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#近藤誠
moroboshi5dan · 3 months
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yanarchy072 · 2 years
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・ ・ こないだ『ゲルハルト・リヒター展』へ行った時に観たMoMATの常設展示作品。 特別展が変わると所蔵作品が一部入れ替わる。 だから、新しい作品もあれば常時ある作品、そして、久しぶりの作品もある。 MoMATは大体の作品が動画でなければフラッシュなしで撮影できるからいいよねえ! そういえば、リヒターも常設に。 ・ #靉嘔 #レインボー北斎ポジションA ・ #駒井哲郎 #詩画集蟻のいる顔より3蛇 ・ #藤田嗣治 #哈爾哈河畔之戦闘 ・ #高松次郎 #No273影 ・ #宮本隆司 #神戸1995より神戸市長田区 ・ #会田誠 #美しい旗戦争画RETURNS ・ #森村泰昌 #BrothersALateAutumnPrayer ・ #村上隆 #サインボードTAMIYA ・ #福田美蘭 #Copyright原画 ・ #ゲルハルトリヒター #抽象絵画赤 ・ #東京国立近代美術館 #MoMAT ・ #東京 #tokyo #日本 #nippon ・ #instaart #artstagram #instagood #instapic (東京国立近代美術館|The National Museum of Modern Art, Tokyo) https://www.instagram.com/p/Ci2WKNgrHuy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 3 months
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病院がなくなったら、入院中の人や透析患者はみんな引っ越すから、当然、死ぬ人は減る。そこら辺を誤魔化すあたり、近藤誠と同じ擬似医療ビジネスで稼ぎたいんだろうなと思った。サプリでも売りたいのかな。
[B! あとで読む] 町から病院がなくなったら死ぬ人が減った…医師・和田秀樹が指摘する「日本の高齢者医療」の深すぎる闇 医者いらずのほうが確実に長生きできる
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yamada50 · 1 year
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名取熊野三社の一社、熊野神社 名取老女により平安末期に熊野三山を勧請しましたがその中心的社の熊野速玉社に由来します 中央の新宮社証誠殿、東に那智飛瀧権現社、西に本宮十二社権現社の社殿配置はミニ熊野で、奥州藤原氏や伊達氏の崇敬も篤かったと云います また仙台近郊で見られる狛犬さんは片足を上げているものが多く見られ特徴的でした #熊野神社 #名取熊野三社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 熊野神社(くまのじんじゃ) 鎮座地:宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51 主祭神:速玉男尊,伊弉冉尊,事解男尊,菊理媛神 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#龍神#神社仏閣#パワースポット#宮城県#名取市 #名取観光#宮城観光 (熊野神社) https://www.instagram.com/p/CmrHghNPkvk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ryotarox · 5 months
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日経
(ビジネスに役立つ政策の図解まとめ5個|図解総研から)
政策図解 | 近藤 哲朗, 沖山 誠, 鈴木 寛 |本 | 通販 | Amazon
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reportsofawartime · 2 months
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でしかも近藤誠さんとかの話なら毒なんやと
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tutai-k · 1 year
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意識的に、無意識的に、わたし「たち」がまなざす物語について
文フリ東京用の原稿『けものと船乗り』は、めどがつき、あす、最後の読み直しをおこない、裏表紙を作ったら��稿ができそうだ。 500円くらいで頒布できる本を作りたいね、とある人と話したりしながら作った物語で、じつは全然ちがうかたちだったのが、「わたしを語れ」と呼びかけてきてそこだけを抜き出した。 いまのかたちに落ち着いたことは、自分ではとてもよかったのではないかと思っている。 『浜辺の村でだれかと暮らせば』『山梔の處女たち』と、神経をとがらせて書く小説が多かったので、久しぶりになにも考えず、なにも気負わずに書けたことがよかった。
次の原稿は、別名義での原稿になって(これは実は『けものと船乗り』より先に終えていたが)それはそれで神経をとがらせながら書いている小説だし、その次も……いや、その次こそ、自分を試されているというか。 物語の概要を話したら「自分に近しいところを書くようになったね」と言われたが、「わかりやすく」自分に近しい「場所」を書くようになったなと思う。 だけどそれは、例えば『山梔の處女たち』に収録した「首輪とロマンス」でもそうだけど、「土地」「場所」をわたしは書かなかったわけではないのだ。ただ、それを書くに当たっての匿名性や覆面性がなかったから、書くことを控えていた部分がある。 方言の問題、風習の問題、いま自分が抱えている土地との軋轢や葛藤、それらは、文学的私性を飛び越えて、わたし自身の生存や実存に及ぶ問題でもある。 『「地方」と性的マイノリティ 東北6県のインタビューから』(杉浦郁子・前川直哉/青弓社)でも書かれていたが、なんらかの活動や表明をするとき、「地方」が問題なのではなく、「地元」が立ちはだかる。『片袖の魚』という映画も観たが、それはやはり、「地方」ではなく「地元」の問題なのだ。 わたしはあの映画の中で、(だれもが心を痛める飲み会の場面で)、表明も宣言もできず、迎合するしかなかったそうしなければ生存できなかった当事者はいなかっただろうかということばかり気になった。 それはわたしが、「地元」から出ない(出る可能性がないと自分自身で思っている)人間だから感じる動悸で、きっとそんなものはさっさと捨てられてしまう人間には見えることのない恐怖だろう。
わたしが語る声を得られそうだと思い、語りはじめるのは、たぶん仕事を変わったからで、「ここから出て行けそうだ」というのがあるんだと思う。 『浜辺の村でだれかと暮らせば』を県内の雑誌に紹介してもらったとき、顔出しの取材はできるかと聞かれた。あのときはできなかった。「地元」がわたしの前に立ちはだかったからだ。 「地元」さえなければ。「この場所」が他者であってくれていれば……そう思いながらわたしは断らざるを得なかった。あのときの悔しさと動悸を、わたしは語らねばならないし、語り、残し、そして「それでもそこで生きる人」の隣に座る表明をしなければならない。
物語というのは一方的だ。語るものの言葉より、聞くものの要求のほうが「読み」として先行していく。物語自身が持つ言葉は、それに耳を傾けるものの心の声に共鳴してあたらしいものをたしかに生み出しはするだろうが、物語そのものが持つ「声」の強度は、そこにはない。物語を物語たらしめるのは、読むほうの「物語性」の要求に「応えられるか」で測られている。 いま取りかかっている原稿で、わたしはそれに迷っている。 物語の定石として置くべき石をそこに置くか否かということを。 物語を「読む」方の要求に素直にしたがうのならば、そうするのが正しい。その石をそこに置けば、この物語はエンタメ性を獲得して、「面白く」なる。だけど、「なぜ何かが起こって、なにかに対処する(乗り越える)ことを物語に要求するのか」と、物語はそのものがわたしに問う。 誠実さとは何か。語るとはなにか。「そこにいる」を書くということはどういうことか。 わたしたちはどんなゆるしも交換条件もなく、「そこにいる」・存在するものである。ならば物語を物語たらしめるのがわかりやすい「事件」であること、そしてそこで明らかにされる属性による困難を周囲が乗り越えてくる描写をすること、ではなくて、なにも起こらないまま「そこにいる」を書ききった方が誠実じゃないのか? という。 どんな事件が起きても起きなくても、人はそこにいる。生きている。実存があり、生存があり、存在がある。
ならばそれに添う語りを、「物語」としてもいいのではないか。 迷っている。それを書くことは、書き切ることは、わたしの力量で可能だろうか。届けるべき場所へ届けられるだろうか、「ここにいる」と宣言する物語の隣に座る人はいるだろうか、座れるだろうか。
これで?
