シーモールシアターでマリリンモンローの映画を見に来ました。 #山中プロダクション #シーモールシアター #マリリンモンロー #百万長者と結婚する方法 (シーモール下関) https://www.instagram.com/p/CmQSPMePf--/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今日は、いろいろあって、2週間遅れになったけど、『シン・ウルトラマン』を、鑑賞🎞 さすが、庵野さんて感じの作品でした😊 今回は、監督はされてないけど、いたるところに、スタッフとクレジットされてました😁 #シンウルトラマン #庵野秀明 #樋口真嗣 #斎藤工 #長澤まさみ #早見あかり #有岡大貴 #田中哲司 #山本耕史 #岩松了 #長塚圭史 #嶋田久作 #益岡徹 #山崎一 #和田聰宏 #西島秀俊 #高橋一生 #竹野内豊 #東宝 #円谷プロダクション #株式会社カラー #イオンシネマ (at イオンシネマ板橋) https://www.instagram.com/p/CeGALAAvAsW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
身長: 156 cm
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわり愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。
オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。
しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。
なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。
この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。
ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。
『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。
なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
(直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。
この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。
なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた)
雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。
元所属タレントの告発も相次いだ。
元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、
元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、
元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、
元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、
豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、
山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。
タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。
中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。
同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。
ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。
元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。
ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。
時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。
その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。
メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。
必ずです! 全員やられてる!
そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。
ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。
ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。
しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14���の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。
当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。
剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。
自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。
その歌詞の一部には、
「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。
[1]
元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、
千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」
諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」
千原 「先見の明がすごいんでしょ?」
諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」
と断じ、ジャニーに対する世間の過大��価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。
ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。
確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。
そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。
ジャニーが持っていたのは権力と財力であっ��、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。
ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。
ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。
こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。
なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。
しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。
ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。
出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
【キャンペーン開始の引き金的な記事】
江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号)
【14回のキャンペーン】
青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255)
ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193)
ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1]
テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191)
ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1]
ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197)
小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1]
ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187)
ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181)
外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40)
ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181)
ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167)
NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173)
ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35)
【追加報道】
スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号)
ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186)
新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179)
ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181)
大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。
1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。
証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。
文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、
「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」
と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。
このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。
ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2]
しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。
この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。
「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。
報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。
芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。
真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。
また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。
以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。
そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。
2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。
2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。
2019年7月9日にジャニーが逝去。
その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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Morser 来日直前インタビューその3
Q 俺はドイツのバンドって基本的にメタルの要素とハードコアの要素が混ざってるというか、メタリックハードコアと呼ばれてるバンドが多いように思うし、また、そのプロダクションですごく才能があると思うんだけど?
A いやーわかんねーな。そうかな? 環境次第じゃないの?
Q おいおいマジかw 80年代以降、ほとんどのドイツのバンドがメタルに影響を受けていると記憶しています。純粋なDischarge/Disorderタイプのものよりも。SODOMやKREATORみたいなパイオニアもいるし、ドイツのバンドはこれら2つの要素をうまく組み合わせていると思うのよ? Heaven Shall Burnとかもビッグネームじゃん。でMörserも同じように感じるんだけど。
A いや、それは偏見じゃないの?そんなことないと思うけどな。
Q いや偏見じゃなくて文化ってその地域や歴史の影響を受けると思ってる。
例えばアメリカはヨーロッパのような歴史の蓄積が薄いからクラシックではなくカントリーミュージック/R&Bが共通の好みとしてベースになる、ストーナー/ブギー的な音も好まれやすい。一方でヨーロッパはクラシックや教会音楽に慣れた民族という印象を持ってるよ。宗教の布教や王政の元に芸術が磨かれてきたからね。例えばイングウェイはアメリカからは出てこないでしょ。音楽だけじゃなくて食の好みや美意識などにも違いって出るじゃない。同じように旋律の好みもお国柄が出ると思う。AGEなんかABYSSとか聞くとドイツらしいメロディっていうのがわかったりするし、同じようにこれイタリアっぽいなとか、そういうのも感じるね。
A うーん。じゃあ日本だとどんなことがあるの?
Q日本について言われるのは表拍、ダウンビートでリズムを取るというよね。西洋では裏拍、アップビートでリズムを取って。だから海外のアーティストで誰だかが日本人に手拍子させたら表拍で入れるもんでやりづらくてキレたとか聞いたことある。
これは多分日本の祭り事などで使われる音楽や、日本人の重心位置なども関係していると思う。
A 重心?
Q 西洋人の体重の中心は足の球にあり、ほとんどのアジア人はかかとにある。だから西洋人はアジア人のようにスクワットできない
A うわ、マジだ。俺は一応アジアンスクワット出来るけどすげー苦しい。
あとAGEでいえば俺はボーカルのHaukeとバンドやってるよ。先月新作を出した。
Q Misanthropeね。
A 彼はハノーファーの先のwolfsburgという街からブレーメンにやってきて、テレビの仕事してる。彼がスーツを着て政治の話でゲストと討論してるのを見るのは面白いよ。
Q 俺は文化人類学的な考察が好きで、こうした差異を知ったり考えたりするのが好きなんだよね。優劣じゃないんだ。これは違いなんだ。そして違いを把握することはとても面白いんだ。
まぁいいや。君たちの新しいアルバムについて話そう。コロナの災厄の最中に、新しいアルバムThank You For Leavingが録音されたことになるよね。
A そう、前のアルバムから5,6年かかったね。でも俺たちはアルバム録るぞと頑張って曲つくりに励む感じではないんだよね。マイペースに曲を作り、貯まったらアルバムにする。そんな感じ。俺たちは���週月曜日に集まってリハーサルをする。それを25年続けてるんだよ。
Q パーマネントにリハーサルルームを借りてるんだよね。日本ではバンド練習は時間貸しで、沢山のバンドがそのスタジオルームを工面しあうんだ。じゃあ曲はコンスタントにできあがる?
A うん、基本的にこっちのスタジオは長期契約で、月払いで家賃を払ってる。だから楽器はその部屋の中に置きっぱなしだしいつでも練習はできる。
基本的にはスヴェンがアイディアを持ってきて色々試しながら作っていく。(注、2人のギター共にスヴェンという名前なのでややこしい)
S 結成したから、私たちはたくさんの曲を作ってきました。たくさんのアイディアがリハーサルルームで交わされます。最初のレコードTwo hours to doomの時からこのやり方は変わってないです。でも今は同時に集まることも難しいのでDAWソフトウェアを活用しています。今は1stアルバムのように曲つくりするのが難しくなってる。曲を作成するプロセスは時間とともに変わりました。リフは家で書かれ、リハーサルルームで実装されます。オケを作って共有してます。もちろん、ある種の即興性が失われますが、より練られた曲作りに置き換えられます。 Thank you for leavingは曲作りの面で最高のやりかたでした。なかなか会えなかったり、度重なる構成の変更でも、高い攻撃性を持った曲でいるようにできましたから。
Q 前のアルバムと比べて抑圧的、陰鬱な印象があるんだよね。
A そういう側面はあるかも、コロナで不安な時に作った曲もあるし、またコロナで近親者が亡くなったりもしたしね。タイトル曲に関して言えば、ボーカルの1人であるデニーのお父さんが認知症になってしまったことを扱ってる。
でも基本的にはマイペースに録音していってるよ。
レコーディングは studio-rというところで、ブレーメンのアンダーグラウンドシーンではお馴染みのところ。
S Mörserの実際の音楽的影響を挙げることはできません。私たちは長い間をかけて独自のスタイルを作り上げてきたと思います。もちろん、私が聞いていたバンドは常にあります。例えばCarcassとかね。(Heartworkはおそらく90年代の最高のメタルアルバム)、しかし、自分のスタイルを失うことなく、想定される影響に抗うことを試みなければなりません。
A 俺はBOLT THROWERが大好きでBOLT THROWERのカバーバンドもやってるんだけど、おそらくエクストリームミュージックしか聞かないのは俺だけじゃないかな。他のメンバーは色んなスタイルの音楽を聴いてるはずだ。もちろんCARCASSも大好きだし、あ、そういえば先日Convergeを見てきたんだけど、うーん、もういいかなぁ。最近の聞いた?
