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#リリー文化学園
kuma-kingdom · 1 year
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子ども向け野外上映会 「夜の映画館」
映画文化や、今年開催する北九州国際映画祭に向けた市民等の機運を醸成するため、 屋外に光と映像が融合した「光の映画館」を創出し、映画の魅力等を体感していただく 子ども向けの無料上映会を実施します。 【日時】令和 5年 3月 25 日(土)、26 日(日) 18:30 ~ 21:00
【場所】小倉城庭園周辺(2スクリーン)
【上映作品】 ① 19:00 ~ 19:35 パンダコパンダ(1972 年公開) 19:45 ~ 20:24 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973 年公開) 宮崎駿&高畑勲コンビによる中編アニメ作品であり、高畑・宮崎作品の 源流とも言われ今なお愛され続ける超名作ファンタジー。 ② 19:00 ~ 20:22 シチリアを征服したクマ王国の物語 (2019 年公開、イタリア・フランス映画) 北九州市文化大使:リリー・フランキー氏が吹替声優を務める作品 ・ 第 74 回第 72 回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門公式上映作品 ・ 文部科学省特別選定作品(少年・家庭向き)、(青年・成人向き) 【鑑賞料金】無料(座席は約 150 席。①約 100 席、②約 50 席。) ※雨天・荒天の場合は、上映及び一部演出を中止します。
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yamane-lilysquare · 4 years
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ウォーターリリースポーツ学童クラブからのお知らせです✨ 学童クラブ体験説明会を開催致します❗️ 他には無い! グラウンドと体育館を備えた唯一の学童クラブです🌸 7月18日、25日どちらかの日程をお選びください♪ 電話でも受け付けおります📞 視線豊かな環境の中で放課後の時間を有意義に過ごしませんか?☺️ TEL.029-350-7525 水戸市全隈町261 YAMANE & LILY SQUARE #ウォータリリー#カフェ#山根#リノベーション#アフタヌーンティー#コーヒー#クロワッサン#ランチ#waterlily#Lily#リリーアカデミーグループ#リリー文化学園#リリーホールディングス#yamane#シニア#フィットネス#学童クラブ#小規模保育園#カルチャースクール#カルチャー#スクール#学び#学習#学校#集合#知りたい#知る (株式会社ウォーターリリー) https://www.instagram.com/p/CBm-MCBHftQ/?igshid=6o72ee6w6d8y
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basement-6 · 6 years
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二度行きたいボストン美術館の至宝展
今日久々の連休で天気も良かったので(12月3日のこと)前から行きたかった「ボストン美術館の至宝展」に足を運ぶ。これは神戸の三ノ宮の神戸市立博物館で現在開催されている(来年の2月4日まで)。ボストン美術館の美術品を計80点ほど選び抜いて展示していて、「古代エジプト美術」「中国美術」「日本美術」「フランス絵画」「アメリカ絵画」「現代美術」と大まかに6つの主題を持ったセンテンスに分けられている(厳密に主催者を意志をくみ取ると7つなんだけど、今回当サイトでは6つでまとめたいと思う。なぜ7つかと言うと現代美術のところで『版画・写真』と『現代美術』で枝分かれしているからだ。確かに『版画・写真』のところはエドワード・ホッパーなど1900年代前半に活躍した人ばかりだったからこれは分けて示す必要があったのだろう)。
正直言って、美術展とかの感想は情報量があまりにも多いから何を書いたら良いのかわからないんだけど、感動したのでその気持ちをそのまま「不特定の誰か」に伝えたくて筆が重くても筆(と言うか携帯電話の画面をプッシュ)を取るわけです。ですからまあ、気楽な気持ちで読んでもらえるとこちらとしてもうれしい。すべてを語り尽くすのは不可能なボリュームなのでそれぞれのテーマの中で一、二点個人的に好きになった物を取り上げ、感想を書こうと思う。実際に行った友人が異論を言ってくれたりすると、筆者としては書いた甲斐があると言うか、うれしい。
1.古代エジプト美術「高官マアケルウの偽扉」
ボストン美術館は4万点を越える古代エジプト美術のコレクションを持っているらしい。4万点とか言われたらちょっと数字が大き過ぎて僕は思考停止状態になってしまう。ものすごい数だとは思うのだが、だからなんだ?とも思う。いや、すごいけど。今回はその中から選び抜かれた11点が海を越え、こうして神戸に来ている。どれも神秘的で「時の試練を乗り越えた美品」にため息が(実際見ている時は出さなかったけど)出る。展示品を映す光の加減が見事で、これは後述のモネの項でも書くが、やはり美術品を観賞するには光の調整が大切だと痛感した。これは僕個人の主観的な意見に過ぎないが、美術館における光の調整は、ライヴハウスにおける音をミックスするコントロールルームにあたると思う。音の世界がパフォーマーが出す音だけでは成り立たないように、美術品は光の調整次第では、すばらしい作品でもその価値を理解しづらく成り得るのだと個人的には、思う。その上で今回の美術展は光の調整が見事だったと思う。ツタンカーメン王頭部なんて、本当にコントラストが絶妙で…。いや、話は「高官マアケルウの偽扉」だった。簡潔にまとめるとこれは「(公式図録より)死後、生まれ変わった死者の魂は、扉を通って墓を出て、生者たちの世界へと戻ることができると考えられていた。しかし、本作品のようにその扉が実際開くことはなかった。」ことにより、「偽扉(ぎひ)」の名前を持つことになったようだ。非常に神秘的で、なぜ神秘的だと思うのかと考えたら、僕が普段目にする石や土とは異質な、見たことのない鉱物(?)を使い、遠い過去を現在まで語る力があったからだ。 
2.中国美術「周季常/施財貧弱図」
中国美術なんてまるでわからない。今回の美術展に行くまで特に興味もなかった。今は中世以降のフランスやイタリアや日本に興味があるので、たぶん中国美術はこういった機会がないと目を向ける機会はないと思う。でも、日本の美術や宗教を理解しようとしたら避けては通れないのが中国美術であって、最近の大手企業は「アジアの他の国に真似られた」とか文句言っているけど、元々、「他の国の文化を真似て良いとこ取りして自分流にする」のが得意な民族が日本人である。憲法にしてもカレーにしても今の服装にしても…。中国美術は僕が言うまでもなく奥が深い。中国のことは良くわからない。で、この「施財貧弱図」なんだけど、基本的に墨で書かれたモノクロの世界に貧者が嘆いていて、神の一行であろう僧が色付きで書かれている。彼らは何かを話合っているが、貧者には誰ひとり手を差しのべる様子はない。奇妙だ。奇妙ではあるが絵としては美しい。あるいは僧の世界に奇妙ではない本当の真実はないのかもしれない。
3.日本美術「英一蝶(はなぶさいっちょう)/涅槃図」
これは言葉にするのが特に難しい。涅槃図ですが、ヨーロッパの古典的な宗教画で巨大な絵ってあるじゃないですか。神々がそれぞれ精密に描かれている絵。それぞれがそれぞれの役割を感情をしっかり出して表現されていて、どれも完成された作品になっていて、一言では語ることの出来ない重層的な世界観。仏陀のことが書かれていて、普遍的な宗教性を持っていると思う。絵って「開かれた世界」と「閉じた世界」がとりあえず乱暴に言えばあると思うけど、この作品は黄泉の国を示唆する開かれた世界で、弟子も動物もみんな悲しんではいるけど、それで終わっている絵ではない気がする。   4.フランス美術「ジャン=フランソワ・ミレー/洋梨」「クロード・モネ/アンティーブ、午後の効果」「ギュスターヴ・クールベ/銅製ボウルのタチアオイ」「フィンセント・ファン・ゴッホ/『郵便配達人ゼョセフ・ルーラン』『子守唄、ゆりかごを揺らすギュスティーヌ・ルーラン夫人』」
これ以降はより感覚的に書く。ある絵を見ても正確な言語化が出来るレベルではないと悟ったからだ。
ミレーの洋梨。これは小品であると捉えらていたようだが、素晴らしかった。赤と黄色と緑を主に、洋梨の実体としての重さを再現することに成功している。「誰があえて主張するだろう、ジャガイモがザクロの実に劣っているなどと?」とはミレー自身の言。   モネの「アンティーブ、午後の効果」はいちいち言葉を配する必要なく、「美」そのものを体現している。こうやって図録を読みながら書いていると良くわかるんだけど、印刷された絵画作品はその魅力を半分以上失っている。僕が今日見たモネの「アンティーブ、午後の効果」はなんと言うか、僕の視力は現在0.3くらいなんだけど、普段目にする六甲山の風景のような、目がすごく良いひとはまた違って見えるだろうけどぼやけて見える「ああ、これこれ、この山の光の加減知っている」の「知っている」感じをみんなわかるように表現していて、「光の画家」とか言われているらしいけど、本当に光の加減ひとつで変わる画家だと思う。図録の絵は同じ絵なのに魅力的ではなかった。たぶん博物館の方はこの絵を魅せる為に結構な努力をされているのだろう。上に書いたが、光ひとつでも美術品は凡作に成りかねないのだ。絵は光の芸術ですね。
クールベ。これもモネと同じで、「なんだこれ。すげー!」とか思って帰ってから図録を見返したんだけど、そこにあった厳かな緊張感は印刷された紙からは半分くらいしか伝わらなかった。絵って、近くで見てみたり、ちょっと後退りしてみたり斜めから見たり、わからないと思って他の絵を見た後にまた見直したり、見ることを辞めてぼうっとその場に居れることを目指したり、そんな作業が必要な気がする。
ゴッホの郵便配達人の絵は今回の展覧会の目玉のひとつである。「(図録より)ファン・ゴッホは1888年2月、パリを発って南フランスの小さな町アルルに移り住んだ。その町で最も親しい友人となり、またお気に入りのモデルともなった人物のひとりは、地元で郵便配達の仕事に携わっていたジョセフ・ルーランで(中略)ゴッホはジョセフについて、個人的の肖像として描くと同時に、プロヴァンス地方に特有な『タイプ』、つまりある特定の地方や場所や時代の人々を代表するような典型的なイメージを描きたいと思っていた。」ゴッホはルーランについて、弟のテオに対してかの有名な手紙の中で「立派なひげ面で、まるでソクラテスのようだ」と綴っている。ゴッホはジョセフを6点、妻のギュスティーヌを5点描いている。どちらも僕がいちいち言うまでもなく、一見の価値のある迫力ある作品です。で、個人的な感想。ゴッホにしても、ちょっと前に「松方コレクション展」で見たロートレックにしても、意外(というか)わりと細部が大雑把と言うか、素人目でみたら「え、これ修正したほうが良いんじゃないの?」と思うような塗りかたをしているところが、わりに目につく。で、ここである示唆に気づくわけだ。彼らは綺麗に型にはまっただけの「お行儀の良い美品としての絵」を描きたかったわけではなく、人間そのものに潜む「生のあるべき姿」を描きたかったのではないか、と。当たり前だけど人間は糞もすれば鼻水も垂らす。エゴが出て人を傷付けてしまうこともあれば、周りの状況にうんざりして一言も話したくない日もある。はたして、そんな時にただただ正確で正しい絵を見ても、心が安らいだり、何かに対するヒントを見つけることが出来るだろうか。あるいはそれも正解のひとつだろう。僕は好きな絵を探すことは(いささか大げさに言えば)実際に会えることは少ないけれど、人生を豊かにしてくれる「友人探し」だと考えている。優れた表現はどんなにいびつでも、受け手側からすれば「友達」であるべきだ。これは後々しっかり書きたいが、昨今は上等な絵画なんかはインテリや金持ちの持ち物のように扱われている(ような気がする)が、そんなことは一部の声が大きい馬鹿どもがその用途もわからずにやにやしているだけであって、本来優れた創作物にとってカテゴライズされると言うことはある種のレッテルのはずであると(ぼそっと小さい声で本音を言うと)思う。ちょっとこれらに対しては最近怒り気味なんで、これもぼそっと言うけれど、世の中には絶対に金で買えないものがいくつかあって、(can’t buy me love)そのひとつが感性である。そもそも絵を見ることって頭の良し悪しに関係あるのか?絵は当たり前だけど、目で見るもので、(視力ではなくて)目が良いかだと思う。頭が良いに越したことはないかもしれないけど(多面的に考えられるから)頭がそんなに良くないかもしれないけれど目が優れているひとって世の中にたくさんいるし、その逆もしかり…いや、これを話出したら長くなりそうだからとりあえず今回は先に進もう。
5.アメリカ絵画「トマス・エイキンズ/クイナ猟への出発」「ジョージア・オキーフ/グレーの上のカラー・リリー」
アメリカ絵画。ポップアート以前のアメリカ絵画は僕は全然知らない。オキーフは敬愛する村上春樹氏の「村上ラジヲ」の中で取り上げられていたからその名前は知っていたけど。
とりあえずまあ、トマス・エイキンズです。このひとは図録によると、「美術アカデミーで絵画と素描に加えて数字と解剖学を学んだ。遠近法や光学と、コマ撮りの連続撮影に魅力された彼は、油彩や水彩の作品の構図を考える際には数学的な作図法を用いた。」つまりエイキンズは全て計算してこの絵を描いているんですね。数字が苦手な僕からしたらすごいの一言だけど、ここの絵で僕が引っ掛かったところはそこではなく、海の波打つ色です。一般的に見たら汚ないと思われそうな土の色を使っているんですね。あるいは美術系の方ならそれは技術のひとつだよと言われるかもしれないが「どうすればこの色で美しい海を表現できるんだ?」と思った。ほかの作品も見てみたい作家です。
オキーフは今回初めて生で見ることができたんだけど、不思議と言うか、まだ謎ですね。わからない。フォルムの美しさは僕なんかが何か物を言う筋合いはないんだけど、そこに静物として「いる」実体の大きさは掴みかねる。わからないけど、なんとなく良いなあ。で、この「なんとなく良い」感じって僕は好きなんですが、どうですか?
6.版画・写真と現代美術「エドワード・ホッパー/機関車」「アンセル・アダムズ/氷結湖と岸壁、セコイア国立公園カウェア・ギャップ」「アンティー・ウォーホール/ジャッキー」「サム・テイラー=ジョンソン/静物」
ホッパーは元々大好きで、この展覧会に実際に足を運ぶまで展示されているとは知らなかったんだけど、エドワード・ホッパーの絵が展示されていると知って心踊った。大体僕が好きなのはホッパーが街の孤独を描いた油絵なんだけど、今回はエッチングだった。ホッパーは言うまでもなく都市の孤独を描いた最高な画家のひとりで、今回僕は「機関車」のポストカードだけ(目移りしたんだけど)買って帰った。ポストカードっていいですよね、大体が150~200円だし、いい記念になる。ホッパーの油絵は今回なかったけど、明るい色の中に潜む影の色を見事に使っていて大好きです。「beatific 」のイメージにもたまに拝借���ています。著作権切れてるし。
アンセル・アダムズ。長く書いたら情報量が多くなるわけではないからさらっ述べるけど、とにかく「異質」な写真を撮るひとだと思った。僕はこれを見て写真だと思えず、そこに写っているものが何かと立ち尽くしていた。じっとなんなのかと考えていたが理解が出来ず、横の解説文に目を移すとこれは写真だと書いてある。しかし、なるほどなとも思えなかった。最近の写真家が持っていない目がこれなのではないか。
ウォーホールはポップアートある種の祖で、それは異論をはさむのが難しいかもしれない。ウォーホールが描く美は大量消費社会を象徴していて、非常に素直だ。この「素直」と言うところに鍵があると思っているのは、はたして僕だけの思い違いだろうか。
サム・テイラー=ジョンソンの静物。これは、いくつかの桃の籠とペンが画面に写し出され、倍速によって桃が朽ち果てるまでを見せる映像作品だ。桃は徐々に腐ってゆく。多くの生き物がそのように朽ちるように、所業無常。プラスチック性のペンは腐らない。多くの産業廃棄物がそうなように。最高な作品じゃないか!
