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#敬虔な気持ちになる
mikankurumii · 2 years
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蓮の花 ロータスロード、最後は西大寺の蓮。西大寺、とても素敵なお寺でした。駐車場のおじさん、ご親切に色々教えてくださってありがとうございました。 下の愛染堂はもとは御所の建物だったのを移築したとか。優美な屋根のフォルム。 #詩 #ポエム #poem #写真 #西大寺 #愛染堂 #朝活 #読経されてた #敬虔な気持ちになる #蓮の花 #もうすぐ散る #プラスフォト #フォトショップ練習中 #ロータスロード #トンボ撮れず #セミは撮った #カエルは皆無 #生きもの #目が慣れない #とりあえず #蓮の花love💕 #ファインダー越しの私の世界 #キリトリセカイig_japan_ #narajapan🇯🇵 https://www.instagram.com/p/CgogwGaPPNQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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zdlmlq · 6 months
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12.03.2023の日記
あなたの国は小さい子のヌード写真が多すぎるって
どのパーティーでも言われた
裸の女の子の写真があふれていて
電車の中にまで吊ってあるのは絶対おかしいって
でも、まさかその中のひとりがあたしだってことは
誰も気づかなかった
あたしは こういう所に集まるマダムたちは
エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて
馬鹿になっちゃたんだと思って育ったの
パパは「この国には肉食の文化がないから、みんな我々のように、乳飲み仔牛から腐りかけ成牛までの、色々な肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかがわからない。だから子供の裸ばかりありがたがるんだ。一種の国家的変態だよ」っていう、お得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。小さな卵を食べるのは野蛮人だって
フォクシーひと粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるって聞いたから、あたしは自分を魔女だって言ってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高によく効きますように、そして憧れのトレーシーみたいになれますように、って魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲み干した。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズ
あなたは、あたしが知る限り本当の天才、そして天使
あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ
黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)
あのヴィデオキャッセをパパから盗んでからあたしの人生は変わった
あれがバイブルになったの
あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの歳だわ。そう思うととっても変な気分。まだフォクシーは全然効いてないみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり
生きてれば74歳になるのねあたしのグレース・ケリー、生きてれば15歳になるのねあたしのジョンベネ・ラムジー
あなた方のことを考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの
パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対間違ってる
でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い
あたしはこんなに
死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか精神分析とか、そういうつまらないものが流行っていて
でも、彼女たちが好きなものは結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ
裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけれども効果はすごいんです。真っ赤な血が、うっとりするような香りで
宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には水晶以上の魔力と、生体化学的な影響力があって、まあ、若返るんだと
こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのがわかる。後で呼び止められるから絶対
それで、彼女たちの宝石箱から一つ残らず出させてね
身に付けさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです
滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える
お腹を宝石でパンパンにした御婦人が喘いでるんですから
勿論、楽しくも何ともなかった、気持ち良くも何ともなかった、嬉しくも何ともなかった
この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も通いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は二十歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて
最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて、ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいなのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし。っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました
嫌な感じの嘲笑しか出来ないから。生まれてからずっとそうなんです
復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね
アメリカのポルノ女優に憧れてるっていう日本人の女の子がいて「さっきフォクシー飲んだの」って。この子は全然踊ってなくて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた
世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。「オレみたいになるなよ」って、誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かもいない
生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って
でも諦めました。彼女は、消えてた
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
Vandome,la sick kaiseki
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岩澤瞳のいたスパンクハッピーを知ったのは18の頃で、私はそれをカーテンもソファもない部屋の中で聴きました。退屈、と発音する彼女はその声にすら感情がなくてだからこそその言葉は彼女のためにあるような気がしました。私は自分を退屈だとは思えない。それは彼女のような人にこそ似合う言葉だと思っているから。
この歌詞にこころからうんざりできる人間であれればよかったのにと思います。私は自分が暴力を振るわれる若さと身体を持っている頃から、同じ傷を誰かにつけられるほどの加害性を持っていることを自覚しました。スパンクハッピー、或いはこの音楽を私に教えた人のせいです。傷をつけることがある人間だという自覚はついた傷を責め損ないます。自分がいつだって意図せずそちら側に立つ予感は、傷の痛みや怒りよりもよっぽどおそろしいものでした。私にとって、
ヘドラの目はヴァギナを模していますが性別は割り当てられていません。少なくともその言及はない。私はゴジラ対ヘドラという映画それ自体をとても気に入っていますが、何よりもこの怪獣にとても親近感をおぼえています。
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かわいいですね。
私が自分の体に嫌悪感を持たないのは、似た身体構造をもつ人々と親しくなった際にその体をこのましく思うからで、それが自分のものだから嫌悪するのは何か、通らないのでは、と、不安になってしまうからです。もちろんそれはそれ、これはこれとわけてしまうことはできます──というか、それが正しいのですが──、どうしてもその種の理屈を自分に向けて納得させることができません。私にはそういうことがとても多い。
今日が日曜日だということをうまく感じられません。とてもねむいです、
たくさんねむれるといいなと思います。
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strabin · 11 months
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 エ、エルシャダイ海外人気あったんですの?!Tumblrでシャダイを検索したらファンアートがいっぱいでビックリした。
 昔「欧米では敬虔な信者が『キリスト教を侮辱してる!改変が酷すぎる!』ってキレ散らかされてる」っていうのを見たので、てっきりシャダイは日本だけの人気()だと思ってたけどそっかぁ……嬉しいなぁ。シャダイにハマったの2013~2016年の間で、それからずっと追ってなかったから久々にシャダイを見て懐かしいなって。胸が苦しくなるシーンはいくつかあるけど、やっぱり「ルシフェルの堕天」の部分が一番苦しいよね……。
 シャダイを振り返って思い出も振り返ろうというノスタルジーな気分に浸っているので思ってることを書く。自分語りがあるので閲覧注意。(このブログには私生活のことはあまり描かないでおこうと思っていたので該当箇所はいつか消すかもしれない)長いから畳むね。
 もう消したけど、Twitterで書いたやつを再編してここに書くのが面倒なので画像で貼っつけておく
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 ボカロ経由で初めてシャダイを知り、当時はルシフェルの美しいビジュとキザな言動がかっこよく思えたんだよなぁ。なんでも分かって何でもできる、全能感のあるキャラに見えてひどく惹かれた。そこからMADを見たり二次創作を見たりゲームもしてみたり……。二次創作は特に影響が大きかったな。自分じゃ思いもしなかったところにエモい部分を見出して描写されてる方がたくさんいて、それも含めてさらに好きになっていった。自分でも絵を見よう見まねで描くようになったな。……シャダイで初めてBLを知って以降そういう目でキャラを見るようになったのもあるねそういえば。ちなみに最初はルシイー派だったけど、原作小説を見るとイールシ派になったな。終盤はミカルシも見てた。
 そして原作小説も買って読んだ。私は全く本が読めない人で、絵本すら嫌で写真ばっかり載っている図鑑っぽい本だけを借りて眺めてた。だけど、シャダイの小説は興味があるからか時間を忘れて暗くなって怒られるまで読んだ。興味ってすごいなって思ったよね。
 それはさておき、シャダイの小説ときたらもう……。イーノックの感情がしっかり描かれてるし、アラキエルがかっこよすぎたり……なによりルシフェルがかわいそうで、なんで神はルシフェルを裏切ったの!!って同じ気持ちだったし、最後の戦いでミカエルが死んだのを悟って涙を流す描写に私も泣いた。「兄弟だからわかるんだ」みたいなことルシフェル言ってた気がする。更にだよね。目の当たりにしてないのに死が分かってしまってさ。うぅ……今思い出しても涙出そう。イーノックも神の側についちゃうし、ルシフェルがただただ孤独で当時の私はとてもとても「がな"じい"」って感じだった。まあそんな感じでシャダイにハマってたわけで。
 今思うと、私の自己認識がルシフェルの特性と重なる点が多かったからシャダイにハマったんじゃないかなって。