問いはつきない。それでも、――それでも、書いていく。書いて、書物をここに一つおくこと、存在させること、それだけが表明である。
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mana-piyo · 3 months
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最新ライブ情報のお知らせ♡
3月は名古屋遠征、5月はThe Green企画(New Single発売!!💿)も決定しましたぁぁ(๑˃̵ᴗ˂̵)و ✨
2月11日(日)川崎銀座街商店街
13:00スタート・観覧無料 出演:近藤佑香 / 瑠愛 / 一原ちひろ / 野坂ひかり / 清野あやね / 上野まな(16:20〜) / 詩愛
ぜひ遊びに来てね!!♡
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2月14日(水)銀座ミーヤカフェ
清野あやね × Miiya Cafe Presents『Melting Music』 出演:前田有加里 / 林ももこ / 上野まな / 清野あやね 18:30 OPEN / 19:00 START 前売り・予約3,500円 当日4,000円 +drink order(600円)  配信チケット:2,500円(税込) オープン15分前にシャッフル整理券配布。 🎁出演者からのチョコレートプレゼント抽選会あり!
◎全曲ウクレレ弾き語り🎵 出演順は3番目の20:20〜の予定です
上野まなの前売り&ご予約でご来場いただいた方にささやかな記念チョコをプレゼント!♡物販でもお気持ちお配りしたいなと思います(※なくなり次第終了)🍫
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓
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2月18日(日)東京音実劇場
faithful music fruits~誠実な音の実~ 出演:上野まな / 大黒美和子 / ヒサ絵 / 前田有加里 開場12:00 / 開演12:15 前売3,500円 当日4,000円(+1ドリンク500円)配信チケット2,500円+システム利用料 サポート:ギター渡辺淳 ▶︎ご予約はこちら(完売となりましたが、全体でまだ空きがありご予約受付中です❣️) ▶︎配信チケット↓
3月3日(日)板橋ファイト!
〜もじゃもじゃヘアーの斎藤慶さんと初めての企画ライブ!!けいさんの歌から溢れ出す世界観と魅力をぜひ堪能していただきたいです♡貴重な?!コラボもぜひお見逃しなく🎵おまな様より〜🎎
上野まな×斉藤慶「まなまつり〜モジャモジャ様とおまなさま〜」Open 12:00 / Start 12:30 出演:上野まな / 斉藤慶 チケット¥3,500(+1Drink)配信 ¥2,500(ツイキャスプレミア・後日お知らせ!) サポート:ギター渡辺淳
※入場順はチケット&予約番号順でのご案内となります。
▶︎ご予約はこちら( 後日、チケット番号のお知らせメールをお送りします。)
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3月10日(日)川崎銀座街商店街
13:00スタート・観覧無料
3月17日(日)東京音実劇場
「想い出がいっぱい同窓会3マン」 開場12:00 / 開演12:20 チケット前売 ¥3,500 当日 ¥4,000(+別途1Drink) 配信 ¥2,500円+システム利用料(後日お知らせ!) 出演:伊藤さくら / 上野まな / 松岡里果 ※入場順は11:50〜整理券(シャッフル)配布。 サポート:ピアノ瀬田創太
▶︎ご予約はこちら(完売となりましたが、全体でまだ空きがありご予約受付中です❣️)
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3月20日(祝水)名古屋サンセットブルー
〜春の名古屋の夢の如し〜 出演:小野亜里沙 / 上野まな / けいこ / marina Open 11:30 / Start 12:00 Ticket:¥3,800(+1drink)配信¥2,500 ※入場は整列順となります。
3ヶ月ぶりの名古屋!marinaちゃんにお誘いいただきました!
◎ご予約人数が一定数を超えたら、ライブ後にファンイベント打ち上げお茶会を開催したいなと思っています♡(できるといいな‥🍰🍗)
▶︎ご予約はこちら 
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3月30日(日)神奈川・フリーライブ
2組で2ステージずつお届け🎵近日お知らせ!
4月6日(土)神奈川・フリーライブ
近日お知らせ!
4月7日(日)御茶ノ水パルトネール
「一周年月間〜アジアンタム〜」 出演:marina / 伊藤さくら / 上野まな OPEN 11:30 START 12:00 ADV¥3,000(+1order) 配信¥2,150 ※入場順は先着並び順の入場となります。 当日、ご来場予定人数が規定数を超える場合は整理券の配布が行われます。
▶︎ご予約はこちら ▶︎配信チケット↓(購入時には「お目当ての出演者名」のチケットをお買い求め下さい)
4月28日(日)板橋ファイト!
