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#パレットくもじ6階催事場
eshiroma · 1 year
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去年は初しぼりを買い忘れた金陵。正月にパレットで偶然出会う。一晩でなくなりました。 #パレットくもじ #パレットくもじ6階催事場 #四国 #お正月 #讃岐うどんと四国味めぐり #西野金陵 (RYUBO パレット久茂地) https://www.instagram.com/p/Cm8O3Pov_28/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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lucks-things · 1 year
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この記事は、Ingress & Wayfarer Advent Calendar2022(その1)1日目の記事です。
はじめに
普段ブログ等の媒体を行使していないため、昔極たまに記録してたtumblrをこの為に掘り起こしてみました。Ingress ENL AGのRasmil7(a.k.a 楽さん)と申します。
2022年、今年もあっという間でした。
皆様今年はどのように過ごされましたか?
私が住んでいる沖縄県では、やはり人の動きが激しい&狭い県の為かコロナウイルスの流行に敏感になる日々を昨年同様に送ってた様に感じます。とは言え、ずっとコロナ禍とも言ってられない昨今。Ingress界隈では久々のリアルイベントが徐々に再開されてきましたね。直近の横浜アノマリーに思いを馳せる方々も多いのでは無いでしょうか。
そんな年の瀬に、12月3日 FS@Home in 沖縄 の開催を決定。今後の開催がされないかもしれないバーチャルイベントの方です。せっかくの残り僅かとなるであろうバーチャルFS開催の記念に、沖縄のIngress事情を踏まえたミッションを作成してみました。
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本記事ではミッションの解説等を出来ればと思っております。普段文章もそんなに書くことが無いため、拙い部分があるかと思いますが、少しの間お付き合いくださいませ。
設問&ルートは当FSのRES FL sakinoriyaが担当しています。彼なりのユーモア溢れる説明文や設問も要チェックです♪
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■1-6 おばけチキン
おばけ、と聞いてピンと来られた方はいらっしゃるでしょうか?
12月にFSをやろうと決心した際、「どうせなら何か企画をひとつ作りたい!」と思い、以前リアルイベントのFS(FS那覇 :2019.2月開催)でやられてたようなミッションを作成したいと考えました。
普段仲良くさせていただいており、ミッションメダル作成にも定評がある、RES AG:sasakenさんにお声かけし、メダルイラストを提供して頂きました。
■Question
台湾は電箱と呼ばれたポータルが非常に多くて迷いますが、本土から来たAgentが困った沖縄で多いポータル名とは? ※カタカナ4文字、ヒントはさっき回ったポータルです!
台湾の「電箱」私自身なんの事かさっぱり分からず調べたのですが、日本にもある電圧機等が入っているプラスチック製の屋外箱、これを「電箱」と呼んでるんですね!
どうやら台湾にはこの電箱がポータルになってる箇所が多い様です。地域ならではの不思議。
そこで我らが沖縄県ですが、沖縄の道中至る所に居ます。守護神「○ー○ー」が!
Ingress初期頃は母音を増やしたり、ローマ字書きにしたりと……色々と工夫してポータル申請を行ってたと良く聞きました(笑)
■2-6 おばけ靴下
■Question
このミッションのアイコンのおばけですが、このポータルの旧崇元寺は沖縄戦の激しい戦火で建物は喪失していますが、敷地に入ると“幸せを呼ぶ精霊”とも“いたずら好きの妖怪”の気配がします。その精霊もしくは妖怪の名前は? ※カタカナ5文字で!
おばけイラストにマジムン話の設問を掛け合わせてくるセンスに脱帽!(沖縄では、おばけや妖怪は、方言でマジムンと呼ばれてます)
そんなマジムンの中でも1番有名なのが、「キジムナー」ではないでしょうか。子供みたいにイタズラ好きで、幸せを呼ぶとも言われています!本土で言う「座敷わらし」と似たような感じですね。
■3-6 おきなわ
■Question
沖縄は海に囲まれていて、沖縄本島を囲むBAFをしやすいですが、それを一人でやっちゃおうと初めに思っ���実行して成功させた陣営はどっち?
RESまたは、ENLで回答してください。
「オキナワ」という文字メダルにちなんだ設問。こちらの作戦は「Op.ひとりでできるもん」という作戦名でした。本当に1人で海を渡りやってのけてしまったので、当時は「女帝」と呼ばれ当然話題になりました(笑)今でも現役バリバリの素敵なAGさんです。
■4-6 エフエス
■Question
FSといえば、クロスミション!首里城復興を願って、青と緑で首里城アートを作成しましたね。そんな首里城の木曳式も終わり、復元工事がスタートしましたが、首里城正殿の復元予定は西暦何年?※数字4文字で!
「エフエス」という文字メダルにちなんだ設問。2019年10月末日に火災で消失してしまった首里城の復興を祈願して、その年の12月にXFでフィールドアートを行ったというものです。私は当時仕事で不参加だったのですが、沖縄AGの軌跡がフィールドに表現され、その後の打ち上げでお話を沢山聞いて胸が熱くなりました。参加したかった!
実はこちらも首里からスタートするフィールドアートの記念ミッションがライブしております。
首里城正殿の復興は2026年予定。何度も燃えて復興する首里城ですが、次はどのような形で蘇るか楽しみですね!
