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#落葉広葉樹
yoga-onion · 8 months
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (21)
E for Eadha (Aspen) - September 21st Autumn Equinox
“Whispering tree, also known as Trembling tree  - Autumn Equinox of the Celtic Tree Calendar (Ref), when moving into darkness”
Star: Pluto, Mercury, Saturn: Gemstone: black opal,; Gender: female; Patron deity: Persephone, Hades; Symbol: listening, overcoming fear + courage, shield, light in the darkness
Aspen trees are all native to cold regions with cool summers, in the north of the northern hemisphere, extending south at high-altitude areas such as mountains or high plains.
The aspen is referred to as quaking aspen or trembling aspen because the leaves "quake" or tremble in the wind. This is due to their flattened petioles which reduce aerodynamic drag on the trunk and branches, so that they catch any slight breeze, making the leaves tremble, flutter and make a soft, rustling sound each time they do so. In autumn, the leaves turn bright yellow and sometimes red, and when they fade further and turn black, they fall off.
The ancient Celts believed that the wind was a messenger of the word of the gods and therefore considered anything that was in tune with the wind sacred. The same is true of the aspen tree. The aspen, which has the best ears of all trees, always rustled its leaves in response to the voice of the gods.
However, the aspen, with its close connection to death and the underworld, came to be regarded as a tree of misfortune. In earlier times, corpses and graves were counted with a cane made of aspen named fé, and people were terribly afraid of the calamities that would befall them if they were struck with this cane. The connection with the seasons, rest and rebirth was often overlooked, and many people, cowering in fear, heard only the abominable sound of aspen leaves rustling in the wind. However, the teachings of the aspen are about overcoming the fear of death, the fear of the unknown and fear itself. The aspen was called the 'shield tree' by the Irish Celts, and is said to have been their favourite tree for making shields. This was not only because aspens provided a reassuring shield, but also because they protected us from flinching in the face of the unknown, once we had taken their teachings to heart.
Incense made from aspens is burned continuously during Halloween (Celtic festival of Samhain). Halloween is the time of year when the distance between this world and the underworld is at its closest, and the period that ushers in the new year. Samhain is also the festival of the New Year, which takes place on November the 1st, the beginning of the year, but it is also the festival of the dead. It is believed that during nights between the end of the year and the beginning of the new year, the border with the other world disappears, the souls of the dead visit their relatives, and demons and evil spirits cause damage to crops and livestock.
Ancient Celtic cultures were known to carve turnips or potatoes and place embers inside to ward off evil spirits. That's because Ireland didn't have pumpkins. In England, large beets were used. When immigrants brought over their carving tradition, Americans began carving jack-o'-lanterns from pumpkins.
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木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (21)
EはEadha (ポプラ) - 9月21日・秋分の日 
『ささやきの木、震える木 〜 ケルトの木の暦(参照)・秋分、暗闇に移るとき』
星: 冥王星、水星、土星: 宝石: ブラック・オパール、; 性: 女性; 守護神: ベルセポネ、ハデス; シンボル: 聞くこと、恐怖の克服+勇気、楯、暗闇の中の光明
ポプラ (セイヨウヤマナラシ‘山鳴らし’) の木はすべて、北半球の北部で夏が涼しく寒い地域に自生し、南は山や高原などの標高の高い地域に広がっている。
ポプラは、葉が風で「震える」ことから、山鳴らしと呼ばれている。これは、幹や枝の空気抵抗を減らすために葉柄が平らになっているためで、どんな微風もとらえ、その度に葉は震え、はためき、さらさらと柔らかな音を立てる。秋になると、葉は鮮やかな黄色に色づき、時には赤くなり、さらに色あせて黒くなると落葉する。
古代ケルト人は、風は神の言葉を伝える使者と信じていたため、風と同調するものは何でも神聖視していた。ポプラの木も同様だ。すべての木の中で最も優れた耳を持つポプラは、いつも神の声に応じて葉をそよがせていたのだ。
ところが、死や地下の国とつながりの深いポプラは、不幸を招く木とみなされるようになった。その昔、死体や墓はフェという名前の、ポプラでできた杖で数えられていたし、この杖で打たれると災難がふりかかると人々はひどく恐れていた。四季、安息、再生との関わりはしばしば見過ごしにされ、恐怖に身をすくませた多くの人たちは、風にそよぐポプラの葉音に忌まわしい声だけを聞き取った。しかし、ポプラの教えは、死の恐怖、未知なるものへの恐れ、そして恐怖心そのものを克服することにあるのだ。ポプラは、アイルランドのケルト人に「楯の木」と呼ばれ、彼らが楯をつくるのに最も好んだ木と言われている。それは、ポプラが単に心強い防具になっただけに留まらず、ひとたびポプラの教えを我がものとしたなら、未知なるものを前にしてもたじろがないように守ってくれたからに他ならない。
ハロウィン (ケルトのサウィン祭)の期間中、ポプラから作られたお香が焚かれ続ける。ハロウィンは、現世と冥界の距離が最も近くなる時期であり、新年を迎える期間でもある。サウィンは、1年の始まりである11月1日に行われる新年の祭りでもあるが、同時に死者の祭りでもある。年末から新年が始まるまでの夜は、あの世との境界がなくなり、死者の魂が親族を訪ね、悪魔や悪霊が農作物や家畜に被害を与えると信じられている。
古代ケルト文化圏では、悪霊を追い払うためにカブやジャガイモを刻んで中に燠火を入れていたことが知られている。アイルランドにはカボチャがなかったからだ。イギリスでは大きなビーツが使われた。移民がカボチャを彫る習慣を持ち込むと、アメリカ人はカボチャからジャック・オー・ランタンを彫るようになった。
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vegehana-food · 6 months
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✿ 朴葉味噌 | 岐阜県 ・飛騨地域では、秋に落葉した朴葉を拾い集め、調理用具に活用してきました。朴の木は日本全国の山々で見ることができる葉の大きな落葉広葉樹。朴葉には抗菌作用があり、包むと食べ物が日持ちし、良いかおりが移りおいしくなります。由来は諸説ありますが、林業が盛んだった飛騨地域で、山仕事を生業とする杣人(そまびと)たちが、山で朴葉を皿代わりに焼き味噌をしたのが始まりといわれています。 ・朴葉味噌は、味噌と刻んだねぎを朴葉の上で焼きながら食べる素朴な料理で、ご飯によく合うほか、酒の肴としても最適といわれています。今では飛騨牛やきのこなどと一緒に焼く、この地域の欠かせないおもてなし料理です。
