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#ジョン・キャメロン・ミッチェル
kyonokoto · 1 year
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映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を紹介
2001年公開の映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を紹介します。 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』、元はニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されたミュージカルです。まずはあらすじから。 あらすじ ベルリンの壁崩壊以前、共産主義体制下の東ドイツで生まれた青年、ハンセルは、アメリカ軍人のルーサーと出会い、恋に落ちる。ルーサーと結婚してアメリカに渡るために名前をヘドウィグに変え、性別適合手術を受けるハンセル。しかし、手術の失敗で、股間に男性の部分が1インチ残ってしまう。アメリカに渡ってから間もなくルーサーに別れを告げられたヘドウィグはロック歌手として活動しながら、17歳の少年トミーと出会う。ヘドウィグはトミーにロックの精神を叩き込み、二人は愛し合うが、あるとき手術の痕がバレて別れてしまう。その後ロックスターになったトミーの全米コンサートを追いかけながら、ヘドウィグは…
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tsuuruutaa · 9 months
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COMITIA145にて配ったペーパーです
↓読みづらいので内容はこちらに
『THEY(are)』を描くにあたって(たぶん)影響を受けたであろうもの
※作家名・監督名などは全て敬称略で書いております。
<漫画>
■『Ch11』楠本まき 『T.V.eye』という短編集に収録されている一編。双子の物語で、このペーパーで挙げている作品の中では一番影響を受けていそう(絵など含め)。初版?のあとがきによるとこの短編集自体が自己実現や通過儀礼をテーマにしているそうで、そのあたり含めすごく好きな短編集です。 ※注:同性愛者・異性装に関する侮辱的なセリフが出てきます
■『ケロロ軍曹』の桃華ちゃん いわゆる二重人格のキャラ。2つの人格が2つの肉体に分裂、そしてまた1つの肉体に統合されるエピソードがあったのを思い出した。なつかしい。
<映画>
■『ドニー・ダーコ』リチャード・ケリー(2001) ■『テイク・シェルター』ジェフ・ニコルズ(2011) 「作中に起きる超常現象は主人公の見ている幻覚なのか、それとも事実なのか」がラストを迎えてもはっきりしないままな話が結構好きです。(『永遠の僕たち』『さよなら、ぼくのモンスター』なども近いかも)精神疾患についての描写が正確・誠実か等の問題を含んでいるとは思いますが、どちらもじっとりしていて好きな映画です。
■『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』ジョン・キャメロン・ミッチェル(2001) 「自己実現」で言ったらやっぱり外せないと思っている(?)。プラトンの『饗宴』の「失った半身を人は追い求める〜」的なエピソードは自分がロマンチストなので割と好きなのですが、それのカウンター的な主張をする作家や物語も好きですし、この世にもっと必要だと思っています。(それこそ楠本まき作品の共通テーマ(個人主義)やNetflixの『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』などもそうかも)私は初めて観た時「他社から認められる・愛される事で自分を認めるのではなく、自分自身のそのままの姿/あるいはなりたいものに向かってもがく姿ごと、自分で自分を認めてあげないといけない」的なことを感じました。久々に再観賞したいです。
(あとドッペルゲンガーものということで『ふたりのベロニカ』を再観賞しました。何度見ても難解だった。)
<音楽>
■『 june 14th』Lauren Auder MV冒頭の自問自答するようなシーンが良い。単純にビジュアルと曲がたいへん好み…。
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roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(2002)」
「ヘドウィグ」は本当は母親の名前。共産体制下の東ドイツで米軍GIと現地の女性との間に生まれた少年ハンセルは、米軍ラジオから流れる西側の音楽に耳を傾けて育つ。ゲイとして長じた彼は、東ベルリンを脱出するために、性転換手術を受け、母親の名前をもらい、黒人米兵と結婚して、アメリカの片田舎に移住する。ちょうどベルリンの壁が崩壊した頃、彼は夫に捨てられるが、新たな希望「ロック・スター」への道を見いだす。ようやく出会えたと信じた「失われた半身」トミーにも裏切られ、自らの股間に残ったペニスの痕跡「怒りの1インチ」という名前のバンドを率いて、「失われた半身」を求めるツアーを続ける。
たった90分ほどの映画なのに、とても厚い長編小説やアンソロジーを読み下したような重い満足感。これは映画を観ているのと同時に、彼女(彼?)のうたうそれぞれの歌詞に、重い人生のドラマが凝縮されていたということなのだろう。何せテーマはプラトンの「饗宴」から引用された「ミッシング・ハーフ」を求める魂の遍歴故に重いのも当然。 もともとは同名のオフブロードウェイ・ミュージカルで、脚本・演出・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルと作詞・作曲を担当したスティーブン・トラスク、共演したミリアム・ショアが、そのまま映画でも主演クラスを演じる。女優ミリアム・ショアが演じているのは、ヘドウィグの現在の夫。髭面のギタリストを最後まで男だと信じていたぞ。 この映画の魅力の一つは、それぞれのナンバー。メインテーマとも言うべき「Origin of Love」をはじめ「Angry Inch」や「Midnight Radio」など名曲揃い。要所要所に使われるアニメーションもそのシンプルさが心を打つ。一番気に入ったナンバーは、絶望したヘドウィグがロックへの情熱を思い出して歌う「Wig in a Box」。「さあ、皆さんご一緒に!」とヘドウィグが呼びかけると画面に歌詞字幕が現れる。歌わずにいられようか?拳を突き上げずにいられようか?このようなライブ性にあふれた映画だけに、「映画」としてだけ観ることにフラストレーションが募る。できれば舞台を観て、感じて、参加したいと思った。これこそ「ロッキー・ホラー・ショー」に匹敵するミッドナイト・カルト・ムービー!
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turnonthe8-track · 7 years
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ジョン・キャメロン・ミッチェル  ~  ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ (2017)
いよいよ明日7月29日(土)10:00amより東京公演・大阪公演チケットの一般発売が開始となります!お申し込みはお早めにどうぞ!! http://www.hedwig2017.jp/tickets.html  https://www.youtube.com/watch?v=5cuaqjD2sTA … #ヘドウィグ
Pre-sale starts July 29th at 10:00am JST!
