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#中邑真輔人気
nobw2001 · 4 years
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女子プロレス団体スターダム所属の木村花さん(享年22)が23日に死去した。木村さんは、19年9月からネットフリックスで配信され、フジテレビでも放送中の人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演。番組内の言動に関して、SNSで誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。そのことに対し、多くのプロレスラーがツイッターで思いをつづった。▼スターダム中野たむ「この世は地獄かよ。画面の向こうにいるのは、偶像じゃなくて心を持った人間なんです。心無い言葉で傷ついた事が、あなたにもあるはずです。こんな理不尽な人の憎悪を受けて、自分の中にもまた憎悪が芽生えていく事に腹が立ちます。殺し合うんじゃなくて、生かしあおうよ。おかしいよ。」▼スターダムの林下詩美(22)「ちょっとしたコメント、軽い気持ちで言った言葉じゃないんだよ。沢山の心無い言葉を目にする本人の辛さは計り知れないし、真っ直ぐな人だから誰よりも言葉を重く受け止めちゃうんだよ。度が過ぎた言葉を投げつけてた人はこれで満足なの?言葉は自由だけどさ もう少し考えようよ」▼20日に引退した元スターダムの星輝ありさ(24)「今までごめんね。ありがとう。生きてね。がほとんど会話しない私に来た最後の言葉だった。謝るならちゃんと直接言ってほしかった。ありがとうも直接言ってもらいたかった。私はあなたこそ生きたほうがいいよと返したけどもう既読付くことはない。でも本当に気持ちは分かるんだ。死ぬという覚悟が決まると怖くなくなるものだよ。やった側の人間は『ちょっと』かもしれないけど、やられた側の感覚は『もの凄く』だからね。生きてる意味も分からなくなる。自分がやったことは大きく自分に返ってくる。この件も含めて本当に相手への言動や行動をまじで改めて欲しい。全部狂ってる」▼マーベラスの長与千種(55)「SNS書き込みは言葉で人を殺める事が出来るツールではないはず。顔隠し言論の自由として狂気のナイフを振り飾した奴って絶対的に人事にするはず。言っておく!! これからの選手、これからのプロレスラーだった。悪役を演じただけ。本当の彼女は礼儀も優しさも兼ね備えた後輩でプロレスラーだったから」「いまいちどだけ。殺め言霊の主人公の方々様へ 消すくらいなら 書くな 知らぬ存ぜぬは するな。これは歴とした事件です。ツイッターが悪いのではない。道徳心無き言霊の綴りで追い込んだ主人公の問題 逃げても 真実に時効無くついて回るはず。皆悲しんで心の憤りしかないんだよ!」▼WWEの中邑真輔(40)「狂ってる」▼WWEのアスカ(38)「渡米するまで数年間、毎日沢山の、死ね、女子プロレスを壊すな、この業界から去れとメールが私の元へきました。そして今日は、他の選手がコメントを出してるのに、まだお前はコメントをださないのか、ときました。自分の正義感に前のめり過ぎて、同類だと気がついてないんですきっと。これが怖い。」▼KENTA(39)「言葉は時として人を傷付ける武器にもなる。この事は肝に銘じないといけない。そして嫌な事や物から逃げるのは決して恥ずかしい事ではない。自分の人生だ。自分を大事にして欲しい。」
木村花さん誹謗中傷に「狂ってる」レスラーたち憤り - プロレス : 日刊スポーツ
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yoshimiyo3 · 5 years
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日本が誇る世界的スーパースターWWE中邑真輔本格的な始動は?シングル戦線復帰か?
日本が誇る世界的スーパースター中邑真輔シングル戦線復帰は?イヤァオ!
中邑真輔プロレス界では知らない人はいない存在
新日本プロレスで頂点を極め
WWEへ移籍した。
  新日本プロレスでトップを取った中邑真輔でさえWWEでは傘下団体NXTからのスタートであった。
しかし中邑真輔は、異例の待遇を受ける
  WWEではレスラーにキャラをつける
日本人なら侍、忍者、芸者など・・
  数多くのアメリカに渡った日本人レスラーはギミック的要素が盛り込まれた
しかし中邑真輔は日本でやっていたファイトスタイルそのままリングネームもそのままであった。
必殺技ボマイェがキンシャサ・ニー・ストライクと変わった位で
  日本のファイトそのままであった。
NXTへ登場した時は前レスラーが出迎えた、
  その中にはSD世界女子王者となた華名事アスカもいた。
その期待通りNXT王座となった中邑真輔は、スマックダウンラ…
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osakiakiko · 2 years
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今日の2軒のお宅取材。 そのどちらのお宅にもBTSグッズがあって、推しの話をされる時のお施主様はそれはもう本当に楽しそう! 2軒目のお宅の女性に至っては、BTSに加えてプロレス愛溢れるコーナーまであって、推しへの愛と熱量を感じて来ました。 私が唯一わかる現役プロレスラーは棚橋選手だけなんだけど、その棚橋選手が部屋のあちらこちらに! コロナ禍で外へ出られない時の「推し活」は心に元気をもたらすものなのだと実感。 ・・・私も何か「推し」が欲しくなった1日でした。 画像は2軒目のお宅に鎮座していたBTS本と棚橋選手&中村選手人形。今日の2軒のお宅取材。 そのどちらのお宅にもBTSグッズがあって、推しの話をされる時のお施主様はそれはもう本当に楽しそう! 2軒目のお宅の女性に至っては、BTSに加えてプロレス愛溢れるコーナーまであって、推しへの愛と熱量を感じて来ました。 私が唯一わかる現役プロレスラーは棚橋選手だけなんだけど、その棚橋選手が部屋のあちらこちらに! コロナ禍で外へ出られない時の「推し活」は心に元気をもたらすものなのだと実感。 ・・・私も何か「推し」が欲しくなった1日でした。 画像は2軒目のお宅に鎮座していたBTS本と棚橋選手&中村選手人形。 #bts #book #magazine #btsmagazine #プロレス #棚橋弘至 #中邑真輔 https://www.instagram.com/p/CaKaHpVvarl/?utm_medium=tumblr
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fka-shanghai · 3 years
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"2011年の棚橋弘至と中邑真輔 (文春e-book)"(柳澤 健 著)
"猪木に命じられて安田や永田を総合格闘技のリングに上げたのは、当時営業部長だった上井文彦だった。 「プロレスの世界で生きてきた人間、ましてや新日本プロレスで育った人間は、プロレスが一番強いと思っている。新日本プロレスの選手たちを総合ルールでやらせたのは、プロレスの強さを証明するためです。
ただ、俺が『ああ、プロレスが一番強いわけじゃないんだ』と思ったことが一瞬ある。2001年の大晦日に、永田(裕志)がミルコ(・クロコップ)にパーンと蹴られて負けたでしょ? 俺は控え室のモニターで見ていて『まだできるじゃないか。どうしてこんなところで止めるんだ。俺にはわからん』と言った。俺は素人だから。
その時ケンドー・カシンが『上井さん、よかったじゃないですか。これで終わって。ダメージも少ないし』と言った。 冷水をぶっかけられたような気がした。プロレスだったら続きがあるけど、この世界はこれ以上やったら取り返しがつかないこともあるんやな、と。
俺らは『プロレスは強い』と思っている。素人だから、簡単に勝負事を受けてきて、レスラーに話をする。猪木さんの命令に逆らえるレスラーはひとりもいません。
でも、カシンのひとことで、『もしかしたら、俺はとんでもないことをしてるんやないか?』と思い始めた。"
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ohagi-ono · 5 years
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ファイプロワールドを購入した。新日本プロレスの選手が出ているので『ファイプロに実名選手なんて邪道や。しかもあんま知らんレスラーばっかりやん。』と思っていた。 今日たまたまつけたアベマTVで新日のプロレスが放送していた。 オカダカズチカとケニー・オメガのIWGPヘビー級チャンピオン選手権試合。時間無制限三本勝負。 元々プロレス少年だった僕は週刊ゴング派であり、ゴングが廃刊になった事で週刊プロレスへと簡単には移行出来ず、また新日派ではあったが棚橋や中邑が台頭してきた頃からプロレスを観なくなっていった。 もう新日本のストロングスタイルは死んだのだと思っていた。 時が経ち、中邑がWWEで活躍しているのを知り心が熱くなった。 そして、『角田龍平の蛤御門のヘン』というラジオをたまたま聴いていたら棚橋がゲストであった。棚橋の考えを聞いていると心が熱くなった。 久しぶりにプロレスを観ようと思った。 しかし、既に僕の知らないレスラー達が台頭しており、オカダカズチカやケニー・オメガなんてまったく知らなかった。 しかし、今日たまたまつけたアベマTVで…。 一時間以上の試合。 手に汗握る試合内容。 僕の知っている技、知らない技。 限界を超えても立ち上がる二人。 気が付くと僕の目は涙で溢れていた。 新日本プロレスのストロングスタイルは死んではいなかった。 新日本プロレスのストロングスタイルは進化してい���のだ。 勝手に離れた僕だから勝手に宣言させて貰う! 新日本プロレスファンに復帰します!週刊プロレス買う! そしてこれはだいぶ前の試合という事に終わってから気付くのであった。 #新日本プロレス #オカダカズチカ #ケニーオメガ #ストロングスタイル #iwgp #週刊プロレス #週刊ゴング #棚橋弘至 #角田龍平 #角田龍平の蛤御門のヘン #蛤御門のヘン #kbs京都ラジオ #中邑真輔 #復帰宣言 https://www.instagram.com/ohagi.ono/p/BuTwDI1HgYu/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1rfve1vpw8dxb
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abeya38 · 5 years
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鵜の真似をする烏
「希望をつなげない日本」とかけまして「占領政策」と解く。 その心は「どちらも魂が無い 戦後日本」。
源氏物語に「和魂漢才」とあり、昨今では「和魂洋才」と説かれた。 戦後日本では「無魂雑才」となり果てた。
