Tumgik
nh-isseu · 5 years
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防弾少年団の件について
防弾少年団のメンバーが原爆を賞賛するようなTシャツを着ていたことが日本で問題になっているが、自分が強く違和感を感じているのは今から10年ほど前にイギリスで起きたことに対するものとあまりに対応が違いすぎるなと感じたからなのだ。
2010年12月にイギリスBBCで放送されたバラエティ番組で、ある被爆者の方が取り上げられた。彼の名前は山口彊さんといい広島と長崎で2度も被爆してしまった二重被爆者だった。番組では彼を世界一運が悪い男とも捉えられるような内容で伝えていた。番組の真意としては、原爆が投下された翌日には動いていた日本の鉄道を引き合いにして、イギリスの鉄道事情の悪さを自虐するという内容だったのだが、これを当時の日本政府(民主党政権)は猛抗議をし、また日本のマスコミや著名人、文化人とされる人たちは一様に司会者や放送局のBBC、さらにはイギリスに対して批判の声をあげたのだった。
イギリス国内では軽いジョークの1つとして原爆を扱ったという感じだったのかもしれないが、日本からの猛烈な抗議にジョークとして扱っていい問題ではないことに気づき、謝罪のコメントが各方面から出された。
しかし今回はどうだろう。政府は別の件で韓国に猛抗議をしている只中なのでここでは置いておくが、マスコミや著名人、文化人とされる人たちのなかで10年前にイギリスにしたような抗議の声をあげる人が一体どれほどいただろう。自分が目にした報道では、ほとんどが抗議の意向は微塵もなく、事実のみを伝えている体で、防弾少年団を擁護する著名人、文化人の声やファンの声だけを取り上げ、間接的に擁護する視点で伝えている。この違いに強い違和感を感じずにはいられない。
相手が韓国だから、という問題で許される問題ではない。イギリスにはあんなに猛抗議をしたのに、なぜ韓国が相手だと何もしないのか。ましてやイギリスのケースは、本人たちは侮辱を意図していなかったのに対し、今回の防弾少年団は侮辱を明確に認識した上でのことだ。さらに悪質な事例の筈なのに、なぜ彼らは抗議をしないのだろう。どこの国の人間であろうと抗議をすべきことはするべきだし、原爆という最もセンシティブな問題なのだからなおのことだ。それなのにこうした様を見せられると、ただただ僕は違和感を感じずにはいられない。この問題は、相手によって対応を変えていいような、そんな問題ではないのだ。
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nh-isseu · 6 years
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無責任自己中野党
Twitterを眺めていると安倍さんの三選に左の人たちは国民が選んだわけじゃない!とか騒いでいるけど、案の定だね。
確かに自民党総裁選挙そのものの投票は、自民党に属する国会議員か党員にしか資格はない。しかし自民党総裁になったからといってイコール日本国総理になるというわけではない。あくまで自民党が与党にいる場合であり、現在自民党がその立場にいるのは去年の選挙において圧倒的多数で勝利をしたからだ。そしてその選挙への投票は18歳以上の日本国民なら誰でもできるものであり、その国民が政権与党として自民党を選んだからこそ安倍さんも三選したのだ。もしあの選挙において自民党が敗北をする結果になっていたら、当然そこで安倍さんは退陣していたわけで。
左の人たちは自分たちが負けたからこそこういうことになったのだということをいつになっても理解はできないらしい。そしてそんなことすら理解できない連中に共感を得る人間は同じ左の人しかいないので、いつまで経っても自分たちが負ける理由さえわからないままだ。
自民一強、さらには安倍一強という長年つづく構図はけしていい状態とは言えないけど、かといってそれに反対する勢力は揚げ足取りの批判だけをひたすらしていて、対案は一切出しもしないので、こんなんならまだ安倍自民の方がマシだということになってしまうのだ。無責任自己中野党の責任は非常に大きい。
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nh-isseu · 6 years
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僕はさくらももこから多大な影響を受けてきた。これは冗談でもなんでもなく、今の自分の1/5は彼女からの影響によってできている。それぐらい自分にとって彼女の存在は大きなものであり、突然の訃報にはあまりにも驚いたし、正直今はまだ実感がわかない。 乳癌で憧れの人を亡くしたのは、これで2人目だ。さくらももこは、こちらがドン引きするぐらいの健康オタクだったのに、それでも癌になってしまう時はなってしまうのか。こんな若くして亡くなってしまうなんて、一体健康オタクとはなんだったのか。あるいは彼女の性格が、お世辞にも良いとは言えなかったからか。でもそこが好きだったんだけど。 R.I.P. I have received a lot of influence from Momoko Sakura. This is not a joke anything, and 1/5 of my present is made by the influence of her. To such a great extent her existence is big for me and I was surprised at the sudden death. Right now I don't see the real feeling. It is the second person who has lost a longing person by breast cancer. Momoko Sakura is a healthy geek that I was stunned, but will it become time to get cancer even then? What kind of healthful geek was it like to die like this young so much? Or because her character was not good for flattering? But I liked that kind of her thing. R.I.P. -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- #RIP #MomokoSakura #SakuraMomoko #ChibiMarukoChan #COJICOJI #NagasawaKun #KamiNoChikara #さくらももこ #ちびまる子ちゃん #コジコジ #永沢君 #神のちから https://ift.tt/2Nnb5sB
