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#半田屋久しぶり
mikimio · 1 year
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今日のお昼ごはんは八木山で仕事だったので下界に降りて西多賀の半田屋で茄子炒めと白身魚フライと卵とライス普通盛りと豚汁で703円税込(^-^)/ #飯の半田屋 #半田屋 #半田屋西多賀店 #白身魚のフライ #豚汁 #ライス普通盛り #茄子炒め #お昼ごはん#半田屋久しぶり #仙台市太白区 #仙台市太白区西多賀 #卵かけご飯 #卵 #定食 (大衆食堂半田屋 西多賀店) https://www.instagram.com/p/CnRS5sGv1v8/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分��すら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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gobangiri-news · 19 days
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅���んは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦労を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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ak0gare · 7 days
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0426 午後から京大でたまきさんと会う。たまき、って苗字かと思ってたら碧輝と書くらしい。生まれた時から筆名なのねと投げたら「最近になってそう思えるようになりました」とはにかんでいた。フェミニンな雰囲気にとても似合った名前だからこそ、揶揄われたことがたくさんあるのかもしれないなとふと思う。 サークル棟で撮ってもらった。普段人を撮ることがないと言っていたので、ペラペラ話す被写体にはじめこそびっくりしていたみたいだがだんだん慣れたのか場所とポーズを指定してくれるようになった。撮られながら芸大の恋人の話を聞く。ふんにゃりした柔らかい雰囲気の人だが、彼女は結構ぴきぱきした率直なキャラクターみたいで、なんだかいい組み合わせだなあと思った。 体育館の屋上にあがって、たまきさんのことも少し撮らせてもらった。すらっとして、すごく顔が小さく、なんだか貴族が飼ってるねこみたい。撮られ慣れてないんだなと思いながらあれこれ試した。 わかれたあとに、また会いたいです!とDMが来て面食らった。まぁ、歳離れてるし文芸畑だし、言い訳があるからなのかな、と邪推した。というかもう誰も彼もが下心ベースでわたしに会いに来るわけではない、とは思えなくなっている。とりあえず大学生の連作の原稿でも送っとこうかな。 夜、四条大宮で大窪さんと飲む。わたしと同じく2拠点で暮らしている謎の妙齢経営者で、とても静かに話す人だった。 京都で使っている家を5月から空けるので誰かに貸したいらしい。ふーんと思って聞いていたら「見学しますか?」と言われたのでついていった。今思えばかなりリスキーだったが、ものすごく丁寧に話す人だったので、つい乗ってしまった。 生活感のない、コンクリ打ちっぱなしの部屋に通される。さしてものがないのに凄くお洒落で、アトリエみたいだった。暫く話して、アイスをもらって、1時に帰宅した。 女性として気に入られてしまった気がするな、と思ったのでレズ寄りのバイセクシュアルだと咄嗟に嘘をついてしまった。本当に、こういうのよくないよな……マジで……なんだかもう、誰になんの設定を話してるのかわかんなくなりそうだ。
0427 かんなさんと梅田のリッツでアフヌンした。会うのは1年ぶりだが最近まではTwitterで繋がっていたので久しぶりって感じがしなかった。相変わらず顔になんの��駄な余白がなくて、綺麗過ぎて特徴がない。と本人に言ったら笑っていた。 アフヌン開始。おぼつかない説明を聞く時間が苦手で、もうなんでもいいんで早く食べさせてほしいなーと思いながら聞き流す。草を敷き詰めたガラスの柩みたいな、よくわからないトレイの上にちまちまとお菓子が載っていた。金持ちってこういうことに喜ぶんですか? かんなさんはわたしが知るかぎりもっともモテている人間であり、社内であらゆる社員を惑わし、男の子を何人もはべらした上で「誰のことも好きじゃない」とのたまうとんでもない女である。とんでもない女だが大企業の中で上から数えた方が断然早いようなクラスにいるので、さもありなんとしか思わない。差がありすぎると人間、なんの劣等感も僻みも抱かないものだ。2歳しか変わらないのだけれど。 低予算で今、わたしも京大生を相手にバチェラロッテをやってます……!という話をべらべらした。かんなさんはわたしの京都滞在の記録をサスペンスとして読んでいるそうだ。違います!わたしの日記は20代後半の女のリアルな……心情と……行動を具に記録しているだけ……! かんなさんの素晴らしい名言をふたつ記録しておく。 ・30代以降でかっこいい人は=痩せている人 ・わたしより給与低い男にベッドで攻められても(笑) 早くわたしもかんなさんになりたい。正確には、かんなさんくらい稼ぎたい、でしかない。モテに関しては土俵が合ってるだけ、とは彼女の談だが稼いでいるのにモテている、ってまじですごいと思う。誰のことも好きじゃないそうだ。彼氏なんていらなくないですか?と真剣な顔で言われたが、それは常に特異なハーレム環境にいるからそう思えるのでは?と思わないではいられない。 夕方に別れて、富田さんと会った。なんとなく機嫌を伺われている気配を感じて、あーこの人22歳だもんなあと思った。公園でぼーっとして、野田まで無駄に歩いてとても安い居酒屋に行って、中之島の川でまたぼーっとした。いや、正確には結構会話……というか彼の弁解を聞いていたのだけど抽象的過ぎてよくわからなかったのである。さすが哲学オタク。いやまあ願ったり叶ったりなんだけど。 店がサービスで出した焼酎で随分酔っていたのでとにかくたくさん水を飲ませた。馬鹿だと思ってる?と情けない声で何度も聞かれて、多少ね、と適当に流した。こんなふらっふらな状態で新聞配達なんてできるのか、と詰めたら「茶飯事だよ」と返ってきて絶句した。 終電より何本か早めに帰ろうとしたら「うちに泊まればいい、始発で帰った方が楽だよ」と懇願されたが無視した。石橋から帰るのが楽なわけね〜だろ。 恋愛絡むとこういう人でも愚かしくなることよなぁと思って、驚嘆。サディスティックな富田さんが好きだったのに、とひそかに思った。
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longgoodbye1992 · 9 months
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
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夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
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白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
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雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
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店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら���間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
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「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
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「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」 
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」 
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」 
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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myonbl · 3 months
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2024年2月8日(木)
