意味のイノベーション事例 -「売るための戦場を変える」ことで圧倒的に勝っている状態にするという戦略
人間は他のものと比べるほうが得意な生き物です。
どこかの本で読んだ記憶があるのですが(忘れた、、誰か知ってたら教えてください)、人間は、会話の中の大部分が「噂話」らしいんですね。
人間は社会的な生き物です。で、古代だと、せいぜい150人くらいの集落だったので、その中で、誰がどういう行動をして、周りの人がどう判断したか、というのは極めて重要な情報だったらしいのです。
たとえば、150人のうち、迷惑をおおきくかける人がいたら全体的な悪影響があるわけですし、命の危険性すらあります。なのでその情報は常に収集したくなる。さらに、集落から追い出されたら生命の危険が大きく高まるので、「他人が、その行動をどう評価したか」というのも重要なのです。
自分が何かをしたときに、評価が大きく下がると、命が危ない、という状態なので、死活問題です。なので、「何をしたら評価が下がるのか」に対して、人間は敏感らしいんです。
というのがあるので、人間は評判を気にする生き物なのです。
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そして、ランキングの話です。
よく言われることですが、ランキングって絶大な威力があります。
いろいろなサービスで、いろいろなリコメンドを実装してテストをした結果、ランキングがやっぱり圧倒的にクリックされるよね、みたいな経験があります。上位のものは良い物が多いから、というのはもちろんあるんですが「一番人気のものがこれですよ」というのはやっぱりヒキがあるのですね。
で、、「売っているものの軸を変えて、ランキングをハックする」というのは、極めて有効な手立てです。
たぶんこの記事を読んでいるほとんどの人がAKB48のことを思い浮かべたと思うんですが、あれはめっちゃ賢くて
- 「音楽を聞くツールとしてのCDを売る」
だと、100万部いくとすごく大変なのですが、たとえば、
- 「アイドルと数秒間握手する権利」
だと思うと、より売れる、みたいな形です。
これにより、2018年のオリコンCDシングルランキングは以下のようになっています。
1: Teacher Teacher(AKB48)
2: センチメンタルトレイン(AKB48)
3: シンクロニシティ(乃木坂46)
4: ジコチューで行こう!(乃木坂46)
5: NO WAY MAN(AKB48)
6: ジャーバージャ(AKB48)
7: 帰り道は遠回りしたくなる(乃木坂46)
8: ガラスを割れ!(欅坂46)
9: アンビバレント(欅坂46)
10: シンデレラガール(King & Prince)
1位のTeacher Teacherは181.9万枚売り上げる大ヒットになっています。ちなみに有名な話ですが、2010年から、年間ランキング1位はずっとAKB48です。
2018年 Teacher Teacher(AKB48)
2017年 願いごとの持ち腐れ(AKB48)
2016年 翼はいらない (AKB48)
2015年僕たちは戦わない(AKB48)
2014年 ラブラドール・レトリバー (AKB48)
2012年 真夏のSounds good!(AKB48)
2011年フライングゲット(AKB48)
2010年 Beginner (AKB48)
まあ、このあたりはよく話題になるので知っている方も多いと思いますが、この出来事を抽象化すると
「売っているものの価値をずらし、戦場を変えることで、勝っている状態をキープできて、宣伝効果をあげる」ことができるということなのかなと。
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で、この手法の良し悪しはおいといて、ビジネス的には参考になるなーと思っています。自分の土俵とは違うところのランキングに乗り込んでいって、「すごいんだぞ」と見せることができるわけです。
しかし、個人的には、AKB48の場合は、オリコンを独占し続けてしまうので、ヘイトをためてしまう可能性があるので、やりすぎかも、とは思ってしまいます。あと、オリコンという生態系も崩してしまうので。。
というわけで、もっといい方法はないかなーというを最近考えています。
たとえば、最近、いいなと思った広告としては、以下があります。
“今、一番売れてるビジネス書。”「キングダム」1~30巻の表紙がビジネス書風に(写真41枚)
大人気マンガのキングダムを、ビジネス書、と銘打って販促しています。
キングダムの作品情報、単行本情報 | アル
キングダムのあらすじ、新刊情報、受賞歴、おすすめポイントなどをチェックしよう!