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tutai-k · 9 months
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幻想の銀河を握りしめる
ぼんやりとしているうちに、八月が終わってしまいそうだ。
今年は、ツバメのねぐら入りを見に平城京へ行くタイミングがなかったし、大台ヶ原も二回しかいけなかった。コマドリの写真はもちろん撮れていない。わたしは結構大台ヶ原の運はよくて、行けばコマドリを見ることができていたのだけれど……鳥というのは、なかなかむずかしい。
代わりに先週、十津川村の「玉置神社」というところに行った。 「呼ばれなければ行けない神社」と言われている。奈良県十津川村は、吉野郡に属するのに三重県からだと、和歌山を回った方がはやくつく。 三時半に家を出て、八時半くらいについたかな……。 山に登るタイプの家族と一緒に行ったので、まずは玉置山にのぼった。のぼりはじめてすぐ、カケスが目の前に飛び出してきた。望遠を引いても見切れるくらいの間近でしばらくたたずんでいて、うごけないままシャッターを切った。びっくりした。 こんな幸運があると、(まずこの神社にたどり着けたことが幸運で、「呼ばれていない」ときはカーナビが壊れたり車が壊れたりするらしいが)この土地の神々は、わたしを受け入れてくれたんだ、と思う。 山頂へ行き、下っているあいだに、鳥はあまりいなかったが、見たことのない花をたくさん見た。ホトトギス、という種類の花らしい。 リスがしきりに鳴いていた。 お参りを済ませてから御朱印をもらい、紙製のお守りと陀羅尼助を買った。お守りは最初はスマホケースに入れていたのだが、トイレとかにも持ち歩くことを考えたら、なんだか神様に狼藉を働いているような気がして、財布に入れ替えた。
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お参りを終えたのがお昼まえで、そのまま熊野本宮大社へ行った。八咫烏のグッズや置物がたくさんあった。八咫ポストというのがあったので、いずれわたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさいひとにはがきを送った。自分には、八咫烏のピンバッヂを買った。木曽駒ヶ岳で帽子をなくしてしまい、お気に入りのライチョウとルリビタキのピンバッヂも一緒になくなってしまったので、新しい帽子に付けた。かわいい。
それはそうと、いま田中芳樹の『銀河英雄伝説』を読みかえしている。先々週の台風で仕事を休んだ日に、急に読み返したくなって読み始めた。いまは6巻。ヤンイレギュラーズが結成されたあたり。 社会情勢が日々悪くなってゆき、暗澹とした未来しか見えない。そんな状況でこの物語を読むと、ラインハルト・フォン・ローエングラムの存在を切望し、いないことに落胆する自分がいてぞっとする。 物語に指摘されずともいまの日本の状況には、成人して参政権のあるわたしにも責任がある。それなのに、絶対的な善性を持った、カリスマ性のある誰かに、この状況を打破してもらおうと期待している。そしてそんな人が現れないことに、毎朝、(通勤の電車で読んでいるので)やるせなさを感じてしまう。 社会のかわらなさ、どうにもならなさ、悪化に歯止めのかからなさ、それらに追い詰められている。 わたしにできるのは自分の善性を信じ、また疑いながら、日々を過ごしてゆくことと、それを他者に働きかけること。それはわたしの現在をいますぐ変えてくれることはないかもしれないが、わたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさい人が、人生選択をするころには、作用していてくれればいいと思う。 わたしは生きることをつづけて行けるだけの幸運さがあり、まだ生きるという抵抗をやめずにすんでいる。
そんなことを思い���がら、今日は伊良子へ渡った。伊良子清白という詩人は、自分が伊良子という姓だから伊良湖岬のことをあえて「伊良子」と書いたらしい。わたしもそれに倣っている。 行きのフェリーで、シェアオフィスの一階のちゃんぽん屋さん夫妻にである。今日から夏休みでお出かけのようだった。少し話をして、わたしは鳥を鳥にサイドデッキヘ。 鳥羽ー伊良子航路は、神島ー伊良子間にオオミズナギドリが多く飛ぶ。水面すれすれを飛び、ときに水面に片翼の切っ先をすべらせて澪を引くその姿のうつくしいこと。 風を得て、羽ばたかずにただ身を風に乗せている、その動きの簡潔さと効率に感動する。いまは「アホウドリ」と呼ばれているオキノタユウをこの航路で見ることはできず、オオミズナギドリの飛翔を見て想像するしかないが、かれらは荒天のほうが生き生きと飛ぶらしい。眠りながらでも飛び続けられるというから驚きで、その姿をこの目で見たいと切望している。 恋路ヶ浜で去年ノビタキを見たので探そうと思っていたが、暑すぎて無理だった。「日本で二番目においしいかき氷」のお店でかき氷を食べた。このお店はシロップが自家製で、田原の特産物を使っている。わたしはいま銀英伝を読んでいるので、ヤンのことを思いながら紅茶シロップにした。 それにしても、暑かった。水温が上昇しすぎた海には魚が減ったと漁師たちが嘆く。渡り鳥の種類も減ったり変わったり(渡りのルートや時期も変わってしまっているらしい)していると、何十年もバードウォッチングをつづけているひとたちは言う。 人間が滅びてしまっても、鳥や魚たちはやはり各々の営みをつづけるのだろうが、それでも、人間による傷跡のことを考える。遠い昔からわたしたち人間という種族が滅ぼしつづけてきた生物、そしていまだ滅ぼすことをやめない生物たちに対して負っている責任のことを。 帰り際、遊歩道でくちばしにルアーが引っかかっているアオサギをみる。このアオサギも、人間によって迷惑を被っている鳥なのだ。そしてその個体を直接的に救うすべを、わたしは持っていない。
復路にもミズナギドリは飛んでいた。フェリーに併走するように飛ぶ鳥は、とてもうつくしかった。
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神島を過ぎ、鳥の姿も見えなくなって、SNSの友人たちに旅の報告をしていたら、TLに自分の本の写真が流れてきた。 千葉の書店「本屋lighthouse」さんが、『ゆけ、この広い広い大通りを』を取り扱ってくれることになった。セーファースペースの取組みをしている書店さんで、この本を並べてもらえることは、ほんとうにうれしい。安心してお買い物できると思うので、本をお求めの方は是非本屋lighthouseさんのショップから買ってください。
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日々、いろんなことを考えている。 考えるだけでは、まえに進まないこともたくさんある。それでも、とりあえず考えなければならなくて、考えの果てに、すこしはよい未来がありますようにと思っている。
文フリ大阪が間近だ。 ヨモツヘグイニナからは再録短編集の新刊はあるけれど、どうか日々詩編集室から出る『ゆけ、この広い広い大通りを』をよろしくおねがいします。
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(87)
『強靭な国家』を造る(24)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その14)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 今回は、これまであまり取り上げて来なかった話
題に触れてみましょう。最近、百田尚樹氏が「日本
保守党」を旗揚げし、フォロアー数がすでに自民党
を超えたことを自ら月刊誌に発信していました。
旗揚げに至った理由についても縷々述べておりまし
たが、前回紹介したような我が国の現状に対する
“いらだち”や自民党、特に保守系の政治家に対す
る期待感の喪失が百田氏を本気モードにさせたよう
です。彼らに対して「国民を裏切ってきた」の厳し
く批判しているところにその決意のほどが窺い知れ
ます。
個人的には百田氏の心境をよく理解できるつもりで
すが、私自身は、自衛官を退官した後も“気持ちの
上では”「生涯自衛官」を決意し、引き続き「政治
的活動には関与せず」と誓いを立てました。
退官後も、様々な(特に保守系の)団体からお誘い
もありましたが、“その色に染まる”メリットとデ
メリットを勘案し、あえて所属することを辞退し、
あくまで“肩書”なしの一個人の立場で、できる範
囲で活動することを心がけ、実践してきました。
メルマガ発信などもその一環として実行しています
が、私たちは、人を“肩書”で判断し、自分の考え
に近い組織に所属する人が書いたり話したりするこ
とには目を開き、耳を傾けますが、自分の考えと反
対側にいる人たちが書いたり話したりすることには
拒否しがちで、歩み寄ることも交わることがないの
が通例です。
つ��り、保守系の人たちがいくら“いきり立って”
立派な主張を述べても、革新系の人たちには届かず、
理解もされず、“揚げ足”をとられるか、反論のた
めの理屈を並べ立てる材料にしかならないのです。
そして、その逆もまた“真”でしょう。
このように、戦後の出発点から70数年の間、政党
名などがひんぱんに変わることはあっても、たとえ
ば、憲法とか国防などの根幹の部分はお互いにほと
んど歩み寄ることなく、(失礼ながら)不毛の議論
に時間を費やしてきました。このようなことが“我
が国をどれほど不幸にしているか”、政治家と言わ
ず、大多数の国民もそろそろ気がつかねばならない
時期に来ていると考えます。
私は、最近は特に、幅広いテーマについて様々な立
場から書かれたものを読む機会がたびたびあります。
現在も、「日本を守ってきたのは憲法9条と国民の
平和希求だ。戦争を放棄した国に戦争を仕掛けてく
る国はない」(原文のママ)と堂々と書いている大
学教授ら著名人が書いた書籍を読んでいます。
少し前に発刊された書籍ではあるのですが、当時の
国際情勢の分析の視点が私などとは180度も違う
ので、とてもおもしろいし、参考になります。この
ような人たちに、その後の国際情勢は自分たちの分
析どおりに展開したのか、もし違っていたのであれ
ばその原因はどこにあったのか、とか、「ウクライ
ナ戦争」や「中台問題」などをどのように分析して
いるか、などについて訊ねてみたい衝動にかられま
す。一方で、このような人たちは、永遠に“こちら
側”に来ることはないのだろうと思ってしまいます。
心配するのは、このような考えを持つ先生たちに教
えられた学生は“先生の考えに染まってしまう”、
つまり、“世代が変っても、考え方の対立構造が変
わることがないのではないか”ということです。現
在は情報が溢れています。若い世代の皆様には様々
な情報に接して、先生の考えの是非をみずから咀嚼
するなど、何としても“賢くなってほしい”と願わ
ずにはおれません。
今回はこのくらいにして、この続きは、のちに取り
上げる「国家意思」のところで触れましょう。
▼「国力」の「ハード・パワー」の総括
さて、だいぶ前に「『強靭な国家』造りは、『国力』
の増強に挑むことにある」と考えるに至り、私なり
に「国力」を新しく定義することから始まり、以来、
13回にわたり、「国力」を構成する「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素ごとにブレイクダウンして
分析してきました。
改めて、76話で取り上げた「国力」を定義する方
程式を再提示します。
国力=(人口+領土+経済力+軍事力+食料・天然
資源+政治力+科学技術+教育+文化)×(国家戦略
+国家意思)
です。人口や領土など、ある程度数値化してイメー
