February of Mei Nagano.
2月。ショートケーキはどうやっても倒してしまう人間です…と言えたら不器用で可愛い女の子を演じられたのかもしれないけど、ショートケーキは最後まで倒さずに綺麗に食べられる人間です。フルーツがたくさん乗っているケーキは下の土台とフルーツをきちんと同じ分量で食べられる自信があるし、オペラケーキみたいな長方形で安定している形のケーキならお皿の上にスポンジが1つも残らないくらい綺麗に食べられる自信がある。だけど、ケーキの箱に入ったお持ち帰りのケーキを上手に持って帰る自信はまるでない。ケーキって味はもちろんだけどそれ以上に見た目だと思うんです。箱に入ったケーキをそーっと綺麗なままで持って帰ったつもりなのに、帰ったらいつの間にかケーキは歪んでいて、そんなケーキの存在をながのだけが見て、食べて、なかったことになるんです。ううん、なかったことにするんです。だってきっとそれはこのケーキが本来想定されていた〝食べられ方〟ではないから。ながのの思い込みかもしれないけれど、このケーキを作った人が届けたかった形ではないから。きっと誰よりも〝形〟に〝見た目〟に囚われていると、悲しくもがな感じることがあります。〝感情〟1つでさえその場で現れた感情を如何にして何%で表現するのかを考えてしまうし、友達以上恋人未満のもどかしい関係があったとしたら形の見え方の正解を求めてしまう。曖昧で〝今〟が楽しければいいと思う反面、自分の中で区切られている何かに全てを分類しなきゃ気が済まないんだろうな、と自分の性格を客観視しています。A型の取り扱い説明書みたいになってますけど、ながのAB型です。一言でいうと(「AB型」「性格」「一言」検索)あっさりさっぱりした性格、だそうです。うん、間違いではない、むしろ大正解。だけど、ながのが持って帰ったちょっと歪んだケーキを一緒に笑って「美味しいね」って食べてくれる人にはできればずっと隣にいてほしいと、ながのの中のさっぱりしていない部分で思っています。ケーキを持って帰るのはあくまでもながの。一緒に持って帰ろう、は違うんです。…なんてややこしい子なんだ、と思われていることでしょう。でもこんなややこしいながのにそうやって上手に距離を作ってくれて、ながのが上手くケーキを持って帰れるように手助けしてくれる人が近くにいてくれるんだもん。幸せ者です。ショートケーキ、ロールケーキ、チーズケーキ…きらきら輝くショーケース。さて、今日は何のケーキをテイクアウトしよう。
日々生きているだけで、色々なことがある。言っていないこと、言えなかったこと、言いたかったこと、あえて言わなかったこと、我慢したこと、我慢できなかったこと、泣きたかったこと、泣いてしまったこと…きっとたくさんあると思うんです。〝人〟の〝生〟き様について。生きる意味を考えない人もいるし、考えすぎてしまう人もいるし、考えないようにしてる人もいるし、意味なんてないと考えている人もいるし、生きながら探し続けている人もいる。日々生きているだけで起こる〝色々なこと〟のせいで、このままふらっと��えちゃおうかなと思う瞬間や衝動は大人になるにつれて増えたけれど、そんな時「人生なんて、あともうちょっと頑張ろうの繰り返しなんだよ!」といういつかの誰かの言葉を思い出します。そして〝あともうちょっと〟について考えて、絶望したり希望を見出したりするんです。きっとこれから先の人生、それの繰り返しで大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりするんだとしたら、生きていくことって心細すぎる。1人じゃとても抱えきれないとも思ってしまう。大丈夫じゃなくなる直前までは誰かに頼ることができるけど、本当に大丈夫じゃなくなってしまったらもう1人でうずくまることしかできなくて、そんな状態に慣れてしまうんです。ながのにもそんな時期があったし、これからもあるかもしれない。だから、元気の無い状態に慣れてしまわないように、元気になれそうなことは積極的に摂取していきたい。例えば、雨の日にお気に入りの傘を差してみたり、いつもより少し大きな声で「いただきます」と言ってみたり、家を出る前には姿見の前でくるっとターンしちゃったりなんかして…小さいけれど元気になれそうなことをかき集めていたら、気付いたら大きな元気玉になっていたりするものなのよ。ふふ、得意なんです、小さな元気を見つけるの。小さな元気をかき集めて「あれ?もしかしたら凄い元気かもしれない」そんな錯覚をしながら生きていけたら、それが希望になるんじゃないかと思ったりします。生きる意味なんてないかもしれないし、意味がないことに意味があるのかもしれないし、この世界を去る瞬間にしか分からないことなのかもしれないけれど、いつか「このために生まれたのか!」と思えるときがあるかもしれないし…まだよく分からないけれど、分からないからもう少しここで生きてみようと思う。あともうちょっと頑張ろう。
お仕事!今月は伊右衛門やアイシティの新CMや、「Ray」の表紙や「BARFOUT!」の紙面に出していただきました。また、今年もミラノで開催されたPRADAのショー『PRADA FW 24』に出席させていただきました。PRADAのアイテムはどれも可愛くて、年々パワーアップしています…!そして、現在放送中のドラマ『君が心をくれたから』のノベライズが発売決定となりました。小説にはドラマ本編の内容に加えてドラマには出てこないオリジナル短編小説も収録されています…というのはXの投稿にも書かせていただいたので、ここを読んでくれた方にだけ特別にもう少し教えちゃうと、オリジナル短編小説は宇山さん書下ろしで『クリスマスと小さな二文字』というタイトル、高校生の雨ちゃんが「太陽さん」から「太陽くん」と呼ぶまでの物語です。好きな人の呼び方を変えるってどういうことだと思いますか?ながのの考えもちょこっと小説で知れちゃいます。1巻は雨ちゃん視点の短編となっていますが、2巻は太陽くん視点で別エピソードになる予定(宇山さんが締め切りに追われているのを目撃しました)なので、是非ノベライズもご一読ください。ドラマはもう8話の放送を終え残りあと3話、〝逢原雨〟として精一杯生きたいと思います。
Allegedly the title comes from a phrase for sitting in a cirlce and drinking. So we're making merry over resigning yourself from personhood. Translation notes at the end and personal commentary too because fuck it, a blog's a blog.
