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#モノづくり塾
tsubakicraft · 9 months
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open.Yellow.os
日本人の有志によるLinuxディスとリビューションです。DebianベースでGNOMEデスクトップ環境が載ったもの。インストールしてすぐに日本語の表示入力がしっかりできます。余計なユーザーアプリケーションが入っていないので自分の好みで環境を作っていくのに適していると思います。カーネルも比較的新しいものが使われています。 公式のホームページはhttps://openyellowos.comです。 プロジェクトのソースコードがGitHubで公開されており自分でインストールディスクのISOイメージをビルドすることができます。 僕はUbuntu 22.04 LTSをインストールした第6世代Core i5/8GB…
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xf-2 · 2 months
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先日、「失われた30年検証研究会」という会で講演する機会があった。文字通り「失われた30年」からどう脱却するか考える研究会だ。私は、脱却のカギは、普通の国民の生活の安定や向上を経済政策の第一目標とすることにほかならないと話した。他の先進国同様、日本は国内総生産(GDP)の半分以上が消費支出(家計消費)からなる。GDPを成長させるには、普通の日本人が安心してお金を使える環境を作り出さなければならない。だが、日本ではここ30年そうした環境がどんどん失われてきた。
主要因として、日本の経済政策の第一目標が1990年代半ば頃から一般的国民の生活の安定や向上ではなくなったことが挙げられる。グローバルな投資家や企業の政治的影響力が増し、彼らの目線で経済政策が作られるようになってしまったことだ。これは、いわゆる新自由主義に基づく現行のグローバル化路線がもたらした帰結である。グローバル化、つまり国境の垣根をなるべく引き下げ、ヒト、モノ、カネ、サービスの移動が自由になり、活発化する現象が生じると、半ば必然的に、各国の政治に対するグローバルな投資家や企業の政治的影響力が強化される。彼らは、自分たちが稼ぎやすい環境を準備しなければ、資本を他所へ移動させるぞ、と各国政府に圧力をかけることができるようになるからだ。例えば、彼らは「法人税を引き下げる税制改革を実行しないと貴国にはもう投資しない」「人件費を下げられるよう非正規労働者を雇用しやすくする改革を行え。さもなければ生産拠点をこの国から移す」などと要求できるようになった。
実際、日本政府も事実上、グローバルな投資家や企業の要求を聞き入れ、彼らが稼ぎやすい環境を整備する構造改革を繰り返してきた。具体的には、法人税率の引き下げ(その補填(ほてん)としての消費税率の引き上げ)、非正規労働者を増やす規制緩和、事実上の外国人単純労働者への門戸開放、株主重視の企業統治改革の断行、電気や水道、鉄道などのインフラ事業の民営化、カジノ解禁などである。
その結果、日本の経済社会はすっかり「グローバル化」した。一例のみ挙げれば、日本の大企業(資本金10億円以上)は、構造改革が始まって間もない平成9年から平成30年に、株主への配当金を約6・2倍も増やしている。その一方、従業員給与は減少している(9年を100とすれば30年は96)。設備投資もほぼ同様に減少(やはり100から96)している。(相川清「法人企業統計調査に見る企業業績の実態とリスク」『日本経営倫理学会誌』第27号・令和2年)。日本の大企業も「グローバル標準」に染まり、株主中心主義へと変質してしまったのである。
私の研究室では令和5年12月、社会調査会社に委託し、全国300人の成人男女に経済政策のあり方について次のように尋ねた。「あなたが考える日本の望ましい経済政策の基本方針は、次の2つのうちどちらに近いですか。①日本経済をグローバル市場の中に適切に位置づけ、投資家や企業に投資先として選ばれやすい日本を実現すること、②日本国民の生活の向上と安定化を第一に考え、国内に多様な産業が栄え、さまざまな職業の選択肢が国内で得られるようにすること」。①はここ約30年間のグローバル化路線の経済政策である。②は「国民生活が第一」の路線である。結果、①を選んだ人は26・7%(80人)、②は73・3%(220人)であった。やはり大多数の人々が、グローバル化路線ではなく、普通の国民の生活の向上と安定のほうを重視していることは明らかだ。
最近、芸能界ではジャニーズ事務所や松本人志氏の案件ように、これまでマスコミを含め多くの人々があまり問題視してこなかったことが大きなスキャンダルとして扱われる事態が相次いでいる。経済でも同様のことが近いうちに生じるのではないか。つまり、普通の国民の生活の向上と安定を経済政策の第一目標としてこなかった日本のここ約30年間の政府の姿勢が大スキャンダルとして扱われる日が来るのではないか。私は、希望的観測かもしれないが、そうなる日も近いと考えている。
施光恒(せ・てるひさ) 昭和46年、福岡市生まれ、福岡県立修猷館高校、慶應義塾大法学部卒。英シェフィールド大修士課程修了。慶應義塾大大学院博士課程修了。法学博士。現在は九州大大学院比較社会文化研究院教授。専攻は政治哲学、政治理論。著書に『英語化は愚民化』(集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など。「正論」執筆メンバー。
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uchu-household-blue · 2 months
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3月分 for youth。各週1冊で、うわー マーニーだ。'馬鹿にされたくないの'という言葉を思い出す、まぁいいかと読むまではいかなかったやつだ、。松下政経塾もコロナ禍入ってすぐに偶然もらった本(講演系かも)結局読んでないな、その時より気持ちが落ち着いているのは自分でよく分かる  ファンタジーは現実への挑戦でさえある、それを思い知り続けたい
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会話を続けていくのだ。 言語の分析をする、か、、と。精神のと言わなくてもいいならそれこそ公私だもんね、目から鱗だ!! 言葉、声、振る舞い、文字、絵や音やのメディア が、いかに 流れていくかと思った。'どう'でもいい人にはどうでもいいままの、それ以上に人権も役に立たない、バランスを探さない状態の言葉づかいにのまれると、内部から破壊される。守るのも線を引き直すことではない育てるようなことを選ぶほうがいい。そうか、だからこんなに断定が辛かったのか。会話ながらの死とかもあるのかも...表しすぎると暗さに自分もいられなくなるとも思い出した それもバランス探しなのだろうし、、。公私を混ぜず、そして私の言葉づかい達が無いと訴えていけないのほんとだね なんもできないね '言葉でだけ'あとで残るやり方ももしかしたらあるのかもしれないけれど、それも含めて 連帯を問わないならば 言葉やバザールorクラブ場所に情報を借りたまま提供しシステム言語に埋もれる話なのか、生まれたから死ぬそれだけみたいなモノ扱いと同様なのか  黙り込んで から秩序と映していくまで 例えば急がなくていいことも 会話を続けていくという目当てがどこに続いているのかを線の先からでなく示していけないと
読み応え見応えがあった。。。意識したいことだらけ 
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何か、拠点が。力のバランスが。保護や憐憫が。空中の断定ではなく自己たちによる話の中で探されていこう。記憶から消えていかないような反動や、防衛同士で傷ついたとしても距離や嫌悪の向き合い方、公共と私の境界のことは、これから長く引き出しから参考に出来そう。すねているだけとも言い難いほどの、しかし強い憤りや対立の絵図は、鬼滅の(斎藤さん記事も含めて、海外人気の意味とか)違和感の発見も、前より落とし所がつけやすくなった。自分は何を考えよう、のうち落ち着ける方面にほっとする。自分に必要なほうでもあることを、と願っている。ローティの流れともまた幅を欲しがりつつ、 'ファンタジーを読む'をまた読み通してみてもいいなと思ったら他書紹介に病跡学という単語見かける。一対一の時間や部屋はなんとパーソナルだろう、読んだあとも番組で出てきたなと思い出す 分析という名前がついても、哲学という名前がついても、ケアとキュアの希望が紛れないような、願いを持ち 作る 普通を目指さない、辛いだけだから。そげな意味の天秤は。だけど分かってもらえないだろうと絶対的に私に線引くことも良しとしたくなれないからこそだった。芙美子の'皆死ねばいいのに'のようなことだって、自己嫌悪の筆跡だった 読み飛ばされても読み終わらなくても大丈夫なまま、それでも
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理論化を無理やり言い切らせて先取る急ぎかたも怖いさ。。境目の不用意な壊し方。だから急ぎたいのか止まりたいのか、何が同じ円卓の議論なのか、どんな言葉づかいが必要な場なのか、細かく見たいものだよね。参考にするしないとはそれの繰り返しでもあり目が回る。神経症といえる感覚、戦争だったり宗教化という過程しかりを見てたら、コンプレックスのその普遍的に消えないものとして思えた。ルールがどう制度がどう、併し公共的に考え迫ることも慣れていきたい。科学の相対化、、。現れているものの名前、山岳救助に似たその道程、手を引いた片道、...。個人の見つけうる動機や理由は大切になっていくけれど同時に自分のものである、円満ななかに、渦中のなかに、ーー困ってない人たちの中にも、私に閉じてはいけない公的だと言い張って終われない会話があるはずと思えば、会話の言葉づかいの種類は増えるね、渦中で言語化が難しくても、分からないだろうよと、いつかその線引きが不要なやり方を 形になるように、心のどこかで願いたいね。すごいな心の内とも外とも境界を言わずに話せないと本当にいけなかったのに、越えての先が見えなくいたのに、ヒントのままだったものが近づいたような。ものづくりや哲学の希望が'帰結込みの言語化'のようなものならば。。分かってもいたし、方法が分からないも切実だけど、われわれが拡がるということが明るく思えた過程が さすがに定言的に体現していたな。。
何を犠牲者と見なすか?も、実践への方法としてシャープの回とも重ねてはみられる。
現状追認のような、正しさと思ってしまうもの、その反動、やっぱり気持ち悪くゾッとするし嫌なので考えていく。孤独にやらないといけないやつのうち。間違いを安心して肯定するための無心?や、間違いを言葉にしにくい のは くたばり労働であると思っていいし。たった一回の何かその環境にとっての些細なミスでも、何か根拠を求められて追い込まれていくことにもなりうる。 でもやっぱり言い切られた気持ちにもなるだろうな。。意図だけ掴めてもまだ多分 何かのせいおかげにすれば良いわけでも自分の像さえあればいいわけでもないから 言葉づかいを公的なものと考えてから 気をつけてみよう、自分は何を出来てなかったかとか、出来る様になるにはどうやって?はすぐ示されたりしてないし、その後も規範や個人の像のなかで何かしかとか何が、利害として正当かは、実は分からないけれど。正解はないけれど、違和感も消えないから。公私が混同かもしれないと思うことごと辛さの内訳きっと見て、モヤモヤと続いて
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nenkinharaitakunai · 5 months
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最近感じたことや思ったことをメモしている。LINEのkeepメモにちまちま書いている。本人が書いているはずなのによくわからない。わからないけど、書いている。
