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#研修初日の夕方
hirasen · 1 year
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#研修初日の夕方 は #通常だったら懇親会なのに 、 #時節柄 #今日は #おひとり様ぼっち夕食 …。 #でも 、 #チーズハンバーグ は #本格的 ! #ご飯 #の上には 、 #甘酢ショウガ #ショウガ ( #ガリ )と #大根の梅酢漬け #大根 ( #さくら漬け )を #てんこ盛り !! #そのほかの #野菜サラダ や #ブイヨンスープ 、 #青りんごゼリー も #ソーグット ♪ #明日も 、 #ガンバれる ☆… #かな ? (東北自治総合研修センター) https://www.instagram.com/p/CmbeftCPXO4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 1 day
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2024年4月27日(土)
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朝起きてベランダのサッシを開けると、ジャスミンが一輪開いていた。新聞を取りに出ると、ツツジもコデマリも満開だ。もちろんしばらく前からこの状態だったろうが、とても目をとめる余裕がなかったのだ。週末・・・というよりも連休初日、やはりノンビリしているのだろう、穏やかな天気と眼福に感謝!
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3時起床、日誌書く。
二度寝、6時起床。
洗濯。
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朝食、アイスプラントの軸の食感がとても楽しい。
珈琲。
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第4土曜日は<使用済み天ぷら油回収>の日、7時30分にセットして10時に業者が回収に来る。
今日のミッションは<MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン>のニュースの編集、何とか仕上げて<京都市市民活動総合センター>に明日の印刷室の予約を入れる。
今日の油回収量は1Lとのこと。
クロネコが Mac mini の回収に、一応梱包していたがやはり専用の箱があったのでそちらに移す。一緒に<もったいない本舗>似依頼した段ボールを届けてくれる。
ツレアイはWeb研修、私はセントラルスクエア花屋町店へ、カミソリとシェービングジェルを購入する。
ランチ、彼女にはお好み焼き、息子には<好きやねん>。
彼女は午後から<バザールカフェ>でキルト作り、2男はボランティアに出る。
私は研究室から持ち帰った<柳田國男全集>を梱包、クロネコに集荷依頼する。
作業場の空いた棚の整理、米朝・枝雀のDVDをチェック、あれこれ漏れがあるが一部は長男のところ、メールで問合せ、ついでに4/29(月)に夕飯を一緒にすることになった。
ライフ西七条店へ買物、刺身の盛り合わせを購入する。
夕飯準備を始めたところへクロネコが集荷に来てくれた、段ボール箱*3。
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ツレアイも帰宅してみなで夕飯、<鱧皮と胡瓜の和え物>を久しぶりにInstagramにアップする。
録画番組視聴、
春の池袋でアニメな人々を見つめてみた件
初回放送日:2024年4月26日 人形やキーホルダー、バッジなどのアニメグッズ。こうした品々を買い取ってくれるお店が舞台。アニメの街、東京・池袋にあって、連日、多くの人が何かを持ってやってくる。好きなアニメが変わったと、以前の推しキャラ��ターのバッグを売る人。就職で遠方への引っ越しを機に、グッズを手放すという人。気持ちに区切りをつけるために訪れたという人もいる。大好きなものと別れるそれぞれの事情から、どんな今が見えるのか。
名探偵ポワロ 第7話「安いマンションの事件」
ポワロとヘイスティングスは、パーティでロビンソン夫妻と知り合う。高級マンションを格安で借りたことに疑いを持つポワロは、夫妻と同じマンションに部屋を借りることに。ポワロはロビンソン夫妻が2組いることを知り、部屋を見張る不審な男を確認する。
片付け、入浴、体重は2日前から550g減。
眠いので日誌は明日の朝にする。
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ちょこまか動いたので、無事に3つのリング完成。
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kanglo · 8 months
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】(2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田)
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】 (2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202309.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/690266253005922
今年で12年目を迎えたオープン合宿。今回は、初秋特別編です。「160年の古民家荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社への巡礼も行う予定です。
そして、160年古民家荒蒔邸を拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」の有機野菜と共に、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、焚火の灯で温まりながら、夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラー、アーティストの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。ご参加をお待ちしております。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
★有機野菜:木の里農園 http://konosato.com/
■開催日:2023年9月18日(月)- 19日(火)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日16時頃に現地解散予定です
■集合場所:  道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694-3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)>  *10時:集合場所(道の駅さとみ)   ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り  *10時15分~:手打ち蕎麦ワークショップ  *12時~13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション  *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン   ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶  *13時30分~22時頃:  ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。   ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります)   ・300年古民家「菊地邸」訪問   ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け   ・荒蒔邸の囲炉裏と焚火を囲んでのダイアローグ(対話)   ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は個別清算)  *22時頃:自由時間  *23時頃:就寝
<8月27日(日)>  *06時:起床~朝のさんぽ(朝陽を拝むマインドフルネスウォーク)  *07時:全員で朝食準備&朝食(禅イーティング)&片付け  *09時~:森夕花先生のマインドフルネスアートセッション  *11時~:清掃・片付けをし移動  *12時~:御岩神社巡礼  *14時~:ゆっくり昼食&対話&クロージング  *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。  お気軽にお申し込みください。以下は参考です。  どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、  スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、  リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。  お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります)  http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:8名限定 ※先着��。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
(現地でのお支払いも可能です)
④これにて「申込完了」となります。
■協力:木の里農園さん、地元の仲間たち ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
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someones-voice-2021 · 11 months
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#05 中沢レイ
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一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
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生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
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仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
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踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
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それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
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妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
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それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
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生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
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やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
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みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタ���リンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
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(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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europiumoon · 1 year
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先週末は研修が始まってこの人達とグループからチームになれるのかとても不安に思った。新入社員の女がしゃしゃり出てるように思われてないかの不安。22でも24でもないんですけどねハハ。3月までやり抜きたい。金曜の仕事終わりにSMラブホに行った。雰囲気がなくて笑ってしまった。THCOを吸って飛んでいた。土曜に髪を整えてもらった。5-6年くらい通ってるから、ここじゃないところ〜ってたまに考えるけどやっぱりここが好き。夕方に女神と合流して都内のホテルに一泊した。彼女と旅行に行きたい。「連日の研修やらなんやらで荷物が重くなると思って誕生日プレゼント持ってこなかった」と伝えられて、そうか、そうだよなと11月も半分きりそうだなって当時思った。お揃いのパジャマを持ってホカンスをした。翌日急遽お悔やみに行かなくてはならなくなり昼に解散。ばぶも友人宅で泊まってたらしく上野駅で集まった。ばぶと女神が挨拶してて不思議だった。ばぶはぶりぶりになってたぽい。大体目つきでわかるようになってきた。あと若干の笑み。手を繋ぎながら特急に乗って帰った。夜が降りる前にお世話になっていた人に挨拶した。化粧前といわれて瑞々しさは90過ぎても保ちたいと思った。部屋に戻って片付けしてばぶのマンチタイムをFaceTimeで見ていた。月曜はバブから貰った靴のつま先のソールがペコペコしてると気づいたら、目の前に見覚えのある後ろ姿を見かけて走っていった。バブと久しぶりに朝一緒に行けた気がする。ちょっと嬉しかった。足の後ろが相変わらず靴擦れで絆創膏を貼っていた。上司と1on1をやってたら、セクハラジジイはどこにもいるからねで、話が纏められようとしてて、当初のやる気はどこに行ったんだと悲しくなった。その後本社の人と面談を受けてバブと離れてしまうことを実感してしまって夕方くらいまで作業しつつ心あらずだった。私が目指していたものがなくなることを聞いたけど違う形として残ること、私自身目指してきた野望が先週末の研修と前々から頭に残っていた台詞により揺らいでいたので悲しみは深くなかった。バブがジム行っている間に何年ぶりだというくらい脚のマッサージを本格的にやった。筋トレもと思いながら肉付いてしまった6キロをつまむ。寝落ちする前にバブからバブのどこが好きなのと聞かれて沢山伝えた気がする。ばぶから電話を切る前に「Eu大好きだよ、いつもありがとうね」と伝えられた。嬉しさと共に勘繰っている。ちょこちょこ小出しにしてけばいいのにいつもこうやって長くなってしまうな。書く時間を積極的に作っていきたいな。新鮮なうちに文字として保存してその時の感情をまた読み返したときに思い出したい。以下下書き。メモを取らないと忘れちゃうよなあ。
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elle-p · 11 months
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P3 Club Book Mitsuru Kirijo short story scan and transcription.
