Tumgik
#何故ゆえに前からの写真が撮影できないのか不思議でならない
sayasaan · 1 year
Photo
Tumblr media
♡ ⁡ ⁡ #ライオンズの頃の涌ちゃんしか知らなかった私にはすごく大人に見えた ⁡ ⁡ 涌井くんはライオンズ戦は投げないだろうと 思ってたら投げた🤣 ライオンズの頃はエースではあったけどあんな風格というかオーラはなかったような… ⁡ そんな涌井さんがドラゴンズにやってきて 早々に見れたのは良かったわ。 ⁡ ⁡ #結局押切もえさんは名古屋へ行くの? #そんなにライオンズの選手と交流してなかったけどいないかその頃の選手は ⁡ ⁡ ⁡ ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ ⁡ #ドラゴンズ #ドラゴンズファン #ドラゴンズファンと繋がりたい #ドラゴンズ愛 #中日ドラゴンズ #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #ドラゴンズ頑張れ #涌井秀章 #涌井秀章投手 #ベルーナドーム #オープン戦 #西武ライオンズvs中日ドラゴンズ #安定の後ろ姿 #何故ゆえに前からの写真が撮影できないのか不思議でならない #ガン見する方が優先するからであろう (ベルーナドーム) https://www.instagram.com/p/CpuM1dZvxDW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
3 notes · View notes
iconomiccc · 1 year
Text
tagged by @katebvsh to list seven of my favorite films.I would like to thank my friends who always take an interest in me and care about me. I would be happy if it was an opportunity to meet good works. それぞれのタイトル下に解説文をつけました。ネタバレしているので嫌な方は読まないでください。I've added a commentary below each title. Please do not read if you do not want to spoil the content of the story. カラスの飼育~Cría Cuervos~ (1976) 高校生の頃にカヒミ(kahimi karie)のアルバムでカバーされていた「Porque te vas」という曲で知って見た映画。カヒミさんは主役のアナ・トレントが自分の幼少期のようでシンパシーを感じると言っていました。私も同じように感じたのかは初見時はよくわからなかったけど、とにかく湿度の高すぎる古めかしい屋敷の中の空気のように重く苦しいストーリーなのに、24時間ずーっと流していても気分が良い不思議な映画だと感じました。やはり自分の感性に似たものを感じて懐かしかったんでしょうね。 汚いことがたくさんある大人の世界に対する子供の鋭い視線、汚い世界で生きていて死んでしまった大好きな母親に対する愛、でも大きくなれば自分もその汚い世界に入っていくのだ、望む望まずに関わらず。それに対するどこまでもピュアな嫌悪感・拒否感が彼女を殺人に駆り立てたのではないだろうかと思っています。 アナの子供特有のスラリとしたお人形のようなスタイル、髪型、顔立ち、衣装、とても愛らしくて全て完璧。スペインの田舎の草原はどこまでも終わりがなく続いているようで、物語と同じく、救いなく連綿と続いていく人生のような寂しい風景だと感じました。 夢 (1990) 黒澤明とスティーブン・スピルバーグの合作。 高校時代の同級生に親が映画マニアで家に死ぬほどテープやDVDがある女の子がいて。その子と私がたまたま天気雨(狐の嫁入り)という気象現象に遭遇した時、私が「天気雨大好き!!」と言うと、「黒澤明の夢って見たことある?狐の嫁入り行列の映像があるんだけど、霧深い杉林の中で子供時代の黒澤明が狐に見つからないように隠れて嫁入り行列を見るの。その時の狐たちがリズムに乗って歩いていて、三歩に一度突然ぐわっと後ろを振り向くのが怖くてねー」って。 それがずっと記憶に残っていて、見てみたら最高でした。まさに私が思い描く通りの狐の嫁入り行列の映像化。見つかったら殺される、と言う緊迫感を忘れさせるほど幻想的なシーンで、何回も繰り返しみてしまう。 同時収録されているお雛さま人形たちが段々畑で実際の人間の大きさになって花吹雪の中舞い踊る話も大好き。黒澤監督が幼い頃にみた夢の映像化作品なので、ストーリーにあまり意味はないけれど、とにかく映像が美しいです。 The Addams Family (1991) 24時間ずーっと流してても苦にならない不思議な映画二作目。これもカヒミさん繋がりで知り好きになったもの。 中学、高校時代の私はカヒミカリィという人の感受性に痺れるようなシンパシーを感じていて、彼女が理想の姿でもあったけれど同時に全く自分と同じ悲しみを含んだ魂の形をしているなとひしひしと感じていました。懐かしい、いつも私が感じているもの、好きな感じ、落ち着く感じ。 カヒミさんはアダムスファミリーのようなお城で暮らしたい、世間と常識が真逆であっても家族の中では愛や信頼が成り立ち、幸せに暮らしていると言う姿が理想的とおっしゃっていました。アルバム「クロコダイルの涙」収録の「superfreak」はまさにその世界を彷彿とさせます。 私も赤い絨毯に蜘蛛の巣のはった不気味な古城に暮らしていた前世があると思う。世の人の不気味に思うものが私の美を感じるもの。 お気に入りキャラはイケてるいとこのモップさんとペットの賢いハンドくんです。可愛すぎ。 Nell(1994) ジョディ・フォスター主演。ノースカロライナ州の深い山奥、美しい、湖のほとりにある木でできた家。そこに住む言葉が不自由な現代版狼少女のネルと医師のジェリー、心理学者ポーラ三人の心の交流・家族愛が不器用に育つ過程を描いた物語。体は大人だけど心は幼児でもない、小さな子猫でもない、不思議な存在であるネルと関わることで、常識の中で生きてきた普通の大人の男女二人が、一人の生き物としてそれぞれネルを守ろうと変わり始める姿に胸を打たれる。 私はなぜか小さい時から泉や水辺で水浴するという行為やシーンがとても好きなのですが、ネルが夏の夕方、森の中の湖で泳ぐシーンがすごく好きです。なんだろう、体が溶けて揺れて大気と水と一体になるような陶酔感。 真っ当に育った人間ではない存在であるネルが社会に復帰するために街に出るシーンは人々の好奇な目線やからかいに胸が苦しくなるのだけど、それをも乗り越えて人生は変化をし続けながら続いていく。目と心を世俗の汚れから洗ってくれるような作品��� Digging to China (1998) 実家にいた時衛星放送で偶然録画してすごく気に入った作品。まず登場人物全員の衣装やメイクや背景が半端なく可愛くて感心する。(一番の推しは主人公のお姉さんが妹捜索時に着ていた透明に白のドットの雨ガッパ) 思春期前の少女と知的障害ゆえに少年のような心を持った大人の男性の不思議な友情を描いた素敵な作品。 リボンのついたキャンディーのように可愛くて、でも油断してたら包み紙で手を切ってしまって血が滲むような、なんとも言えない純粋さと可愛らしさが混ざった妙味ある童話みたいな映画。大好き。 かぐや姫の物語 (2013) あまりにも打ちのめされるので気軽に繰り返し見たいという作品ではないけれど、強大な力を持っているので選ばざるを得ない。 鬱病から社会復帰するときにリワーク施設に通っていて、そこでのプログラムで映画鑑賞というものがあり、月に二、三回スタッフさんの持ってきたDVDを見ていて出会いました。 もう、上映後は泣きに泣いて震えて頭が働かないくらい衝撃的でした。 このDVDを持ってきた支援員さんに、私が泣きながら「○○さん、これ。私、わかった」というと、彼女も目を潤ませながら笑顔でうなづいてくれたことを覚えてる。 これは竹取物語という昔話の単なるリバイバルではなく、「この地球で生きるとはどういうことなのか」「人間は死んだらどうなるのか」を描いた物凄く重い作品です。 これは、「この世に生まれてきて、自分を愛してくれた両親が望む娘の幸せと自らが望む幸せが合致せず、親のためにとひたすら自分を殺し続けた結果、苦しさに耐えきれなくなり自殺に至る娘の生涯」を描いた作品なのです。 姫が帝に抱きしめられて瞬間移動ができているのは、もう半分死の世界に行っているからです。生身の人間にあんなことはできません。最後に月の使者が迎えに来るのは文字通り死の世界からのお迎えです。兵士たちの放つ矢は全て花になってしまう。死の前にはどんな権力も力も通用しません。 羽衣を着てしまえば地球でのこと(生きていた時のこと)を全て忘れる、躊躇した姫に親の愛で動けるようになったおじいさんとおばあさんが駆け寄ったとき、「ととさま、かかさま!!」と泣きながら振り返り、二人に抱きつきながら「離れたくない!!」と叫ぶ姫のセリフは、「死にたくない!!」という生への執着、生への恋慕の叫びなのです。 死んだら無の世界に行きます。生きていた頃の記憶は全て忘れて、喜びも痛みも悲しみも何もない光に満ちた世界に行くのです。 姫が地球を飛び立ち、宇宙を月に向かって進んでいるとき、ふっ、と振り返って青い地球をかえり見たとき。一粒涙を流したのは、喜びも悲しみも苦しみも全てが咲いては枯れ、沸き起こり、繰り返されている、生の世界の営みを愛おしく思う心の表れでしょう。 今生きていることが途方もなく尊いことだってことは普段、忘れてしまいがちなのですが、見た後にそれを思い出して自分を抱きしめたくなるような凄い映画です。 中国の植物学者の娘たち(2006) フランスとカナダ合作映画。監督は中国の方ですが同性愛を描いた作品のため中国では撮影許可が降りず、ベトナムで撮影されたもの。 映像も俳優さんたちも風景も全てが物凄く美しいけれど、物凄く悲しいストーリー。二人の愛が本物であったが故に、その愛の花が咲く大地が中国であったというだけで最後、二人は死刑にされてしまいます。 私は植物が好きなので画面に溢れんばかりに写り続ける緑と水と土の香りにとても癒されます。二人が出会い、互いに恋心を抱くようになり、少女のような淡い確かめ合いの時期を経てむせかえるような花と緑の中で激しく結ばれる。しかしその愛はこの人生では許されないものだった。関係が露見した二人は不幸になり、周囲から孤立し、ラストは死に別れるというとても辛い結末。 人間の幸福とは、国家とはなんなんだろうか?考えざるを得ません。 私は異性愛者ですが、幼い頃から同性愛者の人たちに不思議なシンパシーを感じていました。なんなら、そこらじゅうに在る異性愛よりも日の目を見ない同性愛の方が純粋であるとも思っていた。 どうして、同じ性別の人を愛しただけで罰せられなければいけないのか理解不能でした。愛の感情は人間に等しく与えられているものなのに。 見た後悲しくて胸が潰れそうになるので、これも気軽に何度も見ようとは思えないけれど、しかし心に残る作品です。
3 notes · View notes
mougen-nikki · 4 months
Text
1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
Tumblr media
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
Tumblr media
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
Tumblr media Tumblr media
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
Tumblr media
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
Tumblr media
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
Tumblr media
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファル��んが数メートル先を歩いて行った���長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
Tumblr media
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
Tumblr media
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
Tumblr media
0 notes
nozawa-seminar · 6 months
Text
野澤ゼミの夏休み in 宇都宮
はじめまして。3年生のジョセフです!
今回は夏休みの期間を利用して、北関東最大都市、栃木県宇都宮市に行って参りました!最近、「宇都宮という選択」と銘打って広告出しまくってますよね。目的は、餃子を食べる事!もそうですが… 8月26日に開業したばかりの、宇都宮芳賀ライトレール線、通称「芳賀・宇都宮LRT」に乗車することもかねて行って参りました!開業したばかりのLRT、「ネットワーク型コンパクトシティ」にどのような影響を及ぼしそうか、見て参りました。
Tumblr media
1,栃木県宇都宮市の都市計画
東京から約100km、上野東京ラインで2時間、新幹線で行けば50分。人口50万の栃木県宇都宮市です。2019年策定の宇都宮市マスタープランによると、「本市の都市構造は、高度な都市機能が集積した中心部と、それを囲み中心部から放射状に伸びた道路や市内を巡る環状の道路網などで結ばれた古くから発展した地域から成り立っています」とのこと。ゆえに、中心部一極集中を避け、中心市街地を核としながらも市内の各拠点が役割を補完しあう「ネットワーク型コンパクトシティ」を目指す都市です。
そもそも国交省によるとコンパクトシティは3つの型があり、合併前の旧町村中心部を拠点としてネットワークで結ぶ「多極ネットワーク型」、徒歩圏を団子のようにし、公共交通を串にして各拠点を結ぶ「串と団子型」、そして交通結節点及び拠点機能の整っている都市の核と、都市内の各地区が連携する「あじさい型」があります。宇都宮市は「多極ネットワーク型」になります。
