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#霊的な優生学
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Forest spirits and natives (3)
Menehune - Legendary dwarves who live in the deep forests of Hawaii
Menehune are a mythological race of dwarf people in tradition who are said to live in the deep forests and hidden valleys of the Hawaiian Islands, hidden and far away from human settlements.
The Menehune are described as superb craftspeople. They built temples (heiau), fishponds, roads, canoes, and houses. Some of these structures that Hawaiian folklore attributed to the Menehune still exist. They are said to have lived in Hawaii before settlers arrived from Polynesia many centuries ago. Their favorite food is the maiʻa (banana), and they also like fish. Legend has it that the Menehune appear only during the night hours to build masterpieces. But if they fail to complete their work in the length of the night, they’ll leave it unoccupied. No one but their children and humans connected to them can see the Menehune.
While archaeologists have never found remains of a distinctively small race of ancient people in Hawaii, many think the Menehune legend may well have a basis in fact. In 2003, a species of dwarf human was discovered on the Indonesian island of Flores. Homo floresiensis was only about 1 meter in height and fully bipedal. The skull has human-like teeth with a receding forehead and no chin.
Fossils have been discovered from 38,000 to 18,000 years ago, though archeological evidence suggests it lived on Flores between at least 95,000 and 13,000 years ago. It used stone tools and fire, and hunted pygmy elephants, Komodo dragons, and the giant rats found on Flores. Its discoverers believe that h. floresiensis is a dwarf form of Homo erectus. It is not uncommon for dwarf forms of large mammals to evolve on islands. Modern humans arrived on Flores between 55,000 and 35,000 years ago, and presumably interacted with h. floresiensis (Refrence: “The Three Menehune of Ainahou (Maui)” by Charles Kauluwehi Maxwell Sr).
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木にまつわる伝説・神話
森の精霊たちと原住民 (3)
メネフネ 〜 ハワイの深い森に住む伝説の小人族
メネフネとは、ハワイに伝わる神話上の小人族で、ハワイ諸島の深い森や隠れた谷に住み、人里から遠く離れたところに住んでいると言われている。
メネフネ族は、優れた職人で、神殿 (ハワイ語:ヘイアウ)、養魚池 (メネフネ養魚池)、道路、カヌー、家などを建設した。ハワイの民間伝承では、メネフネのものとされるこれらの建造物は、今でもいくつか残っている。彼らは、何世紀も前にポリネシアから入植者たちがやってくる以前からハワイに住んでいたと言われている。好物はバナナ (ハワイ語: マイア) で、魚も好物である。伝説によると、メネフネたちは夜の間だけ現れ、傑作を作り上げると言われている。しかし、夜の長さの中で作品を完成させることができなければ、その作品は無人のまま放置される。彼らの子供と彼らにつながることが出来る人間以外には、メネフネを見ることはできない。
ハワイでは、考古学者が小人類の遺跡を発見したことはないが、メネフネ伝説には根拠があると考える人は多い。2003年、インドネシアのフローレス島で、小人の一種が発見された。ホモ・フロレシエンシスは、身長が1メートルほどしかなく、完全な二足歩行であった。頭蓋骨には人間のような歯があり、額は後退し、顎はない。
3万8000年前から1万8000年前の化石が発見されているが、考古学的な証拠から、少なくとも9万5000年前から1万3000年前まではフローレス島に住んでいたと考えられている。石器や火を使い、ボルネオ象やコモドドラゴン、フローレス島に生息する巨大ネズミを狩っていた。発見者たちは、ホモ・エレクトスの小人型であると信じている。大型哺乳類の矮小型が島で進化するのは珍しいことではない。現生人類は、5万5千年前から3万5千年前の間にフローレス島に到着し、ホモ・エレクトスと交流があったと推定される (参考文献: チャールズ・クルウェヒ・マックスウェル・シニア著「アイナホウ(マウイ島)の3人のメネフネ」より)。
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lllusioninthehead · 2 months
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2024/3/5
いま、思えばなぜ紹介してくれた女の子は話してくれたのだろうと思う。人によってはアレルギーのある話だ。その友人の女の子が凄い霊能者と会ったと興奮気味に語ったときも最初はやや眉唾であった。占いは信じない質なのだが、本当に見える人が世にいるのは知っていた。友人の中でも2人いてよく面白半分で体験談を聞いていたし、常識や科学では説明がつかないようなことも自身でも経験したことがある。まぁ、時としてこういうのって全能感に繋がったり、自分は選ばれた人間だ。なんて勘違いした輩を生むし、金持ちがお金を吸い取られる様も見てきた。1時間20分で10000円が高いのかわからない。占いにしては高いし、本当に見えるのならば安い気もする。
紹介者の女の子からは10000円以上の見返りを求められたという話はなく、客を選んでる感じもない。誰でも紹介してくれて大丈夫だと言われてるそうだ。
ならば、早速と紹介を頼むとあっさりとLINEの友達紹介が送られてきた。ここでは仮に“四季さん”としよう。◯◯から紹介されました。お会いしたいのですが可能でしょうか?と送ると数時間後に時間と金額と場所、そして日時の提案があった。
一度、四季さんの仕事の都合でリスケはあったもののすんなり会うことができた。別で仕事をしてるんだと頭に浮かんだが。まぁ、そういう人もいるかとすぐに疑問は打ち消された。
会うまで2週間程度。何を相談しようかと考えていた。当面の課題いくつもあれど、大体は方向性が決まっている。相続問題には弁護士が入った。家を建てる話には土地が決まり地盤調査が無事に終わりそうだ。奥さんの家族とそりが合わない問題も心のなかで決着を見ている。奥さんにも素直に話せているので距離感が遠くなり楽になると思う。新しい仕事を1つ考えていてこれは確かに相談したいかもしれない。あとは何と言っても拠り所のない自分のこと、知りようも無い飼っていた犬の気持ち。そして四季さんへの好奇心もある。ただ、最後のこれはどこまで聞いて良いのかわからなかった。
−−−−−−−−−
当日はひとつMTGをこなし、都心の街に出た。待ち合わせに遅れるのは苦手なので30分前に着いてしまった。まぁ、いいか。と久々に訪れた街をブラブラ歩いた。もし、すべて見れる人ならばこんな光景も見られているのかもしれない。雨がぽつりぽつりと降ってきた。終わる頃にはお昼だなとどこで食べようか検索したりしていると時間になった。
待ち合わせの喫茶店で席番号を伝えると少し年配の優しい感じの女性はすべて心得てるようで「はい、承っております」と答えた。ひとつ階をあがり、上着を脱いで席につく。「着きました、お待ちしております」とLINEでメッセージを送ると今向かっておりますとすぐに返信が来た。
浮ついた気持ちを抱えながら待っていたものの、不思議と猜疑心はなかった。友人からさんざん凄さについては語られていたのもある。
現れた四季さんは普通に少し遅れたことを謝り、特別な服装や髪型ではなく、少しおせっかいそうな雰囲気あれど、神秘性なんて何も無い話し方で、慌ただしくアイスレモンティーを頼んだ。おしぼり使ってくださいね、席は奥側でいいですよ。と気遣いできる人で身構えたこちらとしてはホッと何かひとつ肩の力が抜けた気がした。
事前に聞いた通り録音しても構わないと言われ、スマホの録音ボタンを押して、子供がお絵かきに使うような消せる小さな黒板に聞きたいことの周辺者を書いてくださいと差し出された。
差し出される際は「相続ってのが出てるんだよなぁ」や「複雑な家庭ですよね?」とすでに見透かされているような発言をされていて胸の鼓動が早まる思いだった。自分の名前、奥さんの名前、母の名前、義父の名前、義父の息子の名前、父の名前、兄の名前と書く。そして、そこに年齢を足していく。
まだ、完全に信用していたわけではないのでこちらから情報を出すことはしない。
まずはお母さんからと話す出す。お母さん相手を間違えてしまったね。ただ、そこをいまさら責めておかしいし。この人は責められるの苦手だし溜め込んでしまうんですよね。
母の写真に手をかざす。すると、母がたまに話す愚痴と同じ語り口調でつらつらと母の心境が出てくる。まるで、そこに母がいて自分には見えなくて、その通訳をしてくれてるかのよう。それくらい母が話す言葉と語尾までほぼ同じだった。
「お母さん、良く喋る人ですね?」と笑う。そして、「実の父親」という言葉が出てくるんですけどと言われた時にドキリとした。母は養子縁組を祖父としていて、祖父に育てられた。その情報は四季さんにもちろん伝えていない。
自分は違うんですけど母方は宗教にどっぷりなんです。と伝えるとずばり宗教法人の名前が出てきた。これも伝えていない。
潜在意識と会話をしているんです。と四季さんは言う。その後に話される言葉も核心をつくようなことばかりだった。
奥さんが出会えてよかったと言っている。運命の人だからここは大丈夫ですよ。と言われた時にはすっと胸の澱がいくぶん落ちた気がした。
四季さんが言うには
人は家庭でもらった愛情しか自分の子供に伝えることができない。例えば1%の愛情しか貰ってない人は2%の愛情を子供に渡すことは出来ないと言う。
なので、あなたの場合はお母さんが愛情をもらってない。そして祖母も愛情をもらってないと伝わってきてるものなんです。
少しここで胸が傷んだ。では、自分は?自分も子供が出来たとしてやはり愛情を渡せないのではないか?
疑問をぶつける間もなく話は進んでいく。
「お仕事などんなことをされてますか?」という質問から「事業拡大というのが出ているんですが」
未来を見ることができる仕組みはわからないし確かめようがないがこれから取り組もうとしている仕事について話した。
人は、誰もが使命を持ってこの世を生きていると言う。それは大きい人もいれば、小さい人もいる。その使命に気づいてほしくて自分はこの仕事をしている。と前置きをされて言われたことは自分の周りに散らばったものを集めたようなもので、とにかく困難で緻密でとても到達できないんじゃないかと思えるようなものだった。
その後は前世の話をされ、それもなぜかすっと納得いくようなもので。そして、ずっと見守ってくれる人がいることを伝えてくれた。それは父性というものを経験したことがない自分にとっては嬉しく、自分はずっと一人ではなかったのだと思った。
その見守ってくれる人の風貌を教えてもらい、母に確認すると母方の高祖父ではないかと。母には四季さんに見てもらったことを伝えていないので「なんで急にそんなこと聞くの?」となっていたがややこしいので話さない。四季さんは見守ってくれてる人は背が高く母のようにお喋りでしっかりしていて頼りがいのある感じだとのこと。高祖父は昔の人にしては珍しく身長が高かった(180センチ以上だった)と訊く。
高祖父が昔飼っていた犬と一緒にいる。ボールで遊んだり、散歩をした���している。と聞いて少し泣きそうになってしまった。それを知れただけでも来てよかったなと思えた。思春期の頃に飼っていた犬で可愛がっていたけど、充分にしてあげれたとは思えなかったし、ツラく当たってしまうこともあった。
気にしてない。大丈夫。もっと遊んでほしかったけどね。とそう言っていると伝えてくれた。
帰り際に「次に来るとしたら◯◯の件だと思いますよ」と予言めいたことを言われた。その前世があるからあなたは戦ってしまうところがあるのだと。
また来るのかな。まぁ、人生は悩みが尽きないしそうかもしれない。
−−−−−−−−−
当然ながら1時間20分の内容をここにすべて書けるわけもない。終わったあとは驚きと納得と情報処理で頭がグルングルンしていた。
