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#オスロ―
moblogue · 1 year
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#銀座ロフト で見つけた #おにぎりぽん という #ポン菓子 を #おにぎり の形にした #お菓子 。発想がステキ。 / #dailybeverage #dailycoffee #コーヒー #coffee#コーヒーのある暮らし #vileroyandboch #villeroyboch #bormiolirocco #ボルミオリロッコ #オスロ #rhonnadesigns https://www.instagram.com/p/ClLRw45JNLP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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atikotitabi · 6 years
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reportsofawartime · 2 months
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そもそもトランプってのは、オスロ合意を足蹴にし、ネタニヤフのパレスチナ強硬路線に迎合して、米大使館を東エルサレムに移転した人物だからな、ガザジェノサイドの張本人みたいな男だよ。
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zo-sunz · 6 months
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『イスラエル/パレスチナ/アラブ諸国』2020年
紛争の原因
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1897年、テオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』を著し、反ユダヤ主義者たちによる迫害からユダヤ人を守るためにはユダヤ人国家を建設しなければならない、と唱えた。1917年、イギリスの外務大臣であったバルフォア卿は、パレスチナにおけるユダヤ人の「民族的郷土」の建設への協力を宣言する。しかしバルフォアは同時にオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に対して独立の約束もしていた。1919年から1939年にかけて、イギリスの委任統治の下でパレスチナのユダヤ人人口は6万5000人から42万5000人になり、パレスチナの住民数に占める割合は10%から30%に増加した。その原因は、中央ヨーロッパやドイツにおける迫害を逃れてやって来たユダヤ人の集団移動だった。このことはユダヤ移民に対するアラブ人の敵意を生んだ。第二次世界大戦後、国連はパレスチナ分割案を採択し、領土の55%をユダヤ人に割り当て、残りの45%をアラブ人に割り当てた国家を創設することにした。アラブ側はこの分割案を拒否し、第一次中東戦争が勃発した。その結果、アラブ側は敗北し、1948年5月14日にベン・グリオンが建国を宣言したイスラエルは、やがてその領土をパレスチナの55%から78%にまで増やしていく。残りはエジプト領とヨルダン領になった。つまりパレスチナ人への約束であったアラブ人の国家は実現しなかったのだ。結果的に72万5000人のパレスチナ人が避難し、難民になることを余儀なくされた。アラブ諸国はイスラエルを承認せ��、イスラエルは保身のために西欧諸国とアメリカに接近し、かつての植民地大国の同盟国とみなされた。1956年、エジプトのナーセル大統領が国有化しようとしたスエズ運河をめぐって、イスラエルはイギリスとフランスとともに軍事行動を起こした。ソ連はエジプト側についてこの戦争に介入した。1967年には、イスラエルは「六日戦争」と呼ばれる戦争に勝利し、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、そしてエジプト領のシナイ半島とシリア領のゴラン高原を占領した。このときの完膚なきまでの敗北は、アラブ諸国にとって屈辱の記憶となった。国連は安保理決議242を採択し、戦争による領土奪取を認めず、イスラエルには占領地域から撤退するよう要請した。1967年、スーダンのハルツームにおけるアラブ連盟の首脳会議で、3つの「NO」が採択された:和解への「NO」、イスラエル承認への「NO」、交渉への「NO」である。
アラブ側ではパレスチナ人が武力闘争を強く推し進めており、対話を拒むイスラエルを国家として認めなかった。1973年、イスラエルとエジプト・シリアのあいだで再び戦争が始まったが、領土問題は現状維持のままで終結した。1978年、エルサレムを訪問したエジプトのサダト大統領がイスラエルに対して和平を提案し、エジプトとイスラエルは互いの国を承認することになった。シナイ半島はエジプトに返還されたが、エジプトは単独で平和条約に調印したために、アラブ連盟から除名された。するとエジプトはアメリカと同盟関係を結び、多大な経済支援を受けるに至った。
