Tumgik
#鈴木宗男
mononofu · 2 years
Quote
当時は鈴木宗男代議士が北朝鮮への米支援を実現しようと必死で、外交部会の部屋にはいわゆる「宗男チルドレン」と呼ばれた若手議員が陣取り、私も含めた反対派が発言しようとすると、後からスーツの裾を引っ張って椅子から立てなくしたり(私はスーツを破られてしまった)、大声を上げて発言を遮ったり、今から思うと異常な状態で、まさに力づくで50万トンの政府米支援を決定したのです。
北朝鮮問題で政府のなすべきこと  | 永田町日記 平成14年1月~平成14年9月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)
はよ、スパイ防止法と外患誘致罪の適用をお願いします。
4 notes · View notes
kintsuru · 1 month
Text
0 notes
payo2 · 7 months
Text
まあ軽視できないという意味なら大事かな。
0 notes
urusura · 7 months
Text
遅いくらいの処置。もう国籍も剥奪していいわもう。なぜ戦争を始めた方の肩入れをするのか。本当に理解できないし、これまで野放しにしていた維新の会も責任があるわ
0 notes
ojisdontcry · 7 months
Text
オジ(おじさん)として言わせてもらうが、こんな発言は許容の範囲を超えてると思うぞ。日本の政治家としての責任を感じないのか?
0 notes
daichan1969 · 2 years
Photo
Tumblr media
#ムルアカ さんやー #鈴木宗男 氏の秘書でしたー それでは ララバイ 北海道 #外国人タレント #秘書 #格闘家 (地下鉄 すすきの駅) https://www.instagram.com/p/CgIYnEaP6BH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ari0921 · 1 year
Text
我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その���、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあ���り158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
15 notes · View notes
kennak · 1 year
Quote
つまり、中国が領海侵犯してくるのは日本にも責任の一端があるし、北朝鮮が核ミサイルを撃つ準備ができたら日本は降伏すべきだ、ってことね。維新の会に国政を任せるとどうなるんだろう?
[B! ロシア] 【速報】「ロシアとウクライナ両方に責任」鈴木宗男氏が主張 世界大戦での日本と重ね…|FNNプライムオンライン
11 notes · View notes
leomacgivena · 7 months
Quote
鈴木宗男氏はやはりよく勉強してるね。知識の積み上げの議論だからひろゆきが何も言えない。国際法が茶番だというのもよくわかってる。あとは迫力が凄い。全国レベルだと極��人だけど北海道で絶大な支持を得てる理由がよくわかる。
Xユーザーの国際企業法務弁護士🤡GAREWさん
6 notes · View notes
jpf-sydney · 3 months
Text
Besuto essei. 202
New item:
Tumblr media
日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022 Besuto essei. 2022 = The best essay. edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022. ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion. Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢中 / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女王
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光代
遠き花 / 藤沢周.
3 notes · View notes
kijitora3 · 11 months
Text
鈴木議員にはウクライナ侵略では全く同意できないが、この件では完全に同意 とにかく自分の意見が通らなかったら暴力行為に及びルールを全く守らないリッケン共産と東京新聞には厳しい制裁を
10 notes · View notes
kintsuru · 2 months
Text
0 notes
urusura · 1 year
Text
どうしてこの人間はこうまでしてロシアの肩を持つのか。ロシアから金もらってんのか。
0 notes
ojisdontcry · 7 months
Text
オジ(おじさん)としては、鈴木宗男議員の無断ロシア訪問には驚きを隠せない。このような行動は、国際的な信頼を損なう恐れがあるの。なぜ勝手にこんな行動に!