帰り道、Recorderとして使っていたせいで充電が少なくなったスマホを眺めながら、紹介者にお礼を打ち送信した。
四季さんからは誰でも紹介してもらって大丈夫です。LINEを教えてあげてください。と言われていた。悩んでる友人やこういった話にアレルギーがない人の顔が浮かんでくる。とはいえ、実際に行く人は一握りだろう。未来視を受けたくない人だっているはず。そこには凄惨な未来も少なからずあったから。奥さんもそのひとりで、未来を知るのは怖い。人の気持ちを知るのは怖いと言っていた。
なんとなくだけど、四季さんはその人が変えられることだけにフォーカスしてくれてるような気がした。2年先のことが見えない人もいるとぽつりとこぼしたし、何かに固執して柔軟に生きていけないのもそれは仕方ないことだとも言った。
自分には知らなくても良いことは伝えずに、良くなる可能性があることをたくさん話してくれた。基本的には内容はポジティブで誰にとってもこう胸が温かくなったり、何か支えや指針ができたりする話だった。
−−−−−−−−−
さて、不思議な体験談は以上としよう。
あなたもきっと見てもらったらびっくりするはず。恐ろしい程に自分だけが知る自分や、自分の周りにいる人のことを当てられる。疑う余地がない。
ただ、四季さんが話した未来のことや前世のことや守護霊みたいな人のことはわからない。だって確かめようがないから。答え合わせはずっと先。いつだって人生はそうだし不満を言っても仕方ない。
この投稿を見て、これ書いた人はスピに被れたイカれた人だなと思われるのも仕方ない。人の感性はそれぞれだし。もし、あなたが何かに悩んでいたり好奇心旺盛で体験をしたい、四季さんに会いたいという人がいれば連絡をくれると良い。東京近郊、または東京に来る予定があるならば会えるはず。
知るということに臆さない、勇気のようなものがあればたぶんそれを人生の糧にできるだろう。
もちろん、自分に何も見返りはない。でも、前世でもそういうお節介な人だったようだ。そして、なにより好奇心が大きい。あなたが何を四季さんと話したのか教えてくれればそれで嬉しい。
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kennak · 11 days
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編集者注:ナショナル・フットボール・リーグのカンザスシティ・チーフスのプレースキッカーであるハリソン・バトカー氏(28歳)は、 2024年5月11日土曜日、カンザス州アチソンのベネディクト大学で卒業式の演説 を行った。彼の発言の転写は以下の通りである。 2024 年卒業生の皆様:まず、皆さんが本日無事にこの成果を達成できたことを祝福したいと思います。 あなたの高校卒業は想像していたものではなかったと思いますし、おそらく大学の最初の数年間も想像していたものではなかったでしょう。 新型コロナウイルスによるあらゆる逆境を乗り越えてこの瞬間に辿り着いたことで、この人生の苦しみは一時的なものに過ぎないという重要な教訓を学んだことを願っています。 あなたはグループとして、自分たちのレーンに留まらない悪いリーダーがいかに社会に悪影響を与えるかを目の当たりにしました。 このレンズを通して、私たちがどのようにして今の場所にたどり着いたのか、そして国民として、そしてカトリック教徒としてどこに行きたいのかを考えてみたいと思います。 始める前に最後に、講演への招待をいただいたミニス会長と理事会に必ず感謝したいと思います。 数か月前、ミニス学長が最初に連絡を取ったとき、私は最初は「ノー」と答えていました。ご存知のように、昨年、私は母校であるジョージア工科大学で卒業式のスピーチをしましたが、特に卒業式のスピーチは 1 回で十分だと感じていました。プロのスピーカーではない人。 しかしもちろん、ミニス大統領は説得力を発揮した。 [ 笑い ] この曲は、新型コロナウイルスの大惨事の中で皆さんが直面した多くの課題と、私たち高齢者が当たり前だと思っていた多くのマイルストーンを皆さんがいかに逃したかを物語っていました。 新型コロナウイルスはあなたの形成期を通じて大きな役割を果たしたかもしれませんが、それは特別なものではありません。 間違った政策と不十分なリーダーシップは、生活の主要な問題に悪影響を及ぼしています。 中絶、体外受精、代理出産、安楽死、そしてメディアにおける退廃的な文化的価値観への支持の高まりなどは、すべて無秩序の蔓延に起因しています。 私たちの国は、カトリック信仰を公に誇らしげに宣言しながらも、同時に中絶推進集会で十字架のサインをするほど妄想的な人物によって指導されています。 彼は罪のない赤ん坊の殺害に対する支持を非常に声高に主張してきたので、多くの人にとって、あなたはカトリック教徒であると同時に選択を支持する人でもあるように見えるはずです。 彼は一人ではありません。 新型コロナウイルスのロックダウンを主導した人物から、アメリカの若者に危険なジェンダーイデオロギーを押し付けている人々まで、彼らには明らかな共通点がある。 彼らはカトリック教徒です。 これは、カトリック教徒であるだけでは役に立たないということを思い出させる重要なものです。 こうしたことは、礼儀正しい社会では持ち出さないようにと言われている類のものです。 わかります、困難なこと、不快なこと。 しかし、私たちが歴史のこの時期に男性と女性でありたいのであれば、「ニース教会」が勝利の提案であるかのように振る舞うのをやめなければなりません。 私たちは常に慈善活動に基づいて話し、行動しなければなりませんが、決して慈善活動を卑劣なものと取り違えてはなりません。 ここ数年で、私は自分の考えを話すことでかなりの評判を得てきたと言っても過言ではありません。 私は自分自身がこのようなプラットフォームを持つことを想像したことも、望んだこともありませんでしたが、神がそれを私に与えてくれたので、私にはそれを受け入れ、自分のレーンを受け入れ、そこにとどまることについてのより厳しい真実を説く以外に選択肢はありません。 イエス・キリストによって設立された教会の会員として、真に、そして悪びれることなくカトリック教徒であることは、私たちの義務であり、最終的には特権です。 誤解しないでください。教会内であっても、礼儀正しいカトリックサークルの人々はあなたに沈黙するよう説得しようとします。 という受賞歴のある映画さえあったが 同じカトリック信者が製作した『沈黙』 、その映画では、主人公の一人であるイエズス会の司祭が教会を捨て、背教者として死んだとき、静かに誰にも知られずに十字架を握っている姿が描かれている。しかし神。 ベネディクト会大学の友人であるロバート・バロン司教閣下がこの映画の批評で述べたように、それはまさに文化的エリートがキリスト教において見たいもの、つまりプライベートで、隠れていて、無害なものだった。 私たちのカトリック信仰は常にカウンターカルチャーでした。 私たちの主と数え切れないほどの信奉者たちは皆、彼女の教えを忠実に守ったために処刑されました。 私たちの周りの世界は、私たちの信念が多様性、公平性、包括性の圧政に反する場合は常に自分の信念を内に秘めておくべきだと主張します。 私たちが真実を話すことを恐れるのは、残念ながら現在では真実は少数派だからです。 議会は、誰がイエスを殺したかという聖書の教えのような基本的なことを述べると、刑務所に入れられる可能性があるという法案を可決したばかりだ。 しかし、誤解しないでください。社会を悩ませている問題を解決しようとする前に、まず自分自身の家庭を整えなければなりません。それはリーダーから始まります。 神によって私たちの霊的父として任命された司教と司祭は、正しく命令されなければなりません。 今日、司祭や司教が群れを誤解させた話をすべて列挙するには時間がありませんが、私たちの誰ももう無知を責めて、ただ盲目的に「お父様がおっしゃったことです」と宣言することはできません。 なぜなら、悲しいことに、私たちがリーダーとして期待している司祭の多くは、自分の趣味を優先したり、教区名簿に掲載する犬との写真やおそろいの服装を優先したりする司祭たちと同じだからです。 私たち信徒も女性も、聖なるためには小教区で積極的に活動し、問題を解決しようと努めなければならないと考えがちです。 はい、私たちは小教区の支援に絶対に関与すべきですが、私たちが小教区の司祭たちが問題を解決するために頼れる拠り所になることはできません。 父親と息子の関係に目を向けるのと同じように、司祭とその民との関係にも目を向けるべきです。 父親として息子を導くのが私の仕事であるにもかかわらず、常に息子に助けを求めるのは適切ではありません。 聖ホセマリア・エスクリバは、司祭は奉仕するように任命されており、信徒を模倣する誘惑に負けず、徹底的に司祭であり続けるべきであると述べています。 悲劇的なことに、非常に多くの司祭は幸福の多くを教区民から受ける賞賛に依存しており、それを求めるうちに警戒を緩め、過剰に馴れ馴れしくなってしまうのです。 私のチームメイトのガールフレンドが言うように、馴れ合いは軽蔑を生むので、この過度の馴れ合いは毎回問題になることがわかります。 [ 笑い ] 聖ホセマリアは、司祭を単なる一人の人間として見たい人もいると続けます。 そうではありません。 彼らは司祭の中に、すべてのキリスト教徒、そして実際すべての名誉ある人にふさわしい美徳、すなわち理解力、正義、仕事生活(この場合は司祭の仕事)、そして良いマナーを見つけたいと思っている。 私たちが信徒として、あれこれの神学の教えを解読できるようにアマチュア神学者になることに身を投じるのは賢明ではありません――もちろん、あなたが神学を専攻している場合は別ですが。 私たちは、人生における自分の状態と自分自身の使命に意図的に焦点を当てなければなりません。 そして私たちのほとんどにとって、それは既婚男性と女性としてのことです。 それでも、私たちはすぐに使える素晴らしいリソースをたくさん持っているので、現代に合わせて曖昧に言い換えられていない、伝統的で時代を超越した教えを見つけるのにそれほど時間はかかりません。 さらに、善良で聖なる司祭はまだたくさんいますので、彼らを探し出すのは私たち次第です。 世界の混乱は残念ながら私たちの小教区の混乱に反映されており、悲しいことに大聖堂にも反映されています。 パンデミック中に見られたように、あまりにも多くの司教がまったくリーダーではありませんでした。 彼らの動機は、恐怖、訴えられることへの恐怖、排除されることへの恐怖、嫌われることへの恐怖でした。 彼らは、意図的か非意図的かにかかわらず、秘跡は実際には重要ではないことを行動によって示しました。 このため、秘跡も受けられずに孤独死した人が数え切れないほどおり、決して忘れてはいけない悲劇です。 カトリック教徒として、私たちは民、そして最終的には教会のために命を捧げた英雄的な羊飼いたちの例を数多く挙げることができます。 コロナ禍で経験したことが適切だったという嘘を信じることはできません。 何世紀にもわたって、大戦争、大飢餓、そしてそうです、大病気さえもあり、それらはすべてある程度の致死性と危険性を伴いました。 しかし、これらの例のいずれにおいても、教会指導者は自らの召命に力を注ぎ、民が秘跡を受けられるようにした。 モロカイ島の聖ダミアンのような偉大な聖人たちは、自らの宣教の危険性を承知しており、精神的指導者としてハワイのハンセン病植民地に11年間滞在しました。 彼の英雄的行為は、理想的にはまったくユニークであるべきではないにもかかわらず、今日では何か特別でユニークなものとして見なされています。 なぜなら、父親が自分の子供を愛するように、羊飼いも自分の霊的な子供たちを愛すべきだからです。 それは、現代の使徒である司教たちにとってはさらに当てはまります。 私たちの司教たちはかつて、指輪にキスをし、彼らの言葉をすべて受け止める崇拝の群衆を持っていましたが、今では取るに足らない存在の地位に追いやられています。 さて、教区の司教や司教協議会全体が、この問題やあれこれに関する重要な文書を発表しても、誰もそれを読むどころか、一刻も読もうともしない。 いいえ、今日、私たちの羊飼いたちは、難しいことを大声で言うことよりも、公会議への扉を常に開いておくことにはるかに関心を持っています。 司教たちから連絡を受けるのは、毎年恒例のアピールの時だけのようですが、私たちは司教たちに、個人的な慰めを脇に置き、十字架を抱きながら教会の教えについて声を上げる必要があります。 私たちの司教たちは政治家ではなく羊飼いなので、仲良くしようとして世界に溶け込むのではなく、彼らも自分たちの道に留まり、先頭に立たなければなりません。 私がこのすべてを怒りから言っているわけではありません。私たちはふさわしい指導者を獲得しているからです。 しかし、これは私が自分の車線にとどまり、自分の使命に集中すること、そしてより良い父親、夫になり、世界で生きながらも世界に属さないようにするにはどうすればよいかを考えさせます。 これらの人々のために祈り、断食しながら自分の召命に集中することは、私が教会の指導者たちに不平を言うよりも、教会のためにもっと役に立ちます。 私たちの指導者たちからは非常に多くの混乱が生じているように見えるため、ミズーリ川の上流の断崖絶壁に建てられたカンザス州の小さな大学ベネディクト校のような場所で人々が参考になる具体例が必要であり、秩序ある政策がどのように世界に示されているかを示している。 , キリストを中心とした存在が成功の秘訣です。 過去 20 年間で入学者数が 2 倍に増加し、建設と活性化が常に生活の一部となっており、人々、学生、教職員が繁栄しています。このキャンパスのいたるところにある例を見る必要はありません。 これは偶然に起こったわけではありません。 伝統的なカトリックの価値観を受け入れる意図的な運動の中で、ベネディクト会は、他と区別するものが何もない単なるリベラルアーツ学校から、繁栄する光の灯台となり、伝統を受け入れると、世俗的な、精神的な成功が得られるということを私たち全員に思い出させてくれます。フォローする。 AP通信の記者たちは、ここベネディクト会のような場所や人々を叱責し当惑させようとする試みが、怒りを持たれず、むしろ興奮と誇りを持って迎えられるとは想像できなかったに違いない。 それは、一か月をそれに費やす大罪のような誇りではなく、聖霊と協力して神の栄光を現わす、神を中心とした真の誇りです。 現在世界中で共有されているその記事を読むと、自己を完全に明け渡し、キリストに向かうことで幸福が得られることがわかります。 ここカンザス州の小さな町で、私たちは自分の才能を活かしてインスピレーションを与える多くの信徒を見つけます。 