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nh-isseu · 6 years
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遺書のような手紙
前略 父母へ
突然のお手紙、失礼いたします。
何も告げず置き手紙だけを残して家を飛び出してから3ヶ月、その間何も連絡をしないままでいて申し訳ありませんでした。さぞかし心配をしているだろうと思います。散々泣かせてしまっただろう思います。本当に親不孝な息子でごめんなさい。
あれからの日々、結局は私は何も変わらないまま過ごしています。何も変わらないということはないですね。むしろ悲しいことだけが、よりひたすら続いています。
就職活動は続けていますが、一向に良い兆しが訪れる気配さえ見られません。この3ヶ月だけで50社近く応募しているのに、1つも最初の面接にさえ進むことができていません。応募をした翌日に、応募したいくつもの会社から立て続けにお断りの連絡がくる日々を過ごしていると���正直辛いとしか言いようがないです。たったの1日でいくつもの会社から速攻で断られてしまうとは、そんなにも私の存在はこの世の中から必要とされていないのかと思います。この2年で300社近くを受けても、どこからも必要とはされなかった。この世の中に私がいてもいいところ、いる価値というものはもはやないんだろうと思います。
何のために生まれてきたのか、何のために今日までの日々を生きてきたのか。今日までの自分の人生をこんなにもあっさりと、そして大多数から全否定をされ続けていると、もはや何のために私は今ここにいて、こんなに苦しみ続けなければならないのかまるでわかりません。
けして多くのことは望んではいないし、有り得ないことも望んではいない。ただ元の日常に戻りたいと願っているだけなのに、どうやらそれだけのことさえも、もはや許されないものなのかもしれませんね。当たり前の生活、当たり前の日常、健全で健康的な日々は、私にとっては不相応な望みであり、もう2度と手に入らないということなのでしょう。
毎日悲しいことと辛いことばかりが続いています。
生活をするにも貯金はとうに尽き、借金ばかりが増えるばかりです。早く就職をして食い止めたいのに、それは全く叶わず。アルバイトをしようにも住所がないため、それをすることもできずにいます。借りたものを返せる見込みすら立たず、また借りられる限度ももうなく、本当に何のために私は生きているのか、まるでわからなくなりました。
精神的に追いつめられているせいなのか、体調もずっと悪いまま過ごしています。毎日のように胃痛に悩まされ、高熱に寝込んだ日々もありました。
また無意識のうちに歯を噛みしめているのか、気がついたら私の歯はボロボロになって欠けてしまいました。でも治療をすることもできず、何もかもを諦めるしかないようです。
今いるところは私が大好きな街です。この街にいること自体には、この最底辺の日々のなかにおいて唯一安堵できるところではあります。でもこの3ヶ月間はほとんど誰にも会うこともなく、ずっと1人で会話さえないまま過ごしているので、悲しみの方がよりずっと多いです。
こちらには友達も知り合いも、あの街よりもはるかに多くいることはいます。けれど今の、この地を這うような最底辺にいる自分の姿を見られたくはないという気持ちがあり、自ら閉ざしてしまっています。助けを求めれば心配はしてくれるとは思います。同情もしてもらえると思います。けれどそれを自分以外の人にさせてしまうことが心苦しく、助けを求めることはできないのです。
また一方で幸せそうな日々を過ごしている人を見ると、悔しさと悲しさとで自分の心が歪んでいくのがわかるのが、また辛いのです。他人の不幸を願うようにはなりたくはないと思っていましたが、たまたま運良く私のような境遇には見舞われなかっただけなのに、呑気にエラそうに日々を謳歌しているのを見ると、自分がどうにかおかしくなってしまいそうです。
本来、それこそ健常で健康的な日々を手に入れているのに過ぎないのに、それが叶うことのない私はこんなにも醜くなってしまった。こんな自分になんか、私はなりたくはなかった。
1年以上、もはや2年近く、私は世の中から存在を全否定され続けているのに、なぜ他の人はそんなことはないんだろうと思ってしまいます。なぜ私だけ1人こんな苦しみのトンネルの底から抜け出せず、閉じ込められたままいるのだろうと思ってしまいます。
以前、お母さんには産んでくれてありがとうと言葉を伝えたことがありましたが、あの時は確かにその言葉に偽りはなかったし、今でもあの時の自分の気持ちに嘘はなかったと思うけれど、その先に辿り着いた果ての今は、私は一体何のために産まれてきたのだろうと思うばかりです。誰にも認められず、誰にも合わせる顔もなく、毎日ただ悲しみだけがあり、日々不幸が降り積もっていくだけで願いは何1つとして叶わない。もはや見捨てられた私の人生に、これから先に一体何の意味があるというのだと思うばかりです。
誰が悪いということでもなく、強いて言うなら総てに見放された私が悪いのだとしか言いようがないですが、もはやどこにも行くことも帰ることもできません。進む場所も戻る場所もどこにもないのです。ただただ悲しいし、ただただ悔しくてたまりません。