Q いや
A 殺気立ったパートは大好きなんだけど、なんでイヤーアーみたいな歌い上げパート入るんだろw あれが邪魔! 殺傷力でぶっちぎってくれよ!音で殺してくれ!
Q あーわかるw でももうあの高みは無理なんじゃないのかな。年齢的にも探求を続けるにしても。
A 俺のConvergeベストソングはColor Me Blood Redだ
Q 俺はThe Saddest Day! あの時期の無敵感やばいよね
A まぁ自分たちに戻すと、ずっと友達で毎週集まって新しいものを作っていく作業が楽しいだけなんだよね。もうこれを30年近く続けてる。で、楽しいショーをやってパーティするんだ。
あ、そういえば先週ドイツの東の方でライブやって来たんだけど、なんか感じ悪くてなー。
ドイツの東の方はさ、旧共産圏だろ、いまだに格差があるんだよ。人々の感じもちょっと素直じゃないというかちょっと変なテンションがある。演奏は悪くなかったと思うんだけど妬みというか喧嘩吹っ掛けたい感じがあった。日本に来る前の最後のショーだったので気分よく終えたかったんだけど。
Q まだそんな影響が残ってるんだね。じゃあ最後に直前メッセージを。
A 親愛なる日本の皆さん、Mörserで日本に行くことが出来て本当にうれしいです。サポートしてくれる皆さんも、今までに知り合った素敵な人たちにも感謝します。日本のアンダーグラウンドミュージシャンは年をとっても相互に深く連携しているのがすごい印象的なんです。
私たちはエクストリームミュージックが好きで、それが縁で会うことができます。ぜひ楽しみましょう。日本の行くために特別なカバー曲も用意しました。みんなで楽しみましょう!新たな友情が出来ることを願って。じゃあ間もなく会いましょう!
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2016.04.07 Thursday
「グラスホッパー」を観ました。
実は今日はその前に「暗殺教室~卒業編~」を友達と映画館へ観に行きました。
泣く、と聞いていたので最近映画ですぐ泣く私はどうなるんだ!と
思っていたのだけど...全然泣けなかった...
なんでだろう、リアルじゃないからなのかな...
殺せんせーはニノが声をやっていたとしてもね
やはり現実にいない人なので(そんなこと言っちゃだめだけど)
どんなにすごい撮影をしていてもどこか映画に入り込めない私がおりました。
カルマはかっこよく、渚くんはかわいかったのだけどね。
そんな訳で若干不完全燃焼な私は帰ってから「グラスホッパー」を借りてきました。
映画を観ながら、山田くん中高生のアイドルなのによくこんな殺し屋なんて役を...!と思ったけど
生田くんだってジャニーズでした。
そう、そんなこと一瞬忘れてしまう位の生田くんの演技力。
あんなにイケメンなのにあの演技でそう見えないのがすごい!
そして私が10代の頃から憧れの浅野忠信氏と村上淳氏が揃って出ており
その中に私の現アイドル山田くんがいるという光景は
かつて「H」愛読者だった者としては感慨深いものが...
「蝉」を演じた山田くんが良かった!
小柄で運動神経良くてピッタリな役。この役の彼に日本アカデミー賞新人賞を!
(あ、違いましたね)
私はきっと悪い役が好きなんだな。
でもただ悪いだけでなく、実は優しいっていう設定が。
終始恐怖しかない菜々緒もすごいな。あの方は悪い役がほんとに似合います。
麻生久美子さんや吉岡秀隆氏は相変わらずの存在感と安定感。
ハードな映画だけど最後は涙ほろりで面白かったのでした。
エンディングではYUKIちゃんの「tonight」が心を落ち着かせてくれます。
(今これ書きながらずっとリピートして聴いてますよ)
ちなみに「グラスホッパー」は「トノサマバッタ」のことですが
スピッツが所属しているプロダクションの名前でもあります。
(そしてスピッツの歌にも「グラスホッパー」はあります)
まあそんな訳で個人的に色々な想いが込もった映画でした。
返す前にもう一度観よう。
(追記:その後DVDを購入しました!)
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・ ・ 『シン・ウルトラマン』観た。 ・ 古さと新しさと。オモロかった! 子供は大人になって再び観るとさらにオモロいだろうね。 ところで、一生だった。 そういえば、白石監督はワラったw ・ #シンウルトラマン #ShinUltraman #樋口真嗣 #ShinjiHiguchi #庵野秀明 #HideakiAnno ・ #斎藤工 #長澤まさみ #有岡大貴 #早見あかり #田中哲司 #西島秀俊 #山本耕史 #岩松了 ・ #特撮 #Tokusatsu #ウルトラマン #Ultraman #シンジャパンヒーローズユニバース #SJHU #円谷プロダクション #TsuburayaProductions ・ #映画 #movie #ビバムビ #instamovie #moviestagram #instagood #instapic (at TOHO シネマズ 日比谷) https://www.instagram.com/p/CdhqngrLmTJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024年4月25日に発売予定の翻訳書
4月25日(木)には16点の翻訳書が発売予定です。
お母さんは忙しくなるばかり〈新装版��
ルース・シュウォーツ・コーワン/著 高橋雄造/訳
法政大学出版局
第三の無意識
フランコ・ベラルディ(ビフォ)/著 杉村昌昭/訳
航思社
〈新装版〉シェリング著作集
Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling/著/文 松山壽一/編集 浅沼光樹/翻訳 後藤正英/翻訳 渋谷理江/翻訳 松倉寿/翻訳
文屋秋栄
後漢書 志[二]
司馬彪/著/文 劉昭/著/文 渡邉義浩/翻訳
早稲田大学出版部
非対称な脱冷戦1990~2020
李制勲/著/文 市村繁和/翻訳
緑風出版
かんがえる国際法
ヴォーン・ロウ/著/文 庄司克宏/監修・翻訳 小坂田裕子/翻訳 国松麻季/翻訳 小島千枝/翻訳 佐藤真紀/翻訳 中坂恵美子/翻訳 望月康恵/翻訳
白水社
ハルビン
キム・フン/著/文 蓮池 薫/翻訳
新潮社
ジャーナリストの条件
ビル・コバッチ/著/文 トム・ローゼンスティール/著/文 澤康臣/翻訳
新潮社
13歳からのきみへ スヌーピーの自分らしく生きることば
チャールズ・M・シュルツ/著/文 谷川俊太郎/翻訳 永井玲衣/著/文
世界文化社
ミッドナイト・ホライズン 上
ダニエル・ホセ・オールダー/著/文 稲村広香/翻訳
Gakken
ミッドナイト・ホライズン 下
ダニエル・ホセ・オールダー/著/文 稲村広香/翻訳
Gakken
X・ライブズ・オブ・ウルヴァリン/X・デス・オブ・ウルヴァリン
ベンジャミン・パーシー/著/文 ジョシュア・カッサーラ/イラスト フェデリコ・ビチェンティーニ/イラスト 高木亮/翻訳
小学館集英社プロダクション
ベスト・オブ・デッドプール
ロブ・ライフェルド他/著/文・イラスト 石川 裕人/翻訳
小学館集英社プロダクション
バットマン:フィアー・ステート
ジェームズ・タイノンIV/著/文 ホルヘ・ヒメネス他/イラスト 中沢俊介/翻訳
小学館集英社プロダクション
デッドプール VS. ウルヴァリン
ダニエル・ウェイ他/著/文 スティーブ・ディロン他/イラスト 吉川悠/翻訳
小学館集英社プロダクション
トランスフォーマー クラシックス 7
ボブ・バディアンスキー/著 石川陽介/翻訳
竹書房
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「神の見えざる手」にも、いろいろあって、今回の「神の手」は、どうやらリセットボタンに向かってのばされた指であるようだ、という話をしようとおもいます。
皮切りに取り上げたいのは「軍事」です
ははは。なんだか、紙芝居みたいで、primitiveで、面白い出だしのツイートですね。
一度、やってみたかった😁
ウクライナでの戦争を恐怖と共に眺めているグループのひとつにアメリカの軍事専門家たちがいる。
ごく近い将来の「空がなくなる」現実を眼前の光景とともに噛みしめている
ドローンが飛び交って戦果をあげているのは、いい。
予想の範囲内で、むしろ想定よりも単独で飛来、あるいは攻撃するドローンは、おおきな被害を与えられなかった。
人間による遠隔操縦のドローンはステルス性はあっても低速なせいで撃墜できるドローンの数が多かったからです。