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今年初めての来客、昼間の京都を案内した。まずは<豆水楼(木屋町店)>でランチ、湯豆腐と燗酒で温まる。続いて向かったのは東山・泉涌寺の塔頭の一つ<即成院>、<京都のユニークなガチャガチャ5選>として紹介されていたところで、那須与一に縁のある寺として有名、一度訪れてみたかったのだ。上記記事に寄れば寺院のガチャガチャはいまやブームではなくすっかり定着、コロナの影響がこんな処にも出ているのかと、色々考えさせられる半日のツアーであった。
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4時30分起床。
日誌書く。
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朝食。
弁当*1。
洗濯。
プラゴミ、45L*1。
ツレアイを職場まで送る。
ごぼう茶煮る。
酢タマネギ仕込む。
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来客とは阪急河原町駅で待ち合わせ、まずは<豆水楼木屋町店>で食事、田酒(青森県)があったのが嬉しい。東山をバスで移動、泉涌寺道から坂を上ると総門手前左にあるのが<即成院>。まずは本堂にお詣り、参拝客は他に1人だけ。続いてお目当てのガチャガチャ、木の扉を開けると上下2台が設置されている。ところが、100円玉5枚を入れても反応がない、受付の女性にお願いしたが彼女も操作に慣れていない様子、結局自分の好きなものを一つとってくれとのこと。これではガチャガチャの妙味が無いなぁ。
帰宅すると2/20(火)の七本松落語会主催者からメール、会場を変更したとのこと。どうやら桂二葉さん登場とあって人気が出たのであろう、普段の会場から別棟の広い場所に変更したそうだ。
軽く午睡。
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夕飯準備、無印良品のセールで購入した新しいオーバルの器、初めて使ってみた。
息子たちの食事が終わってからツレアイ帰宅、午後の訪問者宅で小さなトラブル、寒い中ご苦労様。
録画番組視聴、今夜はポワロ。
第1話「ホロー荘の殺人」/ The Hollowシーズン 9, エピソード 1 次回放送日: 2024/03/31(日)20:20〜 田舎の別荘で週末を過ごしていたポワロは、ホロー荘のアンカテル夫妻からディナーの招待を受ける。翌日のランチの招待も受けたポワロが目にしたのは、血を流して横たわる男と、傍らで拳銃を手に立ちつくす妻の姿だった。最初、それをゲームかと思ったポワロだったが…。
片付け、入浴、体重は50g増、今日は仕方なし。
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さすがによく動いたので久しぶりの12,000歩越え、水分は1,510ml。
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ichinichi-okure · 8 months
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2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話に基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間で、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子の味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。
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14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては心地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。
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最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を流していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらない飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消防団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- 鷹取愛 40 山ト波 @opantoc
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ari0921 · 5 months
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我が国の未来を見���す(95)
『強靭な国家』を造る(32)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 本テーマの講話の行脚が始まりました。札幌、大
阪、江戸川区某所で毎週連続して講話しました。
「これから話すことはすべて事実ですが、“知らな
い方が良かった”と思うかもしれません」と断って
から始まるようにしていますが、ほとんどの皆様が
我が国の課題や未来に待ち構えている“現実”を知
って、驚愕すると同時に、新たな問題意識を持つ方
も増えているような実感があります。
講話のビフォーとアフターでは聴衆の皆様の顔つき
(目つき)が変わるのがはっきりわかるのです。な
かでも「私たち・戦後世代は、生まれた時から何一
つ不自由なく大人になって、平穏な日々を過ごし、
なかにはまもなく人生を終えようとしている人たち
もおられることでしょう。しかし、このまま何もし
ないと、『戦後世代が何もしなかったせいで私たち
は今苦しんでいる』と後世から批判されるような気
がしてならないのです。戦後世代の責任として、後
世に我が国の有形無形の“資産”を残すためにも、
一人一人が我が事と考え、行動する時が来たのでは
ないでしょうか」と訴えると、多くの皆様がハッと
したような顔になります。
講話後の意見交換は“堰を切った”ように盛り上が
ります。「��供の世代をモヤ���と心配していたが、
今回、はっきりと問題意識が持てた」とか「日本の
置かれている現状を考える機会になった」など様々
ですが、多くの皆様が思い思いの感想を率直に述べ
られます。
講話はまだ自衛隊の関係団体などに留まっています
が、「我が国の課題は、安全保障や防衛だけに留ま
らない」ことについても理解してもらっていると実
感しています。
さて、私は、『我が国の歴史を振り返る』を書く時
もそうだったのですが、このたびの『我が国の未来
を見通す』を発信するために、寸暇を惜しんで参考
になりそうな書籍の数々を読み漁ってきました。前
にも紹介しましたように、本屋に立ち寄ると、一直
線に読みたい書籍の前に立って、迷うことなく購入
して読破するというようなことを繰り返してきまし
た。
歴史書などは、著者がそれぞれの史観と切り口で解
説していますが、「これが私の見方だ」と自信があ
るのでしょう。多くの場合、自分以外の見方につい
ては紹介しませんし、「自分の解説がいかなる影響
を及ぼすか」などについては著者の関心外なのか、
まず触れることはありません。
一方、我が国の現状の課題や未来の問題点を語ろう
とする書籍は、必ず問題提起はするものの、その解
決策には触れないか、触れても自分の専門に拘(こ
だわ)って“了見の狭い提言でお茶を濁す”程度に
とどまっているものが多いことに気がつきました。
やはりプライドのようなものが邪魔するのでしょう
か、何か“食い足りない”と感じることもしばしば
でした。
その点、“失うものがない”私は、素人であること
を断った上で、浅学菲才や恥を顧みず、また世間の
有識者やマスコミの見方に惑わされず、感じたこと
や考えたことをどんどん発信するようにしてきまし
た。個々の専門分野の知識や洞察力については専門
家に到底かないませんが、専門家では気がつかなか
った“欠陥”を見つけたり、違った視点からみると、
専門家による利点が欠点になったり、またその逆に
なったり、さらには違った解決策を考えたり、・・
様々な発見がありました。
前にも一部触れましたが、「自衛隊は憲法違反」と
考える法律家を筆頭に、歴史家の「再軍備には反対
だが、歴史教育は改善が必要」、農業の専門家の
「戦車より農業」、経済の専門家の「防衛力整備よ
り経済成長」など、“木を見て森を見ず”のような
発言の数々に、個々の専門家たちの“限界”も感じ
ました。
最終的には、第4編「『強靭な国家』を造る」とし
て、試行錯誤しつつ取りまとめようとしていますが、
第4編を総括するにあたり、改めて、「我が国の
“原点”は何なのか」に思いが至り、前回、我が国
における「国家」の意味を再確認しましたが、ここ
まで来た以上、“現憲法のもとで「強靭な国家」を
造ることが可能かどうか”について少し掘り下げて
考えてみたいとの衝動にかられました。それをもっ
て第4編の総括にしたいと考えます。
ガザ地区では、一時停戦が(予期の通り)“束の
間”に終わって戦闘が再開しました。これによって、
それでなくとも厳しい現下の国際情勢がますます不
透明になることは避けられないと考えますが、我が
国の未来の“暗雲”にさらに重大な影響を及ぼすこ
とがないよう祈るばかりです。
▼現憲法下で「強靭な国家」を造ることができる
か?
