Tumgik
#備後蔵王太鼓
wadaikodrumgaryu · 2 years
Photo
Tumblr media
福山城築城400年🏯 和太鼓でもお祝いします😌✨ 新しくなった福山城で、 皆さんに勇壮な和太鼓の響きを 観て、聴いて、感じていただき、 皆さんと一緒に400年を祝いたいと思います♪♪ ぜひ9月10日は福山城で、 楽しみましょう♪♪ ※※※※※※※※※※※※※※※※ 福山城築城400年にふさわしい勇壮、華麗な和太鼓の饗宴、世界的に活躍する「太鼓芸能集団 鼓童」「我龍-GARYU-」に加え、福山市内の7団体が祝いの太鼓を打ち鳴らす!! ※※※※※※※※※※※※※※※※ ☆出演☆ #太鼓芸能集団 #鼓童 #我龍-GARYU- #原田嘉子 #JFE 太鼓部 #火炎太鼓 #和太鼓響組 #蛇円太鼓芸能保存会 #備後しんいち鬼炎太鼓 #備後蔵王太鼓 #ふくやま和太鼓教室 ☆詳細☆ 【日時】9/10(土)10:00〜18:00🐉我龍15:00〜🐉 【場所】福山城天守前広場 ☆入場無料☆ #福山 #福山城 #福山市 #福山城築城400年 #イベント #祭り #和太鼓 #祝い太鼓 #歴代藩主に捧げる祝い太鼓 #我龍 #garyu #ガリュウ #がりゅう#太鼓#広島県 (福山城公園) https://www.instagram.com/p/Ch_20flBc3I/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Photo
Tumblr media Tumblr media
Good-bye Arty
Monday 3 September 2012
Vegetarian 15日
No Alcohol 15日
Walking 18日
これは、先月の統計結果。
月の約半分実施ということになる。先々月よりも少ない。
いまのところは、このくらいのバランスでよしとする。
朝市に行き野菜を買う。
冷蔵庫には、野菜と調味料しかない。
肉、魚は都度買うことにしている。
冷凍もあまりしない。
正午、廃車業者がアーティを引き取りに来た。
あっけなく行ってしまった。
4年間、ありがとうございました。
車両代、1回の車検代、タイヤ代、2回の修理代をざっと合わせて計算すると40万だった。ということは、1ヶ月1万円弱の費用となる。走行距離は、45.000km。(購入時=90.000km 廃車時135.000km)1年で平均11.000km走ったわけだ。遠出は、愛知までの帰省に10回。昨年は、東北へ2回。和歌山県に1回。東京へ何回か。山梨にも。千葉の館山にも数回。
自分のカメラより愛着があった。
名前をArty/アーティと名付けた。アーティは、男の設定だ。
ワゴンRの初期型で1995年式だった。
カラーリングが仮面ライダー1号を連想させた。
購入時
引っ越しを機に車購入を検討。引っ越し資金内で購入の為に予算はかつかつ。アシスタントのタカと一緒に八王子の中古車センターに行った折に見付けた。その日雨が降って来てルーフの塗装が剥げていたのが分からなかった。試乗してみたらタカが大丈夫と太鼓判を押した。備え付けのカーオーディオがいい音を出していた。
タイヤの交換をすぐした。
オイル漏れをオイル交換した時に指摘され町のディーラーへ。
応急処置的な修理をして「後5年は乗らないでしょ」と言われて憤慨した。
昨年、豪雨の中の走行でダイナモとバッテリーがいかれた。
廃車時(ここ最近の調子)
11月の車検が迫って来たが車検に10万は軽く越すと車検代行のお店に言われていた。
サスペンションのジョイント部の不具合なのか悪路だと異音がしていた。
ステアリングボックスの異常なのかハンドルがカタカタ鳴った。
ハンドルの遊びが酷く高速やカーブでは危険を感じた。
エンジンは、最初乱れるがすぐに安定していた。
追々後で書き足すことする
学校の授業が近づいている。
ZINE制作。
今日は、夕方からの散歩は止めて夜になってから散歩に出掛けた。それは、散歩コースであるスーパーの総菜が閉店の9時近くになると半額とお値打ちになるのでそれに合わせることにした。案の定総菜は安くなっていて寿司を249円で購入。それに朝市で買った空芯菜を炒めて夕食とした。
夕食後もZINE制作。
閃きの赴くままに作っている。
深夜、ニューヨークの友達とSkype。約30分話した。
僕の恋愛の行方を気にしていたが心配ご無用と伝えておいた。
僕は、何とも思っていない。
会話のキーワードは、物事の優先順位、自分の性格とのつき合い方、改善方法、帰郷、ホルモン焼、高峰秀子、、、、。鉄也と出会って30年近くになる。
落札したワゴンRの業者と連絡が朝から取れなかったが深夜やっと連絡が来た。
ホッとした。この件について兄に電話して相談した。
0 notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖ��ҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
5 notes · View notes
honyade · 4 years
Text
(5月31日まで開催中)【フェア】人から紐解くiPS細胞
代官山 蔦屋書店 営業時間について 5月11日(水)~当面の間 11:00~19:00
■代官山 蔦屋書店ご入店に関して ・1号館2階 映像フロアでのレンタル対象商品は「新作のみ」とさせていただきます。 ・3号館2階 音楽フロアはご利用いただけません。 ※お客様およびスタッフ同士の距離感を十分に取れる空間の確保・維持のため、入場制限を設ける場合がございます。 その場合は整理券を配布いたしますので、ご案内の際は指示に従ってくださいますようお願い申し上げます。 ※大変恐れ入りますが、マスクを着用していないお客様のご入店はお断りしております。 ※休店日や営業時間、当日のご案内方法は予告なく変更となる場合がございます
———-
iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長 山中伸弥
『宇宙英雄ローダン・シリーズ』K・H・シェール他(著)ハヤカワ文庫SF 子どもの頃、夢中になって読んでいました。科学の力で問題を解決していく登場人物にあこがれたのが、今の仕事の原点かもしれません。日本語版が600巻を超えた今でも続きが出ている人気作です。
『星新一のショートショート』 環境問題、人口増など現代にも通じる社会問題に鋭く切り込んだ作品が多く、読んでいて刺激になります。
『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン(著)きこ書房 アメリカ留学から帰国後、仕事に悩んでいたときに読んだ本です。思うように研究が進められず、研究を続けるかどうか悩んでいた私に、仕事を楽しむことを思い出させてくれました。
『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング他(著)日経BP 科学者にとって、自分の偏見を捨て、データと真剣に向き合うことは非常に重要です。これは科学者以外の方にも言えることだと思います。この本は、世界のいろいろな事象を思い込みに惑わされずに見つめる訓練にとても役立つと思います。
『理不尽に勝つ』平尾誠二(著)PHP研究所 仕事をしていると、理不尽な目にあうことはたくさんあります。そんなときに手に取る本です。著者の平尾誠二さん(故人)とは友人として深い付き合いがあり、仕事の進め方やリーダーシップについて、多くを教えてもらいました。この本は、彼から教わったことを思い出させてくれます。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長室 中内彩香
『阪急電車』有川浩(著)幻冬舎文庫 片道わずか約15分という阪急今津線の乗客の人間模様が優しいタッチで描かれ、映画化もされた大ヒット小説。人にはみな、それぞれが主役の人生のドラマがあるという当たり前なことにふと気づかされると同時に、(誤解を恐れずに言うと)「人って悪くないな」と思わされます。人間関係に少し疲れたときに読むと、ほっこり温かな気持ちになれる一冊です。
『僕たちの戦争』萩原浩(著)双葉文庫 何の接点もない戦時中の少年と“今どき”の少年が、ひょんなことからタイムスリップして互いの時代を生きる様子を描いたフィクション小説。背伸びしない、少年の目線で当時を想像しながら本の世界に没入し、現実世界に戻った後も、当時の人が急に今の私たちの日常に迷い込んでくるとこの世界はどう見えるのだろうと想像を膨らませました。当時を懸命に生きてきた方たちのおかげで今があるということを改めて考えさせられました。
『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン(著)扶桑社 いつから変化を恐れ、前に踏み出すのをためらうようになってしまったのだろう。常に起きる変化にどう適応するかは自分の考え方次第。物事をシンプルに捉え(自分で勝手に複雑化しない!)、柔軟に行動し、冒険を楽しむ。「新しいチーズ」探しの旅を始める勇気をこの本からもらいました。心が弱くなる度に読み返すと背中を押してくれる、私の良き伴走者です。
『Newtonニュートン』ニュートンプレス 親が愛読していたこともあり、物心がついた頃にはページいっぱいに広がる鮮やかなビジュアルに惹かれて、わけもわからずページをめくっていました。今思えば、それが知らず知らずのうちにサイエンスに興味をもつきっかけになったように思います。読者を「追いていかない」工夫が凝らされ、また号のテーマによらない最新の科学情報も得られるので、おすすめです。
『SNOOPY COMIC SELECTION』チャールズ・M・シュルツ(著)角川文庫 1950年から描かれ、スヌーピーをはじめ愛くるしいキャラクターが人気の漫画。ほのぼのとしたやりとりに心を癒されるときもあれば、子どもの他愛のない一言が、大人が目を背けがちな真理をついていてハッと気づかされるときもあります。読後の爽快感がたまらず、休日の午前に読みたくなる作品がたくさんあります。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 臨床応用研究部門 准教授 池谷真
『神様からの宿題』山本育海他(著)ポプラ社 私たちの研究室では、進行性骨化性線維異形成症という筋肉組織中に骨ができる難病の研究に取り組んでいます。この本は、患者である山本育海君と、そのお母さんの手記です。患者さんとご家族が抱える苦悩、葛藤、決意などの思いが込められています。毎日を頑張って生きようという気持ちになります。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス ミクロ系生物学が網羅されている、大学レベルの教科書です。大学合格が決まった後、すぐに購入しました。当時、第2版で、現在は第6版になっています。時に読本として、教科書として、辞書として、そして枕として大活躍しました。
『最強マフィアの仕事術』 マイケル・フランゼーゼ他(著)ディスカヴァー・トゥエンティワン 実際に裏社会で成功を収めた著者が、仕事のやり方を経験に基づいて書いた本だそうです。『マフィア』の法則ですが、現実社会に通じる内容が数多く含まれています。思わずニヤッとしてしまうような箇所もあり、心が疲れた時に半分娯楽として読むとちょうど良いかと思います。
『ブラック・ジャック』手塚治虫(著)講談社 医学に関心がある漫画好きの方なら、一度は読んだことがあるのではないでしょうか。法外な治療費を請求するなど理不尽に思える内容もありますが、治療不可能と思える患者を一人の天才外科医が治していく姿に憧れました。
『ドラえもん』藤子・F・不二雄(著)小学館 あんなことやこんなことを、夢の道具で実現してくれるドラえもん。何より、その発想の自由さに、子供心をくすぐられました。ただ同時に、サボった分は後から自分でやらないといけないという人生訓も教わりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 未来生命科学開拓部門 講師 中川誠人
『ぼくらの七日間戦争』宗田理(著)角川文庫 中学生が大人の言いなりにならないために一致団結して向かい合う青春ストーリー。テンポがよく、ワクワクしながら一気に読んだ覚えがあります。秘密基地などは誰もが幼い頃にあこがれたのではないかと思います。本の終わりも痛快・壮快で良く覚えています。映画にもなりましたね。純粋に楽しめる本だと思います。
『三国志』横山光輝(著)潮出版社 最初に横山光輝さんの漫画から三国志の世界に入りました。様々な登場人物がそれぞれの信念を持って中国統一に向けて戦います。武力だけでなく知力、政治力、一番は人力(魅力)に優れている事が重要だと感じました。そういう人の周りには優れた人が集まり大きな力となるのだと思います。小説は数種類読みましたが、書き手によって内容や登場人物の性格が違っているのが面白かったです。個人的には劉備・関羽・張飛の義兄弟の絆にあこがれます。
『ザ・ゴール』エリヤフ・M・ゴ-ルドラット(著)ダイヤモンド社 ストーリー仕立てで、製造現場の生産管理の手法「制約条件の理論(Theory of Constraints)」を易しく学ぶことができる本。研究には関係無さそうであるが、ラボマネージメントの観点から非常に参考になりました。考え方によって様々な状況に対応できる理論になり得るのではないかと感じました。
『英語は3語で伝わります』中山裕木子(著)ダイヤモンド社 初心者でも、なんとなく英語を勉強してきた人でも参考になるのではないかと思う。いかにシンプルに英語で表現できるかを学べる。英語を難しく考えがちな思考を変えてくれる良本と思います。
『マイケル・ジョーダン物語』ボブ・グリーン(著)集英社 引退した今もなおバスケットボール界の神様と言われているマイケルジョーダン(MJ)の伝記。コート上での神様MJの圧倒的な支配力、そして人間MJの比較をうまくまとめた本。超一流の人には何か共通するものがあるのだろうと感じた。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス 通称「セル」と呼ばれる、生物学の基礎教本。最初はその重さにやられてしまいますが、制覇した時の達成感は忘れられません。生物学の研究を志すなら、要点をまとめたエッセンシャル本もありますが、是非「セル」を読んでください!筋トレにもなります(笑)
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 和田濵裕之
『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(著)ハヤカワepi文庫 幹細胞を使った再生医療に関係する仕事をしている者として、とても刺激になりました。ノーベル文学賞受賞で話題にもなりました。どういう未来が私達にとって良いのか、考える際の参考になると思います。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(著)新潮文庫 村上春樹さんの作品はどれも好きですが、特に印象に残っているのがこの作品。読むのにとても頭を使い���した。こんなに頭を使ってしんどい思いをしながら読んだ作品も珍しいですが、しんどくても次を読みたいと思わせる魅力があります。科学的コミュニケーションにもそうした魅力をうまく持たせたいです。
『パラサイト・イヴ』瀬名秀明(著)新潮文庫 科学コミュニケーションを行う上で、科学に興味のない人にどうやって科学的な内容を伝えたらいいのかと悩む中で参考になった一冊。物語の中に科学を散りばめることで、より多くの人にアプローチできるのではないかと思うきっかけとなりました。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者さんの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『ルリボシカミキリの青』福岡伸一(著)文春文庫 大学3回生の時に学生実験で数週間だけ指導をしていただいた福岡伸一先生。雑談の中にあふれる知識に魅了され、4回生の研究室配属では福岡先生の研究室に入りたいと思いました。残念ながら他大学へ移られてしまい、念願は叶いませんでしたが、あの時に感じた魅力、科学コミュニケーションにとって大事なことがこの本には現れているように思います。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者さんの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『銀河英雄伝説シリーズ』田中芳樹/藤崎竜(著)集英社 舞台は宇宙ですが、歴史ものの小説のような作品。世界には様々な価値観があり、いずれも正しく尊重されるべきであることを強く意識するきっかけとなりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 志田あやか
『松風の門』山本周五郎(著)新潮文庫 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 吉村貫一郎という新選組隊士が主人公。「お国のため」が第一だった武家社会を背景に、自分の軸を持って生きるというのはどういうことかを教えてくれる本。
『どうなってるのこうなってるの』鈴木まもる(著)金の星社 父に毎晩読み聞かせをしてもらって育ちましたが、リピート率No.1はこの本でした。「どうなってるの」で十分タメてから「こうなってるの!」と進むのがコツです。
『脳死・臓器移植の本当の話』小松美彦(著)PHP研究所 著者の小松氏は、大学に入って最初の講義の講師でした。「私を含め、他人が言うことを検証し建設的に批判できるようになれ」と言われたのが記憶に残っています。この本は、小松氏自身がそれを実践した著作。脳死のとらえ方に新しい一石を投じてくれるはずです。
『完璧じゃない、あたしたち』王谷晶(著)ポプラ文庫 あたりまえのことなんですが、男との出会いだけが、女にとっての「特別」であるはずがないのです。恋愛、友情、尊敬、女同士のいろいろを描いた短編集。
———- 京都大学 情報環境機構/学術情報メディアセンター 助教 元木環
『観る―生命誌年刊号Vol.45~48』中村桂子(著)新曜社 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 JT生命誌研究館の季刊冊子が年に一度まとめて発刊されるうちの一冊。研究者である編者が様々な分野の専門家と繰り広げる対話の連載や各種記事が、生命科学関連の研究を非専門家向けに、丁寧なテキストとビジュアル表現で伝達されており、研究を伝える時の態度や工夫が感じられるのが楽しい。この号は、自分が大学で、研究を対象にデザインをし出した頃にとても参考になった。
『図解力アップドリル』『[動く]図解力アップドリル』原田泰(著)ボーンデジタル この2冊のシリーズは、「読めばすぐできるような」デザインマニュアルだと思い手に取ると、期待を裏切られる。タイトルやぱっと見からではわからないが、知識や情報、あるいは経験を「視覚的に表現し、伝達する」ことの本質を、頭と身体を使い、実践的に掴んでいくための道しるべとなる本になっている。デザイナーだけでなく、科学を対象とするデザインに関わる人にもとても参考になるし、続編の「動く」の方は、映像作成の考え方の基礎にもなる内容で秀逸。
『患者はだれでも物語る』リサ・サンダース(著)ゆみる出版 CiRA展とは別で展示の準備中に出会った先生からいただき、とても面白かった本。医師が患者の問診や診察でどのように診断をしていくかが物語として描かれている。デザイナーが、制作依頼を受けて、相談、制作していくデザインプロセスとも通じるところがあることが興味深い。
