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#高圧トランス式
otome-ism · 3 months
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ハイエースに電子レンジを装備
新しい電子レンジを買って、家で使っている電子レンジをハイエースに乗せればいいやなんて軽い気持ちでいたところ、調べると「インバーター式」と「高圧トランス式」の二種があるとのこと。
「高圧トランス式」だと○○Wと言われても起動の際に数倍のエネルギーが必要らしく使用しているインバーターでは駆動が難しそう。
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シロカ ミラーガラス 電子レンジ 18L SX-18D132(K)
インバーター式のシロカの電子レンジを購入。ちょうどベッドキットの下に入るので、使うときだけ出すことにする。
おかげで家の電子レンジが新しくなることは無くなったのであった。未だに「チン♪」って言ってくれるいいやつです。
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リュウジの万能スキレット
Magicfour 電子レンジマット シリコンマット
ついでに電子レンジ用調理器具とシリコンマットも購入。カセットコンロはお亡くなりになったので、車内で電子レンジ調理が捗るはず。
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genkidesuka2022 · 1 year
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市販のカレールーは美味しいけれど体には○○だった
市販のカレーをよく食べるけど原材料や添加物は安心なのかな?
カレーは健康に良い。
元大リーガーのイチローさんも毎日食べていた時期もある程。
私自身も市販の色んなカレーを数十年食べ続けてきました。
ですが無添加に関心を持ち市販のカレーについて調べた結果、非常に驚きました。
そこで市販のカレーの避けたい原材料、添加物とその理由、おすすめの無添加カレーとその魅力、購入方法をご紹介します。目次
市販のカレーに含まれる避けたい添加物
カレーに含まれる避けたい添加物1・パーム油などの食用油脂
カレーに含まれる避けたい添加物2・調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキス
カレーに含まれる避けたい添加物3・カラメル色素
カレーに含まれる避けたい添加物4・乳化剤
カレーに含まれる避けたい添加物5・スクラロース
おすすめ無添加カレー
おすすめ無添加カレー1・第三世界ショップのカレーの壺
その他の無添加カレー
最後に
関連
市販のカレーに含まれる避けたい添加物
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カレーの避けたい原材料、添加物とその理由についてです。
スーパーなどの市販で販売されている多くのカレーには、
パーム油などの食用油脂
たん白加水分解物
酵母エキス
などの避けたい原材料。
調味料(アミノ酸等)
カラメル色素
乳化剤
スクラロース
などの様々な添加物が使われています。
これらの原材料、添加物を避けたい理由は、以下の通りです。
カレーに含まれる避けたい添加物1・パーム油などの食用油脂
パーム油などの食用油脂はトランス脂肪酸を含む原材料で、心疾患などの生活習慣病のリスクを高めることが懸念されています。
ちなみに市販の多くのカレーは、このパーム油が全原材料の30から40%ほどを占めています。
カレーを食べた後の洗い物で、ベトベトした感じが上手くとれないのがパーム油です。
あのベトベトした油を大量に食べていると思うと、とても健康に良いは思えませんよね。
またこの食用油脂は品質の低い油から作られている可能性が高く、しかも遺伝子組み換え原料が使用されている可能性もあります。
カレーに含まれる避けたい添加物2・調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキス
続いては調味料(アミノ酸等)、たん白加水分解物、酵母エキスはうまみ成分として使用されていますが、味覚や神経への影響があり、またアルツハイマー病などの神経系の疾患や高血圧やがんなどの生活習慣病のリスクを高める可能性があると言われています。
出来れば避けたいですね。
カレーに含まれる避けたい添加物3・カラメル色素
続いてカラメル色素は、着色料として使用されています。
このカラメル色素にはカラメル1から4と4種類あり、このうち3と4は発がん性が指摘されています。
その為カラメル色素3と4を避けたいところですが原材料表示には、カラメル色素とだけ表示されており1から4のうちどれを使っているかが判別できないのが現状です。
はっきりしない以上避けたい添加物です。
カレーに含まれる避けたい添加物4・乳化剤
次に乳化剤は複数の原材料を混ざりやすくするために使用されています。
簡単に言うと水と油を混ざり合わせてしまう添加物です。
この乳化剤も複数の添加物の総称であり、発がん性が指摘されているポリソルベートなどの添加物が使用されている可能性があります。
カレーに含まれる避けたい添加物5・スクラロース
続いてスクラロースは砂糖の約600倍のあまみがある合成甘味料で、清涼飲料水やお菓子など砂糖の代わり多くの製品に使われています。
このスクラロースは毒性の強い有機塩素化合物の一種で、動物が摂取した際に胃腸障害や流産、リンパ組織の萎縮などの影響が確認されています。
そのためできるだけこれらの原材料添加物が使用されていない無添加のカレーが望ましいです。
おすすめ無添加カレー
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おすすめの無添加カレーとして、原材料への配慮が非常に素晴らしい第三世界ショップのカレーの壺をご紹介します。
おすすめ無添加カレー1・第三世界ショップのカレーの壺
商品の概要はホームページでご確認下さい。
原材料に対して、とても配慮がされています。
それではカレーの壺の五つの魅力を上げてみました。
1・完全無添加という点です
食品表示の添加物である調味料(アミノ酸等)カラメル色素、、乳化剤などを使用していません。
また食用油脂やたん白加水分解物などの避けたい原材料も使用していない為、��全無添加のカレーといえます。
2・素材へのこだわりです
メインの原材料のスパイスやハーブはできる限り自社農園、もしくは提携農園で農薬化学肥料を使わずに栽培しています。 
また一般的なカレーに使用されている健康への影響が心配な食用油脂は使用しておらず、スパイスやハーブをローストするために少量のココナッツオイルを使用しているだけです。
3・小麦粉を使用していないという点です 
市販の多くのカレーは小麦粉を使用していますがカレーの壺は使用していません。
そのためグルテンフリーの方でも安心して食べられます。
4・動物性原料を使用していないという点です 
牛脂やポークブイヨンなどの動物性の原材料を使用しておらず、ベジタリアン、ヴィーガンの方でも食べられます。
5・非常にコスパが良いという点です
パッケージに表示されている通りで、一瓶で約22皿文のカレーを作れます。
一皿あたりで考えると約30円ですので、かなりコスパが良いことが分かります。
以上の五つがおすすめの無添加カレー、カレーの壺の魅力です。
原材料が非常に配慮されているため安心して食べることができるかと思います。
ちなみに原材料へのこだわりに関しての詳細は、カレーの壺の公式ページに掲載されていますので気になった方は覗いてみてください。
個人的感想ですが、味は本格的なカレーの香りと旨味でとても美味しいです。
��なみに我が家ではキーマカレーもこの製品をよく作っています。
またカレーの壺は、お肉など様々な料理の味付けにも使えます。
そしてカレーの壺の公式サイトには、カレーの壺を使ったカレーライスやスープ肉料理など60種類以上の様々なレシピが掲載されています。
カレーの壺を上手く活用したい方はホームページをのぞいてみてください。
それではおすすめの無添加カレー、カレーの壺の販売店をご紹介します。
市販ではカルディ、成城石井、イトーヨーカドー、北野エースなどで販売 しています。
通販でもAmazon や楽天市場などで購入することができます。
その他の無添加カレー
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一つ目は オールインワンスパイスカレー//シビ辛薬膳カレー辛
二つ目はシエルブルー//VEGETE植物性カレー
三つ目はフードスナガ//ファインカレーフレーク
四つ目はみんなの食品//みんなでごはんやさいカレー
以上の四つです。
これらはカレーの壺と同じで添加物や避けたい、原材料を使用していない、無添加カレーですのでぜひチェックしてみてください。
最後に
カレーはご家庭によって味、風味、辛さ、とろみ、具材など様々だと思います。
その味も大切ですが、もし興味がありましたら今回ご紹介させて頂いたカレーも試してみませんか?
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flamingo-rex · 2 years
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2022.08.08
尾道の消防署にて表彰式。
以前にも書いたが、都内に住んでる時、
過去に表彰式に出た事がある。
台風の時、いつもの千葉の海でサーフィンをしてる時
溺れてる高校生の人命救助をしたのがキッカケで
消防からの表彰の連絡があり、辞退。
その後、警察からも表彰したいと言われ辞退。
すると、南房総市の市長表彰となった。
そう、ワイは南房総市の善行表彰第1号となった。
余りにも断り続けると、話はデカくなり
受ければ受けたで、実名を晒され、目黒区在住とまで
地面に書かれる始末。
当時、8社の新聞社が取材に来たので
それは、かなり面倒な事になった。
今回は…
先月、近所で火事があり初期消化で消し止めた事で
消防の方から表彰の対象となった。
一回、辞退したが、消防署には中学時代の
同級生もおり、個人的連絡が…
気持ちも分かるけど、受けてくれんか?と
今回の火災は海外製品を充電した際に起きた
暴発による火災…確かにレアケース。
元々、電圧の違う製品をトランス掛けないで
そのまま充電したのが間違いなのだが、
この様なケースは稀であるし、多くの人に認知され
この表彰式が啓蒙活動になるなら…と受諾
実名報道は勘弁して欲しいが、そうも行かないらしい
良い事をしても、メディアは、
こちらの都合や問題を考慮する事なく報道したがる
恐らくネタが無いのだろうし、紙面を埋めるには
格好の材料ではあるが、望んで無い報道のされ方もある
善行を遂行しても、不愉快な思いをする事もある
これは過去に学んだ体験。
こうなりゃネタにするしか無いんだなとも思うし
笑うしか無い。
人生で何回も表彰されるのも稀だろうな
そして、素直に喜べない自分が居るのも事実なんだよ
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takmiblog · 19 days
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ライントランスを試す
 アナログ部ですが、はじめのうちは別電源で動作するラインバッファをつけるつもりでやや大きめのケースを買ってきました。しかし、PCM2704の仕様を見ているうちにアナログ出力部分が案外パワーがあることに気づき、「僕はライントランスくらいなら余裕でドライブしますよ、昇圧してもらったってへこたれませんよ」なんて言っているような気がしてきたのです。
 トランスは、巻き線比に応じて昇圧する機能がありますし、効果的に帯域をカットする性質も持っていますので(巻き方が悪いと素通しにもなりますが)、アレンジの方針にぴったりです。トランスの昇圧比は巻き数比に比例し、巻き数比はインピーダンス比の平方根で求めることができます。600Ω:10kΩのトランスの場合ですと、インピーダンス比は1:16.7ですから巻き数比は1:4.08になります。巻き線抵抗によるロスがあるので、巻き数比どおり4倍の昇圧は無理で実際には3.6倍前後になります。1次インダクタンスを高くとった優れたトランスほど巻き数が多く、巻き線のDC抵抗値が大きくなるためロスも大きくなるわけです。問題は、適当なトランスがあるかですが、ちょうど手元に600Ω:数kΩの放送局仕様のライントランスがいくつもあるので、これを試してみることにしました。
(http://www.op316.com/tubes/lpcd/trans-dac.htm)
Digital Audio & Home Recording
■■■AKI.DAC-U2704を使った・・・トランス式USB DAC■■■
Simple DAC using Line Transformer
by Tetsu Kimura
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kagatadahabamara · 4 years
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50BM8全段差動プッシュプルアンプ
ある晩のこと。演奏が終わってアルコールに飲まれはじめたライブハウスで、ドラムハカイダーを名乗る男がそっと囁いた。
「真空管アンプを作ってもらえませんか?」
運の悪いことに、ワタシの右手はイチモツよりもハンダごてを握りたくて、ウニウニしていたのである。神の左手悪魔の右手とは良く言ったものだ。所詮、左手はそっと添えるだけであり、悪魔の所行を止めることなどありはしない。
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◎たまえらび さて、何を言ってんのかわからなくなったところで、まずは出力管の選択である。設計上の条件は、  ・アンプのサイズは高さ120ミリ、奥行355ミリ、幅 295ミリまで  ・カバーは必要  ・スピーカのインピーダンスは6Ω  ・ライン入力は6系統  ・REC OUTがあるとなお良し となると、サイズ的に図体の大きな球は論外だねぇ。MT管か、コンパクトロンか。過去の経験から、嫁入りの決まっているアンプは、メンテしやすいように余裕のあるスペース配分で作りたいし、セレクタ&ボリューム部分は代替機を提供しやすいように別筐体にしたい。となると、アンプのために幅295ミリをフルに使うわけにはいかない。しかも、悪魔の右手は全段差動プッシュプルをご所望だ。 EL86、12B4A、13FM7などなどいろいろ検討した結果、手持ちの部品を活用できそうな50BM8を4本立てることにした。三極五極複合管なので、4本でプッシュプルを組める。 50BM8は、ワタシを真空管の世界に誘った球。最初に聴いた真空管アンプは、コレのプッシュプルだった。全段差動プッシュプルでどんな音がするのか、ぜひ聴いてみたい。(とはいえ、不人気球13FM7にも、いまだ後ろ髪を引かれているんだけど)
◎出力段の設計 50BM8は、50Vのヒーターが煌々と輝くのが好きだ。光りもの万歳!というわけで、出力段を設計してみる。50BM8は6BM8や16A8のヒーター電圧違いだから、ぶっちゃけ「情熱の真空管」に載っている回路をそのまま使えばよいのだけど、スピーカのインピーダンスが6Ωなので、8Ωタップに6Ωのスピーカをつなぐという条件であらためて ロードラインを引いてみることにした(復習もかねて)。 使う出力トランスは、東栄変成器のOPT-10P 10K。6Ωのスピーカを8Ωにつなぐと、10K×(6/8)で一次側のインピーダンスは7.5KΩ。全段差動PPの場合 は、その半分の3.75KΩでロードラインを引くことになる。
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プレート特性図の出典はこちら。Copyleftの表示があるので有り難く使わせていただこう。てゆーか、マジでありがとう、Tom Schlangenさん! なんてキレイな実測データだろう。 全段差動PPでは、五極出力部を三極管接続で使う。ゼロバイアスラインと3.75Kのロードラインの交点が64MAなので、動作基点は200V/32mA。ほぼほぼ標準的な動作に近いのでヨシとする。 IP×IP×RK÷2=0.032×0.032×7500÷2=3.84で、おおよその最大出力は3.8Wくらい。グリッドバイアスは-19.5V。出力トランスのB-P間DCRが253Ωなので、そこでの損失が8Vちょい。200+19.5+8=227.5で、228VほどのB電源を用意すればよさそうですな。 (ここまで2010.06.29)
◎電圧増幅段の設計 んで、電圧増幅段である。B電源228Vを220Vほどにドロップして使うという前提で考えてみる。
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0.6mAの定電流で負荷抵抗を150KΩとすると、動作基点は自動的にプレート電圧が130V、バイアス電圧が-1.75Vに落ち着く。1V(P-P)の信号入力で49V(P-P)の振幅が得られることになるから、ま、十分でありましょう。
◎回路図を引く 何でもかんでも集中して一気に仕上げてしまおうとするのは、ワタシの良いところでもあるし、悪いところでもある。今回はどっちに転ぶものか、ロードラインを引いた勢いでちゃちゃっと回路図を書いてしまった。(赤文字は計算値、青文字は実測値)
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電圧増幅段の定電流源は、2SK30で構成することにした。G-S間に330Ωの抵抗をはさんで1.2mAの定電流源を作ろうという目論見だけど、この辺は微調整と選別が必要だろうなぁ。2SK30のためのC電源は、整流用ダイオードを5個直列にして、電圧ドロップを利用する今や定番のやり方で。 完成後は無調整で行きたいので、出力段は独立定電流方式にする。各五極部に32mA流すつもりなので、LM317のADJ-OUT間の抵抗は39Ω。これで1.25÷39Ω=32.05mAの定電流源になる。 LM317の特性は意外にバラツキがあるように思うのだけど、どうだろう? そう思って、過去にペア選別をしたことがある。 電源トランスには東栄変成器のZT-1(100VA)を使う。(32×4+1.2×2)mA×240V=31VAだから、ブリッジ整流の損失を考えて1.6倍しても 49.9VA。ZT-05B(50VA)でも大丈夫かも。 リプルフィルタは2SK2847で構成。全段差動PPなんだからココまで強力なリプルフィルタは必要ないと思うけど、ハムノイズには神経質なもんで。笑)入力電圧を仮に235Vとすると、235V×{1MΩ÷(1MΩ+22KΩ)}で出力電圧は228Vに。。。なる予定。あとは整流後の180Ωを微調整。 50V管だから、ヒーターハムが出るかもなぁ。その場合は、ヒーター用の100Vを整流しちゃうとか、コンデンサを噛ませてアースに落とすとか、いろいろやってみよう。6BM8系の球の場合は、発振にも注意しなくては。。。 さぁて、お次は部品の買い出しだ。いざ秋葉原へ! 平日ならそんなに萌え萌えしてないだろう。それにしても、秋葉原に行くと職質されやすいのはなぜだろう? そんなに凶悪な顔つきだろうか? ナイフを隠し持つサイコな男に見えるのだろうか? 今回はモヒカンじゃないので、多分大丈夫だろう。 (ここまで2010.06.30)
◎2SK30の選別 いくら暑いとはいえ、SUICAの代わりに家の鍵を手にして改札に突入するワタシ。なにこの微妙な終わってる感。。。まぁ、いいや。パーツを買ってきたので、まずは2SK30の選別作業。
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検尿でも試飲会でもないんよ。半導体部品はその見てくれに似合わずバラツキが大きいので、せっせと選別作業。こんな(↑)回路でドレイン電流値を測って、検尿カップ、もとい紙コップに放り込んでいく。通電してから30秒ほど、電流値が安定するのを待つのが肝心。1.2mAの定電流特性が欲しいので、1KΩの抵抗に1.19〜1.2Vの電圧が発生するものを選り分けていく。今回買い込んだ2SK30の傾向から、G-S間の抵抗は300Ωに決定。(実際には1KΩの半固定抵抗で微調整できるようにした) (ここまで2010.07.02)
◎シャーシの設計図を引く 仕事でしばらくバタバタしたものの、ようやくシャーシの設計図を引くことができた。回路図とにらめっこしながら、実際の配線を想像しつつ線を引いていく。
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カバー付きで高さ120センチの制限は、なかなか難物だったけど、これで何とかなりそう。MT管用のサブシャーシがいくつかあったので、これで50BM8の高さを調節。けっこう発熱する球なので、放熱対策にもなるはず。トランスカバーとしてシャーシの上に小さなシャーシを載せ、背丈のある電源トランスを横向きに設置。電源トランスは小シャーシにネジ止めする。コアが直交するようにトランスを配置すれば、電源トランスの磁束から出力トランスを救うことができる。スペースの都合上、電源部の電解コンもトランスケース内に収納。たまたま125V/1Aのミニブレーカーがあったので、電源スイッチと並べて設置することにした。 設計図を引きながら、スピーカーターミナルの買い忘れが発覚。なんてことだろう。いっぱいストックがあると勘違いしてたよ。 アンプ作りでいちばん大変なのはシャーシの加工だと思うのは、ワタシだけだろうか。器用な人間ではないので、少しずつ仕上げていかなければ。ハンダごてを握れるのは、まだまだ先のお話。。。 (ここまで2010.07.11)
◎平ラグ板は楽しいかも お盆前進行で仕事が忙しくなり、ちょっと間が空いてしまった。仕事が忙しくなればなるほど余計なことを考えたくなるもので、FET Trioderizerのシミュレーションに6時間を費やしたり、漫然とReblogし続けたり、まぁ、そんなお盆前進行。余計なことついでに、今回、平ラグ板を使って配線することを思いついた。その方がソケット周りでごちゃごちゃ配線するよりメンテしやすかろうという思惑である。なんたって今回は、三極五極複合管でプッシュプルだしぃ。 そんなわけで実体配線図。
