Tumgik
#庭木販売
kazuhiro-tatsumi · 1 year
Photo
Tumblr media
鹿よけのテープはいつまで持つか心配です エクセル線を注文しました 何本か張ったら 海苔網とワイヤーメッシュで 猪と鹿が入らないようにしないと 果樹など食べられたり 穴を掘られたら、したら 休みの日でも バタバタします #巽造園 #巽養蜂園 #巽蜜源樹木の森 #蜜源樹木販売  #庭師 #庭木剪定作業受付中 #植木販売  #植木屋 #巽翠香園加工場 #日本蜜蜂の蜜蜂販売 #巽果樹園 #淡路島  #剪定師 #キンリョウヘン #ビービーツリー  #養蜂家 #蜜源樹木  #養蜂場 #春蜜  #夏蜜  #秋蜜 #ケンポナシ #マヌカツリー #庭木販売  #庭造り #蜜源植物の森 #蜜源植物 #淡路島 #淡路島の蜂蜜 https://tatsumiyohoen.com/honey (巽養蜂園 【日本ミツバチ専門店】) https://www.instagram.com/p/CprAIhavdnP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ari0921 · 1 year
Text
我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報���
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%ま��低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
15 notes · View notes
lifefind-blog · 4 months
Text
非被災住宅ー2
Tumblr media
非被災住宅-2
「震度7以上に耐える住宅やビルの設計が重要だ」とテレビで全く言わない理由。それは「牛乳が体に悪い」と言えないことと同じ商業利権密着型の構図です。すでに社会の中にその有害物が多数ばら撒かれ、その下で働く人々が膨大で社会的影響が大きすぎるから
このような本末転倒なバカげたことは、世の中に多種多数存在しています。その情報に特化した本は、チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」以降、出てないのではないかと思います。最新増補版が3月に出るようです。あとで他にないか調べてみます。出てないのなら作る必要があります。
「身体に良いものと悪いもの」、「安心安全なものとそうではないもの」の二つの情報は、健康や命とは異なる基準で判断され、世の中に定着させられています。 車や道路に関してもそうです。命と密接な関係を持つ車の安全性は、日本でだけ棚上げにされて、毎日何十回も「スズキの大決算」という刷り込みが耳に入ってきます。
命を最も重視した設計のボルボのCMは滅多に聞こえません。そのため人気が無いので、中古のボルボはとても安く手に入ります。日本では電気自動車がちっとも売れないので、ボルボの販売店は困っているのではないかと思います。
軽トラに代表される軽自動車は、日本にしかありません。豊田章夫会長は日本中にばら撒かれ普及している軽トラを2030年以降に廃止することなどバカげていると言っています。このことは2重の意味でねじ曲がっています。
国連が、すでに世界中にばら撒かれた牛乳文化を突然禁止にすることに決めたようなものなのです。膨大な雇用が失われます。
だから牛乳文化を守れと言うのもおかしなことなので、2重なのです。
食塩食卓塩という名の精製塩が日本の加工食品のほとんどに使われている事実も全くTVでは言いませんね。
江戸時代には誰も牛乳を飲まず、牛肉も食べていませんでした。塩は天然塩を食べていました。
住宅の現状を見ると、29年前の阪神淡路大震災の頃に、姉歯構造偽装事件が問題になり、その後、耐震構造が少し強化されたと思います。 それでも、震度7やそれ以上の大地震になると壊れてしま��でしょう。 国の建築基準法の数値をそこまで引き上げてしまうと、ほとんどの住宅メーカーが現状で販売している住宅を売ることができなくなって、ダイハツみたいなことになってしまいます。 選択肢が他にあれば、普通の住宅メーカーや、建築基準法を相手にする必要もないのですが、・・・
Tumblr media
鉄筋コンクリートのビルや木造住宅は震度7以上の地震で崩壊しますが
防炎断熱を備えた、鉄骨テント構造の建築があったら、崩壊しないし、炎上もしません。もともとブルーシートで建築を作れば��ブルーシートを被せる必要もありません。燃えない素材にする必要はあります。 鐵骨も揺れはしますが、構造体全体がそのまま揺れるだけなので倒壊しません。頭を打ったり、転んだりはします。押しつぶされることは無い。
Tumblr media
非被災住宅
被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。これから具体的に考えます。能登半島に残ることを希望する人々が、また今までと同じような家を建てたらまた悲劇が起こります。これは日本中どこでも同じ
Non-disaster housing
In order to ensure that disaster-stricken areas continue to remain safe and secure, it is essential to design housing that can withstand disasters of the same scale. I will now think about it in detail. If people who wish to remain on the Noto Peninsula build the same kind of houses again, another tragedy will occur. This is the same everywhere in Japan
こういう風に感じている賢い人は結構居ると思います。その英知を結集させることができれば、地震国日本にふさわしい、新しい住宅像が出来上がってくると思います。
日本では、平和と安定を願うための特定の集団をつくることができにくくされています。その代わりに、統一教会や創価学会、中抜き利権派閥などの脱法集団が支配しています。そこにも対応が必要であるため、法律の専門家も必要になります。
Tumblr media
検閲だらけの日本のマスコミでは、気の毒な場面だけ報道し、その地区での被災者と被災してない家庭の比率を報じない。無傷だった住宅に関して全く情報がありません。
今後の復興と安全のためには、無傷だった住宅の詳細のほうが重要。見に行くしかない
東日本大震災の津波跡地に無傷で残っていたのは、ヘーベルハウスの住宅。集落じたいが全壊しているので、結局住み続けることはできなかったのだろうと思います。
地域で一人だけ核シェルターを作っても無意味というのと同じ。被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。
Tumblr media
自分や他人、動物たちを傷つける可能性があるものは、少なくともプラスのメッセージを伝えることを目的とした「作品」には使えないと感じています。どんなに美しいマリア像でも、地震で壊れて落下してきたら凶器になってしまいます。それは、マリア像にはふさわしくないので、あまり大きなものは作らないほうが良いと思います。頭に当たってもたんこぶができる程度の重さならOKです。私が2009年に段ボールの額縁を作ったきっかけはそういうものでした。額縁が落下して誰かを傷つけたら、それは、正しい使い方ではなかったことになります。
同様に、家や壁も、なるべく人にやさしい、軽い素材が良いと思います。
頭の上にコンクリートがある場所で生活していると、いつかは高い確率で死んでしまうことになるでしょう。そのことは、30年前に気づいていました。しばらく忘れていましたが、続きをやる時期になったと思います。
軽くて燃えにくく、雨風と日光に耐え、断熱、蓄熱効果が高いものが良いです。下から1mは、石や土でも構わない。1mより上は、人体より柔らかい素材。そういう家はテント式のものにありそうです。
能登半島で破壊された家がもしテントだったら、人は死ななかったし、自力で作り直すこともできたはずです。
検索したら一つ出てきましたが、硬い素材を上のほうに使用してしまっています。これではダメですが、改良はできるように思います。
Tumblr media
「減塩詐欺」
日本でだけ売られ、ほとんどの加工食品に使用されている食塩という偽名の精製塩。塩が高血圧の原因というときの塩とはミネラル除去の「精製塩」。「天然塩」は摂る方が健康になり、血圧も安定する。「減塩(減ミネラル)」は健康に悪い
3 notes · View notes
petapeta · 1 year
Quote
六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。 神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。 芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。 六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。 この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。 六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。 敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。 六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。 町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。 新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。 現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。 上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。 バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。 住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