でも戦況を見つめる世界中の軍事専門家たちには、少なくとも2030年頃にはやってくる軍事上の「リセット」が現実のものだと判らないわけにはいかなかった。
アメリカ軍の、ここ80年の歴史で初めて、「空が助けてくれない」戦争を戦わなければならないことが明らかになったからです。
あの悲惨なチョシンの戦いでさえ、圧倒的な数で押し寄せる人民解放軍の洪水のなかを逃げ惑って、前にも左右にも後ろにも中国の兵士たちが囲む絶望的な戦場で、なんとか米軍が壊滅しないですんで、秩序だっているとは到底言えないが、はるばる釜山まで敗走することが出来たのは、空軍の優位があったからでした。
対地ロケット弾を叩き込み、ナパームで山腹を焼き尽くして、道路の両側にずらりと並ぶ狙撃兵や、凍てついた大地を裸足で蹴って突撃してくる恐ろしい形相の解放軍兵士を、相手が人間だとはおもえないほど、紙人形からなにかのように一挙に焼き尽くして、ただの炭に変えてしまう空爆がなければ、米軍は、全滅していた。
いまのドローンは、世代的には、ミサイルでいえば第二次世界大戦でいえばナチのV1で、あのパルスジェットで低高度を飛んで、時速700km以下の水平飛行で目的地まで飛んで、そこから浅角ダイブに入る始原的なミサイルのV1は、タイフーンやスピットファイアで撃墜することが出来た。
V2は、そうはいかなかった。
成層圏を飛んで飛来して、そこから逆落としに落ちて、3000km/hのインパクト速度で1トンのアマトール火薬を爆発させるV2は、迎撃の方法はなくて、結局、最も効果的な「迎撃」方法は、Hague-Wassenaar の発射基地を破壊することでしかなかったが、V2は、ヒットラーのテラー戦略のなかでも、うまくいったほうだったでしょう。
でもね。
だって、ジャイロで最大高度88000mの落下開始地点まで誘導する方式では、もとより「爆撃精度」などは期待のしようもありませんでした。
今度はAIによって自律的に誘導されるところが異なる。高空から、まったく音も立てずに、反撃の余裕も与えずにピンポイントで音速の数倍の速度で落下してくる。
なあんだ、なにかとおもったら、このあいだまで流行っていたAIの話ですかい。
それならそうと、言ってくれれば、読まなかったのに、とおもった、そこのきみ、
甘い。
もう、ほぼ技術的に完成しているAIによる自律型ドローン/ミサイルは、そんなにあまちゃんな兵器ではないので、プロダクションやメディアのおっちゃんたちの汚い手で、抑えつけられて、寄ってたかって改名させられて「のん」にされてしまうようなものではないのです。
例えば、時速6000km/hというような人間の反応時間では制御できるわけがない落下速度でも、AIは、ピンポイントでミサイル/ドローンを制御できる。
青天の霹靂、というが、文字通り、暢気に日曜の散歩を楽しんでいた大統領を、小型の自律AIドローンで脳天一発、ぶち殺してしまうことも出来そうです。
自律AIは、アメリカが支配していた空をすべての国に、あるいは国ですらないテロリストたちに、潜在的に解放してしまった。
あるいは、中国人民解放軍が、ずば抜けた技術を持っている「スウォーム」、何千という小型ドローンを連携させて、死角や飛行中の損害をリアルタイムで計算しながら戦術を決めて集団攻撃する技術も、人間の操縦者では、とても手に負えない瞬時の計算と決断を繰り返しながら、最も「効果的」な攻撃を行う技術も、ときどきデモンストレーションをやっているように、すでに初期の完成をはたしている。
スウォームの技術を自律AIに載せて、無人戦闘機に適用すると、どうなるのか。
戦闘機は、知られているようにパイロットが耐えられるGが限定要因になっています。いったんは戦術思想として否定したものの、ベトナム戦争をやってみて、やっぱり必要不可欠な戦術だと判ったドッグファイトにおいて取り分け重要で、性能上は可能な高速旋回も人間がパイロットでは、どうフライングスーツをつくっても操縦士が失神してしまうので、旋回速度に限界が生まれるが、自律AIでは超音速で旋回することすら可能です。
ネット上のアマチュア軍事専門家や、簡単にいってしまえば軍事オタクを観察すれば判る通り、「無駄に頭がいい人が無駄��知識を貯め込んでいる」のが戦争に関心が高いひとたちの特徴で、歴とした、高級将校たちでも、「海洋をいく巡航艦隊のように運用される戦車群が将来の地上戦の主役になるだろう」と述べたリデル・ハートを、さんざん冷笑して、おまえはバカか、ということにして閑職に追いやってしまって、このリデル・ハートの主張に実務家の軍人として興味をもって、研究して、ドイツのブリッツクリークを組織/実行したグデーリアンに、オラオラオラと追いまくられて、ダンケルクから命からがら逃げのびて、「ドイツ人って、なんて頭がいいんだろう。イギリス人の頭では、到底考えられない作戦だ」とオメデタイことを述べていたひとびとや、日本の例ならば、ボロ負けに負けた戦後になってもなお、大艦巨砲主義なら勝てたと主張して、航空主兵主義の山本五十六たちのせいで負けたのだと、1992年に93歳で死ぬまで、ボロクソにこき下ろし続けた「プロ軍人ちゅうのプロ軍人」黛治夫たちのように、「頭脳明晰で不思議なくらいバカ」なのが通常なので、あんまり言わないほうがよくて、詳細に及ぶことは避けるが、
アメリカの空の優位が失われたことは、世界中、どんな軍事実務者にもすでに理解されている。
DJIの民生ドローンでロシアの新鋭戦車の一群が全滅させられたニュースをおぼえているひともいるでしょう。
あれ、わしも持っているドローンだったが、そんなもので、ロシアの冷酷政府にとっては二束三文でかき集めてきた戦車兵たちの安価な生命はどうでもいいとして、死ぬほどオカネがかかった新鋭戦車が、あっというまに鉄くずの山になってしまうのは耐えられない損失だった。
そうやってウクライナでの戦場での戦術はすでに変化してしまっているが、戦術レベルの変化は戦略に及んで、結局は国家レベルの大戦略に影響する。
あと数年もすれば大規模に導入される自律AIコントロールの航空機群が実戦配備されると、どうなるか。
日本に関係があることでいうと、「西太平洋防衛の要としての沖縄」は重要でなくなります。
沖縄の人、よかったですね、と長年の被支配の苦しみから沖縄のひとたちが脱する端緒を祝うのはまだ早くて、いざ戦争となれば雨あられとミサイルが飛んでくるに決まってる兵站拠点を、わざわざ日本以外の場所に移すことに利点はなにもないので、アメリカが沖縄の基地を、というか、基地の沖縄を、手放すわけはない。
日本側から見て、後方兵站だった沖縄が前線基地化する、という戦略上の意義の変化があるだけです。
重要なのは、同盟国としての日本の意義が低下することで、めんどくさい(←悪い癖ですね)ので長々と説明しないが、絶対制空権を失うことは、それに起因する戦略の変化を考えれば、「日本は要らない」ということに他ならない。
これからの日米同盟は、「日本は要らないが日本人の汗と血がいる」というふうに変化していくはずで、そういう観点からいま太平洋軍と日本政府が共同でやっていることを眺めると、すでに変化への着手は始まっていて、米軍主導どころか、ほぼ無理でも米軍の言いなりにならなければ自国は守れない、と判ってしまった日本政府人たちの投げやりな気持ちが伝わってくるようです。楽な同盟は、これから先、やらせてはもらえないが、仮にトランプが再度大統領になって所謂「トランプ2.0」が起これば、日本は片務同盟から一躍、日本側の負担のほうがおおきい、双務軍事同盟にいこうせざるを得なくなる。
だいたい2030年頃からと予測されている世界のあらゆる地域、あらゆる領域(経済、外交、政治…)で起きる「リセット」のほぼすべてにはAIが密接に関わっている。
AIが核にある、と言い直したほうがいいかも知れません。
経済は、例えばアメリカならば、大統領がトランプになってもバイデンになっても、経済上のリセットはほぼ避けられない、というのが最も多い意見でしょう。
マスメディアが騒ぐほどには、どちらが大統領になっても終局の事態は変わらない、とわしも考えている。
よく「なぜアメリカ人は、あんなひどい人間を大統領に選ぶのか」というが、それは都市部のアメリカを見すぎているからで、いちど、二三ヶ月、中西部や南部をクルマで旅して、いろいろなひとたちと話してみればいいのですよ。彼らはもう「アメリカ」に耐えられないんです。
彼らが望むのはリセットのなかでも最もわかりやすい「破壊」であって、最初期のトランプ・ホワイトハウスの首席戦略官にスティーブン・バノンが任命されたので判るとおり、「すべてを焼き尽くす地獄の業火のなかから再び起ち上がる白人種」という「白人種再生」のイメージが、彼らの頭から去っていかない。
もう平等にも政治的な正しさの主張にも、完全に倦んで、
