週報-1
2024年01月28日(日)
8時には目が覚めていたけど布団から出たのは9時頃だった。昨日、すこし吐いてしまって胃というか内蔵が全体的にむかつく感じがした。昔は軽い体調不良を次の日まで引きずることなんか無かったのに、嫌だな~と思ってみた。本当はそんな嫌でも無い。コーヒーを煎れて運動をしながら欲しいもののことを思い出して、いったん運動を止めスマホで調べ、そのうち別に欲しくなくなって、また運動を再開をだらだらとやっていた。昨日干した洗濯物を畳んでぼうっとしていると彼氏が起きてきた。外国の洗剤の匂いがするトレーナーを着ていた。実家から着て帰ってきたらしい。そのまま車でパン屋とコンビニに行って家で昼ごはんにした。コンビニでは一番くじを引いた。駄菓子を模した、ハンカチとか文房具とかのやつ。彼氏は私がこういうものを好きだと思い込んでいる。そりゃ好きだけど、通りすがりに見た可愛いものをいつまでも覚えていて欲しがるような年齢じゃない。今度来たときまだ良い感じの賞が残ってたらまたやろっか、と言い私は頷いた。昼ごはんはTVerで昨日のザ・ベストワンをみながら食べた。食べ終わると眠くなって昼寝した。最近、生理前でなくても眠い。おやつを食べながら本を読んでいたらまた眠くなった。
2024年01月29日(月)
また夜中の4時に目が覚めた。眠いまま出勤して仕事して退勤した。メルマガ作成に5時間くらいかけた気がするけど結局完成していない。可愛い女性が別の部署にいる。暗い部分の無いアイドルみたいな笑顔だと思った。退勤後、JINSのロッカーで眼鏡を受け取って電車に乗った。本を読んでいるとすぐに時間が経つ。立ちっぱなしでもあまり苦で無い。駅に着くと彼氏が迎えに来ていて、夜ごはんも買っておいてくれた。TVerでロンハーみながら食べた。
2024年01月30日(火)
悪寒がする。生理が近い。アイシャドウを塗らない化粧にした。退勤後にハンズで買い物した。香りものを買うのはやめたつもりだったけど、すごく懐かしい香りだったので迷わずカゴに入れた。どんな記憶と結びついて懐かしいのかは思い出せない。帰り道の薬局で、違う種類のプリン2つとたまご饅頭を買って帰った。プリンは食べ比べして遊ぶ。
2024年01月31日(水)
昼休みほぼまるっと昼寝に費やしたらそれから一日ご機嫌だった。家に帰ると先週注文していた勤め先のお菓子が届いたので夕食後に食べた。気軽に買える値段じゃ無いけど、たまには買って食べたいなと思った。サッカー20:30~バーレーン対日本。勝って彼氏が嬉しそう。
2024年02月02日(金)
年に1度あるかないかレベルの体調不良だった。出勤前は大したことなかったのに、退勤後は凄まじかった。頭痛と悪寒と吐き気がひどく口に胃液を溜めながら途中下車して薬を飲んだ。LINEで彼氏に助けを求め、迎えを待つ間にふらっと入ったデイリーヤマザキで小分けサイズの甘納豆が売られていて微かにテンションが上がった。2種類買った。迎えに来てくれた彼氏に夜ごはんと31アイスを買ってもらって帰宅。家に着く頃には頭痛と吐き気は治っていたので、ごはんもアイスも楽しく食べた。ごはんはしゅうまいと大学芋とサラダ。アイスはワールドクラスチョコレートとストロベリーチーズケーキ。彼氏はイトウジュンヤの騒動について気をもんでいる。
2024年02月03日(土)
9時過ぎに起きて掃除と運動をしたあと彼氏と外出。パン屋で昼食を買って移動しながら食べて、ドンキで日用品を買い、初詣して夜ごはんを買って帰った。おみくじは大吉で、そんなわけあるかと一瞬思ったけどまあ私は大吉の生活をしている。途中でCCさくら×サンリオガチャとブルーナアニマル一番くじをやった。ミッフィーって不細工のと可愛いのがいるけど不細工のが多分本家なんだよなあ。
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231101
健康診断へいく。
名前は合っていたものの、生年月日が間違っていて、わたしが、ゆらいだ。
わたしが、あの年あの月あの日に産まれたということは、わたしがわたしである証のひとつであるらしかった。
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231102
朝、起きられず、立ち込める憂鬱。
思いつきでナスを切って、ベーコンと炒める。塩こしょう、ちょっとしょうゆ。
小説を読む。にげたかった。
束の間、小説の世界を泳いで、少し、うるおう。
小説を書くこと、たぶん、できないだろうけど、書けたとしても、絶対、書かないと決める。
にげ場がなくなる。
今日の夜は外食、と決めていた。
マックを食べに行く、と言っていた社員さんを誘って、サイゼリアに行く。
年下のはずだけれど、そのことを感じられない。すらすらと話をする。
性質が似ている。
小エビのサラダ、ミラノ風ドリア、ポップシュリンプ、同じものを食べて、デザートを交換こしながら、食べた。
仕事をやめたら会わなくなるのがかなしい。
友達になってくれたらいいのに。
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231104
ひとりで大丈夫って思えるのは、ひとりじゃないって分かったから、とドラマの人が言っていた。
昨日と、今日と、ずっと本をつくっている。
来週末のイベントのため。
でも、思いつめたようではなく、これは、今までのわたしにしては珍しいことだった。
自分の身の丈に合った重さで進められている。
生活も、おざなりにせず、浴槽に湯を張って、浸かった。気持ちよかった。
晩ごはんは実家から分けてもらったステーキ肉。
じゃがいもを炒めて、ほうれん草を茹でて、一緒に食べた。
最近、唯一困っているのは、食後の眠気。気絶しそう。
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・お知らせ
ひとり暮らしにまつわる絵と詩と日記を、飾ります。
新しく、詩と日記の本もつくりました。
「ひとひらのくらし」
at ユメノギャラリー吉祥寺