21 notes · View notes
kennak · 3 months
Quote
対策とセットで公開しろよボケがまずサンプルはhttps://www.neo-blood.co.jp/を見れば大体わかるこういう詐欺サイトにはひっかからないようにしようなで、対策見分け方としてはhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/jri_sysi?page=sgSiteあたりが参考になる最初から騙されずに買わないのが一番いい。このサイトで予習すればだまされる率も減るだろうで残念ながら騙されてしまった場合。汎用的な対処法についてはhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/chatbot_answer?page=mhuhn&ksi=creditの3.クレジットカード会社への相談についてを見ろ追記を見たが銀行振り込みの場合はhttps://www.ccj.kokusen.go.jp/chatbot_answer?page=mhuhn&ksi=paidが参考になるだろう。クレカ会社より早いかもしれないぞ警察行って被害届出して、銀行に行くだけだな。頑張れで、ここから↓は「クレジットカードで買い、決済も通ってしまった」かつ「商品が届かない」場合に限っての戦い方を書く理由は実際に俺(正確には家内)が受けた被害がそのタイプだからだまずは不正利用の可能性があるので、即刻カードを止めるそのときに、「チャージバックの手続きをしたいんだがどうすればいいか」も一緒に聞いておくあとからチャージバックの手続きを取ることになる※ちなみに最初に消費者センターに相談したが、最終的にはVISAにチャージバックを申し込むしかないので、消費者センターの出番はない。親身に相談には乗ってくれたが実効力は無かった。次にメールが返ってこないことを承知で以下のサイトのサンプルをベースにした「契約取り消し通知書」を、おそらくは贋サイトに設置されているお問い合わせ窓口のフォームやメアドに送るhttps://syouhisya.net/nettsuhan_torikeshitsuchi/A) 通常のバージョンを使うといい ※AとB間違えてたので訂正 すまんこれは相手に届けるのが目的ではなくその後の手続きをスムーズに進めるための材料づくりなので催告とかまでは要らないと思う どのみち内容証明郵便では送らない(そもそも送るための住所がダミーだし送っても意味ない)俺が送った実際のメールは下記 見ればわかるがAをベースにしているなお業者には名前と住所を知られてしまうことになるが、どうせ通販と思って買っているので向こうにはバレている通知書令和4年2月7日��式会社アクセサリー本舗 御中住所 ××県 ××××××××××××101氏名 ●●●●貴社の運営するサイトで購入した商品の売買契約の解除(取消)について私は、令和4年1月22日、貴社の運営するウェブサイト( https://trailover.top/ )において下記に挙げる商品を購入する旨の申込みを行い、同年1月22日、貴社サイトに記載されている要領に従って当該商品の購入代金として金8490円を支払いましたが、未だ貴社から購入した商品の送付を確認することができない状況です。つきましては、私は貴社と取り交わした当該売買契約を解除(又は取り消し)いたしますので、至急、お支払いした商品の購入代金および送料の合計金8490円を返金くださいますようお願い申し上げます。記1 x |||1列3段タイプのフラップチェスト (約)幅40cm■色:ホワイト・ナチュラル・ブラウン[ディスプレイラック マガジンラック ラック 壁面収納 見せる 本棚 木目 収納 キャビネット フラップ扉 お洒落 シンプル モダン 選べるカラー] (500028211) = 7,040円1 x お買い得品!携帯電話 スマートフォン用ネックストラップ idカード ネック ストラップ 首に掛ける十分な長さの丈夫なストラップはワンタッチで取り外し可能。安い 子供用、ガラケー|||モバイル ネックストラップ。スマホストラップ 首かけ型落下防止ロングストラップ。ワンタッチで外してスマホリングにも。旧携帯や社員証、IDカード入れ、パスケースにも。キッズ キッズ携帯 子供 iPhone エクスペリア (lqd_neckstrap01) = 200円カラー シルバー1 x お湯の上でもふってチャポチャポ、カラカラ!赤ちゃんの感覚を刺激するバストイ|||あす楽【munchkin マンチキン】ベビーバスボール (ピンク・ブルー)知育玩具 赤ちゃん 水遊び 水あそび お風呂遊び おもちゃ シャワー 出産祝い 誕生日 お祝い プレゼント ギフト (tymu11381) = 440円カラー カラーバリエーション ブルー1 x 冷凍ケーキ/パスキエ/マカロン/冷凍/|||ケーキ屋さんやカフェと同じ味わいをご家庭で! BRIOCHE PASQUIER[ブリオッシュ パスキエ]パスキエ マカロンコレクション(6種各2個)[冷凍のみ] 【3~4営業日以内に出荷】 (26461-1) = 810円以上で、これを1日1回、5日間ほど連続で送り、都度PCの時刻が入るようにしてスクショを取るか、お問い合わせフォームの場合は「入力して送信前に」PDF印刷しておく(お問い合わせフォームは所詮ダミーであり、送信するとテキストデータは闇に呑まれるだけなので)俺の場合はメールとフォームへの問い合わせを両方やって全部記録を残したさらに2週間程度待ち、いつまでも返信が無いしモノも送られてこないことを確認する駄目押しで最後通告をもう一通送ってもいいしつこく送っても返信が来ることは無いので限りなくしつこく行く こうすることで民事上の要件は十分満たすはずだどうせ向こうは日本の法律に従う気はないが念のためだほんで、そのスクショを手元にカード会社に連絡し、チャージバックの手続きを行うhttps://www.gladiator.jp/false-pretenses/2019/11/07/%E3%82%AF%E3%83%AC/既に停止のときに問い合わせしていて、チャージバックの手続きが分かっていたり、必要な書類が手元にある場合はその通りに進めるそうでなければ改めてクレジットカード会社の窓口に連絡して口頭で話せばチャージバックに必要な書類とか連絡先を教えてくれるだいたいは家に書類が届いてそれに返送する形になるかと思うあとは教えてもらったとおり/紙に書いてある通りに、クレジットカード会社にチャージバックの訴えをしこしこ書いていく要点としては①そもそも特定商取引法に基づく表記のない詐欺サイトであること②運営者の住所氏名がダミーであること③商品が届かないこと④商品が届かないことを理由に催告を再三行ったが返信が無いこと このとき、撮っておいたスクショやPDFを参考資料として添える 郵送の場合は印刷して同封する俺の場合は上記を述べたうえで、さらに余白に英訳した文も載せた理由は向こうの上司的な存在はVISAになるだろうからだ 意味があるかは知らんあとはVISAが頑張ってくれるので待つ、返金を確認して終わり俺の場合は3か月くらいかかったが詐欺師から無事金を取り返し、その金で焼肉を食ったたかだか8000円のためにどんだけ時間と手間をかけるんだという思いもあるが、泣き寝入りして詐欺師を儲けさせることは嫌だったので戦ったお前も泣き寝入りしてないでちゃんと戦え。詐欺師に儲けさせるな 「ボケが」について解説するたいした理由ではないが複数ある詐欺手法の拡散が目的という割には情報が無い これが一番でかい サイトを示すとお前が幇助とかになるのが怖いのかもしれないが、俺が貼ったまとめサイトみたいなのもあるし、スクショ撮ってもいいし https抜きで晒すとかやりようあるだろ 文脈付きで晒した実物に騙されたとか言ってお前を責めてくる奴がいるわけねえだろ、常識で考えろ んで対策もぶっちゃけ自分が取ってないから、見た人がどう行動するべきかも書いてないじゃん なんも情報ないから得られるもんがねー 注意喚起になってねーからそれ 結局泣き寝入りして詐欺師を儲からせてるくせに「Googleの責任」 チャージバックは調べたところ支払いを踏み倒す制度なので、チャージバックされればそのまま詐欺師への有効打になる 銀行口座の場合はもっと迅速にもっとヤバい口座凍結という手段が取れる 口座凍結されたらまっとうな回復手段は無いらしい クリティカルヒットだ かように戦う方法はある やってないのはお前 (やってるならそのまま頑張れ、勝ったら報告しろよ) 戦って詐欺師から金をもぎ取り返してから他人の責任を問え微妙に間違った情報を書いている ベトナム人がどうとか商品がニッチだとかはぶっちゃけ本質ではない 差別はやめろ スクレイピングで吸い取ってるんだからお前だろうと誰だろうと何かニーズを満たす商品を乗せてるに決まってる 名前なんか適当に決めてるんだからどの国籍だってあり得る 判断基準はそういうのじゃなくて、トップレベルドメイン(.top, .shopとか)、特商法に基づく表記、住所氏名がダミー、値付けがおかしい、他の商品の説明が明らかにフリマサイトとか あとはまあ消費者センターのHPに全部載ってる 愚痴る前にちゃんと精査してから共有しろ 騙されて反省してます感が足りない 騙されたことはお前の落ち度 真摯に受け止め反省しろ 俺は騙されたの自分じゃなかったけど、もし自分が騙されたとしてもそこは反省して、それはそれとして戦ってたと思うよ 闘志が足りない https://i.imgur.com/1r7WKKL.jpeg
対策とセットで公開しろよボケが まずサンプルは https://www.neo-blood.co.jp/ を見..
2 notes · View notes
hotelinfernoll · 1 year
Text
実りある人生
fanfic(円満期 - 貘ハル貘)
昼休み 公園にて
「本当は海にでも行きたかったんだけどね」
ビル街の真ん中にある公園。昼食帰りの会社員たちがおのおの好きなように過ごしている。街中で際立つ彼も芝の上に寝転んで人々の視線から逃れている。真昼間のオフィス街にはまったく不似合いないつもの白スーツに白い革靴。上から溢れる木漏れ日が彼の髪の波間でまたたいていた。
昼休みが始まる時間ぴったりに内調前に現れ、僕の顔を見るなり「どっか行こうよ」と言った。どうやら“お屋形様”業に退屈して抜け出してきたらしい。だったら一人で遊びに行けばいいのに、どうして僕を誘うんだろう。 「わかってるくせに」 彼は僕の顔から頭の中を読んで、僕が言葉を発する前に会話を続ける。 「ハルも退屈してると思って」 「だからと言って抜け出せないよ。勤め人なんだから」 「つまんないね〜」 言葉とは裏腹に彼は笑っている。最近はいつも機嫌が良い。以前の彼とは大違いだ。 「じゃあ一緒にランチしよ。天気もいいし外で食べるのはどう?」 「いいよ」
