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#伸長式テーブル
takanomokkou · 2 years
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たまにやってくる来客用に大きさを変えられるダイニングテーブルはいかがでしょうか。 シェルダイニングテーブルは、角度のある脚部と小口がスタイリッシュなデザインを際立たせています。 天板をスライドさせて中天板をはめ込むと天板が大きくなります。 軽い力でできるので、女性でも気軽にご使用いただけますよ。 #高野木工#takanomokkou#国産家具#木製家具#家具#大川家具#北欧風インテリア#ナチュラルインテリア#シンプルインテリア#モダンインテリア#家具選び#家づくり#ダイニングテーブル#食卓#食事#ダイニング#テーブル#伸長式テーブル#伸長式ダイニングテーブル https://www.instagram.com/p/CeQYq3KrAfO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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meyou-s · 11 months
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サラリーマン新藤剛
1.
 男は立ち止まり、目の前にそびえるオフィスビルを見上げた。周囲には真新しいガラス張りの高層ビルがいくつも建っている。それらと比べると背も低く古びたこのビルが、しかし男にとっては一番恐ろしく、雨だれで汚れた外壁に威厳すら感じていた。
 新藤剛は墨田商事営業部の部長である。二十五年前に入社して以来営業一筋で、数年前に部署をまとめる立場になってからも、時折こうして自ら取引先に出向くことがあった。
 ミネラルウォーターを一口飲み、中身が半分ほどに減ったペットボトルを鞄にしまう。呼吸を整えるように深く息を吐いたタイミングで、後ろから部下が声をかけた。
「部長、大丈夫ですか?体調でも悪いんじゃ……」
 いつも闊達で堂々としている新藤の緊張したような様子は、若い部下には見慣れないものだった。急に暑くなり始めたここ数日を思うと、体調を崩したのではないかと想像するのも無理はない。
 だが振り向いた新藤は、意外にも普段通りの声色でそれを否定し、にやりと笑って見せた。
「いや、問題ない。……まあ、武者震いというやつかな」
「はあ……」
 新藤はそれだけ返すとビルに向き直る。部下もそれ以上何も聞かず、二人は連れ立って自動ドアをくぐった。
2.
 受付を済ませるとすぐに応接室へ案内された。新藤にとっては何度も訪れたことのある部屋だが、この場所はいつも新鮮な緊張感を彼に与える。
 年季の入った黒い革張りのソファに腰掛けると、わずかに軋む音がした。新藤は案内係が出ていった扉を目の端に入れる。
 ここ丸岡社は、墨田商事と付き合いの深い取引先のひとつである。今日は契約の更新と内容確認のため商談の場が設けられていた。新規の契約をとるという訳ではない。しかし新藤は、この商談を重要なものと捉えていた。ある意味では、会社の今後を左右するほどの。こんなとき、新藤はいつも心にある人物の姿を思い浮かべていた。
 それは人気ドラマの主人公、高橋真太郎。平凡なサラリーマンでありながら、不正をはたらき私腹を肥やす上司や、理不尽な要求をする取引先と臆せず闘う、熱い男だ。新藤はシリーズを通してこのドラマのファンであることを日頃から公言しており、高橋真太郎は彼の憧れだった。その姿を胸に、新藤は大事な局面を幾度となく乗り切っている。
 まるで自分が主人公になったような気分で、この後現れるであろう丸岡社の担当者・戸坂の顔を思い浮かべた。あの食わせ者にしてやられないようにしなければ、と気合いを入れる。
「失礼します」
 ノックの音に身を固くしたが、続いて聞こえたのは来客担当であろう事務員の若い声だったので少し肩の力を緩めた。事務員が手に持っている盆から、コーヒーの香りが漂ってくる。
「お待たせして申し訳ありません。戸坂はすぐ参りますので……」
「……いえ、こちらが早めに着きましたので」
 実際、約束の時間まではまだ少しあった。新藤は元来せっかちな質で、さらに今日の商談への気合いからかなりゆとりを持って到着していた。待ち時間が生まれるのは想定内だが、こちらがじりじりと時間まで待ってから向こうが現れるとなると、どうも「余裕」を見せつけられているように感じる。しかしそこで動揺しては戸坂の思うつぼだ。新藤はそう思い直し、心を落ち着けて待つべくコーヒーをありがたく頂戴した。
 結局、約束の数分前に戸坂が応接室の扉を開くまでに、新藤はコーヒーをほとんど飲み干してしまった。待たせた謝罪を口にしながら戸坂が歩み寄ってくる。彼の後ろに付いて、また事務員も入室した。先ほどとは別の盆を持っている。テーブル上を一瞥して空になったコーヒーカップを引き上げ、代わりに冷水の入ったグラスを置くと、一礼して部屋を出ていった。
「今日は暑い中、ご足労いただきまして」
「いえ、こちらこそ、貴重なお時間をいただいて……」
 戸坂が近づくのに合わせて新藤と部下は立ち上がり、三人は互いに挨拶の言葉を口にした。しかし形式ばったやり取りもそこまでで、戸坂は新藤の向かいのソファに腰掛けると、始めましょうか、とやや気軽な調子で新藤を見た。
 対して新藤は、目力を緩めぬまま戸坂を見返し頷く。ここで気を抜いて油断を見せてはならない。戸坂は穏やかだが切れ者だ。巧みな話術でそれと気づかぬうちに主導権を握られてしまう。新藤はそう考えていた。
 だが逆に、緊張を悟られるのもよくない。冷静に臨むため、新藤はグラスの水を一口飲んだ。
3.
 それぞれ手元の資料に目を落としながら、契約内容を確認していく。はじめの二、三ページについて説明している間、新藤は資料をめくる毎にグラスに口をつけた。外の暑さのせいか自身の気持ちの問題か、やたらと喉が渇いたのだ。
 途中、増税の影響や原料費の高騰など周辺の話題に寄り道しながらも、話は順調に進んだ。金額が絡む内容になると新藤は身構えたが、戸坂から何か指摘が入ることもない。自身が普段の落ち着きを取り戻しているのがわかる。ひと息つくように口にした水は、先ほどより少しうまく感じた。
「……ところで、前に来てくれた彼、佐々木くんでしたかね?」
「あ、ええ。佐々木がどうかしましたか?」
「いえ、実はこの間、こちらの都合で少し迷惑をかけてしまいまして。���かし彼に対応してもらって非常に助かったんです」
 改めて一言お礼をと思っていて、と戸坂は手元のグラスを手に取る。そして休憩の合図とばかりに、脇に寄せられていた菓子盆を引き新藤たちに勧めた。
 一見何気ない話題だが、新藤は戸坂の口元に浮かぶ意味ありげな笑みを見逃さなかった。戸坂が特定の部下について発言するのは珍しい。そもそもいつもきっちり仕事をこなす戸坂が、迷惑をかけたなどという状況にほとんど覚えがなかった。
 この話題には何らかの意味があるのではないか。戸坂にとってメリットのある、何かが。
 落ち着いていた心臓の音がまた煩くなってくる。新藤はそれを隠すようにグラスの水をゴクリと飲み、平静を装って勧められた菓子に手を伸ばした。
 取引相手である戸坂から佐々木の名前を出され、礼を伝えたいと言われたことで、新藤としては佐々木にそれを伝言せねばならないだろう。それが戸坂の目的だとしたら。実は佐々木はスパイで、彼のほうから戸坂へ連絡しても不自然でない状況を作るとか、もしくはこの伝言自体が合図で、佐々木は戸坂と共に何か画策しているとか。
 いや、佐々木は墨田商社に長く勤めている真面目な男だ。よく気がつく彼に、新藤も助けられてきた。あの佐々木がこんな裏切るような真似をするはずがない。しかし、そういう人物だからこそ疑われにくいとも考えられる……。
 気取られずに戸坂の意図を探るには何と返せばよいか。グラスを持つ新藤の手に無意識に力が入る。中身が少なくなったグラスの内で、解けかけの氷がカランと音を立てた。
「そうそう、先ほどのコーヒーはいかがでしたか?」
 新藤が探りを入れるより早く、戸坂は話題を変えてしまった。思考を巡らしていたせいで一瞬何のことかと思ったが、待ち時間に出されたコーヒーを思い出す。
「コーヒー、ですか。美味しくいただきましたが……」
「ああ、それならよかった」
 満足気に頷いた戸坂と対称的に、新藤は内心の動揺を悟られないよう必死だった。コーヒーが一体何だというのだ。普通、あえて感想を求めるようなことはしないだろう。何の変哲もない美味いコーヒーだったと思うが。
「あれは実は社員が海外で買ってきたものでして。ぜひ味わっていただきたかったんです」
「はあ……」
 そう説明されても、新藤は疑いを拭えない。言葉の裏の意味を汲み取る、自分の経験と実力を信じるがゆえだった。まさかとは思うが、薬の類を盛られた可能性はないか。変わった風味には気がつかなかったが、薬の味が分かってしまった場合に備え、ごまかすために海外土産という言い訳を準備していたのではないか。その考えに至ると、緊張感のせいと思っていた動悸も、薬のせいだったのではと思えてくる。
 自覚すると、心音はより大きく新藤の身体に響いた。部下はなんともないのだろうか。ちらりと隣に視線を向けると、部下は平気そうな表情で座り戸坂の話に相槌を打っている。手元の水は、新藤ほどではないが減っていた。
 それを見て、新藤にある考えがひらめく。そうだ、水だ。薬を飲んでしまったのなら、水で薄めるのは効果的なはずだ。二人ともそこそこ水を飲んでいるから、まだあまり変化がないのではないか。だからこそ焦った戸坂は、コーヒーをちゃんと飲んだか確認してきたのだ。
 思うが早いか、新藤はグラスを口元へ運ぶ。しかし冷たい氷が口元へ触れただけで、喉を通る水分はわずかだ。しまった、水はもうほとんど残っていない。こうしている間にさらに薬が回ってしまうのではないかと新藤は焦る。どうする。いや落ち着け、こんなとき高橋真太郎なら……。
「失礼します」
 見計らったかのようなタイミングで事務員が扉をノックする。静かに三人の元へ寄ると、グラスへ減った分の水を追加した。まだたっぷり水と氷の入ったデキャンタを机に残し、一礼してまた静かに退室した。
 ありがたい。新藤は早速、補充された水を飲み下す。ちょうどいいときに来てくれて助かった。
 いや、だがタイミングが良過ぎはしないだろうか。新藤の脳内に新たな疑惑が浮かんでくる。もしかして、この部屋は外から監視されていたのか。もしくは、戸坂が外へ何らかの合図を送ったのではないか。
 新藤ははっとして、持ったままのグラスに目をやった。むしろ水のほうに仕掛けがあったらどうする。コーヒーに意識を向けることで、安全なものと思い込ませた水を大量に摂らせる策であったとしたら。戸坂ならば、それくらいの誘導は難なくやってのけるかもしれない。
 だがそのとき戸坂自身がグラスから水を飲んだのを見て、新藤は冷静さを取り戻した。そうだ、この水は目の前で同じデキャンタから全員のグラスに注がれていたのだ。そしてそれを戸坂も口にしている。つまり水に薬は入っていない。あるとしたらやはりコーヒーだ。
 思い通りになるものかと、新藤はさらに水を飲む。まさかばれているとは思っていないのだろう、怪訝さを隠せていない戸坂の苦笑が可笑しかった。
 やがて残っていた書類の確認が済み、商談は終了した。話を終えるまでに新藤は二杯目の水を飲み干し、デキャンタから再度注いでそれも飲んでしまった。
「それでは、本日はありがとうございました」
「こちらこそ。今後ともよろしくお願いいたします」
 新藤は部下とともに、丸岡社をあとにした。体調も変化なく、勝ち誇った表情を浮かべ歩く。戸坂は薬でこちらの判断力を鈍らせ、商談を有利に進めようとでも思っていたのだろうか。その企てに勘付き逃れることができたのだ。巨悪に立ち向かう、あの主人公高橋真太郎みたいじゃないか。大仕事をやり遂げた達成感を胸に、来たときよりも堂々とした足取りで新藤は帰っていった。
4.
「失礼します。墨田商社様、お帰りになりました」
「ああ、君もありがとう。すまないがグラスの片付けも頼むよ」
 新藤たちを会社の入口まで見送り、来客対応の事務員が応接室に戻った。戸坂は疲れを滲ませた顔で書類を揃えている。
「お疲れさまでした。ところで新藤様、随分険しい表情をされていましたが……商談中に何かありました?」
 事務員に尋ねられ、戸坂はため息を吐いて肩をすくめた。
「……何も。なんてことない、ただの定例の商談だ。まったくあの人は、ドラマの見すぎなんだよ」
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log2 · 1 month
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【株式会社西尾家具工芸社】システム戸棚下段など18点が追加登録されました!
株式会社西尾家具工芸社は、学校家具の専門メーカーです。創業以来、「木のぬくもりを大切にしたものづくりで学校教育に貢献していく」という姿勢を貫いています。
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Arch-LOG 西尾家具工芸社  検索ページ
今回は、システム戸棚など18点が3DBIM+として追加登録されましたので、 Arch-LOGに西尾家具工芸社の教育施設製品が3936点になりました。 さらに既に登録されている366点の製品についても4月からの新しい仕様に合わせてBIMモデルを更新しました。
下の製品画像は写真ではありません。  Arch-LOGに登録されている西尾家具工芸社の全点が3DBIM+として登録されていますので、学校の建築設計により役立てていただけます。
▼生徒用調理台(伸長テーブル付) WKS-4T
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▼生徒用調理台 WKS-16G.B
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▼薬品戸棚 NMB-20.A
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▼準備実験台 NSJ-2F.B.C ECO-757
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▼引違戸1800タイプ下段 ( 本体: 今様色) ACB-7.L.A.A ECO-752
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▼教師・来客用 シューズボックス GST-D2.S ECO-782
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ぜひBIMソフトへダウンロードしてご確認ください。
Arch-LOG 西尾家具工芸社  検索ページ
※文章中の表現/画像は一部を株式会社西尾家具工芸社のホームページより引用しています。
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t82475 · 1 month
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FTMのお客様
1. ここは日本有数の資産家で実業家でもある旦那様のお屋敷。
厨房で仕上がったポワソン(魚料理)をワゴンに載せて晩餐ホールへ運ぶ。 配膳担当のメイドは私を含めて2名。 ホールの扉の外に立つメイドが2名。そしてホール内に控えて様々なお世話をするメイドは4名。 今夜は旦那様のプライベートなディナーでお客様はお一人だけだから、私たちメイドも最小のチーム構成で対応している。 各国政財界の要人をお招きする公式の晩餐会なら数十名から100名近いメイドが働くことも珍しくない。
扉を開けて90度のお辞儀。ワゴンを押して中に進む。 本日のホールにはオブジェが飾られていなかった。 「オブジェ」は観賞用に女性を緊縛した作品のことで、その意図はお客様へのサプライズ、あるいは旦那様の趣味だ。 縛られるのはもちろん屋敷のメイドで、私たちは日頃からそのための訓練を受けている。 大抵の晩餐ではたとえお客様が女性の場合でもオブジェを飾るのが普通だから、今夜のように何もないのは珍しい。
お食事のテーブルには旦那様と向かい合ってお客様が座っておられた。 「・・失礼します。こちら焼津沖の真鯛のポワレとヴァンブランソース、アスパラガスのエチュベ添えでごさいます」 「ありがとう」 お客様から明るいご返事をいただけた。 黒髪のナチュラルショート。お召し物はネイビーのスーツ、チェック柄のボタンダウンシャツ。 ラベンダーのネクタイとポケットチーフがよくお似合いだった。 よく見るとスーツの胸元が膨らんでいるのが分かる。腰もほんの少し括れているように見えた。 今夜のお客様は女性だった。
この方は作家の天見尊(あまみたける)様。 大学在籍中の22才でSF文学新人賞を受賞し、26才の今は次代を担う若手SF作家のホープとまで呼ばれている。 FTM(生物学的に女性、性自認は男性)のトランスジェンダーで、それを秘密にせずブログやSNSで公開されていた。 旦那様はいろいろな方を招待されるけれど FTM トランスジェンダーのお客様は初めてのはずだ。
「・・ではもう長らく男性ホルモンを?」旦那様が聞かれた。 「はい。19のとき GID 診断を受けまして、その翌年から投与を始めました」天見様がお答えになる。 「いずれ手術もお考えですかな?」 「そうですね。なかなか決心がつかないのが困ったものですが」 「いやいや、お悩みになるのが当然です」
旦那様はずいぶん熱心に質問なさっている。 これでオブジェを置かない理由も理解できる。 今夜はお客様を驚かすよりも、ご自身の好奇心を満たしたいのだろう。
「その、ホルモンを使うと、本来女性である身体にはどういった変化があるものですかな?」 「変化ですか? 声が低くなったり、他にもいろいろありますが」 「例えば月のモノがなくなるのが嬉しいと、どこかで聞きましたが」 「それはありますね。実は僕の場合・・」
私は前のお料理のお皿をワゴンに回収し、頭を下げてテーブルから離れた。 旦那様は会話がお上手だ。 相手を機嫌よくさせて、普通なら口にするのを躊躇うような話題でも聞き出してしまう。 そうしてご自身が満足されたら、今度はお客様への心遣いも疎かになさらない。
・・ヴィアンド(肉料理)かサラダの後で始まるわ。心の準備をしておいて。 私はワゴンを押して出て行きながら、ホールの壁際に控えるメイドたちに目配せする。 彼女たちも無言で相槌を返してきた。 このお屋敷に勤めるメイドなら皆が分っている。 旦那様がなさるであろうこと、そして自分たちがすべきことを。
2. アヴァンデセール(デザートの一品目)をお出しするときに旦那様が仰った。 「そろそろメイドの緊縛は如何ですかな?」 「は?」 天見様は一瞬驚いた顔になり、すぐに落ち着いて応えられた。 「なるほど、これが噂に聞くH邸のサービスですか」 「ご存知でしたら話は早い。作家である貴方なら見ておいて損はありますまい」 「拝見します。いえ、拝見させて下さい」
