Tumgik
#歪萌舎
arcadebroke · 10 months
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djsouchou · 1 year
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いわゆる「レベル・ミュージック」とか思想の特定バイアスで憧れていた大衆性や反逆性。本邦では萌え萌えオタクカルチャーにこそ受け継がれ、その火種を宿していたのだよな。薄々勘づいていながら見て見ぬ振りをしていたが。そこを無視して土着だの民謡俗謡だのに近づいても所詮は名誉〇〇仕草よな。
田舎出身者にとってはいわゆる「自民党的なるもの」の象徴の様な土着の祭りやフォークロアを地縁血縁的共同体とは何代にもわたって無縁の都会のリベラル文人階級が無闇に持ち上げる現象を不思議に思っていたが、あれも所謂、無意識の名誉白人的な所作の一つよな。
そして本邦土着の身体性や思想を敗戦や高度経済成長に歪められつつも受け継ぎながら地縁血縁的コミュニティから自由であろうとするオタク・カルチャーは都市型インテリからも体育会系的ヒエラルキーからも抑圧を受けて来たのだな。しかし現状世界の覇権に対する叛逆の種は世界のどこよりも孕んでいた…
廣瀬 拓音 TactHirose(@Maruyeyi)さん / Twitter
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llyl · 4 years
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2020.05.18
『溺れるナイフ』を観た。公開されたときからずっと観たかったのだけれど、この前『ホットギミック ガールミーツボーイ』を観たのもあって、良い機会だと。
『溺れるナイフ』のどこが良いかなんて語り尽くされていると思うからそのあたりは映画を語るのが私よりずっと上手な人たちに任せるとして、私はせっかくなのでこの作品を観て感じた、ごくごく個人的なことについて書いてみようと思う。
このブログでも何度か書いたように思うけど、私はずっと主人公に憧れていた。中高生のころくらいまでは私は常に誰かの脇役をやってきたように感じていて、だからこそ恋愛においては特に、ドラマティックなものを求めていた気がする。この人なら、私を主人公にしてくれるかも、という期待。だからこそ穏やかな展開よりも、苦しいことがあったほうが主人公っぽくていい、みたいな、自傷的なナルシシズムを抱えながら恋愛をやっていた。
『溺れるナイフ』では、素敵な脇役が二人登場する。重岡大毅演じる大友と、上白石萌音演じるカナ。彼らはあの田舎の町にびっくりするほど馴染んでいて、だからこそ明らかに異質な存在である航一朗(菅田将暉)と夏芽(小松菜奈)に憧れるし、崇めることになる。その隣に並びたいと思う一方で、自分は不釣り合いだからという思いが、異質な二人同士を結び付けようという働きに繋がる。この心の動きは、かなり歪んでいると思う。自分の恋い慕う人の幸せは、自分以外の特定の誰かによってしか実現されないと信じ込むこと。「釣り合う人」なんていう概念を勝手に押し付けること。脇役だからという自意識で控えめな行動をとっているつもりが、ものすごく暴力的な行動になっていることに気づかない。
それでも、私は大友とカナにどうしても感情移入してしまう。カナが夏芽に、あなたはコウちゃんとお似合いだと思うの、という話をしているときに航一朗が通りかかって、自分の話を無視して夏芽が航一朗に走り寄るシーン。大友が暗い顔をしている夏芽を元気づけようと明るいところへ連れて行って、励ましているところに夏芽が航一朗の姿を見つけて、自分のことなんか忘れて航一朗のことを眺めるシーン。それらを見ているのが本当にしんどくて、私にとっての主人公とは、こういう人たちだったな、と思い出す。
弱っているときは脇役に寄りかかって、あなたしか味方がいない、みたいな顔をして、だけどもう一人の主人公が現れたら脇役のことなんて見えなくなって、放り出してそっちに行ってしまう。ああ、結局はあの二人のダブル主演で世界は回っていたんだなと、自分の立ち位置を再確認する。
でも脇役だってその主人公たちに依存して生きていた、という自覚を最近するようになった。そうは言ってもあなたが元気でいられるのは、あなたが弱っているときに私が側にいたからでしょう?と。私に依存してくれている相手に依存する構造。喜んで脇役に甘んじる構造。不健康だなあ、と思う。
だから脇役をやめようと、大学に入ったあたりから意識的に自由奔放に振舞ってきて、実際に前より脇役意識は薄れたように思うのだけど、私のその言動で知らないうちに誰かを蔑ろにしてきたんじゃないかな、という恐れが、映画を観て急に生まれた。
人はみんなそれぞれの人生の主人公だよ、なんて言説は聞き飽きているのでもう良いのだけれど、主人公だとか脇役かとか、そういうことを考えなくて済むようになりたいなとは思う。私の小説は主人公的な人物を観察する脇役的な主人公、という構造をとることが多いように思うのだけど、そういうものばかりを書いている限りは抜け出せそうにないなあ。私が脇役を務めていた主人公たちと、いまはまだ会いたくないなとも思うし。