大暴れするバカタレなひとびとの、その後景に身を潜ませている知にすぐれたひとびとも、例えばアルプスより北の欧州ならば確実に犯罪集団と見なされて大量の逮捕者を出していたはずのウォール街人たちが行った、ビンボ人たちからCDOを手品の中核のタネにして巻きあげて、「アメリカ」を破壊した行為を決して許そうとしていない。ときどき、この人たちはウォール街の人間たちを国中から探し出して処刑するところまで行くのではないかとあるはずのないことを妄想してしまうほどの語気です。
トランプという道化が倒れたら、また次の破壊者を立てるだけだ、と言葉にして明言しているのは、
Mercer家のひとびとだけではないのです。
投資家の世界でも、途中から、無理もない理由で口を噤んでしまったが、例えばウォーレン・バフェットのような穏健で聡明と見なされるひとびとも、ちょうど映画でいえば2015年につくられたThe Big Shortの舞台になっている2000年代のウォール街を心から嫌悪してきたが、それが一般国民の心のなかに現体制への憎悪となって巣くって、ついに、それがトランプ大統領となって結実してしまった。
ちょうど現状程度の世界の複雑さにならついていける、リベラルなアメリカ人がトランプサポーターたちを見て茫然とするような気持で、ウォール街で、さんざん悪事を、しかも嬉々として得意気に他人の生活を食い物にして働いておきながら
、いっぱし良心と知性がある人間のような顔でヒラリー・クリントンを支持してトランプの粗野と無知を笑っていた偽善者の群れを、嫌悪と軽蔑で眺めている。
経済上の結果は、多分おなじだが、だから、政治上は、トランプ2.0においては一期目よりも遙かに露骨な白人至上主義の勃興、アジア人排斥、新孤立主義、…考えてみれば、どれをとっても日本の人には有り難くない結果になるかもしれません。
当然に、東アジアの緊張も高まる。
それとは別に政治上のリセットが引き起こす最大の変化は、多分、自由主義と民主社会の敗北が決定的になることで、厳格な手続き主義に守られたアメリカの民主制と自由社会が、大統領そのひとが民主制を軽蔑していて、議会に対する叛乱を呼びかけてしまう、という未曾有の、日本の人が好きな表現をわざと使えば「想定外」の事態に陥って、ついにシステムが時代遅れになってしまったことを露呈しているのを世界の人が暗澹たる気持ちで観てきたが、ここからあとに起きることは、状況としては、役者を変え、地域を変えて、1930年代にやや似た所があって、
至るところで民主主義は敗北して、自由主義は縮退し、社会の生産効率から見て「無駄」な人間は、徹底的に抑圧される社会になっていきそうです。
現在の予想では、民主制は、徐々に小国の統治原理としてかろうじて生き延びることになりそうです。
地球上の資源が増大した人口からの需要に応えられなくなる、という背景も、案外、集団意識下ではおおきな役割を果たしているのかも知れません。
どうも、こうやって日本語で書いていても、ろくなことはなさそうな「リセット」の時代だが、リセットなしに「次」へ行ける状況では、もうなくなっているのは、日本も例外ではないのは、日本の人自身が最も判っているでしょう。
日本の人たちは聡明なので、きっとこの巨大な変化の大波を乗り切っていけるでしょうが、ひとつだけ心配(?)なのは、前に「なにもしないためなら、なんでもする」と書いた、日本の人の変化の必要に迫られると、いきなり、くるりと背を向けて、しゃがみこんで、「変わらないほうがいいんだ」と耳を覆って叫び続ける国民性で、仮に、その性癖が出てしまうと、日本語人全体が隷属的な立場の言語集団になって、民族集団としての知能とでもいうべきものを失ってしまう結果になってしまう。
もうひとつの日本の人たちが心配すべき点は、空母打撃群という殊に対中国人民解放軍の決定的な戦力が、中国から見て脅威でなくなってしまうことで、なにしろ実戦で試していないので人民解放軍も半信半疑だとおもうが、自律AIにコントロールされた一群の新世代兵器は、アメリカから絶対制空権を奪うだけでなく、中国に技術的な優位を戦場に与えることになる。
中国はスウォームだけでなく、形態認識など、、戦争に必要な技術分野においては、当面世界が追いつけないほどのAI先進国だからです。治安などの用途で、すでに現実世界での使用を積み重ねてきているメリットもある。
空の優位と技術の優位を失ったアメリカは、よくメディアが伝えているとおり、必死の巻き返し策に出ています。中国の企業に対する国家を挙げての牽制も、これと無縁だとおもうほどナイーブな人はいないでしょう。
そのバランスをジッと観察して、例えば習近平が、自分の不人気と、現実的な任期、台湾への調略と圧力の進展具合、さまざまな要素を計算して、ある日、台湾への武力侵攻に乗り出すかどうかよりも、日本のひとにとっては、ほぼ自動的に「日本の形」を規定してきた太平洋における太平洋軍の戦略の変化することで起きる、さまざまな日本の立場の変化のほうが重要でしょう。
さすがに「アメリカが日本人の生活を守ってくれる」と信じる人はいないでしょうが、日本の戦略上の位置と地位を過大に見積もりすぎて失敗する、という可能性はありそうです。
あんまり書きたくなかったブログ記事の「リセット_軍事篇」も、書かないですますと、これからの「リセット」の津波の形が見えにくくなるので、まずツイートで紙芝居風に書いてみました。
上に書いたことは、実は「近い未来を考えるために世界の人間が共有している知見」なので、「そんなこと、もう知ってらあ、うるせえな」という人が多いでしょうが、
経済、政治、文化と話を進めていくために避けられないので、書いて残しておきます。
https://x.com/gamayauber01/status/1771357906014982279?s=46
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Guest◇秋山エリサ (Elisa Akiyama)
8歳で来日公演ミュージカル「王様と私」(新宿 厚生年金会館)に日本人キャストとして出演したのが初舞台。 その後、映像やスチール撮影、声の出演など、 様々なフィールドで経験を積んできた。 一昨年、男児を出産。育児の為、舞台を控え、 ライブや声優活動、後進への指導を中心に活動。 現在は、都内の大手プロダクションにてミュージカルヴォーカルクラスを担当。また、不定期に子どもたちを対象にしたミュージカルワークショップも行っている。昨年、初のプロデュース公演を無事に終え、今年5月は時代劇にて阿国の役に挑む。
・秋山エリサ(Instagram)
・秋山エリサ(X)
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集英社(Shueisha)は8日、漫画「DRAGON BALL」などで知られる漫画家の鳥山明(Akira Toriyama)さんが死去したと発表した。68歳。
Xの「ドラゴンボールオフィシャル」アカウントに掲載された、鳥山さんのプロダクション、バード・スタジオ(Bird Studio)の発表によると、3月1日に急性硬膜下血腫により亡くなった。
発表は「まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません」「これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末永く皆様に愛され続けることを切に願います」としている。
一方、少年ジャンプ(Shonen Jump)などの編集部は公式ホームページで「突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております」「『Dr.スランプ(DR. SLUMP)』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました」とコメントを出した。(c)AFP
漫画家の鳥山明さん死去 68歳 「DRAGON BALL」など 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
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中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわり愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
身長: 156 cm
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