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選ばれなかったじゃねえよ
これは『あの日、選ばれなかった君へ: 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』という本を読んだ時の感想である。ただこれは本の感想というより個人的な妬みに近い。著者の阿部氏は慶應義塾大学卒業後電通に入社しその後コピーライターへと転身した、超華麗な経歴を持つ。そんな「選ばれつづけた」著者の言葉に何の重みもない。大した挫折もしてなさそうだし、説得力もない。なにが選ばれなかった君へだよ。慶應義塾大学卒業して電通に入社したお前が言うなよである。わたしはひねくれているのでこういうのを素直に受け入れられない。許せない。しかも本の内容も酷かった。最近はこういう類の、タイトル詐欺の本が多い。『ポンコツなわたしで生きていく』(いしかわゆき氏)なんかもそうだ。いしかわ氏は早稲田大学卒業後、ライターを生業として本を出版している。そんな人間がポンコツなわけないだろう。いい加減にしろ、と言ってやりたい。本当のポンコツは早稲田にすら行けないし卒業もできない。本も出版できない。ラランド・ニシダの上智大学を3回留年・2回退学したくらいの経歴じゃないと全く説得力がない。ポンコツなんて謳うくらいなら、人生やり直してほしい。
椎名林檎で泣いてしまう
中高生時代、椎名林檎が大好きだった。無罪モラトリアムと勝訴ストリップが大好きで何度も何度も今は亡きiPodで通学途中や塾の行き帰りに聞いていた。わたしのどうしようもなくやるせない青春に椎名林檎は寄り添ってくれた。いつもそばにいてギターをかき鳴らして絶叫してくれた。だから大好きだった。今ももちろん好きだ。でもあの青春時代の、中二病こじらせて、なんかいろいろめんどくさくなってるときのような感情を今は持ち合わせていないから、結局懐古というか「懐かしい」で終わってしまうようになっていた。年を取ったなアと思う。でもあんまりそういう感傷に浸りたくないから、椎名林檎と距離を取っていた。ように思う。でも最近Spotifyのシャッフル機能で流れてきた「NIPPON」を聞いて泣いてしまった。今更。
万歳(Hurray)!万歳(Hurray)! 日本晴れ 列島草いきれ 天晴 乾杯(Cheers)!乾杯(Cheers)! いざ出陣 我ら 時代の風雲児
なんだか林檎嬢に背中を押してもらえているような気になって、憂鬱な朝をも乗り越えられるように励ましてもらえているような気がして泣いてしまった。だからなんだよ。
日常組の見切り発車
よく分からないが、日常組というゲーム実況者のグループがあるらしく、その集団が歌ったオリジナル曲をなにかのタイミングで聞いた。「くだらない日常」という曲らしかった。今の時代は実況者も歌うらしい。気になった部分の歌詞↓
見切り発車でいいんだよ
誰にも分からない それでいいよ
途中下車しても面白そうだ
見切り発車って単語を歌詞に使うことあるんだ…?しかも見切り発車でいいんだ…?てか見切り発車したあとに途中下車って結構キツくない…?というのが素直な感想である。あと皆本職が歌手ではないので、全体的に声が震えていて、絶妙に音程を外していたのがおもしろかった。カラオケで歌われたら「お、おしい〜!」と心の中で叫んでしまいそうな絶妙さ。しかもメンバー全員そんな感じだったのでおもしろかった。もっと自分の歌声や音程に自信を持って!ガンバレ!と背中を叩いてやりたいくらいであった。
女の敵は女(アイスの件)
今は亡き旧Twitterで生理用ナプキンのPR漫画がTLに流れてきた。ロリエだったかソフィーだったかよく分からないが、リプ欄が荒れていたのは覚えている。漫画の最後で(生理中でも自分の機嫌を取るために)アイス食べよう♪みたいなコマが入ってたような気がするのだが、そのコマを異常に叩いている人たちがいた。「生理中の体を冷やすなんて」「冷たいものは体に悪いのに」「(私の生理は重いから)アイスなんて食べられない」的なリプライが飛び交っていたように思う。いや誰だよ。マジで誰。誰もあなたの生理事情は聞いていない。食べたくないなら食べなくていいし、食べたいなら食べたらいいじゃんと思う。アイス如きでなにをそんなに過剰に反応する必要があるのだろうか。別にアイス食べたっていいじゃん。死ぬわけじゃないんだし。殺すとか書いてるのは忘れてください。
怒りをスルーしようとするな
最近アンガーマネジメントなるものが流行っているが、そんなもの本当に必要なのだろうか?と思ってしまう。怒りは確かに負の感情だろう。ポジティブかネガティブかと問われれば、(個人的には)後者のイメージがある。しかし、怒りも立派な感情の一つだ。怒りが原動力となって活動や創作に打ち込む人間もいるだろう。怒りでヒトやモノにやつ当たりをしてしまうとか、暴力や暴言で攻撃するのとは完全に違う。その怒りを糧にして、まったく別のものへと昇華させてしまえばいいのだ。怒りは原動力。我々を良くも悪くも突き動かす強いパワーである。その力を自分のものにして別のものへと昇華してしまえば、怒りをスルーしたり押さえ込んだりする必要なんてない、と思う。
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kanglo · 11 months
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大人のためのアート・デザイン思考入門講座 byオンライン
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大人のためのアート・デザイン思考入門講座 byオンライン チケット:https://art-thinking.peatix.com/ https://www.facebook.com/artthinking2021 2004年にハーバードビジネスレビュー紙で「The MFA is The New MBA]という記事が発表され、日本では2017年に山口周氏著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』が話題をよび、ここ最近「アート思考」という言葉をよく耳にするようになりました。論理的・理性的な情報処理スキルの限界が叫ばれ、大きく世界が変わる中で、「直感」と「感性」の時代が訪れたと言われています。 アーティストは見えないものを見るようにする役割を担い、その時代や社会の中で、「問い」を私たちに問いかけながら常識を揺さぶり、今までにない価値観や意味を提示してきました。近年、ビジネスの舵取りは非常に難しくなってきています。企業は従来の古い価値観、世界観から抜け出し、直観的、感性的な創造性が求められ、ますます「アート思考」の必要性が高まっています。 また、デザイン思考は、前例のない課題に直面したり、商品やサービスの改善策、開発に行き詰まったりした際に役立つ思考法です。 近年のヒット商品には、アート思考とデザイン思考を用いて開発されたものがあります。アップルの「iPhone」や「iPod」任天堂の「Wii」その代表的な存在です。 デザイン思考はユーザーの視点で課題を捉えるのに対し、アート思考は自分の発想を元にビジネスのアイデアを生み出す思考法と言われていますが、従来型の「ユーザー中心主義デザイン」ではなく、「自分起点」から出発し、その後、デザイン思考のプロセスに入るという流れが求められるようになってきています。ユーザー観察では見えないモノコトがあり、そこにはアート思考の発想が不可欠です。 私たちは、アート思考とデザイン思考を使いながら、クリエイティブな発想で世界をユーモアと美しさにあふれる世界に変えることができます。そのためには、この人生の中で無意識に作り上げてしまった既成概念や思い込みから、少しだけ視点をずらしてみる、あらたな「まなざし」を学ぶ必要があります。 現代美術家の中山ダイスケさんは��ートについてこのような言葉を残しています。 『アートは営み。誰の中にも備わっています。例えば「朝、窓から見える山の景色がいつもより美しい」「今日はコーヒーがおいしい」という気づきこそがまさにアート。美術館に飾られている作品だけがアートではありません。ちなみにこの生活の中の小さな気づきを掘り下げ、絵や彫刻、小説といった形にして永遠に残そうとするのが作家であり、アーティストと呼ばれる人たちです。(中略)アートとデザインはこれからの社会に確実に必要な能力でしょう。これらを身につけることで発想力豊かな「柔らかい人」になれると思います。』 まずは、本講座でアート思考・デザイン思考の世界を体験してみてください。あなた自身の視点の変化と、イメージを広げる喜びを感じていただける、充実した講座です。 (カングロ株式会社) 【ダイジェスト版動画】 センス・オブ・ワンダーの世界へようこそ!「大人のためのアート思考入門講座」 https://youtu.be/I2T8FD1lilE ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ <講座情報> ■日程:2023年6月16日(金)、6月27日(火)、7月3日(月)、7月18日(火)、7月27日(木) ■時間:20:00-21:00   ■受講スタイル:Zoomオンライン講座 ■受講費:2,000円 ※お申込み・お支払いはPeatixからお願いします。 https://art-thinking.peatix.com/ ■アート・デザイン思考入門講座の各日程: ①6月16日(金)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3601294/view https://www.facebook.com/events/2497318140428037 ②6月27日(火)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3601336/view https://www.facebook.com/events/927561594965511 ③7月3日(月)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3601345/view https://www.facebook.com/events/2850825261716750 ④7月18日(火)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3601357/view https://www.facebook.com/events/303461982007372 ⑤7月27日(木)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3601370/view https://www.facebook.com/events/218731950949061 ☆講座の内容は、全日程同じものです ※正式申込後のキャンセルはご遠慮いただいております ※やむを得ずキャンセルされる場合は、必ず事務局までご一報ください ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ※入門講座終了後、「大人のためのアート思考基礎講座」にご参加いただけます。 ■第11期アート・デザイン思考基礎講座 byオンライン 日 程:2023年8月7日(月)・8月23日(水)・9月4日(月)・9月20日(水)・10月2日(月) 全5回 時 間:19時30分~21時30分 詳 細:https://peatix.com/event/3601382/view ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ■お薦めイベント! マインドフルネスアートセミナー Lesson1 感情の扉を開く https://peatix.com/event/3600153/view ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ■講師:森夕花(もりゆうか)プロフィール: カングロ株式会社 取締役 執行役員COO/マスターライフコーチ・PXファシリテイタ・フィロアーツ研究会主宰 ●神奈川県横浜市出身。