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#崖州
hashibrew · 2 years
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させること���あり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋を��けるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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m12gatsu · 1 year
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無題
年末に彼女とユリイカを観た。俺は2回目だった。2人兄妹で九州ネイティヴの彼女にも観てもらいたかった。半ば放心状態の彼女と劇場を出て、近くのはま寿司に入って、何か喋ると泣きそうだという彼女とぽつぽつ感想を話し合った。あの兄のアセスメントをどう見立てているか、と訊かれたから、自分のトラウマと折り合うために、不条理を道理にしたかったんだと思う、とこたえた。後ろのボックス席の大学生がうるさかった。彼女は静かにうなずきながら、勉強になる映画だった、といった。トラウマから立ち直っていこうとする人の姿を、三者三様で真摯に描いていたから、と。
正月は彼女の実家に帰って、義父の運転でユリイカのロケ地だった阿蘇の草千里と中岳の火口に連れてってもらった。美しい風景だった。冬枯れした草原が黄金色に光っていて、スクリーンで観た色に限りなく近いようだった。冬に行ってよかった。金色の野っすね、と俺がいったら、義父が、ナウシカやね、と笑った。火口付近は猛然と白煙を上げていて、到着してすぐは立ち入りが規制されていたけれど、程なく解除されて無事に見学することができた。太宰府で大吉を引いた義父のもたらした僥倖だった。スピード狂の義父は、車間を保って法定速度を順守している車たちに毒づきながら、快調に愛車を転がしていく。自損事故で長男を喪っているのに、と口にはしないまでも思う。車内には義母の好きなLDH系のアーティストの曲が終始流れていた。熊本地震の影響か、脱落して痘痕みたいになった山肌が何箇所も見えた。途中、数鹿流(すがる)崩れといって、大規模な山崩れの起きた遺構にも立ち寄った。東海大の学生が巻き込まれて……、ときいて、俺も当時の報道を思い出した。崖の途中に引っかかった路面やガードレールがそのまま遺されている。すぐ脇には再建された阿蘇大橋が架かっていて、真新しいコンクリートが光っていた。破壊と再生の風景だった、ここもまた。
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もう1日休みがあったから、彼女とレンタカー借りて海ノ中道に行った。車内ではジム・オルークやアルバート・アイラーを流した。陽が沈む前にと急いて急いて、すぐ向こうに海の気配を感じるのにどこまでも切れず伸びている松原を恨みながら海岸沿いの道路を駆け抜けて、ようやく辿り着いた浜辺はまさしくゴールデンタイムで、ハングル文字の書かれたペットボトルや半壊した冷蔵庫が漂着していた。世界の終わりによく渚の風景が描かれるのも頷けた。ぼろぼろになった海鳥がはらわたを晒して事切れていた。晒す、という字は西日と書くんだね。写真もたくさん撮った。現像が楽しみ。良い旅だった。巡礼の旅だった。いつか義兄が亡くなった現場にも同行させてほしい、と彼女に伝えた。
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oldkwaidan · 2 months
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山口の一つ火
 土地の古老から聞いた話。  信州木曽の太郎山の中腹に毎夜一つの火の玉が現れる。  それにはこんな由来話がある。
 太郎山の東の山懐にある山口村に、昔、美しい娘がいた。  彼女は松代の若者と相思相愛の仲となり、毎晩毎晩、山口村から松代まで、若者の許に通った。  娘はいつも土産に温かい餅を持ち、太郎山から大峰、五里峰、鏡台山、妻女山などの険しい山々が連なる峰を伝って通ってきた。  やがてそのことに若者は疑問を抱くようになった。  こんな長い距離をやってくる娘の土産の餅が、いつも搗き立てのように温かいのはなぜだろう。  ある夜、男はその仔細を尋ねた。  女は恥ずかし気に語った。 「家を出るとき、糯米を掴んで、一生懸命に山々を来るうちに、いつのまにか手の中で餅になっているのです」  それを聞いた男は薄気味悪くなった。  真夜中、山また山、険しい崖路、握った米、搗き立ての餅……  男の心の中で不安がどんどん膨らみ、ついには、人知れずこの女を殺してしまおう、と考えるようになった。
 ある夜、太郎山から大峰へ行く「刀の刃」と呼ばれている難所で、男は娘を待ち伏せした。  そこは山口村から松代へ抜ける際、必ず通らねばならぬ場所である。  娘はいつものように刀の刃を越えようとした。  男は飛び出し、娘を断崖絶壁の上から谷底へ突き落とした。  こうして娘は恋人に無残に殺されたのであるが、それ以来、山口の一つ火が現れるようになったという。
 (小山真夫『小県郡民譚集』伝説 「一、小県郡に関するもの」)
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uedah1 · 3 months
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ゴジラー1.0観ましたよ!