富山県の立山連峰が見える郊外の住宅地で育った。幼稚園の頃は人前に立つのが好きな「何をしても目立つ子」であったが、小学生になると、周囲となじめなかったことから、なるべく地味にしていようと心に決めていた。そのような環境の中で慰めてくれたのが、AKB48などのアイドルたちであり、自分もアイドルになりたいと思うようになったが、高校では保育士を目指し勉強していた。しかし、アイドルの夢を捨てきれず、2014年 AKB48 Team8 全国一斉オーディション富山県代表に応募。最後の2人まで残ったとの連絡は受けたが、その後の電話連絡に出られず次点となり落選。
翌年、高校3年生の時にNGT48第1期生オーディションに応募。 最終審査に残った場合、次回の48グループのオーディションは最終審査まで免除になるが、それを忘れ書類審査から参加。 2015年7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格し、同年8月21日に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)でお披露目された。
2016年1月10日、『NGT48劇場グランドオープン初日公演』に出演。同時に他の15名とともにチームNIIIを結成。同年11月16日発売のAKB48の46thシングル「ハイテンション」で初めてAKB48のシングルの選抜メンバーに抜擢。同年12月、ライブストリーミングプラットフォームSHOWROOM上で2016年に視聴者から多くの支持を得たパフォーマー(SHOWROOMER)を表彰する『SHOWROOM AWARD 2016』における「BEST AKB PERFORMER」を松井珠理奈(SKE48)、野村奈央(当時AKB48)とともに受賞した。同年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に投票企画「AKB48 夢の紅白選抜」で33位に選ばれ、AKB48として出演。
2017年4月12日発売のNGT48のデビューシングル「青春時計」ではセンターポジションを務めた。同年5月30日から6月16日にかけて投票が実施された『AKB48 49thシングル選抜総選挙』において23位になり、アンダーガールズに選出される。同年11月17日にAKSから太田プロダクションへの所属事務所移籍を自身のSHOWROOMにおいて発表し、同年12月、太田プロダクションの公式ホームページに掲載された。
2018年1月15日に自身初のソロコンサート『中井りかソロコンサート〜中井りかキャンペーン中〜』をTOKYO DOME CITY HALLにおいて開催した。
2018年4月2日から「青春高校3年C組」の副担任(サブMC)としてレギュラーで出演(月~金、2020年3月27日まで)。番組内で出演者からは、りか先生と呼ばれていた。その後も様々なバラエティ番組のMCとして出演。
2018年6月16日に発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では37位となり、ネクストガールズに選出された。
2022年6月29日発売のNGT48 1stアルバム「未完成の未来」に収録のリード曲「しそうでしないキス」では、小越春花とダブルセンターを務めた。
2023年4月12日、デビューシングル『青春時計』リリース6周年記念イベントにて、グループ卒業を発表。卒業時期は同年夏ごろを予定しているとした。 同年8月2日発売のNGT48 9thシングル「あのさ、いや別に...」では、2度目のシングル曲センターポジションを務めた。
同年8月5日、「中井りか卒業コンサート〜推し変禁止は絶対命令〜」を新潟県民会館大ホールにて開催。 同月31日、NGT48劇場での卒業公演をもってNGT48から卒業
幼稚園のころからアイドルが好きであったが、小学生の時いじめられていた時期とも重なり、AKB48が出てきたころは自分は「アイドルになんてなれない」という思いや嫉妬心から「AKBなんて嫌いだし」と思っていた。しかし、心を動かされていることは自分でもわかり、ファンになっていった。
AKB48グループでは板野友美、小嶋陽菜を応援していたが、渡辺美優紀が「絶滅黒髪少女」のセンターで踊る姿に惹かれて以来、渡辺一本になったという。中井は渡辺を彷彿とさせるといわれ、NGT48に加入した当初は「釣り師」と呼ばれていた。性格はネガティブであり「豆腐メンタル」である。
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調査報告書ではジャニー氏の性加害が50年近く続いた原因として、「メリー氏の放置と隠蔽」が挙げられた。そのなかで文藝春秋とジャニーズ事務所の裁判を例に、当時の『週刊文春』が報じたメリー氏の圧力を綴っている。
《「マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった」》
《「メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『SMAPには森なんていなかったでしょ?』『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した」》
調査報告書はこれらを《真実と信ずるについて相当の理由があったというべき》と書いている。芸能記者が話す。
■ジュリー氏や東山紀之が知らないわけがない“公然の事実”
「会見ではジャニー氏の性加害だけでなく、当然メリー氏の圧力についても説明が必要でしょう。メリー氏はテレビ局や出版社に『あのタレントを使うなら、ウチの子たちは出さない』と高圧的な態度で圧力を掛けてきた。その噂が社内に広まったから、忖度が日常的になって、テレビ番組がジャニーズだらけになった。数多くの芸能事務所があるのに、男性アイドルはジャニーズ事務所が独占してきた。そのカラクリはメリー氏の圧力にあった。それはテレビの視聴者にも公然の事実でしたし、ジュリー氏や東山さんが知らないわけがない。ジュリー氏は1998年から事務所の取締役になっていますし、自身にも圧力疑惑はある」
2019年には独立した元SMAPの稲垣吾郎(49)、草彅剛(49)、香取慎吾(46)のテレビ出演に関してジャニーズ事務所が圧力をかけた疑いが持たれ、公正取引委員会から「独占禁止法違反につながるおそれがある」として注意を受けている。この時、ジャニーズ事務所はホームページでこう述べた。
《弊社がテレビ局に圧力などをかけた事実はなく、公正取引委員会からも独占禁止法違反行為があったとして行政処分や警告を受けたものでもありません。とはいえ、このような当局からの調査を受けたことは重く受け止め、今後は誤解を受けないように留意したいと思います》
この時点では《圧力などをかけた事実はなく》と明言しているが、今回の調査報告書ではメリー氏の圧力が認められた。元SMAPの3人に関しても本当は圧力をかけていたのではないかと疑われても仕方ない。
■2016年1月の「SMAP×SMAP」でのメンバー「公開生謝罪」
「何が圧力で、何が圧力ではないのか。一般的な認識とジャニーズの考え方では大きくかけ離れるでしょう。この類の噂は何年も耳にしてきました。公正取引委員会が調査しきれなかった面もあるはずですし、本当に何もなかったら注意を受ける段階にならないと思います。ジュリー氏が会見に出てきて、元SMAPなど"辞めジャニ"への圧力問題についても話すべきでしょう。また、参加する記者がメリー氏の圧力、公取委の注意について質問すべきです。ジュリー氏も東山さんも『知らなかった』はずはないですから」(前出の出版関係者)
"テレビ局への圧力"という意味では、2016年1月18日の『SMAP×SMAP』でのメンバーによる謝罪も挙げられる。年明けから続いた解散報道に対し、5人が緊急生放送で説明した。だが、中居正広(51)や香取慎吾の悔しさが滲み出る表情、草彅剛の「今回、ジャニーさんに謝る機会を木村(拓哉)君が作ってくれて、今、僕らはここに立ててます」という言葉に視聴者は異変を感じた。
「この件について、番組の構成作家でもあった鈴木おさむさんが雑誌『文藝春秋』で"小説"として、真相と思われる出来事を綴っています。放送直前に『ソウギョウケ』のトップの1人であり、唯一無二のプロダクションを作り上げてきた女性が台本に対し、《メンバーの1人が社長に謝る機会を作ってくれたおかげで、「今、僕らはここに立ててます」》という言葉を入れなさいと指令を出してきたと書かれています。メリー氏のことでしょう。『スマスマ』は制作協力としてクレジットにジャニーズ事務所の名前が入っていたとはいえ、一番組に事務所の人間がここまで介入していいものなのか。テレビ局がメリー氏に牛耳られていた実態が明らかになったと言っていいでしょう」(前出の出版関係者)
