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#描画マシン
omochajournal · 2 years
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gupaooooon · 1 year
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日本語圏のオタク界隈の、トランス差別/LGBTQ+差別について、憤りの吐き出し、雑記。🤮
日本語圏のMoonKnightのファンダムのTransphobiaの酷さについても、吐き出し🤮
Twitterで何度か書いてきたことだが、Tumblrにも投稿する。長いし、雑だし、纏まりがなさ過ぎるが、こちらでも吐き出す。
日本におけるトランスジェンダー差別。LGBTQ+差別。
右翼/極右/宗教右派やアンチフェミの差別主義者の糞共だけでなく。所謂“左派”や“リベラル”と言われる人達や、反差別を表明している筈の人達が、続々と、トランスヘイトをぶち撒けて、“極右”と合流し始めている。陰謀論を鵜呑みにして、LGBTQ+差別を拡めていっている。
差別主義者の屑どもの与党政治家達(とそれに追随する一部の野党気取りの只の与党傘下政党)も、著名人達も、大々的に差別を煽っていく。“素朴な疑問”“ただの議論”の体裁で、続々とその差別扇動に、あらゆる人々が加担していく。
有名なクリエイター達、イラストレーターや漫画家や小説家やアニメイター達も、続々と、(ただでさえ、日本のオタク界隈の有名クリエイターは、その大多数が、右翼かつアンチフェミニズム/女性差別主義者/セクシストの糞だらけであるのだが)transphobeとして本性を現していく。
フェミニズムに対する理解があると思われていた一部の人達も、デマや陰謀論を信じてトランス差別に加担していくばかり。
「女性スペース」「防犯」といった用語をキーワードにして、マイノリティの属性そのものを犯罪者と同一視して、排除し、偏見を拡めていく……典型的な差別言説を鵜呑みにし、同調し、続々とトランスヘイトをぶち撒けていく。
(まともな性教育もない日本では、いつまで経ってもマイノリティを「消費対象」としてしか見なしていない人々が“クリエイター”として影響力を持ち続ける日本では、SNSによる差別の影響力の酷さと、その差別に“対抗”する人々の“少なさ”が圧倒的で、つらい)
(大多数の著名なクリエイター達は、反差別の表明などは一切せず、現実のマイノリティにはまるで興味がない……どころか、ノンポリ気取りに、毎日のように、SNSでは差別をぶち撒け続ける/差別主義者(特に「表現の自由戦士」なるものを名乗るコミックスゲート/ゲーマーズゲートと同じような、セクシスト/インセルの集団による差別扇動、それに賛同する最低最悪な有名クリエイターがうじゃうじゃいる)の取り巻きとして差別扇動に貢献するばかりである。彼らの作品がさも“クィア”や“フェミニズム”で“反差別”であるかのように、国内外から無批判に評価されたり消費されたりしてるのをみると、そのギャップに目眩がする)
二次創作界隈/ファンアート界隈でも、どこもかしこも、トランスヘイトがどんどん蔓延って、それに周囲の人間もどんどん加担していく。
Twitter上の日本語圏のMoonKnightのファンダム、fanart界隈も酷い状況で、しんどい。
数年前から、ずっと、トランスジェンダー差別やLGBTQ+差別をぶち撒け続けて、Twitterの有名な日本語圏トランスヘイターによる差別発言や陰謀論を拡め続けているアカウントが……ムーンナイトのファンアカウントとして運用してるヘイター/transphobeがいる。
そのアカウントは、「トランス差別に反対しています“しかし”一部に過激派がいて、陰謀があり、自分達はその過激派な“TRA”や陰謀を批判しているだけ……」という手口で、反差別を唱えながら、典型的な藁人形論法と陰謀論をぶち撒けて……トランスジェンダー差別/LGBTQ+差別/陰謀論をずっと拡散し続けている。
「トランス差別に反対しています」という言葉を書きながら、ずっとトランスヘイト/陰謀論を拡散し続けている。
酷い手口に、反吐が出る。
(そして、この手の、一見すると……“反差別”を訴えているようでいながら、実態は全く違うアカウントが。「“TRA”“トランスジェンダリズム”“TGism”“性自認至上主義”“トランスカルト”」などの酷い差別語/デマに基づいた酷い単語を用いて、トランスヘイト/LGBTQ+差別を繰り返して……陰謀論の拡散を続けるアカウントが、この1年くらいに日本語圏のオタク界隈にどんどん増えていると感じる)
(「差別ではなく区別!」 「ただ過激派を批判しているだけ!」 「“身体性”を無視しない“議論”をしてるだけ、“素朴な疑問”を言っただけなのに差別と言われた!」 などという醜悪な言い訳を述べれば、何年間も酷い差別言説を拡めていても、日本語圏で有名なトランスヘイター/transphobe達や酷い極右の差別主義者をRTし続けていても、ミスジェンダリングや差別語使用を続けていても、「〇〇さんがやってるのは差別ではない!」と、周りもヘラヘラ同調して、同じように差別をぶち撒けたり、差別行為を擁護したりする。本当に、反吐が出る光景だ。)
MoonKnightがMCUドラマ化されたことで、案の定そのヘイター/transphobeのアカウントがフォロワーを増やし。多数のMoonKnightのファン/二次創作作家が、その差別主義者と無批判に繋がっており、その一部はどんどん差別言説と陰謀論に共感し、そのアカウントが拡散する差別扇動などをイイねやRTをしているのがわかる。
信頼できる人達(差別反対を表明し、かつ何がどう差別なのか理解している人)以外、日本語圏のファンダムにはもう近付きたくない。
日本語圏以外でも差別的なアカウントはいるかもだろうが。自分が理解できる言葉/それに気付ける範囲である以上は、差別に加担したくないし、あまりの酷さに、もう、本当に無理だ。
この1年だけみても、そしてここ数ヶ月だけみても、どこもかしこも、オタク界隈におけるトランス差別拡散が、本当に悪化している。
あのトランスヘイター/transphobeのアカウントと、無批判に積極的に繋がっている周囲のアカウントも、“差別行為に気付いてない”……というのは無理があるし、無関心が過ぎる。
差別言説や陰謀論に共感しているか、気付いたとしてもオタクとしての繋がりの楽しみや情報共有が“最優先”なんだろう。以前から、あのトランスヘイター/transphobeと繋がっているアカウントに対してはミュートを使っていたが、もう、ブロックに変更した。
(あのヘイター/transphobeと仲良く交流しながら、自分のことをフォローしているアカウントも数人いたが、一体どういうつもりだったんだろうか。反差別記事をRTしたり、差別的なアカウントの手口を批判する自分を、滑稽なありさまだと眺めていたのだろうか。差別を、ちょっとした意見の違い程度と思ってるんだろうか。まあ、此方のツイートなんてまるで見ていなかった、自分はただのお絵描きマシン扱いされてたんだろうなと思いますが)
今の日本語圏Twitterのトランス差別/LGBTQ+差別の酷さ、本当にこわいし、しんどい。(この二つは当たり前に異なる用語ですが、決して切り離せるものではなく、当たり前に地続きの差別問題であること、強調したい。ここを切り離した語りで、「LGBとTは別である」などと言いながら、自らのマイノリティ属性を強調しながらも差別を拡げていく差別主義者のアカウントが本当に多い。怒りしかない)
プロのクリエイターが差別をぶち撒け続けるその影響力とは、また別に
SNSのオタク仲間/二次創作作家というコミュニティ、ファンダム側における差別扇動もどんどん常態化して。「オタク活動の楽しみ、繋がり」優先に拡がっていくさま、差別主義者が影響力を増していく様を見せつけられること。繰り返される差別扇動に“寛容”でい続ける人々の姿。本当にしんどい。
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sgsgsn · 1 year
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盛大に剣の炎描き忘れてるので加筆したら画像差し替えます! (6/21追記:差し替えた)
以下はtwitterのアカウントが終わりの始まりに近づいてます。というどうでもいい話
ツイートもしたけどあるまちゃの脚がtwitterにあげると誤センシティブ警告と肌色バン喰らう度が本当に半端ないんですよ!!! ツイッター君もグレンアルマというポケモソがエロ���って言ってる(ただの無能AIの誤認だよ) で遂に今のアカウントもシャドウバン入ったのでもう終わりの始まりですさようならtwiiterサラサラ^-… いや、本当にtwitter嫌いなので早く滅んでくれていいのだが…
正直検索除外されるの自体は寧ろありがたい(キャラ名作品名などは自分でも検索避け伏字してますが単純にうっかり伏せ忘れとか、予期しなかった単語とか、その他ワードでも何もかも検索引っかからないのはむちゃくちゃありがたいね!)のですが シャドウバンポイントが嵩み過ぎると凍結に繋がる のがしんどすぎる~~~~~…
いや更に言うなら、絵あげてるオープン垢が凍結するのはまあ…最悪別に…いいか…なんですが 全く公にしてないチャットの如く身内と日々会話するようにだけ十何年使ってる鍵垢がね~~ありまして、 生活の一部レベルでそこ使ってて…そこでしか繋がってないフォロワーも何人もいて(この人twitter嫌いとか言いながらメチャクチャtwitterに住んでて草) IPから同一人物扱いされてその鍵垢が凍結!とかなったらそれが本当に………本当にそれだけは困る………… 電話番号登録してないしマシンIPも完全に分けてるので同一人物扱いされる要素があるかはわからんけど…
あとシャドウバン最近システムが変わって、リプがまったく通知欄に表示されない(TL上で奇跡的にリアタイで気づかないと多分リプきてることに気づけんと思う…)のがダルすぎますね まあジャンル友達0人だからここに関しては大して支障はないが…(…。)(可哀想)
知ってる人は知ってると思うんですが、ここ数年ツイッターはサポートがまっっったく機能してないので問い合わせとかも無意味だし シャドウバンに関して公式は存在すら認めないという虚偽の姿勢を貫いてて(まじで糞運営すぎる!?)何もかもユーザーの憶測の情報しかないので、バンされても自分でできることはな~んにもありません ので突然アカウント消えてたら…察してくれ!!!
描きたいソウグレはあと1兆個あるしツイッターから消えてもこのtumblrに投げ続けるのでよろしくお願いしまぁす!!!(シ~ン…)(友達0人)
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mnx3e · 1 year
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映画「スーパーマリオブラザーズ」観てきました
GWでシブって以降出かけるのもめんどくて結構日が経ってしまいましたが、ついに観てきました。
これはまずい、何万回でも観れる・・。良すぎて逆に記憶がありません(?)
いやいやこれは本当に、頭の先から爪先まで作品とファンへの愛とリスペクトと遊び心で溢れていると感じました、少なくともわたしはガッツリとその心意気に打たれた。
それなりに色んなマリオ作品に触れてきたとは思うのですが、本当に色んなタイトルが随所に詰め込まれていてギュウギュウです。完成させてくれてありがとう。実現させてくれてありがとう‥!
では以下、ネタバレ込みでつらつらと。
・本編が始まる前。カートに乗ったミニオン(の映画を作ったところが製作してるからですね)が出てくるのですが、この時のシグナル音… プー、プー、ピーン! がマリオカートのそれでいきなり感動した。なんなら泣くかと思った(涙腺弱お)
・音楽がいちいち良い。先の通りいろんなタイトルが混ざってるのですが、その都度そのゲームの曲がアレンジされて流れるんだもの、いちいち「これ知ってるー!」って感動してしまう。
・マリオとルイージは、ブルックリン在住のちゃんとした「人間」(の割には身体能力バグってるけど)として描かれていて、しっかりと「配管工」の設定を貫いてるのは良き。でも彼らの家族が普通に出てきたのは少し意外だった。彼らが案外若者である事も見せてるんですかね、個人的には暗黙の部分だと思っていたので若干の違和感は拭えませんが‥まあ仕方ないか、ゲームのマリオではなくブルックリンの配管工だからな。
なので逆にドカンをくぐるのが待ち遠しかったです笑
そういえばポリーンも出ましたね。他にも見覚えのあるキャラのポスターがあったり、細かい部分に色々隠されてそう。
・ていうかルイージ兄さん好きすぎじゃない?かわいいなぁ。あとめちゃ「ルイージ」なのが良い。兄さんの後ろを歩く感じたまらん。
・キノピオ隊長(の曲が流れたし荷物も持っていたのでそうだと思ってる)かわいい、“カワイイ”押しのキノピオたちの中でファイティン精神溢れるのかわいい 。彼ら歩き方がもちもちしてて可愛い。くそっ 流石にカワイイでやってるだけはある。
・透明ドカンだ!わー!「このブロックなんで浮いてるの!?」は、おっしゃる通りだよ
・異世界でひとりぼっちになったルイージが初っ端「ルイージマンション」でテンション上がった。やはり似合ってしまうこの不憫な感じ。「マ〜リオぉ〜」って言った!わーー!!
「やるときゃやるいーじ」ってお前ぇ
・ヘイホーとムーチョはホラー枠(わからんでもない)
・ピーチが、色んな意味で強い。海外は本当に強いヒロインが好きなんだなぁと思った。助けを待つだけのか弱いお姫様は時代遅れなのよ。あとエルサだった。つよすぎぃ
・ドンキー出て来るなら他のコングファミリーも出るかな?と思って観てたら名指しでディディー出てきた。コングたちもみんな表情豊かでかわいかったなー。
コング世界でカートが普及してるのは少し謎だったけど、この際どうでも良いでしょう(
ドンキーとのバトルも熱かったけど、その後のレースシーンもかなり熱い。レインボーロードのBGMは卑怯なり。ちゃんと“ショートカット”もしてて興奮した。
…ところで個人的MVPは、レースで出てきた青いトゲこうらの彼。凶悪なマシンに乗っているのだけど、爆破されて終わり…と思いきや「トゲゾーこうら」となって逆にマリオたちを叩き落とすという・・
あれ、やばない?アタックモーションも完全にゲームのあれだし、勝ち抜いたマリオたち、つまり「トップ」を狙うのもまさしくである。ただでは倒れない絶対殺すマンの彼、かなり良い… 好きだなあ……
・みんなのトラウマ「ウツボ」もいるよ
・あと個人的可哀想で賞はボムキング。そんな切ない顔して爆発しないでくれ…もうちょっと無機質でいてくれ〜心が痛む〜
・まさかベビィも出るとは。
・クッパがかなりクッパで大変良かった。声も良い、台詞もいい、口周りが案外むにむにしてて可愛い笑、パワーもブレスも申し分なく怒ると瞳が赤く光るのもたまらない。
あとピーチ好きすぎる。ぴちぴち歌い出した時は心配になったけど()「結婚しないなら国を滅ぼす」って思想ヤバくない?時折り見せるくりっとしたお茶目な表情はめちゃ可愛いのだけど、大暴君フェイスとのギャップがマズい。す、好き…
ピーチ大好きなはずなのにメロメロするでなく手に入らないなら普通に殴る感じ、ま、ま、マズいぃ・・・
結婚式のお衣装がオデッセイのアレなのも良いですね、ていうかそれしかないですよねー!
・ラストバトルはやっぱりスターのテーマか・・ゲームでもあれのアレンジが使われたりするけど涙腺にくるのでやめてくれ〜 あの「絶対勝つんだ」感が痺れるんだ‥!
話の締めくくりとしては、ルイージの順応早すぎだしみんなも飲み込み早すぎない??という、なんとなく終わらせた感を感じてしまったけど、まあ���そうでもしないと終わらないしなw
・死にたがりの青いチコちゃんは何だったんでしょう…ゲームにあんな子いたかしら
・スタッフロールすらマリオ音楽盛り沢山で楽しい。スタッフ名がマリオフォント(カクカクしたあの字)なのもニクい
・ラストもラスト、ブルックリンの地下にぽつんとあるヨッシーのたまご。が、割れて、「やひー(あの声)」と共に映画が終わるのだけど‥
これって2への伏線?それとも、ヨッシーのゲームが出る‥? 楽しみ‥!
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はあはあ、書いてると色々思い出して終わらなくなるのでこの辺で止めておこう‥などと言いつつ足すかもしれない
今回は吹き替えで観たので、やっぱり字幕も観たいな…!ちなみに吹き替え、ちょっと心配でしたが全然良かったです。マリオもちょうど良かったかなーと。ルイージが少し… 昔のちょっと高い幼い印象でしたが、でも別にルイージだったので良し。
テンポもよく迫力もあり中弛みも無く十二分に満足!何よりまごう事なきマリオの映画だった事がもう、満足!