このあと村上隆とかもあったけど、好きじゃないので省く。来年の2月8日まで開いているらしいので、もう一度行ってみたい(と言うか一度では掴めないくらいの)素晴らしい時間だった。
2017.12.5(Tue)
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kitagawadaisuke · 7 years
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ディレクターズワークショップなぞ
備忘録として、この四日間のことを書いておきたい。 基本的には僕は運営の人間で、他の参加者よりも多少は情報を多く掴んでいる可能性があるが、ほぼすべての情報は開陳してきたし、なにより二日目からはほぼ一参加者としての振る舞いしかできなかったので、あえて参加者としての報告をまとめておこうと思う。 ■一日目 演出助手予定の一人、見学予定の一人からキャンセル連絡。 年末のこの時期だから体調不良は仕方ない。たとえ散々体調管理に気をつけてくれ、と書いていたとしても。 オリエンテーション。 去年までは口頭説明のみにしていたが、昨日まで本番で正直頭がクリアになっていないので、急遽パワポの資料を作る。年に三回もやってたらある程度自分の中でも整理されていたことに気づく。小一時間程度で完成。 今回は全体で50名弱。広田さんに挨拶なぞして、全体説明。 ワークショップの目的、ワークショップの定義 こちらは基本的はフレームしか用意していないので、それをどう活用するかは皆さん次第です。 体験型であること、双方向であること、特定の準備した成果に落とし込むように誘導しないこと。 一日の流れ、参加者の心得的なこと 4日間は短い時間じゃないこと、意見があったら運営には投げてくれ とにかく面白ければ何でもあり、ということをルールとする。 質問はなし。 プレゼン順が 森本(桃園会)→岩本(perrot)→渡部(晩餐ヒロックス)→高尾(劇団背傳館)→山口(舞台屋アホロ) に決まる。 森本:そもそも二人の関係を等価だとしてそのフィールドはどこなのかの言及がなく、正直良くわからない。 岩本:準備はよくできているが、「俺は」こう読んだ、がない。ウィキペディアみたいだ。 渡部:こう見せたい、が一番あったように思えたが、にしても抽象度が高い。 高尾:読み方が文学的動機に寄りすぎていて、面白みを感じない。 山口:招聘したことを後悔する。年に一人はいる、こういうやつ。 投票。開票。チーム分け。 予想通りの得票数。岩本が一番だったと俺は思ったけど、存外そうでもなかった。 広田さんの話を後半だけ聞く。 既存戯曲をやることの意義であったり。 チーム発表。各班稽古。 ここで、男役者が4/6台詞の入りが悪いことが判明する。 最も悪いように見えたのは山口班。正直演出プランもなければ俳優の台詞の入が悪くて詰んだと見える。 とりあえずスタンドインは一人しか用意しておらず、急遽台詞を入れることを決意する。女性側のスタンドインとして待機していた笠浦と台詞合わせを始める。 最初の数ページは割とサラサラ入るような気がするも、さらうと言い回しに足を取られる。恐るべしクログスタット。と、3ページほどやったところで成果発表になる。 成果発表初日。 各チーム、準備不足に尽きる。 畜生、これだけは手をこまねいている。毎年そう。どうやったら初日から台詞が万全に入った状態の俳優を準備できるのか、費用対効果の面からも現状以上の手間をかけることが果たして必要なのか、迷う。 広田チーム、俳優はラッキー。ウッチーの本気に心から感謝。 渡部チーム、椎木の本気に頭が下がる。 初日後、演出家だけのミーティング。 スタンドインを入れる可能性のあるチームをピックアップ。 予想通り、役者に情がうつっているので、変更にしぶりを見せる。散々その必要が無いことを説く。 ここが自分と一番違うと思った。俺だったら即決だったろう。 そんな中、山口だけが「このあと話して決める、もしスタンドインに変更する場合は北川を指名」と言われる。お前か。 この辺時系列不鮮明だが、会の全体が跳ねた後、夕食時に山口班の俳優が体調不良で降板を申し出た旨聞く。 急遽劇場に戻る。俳優本人とも面会し、山口にも連絡し、交代が正式に決まる。 近くで作戦会議をしていた山口班のメンバーと合流、挨拶、相手ノラ役の大塚さんと台詞を合わせてもらう。 一向に入らない。こっから解散、笠浦を捕まえてほぼ徹夜で台詞を入れる。どうにか7頁の長台詞前まで。 ■2日目 山口班始動。 演出プランを聞くも、とりあえず北川さんの演技が見たい、と言われ、何パターンか試演。 再度演出プランは?と聞くも、要領を得ないよくわかんないことを言うし、とりあえず観たい、という立場を崩さないので、埒が明かないと思い、「こうして欲しい」に「なぜ」を徹底的に突きつける。 2回目くらいでプランがないことは気づいていたが、あえて自分の口から「プランがない」ことを発するまで待ってみる。も、案外早く白旗になる。 とりあえずプランがないと役者も、そして班のメンバーも何もできないのでプランを立てよと言い、 山口一人の時間が始まる。 この間大塚さんと台詞を合わせる。 基本コマンドが「前進」のみの野獣系女優なことを知る。台詞のかかりが良いことと、アマヤドリの現場で「聞く」ことを鍛えられていることに安心する。攻め方を幾つか、今回選択できるものを思っておく。 と、山口からサシで話したいの旨。 エレベータで上まで上がり、話を聞く。 山口、完全に折れてることに気づく。うーん、おもったより全然折れるのが早くて正直このやろうと思いつつ、とにかく鼓舞して発破をかけて、会場に戻らせることだけを念頭に話を聞く。 と言いつつ、山口の抱えている問題は、自分にも思い当たるフシがある問題だということ、また今この瞬間彼がそれに真摯に向かい合っていることは伝わってきたので、自分のこれまでの経歴や、先日の現場で感じたこと、今の創作環境や、製作環境に至るまでの問題意識を共有する。その上で、今回君がこの場に残ることは相当に意味があることであろうことを伝え、このワークショップ全体をデザインするくらいの働きができるのではないだろうか、という、そもそもこのワークショップになぜ参加するのか、という根幹の問題点を洗い出す。そしてそこにややディレクションを加える。 本人聞いてんだか聞いてないんだかの微妙な態度に終始するも、まあじゃあ戻りますか、とチームに再合流、チームのメンバーにそのような事情を伝え、まずは本人がこれまで作ってきたであろう「コメディ」を軸に試行錯誤する。 この辺は山口チームの見学枠だった安保のTwitterに詳しい。 (私見だが、安保は今回本当に一番得るものが大きかったと思う。最終日に向けて彼の元来持っているシニカルさが、どんどん建設的・批評的になっていくのを横でつぶさに見ることができたのは自分にとっても大きな収穫だった。)
役者の突発的なアイデアに、演出がアリナシをつけていくスタイル。いまはそれなりに面白く、時折盛り上がりもするが、終わりは既に見えている。今日の試演会までは乗り切れるかと。でも、みんな楽しそうではあります。#dws2016_oji pic.twitter.com/NISKUgt4sn
— あんぼ たいが (@RPGtaiga) 2016年12月29日
とにかくアイディア(と言うよりはほぼネタ)を出し続ける。 デブネタ、客いじり、時事ネタ、映画パロなどとにかくいろんなものを出し続ける。 役者がやったことを、山口が好きか嫌いかを判断する。を、見学枠の人が眺めている。とにかく成果報告のときに何かを言われるべくとにかく「テキストを使ったなにか」を先ずは準備する。 成果報告。 大炎上する。コメディとは何か、という話になる。 そもそもなんでこんな人が上演を続けていけるのか、参加資格があるのか、という話になったときにはさすがに胸が痛む。ごめんなさい。俺もそう思ってた。 終わって各班フィードバック。 本人が若干のウケを取ったことに満足しているフシが見え、慢心していたところで、北川が大きく爆発する。 参加者の皆さんには多少びっくりさせてしまったようだ。てへぺろ。 求めるものは一点だけ、「演出プランを考えてこい」「さもなくば去れ」。 それだけを申し伝えて、チームのメンバーは俺以外ガストに、自分は劇場に残って他の班にフィードバックしたりしながら、ひたすら残りの台詞を入れる。入らない。急遽この日からノラ役だったはずの笠浦までもクログスタット役でスタンドインに入ることになり、運営てんやわんやになる。大石が明日以降ベタで着いてくれることになり、大きく一安心する。 夜、見学枠で地域枠のタカイくんと話をする。おそらく彼が今回の班の中で一番最後まで冷静だった。折につけ彼の意見は聞いたし、ブレが少なかった。タカイくんとは素直に仕事がしたくなった。 ■3日目 明け方、山口から演出プラン、と銘打った、読解報告のようなものが届く。 読む。「ノラ破滅願望説」を採用してあって、正直読み自体に特段の驚きはないが、フォーカスを当てるのが人物であったことに安堵し、面白いじゃない、と返す。ただ、「どう見せたい」「どうやりたい」はない。 ブチ切れた12時間後に顔を合わさせることへの申し訳無さがちょっとだけ甘くさせたと今更ながら反省。もうちょっと「見せ方に関しての役者マタ―」っぷりの無反省さをいじめても良かったと思うが、こればっかりは時間をかけないと気づけない気もするので、一旦割り切って話し合いに臨む。 稽古開始。 とりあえず読解についての説明、のようなもの。見せ方に関しては追いついていない旨。 散発する見せ方についての意見の表明があり。埒が明かないので、大きなフレームとして「料理」を提案する。 これには山口本人ノリノリで、即採用になる。 そこからメンバーも「じゃ魚を」「内臓が」というイメージが湧いてくる。 今日の発表はそれでも料理は準備行程的にも難しいので、どうするか、という話になる。 会全体のプロデュース視点から、この日と最終日の発表を全然違うものにする案が出る。 一瞬迷うも、 ・料理の段取りを精巧にしていったときに3日目と4日目でフィードバックされる物の量にそう大きな質的変化が見込まれる可能性がなかったこと ・それよりも読解の新解釈について、試演で果たして参加者が正確に捉えられうる状態になっているか検証したかったこと(表層の変化以上に、読解の可能性にまで踏み込んだ議論の場所にリーディングできるか試してみたかったこと) ・山口がそれでいいっていったこと を頼りに、3日目はゴリゴリの新劇スタイルでの上演を決める。 相手役のゆっこちゃんと押し引きについての整理。かかる台詞、リアクションの大きさ、少しづつ稜線の解像度が上がってくる。昨日のタイタニックを活かしたがったけれど、2日目の俳優同士の共同作業の中では直接接触する以上の影響のさせ方はたしかにないよね、と即撤収。 演出すべきは「相手をどう評価するか」だということに次第に的を絞っていく。そう仕向けたのもあるし、見学者・演出家・俳優もそこにターゲットを絞れていった感じがする。 途中休憩中に加藤さんからボロボロいろんなものがこぼれてくる。率直にそれを聞き、自分の今の立場について考えていることを伝える。座組の中で「傍観者」になってしまった者が、「参加者」に戻るために必要な具体的な幾つかのバインドを外していく。今回の他班の見学者は「口をつぐむ」「拗ねる」のを選択する人も少なくなかったように散見されるが、そうではない参加の方法について彼女と一緒に探す。 休憩明け、彼女も積極的に討議に参加してくれて安堵する。 演出助手の鈴木女史が今度は見せ方に関する細かい注文を出し始めるので、諌める。彼女は某団体を主宰する脚本・演出家で、それなりの評価を学生時代に得ていて、一人のクリエーターとしての自負心が彼女にそうさせることも知っていたので、ここでイニシアティブを山口以外の人間と分け合うことで船頭が増えることを良しとしない旨を率直に彼女に伝える。すぐに了解してもらう。彼女のクレバーさがここでは大いに助けになった。 「意見・提案は自由、ただしオーダー・ジャッジは山口のみ」 という山口班の基本的ヒエラルキーができていく。 安保の理解が早く、鋭い意見が続く。タカイくんの冷静な分析が入る。加藤さんの正論がたまに行き過ぎを止める。リリーの怨念がにじみ出てくることを一人でニヤニヤする。ゆこちゃんは相変わらずアホなふりをしている。ただ、絶対に譲れないところやできないところは譲れないという。俺は交通整理に努める。山口はヘラヘラしている。この日の稽古体験を、僕は忘れないだろうし、山口班のメンバーの人達にも忘れないでいて欲しい、と思う。良い現場は、闊達な意見の応酬がある。それはときに何かを相手や他人に誂えなくてはいけない場面があるが、 ・指針が明確であること ・決済権者が強大な決済権を有していること この2つを満たせば、たとえ自分の意見が通らなかったとしてもフラストレーションを感じることは少なくなる。参加者全員に「自分も参加している」というモチベーションをもたせることは、オーガナイザーの力量だし、それは裏返せば参加者が「自分も参加している」と思うためには、まずはディレクターの意図を正しく共有すべきだと考える。 (頼りないディレクターに相対するとき、どうも上から入ってしまう例をこの会で散見したが、誰が無責任に自分よりも上だと思っている人間の言うことなどホイホイ聞きたいと思うのか。今回あくまでも愚痴レベルだが、「演出家が自分の意見を採用してくれない」「私の話に耳を貸してくれない」という話を聞いた。それはひとえに貴方の話には聞く価値がある、とプレゼンできなかった貴方のミスだ。わかってるだろうけど、わかってないとしたら強烈に恥を知ったほうがいい。そういう人ほど自分の立場のせいにしたがる。見学枠の扱いについて、あえて放任にしている理由を考えれば、つまらない人ほどこの「枠」のせいだなんて言いたがる。トホホ。) さて、成果報告。 テーマは◯藝。自分は大◯秀治だと言い聞かせる。 基本的に流れはできた。昨日とのテイストの違いに質問が集中する。 ここでのミスリードは出来た。胸が痛いけど。 フィードバック、からの稽古。 一瞬もしかして今日のままやりましょうなんて言い出さないかななんて思ってたけど、料理熱、冷めず。 別会場に移動して稽古。 料理は「白身魚の野菜あんかけ」に決まる。 12月30日のスーパーには、アゴダイ(小)が3尾。しゅん。 段取りを確認し、各セリフと調理過程の一致を見る。演出だけが楽しそう。 規定の時間で演出家帰宅。 そのあと今日の稽古や、これまでの各々のキャリアの話などを聞く。 劇場に戻って、台詞をさらうも、ほぼ二徹みたいな感じになっていたので、ダウンする。 ■4日目 調理器具を揃えて、とりあえず場当たる。 結論は「美味しい料理を作る必要なんてない」だった。 魚使い切り、近所のスーパーなどを回るも、12月31日、尾頭付きの生魚を取り扱っているところがなく焦る。 手分けして足りないものなど探し、戻ってきてからとにかくテキストのストラテジーと、料理のプロセスが交わりそうな点をとにかく探す。銀行は冷蔵庫に決定。 ショーイング。笑いは取れたが、フェアじゃない、とのお達し。ごもっとも。 ただ、今回はそれ自体を狙ったので、どういったって噛み合わないことは目に見えていたので、議論からは降りる。 いや、偉そうに言いましたが、すみませんでした。 …というところでノックアウト、割りと朦朧とした中終わったのでした。 演助リリーが後に「稽古場の相対化」と言っていたが、そのとおりだったと思う。 演出家のしごとは、各々がベストなクリエーションに向かうための指針と、モチベーションを維持するための仕掛けを用意することで手が回らなくなる。 最近では最初に全部見せない、っていうのも覚えてきたが、初心者にはあんまりおすすめしないなあ、って思った。 最初に無条件に付与される「演出家クレジット」をどれだけ食いつぶしながら、新たなクレジットを獲得できるかが、演出家の楽しみな気もするし、本当か、っていう気もするし。すくなくともこのワークショップでは一番そこを鍛えられるし、通常の現場では一番そこが命取りになる。面白い面白くないは、準備と才能と経験値の掛け算だとして、それ以外の部分で潰れてしまうことが多いこの界隈にあって、ここを体得してもらえると幸いだなあ、って思ったのでした。今回の山口くんに関しては。 ■さいごに まあこの立場で参加するとこんなことを考えるんだなあ、って思いました。 企画自体は今回で五回目、そろそろ自分としてもなにか新しい軸を考えたい、って思ってたときにこういう機会に恵まれまして、それはスリリングな瞬間が色々あったのだけれど、それが創作そのものの中にあったかと言われたら疑問なので、それは山口氏は単純に演出家として反省したらいいと思うのです。ただ、あいつがわざわざ北川を指名してくれた仁義は通さねばと思い、必要以上に甲斐甲斐しくなったかもしれませぬ。 あと、見学枠の扱いについてはもうちょっとだけ踏み込んで書きたいけど、この過度に自由な枠の中で、自由に振る舞えないことになんて言葉をかける必要があるだろうという多少意地悪な感じにもなっているので、どうしよう、って感じで今。 というわけで、書き始めてすげえ時間経った。後日加筆修正予定。