この記事だって、noteに書いて大きいアカウントで公開しようかなとも考えたのだけど、あっちのアカウントには私にとっての主人公だった人たちがたくさんいて、その人たちにこれを見られるのが怖いと思ったからできなかった。
抜け出せないなら抜け出せないで、この自意識のまましばらくやっていくしかないよな、という諦めが生まれ始めてから少しは楽になっているんだけどね。夢も見たいし、まだまだドラマティックに生きたいとは思う。でも周りの人たちを脇役に落とし込めることなく、ちゃんと大切にしながら生きなきゃね。
最後に、Wikipediaを見る限りの情報だけど、原作ではカナのコウちゃん信仰がもっとヤバいことになっているっぽいので、そのうち原作も読みたいな。
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withtools · 2 years
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鎮魂2
ラスト付近は、肉体的精神的に痛々しいシーンが多かったので、飛ばし飛ばし。。 このお美しいご尊顔が血まみれなのは耐えられない〜〜 36話の夜尊様が、洋装(白タキシード)&まとめ髪だったのは、大興奮でした・・・ ひぇー!美しさに全世界がひれ伏すよ!
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序盤・・正体不明で疑われる 中盤・・正体バレる までくらいが、バレるかも・・のハラハラもあり、仮面ライダー風味の事件も面白く、全体的に楽しんで観れた。 後半は、沈教授の秘めた覚悟が痛々しすぎて、、、
タイムワープした際に、1万年前の沈巍に、「あいかわらず彫刻みたいな顔してんな〜」と言ってたので、 現在進行形でそう思ってるってことね・・ 原作では「陶磁器」と書かれてる
字幕だと、セリフが限られるので、吹き替えして欲しい・・
好きなシーン 8話 「你说你这么好,要我怎么舎得放手」 字幕だと、「ますます手放せなくなる」 有志さんの英語字幕だと How am I supporsed to let you go when you're so wonderful? となってました。 あんたがこんなに素敵だと、どうやって手離せって言うんだ って感じかな。 原作だと、「俺のこと好きってこと認めろよ」と迫ってるシーンなので、 こういう展開に昇華させたのは素晴らしいし、 むしろこういうセリフの方が萌え。
大人(ダーレン) という呼びかけも結構してるみたい My Lord と訳されていたので、黒袍使”様”ってイメージかしら。
もう一つ24話 「俺はあんたを全部受け止めるのに!」
そんなこといいつつ、嫌味たらたらな赵云澜にイラつく・・・ 沈巍様はほんといろいろ抱え込みすぎ。。
小巍 は、巍ちゃん。みたいな、よびかけかな。 郭ちゃんも「小郭」だもんな
小巍 って呼ばれたとき「今なんて言った?」って言うんですが、 そのときのお顔が、 びっくりというかきょとんというか、かわいい。 すっかり怒りも収まって、そのあとずっと云澜を見てる。見てる。見てる。。。endless
ファンの方々のブログやら動画を見てると、 表情の演技がすごいと話題になっていました。 確かに!! 眉目をわずかに歪ませたり、目線やら、微笑、苦笑。 一番最初の出会いの時、おめめがぱちっと開いてずっと見てる・・ でも目が合いそうになるとそっと逸らす。 なんとも物憂いというか物言いたげというか、ありとあらゆる感情が禁欲的外見に押し込まれてる複雑な表情。 いや、すごいアジア的。 欧米演技だと身振り手振りが大きいので、表情ってそんなに気にならない。 目は口ほどに・・のアジア特有な気がする。
6話の展開はいいですね 教授は疑われてなくて、アドバイザーの役割。 事件に絡むと、忙しくててんてこまいだから笑 事件が起きる→沈教授に相談→アドバイスもらう→黒袍使様が最後にちょっとだけ出てきて回収→真相解説 これだと他にもいろいろ事件あってもよさそう。
ゴロツキにも化け物にも超常現象にも驚かず常に冷静沈着な沈教授が、云澜の突発的行動にだけ驚いてるのかわいい リモート会議の際に、モニターに云澜がドアップになって珍しく「わっ」と声を出してたり 仮眠取らせてとクッションを沈教授に乗せた時、身を逸らすもそらしきれず、困惑してたり。
逃げ場がないこのポーズがかわいい笑 このあとの諦めと言うか悟ったような表情も良い笑
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pinoconoco · 6 years
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めんどくさい副隊長 参
浮竹隊長の茶菓子を買いに行った先で、松本乱菊から大会の話を聞いたあたしは久々に晴れ晴れとした気持ちで、自然に鼻歌なんか歌っていた。
海燕が一護君を執拗に打ちのめしていたのはそういうことか、理由がちゃーんとあったのね?