ゴジラー1.0を公開当日、ゴジラの日の朝一番にドルビーアトモス上映で見てきた。 チケットも高いし、迷ったけど、迫力もあって、選んで良かった。 最初、ドルビーアトモスの紹介動画が流れたのだけど、特徴を際立たせたその没入感と音の迫力に思わず少し泣いてしまった。 自分のツボが謎すぎる。
予告編だけみて、内容の予想を勝手に立て、Twitterに投稿していた。 7月12日の事だ。
「ゴジラ-1.0勝手予想。運良く特攻を避けていた非戦派の主人公が、葛藤の末、 国産核兵器(京大制作)を積んで、唯一残っていたゼロ戦で、戦災を免れていた京都に現れたゴジラ相手に特攻。 日本人が日本人の手で0の日本を-1.0とする。クレーターと化した京都市内。煙の中から咆哮が…。劇終。」
「ゴジラ-1.0勝手予想2。昭和二十年九月二日。 東京湾で戦艦ミズーリが轟沈。連合国は日本の仕業と判断し、十一月、ダウンフォール作戦が発動される。 九州南部を強襲する連合国、迎え撃つ旧軍、そこへゴジラが現れ戦場は大混乱に陥る。 一方国内は物資欠乏、食料危機も迫るのだった…。」
という風でで、さて以下ではネタバレ込みで予想の適否とその他諸々の感想を書き殴っていく。 本投稿は予約投稿を指定しておき、3か月程度経過した後にポストされるようにする。
予想1、「特攻を避けていた主人公がゴジラを倒す為に特攻を決意、とどめを刺したかに見えたが咆哮が響く」 というのは、大枠で正解してしまったと言えるのではないだろうか。 何となく思っていた通りになってしまったことは、却って寂しい感じもする。 しかし、だからといって単調な駄作という事では決してなかった。
さて私も普通に生きてきたので、日本の大衆的な創作物の文脈にあるものを摂取しながら育った。 ある程度色々と見ると、その文脈の中でも頻出の「お約束」があり、それをを感じると却って醒めてしまうというのはよくある。 そうして私は所謂「所謂アンチ邦画派」になってしまった。世の中にも一定数そういう人がいるようで、 私もそうした人と同じように洋画と比べた時になんだか脚本が観客を舐めてないかとか、カメラワークが稚拙でないかとかをついつい考えてしまう。 今回のゴジラでも同じように、主人公とヒロインの心が通う…と思ったら…からのどっこいやっぱり…という展開にはやはり感じ入るものがある。 加えて、戦闘機の追加装備の件、私なら爆弾の安全装置が二重なんだと筑波の整備兵氏に嘘をつかせる。 ああやって言葉で説明しないと観客は理解できなかろうと思われている所が割に許せないのである。 座席の後ろに箱があり、大写しにしている時点でそれ位は察せるし、きちんとそういう演出をしているじゃないかと思う。 それと、全体的に生きろとか死ぬなとかセリフにあり過ぎてこれにも難を感じる。 私の感覚では、意外とそういう事は口にしないもので、人間危急の時であってももっと目の前の事を語るのではないかと思う。 生きろ、じゃなく逃げろならまだわかるかな。 比較してもしょうながいけど、シン・ゴジラの「幹事長は任せろ」みたいな物言いが「本物」なのではないか?とか思ってしまう。
一方で、昔は、「戦場から逃げてしまった負い目」とか「戦争のトラウマをひきずっている」とか、「それらを吐露して涙を流す」とかの描写も好きではなかった。 しかし、今、私も三十半ばとなり、自分自身も私を取り巻く現実にも大小様々な嫌な事、辛い事が満ちていて、 そうしたものに囚われながら生を重ねており、それがストーリーの軸になること自体についてはおかしく思わないようになってしまった。 むしろそうした描写に居心地の悪さを感じていたこと自体が、自分の怯えをそれと理解できなかったからだという風に考えるようになってきた。
さて、映画とかを見てちょっと醒める瞬間の話に戻して、 じゃあやっぱり「あ~三丁目の夕日かね、もっとシン・ゴジラみたいなら良かったね」と思うかというと全然そんなことはなかった。 ゴジラ自体が恐ろしすぎて、その「お約束」で逆にバランスを取れているんじゃないかと思わされる位だった。 人間がくちゃくちゃにされてしまうシーンは割と直截的であって、ゴジラの剝き出しの敵意と合わさってそれが恐ろしい。 逆にこの雰囲気だけで全編終わってしまったら、ただ後味が悪いだけになったろうと思う。
自分でも先に触れてしまった事だけど、直近の実写ゴジラといえば「シン・ゴジラ」で、あれは、ある種の「正解」になってしまっていると思う。 シンを鑑賞後にゴジラシリーズを振り返ってみると、要所要所にこれまでのゴジラシリーズのモチーフがあり、 例えば胸躍る音楽である所の「宇宙大戦争マーチ」にしたって、実はシン・ゴジラが初めてではないのであった。 にも拘わらず、初めて/久し振りに「ゴジラ」を見た人をああまで虜にするその新規性と作りこみという点が凄いと思う。
庵野作品だから。庵野作品が好きな人の感想ばっかり私が見ているから、とかもあるかも知れないけど。
でもユリイカのシン・ゴジラ特集の寄稿者の真剣味とかもそれはそれはすごい熱量だった。
とまあ、そこと比べられる事が前提でありつつ、 他方「山崎貴のエンタメ」を見に来る人を考慮に入れながら東宝の看板作品を撮るという��はどれ程難しいだろう。 私は、その両方を満足させられるだけのものを感じた。 一方で分かりやす過ぎるほどの分かりやすさを、一方で突き抜けた恐怖を…という感じに。 あれだけ人間を蹂躙できるのだから、浜辺美波ちゃんのところがどっこいも、なしにしようとすればできたと思う。 それを、そうせずに、ハッピーエンドを重ねつつ最後にひと押し崖から突き落とす示唆があるという所で、 私は印象を攪乱され、良いとも悪いとも断言できない深みを覚えたのであった。 正に、「恐れ入り谷の鬼子母神」。
以下、観ながら頭に浮かんでいた事の羅列。順不同。 第二復員省の関西弁のおじさん最高。 東洋バルーンの技術者さん達最高。 浜辺美波ちゃん。 佐々木蔵之介様~。 鐘がなりますきんこんかん♪ ジュラシックパークやん! インデペンデンスデイやん! 電車パクーはファーストゴジラオマージュとしては誰もが喜ぶやつだよねー。 大人の男はタバコを吸うという描写から逃げないのいいね。朝ドラとは違う。 幼い子が出てきちゃうのははずるい。 浜辺美波は、シン・仮面ライダーでも成り行きで一緒に住むことになってしまった魅力的な女の子役だったけど、 まさかゴジラでも同じような役柄になるとは…。彼女の何がおじさん達にそうさせてしまうのだろうか。 にしても「できないよ!」からの「乗せて下さい!」は、あまりに碇シンジ君。 というか逆に、神木隆之介君は既にエヴァで本物の碇シンジ君になっていたか…。
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大纽约社区介绍之University Heights, the Bronx
大学高地(University Heights)位于布朗克斯西北部,是一块面积不大、有些地方还很邋遢的飞地。布朗克斯社区大学(Bronx Community College)占地45英亩,校园横跨悬崖峭壁,视野开阔,对社区的影响举足轻重。
这不是一所典型的通勤学校。该学院最著名的建筑由斯坦福-怀特(Stanford White)设计,2012年,学院大部分建筑被评为国家历史地标。
1973年,这个拥有约3万人口的社区并不景气。纽约大学(NYU)在19世纪末建立了这所校园,作为其格林威治村(Greenwich Village)以外的乡村校区,随着犯罪率的上升和入学率的下降,纽约大学以约6200万美元的价格将学校卖给了州政府。
据史料记载,随着有宿舍的大学被学生每晚回家的学院所取代,一个艰难的过渡时期随之而来。West 183rd Street和Loring Place North等曾经是学生和教师居住的街道变得空旷破败。
但学院的管理者和居民们认为,这所在20世纪80年代斥资数百万翻新校外建筑的学校就像一条马奇诺防线(Maginot Line),阻止了南布朗克斯的凋敝。