待ち構えていたメイドたちが走ってきて横一列に並んだ。全部で8人。 「好きな娘を選びなされ。この中から何人でも」 「僕に決めさせてくれるのですか」 「もちろん。お望みなら裸にしても構いませんぞ」
旦那様はとても楽しそうにしておいでだった。 天見様はメイドたちを見回し、そして一人を指差した。 「この人をお願いします。裸は・・可哀想なので服を着たままで」 選ばれたのは私だった。 「務めさせていただきます。どうぞお楽しみ下さいませ」 私は両手を前で揃え180度の辞儀をする。 お屋敷直属の緊縛師が道具箱を持って入って来た。
両手を背中に捩じり上げられた。 肩甲骨の位置で左右の掌を合わせ、その状態で縄を掛けられる。 後ろ合掌緊縛という縛り方だった。 柔軟性が必要といわれるけれど、私たちメイドにとって特に無理なポーズではない。
旦那様と天見様の前で1回転して緊縛の状態をご覧いただいた。 それから私は靴を脱がされてテーブルに上がった。 本来なら晩餐のためのテーブル。 テーブルクロスを敷いた上にうつ伏せに寝かされる。
右足を膝で折って縛り、その足首に縄を掛けて背中に繋がれた。 さらに左の足首にも縄が掛けられ、左足がほぼ真上に伸びるまで引かれた。 背中に別の縄が繋がれた。口にも縄が噛まされる。
足首と背中、口縄。全部の縄を同時に引き上げられた。 私はふわりと宙に浮いた。 支えのない腰が深く沈んで逆海老になった。 口縄に荷重のかかる位置が耳の下なので、首を横に捩じった状態で吊られる。
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するすると引き上げられて、天井から下がるシャンデリアと同じ高さで固定された。 床からの高さは約3メートル。 すぐ下に旦那様と天見様のテーブルが見えた。
私は無駄に動かないように努める。 これは空中で女体を撓らせて見せる緊縛だから、あらゆる関節が固められている訳ではない。 もがこうと思えばもがける。 でも今夜のお客様に対して、激しくもがく緊縛は旦那様の意図ではない。 私に期待されているのは静物。 感情を表に出さないこと。耳障りな喘ぎ声や鳴き声をこぼさないこと。 お人形のように動かないこと。 動くなら、ときどき手足の筋肉に力を入れて無力であることをお見せする程度がよい。
私の中には縄に自由を奪われる切なさとやるせなさが既に芽生えている。 でもそれをお客様に知られるのはNG。 被虐の思いは自分の中で密かに楽しもう。 女として生まれメイドとしてご奉仕できることを感謝しながら、この時間を過ごそう。
テーブルではお二人がコーヒーを楽しんでおいでだった。 ときおり天見様は感嘆の表情で私を見上げられた。 そして旦那様はその様子を満足気にご覧になっているのだった。
お二人の歓談が終わるまで約2時間。その頭上に私はオブジェとして吊られ続けた。
3. 客室の扉をノックする。 「失礼いたします」 中から扉が開いて天見様が顔を出された。 「君は・・」 「伽(とぎ)に参りました」「え、伽」 「よろしければ朝まで一緒に過ごさせて下さいませ」 「知っていると思うけど僕の身体は女だよ」 「存じております。私どもはどんなお客様にもご満足いただけるよう教育されてますからご心配ありません」 「へぇ、面白いね。じゃあどうぞ中へ」 お部屋に入れていただいた。
天見様は客室に備え付けのスリーパー(丈の長いワンピースタイプのパジャマ)の上にナイトガウンを羽織っておられた。 お立ちになると身長166の私より10センチは小さい。 でもお身体はスーツをお召しのときよりがっしりして見えた。着痩せするタイプね。
「コーヒーか紅茶でも入れよう。ミニバーにお酒もあるみたいだけど」 「それは私にやらせて下さいませ。お飲み物をお出しするのはメイドの仕事です」 「じゃあ、お願いするよ」 「ご希望はございますか? ここにない品でしたらすぐに持って来させますよ」 「それなら暖かい紅茶をストレートで。言っておくけど君も一緒に飲むんだよ」 「分かりました。今ここにはインドのダージリンとアッサム、ニルギリがございますが」 「アッサムがいいな」 「承知いたしました。しばらくお待ち下さいませ」
ケトルでお湯を沸かす。 ティーカップのセットを2客とポットを出し、お湯をかけて温めた。 温まったポットに茶葉を量って入れる。 ふつふつと沸騰したお湯をポットに注ぎ、きっちり4分間蒸らす。
「丁寧に作るんだね」 「ごく普通の淹れ方ですよ。・・さあ、どうぞお召し上がり下さいませ」 「ありがとう。立ってないでここに座って」「はい」 小さなテーブルに向かい合って座った。 「うん、美味しい」「恐れ入ります」 「その手」 「はい? ・・あ」
天見様が見つめる私の手首には緊縛の痕跡がくっきり残っていた。 「これはお見苦しいものを・・。大変失礼いたしました」 「見苦しくなんかないさ。名前があるんじゃなかったかな、それ」 「『縛痕(じょうこん)』と呼びます。肌に刻まれた縄の痕でごさいます」 「いいねぇ。君が縛られた証拠だね」 「はい」
「えっと、君の歳を聞いてもいいかな?」 「私は19才でございます」「そうか、若いなぁ」 「お食事のときは私が一番年上だったのですよ」「え?」 「他に控えていたメイドは15から17才でした。もっと若い娘をお選びになると思っておりましたのに」 「15の女の子を縛っていいの?」 「もちろん構いません。もしお客様が15才のメイドを選んでおられたら今頃はその者が伽に参ったはずです」 「15の子が僕に?」 少し驚かれたようだった。
「どうして私を選んで下さったのですか? よろしければ教えて下さいませ」 「それはね、君が初めて好きになった子に似ていたからだよ」 「まあ、それは光栄です」 「中学2年生だった。・・女の子同士の同性愛だと思ってたんだ。でも彼女を抱きたいって思うと自分が女の身体であることが気持ち悪くてね。ずっと悩んでた」 いけない。無邪気に質問して嫌なことを思い出させてしまった。 「あの、ご不快な思いをされたら申し訳ありません」 「いいんだ。今となっては懐かしい思い出さ」 天見様はそう言って笑って下さった。
「僕はね、君に感謝したいんだよ」 「感謝、ですか?」 「だって僕のために緊縛を受けてくれたじゃないか。話に聞いてはいたけど、ああいうのを直接見たのは初めてなんだ。女の子を縄で縛って吊るす。・・すごいと思った」 「お楽しみいただけたのですね。よかったです」 「どうやら僕は女性をあんな目にあわすことに興奮するらしい。サドだね。こんなことを本人の前で言ったら嫌われるかもしれないけど」 「とんでもございません。男性が若い女性の緊縛に興味を持たれるのは自然なことです。天見様は立派な男性でいらっしゃいます」 「ありがとう。・・うわ、やっぱり僕、とんでもないことを告白しちゃった気がする」 天見様は急に立ち上がると頭を掻きむしられた。 その姿が可愛らしい。笑っては失礼だから微笑むだけにしていたけれど。
このお客様なら嗜虐プレイも大丈夫ね。 きっとお悦びいただけるだろう。 私は備え付けの道具を頭に浮かべつつ提案することにした。
「天見様。もう少し、次はご自分でお試しになっては如何でしょう?」 「試す? 何を?」 「少々お待ち下さいませ」 クローゼットを開けて一番下の引出しを手前に引いた。 そこには様々な拘束具や縄束、責め具がきちんと整理して収められていた。 「そんな物まであるのか、ここには」 「H邸の客室でございますから」
私は短鞭(たんべん)と呼ぶ棒状の鞭を取り出した。 乗馬鞭の一種で長さ50センチ。先端にフラップという台形のパーツがついていて正しく打てば大きな音が鳴る仕掛けになっている。
「これでしたら初めての方でも比較的使い易い道具です」 「柄の長いハエ叩きみたいだね。おっと君はハエ叩きを知らないかな」 「存じております。これでハエではなく女の尻をお叩きになって下さいませ」 「女というのは、もしかして」 「はい」 私はにっこり笑う。 「今、女といえば私だけでございます」
4. 天見様が短鞭を持って素振りをされている。 「そうです。手首のスナップを利かせて、先端の平らな部分が対象に平行に当たるように」 「えっと、鞭を打つ練習用の台みたいなものはないのかな」 「ございません。練習でしたらメイドの身体をお使い下さいませ」
手錠を2本出してお渡しした。 私は床のカーペットにお尻をついて座り込み、右の手首と右の足首、左の手首と左の足首をそれぞれ手錠で連結していただいた。 そのまま前に転がって膝をついた。 右の頬をカーペットに擦りつけ、天見様に向かってお尻を高く突き上げる。 これでメイド服のミニスカートの中に白いショーツがくっきり見えているはず。
「私の下着を下ろしていただけますか?」 「でも」 「構いません。どうか私に恥ずかしい思いをさせて下さいませ」 天見様は両手でショーツを下ろして下さった。
「ここは僕と同じだね。でも僕よりずっと綺麗だ。それにいい匂いがする」 「ありがとうございます。・・でも、そんなに顔を近づけて匂いを嗅がないでいただけますか? 恥ずかしいです」 「恥ずかしい思いをしたいと言ったのは誰だっけ」 「あ、私でした」 二人揃って笑う。少し空気が和らいだ。 「では始めて下さいませ」 「本当にいいんだね?」 「どうぞ、天見様」
鞭を持って大きく振りかぶり、・・ぺちん。 控えめな音がした。 「もっと思い切って当てて下さいませ」 ぱち。 「もっと強く」 バチッ。 ビシッ!! 鋭い音が出た。臀部に痛みが走る。 「あぅっ」 「ごめん! 痛かったかい?」 私は顔を向けて微笑んで見せた。 「今の打ち方で合格でございます。その調子でお続け下さいませ」 「やってみるよ」 「あの、」 「?」 「私この後も声を上げるかもしれません。お聞き苦しくないよう努めますので、どうぞお愉しみ下さいませ」 「・・分かった」
深呼吸。それから連続の鞭打ちが始まった。 ビシッ!! ビシッ!!! ビシッ!!! 「あっ」「あっ」「ああっ!」 鋭い痛み。被虐感。 お尻から頭までじんじん響く。 このお客様、筋がいい。
ビシッ!! ビシッ!! 「はぅっ」「はん!」 天見様は私のお尻だけを見つめて鞭打っておられた。真剣な表情。 もうお任せして大丈夫ね。 私も自分を解放しよう。 そっと性感を放流した。胸の中、子宮、身体の隅々へ。 少しずつ、少しずつ。・・とろり。
ビシッ!! ビシッ!! ビシッ!! 「あああ!」「はあん!!」「は、あああっ」 痛みの部位が移動するのが分った。 右側、左側。太もも。 同じ個所を打ち続けないように気を遣って下さっていると理解した。 まんべんなく打ち据えられる。 嬉しい。 とろり、とろーり。
ビシッ!! 「はぁ、はあぁ・・ん!!」
鞭が止まった。 はぁ、はぁ。 天見様は鞭を握ったまま立ち尽くし、肩で息をなさっている。 額に汗が光っているからお拭きしてさしあげたいけど、今、私にその自由はない。
「辛くないかい?」 「辛いです。でも嬉しいです」 「それは君がマゾだから?」 「はい。それもありますが」 「?」 「同じ個所を何度も打たないようご配慮いただきました」 「気がついたのか」 「もちろんでございます。それからもう一つ」 「まだあったっけ」 「私、我慢できずに下(しも)を濡らしました。天見様もご一緒にお感じになって下さいませんでしたか?」
天見様の驚く顔。 今、天見様の目には赤く腫れた私のお尻、そしてその下にぐっしょり濡れてひくひく動く膣口が見えているだろう。 これは演技でやったことではない。 私は本当に官能の中で濡れてさしあげたのだった。
お客様のご満足のためにご奉仕する、それがH邸のメイドの役目だ。 メイドが醒めていたらお客様はお楽しみになれないし、逆にメイドだけが乱れてお客様を置いてきぼりにすることも許されない。 だから私たちはお客様を導き、お客様と一緒に高まるように訓練されている。 たとえ拷問を受けるときでもお客様の気持ちを測って苦しみ方を変える。
「・・うん、興奮した。僕が打つ鞭が君に痛みを与えている。その度に君が喘ぎ声を上げてくれる。たまらなく興奮したね」 天見様は仰った。 「もし僕が男の身体だったら絶対に勃起してるね。いや、男の身体で君を打ちたかったと心底思ってる。・・ん、ふぅっ」 その指先がご自身の下腹部を押さえていた。 天見様? 「ありがとう。・・これで終わろう」
5. 拘束を解いていただいた。乱れた髪と服装を整える。 ニーソックスの後ろが破れたので手早く交換した。 「お尻は大丈夫かい? 赤くなってるみたいだけれど」 「どうかご心配なく。この程度の腫れでしたら明日には消えるはずです」 本当は4~5日ってところ。 「そうか、酷くなくてよかったよ」
このお屋敷では、接待にあたるメイドの負傷はある程度避けられないとされている。 だから接待プランやお客様の嗜好データに基づいてAIがリスクを予測している。 例えば今夜の天見様ご接待の予測値は 10-20。 これはメイドが全治 10 日の軽傷を負う可能性 20% という意味になる。 予測値が高い接待では相応のスキルがあるメイドを割り当てたり、最初から大きな怪我をする前提でシフトが組まれたりする。 まれに 90-90 といった拷問そのものの接待があって、担当するメイドは命の覚悟をして臨むことになる。 当然ながらこれはお屋敷内部で管理される予測値だ。 お客様にお伝えすることは決してない。
二人並んでベッドに腰かけた。 私は自分の両手をそっと天見様の手に乗せる。 天見様が仰った。 「テストステロン(男性ホルモン)を使うとね、声が低くなったり生理が止まったりするけど、他にも変化があるんだ。それは性欲が強くなること」 そう言って先ほどと同じように指を下腹部にお当てになった。 「だからオナニーが増えたよ。女の身体が嫌なはずなのにクリを使ってね。・・実は今も触りたくて仕方ない」 「お気持ちお察しいたします。でも天見様は他の女性にご興味がおありではないですか?」 「うん。僕は FTM のヘテロ(異性愛者)だから、自分以外の女性は異性として好きだよ」 「それでしたら私も女です。私にお慰めさせて下さいませ」
私は床に降りて正面に膝をつき、天見様のスリーパーの裾を持ち上げた。 天見様は FTM 用のボクサーパンツを着用されていた。 パンツの上から触れただけで突起が分った。 「んぁ!」 「優しく触ります。どうぞお任せ下さいませ」 「ありがとう。君を、信じる」 ボクサーパンツを下ろしてさしあげた。 わずかに香る匂い。 膝を左右に開かせ、ベッドに座ったまま開脚していただいた。
そこにクリトリスが生えていた。 その長さは外に出ている部分だけで4~5センチ程度。 男性ホルモンは女の陰核をこれほど肥大化させるのか。 真上からそっと指を当てる。 「ん、あぁ」 「我慢しないで、感じるままに声を出して下さいませ」 「くぅっ、んあぁ!!」
根元を押して包皮を引き下げ、露出した亀頭を唇に挟む。 反対の手の指を膣口に挿し入れた。 そこは既に愛液で潤っていて、中指がするりと吸い込まれた。 軽く噛んで先端を舌で転がし、同時に挿入した中指の第二関節を折って内壁を刺激した。 「ひっ、・・あああっ!!」 さらさらした液体が噴出して私の顔と腕を濡らした。 あっという間だった。 この方はきっとGスポットでも自慰をなさっていると思った。
天見様は2度、絶頂を迎えられた。
6. 明け方。 私は天見様とベッドにいる。 天見様は裸の上にスリーパーだけを纏っておられた。 私は全裸で天見様に抱かれていた。
「ね、もう一回抱きしめてもいいかな」 「はい。力いっぱい抱いて下さいませ」 ぎゅう!! 強く抱きしめられ、その間息ができなかった。 「ごめん、苦しかった?」 「いいえ。でもすごいお力」 「テストステロンは筋肉が付くんだよ。でも放っておくと腹だけ膨らむから、ジムで筋トレしてるんだ」 「そうでしたか」 「・・生まれて初めて裸の女の子の抱き心地を堪能したよ。君のおかげだ。僕はここで人生最初の体験を重ねてる」 私も初めてでございました。FTM 男性との体験は。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったね」 「私の名前はお客様がご自由につけて下さいませ」 「僕と君の間だけの名前か。面白いね。・・それなら『キツネ』ちゃんはどうかな?」 「まあ私はキツネですか?」 「君の髪がキツネ色だから」 「そんなに明るい色ではございませんよ。でもありがとうございます。可愛いお名前、私も大好きです」 「調子がいいねぇ。本当に思って言ってる?」 「あら天見様、私、商売柄調子のいいことを言いますが、嘘は申しません」 天見様はにやりと笑われた。 「いいねぇ、その返し。・・君に���人を騙す尻尾が九本あるかもしれないな。あの玉藻前(たまものまえ)みたいに」 私も妖しく笑う。こういう返しは得意でございます。 「あいにく誰かに憑りついて生気を吸い取ることはしないよう努めております。前に一度やって主人に叱られましたので」 「・・ほぅ、知ってるのか」「はい、レキジョですから」 「え、本当?」「嘘です。天見様を騙しました」 「ぷ」 二人で声を出して笑った。
「君には感心したよ。賢くて機転が利く。察しがよくて心配りも行き届いてる。今どきこんな子がいるとはね」 「恐縮でございます」 私たちは皆そういうふうに躾られているのですよ。
「君なら僕がベッドでも服を脱がない理由が分かっているんだろう?」 「はい。・・ご自身の胸が目に入るのを避けておいでではありませんか?」 「そうだよ。できるなら見ないでいたいモノだ、自分の胸なんて。君はあれだけ僕の性器を刺激してくれたのに胸には一切触れなったね。女同士なら真っ先に乳首を触ってもおかしくないのに」 「天見様」 私は天見様の手を取った。それを自分の裸の乳房に当てる。 「女同士ではありません。男と女です。どうぞ男性としてこの女の胸を弄んで下さいませ」 「そうだね、僕は男だった」
きゅ。 乳首を摘ままれた。電流が走る。 「きゃん!」 天見様は悪戯をした男の子みたいに笑われた。 「自分のものでなけりゃ女の子のおっぱいはいいよね。顔を埋めたくなるよ」 「もう!」 私は身を起こし、仰向けになった天見様の上にのしかかった。 「それなら存分に埋めさせてあげます!」 乳房を顔面に押し当てて体重を乗せた。これでも一応Dカップ。 「うわぁっ」 「どうですか? 嬉しいですか?」 「て、天国」 「エロ親父ですか」
7. 作家の天見尊様がお泊りになってから4か月が過ぎた。 私は誕生日を迎えて20才になっていた。 メイドの一人が誕生日だからといって特別な行事がある訳ではない。 せいぜい仲間内でささやかなお祝いをする程度だった。
その日の午後は外出の命令があった。 お屋敷の用務かと思ったら、外部のお客様への接待だという。 本来、私たちメイドのご奉仕の対象は旦那様が招かれたお客様に限られる。 無関係な人や組織への接待は滅多に行われない。 仮に行う場合は相手に対して法外な対価が求められる。 昔、外務省からの緊急要請で同盟国の高官にメイドを派遣したとき、旦那様が要求なさったのは中央アジア某国でのレアメタル採掘権交渉を日本政府が支援することだった。 H邸に勤める者の間では今も語り継がれる伝説だ。 仮に現金で支払う場合はメイド1名に数千万円から数億円が請求されるらしい。 いったい私はいくらで派遣されるのだろう?