音楽学校のピアノ科卒業後、三井住友カードに入社。その後、ドイツのフライブルクに留学。フライブルグ市の行政と市民による持続可能な世界を目指す社会システムと、ユーゴスラビア紛争で、ドイツに逃れた難民の方々との出会いを通じて、平和で精神的な豊かさを基本とした「サステナブルな社会作り」に興味を抱く。帰国後、三井住友カードに再び戻り、お客様対応や、クレジット決済端末機の管理システム“TACシステム”の開発に携わる。 ●帰国して5年が過ぎたころ、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子供達を救済するためのNGOドイツ国際平和村の存在を知り、世界の平和と心の癒しに携わることが自分自身の使命と感じ、ヒーリングセンターアルケミストでカウンセラー、セラピスト、講師を務め、2008年に独立。2015年1月、カングロ株式会社 執行役員に就任。現役ライフコーチとして、ベンチャーから大手企業の多くのビジネスリーダーを受け持ち、個々の潜在意識にアプローチし、ビジネス ・プライベート両面における、変化、成長をサポート��ている。 ●2021年より京都芸術大学芸術学部芸術教養学科に在籍。創造的思考によって「モノの見方、感じ方」を変え、仕事と暮らしをより良く変化させる「アート思考講座」を開催している。 ●自らの内面の探求のため、インドに十数回訪れ、心理学、禅、認知行動学、ジョーティッシュ(インド占星術)、手相、メディカルハーブ、中医学(中医食療士)などにも深い知識がある。 ●趣味は声楽(オペラ)・読書・映画鑑賞・美術鑑賞・ぶらり旅・歴史探訪・日記を書くこと。最近はウェルビーイングを軸とした、地域コミュニティー・組織つくりに関心をもつ。 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ■プライバシー保護方針: https://www.kanglo.co.jp/privacy.html ■主催:フィロアーツ研究会/カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/ショックコヒーレント・イノベーションクラブ/セブラルメディテーションの会/HOOPS!/ザッポス研究会/サステナ塾 #アート思考 #アートシンキング #デザイン思考 #カングロ #森夕花
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opportunitygaps · 1 year
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「アメリカ人の大半は借金まみれ」→「だから好景気!」円を「宝のもちぐされ」にする、日本人のやっかいな国民性の正体(幻冬舎ゴールドオンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
借金してでも買いたい と思うようなモノ生み出すことだ。昔は欲しいモノが沢山あった。今は、別にいいや が多い。魅力的商品が少ない。住宅展示場は相変わらずデカい家ばかり。車もコンパクト高級車少ない。伝統工芸品など今が買いかもしれない。外国人が先に気づいている。
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misen9710 · 3 years
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朝比奈潤(ドMおじさん)@doemojisan
今から15年ほど前、20代後半の頃に個別指導系の学習塾で数年間働いていた。担当は男子中学生ばかりだったがその中に明らかにオーラが違うイケメンがいた。今で言えば坂口健太郎によく似ていたので、ここでは彼を坂口君と呼ぶ。坂口君は身長180弱、不良っぽさと中性的な部分を併せ持ったルックスだった。
実際、彼はよくモテていた。恥ずかしい話だが、私は女性の生態についての知見をほとんど彼から得たと言っても過言ではない。30歳手前の大人が14~5歳の少年から女について教わるという屈辱は私を大いに苦しめたが、童貞だった私には坂口君が無邪気に話すモテ話が抗いがたい魅力を持っていた。
「さっき逆ナンされてカラオケでセックスしてきちゃった」私が担当してすぐの頃、彼が述べた遅刻の理由である。成績の良い子が行くような塾ではなかったから真面目に勉強しに来ている生徒は少ない。それでもこの発言は衝撃的であった。事の真偽はともかくとして、私は注意するよりも呆然としてしまった。
イケメンの中でもよりすぐりの「超イケメン中学生」には凡人には想像し得ない奇跡のような出来事が毎日起きている。逆ナンパはそれこそ日常茶飯事だ。家電量販店で暇をつぶしていたら、見知らぬ40代のマダム風女性に当時、流行っていたゲームボーイアドバンスを買ってもらったこともあるという
奇跡というのはたとえば、繁華街ですれ違った20代の女性に道を聞かれ、親身になって教えたところ連絡先を聞かれ後日、お礼がしたいと食事に誘われる…といったようなことだ。そんなことがあるのだろうかと思う。私は42年間生きて、宗教の勧誘以外で一人歩きの女性に声をかけられたことがない
こうしたエピソードの一つひとつに何とも言えない迫力を感じ、私は授業中の彼の雑談、自慢話を黙認した。そういった話に私自身が興味を持っていた。彼の携帯電話の画像フォルダには今まで関係した女性との画像が収められていた。その数の多さ、写真に収まった女性の美しさには圧倒される思いであった
そのフォルダを全部見たわけではないが、一際目を引いたのは坂口君と同世代であろう白人とのハーフの美少女だ。玉城ティナ、トリンドル玲奈に似た雰囲気の彫刻のように美しい顔だった。とても中学生には見えない。そしておっぱいも、服の上からでもそれなりの大きさになっているのがわかった
何枚かの画像には私と同世代、もしくは30代であろう女性も写っていた。私には視線すら合わせない同世代の美女が15歳の少年には心を開き体も許しているのかと思うと、やるせない思いであった。自分の私生活がとてつもなく惨めに感じ、オスとしての能力の違いを見せつけられる思いであった
当時の私生活は今よりも悲惨であった。休日ともなれば昼近くまで惰眠を貪り、起きれば近所のコンビニへ行く。道中、美少女とすれ違えばその顔や胸の膨らみを凝視して目に焼き付け、帰宅後はその美少女を想像しながら自慰をする。そしてコンビニ弁当を食べテレビを見ながら夕方になるとまた自慰にふける
坂口君が恋愛ゲームを楽しみ女性を楽しませ、そして愛されている一方で、私は道行く美人を盗み見ては服の上から伺えるおっぱいの大きさを確認して脳裏に焼き付け、その乳房を揉みしだく妄想にかられながら一人慰め、果てる。東京砂漠とはこのことだろう。私は自分の情けなさに消え入りたくなった
坂口君を教えていて気付いたことがある。それは女も男と同じように気になる異性をチラ見するという事実だ。教室で隣り合って座っていた私にはそれが手に取るようにわかった。そしてチラ見された側は視線に完全に気付く。チラ見されている事に気付かれまいとあえて見ないようにする行為すらもほぼわかる
授業時間が終わり坂口君が帰宅しようとすると、いつも奇妙な光景が繰り広げられた。女子生徒たちがみなソワソワしながら坂口君の様子を気にしているのである。女子生徒の中でもカースト上位と思われる、沢尻エリカ似のリーダー格はいつも偶然を装って坂口君の周囲をうろつき会話の機会を伺っていた
沢尻の積極性に私は驚いた。女の子は相手次第でこれほどまでに積極的になるのである。カースト下位の女の子には坂口君と話す機会は与えられない。女子リーダー格の沢尻は、その地位を生かして他の女の子を牽制していたのかもしれない。授業が終わると上位グループが坂口君を取り囲むこともあった
坂口君と沢尻はもしかしたら関係を持っていたのかもしれない。なぜなら沢尻が坂口君に夢中になっていたのは誰の目にも明らかだったからだ。坂口君に入れあげていたのは沢尻だけではない。女性社員にもまた坂口君は人気があった。中でもある20代後半の女性社員が取った行動は生々しかった
の女性社員は波瑠に少し似ていたのでここでは波瑠さんと呼ぶ。長身でスレンダー、キリッとした顔つきが近寄りがたい雰囲気を出していて仕事が速かった。その波瑠さんは、愛想が良いほうではなかったが、坂口君と話すときだけは満面の笑みになるのである
志望校などを調査する資料を坂口君が提出し忘れたことがあったが、その時の波瑠さんの動きは凄かった。坂口君の席の隣にひざまずいて「ここに名前を書いて」「学籍番号はここ」と、手取り足取り教えながら書かせているのだ。どこに名前を記入するかなどバカでもわかる。波瑠さんの魂胆は明らかだった
波瑠さんが坂口君に資料を書かせている間、二人の物理的な距離が徐々に近づいていくのがわかった。波瑠さんは時に坂口君に覆いかぶさるように資料の書き方を教えていた。私には波瑠さんのおっぱいが坂口君の背中に当たっているように見えて仕方がなかった。いや、間違いなく胸と背中が触れ合っていた
波瑠さんは長身だったが胸はそんなに大きくなかった。体の線がはっきりとわかるような服を着てくることもなかった。私はそんな波瑠さんが自らの女の部分を強調していることに衝撃を受けた。よく恋愛マニュアルに「OKサインを見逃すな」なんて書かれているが、こういうことなのかと思った
女のOKサインとはかくも露骨なものなのだ。本物のOKサインとはこのようなものなのだと思い知らされた。恋愛マニュアルに書かれた「酔っちゃった~」なんていうセリフや、普通の男が「もしや」と感じるセリフなど、このときの波瑠さんのOKサインに比べれば勘違いに近い
手取り足取り教えられながら資料を書き終えた坂口君の行動も私を驚かせた。「疲れた~」と言いながら席を立った坂口君は「波瑠さんの肩揉んであげます」といって肩のあたりを揉みはじめたのだ。波瑠さんは顔を真っ赤にしている。あのクールビューティの波瑠さんが真っ赤になって動揺している
波瑠さんにひそかに思いを寄せていた私は激しく嫉妬した。童貞ゆえの自信のなさで会話すらままならなかったが、いつも彼女を盗み見ていた。服の上から伺える乳房の形を想像しながら自慰したこともある。年上の彼氏がいるという噂にうちのめされたこともあった
そんな高嶺の花だった波瑠さんが「どうぞ私を抱いて」と言わんばかりにオンナの表情をしていたことがショックだった。一見、ツンとしているように見える女性でもイケメンに見つめられたらイチコロなのだ。しかも相手は15歳の少年である。この事実は私を苦悩させた
その日、自宅に帰った私は波瑠さんの表情を思い出していた。肩を揉まれた時の波瑠さんはなんと幸せそうな表情をしていたことか。坂口君が波瑠さんを抱いている姿を想像してみた。すると嫉妬と悔しさで不思議と興奮してくるのがわかる。寝取られ好きの気持ちがわかった。私はその夜、何度も自慰をした
この一連の出来事は童貞を捨てたいという思いを強めた。風俗でもいいから童貞を捨てれば嫉妬に苦しまなくてもすむかもしれないと思った。次の休日、ネットで入念な下調べをし風俗へ向かった。初めての記念だからと一番美人でゴージャスな容姿の女の子を指名した
指名し部屋で待つ間、胸は高まった。期待と緊張が入り交じり、武者震いが止まらなかった。女の子が部屋に入ると緊張は限界を越えた。手足が震えている。まずい。嬢に童貞であることを悟られたくない一心で、手足の震えを隠し手慣れた様子を演じようとすればするほど震えは強まり会話にも妙な間ができた
正常なコミュニケーションすら成立しない私を前に、風俗嬢は徐々に心を閉ざしていった。恐らく私は緊張と劣等感にまみれた恐ろしい表情をしていたのだろう。風俗嬢が私を不気味がり、怖がっているのがわかる。私はその雰囲気をどうすることもできず、無言で胸を揉み続けた
子泣き爺のように後ろから覆いかぶさり、ぎこちなく胸を揉みしだく私の表情をチラリと見た風俗嬢は、ほんの一瞬だが嫌悪の表情を見せ、その後は私をできるだけ見ないようにしていたと思う。私の性器に手を伸ばし、数回上下に動かしながら刺激を与え勃起を確認した彼女は無言でコンドームを装着させた
コンドームを装着されながら私は女体に感じ入っていた。初めて触る女性のおっぱい。その柔らかさ美しさに衝撃を受けた。女の乳房とはこんなにも男に幸せな感情を与えるのかと。ずっと揉み続けていたい衝動にかられた。しかしコンドームを装着させた嬢は女性器に何かを塗り込んだあと挿入を促した
