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#アイドルと芸術
sakiko427 · 1 year
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🎉お知らせ🎉 💘電子アイドル!vol.1💘 1/25(水) 新大久保アースダム open18:30/start19:00 2200+1D 眼さん @me_umiyukino &安永桃瀬さん @momose_yasunaga 企画 「電子アイドル!vol.1」 に参加します。 アナログ絵描きが電子音楽界に飛び込みます!!!🎨 私はラウンジフロアで行われる安永桃瀬さんの「電子アイドル展」で、展示とライブドローイングをやる予定! 物販では合同誌「しましまグラデーション」他、ZINE・作品集を販売します。 電子音楽界のアイドルたちが大集結のライブもめちゃおもしろそう!ライブ観にいらした方も、ラウンジフロア覗いて行ってください🌟 サイトウケイスケさんと2017年 #アイドルと芸術 展以来の共演もうれしい〜! 平日ど真ん中水曜に一夜限りのギラギラたのしいお祭り🌈予約制ではないので当日急に時間あいたな〜って方も是非!!! #電子アイドル #MomoseYasunaga #うみと雪乃のハルジオン #新大久保アースダム #erectronicmusic #japaneseidol #girlsdrawing (新大久保アースダム) https://www.instagram.com/p/CnoAicYyBS4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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jaguarmen99 · 9 months
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’14年12月24日には嵐のコンサートを鑑賞したと明かし、《日本の「アイドル」は、英語でも、「aidoru」と表現されることがあるくらい、独自の文化として発展してきていますが、昨日の嵐のステージを拝見して、「アイドル」のあり方が、ここまで宇宙的スケールの、サイバー・アート的進化を遂げていたかと、大いに感銘を受けた次第です》と讃えていた茂木氏。その“二枚舌ぶり”にネットでは呆れ声がこう上がっている。《茂木健一郎、もはや自分が言ったことすら覚えてないんやろな 言ってることダブスタすぎてアハ体験できるわ》《私は脳科学者ではないですが、此れ程迄に清々しい掌返しが出来る茂木先生の脳内には物凄く興味があります》《二枚舌素晴らしいわいな》また「音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない」などの投稿をめぐって、あるTwitterアカウントから《茂木さんも騙されてたということですか?》と指摘された茂木氏。すると、こう綴った。《ぼくは、それぞれの人の一番いいところを見ようと、普段から心がけています それと批評は別 人間は、それぞれ、唯一無二。アイドルも一般の方も 一方、批評は芸術の神さまに捧げられている SMAPや嵐のメンバーも、もし芸術を愛していれば、自分たちの活動の意味はわかっていることでしょう》しかし抽象的な反論に始終しているため、再び厳しい声が相次いでいる。《自己弁護に神を持ち出してきた脳科学者》《もうこれ自分でも何言ってんだかわかってないでしょ》《マジで何言ってんのかわかんない》
ジャニーズ批判が波紋の茂木健一郎 過去にSMAP、嵐を絶賛の“二枚舌”ぶりにネットドン引き「ダブスタすぎ」 - ライブドアニュース
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daisaikotou · 1 year
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忘れられない患者
139 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2023/05/14(日) 16:36:34.87 ID:boOfy1tV 看護師をやっているのだが、忘れられない患者が居る。Aさんとする。 Aさんは初診の時点で既に末期の大腸がんで、余命1年あるかどうかという状態だった。 手術と抗癌剤をやったがほとんど効果なく、 私が勤務する病棟に入院してきたときは、あと1カ月もつかどうかという状態。 個室に入院していて、私が検温している時、つまり私と二人きりのタイミングで 「(私)さん、●●●さんですよね?」と言われた。
心臓が止まるかと思った。
私は高校を出てすぐ、地下アイドルみたいなことをやってた。 でも結局CDデビューはできず、2年ほどでやめて看護学校に進学。 それからは芸能に無縁の世界で生きて来た。 そしてもう30代なのに、芸名は本名と1文字もかぶってないのに、 メイクもヘアスタイルもまったく違うのにどうして気付かれたのか。 「だってファンですから。毎回ライブ行ってたんですよ」 「ごめんなさい覚えてないです。あとこの事は誰にも言わない方向でお願いします」 「別に脅迫するつもりじゃないんですけど。1回僕のために歌って下さい」 「なんでそんな」 「僕もうすぐ死ぬんですよ?1回でいいんで」 その言い方は卑怯だ、と思ったが、それが嘘でない事は看護師としてよくわかってる。 すごく悩んだが、妥協点を相談した。
まず、私の休日に合わせてAさんが外出許可をとる。もう歩けないので車椅子で。 Aさんのお姉さんが車椅子を押して、近所のカラオケボックスで広めの部屋をとる。 そこで私と落ちあい、Aさんのためだけの2時間ライブをやった。 めちゃくちゃ恥ずかしかったけど、当時の衣装とヘアスタイルとメイクで。 Aさんはハチマキをしてペンライトを振って、 病人とは思えないレベルのオタ芸を披露してくれた。お姉さんは泣いていた。
その後Aさんは医者の診断通り、約1カ月で世を去った。 看護師として私はよくやったと誉めてやりたいが、誰にも言えないのでここに書いた。
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ko-watabe · 10 months
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23年7月のこと
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7月はというとけっこう充実していた気がする。毎週のようにどっかに出かけていって遊んだ記憶がある。ちょっと挙げてみる…7月1日(土)には神保町に行ったあと上野にマティス展を観に行き、そのあとピザを食べたりしている。7日(金)は仕事帰りに川崎でフォロワーたちとイタリア料理を食べながらお酒。12日(水)には台湾料理で昼から一杯やったあと、銀座のとても古びた品のあるビルに入っているギャラリーに行き、その後新宿Zeppでceroのライブを観ている。ceroのライブはサービス満載で親しみある曲がたくさん聴けた。15日(土)には上野のメキシコ展に行ったあと前から食べてみたかったキューバサンドイッチを食べ、上野公園でぼーっと夕方の蓮を眺めながらソーセージをビールで流しこんだりしてかなり優雅な時を過ごした。そのあと立ち飲み屋に行った。毎日のようにフォロワーのエルデンリングの実況を観ながらお喋りをしたし、そこでびっくりするような漫画家の方々と会話が出来た…時には『ダークナイト』や『ラストナイト・イン・ソーホー』の同時鑑賞会があったしあるいは旧友たちとの『美味しんぼ』の鑑賞会を深夜まで行った。朝から築地に行ってお寿司や牛丼を食べるときもあれば、時には思いついたように会社に行くのを断念し、美術館をハシゴ(ポール・ジャクレー→ソール・ライター)したりした。可能なかぎり、水泳に行き銭湯に行きカレーやタコスやタコライスやとんかつやオムライスやラーメンを食べた。もう少し映画館に行きたかったけどさすがに時間的に余裕はなかった。それでも『リバー、流れないでよ』『君たちはどう生きるか』を鑑賞した。
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あと『BLEACH』を全巻一気読みしました。
9月に開催される『芸能人はカードが命!』にも申し込みをしたので遊んでばかりいるわけにもいかないのだけれど、その辺は8月中になんとか辻褄を合わせたいとは思う…一応、新作を予定していて内容の方は民俗風衣裳×アイドルということで企画進行中です。
時間的にも資料的にも限界があり、正確性があまり担保できず、絵的な見栄えもある程度優先したいため、あくまで「民俗“風”衣裳」ということにして制作させていただくことにします。詳しい人に監修していただかない限り、“風”は外せないと思う。せいいっぱいがんばりますのでよろしくお願いいたします。自分にとってある種の恩人という方がゲストに決まり、そちらも楽しみにしていただければ…このあたりはまた宣伝、告知として似た内容の文書を書くことになると思いますが…どうぞよろしくお願いします
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mobsprooftheweb · 1 year
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『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』公開決定
伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティの歴史を綴った初のドキュメンタリー!!
