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#恵友塾
pudknocker · 6 months
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「つ…まり…なら…どうすれば…いい…と思う?」と絶望する私に対し、ガリ勉君は「どうすればって今から小学生の勉強をやるしかないじゃないか?」と私に自分が使っていた小学校・中学校の教科書やドリルをプレゼントしてくれた。そして私は高校の授業中に必死に小学生のドリルを解き、分からないところがあればガリ勉君に聞くみたいな形で学力をつけていく。更に私は塾に通っておらず(義務教育終えても親に衣食住を支援して貰うという発想自体が無く、当たり前のように親に衣食住支援して貰ってる普通高校の生徒の感覚がサッパリ分からなかった)模試?統1テスト?を受ける事も出来なかったが、ガリ勉君からテスト問題用紙を貰いそれを自己採点することで大体の偏差値を知る事も出来た。そしてエロゲーで得た金を使い筑波大学に願書を出し、現役合格を果たす。 このように環境に恵まれない人間でも諦めず頑張り続けていけば努力は必ず報われるのだ。 なわけないだろ こんな話は例外中の例外に過ぎない。少し考えれば分かるように、この話は「ガリ勉君が虐められてクロマティ高校に来る」「ガリ勉君と友達になる」という2つの偶然が無ければ成立しない話だ。後者はともかく進学校の生徒が虐められたとは言えども、クロマティ高校に転校すること自体が通常では考えられない話だろう。ガリ勉君がいなかったら、私はそもそも勉強の仕方…というか自分の学力…すら把握出来なかった。換言すればこの話で示されているのは努力の大切さではなく運の大切さだ。
何故恵まれない人間は努力しないのか? 特別支援学校出身の発達障害児が3年で偏差値を65上げ筑波大学に現役合格した話|rei
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kennak · 9 months
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自分は結構頑張ってきた方だと思う。数学も化学物理も得意じゃなくて文系に行きたかったけど、お金になる分野に行く方が良いと思って根性で勉強して理系を選択した。早慶に行く金銭的な余裕がないから、必死に勉強して東大に受かった。本当はゆるいサークルに入りたかったけど、就活を見据えて体育会に入ってかなり大変な4年間を過ごした。修士に進むと決めた後は、研究と並行して早くから就活して希望していたJTCに内定した。就活が終わったら奨学金返済のために研究の合間を縫ってバイトしまくった。就職した後はずっと付き合っていた人と結婚して、今は子供を産める環境を作るべく必死に働いて貯金している。やりたいことを我慢して必死に必死に頑張ってきた。全てが自分のおかげではないけど、「環境/性別のおかげ」と言ってくる人間に腹が立って仕方ない。大学進学した時には、「教育熱心な家庭だったんだね!」内定が決まった時には、「東大の女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」仕事では「女性にこの会社は優しくて怒られなくていいなー」結婚したら「女性は収入とか関係ないし、若いうちに結婚できるのいいよね!」とてもムカムカする。大学進学も就職ももちろん環境によるものはあったと思う。けど、根性で理系科目をできるようにしたこと、体育会で必死に活動したこと、就活を早くからやったことは女も環境も関係なく私が努力したこと。結婚だって、旦那より私の年収の方が高いから、女かどうかなんて関係ない。飲み会の時で泥酔してる時にポロっと出る言葉だから本気じゃない、何も考えてないのはわかる。だから表立って責めるつもりはないけど、私の努力を否定されてる気がして悲しくなる。以上、お盆でたくさん友人と会う機会がありモヤモヤしたことを吐き出したい日記でした。追記①やっぱり見事に叩くコメントがついてる!・研究の合間のバイト→ガチだよ。奨学金を6年間借りていたからエグい額になってたんで少しでも貯金のある状態で卒業して、焦りがない状態で社会人1年目10月から始まる返済を迎えたかったんだよな。・女の子で東大に行くには環境が必要→都内サラリーマン家庭、公立小中高、高3で初めての塾。という感じだったので、ある程度には恵まれているけど、東大に行くための環境がバチバチに揃っていた訳でもなかったかな…。それと、良いところに就職となると、高学歴の中で競い合うことになるので努力は必須だよ。追記②優しい言葉くれた方ありがとうございます。追記③・東大女子の就活への誤解があるな…まぁ世間はそんなもんか。男性女性問わず東大生あれば就活苦労しないと思われがちですが、それは企業を選ばなかった場合だな…。人気企業は東大生でもそれなりに就活しないと一部の人を除き内定でないです…。高学歴の中での勝負なので…。私は企業をきちんと選びたくて就活ガチっただけ。容姿とかコミュ力が特段優れているわけでもないので、体育会・理系という武器を手に入れるため頑張っただけの話。・全部が自分の努力!って言いたいわけではない。もちろんある程度環境に恵まれてると思うよ。ただ背景も詳しく知らん人に、環境が良かったからだねと言われるのがうざいなーということね…追記④わわわ、昨日の夜から全く確認してなくて仕事終わって見てみたらめっちゃ反応きててビビった。昨晩は否定的なコメントばかりだったのに、優しい言葉かけてくれてる人多くて嬉しいです。(ブコメでね!ここでのコメントは否定ばかりで草。まぁそんなもんよね)仕事から逃げたくて落ち込んでいる時に過去の嫌なことを思い出して殴り書きしたので、一瞬でも優しくされて少し救われました。ちなみに、友人から言われた言葉はこのお盆で一気に言われたわけでない…。ある一言をきっかけに過去の会話を思い出しただけね。
私の努力を否定されたくない
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tokyomariegold · 6 months
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2023/9/16〜
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9月16日 思いつく行きたいこと、やりたいことをした日。 シーツや枕カバーを洗い、ヨガに行って久しぶりに汗をかく運動をした。 昨日のギャラリーからのメールに返信をして、乗り換え駅で24時間メトロパスを買って、六本木のタカイシイギャラリーで野口里佳の���虹”を観た。 良いな〜写真撮りたくなる。ほとんど砂丘の写真だけど虹。 そこから恵比寿へ移動して渋谷の植物園へ。リニューアルオープンしてやっと行くことができた。 とても小さなスポットで、ナツメヤシやオレンジやグアバなど聞き覚えのあるフルーツの植物が多かった。裏に都バスの駐車場があり、みんくるスポット。 渋谷で阿波踊りのパフォーマンスを横目で見ながら、踊っている人たちも、まさか渋谷で踊るなんて…と思っている気がした。 銀座に移動して、ソニーのギャラリーを確認しててらおかさんの原画展に行った。 なぜか蔦屋書店で開催していると思い込んでしまいGINZA SIXへ行ってから伊東屋さんだと気がつく。 職場のデスク用にカレンダーを購入し、もうそんな時期! 六本木も渋谷も銀座も人が多かった。外国人の方がとても増えた。 渋谷のペデストリアンデッキの上で、この近くにオフィスを構える某企業の方に、研究なんて何の役にも立たないアドバイスいただいたことや、大学時代の職員さんに、渋谷とかとりあえずたくさん転職先ありそうだよね(転職先を探すのならとりあえず渋谷ならどっかしらは見つかるのでは?の意)と言われたこと、大阪の友人が東京って本当に何もない、と大阪のお部屋で泣いた話を思い出す。
帰りながらソニーの応募ようにキャプションを考えて、帰宅して提出データをそろえた。とりあえずニコンの公募に少し肉付けをした程度のものを提出する感じになりそう。
明日はIKEAで写真を撮れたらいいな。
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9月17日 24時間メトロパス2日目。 でも朝はヨガへ行ってしまった。終わって残りは2時間。とりあえず今日のしたかったことはできて、今までで一番有意義なメトロパスの使い方ができた。でも降り立ったどの地点でも目的以外に心惹かれたものがなかった気がしていて(何なら、本当に何もない…と思っていたりしていて)これはただ疲れているせいだと(本当に疲れてる?)いいな。東京、好きだよね?
日本橋をふらついつ、行ってみたかったバナナジュースのお店で黒ゴマのジュースを買った。暑くてすぐデロデロになってしまい半分だけ飲んだ。 もう一つ行ってみたかったリニューアルオープンしたコ本やへ。神楽坂で下車して江戸川橋方面へ行くとあまり見たことも来たこともない街過ぎてどきどきした。コ本やで展示されていた本にまつわるインスタレーション、よくわからなくて面白かった。 自費出版の本や雑誌もたくさんあって、何だか学生の時にお茶の水のヴィレッジヴァンガードにいた時の気分になった(今は亡き…)。
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次の目的地の途中、池袋で乗り換えをしてとてつもない人の多さ(西武デパートや東武デパートはそんなに人多くなかったのに)に帰りたくなってしまう。 今日も東京は至る所でお祭りをしていた。 夕方の予定で下りた街でもおみこしが担がれていて、ずーっと笛や太鼓の音がしていた。 引っ越しして東京の東側(下町)のお祭りの大きさに驚いている。 道を曲がった先におみこしを見つけて小学生の男の子2人(走って先を急いでいた様子)が「最悪だ……」と言っていておかしかった。 来月頭に今住んでいる町で花火大会があるらしいので最悪じゃないといいな。
デフォルトでついていたお部屋のシーリングライト、外し方を調べた簡単に外すことができた!照明を買いたい!
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STORESに登録したけれどギャラリーから実家へ配送してもらった作品や写真集が昨日から受け取られていないらしく(私のところには不在通知のメールだけが来ている)どこか旅行にでも行っているのかな。
昨日からTverで“鹿男あをによし”を観始めてから奈良にも行きたくなる。このドラマ受験生の時にリアリタイムで放送されていて、木曜日だけはこれを観るために少し早く塾の自習室を出ていた。
明日は起きれたら成田空港へ行く。
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umnmochitm · 13 days
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わたしは創作ができない
 わたしは創作ができない。高校受験の際、公立受験の面接シートにたしか将来の夢のようなことを書いた記憶がある。わたしは直接的な勉強のことで悩んだことはない(間接的にはある。それは勉強自体が問題ではないと認識している)が、面接シートはとても書けなかった。
 そのことは、今でも、高校在学時にも、以後のどの時点でもトラウマとなっていて、封印していた。そのことを思い出すことから逃げられなくなったのが改めて就職活動であり、またうまく行えなかった。
 面接シートの話に戻そう。面接シートに大きな意味なんてない。おそらくよほど人間性に問題がある、という生徒を落とすためのもの、というよりそんなことは数分で判断できるわけがないため、実際にはどうであるかは知らないが、受験生にとっても塾講師にとっても便宜上のものであるというのが最適な認識だろう。「なんでもいいから書けばいいんだよ」と何度も言われた。その通りだ。
 ただわたしは将来の展望を書くことができなくて、わたしのおかしさをおそらくおもしろがらずに気がついていたおとなに「本でも歌でも作る人になると言えないことは、それはその職業を『ちゃんとした』仕事じゃないと思っているんじゃない? 『ちゃんとした』職業だよ」としっかりとお説教を食らったことがある。
 今考える。正直『ちゃんとした』職業じゃない。クレカも賃貸も通らなそう。そういう現実的な判断をしてしまい、いやここではできるようになったという方が正しい。上記のような判断基準を当時中学三年生のわたしが全くもって持たなかったかと言えば否だが、そのときは「『ちゃんとした』仕事でない」と思うより強く、「わたしにはそうすることが、し続けることが出来ない」むしろ『ちゃんとした』仕事じゃないという目を向けられながら、「そうしたことができる、し続けられるような強い人間はわたしなんかとは違うのだ」と思っていた。