如今,隶属于纽约城市大学(City University of New York)的布朗克斯社区大学拥有约11000名学生和1600名教师,校门有保安人员看守,校园周围有巡逻车巡逻;2012年,由Robert A.M. Stern Architects设计的新北楼和图书馆落成剪彩。目前,学校还在翻修主广场。
6岁的盖尔-道森(Gail Dawson)说:"这个地区唯一真正稳定的好东西就是大学"。1978年,她从哈林区(Harlem)的一个公共住宅区搬到了这个社区,为的是给孩子们提供一个更安全的成长环境。当时,和现在一样,身患残疾的道森女士住在一套一居室的公寓里,房租由联邦住房券支付。
她说,虽然该地区的一些城市公园已经荒废,但学院却更注重其外观。"我喜欢这里的树,"她说。"这里很漂亮"。
大学高地给人的感觉是静态的。伟大美国人名人堂(Hall of Fame for Great Americans)是一个露天校园,收藏了约100尊半身铜像,包括艺术家、发明家和总统,其中最近期的人物莫过于富兰克林-德拉诺-罗斯福(Franklin Delano Roosevelt)。
但变化正在迫近。
该市正在考虑重新划分Jerome Avenue两英里的区域,以建造更多经济适用房、公园和商店。目前,车库、轮胎店和其他汽车行业占据了这条街道。
一些长期经营的企业主对此表示担忧,比如43岁的佩德罗-蒙西翁(Pedro Moncion),他在West 181st Street拥有一家San Rafael Auto Repair修车厂。蒙西翁先生说,将该街道重新划分为禁止工业用途可能会导致他已经经营了28年的生意终结。
此外,曾经住在附近希望山(Mount Hope)的蒙西翁先生说,在附近的许多街道上,购买杂货、衣服和电子产品的地方已经比比皆是。他说:"我不知道我们还能想要什么"。
大学高地坐落在一座小山上,从这里可以俯瞰曼哈顿和新泽西州的帕利塞德悬崖(Palisades cliffs)。大学高地的北面是West Fordham Road,南面是West Burnside Avenue,东面是Jerome Avenue,西面是哈林河(Harlem River)。根据2010年的人口普查数据,94%的家庭居住在出租房中,而整个城市的这一比例为69%。根据经纪人的说法,这些出租单元中的许多都被预留给第8条(Section 8)补贴住房,或者被安排成单人间(single-room-occupancy)。
市价单位确实存在,比如位于Sedgwick Avenue的River Hill Gardens,这是一座由Goldfarb Properties拥有的五栋砖砌综合楼。校园北面还建有优雅的七层砖砌公寓楼,其中一些是装饰艺术时期的产物。
经纪人说,总的来说,University Avenue(也称Dr. Martin Luther King Jr. Boulevard)以西的公寓楼最古老,也最时尚。
除此之外,还有零星的砖砌独户住宅,如West 179th Street的独户住宅,它们面对的是带前院的半独立式住宅。少数共管公寓包括位于Grand Avenue和Davidson Avenue的一些公寓。但有些共管公寓受到住房发展基金公司(Housing Development Fund Corporation)的限制,根据该公司的规定,购房者的收入不能超过上限。
市场价房产可能很难找到。据Meridian Realty Partners的副经纪人Jackson Strong称,如果有房,700平方英尺左右的市价一居室共管公寓平均售价为9万美元,两居室为14万美元。
Strong先生说,独户住宅的价格约为30万美元,而两户住宅可能高达45万美元。
StreetEasy提供的数据显示,截至今年8月31日,所有住房的平均销售价格为13.5万美元。2014年的平均销售价格为13.7万美元,2013年为15.9万美元。根据StreetEasy的数据,今年截至8月,一居室公寓的平均租金为1270美元,2014年为1230美元,2013年为1150美元。
Strong先生说:"我们正在吸引那些被纽约市其他地区拒之门外的人,甚至是布朗克斯的其他地区"。
由于大多数学生都住在别处,大学城的夜生活很少。位于Aqueduct Avenue East和West 181st Street的BX Campus Deli熟食店似乎是少数几家承认自己存在的商家之一。
在West Fordham Road上,有一家Dallas BBQ烧烤店在周末举办D.J.派对。在West Burnside Avenue上,有一些小店出售水果、美容用品和眼镜。
Aqueduct Walk沿着老克罗顿水渠(Old Croton Aqueduct)的顶端延伸,从19世纪40年代到50年代,这条水渠一直将饮用水从威彻斯特县(Westchester County)输送到这座城市。如果想重温美国历史,布朗克斯社区大学的名人堂也许值得一去。10月18日,布朗克斯社区大学将参加全市范围的"纽约开放日"(Open House New York)活动,届时还将参观由马塞尔-布劳尔(Marcel Breuer)设计的粗野主义(Brutalist)风格建筑。
该地区划入了几所小学,包括Andrews Avenue上的Public School 291、Sedgwick Avenue上的Public School 226和Jerome Avenue上的Public School 33。这三所学校都教授幼儿园到五年级的课程;P.S. 226和P.S. 33还设有学前班。
根据该市的统计数据,在2013-14学年的州考试中,P.S. 291的成绩略好于其他两所学校,当时有18%的学生英语达标,31%的学生数学达标。全市的这两个数字分别为30%和39%。
公立中学有Creston Academy、East Fordham Academy for the Arts和Academy for Personal Leadership and Excellence可供选择,这些学校都在社区外。
St. Nicholas of Tolentine Elementary School是一所教会学校,位于Andrews Avenue North,学制为幼儿园至八年级。
大都会北方铁路(Metro-North Railroad)的哈德逊线(Hudson Line)在大学高地有一站。到大中央车站(Grand Central Terminal)的车程为21至24分钟,月票价格为201美元。
4号线地铁沿Jerome Avenue停靠Burnside Avenue、183rd Street和Fordham Road。
在纽约大学落户之前,校园所在区域有几处庄园,其中一处属于马里(Mali)家族,该家族生产台球毡和其他台球产品。他们的砖房最初成为宿舍,如今是巴特勒厅(Butler Hall),为高中生上大学做准备。
转载自 New York Times, University Heights, the Bronx: Anchored by a College Campus
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774 · 6 months
