Tumgik
#境界線のファンタジー
oneirisms · 2 years
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境界線のファンタジー/ Fantasy of The Borderline
Circle: AbsoRute Zero
Fantasy of the borderline On the days that nothing special We may be surprised or maybe angry Like this, there’s a breakthrough
Original: Necrofantasia / Charming Domination ~ Who Done It?
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chiaroscuro-lily · 8 months
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皆様ごきげんよう、またまた私です。
はい、そうです祈織です。🖋🌓
今回からメンバーブログというものを始めることになりまして、やはり1番手はお前だろうということでこうして記事を書いている訳であります。
メンバーブログというのはそれぞれメンバーが自分のことや考えたことをテーマに沿って自由に更新していくものとなっております。
更新は不定期となりますが、皆様の暇な時にでも楽しんでいただけたらなと思っております。
テーマはその都度皆と話し合って決めていくのですが、今回は初回ということもありまして
⒈自己紹介・好きな物
⒉主催祈織との馴れ初め(主催はメンバーのことでも語ってろ)
こんなラインナップとなっております。
……いやその2番目のやつ何??と私も思うのですが…
何故か皆がノリノリであるが故に…ご了承くださいませ(?)
では早速自己紹介から始めていきましょう。
名は祈織(きおり)、由来は私がキリスト教系の高等学校へ好奇心で入学したことからはじまります。
まあそのうち語るかもしれないので今回は割愛しましょう。
小さい頃から本が好きで…と言っても読む量はたかが知れていますが…
小学校3~4年生の時に図書館の伝記を読み尽くし(今となっては何も内容を覚えていない)、何か暇だなと思ってファンタジー小説を読み始めてから、脳内ファンタジーや厨二病(?)を患うようになります。
陰キャだし友達居ないし…ってことで、グラウンドに出て健康的��遊べと圧をかけてくる小学校教師に聞き分けのいい子供の演技をしながら教室を出て、そして図書館に入り浸る…そんな人を欺く術を取得しつつある子供時代です。
私が思う子供時代はこんな感じですが、はるたんに聞くとどうやらそうでもないらしく。
彼女が私との馴れ初めを語る回を楽しみにしている自分がいます。
創作を始めるようになったのは中学生の時で、その時からはるたん含め当時のいつめんと言う名の身内の間で創作が大ブーム。
皆で交換小説を書いたりイラストを書いたり(私は描けない)、私は曲を作ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
当時ボーカロイドが流行っていた関係もあり、そうか…!一般人でも曲って作っていいんだ…!(それはそうだろう)といたく感動した私ですが、そうして始めた曲作りは大した機材もないのでピアノでリズムを作って五線譜に書き殴って無料ソフトに暗号化して打ち込んで…みたいな感じです。どこに出す訳でも無く完全に自己満足の世界でしたね。私のクソ雑魚ピアノスキルでは弾けないような曲を演奏させてニコニコするだけの遊びです。
ピアノに関しては幼稚園からやっているというのに一向に成長しません。練習も飽きてしまいますし。
自分ってもしかして才能ある…?と気づいたのは小学生高学年から管楽器と出会ってからです。私の担当はアルトサックスでしたが、学校の楽器に『華子』と名付けて可愛がるまでになります。
どんな時間も楽器触りたい!と思っていました。
今振り返ってみても吹奏楽部時代はもう一度やりたいと思えます。それくらい楽しかったです。
百合が好きになったのは高校時代の環境と見ていたアニメ等の影響だったかと思います。
男女間の仲が悪いクラスで、男子との関係で何度も病んでゆく友達を見て絶対同性同士で過ごした方が平和なのに…などと言うある意味若さともとれる穿った考え方で視聴したアニメ作品はどれもキラキラして見えたものです。
今となっては人が人を想う気持ちはどれも尊いでしょうけれど、女の子が複数人いて互いに抱くどんな感情も何にも代えがたい尊さを持つ唯一無二のものであるなぁという気持ちです。
百合万歳。
最近好きなものは各国の神話や美術、科学など所謂マニアックなものばかりで、中々今は商業百合作品を楽しむところまで時間の関係でも行けておりません。
根が考察ヲタクなので考えることができるコンテンツに沼りがちですね。
例えば某夢の国。普通に行っても楽しいのですがやれあの山の柱状節理が気になるだの、あの島の発電システムが気になるだの、歴史的背景を踏まえた備品の数々、そしてその関係性。
それらを見に行くために年パスを買って一人で行くなどしたこともありましたね。
ショーやパレードも素晴らしく、演者の演技力を堪能し、いつしか写真に残しておきたくなった私はここでカメラを始める訳です。
勢いで一眼レフを購入し、誰に教えられる訳でも無く勘とフィーリングとノリで弄り倒す私ですが最初の写真の酷いこと酷いこと。それでもあの時は綺麗に撮れた!なんて喜んでおりました。
音楽やカメラで分かったことですが、努力することを苦だと思った時点で成長は見込めないのだなぁなどと思う訳であります。楽しいと思うことは才能であると、そんな気がしますね。
楽しいから私は本の世界でファンタジー脳や厨二病を拗らせるし、一人で美術館に行くし、神話や神社の御祭神を調べてはニヤニヤするし、一人で某夢の国行って一日中遊んで帰ってくるし、一人でカラオケ行くし、曲だって作るわけです。
こんな感じで人からよくズレてるだの癖が強いだのと言われる主催ですが、次のテーマである主催からみたメンバーのことにでも触れてみようかと思います。
まずは柘榴。☕️🍎
第一印象は何この美少女。です。
最近気づきましたが私実はメガネフェチだったらしく、彼女と初めて会った時にしていた縁の太いあのメガネが忘れられません(?)。
後から聞いたら花粉症でコンタクト入れられなかったってだけだったそうです。おお神よ…。
あと柘榴は某夢の国での私の考察(奇行)に付き合ってくれた1人でもあります。
好きになるものは大体同じで、カフェ巡りしたりバレエ見に行ったり一緒にロリィタ服買ったりお揃いのアクセ買いまくったりと色んなところに行ったなあ…。運命共同体ですし。
そんな彼女が最近めざましい成長を遂げているのがアクセサリー作り。撮影で使うロザリオとブローチを短期間で全員分自作したのはこいつです。なんつー集中力だ…。