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どうよ、このシンメトリー。笑) いやぁ、平ラグ板って、たのしーなー。 いやいや、ちゃんと仕事もしてましたよ?マジで。実体配線図のおかげで、ぐっと作りやすくなったぜ!・・・たぶん。 (ここまで2010.08.14)
などと調子に乗っていたら、とんでもない間違いを発見。上の実体配線図は修正済みのもの。いやー、こわいこわい。笑)
◎ぶきっちょさんなのだよ 今年の夏はしっかり暑��ので、妙に元気だ、ワタシ。夏バテって、したことない。仕事が明けたので、汗だくになりつつ、さっそく作業開始。シャーシの加工さえ済んでしまえば、あとは楽しい半田付け。あんまり夢中になっていたので、シャーシ加工の写真を撮り忘れてしまった。
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平ラグ板へのパーツ組み付け。この段階では、まだミスに気づいてなかった。C電源のコードが2SK30のソースとソース抵抗の間に接続されている。アホですな。ゲートとソース抵抗の間に接続するのが正解。
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いわゆる「ハラワタ」。配線、汚ねーなー。笑)アンプを作るたびに、自分がいかに不器用かを思い知らされる。回路図は簡単なのに、実際配線してみるとその煩雑なこと! 電源トランスは、やっぱり東栄の ZT-05B(50VA)にした。容量的にはぎりぎりだけどね。負帰還量を簡単に調節できるよう100Ωの2連ボリュームを使う予定だったけど、探してみると東京コスモスのものぐらいしかなくて(高いよ!)、手持ちのロータリスイッチで簡単なアッテネータにした。グリッドがアースから浮くとまずいので、ロータリスイッチはショーティング型で。 50BM8は、ヒーターを2本直列にして家庭用100Vでそのまま点火。ヒーターハムを避けるため、直列の中点から0.068uF/250Vのフィルムコンデンサを介してアースに落としてある。ホントはヒーター用の100Vはヒューズの後から取るべきなんだけど、50BM8は点火時のラッシュカレントが大きいので、手持ちの1Aミニブレーカでは賄い切れないかもと判断し、ブレーカの前から取っている。よい子は真似してはいけません。マジで。そこまでしてミニブレーカを使いたいか、ワタシは。。。【やっちゃいけないことはやっぱりダメ、ということで、後日ヒーター電源はブレーカの後から取るように修正。精神衛生上もよろしくないし。結果として、1Aでも大丈夫だった。】
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試運転中。50BM8って、ヒーターが煌々と輝くイメージがあったんだけど・・・あ、あれー??そうでもないな。。。ま、いっか。 今回、シャーシは塗装してない。完全に乾くまで長期間、けっこう匂うんだよね。子どものいる部屋でソレはよろしくないか、と。中途半端にサンダー掛けしてみたら、けっこうラフで良い具合の質感に。なのでそのまま。今度から塗装なんかしないでこの手で行こう。 6BM8系の球は発振しやすい。配線はゴチャゴチャで寄生発振カモン!って感じだし、かなり戦々恐々としながら電源を入れたけれど、発振もなく、ハムもなく、ヒーターノイズもなく、パーツが飛ぶこともなく、トランスが焼けることもなく、すんなりとキレイな音が出てしまった。ふふ、悪運強いな、ワタシ。 一聴して、低音がしっかり出ている感じ。左右の広がり感・定位感もいいなぁ。50BM8の普通のプッシュプルアンプも持ってるけど、全段差動プッシュプルは全然ちがうなー。プッシュプルのもっさり感がなくて、クリア。ちょっと硬め。普段シングルアンプばかり常用しているので、こーゆー音、新鮮だわ。笑)自分用にも1台組んでおこうかな。 (ここまで2010.08.21)
36時間連続稼働しても問題なさそうだったので、側板とカバーを装着。50BM8はかなり熱くなるし、ドラムハカイダー氏が「うちの子は絶対触るタイプ」というので、カバーは必須。
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側板はシナベニヤ。そのままだとみすぼらしいので、水性ステインで塗装。青いボリュームノブは、NFB調節のアッテネータ。やっぱ、パワーインジケータとしてネオンランプぐらい付けるべきだったかな。どうせヒーターが光ると思って省略したんだけど。電源スイッチの下にあるのがミニブレーカ。Garrettaudioさんでけっこう安かった。ヒューズってなんか好きになれないんだな。ヒューズかブレーカーかで音質が変わるとは思わんけど。
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アルミのパンチングメタルでカバー。ううーん、ま、こんなものかしら。笑)手持ちの部材で作っているので、パンチングメタルも寸足らずですな。 このまま48時間耐久試運転をして、問題なければ納品かな。 (ここまで2010.08.22)
◎発振してるじゃないの アンプ完成時に「発振もなく」などと勇ましいことを書いてしまったが、その後、あちこち微調整している間に、どうしたことか、入力をオープンにすると見事に発振するようになってしまった。。。ググググ・ヒューンとか言ってますよ、はい。。。うーん、ちょっと恥ずかしかったり。笑)この発振、ノイズ系の楽器に使えないかな、などとしばらく発振音に聴き惚れたりして。 ボリュームボックスなりiPodなりを接続してしまえば発振も止まるのだけど、そのままにしておく訳にもいかないので、電圧増幅段の各プレートに20pFのマイカコンデンサを付けてアースに落とすことに。これにて発振はピッタリ止まりました、とさ。 (ここまで2010.08.27)
※本記事は2010年に作成されたものの再掲です。一部修正。なんか、異様に浮かれてて、読み直すと恥ずかしいな。
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m-h-critique-blog · 5 years
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渋革まろん「SNS時代の自然主義」
 初観劇のしあわせ学級崩壊を、このようなかたちで体験できたのは幸運だった。劇場で観劇していたら、うんざりして席を立っていただろうから。しかし、音楽スタジオ・BASS ON TOPでライブさながらオールスタンディングで観劇する本作の形式が、わたしにある種の冷静な眼差しを宿してくれた。そして、わたしはこの形式をSNS時代の自然主義なのではないかとも思ったのだ。
 しあわせ学級崩壊は、僻みひなたが脚本・演出を手がける若い劇団で、2015年に『超現実絶望ぐちゃぐちゃ夢子ちゃん』でもって旗揚げされた。本作は、昨年の『ロミオとジュリエット』に続く、シェイクスピア戯曲を使った上演の第二弾であり、今回も前回と同じように音楽スタジオを使って上演するスタイルが踏襲されている。当然、客席は設営されておらず、上演が始まると、聴衆の気分を高揚させるEDMをDJが爆音で鳴らし始める。すると、フロア三方の壁面と中央に設置された椅子に登って田中健介、福井夏、大田彩寧、林揚羽の四人がマイクを片手に、『ハムレット』のセリフをラップ調で語り出す。
 つまるところ、本作は一種のラップミュージカルのようなもので、セリフを発する根拠は不可視の内面に置かれることなく(だから、内面を観客に伝達する術が演技だということにはならず)、音楽の情動にノルことで担保されていく。そこからも容易に察せられると思うが、父親を殺した叔父に復讐しようとしても、様々な逡巡のうちでそれを遂行することができないといった支離滅裂な行動から様々な解釈を呼び寄せてきたハムレットの複雑な陰影は、ハムレットを演じる田中の切羽詰まった激情の荒波のなかへと流され、絞り尽くすようなガナリ声によって押しつぶされていく。
 原作の『ハムレット』にあったストーリーの時間軸は、ハムレットとオフィーリアの愛憎関係に焦点を当てて再編成される。特に後半、父・ポローニアスを殺され狂気の言葉を口にするオフィーリアのシーンに、「尼寺へ行け!」とハムレットがオフィーリアを罵倒する一連のセリフが挿入されるために、ハムレットのセリフは、自分に取り憑いたオフィーリアの亡霊を振り払う悲痛な叫び声のように聞こえてくるのだった。
 このオフィーリアに「男の暴力において抑圧されてきた女性たち」のメタファーを読むことも不可能ではないが、そう理解するにはあまりにも亡霊オフィーリアの側に主体的な怒りのベクトルが薄く、ハムレットに依存しすぎているように見える。ハムレットにべったりと――身体距離をゼロにして――寄りかかるオフィーリアが示すように、自分の想いを相手が理解できるように伝達する言語的コミュニケーションの水準が欠落し、相手と一体になりたいという――あまりにもベタな――情動的コミュニケーションの水準でふたりはつながりあう。結果的にふたりの愛憎関係は際限なく増幅されていき、外部なきふたりだけのセカイが形成されていく。
 注目したいのは、ハムレットとオフィーリア、ふたりの関係に物語の焦点がずらされることで、「父と子」の復讐譚という本来のハムレットの大筋がほとんど希薄になっていることだ。「亡霊」が物語の重要なアクターとして機能していないのだ。
 しかし、例えば『ハムレット』に対する様々な解釈のなかでもよく知られている、アーネスト・ジョーンズの精神分析的な解釈に目を向けてみよう。そこでジョーンズは、フロイトの『夢判断』に準じて、ハムレットの複雑な内面が、父を殺し母を寝取りたいという近親相姦の欲望を抑圧するエディプスコンプレックスに由来すると読解する。
 つまり、『ハムレット』においては、ハムレットを復讐に駆り立てる父(亡霊)の出現によって子を抑圧する父の規範が可視化され、また同時に母(ガートルード)が叔父(クローディアス)と再婚してしまったことをきっかけに、普段は隠されている「母と寝たい」という欲望が触発される。そうした父の規範と母への欲望の葛藤が、ハムレットの内面を非常に複雑なものにしているという。
 先に述べたように、しあわせ学級崩壊版『ハムレット』からは、ハムレットを抑圧する父(亡霊)の存在が、すっぽりと抜け落ちている。そうして父に対する葛藤が弱体化すれば、ハムレットのうちに読み取るべき葛藤=「内面」も曖昧になる。だが一方で、その空虚な内面はEDMが刻むリズムの情動によって代補され、ハムレットの内面はEDMの情動と一体化し、ライブ空間全体へと拡張される。つまり、ここではライブ空間全体がハムレットの脳内空間になるのである。
 そして、そこでは観客もまたハムレットの不安や興奮のシグナルを伝播する脳内ニューロンの一部、いわば「ハムレット」の一部になる(ゆえに舞台を客観的に対象化することが目指された対面客席は解体されることになったのだろう)。つまり、観客はEDMが媒介する自他未分化な「繋がりの共同体」への直接的な参加と共感を強制される。ぼくが「うんざり」すると言ったのは、このような上演のありかたである。
 ではなぜ、わたしは本作を「冷静に観れた」というのか。それは至極単純な理由だ。直接的な参加を促されるオールスタンディングのライブ形式では、同時に観客の顔がよく見えるようになるからだ。むろん、EDMが鳴り響くこの空間は俳優と観客の壁、個々人を自立させる身体の輪郭が没入的な一体感のうちに融解していく集団トランスを求めている。だがその一方で、興奮を隠さない憧れの眼差しを俳優たちにおくる若い女性、縦ノリで揺れる男性、遠くで微笑ましい笑みを浮かべて見守る女性といった、色とりどりの反応を見せる観客たちが否応なく目に入ることで、没入からの距離が生じる。
 舞台と客席の区別は融解しながら分離する。もちろん、こうしたある種の叙事的形式が採用されるとはいえ、そこに観客が思考を働かせるための上演の戦略があるようには思えない。つまり、しあわせ学級崩壊は、こうした観客との関係の創出を、批判的、実験的精神をもとにしてというより、かなり自然にアタリマエのこととして実践しているように見える。
 そこでふとわたしは、この上演形式がソーシャルメディアのアナロジーになっているのではないかと思った。父―規範を欠落させ、ハムレットの射精的興奮状態に向けて観客の感情が動員されていく展開、そしてそれを取り巻く匿名的な人々が可視化された環境。この可視化された匿名的な人々の群れとは、Twitterでいうところのタイムラインに表示されるツイート群であり、ハムレットの狂気とは炎上を煽るインフルエンサーの振る舞いとして受け取ることができる。その炎上=祭りに参加する観客たちは、祭りの神輿=ハムレットを担いでクソリプを送り合うのである。
 だから、しあわせ学級崩壊の上演は、SNS時代の自然主義―ナチュラリズム―を実演してしまっているのではないだろうか。かつての自然主義者は、例えば「夫婦」のように、対等で自然な関係に見えても、実は非対称的な力関係がそこには働いていると暴き立てた。それは個人の内面を抑圧する社会環境を可視化する方法の発明だった。一方で、しあわせ学級崩壊は、個人の内面が社会を支える根拠にはならないメディア環境のリアル=自然を、ある意味ではかなり敏感に反映/可視化しているのではないか。
 とはいえ見方を変えれば、匿名の不安を通じて、自己承認欲求がとめどなく加速していく時代の病(私を見て!)を本作はストレートに反映しているとも言える。一過的な祭りの興奮によって組織される集団トランスで、空虚な内面を埋め合わせるといった身振りを、そのまま肯定するだけでいいのかということは問われて然るべきであり、しあわせ学級崩壊の今後の展開が気になるところでもある。
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systemynt · 2 years
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6GX7 Single Regen, Speaker Radio
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It's not easy to drive Dynamic Speaker for Single tube radio, without long Antenna and Ground earth. In this project, I selected 6GX7, high Gm tube for TV circuit, and 12cm Spider coil to make it real. Then after a sequence of failures, I somehow get the result in this video.
The needed power source is AC 6V heater trans, or DC 5-6V/0.4A AC adaptor. B+ 134V/12mA(from AC100V), so that total power consumption is only 2.4W + 1.6W = 4.0W, very much energy saving as a tube radio.
和訳: 6GX7は真空管時代も後期になって作られたテレビ用の五極三極管で低電圧で高利得、VHFチューナーの増幅、混合に使われておりました。今回これと高感度のスパイダーコイルを組み合わせて単球再生式ラジオを設計。B+120Vで13000マイクロ・モーの威力は「さすが…」ということで、1m程度のビニル線アンテナでローカル局ならスピーカーがガンガン鳴ります。
電源はヒーター・トランスが一つだけ、これでヒーターを点灯し、B+は電灯線をそのまま半波整流して使います。消費電力はたったの4W。出力トランス不要のマグネチック・スピーカーについてもテストしましたが結果はビデオのとおり、回路は基板1枚で家電ノイズにも強く6C6-6ZP1-12Fの並三、57-56-12A-12Fの並四と同等かそれ以上と言っていいでしょう。
--- (c) 2022 Osamu Terao, Allrights reserved ---
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cdne201141 · 3 years
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#04_ Digital Fabrication workshop
-9月27日(月)
 初めての教室CSで行われた応用演習CD 2回目の授業。  様々な見たことない機械にワクワク!  使い方を忘れないためにメモメモ〜って大量でしたね、、。
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Y:やったこと
・レーザーカッター ・3Dプリンタ ・大判プリンタ ・カッティングマシン ・木工、工具
W:わかったこと
メモ ↓ 
https://drive.google.com/drive/folders/1CcrOn-Z9YaqaUhQhz1SFQrXg5jtjIex1?usp=sharing
・レーザーカッター
「危険!でも便利だな〜。」レーザーカッターは自作のイラストやロゴなどをレーザーでカットすることで手作業では難しいデザインでも量産することができる!ただ!使い方を間違えると火を吹く可能性があるので注意が必要!
<使い方>
1.本体の準備をする
レーザーカッターのコンセントを入れ、変圧器(トランス)の電源を入れ、レーザーカッター本体の電源を入れる
2.集塵機の準備をする
集塵機の電源を入れ、左下のボタンをオンにする(オレンジ色が消える) →「シュー」という音が聞こえる
*集塵機とは大きい掃除機のようなもので、ゴミや煤などを集めてくれる
注意!  集塵機のホースは窓を開けて外に口を出す!  →匂いや煤などが部屋に残ってしまう!
ー印刷するものの準備ー
・Illustrator :CS2の形式で保存する ・他のアプリ :ESPやSVGの形式で保存し、Illustratorに送る  *ネットに繋がっていないので、USBで物理的にデータを持ってくる
・カットしたい所の線は0.1pt以下にする!  →0.1ptより大きいと削るだけになる ・字を削るときは字をアウトライン化する!
<切れるもの> (厚さ5mm以下)
 木材、アクリル、紙、ゴム、フェルト  *素材や切れるかがわからなかったら聞く!]
注意!  塩化ビニルは毒ガスが発生するためダメ!絶対!!
3.プリントの設定
・プリンタの種類は「エピログエングレーバー」を選択する ・プリンタを選択し、エピログ→詳細設定を選択する  →スピードとパワーを設定する(周波数は2500でOK)   *スピードは遅いほど強い力がかかりよく切れる    自分で調節しながらやってみる! ・インサイドアウトを選択する  →内側から外側にかけて削っていく
4.印刷の準備
・印刷させるものを本体の中に置き、ピントを合わせる  →ピントは棒がまっすぐに立つところまで上下に移動させ合わせる ・表示されている名前が印刷したいものか確認する  *アクリルに印刷するときは、アクリルの下に何か置き、   アクリル板を少し浮かせるようにし、その状態でピントを合わせる
<ポイント>
印刷するものはレーザーがよく出る場所(左上)が一番切れやすく、レーザーが届きにくい場所(右下)が切れづらくなる。 印刷するときはスピードとパワーは何回か調整しながら行うため、1発本番はダメ!練習用に多めに素材は準備すること! 出来上がったものは、レーザーで焼いたところが黒くなっているので、やすりなどを使うと綺麗に落とせる!
・3Dプリンタ
「歯車だ!すご!!」噂に聞いていた3Dプリンタを初めて見て、出来上がるものにとても驚いた。糸状のプラスチック(フィラメント)を溶かし何層にも積み重ねていくことで立体のものを作り上げるのはすごいと思った。ただ使う時には1個にかかる時間と作成したい個数をよく考え、可能かどうかを考える必要がある!
<使い方>
1.3Dデータを作る
ブレンダーなど無料のソフトや有料のソフトなどのモデリングソフトを使い自作するか、ネットにある無料の物を用意するか、誰かに頼むなどがある。 →自作する場合はSTLのファイル形式にする
ー3Dデータについて
ポリゴンメッシュ(トリゴンと呼ばれる三角形の組み合わせでできている)は3Dプリンタに渡せるが、数式的なカーブのものは渡せない!
2.3Dプリンタの変換ソフトにデータを送る
ブレンダーなどのソフトと3Dプリンタの単位が違うため、仮想フレームの大きさから印刷する物体の大きさまで拡大縮小する。 サポート材はルビンの壺のような真ん中が凹んでいるものにはとても効果的のため、用途に応じて選択する。 スライスからラフトの有り無しを選ぶ。→ラフトのありなしはちょっと微妙なところ、、?
・大判プリンタ
「でっかいコピー機!」名前の通り大きいコピー機だ!家で印刷するのと同じ仕組みで紙がとても大きなものを使っていてA1なども印刷可能!単票紙はロール紙よりも安いため好みの質感などを買いやすいそう!(紙にも色々あるんだなぁ〜)
<インク>
・MB(マットブラック):文字に使用 ・BK (フォトブラック):写真に使用
<トンボ(トリムマーク)>
端っこまで印刷するために必ずつける! *ポスターなど端っこまで印刷したいものは、3mm大きく作り、トンボをつける! そして!印刷し終わった後に、3mmの余白部分を定規とカッターで切る必要がある!(ポスターの準備は印刷して終わりじゃなく切る必要があ���!)
<紙の大きさ>
紙にはA版とB版があり、例えばA4とB4ならB4の方が大きい!つまり、同じ数字ならB版の方が大きい!(Bigの ”B” で覚えよう!)
<解像度>
解像度を表す単位は「dpi」で、1 inch に占める dot 数を表している。 普通の写真では大体 350 dpi が多いが、ポスターのサイズがA1など大きければ、200 dpi でも大丈夫! *解像度が高いほど時間がとてもかかる!遠目で見るなら低くてもOK!
<使い方>
1.イラストデータをPDFの形式にする
ここで「トリムマーク」のチェックを入れることを忘れないように!