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世界の音楽やファッションなど、あらゆる芸術と文化に強烈なインパクトを与え、またヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズの拠点であり、NYパンク・ロックシーンを生み出したことでも知られる伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティ(1965-1981)。
本作『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』はこのクラブの歴史を綴った初のドキュメンタリー作品である。かのCBGBより8年ほど歴史は古く、芸術家、作家、俳優、ミュージシャンなど文化人の社交場でもあったこの店は、アンディ・ウォーホルと彼の取り巻きたちが集い、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、ルー・リードが同じテーブルを囲み、ジョン・レノンやミック・ジャガーらも度々訪れ、ピストルズ解散後のシドもステージに立った場所。
マクシズ・カンザス・シティの成り立ちから終焉までの全軌跡を、本作で初公開となる映像やエピソードの数々を交えながら、当時を肌で経験したスターたちが振り返る歴史的にも稀少な映像作品である。
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「音楽のムーブメントには、必ず発祥の地がある」 ソウル・ミュージックがポピュラーになったのは1960年代のデトロイトであるし、ヒッピーとヘッド・ミュージックは、スピリチュアルの総本山サンフランシスコを中心とした西海岸で進化をとげた。パンクという名で知られるようになった音楽のルーツはニューヨーク、特にダウンタウンのナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ」にあると、断言してもいいだろう。 ルー・リードは、ロックンロールのリリックスへの新たなアプローチを打ち出し、70年代冒頭にマクシズのハウスバンドのような存在となる“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”でそれを結実させた。同時代に登場した“ニューヨーク・ドールズ”もまた重要な意味を持つバンドで、マーサ・アーツセンター崩壊後は彼らもマクシズを拠点とした。 アメリカのとある一角で、ヴェルヴェッツとドールズがパンクの道を切り開いた。 それを可能にしたのがこの、パークアヴェニューサウスにあるマクシズ・カンザス・シティである。ここで生まれたムーブメントは後に続くポピュラー音楽の波に変化を与え、そして今もなお、影響を与え続けている。 これはパンクが生まれた物語であり、それを生み出したナイトクラブの物語である。 (ジミ・ラルミア)
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本作は、ニューヨークで最もクールで影響力のあるナイトクラブ“マクシズ・カンザス・シティ”の15年以上にわたる歴史を記録した、ダニー・ガルシアによる新たな形のドキュメンタリー映画である。
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1965年から1981年まで、マクシズはアンディ・ウォーホルと彼の取り巻きをはじめ、マンハッタンとその周辺に住むアーテイストたちの格好の集いの場となった。画家、作家、詩人、俳優、映画監督、ミュージシャン、モデル…ドラッグ・ディーラーや売春婦までもが、ウォーホルが鎮座するかの有名な“楽屋”に集っていた。この店のオーナー、ミッキー・ラスキンはひよこ豆とボウルに山盛りになったサラダを提供し、食えないアーティストの多くはそれで飢えをしのいでいた。 「サラダにはよく虫が混じっていたけれど」ウォーホルのスーパースターの一人で1968年からこの店のレギュラーであったルビー・リンは振り返る。ペニー・アーケードもまた、68年の半ばに、ジャッキー・カーティスと一緒にフリーフードを狙って通い始めたという。
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「ドラァグクイーンが欲しがるものといえば、タダ飯だから」 マクシズはニューヨークのLGTBコミュニティにとって安全な場所であっただけでなく、世界初のトランスセクシャルDJウェイン・カウンティ(現ジェーン・カウンティ)が2階の小さな部屋で60年代のレコードを回していたことでも有名である。 店の常連だったドアーズの広報担当兼ストゥージズのマネージャー、ダニー・フィールズはミッキーにバンドのライヴ演奏を提案し、やがてヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージーズ、アリス・クーパーらが2階のステージに立ち始める。その後Suicide、ニューヨーク・ドールズと続き、マクシズは次世代ミュージシャンの革命的拠点となるのである。パンク・ロックと70年代のニューヨーク・ロック・シーンの誕生である。 「本当に多様なだった」とエリオット・マーフィーは語る。「フォークシンガーもいたし、アーロ・ガスリーやジョン・フェイヒーもいて、俺もそこにいたんだ」。 マーフィーも友人のブルース・スプリングスティーンとともにマクシズのステージに立ち、大手契約を結んだ。同じくエアロスミスも、マクシズでのステージをCBSのトップであったクライヴ・デイヴィスが気に入り、その年にレコード契約に至ったのである。
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74年の終わり、ミッキーは負債を抱えそのままマクシズを閉店してしまったが、トミー・ディーンとその妻ローラが、すでに知名度が高かったこの店を引き継いで再オープンさせた。 新しい経営者のもと、2階の部屋は拡大され、ブッカーのピーター・クローリーの目利きにより、マクシズは再びニューヨーク・ロックのメッカとなった。 70年代半ばにはバワリーの新しいスポットCBGBが台頭してくるが、映画の中でエリオット・マーフィーは、CBGBが嫌いだったと語る。「ゴミ溜めみたいな場所だった。マクシズは好きだったよ」。
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ドールズの終焉後、新世代のアーティストたちがマクシズ・カンサス・シティとCBGBのステージを奪い合い、そして歴史を積み上げていく。 ブロンディ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、パティ・スミス、ハートブレーカーズ、クランプス、ウェイン・カウンティ、バックストリート・ボーイズ、デッドボーイズなどは氷山の一角に過ぎず、その下には何百ものバンドが毎晩両クラブのヘッドライナーとサポートの地位を巡り、知名度とレコード契約を求めて戦っていた。 いつの時代もそうであるように、多くの者は敗れて散ったけれども、70年代はニューヨークで歴史が作られたのである。エリオット・マーフィーは回想する。「あの時は黄金時代だった」まさにその通りだった。 「1981年になるとシーンはかなり悪化していた」とジェシー・マリンは語る。ネオン・レオンは「シーンを殺したのはシドとナンシーの死だ」と言う。 81年にはマクシズでスティミュレーター、ミスフィッツ、バッド・ブレインズ、ハート・アタック、レーガン・ユースといったバンドによりハードコア・シーンが始まり、さらにドールズとラモーンズが積み上げた歴史を塗り替える新しいバンドの波が押し寄せてきていた。