店でもやるんか?って位のクオリティまで持ってきて頂いてただただ感謝。引き続きグッズ制作の程宜しくお願いします。
柘榴が心血を注ぎ作った小物…そのうち特集してもいいかもしれませんね。
次ははるたん。🫧‪🐑
第一印象?ンなもん忘却の彼方です。
彼女とは幼稚園からの仲ですし最古の記憶を辿っても何も思い出せません。気づいたら隣にいたタイプの人です(?)。
でもはるたんは私よりも過去の記憶があるらしいです。ごめんて。
とりあえず昔から彼女の言葉選びや画力には目を見張るものがありましたし、性格も良いし、可愛いし。
人を絶対攻撃しないタイプです。 その代わりめちゃくちゃ抱え込んで我慢するけど。口堅いし。
あとめちゃくちゃ私を褒めてくれるので好き。
なんで?君の方が凄いよ才能あるよ天才だよ!!…という言い争いが日常的に巻き起こります。これが愛と平和。
心が荒んだ時ははるたんを見ましょう。きっと貴方を癒してくれるはず。全人類のラッキーアイテムははるたんの短歌。はるたんのTwitterにて掲載中。是非待ち受けにしましょう。
次はいーちゃん。🎪🍫
彼女とは柘榴経由で知り合った子です。
まだ知り合って日が浅いというのに大分濃い絡みしてる気がする。当社比。
彼女は思慮深く、頭が良いという印象。あとかわいい。
この前とある企画展に2人で遊びに行ってきたのですが、その対象の歴史を完璧に予習してきていてめちゃくちゃビックリした思い出。
どうやら歴史や民俗学に興味があるらしく、神話の情報極振りの私とは違って非常にバランスが良いです。
考察が捗ります。感謝。
私服もめちゃくちゃ可愛くて…というか私の好みすぎて、大体いーちゃんとの待ち合わせで私の第一声は「かわいいいいい( ´ཫ`)」です。
あとはセルフプロデュース能力が高いです。
今後小説のキャラクターのビジュアルを公開する予定ですが、その全てが天才的。確実に作りこんで、仕上げてくる…しかも創作未経験で。是非そのキャラデザも皆様に見ていただきたい所。お陰様で私とはるたんの推しは彼女の担当キャラクターです。何卒我らが推しを宜しくお願いいたします。
次はみけ。🍓🎀
みけとは最初某夢の国ヲタクと言う点で仲良くし始めた子でしたね。
ハキハキしていてコミュニケーション能力が高め。
知らない人とでも臆せず話せちゃうって才能だよな…とか思います。でも別にグイグイ来るような不快感は一切ない。
きっと他人を思いやる姿勢が初期装備であるんだろうなぁなんて思います。あと顔が良い。
今後いくつ作品を作ろうとも彼女を主人公に当てたくなる…!そんな感じです。
そして私との距離が一気に縮まったのはお互い百合ヲタクだということに気づいた時。
お互いになんでそんな話題になったんだっけ???となってる訳ですがこれはもう導きということで。
鬼スケジュールをこなしてる大人気コスプレイヤーさんなので遊べる機会は今となってはあまり無いですが、一緒に創作しよ!と言ったら快く乗ってくれました。感謝。
顔も可愛くて声も可愛くてイラストも可愛い彼女のTwitterは必見です。全員フォローせよ。無料で幸せになれます。
次はゆーやさん。🥀🦋
出会ったきっかけは確かTwitterのロリィタさんと繋がりたいタグとかその辺だった気がする…。
…え?そうですよね?(急に不安になるやつ)
私がゴス会に憧れを抱いていることを知りわざわざゴス会を開催してくれたという聖人。
いいんですか?そんな、わざわざ主催してくれるなんて…!!と言った私に「いいんですよー、その代わり祈織さんが何か主催してくれた折には私も参加させてもらえれば」と言ってくれたゆーやさんが私が作った百合創作サークルに参加してくださっているのはなんの因果なのか。
…っていうかこれで合ってる?
そうして数年越しに再会したきっかけがこのサークルという私にとってなんとも運命的な方です。あと顔がいい。
センスが良くて気遣いもカメラの腕も一流なので創作でめちゃくちゃ助けられています。感謝。
撮影時のメインカメラはほとんどゆーやさんがされていますのでご覧いただけたらプロの所業が分かっていただけることかと思います。Twitterの投稿写真や今後公開するHPの素材として使っているので是非見てください。一瞬だけでも!お願い!
次はゆう。🌕🦊
ゆうは百合好きという共通点から知り合った子ですね。
百合を表現する、という点であの時はよく2人で撮影したり企画話し合ったりしましたね。
これがやりたい!という要望を沢山出してくれるし、レスポンスも爆速で返してくれるのでめちゃくちゃやりやすかった印象。
そんなゆうですが、本人談では本来重度の人見知りらしく。
初対面で一日中遊んだっていうこともあり私は全然そんなこと感じなかったですね。
そして顔が良い。彼女の撮影時の表情が好きなんですよね、あの時は専ら私がカメラマンでしたから。
特に憂いを帯びた表情が破壊力強めです。今ここに公開してやりたいくらいです。
今後の撮影に乞うご期待です。暫しお待ちを。
最後にゆしあさん。
彼女は唯一会ったことがないメンバーです。
メンバーブログ等SNSの発信は今の所やる予定がありませんが、一応私目線だけは綴っておきましょう。
会ったことはないですが、きっと誰よりも私の性格や本質を把握していることだろうと思います。
なぜなら人生や価値観について彼女と電話で語っていたらいつの間にかオールしてたみたいな事を何回も繰り返しているからです。
こんな深い話人としないでしょうよって事を長時間話しているのです。いや、そりゃぁお互いに把握してしまいます。
しかも楽しくて時間が経ってる、みたいな体感なので余計に私の中で唯一無二の存在ですね。
私は早寝の民なので途中寝落ちて復活してを繰り返していますが…彼女はずっと変わらぬクオリティでお話してくれます。いつか勝ちたい。
性格は明るくて話しやすくて。あとすっごく真面目。
私の身に起きた嫌な思い出に自分の事のように怒ってくれる優しい人でもあります。
そして博識。彼女自身の環境的な側面もあるでしょうが、彼女の体験談や知識は非常に興味深いです。
彼女の知識は創作、シナリオの面でかなり活躍してくれています。感謝。
彼女のおかげで小説の世界観はかなり深みのあるものとなったのではないでしょうか。
小説に乞うご期待、ですね。私も頑張る。(白目)
さてさて、私はここまでで一体何字書いたのか…字書きとしては気になり始めるレベルまできていますね。
ここまで長くするつもりは無く、軽い気持ちで読めるブログを目指すはずだったのですが……はて。
ここまで読んだ人は居るのでしょうか…。
もし居るのならばスクロールしたその手は腱鞘炎にでもなっていることでしょう。
ありがとうございます。お疲れ様です。
今日は湿布でも貼ってゆっくりと休んでください。
最初は 自分のこともメンバー全員分のことも書くんかい!と思いましたが、皆様に主催目線のメンバーのことを知っていただくいい機会になったのではと思います。
如何だったでしょうか?
