Tumgik
imwatashi · 4 days
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2024.04.23
綿矢りささんの『パッキパキ北京』を読んで挑む北京出張初日。英語があんまり通じない故、知っている中国語のワードを組み合わせて何とかコミュニケーションを取る感じがとっても新鮮。隣の国だしみんな顔も似通っているけれど、どこか遠くに来た感覚になる。こういうときの、もっとこう言いたい、こう言えたいいのにって衝動に駆られる感じ、英語を勉強し始めた頃のことを思い出す。今でも勉強中だけれど、異文化に触れるたのしさってこうして新しいものを吸収してどんどん取り入れて行く自分自身の変化が楽しいってことでもあると思う。Duolingoでちまちま学んでた単語や言い回しと、パッキパキ北京で仕込んだ上っ面の文化を一夜漬け感覚で詰め込んで、目に触れるもの全ての解像度を深めたい、より記憶に残る形で自分の中に残したい。セブンで我要一个这个っていうまちがった文法でも言ってみたらホットスナックが買えたし、信用卡?って聞いたら首を振ってもらえた、それだけで嬉しかった。現金って言えなかったから次は言えるようにしよう、とか、そういう小さな進路が楽しくて赤ちゃん返りした気分になる。
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imwatashi · 6 days
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2024.04.21
記憶力の低下が著しいのでしっかり何があったのかを残しておきたいなと思う。昨日はSixTONES東京ドーム公演に行ってきた。最近は忙しすぎて何かを推すという概念を忘れてたし、来週からの出張準備もできないじゃん!とか思って行くモチベは高くなかったけれど、それでも「行かない」という選択肢が絶対に出てこなかったのはチケット代を払っちゃってるから、っていうのもあるけど何よりも行けば楽しいっていうのがわかりきってるからだし、実際めちゃめちゃに楽しかった。行けば盛り上がれてストレス発散できるし、赤の他人なのに寄り添ってくれているような気がして勝手に救われたりもする。日常生活に鋏をいれてくれる大事な瞬間だ。現実逃避でしかないのかもしれないけれど、そうやって一杯一杯な毎日から少し目を逸らして一息をつく心地よさを教えてくれる。一息つくことが許されている、経済的にもそれができる自分であることが幸せだなと思うし、周りへの感謝も湧いてくる。
日本のカルチャーやエンタメはガラパゴス化しているって言われたり、日本ってだけで特異なアニメカルチャーとして捉えられたりすることも多い、韓国にはエンタメでも音楽でもクオリティが惨敗していると言われることも多い、実際にME:IのMネットとか見ているとその意味がわかるなぁと思ってしまうこともある、でも少なくともその一辺倒な考えだけで彼らをみくびることはしたくないと強く思った。たった6人で五万五千人の人を集める、あまりにも高くまで続く座席を見て、揺れるペンライトの多さとその激しく揺れるさまを見て、彼らは間違いなく選ばれた人たちなんだなぁと改めて感じた。
アルバム買わずにライブに挑んだけど楽しかったから買おうと思う。来週から中国なのでYouTube見れないのだけど、こんなにもSixTONES摂取したくなっているのにYouTube見れないのは結構不安だ。
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imwatashi · 8 days
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今どきのXでポスト(ツイートではない)したら瞬く間に炎上しそうなことを言う。
子供がいるから、、とか、家庭があるから、、で許されたり受け入れられたりすることがたくさんあるのに、独身だったら途端になんてことない扱いをされるのがシンプルにむかつく。私が子供いないからそう思うのかもしれないけれど、でも子供を産むのも家庭を持つのも、私が好きなものを食べたり好きな人と過ごすのと同じその人の自由意志であって、義務ではないのに、むしろエゴとも呼べるはずなのに、どうして途端に尊重されるれき神聖なものみたいになるのだろう?それが尊重されるのであれば、私が私のために使いたい時間だってある程度は尊重されるべきだ、だってそれはルーツを辿れば同じ人間のエゴから生まれているのだから。
とかいう不満を、あまりにも忙しすぎるのと独身若手はいくらでも時間あるしなんでもやれ、みたいな風潮がいやすぎて、ここで吐き出している。最近夜間学校に通い始めて、だから忙しさに拍車がかかっているのだけれど、学校のある日だけは意地でも退勤してる。もちろん今の環境に感謝もしているけれど、普段頑張って働いてるんだから週二回くらい定時に上がらせてくれと思うし、別に誰もそれを止めたりしないんだけど、なんとなく蔓延る空気感(それも私が勝手に感じてるだけがしれないが)が息苦しくて、悪いことしてる気になるからつらい。
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imwatashi · 9 days
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何気ない会話で悪気なくさりげなく「いや」という軽い前置き否定の言葉を重ねられるたび、すり減る何かがある気がする。それが気にならないときはきっと自分に余裕のあるときで、気になってしまう今はきっと目先のことで手一杯になっている。
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imwatashi · 1 month
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"Solitude is dangerous. It's very addictive."