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abdulraveman · 2 years
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Act guide 2022 Season 10
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」丸山隆平×ジョン・キャメロン・ミッチェル
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@Origin of Love 愛の起源
https://www.youtube.com/watch?v=N2-QxyhAsT8
 映画・ミュージカルの「ヘドヴィグアンド・アングリーインチ」の挿入歌。
内容はプラトンの「饗宴」で、人間は元は二人で一人だったという説から。
ヘドヴィグは主人公の名。アングリーインチ(怒りの1インチ)とは彼が性器切断手術に失敗して、1インチだけ残ってしまったため。
It is a song from a musical, cinema, “Hedwig and the angry inch”
It is taken from “Symposium” by Platon, a philosopher in ancient Greece.
Hedwig is the hero’s name and angry inch means his sexual organ which was cut by a bad operation and one inch of it was left.
 初演はオフ・ブロードウェイで1997年。日本語版でも森山未来などによって上演されている。
映画(2001年)はジョン・キャメロン・ミッチェル(1963年生まれ)が監督も主演もつとめた。彼は舞台ではヘドヴィグとその恋人トニーの両方を一人で演じたが、映画ではトニーはマイケル・ピットが演じた。
The opening was in 1997, off Broadway.
Hedwig was played by John Cameron Mitchell, and he also played the role of his lover, Tony.
In Japan it was played by some players.
At the cinema, Jhon was a director and hero, but Tony was played by Michael Pitt.
 歌詞と訳
When the earth was still flat
And the clouds made of fire
And mountains stretched up to the sky
Sometimes higher
 Folks roamed the earth
Like big rolling kegs
They had two sets of arms
They had two sets of legs
They had two faces peering
Out of one giant head
So they could watch all around them
As they talked while they read
And they never knew nothing of love
It was before the Origin of Love
 The Origin of Love
 And there were three sexes then
One that looked like two men
Glued up back to back
Called the children of the sun
And similar in shape and girth
Were the children of the earth
They looked like two girls
Rolled up in one
And the children of the moon
Were like a fork shoved on a spoon
They were part sun, part earth
Part daughter, part son
 The Origin of Love
 Now the gods grew quite scared
Of our strength and defiance
And Thor said
"I'm gonna kill them all
With my hammer
Like I killed the giants"
But Zeus said
"No, you better let me
Use my lightening like scissors
Like I cut the legs off the whales
And dinosaurs into lizards"
Then he grabbed up some bolts
And he let out a laugh
Said, "I'll split them right down the middle
Gonna cut them right up in half"
And then storm clouds gathered above
Into great balls of fire
 And then fire shot down
From the sky in bolts
Like shining blades
Of a knife
And it ripped
Right through the flesh
Of the children of the sun
And the moon
And the earth
And some Indian god
Sewed the wound up into a hole
Pulled it round to our belly
To remind us of the price we pay
And Osiris and the gods of the Nile
Gathered up a big storm
To blow a hurricane
To scatter us away
In a flood of wind and rain
And a sea of tidal waves
To wash us all away
And if we don't behave
They'll cut us down again
And we'll be hopping 'round on one foot
And looking through one eye
 Last time I saw you
We had just split in two
You were looking at me
I was looking at you
You had a way so familiar
But I could not recognize
Cause you had blood on your face
I had blood in my eyes
But I could swear by your expression
That the pain down in your soul
Was the same as the one down in mine
 That's the pain
Cuts a straight line
Down through the heart
We called it love
So we wrapped our arms around each other
Trying to shove ourselves back together
We were making love
Making love
It was a cold dark evening
Such a long time ago
When by the mighty hand of love
It was the sad story
How we became
Lonely two-legged creatures
It's the story of
The Origin of Love
That's the Origin of Love
まだ地球が平らだったころ
雲は火でできていた
山は天まで届いていた
時にはそれ以上に
 人々は大地をさまよった
大きな樽が転がるように
彼らには二組(4本)の手があった
二組の足があった
二つの顔が見つめていた
巨大な頭から
だから彼らはあたり一面が見えた
読みながら話もできた
愛のことは何も知らなかった
それは愛の起源の前だった
 愛の起源
 そのころは3つの性があった
一つは二人の男
背中どうしがくっついていた
それは太陽の子と呼ばれた
それと同じ形のものは
地球の子だった
二人の女が
一つになっていた
そして月の子は
スプーンに挿したフォークのようだった
彼らは一部は太陽で 一部は地球
一部は娘で 一部は息子
 愛の起源
 それから神は大変恐れるようになった
我らの強さと反抗心を
そこでトール(雷神)が言った
「私が彼らを皆殺しにしよう
私のハンマーで
巨人を殺したように」
でもゼウスは言った
「いや私の方がいい
この鋏のような稲妻で
クジラの足を切ったように
恐竜をトカゲにしたように」
それから電光をつかんで
笑って言った
「奴らを真っ二つに分けてやる
半分にしてやる」
そして嵐の雲が集まり
大きな火の塊になった
 それから火は落ちてきた
空から稲妻になって
輝く刃のように
ナイフの
そして切り裂いた
まっすぐに肉体を
太陽の子の
月の子の
地球の子の
するとインドの神が