他にも皆でこんなテーマを話して欲しい等希望がありましたらコメント欄でお聞かせいただければと思います。
次のメンバーブログの担当は柘榴☕️🍎です。
きっとここまでの長文にはならないでしょう。多分ね。
貴方のその手の腱鞘炎が治ったらまた遊びに来てください。
ではまた。
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uchu-household-blue · 2 months
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3月分 for youth。各週1冊で、うわー マーニーだ。'馬鹿にされたくないの'という言葉を思い出す、まぁいいかと読むまではいかなかったやつだ、。松下政経塾もコロナ禍入ってすぐに偶然もらった本(���演系かも)結局読んでないな、その時より気持ちが落ち着いているのは自分でよく分かる  ファンタジーは現実への挑戦でさえある、それを思い知り続けたい
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会話を続けていくのだ。 言語の分析をする、か、、と。精神のと言わなくてもいいなら���れこそ公私だもんね、目から鱗だ!! 言葉、声、振る舞い、文字、絵や音やのメディア が、いかに 流れていくかと思った。'どう'でもいい人にはどうでもいいままの、それ以上に人権も役に立たない、バランスを探さない状態の言葉づかいにのまれると、内部から破壊される。守るのも線を引き直すことではない育てるようなことを選ぶほうがいい。そうか、だからこんなに断定が辛かったのか。会話ながらの死とかもあるのかも...表しすぎると暗さに自分もいられなくなるとも思い出した それもバランス探しなのだろうし、、。公私を混ぜず、そして私の言葉づかい達が無いと訴えていけないのほんとだね なんもできないね '言葉でだけ'あとで残るやり方ももしかしたらあるのかもしれないけれど、それも含めて 連帯を問わないならば 言葉やバザールorクラブ場所に情報を借りたまま提供しシステム言語に埋もれる話なのか、生まれたから死ぬそれだけみたいなモノ扱いと同様なのか  黙り込んで から秩序と映していくまで 例えば急がなくていいことも 会話を続けていくという目当てがどこに続いているのかを線の先からでなく示していけないと
読み応え見応えがあった。。。意識したいことだらけ 
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何か、拠点が。力のバランスが。保護や憐憫が。空中の断定ではなく自己たちによる話の中で探されていこう。記憶から消えていかないような反動や、防衛同士で傷ついたとしても距離や嫌悪の向き合い方、公共と私の境界のことは、これから長く引き出しから参考に出来そう。すねているだけとも言い難いほどの、しかし強い憤りや対立の絵図は、鬼滅の(斎藤さん記事も含めて、海外人気の意味とか)違和感の発見も、前より落とし所がつけやすくなった。自分は何を考えよう、のうち落ち着ける方面にほっとする。自分に必要なほうでもあることを、と願っている。ローティの流れともまた幅を欲しがりつつ、 'ファンタジーを読む'をまた読み通してみてもいいなと思ったら他書紹介に病跡学という単語見かける。一対一の時間や部屋はなんとパーソナルだろう、読んだあとも番組で出てきたなと思い出す 分析という名前がついても、哲学という名前がついても、ケアとキュアの希望が紛れないような、願いを持ち 作る 普通を目指さない、辛いだけだから。そげな意味の天秤は。だけど分かってもらえないだろうと絶対的に私に線引くことも良しとしたくなれないからこそだった。芙美子の'皆死ねばいいのに'のようなことだって、自己嫌悪の筆跡だった 読み飛ばされても読み終わらなくても大丈夫なまま、それでも
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理論化を無理やり言い切らせて先取る急ぎかたも怖いさ。。境目の不用意な壊し方。だから急ぎたいのか止まりたいのか、何が同じ円卓の議論なのか、どんな言葉づかいが必要な場なのか、細かく見たいものだよね。参考にするしないとはそれの繰り返しでもあり目が回る。神経症といえる感覚、戦争だったり宗教化という過程しかりを見てたら、コンプレックスのその普遍的に消えないものとして思えた。ルールがどう制度がどう、併し公共的に考え迫ることも慣れていきたい。科学の相対化、、。現れているものの名前、山岳救助に似たその道程、手を引いた片道、...。個人の見つけうる動機や理由は大切になっていくけれど同時に自分のものである、円満ななかに、渦中のなかに、ーー困ってない人たちの中にも、私に閉じてはいけない公的だと言い張って終われない会話があるはずと思えば、会話の言葉づかいの種類は増えるね、渦中で言語化が難しくても、分からないだろうよと、いつかその線引きが不要なやり方を 形になるように、心のどこかで願いたいね。すごいな心の内とも外とも境界を言わずに話せないと本当にいけなかったのに、越えての先が見えなくいたのに、ヒントのままだったものが近づいたような。ものづくりや哲学の希望が'帰結込みの言語化'のようなものならば。。分かってもいたし、方法が分からないも切実だけど、われわれが拡がるということが明るく思えた過程が さすがに定言的に体現していたな。。
何を犠牲者と見なすか?も、実践への方法としてシャープの回とも重ねてはみられる。
現状追認のような、正しさと思ってしまうもの、その反動、やっぱり気持ち悪くゾッとするし嫌なので考えていく。孤独にやらないといけないやつのうち。間違いを安心して肯定するための無心?や、間違いを言葉にしにくい のは くたばり労働であると思っていいし。たった一回の何かその環境にとっての些細なミスでも、何か根拠を求められて追い込まれていくことにもなりうる。 でもやっぱり言い切られた気持ちにもなるだろうな。。意図だけ掴めてもまだ多分 何かのせいおかげにすれば良いわけでも自分の像さえあればいいわけでもないから 言葉づかいを公的なものと考えてから 気をつけてみよう、自分は何を出来てなかったかとか、出来る様になるにはどうやって?はすぐ示されたりしてないし、その後も規範や個人の像のなかで何かしかとか何が、利害として正当かは、実は分からないけれど。正解はないけれど、違和感も消えないから。公私が混同かもしれないと思うことごと辛さの内訳きっと見て、モヤモヤと続いて
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wasite · 1 year
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WASITE.store 2023/01/25 now OPEN 今日の海 今日の最先端の発明・テック技術は 日本の漫画「ドラえもん」で すでに描かれているよ、 と よく聞く話。 そこで! 1927年の今日誕生 ロバート・ボイル!(〜1691) 中世ヨーロッパが近世へと時代を移行しつつある アイルランド出身の化学者です。 そして錬金術師であり発明家。 ボイルは中世〜近世のドラえもんですよ! まずボイルの功績から紹介すると 「ボイルの法則」! 温度が一定の場合 気体の体積は圧力に反比例することを発見。 これはでかい! そしてアリストテレスの4元素説より 俺の方が妥当、正しい!って提唱。 それが 「様々な化学反応は   微小な粒子の運動によって起こる!」 最近「粒子」の話しが多いなぁw この主張の前、 アリストテレスの4元素説は この世界の成り立ちや物質の変化は 「空気・水・土・火」 これらからできたんやで! ってこんなん今じゃもう、 ファンタジー系ゲームの設定です。 ファイナルファンタジー? クリスタル集めちゃう的な? 中世から前ってのは、 そんなリアルにファンタジックな世界でした。 (リアルにファンタジーって変な言い回しw) が、ボイルをはじめとする化学者が、 魔法のような錬金術の研究から 世界の法則を見出すことで、 今日の化学に至るわけ。 