牛舎さんでハンバーグカレーの180gを食べて来ました。ハンバーグはミディアムで食べました。ハンバーグ美味い😋🍽 #神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2022 #神田カレーグランプリ #牛舎 (牛舎) https://www.instagram.com/p/CirE7BQvztZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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輸入ブリキ看板専門店のRYUKYU SHOWCASEです。 3頭のウシがデザインされたブリキ看板です。 牧場のしぼりたての牛乳が飲みたくなりますね。 ウシのイラストもリアルなんですが、カワイイです。 ガーデニングにオススメです。 牧場経営の方からのご注文も多い商品です♪ ※商品詳細はプロフィールのリンクからどうぞ♪ #ブリキ看板 #インテリア雑貨 #アメリカ雑貨 #輸入雑貨 #牛 #うし #ウシ #牛乳 #ミルク #乳牛 #牧場 #牛舎 #ガレージ #diy #ryukyushowcase https://www.instagram.com/p/CiG7iFxL0GD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022年11月11日
【新入荷・新本】
『牛腸茂雄全集 作品編』(赤々舎、2022年)
H245mm × W255mm. 248 pages. Hardcover.
監修:三浦和人
執筆:冨山由紀子
Book Design:須山悠里
価格:8,800円(税込)
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牛腸茂雄が生前に発表した作品全点を収載する決定版。
本書は『牛腸茂雄全集』全2巻のうち「作品編」に当たる(「資料編」は2023年11月刊行予定)。近年、国内外で日本写真史、特に1960年代以降の写真史再考の機運が高まっており、中でも��要な作家の一人と位置づけられる牛腸茂雄の全体像を俯瞰できる書籍が現在入手しにくいことから、今回の全集刊行は企画された。
「作品編」には、生前に刊行された4冊の作品集『日々』『SELF AND OTHERS』『扉をあけると』『見慣れた街の中で』所収の全点と、生前に発表、もしくはまとめられた 2 つの連作〈水の記憶〉〈幼年の「時間 」〉全点を収録した。
1971年に自費出版された写真集『日々』は、桑沢デザイン研究所時代の同級生 関口正夫との共著である。各々24点ずつの写真が掲載された。牛腸がモノクロームで捉えた都市の日常には、そこに潜む歴史や政治を見出そうとする観察の眼がはたらいている。牛腸を写真へと導いた大辻清司の序文「写真をみる他人」を付す。
1977年に自費出版された写真集『SELF AND OTHERS』は全60点のシリーズ。すべての写真に人物が写っており、「自己と他者」の関係のありようをテーマとする。牛腸自身もセルフポートレートにおいて被写体のひとりとなっており、「自己と他者」はより複雑な奥行きを見せる。大辻清司による序文を付す。
1980年に刊行された画集『扉をあけると』は、全14点のインクブロット作品を収載する。これらは1972年1月から断続的に制作された。「紙とインクの奇妙な交接」であるシンメトリーのしみ。それに反応する自己を見つめ、記憶や想念を探ることに牛腸はつよい関心を抱いていた。
1981年に自費出版された写真集『見慣れた街の中で』全47点は、カラー・ポジフィルムで撮られ、これまでのスタイルを大きく刷新した。「見慣れた街」の日常を過ぎる「人間存在の不可解な影」を、コダクロームの鮮やかな色調や、光と影のコントラストの中に写し出そうとする。
1980年11月から制作を開始したマーブリングによる連作〈水の記憶〉。牛腸は57 枚を選んで配列を決め、小さな箱に収めていた。 水面に偶然生じた模様を紙で写し取る作品は、鏡やレンズの円形をも連想させる。牛腸が最後に発表した〈幼年の「時間 」〉の連作6点は、『日本カメラ』1983年6月号に掲載された。子どもは牛腸が最初期から撮り続けた被写体であり、生と死につながる眼差しを含みつつ、「老年」へとつづく構想を抱いていた。
本書は、上記の作品を制作された年代に沿って収載した。写真と写真以外の作品とが、外と内の一対のように現れる。刊行時の書籍に掲載されていたテキストも、その多くを再録した。また、牛腸が遺したヴィンテージプリントやフィルム原板を印刷の指標とし、その制作意図を現代の技術によって能うかぎり再現した。シリーズによって用紙を切り替え、作品と余白の関係を意識する。
巻末に、冨山由紀子(写真史研究者)による論考「『きわ』を生きる― 牛腸茂雄の作品と時代 」、年譜、作品リストを収載する。これらは「資料編」においてさらに拡充され、今後の参照を俟つものである。
"牛腸の作品は何かと何かの境い目、つまり「きわ」がどのように在るのかを捉えようと試行錯誤してきたようにも思える。たとえばそれは、文化と文化、時代と時代の接する「きわ」である。人と人の出会いが生む「きわ」であり、都市を生きる若者が直面する「きわ」である。そうしたさまざまな「きわ」の経験が、人間のふとした表情や身振りのなかに見出せるということを、彼は示して遺したのではないだろうか。"