1982年、イスラエルはレバノンに侵攻し、レバノンにおける国家内国家となっていたパレスチナ解放機構(PLO)を立ち退かせようとした。1964年にPLOを創設したヤーセル・アラファトは、イスラエルのレバノン侵攻が始まると首都ベイルートから逃亡しフランスの保護下に入った。しかしイスラエル侵攻下で、パレスチナ難民キャンプ内での民間人の虐殺が発生すると、イスラエルのイメージは地に落ちた。1987年から、ガザ地区のパレスチナの青年たちを中心に、イスラエルによる占領に抵抗するインティファーダ、通称「石の闘い」が始まった。1990年から1991年にかけての湾岸戦争が終わると、サダム・フセインが、イスラエルによる占領をうまく利用することでアラブ諸国の世論をたやすく操作していたという事実を、アメリカは初めて理解した。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、イスラエルに方針変更を強要した。イスラエルとパレスチナの直接交渉が実現し、オスロ合意が成立した。この協定により、PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエル(イツハク・ラビン首相)はそれまでテロ組織とみなしていたPLOをパレスチナの正式な代表として認めることになった。オスロ合意(1993年9月にワシントンで批准された)の計画では、イスラエルは段階的に占領地域から撤退し、パレスチナ人の国家が建設されることになっていた。
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1994年7月1日、それまで亡命していたヤーセル・アラファトPLO議長がパレスチナへの帰還を許された。ところが1995年11月4日、イスラエルのラビン首相が過激派ユダヤ人に殺害され、和平プロセスは暗礁に乗り上げた。そこで、大統領として2期目の守終了を控えたアメリカのビル・クリントンは和平合意成立に向けて、2000年7月にキャンプデービッドで両者の首脳会談を待った。しかし交渉は決裂し、再び武力闘争が繰り返される。2001年2月、イスラエルはアリエル・シャロンを首相に選んだ。新首相シャロンはオスロ合意には反対の立場で、ラビン路線(あたかも和平プロセスは存在しないかのように厳しくテロ組織との闘いを続けると同時に、あたかもテロ活動など起こっていないかのように友好的に和平交渉を進める方法)を退けた。シャロンがオスロ合意を少しずつ切り崩していく一方で、ハマスによるテロ活動は規模を拡大していく。2002年にはアラブ連盟から和平案の提案があった。アラブ諸国によるイスラエルの承認と引きかえにイスラエルは占領地域から撤退し、そこにパレスチナ国家を樹立するという内容だ。ところがシャロンは7000人のイスラエル人入植者が140万人のパレスチナ人に囲まれて暮らすガザ地区からの全入植者の撤退を突然決断する。そしてそのあいだもヨルダン川西岸地区では入植地建設が続いた。
パレスチナで2006年1月に行われた選挙ではハマスが圧勝した。ハマスはオスロ合意に反対しており、西欧諸国とイスラエルからはテロ組織とみなされている。
西欧諸国はガザ地区にあるパレスチナ政府との関係を絶った。パレスチナは地理的にはガザ地区とヨルダン川西岸地区に分断され、政治的にはガザ地区を掌握しているハマスとファタハに分離した。イスラエルが撤退したあともガザ地区の封鎖は続き、パレスチナはこれに対してイスラエルの都市にロケット弾を発射して対抗した。これをきっかけにイスラエルは新たに軍事侵攻を開始、ガザ地区を爆撃し、2008年12月から2009年1月にかけてパレスチナ側では1400人の死傷者を出した。さらに2009年2月に行われた選挙ではイスラエル史上もっともナショナリズム色の強い政府が成立した。当時、イスラエルとパレスチナの和平合意がゆくゆくはどのような形を取ることになるかは知られており、多くの文書においてすでに定義済みであった。その内容は、まずイスラエルの隣にパレスチナ国家を建設すること、そしてイスラエル人は67年ライン内に住む権利を有すること、さらに、領有権問題で両者に損失が出ず両者の合意がありさえすれば、境界線の変更も可能であったこと、などである。とはいうものの、この頃からまたもイスラエル・パレスチナ間では不信感が生まれ、敵意にまでエスカレートした。2014年、3人のイスラエル人が誘拐されるという事件が発生、イスラエル政府はまたもガザ地区を爆撃し、2200人が犠牲になった。2015年3月、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが選挙戦で再び勝利をおさめ、パレスチナとの和平交渉に反対する右派と極右派による政府が発足した。���のイスラエルびいきであるドナルド・トランプのアメリカ大統領選出は、ユダヤ教原理主義者や植民地主義者たちとの結びつきが強いネタニヤフが、妥協を認めない政策を続けるうえで、強固な支えになった。アメリカ政府は駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移し、パレスチナ自治政府と断交し、ゴラン高原におけるイスラエルの主権を承認した。EUは現状を承認し、ロシアと中国もこれに続いた。インド、そして数多くのアフリカ諸国も密かにではあるがイスラエルに協力している。また、イランという共通の敵をめぐって、国交のなかったアラブ諸国との関係改善を図り、サウジアラビアとアラブ首長国連邦への接近も実現した。だが、アラブ諸国の政府にまで見放されたパレスチナの大義は、今でも世論に強く訴えかける力を持ち続けている。