正常位の体勢から、私はアダルトビデオの見よう見まねで挿入を試みた。しかし、これが意外に難しい。挿入しようとし、角度や位置の違いから押し戻される。それを数回繰り返すうちに動揺は強まった。童貞であることがバレたかもしれない。そして何より精神的動揺から勃起が弱まっていくのを感じた
萎えて柔らかくなった男性器を女性器の入り口に押し付け、どうにか挿入しようとして押し戻される滑稽きわまりないやりとりの後、私は挿入を諦めた。気まずさを誤魔化すため、私は風俗嬢のおっぱいにむしゃぶりついた。風俗嬢は事務的に私の性器を手でしごき、再び勃起を促した
胸を揉むとわずかだが、萎えた性器が復活する。ベッドの上にお互い向き合って座りながら無言のまま、私は胸を揉みしだき、風俗嬢は淡々と私の性器をこすり上げる重苦しい時間が20分くらい続いた。異様な光景だったと思う。やがてコンドームがシワシワになったところでタイマーの警告音が響いた
「時間…」とつぶやいた風俗嬢はコンドームを剥ぎ取り、激しいペースで性器をしごいた。私も胸を揉むペースを早める。すると数十秒後、精子が放出された。思わず「あっ」という声を上げてしまった。賢者モードに陥る私をよそに彼女はティッシュで精子を拭く。これが私のみじめな初体験だった
挿入に成功しなければ真の意味で童貞を脱したことにはならない。翌週も同じ店に行った。指名した娘は先週の子ほど美人ではなかったがとても愛想が良かった。武者震いしながら性行経験者を装う私のバレバレの演技にも笑顔だ。私を傷つけないよう、私が彼女をリードしている錯覚を与えながら挿入へと導く
メリメリという感覚の後、私の性器はするっと女性器の中に入った。挿入に成功した。私は激しく動くことで緊張を悟られないように努めた。しかし、このとき私は膣内での射精には成功しなかった。風俗業界ではこれを中折れと呼ぶらしい。結局、私は手と口で嬢に刺激されながらゴム内で発射させられた
恥ずかしながら私はセックスがこんなにも難しく、重圧がかかるものだとは��らなかった。機会さえあれば誰にでもできると思っていた。水を飲み、道を歩き、ベッドで寝る。そんな人間の当たり前の営みと同じく挿入と射精ができるのだと。しかし実際は違う。自転車の補助輪を外すような訓練が必要なのだ
風俗店から帰宅後、ネットで調べたところ、私のような症状は「膣内射精障害」と言うらしい。自慰ばかりしているモテない男が患う風土病のようなものだ。普通の男性が患うこともあるが、多くは加齢、飲酒、あるいは倦怠期で刺激を失ったことが原因であり、コンディション次第ですぐ回復する
自慰ばかりしている男性は、しばしば自分の性器を強く握りしめる。そして、それは膣が加える刺激を上回る。性交よりも自慰の回数が圧倒的に多い非モテ男はそれに慣れきってしまい、いざ性交するときに刺激が足りず射精に至らないのだ。オナニー病、モテない病と言える。こんなに哀しい病があるだろうか
結局、膣内での射精に成功するまで、童貞を捨てた日から3年以上の月日がかかった。風俗店へ通いつめた回数は40回を超える。30歳を超え、ようやくである。中折れし途中で萎えた性器を手でしごきあげられ、射精させられるという情けないセックスを40回以上も繰り返したのだ
童貞を捨てれば消え去るかと思われた劣等感はさらに巨大になった。3年の間、自らの性的能力の低さ、異常さを突きつけられた思いがした。15歳の少年がいとも簡単に、毎日のように行う「普通の性交」にお金を支払ってもなお達しないのである。波瑠さんら女性社員や生徒がこれを知ったら、蔑み笑うだろう
恥ずかしい話だが、今でも私は2回に1回は膣内射精に失敗する。これは異常なことだろう。しかし、異常者なりに気づきもあった。風俗嬢に「実は素人童貞で経験が少ないんです。リードしてください」と白旗を上げるのだ。すると精神的に少し楽になることがわかった。少なくとも手足の震えは軽減した
裸の女性を前にした緊張、武者震い、手足の震えは、恐らく素人童貞を恥に思い隠そうとする男のチンケなプライドと密接に関わっている。あえて白旗を上げることで、それはいくらか軽減する。しかし「途中で萎えたらどうしよう」という重圧は依然として残る。この重圧から逃れる方法を私はいまだ知らない
風俗嬢に「経験が少ないのでリードしてほしい」とカミングアウトすると、高確率で「そういうお客さんの方が好き」と言われる。これは好き嫌いというよりも、その方が業務上、楽なのだろう。世の女性が素人童貞を好きというわけではない。むしろ素人童貞で射精障害のおっさんなど視界にすら入っていない
しかし指名した子がドンピシャで好みだった場合は、経験が少ないことを明かせずにいた。もしかしたらこの娘と付き合えるかもしれないという下心からである。冷静に考えれば風俗嬢が客と付き合うことなどあるはずがない。にも関わらず、自分を偽りカッコつけてしまうのだ
なぜか。それは女性との接触が極度に少ない非モテには万に一つの可能性でさえ貴重な機会だからだ。自分でも狂っていると思う。しかし非モテの劣等感とは、これほどまでに人間の判断力を狂わせるのである。こうして性に習熟した大人の男を演じようとして射精に失敗し呆れられる。私はこれを繰り返した
風俗店通いで不快だったのは待合室の存在だ。見るからに女と縁がなさそうな醜い男たちが折り重なるように狭い部屋に押し込められ、煙草の煙にまみれながら携帯電話の画面を覗いている。そしておそらく彼らは軽く勃起している。この世の終わりみたいな場所だ。気持ちの悪さに身の毛がよだってしまう
フェミニストが憎み、罵り、滅ぼそうとしているのは風俗店の待合室にいるような男たちのことだろう。決して坂口君のような美少年ではない。この点に関して、私はフェミニストに深く同意する。彼らを消し去ることで、世界は少しだけ良くなると思わざるを得ない。私も消えてしまうけれども
おそらく坂口君は、平均的な非モテ中年の何十倍、何百倍もの女性を傷つけ、悲しませ、不安にさせてきたはずだ。しかし、世の女性はそれでも坂口君を愛する。そして彼に特別扱いされることを望む。フェミニストも坂口君を攻撃することはない。彼の存在そのものが女性を幸せにするからだ
私のような非モテ中年がフェミニストにお願いしたいのは、せめて我々が生きる権利だけは奪わないでほしいということだ。風俗店の待合室に来てしまうような種族は、自分ではどうにもできない性衝動と法律の折り合いをつけ、やむにやまれず安月給を工面して数万円を握りしめてやってきた善良な市民である
男がお金を払って快楽を得ようとすることに関して、女性の目は厳しい。それは本来なら淘汰され、消えてなくなるべき遺伝子が、お金の力で力を得ることへの本能的な嫌悪であると思う。この本能は現在の人権制度、博愛主義と完全に対立する。この点について現代社会はまだ答えを見いだせていないと思う
坂口君には女性を虜にする必殺技があった。それは笑顔で挨拶することだ。なんだ、それだけかと思うかもしれない。しかし彼は笑顔だけで女性を完全にコントロールしていた。私が見る限り、彼はいつも同じように笑顔の挨拶をしていたわけではない。人や状況に応じて、振りまく笑顔の量に濃淡をつけていた
坂口君が最大級の笑顔で挨拶をすると、女たちは皆、有頂天になった。成人女性とてそれは同じだった。みな狂ったように喜んだ。しかし、いつもそれをするわけではない。そうやって濃淡をつけることで、不安にさせたり、嫉妬させたりしながら女たちの行動をコントロールするサイコパス的な側面があった
それは幼少期から女性と濃密なコミュニケーションをすることで得られた天性の能力だろう。真似しようとしてできるものではない。「女性に優しく」と、よく恋愛マニュアルに書かれているが、大半の男が考える優しさは「弱さゆえの優しさ」であって、本質的には媚びや譲歩に近い
そしてこれは重要なことだが、女性はその「弱さゆえの優しさ」には興味がない。いや、嫌悪すらしていると思う。「弱さゆえの優しさ」でどんなに高額のプレゼントを貰おうとも、女たちはなびかない。むしろ坂口君から時に冷たくされ、時に嫉妬させられながら、ごくたまに優しくされる恋愛を選ぶ
坂口君に話しかけられた女性の反応は、若くてハンサムな白人男性に話しかけられた日本人女性のリアクションに近い。若い白人男性が日本人女性を次々といとも簡単にナンパする動画がネット上で賛否を呼んでいたことがあり、私もそれを興味深く観たが、あれはまさしく坂口君の周りで起こっていたことだ
六本木などを歩けばわかることだが、ハンサムな白人男性を連れて歩く日本人女性は不思議と欧米風の所作になる。彼女らは白人男性を連れて歩いているという状況そのものに酔っていて、「みんな見て、これが私の彼氏よ」とアッピールしたくてたまらないように私には見える
白人男性と交際すること、それを周囲に認識させることが自らの格をも上げるのだと確信していないと、ああはならないのではないか。少なくとも冴えない日本人男性を連れて歩く日本人女性は、六本木を彼女らほど我が物顔では歩かない。もっと申し訳なさそうにそそくさと歩いているように私には見える
思えば沢尻や波瑠さんは、坂口君と話しているとき、とても得意げだった。周囲に見せつけるように、「坂口君とこんなに仲が良い私」をアッピールしていた。そして我を忘れて会話を楽しんでいた。沢尻はともかく、波瑠さんまでが中学生相手にそんなになってしまったことは、私に強い衝撃を与えた
私が初めて風俗店へ行ってから数週間後、沢尻の母親からの電話が私の勤務する学習塾を大混乱に陥れた。最初に電話をとったのは私だ。母親が言うには沢尻が波瑠さんからしきりに服装について注意を受け精神的に参っていると。服装についての規則はないはずでは?何が悪いのかということだった
これは沢尻の母親に理がある。生徒の服装を職員が注意することは、基本的にはないはずだ。そんな場面を見聞きしたこともなかった。これは奇妙だ。そして母親は言いにくそうに、話を続けた。「あと…娘が波瑠さんにあなた処女じゃないでしょって言われたみたいなんですけど…」。私は耳を疑った
沢尻母が校舎へやってくると、室長室へ通し、私は退席した。約1時間後、沢尻母が帰ると、今度は波瑠さんが室長室へと呼ばれた。授業時間になっても波瑠さんは戻ってこない。私は嫌な予感がした
納得がいくようでいかない、なんとも要領を得ない説明である。「波瑠さん、沢尻に派手な下着を着るなとか、ピタっとした服を着て来るなとか言ってたらしいですよ…。で、別の教室へ行って、すぐ辞めたみたい…」。私はそのことを坂口君から聞いた。そして事の真相にある程度の察しがついた
一連の騒動はおそらく坂口君をめぐる沢尻と波瑠さんの潰し合いなのだ。そして沢尻が勝ったと。坂口君と沢尻がイチャついていたのを見た波瑠さんが嫉妬し、坂口君におっぱいを密着させて接近した。それを察知した沢尻は波瑠さんのクビを獲りにきた…。そういうことなのではないかと
坂口君はなぜ波瑠さんの「その後」を知っていたのか。私は彼に「そんなこと誰から聞いたの?」とは聞けなかった。仮に聞いたら、彼はおそらく「だって波瑠さん、俺のセフレだよ」と無邪気に答えたであろう。波瑠さんに想いを寄せていた私は、それだけはどうしても聞きたくなかった
坂口君は波瑠さんのOKサインを見逃してはいなかったのだ。そして彼は波瑠さんとセックスしていたのだと思う。室長の聞き取りで波瑠さんは、沢尻への仕打ちだけでなく余罪も白状した。そして警察沙汰を恐れた塾側は、噂になる前に波瑠さんをクビにした…。これが坂口君の口ぶりから察した私の仮説である
坂口君と波瑠さんは、いったいどんなセックスをしていたのだろう。15歳にして180cm近い長身、私より10cm以上も高い。きっと性器も立派なのだろう。少なくとも私のような仮性包茎のイカ臭い、粗末な性器ではないはずだ。場馴れした手つきで波瑠さんをリラックスさせ、「好き」と囁き合ったのではないか
坂口君は30人以上とやったと豪語していた。多少盛っていたかもしれないが、説得力はあった。セフレの女子大生からの「生理来たよ」というメールを見せてきたこともあった。当初、私はその意味がわからなかった。数日してようやく危ない日にコンドームなしでセックスしたことを意味するのだと悟った
童貞の男はそんなことも分からないくらい察しが悪い。そのくせ嫉妬深い。坂口君と波瑠さんがセックスしていたことに気付いた日、私は帰宅するなり自慰をした。波瑠さんを奪われた怒りに近い感情が、なぜか興奮を高めた。怒りと興奮で顔を紅潮させながら、あらん限りの力を込めて性器を握りしめていた