2024/1/25(木)-1/29(月)
12:00-19:00(最終日18:00迄)
Tumblrにのせている日記の絵の原画なども壁にはっていく予��です。
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1123-1129
1123
宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。
皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。
あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。
正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124
どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまったようで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。
こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。
えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。
わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱりハラハラはする。
とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。やることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125
明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの練習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。
土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事の前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に潜ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。
小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思った。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやすくうれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。
明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、���やでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。
遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
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ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。
電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。
寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。
自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってくるな…)。
お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。
きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。
イベントの案内に政治的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。
新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。
そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。
イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。
ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
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尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。
『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。
長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説だったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。
どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんまり上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
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痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書ける���しょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
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引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。
異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。
まだ読み始めたばかりで、ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。
「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。
そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。
子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき友だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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2023/12/11〜
12月11日
昨日つけ置き洗いをした加湿器の給水タンクのキャップを捻り開ける力がなくて水を捨てられず、朝そのままで出かけた。浴室乾燥していた洗濯物も気温が下がって乾きが悪くなり3時間では乾かなくなってしまい干したまま出かけた。
この調子で毎晩毎晩掃除や片付けや、やらなくてもいいのに儀式的にやってしまうことを減らしたい。その日の感じに合わせて必要ならばやる、程度にしたい。
お昼休みに歩いていたら、��かいから坂を降りて来た自転車の方がすっころんでズボンの膝が破れてしまった。私含め近くにいた人たちは遠巻きに心配そうに、でも声をかけたりもできずにいる様子で見守っていて、本人はやっと少しずつ起き上がって、そんな時に後ろから悲観するばかりでない明るい声で「あら〜大丈夫かしら?」と声をかけてくれた年配の女性がとても救いの存在だった。
心配そうに「大丈夫ですか?!」と言われたら「大丈夫です」しか言えなそうだけれど、余裕を持った明るさで声をかけてくれたら「ズボンの膝が破けちゃった…」と、少し泣き言を答えることも許してくれそうだな、と思った。
お休みに入った上司の代わりを務めてくださる方と、まだ様子見あってお仕事をしている感じがなんだか煮え切らなくてぎくしゃくして話す度に泣きそうになっている。
12月12日
向かいのデスクの方が自分で設計した自邸が1月末に完成するお話を聞かせてもらう。写真も見せてもらって白と木が良い塩梅の素敵なお宅だった。
すごい!うらやましいとか尊敬するとか目標としたいとかそうゆう次元でなくて、なんかこれはとても嬉しいだろうな!?と率直に思ってしまい、他人のことだけれど「嬉しくないですかこれ!」と少しテンションが上がってしまった。
年が近い彼女よりお仕事でできないことが多い(と勝手に思っている)私は、時々それに落ち込んだりしていたけれど、彼女は本当に建築が好きなんだ!と嬉しくなる発見ができた。
私は建築はお仕事でしかなくて、作家さんの作品や考え方を観るのは好きだけれど自分で作りたい分野ではない切り分けはできているので、全く別の類の方としてやっと彼女を捉えることができた気がする。
お家ができたら遊びに行かせてもらうお願いもできた。
昨晩、教えていただいた大阪のギャラリー情報を確認し、ちょっと違うかな〜となっている。
今日から京都のギャラリーも少しずつみてみよう。
友人へ次会った時に渡そうとしていた京都限定のルルルンのパックと光線さんのガチャガチャをレターパックライトに詰めて送ろうとしたらポストに入らなかった。また3センチ(今回はプラスの5センチも)をオーバーしてしまった。
マスクが苦し過ぎてくらくらするのと、日中の噛み締めがひどくて顔が痛くなるので、2日間外す生活をしてみたけれど、なんとなく人と喋る時の飛沫恐怖が発生してしまい、唾が飲み込めないことがたくさんあった。また良くない症状を発症させてしまったかもしれない。
12月13日
ガスの点検の立ち会いのため午前中はお仕事をお休みをした。
そのため昨晩は出来る限りの掃除をしたり日記を更新したりとても忙しく過ごし、22時からの一食目のご飯は栄養補給でしかなくて味がしなかった。
でも朝起きて、まだ薄暗い中で大島さんの新しい読み切りの漫画を読んで二度寝をしたら、夏に展示をしたギャラリーの白濱さんと大学時代の好きな友人が夢に出てきてとても幸せだった。alt_mediumで小規模のブックフェア的なイベントを開催していて、私はそれに参加して写真集を販売したり自分の作品についてトークをしたりして、出版関係のお仕事をしている友人はたまたま仕事でこのイベントに来ていて、写真を通してお仕事でこうやって好きな方々と再会できた幸せな夢。
朝起きても、半日仕事を終えても、まだどことなく今日良かったことがあった、と思う気持ちはこの夢のおかげだと思う。
こうなると今の仕事を続けることを少し悩んでしまう。
フィルムカメラで写真を続けるためにNikonF100の修理をするべきだと、もう一度修理店を探して、インターネットで見つけた2店舗に連絡をとってみた。修理するより中古機材を買った方が安いのかな。
午後から出勤する道中、イルミネーションの準備が進められていて、夜帰宅するときちゃんと光っていた。
いつも行くスーパーの品揃えについて、私がお決まりで毎日買い続ける商品が、ある時から私が買うごとに一つずつ減ってき、最後の一つを購入した次の日からその商品の取り扱いが終わってしまうことが何回か続いていて悲しい。その中の需要と合わないものを嗜好してしまっているの?
無事でいたすぎて、年明けの有給の予定を立て始めている。
12月14日