■5-6 てぃだプレゼント
おばけ、文字、につづき、沖縄のレッサーパンダ、てぃだくんの登場です。サンタ帽がとってもお似合いですね。てぃだくんは過去にFS那覇に参加してたりしました。皆さんの手元にもBiocardがあるかもしれませんね?
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■Question
沖縄でもノヴァが流行りましたね!青チームは、2021年 「Op.ハッピーターン」があり、緑チームは、2022年 「Ops.神輿は軽いほうがいい」がありました。では、この二つのノヴァ本数を合計すると何本?a,b,cのいずれかで答えてください。
a.2281本 b.4430本 c.6711本
しかし二つ足しても日本記録の 2020/10/17 逗子(神奈川) ENL 7,913 超えないんだね~。
IngressのAGさん方のオペレーション名のセンスは一体どこから湧いてくるのでしょう。
「Op.ハッピーターン」好物のハッピーターンから来ているようです(笑)
翌年に「Op.神輿は軽い方がいい」が実行。(実はこの「神輿」という字が読めずに、しん?こう?とずっと読んでおりました、恥)
RESの本数越えを目指して、ENLも大奮闘!
と、この2つの作戦を合わせても本土の本数には及ばないようです。皆さん、次の作戦は8000本超えを目指しますか?(笑)
■6-6 てぃだサンタ
■説明文
ハイサイ!Agent の皆さん!! 青と緑が切磋琢磨するって素晴らしいね! お互いがあるから相手を超えようと頑張るよね!! さぁ最後のミッションです! ジン~ジン~ジングルベル~、ジンがネ~ラン~♪ サンタさんからのプレゼントを期待して、最後のひと踏ん張り! 美栄橋郵便局がゴールです!
ジングルベルからのジンガネーラン♪
解説させていただくと、「きいやま商店」という沖縄の大人気ロックンロールバンドの楽曲のひとつになります。
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気分をあげて華やかなイルミネーションが素敵な久茂地にラストスパートかけていきましょう!
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■Question
サンタさんからのFSミッションは楽しんでいただけましたか?最後にこのミッションのルートは、沖縄県民大好きフードをイメージして作っています!ほら皆さんの近くにもきっとあるはずです!いまだってすぐそばに! または手に持ってるかも(笑) 沖縄県民大好きフードはなんでしょう?※カタカナで答えてね!
ラストのポータル、美栄橋郵便局はデパート パレットくもじの1階にあります。おや、その隣にはかの有名な、カーネルなサンダースな方が。あの、おばけが持っていたものと同じ物が食べれそうですね!🤤🍗‪
クリスマス問わず、沖縄県民はお祝い事には、こぞってこちらのフードをバケツ買いをする風習がありますよ!
終わった頃には、シーサー像の上に乗って、チキンをほうばるキジムナーの姿が見れるかもしれませんね?
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最後に
Ingress10周年という記念イヤーに何か出来ないかと考えた結果、前年度の経験もあるFS@Homeぐらいであれば、私自身も出来るのでは!と思い立ち、今回、主催の手綱を握らさせて頂きました。恐らく私のAG人生で一番最初に交流させて頂いたイベントがFS組踊(2016年11月)であり、その際に沖縄AGの交流の深さを知りとても感動したので、私自身にとってはFSというイベントに対してとても思い入れがあります。私事ですが、今年2月のクレーゼエフェクトアノマリー当日に出産を迎え、育児に忙しい日々を送っております。育児片手間で大変微力な事は重々承知ですが、私が沖縄で経験したFSで体験して楽しかった事を、新人のAGは勿論、@Homeの特性を活かして、県外のAGの皆様にもお伝え出来ればなと思っております。
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きたる!12月3日 13時より YoutubeLiveにて、
沖縄のAG2人(AgentOlympiad2018出場者)がメインMCとなり、楽しくIngressのアレコレを「ゆんたく」します!
ゲストにはファミ通Appのライター深津庵さんをお招きしました。
子供のお世話片手に、リチャージ片手に、これまたオリオンビール(昼飲み?)片手もよし!
皆々様、この放送で再びIngressへの気持ちを盛り上げて、その熱量を横浜アノマリーEpiphanyDawnにぶつけませんか?
皆様のご参加、心よりお待ちしております。
Ingress FS@Home in 沖縄 への参加はこちら
P.S.