 今思えば、やってみてダメならどうにでもやり直すという選択肢があることをただ一本道に乗せられてきたようなガキだから知らなかった。幼くて愚かな考えだ。
 「絵本作家になりたいです」と発表した、二分の一成人式は十歳なのだから、それからたった五年でわたしは夢や夢をみる力を手放してしまった。部活より塾を優先したり、ずっとお世話になっていた先生の元を離れて大手の塾へ通ったりした。でも、第一志望は憧れのまま受験すら出来なかったし、受かるための勉強量もなかった。こうした打ち込めない実際の言い訳として、わたしは前述のような後悔じみたことをおそらく、口にしている。
 不誠実でたまらない。
 大学受験も全く同じ轍を踏んだ。高校に馴染めなかったことを、多分言い訳のために悲しんでいる。高校に思い出などないのに何度も馴染めなかったことをぼんやりと思い出して後悔している。「具体例は?」と問われて何も思い出せないのに後悔し続けている。
 わたしはずっと逃げているだけなのに、真っ当でありたいと思っていて、そんなものでは当の昔になくなっているのに、真っ当でありたいと思っていて、年に合わせておとなになりたいと思っている。若いのは実年齢だけで体は老耄なのだ、という語り口はわたしのよく使う手口であるが、そんなことよりもっと精神が未熟だ。だからまだ思っている。「『ちゃんとした』仕事じゃない仕事をし続けられるような強い人はわたしなんかとは違うのだ」と。大学で素養に優れた人たち、家族や友人が豊かな人たち、実際にそうしている人たちを見て、その思いはより強くなった。これはまた言い訳だ。わたしがそんな風にコンプレックスに感じるほどそれらに恵まれていないことは全くもってない。それなのに、だからわたしは創作ができない。
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siteymnk · 5 months
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉��隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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123ii · 7 months
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自分の意思や���見がないことがここ数年の大きな悩み
好きなことや嫌いなことが分からないわけではない
好きとか嫌いとかは個人の価値観だから、それが答えでいい気もするけど 嫌いなことについては正しいかどうかを考えてしまう
みんなは我慢できるけど自分が甘えてるだけなんじゃないかなあと
なんで意思がないのかを考えた時 わたしはずっとこれまで「なりたい像」が自分の中にあってそれに近づくために行動してきたことが原因じゃないかなと思う
厄介なのは「なりたい像」が日々変化していること
中学の時は誰からも好かれて、頼られる人になりたくて自分の弱みは見せず周りに配慮し優先するよう努めた
おかげでわたしのことを嫌ってるなと思う人は誰もおらず、いつも笑顔の優しい人という印象がついていた(クラス最後にやったアンケート参照)
たた、仲のいい友達からは「いつも気遣ってくれて嬉しい。でも、弱いところを見せてくれないから信頼されていない気がして寂しい」と言われたことがある
高校ではその部分が気になりつつも中学の頃の同じスタイルで人と接していた
結果、好きな人をとられたという理由で嫌われた以外は特に嫌われたり喧嘩もなかった
でもどの友達も上辺感があるなあ、という感じだった
陰で、いつも一緒にいた友達のうちの1人がわたしに対して「彼氏いるけどあのカップルは羨ましいとは思わない」、「いつも勉強してないのにテストではいい点とるよね」と言ってたといつも一緒にいた友達のうちの1人から聞いた
わかりづらい人はよくわからないから批判されやすい
普段から自分のことを話していれば良かったな、と思った 
彼氏と一緒に帰ったり遊んだりするのは楽しいけど同じクラスだからクラスでは気まずいんだ〜とか、テスト勉強家だと一生YouTube見るから塾の自習室通い始めた〜とか (これが功を成すかはわからんけど)
自分の話ばかりするのも困るけど、少しは自己開示をしなければ相手も心を開いてくれないんだな 
何をしたら喜ぶとか、表情によく出てわかりやすい人が好かれるんだな
この辺が高校での学びだった
近くなり過ぎてうまくいかなかったケースもあった
同じ部活での子で繊細で傷つきやすくてネガティブででもその分人に優しくできるというタイプの子で仲良くなりTwitterの裏垢を共有した
初めは辛いこと、傷ついたことに共感ができて慰め合えて良かったたけど、同じ部活という狭いコミュニティの中で意見が異なる事も何度かありお互いの愚痴を書く事もあり 離れて行った
心は見せ過ぎても良くない 100%理解し合うことはできない 
それから大学
それまでネガティブに考えすぎることや、些細なことを気にしすぎて疲れるということがあまりにも多く
ポジティブでクールで明るいひとにすごく憧れた
なのでそう見えるように振る舞うことにした。ただ、高校までで学んだ 分かりやすい人になる、弱みを見せる、ただ芯の部分は見せない というところは意識した
周りの友達が優しく恵まれていたからかもしれない、悩むことが本当に減った
考えないようにしていたら本当に何も考えられないようになった 意思がなくなった 
でも苦じゃない、すごく楽。それに加えて自虐があると相手も心を開いてくれてすぐ仲良くなれるという技も知った。自分の話も自虐多めで少ししつつ、相手の話を大きく反応しながら聞く、質問する、肯定する、ていうのをすると相手は話しやすいと喜んでくれて、また話聞いてと言ってくれる
これでいいか〜これで完成かな〜と思ってた
社会人になってこれじゃダメだと痛感した
プライベートの付き合いならまあいいかもしれないけど社会では自虐なんかしたらナメられる
何も考えてない��りをして微笑んでいるとバカにされる
意思がないと意見が出せない
聞き上手でも提案力や伝える力がないと意味がない
終わった…
なので今は言語化する力、想いをわかりやすく伝える力をつけられるよう努力しています。
「なりたい像」の話で言うと、本来の素の自分となりたいその姿とのギャップでしんどくなると言うことがよくあるけど
なりたいと思えていること、正しいと思うこと、その価値観が自分の意思ということになるんじゃないかなと思っている
向上心を待って変わりたいと思うのが私ってことなのかな、知らんけど 
まずは現状を認めること 好きな元上司がよく言ってくださってたな ギャップに苦しむことになるから、よく見せようとしないで良い、できないことを受けいれたほうがいいって
キャラ演じてるニセモノって悲しまなくてもいいんじゃないかな それも自分なので多分
とりあえず今は本読んだり言葉にするよう意識したりして話し上手の武器をつけられるように修行頑張ります!
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honyakusho · 7 months
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2023年10月30日に発売予定の翻訳書
10月30日(月)には13冊の翻訳書が発売予定です。
ピンキッツえいごえほん① こんにちは! Hello!
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The Pinkfong Company/絵と英文 関根麻里/日本語訳と解説
Jリサーチ出版
ピンキッツえいごえほん② てをあらおう Wash Your Hands
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The Pinkfong Company/絵と英文 関根麻里/日本語訳と解説
Jリサーチ出版
ナショナリズム入門
リア・グリーンフェルド/著 小坂恵理/翻訳 張彧暋/解説
慶應義塾大学出版会
悪なき殺人
コラン・ニエル/著 田中裕子/翻訳
新潮社
ミシェル・フーコー講義集成2巻 刑罰の理論と制度
ミシェル・フーコー/本文 八幡恵一/翻訳
筑摩書房
第3版 シュッツ 相対論入門 II 一般相対論
江里口良治/翻訳 二間瀬敏史/翻訳 Bernard Schutz/著
丸善出版
第3版 シュッツ 相対論入門 I 特殊相対論
江里口良治/翻訳 二間瀬敏史/翻訳 Bernard Schutz/著
丸善出版
AYA世代のリウマチ診療 : 臨床と実践のために
森雅亮/監修 川畑仁人/監修 山﨑和子/監修
朝倉書店
クリスマスのフクロウ 森へかえる
エレン・カリッシュ/著 ギデオン・ステア/著 ラモーナ・カウリツキ/イラスト 中井はるの/翻訳
化学同人
クリスマスに ゆきが ふりますように
シビル・ドラクロワ/著 石津ちひろ/翻訳
講談社
信頼できるAIへのアプローチ : AI活用で踏まえておきたい9つのチェックポイント
Beena Ammanath/著 森正弥/監修 神津友武/監修 清水咲里/翻訳 山本優樹/翻訳 ほか
共立出版
もっと知りたいクリスマス : サンタ、ツリー、キャロル、世界の祝い方まで
ジョージ・グッドウィン/著 黒木章人/翻訳
原書房
赦しへの四つの道
アーシュラ・K・ル・グィン/著 小尾芙佐/翻訳 鳴庭真人/翻訳
早川書房
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rakuga-blog · 1 year
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最近ちょっと不安に思った事があったので書いてみますか
昔から新しい改革や制度が出来た時に感じるあの不安感です(大半の人は感じたはず)最初に感じたのは中学か高校の頃友達のお父さんが土日休みになった話を聞いた時です、漠然とですが心に引っ掛かりましたその当時まだ学校は土曜日授業あったせいなのか分かりませんが直感的に不安を覚えた気がします、どうやら1987年に週40時間労働制になったらしくそれが徐々に浸透してきてたようです。次に感じたのは20代前半の頃テレビでゆとり教育を推進するニュースを見た時で、その頃韓国は日本以上に学歴社会で大学に落ちたら親がワンワン泣き、中国では都会に出てきて結婚した夫婦が自分達の将来のため一人っ子に高額の塾へ通わせその子供も親の期待に応えるため勉強する家庭が増えてるという報道をよく耳にしました、将来学力で中韓に負けると言ってるようなもんです。
あとはITバブルの頃ですか、アメリカのシリコンバレーではベンチャー企業に投資家が積極的に投資して成長している時代にlivedoorのあの事件です
結局漠然とした不安は日本経済の衰退を危惧した事だった訳ですが
これはどちらが正解だったのかは分かりません、仕事と勉強ばかりで余裕のない生活より今の方が、出る杭はなるべく作らずある程度平等である方が治安も安定するしこれで良かったのかもしれません
で今回久々漠然と不安に感じたのがChatGPTなどのAIです、これは大半の人が思ったんじゃないかな。世界中の国や知識人が危惧していますが日本は何故か積極的に推進するそうです…衰退、出遅れの焦りから危険な果樹に手を出してしまうという一番駄目なパターンです。AIの何が危険かというと将来的に人間より上位の存在になる可能性があるからです、感情や痛みを知らない存在が人間の知識や分析や計算を上回る訳です、人々に新しい知恵や道具を与える事も可能になればそれはもう神と同義の存在です。危険ですね、人間は歴史的に見ても造り出した物をすぐ兵器利用しています、核兵器なんかより余程地球滅亡の可能性がある代物です
海外では法的な整備が必要だと警鐘を鳴らしています、今の日本は失ったものを取り戻そうと必死ですがそれは心の余裕や平等、治安を選んだ対価だという事を見失わないで欲しいところです
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kanglo · 1 year
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天からの人間一人ひとりへの問い掛け。
「お主、その人生、何を思い、何を考え、何を大切に生きているのか?」
この問い、己、如何に答えるか?
「はあ?なんか上からな感じじゃね?偉そうに。そんなこと知らないよ!考えたこともないし。」
「答えたくありません。そもそも天とか神とか仏とか、信じてないし。答える義務もありません!」
「いやあ、そうきたかあ。これ、道徳の時間?ちょっと、すぐには答えられないです。こんな大きなこと、普段、考えていないんで。毎日、忙しくてそんなこと考えている暇ないっす!」