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マクシズの終わり方は、あまりにもシビアで突拍子もなく、すべてを語ることに躊躇するほどだが、トミー・ディーンとローラ、アトランティックシティ、コカイン、そして偽ドル札が関わっているとだけ述べておこう。 このドキュメンタリーで綴られるこの一連の軌跡、こんな最高にクールなナイトクラブがどのようにして出来上がっていったのか、そしてどのような終焉を迎えることとなったのか、それは知っておくべき歴史のひとつであることは間違いない。
4.29(土)新宿K’s cinemaにて公開 全国順次上映
『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』 (2022年/スペイン/英語/89分/カラー・モノクロ/16:9) 監督:ダニー・ガルシア(『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』『Sad Vacation ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』)
<出演> アリス・クーパー、ジェーン・カウンティ(ウェイン・カウンティ)、ビリー・アイドル、シルヴェイン・シルヴェイン(New York Dolls)、ルビー・リン・レイナー(Ruby & The Rednecks)、エリオット・マーフィー、アラン・ヴェガ(Suiside)、スティーヴ・スティーヴンス、ペニー・アーケード、ジミー・ゼロ(The Dead Boys)、レニー・ケイ(Patti Smith Group)、ハーレイ・フラナガン(Cro-Mags/Stimulators)、ニック・マーデン(Stimulators)、フランク・インファンテ(Blondie)、ジェイ・ジェイ・フレンチ(Twisted Sister)、ジェシー・マリン(D Generation/Heart Attack)、ソニー・ヴィンセント(Testors)ドクター・ノウ(Bad Brains)、H.R.(Bad Brains)、ミッキー・リー(Mutated Music/The Rattlers)、ジョン・ホルムストロム、ボブ・グルーエン、マーティ・ソウ、ピーター・クローリー、ジミ・ラルミア and more
配給・宣伝:CURIOUSCOPE
© Chip Baker Films / Dudeski Ltd.
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nui-and-me · 4 days
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240521
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今日はつむぐの誕生日。
前日から、いやなんなら数ヶ月前からめちゃくちゃ楽しみにしてて「あと何日!?」と幾度となく確認されていた。笑
5時半にむくっと目覚め「今日たんじょうび!たのしみ!」と言って起きたので「まだ6時前だよ」と言って再度寝かせたが、ここまで楽しみにしてることがあるのは幸せだよね。
もう一度寝たのでその時思わず写真を一枚。産まれてすぐの写真を横に並べて見たら、なんだか別人のようだ。5年でこんなに大きくなるなんてね。
誕生日パーティーはパパもいる週末に行うつもりなので、今日はおめでとうを伝えるだけになっちゃうけど、週末にはたくさん沢山お祝いしてあげたい。最近は言うこと聞かずにイライラさせられることも多いけれど、それも成長だよね。いつまでもずっと我が家のアイドルでいておくれ。みんなが愉快で芸術家な君のこと、大好きだよ。
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umnmochitm · 21 days
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好きになった人が『逃走中』に出た。
こんにちは。好きになった人が『逃走中』に出てました。文化芸術もひったくれもありません。
 文化芸術を創造し,享受し,文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは,人々の変わらない願いである。また,文化芸術は,人々の創造性をはぐくみ,その表現力を高めるとともに,人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し,多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり,世界の平和に寄与するものである。
(文化芸術振興基本法 前文より)
 『逃走中』、ハンターと呼ばれる足の速い鬼と、逃げ切るともらえる賞金を用意した、いわば「おとなの鬼ごっこ」であり、子どもの頃こそその世界観に憧れることはあっても、年ともに卒業していくものだとわたしは認識していた。
 あれは元々深夜にやっておりその後のいっときのブームこそあれど、現在正直下火にしか見えないあの番組がなぜいまだゴールデン帯にやっているのかはたはた謎だが、F1層、というよりやはり子ども、いやもはや子どもも見ていないと思う。
 なんだかよくわからないが、おそらくある程度の台本、日本バラエティに蔓延する勧善懲悪男女規範の型通りに、道化の芸人が自首や他逃走者を苦しめるミッションやセクシャル・ハラスメントをこなし、今流行りの俳優やスポーツ選手、アイドルがそうした困難を乗り越えミッションを達成しヒーローになる。
好感度の上がり下がりが注目の的となり、SNSは罵詈雑言や薄い褒め言葉となにを勘違いしているのか出演者の宣伝を始める気持ちの悪いオタクで溢れかえる。
芸能人の人気商売としての非人性と、視聴者である一般大衆のどうしようもない野次馬性を一周回ってもはや冷笑しているのではないかというエンタメコンテンツであろう。
 
 その日はたまたま大晦日で暇だった。バイトに行って疲れて帰った。卒論に手がつけられていなかったが大晦日だからよりや���気が出なかった。おまけに手持ち無沙汰なのにおもしろい番組がないのだ。紅白を見ようにも、今の日本のヒットチャートは9割がわたしにはわからない曲しかなく、かつて推していた事務所も瓦解していく。わたしが10年前にこの世でいちばんきれいだと思った男は最近画面に映るたびに昔とは違うただ疲れきった顔をしている。彼への救いをわたしはありとあらゆる神に願いたい。お願いだから、永瀬廉に安息を。