ミニス学長、[アンドリュー] スワフォード博士、[ジャレッド] ジメラー博士は、まさにこのキャンパスで、キリストの光を今後何世代にもわたって明るく照らし続ける素晴らしい例です。 自分の使命にしっかりと向き合い、自分のレーンにとどまることが、この人生で真の幸福と平安を見つける最も確実な方法となるでしょう。 信徒であれ、司祭であれ、修道者であれ、私たちは人生における自分自身の状態に焦点を当てることが不可欠です。 2024 年卒業生の皆さん、皆さんは残りの人生の瀬戸際に座っています。 皆さん一人ひとりは、自分自身とこの人類存在の時代を超える遺産を残す可能性を持っています。 小さなことではありますが、自分の召命を全うすることで、神の教会が存続し、世界があなたの模範によって啓発されることを保証するでしょう。 本日ご出席の女性の皆様、素晴らしい成果をおめでとうございます。 あなたは、若い人生でこれまでに達成してきたすべてのことを誇りに思うべきです。 私があなたたちに直接話したいのは、最も悪魔的な嘘をついたのはあなたたち女性たちだと思うからです。 今ここに座って、この段階を通過しようとしていて、自分のキャリアで獲得するすべての昇進やタイトルについて考えている人は何人いますか? 皆さんの中には、世界で成功したキャリアを送り続ける人もいるかもしれませんが、あえて推測すると、皆さんの大多数は、自分の結婚と、この世に産む子供たちに最も興奮しているのではないかと思います。 私の美しい妻、イザベルは、妻として、そして母親としての使命を果たし始めたときから彼女の人生が本当に始まったと最初に言うでしょう。 私が今日ステージに立って、今の私でいられるのは、天職に身を寄せる妻がいるからです。 私は神が私に与えてくださった多くの才能に恵まれていますが、私のすべての成功は、中学校時代にバンドのクラスで出会った女の子が信仰に改宗し、私の妻となり、すべての中で最も重要な肩書きの 1 つである主婦を受け入れましょう。 [ 18 秒間の拍手 ] 彼女は私たちの子供たちの主な教育者です。 彼女は、私が夫や父親の仕事からフットボールや私の仕事を決して邪魔にならないようにしてくれた人です。 彼女は私の根幹を最もよく知っている人であり、私たちの結婚を通して、主の御心によって私たちは二人とも救いを得ることができます。 私がこのようなことを皆さんに言うのは、外の騒音を無視して人生において神のご意志にどんどん近づいたときに、人がどれほど幸せになれるかをこの目で見てきたからです。 キャリアを持つというイザベルの夢は叶わなかったかもしれませんが、もし今、彼女に自分の決断に後悔があるかと尋ねたら、ためらうことなく大声で笑って、「いや、違う」と答えるでしょう。 多くの賞賛を受け、今日このような聴衆に向けて話す機会を与えられた男として、私は自分の声を自分のためではなく、常に神のために使うように祈ります。 私が皆さんに話していることはすべて、知恵の場からのものではなく、むしろ経験の場からのものです。 私は、この言葉があなたとそれほど年上ではない、この階級、この世代、そしてこの社会において、私たちの周りに見ているものが本物であるかのように振る舞うことをやめなければならないと感じている男性の言葉として受け取ってもらえることを願っています。普通。 カトリックのサークル内にも異端的な考えが溢れています。 しかし、正直に言うと、子供を産むことで神ごっこをすることは、それが理想的な数であれ、妊娠に最適な時期であれ、何も良いことはありません。 どう解釈しても、カトリックの避妊には自然なことは何もありません。 私がより大胆かつ率直に話すようになったのはここ数年のことです。なぜなら、先に述べたように、私は夫として、父親として、そして男性としての使命に傾倒してきたからです。 今日ここにいる紳士の皆様へ:私たちの社会を悩ませているものの一部は、家庭や地域社会に男性は必要ないという、あなた方に伝えられてきたこの嘘です。 私たちは男性として、文化の雰囲気を決めますが、それが欠けると、無秩序、機能不全、混乱が始まります。この家庭に男性がいないことが、全国各地で見られる暴力に大きな役割を果たしています。 他の国では、父親の不在率がここ米国とほぼ同じではなく、暴力率が大幅に低いことにも相関関係がある可能性があります。 男性の文化的骨抜きと闘いながら、自分の男らしさを悪びることなく行動してください。 難しいことをやってください。 決して簡単なことだけに妥協しないでください。 あなたには、必ずしも楽しんでいるとは限らない才能があるかもしれませんが、それが神を讃えるものであれば、自分にもっと適していると思われるものよりも、その才能に頼るべきかもしれません。 私は内向的で、今ではアマチュアの講演者や起業家になっているという経験に基づいて話しますが、産業工学の学位を取得したときには、自分がそうなるとは思っていませんでした。 前途は明るいです。 状況は変わりつつあります。 社会は変化しています。 そして、老若男女が伝統を受け入れています。 私と私に最も近い人々を助けてきたのは私の使命であるだけでなく、伝統的なラテン語のミサを率直に支持することは多くの人にとって驚くべきことではありません。私は TLM への愛と献身を非常に声高に主張してきました。そしてそれは私たちの生活にとって必要なものです。 しかし誤解されていると思うのは、TLM に参加する人はプライドや好みから参加しているということです。 私は自分自身の経験について話すことができますが、これらのコミュニティ内で出会ったほとんどの人にとって、これはまったく真実ではありません。 私が TLM に参加しないのは、自分が他の人よりも優れていると思っているため、または匂いや鐘のため、さらにはラテン語への愛のためでもありません。 私が TLM に参加しているのは、旧約聖書の神がどのように崇拝されることを望んでいたかについて非常にこだわりがあったのと同じように、同じことが今日の私たちにも当てはまると信じているからです。 私が秩序に出会い、自分の人生の中でそれを追求し始めたのは、TLM を通じてでした。 TLM自体は別として、私たちの神聖な伝統の多くは過去のものに追いやられていますが、私の教区では、残り火の日、断食をして召命と司祭のために祈る日などが今も守られています。 TLM は非常に不可欠なので、すぐに利用できる場所に移動する場所を選ぶよう皆さんにお願いしたいと思います。 多くの人が教区や共同体について不満を持っていますが、私たちは共同体のためにミサを犠牲にするべきではありません。 たとえ教区が美しくなくても、司祭が素晴らしくなくても、コミュニティが素晴らしくなくても、私はTLMを優先します。 私が今でもTLMに通っているのは、ミサの聖なる犠牲が何よりも大切だと信じているからです。 私は、あなた方一人一人が教会の偉大な伝統の多くについての知識と遵守を再燃させたとき、自分の人生がどれほどカラフルで生き生きとしたものになることができるか、そしてそうあるべきであることがわかるだろうということを十分に承知してこのように述べています。 あなたがこの場所から進んで世界に飛び出すとき、多くの課題に直面することを知ってください。 悲しいことに、このコミュニティの善良で活発なメンバーが、卒業してベネディクト会のバブルから離れた後、結婚前にボーイフレンドまたはガールフレンドと同棲することになった無数の話をご存知の方も多いと思います。 教会を離れて神を捨てる人さえいます。 こうした話を聞くのはいつも心が痛むもので、何が起こったのか、何がうまくいかなかったのかを知りたいという欲求があります。 覚えておかなければならないのは、人生とは、小さなことをうまくやり遂げ、成功に向けて準備を整え、最高の自分になるよう絶えずプッシュしてくれる人々に囲まれることだということです。 私はいつも言っていますが、鉄は鉄を研ぎます。 これは、私たちに最も近い人たちが私たちをより良くしてくれるはずだということを思い出させてくれます。 もしあなたが自分の信仰を共有していない人と付き合っているとしたら、その人があなたを聖人になれるようどのように助けてくれると期待しますか? もしあなたの友人グループが、あなたが次の週末に何をするかだけを考えていて、難しい会話をしたくない人たちでいっぱいなら、どうやって彼らがあなたを研ぎ澄ますのに役立つでしょうか? 就職の準備をする際には、転職先について実際に考えることが非常に重要です。 司教は誰ですか? どのような教区がありますか? 彼らはTLMを提供しており、司祭としての使命を受け入れる司祭を抱えていますか? 生活費だけがあなたの選択の決め手であってはなりません。神のいない人生はまったく人生ではなく、救いのコストはどんなキャリアよりも価値があるからです。 私は将来に興奮しています。そして、あなたが人生の次の章に進む際に、私の言ったことが心に響くことを祈っています。 唯一の聖なるカトリック使徒教会を告白することを決して恐れてはなりません。なぜなら、これはイエス・キリストが設立された教会であり、それを通して私たちは聖化の恵みを受けるからです。 今日の私のメッセージは、これらのスピーチで期待されているよりも少し綿毛が少なかったことは承知していますが、この聴衆とこの会場は、私たちが何者であるか、そして私たち全員がどこに行きたいのかについてオープンかつ正直に話すのに最適な場所であると信じています。天国。 ベネディクト会大学と、それが世界に模範を与えてくれたことを神に感謝します。 ミニス大統領のような王国のために自らの役割を果たしている人々のことを神に感謝します。 本格的なカトリック大学 と 盛んなフットボール プログラムがあることを知りに来てください。 [ 笑いと拍手 ] 誤解しないでください。あなたは神の後の世界で宣教領域に入ろうとしていますが、あなたはそのために造られました。 そして、神がそばにいて、自分の使命の中で美徳を求めて絶えず努力していれば、あなたも聖人になれるのです。 キリストは王です。 ハイツへ。
全文: カンザスシティ・チーフス卒業式スピーチのハリソン・バトカー| 全国カトリック登録簿
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nigi-ri-gin-tama · 8 months
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不思議な話 七人の頭 !  私がまだ学生の頃のお話です、私の兄が名古屋の某大学の山岳部に所属していました。 初冬の御嶽山で、冬山合宿が始まりました。学業の都合でまず三人がテントを担いで出発しました。最初は順調でしたが、次第に天気が崩れてきて吹雪になりました、そして一人の部員が行方不明となりました。大騒ぎとなりました、名古屋の各大学の山岳部が捜索隊を派遣して大捜索が始まります。しかし御嶽山は山麓が広大で、なかなか発見できません。厳冬期が近くなり、一旦捜索は打ち切り、春を待って再開する事に決まりました。遭難した部員は兄の1つ先輩で、下宿も隣の部屋同士で大親友だったそうです。(私も兄の下宿で一度会いました、大柄でやさしそうな方でした) 休みの間でも春に向けて捜索計画をバタバタしていた兄の元に、先輩のお母さんから連絡が入ります。心痛をみかねた知り合いが霊能者を紹介するので会ってみないかという事になり、つきましては学校で仲良かった兄にも同席して欲しいと。半信半疑で大学ノートを片手に、現場に行ったそうです。いざ行ってみると、見た目は全く普通の主婦のオバサンが出てきたそうです、兄は騙されるもんか!と身構えたそうですが、最初の一言で本物だ! と確信したようです。それは「7つの頭がみえます、そのうち1つは黒い、残念ながら息子さんは亡くなっています」だったそうです。兄曰く、発生当時の新聞等報道には、三人パーティーの一人が遭難としか書かれてなく、実際は七人パーティーの先発隊として三人先に登った事は山岳部の部員しか知り得ない事だからです。そこからはあふれる涙涙でグシャグシャになり、先輩が母親にあやまっている言葉をただ聞いていたそうです。しばらくして山岳部の話になって、山で酒飲んてみんなで歌っていた、卑猥な替え歌の数々を二人で泣きながら合唱したそうです。(ここで又確信) この時は、どこに居るのか本人にも分からなくて捜索の手がかりにはなりません。  年が明けて、そろそろ捜索再開の前にもお会いして、何処に居るのか聞いたところ、今度は具体的に「からだが半分冷めたい、片方の目は水の中、片方は森が見えてる」との答え。そして見つかりますか?と聞くと、殿下(兄のあだ名)お前が俺を見つけるよ。と 春になって、捜索開始で兄たちの捜索隊は目星をつけた沢筋中心に探しました、何日か経って小さな滝をザイルで降りた所で発見。丸い岩に引っかかって裸で半分水に浸かっていたそうです(現場写真を見せてくれました)。合掌
それまで霊能者の類は、まったく信じていませんでしたが。この時以来、人は死んでも何らかの念は残っていて、しばらくは共鳴できる人には解るのではないかと想うようになりました。 墓参りや、事故の報道にも手を合わせる様になりました。
オマケ話 先輩との会合の合間に兄が聞いたそうです、先輩僕は結婚できますか? と。 曰く、「大丈夫だよ、可愛い嫁さんもらって幸せになるよ」とニコニコ顔で話します。 先輩は優しい人なんです、兄はまだ独身です。
メメントモリ
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ari0921 · 6 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月10日(日曜日)
    通巻第8043号
EUは「生成AI」と「汎用AI」を問わず包括規制をかける
   ペンタゴンはAI軍事ロボット開発を急ぎ始めた
*************************
 「生成AI」なるもの。たとえば大量のデータを持つAIが文章や画像を自動作成する。
「オープンAI」社が開発した対話型AI「チャットGPT」が魁となって製造業もソフト企業も、省力化への期待から活用が急速に広がった。
しかし巧妙な画像操作、フェイク情報の拡散や個人情報の漏えいといったリスクを伴なって、社会問題となった。たとえば大學では論文審査にチャットGPTを利用した作文ではないかを嘘発見器のように探索する機械を導入した。ある新人小説賞応募では、例年の二十倍の応募があり、殆どがチャットGPT利用の人工的作文とわかって小説賞の募集を中止した。ブラジルでは条文改正案をチャットGPTで作成し、議会は多数で承認するという事態に発展した。
このまま突っ走るとどうなるのか?