なぜならひとりぼっちに慣れてしまったとき、それがいかに平和で穏やかなことであるかに気づいてしまうから。人と関わることはあなたのエネルギーを奪うので、もう他人と関わりたくないと思ってしまうかもしれなから。
っていう言葉をジムキャリーがどこかで言っていたらしい、というのをこの動画をとおして知った。なんだか自分のことを言われたみたいで、うう、と思いながら最後まで見た。
自分の機嫌は自分で取るとか、自分にとって害と感じる人からは離れろとか、そういう考えが広がりつつある今の世界で、私はそれに賛同する部分もあるけれど、そういった考えを盾にして生き過ぎているような気もして、誰かをつめたくあしらうことも淡々と接することも、自分のため、と言えばどこまでも許される気がして、そんなわけがないのに大きな盾があるせいでどこまでもつめたくなってしまいそうな自分がいることをたまに感じて、自分自身でもこわくなることがある。でも、つめたくならなければやっていけないときもあるし、生きていたら、だからそのバランスを取るのが難しいなってすごく思う。
hspとか繊細さんって言葉を使って、自分を過剰に守る感じと似ている。私は繊細さに対してはコンプレックスに近い感情を抱いているので、それを周囲に押し売りして自分のわがままを通す気は全く湧かないのだが、だからこそ、自分のテリトリーにずかずか入り込む人に対してたまに冷たくしてしまったり、連絡の愛想をつかしてしまったり、してるんだろうなあ、そしてそこに居心地の良さを感じてしまってるんだろうなあ、と思った。
それはきっと悪いことではないのだろうけれど、ね。
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imwatashi · 1 month
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20240320
付き合う前にデートした頃ってお互いに知らないことばっかりだから会話に夢中で、あんまり食事の量は多くなかったと思��んだけど、最近は一緒に飲みに行ってもバクバク食べちゃうし、会話よりも噛み締めるブリ刺の味を最後まで楽しむことが重要になってきたりで、もちろん会話もするし楽しいのだけれど、会話するために食事という手段を使うというよりは、美味しいご飯を好きな人と楽しむという意味で真摯に食事に向き合っているような気もする。美味しいものをしっかり楽しむときって結構集中力が必要だと思うので、会話を繋ぎ止める、ということを気にせず食事を楽しめる、尚且つ気楽に会話を楽しめるという相手がいてくれるのは本当にありがたいな(恋人しかいないけれど)
上野で飲んだけれど風が強くて寒すぎた。職場の人に言われた一言について話したけれど、笑って聞いてくれたのがうれしかった。まだ水曜日かあ。最近は本当にメンズライクなファッションにハマっていて、そういう格好も難癖つけることなくむしろ好意的に受け止めてくれる感じはとっても嬉しい。
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imwatashi · 1 month
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周りにいる全員を小馬鹿にしてるよね?と先輩に笑いながら言われ、反応に困ってしまった。否定しきれない、と心のどこかで思いつつ、でも決してそんなことはない、と思う自分が同時に存在したからだ。何かの拍子にふと思い出して仕方がないから、自分なりに考えてみた。結論は、「小馬鹿にしないとやってらんないときはとことんそうしてる」し、「自分は周りの人が気づかないような他人の気持ちや細かな内面を深読みして嗅ぎ取ってしまう(そしてそれは割と当たってる)ところがあるため、それ故に周りの人に対して、"私が気がつくことに気がつけていない人たちばかりだな"と思ってしまうふしがある」というものに落ち着いた。決して自分が一番天才だって思っているわけではなく、まあでも心のどこかで自分のことを何よりも信じている私がいるのだろうけれど、でもそれとは別のベクトルで「小馬鹿にしているよう見える」私につながっている部分はあるのだろうな、と思った。でもあんまり良くないから気をつけないとな、とも思う。職場では自分を殺しているから、ある程度うまく立ち回っているつもりではあるし、波風立てぬように他人の意見も指摘も基本的には全く否定しない。でも、これは違うだろって思うことに対してはとことん言葉を尽くす節はあるし、複雑な議論を遠目がちに眺めてしまうところはある気がする。でもそれだって、意外とみんなが雑に生きて雑に仕事をこなしてるからだってきがついてからだし、自分の意見を述べたところで何も変わらないという無力感や諦めからでもあるし、そうでもしないと私は半角スペースと全角スペースの違いがいちいち気になって資料をキリなく修正してしまうような人間なのだ。たまに来るこの、繊細さんだの内向的だのそういった性質が何にも美しくないよな、と衝動的に味わう感覚。雑な社会で生きていくのに身を守るためにふるまったことで、こういった印象を招くこともあるんだし、結局裏表がなくて素直に陽気なビジネスマンをやれる人間がうまくいく資本主義ですよね。