「おう!教えてやるよ!人生は金。金を持っているやつが強い。世の中、何でも買える。金で買えないものなんてない!持ってるやつが偉い。だからどうやって金をふんだくるかが人生大事なんだよ。頭使って、金がっぽり稼いで、一旗揚げるのが男ってもんだろ?違うか?」
「とにかく、家族のことが頭で一杯です。日々子供たちの世話とかが大変で。将来、親のこととかもあるし、夫の仕事のことも心配。家のローンもたっぷり残っているし物価も上がっているし。私自身もパートの仕事を始めたけど慣れないことばかりで失敗ばかり。最近人間ドッグで引っかかっちゃって体のことも心配。でもこうして家族に恵まれて私は幸せです。」
「いや、子供にそんなこと聞かないでください。学校でも習ってないし良く分からないです。毎日、友だちのこととか、塾とか大変。ゲームをしている時間が一番楽しい。親は勉強勉強ってうるさくて、何のために勉強して学校に行くのか分からない。クラスもギスギスしているし、先生もなんかいつも忙しそうで…。大人を見ていると辛そうで、大人にはなりたくないなって…。そんな感じです。」
「はい。私の人生、幸せです。毎日、感謝の気持ちでいっぱいです。とにかく、私を生んでくれた親に感謝です。そして、いろいろと支えてくれている人たち。いつか立派な大人になって、恩返しがしたいと考えています。っていうのは���て前で、本音はこんなクソな社会をぶっ壊したいと思っています(笑)」
「私は未熟者です。だから、日々、善い心掛けで生きるようにしています。時々、失敗もしますし、反省することも多々あります。でも人生は修行なので、少しでも人として成長できるようになりたいです。」
「正直人生辛いです。毎日、会社に行くのがとにかくシンドイ。上司からいつもどやされてばっかりだし、毎日数字だの納期だのタスクだのって、これがこれから何年も続くのかと思うと人生止めたくなります。親からはいい大学行って、いい会社に就職できれば人生幸せになれるって言われてきたんだけど、まったくそうなっていないのはなぜなんでしょうか。こっちが聞きたい!」…。
80億人の人間それぞれの人生。
人生いろいろ。
同じ色は一つもない。
人間は素晴らしい!
この超大宇宙の営みの中で、皆頑張って生きている。
人生は一人ひとりの問題。
だからこの世は面白い!
その問い掛けに心して答えられるよう熟考し続けます。
有難う御座います。
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08586880 · 2 years
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一章
1992年12月20日、バブルが崩壊した3ヶ月後、私は祝福ムードの中、四日市市の病院で生を受ける。四日市は工業地帯として知られていて、四日市ぜんそくという公害問題を発生させており、空気の悪い街だと思われるが、私が育った町は鈴鹿山脈近くにある小さな町で、さらに伊勢茶を作る農業を生業とする人が多数いる茶畑に囲まれた緑が豊かすぎる地域だった。港近くの小学校では石油コンビナートが発生させる光化学スモッグにより警報が出て、窓を閉めなければいけない状況の中、私達は春には新茶の匂い嗅ぎながら鈴鹿山脈を見上げ校庭を走り回っていた。コンビナートもコンビニもないこの小さな小さな田舎町の駄菓子屋で友人と塩辛いイカの燻製を噛み、くせーくせーとクサいのを笑い合いながら、秘密の場所を作りに街を歩き回る。秘密の場所、親も近所の大人もクラスの連中も少し年上のお兄さん、お姉さん達も誰も知らない俺とお前しかしらない秘密基地を探しに日々誰も寄り付かなそうな場所をディグをしていた。廃家は俺たちの中では無しだった。俺たちはそれを誰かが所有していて誰かの管理下にあるのを何となくわかっていて、見つかったら殺されると思っていた。初めての性体験、幼稚園、好きな子の裸を見てチンチンが大きくなったあの日。あの日の情熱で秘密基地を探していた。近くの池の側にあった木に囲まれた墓の跡地のような小さなスペースに宝物を持ち寄りそこに隠してそう。そう言って友人と竜の剣のキーホルダーを土に埋めた。結局その場所は大人にバレ、立ち去るように言われ、立ち退いた。そもそも友人が別の友人にその秘密の場所のことを話してしまったので遅かれ早かれその場所は使えなくなっていた。最早秘密でもなんでもないが俺たちは俺の家の一角を使って家を作らないか?と話し合い、親の寝室の一角(なんと大胆なチョイスだろう)にマットレスで屋根を、段ボールで壁を作り、中に懐中電灯を置き、好きな漫画やおもちゃを持ち寄って、その中で特に何をするわけでもなく、何かに熱狂していた。親の寝室に建てれた城は夜には見事に解体され、マットレスは寝具に変わり、段ボールが捨てられて、漫画本は本棚に返された。それが凄く悲しかったのを覚えている。自分には家や寝室以外にプレイベート空間が必要だった。それからは友達との秘密の場所から、自分1人の場所として基地を作るようになった。齢6才や7才でプレイベート空間を求めるような弱い人間だった。常に不安感を抱き、この頃は最も吃りが酷い時期で親の前でも緊張していて、おねしょで朝起き、給食は喉を通らず全て吐いて、先生や親は理解できず不満がっていた。大人たちも友達も皆「お前は恵まれている」と言った。自分にはその意味がわからず「辛い」という気持ちを言語化できず、それを伝えられずにいた。その辛さは15才の時ロックンロールに改宗した時に全て呪詛と涙と言葉の暴力で表現するようになるがそれは10年後の話。周りの友達同じように話せない、ご飯すらちゃんと食べれない、そんな自分恵まれている‥ 俺はそんな矛盾を検証しようとせず、特撮、テレビドラマやポップ音楽に寄りかかった。特撮ではゴジラ、ウルトラマン、戦隊ヒーロー、仮面ライダー、どれが1番好きと言えるまでの熱量は無かったのでわからないが、特撮に惹かれてたのは怪獣、怪人の造形美だった。醜悪でもどこか美しい悪者達が、全てを与えられたようなナイスガイ達を蹂躙していく‥ その様が爽快だった。ウルトラヒーローシリーズにでてきた「ガタノゾーア」という怪獣は衝撃的で、顔が逆向きについてい非常に醜悪でカオス極まれりといった具合の造形でゾクゾクしのを覚えている。そいつがお決まりのウルトラ光線で逝った時の虚しさったらなかった。好きな怪獣達は引き分け、同時死になる事なく必ず負けて、爆破され灰になる。ガタノゾーアの造形を超えるナイスガイに会える事もなくなり特撮からは遠ざかった。小学3、4になりそれからはコメディドラマを好んで観るようになる。現実とは違う、軽快で底の底までシリアスにならないタッチが不安な心を軽くしてくれた。ムコ殿というドラマが特に好きで松任谷由美の7 TRUTHS 7 LIES〜ヴァージンロードの彼方でのメロディには衝撃を受けた。(これは高2で聴いたmy bloody valentineの衝撃に近い‥ )それからドラマやアニメから音楽を知るようになり、音楽も心を癒してくれるように重要なものになった。ロングラブレターの山下達郎/Loveland irand ちびまる子ちゃんのカヒミ・カリィ/ハミングがきこえる(もうすでに小山田圭吾から啓示を受けていたのだ)広瀬香美が歌うカードキャプターさくらのOP、ED、人にやさしくのthe blue herts/夢(ロックンロールの洗礼はまだ受けていない)ナースのお仕事のOPナンバー、ポンキッキーズの楽曲、などポップなものが多かった。逆に暗いマイナー調のフォークやシリアスで真面目で建設的なバラードには拒否反応を示していた。大袈裟で心を不安にさせる音楽だと嫌っていた。親のカーステで聴いたSMAPのポップな曲達は今でも忘れられない。リアルタイムで大流行りしていたらいおんハート夜空ノムコウにより80s昭和アイドル路線、お花畑で能天気なムードに心を置いていた。また、90sに入ってからのサウンド、スタイルカウンシルズ〜渋谷系直撃な小洒落たサウンドも大好きだった。シェイクは今でもアガし、しようよには良質なグルーヴがありノレる。キリンジ作曲の恋の灯には心を大変苦しくさせられた。初恋の感覚それと同じ、いやそれ以上の甘苦しさ‥ SMAPは今の自分のポップスの物差しの重要な一部なっており俺の偉大なるルーツだった。その時のリアルタイムがドリンクSMAPというアルバムで(ナンバーワンより特別なオンリーワン収録)00年代を象徴する80年アイドルソング的能天気さとは違う、いかにもお涙頂戴的で安い感動や、紋切り型のポジティブを歌う不気味な能天気さは俺の心を暗くした。その年友達の家族と自分の親とSMAPのコンサートに行ったのは忘れられない‥ライブの原体験、心の底から楽しかった。小学4、5年になるとテレビから流れる音楽、ドラマは好みものが減ってきて距離が遠くなった。松浦亜弥は好きだった。底抜けにポップだったから。この頃は友達と同じゲームをして、同じおもちゃで遊び、普通の小学生を真っ当していた。真っ当していたが心は貧しかった。ゲームはレベル上げで友達より優位に立ち、承認欲求を満たせた。そしてそのレベル上げという地道な作業は鬱を忘れさせた。ゲームは心を豊かにさせるものではなく周りとのコミュニケーションツールに過ぎなかったのかもしれない。この頃の鬱とと言えば、大きく2つ、進学校に入学するための進学塾入学とサッカー少年団入団、この2つだ。進学校行きは親が決め、サッカーは友達がやっているゲームと同じゲームをするのと同じ感覚で自分から始めた。まず進学塾の授業長さと内容の難しさに驚いた。水曜の放課後バスで1時間かけ街まで行き、17時から20時まで授業受け、また1時間かけ21時に家に帰る‥ そして土曜は12時から18時までという殺人的な長さ、小学生には無限のような時間、さらに学校の成績の悪い自分には恐ろしく難解な授業、これによ「時間」という概念がぶっ壊れ、時間=なんとくなく過ぎ去っていくものだったのが、苦痛で永遠のような時間という種類が存在し、それに耐え、やり過ごさなければならないという問題直面する。同時に初めサッカーだったが、これにも問題があった。単刀直入に全くセンスがなかった。体が硬く、不器用で球技のセンスがなかったのと、体と体で思いっきりぶつかり合う攻撃的な部分にも繊細で鬱気味なメンタルの自分には全くハマらなかった。仲のいい友達が皆同じチームに入っていたので、やっぱり辞めたと言い出せずしぶしぶ続けていた。昨日のあれはいい試合だったねと友達が言って「すごく良かった」と返したが、俺がサッカーで興奮したことは人生で1秒も無い。ある日、練習試合があり、相手チームのやつらが自分の持っているボールめがけて突進してくる。俺は頭が真っ白になり、脱力し、退場した。この時辞めておけばよかったんだ。時間の無駄をした。進学塾ではテストがある度順位が張り出され、それによってクラス分けをされ、自分は最下層の「Sクラス」にいた親から叱られ、自分は親の機嫌を伺い、必死で言い訳を考えた。「今日は調子が特別悪かった、今度はうまくやれる」 それによってどんどん精神がすり減った。今ではお馴染みの精神的苦痛。また同時に肉体的にもやられていた。炎天下で行われる坂道ダッシュ、タイヤ轢き‥ 週の半分が地獄のような時間でついに心がぶっ壊れた。自分より楽しそうなやつを見ると嫉妬したし、そんな自分の事を「恵まれている」という風に言ったやつの喉を裂いてやりたかった。疑心暗鬼にもなり友達は俺を蹴落としにくる(これは人は何時でも足元も見てくるという母親からの教えの影響もあった)と思い込み、ついに緑の田舎町の景色がモノクロに変わった。この時点でもう誰のことも信用しておらず、母親ですら自分を不安にする悪役的な存在だと思い込み、家庭内政治に参加ぜず家にすらいない父親は眼中になく、もうコイツらだめだと思い、自分で自分を守るという人生初めてのモードに切り替わる。汚い言葉で武装して相手を罵り、頭の中で計画する殺人、悪意を持ってありとあらゆる嘘をつき、全員を傷つけた。親の機嫌を伺い媚びるのが嫌になり、テストではカンニングも用いてトップクラスに行き���泣いてる親の顔を見てそれが凄く滑稽で自分は勝ったみたいに満たされた。俺は親を出し抜いた!初めての反抗だった。やり方は卑怯であったが、そんなの関係なかった。理不尽では理不尽でやり返す。友達にも同じような事をしていた、嘘をつき、友達と友達を喧嘩させ、
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shinjihi · 4 years
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伊藤詩織氏に告発され刑事事件及び検察審査会でも不起訴となった山口敬之氏の独占手記
続き
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか? 
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
 