『最新 世界紛争地図』
パスカル・ポニファス/ユベール・ヴェドリーヌ 著 神奈川 夏子 訳
ジャン = ピエール・マニエ(イラストレーター)
ディスカヴァー・トゥエンティワン2020年8月25日発行
原題:ATLAS DES CRISES─ET DES CONFLICTS
著者
パスカル・ポニファス(Pascal Boniface)
国際関係戦略研究所(IRIS)所長お呼びIRIS SUP(イリス・シュプ)学長。
パリ第8大学ヨーロッパ研究所で教鞭を執る。戦略的問題に関する著書は約60冊、YouTubeチャンネル『Comprendre le monde(世界を理解する)』も運営している。
ユベール・ヴェドリーヌ(Hubelt Vedrine)
1981年から1995年までフランス大統領府で外交顧問、報道官、事務総長を歴任し、1997年から2002年まで外務大臣(ジョスパン内閣)を務めた。
訳者
神奈川夏子(Natsuko Kanagawa)
上智大学仏文学修士課程、サイモンフレーザー大学日英通訳科修了。訳書『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』(草思社)、『ヴァン・ナチュールの名作300本』(エクスナレッジ)他。
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shoji · 2 years
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上の画像をごらんください。
ドット中央にある暗い部分が膨張しているように見えませんか?
また、それを見ていると、まるでブラックホールに吸い込まれ、暗い穴の中に落ちて行くような感覚を覚えないでしょうか?
ノルウェー・オスロ大学(University of Oslo)によると、これは「膨張する穴(expanding hole)」と呼ばれる、科学的に新しい錯視です。
そしてチームの研究により、約86%の人にこの錯覚が発生していることがわかりました。
また「膨張する穴」を見る人々の瞳孔に、不思議な動きが確認されています。
研究の詳細は、2022年5月30日付で科学雑誌『Frontiers in Human Neuroscience』に掲載されました。
(黒い穴が膨張して見える新しい錯視 - ナゾロジーから)
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ari0921 · 11 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)6月2日(金曜日)弐
    通巻第7778号 
  欧州で連続的なNATO、EUサミット
   7月のNATOビリニュス首脳会議を前に大きな動き
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 ゼレンスキー大統領、こんどはキエフへのミサイル攻撃がつづく中、モルドバの古城に現れた。モルドバはウクライナと国境を接する。ウクライナから僅か12キロの場所に古城が聳えている。
 6月1日、「モルドバEUサミット」はこの城を舞台に開催された。ゼレンスキー大統領、マクロン、シュミット、スナクらも顔をそろえた。EU加盟27ヶ国首脳と近隣20ヶ国からのオブザーバー。議題はウクライナのEU加盟、ウクライナ支援が中心となった。
 議長役はサンドゥ(モルドバ大統領)で、彼女は親西側路線で知られる。
 一方、オスロで非公式のNATO外相会議が5月31日に開催された。
 ここでも議題はウクライナのNATO加盟問題で、7月11日からリトアニアのビリニュスで開催されるNATO首脳会議の準備会合だった。
 問題はウクライナがもしNATOメンバーとなると、NATO全加盟国はロシアとの戦争に加担することになる。事実上、武器支援をしているのだから「加盟承認」は実態の追認に過ぎないとすする分析もあるが、正式加盟国として扱うには、いくらゼレンスキー大統領が「準備はできている」と言っても参加資格、分担金などの条件を満たしていない。ほかにアルメニアvアゼルバイジャン紛争、コソボにおける住民衝突など問題が多い。
 またスウェーデンのNATO加盟にはトルコが反対しているほか、ハンガリーも距離を置いている。EU本部から見れば「ハンガリーは黒い羊でアリ、不愉快な存在」と扱われている。しかし欧州政治の次の日程がこれでみえた。