2. LRTに実際乗車してみた!
LRT(ライトレール)は、交通環境負荷を軽減し、バリアフリーを実現するなど、いわば「ハイテク路面電車」と言えるでしょう。もちろん営業距離にもよりますが、同じ営業距離を想定した場合、地下鉄や新交通システムよりも予算を抑えて導入することができます。また、LRT導入に当たっては、自治体と事業者それぞれに国から補助金がおります。宇都宮LRTは宇都宮市と隣の芳賀町が共同で所有しています。
実際に宇都宮駅東口から乗車し、気になった点をアップしていきたいと思います。
まずは時刻表。平日ピーク時は1時間8本程度、休日昼間は1時間5本程度の運行を保っています。3両編成、割とお客さんは乗っていました。Wi-Fi完備。
Tumblr media Tumblr media
東口の様子。この日は土曜日で、東口に新しくできた「宇都宮テラス」の広場ではマルシェが開催されており、家族連れなどで賑わっていました。ただ、近くに病院が2棟あるので、あんまり騒がしいことはできないですかね。
Tumblr media Tumblr media
ここで一つ驚いたのが、宇都宮市、LUUPがある!(写真撮り忘れた…)こちらLUUPのポートマップですが、北関東唯一かつ現状日本最北のLUUPが置かれている都市なんですね。仙台や札幌にもないのに…。
Tumblr media Tumblr media
さあそしてこの乗客たちはどこで降りるのか?と見ていたら、乗客の2/3は5駅目の「宇都宮大学陽東キャンパス駅」で降りました。家族連れが多かったため間違いなく近隣の商業施設「ベルモール」に行く客と思われます。ベルモールへの渋滞を少し緩和で来ているのでしょうか。普段の様子を知らないので何とも言えませんが…。
さあそしてそのベルモールを過ぎたあたりからは調整区域。一気に雰囲気が変わります。私は時間の都合上、鬼怒川を超えた先の「飛山城跡」で下車。のどかな場所に急に最先端のLRTが現れる、なんとも不思議な雰囲気。
Tumblr media
この先は渋滞が問題となっていた「清原工業団地」を過ぎ、URが開発した「ゆいの杜」を見ながら、本田技研工業の拠点、終点の「芳賀・高根沢工業団地」へと向かいます。ちなみに飛山城跡駅の駅前には駐車場があります。「パーク・アンド・ライド」というネットワークを形成するための施設です。
Tumblr media
LRTに乗って気付いたこと
A,まず、自動車やLUUPとの共存可能性についてです。車社会である宇都宮市でかつ幹線道路を走るLRTは、慣れるまでは厄介な存在になるでしょう。事実、開業して1か月足らずですでに接触事故を4回起こしています。この先増えるのか減るのか…。また、そこにLUUPが加わったらカオスです。上手く使えばいいと思うのですが、私が見た限りLUUPを使用している人は1人もいませんでした。ポートにも結構余っていました。この日がたまたまかもしれませんが、少なくとも車、LRT、LUUPと3つも走り出すとやや怖い気もします。
B,ところどころ、道が狭いです。上記のように、3つの乗り物が走り出した更に狭いです。特に、LRTの開業によって片側2車線が1車線のみになっているところもありました。こういった場所は、トランジットモールを推進して、車利用を制限するべきだと思います。
C,早く西口へつなげた方がいいと思います。延伸計画はあるようですが、宇都宮市で元々栄えていたのは西口側。ネットワーク型コンパクトシティの形成においては、東口と西口の流動性を高くすることが求められるのではないでしょうか。西口にも一応行ってみました。
3. これからの宇都宮市
これからの宇都宮市は、先述の「ネットワーク型コンパクトシティ」の実現に向けてLRTの西口延伸を目指すとのことです。しかし、問題は西口側。西口前には再開発でタワマンが建つようですが、駅前にタワマン林立となればモデルの実現は難しいのでは?なんて思ってしまいます。ただ、ペデストリアンデッキの弊害とも言えるでしょうが、バス乗り場が非常にわかりにくいので、これは早急に何とかしてほしいですね。LRTになればそこの問題は解決するとかしないとか…。
Tumblr media Tumblr media
以上、簡単にではありますが、宇都宮駅前についてでした!
0 notes
aestheticanimosity · 8 months
Text
Tumblr media
VR event (Japanese ver):
Verse 1: 「未来ノハロウィンを 体験シニ行きまショウ!」 そんな言葉と共に見知らぬ国に 連行されてきたアリス・スノウ・ ドロシー・アラジンにハーメルン。 しかし彼らの目の前に飛び込んで きたのは廃墟の如く荒れ果てた ボロボロの街並みだった。 「なんと醜い国でしょうか」 「アレ? おかしいデスネ……」 どうせまたガセネタでも掴まされたの だろうと、5人は帰ろうとしたが―― 「……これはなんだ?」 ズラリと並んだヘルメットらしきものが 気になり、装着してみることにした。
Alice: な、なんだこれは!?
Snow White: 突然景色が 変わった!?
Dorothy: ああ、これは ヘッドギアですね
Dorothy: 頭に装着すると 映像が流れる代物です
Hamelin: なんと 煌びやかな……!
Aladdin: 随分と面白い装置が あるものだね
ヘッドギアを装着した途端、 景色がカラフルに変わった。 左側には巨大な滝が流れ落ち 右側では煌びやかなショーが上映され 並ぶ建物はどれも目映く、華やかだ。 そのどれもが、本当に目の前に 存在しているようにしか見えない。 その上、気づけば5人の服装は ハロウィンの仮装に変わっていた。 「これは凄い!もしかして、これは 仮想現実ってやつですか!」 「コレはメタバースハロウィンデス!」 「30年先ノ未来デスネ!!」 はしゃぐ人形達とドロシーを筆頭に、 一同は新たな世界に魅せられた。
Verse 2 現実では外を出歩く人など ほとんど見当たらなかったが、 メタバースと呼ばれるこの世界では たくさんの人が出歩いている。 彼らはあちらこちらで騒ぎ、 誰彼ともなく挨拶を交わしていた。 「潤滑なコミュニケーションにより あらゆるパフォーマンスの向上が 見込めそうな世界だね」 「決めまシタ!ココを第二ノ ライブラリとシ、今年ノハロウィン イベントはココで開催シマス!」 「わざわざこんな騒がしい場所で?」 嫌そうに辺りを見回したアリス。 そこへ何かが襲いかかってきた。
Nightmare: Trick or Treat! Snow: なんだこいつらは? Nightmare: オ菓子ヲクレナキャ 悪戯シチャウゾ! Alice: ぞろぞろ湧いて 出てくる…… Nightmare: Happy Halloween! Hamelin: 鬱陶しいですね Hamelin: ひとまず全て追い 払ってしまいましょう
襲いかかってくるお化けらしきモノ達を 倒すと、5人の手元には コインがジャラジャラと 降り積もった。 「なんだこれは?」 「これは恐らく、このメタバース内で 取引されている仮想通貨だろうね。 ……ビジネスの匂いがするな」 「仮想通貨……?」 いち早く理解を示したのは、アラジンと この手のことには目がない人形達だ。 「ツマリ敵を倒シテ仮想通貨ヲ稼ぎ、 ソレで生活ヲするのデスネ!!」 「30年後ハ通貨も全テデータに 置キ換えられてイルようデス!」 「何を言っているのかわからない……」
Verse 3: 困惑気味の面々に人形達が説明する。 「メタバースとはネット上ニ存在スル 仮想空間ノことデス」 「現実とリンクした生活ヲ送ッタり 他者ト交流スルことガできマス」 「メタバース内デ生活シテいく上デ 欠かせナイのが仮想通貨なのデス」 「手っ取り早イのは体感スルことデス。 手始メにアリスの生写真ヲ撮り NFTに紐付ケテ売り出しまショウ」 「NFT?更にわけがわからない……」 「アリスさん、脚を交差したほうが 美しいポーズになりますよ」 ハーメルンの助言により、アリスの 写真は非常に美しく仕上がった。
Parrah: ソレでは写真ヲ 販売しまショウ! Alice: ただの写真が 売れるのか……? Nightmare: うわあああ! 美少女の生写真!! Nightmare: これは価値が高い! 欲しい! Nightmare: 俺に売ってくれ! いくらだ!? Dorothy: おや、人が 集まってきましたよ Nightmare: 俺が落札したい! 金をかき集めるぞ! Nightmare: 僕は5千SINoCOINで 落札する!! Snow: お、落ち着くんだ!
アリスの生写真は 1万SINoCOINで売れた。 これは現実世界で約1億円の価値となる。 この国ではメタバースこそが 生活の全てなため、 途方もない金額が やり取りされているのだ。 「いくらなんでも高額すぎる……」 「イイエ、コレが未来なのデス!」 「オ金儲けノチャンスですヨ。 全員ノ写真ヲ撮リまくりまショウ!」 こうして、急きょ撮影会が始まった。 ドロシー・ハーメルン・アラジンは ノリノリで、アリスとスノウは渋々と、 様々なポーズを取らされる。 「デハ生写真の宣伝も兼ネテ、被写体 自ら人々ト交流スルのデス!」
Verse 4: ようやく撮影会から解放されたので、 アリス・スノウ・ドロシーの3人は ストリートを歩いてみることにした。 「そちらは召喚獣ショップで、 あちらは黒魔法屋ですって!」 「怪しい店に入ろうとしないで」 「どれも興味深いじゃないですか!」 「それなら、あそこはどうだ。 服を売っている店のようだぞ」 はしゃぐドロシーを抑えるため、 とりあえず害のなさそうな 衣服店に入ることとなった3人。 そこでは、普段なら到底見ることの ないような様々な服やアクセサリーが 販売されていた。
Dorothy: 試着はどれだけしても タダのようですよ Dorothy: 試しにあれこれ 着てみましょう! Snow: これは…… 妖精の服とあるが…… Snow: !?すごい、 羽が生えたぞ……! Dorothy: 似合っていますよ スノウさん! Alice: 兎の被り物が こんなにある…… Alice: ……全部欲しい Dorothy: これはハマる わけですねぇ
試着ボタンを押すだけですぐに 衣服が反映され手軽に着替えられる 快適さを、3人は驚きながらも楽しむ。 「何か欲しくなる……」 「これだけ試したらそうなりますよね」 「しかし、所持金が足りないな」 人形達から小遣いはもらっていたものの、 服を買うにはまったく足りない。 相談の上、3人はアクセサリーを 買うことにした。すると―― 「あの美少女達が買っただと!?」 購入したものが一瞬で拡散され、 アクセサリーが飛ぶように売れていく。 店主は売上が跳ね上がった礼にと、 ライブのチケットをくれた。
Verse 5 一方その頃、アラジンとハーメルンは 美術館を訪れていた。 館内には様々な地域、言語、世界観の 美術品が展示されており、 メタバースならではの演出がふんだんに 取り込まれた作品ばかり。 「ここまで多様な美を一度に目にする ことができるとは……素晴らしい!」 「おや、こっちは若手アーティストが 自由に出展できるスペースのようだ。 どこまで続いているのだろうね」 館内は建物の外観からは想像できない ほど広く、見る物が尽きない。 メタバースで様々な制約が取り払われて いると知り、2人は夢中になった。
Aladdin: メタバースには無限の 可能性を感じるよ Hamelin: 新たな表現が次々に 生まれるでしょうし Hamelin: 今までとは違う評価軸 も出てくるでしょうね Aladdin: それに新しい インスピレーションは Aladdin: イノベーションを 起こすきっかけになる Aladdin: ここでは表現や価値が 流動的になるだろう Hamelin: であればメタバースに おける美と価値は――
アラジンとハーメルンの会話はとめどなく続く。 気づけば2人は、人々で溢れかえる大きなドームの前に来ていた。 聞けば、ここでこの世界の一大イベント、メタバースライブが開催されるという。 「この世界は新体験で満ちているね。 どうせなら余すことなく体感してみようじゃないか!」 「私の想像を超えた新たな美しさとの出会いが期待できそうです」 興味を示した2人のもとに、ちょうど衣服店でチケットを譲り受けたアリス達が合流する。 こうして5人はライブ会場に入った。
Verse 6 ドーム内で5人を迎えたのは 星が煌めく無重力空間だった。 ステージが宙を自在に飛び回り、 ライブに参加する人々もまた ふわふわと漂っている。 彼らは国中の様々な場所から アクセスしているようで、 参加人数はとても数え切れない。 あまりの熱気に驚きながらも、 アリス達はアナウンスに従って 自らのデバイスを操作した。 すると自動的にサイリウムが現れる。 やがて始まったライブでは、 サイリウムを使った 全員参加型の 企画が始まった。
Alice: このサイリウムで お化けを倒す……? Snow: なるほど! こいつらを倒すと Snow: ライブの演出が 変わるのか! Hamelin: 徐々に豪華に なっていきますね Dorothy: どんな技術を使って Dorothy: この演出を実現 しているんでしょう? Aladdin: なんにせよ、 この一体感は Aladdin: メタバース ならではだね Alice: もっと豪華な演出が 見たくなる……!
「ここは素晴らしいですが……」 メタバースの魅力を理解しながらも、 ドロシーだけが不思議そうにする。 「現実世界との関係性が気になります」 この世界に希望を持つのは どんな人間なのか。 何故、国中の人間が 『この世界が生活の全て』だと 思えているのか。 現実に戻りたいと思うことはないのか。 「ちょっとすみません。 皆さんは現実で一体どんな暮らしを してたんですか?教えてください!」 ドロシーの問いに、 住人達は揃って顔を顰めた。
Verse 7: 住人達は頭を掻き毟り、 涎を撒き散らしながら吠え立てる。 そのあまりの異様さに、 スノウがとっさに ドロシーの手を引いた。 「逃げるぞ!」 住人達の怒声を背に、5人は走る。 彼らの声は徐々に膨れ上がり、 どこまでも追ってくるようだ。 「ア!ココにいまシタカ!」 路地裏に逃げ込んだところで、 慌てふためいた人形達と合流した。 「街ノ人達に現実世界ノ話をシタラ 急に怒り出シテ訳が分かりまセン」 「何?お前達もか?」 一同は顔を見合わせた。
Nightmare: お、お前……! Nightmare: 何故そんなことを 聞くんだ!? Nightmare: 現実のことなんて 思い出させるな! Dorothy: あれ? もしかして Dorothy: 聞いちゃマズい 内容でしたか? Nightmare: 黙れ黙れェ!! Nightmare: 二度とその話を するなあッ!!!! Nightmare: アア……ア…… アアア……! Snow: 今度はなんだ!? Hamelin: 醜い姿ですね…… まるでゾンビです Nightmare: モウ、エナドリハ…… 飲メナイヨ…… Nightmare: デモ……コノ楽園ヲ 維持シナイト…… Nightmare: ……居場所ガ ナインダ…… Aladdin: 楽園の維持? Alice: この人達は、この 世界の運営���……? Dorothy: ハッキング終了! ようやく分かりました
ここの住人達は、何かを隠している。 そう判断した一行は、状況把握のため この世界を調査することにした。 ドロシーがシステムのハッキングを 試みるが――すぐに人々の怒声が 聞こえてきて、中断を余儀なくされる。 「皆さん、もっと奥に逃げますよ!」 「何故彼らはあんなにも 執拗に追ってくるんだ?」 「コンテクストが気になるところだね」 疑問を感じつつも 5人と2体は声を潜めながら走り、 路地の奥深くへと身を隠した。 そうしてようやく追っ手の気配は 遠のいたが、代わりに現れたのは――
Verse 8 「どうやらここは、若者達が現実から 目を背けるために作られたようです」 低収入、高税金、老害の圧力―― 若者達は辛い現実から逃げるために メタバースへと身を投じた。 だが、苦しみを誤魔化せたのは一時的で 現実世界の環境が悪いことにより、 満足な創作活動はできなくなっていった。 メタバース内で創られるものの質が 悪化するのを防ぐため、彼らは24時間 栄養ドリンク漬けの日々を送り―― やがて、心身共に限界を迎えた。 この世界でも思うように体を動かすこと が出来なくなり、理想の姿を保つことも 出来ず、ゾンビに成り果てたのだ。。
Aladdin: ビジネスにはコストが 必要だけど Aladdin: この世界は少々 やり過ぎたみたいだね Alice: こんなに華やかな 世界なのに Alice: こんな裏側が隠されて いたなんて…… Nightmare: 高税金……ウウ、 老々介護……!! Snow: なんて深い 嘆きだ……!