alu.jp
ビジネス書って10万部売れれば大ヒット、100万部売れるとメガヒット、500万部で歴代最高、くらいのノリなんですが、キングダムは3000万部売れているんですね。これは、
- マンガは対象人数がそもそも多い
- ビジネス書の値段は1500円くらいで、マンガの単行本は500円くらい
- キングダムは50巻出てるので、同じ人が50冊買う可能性が高い
というのもあるのですね。なので部数が出やすい。
なので、自分が有利な場に出向いて「一番売れているんですよ」という宣伝なのです。
もちろん、キングダムが実際にビジネス書のランキングに入るわけではないので、単純にPR的に使っているだけで、上手だなーと思いました。
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というわけで、これらの手法がいいなって思っているのが以下です。というのも、自分たちの業界内のランキングで競うと、その業界全体が疲弊する可能性があるのですね。
たとえば、僕は今、アルというマンガサービスを作っています。なので、マンガ業界全体をめっちゃ盛り上げたいのですが、このサービス内では、ランキングは作っていません。
というのも、マンガのランキングを作ると「マンガを読んでいる人の中でお客さんを取り合う」ことになるからです。ランキング上位の人は、さらにお客さんを取るので、ランキングの上位にのらない作者さんなどはよりお客さんを取るためには、ランキング上位になるような作品を書くようになります。
その状態が続くと、同じようなジャンルの作品が作られ続けるようになります。多様性が失われます。多様性が失われると、業界全体の活力が失われます。
まあ、まだ弱���サービスなので、あまりここまで気にする状態では全くないのですが、将来性を考えると、「他の戦場にいって、そこで圧倒的に勝って、そこのお客さんを業界に連れてくる」というのをやりやすい仕組みを作るべきかなと考えています。
答えは!まだ全然ありません!どんなネタでもいいので思いついた人がいたら教えてください!
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あ、もちろん、外部の人たちが自分のジャンルに入ってきてランキング荒らしたら困るという人たちがいるのも承知です。AKB48とかは、あ���意味では、音楽が主のミュージシャンやバンドは年間トップ10に入るのが非常に難しくなってしまったので、そういう問題は起こります。
そうすると、音楽の売上ランキングというもの自体が廃れてしまうので、やりすぎはよくありません。利益を最大化する��めにハックし続けていいのかどうかは考えないといけないなーと思います。
(その意味で、キングダムのキャンペーンはビジネス書業界には迷惑をかけていないのでいいなと思っています)
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ってここまで書いて、これ、キングコングの西野さんがいってたことまんまだなーと気づきました(絵本を○○として売る、とサロンでいってた)。
すいません。
西野さんのサロンにはこういう投稿がたくさんあるので、興味ある方はそっち読んだほうが早いかもしれません(ひどいオチになってしまった)
オンラインサロン|西野亮廣エンタメ研究所
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【小説】白昼の処罰者 (上)
孤独で優しい魔法使い
Ⅲ.白昼の処罰者 (上)
チャイムが鳴るまで、授業時間に終わりが迫っていることに高梨は気付かなかった。
日頃、時間配分に気を配りつつ授業を進めている彼にしては、それは珍しいことであった。つい熱が入り、教科書に掲載されていない内容についてまで、詳しく言及しすぎたようだ。
話の内容は中途半端なところであったが、高梨は「続きは次回に」と前置きした上で、「今日はここまで」と切り上げる。「起立」と日直が声をかけ、生徒たちが一斉に立ち上がった。
「これで、四時間目の授業を終わりにします。礼」
かけ声に合わせて高梨も頭を下げる。頭を上げると、先程までは彼の声だけが淡々と響いていた室内が、まるで花でも咲いたようにわっと騒がしくなった。
授業を終えた生徒たちは、木製の椅子を黒い実験机の上に逆さにして乗せると、教科書やノートを腕に抱いて足早に理科室を出て行く。日直の男子生徒は上下黒板の文字を消すと、肩にチョークの粉が落ちているのも構わずに、慌ただしく出て行った。騒がしくなったと思ったら、喧騒はあっという間に過ぎ去って行く。
再び静寂を取り戻した理科室で、高梨は生徒が乱雑に消していった黒板をもう一度丹念に消しながら、授業内容について振り返る。資料集を活用して写真や図を見せながら説明する予定が、いつの間にか口頭で説明する量が多くなってしまった。生徒たちには、やや難解で退屈だったかもしれない。
ああでもない、こうでもないと思考しながら短くなったチョークを捨てて黒板の縁に新しいチョークを並べ、それから室内に目を向けて、ふと、生徒の席でひとつだけ、椅子が机の上に乗せられていない箇所があることに気付いた。
誰かが帰り際、椅子を上げるのを忘れたのか。今日はひとり、欠席の生徒がいた。安島という女子生徒だ。彼女の席だろうか。
高梨はそう思いかけ、それからすぐに、そうではないということを知る。その席には、男子生徒がひとり、まだ座ったままだったからだ。