 当時の私の年頃(小3~6)ってまだまだ視点が低い(今高い視野を持っているというわけでもないけど)。世の中の問題やら葛藤に気づかない年頃。自分が知っているものすべてが世の中のすべてだって無意識に思っていると思うんだ。だから自分に対して絶対的な自信があるしそれこそ自分のことをルシフェルのように何でもできる全知全能完全無欠人間だと思いこんでいるわけだ。あるいは、特にその年ごろって色に染まり切っていない、価値観が固定されていないからいつかは何でもできるようになるだろうといったルシフェルに対する憧れもあったのかもしれない。少なくとも私は、そんな完全無欠で全てを悟っているクール(なように私には見えた)な彼に憧れたものだ。今思うととてもイタいけども。シャダイのあの分厚い小説を読書嫌いな小5女子が読めたのも、そういうルシフェルの全能性にあこがれ、ある種の神聖さを感じていたからだと思う。だから当時は本当にルシフェルばっかりに目が行ってたし、正直ルシ受けを見るのもルシフェルが見たかったからってだけだった。
 あれから10年ほどたった今だからこそ思うのは、シャダイのルシフェルの魅力は完全さではなく不完全さ、思春期の子供ぽい所を感じられるところじゃないかと思うんだ。「神にとって私が一番だったのに、その座をイーノックが……なぁ神?これはどういうことだ?ふざけるな!」って堕天を決意し実行、神に歯向かい世界崩壊、悲しみの宇宙を漂い続ける。この部分がね、「ルシフェルは神の右腕と言う絶対的な揺るがない自負の下、全知全能・何でもできるハイスペックな存在だったが、人間性が皆無で倫理観も葛藤もなく、いわば論理だけで全てを0か1かで判断する機械的全能者だった。しかし、ある日イーノックの天啓を知らされなかったことから自信の支えだった自信が揺らぎ、様々な苦しみや悲しみなど、人間であるからこそ存在する制約の下での経験を通して人間性を身に着けていく」という風に読めるんだよね。そしてこれが「規律やルールを全てとし、それを基に機械的に白黒つけ、またそれが絶対に正しいとおもう自分が、徐々に論理だけでは語れない部分があることを知り、これまでの考えの整合性がとれなくなり動けなくなる自分」や、「(はずかしながら)かつて(視点が低いがために)全知全能だった私が無知の知を体験し、その現実を受け入れられずにふてくされる自分」と重なり、共感性羞恥心と言うか……なんていうんだろう。むずかしいな何が言いたかったかも意味不明な分になっている……。なんか……。だめだ、分からなくなってきた。とりあえず、通じるものがあるのでイロニー・ティーチャーを載せておく。
 幼さゆえに傲慢なかつての自分を、ルシフェルを見ると思い出すわけです。その傲慢さは幼いからこそあるのかな?無垢さ故の傲慢・高慢。そして、これはBL的視点も若干交じるんだけど、そんな傲慢で全能に見えて実は全く子供なルシフェルにケチつけずずっとついていったイーノックは聖人にもほどがあるということで一旦締めます。何を言いたいんだ私は……。関係ないけど、INFPと言われる割にすごく短気だし口汚いし、私の本性は隠れているだけでお人好しのINFPではない気がする。幼少期の傲慢狡猾なイタい自分を思い出して思った。
 私はよく攻めが受けを慰める、包み込むようなCPに惹かれるんですが、イールシも例外じゃないな。ひどくショックを受けたであろうルシフェルを、彼のプライドをへし折らないような態度で接し支え続けていたイーノックはね……とそういう目でも感慨深く思いました。
 ……多分、私生活で現実逃避したい時期が来てる+家のいざこざで頭を悩ませている+自堕落な自分への罪悪感+今年度からの新しい環境に馴染めず社会性のない自分に嫌気がさしているなどで結構げっそりメンタルやられてるのかもしれない。現にちょっと体調が悪い。抵抗力が落ちている(風邪気味+口内炎が治らない+いつも以上に何もやる気になれない)最近ちょっと情緒不安定な気がするな……すこしツイッターで呟くのは控えた方が良さそう。いかにも不安定な感じが出てしまうと良くない、うざったいもんね。もう遅いかもしれないが(ツイートしては消す、を繰り返している時の私は99%メンタルやられてる)……でも、残念ながら気持ちのはけ口がどこにもないので……このブログにまた描いてしまうかもしれないが許してください。
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keredomo · 1 year
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みずから神の手を
 一つだけ手に入れるならばどれにするのか、そろそろはっきりさせなければならない。
 佳境の2022年、ついに自尊心のすべてがだめになり、秋、友人たちの二人暮らしの住まいを居候先として匿ってもらった。その言葉の家で生きることを促され、少しずつ心を回復させて、なんとか今も生きている。こんなふうに匿ってくれる人たちがいることに、何度も改めて驚く。
 死にかけていた私が優しく柔く生かされて、なんとかこの先も生き続けるだけの力を取り戻し、そうして季節が本格的な冬に入ると、今度は生について考える時間がとれないくらい仕事に明け暮れることとなった。人に優しく接する余力もなく、また一つの人間関係をだめにしてしまいかけたが、案件はなんとか年内に納まり、人との関係もぎりぎりのところで維持できた。ようやく休めるとなると気が抜けてしまって、年末年始は眠れるだけ眠った。体がまだ、休養のモードから抜け出せていない。
 年始のご挨拶と友人の誕生祝いをかねて、ピエール・エルメのケーキと金目鯛などのきらきらをありったけ抱えて居候先を訪ねる。本調子でなく、鬱々とした考えに耽りがちな精神状態だったが、居候先の二人の関係性――「かわいいね」「いいね」「素敵だね」と讃えあって、微笑みとともに暮らしている二人――の中にまぜてもらうことで、冷えていた心がじんわりと温まったのだった。
 癒しの場所だ。どうしてここに来るだけでこんなにも傷が癒えるのだろう。この場所の優しさは、私の厄介な暴力性すらも無化する。愛に満ちるというのはこういうことを言うのだろうと思う。優しさに満ちる。愛に満ちる。互いを必要とする。綺麗なものをたくさん眼差す。よいものとして眼差される。羨ましくて仕方なかった。
 彼女たちの持つ「美しい目」というのは、そこにあるだけで多くを救う奇跡なのであった。二人とも、生まれてきてくれてありがとう。おめでとう。
 帰り道、癒しを得て回復のきざしをみせた精神が、長々と電車に揺られながら、私はこのままではいけないのだということを考え始めた。
 腐りかけているのは、いまの己の人生を愛せていないせいだった。そのことにすら、長らく気づいていなかった。のしかかる自他の愛情と夥しい刺激とに組み伏され、自己を客観視するうえでの冷静さを完全に欠いていたらしい。
 自力で働きかけて何かを変えようと思えるところまで気力を回復できたことに、あらためて居候先への感謝をおぼえる。あの生かされる日々がなければ私の生はきっと、病に伏すか衝動的に死ぬかといったところだっただろう。誇張ではなく、恐ろしいことに、あの頃の私は命の一切を扱いきれなくなっていた。ついに、私のかわりに一人、死んでしまった。
 *
 望みをはっきりさせ、捨てることを覚悟し、明るいほうへ、幸福なほうへ、きちんと自身を導いてやること。
 これが、これから私が取り組むべき課題であるのは明らかだった。しかし、どうにも苦手なのだった。自分が現実生活の上で何を望んでいるのかわからないままに、がむしゃらにここまで来たのだから。
 「不幸でも構わない」と肩をいからせ、ひたすら情動の求めだけに従って生きてきた。その生き方はもう十年を超える。命を削って情念をゆさぶり、魂をふるわせ、狂い、絶叫し、そうして思惑通り、私は言葉と密な関係を築くに至った。
 「思惑通り」というのはやや穿った言い方で、「結果的に」という表現と半々とするのが精確かもしれない。しかし、不幸を許容する自己に対する私の言い分は、この十年、一貫して「私の芸術のため」であった。
 心が傷つけば、書くべきことが生まれる。実際、そうして書かれたものは目を見張るほど美しかった。書いた私自身でさえも、よくこんなものを書けたものだと拍手した。苦しみ、疲れ、惨めさ。人生を圧迫するそれらに抗うように息も絶え絶えに書かれたものたちは、間違いなくこの世界に存在するべきものだった。世界というのが言い過ぎであるなら、少なくとも、私のために、存在するべきものだった。
 「出来事をフェティッシュとして受け取るのだと話すのを聞いて、物語に耽溺して文章を毀損する人だったらどうしようと危惧していたけれど、そうでないことがわかってよかった」と、私的な文章を読んでくれた彼女が言った。それが伝わってよかった。私は耽溺しない。私は捧げる。捧げてきたのだ、私の身を、書かれるべきものたちに。削り、切り刻み、焼き捨てながら、よいものを書かせてください、と。
 心身を削って書くべきものを得る。その行いは実のところ、激しいセルフネグレクトにほかならなかった。
 ごく宗教的で、うっかり宗教的であるがゆえに咎められることのない、他者の咎めの一切を制止する性格をもつ、自己破壊。私の姿を指して「修行僧のようだ」と事あるごとに語ってきた親友は、彼女自身も敬虔なクリスチャンだった。今、ようやくその言葉の指すところがわかる。
 括弧付きの「愛」への盲信から自己存在を摩耗させ、いよいよ立っていられなくなったのが昨年だった。力尽きた、と感じた。これ以上捧げられるものが私にはもうないのだと。苛烈な生き方を辞する必要に迫られている。
 気づいて、情けなくて仕方なかった。自分は脱落したのだと思った。しかしそれもまた盲いた人間の愚かな所感なのだろう。情けなくなんかない。私は自分の身を守らねばならない。
 生き様を変えるのは並大抵のことではない。しかし、今そうしなければ全てが無に帰すだろう確信がある。私が魂と引き換えに得た言葉たちが、私の死に連れられて、この世から消えてしまう。それは避けなければならない。
 愛情、執着、欲望、蹂躙、嫉妬、独占欲、この世はあまりに情念に支配されている。それらに寄り添うことは、恵みであり慈しみであり報いであった。愛であった。私はぎりぎりまで世界を愛した。今度は世界が私を愛する番であるはずだ。そう考えることでしか、踏み出す勇気を持てない。
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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猟犬のゆりかご stray dogs.
 
 その黒い犬は、朝靄のなかにねむっているやさしい思い出をじっと、眺めている。おおきな身体はしなやかで、しるしの星を戴いて、凡庸に立つクリスマスの樅の木のように、朴訥としてどこか盲目な従順、ひとみ燃えるピジョン・ブラッド、星を融かし沈めたくだもの、喉を焼くサングリアの酒精、あらゆる焔に熱はなく、ただ煌々と、しらじらと、夜明けとともに世界の表層が、嘗められてゆくのを感じていた。さあ、朝だ。日が昇り、山肌を温め、空気をかき混ぜ、靄を払って、変わり映えのない日を今日も積み重ねる。羊たちは草を食み、石についたわずかの朝露と、塩分とをちびりちびりと舐めている。彼は眠るためではなく羊をかぞえ、起きだして仕事をはじめた。
 日々の多くは単調だ。どきどきしたり、わくわくしたり、ちょっとした異変や、予想できない天候の変化のたぐいはあっても、まったく思いもよらないことや、出逢ったことのないひと、見たことも聞いたこともない大事件が起きるなどというのは、魔法使いの長い人生においてだって稀なこと。未だ未開の土地も多く、ひとの手の入らない、魔法があったって生きていくのにけして楽とは言い難い南の国は、うつくしく積み上がった石の、白亜の尖塔を天へ向けて聳えさせている雄大なるグランヴェル城を有する中央の国や、華やかなりし芸術の都、花の、音楽の、絵画のそうして演劇の、文化の発展いちじるしい西の国、一年の多くを雪と嵐に鎖されて、自ら持ち得る魔法のみを恃みにし、傲慢で高潔、純粋すぎるがゆえにいっそ邪悪ですらある魔法使いたちに縋らなければ生きてゆくさえむつかしい、しかし凍てつく嵐のはざま、垣間見える土地の峻厳にして繊細なうつくしさは、他の追従をゆるすことはない北の国、それぞれの孤独で互いをぬるく慰め合う、晴れた日の雨のような、いつだって濡れて光っている石畳の東の国、それらのどこより未熟で、純朴、大陸にあってもっとも魔法使いと人間との紐帯たしかな土地である。力を重宝されるのみでなく、単純に、きびしい暮らし向きのなかにあって、それらを区別することに、意味など見出しかねるというのが実際のところだろう。区別して暮らすよりも、助け合うほうがよほど生きやすいのだ。少なくともここ、南の国では。
 開拓と、生活、日々のちいさな積み重ね、森を拓き、山を切り崩し、水を引いてようやく畑に実りをもたらす。まずは明日を、そうしてその次の日を。南の国で未来と云えば、遠いかなたの日々ではなしに、まずは来月、来年の話になる。星を詠み風を視て、やれ今年の収穫はどれだけで、食い扶持はこれだけ、来季に種にするぶんを省いた残りを備蓄と、売って僅かに贅沢にする。暮らし向きはけして裕福であるとは言えなかった。かくいうレノックスも、天候に恵まれず収穫のきびしい年には、そう易くはくたばらない魔法使いであることに胡坐をかいて、いったい何日絶食したものか定かではない。自分はかつて軍人でもあったから、満足に食うこともかなわない強行軍も経験があると請け負って、育ち盛りの子どものいる家に食糧を回してもらった。まったく苦でないというと語弊があるかもしれないが、満足にものを食えずひもじい思いをすることよりも苦しいこと悔しいこと、しんどいことがほかにもあると知っていて、較べてなんということも無い、自分には耐えられると判断したまで。のちに長じた子どもたちはあの厳しい冬、レノックスが食い扶持を分けてくれていなかったらきっと死んでいたと、彼に深く感謝をするのを、けして忘れはしなかった。感謝や、親愛、それらを求めてしたことではなかったけれども。