それだけ彼を見込んでいるということだもんねぇと思うと、全くわかりにくい男なんだからと自然と笑ってしまう。
大会は明後日か。
そうだ、ルキアを誘って見に行こうかな。でもルキアを連れて行ったら一護君は逆に緊張しちゃうかしら?いや案外かっこつけたがりなところあるから更に力発揮するかな?
そんなことを思っていたら、ちょうど甘味処の前にルキアと一護君を発見した。
「‥お二人さんデートですかぃ?」
後ろからそうっと声をかければ二人は「ぅわぁ!」と本気で驚いたらしく、間抜けな声をあげた。
「ち、違いますよ!一護が今日は疲れて甘いもの食べたいというから‥わ、私も甘いもの食べたいと思ってたところで」
何だか面倒臭い言い訳をしているルキアにはいはい、と適当に返事をして同じように赤い顔の一護君に「聞いたわよ、例の大会に出るんだってね!」と声をかければ「何ですそれ?」と不思議そうな顔をしてきた。
「え?あの、十一番隊が主催のバトルロワイヤルに、ウチからは海燕と一護君が参加するって聞いたんだけど」
「「えぇぇー?」」
漫画みたく一護君とルキアは顔を見合わせて大きな声をだした。
「バトルロワイヤルやるのはしってますけど、俺出るなんて聞いてないっすよ!?」
「え?そうなの?」
「私も十三番隊は不参加だとばかり‥絶対参加ではないみたいだし、浮竹隊長はそういうのお好きではないのかと」
「え~?でもウチの隊からは海燕と一護君が参加者としてリストに名前があるって。あれ毎回かなり過酷なのよね、だから海燕がね、一護君にここ最近かなりキツイ修行つけてたのかぁって納得してたんだけど」
「あ‥」
「そうなんですか‥」
二人は突然憑き物が落ちたような顔になる。二人もやっぱり、最近の海燕の様子に何かしら感じていたようだ。
「尸魂界一を決めるって噂のあの大会に‥俺なんかが出ていいんすかね」
「いいのよ!海燕が選んだんだもの。自信持ちなさいな。というかでもね、微妙なとこもあるのよねあの大会」
「微妙?」
「だって」
思い出してつい笑ってしまう。
不定期に開催される尸魂界バトルロワイヤルは、数年やらなかったり年に数回開催されたりもする。主催が十一番隊なわけで元々計画的ではないのはもちろんだけれど、何よりも更木隊長がやる気にならないと全然行われないし、納得いかないと一年に何回でも開催されてしまうのだ。
それに勝ち残り(生き残り)の戦いであるというのに、松本が優勝した年もある。何故かと言えば「女仕掛」で飄々と勝ち残って、本気で戦い抜いてきて既に体力ゼロに等しい斑目一角相手に最後有り余る体力とやはりお色気で勝利したのだ。
「え‥女性も出れるんですかアレ」
「うん。まぁほとんどいないけどねー。えーと、雛森とか伊勢も一回ぐらいでてたかな?」
「本当ですか?大丈夫だったのですか?」
「伊勢はギブアップしたかな?確か。雛森も当然途中で脱落したけどね。あ、そうそう、その時はね、日番谷隊長も出てたんだけど。日番谷隊長てば、雛森ピンチになるとね、毎回盾になっててカッコよかったわよ~」
「あ~、何だか目に浮かびますぅ~」
朽木が頬を染めて柔らかい声を出した。その様子に、隣の一護君が眉間に皺を寄せて唇を歪めたのをあたしはもちろん見逃さない。
「朽木もでたい~?」
「私ですか?いえ、さすがにそれは‥」
「無理だ。おまえいたら足手まといだわ」
「!なんだと?別に貴様の助けなんか期待しておらんからな!」
「おーおー、勝負に情けはいらねぇもんな?だいたいおまえみたいな小せーのがそんなの出たら格好の餌食だろーが。囲まれて一撃でやられて終わりだぜ?その前に俺が一撃で倒しちまうかもしんねーし」
「貴様‥言わせておけば‥」
あれ!?