いやー楽しかった〜
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hanbunmensch · 9 months
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DBHサントラレコードVol.3
 5月にポチった「Detroit: Become Human Original Soundtrack Volume 3」が忘れた頃に届いた。Quantic Dreamは2020年以来、デジタルサウンドトラック全85曲(挿入曲を含む)から25曲ちょい程度ずつ抜粋した2枚組のアナログレコードをリリースしてきた。挿入曲がうち1枚にまとめられたVol.2に入っていなかったThornetta Davisによる2曲を除き、純粋に劇伴からLP収録されていないトラックは現時点で4曲しか残っていないので、LPの形で出るのは今回のVol.3が多分最後なんじゃないかと思う。  Vol.3は全25曲中12曲がマーカス編のトラックという構成であるためか(そもそも単純にサントラ全曲の中でマーカス編の曲は一番数が多い)、マーカス編のアートワークのみを用いてデザインされている。  Vol.2を買った時に書いたような感じで、今回も内容画像を載せてから収録曲に関して書いとく。在庫はまだあるようだ。
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 ジャケット。マーカスがカールに絵を描くよう言われる場面で、[アンドロイド]→[希望]を選んだ場合のタブロー。実際のゲーム画面で見ることができる色味に比べて相当赤味の補正をかけている。盤面が赤なのでそれと合うように調整したのだろう。  特筆すべきはマーカスが描いたという設定のこの絵の右下にカールのサインがあしらわれている点だが、この辺のことは記事の後ろの方に書く。いいジャケットだと思ってる。
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 裏ジャケット。アトリエのコンセプトアート。  QD公式のページでそこそこの面積にフィラーテキストが箱組みされている裏ジャケ画像があったので、何かテキストが載るかと思っていたがクレジットだけだった。ちなみにVol.2にもVol.3にもアートディレクターやデザイナーのクレジットは見られないので(Vol.1は持ってないから知らない)、インハウスの仕事と思われる。
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 中ジャケット。アトリエのコンセプトアートで、最終的なキャスティングと俳優が異なるようだ。こっちのコンセプトアートはゲームのボーナスコンテンツにも収録されていた。ただしボーナスコンテンツと見比べると、少なくともカールが描いている大作とシンク上の大きなモノクロドローイングが貼られている箇所が変わっている。ボーナスコンテンツでカールが向かっているキャンバスは最終ゲームで食卓に飾られている男性の顔で、中ジャケの方は女性の全身に見える。間違えて修正前のバージョンを入稿したのだろうかと余計な心配をしてしまった。  あとはボーナスコンテンツのスクリーンショットを貼っておくので適当にサイゼリヤタイムをお楽しみください。
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 インナースリーブとLP盤。今回はスリーブデザインは凝っていない、普通に取り出しやすいタイプ。LP盤は前回同様にカラークリアヴァイナル仕様。これの2枚組。
収録曲
 思い出せる範囲でスネ夫が自慢話をする時に方式で曲の使用シーンをザックリ添える。複数のシーンで流れるものもあるので網羅はできない。また、デトロイトビカムヒューマンの劇伴は「このエリアはこの曲」のように分かりやすい形では流れず、プレイヤーの行動と進展に応じてシームレスにパートが組み合わされるので、サントラとしてリリースされているものと同じミックスが本編で流れるとは限らない。
A1 1. John Paesano - Lost(マーカス「自由への行進」冒頭や「革命」死亡シーンの曲) 2. Philip Sheppard - Keep Turning(カーラ「あらたな我が家」1階に降りた時の曲) 3. Nima Fakhrara - Investigation(コナー「相棒」「天敵」捜査シーンの曲) 4. John Paesano - Find Jericho(マーカス「ジェリコ」廃船に着いた時の曲) 5. Philip Sheppard - I am Kara(カーラ「ズラトコ」初期化マシンに立った時、「夜行列車」ローズの家に着いた時の曲) 6. John Paesano - A False Freedom(マーカス「画家」カールをアトリエに連れて行く時の曲) 7. Philip Sheppard - In the Cold(カーラ「海賊の入り江」探索する時の曲)
A2 1. John Paesano - Time To Take Action(マーカス「ストラトフォードタワー」序盤中盤で流れる曲) 2. Philip Sheppard - Buzzkill(カーラ「ズラトコ」屋敷でアリスを探す時の曲) 3. Nima Fakhrara - Analysing(「逃亡」コナーがカーラの泊まった場所の捜査に向かう時の曲) 4. Nima Fakhrara - Eden Club(コナー「エデンクラブ」捜査シーンの曲) 5. John Paesano - Treated Like Slaves(マーカス「命をつなぐもの」倉庫に侵入する時の曲)
B1 1. John Paesano - Can We Still Trust Our Machines(マーカス「ストラトフォードタワー」パラシュートで脱出する時の曲) 2. Philip Sheppard - Breathe In(カーラ「リコールセンター」で流れる曲) 3. John Paesano - We Can't Save Everyone(マーカス「魂の夜」墓参り及びマンフレッド邸で流れる曲) 4. John Paesano - CyberLife(マーカス「キャピトルパーク」店舗襲撃準備をする時の曲) 5. Nima Fakhrara - Kamski(コナー「カムスキー」で流れる曲)
B2 1. John Paesano - A Huge Mistake(マーカス「決断の時」ルーシーと話す時、「命をつなぐもの」箱のアンドロイドを見つけた時の曲) 2. John Paesano - Not Human(マーカス「失意」アトリエの灯に気付いた時、「命をつなぐもの」トラックの鍵を盗みに行く時の曲) 3. John Paesano - Finish The Barricade(マーカス「行進」バリケードのシーンの曲) 4. Nima Fakhrara - Crossroads(「交わる運命」コナーが変異体になるか選ぶ時、「革命」店舗に逃げ込んだマーカスかノースを撃つか選ぶ時の曲) 5. Philip Sheppard - What Light Breaks(カーラ「逃亡」ラルフと揉める時、「ズラトコ」初期化マシンが作動した時、「海賊の入り江」ジェリー達が建物に入ってきた時の曲) 6. Philip Sheppard - No Man Has Borders(カーラ「旅立ち」で流れる曲) 7. Nima Fakhrara - Meet Markus(「革命」コナー操作を選んだ場合の戦闘シーンの曲) 8. John Paesano - The Horrors of War(「革命」前半がマーカス操作を選んだ場合の戦闘シーンの曲、後半が進軍する時の曲)
 今回のサントラは、全ての主人公の曲をごちゃまぜになんとなく時系列を追う順で収録している点がVol.1とVol.2と異なっている。こんな記事を読む人は全員知ってるかもしれないけどDBHは主人公ごとに作曲家が別で、Philip Sheppardがカーラ編、John Paesanoがマーカス編、Nima Fakhraraがコナー編を担当している。Vol.1とVol.2ではデジタルサントラ同様、作曲家ごとにまとめて収録していた。作曲家が別だと音楽的な断絶もあるので当然まとめる良さもある。でもVol.3の曲目を見てみると、特に最後の「革命」で操作する主人公を選ぶ一騎討ちシーンの、コナーのMeet MarkusとマーカスのThe Horrors of Warの2曲などは絶対にこの並び以外有り得ない。  対立する主人公同士エンカウントシチュエーション(デヴィッド・ケイジの大好きな)では、カーラとコナーの高速道路チェイスで2人のサントラが綺麗に重なるように作られていたRun with Meが印象的だったが、Meet MarkusとThe Horrors of Warはどことなく似ているようでいて前者は単純拍子、後者はよく分からんがかなり変則的な構成になっている。高速道路には両方に生きる道があるが一騎討ちはどちらかが必ず死ぬことが決定している。この取り返しのつかなさが彼らの拍子の違いにあらわれているのだ。のか?  改めて、マーカスの曲はかなり多彩なので、カーラ編だけ、コナー編だけ連続で聴くより飽きない感じはあるかもしれない。ゲーム本編の特に終盤で視点がコロコロ変わる焦燥が再現されている。あと今回の流れで聴いてみて、本編で流れるものに比べてサントラだとやたらパーカッション(というか弦を叩く音)が強いカーラのNo Man Has Bordersのミックスの良さに気付いた。
ジャケットの話
 マーカス作の絵画に「Carl Manfred」とサインがあしらわれているというアイデアからは、この絵がマーカスの描いたものだと知られることなく著名画家の遺作の一つとして世間にイメージが流通する、という物語が連想される。「魂の夜」時点でカールが生��ている分岐もあるが少なくともそうでない分岐では、「画家」でレオがこの絵をカールの絵だと考えていることが台詞と目線から分かるので、カールの未発表作品としてオークションにかけられるのも自然なことだ。  ゲーム作中の雑誌曰くカールは「フランシス・ベーコンの系譜を継」いでいるらしい。表面的な色使いなどでは一見似ていない気もするが、実際、カールがマーカスにこの2枚目の絵を描かせる際に1枚目の現実の模倣を否定して解釈を促すアドバイス内容も、また具象的な人体モチーフにこだわりながらも激しい筆致でそれを写実から遠ざける点においても、具象と抽象の間を綱渡りして非模倣的なリアリティの実践を試みたベーコンにスタンスは通ずると言えるように思う。  マーカスの描いた手の部分的に白い箇所は流動性の皮膚の下のボディが露出しているということだと思うが、このカールの系譜を継いだ2枚目の画風的にただの筆致に見えなくもないので、人間の手だと捉えられる可能性もある。それが実のところアンドロイドの手で、(引きちぎった?)鎖を掲げているというこの露骨にメッセージ性の強い──マーカス的には[アンドロイド]の[希望]であるらしい──絵画が、カールの作品として大衆に知られるようになるというアイデアは、言うまでもなくマーカスが帰属すら予め奪われる状況を表しながらも、同時に(語弊を恐れず言えば)侵襲的想像力を持っている。つまり、アンドロイドが接続を通して何かに「感染」するなら、人間は例えば絵画を通して何かに「感染」するだろう。あまつさえ人間の魂が宿る素晴らしい創造物だと考えられていたものがアンドロイドの手によるといつか判明した時、それが巨匠に帰属するものであればあるほど彼らの足場を切り崩し得るだろう。それとも生成AIの加速的進歩とうんざりする議論を経て、2038年頃にはこんな出来事にとっくに不感症になっているだろうか。  前回のVol.2のジャケットで、ナチスの強制収容所のバッジから借用したアンドロイドのバッジ及びそれを反転したジェリコのシンボルである(逆)三角形を、まあ悪く言えばいけしゃあしゃあと用いたデザインよりも、今回のVol.3はサインたった一つでさりげなく暗示的に物語が提示されているように感じられて遥かにうまい。或いはもっと簡単に、時流を踏まえた「これを作ったのは人間なのかAIなのか」という議論への皮肉とも考えられる。見方はいろいろあると思う。
まとめ
 デザインは個人的には良い。図版の潔い置き方が安っぽくないし、クリアヴァイナルは凝ってる感も出る。収録曲はまあ全部サブスクにもある。  でも音楽は可能ならLPにせよCD、mp3にせよ所有すべきだと思ってる。瀧がコカインで逮捕された頃からそうしてる。
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SESSIONS GLSL Compo 作品提出にあたって
はじめに
こんにちは、独楽回しeddyです。
SESSIONS のGLSL Compoで初めて作品を作って提出しました。(下記)
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今回の記事では、この作品の制作過程について少しお話しようかなと思います。(SESSIONS自体の感想はこちらから)
テーマについて
初めての作品投稿だったので、せっかくだし何かモチーフが欲しいなと思ってました。色々悩んだ結果自分のハンドルネームの「独楽回し」から独楽を描くことを決めました。
そしてそこから更に考えたり過去のGLSL Compoの動画を見てみたり、期限日までの残りの時間でできることを考えていった結果、青空っぽい感じの表現を使って風景っぽい感じに収まりました...。
使用する手法について
レイマーチング
作成した形状は独楽と平面(地面)の2つです。独楽は軸とな���細い円柱、中央の胴体部分に当たる太い円柱、軸と胴体を繋げる円錐の3つから構成されてます。また平面については少しy軸にsin関数の動きを付けており、独楽に対してはrotate関数でちょっと斜めに傾けてる状態から回転させることで回ってる感を付けました。
参考 : SESSIONS 2日目のOb5vrさんの解説 : https://www.youtube.com/live/NP8bjmesy2Q?feature=share&t=25378
fbm
謂わばノイズです。これをスケール値や速度を変えて5段階くらいで重ね、更に青と白で着色することで青空っぽい感じの表現が出来ます。これを使って背景の青空や平面(地面)の表現をしました。
参考 : The Book of Shader の解説 : https://thebookofshaders.com/13/?lan=jp
ボロノイ
平面(地面)にちょっと水面ぽさも出してみたいという狙いで、ボロノイも取り入れました。こちらはiqさんの記事でも解説されている「縁がはっきりしているボロノイ」です。これとfbmによる青空表現の組み合わせで地面の模様に揺らぎを持たせて水面ぽさの表現を試みました。
参考 : iqさんの解説 : https://iquilezles.org/articles/voronoilines/
パーティクル表現
もう少し派手すぎないけどリッチな表現と全体の風景の動きが欲しかったので、パーティクル表現の追加を試みました。これはシェーダー芸のYoutube動画、The Art of Code から参考にしました。
グリッド単位で光るオーブを形成して、それを一つのレイヤーとして数枚重ねる、更に各々のレイヤーに対しては時間でスケールをかけることで中央からパーティクルが広がってる感じを実現してます。
参考 : The Art of Code (Making a starfield) 1 : https://youtu.be/rvDo9LvfoVE
参考 : The Art of Code (Making a starfield) 2 : https://youtu.be/dhuigO4A7RY
カメラの見え方の動き
カメラに動きがないと単調に見えるなと思ったので、シンプル目にはなりますがカメラが近づいたり遠くにいったりする動きをつけました。シーケンス制御でカメラのfov値が変わるようにして実現しました。また、値の変わり方にもキレがあった方が良いと思い、イージング関数(EaseInOutExpo)を使用しました。(だんだん加速、だんだん減速する動き)
参考 : gazさんの解説 : https://qiita.com/gaziya5/items/29a51b066cb7d24983d6
参考 : The Book of Shader の ギャラリー : https://thebookofshaders.com/examples/?chapter=motionToolKit
苦労したこと
まずはとにかくテーマ決めが難しかったです。自分は今回みたいに「何かを作った後それをイベント等で人前で披露する」という機会を体験したことがありませんでした。これまでの自分の制作は何かテーマに基づいて作るというよりは「自分が試したいことがあってそれをやる」みたいな感じでやっていたので、今回みたいなケースだと動き出しが違っており、故に苦労しました。
決めてからも大変でした。本来ならもっと複雑な形状を作ったり、トンネルなどの表現、エフェクトなど凝りたい部分はありました。ただ、複雑な形状を作ろうとするとどうしても見た目がテーマとそぐわない感じになってしまって見た目が綺麗に見えませんでした。また色々やろうとするとどうしても動作が重たくなってしまったりして全然進まない...という事もありました。
(今のマシン(Mac Book Pro 16インチ)だと今回提出した作品でもファンがすごい回って熱くなったので、保冷剤を袋に詰めたものを当てながら作業した時間もありました...)
今回は自分がまだ少しパラメータの制御が出来ている方の内容、パフォーマンス、テーマと見た目の相性などから今の内容で決めました。(自分個人の考えにはなりますが、理解が自分の中であまり出来ていない内容を使うのは、結局それを扱いきれずに振り回される未来が容易に見えてしまいあまり好ましくないと思っているので使わないようにしました)
まとめ
以上ざっくりですが作品制作についてまとめました。
後になってこうしたかったとかもないわけではないですが、テーマに沿った内容を満たす作品は作れたこと、何より一つ提出してイベントでお見せ出来たのは素直に良かったと思います!