『デザインに哲学は必要か』古賀徹 (著)武蔵野美術出版局 デザインの実践者かつ教育者である著者らによる論考がまとめられており、デザインの裏側にある考えを想像する手がかりになる本。実践者が自ら「デザインとは何か」と問い、表現している言葉に共感を覚える箇所が多数ある。CiRA展に関わったデザイナーたちは確かに、(うまく言語化できていなかったとしても)フレキシブルでかつ一貫した考え方を持って、制作に携わっていたのだ、と想像してもらえるかも。
『優しさごっこ』今江祥智(著)理論社 私が紹介するまでもない有名な小説であるが、小学生の頃以来、時々読み返す本。いつも関西(京都?)の言葉で綴られる光景やモノローグや会話の表現、時々出てくる食べ物の描かれ方に引き込まれるが、タイミングによって、娘、親、別の登場人物など、別の視点で読んでいる自分と、行間や背景に想像できる範囲が変わっている自分に気がつかされる。装幀や挿絵(初版は長新太さんによるもの)を含めたブックデザインに興味を持つきっかけとなった一冊でもある。
『アイデア No.355』アイデア編集部(編)誠文堂新光社 もし古本でも手に入るなら、「《特集2》奥村昭夫と日常」のページをみてほしい。CiRAマークの相談を受けブラッシュアップした、グラフィックデザイナー(当時京大メディアセンターの客員教授であった)奥村昭夫氏のデザインに対する態度、大学の中の様々な仕事の中でCiRAマークの制作に関わることになった様子に触れることができる。
『美術館は眠らない』岩渕潤子(著)朝日新聞社 大学生の頃、授業中ある先生から「美術館に興味があるならこれを読んでみたら」と紹介され出会った本。筆者がアメリカの美術館での研修員時代の体験談を軸に、アメリカでの美術館を支える組織、社会のあり方が紹介されている。今とは時代背景は異なるが、美術館や博物館を運営する(もちろん展示を行うにも)仕事は多様な専門性があって成立していること、国によって異なる歴史や社会の仕組みが、美術館や博物館にもとても影響をすることを教えられた一冊。感染症の関係で、美術館や博物館にまつわる社会の仕組みも再編されるのではという目で読むこともできる。
京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之 『ちいさなちいさな王様』アクセル・ハッケ他(著)講談社 わたしたちの国と人生が真逆で、たくさんの知識や先入観をそぎ落とし、どんどん好奇心あふれ、いたずら心であふれる最期を迎える国の王様の話。「可能性で埋め尽くされた想像の毎日を捨て、なぜ斯くもつまらない一つの正解だけを追う日々を生き急ぐのか」と王様にわたしたちの社会が笑われている。
『エンデの遺言』河邑厚徳(著)講談社+α文庫 ファンタジー童話『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデの晩年の関心は、「お金を根源から問い直すこと」。お金がお金を生む投機的な世界に心を奪われた現代社会を風刺し、思想家シルビオ・ゲゼルの「老化するお金」を研究した。『モモ』の世界に登場する時間貯蓄銀行の灰色男は、あくせく働きすぎの現代社会を40年も昔から見透かしていた。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』リチャ-ド・E・ニスベット(著)ダイヤモンド社 問題を細分化する西洋流の要素還元的なモノの見方に対して、全体の調和を保とうとする東洋流のモノの見方こそが大切で、どちらかに優劣をつけようというのではない。大局観を失った近視眼的なモノの見方を揶揄する言葉であるが、それが心理的な差異にとどまらず、経済、法といった社会制度の好み、宗教観にまで影響を及ぼしていると指摘する。
『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里(著)新潮文庫 ロシア語通訳の米原万里が、要人通訳などにおいて意識した技術と視点を紹介する本。見栄えはよいが中身を伴わない文章と、見栄えが悪くも中身を正確にとらえた文章、使いこなす文章は常にその間を揺れ動いている。翻訳に限らず、あらゆる言葉の表現をするうえで、悩ましくも筋の通った考え方を示す。文章そのものも明解で極めて参考になる。
『バーバパパのがっこう』A・チゾン/T・テイラー(著)講談社 学校を舞台にしたバーバパパシリーズ。監視を強める学校に反発する個性豊かな子どもたちに手をやく大人。見かねたバーバファミリーが、ダンス好きな子、絵が好きな子、メカが好きな子それぞれの個性にあった学びをとどける。興味をもったところに、学校の数学の先生がかえってきて一緒に教え、結果として質の高い学びを得る物語。監視を強める学校教育への警鐘と言える。
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 東南西北デザイン研究所 石川新一
『生き物の建築学』長谷川尭(著)平凡社 泥臭い、生きるためのデザインをしたいと思った時に読むといい本
『さあ、横になって食べよう』バーナード・ルドフスキー(著)鹿島出版会 既成概念にとらわれていないか?と自分に問う時に読むといい本
『鯨尺の法則』長町美和子(著)ラトルズ 日本文化で癒されたい時に読むといい本
『Usefulness in Small Things』Kim Colin and Sam Hecht(著)Rizzoli アノニマス(無名性)デザインで参考になるいい本
『メイカーとスタートアップのための量産入門』小美濃芳喜(著)オライリー・ジャパン 私などデザインをする人が将来の野望ために読むといい本
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 奥村昭夫
『伊丹十三選集』伊丹十三(著)岩波書店 若い頃、伊丹さんの本は読む楽しみとともに、元気づけてくれました。 今、伊丹十三選集を楽しく読んでいます。
『瑞穂の国うた』大岡信(著)新潮文庫 文中の、夏目漱石の”レトリック など弄している暇はないはずだ、ア イディアがすべてだと思うよ、ということです。”の言葉に、製作の確 信を得てたびたび思いおこしています。
『常用字解』白川静(著)平凡社 常に手の届くところにあって、漢字と言葉の散策をしています。
『黒田泰蔵 白磁』黒田泰蔵(著)求龍堂 圧倒的に美しい白磁、緊張とすみきった空気を感じ、頭と心を研ぎす ましてくれます。
『大衆の強奪』セルゲイ・チャコティン(著)創元社 “戦争に対する戦争”のスローガンに代表されるように、伝える事の 本質と、言葉とシンボルの力を教えてくれました。
【プロフィール】 京都大学iPS細胞研究所 iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。 2006年に誕生し、2012年に「成熟した細胞を、多能性を持つ細胞に初期化出来る事を発見」した事により、山中伸弥/J・B・ガードン両氏が2012年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞した事で、一躍再生医療の救世主と目されることになった「iPS細胞」。 そんな新たな存在を医療の現場に応用させる為の研究を行う「京都大学iPS細胞研究所(CiRA)」は2020年で設立から10周年を迎え、同研究所の軌跡と未来を記した『iPS細胞の歩みと挑戦』(東京書籍)も刊行されます。
会期 2020年5月11日(月)~2020年5月31日(日) 時間 営業時間通り 場所 蔦屋書店1号館 1階 ブックフロア 主催 代官山 蔦屋書店 共催・協力 京都大学iPS細胞研究所 東京書籍
問い合わせ先 03-3770-2525
Tumblr media
イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2T491dN
0 notes
kkagtate2 · 5 years
Text
お地蔵様
里帰りした男の話。
これは実に二十年ぶりに里帰りした時の話である。思ひ立つたのは週末の金曜日、決行したのは明くる日の土曜日であつたが、何も突然と云ふことではなく、もう何年も昔から、今は無き実家の跡地を訪れなければならないと、漠然と思つてゐ、きつかけさへあればすぐに飛び立てるやう、心の準備だけはしておいてゐたのである。で、その肝心のきつかけが何なのかと云へば、私が小学生の時分によく帰り道を共にした女の子が手招きをするだけといふ、たわいもない夢だつたのだが、私にとつてはそれだけで十分であつた。一泊二日を目安に着替へを用意し、妻へは今日こそ地元の地を踏んでくると、子供へはいゝ子にしてゐるんだよと云ひ残し、一人新幹線に乗り込んだ私は、きつかけとなつた夢を思ひ出しながら、生まれ育つた故郷へ真直ぐ下つて行つた。
実のことを云ふと、この時にはすでに旅の目的は変はつてゐたやうに思へる。私の故郷といふのは、周りを見渡せば山と川と田んぼしかないやうな田舎で、目を閉じてゆつたりと昔を懐かしんでゐると、トラクターに乗つてゆつくりとあぜ道を走るお爺さんだつたり、麦わら帽子を目深に被つてのんびり畑を耕すお婆さんだつたりと、そんなのどかな光景が頭に描かれるのであるが、新幹線のアナウンスを聞きながら何にも増してはつきりと思ひ出されたのは、一尊のお地蔵様であつた。大きさはおよそ二尺程度、もはや道とは呼べない山道の辻にぽつんと立つその地蔵様には、出会つた時から見守つていただいてきたので、私たちにとつてはもはや守り神と云へやう。私たちはお互ひ回り道になると云ふのに、道端で出会ふと毎日のやうにそのお地蔵様を目指し、ひとしきり遊んだ後、手を合はせてから袂を分かつてゐた。さう云へば最後に彼女の姿を見たのもそのお地蔵様の前であつたし、夢の中でも彼女はそのお地蔵様の傍にちよこんと座つて、リンと云ふ澄んだ鈴の音を鳴らしながら、昔と同じ人懐つこさうな目をこちらに向けてゐた。ちなみにこゝで一つお伝へしておくと、彼女の夢を見た日、それは私が故郷を離れ、大阪の街へと引つ越した日と同じなのである。そしてその時に、私は何か大切なものをそこへ埋めたやうな気がするのである。――と、こゝまで考へれば運命的な何かを感じずには居られまいか。彼女が今何処で何をしてゐるのかは分からない。が、夢を通じて何かを訴へかけてきてゐるやうな気がしてならないのである。私の旅の目的は、今は無き実家を訪れるといふのではなく、彼女との思ひ出が詰まつたその地蔵を訪れること、いや、正確には、小学校からの帰り道をもう一度この足で歩くことにあつた。
とは云つても、地元へは大阪からだと片道三四時間はかゝるので、昼過ぎに自宅を出発した私が久しぶりに地に足をつけた時にはすつかり辺りは暗くなりつゝあつた。故郷を離れた二十年のうちに帰らなかつたことはないけれど、地方都市とは云つても数年と見ないあひだに地味に発展してゐたらしく、駅周辺はこれまで見なかつた建物やオブジェがいくつか立ち並んでゐて、心なしか昔よりも賑やかな雰囲気がする。駅構内もいくつか変はつてゐるやうであつたが、いまいち昔にどんな姿をしてゐたのか記憶がはつきりしないため、案内に従つてゐたらいつの間にか外へ出てしまつてゐた程度の印象しか残つてゐない。私は泊めてくれると云ふ従妹の歓迎を受けながら車に乗り込んで、この日はその家族と賑やかな夜を飲み明かして床についた。
  明くる日、従妹の家族と共に朝食をしたゝめた私は、また機会があればぜひいらつしやい、まだ歓迎したり無いから今度は家族で来て頂戴、今度もまたけんちやんを用意して待つてゐるからと、惜しまれながら昨晩の駅で一家と別れ、いよ〳〵ふるさとへ向かふ電車へと乗つた。天気予報の通りこの日は晴れ間が続くらしく、快晴とはいかないまでも空には透き通るやうに薄い雲がいくつか浮いてゐるだけである。こんな穏やかな日曜日にわざ〳〵出かける者は居ないと見えて、二両しかない電車の中は数へられるくらゐしか乗客はをらず、思ひ〳〵の席に座ることが出来、快適と云へば快適で、私は座席の端つこに陣取つて向かひ側の窓に映る景色をぼんやりと眺めてゐたのであるが、電車が進むに連れてやはり地方の寂しさと云ふものを感じずにはゐられなかつた。実は昨晩、駅に降り立つた私が思つたのは、地方もなか〳〵やるぢやないかと云ふことであつたのだが、都会から離れゝば離れるほど、指数関数的に活気と云ふものが減衰して行くのである。たつた一駅か二駅で、寂れた町並みが現れ始め、道からは人が居なくなり、駅もどん〳〵みすぼらしくなつて行く。普段大阪で生活をしてゐる私には、電車に乗つてゐるとそのことが気になつて仕方がなかつた。さうかと云つて、今更故郷に戻る気もないところに、私は私の浅ましさを痛感せざるを得なかつたのであるが、かつての最寄り駅が近づくに従つて、かう云ふ衰退して行く街の光景も悪くは無いやうに感じられた。それは一つにはnostalgia な気持ちに駆られたのであらう、しかしそれよりも、変はり映えしないどころか何もなかつた時代に戻りつゝある街に、一種の美しさを感じたのだらうと思ふ。何にせよ電車から降り立つた時、私は懐かしさから胸いつぱいにふるさとの空気を吸つた。大きいビルも家も周りにはなく、辺り一面に田んぼの広がるこの辺の空気は、たゞ呼吸するだけでも大変に清々しい。私はバス停までのほんの少しのあひだ、久しく感じられなかつたふるさとの空気に舌鼓を打ち続けた。
バス停、……と云つてもバスらしいバスは来ないのであるが、兎に角私はバスに乗つて、ちやつとした商店に囲まれた故郷の町役場まで行くことにした。実のこと、さつきまで故郷だとかふるさとだとか云つてゐたものゝ、まだ町(ちやう)すらも違つてをり、私のほんたうの故郷へは駅からさらに十分ほどバスに揺られ無ければ辿り着けず、実家へはその町役場から歩いて二十分ほどかゝるのであるが、残念なことにそのあひだには公共交通機関の類は一切無い。しかしかう云ふ交通の便の悪さは、田舎には普通なことであらう。何をするにしても車が必須で、自転車で移動をしやうものなら急な坂道を駆け上らねばならず、歩かうものならそれ相応の覚悟が要る。私は自他ともに認める怠け者なので、タクシーを拾はうかと一瞬間悩んだけれども、結局町役場から先は歩くことした。母校の小学校までは途中まで県道となつてをり、道は広く平坦であるから、多少距離があつても、元気があるうちはそんなに苦にならないであらう、それに何にも増して道のすぐ傍を流れる川が美しいのである。歩いてゐるうちにそれは美化された思ひ出であることに気がついたけれども、周りにはほんたうに田んぼしか無く、ガードレールから下をぐつと覗き込むと、まだゴツゴツとした岩に水のぶつかつてゐるのが見え、顔を上げてずつと遠くを見渡すと、ぽつぽつと並ぶ家々の向かうに輪郭のぼやけた山々の連なる様が見え、私はついうつかり感嘆の声を漏らしてしまつた。ほんたうにのどかなものである。かうしてみると、時とは人間が勝手に意識をしてゐるだけの概念なやうにも思へる。実際、相対性理論では時間も空間的な長さもローレンツ変換によつて同列に扱はれると云ふ。汗を拭いながら足取りを進めてゐると、その昔、学校帰りに小遣ひを持ち寄り、しば〳〵友達と訪れた駄菓子屋が目に入つて来た。私が少年時代の頃にはすでに、店主は歩くのもまゝならないお婆さんであつたせいか、ガラス張りの引き戸から微かに見える店内は嫌にガランとしてゐる。昔はこゝでよく風船ガムであつたり、ドーナツであつたり、はたまた文房具を買つたりしたものであつたが、もう営んではゐないのであらう。その駄菓子屋の辺りがちやうど田んぼと人の住処の境で、県道から外れた一車線の道先に、床屋や電気屋と云つた商店や、古びたしまうたやが立ち並んでゐるのが見えるのだが、どうもゝうあまり人は居ないらしく、その多くはピシャリと門を締め切つてゐる。中には荒れ屋敷化してしまつた家もあつた。
と、そこでやうやく母校の校庭が見えて来た。町役場からゆつくり歩いて二十五分と云つたところであらうか、時刻を確認してみるとちやうど午前十一時である。徐々に気温が上がつて来てゐたので、熱中症を心配した私は、適当な自販機を見つけるとそこで水を一本買つた。小学校では何やら催し物が開催されてゐるらしく、駐車場には何台もの車が停まつてをり、拡声器を通した賑やかな声が金網越しにぼや〳〵と聞こえてきたのであるが、何をやつてゐるのかまでは確認はしてゐない。おそらく子供会のイベントでもやつてゐたのであらう。さう云へば私も昔、めんだうくさい行事に参加させられた憶えがある。この学校は作りとしてはかなり平凡であるのだが、さすがに田舎の学校ともあつて緑が豊富であり、裏には先程沿ひながら歩いて来た川が通つてゐる。久しぶりにその川にまで下つてみると、記憶とは違つてカラリと乾いた岩がゴロゴロと転がつてをり、梅雨時のじめ〳〵とする季節でも涼を取るには適してゐるやうに感じられた。一体、こゝは台風がやつて来ると自動的に被害を受ける地域で、毎年子どもたちが夏休みに入る頃には茶色く濁つた濁流が溢れるのであるが、今年はまだ台風が来てをらず、降水量も少なかつたこともあつて、さら〳〵と小川のやうな水の流れが出来てゐる。昔、一度だけ訪れたことのあるこの川の源流部でも、このやうな流れが出来てゐたやうな憶えがある。が、源流のやうに水が綺麗かと問はれゝば、決して肯定は出来ない。手で掬つ��みると、太陽の光でキラキラと輝いて一瞬綺麗に見えるけれども、じつと眺めてゐると苔のやうな藻がちらほら浮いてゐるのが分かり、鼻にまで漂つて来る匂ひもなんだか生臭い。それにしても、この手の中で漂つてゐる藻を藻と呼んでいゝのかどうかは、昔から疑問である。苔のやうな、とは形容したけれども、その色は生気を感じられない黒みがかつた赤色で、実はかう云ふ細長い虫が私の手の上で蠢いてゐて、今も皮膚を食ひ破つて体の中に入らうとしてゐるのだ、と、云はれても何ら不思議ではない。さう考へると、岩に引つ付いてうよ〳〵と尻尾を漂はせてゐる様子には怖気が走る。兎に角、話が逸れてしまつたが、小学生の時分に中に入つて遊んだこの川はそんなに綺麗では無いのである。むしろ、影になつてゐるところに蜘蛛の巣がたくさん巣食つてゐたり、どす黒く腐つた木が倒れてゐたりして、汚いのである。
再び母校へと登つて、先程通つて来た道に戻り、私は歩みを進め初めた。学校から出るとすぐに曲がり角があつて、そこを曲がると、右手には小高い山、左手にはやはり先程の川があり、その川の向こう側に延々と田んぼの並んでゐるのが見える。この辺りの光景は今も昔も変はらないやうである。道の先に見える小さな小屋だつたり、ガードレールだつたり、頼りない街灯も変はつてをらず、辛うじて残つた当時の記憶と綺麗に合致してゐる。私は変はらない光景に胸を打たせつゝ、右手にある山の影の下を歩いていつた。そして、いよ〳〵突如として現れた橋の前に辿り着くや、ふと歩みを止めた。彼女と学校帰りに会ふのはいつもこゝであつた。彼女は毎回リンリンと軽快な鈴の音を辺りに響かせながら、どこからともなく現れる。それは橋の向かふ側からゆつくりと歩いて来たこともあれば、横からすり寄つて来たこともあつたし、いきなり背後を取られたこともあつた。私はゆつくりと目を閉じて、ゆつたりと深呼吸をして、そつと耳を澄ませた。――木々のざわめきの中にかすかな鈴の音が、確かに聞こえたやうな気がした。が、目を開けてみても彼女はどこにも居ない。今もどこかから出てきてくれることを期待した訳ではないが、やはり一人ぽつんと立つてゐるのは寂しく感じられる。
