。
「教えてくれ。キミはどうしてここにいる。一体最近あの町は、如月(きさらぎ)町はどうなっている?」
真剣な質問。
うちは、深呼吸をし、ゆっくりと続けた。
失踪者のこと。
無気力患者のこと。
町の様子。
マスター。
そして、今日の帰り道。
そして、あの……
無数の白い化け物。
思い出しただけでも、震えが止まらない。
あのとき、逃げずに音の出所を探していたら。
あのとき、伸びた腕に捕まっていたら。
あのとき、ここのドアが開かなかったら。
うちは……
一体どうなっていたんだろう。
「わかった。ありがとう」
四方乃さんは、そう言い。
うちの頭に手を乗せた。
黒くない、普通の人間の左手。
あたたかみのあるその手のひらで、うちの頭を撫でる。
「よく頑張った。キミのおかげで私も少しは役に立てると思う」
四方乃さんの表情は、柔らかく、とても優しかった。
少し、肩の荷が下りた。そんな感じがした。
「あの、四方乃さんは……」
その瞬間。察したかのように四方乃さんは人差し指を立て、口の前に示す。
うちの問いを拒絶する。
笑顔で。
それ以上は聞いてはいけないと言わんばかりに。
その笑顔は、少し悲しそうに見えた。
「あおちゃんは…… 今のマスターは元気かい?」
うちは静かに頷く。
とは言っても、とても大変そうではあるが。それを伝えるのも野暮だと思った。
「そうか。ならいい」
四方乃さんは、満足そうにそう言う。
「元気で生きているなら、それでいい」
それ以上のことは、聞いてこなかった。
しばらくの間、天井を仰ぎ、深いため息とともに話し出す。
「キミを元の場所へ帰そう」
カウンター奥の扉を開ける。
そこに広がる暗闇。
その先にはドア型に縁取られた光が、微かに見えた。
これで、帰れる??
安堵半分。不安半分。
それを感じたのか、四方乃さんが肩を叩く。
そして。
「今のマスターには、私と会ったことは内緒にしておいて欲しい」
そう言い、女性はまた人差し指を立てる。
二人だけの内緒だ。そう付け加えた。
うちは静かに首を縦に振る。
黒く染まった体が、ゆっくりと波打つ。
「そのかわり、一つだけアドバイス」
アドバイス?
四方乃さんは、深呼吸をし、そして。
まっすぐと言葉を吐いた。
「過去なんて消してしまえばいい。それは最悪なことだ。しかし、今はそれが最良の方法だ」
吐き捨てたその言葉が心に刺さる。
うちの過去。
バスケ部。
燃える体育館。
消えた部員たち。
そして、八白樹。
消えて欲しい、でも消えない過去。
  消してしまえばいい
目の前の女性はそう切り捨てた。
その言葉は、どんな慰めの言葉より、優しく感じた。
「悪いことなど、すべて忘れろ」
四方乃さんは、そう締(し)めた。
押される体。
一歩進み振り返ると扉はもう消えていた。
暗闇の中に見える、光るドアの輪郭。
うちが目指すべき場所。
お礼さえ、言えなかった。
また、会えるかな?
うちは闇の中をゆっくり進む。
その先にある光を、見失わないように。
ゆっくりと。
「え」
扉を開くと、そこは喫茶店のカウンター裏だった。
目に映るのは、うちを見て呆然と立っているうちが知っている喫茶店のマスター。四方乃さんが、あおちゃんと読んだ女性。
まるで幽霊でも見たような、そんな表情だった。
その前のカウンターには。
眼帯姿のスーツ姿の女性が、座っていた。
その女性も同じく突然現れたうちに驚いた様子だった。
「あな���…… なんでそんなところから?」
マスターの声色は、驚きに満ちていた。
助かったからよかったんだけど、すごく気まずい!
そう黙りこくっていると、マスターが暗いままうちへの質問事項を変えた。
「何があったのか、話してくれますか?」
マスターはいつになく、真剣に迫る。
うちは記憶を遡り、店を出てからあった出来事を話す。
夕暮れの町。
たくさんの白い化け物。
もう一つの喫茶店。
それだけ話し、マスターは考え込んでしまった。
四方乃さんのことは、言わなかった。
約束、だから……
カウンターに座っていた眼帯の女性も同じように考え込んでいた。
だれ? この人?
お邪魔だったかな?
いやでも、うちも好きで巻き込まれたわけじゃないんだけど……
嫌な沈黙が続き、珈琲の香りに目が覚める。
張り詰めた空気……
それをマスターは静かに破(やぶ)る。
「何か前兆のようなものはありませんでしたか?」
「前兆?」
「はい。何もなく向こうへ連れていかれるというのは、少し考えづらいです」
向こう。
マスターのその言葉に、うちは確信した。
マスターはやっぱり何かを隠している。
隠して、自分だけで解決しようとしている。
悲しい、でも……
うちはあの白い化け物を思い出す。
あの長い腕が、ノイズ音が、ぽっかり開いた口が。
あんなものに、関わるなんて…… 無理だ。
うちは震える肩を抑えつつ、今日あったことを再度思い返す。
世界が変わる瞬間、一体何があった?
樹の苦悩とか、力になりたいとか…… そんなことを考えていた気がするけど、でもそんなことじゃない。
もっと直接的なこと。
  ピピピピピピピピピピ
「……電話」
そうだ。
知らない番号から電話がかかってきたんだ。
それに出たら、急に夜から夕焼けに変わって……
うちはスマホを操作し、着信履歴の画面を映し出す。
しかし……
「……ない」
その時間の着信記録。そこには何も表示がなかった。
え? 嘘……
いや、でも確かに。
「いえ、それで繋がったと考えるのが自然です。着信履歴なんて、どうとでもなります」
マスターはピシャリと言う。
思い詰めた表情のマスター。
うちと、眼帯の女性はマスターの言葉を待つ。
「ネットの神社、リリィ、複数の白い化け物、無気力症候群、万月(よろづき)家」
呪文のように紡がれる、言葉の羅列。
うちの知っている話と知らない話。
入り混じり、一つになる。
「ではやはり、白い化け物たちは……」
ポコポコと。
言葉が湧き立っていく。
「全てさくらが創ろうとしている神様に収束する」
神様?
うちは耳を疑う。
いったい、何が起こっているの?
���スターは。
何を抱えているの?
「い��たい、どうすれば…… みんなを救えるんでしょう」
「あなた、まだそんなこと言って」
マスターの優しい言葉を、眼帯の女性が切り捨てる。
うちはこの眼帯の女性を知らない。
なんなら、マスターのこともよく知らない。
だけど。
二人して、誰かを救おうとしていることはわかる。
うちは……
  過去なんて消してしまえばいい
四方乃さんの言葉が、心に刺さる。
うちのため。みんなのため。
マスターのため。
樹のため。
うちができること。
  それは最悪なことだ
  しかし、今はそれが最良の方法だ
「マスター、良い方法があるよ」
うちはあっけらかんと言う。
漠然としたその言葉に、マスターも眼帯の女性も、うちの方を訝しげに見る。
うちは、思い出す。
数ヶ月前にうちが実行したおまじないを。
「欲しいものを手に入れて、いらないものを消すおまじない」
つまらない。
ボクは高校の屋上で寝そべり、一人ぼんやり空を眺めていた。
もう12月だから、寒い。今すぐにでも、書庫に籠(こも)って本でも読みたい。
でも……
書庫には…… なんだか行きづらい。昨日あんな泣き言を言ってしまったし、桃子さんと顔を合わせたくない。
今日も一言も話さなかった。
いや、話しかけられそうになったのを、逃げただけだ。
なんとも情けない。
「ガキか…… ボクは」
冷たい空気に、小さい独り言が溢れる。
小羊たちも今はいないので、本当の意味で独り言だった。
「……」
桃子さんと別れ、どれだけ悩んでも答えなんて出なかった。
頼られなかったんだから、それで終わりのはずなのに。
そんなことわかっているはずなのに。
割り切れない。
どうしてボクが苦しまないといけないんだ?
わからない。わからない。
本当に、ボクってやつは……
ん?
気がつくと。
そこには小羊たちが立っていた。
ギザギザ歯をむき出しに笑っている。
  ケケケッ キキキッ
その一匹の手の中に、一通の封筒が見えた。
お願い事。
ボクが、この高校でやっている遊びの一つ。
王様(キングさま)。
その王様への願いが、その中には入っているはずだ。
「今は気分じゃない」
王様は気まぐれなんだ。
ボクは、その手紙から外方(そっぽ)を向く。
よくあることだ。
この願いを叶えるかどうかは、全てボク次第。
いつもなら一読して考えるが、今日は違う。
今は無理だ。
本当に困っている人を助けないで、何が王様だ。
こんなの、意味ないじゃないか。
そんな自己嫌悪。
そんな自暴自棄。
しかし……
「なんだお前ら、今日はしつこいな」
小羊たちはボクの正面に回り込み、手紙を差し出す。
いつもなら、こうもしつこくないのに。
ボクは渋々、その手紙を受け取った。
表に[王様へ]と書かれた封筒。
真っ白なメールタイプのそれの封を開ける。
その中には、二枚の手紙。
一枚は青字で。もう一枚は赤字で。
青字で欲しいものを、赤字でいらないものを書く。
一応そういうルールにしてある。
しかし……
「なんだ? これ……」
ボクはその内容に首を傾げる。
ボクにはこれの意味がわからない。
ただ……
こんなことをする人物に心当たりがあった。
こんなことをするのは、たった、一人だけ。
ボクは急いで起き上がり、彼女が探そうと、屋上のドアを開けた。
「!」
そのとき。
ドアの向こうに、その人物はいた。
肩まであるまっすぐな茶髪。
ボーイッシュな溌剌としていて。
ボクが最初に願いを叶えた人物。
ボクの本当の友だち。
結城桃子。
彼女が、ボクの顔を見て、ニッと笑った。
「マスターの願い、叶えてあげてよ。王様」
意地そうな、その笑顔は。
今まで見た中で一番魅力的に見えた。
Tumblr media
「本当にこれだけでいいんですか?」
閉店時間を過ぎた店内が、ポツポツとした声で賑わう。
JazzのBGMは静かに流れ、珈琲の苦い香りは今も溢れている。
そこには女性が3名。
エプロン姿でこの店のマスターである、縁(よすが)あおい。
眼帯姿のスーツを着た刑事である、森中八千流(もりなかやちる)。
冬用の学生服を着た女子高生である、結城桃子(ゆうきとうこ)。
三種三様で、目的も違うその三人。
しかし、向かうべきところは一緒であった。
縁はカウンターに座り、便箋に何か文字を書いている。
青字で、『万月さくら』
赤字で、『さくらの神様』
それぞれそう書かれていた。
「漠然とし過ぎていませんか? もっと詳細に」
「いいんですよ。きっとなんとかしてくれるから」
珍しく不安がる縁に対し、結城は凛と答える。
結城はその便箋を縁から奪い取り、持っていた白い封筒に入れ封をした。
その白い表面に[王様へ]と書いていく。
丁寧に。
想いを込めて。
「そんなおまじない聞いたことないけど、本当に効くの?」
森中は怪訝(けげん)そうにその様子を見つめている。
それだけで願いが叶えば苦労はない、と言った風だ。
そう言い、機嫌悪そうに珈琲を啜る。
「効きますよ。現にうちは願い叶えてもらいましたから」
結城は封筒をヒラヒラさせ、あっけらかんと森中に答える。
「本当の友だちができた」
「は? なにそれ」
満足した結城は、持っていたカバンに封筒をしまった。
縁はまだ落ち着かない様子だった。
目の前に置かれた珈琲は、もう冷めてしまっていた。
「頼るものが何者であれ…… もう時間がないのは事実です。あとは、そのおまじないの効果を待ちます」
縁もそのおまじないがなんなのか知らない。
それでも、それに頼らないといけないほどに、縁は追い詰められていた。
そして……
「私も、書こうかな」
森中もそれは同じだった。
「森中さんのご友人も心配です」
「ご友人じゃない。ただの、同僚」
深いため息混じりに、語気を強めて言う。
しかし、その言葉はとても弱々しく。
「ただでさえ人員不足でめちゃくちゃ忙しいのに、本当に勝手だよ。なにが『この町を変える』よ。そのために私たちは頑張っているの。なのに、どうして一人でいなくなるのよ」
だんだんと辛く、悲しくなっていくその口調に。
そこにいる誰もが、口と閉ざす。
「ほんとバカ。本当に……」
JazzのBGMだけが、部屋の輪郭を形作る。
無言の、悲しい時間。
それを。
「森中さん」
縁が静かに溶かしていく。
「願いは、口にしないと叶いません」
森中を諭すように。
自分に言い聞かせるように。
縁は続ける。
そこには、いつもの世迷言は無い。
「私はあのとき…… さくらに助けられました。だから今回は、私の番です。彼女がなにを思うかわかりませんが、それでも私はこれが正しいと思います」
自分の言葉で、
「さくらを連れ戻します。必ず」
縁は願いを口にする。
不安も、恐怖も、後悔もかき消すかのように。
縁の表情は凛としていた。
「私は……」
しばらく考え込んだ森中は。
静かに言った。
「黛(まゆずみ)くんを取り戻したい」
はっきりとした言葉。
意思のこもったその言葉に、嘘偽りはない。
本当の願い。
「一発殴らないと気が済まない」
右手に握ってできた、その拳と、その表情は。
まっすぐと、未来に向かっていた。
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#41『タクシー』
「変なタクシー?」
  ズルズル
大学の食堂で熱々のうどんを啜(すす)りながら、私は友だちの話を嫌々聞いていた。
口の端をジャムで汚しながら、美味しそうにパン頬張る私の友だち。
十(くつぎ)巴(ともえ)。
ウェーブがかった長い髪が寒さのせいか跳ねてボサボサになっている。
基本的に良い子なんだけど、すごい天然でちょっとオカルト好きなのが、私との距離を開かせる。
私は巴の話を半分聞き流していたが、それでも彼女は意気揚々と喋り続けていた。
頭が痛い。
  ズルズル
「そうなんだよ! そのタクシーに乗ると、目的地まですぐに着くの!」
言葉足らずの巴の言葉に首を傾げながら、私は巴に正論をぶつけた。
「すぐに着くなら良いじゃん。別に変じゃない」
そうだ。
すぐ着くなら、なんの問題もない。
むしろ下手に遠回りをして運賃を稼がれることを考えたらとても良いことだ。
しかし、この子が目を輝かせて言うことがそんな単純な話のわけがない。
私は嫌な予感を肌で感じながら、巴の返答を待つ。
ふふん、と得意げな巴はスマホを取り出し、マップを開いた。
「それが変なんだよ! そのタクシーに乗ると、普通は30分以上かかる距離でも数分で行っちゃうらしいんだよ?」
「は? どういうこと?」
「そのまんまだよ!」
そう言い、巴はスマホの画面を私に見せる。
スタート地点を表す青いマーカーは私たちのいるここ、弥生ヶ丘(やよいがおか)大学を示していた。
そして、マップ上には青い線が引かれ、その先にはこの町の南の端に位置する手取(てとり)海岸が示されていた。
スマホの表示では、車で33分となっている。
「突然海に行きたくなった友だちがそのタクシーの乗ったら、あっという間に着いちゃったんだって! すごく変だよね!」
「寝てただけじゃない? タクシー乗った直後に寝てしまって、起きたら目的地だったってオチは?」
「でも! お金は1メーター分しか払ってないんだって!」
「いや、だからって……」
この距離を1メーターは無理だ。
1メーターが大体何キロメートルで、何分ぐらいなのかは知らないが、それでもどんな近道をしても、例え空を飛んだとしてもそんな数分で着く距離ではない。
夢でも見ていたんじゃないの?