次はもっと理解出来ていることを増やして、レベルアップした作品を作れればと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
コードのリンク
GLSL Compo 作品 URL 1 (NEORT) : https://neort.io/art/ch6gc8cn70rkl4ca3sug
GLSL Compo 作品 URL 2 (shadertoy) : https://www.shadertoy.com/view/mtdGzj
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airacch · 10 months
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~20230708
TwitterのHPが低いのでメモブログを始めます。今のところ他の類似SNSへの移動はあんまり考えてませんがThreadsのアカウントは用意しました。
スプラ
しゆさんに誘われて平成生まれの社会人オンリーのスプラ大会、平社イカ杯に「夏の日の1993」というチーム名で出場しました。メンバーはしゆさん、とりばさん、ちゃーはんさん、らっちです。めちゃくちゃ楽しかった!前衛の私の強度が足りなくて順当に私が勝てないパワー帯の相手には負けたって感じでした。味方強かったので悔しい気持ちが少しあります。あんまり努力せずうまくなりたいなあと思いました。
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イラスト
平社イカ杯のチームイラストを描きました。作画工数は大体3日くらい。イラストは頼まれて描くほうが圧倒的に多いんですが、今回同い年チームというコンセプトでなんかテンションが上がったので描くか~となりました。しゆさん自分のイカ描いてほしそうにしてたし。絵を描くとその日は何かした感があり自己肯定感が上がるところが好きです。そして自分のために描くより人のために描くほうが好き。理由は喜んでもらえるため。
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マイクが壊れた→直してもらった→不具合あった
2年位使ってたQuadCast Sが壊れました(0629~)。頂きものでめちゃくちゃ気に入っていて仕事でもプライベートでも使ってました。公式サポートはもう終わっていて、良いお値段する愛着もあって買い直すのもなぁと途方にくれていたところ、修理してくれるところを見つけて無事直していただきました。
と思っていたら一か所不具合が見つかったので現在問い合わせ中です。
ジム
5月から大体週3~4日通っています。筋トレは概ね書いてある通りの回数やってますが、混んでる時はどれか無しになったりします。4種は最低でもやってます。腹筋だけは一番きついので絶対やるようにしてます。マシンの数があんまり多くないので、負荷強くして回数はあんまり増やさない方向で進めようと思っています。
■筋トレ
・レッグプレス / 足(10×4)
・チェストプレス / 胸(10×4)
・ローイング / 背中(10×4)
・インナーサイ / 内もも(10×4)
・アウターサイ / 外もも(10×4)
・腹筋(10×3or4)
■有酸素運動
・水泳(30分/1km)
水泳は基本週1回で30分1km泳ぎます。今回(0702)は平泳ぎ250mクロール750mでした。水泳やるときは筋トレは腹筋+何かくらいしかしてません。最初はランニングとか自転車こぐやつもやったりしてたんですが汗が不快ですぐやめちゃいました。泳いでる時暇なこと以外水泳は消費カロリーが多くて最高です。
レモンシロップ
レモンスカッシュが大好きなため作りました。氷砂糖とレモンのバランスがとれていておいしかったんですが、とりあえず買ったレモン5個全部切って砂糖入るだけ入れたみたいな感じで分量確認しなかったので再現ができません。無能。
猫の腹に耳を当て心音や内臓の音を聞くことで生を実感した。
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hachinana87 · 1 year
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The New Yorkerのハミルトン特集翻訳
The New Yorkerの2015年のハミルトン特集の翻訳してみた。1万7千字ぐらいなっちゃってますが。。。できてすぐの記事なので、のちの評価��俯瞰はないのですが、創作過程とミランダのキャリアがわかる記事です。締めがエモい。
【このカッコが私の注釈です。例のごとく誤訳マシンなので気になる人は原文を読もう!】 
ハミルトンについてのすべて 
The New Yorker, FEBRUARY 9, 2015 ISSUE  
レベッカ・ミード 
2009年4月、作家・作曲家・パフォーマーのリン=マニュエル・ミランダは、ホワイトハウスからの連絡を受けた。新しい大統領とファーストレディが「アメリカの経験」をテーマにしたライブ・パフォーマンスを企画し、ミランダは招待されたのだった。当時29歳だったミランダは、前年に彼が作曲・作詞したブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」に出演していた。ワシントン・ハイツを舞台に、サルサとメレンゲをラップやヒップホップと融合させた音楽と、ブロードウェイにありがちな展開を効果的に混ぜた物語だ。「ハイツ」はベスト・ミュージカル賞や作曲賞などのトニー賞を受賞し、後者の受賞の際には「Sunday in the Park with George」を引用した快活なラップを披露した。“Mr. Sondheim / Look, I made a hat! / Where there never was a hat! / It’s a Latin hat at that!”(そしてタキシードのポケットからプエルトリコの旗を取り出した)ホワイトハウスはおそらくミランダからラテンアメリカンの経験を期待していたのだろう。「イン・ザ・ハイツ」からの曲でも良いと提案された。 
ミランダはもっと違うことを考えていた。数ヶ月前、彼と彼のガールフレンド、ヴァネッサ・ナダルは結婚し、メキシコへ新婚旅行へ出かけた。プールの浮き輪に揺られながら、彼は気まぐれに読書を始めた:ロン・チャーナウによる800ページ超の、アレクサンダー・ハミルトンの自伝だった。ミランダはハミルトンの初期の人生に魅了された。婚外子で、セント・クロワ島で極貧のうちに育った。父に捨てられ、幼い頃に母を亡くし孤児となり、ハミルトンは青年期に自力で革命の熱気高まるニューヨークに移民した。雄弁で筆の早い文筆家で、フェデラリスト・ペーパーの2/3を執筆した。独立戦争でジョージ・ワシントンに仕えた後、アメリカ初の財務長官となった。のちに、不倫問題が明るみになり、政界初のセックス・スキャンダルにより悪名を集めた政治家となった。その後閣僚に入ることはなく、50代になる前に死んだ。個人的不和が修復不可能となったために、決闘で副大統領のアーロン・バーに殺されたのだ。 
ミランダはハミルトンの波乱万丈な人生、才気、言語の巧みさ、そして自己破壊的なまでの頑固さを、独特のレンズを通して眺めた。それは、ヒップホップの物語、移民の物語としての視点だ。ハミルトンは彼の父、ルイス・ミランダJr.を思い起こさせた。プエルトリコの地方で生まれ育った若く野心的な男で、18歳になる前に大学を卒業し、ニューヨーク大学で学業を治めるためにニューヨークに移住した。ルイス・ミランダはエド・コッホ市長のヒスパニック関連の特別顧問をつとめ、その後政治コンサルト会社のMirRamグループを設立し、フェルナンド・フェラーなどの顧問を行った。高校の夏休みには、リン-マニュエルも父の会社で働いた。のちに、彼はエリオット・スピッツアーの2006年の知事選などの、MirRamグループの顧客の政治広告のための宣伝曲を書いた。チャーナウの1800年選挙の描写はーー現代の政治キャンペーンの起源だーーミランダの政治キャンペーンに対する内部の視点と共鳴した。ハミルトンと同胞たちが行った政府の目的に対する議論は、MSNBCとFOXの対立のごとく今も活きている。 
ミランダはまた、ハミルトンのなかにトゥパック・シャクールを見た。西海岸のラッパーで、1996年に射殺された。シャクールは複雑な、社会派の歌詞を書いた。ミランダは特に“Brenda’s Got a Baby,” に魅了された。21歳の娼婦になった女の子が暴行者のこどもを産む物語を描いたヴァースだ。シャクールはまた極端に気難しく、気に入らないラッパーのことを公に罵倒した。ミランダはハミルトンの中に同じ言語的才能と、これまた似たような、致命的な、引き際の知らなさを見た。これらはハミルトンの物語の中でとてもドラマティックな要素だった。彼がのしあがるために必要だった性格が、彼を転落させると言う点だ。ホワイトハウスのイベントの主催者が電話した時、ミランダはハミルトンについてのラップを提案した。彼らは了承した。 
5月の夜、ミランダと他のパフォーマーたちはーージャズベーシストでボーカリストのエスペランザ・スポルディングや、ジェームス・アール・ジョーンズがいたーー大統領に紹介された。ミランダは彼に空港で買った”Dream from My Father”にサインを頼んだ。ステージで、ミランダはハミルトンのコンセプト・アルバムに取り組んでいると発表した。「ハミルトンはヒップホップを体現していると思う」と彼は言い、人々は笑った。まだ一曲しか書いていないとは言わなかった。ミランダはハミルトンが「言葉が違いを見せる」ことの体現をしていると説明した後、ハミルトンの最初の20年の人生を4分の複雑な歌詞で要約して見せた。華奢で、黒く短い髪で濃い髭のミランダは跳ねるようなエネルギーをまといながら、ステージを歩き回り、ラップした“the ten-dollar Founding Father without a father / Got a lot farther by working a lot harder / By being a lot smarter / By being a self-starter.” 彼のパフォーマンスは観客から歓喜の呟きを引き起こし、オバマ一家は熱狂した。(ミランダは後から、大統領の最初のリアクションは「ティモシー・ガイトナー【オバマ政権の財務長官】も見るべきだったな」というものだった、と教わった。) 
6年後、その歌は、2月17日からパブリック・シアターで開幕した「ハミルトン」のオープニング・ナンバーとなり、ミランダがタイトルロールをつとめた。ヒップホップに根付いているが、R &B、ジャズ、ポップ、ティン・パン・アレー【ブロードウェイの音楽を起因とした商業ポップス】、現代ブロードウェイの合唱などを包括した。「ハミルトン」は歴史と文化の再イメージ化の到達点である。ミランダの語りの中では、成り上がりで向こうみずな移民の物語は、アメリカの物語となる。ハミルトンが自ら宣言するリフレイン“Hey, yo, I’m just like my country / I’m young, scrappy and hungry / And I’m not throwing away my shot,”は、その戯曲家にも言えることだ。ミランダは自分のツイッターのアイコンをハミルトンの10ドルの肖像に、自分のニッと笑った口、黒い眼、あごひげを抜めなく重ねている。 
「ハミルトン」はアメリカの歴史を現代の設定に置き換えたものではない。ミランダの建国の父たちはヴェルヴェットのフロックコートと半ズボンを着る。フーディやジーンズではない。デヴィッド・コリンのセットは、裸のレンガに木の足場。暖かな照明は蝋燭の光を思い起こさせる。ロープと金具の固定具で飾られたステージは、船の建設ーーそして建国、または18世紀のニューヨークの構築ーーを思い起こさせる。  
ミランダはアレクサンダー・ハミルトンを眩いばかりの焦点を持って描き出す。多才で、抑えるのがやっとの怒り。ハミルトンは条約を書く時歩き回り独り言をいうことで知られていたが、舞台ではラップでの独白は驚くほどの自問で彩られる。「死のことを思い出の様に想像する/いつ掴まるか/眠りのうちか/7フィート目の前か/逃げるか受け入れるか」“I imagine death so much it feels more like a memory / When is it gonna get me? / In my sleep? / Seven feet ahead of me? / If I see it coming do I run or do I let it be?”ミランダは閣僚会議を、囃し立てるサポーターたちに囲まれたラップバトルに置き換える。州の債務を補償するために設立を目指した国立銀行ーーハミルトンの先見的な発明だーーに関する議論は生き生きしたやりとりを生む。ハミルトンは悪意を込めてトマス・ジェファソンを貶す。“Always hesitant with the President / Reticent—there isn’t a plan he doesn’t jettison.” 
「ハミルトン」が初のアフリカン・アメリカンの大統領在職期間に創られたのは偶然ではないようだ。このミュージカルは国の誕生を意外にも、しかし必然的に、軽く描き出す。エリートの白人による荘厳な所業としてではなく、全てのアメリカ人の創造の物語として描いている。トマス・ジェファソン、ジェームス・マディソン、そしてジョージ・ワシントンはアフリカン・アメリカンによって演じられる。ミランダはまた、女性たちにも重要な役割を与えている。ハミルトンの妻イライザ・スカイラー(フィリッパ・スー)や義理の姉アンジェリカ・スカイラー(レネー・エリーズ・ゴールズベリー)だ。3人目の妹が加わったジグザグのハーモニーはまるでデスティニーズ・チャイルドのようだ。ミランダは建国の父たちを高尚な政治家とではなく、孤児や、無鉄砲な革命家として、時にはケチなライバルとして、極端に不安定な機運、機会、リスクを抱えて生きる。この瞬間の業績と危機はーー国の境の島で生まれた、移民の息子、父無し子の大統領の時代に生きる今にとってーー、決して時代の遠い出来事ではない。 
今年でパブリックの芸術監督就任10年目を迎えるオスカー・ユスティスは、「ハミルトン」はここ数年で最もエキサイティングな作品だというーーたぶん、1992年に彼が依頼し、プレミアのプロダクションを監督した、トニー・クシュナーの「エンジェルス・イン・アメリカ」以来の。彼はミランダのこの作品と、シェイクスピアの初期の史劇であるヘンリアド【リチャード2世、ヘンリー4世第一部・二部、ヘンリー5世を一塊としてみる言い方】との関係をみた。「リンがしていることは、国の市井の声を韻文に昇華しているということだ。それがヒップホップのしていることだし、強弱韻文がしてきたことだ。リンは彼の国の創造の物語を、現在のわたしたちのこの国がしているのと同じように語っている。韻文の形で、シェイクスピアは英国の物語をグローブの観客たちに語り、英国を英国たらしめる手助けをしたーー英国人としての意識を持つことに貢献したのだ。それをリンは「ハミルトン」でやっている。彼は建国の物語を『私生児の、移民の孤児』の目から、有色人種の目を通して語りこう伝える、『ここは俺らの国だ。俺たちのものだ』と」。 
10月の晴れた日、ミランダと彼のコラボレイター、「イン・ザ・ハイツ」と「ハミルトン」の演出家トマス・カイルは、パブリック・シアターを出てニュージャージーのウィーホーケンにあるハミルトン公園に向かった。「ハミルトン」を考えついて数年の間に、彼は数個のプロジェクトに携わった。チアリーディング映画のミュージカル化「Bring It On: The Musical」を共作、2012年にブロードウェイで上演された。「モダン・ファミリー」と「ママと恋に落ちるまで」に出演。即興ヒップホップ・コメディ・グループのFree Style Love Supremeとして、ジョーズ・パブやその他でパフォーマンスし、去年の秋にはTVシリーズが放送された。その間中もずっと、製作中の作品のために歌を書き、歴史書を読み続けた。2012年、彼は「ハミルトン」のコンサート・プロダクションをリンカーン・センターのアメリカン・ソングブックシリーズで上演した。タイムスでは、スティーブン・ホールデンが「ゲーム・チェンジャーとなることは明らか」と称えた。 
ミランダはミュージカルに取り組みつつ、ハミルトンの膨大な手紙や出版物を読み、独立戦争の名残の残るニューヨークのさまざまな場所を訪れた。パール・ストリートにあるフランシス・タバーンは、英国軍に敗北した後のジョージ・ワシントンが将校たちと涙の別れを告げた場所だ。しばらく、ミランダは西162番街のモリス=ジュイメル・マンションで執筆する許可を得られた。国の歴史的な建築物で、マンハッタンで現存する中では一番古い建物だ。ワシントンは邸宅をハーレム・ハイツの戦いでの司令部として使用し、のちには副大統領のバーの居住となった。「アメリカ金融博物館の館長に会ったんだけど、彼は建物の表札を見せてくれて『ここはトマス・ジェファソンのニューヨークでの家だったんですよ』って教えてくれたんだ」とミランダは言った。「僕たちはこの大騒ぎの地層の上にいるっていうのが良いんじゃない?」ロン・チャーナウはホワイトハウスのパフォーマンスの数ヶ月前にミランダと出会い、作品の歴史監修となった。「リンは無駄な発明はしなかったよ」とチャーナウ。「まずは史実に忠実にしようと努めた。それでもし事実から逸脱しなきゃいけない時は、大体納得がいく理由があるのがわかるんだ。彼に尋ねたんだ、『もし歴史的に間違ってたら指摘したほうがいいか?』と。彼は答えた。『もちろん。歴史家にもこの作品を尊敬してほしいからね』」 
ウィーホーケンへの小旅行はミランダにとっては初めてだった。決闘はここで、1804年の7月に行われ、バーはハミルトンを撃ち、彼はその負傷が元で翌日に死んだ。当時、決闘はニューヨークでは禁じられていたが、ニュージャージーでは許容されていた。「ハミルトン」では3つの敵同士による3つの決闘がドラマ化され、そのうちの2つが致命的なものである。死者の中にはハミルトンの息子フィリップを含む。「決闘は現代の仲裁裁判みたいなものだったんだ」とミランダは驚きを含めながら言った。「まるで『おい、納得できないんだったら、ニュージャージーの広場に行くぞ。武器と医者を連れてこい』みたいなノリだよ」 
台本を作る中で数年を費やしてもなお、ミランダはハミルトンの最期の瞬間をどう描けばいいかわからなかった。さまざまな困難があったが、歴史の記録が曖昧だったことが一つの理由だ。バーはハミルトンを最初の一撃で撃ったが、のちにハミルトンの行動がー銃を確かめる様子や、眼鏡をかけていたという事実がー自分を本気で殺しに来たことを示していたと主張した。ハミルトンはしかし、多くの手紙の中で、彼はバーを外して撃つつもりであるーーショットを投げ捨てるつもりだーーということを示唆していた。目撃者はのちに、ハミルトンは空に向かって撃ったと証言した。 
5月のワークショップ・プロダクションでは、ミランダはハミルトンに決闘の準備のラップを与えた。「目に日が入り思わず目が眩む/私のニューヨークがゆっくり立ち上がるのを見た」“The sun is in my eyes and I’m almost giddy / As I watch it slowly rise over my New York City”ーそしてバーを殺すか殺すまいかと考えあぐねた。音楽的にも歌詞的にも、この歌はミランダが捉えようとした賭けを捉えることはできなかった。 ハミルトンがバーに対して持っていた誠意の欠如への不信は、国の不透明な行く末への恐怖と重なった。その歌は、ハミルトンの柄にもない躊躇と、バーの柄にもない積極性がもたらす、避けられない悲劇への予感を表現することができていなかった。ミランダは再び歌を作り変えつつも、リハーサルへの心���もしていた。彼は言う。「存在しないもの、どうしても現れてこないものがあるのに、役者たちが部屋に入ってきちゃって『うわー!』ってなる」。カイルはミランダに締切を設けて、全ての歌の草稿に反応した。彼がいうに。「プレッシャーがある時のリンの反応はもっと多くのものを生み出す起爆剤なんだよ」 
バーとハミルトンの危険を孕んだ関係は、ミランダのショウの肝だ。オープニング・ナンバーでバーはハミルトンのことを「私生児、孤児、売女の子でスコットランド人」と紹介する。この歌詞はジョン・アダムスのハミルトンに対する侮蔑に由来している。バーは特権を持って生まれた。父はプリンストン大学となる学校の学長で、母方の祖父はジョナサン・エドワーズ【著名な神学者でプリンストン学長】だった。ただ、ハミルトンと同じく、彼は若くして孤児となり、法律を学び、政治の世界へ足を踏み入れていった。ミランダの語りでは、彼らはお互いの反転図だった。ハミルトンの熱心なまでの無鉄砲さはバーの冷たい慎重さと対を成している。「ハミルトンは失うものもない孤児だけど、バーは失うものしかない孤児なんだ」とミランダは言う。 
バーをハミルトンの引き立て役とすることは、史実に沿うばかりでなくミュージカルの前例からも必然だった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」はユダが物語を語る。ミランダは宿敵の視点からハミルトンを見せるというアイディアに魅せられた。スティーブン・ソンドハイム(2009年の「ウエストサイド物語」のリバイバルの時、劇をスペイン語に訳すためにミランダを採用した)はミランダが払うミュージカルの歴史に対しての尊敬の態度を称賛した。「現代の劇作曲家の多くはあまりこの業界の歴史に興味を払わない。でもリンはミュージカルシアターがどこから来たのか知っている。ミュージカルがどこから来たかを大事にしている」。ミランダはハミルトンの初期の曲を数年前、ソンドハイムに披露している。「圧倒されたよ。素晴らしいと思った」ソンドハイムは言う。「とても新鮮で、念が入っていて、舞台的だと思う」 
ミランダはソンドハイムのように、音韻構成と音楽のフレーズの組み合わせに注意を払っている。だが「ハミルトン」を作曲する際、商業的ブロードウェイ音楽からもインスピレーションを得た。「”レミゼ”的な音楽を作りたくてね。テーマを再登場させるのに賢い手が必要だった」彼は言う。「涙腺に直接響くと言う点では、あの作品の上を行くものはないよ」。「ハミルトン」はまた、ミュージカルの先人たちにもちょっとしたリスペクトを払っている。アーロン・バーがハミルトンや未来の革命家たちに怒りを鎮めるように忠告するせりふは、「南太平洋」からの引用。“I’m with you but the situation is fraught / You’ve got to be carefully taught.” 「これはロジャー&ハマースタイン的レイシズムの引用」ミランダは言う。ちょうど車はニュージャージーに向かうリンカーントンネルを通ったところだ。クリストファー・ジャクソン(彼は「イン・ザ・ハイツ」でも出演した)演じるジョージ・ワシントンは、自分のことを皮肉っぽく語る(“The model of a modern major general / the venerated Virginian veteran whose men are all / Lining up, to put me on a pedestal.” )が、これは「ペンザンスの海賊」からの引用で、ミランダ曰く、ギルバート&サリバンの改善である。「mineralは一番ベストな韻じゃないっていつも思ってたんだよね」 
ミランダのスコアは音楽のジャンルに対しても意味を込めた。キング・ジョージが去りゆく植民地に歌う曲は“You’ll Be Back”。ブリティッシュポップ的なーーただしハープシコードでーーウィットと美しい旋律に満ちた悪意。(“When push / Comes to shove / I will send a fully armed battalion / To remind you of my love,” と高慢な王を演じるブライアン・ダーシー・ジェームズ【オフ・ブロードウェイでの時は彼がジョージ3世を演じた】は歌う。)ミランダはハミルトンとジェファソンの世代の違いを、音楽で表現する。ジェファソンはハミルトンよりも一回り以上も年上なので、ちょうどパリから帰ってきた彼に屈折したジャズナンバー “What’d I Miss?” を与える。ジェファソンはラッパーのダヴィード・ディグスが演じる。彼は「ハミルトン」のために、国際ツアーを延期しなければいけなかった。彼は言う。「リンは普段滅多に交わらない世界の交差点に存在してるんだよ。ラップ音楽の熱心なファンで、とても優秀なラッパーでフリースタイラー。そして偶然にもミュージカルシアターと非常に親密な中で育った。その全部がオーセンティックに感じるんだ。」 