で、ボイルはまさに魔法のようなことを考えてた。 「延命法」 「飛行技法」 「永久照明」 「鎧を極めて硬くする技法」 「どんな風でも沈まない帆船」 「軽度を確認する確実な方法」 「想像力や記憶などの能力を高める薬」 「苦痛を和らげる薬」 「悪夢を見ない薬」 と言った感じで、 「発明したいもの一覧」 その数24というリストを作った。 このほとんどが、 後の世に実現しているということが、 ボイル、やばい! さぁ、ここから開ける未来、 どんな魔法?どんな夢が実現する? まぁ、「タイムマシーン」は気になるよね! 万人が夢見る時間旅行。 それは案外、 ひょんなことで実現してしまうかも。 ほんとかどうかは聞く人次第だけど ある旅行者が フランスのベルサイユ宮殿に行った。 宮殿をガイドがアテンドするツアーに参加し、 宮殿を周ったところ、 どこかで落し物をしたことに気づき、 ツアーの列から外れ、 庭の外れを通ってショートカットして 元いたルートに行こうとした。 バルコニーから庭に出て角を曲がると、 そこには、 当時のドレス、当時のヘアスタイルなどで 揃えた婦人の一組が。 旅行者は、 「宮殿でコスプレイベント?   そういうのいいかも〜」 と思いながら元のツアーのルートに戻り 落とし物を無事拾い上げ、 急いで戻る。 ツアーの列に合流し、 最後にこの宮殿で暮らした人物の 肖像画を紹介するところになると、 背筋が凍りつく。。。 一枚の肖像画には 先ほどバルコニーから庭で見た コスプレ軍団の中にいた 見かけまだ幼い女性が。 先ほど見かけた時のままのドレスと髪型、 いや本人そのもの。 似過ぎているという言葉では 言い表せない。 ガイドの女性にこの絵の人物は? と聞くと、彼女こそ 青いドレスのマリー・アントワネット。 今日、この宮殿で、何か、 当時の、ドレスを、着たりする イベントや、そういうエキシビジョンは、 ありますか? とガイドに聞く旅行者。 ガイドは笑いながら そういうのはやってない。 と答える。 いや、でもさっき、にわで・・・ と、あれを見てない人に それを言っても、と思って、 庭に出たことも怒られるかもしれない、 と思い何も言えなかった。 後で誰かにこの話をしたら、 そういう歴史が深い場所なんかでは 時の境界線が曖昧になることが 稀にあるんだと、 誰かに聞いた話を語った。。。 知らんけど!!! いや〜、信じるかどうかは あなた次第ですけどね!? 時を自由に行き来できたら、 そりゃーそれで、 いろいろやばいよね (語彙不足) いや、ヤバさを一個一個書き出したら キリがねぇじゃん? まぁ、そんな未来では、 例えば 「『時間』も『粒子』は常識!」 って言うくらいぶっ飛んでるかもしれない。 未来から見れば今はこれでも まだまだ幼いファンタジーな時代って感じ? 地球上でまだ宗教戦争をしている時点で、 人類はまだまだ幼い。 化学の時代は「ダーウィン」を理解し、 受け入れるところから始まりました。 それまでの世界は 「神が全ての生き物を作った」 と言っていた。 ダーウィンの進化論はそれをぶっ壊したわけ。 「生き物は生き物で勝手に進化して  今の姿になったじゃん!  神様じゃねぇーじゃん!」 そこから物事を化学的に見る、 神の目線じゃない領域で理解したから、 化学は発展。 タイムマシーンの発明には、 まだ数世紀かかるかもね。 けど、いつかはできる! という夢をみたい。 タイムマシーンは、平和の時代に完成するはず。 というわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! 今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/Cn0-kNPPQeE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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itokawa-noe · 2 years
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緋獅子の炎
「原稿用紙6枚」という規定のなかでファンタジーを書こうと挑んだもの。
ブンゲイファイトクラブ3応募作品でした。(2,287文字/2021年10月29日 )
ーーー
「炎の女神様のご加護を受けた泉の湯で身を清める。真新しい下着をつけ、この日のために織られた衣を纏い、よく梳った髪を編みこんで花冠のように頭にそわせる。胸もとで揺れる〈お付きの証〉を磨きあげれば、身支度は完璧だ。『紅と白粉はどうした』『痣を隠さないのか』などという横槍には、怯むことなくこう返す。『あんたらみたいなくだらない奴らと、緋獅子様を一緒にするな』  その前年の火祭りの晩、緋獅子様は女童のお姿で山から下りてこられた。〈お付き〉に抱えさせた菓子や果物を頬張りながらあちらへこちらへ飛び歩くご様子は神様のお使いと畏れるにはあまりにも愛らしく、村の者たちはつい掟を忘れそうになっては冷や汗をかいた――というのは後から聞いた話だ。アミャはその場にいなかった。生まれ持った『見苦しい痣』のせいで独り留守居を命じられ、されど年に一度のお成りをひと目見たいという思いは抑えきれず、それで物心ついて以来そうしてきたように皆が出掛けた後で家を抜け出し、参道沿いの草陰に身を潜めていた。  藪蚊の猛攻にも足の痺れにも慣れ、残る敵は睡魔のみとなった夜ふけのこと。風にのって届いた鈴の音に、アミャはがばりと顔をあげた。瞠った瞳に飛びこんできたのは真っ赤な獣――いや、髪だ。幼子の姿をした緋獅子様の背で翻り翻り、燃え盛る炎さながら闇に踊る。と、金の光が一粒はじけ、アミャの前まで転がってきた。鈴だ。思わず手をのばして拾いあげ、どきりとした。緋獅子様が足を止め、こちらを見つめていらっしゃる。【緋獅子様のお顔を正視してはならない。目を合わせれば連れ去られる】慌てて顔を伏せ、視線が交わることは免れたが、頬の痣は見られてしまった。さぞやご気分を害されたに違いない。鈴をのせた手を差し出したまま身をこわばらせていると、指先が温かいものにくるまれた。見れば、小さな両手が鈴ごとアミャの手を握りしめている。『持ってゆけ。そう仰せだ』緋獅子様の背後で〈お付き〉が言った。『その鈴は〈お付きの証〉。来年はお前がこの大役を務めるんだ』熱に浮かされたように頭がぼうっとして、そのまましばらく動けなかった。  その夜を境に周囲の態度が一変した。けれど、唾を吐くかわりに笑顔を寄越すようになった連中を、今さら家族だの友達だのと呼べるわけがない。〈証〉の鈴を枕もとに置いて眠れば夢の中で緋獅子様に会えたが、起きている間は何をしていても虚しいだけ。次の火祭りに思いを馳せることでアミャは耐えた。日々の憂さを心躍る空想で紛らわせ、炎の女神様の季節が再び巡ってくるのを待ち侘びた。  それから一年。ついに訪れた祭りの晩、アミャは何百遍と見た夢のどれよりも夢のようなときを過ごした。また幼女に化けてお出ましになるとばかり思っていた緋獅子様が精悍な顔つきの女の姿をとっていらしたのには意表を突かれたが、燃えるような緋色の髪の下、逞しい脚が地を蹴る様は勇壮な舞のようで、お側に仕える間じゅう胸が高鳴りどおしだった。  だけど夢は覚めるもの。祭りが終わりに近づくにつれて高揚の潮は引き、アミャの足どりは重くなっていった。お神楽見物を終えられた緋獅子様をお社へとお連れし、豚の丸焼きにかぶりつかれるのを目の端に捉えつつお神酒の支度をするさなか、とうとう手もとがじわりとぼやけた。唇が震え喉が震え指が震え、盃の内に波が立つ。アミャは居住まいを正した。眦を決し『緋獅子様』と呼びかけて、ふり向いた緋獅子様をまっすぐに見た。黄金の虹彩に円い瞳孔。人ならざる者の眼に全身が粟立つ。【緋獅子様のお顔を正視してはならない】掟を忘れたわけじゃない。重々承知したその上で、アミャは瞳を逸らさない。【目を合わせれば連れ去られる】  張り詰めた視線の先でふいに緋獅子様が立ちあがった。大きく仰け反り息を吸い、烈火の如く咆哮した。お社じゅうの燭台の灯が消え闇が落ちる。