 
さて、私の頭にいつの間にか浮かび上がり、決して
消えない問題は、“現憲法下で「強靭な国家」を造
ることが可能であろうか?”ということでした。講
話においても、最後に「現憲法下の『統治のかたち』
で『強靭な国家』を造ることができると思います
か?」と問いかけることにしています。
実は、先日の「神田古本まつり」で、偶然にもこの
「問い」に的確に答えてくれる書籍を見つけ、読破
し、考えさせられました。その本とは、講談社勤務
(当時)の互盛央(たがいもりお)氏が2016年
に上梓した『日本国民であるために』です。
著者は言語論とか思想史のプロですが、書籍のサブ
タイトルを「民主主義を考える4つの問い」として
巷の憲法学者などとは違った“切り口”で読者に問
いかけます。要約すれば、「国家の中の自由と我慢」
「民主主義の原理」「日本の特殊性」「日本国民で
あるためにどうすればよいか」の4つです。
私が特に印象に残ったのは、前回紹介しましたジョ
ン・ロックが「社会契約説を結ぶということは、み
ずからの『自然権』制限してでも『平和を求める』
ことである」とした考えが現憲法でどのように謳わ
れているかということでした。
私自身は、日本大学教授松崎彰容氏が『国家の尊厳』
(2021年発行)の中で述べている「人間には
『絶対的な自由』などありえないということ、自ら
が生きる時代と場所(国家)という制約を受け入れ
ざるをえない、ということに私たちは気づくべき」
との考えに同調するものですが、この考えも“みず
からの「自然権」を制限しても”とするロックの考
えそのものだろうと思うのです。もう少し詳しく踏
み込んでみましょう。
互氏は、フランス革命の「人権宣言」やアメリカ独
立宣言の中の「人間の権利」、つまり「人権」の正
体は、ロックが説いた「自然権」そのものであると
まず断言します。
我が国においては、この「人権」は「基本的人権」
と呼ばれ、憲法第11条に「国民は、すべての基本
的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保
障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権
利として、現在及び将来の国民に与えられる」と定
められています。そして「基本的人権」の尊重は、
第13条において「すべての国民は、個人として尊
重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の
権利については、公共の福祉に反しない限り、立法
その他の国政の上で、最大に尊重を必要とする」と
規定されていることを紹介します。
互氏は、この条文の元になったGHQ の草案などを
引き合いに出し、「日本国憲法が提示する『基本的
人権』もまた、ロックが説いた『自然権』そのもの
であり、(その覚えがあろうがなかろうが)日本国
民は『理念』として社会契約説を結んでおり、そう
である以上、私たちはその契約を守らなければなら
ない」と看破します。
さらに、「社会契約を結ぶということは、自らの
『自然権』を制限しても『平和』を求めることであ
り、統治者の側だけでなく、構成員(つまり国民)
の側も『平和』のために行動することが課せられて
いるのが社会契約に基づく国家である。『公共の福
祉』という表現は、そのことを示している」と付け
加えます。
この「公共の福祉」については、憲法第12条に
「この憲法に保障する自由及び権利は、国民の不断
の努力によって、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであって、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」
と書かれており、互氏は、「特に重要なのはこの後
半であり、『国民』は『基本的人権』を濫用しては
ならず、常に『公共の福祉のために』使う『責任』
を負っている」と強調するのです。
これ以上、深く追求するのは素人の限界なのでやめ
ますが、松崎氏も互氏も、そして憲法も、絶対的な
「自由」とか絶対的な「基本的人権」はあり得ず、
その“濫用を戒めるべき”としてしますが、我が国
においては、「自由」とか「人権」などが、“憲法
に定められた権利”としてどこはばかることなく闊
歩し、それを少しでも妨げようなどとするならば、
“国賊”とでも呼ばわりされるような「国柄」にな
ってしまいました。
ましてや、「公共の福祉に反しないかぎり」という
条文などは、「人権」を声高に叫ぶ有識者やマスコ
ミ人をはじめ、多くの国民は考えたこともないでし
ょうから、“常に「公共の福祉」のために「基本的
人権」を使う「責任」を有す���”ことなどについて
は頭の片隅にもないことでしょう。
互氏はまた、「日本国民は、ロックが説いたように、
普段から理性的であるように努め、万が一、横暴な
行為がなされた時には、その反理性的なふるまいを
凌駕して是正するほどの理性を発揮することを期待
されている」とも解説していますが、これは、国内
の反理性的な“振る舞い”に対しても、あるいは国
外から来る“リバイアサン”(妖怪)に対しても、
それらを凌駕する“理性的行動”を発揮することが
「憲法の精神」として期待されていると読み取れる
と考えます。これからして、「国民は本来、国防の
義務のようなものを有している」とみなすことがで
きると私は思います。
私自身は、素人ながら長い間、現憲法には大きな欠
陥がたくさんあると考えてきました。一方、「強靭
な国家」を造るために“現憲法そのものを改正する
時間的余裕はない”、言葉を代えれば、我が国の未
来に降りかかるであろう“暗雲”に対しては“可能
な限り迅速に”その対策を講じる必要があると考え
ますので、互氏の解釈を参考にしつつ応用すれば、
現憲法下においても、「国家意思」の統一をはじめ、
「挙国一致」の態勢を造り上げることができるので
はないかとの“光明”が差してきたと感じておりま
す。
なぜならば、「『強靭な国家』を造る」ことは、現
下の我が国にあって、最大の「公共の福祉」である
と考えるからです。憲法は、「公共の福祉」を実現
するために、国民全員が「基本的人権」を使う「責
任」があると謳っているのです。つまり、憲法の精
神にのっとり、そのような「責任」を有する国民の
意思の集大成として「国家意思」を統一し、「『強
靭な国家』を造る」ことは可能ということではない
でしょうか。
唯物史観の人たちは、憲法第9条のように、自分た
ちにとって“都合のいい”部分だけを誇張し、日本
国憲法の根本的な所をあえて触れないようにしてい
るような気がしてならないのです。今こそ私たちは、
憲法の精神を訴え、その精神にのっとり、「『強靭
な国家』造り」に邁進することを高らかに宣言すれ
ばよいと考えます。
▼「統治のかたち」を考える
さて、大東亜戦争時に作戦参謀であった瀬島龍三氏
は、1998年に『大東亜戦争の実相』上梓し、自
らの経験を踏まえて様々な角度から大東亜戦争を振
り返りました。
それぞれの記述は、瀬島氏のご経験やお立場からな
のでしょう、そこはかとなく“遠慮気味”に記述さ
れていると感じざるを得ません。誤解を恐れずに申
し上げれば、“軍人の血”が共鳴するのでしょうか、
元自衛官の私は、氏が“本当に言いたいこと”、さ
らに、自らの経験から“本当に言い残しておきたい
こと”についてはオブラートに隠し、後世に託した
という気がしてならないのです。
瀬島氏は、最後の章で「7つの教訓」を取りまとめ
ています。その教訓3に「時代に適応しなくなった
旧憲法下の国家運営能力」とあります。明治憲法下
の国家運営統制機能は、すべて天皇に集中帰一して
いたとする一方、行政権を輔弼する国務大臣や統制
権を輔翼する陸海軍統帥部長は規定されていても、
行政権を一元的に統制補佐する「内閣府」や陸海軍
統帥部長を一元的に統制補佐する、いわゆる「統合
司令部」(有事は「大本営」を設置)のような機構
は憲法には規定されていませんでした。
これを補っていたのが「元老」であったことは、今
では明白な事実となっていますが、ここにこそ、明
