Tumgik
#所在地: 東京都世田谷区経堂五丁目
gsa-works · 2 years
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2ttf · 12 years
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sasakiatsushi · 6 years
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イズミズム最終回
 突然ですが、この連載は今回で最終回です。先日、森山編集長と打ち合わせの際に、彼の方から「ちょっと仕切り直しをしてはどうか」という意見が出た。実を言えば僕自身が(読者の皆さんもきっとそう思っていることと思うが)、この連載が途中から相当に迷走している、なんだか非常に息苦しい袋小路に入りつつある、ということは強く意識していて、正直に言うと、この申し出は渡りに船(?)だった。「イズミズム」は、当初に考えていたコンセプトから、あれよあれよという間に外れていってしまい、僕は自分が何をしたいのか、何をしなければならないと思っているのかは分かっているつもりでいながら(それは今でもそう思っている)、それをどうやったらいいのか、どうやれば上手くできるのか、をどうしても思いつくことができなかった。要するに、僕は失敗したのだと思う。そ��は潔く認めなくてはならない。今回もこの文章の右の方にある筈の連載開始時の内容紹介文は、休載を挟んだ連載第五回以降はまるっきり形骸化してしまっているのだが、にもかかわらずレイアウト上はずっとその勇ましい文章が冒頭に置かれ続けていることが、ある意味ではこの連載の「失敗」を何よりも証立てている。
 うわあ。なんとも恥ずかしい告白になってしまっているが、しかしその一方で、僕にはこの「失敗」(?)が、ある意味では不可避であったとも思うのだ。それはつまるところ、僕がやろうとしたこと、やりたかったこと、やるべきだと思っていたこと、それ自体があらかじめ孕み持っていたどうしようもない難しさのせいだったのだと、これは言い訳でも開き直りでも何でもなく、そう思う。しかし、そのことをちゃんと説明すること自体が、やはりどうしようもなく難しい、のだ。これでは堂々巡りだけれど、しかし実際、この「イズミズム」とは、その「難しさ」について考えようとした連載だったのである。  前回は予定を変更して、七月末に僕が企画した「批評家トライアスロン」なる試みについてレポートじみた文章を書いてみた。そこでは書かなかった(書けなかった)ある事実と反省に関しては、どこかでまたあらためて述べる機会があるかもしれないが、実は急遽内容を変える前の(今回同様に)〆切ギリギリの極限状況下で、僕は別の内容を途中まで書きかかっていたのだ。それについては実際の原稿の冒頭にも少し書いてあるが、以下に書きかけだったテキストをほぼそのままコピペしてみよう。
 現在、この国の文化=思想=批評の状況には、いわば「ニュー“ニューアカ”」とでも名付けられるような現象/事態が出来している、と僕には思える。「ニュー“ニューアカ”」(以下めんどくさいのでニュニュアカと略す)は、「八〇年代」に起こった「ニューアカ」すなわち「ニュー・アカデミズム」の「反復」であり「持続」でもある。いや持続してるなら反復しないし、とか思われるかもしれないが、この少々矛盾(?)した言い方の意味については後で記すつもりだ。  まず簡単に「ニュー・アカデミズム」の解説をしておこう。「ニューアカ」とは八〇年代の前半に、当時京都大学経済学部助手だった(現在は助教授)浅田彰の著書『構造と力』のベストセラーを契機に出版界から巻き起こった、現代思想のサブカルチャー化と、知識人・大学人のポピュリズム的受容の、ほとんど社会現象にさえなった一大ブームと、その構成メンバーを指す。浅田と並ぶ人気を誇っていたのが、やはりベストセラーとなった『チベットのモーツァルト』の中沢新一だ。他には、のちに政治家への転身を果たしたりと迷走していくことになる栗本慎一郎などもいたが、もちろん重要なのは、浅田や中沢よりも上の世代ではあるが同時期に本格的な活動を開始したと言っていい柄谷行人と蓮實重彦だろう。現在に至るまでの流れを思えば、つまるところ「ニューアカ」とは、結果として「柄谷ー蓮實ー浅田」の三位一体の制度(?)を形成した現象だったとさえ言うことが出来るのではないかと思う。  ところで、あらためて考えてみると、「ニューアカ」には幾つかの特徴があった。以下、少し説明してみる。
*「ニューアカ」とはその名の通り「新アカデミズム」であって、「反アカデミズム」でも「超アカデミズム」でもなかった。浅田は京大、柄谷、蓮實、中沢は東大卒だ。もちろん他の構成メンバーの学歴はまちまちではあったが、少なくとも「ニューアカ」の権威性と信頼性は、明らかに東大と京大というこの国の「アカデミズム」の最高峰のそれに依っていた。前述のように浅田は現在も京大所属だし、周知のように蓮實重彦はのちに東大総長にまで昇り詰めることになる。
*にもかかわらず、実際には必ずしも「ニューアカ」は、それぞれの専門領域における研究それ自体によって評価されたわけではなかった。経済学が専門である浅田の『構造と力』はフランスのポスト構造主義の解説本 (その内容は現在であれば新書で刊行されていた筈だ)だったし、仏文学者の蓮實もフランス現代思想の紹介や文芸評論、とりわけ映画批評の分野で注目を集めた。学部は経済学で修士は英文学だった柄谷は夏目漱石を論じた文章で文芸批評家としてデビューし、『マルクスその可能性の中心』を文芸誌に連載した。つまり「アカデミズム」と言いつつも、彼らはいずれも語義通りの「アカデミック」な領域で頭角を現したわけではなかった。それゆえ「ニュー」と呼ばれたのだ、と言うことも出来る。「アカデミズム」に属していた者が「アカデミズム」の「外部」で/に「知」を発信した、と言うことも出来るかもしれない。
*「ニューアカ」の思想的バックグラウンドは基本的にはもともと「左翼」的なものだったと言える。柄谷は元ブントだし、蓮實も東大のいわゆる「造反教官」のひとりだった。だが「左翼」的ではあっても、それはそのまま「反体制」を意味してはいなかった。むしろ「ニューアカ」は、バブル経済の上昇気流にあった「八〇年代」においては、日本という「国家」に対して、親和的とまでは言わないまでもかなり現状肯定的だった。本来はいわゆる「68年的」な思想であった筈の「(ポスト)構造主義」を使って「八〇年代ニッポン」の繁栄を説明しようとする無理に、当時は誰も気付かなかった(気付いても何も言えなかった)。ところが「ニューアカ」の多くは「九〇年代」に入ると、変節とも転向とも表立っては呼ばれることなく、すなわち公的には一貫性を維持したまま「左旋回」する。これはだから正確には「旋回」ではなかったのだが、スタンスとしてはかなり鋭角的に「反国家・反体制」化したように見えたことは確かだった(このあたりについては仲正昌樹の『ポストモダンの左旋回』を参照)。
 このような「ニューアカ」の特徴は、ほぼ二十年を経て「ニュニュアカ」によって「反復」されている。だが、その前にもう少し、続く「九〇年代」のいわば「ポスト・ニューアカ」についても触れておかねばならない。端的に「ポニュアカ」は「ニューアカ」に対する相対化というか異和の表明というかルサンチマンの発露というか、大体そのようなものとして登場した。その代表的な論客を、やはり現在との関わりにおける重要度に従って三人挙げるなら、これは疑いなく宮台真司、大塚英志、福田和也ということになるだろう。宮台は「ニューアカ」に対抗する戦略について度々語っているし、福田は柄谷・浅田とは良好な関係を保ちつつ、蓮實に対しては初期から徹底して批判的だ。大塚も湾岸戦争以後の旧「ニューアカ」勢の政治的言動の変節を執拗に批判していた。もちろんこうした個別的なことだけではなく、思想や批評が一種のブームになることによって、さまざまなことが可能になった時期には間に合わなかった彼ら「ポニュアカ」が、多くの意味でいわば「反ニューアカ」的スタンスをいささか露骨なまでに身に纏うことで世の中に出てきたことは確かで、受け入れる側もそのような存在として歓迎したり反撥したりしたのだった。これはある意味で単純きわまる「振り子の原理」のようなものだと思うのだが、しかし現実はしばしば単純な原理によって動くことがある。    書いてあったのはここまでだったのだが、この続きとしては、次に「ニューアカ」と「ポニュアカ」と「ニュニュアカ」のすべてを繋ぐ類いまれな存在として「東浩紀」という人について触れた上で、いよいよ「ニュニュアカ」のことを書くつもりでいた(もちろんもっと丁寧にやろうとするなら、たとえば松浦寿輝や丹生谷貴志や四方田犬彦のような人達や、渡部直己やスガ秀実のような人達や、あるいは笠井潔や加藤典洋や、あるいは椹木野衣や山形浩生や、そして大澤真幸についても当然触れるべきなのだが、それではさすがに字数がまるで足らないと思っていた。ニッポン批評史をやりたいわけでもないし)。  僕が「ニュニュアカ」という言葉で括ろうと思っていたのは、たとえば北田暁大や鈴木謙介、もっとも徴候的には稲葉振一郎のような人のことだった。本誌と同じ版元の長谷川裕一論『オタクの遺伝子』、ちくま新書の『「資本」論』、やはり太田出版からの『マルクスの使いみち』(松尾匡、吉原直穀との共著)、『モダンのクールダウン』(NTT出版)、立岩真也との対談本『所有と国家のゆくえ』(NHK出版)と、このところ立て続けに本を出している稲葉氏は、63年生まれ、一橋大卒で東大大学院博士課程単位取得退学、現在は明治学院大学社会学部教授だ。東大時代の付き合いなのか(彼らの一読者でしかない僕はこの辺の関係性をよく知らない、誰のこともよく知らないけど)、山形浩生とは旧知の仲のようで、インタ−ネットの稲葉氏のブログにはよく山形氏が登場する。ちなみに太田出版はもちろん「ニューアカ」の最後の牙城となった柄谷行人・浅田彰責任編集による「批評空間」の第二期の版元でもあり、『モダンのクールダウン』の元になった「片隅の啓蒙」が現在も連載されている雑誌「インターコミュニケーション」は、ICC(インターコミュニケーション・センター)同様、その成立と初期のコンセプトに浅田が深く関与していた(が、ご存知の方も多いように山形浩生は浅田彰に何度か極めて痛烈で痛快な批判を向けたことがある。稲葉氏が浅田彰的存在に対して何らかのスタンスを提示するようなコメントを発しているのかどうかは寡聞にして知らない)。ここ最近の「インコミ」には東浩紀と旧GLOCOMグループが度々登場し、最新号では稲葉氏と東氏の対談が、浅田彰と岡崎乾二郎の対談とともに巻頭に掲載されている(僕はこの二つの対談の並べ方は、タイトルの付け方と共にとても嫌味で最高だと思ったのだが、そのこともここで述べたいこととすごく関係があるけれど、とりあえずは置く)。  僕は稲葉振一郎氏の言説について、何事かを述べたいわけではない(し、さしあたり述べられるとも思っていない。述べてよいとも思えない。だが、これまた「何故、述べてよいと思えないのか?」ということも実は重要な問題なのだ。というか、本当はこんな韜晦をやたらと連発することで何かを語ろうとしている節もあるのだが。ただちょっと思ったことは、博覧強記というべき稲葉氏の論述の先にあるものは、そのすぐれて懇切丁寧な啓蒙的態度とある意味では相反するような、恐ろしく大文字のざっくりとした「問題」という気がして、それは氏自身もよく言及されているSF的な、というかほとんど空想科学的な荒唐無稽ささえ感じられて、それが僕にはなんだか、氏とほぼ同世代の椹木野衣が一時期やたらとフーコーの「人間の終焉」にこだわっていた、やはりほぼ同世代である僕にはしかし非常に不可思議な、こう言ってよければ大言壮語と重なる時がある)。そうではなくて、たとえば現在の「文化=思想=批評シーン」(「文学シーン」とか何でも「シーン」を付けるのはよくないと磯部涼が言ってたけど、「シーン」で括れるくらいどれもこれもちっちゃい、っていう事だよ)における「稲葉振一郎」の役割というか必要性のようなものが、僕の受け取り方では往年の「ニューアカ」の「反復」であり「持続」であるものとしての「ニュニュアカ」を、とても鮮明に示していると思うのだ(ところで63年生まれといえば、年齢的にはむしろ「ポニュアカ」に近いのだが、「○○アカ」の区分は世代ではない、ということは言わずもがなのことである)。  稲葉氏は『経済学という教養』や『マルクスの使いみち』などで、自らの想定読者層に対して「人文系ヘタレ中流インテリ」というタームを与えている。その意味については両書のそれぞれ序説の部分で述べられているが、「経済学という「教養」」や「片隅の「啓蒙」」という言葉に如実に現れているように、氏には人文的な専門知とでも呼ぶべきものを、アカデミックな研究者だけの愛玩物に留めておくのではなく、それに正当で健康な興味を抱く「素人」に対しても開いてゆくべきだ、という一種の信念のようなものがあると思える。彼らはアカデミシャンでも専門家でもありえない、それゆえに「ヘタレ」なのだが、しかし「教養」への意志や「啓蒙」への志向性は持ち合わせているぐらいには「インテリ」であるというわけだ。それはいわば「新書」的な「知」へのベクトル、とでも呼ぶべきものだと思う。コアな理論書でもテキスト=教科書でもない、不特定の「他者=素人」に向けた「教養」への導線としての「新書」。そしてそれは、嘗ての「ニューアカ」が纏っていたものと似てはいないだろうか。  浅田の『構造と力』が典型的だが、「ニューアカ」のひとつの本質は、多くの場合、地理的・言語的な障壁によって未だ知られていない何らかの「知」を「紹介」したり「整理」したり「解説」したりする行為のカジュアル化、すなわちファッショナブルな「啓蒙」ということであった。「ポニュアカ」には、総じてそのような親切さは微塵も存在していない。彼らは「ニューアカ」の突破もしくは反転を企図していたのだから(たとえば宮台真司は「専門知」も「大衆知」も更に極限化することによって「ニューアカ」との差異を披瀝した)。また、東浩紀も(『動物化するポストモダン』は講談社現代新書だが)「新書」的な姿勢とは実のところ無縁なタイプであると思う。彼は明らかに、あくまでも個人的な主題を公(共)的な主題へと短絡させる剛腕を持った、ある意味では古典的な意味での「哲学者」だ。だが稲葉氏には明らかに「新書」的なベクトルがある。それはたとえ「片隅」ではあっても「啓蒙」はありうべきである、という、もう一度言うと「信念」によって支えられていると僕には思える。そして、彼に代表されるような論客がそれなりの存在感を発揮しつつある現状を、さしあたり「ニュニュアカ」と呼んでみたい、ということなのである。  さて、ところでしかし、ここでやはり意地悪な問いを発さなければならない(そして、この問いこそがこの最終回のテーマ?なのだ)。「人文系ヘタレ中流インテリ」は、本当に存在しているのだろうか?。そこにいるのは、実際には「人文系ヘタレ中流インテリになりたい人たち」でしかないのではないか?  興味深いことは、「ポニュアカ」の方々の著書の方が、「人文系ヘタレ中流インテリ」よりも、ずっとポピュラーな「一般読者」に対して開かれているということで(それは彼らが良くも悪くも「ニューアカ読者」の外側に自らの購買層を設定してゆくしかなかったという事実を示してもいるが)、それは書かれた内容の高度さとはあまり関係がなく、いわばプレゼンテーションの違いなのだが、そんな「ポニュアカ」を経て「ニュニュアカ」が、敢て「読者」のスクリーニング的なことを標榜していること、そうせざるを得ないということの意味が、僕には気になる。  稲葉氏の著書は、あからさまに啓蒙書的形式を持つ『経済学という教養』を除くと、実のところけっしていわゆる「入門」的な中味ではない。そこで述べられていることを十全に理解するためには、読む以前に一定以上の「教養」が必要であり、それは(矛盾するようだが)いわゆる「新書」的なヤワさとは異なっている。つまり、そこには稲葉振一郎オリジナルの「哲学」というか「思想」が込められているのだが、しかし氏は「読者」がそこに辿り着くまでに経由すべき「教養」の有無をもはや無視することができない(この一種の自信の無さが「ポニュアカ」との決定的な違いだと思う)。だが一方では、それを真に直視してしまうと、ほとんど書く動機が損なわれかねないほどの危険性が存していることにも、恐らく気が付いているのだ。  そこで「人文系ヘタレ中流インテリ」が登場する。それは一見、揶揄のようないでたちをしてはいるが、実はそうではない。稲葉氏が設定しているような「人文系ヘタレ中流インテリ」は、おそらく数としては相当に少ない。それは「ニューアカ」の時代よりも減っているし、減り続けている。おそらく文字通りの「人文系ヘタレ中流インテリ」にカテゴライズされるような「読者」は、自らをそう同定しはしないだろう。居るのは、「人文系ヘタレ中流インテリ」というレッテルに、かなり倒錯的なものではあれ、一種のエリーティズムを感じてしまうような、いわば永遠の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」なのだ。そして煎じ詰めれば「ニュニュアカ」とは、そうした「読者」に対してチャームを発揮する「知」なのだと思う(これは稲葉氏の言説や存在の意義とは何ら関係がない、念のため)。  「ニュニュアカ」が「ニューアカ」の「反復」であり「持続」でもある、ということの意味は、「ニューアカ」自体が、実はそういうものだったのではないか、ということなのだ。「ニューアカ」の時代に「わかりたいあなたのための〜」といった枕が付いた現代思想の「入門」書があった。また(これも太田出版だが)柄谷・浅田など「ニューアカ」勢による『必読書150』には「これを読まなければサルである」というオビ文が刻まれていた。これらは「読者」の「知」的な劣等感/優越感を露骨に刺激するようにできていて、「わかりたい」は「わかってると思える」に、「これを読まなければサルである」は「これを読めばサルではない」に読み替えられる。だが、それはどこまでいっても、たかだか「サルではない」ということでしかない。サルよりはましだと思うかもしれないが、それはようやくヒトになれただけで、もしかしたら、ただそう錯覚し得ているだけかもしれない。サルであることに無意識でいられるサルと、サルではないと思い込むことを(誰かに?/自分に?)許されただけのサルの、どちらが幸福だろうか?。  つい筆が走ったが、「持続」というのは、「ニューアカ」→「ポニュアカ」→「ニュニュアカ」の言説の担い手ではなくて、それらを「サルではない」と思いたい「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」に提供し続けている、いわば仕掛人的存在(端的に言うと「編集者」)が、三つのカテゴリーを通じて、現実としてほとんど変わっていない、という事実を指している。もちろん例外はあるが、それは実際に同じ人物か、もしくは同一の系列に属していることが極めて多い(ことは知っている人は知っていることだ)。彼らによってその時々の「アカデミズム」から人員がピックアップされて、「○○アカ」が生まれていく。そして、もっともクラい思いにさせられるのは、「ニュニュアカ」的なるものの台頭が起こっているとして、それは「啓蒙」の成果として「人文系ヘタレ中流インテリ」が増大しているからではなく、むしろ「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍」と更に外側の「人文系ヘタレ中流インテリ予備軍の予備軍」の絶対的で不可逆的な縮小が、あるポイントを経過してしまったがゆえに、いわばあぶり出しのようにして、そうなっているのではないか、ということなのだ。  もちろん、それはそういうものなのだし、ずっとそうだったのであって、今更どうこう言うようなことでもないし、そもそもお前ごときが云々すべきことでもない、という意見はあるだろうし、僕もそれはもっともだと思う(正直ほんとうに)。そして、だから僕は、この連載を今回で終えることにしたのだ。最終回だというのに、やっぱり上手く書くことができなかったと思うし、むしろ更にもっと混乱したままになってしまったとも思うが、とりあえずここで筆を置きたいと思う。でもこれは終わりではない。ありがとうございました。
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honyade · 5 years
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船山基紀 × 及川眠子「稀代のヒット曲のつくりかた」 『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)刊行記念
10月に、編曲家・船山基紀さんの新刊『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』が発売となります。
同書は、歴代編曲家シングル総売上2位(オリコン調べ)の編曲家で、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「迷い道」(渡辺真知子)、「恋人よ」(五輪真弓)、「Romanticが止まらない」(C-C-B)、「淋しい熱帯魚」(Wink)、「ジェットコースター・ロマンス」(KinKi Kids)などを手がけ、現在も第一線で活躍する編曲家、船山基紀さんの半生記をまとめた一冊です。
同書の刊行を記念して、船山さんがB&Bに登場!
お相手は、作詞教則本『ネコの手も貸したい~及川眠子流作詞術』や近刊のエッセイ『誰かが私をきらいでも』も好評の作詞家、及川眠子さん。船山さんとは、Winkの数々の楽曲でお仕事をともにしてきました。
当日は、船山さんのアレンジの手法の秘密や、Winkの楽曲制作秘話などをたっぷり話していただける予定です。
この貴重な対談をお見逃しなく!
【出演者プロフィール】 船山基紀(ふなやま・もとき) 1951年東京都目黒区生まれ。 中野区立谷戸小学校、中野区立第三中学校を経て、早稲田大学高等学院から早稲田大学政治経済学部経済学科中退。 幼い頃から譜面と地図が大好きで、中高は吹奏楽、大学からは早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラでリードアルトサックス、コンサートマスターを担当。 大学3年の時アルバイトで始めたヤマハ音楽振興会でのポピュラーソングコンテストの仕事で編曲の基礎を学ぶ。 74年よりフリーの作編曲家として本格的に活動を開始し、77年には沢田研二の「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞。 中島みゆき「時代」、五輪真弓「恋人よ」、渡辺真知子「迷い道」などニュー・ミュージックを代表する作品を手がけていく。 81年よりL.A.に拠点を移し、そこで出会った「フェアライトCMI」デジタル・シンセサイザーに衝撃を受け、帰国後、来るべき自宅録音の先駆けとしてこれを導入。 以降Wink、中山美穂、荻野目洋子、森川由加里など、80年代アイドルの全盛期を築く。 特に筒美京平氏作品の編曲は氏の編曲者中一番数多く、レコード大賞を始め数々の賞を受賞した。 また、1980年代の田原俊彦、少年隊に始まり1990年代のSMAP、KinkiKids、2000年代のTOKIO、嵐、SexyZone、ABC-Zなど歴代のジャニーズ・グループの編曲を手がけてきた。 舞台では堂本光一「SHOCK」、少年隊「Playzone」、滝沢秀明「滝沢革命」など、ジャニーズ・ミュージカルの代表作の音楽制作も担当している。 2015年にはジャニーズ作品の集大成として、近藤真彦の35周年記念アルバム全24曲の編曲を手がけた。 2014、15年にはJフュージョン界の大御所ギタリスト、増崎孝司との双頭コンボ、「Moto & Masu」で『Lawn Boys go to Manhattan』『Te Quiero』の2枚のアルバムを発表。
及川眠子(おいかわ・ねこ) 1960年2月10日生まれ、和歌山県出身。 1985年三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト最優秀賞作品、和田加奈子「パッシング・スルー」でデビュー。 Wink「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」(89年度日本レコード大賞受賞)、やしきたかじん「東京」、新世紀エヴァンゲリオン主題歌「残酷な天使のテーゼ」(2011年JASRAC賞金賞受賞)「魂のルフラン」、CoCo「はんぶん不思議」などヒット曲多数。 最近では新宿2丁目発ドラァグクイーンたちのユニット「八方不美人」ほか、アーティストのプロデュースも手掛けている。 著書には『破婚~18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間』(新潮社)、『ネコの手も貸したい~及川眠子流作詞術』(リットーミュージック)、『誰かが私をきらいでも』(KKベストセラーズ)などがある。 数々の歌い手に詞を提供するとともに、『プリシラ』や『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』などのミュージカルの訳詞や舞台の構成、CMソング、エッセイやコラム等の執筆や講演活動も行っている。
【重要なお知らせ】 10月1日からの消費税率の引き上げに伴い、チケット価格を変更いたします。
9月30日までにチケット購入の場合… 前売1500円+ドリンク500円(共に税込)→2000円 当日2000円+ドリンク500円(共に税込)→2500円 ↓ 10月1日以降にチケット購入の場合… 前売1500円+ドリンク500円(共に税別)→2200円 当日2000円+ドリンク500円(共に税別)→2750円
くわしくはこちらのページをご覧ください。
10月1日0時より自動的に価格が切り替わりますので、ご参加のお客さまはお早めにお申し込みください。
時間 _ 20:00~22:00 (19:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1,500yen + 1 drink order(税別) ■当日店頭2,000yen + 1 drink order(税別)
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oniwastagram · 5 years
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 静岡県御殿場市 ] 東山旧岸邸庭園 Higashiyama Former Kishi Residence Garden, Gotemba, Shizuoka の写真・記事を更新しました。 ―― #吉田五十八 が晩年に手掛けた近代数寄屋建築と、#岩城亘太郎 の“流れ”を主体とした庭園―この空間美は現代版“無鄰菴”か。 ・・・・・・・・ 昭和の戦後に内閣総理大臣を務めた #岸信介 が晩年を過ごすため1969年に建てられた別邸「東山旧岸邸」。 その設計は昭和を代表する建築家・吉田五十八が担当、庭園はホテルニューオータニ🏨の日本庭園などを手掛けている岩城亘太郎による作庭。 先日紹介した「秩父宮記念公園」からは1km強。前々から行きたいなーと思っていたのですが、ようやく初訪問――そして本当に素晴らしい場所だった! ��56・57代内閣総理大臣を務めた岸信介は戦前から旧満州国の経営に携わり、戦後は日米安保条約の改定に尽力するなど長年要職を務め上げた政治家。 ちなみに現在の安倍晋三首相は岸の孫にあたります。 岸の晩年は亡くなるまでの17年もの間、この御殿場の別邸で過ごしました。 2003年に長女の安倍洋子(安倍首相の母親)により御殿場市に寄贈され、2005年より一般公開が開始。 吉田五十八に岩城亘太郎――目的はどちらかと言えば岩城亘太郎の庭園だったのですが、この施設・庭園の素晴らしさは吉田五十八建築無しには語れない。 #吉田五十八建築 を初めて意識したのは東京都世田谷区の『成城五丁目猪股庭園』。 あちらも邸宅と庭園がとてもシームレスに感じられるのが素晴らしい空間だった――そしてこの五十八の晩年の作となる #近代数寄屋建築 の旧岸邸。 リビング・食堂と庭園の目線の低さというかすぐお庭が飛び込んでくる感覚がもう――やっぱ吉田五十八建築ヤバい。(語彙力よ) 岩城亘太郎( #岩城千太郎 #岩城造園 )作庭の #池泉回遊式庭園 は箱根・富士🗻の麓の自然を活かしながら、小川を主体としたもの――この小川が流れる庭園と名建築は、岩城亘太郎の師匠・7代目小川治兵衛の手掛けた名園を引き合いに現代版『無鄰菴』――なんて表現したいけど、いかがでしょう。 ちなみに小川治兵衛が庭園を手掛けた静岡の『浮月楼』に吉田五十八設計の建築があったとされるので(建物は焼失)、吉田五十八と植治・岩城亘太郎は仕事のパートナーとして関係性があったのかな。 純和風建築&純和風庭園!という組合せではないので、写真だとなかなか魅力が伝わらないのですが、玄関を抜けてリビングと食堂の向こうに庭園風景が飛び込んできた瞬間に、吉田五十八神だわーと思いましたね。 感想が雑なのはそれぐらい素で「素晴らしい!」と興奮したからだ、というのが伝われば何より。 御殿場市は2008年以降、旧岸邸を含む一帯を「御殿場東山ミュージアムパーク」という観光施設として整備を進めており、旧岸邸と同じ敷地内には和菓子の老舗・虎屋による「とらや工房」もあります🍪 ちなみに旧岸邸も現在は虎屋のグループ会社・虎玄(TORAYA CAFEなどの運営主体)が指定管理者を勤めているそう。 この名建築…今あるうちに是非見てほしい! 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/higashiyama-kishitei-garden-%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E6%97%A7%E5%B2%B8%E9%82%B8/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園‬ ‪#garden #japanesegarden‬ #japanesegardens #御殿場 #御殿場市 #gotemba #静岡 #静岡県 #shizuoka ‪#おにわさん (東山旧岸邸) https://www.instagram.com/p/BwoynPtA5ev/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=f0i3uuyyjp7s
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genron-tomonokai · 5 years
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[友の会メール]『新記号論』重版出来!SF創作講座 第4期 受講生募集中!ひらめき☆マンガ教室 第3期 まもなく募集開始!
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[友の会メールvol.319]『新記号論』重版出来!SF創作講座第4期 受講生募集中!ひらめき☆マンガ教室第3期 まもなく募集開始! 