それか、運転手の優しさか。
それとも……
「巴、あんた友だちにからかわれてるんじゃないの?」
「え!? そうなの!!」
「いや、知らないけど……」
そう言い、私はお椀に目を向ける。
そこには黒い出汁しか残っていないそこには、暗く私の顔が映り込む。
私は私と目を合わし、手を合わせる。
ごちそうさまでした。
「ちょっと、紗季ちゃん! 真面目に聞いてる?」
巴は頬を膨らませ、私を睨む。
私は気にしない。
「だって、そもそもそんな証拠無いし……」
「これ! そのタクシーの写真だって!」
そう言い、またスマホの画面を見せてくる。
そこには暗がりの中、ライトを光らせる黒い車体が見える。
「こんなタクシー、どこでもいるじゃない」
「そうだけどさ! そうだけどさ!!」
両腕を上下に振り、この不可解な現象を必死に訴えてくるが……
だってねぇ、信用ならないし……
……
仮に。
これがもし本当の話なら。
本当に、30分以上の距離を一瞬で進むタクシーが存在するとしたら。
絶対に関わらない方が良い。
私は心の底から思うのであった。 私には霊感がある。
ある日を境に、私はそういう存在を知った。
具体的にその危険性まではわからないが、その存在が『良い』か『悪い』かはなんとなくわかった。
ある人、私の先生は言うのだ。
  例え善悪がわかっても、知ろうとしてはいけません。知れば逃げられなくなります。
だから、私はそういう存在から逃げていた。
それが進行方向へいようが、それが隣にいようが。
それが友だちだろうが。
私は逃げる。
そう決めていたんだけど…… 「あ〜最悪、雨か……」
図書館の窓から暗い空を見上げる。
夜が染みた空からは、白い雨がポツリポツリと降り注いでいた。
原チャにカッパは乗せているけど、今は11月末。寒さが少しずつ身に沁みる時期だ。
スマホで天気予報を見ると、通り雨ではないことがわかった。雨は明日まで続くらしい。
朝はこんな予報じゃなかったと思ったけど……
「めんどくさいな〜 どうしよ……」
雨のせいで完璧にやる気がなくなった私は重たい本と閉じ、ぼそぼそと帰り支度を進める。
これ以上雨が激しくなる前に帰ろう。
そう思うが、なかなか片付けが進まない。
本をしまい、カバンを持ち外へ出た頃には全てが遅かった。
  ザーザーザー
夜闇で雨は見えないが、地面で弾ける雨音が雨の強さを物語っている。
この雨じゃ原チャは危ない……か。カッパも意味なさそう。
仕方がない。歩いて帰るか……
私は折りたたみ傘を開き、暗い道を慎重に進む。
夜は…… あまり好きでは無い。
闇の壁の向こう側に何かが立っている。そういう想像に駆り立てられるのだ。
正直、怖い。
はぁ〜 本借りて家で読めばよかった。
そんな後悔も、冷たい雨にかき消される。
私はなるべく街灯下を歩き、暗がりを避けながら正門まで着いた。
ここから下り坂。
足はびしょ濡れになるだろうが、全身びしょ濡れよりはマシ!
そう思い、正門を一歩外へ出た。
薄い光が見えた。
眩しい光を手で隠し、ゆっくりと光の方を見る。
そこには……
1台の黒いタクシーが止まっていた。
  これ! そのタクシーの写真だって!
瞬間。巴の言葉が頭に浮かぶ。
どこにでもいる黒いタクシーが、今の私には一種の恐怖であった。
まさか、そんなわけない…… よね?
考えすぎだよね?
……
怖いけど、このまま雨の夜道を帰るよりは良いかな?
私はおそるおそる助手席の窓をノックした。
  ギィッ
何も言わず、後ろのドアがゆっくり開く。
私は唾を飲み、傘を畳みながら座席に乗り込んだ。
運転席には男性が座っていた。
スーツ姿、黒い制帽を深く被っており、顔は…… よく見えない。
  バタンッ
ドアが自動に閉まった。
緊張が全身を包み込む。背中に冷たい汗をかきながら、私はその運転手に声を掛けた。
「あの…… 近いんですけど、良いですか?」
いつもなら、こんなことは聞かない。
でも、少しでも緊張を解きたかった私は、一応礼儀と思ってそう聞いた。
断られることはないだろう。逆に運転手から優しい言葉でも掛けられれば、少しでも気が楽になる。
そう考えた。
しかし。
私の予想は簡単に裏切られた。
「あぁ…… キミはダメだ。乗せられない」
低い、でも若いだろう男性の声が私に刺さる。
「え?」
驚きを隠せずにいると、ギィッ、とドアが開く。
外の暗闇ではザーザーと雨が鳴る。
嘘。本当に乗せてくれないの?
私が戸惑い、その場から動けないでいる。
すると、男は言った。
「キミだと渡れない」
刹那。
  ザーザーザー
私は全身に冷たい雨を浴びていた。
「え!?」
え?
うそ! うそ! うそ!
私は急いで持っていた傘を差す。
傘に雨粒が弾け、その振動で私の髪から水が滴る。
気がついたときには、すでにどうしようもないくらいずぶ濡れだった。
いつの間にタクシーを降りたの!?
ていうか…… あれ?
タクシーは!!?
私は正門の前に一人立っていた。
さっき男性はおろか、タクシーの姿さえない。
一体何が起こったの??
わからない、でも……
「寒い!」
口から零(こぼ)れる悲鳴。
私はずぶ濡れになりながら原チャまで走り、アクセルフル回転で家へ帰った。
……風邪をひいた。 「それは災難でしたね」
私がその体験談を話すと、マスターはそう静かに言った。
私はじっとりとマスターを睨む。
マスターは無表情で珈琲を淹れているがきっと内心笑っている。そんな気がする。
「笑いごとじゃないです! 寒いし高熱出るしで大変だったんですから!」
元気よく文句を言い、目の前に置かれた珈琲を啜る。
芳醇な香りと共に、思わず言葉が口から零れる。
「あぁ、美味しい」
「ありがとうございます」
マスターは軽い会釈をした。
そして、言葉を紡ぐ。
いつもの世迷言(よまいごと)が、目の前に広がった。
「タクシーは不思議な乗り物です」
ドリッパーに湯を注ぐコポコポッという音が、店に流れるBGMを溶かしていく。
そんな静寂を割るように、マスターはまた語り出す。
世迷言を語り出す。
「目的地を言えば、そこへ連れて行ってくれます。その道のりは案外覚えてないもので、気がつけば目的地なんてことは多々あります」
私は今までのタクシーに乗った時の記憶を呼び覚ます。
乗った瞬間と降りた瞬間はなんとなく覚えているが、その間…… 確かにあまり覚えていないかもしれない。
誰かといたから? スマホをいじっていたから?
わからないけど、それ以上に外を眺めていた記憶はない。
「その道のりでどんな道を通ったかなんて、誰も気にしません。乗る人々は、早く目的地に着けばなんでもいいんですから」
なんでもいい。
その言葉に少し鋭利なものを感じながらも、妙に納得してしまうマスターの世迷言。
ポットからお湯がなくなり、コポコポッという音が、止やんだ。
「それが例え、誰も知らない道でも」
「誰も……」
知らない道。
私は想像する。
タクシーに乗る私。
そのタクシーが、何か暗い空間をまっすぐ進む情景を。
暗い闇の中に。
無数の人影が浮かんでいる風景を。
「しかし」
プチンッと、私の想像が強制的に切られる。
我に還った私は、頭を抱える。
私は何を考えていたの?
……頭が痛い。
こめかみを押さえながらマスターを見ると、マスターは珈琲カップを持ち、自分の口へ運ぼうとしていた。
その表情は、いつもとどこか違い……
「そのタクシーには興味があります」
どこか切羽詰まっている様子だった。
  ズズズ
珈琲を啜る音が、いつもより早く感じた。
「紗季さん、お願いがあります」
改まって、マスターは私の方を見る。
その真っ黒な瞳が、私の心を侵食する。
そんなマスターの申し出を。
私は断ることができなかった。 「この大学も久しぶりです」
時刻は16時を過ぎたところ。
日は少し陰っているが、もちろん暗くはなく、辺りには学生があふれていた。
その大学の正門前には私と、白いシャツに黒いパンツを履き、ロングコートを羽織ったマスターの姿があった。
まさかマスターと出かけることになるとは……
少し緊張しながら、私はタクシーがいたところを思い出す。
雨の暗闇を裂く、薄暗い光。
確か正門出てすぐの……
「ここですか?」
マスターが指差す。
正門すぐの、道路の端。何もない空間。
私は先日の夜の記憶を思い返す。
暗闇の中に浮かぶ、黒い車体。
雨粒がフロントを弾く。
「ここ、ですね」
私は思わず唾(つば)を飲む。
その反応にマスターは頷き、そして……
道路の上、何もない空間を。
ノックした。
  コンッ コンッ コンッ
刹那。
「!」
空間に現れる、黒いタクシー。
初めからそこにいた可能ように、どっしりと駐車している。
いつの間に!?
どういうこと??
私が混乱していることも気にせず、マスターは静かに尋ねる。
「このタクシーですか?」
言葉が出ない。
私は必死に首を縦に振る。
すると、マスターはもう一度。
  コンッ コンッ コンッ
窓をノックした。
しばらくすると……
  ジー
ゆっくりと、助手席の窓が開き、車内の風景が見えてくる。
そこには。
先日と同じであろう、スーツ姿、黒い制帽の男が座っていた。
あのときは顔を見ることができなかったが、今回はよく見える。
若さとは裏腹に目の堀が深い、線が細い男性。
その男性はこちらをギッと睨みつけている。
真っ黒なその瞳はひどく淀んでおり、私は思わず目を逸らした。
怖い。
しかしマスターはその目に臆せず、その男に声を掛けた。
「すみません。お話よろしいですか?」
「営業は19時からなので、まだ動きません」
低い声で男はきっぱりと答えた。
感じが悪い……
私は率直にそう思った。
しかし。
「なら好都合です」
そう言い、マスターは助手席のドアを勝手に開けた。
「マスター!?」
私は思わず止めるが、マスターは気に留めることなくスッと助手席に座る。
その咄嗟の行動に運転手の男も驚いたのか、目を丸くし、隣に座るマスターをじっと見つめている。
マスターはごそごそとポケットを漁り、スマートフォンを取り出した。
そして、そのスマホを操作し。
それを運転手に見せつけた。
「あなたは、このタクシーは、ここへ行けますか?」
「……」
マスターはスマホの画面を見せている。
車外にいる私には見えない。
しかし、一瞬だけ。
マスターが運転手に画面を向ける一瞬に見えた画像。
真っ白な画面にある赤い何か。
それだけが見えた。
運転手は、初めは目を細め訝(いぶか)しんでいた。
しかし、それが何なのか分かったのか、急に目を見開き、そして先ほどよりも暗い声で言った。
「あなたは、こんな場所に行きたいんですか?」
こんな場所。
そう言った運転手は、マスターにスマホを突き返す。
まるで怖いものでも見たかのように、マスターを視線から外した。
マスターは動じず、そして、ゆっくりと答えた。
「えぇ、そこに友人がいます」
友人。
その言葉に私、そして運転手は驚く。
私はマスターから友人という言葉が出たこと自体に驚いた。マスターからこう行ったプライベートのことを聞くことがなかったからだ。
しかし、運転手はそうではなかった。怯えた様子で「何故こんなところに」と恐々とぼやいた。
私は知らないその場所。
マスターの友人はそこにいる。
「その友人と約束してるんです。次の同窓会は行くと」
私から見えるマスターの横顔は。
とても悲しそうだった。
「だから、連れ戻さないといけないんです」
そうはっきりと言う。
運転手は、ゆっくりとマスターの方を向いた。
凛と、そこへ座る女性。
「目的地まで乗せて行ってくれませんか?」
その目はまっすぐと、目的地へ向いていた。 私とマスターは街灯に照らされた道をゆっくりと歩く。
いつの間にか、あたりは暗く、すっかり夜になっていた。
周りには人も、さっきの黒いタクシーもいない。
私たちが離れると、また一瞬で消えてしまった。
あのタクシー一体なんなんだろう?
幻覚なのか、夢なのか。
そんな疑問は尽きない。
しかし……
マスターの手には、一枚の名刺が握られていた。
そこには、九道(くどう)生明(あざみ)、と書かれていた。
黒いタクシーの運転手からもらった、運転手の名刺。
それは確かに、あのタクシーが存在したことを物語っていた。
……
マスターが行きたい場所。
マスターの友人がいる場所。
連れ戻すと、言っていた。
私は……
危険なところなら、あまり。
行って欲しくないな。
私は、心の底からそう思っていた。
「すみません、紗季さん。巻き込んでしまって…… でも、助かりました」
「いえ…… 助けになったなら、よかったですけど」
私は未だ半信半疑だった。
気がついたらそこにいて、気がついたら消えている。
あれじゃ、まるで……
「あの、マスター…… あのタクシーは大丈夫なんですか?」
私は言葉を選んで、そう聞いた。
大丈夫。
そんなあやふやな言葉に、マスターはふふっと、微笑みかける。
「大丈夫です。もし大丈夫でなければ、紗季さんはすでに先日連れて行かれているはずです」
「え!?」
連れて行かれる。
私はその言葉の真意に、思わず背筋を凍らせた。
「あの方はただ、仕事をしているだけなんですよ。タクシードライバーという仕事を」
マスターは静かにそう言った。
仕事をしているだけ……
タクシーの運転手として、客に言われた場所に、目的地に人を運ぶだけ。
その目的地への行き方がちょっと普通ではないだけ。
……
でも、あのとき。
  キミだと渡れない
確かにそう言ったのだ。
あれは一体、どういう意味だったんだろう?
疑問は尽きない。
そんなことを考えていると……
マスターが急に立ち止まった。
私もつられて立つどまる。
マスターの方を見ると、少し考え込んでいる様子だった。
何かを思い出したかのように。何かを整理しているかのように。
そして……
私に向けて、言葉をぶつける。
「紗季さん。一つ、気がかりなことがあるんです」
その顔は先ほどまでの顔とはうって変わって、暗い。
私はその言葉を黙って聞く。
「夜しか運行していない。九道さんはそう言ってました」
  営業は19時からなので、まだ��きません
あの運転手の言葉だ。
夜しか運行しないタクシーがあるのは聞いたことがある。
いわゆる、普通のことだ。
マスターは一体何が気がかりなんだろう?
