Tumgik
e-ecoqlog · 5 years
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have a nice day!..赤黄
    毎朝、決められた時間に緑間はテレビを点ける。もちろん、日課であるおは朝の占いで今日の運勢とラッキーアイテムを確認するためだ。占いコーナーの前には天気のコーナーがある。新年度の始まる今日は、隣県まで足を延ばす用事があった。天気や気温を確認しておいてもいいだろう。手元のリモコンで、小さく絞っていたボリュームをあげる。  バラエティのお料理コーナーが終わって、中継はスタジオから屋外へと切り替わる。そういえば、先月まで天気を担当していたキャスターは、寿退社をしたといっていたか。明るく清楚なイメージのする彼女に、朝から元気をもらっていたという声も耳にしたことがあった。緑間は、天気のコーナーについて特段なにかの感情を持つことはなかった。ただ、正しく情報を伝えてくれればまあ、それで。  ミルクをいれた熱めのコーヒーをすすりながら画面を眺めていると、空にたかくそびえるテレビ局の社屋を映していたカメラはゆっくりと降りていく。はじめに見えたのは、ひよこみたいな明るいたんぽぽ色の頭。それから、緑間のよく知る顔が現れる。朝日よりもまぶしい笑顔を咲かせて、嬉しそうにカメラに向かって手を振る男。後ろに集まった女性ギャラリーから黄色い歓声があがった。 「おはようございまーす! 今日からお天気コーナーを担当することになった、黄瀬涼太っス!」 「なっ……なんなのだよ、それは!」  思わず立ち上がり声を荒げた緑間にも、黄瀬はさわやかな笑顔を振りまいていた。       その話を是非黄瀬に、という打診を受けたとき、このうえないチャンスだというのに、黄瀬は曇った表情になり迷いを見せた。確かに朝の番組にレギュラーを持ってしまえば、他の仕事への影響も多くある。しかし、それに余りある効果が得られることは明白だった。けれど、黄瀬が躊躇ったのはそれよりも、朝が弱い恋人の存在があったからだ。
「赤司っち、目覚まし時計止まってるっスよ? ほんと、お寝坊さんで困るっスね~」  まるでライトノベルの幼馴染キャラクターのように黄瀬は勝手を知る部屋にあがりこみ、カーテンを豪快に開いて朝陽を迎え入れると、布団にくるまれた赤司を揺さぶった。んん、という合間から漏れ出た不機嫌な呻きにも動じない。 「起きて、今日の目玉焼き、じょうずに半熟にできたんス。赤司っちに食べてほしい」  甘えるように言うと、赤司はしぶしぶといった感じで布団から顔をだした。黄瀬にお願いされてしまうと、やはり赤司は弱い。腕を引っ張られて起こされて、ぱちりと目が合う。黄瀬のひとみは琥珀のようで、光を浴びると透き通るように輝いた。 「おはよう、赤司っち」 「……おはよう」  嬉しそうに目を細めて、はちみつよりも甘い笑みで笑いかけてくれるもので、赤司はきゅんとときめいてしまう。かなわないな、と思いながらそのまぶしさにたまらない愛しさを感じて赤司は朝を受け入れる。  そんなふうにほとんど毎朝、黄瀬は甲斐甲斐しく赤司の自宅に通い、赤司を起こして寝癖を直してやり、身支度を整えさせ、ときには黄瀬の好みで服をコーディネートし、そして朝食を一緒に食べて出かけていたのだ。その習慣ができなくなることが、黄瀬は不満だったらしい。  すぐに返事は出来ない、と言って黄瀬はそれを持ち帰り、赤司に相談したのだった。けれど意外にも赤司はあっさりとした態度だった。ソファにゆったりと深く腰掛け、話を聞き終わってふぅん、と頷く。 「いいじゃないか、やってみれば」  もうすこしなにかあると思っていたのに、肩透かしを喰らって黄瀬は不安になる。黄瀬にオファーしてくるなんて、なかなかセンスのある企画じゃないか。そんなことを言って満足げに笑っているもので、身を乗り出して問い詰める。 「だって、赤司っち……ひとりで起きれるんスか?」 「ばかにするな」  むっとしたように反論されて、黄瀬はそれ以上の言葉が見つからなくなった。たしかに、黄瀬が迎えに行かない日でも遅刻をしているわけでもないし、あまり台所に立たないとは言え赤司は料理だってできる。寝癖を直すことや身支度だって、当たり前のことが当たり前にできる、ちゃんと自立した大人なのだ。 「それにせっかく黄瀬を選んでくれたんだ。期待されているということじゃないか。朝の番組で毎日黄瀬を見られるなんて、ファンは喜ぶだろうね。オレも嬉しいよ。そもそも、黄瀬だってこんな機会は逃したくないだろ。オレのことなんかより、黄瀬が望むことを、やるべきなんじゃないのかい」  やさしく激励してくれた赤司だったが、ふと笑みが困ったようなものに変わり、綺麗な眉を下げた表情になる。 「ただ、黄瀬のその笑顔を独り占めできなくなるのは少し……妬けるな」 「っ……別に、そんなの……」  ふい、と顔を逸らそうとしたのを、赤司が先回りして頬に触れることで阻んでしまう。気障なことを言ったのは赤司のはずなのに、それが似合ってしまうからずるい。恥ずかしいような、嬉しいような、ちょっぴり情けない表情を見られてしまって、少しだけ泣きたくなってしまった。  かわいい顔、なんて笑われて、ますます黄瀬はとろけてしまう。べたべたに甘えたこんな顔は、たぶん、赤司にしか見せていない。見てなんかほしくないのに、見せてしまいたい。慈しむように頬を撫でていた赤司に、キスをねだってくちびるを重ねた。舌の先でくちの中をやわく撫でられるとたまらなく、絡めた指に力がこもる。どうしたって期待をしてしまって、くちびるを離した黄瀬はちょいとあざとく首を傾げて赤司を誘ってみる。 「する?」 「しない」  赤司は即答して、ましろい額にちゅっとかわいい音を立ててキスをした。これでおしまい、という合図のようで、猫のように擦り寄ろうとしていた黄瀬の身体も引き離す。 「明日も早くから仕事がある黄瀬とはしない」  きっぱりと繰り返した赤司のストイックさに、黄瀬は呆れて笑ってしまう。もっと、無理をさせてくれてもいいのに、後先考えずにがっついてくれても、なんて、そんな淫らなことを思ってしまう。けれど黄瀬は、赤司のその誠実さが好きだった。  淫靡な空気を断ち切るように、読みかけだった本を手に取ろうとした赤司を黄瀬は押しとどめる。そこにいやらしさはなく、真摯さにどきりと心臓が一際大きく跳ねる。赤司を見つめる黄瀬は、強い意志を持って、決心をかためた様子だった。部活でバスケに熱中していた頃と変わらない、確かな信念を燃やすひとみは、なんてうつくしいんだろう。 「ねえ赤司っち、ちゃんとオレを見てて」 「……ああ、」  触れられないほどの貴さに、眩しさに耐えるように、赤司は目を細めて、凛とした黄瀬の表情にただただ焦がれた。  そうして無事に黄瀬はそのオファーを受け、毎朝カメラの前に立つこととなったのだ。今日は傘を忘れないで、風が強いから気をつけて、紫外線に注意して――明るい表情で、語りかけるように話す黄瀬は人々を魅了した。毎日のコーナー終わりに、いってらっしゃい、と笑って元気よく日本中に元気をふりまく黄瀬の、本当の顔を、赤司だけが知っている。       目覚まし時計が鳴るよりもすこし早く起きて、身支度を整え、朝食をつくる。滞りなく準備をするのは、特に苦というわけでもなかった。だらしない気持ちがないわけではないが、それを制御することは容易だ。実際のところはなにより、黄瀬に世話を焼かれるのが気持ちよかったのだ。黄瀬のほうも甘やかすことを楽しんでいたようだし、黄瀬に甘えることにもまた充足感を感じていた。仕事を優先させたとはいえ、あのころを思い出すとやはり、すこし惜しい気持ちにもなる。
 トーストをかじりながら、週のスケジュールを確認する。今日は平日だったが、特別に休みをとっていた。大型連休に入る前に、恋人と藤を見に行く約束をしているのだ。何年も前から一緒に行きたいとせがまれていたのに、なかなか機会がなかったので、ようやく念願叶って、という感じだ。  時間を見計らってテレビを点けると、すっかり朝の顔として定着した黄瀬が番組のゆるキャラらしい着ぐるみと一緒に手を振っていた。 「おはようございまーす!」  降水確率や気温、花粉情報などを一通り伝えたあと、スタッフからなにかフリップが渡される。カメラに向かってその写真を見せられた写真は、遠くの山になめらかなクリームをこぼしてしまったかのように、ぼんやりと白い靄がかかっているものだった。手前には薄桃の桜が咲いており、夢のように幻想的な風景となっていた。 「『この季節に見られる現象をなんというでしょう』……?」  台本にはないアドリブなのだろう、その質問文を読み上げて黄瀬は数度ぱちぱちとまばたきをする。しかしすぐににっこりと微笑んで、フリップをかかげてカメラを見た。 「知ってるっスよー! これは、春霞!」  ピンポーン♪ なんて、軽快なSEが鳴って、黄瀬は誇らしげな顔になる。 「でも、夕方や夜になると朧って呼ぶんスよ。朧月夜って言葉もあるっスよね。空気中の水蒸気やチリのせいで景色がぼやけちゃうんだって」 『へ~! 黄瀬くん、意外と物知りだね』  画面の端のワイプに映ったアナウンサーが感心して頷いた。意外ってなんスかあ! と黄瀬は拗ねた声をあげて、しかしすぐに次は照れたように表情を崩す。 「へへ、けど実はこれ、中学のときのバスケ部の主将が教えてくれたんスよ。その受け売り」  くるくると表情が移り変わり、嬉しそうに話すのがほほえましくてかわいらしい。素直なその姿は、ファンでなくとも好感を持ってしまうだろう。――実際はそれを、惚気だと知らない人たちは、だけれども。  フリップをスタッフに返して、黄瀬はカメラの前に向き直る。さすが現役モデルというべきか、ぴんと背を伸ばした立ち姿はかなり様になる。そろそろコーナーの終わる時間だ。 「最近はすっかりあったかくなってきて、おでかけも楽しみな季節っスね」  黄瀬は機嫌良く話して、うっとりとなにかを想像したような顔つきになった。……ああこら、ちゃんと隠しなさい。 「それじゃあ、今日も元気に、いってらっしゃい!」  テレビ画面越しでもきらきらと、とびきりのまばゆい笑顔が咲く。その笑顔に微笑み返すと、赤司は約束に間に合うよう、足早に部屋を出た。
  
(2017/04/30)
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e-ecoqlog · 6 years
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もふ..赤黄
※中学生赤司とおきつね黄瀬のふわっとしたパラレル     もふ。  つやつやのきらきら、こがねいろの立派な七尾が決して狭くはない部屋を占拠していた。屋敷に帰ってきてから、そのただならぬ雰囲気からおそらくそうだろうと察してはいたが、やはり実物を見れば抗えない混乱が赤司をおそった。  日本でも有数の名家である赤司家のセキュリティというのは生半可なものではないのだけど、しかしそれをまるでないもののようにこうして彼は赤司の部屋のベッドに寝転がっている。それは、彼がヒトではないなによりの証拠だった。勝手に本棚から取り出したらしいバスケットの雑誌を退屈そうにめくっている。まるでそれぞれが生き物のように奔放に動く尻尾は彼のやり場もない鬱屈とした感情をそのまま主張しているみたいだった。  ぱたん、と背でドアが音をたてて閉まる。すると頭からぴょこりと生えるさんかくの大きなきつねの耳が跳ねたかと思うと彼はがばりと身を起こした。赤司の姿をそのきんいろのひとみにとらえると、まるで主人を待ちわびていた愛犬のようにすり寄ってくる。拒もうとして拒み切れずに抱きとめてやると、やはり体格の差かその衝撃に赤司はよろけてしまう。 「赤司っち! おかえりなさい」 「……ああ、ただいま」  赤司の戸惑いを知ってか知らずか、当たり前のように言ってにっこりと笑う彼に、赤司はすっかり絆されて返事をしてしまう。順応してしまっているこの状況と自分がすこし怖い。赤司が複雑な表情をしているからか、彼はきょとんとした顔をしたが、すぐに撫でてほしいとばかりに長身の体躯をかがめる。絹のような金糸にそうっと指���差し入れると、嬉しそうに目を細めた。つややかな髪は触れるているほうがこそばゆくなってしまうほどにやわらかい。知らない花のような芳香がかすかにかおって、どこか懐かしく、けれどひどく遠い世界を赤司は感じた。  しばらく撫でられて満足したのか、彼は身軽にベッドへと舞い戻った。束になった尻尾を気まぐれに揺らすと数冊の雑誌が押し出されて無造作にばさばさと落ちてしまう。彼はそれに気がつかなかったか、じいっと赤司を見つめている。今日もばすけっと? 慣れない言葉をなぞるくちぶりは、いとけない子どものようだった。 「そうだよ、バスケットボール。……あと、本をちゃんと拾わないと、もう撫でてあげないよ」  赤司はわざわざ本を拾うことはせずに、彼の前を通り過ぎた。制服の白いジャケットを脱いで、ハンガーにかけながら彼を横目で見る。ベッドの上に座り込んで、きんいろのひとみがいまだまっすぐに赤司を見ていた、先ほどまでだらしなく寝そべっていたくせに彼の纏う着物に皺や乱れは見られない。けれどそれはふしぎではない、なぜなら彼はふつうではないからだ。それなら、通常あるべき事象がねじまがってしまってもなんらおかしいことではないだろう。赤司も、おそらくそれに巻き込まれたもののひとつだ。  しばらく呆けていた彼は、なでてあげない、と赤司の言葉をもごもごとくちのなかで繰り返した。そうすることで言われた意味をどうにか呑み込めたようで、はっとしたようにあたりを見回す。振り返った拍子に豊かな毛並みの尻尾が、枕元の置時計をひっかけてカシャンと音を立てて落とした。その音にもかわいそうなほどに彼はびくついて、次は慎重に身体を動かしてゆっくりともとの位置に戻した。  数ヶ月前、桜吹雪の日に赤司の前にあらわれた彼は自分のことを、かみさま、だなんて言ってのけた。理由はわからないけれどなぜかすっかり懐かれてしまって、彼はことあるごとに――というよりなにごともなくとも――赤司のもとを訪れるようになった。最初はきつねの尻尾と耳によくできた仮装だと思ったのだが、その手触りは決してフェイクファーではなかった。引っ張ってみれば(このときはとてもいやがられた。涙目になったきんのおおきなひとみとその表情を赤司は忘れられない)しっかりとその身に生えている。なによりそのヒト離れした容姿のうつくしさは神々しく、やはり彼がヒトではないのだと感じさせた。神の存在をもとより信じていなかった赤司は、半信半疑のままなかば面倒になって彼の存在を受け入れた。彼はかみさまなのだ、たぶん。  大きな尻尾をできるだけ縮こまらせて、赤司から見れば無意味な努力をしながら彼は落ちた雑誌に手を伸ばしていた。念動力なる、手を遣わずしてものを動かせるという便利なちからを彼は持っている。実際に見せてくれたことだってあるのに、どうしてか彼はそれをつかわない。ううう、と唸りながらも注意深く、ようやく床に散らばる雑誌を拾い集めた。 「これでいい?」  きゅっと胸に数冊の雑誌を大切そうに抱えて、彼は赤司を上目づかいで見つめてくる。赤司よりも彼の身長はゆうに20センチは大きいというのに、どうしてそんな器用なことができるのだろう。どこか震えているような沈んだ声は、彼の真剣さを物語っていた。  赤司はネクタイもほどいてしまうと、ぽんぽんと彼の頭を撫でてやった。雑誌を受け取って本棚に戻すと、満足したように彼の尻尾は嬉しそうにふるふると揺れていた。その動きは無意識なのか、そのうちまた同じ失敗を繰り返してしまいそうだと赤司はこっそりと笑いを噛み殺す。 「うん、ありがとう。……あ、そうだ、ごほうびをあげる」  赤司は彼のためにと用意したものを思い出して、学生鞄を開いた。興味津々のひとみが赤司の動きをあますことなく追っていることに緊張してしまう。わざわざ学校の帰りに利用したことのない駅で下車して、立ち寄ったことのない大型バラエティショップで購入した。  かさかさと袋から出して彼に見せると、満ちていた期待が一気に消沈するのが手にとるようにわかった。赤司が手にしていたのは、大型犬用のブラシだった。ペットを買ったことのない赤司に相場なんてわからないが、お値段税込み2484円なり。 「な、な、なんスかそれ! オレをそこらへんの犬と一緒にするつもり?」  憤慨して頬を赤らめている彼の腕をひいてベッドに腰掛けると、きゃうん、なんてそれこそ犬みたいな啼き声をあげる。やだやだやめて、と情けない声を出しながら逃げようとするが、やみくもな動きを制するのは体格の差があっても簡単だった。もともとつやつやのさらさらとはいえ、主人のように自由に動き回る尻尾にはやはり跳ねたり乱れているところがある。  あまりにもいやがられるのはさみしくなってしまって、赤司は動きを止めた。くちをつぐんでうつむくと、彼もつられたように拒むのをやめた。あかしっち、とあまえた声音でおそるおそる様子をうかがってくる。くるくると移り変わる表情はかわいい。 「そんなにいや?」 「べ、べつに、手入れしてくれるのはいいんスよ! でも、でも、犬用なんて……」  犬用とはいえ、彼のために買ったことには間違いがない。一般的な中学生よりは多いかもしれないけれど、赤司だってお小遣い制だ。ひと月に遣える金には制限があって、そのうちの2484円を彼のためにつぎ込んだのだ。  ペットなんて飼っていないのだから、正真正銘彼のためだけに赤司はそれをここで握りしめている。そのきれいな尻尾を梳いてやりたい。しかし相手は確かにかみさまで、こらえきれない不安を胸にわだかまらせたまま赤司は正直にそう告げた。 「オレのために? 赤司っちが?」  気持ちだけはちゃんと通じたらしく、彼は戸惑いと喜びをないまぜにしながら赤司の手の中の犬用ブラシをまじまじと見る。笑みと怒りと悲しみがすべて混ざったような複雑な顔だ。まるいあたまから生えた耳も迷うようにぴくぴくと動いた。プライドと赤司を天秤にかけてしばらく、小さな声でちょっとだけならと呟いた。  緊張が抜けて赤司が笑ってしまうと、彼はちょっとだけだとまた念をおした。決心したようにおずおずと赤司に背を向け、ふかふかの尻尾をしゅるりと差し出す。なめらかな毛並みが気持ちよくて撫でていると、はふ、と彼はため息をついた。 「……顔は一緒なのに、全然違うんスよね」  ぽそりとぼやいた彼に赤司は首を傾げたが、詳しくを話す気なんてさらさらないようだった。誰かと比較をされているのは前々から気づいていたことだ。赤司としては面白くもないのだが、表情もわからない今は何かを言うことはやめた。  一度目は表面を撫でるようにブラシを尻尾にかけるが、たぶんこれではほとんど意味がない。馬にやるのとは違うだろうが、けれどその要領を思い出しながらもう一度根元から尻尾の先へとブラシをかける。 「んっ!」  びくんと肩を震わせて彼は声をあげた。驚いたようにちらと赤司を見遣るが、もちろん赤司はブラシをかけているだけだ。自ら出してしまった声に困ったように彼は自分のくちもとに指先でふれる。しろい指先がさくらいろの艶っぽいくちびるをなぞるのが官能的だった。 「ふあっ、……あ、」  しゅ、しゅっ、とくりかえしやるたびにに彼は甘い声をこぼす。