 羊飼いの職に就いてもう何年になるだろう。そもそもレノックスが南の国へやってきたのは、かつての知己、たったひとり誰より敬愛して、このひとのほかにあるじはないと定めた男、偉大なる中央の国の建国の英雄でありながら歴史の闇の中に消えてしまったファウスト・ラウィーニアの消息を訊ねてのことだった。革命の終局にあって、彼が率い、レノックスも所属していた魔法使いの隊は、手酷い裏切りにあってファウストが火に架けられると、文字通りに旗印をうしない、司令官をうしなって、てんでバラバラに離散してゆくほかになかった。レノックスを含めた数人が、無辜のままに焔のなかで、さいごまで親友を信じていた男の処刑を遠くから見つめていたが、彼らはどれほどファウストを慕っていようとも、彼を助けるために駆け寄ることかなわなかった。
 別段、レノックスは、まさに火に架けられようとするファウストを救うために躍り出て、そのころは影も形もなかったグランヴェル城の裏手、物見高く、興味と、熱狂の渦にのまれて、どれだけ自分が残酷になろうがお構いなしの、詰めかけた民衆を蹴散らしたって良かったし、処刑台のきざはしに足をかけた瞬間に無数の矢で射られたって良かったのだ。
 けれどもできなかった。ほかならぬファウストが望まなかったし、幼馴染の親友と、あたらしい国を夢見て故郷を出てここまで旅をしてきた男が、ずっと人のために尽くしてきた男が、たとえ自分の命を救うためとは雖も部下が人を傷つけるなど許すはずがなかったのだ。それに、今後、彼の部下であった魔法使いたちに類が及ぶのをファウストは懸念していた。すべての罪をひき被り、目立って処刑されることで、部下たちが人に紛れて逃れゆく時間を稼ごうと考えていたのは間違いないし、最後まで彼は、親友がほんとうに彼を火に架けることなどないと、信じていたかったのかもしれない。真に指揮官としてすばらしいひとだった、というのは、彼に心酔し、敬愛を寄せるレノックスの���ゴからなる評価ではないだろう。
 しかし無情にも火は点けられ、英雄は自らその片腕を永遠に捥いだ。レノックスは無力だった。焔は、けして燃えやすいとはいえない男の肉のうえを嘗め尽くし、花のように、星のように、うつくしく燃え上がった。ぱちぱちと爆ぜる音の響きは懐かしくさえある。行軍中の、けして快適とは言い難かった野営の火を囲んで談笑し合う仲間たちに、人間と魔法使いの区別などなかったあの夜、あかるいすみれ色のひとみに、若い希望が輝いていたあの夜、ぱちぱちと爆ぜる篝の火に、誰もが横顔に陰を濃く落としていた、あの夜、たしかにこの人に追蹤ていこう、どこまでも、いつまでも、決意した、あの夜! 同じ音を立てて、愛した男が死に瀕していた。
 レノックス・ラムはただ佇むだけの唐変木、しるしの銀の星を戴くこともできない、樅になれない何か、楡か、花楸樹か、ああ、あそこに���けられたのがおれだったなら! そう易々とは燃えなかったろうに。
 
「レノックス、おまえさん、しばらくこの国にとどまってみちゃどうかな? バカンスだとでも思ってさ。どう? なんにもないけど、仕事くらいは斡旋してあげられるよ」
 そういったフィガロの意図はいまだに読めない。穏やかに微笑んでいるようでいて、実際のところは誰のことも愛していない、のみならず、自分自身の行く末にさえ無関心なのではと思われてならないフィガロ・ガルシア、かつて北の国で、今もってなお魔王と恐れられる大魔法使いオズと同門であり、兄弟子として肩を並べたこともあったという男が、なぜ何者でもないもののように振る舞うのか、答えは遠からず死に瀕した、彼の寿命だったかも分からないし、理由などないのかもしれなかった。死を間近にして命を惜しんでいるだとか、ただこれまでには馬鹿々々しくてやる気にもならなかった普通の暮らし、地に足の着いた暮らしというやつの真似事をやってみたくなったのかも分からない。
 なんにせよあの人のことはあれこれと考えるだけ無駄だからよせと、呆れたように、しかしどこか信頼にも似た声音でファウストが語っていたことをありありと思いおこされる。あの革命のさなか、フィガロもファウストの師として、また革命軍のきまぐれな懐刀として従軍していたが、当時のフィガロはまさにきまぐれ、ファウストがあれほどまでに人間と親密で、らしくないのと対照的に、まさに言葉の通りの魔法使いらしい魔法使いだったうえに、彼は革命を見届けることも無くふらり途中で姿を消したのだ。つまりあの短期間でファウストは、師と親友、ふたりから裏切られたことになる。
 はたしてフィガロを頼るのが正しいことであったのか。レノックスにも疑念はあった。しかし数十年、数百年と生きるうち、ファウストの足蹠を追い続けるのも難しくなった。自分が彼になぜこれほどまでに執着しているのか、おそらく明確な言葉では語られるまい。悔恨や、懺悔、つぎの機会が与えられるのであれば今度こそ、死地の果ての果てまでもファウストに追蹤ていくのだと思ったけれど、それらが自分の、身勝手な願いに過ぎないこともまた、分かり切っていた。彼はやさしいひとだから、いつか再会して、過去を詫びて、次の機会を冀ったなら、この愚鈍な、星ひとつ掲げない従者を許してしまうだろう。だからこそ見つからないように身を潜めているのかもしれないが、処刑のあと焔が消えて、そこに輝く石が残されていなかったと聞いたとき、レノックスはどうしても、彼を見つけ出さなければならなくなった。
 しかしながら、彼は決して、みずからを迷子の仔羊(stray sheep)とは呼ばない。右も左も定かでなくて、善悪が一元的なものではないとすでに学んだからには、彼もまた戸惑い揺れる寄る辺ない生きものであったに違いないのに! レノックス・ラムは縋らない。これは彼に信仰がないためではなくて、彼の信ずる神が、彼に縋られ、寄りかかられ、頼みにされるのを良しとしない、ただそれだけの理由であった。まったく、驚くほどの敬虔だ、さもなくば盲信だ、自らを擲ち穿つ、おそろしい自己犠牲の。
 腕をふるい、足を払い、身体をして成す暴力は、実際のところ、彼にとってはさしたる労苦でもなかった。激しやすく、ゆえに寡黙で、ことばのさきに振る舞われる暴力は、先祖伝来、あるいは、顔も見たことのない始祖、名前もしらない女たち、かれらから脈々と、粛々と、継がれてきた血や、歌や、儀礼や、そのほかすべての非科学的で超自然的な、迷信じみたアミニズムのなかに、流れていたかもしれなかった。フィガロ・ガルシアはバカンスなどとうそぶいたが、未だ発展の途上にある南の国で、魔法がなくとも家畜たちを抱え上げて斜面を行くことができ、肉体、精神共に健全で屈強、レノックス・ラムでなければ満たせないいくつもの条件が、彼の人生を、南の国で羊飼いとして暮らすことに引き留めた。ファウストを見つけ出し、そのうえで彼が復讐を望むならその手足になって働いて、あらゆる敵をなぎ倒し、あらゆる悪意と脅威の盾になって死のうと考えたことを、一日たりとも忘れたつもりはなかったが、短い一日も繰り返すうちに1年になり、5年になり、羊は仔を産み殖えたが、拓かれた牧草地は子どもや女、ほかの若い羊飼いたちに譲ってしまって、レノックスはますます険しい山肌に羊を追った。
「レノ、おまえは案外羊飼いの王様の素質があったのかもね」
「冗談でしょう。俺は星ひとつ、満足にかざせない」
 ばかだな、しるしの星なんておまえには必要がないだろう、輝きなんぞなくったって、それだけでかい図体が、どれだけ目立つと思ってる? いたずらそうに笑うフィガロの眸は薄曇りの冬の海に落ちた星だ。きっと怒られるけれど、肩をすくめて鼻でわらうようなその言い草に、ファウストの面影をみつけてレノックスも頬をゆるめた。
 導きの星はもうないけれど、いつかふさわしいときが来るまで、俺はずっと立っている。険しい道を歩んできたひとが、ふとひと息ついて脚を休めるそのときに、広げた枝が安らぎになりますように。
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komogomo-blog · 1 month
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ハレ便り April. 2024
ご無沙汰しております。
最近の報告でございます。こちらは相変わらず失業者支援の仕事。彼等との触れ合う日々で思うことは、今のいる社会はいわゆる"SDG"なドイツ社会とは少し距離ができ始めている、ということであります。
先日ラジオで今年さらにウクライナから150万人から300万人の難民が流れ込んでくる可能性があると流れておりました。私のサポートしている失業者はそういったことも含めて国の難民政策に敏感で、次の日は早速議論になっていました。彼らは自分たちの失業保険財源をどこぞの避難民に取られてたまるか、と心配し警戒をしているようです。そして見るも見事に外国人排他的立場を取っていくのです。
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以前にも書きましたがドイツでは失業保険は生活保護のようなもので、暮らしていくだけのお金はけっこう簡単にもらえるのです。彼らの多くは自分で何かを仕事を探す、という意識は少なく、その生活水準を維持することでやっきになって、単純な論理で大衆政治のえさになっているわけです。特に私が担当している人は長期失業者、二年以上仕事が無い、というものが前提です。彼らの立場もわからなくもないのですが、問題があれば誰かのせいにしている人も多く、なんともエゴな匂いがぷんぷんしてたまらないわけです。
しかしこういった社会の現実を間近で見れるのは良い機会だとも思っています。
移民や難民はこれから日本でも解決すべき課題になっていくでしょうし、ひきこもりなどを始め、夢や生きがいを見つけられない若者はすでに日本では問題になっていますものね。
ドイツ人で外国人排他の立場を取っている人を私がサポートするというのは面白いものです。彼らは裏で私について何を言っているのかわかりませんが、私を��人的には受け入れてくれているように見えます。しかし彼らと政治の話をし始めると私は参ってしまいます。
そして移民や避難民については、彼らの文化に触れられることを純粋に楽しんでいます。先日新しくきたリビアからきた青年は内戦で両足がぶっ飛んだそうです。敬虔なイスラム教である彼はことあるごとに私をイベントに招待してくれます。今年は少しですが一緒にラマダンをしました。ラマダン中のモスクにも連れて行ってくれました。そのラマダン時の彼らのお祈り、一体感はすさまじいものでした。イスラム世界、そして宗教が支えているものを見た気がしました。普段は非常にだらしない彼ですが、モスクではまったく違う表情をして、各方面に支持を出していておりました。彼はこのドイツ現世社会ではなかなか使い物にはならないのかもしれませんがイスラム世界では���待のホープといったところでしょうか。普段から全然違う話しをしているのに何かあるごとにアッラーで話を纏めてくる辺り、スケボー大好きな友人が何かあるごとにスケボーで例えていたことを思い出してしまいます。彼は私をイスラムの世界に連れて行ってくれます。ラマダン後の現在も断食を続けさらにレベルの高いパラダイスに行くことが夢であると語っておりました。
宗教というのは人の支えにもなるし、逃げ場にもなる。人間の社会は今まで長い間宗教とともに生きてきたわけで、現在の宗教はまさに資本が信ずるものになっているのである、と彼は悲しそうにしていたわけです。
こんな感じが近況報告です。十人十色、サポートしている人はもちろん、それぞれが重たいリュックを抱えて精一杯生きているのだと日々痛感しているわけです。
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miraimonogatarilabo · 3 months
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ぶれることのない自分軸を確立したい向けへおすすめの本のご紹介~7つの習慣03
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ぶれることのない自分軸を確立したい向けへおすすめの本のご紹介~7つの習慣03
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皆さま、こんにちは。未来に繋がる情報を研究し発信するブログを運営する「みらいものがたりラボ」代表のせにょです。
本ブログでは、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。具体的には、週一回程度の頻度で、皆様の問題を解決するうえでお役にたつ本を1冊ピックアップし、簡単に解説します。 今回は、「7つの習慣 人格主義の回復」のご紹介の第三回目です。前回は「第1の習慣 主体的である」を解説し、自分の人生の主導権を取り戻す方法をご紹介しました。今回は「第2の習慣 終わりを思い描くことからはじめる」を解説します。 解説は以下3点を中心に私の意見としてご紹介します。
どんな問題が解決できるか?つまりどんな人におすすめか?
どうしてこの本でその問題を解決できるのか?