突然家を飛び出して一切連絡もしなかった挙句、このような手紙を送ってしまい申し訳ありませんでした。次に生まれてくるときには、もっと出来のいい孝行息子に生まれてきたいです。
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nh-isseu · 7 years
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田舎は地獄
田舎から都会へ出てきた人へ。どんなに病気が苦しくても辛くても、田舎から都会へ出てきたのだったら絶対に田舎へ戻ってはいけない。田舎は地獄だ。ただでさえ鬱病という敵と戦わなければならないのに、田舎ではさらに追い討ちをかけられることになる。 弱いものに田舎は優しいというのは、ただの幻想。都会ほど弱者が暮らしやすいところはない。なぜなら都会は弱者の数も多くいるので、それ相応の補助も充実している。障害者手帳を得れば交通機関も補助を受けることもできる。専用の仕事も紹介してもらえる。 しかし田舎はそんなものは皆無なのだ。障害者手帳を持っていても、都会より遥かに割高で使い勝手も悪い交通機関を全額支払わされ、もちろん仕事なんかある筈もない。健常者ですら田舎には仕事がないのだから、障害者が働く場所なんかある筈もない。 生きる希望を全て絶たれて、それでも生きていけと強要されるのが田舎だ。だからどんなに今が酷い状況にあろうとも、けして都会から田舎へ行ってはならない。地獄で苦しんでいる者からのアドバイス。
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nh-isseu · 7 years
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辿り着いたのはゴミのような人生
ゴミのようなところから抜け出したくて、抜け出してからはけしてそこには戻りたくなくて、そのために必死になって頑張ってきたのに結局辿り着いたのは元いたゴミの中だった。一体今までの頑張りは何ンだったのだろう。俺の人生は一体何ンだったのだろう。 贅沢なことは望んでいないし、欲張りなことも、わがままも望んでもいない。ただ人として当たり前の人並みの生活が送りたかった。ただそれだけだった。ただそれもこのゴミの中では叶うことも出来ず、それゆえ脱出した筈だったのに、頑張って生きた先に再びこのゴミの中に落とされてしまった。 どんなにもがいても、どんなに真面目に努力をしても、ゴミの中に落とされた身の上に救いの手など届きもせず、おまえはずっとそのゴミの中にいろと突きつけられるばかり。 自分の人生とは何ンだったのか。生まれてきた意味はあったんだろうか。どんなに途中で努力をしたところで、結局またこのゴミの中に落とされるのだったら、全く意味なんかない生だったんじゃないか。
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nh-isseu · 7 years
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命令
自分では死にたいとは思ってはいないが、世の中が自分には死ねと言うのなら、もはやそれに従うよりほかはなかろ。
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nh-isseu · 7 years
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人生は終わってしまった
鬱病を患い会社を休職し、退職した際に自分の病気のことは親には告げなかった。心配をかけたくない、という気持ちもあったが、それ以外にも心配した親によって栃木に連れ戻されると思ったからだ。栃木に戻ったら自分の人生は終わる。誇張でもなんでもなく、けれど確信的にそう思っていた。だから数年間けして話すことはなかった。思いがけず病気のことが伝わってしまった際にも、実際の病状よりもずっと軽い状態であると伝えていた。それくらい栃木には戻りたくはなかったのだ。人生を終わらせたくはなかったのだ。未だ望みを持っていたかったのだ。 しかし堰を切るように2年前の夏にずっと堪えていたものが崩れた。そして案の定、栃木に連れ戻された。今に思えばあの時にもっと抗えばよかったと思う。しかしただでさえズタズタの状態だった自分には、親にも姉にも抗うことはできなかった。栃木に戻れば人生は終わる。それは強く感じていたが、そんなことを口に出すことは許さるような状況でもなく、ただただ従うより他に選択肢はなかった。自殺練習を試みたが、結局それ以上のこともすることもできず。 そして今、あの時に自分が感じていたものは、やはり正しかったと証明された。自分の人生は、やはり終わった。 多くのことを自分は望んではいなかった。ただマトモな人並の生活をしたいと思っていた。しかし、コンビニはおろか自販機でさえも何キロも先に行かなければならないとないようなクソ田舎では、そんな人並の生活すら送ることはできなかった。何1つとしてない。自分の家があるだけマシだ、贅沢を言うなと外野はなじるかもしれないが、ならば今自分が置かれている状況で生活をしてみろと言いたい。コンビニどころか店さえもなく、自販機だってないのだ。風邪をひいて高熱を出しても、自分で車を運転して何キロも何キロも行かなければ医者にさえも診てもらえない。車を運転するにはガソリンが必要だが、スタンドだってあるわけがない。ここは険しい山奥の奥地とも、絶海に浮かぶ孤島とも、まるで等しい。人並のマトモな生活をすることさえそもそも望めないのだ。ましてやこんなところなので行政にも見離され、公共交通機関なんかあるわけもない。20年以上も1度もアスファルトが舗装し直されてもいない道には街灯さえも設置されていない。誰か死ななければこの状況はきっと変わらないんだろう。 こんなところで誰も友人もいずにずっと自分は1年暮らしてきた。友人なんかいるわけがない。マトモな人間はこんなクソ田舎は捨てて出て行くのだから。だからこそ今年小学校の入学者はゼロなのだ。誰にも話す相手もいず、また気晴らしになるようなものは1つもなく、気分転換になるような公園さえもないこのクソ田舎は、あたかも牢獄に囚われていることと何も変わらない。