……これではまるで喘ぎ声だ。  逃げてしまいたいのを我慢してか、ぎゅっと彼はシーツにしがみついている。逃げようと腰が浮いて揺れるのを、どうにか耐えてまた座り込む。大きなさんかく耳もぴんと立ったりぺたりと倒れたりとせわしない。気を紛らわそうとしたのか、彼は手近なクッションを抱きしめた。 「ま、待って、……んあっ、あかし、っち……あ、や、ああ、っん!」  何度も振り返って彼は懇願した。きんのまつげがぱさぱさと大きな音をたてそうなほどに空気を掻く。いつもひとの願いを聞き届けているであろうかみさまに、そんなふうにこわれることなんてそうないだろう。しかし、赤司はおのれのやるべき仕事があるのだ。待ってみたとしてもなにも変わらない、いやいやと首を振る彼にはかまわずに赤司は尻尾を梳き続ける。ちいさな毛の絡まりを丁寧にほどいて、どこでつけてきたのかわからない埃を払い、きれいなかたちに整うようブラシを何度も通した。  途中からは慣れてきたようで、最初のようなおおげさなほどの反応はしなくなるが、それでも嬌声みたいな吐息をこぼしつづけるので赤司は気が気ではなかった。力をこめられたクッションがへたれて歪んでいる。なんで、あかしっち、あん、やだ。非難するような言葉にも力ずくで跳ねのけられない限りはあまり説得力はない。彼の力があれば、いつだってやめさせることはできるだろう。甘えた声をききながら、赤司は尻尾を梳くことに没頭した。  七尾のうち二尾のブラッシングを終わらせると疲れてしまって、赤司はブラシを置いた。一尾あたりがとにかく大きいのでなかなか骨が折れる。雪丸相手なら時間をかけて全身をくまなく手入れしてやるのだが、このきつねのかみさまにはいつだって会えそうだし、一日��学校生活と部活を終えたあとで身体は疲れているし、……なにより、赤司の精神のために。 「あ、んん……、も、おしまい……?」  毛の流れを確かめるように手で撫でつけるだけの赤司に気づいたのか、物足りなさそうな顔をして彼は振り返った。きんのひとみは零れ落ちそうにとろんと濡れて、先ほどの怒りとはちがう意味を持って頬が朱をさしている。くすん、と情けなくしょげた音を鼻から鳴らした。  はたりと機嫌よく揺れる尻尾は、もともとの毛質のよさも相まってうるりとした艶をもってきらめいた。はじめてだったけれど、なかなかうまくできたと赤司は自負している。ばらばらの動きをする七尾は調子だってよさそうだ。なにかの具合を確かめるようにつるりと赤司の腕を撫でていく。 「今日はここまで。どうだった?」  毛並みの手入れをするたびにこれなら大変だな、とぼんやりと思いながら赤司がたずねると、クッションに半分顔を埋めたままの彼は困ったようにきれいな眉を下げている。答えるのをしばらくためらうが、赤司と目を合わせないようにしながらよわよわしく頷いてみせた。 「ん……たまになら、やってくれても、いーっスよ……」  言ってからたっぷり間をとったあと、顔をあげて赤司の表情を確かめてくる。そういわれるのはなんだか心地がよくて、そう? と赤司はゆるくくちびるを持ち上げて微笑んで見せた。途端にクッションを放り出してあたふたと首を横に振る。うなじにかかりそうなほどの長めの髪がきらきらと舞って、そとのひかりを透かしてまぶしいくらいだ。春の日はあたたかく、いいにおいがする。 「赤司っちだから! 特別なんスからね!」  怒っているのか照れているのかわからない言い方をして彼は赤司に迫ってくる。弱みを見せたとでも思っているのかなんなのか、違うのだと必死に言い訳をしている姿がやっぱりかわいらしい。  彼のくちから特別なのだと言われると、正直嬉しくて舞い上がるような気持ちだ。だって彼はかみさまで、それなのに一介の中学生にこんなにご執心なのだ。くちにしてしまえば彼はたぶん調子にのってしまうので、ぐっとこらえて飲み下した。 「ふふ、わかったよ。ほら、きれい」  なだめすかすように彼がいちばん好きなやりかたでさわってやる。高い位置にある頭を撫でて、つやつやでふわふわの尻尾に手を這わせた。恍惚としながら彼は赤司にもたれかかり、腕や腰にその豊かな尻尾を絡み付けてくる。きれいだと繰り返すと、うん、と彼はうっとりと笑った。      「おはよ」  めずらしく今日は遅刻でも欠席でもない日らしい。豊穣の稲穂の黄金にその髪色はよく似ている。彼もまた数か月前、桜の咲き誇る日に入部届を持って飛び込んできた。目のくらみそうなまばゆさに、赤司はどうしたって焦がれてしまう。  気まぐれな歩調に歩みを合わせてやって、通学路を辿る。試験が終わったばかりだから、最近の練習メニューは厳しめだ。メニューはみずから組んでいるとはいえ、赤司だって辛いことに違いはない。クラスや生徒会の仕事だって、家のことだってある。束の間の、気を緩める時間にだけ赤司はゆるく表情を崩した。  チームメイトやクラスのこと、試してみたいプレイスタイル。そんななんでもない会話の合間に、あれ、と声があがる。彼が立ち止まるので、赤司も同じように歩を止めた。いくらかある身長差を縮めるように、彼は慎重に身をかがめた。赤司の左肩、ジャケットに指先がふれる。きちんと手入れのされた爪先はさくらいろだ。 「赤司っちって、犬飼ってたっけ?」  白い制服についたきんいろの毛をつまみあげて黄瀬はくすくすと笑った。    (2016/01/05)
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e-ecoqlog · 6 years
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Mare Desiderii..赤黄
※多少の性描写と血描写、赤モブ、黄モブあり     月のない夜は、ひどくこころがざわついた。耳の奥がきんと痛んで、頭が締め付けられるような心地がする。ふらつきそうになる身体を気力だけで支えて、目の前の相手を叩き斬った。  船舶の甲板は、抵抗してきた乗組員の死体がそこかしこに転がっている。いつもは心地よいはずの夜の海風は、潮と血のにおいが混ざってなまぐさい。足元の死体を蹴ってひっくり返す。ポケットなどを探ってはみるがめぼしいものはなにも持っていなかった。見開かれたままの眼を見ないようにして背を向ける。  海常は海賊団だ。訓練された精鋭たちの集団で、略奪を生業にしている。獲物はほんの一部の例外を除いてみなごろし。行方不明になっていた船が、幽霊船となって帰ってくる――地上ではさまざまな憶測が飛び交い、海域の霊による怪奇現象ではないかという噂まであるという。  いつから自分が海賊だったのかを、黄瀬は覚えていない。ものごころがついたころから、もしかしたらそれよりもずっと前から、黄瀬は海賊だった。ずいぶんと長い時間を、ここで過ごしている気がする。けれど黄瀬の記憶は曖昧で、確かなことはなにひとつとしてなかった。思い出そうとすると、心臓に海水が流れ込むように冷えていくのを感じる。凍り付くような痛みから逃げるように、黄瀬は考えるのをいつも諦めた。 「おや、今日も探し物か。熱心なことだ」 「……赤司っち」  血にまみれた白い肌を乱暴に拭うと、黄瀬は悠然と空に浮かぶ赤司を見上げた。黒のマントが優雅にはためいている。血よりも鮮やかな緋色は、夜の海でも鮮明に主張した。上品なスーツが汚れてしまわないよう慎重に足をつける。そのくせ、血のついた髪を躊躇いなくしなやかな手で撫でるものだから基準がよくわからない。  赤司は吸血鬼だ。そう彼は自称したが、血を吸っているところなんて見たことがなくて、しいて言うならば略奪品のなかにあったトマトジュースを拝借して美味しそうに飲んでいたくらいだ。まったく冗談みたいな男だけれど、それでも黄瀬は赤司のことを気に入っていた。この関係を明確に言葉にしたことなんてなかったけれどきっと、友人、なのだと思う。  気まぐれにやってきては赤司は黄瀬にかまった。浮世から切り離されて生きるもの同士、普通、なんて程遠いというのに、とりとめのない話をして笑うのが楽しかった。船員たちはあまりいい顔をしなかったけれど、黄瀬は赤司とよく遊んだ。夜風にあたってゆっくりと話をすることもあったし、船舶の一角に設けられた個室でビリヤードやダーツやギャンブルに興じることもあれば、港町のバーで酒を飲んで女をひっかけることだってあった。ふたりの容姿があれば相手には困らないし、軟派な印象を与える黄瀬と紳士的な赤司の組み合わせは女を口説くのにちょうどよかった。貞操観念なんていつからかすっかりとなくしてしまっていて、刺激を求めてスワッピングなんかをやったことだってあった。 「見つかったかい」 「ううん。今日はなんとなく、気配を感じたんスけど……この海にはないんスかね」  赤司がたずねたとおり、黄瀬はずっと探し物をしていた。ずっとずっと、なくしたものを求めて海を彷徨っているのだ。けれど滑稽なことに、黄瀬は自分の探し物が一体何なのかさえ忘れてしまっていた。手にすればきっとわかるだろうけれど、姿形に宛などはない。ただ、おのれから抜け落ちてしまった大切なものを探している。広い海から、ひとつぶの涙をすくいあげるように。  うつむいた黄瀬の頬をそっと赤司の指先が触れる。その手はもう、誰のものとわからない返り血でべったりと汚れてしまっている。暗く濁った血は赤司には似合わなかった。 「ほら、きれいな顔が汚れてしまっているよ。はやく湯を浴びるといい。だいぶ、疲れているんじゃないか」  まだ物色をしている船員たちをちらりと見て、黄瀬は迷った。正直なところ今日も目当てのものになんて逢える気がしなくて、けれど、ほんのささいな一縷の望みも逃すわけにはいかなかった。何かを言いかけて、途端にぶれる視界に足がもつれた。  ふらつく黄瀬を、いくらか小さな赤司の体躯が抱きとめる。長いマントに包み込まれると、あたりに漂うなまぐさいにおいから覆い隠してくれるようだった。かわりに、赤司のかおりがふわりとかおって、不思議と安心してしまう。冷えきった体温がわずかにあがったような気がした。ほっと目を細めたのを見て、赤司は呆れたようにため息を��く。 「……言わんこっちゃない。いいから休んだらどうだい。今日はもう、見つからないだろう」 「アンタに、なにが……」  赤司は悪態を吐こうとした黄瀬の手をとって、温度のない白い指先にちゅっとひとつ、キスをした。       「どうして海賊に?」 「んー……なんか、海が好きなんス」  そうか、と静かに頷いた赤司の笑みがひどくさみしそうだったことを、黄瀬はいつまでも覚えている。  凪いだ夜の海は静謐に覆われていた。たったひとつ、世界の天井をくりぬいたような真円の月だけが明るい。青を映すような、やわらかな月の光は、いつもは読めないはずの表情まではっきりと照らし出した。幼くも見える顔つきがとても尊いものに思えて、胸がきゅうっと締め付けられた気がした。それ以上の言葉は喉の奥に詰まったまま出てこなくて、それからずっと、黄瀬は赤司に質問の意味を問い返すことはできていない。 「黄瀬?」  船室のチェアに座ってうとうととまどろんでいた黄瀬は、そばに歩み寄る緋色をぼんやりと視界に映す。赤司っちだ、と思うのに、身体は動かない。  このごろ、体中が錆びついてしまったように重くなることが増えた。眠っている時間も長くなって、急速な身体の衰えに戸惑う。砂時計の砂が落ちきって、すべて空になったら、きっと黄瀬の時間は終わりなんだろう。赤司は気づいているのかいないのか、それでもかまわず黄瀬のもとを訪れ、そばにいてくれた。なんでもない話をしてくれることが黄瀬の気持ちを安らがせる。ベッドの端に座って、髪を撫でてもらうと、どうしてか懐かしい思いが胸を満たした。  いらっしゃい。今日はポーカーでもしないっスか。なんて、笑いかけたいのにどうやってもできなかった。名前を呼ぼうとしても声は出てこなくて、どうしようもなく切なくなった。赤司っち、と、いつものように呼んで、赤司に笑ってほしいのに。 「……もう、限界なんだ」  赤司はちいさく呟いて、マントを脱いで放った。ジャケットごとシャツの袖をまくり上げると、鋭利なナイフをおのれの腕にあてる。日に焼けることのない赤司の肌は雪のようにまっしろだ。なにをするのか、予想がついたはずなのに判断が遅れた。やめろ、という声すらでない。す、と刃を滑らせるとわずかな時間差があって、肌に赤い筋ができた。ぷくん、と血の粒が浮かび、それは緩慢に肌をつたって重たげに流れ出す。 「飲め」  腕をくちびるに押し付けられて、その灼けるような熱さに驚く。赤司は吸血鬼だと自称しているが、黄瀬は吸血鬼なんかじゃない。血なんて飲めるはずがないじゃないか――拒みたいはずなのに、まるでずっと欲していたかのように喉が鳴った。  ぴちゃ、と震える舌をどうにか動かすと、唾液と血が混ざって濡れた音を立てた。赤司の血は甘露のようにかぐわしく美味だ。舐めるたびに快感にも似た感覚がぞくぞくと身体中を這い��ぼる。最初はいやいやに舐めただけのはずなのに、気づけば夢中になってちゅうちゅうと吸っていた。 「ほとんど賭けだったけれど、まだオレの力が及んでいるようでよかったよ」  髪を梳きながら赤司は頭を撫でてくれる。やさしい手つきにまで身体は快楽を覚える。赤司が独り言のように紡ぐ言葉の意味が黄瀬にはなにもわからなかった。 「おいしいかい」  美味しくて、気持ちいい。鉛のようだった身体はいつの間にか楽になっていた。吸って、舐めて、もっと欲しくて甘噛みまでしてしまったところで黄瀬はようやく、自分が何をしてしまったのかということを理解する。そして、赤司がなにを自分に強いたのかも。  唖然と赤司を見上げると、赤司は黄瀬のくちびるについた血を指で拭った。ばらばらにくだけたまま、深くへとしまいこんでいた記憶の欠片が、ちかりと波のようにひかってその位置を示す。ぐらぐらと頭が揺さぶられるような目眩がした。赤司の血のにおい、黄瀬がいつも求めていた探し物、違和感ばかりの記憶と感覚。 「赤司っち」  慣れた呼び名を口にすると、赤司は安心したようだった。黄瀬が伸ばした手は、赤司の心臓の位置に重ねられる。恐怖か、それとも高揚か。かたかたと情けなく震える手は、まるで赤司に縋っているみたいだった。指先を滑らせて辿ると、赤司はうっすらと微笑んだ。泣き出す前の子どものような顔は、いつかの夜を思い出させた。  赤司はみずからジャケットの内ポケットに手を入れて何かを取り出す。ちいさな赤色のリボンだった。ぱちりと、どこかで音が響いた気がした。きっとこれは、記憶の欠片がはまる音だ。 「……赤司っちが、持ってたんスね」  この海域を訪れた無数の人々を襲い、容赦なく殺して奪いつくしてまで探していたものは、宝石や金でもなくて、身近でありふれたものだった。おかしくなって笑いがこぼれる。それでも、どんな財宝よりも黄瀬にとっては世界でいちばん大切なものだ。 「ああ……いつ思い出してくれるか、ずっと待ってたんだけど」  赤司は呆れたように肩をすくめる。黄瀬の記憶はまだあやふやなままで、思い出せることはおぼろげだった。かたく封じ込められていた記憶が、ゆっくりとほどけて色づいていくのを、痛みとともに受け止める。一番最初に思い出したのは赤司が差し出した赤色のリボン、月夜に見た至極嬉しそうな赤司の笑み、それから、舞う風花をいだいて沈む海の底。  愛おしげに黄瀬の頬に触れる赤司は、やはりどこかかなしみの色を表情にのせている。情愛と寂寥が入り混じった表情は、苦しささえ感じさせる。いつもみたいに余裕たっぷりで飄々と笑ってほしくて、黄瀬は赤司の手を握った。つらいのは、痛いのは、赤司も黄瀬も同じだ。 「お前はもう、死んでしまっているんだよ、黄瀬」  どこかで知っていたことを、赤司が告げる。温度のない肌、鳴らない心音、慟哭のなかでさえ流れることのない涙。眠りの中で、夢を見たこともない。どうしてか赤司は、すまないと一言、謝罪をした。黄瀬はその理由がわからない。  黄瀬は、人間だった。今は悠久の時間に囚われているけれど、ごくふつうの人間だった。ただひとつ、その人生において特異な点があるとすれば、吸血鬼の赤司に出会ったことだろう。あの頃も、現在と同じように気まぐれな友人だった。黄瀬といれば獲物には困らない、赤司だって最初はそれだけのつもりだったのだが、性格や立場も正反対で、かえってふたりはよき関係を築くことができたのだ。ともにいるときの空気感は心地よく、些細なことで笑いあって、夜毎に遊んだ。  赤司が吸血鬼であることは大した問題ではなかった。いつだったか、黄瀬は赤司に血は美味しいのかとたずねたことがあった。赤司はおだやかに笑って、食事は――吸血行為はそれよりも上位の、生気を奪う行為に近いらしいのだが――生命維持に必須なことで、そもそも腹が減ることほどわびしいことはないよ、と答えた。 「おかげさまで、今は満ち足りた食生活を送れているけどね」 「ふうん……ねえ、赤司っちがお腹が減って死にそうになったらさ」  いつか、オレを食べてくれてもいいっスよ。  そんな約束を、冗談まじりに交わした。ふざけて伸ばした手を、赤司は包んで、そのまま抱きしめてくれた。まるで恋人のように重ねた手の体温が、くすぐったくて、けれどなによりもその時間が楽しかった。  転機は、由緒ある一族の宗家の長男である黄瀬に、縁談の話が持ち上がったときのことだった。それはまるで、繁栄のための生贄のような扱いだ。そのころ、黄瀬には夢があった。一族にすべてを縛られ奪われることは、黄瀬にとって死と同義だった。黄瀬は意義を唱えたけれど、それが受け入れられることはなかった。錆びた檻のなかで生きながらにして死ぬことを、選択させられる。  血を吐くような黄瀬の叫びを、赤司だけが聞いていた。  お願い、連れ出して、とプライドのかたまりのような黄瀬が、そうして赤司に懇願したのは、結婚を数週間後に控えた夜のことだった。赤司は自分の城を持っていたし、暮らしには困ってはいなかったけれど、人間の世界における影響力はほとんどないに等しかった。だから、黄瀬の一族に介入することはできなかった。縁談の相手を殺すことは容易だったが、それでもすぐに次の相手が黄瀬にあてがわれるのだろう。だって、縁談の相手すらひとつの贄にすぎないのだから。  赤司はしばし迷った。赤司の気持ちと、黄瀬の気持ちが、どれほどまでに噛み合うというのだろう。方法は、あったのだ。けれどリスクは大きく、黄瀬の覚悟を確かめる必要があった。 「黄瀬が望むのなら、吸血鬼として、オレの眷属になってもらう。与えられる自由はどこまでも不自由だ。死ぬことなんて許されない、深淵なる永遠が待っているよ。──黄瀬は、永遠が怖くないか」 「その永遠に、赤司っちがいるのなら、オレはなにも怖くないよ」  まっすぐと赤司を見つめて答えた黄瀬の、きんいろのひとみは気高くうつくしい。わずかでも怯むようなら、やめてしまおうと思っていた。一族を継いだ黄瀬と、いつかひとときの逢瀬を望みながらこの場を離れようと、そう、思っていたのに。黄瀬の意志はかたく、赤司もすべての覚悟を決めた。  仮初の契約に、ちいさな赤色のリボンをつくった。血を交わし魂を結ぶための、ほんとうの契約にはいくつかの面倒な準備が必要で、それまでの気休めのようなものだった。それでも黄瀬は嬉しそうにそれを受け取って、そのリボンを家紋の入ったブローチとともに結んだ。いつか、そのブローチを外して、どこか遠くで赤司と暮らすのだ。