問題解決のため我々は具体的にどう行動すべきか
それでは、本題に入りましょう。
【ぶれることのない自分軸を確立したい】でお困りの方へおすすめの本【7つの習慣 人格主義の回復】
【ぶれることのない自分軸を確立したい】でお困りの方へおすすめの本は、【7つの習慣 人格主義の回復】です。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復
以下でおすすめの理由を解説します。
本書で【ぶれることのない自分軸を確立したい】を解決できる理由は【個人のミッションステートメントに基づいて役割と目標を作成する】から
【7つの習慣 人格主義の回復】で、【ぶれることのない自分軸を確立したい】を解決できる理由は【個人のミッションステートメントに基づいて役割と目標を作成する】からです。著者であるスティーブンコビー氏は、本章の冒頭で、自分の人生最後の場面、つまり自分の葬儀を想像するよう促します。自分の家族や友人など弔問者に自分に述べてほしいこと、つまるり、彼らに、あなたの人生をどのように語ってほしいのか、どういった貢献や功績を覚えていてほしいのかなどを考えます。これが、自分の内面の奥深くにあるあなたを導く価値観です。これが個人のミッションステートメントに結びつきます。
影響の輪の中心にあるもの
ではあなたを導く価値観はどこにあり、それをどのように伸ばすべきか?あなたを導く価値観は、前章で紹介した影響の輪の中心にあります。そして、その中心にリソースを割くことで、影響の輪が広がり、効果性が高まります。そして、影響の輪の中心は以下4つの要素から構成されます。
安定:あなたの存在価値、心の拠り所、自尊心、人格的強さ、安心感
指針:人生の方向性を決める根源、目前で起こることを判断する基準、暗黙の規範
知恵:原則をどう実践するか?個々の原則がどう関連すらか?を理解する知力
力:行動する力、物事を成し遂げる潜在能力、より効果的な習慣を身につける力
4つの要素は互いに関連し合っています。例えば、心の安定と明確な指針が正しい知恵をもたらし、正しい知恵があれば、正しい方向へ力を発揮できます。本書では、4つの要素をバランスよく高めることで、揺るぎない人格、つまりぶれない自分軸を作り上げられるとしています。
人は誰でも自分なりの中心を持つ
ところで、あなたはどのようなことを重視しますか?本書では、それを「人は誰でも自分なりの中心を持つ」と説明します。普段はその中心を意識することはありませんが、その中心が人生のあらゆる場面に影響します。本書では、影響の輪の中心として以下の例を挙げます。
配偶者中心:結婚は永続的な成長をもたらす人間関係である一方、強い依存心がある結果、相手の態度や行動に影響を受けやすくなる。
家族中心:家族で価値観を共有し日々の暮らしが素晴らしいものになる一方、家族の評判に傷がつくと過剰に反応してしまう結果、子供に対する愛情が条件付きになることがある。
お金中心:経済的な安定を得て多くのことができる機会が増える一方、経済的基盤が多くの外的要因に影響を受け不安になる結果、家族やその他の大事なことが後回しになる。
仕事中心:知恵と力が仕事の中で存分に発揮され、「私は医者だ、作家だ」と基本的なアイデンティティが職業に紐づく一方、仕事の有無に影響を受ける結果、仕事がなくなると心の安定が崩れる。
所有物中心:流行の服や住宅、名声、栄誉などを所有することは生きる原動力となる一方、他人と自分を優劣を比較する結果、自尊心が揺らぎっぱなしとなる。
娯楽中心:娯楽は心身をリラックスさせ楽しみ人間関係を円滑にする一方、満足感や充実感が長続きしない結果、より大きな楽しみを果てしなく求めるようになる。
友人中心:仲間に受け入れられそこに属していることで安心を得られる一方、相手への依存心が強まる結果、相手の言動や行動に影響を受けやすくなる。
敵中心:社会的に重要な人から不公平に扱われたと感じるとそのことが頭から離れず、敵だと思う相手の行動や言動に過剰に反応するようになる結果、対立することによって相手に依存するようになる。
教会���心:何らかの宗教を信じると、宗教的な行事に参加し敬虔な気持ちになるとともに力の根源を教わる一方、社会的基盤や世間体に高い関心を示す結果、他人にあの人は「積極的」あるいは「消極的」などレッテルを貼る傾向がある。
自己中心:個人の成長や自己実現につながる一方、わがままとみなされた結果、ほとんどの人の価値観に反する態度とみなされる
それぞれ価値観が異なるように、人はみな内面に上記のような中心を複数持っています。周りの環境変化によっては、何か一つの中心が全面に出てくることがあります。中心をその場に応じて変える人生は、指針がぶれて方向性が定まらず、普遍的な知恵も、確かな力の供給もなくなり、ゆるぎない自尊心も生まれない結果となります。本書では、そのような人生を避けるため、人生の中心に正しい原則を据えることを提唱してます。
原則中心とは?
では、人生の中心に据えるべき正しい原則とは何でしょうか?正しい原則とは、人類共通の根本的な真理、時代を超えた不変の法則です。 影響の輪の中心に正しい原則をおくことで、影響の輪の中心を構成する4つの要素は以下のようになります。
安定:心の安定が正しい原則から得られるから、周囲の状況や環境に揺り動かされない。
指針:正しい原則に導かれて、長期/短期両方のスパンで物事をとらえ、決断を下せる
知恵:長期的な影響を幅広く考慮し、適切なバランスと静かな自信を反映した判断力を持つ
力:他者と協力し、自分の力を超えることを成し遂げることができる
以上4つの要素を持つ原則を影響の輪の中心に据えると、ほかの中心(配偶者、家族、お金、仕事、所有物、娯楽、友人、敵、教会、自己)への偏りを正して、バランスよく物事を判断できるようになります。イメージ的には、原則を中心としてその周りに円環上にほかの中心(配偶者、家族、お金、仕事、所有物、娯楽、友人、敵、教会、自己)がならんでいる状態です。例えば、奥さんとコンサートにいく約束をしているなか、同時に会社から残業するよう求められたとします。配偶者中心であれば残業を断り奥さんとコンサートにいくこを選ぶが、その後会社へどう言い訳しようかと気が気でコンサートが楽しめないかもしれない。一方、原則中心であれば、その場の感情に流されることなく、仕事上のニーズ、家族のニーズ、ほかの人に残業を頼む等の代替案など、全体をバランスよく考えあわせて最善の決断を下せるようになります。
原則中心のパラダイムを構築して得られる5つの効果
原則中心のパラダイムで物事を決断すると以下5つの効果を得ることができます。
意識的に様々な要素を考慮して主体的に選択し決断を下す
長期的な結果を予測するので、自分の決断あは効果的であると確信できる
その選択が、人生においてあなたが最も大事にしている価値観をさらに深めることになる
相互依存の関係を培ってきたネットワーク内で協力を依頼できる
自分の決断に納得し、結果に満足できる
このように、影響の輪の中心に正しい原則のパラダイムを置くことで、ゆるぎない不変の中心から心の安定、指針、知恵、力を得て、主体性にあふれ効果的な人生の土台が構築されます。
個人のミッションステートメントを書く
では、このような素晴らしい効果を持つ原則中心のパラダイムを個人のミッションステートメントとして具体化するにはどうすればいいでしょうか?本書では、その方法も説明します。ミッションステートメントとは、信条、理念を表明したものです。個人のミッションステートメントには、以下の要素を含めます。
どのような人間になりたいか?(人格)
何をしたいのか?(貢献、功績)
それらの土台となる価値観と原則
個人のミッションステートメントは、その人の憲法といえます。つまり人生の重大な決断を下すときの基準となります。また、世の中がどのように変化をしても、予断や偏見を持たずに現実を直視する強さを持つことができます。個人のミッションステートメントを作成すると、人生を方向づけるビジョンと価値観ができ、それにそって長期的・短期的な目標をたてることができます。以下では、個人のミッションステートメントに基づいた目標の立て方を説明します。
すべてのものは二度つくられる
個人のミッションステートメントに基づいた目標を立てる前提として、本書では「すべてのものは二度作られる」という原則を説明します。つまり、すべてのものはまず頭のなかで創造され(知的創造)、次に形あるものとして創造(物的創造)されます。例えば、家を建てるとき、設計図がない(知的創造をしない状態)まま、工事(物的創造を)をはじめたら、次から次に変更が生じて、建築費用がどんどん膨れあがります。つまり、知的創造の段階で終わりを明確に描いて、はじめて効果的な物的創造が可能となります。第1の創造を怠ることは、影響の輪の外の変化に大きく左右され、影響の輪を縮めることにつながります。
リーダーシップとマネジメント
では、第1の創造と第2の創造を目標設定にどう結び付ければいいのでしょうか?そのために、本書でリーダーシップとマネジメントの違いについて説明します。第1の創造はリーダーシップにあたり、第2の創造はマネジメントにあたります。リーダーシップは目標にフォーカスし、何をしたいかと考える一方、マネジメントは最終的な結果にフォーカスし、目標を達成する手段を考えます。言い換えれば、リーダーシップは正しいことを行う一方、マネジメントは正しく行うことです。例えば、未開のジャングルを開拓するプロジェクトにおいて、リーダーの役割は高い木に登り、全体を見渡してチームに大声で方向性を指示する一方、マネージャーはいかに効率的に手斧で下草を刈り道を切り開くかを考えます。
リーダーシップを発揮して目標を設定する=右脳を使う
では、リーダーシップを発揮して目標を設定するにはどうしたらいいでしょうか?そのために、本書では右脳を使い、第1の創造(知的創造)をするとよいと説明します。右脳の力を使えば、時間やその時々の状況を超え、何をしたいのか、どうありたいのかの全体像を鮮明に思い描くことができます。本書では右脳を使う方法として、①視野を広げる、②自己宣誓書を紹介します。「視野を広げる」とは、自分の葬儀の場面や仕事を引���する場面などを心の枠を取り払って、細部まで思い描きイメージすることです。「自己宣誓書」とは、右脳のイメージ力を使って自己宣誓書を書いてみることです。自己宣誓書は、個人的、ポジティブ、現在形、感情、以上を満たすものであることが大切です。
マネジメントを発揮して役割と目標を特定する=左脳を使う
右脳を使って、将来のあるべき姿をイメージや感情、映像でとらえたら、マネジメントを発揮をして役割と目標を特定しましょう。そのために、論理と言語を司る左脳を使い、第2の創造(物的創造)=書くという行為をするとよいでしょう。書くという行為は、自分の考えが明確になり、全体を部分にわけることができます。ところで、私たちは、人生で様々な役割をもっています。人生を効果的にいきるためには、それぞれの役割で目標を設定して、バランスをとると良いでしょう。例えば、男性なら夫、父親、ビジネスパーソンなどです。具体的には、役割:目標の順に、夫:妻と共に実りある家庭を築く、父親:子供が生きる喜びを感じる手助けをする、ビジネスパーソン:組織の中で高い業績を生み出す触媒となる、等です。
【ぶれることのない自分軸を確立したい】解決のため具体的な行動は【個人のミッションステートメントを書いてみる】
では、この章を読んだあと、我々は具体的にどう行動すればよいでしょうか?それは、【個人のミッションステートメントを書いてみる】です。ただし、本書によるとミッションステートメントは一晩でものではありません。深く内省し、緻密に分析し、表現を吟味してください。そして何度も書き直して、最終的な文面に書き上げます。
最後の本書のリンクを再掲載しますので、購入して実践してみてください。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復
以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。次回は、第3の習慣「最優先事項を優先する」を解説します。 本ブログでは今後も、皆様の中で現在生じている問題を解決し、明るい未来へつなげる本をご紹介します。
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250thursday · 3 months
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アンドルー3年目手紙の感想
お誕生日から一週間経ってしまいましたが、以下読んだ感想です
(※最初からネタバレばかりです)
・やっぱりスコップウィルさんはアンドルーだったんだ
・陰の奉仕者なんだ  日向……日向の奉仕者を最初は望んでたんだろうけどね
・自らの全てを~:最期が荘園かもとは心構えしてたけどいざ書かれるとしんどい  マップにはないけど荘園にも『神殿』があるんだろうか?最初ラズ教会の頃から実験してたのかと思った
・任務感:5周年ジ��イーダイベでもそんな感じだったので嬉しい
・その境遇で一時的とはいえ正常なコミュニケーションとれたの凄すぎるよ!?偉い!!!!自分なら即部屋に籠ってしまうのでやっぱり強いよなアンドルーは……マイナス反応されるとシャットアウトする気持ちは分かる  というかそうなっても自分から交流する方が珍しいのでは???3-1-3がアントニオだったので飽きや苛立ちを見せたのかも。3-?-2は不確定?
なんだか沢山情報が出て来た新しいメンバー!
★3-1-4
・ずっとアンドルーに対し礼儀正しい
・自分で舞台を用意した。3-1-5がアンドルーに仕組ませた燃料が絶唱に(焼死?)
・信仰態度がアンドルーと似ている・攻撃性低い
→アンドルー、僅かながら共感を覚える
・アンドルーより遥かに優れたコミュニケーション力、表現力
・過去から交流を阻む、友人と救済者を追う
・アンドルーはこの人を誤解している(3-1-5により?)