「このゾンビが、若者達のなれの果て だと言うのか……?」 華やかなメタバースを作り上げた彼らが、 この楽園には到底相応しくない姿で 呻き、苦しんでいる。 その醜悪さに、一同は息を呑む。 「見たのか……そいつらを……!」 いつの間にか背後に追っ手が迫っていた。 彼らはアリス達の側にいるゾンビ達を 見て、悲鳴と共に身をよじる。 「あああ……思い出させルナ!!」 「俺達もすぐにソウナルンダ……!」 続々とゾンビと化し始めた住人達が、 涙を流しながら襲い来る。 アリス達は応戦するしかなかった。
Verse 9 増えるゾンビ達に追い立てられるように して、一同は街の中心地に戻ってきた。 だがそこにも、ゾンビが溢れ返っている。 「ライブ楽シカッタ……モットヤリタイ ……騒イデ全テヲ忘レタイ……」 栄養ドリンクの瓶を両手に持ち、 呻くゾンビ。それがメタバースライブの 出演者の1人であることに一同は気づく。 「ヒヒ……美少女ガ買ッテイッタ アクセサリー、マダマダアルヨォ!」 「あれは……衣服店の店主か?」 「コレヲ飲ンデイレバ好キナダケ 美術館ニ納品デキル……ヒヒヒッ」 「あそこでエナドリをがぶ飲みして いるのは若手アーティストかな」
Nightmare: 邪魔ヲスルナァ! 老人共メ!! Nightmare: コレ以上俺達ヲ 苦シメルナ! Dorothy: まったく話が 通じませんよ! Dorothy: もう離脱するしか ありません! Hamelin: 美しい所でしたが 仕方ありませんね Nightmare: オオオオオ!! Alice: くっ……
Verse 10 アリス達が楽しんだ華やかな メタバースは、もう見る影もなかった。 地面には無数の栄養ドリンクの瓶が 転がり、人々は過労で正気を失っていく。 「ドウシテ俺達ガコンナニ辛イ思イヲ シナケレバナラナインダ!?」 「現実ナンテクソ食ラエ!」 「!?何をしているの……?」 メタバースと現実の区別すらつかなく なった住人達が、現実の不満をぶつける ように、あちこちを破壊し始める。 「やめろ!ここはお前達の 理想郷ではなかったのか!?」 止めようとする一行を、 彼らは敵と見なした。
壊れゆくメタバースの世界を止められず、 一同は元の寂れた通りに戻ってきた。 メタバース世界の崩壊と同時に、 現実の国もまた崩壊を始めたのだろうか。 ボロボロだった建物は完全に崩れ、 人の気配はまったく無い。 動かなくなったヘッドギアを捨て、 アリス達はライブラリへと戻った。 なんとも言えない気持ちを抱いている 彼らに、人形達が声をかける。 「イヤハヤ、お疲れ様デシタ!」 「華やかさノ裏ニハ闇がアル。 ソシャゲも一緒デス!学べまシタネ」 「お前達はもっと人の気持ちを考えろ」 八つ当たり気味に、人形達は殴られた。
1 note · View note
retepom · 9 months
Text
【思いが募るほどに】No.170【直接顔見ては言えない】
料理上手な…チカラくん……
カメラが好きな……チカラくん…………
人の笑顔が……大好きな………
……チカラくん………………ッ(泣き崩れる読者)
猛暑に台風と息つく間もない8月ですが皆様如何お過ごしでしょうか。私事ですが本日午前に健康診断で生まれてはじめてバリウムなるものを飲みました。胃のX線検査がアトラクションだってなんで誰も教えてくれなかったんですか?検査項目が増える年齢でも変わらず健康優良大人でありますように。午後はお休みをとったのでゆっくり合併号を読んで勢いのままラクガキなどをしておりました。というわけで本誌感想も綴って参ります。
「チカラんち料亭だからな」
 え"え"ッ!!?!?!!知らなかったそうだったの!!!!?!?…と出雲風子とシンクロリアクションした読者は私一人ではないはず。学校編に入ってからチカラくんの限界オタクみたいな言動が目立つボス 引き続き適度にポンコツでありがとう ゾッコンの右腕もこれには溜息……前ループの知識が“全て入っている訳では無い”と確認できるのは風子の孤高が少し和らぐ安心感と同時に“出たとこ勝負なところがある”不安感もありますよね。大丈夫かな。
と言うかお弁当忘れた転校生にあげちゃったらお前の飯わい!?!!そういうとこやぞ!!!!優しさでできてんのか重野力…バファリンか……???
「話題の転入生初めてのお昼」
「楽しそうな感じでー」
コレ本当に重野力の台詞なんですか なんだろう この ごく自然に こんな台詞が出てくる日常があったんですか 今読んでるのテンマクキネマじゃないよな アンデッドアンラックだよな
「ただ人の目気にして後悔する道に動くなんてイヤだろ?」
親友オブ・ザ・イヤーは熱海涼に決定です アンタがナンバーワンだよ チカラくんと一生ダチでいて…スポーツ推薦引く手数多になれ……ッ!!
「何かに頑張って動いてる人の一瞬を切り取れるのが」
「なんか自分も勇気が出るっていうか」
このメンタルが前ループからあったんだとしたら本当に 3巻4巻の読み味がまた変わった…!!?やめてくれもう3巻と4巻読み返しすぎてボロボロだよ(主に推しの影響)
「「5月って課題期間中だ…!!」」
こっからとんでもなく怒涛の勢いで時が飛ぶので毎秒瞬き出来ねぇッとなるんですが、パスは使わず5月と9月の課題をこなしたってことは少なくとも8課題…?全部達成したんだったら8報酬……??カットされた課題の報酬でおそらく追加されているであろう“席”に留守番組が先に座ってないと風子、ジーナ、ボイドのトリオで理を全部ぶっ飛ばしてることになるけど大丈夫ですか!!?友才とクリードあたりはもうしれっと座ってるかもね…??いやーでも着席シーンは本編で見たかったァ!!!まだ確定ではないので何とも言えませんが…しかし現場にいる一心校長が孫と戯れてるシーンしかなくて笑う。ヤンチャはるかたや…出雲風子とジーナ=チェンバーがプリキュアしてるので春歌ちゃんもエルちゃんみたいなお洋服着よ かわいいよッ!!出雲風子相手の競争だと本気になるシェン、確実にファンに似たのがわかって満面の笑みです。不真実もジジイで練習しちゃうもんね…日常の切り取り写真良すぎて泣いちまうよ。ついでみたいにコスプレするビリー先生 さては楽しんでいるな???ゴーストはやめろ!!!!!読者の心を突然抉るな!!!!!!!涼ちゃん&ダッツが適度にガラ悪くて最高〜〜〜
「この皆の笑顔は」
「チカラくんが引き出した笑顔だよ!」
あの日 重野力の震えを止めたのは出雲風子なんだよな…そして…今 重野力の背中を押したのが 出雲風子の言葉 なんだよなぁ………(噛み締め)
「チーくん何してんの?」
お母さん可愛いッ やっぱループ後女性陣どんどん美人になってんな……明ママやベロニカさんやフィルママもだけれど戸塚先生が描く“妻”や“母親”ポジションの方々 すごく とても好きです しかし父さんが眼鏡本体タイプで笑っちゃったな 寡黙なのかな
「ボク…」
「カメラやりたいんだ」
来るよッ NikonのCMがッッ!!!
「珍しいね」
「チーくんがやりたい事自分から言うの」
(SUBARUのCMでも可)
「人がボクの写真で笑ってくれるのも」
「写真を撮ることで誰かが笑ってくれるのも」
「大好きで…」
「だから…」
おい神やめろ!!ボヤ騒ぎを起こすな!!!帰れ!!帰れ!!!!余談ですが今週の読み切りで『俺たち人間が 神様(オマエラ)から勝ち取んのさ』って台詞を見て出雲風子に言ってほしぃ〜〜〜ッという気持ちになるなどしました。
「本気で動きたいんだ…!」
「夢として」
なんてタイミングだよクソが………一瞬を切り取るってそういうことじゃねぇんだわ神ィ!!!
 ド
 ン
「い」
「出雲さん!?」
そ う は な ら ん や ろ
「ふぅ」
なっとるやろがい!!!!!!!!!!!
最終兵器彼女 フィジカルモンスター出雲風子のお出ましだぜ!!雑魚は帰ェんな!!!という圧倒的力こそパワーに読者の腹筋もバキバキよ
ジナショ風子のブラザートリオがここで出張ってくれるのめっちゃ嬉しいですが今吹き飛ばしたのは2mの筋肉ではなく2tトラックです マジか???背景で地味に助けに入ってる影あるの細かい
「何故オレが止める役じゃない!!」
一生おもしろいのやめろ これ以上読者人気をあげるんじゃないファン=クーロン ショーンにブラザー認識されてないファン=クーロン 何故か今まで乗れていた黒雲に審議中されてるファン=クーロン
“可視”できないと止められない、ということはジーナの不変ハンドやタチアナの不可触エリアは止められないって判定になるかな 今後も抜け道は色々ありそうだけれどチカラくんが卒業まで、卒業後もカメラを構え続けられるように考えてくれるのか出雲風子 出雲風子ォッ!!好
 爆速展開で合併号でも大満足でしたね。やっぱり長期戦詐欺(読者目線では)だったけれど12月の課題で一悶着ある?ある???というアレも。盛り上がってきたぜェ!!!!夏の描き下ろし日記、ジーナちゃん泳げなかったのか!!?となり イチコさんの水着がセンシティブすぎて5度見しました ありがとうございます。他作品のだとヒロアカが急にホラーぶち込んできて笑ったし呪術が平和で涙出た。野薔薇ちゃん…帰ってきてくれ……あとドリトライ、順位はヤバいんですが2人がちゃんと子供扱いされてる日記でほっこりしちゃった すきです あかね噺は夏の描き下ろし日記も良かったし本編 本編がさぁ〜!!!この…心がギュ……………………となる………落語パートの演出はアニメでも見たいんだけれど、心情描写は実写でも見たい………心の成長や葛藤の描き方がほんとにもう……天才か……………しかし合併号におけるマイ・フェイバリット台詞はロボコの「押して駄目なら微笑んで!」ですかね 表紙でボンドとちゅわん軽々抱えてる腕に不覚にもときめきました。来週はちゃんと服を着て家を出るんだよみんな…
0 notes
itocaci · 1 year
Text
"amachi."を探して 〜 KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
Tumblr media
こんばんは。
まずは早速だけど、明日からの営業予定をお伝えさせて頂く。
Tumblr media
5/8 (月) 〜 5/14 (日) 営業予定
5/8 (月) 13:00〜20:00
5/9 (火) 13:00〜20:00
5/10 (水) お休み
5/11 (木) 15:00〜20:00 ※
5/12 (金) 13:00〜20:00
5/13 (土) お休み    ※
5/14 (日) 13:00〜20:00
※ 5/11(木) は15時からの営業となります。
※ 5/13 (土) は綿花の種まきのため、お休みとなります。
ちょっと来週は変則的な営業で、週末にお休みをいただくので、ご来店の際には気を付けてほしい。
Tumblr media
それでは本題に。
本日は、ちょっと当店でも取扱している"amachi"のビジュアルもご覧いただけるイベントの案内をさせてもらおうかと思っている。
Tumblr media
さて、春の終わりの日。
朝から京都に行ってきた。
祝日の8時台の電車だ。
さすがに座れるだろうなんて思っていたら、全く座れず、GWの京都を舐めていた。
”KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭”
先月半ばから今月半ばまで開催される写真をメインとした芸術祭。
毎年春から初夏にかけて恒例のイベントな訳だが、今年は例年以上に、ちょっと気持ちも昂っていた。
当店の取引先でもある"amachi."のビジュアルも担当する、高木由利子氏のこれまでの作品が二条城で見れるのだ。
しかも、"amachi."のビジュアルも会場内には展示されるという話ではないか。
そんな訳で、朝から二条城へと向かった。
テーマは「PARALLEL WORLD」。
日常的に民族衣装を纏う人を収めた作品と、ファッションブランドのビジュアルとして撮影した作品を同じ空間に並べることで、一見異なる世界を同一空間に配置した展示だ。
Tumblr media
とても刺激を受けた展示だった。
非常に安易な言葉なのかもしれないけど、会場を出た後は、そんな言葉しか出てこなかったし、虚無感にも近いような、不思議な感覚に襲われた。
正直、午後からの仕事にも支障が出てしまうほど、その日はどこかフワフワとした感覚に襲われた。
良いものを見れば、刺激を受けてそれがモチベーションにも繋がるのかもしれないけど、圧倒的なものを見せられると、そんなものすら超越して、全てを持ってかれると同時に、途方もないような虚無感に襲われてしまうのだ。
ちょっと昨日くらいまでかなり尾を引いてしまっていたし、なんなら、この感想を書いている今ですが、僕の気持ちはぐちゃぐちゃだ。
それでも、改めて、非常に刺激を受けると同時に、参考になることがたくさんあった。
この日見たものを、少しでもこれからの活かしていけるようにと思っている。
Tumblr media
ちなみに、ちゃんと"amachi."も見つけてきた。
この日は"amachi."の服を着ていたので、目の前で"amachi."のビジュアルを見つけると、ちょっと特別な気持ちと同時に、周りに人に自慢をしたくなるような、そんな気持ちになった。