まるで夢みたいっスね、と話す黄瀬の横顔は、赤司からしてみればそちらのほうが夢のようにうつくしくて、しばし見惚れてしまった。  結婚は十日後に迫ったころ、赤司は契約のための準備に奔走していた。古い書物をめくり、わけのわからない草や根や花を集めたり、満月の夜にまじないめいたことをしたり、この世にいるとは思えない生き物の羽やうろこをを調達するために手を尽くしたりしていた。当の黄瀬はというと、一族の商談のために海を越えていた。もうすぐ帰るっスよ、とコウモリが便りをくれた。結局最後まで一族のために尽くす黄瀬は、言葉とは裏腹にどこまでもやさしい男だった。縁談の相手にだって、冷たい言葉のひとつも浴びせなかった。  黄瀬は、帰ってこなかった。復路の船が沈み、文字通り、帰らぬ人となったのだ。赤司はそれを、忍び込んだ一族での会合で知ることとなる。縁談は破棄され、黄瀬は死亡したものとして扱われた。  どうしたって、諦めきれなかった。どこかの島にでも流れ着いてくれれば。その海域へと向かった赤司は、黄瀬に贈った赤色のリボンを先に見つけることになる。仮初とはいえ契約には間違いがなくて、赤司はすぐに理解した──淡い期待は無残に砕かれて、黄瀬の死を、その胸に突きつけられたのだ。けれど、ああ残念なことだ、で済まされるほど赤司の想いは簡単なものではなかった。黄瀬は、永遠のときを生きてきた赤司が、唯一欲した相手で――ありていにいえば、こころから、愛していたのだ。それ以上の言葉なんてもう、いらないだろう。  赤司の力をもってしても、黄瀬を海から引き上げることはかなわなかった。かわりに、赤司は丁寧に術式を編み上げて、海の底に沈んだ黄瀬にかけた。誰にも荒らされないよう、永遠のうつくしさを閉じ込めて。だれに見送られることもなく、これから先引き上げられることもない、ただ忘れ去られていくばかりの、愛する人を海に葬ったのだ。白い花、赤い花、黄色い花、手向けられた花々は水面を埋め尽くした。赤司の緋色のひとみからこぼれた雫が、雨のように花に落ちる。  死んでからのことは、黄瀬のあずかり知らぬところだ。そんなに深く沈んでいたのかとちいさな疑問がわいて尋ねた黄瀬に、それなりにね、と赤司は答えるが、渋い顔になってつづけて呟く――オレは水が苦手なんだ。まるで猫みたいなことを言うな、と黄瀬はすこしだけ笑ってしまった。  それから、百年以上の時が過ぎた。嫡男を失った宗家は落ちぶれ、一族は衰退の一途を辿る。吸血鬼の怨念だとさえ言われた。それも、赤司にとって──黄瀬にとっても、もう、関係のないことだけれど。 「死んでからもずっと探し続けるほどに未練があったんだね」  吸血鬼として不完全な状態のまま赤司に術式をかけられた黄瀬は、どうした因果が働いたのか、不完全な記憶と身体を持った亡霊となってこの世に留まることとなる。もしかしたら、黄瀬が憧れ、目指していた夢にも関係があったのかもしれない。亡霊となった黄瀬は海賊として海域を渡る船を襲い、失ったものをさがしつづけた。赤司との、自由への絆を。  赤司は黄瀬の手をとり、左手の薬指にリボンを結んだ。赤司と黄瀬をつなぐものが、ながいときを経てようやく黄瀬のもとへと戻る。触れ合った指先がじんとあたたかくなって、比例するように胸の痛みは増していく。きっとそれはどれも錯覚で、いまにも泣き出してしまいそうに切なくなる感覚も偽りのものだけれど、それでも、黄瀬は──ずっと。 「なあ、オレは、自惚れてもいいのかい」  不安げな色をのせたまま、赤司はぎこちなく微笑む。言えなかった言葉があった、伝えられなかった想いがあった。ばか、と黄瀬は情けなく声を漏らす。八の字に下がった眉は、整った表情を崩して幼い印象をつくる。縋るようにして自分より小さな身体に抱き着いた。初めて抱きしめた赤司の身体は、がっしりとした男のそれだった。線の細い顔つきや優しい態度からは想像もしてなくて、どうしたってときめいてしまう。だって、こうやって触れ合いたかった。できれば、生きていたときから。 「そんなの、だってもうオレは、赤司っちしか、いらない……」  切れ切れな告白は、ほとんど支離滅裂だった。赤司は、うん、とらしくもなく拙く頷いて、黄瀬の背にまわした腕に力をこめた。永く哀れなフェアリーテイルは、終わろうとしている。        それから黄瀬の寝室へ行き、ほとんどもつれこむようにして二人でベッドに倒れこんだ。部屋に鍵をかけたかもわからないがそれさえどうでもよかった。強引に押し倒された赤司はなにか言いたげに黄瀬を見上げているが、黄瀬が今にも泣きだしそうな顔をしているのでくちをつぐんだままでいる。  くちびるをそうっと親指でなぞる。それから慎重に、まるでこのときが壊れてしまうのを恐れるように、黄瀬はゆっくりと赤司にくちづけた。女のものと変わらないくらいやわらかくて、怖がってばかりの黄瀬をやさしく受け入れる。何度も確かめるように触れて、こどもじみたキスを繰り返した。それだけで嬉しくてたまらない。高揚した頭はぼんやりとして身体がどんどん興奮していくのがわかった。 「ずっと……あんたを探してた」 「……黄瀬」  もういっかい。ねだるように擦り寄ってくちびるを食もうとすると、体勢を逆転される。声も出せないまま見下ろしていたはずの赤司に見下ろされて、あまりに鮮やかな手口に唖然とした。まだ記憶が不完全なようだね、なんて笑う表情はいやらしい。  もともと大きく開いているシャツをはだけさせられると、白い肌があらわになる。海賊なんて、強盗みたいなことを日常的にやっているくせに、黄瀬の肌は傷もなくきれいだった。もしかしたら、赤司の加護がいくらか黄瀬を守っていたのかもしれない。  慈しむように胸に何度もくちづけて、艶やかな金髪を梳いた。甘やかな吐息の合間に、何度も黄瀬は赤司の名前を呼んだ。黄瀬だけが呼ぶ、赤司のためだけの呼び名は、赤司にとってなによりも尊く大切なもので、名前を呼ばれるたびに興奮が募った。ジャケットを脱いでベッドの下へと落とし、リボンタイも外してしまう。  わずかな時間も離れていたくないと、黄瀬は赤司を抱き寄せた。やっぱりキスをしたいらしく、わずかに開かれたくちびるが赤司を誘う。愛おしくてたまらないという声で、黄瀬は赤司の名前をかたどった。もっと、とせがんだ黄瀬のくちびるを、赤司の人差し指が制した。  オレに言わせてほしい。懇願するような、切なげな響きを落とされて、黄瀬は黙って赤司を見つめた。懺悔でもするかのようにこうべを垂れる赤司を黄瀬はあやすように撫でた。 「愛してる、黄瀬」  祈りや願いに近い、愛の���葉だった。泣きたくて、けれど泣けなくて、だからかわりに黄瀬はへにゃりと笑った。オレも、なんて何気ない肯定ができる日を夢見ていたから。溺れそうなキスの合間に、好きだ、と赤司が繰り返して、黄瀬はそのたびに何度も頷いた。 「オレもね、ほんとうに、好きだった……ううん、いまも──赤司っちが、好き……」  黄瀬のきんいろのひとみは、あのころと同じ熱を灯してきらめいていた。抱き合いながら互いの服を脱がす。睦みあうふたりの吐息に、部屋の空気はどんどん甘くなっていった。  直接触れ合ったころにはふたりともどろどろに蕩けてしまっていて、あまりに飢えていた事実に揶揄いあうようにして笑った。そんなところは友人だったころと変わらなくて、変わったのはかわす視線の淫らさだけだ。  繋ぎとめていたくて手をつないだまま、同時に達したあと、汗にまじって降り注ぐ雫に黄瀬は目を細めた。すべて受け止めて、大好きっスよ、とかなしい言葉のかわりに答えた。終わりのときは、すぐそこまで来ている。手繰り寄せるようにして身体を搔き抱いた赤司に、黄瀬は苦しいっス、なんてけらけら笑った。 「オレね……幸せすぎて、死んじゃいそっス……」 「……まったく、気の利いたジョークだな」  赤司は困ったように微笑んで、また黄瀬にくちづけた。        再び目を開けたとき、長い眠りから醒めたかのような感覚がした。人間だったころの記憶は不完全だったが、頭はすっきりとしている。けれど反対に、身体はまた重くなっていた。これは、赤司に刻まれるように激しく愛されたせいだけではないと、もう黄瀬にはわかっていた。  おはよう、と挨拶とともに額にキスをされた。べたべたに甘やかされる心地よさに、たまらない幸福を感じる。お返しに頬にくちづけると、赤司はくすりと笑うけれど、その表情はやっぱりどこかさみしげだった。  ベッドの脇に座る赤司はいつもの吸血鬼としての衣装を着ていて、黄瀬のほうも裸ではなくきちんと服を着させられていた。薬指には、ちゃんと赤色のリボンが結わえ付けられていた。 「……オレが。黄瀬をずっとこちらに縛り付けていたも同然だよ」 「そんなこと」  重い身体を起こそうとすると、赤司が手伝ってくれる。手つきは優しく、端々から気遣いが感じられた。ずっとこの人に愛されていたのだと思うと、愛おしさが胸を満たす。ありがとう、と礼を言ってはみるけれど、恥ずかしさを隠しきれずにはにかんでしまう。  赤司はそっと目にかかる髪をよけて梳いた。聞いてくれ、という赤司の言葉は切実で、なにかを言って誤魔化そうとしていた黄瀬はくちをつぐむこととなる。 「術式が綻びかけているんだ。また術をかけることは容易だ。けれど……黄瀬はこれ以上ここにいるべきじゃない」  残酷な宣告も、赤司は冷静に行った。死んだままで彷徨いつづけることは、世の摂理に反することだった。ただしくないかたちで、こちらがわにとどまっていることが、今後周囲や黄瀬にどのような悪影響を及ぼすかはわからない。赤司のひとみに宿る強い意志は、あの日かわした覚悟ともまた違う意味を持っている。  黄瀬の胸へ赤司の手が置かれる。動いていないはずの心臓が締め付けられる心地がした。痺れるような甘美な痛みだ。 「すまなかった。これは……オレのエゴだったんだ。どんなかたちでもお前とそばにいたくて。ほんのすこしのつもりだった。けれど……楽しくて、その時間を引き延ばしてしまった。黄瀬が、……笑ってくれたから」 「い、いやだ……! やめろ、」  黄瀬は首を横に振り、赤司から後退ろうとするがベッドの中で逃げるところなどなかった。黄瀬が、赤司に何を与えてやれたというのだろう。まだなにも──黄瀬は赤司に、まだなにも、していないのだ。かなしい顔ばかりを、赤司にさせていただけだというのに。勝手に赤司の前から去る事なんて、もうしたくはない。 「ゆっくりと眠れるよう術式を編んだよ。……わがままばかりを、言って、悪かった」 「やめろ、やめろって! それは赤司っちでもいやだ! おねがいだ��ら……!」  あたりが光に包まれ、同時に額が痛いほどの熱を持った。黄瀬が眠っているうちに部屋に術の陣を用意していたのだろう。起き抜けのキスも、その一部だったというわけだ。赤司を振り払おうとするが、消耗した身体は力を持たない。恋人のように、手を絡めてかたく握られる。  赤司の意志なんか関係ない、どうにかして拒もうともがきかけた黄瀬は、動けなくなる――だって、いままでのどんな表情より、赤司がやわらかく、微笑むものだから。赤司が黄瀬を解放したいと望んだように、黄瀬もまた、赤司を解放してやらなければならないのだ。 「愛してるよ、黄瀬。お前が探してくれたように、……ずっと」  もう赤司は躊躇わなかった。まっすぐに黄瀬を見つめたまま、なにごとかを呟いて術式を完成させる。あまりに悲しい誓いを最後に、あたたかな光が黄瀬を覆っていく。愛してると、くちびるだけでつむいだ想いは、届いただろうか。       「……だから次は、フツーの人間になって出会った、ってこと? とんだ御伽噺っスね」 「そう思うかい」  訊ね返した赤司は、静かに視線を落とした。さみしそうに見えてしまう角度に、心臓が掴まれたように思う。赤司と会ったのは久しぶりだった。赤司が黄瀬のもとに来たときは、家でゆっくりすることもあれば、買い物やカフェなどに出かけることもあった。今日は後者で、秋の限定スイーツを食べながら小休憩をしていたときのころだった。周囲がハロウィンで浮かれている、というなんということはない世間話をしたことがきっかけだった。  赤司っちは吸血鬼なの、とたずねると、はぐらかすように余裕たっぷりで笑うからまったくなにも信じられない。黄瀬の血なら飲みたいよ、とも言うものだから黄瀬は考えることをすっかり諦めてしまう。赤司が今日飲んでいるのはカフェモカだ。 「不安なんスか」 「……」  それでも、赤司が意味もない話をするとは思えなくて、しばし迷ってこぼした気持ちがそんな言葉になる。永遠というものを、黄瀬は信じていなかった。人は老いるし、気持ちという目に見えない曖昧なものはゆっくりと形を変えて、そうしてすべてのものはいつしか朽ち果てる。──ただ、できることはたしかにあると思っているけれど。  黙ってしまった赤司の表情は読めなかった。穏やかに微笑んだまま、喉の渇きを潤すようにカップにくちをつける。デートが退屈だというのなら拗ねてしまうところだったけれど、赤司の真意はそこではないらしい。黄瀬がくちにしたことが、近いことなのか、まったくの的外れなのか、それさえもわからなかった。絶対的な信頼に裏打ちされたことなのだろうけれど、それはたまに黄瀬を不安にさせる。そうなったら堂々巡りの迷宮入りだ。だから、黄瀬は勝手に答えをつけることにしている。そこに、みずからの希望をのせて。  凪いだ緋色のひとみの奥に宿る、感情の色をのぞきこむように、黄瀬は頬を寄せる。囁くように告げるのは、きっと祈りに近い願いごと。 「じゃあ次はもう、離さないで」  テーブルの下で、膝の上に置かれていた手に指を絡める。赤司の表情が、近しいものがよく観察していないとわからない、そんな程度、ほんのわずかに緩む。眉とまなじりがとろけるように下がるのは、困ってはいるけれど、そのぶん嬉しいときくらいだ。最上級に優しく甘い、その特別な笑みが黄瀬は好きだ。かわいくてたまらないから、キスがしたいなと思った。さすがに外ではお預けだけれど。そのかわりに、きゅっと手を結ぶと、そこには確かなぬくもりがあった。   (2016/11/05)   
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e-ecoqlog · 7 years
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酖溺する水曜日の雨色へ..赤黄[R-18]
※多少の性描写と血描写あり     赤司は毎週水曜日と土曜日に、恋人との逢瀬をした。  先週から降り続く雨は相変わらず街を濡らしている。何かを洗い流すような、ひみつを覆い隠してしまうような、涙のような雨は遠く悠久の時間を思い起こさせる。しとしととひそやかに降る雨は、別れ際のさみしそうな顔をする恋人によく似ていた。  軽い昼食のあと、早々に仕事を切り上げて赤司は会社を出た。タクシーを拾い、行き先を告げる。窓の水滴のむこう、ビルの巨大看板に恋人が起用された広告が掲げられていた。成熟したおとこのうつくしさを纏ってゆるく微笑む黄瀬は同性でもどきりとするような色香がある。きっと、数えきれないほどの人間の人生を狂わせてきた魔性の笑みだ。赤司の人生も、もしかしたら狂わされているのかもしれない――それが赤司の恋人、黄瀬涼太という人物だった。  決められた許嫁との婚約をさんざん引き伸ばし、30を迎える直前に破棄してしまった。誰かと寄り添ってなんて生きられない、おのれとパートナーを騙して生きるような不誠実なまねはできないなどとくちはもっともらしいことをうそぶいたが、けっきょく、赤司がこころに決めたのは黄瀬たった一人だったからだ。  黄瀬との出会いはもう20年ほど昔になる。青を背にまばゆく笑む黄瀬の姿を、まぶたをとじると赤司は容易に思い描くことができた。もしかしたら、今の黄瀬よりも、その青春時代の彼のほうをうまく描写できるかもしれない。  なかば奪うようにして赤司は黄瀬をおのれの手の内に収めた。その神々しく永遠の宝石のようなきらめきがどうしようもなくいとおしかった。少年期にありがちな、憧憬や親愛を、情愛と勘違いしているのかもしれないと、何度も思った。けれどどれだけあがこうと赤司が還る場所はきせのところだったし、きせはずっとかわらずに在って赤司に笑いかけた。赤司っち、と甘くとけるような呼び名は耳から染み入り、赤司をうちがわからおかした。赤司は黄瀬を愛していて、黄瀬は赤司を愛している。  外に恋人がいることを分家を含めた一族は知っているだろう、それでも黙認をされているのはひとえに父の征臣のちからだろうと赤司は容易に想像することができた。母を亡くしてから、ひどく冷たくなってしまった関係は変わっていなかったが、しかし彼が赤司を深く想っていることを、赤司は大人になってようやく知った。親には感謝している、という正しい認識はあったはずなのにそれはやはり欺瞞でしかなく、その言葉が成人してからようやくきちんとした質量を持った気がする。  タクシーのカーステレオからクラシックが流れている。ラジオではなく、個人所蔵のCDを流しているらしく、珍しいなと思ったが赤司はそれを咎めなかった。窓のむこうの雨音に重なる澄みとおる管弦楽の音はきれいだった。確かに聞いたことのあるはずなのに、赤司はその曲を思い出せない。尋ねようかと逡巡してやめた。行き先を告げたあと、あまり話しかけてこないドライバーは気楽でこのまま黙っていたかった。  シートに身体をもたれかけてため息を吐いた。黄瀬のもとにつくまでにすこし眠っておこうかと思ったところで、スーツの内ポケットに入れたスマートフォンが着信を知らせた。あまりつか���ない、プライベート用のそれはほとんど恋人専用といってよかった。  黄瀬は、結婚していた。相手はなにやら有名なカメラマンらしいが、その男について赤司は詳しく知ろうとしなかった。うらやましく思うことがなかったといえば嘘になる。しかしその男は赤司のうちに入り込むことのない赤の他人であった。  いつのことだったかいつもの逢瀬のおわりに黄瀬が、結婚しようと思って、と赤司に告げた。その報告は幸福な内容なはずなのに、黄瀬の琥珀いろは夜の海のように凪いでいた。感動も感傷もなく、ただすこし、困っているようなようすだった。  赤司は驚きはしたけれど、ああ、ようやく、とも同時に思った。いつだって幸福の終わりを想像しながらつづけてきた関係はおそろしく、どこか解放に安堵してしまったのだろう。けれどもちろん、赤司は黄瀬から離れることなんてそうぞうもつかなくて、心臓が凍り付いてしまうようだった。黄瀬のひかりがないと、赤司は動くことができない。しかし繋ぎ留めるすべも知らなくて、おめでとう、とようやくのことで言葉を吐き出した。終わりのない迷宮のようなあまい幸福の終わりは、ひどくあっさりとしていた。  書面でのみ誓いを交わしたらしいその週の火曜日に黄瀬から、あしたはお昼も用意しているね、などという連絡があった。ああ、と平静を装って答えて、水曜の仕事をすべて調整してキャンセルした。いつもどおりに逢った黄瀬の薬指に見慣れないリングが嵌っていたので、きっとあの終わりは間違いではなかった。ただ――終わっていなかっただけで。そのリングをそうっとはずしてベッドの外に放り黄瀬を抱いた。やはり変わりなく黄瀬はそれを受け入れ、情事のけだるさをのせたままのくちびるから、愛の言葉を紡いだ。そもそも。