指定されたホテルまでお屋敷の車で送ってもらった。 ロビーでお待ちになっていたのは。 「天見様!」 「やあ、キツネちゃん! 二十歳の誕生日おめでとう。お祝いにデートしようと思ってね」 「あの、メイドの誕生日は公開されていないはずですが、どうやってお知りになったのですか?」 「電話で聞いたら教えてくれたよ」 「・・」 「とても親切だったね。君をレンタルしたいって頼んだら料金も良心的で」 「あのあの、それはおいくらか、よろしければ教えていただけますか?」 「1時間ごとに 1113円。それ東京都の最低賃金だから、せめて 2000円くらい取ればいいのにね」 「・・」 旦那様、絶対に面白がっておられる。
「さあ行こうか」 「どちらへ?」「僕に任せてくれるかい」 ホテルを出て歩道を歩き出された。 「天見様、お車は?」 「持ってないんだ。タクシーも苦手だし、地下鉄で行くよ」 「あ、あの」 「どうしたんだい?」 「私、地下鉄に乗ったことがごさいません」 「本当かい? はははは」 大きな声で笑われてしまった。
8. 自動改札機がどうしても通れなかったので、天見様が別に切符を買って通らせて下さった。 お屋敷のIDカードでは改札機の扉が閉まることを初めて知った。 カードを手で擦って暖めたり、ひらひらさせたり、いろいろ工夫してみたのだけど。
ようやく電車に乗って連れてきていただいたのは英国ブランドのブティックだった。 「せっかくのデートにそんな地味な服は駄目だよ」 私は薄いグレーのワンピースを着ていた。確かに地味かもしれない。 対して天見様が着こなしておられるのは鮮やかなワインレッドのカラーシャツと黒のカジュアルパンツ。 小柄な身体にオーバーサイズを着けているから胸の膨らみも目立たない。
天見様は私にホルターネックの真っ白なミニドレスを選んで下さった。 キュートだけどバックレスになっていて背中が腰まで開いている。 上から覗いたらお尻の割れ目まで見えてしまうのではないかしら。 「よく似合ってるね。これを君にプレゼントするよ」 「あの、もう少し身体を隠すドレスの方がよろしいのでは」 「却下。僕の好みに従って下さい」 「・・はい、天見様」 これを着て帰ると伝えたら、それなら髪を上げた方が、それならお化粧も変えた方が、とお店のお姉さんたちが集まってきてあっという間に変身させられてしまった。 この人たちも絶対に面白がっていると思った。
お店を出て天見様と並んで歩いた。 髪をアップにされた上にハイヒールも履かされたから、私の方が30センチは背が高い。 でも天見様はそれをいっこう気になさる様子はなく、笑って左の肘を差し出された。 私は少しだけ溜息をつき、それから笑ってその腕にすがって密着した。
「駅は反対側ではありませんか?」 「少し歩いて見せびらかそう」 はぁ? すれ違う人々の視線が痛かった。 露出した首筋と肩、そして背中。 まだ風が冷たい季節ではないのにぞくぞくした。 お屋敷のパーティではこんなセクシーな衣装の女性をよくお見掛けする。 思い切り肌を晒して見られるのを楽しむセレブの美女たち。 でも今、見られるのは私だった。 せめて何か羽織るものをお願いすればよかったな。
「頬が赤いよ、キツネちゃん」 「天見様!」 「前は一番恥ずかしい場所を僕に見せてくれたのに?」 「知りません!」 「でもさ、僕は落ち着き払っている君よりも今の君の方が可愛いから好きだね」 ああ、もう。 可愛いと言ってもらえるのは嬉しいけれど。
9. プラネタリウムで星座を見て、湾岸の公園で夕日を見て、オーガニックのレストランでお食事。 庶民的なデートコースだった。 天見様はセレブじゃないものね。 でも15才でお屋敷に入って以来ほとんど外に出たことのない私にとっては珍しい場所ばかり。 お食事の後はスター○ックス。 抹茶クリームフラペチーノにストローを2本挿して二人でくすくす笑いながらシェアする。 何て楽しいのだろう。 セクシーな衣装にはすっかり慣れてしまった。
気がつくと天見様の手が私の肩に乗っていた。 しばらく一緒に歩いてから指摘する。 「あの、踵を上げたままお歩きになると大変ではありませんか?」 「そう思うなら君の方で何とかしてくれないかい」 仕方ありませんね。 私はその場でハイヒールを脱ぎ捨て裸足になった。 どうですか? これでずいぶん低くなりましたでしょう? 私の肩。 「おー、ちゃんと届くようになった」 「ご命令でしたら、この後ずっと裸足でおりますが」 「ふふふ、それもいいねぇ」 「ただし水溜りがあったら私を抱き上げて下さいませ」 「え?」 「よろしいですか?」 天見様はにやりと笑ってお答えになった。 「約束しよう。じゃあ今からキツネちゃんは裸足だ。・・これはもう要らないね」 脱ぎ捨てたハイヒールを拾うと自分のパンツのポケットに片方ずつ突っ込まれた。
「ところで、たまたま偶然思い出したんだけど、近所に僕のマンションがあるんだ」 「あら、それは偶然ですこと」 「来てくれるよね」「はい、天見様」 私は素直に従う。 もとよりそのつもりだった。 お屋敷で指示された内容は「お客様のお住まいでご奉仕」だったのだから。
二人並んで歩き出した。 私だけが裸足。天見様は私の肩をお抱きになっている。 「すぐ近くですか?」 「ん-、電車で20分、いや30分くらいかな」 「怒りますよ」
10. 天見様がお住まいのマンション。 玄関横の表札プレートには『徳山誠一』とあった。 天見尊はペンネームのはずだからご本名? もちろん余計なことは詮索せず、天見様について中に入る。
上がり框(かまち)のところで天見様が振り返って言われた。 「まさか本当に裸足で歩くとはね」 私はすまして応える。 「どこかに水溜りがあればと期待しておりましたのに」 ここへ来るまでの間、私は電車の中でも裸足を通したのだった。
天見様の行動は速かった。 私はその場で抱きしめられた。 むき出しの背中を天見様の手が撫でる。 私より小さいお身体なのに、前と変わらない、いえ前よりさらに強い力で抱かれた。 「んんっ」 天見様の右手がドレスの脇から侵入して乳房に覆いかぶさった。 「だ、駄目です。・・私の足、まだ汚い」 「後で拭けばいいさ」 ゆっくり揉みしだかれた。 「あぁ・・」 官能が湧き起こる。 この間は初めて女の子を抱いたって仰っていたのに、どうしてそんなに上手に揉むのだろう。
「君のレンタルを申し込んだときにね、聞きたいことはあるかと言われたからいろいろ質問したんだ」 「はぁ・・ん」 「君に何をしてもいいのかって。・・そしたらOKだって」 「んぁ!! ・・ああ」 「酷いことをしてもいいのか。苦痛を与えてもいいのか。怪我をさせてもいいのか。・・全部OKと言われたよ」 「あ、・・あん!!」
天見様の愛撫は執拗だった。 気持ちいい。このまま身を任せてしまいたい。 でもちょっと放っておけないことを口にしてらっしゃるわね。 少し脳みそをクリアにしなきゃ。
はぁ、はぁ。 激しく喘いでさしあげながら、天見様の表情を横目でチェックする。 大丈夫。自制なさっている。 これ以上暴走する危険はないわね。 おそらく今日のデートは入念に計画されたのだろう。 この後も何かご計画があるはず。きっと私への嗜虐行為だろう。 では今必要なことは? 私がすべきことは? ・・理解していただくこと、そして安心していただくことね。
「天見様」 ゆっくり呼びかけた。 「ご安心下さいませ」 「え」 「天見様のご満足のためでしたら何も拒みません」 「・・キツネちゃん?」 「ご奉仕させて下さいませ」 「そうか、君は知ってたんだね」 「はい。私をお好きなように扱って下さいませ。酷いことでも苦しいことでもお受けいたします」 私を押さえる手から力が抜けた。 「本当にいいのかい?」 「はい、天見様」 「悪かった。乱暴なことをしてしまったね」 「いえ、どうかお気になさらず」
ご理解いただけた。 ほっとすると同時に官能が戻ってきた。 とろり。下半身が熱い。 もしあのまま押し倒されていたら、どうなっていたかしら。 ああ、私きっとエロい顔をしているわ。
11. 天見様のマンションはリビングダイニングのお部屋の奥に階段があって、その上が吹き抜けのロフトのようになっていた。 メゾネットだよと教えて下さった。 浴室は階段の隣。
私はまずシャワーをお願いして、浴室を使わせていただくことにした。 服を脱いで裸になってから、ご一緒に如何ですかと聞いたら天見様も来て下さった。 裸になってから自分の胸を隠し恥ずかしそうになさっている。 もちろん私はそこに目を向けるようなことはしない。
天見様のお身体は贅肉がほとんどなくてよく締まっていた。 特に腕と背中にはアスリートのような筋肉がついて逞しかった。 股間には肥大したクリトリスが突き出していた。 それはまっすぐ立っていても見えるほどだった。
お背中を洗ってさしあげた後、当たり前のように正面に跪いた。 そしてそれを口に含んでご奉仕・・しようとしたらずいぶん慌てられてしまった。 前にもしてさしあげましたのにと指摘すると、あのときはもっと優しくて情緒的だったと抗弁された。 はっとした。 口でご奉仕、いわゆるオーラルセックスは男性のお客様にも女性のお客様にもお悦びいただけるスタンダードなサービスだけど、トランスジェンダーのお客様にはセンシティブだった。 これは失敗。お屋敷でやらかしたら罰を受けるレベルね。 胸の方は直接見ないように注意していたのに。
失礼をお詫びして、もう一度心を込めてご奉仕させて欲しいとお願いした。 その最中は私に何をなさっても構いません。 よろしければ私の手をお縛りになりますか、と言うと天見様の眉がぴくりと上がった。 本当に何をしても構わないんだね? と聞かれて私は頷いた。
私は浴室の床に跪き、後ろで揃えた手首をタオルで縛っていただいた。 その気になれば自分で解けてしまうような拘束だけど、解くつもりは絶対になかった。 顔を斜め上に向けて天見��のクリトリスを口に含んだ。 唇と舌ででご奉仕する。 それは私の口の中でびくんと震えた。
頭の上からシャワーのお湯が注がれた。 シャワーヘッドが目の前に迫り、ほんの数センチの距離からお湯を浴びせられた。 流れるお湯で視界が覆われる。 唇と舌のご奉仕は止めない。 天見様のそれは明らかに硬さを増して大きくなった。
天見様の片手が後頭部を押さえた。 顔面にシャワーを浴びせられたまま、髪をぐしゃぐしゃにかき乱される。 前髪を掴んで引き寄せられた。目と鼻を恥丘に強く押し当てられる。 鼻孔が塞がれて空気が入ってこなくなった。 すぐに胸の酸素が尽きて私はもがき、お湯が気管に入って激しく咽(む)せた。 慌ててそれを口に含み直す。必死の思いでご奉仕を続けた。 きっと私シャワーの中に涙と鼻水をぐずぐず流してる。
シャワーのお湯が背中に移動した。背中が暖かくなる。 と、お湯がいきなり冷水になった。 ひっ! 私は震えあがり、その瞬間、クリトリスの先端に露出した亀頭を歯で扱(しご)いてしまった。 絶対に噛まないよう細心の注意を払っていたのだけど。
天見様が小さな声を上げて絶頂を迎えられた。 しばらくしてから、最高だったよ、と言われてご奉仕は終了した。
12. ぐったりされている天見様のお身体をお拭きしバスローブを羽織らせてさし上げた。 幸福感に満ちたお顔。女性のイキ顔だと思った。 これが男性のお客様なら精を放たれて醸し出されるのは満足感や征服感。 これほど幸せそうな表情はなさらない。
「・・とてもよかったよ。やる前はあんなプレイのどこが楽しいのかと思ってたんだけどね」 「それは何よりでございました」 「ねぇ、キツネちゃんは男の客が相手のときにも、あんなご奉仕をするんだろう?」 「それは本来お答えしかねるご質問です。でも天見様だけにはお教えしますね。イエスです」 「ありがとう。もう一つお答えしかねる質問だけど、いいかな」 「何でしょう?」 「相手が射精したら、君はそれを飲むとか顔で受けるとかしてくれるのかい? ・・うわっ、ごめんっ。怒らないで!」
「・・天見様は男性の射精にご興味がおありなのですか?」 「そりゃそうさ。僕には絶対に叶わないことだからね。でも今興味を感じたのは射精そのものじゃなくて、女の子が口で奉仕することなんだ」 フェラチオに興味ですか?
「人間には手があるのにそれを封じてわざわざ口で尽くしてくれる。しかも飲むんだろう? あんな扇情的な行為はないね。・・強制されてすることもあるだろうけど、僕はそれを女性が自分の意志でやってくれることに感動するよ」 自分語りのスイッチが入ったみたい。 私は黙って拝聴する。
「・・考えてみれば男の快楽のために女が奉仕するってのは尊いね。暴力的なプレイまで進んで受けてくれる。まさに君たちの仕事だよ。実に興味深い」 接待で二人きりのとき語り始めるお客様は珍しくない。ほとんどが男性。 そういうときに大切なのは、すべて聞いてさしあげること、小難しい話でも理解に努めること、適切なタイミングで相槌を打つこと。
「キツネちゃんはさっき顔面シャワーを受けてくれたよね。髪の毛を掴んで振り回されるのはどんな気持ちだろう。やはり惨めなものかい?」 「はい。でもそういう思いを甘受するのもメイドの務めでございます」 「ものすごく嗜虐的な気分になるね。もう一回ご奉仕して欲しいくらいだよ」 終わりそうにないわね。 そろそろ後のご予定を伺わないと。
「天見様、きちんとしたお召し物をお着け下さいませ。お風邪をひきます」 「ああ、そうだね」 「今夜は何かご計画があったのではありませんか?」 「え」 「私を使って嗜虐プレイをなさると思っておりましたが」 「どうして分かったんだい?」 分りますよ。 私に抱きついてさんざん "苛めたい" オーラを放っておいて、分からない方がおかしいです。
13. 天見様は壁際に置いてあった手提げケースを大事そうに持って来られた。 「あれからSMバーに通って一本鞭の練習をしたんだ。人並には打てるようになったよ」 ケースの中にはSMプレイ用の一本鞭が入っていた。 グリップ(持ち手)の先に皮を編んだ撓(しな)やかな本体が繋がっている。 長さは1.5メートルくらいか。
私はお部屋を見回してチェックした。メイドの習性だ。 吹き抜け部の天井高さは4メートル以上。広さは 2.5×3.5 メートルってところ。 大丈夫、ここなら長縄を使えるわね。
吹き抜けには梁が一本通っていて、そこに小さな滑車が取り付けられていた。 滑車からフックのついたロープが下がっているのが見えた。 「天見様、あれは?」 「ああ、あの滑車は僕が付けたんだ。安物だけど人は吊るせるよ」 「ということは、私、あそこに吊られて鞭を打たれるのですか?」 「そうだよ。・・君を宙吊りにする技術はないから、両手を吊るだけのつもりだけどね」 天見様はそう言ってにやりと笑われた。 「どうかな? 怖いかい?」 「怖いです、天見様」 「嬉しいね。そう言ってくれると」
わさわざ私の誕生日のために準備して下さったのか。 きっとそうね。あの滑車とロープは新品だわ。 ご自分で掴まってテストするくらいのことはなさっているだろう。 お一人でぶら下がっている姿が浮かび、心の中でくすりと笑った。
天見様はジムでお使いのトレーニングウェアを着てこられた。 私は生まれたままの姿で、お借りしたバスローブを肩に掛けているだけ。 下着を着けてもいいと言われたけれど、私は自ら全裸を選択した。 ほんの4か月の練習ではブラやショーツを鞭で飛ばすテクニックはおそらく無理。 であれば、最初から肌をすべて晒して鞭打たれる方がお愉しみいただけるはず。 それにこの方は女が惨めな姿であることを好まれる。先ほどの会話で分ったことだ。
天見様が頭上の滑車からフックを下ろされた。 私はバスローブを床に落として前に立つ。 「両手を前に出して、キツネちゃん」 「はい、天見様」 この先はあらゆるご命令が絶対。私は絶対に逆らわない。
お屋敷を出るときに伝えられた今回のリスク予測値は 14-30 だ。 プレイの内容が不明なので信頼性の低い参考値と言われた。 でもここまで来たら私でも予測できる。 14-50 か 20-30。 私は今から打たれる。 無事でいられるかどうかは天見様の腕次第。 ・・ぞくり。 押さえていた被虐の思いが頭をもたげる。
前で揃えた手首に革手枷を締められた。 手枷のリングにフックが掛かって、床から踵が離れるまで吊り上げられた。 私は両手を頭上に伸ばし、爪先立ちの姿勢で動けなくなった。
「綺麗だね」 天見様が私をご覧になって仰った。 「ありがとうございます。・・どうぞ私をご自由に扱って下さいませ」 「じゃあ、お尻を打つから向こうを向いて」 「はい、天見様」 言われた通り身体を回して、天見様に背中を向けた。 「よーし」 鞭を持って構えられた。深呼吸。 「・・」 「?」 「一回練習する」
天見様は向きを変え、ソファのクッションに向かって鞭を打たれた。 ひゅん! ばち! 鋭い音がした。 鞭は全然違う方向に飛んで床を打っていた。 「あれ?」
訂正。 30-50 ね。
14. 天見様の鞭はとても速かった。 肘を曲げて素早く振り下ろす上級者の打ち方をマスターされていた。 ただしコントロールが悪かった。
天見様は真っ赤な顔をして何度か振り直された。 3回目でようやくクッションが跳ねた。 「待たせたね」 「いいえ、天見様。・・あの、まことに差し出がましいことですが」 「何?」 「一度ごゆっくりお座りになられては如何でしょうか。お座りになって、私をご覧になって下さいませ」
天見様ははっとした顔をされた。 ソファに腰を下ろし、一本鞭をテーブルに置いてから私に顔を向けられた。 「ありがとう、落ち着かせてくれて」 「とんでもございません」 笑顔で仰った。 「よく考えてみれば、いきなり鞭を打つなんて勿体ないことだね」 私も笑顔で応える。 「はい。今、天見様はこんな美少女の自由を奪って飾っておいでなのですよ?」 「本当だ。・・今どさくさに紛れて美少女って言ったね? もう二十歳のくせに」 「しまった。二十歳までは美少女の範囲でございます」 「あはは」「うふふ」
それからしばらく天見様はにこにこ笑いながら私をご覧になるだけで何もなさらなかった。 両手を吊られているからどこも隠せない。 天見様の視線が胸や股間に向いているのを感じる。 嫌ではなかった。 ・・乳首が尖るのが分かった。天見様はお気付きになったかしら?
10分ほども過ぎただろうか。 天見様がお立ちになった。 「もう大丈夫。・・覚悟はいいかい? キツネちゃん」 「はい、天見様」
15. ひゅん! ばち! 衝撃が走る。 私は身を捩って耐える。
ひゅん! ばち! ひゅん! ばち! ひゅん! ばち!
お尻。背中。太もも。 肌を切り裂かれる感覚。 お上手です、天見様。
ひゅん! ばち! ひゅん! ばち!!! 「ひぁっ!!」 声を出してしまった。 サービスで上げた悲鳴ではなかった。 ひゅん! ばち!!! 「ああーっ!!」
「キツネちゃん! 大丈夫かい!?」 天見様が駆け寄ってこられた。
はぁ、はぁ・・。 私は両手吊りのまま天見様に寄りかかった。 慌てて支えて下さるその腰に右足を回して掛ける。 太ももの内側を擦りつけるようにして絡みつかせた。 「!」 天見様が驚かれた。 私の右の内ももは股間から染み出た液体で濡れていた。 左の内ももにも粘液がふた筋、み筋。 はぁ、はぁ。
「お、お願いがございます、天見様」 天見様の耳元で話しかけた。 「私に、猿轡、をしていただけませんでしょうか?」 「さるぐつわ? いったいどうして」 「女の悲鳴は高く響きます。ご近所様に聞こえると天見様にご迷惑をおかけするかもしれません」 「・・」 「ご安心下さいませ。猿轡をされても私の味わう苦痛は変わりません。お耳に届かなくても私の悲鳴は天見様に伝わると信じております」
天見様はわずかに溜息をつかれたようだった。 「君はそんなことまで気遣ってくれるのか。そこまで濡れておきながら」 「メイドの務めでございます」 私はできるだけ艶めかしく見えるよう微笑んだ。 「どうか、思う存分お愉しみ下さいませ」
「・・本当にいつも君には、」 天見様はそこまで言いかけてお止めになった。 「それで僕はどうしたらいいんだい?」 「はい、とても簡単でございます。ハンカチなどの柔らかい布をできるだけたくさん口の中に含ませて下さいませ。私が嘔吐(えず)く寸前までぎゅうぎゅうに詰めていただいて構いません。それからダクトテープ、なければガムテープでも結構です。耳まで覆うほど長く切ってしっかり貼って下さいませ。2枚切って口の前でX(えっくす)の字に交わるように貼っていただければ、より剥がれにくくなります」 一気にまくしたててしまった。少し面食らってしまわれたかも。 「わ、分かった。・・ハンカチとガムテープだね? 取ってくるよ」
お願いした通りの猿轡を施していただいた。 口腔内に大量のハンカチが充填され、声も空気も通らなくなった。 鞭打ちが再開される。
ひゅん! ばち!!! 「んっ!」 ひゅん! ばち!!! 「んんーっ!!」 鞭が空を切る音。一種遅れて肌に当たる音。 衝撃が脊髄を抜けて脳天を貫く。
ひゅん! ばち!!! 「ん、んんっ!!」 鞭の当たる部位が識別できなくなった。 どこもかしこも腫れているのだと思った。 後半身はそろそろ賞味期限。まっさらな肌をご提供しないと。 私は少しずつ身体を回す。
ひゅん! ばち!!! 「んんっっ!!!」 脇腹を打たれた。
ひゅん! ばち!!! 「んんーーっ!!」 おへその下の柔らかい部分。
ひゅん! ばち!!! 「んんんんっっ!!!」 乳房。 赤い筋が浮かび上がるのが見えた。
私は両手吊りになった身体の全周をまんべんなく打っていただいた。 ときどき爪先で体重を支えきれず、手首に体重を預けてゆらゆら揺れた。 吊られた雑巾みたいに揺れた。
天見様はただひたすら鞭を振るっておられた。 どんなお顔をなさっているのか、見ようとしてもうまく見えなかった。 ぼろぼろ流れる涙が滲んで見えないのだと気付いた。
16. 「キツネちゃん・・?」 目を開けると、ソファの上だった。 私は天見様の膝に頭を乗せて寝ていた。 手枷と猿轡は外されていて、身体にシーツが掛けられていた。
下半身にどろどろした感覚があった。 無意識に股間に手をやると、そこにはまだ性感がマグマのように溶けて渦巻いていた。 あぁ!! びくんと震えた。全身に痛みが走って顔をしかめる。 自分がどうなっているのかよく分かっていた。 鞭で打たれた箇所が赤い痣とみみず腫れになっているのだ。 血が滲んで流れたところもあるはず。
「まだ寝てた方がいい。疲れ果てているだろう?」 天見様が仰った。 「出血の場所は洗浄スプレーで洗ったから心配しないで。後で起きたら洗い直してキズパッドを貼る、・・でいいんだよね?」 私は何も言わずに微笑んでみせた。 傷の手当くらい心得ておりますよ。
髪の生え際を撫でられた。 不思議と嬉しくなった。 「よく尽くしてくれたよね。・・嬉しかったよ、ありがとう」 あれ、どうしたんだろう。 また涙が出そうな感じ。 「ん? メイドとして当然の務めでございます、とか言わないのかい?」 「もう、天見様ぁ」 「キツネちゃんでも泣きそうな声を出すんだね。可愛いよ」 からかわないで下さいませ。 本当に泣いちゃいますよ。
天見様の指は髪から首筋に移動した。 人差し指と中指でそっと押さえられる。 エクスタシーが優しくさざ波のように広がった。 どろどろしていたモノが柔らかくなった。 「ああ、気持ちいいです」 「ここはね、僕がオナニーするときに好きだったポイントさ。テストステロンを始めてからは何も感じなくなったけどね」 私は黙って両手を差し伸べ、天見様の首に子どものようにしがみついた。 少しだけ甘えさせて下さいませ。
しばらくして天見様が仰った。 「・・君は女性を鞭で打つ愉しさを僕に教えてくれたね」 「はい」 「自分にこんな嗜好があったなんて、以前の僕には想像もできなかったことだよ。・・それで今日分かったことがあるんだ」 自分に言い聞かすように仰った。 「僕は SRS(性別適合手術)を受けようと思う」
天見様はご自身の嗜虐嗜好を認識して以来、女性の身体で女性を責めることに違和感を感じたと教えて下さった。 その違和感は男性ホルモンの投与だけでは緩和できず、それまで踏み切らなかった SRS を真剣に考えるようになられた。 「鞭の練習をしながら考えてたんだ。キツネちゃんをとことん責めて、僕が本当に求めていることを確認しようってね」
天見様の首にしがみついたまま質問した。 「では、私はお役に立てたのですか?」 「もちろんだよ。キツネちゃんが鞭で打たれて苦しむとき、その前にいるべきは男の身体の僕だ」
・・私はお役に立てた。 どろどろの澱みがなくなり、雪解けの水のように流れ去った。 「ありがとうございます!」 天見様の上によじ登った。頭を抱きしめる。 全身の鞭痕がずきずき悲鳴を上げたけど、気にしないことにした。
「・・ん、んんっ」 天見様の声がくもぐって聞こえた。 「ねぇ、もしかしてわざとやってる?」 私は全裸で、天見様の顔はDカップの胸に埋もれていた。 「はい。痣だらけの胸でございますがお尽くしするのが務めと考えました。・・ご迷惑ですか?」 「迷惑だなんてとんでもない。キツネちゃんのおっぱいは天国だよ」 「お粗末様でございます」
17. マンションの玄関にあった『徳山誠一』は天見様のご本名ではなく私生活での通り名だった。 天見様のご本名は『徳山聖子』だと教えていただいた。 「SRS を受けて性別変更したら戸籍名を『誠一』にするつもりなんだ。そのときはまた招待してくれると嬉しいね」 「主人に申し伝えます」 「約束する。次は男性の身体でキツネちゃんを責めてあげるよ」 「はい!」
朝になって私は迎えの車でお屋敷に戻った。 鞭痕は全治20日と診断された。 全身の痣が赤から紫に変わり、数日の間、私は七転八倒することになった。
18. 天見様が再びお客様としてお越しになったとき、私は24才になっていた。 この年、天見様はSFではなく歴史小説で文学賞を受賞された。 同時に MTF トランスジェンダー女性との結婚も発表されて文壇の話題となっていた。
晩餐ホールに呼ばれて伺うと、旦那様と向かい合って天見様ご夫妻が座っておられた。 SRS を受け戸籍上も男性となられた天見様は4年前より一層筋肉のついた男性らしいお身体になっていた。 奥様は色白でとても綺麗な方だった。
「キツネちゃん!」 「お久しぶりにごさいます、天見様。ご結婚と文学賞受賞お祝い申し上げます」 「ありがとう。キツネちゃんはメイドを引退するんだって?」 「はい」 私は横目でちらりと旦那様を伺う。 「構わんよ、話しなさい」 「はい。・・婚約しました。来月結婚いたします」 「え、それはおめでとう! 聞いてもいいかな、相手は?」 「アメリカで会社を経営されています」 「そりゃすごい!」
婚約者は旦那様の事業のお相手だった。 何度かご奉仕をしてさしあげた後、先方から私を "購入" したいとのご希望があった。 表向きは結婚という体裁になる。 その金額がどれくらいなのか私は知らない。 人身売買のようだと思われるかもしれないが、彼は優しく誠実な人だ。 私は彼を愛している。 ちなみに彼の嗜好はエンケースメント(閉所拘束)。 結婚したら月の半分は妻として務め、残り半分は樹脂の中に密封されて過ごすことになる。 実は彼も FTM であることを知る人は、このお屋敷では旦那様の他数人だけだ。
「・・ところで、」 旦那様がおごそかに仰った。 「そろそろメイドの緊縛は如何ですかな?」 「え」 天見様は一瞬驚いた顔になり、それから奥様と顔を見合わせて微笑まれた。 「是非お願いします。・・ここにいる女性の中から誰を選んでもよいのですよね?」 「もちろん」 「それでは彼女を、キツネちゃんを縛って下さい。服は脱がせて全裸で、できるだけ厳しくて可哀想な緊縛をお願いします」 「ふむ!」
私は天見様に選ばれる前から前に進み出ていた。 お約束を果たすために来て下さったのですね。 今夜、私は天見様ご夫妻のお部屋に伺って責められる。 天見様と奥様が鞭打って下さるのだろうか。 それでも私と奥様が天見様から鞭打たれるのだろうか。 それは多分、このお屋敷で私の最後のご奉仕。
私は旦那様と天見様ご夫妻に向かい、両手を揃え180度のお辞儀をした。 「謹んで縄をお受けします。どうぞお愉しみ下さいませ」
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~登場人物紹介~ キツネちゃん: 19才。H氏邸のメイド。 天見尊(あまみたける): 26才。作家。FTM(生物学的に女性、性自認は男性)のトランスジェンダー。
2年半ぶりのH氏邸です。 確認したら前々回と前回の間も2年半開いていました(笑。
今回はトランスジェンダー界隈の情報ネタをストーリーに取り込みました。 私自身は FTM でも MTF でもありませんが、これらの方々が抱く嗜虐/被虐の思いには大変興味があります。 そこでH氏邸に招かれた FTM トランスジェンダー男性がメイドさんの接待を受けて、それまで潜在的に持っていた嗜虐嗜好に目覚めることにしました。 目覚めた嗜好が理由となり SRS(性別適合手術)を決心する、という設定ですが、これは作者(私)のファンタジーです。 現実世界にそんな人はおらんやろと思っていますが、さてはて・・?