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1590年に徳川家康が江戸城に入ったとき、江戸城にはひとつ弱点があったことと関係しているでしょう。 弱点とは「西からの攻めに弱いこと」です。 皇居より西側には奥多摩の山方面に向けて武蔵野台地が広がっています。そこには甲州街道沿いに数十キロにわたって新宿、四ッ谷を経て皇居半蔵門まで、平坦な尾根筋(おねすじ)���続いています。 尾根筋というのは谷とは反対に、山の稜線、周囲より高くなった峰と峰とを結ぶ線です。敵は一気呵成(いっきかせい)にこの尾根筋を通って攻めてきそうです。尾根筋を横切って谷があれば、谷の上の高い所から敵を待ち伏せできますが、そうした谷もありません。 江戸城本丸は武蔵野台地の東端に造られています。本丸の地は標高約12メートル。現在の東京駅方面、標高2メートルほどの大手町の低地からは見上げるような崖上にありますが、皇居のほぼ中心部に位置する紅葉山などは標高27メートルあります。紅葉山の方が天守の地にふさわしく思えますが、そうしていません。 その後江戸幕府は約50年かけて江戸城の整備を大がかりに進め、本丸のすぐ西に蓮池濠、その先紅葉山を挟んで道灌(どうかん)濠、さらに内濠(半蔵濠など)、そのまたさらに四ッ谷付近の外濠と四重にも防御ラインとしての濠を造り上げました。江戸城の西側、甲州街道沿いには徳川御三家や譜代の大名の屋敷を構えて万全を期します。 明治時代に入り、敵が攻めてくる脅威はなくなりました。もう四重ものお濠に守られた形の場所に居を構える必要はありません。現在の御所は本丸から西にお濠をふたつ飛び越して内濠のすぐ内側にあります。江戸城本丸が現在の皇居東端にあるのに対し、御所は西端付近に位置することになりました。
皇居の謎解き! 天皇「御所」と江戸城「本丸跡」はなぜとても離れているのか | アーバン ライフ メトロ
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longgoodbye1992 · 2 years
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三陸二人旅
どうしたものか、母から急に週末旅行へ行きたいと言われたのが先週の水曜日。
ということで、三陸へ二人で一泊二日の旅をすることになり行ってきた。
朝早くに車で家を出て、日本海を横目に見た後に山間部へと入る。険しい山道を超え、偶然にも昔入ったことのあるラーメン屋で食事をして、最初の目的地遠野に着いたのは13時前。
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遠野八幡宮という神社へお参り。
遠野には母親と何度も来ていた。と言っても高校時代までのことであり、近年は二人で県外へ行くことなんて無かった。
その当時よく来てたのがかっぱ渕とこの神社だった。町中にあるのに趣があって、風がいつも涼しいこの神社はお気に入りだった。
おみくじは小吉だったのでそっと縛ってきた。
無料区間の高速に乗って気仙沼を目指した。
時間は予定よりもかなり早かった。
三陸道を南に下り、気仙沼にある大島へ。
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開通したのは三年前。それまでこの島には船でしか来られなかった。最初の仕事でテレビのネタ探しをしていたとき、この島でいいネタがあってもアクセスが難儀で断念したのを思い出した。
母は橋の大きさ、また別の三陸道に架かる橋を見て興奮していた。
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この日は午後から決して晴れているとは言えないが、雨でもないという天気で、晴れ男の俺と雨女の母が凌ぎ合っている感じだった。
宿は気仙沼の隣町だったが、時間がまだあるということで、前にテレビ業界に��たときに、担当していた復興住宅の現場の今を見に行くことにした。
三陸道を走らせながら当時いつもおりていたインターで下りる。
川沿いを進み、悲惨な最後だった小学校の跡地を過ぎて海に出た。
懐かしい海岸線がそこには待っていた。
防波堤であまり海が見えないのは三陸のどこでも一緒だけれど、そこは割かし海が見えて雲に煙る沖合まで見渡せた。
トンネルを超えつつ進んでいくと、左手側の丘の上に真新しい住宅街を見つけた。
そこは紛れもなく今から七年前に工事記録を担当していた場所だった。当時はまだ生い茂る木を伐採し、土地の形はよくわからなかった。
今では新しい家が立ち並び暮らしが見えた。
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途中で携わることが出来なくなったが無事に完成した土地を見て心につっかえていたものがとれた。
母も喜んでいた。
宿について大浴場で疲れを流し、夕食の時間。
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海の恵をたくさんいただいた。母とビールを飲みながら、あれこれと話をした。普段言わないこともたくさん話した。
翌日は三陸を北へ北へと進んだ。
気仙沼、釜石、宮古。
森進一の港町ブルースで出てくる街の名を逆に進んでいく。
途中で北山崎という景勝地に寄った。
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リアス式海岸の断崖がよくわかる場所だった。遠くに見える岩場が本州で一番東にある部分らしい。
自然が作る造形というのは荒々しくも繊細だ。
八戸を通り、十和田湖へ抜ける。
夕方に十和田湖を通るのは久々で、日差しがとても美しく湖を映えさせていた。
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あっという間に二日が終わった。
帰り道、夕食をとりながら母とまた二人で旅行しようと約束した。
二人旅も悪くない。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬􄼲な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三􄼹路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱりりと海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
………………………………………………………………
令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の笑み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の���捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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moment-japan · 2 years
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日本最大のカルスト・ドリーネ地帯「関野鼻」
今年は松本清張没後30年という記念の年なので、清張の足跡を辿るべき、日帰りで遥遥、イラストレーターで、仏像・松本清張・崖研究の第一人者である「みうらじゅん」大推薦の能登金剛に参上仕りました。
(遥遥って、車で1時間くらいの近場じゃないかよ)
真っ青な海岸線にテンションが上がってチューブのCDをかける。
この辺りは綺麗なキャンプ場やロッジ等が点在していてプチ・リゾートのような景観。最近では就農で都会から移住する人も非常に多いです。
最初は海岸線に続く、日本最大のカルスト・ドリーネ地帯「関野鼻」に突入。
(日本最大だったのか!)
ええ。
此処は民有地で能登半島地震で大きな被害を受けて足場も崩れ、現在は廃墟のようになっています。
(もったいない)
何故か、駐車場代として機械で500円取られます。
(廃墟なのに納得いかんな。笑)
カルスト地形では山口の「秋吉台」とか九州の「平尾台」とか新潟の糸魚川の石灰岩地帯とかが有名ですが、海岸から陸に延々と繋がるドリーネ地帯では日本最大なのです。
(日本最大って以外です!)