ティカ・αが作曲、最果タヒが作詞した曲が、1月24日にリリースされる情報を知る。え?!と、なってしまう。え?!ティカ・αと最果タヒが作品を作ってしまったのですか。嬉しさや楽しみな気持ちより、もうこれまでの空虚な気持ちに近い感覚。
ティカ・αエピソードのひとつ、“愛・テキサス”のMステ動画のコメント欄が意外と愛が溢れていて(山Pファンでない人達の山Pへの評価について)、なんかよかったことをたまに思い出します。
ポストに入らなかったレターパックライトを郵便窓口でプラスに変えてもらう。差額と手数料だけ払って、使用済みだけれどライトを返却して完了した!
有言ジーザスなので朝デスクについてから始業まで年賀状の宛名を書くようにしている。でも裏面のデザインが定まりきらずにいて今年は出すのがギリギリになってしまいそう。
昨日の日記にスーパーの品揃えについて書いた矢先、いつも買っていた商品がまた取り扱い終了となってしまった様子。これまでの取り扱い終了商品履歴。ナチュラル豆腐ビヨンド、揚げなすとトマトのフリーズドライスープ、豆のサラダ、雑穀のサラダ、殻が剥いてあるゆで卵、畑生まれのまろやかソイ、サラダ豆。これ以上私に食の不自由を与えないでください。
来週もどこかでお休みを取れないか探してしまう。
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トマトジュースのつけだれで、サラダ仕立ての中華そうめん。
Salad-style Chinese somen noodles with tomato juice dipping.
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2024年3月3日(日)
今の家に引っ越したのは2002年2月2日のこと、この間インターネット回線はフレッツ光からCATV、そして3年前にNURO光に変更してそのスピードアップに喜んだものだった。そのNUROが現在の2GBから10GBへの高速回線の切り替え可能ということで申込、金曜日に工事が完了した。ケーブルを新しくして本日スピードテストをしてみたが、ケーブルでつないでもWi-Fiでもさほど顕著な変化は確認出来ない。もっとも、ダウンロードよりアップロードの方が早いというのは一つの凄さの証左ではあろう。ともあれ、回線がよくなったことで仕事のスピードもアップすること、これが特に望まれる今後の変化なのだが・・・。
5時45分起床。
6時、洗濯。
朝食。
珈琲。
洗濯物を干す。
昨日アマゾンに発注したLANケーブルが届いたのでまずはテスト、2階リビングのONUから1階のMacMiniにケーブルをつなぐ、だがこれまでのものと大きな差は無いようだ。
改めて、2階から3階の息子たちの部屋までケーブルを通してセッティング完了。
コレモ七条店で買物、昼用のうどんを買いに行ったのだが、20%引きという表示があるとついあてもないのに買ってしまう(¥983)。
酢タマネギ仕込む。
麺つゆつくる。
ランチ、息子たちにはうどん、ツレアイには残りものスパゲッティのサラダ仕立て。
録画番組視聴、落語研究会から、「百年目」柳家権太楼。やはりこの噺は米朝でなくては。
軽く午睡。
イオンモール五条までウォーキング、2階の大垣書店で文庫本購入(¥1,100)。バスで西大路七条まで戻って、コレモ七条店でアジフライ・トマト・ごま油(¥941)。WAON消費行動、残高は¥255なり。
ツレアイはリビング、私は1階の作業場、それぞれ年度末の片付け(=不用品処理)に精を出す。
早めの夕飯、残り食材総ざらえ。
録画番組視聴、落語研究会から「蕎麦の隠居」入船亭扇辰/「安兵衛狐」古今亭志ん輔。志ん輔のマクラが楽しい。
片付け、入浴、体重は350g増、今日は昼を食べてしまったしなぁ。
パジャマに着替えて日誌書く。
よく動いた、言うことなし。
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Special TY in Bangkok 2023 October
ペンミの話は別スロットに書く(予定は未定)
コロナ後3回目のバンコクへ行って来た。メインはテギョンのファンミーティング。マイレージだったからなんとか予約出来た2日も前の木曜にバンコク入り。超早朝着であっという間にイミグレ出れた。空港で両替屋が開くのを待ち、エリアリンクの始発5時15分位ので市街地へ。車窓に広がるバンコクの街がだんだん目覚めて行く。今回は久しぶりにシーロムに泊まる。シーロムはHouse Partyのプレスコンファレンスが行われた、今は無いDusit Tani ホテルがあった所。ニックンのウギョルの撮影も行われた由緒あるホテルがあった地区。今は建て替え中。
予約したのは繁華街のタニヤ通りから程近いホステル。アーリーチェックインを前もって頼んでおいたら快諾。ところが行ってみたら誰もいなくて、オートロックで入れない。仕方なくホステルの前のベンチで待つこと30分。チェックアウトのタイ人男女グループが出てきたので、その隙にちゃっかり中に入り込んだ私は泥棒か?エアコンが効いたロビーで充電しながら待ってるとようやく従業員がやってきた。今日から宿泊予定で、アーリーチェックインを頼んである、と伝えるが、全く英語はダメらしく、スマホの翻訳機を示された。なんとか交渉し、掃除する彼女を待ち、8時には部屋に入れた。部屋はこんな感じ。清潔だし広さ十分。これで4泊で2万円切る。
到着日のランチはタイのハレスとシーロム近くで約束してたから、それまで部屋でまったり過ごす。
ランチはやっぱりタイ料理。4ヶ月ぶりの現地タイ料理が安くてなんと美味しいこと。そこでテギョンが今夜来ると情報ゲット。一旦彼女と別れ、また夜に空港で落ち合うことにする。
空港では懐かしい面々に再会。お迎えはKhunチームとテギョンチームで何故か左右に分かれる。別に両チーム仲がいいのに(笑)お迎えも見送りもコンバインした動画がこちら。日本人は私しかいなかったかも〜
帰りは明日も遠出に連れてってくれるタイペンチングがホステル近くまで送ってくれる。