ジ・アップしやすい「ハード・パワー」を、(粗々
ではありますが)実際に個々にブレイクダウンして
分析した結果、なかには「政治力」とか「文化」な
ど国際比較が難しい要素もありましたが、「国力」
を構成する要素としてほぼ漏れがないものと自負し
ております。
そこで、「ソフト・パワー」としての「国家戦略」
や「国家意思」を考察する前に、「ハード・パワー」
を総括しておこうと思います。
まず、「ハード・パワー」の筆頭に「人口」を掲げ
ました。「人口減」が即、「国力の低下」に直結す
るのはあらゆるデータから疑いようがありません。
その対策としてこれまでも何度も試みられ、現在も、
“異次元の対策”が現政権の看板政策として掲げら
れていますが、戦前のように、国家が半ば強制的に
「産めよ!増やせよ!」と号令をかけることができ
ない今、“どのようにすれば、適齢期の若者たちが
子供を産むのか”の本質的な議論が欠けているよう
な気がしてならないのです。
その答えの一つは、「将来の希望があるかどうか」
にあると考えます。言葉を代えれば、人口減を防止
して、再び人口増に転じる方策は、小手先の子供手
当などばかりではなく、「未来に希望が持てる国造
り」にかかっているのではないでしょうか。つまり、
「国力」を構成する他の要素と密接にかかわってい
るのです。
次に「領土」です。人類の歴史は、かつての植民地
主義のように、武力に“物を言わせて”一方的に
「領土」拡大を企図するか、はたまた、互いの「領
土」争奪を目的とする「戦争」の繰り返しだったこ
とはすでに述べました。そして、「外国資本による
土地の購入」防止を含めて、“寸土”といえども
「領土」を守り抜く強い意志が必要であることを強
調しました。
戦前の反動として戦後の日本人が失ったものの中で
最大のものは、「国家を誇りに思う心」とか「愛国
心」であり、さらには「国を守る」意識であろうと
思います。ウクライナ戦争のように、今なお「領土
争奪戦」が繰り広げられていることから、「領土」
を守るための最終手段として「軍事力(防衛力)」
が必要不可欠なことも自明であり、「防衛力」を保
有することに対する理解と支持を含めて、「領土」
も「国力」の他の要素と切り離して考えることは不
可能です。
次に「経済力」です。我が国は、依然、GDPは世
界第3位をキープしていますが、「経済力」を比較
するほとんどの指標が“右下がり”になっているこ
とはすでに紹介しました。中でも、「1人あたり名
目GDP」(USドル)は30位まで低下、「経済
成長率」も「失われた30年」と揶揄されるように
ほとんど停滞し、デジタル競争力などの「国際競争
力」も低下傾向にあります。
「財政」「通貨」などに加え、「科学技術」や「教
育」など、「経済力」を強くするために、“打たな
ければならない手”(打ち手)は多岐に及ぶでしょ
う。小手先の「物価」対策に奔走しているだけで不
十分なことは明らかです。
次に、「軍事力(防衛力)」です。我が国が戦後、
「吉田ドクトリン」によって国家の安全保障の大部
分を日米安保条約に委ね、「軽武装重経済」の路線
を歩んできたことはすでに述べ、現下の厳しい情勢
の中で、その路線を保持し続けるだけで十分なのか、
についても問題提起しました。
昨年末、ようやく「安保3文書」も策定されました
が、依然、“かゆい所に手は届いていない”ことも
指摘しました。「防衛力」については、依然、国民
の中に各論があることから、この分野こそ、為政者
の断固たる決意と実行が求められています。某月刊
誌の見出しにあった“作文だけに終わらないよう”
祈るばかりです。
次に「食料・天然資源」です。これらの乏しい「自
給率」の“生”のデータをみると、食料やエネルギ
ーの将来にわたる安定確保こそ、我が国の最優先課
題と言えるでしょう。
我が国は、元来の「性善説」を保持し、かつ戦後長
い間のアメリカの“庇護”に慣れ過ぎたせいか、世
界の人口増や国際情勢の急変などに対する「危機意
識」を持つ“感性”を失ってしまいました。人口減
などに伴う「経済力」の低下も手伝って、食料やエ
ネルギーなどの安定確保のパワー自体が落ちること
も懸念されます。
農業など「一次産業」の保護政策についても、「聖
域なき構造改革」などと“戦略のかけらもない”よ
うなことを繰り返してきた結果、先進国の中でワー
ストだったことも判明しました。この分野も、(言
いにくいことではありますが)選挙対策最優先の政
治家や現場感覚が欠如している官僚に任せておいた
“ツケ”が溜まっているという事実を再認識しなけ
ればならないでしょう。
また、気候変動対策とエネルギー確保については、
雰囲気や情緒に流されず、科学的根拠に基づき、資
源小国の日本ができること、やらなければならない
ことを冷静に選別しつつ、我が国が“国家として生
き残るための優先順位”を間違わないことが肝要で
しょう。
次に「政治力(外交力)」です。すでに「政治家」
の「資質」について取り上げました。若干付け加え
ますと、我が国の国会議員710名の約27~28
%はいわゆる世襲議員で、自民党に至っては約4割
が世襲だそうです。G7を含む先進国の国会議員の
世襲の割合は1割以下なので、我が国の世襲議員の
割合は、先進国平均より異常に高くなっています。
世襲議員が悪いと言っているわけではありませんが、
「政治家」という仕事は、一般的な「親の家業を子
供が継ぐ」こととその本質が異なることは明らかで
す。いくら「地盤、看板、鞄」が十分でであっても、
当人に政治家としての「資質」があるかどうかが問
題なのです。
不幸なのは、これら「3バン」が盤石で“必勝間違
いない”候補者に対して、政治家としての「志」や
「資質」に勝る候補者が勝てないことです。有権者
たる国民にそれを見抜く力が要求されますが、実態
は“ほぼ見抜けない”か、“白けて”しまって“政
治離れ”になることが心配されます。現にそのよう
な現象が起きていることも紹介しました。
巷には、政治家がサラリーマン化し、「自分がやら
なければ、日本はダメになる─そんな熱い政治家は
いないのか」と“現状”を嘆く意見も散見されます
が、「国家観」をしっかり持って、背水の陣で国を
リードする「志」と「資質」を有する政治家(達)
の“一念発起”、省益を捨てそれを支える官僚、そ
れを支持し、エールを送って国民を感化善導する有
識者やマスコミが我が国の未来を左右することでし
ょう。
次に「科学技術」です。近代から現在に至る国際社
会で、世界の覇権国としてその地位を保持し続けて
いるアメリカをして、それを可能にさせている要因
の筆頭に「科学技術」に対する国家戦略が挙げられ、
その戦略の果敢な推進が他国の追随を許さなかった
のでした。
我が国あっては、「ものづくり技術」という伝統的
な能力を持ちながら、時代の変化を先取りするよう
な戦略を立てきれなかったところに今日の低迷があ
るのではないでしょうか。予想される様々な将来環
境の中で、人類が“より幸福に”“より豊かに”日
々の生活を営むために、期待されるイノベーション
は限りないことでしょう。それらのイノベーション
に対するリスクを国家が引き受ける覚悟と実行こそ
が、日本の未来はおろか、明日の人類を救うことで
しょう。
次に「教育」です。「国家100年の計」としての
「教育」についても紹介しましたが、「低学歴国」
と揶揄されるように、その現状は寂しいものがあり
ます。残念ながら、戦後の長い間、様々な原因が重
なって、国家として「教育」を怠ってきた“ツケ”
がこの分野も溜っているのです。この分野も専門集
団に任せないで、早急にメスを入れる必要があるで
しょう。
最後に「文化」です。歴史的にみれば、国際社会を
席捲した「西欧文明」に“棹を立てた”最初の国が
「日本文明」でした。現在も8文明の一つとしてか
ろうじて残っている「日本文明」ですが、文明間の
“調整役”として機能発揮する「力量」を保持して
いるのか、と自問自答すれば、寂しいものがあるこ
とも紹介しました。
「一国家一文明」として孤立しているがゆえのメリ
ットがあるとハンチントンは期待していますが、そ
のためにも国家としての「力量」をアップする前に
立ちはだかる、様々な“障壁”を乗り越える必要が
あるでしょう。逆に、“調整役”としての機能を発
揮することが国家の「力量」アップに繋がる道であ
るとも考えます。
▼「ハード・パワー」の総括からわかったこと
さて、これら「ハード・パワー」を総括してみて改
めて分かったことは次の2点です。第1点目は、繰
り返しますが、「我が国の『ハード・パワー』は��
���例外なく“下降期”に入っていること」です。ま
ずはこの“現実”を認識し、急ぎその原因を究明し
つつ、それぞれ必要な処置を講ずる必要があると考
えます。
第2点目として、これまで、それぞれの専門家(達)
がそれぞれの知見をもって現状改善や改革を試みた
ことは何度もありますが、ほとんどドラスチックな
改善には至らなかったという“事実”もまた再認識
する必要があるでしょう。
その理由も明白です。何度も繰り返したように、
「ハード・パワー」のそれぞれの要素は、相互に関
連し合っていることから、それぞれの専門家(達)
の“狭い了見”をもってしては抜本的な解決策を導
くまでには至らず、そればかりか、“ある分野の最
適解が他の分野に悪影響を及ぼしている”ような現
象もかなりあることを認識する必要があるのです。
なかには、憲法はじめとする法制度や戦後政策上の
制約、国会対策上立場が異なる政党への対策、省毎
の縦割り責任を有する官僚への説得限界や妥協、あ
るいは国民への説明責任のようなものから、改善あ
るいは改革計画を当初案から大幅に修正せざるを得
なかったという側面も影響していることでしょう。
その根本をたどっていくと、我が国の戦後の「統治
制度」の問題に行き着くのかも知れません。
一方、それぞれの要素を現状分析しているうちに、
“未来へのヒント”がたくさんあることも発見しま
した。“勇気をもって一歩踏み込めば、まだまだ打
開の道はある”としばしば感じたことも事実でした。
総じて言えば、「国力」増強の集大成として「強靭
な国家」を造り上げることは容易なことではありま
せんが、振り返れば、先人たちもその時代時代の
“課題”に果敢に立ち向かい、時に様々な失敗を繰
り返しながら困難を克服しつつ、現在に続く「資産」
を残されました。それらに乗っかるような形で、私
たち・戦後世代は、“割と贅沢な生活”を謳歌でき
ているのです。
これからしばらくは、私たち・戦後世代がもがき、
苦しみ、考え、実行し、我が国の「資産」を受け継
ぎ、後世のために残して行く、つまり、しっかりと
“歴史の縦の糸をつぐむ”ことが求められているの
ではないでしょうか。
次回以降、そのための「ソフト・パワー」について、
少し詳しく考えてみたいと思います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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highvoltg · 4 months
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愛という言葉、言葉の限界、限界の先の愛
HUNTER×HUNTERのメルエムとコムギの最期についての話が面白かった。
youtube
キメラアント編で冨樫が「愛という言葉を知らない生き物同士の愛を描き切っている」という話から発展して、言葉そのものの限界にも言及している。その周辺の文字起こし↓
「俺ら自身人を好きになるじゃん。んで誰かと付き合ってるときって好きだって言うんだけども、そんな言葉が本当に必要なのかなと思うよな。なんかその人のことを大事だと思ったりこうしたいと思ったり自分の思いを伝えたいって言う衝動だけはあるんだけど、その衝動にとりあえず名前をつけて愛してるって言ったり好きだって言ったりして落ち着かせるわけじゃん。