メダルイラストを提供頂いたsasakenさん、並びにミッションを作成して頂いたsakinoriyaさん、ありがとうございました!この場を借りて御礼申し上げます。
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yamanaka-lab · 1 year
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2022建築レビュー#6
-建築レビュー#6(設計者:Haworth Tompkins)発表者:後藤(M1)講評者:池部-
建築レビュー第6回はHaworth Tompkinsを取り上げた。
1991年に建築家グラハムハワースによって設立され、ロンドンで活動する建築家集団である。
再生可能な実践、生態系境界線を壊すことなく建築物に対する社会のニーズを満たすという枠組みによって、従来のサステナビリティの概念を再考している。主に既存の建物の改修・保存を行っている。保全と遺産 、歴史的文脈指定を制約としてではなく、豊かさと可能性の付加的な層として捉え設計している。
事例1『Bristol Old Vic』
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このプロジェクトは2018年の前面道路側の計画であり、グルジア劇場の新しいファサード改修とパブリックスペースの提案である。
2012年にオーディとリアムの改修を行った。ロンドンで最も古い歴史を持つブリストル・オールドヴィック劇場の、第一級建造物である劇場正面スペースとスタジオシアターブリストルの市民生活と公共空間の中心に劇場を繋げることを目的としている。
既存と提案
左部分オーディとリアム側の床を減築し、スタジオ部分に床を積層させることで、壁がむき出しになりそこに新しくエレメントを挿入している。また、右部分のロビーを減築しホールを作る。既存のスタジオがあった場所にパブリック機能を付加している。
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空間の中心は、ジョージアン様式の講堂の大きく変化したファサードで、通りから初めて見ることができ、新しい開口部によって歴史的な改造の痕跡が上書きされるようになっている。
ホワイエは、街路の延長線上にあり、屋根のある広場であると同時に、独立した建物であることを意識。この空間は、構造材とガラスによってフレーム化され、覆われており、部屋の奥まで日光を取り込むことができる。
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内側からの視点
オーディとリアムを閉じ切らない操作
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中二階のギャラリー、曲がりくねった木製の階段、展望台は、ショーの前後に観客全体が上下左右に移動できるようにし、ホワイエはカフェ、バー、集会所として地域の人々に一日中楽しんでもらえるように設計されている。
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南側に面した通りのファサードは、パブリックアート作品として構想され、手で操作できる可動式の日除けシャッターに、1766年にギャリックが行った就任演説と、ブリストル市の元詩人マイルズ・チェンバースの詩のテキストを組み込んでいる。劇場の長い歴史の重要性を強調すると同時に、現在および将来の地域社会全体の生活における劇場の役割に期待している。
メインホワイエに加え、新しいスタジオシアターは、1階と地下の旧クーパーズホールの樽貯蔵所を利用し、歴史的な壁面を生かし、通りの窓から日光が入るようになっている。1階にあるオリジナルのCoopers' Hallは、通りを見下ろす大きなパブリックルームに改築され、ホワイエの延長として、多目的ルームとして機能する。
事例2『Punch drunk』
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ロンドン南東部にある劇団の新拠点、仮設エントランスパビリオンでオフィスとしての機能する。
仮設パビリオンは「One Cartridge Place」と呼ばれ、ショーを開催する3つの指定建造物の間の車道を横断し、エントランスホワイエ、ボックスオフィス、公演中に建物をつなぐ内部通路が含まれている。
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グレードIIに指定されているキヤノン製造倉庫の「寄り棟」部分にクロークとトイレを設計し、仮設パビリオンに接続している。
Punchdrunkの最初のオフィススペース計画や、倉庫内の中核となるショーのインフラをサポートし、ショーのデザイナーであるLivi Vaughanと共同で防火区画、中二階、空調、エレベーターなどの技術計画を作成した。内部レイアウトは、このビルが初めて完全にアクセス可能になるように開発された。また、この工事は非侵襲的かつ可逆的であることを意図している。
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一時的な寿命と、歴史的建造物や凹凸のある路面との接続ディティール
軽量な木造フレーム構造は、砂袋の基礎システムによって支えられた内部の床レベルを複雑に交渉している。ポリカーボネートと鎖帷子の装飾が施されたリンクビルの素材パレットは、隣接する第二級産業建築の重要性を認識させ、同時に陽気で快適な目的地であることを告げている。
事例3『Battersea Arts Centre』
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コミュニティや劇場で使用するための市庁舎の文化施設への再生を行っている。
バタシー・タウンホールは、1893年にE・W・マウントフォードが設計したロンドン南西部の美しい作りの市民会館で20世紀初頭の参政権運動や労働運動の誕生に重要な政治的役割を果たしたことからグレードII*に指定されている。1974年以来、このアートセンターは、英国で最も重要な新しいパフォーマンス作品のインキュベーターのひとつとみなされている。