橋の方へ体を向けると、ちやうど真ん中あたりから強い日差しが照りつけてをり、反射した光が目に入つて大変にまばゆいので、私はもう少し影の下で居たかつたのであるが、彼女がいつも自分を待たずに先々行つてしまふことを思ひ出すと、早く歩き始めなければ置いていかれてしまふやうな気がして歩き始めた。橋を渡り終へてすぐに目に飛び込んで来たのは、川沿ひにある大きなガレージであつた。時代に取り残されたそれは、今も昔も所々に廃材が積み上げられてゐ、風が吹けば倒れてしまいさうなシャッターの中から、車だつたり、トラックの荷台だつたりがはみ出してゐるのであるが、機材や道具などが放りつぱなしになつてゐることから、未だに営んではゐるらしい。何をしてゐるのかはよく知らない。が、聞くところによると、こゝは昔からトラックなどの修理を行つてゐるところださうで、なるほど確かにたまに危なつかしくトラックが通つて行つてゐたのはそのためであつたか。しかし、今見ると、とてもではないが生計が成り立つてゐるやうには思へず、侘しさだけが私の胸に吹き込んで来た。二十年前にはまだ塗料の輝きが到るところに見えるほど真新しかつた建物は、今では積み上げられたガラクタに埋もれたやうに古く、痛み、壁なぞは爪で引つ掻いたやうな傷跡がいくつも付けられてゐる。ガレージの奥にある小屋のやうな家で家族が暮らしてゐるやうであるのだが、その家もゝはや立つてゐるのが限界なやうである。さて、私がそんなボロボロのガレージの前で感傷に浸つてゐたのは他でもなく、彼女がこゝで遊ぶのが好きだつたからである。する〳〵と積まれたガラクタの上を登り、危ないよと云ふこちらの声を無視して、ひよい〳〵とあつちこつちに突き出た角材に乗り移つて行き、最後には体を蜘蛛の巣だらけにして降りてくる。体を払つてやらうと駆け寄つても、高貴な彼女はいつもさつと逃げてしまふので、仕方なしにそのへんに生えてゐる狗尾草(エノコログサ)を手にして待つてゐると、今度はそれで遊べと云はんばかりに近寄つて来ておねだりをする。その時の、手にグイグイグイグイ鼻を押し付けてくる仕草が殊に可愛いのであるが、だいたいすぐに飽きてしまつて、気がついた時には喉をゴロゴロと云はしながら体を擦り寄せて来る。これは愛情表現と云ふよりは、早く歩けと云ふ彼女なりの命令で、無視をしてゐるとこちらの膝に乗つてふてくされてしまふので、帰りが遅くならないようにするためには渋々立ち上がらなければならない。
さう云へばその時に何かを食べてゐたやうな気がするがと思ひ、私は彼女との思ひ出を振り返りつゝ辺りを見渡してゐた。するとガレージの横に鬱蒼と生い茂る草木の中に、柿の木と桃の木の生えてゐるのが見つかつた。だが、ほんたうに一歩も入りたくないほどに、大葉子やら犬麦やら髢草が生えてをり、当時の私が桃やら柿やらを毟り取つて食べてゐたのかは分からない。しかしさらに見渡しても、辺りは田んぼだらけで実のなる木は無いことから、もしかしたら先程の橋を渡る前に取つて来て、彼女の相手をしてゐるあひだに食べてゐたのかもしれない。先程道を歩いてゐる時にいくつかすもゝの木を見かけたから恐らくそれであらう。なるほど、すもゝと云ふ名前にはかなり聞き覚えがあるし、それになんだか懐かしい響きもする。それにしてもよく考へれば、そのあたりに生えてゐる木の実なぞ、いつどこでナメクジやら毛虫やらが通つてゐるのか分からないし、中に虫が巣食つてゐたのかもしれないのに、当時の私はよく洗いもせず口にしてゐたものである。今思ふとものすごく怖いことをしてゐたやうに感じられる。何にせよ、彼女はいつももぐ〳〵と口を動かす私を不思議さうに見てきては、差し出された木の実を匂ふだけして興味のなさゝうな顔をしてゐた。なんや食べんのか、お前いつたい、いつも何食べよんな。と、問うても我関せずと云ふ風に眼の前で伸びをするのみで、彼女は彼女でしたゝかに生きてゐるやうであつた。
気がつけば私は座り込んでゐた。眼の前では彼女が昔と同じやうに、なんちやら云ふ花の前に行つては気持ちよさゝうに匂いを嗅いで、恍惚とした表情を浮かべてゐる様子が繰り広げられてゐた。少しすると彼女の幻想は私の傍に寄つて来て、早く行きませう、けふはもう飽きてきちやいました、と云ふ。そして、リンと鈴の音を立たせながらさつと身を翻して、私の後ろ側に消えて行く。全く、相変はらず人を全く待たない子である。いや〳〵、それよりも彼女の亡霊を見るなんて、私は相当暑さにやられてゐるやうであつた。すつかりぬるくなつた水を口に含むと、再び立ち上がつて、田植えが行われたばかりの田んぼを眺めながら、彼女を追ひかけ初めた。
ところで、もうすでに読者は、延々と続く田んぼの風景に飽きてきた頃合ひであらうかと思ふ。が、そのくらゐしか私のふるさとには無いのである。私ですらこの時、懐かしみよりも飽き〳〵としてきた感情しか沸かなかつたので、もう今後田んぼが出てきたとしても記さないと約束しよう。だが歩いてゐると、いくつか昔とは違つてゐることに気がついたので、それは今こゝで記しておくことにする。まず、田んぼのあぜ道と云ふものがアスファルトで鋪装されてゐた。それも最近鋪装されたばかりであるらしく、未だにぬら〳〵と黒く輝いてをり、全くもつて傍に生えてゐる草花の色と不釣合ひであつた。かう云ふのはもはや都会人である私の嘆きでしか無いが、こんな不自然な黒さの無い時代を知つてゐるだけに残念である。二つ目は、新たに発見した田舎の美しさである。これはガレージの道のりからしばらくして空を仰いだ時に気がついたのだが、まあ、順を追つて説明していかう。断末魔のやうなツクツクホーシの鳴き声を聞くために足を止めた私は、ぼんやりと眼の前にある虎杖(いたどり)を眺めてゐた。ゆつくりと目を動かすと、崖のような��配の向こう側に田んぼがだん〳〵になっているのが見える。決して棚田と云へるほど段と段が詰まつてゐる訳ではないが、その棚田のやうな田んぼのさらに向かふ側に、楠やら竹やら何やらが青々と茂つてゐるのが見え、そして、もう少し見渡してみると空の上に送電鉄塔がそびえているのが見えた。この鉄塔が殊に美しかつたのである。濃い緑色をした木に支へられて、淡い色の空をキャンバスに、しつかりとした質感を持つて描かれるそれは、赤と白のしま〳〵模様をしてをり、おそらく私は周りの自然とのコントラストに惹かれたのだらうと思ふ。この旅で最も美しかつたものは何ですかと聞かれたならば、空にそびえ、山と山を繋ぐ鉄塔ですと答へやう、それほどまでに私はたゞの鉄塔に感銘を受けてしまひ、また来ることがあるならば、ぜひ一枚の作品として写真を撮りたいと思ふのであつた。
ところで読者はその鉄塔の下がどのやうになつてゐるのかご存知であらうか。私は彼女と一緒に足元まで行つた事がある。行き方としてはまず田舎の道を歩くこと、山の中へ通ずる道なき小さな道を見つけること、そして藪だらけのその道に実際に飛び込んでみることである。もしかすると誰かのお墓に辿り着くかも知れないが、見上げて鉄塔がそびえてゐるならば、五分〳〵の割合でその足元まで行きつけるであらう。お地蔵様へ向かふために山道(やまみち)に入つた私は、その小さな道のある辻に来た時、つい鉄塔の方へ足を向けさうになつた。が、もうお昼時であるせいかグングン気温が上がり始め、路端(みちばた)の草いきれが目に見えるやうになつてゐたので、鉄塔の下で足を休めるのは次の機会にと思ひ、山道を登り始めた。別に恐ろしいと云ふほどではないけれども、車の音がずつと遠くに聞こえるせいか現世から隔離されたやうで、足取りはもうずいぶん歩いて来たにも関はらずかなり軽快である。私は今頃妻が子供と何をしてゐるのかぼんやりと想像しつゝ、蔓のやうな植物が、にゆる〳〵と茎を伸ばしてゐる柔らかい落ち葉の上を、一歩〳〵よく踏みしめて行つた。日曜の夕食時、もしかするとそれよりも遅くなるかもしれないが早めに帰ると云ふ約束の元、送り出してくれた妻は、今日はあなたが行きたがつてた王子動物園に行つてくるからいゝもん、と仰つていらつしやつたから、思ふに今頃は、子供を引き連れて遊びに行つてゐるのであらう。それも惜しいが、ペットたちとのんびりと過ごせなかつたのはもつと惜しい。特に、未だに懐いてくれない猫と共に週末を過ごせなかつたのは、もうかれこれ何年ぶりかしらん? あの猫を飼ひ始めてからだから、恐らく六年ぶりであらう。それにしてもどうして猫だけは私を好いてくれないのだらうか、家で飼つてゐる猫たちは、もう何年も同じ時を過ごしてゐるのに、私をひと目見るや尻尾を何倍にも膨らませて威嚇をしてくる。そんなに私が怖いのか。――などと黙々と考へてゐたのであるが、隧道のやうな木の生い茂りが開けた頃合ひであつたか、急に辺りが暗くなつて来たので空を仰いで見ると、雨の気配のする黒い雲が太陽を覆ひ隠してゐた。私は出掛けに妻に、どうせあなたのことだから雨が降ると思ふ、これを持つていけと折り畳み傘を一つ手渡されてゐたものゝ、これまで快晴だつたからやーいと思つてゐたのであるが、次第に埃つぽい匂いが立ち込めて来たので急いで傘を取り出して、じつと雨の降るのを待つた。――さう云へば、昔も雨が振りさうになつた時には彼女も傘に入れて、かうしてじつと佇んでゐたな。たゞ、そのまゝじつとしてゐてはくれず、雨に濡れると云ふのに、彼女はリンリンと軽やかな鈴の音を云はせながら傘の外に飛び出してしまふ。そして早く行かうと云はんばかりに、山道の少し上の方からこちらを見下ろして来くる。――懐かしい。今でもこの赤茶けた落ち葉と木の根の上に、彼女の通る時に出来る、狼煙のやうな白い軌跡が浮かび上がつてくるやうである。と、また昔を懐かしんでゐると、先程の陰りはお天道様のはつたりであつたらしく、木の葉の隙間から再び太陽が顔を覗かせるやうになつてゐた。私は傘を仕舞ひ込むと、再び山道を練り歩いて行つた。
だが、雨が降らなかつたゞけで、それからの道のりにはかなり恐ろしいものがあつた。陽が辺りに照つてゐるとは云へ、風が出てきて木の影がゆら〳〵とゆらめいてゐたり、ふつと後ろでざあつと音がしたかと思ひきや、落ち葉が何枚も〳〵巻き上げられてゐたり、時おり太陽が雲に隠れた時なぞは、あまりの心細さに引き返さうかとも思つた。そも〳〵藪がひどくて木の棒で掻き分けなければまともに進めやしない。やい〳〵と云ひながら山道をさらに進んで行くと、沼のやうにどんよりと暗い池が道の側にあるのだが、物音一つ、さゞなみ一つ立てずに、山の陰に佇んでゐるものだから、見てゐないうちに手が生えて来さうで、とてもではないが目を離せなかつた。そんな中で希望に持つてゐたのは、別の山道を登つても来ることの出来るとある一軒家だつたのだが、訪れてみると嫌にひつそりとしてゐる。おや、こゝはどこそこの誰かの父親か親戚かゞ住んでいたはずだがと思ひつゝ窓を覗いても誰もをらぬ。誰もをらぬし、ガランとした室内には酷く傷んだ畳や障子、それに砕けた天井が埃と共にバラバラと降り積もつてゐる。家具も何もなく、コンロの上にぽつんと放置されたヤカンだけが、寂しくこの家の行末を見守つてゐる。――もうとつくの昔にこの家は家主を失つて、自然に還らうとしてゐるのか。私は急に物悲しくなつてきて手の甲で目元を拭ふと、蓋の閉じられた井戸には近づかずにその家を後にした。行けば必ずジュースをご馳走してくれる気のいゝお爺さんであつた。
私の憶えでは、この家を通り過ぎるとすぐに目的のお地蔵様へと辿り着けたやうな気がするのであるが、道はどん〳〵険しくなつて行くし、全く記憶にない鉄製の階段を下らなければいけないし、どうやらまだ藪と戦はねばならないやうであつた。もうかうなつてくると、何か妖怪的なものにお地蔵様に行くのを拒まれてゐるやうな気さへした。だが、引き返す気は無かつた。記憶はほとんど残らなかったけれども、体は道順を憶えてゐるのか、足が勝手に動いてしまふ。恐怖はもはや旅の友である。先の一軒家を超えてからと云ふもの、その恐怖は猟奇性を増しつゝあり、路端(みちばた)にはモグラの死骸やネズミの死骸が、何者かに噛み殺されたのかひどい状態となつて散乱してゐたのであるが、私の歩みを止められるほど怖くは無かつた。途中、蛇の死体にも出くわしたけれども、どれも色鮮やかなアオダイショウであつたから、全く怖くは無い。そんなものよりよつぽど怖かつたのは虫の死骸である。私の行く手には所々水たまりが出来てゐたのであるが、その中ではおびただしいほどのカブトムシやカマキリが、蠢いているかのやうに浮いてゐて、ひやあ! と絶叫しながら飛び上がつてしまつた。別にカブトムシの死骸くらゐ、夜に電気をつけてゐると勝手に飛んでくるやうな地域で幼少期を過ごしたから、たいしたことではない。問題は数である。茶色に濁つた地面に、ぼつ〳〵と無数の穴が開いて、そこから黒い小さな虫が目のない顔を覗かせてゐるやうな感じがして、背中がゾク〳〵と殺気立つて仕方がなかつた。かういふ折には、ぼた〳〵と雨のやうに蛭が落ちてくるのが御約束であるのに、まつたく気持ち悪いものを見せてくるものである。
と、怒つたやうに足を進めてゐると、いつしか私は恐怖を乗り越えてゐたらしく、勇ましい足取りで山道を進んでゐた。するとゞうであらう、心なしか道も歩きやすくなり、轍が見え始め、藪もほとんど邪魔にならない程度しか前には無い。モグラの死骸もネズミの死骸も蛇の死骸も、蓮の花のやうな虫の死骸も、気がつけば道からは消えてゐた。そして一軒家を後にしてから実に二十分後、最後の藪を掻き分けると、そこには確かに記憶の通りのお地蔵様が、手をお合はせになつて私をお待ちしていらつしやつた。私は地蔵様の前まで来ると、まずは跪いてこゝまで無事に辿り着けたことに、感謝の念を唱へた。そして次々と思ひだされる彼女の姿に涙をひとしきり流し、お地蔵様にお断りを申し上げてから、その足元の土を手で掘つて行つた。冒頭で述べた、かの地蔵の傍に埋めたなにか大切な物とはこのことである。二十年のうちに土がすつかり積み重なつてしまつてゐたらしく、手で掘るのは大変だつたし、蚯蚓やら蟻やらよく分からない幼虫やらが出てきてゾツとしたけれども、しばらくするとペットボトルの蓋が見えてきた。半分ほど姿を見せたところで、渾身の力を込めて引き抜き、私は中にあつた〝それ〟を震へる手で握りこんでから、今度は傍にあつた漬物石のやうな大きな石の前に跪いた。手を合はせるときに鳴つた、リン、……と云ふ可愛らしい鈴の音は、蝉の鳴き声の中に溶け込みながら山の中へ響いて行き、恰も木霊となつて、再び私の手の中へ戻つてくるのであつた。
  帰りの道のりは行きのそれとは違つて、かなり楽であつた。恐らく道を間違へてゐたのであらうと思ふ。何せ、先程見たばかりの死骸も無ければ、足をガクガクさせながら下つた階段も無かつたし、何と云つても二三分としないうちに例の一軒家へとたどり着いたのである。私は空腹から元の道へは戻らずに一軒家の近くにある道を下つて県道へ出、一瞬間今はなき実家の跡地を眺めてから帰路についた。いやはや、なんとも不思議な体験であつた、よく考へれば蝮に噛まれてもおかしくないのによく生きて帰れたものだ、とホツとすると同時に、なんとなく肩が軽くなつたやうな心地がした。――あゝ、お前でも放つたらかしにされるのは嫌なんだな。――と、私はもう一度顔が見たいからと云つて、わざ〳〵迎へをよこしてくれることになつた従妹を小学校で待ちながら、そんなことを思つた。
結局あのペットボトルは再びお地蔵様の足元に埋めた。中に入つてゐたものは私のものではなく、彼女のものであるから、あそこに埋めておくのが一番であらう。元はと云へば、私のなけなしの小遣ひで買つたものであるから、持つて帰つても良かつた気がしないでもないが、まあ、別に心残りはない。
さて、ふるさとに帰るとやはり思ふものがありすぎて、予定してゐたよりも大変長くなってしまつたけれども、これで終はりである。ちなみに、こゝにひつそりと記した里帰りの話は、今の今まで誰一人として信じてくれてはゐないので、もしどなたか一人でも興味を引き立てられた者がいらつしやれば本望である。
 (をはり)
0 notes
kyoheisakaguchi · 7 years
Text
「しみ」 第1章 音楽のはじまり
 いまから書く話はきっと事実だ。ぼくはそう思っている。ぼくの中では事実だ。ところが目がさめていないだけなのかもしれない。その可能性もゼロではない。なぜなら、これが夢ならそのほうがいいと感じるときがいまでもあるからだ。シミは死んでいた。ぼくはシミが死んだことすら知らなかった。誰からも電話一つかかってこなかった。誰から教えてもらったのか、思い出すことすらできない。シミが死んだことを知ってからは、不思議なことに昔会っていた仲間や魔女みたいなおばちゃんたちと再会する機会が増えた。みんな隠していたのかもしれない。ぼくは線香もあげにいっていない。どうせ行ったって、そこにシミはいないし、死んだシミだっていないだろう。シミは亡霊にすらなっていない。シミはいまも八王子の浴室でシャワーを浴びながら笑っているんじゃないか。
 シミは長崎のいいところのボンボンだった。何でも先祖はシーボルトについた二番目の弟子だという。和漢薬の研究者だった親父のことは、その後、全然違う知人が酔っ払いながら口にしていた話題の中で出てきた。シミはいろんなところからぼくに向けて、変な光線を投げてくる。いまもだ。もちろんシミがまだ生きているとは思っていない。突然、電話がかかってきそうな予感はするが、シミは死んだ。シミが死んだことで、どこかが少しだけ軽くなったような気がする。それがぼくのからだのどこなのか、八王子の駅前なのか、フェズの路地なのかはわからない。フェズによく行っていたシミは、スペインの警察に捕まっていると電話してきた。子供を買ったら、見つかっちゃって、保釈金が百万かかるんだよと笑っていた。金を無心するために電話をしたわけじゃなかった。ただの事実報告だ。シミはいつもただ伝えてきた。ぼくに何かを依頼したことはなかった。スタティックとよく言っていた。意味はいまもわからない。  シミは死んだ。いまどこにいるのか。ぼくはやっぱりそれでもシミのことを探しているような気がする。だから、まだ目がさめていないのかもしれないと思うのだ。夢であってほしいってことじゃない。これが夢だったら最悪だ。ぼくはまた時間を遡さかのぼらないといけないし、もう二度と若くなんかなりたくない。シミは夢とは別のところで生きている。ぼくはただ睡眠をとっているだけで、恐ろしいことに年をとっていない。「そんなことが起こるんだ。ときどきな」とシミが言った。いま、ぼくは八王子から遠く離れている。そもそも八王子に住んだことはない。八王子の地理はいまだによくわからない。いつもシミの車に乗っていたから、シミの目でしか八王子を知らないのだ。シミ以外と八王子に行ったことがない。八王子には、実際に八人の王子が暮らしていた。あくまでもそれはぼくの推測だ。たしかに住んでた。彼らはきっと王子だ。  タカ、ヨギン、シモン、ニーチ、コウ、ハッサン、クレナイ、そして、シミ。  ぼくは何を言っているのだろうか。王子なんか出会ったことがないし、彼らはただのヤク中だったのかもしれない。ぼくはなぜかそこにいた。あの夜。弦楽器の音が鳴っていた。マンションの廊下にはありえないほど大きなスピーカーが置いてあり、ぼくは靴を履いたまま、土器の破片が散乱する玄関を飛び越えた。スピーカーからは音楽が鳴り響いていた。その音楽についていま思い出そうとしている。その音のことを書こうとしている。音について考えだすと、台所の汚さやミントティーやレモングラスの香りがどんどんぼくを連れていく。おれはここだ、ここにいる、死んでなんかいない。シミの声が聞こえてきた。シミの本名も知らないぼくの耳にだ。シミのことを友人と思っていいのかわからない。ぼくはシミと一日以上一緒にいたことはないし、シミがどんな人間なのか言葉にすることができない。ぼくが知っていたのはシミが聴いていた音楽のことだけだ。とはいっても、それが何の音楽なのか、名前はいまだにわからない。ぼくが酩酊していたからってわけじゃない。もちろんぼくだってマリファナを吸うことはあったし、何度かはコカインを鼻ですすってみた。ボルヴィックのペットボトルに入ったLSDの液体をそのまま水だと思って飲んだこともある。でも何度かやって、それでやめた。それよりもぼくは生まれつきの変化に困っていた。脳みその周辺で変な電撃に当たったような音がしたかと思うと、背骨が痛みはじめ、目を開けたまま、突然、八人の王子たちに向かってしゃべりだした。みんなはそれを真剣に聞いていた。誰も馬鹿にしなかったし、病院に連れていく者もいなかった。お前には必要ないね、とニーチが冷蔵庫の前で言った。  こんなふうにシミの部屋はいつだって、広がったり縮んだりする。酒を飲んでなくても、頭の中ではいまでも植物みたいに静かに成長している。それでもぼくが知っていることはかぎられていて、かといって質問する気にもなれなかった。ただそこにあるものを、ぼくはそのまま見ただけだ。だからかもしれない。そこにあるものの意味なんか関心がなかったし、そいつらがいったいどんな人間なのかなんてことはどうでもよかった。 楽しかったのだろうか。ぼくは正直、即答できない。ときどき緊張したりもしていたと思う。ぼくは二十一歳だった。よくわからないことばかりだった。シミの家にあったCDのジャケットをよそで見たことがなかった。シミは自分でパソコンを使って絵を描いたりしていたから、自分でつくっていたのかもしれない。