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桐条美鶴の暴走
桐条美鶴は悩んでいた。
どうやら、自分は普通の同年代の女子とは、少し違っているらしいのだ。
思えば、いままではシャドウとの戦いと、勉学に明け暮れる毎日だった。愛する父親のため役立つことなら、どんな苦労も厭わなかった。そしてそれは、ごく普通のことだと思っていた。ごく最近までは。
きっかけは、やはり修学旅行だろう。日ごろの学校での勉強と違い、たとえ数日のことであっても、学友たちと朝から晩まで寝食をともにすることで、ほんのちょっと、自覚せざるを得なかった。何というか、一般常識的に、自分は少しズレているのではないか、と。そういえば特別課外活動部の仲間も、生徒会のメンバーも、自分から距離を置いているのではと思えることが、しばしばあるような気がする。
つい先日も、真田明彦に「なあ、私は······普通とは違うのだろうか?」と率直に相談してみた。美鶴の質問を聞いた明彦は、いつもの爽やかな笑顔のままピクリとも動かなくなり、たっぷり1分ほど時間を置いた後に、個性というものがいかに大切か、ひとりひとり違う人間とはなんと素晴らしいことかといった内容で熱弁をふるい、歌を歌いながら立ち去った。曲目は『世界にひとつだけの花』。最後まで、美鶴と目を合わせようとしなかったのが、印象的だった。
これはやはり、遠回しに「問題あり」と言っているのだと、さすがに理解できた。
生徒たちの上に立つ生徒会長として、そして特別課外活動部を率いる責任者として、これではいけない!いまさら、一朝一夕で一般常識とやらを身につけることは不可能だろうが、せめて、せめて周囲の人々に慕われるような、そんな人間になろう!そう美鶴が発奮したのも、無理のないことだろう。そして、彼女の性格上、行動は迅速だった。---はた迷惑にも。
「か······会長っ?いま、何と言······」
「ど、どうかしたのか?い、いや······違うな······どうかしたの?ち、千尋ちゃん?」
「か、かいちょおぉぉぉつ!?」
生徒会室に、生徒会会計である伏見千尋の絶叫が響き渡った。美鶴の“慕われる人柄になろう作戦”が発動した翌日の放課後。彼女はさっそく、それを実行し、戦果を上げていた。
やっていることは大したことではない。まずは形からだけでもと、美鶴が知る限りでもっとも人当たりがいい少女---山岸風花の喋りと動きを真似しようと思った。それだけだ。
それが、予想以上の破壊力だったことは、誰にとっても不幸なことだった。美鶴はただ、千尋の「会長、この件はどう処理しましょう?」との質問に、こう返答しただけだったのだ。
「ち、千尋ちゃんは、どうしたらいいと思う?」
そして、にっこり。
柔らかい笑顔、のつもりだが、日ごろ使っていない表情筋を酷使したため、頬の端がピクピクしていることに本人は気づいていない。おかげで、それは笑顔というよりも、どう見ても何かを企んでいる顔にしか見えない。
それでも、悲鳴を上げて真っ白になった千尋を心から心配して、美鶴が優しく声をかける。
「大丈夫?千尋ちゃんっ?」
これがトドメとなった。
ぴきっ。千尋の中で何かが壊れる音がした。
「いやあああぁぁぁあ!ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!私が悪かったなら謝ります!お願い!許して!言いたいことがあったら死ぬほど責めてくださって構いませんからぁ!丸呑みにして生きたままじわじわ胃の中で溶かしていくみたいな生殺しはしないでぇ!ごーめーんーなーさーいー!!」
ありうべからざる異常な現象を目撃し、千尋の脆弱な精神は、簡単に灼き切れていた。恐怖に翻弄され、被害妄想で心は満たされ、ついには胎児のような丸い姿勢でうずくまって、ごめんなさい会長を差し置いて彼には手を出しません、とか訳のわからぬことを呟いている。
「え······お、おい、伏見?みんな?ど、どうしたんだ?何が起こった?」
千尋の狂態に、ようやく状況に気づいた美鶴が周囲を見回したときには、すでに生徒会室の中には、まともに口がきけるものはいなかった。
「そ、それは······申し訳ありませんでした······って言うのも変ですね。うふふ」
「いや。私が半端に山岸の真似などしたのが悪かったのだ。やはり、本物には敵わない」
生徒会室の惨事が、数台の救急車のサイレンをもって幕を引かれたあと、美鶴は廊下でたまたま出会った風花を連れ高等部校舎の屋上へとやってきていた。作戦失敗に少々へこみつつ、美鶴は無断で手本としたことへの侘びを風花に告げ、自分のミスの原因を率直に訊いてみる。
「やっぱり······口調や立ち居振る舞いって、その人だけのものですから······。無理をしてもどこかでボロが出るのは仕方ないです」
「しかし、それでは······皆に一歩引かれてしまうのだ。私の態度は、どうも硬すぎるらしい」
「だったら、話す内容かなあ······」
「内容?」
「少ししか······一緒にはいられませんでしたけど、荒垣先輩って話してみると面白い人だったんですよ。最初はちょっと怖くて近づきにくかったですけど、けっこう冗談とか言うし」
「冗談か。なるほど······」
美鶴の脳裏に、高等部に上がったばかりの頃の荒垣の面影が浮かぶ。確かにあの事件が起きるまでの荒垣は、どちらかというと陽気なタイプで、いまで言えば順平のようなパーソナリティの持ち主だった。
「そうか······納得いった!山岸、恩にきる!」
「え?あ······桐条先輩?どちらへ?」
「さっそく寮に帰って、草稿を練ってみる!明日は幸い、全校集会がある日だからな!」
そう言って、風花を取り残したまま、猛スピードで美鶴は立ち去った。それは、入浴中に「わかった!」と叫んで裸のまま往来へ飛び出したアルキメデスのような勢い。もちろん、美鶴は何にもわかっちゃいなかった。
翌日の朝、講堂には集会のため全校生徒が集まっていた。恒例の眠気を誘う校長訓示、学年主任教師からの諸注意のあと、「続いて、生徒会からのお知らせがあります。会長、どうぞ」とのアナウンスが、エコーを伴い講堂に響く。そして、いつものように堂々と背筋を伸ばした。桐条美鶴が壇上に姿を現わした。
カツカツと靴音を響かせ舞台中央に立った美鶴は、演台上のマイクの角度を軽く直し、視線を前に向けて講堂を隅々まで脾説する。それは正しく、王者の貫禄。昨日のようなイカレた様子は微塵も感じさせない、常と同じく凛々しい姿に、舞台袖に控える生徒会役員たちが胸をなでおろ��た、その瞬間。
「······おっはー☆」
······ざわつ。
軽く短いざわめきが広がる。一瞬、その場にいた全員が、自分が幻聴を聞いたと思ったに違いない。ただひとり、山岸風花だけが、昨日の不用意なアドバイスのことを思い出し、顔面蒼白にして固まっている。
ざわざわざわざわ。