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English
Far beyond the sky float the clouds
Oh, in the name of my love
Such acts of atrocity
No more can I resign to forgiveness
You may kill me
Like a cow
Or like a pig
It’s alright
I am merely a piece of flesh
Lala lala la
Lala lala lai
I am merely a piece of flesh
Into the sky fades the midday canon
Oh, for my love has ended
Both love and hatred
Are no more, poured into nothing
In a single moment of disgust
I begin to rot
I am merely a piece of flesh
Lala lala la
Lala lala lai
I am merely a piece of flesh
Far beyond the sky float the clouds
Oh, in the name of my love
Such acts of atrocity
No more can I resign to forgiveness
You may kill me
Like a cow
Or like a pig
It’s alright
I am merely a piece of flesh
Lala lala la
Lala lala lai
I am merely a piece of flesh
Japanese
空の彼方に 浮かぶは雲
嗚々 我が恋愛の名において
その暴虐の 仕打ちさえ
もはやただ 甘んじて許す
牛のように
豚のように 殺してもいい
いいのよ 我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
空に消えゆく お昼のドン
嗚々 我が恋愛は終止せり
あの泥流の 恩讐が
もはやただ あとかたもなしや
愕然とする間もなく
腐敗し始める
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
空の彼方に 浮かぶは雲
嗚々 我が恋愛の名において
その暴虐の 仕打ちさえ
もはやただ 甘んじて許す
牛のように
豚のように 殺してもいい
いいのよ 我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
ライラ ライラ ラ
ライラ ライラ ライ
我 一塊の肉塊なり
Translation Notes
泥流 is the flow of lahar/volcanic mud when a volcano erupts and 跡形もなしや (written in hiragana as あとかたもなしや) is like "without leaving a trace", I thought saying literally saying left without a trace was too basic for such a powerful song, so I went with "poured into nothing" to maintain the original imagery and meaning.
Personal Commentary Nobody Asked For
Many lifetimes ago I ran the Jun Togawa Forever fansite with my friend Pat, he translated all of the songs and I did the website... stuff. Because of it, Pat got to meet Jun's manager and it was basically the thing that set me off onto wanting to study Japanese to begin with. The sadness I was experiencing at the time couldn't be expressed in my own language because I was barely fresh off being a teenager, and I was treated poorly by almost everyone around me. Real "nobody understands me" type shit. So, i'd listen to this song on repeat a lot and read my friend's translation, because it felt like somebody understood me.
The reason I stopped running the website, posting throwbacks and setlist updates etc was because I actually hated most of the English fans. Pat was working very hard at a critical time to translate information and whenever I had a question, I would ask. But people kept jumping to assumptions about what Jun's art was trying to convey. It sounds almost cliche, but the perspective of dudes with no knowlege of Japanese language or culture was dominating the discussion about a Japanese woman's work, stripping it of time, place and it's author. One person's self expression through art became a talking point for being anti-pop culture - because it was antithetical to the norm, that's all it could be, or that became the main focus. I hated how our work was just being consumed by people who's reaction was just "cool" or "thanks", and the voice behind the lyrics was stifled for the sake of making hamfisted commentary about pop culture, from a society and culture that the authors themselves had sparse knowlege of.
It is extremely petty. This was also before Suki Suki Daisuki blew up on Tiktok too. But, the phrase "anti idol" just screamed fake deep to me lol. Once I actually started speaking Japanese and explaining the perspective of non-Japanese people about things to Japanese people, they were mostly confused. BiS' producer also called it "fucking stupid." I think about deleting all of the translations sometimes out of spite.
I wanted to come back and translate this song myself because... fuck it, why not. I'm not in the same mindset as when this was the one thing keeping my head above water, but I did have some poor experiences with people at university recently. I thought about this song because it feels like it's fine for terrible things to be said and done to me, but everyone else is seemingly allowed to do whatever they want. Be it emotionally or sexually as a friend or as a coercer. But i've resigned myself from caring because hey, life goes on.