タカが八重山の三線を弾いている。ハッサンがコインを何度も何度も消しては浮かび上がらせている。ぼくは靴を脱ぎ、絨毯の上に座った。スピーカーで鳴っている音は聞いたことがあった。しかし、考えてみたがどうもおかしい。そこで鳴っていたのはラジオの音だった。しかも、記憶にあるラジオの音だ。つまり、それは録音されたものである。ぼくは記憶だから不明瞭なのだと思いたいのだが、ところどころ鮮明な映像が浮かびあがってくるので、勘違いだと確信することができない。シミの車の中で鳴っていた音楽は、話し声とリズムボックスと電話越しの黒人のダミ声が入り混じっていた。フランス語だった。なぜそれを覚えているのかというと、ラジオなのにフランス語だったからで、しかもそれはフランス語講座ではなかった。フランス人ですらなかった。アフリカのどこかのラジオ局だった。しかし、シミとぼくは日本にいた。それは間違いない。  もちろん、シミと出会ってからぼくは時間の感覚を一時的に見失った。しかし、ぼくはまだシミと出会っていなかった。正確に言うと、その日、ぼくとシミは初めて出会った。乗れ。左ハンドルの車が急停止すると、油が乾いた音を出しながら、ゆっくりと窓が開いた。シミはウェーブがかかったぼさぼさの髪を指でわしづかみにしながらこちらを見た。ぼくもシミを見たが、髪で隠れて目が見えない。鼻が宇宙人の目みたいにぼくを睨んでいた。ヒッチハイクをしていたのはぼくだ。富士山を見に行くと突然言いだして、電車に乗ったものの途中で金がなくなり、ヒッチハイクに切り替えた。初めてではなかった。熊本の実家から大学のある東京まで金をかけて帰るのが馬鹿らしくなって、商店街でボブ・ディランの曲を適当な英語で歌って金を稼いでは、ヒッチハイクで東京に戻るということをよくやっていた。面白くなってそのまま札幌の時計台まで行ったこともあった。だからぼくにとっては特別なことではなかった。難なく富士山に到着すると、河口湖の湖畔で寝袋に入って夜空を見た。寒すぎて凍死するんじゃないかと思ったが、焚き火にあたりながら酒を少し飲むと、ぐっすり眠れた。起きたときに見た星がすごかった。たしかに鉄道が見えた。寒すぎてふらふらと歩いていたらガソリンスタンドの親父が詰所のストーブの前に連れていってくれて、早朝まで寝かせてくれた。翌朝、お礼にトイレットペーパー・サービスデーのための旗振りをしたあと、ぼくは家に帰ることにした。  相模湖まで��たヒッチハイクで向かった。ヒッチハイクというものは非常に簡単で、貧乏学生だということがバレてしまうといつまで経っても乗せてくれない。多少、枠を飛び越える必要がある。楽しくないやつを助手席に乗せたくはないからだ。だから、ぼくは車道の真ん中に立って、踊ったり、ギターを弾いたりしながら、とにかく旅芸人風のノリでやった。ずっとうまくいっていた。ところが、相模湖の湖畔を歩いてから様子がおかしくなった。どうも死の匂いがする。自殺の名所のようなダムを横切りながら、急にぼくは不安になった。それはまた、いつものやつでもあった。喜劇役者の気分で何でもできると思って車道で踊っているときでも、突然、怒鳴られたりするとぼくは急に落ち込んでしまって、端のほうに寄ってしまう。こうなったら一巻の終わりだ。誰も暗いやつなんか乗せたくない。つまり、ぼくは亡霊がうようよしている相模湖の湖畔でその一番まずい状態に陥っていた。親指を立てることすらできない。しかし、歩いて帰るわけにもいかない。十一月だ。夜は死ぬほど寒い。寝袋も、千円で買った頼りないものだった。そんなぼくにシミは声をかけてきた。鶴の一声のはずだった。しかし、シミは明らかにおかしかった。よだれが垂れていたし、目は笑っていたが瞳孔は濁っていて、.の筋肉は変に張っていた。せっかく乗せてくれる人が現れたというのに、ぼくは躊躇した。しかし、断ることはできなかった。気づくと、ぼくはシミの言われるままに助手席に乗り込んでいた。  車はネズミ色のポルシェだった。ところどころサビついていて、軽自動車みたいな扱われ方だ。バンパーから奇形植物みたいにマフラーが突き出ている。開いた窓から音楽が鳴り響いていたからか、ただ甲高いだけなのか、シミの声はよく聞き取れない。ドアは重厚で、閉めるとバスっと音がしてぼくは車内に密閉された。牢屋に入れられたような感覚に陥ったが、それは自分の気分の問題なのだと言い聞かせる。ちらっと振り向くと、狭い後部座席にはどこの国のものだかわからない太鼓やら弦楽器やらが天井まで詰めこまれていた。ぼくがきょろきょろしていると、「ポルシェ356。1958年式」とシミはぼそっと言い、そして高い声で笑った。ドアミラーは左だけしかない。丸いステンレスの洒落たミラーだった。シミは天井に手を伸ばすと、テレビのチャンネルみたいな取っ手をつかみ、サンルーフを全開にした。風が上から吹き込んできて、ぼくは昨夜の星空の幸福を一瞬だけ思い出した。プラスティックのハンドルを握ったシミはゆっくりとアクセルを踏んだ。しかし、のろのろとしか進まない。ぼくは断る理由を見つけたと思い、「あの、大丈夫です。歩きますから」と言って車から降りようとした。そのとたん、シミがセコにギアを変換し、すぐにサードに上げると、ポルシェは急発進した。 「走り出したら早い。心配するな。ポルシェ博士の最高の発明品を信じろ」  シミの声を聞き、ぼくは脱出を諦めると、真っ赤な革張りの助手席にもたれかかった。 「おれはシミ。お前は?」シミはそう言いながらアクセルを全開に踏んでいる。内装はすべて鉄板でできていて、まるで昔のロボットのイメージそのままだった。ハンドルにはポルシェのメタリックなエンブレムが見える。ステレオはなく、ラジオだけだった。ダッシュボードはサビついた鉄板で覆われ、象牙のボタンが突き刺さっている。シミはぼくの返事など気にすることなくボタンを押した。街の音が聞こえる。雑踏の人の声が聞こえる。クラクションが鳴り響いている。合わせてシミもクラクションを鳴らした。対向車も後続車もいない。そこにいたのはぼくとシミだけだった。そのとき、ラジオからまた黒人の声が聞えてきた。 「おいおい、お前ら起きてるか。おれは外で、この街で、おれたちお前たちが暮らす、この街の真ん中のスタジオから音楽を送りこむ。屋根もない。壁もない。防音設備なんかどうでもいい。机も何もない。地面の上に座っているおれはただの全能感。いまから果てしない音楽の旅をはじめる。よーく、耳をかっぽじって聞いとけ。で、おれはこの街が好きだ。街の音はリズム。リズムのある街が生きている街。おれは生きている。この音を聞け」  ディスクジョッキーは吠えながら、手に持っていたリズムボックスを取り出すと、ボタンを押した。ワルツのリズムが鳴り出した。リズムを無視して、ディスクジョッキーはしゃべりつづけている。しかし、耳障りなその声と音は次第に、子供たちみたいに仲良く混ざってくると、ミキサーで街の音をフェイドアウトしながら、熱帯夜の通過儀礼の音楽をアレンジした流行歌にチェンジした。今週の第一位。五年連続第一位。おれの好きな歌をかける。それがラジオ。シミが笑ってる。 「マリオ? お前、マリオっていうのか?」  シミはぼくの名前を聞いて小馬鹿にした。 「お前の先祖は、メキシコにいたが、その前はきっとスペインで露天商をやっていたな。そのときの名前だな、きっと」  シミは音量を最大まで上げた。そこはマリ共和国だった。マリ共和国のどこかの街のラジオがいま、ここで鳴っている。カセットテープなのか、電波が届いてしまったのかはわからないが、質問する気にもなれなかった。音楽がよかったら、それでいい。マリの小さな街の五年連続第一位の歌が終わってもいないのに、黒人はもう一つのラインをフェイドインしてきた。またフランス語が聞こえてきた。たしかにあいつの声だ。男は電話をかけていた。シミも携帯で誰かと電話をしている。民族楽器をどこかに運ぼうとしているのか、売ろうとしているのか。金の話をしていた。スピーカーが楽器の下に埋められている。ラジオはそこから鳴っていた。音の振動が革のシートにも伝わってきた。男の電話からは、また別の声が聞こえてくる。その音の混ざり方はぼくを混乱させたが、気づくと、さっきまでの不安は消えていた。混沌の中に放りこまれると、人間は急にまともになる。ぼくはポルシェが事故らないように、しっかりと前を見ていた。 「いま、マリオってやつを車に乗せたからすぐ連れていく。ああ、日本人だ。昔はスペイン人だった」  シミはなかなか電話を切らなかった。 「スペイン人じゃない。真理の男と書いて、真理男。日本人のばあちゃんがつけてくれたんだ」  ぼくはそう言ったが、ラジオの音にかき消された。しばらくすると、シミは電話を切り、さらにアクセルを踏んだ。 「ポルシェ博士に感謝だな。素晴らしき日々。まさにこういうのをdigital って言うんだ」  シミは相変わらずわけのわからないことを言っている。 「デジタル?」 「京都大学はきょうだい、つまりブラザーってことだ。わかるだろ。つまり、スラッシュを入れろってことだ。digitalの間にスラッシュを一つ入れてみろ。おれとお前はブラザーなんだから」  ぼくはもう降りたかった。同時にマリ共和国のラジオは一つのクライマックスを迎えていた。街とディスクジョッキーと電話の男の三様態が手をつなぐでもなく動きながら、なめくじみたいに一つになった。ぼくは降りたかったが、ずっと聞いてもいたかった。シミのこともずっとサンルーフの上から、空から見ていたかった。 「dig/ital ?」  ぼくが言うと、シミはタコメーターの目盛りを強く指差した。 「さすがよ、マリオ。そうだ。digとitalの間にスラッシュ。常に物事には二つに分かれる断層がある。その海溝にからだを放り投げろ。それが双六で言うところの三つ進んで一回休みってやつだ。digは『掘る』。そして、italはジャマイカンイングリッシュで『自然』。つまりは、digital ってのは自然の反対でも何でもなく、ただひたすら自然を掘るって作業だ。お前が歩いていた。おれは通り過ぎなかった。それが一つのブラザーで、自然を掘るってことなんだ。よろしく。今日はこのまま一緒に付き合え」 「どこに行くの?」 「もちろん八王子」  そして、またシミはまったく予想しないタイミングで不気味に笑った。サンルーフからは強い太陽の光が射し込んでいた。ぼくはからだが軽くなっていくのを感じた。目の前の窓の景色が鮮やかで、遠くの枯れた木の枝の先まで見えていた。
4 notes · View notes
kamizake · 4 years
Text
2020
世界遺産、奈良・薬師寺。 穏やかな年の瀬を迎えました。 本尊は薬師三尊像。体や心の病気を癒やす仏様です。 1300年間人々の祈りを受け止めてきました。 薬師寺で、奈良時代から 変わらない姿を残している建物が東塔です。 柱や瓦などをすべて解体して修理を行い 先月、8年ぶりにその姿を現しました。 (除夜の鐘) 奈良時代の姿を取り戻そうと これま���復興の取り組みを進めてきた薬師寺。 人々の静かな祈りが復興を支えてきました。 新年を写経で迎えようという人々が大勢集まっています。 写経とともに納められたお金は建物の復興に充てられてきました。 つづられた写経は50年で870万巻に上ります。 (除夜の鐘) 奈良時代から令和の世へ。 祈りをつなぐ鐘の音です。 (除夜の鐘)
千葉県成田市にある成田山新勝寺です。 ことし、千葉県は大型の台風に 相次いで見舞われました。 新勝寺でも、本堂の屋根が剥がれるなどの被害が出ましたが なんとか修復を終えました。
こんばんは。 2019年は皆さんにとって どんな年だったでしょうか。 ことしの「ゆく年くる年」はここ新勝寺から全国各地を中継でつないでお伝えします。
こちらは東京・渋谷に先月開業した、地上47階建て 渋谷スクランブルスクエアの屋上です。
大みそかのきょうはカウントダウンイベントが行われています。
そして見えてきたのが先月、完成した国立競技場。 東京オリンピックパラリンピックのメインスタジアムです。
次は平成から令和になったことし 一躍、話題となったあの場所です。
こんばんは。 新元号・令和ゆかりの地として注目された坂本八幡宮です。 10時を過ぎてから参拝する人の姿が 多くなってきました。 新元号が発表されてから1000人以上が訪れる日もありましたが多くの人が 記念撮影をする場所が、こちら。 令和の石碑です。 元号・令和のもとになった「万葉集」に出てくる、うたげが この近くで開かれたとされ10月には、こうして記念碑も作られたんです。
令和初めての年越しに向けてにぎわいが増しています。 ことし自然災害が相次いだ日本。 ここ千葉県館山市の布良(めら)地区では9月の台風15号で記録的な暴風に見舞われおよそ8割の家屋が損壊しました。
地区にある布良崎神社では屋根が崩れ 傾いた拝殿を柱などで支えています。
倒れてしまったご神木。
そうした中でも地区の人たちはここで新年を迎えようと集まってきています。 拝殿に置かれているのは人々が100年にわたって担ぎ続けてきた神輿です。
倒壊した倉の下敷きになり壊れてしまいました。 ほとんど無傷で残ったのが子どものために新調したばかりの小さな神輿でした。
大きな神輿がわが子をかばうように小神輿を守ったのです。
「なんとか未来を守ってくれた」。 そう考えた布良の人たち。
倒れたご神木で札を作り寄付を募ることにしました。人々の決意が木札に刻まれています。
境内には新しいご神木を植えました。 復興を誓い、新年を迎えます。
山口県下関市です。 古くから韓国のプサンとを結ぶ玄関口にもなってきました。 日韓関係の悪化によりフェリーでやって来る韓国からの団体客がほぼいない状況が続いています。
下関には、およそ3000人の 在日韓国・朝鮮人の人たちが住んでいます。 その信仰を集めている韓国仏教寺院の光明寺です。 天井からつるされたはすの花を模した飾り。 信仰心を表す韓国の伝統様式です。 祈りをささげる本尊は日本でも、なじみ深い阿弥陀仏像です。 地域の人たちと親しい関係を築いてきた皆さん。 日本人と韓国人どちらの気持ちも分かる。 日韓の交流が細くなるほど心が痛むと言います。 (除夜の鐘) 平和の大梵鐘(だいぼんしょう)
ソウルオリンピックが開かれた31年前に韓国で造られました。 ハングルの「ピョンドゥン ピョンファ」。 意味は「平等と平和」。 願いを込めた鐘の音が下関の街に響きます。 (除夜の鐘)
年越しを待つ各地の様子を見てきました。
この1年、本当にさまざまなことがありましたが なんとか、穏やかな新年を迎えたいと願う 皆さんの姿が印象的でしたね。 成田山新勝寺ではこのあと寺の本尊にちなんだ歌舞伎の技が披露されます。
本尊の不動明王は厄よけの御利益があるとされ 1000年以上前から 信仰の対象となってきました。 左右の目はそれぞれ天と地を見つめ すべての人を救うとされています。
この表情を表したのが歌舞伎で演じられる、にらみ。 このにらみを見ると、1年間健康でいられるといわれています。 披露するのは歌舞伎俳優十一代目・市川海老蔵さんです。 先祖の衣鉢を力草に型ばかりではござりまするが ひとつ、にらんでご覧に入れまする。(つけ打ちの音) 市川海老蔵さんによる にらみでした。続いては、京都・知恩院です。
えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘)
京都は時折、小雨の降る除夜となりました。 浄土宗総本山、知恩院です。 重さ70トン、直径2.8m。
日本最大級の鐘を17人の僧侶がつきます。
この1年の人々の悩みや苦しみを打ち払おうと 心を一つにします。えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘)
浄土宗を開いたのは法然上人です。 南無阿弥陀仏と唱えれば 誰でも救われる。 その教えは800年間 人々の心のよりどころになってきました。
ことしも数万の人々が鐘がつかれるのを一目見ようと 長い列を成しています。
2020年が希望に満ちた年になりますよう ことし最後の鐘です。
えーい、ひとーつ。 えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘) あけましておめでとうございます。 2020年の幕開けです。 新勝寺では年越しの瞬間に歓声が上がりました。 カウントダウンで盛り上がりましたよ。 そして、皆さん一斉に本堂に向かって 進んでいます。初詣が始まりました。 この三が日だけで300万人以上の参拝者が訪れるということです。皆さん、どんな思いで新年を迎えたんでしょうか。 それでは全国各地の新年の様子を見ていきましょう。
北海道上富良野町です。 ラベンダーの町、農業の町として全国的に知られています。 現在の気温はマイナス8度。 スキー場のゲレンデを赤く彩るのは、北の大文字です。 町を盛り上げようと 商工会青年部が33年前に始めました。 大文字を見ないと1年が始まらない。 そう話す人たちも増え今では新春の風物詩です。
(太鼓の音) 祭りを盛り上げるのは太鼓の響き。 高校や大学進学を機に町を出る人も少なくありませんが その一方で豊かな自然に憧れ町に移り住む人も多くいます。 その一人、札幌から移住してきた西尾奈緒さんです。 夫と有機野菜を作っています。 地元の農家に一から農業を教わった西尾さん。 今では、町の未来を担う一員になっています。 新しく町に来た人と 地元で生まれ育った人たちをつなぐ、大文字の炎です。 300本のたいまつに火がつきました。 (花火の音)
豊作になりますように。 町が、にぎわい��すように。
炎に希望を託し新しい年が始まりました。
再び令和ゆかりの地にある坂本八幡宮です。
年が明けてからも参拝者が 続々と訪れています。ここは宮司の常駐していない 小さな神社です。急増する参拝者の対応に 奮闘してきたのが地元の氏子会の皆さんです。 こちらの社務所も急ごしらえで建てました。 御朱印や、お守りも去年、初めて準備しました。
多くの方は60代以上です。 せっかく来られた方々に少しでも満足して帰ってほしいと 精いっぱいもてなしを続けてきました。 氏子会会長の木原一臣さんです。こんばんは。 ことしはどのような1年にしたいですか。
氏子会といたしましても 今後、若い人に引き継ぎまして 末永く、このお宮を 守っていきたいと思っております。
ありがとうございます。
徳島県中部。 四国山地に抱かれた吉野川市山川町の 山崎忌部(いんべ)神社です。 例年よりにぎやかな年越しを迎えました。
去年、地域を挙げての大事業が30年ぶりに行われたからです。 去年11月 天皇陛下即位のあとに行われた大嘗祭に 麁服と呼ばれる麻の織物を献上しました。
かつて麻植郡と呼ばれ 平安時代から麻を生産し献上してきた、この地域。
改元のときだけ特別に麻を栽培し麁服を織り上げてきました。 神社の社紋には麻の葉が描かれています。
麻は地域でとても大切にされています。
これは地元の高校の校旗。 昭和の大嘗祭に合わせて 麻で手織りされました。今も、学校の宝として 受け継がれています。
今回、麁服の織り子に名乗りをあげたのは この校旗を見て育った若い女性たちです。 その一人、白山晴菜さんです。 年配の人たちと一緒に 地域の輪の中で 作業を続けていくにつれ ふるさとの大切さを実感しました。
多くの人に町の宝を知ってもらいたい。 麁服に携わった人たちは 地元の学校で報告会を開こうとしています。 地域の絆を確かめ合う特別な新年です。
名古屋市中心部にある東別院です。 初詣に訪れた参拝者で境内はにぎわっています。
本堂に映し出されている光の模様はデジタル掛け軸。 仏教の教えにもつながる 一期一会の世界を表現しています。 模様の組み合わせはコンピューターで 無作為に選ばれます。
そのため、同じ模様を見ることは二度とないんです。 このイベントお寺に、なじみのない方にも 来てもらいたいと 7年前から始まりました。 そして、こんな場所もあるんです。 こちらにもあるんです。こちらの室内です。
室内にもデジタル掛け軸が映し出されています。 ここは、この日のために特別に用意されたバーなんです。 中ではホットワインですとかオリジナルカクテルが 提供されています。お話を伺いましょう。
お寺のバーで迎えた新年です。どんなお気持ちですか?