徐々に増えるざわめきに、美鶴は焦っていた。おかしい。こんなはずではなかった。最初に軽いツカミで聴衆の緊張をほぐし、その後、小粋なジョークの連打で笑いの渦を我が物とするはずが······。そのために、わざわざ古書店で『アメリカンジョー 100選』やら『大人のフランス小話』やらを買い漁って研究したのに。やはり、美鶴が幼いころに 一世を風靡した朝の子供向け番組の名セリフとはいえ、ネタが古すぎたのだろうか?しかし、最近では滅多にテレビも見ない自分に思いつくネタは······あった!確か伊織が言っていた最近流行りの······。
「······お手上げ侍」
しーん。
今度こそ静寂が周囲を包み込む。生徒ひとりあたり、平均して5本ずつ白髪が増えていた。もはや働く者はいない。そして、しばしの言葉の真空状態を経て、「いやあぁぁぁぁぁ!!」と響き渡る千尋の絶叫。昨日のトラウマが、このタイミングで蘇ったようだ。ここが学校でなく職場だったら、PTSDで労災がおりるに違いない。
その日、月光館学園に緊急出動した救急車は、10台を越えたという······。
放課後、今度こそ真剣に、美鶴は落ち込みまくっていた。ほぼ徹夜で考えたスピーチが目も当てられない失敗に終わったことも原因だが、何より、アドバイスを活かせなかったことを風花に告げに行った際。
「別に構いませんけど、今度からは一般人の目の前でマハブフダイン (氷結ハイブースタにより威力1.5倍) は止めてくださいね、うふふ」
とか、ぐっさり言われたことが、相当に堪えていた。あれで、風花は意外と毒がある。ちなみに風花の目は、微塵も笑っていなかった。
そんなわけで、美鶴は意気消沈して寮への帰路をとぼとぼと歩いていた。と、そこに。
「あれ?やっほー、美鶴センパイ」
と、声がかけられる。それは、美鶴も良く知った、岳羽ゆかりの声であった。いつもならここで、「ああ、ゆかりも今帰りか?」などと、自然と会話が始まるのだが、連日の失敗で美鶴はすっかり調子を狂わせていた。思わず、美鶴の口を突いて出たのは。
「や、やっほぉー、ゆかり······」
言葉が美鶴らしくないなら、態度も美鶴らしくなく、ゆかりの反応を下から窺うような、おどおどした表情になっている。
「······」
「······」
「······きもっ」
ぐっさり。
容赦のないゆかりの言葉が、美鶴の胸に深く突き刺さる。そして---。
「う······ううっ」
「あ、あれ?美鶴センパイ?」
「······うえっ」
「え?ウソ?ちょ、ちょっと泣かないでくださいよ!ご、ごめんなさい、ごめんなさい。ちょっとした冗談ですから。あー、よしよし」
子供のように、美鶴は泣きじゃくっていた。
---夕刻。なかなか涙が止まらない美鶴を、ゆかりは長嶋神社の境内へと連れてきていた。小さジャングルジムや、その向こうの境内が、照り映える夕陽で橙色に染まってゆく。
「すまない······ゆかりにまで、愛想をつかされたかと思って、つい······」
「だーかーら!違いますって!だいたい、仲良くなかったら上級生相手に『きもっ』なんて言えるわけないじゃないですか?」
やや目の端は赤いものの、美鶴は何とか泣き止んで、今は少し落ち着いた様子だった。
「で、いったいどうしたんですか?今日のセンパイ、はっきり言ってヘンでしたよ?」
親しさゆえとはいえ遠慮のないゆかりの物言いに、美鶴はうぐっと言葉を詰まらせるが、それでも淡々と先日からのことを説明した。すべてを聞き終えたゆかりは、大きく溜め息をつくと、ばっさりと切り捨てるように言う。
「バッカじゃないですか?」
「ば、馬鹿とは何だ! これでも真剣に······」
「バカですよっ!」
そう言って美鶴の目を見つめるゆかりの表情は、なぜだか少し怒っているようだった。
「ゆ、ゆかり?」
「センパイ、ぜんぜんわかってない!」
怒っているようで、それでいて、少しだけ寂しさを含んだ顔。
「いいですか、一度しか言いませんよ?少なくとも寮の連中や生徒会の人たちは、誰も美鶴先輩を敬遠なんて、まして嫌ったりなんてしてません!見ててわからないんですか?」
「ゆかり······」
「風花が美鶴先輩に親身にアドバイスしたのはどうしてです?いつもと違う先輩にみんなが驚いたのは、いつもの先輩がいいと思ってるからでしょ?まったく、いつも自分ひとりで納得して突っ走るの、悪い癖ですよ?」
「私は······このままでいいのかな?」
「そのままの先輩で、いいんです!」
「······一般常識がなくても?」
「はなから期待してません!」
「······嫌われて、ないか?」
「みんな、先輩が好きなんです!」
どくん。
ゆかりの言葉に含まれた、ひとつのキーワードが、美鶴の胸を打つ。それは、自分でも気づいていなかった、もっとも欲しかった言葉。
「も、もう一度!」
「へ?」
しょんぼりと気力を失っていたはずの美鶴が、一転してすごい剣幕でゆかりに詰め寄る。
「いまのセリフ······」
「え?みんな······先輩が······好き?」
じ~ん。
そんな描き文字がバックに見えるように、美鶴は全身を震わせて感動していた。そして、 さらに顔を紅潮させつつ、ゆかりを問い詰める。
「ゆ、ゆかり······は······どうなんだ!?」
「わ、私っ!?私は······きですよ」
「聞こえない!」
「あー、もう!そんなことわざわざ口に出して言わなくても······。あ······」
言わなくてもわかるだろう、と言いかけて、ゆかりは美鶴の目を見てしまい、そして悟る。美鶴はもちろん言わずとも理解していた。だが、いま必要なのは、はっきりとしたゆかりの言葉なのだ。それを訴えかける、美鶴の必死な視線を受けて、ゆかりは苦笑しつつ言った。
「私も、美鶴先輩が好きですよ。······ほ、ほかの人と同じようにですけどね」
心からの言葉を美鶴に贈り、それでも妙な感じに誤解されないよう釘を刺すことも忘れない。
「さ、さて!そろそろ暗くなりますから、さっさと寮に帰りましょう!」
ゆかりが、軽く染まった頬の色を隠すように、ベンチから腰を上げて美鶴に背を向けた。そしてそれを追うように、美鶴も慌てて立ち上がる。
「お、おいゆかり!ちょっと待て、できればもう一度······その······」
ゆかり以上に頬を染めて、美鶴が先ほどの言葉を重ねてねだる。しかし、ゆかりは構わず先をずんずんと歩いてゆく。
「知りません。もう十分でしょ?」
「······ゆかりは、意外とケチなのだな······」
「ケチって何ですか!ケチって!」
「ケチじゃないか。先日だって······」
「あ、それ蒸し返します?先輩こそ······」
ぎゃあぎゃあと喚きつつ、薄明のなかを歩くふたり。その姿は、10年来の親友同士のもののよう。美鶴の小さい悩みは、いつの間にか春の雪のように融け去っていた。
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tokyomariegold · 1 year
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2023/1/30〜