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imwatashi · 2 months
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やっぱりこれが楽しすぎて幸せすぎて、ずっと余韻に浸っている。
というのも、私はマジで友達が少なくて、遊んでくれる人はそれなりにいるのだけど、本当に親しいと感じられる人が少なくて、それは自分の自己開示が苦手なところや小さなスマホのスクリーンについたかすり傷みたいな言動がいちいち気になったりするところに原因があるのだって自覚はしているのだけど、やっぱり他人に無理に自己開示しようとすればするほどうまくいかないし、少なくとも恋人には自分を隠さずいられてるかないいかなとも思うし、そもそも自分の全てを他人に曝け出す必要なんかないし、皆んな自分しか知らない一面を持ってて当然なんだとも思うし、まあ色々あるんだけど、とにかく「人間関係構築」に対するコンプレックスがものすごくでかいんです。自分を無意識に偽って、周りに合わせて空気を読んだ反応をして培ってきた関係があまりにも多すぎて、だからある程度楽しく遊べる人はいるのだけれど、親しいと感じる人はあんまりいないっていう状況になっている。だから年々人とも会わなくなってきて、それでさらに孤独を深め、その孤独を誤魔化すために刹那的な遊びに興じるという悪循環がずっとつづいている感じだった。
なかでも「男友達が多い」というのは何の自慢でもなくマジのガチガチのコンプレックスで、それは結婚といった人生の節目を迎える大人になるたびに年々大きくなっていった。性別なんか関係ないっていうけれど、やっぱり誘いづらくなるし、私も恋人がいると遊びにくいって思う。私は集団の中で極端に自分の存在意義がなくなることを恐れていて、だからわかりやすく違いを見出せる男の子といる方が心地よいと感じていたんだと思う。一時期はそんな自分が嫌で仕方がなくて何とか改善したいと思っていたんだけど、「別にそんなの気にしなくていいのよ」ととある占い師のおばさんに言われてから、良くも悪くも心地よい人とだけ付き合うようになった。今はだから、心地よい人がいないのであればむしろ1人でいればいい、と思っているのだけれど、それでもふとしたときに虚しさを感じることや、コンプレックスを大きく拗らせてしまうことがあったりするものだ。
ここまで書いておいて結局なにが言いたいのか?よくわからないが、これまで自分が勝手に複雑にしてきた人間関係のなかで、とくにコンプレックスを感じていた男友達から、こうして大事なタイミングで呼んでもらえたってことがなんだかすごく嬉しくて、べつに友達との関係に公式とか正式とかそういうのないけれど、でも本当に純粋な友達として胸を張れるような感じがして、、とか言うと、マジで私友達の定義をややこしく考えすぎてない?って感じなのだけれど、でも本当に素直に思ったことを記すとこうなります。
世の中には、特定の誰かをさして「この人は親友なの!」って言える人がたくさんいて、私はそんな世界を見るたびに、自分もそういう人を作らなきゃ、って必死に思ってきた人間だった。そんな姿勢だからきっと自信を持って親友と呼べる人はいないなぁと思うし、でもそんな姿勢とか関係なく、私は自分以外の他人に対して「本当の自分でいられるなぁ」と思えることは多分ないのだろうなと思うし、そもそも本当の自分とか概念的なことを考えすぎる時点できっと人間関係をうまく構築していくことに向いていない。だからこそ培った自分なりの処世術で、それなりに周りの人とかかわりながら楽しく生きている。それでいいじゃないか。それでいいじゃないか、と今でも自分に言い聞かせる。世界に私しかいないんじゃないか、こんな人間、って思って寂しくなる、でもそんなの当たり前のことじゃないか、ってふと気がつく、だから私は私なのだ。きっとこれから���何度も他人の人生を羨ましく思うのだろうけれど、この曲がりくねった思考回路だって自分にしかない宝物なんだからって、最後は戻ってこれるような自分でいたいな。