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2015年に建物の一部を焼失した、火災後の大ホールの再建
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赤煉瓦部分が既存で、白いレンガ部分が補強された部分である。
光井戸を選択的に剥がし、補修することで新しい公共の屋外中庭パフォーマンス空間を作り出したり、使われていない屋根裏や屋上を組織のオフィスや庭に転用したりすることが含まれている。
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建物の既存の豊かさとアーティストによる使用パターンを活用している。
即興的で侵襲性のない改造が数多く行われ、変化のための戦略を試し、遊び心がありながらも厳格な建築言語を発展させてきた。
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以前の装飾的なしっくいの丸天井であったが、新しい木製のグリッド天井を作り、演劇の可能性とはるかにクリアな音響を可能とした。
ホールとその周囲の廊下の壁の表面は、ポンペイの火災後の豊かさと複雑さで保存されている。
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劇場用の建物を、既存の劇場観客の市場占有率を競うような個々の存在としてではなく、コミュニティ全体が利用でき、かつ有意義な、多様で複合的な市民空間として捉えることができる「文化的コモンズ」の確立に向けて利用させることを望んでいる。
私は、〈Bristol Old Vic〉に関し、空間の中心のヴォイドにおいて、講堂のファサードが内側に覗かせていると感じる。この構図が内側に都市が拡張されているような感覚を彷彿とさせていると感じさせた。さらにそれら“旧”の要素に対して、 “新”のマテリアルを組み込んで空間を構成していることで、歴史の痕跡が浮き彫りになって鮮明に見えるように感じた。総じてあらゆるマテリアルを組み合わせていることで空間に新しい秩序を付与していると考えた。
また、〈Battersea Arts Centre〉では、火災で残った市民会館の赤煉瓦の壁面を補強する形で、対比となるような白いレンガを用いて一つの壁面を再構築している点が何か、保存(歴史の保存/構造の保存)を目立たせて 行っていると感じた。さらにもともと劇場用であった空間の丸天井に対して、音響効果の増加が期待できる木製のグリッドを用いて天井に新たなスキンを付与している点も、環境設備という面からの旧マテリアルへの新しいアプローチであると感じた。
山中は、Bristol Old Vicが魅力的だと述べ、背面の壁はストリートに面していないから雑に作った可能性があると捉えた。
今回は素材的な意味で旧の部分が荒々しく感じる、と述べた。
引用
Archdaily https://www.archdaily.com/910720/bristol-old-vic-haworth-tompkins
https://www.archdaily.com/983679/punchdrunk-entrance-pavilion-haworth-tompkins?ad_medium=office_landing&ad_name=article
https://www.archdaily.com/910491/battersea-arts-centre-haworth-tompkins?ad_medium=office_landing&ad_name=article
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trumpq · 3 years
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【パトリック・バーン】 2021/2/4 23:55 JST
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https://www.deepcapture.com/2021/02/how-djt-lost-the-white-house-chapter-4-the-christmas-doldrums-december-23-noon-january-6/
ディープキャプチャー DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか 第4章:クリスマスのドルドラム(12月23日~1月6日正午 私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間、それぞれの世界に旅立ったが、マイクが旅立つ前に私たちは会話をした。この機会に、マイク・フリンについて少しお話したいと思います。私は現場で働いていた人たちからフリンが何をしていたかは知っていました。
※以下、4章の和訳。マール・ア・ラーゴ。激励会。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか、第4章:クリスマス・ドルドラム (12月23日~1月6日正午)
2021年2月4日 14分読む
私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間でそれぞれの世界へと旅立っていったが、マイクが去る前に我々は会話をした。この機会にマイク・フリンについて少しお話したいと思う。
現場で働いていた人から、フリンが沼の敵になるべく何をしたのかは知っていた。彼がイラクに到着したとき、空襲で得た物資は袋に束ねられ、「搾取」および分析のためバージニア州へ出荷され、また1、2ヶ月後に有益な情報が最前線の部隊へ戻された。フリンは起業家のように世界を見ており、プロセスを再設計することに着手した。搾取と解析をイラク内に基づいて行うことで、ループは18時間に短縮された。次の夜に人々が襲撃に出かけるときは前回の夜の働きから得た洞察を理解した状態だった。