治時代初期の時代背景を踏まえた憲法起草者・伊藤
博文の“知恵”があったことも事実でした(細部は
省略します)。しかし、大正時代になってこの「元
老」たちが次々に他界し、その後の国家運営統制機
能には大きな欠陥が生じることになりました。瀬島
氏は、そのような事実を例示しつつ、教訓3として、
「『国家運営能力』は時代に適合したものでなけれ
ばならない」と後世に託したのでした。
さて現代です。前述した例からわかるように、現憲
法にも、時代の変化にかかわらず普遍的存在として
残さなければならないものがたくさんあるのは自明
ですが、もはや憲法が起草された戦後と現代では
“時代が大きく様変わりした”ことについては異論
がないことでしょう。
この間、たびたびの解釈改憲が行なわれ、今日に至
っていますが、憲法学者によっても解釈が変わるよ
うな“あいまいさ”を残したままではなく、「改正
がない点で世界最古の憲法」と指摘されるような憲
法から、我が国が「立憲主義」国家である以上、
「時代に適合した国家運営」の原理(準拠)として、
文字通りの“有効性”を発揮する憲法に改正する必
要あると考えます。
この「立憲主義」や「民主主義」などについても、
現憲法の持つ問題点など、互氏はとても興味深い切
り口で分析しています。興味のある方は紐解いてい
ただきたいと願っています。
ちなみに、互氏が本書を通じて最も言いたかったの
は、「日本国民であるために」でしたが、氏は、憲
法前文を再び引き合いに出して重要な指摘をしてい
ます。前文に書かれた文言の細部の解釈については
私の能力を超えますが、要は、実際の前文と最終的
なGHQ草案には大きな相違があり、中でも草案に
あった「私たち」が前文では見事に消え去っている
と指摘します。その「私たち」は誰なのか、しかし、
日本の「主権」はその「私たち」の手の中にあると
指摘しているのです。
その「私たち」こそは“アメリカ人”であり、「前
文は、国民主権を『宣言』し、日本国憲法を『制定』
し、『確立』したのは“アメリカ人”である」とい
う歴史的事実を記述したものであると指摘します。
「まさか」と思う方も多いことでしょうが、この考
え方は、トルーマン大統領が「日本を二度と武器を
持って、米国に立ち向かうことができない国にする」
との狙いをもって指示した『降伏後における米国の
初期の対日方針』とピッタリ符合します。
互氏は、その「私たち」を取り戻すことこそが「日
本国民であるため」の方法であるとの結論を導いて
います。具体的には、「憲法9条と日米同盟を同時
に破棄することである」と強調します。
私が、第4編総括の本旨から外れ、かつ現下の情勢
からその可能性を度外視して、あえてこのような指
摘を紹介した訳は、かつて三島由紀夫氏の将来の日
本の姿を見透かしたかのような指摘をはじめ、安倍
元総理が(どこまで踏み込もうとしたかは不明です
が)「戦後レジームからの脱却」を掲げて果敢に取
り組んだこと、それ以外にも保守の論客などがおし
なべて「誇りある国家」とか「真の独立」などと叫
ぶ背景にはこのような事実があることを理解する必
要あると考えたことにあります。
一方、それらとは逆に、唯物主観の護憲派の学者た
ちがこのような“憲法に隠された事実”を十分知っ
た上でなおかつ隠ぺいしつつ、「憲法は日本人の手
で作られた」と主張しているのではないか、との疑
義が脳裏をかすめたこともあります。
私は、戦後の我が国の「統治のかたち」は、我が国
が2千年の長い歴史を有しながら、明治時代も戦後
も、欧米の「かたち」を模倣するような格好でその
「かたち」を作ってきました。
私は、我が国が理想とする「統治のかたち」は、
「皇国」と呼称して天皇を神格化した戦前、そして、
天皇を「象徴」として「統治」の“蚊帳の外”に追
いやっているような戦後の「かたち」の折衷を図っ
た「日本型立憲君主制」の中に存在するような気が
してなりません。
本メルマガの範囲を超えますので深くは言及しませ
んが、ここにこそ、長い歴位の中で、万世一系の
「天皇制」が存続してきた理由を探っていくと、そ
の時代時代に「存続」のために知恵を重ね、様々な
努力を重ねてきたことがよくわかります。これから
未来においても、“私たち日本人の総意”をもって、
新しい「統治のかたち」を創り上げ、我が国の歴史
と伝統を未来に繋ぐ必要があると考えます。
すでに紹介しました『日本の大戦略』では、「安全」
と「富」を目標に、大戦略の「指針」として5つ掲
げ、その5番目に、「新しい『統治のかたち』をつ
くる」ことを提言しています。具体的には、(1)安定
した政権基盤を確立する、(2)官邸における外交・安
全保障司令塔を創出する、(3) インテリジェンス機
能を強化する、(4)対外的な情報発信を刷新する、
(5)政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める、などで一部はすでに実現しています。
本書には「憲法」という言葉は全く出て来ないこと、
その代わり、「この『グランド・ストラテジー』は、
放っておいて自ら実現していくようなものではなく、
あくまで日本という国家や日本国民の営々たる努力、
オールジャパンの取り組みによってはじめて実現し
うる」として、「今求められるのは、国際社会に生
じつつある大変動の本質を的確に見極めながら、私
たち日本人が『体制をつくる』という難事を引き受
ける意志を持つことなのである」と提言しているこ
とも紹介しました。
松崎氏も自著『国家の尊厳』の結言として、「『戦
後の国家像』の見直しが求められ、『令和日本のデ
ザイン』が求められているのであり、日本は今、国
家として、尊厳ある国造りが求められている」と語
っていますが、同じような考えに基づくものと思っ
ています。
いずれにしても、「我が国の未来」に立���向かうた
め、「『強靭な国家』と造る」、その深さや範囲に
ついてかなり検討の余地がありますが、中でも、現
在の「統治のかたち」をいかに改善していくか、段
階的にその「かたち」を拡充していくための要領の
検討を含め、様々な切り口から議論が必要なことと
考えます。
▼求められている「ジャパン・ファースト」
近年の国際社会は、ウクライナ戦争やガザ地区の戦
争が起こるだいぶ前に「コロナ禍」が蔓延し、その
対応をめぐってEUやWHOが機能不全に陥ったこ
ともあって、グローバル化や多国間枠組みが後退し、
元々グローバル化に懐疑的だった米歴史学者エドワ
ード・ルトワックなどは、「国民国家が責任を持っ
て自国民を守る方向に回帰する」などと主張し、実
際にそのような考えが世界中に拡散しました。船橋
氏などもその延長にありますが、ウクライナ戦争は
その流れに拍車をかける格好になりましたし、この
たびのガザ地区の攻防によって、将来、「国家」の
地位・役割がますます増大してくることでしょう。
私自身は、トランプ大統領の言葉ではないですが、
我が国が未来に生き残るため、「ジャパン・ファー
スト」の精神が今こそ求められていると考えます。
日本国民ための「公共の福祉」を盤石なものにする
ために、つまり「強靭な国家」を造るために、あら
ゆる「国力」の維持・増強を図ることを「挙国一致」
で成し遂げるべき時が到来したと私は確信していま
す。
長くなりました。これをもって、第4編「『強靭な
国家』を造る」を総括とし、次回、本メルマガの
「まとめ」にしたいと考えます。いよいよ完結です。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
4 notes · View notes
tokyomariegold · 3 months
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2023/10/21