2.印刷サイズなどの設定を行う
・サイズとロール紙か単票紙かを選び、「長尽」を選択する ・推奨設定はとにかく良さそうなものを選ぶ!  Ex)クオリティ→ポスター→キレイ  ”速さは遅い方が綺麗に写る!”
・カッティングマシン
「キレイに手軽に紙が切れる!」最初に見たレーザーカッターでも紙は一応切れるが、あちらは削るという意味合いを少し持っているのに対し、こっちは紙を切るためのもの!という感じ!SAの方もたくさん使っていて、お世話になったと話していたから、自分も使う可能性が高いかも、!?
<使い方>
1.画像を用意する
文字の場合はアウトライン化&白抜きを行う 保存するときには英語の名前にし、.svg の形式で保存する!
2.Scan Ncut Canvas
.svg で作成したファイルを .fcm の形式にし、USBに送る! *紙のどこに印刷するかもここで決める1
3. 機械の操作
USBをさし、模様を押し、データ呼び出しを行う。 刃は厚紙の場合は 3mm を選んでおけば大丈夫! *紙の厚さを考えて、刃の長さは選ぶ
・木工、工具
「ホームセンターにあるような道具がたくさんある!」私は工具などを学校の授業以外で使うことがなかったので、使ったことある人が多いことに驚いた。自分もこれから使うようにしていこう!
<科学おもちゃについて>
多くの科学おもちゃがあったので、実際に何個か試してみたが、その中には一見すると科学か?と思えるようなものもあったが、自分が今やっても時間を忘れて楽しめるようなものがあった。特に印象的だったことが3つある。
1つ目は、材料費などが安くてもパッケージを考え、それようにすることで商品価値が出て、一種のプレゼントになるということだ。私自身商品を買う際に、パッケージに揺さぶられることも多いので、パッケージの大切さがよくわかり、そしてプレゼントという言葉がとても気になった。友達に渡すプレゼントのように大切な暖かいものを作れたらいいなと感じた。
2つ目は、親子で行うということだ。私は子供が楽しければそれでいいと勝手に思い込んでしまっていたが、そうではない。親子で楽しむということは作る過程や行う過程にも親が楽しめる要素があるといいと思った。その中でも私は特に手の感覚で図形の形を当てるというおもちゃにとても惹かれた。それは大人でも子供でもゲームをするときに楽しめ、キットとして作る際にもきっとこの形とこの形は似せて紛らわしくしようなど楽しめると感じた。
3つ目は、それがあるから行いたくなるということだ。先生が今スマホでもキレイな写真が撮れるのにカメラを持って歩いてしまうのはなぜか。という話をされていて、人はモノから先に入ることが多いと聞き、確かにそうだなと感じた。私自身手帳を毎年買っているのは、予定を確認したいからではなく、手帳を持つことで何かスイッチが入るという別の意味を持っているとも感じた。私もこのようなそれがあるから何かをするというおもちゃを作りたいと思う。
T:次にやること
・既存コンテンツ調査 →2個以上調べるから、3 ~ 4個は調べたい!
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hangorin · 3 years
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【報告】5.9 五輪とても無理です。即刻ヤメロ!新国立競技場GURUGURUデモ
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(A photo by @mkimpo_kid: Check here for more photos.)
新型コロナ変異種ウイルスが猛威を奮い、3度目の緊急事態宣言が発出される中、都内各地ではオリンピック・テストイベントが目白押し。都立明治公園をつぶし、都営霞ヶ丘アパートをつぶし、野宿する人々を追い出して建てられた新国立競技場でも、5月9日、陸上競技のテストイベントが開催された。
私たちは、人々の命と暮しを踏みにじるオリンピックを今すぐ中止しろ!奪ったものを返せ!と声をあげるべく「五輪とても無理です。即刻中止!新国立競技場GURUGURUデモ」を開催した。
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(photo by @galbraithian; Check here for more photos)
テストイベントはTBSが生中継する力の入れよう。それに加えてオリンピック中��を求める声の高まりを受けてか、デモへの注目度も高く、開催前からスポーツ新聞を中心に「不穏な動き」などと抗議行動を予告する報道が行われ、集合場所には国内外のメディアが集結していた。
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デモ前の集会では様々な人がオリンピック反対の思いを訴えた。
まずは、98年長野オリンピック反対運動を取り組み、長野市での「聖火」リレーでも「オリンピック反対!」の声をあげた「オリンピックいらない人たちネットワーク」からの連帯アピール文が読み上げられ、続いて5月11日に福岡で「聖火」リレー抗議行動を呼びかけていた「オリンピック不要団」がリモートでアピール。
続いて、入管での面会支援を行っている学生の方が、オリンピックがいかに移民・難民の人々の人権を踏みにじっているか、実態を交えて強く訴え、「オリンピック追い出しヤメロ明治公園国賠」原告団の仲間からも新国立競技場建設における野宿者排除とオリンピック利権を糾弾するアピールが行われた。おことわりんくからは、5月1~2日の沖縄での「聖火」リレーとその抗議の様子を報告。新国立競技場建設に際し取り壊された都営霞ヶ丘アパートの元住民の方も駆けつけてくれ、生の思いを語って下さった。医療従事者の方からは「五輪をやめて医療や貧しいたちにお金を回すべき」と声が上がった。
(それぞれのアピールは記事後半に要旨を記載)
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デモは新国立競技場を2周!競技場の中からは時折、イベントを盛り上げるアナウンスや音楽が漏れてくる。
3月の2度のデモでは、警察官が車線よりはるか内側にデモを圧縮し、「早く歩け」「前につめろ」と至近距離から大声で叫ぶというデモ妨害が続いていた。同じことを繰り返さないよう、事前に抗議申し入れを行っていたにも関わらず、警察はこれを完全に反故にしたため、デモ隊は密状態を強いられながら進むことを余儀なくされた。
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それでも、目の前に公園を奪い、団地を奪い、人権を踏みにじった新国立競技場がそびえ建っている、その中でオリンピック関係者たちがのうのうとテストイベントを行っている、それだけで抗議の熱気は高まり「オリンピック今すぐやめろ!」の声は力強く轟いた。
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オリンピック再開発やめろ!
オリンピックで貧乏人を追い出すな!
明治公園を返せ!
霞ヶ丘アパートを返せ!
新国立競技場は呪われたスタジアムだ!
今すぐ解体しろ!
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デモ前日には、水泳の池江選手がオリンピックに反対する人々から「辞退しろ」という声を受けて苦しい、とTwitterで発信し、メディアではアスリートに怒りの矛先を向けるのは間違っているという論調が相次いだが、私たちは以下のようにコールした。
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オリンピックは政治だ
アスリートは極めて政治的だ
アスリートは政府の道具になるな
批判の声を封じるな
後の報道を見ると、抗議の声はテストイベント開催中の新国立競技場の中まで届いていたという。
デモが終わるころにはすっかり暗くなっていた。最後に、反五輪の会のメンバーが、オリンピック・パラリンピック翼賛教育が続く学校現場からのアピール、パラリンピックについて批判するアピールをおこない、解散となった。参加者は110名。
終了直後から、地上波テレビ番組を含む国内外の多くのメディアにオリンピック反対デモが報じられ、SNS等には賛同するコメントが無数に並んだ。いまやオリンピック・パラリンピックの中止を求める世論の高まりが、無視できないほどに大きくなってきていることの表われだ。
オリンピック今すぐやめろ!オリンピックより命を守れ!
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<各社の報道>
国立競技場で陸上東京五輪テスト大会 周辺では五輪反対デモ予定 緊迫感漂う中開幕(デイリー)
【東京五輪】「中止デモ」の予告で厳戒態勢…陸上のテスト大会がスタート(東スポ)
東京五輪中止求めるデモ行進が決行「今すぐ止めろ!」陸上テストイベント中の国立競技場周辺で(スポニチ)
【東京五輪】国立競技場周辺で大規模の反五輪デモ「中止しろ!」「誰のためにやるのか!」「貧乏人を殺す」(東スポ)
反五輪デモで国立競技場周辺は騒然…公安警察の〝抗議運動潰し〟も発覚(東スポ)
国立競技場前で五輪反対デモ「人殺しの五輪」「ぼったくり」陸上テスト大会中に抗議の声(デイリー)
国立で五輪リハ、温度差くっきり…緊急事態宣言下で“厳戒”陸上テスト大会(サンスポ)
国立競技場周辺で五輪反対デモ「医者もナースも限界だ」(共同通信)
国立周辺で開催反対デモ 東京五輪(朝日新聞)
「五輪いらない」デモの中、無観客で本番向けテスト大会(朝日新聞)
国立競技場前で東京五輪反対デモ 海外メディアも取材(毎日新聞)
東京五輪開催に抗議、国立競技場周辺でデモ(AFP)
「オリンピックより命を守れ」…東京都心で「オリンピック中止」デモ(WowKorea)
Two Tokyo Olympics: Inside and outside the National Stadium(AP)
[출처: 중앙일보] 일본 하루 확진 7000명 육박, 국민 59% “올림픽 취소해야”(中央日報)
Japan: Dozens march around Tokyo Olympic Stadium to protest against 2020 Games(Ruptly)
Protesters call for Tokyo Olympics to be canceled(Japantimes)
Tokyo Olympics: From a dream in 2020 to a risk in 2021(Times of India)
Protest against Tokyo Olympics(ABS CBN)
‘Olympics kill the poor’: Furious Japanese public protest Tokyo 2020 Olympics as calls to cancel Games continue
youtube
当日映像 :ken23quさんより
<集会アピール要旨>
1,「オリンピックいらほない人たちネットワーク」長野
皆さん、市民の力でオリンピック開催止めよう!ね。オリンピックより命が大切!あたり まえだよ! 4月1日、長野でも聖火リレー反対!東京オリンピック反対!の抗議行動をやりました。 「東京五輪開催反対!オリンピックいらない!聖火リレー反対!」を叫びました。バナーには「Fukusima Not Tokyo Olympics! (オリンピックなんかより福島だろ)」「NO Olympics Any Where!(世界のどこにもオリンピックいらない!)」「Breads Not Circuses!(サーカスよりパンを)」「オリンピックよりコロナ対策を」など。夜の7時、まるで葬式の参列者のような静かな観客の中を、スポンサー企業のデコバスと警察車両がぞろぞろ、スポンサーのための聖火リレー・オリンピックでしかないことが明らかだ。聖火 ランナーも集った観衆も IOCやオリンピックのダシにされたんだ。
そして、まさにこの時、NHKはライブ中継していた音声を30秒間「消音」した。公共放送を自称するNHKが、意図して「オリンピックいらない!」の声をなかったことにしたんだ。NHKがやったことは、私たちの声を消音しただけではなく、私たちの「思想・ 信条の自由」「表現の自由」を侵害したんだ。あったことをなかったことして、歴史を3 0秒消したんだ。
4月16日、NHK に「オリンピック・聖火リレー賛美の御用報道をやめろ!」「消音」を指示した過程などの調査公開を求める抗議文を提出。オリンピックは平和の祭典という大ウソ・五輪開催による国民意識(ママ)の統合が、憲法改正へつながる。消音は自ら報道の自由を侵害し、ジャーナリズムの自死に他ならないなどを理由にあげました。
皆さんの中にも、テレビで聖火リレーハイライトを見た人いるとおもうけど、気持ち悪い。感動の押し売りと涙。まるで戦時中の「肉弾三勇士 」、若い人は知らナイネ。
私たちは東京の皆さんへ連帯の意味も込めて 5月16日(長野)、22日 (松本)で「オリンピックいらない!コロナ下の五輪強行開催やめろ!」の連続集会をやります。
私たちは、「戦争をしない!させない!」ための練習として、オリンピックいらない!の声 を上げてきました。 私たち市民の力のリレーで、ホッケを食べてオリンピック・ファシズムをぶっとばし、貧困と格差・コロナまで拡げ、命まで奪うオリンピック止めましょう。
2021.5,8 オリンピックいらない人たちネット ワーク
Masao Ezawa
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2,「オリンピック不要団」福岡
何年も前からオリンピック反対行動をやられてきた皆さんをリスペクトします。
僕は絵をかいてメッセージを伝える職業なので、表現の自由といったテーマを中心に活動することがあります。2011年に警察からデモ行進を妨害され、国賠訴訟で争い、本人訴訟で2015年に高等裁判所で勝訴確定しました。警察相手の国賠訴訟で市民が勝つ割合は6%とすごく低いと言われているのに勝ったのが自慢です。
オリンピック反対行動をやらなければと思いつつ、福岡から地理的にも離れているので、今までなかなか腰があがらなかったのですが、聖火リレーが福岡にも来てしまうということでおしりに火がついてやっといま行動しています。
普段、福岡で脱原発、反戦、G8先進国首脳会議反対などのデモをやったり、Twitterに投稿したりすると、時々ネトウヨなどに絡まれるのですが、今、オリンピック反対と投稿してもそういうことが一切ありません。大多数の人たちが、この時期にコロナの中でオリンピックを無理やり進めようとするのはおかしいんじゃない?と感じている。マジョリティ側になって行動するのは初めてなのではないか、すごく珍しい機会だと思います。これを一緒に大きい声で福岡でも言っていきたいと思います。
福岡では、公道での「聖火」リレーは中止になりましたが、5月11日火曜日に平和台陸上競技場で聖火リレーの点灯式だけ行われます。この点灯式に夕方4時から競技場前で抗議行動をやろうと思っています。(5月11日当日の様子)
東京の皆さんと連帯して行動でき心強いです。
3,品川にある東京入管に被収容者の面会支援に行っているという学生の方
シュプレヒコール
オリンピック反対 税金使うな
オリンピック反対 コロナが優先
オリンピック反対 医療が優先
オリンピック反対 生活守れ
オリンピック反対 命を守れ
前提として、オリンピックというのは差別と暴力の祭典。それはあらゆる形で社会に現れているがその一つが入管だ。オリンピック招致が決まってから3年後の2016年の内部通達では「東京オリンピック・パラリンピックの年までに安全・安心な社会の実現を図るため、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは喫緊の課題である」と述べられている。ここでいう「不法滞在者」というのは正規の在留資格を何等かの形で失った人。ただビザがない、紙切れ1枚がない、それだけのことだ。実際に2016年から収容はどんどん長期化し続け、5年以上も収容されている人もいる。
収容所内の状態は、まともな医療も食事も環境も一切提供されていない。医者に行きたいと訴えても実際に診察されるまでに一週間もタイムラグがある。検査もまったくしてくれず、嫌なら帰れと言われるらしい。死亡事故も毎年のように出ている。いかに入管の医療が医療として機能していないかわかる。
最近、仮放免されたネパール人女性は入管に2年1カ月収容されていて、子宮筋腫が悪化していた。外部の医者が検査結果を見て驚くほどの、いつ倒れてもおかしくない、手術をしなければならない状態だったにもかかわらず、仮放免されたのはそれから半年後。彼女は入管から、「病気が治ったらまた収容する」と言われたらしい。仮放免者は無保険で高額な医療費がかかること、就労できないためにお金がないことなど、入管はわかっていながら「出してやるから自費で治して帰ってこい」「治ったらまた収容するからな」と脅しをかける。こんな状態だ。
食事も品川入管では冷え切っていて、虫や髪の毛が入っていることもざらにある。そんなもの食べたくない。衰弱して食欲もない。しかし、食べないとハンストと思われて懲罰房に連れていかれる。だから無理に食べている。
懲罰房は、入管が問題行動を起こした人だと判断した人を連れて行く部屋。窓がなく、トイレも頼まないと流してもらえない。狭くて不潔なところ。
昨年の秋に仮放免されたフィリピン人トランス女性は、ハンストや抗議行動に一切参加していなかったにも拘わらず、懲罰房に6カ月も入れられた。これはやはり自分がトランスジェンダーだからだと彼女は語っている。
一方、オリンピックは何をやってるか。オリパラ公認プログラムとして、セクシャルマイノリティの情報発信や安全な居場所づくりを行うプライドハウスTOKYOレガシーなる事業がある。トランスジェンダーの移民をトランスジェンダーだからという理由で6カ月も懲罰房に閉じ込めておきながら、日本人のトランスジェンダーやマイノリティにはエールを送る。在留資格をもたない移民・難民を入管の中で虐待し、時には殺しておきながら、一部のスポーツができる難民は難民選手団として組み入れる。こういうレイシズム、排外主義、能力主義、様々な差別による命の選別こそがオリンピックの本質だ。だから、COVID19の感染拡大に合わせて選手やオリンピック関係者を医療面で優遇しろという話になったのも当然と言えば当然、オリンピックの論理はそういうものだ。いまはCOVID19が拡大したことで、この社会でデフォルトとされているような人にも命の選別が及んだから抗議の声が広がったが、これまでもずっと社会の中で弱い立場に置かれてきた人たちはオリンピックのために殺されてきた。それを忘れてはいけない。オリンピックが続く限り犠牲者は増え続ける。オリンピックは、様々な差別を軸にしてそれを押し広げることによって成り立っているから。
今やっているトーチリレーも、あの火の燃料はレイシズム、セクシズム、能力主義、資本主義、新自由主義、ファシズム、優生思想、その他ありとやらゆる差別と暴力だ。それによってあの「聖火」は燃えている。だから「聖火」は消さなければいけないし、オリンピックは今ここで完全に廃止しなければいけない。オリンピックをやっている限り誰もが安心していきいきと暮らせる社会なんてものは絶対に実現しない。名古屋の入管で亡くなったウィシュマさんの問題がいま話題になっていて、「彼女が生きていけた社会を目指して」というスローガンがあるが、彼女が生きられた社会はオリンピックをやってる限り絶対に実現しない。だからオリンピックは世界のどこにもいらない。オリンピックを、いまこの場で終わらせたい。
4,オリンピック追い出しをヤメロ明治公園国賠原告団
皆さんが今いる新国立競技場は都立明治公園という公園だった。野宿者で、長い人は30年近く暮らして来た。新国立競技場を建設するため、2014年から16年にかけて、警察、裁判所、JSC、東京都が総力をあげて5名の野宿している住人を蹴散らすという国家権力むき出しの暴力が振るわれた。オリンピックという国策事業のためなら、貧民を暴力的に蹴散らして突き進む、そういったことは許してはならないということで、2年前から国賠訴訟という形で争っている。