Tumblr media
昨年の秋冬よりビジュアルを担当し始めており、その時のデザイナーさんからの説明が頭の中で蘇る。
ちなみに、映像作品にも恐らく"amachi."のビジュアルが使用されていると思われるのだけど、ちょっとそれは見つけられなかった。
もし、これから見に行くという方はぜひ目を凝らして見てほしい。
Tumblr media
さて、もう一つ。
話は少し変わるが、やっぱり民族服は面白い。
日本で言えば着物がそれに値するのかもしれない。
文化・風習・宗教といったその土地の土着的なものが色濃く反映される。
時にそれはアミニズム的な要素が強かったり、一方で、その土地の風土がそのようなデザインにさせているものだったり。
講師を勤める中で、生徒にも話したのだけど、人体の基本構成は変わらない。
その制約の中でいかにクリエーションを発揮するのか。
僕が民族服を好きな理由は、そんなヒントが多くあるような気がしてならないからである。
例えば、日本で古くより取り入れられてきた「絣(かすり)」という技法がある。
日本で多く目にする「絣」は、基本藍染をベースにしており、国内の地域によっても柄に込めた意味に違いはある���ど、そのベースは大きな差はない。
それが中央アジアなんかの衣装を見ると、日本では見ることのできないような多色使いで、柄も全く違った「絣」が見られたりする。
もちろん、衣装としての機能すら異なってくる。
これは宗教的なアイテムであったり、アミニズム的な要素であったり、そういった文化や思想背景の違いが差を生むのだろう。
渋い、粋な雰囲気を感じさせる日本の「絣」とは全くの別物なのだ。
僕が文化人類学が好きだったり、昨今四大コレクション(パリ・ミラノ・NY・ロンドン)以外に、南米や中米、アジア圏内のファッションショーをチェックするようになったのは、こういったルーツの違いがファッションと結びついたときの面白さを垣間見れるからだったりする。
日常的に民族衣装を纏う人というのは、昨今では絶滅危惧種のような存在なのかもしれない。
だからこそ、この展示は、そんな歴史的な価値としても大きな意味を持っているのではないだろうか。
先ほど述べた、ビジュアルからの衝撃と別に、もう一つこの展示を通じて思ったことである。
そんな訳で、1時間ちょっとの時間だけど、濃密な時間を過ごすことができた。
Tumblr media
そして、折角なら、もう一会場くらいは見てから戻りたい。
そんな訳で、こちらも僕が大好きな写真家、石内都氏の作品を見てきた。
まあ、会場に入ってからちょっと後悔したのが、今さら石内都さんを見なくても良いのではないかという気持ちになってしまうくらい、僕はこれまで何度か氏の作品を様々な場所で見てきたし、なんなら写真集も何冊も持っている。
好き過ぎる故に、別会場を選択すれば良かったなんて思ってしまったけど、ここではもう一人別の写真家の方の展示も見ることができる当事で、そんなお二人の混ざり合いを楽しめればと思った。
石内都氏の母の遺品を収めた写真のシリーズと頭山ゆう紀氏の家族の目線に立って収めた作品のコントラストがとても良かった。
これは、この会場でしか見ることのできない作品でもある。
Tumblr media
頭山ゆう紀氏は、家族の立場に立ち、シャッターを押して、相手に寄り添おうとしたと、そんな紹介があったのだけど、そんな彼女が収めた、何気ない日常に見える世界を記録した写真には、不思議と優しさというか、見ているだけで心地の良いものが感じ取られた。
ちょっと、このシリーズの写真集をぜひ発行してほしいものだ。
そんな訳で、今年はたったの二会場しか回れなさそうだけど、とても良いものを見させてもらった。
本題からめちゃくちゃズレて、なんか”KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭”の案内をしてしまっただけなのだが、本題は、"amachi."のビジュアルもこの芸術祭でご覧いただけるので、もし良かったらぜひ見に行って見てほしい。
それでは次回もお楽しみに。
Tumblr media
0 notes
kihopa07 · 1 year
Text
「2022年から、2023年へ。やっぱりcomfort zoneから出たい。」
今年もこの時期がやってきた。そう、振り返りの時間。 ここ数年は都内での年越しをしていたせいか、 ゆっくり振り返りの時間がなかったような気がする。 やはり環境は大切だと思う。けれども、それも言い訳なような気もする。
師走に予定外に隙間時間ができ、 そんな時、立て続けにドキュメンタリー映画を鑑賞していた。 シリアの内戦中にこどもが生まれその母親が監督として撮影した作品、 韓国の政府とメディアの癒着を徹底的に告発しようとする作品。
魂が震えた。久しぶりの感覚だった。 僕はやはりどこまでいっても「闘っていたい」んだと。 「闘い方」はいろいろとあるけれども、 ひたすら座って待っているのがやはり嫌だ。 年末の振り返りの時期に、 このinstinct(本能)を呼びさますことができて、よかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前のエントリーにも書いたけれども、 「包茎」に関するドキュメンタリー映画の撮影がようやく終わった。
コロナが流行し始めた2020年から動いていたので、 リサーチも合わせると2年も時間を費やしてしまった。 前作の生理に関するドキュメンタリーに比べて 倍以上の時間がかかってしまった。 けれども、今回は一人の被写体に向き合ってみようと思った結果だった。
撮影の中で、自身の撮影のスキル不足や、 構成の甘さに嫌気がさしたけれども、 それ以上に、自分が「正義」を振りかざし、 それに合わせた物語展開をしていようとしていた。
詳しくは映画をみていただきたいけれども、 自分がたてた仮説というものを検証していくのが ある種ドキュメンタリーの大義だと思っている。 ただ、その仮説に近づけるためだけの撮影(や構成)になっている可能性も高く、自分の枠になんとかあてはめようとしてしまう「弱さ」みたいなものも感じた。
ドキュメンタリーも創作なので、そこに客観性はなく、 むしろ主観の賜物ではあると思うが、 それでも腰を据えてカメラのファインダー越しに 被写体を眺める難しさを感じた。
こちらの映画、春頃にはみなさまにお披露目できる予定です。
Tumblr media
(クランクアップの地、北陸にて。日本海の趣を肌に。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今年もパートナーと一緒に、山登りを楽しんだ。 登った山は、筑波山、大菩薩峠、赤城山、三ノ塔の4つ。 どれも大きな怪我や事故なく。
どの山も、それぞれに良さがあるのは大前提なんだけれども、 景色と天気に恵まれたといえるのは、間違いなく、「大菩薩嶺」(山梨)。
都内から、登山口まで結構な時間がかかったし、 ロッジ泊はまさかの私たちだけというレアな状況だったけれども、 それでも朝方に見えるアルプスの残った雪の景色、近くにみえる富士の姿。
山登りに出会ってから10年以上経とうとしている。 毎回、苦行でしかないと感じるけれども、やめることができない。 むしろ、やめたいと思ったことはない。
登山中のパートナーとの喧嘩も減らない。 けれども、パートナーとまた登りたいと思う。
山に対する想いを書こうと思ったけれども、無粋だからやめる。 来年も、春から秋にかけて山登りを楽しもう。 準備も、移動も、登るのも大変だけれども。
来年は、この3つの山を予定。 ⇨金峰山、磐梯山、白根山。
Tumblr media
(4月に登った大菩薩嶺。雷岩からの富士を望む。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生きるための仕事。いわゆる「ライスワーク」。
コロナ規制緩和も相まって、海外メディアの案件が戻り始めた。 VIPのアテンド案件があったり、北米の新聞社のアテンドがあったり。
件数自体は少なかったけれども、やる度に語学に課題を感じる。 BBCでの東京オリンピックの案件以来、毎日英語をしている。 けれども、なかなか「のびたなー」と感じることができない。
中学生のころから考えると、英語は約20年以上勉強している。 米国滞在1年で、英語を使う仕事をできているのは大いに評価するべきだけれども、 誰かに教えてもらったように、語学は「ししおどし」のようなもの。
溜まるまではすごく時間がかかる、レベルアップを感じる、またゼロに戻る。 この繰り返し。多動症で継続が何より苦手な僕が唯一続けているもの、それは「語学」。
そういえば、フランス語の勉強を再開することにした。 コロナ前にはじめて、1年間である程度の基礎は勉強した。 けれど、コロナでやる気を削がれ(言い訳)、勉強をストップしていた。
いつかやろうと思っていたとき、友人を介してフランスからやってきた研究者と仲良くなった。 彼女の存在がやはり大きく、自分自身のキャリアを考えても、 やはりフランス語は必要だということになった。
そこに加えて、韓国語の復習も進めていきたいと思っている。 これは、パートナーの影響によるもの。 ある程度の会話も筆記もできるけれども、 パートナーが飽きずに毎日勉強する姿をみて、 僕も韓国語で仕事できるくらいになろうと決心し、今に至る。
とりあえず、韓国語もフランス語も大学院に行けるくらいのレベルにもっていくことが目標。 (本当に中国語とスペイン語もしたいけれども、時間が圧倒的に不足。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
話が「語学」に逸れてしまったけれども、「ライスワーク」の件。 端的にいうと、ぼちぼち新しいステージに向かおうと思っている。
自分自身は、やはり改めて深く「学問」をしたいと思っている。 もちろん、仕事をしながらになるので、その仕事をどうするかということ。
前職のNPO共同代表を2015年に退任し、 そこからなんとかフリーで仕事をして、来年で8年目になる。
東京のご家族に助けられて、その周りのみなさまからお仕事をいただき、 映像の仕事も少しずつ増えてきて、海外の案件も連絡をいただけるようになった。 来年はフリーとして9年目。10年目を終えるとき、リセットしようと思っている。 (なので、今から面白いジャンルの案件がある方、教えてください。)
今いただているご縁を継続すること、それは安定につながる。 パートナーもできた、だからこそ安定は重要な組織基盤(家族基盤)のようなもの。 しかし、それとトレードオフするように、心はすさんでいくような気がする。
いや、すさむわけではない。 「ここではないどこか」なんてどこにもないことは知っている。 けれども、安定から生まれる退屈のようなものを真正面から壊していきたいと思う。
2023年は、フリー10年目以降のキャリアのための具体的な動きをします。 海外生活のための語学関係やプログラムへの申し込みや、 もしくは、日本の大学院への入学準備など。やれるところまでやってみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後にパートナーとのこと。 今年もしょうもないことでいっぱい喧嘩した。本当にありえないくらいに。
正当化するために、「魂のぶつかり合い」と僕は命名しているけれども、 それは詭弁であり、多くは僕の自己中心的な考えからやってきていると思っている。
ただその中でも思うのは、日本という国おいては、 自己主張することはやはりよいものとされず、 パートナーも多分に漏れず、自己主張する姿を嫌う傾向にあった。
ただパートナーシップというものは不思議で、 お互いがお互いに同化しているなと感じていることも増えた。 移民に対する同化政策は全く同意できないけれども、 こういった同化はあっても悪くないと、考えるようになったは成長なのか。
二人の住まいも過密都市から、少し緩和されている都市に移した。 お互いにフリーで活動しているからこそなせる技かもしれない。
正直なところ、 二人の関係性にいつ終わりがきてもおかしくないと思っている。 ただそれは決して暗い話とかではなくて、 「永遠」なんて幻想は大嫌いだからそう思う。
「永遠」なんて絶対にないから、 結果としての「永遠」というものが理想だと思っている。
来年は、もっと愛情表現ができる人になろうと本心で思っている。 年明けにパートナーとwant list(s)をお互いに交換しよう。
Tumblr media
(パートナーと姉の甥姪。家族を大切にしてくれること、他の人が真似できない彼女の好きなところ。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このエントリー毎年書くのは、結構骨が折れる作業なのだけれども、 後々振り返るとすごく面白いと感じているので、しつこく続けている。 (Tumblrよ、サービス終了なんてありえないぞ!)