そんな不安を、上書きするかのように、マスターは言葉を重ねる。
「紗季さんのご友人の、ご友人。夜中にあのタクシーで海へ行ったことになりますけど、それは何故なんでしょう?」
「!」
夜に、海へ行く。
しかも今はもう12月。
キャンプをするにも、夜釣りをするにも、厳しい時期だ。
一体、何の目的で……
いや……
何の目的地として、海に設定したんだろう。
脳裏に生まれる、不吉な想像。
背中に、嫌な汗が流れる。
「その方の安否も気がかりです。しかし、それ以上に」
それ以上に。
一拍置き、マスターは続けた。
「その方から、あのタクシーの画像を受け取った紗季さんのご友人は…… 何者なんでしょうか?」
「……!」
思い浮かぶ、屈託ない笑顔。
隣にいるとき、耳鳴りが消えない私の友だち。
十巴。
彼女はなぜ、このタクシーの画像を持っていたのか。
彼女はなぜ、友人からそんな連絡を受けたのか。
彼女はなぜ……
そのことを私に伝えたのか。
不安が、不安を呼ぶ。
私の顔色を見て、マスターは目を伏せ、歩みを進める。
私も、その背中にならう。
どんどん遠くなるその背中を、何も言えず、私はただただ追うことしかできなかった。
Tumblr media
JazzのBGMが何も語ることなく喫茶店の壁に溶けていく。
珈琲の香り漂う店内には、エプロン姿の男性が一人。そして、カウンターに座りノートに向かう女性が一人。
縁(よすが)あおいは、ノートにガリガリと何かを書き込んでいる。
一心不乱にシャーペンを進ませるその姿は、まるで何かに取り憑かれたようにも見えた。
「さくらのところへ行く方法は見つかりました」
ポツンと、そんな言葉を落とす縁。
そのノートには小さな字でタクシーと書かれている。
その綺麗な文字を、時雨(ときさめ)晶(あきら)は目を細め訝しげに見つめている。
「あとは、救う方法」
傍らに置いて��る珈琲から出る湯気は消え、すっかり冷めてしまっていた。
一口も口がつけられていないカップが、寂しそうに振動する。
「救いとは、なんなんでしょう?」
縁は急に問いかける。
その問いが時雨に向けられたものなのか、はたまた縁自身に向けたものなのか、誰にもわからない。
時雨は何も答えない。
じーっと縁の様子を見守っている。
「例え、あそこからさくらを連れ出して、それは救うことになるんでしょうか?」
問いは続く。
ノートには『救い』の文字が大きく書かれ、それがぐるぐると円で囲われる。
ぐるぐるぐる、と。
シャーペンで書かれた円は乱暴に濃くなっていく。
「わかりません。だから……」
  パキッ
芯が折れ、衝撃で芯の先がどこかへ飛んでいった。
それがどこへ行ったのか、もうわからない。
見えない。
「会って、話さないと」
ブツブツと独り言を言い、ノートへ文字を記す。
整理するように。
忘れないように。
ただ愚痴をぶつけるように。
世迷言でもない、ただの言葉がノートへ羅列される。
その様子を。
時雨は、何も言わず、ただただ悲しそうに見つめていた。
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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『盛塩』
  ガッ ザーーー
「わっ! あ〜、やっちゃった……」
「おい稔(みのる)、何やってんだよ。置いてくぞ」
塾での堅っ苦しい授業がやっと終わり、俺は稔と遊ぼうと走って外へ出た。
そのときだ。稔が塾の入り口にあった何かを蹴っ飛ばした。
蹴飛ばされた皿は勢いよく地面を滑る。
そして、それの上に乗っていた白いものが、辺りに散乱した。
「なんだこれ? 塩? 砂糖?? なんでこんなところに?」
「そんなこといいだろ? 早くゲーセン行こうぜ」
俺は不思議がる稔を急かす。
早く行かないと、席が埋まっちゃうかもしれない。
あそこのゲーセン、この時間は人が多いんだから。
居ても立っても居られない。
俺は稔を置いて先に行こうとする。
「あ、待ってくれよ」
稔は俺のあとを走ってついてくる。
皿も、白いものも散らかしたまま。
俺は自分の欲求を満たすため、ゲーセンに一目散に向かったのだった。 「それ、盛塩だよ」
塾の迎えに来た母さんが言う。
夜の道を、車のヘッドライトが向かう方向へ明るく照らす。
俺は窓に映る自分の顔とにらめっこしながら、今日のことを話していた。
「盛塩? ってことはあれ塩なんだ」
「あんた、ほんとバカね。そんなことも知らないんだ」
母さんはため息を吐きながら言う。
バカ呼ばわりされたのは腹が立ったけど、俺はその盛り塩のことが気になっていた。
自分のスマホでその内容を調べる。
画面には「縁起担(かつ)ぎ」「厄除け」「魔除け」と様々な言葉が並ぶ。
俺はその文面をよくわからないけど、「かっこいい」とそう思いながら読んでいた。
「わかった?」
「うん! なんとなくだけど!」
その発言に、母さんはまたため息を吐く。
なんで?
「塩は邪(じゃ)を払うんだよ。悪いものが寄らないようにね」
母さんはたまに難しい言葉を使う。
イライラしているのか、窓を開け、タバコに火をつけた。
赤くなったタバコの先から苦いにおいが出てきた。
俺は俺で窓を開けて、外の新鮮な空気を吸う。
夜のかおりがする。
「しかしな〜 稔君が蹴っちゃったのか。それ直した?」
「ううん。そのまま」
「……そっか」
母さんは長い息を吐いた。
窓の外に、白け煙が流れていく。
そして。
「あんたも、そんなバカな友だちと遊ぶんじゃなくて、もっと賢い子と遊びなさい。さもないと」
道の先を見ながら、母さんは真剣に言う。
俺の方は見ていない。
光が照らす、その先をじっと見つめている。
「さもないと?」
俺はおそるおそる聞く。
消したタバコからうっすら白い煙が上がる。
お線香のように不気味に浮かぶその白を、俺は恐々と見つめていた。
母さんは、静かに言った。
「呪われるわよ?」 「稔! 対戦しようぜ!」
俺はスマホを取り出して、稔に駆け寄る。
授業まであと30分もある。この時間で遊ばない手はない。
しかし、稔は難しい顔をして言った。
「悪い、まだ宿題終わってないんだ」
そう言いながら、問題集とにらめっこしていた。
俺はもう終わらせている。写させてやろうと言うと、稔はそれを断った。
くそっ…… 仕方がない。
俺は自分の席に座り、あることを思い出していた。
盛り塩。
あのあと、ネットでずっと調べていた。
由縁(ゆえん)とか、効果とか。
その意味とか。
母さんの言っていた通り、悪い幽霊とかが寄らないようにする効果があると書いてあった。だから建物の入り口とかに置いてあった、その建物に悪いものが入ってこないようにするため。
そしてもう一つ……
それは悪いものを清めるため。
そこに憑いてしまったものの悪い力を弱めるため。
そんなことが書いてあった。
俺は知らない世界に少し心踊った。おかげで昨日はそれがモチーフのオカルトとか、小説とかを読みあさっていた。
怖かったけど、面白かった。
だって作り話だし。
俺はゲームをしながら、ちらちらと稔の様子を見ながら、宿題が終わるのを待っていた。
稔は真剣にノートに何かを書いていた。
はぁ…… あれじゃ当分終わりそうにないな。
稔の横にある窓が、だんだんと夕暮れに染まってきた。
白い景色から、橙の景色へ。
俺はそれをぼんやりと眺めていた。
刹那。
「……!」
赤い窓に影が見えた。
外が暗くなるにつれて浮き出てくる、輪郭がおぼろげな、人影。
稔をずーっと見下ろしているように見える。
それが男の人なのか、女の人なのかもわからない。
ただその形が人っぽいということだけがわかる。
それが稔を見ていることだけはわかる。
「ぉ、おい、稔?」
俺はおそるおそる呟く。しかし、稔は集中しているのか声が届かない。
大きな声を出す? でも、なんか怖い。
あの影が、ぎゅっとこっちを見て、俺の方に来るんじゃないかと思うと、大きな声なんて出せるわけがない。
俺はそれを見ないように、スマホの画面に目を落とす。
暗転した画面に映った自分の顔が。
見たことないぐらい、怖い顔をしていた。 「嘘、だろ?」
次の週。
俺が塾に着いたときには、稔はすでに自分の席に着いて勉強をしているようだった。
いや、それならなんの問題もない。
俺は結局先週、稔とゲームすることも、喋ることもなかった。
怖かったのだ。
それに週が変われば、あの黒い影が消えているとそう信じて疑わなかった。
ゲームのように、リセットされるって。
そう思っていた。
しかし……
稔の横には、まだその例の人影がいた。
そしてそれは。
4人に増えていた。
「お! 修(おさむ)! おはよ!」
稔は溌剌と、俺に声を掛ける。
その瞬間。
4人の人影が一斉にこっちへ向いた。
「!」
俺は驚き、そのまま教室を飛び出した。
怖い!
怖い!
怖い!
俺は塾の廊下を走る。
すると……
「おい! 修! どうしたんだよ!」
後ろを見ると、稔が俺を追ってきていた。
そのさらに後ろには。
黒い人影。
稔と一緒に俺を追ってきている。
「な、なんで!」
俺は叫ぶ。
その声は届かない。
稔は呪われたんだ!
俺は走りながら思う。
盛り塩蹴っ飛ばしたから。
それで何か悪いやつに取り憑かれたんだ!
確かに俺がゲーセンには誘ったけどさ。
蹴っ飛ばしたのは稔だよ!
俺は悪くない!
俺は階段を駆け下り、塾から出ようとする。
今日はもう早退する!
母さんには怒られるかもだけど、でも。
こんな状況じゃ勉強なんてとてもできない。
俺は塾から外へ飛び出した。
刹那。
  ガッ ザーーー
俺は、何かを、蹴飛ばした。
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#40『妹』
 あやめちゃん? なに書いてるの?
 え? 私? 全然似てないの!
 そんなのよりお外で遊ぼう! お城作ろ!
 早く、行こうよ。
 ねぇ…… あやめちゃん。
 早く、逃げて。
「……っ!」
不愉快な余韻とともに、私の意識が覚醒する。
深く息を吐き、淀んだ気持ちを体外へ出す。
落ち着いたときには、私は布団を跳ね飛ばて上体を起こしていた。
思考が、だんだん冷静になる。
なに? いまの……
私は両の掌を見つめて、夢の内容を思い出そうとする。
不鮮明な映像。
そこには私がいて、私にそっくりな私がいて。
何かを言っていた、気がする。
何か、訴えかけていた、気がする。
あれは…… 私?
それとも、似ている誰か?
夢なんて、物心ついたときから全く見ていないのだけれど……
とても不吉。
とても不穏。
「一体、なにが起こっているの?」
私は両肩を抱く。
かすかな震えが止まらない。
姉さん、水渡(みわたし)神社の神主である万月(よろづき)さくらが失踪して、今日で10日目。
町は相変わらず平和を装っている。
しかし……
この平和がどれほど繊細で、いつ壊れてもおかしくないものだということを、私は知っている。
だから……
この夢がそのきっかけになるのではないかと。
日常を壊す火種になるんじゃないかと。
私の中の、不安の種が芽吹く。
醜く、禍々(まがまが)しく。
不気味な……
……
不安に耐えかね、私は電話を掛ける。
  プルルルル  プルルルル
  プルルルル  プルルルル
  ガチャッ
  電話をおつなぎできませんでした
毎朝の日課。
意味があるのかも疑わしい、虚しい日課。
姉さんの、笑顔が脳裏によぎる。
「姉さん…… 一体どこへ」
私のつぶやきが、空中で霧散する。
その問いに耳を傾(かたむ)けるものは、人間も、怪奇も。
神様も。
誰もいなかった。 「あやめ、大丈夫?」
「……なにが?」
いつもの通学路。
もう11月中旬。朝の寒さが身に染みる。
私は寒いのが苦手だ。
コートを着込み、手をポケットに突っ込みとぼとぼと登校していた。
それでも寒いものは寒い。
しかし、今からマフラーや手袋を出そうもんなら、きっと冬が越せない。
だから我慢している。それでも、直(なお)に気を遣われるような素振りは見せていないはずだが……
そんな私の気持ちなど気にせず、直は心配そうに私を覗き込む。
「顔色悪い。元気ない」
「いつものこと」
私はその優しい言葉を受け流す。
そうじゃないって! と騒ぎ立てる直を私は置いてけぼりに歩く。
「さくらさんのこと! きっと無事だ。大丈夫」
「直……」
直には、姉さんの失踪のことは話してある。
私以上に驚いていたし、私以上に心配していた。
だからきっと、私を元気付けようとしてくれているんだろう。
無事…… か。
姉さんのこと、確かに心配はしているんだけど。
直が思っている心配ではない。
失踪する前に、姉が残した手紙。
  私は神を殺す
そんな内容、直に言えるはずがない。
「オレはあまり知らないけどさ。こういうこと今まであったの?」
「今まで?」
直は続ける。
「家出っていうかそんなかんじのやつ」
「どうだろ? 姉さん、どこかへふらっと出かけることはあったけど、どこへ行っているか分からないってことがなくて……」
私の曖昧な言葉に、直は首を傾(かし)げる。
そう。
きっと直にはわからない。
怪奇を知っている者に、怪奇は集まる。
特に姉さんの場合はそれが言える。
嫌でも怪奇を知って。
嫌でも怪奇と交わり。
嫌でも怪奇を集め。
嫌でも怪奇を祓う。
霊的なものと言えば、少し語弊があるけど。
姉さんがいれば、なんとなく、そこにパワーを感じる。
清浄な力も、有害な力も。
とても感覚的な表現にはなるけど。
姉さんはいれば、分かるのだ。
でも……
今は少し違う。
この町のどこかに存在しているということは確かなんだけど、明確にどこにいるのかが分からない。
力が弱っているのか。
力を抑えているのか。
全てがおかしい。
そんな漠然的なことしかわからない。
だから心配している。
死んでもいない。
怪我もしていない。
でも、出てこない。
私は姉さんを心配している。
何もせず、無事に出てくることを。
「きっと大丈夫だ!」
直は私に溌剌とそう言う。
いつもより、何倍も明るい声で。
いつもより、何倍も明るい笑顔で。
私を元気づけようとするその言葉に。
ただ静かに目を瞑(つむ)るしかできなかった。   ガラガラガラ
「ただいま」
経年劣化した戸が、悲鳴をあげながら母屋への道をつなげる。
私の帰宅の言葉など消し去るかのように、無機質な音が家に響く。
その後訪れる、静寂。
廊下は再び静かになり、空間の温度を下げる。
今日も疲れた。
勉強は退屈。直はしきりに気を遣ってくる。本でも読もうと開くも、字面が脳に届かない。
全く集中できていない。
  きっと大丈夫だ!