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10月21日 半月が上る空を見ながら帰ってきた。 今朝、鴨川沿いを散歩していたのがだいぶ昔のことのように感じるくらい、次々と大阪と兵庫で予定を済ませて、次はもっとそれぞれの場所にじっくりいられるような旅行をしたいと思っている。 どこへ旅行へ行っても、何か良い時間を過ごせて満たされた感じがあるけれど、京都や大阪は、一度数年間そこで暮らしてみたい、と行くたびに思わせてくれる。昨晩もホテルのお部屋で京都のシャーメゾンを調べていた。
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あまりぐっすり眠れなくて、ホテルのチェックアウトギリギリまで眠ってしまって焦ったり、体調が悪くなる夢を見て、現実と混同しながら、もしかして本当に体調よくない?と不安になりながら起きた。 本当に分刻みスケジュールになってしまうけれど、坂田焼菓子店の9:00オープンに間に合うようにホテルを出るつもりで、その前に時間があったので鴨川沿いを散歩した。
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京都の方々からしたらそれでも汚されてしまっているのかもしれないけれど、鴨川沿のゴミの少なさに感心してしまう。対岸の方が日陰で、ランナーたちはそちら側をみんな走っていた。帰りは日陰側へ渡って帰った。
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チェックアウトをして分刻みスケジュールスタート!と思ったけれど、乗りたかったバスがなかなか来ず、結局これ以上バタバタするのも嫌だったのでそのまま地下鉄で京都駅まで行ってしまった。 まだ早い時間だったので伊勢丹も開いてなく、地下のマールブランシェで少しだけお土産を買った。
あといつもお部屋から見ているライブカメラが映すスポットへ、今回も行ってきた。
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JRに乗って、友人夫婦と待ち合わせしている芦屋駅へ向かう。京都、大阪と人が多かったので、友人たちと会えたのと、落ち着いた芦屋の雰囲気にほっとした。 短い時間だったけれどモーニングをやっている喫茶店へ入ってお話をしてもらう。 芦屋は東京で言うと田園調布のようなまちで、大阪の百貨店文化の象徴(?)である大丸があるところ、と教えてもらう。大丸って確かに全国区で、何もない父の実家にも下関大丸があって、なんか安心したことを思い出す。
最近のお仕事のことや、NHKの夜ドラの話、昨日行った京都の一乗寺周辺は出町柳より家賃がだいぶ安い話、写真の話、モーニングを食べ比べしている話などを聞かせてもらう。 次はみんぱくや太陽の塔がある大阪の北エリアを中心に観光したくなる。
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関西に行く楽しみの一つがお二人に会うことで、お二人を見ていて自分も関西で暮らしてみたい、と思うようになった。 多分色々あるんだけれど、でも良いと思ってお二人がその場所で生活している感じを勝手にとても感じていて、そこに魅力を感じているのだと思う。
またすぐ遊びにきますね、と改札で別れる。 振り返るとずっと手を振って見送ってくれていて、きゅっと言う気持ちになった。
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三ノ宮へ移動して、神戸の友人と待ち合わせ。 三ノ宮は三ノ宮で関西の若い方々(みんなおしゃれに見える)がたくさんいた。 こちらもあまり新幹線まで時間がない中だったけれど、兵庫県立美術館でPerfumeの衣装展をみて、新神戸までお散歩してもらった。
友人は最近マラソンをしていて、レースに出場するため、応援をするために遠征もしたりするそう。「このへんから家まで走っているんだよ、だいたい5キロくらい」と教えてくれた。
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兵庫県立美術館はとても立派な安藤建築だった。 空気の蛙が乗っかっていた。 あまりPerfumeの気持ちでなかったけれど、展示の衣装もPerfumeも可愛くてとても楽しかった。Perfume CLOSETのお洋服欲しくなる。
三ノ宮から新神戸まで歩きながら、数分歩いただけでさっきまでの人たちはどこへ?と言うくらい人気がなくなってしまって、東京は人が多すぎるよね、と言っていたら「虹だ!」と友人が虹を見つけた。 「神戸で初めて虹を見たよ〜」と言っていた。 関東に住んでいたときは、高台の家で、東の窓からたまに虹を見ていたそうで、虹って東側の空に見えるらしい。
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新神戸で友人と別れて、2時間超えると腰が痛いな〜と思いながら、うつらうつらしながら新幹線に乗った。 新大阪から隣に女の子二人組が座り、イブサンローランの化粧品と推しのアクリルキーホルダーを並べて写真を撮ったり、綿矢りさの“かわいそうだね”を読んだりしていた。 途中、うとうとして目を覚ましたら女子学生の集団が前4列くらいに入っていて、先生からお弁当とパックのお茶を配られていた。“でらなごや”と書かれたお弁当を食べていて、中途半端な時間に何ご飯だろう?と思った。
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夜に新幹線に乗るのは久しぶりで、熱海の海とかオフィスビルの赤い点々とか楽しかったけれど少し疲れている方が勝ってしまっていて、今日はなるべく掃除に励まずに休もうと思った。
一先ず帰って来れてよかったかな。 いつも行くスーパーにつくと、クリスマスケーキや年賀状のプリントの予約が出ていて年末。 芦屋で会った友人達と三ノ宮で会った友人にも「良いお年を」と言った日だった。
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4 notes · View notes
canty-essay · 3 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
 「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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dropoutsurf · 5 months
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結論、ほぼデマ | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
民主党,立憲民主党,鳩山,枝野,野田,首相,悪夢,リーマン,311,東日本大震災,人災,
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・国家公務員の天下りあっせんを全面禁止  ↓ 府省庁からの斡旋のあったものだけを天下りに数えるように変更して 94%の天下りをカウントから除外しただけ。
さらに民主党政権は天下り・現役出向の拡大とかえって悪化させている。
評価:× 嘘
・子供手当支給  ↓ 2010年7月の参議院選挙前に配って票を得ようとして 麻生政権の景気対策補正予算を事業仕分けで無理矢理凍結して転用。 その後も結局半額支給に留まるなど政権発足前から財源がないことは 藤井裕久ら民主党幹部がすでに理解していた。
評価:△ 半分
・生活保護の母子加算復活 父子家庭に児童扶養手当  ↓ これは事実。
評価:○ ただし福祉ばかり手厚くするその財源は税金なんですけどね。
・記者会見オープン化  ↓ たしかに部分的にオープン化したが、 民主党に批判的な記事を書いた事を理由にした記者の排除や 民主党に批判的な社の記者は絶対に質問させないなどが行われた。
評価:△ オープンにした意味が無い
・公立高校生授業料無償化 私立高校へ助成金支給  ↓ 事実。ただし朝鮮学校へ支給するために1条校以外も対象にしようとするなどした。
評価:△ そもそも義務教育外のものを無償化する是非は?