2022年、ご縁をいただいたみなさま、ありがとうございました。 2023年、ご縁のある方も、これからいただく方も、どうぞよろしくお願いいたします。
朴 基浩 Kiho Park 박기호
0 notes
kennak · 3 years
Quote
20周年迎えた911か・・・ あの日、崩壊したビルの真下にいて死にかけたうちの夫、今朝は、友達と釣りにいきましたわ。 事件後何年もトラウマで苦しんだ夫だけど、彼の中では「終わったチャプター」なんだって。 911のあと家族を失ったひとたちは勿論、大勢のひとがいろんな形で影響を受けました。 ヒラリー・クリントン(当時NY州選出上院議員だった)が「911に対しては、人の数だけエピソードがある」と言ったのだけど、そのとおりだと思った。そこにいた人もいなかったひとも、誰もがエピソードを持ってる。 影響を受けたのは、個々人の人生や、生活や、考え方だけじゃない。 アメリカという国家そのものが、あの日を境にして、予定していたのとは違う道を歩むことになった、それに気づかされた、いわば、Brutalな日だったと思います。 わたしの夫は、いまはもう引退しちゃったけど、長いこと報道の分野にいて、テレビニュースのフリーのカメラマンだった。あの日は欧州の某テレビ局のために仕事を請け負って、国連ビル前に早朝から詰めていたが、ダウンタウンのツインタワーで何やら妙なことが起きてるらしい、ということで急遽現場へ。 最初の飛行機のインパクトの直後は、ニューヨークでも実際に何が起こってるのかわかってなかったんです。第一報では小型機がタワーにぶつかって炎上したらしい、という話が流れたの。 私はというとその日は仕事してなくて、パジャマ着たまま自宅の南向きの窓から煙が出てるタワーをボーと見ていた。 夫と報道クルーは国連ビルからイーストサイドハイウェイに入り南下、ツインタワーに着いたときは、まだポリスラインがひかれる前で立ち入り禁止になる寸前だったから、早めに現場に到着した報道陣だけがワールドトレードセンター真横まで行くことができた。うちの夫はその数少ない報道陣の一人だった。 私はコーヒー片手にパジャマ姿で、ミッドタウンのアパートビルの19階にあった自宅の南向きの窓から燃えてるビルをみてたんだけど、突然真っ赤な炎が上がったのが見えた。それがセカンドインパクトだったんです。アクション映画でしかみたことがないような、大きな赤い炎。いまでも目に焼き付いている。 あわててテレビをみたら現場は大混乱になっていた。怖くて震えました。わたしが当時働いていたオフィスは、テロ現場のすぐ近くで、わたしの机の後ろの窓からツインタワーがすぐ目の前に見えてた、そういう場所だったの。慌ててオフィスの同僚に電話したけど誰も出ない。 そのときもまだ、テレビニュースでも、はっきりとは「これはテロだ」とは言ってなかったの。 なんなのこれは?事故・・・?じゃないよね?なにこれ?なに?どうなってんの?不安だけが募ってゆく。なんかとんでもないことが起こって混乱して大騒ぎになってるらしい、それだけはわかる。そんな状態。 そしたら夫から電話がきて「たいへんなことになってる。ここは大騒ぎだ。絶対に家から外に出るな。こっちに来るな。家の中にずっといるんだ、いいな!」と叫ばれた。「うん、わかった。そっちも気を付けてよ。」と言って電話を切り、ずっと窓から見えるタワーとテレビ画面を交互に見続けていた。 なにがなんだかわからないまま、不安だけが募ってゆく。そのうち仲の良い友達から電話が入って「ペンタゴンやられたよ!テロだよ!!」と絶叫された。 文字通り膝震えたよ。だって夫はタワーのすぐ近くにいること、わかってたんだもん。 それから少ししたら、タワーが崩れたんだ。崩れるところが窓からも見えたし、テレビの画面でも見えた。怖くなって床にうずくまって、夫に連絡とろうと思って、何度も何度も夫の携帯に電話したけど、出ないの。 心臓バクバクしてくるし、怖くて泣きっぱなしよ。何度かけても夫は電話に出なかった。 自宅でひとりでこころぼそくて、でもなにもできないし、うずくまって泣いてたら、日本の親からも電話くる、友達からも電話くる、そのたびに、夫と連絡とれないといって、わたしは泣いた。 そして2棟目も崩れた。テレビでは全局がワールドトレードセンターを大写しにしていたが、タワーが崩れるとき、キャスターも、Oh My God!!!!と画面で絶叫した。報道陣が最大近寄れるあたりから流れてくる画像は恐怖のひとことでした。体中真っ白になったひとたちがストリートを歩いている。 夫がその日仕事をしていた欧州のテレビ局のニューヨーク支局から電話がきて、国連ビルからツインタワーに向かったクルーは、ディレクターとサウンドマンとカメラマンの3名で、前者2人とは連絡がついたが、大混乱の中カメラマンとはぐれてしまい、私の夫とだけ、まだ連絡がついていないと言われた。 なにか動きがあったら必ず知らせるから、ともかく気を確かに持って、連絡を受けられるようにしておいて、と言われて電話が切れた。動転してしまい、親と友達に電話して事情を語り、泣き続けた。窓の外をみるとダウンタウンのほうからサードアベニューを北に向かって歩いてくる人々が目にはいった。 ワールドトレードセンターはマンハッタン島の南端の金融街のあたりにあり、地上も地下も交通手段はメチャクチャになっていたから、現場で崩壊のインパクトを受けた人々は、自宅に戻るために、島の南端からアベニュー沿いに歩いて北上した。私が窓から見てたのは、その人々の群れだったんです。 「群れ」という言葉がふさわしい。それほど大勢の人々が一斉に集団で北上していた。その様子、はっきりと覚えている。中には全身、崩壊したビルの粉塵をかぶって真っ白になってたひとも少なからずいました。 タワーと一緒にアンテナも崩壊したから、NYシティでは携帯電話がつながらなくなってました。 「なにか動きがあったら即座に連絡するから」と言ってくれた支局長からは、その後なにも連絡はない。夫の携帯電話にはつながらない。ひとりで惚けたようになって、まどの外をぼんやりみてたことを思い出します。 そしたら、電話が入ったんです。夫から。28丁目の公衆電話から掛けてる、といって。当時はまだ、ストリートに「公衆電話」なるものがあったんだよね。彼、生きてたんですよね。少ししたら階下のドアマンから連絡はいって、夫がロビーにいるからすぐ降りてこいという。 突っ掛け履いてロビーに降りていったら、そこに、全身粉かぶったみたいな姿の夫がカメラを持って、立ってました。わたし、そこで、大声で泣いたよ。ドアマンも一緒に泣いてた。 これから現場で写した映像をフィードしにスタジオに行くというので、また一人になるのが嫌で、わたしも付いていった。 スタジオに入ると、そこにいた支局のひとたちがみな一斉に駆け寄ってきて、そこにいるみんなが泣きました。夫はカメラをスタジオの台の上に載せて、そこで、彼も、安心したんでしょうね、ウッとなってちょっと泣いて、またそこでみんなが泣いたんだよ。 うちの夫が写してきた映像は、その欧州のテレビ局のNY支局のスタジオからEditもされず本社に送られ、シンジケートを通して欧州の他の多くの国でも流れました。テロ現場内側の様子を、911の起こったまさにその当日に、欧州のどこかで見たひとがいたら、あれはうちの夫が写した映像です。 さっきも書いたけど、テロが起こってまもなくポリステープが張られ、現場付近はメディアも含め立ち入り禁止になったため、あのときタワーの真下に行けたジャーナリストは実はそんなに大勢はいなかった。 崩壊現場の大混乱と、警官、消防士、医療隊員らの姿を映した貴重な映像で、賞も幾つか頂いた。 うちの夫が写した映像でわかったこと。あの当日、ポリスも、消防士も、医療隊員も、みんな、あんなすごい大混乱と粉塵の中で「職務を遂行していた」んですよ。ファーストレスポンダーの彼らは、本当にあの現場で「働いていた」んです。写ってるんだから、ウソでも誇張でもないよ。感謝の念しかない。 うちの夫が現場を離れて徒歩で北上を始めたとき、一台の車が止まって、「どこまでいくんだ、乗ってけ」と言って乗せてくれて、28丁目まで連れていってくれたんだって。白い革張りのレクサスで、粉だらけ泥だらけの夫を躊躇なくのせてくれた見知らぬ誰かがいた。 テロの翌朝はショックで死んだように静まり返ってたニューヨークだけど、輸血が必要だといえば大勢が長い列を作って献血した、救助隊の犬のブーツが擦り切れたと聞けばわんこブーツが山のように集まった、消防車や救急車が通れば大声で「Thank you!」と叫ぶひとが大勢いた。 いまでは素晴らしくきれいになってるウェストサイドのチェルシーポートのあたりや、ハイラインがあるあたりね、あの近辺は、当時はまだ開発前だったんで、広い空き地の確保が可能で、崩壊現場から見つかった死体の一時置き場だったんですよ。 いろんなことを昨日のことのように思い出す。あの体験を通じて、ニューヨーカーの多くは素朴で暖かいひとたちだというのも確認した。ああいうときに人間、本性が出るからね。ヒューマニティの存在を確認させてもらいましたよ。 そして、もうひとつ、夫の話を聞いて確認したことは、人間の生死を分けるものは運でしかない、ってことかな。うちの夫は、燃えてるタワーを真下から撮影していたが、角度を変えようとして、通りの向こう側に向かって歩き出した瞬間に、背後でタワーが崩壊始めた。 必死にすぐ隣のビルのワールドフィナンシャルセンター(WFC)に向かって走ったが、WFCの1階ロビーは内側から鍵がかけられてて、通せんぼ状態になった。土地勘あるひとなら想像できると思いますが、通り隔てた向こう側から110階分の瓦礫が真上から落ちてきたというんだから。 通せんぼ状態になった一角には、うちの夫��ほか、警官や消防士ら10名以上が行く手を塞がれてギュウギュウになり、このまま死ぬのか・・・と思った瞬間、ひとりの警官が拳銃でWFCのロビーのガラスを撃ち破って人が通れるぐらいの穴があき、そこからWFCのロビーになだれこんで全員が助かった。 あのとき、あのポリスマンが機転きかせて発砲しなかったら、その場で全員窒息死したかもしれない。 うちの夫が助かった場所のすぐ目と鼻の先では、瓦礫にあたったのでしょうか、死んだ人が実際にいたわけ。あすはどうなるかわからない。何が生死をわけるかなんて、わかりませんよ。 わたしたちは「生かされている」。 今日を生きよう。
TrinityNYCさんはTwitterを使っています / Twitter
1 note · View note
cosmicc-blues · 3 years
Text
2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園し��すぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割���て底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
1 note · View note
kazanueno · 4 years
Photo
Tumblr media
【写真:米島虎太朗君撮影】
  2020/09/21
  『君よ、恐れることなかれ』
少々長い文章、許してね。ある知り合いの青年に対して書いたものです。よかったら、読んでみてください。 『君よ、恐れることなかれ』
秋の気配も感じられる今日このごろ、永い永いコロナ禍の中、僕らの中に必要以上に何者かに恐れる感情が増幅されているような気がします。
他者の評価が怖い。どう見られているのかが怖い。失敗したくない。完璧でいたい。間違いをなくしたい。常に不安なので、何事も消極的にしかできない。顔色を伺う。空気を読むというより、むしろ先回りして忖度する。冒険しない。傷つかないための努力をおしまない。見て見ぬふりをする。同調圧力というより、むしろ自ら進んで同調していく。SNS等での匿名の顔なし発言では、誰よりも威勢がいい。内容よりも見かけが大事。努力より要領が大事。プロセスより結果が大事。人を騙すより騙される方が怖い。だから、間違いたくない。失敗したくない。
こうした心理的循環(Circulation)は、現在日本のみならず世界で蔓延している類似状況のような気がしますが、特にこの国では、「不安」→「消極性」への繰り返す循環が顕著のようです。その背景に、日本特有の「隣組」的な同調圧力が今もなお根強く存在することが、昨今のコロナ禍でも明白です。
よく言われることですが、現代日本の原型は明治の開国時にあります。
江戸と現代はどうも一直線には繋がっていないようです。それは明治の開国期が、日本に対する欧米列強による植民地支配の第一回目に対応していることから明らかでしょう。欧米の価値観の流入により大幅に外面的な様子と価値観の細部が影響を受け変化したわけです。そして1945年の敗戦時に米国による更なる植民地化によってこの傾向が進みます。これが二回目の植民地化です。
この辺りから、日本人は極端に、もしくは、必要以上に「失敗を恐れる」ようになり、「他者に同調する」傾向が強まったのではないかと推測します。というのも、江戸期の日本人はもっとばらばらで、いい加減で、適当だったことが、例えば歌舞伎の歴史的な推移からも見て取れます。歌舞伎の主要な観客であった町人たちはいい加減に歌舞伎を楽しんでいたので、江戸期の歌舞伎は町人の楽しみだったわけですが、明治以降、劇場が枡席から椅子席へ変わり、プロセニアムという額縁舞台になり、まるでクラシックのコンサートのように静かに鑑賞するものに変わりました。ここでは適当もいい加減も大騒ぎも許されません。まさに他者との関係により同調的になり、忖度するものが正しい世界に様変わりしたというわけです。しーんと静まり返った劇場の原点は不思議なことにこの開国期から現在に至っているのだと思われます。すなわち、「同調圧力」(周りに合わせ失敗を許さぬ雰囲気)の始まりは欧米化に対する「過剰適応」の結果だったのではないかと推察します。現在現実の欧米の劇場はそんなことはないのね。故に過剰適応だと思う。
日本の学校教育はまさにこの「同調圧力」の路線に乗っかって行われています。
僕らの頃(昭和期)も、今もなお、教師たちは心を込めて「失敗のないよう」に指導したがります。生徒に失敗しないように指導することが正しいらしい。したがって、生徒から見れば、失敗したり間違うことは「良くないこと」なので、極力それを避けようとします。その結果、顔色をうかがうようになり、声は小さくなり、目を合わせず、言い直すことを極端に嫌がり、間違うよりも無解答を選ぶようになります。
同調圧力というのは様々な形を伴いますが、間違わないように、あらゆることを消極的に行うという姿勢もまた、ひとつの同調圧力の結果ではないでしょうか。
教師は生徒に失敗しないように指導する。生徒は失敗したり間違えたりすると叱られるので声を控え、冒険はしなくなり、常に周囲の目や評価を恐れるようになる。これは生徒のみならず教師も同じではありませんか?そして、日本社会全体がこの傾向に陥ってはいませんか?常にあらゆることが「消極的」に進んでいくこの傾向に。
ニヤニヤ笑いながら要領の良い人間が尊ばれ、要領が悪く時間のかかる人間は顧みられない社会。
これは大きく間違っている。
「失敗や間違いが許されない」ということが間違っている。
「大多数に所属していれば安心」という態度が間違っている。
いい歳をして青臭いと思われる向きもあるかもしれませんが、僕には最近の目に余るこうした間違いを許さない風潮がどうにも我慢がなりません。
間違いや失敗はない方がいいに決まっていますが、間違いや失敗がなければ僕らは何も学べません。試行錯誤以外に学ぶ手段はないのですから。
しかし、間違いや失敗を恐れる気持ちが固定化すると、試行錯誤が不可能になり、全てにおいて消極的になり、思考力も衰え、判断力は減退し、簡単に被支配層に転落します。
その意味で、まさに現代の「恐れる傾向」は新自由主義的経済帝国主義には欠かせない支配ツールになっているのでないかと僕は思っています。ここにきて明治開国以降の世界的経済支配が完成しようとしているわけですが、その中でもう一度試行錯誤する勇気を認識し獲得することは、本当に重要な意味があると考えます。
現在、新しい政権が、そのスローガンの冒頭に「自助」を掲げています。
それは、数十年ほど前から顕著になった「自己責任」の謂であります。自己責任はとても大切な考え方ではありますが、これもまたとても支配層には都合の良い言葉になっています。この言葉もまた「恐れる気持ち」を強めています。すなわち、この世のすべてが自己責任なのだから、失敗や間違いは絶対に許されない、と暗に教育しているわけです。恐れる気持ちは創り出されているのです。創造された恐れに僕らはひたすら怯えているのが現状なのではないでしょうか。
コロナもテロも自然災害も、まったく支配層に都合の良い目に見えない恐怖を僕らにもたらしています。目に見えないわけですから、ひたすら恐れて、あらゆることがに対して消極的にならざるを得ません。
2001年のテロの恐怖、2011年の地震と津波の恐怖、2020年のコロナのウィルスの恐怖、このところほぼ十年ごとに偶然のように繰り返される目に見えない恐怖によって、人々は世界中で恐れることが日常してしまっているようです。
確かに、こうした恐怖の源は世界のいたる所にあり、恐れずにはいられません。ですが、「恐れること」や「怖がる態度」だけでは決して防御の姿勢とは言えないのではないでしょうか。
むしろ、本質的恐怖と向き合うために、TRIAL & ERROR(試行錯誤)を繰り返し正しく間違い、正しく失敗し、正しく分析を重ねる方が意味があるのだと思います。
失敗や間違いを恐れるあまり、そして自己責任を回避しようとするあまり、更に他人からの評価を下げたくないあまり、目の前の問題を本質的に分析することさえできなくなっている、というのが現状のような気がします。
そして、現在コロナがその消極性を更に後押ししてるというところではないでしょうか。罹患者を悪戯に責めたり、マスク警察の行動や、有名人に対する攻撃を面白がるという風潮は、激しさを増しているのではないかな。それもすべては訳もなく怖いから。
それ故に、はっきりしているのは、無闇矢鱈に恐れないこと。失敗や間違いを気にして消極的になり過ぎないこと。むしろ、失敗や間違いを体験することの方が価値あるプロセスであることに気が付きたい。
人の目を意識するあまりに攻撃的なるのはやめたい。むしろ自らの痛みから想像力を育むことで災厄から最終的に身を守ることになるのではないかな。
まず完璧主義をやめる。
失敗と間違いを楽しむ。
自己責任を人に押し付けない。
不安を他人に向けた攻撃に転化させない。
これまで受けてきた教育の内容と常識をもう一度疑うこと。
僕たちはこの百年以上もの間に、見事なぐらい、絶えず怯えた消極的で無責任な他動的な状態を恒常的にしてきたのだと思う���。
この世には、あたり前のことだが、誰一人完璧な人間もいないし、だからといって不完全に開き直る必要もないが、堂々と失敗し間違い、それを意味あるものとして経て、自己の体験を積んでいけたなら、現在のような萎縮し、いじけた世界を乗り越えられるのではないかな。理想論かもしれないが、まずは「試行錯誤」を日々の基本に据えたいと僕は思います。
間違ってこそ人生。失敗してこそ人生。
だから、君よ、恐れることなかれ!明日は明日の風がふくからさ。
2 notes · View notes
kokoro-m · 4 years
Text
G 7/28
怒涛の更新、ノリに乗っています。これ、時系列でやっているけれどページになると遡る感じになってしまうのが申し訳ない。
朝、鳥の鳴き声が聞こえて起床。ホテルだとなかなか寝付けないのに、友達の家のベッドならいくらでも寝れる不思議。
この日の朝は黙ってパンにバターを塗りたくる。
雑にものをおいて並べただけの食卓が何故美しいのだろう。
Tumblr media
ビーツのペーストを塗ってみると、思わぬビーツの匂いの強さに衝撃。こんなに香るものだっけか!