金曜はタイは祝日。3連休の週末はバンコクから脱出する人が多いらしく、道が空いているからと(確かに渋滞もなくスイスイ。おまけに祝日は高速料金無料らしい)、郊外のミシュランレストランでランチ。そのお店がこちら。
外装も内装もお味も全て合格のレストラン。過去にミシュラン⭐️を5回も獲得してるだけあり、珍しい美味しい料理を堪能しました。ここは味を守るためか、あまり支店は多くなく、本店はチェンマイのニマンヘミンにあるらしい。ニマンヘミンと言えばKhunJun.K ハネムーンカップルがカフェを訪れた通り。チェンマイにはまたゆっくり行きたい。
ランチ後はここから車で15分ほどの、ニューヨークへ(笑)ニックンがFinding The Rainbow 🌈 を撮影したニューヨークのカフェがバンコク郊外にあったとは😂確かに雰囲気はニューヨークだった🇺🇸クルー総勢でのクランクアップの写真もこの前で撮影したのは間違いなさそう。
https://davincafethailand.com/
翌日土曜日はいよいよテギョンFM。これまたホステルまで、別のKhunペンが迎えに来てくれる。ペンミ会場はリノベ中で店がほとんど空いてないからと、行く道すがら、クイッティオ屋(麺屋)さんで腹ごしらえ。
皆んな最初から2杯ずつオーダーしてたけど、食べきれるのかわからなかった私はとりあえず汁なしを1杯だけ注文。細いの太いの平たいのと麺の種類も選ぶのがタイスタイル。これが美味しいのなんの😋タイチングがテーブルにあったドライ魚を千切って入れてくれたのも美味だった。ペロッと平らげ、結局私も2杯目に。2品目はスコータイ風餃子スープにする。私が注文したら、それKhunママの得意料理よ、と言われた。私には作れないw
途中、私のお気に入りのタイのお菓子屋さんにも立ち寄ってくれた。
会場は結構遠かった。地図見てどっかの駅から歩いて行けるかなと思った私は浅はか。交通の便が悪く、噂通り廃墟のような(←タイ人も言ってるw)ショッピングモール。帰りはまた車で送ってくれたタイチングと打ち上げ。おこわご飯とコーンソムタムを早くもこの旅で2回目食べる私。
日曜はこれまたちょっと郊外の駅で待ち合わせ。ニックンとベクホが撮影したレストランに車で連れてってもらう。ランチタイムは家族連れで大盛況。なんとか窓側席を確保し、ニックンが注文した料理をいくつか注文する。ニックンは注文してないけど、私が大好きな白身魚の丸ごとディープフライปลาย่างราดพริกにもようやくありつけた。これが日本じゃなかなか食べれないんだよな。
ご飯の後はスーパーでラムヤイやらソムタム用ココナッツ砂糖、カバオソースやら例によって買い込む。ラムヤイはどうしても食べたくて、もっと少ないロットの袋を作ってくれるよう、友達がスーパーの店員さんに頼んでくれたら、店内一周してる間に用意してくれてた。なお今回一番買いたかったのはソムタム用スライサー。帰国してさっそく使ったけど、大根サラダにも使える👍
その後、仏教公園までドライブ。ここはワットではなく、公園。日曜とあり、近所の家族がハンモック張ったり、ピクニックしたり、散歩してたり思い思い楽しんでた。
立派な仏陀像があり、僧侶の会合とか開かれるホールも敷地内にある。広々としてて緑がいっぱいで実に気持ちがいい。タイの国土の広さを実感。あまりの広さにここで運転の練習する人がいるらしく、「ドライブ練習禁止」って看板が出てた(笑)
彼女に駅まで送ってもらいBTSでシーロムに戻り、ネイル屋さんに直行。実は朝も立ち寄ったけど、日曜朝は激混みだった。夕方のこの時間は空いてた。イケメンのお兄さんに、1日歩き回った(ほとんど車内だったとは言え)汚い足を洗ってもらってごめんね🙏マニュキアとセットなら50バーツ追加の550バーツで済むよ、と言われたけど、ペディキュアのみでお願いする。眼下でずっとイケメンのお兄さんが施術してるから、スマホばっか見てた私😅
無事ペディキュアを終え、ホステルでひと休みした後、夜はまたテギョンお見送りに空港へ。4泊5日で3回も空港往復する筋金入りハレスは私です。またも日本人は私だけだったかも。深追いはタイハレスに任せて、私は軽く済ませる(笑)帰りはすっかり深夜。また車で送ってもらう。空港の駐車場に行くと、彼女の車が出れない場所に別の車が停めてある。タイあるある。そこで始まりました。噂には聞いてたけど、実際見るのは初めての車人力押し。私は傍観者で🙏4人で押しのけ、無事車を出せました。5人乗りに6人乗って、途中、ハイウェイで土砂降りの大雨に雷。めちゃスリリングなドライブだった😆
翌月曜日はいよいよ帰国。当初は朝便に乗る予定だったけど、夜便が空いたのを見てすかさず変更。マイレージだから出来る技。今回シーロムに泊まることにしたのは、To Do Listミッションクリアのため。それはニックンが撮影で走ったルンピニー公園ジョギング。ルンピニー自体は行ったことあるけど、一度は走らなきゃ!が、ちょい寝坊し、既に暑くなりかけ。なんとか軽く一周駆け抜けた。軽くなのに汗びっしょり。テギョンタオルが役に立った💚
最終日、私にはもう1人会わなきゃいけない10年来の大事なチングがいる。有名大学を休学し、アイドル修行をソウルで頑張ったFちゃん。その夢をタイに帰国して叶えた。今はグループ解散しちゃったけど、たまにYouTubeアップしたり、元メンバーをサポートしたりしてる。透き通る歌声。もったいないから、これからもやめないで活動してね。その彼女、タイ語、韓国語、英語はもちろんのこと、日本語まで話せる。日本語の歌もご覧の通り。
彼女が探してくれた洒落たタイ料理屋さんで美味しいランチを食べた後、2人でマッサージ屋さんへ向かう。彼女はタイ式、私はオイルマッサージを予約してもらってた。たっぷり2時間。オイルマッサージなのに、なんかガッツリ揉まれた😆SASUGAタイマッサージ!
と、完璧な帰国日のスケジュールを終え、最後は空港まで車で送ってくれた。出会った時は高校生だったのに、すっかり素敵な大人の女性になり、私も感無量。今回はママにお会い出来なかったのが残念でしたが、また会いにタイに来ます!