赤司はさいしょから黄瀬とわかりあうことができない。  通話ボタンをタップして、目を閉じていつもの明るい声を待った。おおかたのところ、牛乳を買ってきてだとか、クッキーを焼いたから早く来てだとか、そういったいつもの他愛もないおねだりだろう、と。ころころと笑う、まるで無垢な少年のようなその輪郭を赤司は胸の内でなぞる。 「……、」 「黄瀬?」  電話口のむこうに黄瀬がいることはわかりきっていて、赤司は名前を呼んだ。目を開けて、タクシーの運転手がウィンカーを操作する手元をなんとなしに眺める。かわいいいたずらでもされているのかと、すこし待ってはみたが通話口から聞こえるのは沈黙と静かなノイズだけだった。タクシーが濡れた道を走るざあっと鳴る音、カーステレオからこぼれるオーケストラ。もういちど赤司は名前を呼ぶ。黄瀬、 「……あかしっち」 「ああ。どうかしたかい」  ようやく聞こえた声にほっとしながら、ささやくような声音に耳をかたむける。不安げにさまよう響きが雨音に混ざる。黄瀬が泣いているような気がして、そのしずくを拭えないことがとにかく歯がゆかった。その涙をすくうのは、いつだって自分でありたい。 「ごめん、……赤司っち」  説明もなくただ懺悔のように紡がれた言葉に赤司は目を細めた。謝らなくていい、とその言葉を受け止めて赤司はそれ以上を制した。あまり表には出さないが、黄瀬は少々複雑な思考形態を持っていた。情緒にもむらがあって不安定なところもある。それを面倒だと思ったことはなかった。長い年月を経てもなお、いまだ盲目的なほどに惚れ込んでしまっているのだ。長く時間をともにしたからこそ、赤司も黄瀬のかたちに沿ってしまったのかもしれない。 「だいすき、っス」  「……、おれも愛しているよ」  甘美な告白に胸がわなないて、純粋さだけをかためた透明の氷のようなおもいが赤司のうちへと落ちていく。つめたくあわく、じんと沁みていくのがどうしようもなく切なくさせた。雨にふやけるランドマークを確認して、そうかからずにたどり着くだろうと思考する。  音のないキスを通話口越しにかわして、黄瀬をなだめた。しばらくすると黄瀬の動揺はいくぶんか落ち着いたようで、甘えるように赤司っち、と名前を並べる。うん、赤司はそのたびにその呼び名を慈しみ頷いた。なんてかわいく愛おしいんだろう。もう赤司はそのこころに、抗うことができない。  はやくあいたい、という決まり文句のような結びで通話を打ち切った。スマートフォンを内ポケットにもどして、赤司はようやくルビーのひとみをまぶたで覆った。平坦な暗闇が落ちてくる。光芒のようにさしこむ黄瀬のひかりを欲して、赤司は深く呼吸をした。     黄瀬が男と結婚してしばらくして移り住んだ家に通うことは、すっかり身体にしみついてしまって、そこは週に二度帰ってくる家のようなものになっていた。世間ではいわゆる、間男と呼ばれる存在なのかもしれないけれど、赤司はどうも自分がその立場である気がしていなかった。黄瀬のパートナーという男のほうがどちらかといえばそのような立ち位置で、黄瀬も赤司のことを隠す様子も男の都合に合わせるということもしていないようだった。  帰ってくる、とは言ったが赤司としてはこの家を気に入ってはいなかった。そもそも他人の家であるわけだが、それを差し置いてもセンスはいいとは、おもう。ただ赤司の好みではなかった。白い外壁は、どこか棺桶のような様相を想像させた。少しずつ、黄瀬はここで死にゆくのだと思うとたまらなく――そこで赤司は考えるのを止めて目の前のインターフォンを鳴らした。  確認もそこそこに扉が開いて、黄瀬があらわれた。ゆるいニットに細身のジーンズ、こがねの飴のような金髪はうつくしく、さくらいろの爪の先までぴかぴかだ。赤司っち、泣き声のようなさみしい響きをこぼして赤司にすがりついてくる。赤司の趣味ではない香水のにおいに心臓が引き攣れるような感覚を味わいながら、年を重ねてもなお衰えない艶やかな髪に指を差し込んで引き寄せた。後ろ手にドアを閉めて早々にキスをねだってくるので、いざなわれるままくちづけた。黄瀬はどうしてだかひどくたかぶっているようで、熱を帯びたくちびるは芳醇な果実酒のように赤司を酩酊させる。黄瀬に引きずられるように赤司もおのれのうちなる情欲がちらちらと燃えあがるのを感じた。離れようとしても離れがたく、思うままに黄瀬をむさぼる。しなやかな素肌に手を這わせて、からだのかたちをなぞった。ようやくくちびるが離れてあふれた唾液を舐めとったときには、どちらも中学生のときみたいな余裕のない表情になっていた。  きれいなきんいろをよく見たくて、赤司は黄瀬の両頬をつつんでまっすぐに視線をあわさせた。とろける蜜のようないろに真紅が映えている。自分のものだ、と赤司はひどく醜い優越感に満たされた。あのひとを殺しちゃったんス。結婚を報告した時のように、あっさりと黄瀬は赤司にそう言った。うつくしくたたずみ、おだやかな物言いには不釣り合いな、残虐な行為をくちにする。やわらかなカーブをえがくまつげは伏せられて、やはり黄瀬はすこしだけ、困ったようなようすだった。  しんと静かな屋内に、遠く雨が降る音が響いている。そうか、と答えた赤司の声は自分のものではないかのように無機質にきこえた。つとめて平静を装っていたが、そのとき赤司はおぞましいほどの興奮をしてしまっていた。手をひく黄瀬につれられて、寝室へとむかう。マドレーヌを焼いてみたから、あとで食べようねと、黄瀬は誘う。これからの行為の照れ隠しをするように。  寝室にはむせかえるような死のにおいが充満していた。もちろんそれは概念的なもので、実際ににおうのは赤司の知らない他者のにおいと、血のにおいだった。うつぶせに倒れた男はぴくりとも動かず、彼のまわりにはどす黒い血が広がっていた。ところどころ凝固しかけた血がフローリングやラグ、まわりの家具にこびりついている。あの電話の前にそれが起きていたのか、それともあのとき睦言を交わしたあとにそれが起きてしまったのか、赤司にははかりかねる。けれどともかく、ふしぎと黄瀬には返り血などが見えるところにはついておらず、黄瀬は穢れず無垢でうつくしいままだった。赤司にとってほとんど神格化された黄瀬は、ずっと神々しい。  すでに人ではなく物となってしまったものを、まるで気にしたようすもなく通り過ぎて黄瀬は赤司をベッドへと誘い込む。白い肌には朱がさして、ひとみをとろりとうるませたうっとりとした表情で赤司の身体を撫でるのがいやらしい。そういう赤司だって、負けず劣らず興奮をしていた。乱れてもいないスーツの下では、性器がかたく屹立している。色濃く漂う死のにおいを掻き消すように,溺れそうなほどに深くくちづける。  窓にかかるレースのカーテンは、外からのひかりを透かして青白く影を落としていた。生贄に差し出された花嫁の纏う装束のようないろだ。うつくしく無垢で、それからとても悲しい。  キスを繰り返しながら服を脱がし、黄瀬のかたちを黄瀬涼太という輪郭に収束��せるようになぞっていく。左手の薬指に嵌ったシンプルな指輪を抜き取ると乱雑に放った。かつり、とどこか硬質な音がして黄瀬に絡みついていた忌々しい証は消えた。上書きをしてしまうように白い指をくちに含み、薬指の付け根を思い切り噛んでやった。 「あっ、い……、た」  歯型なんてささやかなものではなく、やわらかな皮膚を突き破ってそこに傷をつけた。くちの中で血の味がする。それも丁寧に舐めとって解放すると、黄瀬は事務所に怒られちゃうなどと情緒もないことをつぶやく。仰向けのまま黄瀬は左手を天井にかざして、いびつに刻まれた輪を眺めた。そのうつくしい身体に傷や痕を遺すのは赤司だけでいいのだ。  まだなにか文句を言おうとしたくちびるをキスで黙らせて逃げようとした舌を吸ってやる。たまらなくなって、愛撫もそこそこに下肢へと手を伸ばした。昂ぶってどろどろに濡れた性器の奥の、尻のあわいにローションを塗りつけて指を差し込む。黄瀬のなかはすでに女の膣のようにぐずぐずにとろけて熱くうねっていた。抱き慣れた身体は赤司にのみ拓かれる。いまももう赤司を欲して喰ってしまいたいとあさましく収縮していた。  よく知ったそのうちがわを執拗にこすり、指を三本もくわえてしまえるようになると、スキンもつけずに反り返った性器をそこに押し付ける。背に回された腕に力がこもり、黄瀬のくちびるが淫靡に弧をえがいた。視界の端で、男がしんでいる。  たがいの魂をつなぎとめる儀式のように夢中でまぐわった。何度も欲望を打ち付けて、きゅうきゅうと精を搾り取らんと締め付けるうちがわを擦りあげる。嬌声は甘く、それさえも喰ってしまうように赤司は舌を絡めた。好き、きもちいい、大好き、ごめん、愛してる。祈りのような喘ぎがふたりの間でとけあっている。ひとはかならず、罪をおかす。どんな善人であっても、等しく。  反らせた白い喉元が、まばゆくて赤司は思わず目を細めた。黄瀬はいつだって赤司にとってのひかりだった。そのかがやきが赤司にのみ向けられればいいと途方もない願いがずっとあって、もしかしたらきっと、その長く望んでいたことがとうとう叶うのだ。なまなましく混ざる性と死のにおいが、ここで生きていることを思い知らせる。ああ、いますぐ、いっそのことこのまま獣のように喉笛を喰い千切ってしまいたい。いつからか狂ってしまっていた、自分はもう、人間ではないのかもしれない。 「赤司っ、あかし、……ち、……なかでっ、なかがいいっ」  泣き濡れてねだる黄瀬はまったくただの雌でしかなく、しかしそれに応じる赤司も滑稽なほどにただの雄だった。隙間なく抱きしめて、ほとんど思うままに腰を振ってうちがわをきつく穿つ。ぬかるむなかはすっかり赤司のかたちを覚えこんで悦んでいる。いっちゃう、と喘ぎ善がって申告する黄瀬の足を抱えあげて強引にくちびるをふさいだ。望み通りそのなにも孕まないなかの、最も深いところに精を吐きだす。びくびくと震えながら、黄瀬も雨のような勢いのない吐精をした。 「んっ……う、……んあっ、あつい、っよお……」  熱に浮かされたうわごとのようにこぼした黄瀬のひとみは水面のようにゆらゆらと揺れている。荒い呼吸ととろとろにとけた嬌声の間で、愛してる、何度も何度も想いを吐露して、泣きたくなるほどの幸福を掻き抱いた。恍惚の表情で見上げてくる蜜の琥珀は喜色に染まっている。  黄瀬は赤司の望みをいつから知っていたのだろう。今日の日は来るべくして来た。このできごとが黄瀬によってつくられた予定調和の気がしてならなかった。  なめらかな白い首に両手をかけると、とくとくと脈がうっているのがわかった。赤司の心音と重なり、ぱたりと水滴が黄瀬の頬に落ちた。 「好きっ、赤司っち、……好き、大好き、……ねえ。おれ、このまましんじゃいたい」  きゅう、と力をこめて首を絞める。ゆるくカーブをつくるくちびるには、苦しさなんてどこにもない。赤司がいつか、殺してほしいと願ったときと同じような、ひたすら穏やかな笑みをはりつけて黄瀬は死に沈んでいく。ころしてあげたい、あいしてあげたい。  いつか黄瀬が赤司のことを主将、ではなくその独特のあだ名で呼び出した春の終わりの日もたしか雨が降っていた。嬉しそうに、あの日からずっと変わらない呼び名を黄瀬はくちにした。あかしっち、  赤司が力を緩めると、幸せそうに細められてい���蜂蜜色はそのまま瞑られた。まだ熱をもつ性器を引き抜いて、あどけない寝顔をやさしくなぞる。甘く仄暗い世界へと溺れていく感覚が、ひどく心地よい。黄瀬の言葉の真意を、やはり赤司は知ることができない。それでもばかみたいに、黄瀬と落ちていく闇はつめたくあたたかかった。  歯形のついた薬指を持ち上げて一度キスをすると、これからへと、赤司はゆっくりと想いを馳せた。   (2015/07/26)
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e-ecoqlog · 7 years
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「誕生日が悪い日ではいけない」..緑+黄
※赤黄前提緑黄風味     前日の荒れた天気が嘘のようにその日は朝からよく晴れていた。コンクリートの地面がまだところどころ濡れていて、かすかにたちのぼるしめったにおいだけが昨晩の嵐の面影をそこに残している。念のためにと持たされた傘の出番はなさそうだし今日はなんとなく、いい日になりそうだ。  いつものように自分の下駄箱をあけると、まるでギャグ漫画のように大量のプレゼントがこぼれ落ちてきた。スタートからこれとは、クラスの席はいったいどうなっているんだろう? バスケ部に入ってから、以前よりもプレゼントが増えた気がする。拾い上げて持参した袋に詰め込んでいると、リボンが巻かれたかわいらしい黄色の包みが差し出された。 「こっちにも落ちているのだよ」 「あ、緑間っち! ありがと。人気者は困っちゃうっスね〜」  軽口を叩くと、フンと緑間はつまらなさそうに鼻を鳴らした。そんな態度でもプレゼントを拾うことを手伝ってくれるのが彼らしい。しかし今日の緑間は、大きな荷物を持っているため不自由そうだった。それが学校という場にはあまりにも不釣り合いで黄瀬は顔をしかめた。 「まさかそれ、今日のラッキーアイテムっスか」  緑間が手にしていたのは伸縮式の物干し竿だった。身長の高い緑間よりも、なおさら尺がある。物干し竿だってだいぶ無理があるのだが、さらに持ち運べないレベルのものがラッキーアイテムだったら緑間はどうするのだろう。たとえば箪笥とか、80インチ大型テレビとか。 「人事を尽くしていないヤツに天命は与えられないのだよ。オレは最善を尽くしているだけだ」  芯のまっすぐ通ったひとだと、黄瀬はそう思う。けっして曲がることのない直線が彼の身体を貫いているから、その背筋もぴんと伸びているのだろう。黄瀬はそれがすこしだけ羨ましいのだ。  感心しきっていると、ぴかぴかと派手なプレゼントが詰め込まれた紙袋の一番うえに、シンプルな包みが緑間の手によって置かれた。クラフト紙に緑の小さなリボンがついている。 「これはオレからだ。今日のふたご座のラッキーアイテムなのだよ。誕生日が悪い日ではいけないからな。ああ……その、誕生日……おめでとう。一年間しっかりと、人事を尽くすのだよ」  おめでとう、が非常に小声だったが、それがかえって緑間らしくて嬉しくなる。 「うん、ありがとう緑間っち!」  ぱあっと笑うと、黄瀬の笑顔につられたのか緑間の仏頂面がほんのわずかに崩れた気がした。 「それから赤司から伝言なのだよ。『一緒にお祝いをしよう。オレのところにおいで』―だそうだ」 「……どこで、いつ?」  知らん。すっぱりと切り捨てた緑間に、いじわる!とないてみるが緑間は実際のところそれ以上のことを知らないらしく無視されてしまう。黄瀬を置いてさっさと歩き出そうとするので、慌てて追いすがろうと靴を履き替えた。ぱんぱんにふくれた紙袋を持とうとして、想像以上の重量につんのめりそうになって咄嗟に体重を支える。 「っう、重いぃ……」 「……持ってほしいというアピールをするな。まったく、ダメなヤツなのだよ」  チッと緑間は舌打をしたが、黄瀬がなにかを言う前に紙袋を奪い取ってさっさと歩きはじめた。うわっ、好きになりそう。でもオレには赤司っちがいるからダメっスよ!    (2015/06/05)
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e-ecoqlog · 7 years
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夏祭り..赤黄
   「すまない。待たせてしまったようだね」  東西のどちらの通りからやってくるのだろうと、よく目立つ赤色を探していた黄瀬に後ろからーーそれもやや上だったーー声がかかった。いつか赤司が中学時代のメンバーを招集した冬の日のように、赤司は階段の上からあらわれた。  夏のインターハイが終わり、高校生活も半分を折り返す頃だった。残された時間は多くないし、結果を残せていないことにもどかしい焦りがあった。勝利が全てではないとはいうけれど、やはり目指すところは頂上なので。再び王者の実力を見せつけ、優勝旗をかっさらっていった赤司に誘われるというのはなんとなく腑に落ちないところがあったが、一種の停滞を感じていた黄瀬はその誘いに応じることにしたのだった。  とはいえ、やはり顔を見れば嬉しくなってしまうところが自分でも現金だと思った。中学のころに着ていた白の浴衣ではなく、その日の赤司は濃いグレーの浴衣を着ていた。あまり詳しくないけれど、上品な織りでブロックチェックのような柄が表現されているのがモダンで、やはりセンスがいいなと黄瀬は感心してしまう。奇抜だろうとシンプルだろうと、赤司が纏うと洗練されて見えるのは、やはり赤司自身の立ち振る舞いによるものなのだろうか。 「あ、ううん」  見とれてしまっていたのを誤魔化して慌てて首を振ると、ふっと赤司は表情を緩める。いたるところに吊るされた提灯のぼんやりしたひかりがそのまま宿ったような緋色の双眸が、黄瀬の姿を映している。濃い色の浴衣から伸ばされた腕が、黄瀬の髪の毛先に触れた。首筋をかすめた体温に、びくりと肩が跳ねる。赤司はそれにすこしだけ笑って、首をかしげて尋ねた。 「髪を切ったのか」 「うん。けっこう伸びちゃってたし。どうっスか、黄瀬涼太、夏のイメチェン」 「ああ、似合っている」  ……とても。そう付け足して赤司は目を細めた。やわらかなカーブをつくるくちびるが、なんだか艶っぽく見えてどきどきしてしまう。茶化して言ってみたのに、それでも赤司はどこまでも黄瀬を嬉しくさせるからずるい。触れていた手が離れていくのが、名残惜しく感じた。
       どこか不安げに、通りのむこうとスマホを見比べる後姿を見つけた。黄瀬はみずいろのストライプの浴衣を着ていて、申し訳程度の変装なのか金髪を隠す帽子が新鮮だった。いつもは髪に隠れている首筋が見えている。すっきりと髪を切ったのと浴衣を着ているのが相まって、むきだしになった白いうなじがぼうっと暗闇に浮かんでいるようだった。奇妙な渇きを感じて赤司は喉を鳴らした。  いくつもの屋台が並ぶ中で、黄瀬は何を食べようかとわくわくと目移りをしているようだった。はぐれないように、こっそりと浴衣の裾をつまむ重みがこそばゆい。手を繋げればと思わないこともないけれど、そんなささやかなふれあいだって悪くない。  散々迷って、黄瀬は最初の一つ目をイカ焼きに決めたようだった。香ばしく焼けた醤油のにおいに誘われるように赤司を引っ張っていく。弾力のあるイカの身に嬉しそうにかぶりつくのに、イカ焼きを持っていないもう片方の手は赤司の浴衣を離そうとしない。不意にどうしようもなくかわいいと思ってしまった。  赤司はリンゴ飴を買って、プラスチックのおもちゃのようにきらきらとひかる紅玉を舐めた。食べるのは初めてではないのに、以前よりもひどく甘く感じてのどが灼ける。ーー夏の夜の暑さが、そうさせているのだろうか。  黄瀬を夏祭りに誘ったのは、ただの気まぐれだった。夏の大会を終えて、わずかな休息が与えられた。そうして真っ先に赤司が思い出したのが黄瀬だったのだ。日常と日常のはざまに、黄瀬はちいさな痕を残していた。食堂で昼食を食べるとき、辞書を開くとき、バスケットボールをさわるとき。ささいなきっかけで、赤司はいつも黄瀬のことを思い出した。 「夜でもまだ、暑いっスね」  賑わう通りから外れて、黄瀬は息を吐いた。露出が減ったとはいえ有名人だ。何度か声をかけられては申し訳なさそうに赤司を見ていた。気を遣っていたんだろう、どこかほっとしたような表情になる。 「へへ、ちょっと汗、かいちゃった……」  石段に寄りかかり、照れたように笑って黄瀬は髪を耳にかけた。まるい耳のかたちがはっきりと見える。たまらなくなってその身体を引き寄せて、首筋に浮いた汗の玉を舐め取った。ひゃっと黄瀬が短く声をあげる。  リンゴ飴を舐めていたせいで赤司の舌は食紅で真っ赤に染まっている。舌を這わせた首筋には、まるで証のように赤い痕が残った。頬を紅潮させて目をしばたたかせている黄瀬は、白いうなじに咲いた色を知らない。赤司はリンゴ飴みたいなひとみをすうっと細めた。    (2015/08/21)