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トークイベント「 翻訳者、海外文学を語る」のご案内
【イベント内容】 近年「日本翻訳大賞」の設立や「はじめての海外文学」フェアのスタートなど一般読者の目に見える形で「翻訳」あるいは「翻訳者」に注目が集まるようになりました。またその流れと並走するように翻訳者による著書・エッセイの刊行が相次いでいます。
わたしたちが海外の文学作品を日本語で読むことができるのは、翻訳者の存在があるからです。作品と読者をつなぐ翻訳者は、翻訳という行為をどのようにとらえ、作品とどのように向き合っているのでしょうか。
今回のイベントでは、普段なかなか京都ではお目にかかれない多数の翻訳者の方にご登壇いただき、自身の訳書、あるいはオススメの海外文学作品について語っていただきます。 ぜひご来場くださいませ。
【登壇者】 越前敏弥さん、芹澤恵さん、田中亜希子さん、古市真由美さん、吉澤康子さん、和爾桃子さん、夏目大さん ※現時点での予定
【日時】 2019年1月27日(日)11:00~13:00(開場10:45)
【場所】 出町座3F 〒602-0823 京都市上京区三芳町133 ◆ 出町柳駅(京阪、叡山電鉄始発駅)徒歩5分 ◆ 今出川駅(京都市営地下鉄)徒歩10分 https://demachiza.com/access
【参加費】 ・1,000円(定員40名、要予約)
【申込方法】 下記申込フォームにてお申込みください。 https://goo.gl/forms/czfYlKCLnxY2EDZl1 ※定員になり次第締めきりますのでご了承ください。
【問い合わせ先】 [email protected] *企画内容、ご参加方法に関しては下記お問い合わせアドレスまでお願いします。 出町座へのお電話でのお問い合わせはお控えください。
【ゲストプロフィール】 越前 敏弥(えちぜん・としや) 文芸翻訳者。1961年生��れ。 訳書に『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(以上、KADOKAWA)、『解錠師』(早川書房)、『夜の真義を』(文藝春秋)、『世界文学大図鑑』(三省堂)、『おやすみ、リリー』(ハーパー・コリンズ・ジャパン)など。著書に『翻訳百景』(KADOKAWA)、『文芸翻訳教室』(研究社)、『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー)など。
芹澤 恵(せりざわ・めぐみ) 文芸翻訳者。 訳書にフロスト警部シリーズ、『地球の中心までトンネルを掘る』(以上、東京創元社)、『ハオスフラウ』『密林の夢』(以上、早川書房)、『一ドルの価値/賢者の贈り物 他21編』『はた迷惑な人々 サーバー短編集』(以上、光文社古典新訳文庫)、『フランケンシュタイン』(新潮社)、『世界を変えた100人の女の子の物語』(河出書房新社)など。
田中 亜希子(たなか・あきこ) 文芸翻訳者。 訳書に絵本『コッケモーモー!』(徳間書店)、『ぼくはアイスクリーム博士』(西村書店)、児童読み物「ひみつの妖精ハウス」シリーズ(ポプラ社)、『ペンギンは、ぼくのネコ』(徳間書店)、YA『僕らの事情。』(求龍堂)、「魔使い」シリーズ(東京創元社)、『迷子のアリたち』『炎に恋した少女』(以上、小学館)など。
古市 真由美(ふるいち・まゆみ) フィンランド語翻訳者。 訳書に『四人の交差点』(新潮クレスト・ブックス)、『処刑の丘』(東京創元社)、『殺人者の顔をした男』(集英社文庫)、『暗やみの中のきらめき 点字をつくったルイ・ブライユ』(汐文社)、『ふしぎの花園 シスターランド』(西村書店)など。共著に『多文化に出会うブックガイド』(読書工房)など。
吉澤康子(よしざわ・やすこ) 文芸翻訳者。 訳書に、エリザベス・ウェイン『コードネーム・ヴェリティ』『ローズ・アンダーファイア』、アン・ペリー『偽証裁判』(以上、東京創元社)、アナベル・ピッチャー『ケチャップ・シンドローム』(早川書房)、オー・ヘンリー『新訳 賢者の贈物・最後のひと葉』(共訳・角川つばさ文庫)、『カリフォルニア・ブルー』(新潮社)、『トップモデル』(文藝春秋)など。
和爾 桃子(わに・ももこ) 翻訳者。 主な訳書:モリアーティ『ささやかで大きな嘘』『死後開封のこと』、カー『蝋人形館の殺人』『夜歩く』『髑髏城』『絞首台の謎』(東京創元社)、サキ『クローヴィス物語』『けだものと超けだもの』『平和の玩具』『四角い卵』(白水社)、ファン・ヒューリック「ディー判事シリーズ」(早川書房)、共訳:ジョン・コリア『ナツメグの味』(河出書房新社)など。
夏目大(なつめ・だい) 翻訳家。訳書に『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』『ゴビ 僕と125キロを走った、奇跡の犬』(いずれもハーパーコリンズ・ジャパン)、『タコの心身問題』(みすず書房)、『あなたの人生の意味』『あなたの人生の意味』『リベラル再生宣言』(いずれも早川書房)、『脳はいいかげんにできている』(河出書房新社)、『タイムトラベル』(柏書房)など。
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1063una · 6 years
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NGT48・北原里英インタビュー(1)極寒&過激ロケ 主演映画『サニー/32』は「トラウマ」でも「一番の代表作」 [T-SITEニュース エンタメ]
『凶悪』や『日本で一番悪い奴ら』など数々の話題作で知られる白石和彌監督が、2004年に長崎県佐世保市で起こった通称“ネバダ事件”をモチーフにして生み出した意欲作『サニー/32』(2月17日全国公開、2月9日新潟・長岡先行公開)。
今回は、中学校教師の藤井赤理役にして、“犯罪史上もっとも可愛い殺人犯”と称される「サニー」に扮したNGT48の北原里英が、NGT48及び、AKB48グループからの卒業発表後初主演作となる同作について語ってくれた。
(文:桜井恒二)
殺人犯に扮した北原里英、極寒の地で過激演出にトライ「今やもうトラウマです(笑)」
─今回の映画『サニー/32』は、右手3本指、左手2本指のピースサインでネット上の人々から「サニー」と名づけられた殺人犯の14年後を描いた、白石監督ならではの魅力あふれる作品でした。
北原里英(以下、北原):この作品は、本当に息つく暇もない映画です。この世界にどっぷり夢中になってもらえたら嬉しいです。私はまだ一度しか観ていないのですが、観る度に発見があって楽しめると思いますので、一度と言わず、二度三度と観てほしいです。
─拝見させて頂きました。印象としてまず「寒そうだな!」と(笑)。
北原:ハハハ! それは大正解ですね。
─作中では、北原さんがピンクのドレス姿で雪の中を駆けるシーンもあります。あれは裸足だったんですか?
北原:裸足の設定ですが、ストッキングは履いていました。いや、本当に寒かったですよ! 私も試写で観て、寒かった思い出が蘇りました。それくらい『サニー/32』の極寒の感覚が体に残っていて、今やもうトラウマです(笑)。
極寒の新潟で行われた撮影 (C)2018『サニー/32』製作委員会
─撮影はほぼ全部、NGT48の本拠地でもある新潟県で?
北原:そうです。海の家のシーンも、市場が有名な寺泊町です。
─海の家もずいぶん寒そうでしたね。
北原:寺泊は雪こそありませんでしたが、海風が強くてまた違った寒さでした。
─ピエール瀧さんは海の家で、寒さのあまり低血糖になってしまい、ブドウ糖を溶かしたお湯をリクエストした、なんて話もあります。
北原:撮影の合間は共演者の方たちと集まって、小さくうずくまって温め合っていました。でも辛いことを共有したおかげで、キャストの方と絆が芽生えましたね。
─撮影の環境そのものが過酷な上、本作は過激な演出も目立ちます。特に主演の北原さんは大変だったんじゃないですか?
北原:初めて台本を頂いて読んだ時には、内容が魅力的で“1ページごとに事件が起きているんじゃないか!?”と思うほどのスピード感であっという間に読めてしまいました。一冊の小説を読んだかのような満足感があったのですが、これを自分が演じると思ったら「大丈夫かな…」という不安はありました。
─不安な中、メガホンを取った白石和彌監督からはどんな声かけがありましたか?
北原:最初お会いした時「色々大変だと思いますが大丈夫ですか?」と聞かれて「大丈夫です! 何でもやります!」と答えたんです。そうしたら本当に過激な展開になりました(笑)。でも白石監督は、人間的にも素晴らしいし、信頼できる方でした。「白石監督だったら全てスゴいことにしてくれる」という信頼の下で過激なシーンも全部やり通せました。
─特にどんな場面で白石監督に信頼感を感じましたか?
北原:序盤の雪道で車に追われるシーンを撮った時です。臨場感を出すためにカメラワークをどうするか現場でスタッフさんが打ち合わせをされていたのですが、撮影が難しそうな「ソリにカメラを載せる」案が起用されました。白石監督が「やってみないと分からないからやってみよう」「やらずに『できない』という考え方はないよ」ということをおっしゃっていて、“何事もやってみないといけないんだな”と、改めて思いました。
─言葉より行動を重んじる方。
北原:そうですね、白石監督は、とにかく全てのシーンで一番動き回る方です。監督さんってモニターの前でドッシリ構えているイメージがありましたが、白石監督はいつもご自身が一番動く。そういった姿を拝見して「この方は信頼できる」と思ったし、スタッフのみなさんついていきたくなる気持ちがよく分かりました。
─白石組の気持ちがよく分かったと。
体を張れたのは信頼できた白石監督だったから (C)2018『サニー/32』製作委員会 
北原:他にも、私が屋根の上に登るシーンで、ワイヤーアクションをした時に寒さと怖さのあまり体が動かなくなったことがありまして。一度無理な体勢になった時に怖くなってしまったんです。そうしたら体が動かなくなってしまって…。屋根の上で固まっていたら、白石監督が心配してモニターブースから屋根まで来てくださいました。
─優しいですね。
北原:監督は絶対モニターを見ていたいはずなんですよ。でも現場で「今の良かったよ。じゃあこれで」って言ってくださった時は「一生監督についていこう!」と思いました。
─かなりの信頼感ですね。現役アイドルに対して劇中で相当過激な演出が繰り広げられていますが、それでも信頼感が揺らぐことはなかった。
北原:全くありませんでした。もともとそういうことには抵抗感がないタイプだと思います。お芝居ができるならどんな過激なシーンも挑戦していきたいと思ってますし、これまでにも過激な役を経験しているので、抵抗感はありませんでした。
─そんな本作は、長崎県佐世保市の事件をモチーフにした作品です。ピエール瀧さんやリリー・フランキーさんらが狂信的な信者と化して、サニーという存在に振り回されます。北原さんご自身はサニーをどんな存在だと考えていますか?
北原:なかなか理解し難い存在です。けれども、実際に人間誰もが持っている感情が行き過ぎた結果、このようなことになっている。私たちと全く関係のない話だとは思っていません。
それにこの作品はネット社会と隣接して話が進行します。生配信して盛り上がってバズる、という流れにリアリティーを感じます。
─現実感がある。
北原:はい。もしかしたら、自分の知らないどこかで事件が起きているかもしれない。この作品は、そういった現実感を得られると思います。
『サニー/32』はAKB48グループ卒業発表のきっかけの一つに 今後は「この映画を名刺代わりに活動したい」
『サニー/32』が卒業後の名刺代わり
─ご自身の中では、今回の『サニー/32』はどんな位置づけの作品ですか?
北原:この映画をもってAKB48グループを卒業する、という感覚が強いです。
2018年3月にAKB48グループでの活動10周年を迎えます。偶然にも『サニー/32』の公開が同じ時期になったので「これはもう運命だな」と感じ、2017年8月に卒業を発表しました。今後はこの映画を名刺代わりに活動したいです。
─「今後芝居を頑張ります」と。
北原:はい。今度の活動にあたっての名刺代わりであり、決意表明でもあります。多忙な白石監督と今回お仕事できたのは、芸能界に入って一番のチャンスだと思っています。このチャンスを最大限活かしたいです。
─『サニー/32』では、AKB48グループプロデューサーの秋元康さんがスーパーバイザーとして入っています。白石監督には「女優としての彼女の器量を試してほしい」とおっしゃったみたいなのですが、北原さんには何かお言葉がありましたか?
北原:直接お言葉は頂いていないのですが、「北原の今後のためにやってほしい」という思いでお願いしてくださったのがとても嬉しかったです。卒業後の進路のことまで考えてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
─じゃあ、『サニー/32』には色んな思いが込められている。
北原:そうですね。今後これだけで終わらないためにも“人生における代表作”という言い方は避けたいと思いますが、今までを振り返れば『サニー/32』は間違いなく一番の代表作。「棺桶に入れようかな」というくらいの作品です(笑)。
─門脇麦さんが2人目のサニーとして登場します。すると、どちらが本物のサニーなのか分からなくなります。
北原里英
北原:撮影期間中は皆ずっと新潟県に滞在して、ほぼ毎日一緒に過ごしていました。共演者の皆さんとまるで家族になったような感覚になりました。
─寒い中で一緒に頑張ってきたから。
北原:物語の中でも、実際の撮影現場でも皆寝食をともにして過ごしてきているので、役と同じ感覚になっていたと思います。一緒に過ごした時間が長すぎて、サニーという存在の重要性が後戻りできないところまで達している。観てくださる皆さんにもよく伝わると思います。
─門脇さんとは、どんなやり取りを?
北原:撮影では一日しかご一緒できなかったのですが、一階と二階に分かれて、モニター中継を通じて共演しました。実際に顔を合わせてお芝居をしたわけではありません。でもそれが良かったように思います。
─門脇さんのオーラに圧倒されて。
北原:画面越しからも麦ちゃん演じるサニーを強く感じましたし、こちらも演技に熱が入りました。でも待ち時間は一緒に楽しく過ごさせてもらいました。
─どんな方でしたか?
北原:気さくな方で、一緒に「しりとり」をしてくれました。
─かわいいですね(笑)。
北原:撮影現場の近くは、ごはん屋さんはもちろん、コンビニもない。娯楽が一つもなかったんです。そんな現場で唯一の楽しみが「しりとり」(笑)。空き時間は、皆でず〜っとしりとりをしていました。
─大流行ですね。
北原:麦ちゃんも「現場でしりとりをしている」と事前に情報を聞いて「私もしりとりしたいな」と思ってくれていたらしくて、一緒に「食べ物しりとり」をしました。その時「皆としりとりができて嬉しい」と喜んでくれて(笑)、「可愛らしい方だな」と思いました。
─縛りルール有りのしりとり。察するに、相当やり込んだんですね(笑)。
北原:4文字のうち2文字を取っていく“2文字しりとり”など、色々やりましたね。もともと私が、皆と仲良くなりたいと思った時に困ったあげく、控室でリリーさんに「しりとりしませんか……?」と話しかけて、五文字しりとりをしていたのがきっかけとなって皆に広まりました。
最近は『ウォーキング・デッド』にドハマり!夢中になりすぎて「過呼吸になりました」
─今度は、しりとりを楽しんだ極寒の過酷な現場とはうって変わって、日頃どんな映像作品や音楽を楽しんでいるのか教えてください。
北原:基本的に邦画が好きです。邦画を観ることが多いです。
『凶悪』みたいな重め、暗め、だけどエンタメ、のようみたいな。
…なんか韻を踏んでしまいましたが(笑)、そういった作品を観るのが好きです。
─具体的にはどんな作品を?