「日本」と「戦後日本」とは、國家として別物だ。 まるで『鵜の真似をする烏』である。 まづはこの現状を冷静に認識せねばならない。
その爲に、二つ引用してみる。
まづは一つ。
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私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
三島由紀夫『果たし得てゐない約束――私の中の二十五年』より引用
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「流石、三島由紀夫は良い事いふな。」と同調する者の中にも、自身がその「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない」者であるといふ事を認識出来ない間抜けがゐる。
また、仕方のない事かも知れないが、三島由紀夫にしても、戦後の多くにしても、「日本」と「戦後日本」との区別が付いてゐない。確かに、地理的にも「戦後日本」は凡そ「本来の日本」の位置にあり、「本来の日本」の末裔が多く暮らしてゐるし、國語も通じる。 皇室もあるにはある。日の丸もある。君が代もある。
しかし、これを誤認してゐたから、盾の會は自衛隊の決起を呼び掛けたのだらうが、自衛隊と日本國軍とは全く逆の組織である。 その違ひが示されたといふ意味では盾の會の意義はあつたと思ふ。
「本来の日本」の國軍とは即ち皇軍である。『大義』の爲に我が身を捨てて、私達臣民が「水漬く屍草生す屍」「醜の御楯」「防人」となる。
対して、自衛隊とは侵略占領軍GHQ・マ元帥を建軍の父としたもので、本来的に、戦後の「占領体制」の治安を維持するといふ「本来の日本」の敵でしかない。「本来の日本回復」を望まない私利私欲・党利党略の戦後日本政府乃至アメリカの犬である。
一応、私は自衛隊員の中にも「本来の日本」を志す人がゐるとは信じてゐる。 その志は立派であらう。
しかし、それは例へるならば、才能豊かな野球選手が、例へばイチローが、その移籍先としてMLB(メジャー リーグ ベースボール)ではなく、何を間違へたのかWWE(ワールド レスリング エンターテインメント)を選んだとしたらどうだらうか。 その上で「私には志があります!」といはれたとしても、それで本来の能力を発揮出来るものだらうか?いや、もしかしてイチローならばルチャ・リブレといふか空中殺法でやつてくれるかも知れないが、WWEは中邑真輔に任せとけ!餅は餅屋だ!「鵜の真似をする烏」になるな! といふか、そもそも根本的に間違へてゐる。
「是非とも、彼に野球場の場所を教へてあげよう!」
若しくは、アフリカのサバンナで強者であつたライオンがゐたとしよう。 そのライオンは今、どこかのサファリパークに囚はれてゐる。 しかし、その事実を認識出来ないライオンはパークの外に出て行かうとする。 「俺は強いぞ!自由だぞ!」 そして、射殺される。根本的に間違へてゐるからだ。
「サバンナのものはサバンナに、日本のものは日本に返しなさい。」
「本来の日本」の延長線上に「戦後日本」があるかのやうに錯覚するが、その実態はまるで異なる。「戦後日本」は独立國家ですらない。隷属國家といふか日本人自治区でしかないのだ。
この残念な事実を認識出来ない事には、何も始まらない。 事実なのだから、別にそれ自体を恥る事はない。 しかし、その事実を見ない事は卑劣である。
イチローがプロレスに行つたとしても、彼の能力自体に変はりはない。
ライオンがサファリパークにゐたとしても、それは変はらずライオンである。
根本的な問題を認識せねばならないが、それで何もかもが崩れ去る訣ではないのだ。
さて、二つ目の引用である。 この文章の作者は、見聞きした科学的な知識を調べたり、作品に盛り込み利用する事が出来るやうで「頭の良い人」だとされてゐるさうだ。ところが話の内容が「戦後日本」に及ぶと、途端に支離滅裂になる。 別にこの作者と作品とを批判してゐる訣ではない。
作品は面白いので興味があれば読むと良い。
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 知っての通りベトナム戦争で米国はその殆どの戦闘で勝利したにも関わらず、完膚なきまでに敗北した。多くの国民の命をいたずらに失い、政権は大批判を受け屈辱のうちに撤兵し、傀儡国家であった南ベトナムは消滅した。
 しかし、それによって米国が恐れていたようにベトナムが��産化したかと言えば、そうはならなかった。思いがけず中国とも戦争を始め、彼らは民主的な独立を勝ち取ったのである。
 要するに、彼らは始めから自分たちの生活を守るために戦ったのであって、大国の都合に振り回されていただけだったのだ。米国が攻めてきたから中国を頼り、今度はその中国が攻めてきたから撃退した。
 クラウゼヴィッツに言わせれば、戦争は相手に自分の意志を強要するための暴力行為であるが、それによって相手の心の中まで変えることは出来ないのである。それをするのは統治や占領政策などと呼ばれる政治行動であり、戦争が政治の一環と言われる所以である。
 思えば日本という国だって、戦後70年に渡って実質アメリカに支配されてるような状況にあるくせに、周りを見れば、天皇陛下万歳と言って死にそうな連中が未だに居るというのに、合衆国大統領万歳と言って死ぬような人間は一人もいないだろう。誰だって心の中までは侵せないのだ。
水月一人『玉葱とクラリオン 221話 最後通告』より引用
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「天皇陛下萬歳」といつて死ぬ連中は未だにゐるが「合衆國大統領萬歳」で死ぬやうな人間は一人もゐないらしい。
しかし、この作品内に登場する逓信卿、宰相閣下であれば、「実質アメリカに支配されてゐるなら、大統領が天皇(実際には天皇の威を借る戦後政府)に対して「イラク行けよ!どこそこ行けよ!」と指示すれば、こいつら『萬歳突撃』するだらうな。」といふ位は気付くのではないだらうか。
(-(-д(-д(`д´)д-)д-)-)『突撃ぃ~~!』
さうである筈なのに「心の中までは侵せないのだ( ー`дー´)キリッ」と書いてしまつたのでは、噴飯物である。
作品の内容とも、その直前の「戦争は相手に自分の意志を強要するための暴力行為であるが、それによって相手の心の中まで変えることは出来ないのである。それをするのは統治や占領政策などと呼ばれる政治行動であり、戦争が政治の一環と言われる所以である」との文章とも矛盾してゐるのだが、それを「頭の良い人」とされるやうな作者が気付かないといふのは思考停止状態に陥る爲であらうか。
自然科学は積み重ねであり、基礎なくしては「技術の接ぎ木」「文明の飛び級」は出来ないし、根付かない。これは社会科学に於いても同じ事がいへる。
因みに、これを引用したのは「戦後日本人」を見る爲にとても参考になるからだ。
例へば、ここでいふ「天皇陛下萬歳」と「大統領萬歳」とは同じ構造であらう。 いはゆる「主権論」的な思想が伺へる。「いや大統領は民主的だろ?」といふ意見が出るがこれは詐欺である。民主制度といふものは独裁の一形態に過ぎない。カレーライスをルーから食べるかライスから食べるかといふ違ひでしかなく、それはどちらから食べても一皿のカレーライスなのだ。そんな莫迦な事よりも私はその内容、味や栄養価が重要で、有り難い事だと思ふのだが、多くの人は些末な対立軸で遊ぶのがお好きなやうである。 当然だが、天皇は親政する事はあつても、独裁者ではない。何故ならば主権がないからだ。 天皇だけでなく、この世の中に主権はどこにも存在してゐない。ただ狂信者の妄想の中にだけあるのだ。
そして「心」については、そもそも多面的なものであり、それも統治や環境に影響されるものなのに、それこそが「不変の眞理」であるかのやうに書くのも、「個人主義」的な思想により調教された故だらうか。
『世の中の衰ふると申すは、日月の光の變るにもあらず、草木の色のあらたまるにもあらじ。人の心の惡しくなりゆくを、末世とはいへるにや。』- 神皇正統記より
「心(認識)」といふもの程、変るものもないだらうに、この辺りの理解がない。
これらの表現の原因は典型的な左翼思想といふか革命思想なのだが、要するに規範意識を欠く危険思想に過ぎない。そこには「彼らなりの正義ww」があるのかも知れないが、『大義』はない。 興味深いのは、この作品内では上手く物語を進める事の出来る作者であるのに、まるで脊髄反射の如く戦後日本については白痴のやうになつてしまふ。これは他の多くの知識人などでも同じであり、開き直つて、賢しらにミスリードしてゐるやうな下種も存在する。
さて、このやうに説明しても「いやいや、待て待て!実質アメリカに支配されてゐる云々はものの例へでしかない。実際の戦後日本は独立した民主國家だぞ?ファビョ━━━<# `Д´>━━━ン!!」と未だに思つてゐる人もゐるかも知れない。「え!?・・・そこ?話聞いてました?ww」といふ感じなのだが、実際にこのやうな感じの反応は実際よくある。 狂信者は理屈ではないからだ。何しろ私自身も三十歳近くになるまで、その狂信の影響下にあつたのだから、その脊髄反射は理解出来なくもない。
だがそれはその人達の「心(認識)」の問題であり、実際には戦後日本は独立國ではない。
少し確認するが「鵜の真似をする烏」といふが「鵜」と「烏」とは何が違ふのだらうか? それは構造的に違ふ。その能力が違ふ。 どちらが良い悪いではなく、それらは似た見た目でも別物なのだ。
では、これが國家と、その独立性であればどうか? 構造として、その國家を規定し、運営する、意思決定に関はる憲法が、「日本國憲法」であるならば、これは侵略占領下に制定された敵製である。
その構造の下、戦後日本の能力は「本来の日本」に比べて著しく歪である。 例へば東京の制空権は日本にない。アメリカが握つてゐる。國防も軍事力としてはアメリカに依存してをり、まるでお話にならない。
「え!?誰が独立國だつて?」といひたい。
・・・何も私は日本を貶めてゐる訣ではない。
現状認識を糺したいといふだけだ。
詰まり、いふなれば「本来の日本」とは「烏」であり、「野球選手」であり、「ライオン」であり、結局は眞正伝統國家である「日本」以外の何者でもないのだ。
その事実は動かぬのに、「鵜の真似」をしたり「プロレスごっこ」をしてみたり「サファリパークを本物のサバンナだと錯覚」してみたり、可怪しな事をするな。
表題の通り、『鵜の真似をする烏』になるな。
・國體護持總論 ・日本占領年表
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leechan1018 · 4 years