地層の年代も「秋吉台」とかよりも遥か昔、新第三紀時代の地層でこんなの日本ではここだけなんす。
(新第三紀時代っていつの話なんですか?)
大型恐竜が闊歩する以前、初めて哺乳類が登場した頃の時代です。
(なんか古すぎてよくわからないっス。笑)
周りの風景に溶け込まない奇抜なクリーム色の石灰質の奇岩が至る所に点在。あまりにも異様な風景に、暫し固まる。
(しかし、なんて綺麗な海なんだ?このクリーム色の岩とか砂とか、ここだけ地中海みたいだな、行ったことないけど)
何もない廃墟だけど、500円の駐車場代払って、中に入ってこの希少な地形を自身の記憶に焼き付ける価値は十分あります。
途中、ドラックストアで飲み物を買ったのですが、レジのおばさんが「あら、おかしいわね、金額打ち込んだのにクレジットのレシートがでてこないわ」と言ってるので「おねえさん、カードまだ僕持ってますけど・・」というとおばさん、私のバカバカといいながら延々と笑っておりました。
(面白すぎる能登のおばさん)
次回も能登の続きです。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)8月8日(火曜日)
    通巻第7853号
 トランプ当選を阻む三つの起訴と裁判の行方
  共和党内には恩赦論が急浮上、ペンス元副大統領は態度保留
************************
 ロシアではプーチン大統領をSNSで鋭く批判したナバルヌイが拘束され、なんと懲役十九年。プーチン最大の政敵だったホドルコフスキーは十年間、シベリアの監獄にぶち込まれたのち、ドイツへ出国した。
 中国では「民主、自由、人権。法治」を訴えた中国民主党の王丙章博士を囮捜査で拘束し、無期懲役、香港で自由を訴えたメディア「リンゴ日報」の創刊者ジミー・ライ(黎智英)は不当に拘束されたまま裁判を待っている。
しかも香港で最大の発行部数を誇った『リンゴ日報』は倒産に追い込まれた。しかし「民主主義」を強調するバイデンは後者の中国のケースでは沈黙したままだ。
 パキスタンではイムラン・カーン前首相が外国からの贈り物を勝手に処分したとして、三年の禁固刑。日本なら微罪・罰金ていどである。ようするに政治の世界では政敵は徹底的に敗北させるのだ。中国語の諺がいう。
 ──水に墜ちた犬を打て
 バイデン政権は身勝手な法律の拡大解釈をして、ほとんどでっち上げといえる行為を犯罪とし、トランプ前大統領を有罪に持ち込む段取りを組んでいる。トランプを政治的の葬るのである。極左司法界、検察、FBIが一丸となって、トランプを追い込み、崖から突き落とす作戦を展開している。
 トランプは独走し続け、バイデンの再選はおぼつかない情勢だが、このトランプ当選を阻むものは(1)暗殺(2)有罪判決の二つである。
 高級売春婦への口止め、機密書類の持ち出し、そして三回目の起訴理由は国会議事堂乱入の扇動と、いずれも無理筋の起訴だから、トランプが言うように「起訴されるごとに私の支持率は上がる」のである(デサンティスは19%から13%に支持率が低下した)。
トランプの三番目の起訴の罪状は米国欺瞞共謀、公務妨害共謀、権利妨害共謀、公務執行妨害および公務執行妨害未遂の4つである。8月3日、ワシントンの法廷に出向いたトランプ前大統領はいずれも否定して無罪を表明した。
 出廷の翌日(8月4日)、トランプはアラバマ州で演説し「2024年にホワイトハウスを奪還したら、就任初日に「バイデン犯罪一家」による違法行為を捜査する特別検察官を任命する」とした。
「形勢を逆転させなければいけない。ディープ・ステートを破滅させなければならない。2024年選挙で我々は不正なジョー・バイデン一家を追い出す。ワシントンの権力の殿堂から犯罪者と凶悪犯を追放する。中国からの賄賂やその他多くの賄賂を含む、すべての不正行為��関して一つ一つ調査する」と付け加えた。
 また共和党内では大統領恩赦論が浮上している。
 デサンティス・フロリダ州知事とニッキー・ヘイリー元国連大使が(もし、当選すれば)トランプの恩赦を約束しているが、ペンスは態度保留。クリスティーヌ元知事は「恩赦なんてあり得ない」と反対を公言している。
 まさにこれが「民主主義」とかを標榜する全体主義的な国家、アメリカの政治の本質である。
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fangjuexias · 1 year
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Antidote Audio Drama || Theme Song, "The Answer"
作曲:徐一 @徐一_ 编曲:徐一 谢苑秋 吉他:张晨 混音:沈童 音乐制作:杭州乐馨音乐 监制:阿黄 @notmyNY 作词:舟舟 @不系舟Sai_ 演唱:吴晛 @初心者吴晛
沙画创作:半透明 @沙画师半透明 海报绘制:机甲没充电 @机甲没充电 PV:YUKI
街灯下 紧握的掌心回害怕 黑暗中 背负着生活的重压 早习惯 沉默不说话 四面八方 是高墙 是悬崖 抗争过 嘶吼过嗓音都沙哑 温柔地 虔诚地抚摸他伤疤 血与泪一同淌下 不想再逃避回答 想要 雪地里拥抱 分享心跳 贴过额角 想爱 破碎也美好 长夜无眠时 相依靠 仰起头 伸出手握紧别害怕 一条路 两人做彼此牵挂 说过往 终会放下 说以后 似锦繁华 想要 雪里拥抱 分享心跳 贴过额角 想爱 破碎也美好 长
想爱 破碎也美好 长夜无眠时 相依靠 仰起头 伸出手握紧别害怕 一条路 两人做彼此牵挂 说过往 终会放下 说以后 似锦繁华 想要 雪里拥抱 分享心跳 贴过额角 想爱 破碎也美好 长夜无眠 你是解药 雪化 再迎来春夏 吻你笑颜 吻你脸颊 想爱 美好也喧哗 一切的意义 有解答