北原:園子温監督の作品は世界観が好きでほぼ全部観ています。最近よく観ているのは、海外ドラマの『ウォーキング・デッド』です。
─2017年からシーズン8も始まりましたね。
きたりえも思わず英語リアクションに!『ウォーキングデッド7』(C)AMC Film Holdings LLC.2016.All Rights Reserved.
北原:はい。ついこの間まで「(シーズン)7難民」だったんですよ。なかなか観られなくて、今ちょうど観ています。『ウォーキング・デッド』は大好きですね。
─私も徹夜で観てたので、気持ちはよく分かります。
北原:えっ、本当ですか!? どこまで観ました?
─シーズン7の終わりまで観ました。
北原:「7」あたりから、内容が重くて朝まで観られなくなりませんか? 他のシーズンは次のストーリー展開がどうしてもきになって朝までずっと観ていたのに、今は1話終わるごとに「フ〜ッ!」とタメ息をつきたくなります。
─余韻がスゴい。
北原:一回気持ちを整えて……という作業が必要になってきて進まないんですよね。
─たしかに、それはあるかもしれません。シーズン7は特に、第1話が衝撃ですもんね。
北原:そう! 私、グレン(※)が一番好きなんですよ。作品に影響されやすい性格なので、『ウォーキング・デッド』を観ていると英語になってしまうんです(笑)。
シーズン7の第1話を観ているときは「Oh~! Ah~!!」と “アメリカ人風の過呼吸”になりました(笑)。アメリカ人のこと、全然知らないのですが(笑)。
もうマギー(※)より私のほうが号泣していましたね~。
※グレン・リー…韓国系アメリカ人青年。 ※マギー…グレンの恋人。
─それくらいドハマりしていると。ちなみに音楽はどんなものを?
北原:基本的にミーハーなので、流行っているものを聴いています。最近は三浦大知さんの曲をよく聴いています。
─紅白歌合戦も出場した実力派!
北原:『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演した時、共演するアーティストさんにメンバー皆で影響を受けることがよくあります。
三浦大知さんとMIYAVIさんのコラボを生で拝見した時は感動しました。
─あの2人のパフォーマンスを生で見たらしびれちゃいますね! 今日はお話を色々ありがとうございました。今後のご活躍も期待しております!
(文:桜井恒二)
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tep-kotodama · 6 years
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2017年を振り返って
サトウテッペイです。 2017年を振り返り、記録し、反省する日記です。 個人的に毎年やってるものなんですが、このブログは今年の1月開設なのでここで公開するのはですね。
【1月】======================= ・ゆっくり過ごす ・ゆっくり過ごしていたにも関わらず、胃を壊す 【2月】======================= ・寝台列車を再現したカプセルホテル「北斗星」に泊まる ・胃の調子が最悪。漢方に手を出す 【3月】======================= ・伊豆に旅行に行く。海と山と動物と温泉。 ・中学から好きだった漫画家、長田悠幸先生の初サイン会で興奮する ・展示の準備や実験をコツコツ ・十数年ぶりに花やしきで手裏剣を投げる 【4月】======================= ・親族以外の結婚式に初めて参列する。目出度い! ・西日暮里のパン屋の本屋に行く ・展示の準備をコツコツ ・正直そんなだったクウチュウ戦のライブにいったらハマった ・胃カメラを飲む。もう飲みたくない。 【5月】======================= ・久々にシャボン玉で遊ぶと楽しい ・久しぶりに作家さんの絵を買う ・展示の準備をコツコツ 【6月】======================= ・フィレンツェでの展示が始まる ・代官山で一週間の個展。来てくれて本当にありがとう ・大判出力センタープリオの小伝馬町オフィスにてパネル展示 ・初単独海外。フィレンツェ。文化の歴史と現在。自分の絵のルーツの一つ。 ・忙しくて心が死に始める 【7月】======================= ・DFGでのグループ展に参加する ・実家を出て同棲を始める 【8月】======================= ・PCトラブルや家のトラブルや家具の選択などなどで心が死にゆく 【9月】======================= ・会社近くに越したのでいい自転車を買う。イエーイ ・近所を散策する。面白い店や街並み。楽しい ・クウチュウ戦とサカナクションのライブ。最高の体験だった ・悪天候が気分を更に落とす 【10月】======================= ・家庭菜園を始める。ルッコラは元気に育っています ・実家で猫を飼い始める。くそかわいい ・川べりで楽器で遊んだり芋を食べたりするなどして日常を満喫する ・コーヒーのカッピングイベントに参加する。奥が深い ・自転車で代官山まで行ったら流石にキツかった 【11月】======================= ・また胃が弱りはじめる ・コミティアを堪能する ・久々な人たちと久々な話をする。皆元気そうで何よりだった ・千葉に遊びに行く。千葉市科学館なかなか面白かった ・ネットラジオに挑戦する 【12月】======================= ・長期休暇をもらってのんびりする ・忘年会の司会に挑戦する ・のびのびと絵を描いたり考えたりゆっくりしたりしている
【映画】 〈新〉 007ダニエル・クレイグ出演シリーズ Song of the sea レッドタートル ラ・ラ・ランド エクス・マキナ ドラゴンタトゥーの女(2011) コーヒー&シガレッツ リリーのすべて イミテーション・ゲーム 海街diary 時計仕掛けのオレンジ アメリカンビューティ ローガン ローマの休日 ニュー・シネマ・パラダイス 最強のふたり ベイビードライバー トランスフォーマー最後の騎士 スイスアーミーマン A FILM ABOUT COFFEE ダンケルク ブレードランナー2049 斉木楠雄のΨ難 KUBO/クボ 二本の弦の秘密 〈再〉 A.I エターナルサンシャイン ブレードランナー コララインとボタンの魔女
【番組】 NHKドキュメンタリー/華麗なるミュシャ 祖国への旅路 パリ・プラハ 二都物語 プロフェッショナル 仕事の流儀/グラフィックデザイナー・廣村正彰 情熱大陸/テキスタイルデザイナー森本喜久男 情熱大陸/演出振付家MIKIKO
【アニメ】 けものフレンズ ビッグオー ユニコーンガンダム ガンダムジオリジン 〈再〉 黄金勇者ゴルドラン
【書籍】 <漫画> ブルーは熱い色 フィリピンではしゃぐ 新装版メダロット 5&G編 〈文〉 なぜ一流は「その時間」を作り出せるのか 僕はアメリカを学んだ 小山登美夫の何もしないプロデュース術 小商いのすすめ パラレルキャリア 実践するドラッカー 利益とは何か 実践するドラッカー 思考編 〈画集〉 KABA
【展示・イベント】 デザインの解剖展 切手の博物館 西村ツチカ原画展 hima://KAWAGOE個展 キモチ feel so good 讃 上根拓馬個展 ウチボリシンペ個展 BUTTERFLY EFFECT アート+コム/ライゾマティクスリサーチ 光と動きの「ポエティクス/ストラクチャー」 mitake 2017-18 a/w collection 個物 片山正通的百貨全書 Rhizomatiks 10 アートディレクター佐藤直樹個展「秘境の東京、そこで生えている」 橋を渡る-東京から江戸へ- MUSIC ILLUSTRATION AWARDS 2017 vinyltoday 2017 TIS 東京東 活版TOKYO 2017 中茎あかり個展 TOKYO ART BOOK FAIR おもしろびじゅつワンダーランド 文化庁メディア芸術祭 フィンランドデザイン展 MINAI展@大怪店 好好香港 hima://KAWAGOE個展 浅い眠りにて そめやじゅん個展 ひかりあそび
【ライブ】 クウチュウ戦@新宿MARS クウチュウ戦@新代田 SAKANAQUARIUM2017
【音楽】 French Kiwi Juice 欅坂46 クウチュウ戦 Urban Cone Mondo Grosso Jarreau Vandal LUCKY TAPES Muff CHAI SEIHO METAFIVE Cookin' On 3 Burners FINAL FRASH pools
============================== 【目標を振り返る】 「採算を取る」を目標にしてました。 金銭面でいえば大失敗ですが、死なずに済んだのでまあ良しとします。
【創作】 <Welcome to Myroom@代官山> 二度目にして最大規模の個展。 気持ちと周囲の環境などの条件が合致し出来た展示だった。 新しいアイデアを色々と試せたし、この展示をきっかけに様々な人と知り合えた。 時期のせいなのか、日中客足がほとんどなかった。告知不足。 一人では対応しきれない状況もあったので、同じ規模をやるならお手伝いさんが必要。 次回はもっと知らない人たちに来てもらえるようにリーチしたい。
<サトウテッペイの音霊inフィレンツェ@SUPERFOX> 去年から打診されていたもの。悩みに悩んで参加を決めた。 結果的に言えばやって良かった。 絵は一枚も売れなかった。値段や見せ方の改善が必要。 売上はゼロだったけど、何事も初めてだったしやる価値は十分にあった。 誘ってくれたspaceKの木村さん、現地でコーディネートや観光案内をしてくれた横山さん。応援してくれた友人知人達には大変感謝しております。 昨年末のデザフェスで話を聞いてくれた3人の学生さんたちがきてくれたのは本当に嬉しかった!頑張ります。
<ボーイゼンガール展@DFG> 個展が終わったらきっと失速するだろうと思って、前もって申し込んでおいたグループ展。 男子と女子というテーマて、僕は男子を選んだ。 「男の子ってこういうの好きだよね~!」みたいなコロコロ的な世界観でイラストを描いた。 そしたら周りはもっとこう、思春期の繊細な部分にフォーカスしたようなものが多くてちょっと焦った。 とは言え具体的な規定はなかったし、そういう予測不能なところもグループ展の良さだと思うことにした。 時間足りなくて理想の仕上げにできなかったのが心残り。 そして今年の創作の流れはここで終わる。
<全体的に> 上半期以降、創作する気分にはとてもなれなかった。 活動が満足する結果に至らなかったというのは勿論、生活基盤が揺らいでいたせいだ。 去年からの流れで「いけるかな」という考えが甘かったという事実が露呈した感じだ。 アイデアを形にしてみるのは楽しいけど、へえー面白いね以上のものを期待するには時間や努力などのコストがかかる。 落ち着いて考えればわかることだけど、まだまだ点で実力が足りない。 へえー面白いね!以上を貰う実力が自分にはないだけの話だった。 基礎的な表現力(単純に絵がうまいヘタ的な)をもっと向上させたい。もっとうまくなりてえ。 アホみたいに絵を描きたい。 そういうことにエネルギーを使うべきだと思った。 あとまあ転写に凝りすぎた。音霊以外はもうやめとこう。 今年の流れを鑑みるに、詰め込みすぎだった。俺にはもう少しゆとりが必要ってことがわかった。
【生活】 今年初めから胃を壊した。ストレスが原因らしい。 あとは辛いものやジャンキーなものを連続で食べたとか、実年齢より胃が老けてるとか言われた。 半年くらいヨーグルトと蒸しパン生活だった。他の食べ物、無いなら無いで別に平気だった。コーヒーだけが恋しかった。 もう胃カメラは飲みたく無い。辛い。 12月、また胃が弱ってる気がするので気をつけます。
同棲生活が始まった。 実家を出るのは初めてで、そうすると部屋探しから各種届出など初めて。実に大変だった。 会社が徒歩圏内、好みの店も自転車でいける近所にあるってことでだいぶ快適です。 遊びに行く以外は電車を使わなくなった。通勤も含め電車辛くなってたのでありがたい。 古いものと新しいものが混ざっていて、この辺の街並みとても気に入っています。 生活自体もお互い協力して仲良くやっております。 オーブンレンジが欲しい。
【関心】 働き方について。または生き方、暮らし方。 自分にとっての喜びは創作することです。自分にとっての創作の条件は「生活基盤が安定していること」です。 今は経済面で不安があります。これではのびのびと創作ができない。 創作=生きる喜び。生きる喜びを別に移す努力とか、そもそも経済的不安を不安と考えない、今の社会の仕組みに沿って生きる必要もない、など考えるもなく考えている。 この辺のモヤモヤも、下半期に精神が乱れた原因のひとつだと思う。 無限にある可能性から大小様々な物事を選択していく。人生って面白い。 良いアイデア出なかったので置いておく。考えるのを止めなければ良い。
【総括】 12月は連休を貰って一年を振り返ることが出来たお陰で、落ち着いて振り返ることが出来た。 こうして見ると、「挑戦し、失敗」しているので、その失敗を成果として次回に繋げたい。
自分にとって良い環境作り=引っ越しが出来た。 周りの支えのお陰で、一人では選ばず成し得る事も出来なかった挑戦=フィレンツェ展示も出来た。 失敗を通して、次にやりたい事やすべき事が見えた。
僕は定期的に新しい物事がないと飽きて枯れてしまうんですけども、 新しい情報や刺激がたくさん得られた1年だったと思う。 なんだかんだで楽しい1年だった。 それもこれも家族、友人知人達のお陰だ。本当にありがとう。
【2018年は】 責任 誠実 感謝と敬意 家族、友人を大切に 健康第一
「定期的な活動を継続する」 「失敗を生かす」 「完璧に近づける努力をする」 「即行動」
あとは何より自分が楽しむ!ENJOY!!
今年も残りわずかとなりました。 来年もどうぞよろしくお願い致します。 良いお年を!