高校の友達の結婚式へ行ってきた。雑学とか色んな分野の知識量が豊富で、人の懐に入るのがうまくて、人気者で、めちゃくちゃおもしろいお友達。同じクラスになったのは多分高3のときで、でもその前から仲良かった記憶があるので最初のきっかけは忘れてしまった。体育祭の100メートル走決勝を応援したり、地元で飲んで噴水に飛び込んだり、上高地や熱海に旅行へ行ったりもした。マジで友達が多い人だから、その中で自分を呼んでくれたことがまず嬉しかったなぁ。楽しくてあったかくて、クスッと笑えるような時間で、開始早々泣き出すところも彼らしくてよかった。出会ってからなんとなく時間が過ぎたけれど、もう10年以上も経つと知ってびっくりする。彼のために集まった高校の友達はなつかしいメンバーばかりで、これだけ時間が経っているのに楽しくカラオケできたり会話できたりすることが感慨深かった。頻繁に会うわけじゃないけれど、会うと楽しく過ごせることが嬉しかった。みんな、それぞれの道に進んでいて、結婚したり子供がいたり、転職したり地元にいたり、同じ学校に収まっていた時間がまるで嘘みたいにバラエティに富んでいて、すっかり大人になったなぁと思う。そして高校の友達から会うたびに「痩せた?」「こけた?」「小さくなった?」と言われるのだけど、私そんなにぷっくりしていたのだろうか?そんな自覚はないけれど、それぞれの社会で揉まれた皆んなにそれぞれの人生をほんのり感じとったように、私も今までの人生が良い意味で自分のオーラとして身についていたらいいな、と思う。
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imwatashi · 2 months
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高校の友達の結婚式へ行ってきた。雑学とか色んな分野の知識量が豊富で、人の懐に入るのがうまくて、人気者で、めちゃくちゃおもしろいお友達。同じクラスになったのは多分高3のときで、でもその前から仲良かった記憶があるので最初のきっかけは忘れてしまった。体育祭の100メートル走決勝を応援したり、地元で飲んで噴水に飛び込んだり、上高地や熱海に旅行へ行ったりもした。マジで友達が多い人だから、その中で自分を呼んでくれたことがまず嬉しかったなぁ。楽しくてあったかくて、クスッと笑えるような時間で、開始早々泣き出すところも彼らしくてよかった。出会ってからなんとなく時間が過ぎたけれど、もう10年以上も経つと知ってびっくりする。彼のために集まった高校の友達はなつかしいメンバーばかりで、これだけ時間が経っているのに楽しくカラオケできたり会話できたりすることが感慨深かった。頻繁に会うわけじゃないけれど、会うと楽しく過ごせることが嬉しかった。みんな、それぞれの道に進んでいて、結婚したり子供がいたり、転職したり地元にいたり、同じ学校に収まっていた時間がまるで嘘みたいにバラエティに富んでいて、すっかり大人になったなぁと思う。そして高校の友達から会うたびに「痩せた?」「こけた?」「小さくなった?」と言われるのだけど、私そんなにぷっくりしていたのだろうか?そんな自覚はないけれど、それぞれの社会で揉まれた皆んなにそれぞれの人生をほんのり感じとったように、私も今までの人生が良い意味で自分のオーラとして身についていたらいいな、と思う。
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imwatashi · 2 months
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帰国早々仕事も私生活も爆速に忙しくて脳みそ死んでるけれど、旅の記録を残したいから記憶をふりしぼる。
20240217
ホテル周辺で朝ごはんにガパオライスを買って、アユタヤへ。アユタヤ行きの電車は事前予約がうまくできなくて、ぶっつけでクルンテープアピワット中央駅(長い!)に向かった。シートは満席、スタンディングのみで20バーツ、日本円だと80円で隣県まで行けてしまうらしく、エアコンのない車両だったけれど窓全開で涼しくて気持ちよかった。アユタヤではトゥクトゥクに乗って遺跡を巡った。ワットマハタートにはたくさんの仏像が残っているけれど、ことごとく首から上が切られてしまっている。かつて戦争でビルマが戦利品として仏像の頭を持ち帰っていたからだそうで、忘れ去られたものがかの有名な木の枝に巻かれた仏頭らしかった。そんな歴史は遺跡巡りをひと通り終えてから調べたもので、もっと早くから勉強しておくべきだったなと後悔した。
バンコクに戻りタイ古式マッサージを受け、ガイトーンプラトゥーナムでカオマンガイを食べる(一番おいしいカオマンガイだと思う)ビックCでお土産を買い、パッポンナイトマーケットでロティとガイヤーンを食べた。