何の希望も喜びも見出せない。見出そうにも、そもそもその兆しさえもない。 実家での生活もまた苦痛でしかなかった。姉には、あんたは病気なんかじゃない。甘えて遊んでいるだけだと言われ、母には心が弱いから病気になると責めらる。父はほとんど口もきかず会話がない。父の誕生日にプレゼントをあげたところで、結局ありがとうの一言もなかった。話すことといえば、すぐに金のことばかり。子供の頃に金の話をすることは品のない人間がすることだ。そう親には育てされたのに、当の本人がそちら側の人間に成り下がってしまった。これでストレスが溜まらないわけはなく、毎日毎日苦痛しかなかった。連れ戻された挙句、さらに悪化するばかりだった。気晴らしになるようなものがこのクソ田舎には何1つとしてないので、栃木に戻されてから1日も楽しかった日なんかなかった。 だからこそ早くこの地獄から抜け出したかった。必死に病院へ通い治療に専念した。真面目に努力をしていれば報われる、そう信じてもいた。 けれど、それは叶わないことだったのだ。こんなクソ田舎には仕事なんかある筈もなく。ましてや再びこのクソ田舎から脱出をしようにも、どんなに就活を頑張ってみたところで1つも実ることはなく。誇張して言っているわけではなく、本当に100社応募しても、面接に進���たのはたった3社のみで、あとは全て書類で落とされた。鬱病持ちの人間は、たとえ治ったところでもはや手遅れということなんだろ。鬱病持ちは取りませんと明言もされたし。かといって、障害者枠で応募をすれば能力が高すぎると捨てられる。意味がわからない。 まもなく失業手当が切れる。それまでに働きたいと願ってきたが、どこにも受け入れてもらうことはできなかった。自分がどんなに願っても頑張っても努力をしても、どうにもならなかった。収入がなくなれば就活そのものをすることも難しくなるだろう。親は金の話しかしないので、早く働けと言う。でも受け入れてもらえないのだから、どうしようもない。姉は働きもせず遊んでいるとまた言うんだろう。 自分のことは自分が1番よくわかっている。だからこそ自分が確信的に強く思ったことは、ほぼ確実に正しい。栃木に戻れば自分の人生は終わる。あの考えは、案の定やはり正しかった。だからこそ栃木になんか戻ってくるべきではなかった。自分の人生は終わってしまったのだ。もはやどうすることもできない。
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nh-isseu · 7 years
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風行草偃
目の前に立ちはだかる険しい山脈はあまりに険しくて自力ではどうやっても越えられそうにもない。けれどそれは真正面からばかり見ているからそう思うのであって、横から見てみたら実は険しい山脈だと思っていたものは薄いベニヤ板に書かれた書き割りだった。というのも実はある話で。 ベルリンの壁すら或る日突然に勘違いから崩壊したからね。それまで命と引き替えに死に物狂いで越えようとしても越えられなかったものが、アホみたいにアッサリと越えられる時がくることもある。本人の努力や頑張りではどうしようもないことであっても、思いもよらないそれを超越するものによって状況が一変するということもある。 運に翻弄されて不幸に陥ることも多々あるが、それと同じように運に翻弄されて幸福に恵まれることもある。風のままに風に吹かれていることが、案外正しい選択だったということもあるのだ。
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nh-isseu · 7 years
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鬱病になったということ
病を克服した、と示すことは一般的に好意的に受け止められやすい。頑張ったね、大変だったね、お辛かったでしょうと同情も得られやすい。そして克服した者は少し恥ずかしげに、でも少し自慢げに闘病生活を語ったりもする。闘病中は絶望しかなかった日々が、やっとこれから希望が差してきたと自分の人生に意味を見出したりもする。
ただし、それは肉体的な疾患によるものにおいてだ。
精神的な疾患においては、いくら本人が克服したと証言をしても疑念の目に曝される。疾患が目に見えるわかりやすいかたちとして現れないだけに、治ったと言っているのは本人がそう勘違いをしているだけで、またすぐぶり返すんだろうと思われる。肉体的な疾患は、傷や腫瘍が消え失せる、あるいは数値的なデータに回復が現れるので説得力があるといえばある。人は目に見えるわかりやすいものだけを信じたがるからね。けれど精神的な疾患は、心という目に見えないものであるがゆえ回復を証明できるものは何1つとしてなく、ゆえに疑いしか持たれない。
目に見えないものは希望だ、イマジネーションだ、クリエイティヴだと人は祀りあげるが、一方で自分には理解できないもの、かたちがわからないもの、おそろしいものとして我が身に降りかかろうものなら忌避する。人は都合のいいようにできている生き物なのだ。
病に罹るのかどうかは、結局のところ運でしかない。肉体的な疾患であろうと、精神的な疾患であろうと、罹る人はかかってしまうし、罹らない人は一生罹らない。その境界線は本人の心構えでも、生活習慣・態度で決まるのではなく、結局は運なのだ。ある人はたまたま病に罹り、別のある人はたまたま病に罹らなかった。ただそれだけのことに過ぎない。即ちそれは誰もが病に罹る可能性もあるわけで、また病に罹った人も罹らなかった可能性もあったということだ。予防線をどんなに張ろうとも、喫煙を1度もしたことがない人でも肺癌になる可能性はあるし、重度のヘヴィスモーカーであっても肺癌を発病することなく天寿を全うすることもある。欲望のままに性を貪ってもHIVに罹らない人もいるし、性がなんであるかを理解できぬうちにHIVに罹る人もいる。予防線は運の前ではマジノ線のような役割しか果たさない。肉体的な疾患であろうとも、精神的な疾患であろうとも、この点に何ら違いはない。