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1月30日 年賀状を送った友人から、私からの年賀状が当たっていたと連絡が来ていた。ありがとう、とあって、縁起が良いことをした気分で嬉しい。
先週、ジャン=ポール・エヴァンを引き取ってくれた方から「女がハートのチョコレート、赤くてつやつや〜、って喜んでた」と報告してくれた。
上司の親御さんの容態がかなり良くないらしく、次いつ出勤できるかわからないとのことでなんだか忙しくお仕事をした。 そんなことを全然知らなかったので、他の上司たちは、なんでちゃんと私に伝えてないんだ、と言っていた。でもそんなこと言われていたらお休みを取ってお誕生日できなかったかもしれない。
久しぶりの出勤の気がして、確実に朝の日の出が早くなり、夕方の日の入りが遅くなっている。
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1月31日 上司の親御さんが昨晩お亡くなりになられたとのこと、報告を受ける。 やっぱり社会の出るとお別れが多くて、その知らせにいつも動揺させられている。今日も無駄に忙しなくしてしまった。 ジャン=ポール・エヴァンを引き取ってくれた方は「娘の誕生日と◯◯さん(上司の名前)の親御さんの命日が同じ日になった」と言っていた。
お昼休みに、一期下の方からお誕生日プレゼントをいただく。とっても、とっても嬉しい。山の上ホテルに宿泊したとのことで、山の上マロンのバレンタインバージョンをプレゼントしてくれた!30歳になりたくない、ということを以前伝えたことがあったので「(30歳なっちゃったけれど)大丈夫ですか…?」と言ってくれた。 紙袋の内側にメモが貼ってあって、おめでとうメッセージを書いてくれていてすごく愛。
用務があり同期のいる部署へ行く。 同期の女の子がきゃぴきゃぴ話しかけてくれて、「飲みに行こ〜よ〜。ファミレスでもいいよ!お話ししたいよ〜、◯◯さん(私の名前)絶対おもしろいもん!」と言われ、つられてへにゃへにゃ答えてしまった。 おもしろいって言われても傷付かなかった。
なんだか喉が痛くて気持ち悪くて、先週誕生祭したツケがまわって来ないといいな。
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2月1日 お散歩ルートの桃?梅?の花が咲いていた。 赤ピンクでかわいい。 12月に結婚式に招待してくれた友人から年賀状が届く。もうこの時期なのに年賀状ちゃんと返してくれていて、文面に“ロシア料理の時は励ますつもりだったんだよ、ごめんなさい”とあり、新年早々誤らせてしまった。彼はあまりSNSやインターネットをしないと思っていたので、どこで私のtumblrの日記の更新情報を知ったのかしら?と嬉しい気持ちと、やっぱり掴みきれないところがあって良いな〜と思った。
今日は暖かくて色々油断してしまいそう。
誰かが身につけたり持ったりしているものに、英字が並んでいて、それがローマ字綴りだと気付いても決して読んではいけない、と思っているのに、電車で向かいの席の人の手提げの文字をひたすら繰り返し読んでしまう位、ぼーっとしていて良くない。手提げには“カワセミピッピクン”と書かれていた。
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2月2日 ずっとお腹の調子がよくない。 1年以上前に用意してもらった紹介状先の病院に通えていなくて、でも慢性的によくないことや不安なことが多くなってきたので、また紹介状を書いてもらうために産業医の方と面談をすることにした。取り次いでくれた保健師さんからのメールは、いつも文末に“くれぐれも無理はされないでくださいね。”とあり体調がしんどくない時をもうちょっと増やせるようにしたい気持ち。
写真を選んでもらったことをSNSでたくさん報告してしまった。なんで、そんなことしなくてもインターネットのどこかで受賞のお知らせがされていて、なんで自分で報告しているのかあまりよくわからなくなってきて、自分の投稿に“いいね!”をしてくれているのを確認して、う、あ〜〜、となっている。 大切な何かが少しずつ削がれていく、みたいな感じで、いつもならインターネットに逃げるのに今はどこへ行けばいいのかわからない。わからなくて、訳も分からなくて、職場の人の飼い猫の写真を見せてもらったり名前を教えてもらったりして興味津々をして疲れてしまって、何かおかしいよ。
朝出かける時にイヤホンをセットしてiPhoneから音楽を流し始めると、iPhoneが落ちて、電源を入れ直すと充電が9%。 今日一日で、何度か同じことを繰り返したので困った勢いでオンライン機種変の手続きを済ませた。6年前にiPhone7にして、豊田市美術館へ行ったね。
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2月3日 何も考えられなくなってスカートで出勤してしまう。研修の予定もないのにスカートを履くだけで、お仕事やる気ない態度、を示すことができる。今まで職場でのおしゃれは社会への抵抗の気持ちでやっていたけれど、今日は、コムデギャルソンのスカートを履きたい気持ちだったから履いた。
2期下の方から就活の時に作ったポートフォリオを見せてもらう。作品やご自身のプロフィールが楽しくまとめられていて、その方が7人兄弟の末っ子ということを初めて知った! あと高校の時の部活と部活の役職と担当が全く同じで、勝手に色々フラッシュバックして落ち込んでいた。
イヴを飲んでおいたからか、なんだか落ち着いている心と身体に不安が募っている。 何もできずにぼーっとしている。 新しいiPhoneケースでも作ろうね。
毎年、今年の恵方を聞く度に、それって最近向いたよね?と思ってしまう。
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kennak · 2 years