90年代初期のポップ音楽ーーミランダの青春時代のサウンドトラックだーーが、スコアの中に織り込まれている。聴衆はフージーズやモブ・ディープ、ブランド・ヌビアンの要素を聞きつけるだろう。作品はノートリアスB.I.G.ことクリストファー・ウォレスにさまざまな形で言及している。ニューヨークのラッパーで、1997年に24歳で射殺された。ハミルトンが自己紹介する時、自分の名前のスペリングをテンポに乗せて歌うが、これはウォレスが“Going Back to Cali.” でしたことだ。ミランダは特に楽しんだのは“Duel Commandments”において、ウォレスのドラッグ取引入門の曲“The Ten Crack Commandments”のリフを使った部分だ。この歌は作品の最初の決闘で現れる。ここではハミルトンとバーは敵手のセコンド同士だった。5月のワークショップでは、ミランダはハミルトンとバーの決闘でもこのカウンティングの構造を用いることにした。演出家のカイルが説明する。「ハミルトンとバーの決闘のために準備をする必要があった。ハミルトンは死ぬことになるからね。だから構造的にもその下準備が必要だって僕らは思ったんだよ。同時にヒップホップファンが愛する何かを入れることは、15年前にビッギーが言ってたようなことを、ずっと昔のやつらもやってたってことを表してるんだ。」ミランダは頷く。「これは不法な行為についての曲で、それがどう行われているかについての歌なんだ」彼は言う。「そして僕らも彼も両方ともモーゼからの盗用した構造で作っている」 
ウィーホーケンの柵に囲われた広場についてから、ミランダとカイルは不毛にもハミルトンが倒れた方向の手がかりを探した。1806年の初めには決闘のハミルトンの立ち位置に大理石のオベリスクが建ったが、数年のうちに壊された。のちに、崖の尾根に列車のレールが敷かれ、決闘場を根こそぎ無くしてしまった。最終的にミランダとカイルは1919年にハミルトンの胸像が立っていた柱を見つけた。 42番街の向かいにあるそのメモリアルは、驚くほど小さかった。ジェファソンやワシントンなら全身の像が建っていただろう。 
メモリアルは閉じられた門の向こうにあった。ミランダが低い壁を登って崖の端から見下ろすと、茂みと木々の間から、下にあるアパートメントの建物が見えた。「こんなに手入れされているとは思わなかった。歩いて入れる林を想像してた。頭の中では、僕が生まれ育ったところの林みたいに、鬱蒼として隠れたところを考えてたよ。その想像がこれに置き換わることはないかな」ミランダは携帯電話でハドソン川の向こう側にあるマンハッタンを撮った。「聖地巡礼」、のちにそうツイートした。 
「イン・ザ・ハイツ」の作曲家はワシントンハイツではなく、そこから30ブロックほどアップタウン側の、インウッド・ヒル・パークの近くで育った。マンハッタン最後の自然の森があるところだ。ミランダは2人姉弟の末っ子。姉のルツ・ミランダ-クレスポはエンジニアとして鍛錬し、今はMirRamグループのCFOである(リン-マニュエルの珍しい名前は、プエルトリコの作家ホセ・マニュエル・サンティアゴのベトナム戦争に関する詩“Nana Roja Para Mi Hijo Lin Manuel”から取っている。ルイス・ミランダが10代の頃に読み、将来のために取っておいた名前だ)。母は、プエルトリコで生まれたが赤ん坊の頃にすぐニューヨークに移民した、病院の心理士だ。 エドムンダ・クラウディオは住み込みの乳母で、プエルトリコから来た親戚。ミランダは彼女をアブエラ(おばあちゃん)と呼んだ。「うちの両親はずっと働き通しで、週末しか会わなかった」と彼は言う。「父と僕はアクション映画を見に行って、卓球やビリヤードで遊んだよ。同じ家に住んでるのに、週末だけ遊びに来る人みたいだった」 
夏には、彼と姉はプエルトリコに行き祖父母の家に滞在し、言語の上達に努めた(ミランダのスペイン語は流暢だが、ネイティブスピーカーのそれとは違う)。子供たちは学問の面でも文化の面でも、多くを期待されていた。ルイスは彼らにサルサの踊り方を教えた。「僕にとっては、踊りを教わったことは本当に本当に大事なことだった」彼は言う。家族は経済的にはさまざまな背景があった。ミランダの父方の大おじはプエルトリコ独立党の���設者だったが、基本的には親類は労働者階級だった。5歳の時、ミランダはハンター高附属小学校の試験を受けたが、そうしたのは近所では彼だけだった。「プエルトリコ人の父にとってどんなことだったか、僕には想像もつかない」彼は言う。「僕の友達はみんなユダヤ系だった。ハンターに行くのはそうだからね。僕は学校ではリンで、家ではリン-マニュエルだった。学校と家では別人だった。友達はみんなアッパー・ウエスト・サイドやアッパー・イースト・サイドに住んでいて、僕は彼らのナニーたちとはスペイン語で話してた」 
ミランダは6歳の時にピアノレッスンを受け始めた。「先生がリサイタルを催した。子どもたちがそれぞれ何曲か弾くんだ」ルイス・ミランダは思い返す。「リン-マニュエルが最初の曲を弾いて観客が拍手して、2曲目を演奏する。その時彼は『これもできる、これも知ってる』っていう感じになっちゃって。ピアノから引きずり下ろさなきゃならなかった。彼は拍手が大好きだからね」。彼のショーマンシップは時に宿題にも現れた。3年生の時の宿題、ジーン・メリルのThe Pushcart War(手押し車戦争)についてのレポートとして、彼は家族を巻き込んで本の中の出来事を再現したショートビデオを提出した。その中で彼はニュースキャスター風のスーツを着て、気取ったナレーションをした。「賢い子どもたちの中での必要通貨はファニーなこと。ファニーになれるなら大丈夫。だから僕はとても楽しい」(ミランダは今でも友人や家族を彼の創作意欲に巻き込んでいる。企業弁護士のナダルと2010年に結婚した時も、招待客を巻き込んで「屋根の上のバイオリン弾き」の”To Life”の寸劇で彼女を驚かせた。40万人がYouTubeでその様子を見ている) 
両親はミュージカルの愛好家だった。「たくさんパーティをしたけど、流している音楽はほぼラテン音楽だった。サルサやエル・グラン・コンボ」彼は言う。「でも掃除の時の音楽はいつもキャスト・アルバムだった」ブロードウェイに頻繁に行くほどのお金はなかったが、ミランダは”聖なる3作”「レミゼ」「ファントム」「キャッツ」に連れて行ってもらった。「7歳の時にレミゼを見に行ったのを覚えてる。フォンテーヌが死ぬところで泣いて、少し寝て、ジャベールの自死のシーンの時にはまた起きてた。あのショウを体験するにはすごくいい方法だったと思う。『キャッツ』を見たときは、花道を走り抜ける猫たちに触れられたのを覚えている。『ファントム』を見たときは『うわマジか!』て感じだったね。だって醜い作曲家が自分の意志を世界に押し付ける話だろう。親近感が湧いた。」 
ミランダは音楽を正式に勉強したことはない。ピアノレッスンは小学校を卒業するころには行かなくなっていた。ただ、ベッドルームのキーボードで、趣味としての音楽は続けた。高校で、彼はミュージカル演劇を始めた。9年生の頃、「ペンザンスの海賊」でシニアの生徒を負かして役を得た。「まだあの時の拍手を覚えてるよ。僕の人生で一番お気に入りの歓声だ」彼は言う。最終学年では、「ウエストサイド物語」を監督した。「シャークスにはラティーノがいなくて。いろんな濃さのブラウンと、アジアンの生徒たちだった」ミランダは思い返す。「だから父に来てもらって、シャークスのアクセントをつけてもらった。他の子たちにどうやってラティーノになるか教えたんだ。学校では全然ラティーノとしての自分は出してこなかったから、『ウエストサイド物語』はそのための方法だったね」ミランダが『ウエストサイド物語』の作詞家ソンドハイムと初めて道を交えたのはハンター高でだった。ソンドハイムは、同級生の父親(彼が生徒のためにアレンジを頼んだのだった)の友人だった。「彼はどうやってショウができるのかについて、素晴らしい話をしてくれた」ミランダは言う。「彼は僕らに、どうやってオープニング・ナンバーと台詞を書いたか教えてくれたーー歌詞に載せて歌い始めたーーでもジェローム・ロビンスは『いや、全部踊りで行こうと思う』と言ったんだって。すごく印象的だった。その時が初めてミュージカルが本当に作られるのか見た瞬間だった」 
1997年、17歳の誕生日の時、ミランダは『レント』をブロードウェイで見た。「僕は思ったよ、これならできる!って。今のことをミュージカルにしてもいいんだ」。彼は学校の文化祭で20分ほどのミュージカルを描き始めた。MSNBCのブロードキャスターで、その時ハンター高の生徒だったクリス・ヘインズは、ミランダの初期作品の「ニ長調の悪夢“Nightmare in D Major” 」を演出した。ヘインズが思い返す。「主人公の名前はディランで、悪夢の中にいる。彼の過去から愛は奪い去られ、その途中で邪悪な豚が出てくる。悲しいバラードがあって、忘れ去られた恋愛に関する歌なんだけど、今でも歌えるよ」ヘインズによると、ミランダは自分の才能に気づいていた。「それが彼の力だったと思うんだよ。自信と自尊心が彼のカリスマの一部なんだ。変に謙虚ぶらないんだよ。遠くから眺めてて、想像したよ、『あいつ、自分のことをなんだと思ってるんだろうな?』答えは、”世代に一つあるかの音楽の天才”だ」 
ハンター高を卒業した後、ミランダはウェズリアン大に行き、高校の頃の作品を再演した。「天国での7分間」という作品で、7年生のファースト・キスに関するミュージカルだ。「ウェズリアンはハンターに似ていて、頭にある馬鹿げたアイディアにを具現化することができるんだ」彼は言う。2年生の頃、ミランダはラティーノ文化センター兼寮のラ・カーサに移り住んだ。そこには8人の移民一世の生徒たちがいた。「この時が初めてラティーノの友達ができた時だった」彼は思い返す。「初めてマーク・アンソニー絡みのジョークと‘The ThunderCats’とか馬鹿げたアメリカ文化に関するジョークが、同時に通じる瞬間だった。『レント』が僕にミュージカルを書く許可を与えたみたいに、自分のホームについて書く許可が与えられた瞬間だった」 
2年生の頃、彼はワシントン・ハイツを舞台にしたミュージカルを書いた。ラテンミュージックとヒップホップで近所の音を再現した作品だ。ラテン音楽も、ヒップホップも、それまで作曲したことがなかった。苦しい三角関係を取り上げたストーリー自体に新鮮味はなかったが、2000年の春に作品が上演されたとき、ミランダはヒップホップが席にいる観客との距離を縮めることに気づいた。「ラテン音楽とヒップホップの融合は強い効き目がある。このグルーブには何かがある。」 
後の大学の二年間には、彼はそのミュージカル(初期の「イン・ザ・ハイツ」)の台本は棚にしまった。しかし、演劇関係の学生のあいだで評判は回って行った。2002年、ミランダの4年生でのプロジェクト“On Borrowed Time”がウェズリアンの劇場で上演されていた。2年上の卒業生トマス・カイルは劇団の立ち上げの手助けをしていて、劇場に立ち寄っていた。「イン・ザ・ハイツ」を気に入っていた彼は“On Borrowed Time”にはあまり興味がなかった。終了後ミランダと握手をして、横柄にも、「楽しめよ」と告げた(二人はいまだにこのフレーズを週に何度かお互いに言い合っている)。一ヶ月後、ミランダとカイルはニューヨークの西14番街にあるドラマ・ブック・ショップの地下で待ち合わせ、5時間話し込んだ。「『イン・ザ・ハイツ』のことを二年間ずっと考えてたから、話をはじめたら止まらなかったよ」カイルは言う。 
ミランダがウェズリアン大を卒業した後、父は彼をロー・スクールに行かせたがった。ルイス・ミランダはルーベン・ブラデス【作曲家でサルサ歌手。アメリカに亡命する前はパナマで弁護士をしていた】を引き合いに出し、大成する前に法律の学位を取って保険をかけておけば、と説得した。そうはせず、ミランダはハンターに戻り、7年生の英語の代用教師となった。「文法の授業をしたね。僕たちの頃はやらなかったんだけど。だから子どもたちに教えるために文法を勉強した」。同時に彼は「イン・ザ・ハイツ」の制作に取り組んだ。数ヶ月の間、彼とカイルは役者を交えて素材を試した。ミランダはボデガの店主でナレーターのウスナビを演じることにした。「この契約でいちからラップを習ってくれる人が見つからなかったから、僕に回ってきたようなもんだね」 
作品は最終的に数人のブロードウェイ・プロデューサーの目に留まった。「アベニューQ」などを手掛けることになるケヴィン・マクコラムもその一人だ。「彼は『なんの話かわかってきたらまた来な』て感じだったね」とミランダは言う。(マクコラムは「ハイツ」のブロードウェイでのプロデューサーとなった)2004年、ミランダとカイルは若き戯曲家キアラ・アレグリア・ヒュデスを雇い、脚本を書き直した。ヒュデスは大胆な書き換えをした。三角関係をなくし、ウスナビを謙虚ながらもカリスマのあるアンカーとして中心に据えた。【ハイツのメイキング本曰く、ベニー、ニーナ、リンカーン(ニーナの兄)の三角関係をなくしたのはプロデューサーの提案だったそうです】ミランダの愛するホームを描いた物語の中心だったロマンスは、二次的な要素になった。 
2007年、数回のワークショップを経て、作品はオフ・ブロードウェイで上演された。翌年ブロードウェイに移った。いくつかの感情的・ストーリー的矛盾はあったが、その独創性と中毒性は多くの賞賛を得た。タイムスのチャールズ・イシャーウッドはこう書いた「『イン・ザ・ハイツ』は+サルサ・フレスカ−(セックス、ドラッグ、病気)のアップタウン版『レント』である。」 
ミランダは動きの中で作詞をしている。アパートメントの近くのフォート・タイロン・パークを散歩しながら。または181番街からダウンタウンにゆく地下鉄の中で。彼のiTunesのフォルダはミュージカルのかけらでいっぱいだ。”Battle Loop”、”Burr-Hamilton Loop”はLogic Proで作曲した。「いいなとか面白いなとか、キャラクターに話してほしい片鱗とかを思いついたら8から16小節ぐ���いの音楽をまず書く。そして��ッドフォンをつけて出掛けて、犬の散歩をしながら独り言を言ってる」。時には作曲中の節をボイスメモに吹き込みながら、他のものをループで聞く。アーロン・バーを象徴する”Wait for It”のリフレインは夜地下鉄に乗りながら思いついた。「ダンボでやってる友達の誕生日パーティに行く途中だった。メロディをiPhoneに録音して、15分パーティに出て、帰りの電車で後の部分を作曲したよ」 
長い間、ミランダはハミルトンか、アメリカの歴史の中では悪役となることの多いバーか、どっちを演じたいか決めることができなかった。ハミルトンの死後、バーは南西部で謀反を画策したとの疑いをかけられた(最終的には無罪となったが)。ミランダは多くの歴史家とは違い、バーに同情的だ。「バーには同じぐらい親近感があるよ」彼は言う「バーはハミルトンと同じぐらい賢くて才能があった。それにハミルトンと同じぐらい失ってきた。ただ、だからこそ、ハミルトンが前に進むところでバーは一歩引いてしまった。人生の中で、自分がハミルトンのようだと思うのと同じぐらい自分はバーだったと思う。誰しもこう言うことがあるだろう、友達や仲間が自分を通り過ぎて、成功したり、結婚したり、家を持ったりする。自分は一文なしで、独身で、仕事もなくもがいているのに。そして自分に言い聞かせる、『機会を待て』と。」ミランダは最近35歳になった。「ハミルトンがこの歳に達成したことを考えると、すごくバーみたいな気持ちになる。それか、ポール・マッカートニーと比べたりとか。ソンドハイムとか。ガーシュインとか。アウトキャストとか。彼らの業績を考えると驚いてしまう。」 
最終的には、キャリアの面を見通した打算が勝った。「ハリウッドから連絡があると、大体は白人の主人公の友人役。もし主人公を演じたいなら自分で機会を見つけて、自分で書くしかない。ジョン・レグイザモもおんなじことを言っていた」(パブリックでは、バーは最近のNBCのドラマシリーズ”SMASH”に出演したレスリー・オドムJr.が演じている)ハミルトンを演じることは、ミランダいわく「本当の自分よりも生意気に、賢く、衝動的にならなきゃいけない。2時間半は自分の手綱を外さなきゃいけないね」 
トマス・カイルはミランダが最終的にハミルトンを選んだことには驚かなかった。彼いわく「ハミルトンが自分を時限爆弾のように感じてるのは、リンの性質ととても合ってる」。「ハイツ」のブロードウェイ公演のリハーサルの時に、開演前に死んでしまうという迷信的恐怖を発達させた。「いつもジョークを言ってたよ。『無名の作曲家、マンホールに落下』『無名の作曲家、バスに轢かれる』」ミランダはいう。「ハミルトンの『死はいつも思い出のように感じる』と言う歌詞を書いた時、『ああこいつのことは知ってるな』って思ったよ」 
親友となったキアラ・ヒュデスいわく、「ハイツ」は自伝的処女作である。「これが僕だ、これが自分が来た場所だーそれを爆発的なエネルギーで表現する必要があった」。���して「ハミルトン」は、彼女いわく、ミランダが大人として書いた初めての作品である。そしてこの作品も、彼のさまざまなアイデンティティと強く関わっている。「彼はプエルトリコで、彼はニューヨーク、彼はヒップホップで、彼はブロードウェイ。彼は異なる世界の全てだと言うこと。それを一つの部屋に全部持ってくると、人々は熱狂するって彼は気づいた。だってそれはこの国そのものだから。」 
パブリックシアターのミランダのチームは、このショウがヒップホップミュージカルと表現されるのを好まなかった。それも妥当な反論だろう。色々なジャンルを含んでいるから。また、戦略の面でもそうだった。そういったカテゴライズは聴衆の興味を限定する恐れがあった。特にブロードウェイ(最終的にそこを目指していた)では。(「ハミルトン」は2014年の終わりにはパブリックでソールド・アウトし、2回公演を延長した) 
ヒップホップは音楽シーンでは世代を制覇しているが、ブロードウェイでは影響が小さい。3年公演が続いた「イン・ザ・ハイツ」以外で試みがあったとしたら、去年の“Holler if Ya Hear Me”(トゥパックの歌詞を元にしたミュージカルで、6週間の公演だった)が唯一だろう。「ハイツ」のプロデューサーで「ハミルトン」に大金を注ぎ込んだジェフリー・セラーいわく。「誰も一晩中ずっとヒップホップを聴きたいわけじゃないし、こっちもそうするつもりはない。『ハイツ』を三年間公演したけど、もしヒップホップミュージカルと言われていなかったら、もっと長くできてたと思う。美しくて感動的なショウだったからね」 
「ハミルトン」宣伝の障壁は音楽の認識だけではなかった。セラーは観客たちが「誰がアメリカの官僚についてのショウを見たいんだ?」と言っているのが想像できた。同じ問題は、2010年のブロードウェイ作品“Bloody Bloody Andrew Jackson”でも起こった。7代目大統領についてのエモ・パンクミュージカルだ。評価は高かったが、興行面で振るわず四ヶ月の公演を終えた。 
セラーの警告に反して、ミランダの独立戦争についてのラップ・ヒップホップを作曲する才能は、アウトキャストを聞いたこともないであろう聴衆に受け入れられた。戯曲家のジョン・ゲールは去年の春、友人にワークショップ公演に誘われた。「ショウを見ながら、こんなに生を感じたことはなかった」ゲールはいう。「ドアを開けて新鮮な風が吹き込む時のあの爽快な気持ち。彼はハミルトンの精神をとらえ、ロン・チャーナウの本の空気をとらえ、時代の精神をとらえた。おかしなことだが、それを優雅さと注意深さと統制と、狂気を持ってしてやり遂げた」。ミランダのヒップホップ・フリースタイラーとしての才能の証明はまた、新しい観客も捉えたようだった。ブルックリンを拠点にしたパフォーマンスアーティストのレモン・アンダーソンは「ハミルトン」をこう表現する。「劇場に行ったこともないコミュニティが、これを見にくる。いつも自分達の文化圏のみんなに言ってるんだ、『ラップの観点からもこんな歌詞が凄いショウはないよ』って」。ミランダと「ティモシーの小さな奇跡」で共演したコモンは言う。「ランチタイムにセットでフリースタイルをした時のことをいつも思い出すよ。『うわ、こいつは凄い才能があるな』と思った」 
ミランダの作品はオペラのように歌い通しなので、キャラクターがラップに移っても違和感がない。「ハミルトン」のジェファソンを演じるダヴィード・ディグスは、そのことをアメリカをステージで表現したものだと言う。「それがお互い会話する唯一の方法なんだよ。それが大事だと思う。いつも省かれてきた自分達を、歴史の一部として見ることができる。ラップは僕たちの世代の声なんだ。有色人種の人々の声だ。それがこの作品の中にただ存在して、特異な扱いをされないと言うことが、歴史は僕たちのものだと言う感覚をもたらす。」威厳に満ちたジョージ・ワシントンを演じるクリストファー・ジャクソンは、低く響くヒップホップのビートに乗せるラップから、朗々とR&Bバラードまでを歌い上げる。彼いわく、この作品は奴隷制の構造とその悪影響について潜在的に批判している。「ブロードウェイの観客は説教されるのは嫌いだから。多人種のキャストにすることで、有色人種である我々役者たちがキャラクターを演じると言うことだけで、追加的な文脈を加えることができる。」 
「ハミルトン」のリハーサルは、タイムズ・スクエア近くの貸スタジオで行われた。12月初旬のある午後、キャストは”My Shot”に取り組んでいた。独立戦争前夜の活気に満ちたナンバーだ。出演者ほとんどが出てくるヒップホップダンスを、振付師のアンディ・ブランケンビューラーが振り付けていた。ミランダの音楽は、今やアレックス・ラカモアによってオーケストラ化され、力強いクレッシェンドを作り上げていた。彼もブランケンビューラーと同じように、「イン・ザ・ハイツ」からの付き合いのベテランだ。若き俳優アンソニー・ラモスが、舞台の向こう側から怒りを込めて突進する。彼はハミルトンの親友で、奴隷所有者の息子のジョン・ローレンスを演じている。独立戦争の頃、ローレンスは奴隷たちを兵士としてリクルートし、勝利のあかつきには身分を解放すると約束し、黒人連隊を作ろうとした。彼は1782年の終戦間近に戦死する。“Don’t this shit make my people wanna rise up!” とラモスは歌い、反乱者たちのコーラスをリードする。 
役のために髪を肩まで伸ばしていたミランダは、心配そうな空気を纏い、目は疲労に縁どられていた。11月の初めに、長男セバスチャンが生まれていた。それにも関わらず、ミランダは役としていきいきを動き回っていた。あるときはアンサンブルとダウンステージを踏ん反り返って歩き、指を頭の上に高く上げる。まるで銃を撃つように。次の瞬間にはパソコンやスマホに何かを打ち込む。「頭の中のアプリがたくさん開いてる。台本、振付を覚えること、ツイッター。それからニュース」 
その午後、ニューヨークでは、大陪審は警官のダニエル・パンタレオを殺人罪では起訴しないことを決めた。ステタン・アイランドのエリック・ガーナーは、去年の夏単本のタバコを売っていたことで逮捕された際、首を絞められ死んだ。その1週間前はミシシッピのファーガソンで暴動が起こった。これもまた大陪審がアフリカン・アメリカンのマイケル・ブラウンを射殺した白人の警官ダレン・ウィルソンを起訴できなかったことがきっかけだった。「『立ち上がれ』と僕らは叫んでいるけど、多くの人も同じように思っている」ミランダは言った。 
2009年、ミランダのホワイト・ハウスパフォーマンスのあと、パーティはロビーのレセプションエリアに移った。そこではDJがヒップホップを流していた。ミランダは驚いた。アメリカはついに昔の人間ではなくて、自分達と同じ時代を生きる人間が大統領をしてるんだと思った。もしここ最近の社会がその包括の約束を裏切る辛い証拠だとしても、ミランダはまだ言葉の力を示すことができると思った。デモの参加者がマンハッタンでのデモを始めた時、ミランダは”My Shot”からの歌詞を呟いた。“If we win our independence / Is that a guarantee of freedom for our descendants? / Or will the blood we shed begin an endless / Cycle of vengeance and death with no defendants?”  