ただどんなことであろうとも経験をしたかどうかは、大きな違いがある。インフルエンザで死にかけた経験があれば、その予兆に気づきやすくなり、またどう対処すればいいのか、人に聞くよりも本で読むよりも自らの経験が何よりも役に立つ。そして正しい判断を下す。運によって翻弄され、望んではいなかった苦痛や苦難を押しつけられたことは、たまたまそれを経験せずに済んだ人と比べて経験値において差が出る。キャリアや趣味などと同列に扱えるその人を形づくる側面の1つになり得る。ただ側面の1つでしかないので、経験があるからといってエラいとかいう話でも何でもない。ただの側面の1つだ。しかしそれゆえその経験がその人の全てというわけではない。ただの側面の1つだ。知らないよりは知っていた方が層の厚みはあるかもしれないが、でも全てではない。ただの側面の1つだ。肺癌を克服したことも側面の1つに過ぎない。白血病を克服したことも側面の1つに過ぎない。病を克服したからといって聖人になるわけではない。同様に鬱病を克服したことも側面の1つに過ぎない。病を克服したからといって悪人になるわけではない。
されど人は目に見えるわかりやすいものだけを信じた���る。ただでさえ運という目に見えないものに翻弄された者を理解するために、克服したことには証明書を欲しがる。それで目に見えないもののおそろしさを払拭するのだ。証明書を発行できない者に対してはおそろしさを払拭する術を持てず、自分にそれが降りかかるまいと遠ざける。証明書を発行できない者は禍を連れてくる悪人であり、歓迎する客ではないのだ。招かれざる客なのだ。
病を発症して5年。望まない辺境に都落ちを強いられて1年半。何があって、何が原因で、何をどうすればよかったのか。それを理解し、受容してから半年。 病にはできることならば罹りたくはなかった。罹らないで���むのなら罹らない人生でありたかった。でも罹ってしまったし、その事実はどうすることもできない。自分の人生において払拭することはできない。けれど病は生きている限り誰にでも起こり得る。そう、たまたま自分はそれが降りかかってしまっただけなのだ。ただ降りかかる病に対峙し、闘いつづけたことは自分にとっては必ずしもネガティヴなことではない。自ら望んだことではないが、けれどこの経験は無駄だとは思ってはいない。ましてや恥ずべきことなどとも思ってもいない。たまたま交通事故に遭い瀕死の重傷から復帰したことは褒めらても、たまたま精神事故に遭い瀕死の重傷から復帰したことは蔑まれるということは意味がわからない。
でも自分には意味がわからないことであっても、世の中はそうではないらしい。精神的な病によって仕事を辞め、空白期間が1度でもある人間は、その後復帰しようとしても拒否される。本人にどれだけの経験とキャリアと能力があろうとも「鬱病で仕事を辞めて療養していた」という経歴がある以上は、それだけで充分に拒否する理由になってしまうのだ。本人がどれだけ大丈夫だといったところで「目に見えるかたち」で「具体的にデータ裏付があり」「受け取る側にとって都合よく」そして「説得力のある」証明書を発行できない限りは、拒否する理由になるのだ。そしてそんな証明書は、そもそもこの世に存在しない。目に見えないものは存在を証明しようがなく、ゆえに本人の言い分は説得力のまるでない戯言にしか過ぎないのだ。
世の中はそんなものじゃないでしょう、たまたまそういう場面に当たってしまっただけでしょう、と慰めをくれる人がいるかもしれないが、100社応募して、そのうちの99%を書類選考で切られるという目に見える事実に対しては何の慰めにも、力にもならない。問いただしても口を閉ざされて無視をされ、それでもやっとの思いで手にした拒否理由は「鬱病持ちはいりません」
ならばと、鬱病持ちの人間を障害者として受け入れるところの戸を叩けば「能力が高過ぎます。もっと他にあなたの能力を発揮できるところがあるでしょう」と突き離される。
これで、どうしろと言うのか。
鬱病のことは隠して、あたかも病にはまるで縁がなかったかのように振る舞いなさい。世の中がそういう態度ならこちらもそれに対抗するより他はないでしょう。空白期間はいくらでも嘘をついて。鬱病のことは隠し通して。嘘も方便ということを学びなさい。
なぜそんなことを勧めるのか。なぜそんなことをしなければ、ならないのか。自分は病になったことは隠して生きなきゃならないような恥ずべきことだとは思ってもいない。むしろこの経験は自分の側面に厚みを持たせたものだと思っている。自慢をするようなことではないが、でも経験してない人と比べたら経験値があるということは無垢な人にアドバイスをあげられるくらいはあると思ってる。でもそれは所詮「恥」でしかないのか。事故で瀕死の重傷から復帰したり、腫瘍により死線を彷徨っても治療によって復帰したことは「誉」として空白期間を埋める理由として記載できても、鬱病により絶望からくる希死の招きから復帰したことは「恥」でしかないのか。嘘をつかなければならないほどに、隠さなければならないことなのか。自分が経験したこと、そして自分の人生はそんなにも恥ずべきものなのか。
事故や癌を克服した者は日常生活に支障がなければ障害者にはならない。けれど鬱病は、1度でもその経験をした者は「精神障害者」というレッテルを貼られる。そして自らより能力の劣る者を助ける役割しか与えられない。けして与えてやった以上のことをしてはいけないし、望んでもいけないし、口に出してもいけない。所詮「精神障害者」なんだからそれがお似合いということなのかな。
人は目に見えるわかりやすいものだけを信じたがる。ならば自分が置かれている今のこの状況もまた、そういうことなのだろう。これで、どうしろと言うのか。希望も夢も見ずに、明日に期待も欲望もかけずに、早くシネってことなんかな。
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nh-isseu · 8 years
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「鬱は心の癌」