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chishiru61 · 6 years
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10月
※本当にただの備忘録です
10/12
前日まで買い出しパッキングかき氷部屋の掃除と追われたけれど、なんとか二時間寝て出発。羽田でお茶とシワ伸ばしスプレーも調達して。飛行機はさすがの日系エアライン(ていうかANA)、サービスの質が高い…。空いてたおかげで隣のおじさんが席を移ってくれたため、大変快適な13時間を過ごす。人間ダラダラ椅子に座っていても時間は過ぎるんだよなあ。ガイドブックを眺めてテンションを上げる。 しかしヒースローに着いてからが一苦労。何もないところで写真を撮っていたせいか日本人とバレ、変なおじさんに絡まれて怖かった(おかげでしばらく、妙に自意識過剰になってしまい道を歩くのが少し怖かったという…)。そしてパディントンからタクシーに乗るも、運転手さんに詳しい場所が分からないと言われ、右往左往。なんとか宿に着いたのち、最寄りの駅までオイスターカードを調達しようと外出するも、これまた道を間違えて右往左往。結構大変な初日を過ごす。 ちなみに宿は、ずっと泊まってみたかった日系のゲストハウス。まあ…まあだった笑
10/13
午前中、同室の学生さんと少し話したのちチェックアウト。次のホテルにさっさとチェックインして荷物を置いた。はっきり言って自分の全財産持って行動してるようなものだから、相当緊張したなあ、、、少しホテルで休憩した後、街の中心部へ。久しぶりのピカデリーサーカス。パブの2Fにあるティールーム⇒ナショナルギャラリー⇒ジャパンセンター⇒ホールフーズマーケット、と。この時はまだちょっと環境に対して緊張していたため、せっかくのナショナルギャラリーもあまり頭に入らず。ホールフーズマーケットの量り売りサラダバーで買ったサラダを5時に夢中を見ながら食べ、就寝。
10/14
アールズコート駅からずーっと徒歩でグロースターロード(語学学校前)⇒V&Aミュージアム⇒ハロッズ⇒ハイドパーク⇒Green Park近くのitsuへ。そしてその後、ホームステイ先にチェックイン。もちろん、ド緊張。出迎えてくれたトニーとペネルは優しそうな老夫婦。本当に、思い描いていた通りのイギリスのミドルクラスの老夫婦だった。家について最初に目についたのは、リビングに所狭しと並べられた置物や額縁の中の日本人形。その後トニーが、愛車アルファロメオで近所をぐるっと案内してくれる。夕食は、サーモンロースト。ご飯が美味しかったのはとても安心した。ご飯の後は、ペネロペお気に入りのBBCのダンスコンテスト番組を一緒に見る。 老夫婦のマシンガントークに必死で相槌を打ちながら夕食を食べるのも、初めての(しかも外国の)お宅のリビングルームでテレビを見るのも、もちろん必死なんだけど、その状況がなんだか信じられなさ過ぎて、「何やってるんだ自分!」とそれを俯瞰的に楽しめる感じもあり。初日終了。
10/15
午後から外出。金田屋、前もっと感動した気がするけどなあ。前回滞在時にとても気に入ったコート―ルドギャラリーにだけよって、そそくさと帰宅。なんというか、全て一度見たものではあるので、なかなか新鮮な感動は得られないなあというのが惜しいところ。もちろん同じところに行きたいと思ったのは自分だし、当たり前なんですけどね。そしてなかなかホームステイには慣れない。部屋にいても、いつ英語で話しかけられるかと思うと(自意識過剰)、落ち着かない日々を過ごす。
10/16
学校初日。周りの生徒のスピーキングレベルの高さに圧倒されたが、隣のイタリア人(ガブリエル)が優しくて助けられる。ありがとう、「次はイタリア抜きでやろうぜ」なんてもう言わない。初日の感想は「これは大変なことになったぞ」。でも、全然違う国々から来た生徒達の中に混じって授業を受けるという状況、これも「何やってるんだ自分!」って感じでちょっと面白い。午後のクラスは母と同じくらいの年齢の日本人女性がいらっしゃったので、ご挨拶。このくらいの年頃の女性も少なくないみたいだ。素敵なこと。 疲れたのでさっさと帰宅したら、エージェントのガイダンスをまるっきり忘れていた。この夜、やっと日本から持ってきたお土産を渡せる。大層喜んでもらえて、ありがたかった。
10/17
初めてバーガーキングに行ったが、美味しい。学校帰りは、ロイヤルアカデミーオブアーツでマティスの展覧会。小さい頃に読んだ絵本のせいで、「マティス=ホテル」というイメージが未だに抜けない。夜ご飯は外でフィッシュ&チップス。
10/18
初めてアクティビティに参加。カレーを食べに行くが、これが美味しかった。イギリスに来てから、ほとんどご飯には困っていない。初めて21時台に帰ったけれど、駅周辺は全く問題ない雰囲気で一安心。改めてメモっておけば最寄り駅のParsons Greenは、緑もあって気持ちの良い、閑静な住宅街。中心部からの距離も勘案して考えると、本当に祐天寺くらいのところ。とても気に入っている。
10/19
放課後にサーチギャラリーへ。モダンアートミュージアムということでどうかなー、と思っていたけど、普通に目で見て楽しめる展示が多くて面白かった。企画展では螺鈿のような技術を使った韓国のアーティストの企画展示をやっていて、そっかー近いし同じような文化やっぱりあるんだよねー、と思う。
10/20
金曜は半ドン。一風堂に行く。これは本当に日本の味そのままで、ここは高田馬場かと思った。その後大英博物館で、ペネル&トニーおススメのスキタイ族の展示を見る。夜はまたホールフーズマーケットのサラダバー。「夕食はいらない」と言ってしまったので遠回りして帰り、とりあえず帰ったら一緒にテレビを見て、部屋に戻ってからいそいそ食べ始める、という行動に疑問を感じる。
10/21
ノッティングヒルの、ポートベローマーケットへ。前回の滞在時に食べたパエリアをもしまた食べられたらうれしいなーと思って行ったら、本当に同じ場所にあって笑った。その後ガイドブックに良く取り上げられるお洒落なパブでサイダーを1/2パイント飲み、パディントン駅へ。リトルベニスからリージェンツ運河に沿って、ひたすら東へわくわくと歩く。リージェンツパーク、眺めの素晴らしいプリムローズヒルなどを経て、最終的にはカムデンマーケットまで。カムデンマーケットはとても広くてエキサイティングだった。 (今思えば、この日は尋常じゃないくらい行動している。今スマートフォンを見返したら、この日は17.1km歩いていた)
10/22
数日前に約束した通り、トニーに連れられて教会へ。教会にいる人たちは皆知り合いのようで、トニーもペネルも楽しそうに会話をしていた。夫婦が普段はあまり外に出ていないことを考えれば、教会(=宗教)のコミュニティー的な機能ってやっぱりあるんだなあと思う。そして家に帰って、簡単なお昼ご飯。ガーリックの効いたクリームチーズを乗せたパンのトーストに、半分に切ったアボカドにマヨネーズと小エビを乗せたもの。こういう軽食こそ、やはり国によって全く違って面白い。 食後はまたもサーチギャラリーへ。クリームティーをいただく。その後ハロッズにも少し寄ってから帰宅。
10/23
エージェントのオリエンテーション、のち近所の大英図書館へ。ハリーポッターの展示をやってると聞いて行ってみたのだけど、すでに本日分売り切れ…。日本で人気のものって本国と温度差あることも多いけど、そうではないようで���もしい。また今度に。
10/24
スピーキングのレベルが合わないのが毎日辛かったので、結局クラスを変えてもらう。しかし、1つレベルを変えるとかなり内容に差があって、ちょっと後悔。スピーキングのレベルは今のクラスが丁度良いが、グラマーやボキャブラリーが少し物足りないという。ここ1週間、自分は「文法語彙スペル>>>(越えられない受験勉強の壁)>>>スピーキング」という、typical Japaneseであることを痛感している。 そしてこの日は、ランチクラブで、多くの日本人と一緒になる。初めて同じくらいの年の日本人の人とちゃんと話した。 放課後はお買い物へ。持参したユニクロのダウンがあまりにペラかったこともあり、どうしてもカリマーのコートが欲しくなる。カリマー。スポーツ用品店的なところに行って1時間半くらい熟慮した末に、購入。半額セ��ルで54£。本国ではカジュアルなブランドが日本ではちょっと高級な顔してるの、よくあることなんですかね。バナリパとかもそうだ。
10/25
放課後、日本人のTomと2人で飲んで仲良くなった後、学校のアクティビティで日本食へ。タイワニーズのTimに「You Look like Chinese!」と。分かってるってば。「台湾人には見えない?(中国人と台湾人の違いって?)とか聞きたかったが、さすがに際どいので自重。料理は普通。Timはイイやつ。
10/26
また1週間が過ぎようとしていて、早い。放課後はテートへ。リリー、リリー、ローズみたいな題の絵(たぶんラファエル前派かその周辺?)がとても良かった。見てたらきっと印象に残ってるはずだから、前回はなかったのかな?また1つ好きな絵が増えて嬉しい。 んでショップでついにマグカップ(これは和製英語らしいが)を購入。これでお茶が飲める。
10/27
『チャーリーとチョコレート工場』インスパイアのアフタヌーンティーへ。当然1人。もう墓も1人で入れるかも。予約なし飛び込みだったのでちょっと席が落ち着かなかったかも。今度からちゃんと予約しよう。わたあめ美味しかった。 のちテートモダン。前回見られなかったロスコの絵を見られて嬉し。エントランスのみんな地べたに座ってるところが、なぜかやたら落ち着く。 そして華金の夜の地下鉄に、スピーカーから音出し+生演奏のトランペットで陽気な音楽を奏でる集団が(当然、のち集金)。みんなノるのかと思いきや普通に迷惑顔で、ロンドナーのこういうところは好きだなと。
10/28 ホームステイ先近所にフィッシュ&某の割と人気店があるらしいので、偵察。ちゃんと美味しかった。「どうだった?」と聞かれ、適当に「Lovely!」と返したら、「良い表現知ってるね!」と。確かにホストマザーもラブリーはよく使う。オザケン。 その後リッチモンド。公園の丘からセントポール大聖堂が見えるというの、ファンタジックというかRPG的というか、とても好き。しかしその後バッテリーを忘れたため、時間つぶしに苦慮。
10/29
悩んだ末結局コッツウォルズバスツアーへ。結果的に3/4は以前も訪れた村だったけど、さすがのコンテンツ力。チェキを撮る手が止まらない。ボートンオンザウォーターのベーカリーで食べたヴィクトリアスポンジ、フレッシュなクリーム+ホロっとした生地で美味しかった。
10/30
人を自ら飲みに誘うという珍事。少し毎日が単調に感じられるようになってきたからかもしれん。語学学校は、当たり前だけれど英語を勉強する場所以上でも以下でもない(なんて贅沢な…)。
10/31
サッカーが嫌いなブラジル人や、シャイなイタリア人と話す。こういう方々は本当に好き。自分もよく喋る日本人になりたかった。 昨日に引き続き、日本のお友達とお出かけ。こちらでできた友人が、ゼミ先輩の妹さんだということが分かり驚愕。世間。
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guwaa · 7 years
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どうしてぼくは文章を書くのか。 中身もうすっぺらく、言葉の意味すらとらえることができず、挙げ句の果てに、どちらのものともつかない言葉を羅列して、図々しくも「文章」などと揶揄するそれに、意味はあるのか。ぼんやりと、冷えた月の風のなかで、それだけを考えていた。 イヤフォンの向こうでは、ぼくが唯一神のように信仰するそのひとが、ふるえた喉を枯れさせて、うたをうたっていだ。帰り道はどこ、と。 きっとぼくも、おなじようなものなのだろう。 ぼくが小説とも呼べないような稚拙なそれを書き始めたのは、小学1年生くらいだったと思う。それ以前にも絵本の延長のようなものは書いていたけれど、それでも、ぼくは文章を書くよりも、絵を描くほうがずっと好きだった。そもそも、幼稚園児ほどの子供に、文章をつくることはほぼ不可能なのだが。 何のきっかけがあったのかはよく覚えていないけれど、それくらいの時期に、ぼくは本を読むことに没頭し、そればかりを考えていた。最初に本として認識し、読んだものは、確か子供向け文庫の「妖怪ナビルナ」だった。それだけは覚えている。同じ日にもう一冊本を買ってもらったのだが、それは確か「魔界屋リリー」というシリーズの一作目だったか。絵が可愛かった。本当に。だってもう一度読みたい。 とにかくそれから紆余曲折ありぼくは銀魂を知り、世間一般に言われるオタクになった。正直、この時代のことは思い出したくないので割愛。友達がいなかったので、仕方なくひたすらに本を読んでいた。小学六年生、東京に来て本当に本当に苦しかった時に読書週間でぼくが頭一つ抜けた冊数を読んで表彰されてしまったのは誤算だった。友達もろくにおらず、気持ちの悪い転校生だったというのに、体育館で学年生徒の前に立つことになってしまったのだ。思い出したくもないのでここで終わり。 確か、二次創作と呼ばれるようなものを書き出したのはそれよりも前だ。小学四年生くらいか。ぼくはドラゴンクエストの二次創作小説がたくさん投稿されている小説ストーリーテラーというサイトに入り浸っていた。故郷にいた時も、友達は少なかったので。そこでぼくは朱空というひとに出会った。彼女、あるいは彼の書く文章はぼくにとってまぎれもない革命だった。こんなに美しい文章がこの世界に存在するのかと、幼心ながらに絶句した。思えば、このときの衝撃は、はじめて高橋國光の音楽を聴いたときのそれによく似ていた。十年近く経つのだが、少しも忘れることができない人だ。とにかく彼女あるいは彼は、ぼくの人生を大きく動かすこととなった。 それからはエッチな小説サイトを辿ったり、その過程で夢小説サイトに入り浸り夢女になったり、たくさんのことがあった。例に漏れず割愛。ハマったジャンルを思い出し羅列するだけで夜が明けるので。 しばらくしてからぼくは自ら夢小説あるいはホモ小説を書き始めた。本当に拙く、今思えばこんなものを世の中に公表していたのかという事実だけで恥じらいで東尋坊から転げ落ちてしまいそうだ。それでも当時のぼくは文章を書くという希望に満ち満ちていた。パソコンを与えられたぼくは次々に二次創作小説を書いていった。本当に、当時のぼくの筆の速さばかりは、もっと評価されてもいいのではと思ってしまう。1000文字程度なら、文字をタイピングしながら考えることができた。だいたい一つの小説を書き上げるまで、30分から1時間程度。あまりの速さに、声を出して笑ってしまいそうだ。ちなみに今は2000文字程度の文章を主としているのだが、1時間半から2時間程度。時間的にはあまり変わっていないけれど、大抵今作り出すそれは、ぼくをかえって悩ませるだけのものになってしまう。当時のぼくは、本当に、書き上げたすべてのものを、愛していた。何の取り柄もない自分の、唯一好きなところだと思っていた。 そういえばこの時にタグも学んだ。小説サイトを作った。今はピクシブやらタンブラーやらで簡単に文章を載せることができる、いい時代になったと思う。当時は小説一つ載せるにも、タグを学び、たくさんの検索避けタグを用い、ヤフーなどのサーチエンジンに1ミリでも引っかかってはいけなかったから。それは今も変わらないとは思うのだが、ピクシブなどの台頭で、叶わなくなってきてしまっている気がする。そういった古の時代の腐女子なので、キャラクターの名前で検索すると容赦なくエッチな絵やら文やらが出てくるこの時代はいかがなものかと考えている。どうでもいいことだが。 とにかくたくさんの文章を書いていたぼくだったのだが、あるときぱったりとそれを辞めてしまった。理由は何だったか。時期は確か中学三年生の頭くらいだったはずだ。こうやって考えると、高校受験によりスマートフォンやパソコンを触れなくなってしまったのが原因のようにも思えるのだが、真の理由は、もっと別のところにあるだろう。 ひたすらに余分なところは割愛していく。そして迎えたのが高校一年生の冬だ。the cabsとの出会い。例のあいつにMVのURLを送ってもらったのがすべての始まりだった。すっかりその世界観に惚れ込んだぼくはとにかく彼らのことを調べ尽くした。インターネットを駆使するとはまさにこのことだったと思う。ぼくは現代社会が大嫌いだが、情報化社会万歳と言わざるを得ない。 そうして出会ったのがonly if you call me jonathanーー高橋國光、その人のブログである。はじめてその文を読んだとき、ぞっとした。こんなにも美しい文章が存在するのだと。はじめてthe cabsの音楽を聴いたときと同じ大きさの衝撃がそこにはあ���た。ああ、そういえば、朱空さんの文章を読んだ時も同じ感覚だったな。ぼくは、なんだかすごく懐かしかった。 ブログのバックナンバーを辿るうち、彼のうちに秘められたものにも触れることができた。高橋國光のつくる詩、あるいは散文は、紛れもなく尊いものだった。気がついたときにはぼくはドトールコーヒーの片隅でホットコーヒーを飲みつつ、頭の中に散らばる言葉たちをまとめ、つむぎ、かたちにしていた。実際それまでも時たま文章をつくったりはしていたのだが、惰性で書いたようなそれとは、まるでわけが違った。ただ、その時書いたものはどれだったのか、あるいはもう消えてしまったのか、それすらわからない。読めば思い出すのだろうが、探すのが面倒だ。 たしかに最近、ぼくはまた文章を書いている。それを楽しいと思う。けれどもやはりその鋭さは、中学二年生がピークだった。間違いなくだ。その原因として、他に没頭するものができてしまったからなのではないかとぼくは考える。当時は友達がいなかった。本当の本当に、冗談でもなんでもなく、陰キャラだった。なので、エネルギーを、二次創作のみに注ぐことができていたのだ。けれど今はどうか。少ないなりに友人はいるし、好きな音楽もある。ギターを弾くこともやっぱり好きだ。他に、力を注ぐことができるものたちができてしまったのだ。 きっと、あの頃のような文章は、一生書けないのだろうな。それが嬉しいようでいて、少しさみしい。 どうして文章を書くのかということだけを書くつもりだったのに、余計なことばかり記してしまった。ぼくは話が長い。改めて、そう思う。 どうして理由もない散文たちをこうしてまとめるのか。それは、トレーニングや練習、あるいは食事や排泄といったものに近いのではないかとぼくは考える。2週間ギターを弾かなかったら、突然指が動かなくなったことがあった。氏の言葉を借りるが、本当に、指の関節が減ってしまったのではないかと思うくらいに。文章を書かなかった時期も、そうだった。再開一発目、高橋國光の熱量を受けた直後はよかったのだが、それからは地獄だった。思ったものが書けないのだ。昔あれだけ頭の中にあったイメージたちが、いまは散り散りになってしまっていたのだ。そうしてぼくはようやく、自分が、継続していなくてはどんどん能力が落ちていく人間だということに気がついた。凡才だった。天才なら多少のブランクがあってもギターは弾けるし、文章も書けるだろう。けれどもぼくは天才ではなかった。ただの一般人に過ぎなかったのだ。 二度とあの時のような感覚を味わいたくないので、ぼくは、必死に得たものたちを捏ねて形にし、なんとかタンブラーに載せている。たまあに上手くいったものはピクシブにもアップロードしているのだが、当然のように、評価は少ない。けれどもそれでいいのだ。元々自分のそれが万人に評価されるものではないことくらいぼくは気がついていたので、落胆はない。 まあ、とにかく、理由もないような散文を載せる理由というものは、自己満足を踏まえた上での現状維持に過ぎない。誰かに見られたいわけでもないので、それでも構わないと思っている。けれど機会があれば一冊くらい同人誌を出してみたいな。 ちなみにここまで50分、文字数約3600文字だ。ぼくは長文を書くのがすこぶる苦手なので、これだけの文章量でもへろへろになっている。けれどスマートフォンの頼りないフリック入力で、このペースでなにかを書くことができているということは、まあまあ頑張っているのではなかろうか。ああ、ただのナルシストみたいだ。気持ち悪いな。寝る。