その生徒は机の上に突っ伏すようにして席に着いていた。眠っているのだろうか。居眠りをしてしまい、授業が終わったことにも気付かずにそのまま眠り込んでしまっているようだ。後ろの方の席で、なおかつ、身体の大きな生徒がそのひとつ前の席に座っているため、授業中は居眠りしていることに気付かないでしまった。
眠り続けているその生徒に歩み寄る。枕代わりにされている両腕と、長い前髪で顔は見えないが、高梨は彼の名前を思い出すことができた。
墨木流流 (すみき ながる) 。
フルネームで覚えているのは、その名前が珍しかったからに他ならない。名前以外には特徴的なところはなく、ごく普通の平凡な生徒というのが、高梨の彼に対する印象であった。成績は可もなく不可もなく常に平均点を取り、ずば抜けて運動ができる訳でも、まったくできないという訳でもない。この中学では珍しく、どこの部活動にも所属せず帰宅部だが、だからといって素行の悪い行動も見られない。あえて挙げるとすれば、前髪が少しばかり伸びすぎているという点くらいだ。
優等生でなければ落ち零れでもなく、生真面目さもなければ不良でもなかった。後から考えれば、その生徒はあまりにも平凡すぎた。まるで自らを普通であると偽っているかのように。
「スミキくん、起きなさい」
高梨はそう声をかけたが、生徒は身動きひとつしない。ぐっすり寝入ってしまっているようだ。高梨は彼の肩に手を置き、左右に揺さぶった。
「スミキくん」
彼の頭がぐらりと揺れ、長い前髪の隙間から、ぱっちりと見開いた黒い瞳が高梨を見上げた。目が合う。
(しまった!)
その瞬間、高梨は生徒の肩から咄嗟に手を離した。触れてはいけないものに手を出してしまった、そう感じた。そして、その一瞬の後に、はっと我に返った。
(しまった? しまった、って、なんだ?)
高梨は生徒を起こそうとして、その肩に触れただけだ。悪戯をしようと企んだ訳でも、やましい気持ちがあった訳でもない。それがどうして、彼と目が合ったその瞬間、「しまった」という感情になったのか。
何か意図があった訳ではない。それは無意識だった。無意識のうちに、高梨は恐れた。まるで、この生徒に目覚められては困るとでも言うかのように。授業が終わった理科室で眠り続けられた方が厄介だと言うのに、一体、どうしてそんな気持ちになったのだろう。
振り払うかのように手を引っ込めてしまった理由がわからないまま、困惑している高梨の前で、彼は重たそうに頭を持ち上げ、半身を起こした。
「先生、すみません、僕……」
そう言いながら、生徒の白い手が長い前髪をかき上げる。前髪の下に隠れていたその瞳が、まだ眠たそうに緩慢な瞬きを繰り返しているのが露わになった。
「眠ってしまっていたんですね……」
欠伸を噛み殺して、生徒の目尻にはうっすらと涙が溜まる。
「ええ、そうです。だいぶ眠り込んでいたようです」
高梨はそう答えてから、少しばかり落ち着きを取り戻した。高梨が急いで手を引っ込めたことを訝しむ様子も、気付いている様子もない。教師としての威厳を取り戻し、こう付け加えた。
「私の授業中にそんなにぐっすり眠ってしまうとは、嘆かわしいことです」
「すみません……。睡眠不足で…………」
そう言う生徒は、まだ完全に眠りから覚めた訳ではないのか、どこかぼんやりとした顔をしていた。授業が終わり、他の生徒たちが全員退席したのも気付かずに眠り続けていただけある。相当ぐっすり眠っていたに違いない。高梨は呆れて溜め息をついた。
しかし、これだけ熟睡していたこの生徒に今まで気が付かなかったのは、自分の落ち度だ。授業中、もっと早い段階で気付いて指導していれば、彼もここまで深い眠りに落ちることもなかっただろう。
どうして気付けなかったのだろう。いくら身体の大きい生徒が前の席に座っているからといって、見落とすものだろうか。教科書や資料にばかり目を向けるのではなく、なるべく教室全体を意識し、生徒たちの目を見て授業をすることを心がけているにも関わらず、机に突っ伏して居眠りしている生徒がいることにすら気付かないとは。
そういえば、と高梨は思い出す。ときどき、授業中に居眠りをする生徒はいるが、大抵の場合、周囲の生徒たちがそれに気付いてくすくすと笑い出すので、すぐにわかる。幸いなことにこの学校では、授業中に眠ってしまう生徒というのはごく少数だ。居眠りしているクラスメイトのことを馬鹿にするような風潮さえある。しかし、今日はどうだっただろう。この生徒が眠っていることを、誰か面白がって笑っていただろうか。
今日の生徒たちはあまりにも静かすぎやしなかったか。そもそもどうして、この生徒はここまで眠り続けてしまったのだろう。誰か起こしてやろうと思うクラスメイトはいなかったのだろうか。まるで、誰ひとりとして、彼が眠っていることに、気付いていなかったかのような……。
否、気付いていないはずがない。誰ひとりとして、この生徒が眠っていることに触れようとしなかった、ということではないのか。さっき彼の肩を揺すり起こした時に感じた、「しまった」というあの感情は、そこに起因しているのだろうか。しかし、この生徒を起こしてはいけない理由など、一体どこにあると言うのだろう。
しかし、そこで高梨は目撃する。その生徒が突っ伏して眠っていた実験机の上には一冊のノートが広げられており、そこには高梨が黒板に記していた板書が写されていた。途中で文字がミミズのようにのたうち回っている箇所もなく、最初から最後まで一文も抜けることなくすべてが写されている。その文字は、高梨の記憶が正しければ、この男子生徒の文字で間違いない。
(これだけ丹念にノートを板書していたと言うのか。居眠りをしながら? 信じられない)
この生徒は本当に、眠っていたのだろうか。眠っている振りをしていただけなのではないだろうか。しかし、一体なんのために?