鬱病になるのは何も性格としてこういう性格の人がなりやすい、というのはない。よく責任感が強くて真面目な人がなりやすいとはいうが、それはたまたまそういう人が多い傾向にあるだけであって、無責任な遊び人であったとしても鬱病になる時はなるのだ。そういう誰にでも罹り得る病気という意味で、一時期「鬱は心の風邪」なんて言い方もされたが、このフレーズは「風邪なら放っておけば自然に治るでしょ」と見られるようにもなってしまい却って病気への理解がされにくくなってしまった。確かに鬱病は風邪のように誰にでも罹り得る病気ではあるが、症状は風邪なんかとは比較にもならない。ひとたび罹ってしまうと的確な治療を施さなければ、死にも至る重症肺炎にも等しいものなのだ。それゆえ最近は「鬱は心の風邪」というフレーズは専門機関では決して使われない。けれど無責任なメディアでは未だに軽々しくこのフレーズが使われることもあり、鬱病への理解を阻害している。 むしろ誰にでも罹り得る病というのならば、鬱病は癌に等しい。どんな人が癌になるかどうか、遺伝的な傾向はあるにしろ基本的にはわからない。どんなに健康に気をつけて気をつけて生活をしている人であろうとも癌になってしまう人はなってしまうし、一方毎日酒も煙草もやりまくって傍から見れば不摂生極まりない生活を送っていても百歳まで癌にならずに生きる人もいる。こういうタイプの人は罹る可能性は高まるかもしれないが、でもこれをしていれば罹らないというものでは決してないのだ。そして早期に病の芽を見つけなければ、また的確な治療を受けなければ死に至るという点でも癌と鬱は極めて似ている。これをすれば必ず治るという治療法も特効薬もないという点でも同じだ。この人にはこの治療法は効いたが、別の人にもそれが効くとは限らないという点でも同じ。再発の怖れがあるという点でも同じ。 このように癌と鬱はあまりにも似ているので、フレーズでたとえるなら「鬱は心の癌」と言う方が実態にははるかに近い。本来それほどまでに怖ろしい病であり、また決して心が弱いから罹る病気でもない。心の強さは関係ないのだ。心の持ちようも関係ないのだ。「鬱は心の風邪」という認識があるとしたら、それは誤った認識であるということ。或る日突然、誰にでも起こり得るもの、死にも至る病なのだということは知っていて欲しい。 ただ唯一癌と鬱の異なる点は、鬱は癌よりも完治出来る可能性が高いということ。癌も鬱も何が原因で、どこに問題があって、どうして発病してしまったのか、それは人それぞれに全く違うし、それゆえに明確な治療法も特効薬もあるわけではない。でも癌と違って鬱は原因を突き止めることが出来たなら、進行を食い止めることだけしか出来ないんじゃなく、進行してしまった病状を書き換えていくことが出来る。書き換えていくことで食い止めるだけでなく、自己を取り戻すことだって出来る。時間も方法も人それぞれだから一概に言えることではないけれど、でも可能性がゼロというわけではない。ステージ4にまで病状が進んでしまったとしても、いくらでもステージ0に戻せる可能性があるのが癌と鬱との大きな違い。そしてステージ4にまで進んだ経験は、確かに大幅なマイナスではあるけれど、でもマイナスなことでもそれを経験したということは、自分にとって滋養にも武器にだってなり得る。どんな経験にも意味のないことなんて何1つない。夜の深さを知らなければ、太陽の明るさはわからない。
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nh-isseu · 8 years
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憎悪のゆくえ
相模原の事件はヘイトクライムとするならば、その強い憎しみは同族嫌悪に似たものがあったのではないかと思う。殺人犯自身、儘にならない日々、世間に迎合出来ない自分を障害者としてどこか見ていたんじゃないだろうか。意識的、無意識的かどうかは別として。自己に対する激しい憎しみが、自分自身に向いたのではなく、他者へと向いてしまった。彼の目には目の前にいる障害者の人々が自分が抹殺しなければならない自己として映っていたんじゃないかって思う。だからこそ彼は殺人を犯したあとも晴れやかな表情でいたのは、抹殺するべき自己を消したからだろう。他者へと向いてしまったのはあまりにも酷いことだが、仮に自己へ向いていたとしたら彼は自殺していたんじゃないかって思う。彼は自分が求める自己と、現実に落とされた自己との乖離に激しく動揺し、それが凄まじいまでの憎悪へと変貌していったのではないだろうか。彼の精神状態は明らかに正常な状態ではなかったんだろう。でも精神鑑定は必要ないんじゃないかとは思う。矛盾しているようだが、精神錯乱の状態ではなかったんじゃないかって思うんだ。ただ抱えきれなくなった自己に対する憎しみが最も悪いかたちで現れてしまったのだろうと思うんだ。 それでも自己の快楽の為だけに何の罪もない他者を殺すことは許されるべきことではないし、極刑にしても足りないくらいに果てしなく罪は大きい。自己の快楽のために他者を利用してはならない。と、憎しみが自己に向かいがちな俺自身は強く思うんだ。
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nh-isseu · 8 years
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自己肯定感
一般的に自己肯定感が低い人は鬱病になりやすいとは言われている。だからこそメンタルヘルスの場面では自己肯定感を高める働きかけをする。100%の自分でなくても今のままのあるがままの自分であることが、実は何よりも素晴らしいことだと教えられる。これは比較的理解をしやすい。自分に自信を持てない人に対して、そのままで充分いいんだよと諭すことで救われるのは構図としてはとてもわかりやすい。自分を守るためには自己肯定感は必要だ。 ならば自己肯定感が高い人は鬱病にならないのか、といえばけしてそんなこともなく、高い人もまた鬱病にはなりやすい。自分の実力はとても優れている筈だ、なのに不当に認められないのはおかしい。まわりに対する自己承認の要求が高く、それと現実との乖離がまた病を引き起こす。いわゆる新型うつとも呼ばれるケースがこれに当てはまる。これはこれでまたわかりやすいといえば、わかりやすい。自己肯定感が低くても高くても結局のところまわりと自己のスケールのズレが引き金となって病として現れていることに変わりはない。