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isshinotasuke · 2 years
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classicalxht · 7 days
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向晦堂诗文抄(2024上)
诗一百首
一,李商隐《谒山》(以下皆李商隐)
从来系日乏长绳,水去云回恨不胜。
欲就麻姑买沧海,一杯春露冷如冰。
二,《板桥晓别》
回望高城落晓河,长亭窗户压微波。
水仙欲上鲤鱼去,一夜芙蓉红泪多。
三,《龙池》
龙池赐酒敞云屏,羯鼓声高众乐停。
夜半宴归宫漏永,薛王沉醉寿王醒。
四,《屏风》
六曲连环接翠帷,高楼半夜酒醒时。
掩灯遮雾密如此,雨落月明两不知。
五,《日射》
日射纱窗风撼扉,香罗拭手春事违。
回廊四合掩寂寞,碧鹦鹉对红蔷薇。
六,《忆匡一师》
无事经年别远公,帝城钟晓忆西峰。
炉烟消尽寒灯晦,童子开门雪满松。
七,《访隐者不遇成二绝》
秋水悠悠浸野扉,梦中来数觉来稀。
玄蝉去尽叶黄落,一树冬青人未归。
八,其二
城郭休过识者稀,哀猿啼处有柴扉。
沧江白石樵渔路,日暮归来雨满衣。
九,《灞岸》
山东今年点行频,几处冤魂哭虏尘。
灞水桥边倚华表,平时二月有东巡。
十,《寄令狐郎中》
嵩云秦树久离居,双鲤迢迢一纸书。
休问梁园旧宾客,茂陵秋雨病相如。
十一,《瑶池》
瑶池阿母绮窗开,黄竹歌声动地哀。
八骏日行三万里,穆王何事不重来。
十二,《乱石》
虎踞龙蹲纵复横,星光渐减雨痕生。
不须并碍东西路,哭杀厨头阮步兵。
十三,《过楚宫》
巫峡迢迢旧楚宫,至今云雨暗丹枫。
微生尽恋人间乐,只有襄王忆梦中。
十四,《初起》
想象咸池日欲光,五更钟后更回肠。
三年苦雾巴江水,不为离人照屋梁。
十五,《齐宫词》
永寿兵来夜不扃,金莲无复印中庭。
梁台歌管三更罢,犹自风摇九子铃。
十六,《吴宫》
龙槛沉沉水殿清,禁门深掩断人声。
吴王宴罢满宫醉,日暮水漂花出城。
十七,《海上谣》
桂水寒于江,玉兔秋冷咽。
海底觅仙人,香桃如瘦骨。
紫鸾不肯舞,满翅蓬山雪。
借得龙堂宽,晓出揲云发。
刘郎旧香炷,立见茂陵树。
云孙帖帖卧秋烟,上元细字如蚕眠。
十八,《无题》
八岁偷照镜,长眉已能画。
十岁去踏青,芙蓉作裙衩。
十二学弹筝,银甲不曾卸。
十四藏六亲,悬知犹未嫁。
十五泣春风,背面秋千下。
十九,《日高》
镀镮故锦縻轻拖,玉匙不动便门锁。
水精眠梦是何人,栏药日高红髲我。
飞香上云春诉天,云梯十二门九关。
轻身灭影何可望,粉蛾帖死屏风上。
二十,《凉思》
客去波平槛,蝉休露满枝。
永怀当此节,倚立自移时。
北斗兼春远,南陵寓使迟。
天涯占梦数,疑误有新知。
二一,《北青萝》
残阳西入崦,茅屋访孤僧。
落叶人何在,寒云路几层。
独敲初夜磬,闲倚一枝藤。
世界微尘里,吾宁爱与憎。
二二,《晚晴》
深居俯夹城,春去夏犹清。
天意怜幽草,人间重晚晴。
并添高阁迥,微注小窗明。
越鸟巢干后,归飞体更轻。
二三,《夜饮》
卜夜容衰鬓,开筵属异方。
烛分歌扇泪,雨送酒船香。
江海三年客,乾坤百战场。
谁能辞酩酊,淹卧剧清漳。
二四,《风雨》
凄凉宝剑篇,羁泊欲穷年。
黄叶仍风雨,青楼自管弦。
新知遭薄俗,旧好隔良缘。
心断新丰酒,销愁斗几千。
二五,《燕台四首》其四
天东日出天西下,雌凤孤飞女龙寡。
青溪白石不相望,堂上远甚苍梧野。
冻壁霜华交隐起,芳根中断香心死。
浪乘画舸忆蟾蜍,月娥未必婵娟子。
楚管蛮弦愁一概,空城罢舞腰支在。
当时欢向掌中销,桃叶桃根双姊妹。
破鬟倭堕凌朝寒,白玉燕钗黄金蝉。
风车雨马不持去,蜡烛啼红怨天曙。
二六,杜甫《寄韩谏议注》
今我不乐思岳阳,身欲奋飞病在床。
美人娟娟隔秋水,濯足洞庭望八荒。
鸿飞冥冥日月白,青枫叶赤天雨霜。
玉��群帝集北斗,或骑麒麟翳凤凰。
芙蓉旌旗烟雾落,影动倒景摇潇湘。
星宫之君醉琼浆,羽人稀少不在旁。
似闻昨者赤松子,恐是汉代韩张良。
昔随刘氏定长安,帷幄未改神惨伤。
国家成败吾岂敢,色难腥腐餐枫香。
周南留滞古所惜,南极老人应寿昌。
美人胡为隔秋水,焉得置之贡玉堂。
二七,杜甫《观公孙大娘弟子舞剑器行》
昔有佳人公孙氏,一舞剑器动四方。
观者如山色沮丧,天地为之久低昂。
㸌如羿射九日落,矫如群帝骖龙翔。
来如雷霆收震怒,罢如江海凝清光。
绛唇珠袖两寂寞,晚有弟子传芬芳。
临颍美人在白帝,妙舞此曲神扬扬。
与余问答既有以,感时抚事增惋伤。
先帝侍女八千人,公孙剑器初第一。
五十年间似反掌,风尘澒洞昏王室。
梨园弟子散如烟,女乐余姿映寒日。
金粟堆前木已拱,瞿塘石城草萧瑟。
玳筵急管曲复终,乐极哀来月东出。
老夫不知其所往,足茧荒山转愁疾。
二八,韩愈《八月十五夜赠张功曹》
纤云四卷天无河,清风吹空月舒波。
沙平水息声影绝,一杯相属君当歌。
君歌声酸辞且苦,不能听终泪如雨。
洞庭连天九嶷高,蛟龙出没猩鼯号。
十生九死到官所,幽居默默如藏逃。
下床畏蛇食畏药,海气湿蛰熏腥臊。
昨者州前槌大鼓,嗣皇继圣登夔皋。
赦书一日行万里,罪从大辟皆除死。
迁者追回流者还,涤瑕荡垢清朝班。
州家申名使家抑,坎轲只得移荆蛮。
判司卑官不堪说,未免捶楚尘埃间。
同时辈流多上道,天路幽险难追攀。
君歌且休听我歌,我歌今与君殊科。
一年明月今宵多,人生由命非由他,有酒不饮奈明何。
二九,韩愈《山石》
山石荦确行径微,黄昏到寺蝙蝠飞。
升堂坐阶新雨足,芭蕉叶大栀子肥。
僧言古壁佛画好,以火来照所见稀。
铺床拂席置羹饭,疏粝亦足饱我饥。
夜深静卧百虫绝,清月出岭光入扉。
天明独去无道路,出入高下穷烟霏。
山红涧碧纷烂漫,时见松枥皆十围。
当流赤足踏涧石,水声激激风吹衣。
人生如此自可乐,岂必局束为人鞿?