病院やその後、連絡したNGOの対応に不満を述べてはいるが、どう言い訳しても、あなたは結果として血液検査を受けなかった。
あの段階では、「デートレイプドラッグを飲まされてレイプされた」とは思っていなかったからではありませんか?
 
もしあなたが、実は血液検査を受け、その結果を持っているなら、ぜひそれを提出してほしい。「デートレイプドラッグ」の成分は出ていましたか? 
出るはずがない。そんなものは誰も使っていないからです。検査結果さえあれば、「薬を盛られて抗拒不能な状態にされた」というあなたの主張は根底から崩れることになります。
 
結局のところ、あなたがいま「薬を盛られてレイプされた」と思い込んでいるのであれば、それはあの朝からそう思っていたのではなく、あとから時間をかけて自ら思い込んでしまったということになります。違いますか?
 
それを示すもう1つの物証がある。それは、私のTシャツを着て部屋を出ていった詩織氏を見送ったあと、ワシントン到着後の4月6日夜に受け取ったあなたからのメールです。
「山口さん、お疲れ様です。無事ワシントンへ戻られましたでしょうか? VISAのことについてどのような対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです。 伊藤」
これが、被害者がレイプ犯に送る文面でしょうか? 私をレイプ犯と思い込んでいるのであれば、最初のメールで一切そのことに言及しなかったのはなぜですか? 
事案から2年以上過ぎてから記者会見まで開いて、「薬を盛られてレイプされた」と訴えたあなたとは、当時は認識が違っていたからではありませんか?
 
そして、このメールに関してもう1つ、あなたの悪意を指摘しなければならない。あなたはこれまでに、週刊誌などに対して、私とのメールのやり取りを部分的に公表していますが、このメールはあえて伏せている。
それはなぜですか? 都合が悪いと思っているからですか? 
それならば、私を犯罪者に仕立てるという目的において「都合のいいメール」と「都合の悪いメール」があるということになる。
全てのメールが時系列で明らかになれば、私が何を言いたいかわかってもらえるでしょう。私の主張に矛盾があるというなら、ぜひ指摘してほしい。
 
なぜ「犯罪が行われなかった可能性」を否定できないのに、あなたの心中では長い時間をかけて断定的な被害者感情と私への憎悪が醸成されたのか。そして、都合のいい事実だけを提示するという操作まで行って、私を犯罪者に仕立て上げようとしたのか。
本当のところは、あなたにしかわからないことだ。
今後の民事訴訟のなかで明らかにされていくことを期待します。しかし、ここまでわかっている事実関係から、1つの可能性を類推することはできます。
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
私があなたに初めて会った時、あなたはキャバクラ嬢でしたね。
2013年9月、国連総会の取材でニューヨークに滞在していた時に、知人の記者に連れられて行った日本人相手のキャバクラで、キャバクラ嬢として私の隣に座ったのがあなたでした。
私がTBSのワシントン支局長であることを知ると、あなたは途端に、「ジャーナリズムの仕事がしたい」と非常に熱心に訴えました。そして、ニューヨークの日本のテレビ局を紹介してほしいと何度も繰り返しました。その執拗な要求は、少したじろぐほどだったのをよく覚えています。
その後も、あなたは自分の願望を実現するため、私に繰り返しメールを送り付けています。そのうちの一部を抜粋します。
「(前略)ぜひTBSのニューヨーク支局にてインターンをさせていただきたく連絡差し上げました。ご検討、お力添えしていただけないでしょうか? よろしくお願いします」
「たびたびのメールすみません。もしインターン採用の可能性があるのであれば、できたら今週中に面接していただけたら幸いです」
 
インターン希望者が面接日時を指定してくる異常性にたじろぎ、当時TBSニューヨーク支局ではインターンを募集していないという事実を伝えました。その後も、TBS以外の日本のテレビ局を紹介してほしいという、あなたの要請は続きました。
 