「オープンAI」のサム・アルトマンCEOは議会証言で、「規制が必要だ」としていた。23年5月に広島で開催された先進7カ国(G7)は、AIの国際ルールを取りまとめることで合意した。AIが人間を超える危機(2045 シンギュラリティ)が叫ばれて、多くの学者や知識人が警鐘を乱打してきた。
 12月9日にEUが発表した規制案では、『汎用AI』の範囲にある政治的、宗教的、哲学的信念、性的指向、人種を推測するための顔認証システムや潜在意識を刺激するサブリミナル技術を組み入れたAIは認めない原則を打ち出した。
2026年から実施予定で、生体認証システムの使用も制限し、拉致、人身売買、性的搾取事件の被害者の的を絞った捜索や、特定の現在のテロの脅威の防止には例外が設けられる。違反者には50億円程度の罰金か年間売り上げの7%の制裁金が課せられる。
 
 一方、米国と中国では軍事ロボットの開発が迅速に進捗している。
 高性能の軍事ロボットに関して米国は研究開発から実験段階へと歩を進めている。高性能のAIを搭載した自律型兵器システム(ドローン艦艇、航空機、戦車運用)の開発をめぐる論争が際立つようになった。争点のひとつは、「生成 AI」システムで使用される「大規模言語モデル」の信頼性をめぐる見解の対立である。
▼中枢の技術は半導体である。
 高度AI の活用に関して米国では国務省と国防総省は、「責任ある方法で行われる限り、人工知能は将来の兵器システムの運用に使用できるし、使用すべきである。米国は技術の進歩に関係なく、(軍事によるAIの)責任ある開発と使用を可能にするために必要な政策を導入し、技術的能力を構築する」としている。
 専門家の意見では、「生と死の決定がもはや人間によって行われるのではなく、事前にプログラムされたアルゴリズムに基づいて行われるとなれば、倫理的問題を引き起こすだろう。自律型兵器が惹起する課題と懸念が明らかに存在する。したがって法的、技術的、人道的、倫理的な観点から、また武力行使における人間の役割に規制が必要である」とする。
 ペンタゴンはAI搭載の自律兵器システムの開発と配備を進めている。多数の自律型兵器を配備し、「質」と「量」の双方で、中国の優位性を克服する準備をしなければならないと考えているからだ。
 もう一つ、というより最大の懸念がある。
 技術情報、ノウハウの漏洩である。産業スパイが高度化し最新の機密をハッカー攻撃やエンジニアへのカネと女の罠をしかけ盗用するのだ。
 米軍輸送機C17に米国は5000億円の開発費を投じた。中国はその機密をハッカー攻撃で盗んだ。コストは米国の一万分の一だった。中国空軍ジェット戦闘機「殲21」は米軍機F22の、「殲31」はF35の機密を盗んだとされる。
 またノウハウの漏洩がある。台湾から中国への渡り鳥エンジニアたちがいる。
『ウォールストリートジャーナル』が「半導体の魔術師」と名付けた梁孟松は米国大学留学後、現地のIT工場で働き、TSMCで腕を発揮した。梁がTSMCに在籍したのは1992年か2009年までで、この間に身につけたノウハウをもって大陸へ渡り、SMICで14ナノ半導体製造に成功したといわれる。現実にファーウェイの新型スマホ「Ma���e60 PRO」にはSMICが自製したとされる半導体が使われていた。
 安全保障上、由々しき問題として関係者が激怒した。米国は、米国籍のエンジニアが中国ではたらくことを禁止している。
 台湾は押っ取り刀で法改正に乗り出した。まずNSTC(国家科学及技術委員会)はノウハウならびに半導体材料を含む22の禁止リストを公表した。違反には罰金と5年以上の禁固刑が課せられる。
 ならば梁孟松を台湾は「裏切り者」として如何に裁くのか? 梁は中国に永住するつもりなのであり、台湾の司法権が及ばない。
 ▼倫理、モラル、そして霊性が問題になる。
かくして倫理、モラル、そして霊性が問題になる。
 2023数学賞を受賞した丘成桐教授は12月8日開催の授賞式(香港)で「AIは人間の創造的精神にはなれない」と明言した。岡潔もきっと同じことを言っただろう。
 つまり「生成AI」は「霊性AI」になることはない。神の意志はそこにはない、と世界的な数学者が示唆した。
 世界の破滅を描いた三島由紀夫の『美しい星』に次の箴言的比喩があることを思い出した(新潮文庫版より)
 「冷戦と世界不安、まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧ととう安への坂道を滑り落ちてゆく人々、にせものの経済的繁栄、狂おしい享楽感、世界政治の指導者たちの女のような虚栄心。。。こういうもの総ては、仕方なく手に委ねられた薔薇の花束の棘のように」
 主人公は宇宙から飛来した円盤を目撃している。
 「円盤が目に見えていたあいだの数秒間に、彼の心を充たしていた至福の感じを反芻した。それはまぎれもなく、ばらばらな世界が瞬時にして医やされて、澄明な諧和と統一感に達したと感じることのできる至福であった。天の糊が忽ちにして砕かれた断片をつなぎあわせ、世界はふたたび水晶の円球のような無疵の平和に身を休めていた。人々の心は通じ合い争いは熄み、すべてがあの瀕死の息づかいから、整ったやすらかな呼吸に戻った」
 「平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁られた魚であって、地球へ陸揚げされると忽ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の速さ、これが彼らの不満の種で、彼らがしきりに願っている平和は新鮮な瞬間的な平和か、金属のように普及の恒久平和かのいずれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物くさい匂いがする」
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tanoshiiuchuujin · 2 months
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 💗私の宝もの
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🛸虹の彼方から         
     地球🌏へ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
ぼく🌠
お星さまから来たよ
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
     
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
25年前、自宅のお風呂で出産した体験記です。
まずは、生まれてから一年後(2000年)に書いた文章にそのままタイムスリップします。
🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
 
 🐬🎶🐳
 
1999年3月22日、予定日より少し早く3690㌘の元気な男の子、蒼(あおい)が生まれました🎉🎊
自宅のお風呂でパートナーと二人だけの水中出産です。
おしるしがあってから約三時間後父親の手で無事とりあげられました。
ヘソの緒がつながったままの蒼を胸に抱きかかえ
✨「よく来たねー」✨
 ✨「よく来たねー」✨
とこみあげてくる愛おしさで一杯でした。
覆っていた薄い透明感のある羊膜をはがすと、蒼は母親の顔を確認するように一瞬目を開け
✨「ふんにゃ〜」✨
      と、ひと声
穏やかに優しい産声で挨拶してくれました。
「ぼく来たよ🐬 約束どおり・・・🎵」
そんな風に聞こえました。
それから、オッパイに吸い付いて スヤ…スヤ…スヤ…
そのまましばらく抱きしめていました🍀
ヘソの緒のカットも父親の手によってその辺りのハサミと糸で簡単に終了。
我が子が生まれたというより、再び仲間に会えたような不思議な感じでもありました🛸💫🛸
何となくベビーベッドもベビー布団も用意せずにいたので、私の布団に寝かせることにし、それからずっと一緒の布団に寝ています💕
ベビー用品などほとんどないことが、とてもたくさんのスキンシップにつながりました💞
忘れていた自然な出産は、病院での産後と違って母と子がひとときも離れることなく、蒼と二人でゆりかごの中にいたようでした🍀🍃
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今までの出産は2回とも帝王切開で、医学上は普通分娩が不可能です。
2回となると傷口が裂けるというリスクが高いのがその理由です。
私の地球人生プログラムの中では、数年前からの様々な体験を通して女性性の解放と癒やしと同時に、この医学の倫理観を覆して命の本質へと戻していくメッセージを感じていました。
出産当日までは、たまーに不安が顔を覗かせたりしながらも導かれる流れにまかせて、深いところでは大丈夫!という確信がありました✨
陣痛が進行する中、ほんの一瞬だけ恐れが頭をよぎりましたが、全てを委ねきったとき内なるパワーは全開になりました✨
夫と二人で向かい合って両手を握り、蒼と三人の呼吸はぴったり合って、ベストなリズムで進行していきました✨
ただただ、
✨「ありがとう」✨
  ✨「ありがとう」✨
と湧き上がってくる想いが声に・・・
✨知識はほとんど必要なく、お互いに内なる叡智が全てを知っていたことを実感しました💖
🛸お風呂ごと宇宙船の中にいたような気もします🐬🐳
予定の出張助産婦さんが、出産予定日より遅れると言って先に他の出産へ立ち会っている間、同時にあおいは生まれてきました。
夫婦二人だけの水中出産になりそうなことは予定日が近づく頃から何となく感じていました。
出産のリスクを手放し、医学上のリスクを越えて自然出産が実現するには、夫婦二人の統合エネルギー☯️が必要不可欠でした。
(最も必要だったんです)
✨そこは、焦りや不安、恐怖の無い世界✨
✨(魂の)繫がっている安心と喜びのの世界だからです✨
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
そこには、医学の危険なんて全くどこにも無いのです     
✨ ✨ ✨ ✨ ✨ ✨
命がけの出産とか言いますが、そんな危険と隣合わせみたいなものではなく、
本来、いのちは
✨愛と光と叡智✨に満たされています💖
そまた、解放と癒やしの原点でもありました🌈
存在そのものへの祝福でした💝
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
🎠体験から  
 想うこと🎠
究極の喜びであるはずの出産は、西洋医学の統計上でしかない危険性をつくりあげられている為、本来の母性が不自然になって妨げられているのを感じます。
(万が一の為に…とか、最悪の場合…等、恐れの思考です。)
母性が本当の意味で大切にされていない現実を、産婦人科の医療という制度で最も強く感じました。
男性社会に潜んでいる女性性への支配や抑圧(恐れ)を、私は産婦人科の現場に垣間見たような気がします。
本来、出産は病院の「ヤマイ」という字のつくところでおこなわれること自体が不自然だと思います。 
💧多くの女性自らが、そのようなことにはほとんど気がつかず、疑問に思っていないことは残念な悲しいことです。
不自然になってしまった出産が、アンバランスな子育てにつながり、親子の問題はここから始まっているような気がします。
出産は、女性だけが主人公ではなく、男性と女性が平等に参加することによって、その後の子育ての同じスタートラインに立つことができるのではないでしょうか🎵💫🎶
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
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🛸🎶💫🛸🎶💫🛸🎶💫🛸
✨このままでいい✨
🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸🐬🎶🛸
💐自宅のお風呂で出産したことは、あふれ出てくる愛と感謝を喜びいっぱい自由に表現できて、命の原点のようなところを実感した体験でした。
💕「イブの出産 アダムの誕生」という本には、水中出産について色々書かれています。
出産は女性性の解放だから
思いっきり声を出して解放しなさい、ということや、
母性は野生性だ、というような内容がありました。
🍃また、生まれてくる赤ちゃんは、激しく泣かないのが、本来の自然体です。
オギヤーと泣き叫ぶのは、元気なしるしなんかではありません。
不安や恐怖で叫んでいるみたいなのです。
本当の命の自然体で生まれると、安心感に包まれているので自然にちょっと声を出すくらいです✨
掌はぎゅっとにぎしめないで、ふわ~と開いてリラックスしています✨
このことは、自然出産した知人たちも同じように語っています。
この出産の2年後、沖縄県宮古島のある助産婦さんのエッセイにも同様の内容が書かれていました。
私のようにしゃがんで産むスタイルは、宮古島の伝統的な出産だということです。
このスタイルは、赤ちゃんが真っ直ぐ真下に降りてくるので、産む側の親にとっても、生まれる側の子にとっても、最も楽な姿勢になります。
🐬🎶🐳
🍀その時、夫は こう語っていました。
✨ものすごい感動だった🎊
✨『自分が産んだ』✨
   
 という実感だ!💫
そして、母子手帳の父親記入欄には蒼に対するメッセージ…💝
感動だった
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
✨このままで
  いい!✨
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
この一言に、人生のありったけの愛を込めて、全身全霊の喜びを表したと思います。
そのまま、ここに全てがあり、完璧、という意味だったと思います✨✨✨
 
🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸🐳🎵🛸
    
 
 🐬💫🐳
ようこそ🍃🌱     
 母なる大地へ
 
 🎉生まれてきてくれて🎊
     
       💐ありがとう
🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸🐬🐳🛸
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tokyomariegold · 5 months
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2023/9/29〜
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9月29日 朝の通勤で、隣の席の方が、明日からの大阪旅行の時刻を調べてメモしているのをぼーっと眺めていた。朝6時台の電車で玉川上水(!)から東京駅まで出て、そこから新幹線で新大阪へ。目的地は芦屋だった。
いま私が計画している大阪旅行の目的地と同じだったり、わりと実家近くの駅から出発する旅行に、少し親近感。