最初は長年住んでいた仲間と追い出しをやめろ、話し合いで解決しろと交渉を重ねてきたた。それに対して2016年4月16日、強制執行という暴力で叩き出された。それから緊急避難として明治公園の一部であったこの「こもれびテラス」に半年間テントを張って暮らしてきたが、この場所も廃止された。そのあとに建ったのがこんなどでかいJOCビルだ。
もともとJOC、日体協は老朽化した岸記念体育館に本部があった。そこを建て替えても高層化できないということで困った森喜朗が東京都に相談したところ、都立公園であったこの土地が優先的に払い下げられた。立ち退き料として古い老朽化したビルは東京都に買い上げられ、その建設費も丸儲け。オリンピックだから、スポーツ団体だから、まるで私物化したように税金がじゃぶじゃぶ使われ、その一方で貧しい者、野宿している者にはむき出しの暴力がふるわれるということを、5年前、私たちはまざまざと見せつけられた。
これは日本に限ったことではなく、どこの国のオリンピックでも、もれなく巨額のお金が動くオリンピックのために貧民の暮しが蹴散らされてきた。私たちは東京で、こんなことは止めるんだということで闘ってきた。やれることはすべてやるつもりで、今現在も裁判で対抗している。
今年、こんな状況下でもオリンピックをやるとオリンピック推進事業者は言い続けている。その際には、いま皆さんの立っている新国立競技場地域一帯を封鎖する計画があるという。ラーメン屋もマンションも全部、地域一帯を囲って、そこら辺にゲートを作って、顔認証で関係者しか入れない。これを警視庁はセーフゾーンと言っている。
私たちは今年の開会式に合わせて既にデモ行進の申請をしている。警視庁からは、この辺りはセーフゾーンになるからデモができないかもしれないと言われた。この一帯にはまだ野宿する仲間、明治公園から追い出された仲間が暮らしている。その仲間のところにもいま東京都から「出て行け」「フェンスで囲うからな」「工事の邪魔だ」という圧力が徐々にかかっている。今、日本全国こんな状況下で「聖火」リレーが行われているが、東京で「聖火」リレーがやられるとき、また国や東京都が追い出しをかけてくるのではないかと皆心配している。皆で知恵絞って対抗していこう。
その一環として国賠訴訟に取り組んでいる。次回は6月22日15:30東京地裁706法廷。ご注目いただきたい。今回、東京地裁が証人として憲法学者の内藤先生を採用し証人尋問が予定されている。学者は通常書面のみで済まされることが多い���で異例だ。
明治公園で起きた出来事は5年前だが、国家による暴力、オリンピックによる暴力について、一つ一つ洗いざらい蒸し返し、こんなことは二度とさせないと闘っている。皆さんも、コロナで国がこんな状況下でも暴走を続けるオリンピックに違和感を覚えているはず。ともに食い止めていきましょう。
5,おことわりんく
5月1日と2日に沖縄でもトーチリレーが行われた。沖縄ではまん延防止措置が取られているので、沖縄本島では公道を走るということはなく、人を制限した中で無観客のリレーが行われた。
私たちが行くことについて躊躇があったが、パンデミックの中でも辺野古の工事はずっと継続し、オリンピックも中止されない、「聖火」リレーもやられている、運動の側だけが止まってしまっていいのかという声におされて行くことにした。
沖縄本島の「聖火」リレーは無観客ということだったが、5月1日、名護市市民会館の駐車場を白いシートで囲った中で、100人のランナーが1日かけて走るということが行われた。上から見ると、囲った中を、さらにゴーカートのコースのように区切って、そこをランナーと警察官が走る。漫画のような光景だ。その市民会館の前で抗議のアピールをし、セレブレーションの間中私たちの声が響きまくっているという状況だった。途中、反基地運動をやっている医療従事者の方も飛び入りで参加してくれた。
翌日は沖縄戦の激戦地だった糸満の平和の礎で、人が入れないような形にしてトーチリレーが開催された。その日は那覇の県庁前でスタンディングをし、国際通りで「道じゅねー」という練り歩きを行った。沖縄ではいま、辺野古の埋め立て工事に南部戦線の激戦地の遺骨が残っている土砂が使われようとしており、人々は非常に怒り、県庁前でハンストをされている。その横でスタンディングをした。
その日は離島でもトーチリレーが行われることになっていたが、宮古島では基地反対の市民運動の人たちとともに中止するべきだという申し入れを行った。島ぐるみ共闘の中で生まれた、自衛隊基地に反対する市長は、宮古島では一切リレーをやらないという非常にすばらしい決断をした。同じ離島の石垣島では公道を使ったリレーが行われたが、日本会議系の市長で、首長の立場性が現れたのではないか。八重山諸島は9月にも史上最大の自衛隊演習が行われることになっていて、今回のトーチリレーもそれに対するセレブレーションのような意味合いを持つという風に沖縄の人々は感じているようだ。
1964年のオリンピックのときには沖縄から聖火リレーが始まった。復帰前で禁止されていた日の丸を振ることがそのときは認められて、一時期には復帰運動のシンボルにもなったが、復帰後の現状、日本として沖縄が一つに束ねられることに対しても非常に強い違和感をもち反対の行動をとっている。そういう意味でも、今回福島からリレーが始まるということも含め、トーチリレーのおかしさ、政治性を皆口にしていた。
目取真俊さんのブログの中に「5月1日に名護市では、市民会館周辺を使いオリンピックの聖火リレーが行われた。西海岸では巨額の放映権料を当て込んだオリンピック利権。東海岸では増額される工事費・警備費を当て込んだ辺野古利権。さらに選挙がらみの権力亡者たちが、新型コロナウイルスで市民に不要不急の外出自粛を呼びかけながら、自分たちは世論を無視したイベントや工事を強行している。」と書かれている。まさにこういうことが沖縄では行われている。沖縄と福島、東京五輪の問題はつながっているし、東京に住んでいる私たちの責任もすごくあると思っている。命を蔑ろにされいる人たち、暴力に抗って闘っている世界中の人たちと一緒にオリパラを中止させていきたい。
6、霞ヶ丘アパートを考える会&霞ヶ丘アパート元住民の方
<霞ヶ丘アパートを考える会>
このJOCの庭となっている「こもれびテラス」の向こうのエリアには230世帯10棟もの都営アパートがありました。ここで暮らしている人たちに対して、国立競技場ができるから、当初はラグビーW杯のため、そのあとは東京五輪のため、国策だと言って、事前の相談もほとんどないままに追い出しが行われました。2016年1月くらいまでに出て行けというのが東京都都市整備局の言い方でした。最終的に3世帯が残り、その1年後くらいまで、工事の中で、回りの棟が壊されていくひどい騒音と振動の中で暮らすという、過酷な状況に追い込まれました。今日は元住民の方が来て下さったので、ぜひ思うことを聞かせてください。
オリンピックのためにこれだけ弱い人たちが思いやりもなく追いだされたということは非常に悲しいです。日本だけじゃなく各国で弱い人たちがいじめられて強制的に排除されていると思う。その点はオリンピックに反していると思う。皆で頑張ってオリンピックより福祉に力をということでやっていきたいと思います。
<霞ヶ丘アパート元住民の方>
みなさん、こんにちは。私はこの辺、飯場があるあたりに住んでいました。国立競技場を建設するので出て行けと急に言われて、僕は重度の身体障がい者なので、そんなに簡単に出て行けないと言ったのですが、なんだかんだといろいろ言われて出ていくことになりました。出て行くにあたって、皆に一律17万円ずつ渡し、3カ所の場所を指定するからそこへ行ってくれと言われた。私は福祉関係や病院の都合で簡単に指定されたところに行けないと言ったが、ダメだと言われた。僕はすごく怒っているのです。この辺でずっと長い間住むつもりでいたのですが、強制的にオリンピックのために追い出されました。僕はいまどうしていいかわからないような状態でおります。
7,医療従事者の方から
医療関係者の一人として、なかなかこういう場で叫ぶことができない仲間に代わって声をあげたい。
日頃、ドヤ街で働いている。貧しい人、外国人労働者の人、非正規労働者でクビになった人、そういう貧しい人たちがかかるプライマリーケアの一人として従事している。日常のプライマリーケアにおいても、誰がコロナウイルスに感染しているかわからない深刻な状況だ。
いま経産省をはじめとして民間の医療機関をバッシングしている。公立病院に比べて民間病院はコロナ対策をしっかりしない、入院もさせない、そういう言われ方をしているが、いま、誰もがコロナウイルスをもっているかもしれないという懸念・危惧の中で、みんな緊張感を持って働いている。特にコロナ専用病棟の人たちは本当に大変な状況に置かれている。立川相互病院の窓ガラスに「もうカンベン オリンピック無理」という声があげられている。あれが医療関係者の声だと思う。いま医療が崩壊しようという状況、東京も今日も1000人を超えるような新規感染者数だ。緊急事態宣言が延長されようが、コロナウイルスの収束は見込めない。ここに五輪が呼べますか?五輪をここで呼んだらどうなってしまうでしょうか?(聴衆から「殺される!」の声)東京が、世界中��感染を拡大させる一大クラスターになってしまう。日本の責任、東京の責任として絶対に東京五輪はストップさせないといけない。
東京五輪、もともと6000億円と言われていた費用が、1兆6000億円、それも嘘で実際には3兆円、どんどんお金が膨らんでいる。そのお金を即刻医療に回してほしい。いま誰もが安心できる生活をするために、無料のPCR検査をしっかりとすること。そしてお金は貧しい人にこそまわしてほしい。経済対策、経済対策と言って、大企業にばかりお金を回してどうなるのか。非正規労働者の人たちが、消費に回すお金もなく、野宿に追いつめられ、自殺にまで追いつめられている。それを助けるためにしっかりとお金をあてること、それがお金の本来の使い方ではないか。
いまこれだけ全国でコロナが感染拡大したのは、まぎれもなく、菅首相と二階幹事長のGoToキャンペーンのせいだ。その責任をしっかりとってほしい。
五輪をやめて、人々のためにお金をつかってほしい。
6,東京の学校現場から
私は都立学校の労働者です。水泳の池江璃花子選手はSNSで、東京五輪出場を辞退してほしいという声に対して、「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と答えたことが大きな話題となっています。どこかで聞いたようなことのあるこの言葉、学校で職場で、何かにつけ「もう決まったんだから」と物言う口を塞ぐおなじみの言葉ではないでしょうか。
学校の同僚に、東南アジア出身の在日外国人生徒を何人か受け持ったことのあるというベテランの方がいます。外国人の在留資格には詳しいと自信満々ですが、話を聞いていると、例えば「そんなことをしていると強制送還される」等々、えっと思うようなことを口にすることがあります。その方は体育科で、入管法をスポーツのルールと同じように受け止めているーまさに池江選手の言葉と相通じる、「ルールとして決まっているのだから、決まったことは受け入れ、頑張るだけ」という発想なのです。それが、在留資格を認められない在日外国人一人一人の人権をいかに奪っているのか、まさに自分の目の前に在日外国人の生徒がいても、そこに思い至ることが全くないわけなのです。
話は変わりますが、4月末、赤旗が「学校連携観戦」―これは、オリパラ組織委員会が準備したチケットを都や県などの自治体が公費で購入し、それを各学校単位で子どもたちの観戦に当てるというものですが、この「学校連携観戦」についてのスクープを行いました。多くの保護者が我が子の学校の年間予定表をSNSにupして、感染症が蔓延し、修学旅行など学校行事が次々と中止になる状況の中で、オリパラ観戦だけは強行されるのか、と不安の声を上げています。幸い、私の勤務する学校は、リモート観戦にすることになり、現地での観戦はなくなりました。赤旗の報道があるまで、まさか、今の状況で生徒を競技場に連れて行くなんてありえないよね、どこの学校も同じだよね、と思い込んでいました。
学校のホームページを見ると、都立の障害児学校だけで、20校以上が今年の年間予定に「学校連携観戦」を入れていることがわかりました。基礎疾患のある生徒の多い肢体不自由校も4校が予定に入れています。
コロナが流行しなくても、猛暑の季節でなくても、チケットを一方的に公費で購入して、学校単位で観戦をさせるというのは、学校の裁量権を逸脱するものではないでしょうか。学校単位ということは、個々の生徒の立場からすれば、事実上の強制参加です。
すでに、学校連携観戦に向けて、引率担当教員による競技場の実地踏査が始まっています。多くの学校から教員が授業を抜け、子どもたちのそばを離れて競技場に赴くことを余儀なくされています。池江選手の言葉ではありませんが、多くの教員が「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と子どもたちと自分自身を大きなリスクにさらそうとしています。そして、それに対して責任を負う主体は全く見えてきません。
東京都教育委員会のサイトを見ると、学校連携観戦は2016年から進めてきた「オリンピック・パラリンピック教育」の「集大成」として「学校単位で直接観戦する機会を提供する」としていることが分かります。オリパラ教育で子どもたちの心と体をオリパラ成功のために絡めとり、学校連携観戦で観客席を埋める駒として利用する、それは「教育」ではなく「洗脳」に他なりません。
学校連携観戦は、神奈川や千葉など、東京都以外の学校でも、また私立学校でも多くの学校で予定されています。学校に通うお子さんのいる方、どうか、お子さんの学校の予定表を確かめてみて下さい。学校連携観戦の予定が入っていて不安を感じられたら、お子さんと話をしてみてください。担任の先生には、連絡帳などで不安な気持ちを伝えて下さい。そして、校長に「学校連携観戦をやめてほしい」と電話してください。
かけがえのない子どもの体、心、命を守るため、声を上げましょう。
まだ間に合います。
子どもにオリパラ教育、オリパラ観戦を押し付けるな!
オリンピックはいらない、世界のどこにも!パラリンピックはいらない、地球のどこにも!
7,反五輪の会から
パラリンピックにも「聖火」というものがあって、「やまゆり園」で採火するということが相模原市長から突然発表があった。障がい者も、「やまゆり園」の被害者遺族も、聞いてない!と抗議の声をあげ、抗議の結果、採火は「やまゆり園」ではしないということになったというが、このいきさつはオリンピック・パラリンピックの本質を象徴していると思う。
当事者ぬきで、権力を持っている人の思い描く「共生社会」を当事者に押し付けるてくる。私たちが全然共に生きているというリアリティを感じないような、パラリンピックの採火というもので「共生社会」を目指す決意を示す。これこそオリンピック・パラリンピックの本性を雄弁に物語っていると思う。
平和の祭典といっても、どこが平和なのか。宣戦布告をして戦争をしていないからといって、私たちまったく平和だとは感じていない。「共生社会」も同じで、当事者、障がい者やマイノリティの人たちが共生というものを感じていないのに、権力の側がこれが共生だとかこれが平和だとか押し付けてくる、それがオリンピック的だと感じる。
私たちが障害者運動から学んだことは、たぶん、それぞれの能力をのばすとか、欠点を克服するとかいうことではなく、それぞれのできること・できないことを、コミュニティが補いあい、共有する、そういう社会のありようだ思う。私たちは、競争しなくても、努力して無理しなくても、十分コンビビアルに楽しく幸せに暮らせるにも関わらず、オリンピックなどをやって、無駄に競争させられている。奴隷たちが争って支配者に気に入られるようにやっているのを、支配者が眺めて得をしている。そういうのがオリンピックだと思う。やめてほしい。
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left-stand-homerun · 3 years
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「トランス叢書」にみる韓国現代フェミニズム運動の理論的展開 ――「トランス叢書」第一巻『両性平等に反対する』の紹介
2021年3月24日 影本剛 1.トランス叢書について このかん日本における韓国のフェミニズム運動および文学への関心が高まっていると言われる。しかし理論的展開については、おそらく読んでいる人は多いのであろうが、日本語でまとまった紹介を見かけていない(私が知らないだけかもしれないが)。本稿では私がいくつか韓国の同時代書籍を読んだ中で、とりわけ強い印象を残した「トランス叢書」(既刊四冊)について紹介し、運動と理論の展開の一断面を書いてみたい。この叢書の筆者たちは運動現場のみならず新聞や雑誌のコラムなどにもよく登場するので、現代韓国の思想や運動に関心のある方ならば見聞きしたことがあるだろう。韓国で議論されている思想や運動のスペクトラムの幅を把握するためには四冊全てを横断的に紹介する必要があるが、この記事をいざ書いてみて、かなり省略したにもかかわらず長文になってしまったことと、全く日本語で紹介されていない状況においてはある程度引用文も必要だろうと判断し、今回は第一巻に限定して紹介したい。 この叢書は、「トランス研究会」に集まった人々が論考を寄せて発行しているから「トランス叢書」という名前であるが、その意図は以下のようなものだ。韓国語の発音ではtransは「トゥレンス」程度になるが、あえて日本語風の英語発音である「トランス」を使用する理由として、韓国の近代が日本帝国主義と米国の混在だという現実を想起させようとする脱植民の努力を逆説的に表現した、とのことだ。今回は論じない三冊の題名は、第二巻『韓国男性を分析する』、第三巻『被害と加害のフェミニズム』、第四巻『ミートゥーの政治学』である。第二巻は二〇一一年に出された『男性性とジェンダー』という論集の改訂版である。第三巻は「被害者中心主義」と「二次加害」に対する言説を批判的に考察することでフェミニズム政治学の射程の広さと深さの最大値を確認させてくれる本である。第四巻は安煕正前忠清南道知事への性暴力告発以降、安煕正と彼の権力を必要とするエリート集団がありとあらゆる手段をとって法廷で性暴力を「不倫関係」へと、つまり「道義的にはアウトだが法的にはセーフ」というストーリー制作をいかに試みたのかが徹底的に分析されている。なお、第四巻「ミートゥーの政治学」は『韓国フェミニズムと私たち』(ダバブックス、二〇一九)に紹介されており(一三四頁)、チェックされた方もいると思う。以下では第一巻『両性平等に反対する』の内容と目次構成を紹介し、簡単な要約と論点を記していきたい。 2.『両性平等に反対する』の構成と序文 『両性平等に反対する』の目次は以下のようだ。 チョン・ヒジン「序文 女性主義は両性平等か?」 チョン・ヒジン「両性平等に反対する」 ルイン「淫乱と暴力を考え直す」 クォンキム・ヒョンヨン「未成年者擬制レイプ、何を保護するのか」 リュ・ジニ「かれらがただ一つ理解する言葉、メガリアとミラーリング」 ハン・チェユン「なぜ韓国プロテスタントは「同性愛嫌悪」を必要とするのか」 「両性平等」は一見よいものに聞こえるのでなぜ反対するのかと疑問を抱かれるかもしれないが、まず韓国における「両性平等」が何を意味するものかについて確認することから開始しよう。キム・ウンシルの簡潔な整理を参照すれば、「例えば韓国の女性政策が両性平等政策なのか性平等政策なのかの問題はとても先鋭な論争対象だ。両性平等はジェンダー平等という言葉を理解するのが困難な政府公務員たちのために、二〇〇五年に女性家族部が考案した用語だ。」そして二〇一四年の「女性発展基本法」改正過程で「性平等基本法」案は退けられ、「両性平等基本法」が政策用語として公式化された。(キム・ウンシル「わたしは女性ではないのですか?――「女性」範疇をめぐるフェミニズムの論争」『コロナ時代のフェミニズム』ヒューマニスト、二〇二〇、二七頁)以上のように、「両性平等」という用語には、ジェンダー平等を拒む「ただ二つだけの性」の平等という意味が込められている。保守プロテスタントが「両性平等Yes、性平等No、ジェンダーOut」と叫び「家族解体フェミニズムに反対」する集会を開くように、「両性平等」は「ジェンダー平等」と全く異なる意味として概念化されているのだ。つまり「両性平等」の含意は男性と女性の「平等な結婚生活」に縮小しているのだ(クォンキム・ヒョンヨン『二度とそれ以前には戻らないだろう』ヒューマニスト、二〇一九、二四三頁を参照)。 