歴史のあるお寺の中に こんなにすてきなバーがあって 楽しくお酒飲みながら 年が越せて、新鮮な気持ちです。
お寺にいることを忘れてしまいそうですが 一方で昔から変わらない風景もあります。 (鐘の音)
新年を感謝とともに迎える初鐘です。 イベントを始めてからは 多くの若い人たちも鐘をつきに来るようになりました。 (鐘の音)
江戸時代から続くこのお寺。 新しい文化を取り入れながら古きよきものを 次の世代に手渡そうとしています。
全国各地の新年の様子をお伝えしました。
いよいよ、ことしの夏には 東京オリンピックパラリンピックが開幕します。
その選手たちの 活躍を願って多くの人が 集まっている場所があります。
東京・江東区にある亀戸香取神社です。 おたき上げの火の周りに人が集まっています ここは、もともと戦の勝利を祈願する神社でしたが 今は、スポーツの神社として親しまれています。 ふだんから、試合に勝ちたい全国大会に出たいと 多くの人が祈願に訪れますが早くも、東京オリンピック パラリンピックへの期待も高まっているんです。 絵馬にはさまざまな願いが書き込まれていますが こちら「いくぞ!!2020東京パラへ」。 そして、そのお隣。 「パパがとうきょうおりんぴっく きまりますように」。こちらは近代五種の 岩元勝平選手の娘さんが書いた絵馬なんです。
2週間後、代表権を獲得しました。 参道脇に並ぶのはスポーツ灯籠。 アスリートたちに心の支えになったことばを聞いて 50基を手作りしました。
体操・内村航平選手が寄せたことばは「無心 無欲」。 その隣は東京パラリンピック出場が 内定している競泳・木村敬一選手のことば 「人生一度きり」。 2020年にかけるアスリートたち。 活躍を願う灯籠の光です。
福島県南相馬市相馬太田神社です。 3月26日から国内で始まる東京オリンピックの聖火リレー。 福島は、その出発の地です。 初日、走ってきた聖火を迎えるのは 陣羽織の、この人たち。 相馬野馬追の騎馬武者です。
毎年、年明けとともに 安全と安寧を祈ってほら貝を吹き鳴らします。 (ほら貝の音)
相馬野馬追は、この地で 1000年にわたって続く神事です。
夏には、400の騎馬武者が馬にまたがり駆け回ります。 9年前の東日本大震災と原発事故。 南相馬の人たちは避難を余儀なくされ 今も5000人以上が町を離れたままです。
かつて500騎いた騎馬武者の数も 一時、5分の1にまで激減。 それでも、この9年間欠かすことなく続けてきました。 野馬追でほら貝を吹く人たちをまとめる 木幡守さん。 3月、オリンピックの聖火�� この、ほら貝で迎えたいと考えています。
避難を続ける人たちが町に戻るきっかけにしたいと 木幡さんは野馬追を支え続けてきました。 復興五輪を掲げる東京オリンピック パラリンピック。 福島の復興はまだ道半ばです。 ふるさとを取り戻す。 その思いを乗せて 聖火は福島から全国へとつながれていきます。
人と人とがつながっているからこそ 地域の今、そしてこれからがあると感じました。 さまざまな思いがあることを忘れずにオリンピックパラリンピックを 迎えたいと思います。
2020年。
日本にとって節目となる、この年が…。
皆さんにとって…
素晴らしい年となりまうように。
0 notes
nzchao · 6 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
「ムラカミロキ」映像上映
明日の武蔵野はらっぱ祭り、久々に遊びに行くだけではなく 映像上映で参加します。くじら山裏の林にて、17:00と19:00から。新作8mm上映です。 入場無料の普通に楽しいフェスなんでお気軽に遊びに来てください。
-------------------------------------------
「!8 exclamation-8 」番外編!野外上映会!
今回の!8はワンカートリッジ無編集作品上映会! シングル8或いはスーパー8のフィルムを1カートリッジ(3分20秒)のみ使用、 原則スプライス無しの一本一発撮り制作されたものを上映します!
日時:2018年11月3日(土) 1回目17:00 / 2回目 19:00
会場:武蔵野はらっぱ祭り  都立武蔵野公園の林 クジラ山裏 「映像インスタレーション」ワークショップ発表会場内
主催:8mmFILM小金井街道プロジェクト、SpiceFilms 協力:日本映像学会アナログメディア研究会
SpiceFilms http://spicefilm.blog.fc2.com/ Facebook Event Page https://www.facebook.com/events/703738450010404/
-------------------------------------------
第30回 武蔵野はらっぱ祭り
●日時 11月3日(土)4日(日) 10:00~20:00 準備 11月2日(金)/片付け11月5日(月) ●会場 都立武蔵野公園 (通称 くじら山周辺 くじら山下原っぱ) ●趣旨 都内では数少ない貴重な「はらっぱ」の自然の中で 集い、多様な表現を認め合い、尊重する。豊かな自 然に感謝しながら、地域と協同し、参加者みんなで つくりあげる祭りを目指す。 ●内容 子ども広場(遊び場)/リサイクルバザー/市民文化活動ブース/映像インスタレーション/展示(絵・ 写真・造形など)/はらっぱ音楽会/風の原市場 (模擬店)/交流会
【交通のご案内】 ・JR中央線「武蔵小金井駅」南口より調布北口行きバス「小金井リハビリテーション病院」下車 徒歩5分 ・JR中央線「武蔵小金井駅」南口より 徒歩20分 ・西武多摩川線「新小金井駅」より 徒歩20分 ・京王線「調布駅」北口より武蔵小金井行きバス「武蔵野公園」下車 徒歩10分
【主な注意事項】 ○車でのご来場はできませんので徒歩、バスでご来場ください。 ○ゴミは各自で家までお持ち帰りください。 ○マイカップ・マイ食器・マイ箸などをご持参ください。 ○宿泊・テントの持ち込みははできません。 ○住宅街の中の都立公園ですので太鼓などはご遠慮ください。 No parking place. Please come to the festival on foot or by bus. Bring your own dishes, cups and garbage bags. Go back home with your trash. Camping is not allowed. Do not make big noise. Thank you.
●後援/小金井市教育委員会 ●主催/武蔵野はらっぱ祭り実行委員会事務局 Mail: [email protected] http://the-harappa.net
武蔵野公園 Musashino Park https://musashinoparks.com/kouen/musasino/
Facebook Event Page https://www.facebook.com/events/2362339327172989/
http://d.hatena.ne.jp/murafake/20181102/1541141735
0 notes
kanata-bit-blog · 6 years
Text
天ヶ瀬さんちの今日のごはん3
『アジフライ』with Altessimo
 天ヶ瀬冬馬、弱冠十七歳。片親であったりアイドルになったりと、普通とは言い難い人生を歩んできた自覚はあるが、それでも経験においては頭一つ抜けているものだと思っていた。315プロダクションに所属するまでは。  孤高たれ、王者たれと刷り込まれ続けてきた961プロダクション時代もそこそこに面白い経験を得ることはあった。それこそ、バラ���ティ番組の企画でドッキリを仕掛けられてみたり、分類すら分からない謎の動物と触れ合ってみたり。  しかし、そんな数年を送ってきた冬馬ですら315プロダクションに所属してからというもの、毎日が初体験ばかりである。  そして今日も初体験をした。
 突然いなくならないように人を凝視しながら歩くということを、体験した。    おかげで家に着く頃には冬馬の瞳はかぴかぴに乾いていて、冷蔵庫に入れていた目薬を久しぶりに使用した。ぱちぱち、ぱちぱちと瞬きを繰り返している間にいなくなってしまわないかと冬馬は念入りに確認したが、幸いなことに都築は消えることなくそこに存在している。  後ろ手で玄関ドアのカギをかけると、都築は「お邪魔します」と慎ましやかに靴を脱ぎ、慎ましやかに上がり、慎ましやかに歩いて行った。  何と言うか、自主的にアイドルをしている自分で言うのもなんだが、都築圭という人は不思議で形成されていると思う。纏う空気感のようなものがアイドルらしからぬ気品に溢れている。と、思いきやどこか抜けていて、一度風が吹けば消えてなくなってしまうような儚さも持っていた。  キャラが強いと言われるJupiterの三人には無いそれに、冬馬はどう関わるべきか決めあぐねていた。結局は事務所の仲間として話をすればいいだけの話なのだが、仮にも都築は年上である、多分。それも、‪一時‬は音楽の道を歩いていた北斗が「凄い人だよ」と大きく褒め称える人間だ。違う畑の超超超超有名人、そんな人と何を話せばいいのだ。  麗が困っていたからと連れてきてしまったのは自分自身であるが、こういう時こそ呼ぶべきだったと現在進行形でドラマの撮影をしているであろう北斗のことを思った。  しかし、ここで諦める冬馬ではない。何せこれから突如行方不明になりかねない都築を放置しながらも料理を作らなければならないのだから。  携帯電話を取り出し、電話をかける。三度、四度の音楽の繰り返しの後、電話口から『もしもし』と疑問を孕みながらも透明感のある美しいアルトが聞こえてきた。 「もしもし。旬か。悪い、今って時間大丈夫か?」 『あまり長くは話せませんが……何かありましたか?』  耳に当てたスピーカーから聞こえるのはHigh×Jokerの冬美旬の声だ。微かに布擦れの音が聞こえるのは、彼が着替え中だからだろうか。すっ、とネクタイを外す音と思しき音が耳に触れる。 「いや、ちょっと俺の代わりに話してて欲しい人がいてよ。話す、というか……いなくならないように見張っててほしいんだ。多分そんなにかかんねえから頼んでいいか?」 『ええと、いまいち状況が理解できていないんですが……』 「俺もなんて言えばいいか分かんねえんだよ。とりあえず話しててくれればいいから、後は頼んだ! テレビ通話にするぞ」 『えっ冬馬君、ちょっ……わっ!? つ、都築さん!?』
 半ば無理矢理旬を都築の前に連れ出すと、未だかつて見たことないほど動揺の声でスピーカーがバリッと悲鳴をあげる。一方の都築は「やあ、旬さん。久しぶりだね」なんてほのぼのと笑っていた。  悪い、旬…………このお詫びはいつか猫で返す……! 温度差の激しい会話を背に、冬馬はキッチンへと向かった。
 さて、今頃大急ぎでこちらに向かってきているであろう麗が来るまでにある程度料理を形にしておきたい。とは言え、普段からどこでどのようなことをして生きているのか皆目見当のつかない都築は、果たして何を食うのだろうか。旬だからという理由だけでアジを買ってしまったが、苦手ではなかっただろうか。  気になって道中目をかっぴかぴにさせながら「アジって嫌いじゃないスか」とか「普段何食べてるんスか」など明らかに何かを案じているような白々しい質問をしてみたものの、彼はおっとりと悩み、ごく当たり前のように「水は飲むよ」と言った。  思わず反復してしまったその単語に、都築はやはりごく当たり前のように「そうだよ」と言った。  つまり、結論から言えば普段何を食べているのかは分からなかった。いくら聞いてもどう切り込んでみても彼の口からは水という言葉以外出ず、好きな物すら分からない。お手上げ状態になった冬馬はせめてとアジや小麦粉などにアレルギーは無いかということだけ聞き、献立を決めるところまで漕ぎつけた。  まさか水だけで生活しているなんて、そんなファンタジーみたいなことないよなあ。なんて考えながら冬馬は買ってきた食材一式をビニール袋から取り出す。  アジフライだけでは味気ないと思い、出来合いの漬物を買ってきた。これとしじみの味噌汁を付ければ一応は定食と言う形になるだろう。 「アジフライだと味気ないって、天道さん言いそうだな」  自分以外誰もいないキッチンで冬馬は自重した。自分も相当事務所に毒されてるなあと愛用の包丁にそっと水をかける。  自室からは細々と会話が聞こえてくる。残念ながら離れている為その内容は曖昧で、聞き取ることは叶わなかったものの、都築がそこにいるということだけは分かるので良しとしよう。  数多く存在している食べられる魚の中でも非常にメジャーに分類される魚、アジ。旬は五~七月であり、旬に獲れるアジは脂のノリが良いらしい。そしてそのアジの仲間にだけ見られる特徴が尾の両側にある「ゼイゴ」と呼ばれるウロコ。アジの鱗を処理する際はここから外すのが手始めである。  側面に一線引かれている一際硬いそれを、尾の方からノコギリを使うように切り取っていく。片方が終われば反対側。そして二匹目、三匹目と冬馬は黙々と作業をこなしていく。  正直に言ってしまえば、この作業はあまり好きではない。というよりも、魚と言うものを加工すること自体得意ではないのである。鱗を取り、内臓を出し、洗い、物によっては三枚おろしにする。その一連の作業が面倒で仕方がないのだ。  とは言え、カレー作りなどからも分かるように、凝る時は凝る性質の冬馬にとっては昨今のスーパーで見られる所謂加工済の品を使うのは極力控えたい考えがある。実際自分で作った方が美味いような気がする。 よって、冬馬は時間が無い時と、家では到底作れそうもないものであることなどを除けば出来るだけ自分で作るというスタンスを貫いていた。
「……………………………………………………」
 昔、一度だけ母と一緒に台所に立った記憶がある。随分と昔のことなので記憶も定かではないのだが、自分よりもずっと高い所に見える母の顔が優しかったのだけはよく覚えていた。  最早何を作ったかすらも覚えていないあの日、母に教えてもらいながら拙い手つきで作った料理を食べた。今にして思えば8割くらいは母が作っていたのでそれは自分が作ったというには微妙な品だが、それでも自分の手で何かを生み出すことは楽しくて、完成したものを見た時には胸を張っていた気がする。  子供用のおもちゃみたいな包丁で切った食材は切ったというよりも押し切ったというのが正しいほどぐちゃぐちゃで、それでも「美味しいね」なんて言って母が食べてくれたのが凄く嬉しかった。胸がほうと温かくなった。  今思えば、あの時人に何かを食べてもらうことを好きになったのかもしれない。
「………………!」  差し当たって最後の一匹まで丁寧にゼイゴを切り落としたところで玄関チャイムが鳴った。来訪者らしい、来る人間と言えば一人しかいないのだが。  生臭い手を洗って玄関へ駆けていく。念のために人物だけは確認してから扉を押し開いた。 「よく来たな、麗。入れよ」 「天ヶ瀬さん。この度は……」 「そう言うの良いって。そろそろ旬もそろそろ限界だろうし、都築さんのこと頼んだ」 「?」  首に汗を滲ませた麗を家の中に招き入れ、今なお画面の向こうで百面相をしているであろう旬を救うべく自室に入った。  しかし、予想に反して都築と旬の会話は穏やかで、杞憂に過ぎなかったのだと冬馬は胸を撫でおろす。聞くと、この機会を使って旬が都築に聞きたいと思っていたことを聞いていたのだという。  そう言えば旬はHigh×Jokerの五人で家に来た時も随分勉強熱心だったなあ、と冬馬は一週間前のことをつい昨日のことのように思い出した。勉強熱心なことと、都築に対してアイドル、仲間以外にも憧れという感情を抱く彼からすれば、この機会は絶好であったのだろう。  無理矢理ではあったが、その手助けになれたなら良かったと冬馬は息を吐く。 「都築さん!」 「やあ、麗さん。いらっしゃい」  画面から目を離して汗だくの麗に微笑みかける都築、旬も彼の言葉を聞いて小さくお辞儀をした。 「ここでは天ヶ瀬さんの邪魔になってしまうので、場所を変えましょう」 「気にすんなよ。ここ使って打ち合わせしてくれてても良いからよ」 「そんな、」 「晩飯用意するって言ったろ。麗、アジは大丈夫か?」  今から移動して店を探すよりも、このまま冬馬の部屋を借りて打ち合わせを始めてしまった方が時間的にも良いだろう。  少し戸惑ったように視線を揺らし、麗は申し訳なさそうに眉毛を落とす。 「アジは大丈夫ですが……そうですね……では、お言葉に甘えて場所をお借りします」 「おう。何かあったらキッチンにいるから呼んでくれ」 「分かりました」  麗がおずおずと荷物を下ろし、中から筆記用具と資料一式を取り出したので、冬馬は安心してキッチンから足を踏み出した。