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今日は午前中出勤するけれど、大好きな服を着て、つらくなること(現場に出たりすること)はしないぞ!デスクワークだけする心意気で出勤すると、廊下から水が流れる音がしていて、?と給湯コーナーを見るとポットに水を溜めるために水栓が開けっぱなしになっていた。 もうすっかりポットから水が溢れて時間が経っていた様で、床が海。 でも今日の私はとても吸水作業ができる仕様ではなかったので、水を止めて、近くを通りかかった上司たちを引き止める様にして、みなさんに雑巾やモップで片づけをさせてしまった。 人力でこの海を処理するのは難しいのでは…と思っていたけれど、みなさんが雑巾で水を吸っては絞るのを繰り返してくれて、あっという間に片付いた。 私はあわあわと見ているだけだった。
午前中だけの業務時間だと、いつもの3倍速のスピード感で仕事をしようとしてしまう。
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午後のチャイムが鳴って走って退勤して、上野へ向かった。 国立科学博物館の企画展“海”を鑑賞。 一期下の方がいただいた招待チケットに便乗させてもらって、海にまつわる展示を見てきた。 平日だけれどひとがとてもおおかった。 子供より大人が多くて、展示の内容も、宇宙から縄文遺跡まで海というか地球と宇宙にまつわるあらゆることが網羅されている展示で色んなことを知れて賢くなった気分。
前回、恐竜展に一緒に行った友人が科博の出口で「鯨好きなんだよね〜」と言っていたのを思い出して撮った展示の鯨の標本(本物って書いてあったから剥製?)の写真を後で送りたい。
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展示を見ながら、そこから思い出されたエピソードをしたり、油壺マリンパークに行ったことがあった話や冬に広島と下関に行く話を聞かせてもらった。 下関はかつて毎年言っていた場所なのでなぜか嬉しくなってしまった。
展示を観て、かっぱ橋方面まで歩いて、いつも帰り一緒にお話ししているけれど、それでも今日もお付き合いしてもらえて嬉しいし助かってしまう。
来週までが締め切りの個人調書に異動希望を示そうかどうか悩んでいる。
今日は中秋の名月。月みてね。
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9月30日 昨日は月がずっと雲に隠れていた気がする。 六本木と表参道へ遊びに出て、帰る電車に乗る時はまだ外が明るかったのにずっと地下鉄を走る電車に乗っていて、地上に出たら真っ暗でしばらくまだ地下なのかと思っていた。
今日も暑かったけれど、日がどんどん短くなって秋になっている。
ネイルをとってもらい、また新しく施してもらってしまった。一回やってもらうと嬉しいけれど、生活の不都合の方が優ってしまったり、一週間くらいで飽きてしまったりするので、帰りの電車でオフだけの予約をした。
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六本木のギャラリーは13時オープンで、着いた時はまだ閉まっていて入り口の扉の前に宅配便が置き配されていた。 残念だな〜と、表参道まで歩く途中、昔好きだった人がとつめていると言っていた出版社の建物の前を通って、そういえば乃木坂で勤めていて青山霊園とか散歩するのが良いです、みたいなことを言っていた。
さらに少し歩いたら、カメヤマキャンドルのお店を見つけ、ふらっと入ってみる。 インターネット見たことがあるワンカップ大関やココアシガレットの面白キャンドルの実物を見て、思わずあずきバーキャンドルを買ってしまった。 あとパチパチ音が鳴るキャンドルも買えた! ネイリストさんに、帰り際にあずきバーキャンドルを見せたら失笑されてしまい少し戸惑っていた気もしたので「なんか最後にごめんなさい」と気づいたら誤っていた。
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友人と待ち合わせして岡本太郎記念館へ。 先週鎌倉で「岡本太郎好きですか?」と誘ってもらっていた。(私はその時、片岡八幡宮や鎌倉の古美術店を眺めながらその質問を聞いていたので、勝手に片岡鶴太郎に変換していた。)
岡本太郎のアトリエ兼住宅を美術館にした建物。 食虫植物や南国系の草が生えるお庭に、所狭しと作品がざわざわと展示されていておどろおどろしかった。 太陽の塔の中はかなり良いらしい。マンスーンさんも楽しいって言ってたね。
最近の写真の活動の報告をしながら表参道をふらふらしていたら、先日写真展にも来てくださった先輩とぱったりすれ違う。カメラ好きでとてもおしゃれ(世の中のおしゃれ軸では計れない感じ)。 今日はF値のTシャツを着ていた。
先週カメラのファインダーがとてつもなく汚い(私の手ではどうにもできない範囲)ことを指摘されたこと、忘れていたけれど、今日も改めて友人から言われてちゃんとショックになり、そうだカメラを買おうかなと思っている。
良いフィルムカメラを探す、というタスク(?)に少しわくわくする。
ありがたいことに1冊写真集を買ってくださった方がいたので、梱包材や納品書の準備をしなくては!で、少し忙しい気持ち(写真がガビガビでごめんなさい!)。
現像したかったフィルムを持ってくるのを忘れてしまったので、明日は、何としてでも、現像出したい。気をつけたい。
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jaguarmen99 · 8 months
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156 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2023/09/28(木) 09:15:37.94 ID:hNyAmHGF0 [1/5]私が地元でバイトしてた時の話なんだが、新しくバイトで入って結構フレンドリーなバイト先だったので歓迎会開いてくれた。その時にいた2つ歳上のAさんが、何かの話の流れで中学生の時にイジメちゃってた奴がいて~って話はじめた。軽いイジメしてたんだけど、そのイジメてた奴が交通事故で急に亡くなっね謝れてないんだよ~みたいな。交通事故って自○じゃないんすかーとか聞いてる人いたんだけど、遺書とかも無くて普通に交通事故だったらしい。157 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2023/09/28(木) 09:16:10.36 ID:hNyAmHGF0 [2/5]んでその話ずっと聞いてて、色んな情報かけ合わせた時、その交通事故で亡くなった、タクヤくん(仮名)って私の隣の家に住んでたタクヤくんで間違いないって思ったのよ。私が小6の時に交通事故で亡くなったから年齢も合うし、間違いないなって。当時、私は地元と言っても7歳の時に両親が離婚して母方の実家に引越してきた形だったんだけど、隣のタクヤくんがめっちゃ優しくてよく遊んでくれて、子供心に多分私はタクヤくんのこと好きだったんだと思う。でもタクヤくんが中学にいってから部活もやってたようで遊んだりする時間が無くなってあんまり会えなかったんだよね。それで突然亡くなって、信じられなかったというか、今でも普通に生きてる感じであんまり涙出なかった。158 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2023/09/28(木) 09:16:51.89 ID:hNyAmHGF0 [3/5]んで、そのAさんはその話ずっとしてて、そこまで嫌な感じではないけどちょっと武勇伝じゃないが、軽く話してる感じだった。といっても私もその時から10年以上経ってたから怒りみたいなのは無かった。あえて自分とタクヤくんが面識あったことも話さなかったんだよね。そしたらその日だったか次の日だったか、夢にタクヤくんが出てきたのよ。あんまり夢見るほうじゃないんだけど、凄いハッキリしてて、あっタクヤくんだって中学の時の姿のままですぐわかった。タクヤくんが私に「俺あいつ許してないから」って言って、その後に私は目が覚めたんだよね。ハッ!( ゚ Д ゚!)って感じじゃなくて、普通にぬるっと起きたけど。その夢が果たしてタクヤくんが許してなくて化けて私の夢に出たのか、もしくは深層心理で私がAさんを許せないと思ったのかはわからなかったけど、モヤッとしたままバイトにいった。特にAさんは普通だし、私も普通にバイトして過ごした。159 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2023/09/28(木) 09:17:36.50 ID:hNyAmHGF0 [4/5]その後からさ、数日にわけてタクヤくんが夢に出てくるわけよ。出たり出なかったりだけど、その時にタクヤくんは「俺、あいつに体操服を違うクラスの女子の机に入れられたの許してない」とか「上履きを濡らして隠したの許してない」とか「足を思いっきり蹴って内出血したのも許してない」とかすっごい具体的なことを言ってきたのよ。ちょっと起きてから曖昧な時もあったけど、何か私は気味が悪くてその夢を見た日に言われた内容を覚えてるだけ軽くメモしてたのよ。で、ある日バイトの休憩時間がAさんと被った時に、思い切って聞いてみようかなと思って。もしかしてこれの内容がガチだったらタクヤくん相当恨んでるやんとか思って…でも私はそれまで幽霊だとか見たことなかったし、信じてもいなかったから面白半分というかまさかなーって感じだった。Aさんに「前にイジメしてた子が交通事故で亡くなったって言ってたじゃないですか?」って聞いた。「その子、私の家の隣に住んでたタクヤくんだと思うですけど、合ってます?」って聞くとAさんはびっくりしてた。「そうそう、タクヤだよ。マジかー仲良かったの?」って聞かれて中学までは多分好きな人だったーとか話して、Aさんが「マジかー!青春だったんだね~亡くなっちゃったのは残念だったね…」みたいなこと言ってて。160 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2023/09/28(木) 09:18:14.52 ID:hNyAmHGF0 [5/5]んで「それでAさんから話聞いた日くらいからタクヤくんが夢に出てくるんですよ~」って笑って話したらAさんがちょっと苦笑いしながら私を見てきた。私は夢でタクヤくんに言われた内容のメモの写真をスマホでAさんに見せたのよ。そしたらさ、人の顔がみるみる白くなるっていうのを初めて間近で見たよ。「えっ大丈夫ですか?」って私が聞いたら「いや…なんで知ってる…」みたいなこと呟くから「えっこれガチなんですか?タクヤくんずっと許さない許さないってめっちゃ言ってます」って私が、今思うと、トドメさすようなセリフを言ったらAさんその場で吐いちゃったんだよね。バイト先でちょっと騒ぎになってAさんは早退してった。で、その日のあと、タクヤくんが夢に出てくるのはたまにあったけど、昔タクヤくんが遊んでくれてたときの記憶?みたいな感じばっかりで、許さないみたいなことは言わなくなった。Aさんは次の週にバイト急にバックれていなくなった。結局あの後どうなったとかは全然わからないんだけど、奇妙な体験だったよ。不思議と怖いとかは全然なかったんだよなあ。今考えてもタクヤくんと遊んでたときの楽しい記憶しか出てこないくらい。
続・妄想的日常
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tanakadntt · 1 year
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グッズのマリン三輪隊の話(二次創作)
あなたの詠唱はどこから?
 三輪秀次はビリジアングリーンの毛先を持つデッキブラシをぐるりと回して、コツンと甲板に突き刺した。風がデッキを渡り、身につけたセーラー服の襟がふわりと浮いて首を包む。腰の金ボタンが僅かに震え、陽光を反射し、古寺が一瞬目を瞑った。
 『詠唱』が始まる。
 しかし、その詠唱はお粗末なものだった。
「……世界を繋ぐ青い空‼ えーと、希望の空から降り注ぐおひさまのシャワー‼ ……んん、きらめくソード‼ キュア…」
「違います!」
「違う!」
「違うってよ〜」
「違うのか?」
 隊員たちからすぐさまダメ出しされ、隊長は詠唱を途中で遮られたことに不服のようだ。
「それは詠唱じゃないな」
 奈良坂は手旗をバツ印に重ねながら言う。こちらもセーラー姿だ。本日、三輪隊は嵐山隊他と一緒に広報の撮影に来ている。メインはやはり嵐山隊で、三輪隊も「他」に入る部類なので待ち時間が多い。
 スタジオ撮影ではない。わざわざ海近くの公園まで来て、観光用に係留されている帆船を借りての野外撮影だ。そんな場所だから、隊服の撮影ではない。隊それぞれに衣装が用意されている。マリンを意識した、水兵服風だ。
 そういうのは、広報部隊だけでいいだろうと思う人間は結構いるはずだが、どうしても必要だから、とメディア広報室長の根付から、ではなく、営業部長の唐澤に爽やかに笑ってポンと肩に手を置かれると誰も断れない。三輪も同様だった。
 時期を違えて、他の隊でも撮っていると聞けば尚更だった。
「さっきから何をやっている」
 やはり撮影待ちの風間が船底からデッキに出てくる。隣には緑川もいる。嵐山隊他の「他」の仲間はこの風間蒼也と緑川駿で、なぜこの二人が隊ではなく、それぞれ呼ばれたのかは唐澤にしかわからない。
 風間は蒼也の蒼にちなんでブルーの、緑川は緑にちなんでグリーンのセーラー服を支給されている。三輪隊は隊服カラーの紫だ。皆、まったく一緒という訳でなく、少しづつ違っている。
 そのことに言及すると、奈良坂から何を当たり前のことを?と言いたげな視線を送られたので黙った。
例えば、緑川と風間のセーラー服は造りはほぼ一緒と言えるが、色はもちろん、金ボタンの位置やズボンのデザインが違う。さらに風間はつばを深く折ったような帽子を被っていた。セーラーハットというそのままの名前の帽子らしい。一方、緑川は縁にリボンの付いたベレー帽だ。彼の衣装は横ボーダーのインナーと短い丈のセーラージャケットで、両襟をアクセサリーで留め、まるでアイドルのようだった。
「先輩たち、暇だから遊んでるんでしょ」
 中学生に訳知り顔に指摘されて赤面する。尊敬する風間の前で言われるのも恥ずかしい。しかも、図星だった。
「棒が二本あるだろ? だから、オレが槍の使い方を教えてたんだけど、スタッフさんに危ないって怒られてさあ」
 米屋陽介が説明する。
「陽介、棒じゃなくてデッキブラシだ」
「棒だろ」
 デッキブラシは撮影の小道具で三輪と古寺のふたりがブラシ係だ。奈良坂は旗係で、二本の旗を持たされている。気に入っているようでずっと持っていた。米屋は何故か皮袋だ。デッキブラシを持たせても槍にしか見えないと思われたのだろう。ネクタイも腰に引っ掛けていて、休日に出かける船乗りという設定なのか、ラフな感じがよく似合っていた。
「それで、この棒を槍じゃなくて杖ってことにして、詠唱ごっこしてた」
「詠唱?」
 風間が首を傾げる。三輪が横から説明する。
「魔法使いが杖を使って呪文を唱えるじゃないですか?��
「ああ」
「最初は適当な呪文を言ってたんですが、今度は何かを召喚してみようって話になって」
「召喚?」
 緑川が面白そう、と言っている横で さらに風間が首を傾げる。三輪は申し訳なくなってきた。元々、考えついたのは三輪ではなかったから説明もしづらい。今度は奈良坂が助け舟を出す。