0 notes
foucault · 5 months
Text
Tumblr media
『民藝』12月号発刊しています。特集は「鈴木繁男 柳宗悦唯一の内弟子」。身も蓋も無いタイトルですが、来年の日本民藝館の特別展にあわせたのでやむなし。さすがの駒場も、鈴木繁男展、で押し通すことは無理と判断した模様。とはいえ内容は盛岡光原社さんのご協力を得て図版も豊か、鈴木繁男が富本憲吉のもとを訪ねた折の思い出話など盛りだくさんです。ご笑覧ください。
4 notes · View notes
ari0921 · 10 months
Text
我が国の未来を見通す(75)
『強靭な国家』を造る(12)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その2)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
 
プーチン大統領は、ウクライナ侵攻という本当に
“重大な過失”を犯したものと改めて考えてしまい
ます。本人は強気のように見えますが、内心は相当
悔やんでいることでしょう。
このたびのNATO首脳会議において、さすがに紛
争当事国のウクライナの加盟時期の決定は見送られ
たようですが、スウェーデンが加盟し、4月のフィ
ンランドの加盟と合わせれば、バルト海正面の出口
はすべてNATO諸国にふさがれてしまいました。
NATOへの新規加盟は全加盟国の賛同が必要です
が、スウェーデン加盟の最終決断は、これまでロシ
アと友好関係を保持していたトルコでした。トルコ
も大きく舵を切ったとみてよいと考えますが、これ
により、黒海から地中海への出口もふさがれたこと
になります。
そして、ロシアからみた欧州正面は、バッファゾー
ンはベラルーシのみとなり、NATOに今すぐにで
も入りたいとするウクライナを含めると、すべてN
ATO諸国に包囲される形になりました。ウクライ
ナ侵攻に踏み切った理由について、ロシア側の言い
分は確かにあることでしょう。しかし、このような
状態を招いた原因を、プーチン大統領率いるロシア
側の“読み違い”や“過失”は全くなく、NATO
側に全責任があるとすることに無理があるのは明ら
かです。やはりロシアの“身から出た錆”は否めな
く、冷静に考えれば、”他の手段“はあったはずな
のです。
かつてナチスを葬った時のロシアの役割を今さら取
り上げてみても、それぞれの国、特に欧州列国は、
時代時代に“非情にも”相手を変えながら合従連衡
を繰り返し、それぞれが生き残ってきたという歴史
を有しているわけですから、まさに英国宰相パーマ
ストンの名言「永遠の同盟も永遠の敵も存在しない。
あるのは永遠の国益のみ」が、今も生きているもの
と考えます。
この結果に喜んでばかりはおれません。何度も繰り
返してきたように、このような情勢の中で、ロシア
が“乾坤一擲の手段”を使う可能性がより増大した
ことを警戒する必要があるでしょうし、ウクライナ
戦争がどのように決着するかまだまだ見通しが立ち
ませんが、ウクライナ戦争後、「南下政策」として
過去に何度も繰り返したように、ロシアが「再び極
東へ」との動きを加速する可能性もあることです。
中国は、今回のNATOの決定に対して「冷戦思考
だ」と反論したようですが、「明日は我が身」との
懸念が増大したとも言えるでしょう。NATOの東
京事務所設置については、フランスなどの反対で決
定までには至らなかったようですが、ニュージーラ
ンドやオーストラリアなども中国に対する警戒心か
らNATOと新たな枠組みを造りたいとする動きが
出ているからです。
NATOが東アジア正面に拡大し、それに我が国も
参加するような枠組みについて、現憲法下の現在の
安全保障政策の範囲の中で可能なのでしょうか。当
然ながら、「集団自衛権の行使」のような、これま
での制約を超えた様々な活動が必要になってくるこ
とでしょうから、今のうちに真剣に議論する必要が
あると私は考えます。
最後に、ウクライナの反撃について、あえて感想を
言わせていただければ、「攻撃は防御の3倍の戦力
が必要」というのは軍事作戦の常識中の常識です。
宇宙やサイバーなど戦争の領域が拡大し、装備が近
代化されても、この常識は変わらないようです。