セックスていうのもあるけどさ、セックスしてみたら男は『虚しい』とか言うじゃん。あの虚しさはやりたいことやったからどうでもいいっていうのもあるかもしれないけど、それ以上に『なんでここから先がないんだろう』って、なんかやるせない思いみたいなのがあるよな。なんか『俺がこの女を好きになったというのはここがデッドエンドなのか?終わりなのか?』『いやそうじゃない、そっから先には結婚がある』『あ、なんかそういうだけのもんなの?これで終わりなの?こっから先ないの?』っていう。好きって言葉もこの言葉以上は何も表現がないの?(中略)そこら辺の考えさせてくれたっていうのがあって、ちょっと感動しちゃったんだよなぁ。」
「言葉を尽くす」という表現がある。人は誰かに誤解なく自分の思いを伝えたいとき言葉を尽くして語ろうとするけど、言葉を尽くすほどに表したいものから遠ざかり、伝えたいと思う相手からも遠ざかるというふうに自分は考えている。
このことを考えるとき、自分はいつも「緑色」という言葉が指し示すものの多様さのことを思う。
たとえば、日本の信号機の「青信号」は実際は緑色だが、日本では緑色を青の色相の範疇に含む文化があるので、どう見ても緑だけど「青」と表現する。おそらくグローバルな「青」の概念の中で生きてきた外国人と話したなら、説明すればするほどきっと話が噛み合わなくなる。
日本の中でも都心部と山間部で育った人はきっと「緑」という色の範囲が全く違う。都会の緑は街路のツツジの葉のように明るい緑が多いが、山の緑は離れるとほとんど黒に近く見えたりする。でもそれは黒さの範疇ではなくて、どこまでも緑の深さの中で認識され表現されると思う(・・・さらに山間部といっても広葉樹林帯に住んでいたか針葉樹林帯に住んでいたかでも緑の記憶は違うはずだと思う。生気に満ちた鮮やかな木々もあれば、もはや灰色に近いくすんだ山もある・・・)。
そんな風にして緑を具体的に思うほど、誰かの緑から遠ざかっていくのだ、という感覚がある。
ただの色でさえそうなのだから、いわんや愛をや、という話で「緑」という具体的なものでさえ定まらないものを、抽象概念を先にした言葉なんかどれだけ言葉を積み上げても絶対に具体的にならないだろうし、色と同じように自分が持っている言葉の中身の風景や言葉を支えている体験がまずそれぞれ違うわけだから、言葉を尽くすほどに理解してほしい相手の言葉の世界からは遠ざかるし、相手にわかるように言葉を尽くすことで自分の中で起こっていた生の感覚からもきっと遠ざかっていく、と思うのだ。
岡田斗司夫に寄って考えると、本当は「緑」とか「愛」とか「好きだ」という言葉の源になっているものに対して自分専用の単語を作れて、それが他者にも理解できるようになればよいのだと思う。しかしながら私たちは「緑」の色合いを「緑」という言葉を抜きに認識することができないし、そうして自分自身の感覚を一度言葉という「感じているものに近い別の何か」に置き換えなければ、他者に何かを伝えるどころか、そもそも思考すらできない。
「緑」も「愛」も、自分の中での整理のためにとりあえず貼っておかなければならない付箋のようなもので、人間は感覚そのものを並べるのではなく、書き出した付箋を並べることで他者に何かを伝えている。そして付箋は受け取る側の言語の枠組みの中でデコードされるので、自分が感じたものとは確実に別個のものになって「伝わる」。果たしてそれを「伝わっている」と言ってよいのかどうか、正直わからない。
「緑」も「愛」もそのものは厳然として言葉の外側にあるし、おそらく人間の本当の居場所もまた言葉の中にはないのだと思う。ただ他者と関わろうとするとき私たちはどうしても言葉のカーテンの中に入って行かねばならない。片手でカーテンの外側にある現象を掴みながら、その感触を目の前にいる人に伝えようとするゲームのようなことを強いられるのが言語活動だ。どんな表現にも均一に、そういうもどかしさがあり、それが言葉の持つ限界だと思う。
しかし一方で「同じ緑を見ている」とか、「同じ愛を分かち合っている」と思う瞬間は絶対にある。それを、メルエムとコムギの最期のシーンのように「ありがとう」「こちらこそ」という短いやりとりを描写するだけで、起こったことの100%を当事者だけでなく他者(読者)にも伝えてしまうような離れ業というか、奇跡もある。
だから人はまだ言葉を尽くして何かを伝えようとしている。そんな気もする。
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nostalblue · 9 months
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あかたては
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炎天下で洗濯干ししていると、一匹の蝶がヒラヒラと飛んで来てマルチハンガーの上に留まった。長い口吻を伸ばし頻りにその隙間を突いている。そこには美味しい花の蜜どころか、水分すら無いのだけどな~。暑すぎてちょっとボケとるのかなあ? 
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よほど集中しているのかカメラを近づけても逃げる気配がない。これは接写のチャンスだ。ハンガーの向きを変えようと指を伸ばしてみると、か細い前脚をその上に乗せてきた。愛い奴め(照)。え、違う?邪魔だから向こう行けってか?
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しばらくすると少し落ち着いたのか羽を広げ始めた。その模様から「アカタテハ」であることがわかる。決して珍しい蝶ではないのだが、橙と黒のカラーコーディネートは個人的にも好きなところ。樹木や枯葉に留まると目立たないが、真夏の緑の圃場ではよく映える。
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似たような模様・配色の蝶は割と沢山いて、留まっている所をよく観察したり、撮影してネット上の写真と見比べないと詳細な種類は断定できない。羽の模様や触角の色で判断するのだけど、雄雌でも全然違ったりするからなかなか難しい。専門家やマニアならすぐ解るかも知れないけれど、私は特に食べられないものは詳しくないからね~(笑)。こちらの写真も茶木に乗っていたよく似た蝶だけど「ツマグロヒョウモン」という別種だとか。
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nakanohajime · 9 months
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ところで、そもそも空中庭園とはどういったものなのでしょう。岩成達也は、次のように記してます(「空中庭園のためのスケッチ、若干」=『ユリイカ』28-5、1996.4、p88-89)。
バビロンを再建したネブカドネザル二世が王妃のために建造した巨大な角錐状の人口庭園。宮殿の東北部に位置し大河に接していた。一説では43m×30mの規模、煉瓦造りのほぼ四角形のテラスが何層にも階段状に積み上げられ、それぞれの広いテラスには大小様々の樹木、草花、蔓草の類いが規則正しく植えこまれていた。各テラスとも膨大な土量を擁していたため、一番外側の擁壁は実に7.5mの厚さに達したという計算もある。
その頂上からは滝が各テラスを貫いてたえず流れ落ち、各階層のテラスにはこれまた煉瓦造りの階段とアーチと排水溝とが整然とはりめぐらされている。そして、それらのアーチや樹や花を縫って小鳥や蝶が群れながら飛びかい、荒涼たる土地のなかでそこだけが幻のオアシスのような観を呈していたという。ただし、この空中庭園は比較的短い期間で消滅し、その跡地は墓地に転用されたという見方がいまでは有力であるようだ。
ところで、数多くの絵や記述のスケッチを遺した人達は、実は、誰一人として実在する空中庭園をみていないはずである。にもかかわらず、繰り返し空中庭園のスケッチが試みられ、しかもそれらのスケッチには少なからぬ共通した部分がある。(その一斑がさきほどの簡単な記述である。)何故、このようなことが生じたのか。
多分、空中庭園という言葉そのものが、コンフリクトな(矛盾撞着的な、違和相克的な)言葉であり観念だからである。則ち——
  空中——垂直、上昇・下降
  庭園——水平、平行移動
両者の強引な接合の結果、本来水平に横たわるべき庭園は、次第に上方向へ、空中へと引きずり上げられるだろう。こうして、平坦な荒地の中に、突起する構造物が発生する。
しかも、コンフリクトな言葉の衝迫というものは、私達の裡で持続し、しかも、私達の個体を越えて、おそらくは、なお持続するものであるらしい。
詩をよむ日日:ゲオルゲ「架空庭園の書」③
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ogawa-xd · 1 year
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「目的」というドクサ
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理由探し
人は「理由」を求める。
ある事象が起きたとき、人はそのことの理由とは何かと思考する。そのことは自然だ。理由を知ればより適切で根本的な「対処/対応」が可能になる。
何かを「知る」目的は、もちろんその事態に適切に「対処」するためであり、「適切な対処」は自らの生存に有利に働く。つまり自分(たち)が生き延びるために、ある事態を理由も含めて知ることはとても役に立つ。
時間的にいえば理由は過去に属するものだが、それを知るのは未来の事態への対処のためである、というパースペクティブを持っている。
ホモサピエンスは、この戦略を突き詰めていったが、そのときの最大の武器が言葉だった。
理由探しとは「因果関係」を追求すること。
 
問いの非凡さ
林檎は樹から落ちてくるのに、月は落ちてこないということは誰でも知っている。でもそれはなぜか? と問うニュートンのその問いは非凡だ。
問いの発見とはすなわち視点の発見である。視点の発見(ときに視点の発明)のなかにこそ、創造性/クリエーティビティと天才性が宿っている。創造性は「作り出すこと」よりもむしろ「視ること」に関わっている。
 
理由の連鎖
すべての質量あるものは引き合っている(距離の平方の逆数と重さに見合った力で)。月が落ちてこないのは、月が地球の周りを回っていてその遠心力と引力が釣り合っているから。
ではなぜ、重力子(graviton)が引き合うように働くのか、どうやって引っ張っているのか、そもそも物を隔てる空間とは何か、その理由は今はまだ完全には知られていない。
理由の連鎖は、どこかで「あるものがそういう性質を帯びている」というところで止まらざるを得ない、ということではある。これはある事象の「振る舞い」に着目したときの着地点である。
しかしその後ろで、ではそれはどうしてそうなったのか、何と何がどういう影響を与え合ってそういう性質を獲得したのか、という時間的な経緯という理由探しの問いが始まる。
ビッグバンが醸し出す不思議さはそこから発している。ビッグバンはまるで時間とともに理由をそこで断ち切っているように見える。ビッグバンの真相や「それ以前」については現在も究明中だが、その結果がどうであれ、理由探しは結局留まるところをしらない。
 
目的という理由探し
もう一つ「目的」という視点での理由探しがある。
正確にいうと、自然界には「目的」という理由は存在しない(と自分は信じている/つまり神はいないと、暫定的に)が、人は自分自身の行為を理解の雛形/モデルとして、なんらかの「目的」をそこに持ち込んだ。