ただそのどちらにも当てはまらない場合はどうなんだろうか? 自分は別に大した実力や能力があるわけでもないので、まわりからさほど評価をされていなくてもそれはそれで妥当なところ。自分では100%の実力を出しているつもりでも、他人から見たらそうは捉えられなかったとしてもそれは仕方のないことだし、それはそれとして受け止める。ただ自分は自分なりに精一杯頑張ったので、それで充分じゃないかと思ってる。まわりを見れば他の人はもっと頑張っているのかもしれないが、その人に自分がなれるわけでもない。今のままの中途半端な自分であってもそれが自分なのだから、否定はしない。かといって中途半端なのは自覚しているので、まわりに対してもっと評価しろと要求もしない。自分は自分として、ただ己の道を歩くだけだ。まわりの目を気にし過ぎるほど気にはせず、ただ自分が好きなことをひたすらやっていたい。そこに自己肯定感の低さはなく、むしろ身の丈にあった自己肯定感の高ささえもある。けれど、その一見バランスが取れた自己肯定感を持っているように見えても、それでも鬱病を発症してしまうケースもある。他でもない俺がそうだ。 こういったケースはどこにも典型的な事例として紹介されていないので、正直とても戸惑っている。だからこそ俺は病が長引いているのかもしれないが、はたして要因は一体どこにあるのだろう。ここ半年あまり内省することによってわかったような気もしていたが、ここにきてまた振り出しに戻ってしまった。 そもそも鬱になった人の原因は、人間関係に起因するケースが多い。他人と自分を比較してしまい、他人から求められる自分に必要以上に応えようとして、身体の許容量を超えるほどの無理強いを自分にさせてしまう。そして心と身体が乖離をして、或る日突然に身体が反旗を翻す。ただ自分の場合は、必ずしも人間関係に原因があって病を発症したのではないのだ。確かに人間関係の問題がゼロというわけではないが、しかしそれが大きなトリガーとはなっていなかった。むしろ自分の場合は、喪失感に起因している部分の方がはるかに大きい。そこに他人との関係はなく、関係があるとしたら自分と自分との関係だ。それゆえ一般的な鬱の解説書や認知行動療法などのプログラムには当てはまらないところも多くあり、なかなか納得のいく答えを見つけられないままでいる。こういったケースは稀なケースなんだろうか。稀なケースだからこそ、なかなか治すのにも時間がかかってしまうんだろうか。
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nh-isseu · 8 years
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毎日通っている道の途中に人家の全くない区間がある。人家がないということはそれだけ他人の目がないということなのか、この区間だけいつもゴミが散乱している。不法投棄の類のものではないが、明らかに車の窓から投げ捨てられたと思われるコンビニ袋に入ったゴミ、空き缶、ペットボトルなどなど。交通量はあるとは言えず、おそらく1日に車50台も走ってはいないであろうところなのに、これだけのゴミが散乱しているのはちょっとおかしい。しかも常に新しいゴミが道や道端に投げ捨てられている。いつも同じ人が捨てているのか、それともどうせゴミが捨てられているのなら自分も捨ててもいいだろと違う人が新たに捨てているのか、真偽のほどはわからない。 ただハッキリしていることは、ここだけ異様に投げ捨てられたゴミの数が多く、またここだけ他人の目から触れにくい場所だということだ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。 でもそのことから日本人のモラルというものも結局はこの程度のものだったのかと思う。他人の目がないところであれば、こんな風に平気でゴミを捨てることに咎めるものがないのだろうか。中国人観光客はマナーが悪いと嘲笑していても、他人の目が届かない捨てられた森であれば振り翳していたマナーさえ簡単に捨ててしまうものなんだろうか。
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nh-isseu · 8 years
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花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
・CO2を減らす回収・貯留技術を磨こう
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO99283000V00C16A4EA1000/
 人間が経済活動を活発化させ、生活が豊かになればなるほど切っても切れないのが環境破壊の問題であり、地球温暖化の問題なのだろう。そもそも地球温暖化は本当か?という説もあるが、ここではその話は置いておいて、自分に引き寄せてこの問題をちょっと考えてみようと思う。
 人間が環境破壊だ、このままでは地球や自然がダメになると騒いでいるのは、あくまで「人間にとって都合のいい地球・自然」という環境であり、地球そのものから見たらこの程度のことはちょっとクシャミをしたくらいのことでしかないんじゃないかって思ってはいる。地球46億年の歴史から見れば、全球が火焔や凝氷に覆われた時代もあったし、硫酸やメタンの雨が降り続いていた時代もある。自転軸が傾いたほどの巨大な隕石が衝突した時代すらもある。それらから比べたら人間が地球に対してしでかしている温暖化は、実は地球そのものに対しては微々たるものでしかないんじゃないかとも思う。
 されど自分に引き寄せて考えた場合、影響は微々たるものではない。「自分=人間にとって都合のいい地球・自然であること」が、大切なことなのだ。ただし、そこにはどうしても経済的繁栄と生活の豊かさもまた切っても切り離せない問題としてあり、その両方のバランスがとても難しい。地球温暖化対策、と言われても正直日々の暮らしの中で具体的に何をすればいいのかわからない。排出するCO2を減らせますと省エネ製品やエコカーを購入するのは温暖化商売にただ踊らされているだけのような気もするし、ゴミの分別も地域によって全然違ったりもするので、戸惑う部分もある。そもそも日々の生活の中で排出されるCO2の量なん��いちいち考えたこともないので、温暖化対策には���体的に何をすればいいのかわからないのは当然といえば当然だ。