なお私は、この界隈に関してネットで得られる以上の知識がありません。 トランスジェンダーの皆様の苦痛や悩み、ホルモン治療と SRS の詳細について不適切な記述があるかもしれないこと、あらかじめお断りしてお詫びします。
さて、メイドさん側の心理行動はこれまでのシリーズを踏まえて描いています。 よくあるドジっ子メイドとは正反対の超優秀なメイドさんです。優秀だけど立派なM女です。 現実世界にそんな女の子はおらんやろと確実に思っています(笑。
次に挿絵ですが、久しぶりにAIを一切使わずに手作業で描きました。 細かい手順をすっかり忘れてしまい大変苦労しましたが、対象をイメージ通りに描くなら手書きも便利と思いました。 これからも定期的に手描きを続けることが必要だなと痛感した次第です。
最後にシリーズの今後について。 長く続いた『H氏邸の少女達』ですが、次回で最終話にしようと考えています。 サイトへの掲載はずいぶん先になると思われますが、気を長くして待っていただければ幸いです。
それではまた。 ありがとうございました。
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shukiiflog · 6 months
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ある画家の手記if.124  告白
香澄と一緒に車で家を出た。留学から帰ってくる絢の迎えに。 絢と僕らはもう親戚ってわけじゃないけど、僕も香澄も少しでも早く会いたかったから。 かいじゅうくんキーホルダー、役に立ったかな…。 出てくる前に香澄とじゃれてた名残でまだ少し体があつい。車内の空調を強くしたら髪の毛が後ろに靡いた。 香澄も僕もだいぶ髪が伸びた。僕の髪はちょっと前は大型犬の尻尾くらいの長さだったけど、今はクラゲの触手くらいの長さになってる。
空港で会えたのは絢だけじゃなくて、ちょうど同じタイミングで帰ってきたまことくんと雪村さんと光くんもだった。 絢に「おかえり」って言って頭を撫でたら撫でた手に噛みつかれた… 合間をみて雪村さんにちょっと大きめの箱を渡す。「帰国祝いです」って笑って渡したら向こうも笑って受け取ってくれた。 いい包装紙がなかったから山雪の工房を借りて、大きな紙に自分で描いてデザインしたかいじゅうくんと絢ちゃんの柄を刷ってみた。包装するリボンにも、綺麗にレタリングしたアルファベットとかいじゅうくんと絢ちゃんの顔を描いて、シルクスクリーンで刷って入れた。 かいじゅうくんもだけど、雪村さんにあげるなら絢ちゃんも一緒に入れたほうが喜ばれるかなと思って。絢が僕に絢ちゃんを見せてくれたのは病院に持ってきてた一回くらいだけど、たまに送られてくる画像にもよく写り込んでるし特徴は覚えてた。 絢はたまに、みんなにじゃな���て僕だけに画像だけ送ってきてくれたりする。嬉しい…んだけど、謎の画像が多くて、どれも絢が外を歩いてて撮った写真みたいなんだけど、枯れた蓮のドアップだったり、寂れて朽ちて顔の印刷が禿げた公園の動物の遊具だったり、…謎だ。毎回一応送ってくれた写真にはコメントしてる。
帰って来るやいなや絢と一緒にあっという間に香澄も攫われていって、残された僕とまことくんとでぽかんとその場に立ち尽くす。 正確には僕一人。まことくんはそこまであっけにとられたふうでもなくて、慣れてるみたいな涼しい顔で絢たちを見送ってた。オーストラリアでもこんなことあったのかな。 このまま香澄も一緒に行かせちゃっても特に危険はないと思う…わがまま言ってるふうでいて絢がそう判断してもいるんだろうし…。 絢の家族の人間性とか危険性については香澄からも絢からも僕はほとんど聞いたことがない。それぞれ個人についてなら間接的な情報を聞けたこともあったし、それが無意味ってことじゃないけど。情香ちゃんからの報告も、つまるところあくまで情香ちゃんへの対応なんだと思う。 僕は香澄みたいに彼らと個人的な関係を築けてるわけじゃない。…でもみのむしくんは渡せた、これ以上は高望みかな。 ひとつ音にもならないくらいのため息をつく。煙草…はここは禁煙かな。 となりのまことくんのほうへ視線をやって話しかける。僕はまことくんにも話しがあったんだった。 「まことくんは機内でなにかもう食べた? 僕は空港内のカフェで軽く食べて帰ろうと思うけど、よければ奢るよ」 にっこり笑って誘う。「君と少し話せたらなって思って」 「え?や…ありがとうございます…」 まことくんは愛想笑いでも警戒するような感じでもなく、僕に対して特にどういう感情もなさそうな顔。 「食べて帰ろうかと思ってますけど…  香澄も絢も居ないのに俺だけなんか悪いですし」 お辞儀してそのまま一人で行っちゃおうとするから、もう一声かけてみる。 「香澄も絢も居なくていいかな。できれば君と個人的な話が二人でできればいいなって思ってたから。…無理強いはできないけど」 まことくんがカフェに向かって歩き出す僕の斜め横にくる。 「そういうことならありがたく奢ってもらいます。院生て金無くて。留学とか行っといてなんですけど」 今の言葉でとまってくれたのかな。その前と言ってることはほとんど変わらないけど、どこで思いとどまってくれたんだろう…。 「お金があってもなくてもやりたいことはやらなきゃね」 院生か。僕は院には行ってないけど卒業後それなりに極貧生活だったな。まだやってることがはっきりとは結実しない期間ってことなのかな。 院には慧が行ってた、その慧の部屋に僕はしばらく入り浸ってたから、まことくんと慧では分野は違うだろうけど院生がそれなりに忙しいスケジュールを抱えてるわりにまるで儲からないのはなんとなく知ってる。 一緒に来てくれるってことで、まことくんの肩からひょいっと荷物を預かる。僕のランチの提案で重たい荷物を抱えて当初の予定より余計に歩かせることになるから、せめて。飛行機から降りたばっかりだし。 そのとき気付いた。まことくんの荷物の端っこで揺れる、荷物に付けてあるキーホルダー…木彫りの、かいじゅうくん、僕が香澄と一緒に作った 「ーーー……」
まことくんと二人で入ったのは飛行機の離着陸や滑走路が見える日当たりのいい綺麗なカフェ。 軽く食べるっていっても僕はもともとが一度にそんなに食べきれないから小さなワッフルとコーヒーだけ。 夏だけど僕はコーヒーは一年中ホットで飲んでる。空港内は涼しいからまことくんもこの季節に見てて暑苦しいってほどじゃないはずだ。 テーブルの向かいの席にまことくんも座る。 こうして綺麗に正面から姿を見るのは初めてかもしれない。 絢や香澄と一緒に家に遊びにきてたことは何度もあるけど、まことくん個人と面と向かって話したことはない。 顔立ちはシャープな印象だけどパーツや骨格の造り自体はそんなに細く鋭く尖ってるわけじゃない、骨ばってもない、てことは表情でかなり顔が変わるのかな? 造形より印象が圧倒的に強く出てる。 表情豊かな人だ、多分。造作的な表情の変化の幅が大きくて広いって意味じゃなくて、ほんの少しごく僅かな表情の変化だけで内面や感情を非常に雄弁に物語る、って意味で。 少ない情報…出力から、相手に膨大な入力をもたらす相貌、ひとの顔は見る人間と見られる人間の双方の視線で織りなして編まれる、出入力のアンバランスが造作より印象が圧倒的に勝る容貌に繋がってるのか…どうかな… まことくんが飲み物しか頼まないから「好きなもの頼んでいいよ」って言ったら僕と同じワッフルを頼まれた…   さっきお金ないって言ってなかったっけ…  あんまり量食べないほうなのかな 余計なことかもしれないけど、店員さんにメニューの中からいくつか腐りにくい日持ちしそうな料理を頼んでテイクアウトにしてもらった。 コーヒーに口をつけながらまずはなんてことない話を始めてみる。 昔、慧につっこまれた、突然本題を相手の顔面にパイみたいにぶつけていく話し方やめろ、それは会話じゃない、って。 そのパイをぶつける話し方って案外、美術講師をやってた頃には生徒に通用してたんだけど。先生と生徒なら、要点が話の頭に来たほうが早くて助かる、ってことだったのかな。 「そういえばまことくんの名前って本名じゃなかったんだね、最近香澄が呼び方を変えたので初めて知ったよ」 まことくんも飲み物を飲みながら答える。 「そうですね。まことって呼んでたのは香澄の勘違いというか…本名は張磨寿峯です」 ことねって名前がふとした話題に出てきたとき、最初僕は香澄が誰の話をしてるのか分からなくて、新しい友達ができたのかなと思った。なんとなく、香澄も呼び方を変えてすぐにしっくりきたわけでもないみたいだった。 名前、というより呼び方なのかな、相手そのものの僕の中での存在のあり方を呼称って形で包括してる。呼び方を変えるときは相手の存在形式が大幅に変わったときか、変えるときで、だから僕の中では絢はずっと絢だったりする。 …僕は名廊に絢がいたときから、絢のことを「絢」って呼んでたから。あの日理人さんと会って。今でも僕が「絢」って呼ぶとき、それはなんとなく「雪村絢」の絢じゃなくて「絢人」を略したものとしての絢だったりする。…言わなくてもいいことだから、言わないけど。 「はりまことね… 綺麗な名前だね。…僕も呼び方変えたほうがいいかな?」 香澄から呼び方を変えた経緯とかは聞いてないからまことって呼ばれるのになにか不都合が起きたんじゃ… 「呼びやすいように呼んでください。絢はまだまこって呼んできてて、逆にぬいぐるみのサメに寿峯って名前つけてんですよ。まぁそういうのも別にいいかなって思います」 杞憂だった。 絢はまことくんにもぬいぐるみ買ってたのか…。 …そう言われれば…こう、鋭利な印象と魅力的な部分に相似が…  もしかして絢もそう感じた…? 「サメ…  ………まことくんがサメに似てるから…?」 訊いてみたらまことくんの表情のニュアンスが少し変わった。嬉しそう…楽しそう…? 「そうそう、サメ似てるって…絢から聞いてました?」 「いや、僕は何も聞いてなかったけど、印象が似てると思って…」 絢はぬいぐるみが好きなのかな。そういえば僕によくノエルぶつけてくるね。好きな人にそのイメージのぬいぐるみをあげてたりするのかな。 僕から見るとサメってすごくかっこいいけど、絢から見てもまことくんはそんなふうに見える? なんとなくにこにこする。 そのまま立て続けてサメからゆきちゃんからノエルからかいじゅうくんからみのむしかいじゅうくんの話をしそうになって一度冷静になる。 留学から帰ってきてまだそのままだし、そんなにここに長居させるわけにもいかない。国が変わると空気とか水とか匂いに慣れるまでに時間がかかるとか体壊すとかって前に稔さんから聞いたような…。 僕とまことくんとはしょっちゅう会えるわけじゃないから聞きたいことがあるなら今聞いておかなくちゃ。 「そういえば絢から通話で聞いたよ。まことくん、絢と付き合い始めたんだって?」 僕が聞きたかったのはそういう話。 まことくんはさっきの顔からまた元に戻って短く答えた。 「ああ…はい」 「…」 こういうのって、例えば家族とかでも本来は無遠慮に聞いていい話じゃないんだろうな。誰とどう交際するとか結婚するとかって。 名廊はそのへんも古いからな…そろそろ誠人くんがそういうのにも耐えがたくなって変えてそうな気もするけど。男女関係なく、誰かと交際するときはもちろん結婚前提だし、相手もそれなりの家で、相手の家の親族は軽く洗ってあまりに見るに耐えかねる人物がたとえ遠縁にでもいたらそこで話は終わり、とかだった。 ずっと家の子供たちを幼稚舎から西蘭に通わせる理由にそれもある。あの学内だけでプライベートな人間関係が構築されるなら、西蘭には名家の子や一定レベル以上に優れた能力を持つ子しか入らないから、学内で普通に恋愛しても家曰く「ひどいハズレ」を引くことがない、とかなんとか。…考えてて嫌になるし、実際嫌になったから僕は大学は別のとこにいったんだっけ… 「…立ち入ったことだったかな」 眉を下げて訊いたらまことくんがフォローを入れてくれた。 「いえ、絢が香澄と直人さんに伝えたのは聞いてました」 まことくんと絢が付き合い始めたのが留学期間中であってるなら、まだそんなにどういう交際になるのかとか、はっきりしてないのかもしれないし、僕は別に波風立てたいわけじゃ…ない。 「…伝えてきたのは絢の行動であって君の積極的な意思が伴ってたのかはわからないし、だから僕がその事実関係を知ってることを君も知ってることと、僕がその関係について絢じゃなく君にも遠慮なく踏み込んだ話をしていいのかは、別だから…」 慎重に言葉を選ぶ 相手を悪戯に傷つけないように 土足で踏み込まないように 「君が嫌なら金輪際絢との関係については話題にしない…って言いたいけど、最低限僕が君としたい話だけ、ここで僕にさせてくれるかな」 どこまで僕がエゴを抑えて話せるか 「答えられることなら」 まことくんはさっきまでと同じ声で答えた。 「絢が香澄と直人さんに伝えたいって思うのは納得できてますし、俺もそれは了承してます。でも今は俺しかこの場に居ないから。俺一人で答えられる範囲じゃ無いって思ったら、それはすみませんけど、話せないってこともあるかも。それでもよければ」 むしろここに絢もいたら、絢は僕がまことくんに聞きたいことや話したいことを茶化したり誤魔化してくるか混ぜっ返してくる。そしてもう一度同じ話題に戻れない流れを作る。絢はそういうのが上手い、ここでは厄介な存在だから、今はいないほうがいい。 …なにから話せばいいのかな   絢とまことくんが付き合うって知って頭を掠めたものはなんだったっけ …髪留め
「…邪推の域を出なくて申し訳ないけど、僕はずっとまことくんは絢じゃない別の人のことが好きなんだと思ってたんだ。今もそうなのかなと、僕は思ってる。…僕はなにか勘違いをしてるかな?」 向かいでまことくんが唖然と…ぽかんと…?してる。 脱線してないことを示そうとしてにこっと笑って続ける。 「…僕は君がその人の誕生日に髪留めを贈ったのを知って、そうなのかなと思ったんだけど。」 「え」 まことくんの食べてる手が止まった。目が合う。…これもあんまり僕からは言っちゃいけないことだったかな。  これに関しては何も攻撃の意図はないから最初に声をかけた時のまま、穏やかな笑みを崩さないでおく。 「香澄のことですか」 「うん。決められたたった一人の相手としか恋愛や交際をしちゃいけないとは僕は思ってない、けど…自分の大事な子たちに無節操に軽い気持ちで手を出されるような動きをされると心中穏やかじゃない。香澄にも絢にも、幸せになってほしいから」 香澄は僕が幸せにするけど、香澄に髪留めを贈って、絢に告白されたら付き合って、僕はどっちのこともいい加減に扱われていたずらに気を持たせて蔑ろにされたようで   少し怒ってて でも  …どういう行為が本人の中で下衆な行いだって認識されてるのか、その行動を一人一人の相手がどう受け取るのかは、分からない…場合によってはそれでいい関係だって多分あるんだ    今回は僕がただ拭えない違和感を感じただけで、それだって僕は本来部外者だし… 僕と香澄と情香ちゃんの関係だって、信じがたい、受け入れがたい、って人はいる   パーティでそういう声も聞いたから だから結局僕の気持ちより絢の気持ちのほうがずっとずっと今は大事にしなきゃいけない でも絢は… 傷つけられても、…気付けないかもしれない 「…君は絢のことをどう思ってるの」 まことくんは訝しげな表情で僕にしっかりした声で返した。 「俺は付き合うなら一人だけです。絢と付き合うなら二股とか浮気はしません」 眉が下がっていく… 一緒に目線も下がって、手元のコーヒーをじっと見つめることになった。 「それは君の主義信条方針であって君の気持ちは一言も出てきてない。僕はそれが怖い。僕は、絢のことをどう思ってるのかって聞いたのに。…」 どんな崇高で堅牢な主義思想や人道的な判断を貫くより絢のことを誰より一番に最も深く愛してほしい、どれだけ道に外れることになっても愛の形が歪になってでも   …どこからが僕の本当の願いで、どこからが変えられなかった過去だ 悲しい顔した僕の向かいでまことくんは少し気分を害したみたいな空気で言った 「…好きですよ」 その言葉に、僕は「お前ごときに絢を幸せにできるとでも思うのか」って怒鳴りたかった、そうしなかったけど その言葉は本来はまことくんに向けられたものじゃない、その怒りも、本当は僕に向けられたものだ、だから言わなかった 今ここでこうして絢の恋人相手にあれこれ訊いてみるなんて滑稽な真似してまで僕は絢に幸せになってほしい、 そうじゃないと僕が困るから? 絢は僕の犯した因果から産まれた 僕一人では負いきれないほどの咎を、まるで無関係のはずのまことくんに負わせてしまったような気持ちでいる、 僕が 絢を幸せにしてあげられればよかった 誰より深く優しく愛して死ぬまでそばにいて慈しんであげられたら それはできない 僕が絢を一人の連続した人間だってふうに思えるようになったのは、香澄に会って 香澄と愛し合ったから 深く優しく慈しむような愛し方も 僕の中には元々なかった 香澄と関わって育まれたものだ それは香澄と僕で編んだもので、僕が一度そういう愛し方を学んだからって誰しもにそれを適用できるわけじゃない  あくまでその人との関係の中で生まれたものを途切れないように大事に紡いでいくだけで、それがどこに行き着くかどんな形になるのかは、そうしてみないと分からないし、香澄とまったく同じ形になることは相手が誰でもきっと起きない