(2019年4月9日配信)
☆**:..。o○o。:..**��
こんにちは、スタッフの宮田です。
『新記号論』遂に重版出来いたしました!これにあわせて急遽『新記号論』特集イベント第2弾を開催します! また、ゲンロンスクールではSF創作講座が第4期受講生を募集中、ひらめき☆マンガ教室も第3期受講生を まもなく募集開始いたします!ゲンロンスクールにご興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。
 * * * * *
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』重版出来!&刊行記念イベント第2弾緊急開催!
この度、『新記号論』が重版出来いたしました! Amazon現代思想部門ベストセラー1位にも再び返り咲いています! それにあわせて、『新記号論』イベント第2弾を緊急開催いたします!
今回は津田大介氏を交え、著者の石田英敬氏、東浩紀と共に『新記号論』とマーケティング論について議論していただきます! 題して、「脳とメディアが広告と出会うとき」! すでに会場チケットのご予約は定員に達しましたが、当日はニコニコ生放送にてイベントの模様を生中継いたします。 週末にぜひ『新記号論』をお手元に、イベントをお楽しみください!
◆4/20(土)19:00- 石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319379182
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』 石田英敬+東浩紀(ゲンロン叢書002)
ゲンロンカフェ発 伝説の白熱講義を完全収録! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」
――物理書籍版 Amazon: https://amzn.to/2I3xooO ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/215
――電子書籍(ePub)版 Amazon: https://amzn.to/2UaO2Yl ゲンロンショップ: https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
『新記号論 脳とメディアが出会うとき』特設ページはコチラ! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/
本書第2講義の無料試し読みページもございます! 「デジタル時代の夢と権力――『夢の危機』と『夢見る権利』」 https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
みなさんの『新記号論』感想ツイートまとめはコチラ! 『新記号論 脳とメディアが出会うとき』石田英敬+東浩紀(ゲンロン叢書002)感想まとめ https://togetter.com/li/1319417
さらに! 『新記号論』のベースとなった石田英敬氏によるゲンロンカフェのイベント全3回のVimeoアーカイブ動画を、 お得なセットで販売中!
通常レンタル価格¥1,800→¥1,500(ご購入は¥3,600→¥3,000)とたいへんお買い得です! 書籍と相互補完する超充実の内容です。こちらもお見逃しなく! https://vimeo.com/ondemand/genronshinkigou
★大森望 SF創作講座第4期 受講生募集中!★
〈ゲンロン 大森望 SF創作講座〉2019年度のサイトをオープンしました! ゲンロンスクールではただいまSF創作講座の第4期受講生を募集しています! https://school.genron.co.jp/sf/
受講受付の締切は5月10日(金)ですが、正規受講生枠は間もなく定員に達します。 完全先着順での受付となりますので、ご興味のある方はお早目にご応募ください。 またSF創作講座では聴講生も募集しておりますので、こちらもご検討くださいませ。
ゲンロン 大森望 SF創作講座は今年で4年目を迎えます。 今期はゲスト講師に藤井太洋、法月綸太郎、長谷敏司、円城塔、小川哲、高山羽根子、山田正紀、小浜徹也(登壇順・敬称略)を お招きいたします!
「過去3年間はうれしい驚きと発見の連続でしたが、第4期のゲンロンSF創作講座でも 新たな個性に出会えるのを楽しみにしています。」主任講師 大森望
ご応募心よりお待ちしております! https://school.genron.co.jp/sf/
★ひらめき☆マンガ教室第3期は6月開講予定! まもなく受講生募集開始!★
各社のマンガ賞の受賞、作品が数万RTされるなど活躍を見せた第2期! 超期待の第3期は、いよいよ6月開講です! ゲスト講師にあらたな大物マンガ家の登壇も続々決定しております! 続報は近日公開いたします!
★ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期最終講評会が今週末に開催!★
批評再生塾 第4期最終講評会がいよいよ4/12(金)に開催されます。 選考委員による最終選考会が行われ、批評再生塾 4代目総代が決定したします。
最終課題内容、および受講生の提出した課題はこちらのサイトからご覧いただけます。 https://school.genron.co.jp/works/critics/2018/subjects/19/
ゲンロン友の会クラス30, 50, 250 の方は、会場にてご観覧いただけます。 観覧料は無料となりますが、ワンドリンクのご注文をお願いいたします。 講評会のため、立見となる可能性がございますのでご了承ください。
放送はどなたでもご視聴いただける無料生放送となっております。ぜひご覧ください。
◆4/12(金)19:30- 【無料生放送】黒瀬陽平×さやわか×東浩紀×佐々木敦 「最終課題【本編】 ――最終講評会」 【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期 #19】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319462125
 * * * * *
それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆4/10(水)18:00- 【再放送】渋谷慶一郎×ドミニク・チェン×東浩紀 「アートとテクノロジーが出会う場所」 (2018/10/29収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319339050
◆4/11(木)13:00- 【再放送】海猫沢めろん×長谷敏司 「人工知能最前線!シンギュラリティ前夜に機械は幸福の夢を見るか ――『明日、機械がヒトになる』刊行記念イベント」 (2016/5/24収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319339146
◆4/11(木)18:00- 【再放送】三宅陽一郎×ドミニク・チェン×東浩紀 「人工知能のための哲学塾 at ゲンロンカフェ」 (2019/2/8収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319339531
◆4/12(金)13:00- 【再放送】佐々木敦×土居伸彰 「アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで」 (2017/1/31収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319359905
◆4/12(金)19:30- 【無料生放送】黒瀬陽平×さやわか×東浩紀×佐々木敦 「最終課題【本編】 ――最終講評会」 【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期 #19】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319462125
◆4/16(火)19:00- 【生放送】高橋沙奈美×本田晃子×上田洋子 「ツーリズムとナショナリズムからみる現代ロシア ――建築、教会、収容所」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319235718
◆4/17(水)19:00- 【生放送】長谷敏司×三宅陽一郎×大森望 「AI研究の現在とSFの想像力」 【大森望のSF喫茶 #28】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319235814
◆4/18(木)13:00- 【再放送】円堂都司昭×法月綸太郎 「ミステリ評論の可能性 ――メフィスト評論賞創設記念イベント」 (2019/1/24収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319370195
◆4/18(木)18:00- 【再放送】江尻浩二郎×黒瀬陽平×小松理虔 「被災地の記憶/アートと歴史」 (2019/1/23収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319370270
◆4/19(金)13:00- 【再放送】福冨渉×松下隆志×上田洋子 「タイとロシアの新しい文学 ――ポストモダン以後の言葉とアイデンティティ」 (2018/5/25収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319370402
◆4/19(金)18:00- 【再放送】新井素子×櫻木みわ×名倉編×大森望 「SF創作講座大躍進! ――新たな才能はいかにして生まれるのか?」 (2019/1/22収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319370528
◆4/20(土)19:00- 【生放送】石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv319379182
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆4/10(水)23:59まで 【再放送】北川フラム×津田大介 「アートはなにを救うのか ――『情の時代』と芸術祭の行方」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #14】 (2018/12/5収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319322633
◆4/11(木)23:59まで 【再放送】イアン・ウェレット=ジェイコブ×DJ SHARPNEL×DJ TECHNORCH 「ナードコア・ムーブメントとはなんだったのか」 (2019/1/16収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319322736
◆4/11(木)23:59まで 【再放送】ダースレイダー×吉田雅史+さやわか 「フリースタイル・人称・コミュニティ」 (2018/10/5収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319338273
◆4/12(金)23:59まで 【再放送】原武史×速水健朗×東浩紀 「鉄道の思想と観光の思想 ――『ゲンロン0 観光客の哲学』から考える、第3弾!」 (2017/8/10収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319338794
◆4/12(金)23:59まで 【生放送】原武史×東浩紀 「平成において皇后とはなんだったか」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318992163
◆4/13(土)23:59まで 【生放送】さやわか×吉田雅史 「ダンス/ポップミュージックのレシピ!」 【四天王シリーズ #10】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv318992379
◆4/16(火)23:59まで 【再放送】平松潤奈×本田晃子×上田洋子 「記念碑はユートピアを記憶できるのか ――共産主義建築、その過去・未来・ディストピア」 (2018/3/22収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv319338941
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】五十嵐太郎×海野聡 「建築にとって日本とはなにか ――海野聡『建物が語る日本の歴史』(吉川弘文館)刊行記念イベント」 https://vimeo.com/ondemand/genron20180803 (2018/8/3収録)
◆【vimeo】大澤聡×片山杜秀 「『平成』の終わりに考える日本思想 ――教養主義、右翼思想、社会批評」 【四天王シリーズ #4】 https://vimeo.com/ondemand/genron20180928 (2018/9/28収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://bit.ly/2sybMGS
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆4/16(火)19:00- 高橋沙奈美×本田晃子×上田洋子 「ツーリズムとナショナリズムからみる現代ロシア ――建築、教会、収容所」 https://peatix.com/event/620169
◆4/17(水)19:00- 長谷敏司×三宅陽一郎×大森望 「AI研究の現在とSFの想像力」 【大森望のSF喫茶 #28】 https://peatix.com/event/623028
★満員御礼!★ ◆4/20(土)19:00- 石田英敬×津田大介×東浩紀 「脳とメディアが広告と出会うとき ――『新記号論』刊行記念イベント第2弾」 https://peatix.com/event/630410
★New!★ ◆4/23(火)19:00- 冲方丁×深見真×吉上亮×大森望 「エンターテインメントの極大射程 ――吉上亮『泥の銃弾』刊行記念イベント」 【大森望のSF喫茶 #29】 https://peatix.com/event/631184
◆4/25(木)19:00- 高瀬康司×土居伸彰 『ユーリー・ノルシュテイン《外套》をつくる』公開&『アニメ制作者たちの方法』刊行記念 「アニメーションの「光」について ――21世紀のリアリティの行方」 https://peatix.com/event/618797
◆4/26(金)19:00- 小石祐介×松下隆志×渋谷慶一郎 「ファッションを通して見る現代ロシア文化 ――ポストソ連のナショナル・アイデンティティをめぐって」 https://peatix.com/event/619657
★New!★ ◆5/4(土)19:00- さやわか×大井昌和 「『名探偵コナンと平成』を語り尽くす! ――ニッポンのマンガ #4」 【四天王シリーズ #11】 https://peatix.com/event/631716
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
現在開催中の展示
◆4月6日(土)-4月21日(日)15:00〜20:00 ※月曜休廊 「ヴァーチャル・リアリティの居心地」 参加作家:木村翔馬、名もなき実昌
今後の展示予定 ◆4月27日(土)-5月12日(日)15:00〜20:00 ※月曜休廊 「新生空間」展(仮)
ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエでは、カオス*ラウンジの展示でもお馴染みとなった福岡県出身の気鋭の美術家、 名もなき実昌(なもなきさねまさ)さんと、CAF賞2017を受賞し、VRと絵画作品を組み合わせた新しい美術鑑賞体験を模索する 木村翔馬さんとの、2人展が開催中です! タブレット端末やVRソフトが一般的となった時代に作られる「絵画」、ぜひお見逃しなく。 また、参加作家と黒瀬陽平による対談配信も合わせてお楽しみください。 https://www.youtube.com/watch?v=5-bPPyl1Byo
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』重版出来! &電子書籍版も販売開始! 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」 物理書籍版: https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 電子書籍版: https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
★ウェブ批評誌『ゲンロンβ』配信日変更のお知らせ 毎月第3金曜日にお届けしている『ゲンロンβ』ですが、2019年4月から、配信日を第3木曜日に変更いたします。 これからも毎号充実の内容をお届けいたしますので、ご理解のほどをよろしくお願いいたします。 →最新号『ゲンロンβ35』はこちら! https://genron.co.jp/shop/products/detail/221
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中! 絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録! https://genron.co.jp/shop/products/detail/193 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★『ゲンロン9 第I期終刊号』絶賛販売中! 『ゲンロン』創刊から3年。第I期のあらゆる伏線を回収し、第II期の飛躍を準備する、第I期終刊号。 https://genron.co.jp/shop/products/detail/188 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/genron9issuu/36
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中! 第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン! https://genron.co.jp/shop/products/detail/178 →『新復興論』特設ページはこちら! https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞&朝日新聞社「平成の30冊」第4位!『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →『ゲンロン0』特設ページはこちら! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★友の会第9期への新規入会を受付中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/183
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆KAI-YOU Premiumに東浩紀インタビュー「なぜ今、批評なのか」が掲載されています! Vol.1「情報技術は、人間を進化させない」 https://premium.kai-you.net/article/16 Vol.2「ポップカルチャーから失われた感覚」 https://premium.kai-you.net/article/18
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、東浩紀「731部隊の施設で気づいた、『反省』が自己弁護に転じる危うさ」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019032700028.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
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※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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technocat1026 · 7 years
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 戸田城聖が二代目会長に就任する前、彼の肝いりで「聖教新聞」が開始しました。  そう、俺がさんざんネタにする「あおぞら家族」が載ってるアレです。  そして同時に「人間革命」の連載がスタートしました。  そう、友達の部屋で見つけたら微妙な気持ちになり付き合い方を考えたくなるあの本です。  戸田城聖が二代目創価学会会長就任の際、こうぶち上げました。  「75万世帯の折伏は断じて私の手でやり遂げる。もしも、それができなかったなら、私の遺骸(いがい)は品川沖に投げ捨てよ!」    折伏とは、ほかの宗教から創価に鞍替えさせることです。  要するに、75万世帯の信者を獲得できなかったら、遺骸を品川沖に投げ捨ててくれと。  品川沖にそんなの投げ捨てられたら迷惑です。海苔が食えなくなります。    で、カリスマ性は元々高かった戸田氏の号令で、キチガイ染みた勧誘がはじまります。そう、今でいう「折伏大行進」です。  この「折伏大行進」で信者を爆発的に増やす一方で批判もうなぎのぼりになります。  実際、今の統一教会より性質悪い勧誘でしたんで。  具体的にどんな折伏をしたかというと、こんな感じだ。 昔の学会はやくざより怖かった、というのは四宮正貴だったかが書いていたが、今の新聞勧誘の比ではない、凄まじい勢いでの折伏が日本中で行われていたのである。勝手に家に上がりこんで、神棚を壊しただの、他宗の仏壇を破壊しただのといった話が広まるほどなのだから、半端じゃない勧誘であったのだろう。  これって普通に犯罪だろって。  実際、その手の話は出まくってるからなあ。  政界進出と合わせて、爆発的な会員数の伸びにもカラクリがあった。これも同日の朝日新聞に掲載されている。特に目的を告げず伝言ゲームのようにして大学生を狩り集め、信濃町駅に集合させ、そこからタクシーに乗せて土建会社の寮へ。そこでいきなり創価学会の御本尊御下附願という紙に住所、氏名、生年月日を書かせ、そこからまた車で日蓮正宗の寺へと向かい、数珠、巻物、経本などを渡されて「南無妙法蓮華経」と三遍唱える。これが終わると車に再び乗せられて銀座のバーへ。そこで大学生らは土建会社の青年信者らの奢りで閉店までビール飲み放題。件の青年信者らいわく、本音ではこういう馬鹿げた勧誘は止めたいのだが、一般への勧誘も頭打ちで、無言の会員獲得の圧力もあってついやってしまうのだという。熱血型だった戸田城聖は新聞記者に身振り手振りを交えて熱弁する。「あやふやな信者がふえるより熱心な一人の信者の方が貴重だ。全く馬鹿な話だ」。  統一教会より酷い。こりゃキチガイ宗教だ。  どうみても犯罪者集団じゃん。  昭和32年6/26の朝日新聞朝刊には、創価学会と左翼との直接的な対決ともなった、九州や北海道での炭鉱労働者への学会の浸透についての記事が掲載されている。炭労の側では、組合員に学会信者が激増、組合自ら推薦する左翼候補ではなくて学会の候補にこれら組合員が投票してしまう事で、盛んに反学会のデマなどを飛ばしていた。筑豊労組の古河山田では組合員1000人の中で200人が学会員。麻生には100人、住友忠隈には60人の学会員がいた。ほかにも三井山野、三菱鯰田、日炭高松、明治赤池、日鉄二瀬などの大手鉱だけでなく、共同石炭の島廻、日吉、久恒などの小さい炭鉱にまで創価学会は勢力を広げており、炭労主婦会には1万人の信者がいるとされた。麻生炭鉱の主婦連の会長は学会員だったという。三井山野には学会婦人部が出来ていた。昭和32年4月に福岡市で行われた学会総会には観光バスを連ね、筑豊から2万5000人が参加した。北海道は地方警察によれば、道内に学会員は2万5000世帯で7万5000人。これは炭労組合員の数と五分だったが、北海道炭労の中に1万人の学会員がいたという。人生の豊饒を宿命転換に求め、左翼革命より人間革命、というこの労働者の末端に位置した炭鉱労働者たちの選択が、左翼陣営に打撃を与えたのは言うまでもない。他には警察にも警視庁に10数人、神奈川県警に 20人など警察には全国で200人の学会員がいた。日本共産党にも学会員はいたという。逆にアジア民族協幹部などは右翼活動のために組織を学ぶなどとして、学会員になっている。6/12には青森のキリスト教会を学会員5、6人で囲み、「邪教だ」と祭壇を壊し、聖書を踏むなどの動きもあった。学会員はこの頃、150万人であった。  ここで日本共産党とのバトルが出てくるのですが、この背景について説明します。  丁度その時期は、全共闘も盛んな時代で、共産党の勢力も強かったんですね。主に共産党が勢力として取り込むのは労働者階層が中心なんですが、それってモロに創価と勧誘対象がかぶってくるわけで。  で、労働組合に属してる人は共産の影響受けるのですが、創価が狙ってるのは、都市部の中小・零細企業の未組織労働者層です。  その層は、地方から出てきた長子じゃない層です。長男の場合、実家を守らなきゃならんので実家の宗教の信者となることが多いのですが、次男以下は実家という縛りがなくなるので、勧誘するにはもってこいでした。  また、組合に入ってない労働者層は共産党が助けてくれない(そのときは共産党も労組優先だった)わけで、そういう層が主に創価に入信したわけです。また、創価も共産党の持ってる「組合」という組織には魅力があったわけです。そこで組合に学会員をまぎれこませて学会を乗っ取るという方法にまでいくわけです。  共産党と創価の対立は、その後いろいろあり、今に至ります。    今の統一教会以上の勧誘やってるわけだから、信者増やすかわりに、バッシングも激しくなります。  そして、ほかの信者に対するありえねえ攻撃。これは今でも変わってない。  こんな記事がある。  http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-7.html  平成17年12月19日午後9時45分頃、東京都台東区在住の法華講員・山谷��成さんが帰宅したところ、マンションの階段でいきなり3名の創価学会員に取り囲まれた。  彼らは口々に、「佐藤(※山谷さんの先輩講員)のところに行ったが、いなかったので、お前のところに来た」「佐藤はどこにいる!」「学会員を折伏しに回るな!」「なめんなよ!」などと山谷さんを恫喝(どうかつ)。  「とりあえず荷物を置いてくるから」と自室に入ろうとする山谷さんに、畳みかけるように「もし出て来なければ、カギをこじ開けて家に入ってやる!」と脅(おど)した。  “言うとおりにしなければ、今後、何をされるかわからない”彼らの恫喝に“本気”を感じ取った山谷さんは、やむなく、荷物を置くとすぐに、彼らのところへ戻った。  すると学会員らは、そこがマンションの前であることもお構いなしに、再び山谷さんに大声で罵声(ばせい)を浴びせ始めたのである。  “ここでは近所の迷惑になる”そう判断した山谷さんは、「近くのファミリーレストランで話をしよう」と、彼らをレストランに誘導しようとした。  学会員らは当初、この提案に従うフリをして、山谷さんの後を付いてきたが、彼らが本性を現したのは、一行が一通りの少ない路地にさしかかったときだった。  三人は、「こっちでいいよ」などと言って、強引に山谷さんを一通りの少ない路地に引っ張り込み、山谷さんの両腕を掴(つか)んで拘束しようとした。  身の危険を感じた山谷さんは、その手をふりほどき、まだ明かりのついている商店街の方向へと逃げ出した。  が、学会員はそれをしつこく追いかけ、罵声を浴びせ、こづき回してくる。しかも、どこに待機していたのか、学会員の人数は、十人以上にもなっているではないか。  助けを呼ぼうとして携帯電話を取り出すと、それを奪おうとして何本もの手が伸びてくる-山谷さんはもはや、なす術(すべ)がなかった。  そのうち、「埋め立て地まで運べ!」「車に入れろ!」等と叫びながら、学会員らは、山谷さんの手足を掴んで担(かつ)ぎ上げ、車に運び込もうとした。  “車に押し込まれたら最後だ”山谷さんの恐怖は頂点に達し、無我夢中で暴れた。  山谷さんが必死で暴れるため、運ぶことができなくなった学会員は、今度は、抱えていた山谷さんを路上に叩きつけ、殴る・蹴(け)るの暴行を加えてきた。  山谷さんは、頭といわず腰といわずわき腹といわず蹴りつけられ、鉄柱に体を叩きつけられた。着ていたコートもスーツもボロボロにされて、顔面や頭からも出血が。  山谷さんは、学会員らの隙(すき)をついて必死に逃げ出し、近くにあった焼肉店に転がり込んで「110番してください!」と救いを求めたが、そこにいた人々は恐怖のあまり、すぐに動けなかった。  それも無理はない。なにしろ学会員らは、山谷さんを追いかけて店の中にまで入り込み、皆の目の前で、山谷さんを店から引きずり出したのだから。暴力団かと見まごうその行為を見せつけられれば、誰でも硬直してしまうだろう。  とはいえ、これだけの大騒ぎであるから、当然、通行人がたくさん集まってくる。さすがにまずいと思ったのか、学会員らは、山谷さんを残し、慌(あわ)ててその場を逃げ去っていったのであった。  生命の危機から開放され、すっかり放心状態となった山谷さんが、その場にへたり込んでいるところへ、110番通報によって警察官が駆けつけた。  その後、警察署での、5時間以上にも及ぶ事情聴取にも、気丈に応じた山谷さんだったが、帰宅してからも、頭や体中の痛みが引かないため、近くの病院で受診。  その結果、頭部裂傷・胸部挫傷・腰椎捻挫(ようついねんざ)等により全治3週間、と診断されたのであった。   (中略)  山谷さんに対する誘拐未遂(ゆうかいみすい)・集団暴行事件が発生する5日前の、昨年12月14日の日中、佐藤氏の職場に「ヤマモト」と名乗る学会員から電話があり、山谷さんに対する中傷をさんざん浴びせてきた。  さ��に、12月18日の深夜1時��、佐藤氏の家のチャイムが激しく鳴らされ、ドアが乱打されると共に、「出てこい!」との怒号が、マンションのフロア中に響き渡った。  佐藤氏が「何事か」とドアを開けると、そこには学会員が5~6人、仁王立ちになっていた。