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#アンドレ・ジイド
kirezilla · 1 year
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だが、至る所、そして何時まで經つても、人々の話題にするのは黑人の愚かさである。彼自身の無理解さに至つては如何にして「白人」はそれを意識し得ようか? 而も私は黑人を實際以上に賢いものに仕上げようといふのではない。だが黒人の愚かさは、あるとしても、動物の愚かさ同様、自然なもの以外ではあり得ないであらう。黑人に對する白人の愚かな態度に至つては、彼が黑人より上にあればあるだけ、何かしら自然にもとつた醜惡さを持つてゐる。
── アンドレ・ジイド『続コンゴ紀行』第五章(杉訳)
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korekaranojinsei · 6 years
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憂鬱は、ひとえにさめた情熱に由来する。
憂鬱は、 ひとえにさめた情熱に由来する。
アンドレ・ジイド
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misasmemorandum · 7 years
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『贋金つくり』アンドレ・ジイド 川口篤訳 岩波文庫
作者の分身と思われるエドゥワールと言う小説家が、10代後半の少年たちに関心があり、その関心がどう言う類のものなのかはっきりしないのだけど、きっとこれを成年男子による「少年愛」と理解している書評か何かを読んで、おそらく私はこの本を思春期の頃に読んだのだろう。
小説としての出来はどうかと言うと、わからん、だな。中心になる視点がコロコロ変わったり、小説家の日記の中で自分が書いているその名も「贋金つくり」と言う小説の説明をしたり、作者の声が神の声としてではなく作者の声として出て来たり、試験的作品なんだろう。
金持ちの令息には神経のか細い子もあるのだな、ってのが、おばさんになってからの感想。
最初の4分の1は楽しく読んだが、後はとにかく読んだって感じ。
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kennak · 2 years
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太田光「正義は人の数だけあるから、何が正しいなんて誰にも言えないんだよ」 オーストリア大使「我々は中立国であり(略)中立性について知っている。ただ、中立というのは、国際法の侵害に直面して、いかなる立場も取らないということを意味しない。犠牲者と侵略者の明確な区別を支持する」国連安保理 太田光の正義は無数にあるという主張は、ポストトゥルースのデマやフェイクを��当化する理屈であり、歴史を遡れば、弱肉強食の正当化を掲げたナチズムに行き着く危険な権力への意志を肯定したベースとしての価値相対主義であることを、サンデージャポンはいったいどう考えているのか... 太田光の言葉は完全に「権力への意志」なんですよね。 ニーチェ「真理が存在するという見方は誤っている。真理とは、それを信仰する人間に利益を与えるがゆえに、真理なのだ。つまり真理は利益により証明される。問題は真理ではなく、それによって権力を得ることなのだ」(権力への意志) この太田光が主張する権力への意志の言説が、人類にどんなことを齎したかについては下記記事などご一読お勧めです 【インタビュー】超人への志向と弱者の否定、表裏の善悪 https://kanaloco.jp/article/entry-190726.html ちなみにトロツキーのニーチェ批判は真っ当で感心した。スペンサーと同様の適者生存を唱える唾棄すべき寄生的貴族主義者と。この批判はオーウェルの批判と同様なのが面白い トロツキー「略奪者達はニーチェを自らのイデオローグとみなした(略)ニーチェと同じ軽蔑的な姿勢はスペンサーが持つ」 トロツキー「ニーチェを正しく解明する唯一の道は、この複雑な社会的産物を生み出した社会的土壌を分析することである。これがこの種の論文にふさわしい分析である。この土壌は腐っており、悪質で、伝染性がある(略)我々はニーチェの呼びかけには従わない」(東方評論 超人の哲学について) ニーチェ的な思想を嫌っていた西側のヒューマニストではオーウェルとかフォースターとか私は大好きですね。彼らも上記のトロツキーの論文と同じことを述べていた。特にフォースターはLGBTQなのでニーチェの差別的な思想には我慢ならなかった。 フォースターなんかは、ニーチェ的な強さを嫌って、優しさこそが大事だと小説やエッセイで説く。