ひいらぎ繭×上野まな2マンライブ♪~Energy and healing~ Open 12:00 / Start 12:30 出演:ひいらぎ繭 / 上野まな  チケット前売り¥3,500 当日¥4,000 配信 ¥2,500 ※入場順は11:50〜シャッフル整理券配布。 サポート:ギター高田慶二
〜いつも元気と笑顔をくれるまゆちゃんと、いつも癒しを与える?上野まなを掛け合わせて、まゆちゃんがタイトルを考えてくれました♡約1年ぶりの2マン企画です!都内の箱ライブでは実は初めての、ギター高田慶二さんとデュオでお届けいたします🎵〜
▶︎ご予約はこちら
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5月19日(日)銀座ミーヤカフェ🌿
上野まなPresents「The Green〜Aroma × Songs〜Vol.4」 Open 11:30 / Start 12:00 チケット前売り¥3,500 当日¥4,000(+1Drink) 配信¥2,800 出演:前田有加里 / 大森真理子 / 上野まな ◎グリーンをテーマにした精油の香りで空間を演出🌿💕
※入場順は11:15よりシャッフル整理券を配布。 サポート:ギター渡辺淳
〜 vol.4は、エンターテイナーの女王(勝手に)前田有加里ちゃん、ダジャレと気配りのスペシャリスト(勝手に)大森真理子ちゃんの素敵な素敵なメンバーが決まりました✧*。(ˊᗜˋ*)✧*。
今回は春の季節なので、グリーンな香りにフローラルな精油を組み合わせてみようと思っています💐!
そして、上野まな次作アルバムリリースに向けての3枚目の最後のシングル『3』発売予定です!!💿🎉どうぞお楽しみに❤️‍🔥
心身ともに癒されに🍀ぜひお越しくださいませ(๑˃̵ᴗ˂̵)و 〜
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ご予約は今夜、2/9(金)20時〜受付開始です♡
▶︎ご予約はこちら
どうそよろしくお願いいたしまぁぁす🥳
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
��惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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aicannabis · 3 months
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映画「鬼哭(2003)」おぼえがき
「鬼哭」という単語はゲーム「鬼ノ哭ク国」で知った私です。
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幽霊なんぞ見たこと無いし、浮かばれない霊魂が泣くところが見れるわけないので、要は目的成就せぬまま死ぬことがタイトルで分かってしまう任侠ものです!(※ただしエンディングは別バージョンが存在するので、後述します)
今回は感想というより、あらすじを書いてしまうので、今後見るつもりの人は読むのをやめといたほうが良いです!
こちら至って王道な任侠ビデオ映画だと思います。
三池崇史監督作品ですが、ど派手な血しぶきや残酷な描写はありません。
終始、哀愁の表情をした国分誠治こと安岡力也が見れます!もう20年以上前の若き日のRIKIYA!!!
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あらすじ
伊達会・武藤組の構成員・国分誠治 通称セイジ(安岡力也)と岡本良文 通称ヨシ(曽根 悠多)は組長・武藤(岩城滉一)の下、固い絆で結ばれているが、伊達会で抗争が勃発したことから、3人の運命は大きく変わっていく。
まあまあ詳しいあらすじ
誠司は、組長の武藤に育てられた孤児として育った。武藤組は組長の武藤、セイジ、ヨシのたった3人で構成されており、中規模な伊達会の傘下である。
対立する何百人も抱える天堂会への清算のための金を求められた武藤は、代わりに天道会の会長を暗殺することを誓う。 セイジは自分が暗殺を実行することを申し出るが、セイジはすでに暴力団関連の殺人事件で15年の殺人刑に服しており、武藤は承諾しなかった。 翌日、武藤は違法銃器所持で逮捕され、懲役2年の判決を受けた。
セイジは天堂会会長を天道充胤(丹波哲郎)別荘で待ち伏せし、瀕死の状態に陥らせたが、天堂会は即座に反撃してきた。
天道会高坂組(三木良介、本宮泰風ほか2名)は、伊達会に赴き、石黒に「誰が会長を殺したか」と尋ねる。石黒は「国分だ」と答えた。(石黒は撃ち殺される)
その後、天道会高坂組が武藤の元妻サチエのところへ国分の居場所を確認しにやってくる。「知らない」と言い切るサチエに「武藤か国分のどちらかが始末されるんだよ、清算するとはそういうこと」と告げる。 逃亡中のセイジとヨシが食事を食べていると、ヨシの電話に何度か着信があった。セイジは「誰からだ?」ヨシ「なんでも無いっすよ」「・・・女からです・・・」
セイジ「会ってこいよ」
電話をくれた彼女に会いに行くヨシ。
天道会高坂組がやってきて、国分の居場所を確認するふりをしてヨシを殺す。 「女は殺るもんじゃない、犯るもんだ」(彼女はそういうことに)
武藤組長が伊達会からの絶縁された話を聞いたセイジは伊達会に戻るなり、怒鳴ってきた人物を射殺する。 伊達会の関係者たちは、武藤組長が追放されたのは、暗殺の実行を避けるために警察に出頭して刑務所に入ったためだと説明する。 しかしセイジは、自分が武藤組長を守るために警察に密告したのだとあっさり説明する。
そしてセイジに銃で詰め寄られた両角(石橋蓮司)は「絶縁は撤回する」と宣言。
ムショにいる武藤のもとへサチエが知らせに行く。「絶縁処分は一時保留だって」
セイジは天堂会組長の暗殺を実行するが、その直後に左脇腹を撃たれる。
そしてセイジは武藤の妻サチエのバーの前で行き倒れ、医者に連れて行かれる。その直後、伊達組長は暗殺される。
武器商人が武器を持ってサチエの家に現れる。
「伊達総長が解散声明出した。フィリピンあたりに逃げよう。」
彼は去る前に「よくわかったよ、セイジはあんたと一緒じゃなきゃ国外に出ないよ、あんたに惚れているから。あんたを守るためにがんばったんだろうね。」とサチエに告げる。
その頃、武藤が獄中で殺害される。 犯人は武藤殺害のためにわざと無線飲食で捕まっていた。 セイジは武器商人に相談するも武器商人から「獄中なんだぜ?仕組むも何も、裁判所に向かう途中でやるしかねぇだろ。」と言われる。
その後、セイジは裁判に向かう途中の護送車を襲い、武藤を殺した犯人を殺害して報復する。
サチとセイジは武藤とヨシの遺骨を抱えて海へやってくる。 そして海へ散骨する。
フィリピンへ逃亡するための船が到着し始めると、サチエは平和な未来への希望を込めてセイジの銃を海に投げ入れる。
荷物を取りに行くと、セイジに情報を提供していた武器商人(元警察官 公安課)香川が近くのクレーンに吊るされているのに気づく。
二人は波止場の端で追い詰められていることに気づき、船がトラブルを察知して向きを変える。 セイジがサチエに向けられたすべての銃弾を体を挺して阻止する。
泣き崩れるサチ。死んで横たわるセイジに、天道会高坂組のリーダーは「お前カッコ良すぎるぜ」と告げる。その後、天道会高坂組はサチエを傷つけることなく立ち去る。
(終わり)
「これが男気ってもんよ!!!」ということでしょうかね!