『SMAP×SMAP』生放送への介入や公取委注意…ジュリー社長退任でも説明すべき「圧力」の実態(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
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Acoustic Guitar誌にに掲載された現在コリングス・アコースティックのヘッドを担うマスタービルダー”スティーブ・ナール(通称ノーリー)”のインタビュー記事です。
スティーブ・ナールがコリングス・ギターズで大きな役割を担う
スティーブ・ナールは、師であるビル・コリングスとブルース・ヴァンワートのもとで数十年にわたり仕事をした後、最近になってすべてのコリングス・アコースティック・ギターのトーンウッドの選定とトップとバックのヴォイシングなどを引き継いだ。
2017年夏、コリングス・ギターズがその象徴的なリーダーであるビル・コリングスを癌で失ったとき、インターネット、あるいは少なくともそのごく一角は、同社の楽器の文句のつけようのない良質さが損なわれ始めるのではないかと心配するギア・オタクで騒然となった。昨年3月、コリングスの最初期のスタッフで���りマスタービルダーのブルース・ヴァンワートの退職を発表したときも、同じことが、それほどではないにせよ起こった。1989年にコリングスに入社したブルースは、何万本もの楽器のそれぞれについて、自ら木材を選び、トップとバックのヴォイシング(最適な音色とレスポンスのための正確な厚みの決定)を行った。これは決して小さな仕事ではなかっただろう。コリングスの製造部長であるスティーブ・ノールが、この重要な役割の内と外を学ぶために、ブルースと何ヶ月も密接に働いていたことを知る人はほとんどいなかった。50代前半のノールは、コリングスに数十年在籍し、バフ研磨からネック・セッティング、楽器のデザインに至るまで、製造のあらゆる側面に携わってきた。しかし、与えられたモデル(コリングスのラインナップには非常に多くのモデルがある)のために木材を選択し、最適に使用するために必要な多くのニュアンスを吸収する中で、彼は最近になってギターをまったく新しい方法で理解し始めたのだ。彼が現在の役割に移行する数年前、私はNAMMショーで初めてナールに会ったが、彼のギター全般に関する知識の深さと、現代の最高級プロダクション・ギターと広くみなされているものの開発に果たした役割に対する謙虚な姿勢に心を打たれた。昨年の夏の終わりに彼に会ったとき、彼はブルースの仕事の最後の部分をマスターしたことを喜んでいた。数週間にわたって注意深く見守り、待ち続けた結果、彼は何百本もの楽器のバック、サイド、ブリッジ、フレットボードに使われる1年分のローズウッドを乾燥させるなど重要なセクションの監督に成功したのだ。新しいポジションに就いた経緯や、恩師であるコリングスとブルースから学んだことについて話をしたとき、ナルは安堵の表情を浮かべていた。
コリングスで現在の職務に就く前、ブルース・ヴァンワートと仕事をするのはどのような感じでしたか?その経験から得たものは何ですか?
ブルースが引退を発表し、翌週には私が後任になることが決まった。そこで私は1週間彼の後をついて回り、彼のすることを観察し、100万回質問した。その翌週、彼は私に彼の仕事をさせた。彼はただ私を見守っていてくれたので、私は自分の知らないことを学ぶことができたし、その過程でプロセス全体について話すスペースも与えてくれた。例えばD2HとD2H Tでは何がいいのか、レイアウトはどうしたらいいのかなど、木材の選択から始まりました。スプルースやローズウッドを見ると、その木材の中でギターのトップやバックがどこにあるか、たくさんの可能性がある。ブルースには、レイアウトはこうあるべきという厳格なルールがあった。私がそのレイアウトに華やかさを加えようとすると、彼は私の手を叩いて、"ダメだ、ダメだ、かわいくしようとするな!"と言うんだ。それは大変なことで、かわいくしようとしたら、それはもうコリングスには見えない。だから私はブルースの頭の中に深く入り込み、情報を共有するのがとても上手だった。私たちは8~9ヵ月間、毎日フルタイムで一緒に仕事をし、最後には彼は私のヴォイシングやレイアウトをチェックするようになった。ブルースとは20年間毎日会っていたし、愛している。彼が去ったことは僕らにとって大きな損失だった。でも、いいニュースとしては、僕はこのことをコントロールできていると感じている。僕のギターがブルースのギターと変わらないようにしたいし、誰も違いに気づかないようにしたい。
ブルースとはすでに20年も一緒に仕事をしていたのに、短期間で多くのことを学んだというのは興味深いですね。
そうだね、2万5千本のコリングスのアコースティックのレイアウトを見たことはあった。でも、なぜそのようなレイアウトになっているのかを考えたことはなかった。そして今、バフ研磨室の前を通りかかると......ドーン!ギターのレイアウトに目が行くんだ。同じ仕事をしているのに、同じ職場でまったく新しいキャリアを積んでいる。
AG[2020年9月号/10月号]のフィードバック欄に、アレックス・デ・グラッシに触発されてリュートの世界に入ったと書かれていましたね。当時を振り返っていただけますか?
13、14歳くらいにはギターを弾き始めててディオやイングヴェイ(・マルムスティーン)、アイアン・メイデン、スコーピオンズなどプレイしていた。両親がウィンダム・ヒルのCDを持っていて、ある日それをかけたんだ。アレックス・デ・グラッシだったんだけど、こんなものがあるなんて知らなかったから、びっくりしたよ。彼のアルバムを買い始め、少し調べて、彼がどんな楽器を演奏しているのかを知った。その後、新しいアコースティック・ギターを探していたときに、ヒューストンでマホガニーのドレッドノートでトップが杉のローデンに出会ったんだ。そのギターに座って弾いてみると、他のギターにはない魅力を感じたんだ。そのLowdenを買って、今でも持っている。トップはかなり厚く、ネックには変な縞模様が入っている。それでロベルト・ヴェンのギター製作学校に通うことになった。この2つの奇妙なバタフライ・エフェクトのおかげで、私は今、クレイジーなことをしている。
コリングスに入社した経緯と、そこで経験したさまざまな役割について教えてください。
卒業後の99年、私は小規模なアコースティックビルダーで働きたいと思っていました。19ものところに応募して、すべてから不採用の通知をもらったんだ。でもクラスでトップだったから、学校がボルダーにあるWoodsong's [Lutherie]で修理と修復の仕事を紹介してくれたんだ。半年ほど経った頃、[コリングスのゼネラル・マネージャーであるスティーブ・マクレアリーがロベルト=ヴェンに電話して名前を聞いてきて、ありがたいことに私の名前を教えてくれたんだ。私は初日、プリーツの入ったカーキのドッカーズと、糊のきいた黒の襟付きシャツを着て現れた。私のコリングスのイメージは、白衣を着た派手な男たちが美しいギターを作っているというものだったからだ。するとスティーブが出てきて、"お前、着飾りすぎだ!"と言ったんだ。僕は、当時みんながやっていたように、バフがけから始めたんだ。その後、ニーズが生じると、優秀な男であれば他の仕事場に引き抜かれた。それでバフ研磨の仕事に精を出し、ブリッジとピックガードに移って、それからネック部門のフロント・エンドからネック・セットに移った。ビルはその部門で私をとても気に入ってくれたので、私は12年ほどネック担当だった。
ネックを作るにはいろいろなことが必要で、興味が尽きなかったからだ。ビルはその人のことが好きか嫌いか。もし気に入られれば、彼は多くの時間と投資をして、彼の頭の中にあるものを確実に伝えようとしてくれた。やがて私はマンドリンの再設計を手伝うようになり、ネックを作り直した。やがて私はプロダクション・マネージャーに昇進した。もし誰かが休暇やハネムーンに行っていたら、私は長い間ここにいたから、その穴を埋めてブリッジにサンドをかけたり、ネックをセットしたりした。ブルースが引退を発表したとき、私たちはプロダクション・コーディネーターをマネージャーに昇格させ、私は彼が去る前にブルースとフルタイムで働き始めた。
ビルがどのような人物であったかについては、業界にはたくさんのエピソードがあります。お気に入りの逸話はありますか?