実際の人間同士の魂の触れ合いは優しさに基づくものであり、太田光やニーチェのような、この世は弱肉強食で正義など無数にあり、力だけが全てだとうそぶく残虐非道な人間には、それが分からないのだと フォースター「女性への心遣い、慈善、芸術、こういうものがそれぞれ汗をかき、泥まみれになって、使命を果たしていた。彼らから離れた遠い丘の斜面で、永遠の犬を連れた永遠の人が佇み、世界中が菜食主義者になるまで永遠の羊の番をしていた」(果てしなき旅) ちなみにフォースターは表現の自由を主張した人でも有名。彼は同性愛者でして、英国で同性愛が抑圧されていること、また表現の世界でも性的な事柄が抑圧されていることに反対した。第二次世界大戦中は、ジイドやオーウェルと共にナチスのファシズムに反対し、反ファシズム放送などを行いました 「彼(フォースター)はそこ(1935年国際作家大会)で、セックスや同性愛に対する英国社会の伝統的な偏見を利用して官憲が文学者の作家活動に干渉している嘆かわしい実情を物静かな調子で述べている(略)(戦争にも反対し)作家が(反戦活動する)勇気を持つことが重要だ」(続) 「それが作家の社会的責務なのだと思うと言って彼のスピーチを締めくくっている。アンドレ・ジイドは、ファシズムの脅威から自由を守る為にフォースターのような(大勢の人に敬愛されている作家の)人もきてくれたと喜んだ(略)1939年には「私の信条」というエッセイを書き」(続) 「人類にとって寛容こそが最も重要な価値であることを説いて、心ある人々の共感を呼び起こした。戦争が始まると、このアビンジャー村の『隠者』(フォースター)は、ラジオに出て反ファシズム放送を行ったりした(略)44年に国際ペンクラブの会長になり」(ちくま文庫「インドへの道」解説) フォースターの本もエッセイもどれもお勧めですが、特に一冊選ぶなら、岩波文庫の「フォースター評論集」がお勧めです。特にこれに入っているフォースターが表現の自由を求める文章は素晴らしいので、表現の自由に関心があるお方々にもお勧めです バートランド・ラッセル「倫理的問題とは、同情に関する問題である(略)あるひとびとは拷問を加えることに喜びを見出しているし、またある人々は仏陀のように、どのような生き物が苦しんでいても、それが苦しんでいる限り自分は完全な幸福とはなり得ない、と感じている」(「西洋哲学史」みすず書房) バートランド・ラッセル「キリスト教あるいは仏教がもっているような倫理は、その感情的基礎が普遍的な同情にあるのであって、ニーチェの倫理は同情の完全な欠落ということにある(略)救いは愛(慈愛、同情し愛すること)によってのみ到来しうるのだ、と仏陀はいうであろう」(続) ラッセル「彼(ニーチェ)は次のように叫び立てるであろう(略)貴方はもっと強じんな資質になられんといけませんな。とるに足りないひとびとが苦しむからといって、なぜそうメソメソして回りなさる(略)とるに足りない者どもは、その苦しみもとるに足りないし、偉い人間はその苦しみも偉大」(続) ラッセル「私としては、私の想像したかぎりでの仏陀に賛成する。私がニーチェを嫌う理由は、彼が苦痛について思索することを好むからであり、さらに彼が賛美する人物が征服者であり、彼らが人々の命を奪う巧妙さを栄光としているからである」(続) ラッセル「ニーチェは普遍的な愛を軽蔑する。そして私は、その愛が、世界に関して私が望む全てのことに対する行動力であると感じる。ニーチェ主義者達は、現在までに得点を稼ぎはしたが、我々はそれが、急速に終焉することを希望して良いであろう」 ヒューマニティによる、太田光的ニーチェ主義者批判 ちなみにニーチェが悪いのではなく妹が全て悪い論は明らかに誤りで、私はちくまのニーチェ全集(権力への意志が入ったタイプ)と白水社のニーチェ全集(断章を年代別に編纂した中立タイプの全集)両方読みましたけど、後者でも、差別、優生思想、弱者及び同情への憎悪はてんこもり、どうしようもないですよ 白水社の全集で読むと分かりますが、最初は穏健な学者だったニーチェが(まあ最初からかなりエキセントリックですが)、社会に適応できず不遇になってゆくのと比例して、憎悪が凄い勢いで溢れてゆき、トロツキーが言うように、ニーチェは病跡学的に読み解くべき書物の側面が強い。信奉は止めた方がいい 余談ですが、フォースターの倫理的ベースは、彼がケンブリッジで所属していた使徒会(ムーアとラッセルが指導者の勉強会、会には歴史に名が残る人がずらずらいる)の勉強のベースだったG・E・ムーアの倫理学原理ではないかと言われているのが面白い。英国ケンブリッジにおけるニーチェ批判の潮流ですね >勉強のベースだったG・E・ムーアの倫理学原理 物凄く大雑把に言うと、直観主義です。人が苦しんでいたら助けたい、みたいな気持ちを重視する(超大雑把な説明)。太田光のような、そんな気持ちは人それぞれだから重んじる必要ない的な相対主義者が天敵。