立ち竦むアミャの眼前で火柱が噴きあがり、凄まじい熱と光の中から火焔を纏った獅子が躍り出た。吹き荒ぶ熱風に視界が歪み、飛び散る火の粉が肌を焼く。アミャは引かない。引かずにこらえる。目を閉じ身を縮めてじっと待つ。  だが何も起こらない。  恐る恐る瞼を持ちあげると、緋獅子様はどこにもいなかった。  行ってしまった。連れ去ってもらえなかった。悟るや高波のような痛みと悲しみが押し寄せた。アミャは叫んだ。喉が焼き切れんばかりの叫びとともにお社を飛び出し篝火に照らされた参道を走って走って足がもつれて倒れた後も石畳をめちゃくちゃに殴りつけ両の拳が抉れようとも尽きなかった衝動がようやく途切れたのは、視界の隅にちらついた金色のせいだった。鈴だ。篝火をうけて輝く表面に、血と泥で汚れた醜い顔が映っている。目を背けかけ、はっとした。直視するのを避け続け、それでもいつしか見慣れてしまった自分の顔。その瞳の奥に、見たことのない光がある。煌めき、はぜて、轟々と渦巻いて……。そうか、とアミャは呟いた。両手で鈴をつつみこみ、そっと胸に押しあてた。  その晩、アミャは家に帰らなかった。お供えものの残りをたいらげ、まるくなって仮眠をとり、夜が明けきる前にお社を出て――」 ――と、そこで旅の詩人は言葉を切った。 「続きはまた明日にしようかね」  真剣な面持ちで物語に聴き入っていた少女は不服げに声をあげたが、詩人の目配せで焚き火の向こうにすわる妹が船を漕いでいるのに気がつくと、しぶしぶながらといった様子で立ちあがった。姉妹が自分たちの天幕に帰ってゆくのを見送り、詩人は火の番にもどる。新しい薪をとろうと身をかがめた彼女の胸もとで、ちりんと微かな音がした。
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kei139-line · 2 years
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H&M Studioから未来をテーマにした2022年秋冬のハイエンドコレクション「Neo Real」を発表 全アイテムによりサステナブルな素材を使用したコレクションをH&M公式オンラインストアにて10月13日(木)より限定発売
H&Mから、最もハイエンドなコレクションであるH&M Studio(ストゥディオ) 2022年秋冬レディース・コレクションを発表します。全38種類が揃う全てのアイテムには、よりサステナブルな素材を使用しています。現実とファンタジーの境界線を曖昧にした「Neo…
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re08 · 2 years
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08-13
台風が来る 物凄いやつ(THE BLUE HEARTS)という感じで、気圧に負けた日。
本を3.5冊程読んだ。
『楽園の烏』阿部智里 シリーズ第2章始まり。雪哉改め雪斎の強かさがパワーアップしてた。確かに人を選ぶ性格してんなぁ。頼斗が若き日の雪哉よりはまろやかだけど、翻弄されてて頑張れ…となる。次巻は明日読む予定。
『蒼衣の末姫』門田充宏 造語が多すぎて追い付けない。内容的には王道ファンタジーぽいので、作者のTwitter見ながらぼちぼち読んでいく予定。
『あの人たちが本を焼いた日』ジーン・リース 文章というか、話している人目線なんだけど纏まりがないというか、病的というか。まるで他人の日記を盗み読んでるかのような気分になった。.5というのはこの短編集がまだ半分残っているから。短編集はちょい読みできるのが好き。装丁が良い!
『予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる』黒木渚 久しぶりに渚さんの小説読んだ。結構ドロドロな青春小説。高校生ってこんなぐちゃぐちゃか?とも思いつつ、私には経験が無いので知らぬところで周りでも実はあったのかもしんないなぁ、と思いながら読む。ハッピーエンドでは無いかもだけど、シッポが最後にギターとアンプぶっ壊したとこに痺れた。憧れの人ってやっぱり好き好きフィルターがかかるもんで、興味無くなると一気に冷める。そんなもんか。
『境い目なしの世界』角野栄子 境い目=現実世界と仮想?世界。今の世代は生まれたときからネットが当たり前だから、それに対する警鐘かな、と思う。久しぶりに角野作品読んだけど、時代に合わせて書くのって大変だな。ちょいちょい時代錯誤があるのは仕方ないね。160頁ながらも内容が濃くて、読了後どっと疲れた。でも次々ページをめくってしまうほどハラハラ感もあって、流石だな…
Twitterのタグ読了で気になった本をほいほい予約。連絡来た時に読む気力があるといいな…… 村田沙耶香の『信仰』がめちゃくちゃ気になる。けど単行本は流石に予約殺到なので、文學界を予約。受賞作品もだけど、雑誌を予約した方がはやいときもあるよねー。
24:30からRSRの代打藤井風が配信されると教えてもらったので、貴重だし観る予定。寝落ちするなよ!
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misasmemorandum · 2 years
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『谷崎潤一郎と大阪』 三島佑一
図書館で見つけて借りてみた。著者は昭和3年に船場で生まれた。この本では『蘆刈』、『春琴抄』と『細雪』について書いている。蘆刈ではやはり当時の短い結婚生活について書かれてて、春琴抄ではこれを書いていたときに3番目の奥さんに甲斐甲斐しく使えてたことと、細雪では、船場言葉に(小説的技巧なのか���本来なら使われないような単語使いがあって、松子夫人がちゃんと目を通しておけばよかったと語ったとあった。この単語使いに関しては、私はフィクションとしての雰囲気づくりなどのためだろうと思うし、もし松子夫人が注意していたとしても、作家の一存で変えなかっただろと思う。
春琴抄を書いた頃に、これを書くために実生活で佐助になりきって松子夫人に使えたそうだ(p37)。これって、谷崎の己のマゾヒスティックはファンタジーを体験して小説にしたってことじゃないのかな。芸術のためというより、己の情熱のためでは?ま、それが芸術になったのだから、谷崎、すごい。
谷崎は自分の作品世界をある程度自分で体験しないと書けない作家だったみたい。ってか、自分がとある恋愛をしてそれを小説にしたのかも、だ。
春琴抄に関しては、やはり、男女の位置が逆だったらここまで色々考えて書く人も出なかったんじゃないかな、だ。マゾの愛を、著者はそのまままで受け入れられないから、宗教的法悦がどうとかこうとか考えてるのかも知れん。そして、谷崎も男の女性に対するマゾヒスティックな崇拝心は一般には理解され難いものだと分かっていたから、上に書いたように宗教的などうたらこうたらな描写になったんだろう。ま、ここいらが芸術とポルノの境界線なんだろうか。いや、もしかして、私が自分の考えに執着してるだけなのか。そうそう、谷崎はお母さんに近親相姦的なまでの愛情を持っていたそうだ。へえーーーーーーー、だ。ちょっとオロロいた。
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farwyndy · 2 years
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Piranesi
未読の方はご注意下さい。この作品は、できる限り何も知らずに、まず読むことをおすすめします。
スザンナ・クラークの『ピラネージ』の感想をずっと書きたいと思っていた。去年十月、秋晴れの日に部屋の窓辺でこの本を読み終えた時の晴れやかな気持ちを、半年以上経った今も忘れられない。なんて世界は美しいんだろう、なんて美しい世界に生きているのだろう。室内は静かで、窓からは優しい光がさし、木々が風にそよいでいた。いつもと何も変わらない見慣れた場所にいても、世界は無限に美しい。