そのときの私はこの世のものではないくらい醜い顔をしていたはずだ。嫉妬に狂いながら坂口君が波瑠さんを愛撫する姿を想像し、「畜生、畜生…」と呟きながら性器を握りしめた。膣内射精障害が悪化するとも思ったが、どうにでもなれという自暴自棄の気持ちが勝っていた
そのときなぜか波瑠さんが小ぶりなおっぱいを精一杯寄せて、坂口君の性器を挟んでいる像が思い浮かんだ。パイズリだ。なぜそんなイメージが浮かんだのかはわからない。心の奥底に閉じ込めた性衝動が脳内で不可思議に暴発したのだと思う。そして、その瞬間、私の性器は精子を垂れ流した
その後、私は坂口君の立派な、私の倍くらいはあるだろう性器を波瑠さんが小さな乳房で一生懸命に包み込んで奉仕している場面を思い浮かべながらもう一度、射精した。その後、今度は波瑠さんが坂口君に攻められ、涙声で「ごめんなさい」と言いながら絶頂に至る妄想でさらにもう一度、射精した
それにしても波瑠さんはなぜ沢尻なんかに目くじらを立てたのだろう。たしかに職員にとって沢尻は苛立たしい存在ではあった。反抗的で知性に欠け、徒党を組むタイプの女だ。が、所詮中学生。美人だが波瑠さんの上品な美しさとはモノが違う。しかし沢尻にあって波瑠さんにないものが一つだけあった
大きな乳房だ。沢尻は中学生の割におっぱいが大きかった。それを見せつけるように胸の谷間も露わなキャミソールを着てくることもあった。波瑠さんは沢尻の胸の大きさに嫉妬していたのだろうか。普通ならば、そんな結論には至らない。何より女性は男が思うほど、恋敵の胸の大きさを気にしない
本当のところはわからないが、少なくとも気にしない素振りを見せる。しかし、こんな普通じゃない状況になった今、どんな可能性だってありうるように思われた。沢尻が大きな胸で坂口君を誘惑していると確信した波瑠さんが、嫉妬にかられ派手な下着や体のラインが出る服を着ないよう命じた…
そんなのはアダルトビデオの中だけの話。そうやってシンプルに考えられる人を私は羨む。いろいろな可能性を考えたとしても、それは何も生まない。真相は本人に聞いてみなければわからないのだから、考えたって仕方がないのだ。本人ですら、自分が何を考えているのかわからないのかもしれないが
波瑠さんは胸は小さく、おそらくAカップかBカップといったところだったが、170cm近い長身で顔が小さく手足が長い。他人の美貌に嫉妬するようなコンプレックスがあるようには見えなかった。沢尻は165cmくらい、Dカップくらいだろうか。大人びてはいるが品の無いヤンキーみたいだなと思うこともあった
私は波瑠さんに話しかける勇気はないくせに、チラチラと盗み見ていた。ブラウスの間からブラジャーが見えていて、凝視してしまったこともあった。もう少し角度をずらせば波瑠さんの胸の大きさが確認できるような気がした。思えばあれは気付かれていただろう。なんとも情けない話だ
真剣佑という俳優が14歳当時、37歳の子持ち既婚女性と肉体関係を持ち、その女性が真剣佑との間に生まれた子供を出産したというスキャンダルがあったはずだ。私はこの報道を聞いて真っ先に坂口君と波瑠さんのことを思い出した。この世には現実にこういうことがあるのだ。「事実は小説より奇なり」である
37歳人妻の理性はなぜぶっ壊れたのか。希少性の法則という言葉がある。人は希少なものや機会には価値があると思い込み、しばしば非合理的な行動をとる。旅先で割高な土産物を買ったり、閉店セールで安いからと絶対に使わないものを買ったりしたことはないだろうか
希少性の法則は性愛においてこそ当てはまると私は考える。目の前にいる美少年が完全に自分の好みのタイプで、彼にいま好意を伝えなければもう会えないかもしれないという状況があったとしたら、女の理性は少しづつ壊れていく。「こんな子にはもう出会えないかも」「今しかない」という感覚
それでも法に触れることを恐れて、性衝動を理性で強引に閉じ込めるのが普通の人間だ。しかし、心の奥底に折り畳まれた性衝動を侮ってはいけない。理性で閉じ込めるたびに性衝動は力を増す。性的な衝動を発散する機会が少ない、抑圧された女性の性衝動は男の数倍強い
希少性の法則を突き詰めれば、非モテ男の生存戦略は希少性を獲得することということになる。容姿に恵まれていないが幸せな性愛生活を送りたいと願うなら、希少な存在になるべきだ。この観点から、モテたくてバンドをやる、芸人を目指す、漫画家を目指すという行為はまったく正しい
希少な存在だけが女の心を揺さぶり、理性の扉を開くことができる。モテたいのに会社員になってそれなりの年収を貰おうと努力するのは完全に間違っている。そもそも非モテは会社で出世できない。会社とは非モテがせっせと努力して得たものをリア充がまるで自分の手柄のようにかっさらっていく場所だ
イケメン男子中学生に手を出した年上の女は、遊ばれた挙げ句、無残に捨てられるだけなのになぜ…?と理解ができない人もいるだろう。非常に浅はかな考えだ。性愛に賭ける女の深い情念を甘く見すぎている
女はイケメンに近づけば遊ばれ捨てられることなど百も承知なのだ。15歳の美少年に手を出せば、彼と同世代の美少女と比較され、子供と侮っていた女に男を奪われ、時に恋敵の女子中学生よりも胸が小さいというみじめな現実を突きつけられ嫉妬に狂うことだって覚悟の上なのだ
男子中学生と成人女性の間には、事実、性愛関係が成立する。たった今も地球のどこかで男子中学生と成人女性はセックスをしている。にも関わらず、それは世間的には許容されない。いや、法的、社会的、道徳的、教育的などあらゆる観点からそれは否定される
そして弱虫や嘘つき、偽善者たちは、男子中学生と成人女性の性愛関係など、この地球上にまるで存在していないかのように振る舞う。しかし、私は文学的、ないし芸術的な観点からは、それを肯定したい。少なくとも私には坂口君に肩を揉まれ至福の表情を浮かべる波瑠さんを咎める気にはなれなかった
私は数日前にTwitterでここに書いたトラウマを吐き出したことで、ようやく性愛と向き合うことができた。性愛以上に大事なものはこの世に存在しないことにようやく気付いた。そして素人童貞なりに、この世にどうにか自分の爪痕、生きた証を残したいという強い生の衝動に突き動かされてこれを書いている
私の書く文章を気持ちが悪いと思う人は多いだろう。作り話だ、決めつけだ、素人童貞に何がわかるという意見だってあるはずだ。批判したければ批判するがいい。笑いたければ笑えばいい。しかし、批判しても笑っても、すべての人間に気色の悪い性的衝動が存在する事実を消し去ることはできない
この一連のツイートを波瑠さんと、私を射精に導いたすべての女性に捧げる…って、捧げられても困るか…。まあいいや(完)
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oka-akina · 4 years
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小部屋の思い出
 部室棟というが小体育館の二階部分のことで、ひとつのフロアに各部活の小部屋がいくつも、たしか十数部屋とかそのくらい、並んでいた。うすい壁とドアで区切られていて簡易なつくりだった。たぶん消防法の絡みだと思うけど壁は天井までなかった、上部の数十センチはすべての部屋がつながっていた。だから音やにおいは筒抜けだった。音とはしゃべり声であり足音であり息であり誰かが好き勝手流している音楽だった。パンの袋を開けるとかわりばしを落っことすとかコンビニ袋のがさがさいう音とかも響いていた。においは、汗、埃、制汗剤を通奏低音にして、おもに意識されるのは食べ物のにおいだった。脂と塩。コンビニでお湯を入れそーっと持ち帰ったカップラーメン、学食のフライドポテト&フライドチキン、チーズオムライス、家から持ってきた弁当……。他人の食い物のにおいはどうして不快に感じるのだろう。できるだけにおいをかがないようにしていたが口から入った空気がちゃんと鼻の奥まで届く。脂と塩が、甘いような酸っぱいようなふくらみをもち、きっと誰かが捨て忘れたごみが腐ってしまった……まではいかないにしても、なにかしら変質しはじめていたのだろう。各部屋の清掃はそれぞれの部にまかされ、基本的に教員は部室棟に立ち入らない。壁とドアの並ぶ狭い通路は誰が掃除していたのか。誰もやっていなかったのか。木目の床はつねに湿り気をおび、やはり甘いようなにおいを放っていた。  わたしは『ドラゴンヘッド』の何巻だったかを探していた。卒業した先輩が置きっ放しにしていた漫画本で、勝手に拝借して読んでいたのだが途中が抜けており、どこかにまぎれていないかと探し回っていた。演劇部は部室を倉庫にしていた、小部屋のひとつひとつは三畳ぐらいだったから活動自体はべつのところでやっていた。ほかの部だってそうだったと思うけど、たまり場にしている部はけっこうあったのか。壁の向こうで話し声がきこえてきてちょっとおどろいた。聞き慣れたヒットソング、食べ物のにおい。古い衣装だの小道具だの台本だのビデオだのとにかくモノが多い部だから(それらのほとんどはいらないモノ、今後使われることはなさそうなモノだが処分するのもおっくうで次から次へどんどん積まれていく)、足の踏み場もなく、とてもくつろげるような場所ではなかったが、となりの小部屋はそうではないのかもしれない。こんなところでものを食える神経にはおどろいたが、とはいえ教室だってそれなりに汚かった、わたしたちは窓枠にいつもルーズソックスを干していたし(あれはとても暑いのだ)、女子校だから安全であって当たり前、安全でなくてはおかしいという理由でロッカーというものがなく、そのため教室のうしろにジャージや体操着などがいつも散らかっていたから、まあ大して変わらんなと思い直した。きこえてくる話し声は小さくなにをしゃべっているのかわからないが親密な感じは伝わってきた。このとき『ドラゴンヘッド』を捜索するまでわたしは部室棟に長居したことがなかった。同じ校内で自分とぜんぜんちがう学校生活を送っている人たちがいる、毎日通っているのに知らない場所がまだある、同じ制服だけども顔も名前も知らない、言葉を交わすことはない人たちがほとんどだ、ほかの小部屋に入る機会はおそらくない……そういうことを実感した。壁には河村隆一のポスターが貼られていて、折り目が入っており、たぶん『POP BEAT』か何かのピンナップだった。ほかの部屋にもそういうものがきっと貼ってあったが、たしかめることはできないのだと思った。  『ドラゴンヘッド』が見つかったかどうか思い出せない。わたしは教室で『最終兵器彼女』を全巻盗まれてしまったことがあり、友人Mも『ときめきトゥナイト』が何巻か返ってこないと言っていた。学級文庫のように教室に並べていた漫画で、借りるね、持ってくねでラフにやりとりしていて、知らない子やちがうクラスの子にも出回ることはしょっちゅうだったが、持ち主としてはぜひ広めたくて持ってきたのだから誇らしくさえあったのだけど、行方知れずになってしまうとやはりしょんぼりした。ロッカーは必要なんじゃないかと思った。  そうしてべつの話だけど三年生の冬、体育の授業で教室を空けていた隙にわたしは財布からお金を盗まれてしまった。冬休みが明けてすぐでお年玉の残高がまだあり、また塾前のご飯代なんかも入っていたから高校生としてはそれなりの金額、たしか二万円とかそのくらいだったが財布からすっかり抜かれてしまい、けれども担任は真剣にとりあってはくれなかった。犯人をさがそう、体育の時間に移動教室だった組、自習だった組はあるか?遅刻早退したやつはいるか?少々楽しそうにしつつも親身になってくれたクラスメイトたちに、「仲間を疑うんじゃない」と担任は短く言い放ち、それきりだった。みんなギョッとしたようだったけれども、そもそも大きな金額を学校に持ってきていたのがよくなかったのではないか、不幸な出来事だったけど元気だしてねと、不思議なことにそういう空気に流れていった。落とし所。軟着陸。わたしもなんだかびっくりして金を盗まれたことは母に言えないまま過ぎていった。その後大学一年の冬にもわたしはひったくりに遭い、ほんとうに金を盗まれやすい十代の終わりだったのだが、たぶんだけど、あのときわたしの金を盗んだのは担任ではないにしても誰か教員だったのではないかと想像している。そして、ああいうふうな盗難はわたしだけではなかったのだろうと思っている。