何でこうなるのかなこのふたり。
こんなこと言ってるけど、もしルキアも出したら間違いなく一護君はルキアのことばっか守る戦いするのは目に見えるんだけどな。
というかいいかもそれ、と思わず口許がにやける。
あの時、日番谷隊長と雛森の時、応援席の女性隊員達がどれだけあの試合に萌えたことか。日番谷隊長の株がどれだけ上がったことか。一護君も間違いなく今より人気でるわねこれは
「とにかくおめーは駄目だ、邪魔にしかならねーし。素直にオレの応援でもしとけ」
「ふざけるな、誰がすぐ敗退するような奴の応援などするものか!私は海燕殿が勝ち残るのにかけるわ!」
うぬぬぬぬ、とまだにらみ合いしてる二人にお疲れ様~と声をかけてその場を後にした。
浮竹隊長が茶菓子がこないなぁってしょんぼりしてるかもしれない。うっかり二人相手に長居してしまった。
隊舎前に海燕が見えて思わず「海燕!」と叫んで走った。アタシがこの間、知らなかった故につい海燕を叱るような言い方しちゃってから何となく海燕はよそよそしかった。
その事も謝らなきゃと思った。
「おめー、茶菓子買いに何時間かかってんのよ。浮竹隊長泣いてたぜ?」
「ごめんごめん、そこで一護君たちに会ってちょっとね」
走ったせいで息が切れてうまく話せない。
「‥ふーん、あっそ。んじゃお疲れさん。早く隊長に届けてやんな」
「あ、海燕、待ってよ!」
素っ気なく帰ろうとする海燕の袖を掴めば「なんだよ」と機嫌の悪い声を出された。
まだ何だか機嫌が悪いようだ。
「ねぇ、何でそんなに、最近機嫌悪いの?」
「‥別に」
「この間あたしが海燕に加減しろとか余計なこと言ったの、怒ってる?」
ビクッとわかりやすく海燕が揺れた。やっぱりそうか、確かに理由も聞かずに責めたのはあたしだ。海燕は傷ついたのかもしれない。
「ごめんね、何も考えずに海燕のこと怒ったりして‥あたし、全然海燕のことわかってなかったよね」
「‥‥別に、そんなんじゃねーし」
素直に謝れば海燕の声から怒りが消えた。ホッとして海燕の顔を見上げれば、海燕もあまり見たことのない顔であたしのことを見つめている。
「なによ」
「‥いや‥あのさ、俺さ」
「ん、」
「明後日のバトルロワイヤルに出るんだ。んで‥」
「うん、もちろん応援するよ」
「ぜってー、俺が最後の一人になるから、なってみせっから、だから‥ちゃんと見てろよな」
「当たり前でしょ、海燕の心配なんかしないわよ、心配なのは一護君よ。あの子にはまだちょっと早い気もするけど‥でも海燕が推薦するくらいだからあの子もいいとこまでいけそうなの?」
「‥‥ぁあん?」
あれ?
「一護だぁ?アイツは初っぱなから消えるにきまってんだろーが」
「そんな言い方ないじゃない、海燕が一護君を鍛えてたのは今回のバトルロワイヤルに出す為だったんでしょ?」
「ぶゎぁぁぁっっか!アイツは最初に俺にやられてそんでオシマイだばーか!」
ブンッと掴んでいた右手を思い切りはね除けて海燕は「早く隊長に菓子持ってけアホ」と突然また不機嫌になって舌打ちまでして行ってしまった。
なんなの?
海燕がわからない。
こんなにいつまでも不機嫌な海燕なんて知らない。一体何なの?何が気に入らないの?