昼時になるとどこからともなく現れる移動販売の車からサンドイッチとコーヒーを買って公園まで歩いた。ベンチはどこもいっぱいで大きな木の陰の下に見当をつけた。彼はポケットから真っ赤なハンカチを取り出すと「どーぞ」と僕を促した。 「君のそういうところが嫌い」 「お姫様扱いがお気に召さなかった?」 「誰も座らないとは言ってない」 そう言ってハンカチをしまおうとした手を払いのけた。午後も仕事があるんだ。おしりが芝だらけになるのは困る。僕が座ったのを見てから彼も芝生の上に直接腰を下ろした。 「ずるい」 すべては彼のお膳立て通り。本当は彼と同じようにしたいのに、彼はそれを分かってて僕から文句を引き出す事をして余計なやりとりを増やす。めんどくさい彼の流儀には慣れたつもりでも、時々それがすごく嫌だ。 「ハハッ」 不機嫌を隠さない僕の顔を見て彼は笑う。たとえ僕が怒っても泣いても笑っても、彼の前で感情を隠さない僕を見ると彼はいつでも機嫌がいい。知ってる。そういう僕を見るのが楽しいんだろう。そしてそういう勝手な彼を見て、僕は呆れて、つい笑ってしまう。
ランチを食べて、コーヒーを飲んで、昼休憩は残り20分。
1998年 ある男の顛末
男は都心にある大手銀行に勤めていた。地方出身の彼は国立大学入学を機に上京し、大学生活はサークルにも入らず、残り少ないモラトリアムを楽しむ浮ついた学生たちを尻目に真面目に講義を受け、地道な努力をして氷河期と言われた中で就職戦争を勝ち抜いた。結婚をして、家庭を持って、家を買って、そういうぼんやりとした将来に向けて、就職と同時に貯金も始めた。しかし貯金の額が増えるほどに彼自身が疲弊している事に彼自身が気づいたのは、日本で冬季五輪が開催された時期だった。
仕事を終えた帰りに、駅近くの繁華街で声をかけられた。相手は自分の名前を知っていたが、彼はその男の名前を最後まで思い出す事はできなかった。男は大学時代に同じ講義を取っていたと言い、このあとの予定を聞いてきた。普段なら同僚からの飲みの誘いも断っていたが、その日は大口の顧客から担当を外され、ムシャクシャしていたので覚えのない同級生の誘いを受けた。
元同級生は陽気でよく喋り、彼は相槌を打つだけで済んだので一緒にいるのは楽だった。2軒目を誘われた時も断らなかったのは、断る理由を思いつかなかったというだけだった。男に連れられて入った繁華街の外れのバーが闇カジノだと気がついた時も、ちょっと遊んでみないかと誘われた時も、男は同じ理由で断らなかった。
翌朝目を覚ました時、男は自宅のリビングのソファーにいた。そこまでの記憶は途切れ途切れだったが、カジノを出て大通りでタクシーを拾って乗り込み、窓の外から元同級生が「また遊ぼうぜ」と笑っていたのを見た。リビングのテーブルに置いてあった彼のブリーフケースには札束が詰まっていた。
それから彼は闇カジノに通うようになった。そこからあとは簡単だ。勝ちと負けを繰り返しながら、それでも彼は社会人になって以来感じた事がなかった「生きている」という実感を感じ、その顔に正気が戻っていた。そして、そのうち負けが続くようになった時には彼自身の意思ではもうその蟻地獄から抜け出せなくなっていた。ぼんやりとした未来への貯金はすぐに底をつき、よりハイリスク・ハイリターンな勝負を求めて闇の奥へと飲み込まれた。
闇カジノに通うようになって10ヶ月もした頃には、抱えた負債は彼の生涯収入を上回った。そして彼は今夜、一世一代の大勝負に出る。
その夜、男が用意したのは昼間に顧客から預金として渡されたカネだった。テーブルの向かいに座っているのは、自分をこの蟻地獄に誘った元同級生だった。「助けてやろう」彼はそう言った。「ただし、俺に勝ったらな」。男はその誘いに乗った。どちらにしろ翌朝になれば会社に横領がバレる。負けたらそのまま道路に飛び込むか、海に身を投げるか、いちばん楽な方法で死のう。そう思っていた。
勝負はセブンブリッジ。カジノの一角の異様な雰囲気を察して他の客達も集まってきた。転落はあっという間だった。カードを持つ手も冷たくなって、視界も霞んでくると、まわりのギャラリーの囁く声だけが直接脳内に届くような感覚になった。その時頭の中で声がした。
「死んでもいいと思ってる奴は絶対に勝てない」
男か女か若いのか年寄りなのかわからない声だったが、その声は男の心臓を掴んだ。顔を上げて周囲を見渡しすと、テーブルの向こうの相手から「キョロキョロするな」と制されて、正面を向いた。さっきまで大きく見えた相手が今は自分と同じくらいに見えた。もう大丈夫だ。迷いも恐れも消えた。男は口元を歪めて笑った。さっきの声は、きっとギャンブルの悪魔だと男は思った。
そこから男は勝ち続けた。勝負が始まる前にあった負債と同じだけ元同級生の男から巻き上げた。元金が無くなった瞬間、元同級生は周囲のギャラリーの後ろから現れた黒服の男達に連れて行かれた。ギャンブルに勝った興奮に男は震えていた。その時視界の済みにこの場にひどく不似合いな二人連れが見えた。格好は若いがひとりは目深にキャップをかぶっていて、もうひとりも白い髪が目までかかって二人の顔はよく見えなかった。白い方がキャップに耳打ちをして、くすくす笑った。 「地獄はこれからだよ」
その声を聴いたあとの記憶は無い。男は翌朝、自宅に戻ったところを逮捕された。 塀の中で男はどうして自分がここにいるのかを考えた。 (俺は悪魔にそそのかされたんだ)
塀の外に出てからも、男はカジノ通いを止めることができなかった。あの夜、死ぬ気で勝負して勝利を掴んだ高揚感。全身が、脳が、命が痺れるあの感覚を味わうためなら全てを失ってもいいと、男は自ら再び闇の中に呑まれた。あの日死んだ方がマシだったと気付いた時には、もう出口はとっくに見えなくなっていた。
昼休みのおわり
木陰のランチを終えた二人の後ろから近づく影があった。男の手の中のものが木漏れ日を反射した瞬間鈍い音とともに影が倒れて、近くの茂みに引き摺り込まれた。昼休憩も終わりに近づき、足早に職場に戻る人たちは誰もその短い出来事に気を止めなかった。
腰を上げようとしたハルに向かって、貘が横になったまま声を掛けた。 「ねえ、海行かない?」 「…いいよ」 何を言っても最後は貘の思い通りになるから、ハルは面倒臭いやりとりをスキップして答えた。 「車を呼ぼうか?」 「たまには電車もいーんじゃない?」 「そうだね」 ふたりは立ち上がって、スーツについた芝を払いながらハルが「今の誰?」と訊ねた。 「あ〜…覚えてない? 昔カジノにいたの。10年物だったから、正直もっと楽しませて欲しかったんだけどね〜」 「…ふーん。僕じゃ足りないんだ」 「お楽しみは多い方がいいでしょ。で、ハルは俺を楽しませてくれんの?」 「君次第だ」 優等生な答えに貘は満足そうに笑った。
(230528)
7 notes · View notes
futsunooppai · 1 year
Text
フレンドクイズの回答と解説 前編
あまりに文章量が多いので前後編にわけました。
どもーむーさんですー
最近ですね、フレンドクイズなるものが自分の周囲で流行っておりましてですね、作ってみたんですよ
これが選択肢にこだわりすぎてめちゃめちゃ正答率が低かったので、回答・解説をつくってみました。写真は全部私が食べるときにお店に聞いて撮ったやつ!
あっ、そんなに自分のこと知ってほしいわけではなくて。。。選択肢にたくさんおすすめを入れてたので説明させてほしい(=推し食べ物の宣伝)って感じです。
では以下に解説。
設問1
むーさんが一番好きな蕎麦屋
Tumblr media
A. かめや 新宿店  でした!
頻繁にupしているので正答率高めでした。
新宿西口にある超有名な飲み屋街「おもいで横丁」内にあるお店です。
私の推しは断然「冷やし天玉そば」!!
これがいいのよ〜
蕎麦湯もついております
なんとワンコイン以下!!今は480円だったかな?外食が値上がりする中これはなかなかの安値。
最近はインバウンド人気で老若男女関係なくお店に来ている様子なので、行きやすいと思います。新宿で小腹が空いたらぜひ。
Tumblr media Tumblr media
ちなみに他の選択肢
かめや神田東口店
かめや神田西口店
は、かめや新宿店とおなじ系列店です。「神田が本店」だそうです。東口と西口2つあるんだけどどういうこと……?
ちなみにこちらは冷やし天玉の具が違います。神田の店はわかめが入ってるんだよね!!ナンデ!?
わたしはかき揚げと温玉とねぎだけでいいかな
かのや新宿西口店は、こちらも昔からのお店なんですけども、蕎麦ではなくておうどんメインのお店ですね。めんつゆにこだわりの強いお店で、具沢山の「かのやうどん」にはファンも多いです。かめやとは味の方向性が全然違うので「かめや美味しくないやんけ!」と思ったらこっちに行くといいのかも。
設問2
むーさんが一番好きなラーメン
Tumblr media
A. 岐阜屋 焼肉ラーメン でした!
これも「おもいで横丁」の中にあるお店で、中華料理を出す大衆居酒屋ですね。
この店でラーメン食べてる人をめったに見ませんが私はコイツが好きでねえ……。素ラーメンの上に肉野菜炒めが乗っかってます。こんなかんじ。
Tumblr media
他の選択肢
らぁ麺鳳仙花 金目鯛らぁ麺
らぁ麺くろ渦 特製のどぐろそば
こちらは両方「らぁ麺はやし田」が新宿で経営しているラーメンブランドになります。ぶっちゃけこっちの方がみんな好きだと思うよ。美味しい割にそこまで並ばないしおすすめ。私も大好物。でも私が一番好きなのは焼肉ラーメンだーい。
中華そば 流川
こちらはSLAM DUNKの流川から名前をとってるラーメン屋。ラーメンのお茶碗に入ってるロゴデザインもめちゃめちゃスラムダンクぽい。これ。
Tumblr media
細かい分類わからないんだけど、はやし田系列の味と似た印象をもってて(個人の舌による評価ね、詳しい人からしたら大違いだったらごめんなさい)、とにかくここらへんの味が好きだなあと思ってる。
あと流川で重要なのは、「俺の麺 春道」のラーメンも食べられるってこと。春道は流川が今店舗構えてるところに前に入ってたお店。全然タイプの違うドロッとしたつけ麺で、気に入ってたからまだ食べられて嬉しい。春道と流川ってこれ完全に翔北だよね。
設問3
むーさんが今までの人生で一番美味しかった果物
Tumblr media
A. ベトナムで食べた旬のライチ でした!
これはねえ、ほんとにねえ。。。
飛ぶぞ。びゅんびゅんだぞ。
冷凍されたあれはなんだったん?ゴム?になる。
果汁がワアっと溢れて、透明な果肉で、すごく爽やかな甘味でお花のように香り高かったよ!!!