あの日ぜんぜん安全なんかじゃないぞとショックをうけながら学校から帰ったら、隣の席のKから励ましのFAXが届いていた。当時Kは携帯電話を持っていなかったため、わたしたちは夜にFAXを送り合い漫画や本や音楽���話をしていた。KはRIP SLIMEが好きだった。  少し戻って三年の六月ごろ、演劇部を引退する前の最後の公演で、わたしは友人Mのほぼ等身大パネルを作った。県内のいくつかの学校が集まって行う演劇祭で、各校の紹介ポスターを貼りましょうとなった。作品や部のアピールをしてくださいねといわれ、それならば主役を演じるMの姿、肉体、顔面しかあるまいと思って作ったのだが、なんというかMのこと好きすぎるだろ。ラブカっぽい顔で(いや当時はラブカという名前は知らなかった気がするけど鮫っぽいなとは思っていた)かわいいと思っていたが、なにより、わたしの書いた脚本、わたしの書いた登場人物でもって舞台の上で生きているさまがなんかもううれしくて、ともかくMのすがたはすばらしく、形あるなにかにしておかねばならんし、ホールを訪れる客や他校の生徒がそれを見られるのは幸運、公共の利益でありわたしの使命と思っていた。顧問のデジカメを借りて撮った写真をでっかくでっかくひきのばし、発泡スチロールに貼って立たせ、公演当日ふたを開けてみたら他校はみんな壁新聞みたいなものを和気藹々と作っており、「なんかうちだけ立体なんですけど」とM本人がそれはそれは誇らしそうににやにや笑ったので(この人は女優なので)、わたしは最高だった。  で、公演が終わりそのパネルは部室棟の小部屋に放り込まれたのだが、卒業してから一年二年くらいして、後輩から連絡があった。「部室の大掃除をしているんですけど、M先輩のパネルどうします…?」、Mではなくわたしに連絡が来るのが笑えたし、あの子らようわかってんじゃねえかとも思った。わたしは久しぶりに母校を訪ねパネルを引き取った。部室棟の中に入れてもらったわけではなくわたしは部室棟の外で待っていた。簡易な壁で区切られつくられたいくつもの小部屋。それぞれの部屋でくつろいだり秘密の話をしたり物置にしていたり、たがいに干渉することはないが息づかいはきこえる……。カプセルホテルやドミトリーに泊まると部室棟の小部屋を思い出す、というわけでもないが、あれに似ているなあと思うことはあった。パネルはその後わたしの実家の部屋に置いておき、たって、気恥ずかしいのでつねに裏向きだったけれどもなんとなく捨てそびれ、何年も経って実家を出るときにようやく、刻んで捨てたのだった。かなり埃をかぶっていたのでとくに泣いたり笑ったりもせず雑誌や漫画なんかと一緒に処分した。そうしていまに至るまでわたしは『最終兵器彼女』を買い直していないんだけど、Mは『ときめきトゥナイト』を買い直したろうか。買い直しているようす、足りないままのようす、どっちも想像できるしどっちもありそうだなあと思ったけど、だいたいのことがそうだろう、無数の「どっちでもいい」のひとつだなあと思った。
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今日って文フリだったな〜と思って新刊・既刊の紹介をしようとしたらなんかよくわかんない話を始めてしまった。たぶんドラゴンヘッドのことを思い出したんだと思う…(新刊にドラゴンヘッドはとくに関係ないですが…)。 新刊は「百々と旅」という題です。どどとたびと読みますが、わたしは心の中でひゃくひゃくとたびと呼んでいるし、キーボードでは「ひゃく・おなじ・とたび」と打っている。 ドラゴンヘッドはその後映画化されたよね、山田孝之が闇と友だちになってる!怖いものはやっつけるか友だちになるしかない!と友人と騒いだのをおぼえている。
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.4.26sun_tottori
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土曜日は眠る日と決めて、起きても起きてもまた眠った。日曜日の今日はいつも通り、朝7時に目が覚めて、久しぶりにヨガを2時間する。昔、ヨガの真髄が知りたくてインドへ行ったことがある。約半年の滞在で得たものは身体感覚の奥深くに刻まれ、それは今も時々呼び覚まされる。ああ、呼吸を意識したのはいつぶりだろう。身体の隅々まで気が通り、内に向き合い対話したのはいつぶりだっけな。梅干しを潰して醤油を3滴、熱湯を注いだスープを飲む。一日断食した身体はぐんぐん吸収して気力が漲ってくる。よし!
今は種の季節なんだ。 それに気づいたのは一昨日、姪っ子のようなモイちゃんとの散歩中に見つけたたんぽぽの綿毛をふーっと飛ばしている時だった。 滞在先の大きな窓からは誰が植えたのか、庭の小さな花畑が見える。マーガレット、パンジー、チューリップにスイートピー… そのまわりには、ルッコラ、大根、キャベツにほうれん草の花が満開。それぞれにはち切れんばかりの種をつけて、淡々と、美しく、逞しく生命を繋いでいる姿を見ると、こちらも、よしっと気合が入る。 なんだか今日は気合を入れてばかりだな。
私はかれこれ20年近く、“くらし”というものに憧れている。そして、もう随分と長い間、かりぐらしである。そんな私も数年前にとうとう森の中に家を持った、にも関わらずどうにも“かりぐらし“は続いている。 くらしとはなんぞや。 その昔、友人4人で2年間シェアハウスをしていたことがある。私以外の3人が自然農塾に通っていた影響で、私も時折ついて行っていた。月に一度、山小屋に一泊して田畑での実践をし、夜には先生のお話の時間。話の内容は田畑のことに留まらず、モノの見方や芸術についてまで幅広く、おもしろいので毎回夢中でお話を聞いていた。 ある日、シェアハウスメンバーのひとり、おじんじが、猫が破いた家の襖に『 く ら し 』と素敵に大きく描いた。その文字が今も脳裏に焼きついている。その後、私たちは解散してそれぞれの場所で暮らしているが、今の彼らの暮らしこそ、私の思う“くらし”なのだ。 彼らは毎日畑に立ち、その地に育ったものを食べ、家を直し、衣服を繕い、本を読み、絵を描き、手紙を書き、時に刺繍をし、時に踊り、歌う。いつでもユーモアを忘れない。そして、いつ訪ねても、自分達の育てた野菜やお米でテーブルいっぱいのごちそうを振る舞ってくれる。それはとても丁寧に作られていて、シンプルで、やさしくて、力強くて、大地そのもの。 彼らの手から生み出されるものは小粋で洒落ていて、手紙のひとつをとっても心奪われてしまう。
憧れ続けてきた“くらし”だが、いよいよ始めてみる時が来たのかもしれない。6月から再開する予定だった料理教室はしばらくの間おあずけ。いつかのその時までくらしをしようじゃないか。 家を作り、畑を耕して、料理をしよう。衣服を繕い、絵も描いてみよう。踊ったり、歌ったりは大いにできそうだ。友人が訪ねてきたら、畑の実りでごちそうを作ってもてなそう。そして、くらしの中から生まれる芸術に、自然の中で触れられる美術館のような場所をつくろう。
そう、これは私の長年の夢だ。
日が暮れて、部屋の窓辺のチューリップに目が留まる。こんなにも美しいチューリップを私は見たことがない。
-プロフィール- 城田 文子(36)【鳥取】 料理家 料理をしていると生々しい美しさに立ち尽くすことがしばしある。これだから料理はやめられない。
https://www.instagram.com/fumikoshirota/
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mukmagazine · 4 years
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【Interview】sitaq
「人生において幾度となく訪れる”人と人”との別れと出会いに対しての僕らなりのアンサーとして生まれたのがこの曲で」
名古屋発、4人組ロックバンド、sitaq。くるりを彷彿とさせるオルタナティブ・ロックを奏でながら、ブラックミュージックのリズムやポスト・モダンをも表現する。暖かくもどこか都会的なリアリズムを感じる歌詞と、一言ではカテゴライズできない複雑な音作りからは、素朴でありながら洗練されたポップスが紡ぎ出されている。次世代を担う彼らについて、インタビューした。 
―バンド構成を教えてください
カズ朝倉(ギターとボーカル)
オオシマユウカ(ベースとボーカル)
山田弘夢(ギターとコーラス)
太田有紀(ドラムとコーラス) 
―形成のきっかけを教えてください。
オオシマ:ギターの山田くん以外は各々名古屋でバンドをやっていて、同じタイミングくらいで皆活動休止したんです。活動休止した後もドラムの有紀ちゃんとは仲が良くて、色々遊んでたんですけど、ある日お互い楽器も弾けるしスタジオで遊ぼうって話になって。ギターボーカルの朝倉くんを誘ってclimb the mindのコピーをしました。そこからバンドがゆるっとスタート、途中で朝倉くんがライブハウスでフラフラしていた山田くんを誘って4人になりました。 
―印象的なバンド名ですが、由来はありますか?
朝倉:日本語をローマ字表記かつ短くて印象に残りやすいバンド名がいいねと皆で漠然と考えてたんですけど、僕がたまたま世界各国の山を調べているとペルーに「sitaq」という名前の山が存在することを発見したんです。山の正式な読み方はわからないけど、日本人の日常の中で馴染みのある「支度」というワードで読むことができる点が目指していた音楽性や雰囲気とリンクすることからこのバンド名になりました。(ちなみにGoogle Map上でsitaqを検索すると綺麗な雪山が現れます。) 
―バンドの理念などあれば教えてください。
太田:こうしていこう!みたいな決め事のようなものがあるわけではないのですが、自然と練習の合間や移動中にお気に入りの音楽を共有したりしています。なのでパート問わず「この楽器をこうしたい」などの意見を交わすことも多いように思います。シェアハピ大事ですね。 
―作詞、作曲のプロセスはどういったものですか?
オオシマ:ギターのフレーズから作ったりリズムから作ったり、割と自由です。誰かが作ってくるスタイルではなく、みんなで「せーの!」で合わせて作っています。すごくアナログな方法で1曲ができるまでに時間がかかるけど、その分できた時の喜びは大きくひとりひとりの曲に対する愛も強いと思います。作詞や歌は最後にできることが多いです。 
―作詞について、意識していることがあれば教えてください。
オオシマ:sitaqは主にメインで歌ってる人が作詞をしているのですが、カーディガンとpersonsだけは朝倉くんと共同で作っています。この2曲はこういう想いがあるということを彼に伝えて、大部分は彼が書いてくれています。朝倉くんが作る歌詞は心にすっと入ってきて体に染み付くからすごい。私自身が作詞するものは、日常で目に触れるものや感じたことがぼんやりと聴いてる人に伝わるように意識してます。 
朝倉:自分がメインで作詞している楽曲たちで共通していることは、「自分の生活から零れ落ちた言葉」で歌うことを意識しています。僕自身の過去や未来に対する肯定・否定をちりばめた曲がほとんどなので、奇をてらったり背伸びしたワードを選ぶのはちょっと違うかなと思うので。今回のEP収録曲の中でも「fuzz green」は顕著にそういう部分が現れていて、”許されるなら力づくで殴れ”なんて本心がモロに出てますね。笑 
EP,「persons」について
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―EP名の由来はありますか?
朝倉:同名のリード曲「persons」をそのままEP名に採用した形なので曲名の由来になってしまうのですが、この曲を制作しているときに親しかった「Rain caughts」というバンドが解散することを知ってメンバー全員が途方に暮れてしまったんです。一見、解散や別れといった出来事っていうのはどうしても悲しさが付き纏ってしまいがちですけど、それでも個々の歩みを止めることはしない、出来ない。それならまた生きて会おうぜ。人生において幾度となく訪れる”人と人”との別れと出会いに対しての僕らなりのアンサーとして生まれたのがこの曲で”人と人”という点に着目して「persons」と名付けました。
―EPを通じて、共通の世界観などはありますか?