人自身の行為(振る舞い)は、自らの欲求なり意志なりなんらかの志向性の中で為される。そこに特徴がある。
これは「人」よりもっと広く、「生命」のレベルで帯びている振る舞いの傾向なのだろう。生命の第一ミッションは「自己の継続」である。そこから「目的」が発生している。
 
自己継続の理由
生命の不思議さは、なぜそういう振る舞いの傾向を帯びたのか、に集約されると思う。
あえてその理由(の一つ?)を述べれば、生命の中の、細胞や個体や種について、自己継続の振る舞いをしないものもたくさんあっただろうし、今も随時そういう個体は生まれているのだろう。しかしそういう継続という振る舞いを止めた個体はそこで終わる。継続を止めなかった個体だけが生き残り、その振る舞いの傾向はじょじょに「濃く」なっていった、そういうことなのだろう。
冒頭に「ホモサピエンスの戦略」と書いたが、それは目的論的な視線で「自然」を捉えようとすることで、それは正しくない。「戦略」というとはじめにそうなろうとする「意志」が存在していていて、それを「目的」に掲げてそうなっていったととれる、が事実はそういうことではない。
 
思考の道具としての「目的」
「目的」というのは、人が科学的な思考を洗練させるはるか以前に獲得した思考方法ないし「思考の道具」であったのだと思う。あるいは理解や説明のための「お話し/モデル」として「目的」という観念を抱いた。そしてその道具はそれなりの効果があり、実質的によく働いたのだろう。
人は自らの振る舞いを内省して「目的」という思考概念を発見した。これをする(目的の)ために、あれをするし、それもする。その底には意思や欲求があった。
 
自分の生の目的
その思考を押し広げて、周囲の動物や植物や自然を理解していった。そしてさらに自分自身という存在にもそれを当てはめた。自分は何のために生きているのか? 自分の生の目的とは何か? そう問うた。
その設問自体は馬鹿げたものかもしれないが、それが自分の生き方(=自己継続の仕方)を洗練させたと思う。たとえばその枝の先に実った果実が哲学であり宗教であり芸術でもあるのだろう。
 
一言でいいとか悪いとかは言えないが、「目的」が憶見、思い込み、ドクサであることはまちがいないと自分は思う。
そのことの「よき効果」と、そのことがドクサであるという事実はともに念頭から外さないように考えていきたいと思う。
220827
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poetohno · 9 months
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第二楽章 緑の饗宴 第一節 森林
「針葉樹」
緑は詠うように色めく 紅に 黄に 緑黄に 橙に 彩りに萌える饗宴
太古から緑は地球にとって肺となり酸素を生み出し 降り注ぐ雨は再び大気に放たれ 真水の調節弁の役割を果たす
北へ南へと進んでいくと木はその身を低くしていく 必要な水分が寒さに凍てつき水として存在できなくなっていく
寒さに耐えるためには身を削るしかない 数十度の気温差が広葉樹と針葉樹を別つ
木は生命にとっての幹であり 木の分布に合わせて動物も適応せざるを得ない
ここは極に最も近い場所 太陽は沈まない―大地を照らし続ける
凍てつく大地では森があったとしても砂漠のよう 生物にとって必要な養分が育まれない 緑はある―しかし命は見当たらない
冬が訪れ雪が降れば雪化粧を施す 白と緑に揺らぐ幻世界
鳥たちは木の実を隠して木と木を渡り歩き 獣たちは寒さに耐え獲物を探す旅路を行く
ありとあらゆる命が待ちわびている 数日で消える夢のような ひと夏の楽園を
「広葉樹」
光を浴びて穏やかに広がる 光を受け止め淡く輝き 豊かな色彩は唄のよう 太陽の恵みは落ち葉となって動植物の肥やしになり 豊かな土壌を育んでいく 木々に張り付き蜜を吸う虫もまた 息絶えれば大地に還る 羽根を広げるように聳え 他の木々から光りを奪い取る 光の争奪戦が静かに繰り広げられている
木々は人々にとっても生活の幹であり それは家となり紙となり 手に取られるあらゆるものに―息づいている
「大森林の光」
陽の射し込む光の道 辿る蝶が舞い 風に葉が囁き 影が揺れる 光と影の海のように 木の葉は漂う
苔生い茂りさらに色深まり 葉と相まって大地を緑に覆う
斜光はまるで天への階段のよう 木が上へと伸びる様は梯子を求めるかのよう 光は遠くの木を淡く滲ませる 佇まいは天に祈る手のよう やがて闇に堕ちて―大地に眠る
「共生」
乱立する大小様々の木々達には 何の動きも見えない 木は静かに眠っているのだろうか
耳を澄ませば鳥の声が聞こえる 栗鼠や子狐が落ち葉を揺らし 猪や鼬(いたち) 熊や虎が通りすぎていく
森が静かなのは眠っているからではなく 住まう獣たちに寄り添うためかもしれない
森は生きている 息づかいはあまりにも静かで 遥か遠いところから響いてくるかのよう
緑は広がり 隣に氷の果てと砂漠の海が広がり 海は凍てつき空気は焼かれ 山脈が奔る
「四季」
雪が溶ける 渡り鳥は蝶のように訪れ 草花は葉が翼を広げる前に咲き乱れ 鳥が花を愛で 唄を口ずさむ 虫達が歌声に誘われる 獣の唸り声がそれを追う 渡り鳥は去り 温かな風を追いかける
背後には冬が囁いている 静けさと共に寒さが降り積もる 動物は生き残るための準備に静かな時を過ごす 虫達は消え―卵に春の訪れを託す 寒さの訪れと共に森の静寂は深くなっていく 生命にとっての冬越えは大自然との命を賭けた戦いであり 春の温もりは 生命への福音
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yoga-onion · 10 months
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Legends and myths about trees
Forest myths, Estonian traditional beliefs (1)
The Forested country, Estonia
Estonia is one of the most forested countries in the world. Forests cover nearly half of the mainland in Estonia, 30% of which is currently under protection.
Forest is recognised as a recurring theme in Estonian folklore, inspiring storytellers and painters that have produced beautiful landscapes. The largest forests can be found in northeastern and central Estonia, stretching from as far as the north coast to the southern border with pine, birch, spruce and aspen being the most common tree species. Estonian forests are home to a surprising variety of wildlife, often seeing hares, foxes and deer, and rarely even a wolf, lynx, bear or an elk. Rarer still are the European mink, dormouse and flying squirrel, which are unfortunately close to extinction.
In ancient forests and woodlands, the cycle of life left in nature can be observed up closely. Barely marked by any human activity, Järvselja ancient forest in southern Estonia is a home to species of owl and a gracefully aged 360-year-old Kuningamänd pine tree. Poruni hiking trail in northern Estonia winds along the 10-metre banks of Poruni river, where a mix of fallen tree trunks giving life to new and at times rare plant species can be found.
In the harsh northern weather conditions, trees have been the source of livelihood for centuries. While some trees were used for building houses and saunas, some were considered holy and remained untouched.
A sacred grove usually consists of deciduous trees and attracted offerings for gnomes, fairies and other supernatural forces of past times. Kassinurme Fort and sacred grove were established around 2000 years ago, making it one of the oldest remaining sacred places in Estonia. Nearby Rakvere has centuries old sacred oak grove.
Little is known of medieval Estonians' spiritual and religious practices before Christianization. The Chronicle of Henry of Livonia mentions Tharapita as the superior deity of the then inhabitants of Saaremaa (Oeselians). There is some historical evidence about sacred groves, especially groves of oak trees, having served as places of "pagan" worship.
(The Livonian Chronicle of Henry offers a Latin narrative of events in Livonia (roughly corresponding to today's inland Estonia and the northern part of Latvia and surrounding areas) from 1180 to 1227 by a priest named Henry. it is one of the oldest known written document about the history of Estonia and Latvia.)