セルVHSでは別のエンディングが収録されている。
セイジが暗殺部隊に撃たれ、胸に手を伸ばし光る力の球を取り出し、暗殺者に投げ、宇宙からも見える爆発を引き起こす様子が描かれている。
私は配信で観たので、別エンディングはお目にかかったことがないです。
(2024.1.31追記)
映画「DEAD OR ALIVE 犯罪者」が1999年制作なので、この「別エンディング」は「DEAD OR ALIVE 犯罪者」のエンディングをセルフオマージュしてるってことか!!!!
「鬼哭」のセルVHSにしかない、別エンディング・・・観たいなぁ・・・
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keredomo · 1 year
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マティス、バッハ、フルニエ
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 連休前半を使った京都出張から戻って二日間の平日を働き、ゴールデン・ウィークの後半に突入した。初日には東京藝大の買上展と都美のマティス展をはしごすることが叶い、連休を充実させようという気力が湧いている自分に安心する。  先年に生じたあまりにも苦しい出来事の傷によって長いあいだ鬱状態に陥っていたが、親しい人々の助けと輸入したサプリメントの服用によって半年かけてなんとか回復したようだ。連休二日目の今日も、最近サードプレイスとして活用している大学図書館へのおでかけを実現した。あの頃のままの私だったら、昨日も今日もひたすらに酒を飲んで鬱々と自傷し、現実から解放されるために昏昏と眠り続けていただろう。そんな精神状態は、この五月晴れにはふさわしくない。
 マティス展は、客層の顔がやたらとよかったのが印象的だった。私は実はマティスをそれほど好きではなく、あの仕込んだようなおしゃれ感がどうにも苦手なのだが、それは私が野暮ったいからで、おしゃれな人はマティスのおしゃれに怯むことはないのである。マティス展の観客たちの多くは、かっこつけるという気恥ずかしさに怯むことなく自らのスタイルを行使していた。なかでも印象的だったのが初老の女性たちで、彼女たちはみな、白髪をぎゅっとポニーテールにしてデニムを身に纏い、高級なデザインの施されたシルクのスカーフを首元に巻き、慈しむような薄い微笑みを浮かべながらマティスの描いた絵をじっと眼差していた。
 マティスが切り絵で『ジャズ』を作った時期の作品たちを眺めていて、佐藤のことを思い出した。  佐藤とは、二〇代の前半から半ばにかけて関わっていた男だ。下の名前は知らない。たしか十以上歳上で、顔と体格が美しく、服のセンスがよく、言葉のセンスもよく、職業選択のセンスもよい男だった。佐藤は当時、高級で質の良いものを扱うセレクトショップの広報に就いていて、音楽喫茶に通うのを趣味としていた。聞き出してみると、どうも、縁ある女性と中央線沿いの無理のない駅に暮らしているらしかった。一緒に暮らす女性があるのに私にも手を出そうとする佐藤は社会的誠実さを欠いていたが、他者がもたらす偶然と知識とに貪欲だった当時���私にとってそれはどうでもよいことだった。他者が私を食おうとするとき、私は相手が食う以上を食う。それだけが信条で、その信条がゆえに私は自身が傷つくことにひたすら鈍感だった。傷ついた以上に得るものを得ていた、その好例が佐藤だ。
 佐藤は磨いてきた自分のセンスに自信を持っている男だった。私の、文化的に未熟ながらも野蛮にほとばしる文学的才覚に気づいて、その芽を育てることに夢中になっていた。自分が力を注いで洗練させた美しい趣味を私に授けることに喜びを見出しているようだった。実際に、佐藤はよい趣味をしていたと思う。  趣味のよいとされる音楽と趣味のよいとされる香水を、佐藤は私に叩き込んだ。音楽について、一つはグールドだった。当時の私は、グールドの名前すら知らないほど音楽に無知だった。今思うとあまりにも恥ずかしい無知だが、知的にある程度の分別がついてから初めてグールドを聴けたのはいい経験だったかもしれない。ピアノを習った経験からクラシック音楽を聴く習慣はあったが、プロコフィエフもブラームスも、グールドの演奏を聴くまでよいと思ったことはなかった。  グールドをひとしきり聴かせた後、佐藤はピエール・フルニエの演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲のCDを私に手渡した。フルニエのチェロが奏でるバッハは身悶えするほど素晴らしかった。初めて、バッハに神の幻影を見出す人間の気持ちがわかった気がした。演奏はきわめてポップなのだが、そのポピュラリティが一般的な人間と神とを接続する可能性を持っているような気がした。佐藤に渡された二枚組のCDの、アルバムカバーを飾っているのがマティスの切り絵だった。  フルニエの音楽は全くもってジャズではないので、そこにマティスが飾られている理由はいま見返してもよくわからない。フルニエの演奏するバッハとマティスの切り絵は、かけ離れた存在同士であるように、一瞬思った。が、確かめるために改めてフルニエのバッハを聴くと、そこにマティス的な抑制を感じなくもないのだった。
 マティスの絵画やデッサンは、音楽的と称されるごとく、自由でのびやかな筆致でなされているように、一見するとみえる。しかしそこには恐ろしいほどの抑制が働いている。心のままにあと数センチ伸ばしたかった筆を、ぐっと堪えることでしか完成し得ない画面が、そのタブローの内側に見える。マティスの忍耐をタブローが受け入れ、見事な画面を成立させていることが、その絵をよくよく見ると伝わってくる。  フルニエのチェロもそうだ。「この音を伸ばしたい」と、きっと誰もが思う瞬間に音を切っている。まだ響き続け得る音を、指ではっきりと止めているのだ。マティス展に飾られた夥しい作品を眺めてからフルニエを聴き直すと、そういうことが新たに見えてくる。  佐藤というのは、おそらく偽名だったのだろう。日本における最も一般的な名字を名乗って、自分というものを晒さず、匿名性のもとで私をどうにかした男だったのだろう。それを為すモチベーションがまったくわからなくて、意味不明な存在である佐藤のことを、私はこれからも時々思い出しながら暮らすのだろう。