 話は逸れたが、とにかく、『逃走中』を見るしかすることがなかったのだ。卒論も就活もほっぽらかして、そのせいで帰りづらくなり帰省もせず大晦日にバイトをしているろくでなしだ。『逃走中』を見るような人間なのだ、わたしは。
 ここでタイトルについてひとつ訂正をしていきたい。「好きになった人が『逃走中』に出ていた」わけではない。
「『逃走中』に出ていた人がかっこよすぎて好きになった。」
 『逃走中』で一目惚れした。なにそれ本当にほんとに本当に恥ずかしい。ミッションもクリアこそすれそんなに目立ってなかったし、二度もハンターに捕まっていたけれど、ただ、どうしようもなく顔がタイプだった。見ながらInstagramのアカウントもフォローした。金髪でも黒髪でも茶髪でもかっこよかった。年下だった。ついにそんな時が来たのかと思った。
 この時点ではただInstagramのタイムラインに投稿が表示されるアカウントが増えただけだった。
 卒論を書くことにした。とりあえず卒業はしようと思ったのだ。先生にやっていないのにやってる風な顔をしながらなんとか進めた。でもやはり限界だった。これはもうやめようと思った。卒業をするなら他の授業単位を取ればよく、その方が簡単に思えた。
 進まなくなったパソコンを離れて、iPhoneを見た。深夜だった。ログアウトしたりログインしたり、もう無茶苦茶にしていたInstagramのアカウントにログインし、タイムラインのタスクバーを押したら、いちばん上にその人の顔が出た。
 信じられないくらいかっこよかった。ここ最近でもいちばんのタイプの顔だった。
 なんか、しかも、ドアップ。
 タイミングが良すぎるのだ。そのときは顔が好みであることを再度確認し、その顔面を見たときめきに心臓マッサージされるかの如く蘇生したやる気のおかげで卒論が完遂できた。申し訳ない誤字はたくさんあったが先生は単位を出してくれた。
 そしてやはりその男はタイミングが良かった。突然2話のみのドラマ出演が決まった。制作費を疑う、技術も資金もないオタクのコスプレみたいな衣装とウイッグでもギリかっこよかった。
 奇跡だと思う。
 宣伝する投稿のどの写真でもひとつのポーズと同じ表情しか許されていなかった。
 わたしはちょうど夏頃から同じように顔がタイプのまた別の男の顔面にときめいていてこの男のメディア欄が仕事内容に関わらずサイゼリアの間違い探しのようになっていることを思い出した。ピースの位置にこだわりがあるらしい。毎回同じ顔同じ画角同じポーズで自撮りを撮り続けている。本当にこだわりがあるのだろう。しかし、もはや10年以上芸能の仕事をしているのだからもう少しレパートリーがあったほうがいいのではないだろうか。
 また話が逸れた。とにかくコスプレでもその男はギリかっこよかった。ドラマをみたら、コスプレだが全然かっこよかった。めちゃくちゃかっこよかった。なんかソロ曲も歌っていた。歌が下手でも踊りが下手でもわたしはなんでも構わないのだが、顔がかっこよくてたくさんウインクをしていた。
 母親はそのドラマを毎週見ているので、わたしは見る前に「なんか今日変なの出てきてたでしょ?」と聞いた。母親は「あぁ……なんかほっそいの……」と言った。(わたしあるある:好きな男が言う言葉ランキング1位「今年は体重を増やすことが目標です!」)
 そしてこの日も結局めちゃくちゃ凹んでいたメンタルがずっきゅんばっきゅん起死回生になった。なんかあまりにもかっこよすぎると思った。
 メルカリで過去のブロマイドを一網打尽に見ようと思った。どれもかっこいいのに黒とピンクが似合っていなくて、意味わからないくらい白色が似合っていた。
 そして極めつけになんかCLAMPみたいな服を着せられていた。わたしはCLAMP作品にでてくるひょろひょろの異次元体型の顔の綺麗な男が大好きなので、CLAMPの男に似てると思って余計に嬉しくなってしまった。彼が唯一舞台に出たことがあるらしいと知り、その役を調べたらこれまた大好きなヘラヘラした長髪細薄女顔男だったのでまた嬉しくなってしまった。
 しかし、わたしにはオタクのような行動をとる上で決めていたことが一つある(友だち「(わたし)ってオタクじゃないのに浮いてるよね」という第三者の意見を参考にした言葉遣いとしている)。ファニコンに関わらないということだ。月額330円とか550円とか880円とか、別に気にならない。
 ただとにかくファニコンには近づかないということを鉄則としていた。友人が気になった俳優のファンクラブがファニコンなら漏れなく笑っていた。わたしはライト層なのでファニコンに個人情報もクレカ情報も魂も売り渡すわけにはいかないのである。
 彼の個人ファンコミュニティーはファニコンだった。わたしはこれを『逃走中』の時点で知っていて、「ないな」と思っていた。
  2024年2月13日、わたしは円滑に入会した。    クレジットカードの番号を暗記していたので簡単だった。入会してすぐ、彼が全体チャットに「おやすみ」とコメントしたのがわかった。すぐにファンからの「おやすみ」の返信でチャットルームが進む。投稿のしたのアイコンとそのなんだかわからない数字は何なのか、ファニコンのことを知らなければならなくなった。バカみたいなIDで登録してしまった。目立ちたくないからじっとしていよう。コミュニティの内部でトークルームが作れることを知った。ファン層が若すぎる。わたしは現場に行くとおばさんすぎてリンチされるかもしれない。怖い。
 
 さらに、困ったことに男はあまりにタイミングが良すぎた。ちょうど男が所属するグループ、もとい事務所の先輩後輩アイドルを集めた番組がテレビ東京で始まってきたことにも気がついた。初回こそ見れなかったものの、途中の回から全部見た。U-NEXTで配信されていることにも気がついた。U-NEXT独占映像付きで初回から全部見た。奇遇にもわたしは、解約の機会を損ねてU-NEXTにずっと入っているのだ。
 普段は見ないYouTubeも少しずつ見始めた。どう見ても少食そうな彼がみかんの早食いをさせられて全くやる気を見せないのとか、妹を蛇から助けるために飛び出して行って蛇が怖すぎて逆に妹に連れ帰られたエピソードを知った。寝起きでTikTokを踊っていたのも良かった。わたしならみかんは食べても寝起きTikTokはボイコットしたと思う。
 Instagramを見ていたら、彼が帰省中地元に撮影に来ていた後輩のグループに差し入れをしていた投稿が目に入った。彼のアカウントではなく、該当の後輩の投稿だった。
 該当の後輩の投稿を遡った。後輩の投稿には、彼の投稿が多くて、ファンなのだと分かった。
 そのうちファンコミュニティーで後輩の名前が出た。自分で彼のファンコミュニティーに入ってるんだって。へぇ。
 何歳? え、若? このグループ最年長、妹と同い年? てかね、この子達全然番組で前出れなくて、性格合わないとか言われまくって、なんかめちゃくちゃ陰気っぽくてなのに生意気で、でもなんか美味しくはないチーズケーキいっぱい食べさせられてたグループだ。ほぉんほぉんほぉーーん。
 よく知らないけどYouTubeを見た。おおよそ80分ほど、自己紹介していた。衝撃だった。
 このグループのYouTube、どれもめちゃくちゃ長い。一体どれだけ収録をしているんだ?