その男たちは、なんと一斉に、佐藤氏宅に押し入ろうとする。  辛(かろ)うじてこれを防ぎ、ドアを閉めた佐藤氏が、「深夜でもあり、近所迷惑だ」と退去を求めても、外の騒ぎはいっこうに収まらない。  それどころか、応援を呼んだらしく人数が増え、騒ぎはますます大きくなる始末。15分以上も続く激しい喧騒に、佐藤氏はやむなく110番通報したのである。  ところが、佐藤氏が驚いたのは、警察が駆けつけた後の学会員たちの態度。非常識な行動をたしなめる警察官に、「人を訪ねてはいけないのか!」「もう少し早い時間ならいいんだな!」と、逆に食ってかかる始末だったのである。  こうした状況に、佐藤氏が「このままでは済まないな」と 感じたその翌日、山谷さんに対する集団暴行事件が発生したのであった。  すなわち、山谷さん襲撃事件は偶発的なものではなく、起こるべくして起きた、組織ぐるみの、用意周到なものだったのである。  ・・・オウムよりひでえ。てかオウムと同じぐらい害悪だ。  一瞬、北朝鮮もテポドン落とすなら信濃町の創価の本部にに局地的に落とすんならかまわないと思っちまった。  キチガイ宗教そのまんまじゃん。  で、昔はもっと酷かったというからなあ・・・。  確かに世間のバッシングに遭うわ。  そうこうしていくうちに信者が増えていきます。  戸田城聖にカリスマ性があったってのもありますが。  島田裕巳著「創価学会」で戸田についての説明があったので引用する。  一番驚かされるのは、戸田が明らかに酒を飲みながら講演を行っている点である。街の酔っ払いがくだを巻いて滔々と自説を披露することがあるが、戸田のはまさにそれだった。(中略)しかも、ある講演のなかで、その時点で刊行間近だった彼の『人間革命』についてふれ、一所懸命書いたのでベストセラーにしてくれと会員たちに訴えるとともに、前半の部分はまったくのでたらめだとさえ言い放っている。すでに指摘したように、「人間革命」は、誰かの代作によるものと思われるが、…  ちなみにその講演のレコードはたまにヤフオクで見かけます。てか、酒飲んでクダ巻いててもありがたがられるとは・・・  で、しゃべりは田中角栄を思わせるざっくばらんな喋りだといいますし。  また、島田氏は、志茂田景樹の『折伏鬼』(文春文庫)という小説から以下部分を引用している。  ちなみに志茂田氏は元創価学会員である。  主人公で著者の分身である「私」は、中学一年生だった1953年、東京の中野で、見ず知らずの中年女性から中野公会堂の講演会に誘われる。ついていくと、高い声で興奮してしゃべる女性の後に、多田皓聖(こうせい)が登場した。この多田のモデルが戸田である。  多田は聴衆にむかって、 「このなかで、あした食べるパンもないというのはいるか、ええっ」と問いかけた。しかし、誰も手を上げない。そこで多田が「こうして、ここから見てたって、気息えんえんて感じのがうようよいる。遠慮しねえで、ほれ、手をあげてみなったら」 と呼びかけると、あちこちで手が上がった。  その光景を見て満足そうだった多田は、 「手をあげた諸君に約束しよう、この多田皓聖が一カ月後に諸君をみな生活苦から解放してあげる。ポケットにはいつも千円札がいっぱいあって、後楽園にいけて、飲み屋のハシゴができて、アルサロにもいけて女給にチップをはずむことができる境涯にしてあげよう。この多田が確約する」 と言い放ったのである。  生活苦からの解放を請け合う代わりに、一日一人を折伏し、一日三時間題目をあげることを聴衆に約束させた。そして、折伏に行くにも金がないのを見越して、 「あす食べる米もない諸君は、折伏にいく電車賃も当然おしかろう。金は折伏する相手に借りるんだ。必死に折伏すれば、相手は信心しなくても金は貸すよ」 と言って、彼らを笑わせた。そして多田は、次のように庶民の夢を語った。 「なにしろ折伏しようや、なあ。われわれがまた四畳半のところに生まれてきて、きたない着物を着て、一生貧乏で暮らしたりするのはいやだもの。生まれおちると、女中さんが三十人もくっついて、ばあやが五人もいて、年ごろになれば、優秀な大学の卒業生として、お嫁さんはむこうから飛びついてきて、良い子どもを生んで、立派な暮らしをする。そういうところへ、つぎには生まれてこようよ、なあ諸君」  まあ、確かにDQNが好きそうな言い回しだわな。 「手をあげた諸君に約束しよう、この多田皓聖が一カ月後に諸君をみな生活苦から解放してあげる。ポケットにはいつも千円札がいっぱいあって、後楽園にいけて、飲み屋のハシゴができて、アルサロにもいけて女給にチップをはずむことができる境涯にしてあげよう。この多田が確約する」  ここら辺が結構俗な感じ。てか、お米ペンダントの金風呂3Pの煽りを思い出す。 「あす食べる米もない諸君は、折伏にいく電車賃も当然おしかろう。金は折伏する相手に借りるんだ。必死に折伏すれば、相手は信心しなくても金は貸すよ」  ・・・ひょっとしてこれはギャグで(ry  折伏だけでもかなりうぜえのになんで金恵まなきゃならねえんだよって。  長いので続きます。
http://blog.livedoor.jp/minority1-nc15/archives/11240692.html
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ozawajun · 4 years
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仕事場で死にたかった・・
水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~川野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。 突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月10日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 に掲載の川野将一さん ラジオブロス「Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)」を無料公開させていただきます。  本原稿は、川野さんが永六輔氏の番組終了に伴って執筆し、死去の報道の前日に配信したものです。  是非、一人でも多くの人に読んでいただければと思っています。  (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん) 以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89  (2016年7月10日発行)より一部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』 -----------------------------------------------------------◇ Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ) ( 2015年9月28日〜2016年6月27日 毎週月曜 18:00〜19:30 放送 )
【訃報】「永六輔、ラジオ生放送中に大往生」     昨日午後7時20分過ぎ、TBSラジオ『六輔七転八倒九十��』の生放送中に     パーソナリティの永六輔氏(本名・永孝雄)が東京都港区赤坂のTBSのスタジオで     亡くなった。先週までの1か月間は体調を崩し番組を休んでいたが、昨日は病院の     診察を受けてから娘の永麻理さんとともに参加した。しかし、番組後半のコーナー     「六輔交遊録 ご隠居長屋」で永氏の反応が全くないことに出演者のはぶ三太郎が気付き、  一同が呼びかけ救急医も駆け付けたがそのまま息を引き取った。永氏の最後の言葉は、     外山惠理アナウンサーに対して言い間違えた「長峰さん」だった。享年83。 
本人が望んでいた最期とは、例えばこんな感じだったのだろうか。 1994年出版、200万部を売り上げたベストセラー『大往生』の最後に自分への弔辞を書き、 1969年放送の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)では旅先のニューギニアから 帰国できなくなったアクシデントを逆手に、"永六輔、ニューギニアで人喰い人種に喰われる!" という番組を放送し、各メディアが巻き込まれた騒動の大きさから警察にも怒られた。
これまで度々、自らの「死」をネタにしてきた偉大なるラジオの巨人ではあるが、 冷静に考えれば生放送中に亡くなることは、机の下のキックやマイクで殴ることよりも悪質である。 しかし、冠番組を失った今、その有り難いいやがらせを受けるチャンスもなくなった。
1967年から2013年まで、平日の10分間、46年間続いた『永六輔の誰かとどこかで』。 1970年から1975年まで、毎週土曜日6時間半放送された『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』。 1991年から2015年まで、24年半続いた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 さらに1969年から1971年の間の土曜深夜は『パック・イン・ミュージック』も担当し、 1964年から2008年放送の『全国こども電話相談室』では回答者としても活躍。 子供に向け、若者に向け、高齢者に向け、ある時期のTBSラジオとは「永六輔」のことだった。 重要なポイントは生放送の番組はすべて週末に固めていたことである。
「放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。  電波の飛んでゆく先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだ」
ラジオパーソナリティの仕事を始めた時、恩師の民俗学者・宮本常一に言われたことをずっと守り、 平日は全国各地へ。1年のうち200日は旅の空。久しぶりに家に帰ると「いらっしゃいませ」と 迎えられるのが常だった。1970年から始まって今も続く、永とは公私ともに長い付き合いである 『話の特集』元編集長の矢崎泰久が初代プロデューサーを務め、自身がテーマソングを作詞した 紀行テレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)もそのスピリッツを受け継いだものだった。 いつも、自分で足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことが、その口から伝えられてきた。
だからこそ、かつてのように自らの足で自由に出かけられなくなったとき、 自らの口からはっきりとした言葉で伝えられなくなったとき、激しく悔やんだ。 2010年、パーキンソン病が確認された永は「ラジオを辞める」ことを考えた。 だが、ラジオ界の盟友である小沢昭一に相談すると、激しく鼓舞された。
小沢「やめんな!絶対やめんな!しゃべらなくていい!ラジオのスタジオにいればいいんだ!」
病とともに生きる永が自分を奮い立たせる意味も込めて度々披露するエピソード。 改めて、放送とはその場の"空気"を伝えること=「ON AIR」であることを再確認した。
2015年9月26日、 永はリハビリと闘いながら、放送局は聴き取りにくいという一部リスナーの批判とも闘いながら 24年半続けてきた番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が最終回を迎えた。 永の口から語られたのは、出かけた旅先と思い出と、出かけられなかった悔しさだった。
永「東北の地震で未だふるさとに帰れない人が多い。   デモには僕の仲間もいっぱい歩いてるんで気にはなっていた。   だけど、車椅子でああいうところに行くとものすごく迷惑になる。皆が気を使ってしまう」
1960年、日米安保条約に対して、永は大江健三郎や谷川俊太郎など、 同世代の作家や芸術家たちと「若い日本の会」を結成し反対運動をおこしていた。 当時、国会議事堂近くにアパートを借り部屋でテレビの台本を書いていた永は、 「部屋にこもって仕事をしている場合か」と国会前に駆け付け仲間達のデモに合流した。 台本がなかなか届かず待っていたテレビ局の担当者は、さては?と国会前に探しに来た。 見つかった永は「安保と番組、どっちが大事なんだ!」と問われ「安保です」と即答し、 構成を担当していた日本テレビの番組『光子の窓』(日テレ系)をクビになった。  
2016年4月〜6月に放送された、黒柳徹子の自伝エッセーを原作としたNHK総合ドラマ 『トットてれび』。そのなかで角刈り姿の若き永六輔を演じたのが新井浩文だった。 1961年〜1966年に放送されたNHK初期のバラエティの代表作『夢であいましょう』を再現した シーンにおいて、錦戸亮演じる坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うや、永は怒号を飛ばした。
「なんだその歌い方は!ふざけてるのか君は!  ♪フヘフォムウイテ アルコフホウ〜、そんな歌詞書いた覚えないよ!」
永六輔が作詞し、中村八大が作曲し、坂本九が歌う。 「六八九トリオ」によって誕生し、同番組では「SUKIYAKI」のタイトルで広まったとおり、 すき焼きを食べながら進行する特集も組まれた、世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」。 だが、そのロカビリー少年の歌い方は、千鳥風にいうと"クセがすごい"もので、 当時、作詞した永が頭に来ていたのも事実だった。
永「僕ね、自慢じゃないけど、テレビのレギュラーで番組が終了になるまで続いたのは、   『夢で逢いましょう』くらいなんです。それ以外はだいたいケンカして辞めている」
『創』2009年5月号の矢崎泰久との「ぢぢ放談」で披露された永の"自慢話"。 1956年、コント・シナリオの制作集団「冗談工房」の同じメンバーで、 2015年12月9日に亡くなるまで、永のラジオ番組に手紙を送り続けた野坂昭如。 パーティーでの大島渚との大立ち回り動画でもよく知られるそのケンカっぱやさは、 実は永六輔も持ち合わせ、2013年6月の『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)での 水道橋博士にも受け継がれている、生放送での途中降板も常習となっていた。
1968年、木島則夫の後を引き継ぎ『モーニングショー』(テレ朝系)の司会に抜擢された 永は「僕は旅するのが好きだから」と急遽司会を断り全国を駆け巡るレポーターに変更。 番組第1回は北海道の中継先からオープニグの第一声を任されていたが、アクシデントで番組は スタジオから開始。ずっと雪の中で待っていた永はそのままマイクを放り投げて帰ってしまった。
1994年放送の『こんにちは2時』(テレ朝系)。 自身の著書『大往生』の宣伝はしないと取り決め出演オファーを受けたものの、 当日の新聞番組欄には「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。 文句を言ったところ、冒頭で新聞に掲載されていた内容と異なることを説明するとして 出演したが、結局断りがないまま進行し「皆さんでやってください」と退場した。
「今行けば自分が先頭に立てる」と思い夢を持って始めた開局当時からのテレビの仕事。 構成作家として台本を書き、出演者としてしゃべりまくり、小説家の"シバレン"こと 柴田錬三郎から「テレビの寄生虫」と呼ばれながらも「何が悪い」と続けていたが、 我がままに嫌われるような行為を連発し、自ら発展の基礎を作ったテレビ界を撤退した。 以降、たまに出る度「テレビに出られて良かったですね」と言われることをネタにしている。
度々本人の口から語られるテレビ界の問題として「関わる人が多すぎる」ことがある。 責任の所在がはっきりせず、企画の趣旨がねじまがり、連絡ミスなども誘発しやすい。 裏方と出役の両方を体験する永の意見は現在においても的確で、優れているとされる 人気番組は、内容はもちろんだが、その目に見えない部分の環境の良さを聞くことも多い。
パーキンソン病の先輩、マイケル・J・フォックスが主演する、 1989年公開映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。 そこで描かれた未来の舞台、2015年10月、 日本では永遠に続くと思われたラジオの未来が書き換えられた。
土曜日午前の4時間半の番組から、月曜日夕方1時間半の番組へ。 四半世紀続いた長寿番組の重荷を降ろし、2015年9月28日から新番組がスタートした。 47歳の永がタモリとともに『ばらえてぃ テレビファソラシド』(NHK総合)に出演していた頃、 1981年9月11日、東京・渋谷ジャンジャンで行われたときのイベント名は、 『六輔七転八倒九時間しゃべりっぱなし』だったが、ラジオ新番組のタイトルは 『六輔七転八倒九十分』。それでももちろん"しゃべりっぱなし"というわけにはいかない。
「パーキンソン病のキーパーソン」。 永は自身の病気の回復力について語る時、いつもそのように笑いを交えて伝えている。 それが議論の的になっているのは新番組が始まってからも変わらなかった。 『誰かとどこかで』で「七円の唄」というリスナー投稿コーナーが設けられていたように、 ハガキ1通7円の時代から始まった永六輔のラジオ番組の歴史。 今は52円となったハガキで、時にパーソナリティへの抗議が寄せられるのが切ない。
「病気の話を笑いながらしないで」「病気を楽しそうに話さないで下さい」...。 番組はいろんな病気を抱えている人が聴いている。だが、それを納得しながらも、 「楽しくしちゃったほうがいい、どうせ話をするなら」という姿勢を永は貫いている。 事実、永六輔には「すべらない"病気の"話」が多すぎる。その特選2話。
第1話「ジャカルタの留学生」。 リハビリの勉強のため日本に来ていたインドネシア・ジャカルタの留学生。 永の担当に付いた彼は「姿勢を良くして下を見ないで歩きましょう」と歩き方を指導し、 「日本にはいい歌があります。『上を向いて歩こう』って知っていますか?」と聞いた。 永が嘘をついて「知らない」と返すと、歌うジャカルタの留学生に付いて病院内を歩くことになり、 全ての医者や患者から注目を浴びることに。日本の先生に事態を説明すると、 「真面目に勉強をしに来ている若者に嘘を付かないでください」と注意され、 留学生に実は歌を知っていたことを打ち明け、「知っているのは僕は作ったからです」と言うと、 ジャカルタの留学生は、「あー、また嘘ついてる!」。
第2話「タクシーの事故」。 ある日、永が新宿からタクシーに乗ると別にタクシーに衝突される事故を起こす。 左肩打撲など全治三週間の大怪我を負いながらも、事故直後の警察からの質問に、 名前も住所もサラリと答える永六輔。救急車に乗っても救急隊員の真似をして「出発!」と言い、 慶応病院に受け入れを断られると、「こないだ、大学野球で早稲田が慶応に勝っちゃったから?」 とおどけまくる。そこで冷静になって気づいたのが、自分がパーキンソン病の患者であること。 それまでろれつが回らなくて困っていたのに、事故を受けてから流暢にしゃべっている自分。 そこから子供のころ、調子が悪いとき刺激を与え感度を良くしようとして、 それをひっぱたいていたことを思い出した。「俺はラジオかよ!」。
『六輔七転八倒九十分』になって放送時間は短くなったが "放送時刻"が夕方になったことにより「声が出やすい」という吉を招いた。 だが、本人の"調子の良さ"と"呂律の良さ"が比例しないのがパーキンソン病の やっかいなところで、本人がうまく話せていると思っていてもそうではない時がある。
永「僕は今、携帯を左手に持ちました」  「はい、今、下から上へ、フタを開けました。で?」
家族の安心、自身の安全のために無理矢理持たされた携帯電話。 2012年、『誰かとどこかで』で話題となった、遠藤泰子が特別講師を務めた、 79歳で挑戦する「世界一やさしい携帯電話の掛け方講座」シリーズ。 手紙を愛する永の文明・文化の進化に対する嫌悪はよく知られているが、 テクノロジーの発展のなかには、リスナーのために改善されたラジオの技術もある。
「永さん、声は技術でなんとかしますから大丈夫です」。 パーキンソン病を公表してからインタビューを受けた「東京人」2011年3月号で、 永六輔の「声」をオンエアしていくために検討されたスタッフとのやりとりを明かしている。 スタッフから知らされたその技術は、その場で発せられた声を5つに分割し、 その中で一番聴こえやすい音域だけを活かして、その他の聴こえづらい音域は消す。 アナログのレコードがデジタルのCDに変わるようなその提案を、永は丁重に断った。
永「その声は僕らしくない」  「だったら何言��てるかわかんなくていい」
何の言葉を言っているかではなく、その言葉をどのように伝えているのか。 ここに"活字"とは異なる、"音声"の「言葉」に対する永のこだわりがよくみえる。 それを象徴するような一曲がある。
「逢いたい」 作詞・永六輔、作曲・樋口雄右、編曲・久米由基
   逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい    逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 
   逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい    逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
   逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい 逢いたい     逢いたい 逢いたい            ・・・      
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で人気を博したコーナー 「あの人に逢いたい」で流されていた、ただ「逢いたい」という言葉が72回繰り返される曲。 同じ言葉がイントネーションによって変わり様々な物語を想像させるこの曲を、 言葉がひとつしか出てこないことを理由に、音楽著作権協会は「作詞」とは認めなかった。 2001年出版『永六輔の芸人と遊ぶ』のなかで永六輔は誓っている。 「話し言葉だから伝わるニュアンスが無視される危険性があります。  僕はそれを阻止するためにも、この『逢いたい』の著作権を認めさせてみようと思っています」。
永「ラジオは嘘を付けない」
永から直に聞いた、しゃべりで真実が見抜かれてしまうラジオの恐さを 常に肝にめいじマイクに向かっている芸人に、カンニング竹山がいる。 鈴木おさむが構成&演出を務める竹山の定期単独ライブ『放送禁止』。 その2013年版は「お金とは?」をテーマに、1年間365日、毎日違う1人に 「あなたの幸せと思う事に使ってください」と1万円を渡し続ける記録の講演だった。 その中で「1万円渡す時に最も緊張した人」の第1位に挙げていたのが永六輔だった。
1万円を渡すチャンスは『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 竹山がゲスト出演した時のCMタイム中の2分間に限られていた。 外山惠理は竹山とは当時放送されていた『ニュース探究ラジオ DIG』で コンビを組んでいるため、最悪フォローには回ってくれる。 だが、スタッフの懸念は、企画の趣旨を永が2分間で理解してくれるかにあった。 しかし、永六輔の反応はそこにいる全員の予想を裏切った。
永「あのねー、それ、おんなじこと、僕やってたよ。昭和30年代終わりか40年代かな。   1年お金配り続けたら面白いねーって言って、1000円配り続けた」
芸人の先輩として竹山の予想を出し抜き、 放送作家の先輩として鈴木おさむを陵駕する反応。 負けず嫌いなところを含めて、永六輔は現役感を剥きだしにして1万円を受け取った。 筆者が観覧した回、当の永六輔が東京・博品館劇場の観覧席にいた。 外山惠理の手を借りそろろそろりと退場していく様子を、観客一同が拝むように見送っていた。
   2016年1月31日『ピーコ シャンソン&トーク 我が心の歌』                 ゲスト:永六輔(体調がよろしければご出演)    2016年4月17日『松島トモ子コンサート』                 ゲスト:永六輔(当日の体調が良ければ出演予定)
いつの頃からか、演芸ライブの会場には、 永六輔の断り書き付きのゲスト出演を知らせるポスターやチラシが目立つようになった。 残念ながらピーコのライブへの永の出演は叶わなかったが、ピーコ自身は、 『土曜ワイド』から引き続き『六輔七転八倒九十分』にもヘビーローテーションで出演。 昨今メディアでよく見る白髪の永によく似合う赤やピンクの服はピーコのチョイスである。 そんな身だしなみも含め、2001年に"妻の大往生"を迎えて以降、永は自分が現場に足を運んで 才能を見出してきた全ての人々から、大きな励ましと恩返しを受けている。
永「髙田(文夫)さんは出来ないの?」
2015年11月9日、松村邦洋がゲスト出演した回、 リスナーからのものまねのリクエストに矢継ぎ早に応えていくなか、 永が唯一自分からリクエストをしたのが、しゃべる放送作家の後輩「髙田文夫」だった。
1947年10月スタートの連合国軍占領下の番組、 音楽バラエティ『日曜娯楽版』(NHKラジオ)にコント台本を投稿した、 中学3年生の永は、高校生から構成作家として制作スタッフとなり、 早稲田大学の学生となってからその中心的メンバーに。三木鶏郎にスカウトされ、 「トリローグループ」の一員となり放送作家、司会者として活動を活発化させていった。
1969年から1971年、『パック・イン・ミュージック』の土曜日を担当し、 時に2時間半かけて憲法全文を朗読するなど"攻め"の放送を行っていた永のもとに、 ネタを送り続け採用を重ねていたのが、日本大学芸術学部で落研所属の髙田文夫だった。 ある時意を決し、長文の手紙に「弟子にしてください」と書いて、永に送った髙田。 永からの返事は「私は弟子無し師匠無しでここまで来ました。友達ならなりましょう」。
その20年後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家を経て、 『ラジオビバリー昼ズ』などで活躍をしている髙田に、永は再び手紙を送る。 「今からでも遅くはありません。弟子になってください」。
そんなパーキンソンの持病と心肺停止の過去を持つ、幻の師匠と弟子は、 2014年1月と9月に『永六輔、髙田文夫 幻の師弟ふたり会 横を向いて歩こう』を開催。 TBSラジオとニッポン放送、両局のリスナーが押し寄せた、 東京・北沢タウンホールの最前列で観たそのトークイベントが、 今のところ筆者が肉眼で観て聴いた、永六輔の最後の記憶である。
それ以前にステージで観たのは、2014年3月21日、東京・赤坂BLITZで開催された、 「我が青春のパック・イン・ミュージック」への特別出演だった。 「当時はまだ"深夜"に"放送"が無いのが当たり前だったから、 "深夜放送"という言葉も日本語として存在しなかった」という発言は、 車椅子に座って語られるからこその歴史の重さと有難みを感じた。
白髪と頭皮が目立つ観客席で40代の筆者が若造になる、 『パック・イン・ミュージック』の歴代パーソナリティが集う同窓会イベント。 晴れやかなステージを見上げながら、観客はそこには立てなかった、他界したDJの顔も 思い浮かべていただろう。野沢那智、河島英五、福田一郎、愛川欽也、そして林美雄...。
1970年〜1974年に放送された『林美雄のパック・イン・ミュージック』。 柳澤健の近著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』にも 記されている通り、若者たちのカルチャー、アンダーグラウンド文化の担い手となった、 木曜日深夜3時からのその枠は、本来、同期入社のTBSアナウンサー・久米宏に任されていた。 だが、結核により久米は1か月で降板。病気を治して暇を持て余しているところを、 『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』のレポーターに抜擢され人気を獲得した。
"ゲラゲラポー"から"ケンポー"まで。 永の想いを受け継いだ「憲法ダンス」を考案したラッキィ池田の 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でのレポートの模範には、 マイクが集音する響きの良い革靴の音を研究し、ヌード撮影現場などの 過激な現場も土曜午後用の生の言葉で伝えてきた、久米宏の高い中継スキルがある。
以降、久米宏は、永が一線を画したテレビを主戦場にしたことが大変重要で、 2年半前、この連載の第1回で『久米宏 ラジオなんですけど』を取り上げたのは、 テレビから還った"ブーメラン・パーソナリティ"としてのラジオでの存在価値からだった。 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』の直後に始まる番組として、 東日本大震災時、リスナー1人ずつとリレーしながら「見上げてごらん夜の星を」を歌うなど、 毎週リレートークを行う永を敬いながらも刺激を与えてきた。
『六輔七転八倒九十分』でも体調不良から休むことが多くなった永六輔。 たまにスタジオに来たときにサプライズ扱いされることは逆に心苦しかっただろう。 日頃は永が来ないことに不満なリスナーも、久々の精一杯の声を聴いたら聴いたで、 「本当に大丈夫なんですか?」「どうぞ家でゆっくり休んでいてください」と心配にまわる。 その日のニュースや天候よりも、永の体調を確認することが生放送の趣旨になってしまっていた。
永も番組でその名前を挙げたことのある、同じパーキンソン病のモハメド・アリ。 その訃報が伝えられた1週間後、番組のXデーも永の所属事務所からの手紙により伝えられた。
「永六輔は昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、またその痛みは寝起きする時や  車椅子の乗り降りの際、つまり体を動かす時に特に強く現れていました。(中略)  永六輔本人はリスナーの皆様にまた声をお届けしたいと思っており、日々努力しておりますが、  パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどが  ついておりません。ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくらせて  いただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です」
返事を書かないのに「お便り待っています」とお願いするのはありえないと、 番組にお便りをくれたリスナーの一人一人に返事を書いていた永六輔。 そんな真摯な気持ちを持つパーソナリティだけに、自分が不在の冠番組の存在は 体の痛みを超えるほど、どれだけ心を痛めるものであっただろうか。