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kennak · 1 month
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本来は親友に向けたマンションリフォームのアドバイスだが、LINEで送るには長すぎるので、増田の日記として公にさらしてみる。ブコメやトラバで有用な反論が得られるかもしれない。祝1000user超え。いろんな意見が聞けて楽しい。おそうじ浴槽がみんなに届いてうれしい。祝2000user超え。自分の知識がみんなの役に立ったようでうれしい。はてブ愛してる。増田は建築士としてそれなりに経験値はあるが、住まいのあり方や価値観は本当に多様なので、N=1の意見として参照するぐらいがちょうどよい。大前提適切な断熱壁と二重ガラス樹脂サッシが装備されていること。それがない建築が許されるのは安藤忠雄だけ。既存のサッシが交換できないならインプラスなどの内窓をいれればよし。風呂編おそうじ浴槽!これが言いたくてこの長い日記を書いているといっても過言ではない。google:image:おそうじ浴槽 他の設備投資を削ってでもこれを装備してほしい。日々の家事から風呂そうじを排除できるのでオススメ。じゃあ何を削ればいいかというと、、、鏡→いらない。水アカ掃除の手間を増やすだけ。化粧棚→いらない。必要に応じて山崎実業のマグネット収納をつかえばよい。浴室乾燥機→いらない。アイリスオーヤマの除湿器で代用できる。風呂の入り口付近にコンセントを用意しておく。上下するシャワーフック→これはいる。が、山崎実業のマグネットフックで代用可能。風呂のサイズは1620か1616にする。この2つは浴槽が1.6mあるから足を伸ばせる。そのほかの1416とか1418 etcは浴槽が1.4mになってしまう。ただし1616は一般に住宅用しかない。なぜか1620はマンション用もある。住宅用とマンション用の違いは施工に必要な天井の高さ(これショールームのスタッフすら知らなかったりする)。マンション用のほうが必要高が低いので、排水の勾配など制約の多いマンションでも施工できる。逆に言えばその制約さえクリアできれば住宅用をマンションに施工することも可能。最近は1616でもマンション用があるとのこと。TOTOは1717というさらに浴槽が大きいやつもあるらしい。トラバ感謝。なお換気扇は選べるならパナソニック製をオススメする。パナソニック以外は換気扇の羽を外すことができない。それでお前は何にしたノーリツのユニットバス1616。標準でおそうじ浴槽がついてくる。なぜならおそうじ浴槽はノーリツの特許だから。だがコスパが高すぎて儲からなかったのかノーリツはユニットバス事業から撤退してしまった。。。床編なぜか無垢フローリングにあこがれる人が多いが、高いし隙間が空くしメンテも大変で何がいいのかさっぱりわからん。オススメは厚突きフローリング。無垢の質感とべニヤの寸法安定性を両立している。薄い突板のフローリングは偽物感がすごいので、だったら偽物でいい。マンションだと防音フローリングといってふにゃふにゃのフローリングを勧めてくる工務店がいるが、これは工務店の施工が楽になる建材でユーザーにメリットはない。下地側で防音は確保できる。仕上げの塗装ウレタン塗装やUV塗装は強靭で水を放置しても浸透しない。ただし傷ついたときの補修はプロに依頼しないといけない。自然ワックス仕上げは質感に優れるが、醤油をこぼしたのを一晩放置すると浸透してシミになる。数年おきに塗り直しが必要だが自分でDIYできる。どっちが良いかはお好みで。それでお前は何にしたニッシンイクス150mmオーク自然オイル仕上げ/30度ナナメ貼り。��合オーク150幅 | 無垢・複合フローリング・不燃ボード|NISSIN EX.本当はヘリンボーンにしたかったがめっちゃ高いのでナナメ張り。床暖房温水式にしよう。電気式は暖まるまでの時間がかかりすぎて実用的でない。壁や天井の仕上げ天井躯体あらわし!中古マンションでなければできない仕上げ!天井は水漏れでカビてなければそのままつかえるはず。ぜひやろう。壁壁面は大抵のマンションで解体後にGLボンドという接着剤が盛大に残るので、上から塗装するかそのままにするかを判断する必要がある。google:image:GLボンド 撤去 マンションリフォームの事例集で綺麗なコンクリート壁がでてくる場合があるが、あれはもう一回壁を仕上げなおしている。余談だが世の中のほとんどのコンクリート打ちっぱなしの建築は、コンクリの上から打ちっぱなし風の塗装をしている(安藤忠雄のように本物のコンクリートで打ちっぱなしを仕上げるのはものすごく難しい)。一般人はその塗装をみて「やっぱコンクリート打ちっぱなしはかっこいいねー」と言っている。それは塗装だ。たまに「コンクリート打ちっぱなしって寒くないの?」と聞かれるが、それは断熱が入っていない建築をイメージしているから。なので安藤忠雄の住宅は夏暑いし冬寒い。なお忠雄本人はタワマンに住んでいる。マンションの場合、隣や上階に部屋があればそこが断熱として効くので打ちっぱなしでも大丈夫。ただし床は例外。熱伝導率が高いので皮膚が触れたときに同じ温度でもコンクリートやタイルのほうが冷たく感じる。それでお前は何にした壁面はGLボンド撤去の上、塗装。一部モルタル塗り直し。一般の壁はAEP塗装の白マット仕上げ。寝室とクローゼットはモイスという調湿建材。壁紙はきらいなので未使用。キッチン食洗器海外勢のデカイ食洗器をいれよう。パナソニックのビルトインは買ってはいけない。あれは卓上タイプよりも食器が入らない。海外食洗器をキッチンをいれるときは、床から天板の下端までの高さに注意してほしい。日本だとミーレがデカい顔をしてぼったくり価格で売っているが、これは高さが80cmでギリギリ日本の一般的なシステムキッチンに入る寸法だからだ。