「…」 少しの間黙り込んじゃったけど、手元のコーヒーを一口飲んでからまことくんに柔らかく微笑みかけて、話を続ける。 「そう…  それならよかった。…僕が訊いて君が答えてくれたのに、言われたことを鵜呑みにもできなくてごめんね。君を信頼してないってこととも違うんだけど…。」 好意なんてものを単純に絢にとって良いものだなんて信じられるわけがない、絢だけじゃない、好意をかさに着て香澄に好き勝手に振舞ってきた人間がどれほどいたか いつも好意はどんな悪意より尚たちが悪かった 好きだって、まことくんの言ってる好意がどういうものかは、真実を僕が知ることはなくてもせめてこうして話さないと何も分からない 「…僕は当人と直接一対一でのコミュニケーションを重ねないことにはどうにも個人像が得難いらしくて、今まで君のことも家で幾度となく見かけて挨拶を交わしたりもしてるのに、僕には君をどういう人間のようにも思えなかった。こうして多少不快なやりとりを通してでも僕は君のことを知りたかった、絢を傷つける人間を僕はもう二度と絶対に許さないから。」 理人さんも、誠人くんも、僕も。 流石にもう分かってるよ、理人さんが優しくて儚げで壊れそうなお兄さん、なだけじゃなかったこと。…誠人くんも。…僕も。 まことくんは…どういう人なのか。プロファイリングみたいな成果がこの会話で欲しいんじゃない、お互いの中にまず一人の人間として根を下ろす覚悟がまことくんにも僕にも必要じゃないかなってことなんだけど…。 まことくんが僕の少々重たい言葉を継いだ。 「…絢がすごく真剣に物事考える奴だってことは俺も感じてます。だから正直なんで俺?って思いましたけどね。直人さんみたいに周りに絢を心配する人が居るのはあいつにとっていいと思いますよ。俺は俺が関わる以上のことは絢にしてやれないんで」 ………。 絢に…何かを要求してるわけじゃない…? 関わる以上のことはできない…  なら、 どう関わりたいかだけがネックだ。 「僕はもう絢にとっては親戚でも従兄弟でもなんでもない存在だから…正直どこまで僕の一存で絢に鬱陶しくいつまでも構っていいものかはずっとはかりかねてるんだけどね…。君は、絢とどういうふうに関わっていきたいと思ってるの?」 ここまで訊いていいのかな、嫌なら「答えられない」で済むからいいのかな、とか思ってたらまことくんの顔から力が抜けた…僕なにか変なこと訊いたかな… 「どうっていうか… 俺わりと絢はそのまんまで好きなんで。絢がやりたいようにやってるとこ見てられればそれで」 「ーーー……」 「俺も絢もやりたいこと違うと思うんですけど、それでも相手の興味あることが自分の糧になったりもしますし」 「………」 ………そっか…  絢は今度は 際限なく尽くして相手の欲求や混乱を鎮めて満たしていくような関係は 自分を少しでも損なうような関係は、望まなかった…のか 絢のことが…  そのままで好き…… 「………まことくんは、なんで自分なのかって言ってたけど、僕は今すごくよく分かったような気になったよ…あの家を出たあとの絢らしいね… 前からいい子だったけど、ずっとずっといい子になった…」 自分で言ってて優しい気持ちと一緒に笑みが溢れる。 「僕だけかもしれないけど話しを聞けてすごく安心したよ。好意を振りかぶって傷つけてくる人間が、大勢いたから…好きだから付き合うってだけじゃどうしても警戒心が抜けなかったんだ」 そのままの絢が好き… 絢に何を求めてるんでもない、何でもこなす器用なあの子にそのスペックを自分との恋愛に活かしてほしいだとか、あの美しい容姿を連れ歩いて自己顕示の道具にしたいだとか、ただ愛玩したいだとか、そういうのじゃなかった…  僕がほっとしてる間にまことくんは「はぁ。そうですか」てまた元の顔に戻っちゃってる。…?違う感じもする… おたおたしながらコーヒーに口をつけて弁解みたいなことを言う。なんとなく目が泳ぐ。 「ご、ごめん、絢の話ししてたのに自分語りみたいになっちゃったね。喋るの苦手で…話すとき言葉が抜けがちとか主語がないとか日本語じゃないとかよく言われるんだ…」 正直に白状したらまことくんに笑われた。苦笑いみたいな感じだけど。 マグの向こうをそっと見る。この子ちょっと困ったような感じの苦笑みたいな笑顔が映えるな。少し痩せ気味の体型とも合ってて全体の空気に統一感がある。苦笑に皮肉や嫌味っぽい暗い雰囲気が混じらないから向けられたほうも嫌な気持ちにならない。無表情に近いときの顔の造作がそういう笑みの印象から…遠くはないけど、でもすぐに思い描ける感じでもないから、そこに少しのギャップがあるのかな。 「日本語になってないって…」 まことくんは苦笑したまま返してきた。 「や、別に、会話って言語外のニュアンスが色々ありますから」 「…ニュアンス頼りだと齟齬にいつまでも気付けないこともあるし…」 僕の場合はニュアンス以前な気がするけど… 「香澄に会ってからは気をつけようとはしてるんだ…あの子ははじめて会った頃はあんまりどういう言外のニュアンスも醸さなかったから、僕も何も汲まなかったひどい歴史があって… …絢はそういうとこは醸すかどうかしっかり統制してるからこれもやっぱり僕には難しいんだけど…相手が汲んでほしくないものは汲めないし…」 「そういうものじゃないですか、人間関係は」 僕がおたおたしてたら総まとめにされちゃった…。 続けづらくて黙ってコーヒーを飲んでたらまことくんが続けてくれた。 「俺は前まで絢が好きなのは香澄だと思い込んでたんですけど まぁ、そういう…はっきり言われないとわからないこともありますね。絢が香澄を好きなのは間違いないと思いますが」 「…?うん。…?」 絢は香澄が好きで香澄も絢が好きでまことくんは香澄が好きだけど絢も好きで付き合ってて、…いい関係だと思うけど… 「留学最終週とか絢ずっと香澄に会いたいとかくっつきたいとか色々言ってて、それで今日会った途端あれじゃないですか。マジで置いてかれたし…」 まことくんがちょっとおかしそう?に笑ってる 絢、もうすでにまことくんに甘えきってるな… 「置いてっても君ならちゃんとそこにいると絢が思ってるからでしょう。両想いだね」 僕がそう言ったらまことくんは笑顔の余韻を漂わせてる。 「あー…まぁ…だといいですね…」 真っ先に駆け寄っていく相手と、置き去りにしていく相手。どっちがどうとは言えないけど、違う形の信頼関係が両者とそれぞれにあるってことかな。 「僕は絢が君を選んだことがすごく嬉しいよ。どれだけ今の段階で深く愛しあってても、絢が香澄を恋人に選ぶよりも、君を選んだことが。 あの子は生まれた時から自分のすべてをたった一人のひとに捧げて、その生き方を愛ゆえだと思うことで耐えて生きてきた。本当に愛かもしれなかった、それはもう分からないけど、絢の世界ではずっと愛し愛されることはあの子が身を削る形のものでしか成立しなかった。 でも君はそのままの絢が好きだって言った。絢はやっと身を削らなくてもそのままでいるだけで愛し合える相手を見つけて、そういう君のことを、自分の意思で選び取れたんだと思って。」 きっと怖かったんだろうな。がんばったね絢。 笑んだ目元に自然と涙が薄く浮かんだ。僕のほうにまっすぐ視線を向けたまま、まことくんは黙ってた。 僕から続ける。 「それに君はいくら恋人でも絢のために身を削る真似はしない、…ような気がした。」 にっこり。これから変わるかもしれないけど。 「まぁそうですね」 そうであってくれるから、絢はまことくんを選んだんだろう。 僕の勝手な想像だけど、絢から聞く限りでは、絢がまことくんとの関係を恋人って形にするのを少し急いたのは、絢が香澄と今後も一緒にいるためでもあったような気もする。 自分の気持ちの成就もあっただろうけど、絢の人間関係はそれほど大きな広がりを見せることはもうないはずで、絢と香澄はそうならないように思いあっているものの、お互いに少し、お互いのことになると我が身を省みなくなるところは…あるよね。 長々話し込んだけどコーヒーも飲み終わったし、まことくんも食べ終わってるから日が落ちる前に空港を出る。夜道の運転は暗所が見えない僕は避けたほうがいい。 「食べ終わったし、そろそろ僕らも帰ろうか。送っていくよ」トレーを持ってワッフルを包んでた紙を丸めてゴミ箱に入れながらまことくんのトレーも彼の手から預かって片付ける。 「はい。じゃぁ…ほんといいんですか奢ってもらって」 「もちろん」 会計しながら話す。 「まことくんは遠慮しそうな気もするけど、ご飯作るのが面倒だったりお金がなかったらいつでもうちに泊まってってたくさん食べてってね。一人暮らしだって聞いたし。香澄も喜ぶよ」 「ありがとうございます。機会があれば」 丁寧に「ごちそうさまです」って言って僕に頭を下げる、わかりやすい愛想はそんなにないけどどこも無礼じゃない…躾の行き届いた子?っていうのかな…?いや、この年齢ならもう躾とかってことじゃないのかな…。
香澄と絢は向こうの車で帰ったみたいで、ロールスは駐車場でいい子に待ってたから後部座席にまことくんを乗せる。 僕が持ってたまことくんの荷物も乗せて、その横に食料を乗せた。 ふと思いついて運転席からバックミラー越しに提案する。 「今日はうちに泊まっていったら?今夜は香澄も絢のところに泊まるみたいだから僕も家に一人だし。おいしい晩ごはん作るよ」 さっき香澄と絢から連絡が来てたのを見た。僕一人だとちょっと寂しい。 「いや、さすがにそれは…帰って荷ほどきとかもしたいんで」 「そっか」 今まではずっと留学先で絢と同室だったみたいだし、急に一人の部屋に戻って一人で寝起きするのも寂しいんじゃないかなと思ったんだけど、一人のほうが落ち着くし静かでいいって場合もあるし、これも無理強いはできないな。 「じゃあせめて家まで送っていこう」 そこから先はまことくんのナビで一緒にまことくんの下宿までいく。 車の運転はなるべく安全運転で。 後ろのまことくんに話しかける「そのキーホルダー、絢からもらった?」 荷物についてたかいじゅうくん。僕と香澄がお守りに渡したものを他の人に渡すなんてよっぽどだ。 まことくんは「借りてるだけで返します。それも何度も断ったんですけど」って言ってる。相当絢が食い下がったな。お守り、自分よりまことくんに持っててほしかったのかな。
まことくんの下宿についたら、車から荷物を持って降りる彼に、カフェで受け取った大きな袋を運転席から差し出す。 「これ、さっきのお店のメニューで日もちしそうなやつをテイクアウトしといたんだけど…疲れてるかなと思って、数日は料理しなくていいように」 慌てて付け足す。 「アレルギーとかあったり食べきれなさそうだったらこのまま僕が持って帰るよ」 「あーありがとうございます…なんか色々してもらって」 絢を呼べばぜんぶ処理できる気はするけど、絢ももしかしたら今頃はしゃぎすぎて熱出してるかも。 まことくんは袋の中身を確認して「助かります。いただきます。ありがとうございました」って綺麗にお辞儀した。 背筋もいいけどお辞儀の仕方が綺麗なだけじゃない、茶道じゃない…何か武道をやってたのかな。 「役に立ちそ��ならよかった。それじゃあ、お疲れさま。留学先から絢を無事に帰してくれてありがとう。おやすみ」 運転席の窓を閉めて車を出す。
聞きたいことが聞けたのとはちょっと違ったけど、それより当初の目的は達成できてる気がする。 最初はたしか香澄の話題に頻出していた、名前だけの存在だった”まこと”くんに、実体が伴い、造形が伴い、存在感が伴い、今日ようやく僕なりの像が得られた。 これからそこに少しずつ違うものが追加されていったらいいな。
香澄視点 続き
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sazanami-sewing · 8 months
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#090 ロックミシンがやってきた
「複合機」の誘惑
クライ・ムキ式ソーイングスクールでロックミシンを何度か触ってみて、どうにかワタシでも使えるようになりそう…との手応えがあったので,夏コミの準備が終わった8月上旬についに購入を決めた。
さて、何を買うか?である。教室ではいずれカバーステッチミシンも使うらしい。ロックミシンは布の端をかがるだけだが,カバーステッチミシンなら裁ち目かがりをしながら縫い合わせて、オモテにはシンプルな2本の直線の縫い目だけを出す…という縫い方ができるらしい。これだけだとなんだかよくわからないが、要は、市販のTシャツの袖や裾なんかに使われている縫い方だ。カバーステッチミシンがなければロックミシンで端かがりをした後で普通のミシンで裾上げすればいいので、服作りに必須というわけではない。でもあったら既製品っぽいのが作れて楽しいよねぇ…。
置き場所的にも予算的にも,普通のロックミシンとカバーステッチミシンを両方買うという選択肢はなかった。そこで目についたのが「複合機」と呼ばれるものだ。1台にロックミシンとカバーステッチミシンの機能が両方搭載されているらしい。おぉ、これはお得!
「おすすめしません」
いま出回っていてそこそこ人気がありそうな複合機は2つ。フラッグシップモデルの「縫希星(ほうきぼし)」は40万円以上と飛び抜けたお値段の上に、いろんな機能てんこ盛りでワタシにはオーバースペックなのでパス。「縫工房(ぬいこうぼう)」も30万弱で決して安くはないが,高機能のロックミシンとカバーステッチミシンを両方買うよりは安いかな…といったところ。
ところが,ソーイングスクールの先生に聞いてみたところ,なんと、複合機はトーカイ店舗では普段取り扱いがないとのこと! 取り寄せは可能だけどセール対象にならず、教室で普段扱う機種とも異なるためサポート面でも限界があるよ、とのお話だった。特に「よくない点」についての言及はなかったが,推奨してはいない様子…。
そこで,千葉市でミシンといえば、というぐらい歴史ある有名ミシン店の某Tミシン店にも話を聞きに行ってみた。縫希星も縫工房も展示はあったが,店員さんは「複合機は正直言っておすすめしません」ときっぱり。ロックとカバーステッチの切り替えの時に,針だとかテーブル(?)だとか、付け替えなきゃならない部品が多くて設定もいろいろ面倒くさいんだって。
複合機にネット上の口コミもあまりないし,2つのお店で「あまり…」という反応だったことですっかり萎えた。素直に普通のロックミシンを買おう。
Imagine WAVE
糸取物語WAVE JETと最新のSAKURA (ちょっと高くてだいぶデカくて重そう!)で迷ったけど、縫うことについての基本性能は変わらない様子。SAKURAでは、針糸通しが少し楽になったとか,押さえ上げレバーの位置が変わったとか,ふところが広くなったとかその程度の違いのようなので,重くて高いSAKURA じゃなくても糸取物語WAVE JET でいいかな…ということに。
そして買う場所。お教室に通ってると割引もあるらしいからトーカイ店舗で買うのが普通なんだろうけど,長く使うことを考えると修理対応も大事だ。うちの近くのトーカイはそれほど大規模ではないので、状況次第では撤退もあり得る。そういう意味では地元で長くやってる専門店の方が、簡単には無くならないのではないか? カメラやスマホなら遠くに持ち込み修理を出すのも簡単だけど,ミシンは送るのも持ち込むのもだいぶ大変なわけで,近場に確実な修理拠点がある方がありがたい…というわけで、創業から90年(らしい)の老舗の某Tミシン店で買うことに。
ちなみに安さだけならネットで買うのがいちばん安い。ワタシの場合、使いこなせる自信があんまりないものなので何かあったら気楽に聞ける人がいるのは安心なわけで、そこにお金を払うことにしたわけです。
そんなわけで糸取物語WAVE JET(BL69WJ)を買おうと某Tミシンに行ったら、それでもいいけどこちらの方がお買い得かも,と勧められたのがImagine WAVE(BLE3ATWJ)という機種だった。同じベビーロック製で、スペックは糸取物語WAVE JETとほぼ同じだけど、型落ちなのか(ネットの口コミでは海外向け製品かも…という話も)、出回ってる台数が少ないみたいで少しだけ安い。押さえの上がる量が糸取物語WAVEより1mm少ないとかで、厚物縫いの時には最初に布を挟むのがちょっとやりにくい…ということだが、まぁそれくらいなら目をつぶってもいいような気がする…多分。
そしてImagine WAVEでは普通は別売りになるはずの押さえ金いろいろがセットでついてくるからお得、ということだった。
多分これでいいんじゃない?ということで決定。お値段は155790円也。
Tumblr media
ジェットエアスルー
ロックミシンのセッティングは、お教室で3〜4回先生に泣きつきながらなんとか覚えたので自宅でもわりとすんなりできた。
ルーパー糸通しを空気の力で簡単にできる…というエアスルーシステム。これは教室でも使ってたんだけど,進化したやつは「ジェットエアスルー」といって、さらに強力になっていた。上ルーパー糸と下ルーパー糸が同時に通せて、スピードもはやい。ただ、エアボタンを押すとゴゴゴ…とかなり大きな音がするのにはちょっとびっくりした。
糸は何を使う?
教室で使っていた糸は、オゼキというメーカーのミロマルチという糸。何も考えずにこれを買ってもいいんだけど、ちょっとお高いのよね…。ネットでいろいろ見ると、フジックスのニットソーイング糸とかハイスパンとかキングスパンとかの方が人気でお安いので、家ではこの辺を用途に応じて使うことにしよう。
そして、糸は手芸店価格に比べてAmazon価格がだいぶ安いことに気づいた。ワタシはAmazon prime会員だから大抵の糸なら注文翌日に届くし,わざわざ店に出向かなくても家で生地に合わせた糸が買えた方がいいと思ったので初期投資として糸の見本帳を取り寄せてみた。やっぱりスマホとかの画面で見るのと,実際にサンプルを生地にあてて見るのとでは違うからね。
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ちなみにシャッペスパンの見本帳も既に買ってあって,家で生地と見比べながら注文することが多い。
とりあえずは買ったミシンにハイスパンの白が4つセットされていたので、試し縫いと練習はこれでやろうっと。
なんかいろいろついてきた
付属品の押さえ金のセットはいずれ使いこなせる時が来るのだろうか。透明バルキー押さえっていうのは縫うところの周囲がよく見えそう。これは標準の押さえの代わりに常用するのが良さそうなので変更しておく。
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そしてルーパースレッダーなる針金。これはウーリー糸なんかをルーパーに通す時に便利らしい。細い糸をウーリー糸の先端に結びつけてエアスルーで通す…というのを教室ではやってたけど、スレッダー使った方が早いかな?
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そしてこんなオマケも。
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これは何?と思ったら,ロックミシン専用の糸じゃなくてシャッペスパンとかの小さい糸巻きに巻かれた糸をセットするためのツールのようだ。コスパ悪いからあんまり使わないと思うけど,ほんのちょっとしか使わない糸だと,シャッペをボビンに小分けに巻いて使ったりするのもありなのかも?(ルーパー糸にするとあっという間になくなりそうだけど)
ついでに、ミシン屋さんのおまけで直線ミシン用の糸をもらった。
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フジックスのポリスパンとい見慣れない糸で,ネットで調べてみると,よくおまけについてくる糸だとか。シャッペスパンよりもかなり安いらしい。服には使わないけどちょっとした小物とか、急に足りなくなった時用に保管しとこうかな。
切りくず受けが欲しい
今回入ってはいなかったけど早めに買いたいと思った付属品が,トリムビン(切りくず受け)だ。
自宅で試し縫いをしてたら部屋が糸くずと布の切れ端だらけになった。ロックミシンでは生地を切りながら縫うので布の断端がゴミになる。ほつれた断端を切り揃えるだけの時なんかは切りくずには��らず,かなり細かい糸くずになるので掃除が大変そう…。早めに買っておこう。
練習その1:巾着袋
早速なにか作ってみることに。お教室で使い残した花火柄の布が中途半端に残っていたので巾着でも作ろうか。ロックミシンだけで巾着を作る方法はよくわからないけど,まぁテキトーにやれそうじゃない?
裏地はつけないつもりなので、紐通し口は屏風畳みで無理やり作ってしまう。あ、その前に紐通し口のところをほつれないように裁ち目かがりしとかないと。
んで、まわりを一周ぐるっと縫ったらおしまい。
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一応できたんですけどね、なんか端がグシャってなってるよ。
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練習その2:ズボンの裾上げ
夏のはじめに買ったGUのリブプルオンパンツ。これは店舗での裾上げサービスがないんだけど、まぁ裾上げしなくても穿けるんじゃない?…と勢いで購入。だってこの上なく楽なんだもん。
しかしワタシとしたことが、己の足の短さにまだまだ無自覚であった。駅の階段を登るときに裾を踏んづけてコケそうになってんの。間抜けだ。
重い腰を上げてノーマルミシンで裾上げしようと思ったが,これ、かな〜り伸び〜るニット地なのだ。ワタシのスキルで普通のミシンで綺麗にできる気がしない。そもそも元々がカバーステッチミシンで縫われてるんだよ? 複合機にしなかったからカバステないしなぁ…どうするか。
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そういえばこないだお教室で習った巻きロック、あれでやってみたらどうだろう? どうせ失敗してふにゃふにゃヨレヨレになるぐらいなら,最初っからふにゃふにゃヨレヨレに伸ばして縫ってしまったらいいんじゃない?
というわけでやってみた。「差動」を思いっきり伸ばす側にして,さらに軽く引っ張りながら縫ってみたら…。
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あ、これいい感じじゃないですかね? ワタシ的には成功!
というわけでこれから変なものいっぱい作るぞ!