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gyohkou · 9 months
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取っ���3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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kijitora3 · 1 year
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環境テロリストは自分は何やっても許されるべきだと言う、特権階級を自認しているね
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yamabra-extra · 1 year
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SIV JAKOBSEN / Gardening
Siv Jakobsen (シーヴ・ヤコブセン)は、ノルウェーのシンガー・ソングライター。本作は彼女のニュー・アルバムです。
タイトルの通り彼女はオスロの自宅で庭いじりをするのが日課なのだそうです。本作はそれと同じやり方で、自身の手で丹念に創り上げられたナチュラルな音像の秀作と言えます。
少し遠くから聞こえてくるような、そしてボソボソと語るような��明で抑制的な歌声は、アコースティック・ギターを中心にした陽だまりのような、森を駆け抜ける風のようなサウンドと、柔らかなコーラスと共に優しさと神秘性を備えています。
北欧らしいイノセントで澄んだ空気感の中、静謐な物語を紡いでいるような、この上なく美しい作品です。このところ女性シンガー・ソングライターの、それもいろいろな国の素晴らしい作品が目立ちますね。
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jaguarmen99 · 2 years
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イランで「道徳警察」に逮捕されたマフサ・アミニ(Mahsa Amini)さん(22)が死亡したことに対する抗議デモは、25日で10日連続となった。これに対し司法省は、断固とした措置を取ると警告している。  アミニさんは13日、家族と訪れていた首都テヘランで、頭髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」の着用方法をめぐって道徳警察に逮捕され、16日に死亡した。  アミニさんが亡くなって以降、抗議行動は各地に拡大。これまでにデモ参加者や改革派、ジャーナリストら数百人が逮捕されている。  当局は、治安部隊員を含め少なくとも41人の死亡を確認したと発表。一方、ノルウェー・オスロに拠点を置く人権団体イラン・ヒューマン・ライツ(IHR)は25日夜、死者は少なくとも57人と報告。ただ、当局がインターネットへのアクセスを遮断しているため、正確な死者数の把握は困難と指摘した。
イラン抗議デモ、10日連続に 22歳女性の死めぐり 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
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koki-komatsuda · 2 years
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オスロの景色最高でした。
最後ヤバかったなー。どれも人生
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inuoh-anime · 2 years
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「アヌシー国際アニメーション映画祭2022」イベントレポート
6月13日(月)から18日(土)(現地時間・以下同)に開催された「アヌシー国際アニメーション映画祭2022」に、オフィシャルセレクションとして『犬王』が招待されたほか、湯浅政明監督がさまざまなイベントに登壇しました。
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 世界最大規模のアニメーション映画祭であるアヌシー国際アニメーション映画祭は、これまでにも『夜明け告げるルーのうた』(2017)が長編部門最高賞であるクリスタル賞を受賞、『日本沈没2020』(2021)がテレビシリーズ部門審査員賞を受賞するなど、湯浅監督にとっても縁深い映画祭のひとつです。アヌシーの観客が、湯浅監督の現時点での集大成となる『犬王』の上映をいかに待望していたか、その並々ならぬ熱気は連日のイベントからもうかがえました。