 曲はどれもとても可愛い。本人たちが「懐かしい」と言って出してくる写真が当たり前に成長期前なので、身長差も顔も幼くて理解が追いつかない時がある。
 元々この事務所には好きな顔が多いのだが、珍しくこのグループは好きな顔がいないと思っていた、しかし彼らはリリースイベントと称して毎月毎月全然発売日を過ぎても発売日の前でもどさ回りをしていて、最新の写真を見ればどうだろう? なんだかとても好きな顔がいるんだけど。
 5歳も下。わたしが顔面を消費していいような存在ではないことは明白だった。でも顔が好きすぎる。恋愛も交際もできないのに5歳下の男の顔面と名前のかっこよさにメロメロになっている。大恥ずかし人生。すみませんともだち各位、俺は今こんな現状になってしまいました。見捨てないで
後輩グループファンコミュニティ、入会(2024年5月5日)
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hitorinaoishimura · 28 days
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【Profile】
いしむら なお
栃木県出身。
2017年度ENBUゼミナール舞台・俳優コース卒業。
主に東京と栃木で舞台俳優として活動している。
趣味はひとりカラオケ。特技はDAM精密採点。
愛猫の名前は《みい》
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(2024.04.27撮影)
【出演歴】
りくろあれ
マンタム×悠日 企画展「ー decadence ー 絶望と退廃のButterfly」参加作品
r.a.02_08
『(ふたりの)とても小さくて大きな王』出演
脚本/演出:りくろあれ
2023年09月18日(月)17:00
会場 悠日
やみ・あがりシアター 第18回公演
MITAKA “Next” Selection 23rd 参加作品
「Show me Shoot me」流川クルミ役
作・演出 笠浦静花
2022.09.01-9.11
会場 三鷹市芸術文化センター 星のホール
やみ・あがりシアター第15回公演
『じゅうごの春』谷中じゅうご役
作・演出 笠浦静花
2019.10.17-20
会場 アトリエファンファーレ東池袋
やみ・あがりシアター 第13回公演
『サンカイ』 禄井さき役
作・演出 笠浦静花
2019.2.27-3.3
会場 サンモールスタジオ
中野坂上デーモンズの憂鬱 第14回公演
『消える』布川役
作・演出 松森モヘー
2018.11.14-18
会場 下北沢OFF・OFFシアター
中野坂上デーモンズの憂鬱 第13回公演
『果てっ、』布川塗り薬役
作・演出 松森モヘー
2018.8.2-5
会場 花まる学習会王子小劇場
演劇集団TOY’S BOX 第19回公演
『ラン・アウェイ』ハスミ役
作・演出 青瀬博樹
2018.6.21-24
会場 シアターグリーンBOXinBOX
ドライブイン札比内 旗揚げ公演
『人間になったらしい』 高橋らむ役
作・演出 ジェイク椿
2018.3.24-25
会場 ひつじ座
ひねもすほろすけ 第4回公演
『スモール・フリーク・ショー』 ハサミ役
作・演出 山村篤史
2018.2.16-18
会場 シアターシャイン
ナカゴー番外公演
『地元のノリ』三平役
作・演出 鎌田順也
2017.8.29-9.3
会場 かもめ座
革命アイドル暴走ちゃん 中国韓国イスラエルツアー
『Crazy Girls Save the World』
作・演出 二階堂瞳子
2017.5-6
ENBUゼミナール’16生卒業公演
『せまい世界で夢をみる』近藤夢役
作・演出 山崎彬
2017.1.28-29
会場 シアター風姿花伝
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kennak · 10 months
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さてこの度、私のオフィス、スマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、その事について私の名を挙げたことでネットや週刊誌等で色々と書かれております。私はTwitter、Facebook、インスタといったものは一切やっておりませんので、ネットで発信することが出来ません。そのため、私の唯一の発信基地であるこのサンデー・ソングブックにて私の話を皆さんにお聞きを頂こうと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。まずもって私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料を頂く形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。また彼が所属アーティストだったわけでもなく、したがって解雇には��たりません。弁護士同士の合意文書も存在しております。松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は直接何も話をしておりませんし、私が社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。今回松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場ではその事については触れることを差し控えたいと思います。ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれに基づいて関与しているのでは?という根拠のない憶測です。今の世の中はなまじ黙っていると言ったもの勝ちでどんどん噓の情報が拡散しますので、こちらからも思うところを正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。今話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時私のビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が一タレントでもある私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が本当にあったとすれば、それは勿論許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何も無い以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情などまったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知る術まったくありません。私が中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聴いて私はとても感動して、このサンデー・ソングブックでも特集したことがあります。