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e-ecoqlog · 7 years
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大学芋ロマンス..赤黄
 校舎を出た途端、ふわんとかおる甘い匂いが赤司の胃を刺激した。きゅっと胃が収縮したかんじがして、もともとの空腹がさらに強まったように思えた。口内にじわりと唾液がたまったのがはっきりとわかった。疲弊した脳は、糖を求めている。  と、いうのも。バスケットをやっていたという講師につかまってしまい、長々と話を聞かされて昼食にありつけていないのが主な原因だ。早々に切り上げることもできたがあまり無下にすることもできないし、聞いてみればまあ、アメリカのバスケット文化についての話はなかなか興味深いものがあった。そうして、赤司は最後まで話を聞いてやるというお人好しな選択をしてしまったというわけだった。  そのタイミングで、この甘い匂いである。フライドの香ばしいにおいと相まって、もはや赤司の胃には暴力的なほどに刺激を与えてくる。匂いに誘われるままふらふらと足を向けると、何人かの学生が集まる移動販売のトラックが目に留まった。初夏の昼下がりの太陽を受けて、よく目立つ明るい黄色の屋根がなかなかかわいらしい。  すれ違った学生がかじっていたのは、つやつやとしたスティック状のさつまいもだった。懐かしの芋ケンピかとも思ったが、黒ごまがふりかけてあるあたりこれは--。   ユニバーシティ・ポテト、といったかたちになるのだろうか。アカデミー・ポテトのほうが面白味があるだろうかと赤司はひとりで名前を吟味してみる。先にいた学生たちがはけてメニューを覗き込んでみると、そこには「DAIGAKU-POTETO」の文字があり、なるほどと納得しながら考えすぎた自分に笑ってしまった。 「Could I have this one?」  容器に入った「DAIGAKU-POTETO」にはすでに蜜が絡まっているようだったが、恰幅のいい店主は豪快にシロップをかけて、さらにダメ押しのようにシナモンまでかけて赤司に差し出した。大丈夫かこれは、といくらかの疑いがあったが、5ドル紙幣と引き換えに商品を受け取る。手に持つと容器越しにじんと温かさが伝わってきて、猜疑心があったはずなのになんだかわくわくと気分が高揚してしまった。  礼を述べて、さっさと手近なベンチに腰掛けた。大きな木の下の日陰のロケーションだったが、葉のすきまからこぼれおちてくる木漏れ日がまぶしくあたたかい。  大学はすでに長期の夏休みに入っていたが、校内には多くの学生がいた。帰省をせずに寮に留まっておのおのの研究に励むものもいるのだろう。かくいう赤司もそれは同じで、自主的な調べ物や特別な講義のために大学に連日来ていた。素肌に落ちたやわらかなひかりが心地よくて赤司はすっと目を細める。ほんの3年ほど前までは、この時期は大会に備えて練習が最も激化する季節で赤司も神経を尖らせていたものだったが、同じ時期なのにのんびりと過ごしているとそのことが遠くに感じた。  さて。和やかな感傷はそこそこに、赤司はフォークで「DAIGAKU-POTETO」を突き刺して持ち上げた。自然光を浴びてキラキラと飴色にきらめくのが、大げさだけれど宝石みたいできれいだと思った。赤司にとってそのいろは、よく知るいろだった。まぶしくて、きれいで、あたたかくて、そしてとても甘い。しかし母国の大学芋とはやはりいろいろと違って、独自のアレンジが施されていることが不安感を煽る。  くちに入れると表面はかりっと揚がっていて、歯触りは良い。あつあつの表面でやけどをしないように、はふはふと息を吐き出す。独特の甘みと香ばしさが広がるのを、赤司はもむもむと咀嚼した。 「ん、……うん」  大学芋。大学芋であることに、間違いはない。はずだ。熱い蜜は、粘度が高く甘く仕上がっていて、蜂蜜を混ぜ込んであるのか風味もいい。それ以外にも何かを混ぜ込んであるのか、強烈な甘みが歯に痛いくらいに沁みる。芋は日本のものとは違うのか、ほくほくというよりすこしぱさついた食感だった。なにより--隠れていない隠し味の振りかけられたマスタードとシナモンが、どうしようもなかった。あとは、ご想像にお任せすることにしよう。  大きなサツマイモの半分ほどにあたる量が山と立ちはだかっている。やれやれと赤司は首を振って、またひとつくちに運んだ。空腹は満たされていくものの、足りなかった。食べても食べても、身体が甘さを求めている。遠くに抜けていくさわやかな青空を眺めて、ふっと赤司はため息を吐いた。     ふぉーん。  エントランスをカードキーで抜けて、部屋の前に直接出向く。気の抜けた呼び鈴を鳴らすと、ぱたぱたと速足で駆け寄ってくる音がした。厳重なフロントを抜けて、しかしわざわざ呼び鈴を鳴らすのなんて赤司くらいしかいないと、ちゃんとわかっているのだ。チェーンを外して無防備に開かれたドアに、不用心だなと勝手に思う。 「っあ、赤司っち……!」  琥珀色のひとみをまんまるにして黄瀬は呆然と赤司を見つめた。実像であることを確かめるように、赤司のシャツを握ってみて、なんでどうしてと繰り返す。ぱちぱちとまばたきをするたびに、初夏のひだまりのようなひかりがはじけているような錯覚がした。まぶしい。  「え、いつ帰国したんスか? 言ってくれればオレ……ん、」  なんらかの言葉を交わすのも面倒で、何も言わずに黄瀬を抱き寄せた。困ったように、それでも黄瀬はされるがままにすこしだけ身をかがめる。ためらいながらも背に手を回してぎゅっと抱き合った。緊張のためか汗ばんで発熱する体温がきもちいい。甘いにおいがするので、肺までしみわたるよう吸い込んでみると、くらりとめまいがしそうになった。この甘さを、赤司はずっと求めていたのだ。くちもとが緩んで、笑いがこぼれてしまう。黄瀬が不思議がっているのが肌がふれあったところから伝わってくる。  たっぷり堪能したあと身体を離すが、黄瀬の腰には腕を回したままだ。体温を感じながら置きっぱなしのトランクを玄関に迎え入れる。ほとんど我が家のようなもので、赤司の動きに迷いはない。そのかわり、黄瀬はだいぶ混乱しているようだけど。  ゆらゆらと揺れる蜜色のひとみに、赤司は舌なめずりをした。時差ぼけなんかよりも、空腹の方がまさっている。なによりも、甘い甘い甘美な蜜を感じたい。 「大学芋、作ってくれ。材料は買ってきた」  なにかを言おうと言葉を探していた黄瀬に、赤司はスーパーの袋を突きつける。黄瀬が見つけかけた言葉はたぶんすっ飛んで行ってしまって、ハア、というどうしようもないつぶやきに変わる。その戸惑いはもっともだろうけれど、これまでにないほど飢えている赤司には関係のないことだった。 「あんたは、もう。ほかに、なんか言うことないんスか」 「……ただいま」  ちゅっと小さな音を立ててとがらせたくちびるにキスをあげた。違う!と言いたかったのだろうに、黄瀬は「ち」の発音もさせてもらえない。どうしようもなくなって、そのもらったキスをぺろりと舐めた。困ったように眦がさがって、とろんとひとみのいろが深みを増して甘くなる。 「おかえり!」  へたくそな笑顔が咲いて、赤司の胸がとろけそうに痺れる。やはりこの蜜が世界一だなと思いながら、甘くゆるむくちびるにもう一度触れた。    (2015/08/17) サンクス♡ケンイチさん
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e-ecoqlog · 7 years
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行く年来る年 大晦日(New Year's Eve)..赤黄
    コオ、と機体が空を切る鈍い音が響いている。機内の空調は適度に保たれ、すこしの乾燥が気になるくらいだ。その対策のために黄瀬もマスクをしている。窓の外は深い雲海が果てなく続いていた。海のむこうが水平線で、大地のむこうが地平線なら、空のむこうはなんと呼ぶのだろう。そっと小さな窓に触れると、氷みたいに冷たくてきっと外はおそろしく冷たいのだろうと想像できた。月がいまどこに浮かんでいるか黄瀬にはわからなかった。しずかな夜だ。  電灯を落とした機内は、乗客のかすかな寝息や布擦れの音だけがこっそりと個々の存在を潜めるようにしている。ほとんど揺れることのない席で、黄瀬はそわそわと身体を捩った。腕時計で時間を確認すると、日本時間では日付変更の間近だった。こちこちと時を正確に刻んでゆく時計は、いま隣でやすらかに眠る男からもらったものだ。  優雅に飛翔する飛行機の現在地なんて黄瀬にはわかるはずがなくて、けれども手にした時計は、もうすぐ十二時を指す。しばし迷うが、それに従おうと黄瀬はひとりで頷いた。 「あかしっち」  いてもたってもいられなくなって、マスクをはずしてしまうと、黄瀬は席から身を乗り出して名前を呼んだ。ささやかに、けれど耳元ではっきりと発した音は、眠りの底にいた赤司にも届いたらしい。小さな顔を覆い隠すアイマスクをぐいと持ち上げる。  寝起きのあまりよくない赤司は、あからさまに不機嫌な顔だ。短時間の睡眠でも素知らぬ顔で活動できるくせに、起きてからの数十分はどうしてもだめなのだ。眉間の皺がかわいくない。童顔を気にしているらしいが、残念ながらいまこの瞬間がいちばん大人っぽい顔だよとは伝えたことがない。たぶん、これからも。 「……なんだ、トイレならひとりでいけ」 「もう」  ぷくりと膨らませた頬を、空気を抜いてしまうように赤司はやわく押した。黄瀬が拗ねそうになったのを機敏に感じ取ったのか、それ以上冷たくすることはない。そういう赤司の甘いところはとても好きだ。  赤司はぼんやりとした夢見心地のままなのか、愛玩動物に触れるように黄瀬の髪へと指をさしこむ。くすぐるように頬をなでて、座席に押し付けられて癖のついた髪を丁寧に梳いた。意識は曖昧なわりに黄瀬への触れ方が的確なので、まったく器用なものだと思う。  やわらかな手の動きに感じ入りながら、黄瀬は甘えるように身を擦り寄せる。ねえ、と吐息のような声をこぼして赤司に腕時計を見せた。 「もうすぐ、今年が終わるっス」 「ああ、そういうことか」  日本時間でだろう、という面倒なつっこみがなくて黄瀬はほっとひとり安心した。思いつきでしてしまったことだから、これ以上の言葉は特に考えていない。 「だから急に甘えてきたのか」  揶揄うように赤司は喉の奥で笑って目を細めた。海のはるか上空というのは悪くないけれど、ただの国際線なのでロマンチックさは多少足りていない。ここはふたりきりじゃないのだ。でも、キャビンアテンダントはたぶんこちらを見ていない。  触れ合うだけのキスを音もなくひそやかにかわして、いたずらの成功をよろこぶようにくすくすと笑い合う。 「今年、赤司っちと過ごせてオレ楽しかったよ。だから……」 「来年もよろしく。もっといい年にしよう。愛してる」 「さ、先に全部言わないでよ。ほんと、アンタは!」  さらさらと赤司が終わりへの挨拶をまとめてしまうので黄瀬は呆れる。一年をともに過ごせたこと、また一年をともに歩めること。胸が潰れそうなほどの幸福を、赤司は簡単に言葉にしてしまう。。文句を言おうとすると、しー、なんて赤司がそれを咎めて、ふにと赤司の指先がくちびるに触れた。ほんとに卑怯! 「年越しの瞬間、キスでもする?」 「なにそれ、バカップル……」  いやじゃないけど、と白状すると寝起きの無防備さのまま、赤司が至極うれしそうにその表情を崩す。とびっきり甘い顔をして、黄瀬の首筋に手をあて引き寄せた。ちらりと腕時計を見遣ると、もう10秒を切っている。 「オレも、好き。……来年もよろしく」  呟くように先ほどの言葉に返すと、秘密に封をするように目を閉じさせられた。まわりの音の何より、時計の秒針が進む音が鮮明だった。やわくふれるくちびるの感触に酔いながら、最愛のひとと過ごす年の境に沈んでいく。    (2015/12/31)
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e-ecoqlog · 7 years
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おそろい(matching things)..赤黄[R-15]
    左耳のみみたぶに、ちいさなへこみがあった。  かすんだ視界をぬぐうように目をぐしぐしと擦ると、赤司は呆れたように、あーあと呟いた。めんどうなのか、あんまり咎めることもしないのが赤司らしい。頬はあつく火照って、荒い息と激しく鳴る鼓動はまだおさめられない。  かぶった布団のなかで絡まったままの汗ばんだ素肌が、あまい快感を残しているのがどこかくすぐったかった。赤司は満足そうに黄瀬を腕の中におさめて、ときおり思い出したように触れるだけのかわいいキスを胸元や顔にくれる。  しろい耳に手をのばして他よりも体温の低いみみたぶをつまんだ。繊細な感覚をもつ指先でふれると、傷痕のようにのこるそのわずかなへこみが明確にわかった。ただのくぼみかとも思ったが、引き攣れるような痕になっているので、それはたぶん、ふるいピアスの痕だ。  赤司と出会ってからもう四年くらい経つけれど、黄瀬がそれに気づいたのははじめてだった。――肌をあわせるほどに近付くようになったのは、この半年ほどなのだけど。 「……まだ、痕があるんだな」  あまりにまじまじとそこを見つめては確かめるようにふれるからか、赤司はようやく思い当たったようでぽつりと呟いた。  黄瀬の記憶の中で、赤司がピアスをしているところなんて見たことがなかった。そもそもそういったアクセサリーというもの自体が赤司のイメージからかけ離れている。  覆い被さっていた体勢から赤司はごろりと黄瀬の横に寝転がった。手の中から耳が離れていって、あ、と黄瀬はちいさな声をあげた。 「もともと、オレたちはふたごだったんだ」  並んで仰向けになった目線の先には白い天井があったけれど、なんとなく赤司が見ているものは黄瀬とは違う気がした。 「ほんとうによく似ていてね、両親ですら見分けがつかないくらいだったそうだ」  父はあまり話したがらないけれど、と赤司は静かに語った。ふたごとはいえ、長男が家を継ぐというしきたりがあった赤司家でふたりの子を区別しないわけにはいかなかった。だから、明確な印としてふたりにタグをつけるようにピアスをつけたのだ。ふたりが交換なんてできないように、からだに痕を刻ませた。現代ではもはや愚かしく思えるほどに、なによりも血を重んじる一族だった。  けれど赤司の弟は身体が弱く、ななつになるまえに亡くなってしまったらしい。かみさまに連れ去られたようだったと赤司はおかしそうに言った。なにがおかしいか、黄瀬にはわからない。ひとりきりになった赤司からはタグ代わりのピアスははずされ、穴も塞がった。ただ残るのは、その痕のみーーということか。 「でもね、オレはよく覚えてないんだ、だからほんとうに弟がいたかもわからない」  そうはいうけれど、もう誰もがもうひとりの赤司を知っていた。いたかもしれない弟の魂を、赤司はちゃんとその身に宿している。この半年ほどはその姿を潜めているけれど、たまにその姿の片鱗を垣間見せることがあった。だから確かに彼はそこにいるのだろう。  言葉を見つけられなくて、黄瀬は寝返りをうって赤司のほうを見た。いつものように穏やかな笑みをそこに湛えている。 「だから、これは呪いだよ」  赤司はすこし笑って、黄瀬のピアスにふれた。赤司の家族であったならよかったのに、と考えてしまって黄瀬はさみしくなった。黄瀬では、赤司を満たすことはできない。他人であるからこそふれあえるけれど、どうやっても赤司にはふれられない。 「じゃあオレとお揃いだったんスね」  たぶん、赤司と、その弟と。  驚いたように赤司は数度まばたきをした。それは思いつかなかったな、なんて感心してぼやく。――願わくば、これからの赤司に幸多きことを。どうか、どうか。 「ねえ、もいっかい」  あまくねだると、赤司はいやらしくくちびるを歪めて黄瀬を引き寄せた。繋いだ指からつたわる体温は、同じ温度だった。    (2015/12/12)
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e-ecoqlog · 7 years
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アバターデザイン(Avatar design)..赤黄