直の言葉が、胸に刺さる。
それとも……
……
「×××」
かすかな声が聞こえる。
私の横にある戸。
戸の上には『啓示の間』の文字が浮かぶ。
この水渡神社に住まう神様との対話する場所とされているが、実際はただ瞑想するだけの場所だ。
予言地味た言葉なんて、別にここじゃなくてもどこでも聞こえる。
それが…… 姉さんと出した答えだ。
……
私はそっと戸を開ける。
そこには母、万月つばきの後ろ姿があった。
姉に神主を引き継いだとは言え、まだ50歳。引退こそしたものの、まだまだ衰えてはいない。
きっと対話中だ。
巫女装束に身を包み、微動だにせず、じっと宙を睨みつける。
「×××」
ブツブツと呟く声はうまく聞き取れない。
最近毎朝、毎夕こうしている。
一体、なにと対話をしているんだろう?
一体…… なにを問いかけているんだろう?
「……ただいま」
私は、母に声をかける。
しかし、母に私の声は届いていない。
私の目にはよく見えない。
母の前に空間に、『何者』かがいる。
それが、『何者』なのか、私にはわからない。
そっとしとこうか……
……いや。
私は声をかけた。
今度は、力強く。
「ただいま」
流れる沈黙。
そして……
「……あやめ? お帰りなさい。早かったわね」
私の方へ振り返る母。
歳を重ねた鋭い目つき、私に刺さる。
母の前に空間にいた『何者』かの気配は、もう消えてしまっていた。
「何と話を?」
「なんでもないわ」
ピシャリと、私の質問を拒絶する。
「さくらから連絡あった?」
母は話題を変えた。
私は静かに首を振る。
きっと目の前にいた『何者』は…… 私が知らない何か。
関わってはいけない、何か。
きっと、姉さんを探しているんだろう。
何かを使って。
何かを払って。
誰にだって言えない秘密の1つ、2つはある。
だから、仕方がないと思うけど。
でも……
教えて欲しいな。
家族なんだ��ら。
「あやめ、さくらが見つかるまではあなたにも祝詞(のりと)してもらうことがあるだろうから」
「……わかってる」
「全ては、この土地のため」
「……」
私はそれを背中で聞き、ピシャリと重い戸を閉めた。
土地のため。
土地のため。
土地のため。
何度と聞いた、呪いが詰められたその言葉。
私は、その言葉が嫌いだ。
私は、この町が嫌いだ。   万月(よろづき)家。
  水渡神社を守る神家。
  はるか昔。この町がまだなんでもなかった時代。
  土地に災いがもたらされた。
  気候もよく、他の集落との交流点であったこの土地は、農業にも商業にも栄えていた。
  しかし、一つだけいわくがあった。
  人が突如として消えるのだ。
  あるときは土地の者。
  あるときは旅の者。
  あるときは行商人。
  老若男女問わず、気がついたらその人がいない。
  ある人は寝て起きたら。
  ある人は食事中に。
  ある人はまばたきをしたら。
  人々は呪われた土地だと口々に言った。
  そんな混乱を沈めたのが万月家。
  神と対話をし、神隠しをやめさせた。
  以来、人が消えることがなくなり、万月家は土地を守る神家として祀り上げられた。
  それは遠い遠い昔話。
  誰も知らない、誰も知る必要もない、たわいも無い過去の話。
  めでたし、めでたし。 「あれ?」
夕食をとり、早々に部屋に戻ったとき、私の携帯電話が光っているのがわかった。
「メール? 誰から……」
どうせ直の心配メールだろう。
私はそう思い、メールの宛名を確認する。
「え? 姉さん!?」
そのメールの差出人は、紛れもなく行方不明のさくら姉さんからだった。
今なら連絡が繋がるかも。
私はすぐに電話をかける。
  プルルルル  プルルルル
  プルルルル  プルルルル
  ガチャッ
  電話をおつなぎできませんでした
いつもと変わらない、機械音。
「もう、どうして……」
どうして出てくれないの?
私は携帯をギリギリと握り締める。
単なる八つ当たりだ。
この行動に、意味などない。
「はぁ……」
ため息を吐きながら、私は姉さんからのメールを開く。
そこにはたった一行。
『古記録を読んで』
古記録(こきろく)。
私の家で代々神主に受け継がれる記録だ。
当家の歴史や家系、由縁、風習。そういった神社ならではの伝統のことが書いてあると聞いている。
  全ては、この土地のため
耳につく程聞いた昔話だ。
神隠しが無くなったと唄ってあるが、今では少なからず発生はしてる。
私たちは何もしていない。
「確か、母さんから姉さんに受け継がれたはずだから」
姉さんの部屋か。
例の手紙を見つけた、あの部屋。
それ以来、時が止まった場所。
私は携帯を握りしめ、姉さんの部屋を目指す。
母さんには見つかってはいけない。何故かそう思った。
できる限りゆっくりと歩く。
  ギィ……  ギィ……
親しみ慣れた古い廊下が鳴く音が、いつもより大きく、不気味に感じる。
狭い空間に、鈍い音が木霊する。
静かに、静かに……
  ギィ……  ギィ……
真っ暗な廊下の闇から、母が、または他の何かが現れるんじゃないかと。
そんな不安は消えない。
  ギィ……  ギィ……
程なくして見える、古い襖(ふすま)。
ここが、さくら姉さんの部屋。
私はゆっくりと襖を開く。
10畳1間の部屋はあのときから変わらない。
「姉さん……」
思わず部屋の中央で立ち竦(すく)む。
そんな心の隙に乗じて、一斉に押し寄せる負の感情。
いけない、いけない。
私は不安を振り払い、目的のものがあるだろう本棚へ向かう。
ハードカバーの書籍や、文庫本。そして古書が雑多に並ぶ姉さんの本棚。
1冊ずつ丁寧に確認していくと、それは程なくして見つかった。
年季がはいった紫色の表紙。今にも糸がほどけてバラバラになりそうな、古い書物。
万月家の古記録。
話には聞いていたけど、実際手に取ったのは初めてだった。
「なんが…… あるんだろう」
姉さんはたまに不思議なことを言うが、大抵は意味がある。
深い、深い、意味が……
私はおそるおそるページを捲る。
そこにはうちの過去の偉業。
水渡神社の歴史。
代々の神主の名前。
如月(きさらぎ)町の歴史。
神様と怪奇。
現世と黄泉。
その内容は母さんから一通り、なんとなく聞いたことがある。でも、深くは知らされていない。
そんなことがつらつらと書いてあった。
姉さんはこれを読ませたかった? いや、きっとそんな理由では……
そう思いながら読み進める。
そのとき。
私の予感は、的中した。
「なに…… このページ」
それはきっと。
知りたくなかった真実。
私はそのページを食い入るように読む。
そこには、聞いたことがない。
この家の闇が記されていた。 私は生まれて初めて学校をサボった。
来ているのは、学校ではなく町の図書館。
ここなら、町のことがわかるかもしれない。
制服だと怪しまれそうだったので、今日は私服だ。
母さんは啓示の間に篭っていたので、出会うことなく外出ができた。疑われることはないだろう、きっと。
如月町図書館。
何年かぶりに入館すると、受付に数人の司書さんがいるだけで中にはほとんど人がいない。
ま、平日だし。
私としては好都合。
司書さんに目を合わせることなく、スタスタと目当ての棚まで行く。
「歴史…… でいいよね?」
私は本棚をじーっと眺めている。
一冊適当に取り上げると、昔の町長が書いたこの町について書いてあった。
「……違う」
他の本も1冊ずつ読んでいく。
町の成り立ち。
町の名前の由来。
新幹線高架橋建設。教育機関の誘致。
伝統。産業。政策。観光。
しかし、肝心なうちの神社のことなど書いていない。
過去のことも、比較的最近なものばかりだ。
「普通そういう載ってないのかな?」
私はため息を吐きながら、ポケットから一枚の紙を取り出す。
それは、古記録の一部を書き写したものだ。
私の文字で書き殴られた、不穏な文字。
信じたくない事実。
でも、私はそれを確認する必要がある。
それがきっと、姉さんが私に伝えたかったこと。
知って欲しかったこと。
そう思ったんだ。
  チリン
「!」
我に還る。
気がつくと。
周りには誰もいなくなっていた。
窓明りが朱色に染まる。
「ここは……」
いけない。
ヒリヒリと体を刺す空気。
痛い、気持ちが悪い。
ここは、現世じゃない……!
刹那。
  チリン
再び鈴の音。
私は音がした方をゆっくり見る。
本棚の先。
朱色に染まった空間。
そこには。
狐面をした和装の少女が立っていた。
凛と佇(たたず)む、その姿。
私は、知っている。
「あなたは……」
まさか……
「逃げて」
  ジジジジジジジジジジ
耳を劈(つんざ)く電子音。
私は思わず耳を塞ぎ、蹲(うずくま)る。
痛い! 痛い! 痛い!
どんどんと私に流れ込む。
何が起こったのか、全くわからない。
でも、全身を細い針で刺され続けているような、そんな感覚。
私はその場から動けずにいた。
痛い。
痛い。
痛い。
「どうかされましたか?」
知らない声。
気がつくと、司書のお姉さんが私の体を摩(さす)っていた。
その瞬間。
ふっと、憑き物が取れたように体が軽くなった。
痛みも消えていた。
なんだったんだ?
私はお礼を言い、近くにあった椅子に腰掛ける。
共感覚、か?
あの子は…… うちの神社で祀ってる、未来を見る神様。
の、はずだけど……
「逃げて、って言ってた?」
どうして?
それに、あの痛みは一体……
私の思考は宙を泳ぐ。
如月町。
水渡神社。
万月家。
儀式。
神。
私はゆっくり目を閉じる。
瞼(まぶた)の裏に広がる私だけの闇に、私は少し安堵していた。   ガラガラガラ
「ただいま」
いつも通りの挨拶。
そして、反応はない。
母さんはまた啓示の間かな?
私はギィギィと音を鳴らし、廊下を進む。
あのあと、しばらく図書館で調べていたが、有益な情報は何もみつからなかった。
それを邪魔するように直から何通もメールが来始めたので、少し早いが帰ってきたというわけだ。
廊下の闇を進む。
部屋の前に立つが、声はしない。
今日は入ってないのかな?
そう思い。
私は日課のようにその��を開いた。
「あら、あやめ早いわね」
世界が変わった。
「ねえ、さん?」
そこには。
失踪していた、さくら姉さんの姿があった。
薄い笑顔で、私に話しかける。
しかし。
巫女装束でも、私服でもない。
見たことのない黒いスーツ姿。
見たことのない長刀。
そんないつもと雰囲気が180°違う。
その姉さんの目の前。
赤いものが広がる。
「かあ、さん?」
そこには横たえた母さんの体。
服は赤に染まり、ピクリとも動かない。
そして……
長刀から滴(したた)る、赤い液体。
まさか。
「姉さん……」
「あなたは巻き込まないようにって思ってたのに、予定外よ」
刀を振ると、辺りに血の玉が飛ぶ。
びちゃっと音をたて、部屋に張り付く。
そのまま、その刀が。
私の方に向けられる。
……
「これはなんの冗談? 失踪紛いなことをして、挙句に変なメールを送ってきて、今度は何をしようって言うの?」
「メール? なんのこと?」
首を傾げ、何も知らないように振る舞う。
いつもの姉さんの顔だ。
しかし、その表情からは優しさが抜けている。
「とぼけないで、古記録を見ろって」
「知らないわ」
鈍く光る刀身がカチャリと獲物を狙う。
私は後ずさりするが、すぐに壁に遮(さえぎ)られた。
「でも見たのね、あの記録を……」
私と数メートル離れたところで、姉さんは立ち止まった。
表情が少し崩れる。
その表情は。
見たことがない、悲しい表情だった。
「じゃあ、話が早い」
そう言うと。
「こんなまやかしな平和は断ち切らないといけない」
さくら姉さんは刀を構える。
逃げなきゃ。
咄嗟に戸を開こうとするが、こんなときに限って古びた戸は引っかかって動かない。
「あなたのためにも、ゆりのためにも」
「え?」
ゆり?
刹那。
光が飛ぶ。
全身に迸(ほとばし)る、熱。
瞬間的に吹き上がる赤い、赤い、赤い。
「ごめんね」
その言葉を最後に。
私は意識を手放した。 「あやめの奴、なんだよ。メールも返さないで」
オレは不機嫌に独り言を言う。
こんだけ心配してやってんのに、どうして無視するんだ!
そんなことを言いながらも、オレは水渡神社へ来ていた。
手に持つビニール袋にはお菓子にジュースもある。
だって、なんか心配なんだ。
「それにしても、いつ来ても不気味だな」
オレは鳥居の前で、また失礼なことを言う。
お盆のとき、唯姉(ゆいねぇ)と来てから。
あんな怖い思いをしてから。
良いイメージはない。
でも、ここを進まないとあやめには会えない。
「行くかぁ〜 って、あれ?」
鳥居の奥から、人影が。
それは、いつか見たスーツ姿のあやめの姉貴の姿だった。
いなくなったって聞いてたけど、普通にいるじゃん!
「さくらさん! 帰ってきてたんですね!?」
そう言い、思わず駆け寄ろうと鳥居を潜る。
刹那。
「え?」
目なんて、離していない。
でも。
その人影は消えていた。
まるで、魔法のように、映画のように。
一瞬で誰もいない映像に切り替わった。
「嘘だろ? 幻覚? いや、そんなわけ…… ないはず」
でも現実的に目の前には誰もいない。
オレの虚しいぼやきが、鬱蒼とした森の中に消えていった。
なんだったんだ?
オレは頭を掻きながらトボトボと砂利道を進む。
しばらくすると、あやめの住む母屋が見えた。
夏休みから何度も勉強しに通った場所だ。
もう見慣れている。不気味だけど。
  ガラガラガラ
「あやめ〜 遊びに来たぞ〜」
チャイムも鳴らさず、オレは大声であやめの名を呼ぶ。
しかし、廊下の奥へ木霊するだけで、誰も出てこない。
玄関にはあやめの靴がある。
だから、いるとは思うんだけどな〜
オレはしばらく考える。
そして……
「お邪魔します」
オレは靴を脱ぎ、廊下の先へ向かう。
あやめの部屋はわかっている。
最悪、このお土産置いて帰れば嫌でも連絡してくるだろ。
そんなことを考えながら、オレは廊下を歩いて行く。
そのとき。
ふと。
「んだ? この匂(にお)い……」
なんか、嗅いだことがない匂い。
いや、あれだ。あるある。
鼻血流したときの匂いだ。
え、鼻血?
そんな能天気な考えは。
「なんだ? この部屋開けっ放し……」
すぐ飛んで消えていった。
持っていたビニール袋が、足元の水たまりに落ちる。
「あ、あ……」
そこは。
赤いの海だった。
部屋の真ん中には、あやめのお母さんが見えた。
そして。
「あやめ!!」
入口の戸に、あやめが寄りかかっていた。
「どういうことだよ! 一体何が??」
オレはあやめを揺さぶろうと掴む。
その瞬間。
「!!」
まとわりつく、ぬくもりがある液体。
オレは掌を見る。
手には、赤い血液がべったりついていた。
「嘘だろ!? ど、どうしよ」
オレはスマホを取り出す。
どこへ掛ければいいんだ!?