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greater-snowdrop · 11 months
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毒を食らわば皿まで
うちよそ。フェドート←ノルバ(パパ従兄弟) ※モブの死/暴力・性暴力行為の示唆
 揺れる焚火を前にマグを両手で包み込む。時折枯れ木が弾ける音を拾いながら、岩場に座すノルバはじっと揺れる炎を見据えていた。泥水より幾分かましなコーヒーはすっかり湯気が消え去り、食事の準備をしていたはずの炊き出し班がいつの間にやら準備を終えて、星夜にけたたましく轟く空襲に負けぬ大声で飯だと叫んでいた。バニシュを応用した魔法結界と防音結界が張られているとはいえ、人の気配までは消すことが出来ないがゆえに常に奇襲が警戒されるこの前哨地において、食事は貴重な愉楽のひとつである。仲間たちが我先にと配膳の前に列を成していくその様子を、ノルバはついと視線だけを向けて捉えた。  サーシャ、ディアミド、キーラ、コノル、ディミトリ、マクシム、ラディスラフ、ヴィタリー。  炊き出しの列に並ぶ仲間の名を、かさついた口元だけを動かし声は出さずに祈るように唱える。土埃にまみれた彼らが疲弊しきった顔を綻ばせて皿を受け取っていく様に、ノルバは深く息を吐いた。
「おい、食わないと持たないぞ」 「っで」
 コン、と後頭部を何かで軽く叩かれ、前のめりになった姿勢に応じてマグの水面が揺れる。後ろを仰ぎ見れば、見慣れた顔が深皿を両手に立っていた。
「フェドート……」 「ほら、お前の分だ」 「ああ……悪ィな」
 ぬるくなったマグを腰かけている岩場に乗せ、フェドートから差し出された皿を受け取る。合金の皿に盛られたありあわせの材料を混ぜ込んだスープは、適温と言うものを知らないのか皿越しでも熱が伝わるほど酷く熱い。そういえば今日の炊事係にはシネイドがいたな、と彼女の顔を思い浮かべ苦笑いを零した。  皿を渡すと早々に隣を陣取ったフェドートは、厳つい顔に似合わず猫舌のために息を吹きかけて冷ましており、その姿に思わず小さく笑い声がもれる。すかさずノルバの腕を肘で突いてきたフェドートに「面白れェんだから仕方ねえだろ」と毎度の言い訳を口にすれば、彼は不服そうな顔を全面に出しながら「それで、」と話を切り上げた。
「さっきは何を考えていたんだ。お前がぼうっとしているなんて、珍しい」 「…………ま、ちょっとな」
 ようやく冷まし終えた一口目を口に含んだフェドートに、ノルバは煮え切らない声で返した。彼の態度にフェドートはただ咀嚼しながら無言でノルバを射抜く。それに弱いの分かってやっているだろ、とは言えず、ノルバは手の中でほこほこと煮えているスープに視線を落として一口分を匙で掬った。  豆を中心に大ぶりに切られたポポトやカロットを香辛料と共に煮込んだスープは、補給路断たれる可能性が常にあり、戦況の泥沼化で食糧不足に陥りやすい前線において比較的良い食事であった。フェドートが別途で袋に詰めて持ってきたブレッドや干し肉のことも考えれば、豪華と言えるほどである。まるで、最期の晩餐のようなものだ。  ───実際、そうなるのかもしれないが。  ため息を吐くように匙に息を吹きかけ、口内を火傷させる勢いのスープを口に放り込んだ。ブレッドと食べることを前提に作ったのだろう。濃い味付けのそれは鳴りを潜めていた空きっ腹を呼び覚ますのには十分だった。  フェドートとの間に置かれたブレッド入りの袋に手を伸ばす。だが彼はそれを予測していたらしく、袋をさっと取り上げた。話すまで渡さないという無言の圧を送られたノルバは観念して充分に噛んだ具材を飲み下す。表面上を冷ましただけではどうにもならなかった根菜の熱さが喉を通り抜けた。
「次の作戦を考えてた。今日までの作戦で死者が予想以上に出るわ、癒し手が不足してるわで頭が重いのはもちろんだが、副官が俺の部下九人を道連れにしたモンだからどうにもいい案が浮かばなくてな」
 言って、ノルバはフェドートの手から袋を奪取すると中から堅焼きのブレッドを取り出し、やるせなさをぶつけるように噛み千切った。何があったのか尋ねてきた彼に、ノルバはくい、と顎で前哨地に設営された天幕を指す。中にはヒューラン族の男が一人とロスガル族の男が二人。ノルバと同じく、部隊指揮官の者達だった。折り畳み式の簡易テーブルの上に置かれた詳細地図を取り囲み話をしているが、平行線をたどっているのか時折首を振る様子や頭を掻く様子が見える。  お前は参加しなくていいのか、とノルバに問おうとして、ふと人数が足りないことに気付いた。ここにはノルバ率いる第四遊撃隊と己が所属し副官を務める第二先鋒隊、その他に第八術士隊と第十五歩兵隊に第七索敵隊がいたはずだ。そう、もう一人部隊長が────確かヒューラン族の女がいたと思ったが。  フェドートが違和感を覚えたことを察したのか、ノルバはスープに浸したブレッドを飲み下すとぬるいコーヒーを手に取り、その味ゆえか、はたまたこの状況ゆえか、眉間に皺を寄せつつ少量啜った。
「セッカ……索敵隊の隊長な、昨日遅くに死んだんだわ。今回の作戦は早朝の索敵と妨害がねェ限り成り立たなかったろ? 俺はその代打で一時的に遊撃隊を離れて第七索敵隊の指揮を預かってた。…………そうしたら、このザマだ」 「……副隊長はどうしたんだ、彼女が死んだのならそいつが立つべきじゃあないのか?」 「普通はな。ただ、まあ、お前と同じだよ。副官としては優秀だが、全体を指揮する人間とは畑が違う。本人の自覚に加えて次の任務は少しの失敗もできないとあって、俺にお鉢が回ってきたってェわけだ」
 揺れる焚火の薪が音を立てて弾けた。フェドートはノルバの言葉に思い当たる節があるのか、「ああ……」と声を零すと干し肉を裂いてスープの中に落としていく。ノルバはその様子に僅かに口角を上げると、ブレッドをまたスープに浸して食みながら状況を語った。  曰く、昨日遅くに死んだセッカは直前まで普段と至って変わらない様子だったという。しかし、日付が変わる直前、天幕で早朝からの作戦に向けての確認作業中にセッカは突如嘔吐をして倒れ、そのままあっけなく死んだ。彼女のあまりにも急すぎる死に検死が行われた結果、前回の斥候で腕に負った傷から遅効性の毒が検出され、毒死という結論に至った。  本人に毒を受けた自覚がなかったこと、術士隊がその日は夜の任であり癒し手の人数が不足していたため軽症者は各自で応急処置をしていたこと、その後帰還した術士隊も多数の死傷者を抱えて帰ってきたこと等、様々な不幸が折り重なって生まれた取り返しのつかない出来事だった。  問題は死んだ時間である。早朝からの任務を控えていたセッカが夜分に死亡し、且つ翌朝の作戦は必要不可欠であったため代理の指揮官を早々に選出しなければならなかった。だが、セッカの副官である男は「己にその器たる資格なし」と固辞し、索敵隊の者も皆今回の作戦の重大さを理解しているからこそ望んで進み出るものはいなかった。  その最中、索敵隊のひとりが「ノルバ殿はどうか」と声を上げたのだと言う。基本的にノルバは作戦に応じて所属が変わる立場だ。レジスタンス発足後間もない頃、何もかもを少数でこなさなければならない時期からの者という事もあって手にしている技術は多岐にわたる。索敵隊が推した所以である諜報技術もその一つだった。結局、せめて今回作戦だけでもと頼まれたノルバは一日遊撃隊を離れ、索敵隊を率いたという。
「別に悪いとは言わねェよ。あの状況で、索敵隊の精神状況と動かせるヤツを考えれば俺がつくのが妥当だ。俺はセッカがドマから客将として入ってから忍術の手ほどきも受けていたから、死んだと聞いた時から予想はしてた」 「………………」 「ああ、遊撃隊は生還率が高く、指揮官が一時離脱しても一戦はどうにかなると言われたな。実際、俺もどうにかなる……どうにかさせると思ってたさ。そうなるよう事前に俺がいない間の指示も伝えてから行った。だけどよ、前線を甘く見る馬鹿が俺がいないからって浮足立って独断行動をしたら、どうにもなんねェんだわ、そんなの」
 ブレッドの最後の一口を呑む。焚火の煙を追って、ノルバは天を仰いだ。帝国軍からの空襲は相変わらず止む気配がない。威嚇を兼ねたそれごときで壊れる青龍壁ではないが、星の瞬く夜空を汚すには十分だった。
「技術はあって損はないけどよ、その技術で転々とする道を進んだ結果、一度酒飲んで笑った仲間が、命を預かった部下が、てめェの知らねえとこで、クソ野郎の所為でくたばっていく度に、なんで俺は獲物一つの野郎でいられなかったんだと思う」
 目を瞑る。第四遊撃隊は今朝まで十六人だった。その、馬鹿な副官を合わせて十人。全体の約三分の二を喪った。良かったことと言えば、生き残った者たちが皆比較的軽症だったことだ。戦場で果てた者たちが、彼らの退路を守ってくれたという。死んだ部下たちの遺体は回収できなかった。帝国が回収し四肢切断やら臓器の取り分けやらをされて実験道具としているか、はたまた荒野に打ち捨てられたままか、どちらかだろう。明日戦場に出た時に目につくだろうか。もう既に腐敗は始まっているだろう。その頃には虫や鳥が集っているかもしれない。  とん、とノルバの背に手が触れた。戦場において味方を鼓舞するそれを半分隠せるほど大きな手。その手は子供をあやす父親のようにゆっくりと数回ノルバの背を叩くと、くせの強い彼の髪に触れた。届かない空を見上げていたノルバの視線をぐっと地に向かせるように、荒っぽいが情愛のある手つきでがしがしとかき回す。「零れるからやめろ馬鹿!」と騒ぐノルバに手を止めると、最後に彼の頭を二度軽く叩いて手を離した。  無理をするな、とも、泣いていい、とも言わない。それらがノルバにはできないことであり、また見せてはならない顔であることを元々軍属であったフェドートは理解していた。ノルバは片手で椀を抱えたままもう片方で眉間を抑え、深く息を吸って、吐いた。
「……今回の大規模な作戦目標は、この東地区の中間地点までの制圧だ。目標達成まであと僅か、作戦期間は残り一日。全部隊の半数以上が戦死し、出来る作戦にも限りがある……が、ここでは引けない。分かっているよな」 「ああ。この前哨地の後ろは湿地帯だ。今は雲一つない空だが、一昨日から今日の昼間までにかけての雨で沼がぬかるみを増している。下手に後退すれば沼を渡っている最中に敵に囲まれるのがオチだ。運よく抜け出せたとしても、晴れだしてきた天気の中ではすぐに追跡される。補給路どころか後衛基地の居場所を教えてしまうだろうな。襲撃されたら単なる任務失敗では済まない」 「そうだなァ、他にはあるか?」 「……第七索敵隊の隊長はドマからの客将だったな。彼女が死んだとあれば、仲間の命を優先して中途半端に任務を終えて帰るべきではない────いや、帰れないな。"彼女は勇敢に戦い、不幸にも命を落としました。また、甚大な被害が出たため作戦目標も達成することが出来ず帰還しました。"ではドマへの示しがつかない。せめて、目標は達成しなければどうにもならん」 「わかってるじゃねェの」
 くつくつと喉を鳴らして笑うノルバを横目に、フェドートは適温になってきたなと思いながらスープを食む。豆と根菜に内包された熱さは随分とましになっていた。馴染み深い香草と塩っ気の濃い味で口内を満たしながら、フェドートはこちらに向けられている視線へと眼光を光らせた。  鋭い獣の瞳の先にあるのは、ノルバが指した天幕。射抜かれたロスガルの男は肩をわずかに揺らすと、すぐに視線を地図へと戻した。フェドートは男の態度にすっと目線を椀へと戻すと、匙いっぱいにスープを掬う。具に押しのけられて溢れたスープが、ぼとぼとと椀に戻っていった。  万が一にでもこのまま撤退という話になれば────もしくは目標を達成できず退却戦となれば、後方基地に帰った後、まず間違いなくノルバは責任を問われる者のひとりになるだろう。ともすれば、全体の責任を負いかねない。ノルバ自身は最良を尽くし、明らかに自身の行いではないことで部下を大量に失っている身だが、皮肉なことに彼はボズヤ人でないことや帝国軍に身内を殺された経験を特に持たないことから周囲の反感を買っている。責任の押し付け合いの的にするには格好の獲物だ。  貴重な戦力であり、十二年ひたすらに積み重ねてきた武勲もある。まず死ぬことはないだろうが相応の折檻はあるだろう。フェドートは息子同然の子の師であり、共にボズヤ解放を目指す戦友であるノルバにその扱いが待ち受けているのが分かっているからこそ、引けないとも思っていた。ノルバ本人にそのことを言っても「いつものことだ」と笑うから決して口にはしてやらないが。  汁がほとんど匙から零れ、具だけが残ったそれを口に運ぶ。いつの間にかノルバは顔から手を離していた。血糊の瞳と、濁った白銀の瞳はただ前を見つめている。ノルバは肩から力を抜くように大きく息を吐き出すと、フェドートに続くように匙いっぱいにスープを掬い大口を開けて食べ、袋から干し肉を取り出して頬張った。
「ま、何にしろ全体の損失を考えりゃここでは引けねェが、簡単に言えばあと一日持たせてもう目と鼻の先にある目的を達成さえすればどうとでもなるんだ。なら、大人しく仰々しいメシを食いながら全滅を待つこたァねえ。やっこさんを出し抜いて、一泡吹かせてやろうじゃねェの」 「本当に簡単に言うなぁ……」 「そんぐらいの気持ちでいかなきゃやってけねェんだよ、ここじゃあな。ダニラ達もあっちで相当頭捻ってるし、案外メシ食ってたら何か、し、ら…………」
 饒舌に動いていた口が止まる。急に黙り込んだノルバにフェドートは怪訝そうな顔でどうしたと彼を見やる。眼に映った顔は、笑っていた。  ノルバの手の中で、空の匙が一度踊る。そのしぐさに目を奪われていると、匙はこちらを指してきた。
「なあ、フェドート。アンタ、俺の副官になる気はないか?」
 悪戯を思いついたこどものような表情だった。しかし、彼の声色が、瞳が、冗談なのではないのだと語る。「は、」とフェドートは吐息のごとく短い声を上げた。ノルバは手を引いて袋の中からまたブレッドを手に取る。「ようはこういうことだ」ノルバは堅く焼いたそれを一口大に引きちぎり、ぼとり、と残り半分もないスープの中に落とした。
「遊撃隊と」
 ぼとり。
「先鋒隊と」
 ぼとり。
「索敵隊。この三部隊を統合して俺の指揮下に置き、一部隊にしたい」
 三つのかけらを入れたスープをノルバは匙でくるりと回す。突飛な発想だった。確かに遊撃隊はノルバを含め僅か六人の生存者しかいない。どこかの部隊に吸収されるか、歩兵隊あたりから誰かを引き抜いてくる必要はあるだろうが、わざわざ先鋒隊と索敵隊をまとめる必要があるかと言われれば否である。  帝国との兵力差は依然としてある状況でいかにして勝ち進めることができているのかと問われれば、それは部隊を細かく分けて配置し、ゲリラ戦で挑んでいるからに他ならない。それをノルバはよく知っているだろうに、何故。  答えあぐねているフェドートにノルバは真面目だなと笑うと、策があるのだと語った。
「承諾が得られるまで細けェことは話せねェが、成功率は高いはずだ。交戦時間が短く済むだろうからな。それが生存率に繋がるかと言われれば弱いが、生き残ってる奴らの肉体と精神両方の疲労を考えれば、戦えば戦うほど不利になるだろうし、どうせ負けりゃほとんどが死体だ。だったら勝率を優先した方がいい。ダニラのヤツは反対するかもしれねェが……俺が作戦の立案者で歩兵隊と変わらない規模の再編隊を率いるとなれば、失敗したら責任を負いたくない野郎共は頷くだろ」 「おいノルバ、」 「で、これの問題点と言やァ、デケェリスクと責任を全部しょい込んで無茶苦茶を通そうとする馬鹿の補佐につける奴なんて限られてるし、そもそも誰もつきたかねェってとこなんだが」
 ノルバ自身への扱いを聞きかねて小言を呈そうとした口を遮って続けられた言葉に、フェドートは息を詰まらせた。目の前の濁った白銀と血溜まりの瞳が炎を映して淡く輝く。
「その上で、だ。もう一度言うぞ、第二先鋒隊副隊長さんよ。生き残って勝つ以外は全部クソな俺の隣席だが、そこに全てを賭けて腰を据える気はないか?」
 吐き出された地獄へ導く言葉は弾んでいた。そのアンバランスさは他人が見れば奇怪に映るだろうが、フェドートにとってはパズルピースの最後の一枚がはめられ、平らになった絵画を目にした時のような思いだった。ああ、お前はこんなに暴力的で、強引で、けれども理性的な男だったのか。  「おっと、ギャンブルは嫌いだったっけか」とノルバが煽るように言う。彼の手の中でまた匙がくるりと弧を描いた。茨の海のど真ん中で踊ろうと誘っておきながら、退路をちらつかせるのは彼なりの優しさかそれとも意地の悪さか──おそらくは両方だろう。けれども、フェドートはここでその手を取らぬほど、野暮な男になったつもりはなかった。  フェドートが口角を上げて応える。ノルバは悪戯の成功したこどもの顔で「決まりだな」と言うと、浸したブレッドを頬張る。熱くもなく、かと言ってぬるくもない。シネイドが作ったであろう火だるまのようなスープはただ美味いだけのスープになっていた。  この機を逃すまいと食べ進めることに集中した彼に合わせてフェドートも小気味よく食事を進ませ、ノルバが最後の一口を口に入れるのに合わせてスープを飲み干す。は、と僅かに声を立てて息づくと、ノルバは空の皿を脇に置き腰のポーチを漁ると小箱を取り出した。フェドートはそれに嫌そうな顔を湛え腰を浮かせたが、「まあ待てよ」とノルバがにやにやと笑って彼の腕を掴んだ。その細い腕からは想像できないほどの力で腕をがっちりと掴んできた所為で逃げ道を塞がれる。もう片方の手でノルバは器用に小箱を開けた。中に鎮座していたのは煙草だった。
「俺が苦手なのは知っているだろう!」 「わーってるわーってる。そう逃げんなよ。願掛けぐらい付き合えって」
 スカテイ山脈の麓を生息地域とする特有の葉を使ったそれは、ボズヤでは広く市民に親しまれてきた銘柄だった。帝国の支配が根深くなり量産がしやすく比較的安価なシガレットが普及してからというもの、目にしなくなって久しかったが、レジスタンスのひとりが偶然クガネで発見し仲間内に再び流行らせたという。ノルバも同輩から教えられたらしく、好んで吸う側の一人だった。  ノルバは小箱から葉巻を取って口に咥えると、ポーチの中に小箱をしまい、代わりに無骨なライターを取り出して、フェドートに向かってひょいと投げた。フェドートが器用に受け取ったのを見るや否や彼は咥えた煙草を指差して、「ん」と喉の奥から言葉とも言えない声を上げた。フォエドートが嫌がる顔をものともせず、むしろそんなものは見ていないとばかりに長く白いまつげを伏せて火を待つノルバに、フェドートは観念してライターの蓋を開けると、押し付けるように彼の口元の上巻き葉を焦がした。
「今回だけだぞ。いいか、吐くときはこっちには、ぶっ、げほッ!」 「ダハハハハ!」
 フェドートが注意を言い終わるよりも先に、ノルバは彼に向かって盛大に煙を吐き出した。全身の毛を逆立ててむせる彼に、ノルバは腹を抱えてげらげらと笑う。
「お前なあ!」 「逃げねえのが悪ィんだよ、逃げねえのが」 「お前が離さなかったんだろうが!!」
 威嚇する猫のように叫ぶフェドートなどどこ吹く風で笑い続けるノルバに、「ったく……」と彼はがしがしと頭を掻く。ノルバの側に置かれた椀をしかめっ面のまま手に取り、もう片手で自身が使った皿と空になった麻袋を持ってフェドートは岩場から立ち上がった。
「こいつは片付けてくるから、吸い終わってから作戦会議に呼び出せよ、ノルバ」
 しかめっ面の合間から僅かに呆れた笑みを見せたフェドートは、ノルバに背を向けると配膳の天幕から手を振るシネイドの方へと足を進めた。その彼の後ろ祖型を目で追いながらノルバは膝に肘を立て頬杖をつくと、いまだくつくつと喉からもれだす笑い声は殺さないまま焚火の煙を追うように薄く狼煙を上げる葉巻を弄ぶ。
「他のヤツならこれでイッパツなのになァ。わっかんねェな、アイツ。おもしれえの」
 フェドートの背中にふうっと息を吐く。煙で歪んだ彼の背は掴みどころが見つからない。ノルバはもう一度吸ってその煙幕をさらに深くするように吐きだすと、すっかり冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がった。
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【ボーイミーツガール5】
入ったのは何処にでもありそうな普遍的街中華だ。
赤っぽい内装にねっとりとした床。
ジューカンカンと騒がしい厨房と戦うかの如く声がデカい瓶ビール飲み。
どこをとっても満足出来る昔ながらの街中華屋であった。
フロアを任されているであろう若い店員が指定したテーブルに着席を促した。
「この店よく来るの?」
「いや、めちゃくちゃ初めてです。ずっと来てみたかったお店を卸しました。」
「いいね。こういう古めかしいお店嫌いじゃないよ。当時の時代にタイムスリップしたみたいで楽しいよね。」
文句の付けようの無い素晴らしい返答が届いた。
「取り敢えず注文でもしましょうか。」
メニューをキサさんの側に向けて渡した。
「んーこれだけ中華料理名がいざ陳列していると悩ましいよねえ。」
「案外、字面だけだと料理のイメージが安易に浮かばなかったりしますもんね。僕は無難に天津炒飯と餃子にします。キサさんはどうします?」
「じゃあね私は青椒肉絲と麻婆豆腐にしようかな。こんだけあれば2人とも満腹になるでしょう?」
「そうですね。あ。お酒呑まれますか?無理強いをするつもりは無いんですけど。」
「勿論、街中華なら瓶ビール択一でしょう。異論の余地は無いよ。」
掌で俺の口元を制したその手の儘キサさんは店員を呼びつけて2人で決めた注文を諳んじた。
厨房へメニューを伝えに行く店員を横目に今は電子パネルで注文して全自動ロボットが配膳をするのが世のスタンダードになってしまっているから懐かしいと言うか寧ろ真新しさまで感じてしまっている。