 ただもう1度ここで自分に引き寄せて改めて考えてみると、「自分=人間にとって都合のいい地球・自然であること」とは、たとえば毎年この季節になると桜の花が咲くことだったりする。夏になれば夜空や蛍、夕涼みなど夜を楽しむことが増え、秋には収穫された秋の味覚を堪能したい。冬は苦手ではあるものの、空から舞い落ちる雪の眺めには見とれるものがある。そんな四季の移ろいを実感することが出来るということが「自分にとって都合のいい地球・自然」なんじゃないだろうか。そう考えると地球温暖化によってそれらが崩されてしまうことは悲しいことだと感じるし、それを回避するためには自分で出来ることは何かやってみようという気にもなる。果たして具体的に自分に何が出来るのかはよくわからないが、要は毎年桜を眺めることが出来る今の環境というものは守っていきたいものだ。
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nh-isseu · 8 years
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敗者復活戦
・センバツ開幕 被災地に元気届けよう
http://mainichi.jp/articles/20160320/ddm/005/070/008000c
 いつの間にセンバツが始まっていたのかというのが正直な感想。時の巡りは速い。甲子園に出場する選手たちがかつては自分より年上の存在だと思っていたのに、気がつけばはるか年下の、下手したら我が子でもおかしくはない年齢の子たちになっていたというのも、なおさら時の巡りの速さを実感する。
 スポーツは結果が全てではある。どんなにいいプレーやプロセスを経たとしても、試合に負けてしまえばそこで終わり。外野から「精一杯頑張ったけど、あと少しだったね」という慰めや「プレーに感動しました」というエールが届いたとしても、それで試合結果が覆るわけではない。シビアな言い方をするようだが、それが現実なのだ。
 確かにスコアや成績としては「1回戦敗退」や「決勝戦敗退」という文字が記録として残るものかもしれない。1回戦だろうが決勝だろうが、敗退は敗退だ。けれど実際に出場してプレーをした選手はもちろん、それを支えてきた監督やコーチ、他部員、在校生、親、支援者、或いはたまたまその試合を観ていた人にとって、試合は記録だけが全てではない。人間の感情には文字には起こせない記録とは違う、記憶というものが存在する。記憶に残る何かを得ることが出来るかどうか、それを受け取ったかどうかによって、記録以上に人間の心に訴えかけてくるものがある。それが記憶に残るということであり、センバツに限らずスポーツ全般にも言えることだが、試合を行うことの意義であり人がスポーツに熱中をする理由なのだろう。
 センバツに出場できる条件について自分は無知なのでイマイチよくわかっていないのだが、出場する選手たちには悔いの残らないような試合をして欲しいと願う。記憶に残るプレーをすることが出来れば、たとえ試合には敗退したとしても、敗者復活戦のチャンスは残されている。
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nh-isseu · 8 years
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5年後
あの日から今日で5年が過ぎた。
あの震災で亡くなった方や傷を受けた方、家屋や仕事、大切なものを失った方、また家族や友人を失った方の悲しみははかり知れない。その方たちと比べるのはあまりにもおこがましいことではあるが、あの震災は私の人生をも確かに変えた。あの震災は、私を今苦しめている病の1つのトリガーとなったのだ。そして1年後、私は病を発症した。
あの瞬間、私は大崎にあるオフィスビル23階の会議室にいた。最初は地震だなと思う程度であったが、あまりにも長く、そして想定を超える大きな揺れに、次第に尋常ではないことが起きていると把握するまでに時間はかからなかった。あの日の東京は空一面を黒い雲が覆っており、また気温も真冬のように肌寒い気候だった。
5年後の今日、同じ金曜日で同じく空一面黒い雲が覆い、気温も真冬のように肌寒い気候となっている。見上げる空はこの5年で東京から宇都宮へと変わってしまったが、空の色は変わらない。どこにいても見上げる空の色は変わらない。あの日も今日も、空一面黒い雲が覆っている。気温も真冬にように肌寒い。
震災を1つのトリガーとして、以来4年私のこころも一面黒い雲が覆っていた。どこにいても誰といても何をしていても黒い雲は拭われず、ずっと寒いままだった。昨年の春、私は被災地の1つである福島県いわき市久之浜の海を訪れた。その日に見た海は穏やかでどこまでも碧く、あの日に浜辺を襲ったどす黒い凶暴な海とはまるで別ものだった。あの波は幻だったのではないかとさえ錯覚をするほど、あまりにもあまりにも穏やかな海がそこには佇んでいた。けれどあの波は幻ではなかったのだ。現実に起きたことなのだ。浜辺はその傷痕となる何もかもが失われた荒野と1階部分が根こそぎ奪われていった建物がそこかしこに広がっていた。4年経ってもなおあの波の傷痕は少しも癒えてはいなかった。おそらく1年後の今も、5年を経てもあの浜辺には傷痕が残されたままなのだろう。
ただ私のこころには今、少しばかりの変化が訪れている。未だ黒い雲に覆われたままではあるが、雲間から一条の光が差し込む兆しを感じている。傷は癒えることはないかもしれない。悲しみは消えることはないかもしれない。けれど傷を傷として、悲しみを悲しみとして受け入れ、それを糧にしていくことは出来る。人のこころは脆い。けれど案外弱いものでもない。
今日はまるで真冬の寒さだ。けれどどんな荒野にも、どんなこころにも必ず春は訪れる。
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