結局、あなたは私の紹介で日本テレビのニューヨーク支局でインターンをすることが決まりましたね。採用が決まった時、あなたは下記のメールを送ってきました。
「今日本テレビの〇〇さんからお電話いただいて採用との報告をいただきました!! 本当に本当にありがとうございます! 全力でインターン頑張ります。(中略)このご恩は一生忘れません!! ありがとうございます!」
一連のメールは常にあなたから来て、私はそれに返信する形でしたね。そしてキャバクラで出会ったあと、あなたに会ったのは、昼間に某支局長を紹介した1回だけです。
それ以外、私はあなたを1度も食事に誘ったり、誘惑したりしたことがないことは認めますね?
「本気です!」あなたから届いたエモーショナルメール
その後も私からあなたに連絡を取ることはありませんでしたが、14年9月になって、またあなたから連絡がきました。
「(前略)現在絶賛就活中なのですが、もしも現在(TBSワシントン支局で)空いているポジションなどがあったら教えていただきたいです。宜しくお願いします! 東京にお戻りの際はぜひお会い出来たらうれしいです」
「早速のご返信ありがとうございます! 本気です! プロデューサーのポジションに応募させていただきたいです。ぜひとも検討していただけませんでしょうか? よろしくお願いします!」
「どんな形であれ、ジャーナリズムのお仕事に携われるなら雇用形態は問いません。どうぞよろしくお願いします!」
 
また、!マークのたくさんついたメールが何度も送られてきました。あなたの強い要望がきっかけとなって、問題となった恵比寿での会食がセットされました。
あなたが元来、エモーショナルなメールを打つタイプだとしても、一連のメールを見ればワシントンで仕事をしたいという熱情は並大抵ではなかったことは明らかですね。
 
一方、ワシントン支局長を務めていた私があの時、一時帰国したのは、前の月に『週刊文春』に寄稿した「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」について、会社の賞罰委員会から呼び出されたからでした。
 
この寄稿は、私がアメリカの国立公文書館で発見した公文書に関するものでした。
ベトナム戦争当時、韓国軍兵士用の慰安施設が当時のサイゴン市内にあったことを示す公文書を見つけたので、私は事実関係の検証や関係者へのインタビューを重ね、TBSのニュース番組で放送するために、数カ月かけて取材をまとめ上げました。
「性暴力の被害を受けた」――解任されると態度が一変!
しかし、TBS報道局幹部はいろいろな理由をつけてなかなか放送しない。数カ月にわたる交渉の末、2015年2月、TBSは納得できる理由も示さないまま、「放送しない」との最終決定を伝えてきました。
私としては、伝えるべきニュースを明確な理由も示さずに封印しようとする会社の決定に承服できず、やむなく『週刊文春』に寄稿という形で取材成果を発表しました。
 
これがTBSの内規に触れるということで、会社の査問を受けるために一時帰国を命じられていたのです。この経緯と、私が何らかの処分を受ける可能性があるということは、あなたにも伝えていましたね。
 
私がワシントンに戻ってあなたからビザに関する問い合わせを受けたあと、4月中旬頃から私に厳しい処分が出そうだという噂が広まり始め、その噂どおり、結局、私はTBSワシントン支局長を解任され、日本への帰国を命じられた。
そして、TBSワシントン支局でインターンをしたいあなたの希望を叶えることができなくなりました。
 
あなたが「私から性暴力の被害を受けた」と言い出したのも、なぜかその時期です。
「意識のない私をホテルに連れ込み云々」といったメールを初めて受信したのが、4月18日のことです。それ以降、あなたからは大量の敵対的な攻撃、罵倒、返信が遅いという非難など、メールのニュアンスが一変しました。
最初の穏便なメールを送ってから2週間の間に、あなたに何があったのでしょうか?
 
その後、私がTBSを辞め、本を出版し、テレビに出演するようになったことについて、あなたは記者会見での配布資料にこう書いています。
「山口氏が権力側で大きな��を発信し続けている姿を見たときには、胸が締め付けられました」
「権力側で大きな声を発信し続けている」との断定は、あなたがジャーナリストを名乗るのであれば、内容を説明する義務を負うでしょう。
 
不起訴処分が出てから10カ月も放置した末に、私がメディアに露出するようになってから改めて記者会見を行い、検察審査会に不服申請をしたのはなぜか。
私には、あなたの強い自意識が、自分が被害者であるという思い込みを生み育て、その後に起きた落胆や怒りが私への憎悪を極大化し、いまでは自分の記憶まで歪めてしまっているのではないか。
そう思えてならないのです。
野党政治家たちがなぜ、あなたの味方になったのか?
最後に、どうしても指摘しなければならないことがあります。あなたは記者会見で、
「上からの大きなパワーを感じました」
という抽象的な表現で、政治の介入について匂わせました。
しかし、実際に政治家を味方につけて利用していたのはあなたではありませんか?
 
昨年7月に検察の不起訴処分が決まったあとも、あなたとあなたの協力者が「私に性的暴行を受けた」と吹聴し、週刊誌やテレビ局にネタとして売り歩いているという情報は、私の耳にも入っていました。
しかし、あなたの主張がもともと事実ではないので、私は気にしていませんでした。
 
しかし、5月中旬に『週刊新潮』が記事を載せた頃から、なぜか複数の野党政治家があなたの側に立った発信を始めるようになりました。
まず、民進党の参議院議員、有田芳生氏が、あなたの会見の3日前の5月26日、
「来週、この事件をめぐって新たな動きがあるようです」
と会見を予告するようなツイートをし、それに対してあなたは「いいね」を押しています。
なぜ、野党政治家があなたの会見の予定を事前に知っていたのか。あなたが伝えたのですか? 
政治とは縁のなかったあなたは、いつからこうした政治家と交友を持つようになったのでしょうか?
 
有田氏はその後何度も、あなたの主張を検証もしないまますべて事実とし、私を犯罪者扱いするツイートやリツイートを繰り返しました。
 
同じ民進党の衆議院議員だった井出庸生氏や柚木道義氏も、国会の委員会質疑であなたの記者会見について触れました。そして柚木氏は私の著書を掲げ、私を犯罪者と断定したうえで質問を繰り返しました。
 
そして不思議なことに、あなたの記者会見と呼応した野党政治家の動きと全く同じタイミングで、私の所に大量の誹謗中傷のメッセージが寄せられるようになりました。
「首つって死ね」
「家族もまとめて心中しろ」
Eメール、ツイッター、フェイスブックなど、ありとあらゆる電子通信手段を使ったこうしたメールは、多い時は1日に100通を超えました。私のみならず、私の家族や知人にまで、凄惨なメッセージが送り続けられました。
 
そして送り主のプロフィールを見ると、「共謀罪反対」 「反原発」 「九条の会」 「外国人参政権を推進する会」といった組織のメンバーか、その主張に賛同する人がほとんどでした。
あなたは5月の記者会見で、「共謀罪よりも強姦罪改正を優先して審議してほしい」と主張しました。私に大量の陰惨な誹謗中傷を送り付ける方々の多くも、「テロ等準備罪」を「共謀罪」と呼び、廃案を強く求めています。
これはまったくの偶然なのでしょうか?
権力によって「もみ消された」と主張するおかしな面々
結局、今回の出来事は、突き詰めれば「飲みすぎたあなたが、自分のしたことを忘れてしまった」というだけの極めてシンプルな、よくある些事でした。
もちろん、権力の不正や政治的主張とは全く無関係でした。
 
しかし「犯罪事実がなかった」という事実を認められないあなたが、「薬を盛られた」という妄想を起点として、犯罪をあったとするストーリーを創作し、自ら作り上げた虚構を信じ込んだために、「逮捕され起訴され有罪判決を受けるべき事案が権力にもみ消された」と主張するに至った。
そして、どういう思惑と連携があったかは知りませんが、複数の野党の国会議員や支援者があなたを支援し、私を罵倒し続けた。そして私に対する攻撃は、未だに続いています。
 
万が一、あなたの主張どおり、裁かれるべき犯罪が不透明な政治力によってもみ消されたり不問に付されたのであれば、それは大変な問題です。
 
しかも今回あなたは、まったく別個に機能した「警察」 「検察」 「検察審査会」のすべてが、それぞれに政治的に歪められたという、とんでもないことを主張しているのです。
非常に重要なことを主張するのですから、「上からの力を感じた」 「事件が消えてしまう」 「ブラックボックス」というような抽象的な、あるいは情緒的な表現でなく、具体的に問題点を指摘して下さい。
 
私を犯罪者に仕立て上げて刑事罰に処すというあなたの企てが最終的に失敗に終わってなお、不正があったと言うのであれば、「警察」 「検察」「検察審査会」それぞれについて、何が起きたのか。
それを具体的に示すのはあなたの責任です。
「勇気ある女性」ではなく、「偽りの女王」
あなたが「ブラックボックス」だと思っていることの多くは、あなたの脳内で起きた「ブラックアウト」というありふれた現象に過ぎない。そしてあなたの勘違いと思い込みが、行政と司法によって粛々と退けられただけのことです。
あなたの主張を背負って裁判を戦える検事などいないから不起訴となり、一般国民からなる検察審査会も、当然それを支持した。
 
一方、あなたは自分が間違っている可能性を知りながら、記者会見を開いた。この会見であなたは多くのものを得た。あなたの名前は世に知られるところとなり、「勇気ある女性」と称賛され、野党政治家や一定勢力からの支援も獲得した。
 
会見で得たものがもう1つ。あなたは大手出版社から単行本を出されたそうですね。
その本の宣伝文句に、
「この本を読んで、あなたも想像してほしい。いつ、どこで、私に起こったことが、あなたに、あるいはあなたの大切な人に降りかかってくるか、誰にも予測はできないのだ」とある。
 