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木にまつわる伝説・神話
森の神話・エストニアの民間伝承 (1)
森の国エストニア
エストニアは世界で最も森林の多い国のひとつである。エストニア本土の半分近くを森林が占めている。そのうちの30%は現在保護下にある。
森はエストニアの民話に繰り返し登場するテーマであり、語り部や画家にインスピレーションを与え、美しい風景画を生み出してきた。最大の森林はエストニア北東部と中央部にあり、北海岸から南部国境まで広がっている。最も一般的な樹種はマツ、カバ、トウヒ、アスペン。エストニアの森には驚くほど多様な野生動物が生息しており、よくノウサギやキツネ、シカを見かけるが、稀にオオカミやオオヤマネコ、クマ、ヘラジカを見かけることさえある。さらに珍しいのはヨーロッパミンク、ヤマネ、ムササビで、残念ながら絶滅の危機に瀕している。
太古の森や森林地帯では、自然の成り行きに任せた生命の循環を間近に観察することができる。人間の活動がほとんど見られないエストニア南部のヤルヴセルヤ古代の森には、フクロウの一種や樹齢360年のクーニンガマント松が優雅に茂る。エストニア北部のポルニ・ハイキングコースは、ポルニ川の10メートルほどの川岸に沿って続いている。ここでは、倒れた木の幹が混在し、新しい、時には珍しい植物種に命を与えているのを見ることができる。
北国の厳しい気象条件の中で、木は何世紀にもわたって生活の糧となってきた。家やサウナを建てるために使われた木もあれば、聖なる木とされ、手つかずのまま残された木もある。
神聖な木立は通常、落葉樹で構成され、ノーム (伝説上の小人) や妖精、その他の過去の時代の超自然的な力のための供物を集めていた。カッシヌルメ要塞と聖なる森は約2000年前に設立され、エストニアに残る最古の聖地のひとつとなっている。近くのラクヴェレには何世紀もの歴史を持つ神聖なオークの木立が広がっている。
キリスト教化以前の中世エストニア人の精神的・宗教的慣習についてはほとんど知られていない。ヘンリーのリヴォニア年代記では、当時のサーレマー住民(オイセル人)の上位神としてタラピタが挙げられている。聖なる木立、特にオークの木立が「異教的」な崇拝の場として機能していたことを示す歴史的証拠もある。
(ヘンリーのリヴォニア年代記とは、1180年から1227年までのリヴォニア (現在のエストニア内陸部とラトビア北部にほぼ相当とその周辺地域) の出来事を、ヘンリーという司祭によってラテン語で記したもの。エストニアとラトビアの歴史について書かれた最古の文献のひとつである。)
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lvdbbooks · 10 months
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2023年7月22日
【新入荷・CD】
DEKISHI『CULT REMIX BY YUSAKU ARAI』(2023年)
価格:3,080円(税込)
All Songs Remixed by Yusaku Arai All Lyrics Written by DEKISHI Design by Kei Sakawaki Photograph by Motoyuki Daifu Special thanks:soakubeats
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身を切るような悲しみが 生きる実感をくれる 裏口から 追い出されたら 一人 途方にくれる 仲間 仲間 うるせーな あの日 あの夜 うるせーな 群れてやってくるインベーダー 俺はあいつらと違うんだ 「arechi」
みなにあわせ闘う振りする 街で君は明日無理をする 「skyline」
2020年にリリースされたsoakubeatsプロデュースによるDEKISHIのセカンドアルバム『CULT』を荒井優作がアルバムごと再構成してリミックス。配信なしの250部限定の特殊仕様のパッケージによってアルバムを立体的に再構築した『CULT REMIX BY YUSAKU ARAI』がリリース。
2018〜2019年に制作されたオリジナルアルバムでは、オリンピックに対する批判(「オリンピックがやってくる 何のためだか疑わしい オリンピックがやってくる 口にするのも汚らわしい」)がはっきりと明言されており、カルト資本主義とブラック企業が蔓延する曇った都市の情景が異様な密度の文字量と筆圧で描写されています。あらためて聴きかえすと、2020年末の時点では顕在化していなかった国��に巣食うカルト宗教の問題も予見しているようにも受けとれます。つまり、今なお現在進行形の未解決の言葉がここに存在しています。
オリジナルのトラップ/グライムの質感に、荒井優作のリミックスによって空間的な広がり・アンビエンスが加わり、DEKISHIのラップはアジテーション、独白、妄言、予言、宣誓、告解とも判断のつかない言葉の礫でありながら、商業施設の有線から流れていたとしても普通のJ-POPに聴こえかねない異相の域に到達しています。シリアスではあるものの悲壮感が希薄なのは「リビングレジェンド ツヨシクサナギ」のようなフレーズが唐突に挿入されるからか、あるいは「善良な一市民」と「樹木希林」で韻が踏まれているからか。いずれにしても、なぜこの音楽作品を書店で販売するのかというと、このCDには読解されるべき、共有されるべきテクストが記録されているという確信があるからです。
お前は全然いかれてない 俺も全然いかれてない 今月の振込を待ってる それはどっちも一緒みたい 「setsudan」
注意散漫引き起こすアプリ 足りないものを満たしてくサプリ 物質が俺のソウルを騙る 昼間 心を閉ざして黙る 「control」
インタビューで本人が語っているように、過酷な労働環境によって精神に変調をきたした時期に本アルバムは制作されています。
合法的かつ暴力的に人に長時間労働を強いる会社というシステム、社会からドロップアウトした人を機械的に幽閉する心療内科というシステム。ストリートの文脈を、本来は人びとが長時間関わるであろう会社や家庭に接続し、ブラックボックス化した密室に道路を敷設する本作は、少しでもレールから外れると容赦なく脱落させられていく社会において「裏口から追い出された」経験のある人すべてに捧げられるアルバムです。
一枚岩の世間という この上なく 不気味な幻影 もしかして あの人が 近くて遠い 他人の人生 あいつも立派なパラノイア ありもしない ものに怯えず 刮目せよ きっと助かる リアリティを取り戻せ 「dekishi dandy」
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ophelia333k · 10 months
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2023年7月4日 どこでもない場所、超越愛(Vaporwave)
 楽天カードから督促状が届く。「楽天カードより大切なお知らせです。内容をご確認ください」という文章が中央にあって、背景は一面にびっしりと「Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten Card Rakuten…」と同じ文字列が繰り返し印刷されている。この督促状を持って三月ウサギの庭園に赴いたのなら、お茶会に参加できるのかな? と考えてみる。
***
 Vaporwave。何年も前から漠然と聴くことはあっても、詳しいことはほとんど何も知らないという状態が続いていて、たとえば2019年12月号のユリイカ〈Vaporwave特集〉を買ったものの、ほとんど読まないまま放置する、というような状態だった。つまり、強い興味を持ってはいなかったわけだけど、今になって「Vaporwave」に対する興味が湧いてきたというか、自分とVaporwaveを接続する文脈が少しだけ見えた。
 元々、四流色夜空さん主宰の合同誌「ムジーク!ムジーク!ムジーク!」に寄稿した『枝がスルスルと伸びていく』という小説の元ネタとしてtelepath テレパシー能力者の「思い出」という曲およびPVを使っていたということがあり、それは感覚的な選択なので、書いているときはvaporwaveという文脈にほとんど意識的ではなかったのだけど、今にして思えばVaporwaveという文脈は自分にとって重要なのかもしれない。
 とりあえず、一から文章を書くのが億劫なので今日の自分のTwitterを引用すると、
〈自分がラブホテルの清掃をやりながらときどき感じていた空間の無-場所性(どこでもない場所〈nowhere〉の感覚、いま自分のいる場所がどこなのか分からなくなる感覚)は、Vaporwave的な反-場所性にも重なるはずで、それは村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が描く高度消費社会の迷宮性にも似ている〉(2023.07.04)
 という感覚がある。
 ***
 Vaporwaveに分類される音楽を聴くときに自分が強く感じるのは、第一に非-時間性であり、第二に、非-空間性(非-場所性と言った方がいいのかもしれない)。
 まず、時間に関して言うのなら、Vaporwaveが主に1980年代から1990年代にかけての大衆音楽のサンプリングと加工を基本としている以上、方向は過去を向いているはずなのだけれど、(木澤佐登志の言葉を借りるなら)同時に「失われた未来、ロストフューチャー」の幻影を見せるものでもあり、「もうひとつの世界(alternative world)」を幻視させるものでもある。
 そして、そこには奇妙な懐かしさ(実在しないはずのノスタルジー)と、対象の曖昧な喪失感(それはあらかじめ失われているものの喪失感)がある。
 空間に関しては、よくVaporwaveにおいて描かれるイメージの一つでもある、どこまでも続いていく平坦なショッピングモールに代表されるように、グローバル資本によって均質化された、〈どこでもない〉空間という性質。
 しかも、そのとき重要なのは、むしろ本来はそれが〈どこにでもある〉ということで、平坦な資本主義的空間(たとえばショッピングモール)が「どこにでも遍在している」からこそ、むしろ〈どこにもない場所〉として表象される。
 ボードリヤールの言うように、もはや私たちの周りには「オリジナル(=モデル)」そのものがどこにも存在しておらず、存在するのはコピーの更なるコピーとしてのシミュラクル(イメージ)だけであり、そのような高度消費社会におけるシミュラクルとしての世界の加速の先に、Vaporwaveの反-空間性はあるのかもしれない。
 ***
 第三に、ニューエイジという文脈ももちろんあって、Vaporwave(たとえばtelepath テレパシー能力者とVAPERRORの「超越愛・テレヴァぺ」)を聴く時に、ある種の神秘的な空間が自分には見える。時間や空間を超越した、この宇宙の本源的な波のような力が自分の中へと入り込んでくる。というのは半分は嘘で半分はほんとうであり、Vaporwaveがニューエイジの文脈をサンプリングするのは、パロディであり風刺でしかないから。
 ここで、正直言ってVaporwaveがニューエイジの文脈に対してどの程度まで批判的なのかというのは図りかねるのだけど、そもそも文脈を辿るのなら、1960年代(言うまでもなく1968年には五月革命があり、日本ではたとえば佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争があったし、アメリカでは反ベトナム戦争の流れもありつつ、ヒッピーたちが誕生する)のカウンターカルチャーに起源を発していて、しかし、結果として自己啓発や健康食品やマルチ商法という形で資本へと回収されたり、あるいはオウム真理教のように新宗教という形を取ることになる。
 と、必然的にニューエイジは堕落(つまり、消費社会という内部へと回収される)することになり、ここに俗流アンビエントの話もあるわけだけど、そう思うと、消費社会をパロディし風刺することと、ニューエイジ的文脈をパロディすることの間に連続性が見えてくる。