何だかものすごくムカムカしてきたけれど、浮竹隊長にとにかくお茶菓子を届けなければと隊舎に急いだ。
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theatrum-wl · 5 years
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【アンケート企画】 「2018年の3本」
WLでは読者のみなさんから2018年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、4回目の今回は17名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
まなぶ(司書) ・北海道余市紅志高等学校『おにぎり』(サントミューゼ) ・志賀澤子『ROSE ローズ』(シアターΧ) ・スペースノットブランク『舞台らしき舞台されど舞台』(カフェムリウイ) 『おにぎり』高校演劇を観始めて1年半くらいたつが、初めて全国大会に参加することができた。何回も反芻してもう一度観たいのは『おにぎり』で、野球部員が黙々とおにぎりを握るあの静けさをまた体験したい。と思ったら東京学芸大が再演するそうなのでたのしみ。で、高校生たちのうち何人が演劇/観劇を続けるのだろう。 『ROSE ローズ』3回鑑賞して、演者だけでなく観客としての私自身の変化を定点観測的に感じることができた。安すぎる価格設定や毎回のアフタートークなど、シアターΧの取り組みは素晴らしいと思う。両国門天ホールを含めて両国によく通った一年だった。再演文化の定着は私も希望したい。 『舞台らしき舞台されど舞台』信頼があるからこそ演者や観客に負荷をかけることができる。せんがわ劇場演劇コンクールや高松アーティスト・イン・レジデンスへの参加など、積極的に外に出ようとする姿勢が創作の源泉になっているのだと思う。(年間観劇本数:83)
中西理(演劇舞踊評論) ・劇団ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』(こまばアゴラ劇場) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・範宙遊泳『#禁じられた遊び』(吉祥寺シアター) 山田百次(青年団演出部、劇団ホエイ)の劇作家・演出家・俳優としての八面六臂の活躍ぶりには凄いものがあった。作・演出・出演を兼ねる劇団ホエイでは北海道三部作の完結編として夕張の炭鉱町に生きた男たちの群像をみごとに描き出した「郷愁の丘ロマントピア」を上演した。俳優として出演したオフィスコットーネ「山の声」も忘れがたい名演であった。青年団はこの山田を代表に演出部の作家たちの群雄割拠の活動が目立ったが、平田オリザの新作「日本文学盛衰史」も明治の文学者たちの生き様を現代と重ね合わせた傑作。青年団以外では範宙遊泳の山本卓卓も引き続き存在感を見せた。(年間観劇本数:250)
野呂  瑠美子(一観客) ・東京ハンバーグ『夜明け前、私たちは立ち上がる』(シアターサンモール) ・ナショナル・シアター・ライヴ『Young Marx』(TOHOシネマズ日本橋) ・西瓜糖『レバア』(テアトルBONBON) 過疎化している貧乏な地域が狙われるという鉄則通り、標的の町となった三重県芦浜原発の、地元有志による37年に渡る白紙撤回闘争の有様が、懐かしい伊勢弁とともに心に滲みた「夜明け前、私たちは立ち上がる」。札びらで頬を撫でられて、次々と屈服していく人々や、それでも闘志をかきたててピケを張りに行く人々の姿が沖縄やフクシマと重なった。また、西瓜糖「レバア」も敗戦後の日本人のたくましさや惨めさをリアルに描き、半壊した洋館など舞台美術も役者の演技も秀逸。イギリスの舞台はどれを見ても水準が高く、俳優の層の厚さ、舞台美術、斬新な演出など、どれをとっても素晴らしいものが多いが、「Young Marx」は舞台装置と場面転換の妙、俳優たちの名演で、深刻な話を明るくコメディタッチで描き、最初から最後まで楽しめた。(年間観劇本数:70)
kiki(地方公務員) ・iaku『粛々と運針』(こまばアゴラ劇場) ・青年団リンク やしゃご『上空に光る』(アトリエ春風舎) ・MCR『櫻井さん』(OFF・OFFシアター) 自分の好みが変わったことを気づかされる3本。それぞれに、人が生きていく中で出会う行き場のない想いを鮮やかに切り取っていた。 粛々と運針:題材・構成・演出・俳優等がとてもよく噛み合って、芝居というものの面白さってこういうことだよなぁ、と思わせられた。 上空に光る:正解なんかない、それぞれの抱えたものは抱えたままで、それでも生きていくしかない人々の物語。特定の状況を丁重に描きながら、その中に普遍的なものが息づいていた。 櫻井さん:変な奴ばかり出てくるのに、どうしてこんなに刺さるんだろう。声を立てて笑ってるのに、いたたまれないくらい遣る瀬ない。ヒリヒリするほど酷い話なのに、登場人物たちへ向ける眼差しはどこかやさしい。この奇妙な物語を観ることができてよかった。(年間観劇本数:139)