一房しか食べたことないんやけどね。
タイムラインでライチの話題が出るたび語ってたから正答率高めでしたね。
原産国は中国で、5月くらいかな?になると中国の方で採れたライチが出回るのさ(って市場の人が言ってた)
ベトナムに昔語学留学してたときに市場にいつもは置いてないライチがあったから買ってみて食べたのです。あの時の感動が忘れられません。
ちなみに2番手に来るのが「大阪のデパ地下で食べた食用ほおずき」になります。また食べたくて実はずっと探してるんだけど、見た目以外の記憶がなくて難航してる。その過程で日本にも食用ほおずきというのは結構あるのだと知りましたね。他の品種は食べてみたけど香りが違うかったなー。黄緑に近い薄黄色で小ぶりの食用ほおずきの情報求む。
白いちじくは実家でそだててたのでよく食べてました。いちじくの美味しいタイミングって「木に実って限界まで熟してから朝摘んでその場ですぐ食べる」だとおもいます。朝祖父が摘んできて1時間後に家で食べてもちょっと違うの。直接木に行ってもいですぐ食べる。あと、熟し方とかお天気で一つ一つのいちじくがめちゃくちゃ味がブレる。美味しいのにあたるととっても嬉しい。市販のをコンポートにしたくらいが、似た味かも。
青山ファーマーズマーケットで買ったりんごもおいしかった!
品種も値段も農家も覚えてないけど、なんか良かったなあって心に残っててたまに思い出します。
設問4
むーさんが30代でようやく克服した食べ物
Tumblr media
A. なすの漬物 でした!
ピクルス JKの時にマックで克服。好物。
なすの漬物 30代で数年ぶりに食べたら行けた
らっきょう 実はまだちょっと苦手
パクチー ベトナム住んでるときに適応。好物。
設問5
むーさんの一番好きなクッキー
Tumblr media
A. フェルヴェールのショートブレッド でした!!
全人類買って(強火)
フェルヴェールは富山にあるセイアグリー健康卵という卵を使用した洋菓子屋さんです。
今見たらHPが大幅にオシャレ化してた!!めちゃ古くてもったりしてたのに!
大興奮!!
ここのショートブレッドはひくほど滑らかで、歯でクッキー噛んだ瞬間のサクホロが他社クッキーの何百倍くらいサク……してるんです。
例えるなら、
小学校のとき理科の授業でやった、校庭の砂をペットボトルにいれて水注いでシェイクすると粘土と砂と砂利の3層にわかれるって実験で(うちの母校しかやってなかったらごめん)
世間のサクホロクッキーが砂の層なら、フェルヴェールは粘土の層くらいなめらか。
ここのクッキーでしか私はこの食感知らない。上京してから「なんかサクホロしたクッキー久しく食べてないなあ……都会ならどっかに似たやつあるか」って自分なりに探したけど見つけられなかった。ぜひ食べてみてほしい。通販あります!
初心者は○△□全部入ってるミック��がおすすめ。
さて、次にすすめたいのはアンリ・シャルパンティエのクッキー。
名前の時点で既にいいよね。絶対おしゃれな奴。
ここは焼き菓子すべてが小さめで、色々入った詰め合わせが本当に魅力的。見た目も可愛いしばっちり美味しいし、何より安い!!見てくださいこれ、これ。44個入でも2160円。地方にいったら安くお土産配るために売ってるプリントクッキーとかあるけど、あれとタメはれるくらいコスパよくないですかね。こんなかわいいのに。すごい。
なぞに木製のエッフェル塔ぽいもの入ってるのもいいよね。都内だとデパ地下に割とよく入ってるので手土産などの候補に是非どうぞ。
カントリーマアムバニラ味は初めて食べたとき衝撃をうけたクッキー。やわらかクッキーデビューでした。白あんが使われてるからしっとり柔らからしいね。
ステラおばさんのクッキーはなかなか縁のない奴なのですが、私の好きなデザイナーさんが絡んでいた時期があり、なんとなくファンです。
前編はここまで
読んてくれた方ありがとうございました!
6 notes · View notes
aronespace · 1 year
Text
私の話
 最初は5歳の秋か冬、長袖の季節だった。幼稚園生だった私はおたふく風邪だか水疱瘡だかに罹り、しばらく園を休んでいた。その時期園では、同じ組の子たち同士でなんとなくチームを組んで、ロボットやら指輪やらを工作してそれを下級生向けに販売しよう(もちろん紙でできたおもちゃのお金だ)という、ものづくりやチームメイトと協力する力を伸ばし、お金の使い方や年下の子への振る舞いを学ぼうといった趣旨のイベントがあった。準備期間もそれなりにある季節の一大イベントで、みんな楽しみにしていたように記憶している。そして私はチーム決め直前に園を休み、戻ってきたときには先生によってすでに振り分けられたチームで行動することになっていた。どんなチームに割り当てられているのだろうと不安な思いで登園すると、私は牛乳パックでロボットを作る、「男の子」しかいないチームにひとり放り込まれていた。どんな経緯でそうなったのかはわからないが、最初は憂鬱だったのをなんとなく覚えている。自分だけ違うところに混ぜられてしまったのだと感じた。  しかしそこにいるうちに、いつも一緒にいる「女の子」たちといるときとは違う感覚になった。彼女たちといるときとは違った居心地の良さ、安心感。ロボット作りには最後まで楽しさを見出せなかったけれど、その空間は身の置き所としてはこれまで感じたことのない高揚感としっくりくる感じを覚える楽しい場所だった。自分と違うと思っていた属性の中に放り込まれたはずなのに、「自分も『(女の子ではない存在としての)男の子』側なのだ」と感じた。自分に割り当てられている属性は自分のものではないのだと、こんなふうに明瞭に言語化はできなかったけれど、自分に割り当てられてきた属性とその扱われ方に対する違和感を、感覚として初めて理解した初めての経験だった。ひとまずそのときの私は、自分のことを「『女の子っぽい女の子』ではない」のだと理解した。特に仲のいい関係を築いてきたのは「女の子」との方が多かったけれど、チラシで剣を作ったり体育館の大きな積み木で遊んだりするときは「男の子たち」の中にいる方が安心した。人間関係と所属意識の違いが少し明らかになり始めた。その年の七五三、赤い着物を着て髪をセットされた(当時は髪が肩まであった)が、ものすごく居心地が悪くて嫌だったことを覚えているし、親によるとかなりごねて不機嫌だったらしい。
 次は10歳、小学4年生の秋。私の地域では毎年4年生が地域の学校で集まって合唱コンクールに出るという行事があった。最初は何とも思わなかったが、単純な子どもだったので練習するたびに課題曲も歌うことも好きになっていくし、本番が待ち遠しかった。  本番が目前に迫ってきたある日、合唱指導担当だった先生から当日の服装についての説明があった。男の子は白い上に黒のズボン、女の子は黒いスカート。それを聞き、どう表せばいいかわからない不快感が湧き上がってきた。スカートを履きたくない。どうして私はスカートを履く側なのか?どうしたら履かなくて済む?あれだけ楽しみにしていたのに、その日を境に本番が近づくのが嫌でたまらなくなった。親が買ってきたスカートを履いたときの違和感は強烈に残っている。しかし音楽会は例年より少し早めのインフルエンザ流行のため中止になった。その報に泣いている子もいたし、私も残念な気持ちはあったが、それ以上にスカートを履かなくて済んだことに安堵した。まさかそんな理由で中止が嬉しかったなんて言える空気ではなかったので、友達に合わせてがっかりした表情を浮かべていた。またこの頃から身の回りの物へのこだわりが出始めた。最初は親に言われるがままに着ていた「弟へのおさがりでも使えるような服」を自ら選んで着るようになり、「女の子」でひとりだけ青い習字セット、青い裁縫セットを使い、家庭科で作った巾着も白と黒のドラゴンモチーフの布を使っていた。常に短い髪、同年代の平均より常に高い身長、青やグレー、黒のパーカーやトレーナーにジーンズ、手提げ袋に至るまで「女の子」っぽさを排除した見た目の中で、ランドセルだけがずっと浮いていたように思う。入学前親に連れられてランドセルコーナーに行ったとき、漠然と赤は嫌だという思いがあったが、「女の子」用のものは赤やピンク、オレンジしかなく、色ではなく大人っぽい響きの名前が気に入ったという理由と、言葉にならないけれど確かにあった何かを諦めたという思いで、渋めのローズピンクのランドセルを背負っていた。年齢が上がっていくにつれ「女の子らしさ」がなくなっていく見た目の中、ずっとランドセルだけが私の「本当の」所属を周囲に示すもので、これを背負う限り私は何をしようとも「女の子」にカウントされるということを思い知り、「そうじゃないと思うんだけどな」のような微妙な気持ちでいた。どうして自分がそう思うのか、というところまでは考えられなかったけれど、「女の子っぽい」という記号を身に付けることへの拒否感は確固たるものになっていた。