・密約解明  ↓ おそらく沖縄返還の際に日米で密約があったという話の件。 岡田克也外務大臣が 「証拠はないけど密約はあったはずだ!だからあった」(要約) という乱暴な結論を出し、これを根拠に米国を批判したもので解明などとはほど遠い内容。
評価:× 証拠なしで決めつけただけ。 民主党と支持者に法治の精神がない事を示した上に米国との関係悪化だけでなく、あとから勝手に非公開のはずの話を公開されかない姿勢を各国に見せつけてしまい、各国が民主党政権をまともな外交相手として扱わなくなり日本の外交的地位を完全に地に落とした。 (実際に訪米では途上国と同じ扱いをされるまで日本外交の地位が低下した) のちの安倍政権で日本の外交を立て直すために前半数年を費やさなければならなくなった。
・社会保障費削減撤回  ↓ 評価:△ 事実、ただし代替案なしで負担増加分は現役世代へ。
・基礎自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲  ↓ 権限を若干移譲したがそれ以上にNPOの主観を地方自治体に移すなど、現在問題となっている公金チューチューなどの温床となっている。 また、予算が欲しい団体は民主党幹事長室に言われた要求を満たさないとならないなど、結局の所は予算や権限を人質に民主党の横暴が加速する面もあった。
評価:△ 責任から逃げたい民主党の哲学もあってか責任の曖昧化が進むなどむしろ害の方が遙かに多いのでは?
・診療報酬引き上げ  ↓ 事実、若干上がった
評価:○ ただし社会保険料の上昇加速で現役世代への負担増。
・国と地方の協議の場を設置  ↓ 地方自治体は民主党幹事長室に何らかの見返りを用意しないと予算が追加されなかったり、民主党の議員が強い自治体だけ極端に補助金が優遇されるなど協議以前の問題だった。
評価:× 民主党幹事長室を通さないとならないという憲法違反をやっていた。 (請願の自由の侵害)
・全ての国直轄事業における負担金制度を廃止  ↓ 民主党政権中にさくっと復活
評価:× その後に元に戻った事を考えれば2010年7月の参院選向けのアピールでしかなかった。
・非正規労働者の雇用保険への適用条件緩和  ↓ 事実
評価:○
・原則として製造現場への派遣を禁止  ↓ そもそも派遣で働いていた人達の働き先を無くした後のことを考えておらず、 そのことをつっこまれて民主党政権は方針を変更して撤回したため公約破りとして批判されていた。
評価:× 実現していません。
・農家戸別所得補償制度実施  ↓ たしかに部分的実施は行ったが 農地改良や鳥獣害対策費などの予算を大幅カットしてこれを財源として実現。 また岡田克也の実家であるイオンが戸別所得補償制度を理由に 米農家を買いたたいていた事が国会で指摘されたり、 飼料用米を雑に作っていれば補償で儲かるという制度の建て付けにより、 他の農業者へ貸し出していた農地の貸し剥がしなども横行した。
評価:△ 朝三暮四な上に発生した問題の方が多かった。
・バリアフリー改修、省エネ改修工事補助  ↓ 事実、ただし麻生政権で実施したプランを引っ張った形。
評価:△ 鳩山内閣が特別に実施したものではない
・分娩の公的助成  ↓ 麻生政権で増額を決定したもの
評価:× 強いて言うのなら麻生政権の実績
・肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額引き上げ  ↓ 2009年民主党政権公約では「自己負担限度額を引き下げる」としていた。 引き上げたのなら公約と逆。
評価:× 公約と真逆
・自殺者が政権交代後に減少中  ↓ たしかに若干の減少は認められるものの 2007年に決定された自殺総合対策大綱を民主党政権は踏襲していただけ。 その後の第二次安倍政権では 1997年以降3万人台を下回った事の無かった自殺者数が2万人前後に低下。
評価:△ 事実ではあるがリーマンショック後の有利なタイミングで政権を取ってただけ。 民主党不況に陥れられていなければもっと減っていた可能性があるのでは?
その他。
野党側に審議時間すら認めない強行採決10連発など、 過去に類例の無い強引な国会運営だったが マスゴミがこれを批判しないようにして擁護していました。
民主党政権では長妻昭と山井和則コンビが 「長妻・山井プラン」などと自慢していた大量の派遣切りがありました。 特定26業種の多くで解釈によって一般の派遣と見なすという手口を使いました。 「派遣を継続的に雇えないようにすれば正社員が増えるはずだ」 という連合の生兵法をそのまま実施した形です。
それに加えて民主党政権が超円高誘導を行う事で 本来ならリーマンショック後の回復局面なのに 民主党不況を作り出して失業者を大量に生み出す結果となりました。
また、「(国家)公務員の総人件費削減」という民主党の公約を実現するという理由で 民主党政権は一時的に霞ヶ関の新卒採用を0にさせようとしました。 (さすがに非難囂々で渋々「若干名」を認めるに変更)
民主党政権は彼らの票田である「情弱高齢層」を向いたままの政治がより露骨で、 若者は切り捨てる傾向が非常に極端な政権だったと言えます。
アニメーターが労組を作った時に 各政党にも挨拶に回ったのですが、 民主党はアニメと聞いて選挙権がない子供じゃ意味が無いと考えて ろくに相手にしなかったなんて話があります。
日本の政治って結局の所は数の多かった団塊世代を中心に 高齢者層ばかりを向いた政治がこの30年以上続けられてきました。
若者を使い捨てにする氷河期世代を作ったのも そうした政治の怠慢と、数ばかり多い問題のある世代のわがままと経団連の合作 と言って良いのだろうと思います。
すでに手遅れ状態になっていますが、岸田総理は異次元の少子化対策などと言って 金を巻き上げて補助金として付け替える 財務省が喜びそうな間抜けな手口で社会保険料負担増を財源にする政策にしようとしています。
今の現役世代は30年間ほぼ給料が上がっていないのに 社会保険料がひたすら上がり続け、 可処分所得がガンガン削られてきた世代だと言えます。
若者の○○離れ、 などとマスゴミが非常に後ろ向きな文脈で使いますが、 使える金の余裕がなくなってるんですから、 お金を無駄に使うような事はできませんよ。
若者にもっと他のことに無駄にお金を使わせたいのなら、 若者の可処分所得を増やすために負担を減らすのが一番ですよ。
財務キャリアという日本国民の敵の言うような 「増税して金を毟って、それを天下りの利権の原資にしつつばらまく」 という方法では効果はほとん期待できないと思います。
日本のマスゴミの特にダメなところの一つに 「○○と比べて今の若者はxxにお金を使わない」 みたいにわざわざ比較して極めて否定的に扱うところがあります。
まぁ、マスゴミとしては 「若者は不幸なんだー!もう未来は真っ暗なんだー!」と、 世の中に不満がどんどんと蓄積していくようにしたいのでしょうけど。
マスゴミの上の方の人達は マルクス主義にかぶれたポンコツどもばかりで固められてますからね。
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kennak · 9 months
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏��告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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yoshida-house · 7 months
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2023年 秋のライブ