「……悪かったな。巻き込んで」 『いえ、都築さんとはゆっくりお話したいと思っていたので、ありがとうございました』  キッチンカウンターにスパイスを入れた瓶を置き、立てかける形で携帯電話を添えた。旬が机に向かって何かを書いている。時間が無いと言ったのは勉強をする予定だったからか。 「……家で勉強なんてしたことねえんだけど」 『いえ、これは先程都築さんに教えていただいたことを実践してみようと』 「曲か?」 『そうです。ある程度固めてから明日にでもハヤトのところに持っていこうと思います』 「そっか」  315プロダクションには15ものユニットが存在しているが、全て作詞作曲振り付けを兼ねているかと言われれば、そうではない。Jupiterもフリー時代でやっていた時には振り付けを自分達で考えていたが、作詞作曲については他人の力を借りなければ形にすることが出来ない。  しかし、High×JokerやAltessimoのように音楽に精通したものがいる場合その限りではない。例えば旬や都築のような楽器を嗜んでいる人間である。  ……そう言えば北斗は曲を作ることが出来るのだろうか。深くは聞いたことが無いまでも、彼が十代半ば頃までピアノに執心だったことは知っているし、腕の怪我を機に離れてしまったことも知っている。だが、以前ドラマやライブの中で弾いてみせたピアノの腕は並よりもずっと上手いと、その方面においてはめっきり素人の冬馬は聞き入ってしまった。  男にしては細くしなやかな指先が叩く音色はどこか切なくも熱を感じる美しさで、なんとなく、本当になんとなくだが、かつての北斗自身に語り掛けようとしている気がして。  あの音と北斗の性格から紡がれる曲はどんなものになるのだろう。 『すみません、冬馬くん。そろそろ晩御飯のようなので、今日の所は失礼します』 「おう、ありがとな。また事務所で」  通話が切れ、キッチンの中は再びの静寂に包まれる。冬馬は背伸びをし、特に誰かに言うわけでもなく「よし」と呟くとアジの処理の続きをするべく包丁を握った。  包丁の背で鱗を取り除く。最近では鱗取り専用の器具が販売されているようだが、生憎と他の物を優先しているせいでまだ買えていない。それがないと出来ないというものならば致し方なく優先度も上がるだろうが、包丁で事足りる上に、ネット曰くペットボトルでも代用が利くというのだからわざわざ買おうとは思えなかった。  ウロコを引き終えた後は包丁をエラの中に入れ、曲線に沿う形でエラの付け根を内側から切断する。切れたことを確認した後、腹に一線入れてアジの中央にある内臓を取り出す。と、内側から出た魚の体液で牛乳パック製のまな板が赤く濡れた。 「……よし、」  六匹全てに一連の処理をするのは随分と骨が折れるが、楽を覚えれば二度と戻っては来れない。我ながら褒めたくなる程に丁寧に取り除けたと思う。  一匹一匹水道水で流し、うろこや内臓、体液、内側の粘膜などを綺麗に洗い流す。ついでにまな板も洗った。  いくらか綺麗になったまな板の上に六匹並べ、冬馬は思案する。背開きにするか、はたまた三枚おろしにしてしまうか。 「このサイズなら三枚おろしで良いか」  気前の良いおっちゃんが大きめのを入れてくれたらしく、購入してきたものはどれも立派なサイズのものばかりだ。  あのおっちゃん、齋藤社長にどこか雰囲気が似ていたな、なんて今更ながら思い出す。  フリーで活動していた時に執拗に追われたことは若干トラウマだが、いい思い出でもある。冬馬は「もしかしたら本当に斎藤社長だったりしてな」なんてありえないことを考え、鼻で笑った。あの人のことだ、どうせ今もパッションだなんだとのたうち回って初対面の人間を困らせているだろう。
「天ヶ瀬さん」 「麗? どうした」 「いえ、打ち合わせが終わったのですが、場���をお借りした手前何もせずに食事までさせていただくわけにはいきません。力になれるかは分かりませんが、お手伝いだけでもさせてください」  真剣な眼差しを向けてくる麗に、冬馬は内心「真面目だな」と笑う。ついさっきまで同じような真面目の塊と通話をしていたが、音楽を嗜む人間はこうも真面目かつ礼儀正しい人間になるのだろうか。ピアノを嗜んでいた北斗のことを思えば、なるほどそうかもしれないと確信に近いものを得た。  ……折角手伝ってくれると言うのだ。断るのも彼にとっては失礼なのかもしれない。 「じゃあ、アジフライを頼む、俺が教えるようにやってくれればいいから」 「分かりました。よろしくお願いします」 「そういや、都築さんは?」 「都築さんなら先程プロデューサーから電話が来たのでそれで、恐らく新曲についてのことでしょう」 「なるほどな。じゃあ、ぱっと作っちまうか」 「はい」  ソースや醤油を零せば一発でお亡くなりの白を着ている麗に予備用のエプロンを貸すと、「ありがとうございます」と美しい角度のお辞儀を見せた。 「よし、まずは開いたアジに塩をかけるところなんだが……悪い、一匹だけまだ切ってねえんだ。すぐやるから他を先にやってくれ」 「これくらいでしょうか?」  つまんだ塩をぱっぱと振りまき、全体に満遍なく落とす。冬馬が頷いたのを確認し、二枚目、三枚目とこなしていく。冬馬もその間に最後の一匹の処理を終えた。  麗が塩を振りかけている間に味噌汁の準備をしてしまおう。味噌汁用の鍋に水を入れ、火にかけると、今度は冷凍庫から中身の凍ったジップロックを取り出した。  以前、砂抜きをした後に冷凍したものだ。これならば本来‪四時‬間程度はかかるしじみの下準備をカットすることが出来る。お湯に入れて味噌を溶かせば味噌汁が完成するので多忙な冬馬の食生活に採用された。曰く、冷凍することで旨味が上がるのだというが、味としてはせいぜい美味くなったような気がする程度だ。  塩をかけおえたらしい麗に、今度はバッター液と呼ばれる揚げ物下地を作ってもらうべく、卵と小麦粉を渡した。 「卵と水を混ぜたものに小麦粉を入れるんだ。ちゃんとダマが無くなるまで頼む」 「はい」  真面目だな、と冬馬は苦笑しながら味噌汁の薬味に使用する長ネギを切り始める。  しばらくして、味噌汁用の鍋がカタカタと沸騰を知らせると、冬馬は冷凍しじみを塊のまま投入した。後は勝手に出汁を出してくれるだろう。そうしたら味噌を入れれば完成だ。 「出汁を、出して……」  小さく呟き、頭を抱える。  一体何だと言うんだ今日は、絶好調……いや、絶不調にも程があるだろう。今日の助手が麗で良かった。ここに翔太と北斗がいたならば、間違いなく笑いものにされていた。 「天ヶ瀬さん、これでいいですか?」 「あ、ああ、良いんじゃねえか? そしたら次はパン粉を出してくれ」 「分かりました。パン粉はこの棚の中にいる物でしょうか」 「あれはもう古いと思うから新しいの使ってくれ。ビニール袋に入ってると思うから」  何事もなかったように料理を進める麗を見て、冬馬は先程の戯言が聞かれていなかったと察し、心の底から安堵した。ここ数か月で一番安心したかもしれない。  いそいそとパン粉を振い出している麗を横目に、冬馬も揚げ物鍋を火にかける。中で油が重みを持って揺れる。 「よし、アジをバッター液に浸して、パン粉付けていくぞ」  油が適温になるまで手持ち無沙汰になってしまった冬馬も横並びで作業に参加する。麗がバッター液に浸したアジを受け取り、パン粉をまぶす。受け取り、まぶす。出来た物から器の上に並べていき、後は揚げるのみとなった。
 すると、電話を終えたらしい都築さんがひょっこりとキッチンに顔を出した。お揃いのエプロンをする冬馬と麗を見て「ああ」と微笑む。 「僕にも何かできることはあるかな? 大したことは出来ないと思うんだけど」 「有難いっスけど、もうあと揚げるだけなんで都築さんは休んでてください」  言うと、都築は「一足遅かったみたいだね」と仄かに残念がりながらも並んだアジフライに目を細めた。  鍋の中に挿していた温度計が180度を示し、すかさず菜箸を差し込む。周囲に気泡のようなツブツブが現れ、じゅわっと音がした。頃合いのようだ。麗も顔を覗かせないようにしているものの小動物のように鍋を見つめている。  油を跳ねさせないよう、置くようにアジを落としていくと、触れた先から先程よりもずっと大きなじゅうという音が響く。油が弾ける音も相まって合唱のようである。  ぱちぱち、じゅうう、ぱちぱち。軽快な音が鼓膜を叩き、揚げ上がりを想像して胸が躍った。  ふと、目に入った都築が目を閉じて頷いているので冬馬は首を傾げる。麗も気付いたようで、「都築さん?」と声をかけた。 「もしや、眠いとか、」 「いいや、初めて聞く音だったから新鮮でね。少し聞き入ってしまっただけだよ」 「やっぱり作曲家って、こういう音も俺達とは違うものに聞こえるんスか? なんつうか……日常の音も音階に聞こえるみたいな」 「それは絶対音感の人さ。もちろん僕や麗さんは楽器を弾いているから、この音も音階にすることは出来るよ」  麗が頷く。冬馬は感心しながらも鍋の中のアジフライをひっくり返した。 「専門家にはJupiterの歌ってどう聞こえるんだ?」 「そうですね、Jupiterは個々が力を持っていながらも音がお互いにぶつかり合わず、それぞれの力をいかんなく発揮している素晴らしいユニットだと私は感じました」 「うん、僕もそう思うよ」 「二人に言われると照れるな……けど、まだまだだ」  ぱこぱこと音は姿を変え、沈んでいたアジフライが表面に浮かんできていた。クリーム色だった外見はすっかりキツネ色に変わり、突くと固い触感が返ってきた。そっと掬い上げて鍋の上で数度振る。纏っていた油がぽたぽたと鍋の上に落ちて跳ねて、器に置くと、敷かれたキッチンペーパーにじわりと滲んだ。 「やべっ、忘れてた。悪い、ソース作り頼んでも良いか?」 「はい、どうすればいいですか」 「その棚に小鉢があるだろ。それで白ゴマ潰しておいてくれればいい」 「分かりました」 「それじゃあ僕はお水を出しておくね、それくらいなら僕にも出来ると思うから」  アジフライの第二陣を揚げる間に味噌汁を完成させてしまおうか。  おたまに適量味噌を落とし、菜箸で解いていく。薄濁り程度だっただし汁に味噌の色が溶けていく。塊が無くなったのを確認しておたまを鍋に戻す。ある程度混ぜてから小皿に掬い啜る。舌先に触れた味に、冬馬は小さく頷いた。  ざりざりとゴマを潰す音が聞こえる。見ると、麗が酷く真剣な顔ですり鉢を押し込んでいるので、冬馬は少しだけ様子を伺ってから白米をよそうべく動き出した。
 アジフライが揚がり終わるのと麗がゴマをすり潰し終わるのはほぼ同時だった。小鉢のまま自室のテーブルに運び、白米と皿に移し替えた漬物もセットする。  うん、どこからどう見ても定食だ。小鉢が無い分少々素朴だが、それでも揚げたてのアジフライが照明を受けて黄金色に輝いているものだからあまり気にならない。  麗はどことなくそわそわと食卓を眺めていて、「楽しみか?」と聞くと少しだけ照れながらも頷いた。 「あまり指を傷つけるようなことはさせてもらえなかったんです。だから、料理を手伝うことが初めてで……」 「じゃあ、今日が初料理だな。自分で作ったメシはうめえぞ」  そう言えば、彼は315プロダクションに入る以前はヴァイオリンを弾いていたんだったな。冬馬は指を傷つけてはいけない理由を思い、仕方ないよなあと内心でぼやく。  冬馬も若くしてアイドルというものになった人間だが、人前に出ると決めた時から自分の中で定めた規約のようなものがあった。喉を壊さないように炭酸ジュースを飲みすぎないとか、あまり夜更かしをしないとか、そういうのだ。おかげでクリームソーダも満足に飲めず、たまのご褒美に喫茶店に行って飲む程度だった。しかし、その道を望んだのは間違うことなく冬馬自身なのだ。  あまり他の家庭のことをとやかく言うつもりはないし、楽器を扱う職に就いていた以上はその道を脅かすものは全て排除し、避けるのは仕方のないことだろう。
 ……もしも怪我で夢を失ってしまったら。
 そこから先を考えるのはやめた。
「……っし、いただきます」
 上品な挨拶が重なり、冬馬は早速アジフライを一つ掴んだ。ソースは先程麗がすり潰してくれたゴマの小鉢に中濃ソースを垂らしたものである。即席のものではあるが、アジフライとの相性は最高である。  さくり、口の中から揚げ物を潰す軽快な音が響いて、すぐに鼻腔を揚げ物特有の香ばしさとソースに入れたごまの風味が駆け抜ける。追って感じたのはアジの身の柔らかさだ。一噛みで邪魔をしない程度の白身の柔さは決して油が多いわけではなく、アジ本来の性質だろう。  下処理のおかげで魚の独特な臭みは消えているが、肝心のアジらしいにおいはきちんと残ってアジフライという料理を形作っている。  おっさん、今年のアジは最高だぜ。なんて、届くことは無い言葉を胸に抱く。  隣を見ると、麗がさくさくと口を遊ばせながらも顔を綻ばせている。一方の都築も表情は然程変わらないまでも、満足気に箸を勧めるのだった。 「なんか、都築さんが飯食ってるの、不思議っスね」 「普段はあまり食べないからね」 「ははは、また水しか飲まないって奴スか」  冬馬がバラエティで得た微々たるトーク力で都築の話を掘り返す。と、麗がけろっと「本当です」と口を挟んだ。は、え?とにわとりのような声が冬馬の口から漏れて、麗は再度本当ですと押し込む。 「都築さんは水だけで一週間を済ませることもあります」 「水って、この水か?」  グラスを持ち上げると、中の透明な液体が揺れる。無色透明、何一つ加えてないただの水である。頷く麗に、冬馬は呆然とすることしかできない。 「液体以外の物を食べると疲れてしまうんだ」 「えっと……マジっスか? 俺てっきりなんかの冗談かと思って固形の、しかも揚げ物なんて重いもん作っちまって……」 「いいんだよ、とても美味しかったから。旬さんも言っていたけれど、冬馬さんは料理が上手なんだね」  都築はアジフライを一切れだけ食べ終え、「ごちそうさま」と微笑む。冬馬は一連の流れを今も信じることが出来ず、動揺を隠すように味噌汁を啜り、無意識に頷いた。  うん、出汁がよく出ている。これは冷凍も侮れない。まあ、一応これも熱い水ではあるから、水だけで生活することも……いや、無理だな。冬馬は自問自答を繰り返し、出た結論に首を傾げる。  疲れやすいというのは本当のようで、都築は箸を置いてから少しするとうつらうつらしていた。麗もそれを日常茶飯事だと言って彼の代わりに謝罪するので「気にしないでくれ」とかぶりを振った。生憎、食事の前後に寝られるのは慣れている。