最終的にループはとてもきつくなり、夕方とある場所での襲撃が、夜通しの調査によって、資料が作られ、夜明け時にまだ進行中の襲撃について報告するようになったのだ。私が知っていて信頼を置く、現場の人々が言うにはフリンという男には賞賛者もいれば、反感を持つ者もいた。反感を持つのは主に昔の少年のようなアプローチに慣れている人たちが中心で、彼が物事を揺さぶり、諜報機関の快適なやり方に現代的なアイデアを持ち込んでいることに不満を持っていたのだ。キャリアが進むにつれ、フリンのエスタブリッシュメントに対する分裂は伝説的なものとなったが、私の経験では、私が知っている明るくて元気で使命感のある連邦職員と思われる男女はフリンのことをよく褒めていたし、中道派はフリンを嫌っているように見えた。
しかし、マイク・フリンと一緒にいることで、彼のことを初めて知った。例えば、61歳のマイクは生涯民主党員として登録されていたが、アイリッシュ・カトリック系の、ボストン南部の北プロビデンスのジャック・ケネディ的な(現代の左翼的な「憲法をズタズタにしてしまおう!」というタイプではない)人物だった。彼は憲法に造詣が深く、私が知っている中では(私以外にも)数少ない、会話の中でフェデラリスト・ペーパーズを番号で引用する人物の一人である。アメリカの現代戦争について議論するとき、彼はチョムスキアンのような口調で、アフガニスタンとイラクでの戦争は15年前に終わるべきだったが、戦争を支援する企業に何千億、何兆ドルもの資金が流れ込み、その資金の流れから利益を得ている企業はとても太っていて、多くのロビイストを雇っていて、戦争を継続させるためにDCで戦っている、と話した。我々は冗談を言い合った、戦争はただの、「もう一つのワシントンがDCを、アイスクリームコーンが自分を舐めるようなのもの」だねと。
言い換えれば、『捕獲』。時々、私と同じように、全く異なる背景を持ちながらも、国家としての問題の根底にある争点を認識するようになった人に会う。その問題とは、強力なエリートたちが、政府の意思決定のサイクルを捉え、自分たちの私的な目的の方に変えてきたということだ。異なる経歴、異なる人生経験を持ちつつも、この国の何が間違っているのかという同じ根本的な分析に辿り着いた事実が、私の新しい相棒が正しい男であることを示してくれた。
「将軍、一体ここで何をしているんですか?」というような会話を何度も何度もした。
クリスマスは一人でDCにいたが、トランプの軌道の誰かから電話がかかってきた。電話の相手が言うには、フロリダに降りて、マール・ア・ラーゴの近くのどこかに行くべきで、それからトランプ氏ともう一度、10分程度の短い会談ができるように手配されているという。私はその時点までに、トランプ氏は健全な人々の話を聞いておらず、ある意味では大局を見落としていると完全に確信していたので、その招待状を受けて、DCからフロリダのマ��ル・ア・ラーゴから数マイル離れたホテルへと向かった。私はチェックインし、連絡を待った。
ほどなく、実際にどれほど緊密な関係にあるのかは知らないが、トランプ氏と公に関係している有名な人物から電話がかかってきた。その電話に出ていたのは彼の同僚で、彼らは私に「マール・ア・ラーゴに行って、『アイリーン』(罪のない人を守るために別名にする)を呼んでくれ」と言っていた。アイリーンの苗字を聞いたら 「アイリーンを呼んで来い」と言われ、アイリーンの役職を聞いたら「アイリーンと言ってくれ」と言われた。「出来るだけ早くマール・ア・ラーゴに行って、アイリーンを呼んでくれ」。私は、そのようなやり方で仕事をするのは本当に嫌だ、行く前にもっと知りたいと答えた。するとまたしても断固として「マール・ア・ラーゴに行ってゲートに行ってアイリーンを呼んでくれ」との返事が返ってきた。「準備はできている」とのこと。不安を抱きながらも、自分の最高のヨガウェア(他のものはクリーニングに出していた)に身を包み、マール・ア・ラーゴに向けて出発した。Uberに電話してみると、乗っていたのは数年前の古ぼけてボロボロのトヨタカローラだった。
マール・ア・ラーゴの門に到着した私は、カローラを道へ送り出した。シークレットサービスの警備員に近づき、アイリーンに会いに来たと言うと、連邦捜査官はみな信じられないような顔をした。「アイリーンって誰?」彼らは尋ねた。「知らない」続けて「アイリーンに会いに行くように言われただけだ」「私は大統領と短い会議をする事になって」「呼ばれてここに来て」「アイリーンを呼んでくれと言われた」と答えた。「アイリーンって誰だ?」 と言われた。またしても私は知らないと答えるしか無かった。シークレットサービスの捜査官のせいではなく、彼らの混乱と義務感のせいで、会話はそこから急降下した。私はこの状況を助けられなかったのかもしないが、捜査官の一人が軽い中国訛りの女性であることに気付き、状況を落ち着かせてラポールを確立しようと、彼女と北京語でラップを始めた。かなりの時間話したが、他の捜査官の緊張感は増すばかりだった。その頃から、私は、この状況を打開して逃げ出し、電話で解決するのが最善の方法ではないかと考え始めもしたが、エージェントたちは許してくれなかった。
やがて、監督するエージェントがやってきた。彼は、一度会っただけで、相手にする人間ではないとすぐにわかるような人物だった。彼はまだきちんとしていたが、かなりの攻撃性を持っていた。「もう一度始めよう。我々はあなたの話を知りたい。あなたは誰で、ここで何をしているのですか?」
何から話せばいいのか分からず、私はこのように始めた。「20年前、オーバーストック・ドットコムという会社を始めました。私の名前は…」彼は「そうだ、君はパトリック・バーンだね」と笑いながら中断した。突然、私は、トヨタのカローラ、私のヨガの服、中国の....、を手に入れた。免許証を見せて、今度は全てが一致した。そして、フリンとシドニーと私の活動が注目されていることにも気がついた。それまでは自分たちがやっていることがどれだけ注目されているのかよくわかっていなかったが、ちゃんと意味をなしていたのだ。