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・毎朝三段階に分けてアラームをかけてるけど、一回に絞った方がスッキリ起きれるみたいな言説を見た
・そんなことないと思う
・毎朝三段階に分けてアラームかけるし、三段階目のアラームを一回止めて3分のアラームをかけて4度寝してる
・ギリ間に合ってるから良し
・投資信託の説明みたいのを聞いたけど、なんか金に関係のあることなんだろうな〜としか理解できなかった
・同世代はみんな結婚して子供を産んで学資保険組んだり積み立てNISAとかしたりしてんだろうな〜と思う
・みんな賢くてすごい
・同世代が出世したり結婚したりどんどんライフステージを変えていることに全く焦りを感じないことにゾッとしている
・今年の目標 有給を余すことなく使う
・そういえば今日三段階アラーム後の3分アラームおかわりをしなかったからいつもより20分くらい早く出社できたな
・久しぶりにドレッシング別売りタイプのサラダと別売られてるドレッシングを買って食べたけど、思いの外美味しかった
・おそらく身体が野菜を求めている
・今年の目標 よく噛んで食べる
・グッドオーメンズ2の続きを早く見たいけど一話あたり30分以上1時間未満だから何の予定もない土日にしか見れない
・仕事終わって買い物して帰ってきて風呂入って洗濯してからしっかりストーリー性のあるものを見れない
・最近通勤中に読み始めた本がおもしろいから少しだけ通勤が楽しみ
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年度末の夕食会の提案F爺の受け持っている日本語講座の初級の某クラスの受講生一同が、「年度末の夕食会」をすることに決めたと言って来ました。「F先生も是非いらしてください」「勿論、参加しますよ」というわけで、日時は6月19日の講義の直後ということに決まりました。「会場は、どの店がいいかな」会場候補夕食会の会場の最初の候補は、F爺が却下しました。ウェブ検索してみたら、【耐え難い音量のバック・ミュージックを流す】という評判なのです。F爺先生に耐えられるはずがありません。その店を推奨した人が「テラス席を予約すれば店内の音楽は大して聞こえないはず」と言うので、改めて固く拒否しました。テラス席というのは、「店の前にテーブルと椅子を持ち出して設(しつら)えた席」のことで、店内と違って「喫煙自由」なのです。煙草の煙にアレルギーのある者は、そんな場所での食事は自殺行為です。「じゃあ、先生がどこかを推薦してください」ということになって、何年か前にB爺が教えてくれた店を提案しておきました。当日の講義当日の講義は、まず「箸」「茶碗」「汁椀」「皿」「小皿」「サラダ」「漬物」などの語彙を復習し、まだ教えていなかった「生物(なまもの)」「焼き物」「煮物」「和え物」「突き出し」などの言葉を説明しました。それから、家庭での食卓と料理屋の皿の並べ方とは異なること、鮨屋、蕎麦(そば)屋、天麩羅(てんぷら)屋、餃子(ぎょうざ)屋、一膳飯(いちぜんめし)屋などにはそれぞれの流儀があること、ヨーロッパの様々な料理の説明のために出現した「前菜」「主菜」「デザート」などの言葉・・・と続けました。講義が終わるころには、口々に、笑いながら「こういう内容の講義は、出席しているだけでお腹が空く!」と言っていました。お品書き当日は、全員が一緒に、徒歩で会場と決めた店に行きました。10分ぐらいの散歩です。予約してあった席に着いて、まずは、レバノン料理を食べたことの無い人のために、お品書きの説明が必要です。F爺が、「メゼ」(= アラブ料理圏の小料理)の組み合わせを推奨します。ところが、「それよりも、『4人様以上のためのメゼ多種類と焼肉多種類の組み合わせ定食』のほうが品数も多くてたっぷり食べられて良さそうだ」と言った人がいました。殆どの人がそれに同調しました。F爺先生もその仲間に加わることにします。同調しなかったのは、菜食主義の人が二人だけ。飲み物は、みんなが「レバノン産のビール」を所望しました。待つほども無く、まずメゼがやって来ました。# 葡萄の葉で米と挽肉をくるんで蒸し焼きにしたもの# パセリとトマトと玉葱を細かく刻んだサラダ# エジプト豆を煮て擂り潰したもの# 白い大きな豆を煮たもの# 砕いた小麦を煮て一旦乾燥させた後で混ぜ物に仕立てたもの# 青唐辛子を焼いたもの・・・など、9種類。「まあ、これ、全部食べ切れるかしら。この後で焼肉も来るんでしょ」この店のやり方を知っているF爺が事情を説明します。「この店は、『多人数様用の多種類組み合わせ料理』の場合は、食べ切れるはずの無い量のものを出す方針にしているの。後でお持ち帰り用のアルミのパックをくれるから、持ち帰りたいものは脇に退けておいて、今すぐ熱々で食べたいものだけ食べれば良いんですよ。高めの料金に見えるけど、二食か三食分になるから、実際には、とても良心的な価格設定」「えっ」「ええっ」と、みんな驚いています。後に続いた「焼肉多種類の組み合わせ」が、また豪勢でした。# 羊の腿肉# 羊肉のソーセージ# 鶏モツ# 鶏の手羽先# 鶏の笹身# バジリコと山羊肉の揚げ物# 仔羊肉の串焼き・・・と、並びます。幾つの言語が話せますか様々な味を少しずつ楽しみながら、いろいろな話題が弾みました。人数が多かったため「二つか三つの話題が同時進行」という状態だったのですが、一回だけ、全員がある質問に対するF爺の答えに耳を傾けました。質問は、「先生は、幾つの言語が話せるんですか」でした。最初の答えは、一言、「数えられません」「うわーっ」「はあーっ」「まあぁ」それから説明に入ります。【チェコ語とスロバキア語のように、また、クロアチア語とセルビア語とボスニア語とモンテネグロ語のように、近縁でお互いに通じ合うほど似通っている言語を幾つと数えるか、客観的な尺度が無い】【特定の言語がどの程度話せれば「話せる」と数えるかという尺度も、客観的に測定できるものは無い】【特定の言語の「格調高い標準語」しか話せない場合と「方言、幼児語、俗語、卑語、若者言葉その他までこなす場合」とを同列に扱うのは、正しいのか。これも決め手になる尺度が無い】全員が耳を澄ませていましたから、理解でき、納得できたのだろうと推定しました。お持ち帰り用のアルミ・パックもうフォークを動かしている人がいないと見て取った給仕が、F爺先生の予言通り(笑)、お持ち帰り用のアルミ・パックを持って来ました。F爺が率先して、欲しい物をどんどんパックに詰めて行きます。全員が同じ行動に移り・・・「ほんとだ。二食分には十分になるね」ということで、みんなの意見が一致しました。デザートは?給仕が戻って来て訊きました。「デザートは、いかがでしょうか」口々に、同じ意味になる声が出ました。「無理」「お腹いっぱい」「これ以上は、何も入らない」「三日分ぐらい食い溜めしたみたいな感じ」全員が満足して、お開き。徒歩で帰宅した時は、23時を過ぎていました。