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旧統一教会のダミー会社へ健康食品を納入している製造業者が、筆者の取材に初めて口を開き、内情の一端を話した。 「うちが健康食品を卸すようになって、十数年になります。ある日、突然電話がかかってきて『おたくに製造を頼みたい』と言われました。正直、不審に感じましたが、そのあとすぐにスーツ姿の男性2人がやってきて、話がまとまりました。もちろん、彼らは統一教会だなんて言わないし、そのときは、私も想像だにしませんでした」(製造業者、以下同)  まずは3tの受注からスタート。その後、毎年のように増産し、現在は、当初の生産量の4倍を超えているという。 「カネ払いは決して悪くなく、毎回きっちり精算してくれます。先方の対応も、感じがいいです」  製造業者は、会社から研修も依頼されたという。商品の使用法や特徴を説明するためだ。 「参加するのは4~5人だと思って、軽い気持ちで引き受けたら、とんでもない。なんと50人もいたんです。聴講者は全員女性で、おまけに20代の若い女性ばかりで、ビックリでしました。  女性たちは、男性が運転するマイクロバス数台に分乗してやってきました。班長らしき男性から、しっかり説明を聞くように指示され、真剣にメモを取る女性もいました」  研修は計3回、おこなわれた。女性たちは誰もが礼儀正しく、身だしなみも整っていた。髪を染めている人などはおらず、多くがスッピン。全員が男性幹部の指示に素直に従い、私語も交わさなかったという。 「3回とも顔ぶれが違うんです。よくこんなに若い子が集まるもんだ、と思いました。やがて、彼女たちが統一教会の信者で、“マイクロ隊” の売り子だとわかってきました。なぜわかったかというと、彼女たちはうちが卸した商品を、私の親戚や知り合いの家にまで販売していたからです」 “マイクロ隊” とは、若い女性信者の売り子たちがマイクロバスで移動することから、いつしか呼ばれるようになった名前だ。女性信者たちは、特定の場所で全員、降ろされ、そこから一定の範囲を手分けし、戸別訪問して商品を売り歩く。夕方になると、再び降ろされた場所に集合して、バスに乗って帰る。 “マイクロ隊”について、北海道大学の櫻井義秀教授と大阪公立大の中西尋子研究員による研究書『統一教会』では、こう説明されている。 「マイクロはマイクロバスの略称だが、実際はハイ・クラスの一〇人乗りバンを改造した車に六、七名の信者を乗せて訪問販売部隊として全国を行脚する。後部座席三列分の椅子を倒してその上にカーペットを貼ったベニヤ板を敷き、フラットな空間を作る。昼間はそこに座って移動し、夜間は寝袋を使って鰯の缶詰よろしく頭と足を互い違いにして寝る」  この会社は、関東北部の中核都市にある。社屋は一見するとアパート風で、住宅地にあるため、営業活動をしている雰囲気はまったくない。ここで女性信者たちは共同生活をおこない、早朝からマイクロバスで出かけて、夕方に戻ってくるという日々を送っている。  同社は、筆者の取材に旧統一教会との関係を否定したが、旧統一教会を長らく取材してきたジャーナリストの鈴木エイト氏が、見解を述べる。 「この会社を直接は知りませんが、登記情報を見ると典型的な事業内容ですね。マイクロ隊を操る旧統一教会系の会社といっていいでしょう。  20代で旧統一教会系のマイクロ隊に入り、脱会した女性信者を知っていますが、かわいそうなことに、今も足に後遺症があるんですよ。わずかな昼食休憩を除き、1日に何十kmも歩かされる。それで足の骨がすり減り、歩けなくなるような若い女性が多いんです。本当にひどいことをするなと思いますね。  訪問販売は教会の資金稼ぎのためにおこなわれますが、同時にマインドコントロールの一環でもあります。信者の洗脳を“再凍結”、つまり解けないように強化する目的です。睡眠時間と休憩を最小限に切り詰め、労働力として酷使することで、信者たちに考える時間を与えず、稼ぐことが神の救いであると教え込むのです。結果、自分たちは正しい信仰をおこなっている、と信じて疑わなくなります」
【旧統一教会】女性信者が訪問販売をおこなう「マイクロ隊」の実態を取引業者が初告白(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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myonbl · 6 days
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2024年4月22日(月)
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私の職場(私立女子大学)では、今日から前期授業が3週目に入る。主担当の<スタディスキルズ>は1年次必修科目、2人の教員がペアとなって同時進行することから、協力して先週末に全クラスの出席状況を調べてみた。すると、例年のことではあるが2週連続欠席しているものが数名いる。事情はそれぞれあるだろうが、大学生活に馴染めないのなら決して無理することはない。教室に来られないのなら、カウンセリングルームを利用するだけでも良い。少しでも心を開いて、新緑の風を感じてもらいたいものだ。
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5時起床。
洗濯。
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朝食は、昨晩の寿しの残りを頂く。
珈琲。
弁当*2。
1人で出勤。
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順調に到着する。
mac mini を買い換えたので、今使っているものの Apple Care + の解約手続きをする。相変わらず apple のサポートは早くて丁寧、結局残り半年で¥1,777の返金となった。
京都市大型ゴミセンターに申し込み、来週月曜日に炊飯器を回収して貰う。
<スタディスキルズ>第3週の資料を印刷する。
<情報機器の操作Ⅰ>第3週の内容チェック、sampe兄の用意してくれた資料を確認する。
月曜日3限・4限は<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、10分間の入力練習、ファイルの提出方法を学内フォルダ・メール添付・Classroomの3種類を解説・実践する。最後には<研究倫理eラーニング>の説明、個人登録してユーザIDとパスワードの発行、使い方の解説、次回に「修了証書」を提出してもらう。
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順調に帰宅、ずいぶん燃費が良い。
コレモ七条店で買物、トマト・ミニトマト・レタス・コロッケ。
ツレアイは月1のテディベア作りから帰宅、一緒���夕飯を頂く。
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月曜日が終わればホッとする、少し贅沢だがジョージアワインをいただく。
録画番組視聴、「らくごのお時間」から笑福亭鶴光「西行鼓ヶ滝」。
舟を編む、(10)
初回放送日:2024年4月21日 「大渡海」校了直前、松本先生(柴田恭兵)が入院する。すぐにまた会えると信じるみどり(池田エライザ)たちだったが、新型コロナウイルスで世界が一変。暮らしが大きく変わる中、馬締(野田洋次郎)のある問いかけが、辞書編集部に衝撃を与える。一方、客足の途絶えた店で、香具矢(美村里江)もある決断をしていた。十数年の時をかけた辞書作りは、彼らに何をもたらすのか。令和の「舟を編む」の結末がここに…!