その傷を縫って穴にした
私たちのお腹の上に丸く
私たちが払った犠牲を忘れないように
そしてオシリスとナイルの神々が
大嵐を起こした
ハリケーンを吹かせて
私たちをばらばらにするために
風と雨の洪水の中
満ちる海の波で
私たちみなを洗った
私たちが行儀よくないと
また切られてしまう
そうしたら私たちは1本足ではねて
片目でみるしかない
 最後にあなたに会った時
私たちは二つに裂かれたばかりだった
あなたは私を見つめ
私はあなたの見つめ
あなたはとても打ち解けていたけれど
私は気づかなかった
だってあなたの顔には血がしたたり
私の目にも血が
でも誓ってもいい あなたの気持ちは
あなたの魂の奥の痛みだと
それは私のものと同じだと
 その痛みは
まっすぐに切り裂く
心を
人はそれを愛と呼ぶ
だから私たちは腕を互いにまわして
もう一度一つになれないかと抱きしめた
愛し合った
寒い暗い夜だった
ずっと昔の
全能の愛の手で
悲しい物語だった
どのように人が
寂しい二本足の生き物になったのか
それは愛の起源の
物語
それが愛の起源
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machizo3000 · 7 years
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KUBOコスプレののんさんが表紙の「映画秘宝2018年1月号」では、絶賛発売中「サ・ン・ト・ランド」の基になった連載サントラコラム(今回はジョン・キャメロン・ミッチェル特集)のほか、「gifted/ギフテッド」を紹介しています。#映画秘宝
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soneman · 5 years
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今年度も 前半最終月の9月。ちょっと気合い入れて お仕事探さなきゃ 遊びにも行けないよ。 と 言いつつ 遊んでいます。(バカ) そんな訳で 毎度お馴染み 9月の予定日記です。 <1日> 『月をノミマショウ』@ 両国 black A Project Nyxのお芝居でも 素敵なパフォーマンスを見せてくれた 史椛穂ちゃん主催のイベント。 今回は ごはるちゃんに加え コペちゃんも登場。Yukicaちゃん お初。会場の blackAも 初めてだなぁ。 <4日> 『MIDWEEK BURLESQUE』@ 渋谷 7th Floor 初めて 素面のみいさんを 見られるのか!? Ringoちゃんから ビニ本買わなきゃ!(笑) お品書き 持って行くよ。 <7日> 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』@ 六本木 EX THEATER 2017年に観た時は ヘドウィグをジョン・キャメロン・ミッチェル 作者本人 イツァークを中村中が演じていました。 今回は 浦井健治と 女王蜂のアヴちゃん。どんな ヘドウィグを 観せてくれるのか 楽しみであります。 <15日> 谷山浩子『猫森集会 2019』@ 代々木 スペースゼロ 毎年 恒例の猫森集会。今回の ゲストは 春名風花ちゃんだよ。 <23日> 昨年に引き続き開催される『立川南フェスタ』 今年も 出演者が凄い!出演リストに てのひらさんの名前があるんだけど 復活ですか! 応援しに行かなきゃ!! 夜 わかみほさんの出演イベントが 祖師谷大蔵のカフェ ムリウイであるそうなので 回ろうと思っています。 <29日> 紫ベビードールの新企画『THE MURASAKI HOUR』@ 六本木 VARIT. また 何を企んでいるんだ? ピラミッドスも くの一おはぎ一座も 久しぶりだなぁ。 この他 スナック『ドナルド山田』のオープニングイベントもあるし 川崎市市民ミュージアムでは『現代音楽と日本映画の交差点 1950s-1970s』やってるし 世田谷文学館の『原田治展』は 9/23で終わっちゃうし いろいろあるのよね。 そんな訳で 9月の予定日記で ございました。今月は 大人しいわ。
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shimbashi-bonsoir · 7 years
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(ジョン・キャメロン・ミッチェル最新作「パーティで女の子に話しかけるには」予告編&ポスター完成 : 映画ニュース - 映画.comから)
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afroninja · 7 years
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好きなミュージカル映画①
「ラ・ラ・ランド」がオスカー14部門ノミネートで注目を浴びていますが、僕の個人的なミュージカル映画のランキングを発表します!ちなみにインドにはいいミュージカルがたくさんあるのですが、今回は除外しています。
「ラ・ラ・ランド」がこのランキングのどこに入るかが楽しみですが、日本公開の2月24日までにもっとミュージカル映画観てランキング更新しようと思っています!
 特に心に残った大好きなミュージカル映画
1位 オズの魔法使い (1939年)
2位 サウンド・オブ・ミュージック (1965年)
3位 雨に唄えば (1952年)
4位 屋根の上のバイオリン弾き (1971年)
5位 ヘアー (1979年)
「オズの魔法使い」は僕にとって不動の一位です。ジュディ・ガーランドの「Somewhere over the Rainbow」と「So You Want to See the Wizard」は頭の中で歌が流れ続けています。ブルーレイも買ってしまいました。いつか劇場で観てみたい。
2位と3位は甲乙付け難いですが、何となくあの壮大なオープニングのイメージが頭に残っていて「サウンド・オブ・ミュージック」が2位になりました。「雨に唄えば」は僕から何も言う必要はありませんね。
「屋根の上のバイオリン弾き」は1〜3位のクラシックで王道な感じのミュージカルとは違うので比較しにくいのですが、ミュージカルの最高傑作の一つだと思います。主演のトポルの頑固だけど憎めない親父は忘れられません。5位の「ヘアー」は最近観たのですが、ぶったまげた度と笑える度ではナンバー1です。こんなヤバい映画と撮ったのは誰かと思えば、なんと「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」のミロス・フォアマン監督!
 率直に面白いミュージカル映画
6位 キャバレー (1972年)
7位 レ・ミゼラブル (2012年)
8位 お熱いのがお好き (1959年)
9位 ダンサー・イン・ザ・ダーク (2000年)
10位 人生狂騒曲 (1983年)
11位 ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ (2001年)
「お熱いのがお好き」と「人生狂騒曲」はミュージカル度合いは低いですが、一応入れときました。この中だと「キャバレー」が一番ユニークかな。「レ・ミゼラブル」の脇役のサマンサ・バークスの歌は泣いてしまいました。
 まあまあなミュージカル映画
12位 マイ・フェア・レディ (1964年)
13位 メリー・ポピンズ (1964年)
14位 夢のチョコレート工場 (1971年)
15位 ウエスト・サイド物語 (1961年)
こうやって観ると名作ばかりですねが、「マイ・フェア・レディ」は主演のレックス・ハリソンの演技がちょっとウザく感じてしまいました。しかしオードリーの親父役のスタンリー・ホロウェイは素晴らしい。
 ごめんなさい、期待はずれ!
16位 オペラ座の怪人 2004年
17位 ムーラン・ルージュ 2001年
特に「ムーラン・ルージュ」はアホかと思った。
 歌がグッときた俳優
ジュディ・ガーランド (オズの魔法使い)
ジュリー・アンドリュース (サウンド・オブ・ミュージック、メリー・ポピンズ)
ジーン・ケリー (雨に唄えば)
デビー・レイノルズ (雨に唄えば)
トポル (屋根の上のバイオリン弾き)
サマンサ・バークス (レ・ミゼラブル)
スタンリー・ホロウェイ (マイ・フェア・レディ)
クリストファー・プラマー (サウンド・オブ・ミュージック)
ライザ・ミネル (キャバレー)
アン・ハサウェイ (レ・ミゼラブル)
ヒュー・ジャックマン (レ・ミゼラブル)
ビョーク (ダンサー・イン・ザ・ダーク)
ジョン・キャメロン・ミッチェル (ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ)
リチャード・ベイマー (ウエスト・サイド物語)
ナタリー・ウッド (ウエスト・サイド物語)
 ミュージカル映画で個性を発揮していると思う監督
ヴィクター・フレミング (オズの魔法使い)
ノーマン・ジュイソン (屋根の上のバイオリン弾き)
ミロス・フォアマン (ヘアー)
ボブ・フォッシー (キャバレー)
ロバート・ワイズ (サウンド・オブ・ミュージック)
スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー (雨に唄えば)
ジョン・キャメロン・ミッチェル (ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ)
 いつか面白いミュージカル映画を撮りたいと思い勉強の為に見始めたのですが、ミュージカル映画は戦争、政治、宗教、社会的状況を題材にしたものが多い深いジャンルなんだなと気づきました。そしてミュージカル映画の面白さを左右するのはやっぱり役者の歌ですね。皆さんの意見とか、お勧めのミュージカル映画とかあれば教えて欲しいです!