「魔法使いのごっこ遊びみたいなものです。魔法で精霊を呼び出す呪文を、一番それっぽく言えた奴の勝ちというルールです」
 奈良坂は進学校の学生らしく説明が上手い。しかし、明快に言語化するとますますやっていることのバカっぽさが際立った。
「それで三輪先輩ダメ出しされてたのかぁ」
 緑川がニヤニヤする。
「……」
 彼は迅以外には大体こんな感じだから三輪も気にしないことにしている。
「三輪は全然ダメだった」
「……」
 それには反論しようもない。三輪が魔法と聞いて連想するのは、昔、姉と観ていた魔法で変身する女児向けアニメしかない。
「今度は奈良坂がやってみろよ」
米屋が言った。
「ああ」
 コホンと奈良坂は咳払いをして、旗を上に構えた。デッキブラシではなく、こちらにするらしい。奈良坂の衣装はダブル六つボタンの付いたジャケットのようになっていて、カチッとした印象だった。
 長い腕で、二本の掲げた旗をくるり回すと舞踊を見ているかのようだ。奈良坂の詠唱は短かった。
「エクスペクト・パトローナム!」
「へ? 短くね?」
 ハリーポッターに全く興味のない米屋が無表情になる。元々、目に感情が入らないから少し怖い。
「守護霊生成ですから召喚とはちょっと違うかと」
 古寺が遠慮なく指摘する。
「ダメか」
「精進しろ」
 風間もわからないながらも審査に参加する気になったらしい。
「はーい、次オレ〜」
「よねやん先輩、頑張って」
 三輪からデッキブラシを渡され 嬉しそうにひと振りする。ぶんと勢いよく、棒がしなった。槍にしか見えない。彼の上着もジャケット仕立てで、奈良坂と違うところはシングルボタンである。大きく開いた上着から青の縞模様を見せている。足元はビーチ���ンダルで裸足同然だ。
 彼は魔法、魔法だよなあと呟いた。
「陽介、ちちんぷいとかじゃあダメだからな」
「と、思うじゃん?」
 米屋はニヤリと笑って、デッキブラシの柄でカンッと床を叩いた。そのまま、柄を丸く滑らせていく。
「魔法陣グルグル トカゲのし…」
「パクリでしょう!」
 また古寺が突っ込む。弟が二人もいて、少年漫画に詳しいのは彼しかいないのだ。
「そういえば、作戦室で観てましたね」
「テストで誰もバトってくれねえんだもん」
「勉強しろ」
「よねやん先輩かっこ悪い」
「ちぇー、奈良坂はパクリじゃねえのかよ」
「おれが許します」
「贔屓ィ」
 古寺は咳払いだけして無視する。
「じゃあ、次は古寺だな」
 風間は冷静に順番を数えた。
「はい、風間さん」
 途端に古寺が自信のなさそうな表情をする。三輪は「がんばれ」と励ました。
 後輩はデッキブラシを三輪から受け取って、杖を握り横に構える。目を閉じる。他の隊員たちよりひとつ下の年齢を意識してか、かわいいデザインになっていた。サスペンダーをし、ネクタイもリボンのように結んでいる。靴も軽快なスニーカーだ。
 しかし、その時、周りの者には風にはためく不吉な黒いマントの幻想が見えた。
「原初の時空に彷徨う白き者よ、我が誓願を聴きたもう。我が名を持ってここに顕現せよ。我は古寺章平、黄昏の支配者にしてこの地の放浪者なり」
 みんなポカンとしていた。
「これより一切の慈悲なく我が敵を殲滅よ!」
「ハーイ、カットぉー、木虎ちゃんお疲れ様ぁ」
 向こうから嵐山隊と撮影スタッフの声が聞こえる。
「えーと、終わりました」
 デッキブラシのブラシ部分を床に下ろして、こちらを見る。いつもの古寺だ。
「なんで、そんな本格的な……」
 三輪がうめくと、メガネの縁に手をかける。
「弟とやるカードゲームによく出てくるんで覚えちゃいました」
 絶対に読み上げなければいけないルールで、と付け加える。
「スゲエよ」
 と、米屋。
「カッコイイ、古寺先輩」
「お前が優勝だな」
 奈良坂は旗をパタパタと振った。
 風間もウムとうなづく。
 頃合いよく、スタッフから声がかかる。
「そろそろ撮影に入りまーす」
「ハーイ」
終わり
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alaephoenicis · 8 months
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【翻訳】〈イーヴィ・カプラー〉黄金時代へ 〈3〉:タイムラインの相関関係 - 終末の創造主のコード
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オリジナル・タイトル&動画🔗:Auf ins goldene Zeitalter - Teil 3: Korrelation der Zeitlinien - Endzeit - Ur-Schöpfercodes
公開日:2023年9月18日
【和訳】ALAE PHOENICIS
 (最新情報➡Telegram)
イーヴィ・カプラーについて
イーヴィさんは透視能力をもって生まれ、「子供の頃から自分だけの世界で生きていた」といいます。年頃になると、母親に勝手に銀行へ履歴書を送られ、「これも道か」と従順に銀行員になって働いていましたが、並行してヒーラーとしても活動し続けていました。数年前に「自分の本来の天職に絞る」決心をし、銀行を退職。これまで20年間、エネルギー・プラクティショナー、意識トレーナー、透視ミディアム、エネルギー・ヒーラーとして活動してきた実績の持ち主。
はじめに
時期が訪れたアイデアほど強力なものはない ヴィクトル・ユゴー
今日は私たちが移行してきている暗黒時代の終わり、この先どうなるのか、そしてここ数ヶ月がどういう状態であったのかをお話します。
タイムラインというものを通して、人はどのような影響を感じ、またその時点でその人物の心理面、微物質面、精神面、そして肉体的内面にどのようなプロセスが引き起こされるのでしょうか。
それは解放の時であり、私にとっては黄金時代への道を示すものでもあります。
生きる喜びを見出せないこともある地球を、私たちに押し付ける者たちの権力主張の終焉でです。これより皆さんを時空間の連続体へと旅へお連れしますので、一緒に大宇宙を駆け巡りましょう。
沢山の重要な情報があります。細胞の記憶についても触れます。
遺伝学、ある程度は後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてどの記憶空間が人為的に作られたのか、その背後にあるエネルギーは何なのか。私は、数千年前から繰り返されており、2023年以降に正真正銘のクライマックスを迎えることになる相関関係に踏み込んでいきます。
このすべては、いつものようにミディアム(霊媒)・コーチ兼エネルギー理論家の私の見解であり、あなたのハートに耳を傾けて、共鳴するかどうかを確かめ、共鳴するものだけを自分のために受け取ってください。
無意識空間の解放
そうです。私たちは、この時代に優れた助っ人、先見者、支援者となって、地球と宇宙を高揚させ、パラダイム・シフトを起こすためにここへやってきました。私たちはまた、思い出すため、つまり記憶を取り戻すためにここに居ます。
この文脈において、こんな素敵な言葉も:
「覚醒する」とは、自分が何であるかを捨てることではない。自分でないものを捨てるということだ。これは、まさにそういうことなのだ。
私たちは神聖な形ある存在であり、この居場所を占めるために非常に強力に密度を濃縮させました。そして、二元的世界観でいうところの邪悪とは、究極的には無意識にすぎず、邪悪とは常に分離の周波数です。そして人間は、そのプロセス、プログラミング、習慣の95パーセントをこの無意識の空間に保存しているため、そこに飛び込み、そこに含まれる感情、音、状況、すべてを覚醒した意識へと呼び覚ますことが重要であり、癒やしとなるのです。
ここ数年、私たちはこの凝縮された、そう、しばしば意識されない、そして忘れ去られた、あるいはカプセル化されたエネルギーをますます溶解させています。そうすることで、私たちは創造主のコードの中にスペースを作り出しているのです。私たちのブループリント(青写真)に反映されているオリジナルのクリエーターコードです。
タイムライン(時間軸)
先に話を進める前に、まずタイムラインから始めます。
というのも、ここ数ヶ月の間に、非常に印象的なことがここで起こっているからです。また、それがどのように発展していくのか様子を見ていました。というのも、地球の表面ではすでに激しい揺れやそれに関連した出来事が起こっており、直接に目には見えなかったかもしれませんが、非常に印象的だったからです。
まずは、皆さんもおそらく既にご存知の、タイムラインが何であるかを説明します。人間が宇宙的に多次元的であるように、タイムラインも多次元的です。
タイムラインは特定の周波数領域を内包しており、この領域を保ち、フレームに収め、枠組みを与える。このことを理解するためには、線形の時空連続体という思考からも私たちは離れなければなりません。
私たち人類の歴史において今後起こることはすべて、たったひとつのタイムラインに集約されます。説明としては、太陽光線が虫眼鏡の上で合流し、それが真ん中で焦点を結び始め、虫眼鏡の反対側に強力な透過光線として現れるのを想像してください。これらの小さな光線が、ひとつの大きな光線、ひとつの本質的な光線を生み出すことになります。そしてすべてのタイムラインは、この計画フィールドで合流することになります。つまり、地球という惑星の話なので、これは地球フィールドのことであり、その本質となるタイムラインが刻印されるということです。
過去と未来の統合 ― 「今、ここ」
私はよく、日常生活の中で、それほど本質的なことではない特定の決断が、タイムラインの変換を引き起こすことはあるのだろうか、という質問を受けます。本当によく聞かれるのですが、私ははっきりと「ノー」と答えます。なぜなら、それによってあなたの全体的な周波数が変わることはないからです。あなたは依然として全体的な周波数の中にいて、魂の計画と同様、別の道を選択するさまざまな可能性はあちこちにありますが、大まかなデフォルトは残っています。
しかし、私たちが過去のあるレベルにおいて非常にトラウマ的な何かを経験していることに気づいたとき ― だから私たちは「基本的傷・トラウマ」について語るわけですが ― 例えば、アトランティスの暗黒化の時代やレムリアの滅亡など、目立ったものを2つ挙げるとすれば、ですが…他にも全く別のもの、私たちの細胞の記憶から消去されてしまったために、もはや覚えていないものもあります。そうした記憶がまだ残されている場合、それは私たちの細胞構造と結びついて繰り返されることになり、嵐、洪水、火事、火山の噴火、そして私たちのこの時代に起こるあらゆる激変もそれと同様です。
自覚があろうとなかろうと、その時の記憶が存在し続けている限りは、それを精算し、過去と未来を再統合することを意味しています。あなたがそれを望むのならば、です。
過去と未来という現象は、「今、ここ」という時間の質を形成します。そして、“今ここ”というのは「現在」という瞬間に向いており、そこから私たちは微物質的な形態へと拡張していくのです。あらゆる時間、あらゆる空間へと。
そして、ますます多くの人々がそれを活用するようになっているので、とてもエキサイティングです。今まさにエキサイティングな時であり、過去の高度な文明にあった純粋な演出を信用するのであれば、すでに別の時間レベルでこれを経験しているため、私たち自身の感覚、感知、行動の中に、その最初の証を得ていることになります。
タイムラインの相関関係
以上のプロセスは、私たちの青写真から濃縮されたエネルギー的パケットを放出するので、私たちの「身体-魂-精神-システム」にとって非常に重要でもあります。つまり、非常に素晴らしいことが物理的なレベルでここでも起こっており、すべての形而上学的身体における統合が肉体を超えて広がっているのです。
ですから、ダウンロード・コードは太陽といった外側からだけではなく、むしろ自分自身の内側からも受け取っており、それはタイムラインの重複があるからで、これによって情報が形態形成フィールド(morphogenetic field)に入り、意識に統合的に固定され、私たちの青写真を通して作用する、となっていることが想像できます。
つまり、私たちはつまるところ "意識 " であり、ここで私たちはますます多くの情報を得ることになるのでワクワクするわけです。だって、微物質的な世界(スピリチュアリティ)は私たちから切り離された存在として知覚されるべきものではなく、私たちの現実の一部を形成しているのだということに、ますます多くの人たちが気づいているからです。
この情報を統合的に知覚することは、心臓のトーラス・フィールドを介して起こります。これはまた、私たちのハート、直感、ミディアム的なチャンネルや能力が相互作用し、心臓トーラスを介してさらに多くの情報を吸収できるフィールドを作り出すということでもあります。
そう、そして春から夏にかけて、私の認識ではもう一つのタイムラインが加わりました。今までは、そのタイムラインは分断された形で浮遊しており、そのタイムラインとつながりのあった存在だけが記憶空間や情報と接触していました。そしてこのタイムラインは複数の魔法的なレベル(層)とも関連しています。これは神話の世界と同じで、既におとぎ話、物語、伝説、あるいは魔術のような物語形式を通して、無意識のうちに私たちみんなの中にあったし、儀式のようなものも用いてきました。しかし今では、異教的なものからギリシャ神話やケルト神話の神々、そしてこれらの諸世界に至るまでのものが、ある周波数をこのフィールドにもたらしてきているのです。
また、そこには1297といった非常に神聖な数字の組み合わせもあり、魔法レベルに関する限り、例えば3、7、12といった数字もあります。これらはほんの一例です。しかし、これらの周波数はいまや私たちの既存のタイムラインと連動し、そのために多くの情報がここで明らかになったのです。
この件に関しても多くの方からご連絡をいただき、いろいろ出てきたことについてその都度話し合うのはとてもいい刺激になりました。
タイムラインの統合
それは、私たちにとって何を意味するのでしょうか?
とても並外れていて、とても感動的なものになることでしょう。なぜなら、特に神々のテーマ、領域、中間世界、冥界、そしてアストラル層は、繰り返し我々のいるこの場所に登場するわけです。私はアストラル層は第4のネガティブ密度だと見なしているのですが、この層と契約関係にある人々の夢の中にも飛び込んできて、記憶空間を開いてくれます。
そして私がいつも言っているのは、意識の旅をすることですが、アストラル層を旅するのは控えめにしましょう、ということ。なぜなら、アストラル層にはあらゆる物体が行き交い、喘ぎ声がしてジメジメしており、時には必ずしも私たちに役に立つとは限らないエネルギーも付着するからです。持ち帰ってきた魔法のレベルは、しばしばエネルギ―的な攻撃のように感じられる落とし穴となることもあるのです。
ここでもまた、転生してきた中でいつか締結されたことのある非常に古い契約が関係していて、このタイムラインはそれ自体が結合したため、それが突然再び露呈したのです。そして、ルシファーのレベル、つまり暗黒のレベル、そしてアストラル契約を繰り返し消去して、これらから自由になることを私はお勧めします。誰もが自分自身のために、これを実践することができます。
この攻撃はどのように感じ取るものなのでしょうか?あるいは、突然、呪いに対処しなければならなくなった時、何が起こるのでしょうか?