高梨に疑念の目で見られていることに気付く様子もなく、生徒はノートを閉じて教科書の上に重ねる。そして、それは唐突だった。彼は高梨に向けてこう言った。
「先生は、人を殺したいと思ったことはありますか?」
そう言われた瞬間、高梨は確信した。あの時感じた「しまった」は、このことだったのだ。虫の報せというのは、こういうことを言うのだろうか。なんとなく、嫌な予感がしていたのだ。この生徒が目を覚ました、あの瞬間に。
「どうしたんですか、急に」
高梨はそう言って、柔和な笑みを取り繕った。
(まともに取り合ってはいけない。何か厄介なことになりそうだ)
それに対して尋ねた生徒は、未だ眠たそうな顔をしたまま、筆箱へ筆記用具を仕舞っている。
「特に意味はありません。ただの興味本位です」
「突然そんな質問をされたら驚きますよ。何事かと疑われます」
「人を殺したいと思うことがあるのだろうかと、疑問に思ったので」
「スミキくん、そんなことを考えていたから寝不足になった、と言うつもりではないでしょうね?」
「ええ、先生。実はそうなんです」
生徒の瞳が、高梨を見た。真っ黒な瞳。その双眸は、前髪の隙間から射抜くように高梨を見ている。生徒の口調は淡々としていた。その表情はけだるげではあるが、そこからはどんな感情も読み取れない。
「昨夜、目撃したんです。人が、殺されるところ」
高梨は、
「………………」
咄嗟に何も言えなかった。
(目撃した? 人が殺されるところを?)
「スミキくん、それは…………」
「それで、気になってしまって。誰かを殺したいと、人はどんな時に思うんだろうか、と」
馬鹿げている。まったくもって、馬鹿げている。
(人が殺されるところを見た?)
そんな訳がない。そんなことがあるはずがない。作り話に決まっている。
高梨はそう思った。
そう、思いたかった。
「スミキくん、君は何を見たと言うんです?」
「だから、人が殺されるところですよ、先生」
訊き返したところで、答える生徒の声音も、表情も、何ひとつ変化しなかった。そこには動揺も恐怖も現れてはいない。もっともらしく誇張された感情がそこにあれば、それが嘘だと見抜けたのだが、生徒は無表情のままだった。
しかし違和感はあった。たった十四歳の少年が人の死を語るにしては、それはあまりにも、ただ淡々としているような気がした。
���どこで、それを見たと言うのですか?」
「裏山です」
裏山というのは、この学校の北側にある、小さな山のことだ。生徒たちは皆、その山のことを裏山と呼んでいる。そこには何がある訳でもない、山と言っても、斜面に雑木林が広がっているだけだ。木が生い茂った丘と呼んだ方が正しいのかもしれない。
裏山では破れた成人雑誌の類や煙草の吸殻などが発見されるため、教師たちは目を光らせている。時折、近くにある公立高校の不良たちが集っているという噂もあり、トラブルを避けるため、生徒たちには裏山へは立ち入らないようにと指導している。
その裏山だと言うのか。すぐそこではないか。
「裏山へ、入ったのですか? 夜に、ひとりで?」
「正確には、僕ひとりではありません。オルトが一緒でした」
「オルト?」
「犬です。飼っている犬。散歩の途中だったんです」
「裏山が散歩コースなのですか?」
「いいえ。たまたま近くを通りかかった時、なんだか妙な音が聞こえて、それで裏山へ入りました」
「そこで見たと言うのですか? その…………人が殺されるところを」
生徒は黙って頷いた。高梨は小さく唸る。
先程までは作り話だと決め込んでいた生徒の話が、妙に真実味を帯びてきた。
木が生い茂っているため昼間でも薄暗く、足下が不安定な裏山に、足を踏み入れる周辺住民はいない。近くに民家はないので人の目も届かない。学校が終わり、生徒たちが下校してしまった夕暮れ時以降は、静かで物寂しい場所となる。夜ならば、なおさらだ。
そんな場所が、殺人現場に選ばれることはありえる。高梨はそう考えるようになっていた。
「一体、何を見たのですか」
「男の人が、安島の首を絞めているところです」
生徒があまりにも端的にそう言ったので、高梨は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「――なんですって?」