朝倉:特にテーマを設けて制作したわけではなく、作り貯めた曲たちを一つの作品として収めた形のEPなので雰囲気やアプローチの振り幅はあれど、どの楽曲も人や生活の機微を捉えた世界観の共通点はあると思っています。
 ―EPを作るにあたって、参考にしたアーティストや曲はありますか?
朝倉:特定のアーティストから影響を受けて作った楽曲は「カーディガン」。sitaqを始めるちょっと前に女性SSWのmei eharaさんの「sway」というアルバムを聴いて衝撃を受けて、なんなら彼女と同じ色のダンエレクトロのギターを探し回って手に入れたぐらいです。彼女の楽曲から漂う憂いを帯びた引き算のアンサンブルを自分でもやってみたくて作ったのがカーディガンです。あとはアウトロのシンセ音はカシオトーンっていう80年代に発売されたカシオの電子キーボードで鳴らしていて、これはずっと好きなシャムキャッツのGt/Vo菅原さんが使用していることを突き止めて購入しバンドで活用しています。誰かの楽曲のこの要素!というより機材なんかのハード面の影響を受けがちです...笑
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山田:参考にできているのかは分かりませんが、曲を作っている期間中はJames Ihaのアルバムをよく聴いていました。Ihaの歌の後ろのギターフレーズがとても耳に残っていて、EPでは歌を大事にしながらも埋もれないフレーズを意識しながら演奏しています。
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オオシマ:capはTyler, The CreatorのI DON’T LOVE YOU ANYMOREみたいな曲にしたくて。ドラムはキックが多めで、歌もちょっと早口にしました。全体のサウンドもTylerに寄せてもっと重たくしたかったんですけど、歌に合わなさすぎて没になりました。笑
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太田:先にユウカさんが述べてたTylerもそうですけど、定期的にユウカさんから個人LINEで「この曲が好き!」とURLが送られてくるんですよ。「次回のスタジオで叩けるようにしてきてね」という謎の圧と期待と一緒に。お陰で普段聞かないようなヒップホップとかジャズとかで学ぶ部分が多少曲に影響されていたら嬉しいです。あとはfuzz greenのリズムは私の1番好きなバンドAPOGEEのゴースト・ソングから影響を受けてます。
―「着膨れのこどもたち」のどこか寂しく、温かい歌詞が印象的です。曲のイメージはありますか?
朝倉:ぼんやりなイメージですけど、「THE・歌モノ」なポジションの勝負曲が欲しいと考えて作った曲です。サビのドラマチックでいなたいコード進行が先に出来ていて、それを活かすようにサビ以外のアレンジと歌詞を当てはめていきました。作詞するときは普段から書き留めてあるメモ帳の中から拾っていくのですが、タイトルにもなっている「着膨れのこどもたち」と歌い出しの「ひとつ空けた席で眺める都市の切れ目」という2つのキーワードから膨らませました。
くるりの「ハイウェイ」を聴きながら地方都市からベッドタウンへ電車で帰る仕事終わりの主人公。同じ車両には多分心配性の親に着せられたであろう何枚も重ね着した塾帰りの子どもたちの話し声だけが響く。忙しない日々の中、確かな憧れのイメージを抱いてそれに近づきたい、そんな人に聴いてもらいたい風景と心情を描いた曲です。
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―最後に、今後の展望を教えてください
太田:もちろんsitaqをもっと多くの人に聴いてもらいたいし、さらにsitaqきっかけで名古屋にいる素敵なバンドをもっと知ってもらいたいです。名古屋の人には県外にいるかっこいいバンドをもっと知ってもらいたい。最近名古屋がアツい!というお声を多方面で耳にすると嬉しくなります。そんなコミュニティが広がるような企画とかもどんどんやってみたいです。
オオシマ:もっと大勢の人にsitaqを聴いてもらえるよう、いろんな場所で演奏したいです。
山田:生活の中で思ったことを、誰かに伝えられるようなものを作りたいです。
朝倉:FUJIROCKに出たいです。
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hiraharu · 5 years
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いけうちおーがにっく 【IKEUCHI ORGANIC】 ・ 〔名詞〕ふわっとしたオーガニックタオルに込める、工業製品に匹敵する徹底したモノづくりの精密さと管理。原材料となるオーガニックコットンの栽培から製品となるまで、環境負荷、安全のことを考え、日々研究を重ねているハンパない今治のタオルメーカー。 ・ 〔生産地〕愛媛県今治市 ・ 〔歴史〕1953年創業 ・ 〔代名詞〕オーガニック120 1993年に生まれた最初のオーガニック製品。今なお永久定番であり、原点。 ・ 〔ココが違う〕もちろん素材が良いことは重要だが、オーガニックコットンだからといってタオルそのものの品質がよくなるとは限らない。タオルの特徴はコットンによってではなく「設計」で決まる。 大きくは以下の4つの要素から成り立っている。【糸の太さ】【糸の撚り】【パイルの長さ】【織りの密度】これらとオーガニック素材が合わさってこそ、IKEUCHIのタオルなのである。 ・ 〔縁〕2019年2月に東京でのトークイベントに登壇した際、会場に偶然イケウチオーガニックの牟田口さんが来てくださった。終わった後に声をかけてくださり、普段は全くそんなことはしないのに、夕飯をご一緒してもう少しお話ししませんか?と誘ってしまった。イケウチオーガニックのタオルの話はインターネットの中でちらほら聞き及んでいて、牟田口さんのインタビューを読んだこともあって興味が湧いたのだった。 ・ 〔商品〕オーガニック960、オーガニックエアー、オーガニックハンカチ、オーガニックエアプレミアム タオルケット。それぞれのアイテムによって特徴が分かれているのでじっくり検討してほしい。 ・ 〔相方〕ねば塾 クエン酸、洗濯用液体せっけん ・ 〔未来を見据え〕イケウチオーガニックを語る点で欠かせないのが、今治市のタオル関連企業7社で立ち上げた染色工場(インターワークス)の廃水施設。瀬戸内海周辺の地域では世界でもっとも厳しいとされる廃水規制が敷かれているが、基準を満たす廃水施設に、莫大な投資が必要となる。また、工場から直営店まで使用する電気を全て風力発電でまかなっている。また、2073年(創業120周年)までに赤ちゃんが食べられるタオルをつくるという目標も立てている。 ・ 〔URL〕https://wazawaza.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=2109411 ・ #newitem (パンと日用品の店 わざわざ) https://www.instagram.com/p/B3TLV9yAeiO/?igshid=1awpluo26e18m
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tsubakicraft · 15 hours
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うえのはら未来会議に参加しました
モノづくり塾のある山梨県上野原市が主催して『うえのはら未来会議』に参加しました。30名ほどが参加していました。みなさん積極的でした。 地方都市の多くが少子化や人口減少への対策を検討・実施していますが、上野原市もその例に漏れず人口統計や推計を見ながら現況確認をしていました。 僕としては、もともと可住面積あたりの人口密度の高い日本ですので、全体としては人口が半分くらいに減ってもいいのかなと思っています。その代わり人々の能力拡大をした方が良い。 10年後から50年後くらい先の未来を考えるなら、AI・ロボティクス、量子、宇宙などをその時代に活躍する世代に親しんでもらうような教育が必要に思います。 僕としては人口が減るのを前提として、塾の活動内容を決めていくつもりです。 今日はコンピューター室に置くDTMデスクの溶接作業を終わらせました。 40mm角のパイプですので、そこそこ重いです。…
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昔のことと最近のことを書くコーナー。(後編)
前編をまだ読んでいない白人至上主義者は、是非「昔のことと最近のことを書くコーナー。(前編)」を読んでからご覧ください。白人至上主義者でない人は、後編から読んでも大丈夫だと思います。ただし、白人至上主義者でない方で、かつ逆子で産まれてきた方は前編を読んでから、後編を読むことをお勧めします。うるせえなこいつ。
携帯電話なんて持ってない僕とMくんは、神奈川ー沖縄間を電話とFAXでやり取りしていやした。親に長電話をマジでやめてほしいと言われてもやめませんでした。でも時々は親の言うことに従う、健気な少年でした。
小学6年生になった僕は家庭の方針で中学受験をすることになり、より厳しい塾に入って1日中勉強をしていました。そのため徐々にMくんとのやりとりも無くなっていきました。
中学受験には成功、中学デビューは失敗し、中1僕は中学に馴染もうと焦燥していました。思い出すだけで死にたくなります。そんな中、Mくんから一報が入ります。「久しぶりに沖縄に行くので、少しでいいから会いたい」と。2時間くらいだったのですが会いました。しかも募る話もせずに、僕らは最近ハマっている事についてくっちゃべりました。
実は僕はこの日の会話の内容をあまり覚えておらず、「モバゲーで人妻【檸檬さん】と知り合いになり、毎朝挨拶を交わしたりしている」と僕が話してたことしか記憶にありません。
人間の脳は失敗から学習するため、後悔が強ければ強いほど、その内容を覚えてしまうと聞きました。
そう、僕はこの時重大な間違いを犯していたのです。
Mくんから神奈川に帰る日は聞いていたので、その予定日の翌日に久々にこちらから電話を掛けようと電話帳を探していました。出てきたのは新品の電話帳。
母が古い電話帳を捨てていたのです。
こうして僕からMくんに連絡する手段は呆気なく消えてしまいました。僕は人妻の話をする前に、電話番号を再び聞いておくべきだったのです。絶望した僕はなぜかタウンページで彼の電話番号を探していました。これは思い出すだけで死にたくなるエピソードです。
こうして僕のお喋り相手は【檸檬さん】だけになり、彼女も「インフルエンザにかかりました」というメッセージを機にログインしなくなりました。多分死んだんだと思います。中学ワイとのやりとりがめんどくさくなったわけではありません。僕の中で、彼女は今でも優しい【檸檬さん】のままです。
そして僕はなんやかんやあり、中学三年生になりました。その頃からクラスのガラケー使用率:スマホ使用率が1:1くらいになってた気がします。そして僕はツイッターやフェイスブックの存在を知ります。
中学三年生から始まる情報の時間(ひたすらパソコンを弄る授業)、僕はいつも、何となくネットサーフィンをしてMくんがSNSを利用していないか調べていました。正直これには勝算がありました。なぜなら彼はものづくり系オタク、新しいモノ+情報発信の場というSNSに食いつかないはずがないのです。
こうして僕は1年弱のネットストーキングを繰り返し、なんと!!高校1年の冬、彼のアカウントを見つけたのです!!