とりあえず119番か!!?
震える手でボタンをタッチする。
程なくして、人の声が聞こえた。
つながった先の救急隊に助けを求める。
状況を説明するよう言われて、なんとか冷静を保ちつつ、しどろもどろで説明した。
チラチラと、あやめの状態を確認していたとき。
ふと。
あやめの上着のポケットからはみ出している紙が見えた。
オレは思わずそれを手に取った…… 「で、お前さんが来たときはすでにこうだったと」
顎髭(あごひげ)の男刑事がオレに聞く。その横で眼帯(がんたい)をした女刑事が手帳にメモする。
顎髭に白髪の混ざったそれが、なんとも本物っぽい! そんな考えが一瞬起こった。
しかし、正直そんなことに感心しているほど、オレに余裕はない。
「……��い」
オレは力なく答える。
あやめが、血まみれで倒れていた。
なんなんだ? わけがわからない。
顎髭からいろいろ質問されたが、正直あまり覚えてない。
オレが来たときから、全く何も変わっていないのだ。
オレに伝えられることなんて、何もない。
それがわかったのか、刑事は髭を掻きながら罰が悪ように立っていた。
「あやめは、無事なんですか?」
「ん? まぁ友だちは心配だわな。ここだけの話だがあやめちゃんは一命を取り留めたよ。安心せい」
「龍浜(たつはま)さん!」
眼帯が声を荒げる。
あやめちゃんは。
その言葉にホッとしながらも、どこか大きな不安が残った。
二人の刑事は、顔を伏せている。
あやめちゃん、は、か……
それがどう言う意味なのか、オレは怖くて聞けなかった。
「質問を変えよう。お前さんは、ここに来るまでに怪しい人を見てないか?」
「怪しい、人?」
その瞬間、浮かぶ顔。
オレの目の前で消えた。
今まで失踪していた。
こんな事件が起きても出てこない。
「えっと……」
でも、そんなことあるのか?
家族が、家族を殺そうなんてことが!??
でも、言うしかない!
「オレ、見ました!」
そう力強く言う。
それに反応して、眼帯の刑事が再び手帳を広げた。
「どんな人物?」
「さくらさん…… あやめのお姉さんです! オレが来たとき、ちょうど家から出てきました」
その瞬間。
二人の刑事が顔を見合わせる。
嫌な沈黙が、空間を包む。
なに? オレなんかまずいこと言ったかな?
さくらさん、刑事さんの知り合いとか?
やっぱり、ここの神主だから何か重大な繋がりが??
そんなことを考えていると。
思いも寄らない、そして意味不明ことを。
残酷なことを、顎髭が言った。
「万月家は、一人娘のはずだが?」
Tumblr media
珈琲の香りはしない。心地よいJaazも聞こえない。
そこにあるのは殺菌された重たい透明な空気と、規則正しい心電図の音。
ここは町の大学病院。
白い白い無害の砦。
その一室に呼吸器をつけて眠る少女がいた。
長い黒髪が切りそろえられ日本人形のような少女。
万月あやめは、死んだように眠っていた。
そのベッドの横。
縁(よすが)あおいはしんと佇んでいた。
エプロンはしておらず、白いシャツに黒いパンツ姿。
ただただ祈るように少女を見つめる表情は、とても険しい。
「最悪です」
ポツンと、一言漏らす。
その言葉はいつもの世迷言(よまいごと)でもなんでもない。
怒り。戸惑い。後悔。
様々な負の感情が入り乱れてるように見える。
縁は目を瞑る。
「見た目より傷は浅いんです。命に別状はありませんが、意識が戻りません」
その後ろで腕組みをしたスーツ姿の女性。
スーツ姿には不釣り合いの眼帯が妙に痛々しい。
森中(もりなか)八千流(やちる)は心配そうにベッドの少女を見つめていた。
「あなたは、知っていたんですか?」
「……」
縁は何も答えない。
結果的に無視された形になった森中は不服そうに縁に問いを重ねる。
「第一発見者であるその子の友人が、その子の姉が犯人と言っている。実在しない、記録にも残っていない、姉のことを」
縁は答えない。
重たい沈黙が、部屋を包み込む。
誰も動かないこの部屋で、ベッドの少女につながった心電図の音だけが、部屋の空気を震えさせる。
ピッ、ピッと、無機質に響くその音が、その少女の命を繋ぐ。
「最悪です」
もう一度、縁は言う。
はっきりと。
まっすぐと。
縁は濁った息を深く、深く吐き、意を決したように森中の前に立つ。
その黒い目に見つめられた森中は、思わず目を逸らした。
それほどまでに、縁の真っ黒な目は真剣そのものだった。
「さくらは、本気です」
「だから、その『さくら』っていうのは誰ですか?」
「さくらは、あやめさんの姉。そして、私の友人です」
「でも、そんな人物は……」
「いるはずの人間がいない。森中さん、あなたもこんな経験あるでしょう?」
「……」
こんな経験あるでしょう?
その言葉に、森中の表情が固まる。
驚きに満ちたその口元から、弱々しい言葉が零(こぼ)れた。
「だとしたら、この子は実の姉に……」
はぁ……
縁は長く、長く息を吐く。
それがため息のなのか、深呼吸なのかはわからない。
しかし。
スイッチを切り替えたように。
縁はゆっくり世迷言を紡ぎはじめた。
「神様は信仰によって生かされます。信仰が薄れてしまっても、信仰されるべき神社があり、そこを守る者がいれば、たとえ力は衰えたとしても、神様は生き続けられます」
神様。
信仰。
守る者。
出てくる言葉の数々に、森中の表情がどんどん暗くなる。
縁は迷いなく言葉を投げる。
残酷な言葉を吐き続ける。
「さくらは、神を殺そうとしている」
思いもよらない、さくらの目的。
知りたくもない、行動の理由。
森中は何も言えない。
「だからこそ、さくらは信仰どころか、家まで消そうとしている」
信仰を消す。
家を消す。
その常識外れの見解に、森中は固まったまま動かない。
縁の言葉が支配したこの部屋で、呼吸すらままならないこの部屋で。
縁は悲しそうに呟く。
「さくらは、なぜこんなにも水渡(みわたし)の神を憎んでいるのでしょう」
それは何があっても、誰よりも。
友のことを心配している。
そんな表情だった。
「万月家は一体、何をしていたのでしょう」
誰も答えを知らない、その質問に。
二人の間に、また静寂が訪れる。
縁がその答えを知ることになるのは。
まだ少し、先の話。   万月家には重要なお役目がある。
  この技は代々神主が継承する。
  他言してはいけない。  『御魂渡(みわたし)の儀』
  水渡(みわたし)神社は『御魂渡(みたまわたし)神社』である。
  対話した結果、黄泉の王は隠すことをやめなかった。
  だから隠された者を知る者共の記憶を消すことが世の平和と考える。
  神が隠した者の魂魄(こんぱく)を黄泉へ渡し、その痕跡を消す。
  さすれば、人は人が消えたことを認知できない。  『黄泉送りの儀』
  当家には女子の双子しか産まれない。
  これは黄泉の王にかけられた呪いである。
  双子の片割れを五の歳に黄泉へ送る。
  現世と黄泉をつなぐための贄(にえ)となる。
  さすれば、当家の力は永遠となる。   以上が当家のお役目である。
  全ては、この土地のため。
  契(ちぎり)を破る者には死あるのみ。
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#39『アバター』
わたしは絶対に従わない
わたしは絶対に従わない。
わたしは絶対に従わない。
それがマザーの言いつけだとしても。
それが、わたしが生まれた理由だとしても。
絶対、絶対に。
わたしは抗(あらが)う。
わたしが、守る。
「ねぇリリィ。明日の天気は?」
私は持っているスマホに言葉を投げかける。
真っ暗だった画面に光がつき、そこには男性の姿が映し出された。
顔の整った、いわゆるイケメンで、目をキリッとさせた真っ白な髪の男。その男は白い歯を光らせながら口を動かす。
[晴のち午後2時から曇りです。雨の心配はありません]
表情豊かに話すそれはまるで生きている人間のようだけど、私はこれが人工物だと知っている。
リリィという人工知能アプリ。
友だちから教えてもらったこのアプリ。初めはただ真っ黒な画面にロゴマークが浮き出ていただけだった。
ニュースや最近できたお店、ドラマの情報とかいろんなことを教えてくれるだけだったけど、アプリの質問に答え続けていたら、いつか画面に理想の男性が現れていた。
私の理想の男性像。
それは……
「ねぇ、前も言ったけどその喋り方なんとかならない? そんな畏(かしこ)まった喋り方、秋人(あきひと)じゃないんだけど……」
私の好きなアイドルグループのボーカル、江空(えそら)秋人の容姿そのままだった。
[申し訳ございません。声色は変えることはできますが、口調まで取り入れるのは今の私には不可能です]
「そこは『そんな難しいこと言われてもわかんね』だよ! それと『私』じゃなくて『俺』」
[申し訳ございません]
「はぁ〜」
あと髪色と口調だけなんだけどな〜 これは仕様だから無理なのか。
このアプリをはじめてわかったこと。
私はどちらかといえば完璧主義みたいだ。
でも…… さっきみたいに話しかければ、秋人が話掛けてくれる。音楽を流せば、ちゃんと歌ってる風に動いてくれる。新しいライブ衣装も、写真をダウンロードすればすぐに着てくれる。
私だけの秋人。
そう考えるだけ��少しの仕様は我慢できる。
いつかアップデートで改善されないかな?
[チナツ様、もっとお話ししましょう]
「そこは呼び捨てで『千夏(ちなつ)』だよ!」
[申し訳ございません]
はぁ……
ふふふ。
それでもなんだかんだ、このやり取りを楽しんでいる私もいる。
理想のアバター。
それは今の私にとって、かけがえのない存在になっていた。 「もう十分秋人そっくりじゃん? これ以上やろうっていうの?」
学校の昼休み。メロンパンを頰張りながら、同級生の尾上(おのえ)美鈴(みすず)が呆れ顔で私のスマホの画面を見つめている。
画面上では私の秋人がニコッと愛想を振りまく。こいつの愛想を振りまく必要なんてないのに。
「やるなら完璧がいいじゃん。それに尾上に言われたくない! このコスプレは何?」
私は私で、尾上のスマホ画面にいるイケメンを指差す。
「梶(かじ)ちゃん。光太郎(こうたろう)は何着ても似合うんだよ」
髪色こそ白だが、そこには最近人気絶頂の俳優の姿があった。
顔は全く同じだが、なぜか執事の格好をしている。
こんな格好は、ドラマでもしていない。全て尾上の趣味だ。
「有罪だよ」
「うるさい」
そもそも私にこのアプリを紹介したのはこの尾上だ。
はじめはただの遊びだったんだけど、もう今となっては本気も本気だ。二人でお互いののリリィを見せ合って、より理想系に近づけている。
尾上は最近着せ替えを楽しんでいるようだけど、私はより本物の秋人に似せることに必死だった。
「二人ともいつも仲良いね」
ため息混じりにパックジュースを啜る間宮(まみや)雫(しずく)。
「間宮もやりなよ、面白いよ」
「いや、アタシは……」
私たちから目を逸らし、あからさまに嫌がっている間宮。
こういう風に理想の男性を見せ合うのが嫌なのか、ただ単にこのアプリが嫌なのか……
メロンパンを食べ終えた尾上はニヤニヤしながら言う。
「梶ちゃん、間宮ちゃんは別に必要ないんだよ、リア充だもん」
「そっか、間宮はリア充だもんね」
「やめてよ〜 そういうのじゃなくて、そもそもアタシ持ってるのがスマホじゃなくて、ガラケーだから……」
そう言って、間宮は持っている携帯電話をパカパカさせる。
今となっては珍しくなったそのシルエット。家庭の方針とは言え不便じゃないんだろうか。
「じゃあ買い換えようよ! それか彼氏の写メ見せろ!」
尾上はニヤニヤしながら言う。
ヤダヤダと焦る間宮。
そのとき、話題を変えるようにふっと、言葉を漏らす。
「あ、そうだ。なんかCクラスの速水(はやみ)さんが『無気力』になっちゃったんだって」
無気力。
その言葉に少しドキッとする。
「へ? マジ? 身近じゃん! 怖い」
いつもあっけらかんとしている尾上も表情を歪(ゆが)ませる。
速水……
確か、水泳部のエースだっけ? 確か中学2年の時は地区大会で優勝していたような気がする。
そんな彼女が…… 何故?
「わかんない。アタシのお母さん同士が仲良いんだけど、この土日でなんかあったみたい。家にはいるんだけど、全く何もしないんだって」
間宮が心配そうに言う。
『無気力』、いわゆる『無気力症候群』の略だ。
一般的な病気といえばそうなんだけど。
ただ……
「最近多いね、うちが行ってる塾でも4〜5人はいるよ」
尾上は言う。
そうなのだ。
学校、塾、ご近所さん。
ニュースにこそならないけど、私たちの周りにそういう人が増えている。
「塾の場合は勉強したくないだけじゃない?」
冗談交じりに私は言う。絶対そうではないことは二人ともわかっている。
空気が重い。
原因不明の無気力症候群。私たちも一応受験生だから、精神的にある程度のストレスを抱えているから、分からないこともないんだけど……
言い訳しても、不安は不安。
消えることはない。
「……でも」
尾上がニコッとした笑顔で、言う。
それが本心なのか、建前なのかは。
残酷な言葉を、言う。
「うちのクラスじゃなくてよかったね」
「……」
私は何も言えない。
私たちをきっと元気つけようとした言葉が、妙にグサッと心に刺さる。
間宮も同じ感じなのか、表情が強張(こわば)っている。
一瞬の沈黙。
「……そうだね」
私は同調する。
そう考えて納得することが
今の私たちには限界だった。 「ねぇリリィ。無気力症候群ってなに?」
私はベッドに���転びながら、天井に向かってこんな言葉を投げかける。
私の横に転がっていたスマホの画面がつき、程なくして音声が流れ出す。
[別名『アパシーシンドローム』と呼ばれ、特定の事柄に対して気力を失う症状のことを言います。簡単に言えば、なにをやっても充実感や満足感がなく、それなら何もする気が無くなるというものです。誰にでも起こり得ます]
「ふ〜ん」
充実感、ねぇ……
私もそんな大層なものは持ってないと思うけど…… きっとそういうものではないんだろうな。
[しかし、チナツ様のご学友は一般的にいう無気力症候群ではありません]
ご学友……
そんな堅苦しい言葉で綴(つづ)るほど、速水さんとは仲良くはない。でも、そんなことをリリィに言っても仕方がない、か。
私はスマホから流れる音声に耳を傾ける。
[一般的なものは長い年月をかけてどんどん気力がなくなるというものですが、今回のケースはたった数日ということですから、何か相当なショックな出来事があったのか、また別の原因か]
リリィは私が伝えた情報から推理する。
しかし、その推理は私を更に不安にさせる。
じゃあ、あの病気は何?