変な回想を遮る様に瓶ビールと小さいグラスを二つ持って若い店員は戻って来て目の前でプシュと栓を開けて立ち去っていった。
歳下である以上は歳上を立てなければならないと言う社交辞令的なのは、ぽっと出のガキである俺ですら分かっていたので即座に瓶ビールに手を伸ばして左手でキサさんのグラスを持って注いだ。
「へえ。そんなの出来るんだ。」
微笑みと少しの悪意を混ぜた表情でそう言って揶揄った。
今度は自分のグラスを持ち恰も慣れていますよと言わんばかりの顔をして注ぎ込んだ。
これが今出来る精一杯の反抗であったからだ。
「じゃあこの夜に乾杯。」
「かんぱあい。」
コツンと鳴ったグラスから溢れそうになった泡を口元へ迎え入れる。
キサさんに目をやると口元と目元を一文字にして五臓六腑にアルコールを歓迎している様であった。
「ぷはあ。うまあい。」
一息に飲み干し空になったまだ泡が付いたグラスを受け取ろうとしたがドンッと勢いそのまま机に叩きつけた。
机にグラスを置く力が心なしか強かった様な。
(まさかアルコールに弱い訳ないよな。)
と嫌な想像が安易に脳を過ぎる。
相変わらずカンカンと鉄と鉄がぶつかるし他の卓からはガハハと品性の欠片も無くした草臥れた背広を着たサラリーマン達の合唱が店内を我々のデートを彩ってくれている。
「CM狙ってるんですかって感想を引き出させる位良い呑みっぷりでしたね。よくお酒呑まれるんですか?」
空いたグラスにまた黄金色の炭酸を注ぎ入れる。
「ウチに帰れば毎日、発泡酒だよ。社会人ってのは何処かに逃避しなきゃやってられないよ。この世は酔狂だと思うな。皆、心の何処かを酔わせて狂わせているんだよ。」
並々に注がれたグラスからゴクゴクと二口また呑んだ。
「それは一体ポジティブなんですかネガティブなんですか。まだ僕には図りかねますね。」
「んー難しい事聞くね。匙を投げた返答でもいいなら人それぞれ各々の解釈の尺度ってものがあるからその五感を通じて脳がどう解釈したのかによってポジティブなのかネガティブなのかが明瞭になるんじゃあない?」
長台詞を言い退けた後にまたグラスに半分くらいあった麦酒を飲み干したタイミングで俺はこんな事を言ってみたりした。
「意地悪な事を言ってもいいですか?」
「なあに。意地悪はやだけど。今だけは許してあげるから言ってごらん?」
「これ呑んで機嫌を宥めてくださいね。」
グラスを持ってまた注ごうとしたらその手を弾いて
「私ペース早いから自分で入れるよ。それ位自分で出来るし、いつまでも入れてもらっちゃあ申し訳ないよ。」
と言って自分でグラスに瓶ビールを注いだ。
「強がっちゃって。」
柄にもなくイジってみたりしたら恥ずかしくなって俺も慣れないビールを一気飲みした。
泡の弾ける感覚とアルコールが全身に巡る感覚が一気に押し寄せてキサさんが俺のジョークになんで返事してくれていたのか生憎、聞き逃してしまったし目の前のグラスには8割ぐらいのビールが注がれていた。
感謝をキサさんに伝えて店員に追加の瓶ビールを注文した。
「それで、さっきの意地悪なんですけどね。もし匙を投げなかったらどんな返事をするのかなってのが気になって。」
「あーそれねえ。独自的解釈にはなるんだけど仕事中に自我を出せているか否かで酔狂が変わると思っていて。仕事中に自我を出せていれば単に肉体的な疲れを癒す為の酒を呑む訳。まあ言わばあのテーブルのサラリーマンみたいなもんだと思えば分かりやすいと思うな。その反面、仕事中に自我を出せていない場合はね自我を抑圧しているなら仕事の時もある種、精神的な酔狂しなきゃやってられないし、それを乗り越えたとて自我を出せている人と同じく肉体的疲労がやってくるから酔い狂うしか無いって訳さ。私はこのツールがお酒で酔ってるんだけどそのツール自体は人それぞれなんだと思うな。俗にそれを趣味って呼んだりするんだと思うね。そしてこの行為全般がポジティブかネガティブかって話だったよね。ついつい話し過ぎちゃった。そうだなあ。私はこの行為はポジティブだと思うよ。懸命に明日を生きる為の延命治療と言うか。いずれ来たる死を受け入れる儀式を執り行っていると言うか。」
少し回り道をした回答は店員が料理を持って来た事によって中断される。
2本目の瓶ビールに天津炒飯と青椒肉絲がやって来た。
その後、遅れてやって来た数枚の小皿に取り分けて食べ始める。
蓮華と小皿が触れ合って小気味良く鳴って自然と口に運ぶペースも上がる。
いざキサさんを見るとチークを塗ったかと言うよりかは少し塗り過ぎと形容されてもおかしくは無い位には顔を赤らめていた。
お酒が体質的に弱いと定評のある俺ではあるが人生で初めて自分と同等、若しくは弱い人に会えてホッとした。
ハッと目が合いそうになって気不味くなるのを回避する為に目を逸らすと残りの餃子と麻婆豆腐が湯気を立てて机に到着した。
エスコートをすると念頭に置いていたから空かさず小皿を取ってキサさんの分をよそおうって渡した。
ふと瓶ビールに目をやるともう後少ししか残っていなかった。
決してケチなのでは無いと念押ししておきたいが2本目は1杯しか飲んでいないのにもう少しで空になると言うのだ。
顔を赤らめている割に早いペースでキサさんは飲酒を続けていたと言う訳だ。
軽くなった瓶ビールを持ってキサさんのグラスを満タンになる迄、注いで3本目を注文した。
「凄いペースで飲みますね。お酒好きなんですか?」
「んー普段はあんまり呑まないかな。そんなに好きなものでも無いからね。」
「にしては物珍しい光景が目の前に広がってますよ。」
「君だからこんなに楽しく呑めちゃうのかな。」
「魅惑の言葉達を最も容易く投げかけないでくださいよ。もう完全にキャパオーバーです。」
「その表情がまた堪らないね。」
「全部が癖に刺さってるじゃあないですか。」
「もうグチャグチャにしたくなっちゃうもん。」
「キュートアグレッションは抑えてくださいよ。」
「嘘うそ〜冗談だよ。」
そう言って麻婆豆腐を一口頬張り、いひひと笑みを浮かべた。
この後は出生話だとか他愛も無い様な話をしていたと思う。
無論アルコールが入っていたから余り鮮明に憶えてはいない。
一頻り盛り上がり皿の中が空っぽになったのでいよいよ店を出る事にした。
会計を任せて外で待っていると赤暖簾をご馳走様でしたと言いながらキサさんが出て来た。
少し立ちくらみがしたのかフラッと体勢が崩れかける。
慌てて駆け寄り細い体躯を支える。
人通りの多く無い裏路地に面した店だったので取り敢えず段差に腰掛けて貰う。
「立った途端、酔いが回っちゃって来たのかも。」
「大丈夫ですか。水でも買って来ますよ。」
「良いのお?甘えちゃおっかなあ。」
もう語尾がトロンと蕩けている。
これは安全に帰宅して貰う為にも水を買いに行くしか無い。
そこに居て待ってて下さいと声を掛けて無我夢中になって走り出した。
女性を1人置いてその場を離れるのは少しリスキーだとは思ったがそれ以上に今のキサさんを連れて歩く方が危険だと考えたのだ。
覚えている範囲で最も近い自動販売機に着き小銭を入れボタンを強く押し込んだ。
ガチャンと自由落下をしたペットボトルを取り出してまた来た道を急ぐ。
息を切らしながら戻るとそこはもぬけの殻であった。
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club8studio · 1 year
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Library Table #fredericia #borgemogensen ボーエ・モーエンセンの完全なる掲載に裏打ちされたうつくしい伸長式テーブル、デスク。両サイドは、伝統の英国式伸長方式で、延ばしたり畳んだりが可能。厳選されたオーク材で仕上げられており、天板のうつくしいスリットがモーエンセンのやさしさを表現。 (クラブエイトスタジオ盛岡) https://www.instagram.com/p/CpRuAB6Bd7Y/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tominohouzan · 1 year
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中年男性は同窓会の夢を見るか?
夢を見た。中学の同窓会が舞台。
どう考えても寂しさや虚しさを感じるであろう内容だったが、僅かな多幸感を感じながら目が覚めたのが不思議でしょうがない。
<主な登場人物>
 私:おそらく24歳
 Mちゃん:友人の女の子
 Y君:現実に存在する友人
 Sさん:同級生の女の子
 女の子:近所に住んでいる女の子だが名前はわからない
 化け物:身長3mほどのヒト型
 
同窓会。黒くシックな薄明かりの会場。
結婚式の2次会でこんな店に来たことがある。長テーブルが直列に左右2列並んでいる。私は右側のテーブルの左端に座る。
隣は男の子(実在の同級生だと思うが名前がわからない)、前にSさんという座席。Sさんから「こないだの大宮のライブはどうだったか」と聞かれる。私は何か短く返答し会話は続かなかった。もう少し会話を伸ばしたほうがいいかなと思ったが、思っただけでそれ以上は話さなかった。
左のテーブルの女の子のグループからこっちに来なよと誘われる。私は「流石に恥ずかしいよ〜」とおちゃらけた感じで断った。どうも私はこの夢の中では明るく面白いキャラのようだ。ちなみにその子は明らかに工藤遥ちゃんだった。
唐突に明石家さんまさんが出てきてみんなで輪になって飲もうという。みんな地べたにすわり輪になって飲み始めた。私はその輪に加われなかったので、輪のすぐ後ろに座って飲んでいたのだが、「お前も前に来い」とさんまさんから言われ、輪に加えてもらった。
 ーー場面転換
同窓会が終わり、店の外に出るとYくんに会う。
「同窓会でこんなのが当たった。俺この子知らないんだけど」
と言いながらのし袋を渡された。
その中にはMちゃんの結婚式の招待状が入っていた。招待状にMちゃんのフルネームがローマ字表記されているのは見えたが、相手の男性の名前や姿はわからなかった。私はMちゃんが結婚するなんてことはまったく聞いていなかったので、すごく驚く。失恋感情みたいなものはまったく感じていない。純粋に知り合いが結婚することを知ってびっくりしたぐらいの感情。やや浮かれてすらいる。
「じゃあ、おれ知り合いだからからおれも一緒に出るよ」
と私はいった。
私がMちゃんに申し出れば、絶対に断られないぐらいの間柄のようだ。なぜそんな親密な間柄なのに結婚式に呼ばれていないのかは夢の中では言及はなかった。
その招待状の写真をスマホで撮らせてもらう。招待状だけの写真。Yくんが招待状を持った写真。何枚も撮らせてもらった。
私も結婚式に出席したいとラインをMちゃんに送ろうとするのだが、さっき撮った招待状の写真が一覧に出てこない。アプリのUIもなんだかバグった感じで操作性も非常に悪い。送る文章に「もし席に余りがあれば」とひとこと入れようと考えているが、結局ラインを送信するシーンは夢の中では出てこなかった。
 ーー場面転換
Mちゃん本人に会う。姿は見えない。でも声はその子の声だ。
私はこの画像を見てとMちゃんに話す。UIがバグっていて画像のピンチインアウトがうまくできない。
「なぜこの写真をもっているかわかるか?」
と私は聞く。見せている画像は何故か結婚式の招待状ではなく、同窓会で撮ったと思われるMちゃんを中心に何人かが写っているスナップショット。Mちゃんは笑顔で写っている。
 Mちゃん「〇〇ちゃんでしょ」
 私「だれそれ?」
スナップショットの中に写っている女の子のことを言っているらしい。何故かこのときに私も結婚式に出たいとは言い出さなかった。少し会話もしたような気もするが結婚の話は出てこなかったと思う。Mちゃんはフラットですごくサバサバした感じで話していた。けっして悪い感じじゃない。ふだんから私とよく会っているような感じ。そして私は明るく話している。そう振る舞っているのではなく、本当に楽しそうに話している。
 ーー場面転換
外。どこかの道路上。緑と白のヌメヌメした服をきた化物に捕まる。
 化け物「騙したな。ホリエモンの授業、お前は出てないだろ」
そういって私の顔につばを吐く。
どうやら同窓会でその化け物と会話し、ホリエモンの授業に出たと私が話したらしい。特に恐怖感はなかった。私はリスクなくこの場を逃げるために、うわべだけで謝っている。
 ーー場面転換
帰りに近所に住んでいた女の子と帰る。名前を思い出そうとするが思い出せない。その子が被っている白い帽子のようなヘッドギアのようなものにマジックで何か書いてあり、そこに名前が書いていないかと読もうとするがよく読めない。
ここで目が覚める。まさに夢と現実の狭間。まだラインを送ろうとして画像はどこにあるんだろう等と考えている。不思議と妙な多幸感がある。寂しさはない。なんでだろう。内容的には悲しくて涙を流しながら起きてもおかしくないのに。
このまま夢に戻ろうか、それとも夢の内容を書き留める為に起きようかしばらく悩んだが、起きてメモを乱雑に書いた。 
以前見た夢
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zauri8836long · 1 year
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コーヒー、紅茶に甘いもの
さっきから何度も隣を見て、何度も声を出して笑ってしまっているものだから隣を歩くジャックさんの視線がそろそろ痛い。 前を見ないと危ないぞ、マスター。なんて声が耳を震わせる。 だって顔をニヤつかせるだけじゃ気持ちが収まらないんです。
困惑を隠さない瞳はコーヒーのように深いブラウン。 ミルクティー色の肌は時計塔ではあまり見かけない色。 俺と同じくらいの長さで後ろに撫で付けられた髪は艶やかな黒、今日は人の姿をしてほしいと頼んだ時、ジャックさんが二番目に選んだ姿で見るのは今日が初めてだ。 しっかりと厚みのある唇が今すぐ触れたくなるくらいセクシーに見えるのは、相手がジャックさんだからだろうか。 19世紀イギリス、切り裂きジャックが人々を脅かした時代にロンドンで暮らした誰かがモデルなのならインド系の青年か。 でもモデルの来歴なんて今の自分にはどうでもいい。毎日通う教室への廊下を、ジャックさんと共に歩けるというのが嬉しくてしょうがないのだった。
アメリカから帰ってきたジャックさんと俺は、教授に一通り叱られて、その後のジャックさんは彼自身のために存在を隠すことを余儀なくされた。 当然だ、聖杯戦争の外側で存在し続けるサーヴァントという点を差し引いても彼の存在は特殊過ぎる。この魔術師の巣窟で誰の毒牙にかかるかわかったものではない。 もちろん俺は全力でジャックさんを守るが、それでも教授に迷惑をかけたくないという点で俺とジャックさんは同じ意見だった。 結果としてジャックさんはいつもは時計の姿で特殊な金庫に保管されることとなった。霊体化して姿の見えない存在に気づかれるより、魔術礼装の一つと見られた方が怪しまれるにしても都合が良かったからだ。時計塔を出て街に行くときは一緒に出かけることができたが、何せここはロンドン。スノーフィールドの頃ほど無防備に会話することもできなかった。
でも今日からは、その状況も少しは変わる。 帰国からずっと研究していた魔術の行使を、教授が認めてくれたのだ。
他人の魔術に干渉するのは得意だ。教授もそれは知っている。 今回の俺の研究は、ジャックさんに向けられる観測行為について自動的にカウンターを仕掛けるもので、ざっくり言えば幻覚だ。 騙すのは魔術師の目でなく魔術そのものだがマルウェアのような悪意はない。 俺の話を聞いた教授は当初ものすごく渋い顔をしたいたし、自分にはそもそも高度な観測を行うことができないのだからその魔術の出来を評価することができないと言って否定的だったが、結果としては今日のように認めてくれている。 ちなみに魔術への効果や影響を確かめるために手当たり次第に知り合いに声をかけていたらとても怒られた。 結局教授の口利きもあって教室の幾人かに手伝ってもらいお墨付きをもらうことができた。スヴィンくん曰く、ジャックさんは昔の俺よりよっぽど人間らしい匂いをしているらしい。この魔術はジャックさんを人として見せようと言うものではないのだが確かに褒め言葉だった。 とりあえず今はジャックさんが俺の側にいるときだけしか使えないこの魔術だがジャックさんは今、トリムちゃんのような魔術礼装の一種に見えているはずだ。見る人によっては身近な家の魔術を盗んだ不届き者と捉えられかねないが、この件をライネスちゃんが快諾してくれたのは本当に助かった。騙すにしても何と誤解させるのかは本当に悩ましかったのだ。
ジャックさんの件に関して、教授はいつも以上に俺に甘い気がする。スヴィンくんが先生に迷惑をかけるなよと頻繁に釘を刺してくるので気のせいではない。でもそれは教授がジャックさんを使い魔の一種ではなく人として扱ってくれているだけなのかもしれない。
そこの角を曲がると教室ですよ。そう伝えるとジャックさんは周囲の様子を伺うようにその首を左右に動かした。 秒針を揺らしたり時には伸ばしたりして行われるジャックさんの感情表現も十分に豊かではあったが、人の姿でのそれを見るのは数ヶ月ぶりで、懐しささえある。 自分はコミュニケーション相手が何者であろうと外見に興味はなく、ジャックさんがジャックさんであるのならどんな形をしていても好きだと思っていたのだが、今日の自分の興奮を見るとその認識を改めた方がいいのかもしれない。 それとも、俺以外にもジャックさんの存在がわかることが嬉しいのだろうか。 教室のみんなにジャックさんを正式に紹介できることが嬉しいのかもしれない。
「ねぇジャックさん、授業が終わったら食事に行きませんか?ジャックさんを見ていたら鴛鴦茶を飲みたくなって…。」 デートの誘いは多分断られない。気に入りのチャイニーズレストランは香港系で、寮から地下鉄で数駅離れているのでジャックさんと行ったことはまだなかった。
「疲れちゃいました?」 注文した料理がテーブルにずらりと並ぶまでの時間、ジャックさんは静かだった。もともと口数はそう多くはないジャックさんだが、俺への相槌もどこかぼんやりしている。 色とりどりで様々な具の入った焼売にミネストローネ、ワンタン、エッグタルトにフレンチトースト。 好きなものだけ頼んだのでバランスは悪いがどれも美味しいのはよく知っている。夕飯には早い時間なので二人分にしても頼みすぎたかもしれないがジャックさんとならまぁなんとかなるだろう。 俺が頼んだ飲み物は予定通り鴛鴦茶、ジャックさんはサービスのお茶だ。 無料で飲める香りのいいお茶はポットサービスでいくらでも出てくる。
「疲れたわけではないと思うんだが…」 なんと言うか、教授殿はすごいなとジャックさんが呟く。 ジャックさんを教室のみんなに紹介すると行っても講義の時はよそに所属している生徒もいるし当然、教壇に立って紹介するわけではない。 今日はあくまで講義を一緒に受けただけだ。俺の隣に座る新顔を教授が咎めないことで正規の客であることは教室中に伝わる。 魔術の調整を手伝ってくれたみんなは幾らかの目配せをくれたがそれだけ。及第点は取れたのだろう。教授の許可が出たのだから当然のことだ。
「今日の講義は、別に私向けというわけではなかったのだろう?」 「うーん、まぁ先週の予告通りの授業でしたけど」 でも教授は授業に関してはエンターテナーなところがあると思う。 生徒や聴講生のリアクションを見て知識のレベルに合わせて語りや切り口を帰る。もちろん歴史ある時計塔の授業だ。一定以下のレベルの生徒は切り捨てるが現代魔術科の実践的でわかりやすいという評判は伊達ではない。 そういう意味では、シェイプシフターにまで話が及んだ今日の授業はジャックさん向けでもあったのではないだろうか。
「ジャックさんは楽しかったですか?」 そうたずねるとジャックさんは、少し驚いたような顔をした。 「楽しかった、だろうか」 首を傾げながら何かを考え込むジャックさんは、理解しきれたわけでは…とか興味深かったのは事実だが…とつぶやきながら言葉を探しているようだった。 別にジャックさんの気持ちの全部を俺に伝えてくれなくてもいいし言葉にしなくてもなんとなくわかることもあるんだけどなと思いながらその様子を見守る。 冷める前に、といくつかの料理を勧めれば口にしてくれる。 色によって味の違う焼売の一つ一つにコメントをくれるのが可愛い。
料理と、数杯のお茶を口にしたあとジャックさんが口を開く 「魔術の心得は多少はあるが教授の手にかかると一瞬で道が開けるようで不思議だな」 多分、楽しかったかという問いへの答えだろう。 「君と出会ってからは新しい体験ばかりで、いわゆる実技ばかり楽しんでいたが知識を得るのもやはり楽しいことだな」 そう答えるジャックさんはどこか満足そうだった。 俺としてはもっとジャックさんと二人でいろいろなことをしたいのだが、それができるようになるのがまだ先のことなのは事実だ。
「それはどう言う飲み物なんだ?」 今日のことはジャックさんの中で整理がついたのかなんてことない質問が投げかけられた。 鴛鴦茶、俺も近所ではこの店が出しているのしか知らない香港の飲み物だ。 「コーヒーと紅茶と練乳を混ぜたお茶ですかね。」 気に入ってはいるが、メニューに書いてある簡単な説明以上の知識はなかった。初めて存在を知った時にコーヒーと紅茶を混ぜるという馴染みのない発想に興味を惹かれ、飲んだ時から気に入っている飲み物だ。
「笑わないでくださいね。誘う時も言いましたけど今日のジャックさん見てたら飲みたくなって。瞳はコーヒー色だし肌の色はミルクティーみたいで素敵だなって」 キョトンとした顔のジャックさんはその後自分の腕を腕をまじまじと眺める。 「…君はもっとミルクを多めに入れるだろう?」 指摘するとこはそこでいいのだろうか。確かに、ジャックさんの肌は濃いめに入れた紅茶にほんの少しミルクを垂らした色で、俺が飲むミルクティーはもっと白に近い色をしている。 今度二人でお茶を飲む機会があったらミルク少なめのものを飲んでみるのもいいかもしれない。