2016年6月27日放送、最終回のスタジオにも永六輔の姿はなかった。 長峰由紀は永から「書けない漢字、読めない漢字を使うな」と叱咤された思い出を話し、 永とは長い付き合いの精神科医で元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむは、 「くやしかったらもう一度出て来いよ!」と戦争を知らない世代の代表として激励した。 そして番組後半、最後の最後にテレビの収録を終えた黒柳徹子が駆け付けた。
2005年9月、『徹子の部屋』(テレ朝系)の収録にペ・ヨンジュンが来たとき、 ゲスト控え室の「ペ・ヨンジュン様 ○○個室」と書いてあるボードを見た徹子は、 「ここのスタジオにいることが分かったら大変!」と名前を「永六輔様」に書き換えた。
対して、永は『誰かとどこかで』の鉄板ネタとして黒柳のエピソードを持っている。 その昔、静岡に行った時、黒柳は駅から見えた綺麗な山を見て地元の人に 「ねえ、あの山、なんて言うんですの? ねえ!ねえ!」と聞いた。聞かれた女性は 本当に可哀想な人を見るような目付きでぼそっと答えたという。「・・・富士山です」。
通算40回。テレビを卒業した永も『徹子の部屋』だけは出続けている。 テレビ・ラジオの創世記から活躍する、そんな関係性の二人だからこそ、 ただ1人だけに向けられたエールを、リスナーも温かく見守ってくれる。
黒柳「永さーん、起きてるー! ラジオって言ったら、永さんしかいないのよー!!」
翌週、2016年7月4日から同枠で新番組が始まった。 『いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口』。 メインパーソナリティは先週まで永のパートナーとしてしゃべっていた、 毒蝮三太夫の弟子である、株式会社まむしプロ社長の、はぶ三太郎。 その相手役を長峰由紀と外山惠理が交代で出演する、信頼の顔ぶれである。
テーマ曲には永が作詞した「いい湯だな」が使用され、 「六輔語録」というコーナーがTBSに残された永の様々な時代の音源を流す。 もちろん、これが引き継いだ番組としての正しい在り方なのだろう。 だが僕は、思い切って「永六輔」を一旦完全に失くすことも望んでいた。 それが、後ろ盾をなくした自分で切り開くしかない新パーソナリティへの励みにもなり、 自分の声も名前も失われたラジオの存在こそが、永六輔の新しい始まりに繋がるからだ。
かつて『全国こども電話相談室』で小学2年生の女の子に、 「天国に行ったらどうなるんですか?」と聞かれ、永は答えた。 「天国っていいとこらしいよ。だって、行った人が帰ってこないもの」。 確かに晩年までマイクの前に座っていたラジオ界の神様たち、 小沢昭一も、秋山ちえ子も、かわいそうなぞうも天国から帰ってくる気配は来ない。 だからこそ、大往生を遂げる前に、永六輔にはやるべきことがある。
物心がついた子供の頃からラジオで様々な演芸に触れ、 中学時代に投稿し���高校時代から70年間ラジオ制作に関わってきた人���は、 初めてラジオから離れた人生を過ごす今、何を想い、何を感じ、何を考えるのか。 もう一度スタジオに来て、ブースに入り、マイクの前に座り、 それをスピーカーの向こうの、リスナー1人1人に伝える必要がある。
それまでゆっくり待たせてもらおう。 ただ情けないことに、リスナーの僕たちは それが叶っても叶わなくても、目からこぼれてしまうのだろう。 例え、上を向いて歩いても、きっと涙がこぼれてしまうのだろう。
『水道橋博士のメルマ旬報』
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shibaracu · 4 years
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★群雄割拠の戦国時代
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★群雄割拠の戦国時代 いろんな趣向で説明ページは賑やか。 味方の裏切り 身内の猜疑心 などで他人を信用出来ない時代であった。 一騎当千のものがアッチコッチに出現した。 最近はおかしいと言われている豊臣秀吉。 歴史書では 水飲み百姓から掛け登っていったと言われている。 ソレも伝説に過ぎなくて後で書き直されているのだと思う。 家来として蜂須賀小六が付いたのはおかしいのではと言われている。 彼は当時一介の武将なのに猿と言われていた秀吉に付くのは腑に落ちないと言う感じ。 秀吉は元々 勧進元の家柄で全国の総元締めだったと誠しやかに囁かれる。 出自はハッキリとしないけれどもトンデモ話で 忍者 盗賊 芸人 その他の仕事に勧進は関わる。 その元締でないと蜂須賀小六は手懐け(てなずけ)られない。 ネットでは探してもこの事に関しては出ていない。 歴史の裏は何も出てこないから解からないけれど事実なら面白い。 伊達政宗や柳生十兵衛などは 片目でなくて見えていたのではとも囁かれている。   楽しい話は沢山有る。 どの本で読んだかはっきりしないので正しいとは言えない。 昔は何万冊と手元に置いていたから何で読んだかなんて覚えているわけはない。 もう手元にもないし。   こんな事が繋がるとモット話が広げられるけど。     ●蜂須賀小六(蜂須賀正勝) 豊臣秀吉の腹心 -1100記事 https://senjp.com/hachi-2/ 2020/01/19 蜂須賀小六(蜂須賀正勝)は、1526年、蜂須賀城主・蜂須賀正利(200貫)の長男として誕生した。続柄は不明とする説もある。 母は宮後城主・安井重幸(安井弥兵衛、安井弥兵衛尉重幸)の娘・安井御前。 豊臣秀吉の父・木下弥右衛門は、この蜂須賀正利に使えていたとされ、その縁で豊臣秀吉は少年時代に、蜂須賀正利の子である蜂須賀小六とも面識があった。   ●蜂須賀小六正勝 野武士の荒くれ首領と思ったら意外に心配性の頭脳派でした https://歴史ゆっくり紀行.com/yusho/hatisuka-koroku/ 2018/06/08 三河の国の矢作橋(やはぎばし) 蜂須賀小六と言えば、三河の国岡崎は矢作橋での日吉丸(後の豊臣秀吉です)との出会いが有名です。 「橋の上で眠りこけている日吉丸の頭を、通りかかった野武士の頭の小六が一蹴り。 起き上がった日吉丸、恐れ気も無く小六を睨みつけ、「人の頭を蹴りて挨拶も無しとは無礼なり。詫びていけ」。 小六はこの小僧面白い奴とその場で手下に引き入れ、「初手柄を見せよ」とけしかけます。日吉丸はすぐさま、橋の東に店を構えた味噌屋の松の木によじ登り、内から門を開いて小六の一味を引き入れ・・・」   ●蜂須賀 正勝(はちすか まさかつ)http://bit.ly/zF0DZJ 戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の重臣。 通称は小六(ころく)もしくは小六郎(ころくろう)で、特に前者は広く今に知られているが、のち、彦右衛門(ひこえもん)に改名している。 官位は従四位下修理大夫。   ●蜂須賀小六  http://bit.ly/zghfwX 天文年間の後半、蜂須賀小六は母が安井の娘であったので、  故あって母の在所に住むことになり、木曽川の川並を支配した。 尾張国地名考に宮後村は「この村に蜂須賀小六の屋敷跡あり」 と記し、昭和43年頃までは「小六屋敷」といわれ、外堀、古井戸 も残っていたが、都市化の波に抗しきれず、跡もない。    ●勧進元とは - はてなキーワード http://bit.ly/wMCYuL ●勧進(かんじん) 「勧進」とは仏と縁を結ぶように勧めることで、転じて寺院の再興などのために寄付を集めること、またその役を担う僧のことを指し、それらの主催者を元来は勧進元と呼んでいた。 その後、近世に入ると相撲などの興行が盛んになると篤志家や大名・大商人も興行に乗り出すようになり、興行を主催するようになると、その興行の実際の運営・プロデュースをするものも「勧進元」と呼ばれるようになった。 しかし、当時の相撲興行などは喧嘩沙汰がたえなかったこともあり、実際の勧進元は、商人と任侠ざたの人間が主に担当するようになり、それが近代に入り、芸能・スポーツ・プロレス・格闘技の興行が行われるようになっても、基本的には変わらず、大企業や篤志家がスポンサーになり、実際に運営・プロデュースをするのは、任侠系の人間が江戸時代からの伝統で多くを担うことになる。 (それは、美空ひばりの勧進元をつとめていた人物が、全国最大手の暴力団の組長であったことからも有名。 また近年東京ドームが応援団をかたった総会屋・暴力団系の団体と癒着し、優先席を割安で競争なしでほぼ無条件に与えていたことが発覚し、暴対法違反の疑いで社長が陳謝に追い込まれたことからも分かるように、社会的常識倫理観から問題にされることはあっても、近世からの伝統で、芸能・スポーツ・プロレス・格闘技の興行ではなかなか、ヤミ社会とのつながりが絶ちがたいのが現実である).....   ★戦国時代 (日本) - Wikipedia http://bit.ly/yPhx3k 日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。 乱世により室町幕府の権力は完全に失墜し、守護大名に代わって全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が出現した。 ほぼ恒常的に相互間の戦闘を繰り返すとともに、領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めていった。 こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。
★戦国浪漫/戦国時代の総合サイト http://bit.ly/AADMlm  Dec. 06 2013 武将の逸話、合戦記録、時代考証。 戦国時代、それは自分の力しか信じられなかった特異な時代。時には親兄弟妻子であろうとも敵味方に分かれて争ったこの時代には、歴史の奔流の中で個性的な人間たちの織りなす数多くのドラマが演じられました。 ※画像は織田信長に抗した伊勢長島一向一揆の牙城・願證寺(三重県桑名市) 当サイトでは戦国大名・武将はもとより、忍者・剣豪・文化人や女性に至るまで、伝承・推測も含めた戦国時代の人間模様を、多角度からご紹介していきたいと思います。   ★戦国武将とゆかりの地 http://www.busyo.org/ 日本45都府県別に有名な戦国武将を紹介。 ご自身の出身地やこれから行かれる旅行先にかかわりのある戦国武将をお探しいただけます。   ★戦国時代データベース - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) https://bushoojapan.com/category/bushoo 戦国時代データベース 戦国武将や合戦に関する記事を大名毎にまとめ! 各人物の主要な事���などをコンパクトにまとめた人物伝を中心に、合戦などの解説も同時に記載しております。 まんが日本史ブギウギ147話『麒麟がくる』将軍家vs細川家の流れがわかる!   ★戦国武将伝「九戸政実」part1 - YouTube https://youtu.be/HtSeLk85ZPs 大河ドラマ「時宗」と「炎立つ」の原作者、高橋克彦氏の著作「天を衝く」の主人公「九戸政実」についての動画です。   ★戦国武将伝「九戸政実」part2  2009/10/08 https://youtu.be/uQNv5kaMN1k   ★戦国武将伝「九戸政実」part3  2009/10/09 https://youtu.be/XtgQrS8xXVM   ★戦国武将伝「九戸政実」part4  2009/10/09 https://youtu.be/9r-wfLCkSdg   ★戦国武将伝「九戸政実」part5  2009/10/09 https://youtu.be/qnT8iylM4I4   ★【MAD】戦国武将かぞえ唄 https://youtu.be/mpByFAou4Jo 意外と違和感がいい仕事しないのでびっくり。某所で『この発想はなかった』『謎の発想』『吹いたら天下統一』と云う素敵極まりないタグを賜りましたが動画削除されますたorz ツイッターで協力頂いたフォロワー達に無限の愛を込めて。   ★中津市中津城前の『黒田官兵衛資料館』 2014-05-26   テーマ:黒田如水 https://ameblo.jp/bushouhistory/ 本日は、津城前の 『黒田官兵衛資料館』について紹介します。 中津市二ノ丁の中津城前に今年1月開館した 「黒田官兵衛資料館」が16日、来館者10万人を突破しました。 10万人目の来館者には記念品が贈られました。   ★戦国武将研究会   https://sengokuken.tokyo/ 戦国武将研究会の概要 戦国武将研究会(せんごくぶしょうけんきゅうかい)は、戦国時代を中心とした武将を日本全国的に広く調査・研究・発表し歴史学の自由と発展に寄与している団体です。 2015年1月に発足し、無料会員を合わせると約2300名のメンバーがおります。(2018年11月現在) 基本的には会員による個人研究となりますが、年に1回以上は首都圏を中心に「研修会」(イベント企画・研究会・親睦会・旅行会など)も開催致しております。
・研究発表の例 城郭からみた豊臣秀吉の権力 ~秀吉の城と城郭政策~ 小山田記~ 現認・小山田氏400年の存亡【小山田氏関連の考察とまとめ】 碓氷城~迎え撃つ北条勢最前線「愛宕山城城址探索記」 安土城~それは織田信長が天下に示した最新のアトラクションだった 長尾為景~二度主を殺した「奸雄」謙信の父の苛烈な生涯 風魔党の風魔小太郎(風間出羽守)~北条家の忍者集団の謎   ★風雲戦国史-戦国武将の家紋- http://bit.ly/wQenYn 信濃中世武家伝 発刊 ・田中 豊茂(家紋World)著 ・定価:本体1,400円+税 信濃の兵(つわもの)は真田氏のみにあらず!  鎌倉時代から戦国時代まで、顔ぶれ多彩な信濃武家の興亡の歴史を、家紋の由来とともにたどります。 信濃四大将といわれた小笠原氏、諏訪氏、村上氏、木曾氏をはじめ、とりあげるのは、安曇郡の開発領主・仁科氏、滋野氏一族の海野・真田氏、 清和源氏を称する北信の井上氏・高梨氏・須田氏や伊那郡の片切氏・飯島氏、 佐久地方で勢力をふるった大井氏、伴野氏など県内全域の三十二武家。群雄割拠した信濃武士の生き様を語り伝える一冊です。   ★戦国武将の鎧兜 http://bit.ly/Ah8NwX 足利 尊氏. 毛利 元就. 織田 信長. 豊臣 秀��. 徳川 家康. 武田 信玄.上杉 謙信. 伊達 政宗.など   ★戦国武将の具足(鎧兜)特集 ‐ ニコニコ動画(原宿)  http://www.nicovideo.jp/watch/sm4165607   ★風変わりな兜  2017/10/27 https://youtu.be/vdCPGhlcWqA 嘘でしょ…こんな兜あるんですね。 きっとあなたは見終わったあとにこう言うでしょう。 「んー、結局なんでもありなんだね☆」 っと。... ギリギリあともうちょっとで某ダースベーダーから、 ほぼほぼただの巻き貝まで。 動植物や神仏ものが多いですが、 こんなにもこぞって多種多様にし、 こんなにも日本人の感覚が特異なのには感嘆です。 上杉景勝が目を引く神仏モノを、 黒田長政も奇抜な縦長兜をつくりがち。 徳川家康だって大釘後立一の谷兜という尖ったモノを。 とはいえ左右非対称は少なめで、だからこそ伊達政宗の兜は異質。 (長時間かぶってたら片方の筋肉だけが凝ってしまいますもんね。) 江戸後期になるとかぶらないようにするのにネタ切れなのか突拍子の無いモノが多めに。 ちなみに5月によく飾られるあの兜は義経(牛若丸)のモノ。 稲葉貞通 森長可 佐賀藩 諫早家伝来 池田光政 雁金形兜 蒲生氏郷 徳川家康  大釘後立一の谷兜 山本勘助 細川家 田原三宅 立花宗茂 谷津主水 佐竹 義宣 天海僧正 伊達成實 浅野長政 藤堂高虎 本多忠勝 加藤嘉明 仙石権兵衛秀久 紀州徳川家 水野勝成 福島正則 後藤 基次 豊臣 秀次 森蘭丸 前田 利家
頭巾形兜   ★【戦国武将】戦国の世に集うお洒落さん!甲冑コレクション! https://youtu.be/PfXdL6aeNtM **おすすめ動画** 関ヶ原の戦いで西軍が勝ってたら今の日本ってどうなってたと思う? https://youtu.be/ERYBhJVmYII
戦国武将・偉人の年収ランキング 2位 徳川家康 年収1000億円 https://youtu.be/_Wz-BvRDabs
関ヶ原の戦いとは? https://youtu.be/OG9bF2Ax9ic
戦国武将・偉人の年収ランキング 2位 徳川家康 年収1000億円 https://youtu.be/_Wz-BvRDabs
徳川家康が恐れた戦国武将リスト https://youtu.be/R6kpSyT-xvA
【真田丸】真田幸村だけじゃない!真田一族がすごい!Yukimura Sanada https://youtu.be/mrlhVmZPFJw   歴史ミステリー 真田幸村はなぜ死を覚悟して突撃したのか? https://youtu.be/OkW1z4gq5EY   歴史ミステリー 真田幸村はなぜ死を覚悟して突撃したのか?2 https://youtu.be/mHYiJLPN67w   出典:https://matome.naver.jp/   ★色々な戦国武将の甲冑 まとめ:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)  http://bit.ly/AvwrlC   ★武将兜ペーパークラフト無料ダウンロード 米沢・戦国 武士[もののふ]の時代 http://bit.ly/zBD4Oc 企画制作したのは、直江兼続公、上杉謙信公、上杉景勝公、最上義光、武田信玄、前田慶次郎、伊達政宗、織田家所用、本庄繁長、本多政重、豊臣秀吉、徳川家康、酒井忠次、榊原康政の兜です。   ★戦国武将特集 | 精密クラフト | Webプリワールド | エプソン http://webprint.epson.jp/mypage/craft/real/sengoku.jsp エプソンのWebプリワールドは素材豊富な無料のコンテンツサイトです。織田信長や真田幸村など戦国時代の武将がまとった甲冑をイメージしたペーパークラフト特集です。 細部までこだわったリアルなペーパークラフトを作ろう。   ★最上義光歴史館/ペーパークラフト http://mogamiyoshiaki.jp/?p=list&c=1858 太刀掛ペーパークラフト 2017.04.23 「太刀 銘 安綱 号鬼切」ペーパークラフト 2017.04.23 「素槍」のペーパークラフト 2015.08.19 槍立ペーパークラフト 2015.08.19 「天下三槍 ver2.0」のペーパークラフト 2015.08.19 「刀/打刀」「脇差」「小柄」「笄」のペーパークラフト 2015.08.14 刀掛けペーパークラフト 2015.08.13   ★城攻め体験イベント、ドレスコードは甲冑で :: デイリーポータルZ https://dailyportalz.jp/kiji/151116195066 2015/11/16 攻め入れ、国宝 今年国宝に指定された、島根県の松江城で甲冑がドレスコードの城攻めイベントがあるらしい。 ところで城攻めってなにをするんだ。ドレスコードってどの程度のものなんだろう。行ってみたら、参加者の手作りの甲冑が見応えあるイベントだった。   ★戦国の大名・武将285名を紹介(肖像画あり) | 戦国ガイド https://sengoku-g.net/men/ 戦国に活躍した大名・武将285名の肖像画、生没年月日、出身地を一挙紹介。 戦国ガイドは日本唯一の戦国時代総合サイトです。   ★【前田慶次の性格】傾奇者は本当なのか?実在した彼の人物像とと伝説 https://rekijin.com/?p=28826 2018/11/08 歴史上には奇想天外な人物がたくさんいますが、前田慶次(利益)もその一人といえるでしょう。慶次の名前はさまざまな創作作品で知られますが、その人物像はほぼ江戸中期以降に作られた逸話集に端を発するもので、一次史料はほとんどありません。慶次という名前自体も通名で、実際は複数の名前を使用していたといわれています。 今では豪傑で型破りなイメージが定着している慶次ですが、戦国時代に生きていた実際の彼はどんな人物だったのでしょうか。今回は、慶次の性格や残されている逸話について解説します。 目次 1.傾奇者として知られる前田慶次  1-1傾奇者とはどんな性格なのか  1-2創作作品での慶次について 2.実在の前田慶次!気になる性格は?  2-1有名な”水風呂”の逸話  2-2猿舞で目上の人を翻弄! 3.前田慶次をもっと知りたい!  3-1京都で浪人生活をしたことも  3-2実在の慶次は教養が高かった  3-3直江兼続との関係性とは? 4.人気武将の本当の性格は? 戦国武将は鎧兜に個性的なものが多い。   ★日本の戦国期の武将いろいろ(覚え書き) (更新20/02/01・作成04/06/05) http://bit.ly/xwo3dJ ・天下を取った武将  豊臣秀吉  徳川家康  明智光秀(ただし、11日天下)   ★兜(冑、かぶと) - Wikipedia http://bit.ly/y5x3di   ★鎧(よろい) - Wikipedia http://bit.ly/tSeVZI   ★具足(ぐそく)とは、http://bit.ly/yVj9Og 1.日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が「具足(十分に備わっている)」との言葉から。 鎌倉時代以降から甲冑を具足と呼ぶ資料が見られるが、一般的には当世具足を指す場合が多い。また鎧兜に対して、籠手などの副次的な防具は小具足とも呼ばれた。 ちなみに室町時代には、大型の弓矢や薙刀を「大具足」と呼ぶこともあった。 2.道具。馬具足とは馬具の事。三具足、五具足は仏具の事。   ★甲冑(かっちゅう)http://bit.ly/ucySbu 主として刀剣や弓矢を用いた戦闘の際に兵士が身につける日本の伝統的な防具である。   ★大鎧(おおよろい)https://ja.wikipedia.org/wiki/大鎧 日本の甲冑・鎧の形式の1つ。 馬上で弓を射る騎射戦が主流であった平安 - 鎌倉時代、それに対応すべく誕生・発達し、主に騎乗の上級武士が着用した。 その成り立ちから格の最も高い正式な鎧とされ、室町時代ごろには式の鎧、式正の鎧(しきしょうのよろい)、江戸時代には本式の鎧と呼ばれた。 あるいは胴丸や腹巻などと区別して、単に鎧ともいう。また古くから着背長(きせなが)という美称もあった。
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jllblog · 5 years
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万博招致が大阪不動産マーケットの追い風に 都市ブランド強化と経済圏構築の千載一遇の機会に
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万博招致で都市機能の整備が進む
2025年に開催される国際博覧会(万博)の開催地が大阪に決定した。テーマは「命輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)」とし、IoTやAI、ビッグデータ等の革新技術によって社会全体が最適化された「未来社会の実験場(Peaple’s Living Lab)」を目指すという。会期は5月3日-11月3日の185日。来場者予測は2,800万人、そのうち海外は約1割の350万人を想定する。りそな総合研究所の試算では経済波及効果は2兆2,000億円にのぼるとの見立てだ。
今回の万博招致により、大阪の不動産マーケットにはどのような影響が考えられるだろうか。五輪や万博といった国際的な大イベントが実施される際、都市機能の整備・更新が必ず行われる。いわゆるインフラ整備であり、これには鉄道・道路・港湾等の都市施設の整備が含まれることはもとより、都市機能を発揮するための重要な都市インフラである不動産も例外ではない。実際、東京五輪の招致決定を受けて、大手デベロッパーはこぞって大規模再開発に乗り出した。国家戦略特区による規制緩和が追い風となったのは言うまでもないが、五輪によって東京の世界的な注目度が高まる中、国際都市・東京の魅力を発信し、世界の資本・ビジネス・人材(ヒト・モノ・カネ)を吸引するための絶好の「プレゼンの場」として位置づけている。 この構図はそのまま大阪万博にも当てはまるだろう。会場となる夢洲は大阪市西端に位置する。IR誘致を念頭にコスモスクエア駅から夢洲駅(仮称)まで地下鉄中央線の延伸が計画されているが、万博開催時の輸送力としては十分とは言い難い。JR桜島線の延伸に期待が寄せられているが、鉄道が難しければLRTやBRT、モノレールなどの導入も考えられる。こうした交通インフラ整備を呼び水に不動産開発が実施される可能性は高い。東京に目を移すと三井不動産が日本橋、三菱地所が丸の内、東急グループが渋谷、森ビルが虎ノ門といった具合に各デベロッパーが競い合うように再開発を通じて街の魅力向上に邁進している。これはデベロッパー同士の競争原理が働いた結果だ。一方、関西の主要デベロッパーとしてはJR西日本、阪急阪神ホールディングス、南海電鉄、近畿日本鉄道、京阪電鉄といった鉄道会社系、関西電力・大阪ガスといったエネルギー会社系、積水ハウスといったハウスメーカー系、ダイビルや京阪神ビルディングといった地元デベロッパーなど在阪企業のほか、関西発祥のスーパーゼネコン、総合商社など多数の開発プレイヤーが存在する。そして、東京に本社を構える大手デベロッパーも指をくわえて眺めているだけとは考えにくい。再開発には行政の折衝も踏まえると少なくとも5年超を要するが、万博まで7年の猶予がある。民間資本による都市再生が大阪の不動産マーケットの価値を一段と高めていくことが予想される。
再開発が増えても需要は十分見込める
五輪よりも会期が長いとはいえ、約半年のイベントのために再開発を行っても、果たして不動産需要がついてくるのかが問題となるが、現在の大阪不動産市況を鑑みるにその心配は杞憂に終わる公算が高い。今後の大阪における大規模再開発は2020年竣工予定の「オービック御堂筋ビル」、2022年竣工予定の「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」と「(仮称)梅田3丁目計画」しか見当たらず、2018年-2025年の大阪Aグレードオフィス供給予定量はわずか257,000㎡。過去10年平均比で47%程度の限定的な水準だ。一方、2018年第3四半期の空室率は1.1%、賃料上昇率は前年同期比で11%と二桁増を記録し、明らかに「空室不足」が顕著だ。ちなみに東京Aグレードオフィスの空室率は1.8%、賃料上昇率は2.9%に留まっており、大阪の成長率は際立っている。この好況を受けて、投資家も大阪に注目している。2018年、大阪圏では100億円以上の大型取引が15件あり、2018年第3四半期の取引額は過去最高額を記録した。買い手には海外投資家の姿が目立つ。東京は2018年―2020年にかけてAグレードオフィスの大量供給がなされ、踊り場を迎えると予測されるが、新規供給が限定的な大阪は更なる成長が見込める有望マーケットだと国内外の投資家は見なしている。再開発によって新規供給が増えてもテナント需要は十分に見込める上、買い手も事欠かないはずだ。 会場となる夢洲は高度経済成長の波に乗り整備された郊外エリアの象徴であり、離接する咲洲(南港)などとともにバブル崩壊によって遊休地化・不採算化した「負の遺産」でもある。東京も同様に湾岸エリアの再開発がバブル崩壊で停滞した過去があるが、湾岸エリアで棚上げされた遊休地を2020年東京五輪の中心会場として有効活用される。これと同様に夢洲を含めた大阪・南港エリアが本物の「レガシー(遺産)」となる絶好の機会が訪れた。過去の五輪開催地であるロンドンやシドニーでは、倉庫・工場跡地や廃棄物処理による土壌汚染地の再生を同時並行で実現した。大阪万博にも「リバイタライズ(再び命を吹き込む)」の期待が持てる。
世界に都市ブランドを発信する絶好の機会に
ここまでは不動産マーケットへの影響に焦点を当てたが、マクロ的に見れば、万博は大阪の魅力を世界に発信するためのブランディングの千載一遇のチャンスと捉えるべきだ。前述した通り、世界の都市間競争が激化する現在、都市の魅力が一国の経済情勢を左右するまでに重要なものになっている。しかし、JLLの調査レポート「2018年版 都市比較インデックス – 世界都市の10類型」を見ても、大阪は“国内成長エンジン”の都市類型に属し、人口・経済規模は大きいものの、グローバルレベルで都市(経済圏)としての魅力が十分に理解されているとは言い難い。経済規模は世界8位にあり、経済圏としては東京を含めた世界主要7都市“ビッグセブン”に遜色のない「大都市」といえる一方、世界的な認知度を表す「ソフトパワー」や海外との結びつきを評価する「ゲートウェイ機能」の項目では低迷している。つまり、都市としての大阪のウィークポイントは国際化とブランドをいかに確立するかという点に集約される。翻って、今回の万博招致はこの2つの弱点を克服するための絶好の機会となるはずだ。
周辺都市と連携し経済圏確立へ
また、万博を大阪だけで独占するのではなく、周辺中核都市との連携強化を視野に、経済圏を確立する絶好の機会にもなる。京都、神戸といった周辺都市と連携することで東京に伍する経済圏が日本に誕生することになる。複数の都市が連携する経済圏という考え方は、すでに都市づくりにおける主流になっている。具体的にはサンフランシスコ・シリコンバレー・オークランドの「サンフランシスコベイエリア」、アムステルダム・ロッテルダム・ハーグ・ユトレヒトの「オランダメトロポール」、香港・深圳・マカオ・仏山・広州の「グレイトベイエリア」が有名なところだが、商都・大阪、国際的なMICEも多数開催される観光都市・京都、先端医療をはじめとする学術研究開発拠点を擁する港湾都市・神戸といった具合にお互いを補完し合うことで、東京とは異なる国際都市圏に飛躍するポテンシャルを十分に秘めている。2025年までに大阪は世界的な注目を集めるイベントが目白押しだ。IRの有力候補地に名を連ねる中、来年2019年にG20サミットが開催される。東京五輪後の2021年にはワールドマスターズゲームズを関西広域連合で開催、その間IR実施法の制定・事業区域認定を経て早ければ2024年にもIR開業となる予定である。交通・通信等のインフラとともに、重要な都市機能を担う不動産も都市競争力において重要な役割を担う。それは単に都市を形成する物理的なものではなく、都市を成功に導く牽引力である。特別感を創出できる印象的・象徴的モニュメントビル、生活の質向上のための柔軟な働き方を可能にするオフィス、低炭素社会志向のサステナビリティを実現する建物、テクノロジーと不動産の融合を図る不動産テック等、これからの都市社会に不動産が果たす役割は大きい。したがって、「命輝く未来社会のデザイン」という今回の万博のテーマは都市づくりにも通じ、テクノロジーやサステナビリティに溢れた都市全体が世界へのショーケースとなることを期待してやまない。(談:JLL日本 赤城 威志)