ロールズも直観主義を一部採用している ちなみに直観主義→論理実証主義→言語行為論という流れがあって、言葉の問題を越えて、発語媒介行為としても太田光氏や杉村太蔵氏の発言は影響力が圧倒的に大きく極めて問題があると言えると思いますね...。発語媒介行為はテレビにおいてなぜ発言に慎重性が求められるのかを考える上で重要です ニーチェ批判として優れていると思うのは、ハーバーマス「近代の哲学的ディスクルス」。物凄く大雑把に説明すると、ニーチェは近代の基礎であった啓蒙と人道を否定することで、彼自身の拠って立つものを失っていく。その中で彼が飛びついたのが、野蛮、野生、原初という反西欧文明的美的神話モデル。 ハーバーマスは権力への意志はニーチェ哲学の最終的必然として表れたと考える。ニーチェが近代の基礎を全て破壊した後に現れる、彼の求める原初神話は、権力と権力が合い争うが、その上に立つ理念的な要素は一切ない世界である。この価値観は武力において世界を服させようとする者達に都合が良かったと ニーチェの後を継いだ、反ヒューマニズム、反近代思想の流れは強くあり、それは政治にも影響を持っていることが今回の戦争で分かった訳で、この辺は、本来は大学の哲学科がきちんと分析しなくてはいけないことなんですよね...残念ながら日本では誰一人やる気ない感じですけど...海外に期待するしか... たぶん、海外ではジジェクさん辺りが、そのうち、ニーチェ亜流の思想が今回の戦争にどのような影響を与えたかの分析の本を出してくれると思います スラヴォイ・ジジェクのウクライナ侵略に関する論考。ジジェクによると、ロシアは、思想家イワン・イリインによる、真実は何もなく、ただ見方だけがあるというポストモダン的に洗練した権力への意志によって動いており、トランプ前大統領支持者等に見られる右派ポピュリズム的な動きと共通であると分析 https://twitter.com/kemohure/status/1504338430142345222 日本の大学の哲学者は今回の戦争に全力で、見ざる聞かざる言わざるを決め込んでいる人々が凄く多い(全部ではないが...)のは、なんというか...悲しくなる感じだね。上がこれじゃあ、下も誰も、今回のことを研究したいですとは言えないし;;
kemofureさんはTwitterを使っています
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benediktine · 5 years
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【ハロウインの不思議】 - 英国式自転車生活 : https://blogs.yahoo.co.jp/tenzen194/26404444.html : https://archive.fo/uFAZy 2010/11/1(月) 午前 1:57 ~~~~~~~~~~~~ そのJ氏と電話で話していた時のこと、 「機械はさ、完璧なものなんかないんですよ。バイクという肉体の延長物はさ、人間という『脳』がいなきゃ動きゃしないんです。ところが、その脳のことをさておいて、どこのバイクが最高か?なんていう議論にばっかりなる。あっしは別に最高のもんでなくてもいいんです。」 「その機械と脳のたとえはいいね。使わせてもらってもいいか。」 「いいっすよ。どうせこっちは書くあてはないし。しかし、R&Fさんはそうやって自分が知ったこととか、考えたことを書いたり、持ってる物を買い換えて譲っていったり、還元するからいいよ。コレクターってのはまず還元しませんな。犬が骨隠すみたいに集めまくって死んでゆく。」 「すべては自分のために(笑)。」 「そう、すべては自分のために、なんだな。どうしてそうなっちゃうんだろうな。」 「エゴイズムじゃないのか。」 「芥川龍之介のいうエゴイズムかな?『ぼんやりとした不安』で集めまくるのかもしれないな(笑)。」 「エゴイズムは怖いもんだな。どんなに偉い人でも、それがチラっと出ただけで、メッキがはがれたような気がするものな。成功する技術とかいうものをもった『技巧家』のエゴイズムがチラッと見えたとき、その人がずいぶんうすっぺらく見えるよ。しかし、もっと真実のところに迫ろうとすると、我欲だけでは無理なんじゃないか。本物の部分を掴むには、もっと、自己犠牲的な部分がいるように思うな。」 「そう、あっしは破滅的なとこまでいっちゃったな(笑)。アンドレ・ジイドの世界ですよ。」 J氏はよく本を読んでいました。一緒に早稲田の古本屋街へ斉藤磯雄訳のヴァリエ・ド・リラダンの全集を買いに行ったことがありました。長野で読むのだと言っていました。そういう彼ならばこその「アンドレ・ジイドの『贋』ものと『ほんもの』の世界」をほのめかすことが出来たのだと思います。ほんものになろうとして、ますます贋物になってゆくジイドのテーマを持ってきたのはさすがです。 人の持っていないものを持とうというエゴイズム。さまざまな他人を幻惑するコレクションや物を自分のまわりにまとい、ミノムシのようになってゆくひと。思想や薀蓄までミノムシのように借り物でまとっている人がいる。 「英国流は難しいっすよ。ポワロのヘイステイング大佐だって、とぼけてるけど、そうとうカッコいいですぜ。日本人にはとうてい真似できねェな。英国流を目指すより、まずポワロぐらいを目指したほうがいいかもしんない(笑)。」 ~~~~~~~~~~~~