「安島です。安島十和子。殺されたのは、彼女なんです」
安島十和子。
その名前に、高梨は思わず後ろを見やる。そこには、安島の席があった。授業が終わった今は、もちろん誰も座ってはいない。授業中も、その席には誰もいなかった。その女子生徒は、今日は欠席扱いになっていたからだ。
欠席の理由を高梨は知らされていなかった。病欠か、何か家庭の事情だろうと思っていた。職員室に戻り、クラス担任である同僚に確認すれば、理由はすぐに明らかになるだろう。だが何も知らされていないということは、病欠である可能性が高い。もしも殺されたのであれば、授業どころではない、大事になっているはずだ。
どうして騒ぎになっていないのか。
この生徒の言っていることはやはり作り話で、安島は殺されてなどいない。今日は風邪を引いて欠席なのだ。明日になればいつものように校門をくぐって登校してくる。この男子生徒がそんな法螺話をしたなんてことは知らず、いつも通りにこの理科室に現れ、席に座る。高梨はその女子生徒の姿を見て驚くが、それを表情に出したりはしない。「ほら、やっぱりな」と内心は思いつつも、「あんな話、最初から信じていなかった」という顔で教壇に立つ。そうして授業が始まる。いつも通りの、日常。
恐らくは、そんなところだろう。
だが高梨は、もうひとつの可能性にも気付いている。どうして安島の不在が騒ぎになっていないのか。それは、彼女が殺されたことがまだ知られていないからではないか。
誰も知らないのだ。保護者も、学校も、警察も、誰ひとりとして、その死に気付いていない。夜の林の中、人知れず殺された少女。助けを求める声は誰にも届かない。
彼女が裏山に死体となって倒れているところを想像する。誰も気付いていないということは、死体はまだ、見つかっていない。まだどこかに死体はある。見つけてもらえる時が来るのを、待っている。暗い闇の中、ひとりで。
高梨は唾を飲み込んでから、口を開いた。
「……本当に、安島さんだったと言うのですか?」
「先生は、僕が同級生の顔と名前の認識が一致していないとお思いなのですか?」
「いいえ、そうではありません。ですが、本当に安島さんなのでしょうか? 顔をよく見たのですか? 裏山の中では、相当暗かったはずでは?」
「近くで見た訳ではありませんが、あれは安島十和子です」
生徒はそう言ってから一度口をつぐみ、顔色を窺うように高梨を見上げ、それから、
「先生は僕の話が信じられませんか?」
と、尋ねた。
高梨は小さく溜め息をつき、眼鏡の位置を直した。それから、答えた。
「私は生徒を信頼していない訳ではありません。もちろん君のこともです、スミキくん。ですが、信じがたいのです。安島さんが殺害されたなんて、それが事実だとしても、信じたくはない。私の言っていることが理解できますか?」
「ええ、先生」
生徒は素直に頷いた。高梨は彼のその様子を見て、安堵して頷き返した。
「それで…………それで、君はどうしたのですか、安島さんが首を絞められているところを目撃して……」
「僕はその場から立ち去りました。オルトは不満そうでしたが、散歩は早々に切り上げて家に帰りました」
「裏山で見たことを、誰かに話しましたか?」
「いいえ。話したのは、先生が初めてです」
「警察に通報しなかったのですか? もしくは、ご両親に相談するとか……」
「両親は今、海外出張で家にいません。警察には、誰か大人に相談してから連絡しようと思いました。また、悪戯だと思われるかもしれませんから」
そう言われて高梨は、本校の生徒が悪戯で警察に通報し、大騒ぎになった事件があったことを思い出した。それはつい先月のことだ。
放課後、校舎の中に不審人物がいるという通報を、生徒が大人たちに一切の相談も連絡もなく、独断でしてしまったのだ。警察が駆けつけたことで教職員たちはその事実を知り、しかしどこを捜索しても、不審人物は見つからなかった。通報をした生徒たち数名は、当初は「不審人物を確かに見た」と言い張っていたものの、徐々に自信を失ったように「見間違いだったかもしれない」等と言い出すようになり、彼らの悪戯だったという結論に至った。