私は、今後あなたと飲食するすべての男性に同じメッセージを送る。
全く事実と異なる主張でメディアとネットでリンチに遭い、社会的に深刻なダメージを負った私は、あなたが民事訴訟に打って出た以上、徹底的に闘う。
痴漢の冤罪被害のように、「性犯罪被害に遭いました」と偽りの記者会見をすれば大きな利得を得る社会は間違っていると考えるからです。
 
そして何より、性暴力の被害者ではないあなたが、自分でもそうではないと密かに知りながら、表向き性犯罪被害者を標榜して生きることは、本当の性犯罪被害者のみならず、他ならぬあなた自身を貶めることになる。
大変残念なことです。
著者略歴
山口敬之
https://hanada-plus.jp/articles/259
1966年、東京生まれ。フリージャーナリスト・アメリカシンクタンク客員研究員。90年、慶應義塾大学経済学部卒、TBS入社。以来、25年間、報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部。13年からワシントン支局長を務める。16年5月、TBSを退社。著書に『総理』(幻冬舎)など。
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satell1te · 3 years
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送辞を任された生年の話し
厳しい寒さがまだ残りつつも、日差しの暖かさに春の訪れを感じられる季節となりました。空を飛び交う小鳥のさえずり。今にも開こうとしている桜の蕾。このような佳き日に三年生の皆様が、晴れて高等学校の全課程を了えられましたこと、在校生一同、心よりお祝い
申し上げられません。
そうです、申し上げることなど不可能です。もとより俺には何も出来ないと言ってるじゃあないですか。なのに先生方は何を考えてるんだか、はたまた何も考えてないのか知りませんが、いち生徒会役員けん学年期末テスト一位というだけで送辞という大役を命じられましたこと、大変煩わしく思っております。いや、まあ、さりとて卒業式でこんな本音なぞ到底言えませんので、インターネットの有難い知恵を拝借し、文例を多少のアレンジだけ加えながら真似、保存アンド学年主任のPCへと送信は完了しました。きっと明日の卒業では、生徒会の誰かが読んでくれることでしょう。 基本的に読書感想文などもそうですけど、丸コピでなければ基本バレないんですよね。あとは検索のヒットが少ないものを選ぶのがポイントです。ああ、ここまで言えば察して頂けてるとは存じますが、俺は明日の式に出席するつもり、毛頭ございません。行けば俺の高校生活など一片すらも含まれないファンタジーめいた送辞を読まなければならなくなってしまいますので。じゃあちゃんと書けよ、とツッコミを入れた方は、どうぞテメェが書いて下さい。何故俺に押し付けるのか、その傲慢さたるや。なんせ俺の高校生活を愚直に打ち明けてしまえば、とある方お一人への恋文としかなり得ません。そんな大切な方との思い出を全校生徒の前で赤裸々に打ち明けろと?愚の骨頂。俺は、貴方との想い出だけは、俺だけのものにしたい。誰にも知られたくない。見られたくない。もし、万が一にも、誰しもに見られる送辞に貴方との思い出を含めた日には、貴方との思い出への冒涜行為のように思えて仕方がないのです。(ですから、文例引用は致し方のないこと。ご了承ください。ぺこり。)
てか、聞いてくださいよ。最近になって貴方との思い出ばっかり俺の中を巡るんです。覚えてますか?貴方が俺に初めて声をかけてきた日のこと。俺は入学してから一ヶ月も経つというのに、極度の人見知りのせいで一緒に学食で飯を食う学友すらおらず、そんな俺に声を掛けてきたのが貴方でした。
「わあ〜、本当に噂通りぼっちのイケメンだあ!何食べたらそんな顔に?」
第一印象は、失礼極まりない笑顔、です。陽キャの塊すぎて引きました。ただその中でも、深緑ネクタイの色が三年生の先輩だということを教えてくれたので、無碍にするわけにもいかないと腹の底から厄介に思ったことを覚えております。
「何を食べたら?今日はAランチです。」
「美味しそう。ちょっとちょーだい。あーん。」
「え、いきなりなんですか。まず自己紹介して下さいよ。」
「パクジミン。はい、あーん。」
「いや、あげませんよ。寧ろ何故貰えると?」
「自己紹介したじゃん。」
「そんなんで昼飯あげるのマザーテレサかガンジーくらいです。」
「ちぇ、一緒に飯食いたいだけじゃん。」
「…………それなら隣空いてるんですから、さっさと座ればいいじゃないですか。昼休み終わりますよ。」
結局この日以来、ほぼ毎日貴方は食堂にやってきて、勝手に俺の隣で飯を食うようになりました。(若干失礼感が拭えませんが)親しい友人が出来たみたいで俺は本当は嬉しかったのに、会う度に照れてしまい「またアンタか。」だの「俺以外に友達いないんですか?」だの、憎まれ口を叩く。そんな俺に「だって、どうしてもおまえと食べたいんだよ。」とニッコリ笑うジミニヒョンは、陽キャの線を超えて、可愛い甲子園大会ぶっちぎり優勝でした。ただ一学期を終えた頃から、俺に飽きたのか少しずつ頻度は減り、週四だったり、週三だったり。俺のところに来ない日は、きっと他の奴と飯を食べているのだとばかり思っていました。そう思うとなんだか胸が締め付けられました。俺は貴方が見つけやすいように、毎日同じ席で待ってたっていうのにさ。貴方は気まぐれに俺の目の前に現れては、ブルートゥースイヤホンをポッケに入れたまんま洗濯して号泣だの、おはぎレベルにでかい虫見つけただの、学食が美味し過ぎて食堂のおばちゃん抱きしめたいだの、突拍子もない、くだらないことを適当に話して終わる。ある日突然に「ねえ!一緒に生徒会役員やんない?」なんて言ってきた時は「なんでそんな面倒なことしなきゃなんないんですか。」と突っぱねたはずなのに、俺は渡された立候補用紙をしっかり握りしめていましたし、翌日には腕が勝手に提出をしていて、ぶっちゃけ、普通に、まいりました。
まいりました、といえば、あの蒸し暑い夏休み。貴方と出会って初めて迎えた長期休みは心底つまらないと感じました。夏休みってあんなにつまらないものでしたっけ。家にいても母親が勉強しろと口煩いものだから煩わしくて、塾と生徒会以外の時間をカフェか近所の公園の往復を繰り返す。ただ生徒会に行っても、ジミニヒョンは塾だ、模擬テストだ、家の用事だ、なんやかんやでいつもいませんでした。くそ、アンタが勧誘したくせに、いい御身分だな。逢ったら、1発ほっぺでも引っ叩いてやる。そんな決意を胸に抱いた夏休みの終盤。塾の帰りに貴方を公園で見かけた時は何故だか無性に泣きたくなりました。貴方に会えた喜びよりも、放っておかれた苛立ちよりも、なんだってそんなにケロリとしてるんだって悲しさの方が勝ったのです。なんだって、こんな夜遅くに、ひとりで誰かを探すようにうろちょろしてるんですか。パジャマにコートを羽織っただけみたいな格好して。彼女にでも呼び出されましたか。逢いたい、ってLINEでもきたんですか。その一言で、夜中に家を飛び出してきたんですか。そんな優しいジミニヒョンを俺は容易に想像できた。
「ヒョン、こんな時間に何してるの。」
「おまえこそ、どうしてこんな時間に?」
「俺が先に聞いてます。答えて。」
「俺は、その、」
「なんですか、誰かと逢引きですか。」
「えへへ、」
「濁すなよ、早く答えろ。」
「…もしかして怒ってる?」
「だって、アンタが生徒会誘ったくせに!肝心のアンタは全然生徒会に来やしないし!自由奔放に暮らしやがって!こんな夜遅くに誰と逢おうとしてるんだか知らないけどさ、待ち合わせならもっと早い時間にしろよ!非常識!!きっと相手も迷惑だ!」
「……ごめん。」
「もう一度聞くけど、何でこんなところいるの。」
「生徒会の帳簿にジョングクの家がこの辺りだって書いてあって、」
「うん。…うん?」
「この公園で待ってたら、逢えるかなって、」
「あのね、ヒョン。」
「勝手に住所見たことは謝るよ。こんな自由奔放なやつに逢いに来られて迷惑だったね。ごめんね、もうしない。」
「ジミニヒョン、」
「帰る。」
「ヒョンってば!」
「何。」
「電話番号、教えて下さい。ヒョンに逢えない夏休みが退屈で仕方なかったし、苛立ってたんだ。酷いこと言って、ごめん。…ごめんね。うん、泣かないで。うん、うん、俺も逢いたかった。」
そのあとは、何かたかが切れたように毎日メッセージのやりとりをしたり、偶には電話したりで、俺は宙にでも浮いたような気持ちでした。あっという間に一年が過ぎました。そして迎えた卒業式。
「え?ヒョン今なんて言いました?」
「だーかーら、出席日数がどうにもこうにも足りないんだって。」
「というと?」
「留年。」
「おめでとうございます。」
「なんでそんなにこやかなんだよ、おまえ。」
「シャーデンフロイデってやつですね。」
この時、俺はにこやかに笑顔でお話ししましたが、貴方の出席日数が足りてなかっただなんて、実は本当に驚きました。生徒会こそ来なかったものの、それは塾や模擬テスト、家の用事が故。学校登校についてはさぞ真面目かと思っていました。更に詳しく聞けばなんでも、俺と昼飯を食べない日は学校に来ていなかっただけらしく、他の誰かと昼飯を食べてたわけではなかった、とのこと。そんなことに俺は逐一安堵していたんです。こんなこと言ったらバカだなあって貴方は笑いますか?それでも俺は1歳貴方に近づいた気分で、待っててね、はやく大人になるからって。そんなことを想っていたのです。
ただ貴方は留年がよっぽどショックだったのか、さらにやさぐれて学校を休む日が多くなっていきました。俺は変わらず毎日食堂の同じ席で貴方を待っていましたが、貴方が来る日は本当に飛び飛びで、後期には殆ど学校で見かけることはなくなってしまいました。俺は貴方が毎晩のようにかけてくる電話だけが、貴方との唯一の繋がりで、そんな曖昧で脆い蜘蛛の巣の中に俺らはいました。されど次第にその電話すら少なくなっていって、いつしか途絶えて。俺はどうして連絡をくれないのか、よっぽど問い詰めてやろうと思って、そこで俺はようやっと、己が貴方の恋人でも何でもなく、ただの後輩だったことを思い出したんです。貴方を怒る資格がどこにあるっていうんだ。そんなことに気がついてただただ悲しかったし、毎日貴方が恋しくて堪らなかった。