・脱落原因がアンドルーと似る
→他人の変化(3-1-5)に気づけなかった
・ディナーで薬の効果が現れた(🎻手紙)
・🎻に積極的に話しかけていた(🎻手紙)
★3-1-5
・他人の感情に鋭い。
・アンドルーと一時的に同盟に。
・大袈裟なほど偽っている
・アンドルーに敵意を持っていた
・アンドルーの「仕事」を認めていた(原文ママ「」付き。ただの仕事じゃない?)→しかしこれは演技
・アンドルーのために「聖殿」を選んだ(何のために?)→アンドルーの永眠
・アントニオが好感を持っていた(🎻手紙)
 3.分析総括
・幼少期に悪魔:悪魔よりも化物と呼ばれるシーンが多かったような?言われ放題で可哀想
・世間の善悪概念に従わない:そもそも世間が善悪概念に忠実じゃないから差別迫害されてるわけで~世間のこんちきしょうが  そんな中でお母さんと二人きり、そして一人きりで彼なりにもがいた結果だと思います  駄目なことは駄目なんだけど真顔で言えないよそんなこと  辛い
・トラウマを信仰が解消したパターン
→アンドルーと3-1-4は全く異なるパターン
・本グループの実験が終了した後は:???
まだ実験続いてるの?
【全体の感想】
心構えしてたとはいえ、好きなキャラが誰かに殺された(死ぬよう誘導された?)ていうのキツいし、それがアンドルーのいたらなさ故に……という書き方されてるのが二重でキツイです ちょっとかませ犬的なものを感じました  実験ファイルってそういうとこあります💢
あと、アンドルーは今まで
・指名手配、裏切りを匂わせる役柄
(砂漠の日没、車掌、エルフ)
・サバイバーだけどハンター側の手下
(チーズ、エルフ)
・メンバーや関係ありそうな人が全員ハンター
(やっとマティアスが同じメンバーか?と候補が出て来たくらい)
・アントニオの手紙では、実験主が事前に手配した“作業員”→荘園の手下?制御不能とはいえ生きてる人間を木箱詰めにする
……という描写があったので、手紙を読む前までアンドルーもハンター、もしくは黒幕である荘園側の手下的なサバイバーだと予想を立ててました。
 つまり、グループ中一番他者を排斥し、最後に荘園側に処分されるといったような立場。善を成したいと思っていた人間が一番悪いというパターン。
でもそうではなく、3-1-5さんによって良いように扱われ騙され処分された?みたいですね。3-1-5さん何者なんだ?アンドルーを良いように利用するなら荘園ぐらいどうしようもない悪じゃないと溜飲が下がらないのですが……嘘の理解示しは見てるこっちがダメージでかいので辛い…………アンドルーにとって唯一レベルの他人から得た理解が『嘘』…………非道…………弱さゆえの搾取………………
 そして3-1-4さん、今のところ人として一番良い印象だし殺される理由も読めないのですが一体どなたですか?
 短い間だったけどアンドルー嬉しかったんじゃないかな
実験主は『僅かな共感』と書いているけど、アンドルーにとって礼儀正しく接してもらうだけのことがどれほど難しい人生だったか。
314さんは表現力やコミュニケーションの評価はされてるけど『偽り』『舞台外の演技』とかの描写はされてないんだよな……つまり素でアンドルーに礼儀正しかった可能性が?そんな人いらっしゃるのか?もっと早く別の場所で出会っていればよかったのに。
アンドルーは燃料を用意した3-1-4さんを殺めることになるのは知ってたのかな?もし違っていたら、自分が善として行ったことが悪になってしまった訳で……意図して行ったとしても、誤解が招いた結果な訳で……辛すぎる…………
対照的に恐ろしいのがやはり3-1-5さん。少なくとも3-1-4さんとアンドルー2名の死に関わってる。しかも、恐ろしいやり方で。このゲームの黒幕的存在?目的・動機は?今後が気になります
*   *  *
 今では消されてしまったけど、かつて公式サイトでアンドルーは『下層階級』と書かれてました。
  荘園に来て、他の人と一緒にディナーを(しかも自分の好きな料理を)食べるなんてことも初めてだったと思います。本人が任務だと思っていたとしても、与えられた理解が偽りだったとしても、少しはこれまでに無い経験ができてよかったんじゃないかな  最期の地となってしまった訳だけど…………最期の経緯も気になるところです
誕生日  誕生日でしたよね?『自らの全てを投げ出す』『最後に脱出の可能性を失った』『脱落に至った』『永眠へと誘った』運営、命日と間違えてる説が濃厚になってきました
他メンバーの手紙・4年目の手紙が恐いです
供給は嬉しいけどアンドルーが他の人へ行った/他の人から行われた負の面を直視するのは心臓に悪いので……ホラーゲームなのでしょうがないのですが……
2023年の衣裳・イベントラッシュが夢のようですね
今見返したらきっと違う印象を抱くと思います
ぜひパストの衣裳を実装してほしいです
敬虔で、職務に責任感を持ち、黒幕の掌の上で他人を殺め、誤解によりさらに手を汚し……裏切り……救われた…………
次のアンドルーがいつ、どこで、どんな風に登場するかが楽しみです  本当です
何の対価もなくベーコンエッグをたらふく食わせてやりたいなあ
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vacance-cy · 4 months
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Week3-6
 節制した生活を心がけた1月だった。週に1度レコード屋の同僚とプールに通い、ペースを守る。それからどこかに出かけるというお誘いがあっても簡単に乗らない。許しているのは、誰かのホームパーティーのみ。いい一年にするべく、まずは型をつくりたい。そんな思いがあったのかもしれない。そうした努力の成果もあってか、比較的いい移行ができた気がする。が、同じくらい心身に負担がかかってもいた。遊んだ中からいくつかの記憶の断片。
#1 仕事や生活、成功とは切り離されたところで誰かに見せびらかさずに自分のために音楽を作ってる仲間がこの街に何人も生活している。そういう豊かさに触れるたびに、自分が囚われきた世界観の狭量さを思い知る。そのハッとさせらた時に視界が一瞬開け、それからまたいつもの自分に帰る。その繰り返し。
 チリ人夫妻の家に遊びに行った。外観からは想像つかないが建物の1Fが音楽スタジオなのだ。彼はそこで人知れず音楽を作っている。そこで未完成の音源を聴かせてもらう。それから彼のパートナーも交えてウイスキーをたくさん飲んで、レコードを聴いて、San RaのBox CDで若き頃のポエトリーリーディングを聴いた。幸い1歳にも満たない子供はまだ起きてこないから、トミーが好きだと言ってたからと最近路上で拾ったらしいDJ KRUSHの『記憶』というCDをもらった。弾け飛びそうな気持ちを落ち着かせるためにマイナス4度の中、歩いて帰った。
週末。二日酔いの状態で携帯を見ると、50ecnt Feat. San Raとスペル間違いすぎかつ記憶にないメモが記されてた! いい夜だったぽい。(初出Threads)
#2 Kali Maroneのコンサートを観たのは、丸一週間頭痛に悩まされてからだった。ひどく落ち込んでいたからだ。なんとかそのしんどいメンタリティを克服するべく、予定されていたコンサートを行くことを決めた。重い身体を這い出して教会へと向かう。そこは厳かでありながらも、地味な教会だった。天高い位置にCaliが座っている。仲間が何人もそこにいたので、話しながら緊張を和らげてい��た。開演まで1時間も早く��れた甲斐もあってかいい席を確保できた。スタートすると丸々一時間。MCもなく、パイプオルガンを奏でた。景色がみえた。仄かに暗い風景がのなかで、農婦が黙々と田植えをしている姿だった。メモにはこう残されている。
 —素朴な風景画の中の日常
セザンヌの書いた農民のような、
しかし表情は見えず、俯いて作業している人たち
朧げな色の滲み。敬虔で静かな暮らし
その営みを繰り返す中で滲み出てくる
芯の暖かみについて
外からの刺激ではなく、
風の音や揺らぎ、
空気や季節や移ろいに意識を鋭敏に捉えること
その断続的な暮らしの中でしか気づけない、
あるいは到達し得ない、真理
同じ和音のロングトーンから聞こえてくる、
どこに焦点を当てるか。
日の指す角度、一度だけ変えた展開。
ベースのキーの大切さ
ーーなぜこうした営みを繰り返すだけのことができないのだろうか
新しいものに飛びつき
日々の些細な連続の中にしか見出せない気づきを大切にしないのか。
情報を新しく摂取することばかりに、自ら囚われようとしてるのか。
まるで18世紀のような近代以前の暮らしの中にある美を人は捨ててしまえるのか。
そこの連なりの美や、静けさ、暖かみにより静かに意識を向けることができないのだろうか。
逆説的に、こうしたドローンの音を聞くことは、引き延ばされた時間の美を。ただ。
 それから不思議と頭の痛さは消えていて。穏やかに仲間たちと過ごすことができた。最近移り住んできた子にも会えた。また新しい場所を求めて、この町にきた人達の姿に新鮮さを覚えた。節制と抑うつから解き放たれて流れに乗って遊び惚けるような時を過ごした。初のベルリンファッションウィークにも招待されて観てきたし。枠に囚われてないパフォーマンスに痺れた。そうだ。ベルリンはこれでいいのだ。と思うことができた。
そしてまたその遊び過ぎの代償で、鬱っぽくなってる今。この町に最適なバランスなんてあるのだろうか。--今日は春節。レコード屋さんの同僚たちは、春節をお祝いするべくコリアンレストランへ向かうらしい。僕は遊び過ぎた代償で懐具合が芳しくないので、行けないのであった。その代わりになけなしの金で90 milで行われるパフォーマンスを観てこようかなと考えている。
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blogmikimon · 4 months
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プロフィール
こんにちは😃
先日から能登半島地震で被災されたり、JALの事故に居合わせた方々の参考になればと思い、PTSDに関して辛い体験を話すことも大事かも💡という内容引用をしてきました。
話すこと ・ 話すこと2 @過去の記事
辛い経験を話したい方が話せる場所があるといいなぁとは思っていたのですが、色々と考えて、思いきって自分で体験のシェア会をボランティアで始めてみることにしました!