harakiri films 今井太郎
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daisukehoriemusic · 5 years
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持つべきは友
ハイボール一杯と中華丼、腹ごしらえをしてぼくたち語り合って中学生みたいな音遊びをした。この遊びが形になったとききっと面白い事になる。真剣に僕に向き合ってくれる友人たちに感謝だ。
こんな僕だからこそ尚。
深夜まで遊んだのでベッドに潜ったら直ぐに夢の中、目を開けたら空は淡く晴れていた。あっ!寝坊だ。
慌てて飛び出せば2019年初の東京とんぼ。
イヤホンからはキセルとAge factory。
電車内のTV画面から巨人5連敗の文字、 ふ〜ん。
instagram、小松菜奈、小倉優子、井川遥さんたちをフォロー。
ヘドウィグアンドアングリーアンチのジョン・キャメロン・ミッチェル監督作品の「パーティで女の子に話しかけるには」を観た。自然に導かれて観た、だからもちろん凄く良かった。あの色彩を音に落とし込みたいな。
ちんはるはねえねえ見て見てってファッションショー。麦わら帽子に白のワンピース、きちんとお化粧施せば女優さんだね。
さあ、タバコ・体幹・スクワットをしたらベッドに潜ろう。
また明日。台風の風で空を泳ぎたいな。
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momocchiimoi · 5 years
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人生哲学
‪シェル・シルヴァスタインの‬
‪『ぼくを探しに』に出逢って、‬
‪それから随分経った時に、‬
‪ジョン・キャメロン・ミッチェルの‬
‪『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』に出逢ったのね。‬
‪その中の『The Origin Of Love』のアニメーションを見て、‬
‪『ぼくを探しに』を思い出したの。‬
みんな、自分の欠けたものを探す旅を一生涯続けるんだね。
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mothermonika15 · 6 years
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2017年 下半期の収穫
1. 月と雷
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2017/スールキートス/120分 監:安藤尋  演:初音映莉子 高良健吾 草刈民代
2. パーティで女の子に話しかけるには/How to Talk to Girls at Parties
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2017/イギリス・アメリカ/103分 監:ジョン・キャメロン・ミッチェル 演:エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン
3. ル・アーブルの靴みがき(35mm上映)/Le Havre
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2011/フィンランド・フランス・ドイツ/93分 監:アキ・カウリスマキ 演:アンドレ・ウィルム カティ・オウティネン
 
4. ヘッダ・ガーブレル(ナショナル・シアター・ライヴ)
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154分/初演劇場:ナショナル・シアター/作: ヘンリック・イプセン/脚色:パトリック・マーバー/演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ/出演:ルース・ウィルソン レイフ・スポール
5. ダンケルク(IMAX 4Kレーザー上映)/DUNKIRK
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2017/イギリス・アメリカ・フランス/106分 監:クリストファー・ノーラン 演:フィオン・ホワイトヘッド ケネス・ブラナー マーク・ライランス
6. スクランブル/Overdrive
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2017/フランス/94分 監:アントニオ・ネグレ 演:スコット・イーストウッド フレディ・ソープ アナ・デ・アルマス
7. 不都合な真実2 放置された地球/An Inconvenient Sequel: Truth to Power
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2017/アメリカ/98分 監:ボニー・コーエン ジョン・シェンク 出:アル・ゴア
8. 希望のかなた(35mm上映)/Toivon tuolla puolen
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2017/フィンランド/98分 監:アキ・カウリスマキ 演:シェルワン・ハジ サカリ・クオスマネン
9. ローガン・ラッキー/Logan Lucky
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2017/アメリカ/119分 監:スティーブン・ソダーバーグ 演:チャニング・テイタム アダム・ドライバー ライリー・キーオ
10. ビジランテ
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2017/東京テアトル/125分 監:入江悠 演:大森南朋 鈴木浩介 桐谷健太
次点. ・gifted ���フテッド
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2017/アメリカ/101分 監:マーク・ウェブ 演:クリス・エバンス マッケンナ・グレイス リンゼイ・ダンカン
ワースト ・ブレードランナー2049/Blade Runner 2049 2017/アメリカ/163分 監:ドゥニ・ビルヌーブ 演:ライアン・ゴズリング ハリソン・フォード シルビア・フークス
オフ・シアター ・ロマノフ王朝の崩壊/ПадениединастииРомановых
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1927/ソ連/81分 監:エスフィリ・シューブ