いずれにしても、シークレットサービスのエージェントは親切になったので、私に頷き、何人かは私が敷地外に出て橋を渡り、別のUberに乗ることを許可してくれ、「あなたのしていることに感謝します」と言ってくれた。
私はさらに数日間、状況が改善されるのを待っていた。一度もなかった。しかし、その間、私はマール・ア・ラーゴの群衆の周辺にいたし、何百もの共和党のプー・バーの家族が休日のために集まって、周辺のホテルのほとんどを占拠していた。共和党の大物とその権力者たちの周辺で泳いでいるうちに、すべてのことの本質を感じることができた。そこには、イベントだけでなく、アイデアについても深い会話を交わすことができる、素晴らしい若者や知識人が何人かいた。私と同年代か少し上の女性で、フォーチュン50社の元役員で、定年退職した人がいたが、その人はとても強くて、有能で、知的だった。そして、私が見た限りでは、他の人たちは無法者だった。ピカピカの車に乗っている人、うるさくて不愉快な人、自己中心的な人、好事家、気取り屋、詐欺師、詐欺師、プラスチック・ファンタスティックの妻や夫やドイリーの子供たちは、自分たちが奪われたと感じるどんな話題においても公然とワインを飲んでいた。炎上していても小便したくなるような人間はほとんどいない。私が見なかったのは、信者、ビジョンを持っている人たち.... あるいは計画を持っている人もいなかった。
大晦日の前日、ジョージアの男から電話があった。フルトン郡(アトランタのある郡)では、郡の選挙活動が「イングリッシュ・ストリートの倉庫」と呼ばれる場所で行われていることはすでに知っていた。アンティファの女が500ドルで倉庫に潜入して写真を撮り、白紙の投票用紙を押収した。これらの投票用紙は、法医学的に検査された。私は、元旦に働いてくれる連邦政府認定の法医学文書検査官(この分野の古株)を2人手配して、大晦日にジョージア州に行った。
ジョージア州では、この取り組みに関わった何人かの人の家に泊まった。私が初めてジョバン・ピューリッツァー氏に会ったのはその時だ(私のサイバー仲間とジョバン氏の間には数週間前から連絡があったようだが)。また、マイクロソフトの上級セキュリティ専門家も同席していた。ジョージア州サバナでの集計作業で状況を把握していた人物だ。この人物によって、集計機には無線カードが入っていること、壁にはスマートサーモスタットがあり、そのサーモスタットは投票機に無線で接続されていたことが判明した。さらに調査すると、チャイナテレコムの誰かがインターネットを経由してスマートサーモスタットに接続し、投票機に接続していることが確認された。サイバーセキュリティの専門家は、選挙マシンの衝撃的な脆弱性、10年から15年前のOSソフトウェアで動作する傾向、そして一般的には技術がいかにスイス・チーズであるかについて、残りの時間を費やし語ってくれた。我々は真夜中まで脆弱性のカタログを作成していた。
元旦の午前3時にフリン将軍からメールが来た。彼はまだ仕事をしていた。彼はソーシャルメディアに公開された写真を送ってきた。マール・ア・ラーゴでは、ルディと側近たちが新年に沸き立っていた。ルディ、ドン・ジュニア、キンバリー・ギルフォイルがシャンパンを飲んだり、踊ったり、1999年のようにパーティーをしている写真がソーシャル・メディアを駆け巡っていた。またしてもフリンと私は呆れたような沈黙の瞬間を共有した。
元日は、連邦政府公認の法医学文書検査官の研究室にいた。彼の同僚が夜通し車を走らせそこまで運んでくれたのだ。検査官らは静かでプロフェッショナルだったので、私は彼らに仕事を任せた。1時間後、報告によると、投票用紙のうち2枚はある印刷所で印刷され、もう1枚は別の印刷所で別の用紙、別のインク、別の印刷方法で印刷されていた。郡が2つの異なる印刷所に投票用紙を注文した可能性は非常に低く、これは少なくとも1つの投票用紙が偽造であることを示していた。
ジョージアの男はアトランタの倉庫を監視していた。望遠レンズを持った奴らが撮影していた。許可を得て、発見したものに短い説明をつけてツイッターにあげた。数時間後、レンタルされたエンタープライズ社の引越しバンが���庫に到着し、投票用紙のパレットがバンに移された。
次の日、隣の郡のシュレッダー会社は、裁断するので取りに来てほしいとの依頼の電話を受けた。呼んだトラックは、約3,000ポンドの投票用紙でいっぱいになった。支払いは「ドミニオン投票」からの人物によるカード払いだったと確認されている。裁断用トラックは走り去った。どういうメカニズムかは説明しないが、その裁断用トラックは妨害されて、作業が中断され、最終的に1万ポンドの裁断物が地元警察署の床に捨てられた、そうだから、証拠の連鎖があるのだろう。裁断物の約3,000ポンドは投票用紙だった(残り7,000ポンドは先客からのもの)。ドミニオン投票の従業員が注文した裁断方法は、通常の裁断(物を長い短冊状にする)ではなく、特別な方法(物を紙吹雪にする)でもなかった。それは、超超軍事級で採られている、投票用紙を裁断した後に砕いてドロドロにする方法だった。
アトランタのDHS(※国土安全保障省)の捜査官が到着し、指揮を執った。裁断された投票用紙の中には、完全に裁断されていないものもあった。実際、数枚はゴミ箱の壁にくっついていて丸ごと残っていた。さらに、私が聞いた話では、投票用紙箱の外面に残った領収書と出荷ラベルも発見された。これらの領収書と出荷ラベルは、中国南部にある中国の印刷屋から送られてきたものだった。DHSの捜査官がこれらをすべて入手したという(そして、その特定の仲介人は、中国の問題に精通していると聞く)。
その瞬間を「T=0」と呼ぶ。アトランタからの継続的な報告をもとに、次の2日間の展開をご紹介する。