では具体的に『両性平等に反対する』を見ていこう。チョン・ヒジンの「序文 女性主義は両性平等なのか?」は本書の射程を簡潔に論じている(この叢書全体の特徴であるが、各序文が各巻所収論文の要約が丁寧にされており、ありがたい)。羅蕙錫の「わたしたちが批判を受けないのであれば何によって歴史を満たすのか」という言葉が���用されるように(一九頁)、相互的信頼による批判と論争を期待する問題提起の書であることも明瞭である。目標は「女性主義(feminism)=両性平等」という誤解に対する具体的分析である(七頁)。 「さいきん「両性平等」という言葉ほど反対陣営によって完全に専有された場合はない。その効果も莫大だった。」 「この本は両性平等言説が対照的な論理として誤用される現実に対する問題提起とともに、論理自体の矛盾に注目する。また長いあいだ「先送りされてきた」、あるいは当然なこととして流通してきた韓国女性主義の主要な認識論である両性平等の実態を分析しようとする。」(八頁) フェミニズムはいまだに女性中心主義や女性特権主義という視線から自由ではないのではないかと、両性平等は近代的自由主義と普遍主義(女性も人間)に基盤をおく言説なのではないかと、そして「両性平等」がむしろ女性の努力と抵抗を妨害するのではないかと問題提起をする。女性主義はジェンダーという社会的矛盾を読解することをもって、非可視化されたジェンダーを露わにして抵抗するが、その過程がジェンダーを当然視し、固定する没歴史的やり方になってはならないのだ(一一頁)。 「筆者たちは、この本であつかう同時代韓国社会のイシューは、既存の両性平等パラダイムでは包括できない現実であると見るのであり、両性平等的思惟の軌道の内外を行き来し、別の認識論的道具を動員し(たとえば脱植民地主義)、既存の論争構図を変化させようとする。筆者たちはアイデンティティ・ポリティクス、(男性中心の)平等、女性の社会進出を越え、社会正義としての女性主義を追求する。/女性主義は男性と対立し、男性を代替し、男性に対抗する概念ではなく、新しい社会への移行を提案する思惟だ。女性主義は家父長制の反対言説(counter discourse)ではなく、そうなる���ともできない。多様な認識者の位置を現わし、その立場と条件を競合する思惟だ。この本がそのような旅程の里程標にならんことを望む。」(一一‐一二頁)  なお、本書の編者であるチョン・ヒジンは、さっこんの韓国フェミニズムへの関心の高まりの中で再読されているであろう『韓国女性人権運動史』(明石書店、二〇〇四、山下英愛訳)の編者としても既に日本で知られている。 3.「両性」と「平等」を問い直す チョン・ヒジン「両性平等に反対する」では、両性概念ではほとんどの「女性問題」が解釈できず、両性平等言説では分析・認識・理解することのできない韓国社会の多様な両性関連イシューが論じられる(二三頁)。階級役割や人種役割という表現はないが「性役割」という表現が存在し、「このような単語の存在は、性差別がいかに自然な日常の政治なのか、ジェンダーがいかに認識しにくい社会的構造なのか、いかに脱政治化されているのかを見せてくれる。」(二四頁)そしてオンラインを中心としたミソジニーに反対する女性たちの対応を、あたかもミソジニーと対称的な「男性嫌悪」と命名する思考回路は、性の区別を社会的抑圧制度ではなく対称集団とみなす思考回路が絶頂に達したことを示す。(なお、チョン・ヒジンは別の文章でミソジニーを女性嫌悪と翻訳すると、あたかも対称的であるかのような「男性嫌悪」との対立構図がつくられてしまうと指摘したことがある。チョン・ヒジン「女性が軍隊に行けば平等になるのか」『よりましな論争をする権利』ヒューマニスト、二〇一八、二二二頁の脚注二番)また、両性を二分法的にみる思考の核心的問題は三つあり、第一に位階を対称に偽装し社会的不平等を隠蔽すること、第二に対立する二項の他に異なる存在あるいは異なる思考方法の出現を原則的に封鎖すること。第三に男性と女性の区分は二分法的思考方式の原型として、あらゆる言語のモデル、尺度、起源、典型として人類を支配してきたことにあると指摘する。(三〇頁) そして「平等」について批判的検討を進める。 「女性が男性の基準にあわせる、男性と同じ対応を受けるという意味の平等は、それを実現するさいにも無数の困難が伴うが、このような意味の平等は、とりわけ既得権勢力と等しくなることを意味するから問題だ。女性主義は男性と等しくなること(「高くなること」)ではなく既存の社会を変化させることだ。/現実において平等は男女全てにとってウィンウィンゲームになりえない。女性の地位変化が男性の地位変化に連結する場合はないからだ。別の階級と人種の女性が既存の女性の位置を占める。」(四六頁) 「平等は別の人と等しくなること(sameness)ではなく、一人の人として他の者たちと公正な待遇(fairness)を受けることだ。〔中略〕また平等は、「適用」されえないものであり、そうであってもならない。適用の主体と対象の区別自体がまさに政治の始まりだ。」(四七頁) 「ジェンダー平等(gender equality)の意味は諸性別のあいだの平等や性別制度による差別是正を意味するのであり、両性間の平等ではない。私も戦略的次元でときおり両性平等という用語を使うが、両性平等は女性主義の錨だ。女性主義の目的のうちの一つは社会正義として性差別を撤廃することであり、男女平等を実現することではない。」(四九頁) そして言葉のミラーリングをこえる「労働の「交換」としてのミラーリング」こそ自分の考える「調和する女性主義」であると主張し、「これまで女性主義は性別分業に反対してきたが、じっさい性別分業がきちんと守られていれば女性たちの重労働は軽減されるであろう」(五五頁)という。「女性の社会進出が両性平等ではない。女性主義のパラダイムは「平等」からケア、差異に対する感受性、社会正義、持続可能な地球に対する責任などへと旧劇に移動中だ。」(五五頁)男性には「良心の自由」より「良心の義務」がより重要であり、「見ないことにする政治」が人間本姓として固定化されてしまうのではないかと恐れると述べ、社会は女性主義からオルタナティブな生の知恵を求めねばならないと論を閉じる。 4.クィア言説と犯罪言説を解きほぐす 次にルインの「淫乱と暴力を考え直す―〇〇地検長事件とクィア犯罪学」に移ろう。この論考は、二〇一四年八月に飲食店の前で自慰をして「公然淫乱罪」で逮捕された〇〇〇地検長の事例から始まる。この事件は有力国会議員によって「露出男」として、つまり一般通念的に命名され、理解と議論の方向性を規定(キュレーティング)した(六〇頁)。ルインはこれに対し「露出男」とは異なるキュレーティングをしてみようと提案する。 「社会通念に従う正誤の判断が、ジェンダーとセクシュアリティをどのように構成し、LGBT/クィアの文脈でいかなる意味になるのか、その通念が何を隠蔽し、いかなる秩序を維持しようとするのかを検討したい。このためにわたしは〇〇〇前地検長が行ったと知られる公共の場における性行為が犯罪になるやり方を、クィア犯罪学によって読解しようと思う。」(六二‐三頁) 「本稿で提起したい問いのように、彼の行動をめぐる論争がクィア政治学といかに出会い相互影響を与えているのかが本稿の争点だ。とりわけ彼の淫乱行為が犯罪行為へと転換される過程はLGBT/クィアの歴史と接点を形成する「慣れ親しんだ」瞬間だという点で、彼がいかなる範疇の人間であれ、クィア犯罪学/クィア政治学でこの事件を扱うことがとても重要だ。」(六三‐四)  その問いに答えるためにまず韓国においてクィアがどのように歴史的に登場してきたかが整理される。特に重要なのは一九六〇年代、軍事独裁時代にクィアたちがどう報道されたかである。つまり風紀紊乱や事件事故として、犯罪を媒介にしてクィアが登場したのだ。ただ、当時はトランスジェンダーや非異性愛者は、風紀紊乱や軽犯罪など多様な罪名で逮捕されたとしても、存在自体を犯罪とする法も通念もなかった。しかし朴正煕政権の男性を軍人するというプロジェクトは、女性と男性の区分を明確化し、軍人になりうる男性身体の条件を規定する二元ジェンダー規範を支配規範化するものだった。長髪取り締まりは性別がわからない男性を規制するものだと明示された。つまりトランスジェンダーは社会的規制・統治と緊密に結びついた犯罪形態として報道に登場し、その過程を通して社会的に可視化したのだ。ここで「クィア犯罪学」とは何かが以下の引用のように提示される。 「クィア犯罪学はクィア政治学の流れとクィアが歴史的に登場し認識される交差点に位置する。クィア犯罪学の議論は一九九〇年代中盤から登場したが二〇一〇年代に入って本格化・活発化した。それゆえクィア犯罪学をいかに規定するかは依然として論争的であり、最低限の合意がされた概念はないが、先に説明したようにクィアが既存の支配権力を問題視する仕方と軌を一にしていることは明らかだ。であったとしても、クィア犯罪学を説明するためになんらかの概念を採択するのであれば、LGBT/クィアを「犯罪学論議の周辺から中心へと移動させ、クィアを抑圧する道具として犯罪法システムが書かれた方法を調査し、犯罪法システムに挑戦」する学問、というほどである。」(七一頁)  ここでは英語圏の諸文献(Carrie Buist, Emily Lenning, “Queer Criminology”など)が引かれて理論的な議論がなされているが、ルインはフーコーとバトラーの批評critique概念を用いて展開していく。それは事件に対して正誤を語るのではなく、事件を分析する過程で隠蔽されるもの、当然視されるもの、隠蔽と当然視の態度によって発生する暴力と、それを可能にする権力構造を明るみに出す作業のことだ。そして問うべきは、〇〇〇地検長が犯罪者なのか、いかなる処罰をすべきなのか、ではなく「公共の場で性行為を犯罪として処罰することが何を意味するのか、このような処罰や論乱が公共性をいかに構成するのか、そしてこのあらゆる論乱は何を隠蔽して保護するのかを問わねばならない」(七四頁)というのだ。  韓国における性犯罪の加害者が非トランス男性である場合、多様な理由が情状酌量され、比較的軽い処罰になることを指摘しつつも、以下のように問題提起する。「性/暴力を問題にしてきちんと処罰することと、淫乱行為それ自体を暴力に還元し性暴力犯罪に準じて論ずることは全く異なる問題だ。」(七六頁)そして韓国の最高裁判所は、公共の場における淫乱行為を「健全な社会通念」や「善良な性的道義観念」に反するとする判決を何度も繰り返しており、それは社会の支配規範を構成してきた。「淫乱行為は犯罪であり、それ自体として深刻な暴力」だと解釈する論理は、クィアパレードを健全な社会通念に反する「公然淫乱」であると主張し、告発するという事例においても活用される。また、小児性愛や児童性愛や児童性犯罪事件は、異性愛の脈絡、つまり成人男性加害者と幼い女性被害者という構図があるにもかかわらず、異性愛や二元ジェンダー関係による事件だとは命名されることはないと指摘し、以下のように述べる。 「加害者を性倒錯症あるいは小児性愛症と規定し、精神異常であると、怪物であると追放するだけだ。つまり異性愛と二元ジェンダーはそれ自体としてかなり狭い範疇であるのみならず、犯罪が最も多く発生して暴力が最も頻繁に起こる実践であるのにもかかわらず、犯罪と最も無関係なものとして規定される。より正確にいえば、犯罪と関連付けられる時は、異性愛を削除した「異常」セクシュアリティ犯罪、病理的幻想、(精神)障害と関連する行為としてのみ命名される。」(八八頁) 「公共の場での性行為を性倒錯症として命名する作業は、その行為がじっさいに「倒錯」なのか「犯罪」なのかが重要なのではなく、異性愛を安全に保護し異性愛を認識から消して隠蔽するあためにつくられた作為的な診断行為だ。」(八八頁) つまり、犯罪を「倒錯」へと追いやることで異性愛‐ジェンダー構造は成功的に保護されるということだ。 5.性の問いを権力関係から分離させない 次の論考はクォンキム・ヒョンヨン「未成年者擬制強かん、何を保護するのか」だ。擬制強かんとは「同意有無に関係なく強かん」とみなし処罰する法条項のことであり、英語のStatutory Rapeだ。韓国の未成年者擬制強かんが適用される年齢は一三歳未満であり、世界で一番低い年齢に属する(日本の法体系といかに重なりいかに異なるのかを調査すればより立体的な紹介になるであろう)。韓国社会で強かんは長い間貞操の問題として思われ来たが、一九九〇年代以降になって個人の性的自己決定権の侵害問題として理解されはじめた。当初、父が「娘の純潔」を保護するためにつくられたこの法は、二〇世紀に入り、未成年者の性を規制しようとするプロテスタントと、訓育名目で成人が子どもや青少年に性的接近することを封鎖せねばならないと主張するフェミニストによって注目された。この相反する二つの立場は、共通点がある。つまり成人と未成年者を性的に中立的存在と仮定するという点だ。しかし現実はそうではない。 「多くの場合、問題は暴力自体ではなく規範的ジェンダーを実践したかどうかによって評価基準が異なるものになる。/他の犯罪と異なり、性暴力犯罪において捜査官と裁判官たちは被害者の状況を絶えず問題視する。」(一〇〇‐一頁) これは服装、外見が問題視されるということだが、被害者の状況を問わないのがただ一つ年齢だ。児童性暴力犯罪統計をみれば、一三歳未満の被害者の性別は女性八七・八%、男性一二・二%だ。しかし一三‐二〇歳の間では男性被害者は四・二%になる。同時に性暴力犯罪者のうち一八歳未満の男性青少年は二〇%に達する。「つまり一三‐二〇歳の女性青少年たちは性暴力犯罪被害者になる可能性、同じ年代の男性青少年たちは加害者になる可能性が高いということだ。」(一〇二頁)にもかかわらず、擬制強かんの報道は性比が等しく、「両性平等という概念が現実を隠す代表的事例」(一〇一頁)になっている。問いは、年齢が問題を隠しているのではないか、ということだ。擬制強かんの議論が出てくるのは、同意決定能力が年齢によって段階的に構築されるという信頼体系に基づく。「重要な点は性暴力において同意有無は個別事件では重要だが、性暴力という社会問題を認識させるさいには不足した概念であると理解すべきである」。(一〇四頁)また、刑法一三歳、児童福祉法一八歳、青少年保護法一九歳など、法によっても何歳以下を未成年と見なすかは異なっている。年齢によるこのような分類は直線的時間感と肉体に対する精神の優越性を強調する近代的主体論に根拠を置く認識論的信念を規範として前提する。そして韓国において擬制強かん法が果たして子どもを保護する法なのかを問う。 「韓国は全世界で最も低い水準の年齢制限を置いているだけではなく、行為者は、被害者が一三歳未満であることを知らなかったり被害者が年齢をごまかしたと主張すれば処罰を免れる。二〇一一年水原地裁刑事一一部裁判部は一二歳の小学生を成人男性三名が協同し強かんしたにもかかかわらず解釈の問題ゆえに無罪判決を下した。被害者が事件後、再びモーテルに戻って加害者たちにタクシー代をねだり、行為途中に呻吟する声を出すなど同意に準ずる意志表現をしたという理由だ。」「同意���るいは認知の有無を問わず処罰するという原則は適用されないのだ。」(一一六頁) 「児童・青少年を保育および教育、保護観護、医療行為、職業的必要ゆえに会う成年たちが児童・青少年に性的に接近する行為をすべて優越的地位を乱用した行為だと認定するならば、強いて未成年者擬制強かん法を適用する必要がない。/問題は欲求ではなく欲求の実現を可能にする権力だ。暴行、脅迫、威力、位階は私たちの社会が権力の不法的な使用目録として合意してきたものだ。個人間の同等な関係を妨害する社会的な各種の位階を除去するとき、私たちは「自由」な関係を結ぶことができる。」(一一七‐八頁) 「未成年者擬制強かんの保護法益は青少年の「健康な性的発育」ではなく青少年の「性的自己決定権」であるべきだ。この時性的自己決定権の概念を「セックスする権利」とのみ理解してはならない。性交としてのセックスは自分の欲望と快楽、苦痛とのみ関係するのではなく、必ず他人が関与している。バトラーの主張通りに私たちは「私たちの快楽と苦痛に関して常に相互依存的に存在し、これが人間の脆弱性の根本」なのだ。性的自己決定権は性的主体化(subjectivation)過程を経験する権利、つまり具体的関係性の中で自分の身体を社会的な身体として構成していく権利だ。未成年者たちがはく奪されたのはセックスをする権利ではなく、セックスという行為を決定し責任を負うことができる権利、つまり性的主体になる権利をはく奪されたのだ。」(一二〇‐一頁) また選挙年齢と擬制強かん年齢基準の差は韓国が最大であり、「韓国の青少年たちは政治経済的権利から最も排除されていつつも、男性中心の結婚制度の外の性行為においてのみ法的権利を行使できる。」(一二二頁)なんら権利が与えられていないのに、ただ性に対してのみ同意有無を、満一三歳以降から決定できるということは何を意味するのか。 「父母あるいは成人に対する経済的依存こそが性的自己決定に有害な条件だ。それゆえ未成年者の自由権を、制限するやり方ではなく保障するようにしようとすれば、この問題を青少年の身体的・精神的に「健全な」発達過程の問題という発想から捨てねばならない。むしろより効果的で現実的な性教育を受ける権利、未成年者の安寧と福祉のためによりよい教育環境と政治制度を要求する権利、生活可能な最低賃金を受ける権利などが未成年者の性的自己決定権を可能にする条件だ。擬制強かん年齢上向の可否に対する討論がしばしば「最近の子どもたち」の性的発育に対する(かなり小児性愛的欲望のように聞こえる)事例にはまり込んだり、過去の根深い悪習である早婚を未成年者の性を尊重する事例として誤解するというひどい状況にはまり込む理由は、性を他の社会的関係から独立的で自律的な変数として見なすからだ。」(一二三頁)  このように閉じられる議論は、セックスの問題ではなく権力の問題として、年齢そのものではなく年齢によって権威が分配される政治経済学の条件を問わねばならない、ということだ。「選挙権の年齢を下げ、最低賃金を施行し、擬制強かん年齢を上げる」(一二四頁)とき、擬制強かん法を、よりより生を可能にする公的介入の契機として考えることができるのだ。 6.保守プロテスタントはなぜ同性愛嫌悪を必要とするのか 次の論考はリュ・ジニ「かれらが唯一理解する言葉、メガリアとミラーリング――ポスト女性主体の誕生に寄せて」は、ミラーリングに対する状況の整理とミラーリングはヘイトスピーチではなく新しい表現であると評価していく論考であるが、紹介は省略する。 最後の論考はハン・チェウン「なぜ韓国プロテスタントは「同性愛嫌悪」を必要とするのか?」である。この論考��問題提起は以下のようなものだ。韓国の保守プロテスタントはなぜ二〇〇七年に差別禁止法反対を主導したか? なぜ二〇一〇年から反同性愛運動を組織的に展開することになったのか? なぜ二〇一五年になってクィアパレードに対する数万人の反対集会を開くようになったのか? なぜいま同性愛を嫌悪することにかくも総力を傾けるのか? 「韓国プロテスタントにのしかかってきた危機は、単純な信徒数の減少ではなく、はるかに深い底からの崩壊という深刻なものであり、韓国プロテスタントが政治勢力化を夢見て性的少数者の人権運動と正面から出会う場面を発見することになるだろう。」(一五八頁) 韓国の保守プロテスタントが反同性愛運動を積極的に展開した最初の時点は二〇〇七年だ。プロテスタント信者であった金泳三大統領に続く金大中大統領はカトリックであり、反共主義を根幹にする保守プロテスタントの立場からは金大中の太陽政策などは受け入れがたいものだった。また同時に有名牧師の横領事件や教会牧師世襲など、保守プロテスタントに対する社会的信頼も墜落した。盧武鉉大統領の当選(二〇〇二年)は保守プロテスタントが極右政治勢力と本格的に手を結ぶきっかけになり、星条旗と太極旗を掲げた集会を開き、危機をあおっていく。 保守プロテスタントが二〇〇七年に差別禁止法反対を鮮明にした理由は同性愛を罪と教えると犯罪になり、そのような国家の弾圧を通して境界や教会系の学校の自主性が奪われる、というものだった。 「そもそも差別禁止法に最も反対していたのは、この法によって労働者の採用と解雇に制約を受けることになる「全国経済人連絡会」と「韓国経営者総協会」のような財界であったという点だ。それゆえこの差別禁止法がプロテスタント界の反対にぶつかったのは予想できないことだった。」(一六五頁) これは法務部〔法務省〕も予想していなかったと思われる。