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Happy Birthday Shinsuke お 誕生日 おめでとうございます 中邑真輔!! . 40歳おめでとうございます𖣘 . King of Strong Style 愛すべき同い年、一年でありますよう お祈り致します 京都生まれ。 YeahOh! . また、己龍ギター酒井参輝生誕祭 両方の誕生日 ( ゚д゚) . Wish you a year the King of Strong Style KINSHASAAAA . Also, Kiryu Guitarist Sakai Mitsuki's Birthday Both Birthdays . 2020年02月24日 2 / 24 / 2020 #新日本プロレス #中邑真輔 #中邑真輔生誕祭 #誕生日 #おめでとう #イヤァオ #いいねした人全員フォローする #いいねで気になった人フォローする #いいね返しは絶対 #いいね返し #いいね返す #フォロー返し100 #フォローバ100 #njpw #wwe #shinsukenakamura #happybirthday #omedetou #kingofstrongstyle #yeahoh #japanesewrestler #puroresu #followalways @shinsukenakamura https://www.instagram.com/p/B8-OnJuAPPz/?igshid=1tcgcow2ptjdb
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goma143 · 6 years
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. わたしはひどくショックをうけています ため息がとまらない プロレスネタかつ日記です 中邑真輔選手が新日からWWEに行って、それを追いかけるように見始めた、WWEのShow。 そこで一番最初に、めっちゃ好き🧡完璧なお顔やし😍すべてがLOVE❤️と思ったのが、Roman Reigns選手。 ほぼ毎週、Romanを見るのを楽しみにしていた。シン様そっちのけで笑w それがさっき、バイトから帰ってきて、さて、今週もMonday Night RAWをいざ見るぜ✨…とワクワクしてたら、、、 番組の冒頭で、Romanが白血病(再発)により戦線離脱する、と発表があった。 もう、ショックすぎ。 え………(頭ん中真っ白) 番組は発表の後も通常通り進んでいくんだけど、とてもいつもみたいに楽しい気分になれなくて、一旦中断してしまった。 なんてことだ。 ショックすぎる。 テレビ越しの人たちに対してこんな感情になったことはいままでないから、自分のこの感情にも動揺。 この歳になって、まだ自分の知らない感情があったのか…と思いながら ただただショックで、来週からのRAW、ツラい… #RomanReigns https://www.instagram.com/p/BpR4If1gTlS/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=xdvf3h4pjcbd
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chilidogyt · 6 years
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vol.1 堕落さん
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――プロレスを見始めたのはいつからですか。 これが結構謎なの(笑)。初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日/vsダイナマイト・キッド)をリアルタイムで観た記憶があるんだけど、定かではなくて。俺は最初から藤波辰巳(現・辰爾)ファンだったから、それ以前に藤波の試合を観ているはずなんだけど、藤波のジュニア時代はまったく記憶にないの。観ているのかもしれないけど、おぼえてない。藤波の試合でちゃんと記憶に残っているのは、83年の小学校3年のとき。俺、夏に肺炎で入院して、入院患者がくつろぐようなスペースで藤波vs長州(力)の攻防を観たんだ。それは確実に観たおぼえがある。 ――その試合は、ある程度プロレスのルールがわかっている状態で観たんですか。 もちろん。ルールをわかっていて、好きで観た。最初のきっかけは思い出せないんだけど、親父が金曜8時にテレビをつけていたんだと思う。親父はプロレス、あんま好きじゃないんだけどね。ほかに見るものがなかったのかもしれない。 ――どんなところに惹かれましたか。 単純に、藤波辰巳は格好良かった。元祖アイドルレスラーだからかね。女の子がイケメンに惹かれるのと一緒で、男の子も格好いい人に惹かれるじゃん。藤波はスラッとしていて、筋肉質で、動きも早くて。(アントニオ)猪木は結構動きがバタバタしているように感じて。俺は、猪木は運動神経が良くないんじゃないかって思っていて。あの人は、ドタバタが味というか、フックになるんだよ。一方で、全日を観たら(ジャンボ)鶴田、(ジャイアント)馬場、ファンクスとか。同世代だとテリー(・ファンク)からプロレスを好きになった人は多いんだけど、俺は当時、あの外連味がすごく嫌で。プロレスファンとしてキャリアを積んで、プロレスの仕組みやワビサビがわかってから好きになったけどね(笑)。「テリー最高!」って。 ――当時は同級生も金曜8時の『ワールドプロレスリング』を観ていたんですか。 そう。今じゃ信じられないけどね。当時の小学校は土曜が半ドンで、3時間だけ授業がある世代だから、クラスの男子の半分以上がプロレスの話やプロレスごっこをしていたね。実家は神奈川の田舎町なんだけど、1学年に6、7クラスある結構でかい小学校に通ってたの。男子は1クラス20人くらいはいたんだけど、その半分がプロレスに興味を持っていたね。ちょうどキン肉マンもあったから。 ――なるほどなあ、キン肉マンですか。 空前のプロレスブームだったね。猪木、藤波、長州、タイガー、そしてキン肉マン(笑)。当時は、新日が金曜8時。全日は土曜の夕方だったけど、全女は月曜の7時代。クラッシュ(・ギャルズ)全盛で、(長与)千種がダンプ(松本)に坊主にされるシーンがゴールデンタイムで流れてた。 ――テレビは毎週観るのが当たり前でした? 毎週観てた。金曜8時は、俺がチャンネル権をガッツリ確保して。弟と妹がいたけど、まあ勝負にならないから。でも、親父に対してはどうしてたかな。昔ながらの親父で、機嫌悪いとぶん殴られるし。小学校の入学式で、全校児童の前でビンタされたこともあったから。母ちゃんの腹の中に妹がいて来られないから代わりにパンチパーマに髭の親父が来たの(笑)。俺がはしゃいでいたら、「うるせえ」って感じで。弟をいじめたらキレられて、往復ビンタを食らって。翌日、学校に行った時も顔面に手の跡が残ったりしてたし。 ――そういう体験があったから、対抗するために強さに憧れたとか? それは関係ないかも。 ――鬱憤晴らしでプロレスごっこなんかも? そう(笑)。プロレスごっこといいながらひどい技かけてた。敷布団と掛布団を四重くらいにして、そのうえにドラゴンスープレックスとか(笑)。 ――ひどい(笑)。 ひどいよね。そりゃあ弟もプロレス嫌いになるよ(笑)。そんな弟が、将来プロ格闘家になるとは思ってもみなかった。一昨年くらいに引退しちゃったけど。リングスにも上がってんだよ。 ――そのあたりも追々伺いますね。初めて生観戦したのはいつですか。 1985年の7月かな。『バーニング・スピリット・イン・サマー』茅ケ崎青果市場大会。ブルーザー・ブロディが初めて新日のシリーズに出場したとき。 ――どういう経緯で観戦することになったのですか。 そのへんも全然記憶にないんだけど、近所のオッサンというか、親父の友だちに連れてってもらったの。チケットは、誕生日が近いからそのへんに絡めてもらったんじゃないかな。自分で買ったとは思えないから。 ――その時のメイン、おぼえてます? 猪木、藤波、ザ・コブラvsブロディ、キングコング・バンディ……あ、キングコング・バンディはセミかな。バッドニュース・アレンかマット・ボーンかな。ネットでもすぐに出てくると思う(注:正しくは、ブルーザー・ブロディ、ブラック・タイガー、マット・ボーン)。 ――会場の規模はどれくらいですか。 バスケットコート2面くらいあるのかな……そんなにないか。青果市場だからね。湘南地区でプロレスっていうとそこだった。鶴見五郎の聖地。国際プロレス、IWA格闘志塾がずっと使ってたとこ。そこで全日も観たし、IWA JAPANの旗揚げシリーズも観た。 ――堕落さんのなかではどんな思い出になっていますか。 そりゃ大きいよ。だって、チェーンを振り回しているブロディに追っかけまわされたんだもん(笑)。俺個人が追っかけられたわけじゃないけど、近くで見たら「でけえ!」「怖ぇ!」って(笑)。 ――テレビ観戦との差異でここに感動したとかは? 音。プロレスは音だよ。「バシーン」ってすごい音がするじゃない。第1試合から「ワー」って……第1試合のカード、なんだったかな。(ドン)荒川さんかな。当時、ドン荒川ってストロングスタイル転向宣言とかしてて、名前変わったのもそれがきっかけなのよ。その1年後くらいにIWGP Jrに唯一挑戦したことがあったの。ザ・コブラ戦。当時はまともな試合をしてたの。俺が唯一観たドン荒川の試合が、まともな試合だったんだよ(笑)。当時は、ジャパンプロレスに行く維新軍団が抜けて、何もなくなっちゃった頃だね。それでブロディを引き抜いて、85年の4月に両国で初めて猪木とシングルをやって、救世主になって。 ――それから会場にはコンスタントに行くようになりましたか。 全然。次に行ったのは91年くらいじゃないかな。なぜかというと、中学で部活に入ったから。 ――部活は何を? バスケ部(笑)。まあ2年でやめちゃったけど。 ――バスケで憧れている選手がいたとか? 全然。単純に運動をやりたいなって思って。 ――プロレスラーを目指して体を鍛えるような感じ? いや、背も伸びてなかったし。なりたかったけど。だって、中学3年で162cmしかなかったからね。中学入学したときに145cmしかなかったから。まだ覚えてるけど、中1の初めての身体検査で145cm、中2で152cmになって。1年間で7cm伸びたから、「おお、やっぱバスケすげえな」って。あ、背を伸ばしたかったのかもしれない。今もそうだけど、当時も太ってて、145cmで45kg。それが中2で7cm伸びたのに3kg減ったから、相当痩せたんだよ。公立だけど県大会で準優勝とか3位とかに入ってたから。俺はユニホームすらもらえなかったけど。 ――バスケ部っていうのはすごく意外です。 隣町に光GENJIのメンバーになった佐藤アツヒロがいて、そこそこ強いバスケ部がある学校に通ってた。俺らの1つ年上だった。 ――部活を一所懸命やっていたから観戦にも行けなかった? だって、中高生ってお金ないじゃん。部活やっている時間に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、ビデオに録画して観てたけど。当時は、藤波が長期欠場した頃で。 ――腰ですね。 そう。89年の6月に長野の佐久大会で(ビッグバン・)ベイダーのバックドロップを食らって、そこで腰やっちゃって。猪木の選挙応援に駆けつけて悪化して(笑)。飛龍革命があって、俺的には「やっと藤波の時代が来た!」って感じだったのに。俺、いじめられっ子だったから。 ――それ、想像つかないです(笑)。 いじめられっ子だったし、喘息持ちだったから、一日おきに死ぬことを考えた。俺は性善説の人間だったから、いじめられると「なんでこんなひどいやつらがいるんだろう」って傷ついてた(笑)。むかつくっていうより、悲しいっていう。身体も弱かったし。でも、「藤波が天下を取るまでは死ねねえ!」って(笑)。