※メタ要素あり    「……なんだこれは、運営はドロップを絞っているのか」  不愉快そうな物言いとは対照的に、そのくちびるは可笑しそうに持ち上げられている。無理難題や逆境を、おのれへの挑戦と見なして楽しむところが赤司にはあった。ほんとうの実力があるからこそ、いつだってそうやって笑うんだろう。  教室の窓際の席で行儀悪く片膝を立てて座面に足をかけている。丸く背を曲げて小さなスマートフォンを熱心に覗き込んでいるのは最近ではすっかり見慣れた光景だった。赤司に憧れている女子生徒や、畏怖と尊敬を持って接してくる部員たちは知らないだろう。一般的に持たれるイメージとは違って、あんがい赤司は世俗にまみれたふつうの中学生だった。ジャンクフードだって食べるし、漫画やゲームも好きだし、いやらしいことにだって興味がある。ただそれを感じさせない上品さで全てを覆い隠しているだけなのだ。  新作のフレーバーチキンにこれは辛すぎるよと先週は顔を顰めていたし、レギュラー陣のなかで回ってきたバスケ漫画全30巻を夜を徹して読んでしまったと恥ずかしそうに笑っていたのも記憶に新しい。中学生がするような会話にだってふつうに参加する。青峰にお前ってなにフェチなんだよと問われれば、背中の背骨が通ったところのくぼみに興奮するんだと嬉しそうに応えたりもするのだ。  そんなわけで、赤司の目下の感心事は最近新たにサービスがはじまったアプリゲームだった。飽きっぽいところがある赤司が時間があればぽちぽちとやっているので、よっぽどはまりこんでいるらしい。惜しみなく課金もしてしまうところはやはり、ふつうの中学生ではないかもしれない。  手元の雑誌をあまり読むこともなく繰りながら赤司を窺い見る。書いていた部日誌は数行書いただけで放っておかれている。 「赤司っち、相当はまってるんスね」 「ああ、なかなかね。課金だけではどうにもならない要素があって手応えがある」  言いながら赤司は熱心に画面を叩いている。なにかのリズムがあるのか、集中のあまり引き結ばれたくちびるがわずかに尖らされている。別に自分よりなによりゲームにご執心だからといって嫉妬してしまうほど子どもなわけじゃない。むしろ微笑ましくて、そんな赤司のかわいさに思わず頬が緩んでしまうくらいだ。 「アバターもかわいいんだ」  ふふ、と笑みをこぼして赤司はスマートフォンを黄瀬に見せてくれた。ゲームのホーム画面、にぎやかな部屋風の背景に立つ金髪のキャラクターがウインクをしている。つり目気味の金眼の少年は片耳にピアスなんかしていてなんだかすこし、黄瀬に似ている。  ややためらって、オレも、と黄瀬は言葉をこぼしかけたところで、赤司のスマートフォンが震えて、画面に通知が表示される。 『フレンドが来訪しました!』 「おや、」  黄瀬に画面が見えるままにしながらも、赤司は手慣れた手つきで画面をタップした。黄瀬によく似たアバターの隣に、赤髪の少年アバターがあらわれる。赤と金のオッドアイに、穏やかな笑みが優雅だ。限定配布の衣装を纏う彼は、これまた赤司によく似ていて――あ、と黄瀬は声をあげる。  やってきたその赤司ふうのアバターは画面の黄瀬ふうのアバターをよしよしと撫でた。頬が熱くなるのを感じて、黄瀬は赤司を見た。赤司はいとおしそうに画面を撫でている。 「なんだか僕に似ているのが面白くて、最近フレンドになったんだ」  黄瀬は鞄からスマートフォンを取り出すと、このごろデスクトップに追加されたばかりのアプリを起動した。すぐにあらわれるホーム画面を、おずおずと赤司に見せる。 「オレもね……なんか興味出ちゃって。はじめてみたんスよ」  そこで元気に跳ねるアバターは、今しがた赤司のゲームに来訪したアバターとまったく同じだった。赤司みたいな燃えるような赤い髪と、神秘的なオッドアイ、限定配布の衣装。だって、赤司があんまりにもはまりこんでいるので。好きな人が好きなものを、知りたいと思うのはおかしなことじゃないだろう。  赤司は驚いたように黄瀬とゲーム画面を見比べて、そしてくふりと笑う。 「まさかゲームの中でも涼太に会うなんてね」  アクティブユーザーは100万近いという人気ゲームで巡り会うなんて。運命みたいじゃないか、なんて恥ずかしげもなく言って赤司は黄瀬の手の甲にくちづけた。きっといつでも何度でも、われわれは出会う。  呆気にとられていると、赤司はなにごともなかったかのようにゲームへと意識を戻した。またぽちぽちと画面を操作している。熱い視線を送るものをころころ変えるのはすこし浮気っぽい。触れられて熱を持った手の甲に、黄瀬はそっとくちびるを寄せた。  ところで、と思い出したように赤司はふたたび画面から顔をあげる。きゅっと細められた目はいたずらっぽくて、どきりと胸が高く鳴る。歯の奥を噛み締めて、引き寄せられるように目が離せなくなった。 「涼太はああいう格好を僕にしてほしいってこと?」  くいと首を傾げて、意地悪に笑みをつくる赤司はやっぱり、ゲームより黄瀬に夢中みたいだ。    (2015/11/14)
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e-ecoqlog · 7 years
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学園祭(School festival)..赤黄
  「へえ、帝光って学園祭が六月だったのね」 「そうなんス、珍しいっしょ?」  たった二年か三年ほどの前のこと、それなのにその思い出はひどく懐かしく思えた。澄み渡った秋空はまぶしく、電気を点けていなくても教室は十分に明るい。校舎の下では遠く、賑々しいざわめきが聞こえてきた。模擬店の呼び込みや、特設ステージで演奏する吹奏楽部の音楽、学園祭を楽しむひとびとの声。開け放した窓から、焼きそばの香ばしいにおいが入り込んでくる。  簡易的に教室を大きな布で仕切って、その一枚を隔てたところに黄瀬と実渕はいた。手にしたスケジュールを確認して、実渕はふと壁掛け時計を見上げる。背にした仕切りの向こうから、布が擦れる音がしていた。 「大きい学校だから、学園祭もけっこう規模が大きかったんじゃない?」 「そうそう、高校のとソンショクないくらいっスね! クレープとかカレーとか、占いコーナーとか……そうだ、赤司っちなんて将棋部員相手にさ……」  くすくすと黄瀬が笑いながら話すと、実渕もつられて声をあげて笑った。実渕はたぶん、中学時代の赤司を知らないだろうから。  部活や勉学を離れた場では赤司は意外とふつうの少年で、青峰や黄瀬に引っ張られて無邪気に笑ったし、紫原や緑間に巻き込まれてひどく驚いた顔をしたし、黒子や桃井とともに闇鍋のようになった惨状に混乱してため息をついたりもした。そんな赤司を見るのが、黄瀬は好きだった。黄瀬にしか見せない甘い表情は魅力的だったけれど、皆といるときの自然に力の抜けた表情は、なにものにもかえがたく、たまらなく愛しかった。――いつからか、赤司はすっかり落ち着いてしまって、成熟した完璧さで接してくるようになった。それが悪いことだとは思わないけれど、すこしの淋しさを感じたことを、黄瀬は赤司に言ったことはない。  そろりと布の間から抜け出てきた黄瀬に、きゃあっと実渕は歓声をあげた。なんだか慣れないような、むずがゆい感覚に黄瀬はぎこちなく笑みをつくる。カワイイ、カンペキ、バッチリ、そんな言葉を並べて、実渕はきゃっきゃとはしゃいでいる。 「あとで写真撮らせてね♡ もー食べちゃいたいくらいかわいいわよっ」  黄瀬がいつもの癖で緩めていたネクタイを、きゅっと締めて実渕は何度も頷いた。うっとりと頬に手を当てて、ほうっとため息を吐く。 「ああん……ホントに、残念だわ」  黄瀬に気づかれないよう、ぽそりと実渕はぼやいた。変じゃないかと気にして、服の裾を引っ張ったりしている黄瀬の肩をぽんと叩��。征ちゃん、喜ぶわよ。��心地悪そうにしていた黄瀬は、その言葉にどこか安心したようになって小さく礼を言う。 「ほんと、ありがとっス」 「もーやめてよ! 勘違いしちゃうじゃない」  茶化すようにして言うと、黄瀬はようやくいつものように笑った。ぐずぐずしていては学園祭を回る時間がなくなると、なかば押し出されるようにして黄瀬は教室から出た。    「黄瀬、」  名前を呼んだあと、つづきの言葉の紡ぎ方をすっかり忘れてしまったように赤司のくちが半開きになっている。まあるくなった赤いひとみが、きれいだなと思った。  赤司のクラスでは、模擬店ではなく、各班ごとの研究テーマを発表していた。テーマはさまざまで、さすが特進クラスというべきか、きれいにまとまった内容はわかりやすく面白い。けれどやはり模擬店やステージ発表に比べてしまうとどうしても、地味さを感じた。来場者もまばらで、隣接させた休憩スペースのほうがにぎわっているようだった。  当番で受付に座っていた赤司は、目を離さずにじっと黄瀬を見つめている。 「なんか……無理矢理メイド服を着させられたりとか、してないんスか」  そういうお約束って、なんかあるじゃん。誤摩化すように言ってみると、ようやく気を取り戻したらしい赤司が、ばか、と一言呟いた。  赤司はいつも通りの制服だった。わずかに紫がかったシックなダークトーンのシャツにネクタイ、グレーのジャケット、黒のスラックス。そして――黄瀬もそれと同じ、つまり洛山の制服を着ていた。 「実渕か?」  いろいろな言葉をいろいろとすっとばして、赤司は簡潔に尋ねた。四の五の言わせない雰囲気に、黄瀬はこくりと頷くことしかできない。やれやれ。呆れたような表情になる赤司に、ちくりと胸が痛んだ。かわいい冗談のつもりだったが、赤司は気に入らなかったのだろうか。  腕時計を確認した赤司はさっさと立ち上がり、奥にいた生徒になにごとかを話すと黄瀬の手を引いて教室を出た。 「その、オレ、」 「……似合ってるよ」  顔を背けた赤司が、しぼりだすように小さく声をこぼした。生徒や来場者でごった返す廊下で、その声は黄瀬にだけに届く。言葉に内包された甘い恋情は、黄瀬のこころにだけ沁み入った。ん、とたどたどしい返事をすると、一瞬だけ繋いだ手にこめられた力が強まって、そしてその手は離れていった。  それから、赤司から黄瀬の格好についての言及はなかった。生徒会の仕事があるから、あまり時間はとれないけど、楽しんでいってほしい。いつもの憎らしいほどに完璧で穏やかな笑顔で赤司は告げた。  限られた時間だったけれど、赤司の案内のおかげかふたりは効率的に学園祭を見て回ることができた。いくつかの模擬店で箸巻きやわたがしを買ったり、展示を見たり――持ち前の能力で各部の行う挑戦式のゲームを荒し回ったりした。  頼む、うちの部に入ってくれ! がっくりとうなだれたあとは、校内でこんな逸材を見逃していたのかと黄瀬に頼み込む各部の部長に、黄瀬はごめんねとかわいらしく首を傾げた。たまらなくなってけらけらと笑いだした黄瀬に、赤司もこらえきれないというようにくっくと笑う。  もしも、を、黄瀬も赤司も考えてしまっていた。決してくちには出さないけれど、あの頃のような、同じチームに属す関係だったとしたら、なんて。同じ制服を着て、同じ校舎で学び、同じ高みを――それ以上は、やめた。     夕暮れのにおいがして、空は鮮やかな橙色に染まりかけていた。赤司とまだ回っていないところがあったが、ひとりで歩くのはあまり楽しくない。あてもなく黄瀬はぶらぶらとしては時間をつぶしていた。思いついて窓から中庭を見下ろすと、派手な赤髪は紅葉のようにすぐに見つけることができた。ルールを逸脱した生徒に注意をしている姿を、ぼんやりと見つめていると一度だけ目が合った。 「黄瀬くんですよね! ウチの学園祭に来てるの、本当だったんだ!」  握手をねだられて、無下に扱うこともできずに黄瀬は女子生徒に応じた。バスケに真剣に打ち込むようになってから、モデルの仕事は一月に一度あるかないか程度に抑えていたので、まだ知名度があることに驚いてしまう。ひとりが話しかけると、われもわれもと堰を切ったように生徒たちが話しかけてくる。あっというまに人だかりができて、思ってはいけないだろうけど黄瀬はうんざりとした。 「こら、彼はプライベートだよ」  人の波を割って、黄瀬の腕を引いたのは赤司だった。洛山の生徒が、品のないことをするな。きっぱりと言い放つと、しぶしぶといった感じだが生徒は散っていく。  赤司に礼を言う間もなく、腕を引かれて素早く空き教室に連れ込まれた。ばん、と大きな音を立てて壁に押し付けられる。するどいひとみの緋色のなかに、情欲の色がちらちらと燃えているのにどきりと胸が鳴る。 「お前がその制服を着てるの……すごく���かわいい」  昼間に似合っていると言ったのよりももっと強く、黄瀬に教え込むようにささやく。かわいい、そのうらがわの、好きだ、という赤司の叫びが黄瀬には毒のようですべてを痺れさせる。身体に力が入らない、赤司がほしくてたまらなくなる。 「でも、ひとりじめしたいと思うんだ」  余裕のない表情で、すくいあげるようにくちびるを奪う。乱暴なやりかただって、嫌いじゃないから黄瀬はずいぶんとこの恋に溺れている。こんな赤司はひさしぶりで、心臓が痛いくらいに疼く。 「いいよ、」  激しいキスの合間に、誓いのように黄瀬は答えた。縋るように背に回したおのれの制服は、赤司と同じ色の制服だ。一時の甘やかな逢瀬に酔いしれて、黄瀬は腕に力をこめる。遠くの喧騒をききながら、そっと目を閉じた。    (2015/10/11)※遅刻&オーバー
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e-ecoqlog · 7 years
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お月見(have a moon‐watching party)..赤黄
   白い花器にススキを生けて、よくわからないと言いたげに黄瀬は首を傾げた。隣に盛られたまるい団子をつまんでぱくりと食べる。 「こんなかんじっスかね?」 「ススキはそれでいいけれど。つまみ食いはだめだよ」  団子でぷくりとふくれた頬をつついて赤司はくすくすと笑った。ん、と頷いて黄瀬は団子をのみこんだ。花より団子、ならぬ月より団子なわけだ。赤司もそう言いながら団子に手を伸ばした。  着物を着ているのに行儀悪く足を組んで、赤司は頬杖をつきながら黄瀬を見ている。赤司だって――月よりも黄瀬ばかりをみているから、人のことを言えないだろう、と黄瀬は心中でぼやいた。赤司が月や団子よりも、気持ちを向けるものがおのれなのだと、自惚れて黄瀬は歯の奥を噛んで表情が緩むのを隠した。  眼前の庭の池に、あかるいレモンイエローの月が浮かんでいる。水の波紋にあわせて揺れる金色が、月見うどんのたまごみたいだった。――ああ、やっぱり月より食べ物なのかもしれない。  言葉もなく月を見ていると、左手にそうっと手が重ねられた。どうしても赤司のほうは見ることができなくて、黄瀬は何も言わずにその手を握り返した。静かなよるに、虫の声だけが響いている。風もないのにふわりとススキが揺れて、なつかしいにおいがした気がした。 「なんかさ」  無言を破って、黄瀬がぽつりと呟く。うん、と赤司は言葉を促した。 「一緒に見れて、よかったっス」 「……ああ、」  月だけを見上げる横顔からは、照れなんて感じられない。飾らない言葉を大切に紡いで、そうして黄瀬はくちをつぐんだ。琥珀の双眸に、月光が映ってほんものの宝石のようにとうとく煌めいている。  いとおしさだけがあふれて、相槌のあとはなにも言えなくなった。いつもなら、言葉は簡単にこぼれるのに。そんなふうに言葉にできない感情を、赤司は知らなかった。いつからか、――きっと、黄瀬に会ってから、多彩な想いがこころを色めかせるようになった。素直にそれをかたちにできる黄瀬が、すこし羨ましい。 「……すこし、冷えるね」  羽織のあわせをたぐりよせて黄瀬は頷いた。もう中に入ろうかと尋ねられて、そうじゃないと赤司は首を振った。すこし困ったように黄瀬は赤司を見つめる。繋いだ手に力をこめて、らしくなく迷った末に赤司は囁いた。 「もっとこっちにおいで」  頭を引き寄せて、なにかを言いかけたくちびるを食む。とろりと蕩けた甘いひとみは、月ごとまぶたに閉じ込められた。体温で伝わることをひそやかに祈りながら、くちづけを深めていく。くすぐったそうに笑う吐息が、深まる秋の月夜にとけていった。    (2015/09/24)※遅刻
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e-ecoqlog · 7 years
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英語が話せない(I don't speak English)..赤黄
  「あのとき、なんて言ったんスか」  ホテルで最後のミーティングを終えて各々が部屋に戻ろうとしたとき、赤司は袖を引かれた。振り返ると黄瀬がなんだか神妙な面持ちで見つめていた。なんのことだとしばらく考えて、わからないと肩をすくめてみせる。 「さっき! アイツらに」  黄瀬は少し拗ねたようにくちびるをつんと尖らせて言葉を付け足した。黄瀬は英語ができない――ついでに言えば、数学も古典もできない――ので、先ほど赤司が相手チームにした宣戦布告が理解できてなかったんだろう。  変わらない、と思って赤司は目を細めた。まるで他者に興味なんてないくせに、除け者にされるのはいやなのだ。ひとりでも十分に輝くことができるのに、黄瀬は他者とともにあることを願う。そこがなんともいじらしく、かわいい。チームメイトにそのようなことを思うのも、なんだかおかしなことだけれど。 「……ああ。地べたを舐めさせてやるって言ったんだ」 「アンタ、ほんと過激っスよね……」  赤司が答えると、黄瀬はおおきなひとみをしばたたかせてから脱力したように呟いた。感心と呆れが混じった言い方をしながら、それでも安堵した表情になるので赤司はすこし笑ってしまう。不思議そうに、髪とおんなじ金色がまぶたの動きにあわせて上下した。  その表情がどのように移り変わるかを、赤司は思考の裏で思い出そうとする。つい先日のIH、昨年の大会、それよりも前の中学時代。烈しくときに曖昧に描かれる、その色はいつもうつくしく、興味深かった。 「あの程度の英語が聞き取れないとは。お前の海常での学習の度合いが心配になるね」 「だ、大丈夫っスよ」 「赤点ギリギリ、というのは大丈夫とは言わないよ」  黄瀬の目線がするんとすべるように泳ぐので、これは大丈夫ではないなと赤司は畳み掛けた。もう同じ部ではないのだし、ここまでかまう必要なんてないとはわかっていた。元部員に対する責任感というよりもただ、世話焼きなのかもしれない。  それでも黄瀬は、ヘーキっスという根拠のない自信を振りかざす。ぴんと人差し指を天上に向けて立ててから、考える素振りをする。 「えーと。アイム、ノット……イングリッシュ?」  たしかに。お前は英語ではないな。  間違いではないが、正しいとは到底言えない。一番得意なのは英会話っス――そんなことを中学時代に聞いた気がするのだが、最も得意な英会話がこれなら、他はどれだけ凄惨なことになっているんだろう。 「やれやれ。明日も多少は英語を話す場面があるだろう?」  赤司が吐いたため息で、おのれのミスを――というよりも盛大な間違いを察した黄瀬は、観念したようにハイとちいさく答えた。日本の代表チームとして、恥になるようなことをやらかしてくれなければいいが。 「あ、でもオレ、ちゃんと知ってる英語あるっスよ」  知っている英語があるという言葉に、既に不安を感じながら言ってみろと促した。 「I'm in love with you.」  きちんとした発音で、黄瀬はなめらかにそのひとつの文章をくちにした。単純なアイラブユーではなくて、そちらを選択したことにも赤司は驚いてしまう。仕事先で知ったのだろうか、それとも、とさまざまな憶測が渦巻く。なによりも赤司を揺さぶったのは、その言葉が自分に向けて発せられたという事実だった。  ――いつもなら、問題なく赤司は言葉を返せただろう。しかしできなかったのは、こころにあまくあわい色が灯っていたからだった。頬を鴇色に染めて、黄瀬はしてやったりとはにかんだ。    (2015/09/06)
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e-ecoqlog · 7 years
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天の川で待ち合わせ..赤黄