うわ!なんだ!こいつキモすぎるだろ!!!!なんだ!なんかやだわ、友達に欲しくない。
しかもファーストコンタクトが「沖縄県の山内に聞き覚えありませんか…?」というリプ。本当にキモいな。
そして僕は上京していました。受験期間は、また彼と何かを作りたいという一心で勉強と絵の練習を死ぬ気でやってました。それと並行してバンド活動もしてたので、割と凄いな。偉すぎる。
そして今年の夏から、彼の企画するゲームプロジェクトに参加して、今、ゲームを作っています。
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応援よろしくお願いします。
皆さまに「応援してるよ!」って声かけていただくたび、本当に心の支えになっています。個人的に今までの変遷をまとめておきたかったのもありますが、応援してくださる皆様に感謝を伝えたくてこの長ったるい文を書きました。
個人的にタウンページとネトスト、【蜜柑さん】のくだりは、思い出していて死にたくなったので、あとで足の爪10枚と、手の爪6枚を剥がして、この恥ずかしさを忘れないようにしようと思います。
ここまで長くお読みいただき、ありがとうございました。
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kanglo · 1 year
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大人のためのアート思考基礎講座/1月25日より第10期開講(全5回)
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第10期大人のためのアート思考基礎講座 by オンライン/2023年1月25日(水)・2月8日(水)・2月22日(水)・3月8日(水)・3月22日(水)全5回(19時30分~21時30分)チケット:↓↓↓  https://peatix.com/event/3419074/view https://www.facebook.com/events/794983455129689 2004年にハーバードビジネスレビュー紙で「The MFA is The New MBA]という記事が発表され、日本では2017年に山口周氏著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』が話題をよび、ここ最近「アート思考」という言葉をよく耳にするようになりました。論理的・理性的な情報処理スキルの限界が叫ばれ、大きく世界が変わる中で、「直感」と「感性」の時代が訪れたと言われています。 アーティストは見えないものを見るようにする役割を担い、その時代や社会の中で、「問い」を私たちに問いかけながら常識を揺さぶり、今までにない価値や意味を提示してきました。近年、ビジネスの舵取りは非常に難しくなってきています。企業は従来の古い価値観、世界観から抜け出し、直観的、感性的な創造性が求められ、ますます「アート思考」の必要性が高まっています。 アートには「唯一正しい答え」はありません。観察者が自由に解釈することが可能であるため、考えたことを、それぞれの独創的視点で物語化し、語り合うことで、互いの深い部分で共感がおこり、創造的無意識が自然に開かれていきます。 アート思考基礎講座では、日常にある風景に耳を澄まし、あなたの“まなざし”から独自のストーリーを紡ぎだす感性を育てていきます。あなたの奥深くに眠る創造の種が目を覚まし、想像の喜びを感じることでしょう。 今の自分を高めたい、創造的な思考を仕事や生活に活かしたいという意欲を持たれている方におススメです。 (カングロ株式会社) 【ダイジェスト版動画】 センス・オブ・ワンダーの世界へようこそ!「大人のためのアート思考入門講座」 https://youtu.be/I2T8FD1lilE ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ◆プログラムの特徴: 直観的思考と感性についての講義と様々なワークを行います。毎回、講座の最後に課題が出され、次回の講座で課題の発表を行います。洞察力とユニークな視点、アウトプットを繰り返しながら、心の充実感と新たな気づき、成長を感じることができるプログラムです。 ◆プログラムの主な: 物事をじっくり観察する力がつき、見えないものをイメージする力が付きます。また独自の視点で新たな問い」を作り出すことができるようになります。「問い」は問題を提起する大切なベースであり、そこから創造性とオリジナリティーが生まれ、イノベーションへとつながる道ができます。さらに哲学的なアプローチから美意識のモノサシを創ることで、リーダーとしての人格を養うことができます。 <講座内容の一例> ※下記内容は予告なく変更する場合があります ①固定観念・既成概念を超える思考 ②不完全の美(茶の湯と禅) ③「正解を見つける力」から「答えを作る力」へ ④対話型鑑賞法①~③「発見力と表現力」 ⑤新し価値・概念を発見する「意味のイノベーション」 ⑥リバースアサンプションによる「逆転のイノベーション」 ⑦世界を違う視点で眺めるワーク ⑧日本の伝統文化から学ぶアート思考の感性 ⑨「問い」による常識からの逸脱 ⑩アート思考の本質 ■日程:  1回目2023年1月25日(水)  2回目2023年2月08日(水)  3回目2023年2月22日(水)  4回目2023年3月08日(水)  5回目2023年3月22日(水) ■時間:  19時30分~21時30分(2時間) ■受講スタイル:  Zoomオンライン講座 ■受講費:82,500円(税込) ■講師:森夕花(もりゆうか)氏 プロフィール: カングロ株式会社 取締役 執行役員COO/マスターライフコーチ・PXファシリテイタ・フィロアーツ研究会主宰 ●神奈川県横浜市出身。音楽学校のピアノ科卒業後、銀行系信販会社に入社。三井住友カードに転職した後、ドイツのフライブルクに留学。フライブルグ市の行政と市民による持続可能な世界を目指す社会システムと、ユーゴスラビア紛争で、ドイツに逃れた難民の方々との出会いを通じて、平和で精神的な豊かさを基本とした「サステナブルな社会作り」に興味を抱く。帰国後、三井住友カードに再び戻り、お客様対応や、クレジット決済端末機の管理システム“TACシステム”の開発に携わる。 ●帰国して5年が過ぎたころ、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子供達を救済するためのNGOドイツ国際平和村の存在を知り、世界の平和と心の癒しに携わることが自分自身の使命と感じ、ヒーリングセンターアルケミストでカウンセラー、セラピスト、講師を務め、2008年に独立。2015年1月、カングロ株式会社 執行役員に就任。現役ライフコーチとして、ベンチャーから大手企業の多くのビジネスリーダーを受け持ち、個々の潜在意識にアプローチし、ビジネス ・プライベート両面における、変化、成長をサポートしている。 ●2021年より京都芸術大学芸術学部芸術教養学科に在籍。創造的思考によって「モノの見方、感じ方」を変え、仕事と暮らしをより良く変化させる「アート思考講座」を開催している。 ●自らの内面の探求のため、インドに十数回訪れ、心理学、禅、認知行動学、ジョーティッシュ(インド占星術)、手相、メディカルハーブ、中医学(中医食療士)などにも深い知識がある。 ●趣味は声楽(オペラ)・読書・映画鑑賞・美術鑑賞・ぶらり旅・歴史探訪・日記を書くこと。最近はウェルビーイングを軸とした、地域コミュニティー・組織つくりに関心をもつ。 ■お申込み・お問合せフォーム: 正式なお申込みは下記のフォームからお願いいたします。 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfgZkxbH742egJ-Qkswl3cx6waiXVlNDVdQpzg4Tk74TxBCLA/viewform ★クレジットカード決済ご希望の方は、上記のお申込みフォームにご入力後、下記Peatix経由にてお手続きをお願い致し ます。 https://peatix.com/event/3361698/view ※正式申込後のキャンセルはご遠慮いただいております ※やむを得ずキャンセルされる場合は、必ず���務局までご一報ください ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ <アート思考「入門」講座のご案内> ★アート思考入門講座も下記の日程で開催しています。 基礎講座受講を迷われている方は、入門講座をぜひ受講してみてください! ■入門講座の日程とチケットサイト: 「大人のためのアート思考入門オンライン講座」 ①2022年11月30日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419070/view ②2022年12月7日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419156/view ③2022年12月12日(月)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419164/view ④2022年12月14日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419167/view ⑤2022年12月21日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419173/view ⑥2023年1月5日(木)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419177/view ⑦2023年1月11日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419186/view ⑧2023年1月18日(水)20:00~21:00 https://peatix.com/event/3419193/view ☆すべての日程の講座は同じ内容です。 ■講座のスタイル:  Zoomオンライン講座 ------------------------ ■プライバシー保護方針: https://www.kanglo.co.jp/privacy.html ■主催:フィロアーツ研究会/カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/ショックコヒーレント・イノベーションクラブ/セブラルメディテーションの会/HOOPS!/ザッポス研究会/サステナ塾 #アート思考 #アートシンキング #デザイン思考 #カングロ #森夕花
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manabiya-kuebiko · 2 years
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2021年への感謝を。
2021年、最初で最後のエントリーです。長らくここに文章を載せていませんでした。自らの怠慢を思い知り、恥じるばかりです。
しかし今年は、平日毎日塾の前の黒板を更新するという徒労を自らに課していたので、毎日何かしら書くことを考えていました。脳裏を掠めて行った大小様々な事象について、いちいちを言葉にしてみると、色々考えてるつもりでも、同じところを堂々巡りしているだけだなぁ、という感想です。
2021年も学び舎・くえびこは学び、気づきの場である、という使命をいくらか全うできたように思います。それというのも一重に、意欲的に学んでくれた生徒さん、その生徒さんを実績も大してない当塾に預けていただいた保護者のみなさまあってのことでした。本当にありがとうございます。
一人の社会人、人間として未熟である僕は、そんな日々の中でそれこそ生徒さん以上に学んだ1年であったと振り返ります。一人のお子さんを預かるということは、その子をめぐるたくさんの方の想いの一部を背負うことでもあるのだな、ということも何度となく身にしみましたし、受験生である子達との時間の中で、彼らが否応なく競争の最前線にさらされていることも再認しました。数字がモノを言うわけではない、というスタンスの当塾ですが、数字に徹し切る瞬間は生徒のためにも厳しくいかなければ、と息をつめることもありました。
全く、「学び舎」とは僕自身のための言葉か、と思うくらい日々反省と学習の毎日ですが、最大限それを生徒さんに還元していけるよう、5年目も頑張っていこうと思います(頑張れるチャンスがあるだけで幸せです)。 2022年もよろしくお願いいたします。
学び舎・くえびこ 堀本理記
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学び舎・くえびこ
〒690-0875 島根県松江市外中原町64−1
TEL : 070-2659-3753 (堀本)
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itbiyoushi · 2 years
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家族を持ったことで 学んだこと数しれず ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ その後に迎えた30代は、家族を持つことで ⁡ 得ることとなった経験と、 ⁡ サロンで倒れ、このままでは100まで美容師をしていけないという ⁡ ことに気付けたことが大きな変化でした。 ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ 家族を持つことで、家族のコミュニケーションが、 ⁡ 全ての根底にあるということを数年かけて体験していきました。 ⁡ ⁡ ⁡ 1人の時はモノへの憧れや、執着が大きかったように思います。 ⁡ ⁡ 憧れもあり、こだわり楽しんでいましたが、 ⁡ ある時ふとした時に、このままではなんかいけない気がした時があったんです。 ⁡ ⁡ そんな気持ちの変化を自分なりに敏感に感じる取った後に、大きな変化がありました。 ⁡ ⁡ ⁡ 自分の心の声に従ってきていたつもりではいましたが、 ⁡ 振り返ると結婚の時ほど、心の声に従ったことはないかもしれません。 ⁡ ⁡ ⁡ この経験から家族の中で生きるということを ⁡ 考えることが増えていきました。 ⁡ ⁡ 家族とのコミュニケーションは自分の課題の一つでした、 ⁡ この経験自体が、自分の人生に欠けてるものであり、 ⁡ 必要なことだと思えるようになっていったのです。 ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ つづく… ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ #趣味美容師®︎うるま自己紹介 より抜粋 ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ ⁡ *^*^*^*^*^*^*^*^* 2021年12月28日(火)22時〜 1人サロン美容師のための 【髪育マーケ勉強会】開催のお知らせ! *^*^*^*^*^*^*^*^* ⁡ ⁡ 家族時間もちゃんととりたい 1人サロン美容師の方へ ⁡ ⁡ ⁡ 髪を育てることは 自分らしさを育てること。 ⁡ ⁡ 髪の悩みをサポートし お客さんに喜ばれながら 僕ら美容師の付加価値も高める。 ⁡ ⁡ 1人サロンまま美容師さんに必要な 髪育マーケ勉強会を開催します。 ⁡ ⁡ 詳しくは以下のインスタ プロフィールにあるリンクから ご確認ください。 ⁡ → @urumac.jp ⁡ ⁡ #趣味美容師 #1人サロン美容師CLUB #1人サロンまま美容師 #髪育のすすめ #美容師 #1人サロン美容師 #髪育専門士 #1人サロンまま美容師 #100歳まで趣味美容師 #うるま塾 #髪育デザイナー #趣味美容師専門学校 #趣味美容師うるま塾 #髪育JAPAN #デザインから髪育へ #趣味美容師®︎ #髪育マーケ勉強会 https://www.instagram.com/p/CXw9YIHPBjT/?utm_medium=tumblr
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