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socialmoviesblog · 7 years
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■映画「美しい星」のメモ
▼どうしてこうも「テロリスト」のような映画が多いのか。それとも、自分がそういう映画をみてばかりいるだけなのか、、、吉田大八監督「美しい星」を観た。 
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▼本作は、1962年作の三島由紀夫の同名小説を現代風に改作した家族劇。自分たちが「宇宙人なのではないか」という妄想?にとりつかれた一家が巻き起こすトラジコメディ(悲喜劇のこと--三島自身の分類)だ。
 ▼世界中の多くの「人間たち」に、便利さや快適さをもたらすはずであった「ネーション-ステート-キャピタリズム」のトリアーデ(三位一体)に、もはや「実り」を感じられなくなった人が増えたからだろうか。「トリアーデ」は、「自分たちとは関係なく自動的に回っているだけではないか?」と感じた人達が増えたからだろうか。
▼「トリアーデ」の「外」を目指し--それでいて代替案を思いつくこともできないまま--ヤケクソでシステムに自爆の一撃を食らわせようとする「テロリスト」たちが増加する今の現実と呼応するように、この映画でも、トリアーデ(システム)を生きる「人間」であることをやめた「宇宙人」(たち)が「外」へと飛び出す様が描かれる。
 ▼作品は一部の登場人物たちを大幅にカットしつつも、おおむね三島の原作小説をなぞってはいる。だが、その「意味付け」--特に作品の軸であるUFOの位置づけ--は、似ているようでけっこう違うように思う。
▼おそらく三島にとってUFOとは、戦後の「人間宣言」により超越性(「人間」とは違う領域を生きていると感じさせる力)を失ったかにみえる、天皇の代理物だったのだろう。
▼実際にも戦後の三島は「日本空飛ぶ円盤研究会」と呼ばれるUFOマニアの会に所属するなど、宇宙から飛来する未確認飛行物体に並々ならぬ関心を寄せていた。なお、この会には、星新一、小松左京らSF作家と並び、後に三島とも立場が近くなる石原慎太郎も所属していた。やはり、三島にとっても石原にとってもUFOは戦後失われた「超越性」を呼び覚ますものだったのだろう。「オカルト」とよばれても、戦後、皆が平等に自由で快適になる「のっぺりとしたニュートラルな社会」が広がって行く中で、それとは「違う領域」(外)が必要だったのだろう。(ちなみに「違う領域」が好きな石原はこの後「ネッシー探検隊」を結成し、世界の秘境を巡ることとなる……これも彼なりの「超越性の希求」だったのか、それとも……)
 ▼だが、なぜそんな「違う領域」が必要だったのか?小説にはこうある。
 「P20(ある夏の日、空に円盤をみた重一郎は)まず、彼は円盤が見えていた間の数秒間に、彼の心を充たしていた至福の感じを反芻した。それはまぎれもなく、ばらばらな世界が瞬時にして医やされて、澄明な諧和と統一感に達したと感じることのできる至福であった。天の糊がたちまちにして砕かれた断片をつなぎ合わせ、世界はふたたび水晶の円球のような無疵の平和に身を休めていた。人々の心は通じ合い、争いは止み、すべてがあの瀕死の息遣いから、整ったやすらかな呼吸に戻った…」
▼もともとひとつであった世界(人々)が近代化とともにバラバラになっていく。UFOの超越性(神がかり)は、それを再び1つにまとめてくれるものとして三島には見えている。まさに天皇の代理物だ。
▼しかし、映画では、こうしたUFOの位置づけを独特の仕方でズラしているように思う。
 ▼…ともあれ、先を急がずにストーリーを追う。
▼映画は、レストランの天井で火星のように赤々とした火を灯すシャンデリアを映し出す所から幕を開ける。
▼その「火星」の下で、苦々しい顔をして料理を口に運んでいるのは気象予報士の大杉重一郎(リリー・フランキー)。そして同じテーブルには妻の伊余子(中嶋朋子)、娘の暁子(橋本愛)の姿が…
▼この日は、重一郎の誕生日祝い。だが、「この年になってまでこんな儀式が必要か?」と浮かない顔の父。同じく、まずそうに料理を口にする娘、そしてこの日、同席するはずだった兄・一雄(亀梨和也)は、いつまでたっても現れない…
▼それでも妻の伊余子は言う。「誕生日はこうして一緒に集まることが大事なの」。とはいえ、バラバラ感が否めない大杉家…。 
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▼そんな一家の面々は「バラバラ」であるだけでなく「チグハグ」でもある。
▼たとえば父の重一郎。
▼彼は誕生会の最中、不倫相手から電話がかかりテーブルから一旦退席。だがそのすぐ後に「お誕生日おめでとう」のケーキを持ったシェフたちが歌いながら登場…というチグハグさ。
▼加えて仕事である気象予報も「当たらない」ことで有名。超暖冬の中「寒くなる」などチグハグな予報をしてしまい、キャスターの今野(羽場裕一)から「頼みますよ」とからかわれている…
 ▼また、兄の一雄。
▼彼は大学を卒業後も就職せずメッセンジャーのバイトをして暮らしているが、荷物を届けに行っても、届け先のビルのエレベーターがいつまで経っても降りてこず、受け渡し時間をオーバー…
▼腹が立ち、受付嬢に「エレベータなんとかしてくださいよ」とクレームを入れるも失笑されるだけ…
▼それにも腹が立って1人カフェでコーヒーを飲んでいると、高校時代の後輩に遭遇。そして「珍しい人発見!」と珍獣をみつけたように写メを撮られる有様…(自分もフリーターではないが少し前にこんな感じで写メを撮られたことがある、、、どうせなら亀梨君のイケメンぶりも似たかった、、、)
▼さらに、彼女とつきあうも、デート先のプラネタリウムでキスをせがむと「ホテル代払えないからって、こんな所でケチるなよ」と逃げられてしまう…
▼彼もやることなすことが、どうにもチグハグだ…
 ▼そして妹の暁子も、大学に行っても話す友人がおらずいつも1人。
▼また、皆が興味を持つ「ミスコン」にもまるで興味が湧かず。スカウトにきた広告研究会のチャラ男に「やめてください!」と大声をあげ、周囲から怪訝な顔でみられてしまう場違いぶり…
 ▼「人間」たちが生きる「トリアーデ(システム)」の刻むリズムとはどうにもテンポがあわないチグハグぶり…それゆえに、彼らは「別の領域(外)」へと吸い寄せられてしまう…
 ▼ひどく蒸し暑い冬の夜。重一郎はホテルで不倫相手の後輩気象予報士・中井(友利恵)と密会。そして、ことを終えた後、2人車に乗り込む。
▼だが…突如、前方にまばゆい光が。それと共に意識を失う重一郎。気が付くと、1人田んぼに車ごと突っ込んでいた。
▼あの光は一体何だったのか?それに隣にいたはずの不倫相手もいない…これは一体何なのか?
▼いぶかしく思う重一郎だったが、遅刻した放送局の屋上で、UFOが来ないか待っていた「オカルトマニア」のスタッフを発見。彼から「宇宙人にアブダクションされたのではないか?」と指摘され、UFOへとハマっていく…
▼そして気がつけば、「地球は温暖化や異常気象により破滅の危機に瀕している。だから人類は環境破壊をやめ、これまでの生活を変えなくてはならない。自分はそれを地球人に伝えるべくこの星に飛来した火星人だ」という認識に到達する(笑)…
▼危機感を持った彼は、以後、生放送の天気予報の場を借りて悲痛な声で叫ぶように。「TVの前のみなさん!目を覚ましてください!」と地球環境の危機を訴えはじめる重一郎。そして、「この警告は惑星連合の意志だ」と叫び、奇妙なポーズをしてUFOを火星から呼んで見せる…(当然、UFOは来ない…。)
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--こんなことをすれば普通は番組をクビになりそうなものだが、「ヘンなお天気おじさんがいる!」と視聴率がうなぎのぼりになったようで、「重一郎のお天気コーナー」は存続するのだった--
 ▼一方、一雄は、プラネタリウムで彼女にフラれた後、星の1つ(水星)が異様に眼前に迫って来るという「神秘体験」に遭遇。
▼その後、メッセンジャー仕事の道すがら、政治家・鷹森紀一郎(春田純一)と、秘書の黒木(佐々木蔵之助)に出会い、ひょんなことから事務所のスタッフに雇われると、彼らが「水星人」だったことを知る(笑)(厳密には黒木が水星人で、鷹森はそのパシリ)
▼さらに、一雄自身も「水星人」であり「神秘体験」をしたのもそのためだったと気づく……
▼そんな彼は、水星人の先輩・黒木から、恐るべき思想を叩きこまれていく。
▼彼はおおむねこんなことを言う。「お前の父は、テレビで地球環境が危機だ。美しい星が壊れていくと言っているが、美しいかどうかは人間の基準にすぎない。また、地球環境を守るというのも人間にとって快適な地球環境を守るということに過ぎない。地球環境が大事だというのなら人間が滅びて、それがきっかけとなって新たな生命体が生まれる…そのサイクルを進める方が、よほど地球のためではないか?」
▼「我々水星人は地球人にはできない決断を彼らに変わって行うべく、この星に降り立ったのだ」…
▼こうした思想を吹き込まれ、ますます水星人の自覚を強くしていく一雄、、
 ▼さらに妹の暁子にも「神秘体験」が。ある日、大学の帰り道で、独特の雰囲気を漂わせる路上シンガー、若宮(若葉竜也)と遭遇。その後、彼から渡されたCD「金星」を聴くや、何かを思い出したように覚醒。若宮が音楽活動を行っている石川県金沢市へと足を運ぶ。
▼その後現地で、若宮から「僕とあなたは金星人だ。僕は金星からUFOを呼ぶことができるが一緒に見ないか?」と誘われ、内灘町の海へ。そして円盤を呼ぶべく不気味なポーズを2人一緒に取り始める…すると、眼前にUFOが…(注1)
▼このくだりは本当にヤバい!オレンジの円盤が不安定に揺れながら飛来する様子と、トランシーな音楽とが相まって、意識が本当に「この世界の外」へと連れ出されそうになる。まさしく「テロ」のようにヤバい映像だ。
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 ▼ともあれ、こんな「UFO体験」をした暁子は、その後、旅を終えて帰宅すると妊娠が発覚。母に「相手の男は誰なんだ」と問い詰められるも「これは処女受胎。だからやはり私は金星人」だと確信。
▼そして「地球は本来持っていた美がゆがめられている。何が美しくて何が醜いかが揺らいでいる。我々はそれを元に戻すべく、この星にやってきたのだ」という若宮の思想を実行するべく、身重のまま興味のなかった「学園ミスコンテスト」に出場。ゆがんだ美の基準を元に戻そうと行動しはじめる…
 ▼火星人、水星人、金星人…三者三様で難儀なことになっていく家族。
▼と、そう書けば「母は幸い大丈夫なのだな」と思われようが、母も母で別の難儀さを抱えていた(笑)
▼母・伊余子は「地球人」の自覚はあるものの、近所のマダムの誘いに乗り「美しい水」と呼ばれるミネラルウォーターのネットワークビジネスに手を出してしまうのだった。「この水は和歌山のパワースポットの地下からくみ上げた特別な水で、肌にもよいのよ。それに他の人に勧めていけば1か月でウン十万稼ぐことも夢じゃないわ」
▼そんなマダムの言葉に心を動かされ「まずは100本」と在庫の購入を決めてしまった母…後日、家には大量のペットボトルが…
▼もうこの時点でヤバいことになっているが、そんなヤバい人が「私は火星人だ」と言っている「別のヤバい人」を諭したりするのだから、もう「何が何やら」という状況になっていて思わず笑ってしまう。(これがトラジコメディたる所以だろう)
▼それでも、数か月後には、月100万円以上稼ぐほど売り上げを上げ模範生としてパーティの檀上に立つほどになる母(笑)…。(関係ないが、自分の母親も水ではないが似たような状況にあるので実は笑ってばかりもいられないのだけれど、、)
▼ちなみに原作では伊余子は「木星人」。なので映画はそれよりはマシではあるが、逆にネットワークビジネスにはハマっていないのでどっちもどっちだ……
 ▼こうして「ネーション-ステート-キャピタリズム」の「トリアーデシステム」が刻むクロックから外れてしまうが故に、「システム」の「外」へとテロリスト的に吸引されていく家族…
▼だが彼らはこの後、その「システム」の「外」の在り方をめぐり「論敵」と大激論を繰り広げることとなる
 ▼その「大激論」の相手は、政治家鷹森の秘書・黒木。
▼発端はニュース番組での父・重一郎と鷹森の口論。この日、重一郎がお天気コーナーを持っているニュース番組に鷹森が出演。太陽光発電に補助金を出すか出さないかを巡り彼が自説を展開する中「そんな対策は生ぬるい」と重一郎がスタジオに乱入。
▼鷹森に「地球は危機に瀕している。一刻も早く対策を打たねば!」と迫り、あげく2人は言い合いになってしまう。
▼これが元で、後日、謝罪を求められる重一郎。だが、TVカメラを前に謝罪の言葉を述べるが、どうしても納得がいかずに、またも途中から自説を熱弁。
▼ここに割って入ってきたのが「水星人」一雄と黒木だった。
▼その後…「美しい星・地球とは、今のCO2の増加や、異常気象などが食い止められた環境破壊のない姿。そのためには今の人間たちのライフスタイルは一刻も早く革命的に変えるべき」とする火星人。
▼「美しい星・地球とは、この星のあるがままの進化ー衰退のサイクルに任せること。人間の基準で守ったり、守らなかったりするのではなくそれが進化のサイクルならば人間は絶滅し、次の生命体に場所を譲ればよいではないか。よって、このまま人間の絶滅まで突き進めばよいのだ」とする水星人。
▼「ネーション-ステート-キャピタリズム」の「トリアーデシステム」は環境破壊-人類絶滅をもたらすとして、「別のシステム」(外)への革命を訴える火星人テロリスト。
▼「ネーション-ステート-キャピタリズム」の「トリアーデシステム」を極限まで進めて、人類を絶滅させることで、地球は「ネクストステージ」(外)へ到達できると考える水星人テロリスト。
▼両者の意見が激突。だが、激論の末に、火星人の父はUFOを呼び出し現状を力づくで変革しようとするが、円盤は現れず…そのショックで?吐血して、ぶっ倒れてしまう。それをみた水星人は「勝負あったな」とばかりに「人類の行く末を決めるボタン」をプッシュ。つまりは、地球は何の変革も行われまま破滅を迎え、そこでようやく「トリアーデ」の「外」が到来するという結末を迎えることに……こうして重一郎のプロジェクトは破産したかにみえた…… 
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▼しかし、ここから映画は急展開する。
▼吐血の後、救急車で運ばれ病院へと送られた重一郎。火星人としての使命を果たせず、みるみる弱って行く彼の元には…「和歌山のパワースポットからくみ上げた美しい水」が、実は「埼玉のゴム工場の水」だったと判明し絶望する母…、師事していた政治家の離党騒動に伴い、事務所から捨てられる息子…、そして、「同志」の金星人が姿を消し、おなかの子供だけが残った娘…、同じように使命を果たせず挫折した家族たちが…
▼傷つき力尽きたかにみえる一家。だが、彼らはあるやりとりがあった後(後述する)病院を抜け出し「家族旅行」へと飛び出すことになる。
▼車で夜の道を飛ばす家族。常磐道の検問をぶち破り、��島の森へ…
▼その間、診断の結果、末期がんを患っていたことがわかった重一郎はすでに虫の息…
▼それでも家族は「ここに円盤が飛来するはずだ」と父が推測していた場所をめがけて、重一郎を背負いながら進んでいく…
▼場所は福島。原発災害の末、人間が住まなくなってしまったのか野生の牛が現れ、進んでいく家族を眺めている…(注2)
▼一方、家族は、その野生の牛の背中に父を乗せUFOの飛来場所まで登って行く(牛の背中に父を乗せているのは家族の幻覚だろう)。
▼そして、ようやく山頂に到着…と、思いきや突如、場面転換!