6月16日(木)、湯浅監督の登壇は30名限定のサイン会からスタート。激戦のサイン枠を勝ち取った来場者ひとりひとりからキャラクターのリクエストを聞き、会話も交わしながらイラストを添えたサインを描いていきます。
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続いてのイベントでは、ミッシェル・オスロ監督(『キリクと魔女』)、ギレルモ・デル・トロ監督(『シェイプ・オブ・ウォーター』)、ジョー・ダンテ監督(『グレムリン』)、ジェニファー・リー監督(『アナと雪の女王』)、ジョルジュ・シュヴィッツゲベル監督(『ロマンス』)といった、世界の名だたるクリエイターとともに湯浅監督の姿が。アヌシーにもハリウッドさながらの名声の歩道(Walk of Fame)の設置が決まり、そこに手形が設置される最初のクリエイター6人のうちの一人に選出されました。野外の会場では和やかな雰囲気で石膏の手形が取られ、名監督らもにこやかな様子でした。
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��17日(金)は、映画業界を代表する監督が、若手アニメーターや学生向けに行う「MIFAキャンパスマスタークラス」の講義を担当するゴッドファーザーとして登場。湯浅監督がアニメーションを志したきっかけに始まり、『マインド・ゲーム』『ピンポン』『夜明け告げるルーのうた』『犬王』などの作品で使われている手法について、実際の映像を見せながら解説しました。
「監督、脚本、絵コンテなどさまざまな領域を手掛けているが、一番得意なのは?」と問われると、「それぞれの行程はそれぞれに楽しいので難しいが……。全体を切り盛りする調整が得意なのかもしれない。たとえば脚本で『こうしたい』と言ったことがさまざまな理由で実現できない場合、後の工程でどうそれを実現するか。脚本を書いている人、絵を描いている人、各パートに『何でこうなるんだ』と思う部分がある。それをどうにかする。ピンチを逆手にとって、寧ろより良い作品に繋げていくのがディレクターの仕事だと思っています」と回答。「今日は優秀な学生が集まっているが、国際的なコラボなどの可能性はあるか?」と聞かれたのに対し、「言葉がそんなにできないハードルはあるが、できるだけいろんな人と仕事がしたい、力のある人と仕事がしたいと思っています」と答え、会場を沸かせました。
続く質疑応答のコーナーでは、2D・3D問わず各ジャンルから参加した若手クリエイターから多くの質問が寄せられました。 「立体や実写に対する憧れは持っているので、いいなとなった部分は取り込むし、自分が今後立体や実写を撮ることもあると思います。逆に2Dのときは2Dにしかできないことを意識しています。『認識』って実は皆違うのに、同じだと思っている人が多いので、クリエイターは周りからいろいろ言われても、人の言うことは気にしない方がいい」「作品を作るときはまず根源的なことを考えます。たとえばアニメーション映画は、『皆が暗いところに集まって、絵が描いてあるものを見て、何かを感じるものである』という風に。マンガを読む、読書をする、映画を見る、それぞれの行為の中で、見た人の中で何が起きているか? どの媒体にも長所と短所があるので、できるだけ長所を生かして短所をなくす作り方をしようと思っています」「テーマがないとストーリーができない。自分がやっているテーマは、『解放されたい、自由になりたい』ということなの  かもしれない。自分の考える『自由』を作品にしています」といった言葉に、勇気づけられたクリエイターも多かった様子。
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そしてフェスティバル最終日となる18日(土)には、朝からボンリューのメインシアターで『犬王』が上映されました。前日に約300席の会場で行われた上映にくわえ、約1,000席あるメインシアターのチケットも発売とほぼ同時にソールドアウト。上映前に  監督がステージに登壇すると、運よくプラチナチケットを手に入れた観客たちが万雷の拍手と歓声、指笛で迎えました。監督が「ボンジュール! コマン サヴァ?」とフランス語で挨拶すると、「ウィーーー! サヴァ!」と、会場中に響く大合唱で返事が。ロックコンサートのような熱気の中、「またアヌシーに新作を持ってくることができて嬉しい。毎年楽しみな映画祭で、今年もいい時間を過ごしています」「『犬王』は600年前の話だけど、二人の若い男性のミュージシャンがのし上がっていく話。一人は琵琶を弾いてバンドを組んでいく。もう一人は能を踊り、霊となって昔の人の逸話を語る。バンドで宣伝して、そのあと犬王が踊るという構成になっていて、それだけ理解していれば大丈夫! 後半の音楽はノって楽しんで!」と挨拶しました。上映中は「腕塚」などのライブシーンから手拍子が上がり始め、中盤のハイライトである「鯨」では会場中が「ドンドン・パン!」のリズムに乗り、作中の室町の観客と一体となりました。エンドロールが始まった瞬間に拍手と喝采がわき、あわせて10分ほどの   スタンディング・オベーションに。湯浅監督の「ホーム」であることを強く印象付け、今年のアヌシーを締め括りました。