当然ながら、ウクライナ軍にも優秀な将校たちが存
在し、様々な「見積り」や「分析」をした後に「作
戦計画」を策定し、反撃開始のゴーサインを出��た
とは想像しますが、政治的な思惑から急かされたり、
ロシアの防御力を低く見積ったり、ウクライナ兵士
が外国製の兵器に慣熟する期間が短かったなどを含
めて、当初の計画通りに進まないのはそれなりの理
由があるのだと推測します。それこそが古今東西、
変わらぬ“戦場の実相”なのでしょう。現役の自衛
官諸氏もしっかり学んでほしいと願っています。
国際社会はいよいよ「分裂の時代」に突入したこと
を覚悟する必要があるでしょう。それは、“過去の
常識が未来の常識ではなくなる”ことを意味するの
でしょうが、“決定的な対立”を避けるために、
「人類の叡智」が問われる時代になったとも言える
と考えます。
▼数々の「我が国の未来を予言する書」に出会う
 
前回の最後に、外的・内的要因の克服をめざす“国
家の強靭化に向けた処方箋、いや荒治療”について
考えたいと述べましたが、さてどこから手を付ける
べきか。それ自体が途方もないチャレンジであると
改めて考えてしまいます。ただ、そうはいってもメ
ルマガなので、私自身は、引き続き、気楽にあれこ
れ思いつくままに発信させていただこうと思ってお
ります。
さて、『世界で最初に飢えるのは日本』(鈴木宣弘
著)や『2040年の日本』(野口悠紀雄著)のよ
うに、その一部はすでに本メルマガでも紹介しまし
たが、世の中には、我が国の国防、人口、食料、エ
ネルギー、経済などそれぞれの分野において、将来
を憂い、警鐘を鳴らしている書籍は山ほどあります。
中には、イーロン・マスクのように「日本はいずれ
存在しなくなるだろう」(2022年5月8日)と
断言している人もいます。
私自身は、有識者たちが日本のどのような部分に
“着目”しているかを知りたくて、迷うことなく手
に取った書籍はたくさんあります。古くは、三島由
紀夫氏や石原慎太郎氏などは独特の嗅覚で訴え、か
つ行動しました。最近では、『捨てられる日本』
(ジム・ロジャーズ著)とか『日本が消失する』
(ケント・ギルバード著)のように“危機の時代”
が眼前に迫っており、これまでの“やりかた”では
対処できないと警告している書籍もかなりあります。
『日本の死活問題』(色麻力夫著)は、一言で言え
ば、戦後の怠慢が今日の状態を招いたとして、この
ままの我が国の未来について、特に国防の面から心
配しています。そのような中で、『誰が国家を殺す
のか』(塩野七海著)は、「民主制は、民主主義を
自認する人々によって壊される」と、塩野氏自らが
振り返ってきた、ローマなどの歴史的真実を踏まえ
て「民主主義を自認する人々」の“危うさ”を警告
しています。
前回、小室氏が「平和主義者が戦争を引き起こした」
と解説していることを紹介しましたが、これらはす
べて、日本の“現在の常識”では対処できないこと
を物語っているのであり、これらの指摘はまさに慧
眼であろうと考えます。
ではどうすればよいのでしょうか? 小室氏も“歩
き出す”重要性を強調しただけで、具体的な提案は
なかったことも紹介しましたが、『国の死に方』
(片山杜秀著)も、「日本人は何を間違えたか」と
今日に至る歴史的経緯を縷々解説し、最後は「そん
なに国を死なせたいのか」とまとめていますが、そ
うならないため、つまり生き抜くための“処方箋”
については触れないまま終わっています。
このように、「我が国が国家として未来に生き残る
ために、そして現状の様々な問題を改善するために、
いかに“荒治療”するか」については、有識者とい
えども、「成案」を持っている人は少なく、当然な
がら、簡単ではないということなのだろうと考えま
す。
ところで、読者の皆様は、“これまでの人類の歴史
の中でいくつの国が消えてなくなったか”ご存知で
しょうか? このような事実は、教科書などには載
らないために通常、誰も知りません。それを知る貴
重な書籍が『世界滅亡国家史』(ギデオン・デフォ
ー著)です。消滅の理由は様々ですが、なんと48
カ国もあるようです。
少し紹介しますと、「サラワク王国」「バイエルン
王国」「リフレッシュメント諸島」「コルシカ王国」
「マスコギー国」「ソノラ共和国」など名前さえ知
らない国が多いですが、「満州国」「テキサス共和