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imwatashi · 2 months
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20240214
恋人が中野に住み始めたので仕事終わりに向かう。ずっと好きな街だったので気軽に行けるのが嬉しい。スーツケースを持って行ったので、徐々に変わっていく街並みを車窓越しに見ながら上京する田舎っぺの気持ちになった。ラストオーダー10分前の秋吉で焼き鳥と串カツを食べた。秋吉はいつも串カツを頼んでしまう。
20240215
仕事を早めに切り上げて成田空港へ。4年ぶりの海外、3回目のタイへ向かう。コロナが流行る寸前に滑り込みでシンガポールから帰国し、その間にパスポートも切れ、ずっと時間が止まっていた。はじめての赤色のパスポートなので、自動認証ゲートを抜けたあとにわざわざスタンプを押してもらった。搭乗前に吉野家の牛丼を食べた。
20240216
早朝2:30にバンコクへ到着。受託手荷物とSIMカードをゲットし、Grabでタクシーを捕まえてホテルへ向かう。Grabだから大丈夫しょ、と思って現金を持たずに飛び乗ったら、クレカ情報の登録を忘れていて、無銭でタクシーに乗り込む日本人2人になってしまってめちゃくちゃ焦った。運転手は英語もままならず、Google翻訳を使ってなんとかATMで現金を下ろす。ホテルについた頃にはもう朝で、近くの屋台でご飯の上にオムレツが載ったものを買って食べた。おばあちゃんがWokでつくる美味しいオムレツ、40バーツ、約160円。
仮眠をとってからバンコクの渋谷ことサイアムに行き、お昼ご飯にプーポッパンカレーをはじめて食べた。高かったけれどそれに見合う美味しさだった。フットマッサージを30分受けて、アンパワー水上マーケットやメークローン市場へ。ガイドなし���ツアーに申し込んだが、自分たち以外中国の方で、マーケットに着いても中国人ばかりでアウェイな気持ちになった(元々ホームではないけど)バンコク3回目だけれど、どちらも初めて行く場所で新鮮だった。生まれて初めてホタルを肉眼で見た。再びサイアムで解散しマンゴースムージーを飲みに行くと、そこは日本人だらけだった。みんなここにいるんだね、と話しながらホテルに帰る。この日はパッタイ1回とガパオライスを2回も食べたけれど、結局おばあちゃんがつくる40バーツの朝ごはんが一番忘れられなかった。
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東南アジアのこの空気感がやっぱり好きです
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imwatashi · 3 months
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大政絢と佐々木希が毎年誕生日にお揃いのものを買っていると聞いて、そんなことがありえるの?!と軽くカルチャーショックだった。友だちと毎年おそろいを買い続ける気力、私にはないし、毎年恒例という名で終わらせるタイミングも失ってがんじがらめになったそのイベント(こういうふうに捉える時点で終わってる)なんて、地獄じゃないですか?と思ってしまう。まあそこで、やめようよ!って気軽に言えたり、それで関係性が破綻しない存在というのが親友なんでしょうね。だとしたら、私にはいないなあ。いたとしても、物質にどこまで価値を見出すかという問題かもしれないし、モノをたやすく買えるほどの経済力がないからかもしれない。色んなところに価値観反映ポイントがあると思うんだけど、それが彼女らとことごとく合わなかったんだろうな。まあそうだろうな、と思う。出張先のホテルで買った詩集を読んでいます。
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imwatashi · 3 months
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2024.02.04