で、(88年8月8日の横浜文化体育館で)猪木と引き分けて、IWGP王者になった、ついにエースになった、ついに待ち焦がれていた日が来たんだけど、それも長く続かずにあの人は腰をやっちゃって、欠場して。 ――傷ついている人がプロレスラーに自分を重ねるケースは多いと思うんですけど、堕落さんも多少なりともそうだったということですね。 マジで支えだったもん。俺、見た目も性格もオタクっぽいと思うんだけど、俺が漫画やアニメやゲームにいかなかったのは、プロレスがあったから。ウルトラマンよりも、仮面ライダーよりも、戦隊物よりも、プロレスラーがいたから。実在のヒーローとして。〇〇マンよりルチャドールの方がカッコいいじゃん(笑)。 ――週プロとゴング、どっち派でした? 雑誌どころか、小学生3、4年の頃から東スポとレジャーニューズ読んでた。 ――小学生で?(笑) 家族と出かけるとき、駅のホームにいったらキオスクでプロレスの見出しが出てるわけ。「なんだこれ、安いし買っちゃおう」って。東スポはまだいいんだけど、レジャーニューズは完全にプロレスと風俗だけだから(笑)。 ――親に何か言われませんでした? とくに何も言われなかった(笑)。エロ記事は隠れて読んでたしね(笑)。で、雑誌はゴング。初めてプロレスを観に行った人とは違う、家族ぐるみで付き合っている一家がいて、そこの親父がプロレス好きでゴングをたまに買ってて、もらってた。たぶん、小学3年くらいから自分で買い始めたんじゃないかな。当時、喘息の治療をするために、隣の市の病院まで行って注射を打ってたの。減感作療法ってやつ。それが毎週金曜日で、行くついでに買ってた 。当時、ゴングと週プロは木曜発売で、俺はゴング派だった。 ――ゴング派だった理由は? 誌面がきれいだったから。紙質が良かったし、写真もきれいだったし。当時、週プロが250円、ゴングが300円で、週プロの方が50円安かった。ゴングの方が高級感があった。ゴングは創刊したのが週プロより後なんだよね。週プロはまだそんなにアクの強さはなかったんだけど、ちょっとクセはあって、それが小学生には引っかからなかった。俺はもっとプロレスラーの生の声や情報が欲しいし、きれいな写真が見たいって。ゴングは「ルチャリブレ広場」もあったし(笑)。 ――毎週ゴングを購入されて、一字一句漏らさず読むくらいの勢いで。 もちろん。 ――どんどん知識もついていくなかで、プロレスの話ができる友人はいたんですか。 高校までいなかった。 ――じゃあ、さっき話していた91年の観戦はその友人と一緒に? そう。クラスでいつも体育を休んでて、全然しゃべらなくて、お笑いのネタにされているようなやつがいたの。俺もどっちかっていうとからかっていたけど、そいつと話すようになったら、プロレスが好きで、同レベルで話せるくらい結構詳しいの。それで意���投合して。で、ほかにもうひとりプロレスの話ができるやつがいて、翌年の1月4日、新日の後楽園に3人で行って。それが2回目だと思うんだよね。話せる人がいたら、また盛り上がるじゃん。 ――よくわかります。 当時は、チケットを取るのに新日の事務所に普通に電話してた。学校のロビーの赤電話から休み時間にかけたんだけど、神奈川の田舎と東京じゃ距離があるから10円玉もすぐになくなって、何回か通話が切れて、(新日の)事務員の姉ちゃんもキレてた(笑)。特リンを買ったんだけど、すごい悪い席で。前年の秋に藤波が復帰したけど、アニマル浜口にピンフォール負けするくらいの感じで、徐々に復調してて。年末の浜松かな、メインが長州と藤波のIWGP戦。藤波が復活を賭けて長州に挑戦、みたいな。生中継だったけど、お約束でメインの途中で放送が終わった(笑)。同じ日にルー・テーズの最後の試合もあって。テーズが74歳にして……。 ――おぼえてます。バックドロップをやりましたね。 そう。あと、猪木がニック・ボックウィンクルとやるはずだったけど、急遽猪木が欠場して、マサ(斎藤)さんとやって。 ――メインは? メインはなんだったかなあ……。藤波はセミだった。浜松で王者になって、初来日のムッシュ・ランボーっていう、ヨーロッパのCWAを主戦場にしていたでかい選手とやった。で、ツーカーのやつと3月にもうひとつ行ってて。『スターケードin闘強導夢』。藤波vs(リック・)フレアー。藤波がWWEの殿堂入りしたときも、一番のトピックとして扱われてた。フレアーに勝って、IWGPとNWAの2冠王になって。チケットはどうしたのかな。母親に泣きついたけどお金貸してもらえなくて(笑)、友だちに借金したのかな。当時のドーム大会って映像観てもらえるとわかるけど、すげえセットバック組んでアリーナも傾斜になってんの。何だかんだで観えるんだろうなって思ってたけど、一段嵩上げしている程度で全然観れない。だから、後ろ向いてヴィジョン観てた。 ――高校生で藤波さんが好きっていうのは渋好みに思えます。 そんなことないよ。だって、当時の藤波辰爾は38だし。昔のレスラーはちょっと老けてるから。 ――15、16歳のころっていうのは、まだ素直にプロレスを観ていましたか。 いわゆる高橋本(ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』)以前・以降って話になるけど、以前の人の見方で、「相手の技はちゃんと受け合うけど、最後は力尽きた方が負けるんじゃないか」みたいな。頑なにガチだとは思ってなかったけど、勝敗は決まってないんじゃないかなって。 ――その頃って、将来こうなりたいとかって考え始めるじゃないですか。さっき、プロレスラーになりたかったって話もありましたけど。 無理。今も抱えている持病が高1の頃に発症しちゃって、かなり世捨て人だった。クラス替えで仲良い奴が1人もいなくなり、溶け込めなくなって。高3の頃は孤立してて、学校もちゃんとは行ってなくて。まあ卒業はできたけど。 ――高校卒業後はどんな生活をしていましたか。 2年宅浪して、家で何もしないで、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を録音して、テープが擦り切れるくらいまで聞いてた(笑)。その少し前だけど、92年に藤波のファンクラブに入ったんだよ。藤波が腰痛から復帰したあとにまた欠場して、その復帰戦が異種格闘技戦(vsリチャード・バーン)で、おそろいのTシャツをつくって入場を先導する感じで。よくあるじゃん、昔の(ミル・)マスカラスとかテリーの親衛隊みたいな。ハチマキまいてダッセーやつ(笑)。横浜文化体育館なんだけど、花道の前で待機したりして。そのつながりで、そこでドームのチケットを取ってもらって行くようになったりしてた。その翌年に、藤波がG1で優勝して。 ――決勝で馳(浩)とやったときですね。 そう。それは観に行ってないんだけど、「ついに藤波が完全復活!」みたいな感じでファンは盛り上がってたの。で、渋谷で祝勝会をやるっていって、ファンクラブのメンバーとして行って。そのファンクラブで仲良かった人がいて、コアな人たちと手伝いに行ったりしてたのかな。そんな中で無我をやるって話が出て、大阪までわざわざ夜行バスで旗揚げ戦に行ったりして。95年10月29日。大阪ATCホール。 ――よくおぼえてますね(笑)。 その前の93年にはドームと、WARの東京体育館大会に行った。2月14日、バレンタインだった。それもファンクラブにチケット取ってもらって、おそろいのジャンパー着て。メインは、天龍(源一郎)、石川(敬士)VS藤波、馳。しかも、馳って当時は藤波と組んだことがなかったの。俺は長州派に対して疑心暗鬼だったから、藤波が負けさせられるんじゃないかっていう嫌な予感がしてたの(笑)。それは1カ月後か2カ月後に、藤波、長州VS天龍、石川で石川にフォール負けっていうのがあって。石川、あまり評価してなかったから、こんな屈辱はないと思って。なんで天下の藤波辰爾が石川敬士に負けなきゃいけないんだって。石川は巧いとか言われるけど、全然巧いと思ったことなくてさ。彼はいろいろやるんだけど、器用貧乏の逆。貧乏器用。ヘタなのにいろんなことをするけど、どれもたどたどしい。中堅でやっている分には活きが良くていいけど、藤波に勝つのは……しかも2回勝ったからね。イリミネーションマッチでも藤波からピンフォールとってる。当時、阿修羅・原が失踪してSWSに復帰してからそれほど経たないくらいだったし、身体がボロボロで使い物にならなかったから。石川を格上げしなきゃいけないって事情はわかるんだけど、だったら長州が負けろよって思った(笑)。その頃はもうそういう見方をしてたね。東京体育館は、セミが(ジョン・)テンタVS(キング・)ハクだったかな。モッサリした試合で、いっぱい来てた新日ファンからかなり野次られてた。当時、俺たち新日ファンはかなり差別意識をもって(WARを)見ていたからね(苦笑)。 ――本当に藤波さんが好きなんですね。 藤波史観だから(笑)。 ――当時だと、全日とかFMWはいかがでしたか。 大仁田(厚)と(ターザン)後藤の最初の電流爆破のビデオは買ったよ。親に見せて、「こんな思いしてやってんだぞ」ってアピールして(笑)。俺ね、FMWはホセ・ゴンザレスを使った時点でかなり冷めた。ブロディの命日って、俺の誕生日なの。当時、うちは日刊スポーツを取ってて、ブロディが死んだことを知って大ショックを受けて。まだネットがないわけじゃん。朝刊スポーツ紙と夕刊の東スポと週プロ、ゴングが情報源で、突発的なニュースが入ったら編集部に電話してたもん。「〇〇が亡くなったって本当ですか?」って聞いたら「はい、そうです」って沈んだ声で言われたり。 ――僕も試合結果はよく週プロの自動音声を聞いてました。 テレフォンサービス? あれは俺もかけまくったよ。なかなかつながらないこともあったよね。 ――ありました。懐かしいですね。今なら試合結果もすぐにネットで見れますけど。 勝手に客がツイッターとかで「〇〇が勝った」って書いちゃうからね。 ――で、藤波さんがいる新日を中心に観ていた、と。 全体的な流れは追ってたよ。ルチャが好きだったからユニバーサル(・プロレスリング)観てえなって思ったり。話がさかのぼるけど、俺は『世界のプロレス』がアメプロばっかりだったのが不満でしょうがなかったから。ロス・ファンタスティコスの試合とかが流れて。俺は毎週ルチャをやってほしかったけど、やってくれなかったからね。カト・クン・リーのロープ歩きとかがゴールデンタイムで流れることもあった凄い時代だね(笑)。 ――90年代前半からは、いろんなインディー団体が出てきたりもしましたね。 インディーも結構行ってた。IWA  JAPAN旗揚げシリーズの茅ケ崎行ったでしょ、NOWの旗揚げシリーズの茅ケ崎も行ったでしょ、あと、オリエンタルプロレス、湘南プロレス、UNW、PWC、WARも後楽園に1回行った。当時、怨霊とかが第1試合で。天龍VS仲野信市がひでえ試合だったよ。「天龍、殺しちまえー」みたいな怒号が飛んでて。本当に殺すんじゃないかって試合で、仲野の顔面を蹴ったらパコーンって音がして、仲野は鼻から一気に大流血で、鼻が折れてたもん。 ――いろいろ観てるんですね。 俺、冬木(弘道)の講演会かなんかも早稲田大学に見に行ってるもん。その時に抽選が当たって特リンのチケットもらったんだけど、後楽園に行ったらダフ屋に捕まって、チケットむしり取られて1000円渡されたっていう(笑)。ダフ屋がそんなに悪徳だとはまだ知らなかったから。 ――プロレスを観ていない時期はなさそうですね。 新日のドームは毎年行ってるけど、2000年以降はあんまり記憶がないかな。週プロ、ゴングを買わなくなったのが2001年くらいか。