誰も来ない可能性大ですが😭、スポーツクラブのオンラインレッスンを担当していた時は北海道から大分ぐらいまで全国の方がいらっしゃってくださったので、SNSのフォロワーさんやそのお友達、親族にお一人ぐらいは該当の方もいるかなぁと思いまして… でもやっぱりいないかな😭 ぜひ皆様シェアしてくださると嬉しいです🙏💦💦
さて、詳細は後日発表予定ですがその前に、オンラインで初めましての方には私があまりにも馬の骨なので、詳しいプロフィールを書くことにしました🦴
が、全然読まなくて大丈夫です!😅
詳しく調べてから通いたい慎重な方向けですので、ご興味あれば… という感じでよろしくお願い申し上げます🙏
エピソードを全部を書いてたら長くなるので、今の私に影響しているかな?ということだけかいつまんだけれど、それでも長いので暇で死にそうな時があったら読んでくださいませ〜♡
ではさっそくプロフィールです↓
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(右が私です)
濱崎みき
福岡県出身
同志社大学 文化情報学部卒業
製薬会社にて医薬情報担当者(MR)を経てヨガインストラクター
修了
RYT200、ジャネットラウ 陰陽ヨガインストラクター養成講座、ポールグリリー YOGI’s guide to chakra meditation、他
レッスン実績
HOT 40 YOGA、ACEアクシスコア、gift(カフェヨガ、古民家ヨガ)、コラーゲンスタジオ ルキナ、昭和記念公園(パークヨガ)、studio BOWSPRING、スポーツクラブNAS、セントラルフィットネス、東急スポーツオアシス、NASLIVE、マタニティヨガ、溶岩ヨガ 美温
はじめまして。濱崎みきと申します。千葉でヨガインストラクターをやっております。
ここからは今までの私について目次の順番で書いていますが、ホントに読まなくて大丈夫な内容が無いやつなので😭、お忙しい皆様は⑥のメッセージのところまで飛ばしてくださいませ〜💦
よろしくお願いいたします🙏
目次
①子供時代
②大学生
③会社員
④ヨガ
⑤プー時々フリーター
⑥メッセージ
①子供時代
私は福岡県出身で高校卒業までは福岡の田舎で育ちました。子供の頃のことで特別だったのは信仰についてです。
両親のルーツは長崎県で、私は敬虔なカトリック(伝統的なキリスト教)の家庭で育ちました。
幼児洗礼を受け、物心ついた時からはほぼ毎週ミサに通っていました。日曜学校という子供向けの聖書の勉強会にも参加していました。
今は色々ありキリスト教やその他宗教も信仰していませんが、普通に過ごしていたら気にならないであろう、愛、罪、神などについて小さい頃からよく考えていました。
また祖父母は被爆者で、原爆資料や被爆した教会を見に行く機会も多く、それらにとても心を痛めていて、子供ながらにラブアンドピースを探求するジョンレノン系でもありました。
これらは私がインド神話やヨガ哲学、ヨガ的な心の持ち方に興味を持つきっかけになったと思います。
②大学生
その後、大学入学を機に京都に引っ越しました。
大学は文化全般を学べる珍しい学部に行き、芸術、身体論、言語学など、人間の精神的な活動である文化について広く触れました。
卒業時には、京都国立美術館で美術室長、京都文化資料研究センター長を歴任された狩野博之教授の研究室で、日本美術(浮世絵)を専攻しました。博物館学芸員の国家資格も持っています。
憧れていた学芸員には結局なれませんでしたが、今でも芸術に触れることが大好きです。
③会社員
卒業後は製薬会社に就職しました。営業として医師や薬剤師の先生達と面会する仕事をしていて、転勤で東京にやってきました。
病気や薬、医療制度についてとても勉強になり貴重な経験もさせていただいたのですが、性格的に全く向いていなくて… たくさんの方に助けていただいたけれど体調を崩して6年で辞めました。
④ヨガ
その頃は色々と迷走していて、ベジタリアンになったり、山ほど漢方を飲んだり、怪しいマントラを唱えて瞑想したり、健康法やスピリチュアルなことをたくさん習いに行きました。
��の中で “あるヨギの自叙伝” というパラマハンサ・ヨガナンダの本に出会いました。ヨガナンダは映画化もされた、アメリカにヨガを伝えたインド人です。
その影響で、ヨガナンダが提唱した “クリヤヨガ” を習うべく“Babaji’s KriyaYoga” という、カナダの団体のイニシエーションをレベル2まで受けました。それがヨガを本格的に始めたきっかけです。
(当時、ヨガナンダが作ったSRFでは英語でしか学べなかったので内容が近そうなところから学びました。今は翻訳された通信コースがあります。)
その後もクリヤヨガを続けながら、伝統的なヨガから新しいヨガ、歌うヨガや食べるヨガも!色々習いに行きました。
結局今はベーシックなハタヨガと陰陽ヨガが好きで続けています。
⑤プー時々フリーター
退職後は千葉に引っ越して、ヨガスクールに通ったり、カフェで働いたり、タイ古式マッサージ店で働いたり、薬膳やアーユルヴェーダ、太極拳、カッサ、アレキサンダーテクニーク、フェルデンクライスメソッド、ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス瞑想、チャクラ瞑想、TFT(思考場療法)も習いました!
ヨガスクール卒業後は細々とクラスもしながら今に至る、という感じです。
全くバラバラでまとまりのないように見えますが、私にとっては意外と一貫性があります。
それは “健康に興味津々!” ということです!
それも、ボディ、マインド、スピリット、コミュニティを含む統合的な健康です。
芸術や信仰は魂の栄養ですし、薬やアーユルヴェーダは身体の健康に、食事やマッサージは心の健康にも関係がありますね。
そして、ヨガは “ボディ、マインド、スピリット、全ての栄養になる!” と私は思っています!ヨガのためにみんなで集まるのも、コミュニティの健康に繋がりそうです。
⑥メッセージ
一昨年コロナ禍でまだ先が見えなかった時に、ヨガがトラウマセラピーに使われていることを知りました。
そしてヨガ以外にも体を使った心に働きかけるセラピーがたくさんあることを知ってとても興味を持ち、気の向くままに色々と習いに行きました。
その中でTFTというツボをトントンすることで、重たい感情が軽くなるようなセラピーに出会いました。
辛い時に何かに救われた経験は皆様あると思います。私はヨガにも救われましたが、TFTにもかなり救われました。
そこでもう少し深めるために、今はTFTや次の段階のHRV呼吸法という心拍数を測りながら行う呼吸法を習っているところです。
そして、昨年末にTFTパートナーという辛かった経験を聞いたり一緒にツボをトントンしたりするライセンスも取りました。
身近な人で練習してから活動を広げて行けたらいいかなと思っていた矢先に、能登半島地震やJALの事故が起きました。
そこで未熟ではあるけれど、勇気を出してTFTお茶会をしてみることにしました。毎週やる予定なので、辛い話したいことがある方は是非リラックスしてたくさん来てください♡
今までもヨガクラス後にヨガ哲学に関する体験や日々の嬉しかったことや悩みをシェアする対面のお茶会、コロナ禍にみんなで励まし合うオンラインお茶会を5〜10人くらいでやったことがあってけっこう好評でした💡(たぶん😭)
でも来てくださった方がどうというより私が1番励まされました。私はみんなで体験をぺちゃくちゃシェアしあうことが大好きです。
TFTはまだ勉強を始めたばかりで、できることはセラピストの先生達に比べると少ないけれど、その中でも何かお役に立てれば💦 と思っています。
辛いのに周りの方を気遣って弱音を吐かず、明るく振る舞っているような方もいらっしゃると思います。でも、そういうのはちょっとだけお休みしてご自分らしく悲しさや怒りを表現する時間もあってもいいんじゃないかな〜と私は思います。
そしてみんなで怒ったり悲しんだり気持ちもシェアして、ツボをトントンして、お茶を飲んで、解散する。
そんな会になるよう頑張ります!
私のいいところはとにかくゆるーいところで、それゆえヨガクラスもなんとも締まりのない感じですが、気負わず来れる場所を作れているのでは?と思っています。
そんな私とちびパンダのパン太でお待ちしています。ぜひぜひお気軽にお越しくださいませ🐼 お越しくださる全ての皆様を歓迎いたします♡
よろしくお願い申し上げます🙇‍♂️
という感じです!ホントに長くなってしまいました〜😭🙏
TFTお茶会の詳細はブログにまた書きますので、該当しない方でも思い当たるお知り合いが浮かんだ方はシェアしてくださると嬉しいです🙏 
ではでは、最後までお読みくださりありがとうございました🙇‍♂️
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます〜✨
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comeiragazzi · 7 months
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Fri Nov 10 2023
朝7時から、マザーツリーの読書会。眠くて途中の記憶がないけど、奥野さんがいろんな文献を引っ張って考えてたのは文化人類学者の話し方を学んだきになった。女性性、男性性。Braiding sweetgrassもしっかり読もうと思った。あれEricaも言ってたけど多分究極の脱植民地主義の実践だ。
Zong!読み終わってないからSpanishをスキップ、まだ後悔してる。部屋にいるとなんかやる気出ない。疲れて午後寝たら3時間睡眠してて、勿体無い...ジム行ってご飯食べて、戻ってダラダラしてた。その後ルームメイトのエレインと話す。最初に日本とアメリカでどう真珠湾侵攻と原爆が教えられているかについてだった。彼女もそうだったけど、何人かの友達の話を聞くとアメリカの世界史の中では、日本はアジアを植民地化しようとしていて、アメリカはそんな日本の暴虐を止めたヒーローの論理を感じる。でも聞いててその通りな感じがする。日本にいたときは、HiroshimaとNagasakiに原爆を落とされたことや、日本国民の戦争被害に焦点が当てられた教育だった。日本、加害のことあんま教育してなくね?みたいな。もっと大東亜共栄圏のことやってもよかったのでは。でもdecolonial poetriesの授業でもやったけど、政府は自分が受けた被害のことは教育するけどしたことはなかなか伝えない。追い出したNative Americanのこと、小中高の授業でもっとやるべきだよねって話してて、日本も同じだと思った。アメリカでIBの教育を受けた1人は、日本人の中国大虐殺や韓国のことを知っていて、”日本は南京大虐殺とか恐ろしいこと中国にしたよね。日本人って中国に対してどんな印象なの?"って聞かれた。私は割と真面目に義務教育の授業を受けていたと思うんだけど、事実を淡々と述べる感じの教科書の書き方だったと思う。そんなに深く、自分たちが植民地化しようとしたことがある民族だって認識なかった。加害責任についてもっと学びたかった。"真珠湾攻撃"のwikiと"Attack on Pearl Harbor"のwikiの語調の違いも興味深いよ。日本の書き方。正直インスタとかでも日本は綺麗だ!清潔!安い!みんな優しい!っていい印象を持たれてるイメージが強かったからいろんな過去の発覚に驚いてる。国際社会の中で日本がどういう立ち位置なのかは掴めてない。
そして話はナチスとユダヤへ。多分エレインは私がシェアしたパレスチナのストーリーを見たんだと思う。キリスト教にあまり親しみのない私(たち)からすると1000年単位レベルの昔に住んでた人たちの土地の権利(イスラエル)を主張するよりも、60年前に追い出された人たちの方がそこに住むべきなのではないか?と感じるけれど、話してて彼女から感じたのは聖書にはイスラエルの人がそこに大移動したことがしっかりと書かれてるので、そこがかなり重要なんだと言うこと。まあ私がしたポストのシェア自体はパレスチナはもといた土地に戻るべきだとかそこまでは考えてなくて、ただジェノサイドが起きていてしかもそれを彼らに発信させて世界中から「ジェノサイドやめろ」というメッセージを言うだけで止められてないのが申し訳なくてごめんなさいという気持ち。
エレインから何を2時間半も聞いてたかというと、まあ分厚くてたくさんジャーナリングしてある聖書(新旧両方入ってた)をはじめから解説してもらいましたと。ほとんど本も見ずにスラスラとストーリーが口から出てきてた。彼女はエンジニア専攻なんだけど、私からするとこんな人類の神話と歴史の詰まったものすごい本の話を生き生きと話し出すギャップに驚いた。一緒に住んでるから、毎週日曜日の朝からオンラインで教会に参加したり食事の前に目立たないようにお祈りするところからものすごく敬虔なキリスト教徒だと言うことはわかってたけど、あんまりそれについて話したことはなかった。アダムとイブと蛇の話から、バベルの塔なり、モーセの話なり。ユダヤ教からキリスト教までどのように動いたか。登場人物が多いし聞いたことない英単語もよく出てきたからwhole storyはよく覚えてないけど、途中で神話から歴史が入ってきた時は感動した。イスラエルは神からblessされた人々で、選ばれてるから、信仰深いときは神から守ってもらえるし、神を信じなければ守ってもらえない。だからユダヤだけの決まりもしっかり守る。なぜ差別されるのか?なぜ金融業界との関わりがあるのか?についても聞いたんだけど眠くてよく覚えてないからまたきこう。そして、何よりこんなすごい歴史書を現代の人々が大切にして読んでいるなんて。自分は気候変動から西洋批判的なことば��りを考えていたけどキリスト教、ユダヤ、イスラム教のこともまた勉強してからまた考え直そうと思った。
historical revisionism(歴史修正主義)のことも書こうかと思ったけどまた今度にする
今日、また話を聞く(だろう)。明日提出のエッセイがあるけど、まあいいや。聖書から見える景色は全然違う。ここから、なぜアメリカはイスラエルを支持するのか、なぜイスラエルはこのような攻撃するのか、受け取る情報がほとんどパレスチナ寄りの私にどんな見えてない世界や歴史があるのか楽しみだ。
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jinriki · 8 months
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エオルゼア雑感・特別編 「華めく神域 タレイア」感想(ネタバレあり)
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本日公開されたFF14のPatch6.5「光明の起点」、皆様楽しまれているでしょうか。私もうきうきで帰宅し、シリーズ「ミソロジー・オブ・エオルゼア」の第3段で締めくくり「華めく神域 タレイア」に突っ込んで6回ぐらい死に、いやあエモかったなんだあのラッシュ攻撃は、などとフレンドと語り合いました。
しかし好事魔多し。その後の物語を進めたところで大いなる解釈違いとぶち当たってしまいました。今回はそんなチラ裏です。
以下、「ミソロジー・オブ・エオルゼア」と「華めく神域 タレイア」その他のネタバレを含みます。 また、解釈違いの表明という都合上、少しネガティブな文章かもしれません。
消えるはずだった人が残るってのは1度きりの奇跡だから許されるだろう、と思うわけですよ私は!