おばあちゃんの一周忌で週末帰省。納骨堂で手を合わせ、親戚で集まってご飯を食べた。兄夫婦、秋ごろに出産予定と話を聞いて、そのときの両親の顔を見ると何とも言えない気持ちになった。私は今は子供が欲しいと思えるテンションじゃないから全く考えたこともなかったけど、やっぱり親からしたら嬉しいものなのだろうな。少なくとも嬉しそうにしているところを見れて、私がホッとしてしまった。これで私自由にできるな、と心のどこかで思ってしまっていること、そんな自分に後ろめたさはありつつも、でも自分の人生なんだからそもそも自由に生きることの了承を他人からもらう必要なんだよな、と思い直す。それでも他人のため、とりわけ家族の顔を何か決断のたびに思い浮かべてしまうのは、きっと人は1人で生きていけないと私自身が気づいているからだろうし、そう思えるくらいには誰かに支えられて今まで生きてきたからだろう。とにかく、よかった。
リモートワークをうまく使ってもっと長居したかったけれど、来週週末出張でその次は海外旅行に行くのでやめた。久しぶりの海外旅行で忘れてることありそうすぎて怖いけれど楽しみだ。そういえばコロナ真っ只中の2020年、ノリで千里浜と世界一長いベンチまでドライブしに行ったことを思い出した。千里浜は好きな場所のひとつで、自分の運転でもいったし助手席に乗ってでも何度も行った。最近は波が上がって入れないことも多いらしく、その当時も夜中に行って入れずに結局ベンチのところまで行った記憶がある。ベンチのところ、あああそこが志賀町なんだって今更知る。近いようで遠くて、でもやっぱりどこか身近な存在で、どうしても他人事とは思えない。
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imwatashi · 3 months
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セクシー田中さんというドラマは観てなかったし原作も知らないのだけれど、「原作者は告発まがいのことをして、テレビ業界のある種のタブーを破った」と書かれているのを見て、一気に他人事ではない気がしてきた、じわじわと。業界でタブー視されてることってテレビだけじゃなく屁理屈なものが多く、一歩その外へ踏み出せば全く意味の通用しないことばかりだなぁと思う。だからこそタブーと呼ぶのでしょうが。社会人してたらわりとそういうのってどこでも起きてることだよな、そのマイルド加減に差があるだけで、と思った。少なくとも「ダマでやる」って言葉をいまでも耳にすることがあるから、何かしら事情があって何かに容認されるべきではないやり方で (法的レベルではないけど) 物事を進めている人は周りにいるだろうし、自分もその環境にいつづけるとそういうもんだって思い始めちゃうんだよね。
わからなくなるんだろうなぁ、きっと。中にいると。テレビ局が何かしらの対応として動きはじめたとしても、それは決して自らを悪いと思ったからではなくて、世間の炎上や誹謗中傷を鎮静化させるための手段としか捉えられていないだろう。悪いと思ってないけど、しかたがないからやる、とかそんな感じだろう。社会に出てサラリーマンをやる、お金を稼ぐってことは、基本利益ファーストの考えになるのは自然な流れだと思うが、そこまでしてやりたいかなぁ、と最近は考える。金儲けのためなら、人が死んでも何とも思わないとか、そういう人間になることを思い浮かべると、私がなりたいのはそうじゃないなと思う、怖い、もし自分がそうなってしまったら。でもきっと、そうなってしまった人たちはそれを恐怖とすらも捉えていなくて、躊躇なく家庭を持ち子供を育てたりするんだろうな。そういう血が脈々と受け継がれていく世界を思うと、なんか自分の子供とか気の毒すぎてこの世に生誕させたいと思えないのだけど、それはまあ私の考えすぎですね。
私はテレビ業界にはいないけれど、業界ならではの凝り固まった考えとかは身近にあるし、新人の頃は疑問に感じていた不条理も今ではそういうもんだと受け入れていることにあらためて気がついた。慣れたくない。権力ではなく、人としての尊厳や、その人自身が積み上げてきたキャリアが素直に評価される世界であってほしい。損をするのはいつも繊細な人だ、と言われるけれど、もうそんな世界じゃないって思っていたけれど、やっぱりまだまだそんなことはないのかもしれない。
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imwatashi · 3 months