選外 ・ヴィセント・ムーン作品上映 @京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA,2017.12.20
旧作 ・GAMA 月桃の花
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1996/映画GAMA―月桃の花を成功させる会/110分 監:大澤豊 製:海勢頭豊 演:朝霧舞 川平慈英 玉木初枝
展示 ・生誕100年ジャン=ピエール・メルヴィル 暗黒映画の美
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安藤尋監督の『月と雷』は月齢が新月の方へとゆるやかに傾いた映画とみた そこにはほぼ15年間という時の経過がある 傑作『blue』の中で市川実日子が見上げた空は フィルムに定着されたスカイ・ブルーだった それからその空の青は スクリーン上でデジタルとなって 空気に触れると青の成分が化学変化を起こす結果として雷雲となった 『blue』をさらに落ち着かせて深まりを与えたのが『月と雷』と言えばいいか だから『月と雷』は『blue』と対になっていて 必ずしも『海を感じる時』や『花芯』と同列には語りたくはないが その連作があってこそ生まれた本作は 安藤監督が映画でやってきたあらゆる殆どのことがもう一度繰り返される この主人公・泰子が住む家の幽霊屋敷のような室内の雰囲気は『pierce LOVE&HATE』と瓜二つに私の目には映るし 智がこの一軒家に戻ってきたとき 仏壇の写真を眺める智の背後に台所でなにかを洗う音がする 同じように 墓石をつくる男の家に居候する直子が泰子と智のまえに現れるとき庭の水音に誘われて縁側でホースを使い足を洗う直子が映る 水音に呼び出された死者の如く 水に誘われそこに居る直子は テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』のヒロイン(ブランチ)の生き様とどこか似ている…これらはおそらく本調有香の脚本の世界だろうが 安藤は映画『blue』でも夏休みにホースから溢れる水に親和性をもたせる演出を市川実日子にさせていた また 主人公たちが田舎道を自転車で漕ぐ路面も 雨上がりの後のような反映を帯び 赤い一点照明を灯しながら鈴木一博のキャメラは幽かに二人乗りを映し出してゆく こうした細部の描写もさることながら 少しずつ登場人物たちが寄り集まる一軒家の描写は この映画が幽霊屋敷に様変わりしていくかのような印象を与える 直子が思い出したようにこの一軒家での過去を語る場面で 泰子が暴れだし「みんな出てけ!」という台詞は 「ゲット・アウト」と今年話題になったホラー風のアメリカ南部映画にも訳せるが この場面の少し前に泰子の父親が声となり幽霊となり出てくるとき 泰子があの世の父親と話すことができても「行(逝)かないで」とは言わない 確か映画では父親の目線は直子を見て 語りは泰子になっていたように記憶する 幽霊のように断続的なリズムで 記憶と無意識的な欲望の亡霊を放出するこの場面で映画は ひとつの頂点に達する 更にここから後半の泰子の描写は 安藤演出の真骨頂であり 隙も無駄もない 雨戸越しに智と泰子が話す場面の切り返しは 『戦場のメリークリスマス』を越えて『塀の中の懲りない面々』の壁越しの会話に肉迫する静けさが降りてくる そこに大友良英のギターが被さり 深さと低さを獲得する名場面となった つづく直子と泰子の別れの場面での安藤演出は すでに落ちついた家族の輪郭よりも 周縁へ逃れゆき 他者や環境からも離れゆく 曖昧な渡世をも慈しむ スカートの直子とズボン姿の泰子の対比から 二者の間に不在のもう一人がそこに居るかのようなこの対話は 一連の場面と同じく 過去と未来を往復する記憶の中に複合し そして今の直子にも泰子にも極めて誠実でありつづける 青い月(泰子)は新月(直子)に と喩えるならば まるで違う色なのに2人は同じ月の満ち欠けの関係にある ここでも泰子は直子に「行かないで」とは言わなかった筈だ 当のものを口にする感傷ではなく その当のものを眼差しているところだという暗示を見せてくれる安藤尋の到達点は 無為こそが日常の繰り返しであり そのなかで月は満ち そして欠ける 幽霊屋敷には男性であることに回帰した智はもういない 永遠には続かない無為の共同体を眼差すこの映画のラストショットこそが 安藤監督の窮極の熟達以外にはあり得ないものであり 現在としてよりも予感としての泰子の存在証明とも言えるショットだろう 彼女をとり囲む無数の不条理な思いを必死でもちこたえてきたのと同じだけキャメラは彼女に寄りそう 命を宿すという意味ではエル・ファニングの母性を見抜くジョン・キャメロン・ミッチェル監督にも同じ眼が感じられる 自分を「集団(コロニー)」のなかに組み入れ「集団」として何か(誰か)を「美化」或いは「醜化」するということを決してしないという点では ジョン・キャメロン・ミッチェルの『パーティで女の子に話しかけるには』はある点で『月と雷』と似ている キャメロンのまなざしの前でのエル・ファニングは母になる 安藤の映画の初音映莉子(泰子)は母になる直前で終わるが 男の子たちは無責任なパンクを貫くしかないだろうとの視点も偏差はない ブレイディみかこが言うように 「この世界の先にあるものが、バラ色の世界ではなくて、陰気なブルーの複数形、ブルースでもいいではないか。ブルースの先にはパンクがある」とは尽言だろう この世界観がこの二作にはそっくり当てはまる 異星人を恋することで(まさにD・ボウイの名曲「ラヴィング・ジ・エイリアン」が暴いた皮肉だ) すでに疎外されたセクシャシティや郊外のひどい場所のなかへと入り込むのがキャメロンだとしたら 同じく 月の住人と地上の人間に俳優を配し 特権化するのではなく 緩やかな配置で登場人物を浮き上がらせ あらゆる存在を等しい輪郭のもとにフレームアップしているという点では 安藤演出は遥かにおとなしいが 「親はみんなおかしい。人間は家庭を持つとあんなふうに道理が通らなくなるものなのだろうか。家というものは、まともではいられなくなるほどのものなのだろうか」津村記久子『まともな家の子供はいない』とは 日英大差はないのだろう ノーラン監督の描く『ダンケルク』の兵士たちはフランチェスコ会修道僧と同じように「まともな人」に所属することを見せてくれた 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでヴィンセント・ムーンがブラジルの奥地で撮影し続けている宗教儀礼に残存している闇夜の音と焔の気配をライヴで編集して見せた60分間は 創造は即得権益ではできない その外側で生きるものだと確認させてくれ 同じようにライヴ・ヴューイングのロイヤル・ナショナル・シアターの演劇『ヘッダ・ガーブレル』は 贔屓のルース・ウィルソンの生の演技を切らずに見れて またイヴォ・ヴァン・ホーヴェの演出は 一字一句イプセンの戯曲を変えることなく 160分間飽きさせず張り詰めた一本の線が見える ジョニ・ミッチェルやニーナ・シモンがまるで光と影のようにヘッダとよく似た女だと知った 『ビジランテ』は中上健次 『スクランブル』は父・クリントの影響か 『サッド ヴァケイション』や『ベイビー・ドライバー』よりワンランク上を行っている カウリスマキとゴアは「傾向映画」だが 世界に働きかける力を持つ映画としての傾向ではなく 人間らしい彼らを見ることができるという点で 無視されてはなるまい 前作『ル・アーブルの靴みがき』をDCP上映で京都シネマで見てガッカリした記憶があるが 春に閉館する京都みなみ会館で 大晦日の映画納めに見た35ミリ上映でのそれは 映画の力に護られた傑作として見違えた 明るく解像度があがったデジタルだと見えなくなったものがあるのだと知った 同じ作品の筈が全く別物に感じられて ふとこんな詩を重ねてみたくなった