国」(アメリカに入りたくてメキシコから独立)
「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」「ユーゴスラビ
ア」なども含まれています。
オックスフォード大学で考古学や人類学を学んだギ
デオン氏は、「国家は滅亡する」として、「悲しい
最期を迎えた国々の物語には、命知らず、レイシス
ト(人種差別主義者)、詐欺師、常軌を逸した人、
脱税者、または勘違い、嘘、非常識な計画、その他
『バカげた失敗』と言っていい数々の愚行が登場す
る」と、滅亡に至る内的要因について解説していま
す。歴史的事実しての国家の滅亡の原因は、内部崩
壊か、外からの侵略に大別されますが、ここにある
ような内的要因が相当の部分を占めることも事実な
のです。
確かに、長い人類の歴史の中では、いくつもの国家
の「興亡」がありましたが、ここに列挙したような
内的要因が原因となった「亡」と、これらとは真逆
の要因が鍵となって「亡」を逃れ、再び「興」に至
った国々も数多くありました。
そのような中で、我が国の未来の“光明”について
多くを語る書籍もかなりあります。代表的なものと
して、『見えない資産の大国・日本』(大塚文雄著)
では日本の強みに「インタンジブルス」を掲げます。
この定義は専門的ですが、「目に見える」「可視の」
「明らかな」などという意味の「ビジブル」の逆で、
「漠然とした」「不可解な」「無形の」「実体のな
い」という意味で使われ、日本人の「よいところ」、
つまり「礼儀正しい」「弱者をいたわる」「他人に
迷惑をかけない」「他人の悪口を言わない」「自分
の功を誇らない」「あまり神がかったことは言わな
い」「何かをあるときに精魂をつくす」など、日本
人の「道徳」とか「心」を指した言葉と定義されて
います。
最近の社会現象などをみるに、このような「道徳心」
が失いかけていると心配する一方で、世界がうらや
む「見えない資産」がまだ残っており、これらを大
事する限り、日本は復活すると提案しています。そ
の意味では、日本はまさに現時点がその「岐路」に
差しかかっているのかも知れません。また、『日本
の真価』(藤原正彦著)では、「この国は再生でき
る」として、「美意識」と「武士道精神の復活」を
強調します。これらの細部については後述すること
にしましょう。
現憲法前文には、「国際社会における『名誉ある地
位』を占めたい」旨のことが書き込まれています。
それは単に、戦前のように「国際社会への『挑戦者』
とならないこと」(私自身はこのような表現自体に
も違和感を持つ一人ではありますが)を誓っただけ
なのでしょうか。いま現在は、すでに「名誉ある地
位」を占めているのでしょうか。仮にそうであった
として、その地位は今後、永遠に続くのでしょうか。
以上のような現状認識と問題意識も持ちながら、次
のステップに進んでいきたいと考えます。
▼「強靭な国家」の基本は「国力」にあり
私は、いろいろ考えた結果として、「強靭な国家」
造りの基本は「国力」という言葉に集約されると考
えるに至りました。「国力」とは、一般には「国際
関係において、ある国家がもつ様々な力の総体」と
定義され、これらの要素は、国民・政治・経済・軍
事・科学・技術・文化・情報などの能力と影響力を
指しています。
そしてこれらの相対的な位置づけによって、一般に
は「超大国」「大国」「地域大国」「中級国家」な
どとランク分けされています。他方で、「国力」自
体の定義と相対的な位置づけを数値で表す方法は多
種多様で、結構複雑です。何を強調するかについて
は、「国力」を論じた人によっても見方が分かれま
す。本メルマガの本旨から少し外れるかもしれませ
んが、長らく論争の対象になっていた「国力」の定
義や構成要素の差異の中にこそ、「国力」の本質と
我が国の未来に対する“ヒント”があるような気が
しますので、代表的なものを紹介しましょう。
その定義で最も有名なのは、「国益は国力によって
支持されなければならない」との明言を残したドイ
ツの国際政治学者ハンス・モーゲンソーだったと考
えます。モーゲンソーは、「国力」の要因を(1)地
理的要因、(2)天然資源、(3)工業力、(4)軍事
力、(5)人口、(6)国民性、(7)国民の士気、