「やっほ、ジョングガ」
貴方が次に俺の目の前に現れたのは、電話が途絶えてから冬休みも終わって、卒業式すら近い新春。肌寒い登校途中のことでした。貴方は相変わらずケロッとして元気そうで、恋しいと思ってたのは俺だけなんだと思い知らされる。
「どうしたんですか、ヒョン。」
「連絡できなくてごめんね。」
「別に。」
「でも怒ってるでしょ。」
「なんで俺が怒るんです?別に俺に連絡する義務なんて貴方にはないじゃないですか。大丈夫です。」
「ほら、怒ってる。」
「はあ?俺が貴方の何を怒れるって言うんです?学校に来ないこと?それとも俺に連絡くれないこと?前は毎晩のように電話していたのにって?なんの権利が俺にあって、」
「あのね、ジョングガ。」
「俺は貴方のただの後輩ですよ。」
「ジョングガ、」
「それ以上でもそれ以下でもない。」
「ジョングガってば!」
「はい。」
「おれ、おまえのことが好きだよ。」
「……………」
「好き。だから、ただの後輩なんて言われると寂しい。でもこんなのおかしいから、絶対に言わない方がいいなって思ってたのに、ごめん。ほら、学校行っておいで。遅刻するよ。」
「……今日は学校に風邪で休むと電話してきます。」
「なあに言ってんの。ダメ、ジョングガは、ちゃんと学校行かなきゃ。」
「それ全く説得力ないですけど?」
「俺だからあるんでしょ。俺みたいに留年しちゃう。」
「でも今日を逃したら次貴方にいつ会えるか、分かったもんじゃない。」
「明日。」
「あした?」
「うん、明日は土曜日だから、」
デートしてくれる?映画見るでもアイスクリーム食べるでも、花見でも、一緒に好きなことをしよう。だから今日は学校に行っておいで。
「ヒョン」
「なあに」
「俺も好きです。キスしてもいいですか?」
返事を貰うより先にした口づけはあまりにも一瞬で、感覚も何もわからなかった。けれど唇を離して顔を覗き込むと、ふにゃりと恥ずかしそうに笑ってくれて、今すぐにでも襲いたくなる。キスだけで勃つなんてこと、漫画以外でもあるんですね。初めてしたわけでもないのに、おかしいや。
「ああ、離れたくないな。ヒョンが一緒に学校に行くって選択肢はないんですか。」
「ないね。」
「その調子じゃ今度は俺と同学年になってしまいますよ。」
「俺さ、」
「はい。」
「ジョングガのこと待って、ジョングガと一緒に卒業するよ。だからジョングガは俺のために早く進級して。」
この台詞に満更でもなかった俺は、恥ずかしくてすぐに学校に向かってしまいました。遅刻もギリギリでしたしね。でも学校について、朝のホームルームの時間。先生はおもむろに教室に入ってきて、一度咳払いをしてから神妙な面持ちで話し始めたんです。
「えー、皆さん。今日は皆さんに残念なお知らせがあります。」
俺は耳を疑いました。いや、世界を疑ったの方が正しいかもしれません。
三年生のパクジミンくんが今朝、白血病により亡くなりました。彼は去年生徒会を務めておりまして、病気が発覚してからも、体調の優れている日は、協力学校に登校するような勤勉で真面目な生徒でした。お通夜と告別式は明日、明後日で行われる予定です。学年の違う君たちはなかなか交流がなかったかもしれませんが、是非彼を知ってる人は、詳細を黒板に貼っておくので見て、出席して下さい。
亡くなってただなんて、そんな馬鹿な話あるわけがないじゃないですか。だって俺は、朝、ヒョンに会ったんです。ヒョンはけろっとしていて、元気そうで、好きだと言ってくれて、俺も好きだと伝えて。俺は反射的に教室を飛び出ました。何か悪い夢だと言ってくれ、そう思って無我夢中で聞き出した病院へと走りました。ただ病室に着いたときは、俺がよく知った身体よりは随分と細く、冷たくなった貴方の体と、貴方のお母様が目を真っ赤にして泣いていらっしゃるのを見て、初めて現実なんだと知りました。
「どなたですか?」
「すみません…、不躾にも、一報を聞いたものですから、駆けつけてしまって、」
「…もしかして貴方が、ジョングガくん?」
「はい。」
「ああ、」
「?」
「この子、何回も病室出ようとしたんです。そんな身体で行けるわけないでしょって何回怒っても、どうしてもジョングガに逢いたいんだ、凄く可愛い後輩なんだよって笑ってて。今朝も、無理やり明け方に看護婦の目を盗んで外に出ようとしたら、そのときに倒れちゃったのよ。」
「…つまり今日、一歩も外に、出てないんですか?」
そんな、今朝会ったのはなんだったんだ?
「ええ。でも倒れた後も、ずっと譫言のように何かボソボソつぶやいていたのよ。そうそう、��後だけははっきりした口調で言っていたわ。「ジョングガのこと待って、ジョングガと一緒に卒業するよ。だからジョングガは俺のために早く進級して。」って。これがジミンの最後の言葉。」
俺が朝に聞いた言葉とまったく同じセリフでした。ねえ、生き霊になってまで俺に会いにきてくれるくらいなら、そんなに俺のこと好きなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんですか。貴方が留年したことをひとつ歳が近づいていた��うに感じていた俺は、どれほど愚かだったんですか。あんな夜中に見かけたのは、きっと病院を抜け出してきていたんですね。別に学校をサボっていたわけじゃなかったんですね。連絡くれなかったわけじゃなくて、出来なかったんですね。気づいて差し上げられなくてすみませんでした。
貴方の笑顔が好きでした。冗談めかして話す声も、困った時に下がる眉も、お世辞にも長いとは言えない愛らしい手先も。細い腰を何度抱き寄せようとしたかわかりません。
今なお、愛しております。
この送辞は俺もろとも燃やす心算です。ええ、なんせ今年卒業する全くもって興味のない三年生への送辞ではなく、天寿を全うした貴方だけへ捧げた送辞なのですから。
ええ、答辞の用意、よろしくお願いします。
二年生代表 チョンジョングク
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それでは今朝のニュースです。〇〇高校の付近の公園で5時ごろ、火災が発生。すでに駆けつけた消防隊により鎮火は終わり、発見された焼死体は男子高校生と推定、焼身自殺とみて警察は捜査を進める方針です。
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tnknt97 · 4 years
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戦争を経験したことない自分にとって、生まれて初めて希望した平和は、自分のためじゃなく、世界のためだったことに気づいて、今の環境が恵まれていることに気付いた。
小学校の頃、中学受験を控えて通っていた塾の話し。
2ヶ月に一回くらい定期テストがあって、そのテストの結果によってクラスがコロコロ変わるんだけど、僕はだいたい13個あるうちの下から2.3.4番目くらいを彷徨っていた。そうするとだいたい同じくらいの成績のやつと顔見知りになってたりして、なんとなくストレスフリーな感じで塾っていう習い事に関しては接してた気がする。「アリストテレス」と名をつけた、器用に紐をつけた蟻を、机の上をずっと散歩させながら、会話をしていたこともあった。
あるテストで鉛筆転がしの神様に報われたことがあって、間違って下から5番目のクラスに行ったことがある。初めて友達のいない環境に立ったとき、今までとはガランと雰囲気が変わった感じがして、なんか周りのみんな異常に頭よく見えるし、メガネのやつすごいうるさいし、ここのクラスでは馬鹿な発言は止めよう…。っていう、自我に潜む内なる弁慶の存在に始めて気がついた。※ちなみにその時には、話しかけてない。
そのクラスでも僕みたいなキャラはいて、まあそのうるさいメガネなんだけど、友達とワイワイ楽しむというよりは、発言することに対して、特に恐れ入らない感じで、堂々としてたけど、メガネをかけてる子だった。僕と弁慶は、けっこう真面目に授業に取り組んでたんだけど、メガネはわりとなりふり構わず授業を妨害する感じで、たぶんクラスの子一人として、その子を気に入ってる子はいなかったと思う。弁慶もしかり。先生もそれに気付いてるから、メガネが挙手しても、当てなかったり、それ相応の罰を与えていた。
そんなこんな日常を繰り返していて、ある日メガネが痺れを切らし言った。
「先生、差別です!」
その発言に対して、先生は
「いいえ、区別です。」と返し、クラスにはややウケくらいのムーブメントが起こった。先生は国語の先生だった。
「困ったら、祈れ」
インドのラッシー屋さんで見つけた、日本語が書かれたステッカーに書いてあった言葉。
なんとか早く事態が収束して、平和な日常が戻りますように。おやすみなさい。
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oyasumi-blue · 4 years
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父が死んで、10年経った。
忘れもしない受験生のクリスマス。
あのときはまだパカっと二つ折りの携帯が主流で、わたしはauの白くて、文字盤がピカピカ可愛らしく光るそれがお気に入りだった。
クリスマスだけど、いつものように自習室にいた。
パッとめずらしく母からメールが来たと思ったら、父が亡くなった旨を伝える一言だった。
余命が短く、いつかこんな日が来るかもしれないことを、全く予期せぬわけではなかったけれど、数日前に会った父は驚くほど元気だった。
わたしはどうにか日常が欲しくて、その日は早く帰りもせず、予定通り友達と塾帰りに友達とささやかなクリスマスをたのしんだ。
恐る恐る家に帰ると、母はいつも通りテレビを見ていたけれど、その背中はいつも通りではないこと、きちんとわかっていた。
……そしてあれから、あっという間に10年経った。