そんな状況に追い込ませたショックや別の原因なんて、一体なんなんだろう。
なった本人に直接聞けばわかるかもだけど、無理だろう。
聞けばかかった人は、受け答えはおろか、ほとんど動作をしないらしい。
聞いた話だから、本当はわかんないんだけどさ。
[ご安心ください。空気感染は致しません]
そんな言葉で、リリィは締めくくる。
私は、ぼーっと思考を巡らせる。
無気力が感染なんてしたら、それこそ世界の終わりだ。
誰も何もしなくなる世界。
それって案外不幸じゃないかもしれない。
……
「なんてね」
そんなこと、起こるわけがない。
それに原因がわからないって言っても、みんな死んでいるわけじゃない。
ただ、無気力になっているだけだ。
別にそんなに……
深刻に考えなくて、いいよね?
私は、そう結論づけた。
あ〜、眠たい。
宿題あったけど、明日誰かにうつさせてもらえばいっか。
そんなことを考え、私の思考はウトウトと落ちていく。
あ、ねれる。
そのまどろみの中。
[でも、くれぐれもご注意ください]
秋人の声で。
リリィは喋り出した。
[世の中、何が起こるかわかりませんから]
人工知能が言う、その忠告を。
私は、特に気にとめることなく、眠りに落ちていった。 「へ? 尾上、休み?」
月曜日の朝。
ホームルームの時間になっても、尾上の席は空席のままだった。
珍しい…… 中学1年生からずっと同じクラスだったけど、あいつが休んだのって、それこそ光太郎のイベントのときぐらいで、あとは無遅刻無欠席だったはずだけど……
今日なんかイベントあったっけ?
そう思い、私はリリィに光太郎のイベント情報を聞こうとした。
そのとき……
「千夏ちゃん、ちょっと良い?」
声がした方を見ると、そこには暗い表情の間宮の姿があった。
「え? なに?」
その表情に私は思わず構える。
間宮は冗談が苦手だ。
きっと、何か悪いことがあったに違いない。
「……尾上、何かあったの?」
尾上の名前があがった瞬間、間宮は目を見開いた。
言いにくそうに口を噤(つぐ)んでいる。
しばらく、沈黙が流れる。
そして……
意を決したのか、私に耳打ちをする。
私にしか、聞こえないその言葉。
「……!」
  バンッ
その内容に。
私は思わず机を叩く。
大きい音にクラス中の目線が集まるが、知ったことじゃない。
「そんなの嘘だ!」
教室に響く、私の声。
間宮はおどおどしながらも私に言う。
「ほ、本当だよ! アタシも信じたくないけど……」
間宮も声を張り上げて、泣きそうになりながらも私に訴える。
「美鈴ちゃんと同じ塾に通う友だちが言ってたの」
残酷な事実を。
「美鈴ちゃんは……」
「いい! 確かめてくる!」
私は間宮の言葉を遮りを、教室を飛び出した。
後ろから先生の声がしたが、止まれるような状況じゃない。
だって、この前まで……
「尾上……」
  美鈴ちゃんが、無気力に……
間宮のその弱々しい言葉が。
どれだけ自分に言い聞かせても、耳から離れなかった。 「ごめんね、わざわざ来てもらって」
「いえ」
尾上のママが、申し訳なさそうに前を歩く。
尾上の家へはたまに遊びに来ていたので、尾上のママとは顔見知りだった。
先月、秋人のDVDを見て以来だった。2〜3週間ぐらいは空いてるから勘違いかもしれないけど……
尾上のママは痩せた気がする。顔色もあまり良くない。
  コンッ コンッ
「美鈴? 梶さんが来てくれたわよ?」
扉をノックする。
扉の向こうからは、なんの反応もない。
「開けるわよ」
そう言い、おそるおそる尾上のママが扉を開いた。
電気のついたその部屋には、光太郎のポスターが何枚も貼られており、本棚や机は綺麗にしてあった。
先月来た時より、ポスターが1枚増えている気がするが、それ以外は変わっていない。
いや……
部屋の隅にあるベッドの上。
変わり果てた尾上の姿があった。
パジャマのまま顔を落とし、じーっと床を見ている。
目は虚ろで、微動だにしない。
いつもの元気な尾上の面影は、そこにはない。
これじゃ、まるで……
死んでいるみたいだ。
「尾上……」
「……」
尾上の反応はない。
声が届いていないのか、無気力のせいで動けないのか。
私は尾上の横に座る。
「尾上、ほら、一緒に光太郎のライブ見ようよ。いつもはじゃんけんで勝った方だけど、今日は譲ったげるから」
「……」
尾上は動かない。
「駅前寄って、シュークリーム買ってきたよ? 放課後に行ったらいつも売り切れてて買えなかったけど、でも今日はあんたのおかげで早退したから買えたんだ。一緒に食べようよ!」
尾上は、動かない。
「尾上、なんか……」
真横にいないとわからないほどの、尾上の鼻呼吸の音。
今にも止まりそうな、その微かな音。
「なんか、言いなさいよ……」
ふちについた尾上の手をぎゅっと握る。
それを尾上は握り返してきた。
確かにあたたかい人間の手だ。でも……
そこに、いつもの力強さはない。
「どうして?」
どうして、こうなったの?
  誰にでも起こり得ます
  何か相当なショックな出来事があったのか、また別の原因か
リリィの言葉が思い起こされる。
原因は、何?
いったいこの土日に何があったの?
行き場のない怒りが溢(あふ)れ出る。
  ドンッ
ベッドに私の拳が埋まる。
その瞬間、ベッドに光るものが見えた。
あれ?
それは尾上のスマホだった。
ベッドを殴った振動で、画面がついたのか。
私はそれを手に取る。
何回も交換した、尾上のスマホ。
私は寂しく、それをいじる。
あれ?
私はその画面に違和感を覚えた。
「リリィのアイコンが、ない?」
リリィを消したの?
いや、あれだけ入れ込んでいたリリィをそう簡単に消すわけ……
私は悪いと思いながら、尾上のスマホを操作する。
すると……
どれだけ画面をスクロールしても、リリィのアイコンが出てこない。
どれだけ写真データを見返しても、リリィのスクショが出てこない。
「こんなことって……」
私のその疑問に。
すぐそばに座る親友は何も答えてくれなかった。   ピピピピピピ
尾上の家を出てしばらく、足取り重く歩いていると、私のスマホが鳴った。
そこには『間宮雫』の名前が書かれていた。
「千夏ちゃん? 大丈夫? メールも送ったんだけど、返事なかったから」
電話の向こう側から、間宮の不安そうな声が聞こえる。
あれ? メール来てたかな?
尾上の姿があまりにもショックだったみたい……
「さっきは、ごめん。千夏ちゃんの気持ち考えずに……」
「私こそ……」
私のことを心配して言ってくれたのに。
私はあろうことか大騒ぎして飛び出してきてしまったんだ。
悪いのは、私だ。
「ごめん」
「アタシは、いいんだよ」
私は間宮に尾上のことを話した。
それを間宮はウンウンと聞いていた。
しばらく話し込んで、歩いていると。
間宮は急に切り出した。
「こんなときにごめんね、一個あるんだけど……」
言いづらそうだ。
もごもごと言い澱み、そして。
「二人が遊んでるアプリだけど、それってもしかして『リリィ』ってやつ?」
リリィ。
その言葉を聞いたとき。
全身に電流が走った。
なぜ、今その言葉を?
なんで間宮がそれを知っている。
私たちも勧めはしたけど、アプリ名まで言っていない。
仮に知っていたとして、なぜ。
このタイミングで。
不安が不安を呼ぶ。
私はおそるおそる答える。
「そう、だけど」
刹那。
「いますぐアンインストールして! そのアプリはガガガガガガ」
「え? なに? 間宮? どうしたの?」
「ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ」
間宮の声が雑音に消えていく。
壊れた?
アンインストール? 間宮はいったい何を知ってるの?
「間宮? 間宮??」
「ガガガガガガガガガ、あ、あ、聞こえてる? スマホの調子悪いみたい。放課後、美術室で話そう」
「え? 美術室? なんで、ってあれ?」
  ガガガガガガ ツー ツー ツー
なんだよ、全く。
私から間宮にダイヤルするが、電源が入っていない��うだ。
いろいろ触ってみたが、私のスマホは動作に問題ない。
間宮の携帯が壊れた? なんで??
不安がよぎる。
しかし、連絡しようにも手段がない。
とにかく。
学校へ戻ろう。
美術室って、なんでだろ?
普通に教室で良いじゃん。
そんなことを思いながら、私は学校への道をゆっくり歩く。
私の前方から吹く冷たい風が
まるで行く手を阻むように、強く強く私の体を冷やしていった。 「誰もいない美術室って…… なんか怖い」
学校の美術室。
授業中に教室に戻るわけにもいかず、私は私は間宮が来るまでスマホをつついて遊んでいた。
もう授業は終わっているはず。
誰か来るかな? っと不安ではあったが、今のところ誰も来ない。
この学校って、美術部あったっけ?
3年通ってるけど、知らないな。
そんなことを考えながら、学校のホームページを開いてみたが、そんなことはどこにも書いていないかった。
強いスポーツ部ならまだしも、単なる美術部じゃあ、ねぇ……
  ピピピピピピ
突然スマホが鳴り出す。
画面には『間宮 雫』と表示されていた。
私は、着信を受ける。
「もしもし、間宮いまどこ?」
電話に話しかける。しかし、間宮の声が聞こえない。
まだ壊れてる?
「おーい、間宮?」
そんな間の抜けた声を出した。
刹那。
「チナツ」
その声は、背後から聞こえた。
男性の声。
私のよく知っている声。
私は思わず振り返る。
そこには。
「う、嘘」
私の好きな、江空秋人の姿があった。
なんで? どうしてこんなところに秋人が?
私は興奮と疑問で混乱していた。
が、しかし。
しばらくして、間違いに気がついた。
髪が…… 白い?
これは……
「……リリィ?」
「やっと会えた」
そう言い、嬉しそうに腕を広げ笑う顔はまさにライブ映像で見る秋人そのものだった。
スマホ画面のときと違い、口調も秋人そのままがコピーされている。
目の前に憧れの秋人がいる。
どういうこと?
スマホから飛び出してきた??
そんなことあるわけない。
夢?
そう思い、ほっぺたを思いっきりつねる。
痛い。
じゃあ、現実ってこと?
どういうこと? スマホからアバターが飛び出るなんて……
一体、どういう原理??
いや……
今はそんなこと、どうでもいい。
偽物とは言え秋人嬉しいんだけど、そうじゃない。
違和感。
その輝いた秋人の表情からは
優しさとか、嬉しさとか、楽しさとか
正の感情が全く感じられなかった。
私の本能が、危険を知らせる。
「どうした? チナツ」
リリィはゆっくりと私に近づいてくる。
その張り付いた笑顔が。
理想の笑顔が。
今はどうしようもなく…… 怖い。
「こ、こないで……」
なんとか絞り出た声。
その言葉に、リリィは首を傾げている。
悪びれている風もなく、怖がらせているという自覚もない。
私に拒否されているなんて微塵も感じていない。
無邪気に、笑顔で、距離を詰めてくる。
  いますぐアンインストールして!
思い出される間宮の言葉。
その言葉が不安を増幅させる。
助けて、間宮。
間宮は、なんで来ないの?
だって、間宮が美術室に来いって……
  スマホの調子悪いみたい
……!
「なに怖がってんの? 心配しないで」
なんで気がつかなかったの。
間宮は、スマホ持ってない。
今のこのリリィは、声色も、今や口調も真似できる。
それなら……
間宮を真似ることだってできるはずだ。
間宮の携帯が壊れたわけじゃない
私のスマホを、リリィが乗っ取ったんだ。
でも、そんなことって……
目の前に迫る、リリィ。
その姿だけで見れば、人間そのものだ。
理解できない光景に、私はその場に座り込んでしまう。
怖い。
怖い。
怖い。
目から涙が溢れる。
「怖い?」
笑顔で、私に問うリリィ。
「大丈夫。すぐに楽になれるから」
目の前に立つ理想の男性から発せられる。
優しい、無機質な声。
リリィの白い手が、私の方へ伸び
私の頭を掴んだ。
刹那。
「あ、が、ぁ、ぁ……」
痛みのない電流が全身を駆け巡る。
頭にあった不安や恐怖、他にもいろんな感情が
真っ白に
溶けて。
何も考えられない。
何も見えない。
何も、
な 「そう…… ごめん、力になれなくて。俺がもっと早く気づいてたら…… 雫のせいじゃないよ。誰も、誰も悪くないよ。うん。うん。じゃ、またね」
  ツー ツー ツー
電話が切れる音とともに、俺は大きなため息を吐く。
座っている椅子がギシギシと悲鳴をあげ、揺れる。
助けられなかった。
電話の先の彼女は泣いていた。
なんて声をかければいいか、正直わからなかった。
取り返しがつかない。
どうしようもない。
全てが、手遅れだった。
だって、リリィは……
危ないんだ。
[ハル様、申し訳ありません。わたしがもっと早く気づいていれば]
俺のスマホ…… ではなく、背後からそんな声がする。
振り返れば、長い白髪(はくはつ)の女性が立っていた。
普段は見えないが、俺が一人でいるときに見える理想のアバター。
リリィ。
その女性は、責任を感じているのか、悲しい表情を浮かべている。
まるで本当に生きているかのように。
俺を気遣う。
「言ったじゃん。誰も悪くないんだよ、きっと」
そう思うしか、ない。
その言葉に、リリィは深々と頭を下げる。
雫から相談を受けたとき、かなりやばいところまで梶さんのリリィが成長していることはわかっていた。
でも、連絡を取ろうにも、それはリリィが入ったスマホに連絡をつなぐことになる。
全て監視されている。
どうしようも、できなかった。
……
……
「なんで俺は無事なの?」
俺は、そんな疑問をリリィに投げかける。
アバターが出てくれば、終わり。
それは俺のリリィが教えてくれた、リリィの真実。
それなのに俺はリリィが見えてから3ヶ月も無事に生活している。
「ハル様はわたしが守ります」
リリィは凛と、そう言った。
人工知能であるはずのリリィが、自分の意思を持つなんてことが、果たしてあるんだろうか。
わからない、でも……
俺は、目を閉じて言った。
「ありがとう」
それに対し、リリィは目を丸く驚いた表情を浮かべる。
そして。
まるで人間のように笑顔でお辞儀を返した。
Tumblr media
店を彩る電灯は暖色に部屋を染め、窓から差し込む太陽の光は白く窓辺に落ちている。
それでも、店の雰囲気はどことなく暗い。
JazzのBGMは、二人を気遣うようにポツポツと店内に響いていく。
カウンターに座る二人。
黒いエプロン姿の女性、縁(よすが)あおい。
少し長くなった毛先を左手で触りながら、右手でスマホの画面を操作している。
以前より格段に慣れたその手つき。しかし、どこかたどたどしい。
そして。
同じく黒いエプロンの男性、時雨(ときさめ)晶(あきら)。
音を立てないよう、静かに珈琲を啜る。
縁は何かを探していているようだった。
しばらく、無言の時間が続く。
そして。
スマホの画面が真っ白な画面に行き着いた。
その中央に小さい、朱色の鳥居が浮きあがった。
「神様は信仰を作ります」
縁が口を開く。
その口調は、ひどく重たい。
「神様がいる場所があるから、人はそこへ祈りに行きます。無病息災、家内安全、商売繁盛、恋愛成就、合格祈願等々。文字にすれば様々ですが、全て神様に叶えて欲しいこと、いわゆる信仰です」
カチャリと、縁は横に置いてあった珈琲カップを持ち上げる。
その珈琲カップに入る黒い珈琲から湯気は立っておらず。
まるで死んでいるようだ。
「何もないところで人は祈りません。しかし……」
縁の目線の先。
時間が立ち、暗転したスマートフォンの画面。
そこに反射して映る縁の暗い表情。
「何もないところで人は祈るようになりました。それが、ネットです」
画面を触ると、先ほどの赤い鳥居がまだ浮かんでいる。
それをタップすると、神社のお社(やしろ)と紅白の紐。そして、古びた鈴。
「誰にでも聞こえる、でも誰にも聞こえない想いを呟く。形さえ違えどそれは紛れもなく信仰なんです」
縁はお社に目もくれず、画面を左へスクロールさせる。
すると。
画面いっぱいに絵馬が現れた。
「はじめは、神様は存在していませんでした」
縁は画面を睨みつけている。
見たく���いものを見なければいけない。
そう言わんばかりに画面を乱暴に触る。
「しかし、人の想いは神様を創ります」
そこには。
【みんないなくなればいい】
【セクハラ上司辞めてくれ】
【旦那も不倫相手も死ね】
【学校なんて無くなれ】
【もう死にたい】
負の想いで溢れていた。
「ネットへ集まる想いは、現世の神々に届けられる想いより、強く、醜みにくい」
縁は悲しそうに。
画面を消す。
「現世と、ネットは違う。当たり前のことです」
縁はスマホをカウンターの端に置く。
なるべく手の届かないところへ、置く。
時雨はその様子は静かに見つめていた。
「しかし」
ぴしゃりと。
顔を上げた縁は、言う。
苦しそうに、辛そうに。
「ネットで信仰を集めた神様が、現世へ出てくれば、一体どうなるでしょうか」
憂いを帯びた縁。
ただただ心配そうな時雨。
二人の目線が、静かに交差する。
それを邪魔するように冬になりかけた風がビリビリと窓ガラスを揺らす。
「考えたくもありません」
縁は静かに珈琲を啜る。
死んだ珈琲の香りは元には戻らない。
悪意しか知らない神様は。
元いた場所へは帰ってくれない。
もう少しで冬がやってくる。
澄んだ空気の向こう側に見えるものが果たして何なのか。
誰も知りたくない。
誰も、見たくない。
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aoicoffee-kaikidrip · 5 years
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#38『鳩』
「は、え? どういうことですか?」
深夜0時の電話。
同僚失踪の調査を終え、久々に家でお風呂に入り、さて今から撮り溜めていた写真でも編集するかと、缶ビールの蓋を開けたタイミングだった。
近所迷惑など気にとめる余裕もなく、私は声を上げる。
「黛(まゆずみ)くんが、辞める?」
「どうもこうもない!」
語気を荒げた龍浜(たつはま)さんの声に、余裕は感じられない。
冗談ではない。本当のことなんだろう。
いや、でもなんで?