   サアッ、と雨が地面を叩く音がする。ベランダの窓を開けて空を見上げると、真っ暗な夜闇からこまかな水滴がこぼれ落ちてきていた。星どころか、月さえも見えないほどに雲が天を覆い隠す夜だった。 「……こっちは、雨」  冷たい雨のように黄瀬の声は沈んでいた。黄瀬の住む神奈川の空とは対照的に、京都の空はよく晴れていた。街中のひかりがあるので満天の星とまではいかないが、ぽつりぽつりと目印のように星がまたたいている。目線だけでその星を繋いで赤司は星座を天上につくりあげた。耳元で囁かれるさみしそうな声をききながら、赤司は静かに目を瞑る。 「星なんて見えないっス。つまんない」  くちびるを尖らせて不満を漏らす黄瀬の表情を、赤司はまぶたのうらに思い出すことができる。伏せられた金のまつげからのぞく、星みたいにきれいなひとみのいろだって。  泣き濡れる空を見上げるのが早々にいやになってしまって、黄瀬はさっさと部屋の中に入った。ごろんとベッドに転がって味気ない天井を眺める。電話の向こうで赤司がすこしだけ笑うように空気を震わせているのがひどく憎たらしかった。  無造作に放ってあった赤色の短冊を手に取って指先でつまむ。クラスメイトがくれたものだったけれど、結局願いごとなんて決まらなくてそのまま持ち帰ってきてしまったのだった。IH優勝って書けばいいのに。そう何度も言われた、しかしそれが星に願って叶えられる望みでないと黄瀬はもう知っている。努力を重ね、みずから勝ち取るべき至高の到達点だ。お遊びだと言われても黄瀬はどうもそこに何かを書く気にはなれなかった。黄瀬が縋っていいものなんて、たぶんどこにもない。  天からだってよく見えるだろう燃えるような赤色は、恋人の色によく似ていた。何も書かれていない短冊をぼうっと見つめていると、夜の雨が胸の奥まで沁みて濡らしていくような心地がする。 「雨だから、願いごとだって叶わないっスよ」  八つ当たりのような言葉が、自分でも幼稚だとわかって、黄瀬はくちにしたそばから後悔してしまう。かっこわる、ばかみたいだ。うつ伏せになると手近な布団をぎゅうと握って、枕に顔を埋めた。視界の端の所在無さげな短冊から目を逸らす。 「星が見えないから? じゃあ星じゃなくて、オレにお願いしてごらん」 「なにそれ。……IHで当たったら、勝たせて〜って?」  拗ねていますとわかりやすい言い方で言うと、赤司のくすくす笑いが深まった。ばかだね、愛おしさの滴るやさしい声で咎められて胸がきゅんとわななく。 「ふふ、それはさすがに譲れないな」  赤司が何を言わせたいか、黄瀬はわかってしまっている。けれど黄瀬はどうやったってその一言が言えなくて、困り果ててくちを噤んでしまう。燃え尽きる流れ星のように、音にして願いが消えてしまったら、黄瀬はどうしたらいいんだろう。ねえ、赤司っち? 「……星が見えないなら、雲より上で会えばいい」  簡単なことだと、赤司は言ってまた楽しそうに笑った。からかわれてばかりで、黄瀬には混乱だけが積み重なっていく。夜も遅い、明日に障るといけないよと、赤司はいつもの調子で言葉を落とした。 「うん……」  大人しく頷いて黄瀬は目を閉じる。電話を切る直前に、またね、と甘い音が耳の中に流れ落ちてくる。その声を聞くとひどくやさしく頭を撫でられた気がした。随分と妄想力も鍛えられているなと思いながら、黄瀬は雨のしたたる眠りの底に落ちていった。    「おや、遅かったね。少し迷ったかい?」 「……赤司っち」  星の川のほとりに、赤司がいた。もしや死んでしまったのかとしばらく考えたけれど、たぶんこれは都合のよい夢だ。泉のようにわきあがるひかりをまぶしそうに眺めている赤司の横顔がふしぎと懐かしく思えた。  足の下にはなにもないけれど、ふしぎとそこに立っていることができた。滲む視界は暗く、ひかりだけが目に痛いほどに煌煌とひかっている。天の川のきらめきを手に掬って、手元でもてあそぶ。どうやら赤司はここで黄瀬を待っていたらしい。  惚ける黄瀬に赤司はおかしそうに笑って手招きする。さそわれるまま繋いだ手はあたたかくて、夢だとわかっていても嬉しさに泣きそうになった。こうして手を繋ぐのも夢を含めたってひさしぶりだ。 「秘密だよ」  こっそりと頬を寄せて赤司は念をおした。そうするのがなんだかくすぐったくて仕方なく、黄瀬は声も出せずにこくこくと頭を縦に振った。  とろとろと輝いて流れるミルキーウェイを眺めながら、ゆっくりと川のほとりを歩いていく。ちいさな囁きで交わされる言葉は薄絹のようにあわく曖昧だった。くちにするそばから消えていく、もろくほどける砂糖菓子みたいに。  夢の中でも赤司はとても赤司らしく黄瀬に接した。身体を引き寄せて、目元にキスをくれる。黄瀬が擦り寄ると目を細めて笑って、髪を撫でて、甘くとかすように触れてくる。 「短冊になにも書かなかったのか。黄瀬の願いごと、知りたかったな」  わかっているくせに、夢でも赤司は黄瀬に問いかけた。卑怯な手を、つかう男だと思う。もういいか、夢だから、 「……だって書いたらそのぶん、さみしくなるんスもん」  そう思って黄瀬は白状してしまった。勝ちたい、もっとうまくなりたい、その願いを叶えるのは自分自身だけれど、会いたい――赤司に会いたいと願えば、それは黄瀬だけで完結しない望みになってしまう。いまだ赤司には図々しくなれないのが自分でも情けないと思うけれど。だって、恋人に会いたいと願って、なにが悪いっていうんだ。 「……赤司っちは書いたの? 願いごと」  赤司に願いごとと言う言葉があまりにも似合わない気がして、くちにした黄瀬自身が違和感を覚えてしまう。立ち止まって赤司はどこからか短冊を取り出した。それは赤司が欲し、焦がれつづけたいちばんを示すきんいろをしている。くるりと振り返って、きれいないろの短冊をひらりと振って見せた。それを目で追う黄瀬の手にも、いつのまにか赤色の短冊が握られていた。  雲より上では確かに雨なんて降っていなかったけれど、途方もない星のひかりがふりそそいでいる。それは身体に毒なるのではないかと思うほどに、無慈悲にきらきらと灼いていく。上も下も、天も地もなく、遠くで近くで、そこかしこでひかっている。 「オレの願いごとは、これ」  赤司が見せてくれた短冊は、星のまばゆいひかりでよく見えなかった。わからないと聞き返そうと開きかけた黄瀬のくちびるから、声を奪ってしまうように塞いで赤司はまた笑う。星が音を食べてしまうので、赤司が何かを言っているのに聞こえない。     夢の中でなにを話したんだったっけ。そう思いながら黄瀬は寝返りをうった。つい先ほどの出来事のように思えるのに、靄をまんべんなくかけたように思い出せなかった。しばらく粘ってみても思い出せないので、諦めて起きることにする。  ふと思い出して見てみると、枕元に置きっぱなしだった短冊には書いた覚えのない願いごとが書かれていた。書いたことに覚えはなくても、その願いごとには覚えがあって、黄瀬はひとりで赤面する。寝惚けてやらかしてしまうほど、飢えていたのか。とか。  小恥ずかしい煩悩は振り払って、用意を整えて誰もいない部屋にいってきますと挨拶をした。特別な夢を見た日だとしてもいつも通りの平日なわけで、いつも通りの日常がはじまる。ボールを追いかけて、女の子に追いかけられて忘れてしまおう。七夕なんてロマンチックなイベントは終わったのだ。彦星と織姫は、まあどこかで会えただろう。よかったね。  玄関を出る前に、いつものように郵便受けを確認すると封筒が入っていた。几帳面な字には、見覚えがあった。中学の頃の日誌、見せてくれたノート、たびたびくれる手紙、それから――夢の中で見えなかったはずの、きんいろの短冊。 ――夢で会えたら、それで満足した?  そういたずらっぽく笑って、赤司はキスをくれたのだった。慌ててしまってもつれる指で封をひらくと、今週末の京都行きの新幹線の切符と、あかるい星のようないろの短冊が入っていた。次の待ち合わせは、もっと近くで。    (2015/07/07)
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e-ecoqlog · 7 years
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黄昏の迷い子..赤黄
※しょた瀬     夕方のデパ地下は、買い物の親子連れや会社帰りのひとびとでごったがえしている。子どもがそこにいるのはなにも不思議なことではないけれど、たったひとりでうろついているなら話は別だ。  きょろきょろとあたりを見回して、数歩すすんでみてはすぐに立ち止まる。母親に着せられたのであろう明るい色をしたぶかぶかのダッフルコート。フードにはおおきなくまの耳がついていて、歩くたびにひょこひょこと揺れた。ふらふらとおぼつかない足取りのまま歩いていてきて、なにかにどすりとぶつかってしまう。  ショーケースの中をかがんで眺めていた赤司は、小さな重みにはっと振り返る。すぐに対象は見つからなくて、視線を下に落とすとかわいらしい耳付きのフードに覆われた頭が目に入った。 「おや、迷子かな」  ふらりと体勢を崩した子どもが倒れてしまわないように身体をささえると、赤司は視線を合わせるようにしゃがみこんだ。あたりを見回すけれど、そばに保護者らしき人物はいなくて、だれもその子どもを気にすることなく思い思いに買い物を楽しんでいる。  うつむいたままの子どもの表情はフードの陰になっていて見えない。やれやれ、と内心では呆れながらも赤司は子どものまるい頭をそっと撫でた。思った以上に頼りないその輪郭にどきりとする。コートの裾から伸びる足も細く、幼子の身体はどこももろくやわらかいことを思い知る。 「悪かったね。ここのケーキに目がなくて……つい夢中になってしまっていたんだ」  君に気が付かなかったんだよ、と申し訳なさそうに言って、赤司は微笑んだ。ふわふわと浮ついていたのは子どもだけではなかったのだ。どこかおのれに恥ずかしさを感じながら、赤司は正直に謝った。  真摯な態度を感じ取ったのか、子どももまた囁きに似た声量でごめんなさい、と呟いた。ためらいながらもおずおずと顔を���げて、赤司を見た。 「あ……」  大きく見開かれたひとみは、こがねいろのはちみつをかためて眼窩に嵌めたように透き通っている。水面みたいにゆらめくのは、なみだがあふれそうなのを必死にこらえているからだ。紅潮した頬は、かえって子どもの肌がまっしろなことを際立たせる。わずかにひらいたくちびるのばらいろは、みずみずしい果実のようだった。  子どもが感嘆して息を呑んだ理由が、そのおおきくまるいひとみに映った赤色ですぐにわかる。紅葉みたいに鮮やかな色をした髪と目に驚かれてしまうことは、赤司にとって珍しくもないことだ。顔をあげた子どもの容姿の愛らしさにうっかり見とれてしまったので、今回ばかりはおあいこなんだけど。  フードからこぼれる髪は飴みたいに輝くきんいろで、歩き回ったせいか落ち着きなく跳ねている。赤司が丁寧にその髪を梳いてやると、子どもはむずがるように目を細めた。人見知りをするらしく、赤司からはたくみに目をそらした。うつくしい造形はつんと冷たく、けれどそのぶん人を惹きつける。 「家族のひとは?」  首を横に振るだけで、子どもはなにも語らない。迷子でおおむね間違いないだろう、と検討をつけた。道行くひとがふたりを横目で見遣ったのを感じて、赤司はようやくおのれの状況を俯瞰する――幼女誘拐犯か、洒落にならないな。  迷子を預かってくれそうなサービスカウンターの位置を思い出しながら立ち上がると、子どもは不安そうにその動きを目で追った。さっさと預けてしまえばいいのに、この子どもをまた知らない大人のもとへとやることがなんだか気の毒に思えてくる――というのはほとんど建前で、きゅっと服の裾を掴むのがいじらしくて、らしくもなく赤司は絆されてしまっていた。 「おいで、一緒に探そう」  子どもを抱え上げるとちいさな体躯を腕の中におさめる。頬を寄せるとホットミルクみたいなにおいがかおるのは、ここに来るまでにソフトクリームでも食べていたんだろうか。子どもは縋るように赤司の服に皺がよるほどにしがみつく。ちいさな手に込められた力が、愛おしく思えた。 「ぼくは赤司だ。あやしい者じゃない。名刺もある」 「あかち……」  おしい。  赤司だよ、と苦笑しながらコートのポケットを探り、子どもに名刺を渡す。これでなにがあっても誘拐犯とは言われないだろう。馬鹿正直に名乗る誘拐犯なんて、そういないだろうから。子どもにはなにも読めないだろう漢字が並んでいるが、ちいさな両手はそれを受け取って大切に胸に握りしめた。  子どもを探しているであろう人物を、できるだけゆっくりと歩いて探す。同じフロアにいること、そう遠くにはいないだろうと踏んで、最初の場所からはあまり離れずにいた。幸か不幸か、子どもを抱いて赤司の容姿はよく目立つので都合もいい。 「君は泣かないんだね。えらいな」  電車などで人目を憚らず泣き喚く子どもばかりを見ていた赤司は、感心して語り掛けた。手のかからない子だと言われた自分の幼少時代を見ているようで、ちょっとだけさみしく、それから心配になったのだけど。強いと、称されるかもしれない。けれどそれは当人にとって、必ずしもよいこととは限らないから。 「だって、おれ、……おとこのこだもん……」  これは驚いた。中性的な顔立ちから迷いはしたけれど、やはり女の子だろうかと思っていたので。改めて顔をのぞきこむけれど、むにゅ、とふっくらとしたくちびるをとがらせる拗ねた表情すらも整っていてかわいらしい。  よっぽど怪訝そうな顔をしていたのか、子どもは赤司の顔を見つめ返す。ながいまつげに縁どられたまぶたをしばたたかせると、ちいさな星が眩しく幾つも舞った。すぐに見つかるよ、とごまかして笑うと、子どもは恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。 「涼太! よかった……どこいってたの、ううん、もう、……ごめんね……!」  ほどなくして、子どもの母親が駆けつけてくる。よかった、よかったとほとんど泣きそうになりながら我が子をぎゅうぎゅうと抱きしめるものだから、さすがに子どももへにゃりと表情を崩した。最後まで泣くことはなかったけれど、赤司もほっとして肩の力が抜ける。何度も深く頭を下げて礼をいう母親に、名乗ることは断ってふたりを見送った。 「じゃあね、気を付けて……涼太」  ひらひらと手を振ってみせる赤司を何度も振り返って、子どもは母親に引きずられるようにして行ってしまった。ひとごみに紛れて見えなくなってしまったころ、スマホが着信を告げる。 『赤司っち! 今どこにいるんスか?』  恋人からのコールに、赤司は腕時計を見る。駅での待ち合わせ時間から、20分ほどが過ぎている。連絡もなく赤司が待ち合わせに遅れたことなんてなかったから、心配して電話をしてきたのだろう。何もなかったのだと、できるだけ平静を装って言葉を紡ぐ。 「ああ、お前を待たせていたんだったな」 『ああ、ってなんスかそれ! 限定のアップルパイ、ちゃんと買えたんスか?』  心配なんかしてないのだと、誤魔化すようにして恋人は赤司を問い詰める。すまないね、とくすくすと笑い交じりに謝るものだから、恋人はますます拗ねてしまう。ご機嫌取りに、極上のお詫びの品を献上する必要がある。  最初のパティスリーまで戻ってきた赤司は、手振りだけで店員を呼び止めた。とんとん、とショーケースの上からアップルパイと、それからそのほかのいくつかのケーキやプリンを指し示す。 「すぐに行くよ。なんだか、はやく黄瀬を抱きしめたいんだ」  電話の向こうで、慌てた声があがる。頬を赤らめる恋人を思いながら、赤司は甘く笑んだ。    (2016/10/21) サンクス♡ケンイチさん
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e-ecoqlog · 7 years
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Fantastic Future! ..赤黄
※黒桃を含む   「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」 「いいんスよ! それに、ふたりでやったほうが早いから」  イヤミのない笑顔を黄瀬はぱっと咲かせた。桃井はほっと肩の力を抜いて、手元のタオルをまた畳みはじめる。  その日はたまたまマネージャー業務が重なって、最後まで干していたタオルを回収できずにいたのだ。部員たちがすっかり帰ってしまってからようやく、桃井はその仕事に手をつけられたことになる。部員数が100を超える帝光男子バスケ部で使用するタオルの数はやはり多く、ひとりでやるのには途方もない時間がかかってしまうだろう。あいにく他のマネージャーたちは買い出しなどで出払ってしまっていて、桃井が覚悟を決めたところで黄瀬が通りかかったのだ。  黄瀬は自分だって下っ端なのだからとみずから手伝いを申し出たので、桃井はありがたくそれを受けることにした。手際よくタオルを集めて、並べたタオルハンガーを片付けてくれる。 「きーちゃん、……今日、どうしたの?」  桃井がなにをとは言わず尋ねると、黄瀬がくっと息をのんだのがわかった。置き忘れていたボトルを取りに戻ったところだ、と黄瀬は言っていたけれど、それならば桃井がいる体育館の外を通る必要なんてないはずだった。桃井に用事があったのか、そうでなくともなにか思うところがあってこんな時間まで残っていたんだろう。  小さく唸りながら、黄瀬はタオルの端をきちんとそろえて畳む。じっと自分の手元を見て、どうやら言葉にすることを迷っているらしい。桃井は黙ったまま黄瀬を待った。部員のケアだって、マネージャーの仕事だ。特にデータを収集して選手の成長や練習に活かしている桃井には、そういった部員の情報が必要だった。こころの機微は、チームや能力の数値にだって関わってくる――というのは建前で、実際のところ単純に黄瀬の様子が気がかりだったのだ。  沈黙がどうしてもいたたまれなく、桃井は手持ち無沙汰に髪を耳にかける。黄瀬の手にちからがこもって、タオルがくしゃりと歪められたのが見えた。 「んー……実は、桃っちに聞いてほしいことがあるんスよ」  ようやく重い口を開いてすぐ、なんかカッコ悪いな、と困ったように笑うのを、桃井は黙って見つめた。誤摩化すための笑いだとすぐにわかってしまうので、こっちのほうが気まずくなる。  畳んだタオルをかごに詰めるのに、黄瀬がかがむ。きっちりとタオルをおさめる黄瀬の、伏したひとみにかかる金のまつげが、夕陽の橙を反射してきらきらと眩しい。桃井が出会ったひとのなかでも、黄瀬はとびきりきれいな男の子だ。そんな彼にも、悩みなんてあるのだろうか。  勉強のことだったら、本人の努力次第だけど。そんなことを思いながら、いまだうずたかく積まれたタオルを手に取る黄瀬を眺める。ふたりでやるおかげで、ずいぶんと片付けは捗った。 「オレ、好きな人がいて」  えっ、と桃井が思わず声をあげると、黄瀬は慌ててあたりを見回す。しー! 子どもみたいにくちびるに人差し指をあてて念押しする。桃井もつられて同じように人差し指をぴんとたてて、うんうんと頷いた。  いったい誰なのかと黄瀬を揺さぶって聞いてみたいのを、桃井はぐっと堪えた。黄瀬はこころを許した相手にはよく懐くけれど、それでも他者に相談をするタイプではない。桃井に話してくれたその気持ちを、好奇心だけで乱したくなかった。 「……その、…………し、っち、なんスけど」  うつむいてぽそぽそと言うので、名前が聞き取れない。聞き返すことは躊躇われたが、もう一回、と桃井は黄瀬に頬を寄せる。黄瀬の頬から、耳まであわく紅色に染まっていることに不意に気がつく。 