「鴛鴦とはどう言う意味なんだ?」 「調べてみますね」 携帯電話にメニューに記されたスペルを入力すれば目的の情報はすぐに出てきた。 鴛鴦茶のページと鴛鴦のページで迷ってひとまずお茶の説明を選ぶ。 香港で一般的な飲み物でコーヒーと紅茶を混ぜ合わせたもの、多くは練乳がたっぷりと入っているという説明は自分も知っているものだ。 ページをスクロールすると鴛鴦の意味という項目があった。 「……これは、ちょっと恥ずかしいかもしれません…」 「何が書いてあるんだ?」 携帯電話をジャックさんに向けて差し出せば視線は画面に向いた。 「夫婦愛のシンボル?」 「それで、鴛鴦茶には男女二人で飲むお茶みたいな意味もあるらしくってですね」 「デートの時の飲み物か」 照れているのは自分だけのようでジャックさんはなるほどなとつぶやきながら鴛鴦か、見たことはあるなと納得していた。 いつもよりも二人で出かけていることを意識していた自分と、時計の姿で出かける時とさして変わらなそうなジャックさんになんとも言えない気持ちになる。 ジャックさんはどんな姿でもジャックさんなのだから、やっぱり意識してしまう自分の方が変なのかもしれない。
「ジャックさんも飲んで見ますか?」 そう尋ねたのはちょっとしたいたずら心だ。 「その話をした後で聞くのか?」 片頬をあげて笑うジャックさんも俺の意図は伝わったようだった。
「まぁ、味が気になるからいただこう」 テーブルの向こうから差し出されるカップにお茶を注ぐ。
「俺は好きな味なので気に入ってもらえたら嬉しいです。」 「その時はまた連れてきてくれ」 ジャックさんが次を口にしてくれるのが嬉しい。 明日は教授に時間をもらって、今日の成果の確認と合わせて次の外出許可をもぎ取らなくてはいけない。
初出:2020年10月12日 ID:13892380
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alfonatski · 2 years
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続・あるほなつき号
今日は暑かったですねーー‼ お日様が照りつける中、今日も午前中いっぱい、あるほなつき号DIYに費やしました。(続きはブログにて↓)
今日は暑かったですねーー‼お日様が照りつける中、今日も午前中いっぱい、あるほなつき号DIYに費やしました。 今日は一番運転席に近い部分の床づくり���。スタイロフォームで断熱を施してから、フローリングを切り出していくのも、これが最後になります。 床もフローリングが完成し、その上に椅子になる部分と、折りたたみ式テーブルの短い方の脚を出して、椅子と同じ高さにし、こちらもフラットになりました。広ーーーい! 折りたたみ式のテーブルの長い方の脚を伸ばしてみました。ここで仕事をしたりご飯を食べたりできるわけです。 実際に座ってみました。 とってもいい感じです!今日は暑いので、makitaのサーキュレーターも大活躍。 「あるほなつき号」DIY動画YouTube公開のため、いろんな動画素材を撮りためています。こんなお昼ご飯のひと場面も、車をバックにすれば、なんとなく絵になったりして。だんだん常に…
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halu-kagoshima · 2 years
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patagonia / Baby Baggies Shorts
price / ¥4,950 intax
速乾性を備え水陸両用着用できる
バギーズショーツ。
おむつの着用に対応しており
着せ替えしやすい
ソフトな伸縮性ウエストバンド付きに
なっています。
リサイクルされた漁網を使用し
海洋プラスチック汚染の削減に貢献する、
軽量ながら丈夫な
ネットプラス・ポストコンシューマー
リサイクル・ナイロン100%素材。
環境に配慮した
パタゴニアらしいアイテムです。
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THE NORTH FACE / K Shoulder Pouch
price / ¥4,620 intax
お出かけの時に
ちょっとした小物を入れておける
ショルダーポーチ。
素材は、600デニールの
リサイクルポリエステルを使用し、
ヴィンテージスタイルに
デザインされています。
ショルダーストラップは長さの調節が可能。
キークリップ付きポケットや
スリットポケットを装備しています。
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peace park /
FOLDING WOOD TABLE SMALL
price / ¥12,980 intax
アウトドアシーンや
庭のデッキ等でも活躍する、
組み立て式テーブル。
収納袋がついて、持ち運びが便利です。
インテリアとして
ご使用いただくのもおすすめです。
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usickyou · 2 years
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まるい角
 おいで、とアタシの手を引く小梅はだぼっとした黒いローブをはおっていて、金糸のふんだんに織り込まれたフードからは二本の角が飛び出ている。それはおよそ小梅の肘から下くらいの長さがあって、死んでいくらか経った蛇の腹のような模様をしていて、先端はアタシのおなかなんて簡単に貫けそうなほど鋭く尖っている。よく磨かれた黒曜石のようにかがやくそれは背すじをふるわせるほどきれいで、小梅によく、似合っている。  月のない草ばらを歩いていたので、突然に現れた篝火はひどくまぶしく感じられた。ふたつの火の間に洞穴の入り口はあって、小梅はためらうことなく進んでいく。そこには石造りの階段があって、左右に、不均等に並べられた蝋燭がそのなめらかな構造を照らしている。奥からはひんやりと冷たい微風が吹き上げていて、同時に、儀式めいた声が立ちのぼってくる。それは高低も大小もまったく異なる無数の声の集合でありながら、ただひとりの声であるように感じられる。それはほとんど地響きに近く、アタシのおなかの底をぞぞぞっと揺さぶる。 「ねえ、涼さん……」と小梅が言う。まっすぐに階段の下を見据えながら、「……くらかど、すりなるる?」とたずねる。 「ええと……」とアタシは少し言いよどむけれど、「大丈夫だよ。心配ない」と答える。 「よかった」と小梅は声でほほえむ。  階段を下りきった地下には広大な空間がある。洞穴をくり抜いて作られただろうそこは、さながら古代の聖堂のように思える。天上はでこぼこの岩肌をさらしているけれど、側面はある程度しっかりと削られているようで、垂れ落ちる水滴がやわらかな起伏の上できらきらとかがやいている。足もとの石床はなめらかに整えられていて、地面から直接削り出されたらしい左右十数列の礼拝席は人でぎゅうぎゅう詰めになっている。彼らはみな、一様に黒いローブをはおっていて、手にした蝋燭を揺らしながら完璧に統制された祈りをおこなっている。  小梅はその、人々のあいだを臆することなく進んでいく。  アタシは、聖堂に築かれた壇の下で立ち止まる。  小梅が壇上に登るとたくさんの篝火が一斉にともされる。あたりはぱっと明るくなって、礼拝席の彼らは恐れるように頭を垂れる。止んでしまった祈りに代えて、うなり声が聖堂を揺るがしはじめると、小梅がローブを脱ぎ捨てる。はだかの体には一センチの隙間もなく呪文の言葉が刻まれていて、それは「め」や「ぬ」、「み」などによく似ているものが多いけれど実際なにが記してあるのかアタシにはわからない。ただ、はだかの小梅は涙がにじむほどに美しく、篝火にゆらめくその呪文はうごめいているように、体の上を這い回る生き物であるかのように見える。  小梅が両腕を広げると、背後の火とともにその表情は見えなくなる。影が小梅を覆って、アタシにはそのシルエットしか見えなくなる。それでも小さな体をいっぱいに広げる様子は、羽ばたこうとする雛鳥のような愛らしさを感じさせる。  突然、うなり声が激しさを増した。壇上の小梅が、その角がかたちを変えているようだった。それはぐぐと伸びたと思うと一度渦を巻いたのちふたたび、貫こうとするみたいに天を目指した。  表情はうかがえないのに、小梅が喜んでいるのはよくわかった。  アタシは「はは」と笑った。温かい気持ちで胸がいっぱいになって、しぜん「おめでとう」とこぼした。
 *
「ゆっくり、休めた……?」と小梅が言った。エンドロールの薄明かりが、満たされたような慈しむようなほほえみを照らしていた。 「……まじか」とアタシは言う。ゆっくりと、意識がはっきりしてきて、「ごめんな」とふたたび目を閉じて言う。 「疲れてる、みたいだったから」 「いや、だとしてもさ。せっかくの時間だったのに」 「大丈夫。……寝顔、かわいかった」 「……勘弁してくれ」 「ふふ、涼さんかわいい……どこまで、覚えてる?」 「あー、……時計台の場面」 「なら、いいかも。あそこが、いちばんだったから」  そっか、とアタシは言う。巨大な時計台の文字盤に体を固定された、あわれな女の子の姿を思い出す。十二時がくれば、彼女の首は巨大な長針によって無残に切り落とされる。その頭は、時計台に隣接する教会の屋根を転がるけれど、そこでおこなわれている祈りを妨げることなく地面に落ちていく。  それはとても滑稽な場面だった。土にまみれた彼女の頭はいかにも作り物らしくて、アタシには少しも恐ろしくなかった。  アタシは目を開くと、「もう一本見ようか」と言う。  小梅は目をかがやかせて、「その前に、お水」とソファから立ち上がる。  アタシは「頼んでいいか」と言う。小梅は笑って、ほんとうに嬉しそうに笑ってキッチンの方へたたっと駆けていく。急ぐことなんてない、とアタシは思う。  エンドロールは、まだ続いているのだから。 「涼さん、あけて」と小梅は言った。そうしてアタシの上に乗ると、五百ミリのペットボトルから水を二口ぶんくらい含んで、アタシに口づけた。よく冷えた水が、小梅の口から流れ込んでくることが心地よくて、アタシはそれをすべて受け入れた。 「ありがとな、小梅」とアタシは言った。小梅の髪に、その内側に隠れた角に触れて「でも、これはだめなことなんだよ」と続けた。 「だめなこと……」と小梅は言った。悲しそうに、ほとんど泣いているみたいに「そんなふうに、誰も言わないよ」と続けた。 「言うさ。それで一緒にいられなくなる」とアタシは答えた。  エンドロールが終わると、テレビは時計台のシーンをたて続けに流しはじめた。なにしろ、ひと昔前のDVDだ。メニュー画面にいちばんの見せ場をもってきて、くり返し流す。そういう構造のせいで、女の子は十二時がくるたび悲鳴とともに何度も首を落とされる。その頭は転がり落ちる。何度も、滑稽にも、何度も。  アタシは、小梅の角をたしかめる。生えかけのそれはまだ短くて、先端もまるまるとかわいらしい。すぐに気付かれる心配もなければ誰かを傷つけることもないと結論づけると、小梅をぎゅうっと抱きしめて「愛してるよ」と言う。  小梅は静かに泣きはじめる。  テーブルのスマホがむうむうとふるえて、次々あらわれる祝福の言葉で画面はあっという間にいっぱいになる。 「誕生日、おめでとう」と、アタシは言う。さわがしいテレビを消してもう一度、「おめでとう」とささやく。
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202208050519 · 2 years
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Aさんへ ⑯
月曜日の朝です
娘は腹痛を訴えて学校をお休みし、腹痛を抱えているひとにあるまじき爆睡で健やかな寝顔です
いいと思います
そんな日もあります
季節の変わり目(とはいえ連日、もはや真夏風味の気温ですよね。)
Aさんもどうぞご自愛くださいませ
********
『ピーコック』
ハンドルに顔を伏せる。
ジーンズの太もも、膝に自作の経年ダメージ、素足、タカシからお下がりした黒い皮のサンダル、正式には借りパク。親指の深爪、しわくちゃに踏み潰されたガソリンスタンドのレシートが2枚、1枚はフットブレーキの下。砂まみれのフロアマット。最後にこいつを洗車してやったのはいつだ?ハンドルに顔を伏せたままリョウは目を閉じる。いつだ?いつ?ソノコを好きになったのはいつだ?
タカシの部屋をたずねる。
足を止めるより早く腕は伸びる。
ドアの前で足が静止するより早くインターホンがドアの向こうから聞こえる。
ひやりと冷たい、ノックをすれば冷たい金属音がする能面のような玄関のドアがゆるゆる開きはじめる。
声を聞く前に、笑う顔を見る前にその人と出��う前に気配でわかる。扉の隙間から流れ出る室内の空気に混ざる香水。そもそも扉を開くスピードで、タカシのそれとは違うスピードでゆるゆる開かれるドア1枚隔てた向こうにいるその人を感じる。
ドアが全開になる。隔てるものがなくなる。向き合い、見下ろすソノコから、
「残念でした。タカシくん今いないわ。コンビニ。リョウくんおかえりなさい。」
タカシの不在を告げられる。
兄の不在を残念だと思えなくなったのはいつだ?なんだタカシいないのか。とガッカリしなくなったのはいつだ?
タカシから聞く「リョウくんおかえり。」よりソノコから聞くおかえりなさいを欲しがるようになったのはいつ?ソノコのおかえりなさいを自分だけのものにしたいと思うようになったのはいつからなのか?
ハンドルに顔を伏せたままリョウは目を閉じ続ける。
違う。全部違う。まるで違う。
初めて抱いた感情故見過ごした。一目惚れ。出会った時に落ちていた。それだけのこと。
ソノコと初めて会った夜。リョウは仕事を終えるとその足でタカシが一人で暮らすマンションへ向かった。キャメル色のスリーシーターに、時々ベッドにもなるコーデュロイのソファに深く座り雑誌を読みながら来る人を待っていた。
「お腹すいたね。」
愛しい人を待ちわびるタカシの声はとても幸せそうに柔らかく響いた。お腹すいたねは早く帰ってこないかなとイコールで、リョウはなぜか懐かしい気持ちになった。大好きな母親の帰りを待ちわびる小学生のようだと既視感のない、味わったことのない感情にも関わらずリョウを満たしたのはノスタルジーだった。
テレビの音もラジオも音楽もなく、タカシがダイニングテーブルに広げた新聞をめくる音だけが短いサイクルできちんと定期的に響く静かな夜だった。
静かな夜のなかに紙が擦れあう乾いた音。数時間前から一向に止む気配のない頭の鈍痛に耐え兼ね、微かに鼻唄さえ醸す極上に上機嫌なタカシに、
「申し訳ないが音が響くから新聞と音痴をやめてくれ。頭痛がエグい。」
とは伝えず、一瞬だけ横顔を見つめ側頭部を撫でた。
薬を飲むほどではないけれど飲めばきっと楽になる。それはわかっているけれど銀色の紙を破って丸い白い粒を3錠取り出し口に放り込みグラスに水を注ぐ。飲み込む。さあ早く効力を発揮してくれと、これがマーブルチョコならいいのにと、色とりどりなカラフルを独り占めしてあんなにワクワクしたけれどなんだかんだ1番好きなのはチョコレート色をした茶色だったと、マーブルチョコの糖衣のほんのりした甘さを手繰り寄せ頭痛薬がマーブルチョコならいいのにと思考してしまうことが億劫でたまらず、頭痛薬を致すのを諦めリョウは雑誌から顔を上げた。リビングのカーテンを見つめた。雨が降るだろう。と、もしかしたらもう降っているのかもしれないと鼻から息を吸い込み、やはりと麩に落とした。
インターホンが鳴った。
両手にスーパーの袋を提げたソノコを迎え入れ長い両腕で包み兄は玄関でキスをした。ただいまおかえりの延長にある一連の流れは自然で、弟がそこに居ようと居なかろうと行われるのであろうことを容易に想像させるキスだった。
「人前でベタベタするのもされるのも苦手なんだよね。」眉をひそめ、ため息をついた過去の兄を思い出した。街中で女から手を繋がれやんわりほどいた途端女の機嫌が悪くなった。と、あれは、あのため息はたしか参ったという音のため息ではなかったか。
リョウはキスをしている二人から手元の雑誌に視線を戻し(参るのはこっちだ。)苦笑した。
「ソノコ。弟、リョウくん。」
紹介されソノコを見つけた。
(泣きぼくろ。)
涼しげなかわいい目をした女だと思った。そのかわいい目が、笑うと眠そうな優しい目になった。
(誰かに似てるな。)
リョウは、かつての女たちやアイドルやアニメのキャラクターを次々と思い浮かべたが結局初めて会ったその女が自分の記憶の中の誰と重なるのか答えを見つけられないままにその夜2度目のノスタルジーがリョウを満たした。
優しい目と甘い雰囲気に似合わない低い声は、丁寧にゆっくり話す声は笑うと時々掠れ、
(目つきといい、喋り方といい……眠いのか?)
探求でソノコを見つめ耳をすませたが、
(こっちが眠くなる。)
気づけばミイラになっていた。
その眠そうな視線を時々しかリョウに向けず、兄ばかりを愛しそうに見上げることに気づいた。
「こんばんは。」
と無意識に差し出した右手は触れたい衝動からの握手だったのだと思う。
その夜、タカシの胃を掴んだ数々の手料理がテーブルに並んだ。匂いを嗅いだ時点で、
(旨そうだ。)
掴まれた。
「お豆腐が苦手って、タカシくんから聞いていたのよ。今度、また、機会があったら、私の豆腐ハンバーグを披露させてね。リョウくんを唸らせてみたくなったわ。」
健やかに朗らかに、気心知れた男友達といるような妙なデジャヴをどこか遠くで感じさせるソノコ。
食事が終わる頃には、まだ見ぬ豆腐ハンバーグにリョウは思いを馳せ、その機会を必ずつくると強く誓った。しぶとく居座っていた頭痛が、気づけば跡形もなく消えていることに気づいた。
タカシの部屋をあとにするとき外まで見送りに出たソノコは兄の横で、
「お疲れなのに時間をつくってくれてありがとう。ごめんね。でも会えて嬉しかった。またねリョウくん。」
礼を言い名前を呼んだ。気持ちの良い響きのありがとうだと感じ、自分の名前を心底良い名前だと思った。
『彼女ができたから今度リョウくんに紹介するね。』
ソノコと出会う数日前、仕事中に届いたタカシからのラインに返信をせずリョウはその日の夜、タカシのマンションを訪ねた。
「料理がすごく上手だから3人でご飯を食べよう。」
タカシは穏やかな笑みで弟を見つめた。
「名前は」
たずねたリョウに、
「ソノコ。」
宝物の名前を答え、
「写真見る?」
携帯電話の電源を入れた。
「いい。会うし。」
リョウがごちそうさまを真綿に包み拒否すると、
「リョウくんのタイプではないと思うよ。」
タカシが淡く囁いた。携帯電話の画面を見つめながら囁いたタカシの表情を覚えている。弟への枯れない愛が足枷となった兄の警告は急所を外した。
リョウはハンドルに顔を伏せたまま今日までの数ヶ月を振り返る。降り注ぐ太陽が首筋に当たる。
ソノコと初めて会った夜。「タカシは俺の好みをわかってないんだな。」ぼんやりと呑気なことを考えていた。
(違う。)
タカシは熟知していた。自分達の母親とは真逆のソノコ。弟思いの兄が男として真綿に包んだ釘。釘をさされたことに気づかず、またいつの日から気づかぬふりをしていた自分の罪。深く息を吐く。
タカシの暮らしにソノコが加わり、寒色だらけだったタカシの部屋はあからさまにこざっぱりと清潔感と生活感が育まれた。温かい色の小物や生活品や、化粧品が増え、照明を変えたように明るくなった。そこかしこにソノコの存在を感じた。
リョウは、通いなれたその部屋に違和を覚え、その違和感はあっという間に居心地の良さに変わった。3人の休日、タカシの部屋でソファに寝転がり二人の気配を感じながら目を閉じる。
しばらくするとそっと、ふわりとブランケットがかけられ、ブランケットが作った風に甘さのない香水が混ざる。
「ソノコ。コーヒー飲む?俺チーズケーキ食べたい。冷蔵庫?」
「ありがとう。のむ。まって切ってあげる。」
「成功した?」
「大成功よ。アールグレイを混ぜたのよ。すっごく良い香りよ。ボトムもすごくおいしいの。近年稀にみる成功よ。リョウくんにも食べさせなきゃ。」
声のボリュームを落としたやりとりが聞こえる。
(実家より実家。)
リョウは心の中で呟く。途端、本格的な眠りのなかにトロリと沈む。
ソノコの笑顔が浮かぶ。
助手席の女が甘ったるいデパート1階の人工的フェロモンの匂いを放ちながら
「大丈夫?具合わるいの?」
リョウの二の腕に右手をのせる。「ごめん。触るな。」を、
「ごめん。大丈夫。」
に変換し、デパートの匂いをかき分けハンドルに突っ伏したまま、目を閉じたま首筋に太陽を浴び続けながらソノコの香りを手繰り寄せる。
「リョウくん!」とふざけて腕を掴まれ、フワリと香った。近づかなければ捉えることができないとても微かな香り。移り香は肌を重ねた者だけが汗を混ぜ合わせメロウな香りに変える。ソノコのコケティッシュな雰囲気とはずいぶんイメージが違うその香りがタカシから香ったあの日。
突然訪ねたリョウを迎え入れるため、玄関のドアを開けたタカシは素肌の上にシャツを被るとジーンズのボタンを留めた。
「リョウくん。」
朗らかに笑うタカシからソノコが香ったあの日。リョウは真夏のスイカを思い出した。
時々、自分の記憶力の高さに辟易する。
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takanomokkou · 3 years
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