その事件を踏まえ、今後は、生徒だけで警察に通報することは原則禁止、まずは教職員に異変を知らせるよう生徒たちには指導がなされ、全校集会でもそう告知された。この生徒は、その告知を真摯に受け止めているらしい。しかし、もし本当に安島が殺害された現場を目撃しているのであれば、即座に通報するべきなのではないだろうか。
「わかりました。では一度、スミキくんが目撃したのだという現場を確認しましょう。必要に応じては、私が警察に通報します。それで、いいですね?」
「はい」
「確認は先生たちで行います。君は、教室へ戻っていなさい」
「でも、僕がいなかったら、場所がわからないのではないですか?」
「殺人現場へ君を連れて行くことは危険です」
「裏山には道も標識もないんですよ。何も知らない先生たちで闇雲に歩き回っても、疲れるだけです」
「ですが…………連れて行くことはできません。まず、通常学校にいる時間帯に、学校行事でもないのに君を学外へ連れ出すには、外出許可証を発行してもらわねばなりません。それに、ご両親からの承諾も――」
「ならば、こっそり抜け出すしかないですね」
生徒の言葉に、高梨は思わず頭を抱えそうになった。
「スミキくん、それは…………」
「幸い、今は昼休みの時間です。生徒は散らばって昼食を摂っているから、僕がいなくても怪しまれません。清掃の時間に突入したとしても、きっとどこかでサボっているんだと思ってもらえるでしょう。ですから、五時間目が始まる前に戻って来ればいいのです」
「何も良くはありません。教室へ戻りなさい」
「先生、僕は疑っているんです」
少しだけ強い口調で、生徒は続けてこう言った。
「先生は、僕の話を信じていません。裏山へ確認に行くと言って僕を安心させようとしているけれど、実際は確認なんかしないのかもしれない。裏山へ行って、ただぼんやりと時間を潰し、帰って来て、殺人現場は見つからなかった、君が見たのは何かの見間違いじゃないのか、そう言うつもりなのかもしれない。先月の、通報事件の時と同じように」
生徒は高梨をまっすぐ見据えている。
「でも僕が見たのは本当です。僕が案内します。先生はそれを確認してくださればいい。悪戯だと思われるのは、癪に障るのです。だって――」
人が死んでいるのですから。
生徒はそう言って、じっと動かなくなった。高梨が答えるのを待っている。
高梨はすぐには返事���しなかった。長いこと考えていた。しかしそれは時間にしてみれば、ほんの数分のことだった。
「……わかりました」
苦虫を噛み潰したような、というのは、こういう状況のことを言うのだろうか。彼は渋々、頷いた。
「裏門から出ましょう。その方が気付かれませんから」
生徒の表情がぱっと明るくなった。高梨は着ていた白衣を脱ぐと、教卓の隅に置いてあった上着を手に取った。
白っぽく乾燥したアスファルトの上を、前を歩く影がゆらゆらと揺れている。
その影は、ふと止まったまま動かなくなった。
「先生? どうかしましたか?」
生徒は立ち止まり、高梨を振り返る。
「いえ……なんでもありません」
うっすらと笑みを形成してから、高梨はそう答える。生徒は不思議そうな顔をしていたが、前を向くと再び歩き出した。彼が背を向けたのを確認してから、高梨は気付かれないように小さな溜め息をつく。
(私は一体、何をしているのだろう)
理科室を出て、渡り廊下を横切り、校舎の裏へと出ると、裏門から学外へと足を踏み出した。幸いなことに、誰の姿も見かけなかった。
角を曲がり、道が林の陰に隠れた時、高梨は心底ほっとした。これで学校の敷地から、裏山へ向かうふたりの姿が見えることはない。生徒を無断で学外へ連れ出したことが明るみに出たら、高梨が処分を受けることは明白だ。減給では済まされないだろう。
そんな危険を冒してまで、生徒の話に付き合う価値はあるのだろうか。
やはり、生徒を説得して学校に留まらせるか、あるいは、誰か他の教員に応援を要請するべきだったか。生徒の話を真に受けて、自らの身を危険に晒す行為に及んでいる。学校側に恥をかかせたいという、性質の悪い悪戯かもしれない。先日の、警察への誤報事件と同じように。
高梨は何度か後ろを振り返った。また、木立の中へ目を光らせた。どこかに誰か潜んでいて、のこのこと裏山へ向かう自分のことを笑っているのではないか。そんな妄想が頭の片隅を過ぎる。これは罠なのかもしれない。この生徒に嵌められているのではないか。