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風邪のときってなんであんなに寝れるの?ってくらい寝れる、火曜日オールで飲んだときに絶対風邪をもらってきて、それから喉激痛でコロナにかかったときを彷彿とさせた 寝て一日が終わる 月に30冊くらい本読むんよ〜と友人が言ってて、わたしは読み終わるのが惜しくていじらしく読み進めるタイプだし、映画とかも感情の起伏とか世界観への没入に疲れすぎてあんまり多くを消費できないので、そういう人のことは多分一生理解できないんだろうなぁと思った きっと受け取るエネルギーも一文を読んで考えを馳せる幅も違う、それはどちらがいいとか悪いとかではなく 「読書」という行為をギャップの引き金として使う人はずるいなぁと思う、なんか声を張り上げた人もん勝ちだなぁってずっと思ってる 周りからの曖昧な指示やふんわりとした会話で結局何をしたらいいのか読み取れないのは、わたしの読解力が低いからだと思ってたけれど、みんな案外適当だからなのかもしれない もう少し楽に生きたかった、細かなフォントサイズの違いやルール上との表記の違いにいちいち気がついて時間も神経も削られていく仕事の時間、気まぐれに指摘する人たちはふと力を抜いたところでたまたま見つけたところばっかりを指摘してくるし、なんかもう疲れたなぁ 
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imwatashi · 3 months
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マジで風呂入ってたら色々思い出したうえに冷静になってむかついてきた、仕事終わりのほぼプライベートみたいな飲み会で勝手に仕事モードスイッチオンにして、その判断基準で立ち居振る舞いに関して注意されても。いや仕事じゃないだろ、プライベートの飲み会でないん?となるし、風呂入る前まで自分を責めて号泣しながら上司と電話してた自分がほんとにバカみたい、だったらその時間でもーっとゆっくりお風呂入れたのにぃ、という。お風呂に入るとどんどんツッコミどころが湧いてきて、自分の中にいろんな人の顔が浮かんで、いや私マジで考えすぎだろ、とようやくそこで気がつく無駄さ。注意するなら注意するで、建設的な指摘があるだろうに、脅すように呟かれたってどうしたらいいん???となる、萎縮するってわからないのかな、だからわかりやすく萎縮してスンって酔いが覚めてく自分を隠すこともなく、笑えない自分を隠すこともなく引きつる顔でテーブル座ってた。これまでも何かを指摘されることは何度もあったけど、ここまで露骨に感情をだしたのははじめてで、それはそれですっきりした、やっぱり我慢は良くないし、感情を封じ込めるか崩壊させるかの2択しかないことを上司に話せて楽になった、その話をした上だったので大いに泣いて、しゃっくりが止まらないレベルで泣けて、今思えばなんでそんなに泣いてんの?って感じだけど涙が出る理由はいつもわからなくて、他人にふと優しくされるだけで涙が止まらなくなるし、今だってこれを書きながら涙が伝ってるからなんかもう、意味わかんない。繊細なところは変わらないから受け止め方次第だよ、と幾度となくネットで出会ってきた言葉を上司からかけられる、ごもっともだ。すぐ泣くやつが気に入らないという人は、この世の中に溢れるさまざまな刺激をどのように処理しているのだろうか?
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imwatashi · 4 months
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2023.01.04 Thu
元気で無事だった人がしっかりと経済を回そう、というツイートを見るたびに、板挟みになったような気持ちになった。体は元気だしケガもない、住まいもちゃんと無事だった、動ける手段もちゃんとある、けれど心だけがふと油断すると塞ぎ込んでしまい、意識して外に出ないと延々とマイナス思考になってしまう。実家には犬もいるし、家族は仕事だし、良からぬことを想像してしまい、犬だけを置いてお出かけすることがなかなかできなかったけれど、雨が止んできたお昼ごろに祖母から誘いを受けて、ランチへ行った。外に出てみると普通に生活が回っていて、当たり前の生活を営んでくれている飲食店や繁華街をとてもありがたく思った。落ち込んだときは自分を忙しくするのがいいというのは本当にそう。一歩踏み出せば楽になる、どれだけ踏み出す前が暗闇でも、そんなの杞憂だったと思える環境が少なくとも今の自分にはある。怖がらずに前を向くこと、その意識を持つことの難しさと、それがどれだけ人の気力を変えるかを思い知る。
1/5に参戦予定だったライブ、行かないことにした。払い戻しになるか、定価割れで誰かに譲るかの2択。たくさん考えて、たとえ自分が元気でも、今の気持ちで行って心から楽しめないと感じるのであれば、無理していかなくてもいいのでは、と自分を納得させた。でも自分がエンタメを提供する側であれば、絶対に今ステージに立ちたいだろうなと思った。
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