(一六五頁脚注一二番) 二〇一〇年に入ると、韓国のドラマ史上、初めて男性同性愛者を主人公にした「人生は美しい」(SBS)が放映されたが、これに抗議する「正しい性文化のための国民連合」による新聞広告が出された。その中身は「「人生は美しい」をみて「ゲイ」になった私の息子がAIDSで死ねばSBSは責任を取れ」という題名の声明書だった。また、二〇一〇年一〇月、国家人権委員会が同性間性行為を性暴力と同一視する軍刑法九二条に違憲の疑いを表明し、憲法裁判所に改正の勧告案を提出した。「反同性愛運動側は焦点を変えて軍隊で同性愛を許容すれば軍隊の基軸が壊れて戦闘力が弱まり、北にのみ有利になり、けっきょく赤化統一されると述べ、安保問題と〔反同性愛運動を〕結びつけた。」(一七一頁)このように二〇一〇年代の政治的イシューが保守プロテスタントにとっていかに受け取られたのかが一つ一つ語られる。 また保守プロテスタントの関心は朝鮮民主主義人民共和国での宣教であり、教団別に宣教地域の分割もしていた。朴槿恵の有名な発言である「統一は最高(テバク)」の背景でもある。また同性愛者に対する嫌悪は、信仰から出たものというよりは、恐怖と嫌悪を通して勢力を拡大する目的によって行われた。「教会を攻撃したい「外部人」を想像することだけでも、ただちに教会に「苦難」がぶつかってきたように設定できる。そしてこの「苦難」はともすれば神がわたしたちを「試される」ことでもありうる。」(一八〇頁) 同性愛を愛や生、アイデンティティではなく性行為としてのみ扱う時、簡単に社会的通念にしたがって道徳的な非難対象になる。政治的に優位を占めたいときに道徳的・倫理的な優越さを見せつけることはありふれた手法だ。つまり「反同性愛をさけぶ者たちは同性愛を真に嫌悪しているのではなく、「同性愛嫌悪」を切実に必要とするのだ。」(一八九頁)そして、性的マイノリティは、「大衆が簡単に思い浮かべることができるステレオタイプのイメージを帯びたありありとした「他者」であると同時に、いかなる抑圧にも屈せず激烈で強靭に抵抗することが明らかな「集団」でもある。かくも素晴らしい「敵」は決して逃すことはできない。このような点で二〇〇〇年代後半に政治勢力化を夢見るプロテスタントと人権増進を夢見る性的少数者の衝突は必然的な出来事だ。」(一八九‐九〇頁)誰がなぜ嫌悪を必要としているのか、それを問わねばならないのだ。 7.まとめ  長々と書いてきたが、「両性平等」という用語が保守的に占有されている中、「両性平等」という用語に込めることのできない諸現場から、現場で使える別の概念をつくっていくために、絶えず理論や歴史を参照し、新たな接合を通して自分たちの力になる議論を模索する諸事例を見ることができる。そして個別化するのではなく社会的文脈の中で事件を解釈するという強い意志も表示されている。ここではトランス叢書第三巻『被害と加害のフェミニズム』の序文から、フェミニズムの展望を描く部分を引用しよう。いかなる磁場で議論せねばならないかが浮き彫りにされている部分だ。 「フェミニズム運動は、一体いつまで被害経験の共通性のなかに意識高揚の「燃料」を求め、怒り、暴露するというやり方を繰り返さなければならないのだろうか。いつも同じ所を堂々巡りするような感を拭えない。問題のある数多の個人を名指し、加害事例のリストを増やし、被害の証拠を収集し、お互いの抑圧された経験の共通性を掘り下げていくことは、結局、女性を被害という現実に押しとどめてしまうのではないだろうか。被抑圧者のアイデンティティが本質主義に出会うとき、解放への展望は失われる。そうなれば、私たちにできることは、せいぜい被抑圧の条件を持ち寄って一緒に暮らす臨時避難所に過ぎない。/「被害者の味方」をして加害者を処罰することは、フェミニズムの目標でも展望でもない。それは単に法治国家の常識であるにすぎない。そのために被害者が人生を賭けなければならないような社会なら、希望はない。フェミニズムは加害者を処罰し、被害者を保護しようという思想ではない。フェミニズムはそれ以上のものだ。フェミニズムはむしろ、被害と加害という位置が与えられる方法そのものに関心を持つのである。(クォンキム・ヒョンヨン「序文」『被害と加害のフェミニズム』教養人、二〇一八、九‐一〇頁) トランス叢書の議論は閉じられておらず、信頼に基づいた批判が待たれている。日本の文脈に移植して直ちに使える議論だとは言えないだろうが、議論を展開していく方法と、何を前提にして議論を始めるべきなのかを思い切って設定すること、そして現場と分離不可能な記述によるエンパワメントの可能性は実感できるのではないかと考える。
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alpaca1 · 4 years
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パワーエレクトロニクスと無線充電のスタートアップEggtronicが10.7億円のシリーズA投資を獲得 イタリアで創設されたスタートアップのEggtronic(エッグトロニック)は、パワーエレクトロニクス、ワイヤレス充電、Data-on-Power(電力線データ通信)の技術と製品を開発しているが、このほどシリーズAラウンドをおよそ1000万ドル(約10億7000万円)でクローズした。 この企業を支援しているのは、カーナビゲーション企業のTomTom(トムトム)の創設者たちによる投資ファンドRinkelberg Capital(リンケルバーグ・キャピタル)と、ミラノの匿名の投資銀行だ。これによりEggtronicが2012年から調達した資金の総額は1700万ドル(約18億2000万円)となった。 Eggtronicは今回の資金を使って、同社の研究所の中に新しく集積回路部門を立ち上げ、より効率的な電力伝送を目指すロードマップに沿った開発を進めるという。ゆくゆくは同社のCapacitive(容量性)ワイヤレス充電技術を新たな業界標準として一般化したいと考えている。 バルサミコ酢、オペラの伝統、フェラーリやランボルギーニといったスポーツカーが有名なイタリアの都市モデナ出身のCEOであるIgor Spinella(イゴール・スピネラ)氏が創設したEggtronicは、今ではアメリカとイタリアと中国に製造施設を構え、洒落たノートパソコン用の充電器や、大理石のようなワイヤレス充電器で知られている。 だが同社は、他のブランドに向けたさまざまなパワーエレクトロニクス製品の生産も行っている。さらに、他のメーカーが製品に組み込んで使えるICなどのB2B事業は、長期的な「拡張性のある」未来として位置づけられている。 スピネラ氏が私に話したところによると、Eggtronicの消費者向け製品とホワイトラベル製品は、Eggtronicにはより良いワイヤレス充電の未来を実現させる能力があり、その研究開発に再投資すれば利益が得られることを直接的に市場に知らしめるものだという。 「私たちはカリフォルニアにいたわけではありません。イタリアの投資家にもほとんど知られることなく、大きな資本を必要とする分野で頑張っていました。そこで設計と製造ができる企業として認めてもらい、最高に革新的な技術を使った驚きのデモ製品の製作などを可能にする研究開発と、世界規模への拡大のための投資が得られる仕組みを作りました」とスピネラ氏は説明してくれた。 そのデモ製品には、2015年のスマートフォンの充電ができる容量性ワイヤレス充電パッド、2017年のテレビ、2020年の電力線データ通信でネットワーク接続と充電ができるノートパソコン2機種などがある。 「これらの研究開発デモは、私たち独自のアイデア、つまり電力とデータの無線伝送技術の実証にとって、極めて重要な節目となりました」とスピネラ氏。そこには「文字通りあらゆるデバイスを適当に机の上に置けば、そのすべてに充電とネットワーク接続ができる、完全な位置的自由」も含まれる。 加えて、高電圧の使用事例におけるデモも行っている。電力線データ通信では、無線でありながらUSB3.0の有線接続と同等の速度を実現したと同社は主張している。 「この技術には、すでに法人顧客がついています。次のステップはICと、そのICをベースにした最初の小売用商品の開発です。その上で、私たちはトップ企業への売り込みができるようになります」とスピネラ氏は付け加えた。 それまでの間、同社は、それと同じ容量性技術の一部を、Eggtronicのノートパソコン用充電器や電源アダプターといった既存の製品に使われている電力変換に応用しようとしている。 「私たちはこの分野で、いくつかの特許を申請しました。まずは、トランスを廃して効率を高めサイズを小さくできる容量性変換器です」とスピネラ氏。『今では、もっとも一般的な利用領域である数十ワットからキロワット単位までをほぼカバーできる、自社発明のアーキテクチャーがいくつもあります。さらに、独自の共鳴アーキテクチャー(容量性、誘導性、ハイブリッド)、数種類の独自の制御アルゴリズム、独自の力率補正回路、コンポーネントのサイズを縮小する独自方式、直列になった段を減らす方法などがあります」。 一方でスピネラ氏は、一般消費者家電の経験が豊富なMark Gretton(マーク・グレトン)氏の助言を受けている。グレトン氏は元TomTomのCTOで、Psion(サイオン)でモバイルコンピューティングの先駆的開発に���力した人物だ。Eggtronicは、Rinkelberg Capitalを通して彼と知り合った。投資とアドバイザーとしての参加が決まったのはその後だ。 「参加を決めたのは、第一にイゴールのことが好きになり、尊敬できたからですが、私が出会う幾多の技術系企業とは異なり、Eggtronicの提案が爽快なまでにシンプルだったこともあります」とグレトン氏は私に話した。「私たちは、すべての人の生活に欠かせないものを、テクノロジーを応用して改善していきます。自分でも気づいていない問題には、新しい行動様式も、複雑なビジネスモデルも、ソリューションもありません。すべての人のための、より優れたパワーエレクトロニクスを開発するだけです」。 画像クレジット:Eggtronic [原文へ] (翻訳:金井哲夫) Source: テッククランチ・ジャパン
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frailtranceomake · 4 years
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魔法についてのメモ
これは本誌の「魔導研究レポート」を書くにあたり、公式の資料集などに記載されていた魔法に関する記述を個人的にまとめたものです。出典メモりそびれてしまったのですが基本的にはすべて引用資料です。 斜体はおじゅが個人的に気になったマーカー部分。 また各項目の『=』以下はおじゅの個人的な考察・メモになるので、公式設定ではありません。
基礎知識編にある魔法の説明
◆回復魔法 ケアル:術者の精神エネルギーを生命エネルギーに変換、対象のHPを回復する。 レイズ:対象一人の戦闘不能を回復する。アンデッドを一撃で倒す。 アレイズ:戦闘不能、HP完全回復。 ポイゾナ:毒素を身体中から取り除く。 エスナ:体内の分子に直接働きかけ、毒、沈黙、催眠、混乱などのステータス異常を癒す。ストップやバニシュも打ち消す。 リジェネ:徐々にHPを上昇させる継続型の回復魔法。 リレイズ:いわば命の保険。
◆攻撃魔法 ファイア:敵の周りにある分子を瞬間的に高速移動させ、高熱の炎を発生させ敵を包む。 ブリザド:大気の分子運動スピードを下げ、気温を低下させ敵を凍らせる サンダー:雷雲を呼び出し、敵に向かい放電させて攻撃する。 ポイズン:大気や地面の毒素を、標的の体内へ大量に注入する魔法。「 ファイラ:敵の足元から炎を噴射する。 ブリザラ:大気中の水分を大量の氷塊に変え、敵めがけて投げつけ氷結させる。 サンダラ:空気中にある電気を凝縮して作った電撃が敵の足元から貫く。 バイオ(毒):一定範囲の空間内にある細菌を異常繁殖させる。   ファイガ:巨大な火の玉を呼び出し、敵を大爆発に巻き込む。 ブリザガ:大きな氷塊で作った巨大な氷柱の中に標的を閉じ込め、一気に圧し潰す。 サンダガ:天を覆うほどの雷雲を呼び、神々の怒りと思えるような雷を敵に叩き込む。 ブレイク:標的の肉や骨など、構成している要素をすべて石に変えてしまう。 デス:生物の生命活動一切を停止させる恐ろしい魔法。 ホーリー:精神エネルギーを聖なる力に変換して攻撃する。その力は3つの神聖球となって天より舞い降り、大爆発を起こして邪悪なるものを打ち払う。 フレア:多くの原子を標的内へ集中し、核爆発でダメージを与える。 グラビデ:標的がいる空間の重力を増加させ圧し潰す。 グラビガ:重力の操る範囲を敵全体まで広げ、重力増加も大幅に上昇させる。 デジョン:戦闘空間に歪みを作り、そこから敵を次元の狭間に送り込む魔法。 メテオ:戦闘場所と宇宙空間をつなぎ合わせ、宇宙に散らばる隕石群を標的にぶつける。 アルテマ:魔大戦で失われた究極魔法。習得には伝説の魔石が必要。 クエイク:地面に大きな亀裂を作り、敵味方問わず地の底へ落とす。 トルネド:巨大な竜巻を呼び出して攻撃し、敵味方問わず九割がたのHPを奪い瀕死にする。 メルトン:空間中の分子運動を極限まで速め超高温を発し、敵味方すべてに魔法防御無視ダメージ。*炎属性のためフレイムシールドで防御が可能。 ◆間接魔法 ライブラ:敵の大まかなステータスを調べる。 スロウ:標的付近の時間経過速度を遅らせ、標的の素早さを落とす。 ラスピル:標的のMPにダメージを与える。MPが0になると死ぬ敵もいる。 サイレス:大気の振動をすべてなくし、音の伝達を止めることで標的の魔法を無効化する。 プロテス:体の周りに魔法で防御膜を作る。 スリプル:標的の脳に直接作用し、眠りを誘う催眠魔法。 コンフュ:標的の脳に作用し混乱状態に陥れる。 ヘイスト:標的だけ時間の経過速度を上昇させ、一定時間の行動量を増やす。 ストップ:標的の時間経過を停止させ、全くの無防備にしてしまう。 バーサク:標的の思考回路を操作し、バーサク状態にする。 レビテト:チョコボの精を呼び出し、彼らの力を借りて浮遊する。 カッパー:標的を河童にしたり戻したりする。 リフレク:標的の周りに魔法の防御膜を張る。 シェル:標的の周りに魔法で防御膜を作り、魔法防御力を高める。 バニシュ:対象付近で光の屈折を変化させその姿を見えなくし、物理攻撃に対して無敵になる。 ヘイスガ:全員に「ヘイスト」をかける。 スロウガ:敵全員に「スロウ」をかける アスピル:敵のMPを奪い取り、それを術者が吸収する魔法。 テレポ:空間同士をつなげる呪文。戦闘中は脱出、ダンジョンでは入り口に戻る。 クイック:自分以外の時の流れを止め、その間に2回コマンド入力が可能となる。 デスペル:標的にかかっている呪文の効果を全て消し去る魔法。 
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=基本的に魔法は術者が呪文を介して他の要素に働きかけ発生させるものといっていい?  FF6の魔法は回復、攻撃、間接の三つに分類されるが、見た感じ  他シリーズにおける /  黒魔法 = 自然などに働きかける(火の玉や雷雲を呼ぶ、重力を増加させるなど)  白魔法 = 術者の精神エネルギーを別の要素に変換する(ケアルの例、ホーリーの例)  といえる?
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サイレス…大気の振動をすべてなくし、音の伝達を止めることで標的の魔法を無効化する。 沈黙状態:魔法が使えない デスペル:標的にかかっている呪文の効果を全て消し去る魔法。  =魔法の発動にはやはり「呪文」の「発声」が必要  →何度も同じ魔法を使ううちにイメージを瞬時に具現化できるようになり、詠唱を短縮あるいは完全に省略できるようになるか? (というような考察の詳細を本誌の魔導研究レポートにまとめました)
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レビテト:チョコボの精を呼び出し、彼らの力を借りて浮遊する。 =うそぉ…レビテト…チョコボおまえだったんかワレクポ
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幻獣は「三闘神の戦いに巻き込まれ、その姿を変えたもの」 =「三闘神の戦いで命を落としたことにより、幻獣として蘇ったもの?」  とすると幻獣界は一種の霊界のようなものであるとも言える?  嵐の中をさまよって幻獣界にたどり着いたマドリーヌは死後の世界に迷い込んだ的な見方もできるか? =もしくは単純にティナのようにトランスしてそのまま戻らなかったか。
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ゾゾ(魔導研究所から逃げ出す時に死んだ幻獣): ラムウ、ケットシー、セイレーン、キリン
魔導工場(魔導研究所で魔力を吸い尽くされた): イフリート、シヴァ
魔導研究所(魔導研究所で自ら魔石になった): ファントム、カーバンクル、ユニコーン、 カトブレパス、ビスマルク、マディン
セリス 「私は幼い頃に、人工的に魔法の力をうえこまれた、帝国の人造魔導士だ。」 「私達は眠らされたまま魔導の力を注入されたのではっきりとは覚えていない。でも、そういう噂は聞いた事がある。」
=幼い…ということは少なくとも14才くらいにはもう魔導注入はしていなかったということ。ケフカはどうだろう? =セリスは幻獣の存在を知っていたとしても、それが自分の魔力になっていることの確信はなかった=魔導のソースが何であるかを知らなかった。
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セリスの覚える魔法: 5 ブリザド  シヴァ、ビスマルク 5 ケアル  シヴァ、キリン、(セラフィム) 8 ポイゾナ  キリン 13 カッパー  ケットシー 18 ライブラ  キリン 22 プロテス  ユニコーン、カーバンクル、(ゴーレム) 26 ブリザラ  シヴァ、マディン 32 ヘイスト  カーバンクル、(ケーツハリー) 32 コンフュ  ケットシー 40 バーサク  ファントム  ーーーここまでは魔導研究所の幻獣たちがソース(確定 42 ブリザガ  (ヴァリガルマンダ) 48 バニシュ  ファントム 52 ヘイスガ  (ケーツハリー) 72 ホーリー  (アレクサンダー) 81 フレア  (バハムート) 98 メテオ  (オーディン、ジハード)
=Lv42以降、ようやく本当の意味でセリスは「幻獣をソースにしていた魔力を完全に自分自身のものとして昇華させられるようになった/解放した」?
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takmiblog · 24 days
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Sansui ST-71 (600Ω:600Ω、14g)
 ・・・このトランスはオーディオ用途ではないしコアが小さい上に昇圧しませんから本機の目的には合致しないのですが、トランスを使ったら一体どんな音になるだろう?高周波ノイズは除去されるだろうか?周波数特性はまとも?といったいくつもの疑問があったので、早速テストしてみたところ・・・音はかなりまともで高周波ノイズは1/10以下に激減しました。ST-71のトランス単体の実測データはこちらにあります。この実験の結果、トランス方式はいけるかもしれない、といった風で先がちょっと見えたのです。
(http://www.op316.com/tubes/lpcd/trans-dac.htm)
Digital Audio & Home Recording
■■■AKI.DAC-U2704を使った・・・トランス式USB DAC■■■ Simple DAC using Line Transformer
by Tetsu Kimura
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cinemastylenews · 6 years
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大人気コミックシリーズ!実写映画『曇天に笑う』の主題歌に、サカナクションが大決定!