にんげんには 種別はござるが 差別はござらん 時計の振子がひとゆれゆれて きょねんが終って ことしが来ござるそのように 時計の振子がひとゆれゆれる そのせつなのように 世界人のことごとくが 心をひとつに 声をそろえて さけぶがようござる 中川信夫「一九四七年一月一日」『業』所収
ジャームッシュではなくカウリスマキの映画に出てくる犬は確かに「種別はござるが 差別はござらん」という愛を生きてい�� ソダーバーグ久々の新作はアメリカ版「鼠小僧次郎吉」で マーク・ウェブは起死回生の一本にしてハリウッド・エンディングは『500(日)のサマー』よりもこなれた気がした 下半期もっとも興奮した上映会は京大人文研が行った「映像に刻まれたロシア革命」だった とりわけエスフィリ・シューブ監督の『ロマノフ王朝の崩壊』は 1920年代こそ「非アリストテレス的なドラマトゥルギーがようやく思考可能になった」といったブレヒトの格言が まさに「組織化された無秩序」(モホリ=ナジ)として実現していた歴史記録映画だった 編集自体に制作者の意図が入ることはドキュメンタリーの常だが 事実それ自体よりもロシア革命とはこのように起こり 事実の組み合わせ方にこそ「現実性」を作り出す過程があることも示す 1905年の二月革命から十月革命��という意味では エイゼンシュタインの『十月』と同じ視野であるが ものごとはすべて暗示に富み 逆に字幕は多くを語らず 一つのものの深みだけが他のものの深みを等価に指しえるシューブの唯物史観には震えた ちなみにこの上映会を立ち上げた小川佐和子の著書『映画の胎動』は 近年読んだ映画本でもっとも水準が高いものの一つだろう 映画創草期とアバンギャルドないし傾向映画の狭間の1910年代の映画を私はほとんど見逃していることにも気がついた 『GAMA 月桃の花』の岡崎宏三のキャメラの捉えた沖縄戦の終戦は たぶんこうやって局地戦は終わったんだと思わせる簡素なショットが焼きつく自主映画の高い精神世界に打たれた ジャン=ピエール・メルヴィル展は 彼が「兵法家」であることを見せてくれた ダンケルク作戦に兵士として参戦したメルヴィルは 自分が��きた時代を絶え間ない戦争として見ていたとしたら 彼の映画渡世は一つの戦略でもあっただろう 映画をこのように比べてはいけないが 自分と映画の関係という風に考えていくうちに 評価は少しずつであれ 所定の位置に収まってゆく 2017年下半期の「この一本」を確定しないことには 自分もまた不確かなままだという現実を相手にしなくてはならない押し迫った思いが ベストテンという師走を呼び込む 自由とは自分の好みだから仕方ないのだけれど 特に大事な一本は『月と雷』に違いない
(二〇一七年十二月三十一日)
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aliceinbed · 6 years
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2017 映画
1:牯嶺街少年殺人事件 (エドワード・ヤン)
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製作、公開は90年代なのに、ぜんぜん古くない。むしろ、新しいとでも言えるぐらいに度肝を抜かれる4時間近くの新しい映画体験。カメラワークにドギドキさせられる。画面のそとに配置されたキャスト陣、声だけが聞こえ、ときたま反射をつかって、キャストが画面のすぐ外にいることを示している。カメラのなかの画面がすべてである映画は、映画のなかだけに世界が止まってしまうと考えてしまいそうになるけれど、ほんとうのところ、映画の世界はリアルな世界と地続きであり、ありえないと思えるような、それが悲惨であるか奇跡であるかは問わずに起こる現象は、世界でも起こっている。実際に起きた事件をもとに、少年のバックグラウンドに想いを巡らせること、だれが起こしたのか、だれが被害者?だれが加害者?という簡単にできてしまう憶測ではなく、もっともっと奥のほうに潜んでいる細やかなバックグラウンドを想像することで世界を再構築すること。そのそこはかとない想像力こそが、芸術のあるべき姿で、若くして亡くなってしまったエドワード・ヤン作品の真価。
2:怪物はささやく(J.A. バヨナ)
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小説でも映画でも、なんでもいいんだけど、物語というのは無力でもあり、驚くぐらいの大きな力を秘めたものでもある。世界は大きく、あたしたちはすべてを見渡すことができない。一歩先にひろがる崖に気づかずに転げ落ちて大怪我なんてしてしまう、またはそれを分かっていてもなお突き進んでしまう、みたいなことがときどき起こる。そういった世界の広さに絶望せずに、世界と和解する方法のひとつがフィクションの役割なんじゃないかな。そういった非力におもわれる全物語を肯定してくれる作品。ポール・オースターのことばを思い出す。「物語は魂の滋養です。……物語を通して私たちは何とか世界を見出そうとします」。
3:エンドレス・ポエトリー (アレハンドロ・ホドロフスキー)
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自伝シリーズ第二弾は、青年時代。詩に出会い、詩人になりたいという想いを抱えて、出会う友人たち、親友との出会い。あいかわらず、ホドロフスキーの世界は悲しみと歓びに満ち溢れている。どちらが欠けても、ホドロフスキーの世界は語れない。死にたいも生きたいもふんだんに溢れかえった世界。それがホドロフスキーが生きた世界であり、まぎれもなくあたしが生きている世界なんだと思わされる。悲しいことに目がいってしまいがちだけど、きちんと思い出せばそこにはちゃあんと、歓びが存在していた!詩とはきまぐれな情熱!