呪いには非常に微妙なもの...さまざまな種類と影響のレベルがあります。何かが強迫的だと感じるときはいつもそうです。何かが依存対象になったり、繰り返し考えるようになったり、典型例としては恋に落ちたり、身体的な症状が非常にはっきりしてきて、過去の何かを思い出したりするなど。
これらはすべて、…私に言わせると「広範囲に渡るエネルギー的な攻撃」であることを示しています。
そして、これらの全ては切り離すことができるし、あっという間に消えてしまうことに気づいてください。これらの古いレベル、周波数、時空間を再統合することなのです。
私たちが創造主の意識に戻り、自己啓発に戻り、回想に戻り、そして何よりもハートに戻るのは、それが神的存在がもっている能力だからなのです。
宗教の狂信性は解消されることが望まれています。ここでも、何かが癒されたがっているのです。一人一人の中で。
私たちの知る宗教とは、非常に全体主義的なものです。特に初期の時代には、さまざまな神々が存在し、生け贄の習慣があり、人間の生活には合わない儀式があり、強制的に行われてきましたが、ここでは人の生命はあまり重視されていませんでした。そしてこのタイムラインが統一されることで、全人類に癒しと再統合、そして何よりも変革がもたらされることになります。
これは私たちにとって絶好のチャンスだし、そう思っていて良いのです。
創造主の力
私たち自身の中には創造主のレベルがあり、そこから他の特定の事例と結合することなく、すべてを変化させることが可能です。なぜかというと、セルフ・エンパワーメントを活性化し、輝きは自分の中で光り、燃え、輝いているのだと気づけば、私たちは何でも創造し、何でも変えることができ、ビジョンや夢を生きることができるからです。
私たちのささやかな行動のすべてが、大局に影響を及ぼします。常にそうであり、だからこそ私たち一人ひとりは価値があり、重要であり、またこの時代に必要なのです。
そしてもし、今はまだ魂の課題への準備が出来ていないと感じ、それでも自分にはここで果たすべき課題がある、とあなたが知っているのなら、自分が喜びに思える感覚に従うこと。身も心も軽くなるようなことをするのです。なぜって、私たち一人ひとりに才能と贈物が備わっているのだから。
これらは今、姿を現しつつあります。これらは顕在化しつつあり、そして私は、あなたが100%の創造力を発揮するよう促したいのです。これは、単に自分の創造力をフルに活用しようという意図だけで、往々にして起こることなのです。
そして、こんな美しい言葉があるので、皆さんにお伝えしますね。
神聖なる青写真にお���て、次に私が踏み出すべき完璧な一歩を、はっきりと明らかにしてくれたこと、そして、この青写真を顕現させるための創造と実現に参与するための手段、そして最適な人選を与えて下さったことに、感謝いたします。
遺伝学、後成遺伝学、DNA
遺伝学、後成遺伝学(エピジェネティクス)、そしてDNAの12本鎖について簡単な説明だけしておきます。
私たちのゲノムは、細胞内に存在するすべての遺伝情報を含んでいます。遺伝学は遺伝の理論を扱い、ここではDNA、そして突然変異による変化も同じく中心的要素となります。そして私たちは、DNAの12本の鎖が微物質的に私たちの中に配置されていることを知っています。
多くの人において、さまざまな鎖がすでに紐解かれています。そして、後成遺伝学は、環境の影響と遺伝子との連結部位であると考えられています。つまり、どういう状況でどの遺伝子のスイッチが入るか、あるいはいつまたスイッチが切れるかを判断するわけです。
この観察も非常に興味深いものです。というのも、私たちの医学的な知識にはかなり歪みがあり、それが遺伝情報にまで及んでいるからで、これに対する関心は非常に高いのです。
何より、ここに変化を起こすため…だって私たちはこの暗闇の終末期にあって、黄金時代へと向かっているのですが、ここに来てまたもや錯覚が用いられ、人類のDNAが変化しないよう、特定の医学的手段で妨害しようとしているのです。
一方、ジャンクDNAについての知識も話題です。そして脳のこの5%の能力もまた、現在では広く流布しています。そして、多くの人々に、さらに多くの配列がすでに発見されています。
つまり、より速く移動し、何かがより目敏く近づいてくる、もしくは遠ざかっていくことをいち早く察知する人たちがいる、ということで、それは彼らの透視能力とDNAの配列のせいでもあります。
私の心からの願いとは:このようなプロセスを何とか迅速に進めるために、自らをもっと支援するヒントとしてできることは何でしょうか?
まずは太陽が中心的かつ重要な要素であり、太陽で自分をチャージし続けること、太陽に向かって瞬きをすること、皮膚や光線を通して太陽を吸収することです。太陽はもっと大きくてパワフルなツールで、ここで私たちと相互に働き、私たちをサポートしてくれる。だから、それを第一に考えるなら、私たちの細胞を物質的・微物質的な汚染から清浄に保つことも重要だと言えます。
解毒、良質な水、良質な食べ物、そして何よりも良質なエネルギーがテーマとなります。私たちは何と向き合っているのでしょうか?この間、多くのコンピューターゲームや携帯電話の周波数、特定の映画や広告などを通して、場合によっては異質なエネルギーが伝達され、それが私たちの中に充満することもあります。つまり、これらすべてが私たちからエネルギーを吸い上げているのです。しかし、私たちが何かを吸収し、それが私たちの身体-魂-心のシステムに蓄積され、それがそこに相応しくない場合、それは一種の異物のようなもので、外に出さなければなりません。だからこそ、きれいな浄化、アルカリ性の入浴、そしてもちろん精神的な解毒、言葉の衛生なども必要で、これらすべてがこのパラダイムシフトをサポートしてくれるのです。
ライトランゲージ − 原初の響き
私たちを創造主のコード、私たちの原初的創造主へと導いてくれるのは、実はサウンドなのです。原初の音色、原初の周波数の響きです。
私たち一人ひとりが自分の音色、自分の言語を持っていて、それを通して細胞の意識の中で何かが再活性化され、そうすることで、私たちは精神的、スピリチュアルなレベルで成長することができるのです。 そしてそれこそが、今の時代の私たちにとってものごとを把握する能力を持つ上で重要なことなのです。
同じように素晴らしいことは、私たちの身体との対話です。身体というのは、物理的に凝縮された最終的な構成要素であり、動くことを必要とし、私たちの身体もまた、自分自身を鍛え、自分自身を感じ、それによって力を解放する必要があります。だから運動は、ここでの健康を維持するための中心的な要素でもあります。それから、自分がどんな適性を持っているかも見てください。一方、DNAがより多くの配列を発見しているため、まったく異なる方法で創造の領域とつながっている子供たちもいます。すると、植物の世界や他の微妙な世界との対話、言語があることも観察できます。言語とは、まず言葉による表現で成り立っています。しかし、私たちは実にさまざまな方法でしゃべることができるし、言語の混同というテーマを思い出せば、最初から言語はあったのです。
これについては以前、とても興味深い動画を作ったことがありますが、YouTubeではもう見ることができません。
私たちは今、テレパシーで物を投げたり返したりすることができるのです。私たちはテレパシーで物を動かす能力を持っている。動物やペット、あるいは私たちの周辺に居る動物と触れ合うとき、テレパシーで呼んでみると、動物がそれに感応していることに気づくはずです。つまり、この先の展望として、そしてもちろん対人関係において、このレベルではすべてのことがすでに起こっているのです。
最後に
親愛なる皆さん、関心を持っていただきありがとうございます。心から感謝します。私たちは、これから起こることに備えているのだ、という自覚を持ってください。
私たちはとても大勢で、私たちの自由意志、目的意識、それに伴うすべての行動を、この意識のシフトに向け、自分のハートの呼びかけに従って良いのです。
ここにいてくれてありがとう。
ハートからハートへ
あなたのイーヴィ
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yoga-onion · 11 months
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[Photo above: Samhain, courtesy of Beltane Fire Society]
Legends and myths about trees
Legendary tree deities (22)
Hyldemoer – 'the Elder Mother’, the guardian of the elder trees
“If you stand beneath an elder tree on midsummer eve you will see the King of the faeries and his entourage but be careful that you do not get swept away to faerieland.
The tree and the wood is greatly prized by the fae folk, so it must not be used to make mundane household objects, especially not a cradle or the baby will be pinched black and blue.
Do burn the wood or bring it into the house as this is very unlucky and will bring the devil in.
The Elder Mother guards the tree and although she is usually kind she can become dangerous, if her trees are harmed so you must always ask permission before cutting an elder tree.
To cut elder wood you must say, three times, ‘Elder Mother, please give me some wood, and I’ll give you some of mine when I grow into a tree (Ourd gal, give me some of thy wood, an oi will give some of moine, when oi grows inter a tree)’.”
Faeries and Folklore from the British Isles
The Elder Mother is thought to be the guardian of the elder trees, and it was said, until recent times in various parts of England and Scandinavia that to take wood from the elder tree one would have to ask the Elder Mother first, or else ill luck would befall the woodsman. The spirit is said to haunt or torment people who build from elder wood unless they ask permission first.
In Denmark, the Hyldemoer (“Elder-mother”) or Hyldequinde (“Elder-woman”) is a spirit like a wood-nymph or dryad that lives in the elder tree.
Other similar and related beliefs have been handed down in various cultures.
In Denmark, an elder twig put in the mouth was traditionally thought to drive out evil spirits and thus could cure toothache. Also in Denmark, on Midsummer's Eve, if you were to stand under an elder, you could see the Elf-king and his host. A similar tradition existed in Scotland where it was said to happen on All Hallows or Samhain.
In England, it was thought that the elder tree could never be hit by lightning and that carrying the twigs of an elder could protect their bearer from rheumatism. Farmers used to protect their animals from evil by placing a cross made from elder on their cow-sheds and barns.
In some Slavic countries, such as Russia, it is thought that the tree had the power to ward off evil. In Sicily, it was claimed to have the power to ward off snakes, and so on.
Every summer, our neighbourhood had an elder hedge with divine, full blossoms, but it was completely cut down to develop a residential site. These days, they spray the stumps with powerful chemicals to prevent regrowth.
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木にまつわる伝説・神話
伝説の樹木の神々 (22)
ヒルデモア-「エルダー・マザー」、ニワトコ (エルダー) の木の守り神
“真夏の夜、ニワトコの木の下に立つと、妖精の王とその一行を見ることができる。でも、妖精の国に流されないように気をつけて。
この木と木材は、妖精たちにとても珍重されている。だから、ありふれた家庭用品を作るのに使ってはいけない、特にゆりかごは厳禁だ。さもないと、赤ん坊は青黒く痣が付くまでつまんで痛めつけられる。薪を燃やしたり、家の中に持ち込んだりしてはいけない。これは非常に不吉で、悪魔がやってくるからだ。
エルダー・マザーは木を守っている。彼女は普段は優しいが、ニワトコの木に危害を加えると危険な存在になる。だから、ニワトコの木を切る前には、必ず許可を得ること。
『ニワトコのお母さま、私にあなたの薪をちょうだい。私が木に成長したら、私の薪も差し上げます』と、3回唱えなければならない。”
ブリテン諸島の妖精と民間伝承より
エルダー・マザーはニワトコ(エルダー)の木の守り神であると考えられており、イギリスやスカンジナビアの各地では最近まで、ニワトコの木から木材を取るにはまずエルダー・マザーに許可を得なければならず、さもなければ木こりに不運が降りかかると言われていた。その精霊は、まず許可を得なければ、ニワトコの木で建物を建てた人に取り憑いたり、苦しめたりすると言われている。
デンマークでは、ヒルデモア(「ニワトコの母」)またはヒルデキンデ(「ニワトコの女」)は、ニワトコ(エルダー)の木に住む木の妖精やドライアドのような精霊である。
このほかにも、さまざまな文化圏で似たような信仰が受け継がれている:
デンマークでは伝統的に、ニワトコの小枝を口に入れると悪霊が追い出され、歯痛が治ると考えられてきた。またデンマークでは、夏至祭の夜にニワトコの下に立つと、エルフの王とその群れが見えるとされていた。スコットランドにも同様の伝統があり、万聖節(All Hallows)またはサウィン祭(Samhain)に起こると言われていた。
英国では、ニワトコの木は雷に打たれることがなく、ニワトコの小枝を持っているとリューマチから身を守れると考えられていた。農家では、ニワトコで作った十字架を牛小屋や納屋に置くことで、家畜を悪魔から守っていた。
ロシアなどのスラブ諸国では、この木には魔除けの力があると考えられていた。シチリアでは、蛇を追い払う力があるとされていたなどなど…。
毎年夏になると、近所にニワトコの生け垣があり、神々しいほどの満開の花を咲かせていたが、宅地開発のために完全に切り倒されてしまった。最近では、再生を防止するため、切り株に強力な化学薬品を撒くらしい。
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lllusioninthehead · 3 months
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2024/2/22
新しいプロジェクト進行中のため仕事仕事仕事。
講師案件の仕事というのは勉強になるのでずっとあるツールについて調べたりやってみたりしている。
その後はコンテンツ作成とコンテンツを他の人も話せるように研修資料の作成と暇がない。
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とはいえ、帰りに下北沢でクラフトビールを飲んだりもして。