 六月に向かおうとしている日の夜の気温は過ごしやすい。長袖を捲っても良し、半袖で過ごすも良しである。寒くもなく、かといって暑くもない完璧な気温の中で冬馬は欠伸をしながら歩いていた。歩く度に右手に提げたビニール袋ががさがさと音を立てる。中に入れたタッパーの蓋が空いていないかと不安になって覗き込み、無事を確認しては再び歩き出すという行為を家を出てから何度も繰り返している。  結局あれからAltessimoの二人は明日もまだ仕事があるということなので、長居させてはなるまいとタクシーを呼んだのだった。タクシーに都築を運ぶというイベントをこなした後、がらんとなった自室を見て冬馬は無性に人恋しくなった。と、言うよりも、音楽家たちの話を聞いていく中で頭をちらつく男の名前が頭から離れなかったのである。  十中八九原因は別れ際都築に言われた「北斗さんと一緒にいる時の冬馬さんの音はとても優しいね」という一言だろうが、そもそも触れ合うならば電話で済ませればいいものを。どうせ明日は仕事も午後からだし、今週に入ってまだ顔を見ていないからと勝手に自分の中で言い訳を重ね、気付いた時には余ったアジフライをタッパーに詰めて家を出ていた。  把握しているスケジュール通りならば仕事終わりは‪20時‬。少し押して帰宅は‪21時‬過ぎになる。あいつのことだからきっと「この時間だし、別に飯はいいか」と家でのんびりしていることだろう。明日は二人とも午後から打ち合わせ。行くなら今しかない。  インターフォンを押し、特に意味もなくその場で跳ねる。つま先に力を入れてぴょこぴょこと上下する度にビニール袋が鳴く。「やべっ」と動きを止めた瞬間、固く閉じられていた扉がゆっくりと開き、透き通った碧色が冬馬の姿を認めた。 「……よお」 「冬馬? どうしたの、こんな時間に」 「その、さっきAltessimoの二人が来て作ったんだけど、余ったから持ってきた。……アジフライと、米」  がさりとそれを掲げると、北斗はきょとんと見つめた後「ふふ、」と微笑む。 「こんな時間に揚げ物かあ」 「うっせ、別に食わなくても良いんだぞ」 「いや、頂くとするよ。丁度晩御飯を食べようかどうか迷っていたとこなんだ。夜も遅いし、ココアで��いかな?」 「ん」  タッパーの袋が北斗に取られ、そのまま中に案内される。連れて行かれるがままに居間のソファに座らされて、冬馬は一息ついた。  いつ来てもこの家は寂しい。本来父もいるはずの家を一人で使用する冬馬の家も大概だが、ここはそれとは違う、一言で言うならば無機質な部屋であった。必要最低限の家具と、妙に高級そうに見える装飾類。無音の中心に構えるグランドピアノ。北斗の家。 「そう言えば、さっきプロデューサーから電話が来たけど冬馬はもう聞いた?香川ロケの話」 「香川ロケ? なんのことだ?」  タッパーの中身をそのまま移し替えた皿をテーブルに置いて北斗は着席する。冬馬も荷物はそのままに、正面の椅子に座った。 いただきます、その言葉を合図に食べ始めた北斗を横目に携帯電話を見ると、一件プロデューサーから不在着信が入っていた。歩いていた時にかかってきていたらしい。 「なんでも、来月バラエティ番組でTHE 虎牙道の三人とJupiterで香川ロケをすることが決まったんだと。地元の人に協力してもらいながらうどんを作って、どちらが美味しかったかを決めてもらう予定らしい」 「ってことは、対戦形式なのか」 「一応は。だけどまだ検討中だから、変わるかもしれないな」  さくっ。時間が経過しても歯ごたえが残るそれを口にして北斗が「うん、美味しい」と呟く。  初めて料理に触れてからというもの、興味を示したものについては時間と金の許す限り作ってきたつもりだ。しかし、うどんは流石に簡易的にしか作ったことがない。 バラエティの、それも現地に行くということは十中八九全て作らされるんだろうなあ。 「……まあ、やってみるしかねえよな。お前も翔太もいるんだし」 「ふふ、そうだね。俺達も負けてられない」  そう言って微笑む北斗と目が合う。「おう」と冬馬は歯を見せて笑った。
NEXT→『うどん』with THE 虎牙道
0 notes
wadaikodrumgaryu · 2 years
Photo
Tumblr media
100人ヒロトレまで後13日😊✨ だいぶ涼しくなってきましたね♪♪ 9月19日は、 気持ちよく100人ヒロトレできそうですね😁 皆さん準備できていますか?😌 参加される時は、 ヨガマット・動きやすい格好・飲み物 お忘れなく✨ 今週は、久々のオンラインヒロトレ そして、金曜日は、ヒロトレとシノヨガ 皆さん一緒に楽しみながら、 体を整えましょう✨ お申し込みお問合せは⬇︎ 📳ヒロトレ公式LINE:https://lin.ee/vTQSbdo こちらへDMお待ちしてます🙌 @garyu_hirotore お問い合わせ 100人ヒロトレ実行委員会  Tel:07085518717 ==================== 🌞9月の予定変更がありました🌞 久々のオンライントレーニング ◯日時  2022年9月8日(木)  10:00 - 10:30  2022年9月13日(火)  20:00 - 20:30 ◯会場  オンラインZoom ⁡◯料金  1,000円 ==================== 𓇼ヒロトレ と シノヨガ𓇼 vol.5 " 筋トレとヨガの組み合わせが最強説 ?! " ◯日時  2022年9月9日(金)  19:30 - 21:00 ◯会場  Diporto Fukuyama  広島県福山市南蔵王町5-14-25   ※駐車場有 ◯定員  10名さま ⁡◯料金  3,000円 ==================== 100人ヒロトレコラボフェス 大自然の中で、体を解放して、うんと楽しみましょう!! ◎日時 9月19日 10時〜15時(9時から受付開始) ◎場所 サンステージ羽高湖   (広島県府中市諸毛町二反田3000番地) ◎参加費 大人 ¥3000      大人ペア ¥5000 【ヒロトレ、和太鼓体験、ヨガ体験を含む】※中学生以下は無料です ◎駐車場 無料 【主催】 100人ヒロトレ実行委員会  実行委員長 竹内裕樹 🔴ご予約は、 【参加者名前/年齢】 ① ② ③ ④ ⑤ 【電話番号】 【昼食予約/野菜たっぷりカレー¥500】      予約     個 【プランター野菜体験¥500】 予約     個 こちらをご記入のうえ、ご連絡ください😊 ご家族、お友達と是非思いっきり楽しみましょう❗️ #トレーニング #training #筋トレ #workout #ダイエット #筋肉 #ヨガ #yoga#我龍 #和太鼓 https://www.instagram.com/p/CiKzgK5BHJE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
linoliu · 7 years
Text
《周禮》惟一傳人杜子春,查無此人————東漢馬融偽造杜子春打擊鄭眾及賈逵《周禮》學的公案
《周禮》惟一傳人杜子春,查無此人————東漢馬融偽造杜子春打擊鄭眾及賈逵《周禮》學的公案 一、《漢書‧王莽傳》明載王莽『制禮作樂』,造假『損益』而號稱『發得《周禮》』 自從《周禮》出現于西漢末年孺子嬰的王莽居攝三年前,《漢書‧王莽傳》裡稱王莽『發得《周禮》………損益焉』,也就是,王莽掌內外朝的孺子嬰的王莽居攝三年其前,由劉歆成立『博士儒者七十八人』的造偽《周禮》的班子,把武帝年間收入皇室秘府的《周官》『損益』後,所成的『制禮作樂』的成果。 本來,漢孺子嬰的居攝三年九月,王莽的母親功顯君死了,王莽不想服喪,以免在服喪期間,到手的權柄遭奪,於是要太后下詔議服喪之制,為自已不要服喪找開脫的理由。《漢書‧王莽傳上》記載:
 『少阿羲和劉歆與博士諸儒七十八人皆曰:「居攝之義,所以統立天功,興崇帝道,成就法度,安輯海內也。���殷成湯既沒,而太子蚤夭,其子太甲幼少不明,伊尹放諸桐宮而居攝,以興殷道。周武王既沒,周道未成,成王幼少,周公屏成王而居攝,以成周道。是以殷有翼翼之化,周有刑錯之功。今太皇太后比遭家之不造,委任安漢公宰尹群僚,衡平天下。遭孺子幼少,未能共上下,皇天降瑞,出丹石之符,是乙太皇太后則天明命,詔安漢公居攝踐祚,將以成聖漢之業,與唐虞三代比靈斯也。攝皇帝遂開秘府,會群儒,制禮作樂,卒定庶官,茂成天功。聖心周悉,卓爾獨見,發得《周禮》,以明因監,則天稽古,而損益焉,猶仲尼之聞韶,日月之不可階,非聖哲之至,孰能若茲!綱紀咸張,成在一匱,此其所以保佑聖漢,安靖元元之效也。今功顯君薨,禮『庶子為後,為其母緦。』傳曰『與尊者為體,不敢服其私親也。』攝皇帝以聖德承皇天之命,受太后之詔居攝踐祚,奉漢大宗之後,上有天地社稷之重,下有元元萬機之憂,不得顧其私親。故太皇太后建厥元孫,俾侯新都,為哀侯後。明攝皇帝與尊者為體,承宗廟之祭,奉共養太皇太后,不得服其私親也。《周禮》曰『王為諸侯緦縗』,『弁而加環絰』,同姓則麻,異姓則葛。攝皇帝當為功顯君緦縗,弁而加麻環絰,如天子吊諸侯服,以應聖制。」莽遂行焉,凡壹吊再會,而令新都侯宗為主,服喪三年云。』
在此一段由劉歆領銜帶領了『博士諸儒七十八人』同時都上奏,曲阿于王莽,大稱王莽功德時,指出了:『攝皇帝遂開秘府,會群儒,制禮作樂,卒定庶官,茂成天功。聖心周悉,卓爾獨見,發得《周禮》,以明因監,則天稽古,而損益焉,猶仲尼之聞韶,日月之不可階,非聖哲之至,孰能若茲。………《周禮》曰『王為諸侯緦縗』,『弁而加環絰』,同姓則麻,異姓則葛。攝皇帝當為功顯君緦縗,弁而加麻環絰,如天子吊諸侯服,以應聖制。』
此段文字妙不可言。而被徐複觀于《周官成立之時代及其思想性格》指出了破綻,此段文字分明是劉歆自招的供狀,供出王莽(實即劉歆等)偽造了《周禮》。因為指出了王莽此位『攝皇帝』,『開秘府,會群儒,制禮作樂,卒定庶官』,由王莽主持之下,招來眾儒生,『制禮作樂,卒定庶官』,即由眾儒者,在王莽要求下,制了禮,作了樂,還定了王莽要求的理想的官制把秘府找出來的《周官》『損益』而制出了《周禮》出來。如果只是真如現今學界多數在鼓吹的《周禮》並非和劉歆及王莽偽造有關,而是真被劉歆及王莽在秘府(國家圖書館)裡發見到的先秦戰國時代的故書,那麼,王莽只不過是找到了古書,功勞怎會成了『聖心周悉,卓爾獨見』、『猶仲尼之聞韶,日月之不可階,非聖哲之至,孰能若茲』,發現了一本古書,竟然功勞等同於孔子去了。其實,此段文字,不就擺明,重點在於『發得《周禮》,以明因監,則天稽古,而損益焉』的『而損益焉』四字,而擺明是王莽教唆下,眾儒者把舊本的《周官》,去『損益焉』(加油添料)乃成今《周禮》了。而其作偽《周禮》開始日,從《漢書‧王莽傳》于平帝元始四年『征天下通一藝教授十一人以上,及有逸禮、古書、毛詩、《周官》、爾雅、天文、圖讖、鐘律、月令、兵法、史篇文字,通知其意者,皆詣公車。網羅天下異能之士,至者前後千數,皆令記說廷中,將令正乖繆,壹異說云。』其中《周官》也屬於『將令正乖繆,壹異說』,也進行改造《周官》成《周禮》的準備動作,因為實則《周官》只存在于秘府,民間無見,從何來的民間『通知其意者』,而不過以此為幌子。而元始五年,《漢書‧王莽傳》亦記『公卿大夫、博士、議郎、列侯富平侯張純等九百二人皆曰:「聖帝明王招賢勸能,德盛者位高,功大者賞厚。故宗臣有九命上公之尊,則有九錫登等之寵。今九族親睦,百姓既章,萬國和協,黎民時雍,聖瑞畢溱,太平已洽。帝者之盛莫隆于唐虞,而陛下任之;忠臣茂功莫著于伊周,而宰衡配之。所謂異時而興,如合符者也。謹以六藝通義,經文所見,《周官》、禮記宜於今者,為九命之錫。臣請命錫。」奏可。』也提到所謂《周官》裡有九錫之命。而命策文裡有頌王莽『遂制禮作樂,有綏靖宗廟社稷之大勳。』而居攝三年劉歆等上書並引『《周禮》曰『王為諸侯緦縗』,『弁而加環絰』,同姓則麻,異姓則葛。攝皇帝當為功顯君緦縗,弁而加麻環絰,如天子吊諸侯服,以應聖制。』此時,不言《周官》,而直言《周禮》曰,則偽書《周禮》已成就。
又,清代孫詒讓《周禮正義》內指出:『賈疏引馬融及鄭序………其曰「周禮者,荀悅《漢紀·成帝篇》云『劉歆以周官經六篇為周禮,王莽時歆奏以為禮經置博士』。」《釋文·敘錄》亦云「王莽時,劉歆為國師,始建立周官經為周禮。」案《漢書·王莽傳》,歆為國師在始建國元年,而居攝三年九月,歆為羲和與博士諸儒議莽母功顯君服已云發得《周禮》以明殷監,又引《司服職》文亦稱《周禮》。然則歆建《周官》,以為《周禮》疑在莽居攝、歆為羲和以前。陸謂在為國師以後,未得其實。通核諸文,蓋歆在漢奏《七略》時,猶仍《周官》,故名至王莽時奏立博士,始更其名為《周禮》殆無疑義。』孫詒讓說『歆建《周官》,以為《周禮》疑在莽居攝、歆為羲和以前』,實則是歆偽造《周禮》『在莽居攝、歆為羲和以前』。
二、偽造《周禮》團伙由劉歆率『博士儒者七十八人』成立,到東漢碩果僅存鄭興、賈徽二人 此偽造《周禮》的劉歆所成立的偽造團伙的『博士儒者七十八人』,究竟有哪些成員呢。史料並無記載。不過,《後漢書》裡倒有這些博士儒者的碩果僅存的二人的蛛絲馬跡。其一為鄭興,其二為賈徽。 為何知道呢,只要慎讀史料《後漢書》,即可查出此段公案。 《後漢書•鄭范陳賈張列傳》;『鄭興字少贛,河南開封人也。少學公羊春秋。晚善左氏傳,遂積精深思,通達其旨,同學者皆師之。天鳳中,將門人從劉歆講正大義,歆美興才,使撰條例、章句、傳詁,及校三統曆。…………興好古學,尤明左氏、周官,長於歷數,自杜林、桓譚、衛宏之屬,莫不斟酌焉。世言左氏者多祖於興,而賈逵自傳其父業,故有鄭、賈之學。興去蓮勺,後遂不復仕,客授閿鄉,三公連辟不肯應,卒於家。子眾。眾字仲師。年十二,從父受左氏春秋,精力於學,明三統曆,作春秋難記條例,兼通易、詩,知名於世。………在位以清正稱。其後受詔作春秋刪十九篇。八年,卒官。
 賈逵字景伯,扶風平陵人也。……。父徽,從劉歆受左氏春秋,兼習國語、《周官》,又受古文尚書于塗惲,學毛詩于謝曼卿,作左氏條例二十一篇。逵悉傳父業,弱冠能誦左氏傳及五經本文,以大夏侯尚書教授,雖為古學,兼通五家谷梁之說。自為兒童,常在太學,不通人閒事。身長八尺二寸,諸儒為之語曰:「問事不休賈長頭。」性愷悌,多智思,俶儻有大節。尤明左氏傳、國語,為之解詁五十一篇,永平中,上疏獻之。顯宗重其書,寫藏秘館。…肅宗立,降意儒術,……逵數為帝言古文尚書與經傳爾雅詁訓相應,詔令撰歐陽、大小夏侯尚書古文同異。逵集為三卷,帝善之。複令撰齊、魯、韓詩與毛氏異同。並作周官解故。遷逵為衛士令。八年,乃詔諸儒各選高才生,受左氏、谷梁春秋、古文尚書、毛詩,由是四經遂行於世。皆拜逵所選弟子及門生為千乘王國郎,朝夕受業黃門署,學者皆欣欣羡慕焉。』
就是在《後漢書》裡以上這兩段文字,把東漢時期,隱蔵在民間的王莽的造假《周禮》的團伙成員泄了底。 ●談鄭興 《後漢書•鄭范陳賈張列傳》裡指出的鄭興,『晚善左氏傳,………天鳳中,將門人從劉歆講正大義,歆美興才,使撰條例、章句、傳詁,及校三統曆。…………興好古學,尤明左氏、《周官》。長於歷數,自杜林、桓譚、衛宏之屬,莫不斟酌焉。世言左氏者多祖於興,………』 在以上這段文字裡,講到鄭興此人在晚年善於《左傳》,到王莽新朝的末年的天鳳年間,派門人從劉歆游,而劉歆稱羨鄭興的《左傳》之才,於是令他撰寫有關《左傳》的『條例、章句、傳詁』,而且提到鄭興『長於歷數』,故劉歆也令他『校三統曆』。于此傳文內提到他的兒子,即鄭玄在《周禮》注裡常引用的鄭大司農的鄭眾,『從父受左氏春秋,精力於學,明三統曆,作春秋難記條例,兼通易、詩,知名於世。………在位以清正稱。其後受詔作春秋刪十九篇。八年,卒官。』也是像他父親一樣,受家學而承《左傳》及歷數的『三統曆』。可以看出,《後漢書•鄭范陳賈張列傳》于鄭興的學術相關文字裡,插入了『《周官》』兩字,而且又講『尤明左氏、《周官》』,而講到其子鄭眾,又一言不及鄭眾盛傳於後世有關的《周禮》之學,及其《周禮》注,只去講『兼通易、詩』而已。 這段文字裡的晦義,吾人今釋之。《後漢書•鄭范陳賈張列傳》裡把鄭興此人的《周官》之學,只以『尤明左氏、《周官》』裡帶到一下子。其尤明《左傳》,看此傳記之文,即主講他的《左傳》之學,『晚善左氏傳,………天鳳中,將門人從劉歆講正大義,歆美興才,使撰條例、章句、傳詁,及校三統曆。…………興好古學,尤明左氏、《周官》。長於歷數,自杜林、桓譚、衛宏之屬,莫不斟酌焉。世言左氏者多祖於興,………』此文字裡大半都是講鄭興的《左傳》之學,把他的『尤明《周官》』帶到一下子,露個口風給後人。而對於其子鄭眾的《周禮》之學,一言不及,所謂欲蓋而彌章。 要知道,《周禮》在王莽朝是官訂的偽書,而且還立了《周禮》的博士。既是偽書,在西漢末年孺子嬰的王莽居攝年間始出世,之前,其祖本的《周官》,于武帝年間收入皇室圖書館,只有司馬遷等在朝的士大夫可以得見,司馬遷於《史記》內也有引用到。鄭興早年,『少學公羊春秋』,並非研究《周官》,也無官職可入秘府讀到《周官》,那麼,他又何從『尤明《周官》』。故尤明的是那一本劉歆偽造班子所改頭換面河間獻王從前所獻其自已『制禮作樂』的偽書《周官》所成而冠以是王莽所『發得』的《周禮》。以此可以看出,鄭興就是偽造《周禮》的造假團夥裡的一員。