4:たかが世界の終わり (グザヴィエ・ドラン)
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家族という底知れない共同体についての、ひとつのおはなし。クロースアップばかりで疲れるけれど、それこそまさに家族を体現してるともいえる。物心ついたときから、ずっと一緒にいたのに、いま一緒にいようとすると心のそこからドッと疲れがたまる、それがあたしの経験した家族だった!それでも心のそこから恨めないのが家族で理解できなくても「愛してる」と思えるのが家族なんだ!思い出が音楽とともに彩られていくという脳内宇宙の世界がおみごと!恋のマイアヒがあんなにかっこよくなるなんて!ドラン、さすがです。
5:メッセージ(ドゥニ・ヴィルヌーヴ)
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”The limits of my launguage are the limits of my world.” とはウェトゲンシュタインのことばであり、それはこの映画にぴったりとあてはまる。未知の世界との遭遇、そして世界は変わる、ひろがる。しらないものを壊すのではなく、そこから学ぶこと。しらないことを学ぼうとするその姿勢、なんとか理解の範疇が狭いまでも真摯に向き合おうとする姿勢、それがいまの世界には必要なことなんだとひしひしと伝わってくる。主人公が選ぶ未来には究極の運命論を感じずにはいられないロマンチックなSF映画。
6:グッド・タイム(サフディ兄弟)
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脚本がおもしろいというわけではなく、サフディ兄弟の前作『神様なんかくそくらえ』とおなじように、どう考えても破滅への道をたどる主人公。それでも画面に釘付けになってしまうのは、映像のちからだった。夜明けが迫りくる真夜中に、主人公が抱える焦燥がみごとに可視化されてる。主人公についてまわる赤色が警句のように、観客までも焦燥の真夜中にひきずりこんでいって、どんどん、どんどんとあたしまで焦ってくる!ああ、なんてバカなの!と思わずにはいられない。そんな真夜中の疾走劇と対比するように置かれたラストシーン、エンドクレジットも考え抜かれた作品。
7:パーティーで女の子に話しかけるには(ジョン・キャメロン・ミッチェル)
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ああ!もうあたしはジョン・キャメロン・ミッチェルのことが大好きだよ!と声を大にして叫びたい気持ち!!!だれかを愛することは、未知との遭遇なんだ!彼女はエイリアンで、あたしが恋するだれかもエイリアンなのかも。痛みを伴うと知りながら、それでも愛し合ってしまうふたりのロマンチックな別れのシーン、エル・ファニングの発する “I love you.” は、まるではじめて聞いたことばののように、からだに電撃がドカーンと落ちるぐらいの衝撃だった。
8:メス・ペレグリンと奇妙なこどもたち(ティム・バートン)
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ひとりの男の子が成長し、存在価値を見出していく青春譚でもあり、それ以上に、初恋から抜け出せなくなってしまって世界に取り残されてしまった女の子を助け出すというロマンチックな救出劇でもある。
9:20センチュリー・ウーマン(マイク・ミルズ)
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母親は完璧なようにおもえて、ほんとうはたったひとりの人間であり、不完全でイビツ。そういうことを理解するのに、あたしは何年もかかってしまいこの映画を観た3回目でボロボロと泣く。マイク・ミルズのパーソナルな過去でありながら、この世界のはじまりを写し出す鏡みたい。それぞれに細やかなバッググラウンドをもって生きるあたしたちは、いつでも100パーセントの理解なんて不可能で、まったくちがうひとたちが、すれ違い、ときに手を取り合い、そしてまた別の道へと進んでいく。刹那的に思える人びとへの関係が、たった一瞬だけすれ違いざまに、たがいに目くばせをして、相手のことを完璧に理解できたような気持ちになる一瞬が、あんまりにもまぶしくて、きらめていて、だからあたしたちは人を求め、愛し、傷つけあうのかしら、なんてことを考えてみた。
10:美女と野獣(ビル・コンドン)
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完璧な世界観!!愛すこと、愛されることは「世界を享受すること」。人びとから忘れられてしまった寒々とした館が、「愛してる」というベルのことばとともに、陽の光に当たり、この世界に祝福されているかのように思えるラストシーンで、結末は周知の事実なのに涙が溢れて止まらないということがこんな風に起こるのかと驚かずにはいられない。世界と断絶してしまうこと、世界があんまりにもキラキラしすぎて目を背けてしまうことから、やっと和解できる方法の一つが、愛し、愛されることなのだということが、一つの映画に。
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ryohei5 · 6 years
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【12月公開の注目映画】編集部のおすすめ5選
(C)COLONY FILMS LIMITED 2016 1.『パーティで女の子に話しかけるには』 先月、来日公演『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』にて、主人公���ドウィグを、生みの親自ら演じたことでも話題になったジョン・キャメロン・ミッチェル。映画・舞台ともに、むき出しに切実に描かれた行き場のない愛と性、その叫びは、世界中の多くの人により熱狂的な支持を受けた。 そんなジョン・キャメロン・ Source: 上映
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esuhiro-kashima · 6 years
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パーティーで女の子に話しかけるには
はい、19歳のエル・ファニングを、その大人でも子供でもない不安定な現状のエル・ファニングとして観るには最高の映画だったんじゃないでしょうか。(ていうか、今、世界中の女優で誰が一番かって聞かれたら、僕、間違いなくエル・ファニングって答えますね。その位本人の輝きと出演する作品のカラーがあっていて、今の輝きは今しか観れないという。現状リアルタイムで追いたくなる女優NO.1です。)今年3本目のエル・ファニング主演映画で、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のジョン・キャメロン・ミッチェル監督が1977年(正にパンク全盛期。というか、78年にはピストルズが解散してシドが死んでるので、全盛期=末期ですね。)のロンドンを舞台に、パンクオタクの少年"エン"と、宇宙人の少女"ザン"の期限付き恋愛を描いた「パーティーで女の子に話しかけるには」です。