Tumblr media
自転車に乗り、公園を通って川を渡り、ポツダムの中心部へ。木陰に包まれたワイドな道を駆け抜ける。途中、お祈り中の教会へ入って挨拶。
ポツダムにも、ベルリンと同じくブランデブルク門と呼ばれる門が存在します。大きさは違いますが、これまた立派で、下を通るのがなんだか恐れ入る感じ。その向かいの道路にて、お馬様のお通り。タ、タイムスリップしたのか。
門の近くの路地を行くと、公園への門が出てきます。みんな、人が二人分通れるくらいに開いた門から譲り合って出入りしていて、自転車はそのまま入っていく人が多い中、そんな狭い道は速度落としても通れない私・わざわざ降りる・それでも自転車が門にぶつかる・恥ずかしかった。
木々に囲まれた一本道、抜けた先に見えるのはサンスーシ宮殿。庭園自体が素晴らしい、その奥にそびえ立っているので、漕ぐスピードは自然に速くなります。噴水の前までつくと、自転車は置いて歩きでの散策です。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
蔓で覆われた階段、と思いきや。
Tumblr media
全てがこのように、窓や扉を彷彿とさせる作りになっています。階段状の温室と言われています。フリードリヒ大王の夏の離宮、それがこの宮殿。こじんまりしていると思いきや、夏の離宮、という言葉がまさにぴったりな場所。
Tumblr media Tumblr media
宮殿の裏にある空間。中に入らずとも、周りをゆっくり一周して見学できます。ここでも歴史の先生が隣にいました。なんでそんなに物知りなんだ、と思いましたが、自分の国の歴史について胸を張って語れることはとても尊敬してしまう。
また自転車に乗って、すぐ脇道の緑道なるところを通る。公園のようなのに、誰かの広大な別荘に迷い込んでしまったかのような感覚。ちょくちょく建物がある。私の大好きな Lykee Li のI Follow riversを鼻歌していたら自然とハモってくれて、何とも爽やかで幸せなサイクリング。アヌシー湖でのサイクリングといい、人生でも指折りで、生きてるって幸せだな、と感じた瞬間。漕いでる間は写真が撮れないのが残念だけれど、あの美しい風景は私の目に焼き付けました。今も思い出す度に鮮明な、煌めいた緑が見えます。
Tumblr media
そのままサイクリングで向かった先は、近くの大学。とても敷地が広い。こんなにクラシカルな建物で学びが受けれる環境、憧れがますます強くなる。
家に帰る前に、近くの湖でスイミング。丁度汗が滴ってきたので、一刻も早く冷たい水の中に入りたい。湖の周りの芝生に各々タオルを敷いて、手荷物やら自転車やたスクーターは放ったまま、湖までまっしぐら。草むらを進むとこじんまりと、それでも綺麗な水が目の前に広がる。何度も同じことを言うけれど、私は泳げないので、浅瀬でひたすら水遊び。ちょっと泳いで来るね、とAdrianが向こう岸までスルスルと泳ぐ間、お一人様で犬泳ぎや水中潜りで夏を堪能していました。湖の真ん中に行くにつれ、次第に足元がぬめぬめしてきて不思議に思うと、水面から大量の海藻が見える。ゆるりと海藻が水中で揺れて、しばらく立ったまま足裏の感覚を楽しむ。すると戻ってきたAdrianが、ちょっと顔!!といってくる。メイクしていたことをすっかり忘れていて、どうやらマスカラが大胆に落ちていたらしい。二人で爆笑しながら水でゴシゴシ拭くも広がるだけのようで、ヤケになりながら水中に潜りました。芝生に戻ったら、広がりすぎてタレ目みたいに、黒いチークをつけてるかのような顔面、こりゃ恥ずかしい。子��も寄ってこないわ。
Tumblr media
水着を乾かしがてら自転車を飛ばし、お昼ごろに帰宅。この日のランチは、南ドイツの名物料理、シュペッツレを作ります。超濃いチーズと、炒めたオニオン、味付けは塩と胡椒、粉から自分たちで作った麺と絡めて完成。流石ヨーロッパ、戸棚からパスタを作る道具が出て来る出て来る。パスタの大きさは一口大くらいでちぢれているような形。自分で作ったというのもあるけれど、これがすっっごく美味しかった。こってりしすぎてるのではと不安だったものの、チーズ本来の美味しさと、オニオンがポイントで凄くマッチして感動的な美味しさ!テラスで音楽を流しながら至福のひととき。
Tumblr media
午後は、初日に断念したCMBYNの鑑賞会にチャレンジしよう!と思っていたのですが、リビングのBlu-ray対応テレビでも、日本のDVDだからなのか再生できず意気消沈。スイカと大量の焼き菓子で機嫌を取り直しました。時間が経つと眠くなってしまい、夕方まで目を閉じる。
夕飯、何食べたかまたすっかり忘れてしまった。写真もない。え、食べたんかな。
夜になってまた部屋で爆音ダンスを繰り広げていたところ、Adrianの親友ちゃんが家に来る!と言うことで、3人でテラスでお茶会。ドイツの印象として、英語が堪能な人が多い気がする。少なくともコミュニケーションが容易くとれて嬉しい。また時間が過ぎると、大抵夜にいつも集まっている公園で、友達たちが呼んでいるらしい。せっかくだからみんなに会って!ということで、これは夢に見た海外の仲間内でわいわいする系パーティーに私も参加...?と心の中で焦り出す。急いでパーカーに着替えて、近くのパーティーパーク(みんな知り合いが集まりすぎてそう呼び始めたらしい)まで自転車で走る。ところがどっこい、本当に運のない私、乗っていた自転車が途中でパンク。キューキューと言いながらタイヤが回らなくなりました。急遽そのへんの木にロックして、後ろに乗らせてもらう。夜の住宅街でオレンジ色の街灯だけに照らされた中、ドイツ語講座をしてもらう。あまりに楽しい。
公園に着くと、森の中のような道をずんずん進み、湖のそばの広場に到着。確かに何グループかの話し声と、いろんなジャンルの音楽が聞こえる。合流した先には4人ほどのガールズがいて、暗闇の中、はじましての挨拶。みんな年下だったけど恐らく私が一番年下に見られていた。今日人少なくない!?と驚く二人。いつもはもっとはちゃめちゃなんだよ〜見て欲しかった!と残念がられる。いや見たかったーーーー!!!!!
携帯のライトだけなのに課題をやってる子がいたり、誰に向けてかはわからないが永遠に喋っている子がいたり、とても自由。Kokoがいるからみんな今日は英語ね、とAdrianの親友ちゃんが声をかけてくれるとみんな瞬時に英語で話しかけてくれる。なんて優しくも賢い子達なんだと終始感動していました。やっぱりこういう時に話す話題は、日本とドイツの文化の違いについて。ドイツではこうなのに!えー、日本ではこんなんだよ、と色んな発見がある。近くにいた別グループの子たちとも知り合いなのか、気付いたら十数人で円になっていた。これが私の最近のお気に入りなんだ、と友達の一人がSpotifyからランダムで曲を流す。聞こえてきたのがテクノだったので、この前一緒にやったじゃん!と腕を引っ張られて突然のテクノダンス発表会。日は落ちてるし!!と覚えていた限りで踊ると、Woahの声がたくさん聞こえてまたも照れ臭い。みんな盛り上がってきた頃、湖行って来るわ!!!と何人かの人影が湖へ走って行った。その頃私はというと、昼間の疲れからなかなかの眠気に襲われていて、結局日付が変わる前くらいに離脱。もう会えないの!と驚かれけれど、最後はみんなとハグをしてお別れ。たった数時間前の出会いなのに、心がぽかぽか温かい。
お家に帰って、また軽く紅茶を飲んでから就寝。夢は見たのかなあ。
8 notes · View notes
beside-publications · 4 years
Text
写真作家 木原結花 故人との対話<前編>
行旅死亡人という身元不明の遺体を表す呼称がある。この情報を基にその故人の仮のイメージを作成する写真作家 木原結花。彼女が作り上げる人物の仮構と故人のオリジナリティの側面との葛藤をBesideは取材した。前編では彼女の作品の概略や意図などを、後半では今後の作品の方向性や故人のオリジナリティと自身の想像との葛藤などを掲載する。
アイデンティティを見出されない故人達
-行旅死亡人とは?
 行旅死亡人とは、氏名や戸籍等が判明しない身元不明の遺体を指す言葉であ る。遺体の情報は、官報や新聞、警察のホームページなどで発見された際の特徴を 文字によって 記されている。それは推定年齢、身長、性別、服装などわずか数行の情報のみである。
 最初の作品である「行旅死亡人」は木原結花自身が、故人の文字情報を基にその人物の姿を想像し、実際に遺体が発見された場所に赴きその場の風景を撮影。事前に作成した架空の人物像と風景を合成した作品である。
-一作目の「行旅死亡人」の作品の意図は?
 「私は、アイデンティティを見出されないまま事務的な作業で処理される人物にアイデンティティを求め、ある種それを与える作業を行いました。でもそれは同時に本物 のアイデンティティを隠してしまうことになるとも思っています。 この出来上がったイメージはいったい何なのかを考えて見た時に、それは虚構なのか、事実 なのか。もしくはそのどちらでもあるのか、ないのか。あやふやで掴みきれないそのあり方 は、まさに行旅死亡人のような気がしています。」
-作品を制作する事になったきっかけは?
 「私がこの作品を制作するようになったきっかけは、当時小学生だった頃の夏休みでの出来事。近所の公園で遊んでいると、ホームレスのおじさんがやっ てきました。そのおじさんはベンチに座り、おもむろに豆腐を食べ始めました。当時の私は、ホームレスという存在を知らなくて、空き缶や大量の物を積んだ自転車を押しながら、真夏の昼間の公園で豆腐を食べ始めたおじさんに好奇心を抱いたんです。」
「私はおじさんに色々な事を話しかけました。おじさんは嫌がるそぶりを見せずに話を聞いてくれた事をよく覚えています。その後もおじさんは時々公園に来ては豆腐を食べ、私の遊び相手になってくれました。でも夏休みが終わった頃から、そのおじさんを全く見かけなくなりました。私自身も自然とおじさんの存在を忘れていました。」
「大学三回生の時に、ゼミの先生から細江文昌氏の「アノニマスケイプこんにちは二 十世紀」という写真集を見せて頂いたんです。この写真集は、行旅死亡人の記事と風景写 真を合わせた作品で、私はこの作品を見て行旅死亡人という言葉を知りました。行旅死亡人になる人はホームレスの方が多いという事を知り、私は小学生の時に出会ったおじさんの事を思い出したんです。ただ、そのおじさんは日焼けした浅黒い肌でメガネをかけていたという事は覚えているのですが、はっきりとしたおじさんの姿は思い出せませんでした。」
「その時私は、おじさんはもしかして行旅死亡人になったのではないかと考えました。おじさんは確かに私の目の前に存在していました。そのおじさんのように、たくさんの行旅死亡人の方々も誰かの目の前にいて、話をして、存在していたはずです。私は「行旅死亡人」と一括りにされてしまった人たちを一人ひとり掬い上げたいと思いました。彼らの存在を証明したいと思い、「行旅死亡人」という作品を制作しました。
-この作品での重要なポイントは?