唐突に秋がやってきました。半袖で家を出て失敗。 遅くなりましたが久々の関東ライブ、ありがとうございました! またもやたくさん、お世話にもなりました。 10月はこれから5本のうち4本が福岡、大分。 一年ぶりの場所、初めましての場所、 行く前から宣伝に準備に、お世話になってます。 はりきってまいります!よろしくお願いします! そして気がつけば11月ももうそこ。 関西のあちこちで、バラエティに富んだ内容でお届けします。 どれもこれも、全力でお待ち申し上げます! 10月13日(金)福岡 SIX PINES SANDWICHES 10月14日(土)福岡・田川 いいかねPalette        『こももなふちふ』 w/まるやまももこ
10月22日(日)京都 わからん屋 月イチワンマン 
10月28日(土)北九州 一生もんshop緑々 10月29日(日)大分 加藤理容所 畠んステージ           『祝加藤理容所開店2周年』           w/やないけい、Oi3 11月2日(木)京都・西院 GATTACA 『 &&(とと )』  w/タテタカコ、  special guest 清野美土 from ハモニカクリームズ
11月5日(日)茨木 D bar 『ふちがみとふなとと餃子 』 
11月12日(日)神戸 ビッグアップル 『祝34周年!ワンマン 』 11月18日(土)大阪 ムジカジャポニカ       『ムジカでふちふなとナオユキのランデヴー 』
11月19日(日)尼崎 タラコーヒー&ハーブ  ワンマン ※感謝!定員ご予約!
11月26日(日)京都 わからん屋 月イチワンマン
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フナトライブ: 10/24(京都)アバンギルド   芳垣安洋ds,perc、UCON cb、ゲスト:フナトb、岩見健吾cb 11/3(奈良)ブルーノートならまち       渋谷毅p、森山威男ds、林栄一as、船戸博史b 11/4(奈良)ブルーノートならまち       渋谷毅p、森山威男ds、林栄一as、船戸博史b
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longgoodbye1992 · 1 year
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久々の旅 初日
この三連休、旅をした。
母と二人旅だった。
旅人をやめて半年余り。
ここにも久しぶりに旅の記録を書きたくなったので置いていこうと思う。
二泊三日で東北を有料道路を使わずにほぼ一周するというもので、宿泊先は行き当たりばったりで決めるという旅。
気になった場所で観光し、気が済んだら進む。
母と俺の適当な性格がこれでもかというくらい出ているルール。
だけど上手くいくだろうという自信はあった。
初日は6時半に家を出て八戸へ向かった。
八戸は無料で使える三陸道の北のスタート地点。
昼前に乗り、少しして昼ごはんのために下りる。
地元民に愛されてるだろうラーメン店で味噌ラーメンを食べた。
三陸道を使って更に進む。
思いつきでドラマ「あまちゃん」のロケ地に行きたくなり久慈で下りる。
「あまちゃん」は大学時代に最もハマったドラマ。
いつかロケ地にと思っていたが、この日思い切って行くことにした。
久慈市にある小袖海岸という場所がそれ。細い海岸通りを進んで��いた先で真っ先に目に入ったのは、ドラマで象徴的に使われる灯台だった。
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その他にも記念碑や劇中で初めてウニを捕るシーンの撮影場所などを見て後にした。
ちなみにウニはまだ時期でないらしい。
その後はリアス式海岸をひたすら下っていく。
途中道の駅でソフトクリームを食べながら母と運転を交代しつつ進む。
石巻を走っているときに宿を探しだした。
仙台から更に南に行った街で取ろうとなり、あちらこちらのビジネスホテルに電話をして、奇跡的に空いていたシングルルームを二つとった。
その街に向かう途中で夕焼けを見た。高台の県道をを走りながら見たそれはとても美しくて情緒的だった。
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宿に着いたのは19時前。
古き良きビジネスホテルといった所。
繁華街の中にあり、口コミを調べて美味しそうだった居酒屋へ。生ビールがサッポロビールというのが決め手だった。
串焼きをメインにしたお店であれやこれやとオーダーする。
サッポロビールで母と乾杯。
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アジのタタキとレモンサワーである程度酔った。
焼いたニンニクに味噌をつけて食べるのもよかった。
聞けば居酒屋のマスターは二十代でお店を始めて今年で四十五年だという。
愛され続けるには人柄と料理の味のどちらかが欠けてもいけない。
その点このお店はマスターや奥さんの人柄や確かな職人の腕が光る素晴らしいお店だった。
ホテルに戻り母の部屋で缶チューハイを飲んだ。
母には苦労をかけっぱなしだった。
そんな話をしていると母は眠ってしまった。
部屋に戻って窓の外を見る。
ふらりと歩きたくなった。
ホテルを出て気ままに歩いてみる。
繁華街らしくネオンがちらちらとあるが、営業していないと思われるほど音がなかった。その中でカラオケの音が聞こえてきた営業しているスナックを見つけ入ることにした。
中には三人組の常連らしき客や一人で飲んでいる人が二人いた。
カウンターに座る。ママはどうやら外国の方らしく、見た目がエキゾチックだった。
チーママは日本人で優しそうな人だった。
薄めに作ってもらったハイボールを片手に、常連客のカラオケを聞く。
チーママに誘われて常連客の輪に入らせてもらうことになった。
警察官のおじさんと力士のような人。そして酒屋さんだというお兄さんの三人だ。
一緒にカラオケを楽しむ。
一曲目に沢田研二の「サムライ」を歌った。中々ウケが良かった。片手にピストルと歌い出すと警察官のおじさんが「俺も持ってる」といい周りが笑いに包まれた。
ためになる話や難しい話などこんな場でする必要なんてない。ただ楽しく飲んで歌えばそれで仲間になれるのだ。
「銃爪」や「浪花節だよ人生は」を歌い、リクエストで「夏の終わりのハーモニー」を最後に歌った。
チーママは感動したらしく涙ぐんでいた。
満足してホテルへ帰る。
明日は6時起き。
更に南へ下る。
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myonbl · 6 months
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2023年11月12日(日)
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龍谷ミュージアムで開催中の<秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」>、終了間際の今日になってようやく行くことができた。<みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形をご覧ください。>、まことにその通り、雅な都の規格化された像とは異なり、鄙の暮らしそのままの素朴で大胆な表現、つい微笑んでしまい穏やかな気持ちになることができる。会期は残すところ1週間、お近くの方、お勧めですぞ!