1970年代の末に私の音楽を偶然に聴いたジャニーさんに褒めて頂いて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから「ハイティーン・ブギ」という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させて頂きました。たくさんのジャニーズのライブに接することが出来たおかげでKinki Kidsとの出会いがあって、そこから「硝子の少年」という作品を書くことが出来て、昨年の「Amazing Love」まで彼らとの絆はずっと続いております。芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・会社・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして、と疑問に思います。私には何も分かりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、素晴らしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。先日、男闘呼組の再結成という嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。私の48年のミュージシャン生活の中でたくさんの方々から頂いたご恩に報いることが出来るように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。以上が今回のことに対する私からのご報告です。長々失礼しました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
山下達郎のサンデー・ソングブック 書き起こし
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inacafe · 2 months
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アイドルと愚像崇拝
idolatryを翻訳すると「偶像崇拝」とでる。野球や相撲、サッカー、歌謡界、TVタレント、将棋界、芸術分野など、その分野のヒーロー or アイドルを作り出して、各界の収益維持を継続しようとする動きが、欧米文化を始めとする社会のモットーらしい。 世界最高の出版物「聖書」では、まさに「偶像崇拝」を禁じているが、その意味は、人としての生き様を問うた時、神側と悪魔側の思惑の一方が、アイドル(or…
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7taiyou5kinsei · 4 months
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2024-2-12 月曜日
・今日の星の動き
今日は月が星座を移動します。魚座から牡羊座へ。月が牡羊座に移るのは、午後10時25分です。今日はたくさんの星とアスペクトを取るので、物事が動くかも���れません。
・早朝から午前10時ごろまで、月は牡牛座の天王星とセクスタイル。新しい何かを取り入れて、氣分を一新させられそう。プチイメチェンなどがおすすめ。健康のために緑茶を飲むぐらいのことでもいいです。
・午前8時ごろから午後9時ごろまで、月は二つの天体とアスペクトを取ります。山羊座の金星と海王星がセクスタイルを結んでいるところに、月が加わる形です。
海王星が表す「芸能界やアニメ」の中の推しに夢中になるムード。あるいは、何か恋愛や趣味などの自分が楽しみにしていることに精神的な氣づきが起こりそうです。不思議な直感力が上がる反面、現実的なことに関してはボケっとしやすくなります。計算や書類を書く時などは、いつもより確認作業をしっかりした方が良いでしょう。
・午後4時ごろから翌日の午前4時ごろまで、月は二つの天体とアスペクトを取ります。山羊座の火星と水瓶座の冥王星のコンジャンクションに月が加わる形になります。
このアスペクトが有効活用できれば、「際限なく限界を突破できるやる氣や勇氣」となります。ですが、やりすぎてしまう可能性もあるので、無理は禁物です。安全確認をよくしましょう。
・まとめ
朝はいつもとは違う習慣を取り入れると、リフレッシュできそう。プチイメチェンや、体のストレッチなどをしてみるのがオススメ。
午前8時から午後9時ごろまで、ボケっとしがちですが、精神的な氣づきがありそう。趣味や恋愛などで、精神的に悟ることがあるかも。
あるいは、芸能界のアイドルやアニメのキャラに夢中になるなど。夢見がちでボケっとするので、計算や書類を書く際には、確認作業をしっかりすると良さそうです。
午後4時ごろから翌日の午前4時ごろまで、やる氣と勇氣が際限なく湧いてきそうですが、危険を感じたらすぐに身をひいてください。やりすぎて事故や怪我につながらないように。安全第一でいきましょう。
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ホロスコープ作成サイト
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14si · 4 months
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2024年2月7日 12:13
大手音楽事務所 Universal Music Group
TikTokとの契約を打ち切り
今では当たり前となった音楽配信。楽曲をダウンロード購入する以外にも、サブスク配信だったり、インターネット上では様々な用途に用いられている。
そんな中、大手音楽レーベルである「ユニバーサル・ミュージック」が若者に人気の動画SNSサービス「TikTok(ティックトック)」との包括契約を2024年1月31日付けで打ち切る事となった。
近年、インターネットを通じた音楽ビジネスが業界内で問題視されており、以前に投稿した「Spotify(スポティファイ)」の記事で書いた通り、従来の音楽ビジネスより大きく逸脱した詐欺ともいえるような運用体制で、長年に渡り、世界中の音楽レーベルやアーティスト達を騙す形で酷い扱いを続けてきた事実が広まりつつある。その内容というのが、様々なメディアを使って情報操作を行い、架空の数字で水増しし、あたかも人気があるかのように見せ掛けて企業を騙し、出資を募るというシステム体系である。そして、これは音楽業界だけでなく、全てのネットビジネスで日常的に行われている行為と化している。
現在、世界的に音楽需要が減り続けており、音楽を日常的に聴く、音楽にお金を使う世代が年々若年化している。国により、若干の差異はあるが、大体どの国も10代20代が8、9割ほどを占めていて、大人への様々なアプローチが失敗に終わった今の音楽業界では、残された若者達の興味をいかに惹くかが重要とされている。若者が集中しているプラットフォームへ楽曲提供をし、少しでもバズらせ、音楽的価値を高める演出が求められるが、近年、先程書いたように、そういった仮想詐欺とも呼べるビジネスの実態が露わになってきており、著名アーティストや大手音楽レーベルの離脱が加速化し、そうした商業体系が陰りをみせている。