▼気が付けば、重一郎は、近未来風の部屋の中。火星に行く宇宙船にアブダクションされたのか…(いや、薄れゆく意識の中で妄想をみているのだろう)。
▼周囲を見回す重一郎。と、その時、「火星へ帰りましょう」のアナウンスが。それを聞き「とうとう故��に帰れるのか?」と喜ぶ彼だったが、ふと気になり、「ちょっと待て」と、船のウインドウをオープン。
▼すると、眼下には、「地球人」の妻・伊余子、「水星人」の息子・一雄、「金星人」の娘・暁子、そして、彼らに背負われぐったりとしている(もうひとりの)自分の姿が…
▼「お父さん、ほら、UFOよ!」そんな家族の声が聞こえるようだ。
▼それを見ながら、うれしいような、戸惑ったような表情をみせる重一郎…
 ▼こうして、映画はエンドロールへとなだれ込んでいくが、このラストをどう受け止めるべきか?
▼母を始め、息子も娘も、福島に火星からUFOが飛来するなんてことは信じていない。それでも最期くらいは、たとえ父の言うことが妄想であったとしても、それにつきあってあげたい。そんな思いが、大杉家がバラバラになるのをギリギリのところでくいとめた。そして、ゆるんでいた家族の絆は父の忌の際で再び結び直された…そんな家族賛歌、人間賛歌としてとらえるべきか?
▼実際、そんなレビューや感想もあったが、自分は少し違う印象を持つ。
▼というのも、病院のシーンで大杉家の面々は「人間」であること、「人間の家族」であることから一旦、切断されようとしていたように思う。
▼たとえば、重一郎と暁子。暁子は兄から「父は末期がんで長くない」と聞かされる。だが、「だから黙っておいてあげよう」と兄から「人間らしい」対応を提案されると、それを真っ向から拒否する。そして、父にはストレートに「がんだからもう長くはない」と告白。「非人間的」にみえる暁子…
▼さらに。彼女は父に「金沢へ行ったんでしょ。若宮さんの真実を教えてほしい」と迫る。それを受け「若宮は金星に帰った」「いや、会えなかったんだ。だから彼が金星人なのか、それとも違うのかは俺には分からない」と、答える重一郎。娘を思うが故に娘の妄想?に寄り添った「人間的」な解答を試みる…
▼だが、暁子はそんな父に怒る。「そんなんじゃ本当に人間になっちゃうよ」
▼そして、彼女は父の口から「若宮はただの女たらしであり、方々から借金をしたあげく、返せなくなって逃亡したこと」。「暁子は、若宮から薬を飲まされ意識朦朧となった時に、腹まされた」ことを引き出すのだった。
▼「人間的な」「家族的な」優しさからの「切断」を企てる暁子…
 ▼また母・伊余子。彼女はもう先が短く、体を動かすことすら困難な夫を前にしながら非人間的にも「家族旅行」を切り出す。「”美しい水”でお金を貯めようと思ったのは一度家族旅行がしたかったから。私はそれを実行したい。あなたたち水星人と金星人なら、協力してよ」
▼不思議な言い方だが、こういうことではないか?私は家族旅行がしたいので自分でする。あなたたちは「人間の家族」でなくてもいいから、異星人として、その旅行に協力してほしい。こう言っていると考えるなら、3人は「人間の家族」からは切断されている。
▼こうした家族の行動は、家族への優しさ→非人間的な切断→その上での家族旅行…と、まとめられるだろう。
 ▼これらのことをふまえたうえで、先述したラストパートにおける「3方向からの視点」について考える。3方向とは「家族でみる牛の妄想」「牛からみた家族」「UFOからみた家族」のことだ。
▼これらのカットの意味は何か?
▼「家族」は同じ妄想を共有できるほど自分たちにとって「最も近い存在」だ。(「家族でみる妄想」)
▼だが、いくら「最も近い存在」であっても実際には、バラバラな「4体の個体」だ(「牛からみた家族」)
▼それでも。バラバラで種族すら違う個体(地球人、火星人、水星人、金星人)の間であっても、人間はそこに共通性のようなものを「誤読」することがありうる。
 ▼一度、テロリスト的(宇宙人的)に「外」へと飛び出た存在は、内にいる時には「とても仲間だとは思えなかった者達」の間に、新たな共通性を読み込むことができる(誤読できる)。それができた時、つまり、仲間だと思えない者に「仲間」を誤読できた時、家族だと思えないものを「家族」だと思えるようになった時、世界は別様に読み替えられる。「ここではないどこか」、「トリアーデの外」は「ここにある」と言えるようになる…のではないか?
▼その意味でいえば、これは「非人間賛歌」であり「非家族賛歌」だと言えないか?
 ▼だが。いかにすればバラバラの中に「共通性を誤読」できるのか?
▼そのカギは妻・伊余子の態度にあると思う。彼女がこだわったのは「誕生日に家族が一同に集うこと」や「家族で旅行すること」など、「一緒に場を共有すること」だった。メンバーの中身が火星人だろうと、水星人だろうと問わない。とにかく「儀式」でもよいから時間、空間を共にしてみること。
▼この徹底的に庶民的な視点と、UFOから人類を眺める宇宙人的な視点が組み合わさる時「バラバラの中の共通性の誤読」は可能になる。そう言っているように思う。
 ▼また…
▼最も近しい存在であるかにみえる家族。そんな彼らですらもともとは「バラバラ」だ。にもかかわらず、人間は「とにかく一緒にいる」という事実性をフックにしてバラバラの中に「共通性」を誤読できる。それに気づかせるUFO
▼この認識は、「もともと1つであったものが、戦後社会でバラバラとなったため、UFOの超越的な力で、それをまとめ直す…」という三島の原作小説のそれとは微妙にズレている。
▼どちらも「バラバラ」なものを「共通にまとめる」という点では似ているかもしれないが、前提条件が違っている。
▼「ナショナルな同一性を前提としたうえでの共通性の取り戻し」と「コスモポリタンなバラバラ性を前提としたうえでの共通性の誤読」…
▼先に「映画は三島の原作小説の認識を独特にズラしていると思う」と書いたが、このことだ。
 ▼原作から少しだけ寓意をズラすことで獲得された「宇宙人の眼」…それは、原作からだけでなく、「トリアーデ」の外に向かってヤケクソの一撃を加える「テロリスト」たちの認識からもよく似ていながら少しだけズレている。この映画を観ることは、そのズレに目を凝らすことだと言えるだろう。
  (注1):内灘海岸の北にある羽咋市は「UFOの町」として知られている。今回、小説を読んで「三島の時代からこの辺はUFOの町だったのか!」と石川県生まれの自分は驚いた。ちなみに、羽咋市には志賀原発があり、注2との関連性もあって興味深い。
 (注2):実際にも震災後、福島の原発付近では「UFOの目撃」が多数なされている。たとえば…
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…など。
これが、本当に宇宙から来た円盤なのかはさておき、なぜこうした「目撃例」が相次ぐのか。
木原善彦「UFOとポストモダン」では放射能とUFOの関係について分析がなされている。
彼の議論を含め自分なりに解釈すると、「核」は「理想的な未来の象徴(クリーンで無限の力をもつ原子力発電)」であるとともに、近代社会がもたららす「悪夢的な未来の象徴(原子力爆弾、メルトダウン)」の象徴だともみられていた。また、UFOも同様に、「高度な文明を持つ理想社会の象徴」であるとともに「高度な文明を操り人間を支配する厄災的存在の象徴」でもあった。
そうした、近代科学文明の持つ「理想」と「悪夢」の両義性を現す存在としてUFOと放射能(核)はよく似ていたため、原発(核)=UFOの連結(連想)がなされるのではないか、と。
★予告動画★
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localventurelab · 7 years
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ローカルベンチャー最前線:シゼントトモニイキルコト株式会社 ソガイハルミツさん(後編)
好きな日に、好きな時に働く フレックスデー&フレックスタイム!
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▲ラベルのイラストを手がけたのはリリー・フランキー氏。このトマトジュースは、シゼントトモニイキルコトの人気商品だ。 ソガイ氏の思想や手法に共感し、現在、畑を手伝うスタッフは6名。実習生、研修生、パートなど性別も世代もさまざまというが、「正社員というスタイルはないので、僕も含めて、みんなフレックスデー&フレックスタイムなんですよ」。
ことの始まりは過疎地ゆえの労働力不足だった。当初、定時勤務で募集してはみたものの、思うような反応が得られず、どういう働き方ならば労働力を確保できるかを真剣に考えたというソガイ氏。
「僕らの畑の形態だと、ほぼ手作業なので一斉に何かをしなければならないという状況はあまりないんですよ。だとしたら、それぞれのタイミングで仕事をしてもらえたらいい。パートさんの中には小さいお子さんを持つお母さんも多いのですが、そういう人たちがうちの野菜を食べたい、働きたいって言ってくれるのはすごくうれしいし、ありがたいこと。ならば好きな時に来てくださいっていうところから、このスタイルが定着しました」
忙しい季節に手伝いに来てくれる後輩や実習生たちもまた、それぞれに趣味や休みが欲しい理由がある。ソガイ氏自身が、多趣味であるからこそ、その気持ちはよく理解できたのだという。
「自分もそうですけど、今日あのイベントあるのに仕事しなくちゃ……というテンションで農作業をしても効率は悪いですよね。何よりも自然と共に生きることを掲げていながら、そういう気持ちで作物と向き合うのは失礼かなぁとも思ったりして。空間には精神的な電磁波も流れると思っているので、精神衛生上、ストレスはない方がいいでしょう(笑)」
フレックスデー&フレックスタイム導入後は、人手不足は解消された。言うまでもなく効率的に仕事は回り、従業員には働いた分の給料を支給している。愛ある人たちのサポートによって、大地の恵みをたっぷり吸い込んだ作物は実り、収穫されて、ソガイ氏の個人事業である農園からシゼントトモニイキルコト株式会社に出荷される。そして加工品として販売され、求める人たちの食卓に届いていく。
「みんな一応食べられてるよね。なんとか経済が回ってるんだから、すごいよ」
自然の素晴らしさ、偉大さ、そして人もその一部であることを自覚しているからこそ、共に生きる。まさに社名の通り、シゼントトモニイキルコトを目指すソガイ氏。自然に即した本質を追求し続けること、そしてそれを発信することで、人も経済もつながっていく。
彼のあたたかな思想と豊かな環境の中で育った作物は、自然そのものの味がするという。農園で栽培されたミニトマト約30種のほか、新鮮な野菜やそれらを使った加工品はインターネットや各地のマルシェで絶大な人気を誇っている。中でもトマトジュースは「その味わいの深さに自分たちもびっくりするほどの出来映えでした」と語るソガイ氏。リリー・フランキー氏がボトルのデザインを手掛けたことも手伝って瞬く間に認知され、雑誌などの媒体にも取り上げられるようになった。文字通り、看板商品に育ったトマトジュースは、今日も売れ続けている。
自然栽培ビジネスのセオリーを守り、 その合理性を伝えていくことが正攻法
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▲とあるマルシェに出店したときのブースの様子。黒板にはソガイ氏の「オーガニック」に対する想いやメッセージが記されている。
こうしてビジネス的にも着実に売上げを伸ばし続けている一方で「自然栽培への理解は残念ながらまだまだ低い」とソガイ氏は言う。まずは自然栽培の合理性を伝えること、それこそがブランド力の形成に繋がるのだと。その言葉の通り、SNSでの発信やイベントの企画・運営など、「シゼントトモニイキルコト」が行ってきた取り組みを積極的にアピールする機会も作ってきた。
堆肥などの、肥料を使わない自然栽培にシフトしたのが2007年のこと。「近年、いろいろなメディアで自然栽培のことが取り上げられて、少しは認知度が上がってきたものの、その理解はまだまだです」。そもそも、自然栽培は環境に由来してその生態系がつくられるという発想から生まれたもの。ところが、実際には生態学的な裏付けを化学的に証明するのは困難なのだという。「土壌学や微生物の研究はまだ解明されていない分野も多いんです���。未だ科学的根拠のない自然の摂理。それを経験値の中で、彼らは理解しようと努めている。「たとえば生態系からなる食物連鎖は自然栽培においてはとても重要。僕らは、それを『オーガニックインフラ』と呼んでいます」。それは土の中の生きものたちの分布やバランス、空気や水の流れなどを指す。「長年、化学的なものを多く投入され続けてきた日本の畑では、オーガニックインフラは壊滅的な状況といえます。だからこそ、国内の農業は圧倒的な量の化学物質に頼らなければならない、これが現実です」とソガイ氏は厳しい表情で語る。
そこで畑のオーガニックインフラを整えるためには、まずバランスを崩した畑に蓄積した化学的なものをデトックスする必要があるのだという。「オーガニックインフラは10年を一区切りと考えます。自然栽培のビジネスを考えるとスタートから5年は先行投資。5年目以降からようやく収穫量が増え、同時に野菜のクオリティも上がっていきます。それまでに畑のポリシーとストーリー性を確立させ、ブランド力を高める。そして本格的な販売に備える、というのが自然栽培ビジネスのセオリーと言えます」。
本質的な豊かさとは、みんなが楽しくて、しあわせになること。目指すは世界平和! 