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6時起床。
洗濯。
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昨晩のご飯が茶碗1膳分残っていたので、牛肉しぐれ煮を載せていただく。
1階の私の仕事場、MQJの荷物と私の資料類、それに食料品やワインがひしめき合って足の踏み場もない。プリンター台を1台増設して環境改善を試みる、なんとか来週末には原稿書きに専念出来るようにせねば。
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龍谷ミュージアムの秋季特別展、週末の予定ぎっしりでやっと本日訪れることができた。
江戸時代、全国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として安置されました。一方、小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきました。この展覧会では、青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像をご紹介します。
いやぁ、良かった! 暮らしとともにある神像・仏像、初めて知ることだらけ、良い勉強をさせていただいた。
帰宅して少し遅めのランチはこのところお気に入りのUFO。
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昨日生放送があった<NHK新人落語大賞>、録画を忘れたのでNHK+で観る。応援している一花さんはそこそこの出来、三実君は大爆笑だったがいかんせんローカルネタでは審査員の受けは良くない。慶次朗君の優勝は順当、文珍師の<師匠を超えた>発言には大爆笑。しかし、改めて2年前の二葉さんのインパクトの大きさを思い出した。
酢タマネギ仕込む。
半熟酢卵仕込む。
ポン酢・麺つゆ仕込む。
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夕飯、鶏ムネ肉の甘辛煮・半熟酢卵、カラスミは息子たちもよく食べてくれる。
録画番組視聴。
柳家権太楼 落語「へっつい幽霊」
初回放送日: 2023年11月12日 柳家権太楼さんの落語「へっつい幽霊」をお送りします(令和5年9月1日(金)東京・小平市 ルネこだいらで収録)【あらすじ】「へっつい」とはしっくいで固めたかまど。古道具屋が売っている「へっつい」はいい品なのだが、誰が買っても、その日の夜中になると引き取ってくれと言って返品されてしまう。わけを聞くと深夜にへっついから幽霊が出てきて「金を出せ」とおどかすらしい。困った道具屋は…
久しぶりに散髪をしてもらう、風呂上がり体重は昨晩から50g減。
日誌書く。
弁当用に里芋煮る。
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ミュージアムまでのバス移動だけ、明日からちゃんと3つのリング完成させよう。
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palakona · 8 months
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9月になったが…
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。9月になりました。朝夕涼しくなってきたような?9月3日(日)は、渓流釣りに行くつもりだったんですが、前日、お腹を壊したので、遠出を避けて、こしが池に行ってきました。多少は秋の気配を感じるとはいえ、日中の予想気温は37℃(驚)とまだまだ熱いので、釣り客も猛暑を避けて空いてるかと思いきや結構入ってました。朝に撮ったのでまだ空いてますが、5号桟橋は先客有りで、2号桟橋は例会が入って貸切でした。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
先客が3人も入ってる5号桟橋は遠慮して、6号桟橋に釣り座を構えました。東詰のヘチに座ってるのはよく見かける常連さん。夏でも毎週来てはる?いきなり数枚釣ってはったけど、活性高いのかな?両うどん床釣りなので、浮子は「さみだれ」の12号(最小)にしてみました。6号桟橋は浅いので竿は7尺でも沖打ちになります。鉤をつけてエサ落ち目���を決めて、「床立て」してから釣り始めると、4目出しスタートで浮子の馴染みは良い感じ。だが、しかし〜、釣ってると浮子の馴染みが深くなって、何度も「床立て」をやり直し。なんで〜?why?こんなに掘れたっけ?
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
釣り始めてから40分も掛かったけど、「チクッ」という小さい魚信を捉えて釣れました!久しぶりの床釣りは気持ちよか〜。尚、へら釣りは久しぶりすぎて手網を忘れました(^▽^;)。画像の手網は池主さんにお借りしたものです。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
へへ、2枚目。こしが池のフナは、マブナが多いから体高低いし痩せてるし貧相なイメージがあったけど、久しぶりに釣ったからかコンディション良さげに思た。お腹は凹んでるけどw。周りから常連さんの会話が聞こえてきて、「水曜日に薬を撒いたから浮子が良く動く。カラツンばかりやけどな。先週とえらい違いや」とのことなので、薬を撒いて活性が上がってるそうです。先週(日曜日の生生会?)は釣れてなかったんかな?ちなみに、こしが池では、寄生虫を駆除する薬を撒くとフナがよく釣れるようになるので常連さんが盛り上がります。そういえば、この日は、常連のM谷氏の奥様に「おはようございます」と挨拶されたり、見知らぬ常連さん(スンマセン)から「久しぶりですね」と声を掛けられたりしたので、僕もいつも来ている常連さんなのでしょうかw。ですよね〜、去年と今年でもう40回は来てるもん。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
今日は浮子の馴染みに四苦八苦(^▽^;)。「床立て」をやり直しても掘れて無くなってきたし、沖打ちになってるから浮子が仕掛けに引っ張られてるんかな〜。つまり浮子が小さい。なので「北斗」に替えてみた。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
「北斗」に替えても浮子の馴染みは深いままで1目出しとか。快適に釣りができないので、浮子箱を見渡して、浮子作家のF田氏が手掛けたという「佳翔」に替えてみた。最初は思い切って3号を出したが、流石にこの水深で大き過ぎると思ったので2号にした。トップも長いし6目出し〜7目出しぐらいでスタートできる。「床立て」をサボっても5目出しぐらいなので、やっとフツーに魚信が取れる。だが、しかし…朝は涼しかったのだが、10時ぐらいから汗ばむ暑さになってきて浮子の動かなくなってきた。ま、床釣りにもタナはあるので、ビミョーにタナがズレたのかもしれないが。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
3枚目。数は釣れてないけど、ちゃんと床釣りの魚信を取って釣ってるのでそれなりに楽しい。
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
日中の気温37℃なんだけど、屋根のない3号桟橋と4号桟橋に入ってる人も。パラソルない人は大丈夫?
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2023年9月、こしが池(堺市) iPhone11
4枚目。今日は半日料金1500円にしたので12時で上がりました。浮子が動くわりには周りも釣れてないみたい…と思いましたがどうでしょう?5号桟橋と6号桟橋の東詰(ヘチで朝は日陰になる)に入った常連さんはボチボチ釣ってはりました。
ということで、9月3日はフナ4枚でした。涼しくなったら1日料金で長い竿を振りたいです。
では、また。
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