友だちの家に転がり込んでから金もなかったし。あとはスポナビとか2chを見たりするくらい。棚橋(弘至)、(中邑)真輔の暗黒期とか、空気も暗黒だったし、自分の熱も低かったから。もちろん、彼らがどういうストーリーをたどってきたかはわかってるんだけど、一つひとつが記憶になくて。この前、真輔VSカート・アングルの試合をYouTubeで観たんだけど、「こんな試合だったっけ?」っていうくらいおぼえてなかった。 ――トピックとしては総合もありましたけど。 俺は格闘技も好きで、最盛期は週プロ、ゴング、ファイト、格通、紙プロを買ってた。K-1の1回目が93年、フジテレビの夢工場とかいうゴールデンウィークの企画の中の一つだった。 ――まったく別の競技として観ていた? うん。やっぱリングスが大きかったかな、プロレスと格闘技のハブという意味では。藤波のファンクラブの人がいろいろプロレスのビデオを回してくれて、その中でリングスを観て。正道会館がトーワ杯に出たりさ。藤原組からも高橋義生と石川雄規が出たり。そこで正道会館勢が猛威を振るって。もっと前だと、全日本キックの武道館大会とかをフジテレビが夜中にやってたの。立嶋(篤志)が成り上がってくる頃の試合だった。 ――UWFは? TBSで特番とかやってたね。俺は、新生UWFは何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、プロレスに文句を言うやつにはUWFを観ろって言ってた(笑)。でも、これだったら修斗を観た方がいいなって当時から思ってた。UWFが明確に旧来のプロレスと同じだとは思ってなかったんだけど、暗くて緊迫感がねえなって。だったら、旧UWFの方が情念が感じられて特別感があった。 ――当時UWFが世間的に受けていたことをどのように感じていましたか。 文化人とかに支持されるプロレスだなって。 ――糸井重里とか? 糸井重里とか、クマさん(篠原勝之)とか。プロレスの胡散くささを排除して。「プロレスは八百長じゃねえ!」って言ってる人でも、言い切れないことってあるじゃん。馬場さんの十六文とか、「なんでロープに走るの?」とか。でも、UWFはロープに飛ばないし派手な大技がないから。 ――堕落さんもクラスメイトにそういうことを言われましたか。 そういうのと闘ってた。 ――闘ってた(笑)。 当時のプロレス少年は理論武装をしないと駄目だったの。「あんなの八百長だよ」って言うやつは絶対いるから。それは今でもそうだけど。 ――前田日明にカリスマ性は感じた? 時代のスターだとは思った。ルックスも良かったし、デカいし、借り物かもしれないけど言葉も持っているし。やっぱり、週プロとか格通とかが盛り立てたしね。「プロレスっていう言葉が嫌いな人、この指とまれ」とかさ(笑)。前田は突破者だったよ。でも、実際に試合を観ると面白いとは思えなかった。 ――で、K-1とUFCの始まりが93年。すごいものがでてきたっていう衝撃はありました? すごいものっていうより、プロレスラーが負けたじゃん。だから、プロレスの範疇にある異種格闘技戦を抜け出して、明らかにガチ(競技)で、しかも強いと思われていた(ケン・)シャムロックがあっさり負けたことに、呆然とした感じはあった。しかも、シャムロックが90kg台で、ホイス(・グレイシー)が70kg台だったでしょ。(ジェラルド・)ゴルドーもやられたし。噛みつきも金的もやって負けたからね。当時はリン魂(『リングの魂』)と『SRS』っていう番組があって、あとはなぜかNHKでUFCをやったんだよ。たしかBSかな? 当時はアルティメット大会って言ってた。 ――言ってましたね。UFCが始まっても総合オンリーにならず、プロレスはプロレスで楽しんでいた? うん。藤波辰爾とルチャが好きだから、元々ね。 ――2000年には桜庭(和志)がホイスに勝利しますが、ドームには行きました? 行ってる。その前のドームの高田(延彦)vsホイス(・グレイシー)、のちの船木(誠勝)vsヒクソンも観てる。 ――その頃、格闘技の好きな知人にNOAHの話をして「まだそんなの観てんの?」みたいに言われたことをよくおぼえています。 つうか、二極化したじゃん。NOAHと総合を両方好きって人は、たしかにあまりいなかった。俺は両方観てたけど。 ――当時「プロレスはもういいや」ってなった人は多かったと思うんです。そんな中で堕落さんは、プロレス界の流れを把握しつつ、総合の細かい技術面まで理解してチェックしているのが面白いなって。 自分がやりたかった人間だから。プロレスは体が大きくないとできないし、病気もあったから無理だったけど。格闘技に関し���は、病気さえ治れば体のサイズ関係なしにできるじゃん。街で教えてくれるから。住んでいた赤羽って、U-FILE CAMPもGRABAKAもあったから。 ――なるほど。 プロレスも総合も、どっちも構造に興味があるんだよ。何をしたらどうなるのか。定型というか、詰め将棋みたいな。プロレスのロジックと格闘技のロジックって対極かもしれないけど、構造はある意味同じじゃないかな。こうしたらこうなる、こうしたらこう返す、みたいなさ。それが相手を組み伏せるものか、試合を構築するためなのかの違いだけであって、定型はあるから。その定型の積み重ねの破れ目みたいなところがプロレスの醍醐味じゃない? いわゆる不穏試合とか、不穏試合じゃないけど思いがけない展開になってすごい盛り上がって素晴らしい試合になるとか。 ――たとえば? 藤波vs天龍の3戦目とか。藤波と天龍って3回試合をしてるんだけど、じつは全部不細工な試合になってんの。2人とも受けのレスラーでしょ? 必ずいい試合をする名勝負製造機って言われる2人だけど、3戦とも不細工。初戦は唯一藤波が勝ったんだけど、天龍が突っ張りをやったときに藤波の歯で手首を切っちゃって、最後救急車で運ばれたの。2戦目は天龍が勝つんだけど、パワーボムをすごい急角度で落としちゃって3カウント。3戦目は、藤波がドラゴンロケット3連発をやって鼻を折って。藤波は負けたし大流血戦だけど、俺はその3戦目が大好きなの。アクシデントで予定とは違う終わり方になった気がするけど。でも、そのまとめ方がすごいテンポが良くて、やっぱり2人も一流だなって思った。天龍は藤波にドラゴンスリーパーをかけられたときに鼻血がドバーッとついたりして、相当嫌だったと思う。最後は天龍のラリアットで唐突に終わるんだけど、流れがすごくいい。唐突に藤波がトップロープからニードロップをやって、天龍は避けたように見えないんだけど当たってない感じになって、藤波が着地したところにラリアットを浴びせかけて、たぶん「これで終わらせよう」みたいな合意がその瞬間にあったんじゃないかな。 ――今、おもに情報ってどこから仕入れていますか? ネットだよ。スポナビとか。あとは昔の情報なら昭和プロレス掲示板ってところがあって、そこは国際プロレスの話をずっとしてたりするので、たまに追って読んじゃう(笑)。雑誌だったら『G-SPIRITS』は毎号買いたいくらい。この前、(Vol.18を)ちょっと立ち読みしたんだけど、石川が藤波のこと呼び捨てにしてるのはカチンときた。お前より先輩だろって(笑)。 ――また藤波さんだ(笑)。個人的には、同じ号の記事で馳が冬木(弘道)を高く評価しているのが面白かったです。 冬木の評価もわかるんだけど……。冬木vs橋本(真也)がすごい嫌いでさ。冬木が意地を見せた試合なんだけど、橋本がDDTをやって冬木が返して、2回目も返して、3回目でフォール負けっていう、俺が一番嫌いなタイプ。それだったら、1回目で返したあと、あと2連発で勝負を決めろよって。爽快感がない。 ――細かく見てますね(笑)。 あれは冬木が意地悪なのか、もともとそういうふうにやるつもりだったのか知らないけど。時々あるんだよ、そういう試合。藤原(喜明)vsダン・スバーンもそうだったんだけど、あれも酷くて。スバーンは水車落としをフィニッシュにしてたんだけど、同じパターン。1回目は返される、もう1回やって返される、3回目でフォール。 ――確かに爽快感はない。 ほかにもよくあるじゃん、カウント3でギリギリで返したように見えてもゴングが鳴って「今のは入ってないだろう」ってアピールするとか、3カウントで負けた後にすぐにスタスタ帰っちゃう武藤(敬司)とか、長州とか(笑)。ああいうプライドを見せつけるのは駄目だよ。その点、藤波は偉いと思うよ。石川にもちゃんとフォールを取られたし(笑)。藤波と対戦した選手で藤波を悪く言う人はまずいないと思う。 ――「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」って言った人もいますしね。 あの日(2017年4月20日ドラディション『藤波辰爾デビュー45周年ツアー』後楽園大会)ね、前田に長州と藤波がつっかかったの。最後にみんなのあいさつが終わってリングを降りるとき、藤波が前田を突き飛ばして、「かかってこい」とかやってさ。長州も「やれよ」みたいになって。3人ともニヤニヤ笑ってるんだけど、前田にそんなことできるの、ほかにいないと思うよ。前田はそういうのに本気で怒るタイプだから。 ――そんな藤波さんの社長時代についてもどう思っているか聞きたいんですけど。 俺、赤プリでやった藤波の社長就任記念パーティーに出席したから(笑)。キラー・カーンと堀辺正史とそれぞれ2ショット写真撮ってる(笑)。司会が生島ヒロシで、チェリッシュとかも来てた。2度とこんなところでパーティーに参加することはないと思った。 ――新日の暗黒期は記憶が薄いって言ってましたけど、ほとんど見てなかったですか? テレビを見なくなってたから、ネットばっかりやってて。深夜に30分だし、アルティメット・クラッシュとかやっちゃってるし(笑)。ちょっと冷めてたね。やっぱり藤波史観だから。社長でほとんど試合してなかったし、2000年に引退カウントダウンも始まったし。トップの座から落ちて、年齢的にもトップに返り咲くことはないような。今の棚橋より上、40代後半だったから。今の棚橋だって、トップに返り咲く感じはしないじゃん。1回くらいIWGPを獲ることはあるかもしれないけど、エースとしてではない。 ――そうですね。 暗黒期といえば……藤波が永田(裕志)に1回も勝ててないっていうのが俺は不満だね。永田と3、4戦はやってるんだよ、G1とかで。1度も勝ってない。永田の実力は認めてるけど、なんか腑に落ちねえなって(笑)。安田(忠夫)に負けた時点でもう駄目だと思った。藤波ってさ、凱旋帰国試合で「アイ・ネバー・ギブ・アップ」ってさ、ガキの頃、ずっと信じてた。実際に藤波はギブアップしなかったし、記録にもほとんどなかったし。だけど、実は普通にしてるんだよね。3本勝負の1本をギブアップで取られたり、海外でNWAインタージュニアを1回獲られるんだけど、その時に4の字でギブアップしてるし。最初に明確にしたのは、G1の橋本戦(1994年8月7日の『G1 CLIMAX』 Bリーグ公式戦)なんだよ。形は腹固めなんだけど、当時の公式発表では逆肩固めとかになってた。俺が明確に見たのはそれ。それってUWFとか総合の影響。関節技が極まったら本当は返せるものではないっていうのが世の中に広まったから、プロレスでもギブアップ決着が多くなった。昔はトップレスラーってあんまりギブアップ負けしなかったよ。両者リングアウトがなくなったのと、ギブアップ負けが多くなったのは、UWFと総合の影響だと思う。決着がつくカタルシスが格闘技にはあって、判定がつくじゃん。ドローもあるけど。