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史上最悪の運命をひっくり返せ!奇跡の大逆転エンターテイメント! ◆…………◆…………◆ 女性層を中心に熱狂的なファンを持つ大ヒットコミックシリーズ「曇天に笑う」。 2011年のコミック連載開始直後から人気を博し、2014年にアニメ化、そして2015年からは舞台化と、様々なメディアで人気を博す大ヒットシリーズが満を持して映画となり注目を集めています。 主演は、本作で時代劇映画に初主演を果たし、体当たりでアクションシーンにも挑戦する福士蒼汰。 そしてメガホンを取るのは、『踊る大捜査線』シリーズ、『亜人』をはじめとする日本映画界随一のヒットメーカー、本広克行監督。 この最強の2人が初のタッグを組み、圧倒的なアクションエンタテインメント作が誕生します。 映画の新ビジュアルも解禁いたしました。福士蒼汰演じる曇天火が堂々と真ん中に立ち、力強くもどこか柔和な表情がキャラクターの魅力を表現し、主人公のカリスマ性を感じさせるビジュアルとなっています。 このビジュアルを使用したチラシは11月25日(土)より全国の劇場にて掲出・設置されます。 また、新ビジュアルの解禁に合わせて、この度、映画の主題歌に大人気ロックバンドのサカナクションが新曲を描き下ろすことが決定! 本広監督がプライベートでも親交があるフロントマンの山口一郎氏に主題歌を熱烈オファーし、描き下ろしが実現しました。 「陽炎」と名付けられたこの楽曲、2017年3月末からライブツアーでもすでに披露され、ライブで演奏するたびに修正を重ね続け、10月に行われた幕張メッセ公演の演奏後ステージ上では山口氏が「この曲が今後のサカナクションの方向性を決める」と言い切るほど、現在の彼らが持つ音楽性を最大限に昇華した渾身の一曲になりうることが仄めかされました。 サカナクションは、本作品で、主題歌のみならず、オープニング曲「曇天に笑う-opening&ending‐with GOCOO」も楽曲提供している。 実は主題歌「陽炎」はまだ完成しておりません。 サカナクションのクリエイションに対する熱意は尋常なものではなく、これまで手掛けた映画音楽やCM音楽もそのこだわりから時間を掛けて何度も手直しをし、締め切りの直前まで試行錯誤を繰り返し完成に至っております。 本作も、楽曲製作のオファーは撮影直前の2016年5月。映画の撮影は2016年8月下旬にクランクアップし、CGなどの編集作業を経て一旦完成し、2017年7月に関係者向けの初号試写会が行われましたが、山口氏曰く「他ならぬ本広監督のオファーに応えていると確信できるレベルに達していない」ということで試写は急遽未完成のデモ曲を付けての対応となるなど足かけ1年半にわたって今なお、制作が続けてられております。 今回、映画の宣伝進行上、未完成ながら主題歌を公式発表ということで異例の楽曲完成祈願コメントが本広克行監督、主演の福士蒼汰、サカナクションのレコード会社担当者から寄せられました。 来年公開予定作品の中でも屈指の大作である本作の最後を彩るハイクオリティな楽曲の完成を映画制作サイドも大きな期待を胸に待ち望んでおります。 ◆…………◆…………◆ <コメント> ●本広克行監督  この映画の演出プランを悩み続けている時に2015年の日本武道館でSAKANATRIBEの音楽に踊り狂う観客を見ていて映画の冒頭のシーンはこの感じ、トランス、群れ、和太鼓、跳ねる人々! これだって事ですぐに一郎さんに相談してオープニングの音楽はあっという間に出来あがってすごいインパクトになった。そうするとエンディング曲もサカナクションで終えることになりオープニングを越えて新しい世界の扉を開くような曲を、歌詞を、作るのは本当に大変な作業で、ほぼ出来上がってるのに何度もライブで演奏しては変更して磨き上げていく。 本当のところ曲を、一郎さんをずっと待ち続けている関係でいたいけど作品はいつか完成する。 なんだか淋しいけど早く世界中の人に観て聴いて貰いたい。完全に待つ事を楽しんでます(笑) ●主演・福士蒼汰 試行錯誤して作られているサカナクションさんの楽曲。楽しみで仕方がありません。 【曇天に笑う】に携わる人それぞれが時間をかけ、頭を捻り作る一つの映画。 どんな空になるか期待感でいっぱいです。 ◆…………◆…………◆ 【作品情報】 『曇天に笑う』 ■原作:唐々煙「曇天に笑う」(マッグガーデン刊)全6巻+外伝 ■監督:本広克行 ■脚本:高橋悠也 ■音楽:菅野祐悟 ■主題歌:「陽炎」サカナクション(NF Records/ビクターエンタテインメント)  ■出演:福士蒼汰、中山優馬、若山耀人、古川雄輝、桐山漣、大東駿介、小関裕太、市川知宏、加治将樹、池田純矢、若葉竜也、奥野瑛太/東山紀之 ■配給:松竹 2018年3月21日(水・祝)全国公開! 情報提供:フラッグ (C)2018「曇天に笑う」製作委員会 (C)唐々煙/マックガーデン
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doanob1 · 5 years
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あいちトリエンナーレに行ってきた
あいちトリエンナーレに行ってきた。
夏休みにどこか行こ。電波の入らない離島に行って(コナンくんが来たら死ぬだろうな〜)って想像するのと、大阪に行って昔から興味があったみんぱくに行ったり美味しいものを食べたりするのとどちらがいいかな、と考えていた。
ぼんやり色々考えているうち、名古屋在住のフォロワーさんが東京に来た時、「ご飯を一緒にどうでしょう」と連絡をくださった(とてもうれしい)。そうして一緒に食事をしたりお散歩をしたり、なによりたくさん話したりした。
そして後日、その方が「自分の目に新宿がどう見えたか」を文章にして公開していて、これが新鮮で面白く、今思えばこのとき自分が見たものを書いておく・公開するってことの魅力にちょっと興味を持ったのだ。
今回私が名古屋に行って、また同じ方とお食事をしたりおはなししたりしたのだが、今度はその方の絵日記を少し見せていただいて、これもとても素敵だと思ったのだった。
私はいま新宿に住んでいるが、ここに住んでいるといろいろなことがわからなくなると思う。こんなにオリンピックの看板が出ていること、地下鉄で窓の代わりに光るモニターの広告、そうしたものにもう慣れてしまった。「こんなにオリンピックの広告がたくさんあって驚きました」と言われ、はじめて、「そうかこんなに広告があるのは異常だな」と気づいた。
自分が立っている場所のことは自分では見えない。だから、他の人と一緒に自分が住む街のことを聞いたり話したりすると、新鮮で面白くて、自分がどんどん鈍くなっていることを知って恐ろしい気持ちになる。
むかし、地方の天候不順や災害のニュースを見たとき、「今年は野菜が高くなるわね」と言った人がいた。私はこれを聞いて(地方はお前の畑じゃないぞ、住んでいる人間も誰かの生計もあるんだぞ)と思ったものだが、だんだん、私は都市の生活に慣れて、こう言いはなつ人間になってしまう気もする。
近しい人間に「私がこういう無神経な人間になったら頭を打ち抜いて欲しい」と頼むのは、半分冗談で半分本気だ。私が無神経な人間になってしまったとき、自分ではそれと気づくことができないだろうから。ゾンビのように、生きているように動いてももう人の心もなく、ただ他人にかみつこうとする存在はいくらでもいる。じぶんがそうならないなんて言い切れない。
旅行先は愛知にしよう、と決めたのはこのときだ。
ちょうどこの頃、あいちトリエンナーレに対しての脅迫が連日報道されていて、わたしは脅迫する側の気持ちがまったく理解ができなかった。ただ少女が座っているだけの平和的な像が「反日」で、戦時下の性暴力に反対する行為が「国に対する侮辱」?いまでももちろんまったくわからない。でも、いずれ私も彼らのような振る舞いをしないと言い切れるだろうか?この国は貧しくなりつつある。来月から消費税は大幅に増え、生活は確実に苦しくなる。その状況で心まで貧しくならないなんて言い切れない。いずれ私もゾンビになるかもしれない。
隣の国でも、遠くの地方であっても、どこであっても人間が住んでいることを忘れていたくはない。が、いずれわからなくなってしまうかもしれない。
私が毎日なにかを書いているのは、漂流中の人間が書く航海日誌のようなものだ。たったひとりで暮らしながら、正気を確かめながら書く。 書いている途中に、自分でも気づかないまま、もう人の心をなくしてしまうかもしれない。 そのときに、昔の自分が書いたものを読んで、少しでも思い出せればいいと思う。 これから書く旅行の話も、いずれ自分がゾンビになってしまったときに、人間(だった時代)を思い出すために書いていた日記をまとめたものであって、もともと公開するつもりはなかったがせっかくなので載せておく。冗長な描写が続くが元が個人的につけている日記なのでご容赦ください。
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1日目。 7:30にバスタを出て13:30にささしまライブ着。 今回はバスで行ったんだが、名古屋市内に近づくにつれて巨大な船舶が泊まる港が見え、整然と並ぶ輸出用の車が見え、そして現実味の希薄な原色のレゴランドが見え・・・という光景に妙な感慨を覚えてしまった。その後バスが走った市街地でも、看板が大きかったり(走る車からでもよく見えるようにだろう)、店の規模も駐車場も大きかったり、そもそも道路自体が大きかったり、車社会を感じる。この車社会・そしてトヨタとの関係は、トリエンナーレを巡る今回の旅程を通して実感することとなるのだが、それはまた後ほど。
ささしまライブに着き、ホテルまで歩いて荷物を預けて、名駅地下の適当な店で味噌カツを食べる。「味噌カツを食べた」という事実が欲しいがために適当な店に入ってしまったのだが、味噌カツ、高級なソースかつみたいな味がした。駄菓子のアレ。私が貧乏舌なのか、その店に原因があるのかは永遠の謎。
ホテルは安さだけを重視して選んだら「オーバールックホテルからオシャレさと清潔感を抜きました!」みたいなところだった。ホテル名をグーグルに入れると「(ホテル名) 幽霊」とサジェストされる。きっと実際に何かしらの事件があったんだろうな・・・怖くてクリックしてないけど・・・まあ泊まってみたら双子の幽霊も血まみれエレベータもなかったからヨシとしよう・・・。立地は名駅西側のところで、周りも水商売のお店が多く、あとで「西側は治安悪いところですよ」と言われる。新宿にも水商売密集地帯はあって、年季の入った建物の感じや路地裏の感じは似ているが、同じ古い風俗街でもちょっと印象が違うなと思った。新宿の場合、建物自体は古くとも、店の入れ替わりが激しく看板だけは新しかったりするのだが、名駅西側のあたりは「昔からあるのだろうな」というフォ��トの大きな看板が目立ったからだろうか。
そしてこの日は月曜日だったんだが、月曜はトリエンナーレ全体がお休みなのを忘れていて一度円頓寺会場まで行ってしまったよ。あほ。ホテルに引き返して、持ってきた仕事をしたりごろごろしたりしてたら夜。
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円頓寺の通り。
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円頓寺のかっこいい佇まいの一例。
夜。フォロワーさんと円頓寺で待ち合わせてご飯に行く。「連れて行きたいお店があるんですけど怖いおばあさんがいて・・・お酒を頼まないと怒られるんですよね・・・私はお酒が飲めないんですが、のぶさんお酒飲めますか?飲める人がいないと行けないので・・・」と聞かれたので元気よく「飲めます」とお答えして連れて行ってもらう。連れて行ってもらった先の居酒屋さんは、手の跡が残っているような木でできた煤けたたたずまいであった。店内から曇りガラス越しに見える通行人の影が、舞台装置のようでとてもよかった。通行人の影が傘を差しだして「あ、雨が降り出したんだな」とわかる光景。演劇の演出のようだった。
どて煮と手羽を食べ「これでナゴヤ飯を食べたと言えます」とフォロワーさんから太鼓判をいただく。やったね!「お酒飲んでもらってありがとうございます」とも言われ、(お酒飲んで褒められるなんて生まれて初めてだな!甘やかされてる!)と思った。
このお店で、隣り合わせたおじさんに話しかけられ、手羽からを食べろと渡されたり無視しても声をかけてきたりしたんだが、なんだかすごく寂しいおじさんだな、と思った。お店の人に「飲み過ぎだ、帰った方がいい」と言われても「帰ってもすることないねん」と答えていて、なんてさみしいひとなのか・・・と思ったのだが、この翌日、私ひとりで食事に行ったときも似たようなおじさんにまた話しかけられるのだった。この話も後述。
居酒屋さんのあと、ベトナム料理屋さんに行って、チャーっていうあのあまいやつを飲む。フォロワーさんと政治の話や芸術の話をたくさんできてうれしかった。SHERLOCKをきっかけに19歳からTwitterをはじめてもう八年経とうとしている。現実で出会っていたとしたら、こんなにいろいろな話をするまでに多くの時間がかかるであろう人とも、いやそもそも出会っていないであろう人とも、こうして会って食事をして政治の話をできることが不思議だ。
Twitterがあってよかった。
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2日目。
八時頃ホテル出て電車で名古屋城へ。 名古屋城、堀の幅が広くて深くてびっくり。整然とした石組み。お城へ行く道々に、忍者のかわいいお菓子がたくさん看板に載っていた。 この日は天守閣に入れず、本丸御殿に行ったのだが、本丸御殿だけでも十分満足してしまった。ゴテゴテしているわりに、描いてある鳥獣は間が抜けてたり廊下は異様に質素だったり、全体を通すと上品に見えるのが不思議。ネコ科の動物大集合のお部屋と金具のリスがよい。天井がきれい。質素な廊下を抜けるとキラキラ豪華絢爛な空間が現れて、森の中の滝やお寺みたいだ。
以下は本丸御殿の内部。これはネコ科の動物づくしという素晴らしいテーマのお部屋。トラやヒョウやジャコウネコがいるよ!
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ネコ科のお部屋パノラマ。
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↑これは鳥のお部屋。写りが悪いけれども鳥が色々描いてある。
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金具のリス。
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綺麗な天井。
帰りがけに忍者がいた。「よく参った!」と言われて笑ってしまった。名古屋城は忍者がおもてなししてるのね。そういえば昨日はフォロワーさんから「おもてなし武将隊」というライトな観光アイドル的なものも教えてもらったのだった。 私はいつも旅先からお手紙を送るのだが、ジャコウネコとや虎のポストカードを買ったので、明日、フォロワーさんに教えてもらったキッテで発送しよう。名古屋にもキッテがあるらしい。 ポップオーバーというお店でお昼を食べて移動。芸術文化センターへ。このあたりから暑さと日差しが辛くなってくる。 名古屋は車社会で道路が幅広な分、簡単に横断できず、歩道橋や立体通路や地下を経由する必要があってちょっと移動が大変。見えてるのに簡単にいけない感じがRPGっぽい。まあ近くなのに移動が面倒、という点に関しては東京もよそのこと言えないか・・・。
芸術文化センターの展示について。
慰安婦像の対応をめぐり、作家さんの意思で展示中止措置が行われたため、見られない作品も数多かった。その一連を報道した新聞で全体が覆われて隠されている作品もあった。
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これらの新聞記事は全て慰安婦像に対する抗議とその対応を書いた記事が載っている。
ウーゴ・ロンディオーネのピエロの作品、造形のみならず薄くて伸縮性のある布が表面を覆��てる感じとマスクの塗装が超リアル。入った瞬間ぞくっとした空間。でも、彼らの間を歩くうちにだんだん親しみがわいてくる。愛嬌のある一体、自分に近い一体を見つけていって、部屋を出る頃には最初の小さな戦慄がなくなっていた。
ペルーの作品は展示していなかった。クラウディア・マルティネス・ガライのやつ。見られなくて残念。とても興味深いディレクションが記してあったので。
あとラテンルーツの人びとがパーティする映像も公開されてなかったけど、暗い空間の中に残されたパーティグッズのもの悲しさそのものがいまの事態に対する静かな悲しさを示した展示のようだった。
石場文子の作品は自分のパートナーを思い出した。一部がマジックで強調してある日常の風景を移した写真。一見ただの写真に見えるが、一部が人為的に強調してあるので、ぱっと見たときに違和感があって詳しく見ていくとそれがだんだん明らかになってくる。 あれは本人/当事者たちにしかわからない「思い出」「時間」を強調して可視化しているのかしら。 人と暮らしていると、ただの日常の道具や風景でも、私たちにしかわからない特別な意味が生まれてくるものだなーと実感しているので、(おそらく)誰かと暮らしているのであろう風景をあのように表現した展示に自分たちの暮らしを思った。
永田康祐の三つの料理の映像は、レヴィストロースの料理の三角形論と、ローストビーフの由来を持たないローストビーフ(分子料理)のところがすごくすき!なるほどと思った! 私自身の住んでいる場所が多国籍な地域なので、いろんな国の料理屋さんに入った時のメニューを見ている感覚を思い出した。メニューに現地の文字による原語名と、日本語に翻訳した言葉が載っているけど、例えばタイ料理屋でも中華料理屋でもミャンマー料理屋でも日本語では「チャーハン」って書いてあるものがあって不思議だったんだ。日本語にするとそれが一番伝わりやすいからこう書いてるんだろうけど、実際葉もちろんそれぞれ別物なわけで、頼んでみるまで実際のものがわからないドキドキ感も思い出した。
田中功起の四人の家族の物語は自分の仕事や生活と重なる部分もあって、とても興味深かった(職がバレるので感想は割愛)。ただ、映像はいいと思ったけどドローイング部分がちょっとよくわからない。
伊藤ガビンのプロジェクションマッピングは、ちょっとネットノリな感じのギャグの部分と、揺れるカメラや遠近感を表現したような部分とで好みが分かれそう。私は後者の部分が好き。鉄骨のなかを降りるような映像が、ゴーグルをつけない空間VRって印象。
ヘザーデューイハグボーグのDNA再現は、過去の遺体を再現するような(アイスマン等)のロマンもあって怖さや気持ち悪さのみでない魅力も感じる。あとやっぱガタカを思うね。かつてここにいたけれどもういない人の痕跡をたどっていくのは、歴史や捜査ドラマのようで、少しわくわくするよ。
ガラスのドローイングは異様な奥行き感があって、「なんでこんなに立体的に見えるんだ?」とうろうろして眺めてしまった。ガラスに書いているという構造だけではなくて、直線と曲線を組み合わせているからあれほど立体的に見えるのだろうか?立体的に見える最大値を全部計算して書いているんだとしたらものすごい手間だ。
「その先を想像する」の大量の単純な映像、見ているうちに恐怖や怯えの予感に身構えてしまうような感覚を覚えた。殴られる前に身構えてしまう予感というか。例えば対面した相手が手を上げれば殴られると思って身構えてしまうが、それはある程度自分の学習に基づく予測なんだな、と考える。
「10分の遺言」日本的というか世界系というかエモい系というか、今回一番サブカル的わかりやすさを内包した作品だったなと思う。十分の時間制限をつけて、ネット上の不特定多数から「死ぬ前の文章」を収集してる作品なんだが、完成した文章そのものではなくそれを打ち込んでいる過程を映像にしてすべて流してるのね。削除したり、カーソルを戻したり、言葉を選んでいるのかためらったり、そういうての後を全て映像で記録して流している作品。映像キーロガー的なシステムはとても興味深かった。ああいう形で人が文章を書くのを記録できるのね。
ステルス機の白い枠線は、事件現場の死体をかたどった白い跡のようだった。(これが落ちてきたらみんななくなるんだろうな)とか(見えないけどいまも頭の上にあるのか)とか、DNA再現の展示でも感じた「痕跡の再現」を思った。
シルクスクリーンを一万回繰り返したやつ、3Dプリンターと同じ構造だけど遙かに手のにおいがするところが、アナログとデジタルの交差点という印象。
誰もいない台湾の町を延々とるやつ、ゾンビ映画の冒頭のようだった。(「28日後・・・」の全裸キリアンマーフィです)映像を見てから作品撮影の背景(軍事的な訓練のため誰も外出しない日であるため、街が無人)を知るとそれも含めてさらに映画的な印象を受ける。爆発する遊園地のほうは、ループものの作品のようで、まどマギを思った。
リングホルトの大きな時計は裏の構造が簡潔で理解しやすくてよい。ずっと見ていられる精神安定作用がある。
ガラスの箱を段ボール箱に入れて、輸送中に破損した実物を展示しているやつ、「これしか壊れないのか!」という驚きがあった。空輸であれだけしか壊れないなら御の字では?なにも梱包せずあれだけの損傷にとどまるのか。
空港のX線で現像した写真の展示は手法に納得し、中身に戦慄した。シリア大使館の荒れ果てた内部だったのか。見ることにできないはこの中をX線で現像して見せている。映画「アルゴ」の映像を思い出す。
木版画の巨大な虫たちの絵は、古代から伝わる壁画のような荘厳さがあった。神話的だ。細部まで書き込まれていて好み。
手にインクで番号を押すやつが閉鎖されていて残念。フォロワーさんが「国際的にも有名な展示で、匂いがするんです」と教えてくださっていたので期待していたんだけど、匂いって「涙を流させる仕組み」のことだったのか。涙を流すべき事態にも泣かない人間のための装置、という説明があった。香港のデモの催涙弾使用のことを連想して、この作品が展示中止されている事態と香港の事態は地続きだなあ、と思い至る。