 「私は故人の遺体が発見された場所に実際に足を運ぶようにしています。行旅死亡人の情報には、発見された場所が記されています(正確な場所が記されている 場合もあれば、○○付近と記されている場合もある)。人物像は想像するしかないですが、発見された場所には実際に行くことができます。発見場所に赴くと非常に不思議 な感覚になります。何の変哲も無い住宅街であったり、とても不気味な海辺であ ったりと場所の雰囲気は様々です。共通して感じるのは、ここで人が亡くなった というのがとても信じられないと思ってしまうことです。」
「私が今立っているこの場所に、過去に人の亡骸があったなんて。特に私は、その場所の太陽光や風の強さ、匂いを感じるように意識しています。 彼らが亡くなる前の薄れていく意識の中で感じたであろう太陽の日差しや風の強さ、匂いというのは、今私が感じ取ったものと全く同じとは言えないと思います。それでも大切な彼らの人生の一部として受け取りたいと私は思っています。 」
-この作品を通して鑑賞者に伝えたい事はなんですか?
 「人は二度死ぬ。一度めは肉体の死。二度目はその方を覚えている人が一人もいなくなった時」という言葉をよく耳にすると思います。行旅死亡人の存在を知った時、私はこの言葉が思い浮かんできました。 写真に写っている人が死んでしまい、完全に忘れ去られたとします。でも写真がどこかに残っていると、その写真を見た人がそこに写っている人物がどんな人か想像すると思います。それは2度目の死から死者を1度目の死まで蘇生しようとしているのではないかと私は考えます。 私は、行旅死亡人の文字情報からどんな人物かを想像し、ポートレートを 作成することで蘇生を試みているのです。
「もしいつか、この作り上げた虚構が行旅死亡人の文字情報から作り上げたという 文脈を失い、ポートレートだけが残ったとします。その時、これを見た人が新たに想像し、新たな文脈を作り、死者蘇生を試みて欲しいと私は思っています。果たしてその時、この写真からはいったい新たに何が生まれるのだろうか。 それぞれが考えて欲しいと思っています。」
仮構による故人との対話
-二作目「日焼けと祈り」
 二作目となる「日焼けと祈り」は、サイアノタイプと呼ばれる太陽写真を用いて制作された作品である。 実際に行旅死亡人が発見された現場に赴き、行旅死亡人の文字情報からフォトモン タージュによって作成した人物像の等身大ネガフィルムを感光材の塗った画用紙に重ね、現場の太陽光で感光させる。 さらにその場で水��現像し、乾燥も行う。現場が日陰であれば感光せず白抜けし、 風が吹いていると画用紙は、風に煽られ皺ができ、さらに強風の場合は原型が判らない程に破れてしまう。 破れた画用紙を拾っていると、まるで散り散りとなった骨を拾い集めている様な錯覚を覚える。
-この作品を制作するきっかけや意図は?
 「彼らが薄れゆく意識の中で感じたであろう太陽の光や地面の感触、風などを記録で きないかと私は考えました。何故なら、それらの物理的な刺激も彼らの人生を構成する 重要な要素であると思ったからです。でも普通の所謂カメラで撮影される写真では、それらの 物理的な刺激を記録することができないです。そこで私は、レンズを通さずに直接太陽 光で露光できるサイアノタイプの手法を用いて、風の影響を受けやすい画用紙を 支持体に選ぶ事にしました。」
「出来上がったプリントを見てみると、サイアノタイプの特徴である青色の中に、文字情報から紡ぎだした人物像が浮かび上がってきます。その人物像は文字情報から私が勝手に導き出したモンタージュであるため、実際の彼らの姿では決してないです。しかし社会の周縁に消え去った名前も顔も分からない彼らを捉えるためには、私は彼らの姿を仮構するしかないのです。」
「サイアノタイプは日本語では青写真とも言われ、過去には機械図面や建築図面の複写に使用されてきました。現在では複写技術の向上から使用されなくなりましたが、そこから転じて「心に描いている将来の姿」、「未来図」という様な意味として、「青写真」 という言葉は今も使用されています。 そう考えると、青の中で浮かび上がっている彼らの姿は、私の仮構ではあるのですが、もしかすると彼らが輪廻転生した際の未来の姿ではないかと考えてしまいます。 」
「写真は形象を写す装置であるが、私はこの作品で形象を写すのではなく、形象を 作り与えました。形象を与えるためには、写真という装置でなければ与える事ができな いと考えました。」  
「薄れゆく意識の中で感じたであろう太陽光が皮膚をヒリヒリと刺激する感覚を彼らはどの ような気持ちで感じていたのか。私は知る事ができません。それもまた理解しようとすると仮構するしかないので、私は大変もどかしく思います。」
後編では、人間のオリジナリティと再構築の関係をテーマに想像とオリジナルの狭間での葛藤を深掘りする。作り上げられた仮構は、故人の延長線上の存在なのか?今後の作品の展開などを質問していく。
1 note · View note
sarahalainn · 5 years
Photo
Tumblr media
Moment of bliss.  European debut concert at the gorgeous Teatro Verdi, Italy on Mother’s Day🇮🇹 Hope you’re proud mama☺️
È stato un momento indimenticabile per me cantare e suonare per la prima volta in Italia nel bellissimo Teatro Verdi a Bussetto🎤🎻🙏
Il mio sogno si è avverato anche grazie ai miei amici musicisti e al supporto da parte degli staff❤️
Sono davvero felice e sorpresa allo stesso tempo che il pubblico abbia cantato con me non solo « Va, pensiero » che è un brano famosissimo in Italia, ma anche un brano giapponese! 🇮🇹🇯🇵
In più, con i brani di Queen e i brani sul violino, hanno tutti iniziato a battere le mani insieme a me dando il ritmo ! 😍
S pero di ritornare in Italia presto! E migliorerò di sicuro anche la lingua italiana! Grazie mille di tutto! 😘
E dato che il giorno del concerto è stato la festa della mamma; buona festa della mamma, mamma! Spero di averti resa orgogliosa! 😬
Ci vediamo il più presto possibile! xxx
Tumblr media
今さらですが、サラinイタリアです~(どこかで聞いたような。。)
令和初のコンサートはイタリアにて!イタリアの大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ出身の地、ミラノ近郊のブッセートにある、19世紀に建てられた馬蹄形の美しいオペラ劇場、その名も「Teatro Verdi(ヴェルディ劇場)」で開催。憧れのヨーロッパでのデビューコンサートとなりました🇮🇹
私は大学でイタリア語を先行して留学は最初イタリアに行くのが夢だったのですが、母の圧力と三島由紀夫の小説で日本へ留学。そんな日本からイタリアに行ける日が来るなんて!夢のようでした。話し言葉のイタリア語は大分忘れたため、必死に移動の飛行機でイタリア語を復習!絶対にMCでは英語では話さない、そう自分の中で決めていました(ドM)。飛行機の中でもう一つ大きなストレスがありました。。。イタリアに出発する前に激痛に襲われ、レギュラーのラジオにも行くことができず(宇宙飛行士の野口聡一さん、お許しを!宇宙に行くときは体調万全にします~)、救急車で病院へ。人生初の石でした!!またいつ痛みが再発するか分からない不安のまま飛行機へ。
奇跡的に痛みは再発せず、無事にミラノ空港に降りたと思いきや。。何?!巨大なふわふわした花粉は空から雪のように降ってくる!!この時期だけに降るPollineというやはり花粉のようなものでした。そして、私はこのPollineアレルギーになるという着いてから早速事件。
バンドメンバーは日本からのジャズレジェンド、クリヤマコトさん、現地からはベーシストFrancesco Angiuli、ドラマーはAlex Battini de Barreiro。プレイも人柄も最高!今でも連絡を取り合うほど仲良くなりました。憧れだった国には今度具体的な人の顔が思い浮かぶ。そんな大事な場所になりました。現地でコンサートを助けてくださった日本のチームも素敵な出会いがありました!日本語、英語、イタリア語が完璧な彼女にイタリアのニュアンスを教えて頂きおかげさまでコンサートMCができました!Grazie Hibi xx
Tumblr media Tumblr media
そしてセットリストはこちら!
【2019年5月12日(日)ミラノ近郊ブッセート、ヴェルディ劇場でのセットリスト】
1部
1. A Time For Us(映画『ロメオとジュリエット』より)
2. ニュー・シネマ・パラダイス より
3. カルーソー
4. ヴィヴァルディ:《四季》~〈夏〉
5. Animus
6. Canto Della Terra(大いなる世界)
7. アヴェ・マリア(カッチーニ)
2部
8. 君が代
9. 蘇州夜曲
10. 君をのせて(映画『天空の城ラピュタ』より)
11. Don’t Dream It’s Over (Alta Marea)
12. Queenメドレー
13. 故郷
14. 行け、わが想いよ黄金の翼に乗って(ヴェルディ:歌劇《ナブッコ》より)
15. マイ・ウェイ
〈アンコール〉
16. モンティ:チャールダッシュ
17. Con Te Partirò(君と旅立とう Time To Say Goodbye)
イタリア語、イタリアにまつわる曲を多めに。そして日本の曲もいくつか披露しました!
Tumblr media Tumblr media
ヴェルディ劇場はミニチュアなスカラ座のようで、とにかく自分にとって理想のインテリアでした!いつか家を立てられたら一部屋でもいいのでこのスタイルにしてみたい~~ こんな憧れな舞台で憧れのバルコニー席もたくさんあったので、一曲目はイタリアにゆかりがある「ロミオとジュリエット」をバルコニーから歌唱。イタリアの皆さんもびっくりしてくれました^^そしてインストの途中で舞台に戻りヴァイオリンと歌へ。。。と思いきや、ここで二度目の事件。クリヤさんたちもおそらく、中々出てこないな、どうしたんだろうと思われたことでしょう。実は舞台袖にミラノ市長さんがいらしていて、本番なのに長話で捕まっちゃいました!!見ての通り、歴史に出てくるような趣があるキャラクター。間延したとはいえ、何とかステージに戻ることができ、ロミジュリが終わる。ここで用意して来たイタリア語での自己紹介挨拶!と思ったら。。市長さん、またですか。。あとで聞いたらスタッフさんも止めようとしたが止められず、勝手に舞台に上がり、マイクをお持ちでなかったので、頑張って片手にヴァイオリン、片手にマイクを市長さんの声が聞こえるように持ちました。最後には貴重なヴェルディーのプレゼントを渡されたものの受け取れず、嵐のように去っていった市長さん。予定していたMCもこの流れではワークせず、たどたどしいイタリア語で頑張る。
「Verdiは10月の9か10に産まれたと言われてますが、私の誕生日は10月8日です。同じ天秤座!」思ったほどの反応がない。頑張れわたし。「実は、私のミドルネームはイタリアと関連しています!「ミラン」なんです!イタリアでのコンサート、運命を感じます!頑張ります!」。やっと笑ってくれた!ホッとする。
イタリアといえばオペラや素晴らしいヴァイオリンを始め、世界一のものがたくさん!そんなイタリアの皆さんの前で歌とヴァイオリンをお届けでき光栄でした。「残念ながらStradvariusではないですが」。ちょっとしたブーイング。フランス産とは流石にいう勇気はなかった。アンドレア・ボチェッリとデュエットさせて頂いたCanto Della TerraではBrava!と叫んでくださった方が多く、やはりイタリア人にとってとても大事な曲だと実感。
Tumblr media
そして2部は着物で登場!日本のルーツを音楽で表現。会場には日本からのお客様とイタリアにお住いの日本の方々もいらして下さっていました!「令和」について説明させて頂き、令和初のコンサートということで、上皇様上皇后様の前でアカペラで歌わせて頂いた「君が代」をイタリアで歌わせて頂きました。
Tumblr media
一曲はオーストラリアのルーツミュージックをお届けしたく、選曲を迷っていたら、なんと私が生まれた年にヒットした曲がイタリアでも有名でイタリア語バージョンもあることを知り、ピアノ弾き語りでDon’t Dream It’s Over (Alta Marea)をお届けすると、お客さんもサビを歌ってくださり盛り上がってくれました。これまでの選曲はクラシックより、クラシッククロスオーバーのものが多かったので、歴史的なヴェルディー劇場で他のジャンルはタブーなのだろうかとちょっと不安でした。一番のリスクだったのはこの次の曲~クイーンメドレー。「イタリアの皆さん、Queenお好きですか?」「Si!!! ~はい!」と答えて下さりました。ヴェルディー劇場でドラムの弾き語りの時、バルコニーからの子供たちが腕を投げるような動作でyeah!と叫んだり、ここはオペラ座ということが嘘かのように、会場はロックで盛り上がる。イタリアの方の「音楽」への愛を感じられました。
さて、ここでプチ事件その3?ドラムへ移動する最中ヒールで大変!と思ったのですが、それはステージが斜めっていたからです!イタリアではこれが普通だと言われました。確かに、客席は逆に平らなので、ステージが斜めでないと後ろの奏者が見えない。音響もよく聞こえるとのこと。ただ急激の坂には足が着いて行きませんでした(笑)
Tumblr media
そして次は、日本とイタリア、両国にとっての第二の国歌を会場とともに歌いました!先ずは日本から「ふるさと」。最初は皆さんシャイだったせいか会場は静かでしたが、後半になると会場に日本の美しいメロディーが広がっていく。少人数の日本の方、すごい大きく歌われている!と思ったのですが、よく見ると。。イタリア人が歌っていました!!事前にローマ字で歌詞カードを配っていたのですが、メロディーを覚えられてすぐ共にふるさとを歌い上げたこの光景にはうるっと来ました。そしてイタリア人にとっての第二の国歌はなんと、ヴェルディ作曲のもの!また物凄いご縁を感じられました。オペラ《ナブッコ》より「行け、わが想いよ黄金の翼に乗って」。こんなに難しい曲が国歌だなんて!呑気なラテンドラマーのAlexすら大声で歌われていました!