先日、『ピラネージ』の日本語訳の訳者あとがきが公開されたので読んでみた。わたしは翻訳を待ちきれずに原書を読んでいたので、この美しい物語がどう翻訳されているのか楽しみだった。そして驚いた。
異世界とはなにか、なぜ人は現実とは異なる場所へ行くことを求めるのか、というファンタジーの根源にかかわる問いをまっすぐに投げかけてくる
わたしのこの作品に対する感想と、正反対だった。
『ピラネージ』のはじまりは、とても不思議で読者を惑わせる。わたしはもともとスザンナ・クラークのデビュー作『ジョナサン・ストレンジ&ミスター・ノレル』が好きで、何年か前、新作が出ると知ってどんな作品なのかを調べていた。タイトルは『ピラネージ』。ピラネージとは?を調べると、十八世紀のイタリアの版画家だとわかる。そしてすっかり、今回の新作は十八世紀イタリアが舞台!と思い込む。そう思い込んだまま、念願の美しい本を手にし、最初のページを読み始めた。(エピグラフに、ん?と一瞬立ち止まったけれど)目の前に広がる不思議な世界!冒頭を五回くらい繰り返して読んで、これはどうやら過去のイタリアが舞台ではないらしいと、思い込みを捨てる。そしてこの〈異世界〉に魅了される。潮の満ち引き、彫刻の並ぶ広間、その数!最初の思い込みがイタリアだったので、ローマの街に並ぶベリーニなどの彫刻や、美術館やお屋敷の彫刻のある広間、あとは勿論版画家ピラネージの銅版画作品、などを基に世界を想像しながら、わくわくと読み進めた。この時はわたしも、訳者あとがきのようにこの〈異世界〉に素��に心惹かれていた。
作品の印象が変化したのは第二章冒頭、主人公の友だち、もう一人の登場人物である the Other の台詞がきっかけだった。Do you remember Batter-Sea? バター・シーを覚えてる?主人公は覚えていなかったけれど、わたしは偶然にもバタシーが何かを知っていた。なぜなら以前、近くに住んでいたことがあったから。the Other の持つ怪しい shining devices や、身なりなどの細やかなヒントもあって、気がついてしまった。これは、異世界というより、スマフォやロンドンが存在する世界の物語だと。
『ピラネージ』の世界は、夢のような幻想的な異世界、というより、ちょっと不思議なロンドン、という前提で続きを読み進めた。そこからは、ファンタジー小説というよりミステリー小説を読んでいる感覚に近かった。(ドラマ版『シャーロック』でいうところの、〈マインド・パレス〉の世界かな?とも思った。主人公の頭の中の精神世界?)物語が進むにつれ、謎が明かされてゆくにつれ、読者は嫌でも気がつかされてしまう。主人公の住む、果てしない数の広間や彫刻や海や空を抱く世界は、確かに心惹かれる〈異世界〉ではあるけど、物語全体を包んでいるのは、わたし達が普通に生活しているこの〈現実世界〉だ。この二つの世界の境界線が、非常に曖昧になってくる。例えば the House と呼ばれていた主人公の暮らす巨大な果てしない建物も、the World という言葉で置き換えられる。第二章後半、主人公が彼の日誌の中で、
The World feels Complete and Whole, and I, its Child, fit into it seamlessly.
と書くとき、この the World は彼の美しい自然と芸術の住処を指すと同時に、わたし達の住む地球、戦争や疫病や自然破壊、気候変動などに侵されていても、なおわたし達を生かしてくれるこの優しい世界を指しているのだと、感じたく、もしくは解釈したくなる。(特に一度読了し、二度三度と読むと)
そして最後には、主人公は彼の愛する〈異世界〉から、この〈現実世界〉へと帰ってくるのだ。物語は、とても静かに幕を閉じる。主人公は相変わらず日誌を書く。現実世界に耐えられない時は、目を閉じてかつての美しい世界の記憶を辿る。夢で彫刻に再会し、目が覚めて自分の居場所はここではない、と感じる。それでも彼は気がつくのだ。十二月、雪の降る公園の色や静けさ、行き交う人々の姿に、かつての美しい世界の面影があることに。そしてこの日常風景の中にも、独自の美しさがあることに。
The Beauty of the House is immeasurable; its Kindness infinite.
最後にこの作品の核と言えるこの一文が繰り返される。このとき、この the House は、大きな意味での、わたしたちの住む場所、家、世界、を指しているのだと思う。
読了し、深い感動に包まれた。世界はなんて優しく、不思議で、美しいのか、異世界に行かずとも、わたし達は様々な問題を抱えていてすら奇跡のように美しい地球に暮らしているのだ。
主人公が一つ一つの広間や彫刻、鳥や自然現象を注意深く観察するように、窓の外を見渡せば、太陽の光、草木の芽吹き、風の強弱、花の色、月の巡り、鳥の声、何もかもが不思議で美しい。それでも現実が辛いとき、耐えられないときには、美しい記憶を辿ることもできる。例えば本の世界でも、旅行先で見た芸術作品でも、昨日の星空でも。そして次の日には、また別の何か心惹かれるものに気がつくことができるかもしれないのだ…
というような感想だったので、話を戻すが、翻訳者あとがきの
なぜ人は現実とは異なる場所へ行くことを求めるのか
には首をかしげてしまった。異世界を経て、現実へ優しく目を向けている物語だと思っていた。なぜ人は現実とは異なる場所へ行くことを求めるのか?この問いに対するこたえが、この作品の中にあるのだろうか?主人公ですら、最初は異世界に行きたくて行ったわけではないのでは?何か見落としているのだろうか?解釈の違いが気になって仕方なかったので、色々な感想やレビューを参考にと読んでみた。すると大変興味深いことに、この作品には大きく分けて二通りの解釈があることに気がついた。
一つは、わたしも同じ、現実世界の美しさを再発見するタイプ。
もう一つは、現実世界よりも異世界へ憧れるタイプだった。
なるほど!二つ目に関しては、特に The Guardian のレビューが大変分かりやすかった。この本のタイトルであり、主人公の名前でもある〈ピラネージ〉は、最初に書いた通り、十八世紀イタリアの版画家だ。特に架空の牢獄を描いたもので有名で、主人公がピラネージと呼ばれている由来にもなっている。こちらのレビューは更に掘り下げていて、かの詩人ゲーテは、あまりにピラネージの架空世界の絵画に魅了されてしまったので、現実のローマを見ても大いにがっかりした、というのだ。それと同じようなことが、著者スザンナ・クラークの作品にも言えるかもしれないと。つまり、物語の世界、ファンタジー世界、異世界、が魅力的であればあるほど、現実世界に落胆してしまう、ということだろうか?だから異世界へ憧れて〈人は現実とは異なる場所へ行くことを求める〉に繋がるのだろうか?
たしかに、色々読んだレビューや感想の中には、あの海と空と鳥と彫刻の世界に自分も行きたい、というものが多くあった。わたしはどちらかと言うとそれらを、魅力的で美しいもの、生きるために必要なもの、慰められるもの、親しみを感じるもの、観察するもの…などを、現実の世界にいても身近に感じることができるはずだ、と思うのだ。
わたしは普段ファンタジー作品をあまり読まないし、英文学に詳しいわけでも全くないので、これ以上何かもっと掘り下げて考えるのが難しいのが残念だ。読書会などに参加して、この作品の色々なことについて語り合ってみたい。そんな読解ができるのか、と驚くこと、まだ気がついていない、知らないことがたくさんありそうだ。
『ピラネージ』は本当に色々な読み方のできる不思議な物語で、今回は異世界と現実世界についてのみ絞って書いてしまったが、まだまだ感想は溢れてくる。目撃者を必要とする美についてや、主人公の設定について、そのほかの登場人物について、大好きな引用したい台詞について…… などなど。しかしこの物語に関しては、きっとどんなに言葉を尽くしても、
The House is valuable because it is the House. It is enough in and of Itself.