写真の中の謎の物体を調査するやつは、ちょっと構成がわかりづらくすぐ移動しちゃった。あんまり立ち止まってみられる感じでもなかったのが残念。
ミリアムカーンの美しい青、実に美しかったが、難民というテーマとあの人の他の作品と並べられていると異質に映ってしまう逆転現象。
キャンディスブレイツの「ラブストーリー」は、六人の難民の抱く壮絶な背景に圧倒されると共に、役者のスキル、そして人間の持つ先入観について見事に表現していると思った。俳優さんの演技力がすごい。すごい。「本物」の難民が持つ、どこか意識が遠くにいるようだったり少し曖昧だったりといった要素が剥ぎ取られて、説得力を与えるようコントロールされている役者の演技の方が「本物っぽい」矛盾。面接やなんかにも通じると思うが、よりそれらしい、本物っぽくみせる技術はお金を払ってまで習得するスキルとされている。でも、それを「見ている」側のジャッジってめちゃめちゃ一方的だ。それにしても役者さんの演技がすごかった。表情も仕草も言葉も間合いも、あんなにコントロールできるものなのか。どう見えるか・どう見せたいかを完璧に解体しそして表現するまでが役者の能力なのかと思うと、途方もない仕事だ。
このあと名古屋市美術館に移動。あつい。顔が溶ける。ヒースレジャーのジョーカーみたいになる。退館した後で気づいたけど、国旗が印刷された野外のゴミ袋も作品だったのか。オシャレな袋がかかってるゴミ箱だな~としか思ってなかった。
空から垂れ下がるオーガンジーの刺繍、一見ファンシーで商品のような明るい魅力があるけど、DNA構造に基づき一対になっているデザインや作品背景に気づくと深みが増す。シャーレの構造もそう。清浄で真っ白な空間と生命を生むシャーレが病院のような斎場のような雰囲気だった。
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陶器の展示、とても面白かったー!陶器としてのデザインと、静物や風景が立体化しているあの作品群は、今回のトリエンナーレでもっとも万人に通用する明確な魅力があると思った。いつまでも見ていられる立体的なだまし絵のような発想、繊細な古典的表現!わたしにとっての付喪神ってこんな感じだな。あと刀剣乱舞。山口晃さんの作品への好感につながる魅力を感じる。
いっぱい写真撮っちゃった〜。
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モニカメイヤーのピンクの付箋の作品、すでに書かれたものを破ったのではなく白紙のものを破ったのか。もはや書くことができない、声を上げられないという状況の表現。新しい作品表現。視覚的に痛々しい光景だった。
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ホドロフスキーの展示。 ホドロフスキーが考案したという心理療法を実践する様子をおさめた記録映像と、書簡、そして小冊子の三点で構成されている展示。 映像のなかでホドロフスキーの指導のもとセラピーを受けているのが白人ばっかりで驚いた。 ビートルズにしろホドロフスキーにしろ、芸術分野がスピリチュアルな組織構造と結びつくのはまったく珍しくないけど、広々とした古典芸術的な劇場の中で白人だけが集まって手を繋いだりトランス状態に陥っているのはちょっと異様な光景である印象。
人工授精と刺繍の展示。私はこれが今回一番よかった。 18歳の時、自分が人工授精で生まれたことを知って、史上初のクローン羊・ドリーに関心を抱いて実際に海を渡って取材したり、出産や育児について表現したりしている作家さんの展示。 ドリーが生まれた街の写真が拡大されて一面を覆っていて、その上に金糸銀糸のきらきらとした刺繍が施されていて、部屋の中央には人形の家のような小屋があり、内部を除くと家庭的な居間が見える。展示場所やその居間の中や至る所に、ゾートロープによるアニメーションで羊や作者自身の姿がゆっくりと回転している。 18歳の時に自分が人工授精で生まれたと知って以降、「幼い頃からの過剰な愛情が理解できた」「女である自分もいずれ出産することを期待されている」と書く作者の言葉に、私は今回のトリエンナーレの中で一番心からの共感を覚えた。 今回は「しんかぞく」といい家族や出産に関わる展示が多く見られたが、これも津田さんによる「男女同数の作家を呼ぶ」取り組み成果だと思う。
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部屋の壁の前面を覆う刺繍の様子。
知らない言語を書き取る様子を撮った映像作品では、言語の学習過程や異国になじむ過程のようだと思った。まったく知らない音や言葉を、すでに自分の中にある言葉で置き換えて咀嚼しようとする行為。学生時代に語呂合わせで英単語を覚えようとしたことや、自分の素地になんとか近づけて多言語を習得しようとしたことを思い出した。これもまた「異国に生きる」ということとつながっているんだな。
GIFの繰り返しの展示、ヨシキさんがトークイベントでよく紹介してくれたyoutube動画のようで、映像式現代版ドラッグのようだった。ずっと見てしまう。
終盤に、愛知県内の小学生とともに作った段ボールのお部屋があって、それが細部までずっと見ていられる空間だった。
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入り口を入ったところ。
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種々のダンボールから切り取ったらしきロゴが貼られたボード。これを作った子はロゴやフォントに興味があって気になって作ったのだろうか。
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おそらくシャチホコ。尻尾の表現が好き。
ここまでの展示は会場が美術館だったので、トリエンナーレの作品以外にも美術館の常設展示が観覧できた。この常設展示で裸婦像が多く展示されていたが、男女同数を実現し差別に関する問題や出産・育児についても多く扱っているあいちトリエンナーレと対称的だ。古典芸術世界における、女性の客体化と、それに対する問題提起としての現代美術。女性の意思を扱っているトリエンナーレ作品がある一方で、美術館の常設として古典的な裸婦像が山ほど飾られている部屋という、その対称性も象徴的だった。
ほかにも、常設展示では、児童文学の挿絵のような、会社に絡みつくドラゴンの像もあってこれがおもいがけず大好きになってしまった。紙幣=消費者から得た金で作られた、大量生産品を扱う会社とドラゴン。よく見ると窓や道にそれぞれ人間がいる。窓の清掃員やビルから現れる作者自身。ロアルドダールやティムバートンの作品のようだった。
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ここで円頓寺へ移動。あつすぎる・・・
一丁目長屋の中の古い写真を拡大したものは、祖父母のことを考えずにはいられなかった。祖父母のこうして誰かの持つ写真の中に背景として映っているのか。私の誰かのスマホで撮った写真に映り込んでいるのか。祖父母のことが大好きなんだけど、誰かのアルバムのなかでこうやって残っていてくれたらいいなと思うよ。ちょっとでも。
葛宇路は発想が好き。きっとこうやって生まれた道ってたくさんあるんだろうな。昔から。勝手に公共空間に作用していく人の行動が面白いと思う。古代から道の名前ってこうやって決まってたんじゃないだろうか。人の名前も、町の名前も。
移動する洋品店の展示も祖母を思わずにはおれなかった。それとここに限らず、展示場所が超狭い雑居ビルの二階だったり、趣ある巨大な古いお屋敷だったり、距離は大して離れていないのにまったく異なるのが面白い。異世界感。
弓指さんの、自動車事故の犠牲者である小学生六人をモチーフにした展示は、超車社会でトヨタ車がたくさん走っているのを見てここまで来た身からするとチャレンジングな展示だと思った。毒山さんの映像の中でも「トヨタ王国」「愛知からトヨタがいなくなったらやっていけない」との言及があったし。途中で運転席からの景色が見える展示構成がよい。
毒山さんの展示、おそらく私の祖父母と同年代の人びとの映像だが、その老人がいまでも子どもの頃に殴られたり屈辱を受けたりした経験を泣きながら語る様子がつらくて、見ながら泣いてしまった。いまでもこれを書きながら泣いてしまう。今回の展示のなかで唯一泣いてしまった作品。自分たちの祖父母だったら、と思うとつらくてつらくて仕方がない。 本人たちは「いい教育だった」と言っていても、それが本心だとは限らないし、それを疑う余地もない教育を施されたのだろうし、いまはもういない彼ら自身の父母の世代はどれほどつらかっただろうと思う。
円頓寺は最後に寄った伊藤家住宅がすごくよかった。中庭の感じとか蔵と蔵の間の空間の怖さとか。津田美智子の作品は不具合で見れなかったけど、蔵の中の岩崎さんの作品は緻密ながら空襲後の世界を思わせる光景で見入ってしまった。燃えた家財道具と建物と炭。どこかに通じる橋のような構造物がすき。三人しか入れない極小空間という処も含めて、秘密基地のような、子どもの頃にしか出会えない何かが住んでいる空間のような、魅力的な展示だった。
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全て炭で作られた作品の様子。
ゆざーんの演奏は、修行というのでもっと簡潔で寺院っぽい空間を想像していたら地下にあるライブハウスみたいなカラフルな壁画があってちょっと意外。タブラの音ってきれいだ。
ホテルに戻って、外食しようと思って外に出たらまたもや知らないおじさんに話しかけられ、「明日は絶対外に出ないで何か買い込んで宿で食べよ・・・」と堅く心に誓う。
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三日目。
朝起きて九時くらいまで昨日の日記書く。ポメラ毎日使ってるけど買ってよかった。旅行先でもいつもと変わらず書けるしバッテリーの持ちが最高。
チェックアウト後キッテへ���ハガキを発送して名古屋駅から東山線で栄駅、舞鶴線に乗り換えて豊田市駅へ。ホテルに荷物を預けて喜楽亭へ。
喜楽亭は建物自体も面白かった。料亭のようなことをしていたらしい。お寺のようだった。古くはあるけど清潔で使い込まれた空間。進むにつれてだんだんと輪郭や映像の出典がわかっていく構成と建物がよく合っている。映像の書簡形式。特に二階の構成がよい。日本のアニメ・漫画作家による二次大戦中のプロパガンダ作品と、それらが彼の記念館に収められていないこと、そして彼自身も特に後悔はしておらず「また政府から要請があったら同じことを行う」「国民としての責任を果たした」と語っている映像。そして、小津安二郎と彼の作品について論じ、作中の幼い兄弟が「大きくなったら軍人になりたい」と語っている映像とプロパガンダアニメが同時に背景に映り込む演出は素晴らしかった。小津安二郎の墓に「無」と刻んであるのはこの展示ではじめて知った。奥の巨大なプロペラの展示は舞台装置っぽい。カタカタ鳴る装置も舞台演出的だ。
ここから豊田市美術館へ。激坂のぼるの熱くてつらかった・・・。
美術館のレストランでお昼ごはん。
空から落ちる花が開くような展示は、みんなが上を見上げたり床に寝転がったりしながら作品を見て笑って話している空間自体が好きで、ずっと見入ってしまった。シャーレの展示もそうだが、美術館の広くしろい空間になにかが上から下がっているって独特の非日常。
豊田市美術館から歩いて近くの高校のプールの展示を見る。これもフォロワーさんから「友人がとても褒めていた」とのお話を伺っていたので期待して向かう。 実際に目にすると、青空にプールと廃校と夏の濃い緑、というのがすばらしい。エモい。バンタンの撮影に使用して欲しい。私はスクールもの時代のバンタンが好きだ。 垂直に立ったプールの壁面が真っ青な空に伸びている、という、飛び込みや空に落ちること・そしてもしかしたら飛び降りを連想させる光景がとてもよい。バンタンの撮影に使用して欲しい(2回目)
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青ずぎる空と校庭と合成のような鳥居が異世界っぽい。
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豊田市駅に移動して、架空のトヨタの遺跡モニュメントの展示三点としんかぞく(レンタル家族)を見る。 しんかぞくは正直、「実際に死産を経験したり子どもを失っている人から見たら残酷すぎる」と思った。流産を扱うことそのものを問題視しているわけではない。テーマパークという形にして、「エンターテイメントとして見せていること」・そして「実際に死んだわけではない想像上の子どもを作り出して、(おそらく)本物の水子と一緒に作品の題材にしていること」がちょっとひどいと思った。水に流す演出の意味や、最初に押すキーボードの意味などは「なるほど」と思ったけれど、原宿の店先に並んでいそうなポップな色合いで作品にするにはあまりに敬意がないのでは。 架空のトヨタの遺跡を再現する展示、発想と映像のなかのとってもうさんくさいおじさんのインパクトが強烈。最初あの胡散臭おじさんが作家さんかと思った。人為的に作られた出土品を見ているのが楽しく、また、「現実にも出土品を偽造していた考古学者がいたけど、こういう感じだったのかな」と想像を巡らせた。
なにかを売り出したいときや権威づけたいときに、古くからの神話や土地の歴史に絡めるのは常套手段だけど、これは逆にトヨタ神話を皮肉っているようでもあって、単純な「この土地と切っても切り離せないトヨタ」を礼賛しているわけではないと感じる。
アンナヴィッテのトヨタのダンスの映像も同じことを思った。あのダンスの映像は発想がとても好き。(明言はされていないがおそらく)トヨタの工場労働者たちを集めて複数回お互いの仕事について話し合う様子を撮っている。彼らは流れ作業で部品の点検等単純な労働に従事していて、「これから自分たちの仕事はどうなるか」「仕事は楽しいか」「なぜ仕事をしているか」といったことがらについて各々の意見を述べていく。そして、彼らが毎日繰り返している仕事の動作を再現してもらい、それを元にダンスを作り上げる。彼らが踊る映像と、自動制御のロボットがラインで単調な動作を繰り返しつつ車を作り上げていく映像が流れる。
ホテルに戻り、もうおじさんに話しかけられたくないなと思ったのでトヨタ駅近くの松坂屋地下でご飯を買って部屋で食べる。文章を書いて本を読んで眠る。
------------------------------------------------------------------------------------------- 四日目。 六時に起きてご飯食べてこれの下書きを書く。 チェックアウトして東岡崎駅へ。閑散とした駅にタピオカのスタンドがあり、まったく繁盛していないのを見て諸行無常を感じる。おごれるものは久しからず。高速バスでバスタへ向かう。 バスに乗ったら顔を覆うシェードがあった。はじめて見た。しかし使ってみると超快適で爆睡。隣の人の顔が見えない、見られないってこんなにもノーストレス!
いい旅行だったな。
街の中、しかもこれほど複数の場所に点在したトリエンナーレに初めて行ったので、土地と干渉し合う作品鑑賞も初体験で多く発見があった。
まず、炎天下を歩いて回って、歩く道々で見る建物や風景や、だんだん暑くてボーッとしてきたころ突如現れる作品や、全て込みで作品のようだった。特に円頓寺は一区画入ると全く趣の異なる建物・作品が現れて、街の中に潜む異世界をめぐるようであった。
そして、トヨタに関わる作品も数多くあって、トヨタの影響が色濃い街を歩く中でそれらを鑑賞して「これはこの土地で見るからこそ意味があるな」と思った。単純にどこか別の都市の美術館に全部入れていてもこんなに意味合いを考えたりしなかっただろう。
バスに乗って愛知に来たとき、ミニカーのように整然と並ぶ大量の車や、輸出入の船がたくさん止まる港や、突如現れるレゴランド、幅の広い道、超車社会、等々を見て「あートヨタのちからよ…」と思った。事故の犠牲者6人を追悼する作品で「加害者、被害者、クルマ」を提示していて(トヨタのお膝元でやるにはチャレンジングだな)と思ったけど、酔客にグローバル企業のロゴをかぶせる映像展示では「トヨタがなかったら名古屋はやっていけない」と行ってたり、豊田市駅の展示では架空のトヨタの遺跡を発掘する展示があったり、そしてその会場に向かう駅の歩道には「交通死亡事故一位の汚名返上!」という(展示ではなく警察やトヨタによる本物の)巨大な横断幕があったり、街中を巡ってみる展示だからこその効果を感じた。街中を歩いて車社会を実感しながら作品に会いに行き、そしてその作品たちが相互に作用していく体験が初めてのもので、「自分の目が変わっていく」過程が新鮮だった。土地を体験した自分の目が作品に向ける眼に影響していく。人間はどんどん変化していくけど、これほどの短期間で明らかに変わっていくのがわかる体験は、あいちトリエンナーレの素晴らしい強みだと思う。これからいく方にはぜひ、なるべく多くの作品を歩いて巡ってみてほしい。
それから、私が道中でさびしいおじさんとフェミニズム作品について。1日目二日目と、夕食を食べに行ったら知らないおじさんに声をかけられ、うんざりして三日目はビジネスホテルでもそもそご飯を食べたのは前述の通���。はっきりいって不愉快だし、心底不快だけれど、それ以上に「この人たちはさびしいんだろうな」という気持ちが先に立った。これは愛知に限らず、東京でもあまた経験しているので、今から書くのは今回の旅だけではなく普遍的な話。
旅行先で食べてみたいものがあっても、おじさんに話しかけられると思うとうんざりする。男の人ならどこでも好きなところへ好きなものを食べに行って、話しかけられて嫌な思いをするかもなんて微塵も考えないのかしら。ここでわたしが「旅行先で隣になった人とめっちゃ盛り上がった笑笑笑!おごってもらった笑笑笑」って書くタイプならむしろ旅のいい思い出になるだろうし、「こう感じるタイプの方が生きやすいんだろうね」、って話はフォロワーさんともしたけれど、私がこうやって知らないおじさんに話しかけられてめちゃめちゃ不愉快になるのは、「さみしい」という気持ちを検知するからだと思う。たまたま隣に座った私に話しかけ、少しでもさみしさを埋めたい、というのは侮辱ではないのか。一方的に話したり、相手が立場上・性格上反論できない局面で話を押し付けたりするひとってめっっっっっっっちゃいる。
私は今回のフェミニズム作品、そして作品中止に至るまで作家さんの行動の一連も根本は「対話を行わない」という侮辱に対するものだと思っている。一歩的に作品の撤去を求めること。それに対し、作家さんたちと十分な対話を行わず、実際に撤去をしたこと。
侮辱されている、舐められている、と察知する能力は人間にとって能力だなmと今強く思っている。このまま私は進もう・・・
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ST管並四ラジオの製作
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■10年くらい前に手持ちの旧い部品を使って自作した真空管式の並四ラジオです。トランス、コイル、バリコン、豆コンなどは当時の部品そのままですが、真空管については保守を考えて一世代新しい五球スーパーの球を使いました。6C6(グリッド検波)6Z-DH3A(電圧増幅)UZ-41(電力増幅)80HK(整流) のラインです。ただし実際にはB電圧を確保するために整流にはダイオードが入っていて、整流管80HKは挿してあるだけです。シャーシ裏の3つの端子は黄色がアンテナ、黒と赤がスピーカです。下の写真のように一応、出力トランスも組み込んであるので普通のダイナミック・スピーカを繋げばすぐ鳴るようにしてあります。電子回路を学習して後に解ったことですが、昔のラジオでOPTがSPの側に付いているのは損失の関係なのですね。低インピーダンスでは電流駆動になりますからたとえ引き出し線の0.5Ωと言えども無視できません。だってボイスコイルは3.5-4.0Ωくらいしかないんですから。でもB+線が出ているというのは慣れないと一寸危ないです。電撃はもうちょっ中でしたがハンダ付け不良で繋がってないと出力管のG2がニクロム線みたいに赤くなって慌てました。ま、それでも壊れない真空管の頑丈さにも敬服しましたけど。上下でツマミが異なっているのは御愛嬌(上が正装)、蛇足ですが6C6の代わりに6D6を使ってみると意外に面白いですよ。
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同調は昔と同じバリコン直結のため難しく、音量調整もボリュームより豆コンでやる感じで、慣れないとうまく受信できません。特に高い周波数ではコツンと指で叩くぐらいで最良点を調整します。逆に言えばそういう不便さ、単にラジオを聴くためだけに昔はどれほど苦労したかを実体験できる道具として実験考古学の教材としては良いでしょう。お子さんのいる家庭ならラジオの歴史でも語りつつ、「おい、じゃあいっぺんやってみろ…」で当時の苦労を体験させるにはもってこいの道具かもしれません。真空管の高インピーダンスを確認できるグリッド検波のリーク抵抗部や、アンテナ線の長さによる感度の変化など、目に見えない電波の様子や、電界・磁界の存在を説明する学習教材としても面白い(だから昔は中学校の授業で必須だった)でしょう。最近の子供達は録音時に音量調節が必要なことすら知りません。何でも便利なのは有難いことですが、甘えてしまって温故知新を忘れると、何かあった時(東北大震災で最も有効な情報伝達手段だったのがAMラジオ!)に大変です。
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