午後のリハーサル室は静かだった。ミランダとジャクソンはカイルと別のシーンに取り組んでいた。1776年の8月、絶望的なブルックリンの戦いの後の、ワシントンとハミルトンの出会いのシーンだ。”Right Hand Man”の中で、ワシントンはハミルトンを召集し兵士としてでなく秘書として働くようにオファーする。“Head full of fantasies of dying like a martyr? / Dying is easy, young man. Living is harder.” ハミルトンは反論する。彼は連隊の指揮権が欲しいのだ。 
カイルはミランダにハミルトンは何を考えているのか尋ねた。「保身モードになってる。ワシントンが正直になるまでは」とミランダは返答した。「『ゴッドファーザー』でアルパチーノが列車の音を聞いて、行くか行かざるか、と考えているところみたいな感じ。警察署長とソロッツオのところに行くか?それとも、ディナーに行くか?」ハミルトンは、ミランダが言うには、「勝利のための生贄」になる決心をしていた。戦場を離れるのはいつも最後だった。今やハミルトンはワシントンの側に着くことの将来の利点を素早く計算していた。この計算は一小節で示される必要があった。「この瞬間、彼はいう。『これをのしあがる手段にしよう』と。『戦場で成り上がると思っていたが、この方法で行くしかない』」 
数回歌を繰り返して、ミランダはワシントンへのハミルトンの返事を考え出した。“I am not throwing away my shot.” 数曲前では、ハミルトンの戦場で命を投げ出す決意を示すフレーズだった。今ここでは、彼の人生よりも続くレガシーを築くチャンスを掴んだ瞬間を示すものだった。台本では、ワシントンはハミルトンを一言で遮るーー「息子よ」ーーこれはワシントンの若い部下に対する親心が現れている。(チャーナウは、ハミルトンは根拠なくワシントンの私生児であると噂された、と書いている。)だがジャクソンの「息子」の言い方はまた、ヒップホップ風の、ブラザーフッドや対等さもまた示している。 
ミランダとジャクソン、そしてカイルは台詞を繰り返し、ワシントンのハミルトンの新しい目的に対する理解をどう表現するか探っていた。兵士から未来の政治家になるハミルトンの変化を聴衆に感じ取ってもらいたかった。ミランダは自分の原稿を確認した。「息子よ、じゃなくてシンプルに『いいぞ』と言った方がいいかな?」と言った。「『いいぞ』ってことは『お前を雇うぞ』てことだし。それでハミルトンは新しい才能が開花するんだから」 
ミランダの台本はまだ草稿状態だった。ハミルトンの死のページは「新曲製作中」と書いていた。数週間後、まだミランダは旋律に悩んでいた。「最後の瞬間ハミルトンは何を考えるだろうか?」彼は言った。「トミーが筆を置けと言うまでずっと考え続けるだろうね」続けて、「目の前のバーは、彼が10代の頃から知り合いだ。そのことを考えるだろう。たくさんの子供たちと共に置き去りにすることになる妻のことを考える。負債と、それに対する罪悪感について。でも彼はクリスチャンだったし、また会うことができる息子がいる。ジョージ・ワシントンともまた会える。たくさんの愛する人が、彼を向こう側へと呼んでいる。弾丸が銃を離れるまで、そのことを表現する時間がどれだけあるのか」 
決着はほとんど最後の瞬間に訪れた。元旦の早朝のこと。眠る赤ん坊の息子を胸に置いて彼はベッドに横たわっていた。隣ではナダルが寝ている。長いことなかった静かな時間だった。静寂。彼は考えた。それは「ハミルトン」でまだ演奏していないものだった。何も音楽がないのはどうだろうか。犬の散歩に行く。この時はヘッドフォンは家に置いていった。時々ノートにメモするために立ち止まった。次の日の朝5時まで起きて、ハミルトンの最後の瞬間をついに聴いた。 
3週間後、パブリック・シアターでプレビューが始まった。ロビーにはニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティから借りた、バーとハミルトンが向かい合わせで銃を引く銅像が立っていた。舞台では、ミランダのキャストは慣れない衣装を着て心地よく、観客の祝福を楽しんでいた。宝石に飾られたキング・ジョージの尊大な忠告は笑いを呼び、“Duel Commandments”でのビッギーのオマージュは喜んで迎えられた。「レ・ミゼラブル」“One Day More” のスタイルを恥ずかしげもなく拝借した一幕の最後は歓声で迎えられた。ハミルトンの自慢の息子、フィリップの痛ましい死は、観客の涙を誘った。 
2時間半の音楽の嵐の後、バーとハミルトンの決闘の瞬間が訪れた。バーが致命的な銃弾を放った後、ハミルトンは長く思い描いた死が訪れたことに気づくと、音楽は消えた。黒の喪服に身を包んだミランダはラップではなく、詩を語った。彼の最後の思考と感情のひらめきはもはやビートや旋律にはつながれていなかった。「誰かが私のために歌う旋律を書く/アメリカ、素晴らしき未完成の交響曲/あなたが私を呼んだ」と静かに語った。ハミルトンは妻や友人たちを思い、思考は飛び交い、昔の歌を歌う。言葉はばらばらになり、儚く浮かび上がる。彼はよろめき、そして静寂が落ちた。◆
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crydayz · 1 year
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230131 TL
【12:30】 MTG終わり。表に露出しない特典イラストの発注多いな(ありがたい事に報酬は良い)。
アニメ本編のアレコレの報酬が安いのは実績公開できるのと、描いたもの直接観客に観てもらえる率が高いという部分でバランス取れてる。
「報酬安いのに露出も少ないし実績も公開不可」という条件のやつが絵描きにとっては最悪のパターン。
企画する側からすれば「ゲームをクリアしたり商品買ってくれた人向けのご褒美」として用意したものなんだから描いた人には黙っててほしいし「余剰なオマケなのでなるべく安く済ませたい」ってのも当然の欲求なわけだけどな。
個々の都合に対し難癖つける気は全然ない。
ただ、やりたくない事はやらないし、判断ミスってしょっぱい案件請けてしまったのなら「自分の嗅覚の悪さ」だけ責めて企画は責めない。ただ、同じ企画に二度と関わらないし関係者にも近づかない。物事に三度目の正直みたいなのってほぼない。しょっぱい事やってる人達と関わると何度でもしょっぱい目に合わされる。
損するの大好きなマゾならやったらいいけどな。
そしてマゾは当人の性癖なんだからそれを気分で棚上げして被害者ぶってはならない。関与する人と企画を見抜く目と情報ネットワークを持つ事もプロに求められる資質だ。
人を観る目がないのはそれだけで罪だよ。
そういうやつは往々にして自分が何者なのかも正しく理解できていない。
これもちろん全部ブーメランなので今ザクザク刺さってる。
ああ、やりたくなくとも2007年に初音ミクをいっぱい描いておけばその後の運命は180°変わり、15年早く今の視点にたどり着けていただろうにな。
DTMカルチャーを大して知りもせず打ち込みで曲作った事もないイラストレーター共が絵的な可愛さだけに惹かれて初音ミクを我が物顔で消費する浅ましさとその浅ましい連中に媚びうるYAMAHAが死ぬほど許せねぇ!!
という狂った視点(もといオタクとして実に澄んだ視点)を早々に捨てられていれば・・
打ち込み4つ打ちドテクノが大好きで好きなアーティストのMIDIデータ入ったフロッピー買って実機(SC-55ST)で再生して嗜んでいた自分には到底無理な「アイデンティティ捨て」だったけどな。DTMカルチャーは自分にとっては土足で踏み入られたくないちょっとした聖域と化していた。
それもやっぱ自分でしっかり曲作ってそれで食っていこうとした経験が皆無であるがゆえの「カルチャーに対する過度な憧れと期待によって歪んだ、誰も得しない迷惑で狂ったファン意識(狂った敬意)」でしかなかったのだと今は思う。
----------------------- 【14:00】
別の造形物チェック終わり。
いやー・・・組み立て済み色彩サンプル一個作るのに「XX万」って聞いて椅子から転げ落ちそうになった。出てきたものにフランクにダメ出ししてたけどそりゃ3Dモデルの時点で「漏らさずしっかり監修してくれ・・」って言うよ!
反省した!
パーツ点数多くて大きいものだと余裕でXXX万越えだそうな・・
そりゃあんた 資本がある企業オア関係者の多くが「タダ働きする覚悟」でもない限りは商品精度詰めるの難しい。
ある程度のタダ働きを許容する中小企業の職人集団が「ヤ●ザめいたパーソナリティ」獲得していくの「超・当たり前」って感じするわ。
「恩」やら「儀」やら「道を征く覚悟」なしでそんな自己犠牲できっこないもん。あーおもしろ。エンタメ、おもしろ。辻褄合いすぎ。大手強すぎ。
F1みてーな構造になってんな(トップチームは資本があるからマシンを常に改良できるし高い報酬得られる、下位チームは資本ないからマシンが常にショボいしドライビングテクいくら高めようともマシンスペックの差で絶対トップに勝てないし報酬もショボい)
こりゃ「売れないもん」デザインしたら超恨まれるし疫病神扱いされるわ・・ よかった、ほんっと売れてよかった。こういう金銭的な「圧」に耐える為に現代アートやってたんだって思うほんと。金ドブだめ、ぜったい(そうか?)。
----------------------- 【15:30】
時間飛ぶの早いな。
Twitterにはシャドウバンってもんがありまして、当人がTLにインモラルなもんばっか流してたり、そーいうのばっか流してる人をフォローしまくるとTwitter社から予告なく適用される。あとは他人のアレな投稿をLikeしまくるのもBAN対象。
シャドウバン食らうと自分のツイートやアカウントが「検索」に引っかからくなりエンゲージ率が下がってしまう。下記でチェック可能。
[LINK] https://shadowban.elrincondelantropologo.com/
インモラルなユーザーをブクマしたりリストに入れる分には問題ないと思われる(何故なら僕自身ヤバい人を非公開リストに入れまくって、アレな投稿をブクマしまくっているにも関わらず一向にシャドウバンされないから)。
あくまで「TLに流れる可能性」があるインモラルな情報源を「フォロー」したり「いいね」するのがシャドウバン対象ってこと(「いいね」は読み手の設定次第でTLに流れる仕様な為)。
「Twitterをマジメに育てる」気があるならシャドウバン対策は欠かしてはならない。
その観点からすると「数百万のフォロワー持つエロ絵描き / 同人作家(※)からフォローされても決してフォロバしない」ってのが自分のアカウントの信頼度スコア落とさない為のコツ。自分自身もシャドウバンされまくってる「コンプラ信頼度低い絵描き」ならなんも問題ないわけだけど。
※彼らは漏れなくシャドウバン食らってるし、予告なくTwitter社からペナルティ食らって発信プラットフォーム断たれるリスク抱えている
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kennak · 2 years
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ゼロから構築していく側と頂点から失っていく側の両側から「人間性」のプロトコルを描いていくのが本作だ。護堂恒明は最終的に義足をつけた自身と振付AIと、ロボットたちのダンスの共生というあらたなダンススタイルを模索していくが、はたしてそれがどのようなかたちをとるのか。それは、ぜひ読んで確かめてもらいたいところ。『今、この人間の表現の価値を問われる舞台が、人間とマシンの関係の最前線だ。』長谷敏司が本作の元となる中篇を書いたのは、2016年のこと(コンテンポラリーダンスのダンスカンパニー大橋可也&ダンサーズとのコラボレーション企画)。そのころはダンスについての知��も思考の積み重ねも乏しかったとあとがきで語っているが、人間はそれからだいぶ時が過ぎたとはいえ、積み重ねることでここまでの”ダンス”を描けるようになるのか。情景が目に浮かぶのではなく叩き込まれてくるような、小説でしか描きようがないラストであった。「人間性」の追求は、おもしろい。
AIを搭載した義足と足を失ったダンサーが”共生”し、新しいダンスを作り出す、長谷敏司10年ぶりの最高傑作────『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』 - 基本読書
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rosaliaolenyeva · 2 years
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📛 108) マクドナルド、1990年からのお付き合いでした ロシアと お別れをする。
きっと真夜中、物騒な雰囲気漂う夜の街を ひとりの女性が荷物を抱えて歩いているところから始まります、猟奇的な連続殺人事件を追うひとりのハリー・キャラハン似の刑事の日々を描いた サスペンス映画 「タイトロープ」 を、ホーム社漫画文庫版 アタックNo.1 (浦野千賀子さん ホーム社)を開きながら (ホンゴウ先生のスパルタは ツトムさんのクラスでも評判になっているらしい、というあたりを読んでいます) 観ています。リチャード・タッグル監督作品。ニューオリンズのどこかで繰り広げられます連続殺人事件の真っ只中で事件を捜査しておりますハリー・キャラハン似の刑事が 被害者に とっても近い (とても後ろめたい) 存在だったりするのにも関わらず、まったく疑われなかっりして そんな疑われのなさに衝撃を覚えてしまう この映画、劇中 その時代のピンボール・マシンやビデオゲームがちらっと映っていて好いです。
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omochajournal · 2 years
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
スティーブン・ウルフラム:AI、宇宙、そしてすべてについて計算的に考える方法
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
これからの未来のヴィジョンとしての大前提は・・・
チャットGPTなどのAGIは、人工知能時代には、セレンディピティ的な人生を良くしてくれるメッセージを伝えてくれることの他に貨幣を事前分配、再分配して生活を下支えする役割に徹するべき。
例えば、GAFAMのようにアカウントに本人以外がアクセスしたら自動的にお知らせしてくれる方向性は良いサポートです。
計算用語で世界を定式化するという彼の数十年にわたる使命に基づいて、スティーブン・ウルフラムは、AIの未来における計算とその役割の深遠なビジョンを提供します。
宇宙の根底にある構造を描いた魅惑的なビジュアルのデビューの中で、彼は彼のライフワークの広範な調査を提供し、計算言語を搭載したAIのアプリケーションと結果に関する新しい視点を提供します。
人間の言語、数学、論理。これらはすべて、世界を形式化する方法である。そして今世紀には、さらに強力な新しい方法、計算が登場した。
私は50年近くにわたり、この「計算」という考え方に基づいた科学技術の塔を、これまで以上に高くそびえ立たせるという大きな特権を与えられてきた。
そこで今日は、その結果どのようなことになったのか少しお話ししたいと思います。話したいことがたくさんあるので、手短に。
そして時には、私が一冊の本を書いた内容を文章で要約することもあります。
でもね、私が最後にTEDで講演したのは13年前の2010年2月で、WolframAlphaを立ち上げた直後だった。その講演の最後に、私はこう問いかけました。私はそれを知るために10年を費やした。
そして実際には、100年必要だったかもしれない。しかし、2020年4月、10年という節目を迎えた直後、私たちは宇宙の究極のマシンコードと思われるものを発表することができ、感激している。
そう、それは計算機だ。つまり、計算は単なる形式化の可能性ではなく、私たちの宇宙にとって究極のものなのです。
空間は物質と同じように個別の要素からできているという考えから始まり、空間とそこにあるすべてのものの構造は、空間の原子と呼ぶべき要素間の関係のネットワークによって定義される。
非常にエレガントだが、非常に抽象的だ。しかし、ここにあるのは人間化された表現であり、宇宙の始まりのバージョンです。ここで私たちが見ているのは、非常に単純な計算ルールの連続的な適用による空間とその中のすべてのものの出現である。
覚えておいてほしいのは、これらの点は、既存の空間にある原子ではないということだ。
空間を作るために組み合わされた「空間の最小単位である原子」なのだ。
そして、そう、もし私たちが十分に長く続けていけば、この方法で宇宙全体を作り上げることができるだろう。
何年も経って、ここに2つの小さなブラックホールのある空間の塊がある。少し待てば、やがて合体し、重力放射の小さな波紋を生み出すだろう。覚えておいてほしいのは、これはすべて純粋な計算から作られているということだ。
しかし、分子から生まれる流体力学のように、ここで生まれるのは時空とアインシュタインの重力方程式である。
そして、他にもある。私たちの計算ルールは必然的にさまざまな形で適用され、それぞれが異なる種類の時間の糸、分岐と合流を繰り返す歴史の道を定義する。
しかし、この宇宙に組み込まれた観測者である私たちもまた、分岐と合体を繰り返しているのだ。
そして、量子力学は、枝分かれする!心が枝分かれする宇宙をどのように認識するかという物語として浮かび上がってくるのだ。
ここで見えるかもしれない小さなピンクの線は、私たちが枝分かれ空間と呼ぶものの構造を示している。
そして、少なくとも私のような物理学者にとって、驚くほど美しいことのひとつは、物理空間では重力が生じるのと同じ現象が、分岐空間(空間の最小単位である原子)では量子力学が生じるということだ。
これまでの科学の歴史を振り返ってみると、世界のモデルを作るための4つの大まかなパラダイムを特定することができると思います。
古代から今日に至るまで、科学の多くの分野では、物事は何でできているのかということがすべてです。
そして、時間というものはあまり関係ない。しかし、1600年代になると、物事を数式でモデル化する考え方が登場し、その中で時間が登場するようになりました。
そして1980年代には、私も深く関わったことですが、単純な計算ルールから始めて、それをただ実行させることでモデルを作るという考え方が生まれました。
では、何が起こるかを予測することはできるのでしょうか?いいえ。私が計算不可逆性と呼んでいるものがあり、事実上、時間の経過は不可逆的な計算に対応し、それがどうなるかを解明するために実行しなければならないのです。
私たちの物理学プロジェクトでは、オブザーバーによってのみ編み上げられる多くの時間の糸を持つ、マルチコンピューテーショナルなものがあります。
ですから、これは一種の新しいパラダイムであり、基礎物理学だけでなく、数学やコンピュータサイエンスの基礎、そして、おそらく生物学や経済学のような分野でも物事を解き明かせる可能性があるのです。
ある計算ルールを繰り返し適用することで宇宙が構築されるという話をしました。しかし、そのルールはどのようにして選ばれるのでしょうか?実はそうではないのです。
なぜなら、可能性のあるすべてのルールが使われるからです。私たちは、私が「ルリアッド」と呼ぶものを定義して構築しているのです。
チューリング・マシンの観点から見たその小さな断片がここにある。つまり、この定義されたルリアードはすべてなのだ。そして、観測者である我々は必然的にその一部なのだ。
ルリアッド全体では、ある意味で、計算可能なことはすべて起こりうる。しかし我々のようなオブザーバーは、定義されたルリアードの特定のスライスをサンプリングしているだけなのだ。
私たちには2つの重要な事実がある。
第一に、われわれは計算上の制約を受けており、われわれの心には限りがあること。
第二に、われわれは、瞬間ごとに異なる空間の原子でできているにもかかわらず、時間的に持続していると信じていることである。
では、ここからが大きな結果だ。このような特徴を持つ観測者が定義されたルリアードの中で知覚するものは、必然的にある法則に従っている。
一般相対性理論、量子力学、そして第二法則の統計力学である。つまり、私たちが物理法則を知覚できるのは、私たちのような観測者だからなのだ。
異なる心は、支配空間の異なる場所にあると考えることができる。同じように考える人間の心は近くにあり、動物はさらに遠く、さらに遠くへ行くと、翻訳するのが難しい異星人の心のようなものにたどり着く。
では、どうすればこれらすべてを直感的に理解することができるのだろうか?