嗟哉吾党二三子,安得至老不更归。
三十,李白《蜀道难》(以下皆李白)
噫吁嚱,危乎高哉。
蜀道之难,难于上青天。
蚕丛及鱼凫,开国何茫然。
尔来四万八千岁,不与秦塞通人烟。
西当太白有鸟道,可以横绝峨眉巅。
地崩山摧壮士死,然后天梯石栈相钩连。
上有六龙回日之高标,下有冲波逆折之回川。
黄鹤之飞尚不得过,猿猱欲度愁攀援。
青泥何盘盘,百步九折萦岩峦。
扪参历井仰胁息,以手抚膺坐长叹。
问君西游何时还,畏途巉岩不可攀。
但见悲鸟号古木,雄飞雌从绕林间。
又闻子规啼夜月,愁空山。
蜀道之难,难于上青天,使人听此凋朱颜。
连峰去天不盈尺,枯松倒挂倚绝壁。
飞湍瀑流争喧豗,砯崖转石万壑雷。
其险也如此,嗟尔远道之人胡为乎来哉。
剑阁峥嵘而崔嵬,一夫当关,万夫莫开。
所守或匪亲,化为狼与豺。
朝避猛虎,夕避长蛇。
磨牙吮血,杀人如麻。
锦城虽云乐,不如早还家。
蜀道之难,难于上青天,侧身西望长咨嗟。
三一,《襄阳歌》
落日欲没岘山西,倒著接䍦花下迷。
襄阳小儿齐拍手,拦街争唱白铜鞮。
傍人借问笑何事,笑杀山翁醉似泥。
鸬鹚杓,鹦鹉杯,百年三万六千日,一日须倾三百杯。
遥看汉水鸭头绿,恰似葡萄初酦醅。
此江若变作春酒,垒麹便筑糟丘台。
千金骏马换小妾,笑坐雕鞍歌落梅。
车傍侧挂一壶酒,凤笙龙管行相摧。
咸阳市中叹黄犬,何如月下倾金罍。
君不见晋朝羊公一片石,龟头剥落生莓苔。
泪亦不能为之堕,心亦不能为之哀。
谁能忧彼身后事,金凫银鸭葬死灰。
清风朗月不用一钱买,玉山自倒非人推。
舒州杓,���士铛,李白与尔同死生。
襄王云雨今安在,江水东流猿夜声。
三二,《行路难》其二
大道如青天,我独不得出。
羞逐长安社中儿,赤鸡白狗赌梨栗。
弹剑作歌奏苦声,曳裾王门不称情。
淮阴市井笑韩信,汉朝公卿忌贾生。
君不见昔时燕家重郭隗,拥彗折节无嫌猜。
剧辛乐毅感恩分,输肝剖胆效英才。
昭王白骨萦烂草,谁人更扫黄金台。
行路难,归去来。
三三,《江上吟》
木兰之枻沙棠舟,玉箫金管坐两头。
美酒尊中置千斛,载妓随波任去留。
仙人有待乘黄鹤,海客无心随白鸥。
屈平词赋悬日月,楚王台榭空山丘。
兴酣落笔摇五岳,诗成笑傲凌沧洲。
功名富贵若长在,汉水亦应西北流。
三四,《玉壶吟》
烈士击玉壶,壮心惜暮年。
三杯拂剑舞秋月,忽然高咏涕泗涟。
凤凰初下紫泥诏,谒帝称觞登御筵。
揄扬九重万乘主,谑浪赤墀青琐贤。
朝天数换飞龙马,敕赐珊瑚白玉鞭。
世人不识东方朔,大隐金门是谪仙。
西施宜笑复宜嚬,丑女效之徒累身。
君王虽爱蛾眉好,无奈宫中妒杀人。
三五,《上李邕》
大鹏一日同风起,抟摇直上九万里。
假令风歇时下来,犹能簸却沧溟水。
世人见我恒殊调,闻余大言皆冷笑。
宣父犹能畏后生,丈夫未可轻年少。
三六,《灞陵行送别》
送君灞陵亭,灞水流浩浩。
上有无花之古树,下有伤心之春草。
我向秦人问路岐,云是王粲南登之古道。
古道连绵走西京,紫阙落日浮云生。
正当今夕断肠处,黄鹂愁绝不忍听。
三七,《玉真公主别馆苦雨赠卫尉张卿二首》其一
秋坐金张馆,繁阴昼不开。
空烟迷雨色,萧飒望中来。
翳翳昏垫苦,沉沉忧恨催。
清秋何以慰,白酒盈吾杯。
吟咏思管乐,此人已成灰。
独酌聊自勉,谁贵经纶才。
弹剑谢公子,无鱼良可哀。
三八,《沙丘城下寄杜甫》
我来竟何事,高卧沙丘城。
城边有古树,日夕连秋声。
鲁酒不可醉,齐歌空复情。
思君若汶水,浩荡寄南征。
三九,《鲁郡东石门送杜二甫》
醉别复几日,登临遍池台。
何时石门路,重有金樽开。
秋波落泗水,海色明徂徕。
飞蓬各自远,且尽手中杯。
四十,《夜泊牛渚怀古》
牛渚西江夜,青天无片云。
登舟望秋月,空忆谢将军。
余亦能高咏,斯人不可闻。
明朝挂帆席,枫叶落纷纷。
四一,《击壤歌》(以下皆《古诗源》)
日出而作,日入而息。
凿井而饮,耕田而食。
帝力于我何有哉。
四二,《伊耆氏蜡辞》
土反其宅,水归其壑。
昆虫毋作,草木归其泽。
四三,《禹玉牒辞》
祝融司方发其英,沐日浴月百宝生。
四四,《白云谣》
白云在天,丘陵自出。
道里悠远,山川间之。
将子无死,尚复能来。
四五,《琴歌》
百里奚,五羊皮。
忆别时,烹伏雌,炊扊扅。
今日富贵忘我为。
四六,《临河歌》
狄水衍兮风扬波,舟楫颠倒更相加。归来归来胡为斯。
四七,《楚聘歌》
大道隐兮礼为基,贤人窜兮将待时。天下如一兮欲何之。
四八,《渔父歌》
日已夕兮,予心忧悲。
月已驰兮,何不渡为。
事寝急兮将奈何。
四九,《越人歌》
今夕何夕兮,搴舟中流。
今日何日兮,得与王子同舟。
蒙羞被好兮,不訾诟耻。
心几烦而不绝兮,得知王子。