逸話は山ほどあるけれど、私が一番好きなのは、ここで働き始めた頃、ビルにとても威圧されたことだ。ある土曜日、ギターにしろホットロッドにしろ、いつもそこで作業している彼を感心させようと思ってやって来て、彼が言ったんだ。"おい、外にあるアングル・アイアンをマンドリン室まで運んでくれ "って。アングル・アイアンが10個あったので、運べるだけ持っていった。一方、ビルはガラガラヘビの剥製を持っていて、今にも襲い掛かりそうな感じで杭の後ろの草むらに隠していた。私は最後の一匹にたどり着き、そのガラガラヘビを見て悲鳴を上げ、飛び跳ね、走った。ビルは角を曲がったところにいて、大笑いしていた。彼はずっとそこに座ってそれを待っていたんだ。それから1、2年の間、彼は私のことをスネークと呼んだ。それがビルとの最初の交流だった。
次の週末、私は職場に行き、彼は完璧なネックのコンピューター・レンダリングを一本一本見せてくれた。「ほら、単純なヒール、シャフト、ヘッドストックじゃない。それが僕のネックなんだ。」それが2週目か3週目のことで、私たちはそれを続けて、より良いものを作ろうといじくり回した。
エンジニアリング・ディレクターの)クリント(・ワトソン)とアーロン(・ハフ、エレクトリック・ギターとアーチトップの責任者)とは、今でもそれを続けている。ビルと一緒にここにいたメンバー全員が、今、同じことを私たちに組み込んでいて、常にギターをより良いものにしようと努力している。
ジュリアン・レイジのような男がやってきて、"あなたのスタンダードOMは私にはギターtoo muchすぎる "と言うかもしれない。ビルはすぐにそれを理解した。ジュリアンがいなければ、このようなことはできなかっただろう。もうひとつ学んだのは、1本のギターがすべてではないということだ。ジュリアンOM1 JLはトラディショナルOMとは違うし、トラディショナルOMは標準的なコリングスのOMとは違う。そして、もし私たちが自分たちの栄光に甘んじていたら実現しなかったであろう、素晴らしいギターが誕生したのです。もし若い私に任せていたら、「壊れていないならいじるな」となっていたかもしれない。それはこの会社のモットーではない。
コリングスはビジネスマンというよりも、優秀なルシアーでありエンジニアであったように思えます。
ビルは決して収益を気にしなかった。私たちのような規模の会社で、5つの製品ラインを同時に展開していた会社は他になかった。ビルはケースを作りたかったのだが、誰も帳簿を見て「毎週この金額を請求し、この金額を作らなければ成り立たない」とは言わなかった。ビルはただ、最高のケースを作れば売れると信じていた。Waterloosの最初の衝動は、ビルが古いカラマズーに惚れ込んだことから生まれたんだ。そして、コリングスのラインから淘汰(スクラップ)されたものをWaterloos(カラマズーにインスパイアされたギター)に使うというアイデアが浮かんだんだ。でもギターを設計してみると、ネックやアングルがコリングスとは違っていたから、それはできなかった。ビルにとってはそんなことはどうでもよくて、自分の作りたいギターを作りたかったんだ。だから、お金のことはいつも後回しで、ベストを望んでいたんだ。ビルはただ行くだけで、我々も一緒に行った。ケースを作るのも楽しかったし、ウォータールーを作るのも楽しかった。ウクレレを作り始めたのは2007年か2008年のことで、ギターの注文が途絶えた大不況の頃だった。ビルの頭の中では、ウクレレは3時間で作れるということになっていた。しかし実際には、ウクレレはギターと同じくらい時間がかかった。確かに材料は少ないが、コリングスだから細部へのこだわりは同じだ。結局、ウクレレは儲からなかったけど、ウクレレが売れたから、ギターの注文が戻ってくるまで、みんなに給料を払い、ドアを開けておくことができたんだ。ビルの功績を称え、私たちはまだここにいて、彼が残してくれた宝物を使ってできる限りのことをしている。今いるクルーは驚異的で、私の仕事は、私だけでなくビルと一緒にここにいたメンバー全員が、私たちが知っていることを伝えていくことだ。
ビル・コリングスが亡くなってからの5年間、会社はどのような状況でしたか?
最初の1年は何が起こるかわからなかったから、怖かったよ。世間ではビルがすべてのギターを作っているというイメージがあったから、彼が亡くなったことでギターが変わってしまうのではないかと心配だった。もうひとつの心配はスタッフの確保で、ビルは誰もが彼からギター作りを学びたいと思うような大きな魅力を持っていた。どちらの心配も結局は杞憂に終わり、ビルがもう工房を歩かないという奇妙な事態を乗り越えた後は、いつも通りに営業していたよ。私たちは皆、ビルが望んだであろうことに同意しているので、新しいモデルについて意見が食い違うことはありませんでした。彼はとても大きな個性を持っていて、すべてに大きな影響を与えていたから、Waterlooアーチトップや470 JL(ジュリアン・レイジ・シグネチャー・モデル・エレクトリック)のようなギターをリリースするという難しい決断も、とても簡単だった。私たちはただ、それが私たち個人にとってどんな意味を持っているにせよ、前進しようとしているんだ。
ギター製作に深く関わっていることを考えると、最近はあまり演奏する機会はないのですか?
私は毎朝、出荷される予定のすべてのギターを弾く。トップとバックを弾きながらメモを取り、小さなバインダーに保管している。特に気に入ったギターがあれば、トップとバックのシリアルナンバーと感想を書き留める。そして、そのギターが最終検品に入ったときに、自分のメモを見て、どうなったかを聞くんだ。家でギターを弾くことはあまりないんだけど、毎日新しい曲を覚えることに挑戦しているんだ。今日は「ロケットマン」、昨日はアラニス・モリセットの曲だった。ギターがセットアップされてから2、3日ぶらぶらすることもあり、出荷前に新鮮な耳で聴くことができるのは幸運だ。私は同僚と一緒にギターを聴き、皆で印象や何が正しいかを話し合います。しかし、私が毎日最初にすることは、カバンを置く前に最終検品室に入り、ギターを弾くことだ。
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東京鹿踊ライブ「風とう鹿」
本日(2/十)より予約開始!