青木  克敏(地方公務員) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』 ・iaku『梨の礫の梨』 ・オーケストラ・アンサンブル金沢『ペリアスとメザリンド』 iakuの横山拓也さんの活躍、そして深化が著しかった。3作品全て横山作品としたいぐらいでしたが、8月に上演されたボルドー国立歌劇場との共同プロダクションが素晴らしかったので。(年間観劇本数:40)
北村  紗衣(研究者) ・東宝『おもろい女』(シアタークリエ) ・『ヴェニスの商人』(ユタ・シェイクスピア・フェスティヴァル) ・ナショナル・シアター・ライヴ『ジュリアス・シーザー』 舞台を撮って映画館で上映するという形式がどんどん力を増しているように感じます。(年間観劇本数:118 )
矢作  勝義(劇場プロデューサー) ・mizhen『溶けない世界と』(日暮里d-倉庫) ・スペースノットブランク『ネイティブ』(せんがわ劇場) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) 今年の3本は、さらなる活躍が期待される3つのカンパニーの作品を選びました。並びは観劇順。mizuhenの作・演出の藤原佳奈は世界を切り取る独特な視点の面白さが秀逸。スペースノットブランクの小野彩加と中澤陽はオリジナリティーに溢れ、今後どのような作品を見せてくれるか楽しみ。特に小野さんの身体能力の高さは注目。iakuの横山拓也は、繊細かつ緻密に物語を紡ぎ出し、三鷹の大きな空間を生かした美術と演出により、iakuの作品の可能性をさらに広げた。 もちろん、先行世代も素晴らしい作品を上演した一年でした。穂の国とよはし芸術劇場で上演された糸井幸之介と木ノ下裕一による「とよはしの街の物語」、桑原裕子によるKAKUTA「ねこはしる」をはじめ、岡田利規、長田育恵、金山寿甲、柴幸男、詩森ろば、高木登、谷賢一、タニノクロウ、中村暢明、野木萌木、藤田貴大などのアーティスト達の2019年が楽しみです。(年間観劇本数:169)
和哉  遊柘 (観客) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(本多劇場) ・TEAM NACS『PARAMUSHIR~信じ続けた士魂の旗を掲げて』(森ノ宮ピロティホール、赤坂ACTシアターほか) ・くによし組『ケレン・ヘラー』(王子小劇場) ・精緻で巧みでそして何より面白い。前作より登場人物が増えたのに魅力が増してるのはマジックとしか言い様がない。傑作。 ・このカンパニーで今できるベストの公演かつ演出家として森崎博之の持ち味のエモーショナルさ・ダイナミックさが遺憾無く発揮されている。 ・切実で突き刺さる物語とその疾走感もいい上に、二人一役の必然性のある演出もぴったり嵌っていた。 他、次点で、ブラボーカンパニー『タイトル未定2018』『サムシング・ロッテン!』は、ほぼ同時期に福田雄一が関わる作品で双子のような作品でセットとして観ても面白い。 今年は良作は多数あったが傑作は少ない印象で物足りないのが正直なところ。また中~大劇場規模の演出が出来る演出家やその規模の客席を埋められる人材不足が目に付く。中~大規模の舞台を観る身としては、早急に見直しをお願いしたい。特に演出家は急務では。(年間観劇本数:103 )
薙野  信喜(無職) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(西鉄ホール) ・フィリップ・ドゥクフレ/DCA『新作短編集(2017)―Nouvelles Pièces Courtes』(北九州芸術劇場) ・KERA•MAP『修道女たち』(北九州芸術劇場) 2018年もいい舞台が九州で観られたのはありがたかった。選んだ3本以外にも、二兎社「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」、「老いと演劇-OiBokkeShi《オイ・ボッケ・シ》の活動から学ぶ「人生100年時代」の生き方!」、中村敦夫一人芝居「朗読劇 線量計が鳴る」、SPAC「寿歌」などのすばらしい舞台が多かった。九州の劇団では、 最新旧型機クロックアップ・サイリックス「上下左右」、go to・Theちゃぶ台「愛の讃歌」がおもしろかった。九州で作られた、北九州芸術劇場プロデュース「彼の地Ⅱ」、ニコちゃんの会「走れ!メロス。」も楽しめた。(年間観劇本数:129)