山有木兮木有枝,心说君兮君不知。
五十,《乌鹊歌》
南山有乌,北山张罗。
乌自高飞,罗当奈何。
乌鹊双飞,不乐凤凰。
妾是庶人,不乐宋王。
五一,又《答夫歌》
其雨淫淫,河大水深,日出当心。
五二,《三秦记民谣》
武功太白,去天三百。
孤云两角,去天一握。
山水险阻,黄金子午。
蛇盘乌栊,势与天通。
五三,《河图引蜀谣》
汶阜之山,江出其腹。
帝以会昌,神以建福。
五四,《湘中渔歌》
帆随湘转,望衡九面。
五五,《四民月令引农语》其一
三月昏,参星夕。
杏花盛,桑叶白。
五六,其二
河射角,堪夜作。
犁星没,水生骨。
五七,林逋《翠微亭》(以下皆林逋)
亭在江干寺,清凉更翠微。
秋阶响松子,雨壁上苔衣。
绝境长难得,浮生不拟归。
旅情何计是,西崦入斜晖。
五八,《和史宫赞》
门对远峰青,常时亦懒扃。
久贫惭嗜酒,多病负穷经。
鹤迹秋偏静,松阴午欲亭。
蜀庄何足问,惟解事沉冥。
五九,《寄思齐上人》
松下中峰路,怀师日日行。
静钟浮野水,深寺隔春城。
阁掩茶烟晚,廊回雪溜清。
当期相就宿,诗外话无生。
六十,《荣家鹤》
种莎池馆久淹留,品格堪怜绝比俦。
春静棋边窥野客,雨寒廊底梦沧州。
清形已入仙经说,冷格曾为古画偷。
数啄稻粱无事外,报言鸡雀懒回头。
六一,《喜灵皎师见访书赠》
金锡锵然款蠹关,云膏浓渚对跳峦。
清如霜月三五夕,瘦似烟篁一两竿。
旧社久抛魂梦破,近诗才举骨毛寒。
池轩夜静且留宿,往往自将秋籁弹。
六二,《自作寿堂,因书一绝以志之》
湖上青山对结庐,坟头秋色亦萧疏。
茂陵他日求遗稿,犹喜曾无封禅书。
六三,王思任《》(以下皆《文饭小品》)
文六十首
一,王思任《严子陵还富春渚》(以下皆《文饭小品》)
虽曰中兴,文叔差增于往;大家阿谀,司徒适得其常。任叫狂奴,存吾男子。半竿蓑雨,足饱鱼鲜;一领羊裘,温于狐白。绿潭弥弥,翠壁峨峨。歌沧浪而四山响应,领清风而六月梦寒。无帝可臣,有星是客。
二,《简周玉绳》
足下既在承明,当日讨典故,上下千古,如九经廿一史。我朝会典律例,都该讲究批评一番,以为异日纶扉秉政之地。昔张江陵为翰编时,逢盐使、关使、屯使、各按差使还朝,即具一壶一盒强投夜教,密询利害扼塞,因革损益,贪廉明昧阻通之故,归寓篝灯细纪笔札。其储心如此,容易造到江陵。如只风花雪月,一吟一咏,以青州从事醉乡溷过,即此先愧科名矣。不佞南还在即,恃足下过谦之爱,药石留别,幸勿吐之。
三,《回门人陆平格》
询我三冬足用,足下进矣。三冬足,则三季之不足可知。静者长,动者短,此太极之理也。即以读书一事言之,秋渐静,故神思清好;春渐动,则神思昏善。夏则冬之对也,止有寅卯二时,无论读书,即一日做事只可一件。故聪明之人恶夏而爱冬。人身肾实则水升,百事可做;心虚则火旺,事多即烦。元亨利,不若一贞字。《太玄》以直蒙酋分三季,而以冥罔属冬,冬则占其二矣。罔者冬之发处,冥者冬之归处,即此意也。坡老与庞道士安常议论甚悉,可寻看之。
一,张岱《濮仲谦雕刻》(以下皆《陶庵梦忆》)
南京濮仲谦,古貌古心,粥粥若无能者,然其技艺之巧,夺天工焉。其竹器,一帚、一刷,竹寸耳,勾勒数刀,价以两计。然其所以自喜者,又必用竹之盘根错节,以不事刀斧为奇,则是经其手略刮磨之,而遂得重价,真不可解也。仲谦名噪甚,得其款,物辄腾贵。三山街润泽于仲谦之手者数十人焉,而仲谦赤贫自如也。于友人座间见有佳竹、佳犀,辄自为之。意偶不属,虽势劫之、利啖之,终不可得。
二,《金山夜戏》
崇祯二年中秋后一日,余道镇江往兖。日晡,至北固,舣舟江口。月光倒囊入水,江涛吞吐,露气吸之,噀天为白。余大惊喜。移舟过金山寺,已二鼓矣。经龙王堂,入大殿,皆漆静。林下漏月光,疏疏如残雪。余呼小傒携戏具,盛张灯火大殿中,唱韩蕲王金山及长江大战诸剧。锣鼓喧阗,一寺人皆起看。有老僧以手背摋眼翳,翕然张口,呵欠与笑嚏俱至,徐定睛,视为何许人、以何事何时至,皆不敢问。剧完,将曙,解缆过江。山僧至山脚,目送久之,不知是人、是怪、是鬼。
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mutter-inthework · 17 days
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近所の桜もいい感じだよね
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yotchan-blog · 25 days
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