 次は中学生。当然制服のスカートが嫌だった。小学校の卒業式のときもスカートは確かに嫌だったけれど、上にはおるグレーのジャケットがかっこよくて気に入っていたため一日だけなら、となんとなく乗り越えたが、これからずっと着なければならない制服は本当に嫌だった。でも登校したらほとんど毎日午前中にジャージに着替えていたし(時間割の関係でそうだった)、運動系の部活をやっていたため下校は毎日ジャージだったので、憂鬱感は徐々にごまかせるようになっていった。  小学校からほとんど持ちあがりの、狭く密接で固定的な人間関係という土壌がある中でのクラスメイトからのまなざしは、嫌でも表面的なもの以外の情報も伝えてくるもので、この頃になってくると自分が周囲からどう見られているかを何となく察するようになっていった。周りは段々と女/男の境界がはっきりしたものになりそれぞれの文化が別のものになっていく中で、「女の子」への所属意識をどうしても持てず、「そうではない」存在に近づこうと「男の子」たちのコミュニケーションをロールモデルとして振舞い方を学習した結果、「女の子」たちからは自分たちのメインストリームからは外れていて色々と変だけれど、一応同じ場所にいる他者として、「男の子」たちからは他の「女の子」と比べると自分たちの文化にどこか(「理解している」ではなく)近いけれど、でも同じ存在ではない他者として、「女の子っぽくない・男の子っぽい女の子」のような、どちらからも微妙に浮いた存在として認識されていたように思う。加えて恋愛の話題に絡んでくる子/そうじゃない子の新たな境界も生まれるようになり、誰が付き合っている、デートに行った、夏休みどうするのように話題になる内容が具体的になり、その話題を中心に人間関係の構図が作られ、恋愛との距離感によってヒエラルキーが生まれるようになり、それに伴い会話のあらゆるところに理解できない目配せや気配り、謎のルールも絡まってくるようになると、恋愛ごとを面倒に感じ、それらの事象に巻き込まれるのが嫌な 「男の子」 たちは、 相変わらず髪が短くてクラスの中で3,4番目に背が高い、見た目が「女の子」的ではない、自分たちと近い「男の子」的なコミュニケーションをとって接してくる、一切恋愛の話をしない私を他の「女の子」ほどは警戒せず(「恋愛的な文脈での楽しさを見出せず・高揚せず」とも言い換えることができる)、「女の子」たちも、 恋愛の話題を振られても求められていたような回答をできなかったことでそのルールを理解していないことを見抜き、普段の様子から関心があるようにも見えなかったであろう私なら男の子のそばに置いていても面倒なことは起こらないだろう(ライバルになったり、噂話をして余計な広がり方をさせたりしないだろうのような)と、どちらにとっても曖昧で便利な側面を持っている存在だったと思う。それによって、「男女」間で起きるであろう揉め事を減らせると考えた(であろう)班を決める係のクラスメイトによって、校外学習や修学旅行といったイレギュラーでトラブルをなるべく起こしたくないイベントでの班編成では、いつも男子の中にひとり放り込まれる役だった(3年間「女子」が奇数のクラスだったため)。班を決めた子から「女子一人でごめんね」と謝られたが、なんて返せばいいかわからなかった。そう扱われることに慣れていたし、そう扱われることが嬉しかった。「女の子」の中に入れられる方が自分との差異やそこにいることの違和感を強く感じさせられるから、 「男の子」たちとともに「あっちが何考えてるかわからない」と振る舞うことで、自分の「女の子ではない」感覚を正当化できる環境の方がずっと楽だった。だからといって自分を「男の子」だとは思えず、「女の子ではない」存在として「男の子になりたい」と素朴に願っていた。
 「女の子ではない」という思いは自分の肉体にも向くようになっていった。胸が大きくなるにつれブラジャーをしないと揺れて邪魔だし痛いしで毎日つけていたが、ある日その工程がどうしても嫌になり、素肌にジャージの半袖を着て、その上からいつも通りの制服を着て登校した。いつものように1時間目の授業を終えジャージに着替えたときの、何とも言えない嬉しさと居心地の悪さが混ざった感覚。本来こうあるべきだったという感覚と、いつもより肌にまとわりつく気がするせいでより目立ってしまう気がする身体の丸み。念のため学校にブラを持っていこうなんて微塵も思わなかった(これは決意というよりそこまで考えが至らなかった、着替えの肯定をすっ飛ばした瞬間の満足ですっかり忘れていたという不注意によるものだった)ため、一日中居心地の悪さを引きずって猫背で過ごすことになり、それ以降ブラをつけることは諦めて受け入れた。「女の子じゃない」存在として扱われるためにできる方法を探し、少しでも「男の子」的になろうとそちら側に行動を寄せ、しかしどうしても「男の子」にはなれず、「男の子」のアイデンティティを自分の中に見つけることもできず、「女の子」の記号を与えられているのなら結局私は「女の子っぽくない女の子」なのかな、と思っていた。6年間制服のスカートを履いているなかで、自分のアイデンティティをいったんそうやって理解することにした。そうであるだけでも浮いていたけれど、恋愛の話題に関わらない限り目立つことはなかったので、基本的には地味な子どもとしてどうにかやり過ごすこと��できた。  私が高校まで暮らしていたところは東北の田舎で、そこは非常にシスヘテロ的でバイナリーで、女/男しか存在せず、恋愛、性愛をする人しか存在しないところだった。そんな中で私は「ボーイッシュな女の子」という言葉で済まそうとするにはあまりにも色々な要素が浮いていて、しかしそれはただ私が浮いているパーソナリティである以上の意味を持たなかった。(そして、そこでは障害や家庭環境、それらによっておこる不平等も単に個性でしかなかった。)どんな装いをしようと、どんな振る舞いをしようと、どんな思いで生活していようと、私は「女の子」としてカウントされ、「女の子」というアイデンティティを持ち、その規範に沿って生きていくべき存在でしかなかった。
 高校を卒業し地元に比べると圧倒的に都会だった地域で暮らし始め、新たな生活を過ごすなかでAロマンティック、Aセクシュアルと出会い、これまで感じてきたわけのわからなさにセクシュアリティという名前がつくことを初めて知ることができた。  大学生になり自分で服を買うようになると、スカートを選ぶことができるようになった。家ではジャージかジーンズしか履かなかった娘が、帰省してきたときにスカートを履いている姿を見た親がびっくりした表情を浮かべ、「似合うじゃん」と言われて微妙な気持ちになったのを覚えている。相変わらず髪は短かったし、身体への違和感が爆発し、思いつく解消案としていわゆるナベシャツを着るようになったのもこの時期だった。でも、あれだけ嫌だったスカートを履けるようになったことに自分自身も理解が追い付かず、だからと言って「完全に」女の子になることができたとは到底思えず、「女の子」の記号を自分から選ぶ自分自身に戸惑ったこと。重ね着をし身体のラインを見えにくくする装いをしたことで安心すること。電車に乗っていてふと「こいつは女か?男か?」という視線を感じ(中学生頃から「女ではない」と認識される経験を幾度となくしており、胸部を探る目が顔に移動する不躾な視線の動きがどういうものかを体感として知っている)、隣に座ってきたサラリーマンは今私を何者と判断したのだろうと不快感を覚えたこと。同時にその困惑を引き出せたかもしれないことにうっすら喜びを感じたこと。成人式で振袖を着るのがどうしても嫌で、別の予定を入れ地元に帰らなくて済むようにしたこと。この時期に#Metoo、フラワーデモに出会い、そしてフェミニズムに出会うことで、服装や身に付けるものも社会によってジェンダー化されていること、誰でもその規範から自由になれることを知った。セクシュアリティとフェミニズムは不可分であるし、本の中に書かれている社会構造の不平等や差別は私の身に降りかかるものとも似ている部分があったため、やっぱり私は「女」というジェンダーにカテゴライズされる人間なのかと思うようになった。
 私が参加したフラワーデモでは、何度かトランスジェンダーの方がマイクを取っていた。またそこで出会った人に紹介されたコミュニティにもトランスジェンダーの方が何人もいて、書籍の中だけでなくリアルな存在として、シスジェンダーではない人は決して遠い存在ではなかった。それだけでなく、当時セクシュアリティに関する情報のほとんどはオンラインで手に入れており(地元を出るまでLGBTという単語にすら触れたことのないような人間が、いきなりどの本を図書館で探せばいいのかわかるわけがなかったし、オフラインでAセクシュアリティに関する情報を探すのはさらに至難の業だった)、本で語られることを吸収することも大事だったけれど、YouTubeやツイッターを見れば本当に性的マイノリティの人間が生きていることを感じられることがあまりにも新鮮で、文字通り生きる希望になった。今はもう更新していないが、noteという媒体では今に続く私にとっても本当に大切な出会いをすることもできた。その人の文章を読むことで、Aセクシュアリティ、そして「男でも女でもない」と説明されることの多い、バイナリーな性別二元論では語ることができないアイデンティティの存在を知った。私が生きてきた、そして今も生きているこの社会がどれほど性別二元論に支配されており、それがどれだけの人を差別し、苦しめ、傷つける構造になっているのかを知り、彼らと連帯しなければならない、伴走者にならなければならないと強く思った。
 
 同時に、性別二元論への馴染めなさは、私自身の体内にもずっと昔から近からず遠からずの距離感で確かに存在していた。フェミニズムを学び、「『自分はフェミニストではないけれど』と言いながらフェミニズム的な発言をする人が多い」と、どちらかといえば批判的な文脈で語られているのを見かけ、確かにそうだよなと思う一方で、自分は完全に「女」を引き受けるのはしっくりこないな、という思いもずっとあって、「フェミニスト」と名乗るまでにかなり時間がかかった(し、正直今も名乗ることに抵抗感というか戸惑いがある。それは私のアイデンティティによるだけでなく、私があまりにもフェミニズムのことを知らなすぎることも大いに関係している)。フェミニズムが指摘する構造的な差別において、私は【「女」が受ける差別】を受ける立場にいたと思う。だけど、私がこれまで自分に感じてきた違和感は「女じゃない」という感覚によるもののはずだった。私なりにではあるがセクシュアリティやジェンダーなどに関することを学んできた中で、これを「女」の多様性の枠で語ることはできるのだろうかと改めて自分に対し疑問を持つようになった。でも、「女じゃない」なら何なのだとか、これまで「女」に馴染んで生活しているじゃないかとか、「女」の枠にいるからこその語られ方をしているじゃないかといった考えを拭えず、もやもやした思いは残るけれど、これまでのように、そういう違和感を一生抱えたうえで私は「女」をやっていくしかないのだと、諦めと不本意な受容が混ざった覚悟を決めた。