最初に総合の影響を受けたのは意外にも全日なんだよ。馬場の鶴の一声で両者リングアウトがなくなって。 ――ああ、たしかに。 当時の雰囲気だと……四天王プロレスをガチだと思っちゃう感覚がすげえなって。俺は思ってなかったけど(笑)。人間って、インパクトにやられるんだなって。いや、実際すごかったよ、四天王プロレス。人間の限界に挑戦していたと思うけど、ガチだと勘違いさせるくらい恐ろしいことをやっていた。相手を殺す気がないけどハンマーで頭をぶん殴る(笑)。「あれは殺しにいってるだろう!」「いや、殺しにいくつもりは全然ない、でも本物のハンマーで力を加減して頭を殴ってる」っていう。 ――そのハンマーが、三沢(光晴)vs小橋(建太)の、三沢が小橋にかけた花道から場外へのタイガースープレックスだったり。 小橋vs秋山(準)の、小橋がやったエプロンからのブレーンバスターもそうだしね。 ――「NOAHだけはガチ」って言葉、当時流行りましたね。 ある意味、ガチな結末になっちゃったじゃん。三沢が亡くなって。 ――今日はそのへんの話も伺いたかったんですけど、リング上におけるレスラーの事があったとき、どうやって自分の中で折り合いをつけていますか? 三沢の死は…93年かな、鶴田が欠場したときの三沢vs川田(利明)の頂上対決。三沢が投げっぱなしジャーマン連発で勝った試合。それを観てから、四天王プロレスは嫌いになった。 ――その理由は? 美しくない。さっき言ったように、DDTを3発やるとして1発1発返していったら美しくないでしょ。1発返されたら2発連続でやってダメ押しするみたいにしないとダラダラした印象になる。それと同じで、危険な技を散発的に出すことに理屈が感じられない。 ――フィニッシャーに説得力が感じられない、と。 説得力でいえば、四天王プロレスの技自体にはあったじゃん。でも、首が折れるんじゃないかって技をなんで何発もやるんだっていう。そうなってくるとタフマン・コンテスト、残酷ショーでしょ。「信頼している人間だからこそ危険技を掛けられる」って言うけど、信頼している人間を殺す寸前までやる必要はないだろうって。四天王プロレスのきっかけって、豊橋でやった小橋vs(スティーブ・)ウィリアムスだと思う。ウィリアムスのバックドロップドライバー、殺人バックドロップが最初に出た試合。あれ当時ね、夜中に全日の中継見てて、解説の百田(光雄)と一緒に思わず「うぉー!」って言ったくらい衝撃的な試合だった。あの試合の小橋はすごい好きなの。すごい表現力があって、バックドロップを食らった後、意識を失うんじゃなくて、ガクガクしながらロープに這っていって逃げ惑うの。ウィリアムスはそこにもう1発バックドロップを食らわせてフォールを取るんだけど、それだったら俺は納得がいく。でも、小橋は散々受けてきたのに自分がやる方になって、それがちょっとげんなりしてさ。後に2chとかで“勝ちブックおじさん”っていわれるんだけど、NOAHでの絶対王者時代、小橋自身がブックを書いていたっていう。しかもあんな危ない技で勝ちまくる小橋、みたいなさ。そこに小橋の魅力はないわけ。確かにあの頃の小橋もすごかったし、小橋のことは認めてるんだけど、四天王プロレスは嫌いなの。小橋はミスター・プロレスだと思うし。スタイル自体は違うけど、小橋は藤波とキャラクター的には同系統だと思う。2人とも生粋のベビーフェイスで、ヒールだったことが1度もない。藤波はメキシコでルードになったこともあるんだけど、ものすごく非難をされた時期がないじゃん。で、2人とも生粋のプロレスファン上がりのレスラーじゃん。格闘技の実績があったわけじゃなくて、入団当初期待されていたわけでもなかったのに、練習熱心で身体をつくって、努力で上がったと。レスリングのスタイルとしては、藤波から受け取ったのは武藤、棚橋、SANADA。それってじつは、猪木とは違う系統。 ――今言った藤波さんに連なる系譜は同感ですけど、小橋と同系統っていう解釈は新鮮に感じます。 俺は今の新日は面白いと思うんだよな。藤波がすごい棚橋批判をしているらしいんだけど、それは乗れない。いくら生粋の藤波ファンとはいえ。WWEっぽさとかが駄目なようだけど。 ――僕はWWEをちゃんと観ていなんですけど、やっぱり近づいてきてますか? フィニッシャーを大事にするところとかね。フィニッシャーを決めて、そこから逆をたどって試合をかっちりつくってる。さっき言った破れ目が試合に全然ない感じ。アクシデント性、アドリブ性は昔に比べてなくなったなあって。昔はいわゆる基本的なチェーンレスリング、こう来たらこう返すっていう型がいくつもあるんだけど、その組み合わせ自体は完璧に決めないでお互いのアドリブ感覚で試合をつくっていくっていうのがあったっぽいんだけど、今はかなりきっちりつくられている。 ――いつくらいからですかね? 2010年前後? そのくらいじゃないかな。2000年代半ばはちゃんと観てないんだけど、あの頃は「しょっぱいな」って試合が多かったから、移行期だったのか、まだだったのかって感じ。少なくとも2012年には今のスタイルになってた、レインメーカーショックは完全にWWEのスタイルの流れを汲んでいると思う。そうそう、俺、オカダ(・カズチカ)の凱旋試合観て、「アメプロのテレビマッチだな」ってツイートしてるの。いわゆるスカッシュマッチっていうんだけど、見せ場もほとんどなしに終わらせる試合。一応、相手のYOSHI-HASHIの凱旋試合でもあるのに、波もなくあっさり終わったの。勝った方と負けた方で明確に格の差があるのが、向こうの試合っぽいなって当時思った。そうしたら今の流れになったから、あながち間違ってなかったなって。 ――新日が盛り返したのは本当にうれしいです。 ただね、けが人が多すぎる。 ――最近だと、柴田ですね。 まだオカダ戦も観てないんだよね。観れない。別に凄惨な試合じゃないってのはわかってるんだけど。 ――僕はリアルタイムで観ましたが、すごくいい試合でした。 想像はつくんだよね。今の対立軸としても最高のふたりだったし。ものすごくもったいないし惜しいけど、ある意味では最高の終わり方かなって気もする。問題は本人がどう思っているか。ありがちなのは、会社は止めるけど本人がやりたがるとかさ。ただ、彼との試合で過去にひとり亡くなっていることは考えてほしいと思う。あまりいい言い方はではないけど、すごい因果だよね。でも、それはそれでそ���いうストーリーとして受け止めるしかない。 ――僕自身は、ああいうことが起こるたびに「このまま観ていてもいいのかな」って自問するんですけど、結局、いつも忘れて流されちゃってるんですよね。 俺が最初に通ったリング禍は、プラム麻里子。尾崎魔弓のライガーボムだけど、写真を見る限りはきれいに受け身も取ってる。脳の障害は慢性的なものもあるだろうし、人間の体って紙一重で助かるケースも多いと思うの。とくに脳はね。たとえば、棚の下を掃除してて、棚があることを忘れて頭を上げた瞬間にぶつけるっていう……日常でよくあるドジ。でもそんなことで死んだ人だって世の中にいるから。脳なんて水に豆腐を浮かべてるようなもんだし。ちょっとした角度とか、寝不足だったとか風邪気味だったとかで、人間は死んだり再起不能になったりするんだろうなって。首とか背骨もそうだけど。だから、どうすればいいって言いきれないんだけど、なるべくそのリスクを軽減されていることが平常であるべきだとは思う。だから、「危険技がどうのこうの言ったらプロレス見れねえ」っていうけども、できるはずだから。それでも事故は起きるよ。でも、確率を減らすことはできるはずだから。危険技があれば面白くて感動するものではないってことは、もうわかってるはずだから。だったら、減らすべきだろうし。そういうのを徹底した上で、どうしてもそういう技を入れたいっていう時にやったら、それはそれでインパクトがすごいだろうし、温存することにもなるから。料理にたとえたら、激辛のハラペーニョを500g入れたラーメンとすごく繊細な出汁をとったまろやかなラーメン、どっちが旨い?って話で。(前者は)刺激はあるけど、(後者を取るのが)人間の英知でしょって。それは何だってそうだけど。 ――ケニー(・オメガ)なんかは試合によってそのへんをうまく使い分けているように感じます。 ただね、(2017年の)1.4の雪崩式ドラゴンはやり過ぎだと思う。あれはさすがに……。オカダもよく大丈夫だったと思うもん。ジャーマンだと胴体を持つから相手の可動域も広くて途中で回転しやすいけど。ドラゴンって、本当に勢いつければ支点がてっぺんの方にあるからうまく体が回るはずなんだけど、首は固定されたら何もできない場所だから、中途半端に落ちる可能性がものすごく高い。ジャーマンをかけられた方が途中で切り返すときって、かける方は必ず相手の胸の方をグリップしてる。ドラゴンは首を固定しているから本当に危ないんだよ。 ――堕落さんがこの前ツイートしていたみたいに、藤原、(ザ・グレート・)カブキレベルになれば、リングに立っているだけでいいわけですもんね。 妖気漂う爺さんが隈取をしてね。首が曲がっちゃってて、言い方は悪いけど背虫男みたいになってるけど、逆にそれが不気味さを醸し出してる。藤原も胃がんをやって、体なんかダルダルになっているけど、藤原なわけじゃん。そのふたりが何もせず睨み合っているだけで成立する。ふたりの歴史もあるし。そういうものを使って見せるのがプロレスだと思う。だから、棚橋とオカダは正しいんだよね。レベルが高いし、危険技をほとんど使わずにあれだけテンションを保って、毎回アレンジを加えて名勝負をしているんだから。一昨年(2015年)のドーム、オカダが試合後に泣いた試合、あれは最高のアクセント。危ない技も派手な技も派手な仕掛けもなく、ただ泣いただけ。でも、あのオカダが泣いたから、ストーリーが翌年につながって。 ――オカダに一つだけ注文をつけるとすれば、マイクやバックステージのコメントで「この野郎」って言うのは似合わないからやめてほしいなって(笑)。 うん、慇懃無礼かつ愛されキャラでいいと思う。最近、地方では子どもにマイク振ってるみたいだよ。「なぜだかわかる?」って振って、「レベルが違うよ」って言わせてる。それでいいと思う。だって、どう考えても愛されキャラだから。ちょっと悪ぶっている気のいい兄ちゃん。 ――プロレスと言えば、テーマ曲も大切ですよね。好き選手のテーマ曲以外で、この曲を聴くとブチ上がる、みたいなものはありますか? 俺も基本的にオリジナルが欲しくて、一曲のためにアルバムを買うタイプだったから、「IRONMAN」が欲しくてブラック・サバスを買ったり(笑)。あと、ヘルレイザーズが出てきたときは、オジー・オズボーンのアルバムも買ったし。藤原の「ワルキューレの騎行」とか。「スーパーファイターズテーマ集」とか買ったけど、納得いかなくて、藤波の「ライジング」って曲――飛龍革命をやっていたころに使っていた――悲壮感があって、「ドラゴンスープレックスより合っていたと思うけど、オリジナルはビクターレコードから出てて。だけど、キングとビクターって、お互いにオリジナル原盤を持っていない方が必ずカバーを出すの。ほかのレコード会社が出した「ライジング」は、あきらかに音が違うわけ。ちゃんとしたスタッフがいる団体はそれを使わないはずなんだけど、DRAGON GATEに藤波が出た時にはそれが使ってやがって。ビクターから2回出てるんだけど、1回は橋本、蝶野(正洋)、藤波のテーマでミニアルバムが出て。その時に、藤波のテーマのあとにエピローグとして音が入っていたんだけど、表記が「ライジング~エピローグ」で。