【本日より、チケット発売開始!】
とうシカとうとう十年をむかえまして
〜東京鹿踊ワンマンライブ@座・高円寺 開催
郷土芸能を伝える舞川地区の出身者らと、郷土芸能の可能性を世に問う有志と共に結成した、(略称・トウシカ)。
東京の地で活動を始め、『風 とう 鹿』と題した宴を開催します。
「東京鹿踊ライブ 風とう鹿」
座・高円寺 春休み 音楽企画
出演:東京鹿踊
ゲスト:
3月23日:桑島法子さん
3月24日:行山流都鳥鹿踊
期間 2024年03月23日(土)~03月24日(日)
会場 座・高円寺1
チケット予約
座・高円寺HPより
→https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3107
――詳細――
3月23日(土)
その一 鹿踊+朗読劇『風とう鹿』
“シシオドリ” の誕生を朗読とともに
▶︎行山流舞川鹿子躍秘伝書『勘太郎之巻』より
▶︎宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』より
▶︎朗読 桑島法子さん(声優・岩手県出身)
鹿踊の誕生の由来は諸説あります。
今回は岩手県出身の声優で、トーシカの初期の頃から観ていただいている桑島法子さんを迎え、東京鹿踊のルーツである行山流舞川鹿子躍に伝わる秘伝書『勘太郎之巻』と、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』の芝居仕立ての朗読+東京鹿踊で、鹿踊の誕生に想いを馳せてみてください。本場の岩手弁からなるリズムと躍動する鹿の踊り、お楽しみください。
3月24日(日)
その二 鹿踊演舞『問う鹿乱舞』
装束から動きまで 深く分け入る鹿踊×体験ワークショップ
▶︎鹿踊比較演舞
東京鹿踊+行山流都鳥鹿踊(ゲスト鹿踊・岩手県奥州市胆沢)
▶︎23日の劇中で登場した鹿踊りを間近で体感!
鹿と躍ろう、鹿になろう! 鹿踊りワークショップ
鹿の角をつけた鹿頭をかぶり、背中に長い“モノ”を背負い、太鼓を叩きながら歌い踊る「太鼓踊系鹿踊」。
岩手・宮城には今も約50の鹿踊りが伝わっています。
東京鹿踊にも、
●行山流舞川鹿子躍(岩手県一関市)
●行山流水戸辺鹿子躍(宮城県南三陸町)
●仰山流前田鹿踊り(岩手県大船渡市)
出身者がメンバーになっています。
●行山流舞川鹿子躍
●行山流水戸辺鹿子躍
●仰山流前田鹿踊り
見た目は似ているけど・・・?な、太鼓踊系鹿踊の多様さを、岩手県奥州市胆沢に伝わる行山流都鳥鹿踊の皆さんをゲストに迎え、土地土地で異なる鹿踊に深く分け入ります。東京鹿踊との比較演舞や、装束や動き、演奏などの特徴を解説、舞台上で実際に体験いただきます(事前申込制)
【体験申込】
座・高円寺HP
→ https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3107
東京鹿踊が、自身のありようから模索してきた郷土芸能の可能性、その十年が形づくる『風とう鹿』、どうぞご期待ください。
スペシャルゲスト:
○桑島法子さん(岩手県出身)
KUWASHIMA HOUKO
12月12日生まれ。岩手県出身。 青二プロダクション所属。
デビューしてまもなく大ヒットアニメ『機動戦艦ナデシコ』のヒロイン、ミスマル・ユリカ役に抜擢される。以降、『犬夜叉』の珊瑚役をはじめ、『機動戦士ガンダムSEED』のナタル・バジルール役、フレイ・アルスター役、『ハートキャッチプリキュア!』の明堂院いつき:キュアサンシャイン役、『宇宙戦艦ヤマト2199』森雪役
、『鬼滅の刃』炭治郎(主人公)の母役など、人気作品のキャラクターを数多く演じています。番組ナレーターとしても活躍中。
2001年から宮沢賢治作品を朗読する“朗読夜”をライフワークとして続けており、これらの活動が評価され、2009年に花巻市主催「第19回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞」で、イーハトーブ賞奨励賞を受賞しました。第73回全国植樹祭いわて2023にて「虔十公園林」を朗読。2010年からは、岩手県の希望郷いわて文化大使を務めています。
○行山流都鳥鹿踊保存会(岩手県奥州市胆沢)
GYOZANRYU TODORI SHISHI-ODORI
岩手県奥州市胆沢に伝わります。「鹿のハツ連れ」といい、親鹿(仲立)、女鹿、両側に雄鹿が6人、計8人で踊ります。装束の幕には「九曜」・春日並びに日月の四季を略した「十二揩子」、36の神々を象徴した「チドリ」を染め、腰には3mもある「ササラ」を挿し、「大太鼓」を付ける。鹿の情操や生態を舞踊化したものとされ、ササラ竹
が踊るにつれてもつれ、からむ様は、咲き乱れる秋の七草とすすきの波を乗り越え、戯れ遊ぶ鹿を想起させます。
行山流舞川鹿子躍と同じ「行山流」ですが、違いや共通点を探してみてください。
東京鹿踊
-TOKYO SHISHI-ODORI-
2013 年6 月、行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)が伝わる岩手県一関市舞川地区出身者が呼びかけ人となり、首都圏在住の鹿踊伝承者と郷土芸能の可能性を信じる有志で結成。「鹿踊」の演目を習い、実演する他、多国籍・多世代・多分野に対応したワークショップ、魅力発、郷土芸能を通じた地域との関わり方、未
来へ継ぎ方を思考するためのプロジェクトを企画しています。
2023年にとうとう10周年をむかえました。
https://to-shika.tumblr.com/
出演者:東京鹿踊
小岩秀太郎、松坂史、古谷加奈
(以上出身:岩手県一関市・行山流舞川鹿子躍)
山田雅也(出身:群馬県)
西田昌代(出身:東京都 江戸祭囃子 獅子舞)
小野寺翔(出身:宮城県南三陸町・行山流水戸辺鹿子躍)
山下明恵(出身:兵庫県)
塩原那奈(出身:長野県)
鈴木康正(出身:岩手県大船渡市・仰山流前田鹿踊り)
主催:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
後援:杉並区、公益社団法人全日本郷土芸能協会 企画:東京鹿踊
協 力:株式会社青ニプロダクション、機糸横糸合同会社
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j1033 窓外族
20代後半、沖縄が本土復帰をする。
ひかるは大事にしていたパスポートを焼きすてた。
ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。
そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。
第一期入社の同期の連中は、管理職として各部門を統括していたが、よりによって、その連中が束になって会社を辞め、別会社を設立し、従来の仕事をそっくり持って独立していったのだ。
労使問題でガタガタしているとはいえ、発注先であるフジテレビ゙が、設立されたばかりの、資本の入っていない独立会社へ翌日から仕事を廻す。
明らかに契約違反であり、フジテレビは、ひかるの所属する会社を潰しにかかった、と解釈されても仕方のない事情であった。
取り巻く周りからもかなり注目されている中、唯一残った第一期生、ひかるは社のどまん中へ担ぎ出されてしまったのである。
しかし、ひかるは苦境に立たされれば立たされる程、頭を使う。
次から次と、誰もがあっと驚く奇抜な策を行使、放送業界全体をも覆すリーダーシップを発揮して行くのである。
二度にわたり、管理職が有能な社員を引き連れ独立、残された社員が殆んど組合員、会社の存亡すら危惧され混乱。
当然、沈静化するまで待とう、何んとか無難に切り抜けよう、と守りに徹するのが普通である。
しかし、ひかるは全く逆の発想だ。
こういう時だからこそ、打って出る、しゃにむに攻撃態勢を取り、社内の目を組合騒動からそらせ、一丸にする。
攻撃目���も、生半可でないどでかい目標を掲げる、という発想だ。
当時のテレビはドラマやクイズ花盛りで、スタジオ、局内中心で作られている。
ロケを大量に取り入れ、山や川、家の中まで入り込み、外部の映像を茶の間へ届けよう、番組作りの土俵を強引に外へ出す。
技術プロダクションとしてテレビ局と番組の内容で勝負しようとの考えである。
ひかるが手始めにトライしたのが、「天才タケシの元気が出るテレビ」だった。
兵頭ユキや高田順次の映像は、お茶の間に大いに受けた。
そして、業界を、あっと驚かせたリアルな表現、しかも素人を相手にした、オールロケの集団お見合い番組「ねるとん紅鯨団」だった。
その後、日本は世界に類を見ない映像、テレビ王国へと突き進んでいったのである。
次回、裏話など・・・ご期待を。
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