町田  博治(会社役員) ・静岡県立三島北高校演劇部『またね。』(山梨県立県民文化ホール) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』(北千住 BUoY)  3作品を選ぶのはかなり難しい。初見の作品を選ばせていただいたが、再演の作品にも、SPAC『マハーバーラタ』、iaku『粛々と運針』、劇団こふく劇場『ただいま』など素晴らしい作品が多くあった。今年の3作品以外にも、ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』、千葉県立松戸高校『Time After Time (「インディアンサマー」より)、iaku『人の気も知らないで』、『逢いに行くの、雨だけど』、うさぎストライプ『空想科学Ⅱ』など素晴���かった。 『またね。』高校生達の葛藤を深く掘り下げた見事な脚本と演技で魅せられた。女性、女子高生だから書けた女子同士の関係性や友達関係が崩れたあとの女子の葛藤を、受験を柱に深く掘り下げた見事な作品。 『日本文学盛衰史』日本文学と演劇への青年団からのエール。 『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』これぞ演劇。観終わったあとの高揚感が凄かった。役者の演技も出色だった。(年間観劇本数:316)
りいちろ (会社員) ・マームとジプシー『BEACH』(VACANT) ・iaku 『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ・マコンドープロデュース『空と東京タワーの隣の隣』(下北沢 スターダスト) 3本は演劇だから受け取りうる、言葉に為しえない細微で立体的な記憶の感触に深く染められた舞台。 演劇だからということでは、シリアルナンバーや劇団チョコレートケーキなどの作品たちが編む世界観にも心揺さぶられた。長田育恵戯曲達の強さと確かさにも痺れる。RoMT『ギャンブラーの為の終活入門』、MCR『親展』、サカサマナコ『静かな欠片』なども圧巻だった。 モダンスイマーズ、シリアルナンバー、MCR、泣かないで、毒きのこちゃんなどによる過去作品群の再演があり、回顧ではなく作り手の踏み出しと感じることがとても豊かに思える。qui-co、月刊根本宗子、くによし組、ピヨピヨレボリューション、キュイ、mizhen、第27班、アナログスイッチ、牡丹茶房、日本のラジオ、肋骨蜜柑同好会、劇団普通、遠吠え、や���・あがりシアター、ワワフラミンゴ、書ききれない程多くの作り手たちの企てや進化が心強く思えた一年でもあった。(年間観劇本数:330)
片山  幹生(WLスタッフ) ・ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』(早稲田大学演劇博物館) ・ゴールド・アーツ・クラブ『病は気から』(彩の国さいたま芸術劇場 大ホール) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』は2018年に見たなかで最も印象的な舞台だった。早稲田大学演劇博物館という空間の特性を十全に利用した見事な演出。リンドバークを引き受けた河原舞は観客たちをかの地への旅へと誘う魅力的なパイロットとなった。彼女の身体と声が伝えるリンドバークのことばに観客はさまざまな隠喩を読み取ったはずだ。ノゾエ征爾演出の『病は気から』は数百人の素人老人俳優のエネルギーに満ちた驚異的な規模と発想のモリエール劇だった。今年はiaku/横山拓也の年だった。アクロバティックでスリリングなせりふのやり取りのなかから生まれるドラマの豊かさが横山戯曲の魅力だ。上演作品はいずれもせりふ劇の面白さを堪能することができる傑作だったが、ここでは彼のこれまでの劇作術の成果が集約されたような『逢いにいくの、雨だけど』を特に挙げておきたい。(年間観劇本数: 118)
中村  奏太(プロデューサー) ・高松桜井高校演劇部『わたしの星』(綾歌総合文化会館アイレックス 大ホール) ・OM-2『ハムレットマシーン』(d-倉庫) ・青年団『銀河鉄道の夜』(さいたま市 プラザノース ホール) 今年は高松桜井の『わたしの星』が圧倒的だった。二年前、同校が初演版の『わたしの星』を上演したときも3本に挙げた。今回は代替わりをし、再演版の『わたしの星』を上演。人間の美しさ、一瞬の煌めきが世界に広がり、鼓動のように心に響く60分。驚くほどのクオリティだった。 OM-2『ハムレットマシーン』は、テキストでしか読んだことのなかったこの作品世界の深さ、広がりを体感できた。 青年団『銀河鉄道の夜』は、広い舞台に立ち上がる美しい世界と、ジョバンニ役の井上みなみの好演により、心が宇宙と一つになった風景が見えた。 2018年は、演劇の時間のなかで、世界の広さを体感できる作品に特に心を動かされた。(年間観劇本数:200 )
でんない  いっこう(自由業) ・パルコプロデュース『チルドレン』(さいたま芸術劇場 大ホール) ・新国立劇場『スカイライト』(新国立劇場 小劇場) ・風姿花伝プロデュース『女中たち〉』(シアター風姿花伝) 意識はなかったが3人のみの芝居に充分に惹かれた。決して内向きになる訳ではない。①は”心の痛み”が人を動かし、②は”生きるということ”の違いを出し、③は”嫉みの愛情”の結末。それぞれが社会、教育、権力などについて考えさせられる。他には台詞の面白さで『忘れる日本人』一人芝居の凄さで『FULLY  COMITTED』老いの日常で『うん、さようなら』正義の歪さで『わたし、と戦争』国が人を殺す戦争以外の死で『善悪の彼岸』を挙げたい。(年間観劇本数:58)
森岡  実穂(大学教員) ・KJプランニングス『ザ・モニュメント 記念碑』(プロト・シアター) ・世田谷パブリックシアター『岸 リトラル』(世田谷パブリックシアター) ・パルコプロデュース『豊饒の海』(シアターコクーン) 順番は上演順で、演劇・ダンスのみからの選択。小劇場の上演からは川口典成演出、コリーン・ワグナー『ザ・モニュメント』(翻訳:神保良介)。娘を奪われた母親(西田夏奈子)の、理性を超えた「忘却」への抵抗があまりに強烈で、2018年はほかの作品を観てこの作品を思い出すことが何度もあった。外国戯曲上演の中では上村聡史演出、ワジディ・ムワワド『岸 リトラル』(翻訳:藤井慎太郎)。これも豊かなイメージで喪と記憶、残された者たちの生が語られた。ムワワドの作品はぜひ今後も紹介してほしい。世田谷パブリックシアターでは森新太郎演出『The Silver Tassie 銀杯』など、他では難しそうな翻訳戯曲を積極的に上演してくれてありがたい。日本で書かれた戯曲上演では、素晴らしい役者陣を揃えて壮大な物語を美しい構造で語ったマックス・ウェブスター演出、長田育恵『豊饒の海』。長田は『海越えの花たち』も素晴らしかった。(年間観劇本数:50 )
今井  克佳(大学教員) ・渡辺源四郎商店×(一社)おきなわ芸術文化の箱『ハイサイせば~Hello-Goodbye~』(こまばアゴラ劇場) ・こふく劇場『ただいま』(こまばアゴラ劇場) ・地点+空間現代『グッド・バイ』(吉祥寺シアター) 多くの優れた演目、記憶に残る舞台を2018年も見ることができた。大劇場や高額の演目および新劇系統にももちろん優れた上演がたくさんあったが、サイトの特質上避けて、小劇場中心に選んでみたところこの三本となった。いずれもやや前衛的な演出傾向のある演目となった。『はいさいせば』はウチナーグチと津軽方言という発想が印象深く、『ただいま』は古典芸能の道具立てで展開していく家族ドラマのスタイルが興味深い。『グッド・バイ』地点と空間現代の共演のレベルが一つ上がり、言葉と音楽と身体が一体化したパフォーマンスを楽しんだ。また出演俳優の力量も三本とも優れていた。いずれも東京で鑑賞したが、発信地は、青森、沖縄、京都、宮崎と全て地方である。演劇における周縁(地方)の力を再認識するとともに、うち二本が上演されたこまばアゴラ劇場が果たしてきた役割の重要性にも思いが至る。(年間観劇本数:118)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・なかないで、毒きのこちゃん『やっぱり!おれたちにあすはないっすネ』(ザ・スズナリ) ・制作「山口ちはる」プロデュース『恋愛監獄』(小劇場 楽園) ・地蔵中毒『「淫乱和尚の水色腹筋地獄」改め「西口直結!阿闍梨餅展示ブース」』(王子スタジオ1) 選んだ3団体はいずれも驚異的なペースで創作を続けており、また単に多産というだけでなくどれもが秀作揃いで団体を選んでから作品を選ぶのもまた大変だった。なかないで、毒きのこちゃんのこの作品は地方公共劇場のプログラムディレクターに是非知って欲しい。この3団体は2019年も継続して活躍が期待できると思う。2018年を概して言えば、遅筆騒動が多く、またそれを扱った作品も多かった。それが理由とは感じていないが、新作戯曲に目を見張るものが少ない。これは2019年に更に期待したい。(年間観劇本数:365)
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