 その後、感染症流行による人との接触の減少、それに加えて鬱を発症したことで人と会わ(え)ない期間を長く経験して、就職活動が始まった(めちゃくちゃしんどかった)。何もわからなかったので学校のキャリアセンターに1から10まで頼りっぱなしだったのだが、そこで「スーツは黒で、スカートでもパンツでもいいけど今から買うならスカートが無難」というようなことを言われた。そのとき、久しぶりにスカートへの嫌悪感を強く感じた。私服でスカートを着るくらいになっていて嫌悪感はだいぶ薄くなっていたはずなのに。 フェミニズムを学んだことでシンプルに最悪なセクシズムが働いている発言だということを昔より高い解像度で理解し、そのことで怒りを覚えた感覚もあったけれど、 どうしてこんなに、あの頃と同じくらい嫌だと感じるているのか、自分に戸惑った。  スーツを売っている店の前を通ったり配られたチラシを読んだりしてみたけれど、無理だという思いがあまりにも強固で、どうにかしてスカートを履かないでやろうと決めた。就活のためにお金を使いたくなかった(鬱が治りきらないまま就活→実習→試験勉強というルートでバイトに避ける時間が減っていくのがわかっていた)し、なにより黒のスカートに脚を通すたびにおしまいの気持ちになりそうで、規範へのささやかな反骨心と心を守る方法として、 大学の入学式のときに親から譲り受けたグレーのパンツスーツで就活を乗り切った。
 現在フルタイムで働いている。いわゆるケアワークと呼ばれる業種だ。職場は「女性」しかおらず、ほとんどが既婚者で、世間話としてされる会話は異性愛規範に塗れていて、「私は異性愛者じゃない!」と心の中で唱えない日はないような環境にいる。そして、新しい利用者と会うたびに新しい関係を作っていく中で「女」として自己紹介したり、「女」と認識され、「女」だから任された仕事をすることが、徐々に違和感としんどさを生むようになった。職場での自分のありかたがわからなくなって、仕事で疲れて帰ってきても夜眠れない泥の中のような日々がまた戻ってくるようになった。眠れないままとにかく横になってスマホを眺めていたある日、ふと思い出した人のブログを読み返したとき、唐突にすとんとおさまる感覚があった。そうやって私は、女ではないというアイデンティティをようやく受け入れ、自分を表す言葉としてAジェンダーと出会った。
 本当に急に腑に落ちた。あまりにも呆気ないような、それでも20数年に及ぶ私のアイデンティティの居心地の悪さを理解するための、救いのような受容感だった。私が「男の子」にカウントされようと必死で、もしくは無意識的に渇望しやってきたことは、「女の子」と認識されることが苦痛でその記号を外すために、非常に強固な性別二元論が敷かれた、男と女しかいない社会の中で、「女の子ではない」をやろうとした結果「『そうではない』存在としての『男』」であろうとするしか抵抗の方法が、そして自分自身のアイデンティティとの向き合い方がわからなかったためだった。  このバイナリーな世界では性別欄は二択しか用意されておらず、「女」ではないなら「男」だし、「男」ではないなら「女」だ。必ずどちらかじゃないと存在を認識されず、そんな世界で生きてきたら「どちらでもないなら何なのだ」と、誰よりも私が私自身に問いかけ、二元論を押し付けてきた。そっち(女)じゃないというアイデンティファイしか方法を知らなかったけれど、そっちじゃないなら何なんだという問いかけにはバイナリーを前提とした答えを持たなくてはならず、その世界では私を語る言葉は存在しなかった。社会からやることを要請されてきたのは「女」で、これまで時になんとなく、時に必死に、時に絶望しながらそれをやってきたけれど、物心ついたときからずっとそこにあったここではないという感覚を、やっと信じることができるようになった。「女ではない」「どの『性別』にも当てはまらない」「女を引き受ける」。どうしてこれが同時に成り立つのか、今までこれらをセクシュアリティの問題ではなく個人の問題として引き受けてきた。共存するしかなかったうちに自分に馴染んできた部分も確かにある。シスジェンダーであることを求められ、受容する時間もあったけれど、それでもこれまでの人生すべてをシスジェンダーと理解することはできないし、そうしなくていい。そう思えることで、ずいぶん救われる思いでいる。
 書いてきたこれらのことは、他者に対する私の性別に関する証明のためのエピソードではなく、私がどう生きてきたかのごく個人的な話でしかない。このような道筋を辿るのが、Aジェンダーパーソンにとって典型的なのか、特異なのかすらわからない。ただ、性別二元論が私のことを語りづらくさせ、アイデンティティを受容するのを遅れさせ、受容しても尚戸惑わせ、未来の見えなさに仄暗い気持ちにさせ、傷つけてくることはどうしたって否定できない。それだけではなく、今もまだ「私はAジェンダーである」ということが、「私は自分自身の性別を意識したことがない」という、Aジェンダーへの差別的発言になるのではないだろうかと恐れる気持ちがある。アイデンティティを獲得しても、それをまっすぐ祝福できるようになるには正直まだ学び、話を聞き、自分を語るための時間が必要だと思っている。私自身の、私のための話なのに、それを語ろうとすることで差別構造に加担してしまうのではないだろうかと、そしてその言葉は私自身にも向いてしまうのだろうと、ためらいと恐怖を覚えてしまう。この社会に強固すぎる性別二元論が敷かれており、あらゆる社会規範や制度、社会保障にまでそれを前提として設計をされているがために。非シスジェンダーなど存在しないと乱暴な口を開く人々がいるために。
 これらは私の話だが、同時に私を取り巻く性別二元論の話でもある。非シスパーソンの尊厳を損ね、存在ごと居場所を奪い、攻撃の対象に仕立て上げ分断させ、そうすることによって大きな顔を保とうとしている、性別二元論の話だ。私にアイデンティティと出会うことを困難にさせ、規範から外れる存在として生きづらくさせ、やっと見つけたと思えても獲得するまでに本来必要だった以上に惑わせ、ようやく手にしてもそれを祝福することを難しくさせ、語ろうとする言葉を口篭らせる、性別二元論の話だ。シスジェンダーをやろうと頑張ってきた長い闘いが終わり、そして今度は非シスジェンダーの存在を許さない社会との闘いが始まる。それも今から始まっているのではなく、ずっとずっと前から傍にあった濁流の中に巻き込まれるような感覚だ。苦しいけれど、私はそこで私と出会った以上逃れることはできないし、したくない。私はこれまでもこれからも、こうのままで生きていく。私自身のことを言葉にするのがまだ難しくても、私が私のアイデンティティを信じられるようになっただけで、それはあの頃の5歳の私を救うことができるし、これからの私自身の希望になる。一度諦めたことがあったけれど、また出会うことができて本当によかった。
 私はAジェンダーだ。
9 notes · View notes
itokichi1130 · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
【WORKS】年賀パーツイラスト23点を制作させていただきました(2022)
株式会社技術評論社様の「かんたん年賀状素材集2022年版」の卯年の年賀パーツイラスト23点を制作させていただきました。 私の年賀パーツイラストはP.124~、ウサギの干支イラストを14点、縁起物イラストを9点掲載していただいていおります。 お好きなイラストや文字と組み合わせて使うことが出来るイラストパーツです。 年賀状イラストでも別途イラスト9点制作させていただいております。 【🐰年賀状イラストについてはこちら】 総ページ数は272! 付属のDVD-ROMをセットするだけで印刷をすることが出来ます。 年賀状だけでなく、ポチ袋や卓上カレンダーなどのおまけも充実しており、全8000点以上の大ボリュームの1冊です。 おまけにも一部イラストを使用頂いています! Word・筆王・筆ぐるめ・筆まめ等各種操作解説もついていて、 年賀状作成ソフトがないご家庭でも使用いただけるWindows・Mac両対応のソフト付きです。 ご家族みなさんや用途に合わせてご使用いただける1冊になっています。 -------------------------------- 「かんたん年賀状素材集2023年版」 発売日:2022年10月13日(木曜日) 価格:¥950+税 ISBNコード:9784297129866 【🖥冊子の詳細はこちら】 【🛒Amazon】 【🛒楽天BOOKS】 -------------------------------- 全国の書店、各オンライン書店にて販売中です。 どうかお見掛けの際はどうぞよろしくお願いいたします! 【✏イラストのお仕事のお問い合わせはこちら】 -------------------------------- 【WORKS】 I drew 23 parts illustrations for the publisher's New Year's card. In addition to New Year's cards, there are various benefits such as envelopes that can be printed and used, desk calendars, etc., and this book contains more than 8,000 illustrations in total. It is a book that can be used according to the family and usage. Thank you!