なのだろう。
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mokkung · 3 years
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映画『密航者』〜コロナ禍の私達を描いているのかもしれない〜
2021年 ドイツ・アメリカ合作 原題:Stowaway 監督:ジョー・ペナ 脚本:ジョー・ペナ、ライアン・モリソン 撮影:クレメンス・ベッカー 美術:マルコ・ビットナー・ロッサー 編集:ライアン・モリソン 音楽:フォルカー・バーテルマン 出演者:アナ・ケンドリック、ダニエル・デイ・キム、トニ・コレット、シャミアー・アンダーソン
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 GW明けて(やはりこうなるよねと言うべきですが)新型コロナウィルス感染症の感染拡大が加速していますね。医療に携わるものとしては、なかなか気が重い状況になってしまいました。
 最近バタバタしていて、なかなか長文で感想や考察を書く時間がなかったのですが、久々に印象に残った映画がありましたので映画レビューを書きました。『密航者』というNetflixで配信されている新作映画ですが、何となく科学考証がしっかりされたSFで面白そうだなと思い鑑賞したところ、予想に反して重たいテーマを内包した映画だったのです。
あらすじ
 火星への人類移住プロジェクトの研究目的として、宇宙飛行士のマリナ・バーネット船長、医師のゾーイ・レベンソン、生物学者のデイビッド・キムの3人を乗せた宇宙船は地球を飛び立った。2年かけて火星に向かうミッションである。無事大気圏を突破し、火星へ向かう経路を維持することに成功した彼らだったが、ひょんなことから二酸化炭素除去装置のパネルの背後に閉じ込められていた、怪我を負い意識を失った男を発見する。男は宇宙船発射の技術者の一人であるマイケル・アダムスで、なんと宇宙船切り離しの作業中に気を失い、宇宙船に乗ったまま図らずも宇宙に旅立ってしまったのであった。ゾーイの手当でマイケルは一命をとりとめ回復する。しかしマイケルを救出した際に二酸化炭素除去装置が破損してしまい、そして4人になってしまった乗組員に対して、火星に到達するまでに“3人分”の酸素しか残されていないことが判明するのだった。
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引用元
リアルで美しい宇宙・技術描写
 本作は近未来を描いたSF映画で、まずなんと言っても宇宙船描写がとてもリアル感があって素晴らしいことが特徴といえます。ロケットで大気圏外に出て、地球の周回軌道上の宇宙ステーションとドッキングして宇宙船となり、さらに回転しながら船内の重力を生むという仕組みは、素人が見ても有り得そうだなと思えるギミックでしたし、ドッキングした宇宙ステーション内は僕らがこれまで実際に映像で見たことのある宇宙ステーションと類似しており、壁に過去に乗船したクルーたちのサインが書いてある描写などがあり、この宇宙ステーションがこれまでも活用されてきた設備なのだということを暗に示していてリアルでした。重力の影響や船外活動の様子など、他の細々した宇宙描写も含め、かなり現実に近いリアリティにこだわった演出がなされていると感じられました。
 僕は宇宙開発に詳しいわけではありませんが、このように現在の技術の延長で近い将来火星へ向かうとすればこんな感じになりそうだなという、実在感のある宇宙船造形・美術が印象的で、決して遥か遠い未来や別世界と言っていいようなデフォルメされまくったファンタジー性のあるSF描写ではないのです。映画『オデッセイ』や『ゼロ・グラビティ』といった映画に近い雰囲気です。
 ちなみにIMDbに記載されていたので知りましたが、この映画の火星への到達方法は、火星サイクラーという方法論で実際に存在する理論だそうです。
映画『ゼロ・グラビティ』予告編
映画『オデッセイ』予告編
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引用元
サスペンス演出が見事
 クルーの3人の様子も良かったです。船長は宇宙飛行士ですが、他の2人はそれぞれ医師と生物学者であり、入念なトレーニングを受けたとはいえ、経験は未熟で宇宙へ行くのは初めてです。序盤、ゾーイは大気圏外に出て地球が見えたときにニッコリして「信じられない」と叫んだり、デイビッドは宇宙出た直後に酔って嘔吐するなど、彼らの経験値を説明的セリフで示すわけではなく行動や態度でさり気なく伝えるような演出が丁寧でした。
 また冒頭は宇宙ステーションにドッキングするまで、ずっと乗組員が座っているコクピットの様子しか映し出されず、3人の様子、宇宙船の揺れや音、管制との無線でのやり取りのみで一部始終を演出しているので、我々観客には最小限の情報しか無いため非常に緊張感が高いです。どうなるどうなる?という展開の後、大気圏外に出たときにゾーイのネックレスが首元から中に浮き、おもむろに窓から地球が見えることで、宇宙に出てきたんだということが分かり、こちらの緊張感もふっとほぐれる見事な一連の冒頭シーンでした。
 この映画、この後もそうなんですが、このように緊張感のあるサスペンス描写はすばらしく、ハラハラする展開はよくできていると感じました。
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引用元
大義や他者のために誰かを犠牲にできるのか?