 ●談賈徽 《後漢書•鄭范陳賈張列傳》裡指出的賈徽,『從劉歆受左氏春秋,兼習國語、《周官》,又受古文尚書于塗惲,學毛詩于謝曼卿,作左氏條例二十一篇。逵悉傳父業,………』。從以上正史上的文字的內容,再比對劉歆系成立偽造《周禮》班子的主子,而賈徽向劉歆『習……《周官》』,此所謂的偽書《周禮》,又有何『習』之有,其實,即暗喻賈徽此人,亦是造假《周禮》成員之一。而正史裡又明言賈逵『悉傳父業』,即賈逵也傳了其父的《周禮》之學。 ●鄭眾及賈逵的《周禮》,依正史都傳承自其父鄭興及賈徽,斷非馬融所說『杜子春………鄭眾、賈逵往受業焉』。 從吾人以上據《後漢書》記載分析,鄭眾及賈徽的父親鄭興及賈徽,就是偽造《周禮》的人之一,鄭眾及賈徽都是要學《周禮》,就向父親學就屬第一手了,再看一看馬融在《周官傳‧序》裡所說的『杜子春………鄭眾、賈逵往受業焉』,就純屬虛構,也並沒有記載於其他史料上之事,且亦是不可能發生之事,尤其,《後漢書》明言賈逵『悉傳父業』,而其父賈徽的《周禮》之業亦在其中。從正史所記,就明白地已破馬融在《周官傳‧序》裡的賈逵向馬融所說的劉歆的惟一活著的弟子杜子春學《周禮》的偽記載。 三、馬融在《周官傳‧序》裡虛構杜子春此一《周禮》惟一傳人的用意 唐代賈公彥於〈序《周禮》廢興〉裡指出了: 『…………馬融《傳》云:「秦自孝公已下,用商君之法,其政酷烈,與《周官》相反。故始皇禁挾書,特疾惡,欲絕滅之,搜求焚燒之獨悉,是以隱藏百年。孝武帝始除挾書之律,開獻書之路,既出於山岩屋壁,複入于秘府,五家之儒莫得見焉。至孝成皇帝,達才通人劉向、子歆,校理秘書,始得列序,著於錄略。然亡其《冬官》一篇,以《考工記》足之。時眾儒並出共排,以為非是。唯歆獨識,其年尚幼,務在廣覽博觀,又多銳精於《春秋》。末年,乃知其周公致太平之跡,跡具在斯。奈遭天下倉卒,兵革並起,疾疫喪荒,弟子死喪。徒有裡人河南緱氏杜子春尚在,永平之初,年且九十,家于南山,能通其讀,頗識其說,鄭眾、賈逵往受業焉。眾、逵洪雅博聞,又以經書記傳相證明為《解》,逵《解》行於世,眾《解》不行。兼攬二家,為備多所遺闕。然眾時所解說,近得其實,獨以《書序》言『成王既黜殷,命還歸在豐,作《周官》』,則此《周官》也,失之矣。逵以為六鄉大夫,則塚宰以下及六遂,為十五萬家,縆千里之地,甚謬焉。此比多多,吾甚閔之久矣。」六鄉之人,實居四同地,故云縆千里之地者,誤矣。又六鄉大夫,塚宰以下,所非者不著。又云「多多」者,如此解不著者多。又云:「至六十,為武都守。郡小少事,乃述平生之志,著《易》、《尚書》、《詩》、《禮》傳,皆訖。惟念前業未畢者唯《周官》,年六十有六,目瞑意倦,自力補之,謂之《周官傳》也。」』 ●《後漢書》明載東漢時,劉歆弟子賈徽尚在,而無杜子春其人 馬融在此序文裡帶出了一個人物,叫做杜子春的,並說出是劉歆在《周禮》方面的弟子裡到東漢惟一碩果僅存的弟子。他指出:『奈遭天下倉卒,兵革並起,疾疫喪荒,弟子死喪。徒有里人河南緱氏杜子春尚在,永平之初,年且九十,家于南山,能通其讀,頗識其說,鄭眾、賈逵往受業焉。』這位杜子春,遍查正史無見,亦不見其他史料有所記載,只出自馬融之口。吾人前文已查證出來,鄭眾、賈逵的《周禮》之學,直接從他們兩人的父親鄭興及賈徽助劉歆偽造《周禮》的團伙成員就可以盡得其傳了,哪裡還要找第二手傳播的所謂的劉歆弟子杜子春。 ●《後漢書》明載東漢時,劉歆弟子賈徽尚在,而無杜子春其人 而且,依《後漢書》,不就明白記載了賈徽從劉歆習《周禮》,而且還活到了東漢,此明文史料已得證馬融的『奈遭天下倉卒,兵革並起,疾疫喪荒,弟子死喪。徒有里人河南緱氏杜子春尚在』就是段謊言。雖則王��末年,『遭天下倉卒,兵革並起,疾疫喪荒,弟子死喪』是事實,但《後漢書》明言賈徽尚在,卻沒有記載杜子春尚在。故可知,馬融的偽造以上這段文字,說『弟子死喪,徒有里人河南緱氏杜子春尚在』,就完全無旁證,而《後漢書》反而記載劉歆的弟子賈徽尚在,完全不提杜子春。按,依漢儒經學傳承家法,向大師受業者皆可謂弟子,賈徽及鄭興在劉歆門下受命偽造《周禮》,也即是弟子。如依今人說法比喻,就是共同造假團伙裡的成員,以劉歆為主子。 ●馬融(79年-166年)偽造鄭眾及賈逵向杜子春學《周禮》的背後用心———東漢馬融偽造杜子春打擊鄭眾及賈逵《周禮》學 在東漢中葉,鄭眾(?-83年)及賈逵(30年-101年)的《周禮》之學顯赫,他們的時代都在馬融之先,而且已樹立了在《周禮》方面的權威。馬融以一後生,要在《周禮》方面超越鄭眾及賈逵,當然,惟一佳計,就是好好充實已學,在學術實力上一較長短。但馬融此位奸小的儒者,不此之圖,故意假造一個杜子春出來,當鄭眾及賈逵的祖師,把鄭眾及賈逵比下去。那麼,此位杜子春如果對於《周禮》寫了什麼注文,那麼,馬融的想法若與鄭眾及賈逵的注文不合,即可據杜子春的注文,暗喻鄭眾及賈逵其學的不精,不照師說而出錯。而只要拿出杜子春的注文,就可以打倒鄭眾及賈逵的注文。馬融的《周官傳》,今日不傳。而其於序中假造了杜子春,則其《周官傳》裡,必有不少偽稱是『杜子春曰』的內容,尤其針對要駁鄭眾及賈逵的注文處,一定引用杜子春注。故馬融的《周官傳》,有兩部份,一是其自已的注文,二是針對反駁鄭眾及賈逵的注文之處,就引用『杜子春曰』。 同樣的在《左傳》方面,《後漢書‧馬融列傳上》指出:『嘗欲訓左氏春秋,及見賈逵、鄭眾注,乃曰:「賈君精而不博,鄭君博而不精。既精既博,吾何加焉!」但著三傳異同說。』在《左傳》學術上,馬融也是碰上了其對頭賈逵及鄭眾,賈逵、鄭眾都有《左傳》的注,馬融指『賈君精而不博,鄭君博而不精』,而稱讚自己『既精既博,吾何加焉!』在《左傳》上出言不遜,把鄭眾及賈逵批評一番。更加深一層了證明其偽造杜子春其人及其注的居心,仍是在對付其眼中釘的鄭眾及賈逵,而把此二位學者貶為其偽造的杜子春此人的門生,以出一出自己的不如之氣,實為信而有第二徵。
●後世所謂《周禮杜子春注》都是馬融偽造的 馬融有位弟子鄭玄,有《周禮》注文,內中完全沒有引用到馬融曰,卻引用了不少杜子春曰。其不引用馬融的說法,吾人認為,依各項史料如後文,可以判定鄭玄看不起人格低下的馬融及其學術,故不用馬融之說。但並未識清馬融偽造了杜子春及杜子春曰,而在注文裡引用了馬融《周官傳》裡的杜子春曰,不過,鄭玄個人對於杜子春曰,也是同意者少,不採用者居多。 鄭玄引用的杜子春曰,來自馬融《周官傳》的另一證據,就是賈公彥〈序《周禮》廢興〉引鄭玄《周禮·序》[1]:『世祖以來通人達士,大中大夫鄭少贛及子大司農仲師、故議郎衛次仲、侍中賈君景伯、南郡太守馬季長,皆作《周禮解詁》。』鄭玄指出了,像是鄭興、鄭眾、衛宏、賈逵、馬融都有《周禮》的注。明白地沒有指杜子春有《周禮》注,正史《後漢書·儒林傳》:『中興,鄭眾傳《周官經》,後馬融作《周官傳》,授鄭玄,玄作《周官注》。』故世間並不存在于單一本杜子春注,即知那位在馬融《周官傳》裡的所說的杜子春,其注就在馬融《周官傳》裡。況且,杜子春就是馬融偽造的人物,若有注文,就是馬融偽造的。 ●馬融偽造杜子春『家于南山』,出處就是其師摯恂『隱于南山』 馬融偽造杜子春其人『家于南山』,一查史料,令人啞然失笑,原來是拿他的師父摯恂做個樣板,因為,其師父摯恂就是『隱于南山』。 《後漢書·馬融傳》:『京兆摯恂,以儒術教授,隱于南山,不應徵聘,名重關西,融從其遊學,博通經籍。恂奇融才,以女妻之。』 馬融的杜子春的形象,就是以其師摯恂為樣板,其師『隱于南山』,馬融偽造的杜子春,也令其『家于南山』。 四、小結 ●馬融只是鄭玄的空頭師父 有關鄭玄看不起馬融一事,清代王鳴盛《蛾術編》卷五十八指出:『融欲害鄭,未必有其事,而鄭鄙融郤有之。蓋融以侈汰為貞士所輕,載趙岐傳注。鄭雖師融,著述中從未引融語。獨於月令注云:『俗人云:周公作月令,未通于古。』疏云:『俗人,馬融之徒。』』按,王鳴盛所引非全文,月令注全文當云『今俗人皆云周公作《月令》,未通于古』。唐代孔頴達《禮記注疏》全文曰:『俗人謂賈逵、馬融之徒,皆云《月令》周公所作。』
《後漢書‧吳延史盧趙列傳》內指出:『趙岐字邠卿,京兆長陵人也。初名嘉,生於御史台,因字台卿,後避難,故自改名字,示不忘本土也。岐少明經,有才蓺,娶扶風馬融兄女。融外戚豪家,岐常鄙之,不與融相見。仕州郡,以廉直疾惡見憚。』而《後漢書‧馬融列傳上》也指出:『馬融字季長,扶風茂陵人也,將作大匠嚴之子。……融才高博洽,為世通儒,教養諸生,常有千數。涿郡盧植,北海鄭玄,皆其徒也。善鼓琴,好吹笛,達生任性,不拘儒者之節。居宇器服,多存侈飾。常坐高堂,施絳紗帳,前授生徒,後列女樂,弟子以次相傳,鮮有入其室者。嘗欲訓左氏春秋,及見賈逵、鄭眾注,乃曰:「賈君精而不博,鄭君博而不精。既精既博,吾何加焉!」但著三傳異同說。………。』而南朝的劉孝標注《世說新語‧文學》:
『鄭玄在馬融門下,三年不得相見,高足弟子傳授而已。嘗算渾天不合,諸弟子莫能解。或言玄能者,融召令算,一轉便決,眾鹹駭服。及玄業成辭歸,既而融有「禮樂皆東」之歎。恐玄擅名而心忌焉。玄亦疑有追,乃坐橋下,在水上據屐。融果轉式逐之,告左右曰:「玄在土下水上而據木,此必死矣。」遂罷追,玄竟以得免。』
其注文內引用了《鄭玄別傳》:『玄少好學書數,十三誦五經,好天文占候,風角隱術。年十七,見大風起,詣縣曰:『某時當有火災。』至時果然,智者異之。年二十一,博極群書,精歷數圖緯之言,兼精算術。遂去吏,師故兗州刺史第五元。先就東郡張恭祖受《周禮》、禮記、春秋傳。周流博觀,每經歷山川,及接顏一見,皆終身不忘。扶風馬季長以英儒著名,玄往從之,參考同異。季長後戚,嫚於待士,玄不得見,住左右,自起精廬,既因紹介得通。時涿郡盧子幹為門人冠首,季長又不解剖裂七事,玄思得五,子幹得三。季長謂子幹曰:『吾與汝皆弗如也。』季長臨別,執玄手曰:『大道東矣,子勉之!』後遇黨錮,隱居著述,凡百余萬言。大將軍何進辟玄,乃縫掖相見。玄長八尺余,鬚眉美秀,姿容甚偉。進待以賓禮,授以幾杖。玄多所匡正,不用而退。袁紹辟玄,及去,餞之城東,欲玄必醉。會者三百餘人,皆離席奉觴,自旦及莫,度玄飲三百餘桮,而溫克之容,終日無怠。獻帝在許都,徵為大司農,行至元城卒。』
《後漢書‧張曹鄭列傳》:『鄭玄字康成,北海高密人也。………又從東郡張恭祖受《周官》、《禮記》、《左氏春秋》、《韓詩》、《古文尚書》。以山東無兄問者,乃西入關,因涿郡盧植,事扶風馬融。融門徒四百余人,升堂進者五十餘生。融素驕貴,玄在門下,三年不得見,乃使高業弟子傳授于玄。玄日夜尋誦,未嘗怠倦。會融集諸生考論圖緯,聞玄善算,乃召見于樓上,玄因從質諸疑義,問畢辭歸。融喟然謂門人曰:『鄭生今去,吾道東矣。』玄自遊學,十餘年乃歸鄉里。………初,中興之後,范升、陳元、李育、賈逵之徒爭論古今學,後馬融答北地太守劉瑰及玄答何休,義據通深,由是古學遂明。………』
●鄭玄不引不駁馬融的注文是其執弟子禮的厚道
按,依正史《後漢書》,鄭玄在馬融門下,『三年不得見』,而只是指派了其弟子授業,也就是說,鄭玄完全被馬融看不起,最後,鄭玄離去前一見,始知其材。可以說,鄭玄根本就沒有親聞馬融之學,而依正史,其《周禮》之學,是授自張恭祖。《鄭玄別傳》又指出:『季長後戚,嫚於待士,玄不得見,住左右,自起精廬,既因紹介得通。』《後漢書‧馬融列傳上》也指出:『馬融………融才高博洽,為世通儒,教養諸生,常有千數。涿郡盧植,北海鄭玄,皆其徒也。………前授生徒,後列女樂,弟子以次相傳,鮮有入其室者。』即知鄭玄就是『鮮有入其室者』之被馬融視為泛泛士人。而鄭玄的著作不引馬融之說者,因為馬融根本就沒有傳授其學,空有為師之號,而鄭玄的《周禮》學傳自張恭祖,與馬融無關。而鄭玄于《周禮》注完全不引用馬融《周官傳》之言,從其對馬融偽造的杜子春的注文的大都反對,即知,馬融的《周官傳》的水準,是鄭玄看不起的,故不引,不引也不駁,已是鄭玄對於其空頭師父最好的餘地了。
又按,《太平廣記》二百十五引《異金》:『鄭康成師馬融,三載無聞,融鄙而遣還。玄過樹陰假寐,見一老父,以刀開腹心,謂曰:『子可以學矣。』於是寤而即返,遂精洞典籍。融歎曰:『詩書禮樂,皆已東矣。』潛欲殺玄,玄知而竊去。融推式以筭玄,玄當在土木上,躬騎馬襲之。玄入一橋下,俯伏柱上,融踟躕橋側雲:『土木之閑,此則當矣。有水,非也。』從此而歸。玄用免焉。』與《世說新語》似,《太平廣記》所引故書之名常有出錯,未必南朝劉宋的劉敬叔《異苑》原本即有此文。
●杜子春既為馬融偽造,坊間論《周禮》傳承者都不一查,實為可歎
杜子春既為馬融偽造,坊間論《周禮》傳承者都不一查,實為可歎。(劉有恆,臺北,2017.6.1)
[1] 清儒孫詒讓《周禮正義》指出:『案此鄭《周禮·序》佚文,《詩·鄭譜序》孔疏所云「鄭於《三禮》《論語》為之作序」是也,舊葢附《三禮目錄》,今亦并佚。賈氏所引亦非全文,又與賈辨證語淆掍莫辨。』
0 notes
wadaikodrumgaryu · 2 years
Photo
Tumblr media
100人ヒロトレまで後1ヶ月😊❗️ 100人で集まって、ヒロトレ、シノヨガ、和太鼓体験😌大人も子供も楽しめるそんなイベント✨ とにかく楽しくみんなで、身体を動かして、 リフレッシュしちゃいましょうね✨✨ 皆さんがこのイベントを体感した時に! 『来てよかったー』って 思ってもらえるように、 後1ヶ月準備していきますよ❗️❗️ 楽しんでいきましょう♪♪ お申し込みお問合せは⬇︎ @garyu_hirotore 📳ヒロトレ公式LINE:https://lin.ee/vTQSbdo こちらへDMお待ちしてます🙌 夏バテしてないですか? 体を動かして、夏の疲れをリセットしてみませんか😁✨ 冷房などで、意外と体が冷えているんですよね🥺 ヒロトレやシノヨガで、皆さんと一緒に楽しく代謝を上げて、皆さんの体をリフレッシュさせたいです😌✨ ヒロトレとシノヨガ来週開催になります! ぜひ!ご予約ください😊 夏バテが長引かないように、一緒に体動かしましょう😉✨✨✨ ヒロトレがリニューアルしています😋 お楽しみに✨ お申し込みお問合せは⬇︎ 📳ヒロトレ公式LINE:https://lin.ee/vTQSbdo こちらへDMお待ちしてます🙌 ==================== 𓇼ヒロトレ と シノヨガ𓇼 vol.4 @sino.yoga " 筋トレとヨガの組み合わせが最強説 ?! " ◯日時  2022年8月26日(金)  19:30 - 21:00 ◯会場  Diporto Fukuyama  広島県福山市南蔵王町5-14-25   ※駐車場有 ◯定員  10名さま ⁡◯料金  3,000円 ==================== 🌞9月の予定🌞 久々のオンライントレーニング ◯日時  2022年9月8日(木)  10:00 - 10:30  2022年9月13日(火)  20:00 - 20:30 ◯会場  オンラインZoom ⁡◯料金  1,000円 ==================== 代謝アップで、 理想のボディーを手に入れましょう!! "ヒロトレ" ◯日時  2022年9月1日(木)  19:30 - 20:30 ◯会場  TTCアリーナ(控室)  広島県府中市 土生町416番地4   ※駐車場有 ◯定員  10名さま ⁡◯料金  3,000円 ==================== 𓇼ヒロトレ と シノヨガ𓇼 vol.5 " 筋トレとヨガの組み合わせが最強説 ?! " ◯日時  2022年9月9日(金)  19:30 - 21:00 ◯会場  Diporto Fukuyama  広島県福山市南蔵王町5-14-25   ※駐車場有 ◯定員  10名さま ⁡◯料金  3,000円 ==================== 100人ヒロトレコラボフェス 大自然の中で、体を解放して、うんと楽しみましょう!! ◎日時 9月19日 10時〜15時(9時から受付開始) ◎場所 サンステージ羽高湖   (広島県府中市諸毛町二反田3000番地) ◎参加費 大人 ¥3000      大人ペア ¥5000 【ヒロトレ、和太鼓体験、ヨガ体験を含む】※中学生以下は無料です ◎駐車場 無料 【主催】 100人ヒロトレ実行委員会  実行委員長 竹内裕樹 お申し込みお問合せは⬇︎ 📳ヒロトレ公式LINE:https://lin.ee/vTQSbdo こちらへDMお待ちしてます🙌 🔴ご予約は、 【参加者名前/年齢】 ① ② ③ ④ ⑤ 【電話番号】 【昼食予約/野菜たっぷりカレー¥500】      予約     個 【プランター野菜体験¥500】 予約     個 こちらをご記入のうえ、ご連絡ください😊 ご家族、お友達と是非思いっきり楽しみましょう❗️ #ヨガ #府中市 #福山市 #広島県 #ヨガ好きな人と繋がりたい #トレーニング #シノヨガ #ヒロトレ #バチトレ #和太鼓 #太鼓 https://www.instagram.com/p/ChbncFCv5nh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes