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#喪中見舞い
awajibaikundo · 4 months
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クリスマス•お正月の前に
神仏お好み甘茶香おすすめ2024
淡路梅薫堂の線香セットは、上品な香りと美しいデザインで人気です。特別な日やお祝いの場で、友人や家族に線香セットを贈ることで、リラックスや癒しの時間を提供することができます。
淡路島で作られる甘茶の線香は、淡路梅薫堂ならではのものです。淡路島での旅行や観光の際に、地元の特産品として線香を買うことで、淡路島を思い出に残すことができます。
特別な日やお墓参りの際に、淡路梅薫堂の線香をお供えとして使用することで、故人に感謝を伝えることができます。その際に使用される線香は、厳選された材料で作られており、天然の香りが広がります。
淡路梅薫堂の線香セットは、優れた品質と美しいデザインが特徴です。誕生日や結婚祝いなどの特別な日に、友人や家族に線香セットを贈ることで、贈り物として喜ばれることでしょう。
淡路梅薫堂の線香は、楽天のランキングでも人気があります。楽天市場で線香を購入することで、便利なオンラインショッピングで手軽に淡路梅薫堂の線香を楽しむことができます。
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神仏お好み甘茶香製造元
淡路梅薫堂
兵庫県淡路市江井2845-1
0799-86-0065
http://www.awaji-baikundo.com/
淡路島お土産お線香を買うなら
お香専門店 お店
淡路梅薫堂江井工場 チソウギャラリー
兵庫県淡路市江井2738-2
http://www.awaji-baikundo.com/koujou.htm
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daikaen · 1 year
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お届けするお供えのアレンジ。春の花が流通しはじめたのでお供えの花にもやわらかい色合いが使えてありがたいです。 喪中お見舞いも承っておりますので喪中のハガキをいただいたらご相談ください。 明日は火曜日で定休ですが年内最後のお休みとなります。12月は大晦日まで休まず営業しますのでよろしくお願いします。#大森 #花屋 #大森の花屋 #大田区の花屋 #大花園 #だいかえん #花シェルジュ #喪中見舞い (大花園(だいかえん)) https://www.instagram.com/p/Clfq4bAP6l-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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m12gatsu · 4 months
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無題
死ぬ夢を見た。宇宙空間で安楽死する夢。宇宙船は全長50メートルくらいあるL字型の座椅子みたいな形だった。志願者たちはその座面に乗り込んで、背もたれの部分に備えつけられた把手をめいめいつかみ、出発の時を待っていた。効率がいいな、と思った。床と背景しかない部屋。舞台装置のようでもあった。出発前にインスタグラマーみたいな男が、手すりに寄りかかって写真を撮り、何か辞世の句めいたことをブツブツ口走っていた。馬鹿かと思った。身投げとか銃で撃たれる夢も見たことがあるけれど、今までで一番臨終する瞬間の感覚が生々しかった。これが死か! と思った。観念的な死ではなくて、実感としての死を体験した。視界は真っ暗で、一点に強い力で意識ごと吸い込まれていく感覚。『すべて上昇するものは一点に集まる』っていうフラナリー・オコナーの短編があった。全身麻酔に抵抗するみたいに、ちょっと堪えようとしたけれど、ほどなく意識が飛んだ。その瞬間目が覚めた。入口が出口だった。寝る前に着けた蒸気でホットアイマスクが視界を覆っていて、一瞬パニックになった。心臓がバクバク鳴っていた。
母方の祖母が死んだ。認知症を患って久しく、年明けに施設で胸の痛みを訴えてそのままだった。前後のことはあんまり憶えていないし詳しく書く気力ももうないんだけど、長らく献身的に面倒を見続けていた母の苦労と悲しみと喪失感が果たして幾許のものか、おつかれさまでしたって心から母にいった。あとは安心して自分の人生を生きていってほしい。祖父が死んだ時はコロナ禍只中で火葬にも立ち会えなかったけれど、今回はちゃんと収骨にも立ち会えた。骨上げってマジで常軌を逸した風習だと思うんだけど、でも、あれがあるから遺族は死を実感として受容していけるんだな、と骨になった祖母を見て思った。萎縮した脳を覆っていた頭蓋骨は、卵の殻みたいだった。昔父方の祖父が死んだ時、焼き場で祖母ちゃんが「これで本当にいなくなっちゃった」といって泣いていた。
寝しなに神の訪問を受けた彼女が、2024という数字は2で割り続けられるような感じするけど253で割れなくなる、そして253は素数である、という天啓を授けてくれた。俺はお返しに、「猫の恋」って春の季語なんだよ、と教えてあげた。
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diarytheroomoffuji · 4 months
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私の初日の出
ご祈願代わり
新年元日は曇り、そして2日から仕事。そしてこの1週間、天候は良くなく日の出は見ていなかった。
日本との時差が16時間ほどあるので大晦日に、北陸の震災ニュースを聞いていた。改めてお見舞い申し上げます。
本日7日の今朝、近所をスナップしようと思い出かけたら、ご来光に遭遇。🙏
今年は、新年早々大口の仕事が入ってきたり、親友が訪問してきたりと。昨年は喪中だったので(日本的だけど)私個人としては、ここ数年の中で一番良いスタートでした。
皆様に感謝
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ari0921 · 1 year
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織田邦男先生の論稿です
現代が見習うべき大正人の精神 麗澤大学特別教授元空将・織田邦男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ドラマのような優勝劇に日本国中が沸いた。顔に日の丸を描く人、球場内外で日の丸が振られ、国と選手と国民が一体化したような光景に、思い出したことがある。
国家と個人が一体となり
102歳で天寿を全うした父が90歳の時である。筆者に「もうそろそろ、ええじゃろう」と語り出し「実は、わしは戦艦大和を造ってたんじゃ」と。どうやら父は広島の呉工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていたらしい。「大和については、家族にも一切話してはならぬと命ぜられていたんじゃよ」と述べ、最後に「わしももう長くないからな」と終わった。大変驚いた。国家(海軍)の命令を、帝国海軍が消滅した戦後60年間も律義に守る。しかも戦後生まれの筆者に対して箝口(かんこう)令を守り通すとは。
父が亡くなる2年前、同じ大正生まれの小野田寛郎氏が亡くなっている。小野田氏は旧陸軍の軍人で、情報将校としてフィリピンのルバング島に赴任した。師団長の横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示を受けたという。戦後も29年間、孤立無援でゲリラ戦を戦った。
手に入れたラジオで戦争が終結したことは気づいていたらしい。冒険家の鈴木紀夫氏によって発見され、帰還を促された。だが任務解除命令がない以上、任務は放棄できない。結局、元上官である谷口義美氏(元陸軍少佐)による任務解除命令を受けて帰国した。
両者に共通しているのは、国家と個人が一体となった「大正人」ということだ。父は大正3年生まれ、小野田氏は大正11年生まれである。先の大戦では大正人の7人に1人が戦没している。戦後復興の原動力も大正人が主力だった。
父には9歳年下の弟がいた。海軍パイロットとして昭和18年、太平洋のギルバート諸島上空で散華した。父は弟を思い、靖国神社にしばしば参拝した。最後の参拝は90代後半だったと思う。杖(つえ)を突きながら気丈に昇殿参拝を果たした。その時、父はポツリと呟(つぶや)いた。「何で靖国参拝に反対するんじゃろうのお」。現役時代、ある懇親会で小野田氏と同席させていただいたことがあるが、その時、小野田氏から同じ言葉を聞いたのを思い出した。
国家意識溶解の懸念
大正人にとって国家と個人は一体で、国家に尽くすことは、自分に尽くすことである。国家に命を捧(ささ)げた場合、国は永遠に死後の面倒をみる。なのになんだと、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが感じ取れた。
国に殉じた先人に対し、国民が尊崇と感謝の念を表すのは世界の常識である。米国ではアーリントン国立墓地に、韓国では国立顕忠院に、フランスでは凱旋(がいせん)門の無名戦士の墓に国家のリーダーは参拝する。外国の要人来訪時も、必ず参拝する。これが国際共通の儀礼である。岸田文雄首相は1月の訪米の際、アーリントン墓地に参拝した。だが岸田首相は就任後、靖国神社には参拝したことがない。
いかなる事情があるにせよ、一国のリーダーが自国の為に命を捧げた先人に追悼の誠を捧げないのは異常である。異常を異常と感じなくなる時、国家と個人の一体感は失われ、国家意識は溶解していく。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っている。国家意識が希薄化すれば当然「犠牲」「勇気」「名誉」という普遍的価値は喪失し、我欲は限りなく肥大化する。国家あっての人権、人道、社会福祉であり、祖国あっての個人であるという当たり前のことが理解できなくなる。
公に尽くす生き様を忘れず
令和5年度予算が成立したが、国会での議論は見る影もなかった。昨年12月、安全保障関連3文書と共に、防衛費のGDP比2%、反撃能力の保有が閣議決定された。この時、「満足な議論もせず、民主主義の破壊だ」と野党は批判した。だが国会では十分な時間がありながら、「満足な議論」もせず、表層的で枝葉末節な質疑に終始した。参院ではウクライナ戦争や台湾有事もそっちのけで、行政文書をめぐっての「コップの嵐」に終始する体たらくである。
これを見る時、選良たちも国家意識が溶解し、安全保障や天下国家を「議論しない」のではなく、もはや「議論できなくなった」のではと思ってしまう。2021年の国際世論調査では「国のために戦うか」に対し、「はい」と答えた日本人は13・2%で最下位だった。この現実と通底するように思えてならない。
国家という「人」はどこにもいない。国家とは同胞、友人、知人、そして自分自身のことである。自分自身が国家そのものだという事実に戦後日本社会は目を伏せてきた。その結果「国家」の希薄化は深刻なまでに進んでいるようだ。
WBCで日の丸が乱舞する光景と国会の惨状が同じ日本だとはどうも思えない。数年もすれば大正人はいなくなる。国家と自分自身を同一視し、我欲を捨て、公に尽くす大正人の生き様を今こそ見直すことが求められているのではないか。(おりた くにお)
#産経新聞 #正論 
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nyantria · 6 months
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アゴリスト・ネクサス独占:コルベット・リポートのジェームズ・コルベットが、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアンライフについて語る。
by Graham Smith April 10, 2021
https://www.agoristnexus.com/agorist-nexus-exclusive-james-corbett-of-the-corbett-report-weighs-in-on-agorism-the-covid-psyop-and-libertarian-life-in-japan/
ジェームズ・コルベットは、オルタナティヴ・メディア界では実に侮れない存在である。コルベット・リポートでの彼の多作で、厳格で、目を見張るような仕事は、世界中のアゴリストやアナーキスト・サークルで当然の尊敬と注目を集めている。こうした影響力の圏外でも、彼は大きな影響を与えている。Agorist Nexusの寄稿者であるグラハム・スミスは最近、彼をデジタル・インタビューのために探し出し、アゴリズム、コビッド・サイオプ、日本でのリバタリアン生活などについてジェームスに意見を求めた。
アゴリスト・ネクサス:「アゴリズム」という言葉があなたの意識に最初に入ったのはいつですか?アゴリズムという概念を初めて聞いた人に、どのように説明しますか?
ジェームス・コルベット:アゴリズムに初めて触れたのは正確には覚えていないが、ウェブサイトでこのトピックを最初に探ったのは2015年のことなので、それ以前のことだろう。コンキンに倣って、私はアゴリズムを「国家を弱体化させ、真に自発的な社会の創造に必要な平和的革命を達成するために、反経済理論を用いること」と定義している。
AN:私たちは今、潜在的なワクチン・パスポートや企業向けの「WELLヘルス・シール」の導入を目の当たりにしている。この強力な世界的権威主義的権力に打ち勝つ希望はあるのでしょうか?
JC:お住まいの地域にもよりますが、ワクチン・パスポートの導入には法的・政治的な課題がいくつもあります。しかし、実践的な反経済学者として、唯一実行可能な長期的な解決策は、中央集権的な権力の指令の外で平和的に取引を行いたい人々のために、グレー・マーケットやブラック・マーケットの空間を作り出すことです。
AN:日本文化にアゴーリスティックな要素やアナーキズム的な要素があるとすれば、どのようなものがあるとお考えですか?
JC:日本の家庭は一般的に、いまだに家族経営の農場/田んぼ/庭とのつながりを持ち、田舎の「ふるさと」空間を偶像化しています。これは、中央集権的な食料生産・流通メカニズムに代わる手段が、少なくとも(減少しつつあることは認めますが)存在することを意味します。このことはまた、食糧供給が途絶えたときに、コミュニティ・ガーデンやファーマーズ・マーケットが生まれる(あるいは脚光を浴びる)機会があることを意味する。これは、(少なくとも他の多くの国と比べて)日本ではすでに比較的広く普及している暗号通貨を含む、コミュニティ通貨や代替通貨などを組み込んだ、日本における反経済的抵抗勢力を構築するために利用できるレバレッジポイントである。とはいえ、日本では反経済活動に対する哲学的な理解(あるいは関心)はほとんどないし、日本人の封建的な条件付け(現在は企業封建主義として現れている)が、大規模な経済的混乱が起きない限り、ここでのアゴリスト革命の可能性を低くしている。
AN:現在カナダやイギリスなどで起きているような、国家による全面的な封鎖が日本でまだ行われていないのはなぜだと思いますか?このような規制はいずれ日出ずる国にも及ぶのでしょうか?
JC:一言で言えば、オリンピックです。日本は、ますます不正確な名称になりつつある東京「2020」オリンピックが、どのような去勢された形であれ���催されるように、まだ平常心を装おうとしている。それが実現すれば(あるいは大会が完全に中止されれば)、歌舞伎のショーは終わり、より厳しい規制が導入されるだろう。政府はすでに、(罰金という形で)店舗の営業時間などを都道府県の手に委ねようとする新たな法案を可決している。そのため、オリンピックが一段落した後、日本がどこまで迅速に「正常化」(つまり、非人道的な封鎖規則を導入)するかは、この新たな緊急権限に対する法的挑戦によって決まるだろう。
AN:政治家、保健当局者、その他の著名人が、マスクに関する自らの勧告や警告に従わなかった例はたくさんある。ジョー・バイデンは、連邦政府敷地内でのマスク着用を義務付ける自身の大統領令に従わなかった。ここ日本では、女子サッカー日本代表がオリンピックの聖火リレーでマスクをせずに走った。なぜ大衆は、このような明らかな矛盾にもっと注意を払わないのだろうか?
JC:大衆が気づいていること、気づいていないこと、信じていること、信じていないことについて、主流メディアが私たちの認識を形成しないように注意しよう。国民の大部分には大きな不満の兆候があり、その怒りがほとんどの主流メディアに反映されていないからといって、それがそれほど強力でないということにはならない(例えば、クオモ知事やその他の役人が路上で憤慨した市民に立ち向かっている動画がソーシャルメディアにいくらでも出回っているのを見てほしい)。真の問題は、政治家やその他の人々が、いかなる種類の説明責任からも完全に隔離されていることであり、こうした明らかな偽善行為を指摘されても、一般人は何もできないと感じるのだ。
AN:2025年の世界をどう見ていますか?
JC:未来はまだ書かれていない。もし私たちがグレート・リセットのアジェンダを野放しにするのであれば、2025年までに、私たちはバイオセキュリティ国家の制度化への道を歩むことになるでしょう。このシステムは、中央銀行のデジタル通貨や「ユニバーサル」ベーシックインカムの支給に連動するバイオメトリクスIDや社会的信用スコアに結びついたワクチンパスポートによって促進されるだろう。大規模な市民的不服従が起これば、このアジェンダは後退するか、最悪のシナリオでは当分の間頓挫することも考えられるが、反経済革命が分散型通貨を使った平和的で自発的な個人間の真の自由貿易の場を切り開かない限り、そして切り開かない限り、このアジェンダが本当に阻止されることはないだろう。
AN:2020年初頭にコビッド・サイオプが一般大衆に向けて開始されて以来、あなたの報道は驚異的なものだった。ビル・ゲイツに関する暴露記事は驚くほど詳細で、目を見張るものがあります。何があなたをそこまで深く掘り下げ、数え切れないほどの時間を費やしてこの重要な情報をまとめ、あなたのファンやフォロワーに提示する原動力になっているのでしょうか?
JC:自分のことを深刻に考え過ぎないようにしていますが、同時に、私が提示しようとしている情報は極めて深刻に受け止めています。ゲノム編集技術や脳チップ、中央銀行のデジタル通貨など、テクノロジーの進歩が優生主義者たちの手の届くところになってきており、人類の未来が危機に瀕していることを実感しているからだ。私たちが直面しているアジェンダの本質を真に理解し、警鐘を鳴らし、峠を越えてそれを阻止するために全力を尽くさない者は、すでに人間性を喪失している。
AN:もし、あなたがたった3つの言葉で世界にひとつのメッセージを伝えることができ、誰もがそのメッセージを聞き、理解し、行動するとしたら、それは何ですか?
JC: You. Are. Free.
Agorism - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Agorism
アゴリズム(Agorism)とは、非暴力革命の側面と関わりながら、対経済学によって人と人との関係がすべて自発的な交換であるような社会を作ることを提唱する社会哲学である。アゴリズムはアナーコ資本主義と似た要素を持つが、一部のアナーコ資本主義者とは異なり、ほとんどのアゴリストは望む結果を達成するための戦略として投票に厳しく反対している[1]。 アメリカのリバタリアン哲学者サミュエル・エドワード・コンキン3世(1947-2004)によって、1974年10月のCounterCon Iと1975年5月のCounterCon IIという2つの会議で初めて提唱された。
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hirowrite-o0 · 1 month
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東北のある地域に伝わる儀式
執筆者: 河合 曽良
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うちの地域に伝わる"ある伝統行事"を世に広めてほしい。
そう頼まれたのは、一昨日の明朝でした。
その日はたまたま大きな町に立ち寄ったということもあり、採った宿も比較的豪勢で、夕餉をいただいた合同の宴会場もとても賑やかなものでした。
一度も顔を合わせたことのない者同士でも肩を組み合い、大声で笑い合って、浴びるように酒を飲んでは給仕を口説いたり踊ったりして、また飲んで。
ジジイも久しぶりに熱燗を嗜み、気を良くして絡んで来やがるのがウザかったことをよく覚えています。
そんな騒がしい酒の席も夜が更ければやがて鎮まり、そろそろ太陽が顔を出すのではないか。そんな時でした。
「失礼。貴方のお隣の翁は、もしやかの高名な俳聖松尾芭蕉殿ではございませんか」
声をかけてきたのは、三十路前後の青年でした。
「高名とは滅相もないですよこんなジジイ」
「いやいや、そんな。…けどご本人様、なのですよね?」
「ええ、まあ。」
「そうでしたか! …それは光栄だ。私人の手を借りたい事柄を抱えているものですから、もし俳聖のお力をお借りできるのであれば、是非ともと思いまして」
「芭蕉さんの、ですか?」
聞き返すと、妙な光の宿る目で彼は頷きました。
それから話半分で詳細を聞いてみると、「うちの地域に伝わる"ある伝統行事"を世に広めてほしい」とのことでした
何でも彼の地元の地域には 一風変わった風習があるらしく、それは伝統行事や祭りごとというよりも、"儀式"に近いものなのだそうです。
つまるところその"儀式"の様子を、芭蕉さんが俳句にして詠み、世に発表することで存在を知らしめてほしいのだと、。
そういった説明をされました。
…なるほど、これは面白いかもしれません
だって年中スランプなジジイにとって良い刺激になるかもしれないじゃないですか。
どんな風習かは分かりませんが、当事者である彼自身が「変わってる」と表現するくらいですから、きっと珍しい行為が行われているのでしょうし
それについて芭蕉さんがどんな反応を見せるのかも、気になるじゃないですか?
この手の言い回しをするだなんて、きっと"因習"の可能性高いですよ。
…ということで、引き請けることにしたんです。
芭蕉さんには夜が明けてから事の経緯を説明しました。酒にめっぽう強い芭蕉さんはやはりケロッと目を覚まして、すぐに快諾してくれました。(最初 めんどくさがってたんで試しに一発パンチしてみたら言うことを聞きました)
出発は巳の刻直前。件の彼の案内で、該当地域まで移動しました。
町から然程遠くはなく、一刻程歩くと到着したくらいでしょうか。
その地域に入ると、彼は僕たちを自宅に招いてくださいまして。唐代の宮殿さながらの 荘厳で広大な邸宅に、芭蕉さんは大はしゃぎ…
恐らく地域一帯を治める地主か、領主の家系なんでしょうね。
彼はその家の次男らしく、僕たちはひとけのない小さな倉へと案内されました。
そこで、こんなものを見せられました。
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※写しについて承諾済
それは粘土を固めたような、土臭いお面でした。
最初に倉に入った時、これには白い布が被せられていて、布を剥ぐ前には 「決して面と目を合わせないでください」とも言われまして。それもかなり念入りにね(芭蕉さんとんでもなくビビってました)
これを承諾すると布が剥がされ、彼は"儀式"について説明してくださいました。
"儀式"の詳細は、以下にまとめさせていただきます。
◆この地域に伝わる"儀式"について
儀式の名称・・・ 降来 (コウレイ)[kou-lei]
概要・・・ 一般的な葬祭(葬儀や供養等)はせず、その
代わりに行う。死者が無事冥府へと辿り
着けるよう、その迎えの者を呼び出す儀
式だとか
時期・・・ 身内の死去後すぐ
用いる道具・・・ ◼️◼️◼️◼️◼️(面の名前)、懐刀
◆儀式の流れ
(一) 身内が亡くなったら、湯灌して奥座敷に三日安置する。下一枚目間取図参照。この間に諸々の準備をする。関係者への声がけや、会場の設営など。下二枚目簡易図参照。
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(二) 翌明朝、正面から見て鳥居の右側に遺体を置き、左側に喪主が立つ。喪主は左前にした束帯を着用し、◼️◼️◼️◼️◼️を被る。懐刀は左手に持っておく。
(三) 日の出を合図に舞を舞う。(懐刀で地を切り開くような所作が主になっているとのこと)
(四) 舞が終わったら、目の前の鳥居をくぐり遺体と目を合わせながら「○○さん(亡くなった方の下の名前)、来ましたよ」と呼びかける。
(五) ここで遺体の顔が微笑んでいれば儀式は成功。しかし微笑む以外の表情をしていた場合は失敗と見做され、鳥居の左側に戻った瞬間 喪主は斬首される。(その首は七日間の間境内に捧げられる)
尚、儀式の最中は決して◼️◼️◼️◼️◼️と目を合わせてはいけない。遺族や参列者だけがという訳ではなく、たまたま通りかかっただけの人間もNG(肉眼で確認できる距離であればどれほど遠巻きでもダメだそうです)
もし目が合えば、その者は降来(コウレイ)している者に連れていかれるという。
儀式については、以上となります。
確かに、大分変わった印象を受けました。変わったというより、恐ろしいと表現した方が適切かもしれません。
芭蕉さんなんて途中から悲鳴をあげる余裕もなく、凝視するように開いた瞳孔と強張った表情で彼の話を聞いていました。
「成程。儀式については分かりました。………しかし今も◼️◼️◼️◼️◼️と目を合わせてはいけない理由は何ですか? 儀式の最中ではありませんよね。」
「はい。…ですが儀式でない時に目が合うと、その者は喪主になってしまうんです」
「喪主に…ですか?」
「えっ。それってどういうこと……?」
「そのままの意味です。ふつう喪主は亡くなられた方の一番近しい等身者、つまり親であれば子、子であれば親、親が居ない場合は長男か弟………などが該当しますよね。けれどうちの地域では、人が亡くなるとその方との"縁"が深い親族が集まり皆で◼️◼️◼️◼️◼️を見つめるんです。そしてその中で目が合ったたった一人を、喪主とするんですよ。けれど時たま、本当にごく稀にですが、複数人と目が合うことがあるんです。二人の時もあれば、十人の時もあったそうです。それは一斉に喪主を決める行為の前後でうっかり◼️◼️◼️◼️◼️を見てしまった場合も、例外ではありません。親族ではない者だったとしても、喪主にさせられてしまいます。まあその場合は、順番に◼️◼️◼️◼️◼️を被って舞うんですが………とにかく誰かが亡くなって、儀式が始まるまでの間が期限なんです」
「そんな………じゃあ私ももし目が合ったらさ、喪主になっちゃうってこと? で儀式失敗したら殺されちゃうってこと…?!」
「そうなりますねバカジジイ」
「ひっ………」
芭蕉さんの情けない声は相変わらず滑稽でした。
して聞くところによると、不遇なことに今度の喪主は彼自身なのだそうです。
だから儀式が成功しようと失敗しようと、この儀式の様子を詠み世間に向けて表沙汰にしてほしいのだと。
壊してください。
そう懇願しておりました。
………………え? 芭蕉さんの答え……?
勿論ノーですよ。
「嫌だよ怖いよ!」の一点張りで一向に話が進まなかったので、また一発いかせてもらいました。(しぶとかったのでもう二、三発追加させていただいたことはざらですが。)
この日は怖くて眠れなかったらしいです。
いい気味だ
『東北のある地域に伝わる儀式_続』へ続く
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kennak · 3 months
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月面着陸に成功したものの太陽電池が電力を発生しないトラブルに見舞われている小型月着陸実証機SLIMだが、JAXAは25日、100m精度のピンポイント着陸の技術実証が達成できたとみられることと、小型ロボットSORA-Qが着陸後のSLIMの撮影に成功していたことを発表した(着陸結果の発表, 撮影成功の発表)。 まず着陸についてだが、データの分析を行った結果、SLIMは当初の目標着地地点から東側に55m程度の位置で月面に到達していることが確認されたという。SLIMは高度50m付近までは3~4m程度という極めて高い精度で着地地点に降下したが、障害物回避マヌーバの直前に2基のメインエンジンの1基が推力を喪失。ソフトウェアは自律的に異常を判断し、もう1基のエンジンで出来るだけ位置を調整しながら降下を行っていたとのこと。エンジンの機能喪失原因は、エンジン外の何らかの外的要因と考えられるが調査中としている。 次に写真についてだが、こちらはSLIMに搭載されていた2機の超小型機のうち、タカラトミーなどと共同開発したLEV-2「SORA-Q」が写真撮影に成功しており、その中に着陸したSLIMが映し出されていたという。写真のSLIMはスラスターを上に、頭から地面に着地するような姿勢になっており、想定されていた二段階着陸ではなく不時着のような印象ではあるが、月面に降り立っていることが確認できる。予想外のエンジントラブルがあった中では、うまく着地できたと言えそうである。
JAXA、SORA-Qが撮影したSLIMの着陸写真を公開。メインエンジン1基が停止していた | スラド サイエンス
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senatmam · 11 months
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6/4(日)折り紙チェーンに寄せて
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初めて、お母ちゃんの役です! 既婚者はあれ�� 親子‼️‼️ 自分の分身か(けれど他者)と思う我が子が 同じ作品に出て、言葉を交わしているのは、初めてです。
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親子、家族、思いを馳せて奇跡に賭けてみる話です。 他人でも家族。人と人が助け合う気持ちが育まれている、コミュニティのお話かなと、思っています。 真面目に厳しくお稽古シテイマス。
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TNX株式会社『TOKYO青春エンタメアカデミー presents 【朗読新劇「折り紙チェーン」】公演概要』 朗読新劇「折り紙チェーン」 作・演出:中西 広和 / 振付:江花実里 於・新宿歌舞伎町Sparkle  公演詳細▶︎ https://ameblo.jp/tuntube/entry-12800855094.html?fbclid=IwAR2NSnr2dqUdmEg3w-43w95G7HfhKocrBpOeLNMxiiHBW36xz_qYqkU8CP4
🎫 チケット https://tiget.net/events/247680
自分はどこに向かって歩いていけば良いか、何もない一年に放り出されてぽつり、でも、自分の中から向かう先が浮かばなくて、でも、それまで歩いてきた向かってきた道から外れたり 立ち止まり歩むことをやめたりは、できないと思った したくなかった
それだけはチラッと光るカケラみたいに掌に気づいた でもじゃあ、どこへ向いたらいいのか、ひとり夢中で頑張って歩いてきた時には周りにも同じような人の気配を感じてたはずが、その、気配も気づけばなくて、誰かいないかな、どしたらいいかな?どっちよって教えてくれないかな?と思っても hmmm...いまはひとりしかいないみたいだった。自分で考えるしかない.
で、ひとまず考えた 感じるようにした どう足を出したいのかな 一歩また歩き出すことは決まってるなら、どうやって、どちらへ、
そんなこと思いながら、怖いな不安だなみたいなさざめきや喪失もやってきて
時々、ポカポカと心が暖かい時には、少し力が湧いて、 あれやりたいな こう言う瞬間を迎えたいな またあの自分になりたいな 達成できたあれをもう一度 以前ほど 長い/強い/具体的 みたいな言葉や気持ちではなくても  そよりと泳いでくることはあった だからそれを見つけて、 ア、て思って、アカチャン、やりたいのアカチャン、これからの自分が いくつかの可能性/候補/無限に居るあり得る自分 になり得るエケチェン、と思って大切に思って掬ったり眺めたりとにかくちゃんと知覚した
エケチェン、まだ大きく具体的に以前ほどエネルギッシュにいきなり19kgくらいの子どもレベルでは現前しないけど、スイミーたちみたいにスススと通って行った
ほんで、静かに過ごしていると、 お芝居は、わからない、やりたいけどやれないこともある、自分だけじゃどうともならないこともある、 ダンスは、やりたい、身体が動く可能な限りは、おどりたい、やり続けるだろうなと思った それは 多分趣味だから 仕事じゃないから 仕事になってる時は実際多いけど、わたしにとって、ダンスは、仕事じゃないと思っている思えているからだろうと思った もちろん、やるからには、同じだけの、自分の解釈する一番厳しい、プロフェッショナル、職人気質で、やるんだけど、 お芝居に対して思うことや土俵とはちょと違うんだとは思う
でもだから、そんな中で、歩みを迷い、立ち止まりたいわけじゃないが二の足を踏んでいる時に、 踊りたい、と、いうヤリタイは、どーんとたしかにあった。エケチェンたちのスススの中に、どん、イルヨー\(^^)/て、いた。
だので、 この機会に、企画に、気持ちが動きました。 どこで、何を、やりたいか、どう、次に、もう一度、と新たに一歩踏み出す時、何を、選びたいか、
そこに、スッとしっくりきてくれた。
私がやるなら、これだなと
そういう、想いで、
時々、そして以前より頻回に、意識的に、アンテナを立てて行動してってしてきたけど、出会いなので、そこで決まらないことも多い。1人のことじゃないので、縁が繋がるかは、1人ばかりでは決まらない。 その中で、思いがけず、踏み踏みしてた二の足をスッと軽く浮かせて、軽やかに手を引かれ、びっくりしたようにふっとすぐ歩けるような気がした
他にもある気持ちは今度また綴りますが
そんな想いを抱っこして、 ゆっくり、でも構えてたよりもずっと自然に、歩き出せて、歩くことを覚えていて、 不安や怖がりや痛みや怯えもあった自分を無かったことにしないで、そっと一緒にちゃんと一緒に、
また、少し、すすみます.
そんな感じで、のぞみます。
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usaleaf-blog · 1 year
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寒中お見舞い申し上げます。
祖父の喪中のため年始のご挨拶を控え、失礼いたしました。今年もたくさん描いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
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awajibaikundo · 6 months
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喪中はがきが届いたら・・・お線香を送る (年賀欠礼状)
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文例1
このたびはご丁重なご挨拶をいただきまして恐れ入ります。ご服喪中につき、年頭のご祝詞を控えさせていただきます。●●●様がお亡くなりになり、皆様さぞかし深い想いにてご越年のこととお察し申し上げます。
心ばかりのものでございますが、同封のお線香を御仏前にお供えくださいますれば幸いと存じます。
寒さ厳しき折から、ご一同様ご自愛あそばされますよう、心より祈り上げます。
文例2
本日、年賀欠礼のお知らせをいただき、大変驚いております。●●●様ご逝去のこと、少しも存じませず、お悔やみも申しあげず失礼いたしました。
遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申しあげますと共に、心ばかりのお線香を送らせていただきます。どうぞ、ご仏前にお供えいただければ幸いと存じます。
ご家族様にはさぞお力落としのことと拝察申しあげますが、どうかおだやかな新春を迎えられますよう、心からお祈り申しあげます。
文例3
このたび●●●様のご服喪中と伺い、突然のことで驚いております。ここ数年は年賀のやりとりのみで旧交を温める機会に恵まれておりませんでしたが、まさかこのような悲報に接するとは信じられない思いです。
ご家族の皆様のご落胆はいかばかりかとお察し申し上げます。くれぐれも御身を大切に、お心強くあられることを祈ってやみません。
心ばかりのお線香ですが、どうぞ御仏前にお供えください。書中にてお悔やみ申し上げます。
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ショッピングサイトを活用して、喪中はがきが届いた際に線香を贈るというアイデアです。
ショッピングサイトでは、さまざまな種類の線香が取り扱われており、価格やデザインなどから選ぶことができます。
喪中はがきが届いたら、相手の好みに合わせた線香を贈ることで、お悔やみの気持ちを伝えることができます。
-オンラインショッピングサイトを活用して、喪中はがきが届いた際にお線香を送るというサービスを提供することができます。
お線香は多くの人々にとって、故人を偲ぶための大切なものです。
喪中はがきが届いた場合には、相手にお線香を贈ることで、お悔やみの気持ちを伝えると同時に、相手の心の支えになることができます。
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兵庫県淡路市江井2845-1
0799-86-0065
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daikaen · 5 months
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お届けするお供えのアレンジ。この時期、喪中お見舞いでお供えのご注文が多く大変忙しくさせていただいています。今年は色を使って明るくしてほしいというリクエストが多いです。 もう春の花が流通しているのでここから春先までのお供えの花も透明感のある色合いの花材を使えて綺麗です。 喪中のハガキが届いたら、まずはご相談ください。
昨日一昨日と業界団体がらみの外食、楽しい仲間とおいしいお店でお腹いっぱい、メタボ一直線です(怖 ちょっとダイエットしよう。
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jaguarmen99 · 1 year
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27 ペコちゃん(東京都) [US] 2023/04/23(日) 20:46:05.25 BWtsbABn0NHKでも昭恵さんの涙してるインタビューが流れてたあれみてうるっときた視聴者多いだろうね72 クロスキッドくん(福岡県) [RS] sage 2023/04/23(日) 21:13:31.43 9URWf+zH0>>27あれ、突然亡くなったから最初は気丈に振る舞うけど時間経てば経つほど喪失感が込み上げてくるんだよ遺族を叩く極左系文化人と共産党員は異常すぎる中核派と革労協は元々頭おかしいやつらだが181 (埼玉県) [CA] 2023/04/23(日) 23:33:47.20>>72暗殺だもんなぁ急病や事故ならまだしも暗殺の報見て俺もショックだった身内なら余計だよな
続・妄想的日常
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、���要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に���を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すこと��く、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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wakamiho · 1 year
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赤羽大人の年越しカウントダウンライブ2022-2023あけて、本日は庭にて初浮き浮き。 喪中につき新年の挨拶は失礼させていただきますが、皆様今年もよろしくお願いします! 【芸能人ブログ専門サイト】 ダイヤモンドブログ毎日更新しております。 日々の徒然、是非見てくださいませ。 若林美保|わかばやしみほ(女優) official ブログ http://www.diamondblog.jp/official/wakamiho/ 2/9〜12下北沢ザ・スズナリ Project Nyx第26回公演「ストリッパー物語」 チケットはこちらから https://www.quartet-online.net/ticket/projectnyx25 詳細はこちら http://project-nyx.com/ 1/6四谷三丁目オールインにて 新春早朝アングラ劇場 開場9:00/開演9:30 出演:灯月いつか、若林美保 主催:松本格子戸 ご予約は各出演者まで 1/7鶯谷東京キネマ倶楽部 デパートメントH2099 kurageラバーショウやります https://ameblo.jp/department-h/ 【千葉エロチカヴァ】 1/8新春エアリアルシルク 1/17エアリアルシルク https://m.facebook.com/kavakava001/?locale2=ja_JP 1/9吉祥寺マンダラ2 「昭和は遠くなりにけり5」 開場18時半/開演19時 【出演】 三上寛 サスケ 纐纈雅代 若林美保 桜井明弘 ※予約受付中です。 1/12新宿CON TON TON だらく舘第二十六回公演 だらく舘裏口第一回公演 「昭和のストリップ(仮)」 開場19:30/開演20:00 作・演出:秋山豊 出演:若林美保(舞者)、松本格子戸(喋者)、天神直樹(奏者) ※ご予約は各出演者まで http://blog.livedoor.jp/waka_miho/archives/57137636.html 【野毛うっふ】 エアリアルショー(19:00/20:00/21:00) 1/15w.黒色すみれ(19:00/20:30) 2/17w.ナオユキ https://oeuf-yokohama.jimdofree.com/ 1/18クラスA撮影会 マンツーマンでお好きなポーズが撮影できます。 https://class-a.jp/ 1/19赤羽エナブにて 「HMB赤羽〜みほはる二人会〜chal.4」開催! 今賀はる&若林美保のやりたい放題チャレンジコーナー満載。 飛び入りゲストもあるかも?! ご予約は各出演者まで! 1/21神田スペースキューブ 雪美織3rd LIVE 開場12:30/開演13:00 詳細 http://blog.livedoor.jp/primary0923/archives/31049474.html 配信チケット https://twitcasting.tv/wakamiho/shopcart/204177 1/28高田馬場ブーメラン ぷちぷち☆うさぎ小屋/舞呼57歳☆星澤美緒(W☆BIRTHDAY☆) ※15時~17時 ☆出演☆ 折田舞呼 (伊藤舞) 星澤��緒 (僕と、いっぴき。) RinRin 咲彩 MIHO (silent moon) 若林美保 (わかみほ) https://www.hotpepper.jp/strJ000003789/ (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/Cm3mUdqLawa/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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01-s2zzz · 1 year
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覚書
大人になるという事、自立してなんでもかんでも自分でやってのけてみせる事。大人になる、とはそういう、冷めたひとになる事。そういうものだと思っていた。
年を重ねるごとに気付く事がいくつかあるのだが、いつも側で私をお世話してくれていた母のことを、ひとつ。母は意外にも頼りなく、その背中はか弱く柔らかい。むしろ昔よりももっと仲が良くなったと感じる。一緒に買い物に行ったり、旅行に行ったり。気兼ねなく「一緒に行こう」と母とどこかに行ける事。母を側で支えてやれるほど、大人になったのだな、と気付かされる。
大人になるという事、自立してひとにやさしくできる事。大人になる、とはそういう、温かい人になる事。そういうものなのだと思う。
「愛とは個人の喪失である」、という言葉が好きだ。確かムンクの“接吻”に添えられた言葉なのだが、言い得て妙である。どうしようもないくらい惹かれる人がいる。“私”という個人が、自分でわからなくなってしまうくらい、どうしようもないので、これが愛なのだと納得させる他ないのである。
君がどこで何をして、何を考えるのか。いちいち知りたいし知らせて��しい。私がどこで何をして、何を考えるのか。いちいち知らせたいし知って��しい。私という個人が、君であり、私であってほしいのだ。
恋しいと思う気持ちが、私を突き動かして、私の意志とは無関係に君を探し求めてしまう。難しいことはなにもなく、ただそれが愛という個人の喪失なのである。
よく知らない人の言動が目について、とても腹を立ててしまうことがよくある。どうして講義中にしゃべるのか。どうして電車のドアの近くで立ち止まるのか。どうして店のドアを閉められないのか。また、ドア。人を遮断するのは容易くて難しい。
些細なことで傷ついて、とても悲しくて涙が止まらなくなってしまうことがよくある。このエッセイ(キム・スヒョン「通りすがりの人たちに傷つけられないこと」-『私は私のままで生きることにした』より)を読んで、そんな傷ついた心にさっと一枚毛布をかけてもらったような気持ちになった。一瞬の心の痛みを、そんなに深刻に捉える必要はまるでないのだと。どうせ寝て起きたら忘れることなのだ。どうしてそんなに感情的になる必要があるの?
人のためになることが人生の醍醐味である。奉仕、そういう感覚が自ずと湧き出てくれば、どんなに生きやすいことか。
人のために尽くしてやることが人生にとって有意義である。身を粉にして働くことは決して容易いことではない。
人のために身を削ることが人生で一番幸せである。果たして。
ひと、ひと、ひと。人。ひとりで生きることはできないが、ひとりで死ぬことはできる。
やさしい人であることは、幸せな人であることなのか。誰かに必要とされることは、自分にとって良いことなのか。
他人に生きる意味を見つけてしまっては、あまりにも息苦しくないか。自分のために、私という人のために、やさしい生き方をしてあげたくはないか。
当時はなんとも思わなかった音楽と、時を経て再会したとき。思いもよらない感情を引き起こされた経験がある。星の数ほどある楽曲が、時間が経つと特別なものに生まれ変わって私の目の前に現れる。実は、自明のことだが、その曲が変わったのかというとそうではない。私が、変わったのだ。出会うべくして出会うべき時に、また出会うのだ。
凝り固まった趣向の中でふっと耳についたその曲が、一回り成長した感性の中で耳に流れ込んでくると、キラキラと輝いて引き付けられて、夢中になる。また出会ってくれてありがとう。また目の前に現れてくれてありがとう。黄色のサムネイルが、お気に入りにそっと仕舞われる。またいつか、生まれ変わって会いに行くね。
2022.07.24(2022.12.06加筆修正、途中引用は省略)
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