そうなると、知らないやつが曲名をそれだと思ってて、藤波のテーマ曲が「ライジング~エピローグ」って表記されてたりする。許せない、それは(笑)。あと、(グレート・)ムタのテーマ曲は、プロトタイプバージョンと音源バージョンだと全然違う。 ――知りませんでした(笑)。 会場使用がプロトタイプで、試作品をずっと使ってたのに、商品にする際に新録してるから、「会場でかかっているのと違うな」って思ったら、やっぱり違った。 ――やっぱり細かい(笑)。個人的にこれを聴くとテンションが上がるっていう曲はありますか? スタン・ハンセンの「サンライズ」かなあ。でもね、俺、UWFが嫌いだったのに、田村(潔司)がKOKトーナメントでヘンゾ(・グレイシー)とやったときだけ特別に使った『U.W.F.プロレス・メインテーマ』は良かった! 別に山ちゃん(山崎一夫)が使っててもそんなに気にならないのに(笑)。田村がついにグレイシー狩りに行ったとき、「ヒクソンより強いかもしれない!」と言われていたヘンゾと1回戦であたったんだけど、リングアナが「田村潔司選手の入場です!」って言った後に、数秒の間を置いてあの曲がかかったら、会場が「ウォー」ってなって、実況も「オオー!」とか言って(笑)。「Uを背負ってやる」って姿勢に瞬時に感動したわけだよね。 ――田村も面白い選手ですよね。UWFインターのときのドームに出なかったことも含め。 田村は本当にいいプロレスラーだと思う。自分でストーリーなりフックなりをつくるし。 ――プロレスラーは愛すべき個性を持っている人が多いですけど、いろいろな逸話を楽しんだりするのも好きですか。 嫌いじゃないけど、社会運動にかかわって、いろんなコード(規範)みたいなものをより意識するようになって。それと照らし合わせると、「あり」とは言えないものも多々ある。過去のシゴキの話とかも、昔は笑っていた気がするんだけど、今は「駄目でしょ」って思うし。 ――僕も以前は好きだったんですけど、今だったら駄目だよね、と思うことが増えています。たとえば、以前の新日の巡業でレスラーが女風呂を覗いていたっていうのも、もちろんナシでしょうし。 ホモソーシャルな中で笑い話にはできるかもしれないけど、表向きは絶対できないよね。 ――レスラーの政治志向なんかも気になりませんか? たとえば、ハンセンは(ドナルド・)トランプに投票したんだな、とか。 そうそうそう。でも、それはそうだろうなとしか思わなかったよ。 ――テキサス出身だったらトランプなのかな、とは思いましたけど。 俺も気になって調べた。レスラーとか格闘家って基本的には保守的な連中だと思っているから、その中でリベラルっぽい人をチェックしたの。俺は英語が苦手だから自動翻訳だとわかりにくかったんだけど、ジョシュ(・バーネット)は左派を揶揄してるように見えるツイートをしてた。今も付き合ってるか知らないけれど、白人のジョシュはアフロアメリカンの格闘家の彼女がいたし、リベラルな人なのかなって思ってたんだけど、そうでもなかったのかな。 ――そういう情報まで含めて細かいところまでチェックされて、そこからさらに深く考えてますよね。僕自身は、後楽園とかに行って、半裸の男女がプライドをかけて闘っているのを見るだけで「プロレスいいなー」って思っちゃう単純さだから、余計にそう思います。 いま「半裸」って言葉が出たけど、セックスワーカーの話にもつながるよね。仲の良いゲイの人が過去にウリをやっていて、その時の思ったことを著書(ハスラー・アキラ『売男日記』)につづっていたの。それを読むと、セックスワークにおける充実感とかがつづられていたりするわけ。俺は昔からセックスワーク、セックスワーカーが大嫌いで、蔑んでいたの。自分でも絶対利用したくないって思ってた。けど、いろいろな情報を得たり、そういう人たちと出会って、だいぶ考えが変わって。「あ、これはありだな」って思った。いわゆる売春自体が、人類最古の商売っていわれるくらい根源的なものとしてあるでしょ? あと、なぜ嫌悪するのかっていうところを突き詰めて考えると、性的なプライド、尊厳、肉体的なきつさを金にしていいのかっていうのがあると思うんだけど、いざ、自分が日雇い肉体労働派遣仕事しかできないような状況のときに、病気で体力もないのに現場派遣に行って、40kgあるガラを一輪車に乗せてダンプを駆け上がってっていうのを一晩中やらされて、死にそうになってしゃがみ込んでいたら、俺より明らかに若いアンちゃんに「てめえ、何さぼってんだよ」って言われたときに、肉体的にも死にそうになって、プライドもズタズタにされて、それで一万円も稼げないわけ。その時のことを思い返して考えたの。肉体労働とセックスワークは何が違うのかって。セックスワークは、いいお客さんに当たったら、相手を気持ち良くしてそれなりにお金をもらって、もしかしたら自分も気持ちいいかもしれない。だったら、それは素晴らしいことでしょ? もちろん現実はそんな理想的ではないだろうし、ゲイの人のとヘテロ男性向けの女性のとで事情も違うだろうけど。誰も損しなければね。搾取で行ったら、一般の肉体労働派遣の方が酷いこともあるし。だとしたら、その二つにどんな違いがあるのか、どっちが蔑まれるべきものなのか。そういうことを突き詰めたらね。もちろん、無理やりやらされてたり、酷い扱いをされるとかだったら駄目だけど、その存在自体は否定されるべきではないんじゃないかなっていうことをここ数年で思った。でも、世間的には未だに賤業なわけじゃん。それってプロレスと同じなんだよ。 ――なるほど。 プロレスってこんな熱く何時間も語れてさ、一緒に観に行けば「うわー!」って叫べて、生きる糧にもなってるわけじゃん。でも、やっぱりバカにされる。「いい年したおっさんが裸になって八百長やって何がいいんだ?」って扱いをされるわけじゃん。実際レスラーは身体ボロボロにしながら夢を売ってるのに。 ――今後もずっとプロレスは見ていこうと思っていますか。 ほかに趣味がないんだよね。映画も観ないし、本も読まないし、音楽も全然知らないし。漫画もアニメもゲームも……ゲームはスマホで野球のゲームをやるくらい。最近、ツイッターもプロレスのツイートばっかりしてるもん(笑)。 取材日:2017年4月下旬 取材・文:チリドックYT イラスト:鈴木侑馬
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tettin0124 · 6 years
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【WWE】中邑7度目の王座挑戦も戴冠ならず AJに金的も両者リングアウト(東スポWeb) 【サウジアラビア・ジッダ27日(日本時間28日)発】WWEのPPV大会「グレイテスト・ロイヤルランブル」で�黒いロックスター�中邑真輔(38)はWWE世界王者AJスタイルズ(40)に挑むも、両者リングアウトの結末に。ベルトの移動はなく、またも日本人初のWWE王者誕生はならなかった。  祭典「レッスルマニア34」以来の再戦となった中東決戦。祭典後から悪に染まった中邑はAJのヒザ裏に容赦ない蹴りを見舞い、強烈なニーで試合の主導権を奪った。さらにフェノメナール・フォアアームをかわされたAJがレフェリーと交錯しかけたスキを突いて、背後から金的攻撃を敢行。黒いロックスターの新たな代名詞となった反則攻撃に、サウジの観衆は暴動寸前だ。  だがこの攻撃で怒りに火がついたのは他ならぬ王者のAJだった。中邑は直後にキンシャサ・ニー・ストライク(ボマイェ)を狙ったが、カウンターのドロップキックを浴びて場外へ避難。ここで我を忘れたAJの怒とうの猛攻にさらされる間に10カウントが数えられ、自らまいた種とはいえ不完全燃焼の灰色決着となってしまった。  昨年8月の同王座初挑戦から7度目(トリプルスレッド戦を含む)でも戴冠はならず。しかも試合終了のゴングが鳴っても怒りの収まらないAJにプランチャでKOされてしまい、さながら敗者のような姿で退場した。祭典の王座戦で敗れた直後にキンシャサでKOしたことへの仕返しまでされた格好で、2人の遺恨は日に日に深まるばかり。ベルトをめぐる抗争は、今後さらに白熱しそうな気配だ。 Source: 最新スポーツニュース Source: スポーツニュースまとめ
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waowsmagazine-blog · 6 years
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社会学者・古市氏「プロレスって本気の戦いなんですか?」
引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1517753949/
1: 風吹けば名無し 2018/02/04(日) 23:19:09.09 ID:IdnAxCXxM  4日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜・前10時)で、1月29日に米フィラデルフィアで行われたプロレス団体「WWE」のロイヤルランブルで優勝した中邑真輔(37)について特集した。
 スタジオにはプロレス通のタレント、ハチミツ二郎(43)が登場。中邑を「今、米国で一番有名な日本人」と絶賛した。特集の最後に社会学者の古市憲寿氏(33)が「そもそもプロレスって本気の戦いなんですか?」とハチミツに質問。これに対し「本気に決まっているじゃねぇか」と返したハチミツは、「これ結構重要で、日本ってスポーツとしてプロレスをやっているじゃないですか。ここはスポーツエン…
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c3oyama · 4 years