――先生は僕の話が信じられませんか。
生徒の先程発した言葉が、頭の中でこだまする。
信じられるか否かで答えるのであれば、高梨はこの生徒の話――安島十和子が殺害される現場を目撃したという話――を、信じてはいなかった。そもそも、彼は生徒のことを信頼してなどいない。ただのひとりも。そして、たったの一度たりとも。
机の下で操作される携帯電話。巧妙に教室内で交わされる視線。いともたやすく行われるカンニング。事前に試験問題が流出していたとしか思えない試験結果。自然を装うように、不自然なほど適度なバランスで誤答が書き込まれた解答欄。
生徒たちは教師を出し抜く術を知っている。そんな彼らを信頼できるはずなどない。
――騙された振りをしてやればいいんだ。
赴任したばかりの頃、まだ若かった高梨に、本���に勤めて長い、初老の教師はそう言った。
――あいつらだって、「教師を上手く騙せたと思い込んでいる馬鹿な生徒の振り」をしているんだから。
ここには信頼関係などない。正直でいれば馬鹿を見るだけだ。現に、そうやって退職していった同僚たちを、高梨は覚えている。
(なのに、どうして)
こうして裏山へ向かってしまっているのだろう。
「オルト!」
生徒が突然そう叫んだ声で、高梨は我に返った。
裏山へ続く道の途中に、一匹の黒い獣が立っていた。
それは大型犬だった。光沢のある滑らかな毛皮。垂れた耳。面長の顔。くりっとした瞳は愛嬌があるが、同時に、賢そうな表情をしているようにも見える。
犬は生徒を見つめ、嬉しそうに尾を振っていた。生徒は駆け寄ってその頭を撫でている。
「それが君の飼い犬ですか」
「ええ、先生」
「なんていう犬種なのでしょうか。レトリバーですか?」
「はい。フラットコーテッドレトリバーと言います」
生徒は犬を撫でたまま、高梨を振り返りもしない。
「首輪をしていないようですね。放し飼いにしているのですか?」
「いいえ、普段はしています」
「なら、今日はどうしてこんなところに?」
生徒はきょとんとした顔をして高梨を見た。それから、うっすらと微笑んだ。
「僕たちのお供をしようと考えたんじゃないでしょうか」
高梨が驚いた顔をした。だが生徒は彼のことなどお構いなしに、犬の背を軽く叩いて、「さぁ行こう、オルト」と声をかけて歩き出す。犬は従うように彼の半歩後ろをついて行く。一体何を言っているのだろう、と思いながらも、高梨もそれに続いて歩く。
ふと、先を歩く犬が一度だけ振り返って高梨を見上げ、何も言わずに前へ向き直った。
「先生、こっちですよ」
アスファルトの道から脇に逸れ、木立の中へと足を踏み入れて行く。木陰に入った途端、皮膚にまとわりつく空気の温度が下がったのを感じた。
葉が揺れる音に思わず頭上を見やるが、案の定、そこにはなんの影もない。風が吹いた音だ。どこかでカラスがけたたましく鳴いている。
林の中に、草木が生い茂っていない道が一本だけ伸びている。その道を歩いた。だんだんと、獣道は緩やかな斜面へと変わっていく。
「夜に、こんな道を通ったのですか、スミキくんは」
「はい、そうです」
「妙な音が聞こえて、それで…………」
「そうです」
歩き始めて数分、斜面を登る足が、だんだんと重くなっていく。少なからず息も上がってくる。
獣道まで木の根が伸びていたり、大きな石が無造作に転がっていたりする。足元を見ないで進むことは危険だ。
夜に街灯もないこんな道を登って行くことは容易ではないはずだ。この生徒は本当に、この坂を登って行ったと言うのだろうか。
最初ははっきりと目に見える形であった獣道は、途中から徐々にその線がぼやけていき、草原の中へと消えてしまった。それでも、まだその道の続きを見出すことはできた。今度はまるで道しるべのように、煙草の吸殻やお菓子の袋が、ぽつりぽつりと落ちている。前を歩く生徒は、それを辿るように木立の先へと進んで行く。
高梨は、そこで後ろを振り返った。ここまでだいぶ、坂を登って来た。裏山へ足を踏み入れた時の道路は、もうすっかり見えなくなっている。
「本当に、スミキくんは音を聞いたのですか」
「ええ」
「それはどんな音だったのですか」
「どんな……と訊かれると、説明するのは難しいですね。がさがさと言うか、ごそごそと言うか」