AEGやボッシュは82cm以上を要求するので、日本の一般的な85cmの高さのカウンターだと入らないことが多い。逆に言えばとにかく下を82cm確保すればどのメーカーでも入る。AEGはカゴがリフトアップする。ボッシュは耐久性が高い。ガゲナウはボッシュの見た目をかっこよくしただけ。IKEAはAEGのリフトアップを削除した廉価版。ミーレはぼったくり(2回目)。ガスorIH中華料理命!でなければIHをオススメする。加熱時に上昇気流が発生しないから油が飛び散りにくいし、使っていないときはフラットだからほかの用途に使える。勝間和代氏はIHのガラスの上でうどんこねてた。それでお前は何にしたコスト削減のためシステムキッチンは購入せず、天板だけ買って大工さんに施工してもらった。天板の下は無印の収納を突っ込んでいる。これで百万ぐらいコスト削減。天板はシゲル工業で作ってもらった。スクエアシンクって手で溶接するからめっちゃ高いんだけど、ここはプレス品だから安い。スクエアシンク | ステンレスワークトップとキッチンシンク製造のシゲル工業その他に検討したのはキッチンハウスのグラフテクト。今でもグラフテクトはアリだと思っている。GRAFTEKT -グラフテクト- | 家具のようなキッチン・システムキッチン水栓はLIXILのナビッシュA6。濡れた手で触らないので、水栓周りがよごれにくい。https://www.lixil.co.jp/lineup/faucet/navish/換気扇はパナのDEシリーズかフジオーにしよう。メンテがしやすい。パナはDWという10年掃除不要と謳っている製品を推しているが、あれは代わりに一切のメンテができず、10年で本体交換を必要とする地雷。IHもパナ。グリルまでIHにしている唯一のメーカー。このグリルが優秀で、オーブン代わりになるし、パンもおいしく焼ける。おかげでヘルシオとバルミューダトースターが不要になった。洗面台水栓は垂直面から生えたやつにすべし。立ち水栓は根本が汚れる。ダブルボウルは便利だが、なくてもなんとかなる。それでお前はLIXILのYL-537を2台設置。洗面台と水栓が一体型で、かつ壁から水栓が生えている。本来は公共施設用のものなので耐久性が高い。それでいてシステム洗面台より安い。いいことづくめ。唯一の弱点は排水トラップが真下に生えるから下の収納に制約がでる。脱衣所にガスコンセントを引いておくと、ガスファンヒーターで冬の風呂上がりの寒さや洗面所の足元の冷えを解消できる。乾太くんやガス炊飯器もそうだが現代のガス機器は優秀なのにマイナーなのでもっと評価されるべき。トイレ安さに惹かれてパナのアラウーノにしたが、失敗した。パナはアラウーノの素材のことを「有機ガラス系新素材」とか言っているが、これは単なるプラスチック。普段は自慢の泡洗浄で汚れを防いているが、一度洗剤が切れると陶器の数倍の速さで汚れる。しかも洗剤の消費ペースが早く毎月補充が必要。めんどい。やはりトイレはTOTOにすべきだった。パナは商品設計はとても誠実なのに、どこかに弱点があると言葉のあやでごまかそうとするのがムカつく。パナソニックが聞きなれない単語を使い始めたら要注意だ!手洗い器は洗面所と同じで、垂直面から水栓が生えているやつにしよう。その点でサンワカンパニーはダメ。あいつらインスタ映えすることばっかり一所懸命でメンテのことを忘れてる。照明調光可能な照明を入れる人類は太陽の動きと連動して暮らす生活を何万年と続けてきたので、極力それに合わせた照明を計画するのが基本。究極は「日が沈んだら寝る」だが、現代人には無理ゲーなので「夕日が沈むのを遅らせる」のを目的とする。なのでだんだん暗くできる調光可能な照明をいれる。夕日の代わりなので暖色にする。色温度が変わる機能は不要。増田は風呂や納屋も含めて調光可能にした。深夜になにかを思い出して、納屋やトイレに行ったときにバチっと全開でライトが付くのは不快だ。パナソニックがまさにそういった夜間だけ暗くなる人感センサースイッチを出している。[トイレ壁取付]かってにスイッチ(換気扇連動・ほんのり点灯モード対応) | アドバンスシリーズ | スイッチ・コンセント(配線器具) | Panasonicタスク&アンビエント聞きなれない言葉かもしれない。これはタスク=作業場所とアンビエント=環境照明は別々に計画しましょうということだ。真っ暗な部屋でスマホライトをを下向きにすれば手元が照らされ、上向きにすれば部屋がぼんやり照らされる。照明は向きによって機能が変わる。食卓やキッチンなど何かしらの作業が発生する場所には下向きのライトで必要な明るさ確保、それだけでは全体が暗いので、上向きの間接照明で明るさを補うといい感じになる。食卓の上にペンダントライトを吊るのはタスクライトのためであってオシャレのためではない。この「何かしらの作業が発生する場所」はライフステージの中で結構変動するので、照明の位置や向き、数を可変できる「照明ダクト+スポットライト」が増田のオススメ。白くて丸いシーリングライトは、タスクに必要な明るさを確保しようとするとアンビエントまで過剰に明るくなる。すると眼の光彩が絞られて手元が暗く感じる→さらに明るいシーリングライトを買ってきて・・・の無限ループに陥る。親のいる実家がどんどん明るくなるのはそのせい。シーリングライトは法律で販売禁止にすべき。それでお前は何にしたタスクライト→天井に配線ダクトをつけまくり、MAXRAYのレトロフィットスポットライトMS10481-44にウシオ電機のCシリーズの電球。 LDR6/5 E11 φ65 ロング(スポットライト) | 照明器具のマックスレイ | ウシオライティング(製品サイト) 信頼できるメーカーで調光可能で演色性が高くてそれなりに安いとなるとこのへんになる。ウシオ電機は一般にはあまり知られていないかもしれないが、建築業界ではとても有名な照明メーカー。器具自体はデザインでお好きにどうぞ。よく「LEDは10年もつぞ」と言われるが、その前に5年ぐらいで制御基板が壊れるので灯数が多い器具は電球が分離できるやつにしておいたほうがいい。アンビエント→リビングはコイズミ��棚上照明。商品名の通り壁面収納の上を間接照明にして天井を照らしている。Shelf’s Compact Line|シェルフズコンパクトライン|コイズミ照明株式会社寝室は壁面にパナのホームアーキの壁面ブラケット。天井には照明無し。HomeArchi(ホームアーキ)|ブラケット|住宅用照明器具 | Panasonicスイッチ基本スイッチはすべてパナのリンクプラスで遠隔操作可能にした。正直高くついたしアプリは超クソだが、PSEを遵守したなかで選ぶとパナしかない。Philips Hueなどのスマート電球でリンクプラスの代用とすることも可能だが灯数が多いときはあまりオススメしない。演色性が低いのと基盤がすぐ壊れる。アプリはクソなので(2回目)、これらをArduino+Homebridgeで自動制御しているが、詳細を書くとこの日記が3倍に膨れ上がってしまうので、そのうちQiitaにでも書く。なお照明は製品設計としてそれなりに奥が深いので(インバーター周波数とか演色性とかカンデラとルクスとルーメンの違いetc)なるだけパナか照明専業メーカーのものを使おう。安いからってアイリスオーヤマとか買っちゃダメ![B! 家電] ブログ アイリスオーヤマのLEDシーリングライトのチラツキが酷いパナのアプリがクソで思い出した。パナソニックの玄関ドアホン、これもアプリも超クソだった。ピンポーンとなってからスマホで出るまでに30秒はかかる。 30秒もまたせたら相手は留守だとおもって立ち去ってしまう。それじゃあ、と思ってアイホン、Google Nest、Alexa Ring、も買ったが同様に遅延がひどい。どうしろと!!→結果、Aqara G4でなんとかジプシーを卒業できた。今んとこまともに機能するスマホドアホンはこれだけかも。安藤忠雄は好きです。
マンションリフォーム虎の巻
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witching---hour · 7 months
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1/400 DOMPLUS
フルスクラッチ ドムプラス
知る人ぞ知るドムプラスです。 小林誠先生のデザインによるMSでして、 HJ別冊「ガンダムZZ」にて小林誠先生の劇画に登場、 その後、87年4月号にて鎌田勝先生により立体作例も作られています。 実は「ジオンの再興」にも、1コマのみ、ゲスト的に登場しており、 遠景にて全体像はわからないながら、 近藤先生アレンジが加えられたドムプラスが確認できます。 そんな近藤版ドムプラスとして作成しています。 「ジオンの再興」で確認できるのは上半身の前側だけですので、 そのほかは鎌田先生の作例に合わせつつ、 自身の他作品と違和感が出ないようにアレンジしています。 過去の作品でのツインメリットコーティングは、 エポパテを薄く伸ばし、エッチングソウでちょこちょこと跡をつけるという手法をとっていましたが、 今回は1㎜プラバンの断面に段差を掘った治具を用いて、 パテ表面にスタンプしています。 オーバースケール気味ですが、こちらの方がそれっぽく仕上がったように思います。 塗装はファレホでの基本塗装後、タミヤエナメルでウォッシング、 さらにファレホでの描きこみを行い、 ��期にタミヤエナメルのタンで足回りを中心にドライブラシを入れています。
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brygry · 1 year
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論敵にとにかく不名誉なレッテルを貼って道徳的に勝利する手法には、最初のうちはある程度の効果があった。 しかしながら、コツコツと精緻なデータやエビデンスを積みあげてきた相手に対して真摯に議論に応じるでもなく、粗雑なレッテル貼りを繰り返すうちにその効力も次第に弱まり、連戦連勝というわけにもいかなくなった。「相手が真剣に論拠を用意してるのに、リベラル派は頭ごなしにバカ扱いしてるだけじゃないか。いいかげん誠実に対話に応じろよ!」というオーディエンスの声がとくにSNSでは次第に大きくなり、形勢が悪化していった。 伊藤氏によるひろゆき氏の評価「自己や社会の複雑さに目を向けることのない、安直で大雑把なものであり、知的な誠実さとは縁遠い」とは、気を悪くしないでほしいのだが、ひろゆき氏以上にかれら「リベラル派」の近年の言動にこそ向けられてきた社会的評価である。 「もしかしたら、自分たちにも当てはまることかも……?」というメタ的な自己言及性がかれらに少しでもあれば、ひろゆき氏がこれほどまでに台頭することもなかっただろう。あるいは、私がこのような媒体で言論の機会を与えられることもなかったかもしれない。極言すれば、現在の政権与党が立憲民主党でさえありえた。 しかし、繰り返し述べるが、かれらはそうしなかった。
なぜ「ひろゆき」は時代の寵児となったのか?「かわいそうじゃない人」を見放した日本社会の末路(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)
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dadnews · 1 year
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(左から)大塚真実さん・塩浦健吾さん・近藤誠さん 五輪・塩浦選手の父らが人命救助 小田原消防が感謝状 [神奈川新聞] 2022-11-22
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tutai-k · 1 year
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表現するという暴力、記録するという誠実
4月22~24日のあいだ、水俣へ旅をした。 水俣という土地のことを、わたしは石牟礼道子の『苦海浄土』『椿の海の記』『魂の秘境から』、この三冊の本でしか知らない。石牟礼道子を読もうと思ったのも「水俣」という地に興味があってではなかった。ネイチャーライティングやエコクリティシズムに興味があり、それらの本を読むと必ずと言っていいほど、石牟礼道子の名を目にした。だから読んだ。それはソローの『森の生活』を読むようなもので(『森の生活』は、あまりにおじさんの愚痴がひどくて耐えられなくて上巻を読んで挫折した。なんなんだ、最近の若い者はイリアスも読んでないとかいいだすの……わたしは中学生の時に読んだけど意味がわかんなかったよ)『椿の海の記』を読んだとき、そこに特別な感情はなかった。次に、と手を伸ばした『苦海浄土』、ここで、「水俣」という土地が、わたしの前に肉感をともなって立ち現れた。いや、わたしの足下に地盤がせり上がってきた、とでも言うべきかも知れない。 そこが足をつけて歩くことのできる土地であり、人が生きる土地であり、――文明に引き裂かれた土地である、という「足下」に気づいたのである。
水俣という土地を旅して経験したことは、無数にある。そしてそれは、旅を終えて一週間で言語化できるような体験ではなく――水俣という土地に「水俣病」という人間による厄災が降りかかった知識を得て、それを糧にわたしに何らかの変化があった、と理由付けすることもできるのだが、その知識を通り越したところに、この旅での経験や得たものはあったと思う――それをこの日記というかたちに落とし込むのか(ここに書き記すというのはわたしとしては難しいと思っている)、創作物としてなにかひとつ作品をつくるのか、それはまだ未知数だ。 友人に連れて行ってもらったヘドロで汚染されてしまった海を埋め立てて作られたエコパークで、不知火海を望んでいくつもたたずむ魂石、その魂石の話が印象的だった。 曰く、 「みんな最初は、何かを作ろうという形や目的があって石を掘り始めるんだけど、硬くて削るのは大変で、削っているあいだに何も考えられなくなって無心で彫り続けることになる」 ここにたたずむ魂石は、祈りや追悼のため、に作られ佇立してるものだろう。祈りや追悼、自分自身の葛藤に折り合いをつけるため……さまざまな意図や目的、目標とするかたちがあって彫り始める。それでも、彫っているとき、祈りや追悼・葛藤すら忘れてしまって彫ることになる……。わたしはそう解釈をした。 わたしは小説という表現技法を持つ人間だ。自分自身の感情や知識、経験を、小説という形状にこね上げる仕事をしている。この水俣の旅でも、得たものを「還す」には、言語による表現で輪郭を描くしかないのだが、「ものを作る」という行動には目的が伴ってしまう。わたしはまだ利己的で、この経験を自分の創作の糧にしたいという欲がある、石を彫るような無心さを未だ持たず、「わたし」にこだわっている。 それはなにも水俣を旅した、という経験だけではない。いままで行った多くの旅先、これまでした貴重な体験、読書、美術品の鑑賞、果ては野鳥の観察まで、わたしは「わたし」の糧として、それらを見ている、そしてそこから創作をしている。 湧き上がってくる創作意欲というのは利己的なもので、「無心さ」をわたしはいまだ持ち得ていない。フィードバックは必要だ。だけど、わたしはまだ、「わたし」のためにしか、この経験を書けない。 丸い、勾玉のような魂石に触れた。それは一見すると、どんなかたちにも見えたし、どんなかたちにも見えなかった。この魂石を彫ったひとは無心だった。そのことを、あの手のひらに感じたやわらかい丸みとともに思う。
「表現すること」を多く感じた旅だった。 友人は最初、水俣に行ったとき、「道に落ちたミカンの写真しか撮れなかった」と言っていた。 水俣市立水俣病資料館では、膨大な数の写真を見た。壁一面に貼られた遺影が印象的だった。水俣と言う土地や水俣病の歴史をわたしに丁寧に話してくれた友人は、何度も何度も「写真」について語った。 写真に撮られる患者、水俣病の象徴として撮影される橋、ドキュメンタリー映像で演出される手。そして、水俣の住人でチッソの労働者でもあった鬼塚巌さんの「写真」。鬼塚さんは、写真が趣味で、最初はそんなつもりもなくただ水俣の風景や生き物の写真を撮っていたそうだ。それが、労働争議や水俣病の写真を撮るように……。 鬼塚さんについ���の話はとても印象的だった。そして、水俣と「写真(カメラ)」の関係の、言葉を選んでも選びきれない葛藤。簡単には言葉にはできないが、写真は「撮ること」が主体になってしまう表現物だ。いや、表現物というのは表現を「する側」に主体性があるのは当たり前のことなのだが、写真という表現形式において、表現を「される側」……被写体、というのは、実はかなり置いてけぼりになっているんじゃないのかと思う。 「撮られる」という暴力、「記録される」という暴力、それは一方的にやってきて、一瞬を切り取って「見せたいもの」「を」「���か」「見せない」。そして鑑賞する側も、その「見せたいものをしか見せられていない」状態の中で、「見たいもの」「を」「見る」。多重の選択がある、撮影者・鑑賞者のまえで、被写体は無防備だ。 水俣市立水俣病資料館では、写真撮影は禁じられていない。だが、その撮影した写真は、私的な使用にのみ許可されている。SNSなどに投稿したりすることは禁じられている。「撮る」こと、その写真を「保持」すること、その良心・誠実にまなざしがむけられていた。
水俣の旅について、書きたいことは多々ある。 そのなかで、わたしは多分「撮ること・撮られること」という部分に、自分自身が表現する人間だからとてもつよく関心を持つのだと思う。 何度も言うが、旅で得たものについて、言語化はまだ先のことになりそうだ。ただ、「表現すること」について考えたこと、考え・苦しんだことだけは、いま、このやわらかい感覚のときに、綴ってしまいたいと思った。
緒方正人さんの『常世の舟を漕ぎて』を、相思社で購入した。今日読了した。日月丸の航海を語る友人の声を、何度も何度も思い出す。 緒方正人さんも、書中の語りで幾度も「表現」という言葉を使っていた。
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