日本語講座の受講生との夕食会 2023年6月 - F爺・小島剛一のブログ
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暑い暑いとため息ついていた8月も今日を入れてあと2日。暑いのは嫌なのに、夏が終わりが近づくとなんだか寂しい気にもなったり・・・
田屋道子さんより久しぶりに作品が色々届いています。小皿タイプは八角皿(ビオラ)、スクエア小皿・レクタングル小皿(キノコ)、初めて登場のオーバル小皿(小花)の4種類。お菓子や副菜など何を乗せようかと楽しくなる愛らしさです。
マグカップは広口マグ(キノコ・イチゴ)、ストレートマグ(アーティチョーク)の3種類。広口タイプは飲み物以外にもデザートやスープなどにも使いやすいサイズです。ストレートマグはたっぷり入るので飲み物入れて落ち着いてお仕事や作業させる時にも良さそうです。
ボウルはシンプルなボウル(キノコ)、花ボウル(ビオラ)、切立ち鉢のの3タイプ。サラダやスープ、煮物や小さな丼、シリアルなど便利にお使いいただけます。お好みのカタチを見つけて下さい。
前回も人気だったオーバル鉢(アーティチョーク)、レクタングル皿(アーティチョーク)、丸パン皿L(イチゴ)朝食から夜ご飯まで食卓で活躍してくれる大きめの器も揃っています。ぜひこの機会に色々手に取ってご覧になってみて下さい。
本日もありがとうございました。今週は土曜日までお休みなくオープンしています。お近くにお越しの際はお気軽にお立ち寄り下さいませ。
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワ���リには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も���切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツ���、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。
ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。
見てください、このクリーム色の黄身を!
”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会
運営・企画 HERB & COOKING KINA
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ザ・パークハビオ
江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴��が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
パークアクシスブランド レジディアブランド コンフォリアブランド パークハビオブランド プラウドフラットブランド パークキューブブランド アーバネックスブランド ルフォンプログレブランド カスタリアブランド オーキッドレジデンスブランド ディームスブランド ブリリアブランド 東京都心のブランドマンション 白金ザスカイ仲介 ワンルーフレジデンス田町仲介手数料無料 ザ・パークハビオ渋谷クロス仲介手数料無料 コンフォリア新宿イーストサイドタワー仲介手数料無料 パークタワー勝どき仲介手数料無料 HARUMI FLAG/晴海フラッグ仲介手数料無料 白金ザ・スカイ仲介手数料無料
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大隈美佳展は明日までです。羊と狼が追っかけっこするボウルもまだあります。
さて、昨晩のごはん。春キャベツと帆立のパスタ、トマトとモッツァレラのサラダ、など。これを載せた理由は、ワインの蓋。食事中に栓を抜きっぱなしで置いておくというのもね、という時に使うために作られた、木の栓です。空気が入らないように、ぎゅっと詰めるタイプの栓ではありませんが、必要最低限の仕事をちゃんとこなしてくれます。作っているのは、木漆工とけしの渡慶次弘幸さんによる木工部門「中山木工」。デザインはLUFTさん。空気のように寄り添って、でも無いと寂しい、あるとなんだか嬉しい仕事。カトラリーレストも併せてならべています。
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって、弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけど、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八潮PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。
⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o
穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。
神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のものは「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!