「……赤司っち」  緊張しているのか、呟いた声が掠れていた。薄いしたくちびるをきゅっと噛んで、黄瀬はくちを噤む。同い年の男の子に言うのも変なのだけど、かわいいな、とそう思わずには言われなかった。寄せられた眉が、惑うように揺れるひとみがひどく尊く、なによりうつくしいものに感じられる。  黄瀬が、赤司の名前を出したのは意外だったけれど、しかしどこか桃井は納得してしまう。レギュラーの誰も賛同はしてくれないかもしれないけど、赤司と黄瀬はよく似たところがあった。年不相応に大人びて、完璧を演じる不安定さをその未成熟な身体に纏っている。天才ゆえの孤独が、どうあっても薄い膜のような隔たりをつくっているようだった。だれも知ることのない高み、底のない深淵、それから、ひどく淋しく、切なそうに笑う横顔の透明さだとか。 「……やめたほうがいいよ、赤司くんは」  桃井がぽつりと漏らすように言うと、黄瀬のタオルを持つ手が止まる。だって、そんなのあたりまえだ。いくらふたりの想いがつうじても、それを許さない境遇は、必ず存在する。苦しい思いをすることを、叶わぬ願いに身を焦がすことを、わかりきっているのだ。きっと黄瀬だって、……赤司だって。  ふたりがどのような関係にあるか、まだ桃井には推し量れない。けれど、マネージャーとして、大切な友人として、ただしく導くことが桃井にできることだ。 「っでも!」  遠くに散らばったタオルをとろうと桃井がそちらに身体を向けると、黄瀬は思わずその腕を掴んだ。細く、そしてやわらかな少女の身体に、はっとしたようにすぐ黄瀬は手を離してくれた。乱暴にされたわけでは決してないのに、痛くなかったかと尋ねる黄瀬の��さしさが桃井は好きで――そして、心配でもあった。黄瀬のやさしさは人をすくうけれど、いつか人を傷つけてしまう日だってくるだろう。  頬を紅潮させたまま、眉根を寄せてまっすぐに桃井を見つめる黄瀬が、いとおしくなる。必死な姿は、桃井と同じ等身大の中学生のものだ。桃井の紅玉のひとみに、誰かの姿を見ているのかもしれない。 「って、言おうと思ったんだけど」  ふいっと顔を背けて桃井はひとみを隠してしまう。誰かのかわりなんて、一時でもなる気なんてない。黄瀬の不安そうな顔なんて、見なくてもわかる。 「ほんとは、私の言葉なんていらないんじゃない?」  ね、と確かめるように言ってちらりと黄瀬を見遣った。黄瀬の表情は不安でかたまったままだ。桃井の言う意味がわからないらしく、落ちた影は暗い。じゃあ、もう少しだけ背中をおしてあげる。手伝ってくれたお礼の、特別サービスなんだからね。 「だってさ、『でも』って、きーちゃんは言ったよね」  黄瀬が必死になって言葉を吐き出したのは、咄嗟だった。だからこそ、そこに本音が隠れていると、桃井にはわかる。 「周りにどう言われようと、きっときーちゃんは、赤司くんを選ぶんでしょ」  彼らが望むのなら、ふたりが幸せに笑うことができることを桃井はどこかで信じている。彼らは運命も必然も、なんだって捩じ曲げてしまう、そんな力を持っているのだから。  にこりと屈託なく桃井が笑う。綺麗事だと、知っていた。それでも、願いをこめて桃井は笑ってみせたのだ。いつかに訪れるべき日のために。変化をはじめてしまったバスケ部の未来と、おんなじように。笑っている仲間たちがいちばん好きだから。 「桃っちはいいなあ」  泣きそうに歪めたくちびるが、言葉を見つけられずに震えている。感情が抑えきれずに溢れてしまいそうで、黄瀬がそれを噛み締めていることが悲しかった。自分がもし女性だったらと、しかしそうでないことを改めて思い知って、それでも黄瀬はみずから選択する。みずから選び、自分の足で追いかけて、自分の手で掴むのだ。  桃井をうらやましいと言う黄瀬が、桃井はなによりうらやましい。 「ごめんっ、……オレ、行ってくるっス!」  いてもたってもいられなくなったようで、抱えたタオルをかごに押し込むと黄瀬は踵を返す。赤司は部長だ、もしかしたらまだ校内にいるのかもしれない。桃井には確証が持てなかったけれど、黄瀬ならちゃんと掴みとるだろう。  通り過ぎていく黄瀬の、大きく開かれた金のひとみは、夕陽の色をそのまま吸い込んで揺れるようにかがやいた。太陽の色を持って、星のようにまたたくまばゆさに、桃井は見蕩れる。 「最後まで手伝えなくて、ほんとごめん!」  数歩走って、慌てて振り返ると黄瀬は律儀にふたたび謝った。いいから、と桃井が手を振ると、黄瀬は足をもつれさせながらも走っていく。あっという間にその背中は消えて、瞬発力もスピードもさすがだと感心する。  見送ってから数秒、桃井は大きなため息を吐き出した。片付け途中だったタオルはあとわずかで、それらをまとめて部室に持っていけば今日のぶんは終わりだった。あの早さで大好きな人のところに走っていけるのなら、最初から迷うことなんてないのに、なんて。 「ほんと、男の子って単純なんだから」  ため息のあとは、またくすりと笑いがこぼれる。残りのタオルをさっさと畳むと、かごに入れた。かごの数は4つ、黄瀬が行ってしまったおかげで何度か往復をしなければならないのが面倒だったがしょうがないだろう。  ひとつだけでも重さのあるかごをもちあげて、桃井はよたよたと歩きながらぼやく。 「テツくんも、あれだけわかりやすかったからなあ」 「ボクは、わかりにくいですか」 「全然わかんないよ! でも、だから私はテツくんが……」  好き、と言いかけてはっとする。桃井を真横から覗き込んでいたのは、黒子自身だったので。きゃあっと大げさに声をあげると、持っていたかごがバランスを崩して転がり落ちてしまいそうになる。黒子が素早くそれを身体をつかって受けとめると、さりげなく桃井からかごをもらって抱えた。  胸に握った両こぶしを押しあて、ぱちぱちとまばたきをくりかえす桃井に、黒子は不思議そうに首を傾げた。どうして桃井が驚いているのかがわからないと言わんばかりに。 「やっ、やだ! テツくん、いつからいたの!」 「ずっといましたけど」  黒子も残って自主練でもしていたのだろうか、まだ首筋に汗の粒が浮かんでいる。黄瀬が去ったのと、入れ違いにここを覗いたらしい。抱えたかごのタオルにこぼれないよう、腕にしたリストバンドで垂れた汗を拭うと、黒子はほとんど落ちかけた夕陽を眺めた。運動のあとのけだるさを持った横顔がとてつもなくかっこいい。  どきどきと早鐘のように鳴る鼓動がおさめられず、桃井は黒子のことをぼんやりと見つめてしまう。 「今日は遅いんですね。でも、もう暗くなってしまいますよ。手伝いますから早く片付けてしまいましょう」  練習のあとは、へろへろに疲れているくせに黒子は桃井を手伝うのだという。あたふたとうろたえていると、黒子に急かされてしまって、桃井は慌ててタオルの入ったかごを抱えあげた。ふたりでやれば、往復の数も少なく終わらせられる。  ふたりきりになれた喜びでふわふわと浮つく桃井からはいつもの冷静さと洞察力が抜け落ちてしまっていた。だって、黄瀬と同じように、黒子だって練習の終わりに体育館の外へ出る必要なんてないのだ。そんなことをまったく気づけていない桃井を横目に、黒子は歩きはじめた。  ――黄瀬はちゃんと赤司に逢えただろうか。彼の正直さを思い出して、桃井はかごを持つ手に力をこめた。あのまっすぐさなら、想いはこころを貫くように届くのだろうと、それをうらやましく思ったことも。  黒子はやはり疲れているようで、足取りはよたよたとおぼつかない。桃井の視線をつかまえて、平気ですと黒子は言ってみせる。みくびらないでほしいと、拗ねたような顔をするのは負けず嫌いな黒子らしい。でも、桃井にとってはそれがどうしようもなくかっこよく見えるのだ。  テツくん、名前を呼ぶ声はか細くなってしまったけれど、黒子はちゃんとそれをひろいあげてくれる。思い切って黒子のほうへと桃井は顔を向けた。顔が真っ赤になっているのが肌でわかったけど、もう、立ち止まらない。 「あ、あの! これが終わったら、一緒に帰らない……?」 「……あ、先に言われちゃいました」  黒子がきまり悪そうに呟くので、桃井は何のことだろうと考え込んでしまう。そうしていると言葉を濁す黒子に、わかりませんか、と聞き返されてしまった。青峰にお前はニブい、と言われてしまったのが思い出される。青峰よりニブいなんてことは、さすがにないとは思うのだけど。  断られるのだろうかと桃井が覚悟したところで、黒子はつまりですね、とゆっくりと言葉を紡いだ。 「ボクも、そう言おうと思ってたんです。ついでにコンビニにでも寄りませんか」 「えっ、ええ! ほ、ほんと?」  はい、と黒子は静かに頷く。薄いくちびるが笑みをつくって、表情の乏しい彼がみせた、かすかに浮き足立つような楽しげな様子にきゅんとする。暗くならないうちに、と黒子が気遣うのにもやはり桃井は気づいていなかったけれど。  嬉しくてこくこくと何度も確かめるように頷く桃井のむこう、薄く透けるような月が浮かんでいた。その隣の一番星がウインクをするかのようにチカリときらめいて、黒子はやれやれとため息を吐いた。遠くの校舎で、同じ空を見つめるふたりがいる。    (2016/05/05)
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e-ecoqlog · 7 years
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よるはおしずかに..赤黄
   「ねえオレ峰ちんの隣イヤなんだけど~」  布団の上にあぐらをかいた紫原は、むくれて文句を言う。もごもごとくちの中に駄菓子を詰めながら話しているので、緑間が顔をしかめた。  帝光中学男子バスケットボール部は合宿に来ていた。運動部の利用が多い時期のためか十分な部屋数を確保できず、複数人での部屋の利用を余儀なくされた。それはレギュラー陣も例に漏れず、12畳ほどの和室に布団を敷き詰めて、雑魚寝をすることになったのだ。6人分となるとさすがに窮屈で、誰もがこの部屋割りを渋った。赤司ならなんとかしてくれるのでは、という期待のまなざしに本人は、さすがに合宿所の間取りまでは変えられないよ、と困ったように笑った。 「んだよ、文句あんのか」  むっとした様子で青峰が枕を投げつけると、紫原はボールを扱うように軽々と受けとめて、青峰に投げて返す。 「だって〜峰ちん寝相悪いし、オレ蹴られんのやだ〜」 「わがままを言ってないで、さっさと寝るのだよ」  念入りなストレッチを終えた緑間がいさめたが二人は止まらない。ついには緑間まで交えて三つ巴の言い合いになっていた。黄瀬は美容用クリームを塗りながら、隣の布団の教育係を気の毒に思った。日中の厳しい練習で限界だったらしい黒子は、一刻も早く眠りたいと布団を頭までかぶっている。 「紫原っち、オレが代わるっスよ、ね?」  紫原と入れ代わって、黄瀬は青峰と赤司の間の布団にもぞもぞともぐりこんだ。うつぶせになってぎゅっと家のものよりかたい枕を抱える。青峰の反対側、ちらりと気にして隣を見ると、赤司がきっちりと布団をかぶって目を閉じていた。 「赤司っち、お隣になったっスよ〜。よろしく」 「ん……? ああ、」  小声で話しかけると、赤司は黄瀬が隣にいることに少し不思議そうな顔をしながら頷いた。半分ほど眠りに意識を持っていかれているのか、いつもよりぼんやりとした表情がおさなく見えた。  赤司とは――周りには隠しているが恋人同士だ。もちろん一緒に眠ったことだってあるけれど、こういった雑魚寝はそれとは違う。なんだかこそばゆくて、へへ、と黄瀬はだらしなく笑ってしまう。赤司もつられたように表情を緩めた。 「なんか変な寝言言ってたらごめんね!」 「ふふ、気にしないさ」 「電気を消すのだよ」  緑間が声をかけると、ぱちんと電気が落とされる。黄瀬は仰向けに寝返りをうって、暗闇を覆うようにひとみを閉じた。小さな布擦れの音やチームメイトたちの呼吸の音、それから遠くの夜の風の音がしている。落ち着かなさを感じるが、それよりも疲れのほうが勝って、いつしか黄瀬も心地のよい眠りに落ちていた。       「んう、……」  ぶる、と黄瀬は身震いして、曖昧な覚醒をする。布団の隙間から、冷えた空気が入り込んでくるのを感じたからだ。あたりは真っ暗で、自分がどこにいるのかもわからない。まだ夜なことだけは確かで、もう一眠りしようとまた意識を手放そうとしたときだった。するりと身体に真夜中みたいに冷たい腕が回される。……だれの?  思わず息をのんだ黄瀬が、暗がりの中で目をこらす。違和感は布団のうちがわだ。ぼうっと浮かぶ影は、強い緋の色を灯している。振りほどこうとしていた黄瀬を逃がしたくないと言わんばかりに、脚にも重みが絡んだ。 「ちょ、ちょっと、アンタなにして……!」 「……そっちこそ」  月明りだけで���んやりと浮かぶ表情はわかりづらい。赤司は慌てる黄瀬を怪訝そうな顔で見上げていて、黄瀬のほうが間違えている可能性が頭に浮かんだ。こっそりとあたりを見てみたが、いびきをかいている青峰が隣にいて、その反対側の布団は空白であることに間違いはなかった。黄瀬の正面で布団にもぐりこんでいるのが黒子、窓側のななめが夢のなかでもおやつを食べているらしい紫原、出入口側のななめに緑間。眼鏡をはずしている姿はなかなかレアだ。  混乱しながら頬でもつねってみようかと手を伸ばしかけたところで、赤司のほうから先に脇腹をつつかれた。 「なあ、布団をもうすこしこっちにくれないか。寝冷えはごめんだからな」  寝惚けているのかと思ったが、赤司の声は小さいものの明瞭だった。言われるがままに掛け布団を引っ張って、きちんとふたりがおさまるようにかぶせた。赤司はまだすこし寒いのか、黄瀬へと身を擦り寄せる。もっと隙間なくくっついてしまいたいとばかりに、背中に回された腕に力がこめられる。  くふ、と嬉しそうに赤司は笑って、黄瀬の胸に頭を押し付けた。親戚の家で飼っていた猫の仕草によく似ているなと思いながら、やわらかい髪に指を通して撫でる。触れ合っている全てのところから、体温が伝わってきて、たまらない多幸感が沁み入る。 「黄瀬、あったかい……」 「……」  はいオレの恋人カワイイでーす。ほんと、これ、むり。  合宿前から準備などもあり、全然触れ合えていなくて、ひどく飢えてしまっていたことを突きつけられる。もしかしたら、赤司もそう感じていたのかもしれない。そう、黄瀬の布団に間違えてもぐりこんでしまうくらいに。  狭い布団のなかで抱き合っているだけで、どきどきもするし、それ以上に満たされる。前に赤司とこうしたのはいつだろう。身体を繋げた後で、どろどろに甘やかされたことを思い出してきゅんとしてしまう。 「……なに勝手にきもちよくなってるんだ」 「だ、だってえ……」  いけないとわかっているのに、触れてほしくなる。心音はうるさいくらいに早くなって、胸元に頭を押し付けている赤司にはすべて伝わっているのだろう。やれやれ、と赤司は呆れた表情をするが、それでも黄瀬を見つめるひとみはどこまでもやさしい。闇の中でもきらきらとうつくしく輝くルビーは黄瀬を魅了してやまない。その褪せることのない強い色は、憧れでもあり、信頼でもあった。  赤司っちがかわいいから、とぽそぽそ耳打ちすると赤司は少しだけ笑って、その先を促した。 「から?」 「……、好きっス……」  観念してとろとろと甘ったるい告白をすると、赤司はふいと顔を逸らしてしまう。黄瀬には理由がわからないが、目を伏してしまった赤司からは何も読み取れなかった。黄瀬のほうがかわいいよ、とくちびるだけを震わせた最大級の惚気を、黄瀬は知らない。       「おい、赤司がいないのだよ」  布団のなかでひそやかに睦み合っていたふたりは、その声にびくりと身体を硬直させた。ばさりと布団を大きく捲る音がして、緑間が起き上がったことを知る。 「あー……? んなことで起こすなよ」 「もーまじありえない。赤ちんなら大丈夫でしょ〜?」 「主将がいないなんて責任問題になるのだよ!」 「素直に心配だっていえばいいじゃないですか」  眠りを邪魔されたことに皆が不満をあらわにするが、黄瀬だけは布団にもぐりこんだままおろおろとうろたえるしかできなかった。なにせ、当の赤司は、自分の布団のなかにいるのだから。まいったな、と思っているのかいないのか、赤司はやんわりと首を傾げている。 「赤司っち、どうにかして布団に戻っ、んっ、んう……!」  可能な限り声をひそめて赤司に言い含めようとした黄瀬の言葉は、途中で赤司のくちびるによって遮られた。いたずらに舌先で上顎をくすぐるとゆっくりと離れて、そこにふに、と指先が押し付けられた。 「しー」  布団の暗がりのなかで、赤司は妖しく笑う。ふたりきりの甘美なひみつに鍵をかけてしまうように、ぴんと立てた人差し指がくちびるをなぞった。あまりに楽しそうな表情をする赤司に、黄瀬は言い返すこともできない。ふたりぶんの荒い吐息が混じって絡みあう。熱のこもった布団のなかで体温があがっていくようだった。 「とりあえず電気をつけましょう」 「おら黄瀬も手伝えよ、寝たふりすんな」  厚い布越しの外が、ぱっと明るくなり、狸寝入りをしているのだろうと決めてかかった青峰の手が、ふたりを覆う掛け布団にかかる。なぜだか、赤司と過ごした楽しい思い出が、走馬灯のようによぎって、黄瀬はぎゅっとかたく目を閉じた。  ああ、だめだ、バレてしまう―― 「おめーらうっせ!」  がこん! と大きな音を立てて、虹村が襖を足で行儀悪く打ち開いた。灰崎を後ろに引きずっているのがなんともシュールだ。黄瀬は布団をはぎとられないうちにと、ごそごそと顔を出す。部屋の注目はすべて虹村のほうへと向いていた。 「ここは赤司がいるからって安心してたんだけどな。消灯の時間は過ぎただろうが」 「すみません、わかってはいるのですが」 「ったく、なに騒いでんだよ?」 「それが……」  虹村に問われ、しばし彷徨った緑間の視線が赤司への布団へと向けられる。つられて虹村もそこに目を遣る。――赤司がしっかりと布団をかぶって眠っていた。表情は安らかなもので、消灯のときからなにも変わっていない。  赤司がいなくなってしまって、と白状する予定だった緑間の言葉は、喉に詰まったまま出て来なかった。虹村は部屋に特に異変がないと判断したようだ。 「明日も早いんだからちゃんと寝とけ。おやすみ」  ばん! とまた大きな音をたてて虹村は襖を足で閉めた。一方的ではあるが、それが虹村らしい優しさだった。緑間がきつねにつままれたように呆然としている間に、メンバーたちは布団へともぐりこんでいた。 「緑間っち、電気消してほしいっス」 「あ、ああ……」  黄瀬に声をかけられて、我に返ったように緑間はスイッチを押した。悪いことをした、と思う。赤司が自分の布団にいなかったのは事実だったのだから。虹村が来たどさくさに紛れて、赤司は黄瀬の布団から隣の自分の布団へと移動してみせたのだった。 「おやすみ」  ふたたび暗くなった部屋に静寂が訪れる。布団の隙間から手が滑り込んできて、そっと黄瀬の手をにぎった。どこかしめってあたたかい赤司の手を、ぎこちなく握り返すと、胸がじんと甘く締め付けられる。そうしてまた、黄瀬は静かな夜に包まれていった。    (2016/10/02)
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