友人が霊能者的な占い師?さんを人づてに見つけてきて、とても当たるというか、全部見える人のようなので今度会ってもらえるように日付を決めたのに向こうの都合でリスケになった。
これがどのような意味なのかなと思いながら考えを巡らせている。
自分は何を決めたいのか、話したいのか、つまり相談したいのかをじっくり決めさせるためか、それともリスケされた日付までの間に何か起こるのか。
ちょっとわからない。何の意味もないのかも。
好奇心。相手への好奇心と自分への好奇心。
自分がどんな人間なのか未だにわからないから。
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映画館で「夜明けのすべて」を観た。
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パニック障害の男性と酷いPMSを抱えた女性を主に据えた映画。日々の生活の中で、関係性の中で少しずつ寄り添い良くなっていく。とはいえ、劇的に治るわけではなく不安が軽減されるわけでもなく抱え悩み受け入れる。受け入れるのも違うかな、日々が進んでいく。良い時も悪い時も一定に時間が進むから人は生きていける。
自分は人から不幸だと言われるけど、精神を病んだことはない。酷く身体を悪くしたこともない。
それならば、何かしら病気や怪我を抱えて生きていく人のほうが大変なのではないか。
人との関係性の中で良くなっていくしかないというのは同じなれど。わからなくなる。優劣はないのかもしれない。
いつか死ぬのはそうなのならば美学をいくつか腹に据えて生きていきたい。都合よく生きてる人が多すぎる。理屈で割り切れない何かのために生きていて、それを人は愛だとか呼んだりするのだから。
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kennak · 10 months
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「『ハムレット』の研究については、海外のものも含めてほとんどの文献や論文に目を通してきたつもりですが、その解釈は初めてです。私自身も、そんな解釈が可能とは思いもよりませんでした。でも、その解釈は『あり』だと思います」 いったい何が起こったのか? 主人公ハムレットが父親の仇(かたき)として憎むクローディアスのある台詞(せりふ)について、司会の伊集院光さんがさりげなく発した感想が、河合さんの思考を一時フリーズさせたのである。 伊集院さんの直観的なコメントが稲妻のようにひらめき、著名な研究者や作家が一瞬我を忘れてしまう。そんな瞬間を何度体験したことか。更にいえば、この瞬間こそ、「100分de名著」という番組の最大の醍醐味である。台本通りの予定調和を切り裂く一言。それを受けて、一気に場が加速を始める。刺激された講師からも想像を超えたコメントが次々に発せられる。ウィンブルドンでの頂上決戦で一流テニスプレイヤーたちが繰り広げるようなラリーの応酬。番組の進行を俯瞰(ふかん)して眺めているはずのプロデューサーも、恍惚に近い感情に押し流されていく時空だ。 今回問題となったクローディアスの台詞とはこうである。 言葉は宙に舞い、心は重く沈む。心の伴わぬ言葉は、天には届かぬ。 (「新訳 ハムレット」シェイクスピア著、河合祥一郎訳、角川文庫) ハムレットの父親である先王を殺した罪をクローディアスが懺悔(ざんげ)するシーン、ラストの台詞。懺悔室でさんざん懺悔した風を見せて、最後に「なーんちゃって」と、��ローディアスは舌を出すわけだ。こ��な懺悔なんて噓っぱちだよ、と。 物陰に潜んでこの様子を見つめるハムレットは、懺悔の途中で殺してしまっては、クローディアスを天国に送ってしまうことになる……ということで、クローディアスを殺すことを思いとどまる。だけど、実はクローディアスは懺悔なんてしていなかった。哀れ、ハムレット。ここで殺してしまえばよかったのに……と、舞台を観ている観客がはがゆい思いをするシーンとされてきた。これまでの解釈では。 ところが! 伊集院さんは新たな解釈を打ち出すのだ。 「ぼくは、真剣に何かを話すことが怖いから、本当のことをいった後に、つい照れ隠しで『なんつったりしてね』っていうことがよくあるんです。つまり、クローディアスはここで、舌を出して『なーんちゃって』といっているわけではなくて、『こんな俺が天国に行っていいわけないじゃん。懺悔で許されていいわけないじゃん』って真摯な気持ちで懺悔しているともとれるのではないか」 河合祥一郎さんが青ざめたのはこの解釈を聞いたからだ。クローディアスという登場人物が単なる悪役ではなく、極めて複雑な陰翳(いんえい)をもつ魅力的な存在として立ち上がってくる優れた解釈。一流の研究者ですら思いもよらなかった解釈が飛び出してしまうこの状況を、伊集院さんは、かつてこんな言葉で語ってくれた。 「無知との遭遇」 もちろんスティーブン・スピルバーグの映画「未知との遭遇」をパロったものだが、伊集院さんは、こんな風に説明してくれたのである。 「中卒で教養も知識もない自分のような人間だからこそ、先生方はいつも全身全霊でぼくにぶつかってくれる。だからなんだよね。いつもだったら絶対に出会わないぼくのような『無知』に先生が遭遇したときに、思いもよらない化学反応が起こる。自分自身も全く忖度(そんたく)なしで直観的に感じたことを言葉にしていくと、それが一流の先生方も驚いてしまうような言葉に結果的になってしまう。それを受けて先生も想像以上の言葉を発してくれる。この番組が一番面白いのはこういう響き合い」 伊集院さんの言葉は謙遜にすぎる。ラジオパーソナリティとして長年培ってきたトーク展開力、膨大な数触れ合ってきたリスナーたちの人生、休日すらインプットの時間としてさまざまな体験を仕込んでいく貪欲さ……伊集院光という人間の裾野の広大さが、可能にした解釈だと私は思う。 収録終了後、河合さんは私にそっと耳打ちした。 「秋満さん、���く、このネタで一本論文を書けてしまうかもしれません。目が覚めるようでしたよ」
伊集院光さん衝撃コメントに青ざめる講師…「100分de名著」の舞台裏|名著の予知能力|秋満吉彦 - 幻冬舎plus
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moja-co · 10 months
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 故中川昭一 元自由民主党政調会長の御霊に額ずき、ここに哀悼の誠を捧げます。
 昭一さん、きょうは昭一さんと呼ばせて下さい。
 私と昭一さんとは、お互い父親が親しい政治家同士という関係もあり、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。私が父の秘書となり、政治の世界に足を踏み入れてから今日まで長く親交を深めることができたことは、私の喜びとするところであります。
 先般の総選挙直後、お目にかかった時には、さすがにお疲れの様子でしたが、2週間ほど前、電話で話した際は大変元気で「安倍ちゃん、保守再生のために頑張ろうよ」と語りかけてくれました。激励しようと思った私が逆に励まされました。
 その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。再起を目指していた昭一さんの意欲に、多くの人達が期待していただけに無念であります。かえすがえすも残念であり、本人もさぞかし悔しい思いであったことでしょう。
 私が初めて選挙戦に挑んだ際、昭一さんは当選3回でした。まだ、ご自分の選挙に集中しなければいけない中で、あなたは私の選挙区に足を運び、心にしみる応援演説をして下さいました。
 当選後は国家の基本問題で大きな議論が起こった時、私は昭一さんと行動を共にしてきました。常に昭一さんはリーダーでした。〝颯爽〟とした若武者ぶりは、当時の私達若手議員を奮い立たせる魅力と力にあふれていました。
 いまでも忘れません。自由民主党の党綱領から憲法改正の柱が削除されそうになった時、昭一さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、堂々と論陣を張りましたね。
 時は村山政権時代。このままでは日本は危ないという危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。中学校の歴史教科書すべてに従軍慰安婦強制連行の記述が載ることになりました。このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい。その一心でした。
 当時の政治状況、マスコミの報道ぶりから考えれば、圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
 その中で私達は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にもつながらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない役職を、昭一さんは「俺がやらねば」という思いで引き受けてくれました。
 拉致問題でも全力投球でしたね。憲法改正問題も同様でした。
 今から思えば全て困難な問題ばかりで、私がまだ当選1、2回の頃、若手の仲間と「昭一さんに、こんなに何でも押し付けていいのかなあ」と話し合ったことがあります。
 しかし、責任感の強い昭一さんは自ら困難な問題に立ち向かい、その後、教科書の記述は改善されました。
 難局に立ち向かうことで世の中を変えていく。そのためには全力で闘う。私も昭一さんの“驥尾”(きび)に付し、「闘う政治家」の姿をあなたから学びました。
 小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣、農水大臣を歴任されました。その間、海外出張は何と43回にのぼりました。
 東シナ海のガス田問題で、あなたの毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性、国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。
 安倍内閣が誕生した時、私は迷わず、あなたに政調会長就任をお願いしました。平成19年1月、通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。奥様のお話では、まじめな昭一さんは深夜まで何回も“推敲”を重ねたそうです。
 その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国の骨格をなすものは、憲法、安全保障、教育であります」。そして結びで
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚、質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない心の部分も、ともに真に美しい国、日本が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします」と述べられました。
 私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、闘ってきた道に思いを馳せました。
 あなたの歩んできた道は国家のため、まさにその一筋で貫かれていました。
 お別れの時がきました。
 私は残されたご家族、ご参列の皆様に改めて申し上げたいと思います。
「中川昭一は立派な政治家でした」
 まだまだ国家のために一緒に闘ってほしかった。私達はあなたを必要としていました。
 こんなことを申し上げていると、あの魅力的で、誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で「そんなにほめるなよ。安倍ちゃん」という昭一さんの声が聞こえてくるようです。
 国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。
 しかし、ご長女の眞理子さんはジャーナリストとして活躍され、将来が“渇望”(かつぼう)されています。高校2年生のご長男、峻一君はスポーツで鍛えられた精神と肉体を持った優秀な青年に成長されました。
 お2人とも中川昭一の娘、息子であることを誇りにし、人生を切り拓いていくことでしょう。
 昭一さんの最愛の奥様、郁子さんと昭一さんはかねてからの夢だったエジプト旅行に来週、出発することを決めておられたと、伺いました。本当に楽しみにしていたことでしょう。
 郁子さんは、昭一さんとの幸せな日々を胸に、お2人のお子様と中川家を守っていかれると思います。
 そして残された私達は、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し、弔辞といたします。
 昭一さん、さようなら。安らかにお眠り下さい。
 平成21年10月9日
 友人代表
 衆議院議員 安倍 晋三
「国家のために一緒に闘うあなたを必要としていた」 安倍晋三が友人・中川昭一の葬儀で読んだ弔辞全文公開 | 財界さっぽろ https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=16905
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ari0921 · 1 year
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桜林美佐の「美佐日記」(212)
迷い猫だった私を救ってくれた靖國の桜
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、212回目となりま
す。
前回の日記にも感想を頂きました。「日本では、民
生品と軍用品は分けられると考えている(ふり?)
をする人が多いですが、両者は分けることは難しい
のに、軍事転用されることはよくないという指摘は、
的外れだと思います」とのこと。ありがとうござい
ました。
さて、今朝ほどBS-NHKで興味深いこと��知りました。
それは野良猫をネズミ退治のために雇用する取り組
みです。
猫をあっせんしているのはHard Hut Catsという組織
で、全くのボランティア。シェルターに収容されて
いる猫たちに仕事を提供しているといいます。
通常、こうした猫や犬のマッチングは、人に慣れる
かどうかが決め手になりますが、この仕事の場合は
違います。
むしろ、人懐っこさではなく、ネズミ退治向きかど
うかという素養が重視されます。夜にひとりで動き
出して活発なパトロール活動をするとか、そうした
性格が求められるのです。
猫の雇用主としても、ネズミ捕りの業者に委託した
り、罠をしかけたり毒を撒いたりするより安価で
(かかるのは猫の糧食費だけ)環境に優しいという
ことで、すこぶる好評のようです。
また、猫の存在がそこにあるだけで、かなりの抑止
効果があるようです。そして、何より仕事を得た猫
たちの誇らしい表情が印象的です。実に堂々として
いてシェルターにいた時とはちょっと違います。
シェルターにいた猫が飼い猫として引き取られて、
人間に対し恐怖感を持っていた頃とは打って変わっ
て甘えん坊になる様子を見ることがありますが、一
方で飼い猫にはなれなかったけれど「就職口」を見
つけた猫は誇らしげに見えます。
こうした取り組みがぜひもっと広がって欲しいと思
います。人間もそうですが「何かの役に立つ」とい
うことが生きるための糧になり、それを見つけるこ
ともまた人生の醍醐味と言えますよね。
猫や犬、馬・・といった生き物たちも懸命に日々を
暮らしているのだと思うと、人間として私も頑張ら
ねばと思う4月です。
3月はお別れシーズンで、私は米国に帰国する米軍の
友人を連れて靖國神社に行きました。一緒に参拝し
た後に遊就館もじっくり見学し、実に熱心に見入っ
ている姿に私の方が感動してしまいました。
彼女が日本を立ってから再度、靖國を訪れると満開
の桜が待っていてくれて、何か話しかけてくれてい
るようでした。
この時期に必ず思い出すのは「靖國の掃除夫になり
たい」と言って自衛隊を退官した故倉林和男・元空
将補のことです。
英霊のために残りの人生を捧げたいという強い意志
で、さすがに元将官に掃除をさせるわけにはいかな
いと、創設された「英霊にこたえる会」の事務局長
を長く務められました。
ちょうど桜の開花を待つ頃だったでしょうか、神社
の近くでお昼にお蕎麦をご馳走になり、帰り路に1本
の桜の木を指さして倉林さんはこんなことを教えて
くれました。
「あの木に、桜が咲くと必ず会いに来るご婦人がい
るんだよ」と。戦死したご主人がその木に毎年帰っ
て来ると約束したのだそうです。だからそのおばあ
ちゃんは、歳を取って歩くのが大変になっても毎年、
毎年、桜が咲くと来て、ずっとその木に寄り添って
いるのだと。
「靖國で会おう」と約束したのに、他の場所に勝手
に変えてしまうなんてあり得ないんだよ、と語気を
強められていたことが今でもハッキリと思い出され
ます。
独身で家族を持たず散った人、妻や子のことを案じ
ながら散った人、あらゆる英霊と出会える場所はこ
こしかありません。お墓に行ってもそこにはいませ
ん。また子孫を残せなかった人は子や孫が墓参をす
ることもなく、お墓すらないのです。
倉林さんと出会ったのはもう20年以上前のことで、
その頃の私はまだ迷い猫のようでした。自分がする
べき仕事というより、毎月の家賃を払って日々生き
ているのが精一杯。でもそんな毎日の中でも、なん
となく自分の役割があるような気がしたのがこの時
のちょっとした会話でした。
もしかしたら、野良猫だった私を救ってくれたのは
靖國神社の桜だったのかもしれません。
今年も咲いてくれてありがとう!
今週も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た!皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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