時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個人で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎょっとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。
子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。
い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺
ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウーロン茶の2択)が配られました。
司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行されたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕
蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめについじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出先で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つかるまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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2023/5/15〜
5月15日
今日は何もなかった。
今週1週間が長そうで、雨なのでいつも通り頭がずっと痛かった。
先日会った友人から、またぜひもう少し時間をとってゆっくり会おうね、とメッセージが来ていた。
昨日のお誕生日を祝った相手から、前回会ってお散歩したのはだいぶ前だしそろそろまた散歩でもしよう、的なメッセージも来ていた。
会おうね、って言って、具体的に何月ごろの週末都合はどうですか?と聞いてくれる人って自分以外あまり知らない。と、思ったら途端にひどく寂しくなってしまい、その2人を思い出すと2人ともちょうどよく眼鏡をかけてくれていたので、とりあえず眼鏡割っておこうと思う。
あのちゃんのラジオや出演するテレビ番組をみて、なんだかんだみんなあのちゃんに優しい感じで、実際のところはわからないけれど、でも少し昔から彼女を知っていた身からすると嬉しい気持ちになるのであのちゃんの出ている番組だけTVerで追ってしまう。オールナイトニッポンも聴いてしまう。
5月16日
今日も何もなかった。
夜中に目を覚まして、お湯を飲みたくて、ケトルからコップにお湯を入れようとしながら、はっきりとBluetoothスピーカーにお湯をかけていた(お風呂で使える仕様のはずなので大丈夫なはず…)。
そこから眠って、ちーちゃんの夢を見た。
ファミレスみたいな空間の中に私はいて、大きな窓ガラスの外にちーちゃんはいて、外は土砂降りの雨なのに彼女は傘もささず、店内に入ってこようともせず、ガラス越しに何か口を大きく動かしてしゃべっていて、微かに聞こえる声は「レポートがあるので帰りますね!」の様だった。
またも私は彼女にドタキャンをされてしまったみたいで、どこまでもよくわからん!と悲しくなった夢だった。
ブックレットの試作が届く。B5サイズって大きい。
そのほかにも写真展に向けてしたいことがたくさん明らかになってきて、昨晩頭の中が忙しくなってしまったので、日記に書き出してお昼休みを過ごした。
それとパソコンを持ち出して外で作業できるようにパソコンケースを買った。
急に町田まで行くことがとても遠くてそんなにもしたくない気持ちになってしまい、抽選で当たった今日マチ子の座談会をキャンセルしてしまった。
5月17日
今日も何もなかった。
大阪の友人のツイートを見て、また素敵なお洋服を見つけ、靴下くらいなら買えるかな〜とか、誰かのプレゼントにも良さそうだな〜とか思って、今週末に店舗に行ってみようと思った。彼女も情熱大陸見たのかな。
最近はNHK+で天気予報を見られるようになった。
見られるように、というのは、私の問題で、まだニュースはちょっと怖いので音無し。天気予報は明日以降の予報だけじゃなくて、今日の天気の振り返りをしてくれることを知る。今日の雨で辛かったり、突然の暑さや寒さで身体に堪えてしまったり、風が強くて不安になったり、そうやって過ごした今日の気候のことを、みんなそうだったんですね、と一緒に振り返ってくれる感じで少し安心する。
今日はエアコンをつけてみようかな。
5月18日
冷房に慣れていないのでお腹を壊してしまった。
温度湿度計とエアコンのフィルター掃除スプレーをAmazonで注文した。
無印良品のひんやり寝具シリーズが気になる。
行きと帰りに、木の枝の分かれたところに落とし物が置かれているのを見つける。行きは11ぴきのねこのマスコットで帰りはペンケース。
昨日はスーパーのセルフレジの間に落ちていた3割引のスパゲッティサラダ(サラダとは名ばかりの麺のマヨナーズあえ)を拾った。
展示の計画をイラレで考えたりして少し楽しい。
出張先でふと見つけた藤本壮介の東京アパートメントのことを2期下の方へ報告してみる。やっぱり同世代だと知っている方が多くて嬉しくて、永山裕子の情熱大陸の話もしてしまった。
1期下の方にも久しぶりに会えて、やっぱり彼女も目黒区総合庁舎の見学ツアーは外れてしまっていた。倍率高かったんだろうな。
最果タヒの百人一首の本で、月を見て悲しくなる歌のエッセイが良かった。かなしくなるということは、私は1人であり私であるということを認識できる感情。
明日から少し涼しくなるのかな。
5月19日
あれ今日も何もなかった。
やっと恐竜博へ行く予定を立てられた!
やっと11ぴきのねこのスタンプが届いた!
帰り道はとても土砂降りで、やっと雨予報だったゴールデンウィークの旅行用に買ったレインコートを着ることができた!
明日は富士フィルムのラボに行って展示する写真のデータやネガスキャンのことを相談したい。
その前にネガを探さないといけない。
いつまでも何も無い日が続いてしまうのかな。
昨日GoogleのAIチャットで少し遊んで、tokyomariegoldはセグウェイで通勤したり、生活や写真をしたり、インターネットのインフルエンサーだったりするという回答をもらった。
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