原作は素晴らしいが、今回の脚本もとても新鮮で楽しかった。
片付け、入浴、体重は250g減。
少し遅くなったので、日誌は明日の朝にする。
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何とか3つのリングクリア。
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kanglo · 1 year
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創造性をひらく 〜アートによる自己探求の世界〜 5月19日(金)19時〜21時 in 渋谷【第60回シンーサステナ塾にて】※懇親会あり チケット:https://sustainajyuku-art20230519.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/287144643668997 「やりたいことはなんですか?」 このシンプルな問いに、多くの人が困った顔をします。 子どもの頃にあったたくさんの夢や希望は、大人になってどこかに置き忘れてしまったようです。 アートというと学校教育の影響なのでしょうか、多くの人が美術館に飾られている作品をイメージします。 実は、アートは、太古から存在し、人びとがお互いに結びつくために、そして自然の力とつながるために用いられていました。 踊りと歌は感情やエネルギーを解放し、コミュニティーの精神的な結びつきを強め、視覚芸術は、イメージとメタファーを伝えるものでした。 アーティストの千住博氏は、「芸術とは分かり合えない人たちと分かり合う手段であり、本来人間がする行為はすべて芸術的行為である」と言っています。アートは生きる上で無くてはならない大切なものなのです。 アートを表現する方法は、「創る」、「描く」、「奏でる」、「書く」、「動く」、「分かち合う」、などさまざまですが、これらの方法を使って、見えない何かを感じるままに表現することで、本来備わっている創造的な能力を再発見し、自由な自己表現で創造性を探求する世界がひらかれていきます。 この講座では、その素晴らしい「Creating ART Awakening」の世界について私の実体験などを含めたお話と、実際のワークやエクササイズを体験していただきます。普段、触れることのない自分の心の奥に眠る「何か」と出会えるかもしれません。 美しい地球を不毛な惑星にしないために、共に学び、共に行動する場、それがサステナ塾です。 Be the change you want to see in the world. あなたが見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい - Mahatma Gandhi(マハトマ・ガンジー) ■内容 ・アートによる自己探求の世界    ・クリエイティビティ・エコロジー・スピリチュアリティ    ・創造力を高めるエクササイズ    ・イメージと一体になるエクササイズ    ・スモールセッション(直感を描くワーク)    ・質疑応答 ■日程:5月19日(金曜日) ■時間:19:00-21:00 ■��加人数:30名 ■受講スタイル:対面リアル開催(渋谷) ※終了後にいつもの「魚民」で懇親会あり(懇親会費は別途、現地で割勘清算) ■開催場所: 東京都渋谷区神南1丁目19−8 勤労福祉会館 2階地図 ■参加費(下記は1回分のチケット料金です・懇親会費は別途、現地で割勘清算します): 塾 生(一般)2000円(学生)500円 初参加(一般)2500円(学生)1000円 *会場でのお支払いも可(領収書ご用意します)※事前にお申し出ください。 *当日のキャンセルは、ご遠慮ください。 *一度でもサステナ塾及びシン-サステナ塾にご参加いただいたことがある方は塾生となります  ※正式申込後のキャンセルはご遠慮いただいております  ※講座の中で絵を描きますので、筆記用具(紙とマジックペン)をご用意ください。 ■講師:森夕花(もりゆうか) ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員 サステナ塾塾長 尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業 ピアノ、声楽、シナリオ制作、映像表現、ジャズダンス、日本舞踊などを通して自己表現を学ぶ。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、心理学、哲学、美学、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、カウンセラー、ヒーラー、企業のライフコーチとしてセッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰している。 ■参考ダイジェスト動画: 大人のためのアート思考講座コンセプトムービー😊 https://youtu.be/GZ-nYUUu5Mk 第53回サステナ塾「生命科学の世界を視る③DNAは宇宙の仕組み」(2022年3月18日)😊 https://youtu.be/V5-OiBNiKx4 ------------------------ ■プライバシー保護方針: https://www.kanglo.co.jp/privacy.html ■主催:サステナ塾/フィロアーツ研究会/カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp協力:SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/ショックコヒーレント・イノベーションクラブ/セブラルメディテーションの会/HOOPS!/ザッポス研究会/サステナ塾
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derspericher · 1 day
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旅に出る理由 #Republic of Palau
初めてこの国を出たのは、まだ小学生の頃だった。
私は子供の頃、市の友好青年使節団の研修へ参加し、主に日本と戦時中に関わりがあった幾つかの国々を訪れた。友好青年使節団の渡航準備は、まず半年をかけた研修から始まる。定期的にフォーラムに参加し、渡航先と日本がどのように関わり合っていたのか、彼らの文化はどのようなものなのか、戦時中何が起きたのか。事前に相手の国へ行く目的をはっきりさせてから行った。文化交流の一環として、相手の国民的な歌を覚えて合唱曲を互いに送り合ったり、時にはホームステイもした。「言語の壁を越えていく適応力」と「互いの歴史的・文化的背景を知り、多角的な視点を持って相手に歩み寄ること」をここで着実に学んだように思う。
そして私が使節団として渡航した最初の国が、パラオ共和国だ。
パラオは西太平洋に位置する、500以上の島が集まってできた共和国だ。日本とは歴史的な関わりが非常に深く、第一次世界大戦後に日本の統治領土として一時的に統治されていたことが大きく影響している。(パラオ共和国の国旗は、日本の国旗のオマージュとも言われているが、製作者は否定しているとのこと)パラオ語の中には日本語が混ざっていることで有名だ。