私たちができることのひとつは、生成AIを使って、私たち人間が作り出した画像と一致する定義されたルリアードの信じられないほど小さな断片を取り出すことです。
これは、パーティーの帽子をかぶった猫という概念で説明されるルリアードの場所のようなものだと考えることができる。
そこでズームアウトしてみると、そこにはキャットアイランドと呼ぶべきものがあった。やがて私たちは一種のインターコンセプト・スペースにいる。時折、見覚えのあるものも出てくるが、たいていの場合、私たちが目にするのは、私たち人間が言葉を持たないものだ。
物理空間では、宇宙船を送り出すことによって宇宙を探検する。ルール空間では、概念やパラダイムを拡大することでより多くのことを探求する。可能性のあるルールをサンプリングし
私が「ルリオロジー」と呼ぶ定義されたものを行うことで、そこに何があるのかを知ることができる。
だから、信じられないほど単純なルールでも、驚くほど豊かなものがある。
しかし、問題は、そのほとんどがまだ私たち人間が理解したり関心を持ったりしている日常のものと結びついていないということだ。
自然界を見ていて、その特徴をテクノロジーに利用できることに徐々に気づくようなものだ。つまり、私たちの文明が成し遂げたすべてのことの後でさえ、私たちは支配的な空間を探求するほんの、ほんの始まりにすぎないのだ。
AIはどうだろう?
私たちがルリロジーをできるように、AIも原理的には外に出て支配空間を探検することができる。とはいえ、AIに任せておけば、ほとんどの場合、私たち人間とは関係のないことをしたり、関心を持たなかった���するだけだろう。
そのため、最近のAIの大きな成果は、私たち人間と密接に連携したシステムを作ることにある。
LLM (大規模言語モデル)を何十億ものウェブページで訓練することで、私たち人間が書くような典型的な文章を作成できるようになる。
そして、これが機能するということは、言語の意味文法や論理学のようなものの一般化について、おそらく何世紀も前に私たちが知るべきであった深い科学的なことを私たちに教えてくれているのは間違いない。
人類の歴史の大部分において、私たちはLLM (大規模言語モデル)のようなもので、頭の中でパターンをマッチングさせることによって物事を解明してきた。
しかし、その後、より体系的な形式化が進み、最終的には計算が可能になった。その結果、私たちは新しいものを創造し、事実上、定義されたルリアードの好きな場所に行けるという、まったく別のレベルの力を手に入れたのだ。
しかし、課題は、私たち人間やAIが理解していることとつながるような方法でそれを行うことです。実際、私は人生の大部分をその橋渡しをすることに捧げてきました。
それはすべて、私たち自身を計算で表現するための言語、計算思考のための言語を作ることでした。都市、化学物質、映画、ユーモア、数式、そしてそれらに関する知識を計算で表現する方法を持つことです。
これは私の人生の40年以上に及ぶ膨大な事業でしたが、非常にユニークで異なるものでした。しかし、Mathematica であり現在のWolfram言語であるものにおいて,私たちは真の意味で本格的な計算言語を作ることに成功したと思います.
事実上、ここにある関数の1つ1つは、私たちの文明の知的成果のある側面を形式化し、計算用語でカプセル化したものと考えることができます。
あらゆるものの本質を見つけ出し、それを計算言語の設計の中で首尾一貫して表現する。私個人としては、毎年、毎年、必要とされるアイデアと技術の塔のようなものを築き上げる素晴らしい旅だった。
そして最近では、そのプロセスをオープンライブストリームなどで世界と共有している。
数世紀前、数学的記数法が開発され、数学の言語に相当するものが開発されたことで、数学を体系的に表現できるようになり、代数学や微積分学、ひいては現代の数理科学のすべてが可能になった。
つまり、我々はコンピュータサイエンス(CS)の成長を見てきたが、計算言語は究極的にはもっと大きく、もっと広いCXということを切り開くものなのだ。
つまり、70年もの間、私たちにはプログラミング言語があり、それはコンピューターに何をすべきかを指示するものでした。
しかし、計算言語は知的により大きなものなのです。私たちが考えることのできるすべてのことを、計算用語で視覚化、操作化することなのです。
私がWolfram言語を作ったのは、何よりもまず自分自身が使いたかったからです。そして、今、Wolfram言語を使うとある種の超能力が得られるような気がするんだ。計算用語で何かを想像するだけでいいんです。
そうすると、その言語がほとんど魔法のように、それを現実のものにして、その結果を見て、それを基に発展させてくれるんだ。そう、そのような超能力があるからこそ、私たちの物理学プロジェクトのようなことができるのです。
そして、過去35年間、この超能力を他の多くの人々と分かち合うことができたのは私の大きな特権であり、そうすることで、多くの分野で信じられないような進歩が可能になった。
研究者、最高経営責任者(CEO)、子供たちなど、人々が私たちの言語を使って計算用語で流暢に考え、自らの思考を研ぎ澄まし、そして、事実上、計算超能力を自動的に呼び出すのを見るのは、ある意味素晴らしいことです。
そして今、それができるのは人間だけではない。AIも私たちの計算言語をツールとして使うことができる。そう、事実を正確に把握するために。
しかし、それ以上に重要なのは、新しい事実を計算するためにLLM (大規模言語モデル)にはすでに私たちの技術がいくつか組み込まれています。近いうちに、もっと多くのものを目にすることになるだろう。
そして、非常に強力な新しいワークフローで新しいものを構築する場合、基本的には、LLM(大規模言語モデル)に大まかな望みを伝えることから始め、LLM (大規模言語モデル)に正確なWolfram言語でそれを表現させます。
しかし、もっともっとAIを使い、もっともっと計算をするとしよう。世界はどうなるだろう?産業革命以降、私たちは物事の仕組みを理解するために、事実上、歯車がどのように噛み合っているかを見ることができるエンジニアリングに慣れてきた。
しかし、計算機による不可逆性は、それが常に可能であるとは限らないことを示している。あるシステムが何をするのかを説明したり予測したりするために、私たちは常に人間的あるいは数学的な単純な物語を作ることができるわけではない。
そう、これは事実上、科学が内部から自分自身を食いつぶしているということなのだ。
数理科学の成功の数々から、私たちはどういうわけか、それさえ見つかればすべてを予測する公式があると信じるようになった。
しかし今、計算不可能性はそれが真実ではないことを示している。
そして、事実上、あるシステムが何をするのかを知るためには、そのシステム自身と同じように不可逆的な計算ステップを踏まなければならないのだ。
そう、それは科学の弱点でもあるが、だからこそ時間の経過には意味があり、意味があるのだ。私たちはそのステップを生きていかなければならないのだ。
これは未来の大きな社会的ジレンマになると思います。もし私たちがAIに計算能力をフルに発揮させれば、AIは多くの計算不可逆性を持つようになり、私たちはAIが何をするか予測できなくなるでしょう。
しかし、より予測しやすくするためにAIに制約を課せば、私たちのためにAIができることを制限することになります。
では、もし我々の世界が計算不可能性でいっぱいになったら、どのように感じるのだろうか?
まあ、それは自然界の多くで起こっていることなので、目新しいことではありません。自然界で起きていることは、私たちが自然の中で活動する方法を見つけたということです。
AIもそうでしょう。
私たちは彼らに憲法を与えるかもしれないが、私たちが予測できない結果が常にある。もちろん、私たちがAIに何を求めているかを社会的に理解することさえ難しい。
単に投票するのではなく、人々がプロンプトを書くようなプロンプトクラシーが必要なのかもしれない。
しかし、基本的に、結果をコントロールするスキームは、政治哲学と計算機的還元不可能性のゴッチャに満ちているように思える。
人類の歴史全体を見てみると、体系的に変化しているのは、より多くのことが自動化されているということだ。
そしてLLM (大規模言語モデル)は、その劇的で予想外の例を私たちに見せてくれた。
それは何を意味するのか?
結局、私たち人間は何もすることがなくなるということなのだろうか?
歴史を見てみると、あることが自動化されると、新しいことがたくさんできるようになる。そして、経済が発展するにつれて、職業の円グラフはますます細分化されていく。
そして、今、私たちは、定義されたルリアードの話に戻っている。というのも基礎的なレベルでは、オートメーション化によって定義されたルリアードの方向性が広がっているからだ。
しかし、そのどちらかを選ぶという抽象的な方法はありません。私たち人間が何を望むかという問題であり、それを定義するためには、人間が仕事をする必要があるのです。
つまり、AI社会は人間の意見に縛られることなく、事実上、ルリアード全体を探検することになるでしょう。
しかし、彼らがすることのほとんどは、私たちにはランダムで無意味なものに見えるでしょう。今、自然のほとんどが目的を達成しているようには見えないのと同じです。
つまり、私たちにとって有用なものを作るには、一歩ずつ段階を踏んでいかなければならない。しかし、AIや計算の全現象が教えてくれるのは、本当に必要なのは、私たちが望むものを定義することなのだということだ。そうすれば、計算、AI、オートメーションがそれを実現してくれる。
私たちが何を求めているかを明確に定義する鍵は、計算言語だと思います。
そして、35年経った今でも、多くの人にとってWolfram言語は未来から来た人工物のようなものです。もしあなたの仕事がプログラミングだとしたら、それはチートのように思えます。通常1週間かかることが、なぜ1時間でできるのでしょうか?
しかし、1つのことをやり遂げたら、今度は次のことを構想しなければならないので、気が重くなることもある。もちろん、CEOやCTO、知的リーダーなど、すぐに次のことに取りかかろうとする人たちにとっては素晴らしいことだ。そして、実際、そのような人々の間では、これは非常に人気のあることなのだ。
ある意味、Wolfram言語は機械的なことに集中するのではなく、概念的なことに集中するようになったのです。
では、どうすればそれを学ぶことができるのか?
それは、冒頭で話したCSの話ではなく、CXの話なんだ。教育としては、STEMというよりリベラルアーツに近い。
技術的な実行を自動化したときに重要になるのは、物事をどのように行うかではなく、何を行うかであるという傾向の一部です。
そして、それは、狭い範囲での専門性よりも、幅広い知識と一般的な思考に関わる話なのだ。
このすべてには、思いがけない人間中心主義がある。
科学技術の進歩に伴い、私たち人間の特殊性はますます意味をなさなくなるだろうと思っていたかもしれない。しかし、実際には、物理学でさえも、すべてが私たち人間がどのように定義されたルリアードをサンプリングしたかに依存しているのだ。
私たちの物理学プロジェクトが始まる前は、私たちの宇宙が本当に計算可能かどうかわからなかった。そして、そこから、私たちの宇宙の物理的空間よりもはるかに広大な定義されたルリアードへと、私たちは不可避的に導かれるのです。
では、私たちは定義されたルリアードのどこへ行くのだろう?
計算言語こそが、われわれの進むべき道を示してくれる。私たち人間に目標と旅を定義させてくれる。そして驚くべきことは、ルリアードの中にあるすべてのパワーと深みに、誰もがアクセスできるということだ。ルリアードへの入り口はここから始まるのだ。
ありがとう。
(個人的なアイデア)
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
その後、西洋占星術でいう風の時代が到来。
2020年から新型コロナウイルスのパンデミック。
2022年から続いて、ロシアのウクライナ侵攻。
2023年では、幼稚ではあるが人工的な神のような回答するチャットGPTが登場。
「エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?」でも指摘しているように
兆候が顕在化してきています。
エピソード7の意識のマップでも、表示しているように、人工の神を創造するともなれば、その最初のステップで一神教が言うような全知全能の神ではなく
カイヨワも言い一神教も言うようなあらゆる悪魔が顕現するような可能性も否定できません。
よく一神教で登場すると言われるパンドラの箱の話に似ています。
ニックボストロムが言う「黒い玉」「死の玉」のことかもしれません。
Before 2022, this would not have been possible, but with Apple, Google, and Microsoft agreeing to expand the use of “passkey,” a passwordless authentication system…
2022年以前では、不可能だったが、Apple・Google・Microsoftがパスワードな しの認証システム「パスキー」の利用拡大に合意したことで・・・
…on the basis of high security and a high degree of privacy as well…
高いセキュリティと高度なプライバシーも基本にして・・・
…and if, as Ivan Pupilev says, all everyday objects have gesture interface capabilities…
イワン・プピレフの言うように日常的な物すべてにジェスチャーインターフェース機能を搭載していれば・・・
By integrating them with a common smart home standard, “Matter,” and making it possible to automatically connect to them by simply approaching them, assuming permission and authentication…
スマートホーム共通規格「Matter」で統合して近づけるだけで本人の許可、認証を前提とし自動接続できるようにすることで
It may be possible to customize even simple functions as complex functions by combining various devices in a stand-alone manner.
単体では、単純な機能でもさまざまな機器を組み合わせることで複雑な機能としてカスタ��イズできるようにできるかもしれない。
In the past, OpenDoc, a technology developed by Apple to realize compound document and document-centered operation, was available.
かつて、OpenDoc(オープンドック)は、Appleが開発したコンパウンド・ドキュメントとドキュメント中心の操作実現する技術があったが
Can we extend this technology to shift from a document-centric to a gesture-centric interface?
これを拡張して、ドキュメント中心からジェスチャーインターフェース中心にできないだろうか?
If you want to work on a larger screen from your smartphone, iPhone, or iPad with a user interface by wearing the Oculus Dash or HoloLens from Oculus Quest
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなどを身につけることでユーザーインタフェースをスマートフォン、iPhone、iPadからもっと大きい画面で作業したい場合
It was usual to use a computer with a large screen, but now it is possible to use a huge screen! However, there were limits to the amount of money and placement of the display.