亡くなった3ヶ月後に行った10年前以来、わざわざクリスマスに有給を取り、恥ずかしいくらい久しぶりに1人でお墓参りをした。
本当の命日は21日らしいが、知らされたのは25日だった。わたしのなかではクリスマスが父の命日だ。
「10年あっという間だったよ。」と、お墓の前でポツリとつぶやいた。
10年前の春はお墓の前で大号泣したけれど、少ししか泣かなかった。大人になった。
わたしの震える声は、線香の煙と一緒に、ぽっと昇って消えた。
わたしの10年、ちゃんと見ててほしかったな。
なんでいなくなっちゃったんだろうね。
あのときは父が飲みすぎて大嫌いだったビールも、今はわたしの好物だわ。
18からの10年間「そばにいないことが寂しい」とかじゃなく、18からの10年間に全くきみの存在がなくて、「どこかにいて元気でやっている」わけじゃないこと。
生命が止まっていて、もう地球上のどこにも存在しないことが、悲しいなと思った。
本当にいないんだね。その墓標の下に骨壷がある、と言われても信じられず「本当にそこにいるの?」と思わずつぶやいた。もちろん返事はない。
ちょっと泣いて、泣いたけど、「また来るね」と自然と口元に笑みが浮かんだ自分に気づいて、わたしは本当に大人になったと思った。10年前じゃ無理だった。
この10年で、わたしは辛いときでも笑顔になれることを覚えた。無理して笑っているのではなく、きっと未来への期待だ。
人は口角を上げると、脳が「たのしい状況」と錯覚するらしい。だからわたしは、どんなに泣いても最後は笑うことができる。元々、同世代のなかでは強いタイプの人間だったが、より強くなったなぁ。
行きの電車で同僚から「がんばってね」とメッセージが来た。
違う同僚からも「今日いないの?さみしい」とメッセージが来た。
夜は友達から、深夜なのに着信が残っていた。
ほんとうに恵まれたなぁと思った。こんなに心配してくれるひとがいるから、わたしは今日も明日もまた笑顔でいられる。
父へ。
この10年や数年間で、なくしたものもいっぱいあったけれど、やっぱり得たものの方が多かったよ。
どんなにろくでなしでも18年間、いろいろなものをおしえてくれてありがとう。愛を知れなかったからこそ、たくさんの愛に出会えて、感動もできたよ。
わたしの人生はまだまだ続くし、きみがいないまま進んでいくけど、日常のどこかや街角で思いだすとき、わたしはきみをなつかしく思って笑うだろう。
そのときは、18年間わたしの父親をやれたこと、うれしく思ってね。
2019 12.25
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sorano-mukou · 5 years
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RARETSU/20191130
帰り道、造花の植え込みにイチョウの落ち葉がかぶさって緑と黄色の綺麗なグラデーションがいくつも生まれていた。こんな時に限ってカメラを持ってない。冬が来るね。
昨日、初めて直属の上司との面談があった。いわゆるボーナスにまつわる。2年目までは全員同じ評価だよ。でもその先の評価ってそれまでの頑張りで得た伸び代で決まるよ。そんな新入社員の気を引き締めるための紋切り型な説明。正直その制度のこといつまで覚えていられるか分からない。でも、その後、「でも、ウチの部署に来てくれたのが〇〇君で良かったわ。配属された新入社員の中では君が人としてちゃんとしてるし」と課長がポロッと漏らしたのはきっと忘れない。別にそれが私のモチベーションを上げるためのリップサービスだったとしてもいいよ、騙される。
八月の終わり頃に「やれるだけお金貯めて12月に辞めるぞ」って一言だけ書いたメモがiPhoneに残ってる。なんならピンで固定されて下書きフォルダのトップに君臨してる。職場の人の品性の無さに愕然としたこと、この生活に限界を感じたこと。ある種の怒りとか、思春期の高校生のような衝動に駆られて書いた文章だったと思う。前者については真っ当な理由だなぁと今でも思う。いやー世の中には平然とヘドロよりも汚い言葉を吐ける人種もいるもんですね。この五ヶ月間ビックリしっ放しだよ本当に。これは事実。
私は根っからの真面目な人間でもないし、何ならサボれる所はちょくちょく力を抜いたりもしている。最も胸を張って言える仕事に対するモチベーションは「今の上司を裏切りたくないな」面談の最中も「頭が固い」と自嘲していた上司。大学受験に向けて中三の息子を塾に通わせるか迷っている人。私の両親より少し年下の、両親の何万倍を真面目な人。いつか私は会社を辞める時が来るかもしれない。けどそれまではこの人と好きな先輩の力になりたいとは素直に思う。そんなこと言えるはずもなく、面談の終わりで代わりに「これからもよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。今年最大の懸念要素だった、配属先と新しい人間関係。この二つのクジ引きはどっちも大吉だったなって心から思った。そりゃ並行世界のことなんて知りようもないけどさ。でも、今の私はとても恵まれていると思うよ。
閑話休題。朝食のパンに合わせるスープが底を尽きた。材料を買い出す気分にもならず、雑誌で読んだオニオンスープグラタンを有り合わせの材料で再現する。熱した鍋にバターを敷く。玉葱を飴色になるまで炒める。焦げ付きかけたら水を注いであげて。チーズを買ったことが無いと気付きスープで仕上げようとウインナーを数本。塩胡椒。煮詰める。一晩置く。翌朝のメインディッシュ。絶品。今まで頑なにコンソメを使っていたことが馬鹿らしくなる玉葱の甘み。自然の旨味。ここ最近の日記ではほぼ欠かさず料理の話題に一回は触れるけど、ご覧の通り大した物は作れていない。けど、ごはんぐるり/西加奈子の一節の意味はこの四ヶ月で噛み砕けたような気がする。『ただ、包丁を入れた時の大根のみずみずしい骨のような白さ、火を入れたときのガスコンロのポッという可愛らしい音、鍋を振るときに腕にずしりとくる頼もしい重み、などが好き、つまり料理を作っている、その行為、そしてそんな自分が、好きなのだ』
今月最後に言いたいこと「誰だよ11月はラッキー月とか言ってたやつ」次はいよいよ師走。どうせ意味なんてないけど例年の12月を振り返ってみよう。気遣いが空回りして友人と気まずくなった12月。ギクシャクした関係を時間が取り持ってくれて、好きだった人と「来年もよろしく」って言い合った12月。どうなるかな。もう立っていられない位キツいパンチを食らったとしてもどれだけ早く立ち上がれるかは自分で決めるんだよ。
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38nakao · 4 years
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2020.04.24(金)晴れのち曇り
 何着たら良いか分からなくなり、身軽さと手軽さが売りの一張羅、そして戦闘服の半ズボン(Dickiesのワークパンツ 自然に馴染むカーキ)で望んだら、帰り道少し寒かった。42のダメージ。
 お喋りなひとは普段どんな脳みその回路をしているのだろう。わたしも喋る方だがあまり面白く喋れてないと判断すると、もう回路が止まり聞き手に回りがちである。たぶん、地頭が良くないのだ。今日同僚にプロバイダの説明を受けたが、向こうも誰かから聞いた話をするのもあって、あまり理解できなかった。自分で調べた方が早い。1で躓くと、それ以降理解できないのだ。だから数学や科学は好きなのだが苦手科目だ。
 高校あたりまで毎日真面目に勉強してたし、何なら中学までは塾まで通っていて、自分はまあまあ頭が良いと思っていたが、大学に入ってから勉強は得意でない、あるいはしてないのに素養があるひとに囲まれ、ああわたしは頭が悪いから勉強するしかなかったのだと考えを改めた。しかも別に学力も偏差値もそこまでない、並以上なだけでしかもそのときの力も忘れてしまった。やれば思い出すだろうけど、またほとんど一からである。
 何事も中途半端で、いけない。絵も上手くない、デザイナーだけどデザインもそこそこだし、最近は文章も書いているが情緒豊かな表現はできない。努力不足なのは分かるが、たぶん努力なんかでは埋められない、わたしには圧倒的に何かが欠けている。ないものは埋められない、別の何かで補うしかない。その別の何かが、今はまだ分からない。
 一番付近にはなれないので、わたしは何かの、そして誰かの一番にはなれないのだろう。一緒にいて害はないが、取り立てて楽しくはないので、結局悩み相談に乗っても別の居場所にみんな帰っていくのだ。わたしは呼ばれてないし、たぶん自分を気にしすぎだ。みんな思ってるほど他人に興味がない���とかよく言うが、そのなかでさらに興味をそそらないひとがわたしらしい。人それぞれだから仕方ない。今日それでちょっと凹んだのは、卒業という行程が学校の外では強制的にないからだろう。小学6年のとき一番親しいひとから無視をされたときも、中学1年のときに部活でまた同じようなことがあったときも、然程ダメージがなかった。最初はもちろんきつかったけど、元々絵を描いてたり学級文庫の本を読んでたり、休み時間必ず群れていたわけではなかった。中学の疎外感は部活中は辛かったが、部活仲間とクラスで仲の良い子が別だったし、放課後は塾やネットサーフィンで忙しかったので、死にたくなるような孤独感はなかった。他人に興味がうすかった。何より、どうせ卒業して離ればなれになるというのが分かっていた。今は他人に興味を持てるようになり繋がりとかいう見えない脆いものにすがっているのかもしれない。結局ひとは孤独なのだから、自分の好き勝手すれば良いのにね。
 幸いにもこんなわたしの生活はまだ回っている。野生の勘はあるのかもしれない。まあもちろん、外すこともたくさんあるが、大きな人生の舵取りは間違ってない。たぶん。あと、友人・知人には恵まれている。これだけは自信がある。
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