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tezzo-text · 6 years
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180819 東北へ
忙しいと思っていたら突然暇になったので、先日東北地方にはじめて行ってみた。大学生のとき、春休みに恐山に行こうとしていたら、地震があったので伊勢&那智に変更したのだが、それ以来ずっと行ってみたかったのであった。でも、今回は満を辞してという感じでなく、ふと行った。
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地方都市に行った時になぜかうっすらと感じる寂しさ、物悲しさがある。おそらくその場に住んでいないと、その都市がどういった内容物(人が街に具体的に期待してるもの…食欲、綺麗な景色を見たい気持ち、クラス感、静けさを邪魔されたくない、性欲、漠然とショッピング、など)で充実しているかがわからないので、空虚に見えるからだと思う。本当に空虚になってしまっている都市もあるだろうが。
まず盛岡へ行ったが、その物悲しい感じはなかった。郊外というか、辺縁部分を歩けばまた印象は違うかもしれないが。
盛岡城址では、本当に石垣が何重かに回っていて、その下に街があるという、天守閣と城下町の構造がくっきりと残っていた。街の真ん中に遠くを見晴るかすものがあるというのは、どんな都市でもあるが、盛岡城址から街を眺めるのは、東京で六本木ヒルズから街を眺めるのと全く違う体験であった。東京シティビューからだと、基本どこまでも街が続いてゆき、遠くの方はなんとなくボワーッとして消えていく。しかしそんな都市は実際普通ではない、というか多くない。京都に行ってもいつも思うことだが、まっすぐな道路の先やひらけた場所の最遠景では、いつも最終的に山が視界を塞いでいる。盛岡城からは、よりくっきりと盛岡市をふちどる山なみが見えた。この眺めは、我々の共同体の範囲は山までで、その向こうは別の共同体か、大自然…という感覚を、見る人に悟らせると思う。それがどういう人間性(市民性?)に結びつくかは分からないが。ミラノやフィレンツェのドゥオモなんかも、内陸部だしそういう感じなんだろうか、とも思った。
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盛岡に一泊し、翌朝は移動し、途中仙台で途中下車した。短時間だったので、何を見られたというのかよ?という感じだが、しかし仙台は素晴らしかった。例えば金沢も盛岡も素晴らしい都市だけど、駅から伝統的な中心街までの道路の感じがふつうで、鉄道を使って期待しながら到着しても、のっけからふつうな気持ちになる。仙台はそうではない。
仙台中心街のメインストリート、特に駅から東西方向に走る青葉通り、定禅寺通りの壮麗かつ楽しげな感じといったら、羨ましくなるほどだ。歩道と、片道4車線ぐらいあるたっぷりした車道の中央分離帯が、それぞれ相当高く育ったケヤキ並木になっていて、木々の間隔もわりにゆったりめで、とても堂々としたニュアンスである。これぐらいでかいスケールの構造と迫力が支配的にあれば、道にどんなゲスい店があろうと、看板とか外壁の色がどうのこうの言わなくても、むしろそれもまた、けやきのスケールとヒューマンスケールとをつなぐ美しい風景という感じになると思った。イオンのマゼンタ色さえ、なぜか他の場所で見るよりも美しく鮮やかに見えた。雨の日も素晴らしい雰囲気になりそうだ。ただ、冬に葉が落ち、枝を剪定して樹冠の密度が減った時どういう印象になるかはわからない。
東北大のキャンパスを抜けて、広瀬川近くの道に出た。この川も素晴らしい川だった。大都市圏の横を流れているくせに、荒川とか多摩川みたいなのんびりした川ではないのだ…。奥多摩とまでは言わないが、青梅の多摩川ぐらいの、水が流れてまっせ!という感じの野生的な、生々しい川だ。市街に再接近する部分でか���り急角度の蛇行をしていて、水が河岸を強くえぐっている。相当の高度差がある段丘崖の上にマンションや市民会館が建っていて、河原側に階段があって降りられるようになっているのも趣味がいい。崖面も基本的には舗装されていなくて、急斜面に生えた木がめちゃくちゃにのびていた。これは夏は青々と猛々しくていいし、冬は枯れ枝が絡み合って淡い紅褐色にけぶったような凄烈な趣があるだろうと思った。19才の東北大生になって、この景色の四季を日常のものとしながら通学したい…。
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仙台から在来線で浪江町へ行った。去年の四月に常磐道周辺以東の平野部で避難指示が解除されて、立ち入りの制限もなくなったとのことだが、浪江駅から下り方面4駅分、富岡駅までは今も常磐線が不通。正午過ぎに浪江について、富丘までの代行バスが出る16時半ごろまで、駅から海岸までの5kmぐらいを細かく観察しつつ行き来した。帰ってきて、ひねり出したのではない感想として、二つある。
一つは、風景の美しさの暴力…というのか。この日の午後、とても天気がよく、しかもカラッとしていて涼しく、風が強かった。どこまでも起伏なく広々していて、遠くには阿武隈の山々が並んでいて、そもそもとても景色のよいところだと分かった。市内の家の庭や、道や、もともと田んぼだったところは、手入れされず木や草が旺盛に茂っていて、それがたっぷりと風にそよいでいた。海岸から離れたあたりは家も残っているが、役場の中を除いて人は全くいない。海岸に近づくと、ますます人がいない。ここがどこかを忘れて、とてものどかで美しいところだったというのがとにかくの感想ということになってしまいそう、と思った。
自分が建築家を尊敬しがちなのは、目で見えている面の奥に、構造があるということが彼女ら・彼らには見えるからだ。家の中においては壁の奥に断熱材があり柱があり障壁なのか構造壁なのかが見える。都市においては街並みから地区の用途が見え、建物がセットバックしていたり工事をしているところから都市計画の意図と進行段階が見え、法令が見える。まあスキャナーのように見えているというよりか、そういうことを専門的に調べられ、圧倒的に目安がついているという意味ですが。
私はそのことにコンプレックスがある。表面の印象の背後で何がどう推移しているか、その表面を成り立たせているものがどういう構造なのか、見極められないことをいつも恐れている。でも目で見えた、コンテクストなしの、網膜に映った瞬間までの印象に考えが暴力的に押し流��れてしまいそうになる。
人が大量に死んだこと、目的を持って作られたものや大切なものが目的なく壊されたこと、人が無理やり住みたい場所でない場所に移住していること、という状況の上でのこの風景を、俺は美しくのどかと思ったのか…と思った。それでは押し流されている。自分にとって、浪江の町というのは問題なく美しいところだった、ということなってはいけない。
だから、一つの印象で包むということが、ものを見る、知るということの総括であってはいけない。その背後に何があったか、観察力と想像力を使いつつ学ぶことを、見ることと拮抗させないといけない。美しさはたしかにこの町がかつて賑やかで美しかった事実からの印象でもあるが、さらその賑やかさが、部分的には問題含みの電源開発行政に支えられていたことも本当のことだ。さらにその電源立地と発電所のはたらきを自分もまた受益していたことも本当のことだ。そのように、次元を刻んでいくしかない。
ただそれでも、私が美しさを専門に注目しがちであるということ自体は、危険ながらも排斥しないよう努めたい。なぜなら、悲愴と問題点に強く注目しつつも当然評価されるべき美しさを不当に見逃しがちな人の役に立てると思うからだ。
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もう一つの感想は、地名についてのことです。調べてみたら、自分が歩き回った地帯の、地名の密度がすごいとわかった。
http://www.kodokensaku.mlit.go.jp/motas/index.php?action=addr&module=codesearch&page=5&kencode=07&guncode=07813&soncode=07&mcode=0578&scode=000
歩いたのは、浪江町の大字のうち、権現堂、幾世橋、北幾世橋、棚塩、請戸のそれぞれ一部だが、例えばこの五つの大字で、合わせて字(小字)が304もある。面積でいうと地図上の目視で10-15㎢ぐらいだが、単純計算で200㎡ごとに地名があることになる。世田谷区内の同じ面積では町名は15いかないぐらいだ。今の家の東京も実家の川崎もだいたい町丁以降は丁目だし、そんなに細かく土地に名前がつくという発想がなかった。大字と町丁というのは成り立ちが違うので歴史的な比較はできないし、都内ももともとは細かい町名もあったと思うけど、浪江も世田谷もこの町制になってから50年以上経っているので、それぞれの住人の想定する、地名の解像度の差は確実にあると思う。例えば地図で見ても、田んぼの区画ごとに細かく字が割り振ってあるところが多いのがわかる。
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=644996&isDetail=true (2000年撮影 https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=644996)
住んでる人にとって、地名と土地がどういうかすがいで結びついているのか、改めて考えるとあんまりよく分からない。もちろん台帳には書いてあるが…でもそこが大田区なのか目黒区なのか、それを知ってる人にはわかるけど、知らない人には分からない。当然ながら、住居案内板とかはあるが、その場の建物、地形、モニュメントが地名を叫んでいるのではないので、誰でもそこに行けば地名がわかるということはない。だから地名は住んでる人の頭の中にあるのかなと思う。
そうなると、リストを見ているだけで想像力を掻き立てられるものすごく高密度なこの地名群、とくに今整地が進んでいる沿岸の大量の字は、今どういう状態だと言えるのだろうか。ちゃんと地名を覚えておき、いつか区画整理が終わった時そこへ戻って、全く見分けがつかず違う線引きになった土地をその名で呼ぶのだろうか?新しい区画に応じて地名をつけるのか?その折衷?いずれにせよ、それを考えると本当に…なんと言えばいいか分からないような種類の損失という気がする。知…名前…人の頭の中にだけある秘密のようなものが奪われている…と。それは人が死に、物が壊れるということと同じぐらい凄惨なことに思う。ある言語が死語になるということと同じことのような。うまく言えないが…。
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その後駅まで戻り、バスに乗って富岡駅へ行き、東京へ帰ろうといわきまで常磐線で行ったが、乗り換えで一旦下車したら、なんとなくもうちょいうろつきたくなり、そのまま改札を出て終電の時間までいわきを歩いた。本当に短時間だったが、よかったのは川と(また川…単に川ならなんでも好きなのかも……)、いわき市立美術館で「戦後アメリカ美術のきらめき」という常設展を偶然見られたことだ。モーリス・ルイスの左右からファサッ…となってるやつとかはじめて見られた。なにより、前どこかで見たときは別に〜って感じだったがサイ・トゥオンブリーのいい絵があって、すごくよく思えてきたことがよかった。今までは、こういうシャシャッとした線を絵画に持ち込むっていう戦略ってことでしょ…と斜に構えてたが、よく見ると、そのシャシャッとしたのを本当に美しいのだと思って描いていたのだと思えた。わしも美しいと思った。
その後特急ひたちに乗って帰宅。空腹すぎて帰宅した瞬間スパゲッティを茹でた。そして食べて寝た。
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shiro-absence · 7 years
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来歴・人物[編集] 誕生から青年期にかけて[編集] 京都の呉服屋に生まれる。朱雀高校入学後、父親の横浜出店に伴い横浜山手町の洋館に引っ越し、東京都立九段高等学校に通う[1]。早稲田大学文学部フランス文学科進学。高校から大学にかけて、学生紛争の論客として鳴らす。早大在学中は、早稲田大学新聞会に所属した。一方で教会、禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せ、様々な思索にふける。 大学4年の時に父親が多額の借金を残して死去したため、やむなく早大を中退。広告会社に勤め、営業活動のかたわら、高校生向けのタブロイド版の新聞『the high school life』を創刊。この時期、編集活動を通じて、稲垣足穂、土方巽、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、宇野亜喜良、横尾忠則らと親交を深める。とくに早稲田の先輩でもあった寺山修司からは『the high school life』の活動について「東京のヴィレッジボイス(英語版)である」と評された。 工作舎編集長として[編集] 1971年(昭和46年)にのちに編集工学研究所主任研究員となる高橋秀元ら友人3人で工作舎を設立し、雑誌『遊』(1971年(昭和46年) - 1982年(昭和57年))を創刊する。「オブジェマガジン」と称し、あらゆるジャンルを融合し超越した独自のスタイルは日本のアート・思想・メディア・デザインに多大な衝撃を与えた。松岡はこの雑誌の編集長を務めつつ、雑誌そのものへの寄稿、対談出席なども行い、1979年(昭和54年)には初の単独著書となる『自然学曼荼羅』を刊行する。 『遊』刊行中から、外部の各種プロジェクトにかかわり、1978年(昭和53年)から翌年にかけては、パリ装飾美術館(フランス語版)、ニューヨークのクーパー・ヒューイット美術館などで「間MA展」(磯崎新、武満徹プロデュース)にエディトリアル・ディレクターとして参加する。この展覧会はロラン・バルトやミシェル・フーコーなどが訪れるなど評判を呼んだ。(20年後の1998年(平成10年)には東京芸術大学で再編して開催された) 編集工学者として[編集] 1982年(昭和57年)に工作舎を退社し、松岡正剛事務所を設立して独自の活動を開始する。古代から現代まで続く「情報」そのものの歩みを年表化した大作『情報の歴史』を編纂するために各ジャンルの知識人を集め、この本の監修を務める。この仕事が発展し、1987年(昭和62年)に株式会社編集工学研究所を設立することになる。(現在、編集工学研究所は丸善 の子会社となっている) 1984年(昭和59年)からは、NTTが主催する「情報文化研究フォーラム」の座長を務める。ジャンルを超えた各界の研究者と議論を交わしながら、情報文化に関する考察を深めていく。また、同時期にNTTの広報戦略アドバイザーの役も担い、グループCFの制作、監修を行う。情報と生命、情報と歴史という視点から映像化した「進化篇」「擬態篇」「図書館篇」といったCFシリーズを生み出し話題を呼んだ。同CFシリーズのうち、「図書館篇」はカンヌ国際広告祭のブロンズ賞を獲得した。���の頃からテレビ番組の構成なども務めるようになり、1984年(昭和59年)からはじまった『極める』シリーズ(テレビ東京系列)を監修した。また『ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる』(テレビ朝日系列)の企画構成、『ときの探訪』(中部日本放送)の監修も担当。『世界一受けたい授業』(日本テレビ)には2005年(平成17年)から構成協力として参加している。 1990年(平成2年)に放送がはじまった『日本人のこころ』(NHK)では、五木寛之、田中優子とともにレギュラー出演し、日本各地を歩き回りながら、日本文化に潜む魅力とその可能性について討論を交した。また、この時期、リチャード・ワーマン著『情報選択の時代』『理解の秘密』をたて続けに監訳。当時、情報建築家として世界的に注目されていたワーマンを日本ではじめて紹介する。 1995年(平成7年)、愛知県岡崎市の美術館計画にプロデューサーとして関わる。目に見えないもの(心の風景)を感じるという意味から、館名を「マインドスケープ・ミュージアム」と名づけた。 1997年(平成9年)からは、岐阜県で織部賞を開始、総合プロデューサーを担当し、ジャンルを問わずに内外の様々な人物を顕彰する。また、帝塚山学院大学に招聘され、教授としてゼミを担当した。このゼミの内容は1冊の本に編集され、2006年(平成18年)に『17歳のための世界と日本の見方』として春秋社から出版され、4万部を売り上げた。 「千夜千冊」執筆以降[編集] 2000年(平成12年)2月から書評サイト「千夜千冊」の執筆を開始。同じ著者の本は2冊以上取り上げない、同じジャンルは続けない、最新の書物も取り上げる、などのルールを自らに課し、時に自身のエピソードやリアルタイムな出来事も織り交ぜた文体は、話題を呼んだ。第一夜は中谷宇吉郎『雪』。2004年(平成16年)7月に良寛『良寛全集』で“1000夜”を達成した。 しかしその直後に胃癌が発覚し、手術入院を余儀なくされる(その詳細は「千夜千冊」番外『退院報告と見舞御礼』に語られている)。しばらくの療養後、再び「千夜千冊」の執筆を開始し、2006年(平成18年)5月22日に柳田國男『海上の道』でもって「放埓篇」として完結した。この放埓篇・全1144夜に大幅な加筆と構成変更を行い、全8冊の大型本『松岡正剛 千夜千冊』として2006年(平成18年)10月に求龍堂より出版された。定価99,750円という高額にもかかわらず初版1000部を完売し、2006年(平成18年)の出版界の事件として話題となる。その後「遊蕩篇」として、1145夜の2006年(平成18年)6月6日(日浦勇『海を渡る蝶』)から1329夜の2009年(平成21年)11月22日(丁宗鐵『正座と日本人』)まで185冊を執筆した。 2009年(平成21年)11月より、「連環編」と「番外録」を開始し、2012年(平成24年)以後、新たに「意表篇」「思構篇」「歴象篇」「分理篇」など8篇を追加、現在は計10篇のテーマインデックスで定着している。同年、松岡自身が「千夜千冊」を語り伝える音声コンテンツ「一册一声」の配信をスタート(オーディオWebマガジン「方」で月2回配信)。2013年(平成25年)橋本達雄編 『柿本人麻呂』で“1500夜”を達成し、記念イベント「千夜千冊ナイト」を開催した。 また、長年培ってきた編集的世界観に基づき確立した「編集工学」をもとに、2000年(平成12年)6月、「イシス編集学校」を設立し、校長に就任。単なる文章術にとどまらない、プランニングからコーチングまでを幅広くカバーする「編集術」を伝授するという独特なスタイルが評判を呼んでいる。一方、2005年(平成17年)からは企業の次世代リーダーを育成するための直伝塾、「ハイパー・コーポレート・ユニバーシティ[AIDA]」を開始するなど、独自の編集的世界観をもとにしたカリキュラムを多方面で応用・展開している。 2003年(平成15年)には、長年にわたって研究・思索してきた「日本文化にひそむ方法」を伝承することを目的とした特別塾「連塾」をスタート。山口小夜子、柳家花緑、田中泯、高橋睦郎、森村泰昌、真行寺君枝、内田繁、浅葉克己、しりあがり寿、井上鑑、井上ひさし、押井守、岡野弘彦、いとうせいこう、川崎和男、藤原新也、といったジャンルをこえた多彩なゲストとともに対話を深めてきた。また、松岡正剛を囲みながら日本文化における創作技術や伝統の精神を学ぶためのサロン「椿座」を開催。このような日本にかかわる活動の多くは、資生堂の名誉会長福原義春を代表理事とする一般社団法人「連志連衆會」を母体として行われた(2012年10月に連志連衆會は解散したが、「椿座」は「蘭座」に名称を変え、新たな活動として引き継がれている)。 2009年(平成21年)10月には、丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態、松岡をはじめとする著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んだ(実験店舗としての3年間の役割を終え、松丸本舗は2012年の9月末をもって閉店。その詳細は、『松岡正剛の書棚:松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)、『松丸本舗主義:奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』(青幻舎)で明かされている)。2011年(平成23年)には、イシス編集学校の有志とともに体系化した知のカテゴリーである「目次録」を公開し、それをもとに新たなコンセプトによる書籍探索エンジン「システム目次録」を開発。書物という情報単位から意味をとり出し、システムに応用した、連想検索の仕組みを研究し続けている。 2010年(平成22年)平城遷都1300年祭の集大成として「平城京レポート」が作成された。レポート作成につき、奈良県と随意契約をしたのは松岡正剛事務所と編集工学研究所、財団法人日本総合研究所だが、レポート執筆にはISIS編集学校の師範、師範代、師範養成コースのコーチが多数参加していた。1300年祭終了後、レポート284ページ中に170ヵ所の誤記・間違い・要確認箇所があることが判明し、その杜撰な編集ぶりが報道された。 2012年(平成24年)には、経済産業省によるクール・ジャパン戦略の一環として、官民有識者会議の座長代理、CREATIVE TOKYOフォーラムでの講演を担い、日本文化のクリエイティビティを伝えるコンセプトブック『Roots of Japan(s) 面影日本〜日本の本来と将来のために』を監修。一方、奈良県(荒井正吾県知事)と共同で行っている、東アジア(日中韓)の目指すべき進路を構想する「NARASIA」のプロジェクトでは、定期的に「NARASIAフォーラム」を開催し、有識者をゲストに招き、文化的、経済的テーマを深めている。2013年には、松岡監修による東アジアジャーナル『NARASIA Q』が創刊された。 2013年(平成25年)からは、長年拠点としてきた港区赤坂の事務所から世田谷区赤堤の新事務所へと移転。建築家の三浦史朗、スペースエディターの東亨らとのコラボレーションにより、万巻の書物に囲まれたイベントスペース「本楼」(ほんろう)と、本の茶室空間である「井寸房」(せいすんぼう)をかたちにした。念願叶って実現された、この6万冊の書物で構成された共空間は「GISIS」(ゴートクジISIS)と呼ばれ、読書術にかかわるワークショップや、編集工学を伝える講義が日々行われている。 2014年(平成26年) 平城遷都1300年祭「弥勒プロジェクト」の一プロジェクトで奈良県が七千万をかけて製作した地域交流サイト「NARAcom」「NARApedia」が公表されず一般に知られることもないまま閉鎖されていたことが判明した。このサイトは「東アジアの未来を考える会」(松岡正剛幹事長)が奈良を中心に据えた東アジアの知のアーカイブとして構築していたはずだった。奈良県からサイトの構築運用を請け負っていたのは、松岡正剛事務所、編集工学研究所、財団法人日本総合研究所のJV(共同企業体)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/松岡正剛
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villa-chitose · 7 years
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平日施工のお客様がルミクールSD、シルフィードがさらに4,000円引きに!(カーフィルム名古屋)
この価格帯でも施工協力店になって頂ける会社様募集しております。
カーフィルムの施工が年間1000台以上は関東地域・安さナンバーワン!(カーフィルム名古屋)
激安カーフィルム・車のスモークフィルム!「ルミクールSD」は東京・神奈川の平均価格よりも24,098円、「シルフィード」は15,390円もお得です。他社と比較してください!
※弊社は色褪せのある外国製の使用ではなく、すべて日本製ですので5年以上は色褪せしません。
↓画像をクリックしますと、施工金額が表示されます♪↓
カーフィルム・車フィルム・スモークフィルムってなんで貼るの?(カーフィルム名古屋)
まずは優先されるのがプライバシーの保護になり、日本車のプライバシーガラスでも透過率が20~30%になり、平均で25パーセント位が多いでしょう。 下記の画像の左側が透過率20%になり、右側画像が30%になり、通常のプライバシーガラスですと、かなり室内が見えてしまいます。
 
                                                         しかし、プライバシーガラスの上からカーフィルム透過率7%のフィルムを施工しますと、透過率1~2%になりますので、ほぼ外観からは見えませんので、盗難防止などにもつながります。 下記画像はプライバシーガラスの上から透過率7%施工後の画像になります。
では、室内からの視界性はどうなの?
↑どの透過率のカーフィルムを施工しても、もともとのプライバシーガラスより若干濃くなるぐらいですので、外観の色合いだけ決めて頂ければ、室内の視界性は良好です。
UVカット(紫外線カット)カーフィルムってなに?(カーフィルム名古屋)
UVカット(紫外線カット)カーフィルムは日焼けの防止や室内のインテリアの色褪せを防ぐフィルムになっております。 今の日本車の殆どは運転席・助手席のみUVカットガラスになっており、フロントガラスや後部座席のリア3面、5面のガラスにはUVは入っておりません。 プライバシーガラスが黒いから日焼けしないかと言うと違います。下記のガラスのようにガラス右下部分にUV,UVS,UVUと記載がなければUVカットされてないので日焼けします。皆さんのガラスはどうでしょうか? 外車の90%以上はほぼUVすら入っておりません。 NSコーポレーションのカーフィルムは全てUV99%カットになります。
ガラスごとに下記のUV,UVS,UVUの刻印があるか確認してみてください。
赤外線カット カーフィルムって何?(カーフィルム名古屋)
殆どのお客様がUVカットがあれば暑さ対策や冬場の保温性につながると思われておりますが、UVの他に赤外線もカットしなければ暑さ対策にはなりません。
例として、ルミークルSDを全体的に施工した場合は車内温度に変化はありませんが、ウインコスを全体的に施工すると車内温度は5度位変化し、シルフィード カーフィルムを施工しますと車内温度は11度位変化しますので、燃費の向上にもつながります。 特に外車はガラスの透明度が日本車よりも遥かに高いのでシルフィード カーフィルムをお勧めします。
※よくある赤外線カット率ですが、カット率の測定は測定機関があるわけではなく、メーカーごとに独自の測定結果ですので、実際は体感温度が大事になります。 弊社では実際、体感でき、過去のお客様も体感の違いを実感して頂いております。 皆さんかなり違うと言います!
カーフィルムの種類と性能の違い(カーフィルム名古屋)
ルミクールSD
※ルミークルSDは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。
ウインコス
※ウインコスは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。
シルフィード
※シルフィードは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が11度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 シルフィードはベンツなどを取り扱うヤナセの指定フィルムですので、外車にお勧めです。
※透明断熱フィルムFGR‐500 FGR‐500はシルフィードと同じ効果があります。フロント・運転席・助手席にも施工可能です。 透過率は1%しかダウンしないので、どの車でも施工可能となります。
ニュープロテクション
※ニュープロテクションは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。 一番、黒いカーフィルムを貼りたい場合は透過率5%があります。
※ニュープロテクション インフレットピュア 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 安くフロント・運転席・助手席に施工したい場合はインフレットピュアをお勧めします。 但し、日本車の運転席・助手席は透過率73%位であり、インフレットピュアを施工しますと透過率が5%ダウンしますので、ガラスの透明度の高い外車がメインになります。
3Mカーフィルム
※3Mカーフィルムは自動車整備指定、認証工場のみが取り扱えるフィルムになり、ディーラーの殆どがIR機能のついた「3M カーフィルム」が性能的にも主流になっており、フィルムの性能も今までとは違い200層を超える薄い膜を重ねた特殊な高級フィルムとなっております。
カーフィルム5年保証(カーフィルム名古屋)
※お客様の車が車両保険に加入していてガラスが破損した場合、相手方に車をぶつけられてガラスが破損した場合、カーフィルムも保険の対象になります。
NSコーポレーションのカーフィルムは激安ですが、すべてが日本製であり、量販店のような外国製とは違い色褪せがしません! また、ベンツなどを取り扱う全国ヤナセ指定フィルム採用により、他社の断熱フィルムよりも圧倒的に体感温度は違います! シルフィードはインフレットピュア、ウインコス・スタンダードよりもUVカットはもちろん、赤外線カットがとても優れたフィルムです。
紫外線を99%カットし、心地よい優しい光と快適な車内環境を生み出します。
断熱性能の違いを体感器で検証。左側がシルフィード、右側が一般スモークフィルムで、スタート時はどちらも26.4℃を示している。
照射後、5分後の温度計は31.2℃と42.1℃を示している。シルフィードを施工した側が10℃以上低いことがわかる。
万が一の事故などで側面ガラスが割れた場合、ガラスが割れて細かく飛び散り大変危険です。
シルフィードを施工したガラス。ガラスは割れますが、フィルムによって飛散が抑えられ、安全性を確保できます。
フロント透明断熱フィルムも施工しております!
カーフィルム「シルフィード」全体的に施工すると車内温度が10度変化します!
カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム・車のスモークフィルム ご来店の多いエリア:
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カーフィルム名古屋の地域概要
名古屋市(なごやし)は、愛知県西部(尾張地方)の政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。 概要 東京特別区部を除けば、横浜市・大阪市に次ぐ全国第3位の人口を有する都市であり、都市圏人口も三大都市圏の一つに当たる中京圏の中枢都市である。中京圏を擁する中部地方の政治・経済・文化・交通の中枢となっている。 栄と名駅が広域集客可能な繁華街となっており、栄と名駅一帯には広大な地下街が発達している。それに伴い、地下鉄網も充実している。地元住民は名古屋駅のことを「名駅」(めいえき)と呼び、これは名古屋駅周辺の行政地名(中村区・西区名駅一から五丁目、中村区名駅南一から五丁目)にもなっている。2008年にはユネスコの創造都市に認定された(日本では神戸市と共に初であり、デザイン部門でも神戸市と中華人民共和国の深圳市と共にアジア初の認定)。市章は、現在の名古屋市を拠点に尾張を統治した親藩、徳川御三家筆頭格の尾張徳川家の合印に由来する「八」である。 同市は2012年、域内総生産は約37兆円であり、世界第18位の都市である。 2016年では、都市的地域の人口は約1004万人であり、世界第36位の都市である。 また、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第69位の都市と評価された。 しかし国内では、同市は2016年6月に東京23区と札幌、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡の7市に住む20~60代の人間を対象にインターネット調査を実施しており、各都市から418人ずつ回答を得られている。それによると、「最も魅力に欠ける都市」では、大阪(17.2%)を引き離して30.1%に上り、「最も魅力的に感じる都市」に名古屋を選んだのは全体の3%で最下位となっている。そして「どの程度行きたいか」を尋ねて指数化したところ、名古屋は「1.4」となり、首位京都(37.6)の27分の1という結果となっていたことが明らかとなった。このような結果を踏まえて、名古屋の情報・魅力を如何にして国内外に対して発信・宣伝していくのか、戦略を大きく考えていくことが課題であるとされている。 地理 愛知県の南西部、濃尾平野に広がる。県内では、豊田市・新城市・岡崎市に次いで4番目に広い面積を有する市である。市全体を概観すると、市西南部の港区は海抜0mの臨海工業地帯で日本屈指の国際貿易港である名古屋港を有し、港区の西部は市最大の穀倉地帯が広がる。 市の南部の南区西部は港区同様に工業地帯が広がるが、北部の駆上は隣接する瑞穂区の新瑞橋駅の恩恵を受け商業が発達している。 市の北部の北区、北西部の西区・南西部の中川区は住宅地が広がる。 市の北東部の守山区・千種区、東部の名東区・天白区、南東部の緑区は海抜50m - 100mの丘陵住宅街で、千種区の東山公園・平和公園、守山区の小幡緑地、名東区の猪高緑地オアシスの森・牧野ヶ池緑地、緑区の大高緑地などの森林を残した大規模な緑地公園も点在する。 市の中核を担う中区・東区・中村区・熱田区・昭和区・瑞穂区は海抜10mから15mの平野で、市役所・愛知県庁を有する中区の丸の内・錦・栄・女子大小路・矢場町・大須・金山、東区の東桜・泉・白壁、中村区の名駅、熱田区の神宮、昭和区・天白区の八事、千種区の今池、星ヶ丘は名古屋市内でも特に商業が発達している地区で、集客力のある商業施設やオフィスビルが連なる。 自然環境では市内に1571の昆虫が生息し、これは県下の26%に当たる。市内東部ではリス、タヌキ、イエコウモリ、コウベモグラ、ノウサギ、キツネの生息が確認されている。野鳥類��は現在約240種が生息している。 湾:伊勢湾 山:東谷山 川: 一級河川 庄内川水系:庄内川、矢田川、守山川、香流川、隅除川、天神川、新川、水場川、合瀬川、大山川、新地蔵川、堀川(黒川)、新堀川、八田川、長戸川、野添川 二級河川 天白川水系:天白川、扇川、大高川、瀬木川、手越川、藤川、植田川、繁盛川 日光川水系:日光川、戸田川、福田川 山崎川水系:山崎川 境川水系:境川 その他、東小川、藤ノ木川、荒子川、中川運河、大江川、郷下川、愛知用水 池:牧野ヶ池、猫ヶ洞池、水主ヶ池、茶屋ヶ坂池、明徳池、塚ノ杁池、大根池、御深井池、他多数 干潟:藤前干潟 地域 市内の地名 行政区 画像の詳細 守山区北区西区中村区中川区港区熱田区中区東区千種区名東区昭和区瑞穂区南区天白区緑区 名古屋市は以下の16区で構成されている。 千種区(1937年-) 東区(1908年-) 北区(1944年-) 西区(1908年-) 中村区(1937年-) 中区(1908年-) 昭和区(1937年-) 瑞穂区(1944年-) 熱田区(1937年-) 中川区(1937年-) 港区(1937年-) 南区(1908年-) 守山区(1963年-) 緑区(1963年-) 名東区(1975年-) 天白区(1975年-) 市���と区の変遷 1898年(明治31年)8月22日 - 愛知郡那古野村、古沢村を編入。 1907年(明治40年)6月1日 - 愛知郡熱田町を編入。これにより、隣町であった宿場町「宮」を吸収。市域が倍増。 7月16日 - 愛知郡小碓村の一部を編入。 1908年(明治41年)4月1日 - 区政を実施し、中区、東区、西区、南区を設置する。 1921年(大正10年)8月 - 愛知郡呼続町、愛知町、千種町、八幡村、小碓村、笠寺村、荒子村、中村、常盤村、東山村、御器所村、西春日井郡枇杷島町、清水町、杉村、六郷村、金城村を編入。隣接町村のすべてを編入したことになり、市域が倍増。 1928年(昭和3年)3月3日 - 愛知郡天白村の八事を編入。 1930年(昭和5年)6月15日 - 西春日井郡庄内町の一部を編入。 1931年(昭和6年)7月15日 - 愛知郡下之一色町の一部を編入。 1937年(昭和12年)3月1日 - 西春日井郡庄内町全域、愛知郡下之一色町全域、西春日井郡萩野村を編入。 10月1日 - 東区から千種区、中区・西区から中村区、中区・南区から昭和区・熱田区・中川区、南区から港区を新設。 1944年(昭和19年)2月11日 - 東区・西区から北区、中区から栄区、昭和区・熱田区から瑞穂区を新設。 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区を廃止し、中区に合区。 1955年(昭和30年)4月5日 - 愛知郡猪高村・天白村を編入し、それぞれ千種区・昭和区の一部となる。 10月1日 - 海部郡南陽町・富田町、西春日井郡山田村・楠村を編入し、それぞれ港区・中川区・西区・北区の一部となる。 1963年(昭和38年)2月15日 - 守山市を編入し、守山区を新設。 4月1日 - 愛知郡鳴海町を編入し、緑区を新設。 1964年(昭和39年)12月1日 - 知多郡大高町・有松町を編入し、緑区の一部となる。 1975年(昭和50年)2月1日 - 千種区・昭和区から名東区、昭和区から天白区を新設。 1995年(平成7年)9月1日 - 日進市と境界変更。 経済 産業 平成19年度の市内総生産は14兆4267億円である[23]。これはカタールの国内総生産よりも大きく、世界で50位以内の「国」に相当する経済規模を有している。また、名古屋中小企業投資育成などのベンチャーキャピタルなども所在している。 第一次産業 市内の大半が宅地、商工業地帯となっているため全般には振るわない。農地の大半は庄内川以西の中川区や港区に立地し、野菜と水稲を栽培し、大消費地に立地するという優位性を生かした、地産地消の推進に取り組んでいる。 かつて天白区では天白リンゴと呼ばれるリンゴが存在しており、青森のリンゴよりも収穫が早かった。 中川区大蟷螂町には西洋野菜の改良普及を行っていた野崎採種場があり、白菜、キャベツ、イチゴ、ニンジン等の品種改良が行われていた。 鍋料理に欠かせない白菜の発祥の地である。そのため現在でも白菜の品種名は「野崎(中川区に由来する)白菜二号」や「愛知白菜」など名古屋と関連する名前が多い。 フキの生産量が全国一位である愛知県東海市をはじめとして、名古屋市西部を中心に食用フキの栽培が盛んである。 水産では下之一色では昭和30年頃まで漁港だったが漁業権を返上してからも当時のなごりで魚市場が存在する。 小規模ではあるが、市内の運河や堀川などから出航し、イカナゴ・イワシなどを漁獲する水産業もある。民間の釣り船では名古屋港内でハゼやスズキが釣れる。 第二次産業 豊田市や四日市市などとともに、中京工業地帯の中核であり、自動車産業、航空宇宙産業、鉄鋼、セラミックス産業等が盛んである。製造品出荷額では県内では豊田市に次ぎ、全国5位にランクする。鉱業はかつて名東区の牧野ヶ池緑地付近には炭鉱があり、亜炭を産出していたが、現在は閉山している。 主要な製造業の工場 ノリタケ本社工場(西区) 東レ愛知工場(西区堀越) 三菱電機名古屋製作所矢田工場(東区矢田) アサヒビール名古屋工場(守山区) 三菱重工業岩塚工場(中村区岩塚) 日清製粉名古屋工場(中川区長良) 東海旅客鉄道名古屋工場(中川区長良) リンナイ愛知工場(中川区愛知) 中部鋼鈑本社工場(中川区) 中日本氷糖本社工場(中川区玉川) 日本ガイシ名古屋工場(熱田区) 日本特殊陶業本社工場(瑞穂区) 愛知機械工業熱田工場(熱田区) 愛知時計電機本社工場(熱田区) パロマ本社工場(瑞穂区桃園) トヨトミ本社工場(瑞穂区桃園) ブラザー工業瑞穂工場(瑞穂区) ブラザー工業桃園工場(瑞穂区桃園) ブラザー工業星崎工場(南区) 大同特殊鋼星崎工場(南区星崎) 三井化学名古屋工場(南区) 愛知機械工業永徳工場(港区野跡) UACJ名古屋製造所(港区千年) 三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所大江工場(港区大江) 東レ名古屋事業場(港区大江) 三菱ふそうトラック・バス大江工場(港区大江) ニチハ名古屋工場(港区汐止) 日本製粉名古屋工場(港区入船) 東亞合成名古屋工場(港区昭和) 大同特殊鋼粉末工場(港区竜宮) 日本車輌鳴海工場(緑区鳴海) 第三次産業 名実ともに中京圏の商業の中心地であり、前述の通り栄、名駅、大須、金山など市外、県外からの集客力のある商業地帯が存在する。近年、一部の大都市を除く多くの商店街がロードサイドショップの進出等によって空洞化に喘ぐ中、賑わい活気のある市街地といえる。また映画撮影で、最近では邦画の舞台として名古屋市内の街並みが登場する事が増えてきた。(AMV限定生産作品終わりのセラフやたけし映画映画『龍三と七人の子分たち』などが該当する。また街中で東海圏テレビ放送局が番組を収録している平日午後などは、全国区で活躍しているタレントに出会える可能性が高い地区も市内に複数ある。大須栄名古屋駅) 主な商業施設 名古屋市にある百貨店の松坂屋 (Matsuzakaya)・三越 (Mitsukoshi)・丸栄 (Maruei)・名鉄百貨店 (Meitetsu) で、4Mデパートと呼ばれる。最近ではこれに高島屋 (Takashimaya) を入れて4M1Tとも呼ばれる。2015年(平成27年)現在、年間売上高は高島屋が首位で以下、松坂屋、三越、名鉄百貨店、丸栄と続く。 栄 松坂屋本店 三越名古屋栄店 ラシック 丸栄本店 名古屋パルコ ナディアパーク 名駅 ジェイアール名古屋タカシマヤ 名鉄百貨店本店 近鉄パッセ JRゲートタワー(2017年開業予定) ビックカメラ名古屋駅西店 ミッドランドスクエア 大名古屋ビルヂング KITTE名古屋 大須 コメ兵 大須301ビル グッドウィル 万松寺ビル アサヒドーカメラ 金山 アスナル金山 イオンモール熱田 イオン金山店 Loop金山 その他地区の主な商業施設 星が丘テラス(地下鉄東山線星ヶ丘駅) 星が丘三越(地下鉄東山線星ヶ丘駅) イオンモール大高(JR東海道本線南大高駅) イオンモール熱田(名鉄名古屋本線金山駅・神宮前駅) イオン八事店(地下鉄名城線八事駅) イオンモール名古屋茶屋 イオンタウン千種(JR中央線鶴舞駅高架沿い北側) イオンモールナゴヤドーム前(ゆとりーとライン、名城線ナゴヤドーム前矢田駅) イオンモール名古屋みなと(あおなみ線荒子川公園駅) イオンモール新瑞橋(地下鉄名城線・桜通線新瑞橋駅) mozo ワンダーシティ(地下鉄鶴舞線上小田井駅) ヒルズウォーク徳重ガーデンズ(地下鉄桜通線徳重駅) 市内に本社・本店を置く主な企業 上場企業 アイケイ アイサンテクノロジー 愛知機械工業 愛知銀行 愛知時計電機 アイホン 朝日インテック アトム アルペン 医学生物学研究所 伊勢湾海運 ヴィレッジヴァンガードコーポレーション ウッドフレンズ エイチーム エスケーアイ エスポア NDS株式会社 エムジーホーム オータケ 岡谷鋼機 尾張精機 買取王国 カゴメ カネ美食品 カノークス 川崎設備工業 菊水化学工業 木曽路 キムラユニティー クリップコーポレーション クロスプラス クロップス ケイティケイ ゲオホールディングス コメ兵 サガミチェーン サンゲツ 三洋堂書店 サンヨーハウジング名古屋 ジー・テイスト シーエスロジネット シイエム・シイ シーキューブ ジーフット ジェイグループホールディングス ジェイテクト JPホールディングス JBイレブン システムリサーチ ジャパンベストレスキューシステム ショクブン シンクレイヤ 新東工業 シンポ 進和 スズケン ダイコク電機 大成 ダイセキ ダイセキ環境ソリューション 大同特殊鋼 大同メタル工業 ダイナパック 大日本木材防腐 大宝運輸 太洋基礎工業 タイヨーエレック タキヒョー 竹田印刷 中央製作所 中央発條 中京銀行 中部鋼板 中部証券金融 中部飼料 中部水産 中部電力 中部日本放送 デ・ウエスタン・セラピテクス研究所 ティア ディー・ディー・エス DMG森精機 テクノホライゾン・ホールディングス テスク 東海エレクトロニクス 東海染工 東海旅客鉄道 東建コーポレーション 東邦ガス 東陽倉庫 トーエネック トーカン トーシン 徳倉建設 豊田通商 トラスト トランコム ナ・デックス 中日本興業 名古屋銀行 名古屋鉄道 名古屋木材 ニチハ 日東エフシー NITTOH 日本ガイシ 日本空調サービス 日本車輌製造 日本特殊陶業 ネクステージ ノリタケカンパニーリミテド 萩原電気 初穂商事 VTホールディングス 藤久 ブラザー工業 プロトコーポレーション ブロンコビリー マックスバリュ中部 丸栄 丸八証券 御園座 ミタチ産業 ミツワ自動車 美濃窯業 御幸毛織 名港海運 名工建設 明治電機工業 名鉄運輸 名糖産業 メディアドゥ メニコン メルコホールディングス ヤガミ 矢作建設工業 ヤマナカ ヨシタケ リゾートトラスト リンナイ その他の主な企業 愛知トヨタ自動車 愛知日野自動車 アオキスーパー 青柳総本家 あつた蓬莱軒 安部製菓 イチビキ イノアックコーポレーション エクシング エルモ社 大島食品工業 オークローンマーケティング 春日井製菓 河合塾 川本製作所 京楽産業ホールディングス グリーンシティケーブルテレビ 興和 コメダ サングリーン 三和化学研究所 シーテック 敷島製パン シヤチハタ 新東通信 スーパージャンボ スギムラ化学工業 鈴木バイオリン製造 宝交通 玉野総合コンサルタント 中京テレビ放送 中電シーティーアイ 中日新聞社 中部経済新聞社 つばめグループ デビカ 東海テレビ放送 東海東京証券 東海マツダ販売 豊島 トヨタコミュニケーションシステム トヨタファイナンシャルサービス トヨタホーム トヨトミ 中日本高速道路 中日本氷糖 名古屋トヨペット 日本コンクリート 日本ゼネラルフード 日本メナード化粧品 パブリック パロマ 引越社 フジパングループ本社 フルタ電機 ベントマン ホーユー マコロン製菓 松山製菓 丸川製菓 宮商事 めいらくグループ 安井家具 山一 山下工作所 ライオン交通 ワシントンホテル 交通 空港 現在、名古屋市の空の玄関口は、市南郊の知多半島にある常滑市沖に浮かぶ海上空港中部国際空港(セントレア)と市北郊の北区・小牧市・豊山町・春日井市にまたがる県営名古屋空港(小牧空港)である。 以前国際便や国内線が発着していた旧名古屋空港(小牧空港)は、2005年に開催された愛知万博と同時に開港した中部国際空港に主たる機能を移転した後、県営名古屋空港(名古屋飛行場)と改称し、現在ではERJを主力機材とするフジドリームエアラインズ (FDA) が国内9箇所(青森・花巻・山形・新潟・高知・福岡・熊本・出雲・北九州)に就航するのみとなっている。この小牧空港周辺には、国産初のジェット旅客機であるMRJを製造する三菱航空機も、名古屋飛行場敷地に隣接する土地に製造拠点を置いており、旧名古屋空港時代から航空自衛隊の小牧基地と滑走路を共同使用する軍民共用空港である。 それ以外の日本航空 (JAL)・全日本空輸 (ANA) およびデルタ航空など大手航空会社が運航する主要な国際線および国内線は、常滑市沖の人工島にある中部国際空港(セントレア)から発着しており、大型旅客機が使用される欧米線も含めた国際線は、全便が中部国際空港からの発着である。空港アクセスに関する観光案内表記では中部国際空港を「名古屋/中部」と表記し、県営名古屋空港(名古屋飛行場)を「名古屋/小牧」と表記されるため、名古屋市に航空便で到着する場合は、予めどちらの空港へ到着するのか注意が必要である。 中部国際空港からは、デルタ航空によるアメリカ合衆国/デトロイト線や、ルフトハンザドイツ航空によるドイツ連邦共和国/フランクフルト線、フィンエアーによるフィンランド共和国/ヘルシンキ線などの欧米諸国との間に国際定期直行便が運航されている他、東南アジア及び東アジア各地(中国各都市・韓国・台湾)への国際便も高頻度で定期運航されており、太平洋諸地域(ハワイ/ホノルル・グアム・サイパンなど)への直行便も1年を通して定期運航されている。2010年以降はジェットスタージャパンや春秋航空などといった格安航空会社も中部空港へ就航し、それぞれ国内外への定期路線を運航している。基本的に国内リージョナル路線9路線が発着する北区の名古屋飛行場(小牧空港)以外は、全て常滑市の中部国際空港への到着となる。 このうち名古屋空港へのアクセスは、鉄道のアクセスはないがバスと都市高速道路が整備されている。なお、中部国際空港へのアクセスは、名古屋市南部の鉄道ターミナル駅である金山総合駅や、JR東海本社ビルと地下通路で連絡している名鉄名古屋駅から空港特急及び空港急行が発着している。名鉄名古屋駅と名鉄常滑線・空港線直通特急ミュースカイにより最速28分で結ばれている。また各区の中心駅や郊外名東区藤が丘など、市内各所中心地から中部国際空港へ向かう高速バスも運行されている。 鉄道・バス 鉄道の名古屋駅は名古屋の旧城下町の西の笹島と呼ばれていた湿地を埋め立てた場所に位置し、現在では名古屋市の都心の一つとなっている。東海旅客鉄道(JR東海)名古屋駅の他に名鉄名古屋駅、近鉄名古屋駅、地下鉄・あおなみ線の名古屋駅があるが、それらをまとめて「名古屋駅」、あるいは略されて「名駅」(めいえき、めーえき)と呼ぶことがある。名駅という呼称は、周辺の正式な地名に採用されている。 地下鉄と市バスを経営する名古屋市交通局を中心に、鉄道はJR東海、名古屋鉄道(名鉄)、近畿日本鉄道(近鉄)の主要3社が乗り入れている。バス路線は市バスの他、名鉄グループの名鉄バス、近鉄グループの三重交通などが周辺区を中心に路線を運営している。 代表的なターミナル駅としては名古屋駅・名鉄名古屋駅・近鉄名古屋駅・栄駅・金山駅・大曽根駅がある。 市内の鉄道利用については、市内主要地域の大部分をカバーする地下鉄が圧倒的である。その他の鉄道3社は名古屋駅等市内中心部主要駅と郊外都市との連絡が中心で、市内相互輸送については名鉄本線名古屋 - 神宮前、JR中央線名古屋 - 大曽根を除き、首都圏に比べ日常的な利用はさほど多いとはいえない。また、自動車通勤の抑制を期待して整備された西名古屋港線(あおなみ線)だが、運営する第三セクタ���名古屋臨海高速鉄道の当初の利用予測を大きく下回っており、苦しい経営が続いている。 バス利用についても市バスが路線密度の高さから最も多くの利用者を集めているが、自家用車の攻勢や地下鉄との路線重複等もあり、大部分の路線が赤字である。このため名古屋市交通局は、ここ数年バス路線の再編成を短いサイクルで行っており、利用者数の少ない路線の廃止、本数削減などの措置が実施されている。 名鉄バス、三重交通バスについては、一部地域での運営にとどまっているが、基幹バスや星ヶ丘駅発着路線など、利用率の高いものもある。 代表的なバスターミナルとして名古屋駅地区の名鉄バスセンター・名古屋バスターミナル、栄地区のオアシス21バスターミナルがあり、多くの中長距離路線バスが乗り入れている。この他地下鉄の主要駅を中心にバスターミナルが設置され、周辺区において地下鉄へのフィーダー輸送の役目を果たしている。 バスの乗車方法は、市バスが前乗り後降り先払いであるのに対し、名鉄バス・三重交通バスは後乗り前降り後払い方式である。(市バスでも、名鉄と共同運行する基幹2系統やゆとりーとラインでは後乗り前降り後払いの方式を採っている。) 運賃は、市バスがゆとりーとラインの高架区間を除き均一制。名鉄バス・三重交通バス並びにゆとりーとラインは整理券による区間制である。(ただし、市バスの高速1系統の名古屋高速道路通過区間は10円加算、名鉄バスと三重交通バスの市バス競合区間は市バスと同額の均一制である。) 東海旅客鉄道(JR東海) - 名古屋駅 - ■東海道本線 - 名古屋駅 - 尾頭橋駅 - 金山駅 - 熱田駅 - 笠寺駅 - 大高駅 - 南大高駅 - ■中央本線 - 名古屋駅 - (山王信号場) - 金山駅 - 鶴舞駅 - 千種駅 - 大曽根駅 - 新守山駅 - ■関西本線 - 名古屋駅 - (笹島信号場) - 八田駅 - 春田駅 - 名古屋鉄道 名古屋鉄道(名鉄) NH名古屋本線 - 東枇杷島駅 - 栄生駅 - 名鉄名古屋駅 - 山王駅 - 金山駅 - 神宮前駅 - 堀田駅 - 呼続駅 - 桜駅 - 本笠寺駅 - 本星崎駅 - 鳴海駅 - 左京山駅 - 有松駅 - 中京競馬場前駅 - IY犬山線 - 中小田井駅 - 上小田井駅 - TA常滑線 - 神宮前駅 - 豊田本町駅 - 道徳駅 - 大江駅 - 大同町駅 - 柴田駅 - CH築港線 - 大江駅 - (名電築港駅) - 東名古屋港駅 ST瀬戸線 栄町駅 - 東大手駅 - 清水駅 - 尼ヶ坂駅 - 森下駅 - 大曽根駅 - 矢田駅 - 守山自衛隊前駅 - 瓢箪山駅 - 小幡駅 - 喜多山駅 - 大森・金城学院前駅 - KM小牧線 上飯田駅 - 味鋺駅 - 近畿日本鉄道 近畿日本鉄道(近鉄) E名古屋線 近鉄名古屋駅 - 米野駅 - 黄金駅 - 烏森駅 - 近鉄八田駅 - 伏屋駅 - 戸田駅 - 名古屋市交通局 名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄) 高畑駅 - 八田駅 - 岩塚駅 - 中村公園駅 - 中村日赤駅 - 本陣駅 - 亀島駅 - 名古屋駅 - 伏見駅 - 栄駅 - 新栄町駅 - 千種駅 - 今池駅 - 池下駅 - 覚王山駅 - 本山駅 - 東山公園駅 - 星ヶ丘駅 - 一社駅 - 上社駅 - 本郷駅 - 藤が丘駅 - 金山駅 - 東別院駅 - 上前津駅 - 矢場町駅 - 栄駅 - 久屋大通駅 - 市役所駅 - 名城公園駅 - 黒川駅 - 志賀本通駅 - 平安通駅 - 大曽根駅 - ナゴヤドーム前矢田駅 - 砂田橋駅 - 茶屋ヶ坂駅 - 自由ヶ丘駅 - 本山駅 - 名古屋大学駅 - 八事日赤駅 - 八事駅 - 総合リハビリセンター駅 - 瑞穂運動場東駅 - 新瑞橋駅 - 妙��通駅 - 堀田駅 - 伝馬町駅 - 神宮西駅 - 西高蔵駅 - 金山駅 - 金山駅 - 日比野駅 - 六番町駅 - 東海通駅 - 港区役所駅 - 築地口駅 - 名古屋港駅 上小田井駅 - 庄内緑地公園駅 - 庄内通駅 - 浄心駅 - 浅間町駅 - 丸の内駅 - 伏見駅 - 大須観音駅 - 上前津駅 - 鶴舞駅 - 荒畑駅 - 御器所駅 - 川名駅 - いりなか駅 - 八事駅 - 塩釜口駅 - 植田駅 - 原駅 - 平針駅 - 中村区役所駅 - 名古屋駅 - 国際センター駅 - 丸の内駅 - 久屋大通駅 - 高岳駅 - 車道駅 - 今池駅 - 吹上駅 - 御器所駅 - 桜山駅 - 瑞穂区役所駅 - 瑞穂運動場西駅 - 新瑞橋駅 - 桜本町駅 - 鶴里駅 - 野並駅 - 鳴子北駅 - 相生山駅 - 神沢駅 - 徳重駅 平安通駅 - 上飯田駅 東海交通事業 ■城北線 - 小田井駅 - 比良駅 - 名古屋臨海高速鉄道 ■西名古屋港線(あおなみ線) 名古屋駅 - ささしまライブ駅 - (笹島信号場) - 小本駅 - 荒子駅 - 南荒子駅 - 中島駅 - 名古屋競馬場前駅 - 荒子川公園駅 - 稲永駅 - (潮凪信号場) - 野跡駅 - 金城ふ頭駅 愛知高速交通(リニモ) ■東部丘陵線 藤が丘駅 - 名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン) ■志段味線 大曽根駅 - ナゴヤドーム前矢田駅 - 砂田橋駅 - 守山駅 - 金屋駅 - 川宮駅 - 川村駅 - 白沢渓谷駅 - 小幡緑地駅 - 日本貨物鉄道(JR貨物) ■東海道本線支線(通称「名古屋港線」) 名古屋港駅 ※JR貨物が保有。 ■名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線) 名古屋貨物ターミナル駅 名古屋臨海鉄道 ■東築線:東港駅 - 名電築港駅 ■東港線:笠寺駅 - 東港駅 ■南港線:東港駅 - 名古屋南貨物駅 - ■汐見町線:東港駅 - 船見町駅 - 汐見町駅 ■昭和町線:東港駅 - 昭和町駅 ガラスコーティング名古屋市 千種区 ガラスコーティング名古屋市 東区 ガラスコーティング名古屋市 北区 ガラスコーティング名古屋市 西区 ガラスコーティング名古屋市 中村区 ガラスコーティング名古屋市 中区 ガラスコーティング名古屋市 昭和区 ガラスコーティング名古屋市 瑞穂区 ガラスコーティング名古屋市 熱田区 ガラスコーティング名古屋市 中川区 ガラスコーティング名古屋市 港区 ガラスコーティング名古屋市 南区 ガラスコーティング名古屋市 守山区 ガラスコーティング名古屋市 緑区 ガラスコーティング名古屋市 名東区 ガラスコーティング名古屋市 天白区
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holyloversoul · 7 years
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85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:47:46.90 ID:KlnwPR2u0 10位 高田馬場駅(東京都新宿区) 1日平均乗降人員 882,771人 年間乗降人員 322,211,415人 JR東 403,530人 西武 292,612人 東京メトロ 186,629人 2011年度乗降人員 868,866人(前年比+13905人 +1.60%) 2011年度順位 11位(前年比+1位) 備考 高田馬場駅は明治43年に山手線の駅の一つとして開業、赤穂浪士の一人堀部安兵衛の講談の題材になっている高田馬場(読み方は駅名と違い「たかたのばば」)に由来する 昭和2年になり西武鉄道の駅が仮開業、昭和39年には地下鉄東西線の高田馬場駅が開業し現在に至る。早稲田大学の駅としても知られまた新宿と池袋の間という好立地から利用客は多く世界10位にまで上り詰めている。 手塚治虫と縁の深い土地で、手塚プロダクションが高田馬場にあった他、鉄腕アトムの世界でもお茶の水博士の科学省は高田馬場にある設定である。駅の発車メロディが鉄腕アトムなのもそのため。 2011年度はJR、東京メトロ、西武全てが激減したが今年度はその反動が一気に来た印象が強い。 9位 品川駅(東京都港区) 1日平均乗降人員 975,277人 年間乗降人員 355,976,105人 JR東 659,358人 JR海 62,000人 京急 253,919人 2011年度乗降人員 956,564人(前年比+18713人 +1.96%) 2011年度順位 9位(前年比±0) 備考 品川駅は日本の駅としては最も古い駅である。明治5年6月に品川駅と初代横浜駅との間で仮開業となりこの時は途中駅がなかった(後に川崎駅、神奈川駅(廃止)が開業した)。同年10月に新橋-横浜の正式開業となった。 明治18年には日本鉄道品川線が乗り入れる。これは明治39年に国有化され山手線となる。大正3年には遠近分離のための京浜線が、昭和51年には「総武快速線」が当駅にも乗り入れてくる。 一方、京浜電気鉄道は北品川駅から市電共用で高輪駅まで乗り入れていたが、様々な理由で不便とされたため、品川駅との間に線路を敷設し昭和8年に品川駅として開業。 平成15年には東海道新幹線の輸送力増強の目的でJR東海が品川駅を開業。当初は一部のぞみ・ひかりが通過していたが、平成20年より新横浜駅とともに新幹線の全列車が停車となった。 駅の発展とともに開業時は海の近くであったが埋立地として周りは陸となった。現在も再開発が続いており利用客数は増加傾向。 リニア新幹線の始発駅にも決まっており1日平均乗降人員が100万の大台を突破するのは時間の問題と予想されている。 88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:48:17.97 ID:KlnwPR2u0 8位 名古屋駅 1日平均乗降人員 1,148,744人 年間乗降人員 419,291,560人 JR海 386,000人 名鉄 268,104人(2011年度) 近鉄 120,996人(2011年度) 名古屋市営 347,406人 あおなみ線 26,238人(2011年度) 2011年度乗降人員 1,130,758人(前年比+17986人 +1.59%) 2011年度順位 7位(前年比-1位) 備考 名古屋駅は明治19年の東海道本線の全通事業の一環として熱田駅と清洲駅との間に名護屋駅として開業したのが起源である。明治28年に関西鉄道線として名古屋駅が開業、明治33年には中央西線の路線が開業 明治40年に関西鉄道が国有化され関西本線となると、昭和39年には東海道新幹線の名古屋駅が開業し超特急停車駅となる。一方、関西急行電鉄は昭和13年にターミナル駅として「関急名古屋駅」を開業、幾度かの合併や駅名改称を経て昭和45年に近鉄名古屋駅に落ち着く。 昭和16年には名鉄の新名古屋駅が開業、平成17年より新名古屋駅と駅名改称。スペースの都合でとてつもなく複雑な駅となっている。 昭和32年に���名古屋市営地下鉄1号線(東山線)の名古屋駅が、平成元年には桜通線の名古屋駅が、そして平成16年に貨物線を活用して名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)が開業して現在に至る。 東京駅との熾烈な7位争いを演じている。ここ数年は名古屋駅が開発等で優位に進めていたが、東京駅の再開発も続いている。今後まだ2012年度のデータが出てない会社次第では順位が入れ替わる可能性もある。 7位 東京駅(東京都千代田区) 1日平均乗降人員 1,151,706人 年間乗降人員 420,372,690人 JR東 804,554人 JR海 178,000人 東京メトロ 169,152人 2011年度乗降人員 1,084,730人(前年比+66976人 +6.17%) 2011年度順位 8位(前年比+1位) 備考 東京駅が出来る前は、各方面でターミナル駅は分散されていた。東北方面は上野、東海道方面は新橋、中央線方面は飯田町、総武線方面は両国橋と言った具合であった。 これは西南戦争における政府の財政悪化の問題で私鉄主導によって建設された経緯があるからである。 これらは多く国有化されていったが、東京駅周辺は馬車鉄道や路面電車で代替しており混雑が問題となっていた。そこで皇居の正面に中央停車場という形で作られたのが東京駅の始まりである。こうして大正3年12月20日に東京駅が東海道本線の駅として開業。 大正8年に中央線が、大正14年には山手線の環状運転が、昭和31年には丸ノ内線が、昭和39年には東海道新幹線が、昭和43年には総武地下ホームが、そして平成2年には京葉線が開業し現在に至る。 その歴史的経緯から日本の代表駅ともいえ、全駅の中でも最格上の駅となっている(ただし交通新聞社のJR時刻表上の県代表駅では新宿駅と同格となっている) 乗降客数としては名古屋駅との熾烈な7位争いを演じている。ここ数年は名古屋駅に離され気味であったが、2012年度はグランドオープンした復興駅舎と駅再開発の影響から大幅増となり名古屋駅との競争はますます激化しそうだ 91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:48:49.28 ID:KlnwPR2u0 6位 北千住駅(東京都足立区) 1日平均乗降人員 1,488,504人 年間乗降人員 543,303,960人 JR東 397,248人 東武 435,017人 東京メトロ 576,757人 つくばエクスプレス 79,482人 2011年度乗降人員 1,464,930人(前年比+23574人 +1.61%) 2011年度順位 6位(前年比±0) 備考 明治29年に日本鉄道が現在の常磐線に当たる路線のうち、田端-土浦間を開業、北千住駅はその時に新設された。 明治32年、東武鉄道の駅も開業し、明治39年には日本鉄道が国有化、長らく北千住駅は常磐線と東武鉄道の駅に過ぎなかった。 昭和37年になって東武北千住駅が改良工事され、日比谷線の駅が開業、昭和44年に千代田線の北千住駅が、平成17年につくばエクスプレスが開業して現在に至る。 駅利用客は増え続け、更に千代田線や日比谷線の影響で上野駅からターミナル機能を奪うに至った。優等列車の停車も実施されるようになるなどして利用客数は増え続けた ここ数年は小康状態ではあるものの、元々の利用客の多さは言うに及ばずであり、東京駅や名古屋駅をも上回る規模になった。 5位 横浜駅(横浜市西区) 1日平均乗降人員 2,160,389人 年間乗降人員 788,541,985人 JR東 827,228人 東急 335,988人 京急 305,878人 相鉄 421,165人 横浜市営 128,244人 横浜高速 167,804人 2011年度乗降人員 2,128,930人(前年比+31459人 +1.48%) 2011年度順位 5位(前年比±0) 備考 横浜駅から上と北千住駅より下には約70万人の人員差(北千住駅比で約1.5倍)があり、他の巨大ターミナル駅と比べても明らかに別格の人数となる 更に名古屋駅と東京駅に比べれば約二倍にまで差が広がることからも横浜駅より上はもはや駅と呼ぶより街と呼ぶべきだという意見さえある。 初代横浜駅は明治5年に品川駅との間に鉄道路線が完成(この時は仮開業)した際に出来た駅であり、現在の桜木町駅に当たる(ちなみに桜木町駅の順位は155位)。二代目の横浜駅は大正4年に開業しこれが現在の横浜駅と同一視されている。昭和3年に現在地に移設された その後昭和3年には東横線が横浜に開業、2年後に京浜電気鉄道(現在の京急)が、更に3年後に神中鉄道線(現在の相鉄線)が、昭和51年に市営地下鉄線が、そして平成16年にみなとみらい線が開業し現在に至る 大正の開業から工事が終わらない駅として「東洋のサグラダファミリア」などと呼ばれているが、似たような傾向は大規模駅全てに見られる これだけ大きいとどこかで補修工事が必要になり、それが終わる頃には新しい工事が必要な箇所が出てくるため、工事が終わらないのは必然とも言える 92:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:49:20.38 ID:KlnwPR2u0 4位 大阪駅・梅田駅・西梅田駅・東梅田駅・北新地駅(大阪市北区) 1日平均乗降人員 2,299,235人 年間乗降人員 839,220,775人 JR西 923,260人 阪急 524,578人 大阪市 684,970人 阪神 166,427人(2011年度) 2011年度乗降人員 2,266,450人(前年比+32785人 +1.45%) 2011年度順位 4位(前年比±0) 備考 山手線に存在しない駅としては世界一の乗降人員を誇る。関西が誇る迷宮駅にして首都圏以外の駅では文句なく1位である。 明治7年に新橋-横浜に続いて大阪-神戸駅が開業したのが始まりである。明治22年に東京まで全通、また現在の福知山線を始めいくつかの私鉄が乗り入れていたがそれらは国有化されている。 一方の梅田駅はまず明治39年に阪神電鉄が延伸する形で開業、その4年後に箕面有馬電気軌道が宝塚駅との間に開業させたのが阪急梅田駅の始まりである ちなみに阪急電鉄と社名を変えたのが昭和48年である。一方地下鉄梅田駅は昭和8年に御堂筋線が仮開業したのが始まりで、2年後に本開業。昭和40年に西梅田駅が、昭和42年に東梅田駅が、平成9年に北新地駅が開業し現在に至る 2010年度までは各社ともかなりの減少を記録しており、衰退が懸念されていたが、2011年に大阪ステーションシティが開業してからは乗降人員を盛り返している。ただしベスト3に食い込むほどとは考えられていない。 3位 池袋駅(東京都豊島区) 1日平均乗降人員 2,536,921人 年間乗降人員 925,976,165人 JR東 1,101,512人 東武 471,990人 西武 479,467人 東京メトロ 483,952人 2011年度乗降人員 2,496,738人(前年比+40183人 +1.61%) 2011年度順位 3位(前年比±0) 備考 三大副都心の駅で池袋だけは成立が遅い。田端方面への支線を作るにあたっての分岐駅として明治35年に日本鉄道が信号所として開業し、翌年駅に昇格した経緯を持つ 明治39年に国有化され、長らく分岐駅として利用客は少なかった。転機が訪れたのは大正3年に東上鉄道が池袋に駅を作り、翌年には武蔵野鉄道(現在の西武)の駅が開業した 東に西武、西に東武となったのは元々どちらも別の会社を吸収合併したからである。不思議でも何でもない。昭和になるとこうした鉄道会社が経営する百貨店もオープン 昭和29年には丸ノ内線が開業し、有楽町線、有楽町線新線、更に平成20年に副都心線が開業し現在に至る。 300万の大台に乗っていた最盛期に比べるとかなり数字を落としたがそれでもベスト3にとどまっているところに池袋の大きなポテンシャルが分かる。路線図の特徴上埼玉県の文化が強い Googleで「埼玉の植民地」と検索してはいけない 93: 忍法帖【Lv=37,xxxPT】(1+0:15) :2013/10/25(金) 07:49:26.84 ID:5BJ8tQtP0 アメリカ少ないね 98:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:50:15.59 ID:v9sI1PKo0 >>93 アメリカになると車か飛行機だろ 110:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:52:32.00 ID:sAepc/R60 >>98 グーグルマップのアメリカ本土上でairportで検索してみると驚く 118:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:55:21.89 ID:lcSSkJBD0 >>110 向こうは大きな空港から小さな空港まで小型のセスナで行くとか多いよね 97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:49:54.00 ID:KlnwPR2u0 2位 渋谷駅(東京都渋谷区) 1日平均乗降人員 3,101,316人 年間乗降人員 1,131,980,340人 JR東 824,018人 東急 1,092,861人 京王 344,972人 東京メトロ 839,465人 2011年度乗降人員 3,000,435人(前年比+100,881人 +3.36%) 2011年度順位 2位(前年比±0) 備考 TOP5と6位以下程ではないが、渋谷駅と池袋駅の間には巨大な壁がある。これでも20世紀には池袋駅の方が多かったが、渋谷駅の増加と池袋駅の減少で今ではかなりの差を付けられている。 明治18年に日本鉄道の駅として開業。渋谷という名の通り谷底にある駅で開業当初はやはりほとんど利用客がいない秘境駅だった。 明治39年に国有化され山手線の駅となる。転機となったのは東急が昭和2年に東横線を通してから。その後東急主動で渋谷駅とその周辺は発展してきた。 その後井の頭線、銀座線、更に多数の路面電車が乗り入れる。路面電車が廃止されたが代わりに田園都市線や半蔵門線が開業、埼京線や湘南新宿ラインも開業し平成20年に副都心線が開業し現在に至る 渋谷は東急の五島慶太やその息子の五島昇の開発した都市であり、私鉄駅としての性格が強い。また池袋とはかなり文化が違い、神奈川の文化が強い都市である その私鉄性故に上位5駅の中では最も特徴的な駅とも言われている。東急渋谷駅は私鉄の駅の中では最も多くの乗降客を記録している(JRを入れるとJR新宿駅やJR池袋駅が多い) 2011年度から2012年度にかけての増加数は昨年までの反動と渋谷ヒカリエの効果で100,881人を記録。これは世界一だった(ただし率にすると仙台駅や大崎駅などの方が高い) 1位 新宿駅(東京都新宿区・渋谷区) 1日平均乗降人員 3,509,753人 年間乗降人員1,281,059,845人 JR東 1,485,666人 京王 714,949人 小田急 483,150人 東京メトロ 220,154人 都営 432,927人(2011年度) 西武 172,907人 2011年度乗降人員 3,470,495人(前年比+39258人 +1.13%) 2011年度順位 1位(前年比±0) 備考 あらゆる意味で狂った乗降人員数。新宿駅と渋谷駅の壁はTOP5の壁、池袋渋谷の壁に次いで高い壁である。最盛期は年間乗降人員が13億を超えており中国の人口よりも多かった。ちなみに現在でも新宿駅の年間乗降人員はインドの人口よりも多い 明治18年に日本鉄道の駅が開業、開業当初は1日平均数人しか利用客がいなかった。4年後に甲武鉄道の駅が開業。明治39年にどちらも国有化 その後、大正時代に京王電気軌道が、昭和2年に小田原急行鉄道の駅が開業、昭和27年には西武が、34年には丸ノ内線の駅もでき、京王も鉄道化された 平成に入り大江戸線が開業して現在に至る。利用客数は昭和の高度経済成長期に池袋駅を抜いてから世界一の座から一度も陥落していない 1日あたりの列車の発着本数は延べ1万に届くとも言われており、また出口の数は数百を数えこれらも世界一である 巨大駅の例に漏れず工事が永遠に終わらない駅の一つ。おそらくサグラダファミリアよりも工機は長くなるだろう 副都心線開業による新宿三丁目駅の分散により長期的には減少傾向にあるがそれがどうしたと言わんばかりの乗降人員である。最も今年度は増加しているが 99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:50:22.19 ID:CkHnLCdz0 TOP10やべぇな… 109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 07:52:18.25 ID:KlnwPR2u0 あとがき 巷でよく出回ってる世界の駅乗降客数グラフだが、あれはおそらく本物。世界各社の鉄道会社のホームページに行き数字を調べあげて計算すると数字が簡単に導ける おそらく2011年度のもので近鉄だけ特定日調査のものを使ってる(なので関西の駅の一部が少し数字が違う)ように思える 172:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/10/25(金) 08:29:28.76 ID:SUjbMs7v0 >>109 簡単に導けるwwww よくやるわ乙
世界上位100駅の乗降人員ランキングをまとめてみた
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gaibunkyoku · 7 years
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【ガイブンキョウク】3月の課題本は、村上春樹『騎士団長殺し』です!