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▲名刺の裏には、活動の根本となる考え方や自然とともに生きる自身の在り方が綴られている。名刺交換の機会もまた、ソガイ氏にとってひとつの情報発信の場なのだ。
ソガイ氏の名刺の裏には、彼が彼と関わるすべての人に伝えたいメッセージが綴られている。
この地球には、さまざまな民族があり、民族の数だけ文化と言葉が存在します。
「エコロジー」と「エコノミー」環境と、経済。 現在は対局するベクトルの言葉として使われています。
エコ:ecoの語源は、ギリシャ語の「oikos」家、集まる場所を表しています。 ロジー:logyは「logos」理論、学問。 ノミー:nomyは「nomos」規則、方法を意味するのです。 つまり、「暮らし方、共存の方法」という意味だったのです。
そして、経済という言葉。 誕生は福沢諭吉が、「political economy」という英語を「経世済民」と訳したことから生まれました。 「世を(経)おさめ、民を(済)すくう」。 現在の経済が、民を救っているかは僕らにはわかりません。 そして農業とは「agri culture」それは文化であり、ライフスタイルと僕らは解釈します。
「自然と共に生きること」という在り方を考え、生きものとしての環境収支という観点で本質的な豊かさ、その概念を模索する、 そんなコンテンポラリーファーマー、クリエイターを応援・育成し、農の文化を発信する集合体です。
「うちだけが潤っても、それは僕の目指す本質的な豊かさではありません。今金町が、北海道が、日本が、アジアが、世界中が豊かになって、みんなが楽しくて、幸せになったら、世界は必ず平和になる」。少年のように、無邪気な笑顔で力強く語るソガイ氏。単に生産者という立場に留まらず、農業を文化、そして自然と共存するライフスタイルと捉える、その純粋さこそが、周りにいる人の心の栄養となり、作物を育む大地のエネルギーになっているような気がした。
【プロフィール】 ソガイハルミツ(そがい・はるみつ) 1973年、瀬棚郡今金町生まれ。北海道情報大学卒業後、プロスノーボーダーとして活躍。2000年シーズン終了後に引退。01年よりソガイ農園を5代目として継ぎ、農業を始める。「シゼントトモニイキルコト」は07年に法人化し、トマトジュースなど野菜の加工品販売を開始。現在は、NPO法人シゼトモoikosの理事長も務め、北海道のコンテンポラリーファーマーとして高い注目を集めている。現在は気軽に有機・自然農業を体験できるプログラムの企画やイベント立案など、幅広く活動中。
会社名:シゼントトモニイキルコト株式会社 所在地:北海道瀬棚郡今金町字神岡1033 設立:2007年7月7日 資本金:3,000,000円 従業員数:社員2名、パートタイマー・アルバイト2〜5名、研修生・実習生1〜3名 事業内容:・農産物の��成・販売、農産物加工品の製造・企画開発、農業体験等に伴う全ての企画・運営、オーガニックの理解・普及に於ける技術・人材の開発・育成等全般、講演・執筆等
<取材・編集:伊藤衝、服部彰治  ライター:市田愛子>
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raka0103 · 7 years
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LILIUM ~少女純潔歌劇~を観たよ
個人的に非常に信頼のおける方がツイッターで常日頃プレゼンをされていたのでワァこれはいつか観よう…少なくとも損は絶対にしない…と思っていたコンテンツでした。
U-NEXTで3月末までタダで見られるというのと原稿進捗との折り合いもつけられる目処がたったので、滑り込みだったけど休日に見られたのはよかった。2017年度の目標がひとつ達成できました。やったね。以下U-NEXTからの引用。
あおり文: 幻想的ゴシックミュージカル!彼女たちの秘密が明かされるとき、残酷な運命の扉が開く
あらすじ: 吸血種の少女たちが療養するサナトリウムで、シルベチカという少女が失踪する。サナトリウムの少女たちは、リリー以外彼女のことを覚えておらず…。
あおり文からしてこう、「残酷」という文字が踊っているわけだけど、多種多様のエンタメが溢れかえっているこのご時世、最初から物語の結末のテイストをあからさまに匂わせてくるのもなかなかだなと思いました。もちろん内容がわかりやすく我々に伝わるに越したことは無いんだろうけど、それにしてもベタな…と…笑
これあれだろうな〜「残酷」を謳っておいて最終的にはすごく綺麗な終わり方をして、「世界は美しくなんかない、しかしそれゆえに美しい―― -the beautiful world-」的なラストに持っていく感じのストーリーなんかなーって思ってました。  
そんな御託はいいからとりあえず再生。  
出た!!!メンバー全員がテイストをあわせながらもちょっとずつディテールが違っているコスチュームで登場するパターン~~!!!
白を基調としたまるで制服のような衣装が、閉鎖的な環境で何者かの支配下に置かれている思春期(純潔な)の少年少女を中心とした世界で物語が繰り広げられていくことを非常に端的に現わしていますね。ディテールの差異は、舞台上で各キャラクターの見分けをつけやすくする狙いもありながら、往々にしてキャラの特性を暗に示しているため、物語の内容を把握していくとより愛着が増すポイントであります。さらにアシンメトリーデザインのものを着ている子はストーリー展開上注目すべきキーパーソンである可能性が高いやつです!!!!!!!!世界観がわかりやすい。
…そういうメタ視点はともかくやはり女の子の着るふりふりひらひらはかわいいよね。個人的にはコルセットデザインのものに弱いのでチェリーと紫蘭の衣装がかわいいな~って思いました。
あらすじを読んだタイミングでは意識していなかったものの、竜胆やカトレアが名前を呼ばれるあたりから登場するメンバーに全部花の名前がついていることを徐々に理解。庭師の歌のくだりもあるし、何気にこれは温室の中、花々の擬人化のお話だったりするのだろうか…なんて思いながら見てました。
永遠の命を得てしまった孤独な存在が、とこしえの時を、誰かに寄り添って欲しいという願望から自分と同じような存在をつくりあげるために血道をあげる…諸々、ローランからしたらある意味王道っちゃ王道なんですけどね。ていうかアダムとイブ時代から「神様」はずっとこの手の流れを繰り返してるよねぇ…。
正直結末に関しては今のところ俯瞰的に語れるほど嚙み砕けていないのであとは各キャラクターや気になったところを備忘的にメモります。そのうちまた読み返したら色々変わるんだろうか。
◆マーガレット
カ、カ、カ、カワイイ~!!!!!キャラもそうだけど声もかンわい~っすななんだこの子は…学園モノでありがちな高飛車系お嬢様キャラかと思いきや本当に頭のかわいそうな子扱いされている…
もともとああいう性格なのか、繭期を拗らせると本来の人格からかけ離れたあのような性格にもなり得てしまうのかどっちなんだ。繭期を拗らせることと厨二病とがニアリーイコールなら後者も充分ありえると思うけども。ただ後者だとすると親衛隊の存在も割と…謎…いやまぁ、同レベルに繭期拗らせてるって思えばいいのか…後半までの展開はもう目を覆ってしまいたくなった。別にもとは悪い子じゃないんだもの…
◆チェリー
わぁ…すごい、おきゃん(死語)な子だなぁ…ミニスカートでアシメデザインのコスチューム、ボーイッシュな感じでとてもいい感じの子だな~と思いました。あの子が動くことで序盤はストーリー動く感じあるしね。しかしチェリー、正直マーガレットのドブネズミ発言みたいな物言いにいちいち傷ついて屈するタイプには思えないんだけどな。そのへんはやはり女の子、ということなんだろうか。
あと、地下室の存在を知って「このクランでは何が起こっているの!?」って怯えていたけど、実際真実を順序立てて説明されたらどんな反応を示したんだろう。リリーのところでもちょっと触れるけど別に巻き込まれて死ななくても良かった子だと思うんですよね…なぜ…こんなことに…だって庭師のお話好きだったんでしょ…(ってチェリーでよかったっけ…。)
◆マリーゴールド
思春期の少年少女が主人公で、とある閉鎖社会/集団をセカイの中心に据えつつループを繰り返す系の作品をなんでもまどマギに例えればいいわけではないと理解はしているもののキャッチーだから使うね。
この子は強いて言えばさやかの立ち位置かなという印象でした。ちょっと調べた花言葉も「嫉妬」「絶望」「悲しみ」と不穏ワードのバーゲンセールみたいな…ええ…この名前をつけた奴の血は何色だ……
両親から、友人から、世界から拒絶され続けたダンピールである彼女には、感情移入したくなるだけのとっかかりが幾つも用意されているものの、最終的にはその手でリリーを我が物にしたい欲望に飲まれるわ、そのために自分でなく他者の手を汚そうとするわというようなエゴに飲まれまくってしまったので、退場を余儀なくされるシーンまではまぁ、彼女の結末は物語の摂理として残念だが当然感はありました。
でも、最後にある意味で自分の意思に反してスノウの自殺幇助をさせられたのは本当にしんどい。というか退場時の泣きの演技が、本当に悲しみに満ち溢れててスゲエーーーヤメテーーーってなった。
あれなぁ…何の涙だったんだろう。リリーを自分の手で幸せにしたいという自分の願望が叶えられなかったから?それともやっぱり自分は最期までかわいそうな子だったなぁ、という思いからの涙なのか。あんたも私と同じよ…
後者だとしたらあまりにも救われなさ過ぎる、けど何となく後者の気がする…LILIUMに杏子はおらんかったんや…
◆スノウ
ア、ア、アシンメトリーの制服だー!!しかも唯一リリィと同じケープタイプを着用してるー!!!こんなんもうアレやんけ!絶対リリィとなんかあるやつやんけ!!! 
→時をかけたホムラチャンでした。
例えはさておいて、初めの方に彼女がまとっていた、一匹狼・ミステリアスな空気…はやはりキーパーソンのそれでしたねー。というか言いたいことは多々あれどなんか微妙に好きになれないんですよね。なんでだろう…傍観者としてはあまりに保身の立場を貫いたから…??
というかスノウ、その気になれば誰の手も借りずして自殺できたのでは…??ということに今思い至ったんですけども。 劇中ラストではマリーゴールドのイニシアチブを握って、「自分(スノウ)を殺したいほど憎い記憶だけを呼び覚まさせ」、自身を刺して殺させた。 そんな、「ソフィーの最高傑作であるスノウ」を刺して殺させたら、マリーゴールドがブチ切れたソフィーに殺されることくらい予見できるはずでは?スノウはマリーゴールドに対して劇中では何の言及もしていなかったけど(…よね?)800年のループの中で、やはりリリーに害為す彼女に対してそれなりの恨みつらみを抱いていた?のかな?マリーゴールドが実際あのクランに登場したのはいつなのかはよくわからないけど。 一応スノウの中では「死」と「恐怖」は密接につながっていたはずなので、その恐怖を敢えて他者に与えるということはそれなりの理由があったんではないかなぁと。わからん。 あと、「いい子(悪い人ではない)設定」の彼女が、実はつまらんプライドに縋りついて醜いエゴに塗れて生きてきた…みたいなのが性癖なのでこれは私の都合のいい妄想かもしれないけど、「最高傑作である」と創造主であるソフィーに評されることに多少はプライドを持ってたよねスノウ…?? なんだかんだ、マリーゴールドを見下してたらおいしいなぁと思いました。
※というか書いてて思ったけどリリィとスノウはクラン創設当時からいたとして、他のメンバーはいつ、どっから湧いてきたわけ…??繭期がそこまで重症じゃないクランからよっこいしょって持ってきたのかな。というか既に私自身があのクランどころかVAMPSの存在自体を疑ってかかってるところあるん��すけど、ループしていないところでは平和に暮らしているVAMPS村みたいなものがやはり存在してるんですかね…
◆リリー
ひたすらに「ああー!!!!ああー!!!!おやめください!!!!!!!」って感じでした。ラストシーンを見てね。
「私は皆を救いたかっただけ…」って言うけど、ちょっとエゴが過ぎませんかね??まぁあのラスト見たから出てくる感想なんだろうけども。
記憶を保ち続けて永遠の繭期に辟易しているスノウはともかくとして、紫蘭と竜胆に至っては(胸中はどうあれ)少なくとも現時点では永遠に生きることに賛同しているわけです。他のメンバーがどう思うかなんて判らんわけだし、真実を知って尚、「神様」と共に生きたい!って思う子もいるかもしれないだろ!!なんで勝手に決めちゃうんだよ~~!!そんなん独善だよ~!!!!まぁもしかしたら、退屈は嫌!っていうカトレアはループから抜け出すことに賛同するかな…でも死ぬ運命を受け容れなければならないことは思いのほか重くてやっぱりそれなら今のままがいい…って言うかな…という気もする。スノウですら死を受け容れられなかったんだから他のメンバーだって永遠の繭期を選ぶ可能性も捨て切れないじゃないかー!
あの衝撃のラストの2シーンくらい前、ソフィーに対して「そんなことのために私たちを800年間も苦しめてきたの…?」ってリリーは言ってたけどそんな言うほどリリーは苦しんでねえじゃんー!苦しんでたのは リリーじゃなくてスノウじゃん!それとも私が見落としてるだけで過去に散々ループしてきた過去がフラッシュバックしてたりしたのかな。だったら耐え切れずああいう凶行に及んだのはわからんでもない。けど…ねえ。
いやだって仮に自分がVAMPSだったとしてよ、いきなり「実はお前800年間生きててループを繰り返してるんやで」って言われても、記憶が呼び起こされない限りはほーん?で?ってならない?ああでも最終的にはシテ…コロシテ…ってなるのかな…ごめん永久なる時をループしてきたことがないから私よくわかんないや…
すごいあの、でも、こいつ害悪なるまどかだな…って思いました。本人悪気無いよね。だから余計性質が悪いんですけど。
でも、最後の咆哮三連発は純粋に演者さんがすげえと思った。ハロプロすごい…(語彙…)
◆シルベチカ
わ、わ、わ、勿忘草ー…!!!!(膝から崩れ落ちる)
あらすじにも登場するくらいだから、ほむらの役回りを担うのは彼女だと思っていたんですけど、思ったほど物語は彼女に収束していかなかったですね。でも物語全体にかけられている呪い装置としての役回りは十二分に過ぎるほど果たしている。私を忘れないで、ってすごいワードだよね。多分サンホラでいうミシェル・マールブランシェ的な…いやローランか…??ちょっとこの子についてはまだわからない。いやみんなわからんのだけど…。
でも今後何か知らないことにぶち当たったら大きな声で
♪XXXXXXなんて知らないわ~ ♪
って歌おうと思います。
◆ソフィー
はぁ。。。好き。。。
途中まではほーん、って感じで特段気になるような存在ではなかったんですけど、「ファルスって花あったっけ…?」というのと「え…スペルってfalse…?」とは思っていたのでなんかありそうなキャラだなぁ~って思ってたら案の定だよ!!!!!つーかもう最後の慟哭の演技が好きすぎる。縋りつくような…頑是ない幼子のような…冗談抜きで天才かな?と思いました。少女が演じることでより”少年性”が増すので更に倒錯感が出るなぁ。
諸々書き連ねると長くなりそうなんで一気に結末まで飛ぶんですけど、ソフィーがしていたのは本当に悪いことだったんですかね? それこそ最後のシーン、「止めてくれ…!僕を一人にしないでくれ…!」というところだけ抜き出せば、死にたがっている目の前の少女の気持ちを真っ向から対立する己のエゴで殴りぬけようとしているわけで、まぁ我儘言ってんなぁという感覚はわかる。 でも、彼に対して「孤独なんて誰にも癒せない(うろ覚え)」って吐き捨てるようなセリフがあったけど、TRUMPとして生まれてしまったソフィーが永遠の孤独を抱えてしまうのはもう致し方のないことだったと思うし、それを癒すための存在を求めてはいけなかったのか?という気持ちにもなったよ…TRUMP自体がもともと人間だったかどうかでこの辺の業の深さは変わってくるような気がするけど。ああでも「僕の花園がぁ……!!!!」っていうところは…なんだろう…やはりエゴなのか…??? それこそソフィーはあのクランにおいては創造主、神であるわけだから、VAMPS間での子孫繁栄を未来永劫見守る役回りに徹すればよかったんだろうか。火の鳥~TRUMP編~かな。御大ならこういうやつ描けそう…というか既になんかありそう…。
視聴後にまたリリウムの先達たちからスペクターやTRUMPなんかのシリーズ作品の存在を教えていただいたんですけどこれあれでしょ…スペクターとかTRUMPとか見たら彼もまた別の創造主に造られた存在で実は…みたいな流れなんでしょ…知っているぞ俺はこういう類の話には詳しいんだ…いや見てないうちからあんま言うもんじゃないんですけど。とりあえずTRUMPはまたどっかのタイミングで見てみようと思いました。
◆まとめ
リリウム、劇中で使われているモチーフ自体はテンプレートなところあると思うんですけど、末満さんの独自アレンジが上手いなぁと思いました。ラストのもう一ひねりもね。テンプレートでできているから余計に上手いと感じるのかな。
正直最初の方は若干ダレるかなぁ…とか内輪向けっぽいギャグシーンにンーッとか思わんこともなかったんですけど、信頼できる方々が口々に「とにかく一度最後まで見て」と仰っていたので最後まで突っ走ってよかった。一度ラストまで見てしまえば、「あの時このキャラなんていってたっけ?」とかの伏線が気になって何度でもループできる…ある意味スルメコンテンツなのかもしれない…
人に勧めるときは、魔法の言葉「とにかく一度最後まで見て」を乱用しようと思いました。
しかしオリジナル脚本の舞台がこう、再演をはじめ数年をかけて続編を上演し続けているなんて状態なのだからそりゃもう強いコンテンツに決まっているのだった。えっ新シリーズがグランギニョルっていうの?7月に公開ですって? もし他のシリーズが追いつけたら生のを観に行く…かもしれないー。チケット取れんのかなーどうなんだろう。
◆おまけ
リリウム大阪公演が森ノ宮ピロティーホールだったことを知った時のわたしの物真似「すべてはつながっていたのだ…」
※ヒント:忍ミュ八弾再演の上演劇場
リリウム本編後にリリィと黒幕が邂逅一番(誤字ではない)拳で殴りあう展開の本とか出てそう(偏見)
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