12 notes · View notes
oniwastagram · 1 year
Photo
Tumblr media
📸松雲山荘庭園(新潟県柏崎市)② Shoun-sanso Garden, Kashiwazaki, Niigata 松雲山荘庭園内の、かつて邸宅があった高台部。現在見られる和風建築は『木村茶道美術館』。 福井市の『愛宕坂茶道美術館』、富山市の『佐藤記念美術館』、能登・輪島の『南惣美術館』など、北陸に意外と?残る茶道具中心の美術館🍵 北陸は歴史上京都方面との結びつきが強かったこともありますが、柏崎は「越後縮」を近畿地方で販売する行商を生業とした方のコレクションが現代まで伝わってきたとか。 その中で数寄者として名を挙げた木村寒香庵(新潟県功労者)からの茶道具や寄付金により1984年(昭和59年)に財団が設立され、木村茶道美術館が開館しました。 木村寒香庵翁が学んだのは #不白流 の #清水宗観 。仙台藩・伊達家の茶道頭だった清水動閑(清水道閑)からのルーツがある人物なのかな…? 後水尾天皇・松花堂昭乗・藤村庸軒・雪村・沢庵和尚といった京都の一流の作品から、地元・新潟ゆかりの良寛まで絵画/書/茶道具を所蔵。この美術館では、木村寒香庵の《使ってこそお道具であり、使わなければお道具が死んでしまいます。》の思想の下、所蔵している茶道具を実際に使ってお茶をいただけること🍵 庭園を眺めながらいただける野外茶席も。庭園をお目当てに松雲山荘を訪れた方もぜひ茶道美術館にも立ち寄ってみて。 新潟・松雲山荘庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/shounsanso-gareden-%e6%9d%be%e9%9b%b2%e5%b1%b1%e8%8d%98/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #zengarden #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #柏崎 #柏崎市 #kashiwazaki #新潟 #niigata #新潟庭園 #ランドスケープ #landscapedesign #美術館 #japanmuseum #artmuseum #おにわさん (木村茶道美術館) https://www.instagram.com/p/CqH3FG-PV-7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
7 notes · View notes
kazuhiro-tatsumi · 1 year
Photo
Tumblr media
桜苗2.5メートルを植えました  蜜源の植物 花と葉っぱのつけねから蜜が出ます #巽造園 #巽養蜂園 #巽蜜源樹木の森 #蜜源樹木販売  #庭師 #庭木剪定作業受付中 #植木販売  #植木屋 #巽翠香園加工場 #日本蜜蜂の蜜蜂販売 #巽果樹園 #淡路島  #剪定師 #キンリョウヘン #ビービーツリー  #養蜂家 #蜜源樹木  #養蜂場 #春蜜  #夏蜜  #秋蜜 #ケンポナシ #マヌカツリー #庭木販売  #庭造り #蜜源植物の森 #蜜源植物 #淡路島 #淡路島の蜂蜜 https://tatsumiyohoen.com/honey (巽養蜂園 【日本ミツバチ専門店】) https://www.instagram.com/p/CpmjfmSLLCw/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ari0921 · 5 months
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月11日(木曜日)
    通巻第8087号 
 これから五年以内に労働市場に重大な混乱が訪れる
  AI導入で職を失うのはホワイトカラー。清掃、運輸、介護には影響なし
*************************
 ゴールドマンサックスの報告書は2023年3月に発表され、労組ばかりか経営者、そしてルーティンワークのホワイトカラー、法務関係、金融ビジネス関係者の衝撃を与えた。
 「世界中に『非凡な高給取り』がおよそ3億人いるが、AI導入により10%以上が不要になる。とくにホワイトカラーの25%から50%は不要だから大量の失業がうまれるだろう」との予測だった。
 たとえば言語開発ソフトのデュオリンゴ社は生成AIでソフトが作成として、10%の社員を解雇した。このようにAIが雇用を奪い、労働組合は緊張状態となる。
 ハリウッドの脚本家組合、俳優組合がストライキに突入、ミシガン州では自動車労組がEVにより雇用激減を懼れストに突入した。脱炭素とかの寝言をいうバイデンを自動車労組が見限った。
 AIが原因というより不況による賃金不払い、突然の解雇が凄まじいのが中国である。
 中国の労働争議件数は、
 2020年  802件
   21  1091
   22   831
   23  1793件
 ト鰻登り、深刻である。
 しかし思い出すことがある。
産業革命がおきた英国で蒸気機関車の驀進する沿線では昔ながらの農民の農作業が行われていた。
産業ロボットがブームになったおり、労組の反対がもっとも激烈だったのはフランスだった。ラインの機械化を遅らせたため、ルノーも、プジョも、シトロエンも次世代自動車の開発に乗り遅れた。フランスへ行かないと仏車を見かけなくなった。
 英国の老舗自動車メーカーは青息吐息、ロールスロイスは銀座とか高級ホテルでしか見かけない。ドイツはVW)フォルクスクワーゲンがシェアを大きく後退させ、ボルボは中国資本傘下となった。これらはAI導入以前のことである。
 ところが日本では塗装ロボット、溶接ロボットなどに「愛称」をつけて共生し、生産性を向上させた。
 
 運搬、荷揚げ、運輸方面をみても港湾のクレーン、カーゴ・コンテナ規格統一により荷役業務の労働者は激減した。しかしコンテナから荷物を取り出し、仕分けし、トラックに小分けする作業は人手が必要だし、運送トラックは人手不足であり、つまり全行程の一部で労力が不要となっても、ほかの部門は自動化に難があり、職種によっては生き残る。
 日本は炭鉱を全廃したが、炭鉱労働者は新興の自動車産業、部品メーカーやタイヤメーカーに転職した。
繊維産業もアメリカの圧力と工場の近代化で有力メーカーは生き残ったが中小零細は転業した。日本の通産省政策は転業に補助金を出した。
 農業の機械化自動化は耕耘機や収穫、田植え機などの導入で過剰労働のプロセスは合理化されたが、水田への水の供給システムや草むしり、害虫対策では一部だけ自動化がすすんだものの、手作業が多い。そもそも農業の肥料が化学肥料となって、ビタミンの配分が変わり、別の弊害も起きた。
 アルコールの製造、とくに醸造酒の自動化は、攪拌や瓶詰め作業では格段の効率化があるものの、醸造ノウハウは杜氏の仕事である。ロボットが味覚をもつことはない。
 こう見てくるとロボットが特化し需要がまだまだ伸びるのは介護ロボットと、医療分野であることは明白だろう。事務職、製造・組立工、会計士、税理士、通関士は生成AIが代替できる。
電気通信技術者、コンピューター関係、警備システムの導入で警備員も影響を受けるし、ネットで読めるようになった新聞配達の人員は激減の最中、販売店の再編が進んで。無人レジの普及でスーパー店員や、ドローンの登場で宅配便配達員も影響を受けそう。
タクシー・電車・バス運転士は自動運転の区域が増えても大量の失業とはならない。寧ろ運転手が不足している。
要するにパターン化が可能で、単純作業の繰り返しが多いホワイトカラー、弁護士、特許弁理士などは書類作成がAIに取って代わられるが、それ以外の職種にはAIが適用できないとうことである。
AIはビッグデータを分析して現状に即したソフトを作成できるが、創造することはできない。 
「AI失業」の可能性の低い精神科医、外科医、言語聴覚士、助産師、教員など、とくに創造性が求められる職種、精神や感情に関わりのある仕事、教育関連の仕事だ。
中国の予備校、学習塾、家庭教師の大量失業はAIとは無関係である。習近平のおもいつき、ゲームも規則を強化したので、テンセントなどゲームソフト企業は株価下落に見舞われた。
3 notes · View notes
suisaibeya · 9 months
Text
絵と額縁を買った話
Twitterで垂れ流すにはちょっと長くなりそうだったのでこちらでお話。 水彩系ブロガーさんの影響を受けて、額縁の大切さを感じた話と、絵を買った話と、それに合う額縁を買った話。
1.前書き(自分語り)
そもそも自分は水彩好きとして、どういう立場なのかというと、 ・水彩の独特の透明感・表現が好き ・水彩で描かれた風景画が大好き ・お絵描きするのも好きだけど、どちらかというと絵を描くよりも塗る方が好き。(元々、他人の絵に色を塗るのをメインに活動していた時期が長かった) という感じ。 だから、風景画を描くこともあるけど、基本的に下手の横好きで、他人様に見てもらうために努力をするとかしてないのである。 ↑そりゃ、見てもらえて、気に入ってもらえたらもっと嬉しいYo
そういう訳で、額というモノには一切興味もなく、自分には関わりのない事だと思ってました。
2.額の大切さを知った話
そもそも、マットという言葉すら知らなかった我が輩。 それを教えてくれたのは、水彩ブロガー、枯葉庭園さんでした。
枯葉庭園さんの記事は技法・画材・色・展示など、様々な分野があります。 文字通り、”色々”影響を受けていますが、額については完全に自分の範囲外の分野だったので、とても刺激を受けました。
額の記事、色々 ←リンク
額は、自分の絵に使うだけではなく、展示されている作品にも当然使用されているのですが、自分はそれに全く見向きもしてませんでした…💦
3.初めて額縁専門店で額とマットを購入した話
一応、簡易的な額はもっていたものの、ガラスやアクリル板ではない薄いプラ板の安いものだけでした。
枯葉さんが新橋の額縁店ファブリさんで個展されたのをきっかけに訪問し、キャビネサイズの額縁に合わせたはがきサイズのマットを作成してもらい、額縁とセットで購入しました。(←うまく説明できてる気がしない😂)
Tumblr media
実際に自分の絵を入れると…… なんということでしょう。
Tumblr media Tumblr media
重厚感が違う!と感動したものです。 自分の落書きの絵でも、額に入れるだけで印象がすごく変わるのがよくわかりました。
4.絵を買って、それに合う額縁を買った話
ちなみに、自分の家には絵はもらい物の絵が飾ってあるけど、家の雰囲気に合わせた絵ではなく、飾っている場所も無理矢理感があって、若干浮いている模様。
そんなさなか、マイナスイオンが溢れる風景画を描かれている水彩画家、小林啓子さんの個展で、なんと技法書に使用された作品が5,000~25,000円で販売されていました。
小林啓子さんの該当のブログ記事 ←リンク
木の1本まともに描けない自分、本物があった方がきっと勉強になるだろう、ということで、5,000~8,000円の木の作品でめちゃめちゃ悩んだ挙げ句、5,000円のシンプルな方の作品を購入させていただきました。
Tumblr media
後で見たところ、SMサイズくらいだったぽいですね。
しばらくこのままお部屋に飾っていましたが、思い切って額を買ってみることにしました。 購入したのは世界堂の額、アイナ<ブラウン>八切(たしか)。 とてもシンプルな額です。 作品を持っていく勇気はなくて、脳内の記憶と照合しながら、  (この色で良いか……?)  (この形で良いか……?)  (この値段なら買えそう……) と売り場をうろうろしまくって購入しました。 めちゃくちゃドキドキしましたw
そして、作品を額に入れたら… マットだけだと、作品がすごいな、という印象だけど、額に入れると額込みで作品、という雰囲気が漂ってきました。
Tumblr media
自分の部屋に飾るのがもったいなすぎて速攻居間に持っていって飾りました。 うちみたいなモノがごちゃごちゃしてて殺風景な家だと、大きくてゴージャスな絵よりも、シンプルな絵の方が映えるんだな、と感じました。
購入するとき、一番安い絵を選んだことで、 (値段で買ってる見たいに感じられたらちょっと申し訳ないな……) と思っていたのですが、うちにはこの絵が一番ぴったりだったんだ!とすごく感じました。
5.絵を買ったことで感じたこと
なんか買おうと思って買うのではなく、ピンと来た絵や、縁を感じた絵ってやっぱり思い入れが深くて、見てると温かい気持ちになります。
あと、居間に飾ることで、本物の植物も雑に何個かあるけど(父親の趣味)、植物とは違った豊かさを感じてお部屋に奥行きが出た気がする!