海外文学に特化した読書会、ガイブンキョウク。
海外文学(ガイブン)を東京都文京区(ブンキョウク)で読みます。
3月の課題本は、
村上春樹『騎士団長殺し』
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<課題本> 村上春樹『騎士団長殺し』(新潮社)
<開催日時> 2017年3月31日(金)20時〜
<開催地> 東京都文京区(水道橋駅、神保町駅、九段下駅より徒歩5分)
<参加条件> 『騎士団長殺し』を読了してくること。
参加申込はツイッターアカウント(@gaibunkyoku )へDMでお願いします。毎回必ず初参加の方がいらっしゃいます。先着順ですので、お早めにどうぞ。質問も気軽にお寄せください。定員に達し次第募集は締め切ります。
→定員に達したため募集を締めきりました(2/25)。
★書評
・いしいしんじさん(新潮)
「目にみえる日本画としての「騎士団長殺し」は、卓越した画家、雨田具彦の代表作にもなり得る出来だ、と「私」によって語られる。平易なことばをたどっていくだけで、その作品が、まさしく正真正銘の名画として、目の裏に迫ってくることに、まず驚く。くりかえし、くりかえし読み、じっとその絵の前にたたずんでいたくなる(「私」が作中で日々そうしていたように)。(……)できあがった作品ばかりではない。絵を描く際の、線を引く感触、絵の具を置いていく手触り、匂い、音のみならず、画布の上でだんだんと絵が絵になっていくプロセス、絵が完成する瞬間の呼吸が、「目にみえる」「目にみえない」を波立たせながら、ことばによって示されていく」
・橋爪大三郎さん(毎日新聞)
「見かけよりかなり複雑な小説である。主人公(私)と妻(柚)が夫婦の危機を乗り越える、が大枠だ。(……)村上春樹は社会の矛盾を描かず、通俗だとみられやすい。ナチや南京事件や東日本大震災に触れたとしても、社会派ではないぞと。小説の本質を知らない批判だ。村上春樹は、人間の欲望や感性の普遍的な場所から出発し、日本から出発しない。これが川端や三島や大江と異なり、世界に受け入れられる理由である。(……)村上作品は、寓話に満ちているので、つい謎解きをしたくなる。本筋から遠ざかるばかりだ。村上は、私は抽象画をやめた、それは形象をもてあそぶだけだ、と先回りしてのべている。世界と作品は、人物と肖像画のような関係のはず。そのことを主題とする本作は、村上自身による最良の村上春樹論になっている」
・加藤典洋さん(日本経済新聞)
「全体の主題は「再生」。村上が村上でなくなろうとしている(……)今回の物語は、最後、大きな破綻と展開の予兆を迎えるところで終わっている。(……)いずれもこれまでの村上の作品におなじみの登場人物たちである。しかしそうしたなか、「私」だけがイデアとメタファーにみちた冒険の後、現実へと降りていく。俗塵にまみれ、ただの人になっていく。さて、これは新しい展開ではないだろうか。(……)たぶん、第3部は、「顔のない」謎の男と「私」の対決となるだろう。イデア、メタファーの次に来るのは現実なのだ。この三位一体の物語の途上で、この小説は、私たちに村上が村上でないところに抜け出ようとする、もがきの力感を伝えてよこす」
・内田樹さん(産経新聞)
「読み終わるのがもったいなくて、ちびちび読んだ。期待通りだった。僕は「期待通り」であることに深い満足を覚えたけれど、「期待通り」がいいことなのかどうか(作家自身にとって、あるいは文学史にとって)、わからない。(……)登場人物たちはどれもこれまでの作品の「アヴァター」たちである。その意匠の差異のうちに、作品の意味も読書の愉悦もともに潜んでいる」
・小野正嗣さん(朝日新聞)
「この作家らしい主題が満載され、世界中で読まれるハルキ・ムラカミの作風を知りたいと思う新しい読者にとっては申し分のない作品だ。作中では、人物たちの乗る車の車種や特徴がていねいに描かれるが、本作を読んでいると、随所でスペックが上がったハルキ・ムラカミという車の最新モデルを手にしているような気になる。ハルキの代名詞とも言える卓抜なメタファーから、句読点の打ち方、全体の構成に至るまで、心をこめてデザインされ、丹念に仕上げられている。乗り心地・読み心地は最高だ。でもこれでは自動運転では? 村上春樹を大いなる喜びとともに忠実に愛読してきた僕のような読者は、ハルキがいわばまだマニュアルで、読むことに思考や集中力を強いられ、全身で作品世界に没頭できた頃をつい懐かしんでしまう。とはいえ、本作の主人公の画家があえて「絵を完成させなかった」点に注目したい。環は閉じられていない」
・杉田俊介さん(東京新聞)
「読者が巻き込まれていくストーリーテリングのうまさは健在」「いつものパターンを繰り返しながらも、人物描写に立体的な厚みが加わっているように感じた」「私たちが何かを本当に深く信じるために、ゆっくり必要な時間をかけること、ものごとを複雑なままのみ込んで消化していくことの大切さを描いている。世界的に何が真実なのか見えにくい時代にあって、今回も非常にアクチュアルな(現実に向き合った)作品だと思う」
・石原千秋さん(東京新聞)
「インセスト(近親相姦)の欲望。肖像画を描いているのだから当たり前なのに「上半身」が強調されるのは、彼の関心が実は秋川まりえの下半身に向いているからだろう。そういう文学的想像力が働きはじめると、登場するすべての女性が重ね合わされているように見えてくる。(……)女性たちとの関係の中心にインセストの感覚を埋め込むことで、現実は可能世界に変容する。村上春樹文学は、それまでの男たちと女性たちとの関係を書き換えたと言っていい。主人公は会話では「ぼく」と言うが、この「手記」を書くときには「私」だ。「僕小説」とまで呼ばれる呼ばれる村上春樹の文学転回を読んでいい。村上春樹はまだまだ若い」
・ロバート・キャンベルさん(朝日新聞)
「短距離に連なる未来たちの間を縫うように、主人公は過去を省み、「むしろ失ってきたもの、今は手にしていないものによって前に動かされている」意識を深めざるを得ない。単調(な描写)から読者を掬い上げ、目覚めさせ、緊張の渦に巻いてくれるのは「私」が本来嫌いな暗く閉ざされた狭い空間の風景。小さな棺。祠の奥に潜む石室。離婚届が入った返送用封筒。顔のない男のいる深い「メタファー通路」。真実をめぐるいくつもの通路を抜け、「私」が再生する物語である」
・ロバート・キャンベルさん(天理時報)
「肖像画は、写真のように客体を正確に再現するのではなく、対象のエッセンスを取り込み、解体して、キャンバスの上に組み直す。単なる外見では窺い知れない、謎をも含んだ「真実」を描き切ったものだ。「私」は、そう覚る。何が真実で、何が嘘かが見分けづらくなった今の世界にあって、エッセンスを取り込み、謎が残ることも受け入れ、しかし同時に、真実を淡々と語り合う努力を止めないことこそが、求められているのではないか。長い小説を読み終えて、私にはそんな読後感が残った。ファンタジーな長編小説に、現実に向けたシャープな問いかけが、いくつも埋もれているように感じた」
・斎藤美奈子さん(朝日新聞)
「この機に村上作品を読んでみようと思うなら、本書は最初の一冊にぴったりかもしれない。「これぞ村上春樹!」なサンプルがここには詰まっているからだ。(……)しばらく楽しく遊んだら、あなたは無事地上に戻ってこられるはずだ。テーマパークみたいなものかって? うん、そうかもしれない。いったでしょ、入門編だって。謎の日本画。謎の石室。欧州と中国にまたがる戦時の記憶。読者に深読みを要求するアトラクションにはこと欠かない。それだけは保証する」
・大森望さん(週刊文春)
「小説の中身も、高まる期待に十二分に応えて、ハルキ世界の満漢全席かと思うくらいサービス満点。ひさしぶりの一人称で、おなじみのハルキ的モチーフを大量にちりばめながら、象徴的なファンタジーの世界に読者を誘う。(……)話の展開は例によって自由奔放だが、前作前々作とくらべて投げっ放し感は比較的少なく、きっちり幕が引かれる。作中では“買い手責任”という言葉が強調されるが、大丈夫、(ある登場人物の口調を借りれば)心配は「あらない」」
・佐藤優さん(週刊現代)
「刊行されたばかりであるが、名著として歴史に残ることは確実な作品だ。しかも、世界に通用する普遍的な事柄を扱っている。(……)ナチス・ドイツによるオーストリア併合だけでなく、南京事件が取り上げられているのである。ナチスにより殺された人々、日本軍により殺された人々といった他者と��対話という深刻な課題を、村上氏はこの作品の中で引き受けているのだ」
・円堂都司昭さん(Real Sound)
「ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』や、「アラバマ・ソング」の入ったドアーズのアルバムを、「私」と妻は共有していたと書いている。どちらも1960年代後半の作品である。だが、この小説は、東日本大震災が起きた2011年より数年前が舞台で、「私」は36歳とされている。懐古趣味の男なのかもしれないが、読者から主人公が年齢相応に思え��いという感想がちらほら上がっているのも無理はない。(……)『騎士団長殺し』のなかで特に目立つ音楽は、『ドン・ジョバンニ』、『薔薇の騎士』、『ザ・リヴァー』あたりになるわけだが、それ以上に印象に残る音がある。虫たちの鳴き声がなぜか消えた夜中にどこからか響いてくる、微かな鈴の音だ。その音に気づいたことで「私」は、不思議な出来事へのコミットを深めていく。作中ではいろんな形で音楽が流れていることが多いから、対照的に静かな場面が際立つのだ。ふり返ってみれば村上作品はたいてい、音楽にあふれていると同時に、静かな時間がポイントになってもいた。こうした音響設計が、村上作品の魅力の一つとなってきた」
・栗原裕一郎さん(東洋経済オンライン)
「村上春樹の過去作をきわめてよく彷彿させる作品になっている。(……) いかにも村上春樹的な「私」が、いかにも村上春樹的なアイテム(自動車に音楽、料理)をはべらせて、いかにも村上春樹的な登場人物たちと、いかにも村上春樹的な会話や交流を持ちながら、いかにも村上春樹的な状況と謎に巻き込まれて物語は進んでいく。(……)新作を発表するたびに「マンネリ」だの「自己模倣」だのと批判されながらも、村上春樹がこの構造を手放そうとしないのは、あるいはオブセッションなのかもしれないが、突き詰めた果てに自身の文学の目指すものがあるはずだと確信しているからに違いない。(……)村上春樹が同じ物語類型を反復しているのは、最善のメタファーを探り当てるための模索であり、より適切な描線でイデアを写し取るために要請された長い格闘なのだろう。村上春樹はおそらく自分が焼き付けるべきイデアをもうずっと前に感受している。後期の村上作品というのは、そのイデアをめぐって連綿と続けられている一連のプロジェクトのようなものなのだ」
・清水良典さん(日本経済新聞)
「予想外の世界が展開した『海辺のカフカ』『1Q84』などの近作に比べると、オーソドックスでスタンダードな書きぶりに回帰した印象だ。(……)村上は今作で2つの非常に重く、チャレンジングなテーマに取り組んだ。テーマが大きいがために、あえてオーソドックスな書き方を取ったと考えられる。テーマの1つは同じ創作者である画家の制作プロセスを丁寧に描写することを通して、作家としての信念を表明したことだ。(……)もうひとつは父親との関係だ。著者は2009年のエルサレム賞受賞時のスピーチで、前年に亡くなった父親が徴兵され、中国での戦闘に参加したことを明かしている(……)著者にとって「父」は重要なテーマで、これまで何度も取り組んできたが、十分書き切れていなかった。それが今作では安らかな「父の死」まで描いていたのが印象的だ」
・鴻巣友季子さん(日本経済新聞)
「村上作品としてこの十数年で最も面白いものだと思う。一人称の文体に回帰し、自己批評やユーモアも戻ってきた。(……)様々なモチーフが盛りだくさんの物語のわりには、作家が書き残したことが多いという読後感が残った。例えば東日本大震災については最後に出てくるだけだし、難民や排外主義など現代世界が向きあっている大きな問題は書かれていない。性的描写のセンスも含め、作家の認識と世界の実態との間のズレが大きすぎるのではないか。時代の時事風俗の書き込みを活かしてきた作者だけに、もっと今の視点がほしい。結局は個人が自分の中の闇と対峙するという話にとどまり、手の込んだセッティングをしたわりにはスケールの小さい物語になっている。過去の作品から先に進んだという印象はあまり受けなかった」
・鴻巣友季子さん(毎日新聞)
「自己の闇と悪に対峙し、その深みへと降りていく通い路(パッセージ)を探す物語である。一方、親になることを巡る話でもある。『羊をめぐる冒険』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』などの代表作との濃厚な共通項があり、もはやセルフパロディや過去作のリユースという範疇を超え、全仕事を総括した二十一世紀版「春樹ワールドの語り直し」とも感じられる。(……)初期作から続く「根源的な悪」が大きな主題だが、社会的コミットメントを描いてきたここ二十年の作品に比べ、本作では、具現化された悪人との対決はない。とはいえ、「騎士団長殺し」の絵の背景には、ナチス支配と、南京入城がある」
・鴻巣友季子さん(小説トリッパー)
「本作で注目したいのは、「親になりたがる男たち」のオブセッションである。先行作で、祝福されるものになった子どもの存在だが、『騎士団長殺し』ではさらに、主人公の男性とその隣人がどちらも、進んで父親になりたがる。(……)主人公と免色は鏡像関係にある。どちらも、(1)突然女性に去られ、(2)その女性はすぐに別な男性に鞍替えし、(3)しかし他の男性のもとにいる元パートナーが産んだ(産む)娘を自分の子ではと思い、その子の養父に積極的になろうとする。男性のここまで能動的で前のめりの親願望が、村上作品で描かれたのはさすがに初めてではないか」
・沼野充義さん(日本経済新聞)
「新しいと感じたのは主人公の「私」を画家に設定したこと。洋画と日本画の違いについての絵画論を「私」が語るのだが、これは欧米文学と日本文学の接点、つまり村上の立ち位置を表明しているように感じた。「私」の年齢が36歳というのも興味深い。かつて村上作品の主人公の多くはもっと若かった。(……)政治的・社会的なコミットメントでいえば、現代への直接的な言及がないことに批判もあるかもしれない。ただナチスドイツ支配下のウィーンや南京虐殺などの昔の出来事、直近では東日本大震災に触れている。今の日本を意識しながら、村上なりの物語の仕方で現代について語っているのだと思う」
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『騎士団長殺し』(村上春樹、新潮社)
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。『1Q84』以来、7年ぶりの書き下ろし本格長篇。
【村上春樹】1949年、京都府生まれ。1979年に『風の歌を聴け』(講談社)でデビューする。主な長篇小説に『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』(講談社)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』(新潮社)がある。短篇小説集、エッセイ集、紀行文など著書多数。スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、レイモンド・チャンドラー、J・D・サリンジャー、ティム・オブライエンなどの翻訳でも知られる。2006年にはフランツ・カフカ賞を受賞した。
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villa-chitose · 7 years
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平日施工のお客様がルミクールSD、シルフィードがさらに4,000円引きに!(カーフィルム名古屋)
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カーフィルムの施工が年間1000台以上は関東地域・安さナンバーワン!(カーフィルム名古屋)
激安カーフィルム・車のスモークフィルム!「ルミクールSD」は東京・神奈川の平均価格よりも24,098円、「シルフィード」は15,390円もお得です。他社と比較してください!
※弊社は色褪せのある外国製の使用ではなく、すべて日本製ですので5年以上は色褪せしません。
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カーフィルム・車フィルム・スモークフィルムってなんで貼るの?(カーフィルム名古屋)
まずは優先されるのがプライバシーの保護になり、日本車のプライバシーガラスでも透過率が20~30%になり、平均で25パーセント位が多いでしょう。 下記の画像の左側が透過率20%になり、右側画像が30%になり、通常のプライバシーガラスですと、かなり室内が見えてしまいます。
 
                                                         しかし、プライバシーガラスの上からカーフィルム透過率7%のフィルムを施工しますと、透過率1~2%になりますので、ほぼ外観からは見えませんので、盗難防止などにもつながります。 下記画像はプライバシーガラスの上から透過率7%施工後の画像になります。
では、室内からの視界性はどうなの?
↑どの透過率のカーフィルムを施工しても、もともとのプライバシーガラスより若干濃くなるぐらいですので、外観の色合いだけ決めて頂ければ、室内の視界性は良好です。
UVカット(紫外線カット)カーフィルムってなに?(カーフィルム名古屋)
UVカット(紫外線カット)カーフィルムは日焼けの防止や室内のインテリアの色褪せを防ぐフィルムになっております。 今の日本車の殆どは運転席・助手席のみUVカットガラスになっており、フロントガラスや後部座席のリア3面、5面のガラスにはUVは入っておりません。 プライバシーガラスが黒いから日焼けしないかと言うと違います。下記のガラスのようにガラス右下部分にUV,UVS,UVUと記載がなければUVカットされてないので日焼けします。皆さんのガラスはどうでしょうか? 外車の90%以上はほぼUVすら入っておりません。 NSコーポレーションのカーフィルムは全てUV99%カットになります。
ガラスごとに下記のUV,UVS,UVUの刻印があるか確認してみてください。
赤外線カット カーフィルムって何?(カーフィルム名古屋)
殆どのお客様がUVカットがあれば暑さ対策や冬場の保温性につながると思われておりますが、UVの他に赤外線もカットしなければ暑さ対策にはなりません。
例として、ルミークルSDを全体的に施工した場合は車内温度に変化はありませんが、ウインコスを全体的に施工すると車内温度は5度位変化し、シルフィード カーフィルムを施工しますと車内温度は11度位変化しますので、燃費の向上にもつながります。 特に外車はガラスの透明度が日本車よりも遥かに高いのでシルフィード カーフィルムをお勧めします。
※よくある赤外線カット率ですが、カット率の測定は測定機関があるわけではなく、メーカーごとに独自の測定結果ですので、実際は体感温度が大事になります。 弊社では実際、体感でき、過去のお客様も体感の違いを実感して頂いております。 皆さんかなり違うと言います!
カーフィルムの種類と性能の違い(カーフィルム名古屋)
ルミクールSD
※ルミークルSDは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。
ウインコス
※ウインコスは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。
シルフィード
※シルフィードは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が11度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 シルフィードはベンツなどを取り扱うヤナセの指定フィルムですので、外車にお勧めです。
※透明断熱フィルムFGR‐500 FGR‐500はシルフィードと同じ効果があります。フロント・運転席・助手席にも施工可能です。 透過率は1%しかダウンしないので、どの車でも施工可能となります。
ニュープロテクション
※ニュープロテクションは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。 一番、黒いカーフィルムを貼りたい場合は透過率5%があります。
※ニュープロテクション インフレットピュア 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 安くフロント・運転席・助手席に施工したい場合はインフレットピュアをお勧めします。 但し、日本車の運転席・助手席は透過率73%位であり、インフレットピュアを施工しますと透過率が5%ダウンしますので、ガラスの透明度の高い外車がメインになります。
3Mカーフィルム
※3Mカーフィルムは自動車整備指定、認証工場のみが取り扱えるフィルムになり、ディーラーの殆どがIR機能のついた「3M カーフィルム」が性能的にも主流になっており、フィルムの性能も今までとは違い200層を超える薄い膜を重ねた特殊な高級フィルムとなっております。
カーフィルム5年保証(カーフィルム名古屋)
※お客様の車が車両保険に加入していてガラスが破損した場合、相手方に車をぶつけられてガラスが破損した場合、カーフィルムも保険の対象になります。
NSコーポレーションのカーフィルムは激安ですが、すべてが日本製であり、量販店のような外国製とは違い色褪せがしません! また、ベンツなどを取り扱う全国ヤナセ指定フィルム採用により、他社の断熱フィルムよりも圧倒的に体感温度は違います! シルフィードはインフレットピュア、ウインコス・スタンダードよりもUVカットはもちろん、赤外線カットがとても優れたフィルムです。
紫外線を99%カットし、心地よい優しい光と快適な車内環境を生み出します。
断熱性能の違いを体感器で検証。左側がシルフィード、右側が一般スモークフィルムで、スタート時はどちらも26.4℃を示している。
照射後、5分後の温度計は31.2℃と42.1℃を示している。シルフィードを施工した側が10℃以上低いことがわかる。
万が一の事故などで側面ガラスが割れた場合、ガラスが割れて細かく飛び散り大変危険です。
シルフィードを施工したガラス。ガラスは割れますが、フィルムによって飛散が抑えられ、安全性を確保できます。
フロント透明断熱フィルムも施工しております!