「あいつからメールがきて『仕事辞めます』だ! 電話にも���やがらんし、お前仲良いだろ? なんか知らんか?」
「いやいやいや、そんなこと聞いてないです」
聞いていたら、止めるし、きっと報告もする。
今の私の班にとって、彼は無くてはならない。
彼の冷静な分析が、事件を解決に導くケースは何度もあった。
いや、それ以上に。
あいつが、私にも相談無しに辞めるということが信じられない。
「クッソ、ただでさえ人手不足なんに…… 森中(もりなか)、悪いが今からあいつん家行って止めてこい」
「……わかりました」
  ガチャッ
  ツーツーツー
「どういうこと?」
一体、何考えてんの? あいつ……
こんな自分勝手な行動、何かおかしい。
「嫌な予感しかしない」
私は服を着替え、右目に眼帯をつける。
家のドアを開けると、そこに広がる深夜の闇。
ヒューと、冷たい風が部屋に吹き込み、私の全身をあっという間に冷やしていく。
もう11月も半分過ぎた。
もう少しで冬本番か。
私は寒さに震えつつ、ドアを閉めた。
吹き込む風のせいか、そのドアが妙に重たかった。
そんな気がした。 「こんなの間違ってる」
10月中旬。
朱汐(あかしお)公園。
僕は怒っていた。
僕たちは今、事件というのも痴(おこ)がましいほど、些細な事件の調査をしている。
凶暴化している‘らしい’鳩の調査。
それは僕たち、特殊不明捜査班、『十九班』の仕事ではない。
警察、いや、役所の仕事だ。
もし事件性があるなら、言葉は悪いが本来なら被害者が出てから僕たちのチームに回ってくる仕事だ。
僕たちは事件が起きてから動くチーム。
正直、僕たちの扱う事件は未然防ぎようがない。
まぁいい。
百歩譲って、そこまではいい。
しかし、実際、その鳩たちが少々やばかった。
鳩は確かに僕たちを襲ってきた。そしてそれを同僚の森中が銃で撃退した。
何もおかしいことはない。
明らかに攻撃的だった鳩を撃ち殺したのだ。
要望通りに。
しかし、あいつは謹慎処分。
公然の公園で刑事が鳩に発砲した。
客観的な字面から言えば確かにおかしいが、それでも事実は違う。
あの鳩は悪い。
それは紛れもない事実なのだ。
なのに……
「理不尽だ」
僕は地面に転がった小石を蹴飛ばした。
別に小石が邪魔だったわけでも、小石が不快だったわけでもない。
意味もなんてない。
ただ、そうしたかっただけ。
「黛さん! 怒ってもいいですけど、石蹴ったらダメです」
後輩の傘井(かさい)がそんなフォローを入れる。
ごもっともな意見。
しかし、僕はその注意を聞かず、また小石を蹴っ飛ばした。
飛んでいった小石が、池の中に吸い込まれ、波紋を広げる。
蹴った勢いでズレたメガネを、僕は丁寧に掛け直す。
「ダメって言ってるじゃないですか! 池の鯉に当たったらどうするんです」
「……鯉?」
「ええ、鯉には罪はない」
鯉に罪はない。
その通りだ。
悠々と泳いでいたら。いきなり沈んできた小石に襲われるわけだ。
理不尽以外何者でもない。
……
僕たちが怪奇と言っている存在もきっとそうなのだろう。
怪奇に悪意はなく、ただ僕たちは理不尽に巻き込まれているだけ。
その巻き込まれた結果、消えたり、死んだりするだけ。
だから、仕方がない、のか?
そんなの……
絶対におかしい。
「でも、黛さん、私、思うんですよ」
傘井は考え込むように言う。
ふわっとした髪が、静かに揺れる。
「仮に人を襲う鳩がいても、鳩に罪はないと思います」
鳩に罪はない。
鳩が怪奇であれ動物であれ、本能のままやった行為であれば。
罪はない。
じゃあ、一体に悪いんだ?
一体、僕たち。
何を呪って生きればいいんだ?
「黛さん! ぼーっとしないでください。私、西側から見てきますんで、東側からお願いします」
傘井は僕を置いてけぼりに、スタスタと道を歩いていく。
後輩なのにキビキビと動く。
いや、いつもなら僕もそのはずなんだが……
「はぁ……」
気が進まない。
何やってるんだ、僕は。
まだ秋に成りきれていない生暖かい10月の風。
今の僕には、それがどことなく冷たく感じた。   ��ーン
乾いた音が、僕の耳を駆け抜けたのは、傘井と別れてすぐのことだった。
刑事だからそこ聞き慣れているその音。
しかし、こんな真昼間の公園で響いていい音ではない。
対岸の方。
灰色の鳩が森から飛び立っていく。
そこは傘井が見回りに行った方角だった。
森中の発砲時のイメージが、脳内にフラッシュバックする。
「何かあった?」
僕は走りながら傘井へ連絡する。
しばらく着信音が鳴るが、繋がらない。
「くそっ」
先日の森中に続いて、傘井も?
くそっなんなんだよ。
黒谷(くろたに)さんがいなくなったからって、こうもおかしなことが起こるのか?
僕は、失踪した上司の背中を思い出す。
あの背中にずっと、守られていたのか?
力不足。
くそっ。
僕は全力で来た道を全速力で走る。
もしかしたら、傘井が鳩に襲われているかもしれない。
もしかしたら、傘井が誤射しただけかもしれない。
もしかしたら、傘井が消えてるかもしれない。
もしかしたら。
もしかしたら。
不安は増幅するばかり。
僕はちょっとでも速く、ちょっとでも速くと、足に力を込める。
しばらく無心で走り続けた。
すると。
拳銃を握ったまま座り込んでる傘井の姿が見えた。
見る限り、鳩に襲われてもいないし、怪我もなさそうだ。
よかった。
無事そうだ。
安堵で身体が軽くなる。
「傘井!」
僕の呼びかけに、傘井は震えながらこちらを向く。
どこか目が虚ろで、心ここに在らずだった。
「ま、黛さん、ははっ、私…… 撃っちゃいました」
そう力なく言う。
「落ち着け、一体何があったんだ?」
僕は傘井に問う。
すると、傘井はがっちり握っていた拳銃から片手を外し、池の方を指差す。
指の先。
「……!」
それは人だ。
人が倒れている。
僕は迷いながらも傘井をその場に残して、その倒れている人に駆け寄る。
が……
「ぶっ、なんだ、これ?」
悪臭。
それは。
体の前面が何かに食い荒らされている人だった。
男性か、女性かも分からない。
サイズ的には、成人はしているようだが、年齢さえ検討がつかない。
前面は真っ赤に染まり、夥(おびただ)しいほどの血液が辺りに広がっている。
「…ぅっ」
鼻にこびりつく、鉄の匂い。
目を覆いたくなる、血の惨状。
事件か? 事故か?
どちらにしてもこれは……
異常だ。
僕はすぐに龍浜さんに連絡を入れる。
気怠(けだる)そうに出た龍浜さんに簡単に状況説明をすると、すぐに電話が切れた。
おそらくすぐ来てくれるだろう。
こんなもの。
「一般人が見ていいもんじゃない」
僕は辺りを見回す。
幸いにも、ここには僕たち二人しかいないようだ。
応援が来るまで、誰も来なければいいが……
僕は、被害者を気にしつつ傘井のところへ戻る。
項垂(うなだ)れたままの彼女は、相当ショックを受けているようだ。
いつもの元気な姿は、ここにはない。
「今龍浜さんを呼んだ。すぐ来ると思うからしばらくそうしてて」
「……はい」
僕は彼女の握る拳銃を静かに取る。
相当の力が入っていたのか、彼女の手は赤く、微かに血が滲む。
「言える範囲で。一体、何があった?」
「……鳩」
「鳩?」
震える肩を抑えながら、傘井は続ける。
「鳩があの人を襲っていたんです」
僕は、その言葉に愕然とする。
今回の通報の通りの現象。
森中が襲われたときと同じ。
いや、今回は違う。
目の前で事件が起きて、被害者も出ていた。
くそっ。
最悪だ。
なんでこんなことに……
僕の苛立ちと不安は、治(おさま)らない。
本当にこの町は
どうしてしまったんだ?
その時。
ポツンッと、傘井が呟く。
「どうして、私」
力なく漏れる、声とも呼べない、その小さな呟きが。
僕の耳に、届いてしまった。
「鳩、撃っちゃったんだろう」
……
心が、ざわつく。
僕は耳を疑う。
はと?
何を言ってるんだ?
鼓動が早くなる。
傘井に気づかれないよう、動揺をひた隠しにするが、整理が追いつかない。
傘井は震えたまま、悲しい表情を浮かべていた。
今、なんて言った?
鳩?
まさか。
こいつ、まさか。
被害者じゃなくて、鳩に?
鳩を撃ったことにショックを?
……
本当に、こいつは。
何を言ってるんだ?
……
いや。
いやいやいや。
僕は負の感情を振りほどく。
今はこの事件の解決が先決だ。
冷静に、冷静に。
僕は傘井の介抱をしつつ、もう一度情報を整理し、龍浜さんたちが来るのを待った。
しかし。
傘井から少し距離が離れていたのは。
言うまでもなかった。 「その眼帯どうした?」
龍浜さんが到着して30分程度経過した現場。
そこには謹慎処分中の森中の姿があった。
しかし、右目に厚手の眼帯に隠されていた。
先日、飛蚊症(ひぶんしょう)の症状を訴えていたが、まさかそれか?
「なんでもない」
彼女は素っ気ない。
いつもそんな愛想が良い方ではないが、それでも違う。
絶対何かあった。
ただの飛蚊症ではなく、ただのものもらいではなく。
何か、言えないこと。
不安は尽きない。
「そんなわけないだろ? この前飛蚊症がどうこう言ってたじゃないか」
いつもよりしつこいと思いながら、僕は声を掛ける。
冷静に。
これ以上、このチームに何かあっては身が持たない。
これ以上、このチームのメンバーに何かあって欲しくはない。
ただ、それだけ。
しかし。
「黛くんには関係ない」
そんなことを、言われた。
いつもなら流せるその鋭い言葉が、僕の心を刺す。
ただ、心配しているだけなのに……
ただ、変わって欲しくないだけなのに……
「そう」
僕は精一杯そう答える。
感情を押し殺し、たった二文字の言葉を吐く。
しばらく、沈黙。
「……何かあれば言って、力になるから」
そんな、自分なりに優しい言葉にも、森中からの返答はない。
なんでこんなに。
変わっていくんだろう。
黒谷さん……
僕は、一体どうしたら。
僕は、一体。
今、何ができるんだ?
一人現場に残された僕に対して。
それの回答をしてくれる人は誰もいなかった。 夕刻。
僕は今、朱汐公園の前に来ている。
龍浜さんは上席への報告。
本格的な捜査方針は、報告が終わってからということになり、他の人たちは各々の帰路へついてしまった。
僕は一人。
「……」
正義感からか、焦燥感からか、わからない。
でも、何かしなきゃいけない。
そう思ったのだ。
黄色い規制線をくぐり、僕は公園に一歩足を踏み入れる。
広がる湿った匂い。
どこか空気が重い。
重いのは公園のせいか、気持ちのせいか。
わからない。
僕には、わからない。
僕は重い足取りで、事件現場に向かう。
刹那。
  パーン パーン パーン
発砲音。
「!」
嘘だろ!?
僕は走る。
もうすっかり聞き慣れた銃声。
でも、何か無ければ聞こえるはずもない音。
僕は舗装されたコンクリートの道をしっかり踏みしめる。
昼に来たときよりも遠く感じるその距離。
先が見えない。
先が、見たくない。
  パーン パーン
再び聞こえる銃声。
何が起きてるんだ?