 ***
 ここで、telepath テレパシー能力者の話にまた戻ると、自分はある時期、たとえば「超越愛・テレヴァぺ」のようなアルバムを、眠剤を飲んで曖昧で脳みその奥に訳の分からないものが見えるような状態で聴き続けていて、だからこそ、当時はtelepath テレパシー能力者のアルバムの、深いエコーのかかった重低音が脳みその奥に響き、浮遊感の中、布団の中で見えているのか見えていないのかも分からない幻覚のようなもやばかりを見ていた。宇宙そのものと接続されているような、しかし深い孤独感もしくは海の底を回遊するような感覚もあって、そこで夢を見ていた。
 ***
 最後に、冒頭で引用したツイートにも感じることだけど、(高度消費社会を背景とした)Vaporwaveにおける非-場所性は、ある時期の村上春樹にも共通していると感じていて、その一つの例が『ダンス・ダンス・ダンス』およびそこに登場する「いるかホテル」であり、自分が何年も働いているいくつかのラブホテルの、窓のない内部でもある。    村上春樹について言うのなら、村上春樹が1968年に早稲田大学に入学している以上、(彼が学生運動とは一定の距離を取っていたとはいえ)、70年代以降の間での転向の問題というのはあると思っていて、『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公が広告業か何かをこなしながら、消費社会の中で(外面的にはそれなりに順調に)生きていながらもそこにはある種の罪責感があり、それゆえに「羊男」という影の存在が現れるのかもしれない。
 ***
 あと、村上龍の『MISSING 失われているもの』も、(直接的ではないけれど)「非-場所性」と「非-時間性」を感じるという意味で、近いものがあると思う。
 ***
 かなり長くなってしまっているし、明日は朝から夜まで授業なので早起きなのだけど、もう少しだけ書いてしまいたい。2019年12月に買ったユリイカの「vaporwave特集」を初めてまともに読んだ感想として、まず目についたのは木澤佐登志と、河南瑠莉だった。木澤佐登志については今更言うこともあまりないけれど、冒頭からtelepath テレパシー能力者の曲のタイトル(「あなたの愛は私の救世主です」、「永遠に夢」、「心と魂の核変換/私たちの感情は一緒になって」、「ほとんど幸せ」……)を引いていて、それを「その空疎さと無意味さゆえにほとんど泣きそうになるくらい甘美だ」と評価する。   〈それはどこまでも具体的な「意味」をすり抜けていく、蒸気のように霞消えていく「イメージ」を、彼岸の幻影(ヴィジョン)を追い求めていく……〉(p85)
 河南瑠莉はマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』の翻訳者で、加速主義とvaporwaveの深い繋がりを認めながらも、むしろVaporwaveに内在する「減速的な」美学について論じる。
 あとは、柴崎裕二の「Vaporwaveと俗流アンビエント ニューエイジの消費主義的異形をめぐって」も、興味関心には近かった。
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manganjiiji · 1 year
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弱りの色は愛
あたらしい仕事が始まろうとしています。新しい人たちの名前を覚えなければならないのでやや緊張。とはいえ、ほぼ緊張していないにひとしい。そのむかし、初めてのアルバイト、通信販売の受電オペレータを19歳にやっていた時には、何ヶ月たっても緊張でかならず下痢をしてから勤務していたのに。今は初めての仕事の前日もただ楽しみしかなくてへっちゃらすぎる。この世界に慣れた。なんというか、仕事で死ぬことはない。そのことが体感ではっきりとしているから、もはや安心の域まである。わたしは働くことにかなり向いていない人間だと思っていたし実際そうだったのだが、実は働くことがかなり好きで、好きが高じて続けているうちに、だんだん苦手意識がなくなってきたし、余裕というか落ち着きというか、こころの平静ができてきた。強迫的にずっととにかく「働かなければ」と思って働いてきたが、実はそれが好きだったので助かった。こういうことばかりだな、と思う。生まれつき持っているものに救われてばかりだな、と思う。かなりのラッキーゴーハッピー人間である。生まれつき人が好きだし、生まれつき世界にわくわくしているし、生まれつき夢があるし、生まれつき何でもやってみたいほうだ。ただしこの性質は第二次性徴の発現とともに突然去来した。それまではかなり内向きで人見知りで人嫌いでとにかく家に閉じこもっていたい子供だった。15歳まで、私の「生まれつき」は鳴りを潜めていたようだ。高校入学でとたんに明るい世界に放り込まれたのも大きい。良い高校、穏やかな高校に入れてよかった。すべて運で渡ってきている。自分に合った高校に入ることができたのは、たまたま文字を書いたりものを考えたりすることが好きで記憶力が(学年の平均よりも)良く、定期テストで常に上位を取ることができたから。それは完全に生まれつきのラッキーなのである。そしてラッキーはその後も続き、高校の勉強を1秒もしていないにもかかわらず奨学生として無料で1つ目の大学に入ってしまったり、自力で(?)浪人して頑張ろうと思っていた2つ目の大学の一般試験をいちおう受けたら紛れで受かってしまったり、目星をつけた企業とたまたまうまが合い、そこしか受けずに就職が(4年生になる前に)決まってしまったり、会社の人たちに恵まれて、なんと病院に連れていかれて10年間病気だったことが発覚したり、友人の導きにより良い医師に巡り会えて治療が成功したり、職場に恵まれたり、職場に恵まれたり、職場に恵まれたりした。運が良すぎではないか?と思うし、他人に僻まれて然るべきだと思うのだが、むやみに他人にマイナス感情を抱かせるべきではないので、自分のラッキーについてはあまり口外しないようにする。している。多分。
今月はぎりぎり忘れずにカウンセリングに行くことができた。カウンセリングもおのれのラッキー体質により(千石清純か?)すごく運命的に最高の先生と出会って、すごく納得して、というか満足して利用させて貰っている。おそれおののくほどに、おそらくカウンセリングの効果が出て、病状も安定している。この日は祖父の葬式の日のことを思い出したり話したりして少し泣いた。祖父は私をとても愛してくれた人で、この人のおかげで私は人間的にぐれずに済んだ。カウンセリングでは親の話と兄の話が中心だ。この人達と私との間にあった物ごとや感情を整理することが、私のかかえる荷物の、ゆうに八割以上にのぼるので、先生の手を借りて、どうにかすこしずつ、伝えては褒められたり慰められたりしている。ずっと助けてくれる大人、私の話を聞いてくれる大人がいてほしかった。話せば話すほど、そんな大人が一人も周囲にいなかったことに愕然とするが、いま、先生に話して「子供の私」が遡って「手当て(treat)」されているので本当に良かったと思う。
國分功一郎の新潮新書『目的への抵抗』を買ってその日のうちに読む。『暇と退屈の倫理学』を買ったままほとんど読んでいないので読まなければなと思った。アレントへの言及も多かったので『人間の条件』も読む。ハンナ・アレントについては副読本?を2冊買っていて、こちらもまだ読んでいない。まとめて本棚から引っ張り出した。それからホイジンガの『ホモ・ルーデンス』も重要だと思ったので読む。
新潮の6月号、現代詩手帖5月号(新鋭短歌特集)を買う。新潮は村上春樹の新刊の読み方を7名ほど(たしか)寄稿していたので買おうと思った。黒田夏子氏の作品もあり嬉しい。川上弘美もあり。巻頭は本谷有希子。趣味が合うな、新潮。現代詩手帖を開くのはもう少し先になりそう。前回書いたかもしれないが藤井貞和『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』を読んでいるので、詩はいままだ頭がいっぱいだ。メキシコ湾に沈む金メダルみたいなやつがとても好きで今日も読んだ。これを読んで癒されてくれと思い、友人にもメッセージを送って薦めた。友人は先頃目が見えるようになってきたらしい。半年ぶりに「外」に出たと言って草花の写真を送ってきた。にしんぱいさんのご本を2冊欲しいと言い、強欲な…と思いながら「伝えておきましたよ」と言うと、その頃まで生きていられるといいなあ、みたいなことを言うので、意地悪だなと思った。もちろん本人にその気はなくて、本当にそう思ったから言っただけなのだろうけれど。本当にそう思ったことをそのままにしか言わない人だ。
新しい町に慣れてきた。新しい部屋、新しい机は快適で、とても有難い。部屋探しでもラッキーを発揮してしまった。食べるものを作ったり、洗濯をしたり風呂に入ったり、掃除機をかけたりしている。そういうことがとても好きだ。料理以外の家事が好きだ(甘いもの以外を食べることにはいちばん興味が無い)。もう4時を過ぎると外が明るくなってしまう。今は4時半を過ぎているので本当に朝。もう少し何か書きたいことがあった気がするけれど寝ます。最近はいつもあんスタの燐一(りんひい)を書きたいということを考えています。そのまえにメインストの第一部を読み終わらなければならない。あんスタは音ゲーとして楽しく好きなので毎日楽しく叩いているが、いつの間にかキャラクターの良さに飲み込まれてしまった。ひひひ(日日日)のラノベ文体というか、な、ストーリーに私は適性があり、ふつうに「あんスタおもしれ〜!(ド興奮)」と思いながら読んでいる。
ここのところよく流れてくる話題はやはり「差別」について。トランスジェンダーに関しては、LGBT法案がほぼ成立の見通しになったためやや落ち着いた。今日は「世界のサプライズ動画」についての論難が多かった。G7広島サミットは終わったが、やはり外交・軍事関係の話が多い。広島サミットは、かなりよくできていたと思う。岸田総理のツイートの言い回しは上手かった。各国首脳の平和記念公園、原爆ドームの見学により、「あやまちはくりかえしませぬから」の主語が、これで晴れて「世界」(日本ではなく)になった。というツイートがあり、まあそれは前からそうだろうとは思ったが、名実ともに、というか、名目の上でも、というのは大事なことだ。ちなみに岸田総理の言い回しは「核を使用しない、核で脅さない」ということだった。単純だがこの言葉にたどり着き抜き出すのはかなり難しい。正解だと思うので素直にすごいなと思った。
2023.5.24
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routezerotokyo · 1 year
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kennak · 2 years
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豊田有恒氏は、小説を書くのにいちばん役に立っていることはなにかと問われて、「受験勉強」とお答えになったそうだが、歳を食えば食うほど、この言葉の真意と重みが実感されるな。人間、自分の好き嫌いとは関係なく、知識を広く浅く強制的にインプットする時期が必要だと思う。あとで効いてくる。 逆に言うと、「オンデマンド」には大きな落とし穴があるということだ。なぜなら、「知らないものを欲しがることはできない」からである。元々の知識のレンジが狭すぎる人がネットに出会い、「ネットすげー! なんでも書いてある」と言った具合に夢中になると、すぐカルトじみたところへ堕ちてゆく。
冬樹蛉 Ray FUYUKIさんはTwitterを使っています
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alaephoenicis · 1 year
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レムリア 〜 母なる樹に抱かれた生活
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/UMtxg1KGJXE
【和訳:ALAE PHOENICIS】
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レムリアには巨大な生命の樹があり、そこに人が住んでいた。現在でも、この母なる樹の遺跡は世界各地に残っている。レムリアの記憶が人々の心の中に残っている限り、本来の自然な生活を取り戻す希望があるのです。 ロビン・カイザーのホームページ:robinkaiser.eu
レムリアと母なる樹木での生活
その昔、地球にはまだ水が澄んでいて、土壌には豊かな栄養分が含まれ、自然の中のあらゆるものが底力をみなぎらせ、振動していた頃がありました。