6.ついでに自分の描いた風景画も額装してみた
前に描いたアイスランドの絵、ガイド線が消えなくて残ってしまった悲しみは残るものの、折角描いたので、とりあえずマットをつけてみました。
Tumblr media
こちらはA4サイズのマット。 ですが、なんとなくSMサイズのマットをつけたら、その分切り取り幅が増えるので、地面を減らして空の面積を増やしたら構図がよくなったので、SMサイズのまま、またしても八切サイズの額(訳あり品で安かった)を購入。
Tumblr media
アクリル板のおかげでほんのり、ガイド線が目立たなくなってる(と良いなぁ)というのと、マット&額パワーでちゃんと絵になってる!と感じられました。 正直、かまぼこ枠よりもアイナのようなシンプルな枠の方がよかったけど、値段で買ったからしゃーないw
というわけで、 ・枯葉さんのおかげで、額の大切さを知った ・絵を購入したことと、絵と飾る場所の相性 ・自分の絵も額装するとちょっとテンション上がる ということを語り倒してみました。
2 notes · View notes
kennak · 9 months
Quote
止まらない価格上昇に首相はようやく全高平均小売価格を10月中に175円程度まで抑制する方針を表明したものの、遅きに失した感は否めない。加えて、普通に考えればガソリン補助金で国民は何か得するわけではない。これまで通り、ガソリン税をとられていた分の一部を補助金という形で“還元”されるだけなのだ。ガソリン価格の約4割は税金であるため、税の一部を軽減する「トリガー条項」を発動すれば国民負担をより軽減できるはずだが、首相はこれだけ長い時間をかけても減税策などを決断できずにいる。  鈴木俊一財務相はトリガー条項を発動する場合、大きな価格変動に伴って買い控えや駆け込み需要が生じ、販売・流通に影響があると見ているが、それでは何のために「条項」があるのか。ちなみに、レギュラーガソリン1リットルあたりの小売価格は、ロシアによるウクライナ侵略が始まった直後の2022年3月初め時点で約174円だった。一部地域はハイオクで200円の大台を突破しており、仕事や日常生活にマイカーを使用する人々の負担は膨れ上がっている。  生活に密接な飲食料品や電気料金の値上げも著しい。民間調査会社「帝国データバンク」が8月31日発表したデータによれば、今年1~9月末までの飲食料品の値上げは2万6490品目に上り、さらに12月末までに4500品目超の価格上昇が見込まれている。電気料金は大手電力10社が10月請求分(9月使用分)を値上げし、平均的な家庭で前月と比べ642円から1024円高くなる
国民はもう限界だ…鬼の岸田政権「絶対に発動したくないトリガー条項」取れるところから絞り取る”所得倍増計画に騙された国民”(みんかぶマガジン) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
ignitiongallery · 10 months
Text
道草晴子『完本みちくさ日記』刊行記念絵画展
Tumblr media
8月30日より、道草晴子の『完本みちくさ日記』刊行記念絵画展を、twililightで開催します。
9月8日には西崎憲とのトークイベントも開催します。
ぜひ足をお運びください。
---
会期:2023年8月30日(水)〜2023年9月25日(月) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00〜21:00  定休日:火曜日、第1&第3水曜日、9月21日、22日
--
いつも無駄のない日々を生きるのは息がつまりそうになってしまうから、自分の道草ばかりの日々の日記を読んだり、色だけの絵や、輪郭の曖昧な植物の絵、完璧なデッサンとは少し違うマンガの絵を見ると、呼吸が少し軽くなるといいな、そんな思いでいつも制作をしています。
どこか明確なゴールに辿り着くわけでもなく、わかりやすいハッピーエンドもないまま、ずっと道草をしている日々を描き続けて10年目です。
皆さんも道草をしにぜひこの個展とイベントに足を運んでみてください。
道草晴子
--
《プロフィール》
道草晴子(みちくさ・はるこ)
漫画家。2015年にトーチwebで連載していた自伝マンガ『みちくさ日記』を刊行。続編となる『よりみち日記』を2020年に新潮社よりさらなる続編『よりみち日記2』を「考える人web」で2022年9月まで連載していた。2023年8月24日にリイド社から、『みちくさ日記』と『よりみち日記』と『よりみち日記2』の3作をまとめた『完本 みちくさ日記』が刊行される。
現在、マガジンハウスの「POPEYE web」および「SHURO」にて坂口恭平原作のマンガ『生きのびるための事務』を連載中。
絵描きとして絵画作品も制作し、ギャラリーなどで展示販売も行っている。
--
《会期中イベント》
道草晴子+西崎憲『道草と創作について』
日時:2023年9月8日(金)開場:19時 開演:19時30分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:2000円+1ドリンクオーダー
西崎憲さんとの出会いは、下北沢にあるB&Bでのイベントがきっかけでした。ギターで弾き語りをする西崎さんが、会ったことない私に「どこかで見たことがありますね」と言ってくれたことをきっかけにお話し、店内にあった「みちくさ日記」を買ってくれました。
西崎さんは「ひと目で好きな作品だとわかりましたよ」と言ってくれて、その後、西崎さんが翻訳家で小説家でもあることを知りました。
それからトワイライライトで再会し、今回のイベントを開催することになりました。
このトークでは、私の名前にもある「道草」のことと、作品に影響を与えてくれた本や映画にまつわるお話をします。
道草晴子
--
件名を「道草晴子+西崎憲」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
--
《出演者プロフィール》
西崎憲(にしざき・けん)
翻訳家、作家、音楽家。訳書に『郵便局と蛇』コッパード、『ヘミングウェイ短篇集』、『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』(亜紀書房)など。著書に第十四回日本ファンタジーノベル大賞受賞作『世界の果ての庭』、『蕃東国年代記』、『未知の鳥類がやってくるまで』、『全ロック史』、『本の幽霊』など。フラワーしげる名義で歌集『ビットとデシベル』『世界学校』。電子書籍や音楽のレーベル〈惑星と口笛〉代表。
3 notes · View notes
trip459 · 10 months
Text
8/3  8/11 山の日イベント「つるぎ山の話をしよう」
Tumblr media
8/11山の日。「つるぎ山の話をしよう」と言うことでお話をさせて頂きます。
8/21(月)まで2Fギャラリーにて「写真と山のアイテム展示」も展示させてもらっています。
期間中はphil booksとコラボした山をテーマにした本も販売しています。普段の仕事や生活のことからアウトドアについて、そして剣山のお話。
さらには山を続けたくなるような日本国内の他のエリアの山や海外トレッキングのお話などを考えています。当日は剣山に遊びに行くつもりでいつものバックパックを持参し、中身を公開。ウルトラヘビー時代からウルトラライトの時代を経て今現在の道具をご覧下さい。
8/11ご参加の方は人数把握したいのでメッセージやメールでご連絡下さい!
終了後は近くて花火大会も。
--------------------
トークイベント&写真と山のアイテム展
「つるぎ山の話をしよう」
徳島でいちばん高い山、標高1,955mの「剣山(つるぎさん)」に登ったことはありますか?
「子どもの時に遠足で行ったきり」「登ってみたいけど機会がなくて…」「体力に自信がない…」そんな人も多いのではないでしょうか。でも大人こそ、剣山で遊んでほしいのです。
大人になってから行く山や自然って、めちゃくちゃ楽しいんです。むしろ、自然に触れることで自分に眠っていた子どもの頃の好奇心や豊かな感性がブワッと溢れるような感覚になります。綺麗な景色、街中から始まる登山道、山頂で食べるご飯、星空をみながらキャンプで熱い話で盛り上がる―。ほらね、山登りってめちゃくちゃ楽しそうでしょ?
プロのアウトドアガイドとして、山の楽しさ、面白さをもっと伝えたい!ということで、「山の日」である8月11日(金)から山を知る写真展と山のアイテムの展示を10日間おこないます。
「こんな景色がみてみたい!」「山のガジェットかわいいなあ」「山頂でコーヒー飲みたい」。きっかけはなんでもいいんです。山の楽しみ方は人それぞれ。あなただけの山の楽しみ方をご提案させてください。
そして、写真展のオープニングとして初日にはトーク「つるぎ山の話をしよう」も実施します。剣山の魅力を話すほか、山を登るときの服装や持ち物、便利で楽しい山グッズも実際に見せながらご紹介。初心者にもわかりやすく、むしろ初心者を山に登る気にさせるトークをします。
さらに、期間中にはTrip四国の川の案内人がセレクトした本「TripBooks」の販売もします。本がきっかけで登山を始めるというのもまた粋ですね。
山にまつわるいろんな入り口を準備して待っています!ぜひ、遊びにいらしてください。
◆詳細◆<写真と山のアイテム展「つるぎ山へのパスポート」>
場所:-みんなの複合文化市庭- うだつ上がる2F、ギャラリースペース
期間:2023年8月11日(金・祝)〜8月21日(木)11:00〜17:00
参加費:無料(予約不要)
トークイベント「つるぎ山の話をしよう」
場所:-みんなの複合文化市庭- うだつ上がる2F、ギャラリースペース
期間:2023年8月11日(金・祝)18:00〜20:00
参加費:1,000円+ワンドリンク代
2 notes · View notes