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このゲームって1回そういう展開を大オチとしてやっているわけですよ漆黒で。それもなかなか反則だろう、でもこのキャラを生かさないと困るよな、というわずかなわだかまりが自分の中にあったぐらいです。 今回、「華めく神域 タレイア」ではその展開をもう一度使ってしまった。消えるはずだったキャラを生かしてしまった。そしてその他は天へ還った。それでいいんだろうか、ちょっと不公平ではないか?とニメーヤと主神に抱くPCを持つPLとしては思うわけです。 閑話休題。 まあ正直誰が残って誰が消える、というのは重要な問題ではなくて、消えるはずだったものが残る、それはおいそれと使うべきものでない展開ではないかと。私は、「消えるものは消える」という展開の方が美しいと思います。また新しい物語を始めて欲しいと思います。
だからこの「人間として1人残る」という展開は正直解釈違いだったんですよね。禁じ手は1回だからこそ禁じ手、2回使うと軽くなるから。
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でもオタクの好きなものてんこ盛りだったよねえ、主神がいてさ、言葉かけてくれてさ……でもこれリムレーン様を主神に選んだ人とかどうなるの?お言葉は?みたいなところも引っかかるわけですけど。なんかこう、語りたい物語とファンサービスの間で齟齬を感じざるを得ないんだよなあ、とちょっと思うわけです。これは小さいところかな。
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ここの語りはものすごくよかったですよね。丁寧に1人ずつオリジナルを語っていく、オリジナルのことをを語り手が全て覚えているってのがすごくエモーショナルでした。 そう、彼は語り手だったわけです。記録するという役割を与えられた「ミソロジー・オブ・エオルゼア」における語り手でした。彼に最後まで物語を語らせるための歪みを許せるかどうか、だと思います。気にならない人も多いと思います。
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「じゃあ、またどこかで。」のシーン。ここで「後々もう一度出番があって欲しいか」「このまま登場しないままでいて欲しいか」というところでまた解釈が分かれるシーンです。実際フレンドの1人と自分で感想がはっきり分かれました。多分めんどくさいのは私の方です。
あとは神殺しをここまで華々しく描いていいのか?という葛藤とか。いや神々は世界を支える機構であった、だから滅ばねばならないという解釈には頷くんですが。それにしたってもうちょっと切なくても良かったなあ……なんか世界設定の根幹に関わる部分を壊しちゃってよかったのかな。それでも胸に残るものが信仰なのかなと考えさせられる部分とか。 あとアレを見た後に「研究テーマ変えます!」と言ってのけるスノーゲイムさん強すぎない?目の前で研究テーマが斃される瞬間を見たんだよ?この世界における神とは何か?信仰とは何か?いやこれは身の回りにいる人達だけがレアケースかもしれない。でもこの神殺しを為してしまったPCは、敬虔な信者に対して何を思うのか?なんかあまりにサクッと、チェンソーでもってヤるみたいにそれを成してしまったなあと、なんかこうそういうもやもや感を抱えるのです。この矛盾、二次創作の起点でもあるような気がします。光明の起点。
めんどくさい感情だよなあ。でもニメーヤ様すごく可愛かったよな。このボブっぽい髪型欲しいんですけど、有料でもいいからどうにかなりませんか?
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7wave3 · 9 months
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20230913
日々色々なことをインプットして、アウトプットしないでいるのは良くないなと思い気軽に更新するためのブログを作ったはずなのに、気がつけばまたも月一回の更新になりつつある。
せめて週一で更新したいもんだけど・・・ 以下最近の関心事についての雑記。
❍ グッドオーメンズの原作上下巻を読み終えた
洋書をあまり読まないし外国人作家の話なのでノリが分からないことも多々。翻訳者との相性もあるのかもしれませんが、ト書きでのおしゃべりが多くて本を開くと15分ほどで必ず眠気がやってきたことに驚きました。本を読み出すと眠くなるってこういうことなんですね。
原作の方はドラマとの相違点もあったし、ドラマではより楽しみやすいように改良されていたんだなと思いました。
❍ 作者のニール・ゲイマンの神に対する捉え方が天使と悪魔のスタンスに反映されてる気がして面白かった
私は自分のことを仏教的な考えを下地にした無宗教者だと思ってるので、どうしてそこまで神というものに寄り添おうとするのか、敬虔になれるのか、理解しようとするのは難しいなということが改めて分かりました。
神が何であるかというのは到底説明しきれないので書くのは止めておこうと思います。
しかし作者自身もイギリス生まれなのにものすごく中立的に神を分析をするもんだなと関心しました。世界の神話に造詣が深いらしいので、きっと考え抜いた上で人間目線から神をいじるような話を書いてるんだと思うけど、過激な人たちから怒られたりしないのかなと思う。無宗教者としては興味深くて面白いけど。
ただニルゲ先生は神を貶めたい訳ではなく、矛盾をついたり親しみを持って神話なりを楽しんで欲しいんだろうということは分かります。
ニルゲ先生『ペルソナ』や『女神転生』喜んで遊んでくれそう。
そしてドラマでは知り得なかったクロウリーとアジラフェルの細かい情報を沢山知れたのでよしです。アジラフェルがマニキュアしてるとか等。沢山メモを取りました。
S3はいつになるやら・・・
配信後からたまっていた熱量を、久しぶりに会った友人Mにぶつけてしまい後から恥ずかしくなりました・・・ でもこの作品はBL好きな真性の腐女子に観てもらいたいという気持ちが強すぎました。
❍ 友達にグッドオーメンズS2を観てもらって嬉しかった話
結果、面白いと言ってもらえたことと、大体の内容を理解し二人の気持ちを汲んでくれたことが嬉しかった。
私は初見時ラストで訳が分からずただ二人の友情なり親愛なりとにかく6000年に渡るすべての絆が断たれたことに号泣して崩れ落ちてしまったけど、友人Mはキスにとても驚いていたな。反応は色々だ。
どうして私のスマホカバーに「光のマツケンステッカー」が入ってるのかを尋ねられたけど、グッドオーメンズを観た後辛くてどうしようもなかったらマツケンに縋ったという話をしたら笑ってくれていました。
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辛くなった瞬間に辛さを緩和してました。今もですが。ありがとうマツケン。
Mは冨樫義博展のお土産を沢山くれてパンフレットを見ながら展示の話をしてくれたし、米津玄師の『地球儀』の写真集付きのブックレットを置いていってくれたりしました。
読んだ上でまた感想を送りたいなと思います。沢山話せて楽しかったな・・・彼女といると時空が歪んで5時間が1時間後くらいの体感になります。
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junikki · 10 months
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日本で買ったコスメたち。プチプラばっかりだけども買いすぎたw昨日セザンヌのマスカラとロムアンドのグリッターのアイライナーこうにゅうしたよ。ロムアンドのやつ想像以上にかあいくてやばい。すげえキラキラしててかわいい目元になる。
驚いたのがキャンメイクのパウダーもう底見えし出したんだけどもw買って数日だよ?いくらなんでも早すぎない?アイシャドウとかも想像以上にちっさいからすぐ底見えするかもな。アイシャドウって使い切るのすごい苦労するんだけども、普通に使い切りできそうな予感。今日は締め色を瞼全体に指塗りでぼかしただけなんだけども、締め色濃すぎないから普通に使いきれそう。
テスターで見たちふれのツインカラーのアイシャドウのグリーンが気になってるんだけども、これも安いしめっちゃちっさいから余裕で使いきれそうやと思った。これ買うんだったら、アイライナーやネイルや髪色もカーキ系で統一しようかなって思う。
ᙏ̤̫͚
今日は家の内見行ってきたんだけども、家賃14万のとこと7万のところがあって、やっぱ14万のところはすごく綺麗で広くて居心地良さそうな感じで、お風呂場に乾燥機あって洗濯物干すのに便利そうでええなあって思った。7万のところは古いし狭いけど、まあ寝に帰るだけならアリかなってレベル。実家を狭くした感じの昭和を感じる物件で、私は全然許容範囲内だと思ったけども、ロバートは嫌がって14万の方にする気満々だった。どっちも谷町沿線の地域で、御堂筋線より混みにくいから良いなと思った。歩いて心斎橋か天王寺行ける距離だし。
なんか日本帰ってきて、新宿でホームレスのダンボールハウスとか見たんだけども、小綺麗で驚いたわ。ちゃんとプライバシー守るようにして作られてるんだね。カナダのホームレスはゴミ箱近くにあっても動物みたいにその辺にゴミ捨てて散らかしまくる。金をねだってくるし、なんか犬とか連れてたり、すごい悲壮感を出しまくってお金ねだってくるんだよね。すごい図々しいの。こんなんやったらホームレスなって当然夜なって感じの人間性。でも、日本のホームレスの周りはゴミとか散らかってなくて、むしろ掃除のためにか箒がホームレスの段ボールハウスの近くに置いてある。物乞いしてくることもないし、できるだけ迷惑かけないように生きている感じでいじらしい。つくづく日本のホームレスを見直したわ。
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最近ポケモンGOフレンド一気に増えて、30人前後でずーっとやってたのに、今もう50人もできたwレイドも簡単に人集まるし、ポケゴが今までで一番楽しいかもしれん。歩いてて、卍を見つけるとドキッとするようになった。ヒトラーってすごい敬虔な仏教徒やったんやなあって(すっとぼけ)
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日本で最近食べたものたち。
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久しぶりの日本、ほんまになんでも美味しいわ。コンビニ弁当とかもめちゃくちゃありがたい。こんなちゃんとした食事がコンビニで買えるなんて奇跡だわ。カナダだと揚げ物系とかポテチ、お菓子などなど、なんかジャンクフード!って感じのものしかないからさ。日本のチープなお店でもこんな良いもの食べれて本当に幸せ。
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あとサンキューマートでニャスパーのストラップ買っちゃった。ナゾノクサはポケットや鞄に入れてると誤操作が酷くて外すことに。今バックパックにつけてます。それにしても、このストラップ想像以上に便利。普通に持つだけで落下防止できる上、なんかスマホプラス何か持ちたい時に、このストラップをブレスレットのように腕に通すと落とさず持てるの。すごい便利。ハンドバッグ的な。肩からかけるストラップは長すぎて鞄の中入れたりしたい時、収納に不便そうだから、これくらいが一番ちょうどいいのかも。今ポケピースで統一してます。ポケモンのテラスタルのステッカー買って入れたいんだけども、微妙にサイズ合わなさそうで迷ってる…
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kininaru-text · 10 months
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ユーモア
私自身の話をすれば、検索してたどりついたシャルリ・エブドの風刺マンガからは、ほとんどまったくユーモアのエッセンスを感じ取ることができなかった。