 当初は順調に宇宙での活動が始まるのですが、予期せぬ乗員の出現と生命を維持するための酸素が枯渇するという重大な問題生じて、物語は急に別の方向に舵を切ることになります。希望に満ちた宇宙SF映画が、突如宇宙船内という限定空間でのシュチュエーション・サスペンスに切り替わります。
 不本意とはいえ、怪我をした上、全くトレーニングを受けていないド素人をひとり抱えることになり、更に4人乗員がいるのに酸素が3人分しかないという最悪の状況に陥ります。このままではいずれ全員死ぬ、1人増えさえしなければこんなことにならなかったのに・・・。そうなった時、一体���うすればよいのでしょうか。運命はそんな問いを4人に投げかけ、決断を迫ってくるのです。
 ここから先は映画を観てください。
 ネタバレを避けてあまり深くは言及しませんが、劇中では弱者は犠牲になっても良いのか、自分はこんなに我慢したのにまだ辛いことをさせるのか、何かを犠牲にしてでもミッションを進め続けることができるのか、という感情が錯綜します。つまり本作の最大のテーマは「資源が限られている状況で大義や他者のために誰かを犠牲にしても良いのか」ということです。
 本作は一見、宇宙船内で起こるサスペンスを描いたSF映画なのですが、私達の実社会で起こることのメタファーとも言える物語でもあります。上述したようなことは、世界レベルの国家間問題から地域社会レベルで抱える問題や、さらには職場・家族・友人同士という小さなコミュニティー内でも起こりうる問題であり、それを「地球から遠く離れた宇宙船内で窮地に追い込まれた異なるバックグラウンドを持つ4人」という設定に落とし込んでいるのです。
 そして製作時の意図は知りませんが、図らずも現在のコロナ禍における社会ともシンクロする部分が大いにあると感じました。経済や最優先に考えてCOVID-19感染拡大リスクを冒すのか、感染拡大防止のため制限を強めた場合に困窮する人達はやむなしとするのか、感染拡大が問題となる中でもオリンピックのためなら医療に人員を割いてよいのか、感染拡大抑止のためなら努力してきたアスリートの目標が消えても良いのか、僕にはそういった問題を暗示するかのように感じられました。
 自分は医師ですので、限られた資源という観点では、残り一台しかない人工呼吸器に対して呼吸不全になった患者が2人いるときどうするのか?、残り1床しかないのに2人の患者受入れ要請があったときどうするのか?という問題も想起されました(実際、現在の関西ではこういった問題が起きていると聞いています)。
 このような白黒付けられない、非常にセンシティブな問題を孕んだ映画なのです。それを踏まえると、ラストの着地はちょっと残念で、例え最適解ではないとしてももう一捻り欲しかったなあと感じてしまいます。あれでは広げたテーマに対して答えになっていない気すらしてしまうのです。正解を出すのは難しいとは思うんですけどね・・・。
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医療描写について
 医療描写に関して言及すると、アナ・ケンドリック演じるゾーイという医師が、怪我をしたマイケルを手当するシーンがあるのですが、ここは概ねリアルだったと思います。
 体表面の深い傷に対して、スプレー式の消毒と思われる処置をした後、麻酔をして、表皮を縫合するという一連の操作が短縮されて映し出されます。本当は外傷の場合、消毒よりも麻酔してから傷の内部をゴシゴシとしっかり洗浄することのほうが重要なのですが、宇宙船内の限られた環境ではこのような方法になるのだと思います。
 ゾーイが縫合する手付きはリアルで、手首の動き方などは本当に縫合している人に見えました。アナ・ケンドリックはこのためにしっかりトレーニングしたのかもしれませんね。
 あとは医療描写に限定したことではないのですが、ダニエル・デイ・キム演じる生物学者デイビッドが、やむを得ず取るある自己犠牲的な行動。自分も臨床医でありますが、ちょっとだけ研究にも携わっている立場なので、科学者である彼の気持ちを考えると、あれは本当に辛かったです。泣きそうになりました。
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最後に
 若干不満点を述べた部分はありましたが、概ね好意的で非常に満足度の高い映画でした。いろいろ賛否は分かれそうな内容ではありますが、本作を観た人のいろんな意見を聞いてみたいと思いましたし、何より映像は十分高いクオリティで面白いことは間違いないと思います。是非ご覧になってみてください。Netflixで配信中、ステイホームのお供に!
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skf14 · 3 years
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愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
いくつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子へと腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読などしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と力が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序���保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至る所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が浮かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手く呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利己的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を、販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょうね。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿。救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに���が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、人間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに、最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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kininarizm · 3 years
Text
ウマ娘が面白い
”キミと夢をかけるよ
何回だって勝ち進め 勝利のその先へ!”
『ユメヲカケル/スペシャルウィーク(和氣あず未)、サイレンススズカ(高野麻里佳)、トウカイテイオー(Machico)、ウオッカ(大橋彩香)、ダイワスカーレット(木村千咲)、ゴールドシップ(上田瞳)、メジロマックイーン(大西沙織)』
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今期やってるウマ娘が面白い。
西のマーガレットサッチャーと並んで鉄の涙腺を持つと言われる
この私をもってして3回も泣いてしまった。
以下長いのでオタク特有の早口と思って聞いてほしい。
自分は競馬は全く見ない・興味がなかった人間で、
しいて言えば新聞やニュースなどで
オグリキャップ、サイレンススズカ、ディープインパクト、キタサンブラック
は聞いたことがある、程度
F1で例えるならセナ、アロンソ、シューマッハの名前は聞いたことある、
程度のごく一般レベルの知識である。
それが作品を見終わると、にわか知識であろうと
2,30頭の馬名を覚えてしまうのだから、コンテンツのちからは偉大である。
▽あらすじ
ウマ娘のあらすじを簡潔に説明すると、
日本一のウマ娘(レース優勝)を目指して、地方から上京したり、トレセン学園に通うメンバーがレースで競い合いつつお互いを高めあっていく
ざっくりいえば陸上部系スポ根青春物語である。
また、1期は1998年の名馬スペシャルウィークとサイレンススズカの悲劇を主軸とした話、
2期は1991年、初の無敗クラシック三冠馬に輝くと期待されたトウカイテイオーの度重なる挫折と復活、メジロマックイーンとのライバル関係を主軸とした群像劇である。
そしてキャラクター背景が90年代競馬史をなぞらえたフィクションであるため、
ある種ググればどういう展開になるか予想がつきやすい、オチのわかりきった結末を描いた作品ともいえる。
では、なぜそこに感動があるのか。
たとえば、1期のWヒロインの1頭であるサイレンススズカは、
圧倒的なスピードをもってして
1998年の秋天皇賞で後続に8馬身〜10馬身を広げる前例のない爆逃げをかまし、
伝説級のタイムで第4コーナーを曲がろうとした矢先に粉砕骨折が発生。
レース中に安楽死させられるという非業の死を遂げる。
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サイレンススズカの悲劇は競馬ファンでない僕でも聞いたことあるレベルの話なので、つまり史実からすれば、登場人物の1人が死ぬことは既に確定しているのである。
そしてその各期における運命的なレース
『この世界の片隅に』で1945年8月6日が近づくにつれてソワソワしたようなあの不安とも緊張感ともとれない時間が、
1期では98年天皇賞開催の7話、
2��では93年有馬記念の回まで悶々と続いていく。
もちろん公式がネタバレ状態なので寧ろそういった前提知識がない層を
ターゲットとしている作品ではあるのだが、
このような各馬の悲劇と栄光の歴史を知っているオールドファンに対しても
救済だったり、思いがけない結果も予想される展開となっているのが、今作の見どころである。
つまりこれはあくまでアニメであり、
現実で起こった悲劇を、結末を、歴史の書き換えを行うことができうるのが
脚本の妙であり、唯一創作が現実を凌駕できるファンタジー表現であり、
僕が好きなドラクエ6のような、
できれば、こうであって欲しかった夢の世界
擬人化することであの時あの馬はこう思っていたのかも知れない、
現実には関係性がなかった馬も影響されていたのかも知れない、
などといったエモエモな浮遊感を伴ったIFストーリーが
努力、友情、勝利の熱いスポ根の基本線にそっと添えられていることに
あの頃のあなたも、この頃のわたしもカタルシスを感じているのかもしれない。
2期も特にスポ根青春群像劇として、仮にフィクションなら
編集にその場で突き返されるとしか思えないほど畳み掛けるように連続で理不尽な逆境が正面からぶつかってくるのだが、
でもこれ、現実なのよね、という圧倒的なリアリティをもって「ぐぅ」の音も治まって説得されてしまう。
というわけで興味を持った人はぜひ見てほしい。
音楽もいいです。
余談であるが、全く競馬に縁はないのだけど、
実は日本で唯一の競馬学校が実家から歩いて10分程度の所にあった。
武豊はとっくに卒業した頃だったけど、小学校で遊んでいた近くで
後の名馬にのる沢山の未来の騎手たちが切磋琢磨していたのであった。
また同時に中山競馬場にもバスで1本で行ける所でもあったので、
G1級のレースなどが開催された時は、すぐにバスが満員になったのを覚えている。
90年代後半のあの頃、身近な所で生まれていたであろう数多の熱狂や興奮を、
よもや20年経て追体験するとは思わなかった。
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