・T + 6時間。ルディ・ジュリアーニが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 9時間。マーク・メドウズが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 18時間。FBIが引き継ぎのために現場に到着する。DHSは抵抗。 ・T + 24時間。問題のDHS捜査官から政治的な圧力を受けていることに非常に不快感を抱いている、というメッセージを受け取る。私の理解が正しければ、マーク・メドウズ本人(ホワイトハウス参謀長)から電話があり、調査を手を引くように言われたという。私がただの傍観者としてそのメッセージを受け取っていたのか、それともDHSの仲介者が、私がそれについて何かできるかもしれないという誤った希望(例えば、大統領に知らせる)を抱き、意図的にそのメッセージを寄越したのかどうかは、はっきりとはわからない。 ・T + 36時間。FBIが作戦の主導権を握る。FBIはシュレッダー会社を呼び戻し、1万ポンドを引き渡し、裁断を完了させ、その後、通常業務を続けるよう指示をした。すなわち、裁断された素材は、水と酸を混ぜて、溶け、再編成されてしまった。リサイクルペーパーとして。
上で話したような物語の様々な側面は写真やフィルムに記録されている。
その間、私はDCに戻っていた。私はまだトランプ氏ともう10分でも話をしようとしていた。もし、1月6日に負けるのを待ってから我々のプランを試しても、それは負け惜しみにしかならない、と繰り返し言っておきたかった。しかし、まだ数日の猶予が残っていて、もし彼が引き金を引くなら、問題のある6つの郡についての回答を得られるだろう。我々が1月6日前にそれを完了すれば、上院は情報に基づいた選択をしてくれるかもしれないし、1週間猶予を与えてくれるかもしれない等々……
ここで重要なサブストーリーを一つ挿入しておく。当時、ちょうど大統領に近しい様々な人たちと一緒に泳ぎ回っていた頃、トランプ氏の側近に非常に近しい人物からあることを聞かされた。それは、メラニアは政府高官から、もしトランプがもう一期務めるならJFKのようになるだろう、と通告されているのだと。シークレットサービスの誰かが「我々は守りきれないだろう」という意味で警告したのかもしれない。脅迫の中には、もう一人の家族も含まれていたそうだ。シークレットサービス自体がそんなことを言うとは信じがたいが、私にとってその情報源は、他の点は汚れのないものだったし、メラニアにこのようなことを言ったのが誰であれ(おそらくシークレットサービスか、おそらく他の誰か)、そのような主張を真面目に受け止めてもらえる人物だったのだ。メラニアはドナルドに対し、戦わないように、そしてシンプルに負けを認め家族と一緒にワシントンから出て行くようにと懇願していた。
フリンと私は再びDCで一緒になり、1月6日が近づいてくるのを、イライラした鷹のように見守っていた。私は何度かインタビューを受けたことがあるし、少数の演説でも次のように主張してきた「私たちは暴力を振るわないし、その点他の奴らよりも優れている。もし暴力をふるえば負けだ。」と。あまりにわかりきったことだと思っていた。
私は集会を企画する「ウーマン・フォー・トランプ」から、1月6日の朝、南芝生での講演に招待されていると知った。私は要点を2つに絞って話に備えた。第一に、被治者の同意する我々のシステムがいかに、自由で、公正で、透明性のある選挙に依存しているのか、ということ(11月の選挙はそうではなかった)。第二に、我々は暴力をふるわない、ということだ。(※追加注:『被治者の同意(consent of the governed)』とは、公権力・国家権力を行使する政府の正統性や道義性は、その権力が行使される対象である人民ないし社会によって同意される場合にのみ、正当化かつ合法化される、とういう政治的概念。)
非暴力についての要点を考えるにあたり、私はどちらの方法をとるか迷っていた。
・ジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドから非暴力に関する話をする(ディープ・キャプチャーにも書いたことがある:『ジェリー・ガルシアの対峙と「主立ったクソ野郎」について』)
・モルドバについての話をする。数年前に行ったことがあるのだが、バーテンが2009年の選挙の話をしてくれた。選挙の不正が原因で親プーチンの男が当選したが、人々はそれを知っていて抗議の声を上げていた。プーチンは、首都キシナウに何百人もの男たちを派遣していたが、彼らにはある任務があった。プーチンの男たちは、抗議が起こるたびに、抗議を暴力的なものにすることを目的として抗議に潜入し、政府の建物の前で抗議をするだけでなく、抗議をしたり、窓を割ったり、占拠したりしていたのだ。モルドバの人々はとても賢いのでプーチンの策略を知っていた。プーチンは、双方が、モルドバの中産階級という観客のために演じており、抗議者を挑発して実際に政府の建物を襲撃させることができれば、中産階級をうんざりさせ、大衆の支持を失うことになることを理解していた。モルドバの人々は、自分たちを律し、自分たちがそのような道に導かれることを拒み続けてきた...そして最終的には、政府は屈し、新たに公正な選挙が行われ、プーチンの取り巻きが大敗した。その話も書いた:『全米の民兵へのメッセージ、チンピラ左翼と工作員について[ランジェリーではない]』
ホワイトハウスの芝生の上で、どちらの話を使うか迷った。5日になって、私は群衆はジェリー・ガルシアが誰だか知らないかもしれないと判断したので、その話をオンラインで書き上げ、DCに到着した群衆に数回ツイートし、1月6日の朝、演説に使うと決めたモルドバの話について簡潔に説明するリハーサルをした。
マイク・フリンも講演すると知らされていたので、マイクと私は、お互いに何を言おうとしているのか、群衆は何を聞く必要があるのか話し合った。この機会がユニークで歴史的なものだと認識していたのだ。おそらく30分で、選挙を混乱させ、結果を変えてしまった可能性の高い不正行為を世界に向けて説明しなければならないだろう。我々はその挑戦に応えるために準備をした。サイバー忍者や科学者など、一緒に仕事をしていた彼らもまた、簡潔に説明できるよう備えていることは理解していたが、その中から誰がスピーチをするかは主催者側が決めることになっていた。
マイク・フリンと私は、1月6日の朝はこのような流れになると考えていた。演説は、ホワイトハウスの南芝生で行われる。マイク・フリンは「人々の将軍」として、この瞬間を歴史的な文脈に置いて話をする。私は、自由、公正、透明性のある選挙の基本的な意義について、それからモルドバの話をする。その後、2-3 人のサイバー忍者や科学者に交代し、それぞれが 5-10 分間ずつ話し、市民の良心を悩ませるべき不正の最も明らかな点を説明する。私は経験から、彼らのうちの一人が5分から10分も話せば、良識ある人は2020年11月の選挙について重大な疑念を持ち始めだすと知っていたが、3人が話し終えた後、世界中の視聴者の80%は2020年の選挙結果がなぜ無視されるべきなのかを理解するだろうと思った。
その日の夕方、私が話すと予想していた科学者の一人から電話がかかってきた。彼は、自分の講演枠がキャンセルされたと知ったので、DCには行かないということを知らせたかったのだそうだ。その科学者は非常に物腰が柔らかく、教授のような人で、心を開いて話を聞いてくれる人には説得力があると思っていたため、私は戸惑った。11月3日の週に起こったことに深く懐疑的であるべきだと、何百万人もの視聴者を説得するために、彼よりも良い仕事ができる誰かを見つけたのだろうかと考えた。
1月6日の朝、フリンと私と他十数人でホワイトハウスの南側に歩いて行った。 特別な手配がないことに驚かされつつ、人ごみの中を必死で駆け抜けた。我々二人はスピーカーバッジを渡され、前方の特別席に着席して....その後、自分たちの講演がキャンセルされたことを知った。我々は控えめに言って途方に暮れ、我々と同じように状況をなんとか説明できる誰かがいるのだろうかと驚いていた…
ショーが始まり、すぐにフリンと私は絶望のあまり席に沈んでしまった。トランプの子供の一人が立ち上がり、ガールフレンド、あるいはボーイフレンドに「ハッピーバースデー」を歌った。ルディが立ち上がって、ジョー・フレージャーが投票したことについて、また話をした。別の弁護士が立ち上がって話した。ドン・ジュニアが立ち上がり、胸を膨らませてステージを闊歩し、共和党のブランドがトランプのブランドになったとか、トランプのブランドが共和党のブランドになったとか、ブランディングの話をしていた。その頃、フリンと私は目が合うと、互いに恐怖の表情を見て取った。後で判明するに、どちらも、この場を離れたいのかどうか尋ねており、互いに誤解したようだ。(※フリンの様子が?ステージが?)あまりにもひどかったので、主催者の中で分別のある人が心変わりし、フリン将軍にステージに立つかどうかを聞きに来たのだが、辞退した。悪ふざけが1時間以上続いた後、トランプ氏が登場し、選挙イベントや激励会と同じように話した。実際、全体は多かれ少なかれ、「私は権利を奪われた」を推す会だった。群衆に向けて、1時間後に投票を始める上院議員たちに向けて、自宅で視聴するアメリカ人に向けて、自由で公正で透明性のある選挙の先導者としてのアメリカに期待を寄せる世界に向けて。2020年11月の選挙で何が間違っているのか、そしてなぜ我々は徹底した調査を要する深刻な不正があったと信じているのか理由について、説明しようとする努力は全くなされなかった。大した努力は一切ない。
代わりに、激励会を行った。それだけ。「私は奪われた」トランプ激励会。
前列から離れることができた瞬間、私とフリン、そして私と一緒にいた全員が、出口に向かってダッシュした。感想を話し合ったとき、フリンは怒りを抑えるのがやっとの様子だった。これが全世界に状況を説明する最後のチャンスだったのに、トランプは激励会に利用したのだ。「彼はそれを理解していないだけだ」と、我々はホテルに向かって群衆の中を嵐のように駆け抜けながら、お互いに繰り返した。「彼は自分事ではないのだとわかっていない。彼はクソ激励会をした。彼は自分のことではないと理解していないんだ」と怒りと絶望の中で何度も何度も繰り返した。15分後、ホテルに戻ると、二人とも荷物をまとめ、二人とも胃が痛くなり、議事堂に向かい移動する群衆に合流しようと出発することはなかった。
※やたー訳したー。げそー。他の章はまだ途中。 ※1/6あのトランプの演説を見て、私もなんでこんなダラダラ同じような話ばかりするのか?あきれて割と絶望していたので、このバーン氏の記事を読んで、ほんと胸のすく思いがした。似た思いをした人がいたのか…ウルウル。いやバーン氏らの方がショック深刻だったろうし、いずれにせよ現在進行形でいい結末ではないけれど。あー面白かった。ノンフィクションは続きます。いつか選挙不正の証拠の数々がきちんと白日の下にさらされますように。そして本になりますように。
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eshiroma · 2 years
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母ちゃんと自分らのトンカツを地下のさぼてんで買って、見かけた京都展のポスターでリウボウ6階催事場に。 あーうち帰っても家族少ないのに買いすぎちゃった。と思ってると取引先のYさんが子供と歩いていたので、食べきる自信がないトンカツと胡麻団子をプレゼント。^_^貰ってくれてよかった〜汗 そうしてわらび餅と山椒ちりめんを追加で買って帰るなんて言う少し散財しちゃいました。 まずは餃子から! #パレットくもじ #京都展 #亮昌 #餃子 (Naha, Okinawa) https://www.instagram.com/p/CeYckpLlVxc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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eshiroma · 2 years
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今日はリウボウ6階催事場で弁当を買って、そのまま屋上のパレットスカイガーデンでランチ。 築地藪そばの天丼1296円、大徳寺さいき屋のだし巻きと稲荷寿司972円。(消費税8%込) #築地藪そば #大徳寺さいき屋 #いなりずし #天丼 #パレットスカイガーデン #パレットくもじ #定休日 (パレットくもじ) https://www.instagram.com/p/Cav8ihbv7Ka/?utm_medium=tumblr
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