 フランス語が読めるわけではないので、文字に関しては英訳してあるサイトのものを捜したり、ウェブ上の辞書の世話になったりした。
 で、かなりの数のネタをサルベージした次第なのだが、どれもこれも、ひとつとして笑えない。
いや、大げさに言っているのではない。
「charlie hebdo」で画像検索をしてみれば、一目瞭然だ。これで笑う日本人が果たして何人いるのだろうか。
 私は、単に不快だった。
つまり、ユーモアの理解度からすれば、私は、テロの犯人とそんなに違わなかったわけだ。
とはいえ、もちろん、ポンチ絵を見てムカついたからといって、私は編集部にカチコミをかけたりしない。
 世界中のほとんどすべての新聞読者と同じく、笑えないネタに対しては黙殺を決め込む。それだけの話だ。
 ユーモアは、伝わりにくいものだ。
 仮に出来の良いユーモアってなものがあったのだとして、笑ってくれるのは読者のうちの2割に過ぎない。
半数の人間は無反応だろうし、残りの3割は気分を害している。笑いというのはおおよそそうしたものだ。
とすれば、ユーモアを発信している側の人間が受け手の無理解を責める態度は、傲慢以外のナニモノでもない。
 笑わない客が笑わないことは笑わない客の側の責任ではない。
笑わない客が笑わないのは、笑わせるはずの芸人が笑わせることができなかったからだ。
 犯人は、なるほどシャルリのユーモアを理解しなかった。
 が、問題はそこではない。
唯一の問題は、犯人が暴力に訴えたことだ。
 マシンガンを乱射して、編集部の人間を殺害し、警察官を殺害したことだ。
 どんな理由があろうとも、殺人は、100パーセント、いかなる方向からも擁護できない。
 彼らが敬虔なムスリムで、シャルリ・エブドの涜神的なポンチ絵に怒りを感じていたのだとしても、そんなことはひとっかけらも免罪の理由にはならない。
 が、犯罪とは別に、犯人がユーモアを解さなかった(「ユーモアを失っていた」と、ルジエ氏は言ったが)ことそのものは、特段に責められるべきことがらではない。
 彼らがユーモアを解さなかったことと、テロに訴えたことはまったく別の問題だ。
 ユーモアのわかる人間ならテロリストにならないというわけでもないし、犯人がユーモアを理解していれば、テロに訴えなかったはずだみたいな甘ったるいお話でもない。
 ルジエ氏の言い方だと、犯人は、ユーモアの知性を理解しない人間であるがゆえに、犯行に及んだように聞こえてしまう。
そうでなくても彼のものの言い方はユーモアを解さない人間をテロリストと同じ集合に分類してしまっている。
 と、私も犯人と同じ側の人間だってなことになってしまう。
 違うぞ。
 私は、シャルリ風の高度なユーモアを解さないという意味では、たしかに犯人と同じだ。
 が、徹底的に非暴力を貫いている点で、自らの主義主張を暴力という手段で実現しようとした犯人とは正反対の人間だ。
 一緒にされては困る。 ユーモアみたいな粗雑なもので私を分類しないでほしい。
 ルジエ氏の立場に立って考えてみれば、彼のあの日の会見での発言は、普段の彼の言葉とは違う、感情的な反応だったのかもしれない。
 当日、彼は、自分の同僚を何人も殺された直後の状態で会見に臨んでいた。
 とすれば、感情的な反応を示さない方がむしろ不自然だったと言っても良い。
 ルジエ氏は、自分自身もまかり間違えば殺されたかもしれない立場だった。
 そう思えば、犯人を貶めたかった気持ちは十分に理解できる。
 興味深いのは、ルジエ氏が犯人を「ユーモアを失っていた」という言い方で、非難しようとしたことだ。
 
非難の言葉にはその人間の信念が露呈する。
 ルジエ氏は、おそらくユーモアを持たない人間を、人として最も低級な人間であると考えている。
 だからこそ、テロリストに対してその言葉をぶつけたのだと思う。
 ということは、彼自身は、ユーモアを使いこなし、ユーモアを理解し、ユーモアを通じて他人と対話できる人間であろうとしているのだろう。
 それで、漫画家という職業を選んだのでもあるだろう。
 悲しいのは、そこまでユーモアに高い価値を置いているルジエ氏のユーモアが、私にほとんど伝わってこないことだ。
 ユーモアは、むずかしいものだ。
 住んでいる国や使っている言葉が違えば、それだけで、ユーモアのかなりの部分は無効化してしまう。
あるタイプのネタは、聴いている音楽が違うだけでまったく理解されなくなる。
 「犯人はユーモアを失っていた」と言った時、ルジエ氏は、暴力とユーモアを正反対の概念だと思ってそう言っていたのだろうか。
 私は、「暴力」と「ユーモア」は、正反対どころか、兄弟に近いものだと思っている。
 暴力とユーモアは、コインの裏表みたいな関係で、お互いを補完しあっている。
 同じものの別の側面と言っても良い。
 実際、ユーモアの名において発動されているいじめは、山ほどあるし、セクハラやパワハラも、多くの場合、ユーモアの仮面をかぶっている。
 ユーモアは、いやがらせにも、あてこすりにも、皮肉にも、揶揄にも使われる。
 どれもこれも言葉の暴力の一変形であ��、もっと悪い場合、集団から個人に向けたリンチに発展する。
 ルジエ氏が「ユーモアを失った人間」を想定したのは、世界を「ユーモアを解する高級な人間」と「ユーモアを解さない低級な人間」に分けて考えたかったからなのかもしれない。
 しかしながら、世界はそういうふうにはできていない。
 われわれは、自分と異質な人間を見ると、その人間を「ユーモアを解さない人間である」というふうに決めつけたくなる。
 たしかに、異質な人間同士の間では、ユーモアは通い合わない。
 が、たとえば、異教徒と接すると時には能面みたいに無表情で対峙するカルト教団の信者だって、同じ教団の信徒同士で会話を交わす時には、ずっと柔らかい表情を浮かべているものだし、時には冗談だって言う。
 つまり、ユーモアを解さない人間とユーモアを解する人間がいるのではなくて、ユーモアが通い合わない人間関係と、ユーモアが通じる人間関係があるわけで、ユーモアの受容は、能力やセンスよりも、関係性に依存しているのである。
 もちろんテロリストもジョークを言う。人殺しだって笑うしやくざはほとんど一日中笑っている。
 結局のところ、われわれが自分の嫌いな人間をジョークのわからない人間に分類したがっているだけで、実際には、誰であれ、気の合う者同士の間では、ユーモアを交わし合っているのである。
 もちろん、他人に伝わらないユーモアもある。
 卑劣なユーモアもあるし、唾棄すべきユーモアというのだってある。
 凶悪犯の犯罪だって当人としてはユーモアのつもりだったのかもしれない。
 そう思えば、ユーモアだから高級だとか、ユーモアだから知的だと思うのは早計だ。
 多くのユーモアは低級だし、多数派のユーモアはむしろ動物的だったりする。
 そう。ユーモアの大半はクズなのだ。
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straycatboogie · 10 months
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2023/08/12
BGM: globe - Love Again
ボーナスが入ったら金子光晴かあるいは松下育男の本を買おうかと思っていたのだけれど、石川浩司『「たま」という船に乗っていた』の増補改訂版を買い求めるのもいいかなと思い始めた。今月末、木曜日(たぶん31日)にぼくが友だちと行っているミーティングでプレゼンテーションを行う機会があるのだけれど、その際に「たま」の話をするのもいいかなと思ったのだ……といってもぼくは実は「たま」について実に「浅く」「あっさり」としか知らないのである。ぼくは兵庫県で生まれ育ったので「イカ天」に代表されるバンドブームも間接的にしか知らない(「イカ天」はぼくの住む地方では放送されていなかった)。そして、10代半ばのぼくと言えばまだビートルズすらも知らず、ただ佐野元春とブルーハーツと種ともこを愛好する鼻垂れ小僧でしかなかった。調べると、1989年(つまりぼくが14歳の歳)に彼らはその「イカ天」に出演したという。そこで、彼らは「らんちう」を歌いそこから快進撃を始めた。「さよなら人類」「オゾンのダンス」といった曲を歌い、そうした曲は次第に社会現象とまで呼べるほどのうねりを生み出していくこととなった。ぼくのCDラックにも彼らのアルバム『さんだる』(これは今でも持っている)や『ひるね』があったくらいだから、相当な現象だったことがうかがえる。
14歳の頃といえばそんな感じの鼻垂れ小僧であり、だから当時、彼らをロック史やポップ史に社会学者よろしく位置づけるなんてことはできやしない。注意深く聞けば彼らの音楽はビートルズに代表される海外の革新的な音楽やあるいは日本文学の残響を聞き取ることができる。つまり、彼らは突然変異体ではなく「正統な」「まっとうな」ロックの破壊王であり継承者……というのは大げさかもしれないけれど、ともあれ実に敬虔な表現者だったのではないかとぼくは思っている(異論を歓迎したい)。だけど、こんなふうにしたり顔で語れるのもぼくが実にすれっからしのおっさんになってしまったからである。当時はこんなことわかりっこなかったので、彼らの曲を聴いた時はのけぞってしまったものだ。「とんでもない人たちが現れた」「一大事だ」と思った。これはつまり、「言葉にしようのないもの」「簡単に言葉にできないもの」がいかに強いかということを示していると思う。そして、ぼく自身彼らの音楽を何とかしてぼくの貧しい語彙を駆使して言葉にしようとしてあくせくあがいたものだ。彼らの1曲1曲の中にストーリーを読み取ろうとした。ぼくが考えたストーリー……おそらくそれらは宮澤賢治のような書き手の書く童話・寓話のできそこないでしかなかったのだけれど。
今になって『さんだる』を聴き返してみて、やはり「どの一節を切り取っても『たま』としか言いようがない個性」に打たれてしまう。それは、ビートルズの名曲群が「安定したビートルズ印」で成り立っているのと同じだ。これも異論・反論あると思うけれど、ぼくはビートルズが世界最高峰のバンドかというとやや違った考えを持っている(ぼくはひねくれ者なので「いやぼくが思うに初期のピンク・フロイドやXTC、あとブライアン・ウィルソンだって同じくらいすごいよ」と言いたくなるのだった)。だけど個性ということで言えば「たま」やビートルズにはこちらを唸らせ、黙らせる強烈な「におい」があると感じる。それは言葉にして解析したとしてもついに脱臭できないような「におい」だと思う。そんなことを考え、ぼくなりに彼らの曲を聴き込み歌詞を読んで考えたことを(ムダな抵抗ではあるにしても)言葉にしたいと思った……ところで、その「たま」を「日本のビートルズ」と呼ぶ人もいて面白い。いや音楽性は上に書いた通り確かにビートルズ的だなと思うけれど、彼らの唯一無二の佇まいはむしろ……誰になるのだろう。ロバート・ワイアット? いや、これ以上掘り下げると「知ったか」がバレるので止めておこう。
今日は早番だった。仕事をして、昼休みに詩を書く。今日書いていて、ふと『メジャーリーグ』という映画のことを思い出した。久しく見直したことなんてなかった映画だけど、こうしてぼくの頭の中の「冷蔵庫」「冰箱」の中からそんな変なものが出てきてしまうというのがぼくらしいというか、いやはやなんとも。帰宅後あれこれしていると眠ってしまい、結局フィリップ・フォレスト『さりながら』を80ページほど読みそこで今日の読書は終わってしまう。フィリップ・フォレストの筆致は小林一茶をめぐる記述から夏目漱石へと至り、ぼくもそのような表現者たちが生きた時代や彼らがその内面的葛藤の中から生み出したものについて考えたくなってきた(ぼんくらなので、岩波文庫で一茶の『おらが春』を読めることを知らなかった)。その一方で上に書いたように「たま」の『さんだる』を聴き返し、これは「名盤」(ぼくの基準では「90年代のベスト50」には入るほどの)ではないかなとも思い始めた。ぼく自身は気に入れば何でも聴くので(だからBUCK-TICKや小室サウンドだって素晴らしいと信じて疑わないし、四六時中ではないにせよ聴く時は聴きます)、だから音楽のテイストに関してはアテにされても「こまっちゃうナ」なのだけれど。
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