今回のユニバーサル・ミュージックが発表した声明の中からも、こうした商業体系が疑問視されており、その内容もスポティファイを離脱したアーティストやレーベルと同じ理由となっている。ユニバーサルが中でも特に問題視している点は以下の通り・・・
①アーティストとソングライターへの適切な報酬
②AIの有害な影響からの人間のアーティストを守ること
③TikTokユーザーのオンライン上の安全性
①の収益の問題については、ネットを通して、どこからでも楽曲試聴出来る=無料で楽曲提供をしているのにかかわらず、その大盤振る舞いに見合わない雀の涙ほどの報酬しか支払われないという点。更に、それが一般化する事により、音楽の価値が地に落ちてしまった問題もある。
②については、近年、AI音楽と呼ばれる、記憶・合成型の楽曲生成ツールが普及しつつあり、様々な大手企業が推進し始めた。ただ、それはベースとなる楽曲が必要で、最終的に権利侵害や無償で楽曲提供する形となる事態を防ぐ目的とされている。特にIT企業では勝手に契約内容を変更するという違法行為が一般化しており、例を挙げれば、大手グーグルでも、事前にユーザーへ通告無しに大規模な規約や仕様変更を行う事は当たり前になっている。それが原因し、裁判沙汰になり、大きな負債となってしまっていても。
③については、アーティストへのヘイトスピーチや音楽性やアーティスト性を殺す行為に繋がってしまうケースが増えている問題について。従来、音楽というものは非常パーソナルなものだった。何か対外的なものに要因する事なく、個々の趣向で視聴、購入、イベントへの参加等、個別的に消費する文化であったが、ネットが一般化すると共にSNSも普及した現在、音楽に伴う過度な批判や風評被害等が激化してきており、宗教対立のような構図となってしまっているところがある。不純な理由で様々なメディアで悪用される事もあり、純粋な芸術としての価値の復権を目的とした意図があるのかもしれない。
認知と利益拡大の為、一般化したネットを利用した新たな試みは、自由を手にした肥大化する憎悪により、搾取、悪用され、音楽は従来の価値を貶める事となってしまった。文明の発達、流行り、同調圧力等に振り回されず、あるべき形をきちんと理解し、それを維持して行く事が難しくなりつつある社会に反発し、今一度、過去の歴史を振り返る事が求められているのではないかと感じる。業界は、世の中には変えなければならないものと、変えてはならないものがあるという事を改めて噛み締める必要がある。
ネットは仮想であり、嘘も多い。なぜなら、それは簡単に人が自由に作り出す事が出来るものであるから。そして、こちらからはそれを確かめる事が難しい。だからこそ、全てを簡単に信じてはならない。「みんな大好きだよ」と可愛く微笑むアイドルも、裏では彼氏と同棲し、結婚している事だってある。
今、こうした仮想社会からの離脱が業界問わず、世界的に広まりつつある。しっかりと実社会と仮想社会とのすみ分けが行われる世の中になる事を祈りつつ、時代に葬られていった人の歴史に目を向け、より多くの文化が共存する、楽しい社会が再構築される事を望む。
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yassangsxr · 5 months
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芸術大学なんかはないんだろうか?と思ったけどアイドル育成だし徴兵制度があるから10代で売り出さないとだめなんだ。
音楽的な多様性なんかは二の次なのね。
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punk-cat-punk · 7 years
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あこがれの意味
40代もなかばの馬齢を数える私はいま、シゴトとハードコアパンクバンドの活動以外では女性アイドルのヲタクとしての余生を送っています。
1990年代に夜間に大学に通っていたころ、ブント系と目されるとある小党派のフロントサークルに所属したのが強烈な契機となり、「日帝本国人」(しかも「男」)としてうわべだけで自己否定しまくりながら微力すぎてなにもできない口先だけの「共産主義者」としての素養を獲得しつつ、サークルの先輩に「パンクはプチブル」規定されたのを根にもって(パンクを受容したキッズの大多数はプロレタリアートのガキなんだけど!)悩んだあげくしばらくしてサークルをきっぱりとやめて(やめる時にサークルボックスで先輩活動家たちにツメられ物理的に殴られはしなかったもののガクブルで粗相しそうでした)やっぱりDIYパンクだなーとアナキズムを夢見るボンクラに戻りつつそれでも2000年代はいろいろと無党派の「運動」のすみっこでグダグダしたものの自分も含めて自己欺瞞ばかりでいやになり、撤退して社会的には頓死したも同然の賃労働マシーンに純化してみるとこんどは賃労働の酷烈さに追いつめられ息もたえだえにバンド活動だけで生きのびていたところに再び女性アイドルの存在に出会ったのが2012年(映像だけなら2011年)のことでした。長い。
つまり大震災と福島第一原発の爆発で「東日本壊滅」の危機が叫ばれたあとに、都市生活者としての自らの罪深さにおそれおののきながらバンド仲間が反原発デモでパクられてその救援で東奔西走するなかで息苦しさが倍増していき、その過程と事後で苦しさを清算することができずいよいよもうダメかなと思いはじめたタイミングでアイドルと呼ばれるまばゆい存在を目にすることができた、というわけです。
もうお分かりですよね。アイドルが繰り広げるパフォーマンスの魅力に「救い」もしくは希望を勝手に見出して舞い上がるタイプのアレとなったわけです。最初にパフォーマンスを目の当たりにしたのは女性アイドルでしたが、いまとなっては男性アイドルや「ゲイアイドル」のパフォーマンスも現場で楽しく観るようになっています。
私はいま前田彩里さん(以後、愛称のいろりん)の歌とダンスに魅了されて応援しています。いろりんのライブ最優先で現場に通うようなってからおよそ2年ほどがたちましたが、ずっといろりんのライブに通っている人からしたら「やっと流れてきた」立場にすぎません(いやもちろん応援する立場に新旧の別はないとは思いますが、やはり何年も応援し続けることのすごさを忘れたくはないとも考えているのであえてこう書いておきます)。そうなんです。流れてきたんです。別の演者さんから。
そもそも私はガキの時に同世代のアイドルを軽視していました。それまでのアイドルのパブリックイメージを打破することになった「おニャン子クラブ」が同世代として活躍していくのをテレビで見ても、「遊びでしょこれ」としか思わなかったんです。おニャン子以後のいわゆるアイドル冬の時代において歌主体で活動していた姫乃樹リカさんやCoCoは別格でしたが、やはりおニャン子のありようをメディアから刷り込まれるにつけ、しょせんお遊戯にすぎないとどこかでバカにするような意識を持っていたということです。自分の中にそうした差別的な感情がうずまいていたことを認めざるをえなくなったのは、℃-uteを知った時のことでした。℃-uteはハロープロジェクト(ハロプロ)に所属する女性アイドルグループです。