【ハロウインの不思議】 - 英国式自転車生活 : https://blogs.yahoo.co.jp/tenzen194/26404444.html : https://archive.fo/uFAZy 2010/11/1(月) 午前 1:57
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rikunaru008 · 7 years
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kirezilla · 2 years
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これ等の原始的な土族に属する連中は、私は段々とさう信じるやうになつて來てゐるが、我々流の推理の仕方を持つてゐないのである。それが屡々我々の眼に彼等が愚鈍にに映る理由である。彼等の行為は、我々が、極く小さな子供の時分から學び、我々の言葉の形式そのものからして、それなしには済まされなくなつてゐる所の論理の統制から逸脱する。
── アンドレ・ジイド『続コンゴ紀行』第二章(杉訳)
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korekaranojinsei · 6 years
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憂鬱は、ひとえにさめた情熱に由来する。
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アンドレ・ジイド
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misasmemorandum · 7 years
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それから、君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれ給えーーそして外へ出給え。私はこの本が君に出かけたいという望みを起こさしてくれるように願っている。どこからでもかまわない。君の街から、君の家庭から、君の書斎から、君の思想から、出て行くことだ。私の本を携えて行ってはいけない。もしも私がメナルクだったら、君の案内に君の右手を取ったろう。しかも君の左手はそれに気がつかなかったろう。町から遠く来たところで、できるだけ急いで、この握られた方の手を振放して私は言うだろう。「私を忘れてくれ。」と。私の本がこの本自身よりも君のーーさらに君よりも他のすべての人の興味を惹くように教えてくれるように祈る。
『地の糧』アンドレ・ジイド
中3あたりから書き始めた、『読書覚え書き』と銘打たれた読書感想ノートの表紙に書かれていたもの。
そうだよ。本を読んだら、出かけなければならないんだよ。本から、自分から。
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deguchinana005 · 7 years
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korekaranojinsei · 6 years
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憂鬱は、ひとえにさめた情熱に由来する。
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korekaranojinsei · 6 years
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korekaranojinsei · 6 years
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korekaranojinsei · 6 years
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korekaranojinsei · 6 years
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korekaranojinsei · 6 years
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