カーフィルム「シルフィード」全体的に施工すると車内温度が10度変化します!
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カーフィルム名古屋の地域概要
名古屋市(なごやし)は、愛知県西部(尾張地方)の政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。 概要 東京特別区部を除けば、横浜市・大阪市に次ぐ全国第3位の人口を有する都市であり、都市圏人口も三大都市圏の一つに当たる中京圏の中枢都市である。中京圏を擁する中部地方の政治・経済・文化・交通の中枢となっている。 栄と名駅が広域集客可能な繁華街となっており、栄と名駅一帯には広大な地下街が発達している。それに伴い、地下鉄網も充実している。地元住民は名古屋駅のことを「名駅」(めいえき)と呼び、これは名古屋駅周辺の行政地名(中村区・西区名駅一から五丁目、中村区名駅南一から五丁目)にもなっている。2008年にはユネスコの創造都市に認定された(日本では神戸市と共に初であり、デザイン部門でも神戸市と中華人民共和国の深圳市と共にアジア初の認定)。市章は、現在の名古屋市を拠点に尾張を統治した親藩、徳川御三家筆頭格の尾張徳川家の合印に由来する「八」である。 同市は2012年、域内総生産は約37兆円であり、世界第18位の都市である。 2016年では、都市的地域の人口は約1004万人であり、世界第36位の都市である。 また、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第69位の都市と評価された。 しかし国内では、同市は2016年6月に東京23区と札幌、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡の7市に住む20~60代の人間を対象にインターネット調査を実施しており、各都市から418人ずつ回答を得られている。それによると、「最も魅力に欠ける都市」では、大阪(17.2%)を引き離して30.1%に上り、「最も魅力的に感じる都市」に名古屋を選んだのは全体の3%で最下位となっている。そして「どの程度行きたいか」を尋ねて指数化したところ、名古屋は「1.4」となり、首位京都(37.6)の27分の1という結果となっていたことが明らかとなった。このような結果を踏まえて、名古屋の情報・魅力を如何にして国内外に対して発信・宣伝していくのか、戦略を大きく考えていくことが課題であるとされている。 地理 愛知県の南西部、濃尾平野に広がる。県内では、豊田市・新城市・岡崎市に次いで4番目に広い面積を有する市である。市全体を概観すると、市西南部の港区は海抜0mの臨海工業地帯で日本屈指の国際貿易港である名古屋港を有し、港区の西部は市最大の穀倉地帯が広がる。 市の南部の南区西部は港区同様に工業地帯が広がるが、北部の駆上は隣接する瑞穂区の新瑞橋駅の恩恵を受け商業が発達している。 市の北部の北区、北西部の西区・南西部の中川区は住宅地が広がる。 市の北東部の守山区・千種区、東部の名東区・天白区、南東部の緑区は海抜50m - 100mの丘陵住宅街で、千種区の東山公園・平和公園、守山区の小幡緑地、名東区の猪高緑地オアシスの森・牧野ヶ池緑地、緑区の大高緑地などの森林を残した大規模な緑地公園も点在する。 市の中核を担う中区・東区・中村区・熱田区・昭和区・瑞穂区は海抜10mから15mの平野で、市役所・愛知県庁を有する中区の丸の内・錦・栄・女子大小路・矢場町・大須・金山、東区の東桜・泉・白壁、中村区の名駅、熱田区の神宮、昭和区・天白区の八事、千種区の今池、星ヶ丘は名古屋市内でも特に商業が発達している地区で、集客力のある商業施設やオフィスビルが連なる。 自然環境では市内に1571の昆虫が生息し、これは県下の26%に当たる。市内東部ではリス、タヌキ、イエコウモリ、コウベモグラ、ノウサギ、キツネの生息が確認されている。野鳥類では現在約240種が生息している。 湾:伊勢湾 山:東谷山 川: 一級河川 庄内川水系:庄内川、矢田川、守山川、香流川、隅除川、天神川、新川、水場川、合瀬川、大山川、���地蔵川、堀川(黒川)、新堀川、八田川、長戸川、野添川 二級河川 天白川水系:天白川、扇川、大高川、瀬木川、手越川、藤川、植田川、繁盛川 日光川水系:日光川、戸田川、福田川 山崎川水系:山崎川 境川水系:境川 その他、東小川、藤ノ木川、荒子川、中川運河、大江川、郷下川、愛知用水 池:牧野ヶ池、猫ヶ洞池、水主ヶ池、茶屋ヶ坂池、明徳池、塚ノ杁池、大根池、御深井池、他多数 干潟:藤前干潟 地域 市内の地名 行政区 画像の詳細 守山区北区西区中村区中川区港区熱田区中区東区千種区名東区昭和区瑞穂区南区天白区緑区 名古屋市は以下の16区で構成されている。 千種区(1937年-) 東区(1908年-) 北区(1944年-) 西区(1908年-) 中村区(1937年-) 中区(1908年-) 昭和区(1937年-) 瑞穂区(1944年-) 熱田区(1937年-) 中川区(1937年-) 港区(1937年-) 南区(1908年-) 守山区(1963年-) 緑区(1963年-) 名東区(1975年-) 天白区(1975年-) 市域と区の変遷 1898年(明治31年)8月22日 - 愛知郡那古野村、古沢村を編入。 1907年(明治40年)6月1日 - 愛知郡熱田町を編入。これにより、隣町であった宿場町「宮」を吸収。市域が倍増。 7月16日 - 愛知郡小碓村の一部を編入。 1908年(明治41年)4月1日 - 区政を実施し、中区、東区、西区、南区を設置する。 1921年(大正10年)8月 - 愛知郡呼続町、愛知町、千種町、八幡村、小碓村、笠寺村、荒子村、中村、常盤村、東山村、御器所村、西春日井郡枇杷島町、清水町、杉村、六郷村、金城村を編入。隣接町村のすべてを編入したことになり、市域が倍増。 1928年(昭和3年)3月3日 - 愛知郡天白村の八事を編入。 1930年(昭和5年)6月15日 - 西春日井郡庄内町の一部を編入。 1931年(昭和6年)7月15日 - 愛知郡下之一色町の一部を編入。 1937年(昭和12年)3月1日 - 西春日井郡庄内町全域、愛知郡下之一色町全域、西春日井郡萩野村を編入。 10月1日 - 東区から千種区、中区・西区から中村区、中区・南区から昭和区・熱田区・中川区、南区から港区を新設。 1944年(昭和19年)2月11日 - 東区・西区から北区、中区から栄区、昭和区・熱田区から瑞穂区を新設。 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区を廃止し、中区に合区。 1955年(昭和30年)4月5日 - 愛知郡猪高村・天白村を編入し、それぞれ千種区・昭和区の一部となる。 10月1日 - 海部郡南陽町・富田町、西春日井郡山田村・楠村を編入し、それぞれ港区・中川区・西区・北区の一部となる。 1963年(昭和38年)2月15日 - 守山市を編入し、守山区を新設。 4月1日 - 愛知郡鳴海町を編入し、緑区を新設。 1964年(昭和39年)12月1日 - 知多郡大高町・有松町を編入し、緑区の一部となる。 1975年(昭和50年)2月1日 - 千種区・昭和区から名東区、昭和区から天白区を新設。 1995年(平成7年)9月1日 - 日進市と境界変更。 経済 産業 平成19年度の市内総生産は14兆4267億円である[23]。これはカタールの国内総生産よりも大きく、世界で50位以内の「国」に相当する経済規模を有している。また、名古屋中小企業投資育成などのベンチャーキャピタルなども所在している。 第一次産業 市内の大半が宅地、商工業地帯となっているため全般には振るわない。農地の大半は庄内川以西の中川区や港区に立地し、野菜と水稲を栽培し、大消費地に立地するという優位性を生かした、地産地消の推進に取り組んでいる。 かつて天白区では天白リンゴと呼ばれるリンゴが存在しており、青森のリンゴよりも収穫が早かった。 中川区大蟷螂町には西洋野菜の改良普及を行っていた野崎採種場があり、白菜、キャベツ、イチゴ、ニンジン等の品種改良が行われていた。 鍋料理に欠かせない白菜の発祥の地である。そのため現在でも白菜の品種名は「野崎(中川区に由来する)白菜二号」や「愛知白菜」など名古屋と関連する名前が多い。 フキの生産量が全国一位である愛知県東海市をはじめとして、名古屋市西部を中心に食用フキの栽培が盛んである。 水産では下之一色では昭和30年頃まで漁港だったが漁業権を返上してからも当時のなごりで魚市場が存在する。 小規模ではあるが、市内の運河や堀川などから出航し、イカナゴ・イワシなどを漁獲する水産業もある。民間の釣り船では名古屋港内でハゼやスズキが釣れる。 第二次産業 豊田市や四日市市などとともに、中京工業地帯の中核であり、自動車産業、航空宇宙産業、鉄鋼、セラミックス産業等が盛んである。製造品出荷額では県内では豊田市に次ぎ、全国5位にランクする。鉱業はかつて名東区の牧野ヶ池緑地付近には炭鉱があり、亜炭を産出していたが、現在は閉山している。 主要な製造業の工場 ノリタケ本社工場(西区) 東レ愛知工場(西区堀越) 三菱電機名古屋製作所矢田工場(東区矢田) アサヒビール名古屋工場(守山区) 三菱重工業岩塚工場(中村区岩塚) 日清製粉名古屋工場(中川区長良) 東海旅客鉄道名古屋工場(中川区長良) リンナイ愛知工場(中川区愛知) 中部鋼鈑本社工場(中川区) 中日本氷糖本社工場(中川区玉川) 日本ガイシ名古屋工場(熱田区) 日本特殊陶業本社工場(瑞穂区) 愛知機械工業熱田工場(熱田区) 愛知時計電機本社工場(熱田区) パロマ本社工場(瑞穂区桃園) トヨトミ本社工場(瑞穂区桃園) ブラザー工業瑞穂工場(瑞穂区) ブラザー工業桃園工場(瑞穂区桃園) ブラザー工業星崎工場(南区) 大同特殊鋼星崎工場(南区星崎) 三井化学名古屋工場(南区) 愛知機械工業永徳工場(港区野跡) UACJ名古屋製造所(港区千年) 三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所大江工場(港区大江) 東レ名古屋事業場(港区大江) 三菱ふそうトラック・バス大江工場(港区大江) ニチハ名古屋工場(港区汐止) 日本製粉名古屋工場(港区入船) 東亞合成名古屋工場(港区昭和) 大同特殊鋼粉末工場(港区竜宮) 日本車輌鳴海工場(緑区鳴海) 第三次産業 名実ともに中京圏の商業の中心地であり、前述の通り栄、名駅、大須、金山など市外、県外からの集客力のある商業地帯が存在する。近年、一部の大都市を除く多くの商店街がロードサイドショップの進出等によって空洞化に喘ぐ中、賑わい活気のある市街地といえる。また映画撮影で、最近では邦画の舞台として名古屋市内の街並みが登場する事が増えてきた。(AMV限定生産作品終わりのセラフやたけし映画映画『龍三と七人の子分たち』などが該当する。また街中で東海圏テレビ放送局が番組を収録している平日午後などは、全国区で活躍しているタレントに出会える可能性が高い地区も市内に複数ある。大須栄名古屋駅) 主な商業施設 名古屋市にある百貨店の松坂屋 (Matsuzakaya)・三越 (Mitsukoshi)・丸栄 (Maruei)・名鉄百貨店 (Meitetsu) で、4Mデパートと呼ばれる。最近ではこれに高島屋 (Takashimaya) を入れて4M1Tとも呼ばれる。2015年(平成27年)現在、年間売上高は高島屋が首位で以下、松坂屋、三越、名鉄百貨店、丸栄と続く。 栄 松坂屋本店 三越名古屋栄店 ラシック 丸栄本店 名古屋パルコ ナディアパーク 名駅 ジェイアール名古屋タカシマヤ 名鉄百貨店本店 近鉄パッセ JRゲートタワー(2017年開業予定) ビックカメラ名古屋駅西店 ミッドランドスクエア 大名古屋ビルヂング KITTE名古屋 大須 コメ兵 大須301ビル グッドウィル 万松寺ビル アサヒドーカメラ 金山 アスナル金山 イオンモール熱田 イオン金山店 Loop金山 その他地区の主な商業施設 星が丘テラス(地下鉄東山線星ヶ丘駅) 星が丘三越(地下鉄東山線星ヶ丘駅) イオンモール大高(JR東海道本線南大高駅) イオンモール熱田(名鉄名古屋本線金山駅・神宮前駅) イオン八事店(地下鉄名城線八事駅) イオンモール名古屋茶屋 イオンタウン千種(JR中央線鶴舞駅高架沿い北側) イオンモールナゴヤドーム前(ゆとりーとライン、名城線ナゴヤドーム前矢田駅) イオンモール名古屋みなと(あおなみ線荒子川公園駅) イオンモール新瑞橋(地下鉄名城線・桜通線新瑞橋駅) mozo ワンダーシティ(地下鉄鶴舞線上小田井駅) ヒルズウォーク徳重ガーデンズ(地下鉄桜通線徳重駅) 市内に本社・本店を置く主な企業 上場企業 アイケイ アイサンテクノロジー 愛知機械工業 愛知銀行 愛知時計電機 アイホン 朝日インテック アトム アルペン 医学生物学研究所 伊勢湾海運 ヴィレッジヴァンガードコーポレーション ウッドフレンズ エイチーム エスケーアイ エスポア NDS株式会社 エムジーホーム オータケ 岡谷鋼機 尾張精機 買取王国 カゴメ カネ美食品 カノークス 川崎設備工業 菊水化学工業 木曽路 キムラユニティー クリップコーポレーション クロスプラス クロップス ケイティケイ ゲオホールディングス コメ兵 サガミチェーン サンゲツ 三洋堂書店 サンヨーハウジング名古屋 ジー・テイスト シーエスロジネット シイエム・シイ シーキューブ ジーフット ジェイグループホールディングス ジェイテクト JPホールディングス JBイレブン システムリサーチ ジャパンベストレスキューシステム ショクブン シンクレイヤ 新東工業 シンポ 進和 スズケン ダイコク電機 大成 ダイセキ ダイセキ環境ソリューション 大同特殊鋼 大同メタル工業 ダイナパック 大日本木材防腐 大宝運輸 太洋基礎工業 タイヨーエレック タキヒョー 竹田印刷 中央製作所 中央発條 中京銀行 中部鋼板 中部証券金融 中部飼料 中部水産 中部電力 中部日本放送 デ・ウエスタン・セラピテクス研究所 ティア ディー・ディー・エス DMG森精機 テクノホライゾン・ホールディングス テスク 東海エレクトロニクス 東海染工 東海旅客鉄道 東建コーポレーション 東邦ガス 東陽倉庫 トーエネック トーカン トーシン 徳倉建設 豊田通商 トラスト トランコム ナ・デックス 中日本興業 名古屋銀行 名古屋鉄道 名古屋木材 ニチハ 日東エフシー NITTOH 日本ガイシ 日本空調サービス 日本車輌製造 日本特殊陶業 ネクステージ ノリタケカンパニーリミテド 萩原電気 初穂商事 VTホールディングス 藤久 ブラザー工業 プロトコーポレーション ブロンコビリー マックスバリュ中部 丸栄 丸八証券 御園座 ミタチ産業 ミツワ自動車 美濃窯業 御幸毛織 名港海運 名工建設 明治電機工業 名鉄運輸 名糖産業 メディアドゥ メニコン メルコホールディングス ヤガミ 矢作建設工業 ヤマナカ ヨシタケ リゾートトラスト リンナイ その他の主な企業 愛知トヨタ自動車 愛知日野自動車 アオキスーパー 青柳総本家 あつた蓬莱軒 安部製菓 イチビキ イノアック��ーポレーション エクシング エルモ社 大島食品工業 オークローンマーケティング 春日井製菓 河合塾 川本製作所 京楽産業ホールディングス グリーンシティケーブルテレビ 興和 コメダ サングリーン 三和化学研究所 シーテック 敷島製パン シヤチハタ 新東通信 スーパージャンボ スギムラ化学工業 鈴木バイオリン製造 宝交通 玉野総合コンサルタント 中京テレビ放送 中電シーティーアイ 中日新聞社 中部経済新聞社 つばめグループ デビカ 東海テレビ放送 東海東京証券 東海マツダ販売 豊島 トヨタコミュニケーションシステム トヨタファイナンシャルサービス トヨタホーム トヨトミ 中日本高速道路 中日本氷糖 名古屋トヨペット 日本コンクリート 日本ゼネラルフード 日本メナード化粧品 パブリック パロマ 引越社 フジパングループ本社 フルタ電機 ベントマン ホーユー マコロン製菓 松山製菓 丸川製菓 宮商事 めいらくグループ 安井家具 山一 山下工作所 ライオン交通 ワシントンホテル 交通 空港 現在、名古屋市の空の玄関口は、市南郊の知多半島にある常滑市沖に浮かぶ海上空港中部国際空港(セントレア)と市北郊の北区・小牧市・豊山町・春日井市にまたがる県営名古屋空港(小牧空港)である。 以前国際便や国内線が発着していた旧名古屋空港(小牧空港)は、2005年に開催された愛知万博と同時に開港した中部国際空港に主たる機能を移転した後、県営名古屋空港(名古屋飛行場)と改称し、現在ではERJを主力機材とするフジドリームエアラインズ (FDA) が国内9箇所(青森・花巻・山形・新潟・高知・福岡・熊本・出雲・北九州)に就航するのみとなっている。この小牧空港周辺には、国産初のジェット旅客機であるMRJを製造する三菱航空機も、名古屋飛行場敷地に隣接する土地に製造拠点を置いており、旧名古屋空港時代から航空自衛隊の小牧基地と滑走路を共同使用する軍民共用空港である。 それ以外の日本航空 (JAL)・全日本空輸 (ANA) およびデルタ航空など大手航空会社が運航する主要な国際線および国内線は、常滑市沖の人工島にある中部国際空港(セントレア)から発着しており、大型旅客機が使用される欧米線も含めた国際線は、全便が中部国際空港からの発着である。空港アクセスに関する観光案内表記では中部国際空港を「名古屋/中部」と表記し、県営名古屋空港(名古屋飛行場)を「名古屋/小牧」と表記されるため、名古屋市に航空便で到着する場合は、予めどちらの空港へ到着するのか注意が必要である。 中部国際空港からは、デルタ航空によるアメリカ合衆国/デトロイト線や、ルフトハンザドイツ航空によるドイツ連邦共和国/フランクフルト線、フィンエアーによるフィンランド共和国/ヘルシンキ線などの欧米諸国との間に国際定期直行便が運航されている他、東南アジア及び東アジア各地(中国各都市・韓国・台湾)への国際便も高頻度で定期運航されており、太平洋諸地域(ハワイ/ホノルル・グアム・サイパンなど)への直行便も1年を通して定期運航されている。2010年以降はジェットスタージャパンや春秋航空などといった格安航空会社も中部空港へ就航し、それぞれ国内外への定期路線を運航している。���本的に国内リージョナル路線9路線が発着する北区の名古屋飛行場(小牧空港)以外は、全て常滑市の中部国際空港への到着となる。 このうち名古屋空港へのアクセスは、鉄道のアクセスはないがバスと都市高速道路が整備されている。なお、中部国際空港へのアクセスは、名古屋市南部の鉄道ターミナル駅である金山総合駅や、JR東海本社ビルと地下通路で連絡している名鉄名古屋駅から空港特急及び空港急行が発着している。名鉄名古屋駅と名鉄常滑線・空港線直通特急ミュースカイにより最速28分で結ばれている。また各区の中心駅や郊外名東区藤が丘など、市内各所中心地から中部国際空港へ向かう高速バスも運行されている。 鉄道・バス 鉄道の名古屋駅は名古屋の旧城下町の西の笹島と呼ばれていた湿地を埋め立てた場所に位置し、現在では名古屋市の都心の一つとなっている。東海旅客鉄道(JR東海)名古屋駅の他に名鉄名古屋駅、近鉄名古屋駅、地下鉄・あおなみ線の名古屋駅があるが、それらをまとめて「名古屋駅」、あるいは略されて「名駅」(めいえき、めーえき)と呼ぶことがある。名駅という呼称は、周辺の正式な地名に採用されている。 地下鉄と市バスを経営する名古屋市交通局を中心に、鉄道はJR東海、名古屋鉄道(名鉄)、近畿日本鉄道(近鉄)の主要3社が乗り入れている。バス路線は市バスの他、名鉄グループの名鉄バス、近鉄グループの三重交通などが周辺区を中心に路線を運営している。 代表的なターミナル駅としては名古屋駅・名鉄名古屋駅・近鉄名古屋駅・栄駅・金山駅・大曽根駅がある。 市内の鉄道利用については、市内主要地域の大部分をカバーする地下鉄が圧倒的である。その他の鉄道3社は名古屋駅等市内中心部主要駅と郊外都市との連絡が中心で、市内相互輸送については名鉄本線名古屋 - 神宮前、JR中央線名古屋 - 大曽根を除き、首都圏に比べ日常的な利用はさほど多いとはいえない。また、自動車通勤の抑制を期待して整備された西名古屋港線(あおなみ線)だが、運営する第三セクター名古屋臨海高速鉄道の当初の利用予測を大きく下回っており、苦しい経営が続いている。 バス利用についても市バスが路線密度の高さから最も多くの利用者を集めているが、自家用車の攻勢や地下鉄との路線重複等もあり、大部分の路線が赤字である。このため名古屋市交通局は、ここ数年バス路線の再編成を短いサイクルで行っており、利用者数の少ない路線の廃止、本数削減などの措置が実施されている。 名鉄バス、三重交通バスについては、一部地域での運営にとどまっているが、基幹バスや星ヶ丘駅発着路線など、利用率の高いものもある。 代表的なバスターミナルとして名古屋駅地区の名鉄バスセンター・名古屋バスターミナル、栄地区のオアシス21バスターミナルがあり、多くの中長距離路線バスが乗り入れている。この他地下鉄の主要駅を中心にバスターミナルが設置され、周辺区において地下鉄へのフィーダー輸送の役目を果たしている。 バスの乗車方法は、市バスが前乗り後降り先払いであるのに対し、名鉄バス・三重交通バスは後乗り前降り後払い方式である。(市バスでも、名鉄と共同運行する基幹2系統やゆとりーとラインでは後乗り前降り後払いの方式を採っている。) 運賃は、市バスがゆとりーとラインの高架区間を除き均一制。名鉄バス・三重交通バス並びにゆとりーとラインは整理券による区間制である。(ただし、市バスの高速1系統の名古屋高速道路通過区間は10円加算、名鉄バスと三重交通バスの市バス競合区間は市バスと同額の均一制である。) 東海旅客鉄道(JR東海) - 名古屋駅 - ■東海道本線 - 名古屋駅 - 尾頭橋駅 - 金山駅 - 熱田駅 - 笠寺駅 - 大高駅 - 南大高駅 - ■中央本線 - 名古屋駅 - (山王信号場) - 金山駅 - 鶴舞駅 - 千種駅 - 大曽根駅 - 新守山駅 - ■関西本線 - 名古屋駅 - (笹島信号場) - 八田駅 - 春田駅 - 名古屋鉄道 名古屋鉄道(名鉄) NH名古屋本線 - 東枇杷島駅 - 栄生駅 - 名鉄名古屋駅 - 山王駅 - 金山駅 - 神宮前駅 - 堀田駅 - 呼続駅 - 桜駅 - 本笠寺駅 - 本星崎駅 - 鳴海駅 - 左京山駅 - 有松駅 - 中京競馬場前駅 - IY犬山線 - 中小田井駅 - 上小田井駅 - TA常滑線 - 神宮前駅 - 豊田本町駅 - 道徳駅 - 大江駅 - 大同町駅 - 柴田駅 - CH築港線 - 大江駅 - (名電築港駅) - 東名古屋港駅 ST瀬戸線 栄町駅 - 東大手駅 - 清水駅 - 尼ヶ坂駅 - 森下駅 - 大曽根駅 - 矢田駅 - 守山自衛隊前駅 - 瓢箪山駅 - 小幡駅 - 喜多山駅 - 大森・金城学院前駅 - KM小牧線 上飯田駅 - 味鋺駅 - 近畿日本鉄道 近畿日本鉄道(近鉄) E名古屋線 近鉄名古屋駅 - 米野駅 - 黄金駅 - 烏森駅 - 近鉄八田駅 - 伏屋駅 - 戸田駅 - 名古屋市交通局 名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄) 高畑駅 - 八田駅 - 岩塚駅 - 中村公園駅 - 中村日赤駅 - 本陣駅 - 亀島駅 - 名古屋駅 - 伏見駅 - 栄駅 - 新栄町駅 - 千種駅 - 今池駅 - 池下駅 - 覚王山駅 - 本山駅 - 東山公園駅 - 星ヶ丘駅 - 一社駅 - 上社駅 - 本郷駅 - 藤が丘駅 - 金山駅 - 東別院駅 - 上前津駅 - 矢場町駅 - 栄駅 - 久屋大通駅 - 市役所駅 - 名城公園駅 - 黒川駅 - 志賀本通駅 - 平安通駅 - 大曽根駅 - ナゴヤドーム前矢田駅 - 砂田橋駅 - 茶屋ヶ坂駅 - 自由ヶ丘駅 - 本山駅 - 名古屋大学駅 - 八事日赤駅 - 八事駅 - 総合リハビリセンター駅 - 瑞穂運動場東駅 - 新瑞橋駅 - 妙音通駅 - 堀田駅 - 伝馬町駅 - 神宮西駅 - 西高蔵駅 - 金山駅 - 金山駅 - 日比野駅 - 六番町駅 - 東海通駅 - 港区役所駅 - 築地口駅 - 名古屋港駅 上小田井駅 - 庄内緑地公園駅 - 庄内通駅 - 浄心駅 - 浅間町駅 - 丸の内駅 - 伏見駅 - 大須観音駅 - 上前津駅 - 鶴舞駅 - 荒畑駅 - 御器所駅 - 川名駅 - いりなか駅 - 八事駅 - 塩釜口駅 - 植田駅 - 原駅 - 平針駅 - 中村区役所駅 - 名古屋駅 - 国際センター駅 - 丸の内駅 - 久屋大通駅 - 高岳駅 - 車道駅 - 今池駅 - 吹上駅 - 御器所駅 - 桜山駅 - 瑞穂区役所駅 - 瑞穂運動場西駅 - 新瑞橋駅 - 桜本町駅 - 鶴里駅 - 野並駅 - 鳴子北駅 - 相生山駅 - 神沢駅 - 徳重駅 平安通駅 - 上飯田駅 東海交通事業 ■城北線 - 小田井駅 - 比良駅 - 名古屋臨海高速鉄道 ■西名古屋港線(あおなみ線) 名古屋駅 - ささしまライブ駅 - (笹島信号場) - 小本駅 - 荒子駅 - 南荒子駅 - 中島駅 - 名古屋競馬場前駅 - 荒子川公園駅 - 稲永駅 - (潮凪信号場) - 野跡駅 - 金城ふ頭駅 愛知高速交通(リニモ) ■東部丘陵線 藤が丘駅 - 名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン) ■志段味線 大曽根駅 - ナゴヤドーム前矢田駅 - 砂田橋駅 - 守山駅 - 金屋駅 - 川宮駅 - 川村駅 - 白沢渓谷駅 - 小幡緑地駅 - 日本貨物鉄道(JR貨物) ■東海道本線支線(通称「名古屋港線」) 名古屋港駅 ※JR貨物が保有。 ■名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線) 名古屋貨物ターミナル駅 名古屋臨海鉄道 ■東築線:東港駅 - 名電築港駅 ■東港線:笠寺駅 - 東港駅 ■南港線:東港駅 - 名古屋南貨物駅 - ■汐見町線:東港駅 - 船見町駅 - 汐見町駅 ■昭和町線:東港駅 - 昭和町駅 ガラスコーティング名古屋市 千種区 ガラスコーティング名古屋市 東区 ガラスコーティング名古屋市 北区 ガラスコーティング名古屋市 西区 ガラスコーティング名古屋市 中村区 ガラスコーティング名古屋市 中区 ガラスコーティング名古屋市 昭和区 ガラスコーティング名古屋市 瑞穂区 ガラスコーティング名古屋市 熱田区 ガラスコーティング名古屋市 中川区 ガラスコーティング名古屋市 港区 ガラスコーティング名古屋市 南区 ガラスコーティング名古屋市 守山区 ガラスコーティング名古屋市 緑区 ガラスコーティング名古屋市 名東区 ガラスコーティング名古屋市 天白区
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