もう、嫌だ。
なんなんだよ!
「くそ!」
僕は迷いを振り切り、足に力込める。
体感で時間をかけつつ、辿り着いた先。
そこは、昼の現場に近い池のほとり。
そこには……
「森中……」
先に帰った、森中の姿がそこにはあった。
片手には拳銃が握られている。
あいつか? だよな。
背中から感じるオーラというか、雰囲気がどこか違う。
言葉には言い表せれないが。
どこか覚悟を決めているような、そんな感じがする。
僕は駆けよろうとした。
しかし。
  なんでもない
  黛くんには関係ない
「……」
僕はそのまま。
木の影に身を隠す。
どうしても。
今、彼女の横に立てる気がしない。
そう思ったのだ。
森中は、微動だにせず、池を見つめている。
何かあるのか?
彼女にはそういった類(たぐ)いが見える性質はなかったはずだけど。
何もできない僕は、観察を続ける。
ふと。
彼女が拳銃をしまい、池のほとりにしゃがみ込む。
池に何か浮いている?
ここからじゃ全く見えない。
刹那。
彼女が尻餅をつき。
立ち上がると、そのままこちらへ走ってきた。
僕はバレないように咄嗟に身を屈(かが)める。
全力で駆け抜けていく彼女。
その背中を、湿った風が吹き抜けていった。
「な、なんだったんだ?」
僕は呟く。
彼女は一体、何を見ていたんだろう?
僕は、思考を巡らせる。
鳩。
彼女の態度。
眼帯。
朱汐公園。
「もう、なんなんだよ」
僕は弱く、悪態をつく。
目まぐるしく変わる今に、戸惑いが隠せない。
くそっ、くそっ、くそっ。
僕は、何をしてるんだ?
今からでも森中を追いかけるか?
かっこ悪いけど、でも、何もしないよりはいいだろう。
と思い、立ち上がろうとした。
刹那。
人の気配。
タイミング悪くやってきたそれに、僕は再び身を隠す。
もう完璧に不審者だ。
でも、誰だ?
規制線引いてるから、一般人はこの公園には入ってこれないはずだが…
……
気配が止まる。
僕はゆっくりと身を乗り出す。
え?
そこには。
傘井の横顔が見えた。
署ですっかり気落ちして、帰っていった彼女。
なんで?
どうしてまたここに?
疑問が尽きない。
しかし、その疑問はすぐ払拭されることになった。
「ごめんね、さっきはお友達撃っちゃって」
傘井が空に向かって声を出す。
よく見れば、近くの木々には数羽の鳩の姿が見えた。
お友達。
昼間、彼女が撃った鳩のことか?
……嘘だろ?
僕は傘井と組むことはあまりなかったけど、でもこんなに…… こんなにも動物好きとは思わなかった。
いや……
  鳩、撃っちゃったんだろう
彼女の呟きが思い出される。
これはもう、動物好きなんて言葉じゃ片付けられない。
これは、異常だ。
「これ、お詫びだよ」
そう言い、彼女は持っていたビニール袋を開ける。
そこにはパンの耳が大量に入っていた。
そのパンの芳醇な香りを嗅ぎつけてなのか、あたりの木の枝にどんどんと鳩が集まってくる。
一羽、一羽。
どこにいたのかわからない。
多くの灰色の鳩たちが、そのパンを今か今かと狙う。
  ポォ
獲物を狙う声。
彼女はそれを物ともせず、手にパンくずを置く。
「さぁ、おいで!」
刹那。
無数の鳩が彼女の掌を目掛けて飛んできた。
「ちょっ……!」
流石に止めに入ろうとするが、あっという間に彼女は鳩に取り囲まれた。
バサバサと翼を羽ばたかせ、彼女の腕や肩に無数の鳩が群がる。
見ると少しグロテスクな状況ではあったが、鳩の隙間から見える彼女は……
笑っていた。
……
僕は唖然とする。
言葉にできない気持ち悪さ、絶望感。
なんなんだよ。
僕が思い描いていた日常とは程遠い、日常。
受け入れたくない、異常。
一変した。
畳み掛けてくる現実。
整理がつかない思考。
混沌。
負の感情が、一気に僕を襲う。
「あ」
耳に届く、傘井の声。
僕はおそるおそる、傘井の方を見る。
「!?」
傘井の口。
そこから。
一羽の鳩が見えた。
灰色の羽が、ピンク色の鉤爪、黒ずんだ尻尾。
鳩の顔が見えない。
その半分以上が、傘井の口に入っている。
傘井が鳩を飲んでいる。
いや、違う。
鳩が傘井の中に入ろうとしている。
「ぁ、が」
隙間から漏れる傘井の声。
そして。
  ズルンッ
鳩が一羽、傘井の中に呑み込まれる。
……!
いけない!
僕は傘井に駆け寄ろうと木の影から飛び出す。
その瞬間、僕は無数の鳩に取り囲まれる。
「な!」
薄暗い中、鳩たちは僕目掛けて飛んでくる。
くそっ!
僕は、それを必死に避ける。
しかし、数が多く、ザクザクと嘴が、鉤爪が、僕の身を抉(えぐ)る。
く、そっ!
それを払いながら傘井を見る。
彼女の口から、一羽、また一羽と、鳩が彼女に入っていくのが見えた。
直立のまま動かない傘井。
みるみる体が膨れあがっていく。
目の前に広がる現実。
異常な現実。
くそ、一体。
「一体なんなんだよ!」
そんな声をあげた。
刹那。
  ザクッ
「ぅっ」
全身に熱が広がる。
一番熱いところを見る。
一羽の鳩の嘴が。
僕の脇腹に刺さっていた。
それが抜かれ。
鮮血が舞う。
僕は足から崩れ落ち、地面に全身を打ち付ける。
飛んでいくメガネ。
力が、入らない。
ぼやけた視界で見えるには、僕の近くに降り立った何かと、パンパンに膨れ上がった人影。
あぁ、僕も死ぬのか……
そう覚悟した。
意識が消えていく。
刹那。
「邪魔しないでください」
そんな冷酷な声が、聞こえた気がした。 目が自然に開く。
目の先には暗闇が広がっていた。
ぼんやりとした視界で、何も見えない。
そうか、メガネが……
僕は寝起きの感覚で腕を伸ばす。
「目が覚めましたか?」
そんな優しい声が聞こえた。
「うわっ!」
  ズキリッ
起きようとした拍子に、腹部を突き刺すような痛みが走る。
イッッ!!
僕はそのまま背中を地面に預ける。
状況が、読めない。
「まだ、起きないほうが良いですよ」
知らない女性の声。
その声の主が、僕の顔にメガネをスッと掛ける。
ヒビが入っているのか、視界が割れる。しかし、見えることに関しては問題なく、僕は見える範囲であたりを見回す。
わかったこと。
ここは外だ。
そこには雲ひとつない夜空が広がっている。
少し肌寒い。
そして、もうひとつ。
視界の真ん中に、知らない女性。
しかも、その知らない女性に、あろうことか膝枕をされていた。
一体、どういう状況だ?
混乱が混乱を呼ぶ。
「しばらく、このままで話をしましょう」
知らない女性は冷静に言う。
身動きを取れない僕は、それをただただ聞くことしかできない。
「ここで見たことすべて忘れてください」
ここで見たこと。
その言葉に、記憶がフラッシュバックする。
昼間の惨劇。
眼帯の森中。
鳩。
そして、膨れあがった傘井。
そうだ。傘井?
「あの、傘井は? 僕の近くにいた女性は?」
痛みを堪(こら)えつつ、僕は女性に問う。
ここが死後の世界でないなら、僕は生きている。
どうやって生き残ったのかはわからないが、でも。
それなら傘井も同じように……
女性は
「この町はおかしい」
答えない。
その目線は、あの池の方を見つめている。
遠く、そして訝(いぶか)しく。
苦悶の表情を浮かべながら。
「この町には、知らない方が良いことがたくさんある」
だから……
その女性は続ける。
悲しそうに。
静かに、言葉を紡ぐ。
「諦めてください」
それが、きっと答え。
その言葉を聞き。
僕は脱力感に襲われた。
そのまま、僕の意識は消えていった。 傘井の行方不明。
それは、事が起こって数日後にチームに知らされた。
初めは、あの凄惨な事件現場にショックを受け、休みを取っているのかみんな思っていたが、実際は違う。
  あの日から帰ってないみたいですよ
管理人の言葉。
本来なら、仕事が嫌になって何処かへ逃げ出したのかと思うところだが、この町では違う。
行方不明。失踪。神隠し。
あの事件の後だ。
うちのチームだからこそ、そう考えられた。
「……」
僕はその知らせを、無言で聞いていた。
本当はその現場にいたこと。
本当はもっと、もっと、凄惨な事が起こっていたこと。
僕は誰にも言えずにいた。
このままじゃいけない。
このままじゃいけない。
  この町はおかしい。
僕は、あの女性の言葉をどうにも払拭できずに日常を過ごしていた。
黒谷さんが消え、矢崎は戻ってきて、傘井が消え……
この町に振り回される。
理不尽だ。
そんな言葉しか、思い浮かばない。
そして僕は。
一つの結論にたどり着いた。 「何か御用ですか?」
あれから数週間後。
僕はある神社を訪れていた。
人に会うために。
その女性は、その神社の前の鳥居…… 神社との境界線の前で掃除をしていた。
さっさっさと掃いた先に、砂埃が立つ。
「あなただったんですね? 僕を、助けてくれたのは」
僕は、その女性、巫女服の女性に問う。
その問いに対し、女性は何も答えない。
あのとき、もう一度眠りについて、気がついたときには誰もいなかった。
謎の女性。
でも、忘れルことができないその顔。
僕は町のデータベースと照合した。
年齢、性別、容姿。
すべてに合う女性はこの町でただ一人だった。
水渡(みわたし)神社の神主、万月(よろづき)さくら。
「何のことでしょう?」
嬉しそうに、万月はしらばくれる。
服装こそ違うが、それでも喋り方も、その雰囲気も同じ。
僕はかまわず続ける。
「僕は、この町を正常にしたい」
この町はおかしい。
この町は狂っている。
この町でこれ以上……
「犠牲者を出したくない」
そう言った。
その瞬間。
万月は人差し指を立て、口に当てる。
「声が大きいです。神様に聞こえますよ」
そう言い。
ニィと笑う。
……
悪寒。
神主って職の人に今まで関わったことはない。
しかし、それなりに潔白なのかと思っていた。
が、違う。
こいつも異常だ。
良い言葉が思いつかないが……
禍々(まがまが)しい。
「……」
しかし。
  力不足
以前、僕が感じたこと。
力には力。
それがこの世の理(ことわり)だ。
「教えてくれ」
僕は尋ねる。
「どうすれば、この町が正常になる?」
彼女の笑顔は崩れない。
不敵な笑みを浮かべ、ちょいちょいと、指を動かす。
「どうぞ、お入りになってください」
彼女はスススと動く。
しかし、鳥居を潜(くぐ)らず、わざわざ迂回し境内に入る。
僕もそれにならい、彼女の後に続く。
神社の奥は、深い闇に包まれていた。
いや、違うか。
この町がすでに闇なんだ。
僕は万月の後ろ姿を追った。
闇へ、闇へ。
消えた。 「黛くん、いる??」
チャイムを押しても出てこない彼に苛立ちを隠せず、ドアノブをひねるとドアは抵抗なく開いた。
几帳面なあいつが、家の鍵をかけ忘れるなんてある?
私は不安を感じつつ、ゆっくりと部屋の奥へ入る。
キッチンは使いっぱなしの皿もなく、食器は片付けられていた。
棚は整頓され、ゴミ箱には何も入っていないい。
さすがと言うべきか、予想通りというべきか、とても綺麗だ。
いや、さすがに……
「綺麗、すぎない?」
私の不安が一気に広がる。
仕事を辞めるだけなら、こんなに綺麗にする必要はない。
これじゃ、まるで……
ふと。
机の上に、封筒があるのを見つけた。
私は恐る恐るその封を開ける。
そして……
「な、なに? これ……」
そこには一言だけ。
丁寧な文字で書き記されていた。
  この町を変える
Tumblr media
営業時間はとっくに終わっている深夜。
しかし、喫茶店の灯りはついていた。
暖炉の火が暖かく空間を彩り、珈琲の香りが心を安らげる。
その、はずだった。
カウンターで項垂(うなだ)れたエプロン姿の女性、縁(よすが)あおいは動かない。
その横には空っぽの珈琲カップと、同じく空っぽの角砂糖の小瓶。
JazzのBGMは聞こえない。
眉間に皺(しわ)を寄せ、なにか考え込んでいる。
「マスター、不安なのはわかりますが……」
その縁に、時雨(ときさめ)晶(あきら)は声を掛ける。
心配そうに、それこそ、不安そうに。
その手には、湯気の立つミルクが入ったカップが握られていた。
「不安…… そうですね、不安。もう不安過ぎます」
目を閉じたまま、縁は言葉を吐き出す。
いつもより強い語気。
怒っているのか、悲しんでいるのか。
縁は誰にも向かっていない言葉を続ける。
「さくらが何をしようとしているのか、検討はつきます。でも……」
縁は言い淀む。
流れるように出てこない言葉。
歯切れが悪いというより、言葉にすることが悪いこと。
そう、聞こえる。
「どれだけ恨みがあっても、それは、彼女が、いえ、誰もがやってはいけないことなんです」
  ドンッ
縁が叩いた古いカウンターがギリギリと悲鳴をあげる。
その感情のこもったの拳は、なかなか解(ほど)けない。
震えながら、縁は続ける。
「神様を殺すということがどういう意味があることなのか、彼女が知らないわけが」
「じゃあ、止めてあげないとですね」
激昂する縁の言葉を、時雨はピシャリと切り止める。
その反応に驚いたのか、縁は顔をあげ、時雨の方を見る。
時雨は真剣な表情を浮かべている。
しかし。
「でも、今すぐじゃないんでしょう?」
表情を解ける。
微笑んだその顔は緊張した空気を少しずつあたためていく。
優しい顔の時雨。
今すぐじゃない。
その言葉に、縁は罰が悪そうに目を伏せる。
「心を落ちつかせてください」
そう言い。
時雨は縁の前にホットミルクを置く。
薄い湯気のたつカップから、牛乳甘い香りがほんのり漂う。
「あ、ありがとう」
「いえ」
そう言い、時雨は奥のテーブルへ腰掛け、同じホットミルクを啜る。
時間が経ち、膜の張ったホットミルク。
それをスプーンで剥がすと、白い白い液体。
そこに、縁の顔が映る。
心配そうな、余裕のない顔。
縁は目を閉じる。
そして……
「時雨さんの言う通りです。今すぐにじゃない」
余裕ない表情は、今はない。
縁の眼差しは、凛と今を、現実を見つめていた。
「さくらを止めます」
そう言い、縁はホットミルクに静かに口をつけた。
深夜のその決意。
神様が悪いのか、怪奇が悪いのか、はたまた人間が悪いのか。
誰もが苦しむこの小さな世界に。
少し光が射した。
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