という事で、今の段階で「ん?」となった人多いと思いますけど、そうなんですよ。予告とかポスターの雰囲気から、おしゃれでもっと雰囲気モンの恋愛映画かと思ってたんですけど、エル・ファニングの役、宇宙人なんです。(と書いてますが、これ、じつは、この宇宙人というの自体が比喩表現である可能性もありますね。そういう映画です。)そりゃ、まぁ、性転換手術をして女性になった主人公がバンドを結成して、ツアーしながら元恋人を追いかけるなんていう映画の監督ですから、一筋縄ではいかないとは思ってましたけど、それにしてもです。(なので、基本的には何にも知らないまま観た方が衝撃度が大きくて楽しいと思うので、観ようと思ってる人は、観てから読んでもらう方が良いかとは思います。もちろん、大きなネタバレはしませんけど。)だから、あれです、エル・ファニングの前出演作「20センチュリー・ウーマン」 (感想はこちら。→ http://esuhiro-kashima.tumblr.com/post/162228434498/20センチュリーウーマン )なんかとも全然違いますからね。ああいうのを期待して観に行くのは辞めた方が良いです。ただ、その「20センチュリー・ウーマン」、今回の物語の2年後の話で、しかも、アメリカが舞台。(ザンは、宇宙人でもありアメリカ人でもあるんです。)そして、こちらもパンク・ムーブメントが物語の重要なファクターになっているという事で、ザンの2年後の姿が「20センチュリー・ウーマン」のジュリーだと考えても、そんなに違和感ないというか。(ジュリーは今回のザンよりももうちょっと大人っぽいので、)1977年のロンドンの経験を経た1979年のアメリカのジュリーだとしても、そういう世界線もありえるんじゃないかという妄想がですね、広がりますよね。つまり、こうやって映画本編と関係ないところで妄想が広がったりするのが、この映画がカルト的って言われる要因だと思うんですが。まぁ、いろいろぽいんですよね。作りが。
まず、音楽とSFの融合というのが既にカルト的題材なんですけど、そのSF設定を使って、言ってる事はじつは案外ピュアっていうか。カルト教団とか出て来るアイテムがいちいち観念的で、それらを表現するのがアングラ芝居風だったり。そういう、大きく拡げたテーマを小さいコミュニティの中で処理していく感じなんかの全体的な着地の印象がカワイくてですね。トンデモ設定なんだけどカワイさ(滑稽さ)で許せるみたいな。それが80年代に観てたカルト映画的だなと思うんです。ピュアで全うな事を伝えるのに突拍子もない表現の仕方でやるのも、それが作品のテーマになっている「人を好きになる事の尊さや儚さ」、「滑稽さや愚かさ」なんかを理屈っぽくならずに表す為であり、更にそれが(特に滑稽さのとことか)自分の青春時代の記憶とも重なったりして。あの、とんでもなくふざけてる中にちょっとだけシリアスなメッセージが入っていて、それが思いもよらずピュアっていう、(正に青春ですけど。)僕、昔からこのバターンに弱くて。じつはパンクのメッセージにも同じ様な物を感じているんですが、一見ハチャメチャに見える設定が、そういう精神性の部分で繋がっていたりするのがなんか良かったんですよね。
だから、異文化物の形を借りた普遍的な物語で、それ自体は別に珍しくもないんですけど、その異文化っていうのが何の投影なのかって事で。あの、大概こういう映画で理解出来ない対象として描かれるのって人種間の差別問題だったり、LGBTの問題だったりすると思うんですけど、今回のこれって「女の子」なんですよね。ああ、そう言えば、オタクで童貞の僕等にとって人生で最初に出会う最高に理解出来ない異文化の存在って、異人種でも、異星人でもなく「女の子」だったって事で。つまり、「ポーキーズ」とか「グローイングアップ」(あと、日本で言ったら「パンツの穴」)みたいな、思春期の男の子達が右往左往するのを観て共感する”男の子映画”だと思うんですね。例えば、オタクで童貞の冴えない(パンク好きでジンなんか作っちゃってる様な)男の子は理屈抜きでザンみたいな女の子が大好きで、好きだから近づきたいんだけど本来は相手にされないんですね。現実では。で、何か奇跡的な事が起こって上手くいったとしても、ほとんどがその異文化な存在の彼女に振り回されて終わってしまうんです。それが初恋ですよね。で、そんな相手と心を通わせて行動を共にするには、相手は文化の違う異星人なんだって事を理解して受け入れなくてはいけなくて。それには、何度も恋をして女の子っていう文化の事をよーく知っていかないといけないわけなんですね。そういうのを男の子は大人になるにつれて段々経験として学んでいくわけです。だから、ザンがエンに急に自分を連れ出してって言ってきたり、顔を舐めてきたり、家に泊まりに来たり、反面、急に狂った様になって他の男とキスしたり、そういうのって、じつは全然女の子あるあるで、(というか、男の子にはそう見えているってことです。)ほとんど全ての男がそうやって一度は好きな娘に振り回されるんですよ。で、恐らく、こういう恋って、すぐ終わるんです。
だから、話自体はよくある話で、去年大ヒットした「君の名は。」なんかと同じなんですけど。(厨二の男の子の夢を理想的な形で観せてくれるっていう。本来ならありえない女の子が自分の事を好きになってくれて、そして無駄にエロいっていうね。)ただ、あっちは、現実にあるであろう事を使ったファンタジーなんですけど、この映画は構造が逆で、ファンタジーの中に隠された現実の話なんです。つまり、「君の名は。」は、厨二の男の子の夢は夢のままで終わるんです。社会や生活とはかけ離れたままに。なんですけど、「パーティーで女の子に話しかけるには」の方は、女の子に話しかけた後、それが自分の生活や社会とどう関わって来るかってとこや、話しかけた事によって自分自身がどう変わって行くかっていうところの方が重要で。(で、また、その社会と密接に関わっている自分ていうのがパンクの大きなテーマのひとつでもあるので。)この映画のラストが(「君の名は。」に比べて)ググッと胸に来るのって、夢の様に思ってた事がちゃんと現実に影響して、それが何かを変えたっていう証が、形として目の前に現れるからだと思うんですよね。(ラスト、エンの未来がちゃんと現実的なところに落ち着いてるの良かったですね。)
あと、異星人の女の子と地球人の男の子がパンクの精神性でのみ繋がっているっていうのも良かったところ。(単にパンクが好きって事ではなくて、例え異文化だったとしても、自分達の社会のあり方に疑問を持ち、それを変える為に行動するという精神性によってふたりが通じ合っていたって事ですね。)まぁ、何と言っても、あんなカワイイ子に好きだって言われたら男は命かけて頑張るし、恋をするって事はスリリングでリスキーで自分が自分であるって証だというのを久々に思い出させてくれた、とてもかわいくて愛おしい、そして、やっぱり、それが現実に根ざしてるっていうところがとても良い映画でした。あの、音楽とか特にそうなんですけど、みんな創作物とか物語に奇跡とか非日常性とか求めがちだと思うんですけど、僕はパンクのそうじゃない、現実に根ざしてるところが好きで。そういう意味でもとてもパンクな映画だったと思います。
(あの、僕、観ながらずっと思い出してた映画があって、レオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」なんでけど。「ポンヌフ」は、奇跡の様に愛し合うふたりの愛が世界に何の影響も与えないって話だったので、なんか対になる様な作品だなと思いました。)
http://gaga.ne.jp/girlsatparties/
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