Tumblr media
最後はイタリア人でもあるフランク・シナトラがヒットにさせてMy Wayもイタリアの方が喜んで下さいました。人生悔いなく生きたい。日本に帰るまで食いなくピッツァとパスタをたらふく食べたいというところでも笑って下さいました。石になっても本物のイタ飯の誘惑には勝てん。
Tumblr media
アンコールの一番最後にはTime To Say Goodbye~ただし、完全イタリア語バージョンでお届けしました!「私はあなたとともに旅立つ。」美しいタイトルなのでイタリアで撮影したTimelessの写真集のタイトルもCon te partioにしました。
Tumblr media
Universal Live Report
https://www.universal-music.co.jp/sarah-alainn/news/2019-05-22-report/
夢のような憧れの国でのデビューコンサート、チャンスを作って下さった関係者の皆様、Hario、遠い日本からいらして下さった皆様、心からありがとうございました🙏🌹
コンサートの日は母の日だったので、hope I made you proud❤️
Tumblr media
余談
コンサートの後1日オフだったので、思い切ってスイスに行って来ました!!美しいラグーンがあると聞き、電車でもいけると思い、イタリアで最も美味しいという噂のpanzerottiをまず買いに行ってから電車でピクニック!のはずが。。その日?時間?に限ってpanrezottiのお店がクローズド。遠回りしたのに~ そしていざ電車へ。後もう少しでスイス!とワクワクすると、メンバーの一人があることに気づく。。パスポートがない。そう、電車であってももちろんパスポートがないと外国にはいけません。急いで仕方なく見つかる前に電車をおりたものの、そこはもうイタリアではなかった。。。!帰りの電車でもパスポートがないとイタリアに帰れない!!なんとか説明してイタリアに戻れたものの、せっかくのオフが移動で終わってしまう、不思議なアドベンチャーになりました。一瞬だけ小さなイタリアの避暑地でインスタ映え写真をとってすぐ急いで電車に乗りましたが~ この写真からはそんなアドベンチャーが全く伝わらないですね、笑 写真からは真実は全く分からない、ということです(笑)
Tumblr media
42 notes · View notes
tieslog · 4 years
Photo
Tumblr media
3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人というか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた(寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生たちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒業生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
そして先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下す高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に矛盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてことないぜ。
そんなこんなで、私は紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活を送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言いながら彼女たちは駆��足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。あ��そうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お別れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだろうと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら発進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではないか。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよならするぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の就活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが人生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛いと思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至ったと。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???ってなった。
私としては、突然相手が目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
なんか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっているし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出てくるわ出てくるわ…
Tumblr media
ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)
Tumblr media
なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えたはずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに「ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。もっとディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気がした。
Tumblr media
そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。
Tumblr media
この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれで免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
2 notes · View notes
tadaisihironori · 1 year
Text
『極道たちの野望』は「撮影」によって他のヤクザVシネと差異化できている。特にエスタブリッシングショットが物語の時間から離脱したように感じるほど、他カットに比べ突出している。と言っても、ヤクザVシネのコンテクストの理解と捻くれた精神と偏見を持って取り掛からないと素晴らしいと唸ることは不可能なほど、ゴミのようなカットなので、ゴミの概念の食い違いにより素通りしてしまう人もいるだろう。物語の時間と書いて思ったが、ヤクザVシネに対しては的確な表現ではないかも知れない。前回も書いたがヤクザVシネには一定の型があるので、脚本を書いていく場合、その型に則って新たに自分なりの角度で切り口を入れていくだけの作業なのではないか。抽象的なアプローチで登場人物を動かしていく、話を展開させていくといったような物語の形成では多分ないのではないか。何故なら、例えば組長が殺された後の選択肢としては「戦争」、「手打ち」、「組の解散」くらいしかないだろう。ヤクザ社会では自分が白でも親が黒と言えば黒になるしかない世界とよく聞く。そうするとヤクザVシネと言えどもある程度のリアリティは尊重しないといけないのでその掟に則って人物を描くとすると人物の心情や行動も数パターンくらいしかないだろう。そこには抽象的な事柄を膨らませて具体化していく作業よりは事務作業的な整合性を確認していく単純労働のような怠さとどう付き合っていくかに、作る方も見る方も試されているのではないか。ヤクザVシネには「物語」のような何かしらの塊が時間の中で膨らんでいく、というよりかは、延々と「説明」をされる時間が平面に積み重なっていくイメージがある。またその話かよ、といったように、保険屋にあらゆる契約プランを延々と聞かされているような感覚がある。携帯電話会社の約款をずっと読み聞かされているような...。これを書いていてまた思ったが、ヤクザVシネの話の型は昭和のヤクザ社会の話であって、現在ではあり得ない事が描かれているのかも知れない。昨年読んだ「ヤクザに学ぶ組織論」という新書には世のIT化以降組の事務所も少なくなり、シノギの方法も変化しヤクザの潜行化、マフィア化が進んでいると書かれていた。ヤクザによくある「不文律の掟」も有耶無耶になってきていると言う。2006年の本なので、今はよりヤクザ社会がインビジブルな状況かつリベラル化しているのではないか。
「極望」のエスタブを語るにはある写真ついて書かないといけない。俺は昔写真をやっていて、活動中の半分くらいは札幌で生活をしていた。当時、2000年初期くらいから(?)WEB写真(参考 https://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto/2006/04/06/3585.html)ってのが流行っていて、ベテランから若手、素人の写真家たちが挙ってデジタルカメラで撮りまくった写真をネットにアップしていた。あれはある種のシーンになっていたと思う。その頃ススキノのど真ん中にある三井薬局(2017年閉業)で昼夜問わず配達のバイトをしていた。クラブ、キャバクラ、スナック、ゲイバー、風俗、ストリップ劇場、ヤクザの事務所、連れ出しスナックなどのお得意先にタバコ、化粧品、ティッシュ、鎮痛剤、咳止め、イソジン、海綿体、ローション、コンドームなどススキノならではのものを歩いて届けていた。その際中にコンパクトデジタルカメラで撮った写真をセレクトせずに全て自分のブログに上げていた。ファインダーなど覗かずにただシャッターをバカバカ切っただけの写真群のほとんどは構図に工夫がなく、情報や記号という観点から見ても何が映っているかがわからない、ニュアンスしか映っていないものもある。所謂メタレベルが無いもの、とも似て非なる何も無いものがほとんどだった。他の写真家が撮るWEB写真も大体似たようなもので、当時はWEB上に大量にその類の写真が散りばめられいた。『極望』のエスタブにはこれらの写真に近いものを感じる。
因みに本筋と全く関係がないかも知れないが、その写真群の中には何らかの要因で情緒的に何かを感じるものもあるが、それは一体何なのかはわからない。俺は写真をやり始めた当時から佐内正史の写真が好きで、佐内の写真を見るときによく、懐かしさのような何かよくわからない感覚に陥る。佐内の写真の多分全ては非常に情緒的な見方しかできない。しかし、それが一体何なのかはわからない。例えば独特な倍音成分により琴線に触れる官能的な歌声やグルーヴといったうねりやノリのようなものを佐内は写真で表現してしまっているのではないかと思うことはあるが、写真はそんなことができるメディウムではないだろう。しかし、佐内の喋る言葉はあまりにも抽象的すぎて、悪く言うと何も言ってなく、「内容」が極端に無いため、読んだり聞いたりしてもほとんど何を言っているかわからない。そんなある意味変人だからこそ写真というメディウムを音楽のように扱うことができるのかも知れないとも思うが、それは多分間違っている。音楽も突き詰めると「記号」でありその組み合わせであり、理論的に数学や物理学などで説明できる部分がある。ただ、写真よりは理論や技術を身につけなくてもセンサーが良ければやれますよね?しかし、佐内がやっているのは写真なので、いくらセンサーが良くてもメディウム(装置と言ってもいい)自体に音楽的な機能があるとはあまり思えない。というのも、人は写真を見る時映っているものしか見ることができないからだ。本来は。しかし、撮られた写真を、映っているものそれ自体やコンテクストという観点とは別に、情緒的に見てしまうことが往々にしてある。これを見る側のリテラシーの問題じゃねーか?と言ってしまうとそれまでだが、そうとは言い切れねーでしょう。情緒的に見てしまうとはどういう状態なのか。
「ベルクソン曰く、「時間」は空間として把握される場合、静止させ切り刻む事ができるが、つまり切り刻んだものをひとつひとつ「分析」できるが、本来「純粋時間」はとめどない動きであり、常に流れていくものであるので、分析はできない。「時間」の中にある変化を感じる場合、それを「直線」と感じるならば、その点が直線を離れている場合、即ちその並んでいる点を同時に眺めた時にのみ、それを直線と感ずるのである」と俺のメモ帳には書いている。これは確か澤瀉久敬の「ベルクソンの科学論」の中に書いてあった言葉をそのまま写したか自分で要約したものだと思うが、これ自体とても惹かれるセンテンスだが、「時間」を「作品」、「純粋時間」を「時間芸術」、「分析」を「批評」と言葉を変えても通じるのではと思い多分メモした記憶がある。それを踏まえ、例えば写真を情緒的に見てしまうという現象は「作品」から離れて「批評」的な位置に立っているのではなく、「作品」から離れず「作品」の内に留まっていることでもなく、「作品」を自分の好きなように捻じ曲げている状態なんじゃないか。それはとても暴力的な状態とも言えなくもない。人は自然に任せると自ずと暴力的になる。自然に任せる、それ自体はすげぇいいことじゃねーか!精神の解放だ!さあスケボーに乗ってそこらへんの車に火をつけて回ろうじゃねーか!ギガ盛ギガギガ盛ギガビッグマックと吉牛超特盛つゆだくだくだくだくだくだくをユニクロに投げつけようぜ!まあリベラルが許容する暴力はギリギリここまでだろう。ただし真のリベラルな。安倍が狙撃されて、民主主義への凶行とか言ってる似非リベラルじゃなくてね。みたいな事で、写真、または映像をそのコンテクストに触れずに情緒的に見るというのはある意味自然に身を任せる行為であり、ギリギリ許される暴力だろう。 gigagiliyangudakugili。2019年の香港抗議デモで非暴力の和理非派といわゆるブラックブロック、暴力やむなしの勇武派が協調したのは2014年の雨傘運動のように分裂しないことのポーズでもあったらしいが、かなり一丸となっていたのではないかと思う。https://www.subculture.at/tactics-and-methods-surrounding-the-2019%E2%80%9320-hong-kong-protests/ https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20191025/pol/00m/010/012000c ブラックブロックという戦術はひとつの抵抗の捉え方として、尊重すべきだ。しかし、そのような戦術だけではあまりうまくは行かないだろう。末期資本主義を生き抜くためにはずる賢くなる必要がある。あらゆる角度からコンテクストを読み解く必要があるわけだ。
写真や映像をコンテクストに触れずに情緒的に見る見方はひとつの方法として認めなければいけない、正攻法ではないが、非常に素朴な(暴力的な)見方として受け入れるべきだろう。しかし、佐内の写真は情緒的にしか見ることができない。これはどういうことなのか。裏を返せば情緒的に捉えるようにしか佐内は撮ってない、ということなのだろうが、佐内は赤富士を撮って悦に入ってる爺さんとカメラを扱う精神性は似たようなものなのかも知れないが、多分佐内の写真のポストカードが観光地に置いてあってもモネの睡蓮を見て、わー綺麗な色ねー!と騒ぐだけのような婆さんは決して買わないだろう。前に母方の祖母に佐内の「わからない」という写真集を見せた時に、自分が感じるようなよく分からない良さは全く伝わらず、写っているものだけしか見ていないようだった。それがある意味写真の真っ当な見方だと思うが、佐内の写真のよくわけのわからなさはある特定の人だけにしか伝わらないようだ。つまりあるコンテクストを共有していないと分からないものを佐内は撮っているということになる。
それは多分「記憶」と関連するものの中でも、郷愁とまではいかない近い過去に見たドメスティックな情景で強烈な印象とな���ていないもの、だろうが、その「記憶」に対してエモーショナルな気持ちを喚起させることに抵抗を示さないこと、例えばハードコアで言うとオールドスクールよりニュースクルール、ニュースクールの中でもNYHC経由の極悪なビートダウンやモッシュコアやエッジメタル系ではなく、ヴィーガンストレートエッジを経由したカオティックハードコアも好む人たちとも違うエモと言ったらわかりやすいだろうか。わかるかい。刑事ドラマでいうと、刑事貴族よりはぐれ刑事純情派を好む人たちと言えばわかるだろうか。どちらかと言うと人情重視、心情の吐露を厭わないタイプ。いや、そんな比喩で逃げるのはハードコアじゃねぇ、いや、「逃避」こそが佐内のよくわからなさにある根源なのではないか。かつてエモが暴力の横行するある意味マッチョ化したD.Cハードコア、ストレートエッジからの脱却であり、リベラル的な「逃避」であったように。佐内の写真は硬派な文脈からの「逃避」、写真のアサイラムなのではないか。それに共鳴するひとたちに通じるコンテクストなのではないか。それを成し得る方法として佐内はカメラを誤用しているのではないかと思いつきで思った。「カメラの誤用」とはノイズミュージャシンがミキサーを誤用するようなものだ。俺も大概はカメラを誤用しているが、俺の場合の誤用はカメラの本性のダイナミックレンジを最大に使っている感じである。佐内は多分そのダイナミックレンジをかなり狭めてカメラを使っているのではないか。要するにカメラを身体と一体化させるような…。つまり自分の撮りたいように撮れる技術が相当高い、という事だろう。それってカメラの真っ当な使い方ではないか、と思うかもしれないがカメラの本性を考えると自分の撮りたいように撮れることというのは「カメラの誤用」の極右である。佐内はそれを実践している。本筋からかなりズレた感じがするが、何かまだ綻びを繕うことができそうだ。
0 notes