私はパラオ無人島体験のプログラムに参加した。参加時はもちろん戦地学習としてぺリリュー島などの激戦地には行ったのだが、無人島で過ごした時間が衝撃的すぎて全く覚えていない。大人より子供の多い無人島サバイバルツアーが組まれ、今となっては考えられないようなプログラムが組まれていた。子供達のメンバーはうろ覚えだが、明るい子、教室の隅にいるような子、不登校の子、など、決して外交的な人間だけが揃えられたのではなかった。大人はマジシャン、理科講師、主催者、現地のツアーガイド数名だった。「理科」「エンタメ」「現地民」「計画者」、そしてさまざまな性格の子供たち。今思うとほぼ漂流教室だ。やばすぎる。
プログラムがスタートしてパラオのコロール市に数泊した後、小さな無人島へ皆でボートで向かった。日中、干潮の時間に水の中をじゃぶじゃぶと歩きながら島へ上陸したのを覚えている。足元を見ると、白い砂浜を米粒ほどの小さなヤドカリがウヨウヨと歩いていた。島に入ってすぐ見えるヤシの木には、前年度のプログラム参加者が作ったお手製の木のブランコがかかっていた。
無人島生活は、まずシュノーケリングから始まった。小判鮫がウヨウヨいる海を泳いだ。ずっと向こう側まで澄み切っている海を泳ぎ、横をスイスイと泳ぐ魚たち、とサメ。サメサメサメ。サメばかり。とはいえど、小判ザメだ。人間を襲いにくる様子もなく、ちいさな群れを成して悠然と泳いでいた。最初は怖くて仕方がなかったが、何もしてこないとわかると俄然楽しくなったのを覚えている。
午後はテグスと小さな針のみで魚釣り。釣った魚はその日の晩御飯になると聞き、みんな果敢に挑戦し、小判ザメを釣ったり、小さなミノカサゴを釣ったり。「食べなければ生き残れない」という無意識のもとで命を獲り、それを食べる。今思うと「人間という動物」らしい瞬間だ。海に生きとし生けるものと一つになって泳ぎ、その群像の一つを食べて生きる。そんなサイクルを体感した。
日が沈んだ頃、壁のない木の小屋に集まり、釣った獲物の鍋を突いた。マジシャンがマジックを披露していた最中、その向こう側からふらっと現れた巨大なヤシガニに一同騒然とした。ヤシガニはマジックのタネではなかった。ガイドが木の枝を使って捕まえて、理科講師が「ヤシガニのハサミは人の親指をパチンと切る」と言っていた。鍋で煮て食べた。捕食者でよかった。私の指は残った。ヤシガニのハサミは美味しかった。
ひとしきり食べ終わった後、みんなで浜辺で焚き火をした。ここで理科講師「おじい」が星の名前を教えてくれた。一つも覚えていないが、南十字星という、南の島でしか見れない星が稀にあることだけは覚えた。私たちは見ることができなかった。
あの時、まだ10代になったばかりの子供達だったが、焚き火を囲みながら、夜なべして将来の話をしていた。6年生の男の子がすごく悩んでいたような気がする。そのあとは硬い木の床にみんなで雑魚寝した。お風呂なんてもちろん入っていない。肌が砂でざらつき、湿気でベタついていた。風を感じた。月が大きかった。『時間』という概念を忘れていた。何もかもが自然の流れと共にあった。
夜明け、とんでもない光に照らされて起き上がり、理科講師おじいを起こした。「あれは何?」と聞いた時に「あれはね、朝と夜の間にしか見えない金星という星だよ」と教えてもらった。金星が朝陽の限りなく近くにいたからなのか、眩しくて仕方がなかったのを覚えている。その光を、いまだに、確かに、私の体は覚えている。
思い切り自然を楽しみきった私は、無人島から帰る時、「帰りたくない」と駄々をこねた。ガイドさんに「残るか?」と聞いてもらったのを覚えている。育てていたポケモンのたまごなんて、もうどうでも良くなっていた。「ここがいい」と思っていた。泣く泣くホテルに帰り、夕方にレストランで食べたコウモリのスープは、シャケの味がした。ホテルに帰ってベッドで寝ても、食事だけは相変わらずビーストモードだった。
パラオでの無人島体験は、地球と邂逅した時間だった。
当時、日本の児童館でPCで毎日フラッシュ倉庫やYouTubeを漁っていたザ・インターネットキッズの私にとって、すでに情報の海はみじかなものであった。タイピングも上手くなってきた頃、全ての電子機器を置いて無人島に行った私は、人間社会の皮を被っていない地球そのものに完全に魅せられてしまった。
インターネットは今でも大好きだ。今はさまざまな情報をもっともっとインターネットで簡単に得られる時代。なんだって知ったような気になれる。
でも如何せん、地球は大きく、広く、丸く、そして変化し続ける命だ。その未来には私たちと同様、死が待っている。四角いフレームや文字の羅列で切り取れるようなサイズの事柄は、最初から世界にはない。知り尽くせない文脈が、地球の血脈だ。毛細血管の如く地球上にぐるぐると広がっている。本物を知りたければ、自身の身体を持って、本物に触れなければいけない、と、私は思う。そのアクションはとてもパワーがいる。エネルギーがいる。ただその分、私の問いに世界は言葉なく応えてくれる。
旅という行為に興味はない。私は、この世界に興味がある。この世界で起きたこと、起きていること、起きるであろうこと、その全てに、魅せられ続けている。遺跡、美術、絶景、人物、動物、エンターテイメント、文学、音楽、どれにしたって、「概要」を知っていても、本質に触れることとは知の獲得において、天と地ほどの差がある。本物に触れることで、真実そのものが伝わってくる。そしてまたひとつ、新しい感覚が、この体に生まれる。「そういうことだったのか」と、言葉にならない体験的な知の財産を得る。
この「知る喜び」こそ、私が旅に出る理由なのだ。
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jaguarmen99 · 3 months
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798 Mr.anonymous sage 2024/01/06(土) 17:39:36.90 ???プログラマなのに山奥連れてかれて仏像彫らされる研修させられたことがあったわ800 Mr.anonymous sage 2024/01/06(土) 18:11:42.78 ???わいが研修で行かされた自己啓発セミナーは初対面の2人組ませて向かい合って罵り合うやつあったなとなりのオッサンはネタが尽きたのかハゲを連呼しててほんと面白かった804 Mr.anonymous sage 2024/01/06(土) 19:23:40.12 ???ビッグモーターと知床遊覧船死亡事故の会社のコンサルタント武蔵野の研修もひどいぞ便所の素手荒いだけじゃないぞダスキンの飛び込み営業させられるんだが、新規契約なんて取れるわけないじゃん夕方の報告会で奇跡的に契約をとれた中年のおっさんが拍手されて���ンサル小山昇に褒めらて号泣して「ありがとうございます!」ってやってたw
続・妄想的日常
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blue-item · 4 months