あんなところまで音が届くのだろうか。大きな音でないと、坂のふもとの道で犬を散歩させていたのだと言う、この生徒の耳まで聞こえないのではないか。生徒は疑念を抱く高梨には目もくれず、さらに奥へと進んで行く。これよりもっと奥まった場所で人が殺されたのだとしたら、その音は余計に小さくなってしまうはずだ。
先を歩く黒い犬が、何を思ったのか足を止め、高梨を振り返って仰いだ。口から垂れている舌が、呼吸に合わせて小さく上下している。小さな牙が覗いていた。
高梨が犬の黒い瞳を見つめ返すと、犬は何事もなかったかのように、また前を向いて歩き始める。
「まだ、先なんですか」
「もう少しですよ、先生」
生徒は振り返りもしないでそう答えた。
いつの間にか、足下に落ちていたゴミたちもすっかり見えなくなっていた。道はない。
しかし、それでも道しるべがある。生えている草が押し潰されている箇所が奥へ奥へと続いており、それは人間の足跡であった。
足跡は複数あるようだが、成人のものと思われる大きさのものもある。安島十和子の首を絞めていたのは、「男の人」だったと、生徒は確か言っていた。高梨はその足跡に自らの足を重ねてみる。大きさは非常に近い。
登り坂は再び緩やかになった。呼吸も少し落ち着いてくる。高梨は額に浮かんだ汗を拭った。
前を行く生徒は一度も足を止めていない。ここに来ることに慣れているかのような足取りだ。昨日この場所に来たからといって、こんなに易々と再訪できるとは思えない。しかも、その一度目が夜だったのであれば、なおさらだ。妙な音が聞こえたと言っていたが、この生徒は日常的に裏山へ足を運んでいるのではないだろうか。
(嘘をついているのだ)
裏山へ足を踏み入れることが禁止されているからか。それとも、何かを隠しているのではないか。高梨には知られたくない、知られては困る、何かを。
高梨は足を止めた。前を行く犬が、突然、歩行をやめてしまったからだ。犬は姿勢を低くすると、鼻を地面に付けている。においを嗅いでいるようだ。その後、犬は視線を木立の奥へと向けた。鳴きも吠えもしないが、木々の奥の薄暗闇の中を見つめ続けている。
一体、何を見ているのか。何か見つけたとでも言うのだろうか。レトリバーという犬種が元は猟犬であったことを、高梨は思い出す。
「先生、」
先を歩いていた生徒も足を止め、飼い犬の様子を見ていた。彼は犬が見つめる先を指差す。
「見えますか?」
そう言う生徒の顔は、無表情だった。
高梨は彼が指差す先、犬が視線を向ける先へと目を向けるが、そこには木々が生い茂るだけで、何も見つけることができない。
「もう少し、こちらへ」
犬の後ろを通り、生徒の側まで行って、再び目を凝らす、すると、
「あ…………」
草木の隙間から、一本の白い手が生えていた。まるで宙を掴むかのように伸びるその左手は、泥にまみれて汚れている。手の持ち主が誰なのか、生えている植物たちの中に埋もれていて、見えない。ここから見えるのは、肘から上の部分だけだ。
「ここです。彼女が殺されたのは」
近寄ろうと一歩を踏み出した高梨の腕を、生徒は掴んで引き留める。
「触らない方が、良いのではないですか」
「しかし……」
あれは、本当に安島十和子なのか。否、その前に、あれが本当に人間の左腕なのかさえ、ここからではよくわからない。血の気を失ったように白いその腕は、精巧なマネキンであったとしても、そうとは判別できなそうだ。
「通報する前に、確かめなくてはいけません。いや、その前に、学校に連絡を――」
「警察に通報するのですか」
高梨の言葉を遮るようにそう言った生徒の顔を、彼は驚きをもって見やった。生徒はやはり、無表情だった。恐れも動揺も、その顔からは見出すことができない。あまりにも落ち着き払っている。不自然だ。彼の様子は不自然だった。だが、この生徒は始めから不自然だったのだ。高梨がその肩を揺すって起こした、あの時から。
「警察に通報したら、困るのではないですか」
「困る……? 一体、何が困ると言うのです?」
前髪の隙間から覗く瞳に真っ黒な光を灯らせたまま、生徒はこう言った。
「だって安島を殺したのは、高梨先生、あなたじゃないですか」
(下)へ続く
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