大画面のパソコンでというのが、普通でしたが、もっと、巨大な画面で!!という場合はディスプレイの金額的、配置場所にも限界がありました。
Virtual reality as the future of the holographic age, Virtual reality Virtual reality OS and its extension to the gesture interface center.
ホログラム時代の未来にあるものとして、Virtual reality バーチャルリアリティのOSとジェスチャーインターフェース中心への拡張
Seamlessly linked together, there will be no spatial limits, and you’ll be able to work in a small room with any number of huge, large screens that you can place anywhere in 360 degrees!
シームレスに連携させることで、空間的に限界は無くなり、小さな部屋でいくらでも巨大な大画面で360度どこにでも置いて作業できるようになります!!
For example, even if it is not possible to display 3D without wearing glasses like the gesture interface in the sci-fi movie “Iron Man”…
例えば、SF映画「アイアンマン」に出てくるジェスチャーインターフェイスのようにメガネをかけずに立体表示させるとまではいかないまでも
It may be possible to “make it look realistic by wearing special glasses” such as Oculus Dash and HoloLens in Oculus Quest, so…
Oculus QuestにあるOculus DashやHoloLensなど「特殊なメガネをかけることでリアルに見せる」ことはできそうなので・・・
It would be fun to display the setting panel of a simple function device that you touch through the special glasses as if it pops up from inside the device in CG in a hologram format (image: Genie Effect on Mac)
特殊なメガネを通して、触った単純な機能の機器の設定パネルをホログラム形式でCGで機器の中からポップアップするように表示してくれると楽しそう(イメージは、Macのジニーエフェクト)
警察比例の原則。
警察比例の原則。
警察比例の原則。
最近2023年から始まったジェネレーティブ人工知能の流行によって
ジェネレーティブ人工知能で作られたメディア(画像・映像など)が人々の目に触れる際には、情報源を開示するよう求めている(オープンAIなど10社が自主ガイドラインに署名した)
ヘンリー・マークラムの研究で脳のイメージが数値化されたデータから・・・
この膨大なデータをディープラーニングを搭載したジェネレーティブ人工知能に候補を複数映像化させる
こうすることでストーカーしかできない人工知能の問題を解消できる?かもしれない
憲法第19条にもあるように「内心の自由」正確に特定しないようにして
権力者の頭脳の中身をリアルタイムに複数映像化したことをチャットGPTに説明してもらう。
これは三つしかない内のひとつ。リカレント・ニューラル・ネットワークを使います。
この権力者の頭脳の中身をリアルタイムに映像化したことをニティシュ・パドマナバンの老眼鏡を含めた未来の自動オートフォーカス搭載メガネなどを用いて
特殊なメガネを通して、ホログラム形式でCGからポップアップ表示できる可能性もありそうです。
しかし
機械学習ディープラーニング物体検出データベースのことを「Darknet」と呼んでいます。
フェイフェイ・リー構築した機械学習ディープラーニング画像データベースのことを「ImageNet」と呼んでいます。
他には、今のところ、リカレント・ニューラルネット(RNN)フレームワークなど・・・
たった三つしかないのが2022年の現状です。
チャットGPTは、大規模言語モデル。
懸念されることとして、アメリカ政府が諜報に使用するエシュロンやPRISMに近い可能性もある。
Google検索データは、広告に使われるが、オープンAIはMicrosoftと資本提携で入力データが何に使用されるか?
これを明示していないという危険性がある可能性があります。
続いて
Could it be that Apple is developing its own search engine to compete with Google, which has reinvented semantic web search based on chat GPT and entered the market?
Appleが独自の検索エンジンを開発しているのは、もしかしてチャットGPTを基盤にしてセマンティックウェブ検索を再発明し参入Googleに対抗するため?
In the past, Linux made the OS open source and extinguished Microsoft’s monopolistic Wintel-closed dominance.
かつて、LinuxはOSをオープンソース化してMicrosoftの独占的なウィンテルクローズの優位性を消滅させた。
In 2023, AMD and Apple Silicon are in the midst of blowing the wind out of the last Intel monopoly from the consumer market sector.
AMDとAppleシリコンが、最後のIntelの独占体制にコンシュマー市場分野から風穴を開けている最中の2023年。
Google has opened up the search engine market for a new industry by putting all of its machine learning research results to work to break Microsoft’s Internet Explorer monopoly.
Googleは、機械学習の研究成果をすべてぶちこみ新産業の検索エンジンの市場を切り開いてMicrosoftのインターネットエクスプローラの独占的な体制に風穴を開けた。
And now, right now, open-source AI is taking over Google’s monopoly on the search engine market with chat GPTs. It may be about to wind down with the reinvention of the semantic search engine proposed by Tim Berners-Lee.
そして、今まさにオープンソースAIが、チャットGPTでGoogleの独占している検索エンジン市場をティム・バーナーズ・リーが提唱したセマンティック検索エンジンという再発明で風穴を開けようとしているのかもしれません。
Is Twitter, which Eron Musk went to the trouble of investing a huge amount of money to acquire, comparable to Google and Facebook in terms of data accumulation?
イーロンマスクがわざわざ巨額の資金を投じてまで買収したTwitterもデータの蓄積から見るとGoogle、Facebookに匹敵している?
Is it possible that Eron Musk, a founding member of Open AI, is trying to reinvent Twitter based on chat GPT?
これを立ち上げてるオープンAI設立メンバーのイーロンマスクは、可能性を見越していてチャットGPTを基盤にTwitterを再発明しようとしている?
Open AI, a San Francisco-based nonprofit organization, is dedicated to being the first to develop a “general-purpose artificial intelligence” (AGI) with human learning and reasoning capabilities, so that all people can benefit from it.
サンフランシスコを拠点とする非営利団体のオープンAIは、人間の学習能力と推論能力を持つ「汎用人工知能(AGI)」を最初に開発し、すべての人にその恩恵が及ぶようにすることを目的として設立されています。
Deep Mind,“ which has similar goals, is building a system similar to the chat GPT.
同様の目的を掲げてる「ディープマインド」もチャットGPTと同じようなシステムを構築しています。
As for other derivative…
他の派生的なこととして・・・
As for the use of deep fakes, if they are built into the algorithm for all surveillance cameras, they can be removed only with the person’s permission.
ディープフェイクの活用としては、すべての監視カメラ用のアルゴリズムに組み込んでおけば、外すには本人の許可を得てからにすることもできる。
This would also deter voyeurism by the mass media and police who would abuse the system without the person’s permission.
こうすれば本人の許可なく悪用するマスメディアや警察の覗き見行為も抑止できる。
To temporarily deter misuse, a comprehensive mechanism could be created to protect videos with NFT and a two-factor authentication passkey, and to confirm one by one whether or not the user has permission to disseminate the videos.
一時的な悪用抑止には、NFTと二要素認証によるパスキーで動画を保護し拡散の許可の有無を一つ一つ
If a comprehensive mechanism can be created to confirm whether or not the user has permission to spread the video, it may be possible to create time for the spread of quantum encryption and the commercialization of quantum computers.
本人に確認できるような総合的な仕組みを創れば、量子暗号化や量子コンピューター商用化普及までの時間をつくれるかもしれない。
Released in November 2022. Almost a few months later. A search engine like this appeared.
2022年11月にリリース。そのほぼ数ヶ月後。こんな検索エンジンが登場しました。
perplexity
この回答がどこの記事から引用されたかも表示されはじめた!数字に対応して引用元が表示される。
Next, why? What if the chat GPT could explain how it might have come to this explanation? Perhaps we are getting closer and closer to an explainable AI?
次は、なぜ?この説明に至ったのかもチャットGPTが説明できたら?もしかして、説明可能なAIにもどんどん近づいてきてる?
In about a few months, this threatening? No, an astounding achievement.
数ヶ月位でこの脅威的な?いや、驚異的な成果。
And the Schrödinger equation?
シュレーディンガー方程式も?
For explanations other than equations, it could be comparable to Wolfram Alpha, which is similar to semantic web search.
数式以外の説明に関しては、セマンティックウェブ検索に近いウルフラムアルファにも匹敵する可能性もある。
そして
チャットGPTの人気と爆発的な成長に乗りMicrosoftが先行してチャットGPT 搭載 Bingをリリースするも登録しないと検索結果は会話調で返ってこない?インターフェイスがわかりずらい。
一方、Googleも億人単位規模ネット情報サービスにも関わらず、わずか一日位で対応すると言う離れ技を繰り出すが、検索エンジンの検索結果は、まだ会話調で返ってこない。
両者共に、まだまだ時間がかかりそうだ。
このチャットGPTタイプの新型検索エンジンperplexityのほうに分はあります。
巨大な権力を持つに至ったGAFAMの検索エンジン開発競争が加速。日本のネット情報サービス人口以上で、その規模が人間の限界を遥かに超えた別次元。
権力者処世術は悪性だが、カントの言うように、権力者を完全リアルタイムで行動を透明化する条件限定なら善性に転化する。
同じ権力者のTV局やマスメディア、行政府、警察は、透明化を高くガラス張りにしないから悪性だけど、GAFAMが最善の手本を示してます。
<おすすめサイト>
リヴ・ボーリー :AIにおける競争のダークサイド
ゲイリー・マーカス:暴走するAIの緊急のリスクと、それらについて何をすべきか?
マックス・テグマーク:AIをコントロール下に置く方法
マックス・テグマーク: AIに圧倒されるのではなく、AIからパワーを得る方法
イリヤ・サツキバー:AGIへのエキサイティングで危険な旅
グレッグ・ブロックマン:ChatGPTの驚くべき可能性の裏話
アロナ・フィッシュ:人工知能は本当に私たちを理解しているのでしょうか?
エピソード7意識のマップの数値と人工知能を訓練する計算回数が相似?2023
エピソード7 Episode7 - テーラワーダ仏教の「結び」と意識のマップ、マクロ経済学について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
Apple Vision Pro 2023
ケイド・クロックフォード:顔認証による大衆監視について知る必要のあること!
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
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nagachika · 5 months
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2023年 読んだ本、観た映画
せっかく読書記録や映画の記録をつけているので今年読んだ本や観た映画の本数などのまとめと、今年のベストを選んでみることにした。去年 Rebuild.fm で N さん(ひろしまさん)が読んだ本を数えてみたといってたのをきいて去年数えてみたのがきっかけといえばきっかけ。けど去年の冊数を忘れてしまった(たぶん Twitter の1年くらいまえの呟きを探せばある)。
読んだ本
コミックとそれ以外の書籍とで分けてカウントすると冊数は以下の通り。
コミック: 57冊 書籍: 73冊
書籍は上下巻なども分けて数えているのと、児童書のなんでも魔女商会も冊数でカウントしてるのでちょっと多めになっていると思う。が、こんなものか……という気もする。結構意識して読んだと思うんだけどなぁ。振り返ると8月に書籍をあまり読んでないことになっているけど、再読をカウントしていない(数十年ぶりみたいなのは入れてる)のでそのせいのような気がする。
さて、コミックと書籍でさらに書籍は文芸、ミステリ、ファンタジー/SF、教養といったジャンルに分けてそれぞれ今年いちばん良かった読書を選んでみる。
コミックベスト 1: 僕の妻は感情がない 07。ロボット倫理の教科書かよというくらいメインのストーリーをほうっておいて考えがいのあるネタを使っていく。エモさもあってとても良い。05 のサツキの回も最高なんだけどあれば 2022年だった。記録役にたつ。なお「クジャクのダンス、誰がみた?」も良かったんだけど最初がいちばん良くてだんだん疑惑がぐしゃっとしてきて煩雑になってきてサスペンス巻が薄れてきてしまったのがやや残念。
文芸ベスト1: なんでも魔女商会 6 コットンの夏休み。文芸っていっても小説で読むのはだいたいミステリかSFかファンタジーなので独立して文芸というジャンルを立てる必要ないんだけどあえてこのシリーズからピックアップするために立てた。ファンタジーなのではと言えなくもないけど……。あんびるやすこさんの文章は児童書だからというのもあるとはいえ読みやすさ、美しさ、叙述的な描写の豊かさなどで際だっていると思う。
ミステリベスト1: 涼子点景1964。 今年は「千年の黙」からはじまって森谷明子さんの作品をたくさん読んだ。デビュー作の「千年の黙」も俳句甲子園に挑戦する女子高生を描いた「春や春」もそれぞれ良いのだけど、ミステリとしての完成度(「春や春」はそもそもミステリではない。のでこれを文芸ジャンルにするという手もあったな……。というくらい良かった)という点で涼子点景1964をベストにした。他のシリーズものもそれぞれ良さがあるし王朝物はさすがにもう続きは出なさそうだけど図書館シリーズは続きがありそうなので期待。ミステリといっていいか微妙だけど「かがみの孤城」もすごく良くてシチュエーションが個人的に刺さった。あと「十角館の殺人」も今年じゃなかったっけ? と思ったけどあれは去年の年末に読み終えてたらしい。記録役にたつ。
SF/ファンタジーベスト1: マーダーボット・ダイアリー。上下巻ものでさらに続きのネットワーク・エフェクトと逃亡テレメトリーも読んだがまだ原作も出てないと思うけど既に続きの邦訳が楽しみでならない。かつて暴走し大量殺戮を起こしたとされる警備マシンの「弊機」が統制ユニットをハックし自由意志での行動を手にし顧客の安全のために奮闘するが、普段は人見知りでストリーミングのドラマを観るのが楽しみというでこぼこなキャラクター設定と、彼(?)の視点から描かれる人間たちの奇妙さがおかしみを増す。さらに船の航行AIであるART(これは弊機がつけたニックネームだが)などが登場して、ああ自分って非人間知性があたかも人間のように振る舞うシチュエーションのフェチなんだなということに自覚的にさせられたシリーズ。正直今年ほかになんのSF読んだっけ? と思うくらいのヒットだった。
教養ジャンルベスト1: ことばと思考。なんといっても「人類の起源」だよなぁ、と思いながら記録をみかえすとこれは去年の読書だった。記録役にたつ。ということで1冊ずつ記録を眺めて勝ち抜き戦をしてみたところ「ことばと思考」がベストとなった。この後「はじめての言語ゲーム」などの類書に繋いでったんだけど言語学のエピソードや実験、左右という単語がない言語などはじめて知った内容も多くておもしろかった。とはいえ今年は神話学の本もたくさん読んでいて、著者としては沖田瑞穂さんの著書をいちばん読んだのではないか。ちょ��と落ち着いたけどまだ著作はありそうなのでまた読んでみたい。あとは「いま、子どもの本が売れる理由」も普段読むものとはちょっと異なる書かれかたの書籍で新しく知ることもあり、読んでみたい本が増えたという意味でも良かった。来年は神話学や人類学、考古学の他に中国の歴史関係にも手を出してみたいところ。
観た映画
10本観てた。自分としてはまあまあ観たほう。ベストはなんといっても「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」。「岸部露伴、ルーヴルへ行く」や「リバー、流れないでよ」なども競っているけどやっぱり D&D が映画化!!? というだけで嬉しくなっちゃう。興業的にどうだったかわからないけどコアなファンのなかでの評判はすこぶる良いという感じがする。配信も始まってるみたいなのではやくもう一度観たいなー。その他も今年は久しぶりに一人でも映画を観に行くっていう習慣を復活させて、どれも良い作品だったなと思う。会社の同僚が監督していた「はこぶね」もいい映画だった。天神の kino cinema というミニシアターでいい映画をやってるというのを知ったので来年もちょくちょく利用しよう。
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borderlessartorg · 5 months
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戦闘マシンよ、君は死んだ少年を見て泣いてるのか
Tumblr media
キャンバス買うお金も余りないので古い壊れたキャンバスの裏に描きました、戦闘マシン泣いてるのか? https://www.borderlessart.or.jp/ https://artnowa.org/ #障がい者アート  #アート #芸術 #イラスト #絵 #絵画 #アウトサイダーアート #アールブリュット #Art #paint #picture #SDGs #福祉 #社会貢献 #CSR #障害者 ----------------------- 新作アートをFacebookでチェック! ----------------------- 日本最大数の障がい者アートが掲示される 障がい者アート専門ギャラリー「アートの輪」の作品は 毎日アートの輪フェイスブックページで公開中です! 「いいね!」いただければ新作がチェックできます!  コチラから→ https://www.facebook.com/BAOArtNoWa Read the full article
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ewweird · 5 months