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Guest◇柴田智子(Tomoko Shibata)
クラシックというジャンルを超え「今を生きる喜び」を歌で世界に発信する。近年ではジャンルを問わず心に響く日本の歌をコンサートで歌い共感を呼ぶ。武蔵野音楽大学を卒業後単身NYに渡りジャズ・ミュージカル等多種多様な音楽から学ぶ。 24歳でオペラ「夕鶴」の英語版でのデビューをニューヨークタイムズが絶賛。無名だった柴田はこの評価に衝撃を受け何のジャンルを歌うかを考え始める。ジュリアード音楽院の卒業演奏のクラシカルの在り方に触れ、再度クラシカルを学ぶ決心をし、マヌス音楽大学、ジュリアード音楽院に学ぶ。大学に入学後、高い授業料やその生活にそぐわず大学を中退、永住権を得るために必死に仕事をする。そんな中転機が訪れレオナ―ド・バーンスタイン氏と出会う。イタリアベルカントとアメリカの運動性のある彼の音楽のスペシャリストとして氏のアドバスもあり、氏の「キャンディード」をしっかり歌える技術を身に付けるためにミラノに奨学金を得て留学。2年半の研鑽を経てNYに戻りリンカーンセンター再デビューを果たす。リンカーンセンター、カーネギーホール等でオーケストラと共演やオペラのタイトルロール「ランメルムーアのルチア」「セビリアの理髪師」「リゴレット」等を歌いニューヨークタイムズ紙から数回高い評価を受ける。国内外でミュージカルにも出演し、現代音楽等で著名な≪クロノス・カルテット≫とも世界初演を手がけ凱旋し話題を呼ぶ。新日本フィル、読売交響楽団、東京交響楽団、東京シティー管弦楽団、ウエストチェスターシンフォニー、アカデミー管弦楽団等とも共演。元スマップ、浅倉大介、ラッセル・ワトソンとも共演しクロスオーバーの先駆者として元東芝EMIと専属契約を結びリリースしたアメリカ作品のCD(バーンスタイン、オペラやミュージカルを集めた)「マンハッタンドリーム」、ビートルズの名曲をオペラアリアにした「Let it Be」は世界的な反響を呼ぶ。このCDは2021年にユニバーサルミュージックより再リリースされた。 ライフワークとしてジャンルにとらわれず世界中の心に響く普遍的な音楽やメロディーを集め世に送り出している。新国劇場、オーチャードホール、カーネギーホール、リンカーンセンター等の大劇場から王子ホール、白寿ホールなどでの小ホールでのリサイタルでは独自のシアター形式のコンサート「自由で素敵なコンサート」等を年間数回開催し続けている。NHK/日本テレビ/テレビ東京、ラジオはNHK/TFM/J-WAVE等に出演。FMNACK5の音楽番組のパーソソナリティーも務めた。同時多発テロの経験者、乳がんの経験者として国連のNPO団体と共にチャリティーに参加。東日本大震災後「SONGS FOR HOPE」を立ち上げ被災した子供達にドネーションを続けている。主婦の友社より「年を重ねるほど幸せになる生き方」が出版された。2022年7月、デヴィ・スカルノ夫人主催イブラ・グランド・アワードにてマチュア―賞を受賞。東京二期会、昭和音楽大学・桜美林大学音楽専修非常勤講師。自由が丘音楽大使。株式会社TSPI、自由が丘オペラハウス代表。 ・柴田智子 オフィシャルサイト ・柴田智子 X(Twitter) ・柴田智子 Voice Designer
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disolucion · 1 year
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46 パウラ・サルミエント1
予測日までハワイの基地で過ごし、 エルリカがブラックホール作りを諦めたのを確認した後、 ハワイからサンフランシスコ、マイアミと乗り継いで 金曜の夕方、モンテビデオの大学病院へ。
「パウラ、久しぶり」 「ハナダさん!どうして…?」 「えっと、恩返しに来たんだよ」
マリアを知り合いに預けてゆっくり会う時間を作ってもらった。
土曜日。昼前に待ち合わせて、エンパナーダを食べる。 牛肉とチーズをパイ生地で包んで焼いたもの。 食べながら、東北はどうだったなんて他愛のない会話をした。 彼女はそんな話題じゃなくて正体について白状したい様子だった。 騙していたと感じているのだろうな。微塵もそうは思わないけど。 もう少し普通のデートをしたかったが、ホテルの部屋へ。
窓辺の椅子に腰かけて向かい合う。
「パウラは、脳死だったの?」 「スコし、チガう」
それだけの会話で、彼女は全てを打ち明けてくれた。
元のパウラは国立大学の医学部に在籍していて、 医師を目指して研修生として病院に勤めていた。 ある日、救急車で一人の女の子が運ばれてきた。 見覚えのある顔。姉夫婦の娘だった。 交通事故で姉夫婦は亡くなり、姪のマリアだけがかろうじて生き残った。 当時パウラ二十���歳、マリア六歳。 母はすでに他界し、父は故郷のパラグアイへ戻ってしまっていた。
引き取る決意をしたパウラだったが、 当時一緒に住んでいた三つ年上の恋人が難色を示した。 彼は会計士の浪人で、アルバイトの傍らアパートで勉強をする生活だった。 それでもと説得し三人で暮らし始めたが、恋人とマリアのそりが合わず、 病院での研修を終えて帰宅すると、マリアはいつも泣いていた。
たどたどしくも、丁寧に日本語で話してくれた。 が、そこまで話すと言葉に詰まり、ポロポロと涙をこぼして スペイン語で祈るような言葉を漏らしている。
先の展開が読めていた。胸糞が悪い。どうしてそうなる。 エルリカがうんざりする世界がそこにある。
パウラの手を取ってベッドへ寝かせる。 傍らに座り、髪を撫でて落ち着くのを待つ。
しばらくして語られたのは、予想通りの展開。 元恋人、いや、クソ野郎はマリアに手を出した。 たった六歳の少女に。泣いてうるさいからと。 病院から戻ったパウラが見た地獄のような光景は、おれの想像を超えていた。 慰める言葉なんて持ち合わせていない。 腰に縋りついて嗚咽する彼女の髪を撫でるしかなかった。
――――
すぐマリアを連れて別のアパートへ移り住むも、 マリアは塞ぎ込み「ママ、ママ」と弱弱しく泣く毎日。 パウラも次第に心を病んで薬に頼るようになり、研修医も休学に。
パウラを幼い頃から見守り、 一部始終を観察していた思念体のほうのパウラは、 もどかしくてもどうすることもできず、ただ見守るしかなかった。
ある晩、パウラが心神喪失状態でナイフを手にしたとき、 思念体のパウラは止めるために脳へ入り込んだ。 そこで元のパウラの意識と触れた。
「どうかあの子を、マリアをお救いください」
消えてゆく祈る声を聞き届けた思念体のパウラは、 元の意識を逝かせまいと絡みつき、自我と融合した。
「融合?そんなこともあるんだ」 「はい。パウラが、わたしに、なりました」
融合した彼女たちが最初にやったことは、マリアの記憶の改ざん。 マリアが寝ているときに何日もかけて、記憶を消そうとしたそうだ。 だけど上手くいかず、結局、レイプシーンを真っ黒に塗りつぶしたそうだ。
「ワタシには、サイノウが、あまりない」
ぐじゅぐじゅに泣き腫らした顔に、ようやく笑顔が戻った。
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