冨山由紀子(写真史研究者)『「きわ」を生きる― 牛腸茂雄の作品と時代 』より
私は意識の周辺から吹きあげてくる風に身をまかせ、
この見慣れた街の中へと歩みをすすめる。
そして往来のきわで写真を撮る。
『見慣れた街の中で』序文より
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牛腸茂雄 Shigeo GOCHO
1946年11月2日、新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)で金物屋を営む家に次男として生まれる。3歳で胸椎カリエスを患いほぼ1年間を寝たきりで送る。10代から数々の美術展、ポスター展などに入選。1965年、新潟県立三条実業高等学校を卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学、その後、リビングデザイン研究科写真専攻に進む。1968年、同校卒業。デザインの仕事と並行して写真を撮り続ける。1977年、『SELF AND OTHERS』(白亜館)を自費出版。1978年、本写真集と展覧会により日本写真協会賞新人賞受賞。1983年、体調不良のため実家に戻り静養を続けるが、6月2日、心不全のため死去。享年36歳。2004年には回顧展「牛腸茂雄 1946-1983」(新潟市立美術館、山形美術館、三鷹市民ギャラリー)が開催され、2000年には佐藤真監督によるドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」が製作され大きな反響を呼ぶ。2013年、『こども』(白水社)、新装版『見慣れた街の中で』(山羊舍)が相次いで刊行された。
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寒い冬に お餅とぜんざい❇️ 日本人で良かったと思える 今も昔も変わらぬ甘味‼️ 小豆をシンプルに楽しむ甘さ控えめ当店の手作りぜんざいをぜひ😊 ぜんざいに焼きたての熱々なお餅を入れてご提供します😊 体も心もほっこりしてください✨ 牛島製茶 @ushijimaseicha https://www.yame.co.jp 八女茶cafe Leaf Heart https://yame.co.jp/cafe/ 八女茶のココロ日記 https://ameblo.jp/ushijimaseicha/ Matchacocoro @matchacocoro matchacocoro.com #日本茶カフェ #冬の甘味 #3時のおやつ #小豆 #焼きたてお餅 #八女茶スイーツ #カフェ巡り #牛島製茶 #福岡カフェ #八女茶 #筑後ランチ #八女茶カフェ #ほっこり #日本人で良かった #心に嬉しい #今も昔も変わらない #冬の風物詩 #冬の味覚 #湯気が嬉しい #田舎生活 #田舎巡り #手作り #matchacocoro #fukuoka #japantravel #ushijimaseicha #japansweets #country #japanesegreenteacafe (牛島製茶 けやき通り店) https://www.instagram.com/p/CmOmlwGLKX6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今日の出会い
お彼岸で安田のおばあちゃんち行った時
おばちゃんたちが連れてきてくれた
みるぱす
牛いるとこで食べたソフトクリーム美味かった
緑茶×ミルク味
2023.3.21
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きた牛舎 ヨーグルト
北海道チーズ博でチーズを購入させていただいていたきた牛舎さんが、ついにヨーグルトを作られたとのことで😍
サンプルを贈ってくださいました🙏
ありがとうございます!!!
きた牛舎
会社名は「北ぎゅう舎」で、ブランド名が「きた牛舎」。
美深町にて、島牧場の生乳を原料にしまミルク加工所でチーズ作りを行う工房さん。
牧場がお兄さんの経営で、工房のチーズ職人さんが弟さんらしい✨
1956年に入植されたご夫婦が一頭の乳牛を飼育したことから始まり、「牛のいるふるさとの原風景を守りたい」という思いから2009年に本格的にチーズの製造に着手されたそう。
ご当地の乳製品って、こういう愛の詰まったストーリーがあったりして、知れば知るほどに素敵。
スペック
ホルスタインさんの生乳100%のプレーンヨーグルト。
元々お近くの乳業者さんが道の駅でヨーグルトを販売されていらっしゃったものの、この春に製造を辞めてしまわれたとのことで、きた牛舎さんが新たにヨーグルトの製造に乗り出してくださることに。
ご当地ヨーグルトが絶やされていないことに感謝🙏
酸味のないヨーグルトで、2週間(ちょうど賞味期限が来るぐらい)で酸味が出てくるそう。
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開封
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おっ、ノンホモなんかな😍
蓋裏にぶわぶわっと脂肪層らしきものが付着。
ヨーグルトは液体に近い感じかな?
かなりゆるそう。
………!
スプーン入れてみたら、思ってたんと違った😳
ぷるぷる!
つるりん!
なにこの質感ーーーー!
杏仁豆腐みたい✨
なんかで固めた質感みたいなんやけど、原材料見ても生乳100%!
乳酸菌でこんな質感も作れるんや😍
そういえば、岩手の三谷牧場さんのヨーグルトも生乳100%でこんな質感。
同じ菌かな🥰
ほんのりコクのある香りでおいしそう💕
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頂きます🙏
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うわぁ気持ちいい!
うるうるしてる🫧
水っぽいんじゃなくて、お乳で潤ってるヨーグルト!
じーんと弱い酸味。
そしてお乳の甘みが広がってきてうまぁぁぁぁ💕
これはすごい。
普段食べてるプレーンと全然違う✨
ちゅるんとした食感が気持ちよくて、吸い込むように永久に食べ続けられる😋
蓋についてたのはやっぱり脂肪層で、お乳の風味が凝縮されてて香りも味も最高👏
ヨーグルトに混ぜ戻して食べると風味が立ってめちゃうま。
ミルキーでちゅるちゅるでハッピーになれるヨーグルト😍
ひゃー、これはリピしたい…!
通販でるかな🥺
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無脂乳固形分 記載なし
乳脂肪分 記載なし
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栄養成分(100gあたり)
エネルギー 56kcal
たんぱく質 3.6g
脂質 3.0g
炭水化物 4.9g
食塩相当量 0.1g
※全量は300g
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原材料名
生乳(北海道産)
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製造者
株式会社 北ぎゅう舎
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文翔館/山形市旅篭町【重要文化財】水の町屋七日町御殿堰〜山形県旧県庁舎、県会議事堂
文翔館とは
文翔館(ぶんしょうかん)は、山形県山形市旅篭町(やまがたけんやまがたしはたごまち)にある博物館だ。
昭和50年の県庁移転後は、両棟を文化財として保存することとなり、同59年12月には国の重要文化財に指定されました。
その後、同61年から文化庁の補助を受けながら修理工事を進め、平成7年9月に10年におよぶ工事が完成しました。
県では、「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」を貴重な文化遺産として保存するとともに、県民の郷土への理解を深め、また本県文化の振興を図るための施設「山形県郷土館」(愛称:文翔館)として活用することとし、平成7年10月1日開館しました、
文翔館について | 山形県郷土館「文翔館」…
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【お知らせ】 こんにちわ! いつもまめ暮らしでご紹介させていただいている 岩見沢のオーガニック農場 星耕舎さんからのお知らせをシェアさせていただきます(^_^ゞ 星耕舎さんは 岩見沢市にあるバイオダイナミック農業を指向する 有機JAS認証の農場です まめ一家ももう10年以上のお付き合いになりますが お野菜が美味しいことはもちろん ここで農作業体験を通した教育の場として集まったり 持続可能な社会づくりを目指しています! 色々な世代や目的の方が誰でも集まれる場にと考えています 多くの人たちの支えで少しずつ農場を手作りしてきましたが 16年という歳月を経て この度修繕や整備の必要がでてきました まずは皆が集まり語らい美味しいものいただく場でもある 大きなストローベイルハウスの修繕です 今は皆で小さな大工仕事に奮起しているところです! そこでぜひ 皆様に私たちの活動をご支援していただければと筆をとらせていただきました🙇🙇🙇 ぜひぜひ1度遊びに来て下さい!岩見沢にこんな素敵な地があるんだと風や香り そして田畑や動物たちの生命を感じてみてください♪ ご興味のある方は ぜひお声がけくださいね💕 まめ暮らしにも リーフレットを置いています ご一読いただければと思います! . . . #日記 #喫茶まめ暮らし #まめ暮らし #岩見沢 #星耕舎 #バイオダイナミック農業 #オーガニック農場 #ストローベイルハウス #牛🐂 #野菜 #米 #玄米 #大豆 #インドバイオダイナミック農場 #コーヒー豆 #ヤーコン #エシカル #持続可能 https://www.instagram.com/p/ChlsOI1JcyY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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久しぶりの牛舎❣️ 6月は季節限定が 昔ながらのオムライスだから 最高(*^^*)💕 #季節限定メニュー #昔ながらのオムライス #オムライス大好き #オムライス #レストラン牛舎 #shibuya #shibuyatokyo #奥渋谷グルメ #奥渋谷ランチ #奥渋谷 (れすとらん牛舎) https://www.instagram.com/p/CeVxaoOpmcH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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・ 牧場マトリョーシカ🐄 ・ SLOW living @n_slowliving に納品しました😊 ・ ・ ・ #マトリョーシカ #matryoshka #牛 #牧場 #牛舎猫 #スロウリビング #cupiporo https://www.instagram.com/p/Cd2zsl-PF6r/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。
オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。
しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。
なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。
この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。
ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。
『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。
なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
(直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。
この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。
なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた)
雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。
元所属タレントの告発も相次いだ。
元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、
元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、
元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、
元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、
豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、
山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。
タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。
中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。
同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。
ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。
元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。
ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。
時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。
その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。
メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。
必ずです! 全員やられてる!
そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。
ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。
ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。
しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。
当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。
剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。
自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。
その歌詞の一部には、
「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。
[1]
元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、
千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」
諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」
千原 「先見の明がすごいんでしょ?」
諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」
と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。
ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。
確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。
そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。
ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。
ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。
ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。
こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。
なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。
しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。
ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。
出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
【キャンペーン開始の引き金的な記事】
江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号)
【14回のキャンペーン】
青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255)
ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193)
ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1]
テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191)
ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1]
ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197)
小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1]
ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187)
ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181)
外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40)
ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181)
ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167)
NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173)
ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35)
【追加報道】
スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号)
ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186)
新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179)
ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181)
大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。
1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。
証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。
文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、
「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」
と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。
このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。
ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2]
しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。
この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。
「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。
報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。
芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。
真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。
また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。
以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。
そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。
2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。
2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。
2019年7月9日にジャニーが逝去。
その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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テリヤキハンバーグとフランク串カツ #brownistagram #はらぺこフレンズ #lunch #照り焼き #ハンバーグ #hamburg #串カツ #フランクフルト #牛舎 (れすとらん牛舎) https://www.instagram.com/p/CdZ140-JQcF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「三浦赤たまごと足柄牛ハンバーグ 贅沢オムバーグ」- 大雄山線 駅舎カフェ1の1, 小田原 (source)
(via 小田原にレトロな駅舎カフェがオープン!ハンバーグやスイーツも映えるメニューがそろう「大雄山線 駅舎カフェ1の1」実食ルポ - 記事詳細|Infoseekニュース)
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#おでかけ #山之村牧場
ジャージー牛の子牛が人懐っこくて可愛すぎる件。大人の牛は、見知らぬ人間が近付いても特に興味を示さないんですが、子牛は興味津津。寄ってきてくれます。
かわええ。睫毛長い。ひげの生え際の毛穴がかわいい。牛舎独特のにおいはどうしてもあるけど、それを吹っ飛ばすほどのかわいさです。
撫でるのをやめるとぐいぐい催促してきます。犬みたいでかわいい。
はい、撫でさせていただきますとも。
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今年も1月20日(金)午後から始まりました✨ 八女抹茶の緑と新鮮な地元のあまおうの赤が美しい季節のパフェ✨ 気づいたら季節外れのクリスマスカラーに笑 毎週金曜日14時以降から 日曜日まで提供している 大人気の週末限定メニュー✨ 今年はちょっとだけ 苺多めの ❇️苺一会のパフェ❇️ ※八女ほうじ茶付き ※筑後けやき通り店のみで提供 生産者からいただいたあまおうが無くなったら終了‼️ こちらのパフェは、 テイクアウトも承っております。 テイクアウトは、別価格がありますので店内スタッフにお尋ねください😌 4月中旬のいちごが美味しい季節まで提供を予定してます✨ ぜひ、八女抹茶スイーツとあまおうの美味しい組み合わせよろしくお願いいたします🎵 牛島製茶 @ushijimaseicha https://www.yame.co.jp 八女茶cafe Leaf Heart https://yame.co.jp/cafe/ LINEお友達募集中✨ 牛島製茶 八女本店 @qry9012x 筑後けやき通り店 @vb19814h JR久留米店 @niw73528 六本松421店 @738nnsmo #あまおうスイーツ #苺スイーツ #苺一会 #一期一会 #あまおうパフェ #八女茶カフェ #筑後市 #八女茶スイーツ #牛島製茶 #八女抹茶スイーツ #テイクアウトパフェ #テイクアウトスイーツ #筑後カフェ #福岡カフェ #クリスマスカラー #田舎時間 #バレンタイン #筑後テイクアウト #八女茶 #牛島製茶筑後けやき通り店 #leafheart #cafe #fukuoka #matchasweets #ushijimaseicha #japanesegreentea #japantrip #strowberry #strowberrydessert (牛島製茶 けやき通り店) https://www.instagram.com/p/Cnq-WaDyOur/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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