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ari0921 · 1 year
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岸田政権ならできる? 廃棄予定の「MLRS」を
ウクライナに供与
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、203回目となりま
す。
 最近、日本のMLRS(Multi Launch Rocket System)
をウクライナに送るべきではないかという意見が出
てきています。いえ、私自身もそう思っていました
ので、これに賛同いたします。
 MLRS(マルス)は陸上自衛隊が保有している多連
装ロケットシステムで、米国ロッキードマーチン社
からライセンス国産を経てIHIエアロスペースが生
産してきました。
 227mm対地ロケット弾を12発発射すること
ができ、遠距離から圧倒的な火力で「面」の制圧が
できるのがMLRSの大きな特徴です。
 かつてこのロケット弾にはクラスター弾が使われ
ていましたが、2008年にクラスター爆弾禁止条
約(オスロ・プロセス)に日本も署名したことから、
クラスター弾は廃止され、その後はGPS誘導の精
密誘導ロケット弾などに切り替えられていました。
 映画「シン・ゴジラ」では、御殿場から武蔵小杉
にMLRSで射撃する場面がありましたよね。
通常は最大射程100kmということでしたが、射
程300km超のATACMS地対地ミサイルも発射すること
ができるといいます。
 しかし、喫緊のテーマである島嶼防衛には現在の
射程では不十分ということもあり、MLRSの調達
は打ち切られることになりました。
 これについて、2014年に陸自で行った「鎮西」
演習では、MLRSを海上自衛隊の輸送艦「おおす
み」に搭載しての訓練が実施されたことを印象深く
記憶しています。現有の物を有効利用する試みに感
銘を受けたものでした。
 ウクライナではHIMARS(ハイマース)が活躍して
いますが、HIMARSのベースになっているのはMLR
Sで、MLRSは装軌、HIMARSは装輪です。
いずれにしても、HIMARSのみならずMLRSも現地
でのニーズが高いのです。
日本はみすみす廃棄していいのか、と思いますし、
装備移転って何のためにやろうとしているんですか?
と問いたいです。
さらに言えば、あれだけ立派な3文書を作って、や
る気を見せた日本が、ここでウクライナを助けず
「殺傷兵器は渡せない」などと廃棄を進めたら、世
界からはやはり日本は口だけでその程度と思われる
ことでしょう。
振りかえれば、クラスター弾禁止条約に日本が調印
したこと自体があまりにもお粗末でした。
これは、自民党政権が行ってきた政治です。「専守
防衛」のわが国で、少ない自衛隊の人員で敵を広く
制圧するためには不可欠ではなかったかと今でも思
います。
クラスター放棄の代償は自衛官の命です。それを容
認したに等しい当時の政治には憤りを感じます(昔
のことを思い出して段々怒りが噴出してきました)。
もし、今、日本がMLRSのウクライナ供与を決心
したら、これまでの自民党政治の負の遺産も(もち
ろん、世の中の空気というものも要因として大きい
のですが)、オセロ(「オスロ」じゃないですよ)
がひっくり返るように一気に払拭される可能性を感
じます。
それを岸田政権が実現したとなれば、歴史的偉業で
す。最近、安倍政権ではあまりに抵抗が多くできな
いことを岸田政権ならできるような気がしてきてい
ます。
MLRSの調達を陸自がやめることについては、防
衛力整備の範疇なので私には良し悪しは分かりませ
んが、ひとつ言えるのは、これから装備移転を本気
で「推進する」と「国家安全保障戦略」に書き込ん
だ国としては、輸出のための製造を後押しするべき
なのではないでしょうか。
というわけで、私からは以上です。
今週も最後まで読んで頂きありがとうございました!
皆様にとって素晴らしい1週間となりますように!
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gyohkou · 1 year
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11/09/23-17/09/23 フィジカル
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07/23
29/07/23 マルタ
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06/23
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19/05/23 わたしは決められない
08/05/23 無題
04/23
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