当時はまだ炎には性格があり、風には声があり、自然界のものにはみな生命が宿っているのが当たり前だったのです。
火の精霊は炎を舞ってその姿を人間に見せ、風の勢いは遠くの国の物語を語ってくれた。
人間は、すべての生き物と親密な交流を持ち、すべての生き物が心の動きや感情を直感的に理解できる言葉を話すことができました。
自然界に備わる力は友人や仲間として扱われ、助けを求めたり、助言を求めたりすることができました。
人間が他の土地について何か知りたいと思ったとき、その土地の情報を素早く運んできてくれないかと風に頼みました。
そして、人生における決断を運命に問うたときは、炎の精霊に火を灯しました。
人間が全生涯を自然界��創造物に捧げているため、自然界の精霊たちは人間に好意的でした。
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二つの部族が互いに連絡を取り合いたいとき、同時に火を焚いて、その火を通してもう一方の火の中に姿を現すことができました。
この地球上のすべての炉は自然のネットワークを形成しており、ある人の意識は、ある炉を通して別の炉に現れることができるのです。そして、火の精霊の力を借りて、火の炎の中に顔や形を作ります。
人々は火を通してお互いを訪問し、風に乗って聞こえてくる声と火の中の幻影の両方を通して、お互いにメッセージを伝え合うことができたのです。
その頃、大地との対話は、現在の数倍も大きかった木々を通して行われました。
そして、人々は木々を通して深い瞑想状態に身を置くことができたのです。
人の意識が木と融合すれば、木の枝や根をすべて自分の手足のように感じ、その意識で大地に深く沈むことができました。
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自然は人間の家であり、森の中の空き地はすべて自分の家の中のようだったからです。
自然の力は、その自然な成長を通して、人間のために素晴らしい住まいを作ってくれていました。
この地球が人間に与えた最大の贈り物は、母なる樹木です。
地球は人間に、天に近い最も美しい住処を提供しようと考え、ある種の樹木を空に向かって何キロも成長させました。
この樹木は、地球が生んだ最も素晴らしいものでした。
そして、それらは生きた楽園であり、色鮮やかな花々が咲き乱れる独立した生態系でした。
一本の母なる樹には、部族が丸ごと住めるほどで、その上に台座、塚、見晴らし台、梁、小川、円周およそ3メートルもある花があり、日没時には必ず開いて燐光を放っていました。
世界は言葉に尽くせないほどの美しい色彩に染まり、生活は静かな調和と深い感銘、そして母なる自然への大きな感謝の中で営まれていました。
なんでも豊富にあるため、人間は何も植えなくても木や草の果実を食べて生きていました。
人間が必要とするものはすべて自然が与えてくれ、生活の自然な営みを阻害するものは何もありませんでした。
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人の体は細身で力強く、生命力に溢れていました。直立歩行で、足取りも軽く、優雅でした。そして、歩くというより、大地の上を踊るように飛び跳ねていました。
夕刻になると、人間も植物も生きとし生けるものすべてが調和し合い、深い静寂の中にたたずむことがありました。
風が止んでしまいました。もう葉っぱの音もしないし、人も獣も動いていません。
すると、すべての生命を包み込むような大きな静寂が訪れるのです。あれだけ活気に満ちていたのに、まるで、自然そのものが息を潜めて、ひと休みしているかのようです。
この最も神聖な時代にあって、すべての生命は互いに静かに結ばれ合っていたのです。そして、すべての生命体が母なる樹木と大地の精霊のもとに一体となっていました。
その日の時刻によって、さまざまな香りが漂っていました。
中には、一瞬で人を別の意識状態にしてしまうような魅惑的な香りもありました。
生命のリズムは、ある種の植物の開花によってもたらされ、その植物はその進化において動物と植物の中間に位置する生物のようなものでした。
母なる樹には、その上を移動する植物があり、常に最も日当たりの良い美しい場所に移動していました。
また、一日に一度、数時間だけ大きな花を咲かせ、その後また閉じる植物もあります。また、他の植物には脈拍や呼吸のリズムがあることも見て取れました。
ある日、ある植物が花を咲かせると、その香りが辺り一面に広がり、その香りを通じて人間の意識はその植物と一体化しました。
その花が閉じればまた、別の植物が示し合わせたかのように花を開き、人間の心を招き入れるのでした。
母なる樹は年に一度、数日間だけ花を咲かせますが、このときが自然と人間が結ばれる最高の神聖な結婚式だったのです。
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母なる樹が開花するや否や、人々を恍惚とさせる芳香が立ち込めるため、その宴の準備は長い時間をかけて行われました。
母樹の花、そして一部の植物には幻覚作用があり、その香りだけで人間の意識を大きく拡張させることができたのです。
萼(がく)から滴る露を飲み、花粉で満たされた空気は、呼吸するだけで豊かな栄養を与えてくれます。
人間の皮膚はやや硬く、革のようでありながら、ところどころに細かいクリスタル状の構造が浮き出ていて、その上に皮膚が光っているように見えます。
深い意識状態から抜け出したばかりの人たちは、文字通り、肌がクリスタルのように光り輝いていました。
植物は人々の生活の場となり、母なる樹木の中には、夜になると大きな花が開き、その中に寝そべることができるような、各人専用の植物があったりしました。
人間の意識は植物と結びついていて、疲れたときには必ず寝台植物の花びらが開くのでした。生きている花の中に横たわって眠れば、花はその人の体を優しく覆い包んでくれました。また、目が醒めると共に、花は開きました。
こうした人たちの眠りとは、意識的に夢の世界へ移行することでした。
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また当時の人々の生活の営みは大部分が睡眠中に行われていました。
人生には、夢の世界というレベルからしか叶えられないことがありました。ほかに、身体的な場面での方がもっとうまくやれものもありました。
その意味で、世界には意識が起きている間も、眠っている間も、変わりありませんでした。
人々は、睡眠中に物理的な世界に繋がるのと同じように、日中も睡眠中の世界に繋がっていたのです。
そして、彼らは夢の中の世界から、物理的な領域で多くのことを実現させました。彼らは自分の人生を夢で描き、その夢に従って自然界は急速に物質面で成長していったのです。
母なる樹は鉱物の王国と植物の王国の狭間で進化を続け、地球は母なる樹を通して生きた結晶のように空へ向かって成長していきました。
地球に宿る魂は、母なる樹の中に最も純粋な形で転生していきました。そして、地球の鉱物界から植物界へと流れるようなクリスタル状の移り変わりを形成したのです。母なる樹の幹は、大地から伸びたクリスタルのようで、頂上に向かって次第に樹らしくなっていくのでした。
反重力によって、母なる樹の幹は地中の鉱物だけでなく、大量の水を運び、樹冠の中で湧き水となり、小川や滝となって地上に流れ落ちていきました。
ある種の樹木の鼓動は、大地から何キロも上へと水を汲み上げ、樹冠の中に泡立つ湖を形成していました。
さっきも言いましたが、それぞれの木にはそれぞれの生態系があり、当時の人が住んでいた地球にはそれぞれの地球があったのです。
当時の気候は一年中安定しており、熱帯らしい暖かさで、昼夜の温度差もわずかでした。
母なる樹に生える植物は、どちらかというと動物に近かった。そして、動物はより植物に近かったのです。
そこには沢山の巨大な平野があり、非常に多様な色と形をしたキノコがたくさんありました。
いくつかのキノコは夜になると小さな提灯のように発光し、母なる樹を光の海に変えてしまいました。
当時は昆虫や鳥類もいましたが、その他の大型哺乳類はまだいなかったか、母なる樹の上で生活していた人たちには関わりのない存在だったようです。
ただ、人間の髪の毛には特別な役割があり、髪の毛もある種の生き物として、触角のような役割を果たしていました。
樹木が幹から枝を生やすように、人も頭髪を生やしました。そして、髪の毛は手や足と同じように身体の一部として何かに触れることができたのです。
また、髪は意識的に動かすことで、例えば三つ編みにすることなども出来ました。
人々は特別な日には葉や花で身を飾りましたが、伝統として我々が理解している衣服は存在しませんでした。
彼らは、高い目標を目指すことなく、母なる樹木の腕に抱かれ、最も素晴らしい自然構造の中で暮らしていたのです。
そして、彼らの存在は、大地が差し出す贈り物で深く満たされていました。
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レムリアと呼ばれるこの時代に、一体何が起きて、このような生き方が終焉を迎えたのかは、その時のあなた方の記憶に委ねるしかないでしょう。
私たちはただ、あなたの地球の最も素晴らしい創造物が完全に消滅させられた、巨大な破壊工作が行われたことを記しておきたいのです。
すでに一部の人類が乱伐を営んでいたにもかかわらず、レムリアの人々は最後まで、大自然に忠実に、平和的な生活を続けようとしました。
そうして、地球にとって最も痛ましきことは、すべての母なる樹木が計画的に伐採されていったことでした。
今でも、その痛みは地球のエネルギー領域で感じることができるのです。
母なる樹木が壊されて以来、地球上の生命はますます分離と孤立に向かって後退していきました。
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そして、一本の母樹の最初の伐採から始まったこの破壊行為のクライマックスに、今日、皆さんはたどり着いたのではないでしょうか。
けれども、あなた方の世界では、当時の楽園のような地球での状態を覆い隠し、嘘だらけの人間の起源を語る勢力があるものの、まだ母なる樹木の名残が息づいているのです。
そして、自然と深く一体と なって生きていた記憶は、一部の人々の中で未だに消えてはいません。
もちろん、現在の地球上の自然はかなり異なっていますが、レムリア時代の生き生きとした自然が当時のみなさんの意識に呼応していたように、ある意味、現在のみなさんの意識状態に呼応した小規模な自然がそこに存在しているのです。
地球上の天然の楽園が破壊されようとも、地球はまだ���われてはいません。
そして、レムリアの原初的状態の生々しい記憶が、あなたに相応しい未来を創造する力を持っているのかもしれません。
人類として別離の時代を乗り越えたとき、地球上のいくつかの木々は再び他の木々よりも大きく成長し、ガイアの精霊が自らそれらの木々に転生して、天まで成長させるのかも知れませんね。
今の地球には、このような素晴らしい生き物を育てるだけの生命力と強さがありません。しかし、地球が再生し、枯渇から回復したとき、人間は再び木の上に生きた自然の建造物を育てることができるかもしれません。
最後に、以下の写真をじっくり眺めて、レムリア時代と母なる樹木の記憶を呼び覚ましてみてください。
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これらは、のこぎりで切られた切り株です。
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かつて、あなたの地球で最も偉大で最も素晴らしい生き物でありました。
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この地球上の破壊工作は、はるか昔から始まっており、あなた方は今になってその結果を体験しているのだということに、どうか気づいてください。
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レムリアの生活形態は破壊されたとはいえ、人々の心の中に生き続けています。
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そして、それがそこに生き続け、人々の意識の中に残っている限り、地球を癒す希望も残っているのです。
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