すでにおぼろげとなっている記憶をたどると、2011年の晩冬にシャ乱Qの「シングルベッド」の映像をYouTubeで視ていた時に、リコメンド欄に℃-uteのメンバーである鈴木愛理さんによるカバーバージョンがリストアップされていて、そちらも視たところ歌うま!とびっくりしてそのまま他の動画も視聴し続けたのが℃-uteにはまったきっかけだったように思います。
いずれにせよYouTubeで映像を確認し、愛理さんの歌のうまさだけでなく年若い女性の5人グループ(当時はすでに5人でした)のパフォーマンスはこんなにすごいのかと驚嘆して、この時に自分はおニャン子的なパブリックイメージ縛られすぎて食わず嫌いでいただけなんだなと自覚させられました。
もともと私が好きになった音楽はハードロックやヘビーメタルでした。それはローティーンの時のことでしたが、洋楽一般を入り口としながらすぐにそれらの極端さを好きになるガキとなったわけです。続いてブルースなども並行して聴くようになったとはいえ、ほどなくしてメタルからハードコアパンクに流れたこともあいまって、基本的には攻撃的で激しい騒音を発するバンド群に没入していきました。いまでもハードコアパンクは大好きですが、10代の時にそうしたものを聴くのは思春期にありがちな「他とは違うなにか」に浸かりたいというひねくれた願望にも合っていたのだと思います。いまとなってはハードコアパンクやヘビーメタルについては違った思いから好きでい続けていますが、ガキの時はとにかく「なんとなくアングラな感じ」や「激しい感じ」に惹かれていました。あるいはのちに自らハードコアパンクのバンドをやるなかで、知らず知らずのうちに尊大な態度が身に付いてしまったのでしょう。「自分は人とは違うことをやっている」という思い上がり。だからこそ女性アイドルに表象されるような「かわいい」ものに対する畏怖の感情を無自覚にであれ持っていたのだと捉え返さざるをえないのです。
そうした愚かな忌避感情をもののみごとに粉砕してくれたのが℃-uteでした。動画をぐるぐると視ていくなかでたどりついたのが2011年9月11日に開催された℃-uteの日のライブ映像です。引きの映像の中でヲタがぴょんぴょん跳びまくっているためステージの様子が分からづらいのですが、それでも歌い踊る5人の演者の姿を捉えることができました。統率のとれた巨大な応援のコールを繰り出すヲタの熱量に「このキモい人たち何なんだ…」と思いながらも、何よりステージの5人は何でこんなに踊りながら歌えるのかなとびっくりしたのです。しかも数曲まとめてノンストップでやってるなんて!!
ライブをこんな風にやれば自分なら倒れるだろうな。身体を動かしながら声を出すことの難しさを多少なりとも知っている身としては、まず運動量のすごさでガツーンとやられました。勝ち負けが問題ではありえないとしても自分はこの子たちに勝てるわけがない。まじこの子ら何なの。アイドルってみんなこんななの……と思ったものの、どうやらそうでもないらしい。すべてのアイドルが生歌でコンサートに臨んでいるわけでもない事情をなんとなく知り、それじゃなおのこと℃-uteが実際どうなのか観に行かないとなあと思いながらも、踏ん切りがつかなくてどうしようか数ヶ月悩みながらついに行ったのが「℃-uteコンサートツアー2012春夏 〜美しくってごめんね〜」の追加公演でした。神奈川・よこすか芸術劇場大ホールの昼公演のみでしたが、いま調べてみたら2012年6月30日に開催されています。記憶がすでにぼやけていてもうちょっと前のことかと思いこんでいたので、これこそ備忘録ですね。
それでは実際の℃-uteのコンサートはどうだったのか。言わずもがなです。ホールコンサートのためステージは遠かったのですが、とにかく視覚・聴覚どちらも圧倒されっぱなし。ごめんなさい。やっぱりあなたたちにはかないません。自分の中にマチズモ(マッチョイズム)が巣食っていた無様さを、あなたたちがその「かわいさ」を武器に切り裂いて明るみに出してくれました。まじめにそう思いながら帰路についたことを覚えています。同時にことここに至れば何度でもライブを体験するしかないと感激した記憶は今でも色褪せることなく脳裏に刻まれています。たとえ女性アイドルのライブ現場で圧倒的多数である男性客がいかに怒号のようなコールを繰り返して「男らしさ」を誇示していたとしても、それを遥かに凌駕するパフォーマンスをもって熱狂の場を制圧していく女性アイドルとはいかに得難い存在なのか……と本気で考えたのです。彼女たちなら自分の薄汚い差別根性を叩き直してくれるのではないか。
その後のアイドル応援の遍歴のことはここでは詳しく書くつもりはありません。ただ大まかに言うと次のようになります。
℃-uteのライブには初の武道館公演2DAYSの2日目(2013年の℃-uteの日、つまり9月10日——当初武道館公演はこの日だけだったはずが急遽前日の9日もセットされたため“初武道館公演の日”ではなくりました)に行ったのを打ち止めにしています。2012年以後に℃-uteのコンサートツアーにはちょくちょく入っていましたが、1年と少しで行かなくなってしまったわけです。
そのころ並行して気になっていた、アップフロント系事務所としては傍流のTNXに所属するポッシボー(現チャオ ベッラ チンクエッテ��)のライブにも行くようになり(最初に行ったのは2013年8月11日に開催された横浜Blitzでの単独ライブの昼公演)、そして1年も経たないうちにいまも応援しているいろりんのことを知りました。
最初にいろりんのライブに行ったのは2014年6月17日に開催されたソロ活動2週年記念の単独ライブですが、いろりんのライブにぽつぽつと断続的に参加するようになったのは1年後の2015年6月くらいからです。2015年8月にはあっきゃんこと秋山ゆりかさんがチャオベッラチンクエッティ(6月に改名)を「卒業」し、その現実をうまく受け止めきれずにいろりんのライブを最優先にして通うようになって現在に至る……というのが大まかな自分の動き方の記録です。
ともあれ、私は女性アイドルのパフォーマンスに心をわしづかみにされたままです。そしてそれは自分の中に巣食う差別的な根性を自覚するきっかけを与えてくれるかけがえのない経験であり続けるでしょう。つまり私にとっての女性アイドルへの憧憬とは「男性優位社会における男」としての自己否定を繰り返すための大きな力の源泉にほかならないのです。
利用主義的だなあと自分でも分かっています。ごめんなさい。
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thinking-ashi · 6 months
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20231121 midnight
現代芸術家のパフォーマンスアートとか地下アイドルの過激な表現行動の類がすごく苦手。陰のエネルギーで胸焼けする感覚が最上級に嫌いかも。
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