(8)外交の質、(9)政府の質と9つ挙げています。
このうち、(1)から(5)までの地理的要因、天然
資源、工業力、軍事力、人口は、ある程度数量化す
ることができる「ハード・パワー」として換言でき、
(6)から(9)までの国民性、国民の士気、外交の
質、政府の質などは、数量化することが難しい「ソ
フト・パワー」として換言できるとされています。
この「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」の関
係を違った形で、「国力」の要素として定義したの
が、米国CIAの情報担当次官として名をはしたレ
イ・クラインでした。クラインは、キューバ危機時
の情報分析の第一人者としての自らの経験をもとに、
当時、様々な書籍を上梓していました。日本語に訳
されたもので有名なものは『世界の「軍事力」「経
済力」の比較』(1981年)で、冷戦さながらの
各国の「国力」などを見事に比較分析していました。
私は当時また1等陸尉の若い幹部でしたが、関心を
持ってこのような書籍に目を通していたことをよく
覚えています。
クラインは、数値による「国力」を次のような方程
式で表しました。
P=(C+E+M)×(S+W)
ここでいうP=国力、C=人口+領土、E=経済力、
M=軍事力、S=国家戦略目標、W=国家意思を示
します。
つまり、「国力」は、人口、領土、経済力、軍事力
のような「ハード・パワー」と国家戦略目標や国家
意思のような「ソフト・パワー」が“掛け算された
総合力”であると定義しました。それでも当時は、
その骨幹となるのは、「ハード・パワー」である経
済力や軍事力であることが国際社会の常識となって
おりましたので、クラインの定義は、「ソフト・パ
ワー」の要素も無視できない“くらい”のニュアン
スだったと記憶しています。
その後、アメリカの元国防次官補ジョセフ・ナイが
2004年に『ソフト・パワー』を上梓し、軍事力
や経済力以外の新しい概念として「ソフト・パワー」
をより強調し、「ハード・パワー」と相互に駆使す
ることによって、国際社会の支持を獲得する有効な
手段であるとして一世を風靡(ふうび)しました。
クラインの定義によるハードとソフトの主従関係が
逆転したとの印象を受けました。
ナイ氏の「ソフト・パワー」を構成する3つの要素
は、“その地域を魅力的に見せるような”「文化」、
“国内外の人々の期待に応える”「政治的価値観」、
“他の人や国から正当かつ道徳的な権威があると見
なされる”「外交政策」を挙げています。これらか
ら、若干のニュアンスの違いはありますが、他を強
制し得る「ハード・パワー」に比して、「弾力性」
とか「しなやかさ」を(つまり「強靭さ」)有する
パワーが「ソフト・パワー」であるとも解釈できる
と考えます。
一方、私自身は最近まで知らないままでしたが、経
済学界でも論争になっていたらしく、アメリカの経
済学者のコックスとジャコブソンも「国力指数」の
再定義に取り組みました。彼らは、「国力指数」を
GDPに基づくものではなく、以下の10の要素か
ら構成される複合指数として定義したのです。つま
り、(1)軍事力、(2)政治力、(3)人的資源、
(4)天然資源、(5)貿易、(6)財政、(7)通貨
安定、(8)技術、(9)市場の大きさ、(10)国際
的な役割です。いかにも経済学者らしい分析ですが、
これにより、「国力指数」は単に経済力を測定する
ものではなく、より包括的な指標となりました。
そして、彼らはこれらをまとめるような形で、「国
力」を次のような式で指標化しました。
「国力」=GNP+1人当たりのGNP+人口+核
戦力+国際的威信
です。「ハード・パワー」に相当する経済力をさら
に細分化し、軍事力も特に核戦力に着目したことは
極めて“現実的”と言えるでしょう。この中の「国
際的威信」は、その定義が難しいとは考えますが、
この部分が「ソフト・パワー」に該当すると考えら
れます。
これらから、「国力」の定義は一様でないことがわ
かりましたが、このような定義を当てはめながら、
我が国の「国力」をどのように分析・評価すればよ
いかについては次号で取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
3 notes · View notes