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2/24クロスカントリーの日 誕生日/スティーブジョブズ 飛鳥涼 佐久間良子 ジョージハリスン 岩佐真悠子 淡島千景 大平サブロー コージー冨田 樹里 Rey 誕生日 1955年 スティーブ・ジョブズ (米:経営者,アップルコンピュータ創業)Steven Paul Jobs[2011年10月5日歿] 1786年 ヴィルヘルム・グリム(文献学・グリム兄弟の弟) 1890年 青野季吉(文芸評論家) 1897年 蜷川虎三(元京都府知事) 1910年 山村聡(俳優) 1924年 シドニー・ポワチエ(俳優) 1924年 淡島千景(女優) 1933年 大木金太郎(プロレス) 1939年 佐久間良子(女優) 1943年 ジョージ・ハリスン(ビートルズ・ミュージシャン) My Sweet Lord (Studio Version) Original https://youtu.be/0kNGnIKUdMI 1944年 草野仁(キャスター) 1955年 アラン・プロスト(F1) 1956年 太平サブロー(漫才師) 太平サブロー・シロー「爆笑!そっくりものまね大集合」https://youtu.be/eUWGRp0idYM 1958年 飛鳥涼(CHAGE&ASKA・歌手) SAY YES / CHAGE and ASKA https://youtu.be/Q9qAyt0G-jM 1960年 平野寿将(料理研究家) 1962年 阿南健治(俳優) 1966年 山本陽一(俳優) 1967年 コージー冨田(タレント) 1971年 ペドロ・デ・ラ・ロサ(F1) 1971年 松島二郎(ボクシング) 1974年 北山陽一(ゴスペラーズ・ミュージシャン) ウィスキーが、お好きでしょ / ゴスペラーズhttps://youtu.be/LQRfzn5jnn0 ロビンソン/ゴスペラーズhttps://youtu.be/UqbrvPGMvlI やさしさに包まれたなら/ゴスペラーズhttps://youtu.be/VVEL4J9fIUc 1976年 橋本典子(タレント) 1980年 中邑真輔(プロレス) 1987年 岩佐真悠子(女優) 1987年 樹里(モデル) 1993年 Rey(タレント女優) 誕生花は ネモフィラ(nemophila)、花言葉は“愛国心” 誕生石は ダイヤモンド(diamond)、宝石言葉は“清浄無垢” クロスカントリーの日 1977(昭和52)年のこの日、原野・森林等にコースを設定して走る競技・クロスカントリーの、統一ルールによる初めての大会がイギリスで開催された。 鉄道ストの日 1898(明治31)年のこの日、日本初の鉄道ストライキが実施された。 日本鉄道会社の機関士ら400人がストライキに突入し、上野~青森の列車が運休した。 月光仮面登場の日 1958(昭和33)年のこの日、ラジオ東京(現在のTBS)で国産初のテレビ映画『月光仮面』のテレビ放送が始った。 独立記念日 [エストニア] 1918年のこの日、エストニアがロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から独立した。その後、1940年にソ連に、1941年にドイツに占領された後、1944年からソビエト連邦の一部となっていたが、1991年に独立を回復した。 歴��・出来事 1869年 明治政府、京都から東京に遷都を決定 1873年 明治政府、キリスト教を解禁 1877年 初のクロスカントリー選手権開催 1901年 奥村五百子らが愛国婦人会を創立 1906年 日本社会党結成 1933年 日本、国際連盟から脱退 1934年 直木三十五(作家)、没(享年43歳) 1958年 TV番組『月光仮面』放送開始。爆発的人気で視聴率68% 1972年 山陽新幹線が世界最高記録(当時)286km/hを達成 1973年 足尾銅山が閉山 1976年 ロッキード事件、東京地検が強制捜査開始 1989年 昭和天皇「大喪の礼」 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/B87RVrJA-tN/?igshid=15kkv45eq2x23
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honyade · 7 years
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『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(文藝春秋)発売記念 柳澤健さん トーク&サイン会
日時:11月27日(月)19時~ 場所:芳林堂書店高田馬場店8階イベントスペース
芳林堂書店高田馬場店では、『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』の発売を記念致しまして、『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』発売記念 柳澤健さんトーク&サイン会を開催致します。芳林堂書店高田馬場店にて対象書籍をお買い求めのお客様、先着50名様に、参加整理券をお配り致します。皆様ぜひご参加ください。
●日時:2017年11月27日(月)19時~ ●場所:芳林堂書店高田馬場店8階イベントスペース ●参加条件:11月16日(木)発売日より、芳林堂書店高田馬場店3Fにて対象書籍をお買い求めのお客様に先着にて参加券をお配り致します。 お電話・メールでもご予約を受け付けます。「お名前」「お電話番号」を担当者にお伝えください。
【お問い合わせ】 芳林堂書店 高田馬場店 TEL: 03-3208-0241 メール:[email protected]
●参加人数:50名
柳澤健(やなぎさわ・たけし) 1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、メーカー勤務を経て、文藝春秋に入社。編集者として「Number」などに在籍し、2003年にフリーライターとなる。07年に処女作『1976年のアントニオ猪木』を発表。著書に『1984年のUWF』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『1993年の女子プロレス』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス ~林美雄とパックインミュージックの時代』がある。
松井一晃(まつい・かずあき) 「Sports Graphic Number」編集長。
●対象書籍: 柳澤健『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』 11月16日(木)発売 ISBN 978-4-16-390756-7 定価 本体1800円+税
●内容紹介: 2000年代半ば、危機的な状況にあった新日本プロレスの人気が復活するためには、多大なる努力と、長い時間が必要であり、常にその先頭に立っていたのが、ふたりのエース、棚橋弘至と中邑真輔だった。総合格闘技とは異なるプロレスの魅力をアピールして、新しいファンを呼び込もうとする〝100年にひとりの逸材〟、棚橋弘至。総合格闘技と関わることで、プロレスの強さを見せつけようとする〝キング・オブ・ストロング・スタイル〟こと中邑真輔。まったく異なる方法論を持つふたりのライバル関係は、2011年に転機を迎える。棚橋弘至が断然たる新日本プロレスのエースとなり、中邑真輔はエースの座から追い落とされてしまったのだ。だが、中邑真輔の真の魅力が開花するのはここからだった——。
棚橋は言う。「僕が太陽なら、中邑は月のような存在だった。ふたりのうちどちらかが欠けても、いまの新日本プロレスはなかった。棚橋と中邑は一対の存在なんです」と。新たなプロレスの世界を作った、「太陽と月」の物語を丹念に描く。
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com http://ift.tt/2jkCcdC
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shinsukew11 · 7 years
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. ちょっと遅くなったけどWWEOSAKA。 スマックダウンが丸ごと家から5分のところにやって来るなんて、感無量。 . I feel a sense of accomplishment. . . ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ . ◯渡辺シンスケがあなたのブランディングを直接お作りさせていただく、数日で満席になる30席限定大人気イベント 【ファイブスターブランディング大学説明会&セミナー】 10月度開催分の募集がオフィシャルホームページにてスタートしました。 . . ○今まで断り続けた顔だし対談を遂に解禁し、そこで暴露してしまった集客の真実が、期間限定で無料メルマガで公開しています! 【1億円以上稼ぐ成功者、芸能人が人知れず行う5つ星集客術】 詳細はオフィシャルホームページより。 . . #WWEOsaka #WWE #smackdownlive #smackdown #スマックダウン #エディオンアリーナ大阪 #中邑真輔 #shinsukenakamura #プロレス #元ホテルマン #成功者 #接客 #フリーター #コンサルティング #サービス業 #自由 #自由人 #達成 #達成感 #起業 #開業 #コンサル #5つ星 #集客 #コンサルタント #ブランディング #渡辺シンスケ #ファイブスターブランディング大学 #ファイブスターブランディングクラブ (Osaka Prefectural Gymnasium)
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leechan1018 · 4 years
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Happy Birthday Mitsuki お 誕生日 おめでとうございます 酒井参輝!! . 活動と愛を増やしてくれる一年を、たくさんの心を願っています うお座占星術♓ . BABYMETALのファン ( ゚д゚) . 彼がいたときの前にギター武政さん ( ex. クララ零式 ) また、中邑真輔 ( プロレス ) 両方の誕生日 ( ゚д゚) . I wish you a year of increasing activity and love . He is a fan of BABYMETAL Like I do Love so much >>−ズキュン(❤´□`❤)−カッコイイ−❥ . 2020年02月24日 2 / 24 / 2020 #己龍 #酒井参輝 #酒井参輝生誕祭 #誕生日 #おめでとう #ギター #v系 #ヴィジュアル系 #いいねした人全員フォローする #いいねで気になった人フォローする #いいね返しは絶対 #いいね返し #いいね返す #フォローバ100 #フォロー返し100 #Kiryu #SakaiMitsuki #Miki #mikitan #happybirthday #omedetou #Guitarist #VisualKei #followalways @kiryu_mitsuki https://www.instagram.com/p/B87yY-LAyln/?igshid=1fav3s4719m7z
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shoto1111 · 7 years
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WWE中邑真輔はまるでジャッキー・チェンだ
応募締め切りに向けて小説を書くことに集中しているのだが、 どうにも息抜きで何か新しい刺激物は無いかとツイツイyoutubeを開いてしまう。 そんな中で出合ったのが、SHINSUKE NAKAMURAだ。 プロレスに一度も興味を持った事がなかったが、一瞬にして���になってしまった。 中邑真輔はプロレス界のジャッキー・チェンだ。 自己プロデュース、誰もやったことのない新たなジャンルを確立。 大した人だなあ。 WWEのスター選手 チャンピオンベルトは未だ掴んでいないものの、人気はNo.1だ。 会場の盛り上がり方が他の選手とは比較にならない。 百聞は一見に如かず、入場シーンを観よう! 入場曲のThe Rising Sun はitunesでサントラ部門1位の大ヒット…
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