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前日譚映画の感想
『ウォンカ���チョコレート工場のはじまり』(原題:WONKA) 『夢のチョコレート工場』『チャーリーとチョコレート工場』 原作「チョコレート工場の秘密」と続編「ガラスの大エレベーター」 他のロアルド・ダール作品についても触れているネタバレと個人の見解を多く含んだ感想です。
日本ではティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』が有名ですが、本作は原作「チョコレート工場の秘密」と、1971年に同原作から映画化された『夢のチョコレート工場』をオマージュを捧げた前日譚映画です。 この視点を踏まえて鑑賞すると、より楽しむことができると考えます。
基となった原作は、フォーブスが毎年公開する「死後も稼ぎ続ける著名人ランキング」で2021年初の1位にもなった(ネットフリックスがダールの作品を管理してきた英ロアルド・ダール・ストーリー・カンパニーを約6億8400万ドル(約780億円)で買収した為)、世界的に有名な英国の作家、ロアルド・ダールが執筆した「チョコレート工場の秘密」です。
原作「チョコレート工場の秘密」から実写映画化されたのは、1971年の『夢のチョコレート工場』と、2005年に再構築された『チャーリーとチョコレート工場』の2作品です。 物語の中で登場するウィリー・ウォンカは、原作でも謎に包まれた人物であり、二つの映画もそれぞれ独自の解釈に基づき、ジーン・ワイルダーとジョニー・デップが演じました。両者の演技は原作を尊重しつつも異なる解釈を提供しており、ウォンカのキャラクターが異なる視点で魅力的に描かれています。
日本での宣伝は「あの『チャーリーとチョコレート工場』を覚えていますか?」と日本テレビ放送「金曜ロードショー」でウィリー・ウォンカの吹替声優を担当した宮野真守がナレーションを務めるCMを流すといった、誤解を招くプロモーションを行われていたため、数多くの日本の方々のレビューにて「"父親が歯医者で、幼少期に歯の矯正器具をつけられ、お菓子を禁じられ、父親の目を盗み食べたチョコに魅了されてショコラティエになった"2005年版『チャーリーとチョコレート工場』のウォンカの映画オリジナル幼少期設定との整合性がつかない」点への不満や「ティム・バートン版のダークさが足りない」「ティム・バートン版の前日譚だと思って観に来たのに全然違う」といった感想を多数見受けられました。
そして、レビューサイトでの今作品への評価へ影響を与えている為、日本でのプロモーションは作品への弊害が大きく、改善が切に望まれますが、現状も『夢のチョコレート工場』を紹介したプロモーションを行われない点からも、残念ながら望みは薄いかと考えます。
2005年版『チャーリーとチョコレート工場』はティム・バートン監督による独自の解釈と、ロアルド・ダールの毒気のあるダークな作風に焦点を当てた奇妙でダークな作品です。ウィリー・ウォンカの幼少期の映画オリジナル設定や続編『ガラスの大エレベーター』のオマージュを含め、これまでのティム・バートン監督作品の要素を巧妙に組み込み、名作映画のパロディも取り入れています。この一作で完結しています。私も大好きな作品です。
そのため、日本語の邦題タイトルロゴデザインが2005年版と酷似している点は、映画化された過去の作品にも今作に対しても敬意が欠けていると感じられます。さらに、パンフレットでは『夢のチョコレート工場』に触れず、作品紹介ページでは2005年版に1ページを使って紹介され、1971年版は1ページの半分にも満たしていませんでした。唯一の言及がポール・キング監督によるインタビューだけであることも確認されました。この情報をあらかじめ知っていれば、私は日本国外版を購入していたかもしれません。日本での宣伝がこの作品にとって最大の痛手となっている可能性が高いです。非常に残念です。
さて、肝心の今作の映画の内容ですが、
ファミリー向けのミュージカル前日譚映画として観ると、楽しめます。『夢のチョコレート工場』を予習してから観ると、もっと楽しめます。ロアルド・ダールの児童書を沢山読んでいるなら、もっと楽しめるはず。明るく楽しいポール・キング監督の独自解釈が加わった愛にあふれたウィリー・ウォンカのファンフィクション前日譚映画でした。というのが全体の私的な総括です。
ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーの脚本は、原作『チョコレート工場の秘密』と1971年版『夢のチョコレート工場』へのオマージュ、ロアルド・ダールの他作品のエッセンスもちりばめた素敵なものでした。
また、全体の美術の作りも、基が児童書であり、夢のあふれる彩度が高く明るい、子どもたちに向けた作品であることを意識されています。ディズニーランドの初期デザインを手がけたハーパー・ゴフがアートディレクターを務めた『夢のチョコレート工場』へのリスペクトを込めた作りとなっていました。 音楽に至っても『夢のチョコレート工場』の名曲"Pure Imagination"、"Oompa Loompa"はもちろんの事、今作のオリジナル曲もポップで思わず身体が踊りだし、心の弾む楽曲が多く、ウォンカが「空飛ぶチョコ」(Hoverchocs)を唄いながら紹介する"You've Never Had Chocolate Like This"の楽曲は、ウォンカが自身の発明した商品をご機嫌で説明する、原作のような語尾に感嘆符をつけて話すテンションが高いウォンカを想起させる曲でした。
予告編からも『夢のチョコレート工場』の名曲"Pure Imagination"、"Oompa Loompa"を取り入れ、ウォンカの有名な台詞「So much time and so little to do. Wait a minute. Strike that. Reverse it.」(時間が沢山あるのに、やることがない。 待った、逆にして。)から派生した「So quiet up and listen down. Nope. Scratch that, reverse it.」があった所や、オレンジの顔色に緑の髪色のウンパルンパのデザインからもそうですね。しかし、身長は原作に記述のある「No higher than my knee!」(私の膝までしかないわ!)という身長設定を採用しているといった点からも、ポール・キング監督は原作と『夢のチョコレート工場』の設定をオマージュした前日譚にしたんだな!と、最初の予告編を観た時からとても興奮したのを今でも覚えています。
それと同時に上記の台詞は、二つの単語を入れ違うことに意味のあるジョークですので、その派生した台詞の翻訳が予告編では意訳されていたことから、日本語翻訳に対しても一抹の不安があったのも覚えていました。 しかし、本編での翻訳は予告編で意訳されたものから変更され、二つの単語の意味を少し取り違えたものとなっており嬉しかったです。 ロアルド・ダールの言葉遊びたっぷりの英語を日本語翻訳することはとても骨が折れる作業だと思われます。
ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーが手がけたこの脚本は、原作や『夢のチョコレート工場』へのオマージュが多数含まれており、見つけるたびに楽しいイースターエッグが隠れていました。
「Pure Imagination」や「Oompa Loompa」などの名曲はもちろん、階段を上り下りする足さばきや、杖の回し方、階段の形は、チョコレートルームに入る際のシーンを連想させました。
お金のコインが側溝に落ちるシーンは、1971年版のチャーリーが同じく側溝でお金のコインを拾う場面とリンクしていますね。
シルクハットから次々に物を取り出すシーンでは、「ガラスの大エレベーター」でウォンカがプラム色のジャケットのポケットから様々なアイテムを取り出す場面を思い起こさせます。
宿屋で書かれる長い契約書は、5人の子どもたちがチョコレート工場に入る前に書かれる契約書にオマージュを捧げていますね。
宿屋から洗濯場へ直結するランドリーシュートへ放り込まれるシーンは、ベルーカ・ソルトが焼却炉へ落とされる未来の予兆を示唆しているのかもしれません。
洗濯の仕事を教わる過程でのシーンは、1971年版のチャーリーが母親の働く洗濯屋で同様に木べらを使って混ぜるシーンにリンクしています。
「Willy Wonka's Wild and Wonderful Wishy-washy Wonka Walker.」という発明品の名前に込められた"W"の使用法は、1971年版の「Wonka Mobile」や「hswawknow」(「WonkaWash」を逆から綴った)や原作のチョコレートバーに見られるネーミングセンスと共通しています。
「Willy Wonka's Wild and Wonderful Wishy-washy Wonka Walker.」の形状は、フルコースが味わえるガムの製造マシンに酷似しています。
警察署長の体型が変化しお腹のベルトがはじける場面は、バイオレット・ボーレガードがお腹のベルトがはじける場面を連想させます。
ウォンカが店を持つ想像するシーンでのピンクに染まる壁は、原作の工場内の長い廊下の壁がピンクであることを示唆しているのかもしれません。
倒れない杖のシーンは、1971年版でのウォンカの工場登場のパフォーマンスを思い出させます。
ウンパルンパのトランクの中身がお酒だらけである事は、原作のバタースコッチとバタージンの部屋でのウンパルンパたちが酔っているシーンを連想させます。
「ホバーチョコ」(Hoverchoc)は、「炭酸上昇ドリンク」(FIZZY LIFTING DRINKS)からインスパイアされており、チャーリーとジョーおじいちゃんが飛んで行くシーンも酷似しています。
チョコレートまみれになるウォンカとヌードルは、オーガスタス・グループがチョコレートの川に落ちるシーンを想起させます。
チョコレートカルテルの三人が歌う「Sweet Tooth」の歌詞には、1971年版のウォンカのソルト氏に耳打ちする"Candy is dandy, but liquor is quicker."のセリフが引用されていますね。
ウンパルンパが盗み際に話す「I said,Good Day.」は、1971年版のウォンカがオフィスで怒鳴る場面の台詞「Good Day Sir!」から派生した台詞ですね。その後のウォンカが「彼が勝ちました」と話すことからも「You Lose!」を思い起こしますね。
ウォンカのお店にお爺さんをご招待するシーンでは「Make a wish Count to three」を思い出す台詞がありましたね。
ウォンカがお店で、お花の形のカップをかじるシーンは、1971年版のオマージュであり、ラストシーンのウンパルンパが手にしているお花のカップとの類似性が際立っています。
ピストルを突き付けられる場面は、原作と1971年版のマイク・ティービーがおもちゃのピストルを持っている場面と関連しているかもしれません(これは微妙ですが)。
ウォンカが母親から年に一度の誕生日にチョコレートをプレゼントされる描写は、原作のチャーリーを連想させますね。
地下に隠されたチョコレートタンクは、後に原作のウォンカが地下ならばどれだけ工場を広げても大丈夫だという発想に繋がったのかもしれませんね。
船の上でウンパルンパが虫眼鏡を使ってウォンカにつけられた指輪の跡を見るシーンは、オフィスでウォンカが虫眼鏡を使って契約書を読み上げるシーンを連想させます。
私が発見できていないだけで、まだまだたくさんあると思います。思い出したら追加していくつもりです。このような細やかなディテールやリンクは興味深く、楽しめました。
宿屋の二人に関しては、ロアルド・ダール原作の『いじわる夫婦が消えちゃった!』(原題:The Twits)からもインスパイアを受けているキャラクターであるかもしれません。
ウォンカとヌードルは、ウォンカとチャーリーのような存在のコンビに描くのだろうかと想像して観に行ったのですが、鑑賞して、ああこれは、ウィリー・ウォンカとマチルダ・ワームウッドの相棒コンビのようにしたのだなと思いました。
マチルダ・ワームウッドとは、ロアルド・ダール原作の児童書『マチルダは小さな大天才』(原題:Matilda)に登場する主人公の本が大好きな天才少女のことです。
ヌードルは酷い大人たちに囲まれて、本の虫(ブックワーム)であり賢いが、とても辛い人生を送りました。 「お仕置き部屋」に閉じ込められるヌードルのシーンは、『マチルダ』に登場するトランチブル校長の作り出したチョーキー(お仕置き部屋)を想起させましたね。
ポール・キング監督は映画制作のプロセスの中で、ロアルド・ダールの物語を日がな一日読むことができたことが、一番良かった部分だったとインタビューで語っていました。ヌードルを含め、映画オリジナルキャラクターを作成する際に、ロアルド・ダールの他の作品からエッセンスを取り入れ、ダールの雰囲気に近づけて物語に調和を持たせようとしたのだろうと考えています。
ヌードルは、これまで一度もチョコレートを食べたことがないと打ち明けました。ヌードルはマチルダともチャーリーとも異なり、ホットチョコを飲みながら本を読んだり、年に一度の誕生日プレゼントでさえもチョコレートを味わったことがないのです。チョコレートの魅力を知らないヌードルは、ウォンカにとって衝撃的な存在であり、2人の人生観は大きく異なります。 ウォンカは「一生分のチョコを渡そう」と話します。 この言葉は、後にゴールデンチケットに書かれた文言を暗示しているのかもしれません。
ウォンカとヌードルの関係は、まるで子どものような大人と大人のような子どものコンビのようです。私は一度は考えたことのある「もしもウォンカとマチルダの物語があったらどんなものだろう」というファンフィクションのような設定を楽しみました。 しかし、ヌードルの設定は、ダールが描いたマチルダのような親の愛情を受けず、血のつながりのないハニー先生との養子縁組を組むという設定とは真逆です。代わりに、ヌードルは血のつながりのない宿屋のミセス・スクラビットに育てられ、しかし愛情は受けられません。物語は、ヌードルが血のつながりのある母親と再会するという展開を迎えます。このキャラクターの背景は、作風の系統がやや異なるなと思います。
また、キリンが登場しますが、それはおそらく『こちらゆかいな窓ふき会社』(原題:The Giraffe and the Pelly and Me)に登場するキリンからの影響かもしれませんね。
そうですね、制作陣がイースターエッグのようにオマージュを散りばめたと話していた通り、多くのオマージュが含まれており、それを見つけることに夢中になりすぎました。
視点を変えて、前日譚としての話の整合性について考えてみると、本作は原作「チョコレート工場の秘密」と、1971年に初の実写映画化された『夢のチョコレート工場』にオマージュを捧げた前日譚映画ですが、原作や『夢のチョコレート工場』の前日譚として、つながるかと問われれば明確に確実にはつながると言えません。
『夢のチョコレート工場』の公開は1971年であり、"引退の時が近い"雰囲気の彼の若い頃を想定して、時代設定を最終的に1948年から1949年頃と設定したと話されています。 この時代設定のウィリー・ウォンカの前日譚としてのラストシーンから、1971年版のウォンカに繋がるとすれば、これらの出来事の間には約20年の時間が経過しており、この期間に何らかの出来事が起きなければ、物語がつながるのは難しいでしょう。 例えば、あのチョコレートカルテル三名が復讐に燃えて、スパイを送り込む描写をどうするのか、別のオリジナルエピソードが盛り込まれたり、他のウンパルンパがルンパランドからどう工場へ来るのかなどが考えられます。
また、作中でウォンカが字が読めないことを話しますが、1971年版のウォンカはラテン語やフランス語などの詩を引用して話すことからも語学が堪能であり「Nil desperandum(ラテン語) 絶望しないで! Au revoir, adieu, auf widersehn!(フランス語) さようなら、さよなら、もっと広く!」といった言葉を使用して���ます。原作の設定においても、世界地図に載っていないウィリー・ウォンカがたどり着いたルンパランドで、ルンパ語を駆使して交渉したエピソードや、工場内に住むウンパルンパがルンパ語ではなく英語を話すエピソードから考えると、ヌードルから文字を教わり、この前日譚映画から1971年版までの約20年間で本を読み学ぶ可能性も考えられますが、現状ではこの前日譚映画単体で考えると、設定に少々矛盾が生じます。
本作の若い頃の彼は、世界中を7年間駆け巡り、世界中でチョコレート作りを学び材料を集めてきたという設定でしたが、文字は読めないとしても船の人々との交流を介して、船でチョコレート作りのコックとして働きながら、人の親切によくしていただき、世界中の材料を集めたと想像すれば良いのでしょうかね。日本のさくらんぼ手摘み職人の説明も、この視点から考えると理解できるかもしれません。
ウォンカが自身のチョコレートによって人々が結ばれ、恋におちるといった、まるで恋のキューピッドのような役割を果たす理由は、おそらく彼が自らが創り出した驚くべき効果を持つお菓子を多くの人に届けたいと考えているからでしょうか。ウォンカのチョコレートによって恋が芽生える様子を観たいと思われるかと問われれば、私は特にそうとは感じませんでした。個人的には、このシーンが物語にどれほど必要か理解できませんでした。 また、「魔法のチョコレート」という表現に疑念を感じました。原作では、ウィリー・ウォンカの従業員にスパイが忍び込んでレシピが盗まれ、他のお菓子会社で同じお菓子が作られてしまいます。これにより、ウォンカのお菓子は魔法のようなものではあるものの、レシピ通りであれば一般の人でも作ることができることが示唆されています。したがって、「不思議なチョコレート」なら理解できますが、「magical」などの表現には疑念を感じました。
インタビューにて『wonka2』を示唆した回答が行われましたが(リップサービスの可能性もありますが)2が制作されれば整合性があるかもしれません。
今回の前日譚映画は、ポール・キング監督にとって「子どもの頃から何度も何度も見て、DNAに刻まれた、とても神聖な存在」である1971年版『夢のチョコレート工場』の世界観のイメージの中にいる、独自の解釈したウィリー・ウォンカの若き頃を描いた前日譚でした。
「原作者が既に死去している作品の、他人が解釈し後付けで設定を行ったメディア化作品」は現在世の中に多く���在しています。 「チョコレート工場の秘密」(原題:charlie and the chocolate factory)は特に読んだ人にとって印象がとても色濃く変わり、「ウォンカは4人の子どもたちがひどい目に遭う出来事からも子どもが嫌いな人だ」「ウォンカはお小遣いが少ない子どもたちのためのお菓子を作ってるから子どもが好きな人だ」といった焦点の違いによって印象が異なります。そのため、謎が多く、想像の余地が多い作品であり、人それぞれのウィリー・ウォンカ像が存在すると考えられます。
ティム・バートン監督と脚本家ジョン・オーガストによる「父親が歯医者で、父親の目を盗み食べたチョコレートに魅了されてショコラティエとなったが、従業員の中にスパイが潜り込まれレシピが盗まれた事件をきっかけに、人間不信に陥り工場に引きこもり、久方ぶりに工場外の人間と交流したため戸惑いを隠せないウィリー・ウォンカ」も同様ですね。
そして今回のポール・キング監督とサイモン・ファーナビーによる「母親との船旅を経て、母の作ったチョコレートの味を忘れられず、世界中の人に届けたいと夢見る、人の親切を信じて育ってきたが、グルメ・ガレリアにて世界の厳しさを知る青年ウィリー・ウォンカ」というウォンカの善性に特化した若き頃を創造されていますね。
現在制作については謎に包まれていますが、『マイティ・ソー バトルロイヤル』で『夢のチョコレート工場』のパロディを取り入れ、"Pure Imagination"の音楽も劇中歌にしたタイカ・ワイティティ監督が、脚本、監督、製作総指揮を務めるNetflix長編アニメシリーズ『Charlie and the Chocolate Factory』が進行中です。『スポンジ・ボブ: スポンジ・オン・ザ・ラン』や『パウ・パトロール ザ・ムービー』を手掛けたCGアニメーション制作会社Mikros Animationも関与しています。この長編シリーズでは「チョコレート工場の秘密」の他に「ガラスの大エレベーター」もアニメーション映像にする予定で、「ウンパルンパ」に焦点を当てたオリジナルストーリーも制作予定だそうです。楽しみですね。
私はロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」のメディア化作品を、「他人が解釈したウォンカ」を楽しみに鑑賞しています。簡単に言えば、「ウォンカのマルチバース」として観ています。「原作に近い」や「原作に基づいた」「原作のような」メディア化は多いですが、万人が完全に解釈一致するウィリー・ウォンカの作品が存在することは難しいだろうと思います。今回の前日譚映画も「ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーによるウィリー・ウォンカの解釈」を楽しませていただきました。
『チョコレート工場の秘密』(原題:Charlie and the Chocolate Factory)は、1964年に初版が刊行され、1973年に原作者ロアルド・ダールにより改訂されました。日本では、田村隆一氏による1972年初版の旧訳版と、柳瀬尚紀氏による2005年初版の新訳版が存在します。旧訳版では改訂前のウンパルンパの表現がそのまま残っていますが、Augustus Gloopについては「オーガスタス・グループ」と、ほぼ登場人物の名前がそのまま訳されています。一方、新訳版では「オーガスタス・ブクブトリー」といった独自の翻訳がなされています。前日譚映画の公開に合わせて、新たな翻訳版が刊行されることを期待していましたが、残念ながら実現しなかったようです。
ちなみに、先述した『マチルダは小さな大天才』(原題:Matilda)は、映画化された2つの作品が配信されています。こちらもぜひご覧いただければと思います。
また、ウェス・アンダーソン監督による連続短編映画『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』『毒』『ネズミ捕りの男』『白鳥』もNetflixで視聴可能ですので、こちらもぜひお楽しみください。
さらに、『いじわる夫婦が消えちゃった!』(原題:The Twits)もアニメーション映画化が2025年に予定されており、これも楽しみですね。
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今回の前日譚映画には、ロアルド・ダールの児童書を、読者が再び手に取りたくなるような小ネタもたくさん含まれています。この作品をきっかけに、多くの方が本を読む楽しさを再発見してくれるといいですね。
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